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田中宏輔

選出作品 (投稿日時順 / 全150作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


もうね、あなたね、現実の方が、あなたから逃げていくっていうのよ。

  田中宏輔



きょう

新しいディスクマンを買おうと思って

河原町に出たのだけれど

買わずに、

四条通りのほうのジュンク堂に寄って

まず自分の詩集がまだ置いてあるかどうか見た。

一階の奥の詩集のコーナーに行くと

いちばん目立つところに置いてあった。

まだ6冊あって

先週見たときと同じ数。



日知庵に行こうと思って

ツエッペリンの「聖なる館」を聴きながら

河原町通りを歩いていると

ふと

肩をさわる手があって

見ると

湊くんだった。

「これから日知庵に行くんだけど

 行く?」

って言ったら

「時間ありますから、行きましょう」

とのことで、ふたりで日知庵に。

そこでは二人とも生ビールに焼鳥のAコースのセット。



食べて

飲んで

「つぎ、大黒に行く?」

って言ったら

「時間ありますから」

とのことで

二人で大黒に。

「きょう、火がついた子どもってタイトルでミクシィに書いたよ」

「ぼくも、きょう、火のラクダって言葉を思いつきました」

「ラクダっていえば、砂漠ってイメージかな。

 で、宮殿ね。

 アラブのさ。

 あのタマネギみたいな頭の屋根の」

カウンター席の音楽の先生が、となりの男性客に

「明日は仕事なんですか?」

「運動会めぐりですよ」

これは日知庵での会話ね。

「やっぱりアラブですよね」

「ラクダって、火のイメージありますか?」

「あるよ。

 比

 ってさ。

 あ

 比べるほうの「比」だよ

 フタコブ突き出てる形してるじゃない?」

「あ
 
 なるほど」

「ね

 もう

 比なのよ」

「俳句に使おうと思ってるんですけど」

「俳句ね」

「3年前に愛媛の俳句の賞で最終選考にまで残ったんですけど

 またこんど出してみようかなって思ってるんですよ」

「愛媛って、俳句の王国じゃん」

「100句出すんですよ」

「ぼくなら無理だな

 で

 どんな俳句なの

 ここに書いてみて」



メモ帳を取り出す

「硬い鉛筆で描く嘴をもつものを」

「ええと

 これって

 イメージの入れ子状態じゃない?

 絵のなかに書いた絵のように

 嘴って

 見た嘴じゃなくて

 鉛筆で描いた嘴だし

 その鉛筆だって、頭のなかの鉛筆だし

 ぼくには

 イメージの入れ子状態だな」

「そうですね

 で

 これって

 を

 が多いというので削るほうがいいって言われるんですけど」

「さいしょの「を」を削れって言うんでしょ?」

「そうです、でも、ぼくは、散文性が出したかったので」

「そだよ。

 もう削る文学は、いいんじゃない?

 削る文学は、古いんじゃない?」

「ぼくも、散文性が出したかったので」

「でも、削った方がいいって言うひとの方が多いだろうけどね」

「ぼくもそう思います。

 でも

 それだから

 よけいに、目立つとも思うんですよ」

「そだよ。

 まず、目立たなきゃね。

 俳句って

 やってるひと多いから」

「三年前の最終選考にまでいったもの

 まだネットに残ってるんですよ。

 消して欲しいんですけど」

「そなんだ」

「賞金30万円なので

 今年も出そうかなって」

「それはいいんじゃない。

 もらえるものはもらったら。

 ぼくみたいに、ぜんぜん賞と縁のないことも

 なんか意義があるんだろうけどさ」

「城戸朱理が審査員のひとりなんですよ」

「なんで?

 あ

 パウンドの詩集

 城戸の訳のものだけは買わなかったわ

 あと、全部、そろえたけど」

「そんなに嫌いですか?」

「嫌い」

で、ここで日知庵はチェック。

大黒に移動。

日知庵から大黒に行く途中

たくさんの居酒屋や食べ物屋の前を通りながら

高瀬川を渡って、木屋町通りを歩きながら

「詩語ってさ。

 パウンドの詩にも

 ジェイムズ・メリルの詩にも感じないんだよね。

 なんで、日本の詩人の詩って、詩語に不注意なんやろか。

 このあいだもらった高橋睦郎の詩集なんて

 もう詩語のかたまりやった。

 ぜんぜんおもしろくないっつーの」

「ぼくにはおもしろかったですけどね」

「そうお?」

「おもしろかったですよ」

「でも、あれは生きてないよ。

 ライブじゃないっつーか。

 アライブじゃないっつーか。

 リアルじゃないっつーか。

 まっ

 少なくとも

 ぼくの人生の瞬間を、さらに生き生きとしたものにはしてくれなかったわ」

「よかったですけどね」

と、湊くんは繰り返し言ってた。

まっ、これは波長の違いかな。

俳句的な感性が、ぼくにはないからかもしれない。

高橋さんも俳句やってたしね〜。

ぼくに手ほどきしようかって

直接、高橋さんから言われたこともあるけど。

断ったけどね。

俳句なんて

ぼくには、ムリって感じなんだもん。

高度な俳句はね。

それに

じっさい、高橋さんに

ぼくが書いた俳句を、いくつか見てもらったんだけど

直してもらったものを見て、なんだかなあ、って思ったから。

たしかに、感心したものも1つあったんだけど

直されたものをいくつか見て

なんだかなあって思ったの。

まっ、はやい話が

古臭いっていう感じがしたのね。

それは、ぼくがいちばん避けてることなの。



話が、それちゃう。

どんどん、それていっちゃいそう。

戻すね。

大黒のある路地の手前に交番があって

その真横にある公衆トイレの前で

「このあいだ、ミクシィでさ。

 廿楽さんが、パウンドの「キャントーズ」のパロディーで

 「キャンディーズ」ってのを思いついたって書いてはってね。

 それ、おもしろそうと、ぼくも思ってね。

 すぐに書き込みしたのね。

 9人のミューズならず3人の歌姫による

 昭和の芸能史と政治・経済に

 廿楽さんの個人史を入れられたら

 きっとすごいおもしろいものになりますねって。

 ぼくなら大長篇詩にしちゃうな。

 キャンディーズの3人が突然、ミューズになって歌ったり

 アイドルの男の子がデウカリオンになったり

 アイドルの女の子がアンドロメダになったりするの」

「それは、もう、あつすけさんの詩ですよ」

「そだよね。

 おもしろそうなんだけど。

 それだけで

 何年もかかりそう」

というところで

大黒のある路地の前にきた。

廃校になった小学校の前にある路地の奥だ。

ふたりは狭い路地を通って大黒に入った。

「前にも、ここにきたよね?」

「いえ、はじめてですけど」

「えっ?

 そなの?

 ほんとに?」

「前に

 荒木くんとか

 関根くんとか

 魚人くんときたときに

 いっしょにきてない?」

「はじめてですよ」

「ええっ」

マスターが湊くんに店の名刺を渡す。

「はじめまして、大黒のみつはると言います」

「ぼく、シンちゃんに言われるんだよね。

 おれの知ってる人間のなかで

 もっとも観察力のない人間だって」

「そんなことないでしょう」

「言われたんだよねえ」

マスターが

「あつすけさんって、見てるとこと見てないとこの差が激しいから。

 好きなものしか見てないんだよねえ」

と言って、ぼくの顔をのぞきこむ。

「ねえねえ、このマスターって、荒木くんに似てない?」

「また言ってる」

とマスター

「似てないでしょう。

 あつすけさんのタイプってことでしょう。

 短髪で

 あごヒゲで

 体格がよくって

 ってことでしょ」

「そかな?」

マスターが

「日知庵は忙しかった?」

「知らない」

と、ぼくが言うと

湊くんが

「まあまあじゃないですか。

 満席になったときもありましたよ

 ずっと満席ってわけじゃなかったですけど」

「えっ、そなの?

 ぜんぜん見てなかった

 まわりなんか、ぜんぜん気にしてなかったしぃ」

マスターが

「ほら、やっぱり見たいとこしか見てないのよねえ」



「ふううん、かもね」

と言うぼく。

「The Wasteless Land.

 のIVって

 いままでで

 いちばん反響があったんだよね」

「ぼくはIIとIIIの方が好きですけど」

「そなの?」

「で

 IIIよりIIの方が好きですけど」

「そなの?

 山田亮太くんも

 メールに、そう書いてくれてた。

 II

 が好きなひとって

 ほとんどいないんだよね」

「ぼくと話が合いそう」

と、湊くん。

「合えばいいなあ」

と、ぼく。

ぼくみたいなマイナー・ポエットに目をとめてくれるひとなんて

ほとんどいないもんね。

これまた、日知庵での会話なんだけどね。

「このあいだ、河野聡子さんてひとから

 12月に出る「トルタ4号」って詩の同人誌の

 原稿依頼があってさ。

 山田亮太くんが参加してるグループのね。

 ひさしぶりに、●詩を書いちゃった。

 鳩が鳩を襲う

 猿が猿を狩るやつ。

 あの関東大震災と

 エイジくんとの雪合戦をからませたやつね。

 前にミクシィに書いてたでしょ?」

「見ましたよ」

「あれを手直しして、●詩にしたの。

 で

 アンケートもあってね。

 「現代詩の詩集で、あなたがいいと思うものを10冊あげてください」って。

 でね。

 ぼくって、詩は、古典的なものしか読んでなかったから

 あわてて、パウンドを揃えて買ったり

 ジョン・アッシュベリーを買ったりして

 それをアンケートの答えに入れておいたの。

 ジェイムズ・メリルといっしょにね。

 いまの現代詩って

 生きてる詩人では、どだろって思って

 このあいだ

 ネットで

 poetry magazine で検索したら

 知らない詩人の名前がいっぱいだったけど

 だれかいい詩人っているの?」

「パウンド以降、現代詩っていえるものは、ないですね。

 出てきてないですね」

「そなの。

 ぼくにはジェイムズ・メリルがすっごいよかったんだけど。

 ほんと、湊くんには、「ミラベルの数の書」をもらってよかった」

「あつすけさん、こんど、メリルの詩集をかしてくださいよ」

ぼくは、聞こえなかったふりをして

焼鳥の串に手をのばして、ひとかたまり食べて

ビールのジョッキグラスに口をつけた。

「ジョン・ダンの全詩集って読んだけど

 いいのは、みんな、岩波文庫に入ってるんだよね」

「そうですか」

「うん、訳者が同じなんだけど

 選択眼がすごいんだろね。

 いいのは、ぜんぶ、文庫に入ってて

 まあ、いいんだけどね。

 ジョン・ダンの詩がぜんぶ読めるっていうのは。

 でも

 エミリ・ディキンソンの詩集は

 あの岩波文庫のものは、ぜんぜんあかんかったわ」

「亀井さんは偉い学者なんですけどね。

 あの訳は直訳で

 よくなかったですね」

「でしょ?

 ぜんぜんよくなかった。

 新倉さんの訳とぜんぜん違ってた。

 「エミリ・ディキンソンの生涯」って本に入ってた引用された詩で

 ちょっと前に、ぼくはディキンソンの詩がいいなって思ったのだけれど 
 
 まあ、それまでにもアンソロジーで読んで

 自分の詩論にも引用してたりしてたんだけどね。

 このあいだ、それ読んで、あらためていいなって思ったの」

「あつすけさん、形而上詩って、どうなんですか?」

「あ

 ジョン・ダンね。

 シェイクスピアとだいたい同じ時代の詩人だったでしょ。

 あのころは、奇想っていうのが、あたりまえだったでしょ。

 それをエリオットが形而上的に思って

 形而上詩って言ったんじゃない?」

このときの湊くんの返事は忘れちゃった〜。

ごめんさい。

「だからみんな、形而上詩じゃない?

 ぼくのものも、そういうところあるでしょ?」

みたいなことを言った記憶があるんだけど

この言葉への返事も忘れちゃった〜。

ほんと、湊くん、ごめんなさい。

すべてのことをクリアに記憶できないなんて

ぼくって、頭、悪いのかも。

しゅん↓

って

嘘だよ。

謙遜だよ。

こんだけおぼえてるだけでも

えらいっしょ?

プフッ。

ってか

まだまだいっぱい

おぼえてること書くからね。

ここまでのところって

ほとんどのものが、日知庵での会話だった。

つぎのは、大黒での会話ね。

あっちこっちして

ごめんなさい。

ぼくって、しょっちゅう

あっちこっちするの、笑。

でね、

若い男の子の客が

「きょう10個の乳首を見たけど

 ひとつもタイプの乳首がなかったわ。

 もうデブも筋肉質もいなくって

 ガッカリだったわ」

現実逃避かしら、と店の男の子の言葉を聞いて

「現実の方が

 あなたから逃げていくってのはどう?」

と湊くんに言う。

ぼくはよく人の会話をひろって

その会話に出てきた言葉を

自分の会話に使う。

湊くんも、よくそういうことありますよって。



6,7行前に戻るね。

「あつすけさんが前にも言ってらした

 言葉を反対にするっていうやつですね」

「そう。

 数学者のヤコービの言葉ね」

マスターが

「なし食べる?」

「大好きなんですよ」

と、湊くん。

「食べようかな」

と、ぼく。

なしが出てくるまで5分くらい。

「なし、好きなんですよ」

「なんで?」

「水分が多いから」

「はっ? なに、それ?」

「水分が多いですからね」

「それって、おかしくない? 果物の好きな理由が水分が多いからって

 果物、みんなそうじゃない?」

「そうですか?」

「おかしいよ。

 甘いっていうのだったら、わかるけど。

 果物なんて、みんなほとんど水じゃん」

「でも

 水分が多いでしょ? たとえば、リンゴより」

「はっ? おかしくない?」

「そこまで言いますか?」

「言うよ、おかしい」

「でも、リンゴとは 歯ざわりも違いますし」

「たしかに、歯ざわりは違うね、リンゴと」

「水分も違うんじゃないですか」

「そかな」

「桃も水分が多いから好きなんですよ」

「はっ?」

と、ここでマスターにむかって、ぼくが

「このひとに、なしが好きな理由たずねてみて」



マスターがたずねると、またしても

「水分が多いから」

「おかしいでしょ?」

「たしかに、水分が多いって

 ねえ。

 果物、ぜんぶでしょ」

「でしょ?」

マスターのフォロー

「食感が違うってことかしら?」

「たぶんね

 でも

 水分が多いからってのは変だよね」

「みずみずしいってことじゃないですか?」

とマスター。

ぼくは、みずみずしいって

この日記を書くまで

「水々しい」だと思ってた。

「瑞々しい」なんだね。

忘れてた。

「みずみずしいと、水分があるというのは違うでしょ?」

「違いますか?」

「違うよ

 水分の多い岩石

 みずみずしい岩石

 違うじゃん?」

「いっしょでしょ」

「違うよ

 みずみずしいアイドル

 水分の多いアイドル

 違うじゃん」

「たしかに」

「でも

 水分の多いって言い方のほうがぴったしなことってあるかもしれないね」

「そうですね

 でも

 なんで、最初に岩石だったんですか?」

「岩には水がない

 エリオットの「荒地」だよ」

「ありましたね」

ここで、「荒地」の話を数十分。



痴呆詩人

詩人の分類

とかとか

どっち、どっち。

谷川俊太郎と吉増剛造だったら、どっちになりたい?

瀬尾育男と北川透だったら、どっちになりたい?

稲川と荒川だったら?

ヤだなあ、どっちでも。

だまってれば、ふつうのひと

だまってなければ、ふつうじゃないってことね。

現実のほうが、あなたから逃げていくっちゅうのよ。

きょう、乳首を10個も見たけど

ひとつもいいのがなかったわ。

10個の乳首が

あなたを吟味したって考えはしないのね。

あなたは。

10個の乳首が

あなたを吟味してたのよ。

後姿しか見てないけど

短髪のかわいい子かもしれない。

かわいくない子かもしれない。

どうでもいいけど。

シルヴィア・プラス

テッド・ヒューズ

エリオット

パウンド

アッシュベリー

ホイットマン

ジョン・ベリマン

ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ

ジョン・ダン

シェイクスピイイイイイア

ヴァレリー

ジョイス

プルースト

とかの話をした。

「野生化してるんですよ

 オーストラリアのラクダって

 馬じゃ、あの大陸横断できなくて

 ラクダを連れてきたんですけど

 いまじゃ、オーストラリアから

 アラブに輸出してます」

「そだ。

 このあいだ

 2ちゃんねるでさ。

 外国の詩の雑誌にも投稿欄があるのかどうか、訊いてたひとがいたけど、

 外国の詩の雑誌も投稿欄って、あるの?」

「ないですよ」

「そなの?」

「ありませんねえ」

「そなんや。

 ぼくもネットで poetry magazine って言葉で検索して

 外国の詩の雑誌のところ見たけど

 直接、編集長に作品を出して

 載せてもらえるものかどうか判断されるって感じだったものね」

「そのとおりですよ。

 なんとか、かんとか(英語の単語だったの、忘れちゃった、掲載不可の返事)を

 作家の(詩人だったかも、これまた忘れた〜)

 だれだれが(これもね、ごめんなさい)

 机のところに

 目の前に並べて貼って、それで奮起して書いてたらしいですよ」

「へえ、ぼくなら、拒絶された手紙みたら

 書きたい気持ちなくなるけどねえ。

 奮起するひともいるんや」

そういえば、無名時代の作家や詩人の作品が

雑誌の編集長にひどい返事をもらったことを書いた本があったなあ。

ガートルード・スタインも、自分の文章をパロってた返事を書かれてて

返事のほうも、スタインの本文とおなじくらいおもしろかったなあ。

ただひとつの人生で

ただひとつの時間しかありません。

ですから云々

だったかなあ。

「ただひとつの」の連発だったかな。

そんな感じやったと思う。

「あつすけさんも送れますよ」

「えっ?」

「日本からでも送れるんですよ」

そういえば、西脇順三郎も、さいしょの詩が掲載されたのって

イギリスの詩の雑誌だったかなあ。

「朝にランニングしてるんですけど

 台風の翌朝

 鴨川の河川敷を走ってると

 ぬめって危険なので

 歩いていたら

 たくさんのザリガニが

 泥水から這い上がって

 それを自転車が轢いていくものだから

 前足のハサミのないものがつぶれたり

 うごめいていたり 

 それがびっしり河川敷に

 両方のハサミのないものもいて

 それは威嚇することなく

 泥の中に戻りましたね」

「ザリガニの死骸がびっしりの河川敷ね

 でも

 ザリガニって鴨川にもいるんや

 ふつうは池だよね」

「いると思わないでしょ?」

「そだね

 むかし

 恋人と雨の日に琵琶湖をドライブしてたら 

 ブチブチっていう音がして

 これ、なにって訊いたら

 カエルをタイヤが轢いてる音

 っていうから

 頭から血がすーっと抜けてく感じがした。

 わかる?

 頭から

 血が抜けてくんだよ

 すーって下にね」

湊くんと木屋町で別れて

阪急電車で11時40分発に乗って帰ってきちゃった。

もっと飲みたかったなあ。

ぼくのむかし書いた大長篇の●詩のタイトル

あの猿のおもちゃのパシャンパシャンの●詩ね。

北朝鮮民主主義人民共和国のレディたちの

黄色いスカートがパシャンパシャンの風で、つぎつぎまくれあがってくやつよ。

そのタイトルを「ジャンピング・ジャック・クラッシュ」にしようかなって言うと

湊くん

「それって

 飛び出すチンポコって意味ですよ」

とのこと

「なるほど

 ストーンズって

 エロイんやね。

 そのタイトルにするよ。

 かっわいい」

飛び出すチンポコ

あとで鳩バス。

コントロバス。

ここんとこ

パス、ね。

「まえにミクシィに書いてらっしゃいましたね」

「書いてたよ。

 これって、近鉄電車に乗ってたときに女子大生がしゃべってるの聞いて

 メモしたんだよね。

 ぜったい聞き間違いだろうけどさ。

 聞き間違いって、すっごくよくするんだよね。

 授業中でも、しょっちゅう」

「聞き間違いだけで詩を書いてもいいかもしれないですね」

「そうお?」

「おもしろそうじゃないですか」

「そかな」

「でも、ほんと

 喫茶店とか

 街ですれ違うひとの言葉とか

 なんだったって書くんだ。

 書いてからコラージュするの」

「ほとんどは捨ててらっしゃるんですよね」

「捨てるよ

 でも

 ブログに写してるから

 正確に言えば捨ててないかなあ。

 あとで使えるかもしれないじゃん。

 で

 じっさい使ってるしね」

「エリオットも

 会話を詩にいれたりしてますものね」

「そだよね。

 コラージュだよね。

 詩って」

で、エリオットの全集がいまヤフオクで20000円だとか

このあいだ、ヴァレリー全集がカイエ全集付で

全24巻で98000円で

買おうかどうか迷ったよ

でも、全集

どっちとも全部、図書館で読んでメモしたし

すでに、作品に引用してるし

買わなかったけど

とかとか

パウンドが手を入れたエリオットの「荒地」の

原稿の原著の写しを二人とも読んでいて



原稿の写しね

ファクシミリ・オブ・マーナスクリプト・オブ・ザ・ウエスト・ランド

だったかな。

ぼくも勉強してた時期があったのだ〜。

英語できないけどね。

楽しかったけどね。

じっさいに赤いインクの

朱が入ったものね

エリオットが be動詞 間違えてたとか

これって

ぼくたちが「てにをは」をまちがえるようなものでしょうとか

とかとか話して

飲みすぎぃ。

でも

頭はシャッキリ。

きのう、仕事で

すんごい理不尽なことがあって

これ

いまは書けないけど

湊くんに言って

ゲラゲラ笑っちゃった。

ゲラゲラ笑っちゃえ。

えっ?

「ジュンク堂でさ

 ことしの9月に出た

 ぼくの大好きなトマス・M・ディッシュっの

 「歌の翼に」を買おうと思ったんだけど

 これ、サンリオSF文庫のほうで読んでたし

 国書刊行会から出てた新しい訳のほう見たけど

 字がページの割と端っこまで印刷してあって

 レイアウトがあんまり美しくなかったから

 買わなかったんだけど

 まあ、この国書のSFシリーズ、ぜんぶ買ってるから

 気が変わったら買うかもしれないけど

 ちょっと最近、SFには辟易としていてね。

 買わなかった。

 あ

 このディッシュって

 去年自殺したけど

 どうやって自殺したのか憶えてないんだけど

 ディッシュも詩集を出してたんだよね。

 日本じゃ、ただのSF作家で

 詩集は翻訳されてないんだけど

 そういえば

 詩人って

 たくさん自殺してるよね。

 あの「橋」を書いたのは、だれだっけ?」

「ハート・クレインでしたか」

「そうそう。

 船から海に飛び込んだんだっけ?」

「でしたか」

「ジョン・ベリマンも入水自殺だよね」

「自殺しましたね」

「ジョン・ベリマンってさ。

 なんで入水自殺したの知ってるのかって言えば

 ディッシュの「ビジネスマン」ってタイトルの小説に

 顔から血を流してさ、片方の目の玉を飛び出させたまま

 ゴーストの姿で出てくるの。

 ダンテの「神曲」における、ウェルギリウスの役目をしてさ。

 主人公をサポートして天国に導こうとする者としてね。

 あ

 ツェランも入水だよね。

 シルヴィア・プラスはガス・オーブンに頭、突っこんで死んだけど」

「すごい死に方ですね」

「まあ、火をつけて死んだんじゃなくて

 一酸化炭素中毒だったんだろうけど

 それでも、すごいよね。

 もちろん、火をつけて死んでたら、もっとすごいけどね。

 いま、都市ガスは一酸化炭素入ってないから死ねないけど

 そういえば

 練炭自殺って何年か前、日本で流行ったね。

 ネットでいっしょに死ぬヤツ募ってさ。

 シルヴィア・プラスの夫の詩集、ジュンク堂にたくさん置いてあったよ」

「そうでしたか?」

「テッド・ヒューズの詩集

 何冊あったかな。

 4,5冊、あったんじゃない?

 奥さんがすごい死に方して

 どういう気持ちだったんだろ」

「伝記書いてましたね」

「黒人でしょ?」

「いえ、白人ですよ」

「えっ?

 黒人じゃなかった?」

「それ、ラングストン・ヒューズですよ」

「あ、そだ、そだ。

 恥ずかしい。

 ラングストン・ヒューズの詩集だ。

 たくさんおいてあったよ。

 でも、なんで黒人の詩人の詩集がたくさん置いてあったんやろか?」

「さあ」

「ヘミングウェイって詩人じゃないけど

 拳銃自殺でしょ。

 三島は切腹だし。

 いろんな自殺の仕方ってあるからね。

 アフリカや南米って

 自殺じゃないけど、たくさん詩人や作家が

 焼き殺されたり、首吊られたり、拷問されて死んでるし

 ソビエト時代のロシアでも獄死とか処刑って多かったし

 文化革命のときの中国もすごかったでしょ。

 いまの日本の詩人や作家って

 そういう危険な状態じゃないから

 ぼくもそうだけど

 生ぬるいよね。

 でも、個人の地獄があるからね」

「そうですね」

「みんな、自分の好みの地獄に住んでるしね。

 まあ、生ぬるいっちゅえば、生ぬるいし。

 最貧国の人から見れば

 どこが地獄じゃ〜

 って感じなんだろうけどね。

 そうそう、エリオットの「荒地」に

 タロットカードが出てくるでしょ。

 あれに溺死人って出てこない?」

「出てきましたか?」

「首吊り人もあったよね。

 あったと思うんだけどさ。

 あ

 溺死人のこと。

 ぼく、書いたことあるような記憶があってね。

 溺死人はあったよね。

 なかったかなあ」

「あったかもしれませんね」

「ジェイムズ・メリルは

 ウィジャ盤ね」

「あの詩の構造ってすごいですよね。

 ウィジャ盤を出せば

 なんでもありじゃないですか?

 なんでも出せる」

「そうそう。

 イーフレイムも

 最後の巻で

 ガブリエルだってわかるしね。

 すごい仕掛けだよね。

 ぼくもそんな仕掛けの詩集がつくりたいなあ。

 もう

 なんでもありなの」

「すでにやってるじゃないですか?」

「そだね。

 バロウズや

 ジェイムズ・メリルのおかげで

 もう

 なんだっていいんだ。

 なに書いたって詩になるんだって思わせられた。

 自由

 ってこと、教えられたよね。

 ●詩や

 こんどの新しい詩集も

 あんだけ好き勝手なことしてるけど

 もっと、もっと、自由に、好き勝手に書いてくつもり」

「「舞姫」は、どうなんですか?」

「あれ、だめ。

 設定が窮屈でさ。

 自由じゃないんだよね。

 だから、つぎの詩集は、新しい●詩の詩集かな。

 The Wasteless Land.III

 の

 ii

 ってことになると思うの。

 表紙の色は、やっぱり黄色かな?」

「ぼくには、わかりませんけど」

「まあね。

 書肆山田のほうで決めるのかなあ。

 ぼくかなあ。

 わからん。

 いまは、わからんけどね。

 でも

 V

 じゃないね」

「Vの詩集は

 ずっと出ないで

 断片だけが

 そこらじゅうに散らばって出てるっていうのもいいじゃないですか?」

「ほんとだね。

 すでに、半分以上は

 じっさい

 いろんなところに書いてるしね。

 あ

 偶然って、すごいよね。

 その舞姫の断片の一つに

 The Gates of Delirium。

 ってシリーズがあるんだけど

 そこで

 主人公の詩人の双子の兄が出てくるんだけど

 そのお兄さん

 顔

 緑色に塗って出てくるのね。

 エリオットって

 顔に緑色の化粧をしてたんだって」

「ほんとですか」

「そだよ。

 本で読んだ記憶があるもん。

 でね、

 それ

 エリオットが顔を緑色に塗ってたってことを本で読む前に

 書いてたの。

 自分の作品にね。

 主人公の双子の兄が

 贋詩人って名前で出てくるのだけれど

 顔を緑色に塗って出てくるの。

 しかも

 その緑色の顔は崩れかけていて

 ハリガネ虫のようなものが

 いっぱい這い出してくるの。

 その緑色の崩れた皮膚の下から

 その緑色の崩れた皮膚を食い破りながらね。

 エリオットって

 病気しているみたいに見られたいって思って

 顔を緑色に塗ってたんだって」

「どこまで緑だったんでしょう」

「マスクマンみたいなんじゃないことはたしかね」

「ジム・キャリーのですね」

「そうそう。あのマスクだと警察官に尋問されるんじゃない?」

「顔グロの男の子や女の子は尋問されなかったのかな?」

「されなかったでしょう」

「されたら、人権問題なのかな」

「かもしれませんね」

「ねえ。

 あ

 じゃあ、さあ

 全国指名手配の犯人が顔グロにしてたら

 警察官に捕まんないんじゃない?」

「それはないでしょう。

 目立ちますよ」

「そうかな」

「そうですよ」

「顔、わかんないはずなんだけど」

「いやあ。

 目立つでしょう」

「じゃあさ、手に

 なんか、ひらひらしたもの持って

 それ揺らしながら歩くってのは、どう?」

「目立つでしょう」

「なんで?

 手に目がいって

 顔、見ないんじゃない?」

「どんなヤツかなって思って

 顔、見るでしょう」

「そかな。

 そだね。

 顔、見るかなあ。

 うん。

 見るね」

ユリシーズがスカトロ文学であるとか

主人公が

スティーヴン・ディーダラス

じゃなくて

ブルーム何とかだったかな

湊くんは正確に言ってたんだけど

いまこれ書いてるぼくの記憶は不確かだけど

新聞の記事を読みながら

その下の缶詰肉の広告に目をうつして

うんこしてた話とか

お尻をたたいてもらうために女のところに寄る話だとか

ジェイムズ・メリルがめっちゃお金持ちで

お金の心配なんかなくて

男の恋人とギリシアに旅行に行ってたりとか

でも

上流階級のひとは上流階級のひとなりの悩みや苦労があるはずだねとかとか

そんな話や

パウンドの「ピサ詩篇」の話で

すごくお酒がおいしかった。

12月までに言語実験工房の会合を開くことにして

木屋町の阪急電鉄の駅に入るところで

バイバイした。

またね。

って言って。

「彼女がディズニーランドに行ってるんですよ」

「千葉の?」

「あつすけさんって、遊園地とか行きますか?」

「行ったことあるけど

 デートもしたし

 でも

 詩には

 書いたことないなあ」

もう

毎日が

ジェットコースター。

って、いっつも口にするのだけど。

「そうですね。

 よく口にされてますよね」

「もうね。

 ほんと

 毎日が

 アトラクションなんだよね」

自転車で轢き潰されたザリガニたち

ハサミのない両前足をあげて祈る

祈る形。

雨の日のヒキガエル。

ブチブチと

車に轢き潰される音。

ビールがおいしかった。

目を見開く音楽の先生。

マスターのみつはるくんの盛り上がった胸と肩と腕の肉。

帰るときに店の外まで見送ってくれたけど

ぼくは見送られるのが嫌いなんだよね。

短髪だらけのゲイ・スナック。

河原町ですれ違ったエイジくんに似た青年の顔が思い出された。

かわいかった。

最後に会った日の翌朝のコーヒーとトースト。

味はおぼえていない。

ふへふへ〜。

「そういえば

 いま、源氏物語をお風呂につかりながら読んでるじゃない?」

「そうですよね。

 つづいてますよね」

「そ。

 いま、しょの28かな。

 絵合(えあわせ)ってところね。

 源氏自身が自分の悲惨な状況にあった須磨での暮らしぶりを

 絵にしたんだけど

 それがみんなにいちばんいい絵だといわれるっちゅう場面ね。

 その

 須磨の源氏

 の状況

 もちろん

 「ピサ詩篇」のころのパウンドのほうが

 ずっと悲惨だったのだけれど

 偶然だよね。

 「ピサ詩篇」読んでたら

 違うわ。

 源氏物語を読んでたら

 「ピサ詩篇」を読んでて

 須磨の源氏

 って言葉が出てくるのって」

「偶然ですね」

「偶然こそ神って

 だれかが書いてたけどね」

「それもミクシィに書いてましたよね」

「書いたよ」

「いま

 お風呂場では

 絵合のつぎの「松風」

 読んでるんだけど

 源氏がさ。

 明石の君を京都に呼ぼうとして

 家、建てさせてるのね。

 これまで付き合った女たちを

 みんな、自分のそばに置いておきたいと思って」

「最低のヤツですね」

湊くんが笑った。

「そだよね。

 ま、

 置きたい気持ち、

 わからないまでもないけどね。

 でも

 ふつうは

 そんな余裕ないからね」

イスラム圏の国じゃ、

たくさん嫁さんを持てるんだろうけどね。

いや

日本でも

お金があったり

特別な魅力があったり

口がじょうずだったりしたら

たくさん恋人が持てるか。

いや

恋人じゃなくて

愛人かな。

わからん。

とかとか話してた。

しかし

ちかごろじゃ

セクフレちゅうものもあるみたいだし。

前に

ゲイのサイトで

「SF求む」

って書いてあって

へえ、ゲイ同士でSF小説でも読むのかしら?

と、マジに思ったことがあるけど

シンちゃんに、このこと言うと

「それ、セクフレ求むって読むんだよ」

って言われ

「なに、セクフレって?」

って訊くと

「「セックス・フレンド」って言って

 恋人のように情を交わすんじゃなくて

 ただ

 セックスだけが目的の付き合いをする相手を募集してるってことだよ」

と言われました。

はあ、そうですか。

恋人のほうがいいと思うんだけど。

ぼくには、セックスだけって

ちょっとなあ

さびしいなあ

って思った。

そんなんより

ひどい恋人がいるほうが

ずっとおもしろいし

楽しいし

ドキドキするのになあ

って思った。

そういえば

パウンドも

奥さんいるのに

愛人ともいっしょにいて

最期についてたのは

愛人のほうだったっけ。

まあ

奥さんは

パウンドがアメリカで倒れたときには

ヨーロッパにいて

しかも病気で動けなかったから

仕方なかったんやろうけど。

ああ

ぼくの最期は

どうなんやろ。

いまもひとりやけど

そんときもひとりやろか。

わからんけど。

湊くんの顔を見る。

湊くんは、いいなあ。

恋人がいて

仲良くやってるみたいだし。

じっさい、仲いいし。

とかとか思った。

笑ってる。

焼鳥がおいしい。

ビールがおいしい。

話も盛り上がってる。

「手羽のほう

 ぼくのね。

 レバー

 ぼく、食べられないから」

「そうでしたね」

あらたに、テーブルに置かれた6本の串。

間違うことはないだろうけど

間違われることはないだろうけれど。

意地汚いぼくは

さっさと手羽を自分の取り皿の上に置いて確保した。

さっさと

そう、

まるで

新しい恋人を

だれにも取られないように

自分の胸に抱き寄せる若い男のように。

だれも横取りしようなんてこと

思ってもいいひんっちゅうのに。

ってか、

下手な比喩、使ったね。

ごめりんこ。

っていうか

オジンだけどね。

わっしゃあなあ、

あなたの顔をさわらせてほしいわ。

破顔。

戦争を純粋に楽しむための再教育プログラム。

ぼくは

金魚に生まれ変わった扇風機になる。

狒狒、

非存在たることに気づく。

わっしゃあなあ、

湊くんとしゃべっていて

一度だけ

目を見てしゃべれないときがあったのね。

ジェイムズ・メリルの「サンドーヴァーの光・三部作+コーダ」を

原著で持ってるらしくて

そんなに分厚くないけどって話で

書肆山田の翻訳ってすごい分量じゃない?

それは、ぼくも持ってるんだけど

やっぱり、原著もほしいなあと思った。

いつか買おうっと。

で、書肆山田から出てる翻訳のもの

貸してもらえませんかって言われたの。

全4冊の分厚い本になるのだけれど

ぼく、本はあげられても、貸すことはできなくて

気持ち的にね。

むかしからなのだけれど

でね、

聞こえてないふりしたの。

それで

返事しないで

焼鳥に手をのばして

聞こえていないよって感じで

ビールを飲んで

違う話をしたのね。

ジョン・ダンの詩集について。

悪いことしたなあ。

ぼくってケチだなあ。

貧乏臭い。

ゲンナリ。

自己嫌悪になっちゃった。



話を戻すと

パウンドのキャントーズも全部入ってるやつ

「全部で117篇だったっけ?」

それもそんなに分厚くないし

ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの「パターソン」も5巻だけど

そんなに分厚くないしって。



パターソンって未完だったんだ。

湊くんから教えてもらって

思い出した。

そだ、そだ、そんなこと書いてあったような気がする。

気がした。

そんで

原著なら、そんなに分厚くないって教えてもらって

あの訳本、すんごい分厚いんだもん

これまで原著を買おうとは思わなかったけど

ほしくなっちゃった。

パウンドの「キャントーズ」も

そんなに分厚くないって

手振りで、だいたいの厚さを教えてもらって

ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの「パターソン」も

パウンドの「キャントーズ」も

原著ほしいなあ

って思った。

いつか買おうっと。

ほんとにね。

「縦書きと横書きでの違いもありますよ。

 横書きだと、かなり詰め込めるんですよ」

原著がなぜ

翻訳より分厚くないか

その理由ね。

それにしても

ケチ臭いぼくやわ〜

つくづく。

づつくく。

「秦なんとかって歌手

 下の名前を忘れちゃったけどさ

 いま流行ってるのかな。

 知らない?」

「知りませんねえ。

 わかりません」

「えいちゃん!

 秦なんとかっていう名前の歌手知らない?

 若い子で

 いま流行ってるみたいなの」

えいちゃんがカウンターの向こうから

「知ってますよ。

 秦(なんとか、かんとか、忘れちゃった)でしょ?」

「そ。

 それ。

 でもね。

 試聴サンプルで置いてあったから聴いたけど

 ダメだった。

 アレンジが完璧にしてあるの。

 芸術の持ってるエッジがないのね。

 芸術ってさ。

 欠けてるとこがあるんだよね。

 バランスというかさ。

 不均衡なところがあるんだよね。

 過剰な欠如もあるし

 でも

 欠如してるの。

 それがエッジなの。

 バランスね。

 アレンジが歌謡曲だった。

 完璧にしてあるの。

 歌謡曲のアレンジが。

 一般の人の耳には

 いいのかもしんないけど。

 ぼくには

 芸術じゃないものの持つ二流品の臭いがしたの。

 芸術じゃないわ。

 バランスの欠如がないのね。

 欠如がないって

 変な言い方かもしんないけど

 通じるよね。

 芸術のエッジは

 バランスの欠如がもたらしてるの。

 あ

 これ

 ジェイムズ・メリルの

 抒情性の配分のバランスとは違った話してるからね。

 バランスっていっても

 芸術としてのバランスの欠如とは違うからね。

 過剰性も欠如だしね。

 不均衡だけじゃなくてね」

「最近、論語を読んでるんですよ」

と湊くん。

「論語って、孔子だった?」

「そうですよ

 あの

 いずくんぞ

 なになに

 というところが繰り返し出てきて

 詩みたいなんですよ」

「リフレンはね。

 なんだって詩になっちゃうからね。

 あの「ピサ詩篇」の

 固有名詞

 わかんないけど

 音がきれい。

 何度も出てくる名前があるじゃない?

 それもリフレインだし

 あの「雨も「道」の一部」とかさ

 「風もまた「道」の一部/月は姉妹」とかさ

 最高だよね。

 こういった抒情のリフレインのパートも、めっちゃ抒情的だしね。

 でも

 同じ感情はつづかないのね。

 だから

 意味のないパートというか

 無機質な感じの固有名詞のパートとか

 政治や経済のパートと

 抒情のパートの配分が大事でね。

 ずっと抒情的だったら

 飽きるでしょ。

 ずっと無機的でもイヤんなるだろうけど

 でも、ジェイムズ・メリルは、すごいよね。

 そのバランスがバツグンなんだよね。

 楽々とやっちゃうじゃない?

 余裕があるのね。

 ある意味、パウンドには余裕がなかったじゃない?

 まあ、ほんとは、あるんだろうけれど。

 詩をつくるという時点でね。

 無意識にでもね。

 悲しみを書くことで

 悲しみから離れるからね。

 喜びになっちゃうからね。

 でも、あの歴史的な悲劇

 第二次世界大戦というあの悲劇と

 パウンド自体が招いた悲劇のせいで

 余裕がないように見えるよね。

 メリルは、その点

 歴史的な悲劇を被っていないということだけでもラッキーだし

 しかも
 
 お金持ちだったでしょ」

「そうですね。

 お金持ちですよね。

 恋人とギリシアにいて(なんとか、かんとか、ここ忘れちゃった)」 

「アッシュベリーって

 難解だって言われてるけど

 ぜんぜん難解じゃないよね」

「そうですよ。

 ぜんぜん難解じゃないですよ」

「抒情的だよね」

「そう思いますよ」

「大岡さんが学者と訳してるものは

 わかりにくかったけど。

 書肆山田から出てる「波ひとつ」は

 ぜんぜん難しくないし

 すごく抒情的で、よかったなあ」

「大岡さんと組まれた翻訳者の訳

 あれ

 間違って訳してますからね」

「そなの?」

「そうですよ。

 間違って訳してますからね。

 それは、難解になるでしょう。

 もとは、ぜんぜん難解じゃないものですよ。

 ぼくも

 アッシュベリーは抒情的だと思いますよ」

「そだよねえ。

 そうだよねえ。

 抒情的だよねえ」

「抒情的ですよね」

「きょうさ

 ブックオフも行ったんだけど

 そこでね。

 山羊座の運命

 誕生日別、山羊座の運命の本

 ってのがあってさ。

 あなたの晩年には

 あらゆる病気が待っているでしょう。

 って書いてあってね。

 びっくらこいちゃった。

 あらゆる病気よ

 あらゆる病気

 神経科

 通ってるけどね

 実母もキチガイだし

 そっち系は、すでにかかってるからね。

 そだ。

 神経痛

 関節炎

 そんなものにとくに気をつけるように書いてあった。

 まあ

 もう

 こうなったら

 あらゆる病気よ

 来い!

 って感じだけどね」

「そんなん書いてるの?」

と、大黒のマスター。

「そだよ。

 もう

 どんどん来なさいっつーの

 ひゃははははは」

「でも

 齢をとれば、だれでも、病気になるんじゃないですか?」

「ほんとや」

「こちら、はじめてですよね」

マスターが湊くんに向かって

でも、ぼくが口を挟んで

「ぼくは、さっき

 違うと思ったけど

 はじめてみたい。

 で

 このひと

 詩人

 翻訳家

 大学の先生

 で

 俳句も書いてるのね」

「翻訳って

 通訳もなさるのかしら?」

「通訳は(なんとか、かんとか、また、ここ忘れちゃった

 あ

 でも、さっきの「ここ」とは違うからね、笑)」

「同時通訳って難しいんでしょ?」

とマスター。

「そうですね。

 5年が限度でしょうかね」

ぼくはピンときた。

きたけど

「なんで?」

って、言葉が先に出た。

あらま

なんてこと

きっと、サービス精神旺盛な山羊座のせいね。

「日本語と語順が違うので

 ある程度

 先読みして

 通訳するので

 しんどいんですよ。

 相手が言い切ってないうちからはじめるので

 ものすごい負担がかかるんですよ」

「そだろうね」

マスターも、このあいだテレビでやってました、とのこと。

それで訊いたみたい。

「日本語同士で通訳してるひといるじゃない。

 横でしゃべってるひとの言葉をちょっと変えてしゃべるひと

 いない?」

「いますね」

「いるよね〜」

さあ、カードを取れ。

どのカードを取っても

おまえは死だ。

溺死人

焼死体

轢死

飛び降り

ばらばら死体

首吊り人

好きな死体を選べ。

子曰く

「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」

さあ、カードを取るがいい。

好きな死体を選べ。

あの子

オケ専ね。

死にかけのジジイがいいんだよね。

「棺おけのオケ?」

天空のごぼう抜き

空は点だった

「なに、クンクンしてんの?」

哲っちゃんが

ぼくの首にキスしたあと

首筋にクンクンしてるから訊いた。

「あつすけさんの匂いがする」

哲っちゃん

ツアー・コンダクターの仕事

どうしてもなりたくて

って

高校出たあと

ホテルの受付のバイトをしながら

自分で専門学校のお金を工面してた

哲っちゃん

「はじめての経験って

 いつ?」

「二十歳んとき

 高校のときのクラブの先輩にせまられて」

クラブはゲイにいちばん多いバレーボールじゃなくて

そのつぎに多いクラブやった。

水泳じゃないし、笑。

ラグビーね。

アメフトも多いらしいけれど。

ぼくが付き合ったのは

ラガーが多かった。

アメフトは一人だけ。

いま、どうしてるんだろうなあ。

超デブで、サディストだったけど、笑。



魚人くんも

アメフトだった。

恋人として付き合ってはいないけど、笑。

好きよ。

好きな死体を選べ。

「歯茎フェラね」

なんちゅう言葉?

笑った。

オケ専ね。

棺おけに片足突っこんでるジジイがいいのね。

あんがい、カッコかわいい子が多いんだよね。

オケ専って。

「死にかけのジジイ犯して

 心臓麻痺で殺そうってことかな?」

「どやろ」

とコーちゃん。

そか。

その手もあったか。

ぼくの肩に触れる手があった。

湊くんだった。

「これから日知庵に行くんだけど

 いっしょに行く?」

「いいですよ。

 時間ありますから」

さあ、カードをお取り。

好きな死体を選べ。

子曰く

「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」

「こちらはじめてですよね」

硬い鉛筆で描く嘴をもつものを

「果物のなかでは

 なしがいちばん好きなんですよ」

「なんで?」

「果物のなかで

 なしが、いちばん水分が多いですから」

「はっ?」

火のついた子どもが

石畳の上に腰かけている

コンクリートの階段に足を下ろしながら

夕暮れの薄紫色のなかで

「地方詩人じゃなくて

 頭がパーになったほうの

 痴呆ね

 どう?

 痴呆詩人」

「音がいいですね」

「いいね。

 名前をあげていこうかな

 ひゃはははは」

さあ、カードを取るがいい。

おまえが選ぶカードは

すべて死だ。

好きな死体を選べ。

溺死人

焼死体

轢死

飛び降り

ばらばら死体

首吊り人

好きな死体を選べ。

「「舞姫」の設定ってさ。

 ぜんぜん違うものにしようと思うのね。

 パラレルワールドっていうのは同じなんだけど

 リゲル星人じゃなくて

 違う進化をした並行宇宙の地球で生まれた

 巨大なイソギンチャクでね」

「それじゃ、「舞姫」の設定じゃないですよね」

「そうそう、できないよね。

 「舞姫」の設定って

 すんごい窮屈なの。

 まず、SFって、ことで窮屈だし。

 設定が、ぼくにはチューむずかしいし。

 いやんなってるのね。

 放棄だな。

 いや

 放置かな。

 もう

 放置プレーしかないかも

 なんてね」

「首吊り人は

 首をくくられたほう?

 それとも、くくるほう?」

さあ、カードを取るがいい。

おまえの選ぶカードは

すべて死だ。

好きな死体を選べ。

「それって

 まんま

 はみ子じゃんか」

「あつすけさん

 はみ子じゃないですよ。

 リリックジャングルの、なんとか、かんとか〜」

「そなの?

 そだったの?

 そだったのね〜」

台風のつぎの日の朝

鴨川の河川敷には

自転車に轢き殺されたザリガニたちの死骸が

ブチブチと踏みつぶされていく琵琶湖のヒキガエルたち。

10個も乳首、見たけど

ひとつもええ乳首はなかったわ。

ちゃう、ちゃう。

ちゃうで。

きみのほうが

10個の乳首に吟味されてるんやで。

マスターがきいた

「哲っちゃんって

 ラグビーやってたの?」

「そだよ。

 高校のときだけどね。

 めっちゃカッコよかったけどね」

「写真はあるの?」

「あるよ」

「こんど見せて」

「いいよ。

 いっしょに詩の朗読会に行ったとき

 ちょっと、ぼくが哲っちゃんから離れて飲み物を頼んでたら

 知ってる詩人の女の子が

 いっしょにきたひと

 あつすけさんの恋人ですかってきくものだから

 そだよっていったら

 カッコいい

 って言ってたよ。

 まっ、

 カッコよかったけどね」

「ふううん」

「でもね。

 会うたびに

 カッコよさってなくなっていっちゃうんだよね。
 
 遠距離恋愛でさ。

 ぼくが和歌山のごぼうに行ったり

 哲っちゃんが京都の北山に来てくれたりしてたのね。

 でも、はじめて、ごぼうの彼の部屋に行ったとき

 びっくりしちゃった。

 名探偵コナン

 のDVDが部屋にそろえておいてあったの。

 しかも

 DVD

 それだけだったんだよね〜。

 なんだかね〜。

 で

 付き合ってるうちに

 カッコいい顔が

 だんだんバカっぽく見え出してね。

 いやになっちゃった」

さあ、カードを取るがいい。

どのカードを取っても

おまえは死だ。

溺死人

焼死体

轢死

飛び降り

ばらばら死体

首吊り人

好きな死体を選べ。

「哲っちゃんとは、どれぐらい付き合ってたの?」

「えいちゃんの前だよ。

 一年くらいじゃない」

「へえ」

「ハンバーグつくってくれたりしたけど。

 料理はめっちゃじょうずやったよ。

 でね。

 ハンバーグをおいしくするコツってなに? ってきいたら

 とにかくこねること、だって」

火のラクダ。

それ、俳句に使うのね。

感情の乱獲。

スワッピング

って

いまでも、はやってるのかしら?



スワッピングって言葉のことだけど、笑。



使ってるかどうかなんだけど。

「水分が多いでしょ。

 だから好きなんですよ」

「はっ?」

「なんで?」

「なんで

 なんでなの?」

子曰く

「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」

さあ、カードを取るがいい。

おまえが選ぶカードは

すべて死だ。

好きな死体を選べ。

* メールアドレスは非公開


点の、ゴボゴボ。

  田中宏輔



あたしんちの横断歩道では

いつも

ナオミが

間違った文法で

ごろごろ寝っころがっています。

まわりでは

あたしたちのことを

レズだとか

イモだとか

好き言ってます。

はっきりいって

まわりはクズです。

クズなので

どんなこと言われたって平気だけど

ナオミは傷つきやすいみたいで

しょっちゅう

病んでます。

あたしたちふたりだけが世界だと

世界はあたしたちでいっぱいなのだけれど

世界は

あたしたちでできているんじゃなかった

あたしは

自分が正しいと思ってるけれど

あたしの横で

いつか

車に轢かれるのを夢見ながら

幸せそうな顔で

寝っころがってるナオミのことを

すこし憎んだりもしています。

ジャガイモを選ばなければならなかったのに

トマト2個100円を選んでしまったのだった。

勘違いのアヒルだったってわけ?

静止画とまらない。

もはや、マッハの速さでも

よくわからない春巻きはあたたかい。

あたしんちの横断歩道で

いつか

あたしも

間違った文法で

ごろごろ寝っころがったりするんだろうか?



よい詩は、よい目をこしらえる。

よい詩は、よい耳をこしらえる。

よい詩は、よい口をこしらえる。



具体的なもので量るしかないだろう。

空間が

ギャッと叫んで

ねじれて

ちぢんで

ふくらんだ。

時間が

耳を澄まして

見ている。

出来事は

微動だにしない。

先週の日曜日

西大路御池のところにあるラーメン屋で

指から血が出た。

新聞紙を

ホッチキスというのかな

あの



の形の

鉄の

鉄かな

鉄の

ねじれた

ちぢんだ

ふくらんだ

もので

とめてあったのだけれど

はずれてて

はずれかけてて

だれかが



の形に

してて

指に鉄の針先が

皮膚から侵入して

血が

ドボドボと

ではないけど

チュン

って

ねじれて

ちぢんで

ふくらんだ

めっちゃ

痛かった。

ラーメン屋のオヤジが臭かったけれど

客が企画した計画の一部だった可能性もあるので

ラーメンを食べながら

指が痛かったのだ。

ふるえるラーメンを

ふるえる割り箸で

ふるえる歯で

噛み千切りながら

舞台の上にのぼった詩人のように

恥ずかしいのだった。

スキンを買っておかないといけないなって思って

いたのだけれど

ふるえる眉毛が

ふるえるラーメンの汁のうえで

何だって言った?

涙っていた。

タカヒロが半年振りにメールをくれた。

携帯を水に落としてって

水って

どこの水かな。

ぼくのふるえるラーメンの知るのなかだ

知ることと

汁粉は違う。

空間が

ギャッ

と叫んで

ぼくのラーメンの汁のなかで

ねじれて

ちぢんで

ふくらんだ

携帯にスキンを被せたら

よかったんだ

ボッキした携帯は

フッキして

二つに折れた



ぼくが23歳のとき

2歳したの子と付き合おうと思ったのだけれど

かわいい子だったけれど

彼のチンポコ

真ん中で

折れてて

「なんで、チンポコ折れてるの?」

「ボッキしたときに

 折ったら

 そのまま

 もとに戻らへんねん。」

空間が

ギャッって叫んで

ねじれて

ちぢんで

ふくらんだ。

その子は

恥ずかしいと思ったのか

ぼくとは

もう会わへんと言った。

「チンポコ折れてても

 関係ないで。

 顔がかわいいから

 いっしょにいてくれたらいいだけやで。」

ラーメン屋のオヤジの目つきが気持ち悪かった。

ぼくの指から

血が

ねじれて

ちぢんで

ふくらんだ。

その子のチンポコも

ねじれて

ちぢんで

ふくらんだ。

タカヒロの携帯も

スキンを被ったまま

ねじれて

ちぢんで

ふくらんだ。

指には

ホッチキスの針の先が侵入したままだった。

乳首が

はみだしてる。

乳首も

ねじれて

ちぢんで

ふくらんだ。

抜きどころやないですか。

30才くらいのときに

めずらしく

年上のガタイのいいひとに出会って

ラブホにつれていかれて

乳首をつままれた

というより

きつくひねられた。

乳首は

あとで

かさぶたができるくらい痛かった。

「気持ちよくなるから、ガマンしろよな。」

って言われたのだけれど

涙が出た。

痛かっただけや。

「ごめんなさい。

 痛いから、やめて。」

って、なんべん言っても

ギューってひねりつづけて

それでも

乳首は

ねじれて

ちぢんで

ふくらんだ。

タカヒロの携帯が

スキンを被ったまま

ラーメンの汁のなかにダイブ

ダイブ

ダイジョウブ

タカヒロ

高野川の

じゃなくて

野球青年のほう。

また同じ名前や。

同じ場所。

同じ時間。

同じ出来事。

ねじれて

ちぢんで

ふくらんだ。

気に入ったな

このフレーズ。

「おれ、付き合ってるヤツがいるねん。

 3人で付き合わへんか?」

このひと、バカ?

って思った。

考えられなかった。

歯科技工士で

体育会系のひとだった。

なんで

歯科技工士が

体育会系か

わからんけど

ぼくの乳首は

あの痛みを覚えてる。

ようやく

指からホッチキスの針を抜いて

タカヒロのボッキした携帯に被せるスキンを買いに

ラーメン屋を出て

自転車に乗って

スーパーのような薬局屋に向かった。

具体的なもので量るしかないだろう。



死んだ父親にまた脇をコチョコチョされて目が覚める。

部屋はいまのぼくの部屋と似てるが

微妙に違うような感じで

エクトプラズムが壁や天井を覆っている。

明かりをつけると消えた。



Between A and A 







のあいだに

はさまれたわたくし。







をつなぐ

わたくし

a(エイ)

n(エヌ)

d(ディー)

a は another の a

n は nought の n

d は discord の d

わたくしAは、もうひとつべつのAであり

わたくしAは、AではないAであり

わたくしAは、Aとは不一致のAである。

=(等号)

イコールではないわたくしは

あのはじだぶすこになあれ。

オケ専て、かわいそうやわあ。

ヨボ専て、どう?

ヨボヨボ歩くから?

そう。

じゃあ、

ヒョコ専とかさあ

ぺく専とかさあ

ぷぺこぽこぺこひけこぺこ専とかさあ

いくらでもあるじゃん。

だるじゅるげるぶべばべごお。

たすけて〜!

だれか、ぼくの自転車、とめて〜!

三代つづいて自転車なのよ。

だれか、ぼくの自転車、とめて〜!

そして、最期には、自転車になって終わるっていうわけやね。

わだば、自転車になるぅ〜!



きょう

烏丸御池の大垣書店で

外国文学の棚のところで

たくさんの翻訳本を手にとって

ペラペラしてたのだけれど

ふと、気配がして

前を見ると

本棚のところに

10センチくらいの大きさの小人がいた。

紺のスーツ姿で

白いカッターにネクタイをして

まんまサラリーマンって感じのメガネをした

さえない中年男で

お決まりの黒い革鞄まで手に持って

ぼくのことを見てたのね。

ひゃ〜、スゲー

って思ってたら

そいつが

怪獣映画で見たことがある

あの

ビルの窓から窓へと移動するような感じで

棚から棚へと

移動していったんだよ。

びっくらこいた〜。

本の背表紙に手をつきながら

そのダッサイ小人のおっさんは

本棚から本棚へと

移動していったんだ。

ぼくは、すぐに追いかけたよ。

でも、そいつ

すばしっこくてね。

見失わないように

目で追いかけながら

ぼくも

外国文学の棚を

アメリカからイギリスへ

イギリスからフランスへ

フランスからドイツへ

ドイツからその他の外国へと移動していったんだ。

そしたら、そいつの姿が一瞬消えて

裏を見たら

そいつ

日本文学から

日本古典

教育

哲学

宗教の棚へと

つぎつぎ移っていったんだ。

で、また姿が消えたと思ったら

そいつ

すっごいジャンプ力持っててさあ

向かい側の俳句・短歌・詩のところに跳んでさ。

ぼく、びっくらこいちゃったよ。

なんぼ、すごい、小人のおっさんなんじゃと。

小人の姿を追いかけて

大垣書店のなかを

あっちへ行ったり

こっちに戻ってきたり

あちこち、うろうろしてたら

ふと、気がついた。

ぼくのこと見てた

書店の店員のメガネをかけた若い男の子も

店のなかを

あっちへ行ったり

こっちに戻ったり

あちこち、うろうろしてたんだなって。



ぼくのこと、監視してたのかな。

ふへ〜。

まいりまちた〜。



a flower asks me why i have been there but i do not have an answer

a bird asks me why i have been there but i do not have an answer

my room asks me why i have been there but i do not have an answer

what i see asks me why i have been there but i do not have an answer

what i feel asks me why i have been there but i do not have an answer

what i smell asks me why i have been there but i do not have an answer

what i taste asks me why i have been there but i do not have an answer

what i touch asks me why i have been there but i do not have an answer



不幸の扉。

扉自体が不幸なのか

扉を開く者が不幸なのか

それは、

どっちでもいいんじゃない。

だって

入れ替わり立ち代わり

扉が人間になったり

人間が扉になったりしてるんだもん。

そうして

そのうちに

扉と人間の見分けもつかなくなって

たすけて〜!

だれか、ぼくの自転車、とめて〜!

三代つづいて自転車なのよ。

だれか、ぼくの自転車、とめて〜!

そして、最期には、自転車になって終わるっていうわけやね。

わだば、自転車になるぅ〜!



ユリイカの編集長が民主党の小沢で

詩はもう掲載しないという。

映像作品を掲載するという。

ページをめくると

枠のなかで

映像が流れている。

セイタカアワダチ草が風に揺れている。

電車が走っている。

阪急電車だった。

このあいだ見た景色の再現だった。

ぼくは詩の原稿を

編集長の小沢からつき返されて

とてもいやな思いをする。

とてもいやな思いをして目が覚めた。



全身すること。

10月の月末は学校が休みなので

ここでは

ハロウィンっていつあるんですか?

って

前からきいてた

隣の先生に

きょう

「11月10日みたいですよ」

と言われて

「そうですか、ありがとうございます」

と言って

机の引き出しをあけた。

「ぼくは、お菓子といっしょに

 これ、あげようと思っているんですよ」

すると

後ろにすわってられた先生が

その本のタイトルを見られて

「ええ、これですか?

 降伏の儀式とか

 死者の代弁者とか

 そのタイトルのものですか?」

と、おっしゃった。

常識をおもちで

個人的にもお話をさせてもらっている先生なので

不快な気分にさせてはならないと思って

「いや、やめます。

 持って帰ります。

 子どもたちには

 やっぱり、お菓子だけのほうがいいですね」

と言ったのだが

夕方

部屋に帰って

近くのスーパー「お多福」に寄って買ってきた

麒麟・淡麗<生>と

156円の唐揚げをたいらげて

そのまま眠ってしまったのだけれど



半分覚醒状態ね

それで

夢を見た。

自衛隊のジェット機が

ミサイルをぼくの部屋に打ち込んだよって

むかし勤めていた予備校の女の先生にそっくりな

女装の知り合いに

でも

そんな知り合い

じっさいにはいてないのだけれど

ああ

なんてへんな夢なの?

って思いながら

半分おきて

半分寝てる状態の夢だった。



ぼくは

なぜか一軒家に住んでいて

そこで空中に浮かんで

自分の部屋の屋根の上から

空を見ると

ジェット機が近づいてくるのが見えて

飛び起きたのだ。



学校での出来事を思い出したのだった。

こんなものは読ませちゃいけない。

というふうに子どもを育てるって、どういうことなんだろうって

でも、うちの学校には、ジュネ全集が置いてあるんだよね。

ロリポップ

ロリポップ

ロリ、ポップ!

日本では

いや

外国でもそうだな。

去年

オーストラリアの詩人が

この詩人は有名なんですか?

って

コーディネートしていた湊くんに

きいていたものね。

ぼくのこと。

湊くん、ちょっと困っていた。

京都にくる前に

東京で「名前の知られた詩人たち」に

会っていたからかもしれないけれど

しょうもないこときく詩人だなって思って

それで、ぼくのこころのなかでは

その外国人の詩人は二流以下の詩人になったのだった。

そりゃね

じっさい

名前が知られていないと

芸術家や詩人なんて

自称芸術家

自称詩人

なんてものだし

ぼくみたいな齢で詩を書いているなんてことは

ただ、笑いものになるだけだし

でも

でも

信念は持ってるつもりだけど

「そのタイトルのものですか?」

と、おっしゃった先生を傷つけたくなくて

言わないつもりだけど。

子どもが食べるものから

すべての毒を抜いて与えることは

毒そのものを与えることと

なんら変わらないのだよって。

ああ

この詩のタイトル

さいしょは

「全身すること。」

だったのだけれど

それって

さっき

飛び起きたときに

きょうの学校でのヒトコマを思い出して

「全身で、ぼくは詩人なのに」

「全身しなければならないのに」

といった言葉が頭に思い浮かんだので

そのままつけた。

でも、これはブログには貼り付けられないかも。

いいタイトルなんだけど。

その先生がごらんになったら

きっと傷ついちゃうだろうから。

ぼくは傷つけるつもりはぜんぜんなくって

ただ

芸術とか文学に関する思いが違うだけのことなのだけど

ひとって

自分の考えてることを

他人が「違うんじゃないですか?」

って言うのを耳にすると

まるで自分が否定されてるみたいに感じちゃうところがあるからね。

難しいわ。

どうでもいいひとには気をつかわないでいられるのだけど。

ふう。

ふふう。



疑似雨

雨に似せてつくられたもので

これによって

人々がカサを持って家を出るはめになるシロモノ。



このあいだ

彼女といっしょに映画館を食べて

食事を見に行った。



アメリカに原爆を落とさなければならないだろう。

アメリカに原爆を落とす。

アメリカに原爆を落とした。

アメリカに原爆を落とさなければならなかった。

まあ、どの表現でもいいのだけれど

日本が第二次世界大戦で

日本が、じゃないな

枢軸国側が勝つためには

アメリカに原爆を落とす必要がある。

ドイツの原爆開発を遅らせるために

アメリカの工作員たちが

ドイツに潜入して

東欧のどこか忘れたけれど

原爆開発に不可欠な重水素を

ドイツの研究所が手にいれられないように工作するところを

ホーガンのSF小説で読んだことがある。

アメリカからきた工作員たちが

つぎつぎとドイツの秘密警察に捕まるんだけど

その理由が

レストランでのナイフとフォークの使い方の違いだった。

アメリカ人とドイツ人では

ナイフとフォークの使い方が違っていたのだ。



ぼくの舞姫の設定では

ドイツ側に勝利させなければならないので

原爆開発に重要な役割をしたアインシュタインを

ドイツからアメリカに亡命させてはならない。

よって

ナチスによるユダヤ人迫害もなかったことにしなければならない。

かな。

うううううん。

やっぱり難しい。

けど、書いてみたい気もする。

きょう、烏丸御池の大垣書店で

ウンベルト・サバの詩集を手にとって

パラパラとページをめくっていた。

これまで、そんなに胸に響かなかったけれど

きょう読んでみたら

涙が落ちそうになって

「ああ、こころに原爆が」

と思ってしまった。

広島のひと、ごめんなさい。

長崎のひと、ごめんなさい。

かんにんしてください。

こんな表現は

とんでもないのやろうけれど

ほんまに、そう思うたんで

ほんまに、そう思ったことを

書いてます。



で、3000円だったのだけれど

消費税を入れると、3150円だったのだけれど

内容がよかったので

ぜんぜん高い感じはしなかった。

やっぱ、内容だよね。

雑誌のコーナーでもうろついて

いろいろ眺めて異端火傷

デザインとか

アートも



大学への数学も、笑。

言葉についての特集をしている大きい雑誌があって

海亀のことが写真つきで詳しく載っていた。

海亀は、ぼくも大好きで

陽の埋葬のモチーフに、いっぱい使うた。

海亀の一族。

海亀家の一族。

とか

頭に浮かんで、にやっとした。

帰りに

五条堀川のブックオフで

新倉俊一さんの「アメリカ詩入門」だったかな。

「アメリカ現代詩入門」だったかな。

定価2200円のものが

1150円で売っていた。

パラパラと読んでいたら

ジェイムズ・メリルの詩が載っていた。

やはりメリルの詩は、めっちゃ抒情的やった。

解説の最後のほうに引用してある詩の一節も、とても美しかった。

買おうかなって思って

もうすこしパラパラとめくると

赤いペンで、タイトルを囲い

その下に11月23日と書いてあった。

学生が使ったテキストやったんやね。

買うの、やめた。



帰りに

DVDのコーナーで

韓国ドラマのほうの「魔王」の



II

を手にとって眺めていた。

両方とも、7950円かな

7980円かな

そんな値段やったので

まだ買う気にならんかった。

まあ、そやけど、そのうちに。

安くなったらね。

ええドラマやったからね。

主人公のお姉ちゃんの出てくるシーンで

何度か泣いたもんなあ。

あの女優さん、あれでしか見たことないけど。

ジフンは捕まっちゃったね。

サバの詩集のカバー

さっそくつくらなきゃ。



善は急げ、悪はゆっくり。

どう急ぐのか

どうゆっくりするのかは

各自に任せられている。

善と

悪の双方に。



服役の記憶。

住んでいた近くのスーパー「大国屋」の



いまは

スーパー「お多福」と名前を替えているところでバイトしていた

リストカットの男の子のことを書いたせいで

10日間、冷蔵庫に服役させられた。

冷蔵庫の二段目の棚

袋詰めの「みそ」の横に

毛布をまとって、凍えていたのだった。

これは、なにかの間違い。

これは、なにかの間違い。

ぼくは、歯をガチガチいわせながら

凍えて、ブルブル震えていたのだった。

20代の半ばから

数年間

塾で講師をしていたのだけれど

27,8歳のときかな

ユリイカの投稿欄に載った「高野川」のページをコピーして

高校生の生徒たちに配ったら

ポイポイ

ゴミ箱に捨てられた。

冷蔵庫のなかだから

食べるものはいっぱいあった。

飲むものも入れておいてよかった。

ただ、明かりがついてなかったので

ぜんぶ手探りだったのだった。

立ち上がると

ケチャップのうえに倒れこんでしまって

トマトケチャップがギャッと叫び声をあげた。

ぼくは全身、ケチャップまみれになってしまった。

そのケチャップをなめながら

納豆のパックをあけて

納豆を一粒とった。

にゅちょっとねばって

ケチャップと納豆のねばりで

すごいことになった。

口を大きく開けて

フットボールぐらいの大きさの納豆にかじりついた。

ゴミ箱に捨てられた詩のことが

ずっとこころに残っていて

詩を子どもに見せるのが

とてもこわくなった。

それ以来

ひとに自分の詩は

ほとんど見せたことがない。

あのとき

子どものひとりが

自分の内臓を口から吐き出して

ベロンと裏返った。

ぼくも自分の真似をするのは大好きで

ボッキしたチンポコを握りながら

自分の肌を

つるんと脱いで脱皮した。

ああ、寒い、寒い。

こんなに寒いのにボッキするなんて

すごいだろ。

自己愛撫は得意なんだ。

いつも自分のことを慰めてるのさ。

痛々しいだろ?

生まれつきの才能なんだと思う。

でも、なんで、ぼくが冷蔵庫に入らなければならなかったのか。

どう考えても、わからない。

ああ、ねばねばも気持ちわるい。

飲み込んだ納豆も気持ち悪い。

こんなところにずっといたいっていう連中の気持ちがわからない。

でも、どうして缶詰まで、ぼくは冷蔵庫のなかにいれているんだろう?

お茶のペットボトルの栓をはずすのは、むずかしかった。

めっちゃ力がいった。

しかも飲むために

ぼくも、ふたのところに飛び降りて

ペットボトルを傾けなくちゃいけなかったのだ。

めんどくさかったし

めちゃくちゃしんどかった。

納豆のねばりで

つるっとすべって

頭からお茶をかぶってしまった。

そういえば

フトシくんは

ぼくが彼のマンションに遊びに行った夜に

「あっちゃんのお尻の穴が見たい」と言った。

ぼくははずかしくてダメだよと断ったのだけれど

あれは羞恥プレイやったんやろか。

「肛門見せてほしい」

だったかもしれない。

どっちだったかなあ。

「肛門見せてほしい」

ううううん。

「お尻の穴が見たい」というのは

ぼくの記憶の翻訳かな。

ぼくが20代の半ばころの思い出だから

記憶が、少しあいまいだ。

めんどくさい泥棒だ。

冷蔵庫にも心臓があって

つねにドクドク脈打っていた。

それとも、あれは

ぼく自身の鼓動だったのだろうか。

貧乏である。

日和見である。

ああ、こんなところで

ぼくは死んでしまうのか。

書いてはいけないことを書いてしまったからだろうか。

書いてはいけないことだったのだろうか。

ぼくは、見たこと

あったこと

事実をそのまま書いただけなのに。

ああ?

それにしても、寒かった。

冷たかった。

それでもなんとか冷蔵庫のなか

10日間の服役をすまして

出た。

肛門からも

うんちがつるんと出た。

ぼくの詩集には

序文も

後書きもない。

第一詩集は例外で

あれは

出版社にだまされた部分もあるから

ぼくのビブログラフィーからは外しておきたいくらいだ。

ピクルスを食べたあと

ピーナツバターをおなかいっぱい食べて

口のなかで

味覚が、すばらしい舞踏をしていた。

ピクルスっていえば

ぼくがはじめてピクルスを食べたのは

高校一年のときのことで

四条高倉のフジイ大丸の1階にできたマクドナルドだった。

そこで食べたハンバーガーに入ってたんだった。

変な味だなって思って

取り出して捨てたのだった。

それから何回か捨ててたんだけど

めんどくさくなったのかな。

捨てないで食べたのだ。

でも

最初は

やっぱり、あんまりおいしいとは思われなかった。

その味にだんだん慣れていくのだったけれど

味覚って、文化なんだね。

変化するんだね。

コーラも

小学校のときにはじめて飲んだときは

変な味だと思ったし

コーヒーなんて

中学に上がるまで飲ませられなかったから

はじめて飲んだときのこと

いまだにおぼえてる。

あまりにまずくて、シュガーをめちゃくちゃたくさんいれて飲んだのだ。

ブラックを飲んだのは

高校生になってからだった。

あれは子どもには、わかんない味なんじゃないかな。

ビールといっしょでね。

ビールも

二十歳を過ぎてから飲んだけど

最初はまずいと思った。

こんなもの

どこがいいんだろって思った。

そだ。

冷蔵庫のなかでも雨が降るのだということを知った。

まあ

霧のような細かい雨粒だけど。

毛布もびしょびしょになってしまって

よく風邪をひかなかったなあって思った。

睡眠薬をもって服役していなかったので

10日のあいだ

ずっと起きてたんだけど

冷蔵庫のなかでは

ときどきブーンって音がして

奥のほうに

明るい月が昇るようにして

光が放射する塊が出現して

そのなかから、ゴーストが現われた。

ゴーストは車に乗って現われることもあった。

何人ものゴーストたちがオープンカーに乗って

楽器を演奏しながら冷蔵庫の中を走り去ることもあった。

そんなとき

車のヘッドライトで

冷蔵庫の二段目のぼくのいる棚の惨状を目にすることができたのだった。

せめて、くちゃくちゃできるガムでも入れておけばよかった。

ガムさえあれば

気持ちも落ち着くし

自分のくちゃくちゃする音だったら

ぜんぜん平気だもんね。

ピー!

追いつかれそうになって

冷蔵庫の隅に隠れた。

乳状突起の痛みでひらかれた

意味のない「ひらがな」のこころと

股間にぶら下がった古いタイプの黒電話の受話器を通して

ぼくの冷蔵庫のなかの詩の朗読会に参加しませんか?

ぼくの詩を愛してやまない詩の愛読者に向けて

手紙を書いて

ぼくは冷蔵庫のなかから投函した。

かび臭い。

焼き払わなければならない。

めったにカーテンをあけることがなかった。

窓も。

とりつかれていたのだ。

今夜は月が出ない。

ぼくには罪はない。



あらゆる言葉には首がある。

音ではない。

音のない言葉はあるからね。

無音声言語って、数学記号では

集合の要素を書くときの縦の棒 | 

あらゆる言葉には首がある。

すべての言葉に首がある。

その首の後ろの皮をつかんで持ち上げてみせること。

まるで子猫のようにね。

言葉によっては

手が触れる前に、さっと逃げ去るものもあるし

喉のあたりをかるくさわってやったり

背中をやさしくなでてやると

言葉のほうから

こちらのほうに身を寄せるものもある。

まあ、しつけの問題ですけどね。

たすけて〜!

だれか、ぼくの自転車、とめて〜!

三代つづいて自転車なのよ。

だれか、ぼくの自転車、とめて〜!

そして、最期には、自転車になって終わるっていうわけやね。

わだば、自転車になるぅ〜!



自分のこころが、ある状態であるということを知るためには、

まず客観的に、こころがその状態であるということが

どういった事態であるのかを知る必要がある。

そして、もっとよく知るためには

こころが、その状態にないということが

どういった事態であるのかをも知っておく必要がある。



詩は、自分がどう書かれるのか

あらかじめ詩人より先に知っている。

なぜ書かれたのかは、作者も、詩も、だれも知らない。



不幸というものは、だれもが簡単に授かることのできるものだ。



時間や場所や出来事は同一を求める。

時間や場所や出来事は変化を求める。

時間や場所や出来事は合同を求める。

時間や場所や出来事は相似を求める。

それとも

同一が時間や場所や出来事を求めているのか。

変化が時間や場所や出来事を求めているのか。

合同が時間や場所や出来事を求めているのか。

相似が時間や場所や出来事を求めているのか。



人間というものは、いったん欲しくなると

とことん欲しくなるものだ。



人間は自分の皮膚の外で生きている。

人間は、ただ自分の皮膚の外でのみ生きているということを知ること。



このあいだ、すっごいエロイ夢を見た。

思い当たることなんて

なんにもないのに。

こころって、不思議。

高校時代の柔道部の先輩に

せまられたんだけど

その先輩は

じっさいにせまってきたほうの先輩じゃなくて

ぼくに

「手をもんでくれ」

と言って

手をもませただけの先輩だったんだよね。

まあ

それだけのほうが

妄想力をかきたてられたってことなのかもしれない。

めっちゃカッコいい先輩だったもん。

3年でキャプテンで

すぐにキャプテンをやめられて

つぎにキャプテンになった2年の先輩が

じっさいにせまってきた先輩で

いまから考えたら

すてきなひとだったなあ。

こたえちゃったらよかった。

社会の先生のデブにも

教員室に呼ばれて手を握られて

びっくりして逃げちゃったけど

いまから考えると

かわいいデブだったし。

もったいなかったなあ。



廊下に立たされる。

なんて経験は

いまの子たちには、ないんやろうなあ。

ぼくなんか

小学生のとき

ひとりが宿題を忘れたっていうので

もう一回同じ宿題を出すバカ教師がいて

「なんで? なんで?」

って言ったら

思いっきりビンタされて

耳がはれ上がった記憶があるけど

もちろん

ビンタなんて見たこともないんやろうなあ。

頭ぐりぐりとか

おでこガッツンとかもあった

廊下に立たされる。

なんて経験は、記憶のなかではないんやけど

立たされてもよかったかな。

そのときの気持ちとか

見たものとか

まあ

廊下そのものやろうけど、笑。

感じたことを思い出せるのになあって。

廊下に立たされる。

これって

どこが罰やったんやろうか。

教室のそとに行かされる。

いま

行かされる

って書いたけど

はじめは

「生かされる」やった。

共同体のそとに出されて

さびしい思いをしろってことなのかな。

共同体の外に出て

晴れ晴れとするようなぼくなんかだったら

罰にはならないなあ。

同じことがらで

ひとによって

罰になったり

うれしいことになったり

そか

いろんなことが

そなんや

罰も

さいしょは

変換が

「×」やった

しるしやね。

カインも

神さまに

しるしをつけられたけど

もしかしたら

うれしかったかもにょ

ひとにはない

しるしがあって。

でも

覚悟もいるんだよね

ひとと違うって

気持ちいいことなんだけど



両親が家に入れてくれない。

玄関から入ろうとしても

裏口から入ろうとしても

立ちふさがって

入れてくれようとしない。

ぼくは何度か

玄関と裏口を往復している。



あの隣の家の気の狂った花嫁の妄想でからっぽの頭を、

わたしの蹄が踏みつぶしたいって言っているわ。

はいと、いいえの前に、ダッチワイフ。

はいと、いいえの区別ができないのよ。

しょっちゅう、はいって言うべきときに、いいえと言うし

いいえと言うべきときに、はいって言っちゃうのよ。

まぎらわしいわ。

あの妄想でいっぱいの隣の家の嫁のからっぽの頭を踏みつぶしてやりたいわ。

蹄がうずうずしてるわ。

クロワッサンが好き。

とがりものつながりね。

「先生、だんだん身体が大きくなってる。

 太ってきたね」

太ったよ。

また90キロくらいになってるよ。

きのうも、えいちゃんに言われたよ。

また、はじめて会うたときみたいにデブるんかって。

きょうも、飲んで食べたわ



逆か

食べて飲んだわ

大きに

ありがとさん。

吹きこぼれている。

たくさん入れすぎやから。

フィーバーやね。

ぼく、パチンコせえへんし、わからん。

ライ麦パンのライが

歯のあいだにはさまって

ここちよい。

はさまるのは、ここちよい。

はさむのも、ここちよいけれど。

欲しい本が1冊。

このあいだまでジュンク堂にあったのに。

もう絶版。

しかも10000円近くになってるの。

なんでや!

ああ

あの妄想でいっぱいの隣の家の嫁のからっぽの頭を踏みつぶしてやりたいわ。

はさむのよ。

蹄と地面で。

グシャッて踏みつぶしてやるわ。

容赦なしよ。

ほら、はいと、いいえは?

はいはい、どうどうよ。

なんで同時に言えないのよ。

はい、いいえって言えばいいのよ。

そしたら

その空っぽの頭を踏んづけてやれるのに

キーッ!



点の父



点のおぞましさ



点のやさしさ



点のゴロツキ



点の誕生



点の歴史



点の死



点の点



点は点の上に点をつくり

点は点の下に点をつくり

点、点、点、、、、



はじめに点があった

点は点であった



よくわからない春巻きはあたたかい。

蒙古斑のように

肌の上でつるつるすべる

ツベルクリン

明石の源氏も

廊下に立たされて

ジャガイモを選ばなければならなかったのだ

教室は

先生の声に溺れて

じょじょに南下して行った。

台風のあとのきょうの京都は

午後は快晴だった

いつもそうしてくれる?

お百姓さんは困るかな、笑。

いつも思うんだけど

雲って

だれが持ってっちゃうんだろうなって

自転車で

空や建物の看板が映った水溜まりを

パシャンパシャンこわしながら

CDショップには

ノーナリーブズはなかった

通りのひなびたCDショップやったからね、笑。

こないだ

HMVには置いてあったな。

めっちゃオシャレやのにぃ。

でも最近のアルバムは買ってない。

ザックバランは

たしか木曜日にはライブをやってて

いまは知らないけど

ぼくが学生のときに

カルメン・マキがザックにきて

5Xのときのマキやから

ちょっとマキちゃん軌道修正してよ

って思ってたけど

ぼくがカルメン・マキの大ファンだって知ってた

ザックの店員の女の子が

ぼくに

とくべつに

0番のチケットをくれて



もちろん

買ったのだけれど、笑。

おぼえてる

この女の子の店員って

伝説があって

料理を

さっと置くから

あまりにも

はやく

さっと置くから

テーブルの上で

サラから

パイやピザが

すべって

ころんで

マキュロンちゃん



マキちゃんは

ライブのとき

「てめえら、もっとノレよ」

って叫んで

酒ビンの腹をもって

観客たちの頭に

お酒をぶっかけてたけど

あれ

透明なビンだったから

ジンだったのかなあ

それとも

グリーンだったかな

そら

マキちゃん

5Xはダメよ

いくらあこがれでも

やっぱり

OZよ

カルメン・マキ&OZ

もはや、マッハの速さでも

よくわからない春巻きはあたたかい。



ジャガイモを選ばなければならなかったのに。

トマトの傷んだものが

2個で100円だったから

トマトを選んだ。

ジャガイモを選ばなければならなかったのに。

痛んだトマトに齧りついて

ドボドボしるを落としたのだった。

もはや

ジャガイモを選ぶには遅く

痛んだトマトは

2個とも、ぼくの胃のなかにすべり落ちていったのだった。

廊下に立たされる。

阿部さんの詩集

パウンドの抒情や

ディラン・トマスの狂想を思い起こさせる。

ぼくに、言葉を吐き出させているのだ。

痛んだトマト2個100円が

どぼどぼ

ぼくを吐き出しているのだ。

阿部さんの詩集

パウンドの抒情や

ディラン・トマスの狂想を思い起こさせる。

知り合いたかった。

もっと若いときにね。

そしたら、ぼくの読むものも

ずっとマシなものになっていただろう。

SFはあかんわ〜。



でも

いまのぼくがいるのは

若いときに阿部さんと出会ってなかったからでもある。

廊下に立たされる。

ぼくのいとこの女の子は

いやもう40過ぎてるから

オバハンか

彼女は小学校の先生だったのだけれど

ある日

狂っちゃって

生徒の頭を

パンパンなぐり出しちゃって

精神病院に入院したのだけれど

治ったり

また病気になったり

いそがしい。

ギリギリのところに

人間って生かされているような気がする。

廊下に立たされる。

そんな記憶はなかったけれど

ジャガイモを選ばなければならなかったのに

痛んだトマト2個100円を買ったのだった。

そうだ

阿部さん

阿部さんの詩集を

ほかのひとが読んでいくってイベントなさったらどうでしょう。

阿部さんの声と

ほかのひとの声が混ざって

廊下に立たされる。

ジャガイモを選ばなければならなかったのに。

痛んだトマト2個100円を選んだのだった。

トマトの味とか

匂いって

どこか精子に似ているような気がする。

しいてあげるとすれば

じゃなくって

ちょくでね。

ジャガイモって

子どものときには

きらいだった。

カレーのなかのジャガイモが憎かった。

カレーは、ひたすらタマネギが好きだったのだ。

ジャガイモもタマネギも

ぼくと同性だけど

ぼくの口との相性は悪かった。

精子がとまらない。

静止画とまらない。

うん

手に本をもって

本は手をもって

動かしながら読んでもいいものなのだな。

動かされながら読んでもいいものなのだな。

トンカツ

買ってきて

パセリや

刻んだキャベツが

ちょこっとついてた

トンカツのおかず250円が

トマトでじゅくじゅくのぼくの口を

ご飯で一杯にしたのだけれど

ジャガイモを選ばなければならなかったのに。

葉っぱは人気がなかった。

学生時代によく行ったザックバランで

みんなが最後まで手をださなかったサラダは

ひとり変わり者の徳寺が

「葉っぱは、おれが食うたろか?」

いっしょに若狭に行ったなあ。

いっしょに風呂

はいって

何もなかったけど、笑。

ええヤツやった。

10人くらいで行ったけど

風呂は小さかったから2人ずつはいって

「あつすけと何もなかったん?」

って

あとで

卯本に言われても

笑ってた。

カラカラとよく笑う横断歩道。

ふだんからバカばっかり言ってるヤツだったから

大好きだった。

つねに安心しろ。

余所見しろ。

若狭には源氏も行ったっけ?

あれは明石だったっけ?

そだ

須磨だった

パウンドが書いてた

須磨の源氏って

廊下に立たされている。

本を手にすると

手が本になる

病気が流行っていませんか?

病気屋やってませんか?

精子がとまらない。

静止画とまらない。



指の関節が痛くなって

もう半年くらいかな

先のほうの関節だけど

第一関節って言うのかな

左手のね

そういえば

ぼくは

いつも左腕とか

左肩とかが痛いのだ。

40才を過ぎてからだけど

ジミーちゃんが

左は方向がいいから

左が痛いのはいいんだよって言ってたけれど

いくらいいって言っても

痛いのはイヤだ。

きょうは

王将でランチを食べた

とんこつラーメンと天津どん

その名前は

だれのサイズですか?

食べすぎだわ。

晩ご飯がトンカツなんですもの。

痛みが上陸してくるのは阻止できないようだ。

海岸線に

エムの

男の子と女の子たちが地雷になって

重なり合っている。

痛いのは確認。

爆発は自由意志。

砂浜から這い出てくる海亀の子らの

レクイエム

いたち?

たぬき?

なんだったっけ?

海亀の子らを食べにくる四ツ足の獣たちって。

卵のときにね。

それって

奇跡だわ!

奇跡だわ!

その名前は

だれのサイズですか?



じゃあ、また会おうねって言って

そのとおりになって

ヒロくんが

下鴨のぼくのアパートにきて



寝るときに

これって

渡されたのが

黄色いゴムみたいな

耳栓2個

「イビキすごいから耳栓してくれへんかったら

 寝れへんと思うし。」

ほんとにすごかったのだと思う。

当時のぼくは

いまと違って

すっと眠るタチだったのだけれど



セックスはタチではないのだけれど



寝てたら

ほんとにヒロくんのイビキで起きちゃって



じっさいに耳栓して寝ました。

なんでこんなこと思い出したんやろか。

20年ちかく前のことなのに

ヒロくんみたいに

まっすぐに愛してくれた子はいいひんかった

まあ

ちょっとSで

めちゃするとこもあったけど

もしも

もしも

もしも

いったい

ぼくたちは

どれぐらいの

もしもからできているのだろうか。

けさ

中学で

はじめてキッスした子の名字を思い出した。

詩を書きはじめて20年、笑

ずっと思いだせずにいた名前なのに



米倉って姓なんだけど

下の名前が

わからない

小学校から大学までの卒アルバム

ぜんぶ捨てたから

わからない

あだ名は

ジョンだった

これは

うちで飼ってた犬に似てたから

ぼくがそう呼んでたんだけど

チャウチャウ飼ってたんだけど

あと

時期は違うけど

ポインターや

ボクサーも飼ってたんだけど

ヤツはチャウチャウに似てた

米倉

ああ

下の名前は

いったい

いつ思いだすんやろうか

それとも

思いだせずに

いるんやろうか

エイジくんのこと

また書いた

2つ

でもまだまだ書くんやろうな

考えたら

ずっと

ぼくは恋のことを書いてた

「高野川」からはじまって

いや

ぼくの記憶のなかでは

「夏の思い出」がいちばん古いかな

きょう書いたエッセイは

もっと古い恋について書いた

ちょこっとだけど

2週間前には

ぜんぜんべつのこと書く予定やったけど

まあ

そんなもんか

さっき鏡を見たら

死んだ父親にますます似てきていて

ぞっとした

ノブユキのつぎに付き合ったのがヒロくんなんやけど

ノブユキは

このあいだまでマイミクやったんやけど

ぼくの日記

ぜんぜん見ないから

はずした

ヒロくんの名字

めずらしいから

ときどきネットで検索するけど

出てこない

エイジくんも出てこない

ノブユキの名前は

どこかの大学の先生と同じで

いかつい経歴だった

ノブちんも

いかつい経歴だった

日本の大学には受からなかったので

シアトルの大学に行ったのね

ぼくとノブちん

その時期に出会って

遠距離恋愛してたんだけど

そだ

ノブちんのこと

あんまり書いてないね

出会いとか

別れとか

ああ

まだまだ書くことがあるんやね

みんな

遠く離れてしまったけど



離れてしまったから

書けるんやけど。



ウィリアム・バロウズの「バロウズという名の男」という本を読んでいて

ダッチ・シュルツの最期の言葉が、つぎのようなものであることを知った。

「ハーモニーが欲しい、ハーモニーなんかいらない」

以前に、バロウズの「ダッチ・シュルツ 最期の言葉」を読んでいたのに

忘れていた。

ほんとうにそうだったか、本棚に手をのばせばわかるのだが

そうなのだろうと思って、手をのばさないでいる。


エイジくんが、下鴨のマンションに住んでたぼくの部屋で

ユリイカに載ってた、ぼくの詩の「みんな、きみのことが好きだった。」を読んで

その詩の最後の二行を、ぼくの目を見つめながらつぶやいたのが思い出された。

「もっとたくさん。/もうたくさん。」


意味のあいだで共振してるでしょ?

「みんな、きみのことが好きだった。」という詩集の

多くのものが、無意識の産物だった。

さまざまなものが結びつく。

結びついていく。



四条河原町で、歩く人の影を目で追いながら

なんてきれいなんやろうと思いながら

なんてきれいなんやろうと思っている自分がいるということと

なんてきれいなんやろうと思って歩いている人間って

いま、どれぐらいいるんやろうかなあって思った。

男の子も

女の子も

きれいな子はいっぱいて

通り過ぎに

目がいっぱい合ったけれど

もう

そんな顔は

すぐに忘れてしまって

知っている顔

付き合っていた顔だけが

思い出される。

たくさんがひとつに

ひとつがたくさんだったってことかな。

そうだ。

パウンドの「仮面」で

忘れられないかもしれない一行。

「きのうは、きょうよりもうつくしい」

「おれ
 
 北欧館で

 おれみたいにかわいい子、見たことないって言われた。」

「広島のゲイ・サウナで

 エイジくん、いつでも、ただでいいよ。

 だからいつでも来てね。

 って言われた。」

「コンビニで

 マンガ読んでたら

 いかついニイちゃんが寄ってきよったんや。

 レジから見えへんように

 ケツさわってきよってな。」

はあ、思い出します。

なんで、きみのことばかり思い出すんやろうか。

ぼくのことは思いだされてるのかどうか

ぜんぜん、わからへんけど。

さっきの記述

「きょうは、きのうほどうつくしくはない。」

パウンドの詩句で

うろおぼえでした。

正確に引用します。




このはかない世界から、いかに苦渋にみちて

愛が去り、愛のよろこびが欺かれていくことか。

苦しみに変わらないものは何ひとつなく、

すべての今日の日はその昨日ほどに意味をもたない。


           (「若きイギリス王のための哀歌」小野正和・岩原康夫訳)


HOUSES OF THE HOLY。

  田中宏輔




OVER THE HILLS AND FAR AWAY。





「なんていうの、名前?」

「なんで言わなあかんねん。」

「べつに、ほんとの名前でなくってもいいんだけど。」

「エイジ。」

「ふううん。」

「ほんまの名前や。」

「そうなんや。

 エイジかあ、

 えいちゃんて呼ぼうかな。」

「あかん。

 そう呼んでええのは

 おれが高校のときに付き合うとった彼女だけや。」

「はいはい、わかりました。

 めんどくさいなあ。」

「なんやて?」

「べつに。」

鳩が鳩を襲う。

鳩と鳩の喧嘩ってすごいんですよ。

相手が死ぬまで、くちばしの先で、つっつき合うんですよ。

血まみれの鳩が、血まみれの鳩をつっつきまわして

相手が動けなくなっても

その相手の鳩の顔をつっつきまわしてるのを

見たことがあるんですよ。

それって

ぼくが住んでた祇園の家の近所にあった

八坂神社の境内でですけどね。

鳩が鳩を襲う。

猿がべつの種類の猿を狩っている映像を

ニュース番組で見たこともあります。

自分たちより小型の猿たちを

おおぜいの猿たちが狩るんですよ。

追い込んで

追いつめて

おびえた小さな猿たちを

それとは種類の違う何頭もの大きな猿たちが

その手足をもぎとって

引きちぎって

つぎつぎと食べてるんですよ。

血まみれの猿たちは

もう

おおはしゃぎ

血まみれの手を振り上げては

ほうほっ!

ほうほっ!

って叫びながら

足で地面を踏み鳴らすんですよ。

血走った目をギラギラと輝かせながら

目をせいいっぱいみひらきながら。

「こないだ言ってた

 よっくんって

 いくつぐらいの人なん?」

「50前や。」

「ゲイバーのマスターやったっけ?」

「ふつうのスナックや。」

「映画館で出会ったんやったね。」

「そや。

 新世界の国際地下シネマっちゅうとこや。

 たなやん、

 行ったことあるんか?」

「ないよ。」

「そうか。」

「付き合いは長かったの?」

「半年くらいかな。」

うううん。

ぼくには

それが長いのか、短いのか、ようわからんわ、笑。

「よっくんとの最後って

 どうやったん?」

「よっくんか?

 おれが

 よっくんの部屋で

 よっくんの仕事が終わるの待っとったんやけど

 ひとりで缶ビール飲んでたんや。

 何本飲んだか忘れたけど

 片付けるの忘れてたんや。

 そしたら

 それを怒りよってな。

 それで

 おれの写真ぜんぶアルバムから引き剥がして

 部屋出たんや。

 それが最後や。

 よっくん

 バイバイって言うてな。

 電車に乗ったんや。

 電車のなかでも

 おれといっしょに写ってる

 よっくんに

 バイバイ言うてな。

 写真

 ぜんぶ、やぶって捨てたった。

 でも

 おれ、

 電車のなかで泣いてた。」

「ふううん。

 なんやようわからんけど

 エイジくんと付き合うのは

 むずかしそうやな。」

「そうや。

 おれ、

 気まぐれやからな。」

「自分で言うんや。」

「おれ、

 よう、子どもみたいやって言われるねん。」

たしかに

でも

そんなこと

ニコニコして言うことじゃないと思った。

子どものときに

子どものようにふるまえなかったってことやね。

だから

いま

子どものようにあつかってほしいってことやったんやね。

きみは。

いまならわかる。

あのとき

きみが

子どものように見られたかったってこと。

いまならわかる。

あのとき

きみが

子どものようにあつかわれたかったってこと。

でも

ぼくには、わからなかった。

あのとき

ぼくには、わからんかったんや。

「おれ、

 家族のことが

 大好きなんや。」

ねえちゃん、

かあちゃん、

とうちゃん。

ねえちゃん、

かあちゃん、

とうちゃん。

ねえちゃん、

かあちゃん、

とうちゃん。

「ふううん。

 お父さんって

 エイジくんと似てるの?」

「似てるみたいや

 とうちゃんの友だちが

 とうちゃんと

 おれが似てる言う言うて

 よろこんどった。

 いっしょにおれと酒飲むのもうれしいみたいや。」

鳩が鳩を襲う。

関東大震災の火のなかで

丘が燃えている。

木歩をかついで

エイジくんが火のなかを歩き去る。

凍れ!



ひと叫び。

火は凍りつき、

幾条もの火の氷柱が

地面に突き刺さり、

その氷柱の上を

小型の猿が飛んでいる。

小型の猿たちが飛んでいる。

氷の枝はポキポキ折れて

火の色に染まった氷柱のあいだを

小型の猿たちが落ちていく。

つぎつぎに落ちてくる。

大きい猿たちが、落ちた猿たちの手足を引きちぎる。

血まみれの手足が

燃え盛る火の氷柱のあいだで

ほおり投げられる。

ばらばらの手足が

弧を描いて

火の色の氷柱のあいだを飛んでいる。

大きい猿の手から手へと

血まみれの手足が

投げられては受け取られ

受け取られては投げ返される。

鴉も鳩を襲う。

ポオの大鴉は、ご存知ですか?

嵐の日だったかな。

たんに風の強い日の夜だったかな。

真夜中、夜に

青年のいる屋敷の

部屋の窓のところに

大鴉がきて

青年にささやくんですよ。

もはや、ない。

けっして、ない。

って。

青年が、その大鴉に

おまえはなにものか?

とか

なんのためにきたのか?

とか

いっぱい

いろんなことをたずねるんですけど

大鴉はつねに

ひとこと

もはや、ない。

けっして、ない。

って言うんですよ。

ポオって言えば

クロネコ

あっ、

こんなふうにカタカナで書くと

まるで宅急便みたい、笑。

燃え盛る火の氷柱のあいだを

木歩をかついで

丘をおりて行くエイジくん。

関東大震災の日。

丘は燃え上がり

空は火の色に染まり

地面は割れて

それは

地上のあらゆる喜びを悲しみに変える地獄だった。

それは

地上のあらゆる楽しみを苦しみに変える地獄だった。

そこらじゅう

いたるところで

獣たちは叫び

ひとびとは神の名を呼び

祈り、

踊り、

叫び、

助けを求めて

祈り、

踊り、

叫び、

助けを求めて

祈っていた、

踊っていた、

叫んでいた。

雪の日。

真夜中、夜に

エイジくんと

ふたりで雪合戦。

真夜中、夜に

ふたりっきりで

ぼくのアパートの下で

雪をまるめて。

預言者ダニエルが火のなかで微笑んでいる。

雪つぶて。

四つの獣の首がまわる。

火のなかで

車輪にくっついた獣の四つの首が回転している。

ぼくはバカバカしいなって思いながら

エイジくんに付き合って

アパートの下で、雪つぶてをつくっている。

預言者ダニエルは

ぼくの目を見据えながら

火のなかを歩いてくる。

ぼくのほうに近づいてくる。

猿が猿を食べる。

鳩が鳩を襲う。

「言うたやろ。

 おれ、

 気まぐれなんや。

 もう二度ときいひんで。」

「たなやん。

 おれ、

 忘れてたわ。

 おれの手袋。」

「たなやん。

 おれ、

 忘れてたわ。

 おれの帽子。」

「たなやん。

 おれ、

 忘れてたわ。

 おれのマフラー。」

たなやん。

おれの、

おれの、

おれの、

「なんや、それ。

 玄関のところに置いてたんや。

 毎日、なんか忘れていくんやな。」

預言者ダニエルは

火のなかを

ぼくのところにまで

まっすぐに歩いてくる。

凍れ!

火の丘よ!

凍らば

凍れ!

火の丘よ!

もはや、ない。

けっして、ない。

凍れ!

火の丘よ!

凍れ!

火の丘よ!








THE SONG REMAINS THE SAME。                         
                      




これはよかったことになるのかな、

それとも、よくなかったことになるのかな。

どだろ。

ぼくが

はじめて男の子にキッスされたのは。

中学校の一年生か二年生のときのことだった。

小学校時代からの友だちだった米倉と、

キャンプに行ったときのことだった。

さいしょは、べつべつの寝袋に入っていたのだけれど、

彼の寝袋はかなり大きめのものだったから、

大人用の寝袋だったのかな、

「いっしょに二人で寝えへんか?」

って言われて、

彼の言うとおりにしたときのことだった。

一度だけのキッス。



韓国では、ゲイのことを、二般と呼ぶらしい。

一般じゃないからってことなのだろうけれど、

なんか笑けるね。

日本じゃ言わないもんね。

もう、明らかに差別じゃん。

そういえば、

ぼくが子どものころには、

「オカマ」のほかにも、

「男女(おとこおんな)」とかっていう言い方もあった。

ぼくも言われたし、

そのときには傷ついたけどね。

まあ、

これなんかも、いまなら笑けるけども。



「それ、どこで買ってきたの?」

「高島屋。」

「えっ、高島屋にフンドシなんておいてあるの?」

エイジくんが笑った。

「たなやん、雪合戦しようや。」

「はあ? バッカじゃないの?」

「おれがバカやっちゅうことは、おれがいちばんよう知っとるわ。」

こんどは、ぼくのほうが笑った。

「なにがおもろいねん? ええから、雪合戦しようや。」

それからふたりは、部屋を出て、

真夜中に、雪つぶての応酬。

「おれが住んどるとこは教えたらへん。

 こられたら、こまるんや。

 たなやん、くるやろ?」

「行かないよ。」

「くるから、教えたらへんねん。」

「バッカじゃないの? 行かないって。」

「木歩っていう俳人に似てるね。」

ぼくは木歩の写っている写真を見せた。

句集についていたごく小さな写真だったけれど。

「たなやんの目から見たら、似てるっちゅうことやな。」

まあ、彼は貧しい俳人で、

きみみたいに、どでかい建設会社の社長のどら息子やないけどね。

「姉ちゃんがひとりいる。」

「似てたら、こわいけど。」

「似てへんわ。」

「やっぱり唇、分厚いの?」

「分厚ないわ。」

「ふううん。」

「そやけど、たなやん、

 おれのこの分厚い唇がセクシーや思てるんやろ?」

「はあ?」

「たなやんの目、おれの唇ばっかり見てるで。」

「そんなことないわ、あいかわらずナルシストやな。」

「ナルシストちゃうわ。」

「ぜったい、ナルシストだって。」

「おれの小学校のときのあだ名、クチビルおばけやったんや。」

「クチビルおバカじゃないの?」

にらみつけられた。

つかみ合いのケンカになった。

間違って、顔をけってしまった。

まあ、足があたったってくらいやったけど。

ふたりとも柔道していたので、技の掛け合いみたいになってね。

でも、本気でとっくみ合ってたから、

あんまり痛くなかったと思う。

案外、手を抜いたほうが痛いものだからね。

エイジくんが笑っていた。

けられて笑うって変なヤツだとそのときには思ったけれど、

いまだったら、わかるかな、その気持ち。

そのときのエイジくんの気持ち。

彼とも、キッスは一度だけやった。

しかも、サランラップを唇と唇のあいだにはさんでしたのだけれど。

なんちゅうキスやろか。

一年以上ものあいだ、

あれだけ毎日のように会ってたのにね。



どうして、

光は思い出すのだろう。

どうして、

光は忘れないのだろう。

光は、すべてを憶えている。

光は、なにひとつ忘れない。

なぜなら、光はけっして直進しないからである。



もしも、もしも、もしも……。

いったい、ぼくたちは、

どれくらいの数のもしもからできているのだろうか。

いまさら、どうしようもないことだけれど、

もしも、あのとき、ああしてなければ、

もしも、あのとき、こうしていたらって、

そんなことばかり考えてしまう。

ただ一度だけのキス。

ただ一度だけのキッス。

考えても仕方のないことばかり考えてしまう。



ぼくは言葉を書いた。

あなたは情景を思い浮かべた。

あなたに情景を思い浮かばせたのは、ぼくが書いた言葉だったのだろうか。

それとも、あなたのこころだったのだろうか。








DANCING DAYS。





休みの日だったので、

けさ、二度寝していたのだけれど、

ふと気がつくと、

死んだ父の部屋に、ぼくがいて、

目の見えない死んだ父が、

壁伝いに部屋から出て行こうとしているところだった。

死んだ父は、

壁に手をそわせながら、

ゆっくりと階段を上って屋上に出た。

祇園に住んでいたときのビルに近い建物だったけれど、

目にした外の風景は違ったものだった。

しかも、実景ではなく、

まるでポスターにある写真でも眺めたような感じの景色だった。

屋上が浅いプールになっていて、

そこに二頭のアザラシがいて、

目の見えない死んだ父が、

扉の内側から、生きた魚たちを投げ与えていた。

ぐいぐいと身をはねそらせながらも、

生きた魚たちは、

死んだ父の手のなかに現われては放り投げられ、

現われては放り投げられていった。

二頭のアザラシたちは、

くんずほぐれつ、もんどりうちながら、

つぎつぎと餌にパクついていった。

もうこの家はないのだから、

目の見えない父も死んでいるのだからって、

コンクリートのうえで血まみれになって騒いでいるアザラシたちを、

夢のなかから出してやらなきゃかわいそうだと思って、

ぼくは、自分が眠っている部屋の明かりをつけて、

目を完全に覚まそうとしたのだけれど、

死んだ父が、ぼくの肩をおさえて目覚めさそうとしなかった。

手元にあったリモコンもなくなっていた。

もう一度、起き上がろうとしたら、

また死んだ父が、ぼくの肩をおさえた。

そこで 声を張り上げたら、

ようやく目が覚めた。

リモコンも手元にあって、

部屋の明かりをつけた。

ひさびさに死んだ父の姿を見た。

しかし、なにか奇妙だった。

どこかおかしかった。

そうだ、しゅうし無音だったのだ。

死んだ父が階段を上るときにも、

二頭のアザラシたちがコンクリートのうえで餌を奪い合って暴れていたときにも、

いっさい音がしなかったのだ。

そういえば、

これまで、ぼくの見てきた夢には音がしていたのだろうか。

すぐには思い出せなかった。

もしかすると、

ずっとなかったのかもしれない。

内心の声はあったと思う。

映像らしきものを見て、

それについて思いをめぐらしたり

考えたりはしていたのだから。

ただし、それをつぶやくというのか、

声に出していたのかどうかというと、記憶にはない。

ただ、けさのように、

自分の叫び声で目が覚めるということは、

しばしばあったのだけれど。



なにが怖いって、

家族でそろって食べる食事の時間が、いちばん怖かった。

一日のうち、いちばん怖くて、いやな時間だった。

ほんのちょっとした粗相でも見逃されなかったのだ。

高校に入ると、柔道部に入った。

クラブが終わって、家に帰ると、

すでに、家族はみな、食事を済ませていた。

ぼくは、ひとりで晩ご飯を食べた。

そうして、中学校時代には怖くていやだった食事の時間が、

もう怖いこともなく、いやでもない時間になったのであった。


THE THINGS WE DO FOR LOVE。

  田中宏輔




文化の日で

休日やというのに

大学では授業があったみたいで

文化の日の前の日に集まりたいって連絡すると

つぎの日に授業がありますので

というので

じゃあ、授業が終わってから集まろうよ

とメールで連絡して

あらちゃんと、湊くんと3人での

言語実験工房のひさびさの会合。

3時半に

ぼくの部屋に。

ということで、まず3時40分くらいに、あらちゃんだけ到着。

手には

ビールや、お菓子や、パンを持って。

「湊くんは?」

「ああ、

 4時くらいになるって言うてはりました。」

「そっ、

 あっ、

 ぼく、なんも買ってないんよ。

「お多福」に行こうよ。」

「お多福」というのは、前まで「大国屋」という名前だったスーパーね。

名前だけ変えたの。

改装で1週間近く工事してたんだけど

見た目

ほとんど同じだし

働いてるひとたちもいっしょ。

ぼくに好意を持っている、みたいな女のひともいるし

メガネ女史と、ひそかに呼んでるんだけど

リスカの男の子

たぶん学生だと思うんだけど

二十歳くらいかな

短髪

あごひげ

がっちりの、かわいい青年



あらちゃんと買い物に出たんだけど

大国屋に



お多福に入る前に

その前を通り過ぎて

タバコの自販機のところまで行くと

湊くんが横断歩道を渡ってこちらにきたところだった。

鉢合わせっちゅうやつやね。



タバコを買って

3人でお多福へ。

「お疲れさま〜。

 休日でも大学って、授業してるんや。」

「ええ、

 年に、かならず15時間してくれって。

 このあいだの台風で

 一日つぶれたでしょう?

 土曜日にもやりましたよ。」

前の日に、あらちゃんから

「さいきんでは、休日でも授業があるんですよ。」

って聞いてたから

ほんと、びっくり。

学生もたいへんじゃない?

先生もたいへんだけどさ。



逆かな?

先生もたいへんじゃない?

学生もたいへんだけどさ。

いっしょかな、笑。

「ぼくは昼ごはん食べたから

 ふたりは、まず、お弁当でも買って、腹ごしらえでもしたら?」

ってことで

ふたりは弁当も買って。

それぞれ

飲みたいものや

食べたいお菓子を選んでレジへ。

ぼくは、ヱビスの黒ビール2本とお茶と

お菓子はなんだったっけ?

忘れた。

湊くんは、違うメーカーのビールと、お菓子。

あらちゃんは、ノンアルコールのビール持ってきてたから

なにも買わず。

さあ、きょうは、決めることが2つ。

そして、ひさびさの3人そろっての会合で

ぼくも少々、興奮ぎみ。

ブハー。

湊くんが

ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を持ってきていて

岩波文庫のね。

「あっ、ぼくも持ってるよ。」

と言って、部屋の岩波文庫のある棚を指差した。



しばらくのあいだ、『論理哲学論考』について話をした。

ぼくが

「ヴィトゲンシュタインって

 文学作品って、なに読んでたんだろ?」

と聞くと

「それはわかりません。」

湊くんが

坐ってるところから見える

部屋の本棚に置かれたSF文庫の表紙を見てから

「SFとか読んでましたかね?」

「当時はまだ、SFはなかったんじゃない?

 あ

 でも、ウエルズは読んでたかもしれないね。

 あれは、当時、みんなに読まれてたって書いてあったから。」

ほんとのことは、わかんないけどね〜。

湊くんが

台所の換気扇のところでタバコを吸っているあらちゃんに向かって



ぼくの部屋では禁煙なの。

本にタバコのヤニがついちゃうのがヤだから。

まっ

と言っても

部屋と台所はつづいてるんだけどね〜。

カーテンで仕切ってるだけで。

そのカーテンも半分開けてるし、笑。

換気扇だけが頼りね。

「荒木さん、日記も読んでるんですよね?」

あらちゃんが、タバコをフーと吐き出してから

「読んでますよ〜。」

「ヴィトゲンシュタインが、なに読んでたか書いてありましたか?」

「なに読んでたの?」

と、ぼくも追い討ち。

「さあ、わかりませんね〜。

 それは書いてありませんでしたね。

 まだぜんぶ読んでないんで

 もしかしたら、あとで出てくるかもしれませんけど。」

と、ぼくと湊くんの、ぼくたちふたりに向かって。

ぼくが

「なにも読まなかったのかもね。」

と言うと

「『論理哲学論考』でも、ラッセルとホワイトヘッドについてしか言及してませんからね。」

と湊くん。

このあと

さいきん、『論語』や荘子の本を読みはじめた湊くんの話を聞きながら

3人で

西洋と東洋の思想や哲学の話をしていた。

湊くんが

「ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』にも神が出てきますね。」

って



ほとんどすべての西洋の人間には、

あの「神概念」がどうしても抜けないらしくって

って言うから

ぼくが

「当時は仕方がないんじゃないの?」

と言うと

「いまもですよ。」

と湊くん、



つづけて

「ぼくたち、日本の詩人にとっては

 アッシュベリーの詩って、難解でもなんでもないじゃないですか?」

「そだよね〜。」

あらちゃんは、アッシュベリーはまだ読んでなかったのか

ここでは聞いてるだけ〜、笑。

「そだね〜。」

と、もう一度。

「でも、アメリカ人にとっては難解なんですよ。」

話の流れから言えば、当然、こうだわな。

「神概念が抜け落ちてるから?」

「そうです。

 だから

 日本の現代詩からすれば

 ふつうによくある抒情詩ですけど

 アメリカ人から見たら

 難解なんですよ。」

「神概念の欠如ねえ。

 もちろん、キリスト教の神概念だろうけど。

 それで

 日本人のぼくらには、よくわかって

 アメリカ人には、よくわからないんや。」

ふ〜ん。

なるほど〜

と、腑に落ちかのように

うなずいた。

ほんとは、それほど腑に落ちなかったのだけれど。

クリスチャンじゃないぼくだって

聖書には、ずいぶん影響されてるからね。

「いまでも、アメリカ人って、神概念に拘束されてるの?」

「そうですよ。」

「へえ〜。」

そうなのかな〜

学生時代に読んだ本では

ドイツでは教会離れが急速に進んでるって書いてあったんだけどなあ

って思った。



これって

さっき考えたことと矛盾するか、

でも、まあ、現実に

アメリカ人やオーストラリア人といった外国人と頻繁に会っている

湊くんの話だから、そうなんだろうね。

まあ、ぼくはキリスト教系の大学の付属高校に勤めてて

ネイティヴの先生も多いし

聖書の時間も授業にあって

また毎朝、チャペルで礼拝もあるし

特別に宗教の時間がもたれることもある学校なので

聖書が職員室のそこらじゅうの机の上にあるのがふつうの光景で

とくべつ、アメリカ人の先生たちがクリスチャンかどうか

また、クリスチャンでなくっても

聖書的な神概念に精神が拘束されているのかどうかなんて

とくに考えたこともなかったけれど

湊くんの話を聞いて、そうかもしれないなあ、と思った。

湊くんが

『論理哲学論考』を開いて見せてくれた。

これですけど

と言って

「われわれは事実の像をつくる。」

ってところを

指差して示してくれた。

イメージと像について話をしているときだった。

ヴィトゲンシュタインは

ドイツ語と英語で

イメージについて書いているけれど

ドイツ語では

イメージのニュアンスと、

じっさいに見えるものという意味の

両方の意味に使える単語 Bild を採用しているけれど

英語ではそれを picture と訳しているので



しかも

ヴィトゲンシュタイン自身が英訳にかかわっていたので

ヴィトゲンシュタインにおけるイメージは

picture だったわけで

って話のフリがあって



ぼくが

湊くんが見せてくれた言葉を見て

「事実は、われわれの像である。

 事実は、われわれの像をつくる。

 って、どう?」

と言うと

「ヴィトゲンシュタインも同じようなことを書いてますね。

 これ、書き換えが多いですから。」

と湊くん。

「そうやったかな。

 読んだの、ずいぶん前やから、わすれた〜。

 そいえば、パウンドも、詩論で

 イメージこそ大事で、って書いてたけど

 ヴィトちゃんも、イメージかあ。」



なんで

大学やめて

田舎で看護仕なんかしてたんだろうね。

またケンブリッジに戻りますけどね。

ラッセルが推薦してねえ。

とかとか

ヴィトゲンシュタインの話がしばらくつづいて

3人で盛り上がった。

ぼくが坐っていた右横に

ダンボール箱があって

それはこのあいだ、プロバイダーを替えたんだけど

モデムとかが入っていたヤツね

いまは古いほうのモデムなんかを入れて返送用の箱待ちぃ〜



その上に

いまお風呂場で読んでる『源氏物語』の「薄雲」のところがあって

これって

ホッチキスで読む分だけを、とめてあるやつなんだけど

それを渡して

ぼくがオレンジ色の蛍光ペンで印をつけたところを指差した。

「夢の渡りの浮橋か」(うち渡しつつ物をこそ思へ)

って、ところね。

「いいでしょ?

 このフレーズ。」

「これ、だれの訳ですか?」

「与謝野晶子。」

「これ、もと歌がありますね。」

「あるんじゃない?

 ぼくも似た表現、見た記憶があるもん。

 物をこそ思へ

 って、なんだか、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの言葉みたい。

 事物こそ、なんとか、かんとか〜だったっけ?

 具体的なものこそ、なんとか、かんとか〜だったっけ?

 パウンドも書いてたかな〜。」

「いや、よくありますよ。」

俳句や短歌にも詳しい湊くんだった。

「いま、うちのそばに

 夢の浮橋のあとがありますよ。」

「えっ?

 あっ、

 引っ越したんだっけ。

 いま、どこらへんに住んでるの?」

「東福寺のそばですよ。」

「橋があるの?」

「いえ、なにもありませんよ。

 なにもありません。

 よくある史跡ですよ。

 あったということだけがわかっている

 場所を示す立て札があるだけです。

 これが『源氏物語』で有名な浮橋で、

 とかという説明が書かれた立て札があるだけです。」

そいえば

アポリネールの

「ミラボー橋」も

詩はあんなに有名なのに

シャンソンにもあるらしいのだけれど

橋自体は

ちっぽけなものだって

どこかに書かれてるの読んだことがあるなあ。

夢の浮橋かあ。

夢に

なにを渡すのだろう。

夢から

なにを渡されるのだろう。



それとも

夢自体が

渡すものそのもの

橋なのかな。

夢の浮橋。

どこが、どこに通じてるんだろう。

どこと、どこがつながってるんだろう。

なにが、なにを渡すのだろう。

なにから、なにが渡されるのだろう。

なにを、なにに渡すのだろう。

物をこそ思え。

今回の言語実験工房で話し合わなければならないことは2つあって

1つは

関根くんをメンバーに迎えるかどうか。

もう1つは

今年の言語実験工房賞は、だれに?

さいしょのことは、関根くん自体が消極的なので

じゃあ、これからも言語実験工房は3人でやりつづけましょうということで

これは30秒くらいで決定。

言語実験工房賞も

まえに、湊くんと日知庵で飲んでたときに

話していた詩人の詩集に

とのことで、あらちゃんも同じ意見だったので

数十秒で話し終わった。

ひゃはは。

1分くらいで

会合の目的は果たして

ぼくたちは

お酒と、お菓子を、手に手にして

まだまだ

右に

左に

縦に

横に

縦、縦、前、横、横、後ろ、前、右、左、斜めに

話しつづけていたのであった。

前から、みんなで見ようねって話をしていた

ぼくがいま夢中に好きな

キングオブコメディのDVDを見ることになった。

ぼくの好きなコントをいくつか見たあとで

ドッキリっていうか

ドキュメントなのかなあ

盗み撮りで

2人が楽屋で

中華料理屋から出前をとって

ご飯を食べてるシーンがあって

コンビの相方のひとりが

もうひとりのほうの食べ物をねらって、とってばかりいるという

食い意地の汚さをメインに人間模様が浮かび上がるシロモノだったんだけど

ぼくが

「中学のとき、お弁当のおかず

 とってくヤツっていなかった?

 いたでしょう?」

と言うと

「いたいた。」

と、あらちゃん。

湊くんが

「ぼくは中学のとき、給食でしたから

 なかったですよ。」

「名古屋だったら

 うぃろうが出てきたりして。

 あ、

 湊くんってさあ、

 大阪だったよね。」

「そうですよ。

 ですから

 タコ焼き出てきたのかって

 よく言われます。

 出てきませんでしたけど。

 いまだったら出てくるかもしれませんけどねえ。」

「京都だったら

 おたべだよねえ。

 出てきてほしいなあ。

 おいしいもんね。」

ふたりも、好き好き、と。

「いろんな種類

 出てますよね。

 ぼくは、抹茶味が好きぃ。」

と、あらちゃん。

「カラフルなものがいっぱい出てるものね。」

黒胡麻かな。

真っ黒なものもあった。

ピンクや

黄色もあった。

なに味か、わかんないけど。



あらちゃんの好きなグリーンのもね。

それは、抹茶味か。

そいえば

一語が入ってるのもあったかなあ。



イチゴね、笑。

すると

湊くんが

「清水寺をのぼっていく道があるじゃないですか?

 あの細い狭い坂道

 あそこ通ると

 試食で

 お腹がいっぱいになります。」

「ししょく」って

すぐには、わからない、ぼくだった。

音になじみがなかったので。



「いろんな食べ物が試食できますよ。

 甘いものに飽きたら

 漬物の試食すれば味が変わりますからね。

 デート・コースには、うってつけですよ。」

このへんで、ようやく

「ししょく」の意味がわかったぼくだった。

このあいだ、文学極道に投稿した詩の

わかんないところを

湊くんに教えてもらった。

詩をプリントアウトしたものに

あらかじめ、赤いペンで

わからないところに矢印をしておいたのね。

チェックしてもらっているあいだ

DVD見てたぼくだけど。

ごめんちゃい。



つぎの点を、書き込んでもらった。

rejection slip

詩人

ジョン・ベリマン

レオポルド・ブルーム

rejection slip

ってのは

編集者が、作者に雑誌掲載できない原稿だっていう返事を書いたものね。

「スリップって、小さい紙ってことだっけ?」

「そうですよ」

詩人っていうのは

このあいだ文学極道に投稿した作品で

rejection slip

ってのを受け取っても

それを机の見えるところに貼って

執筆しつづけて

編集者に作品を送りつづけた作者のことだけど

ぼく

忘れてたからね〜。



それが

だれかってのも忘れてたんだけど

それは

ジョン・ベリマンだとのことでした。

湊くんが笑いながら

「だから、あとで

 ジョン・ベリマンの話になったんじゃないですか。」

ぼくも、自分で自分のこと笑っちゃった。

「そだったね。

 忘れてた〜。」

ぼくって

あの長篇詩『ブラッドストリート夫人賛歌』

何度も引用してるのにね。

ギャフンだわ。

レオポルド・ブルーム

ってのは

ジョイスの『ユリシーズ』の主人公の名前ね。

これも忘れてたのね。

「文学極道でさ、

 いま、ぼく、投稿してるじゃない?

 そこに粘着質のひとがいるんだけど。」

そう言うと

湊くんが

「見ましたよ。

 相手にしたら、いけませんよ。」

「うん。

 わかってるよ。

 相手にしてないよ。
 
 でも、なんだか、そのひとのことを考えてたら

 ぼくまで

 粘着質っぽく思えてきちゃってさあ。

 ぼくって、粘着質かなあ?」



台所に立って換気扇の下で、タバコを吹かしてた

あらちゃんに近づきながら、そうきいた。

ぼくも、タバコが吸いたくなったのだった。

「あつすけさん、

 粘着質と違いますよ。

 あつすけさんは

 スキゾでしょ。」

「スキゾって、なに?」



ぼくが言うと

湊くんが

「スキゾは分裂症型ってことですよ。」

って、



「粘着質のひとって

 見て

 すぐわかりますよ。」

って。

すると

あらちゃんも

「見たら

 わかります。」

とのこと。

「へえ〜

 そなの?」

「あつすけさんは、粘着質と違いますよ。」



湊くんまで

そう言ってくれたので、安心した。

ぼくは

いままで、ずっと

自分のことを、粘着質で

執念深い性質だと思ってきたから。

「実母がさ。

 精神病じゃない?

 精神分裂のほうの。

 いま統合失調症って言うみたいだけど。

 だから、遺伝してるのかな?」

ふたりの顔を見ながら

そう言ったら

湊くんが

「分裂症型と

 分裂病とは違いますからね。」

「えっ?

 あっ

 そうなんや。

 ああ

 そうやったね。

 症と病じゃ、違うもんね。

 よかった〜。」

と言いながら

ぼくの頭のなかでは

狂っている母親の姿が思い浮かんでいた。

話をしていると

突然

鳥になって、鳥の鳴く声で鳴き出したり

突然

狂ったように

いや、

狂ってるんだけど

狂ったように

ケタケタと

大声で笑い出したり

突然

物になったかのように無反応になったりする母親のことが

ぼくの頭のなかをよぎった。

ふたりは

そんな映像を頭に思い浮かべることもなかったと思う。

おそらくね。

っていうか

思い浮かべたら

おかしいね。

湊くんが

「ふたりとも

 そこに立ってたら

 ぼく、さびしいじゃないですか。

 ぼくも、そっち行こうかな?」

「いやいや

 そっち戻る、そっち戻る。」

ぼくは、あわてて

吸っていたタバコをもみ消して

パソコンの前の

自分の坐っていた場所に腰を下ろした。

「このつぎのやつ。

 だじゃれのVTRなんだけど

 ぼくって

 よく

 だじゃれ使うじゃない?

 齢いくと

 そうなるって言うけど

 さいきん、めっちゃ使ってるような気がするわ〜。」

リモコンで、スピーカーの音量をあげた。

キングオブコメディの今野くんが

「ダジャレンジャー」

って役で

まあ

マトリックスのエージェントのような服装で

サングラスは

はずしてね

出てくるVTRなんだけど

あらちゃんもタバコを吸い終わって

はじめに腰を下ろしてたところ

テーブルをはさんで

ぼくとは対面の場所に坐った。

湊くんは

パソコンの画面の正面

3人の位置は

ぼく

湊くん

あらちゃんの順に





西

うん?

そうだね。

3人の背中は

それぞれ

東向き

南向き

西向きだった。

湊くんが笑いながら

「やっぱり

 メリルは貸してもらえませんか?」

ぼくも笑いながら

「ごめんね〜。」

早朝の豆腐売りの

ファ〜フウ、ファ〜フウ

って音が

映像となって通り過ぎていったかのような錯覚がした。

音が

動く画像になって

目の前を通り過ぎてくような感じかな。

「ごめんね〜。」



もう一度

笑い顔をして

念を押しておく。

「やっぱ、ぼく

 けちなんだわ〜。」

すると

湊くんが

あらちゃんから返してもらった詩集を手にしながら

「ぼくは

 多少、傷んでても平気なんですけどね。」

すると

あらちゃんが、

遠慮がちに

自分のリュックからもう1冊

湊くんから借りていた本を返しながら

「これ、ごめんなさい。

 帯がちょっと破れました。」

あらちゃん

笑ってないし

でも

湊くんは

「大丈夫ですよ。

 ぜんぜん平気ですよ。

 そりゃ、さすがに

 めちゃくちゃ汚されてたら

 ううううん

 って思いますけど。」

笑いながら。

ぼくは、笑わなかった。

考え込んじゃった。

「ぼく、やっぱり

 けちなんやろか?」

「あつすけさんは

 とくべつ敏感なだけでしょ。」



湊くん

笑いながら。

ぼくは

笑えなかった。

神経質なんやろなあ。

おんなじ本を5冊も買って

付き合ってた恋人に

これ以上、おんなじ本を買うたら

別れるで

とまで言われたもんなあ。

『シティー5からの脱出』やったかな。

J・バリトン・ベイリーの。

あの表紙が、かわいいんやもん。

ちょっとでも

ええ状態のもんが欲しかっただけやのに。

ぼく

笑ってないし。

ぜんぜん

笑ってないし。

笑ったけど。

「北見工大の専任講師に応募してみたら

 って話がきましたけど、応募しませんでした。」

「へえ、

 ぼくやったら応募するわ〜。」

「あつすけさん、

 ぜったいあきませんよ。

 京都から出たことないから

 想像つかないんとちゃいます?」

「そうですよ。

 どんなところか

 ぜんぜんわかってないでしょう?」

「えっ?

 どこなの?」

「北海道の東のほうで、網走のすぐ西ですよ。」

「網走?

 だけど

 たしか、北川透って

 九州の田舎の大学じゃなかった?」

「そんなの比べものになりませんよ。

 冬なんて

 ふつうの寒さじゃないんですよ。

 ストーブ、ガンガンにつけてても寒いんですからね。」

「そっか。

 それって

 雪まみれってこと?

 部屋のなかまで〜?」

「セントラルヒーティングしたうえで

 ストーブ、ガンガンにつけてても

 寒いんですよ。

 ウェブで見たんですけれど

 特別な暖房がいるから

 地元の電器屋にご相談を

 なんて書いてありました。」

「それに

 こっちに戻ってくるのに

 5万円はかかるでしょう。」

「えっ?

 でも、専任だったら

 年収500万円とか、600万円はあるんじゃない?

 だったら

 100万円くらい

 旅費に使ったっていいんじゃない?」

「ありますかねえ。」

「あるよ、ぜったい。」

と、よく知らないくせに、ぼく。

「ありますよ。」

と、あらちゃんも。

あらちゃんが言うから、あると思った。

確信した。

「ううううん。」

湊くんが笑いながら。

「それに、学会とかあるやろうし。

 大学がいろいろお金出してくれるんじゃない?」

と、ぼく。

「いや〜、あつすけさん。

 最近、出ませんよ。」

とまた、あらちゃん。

「公立だから?

 ふうん。

 ぜんたいに不景気なのね〜」

「それに

 工大でしょう。

 専門が…」

「えっ?

 だって

 あのひと

 あの

 ほら

 言語実験工房に作品送ってきてくれたひと

 京都で会ったじゃない。

 あのひとって

 医学部じゃん。

 教えてるの。

 医学部出身じゃないけど。」

「高野さんですか?」

「そうそう。

 高野さん。」

「そういえば

 そうですねえ。

 あ

 2週間前に会いましたよ。

 同志社であった the Japan Writers Conference で。」

「それって、学会?」

「ええ。

 学会みたいなものですね。

 イベントって言ったほうが適切でしょうけれど。」

「ふうん。

 元気にしてはった?」

「元気でしたよ。」

元気なのか。

そだ。

キングオブコメディの「ダジャレンジャー」で

今野くんが

電器屋さんの店頭で

「デンキですか〜!」

って叫んでた。

アントニオ猪木のマネしながらね。

「でも

 北見工大って有名なんじゃない?

 北見工大付属って

 甲子園に出てない?」

「出てましたかね?」

「出てるかもしれませんねえ。」

ぼくら3人とも

野球には詳しくなかったのだった。

でも

「ぼくの耳が

 知ってるような気がする。

 音の記憶があるもん。

 北見工大付属って。」

どこかと間違ってる可能性はあるけどね〜、笑。

「でも、専任になったら

 書類がたいへんですよ。」

「そうなんや。」

「はんぱじゃないですよ。」

「そういえば

 日本って、アメリカとかと比べて

 会社で書かされる書類の数がぜんぜん違うって

 なんかで読んだ記憶があるなあ。」

「このあいだなんて

 研究室の安全確認の書類を書いてました。」

「えっ?

 そんなの事務員がすればいいんじゃないの?」

「研究室の配線とかのことで

 それは、ぼくたちがやらなきゃならないんです。」

「そうなんや。

 まあ、そうなるのかもしれないね。」

「授業計画書とかも書かなきゃなんないでしょ。」

「あっ、そうだよね。

 國文學の編集長やった牧野さんから

 授業計画書を見せてもらったことがある。

 いま

 大学で教えてはるのね。」

「とにかく書く書類が増えるってことですね。」

「日本人って

 不安なんだろうね。

 書類がないと。」

じゃあ。

一日じゅう

書類書いとけばいいじゃん

っとか思った。

一日じゅう

書いて

書いて

書きまくるのね。



たしかに安心するのかもしれない。

ぼくが詩を書くように

書いて

書いて

書きまくるのね。

いや

違うかな。

ぼくは

書いても

書いても

いくら書きまくっても

いつまでたっても

安心できない。

なんでなんやろ?

わからん。

フィリピン人のコメディアン greenpinoy の チューブで

One Year of Friendship!

ってタイトルのものがあって

それって

greenpinoy が

1年のあいだに

友だちたちといっしょに撮った写真を

スライドショーっぽく

画像をコマ送りしながら

スティーヴィー・ワンダーが参加して歌ってる

RENTの主題歌を流してるんだけど

そのRENTの歌って

1年という期間を

およそ、525600分と計算して

そこに、525000の瞬間の出来事があって

っていうふうに歌ってて

そこに

日没があり

そこに

愛があり

そこに

人生がある

とかとか言ってるのだけれど

ぼく

ふと思っちゃった。

1日のうちに

1年があるんじゃないのって。

1日のうちに1年があって

1時間のうちに10年があって

1分のうちに、生きているときのすべての時間があるんじゃないのって。

すると

やっぱり

ノーナ・リーヴスの西寺豪太ちゃんがブログに書いてたように

一瞬のなかに永遠があるんだよね。

豪太ちゃんは

「一瞬のなかにしか永遠なんてものはないのさ。」

だったかな。

いや

もっと短く

「一瞬のなかに永遠はある。」

だったかな。

そんなこと書いてたけど

ぼくも、そんな気がする。

気がした〜。

豪太ちゃんの言葉を見たときにね。

その言葉、見たの

ずいぶん前のことだけど。



そのときにも思ったの。

一瞬のなかにこそ、永遠というものがあり

なおかつ

永遠というものも、一瞬のものであるということを。

ひとまばたき。

「目を閉じて、目を開ける」

ただひとまばたきの

時間のあいだに

永遠があるのだということを。

アハッ。

じつは

さっきね。

「一瞬のなかにこそ、永遠はある。」って、書いたとき

キーを打ち間違えて

「一蹴のなかにこそ、永遠はある。」

ってしてたんだけど

一蹴

おもしろいから

そのままにしてやろうか

な〜んて

思っちゃった〜。

「ヴィトゲンシュタインって

 この『論理哲学論考』では

 よく「対象」っていう言葉を使ってますね。」

「ぼくなら「対象」と「観察者」をはっきり分けたりできないけど。」

「ヴィトゲンシュタインは、はっきりさせようとしています。」

「はっきり分けようとすると

 矛盾がでてくるんじゃない?

 分けられないでしょ?

 じっさい。」

「後期のヴィトゲンシュタインは、それを反省してますけどね。」

「言語ゲームですね。」

と、あらちゃん。

「とにかく

 『論考』では、はっきり分けて考えるようにしていますね。」

アリストテレスの二項対立みたいに

なんでも分けて考えるのね。

西洋人って。

いや、考えること is equal to 分けること

なのかな。

「ぼくなんか

 いつも

 なにか考えるときは

 考えてるものと

 その考えてる自分というものとは不可分だってこと

 考えちゃうんだよね〜。

 それに

 ときどき

 その考えてるものが

 自分のことを考えてる

 な〜んてことも考えちゃうしね〜。」

はっきり分けられないと

いつまでも

ぐずぐず食い下がるぼくであった。

「あなたの友だちの息は、とっても臭いです。」

Useful Japanese

って、英語のタイトルだった

greenpinoy のチューブを見た。

「わたしのおじさんは、ホモだと思います。」

これも面白かったなあ。

「あなたは中国人ですか?

 日本人ですか?

 それとも、韓国人ですか?

 どっち?」

ってのもあって。

「日本では

 2つのうちの1つを選ぶときにしか

 「どっち」って使わないよね?」

と言うと、

「英語では

 3つ以上のものから1つのものを選ぶときも

 2つのときからと同じで

 which ですよ。」

と湊くん。



このチューブを見たあとで

これ感動したんだよ

と言っておいて

トップの静止画像だけ

ちらっと

見せておいて

先に

この「日本語の勉強」ね、

Useful Japanese のチューブを見てもらって

あとから見た

「これ感動したんだよ

 『RENT』の主題歌ね。

 スティーヴィー・ワンダーが歌に参加してるけど

 スティーヴィー・ワンダーの詩なのかな?」



「ぼく、この単純な詩にめっちゃ感動したんだけど。」

って言って



「これ、

 似てる詩をゲーリー・スナイダーが書いてたよ。」

と言って

『ビート読本』を出して

スナイダーのところを捜したら

なかった。

そしたら

頭が

ピリピリと

頭の横のところが

ピリピリと

痛かった。

また記憶がまちがっていたのかって思って



本のどこかで引用してたはず

と思って捜しつづけたら

見つかった!

なにが?

ナナオササキの詩が。

ナナオササキの詩だったのだ。

「そんなこと、ぼくもありますよ。」

と湊くん。

フォローが絶妙、笑。



おとつい

日知庵に行ったあと

大黒に行ったら

マスターが

ぼくの耳のうしろから息を吹きかけるから

「やめてよ。

 感じやすいんだから。

 ぼく

 耳がいちばん感じるんだから。」

「あつすけさんって

 全身性感帯みたい。

 乳首も感じるの?」

そう言って、手をのばそうとするから

すかさず、ぼくは、両手で自分の胸をおさえた、笑。

「やめて!

 感じちゃうから。」

「感じれば、いいじゃない。」

「だめなの。

 いま、飲んでるでしょ。」

「まあね。

 あいかわらず、わがままね。」

「はっ?

 なに、それ?」

「まあ、まあ。

 いいわ。

 飲みなさい。」

なんか

憮然としちゃった。

かさぶたができるぐらい

ギュー

って

乳首をつままれた

いや

ひねられただな

記憶がよみがえっちゃって

一気に

ジョッキの生ビールをあおっちゃった。

「ぼくの乳首って小さいけど。」

と自分の胸を何度も手のひらでなでるマスター。

「あつすけさんの乳首って大きそうね。」

「おかわりぃ〜。」

「は〜い。

 あっちゃん

 ビール入りま〜す。」

バイトの男の子が伝票にチェック。

西寺豪太に似たガッチリデブのブスカワの子。

このあいだ

ノーナ・リーヴスの最新アルバム『GO』を大黒に持ってきて

かけてもらったときに



湊くんときたときね。

「きみってさあ。

 ブスカワじゃん?

 このボーカルの子に似てるよ。

 ぼくの目にはソックリ。」

湊くんが

カウンターの上でライナー・ノーツを拡げて見せてた

ぼくの手のひらの上の

西寺豪太の写真の顔をのぞき込んでから

顔を上げて、目の前に立ってたバイトの子の顔を見た。

「似てますね。」

「似てますか?」

と、そのバイトの子ものぞき込む。

「似てないことはないと思いますけど

 そんに似てますかね。」

「ブスカワなとこも

 いっしょじゃん。」

と、ぼく。

「ええっ?

 そんなん言われても。

 ブスカワですか?

 ぼく。」

「ハンサムじゃないね。

 男前でもないし。

 もちろん、カッコよくもないし。

 でも、いいじゃん。

 ブサイクでカワイイんだから。

 ぼくなんか

 愛嬌なくって

 ぜんぜん

 ひとに好かれないもん。

 ぼくも、ブサイクでカワイイ

 ブスカワに生まれたかったな。

 ブスカワだと

 ぜったい

 人生ちがってた〜。」

ここで、おとついに時間を戻す。

ぼくがひとりで飲みにきてたときにね。

「ぼくも、あんなジジイになりたい。」

映画のなかに出てきたチョー・ブサイクな白人のジジイを指差した。

「あれ、あのジジイね。」

「ぼくは、かわいいと思うけど」

「ぼくは、マスターとちがって

 年上はダメなの。」

「あの俳優さん、かわいいと思うけど。」

「ジジイじゃん。

 ぼくもジジイだけど。

 でも、あんなにブサイクなジジイになったら

 もう恋をしなくても、すむじゃん。

 期待しなくても、すむじゃん。

 はやく、あんな汚いジジイになりたいっ!」

「それって、きのうも話してたんだけど

 きのう

 お店が暇だったから

 みんなで、ラウンド1 に行ったのよ。

 そこで、そんな話が出たわ。

 むかしモテタひとって

 よくそんなこと言うわねって。」

「ふううん。」

「あつすけさん、

 年上とはないの?」

「あるよ。

 2、3人だけだけど。

 それに

 年上って言っても

 1つか2つくらい上だっただけだけどね。

 とにかく

 ぼくは

 ぼくより齢が上で

 ぼくよりバカなひとって

 大っ嫌いなの。

 ぼくより長く生きてて

 ぼくよりバカって

 考えられへんわ。」

「ぼくは、だらしない年上も好きだし

 しっかりした年下も好きよ。」

「じゃあ、ぼく、ぴったしじゃん。

 ぼく、だらしないよ。

 頼りないし

 貧乏だし

 部屋も汚いしぃ。」

横に立ってたマスターの分厚い胸に

頭をくっつけて甘える

ぼくぅ。

「部屋が汚いのは、いや〜ね。」

「えいちゃんも、よくそう言ってた。」

頭をマスターの胸から離した。

「片付けられないのね。」

「片付けるよ。

 ひとがくるときだけだけど。」

ほんと

そうなんだよね。

今回の言語実験工房の集まりでも

ぼくの部屋

掃除しはじめたのって

約束の時間の1時間くらい前からだもんね。

そいでもって

約束の時間ギリギリまで掃除してたもんね。

ぼくは

シャツの上に浮き出たマスターの乳首の形を見つめた。

ぼくの乳首

大きくないし。

「あっちゃん、

 アプリって知ってる?」

「知らない。」

「マイミクになったら

 教えてあげる。」

「ならない。」

「ほれほれ、この漢字読める?」

箇所

って漢字を、携帯で読ませようとするマスターに

「読めない。」

「あらあら、

 あっちゃん、

 詩を書いてるのに漢字が読めないのね。」

「漢字はパソコンが書くから

 ぼくが知らなくってもいいの。」

「まあ。

 あっちゃん、

 もっと漢字、知らなきゃ

 詩を書けないでしょ?」

「べつに。」

ぼくは

シャツの上に浮き出たマスターの乳首の形を見つめた。

ぼくの乳首

大きくないし。

ぜったい大きくないし。


CHANT OF THE EVER CIRCLING SKELETAL FAMILY。 

  田中宏輔





     点の誕生と成長、そして死の物語。



   点は点の上に点をつくり
   点は点の下に点をつくり
   点、点、点、、、、

   はじめに点があった
   点は点であった
   
 

ある日
王妃のところに
大点使ミカエルさまがお告げにこられました。
「あなたは点の御子を身ごもられましたよ。」
と。
王妃は
それまで不眠症で
ずっと夜も起きっぱなしで
ただ部屋を暗くさせて
目をつむって床についていたのでした。
暗い部屋で目をつむっていれば
寝ているときの半分くらいの休息にはなると
医学博士でもあり夫でもある王から言われていたのでした。
大点使ミカエルさまの姿はまぶしくて見えませんでしたが
お声だけは、はっきりと聞き取れたのでした。
王妃はすぐに
王の寝室に行き
王の部屋の扉をノックしました。
「わたしです、愛しいあなた。
 起きてください。
 いま、大点使ミカエルさまがいらっしゃって
 わたしに点の御子を授けたとおっしゃるの。」
「なんじゃと。」
王はそういうと布団を跳ね除け
扉を開けて妻である王妃の顔を見た。
王妃の顔は、窓から差し込む月の光にまぶしく輝いていました。
「点の御子じゃと。」
「点の御子だとおっしゃいましたわ。」
「点、点、点、……。」
「ええ、点、点、点と。」
「いったい、どのような子じゃろう?」
「わたしには、わかりませんわ。」
「では、待つのじゃ。
 点の御子が生まれてくるまで。」
そうして
王と王妃は
ひと月
ふた月
み月と
月を数え
日を数えて待っていたのでした。
ところが、いっこうに王妃のお腹はふくれてきません。
「どうしたものかのう。
 なぜ、そなたの腹はふくらまぬのじゃ?」
「わたしには、わかりませんわ。」
「なにしろ、点の御子じゃからのう、
 点のように小さいのかもしれんなあ。
 いや、そもそも、点には大きさがないのであった。
 それゆえ、まったく腹がふくらまないのかもしれんな。」
よ月
いつ月
む月たっても、いっこうに王妃の体型は変わらりませんでした。
ただし、不眠症であった王妃は
大点使ミカエルさまが姿を顕わされたつぎの日から
夜になると
ぐっすりと眠れるようになったのでした。
もう不眠症どころではありません。
ふつうのひとよりずっと多く眠るようになっていたのでした。
なな月
や月
ここのつの月が過ぎ
とうとう
と月目に入りました。
と月とう日目の夜
(TEN月TEN日目の夜)
月の光の明るい夜のことでした。
王妃の部屋から叫び声が聞こえてきました。
王は布団を跳ね除け
ベッドから飛び起き
自分の寝室から
王妃の寝室までダッシュしました。
「どうしたのじゃ?」
「あなた。
 ああ、愛しいお方。
 いま、生まれましたわ。
 わたしの子。
 点の御子が。」
王妃はカーテンをすっかり開けました。
窓から差し込む月の光の下で
ベッドの敷布団の上にあったのは
ただ
ひとこと
点としか言えない
点でした。
王の目と王妃の目が見つめ合いました。

     *

王と王妃は
点のために誕生の祝典をひらく。
点は祝福をもたらすもの。
点は祝福をもたらす。
王宮じゅうが
点の誕生を祝福して
お祭り騒ぎ。
点は祝福をもたらす。
国民は
王と
王妃とともに
祝典をあげる。

     *

点は、国家に興味がない。
点は、王にも興味がない。
点は、王妃にも興味がない。
だれが、どこで、なにをしているのか
だれが、どこで、なにをされているのか
点は、なにものにも、まったく興味を魅かれなかった。
王妃がひそかに主人である王の家来と密通していようと、していまいと
王が馬丁の男と禁じられた恋の行為をしていようと、していまいと
点には、まったく関心がなかった。
点にはできないことはなかった。
あらゆることが可能であるなら
そういった存在は
なにかを望むなどということがありえようか。
点には、あらゆることが可能であった。
点には、自身が点であることすらやめることができたのである。
また点であることをやめたあとに
点になって復帰することも可能であった。
なぜなら、点には時間が作用しないからである。
点は、あらゆる時間のはじまりにも、
あらゆる時間の終わりにも存在していたし、存在していなかった。
点は、あらゆる場所のはじまりにも、
あらゆる場所の終わりにも、存在していたし、存在していなかった。
点は、あらゆる出来事のはじまりにも、
あらゆる出来事の終わりにも、存在していたし、存在していなかった。
あらゆる時間と、あらゆる場所と、あらゆる出来事は、点だった。
点は、存在するものであり、存在しないものである。
点は、あらゆる存在するものでもあり、あらゆる存在しないものでもある。

     *

点は、国家に興味がない。
点は、王にも興味がない。
点は、王妃にも興味がない。
国家のほうが、点に興味を持っていた。
王のほうが、点に興味を持っていた。
王妃のほうが、点に興味を持っていた。
だれもが、いつ、どこでも、どんなときにも、点に興味を持っていた。
だれひとり、点に興味を失うことはなかった。
だれひとり、点に関心を払わないわけにはいかなかった。
その点が、点が点である所以であったのであろう。

     *

点は、王にも、王妃にも、ほかのだれにもできないことができた。
点は、本のなかの物語そのもののなかに入ることができたのであった。
点は、本のなかに描かれた草原で風の声に耳を傾けることもできたし
点は、王に反逆した臣下が捉えられて拷問されているときの悲鳴を聞くこともできたし
点は、さやと流れる川の水の音に耳を澄ますこともできた。
点は、嵐の夜の稲光を目にすることもできたし
点は、畑で働く農民の首に流れる汗に反射する太陽の光の粒に目をとめることもできたし
点は、終業間際の疲れた目をこする会計士の机の上に開かれた帳面の数字に目を落とすこともできた。
点は、氾濫して崩壊した川の濁流に巻き込まれることもできたし
点は、電話口でささやかれる恋人たちの温かい息のなかに入ることもできたし
点は、地球と月の重力がつり合ったラグランジュ点となることもできた。
ただひとつ、点にできなかったのは、音そのものになることだった。
ただひとつ、点にできなかったのは、光そのものになることだった。
ただひとつ、点にできなかったのは、熱やエネルギーや力そのものになることだった。

     *

点は、存在し、かつ、存在しないものである。
存在するものそのものではない。
存在しないものそのものでもない。
点は、物質でもなく、光でもなく、音でもなく、
エネルギーでもなく、力でもない。

あらゆる存在するものが点だった。
あらゆる存在しないものが点だった。
点は、あらゆる存在するものだった。
点は、あらゆる存在しないものだった。

さて
ここで
「あらゆる」という言葉が禁句であったことに思いを馳せよう。
「あらゆる」という時点で、(時と点で)
その書かれた文章は
メタ化された次元で無効となる恐れがあるからである。
間違い。
メタ化された次元から見ると無効となる恐れがあるからである。
(ほんとかな? 笑。)
上に書かれた文章には、穴が、ポコポコと、あいている。
それも、みな点だけれど。
点には大きさがないということは
いくらあいてても
あいてないのか?
笑けるわ。
ぼくは
笑わないけど。
点は、存在し、かつ、存在しないものである。

     *

点は、移動するのか?

点は、自身をも含むいかなる点に関しても対称な位置に座標をもつことができる。
点は、自身をも含むいかなる直線に関しても対称な位置に座標をもつことはできる。
点は、自身をも含むいかなる平面に関しても対称な位置に座標をもつことはできる。
3次元空間の自身を含む、いかなる位置にも転位可能である。

したがって、点は、この条件のもとでは
同時瞬間的に、あらゆる移動によって、点であることをやめることができる。
点であるかぎり、点であることをやめることができるのだ。

これが
点の第一の死の物語であり、
つぎの第二の生誕の物語である。

そのあいだの成長の物語を語り忘れていた。
この語り部の語りには、点のような穴がいっぱいあいている。
この語り部の語りは、点のような穴だけでできているのだった。

点は、移動するのか?

     *

点は
点の物語を語っている作者に不満を持った。
「点のような穴」

この物語を語っている作者は
第一巻の終わりに書いていたのだ。
点は
「ぼく、穴ちゃうし。
 穴が、ぼくともちゃうし。
 ぼく、なににも似てないし。
 なにも、ぼくには似てないし。」
とつぶやいた。

この物語を語っている作者の
頭のなかで。
「そや。
 きみは点やし
 その点で
 きみは
 なにものにも似てないし
 なにものも
 きみには似てへん。
 そやけど
 ふつうに使う比喩やろ?
 使うたら、あかんか?」
「あかん。
 点の名誉にかけても
 あかんわい!」
そか。
点の物語を語っている作者は
さっき
うれしいことがあったので
阪急西院駅のそばにある立ち飲み屋の
「印」に行くつもりだった。
パソコンのスイッチを切ろうとして
マウスに手をのばした。
「ちょっと待て。
 書き直さへんのか?
 さっきアップしたやつ。」
「ごめんちゃいね〜。
 これから、お酒を飲みに
 行ってきま〜ちゅ。」
と言って
この点の物語を語っている作者は
その顔に、いかにも意地悪そうな笑みを浮かべて
この外伝を書き終えたのでした。
ちゃんちゃん。
行ってきま〜ちゅ。

     *

場所が点を欲することがあっても
点が場所を欲することはない。
たとえ、場所が場所を欲することがあっても
点が点を欲することはない。
時間が点を欲することがあっても
点が時間を欲することはない。
たとえ、時間が時間を欲することがあっても
点が点を欲することはない。
出来事が点を欲することがあっても
点が出来事を欲することはない。
たとえ、出来事が出来事を欲することがあっても
点が点を欲することはない。

     *

点は裁かない。
点は殺さない。
点は愛さない。

点は真理でもなく
愛でもなく
道でもない。

しかし
裁くものは点であり
殺すものは点であり
愛するものは点である。

真理は点であり
愛は点であり
道は点である。

     *

点は、自分のことを
作者が、数学概念としての「点」と
横書きの文章に使われるピリオドとしての「点」を
ごちゃまぜにしていることに腹を立てていた。
まったく異なるものだからだ。
「なんで、ごちゃまぜにしてるねん?」
「ええやん。
 そのほうがおもろいねんから。
 あんまり、まじめに考えんでもええんちゃうかな?
 作者も遊んどるんやし
 あんたも遊んどき。」
「なんやて。
 遊ばれとる、わいの身になってみぃ、
 ごっつう気分わるいで!」
「わるいなあ。
 かんにんしてや。
 わるふざけがやめられへん作者なんや。
 ごめんやで。」
点は、目を点にして作者を睨みつけた。
まったく異なる意味概念のものでも
何度も比喩的に同じ詩のなかで扱われていると
やがて、その意味概念がごちゃまぜになってしまって
意味のうえで、明確な区別ができなくなっていくのであった。
「どついたろか
 思うたけど
 わいには、手があらへんし。」
「てん
 て
 てがあるのにね〜、笑。」
「笑。って書くな!
 なんやねん、それ?」
「直接話法に間接話法を取り入れてみたんや、笑。」
「ムカツク。」
「まあ、作者は死ぬまで
 あんたをはなさへんやろな。
 大事に思うてるんやで。」
「そしたら
 もうちょっとていねいに扱え!」
「了解、ラジャーです、笑。」

     *

フランシスコ・ザビエルも、その点について考えたことがある。
フッサールも、その点について考えたことがある。
カントも、その点について考えたことがある。
マキャベリも、その点について考えたことがある。
マーク・トウェインも、その点について考えたことがある。
J・S・バッハも、その点について考えたことがある。
イエス・キリストも、その点について考えたことがある。
ニュートンも、その点について考えたことがある。
コロンブスも、その点について考えたことがある。
ニーチェも、その点について考えたことがある。
シェイクスピアも、その点について考えたことがある。
仏陀も、その点について考えたことがある。
ダ・ヴィンチも、その点について考えたことがある。
ジョン・レノンも、その点について考えたことがある。
シーザーも、その点について考えたことがある。
ゲーテも、その点について考えたことがある。
肖像画に描かれた人物たちも、その点について考えたことがある。
文学作品に登場する架空の人物たちも、その点について考えたことがある。
神話や伝説上の人物たちも、その点について考えたことがある。
だれもが、一度は、その点について考えたことがある。
神も、悪魔も、天使や、聖人たちも、その点について考えたことがある。
点もまた、その点について考えたことがある。

     *

無数と無限は違うということを知っておかなければならない。
しかし、この違いを知ることはできないものである。
無数の点が集まって線ができるのでもなく
無数の点が集まって平面ができるのでもなく
無数の点が集まって空間ができるのでもないということを知ること。

しかし、線は無数の点からできているということ
平面は無数の点からできているということも
空間が無数の点からできているということも知らなければならない。

点と点のあいだの距離は無限である。
いかなる点のあいだにおいてもである。
それが同一の点においてもである。

点と点のあいだの距離はゼロである。
いかなる点のあいだにおいてもである。
それがどれほど遠くにある点においてもである。

     *

点は腐敗することもなく
侵食されることもなく
崩壊することもない。

     *

点にも感覚器官がある。
点にも
目があり
耳があり
舌があり
皮膚がある。

点にも
ときどき
突然死があり
癌もあり
交通事故死もある

点は
感じもし
考えもし
行動もする。

というより
感じるものは、すべて点であり
考えるものは、すべて点であり
行動するものは、すべて点である。

線や面や空間は
感じもしなければ
考えもしないし
行動もしない。

あらゆる線は、点に収縮し
あらゆる面は、点に収縮し
あらゆる空間は、点に収縮する。

点は線となって展開することもなく
面となって展開することもなく
空間となって展開することもない。

ただ点は点であるということにおいてのみ
線と面と空間は一致する。

     *

ある日
点が、王のお気に入りの奴隷の額に転移して離れなかった。
点は、奴隷の額の上から
奴隷が見ているものを見、
奴隷が聞いているものを聞き、
奴隷が嗅いでいるものを嗅ぎ、
奴隷が触れているものに触れていた。
点は、奴隷の額の上から
奴隷が感じたことを感じ、
奴隷が考えたことを考えてみた。
ある日
王は奴隷を縛り首にした。
その後
点は、さまざまのものの上に転移した。
転位するたびに
王は
着物を燃やし
壺を壊し
絵を破りすてた。
点は、さまざまな人間の額の上に転移した。
転位するたびに
王は
弟を殺し
妹を殺し
老父を殺し
妃を殺していった。
しかし
もともと額の上に
厚みのないほくろのある顔と見分けがつかなかったので
王は、額にほくろを持つ人間をつぎつぎに吊るし首にしていった。
ほくろには、厚みのある生きぼくろと、厚みのない死にぼくろがあったのだが
王は、とにかく、額にほくろのある人間をことごとく捕らえては殺していった。
宮殿のなかから、宮殿のそとから
つぎつぎとひとの姿が消えていった。
ある日
王が目覚めて
ひとりの奴隷が、湯を入れたたらいを持って
王の部屋に入ってきた。
その奴隷の叫び声とともに
湯の入った、たらいが、床の上に落ちる大きな音がした。

     *

点外
点内

     *
点も
虚無も
イメージにしかすぎない。

点より先に虚無が存在したのか?
虚無より先に点が存在したのか?

存在することも
存在しないことも
語に付与された意味概念によるのだから
概念規定の問題である。

であるのか?

点と虚無。

それはイメージにしかすぎない。
それに相当する現実の実体は存在しない。

しないのか?

脳髄は存在しないものを考えることができる。

ほんとうに?

脳髄は存在するものを考えることができる。

ほんとうに?





     胎児



   自分は姿を見せずにあらゆる生き物を知る、これぞ神の特権ではなかろうか?
           (ミシェル・トゥルニエ『メテオール(気象)』榊原晃三・南條郁子訳)

     

神の手にこねられる粘土のように
わたしをこねくりまわしているのは、だれなのか?

いったい、わたしを胎のなかで
数十世紀にもわたって、こねくりまわしているのは、だれなのか?

また、胎のなかで
数十世紀にもわたって、こねくりまわされているわたしは、だれなのか?

それは、わからない。
わたしは、人間ではないのかもしれない。

この胎は
人間のものではないのかもしれない。

しかし、この胎の持ち主は
自分のことを人間だと思っているようだ。

夫というものに、妻と呼ばれ
多くの他人からは、夫人と呼ばれ

親からは、娘と呼ばれ
子たちからは、母と呼ばれているのであった。

しかし、それもみな、言葉だ。
言葉とはなにか?

わたしは、知らない。
この胎の持ち主もよく知らないようだ。

詩人というものらしいこの胎の持ち主は
しじゅう、言葉について考えている。

まるきり言葉だけで考えていると考えているときもあるし
言葉以外のもので考えがまとまるときもあると思っているようだ。

この物語は
数十世紀を胎児の状態で過ごしつづけているわたしの物語であり

数十世紀にわたって、
わたしを胎内に宿しているものの物語であり

言葉と
神の物語である。

     *

時間とは、なにか?
時間とは、この胎の持ち主にとっては
なにかをすることのできるもののある尺度である。
なにかをすることについて考えるときに思い起こされる言葉である。
この胎の持ち主は、しじゅう、時間について考えている。
時間がない。
時間がある。
時間がより多くかかる。
時間が足りない。
時間がきた。
時間がまだある。
時間がたっぷりとある。
いったい、時間とは、なにか?
わたしは知らない。
この胎の持ち主も、時間そのものについて
しばしば思いをめぐらせる。
そして、なんなのだろう? と自問するのだ。
この胎の持ち主にも、わからないらしい。
それでも、時間がないと思い
時間があると思うのだ。
時間とは、なにか?
言葉にしかすぎないものなのではなかろうか?
言葉とは、なにか?
わからないのだけれど。

     *

わたしは、わたしが胎というもののなかにいることを
いつ知ったのか、語ることができない。
そして、わたしのいる場所が
ほんとうに、胎というものであるのかどうか確かめようもない。
そうして、そもそものところ
わたしが存在しているのかどうかさえ確かめようがないのだ。
そういえば、この胎の持ち主は、こんなことを考えたことがある。
意識とは、なにか?
それを意識が知ることはできない、と。
なぜなら、袋の中身が
袋の外から自分自身を眺めることができないからである、と。
しかし、この胎の持ち主は、ときおりこの考え方を自ら否定することがある。
袋の中身が、袋の外から自分自身を眺めることができないと考えることが
たんなる言葉で考えたものの限界であり
言葉そのものの限界にしかすぎないのだ、と。
そして、
言葉でないものについて、
この胎の持ち主は言葉によって考えようとする。
そうして、自分自身を、しじゅう痛めつけているのだ。
言葉とは、なにか?
それは、この胎の持ち主にも、わたしにはわからない。

     *

生きている人間のだれよりも多くのことを知っている
このわたしは、まだ生まれてもいない。
無数の声を聞くことができるわたしは
まだわたしの耳で声そのものを聞いたことがない。
無数のものを見ることができるわたしは
まだわたしの目そのもので、ものを見たことがない。
無数のものに触れてきたわたしなのだが
そのわたしに手があるのかどうかもわからない。
無数の場所に立ち、無数の街を、丘を、森を、海を見下ろし
無数の場所を歩き、走り跳び回ったわたしだが
そのわたしに足があるのかどうかもわからない。
無数の言葉が結ばれ、解かれる時と場所であるわたしだが
そのわたしが存在するのかどうかもわからない。
そもそも、存在というものそのものが
言葉にしかすぎないかもしれないのだが。
その言葉が、なにか?
それも、わたしにはわからないのだが。

     *

数学で扱う「点」とは
その言葉自体は定義できないものである。
他の定義された言葉から
準定義される言葉である。
たとえば線と線の交点のように。
しかし、その線がなにからできているのかを
想像することができるだろうか?

胎児もまた
父と母の交点であると考えることができる。
しかし、その父と、母が、
そもそものところ、なにからできているのかを
想像することができるだろうか?

無限後退していくしかないではないか?
あらゆることについて考えをめぐらせるときと同じように。

     *

この胎の持ち主は、ときどき酩酊する。
そして意識が朦朧としたときに
ときおり閃光のようなものが
その脳髄にきらめくことがあるようだ。
つねづね
意識は、意識そのものを知ることはできない、と。
なぜなら、袋の中身が、袋の外から袋を眺めることができないからであると
この胎の持ち主は考えていたのだけれど
いま床に就き、意識を失う瞬間に
このような考えが、この胎の持ち主の脳髄にひらめいたのである。
地球が丸いと知ったギリシア人がいたわ。
かのギリシア人は、はるか彼方の水平線の向こうから近づいてくる
船が、船の上の部分から徐々に姿を現わすのを見て、そう考えたのよ。
空の星の動きを見て、地球を中心に宇宙が回転しているのではなくて
太陽を中心にして、地球をふくめた諸惑星が回転しているのだと
考えたギリシア人もいたわ。
これらは、意識が、意識について
すべてではないけれど
ある程度の理解ができるということを示唆しているのではないかしら?
わからないわ。
ああ、眠い。
書き留めておかなくてもいいかしら?
忘れないわね。
忘れないわ。
そうしているうちに、この胎の持ち主の頭脳から
言葉と言葉を結びつけていた力がよわまって
つぎつぎと言葉が解けていき
この胎の持ち主は、意識を失ったのであった。

     *

わたしは、つねに逆さまになって考える。
頭が重すぎるのだろうか。
いや、身体のほうが軽すぎるのだ。
しかし、わたしは逆さまになっているというのに
なぜ母胎は逆さまにならないでいるのだろう。
なぜ、倒立して、腕で歩かないのだろうか。
わたしが逆さまになっているのが自然なことであるならば
母胎が逆さまになっていないことは不自然なことである。
違うだろうか。





     卵



ベーコンエッグは
フライパンを火にかけて
サラダオイルをひいて
ベーコンを2枚おいて
タマゴを2個 割り落として
ちょっとおいて
水を入れて
ふたをする
ジュージュー音がする
しばらくすると
火をとめて
ふたをとって
フライパンの中身を
ゴミバケツに捨てる

     *

自分を卵と勘違いした男の話

彼は冷蔵庫の扉を開けて卵を置く場所に
つぎつぎと自分を並べていった。

     *

卵かけご飯
卵かけ冷奴
卵かけバナナ
卵かけイチゴ
卵かけカキ氷
卵かけスイカ
卵かけルイ・ヴィトン
卵かけ自転車
卵かけベンツ
卵かけ駅ビル
玉子かけ宇宙

     *

この卵は
現在、使われておりません。

    *

波の手は
ひくたびに
白い泡の代わりに
白い卵を波打ち際においていく

波打ち際に
びっしりと立ち並んだ
白い卵たち

     *



終日
頭がぼんやりとして
何をしているのか記憶していないことがよくある
河原町で、ふと気がつくと
時計屋の飾り窓に置かれている時計の時間が
みんな違っていることを不思議に思っていた自分に
はっとしたことがある
このあいだ
丸善で
ふと気がつくと
一個の卵を
平積みの本の上に
上手に立てたところだった
ぼくは
それが転がり落ちて
床の上で
カシャンッって割れて
白身と黄身がぐちゃぐちゃになって
みんなが叫び声を上げるシーンを思い浮かべて
ゆっくりと
店のなかから出て行った

     *

みにくい卵の子は
ほんとにみにくかったから
親鳥は
そのみにくい卵があることに気づかなかった
みにくい卵の子は
かえらずに
くさっちゃった

     *

コツコツと
卵の殻を破って
コツコツという音が生まれた
コツコツという音は
元気よく
コツコツ
コツコツ
と鳴いた

     *

卵が、ときどき
殻の外に抜け出したり
また殻のなかに戻ったりしてるって
だれも知らない。

     *

卵に蝶がとまっていると、蝶卵か卵蝶なのか
それを頭にくっつけてる少女は、少女蝶卵か卵蝶少女なのか
その少女が自転車に乗っていると、自転車少女蝶卵か卵蝶少女自転車なのか
ふう、これぐらいで、やめとこ、笑。

     *

吉田くんのお父さんは、たしかにちょっとぼうっとした人だけど
吉田くんのお母さんは、しゃきしゃきとした、しっかりした人なのに
吉田くんちの隣の山本さんが一番下の子のノブユキくんを
吉田くんちの兄弟姉妹のなかに混ぜておいたら
吉田くんちのお父さんとお母さんは
自分のうちの子と間違えて育ててる
もう一ヶ月以上になると思うんだけど
吉田くんも自分に新しい弟ができて喜んでた
そういえば
ぼくんちの新しい妹も
いつごろからいるのか
わからない
ぼくのお父さんやお母さんにたずねても
わからないって言ってた

     *

一本の指が卵の周りをなぞって一周する
一台の飛行機が地球のまわりを一周する

     *

透明なプラスティックケースのなかに残された
最後の一個の卵が汗をびっしょりかいている
汗びっしょりになってがんばっているのだ
その卵は、ほかの卵がしたことがないことに
挑戦しようとしていたのだった
卵は、ぴょこんと
プラケースのなかから跳び出した
カシャッ

     *

湖の上には
卵が一つ浮かんでいる

卵は
自分と瓜二つの卵に見とれて
動けなくなっている

湖面は
卵の美しさに打ち震えている

一個なのに二個である

あらゆるものが
一つなのに二つである

湖面が分裂するたびに
卵の数が増殖していく

二個から四個に
四個から八個に
八個から十六個に

卵は
自分と瓜二つの卵に見とれて
動けなくなっている

無数の湖面が
卵の美しさに打ち震えている

どの湖の上にも
卵が一つ浮かんでいる

     *

卵病

コツコツと
頭のなかから
頭蓋骨をつつく音がした
コツコツ
コツコツ
ベリッ
頭のなかから
ひよこが出てきた
見ると
向かいの席に坐ってた人の頭の横からも
血まみれのひよこが
ひょこんと顔をのぞかせた
あちらこちらの席に坐ってる人たちの頭から
血まみれのひよこが
ひょこんと姿を現わして
つぎつぎと
電車の床の上におりたった

     *

卵をフライパンの上で割ったら
小人が落ちて
フライパンの上に尻餅をついて
「あちっ。」

     *

空の卵

卵を割ると
空がつるりんと
器のなかに落っこちた
白い雲が胎児のように
丸まって眠っていた
ぼくは
お箸を使って
くるくる回すと
雲はくるくる回って
風が吹いて
嵐になって
ゴロゴロ
ゴロゴロ
ピカッ 
ババーン
って
雷が落ちた
ぼくは
怖くなって
お箸をとめた

     *

パパ卵

卵を割ると
つるりんと
中身が
器のなかに落ちた
パパが
胎児のように
丸まって眠っていた
ぼくは
お箸を使って
くるくるかき回した
パパはくるくる回った

     *

ぼく卵

卵を割ると
つるりんと 中身が
器のなかに落ちた
ぼくはちょっとくらくらした
ぼくが胎児のように
丸まって眠っていた
ぼくは
お箸を使って
くるくるかき回した
ぼくはくるくる回った
ものすごいめまいがして
目を開けると
世界がくるくる回っていた

     *

空飛ぶ卵

本日の夕方4時過ぎに
空飛ぶ卵が、京都市の三条大橋の袂に出現したということです。
目撃者の主婦 児玉玉子さん(仮名:43歳)の話によりますと
スターバックスの窓側で、持ってこられたばかりの熱いコーヒーをすすっておられると
とつぜん目の前を、卵が一個、すーっと通り過ぎていったというのです。
驚いて、外に出て、卵が向かったほうに目をやると
その卵が急上昇してヒュ−ンと飛び去っていったというお話でした。
児玉さんのほかにも、大勢の目撃者が証言されておられます。
昨日から日本各地で空飛ぶ卵が目撃されておりますが
これは何かが起こる兆しなのでしょうか。
今晩8時より当局において特別番組『空飛ぶ卵の謎』を放映いたします。
みなさま、ぜひ当局の番組をごらんくださいませ。
スペシャルゲストに
UFO研究家の矢追純一さんと卵評論家の玉木玉夫さんをお呼びいたしております。

     *

卵の日

ある日
卵が空から落ちてきた
片づけるしりから
つぎつぎと卵が落ちてきた
町じゅう
卵で
ツルンツルン

     *

卵は来るよ

卵は来るよ
どこまでも
ぼくについて来るよ
いつまでも
ころんころん
ころがって
卵は来るよ
どこまでも
ぼくについて来るよ
いつまでも
ころんころん
ころがって

     *

二つの卵

二つの卵は
とても仲良し
いつもささやきあっている
二人だけの言葉で
二人だけに聞こえる声で

     *

ナタリーの卵

って、タイトルしか考えなかったのだけれど
なんか、タイトルだけで感じちゃうってのは
根がスケベだからカピラ

     *

ナタリーの卵
ナタリーに卵
ナタリーは卵
ナタリーを卵

     *

卵にしていいですか

     *

猟奇的な卵
溺れる卵
2001年卵の旅
酒と卵の日々
だれにでも卵がある
卵の惑星
ロミオと卵
失われた卵を求めて
行くたびに卵
果てしなき卵
見果てぬ卵
非卵の世界ええっ
卵生活
卵の夜明け
卵の国のアリス
荒れ狂う卵
卵応答なし
卵の海を越えて
宇宙卵
卵の儀式
燃える卵

     *

卵頭

指先で
コツコツすると
ピキキキキ
って

     *

きみもまだまだ卵だからなあ

     *

藪をつついて卵を出す
石の上にも卵
二階から卵
鬼の目にも卵
覆水卵に戻らず
胃のなかの卵

     *


まっ
いいか

卵は卵であり卵であり卵であり卵であり……

     *

霧卵

どんなんかな

     *



この卵か
あの卵かと
思案するけれど
根本的なことを言うと
なにも
卵でなくってもいいのよ
まあね
でも
卵って
なんだかかわいらしいじゃない?

腹筋ボコボコの卵

     *

顔面神経痛の卵
不眠症の卵
よくキレル卵
ホホホと笑う卵

卵って
書くと
みんな
だんだん
卵に見えてくる

     *

お客さん
セット料金 20卵でどうですか
いやあ 20卵はきついよ
じゃあ 15卵でどうですか
よし じゃあ15卵な
ううううん

     *
コツコツと
卵の殻を破って
卵が出てきた

     *

わたしは注意の上にも注意を重ねて玄関のドアをそっと開けた
道路に卵たちはいなかった
わたしは卵が飛んできてもその攻撃をかわすことができる
卵払い傘を左手に持ち
ドアノブから右手を静かにはなして外に出た
すると、隣の家の玄関先に潜んでいた一個の卵が
びゅんっと飛んできた
わたしは
さっと左手から右手に卵払い傘を持ち替えて
それを拡げた
卵は傘の表面をすべって転がり落ちた
わたしは
もうそれ以上
卵が近所にいないことを願って歩きはじめた
こんな緊張を強いられる日がもう何ヶ月もつづいている
あの日
そうだ
あの日から卵が人間に反逆しだしたのだ
それも、わたしのせいで
京都市中央研究所で
魂を物質に与える実験をしていたのだ
一個の卵を実験材料に決定したのは
わたしだったのだ
わたしは知らなかった
そんなことをいえば
だれも知らなかったし
予想すらできなかったのだ
一個の卵に魂を与えたら
その瞬間に世界中の卵が魂を得たのだ
いっせいに世界中にあるすべての卵に魂が宿るなんてことが
いったいだれに予想などできるだろうか
といって
わたしが責任を免れるわけではない
「これで進化論が実証されたぞ。」と
同僚の学者の一人が言っていたが
そんなことよりも
世界中の卵から魂を奪うにはどうしたらいいのか
わたしが考えなければならないことは
さしあたって、このことだけなのだ

     *

きのうは
ジミーちゃんと西院の立ち飲み屋に行った
串は、だいたいのものが80円だった
二人はえび、うずら、ソーセージを頼んだ
どれも80円だった
二人で食べるのに豚の生姜焼きとトマト・スライスを注文したのだが
豚肉はぺらぺらの肉じゃなかった
まるでくじらの肉のように分厚くて固かった
味はおいしかったのだけれど
そもそものところ
しょうゆと砂糖で甘辛くすると
そうそうまずい食べ物はつくれないはずなのであって
まあ、味はよかったのだ
二人はその立ち飲み屋に行く前に
西大路五条の角にある大國屋で
紙パックの日本酒を
バス停のベンチの上に坐りながら
チョコレートをあてにして飲んでいたのであるが
西院の立ち飲み屋では
二人とも生ビールを飲んでいた
にんにくいため
というのがあって
200円だったかな
どんなものか食べたことがなかったので
店員に言ったら
店員はにんにくをひと房取り出して
ようじで、ぶすぶすと穴をあけていき
それを油の中に入れて、そのまま揚げたのである
揚がったにんにくの房の上から塩と胡椒をふりかけると
二人の目の前にそれを置いたのであった
にんにくいためというので
にんにくの薄切りを炒めたものが出てくると思っていたのだが
出てきたそれもおいしかった
やわらかくて香ばしい白くてかわいいにんにくの身が
つるんと、房から、つぎつぎと出てきて
二人の口のなかに入っていったのであった
ぼくの横にいた青年は
背は低かったが
なかなかの好青年で
ぼくの身体に自分の尻の一部をくっつけてくれていて
ときどきそれを意識してしまって
顔を覗いたのだが
知らない顔で
以前に河原町のいつも行く居酒屋さんで
オーストラリア人の26歳のカメラマンの子が
ぼくのひざに自分のひざをぐいぐいとひっつけてきたことを
思い起こさせたのだけれど
あとでジミーちゃんにそう言うと
「あほちゃう? あんな立ち飲み屋で
 いっぱい人が並んでたら
 そら、身体もひっつくがな
 そんなんずっと意識しとったんかいな
 もう、あきれるわ。」
とのことでした

そのあと二人は自転車に乗って
四条大宮の立ち飲み屋「てら」に行ったのであった
そこは以前に
マイミクの詩人の方に連れて行っていただいたところだった

どこだったかなあ

ぼくがうろうろ探してると
ジミーちゃんが
ここ違うの?
と言って、すいすいと
建物の中を入っていくと
そこが「てら」なのであった
「なんで
 ぼくよりよくわかるの?」
って訊いたら
「表に看板で
 立ち飲み
 って書いてあったからね。」
とのことだった
うかつだった
おいしいなって思った「にくすい」がなかった
豚汁を食べた
サーモンの串揚げがおいしかった
生ビール

煮抜きを頼んだら
出てきた卵が爆発した
戦場だった
ジミー中尉の肩に腕を置いて
身体を傾けていた
左の脇腹を銃弾が貫通していた
わたしは痛みに耐え切れずうめき声を上げた
ジミー中尉はわたしの身体を建物の中にまでひきずっていくと
扉を静かに閉めた
部屋が一気に暗くなった
爆音も小さくなった
窓ガラスがはじけ飛んで
卵が部屋のなかで爆発した
時間爆弾だった
場所爆弾ともいい
出来事爆弾ともいうシロモノだった
ぼくは居酒屋のテーブルに肘をついて
シンちゃんの
話に耳を傾けていた
「この喉のところを通る泡っていうのかな。
 ビールが喉を通って胃に行くときに
 喉の上に押し上げる泡
 この泡のこと、わかる?」
「わかるよ
 ゲップじゃないんだよね。
 いや、ゲップかな。 
 まあ、言い方はゲップでよかったと思うんだけど
 それが喉を通るってこと。
 それを感じるってこと。
 それって大事なんだよね。
 そういうことに目をとめて
 こころをとめておくことができる人生って
 すっごい素敵じゃない?」
立ち飲み屋で、ジミーちゃんが
鞄をぼくに預けた
トイレに行くからと言う
ぼくは隣にいる若い男の唇の上のまばらなひげに目をとめた
ぼくはエリックのひざをさわりたかった
エリックはわざとひざを押しつけてきてるんだろうか
シンちゃんがビールのお代わりを頼んだ
ジミーちゃんがトイレから戻ってきた
エリックのひざがぼくのひざに押しつけられている
卵が爆発した
ジミー中尉は
負傷したわたしを部屋のなかに残して建物の外に出て行った
わたしは頭を上げる力もなくて
顔を横に向けた
小学生時代にぼくが好きだった友だちが
ひざをまげて坐ってぼくの顔を見てた
名前を忘れてしまった
なんて名前だったんだろう
ジミーちゃんに鞄を返して
ぼくはビールのお代わりを注文した
ジミーちゃんもビールのお代わりを注文した
脇腹が痛いので
見ると
血まみれだった
ジミーちゃんの顔を見たら
それは壁だった
わたしが最後に覚えているのは
名前を忘れた友だちが
わたしの顔をじっと眺めるようにして
見つめていたことだった

     *

教室に日光が入った
きつい日差しだったから
それまで暗かった教室の一部がきらきらと輝いた
もうお昼前なんだ
そう思って校庭を見た
卵の殻に
その輪郭にそって太陽光線が乱反射してまぶしかった
コの字型の校舎の真ん中に校庭があって
その校庭のなかに
卵があった
卵のした四分の一くらいの部分が
地面の下にうずまっていて
その上に四分の三の部分が出てたんだけど
卵が校庭に現われてからは
ぼくたちは体育の授業ぜんぶ
校舎のなかの体育館でしなければならなかった
終業ベルが鳴った
帰りに吉田くんの家に寄って宿題をする約束をした
吉田くんちには
このあいだ新しい男の子がきて
吉田くんが面倒を見てたんだけど
きょうは吉田くんのお母さんが
親戚の叔母さんのところに
その子を連れて行ってるので
ぼくといっしょに宿題ができるってことだった
吉田くんちに行くときに
通り道に卵があって
ぼくたちは横向きになって
道をふさいでる卵と
建物の隙間に
身体を潜り込ませるようにして
通らなければならなかった
そのとき
吉田くんが
ぼくにチュってしたから
ぼくはとても恥ずかしかった
それ以上にとてもうれしかったのだけれど
でもいつもそうなんだ
ふたりのあいだにそれ以上のことはなくて
しかも
そんなことがあったということさえ
なかったふりをしてた
ぼくたちは道に出ると
吉田くんちに向かって急いだ

     *

桜玉子

近所のスーパーでLサイズの桜玉子が安売りしてるから
買ったら
あのアコギな桜玉子やった
ちょっと赤い色の殻のやつやねんけど
それが透明の赤いパックに入れてあって
ちょっと赤いだけのくせして
だいぶん赤いように見えるようにしてあって
アコギというよりもエレキなことしよるなあって思って
Keffさん的に言うと
えらい「赤福」やなあってことなんやけど
それとも「不二家」かな

両方違うか

それでも安いから買ってしもた
さすがに白い殻の玉子を
あの透明の赤いパックに入れて
桜玉子のフリはさせてへんけど
桜玉子にも
ふつうの透明のパックに入れてもらえる権利はあって
権利を主張することは玉子としてあたりまえのことである
こう電話でジミーちゃんに言うと
ジミーちゃんに
玉子が権利を主張せえへんのがあたりまえやけどなって言われた
ふんっ

    *

視線爆弾
視線卵
声卵
時間卵
場所卵
出来事卵
偶然卵
必然卵
筋肉卵
心臓卵

     *

きみは卵だろう

バスを待っていたら
停留所で
知らないおじさんが ぼくにそう言ってきた
ママは、知らない人と口をきいてはいけないって
いつも言ってたから、ぼくは返事をしないで
ただ、知らないおじさんの顔を見つめた
きみは卵だろう
繰り返し、知らないおじさんが
ぼくにそう言って
ぼくの手をとった
ぼくの手には卵が握らされてた
きみは卵だろう
待っていたバスがきたので
ぼくはバスに乗った
知らないおじさんはバス停から
ぼくを見つめながら
手を振っていた
塾の近くにある停留所に着くまで
ぼくは卵を手に持っていた
卵は
なかから何かが
コツコツつついてた
鶏の卵にしては
へんな色だった
肌色に茶色がまざった
そうだ
まるで惑星の写真みたいだった
木星とか土星とか水星とか
どの惑星か忘れたけど
バスが急停車した
ぼくは思わず卵をぎゅっと握ってしまった
卵の殻のしたに小さな人間の姿が現われた
つぎの停留所が、ぼくの降りなければならない停留所だった
ぼくは
殻ごと
その小人を隣の座席の上に残して立ち上がった
その小人の顔は怖くて見なかった
きみは卵だろう
知らないおじさんの低い声が耳に残っていたから
降りる前に一度けつまずいた
バスが見えなくなってしまうまで
ぼくはバスを後ろから見てた

     *

約束の地

その土地は神が約束した豊かなる土地
地面からつぎつぎと卵が湧いて現われ
白身や黄身が岩間を流れ
樹木には卵がたわわに実って落ちる
約束の地

     *

創卵記

神は鳥や獣や魚たちの卵をつくった
神は人間の卵をつくった
卵は自分だけが番(つがい)でないのに
さびしい思いがした
そこで、神は卵を眠らせて
卵の殻の一部から
もう一つの卵をつくった
卵は目をさまして隣の卵を見てこう言った
「おお、これこそ卵の殻の殻。
 白身もあれば黄身もある。
 わたしから取ったものからつくったのだから 
 そら、わたしに似てるだろうさ。」
それで、卵はみんな卵となったのである

     *

十戒

一 わたしのほかに卵があってはならない。
二 あなたの卵、卵の名をみだりに唱えてはならない。
三 卵の日を心にとどめ、これを聖なる日としなさい。
四 あなたの卵を敬いなさい。
五 卵を用いて殺してはならない。
六 卵を用いて姦淫してはならない。
七 卵を盗んではならない。
八 隣の卵に関して詮索してはならない。
九 隣の卵を欲してはならない。
十 隣の卵のすることは隣の卵にまかせなさい。

     *

モーセ役の卵が、空中に浮かんだ卵の光を
見ないように両手で顔を覆ったら
映画に見入っていた観客の卵たちも
みんな顔を両手で覆った

      *

卵は
四角くなったり
三角になったり
いろいろ姿を変えてみた

卵は
男になったり
女になったり
いろいろ姿を変えてみた

卵は
霧になったり
砂漠になったり
いろいろ姿を変えてみた

     *

卵とハム
卵とチーズ
卵とパン
卵とミルク
卵と檻
卵と梯子
卵と自転車

     *

失卵園
卵曲
老人と卵
少年と卵
白卵
怒りの卵
卵の東
二卵物語
五里卵
千里の道も卵から
急がば卵
善は卵
卵は急げ
帯に短かし、たすきに卵
五十卵百卵
泣いた卵がすぐ笑う
けっこう毛だらけ灰卵
白雪姫と七つの卵
四つの卵
ジャニーズ卵
喉元過ぎれば卵忘れる
田中さん、最近、頭からよく卵抜けへんか? 

     *

ノルウェイの卵
星の玉子様
聖卵
老玉子
源氏物卵
我輩は卵である
デカタマゴ
徒然卵
御伽玉子

     *

11個ある!

ブラッドベリだけど
萩尾望都のマンガの背表紙を見て
思いついた。
ブックオフのマンガのコーナーを見ていて
知らない作者の名前ばかりなのでびっくりしていた
で、本のコーナーに行っても
日本人のところは、ほとんどわからず
まあ、いいかな
それでも
卵らないからね。

     *

卵を使った拷問の仕方を学習する

授業で習ったのだけれど
単純な道具で
十分な痛みと屈辱を与えることができるという話だった
卵を使ったさまざまな拷問の仕方が披露された
一番印象的だったのは
身体を動けないようにして
卵を額の前にずっと置いておくというものだった
額に十分近ければ
頭が痛くなるというもので
ぼくたち生徒たちは
じっさいに授業で
友だち同士で
額に卵を近づけて実験した
たしかに
頭が痛くなった
ただ
ぼくは先生に言わなかったんだけど
べつに卵でなくても
額に指を近づけたって
額が痛くなるんだよね
まあ
そんなこと言ったら
先生に指の一本か二本
切断されていただろうけれど

     *

卵の一部が
人間の顔になる病気がはやっているそうだ
大陸のほうから
海岸線のほうに向かって
一挙に感染区域が拡がっていったそうだ
きのう
冷蔵庫を開けると
卵のケースに入れておいた卵が
みんな
人間の顔になっていた
すぐにぜんぶ捨てたけど
一個の卵を割ってしまったのだけれど
きゃっ
という、小さな叫び声を耳にした気がした
こわくて
それからほかの卵はそっとおいて捨てた

     *

卵病

顔に触れた
頬の一部が卵の殻のようになっている
指先で触れていく
円を描くように
ふくらみの中心に向かって
やはり
卵のふくらみの一部のようだ
きのうお母さんに背中を見てもらったら
左の肩甲骨の辺りにも卵の殻のようになったところがあった
右手を後ろに回して触わったら
たしかに、固くてザラザラしていた
ぼくもお父さんのように
いつか全身が卵の殻のように
固くザラザラした
そのくせ
壊れやすい皮膚になるのだろうか
その卵の殻の下の血と骨と肉は
以前のままなのに
わらのような布団の上で
ただ死ぬのを待つだけの卵となって

     *

戴卵式

12歳になったら
大人の仲間入りだ
頭に卵の殻をかぶせられる
黄身が世の歌を歌わされる
それからの一生を
卵黄さまのために生きていくのだ
ぼくも明日
12歳になる
とても不安だけど
大人といっしょに
ぼくも卵頭になる
ざらざら
まっしろの
美しい卵頭だ

     *

あなたが見つめているその卵は
あなたによって見つめられるのがはじめてではない
あなたにその卵を見つめていた記憶がないのは
それは
あなたがその卵を見つめている前と後で
まったく違う人間になったからである
川にはさまざまなものが流れる
さまざまなものがとどまり変化する
川もまた姿を変え、形を変えていく
その卵が
以前のあなたを
いまのあなたに作り変えたのである
あなたが見つめているその卵は
あなたによって見つめられるのがはじめてではない
あなたにその卵を見つめていた記憶がないだけである

     *

テーブルの上に斜めに立ててある卵があるとしよう
接着剤でとめてあるわけでもなく
テーブルが斜めになっているのでもなく
見ているひとが斜めに立っているのでもないとしたら
卵が斜めに立っている理由が見つからない
しかし、理由が見つからないといって
卵が斜めに立たない理由にはならない
なんとか理由を見つけなければならない
じっさいには目には見えないけれど
想像のなかでなら存在する卵
これなら
テーブルの上に斜めに立たせることができるだろう
接着剤もつかわずに
テーブルを斜めに傾ける必要もなく
見ている者が斜めに身体を傾ける必要もない
テーブルの上に斜めに立ててある卵がある
その卵の上で
小さな天使たちが
やっぱり斜めになって
輪になって
卵の周りを
くるくる回って飛んでいる
美しい音楽が流れ
幸せな気分になってくる

     *

存在の卵

二本の手が突き出している
その二本の手のなかには
ひとつずつ卵があって
手をひらけば
卵は落ちるはずであった
もしも手をひらいても
卵が落ちなければ
手はひらかれなかったのだし
二本の手も突き出されなかったのだし
ピサの斜塔もなかったのだ

     *

万里の長城の城壁の天辺に
卵が一つ置かれている。
卵はとがったほうを上に立てて置かれている。
卵の上に蝶がとまる。
卵は微塵も動かなかった。
しばらくして
蝶が卵の上から飛び立った。
すると
万里の長城が
ことごとく
つぎつぎと崩れ去っていった。
しかし
卵はあった場所にとどまったまま
宙に浮いたまま
微塵も動かなかった。

     *

とても小さな卵に
蝶がとまって
ひらひら翅を動かしていると
卵がくるりんと一回転した。
少女がそれを手にとって
頭につけてくるりんと一回転した。
すると地球もくるりんと一回転した。

     *

卵予報

きょうは、あさからずっとゆで卵でしたが
明日も午前中は固めのゆで卵でしょう。
午後からは半熟のゆで卵になるでしょう。
明後日は一日じゅう、スクランブルエッグでしょう。
明々後日は目玉焼きでしょう。
来週前半は調理卵がつづくと思われます。
来週の終わり頃にようやく生卵でしょう。
でも年内は、ヒヨコになる予定はありません。
では、つぎにイクラ予報です。

     *

窓の外にちらつくものがあったので
目をやった。

     *

卵の幽霊

幽霊の卵

     *

冷蔵庫の卵がなくなってたと思ってたら
いつの間にか
また1パック
まっさらの卵があった
安くなると
ついつい買ってくる癖があって
最近ぼけてきたから
いつ買ったのかもわからなくて
困ったわ


A DAY IN THE LIFE。―─だれよりも美しい花であったプイグに捧ぐ。

  田中宏輔


●森川さん●過去の出来事が自分のことのように思えない●って書かれましたが●たしかに人生ってドラマティックですよね●齢をとってもいいことはたくさんありますが●じっさいにそれがわかるのもそのうちのひとつでしょうか●ぼくは●自分の日々の暮らしを●日常を●劇のように思って見ています●いまは悲劇ですが●いつの日か喜劇として見られるようになりたいと思っています●二十年以上つづけていた数学講師を●この2月に辞めて●3月から違う仕事に就きました●こんどは私立高校の守衛所の警備員です●まだ一週間しかしていないのですが●仕事場の洗面所の鏡に映った自分の顔を見て驚きました●まるで死んだ鶏の雛の顔のようでした●小学校時代にクラスで飼っていた鶏の雛が死んだときの顔を思い出しました●鏡に映った顔を見つめていると●気持ちが悪くなって吐き気がしました●別の顔を●新しい仕事がつくったのでしょうか●両手で頬に触れると●頬の肉がなくなっていました●雲をポッケに入れて●ぶらぶらと街のなかを歩いてみたいな●こんな言葉を●過去の自分が書いていたことを知りました●自分の名前を検索すると出てきました●平凡な一行ですが●やさしい●と清水鱗造さんが書いてくださっていて●どれだけ遠いぼくなんだろう●って思いました●仕事から帰ってきて●恋人がむかし書いてくれた置き手紙を読んでいました●やさしい彼の言葉が●ぼくの目をうるうるさせました●最近は●ぼくのほうばかり●幸せにしてもらっているような気がします●あっちゃん●幸せだよ●ずっといっしょだよ●愛してるよ●こんな言葉を●ぼくはふつうに受け取っていました●ぜんぜんふつうのことじゃなかったのに●恋人の言葉に見合うだけの思いをもって恋人に接していたか●いや●接していなかった●恋人はその言葉どおりの思いをもって接してくれていたのに●そう思うと●自分が情けなくて●涙が落ちました●才能とは他人を幸福にする能力のことを言う●恋人の置き手紙のあいだに●こんな言葉が●自分の書いたメモがはさまっていました●もしかすると●才能とは自分を幸福にする能力のことを言うのかもしれません●きょうのお昼●ちひろちゃんの家に行きました●ちひろちゃんママが●いまいっしょにタバコを買いに出ています●と答えてくれたので●通りに出てみると●ちひろちゃんが●ちひろちゃんパパより先に●ぼくを見つけてくれて●おっちゃん●と言って●走り寄ってきて●抱きついてくれました●ぼくは片ひざを地面につけて●ちひろちゃんを抱きしめました●ぼくはとても幸せでした●双子の妹のなつみちゃんと●のぞみちゃんも玄関の外に出してもらって●ぼくはのぞみちゃんを抱かせてもらいました●ちひろちゃんはプラスティックの三輪車に坐って●でもまだちゃんとこげないので●ちひろちゃんパパに後ろを押されて●足をバタバタさせて遊んでいました●わずか十分か十五分の光景でしたが●ものすごく愛しく●せつないのでした●研修三日目のことです●何で嫌がらせをするのかわからないひとがいました●テーブルの上で●コーヒーカップをわざとガチャガチャと横に滑らせて●目の前までもってきて置く事務員の女性です●そんなひと●はじめて見たのですが●顔がものすごく意地悪かったです●びっくりしました●目の前にそっと置くのがふつうだと思います●ぼくが何か気に障ることをしたのなら別でしょうけれど●世のなかには●自分よりも立場の弱い者を●いじめてやろうとする人間がいるのですね●ぼくが研修中の新人なので●何をしてもいいってことなのでしょうか●ぼくは●自分より弱い立場のひとって●身体の具合の悪いひととか●たまたま何かの事情で生活に不自由しているひととか●そんなひとのことしか思いつかず●そんなひとに意地悪をする●嫌がらせをする●なんてこと考えることもできないのですけれど●そんなことをするひとはたいてい顔が不幸なのですね●幸福な顔のひとは●ひとに意地悪をしません●顔をゆがめて嫌がらせをするひとだなんて●なんてかわいそうなひとなのでしょう●哀れとしか言いようがないですね●彼女も救われるのでしょうか●神さま●彼女のようなひとこそ●お救いください●あっちゃん●少しですが食べてね●バナナ置いてくからね●これ食べてモリモリ元気になってね●あつすけがしんどいと●おれもしんどいよ●二人は一心同体だからね●愛しています●なしを●冷蔵庫に入れておいたよ●大好きだよ●お疲れさま●よもぎまんじゅうです●少しですが食べてくだされ●早く抱きしめたいおれです●いつも遅くにごめんね●ごめりんこ●お疲れさま●朝はありがとう●キスの目覚めは最高だよ●愛してるよ●きのうは楽しかったよ●いっぱいそばにいれて幸せだったよ●ゆっくりね●きょうは早めにクスリのんでね●大事なあつすけ●愛しいよ●昨日は会えなくてごめんね●さびしかったんだね●愛は届いているからね●カゼひどくならないように●ハダカにはしないからね●安心してね●笑●言葉●言葉●言葉●これらは言葉だった●でも単なる言葉じゃなかった●言葉以上の言葉だった!


THE GATES OF DELIRIUM。

  田中宏輔

 
 間違って、鳥の巣のなかで目を覚ますこともあった。間違って? あなたが間違うことはない。Ghost、あなたは間違わない。転位につぐ転位。さまざまな時間と場所と出来事のあいだを。結合につぐ結合。さまざまな時間と場所と出来事の。Ghost、あなたは仮定の存在である。にもかかわらず、わたしたちは、あなたがそばにいれば気がつく。あなたが近づいてくるときにも、あなたが離れていくときにも、わたしたちには、そのことがわかる。Ghostは足音をさせて近づいてくることがある。Ghostは足音をさせて離れていくことがある。Ghost、あなたは仮定の存在である。かつて詩人が、あなたについて、こういっていた。あなたは、わたしたちが眠っているときにも存在している。わたしたちの夢のなかにもいる。そうして、わたしたちの夢のなかで、さまざまな時間と場所と出来事を結びつけたり、ほどいたりしているのだ、と。Ghost、二つの夜が一つの夜となる。いくつもの夜が、ただ一つの夜となる。いくつもの情景が、ただ一つの情景となる。何人もの恋人たちの顔が、ただ一人の恋人の顔となる。結ばれては、ほどかれ、ほどかれては、結ばれる、いくつもの時間、いくつもの場所、いくつもの出来事。Ghost、あなたは、つねに十分に準備されたものの前にいる。あなたにとって、十分に準備されていないものなど、どのような時間のなかにも、どのような場所のなかにも、どのような出来事のなかにも存在しないからである。Ghost、あなたはけっして間違うことがない。わたしたちはつねに機会を逃す。あなたはあらゆる機会を的確に捉える。Ghost、わたしたちはためらう。あなたはためらわない。わたしたちは嘘をつく。あなたは嘘をつかない。Ghost、わたしたちは否定する。あなたは否定しない。わたしたちは拒絶する。あなたは拒絶しない。Ghost、わたしたちは、ゆがめてものを見る。あなたは、ゆがめてものを見ない。わたしたちは、何事にも値打ちをつける。あなたは、何事にも値打ちをつけない。しかし、Ghost、わたしたちは、わたしたち自身について考えることができる。たとえ、それが間違ったものであっても。あなたは、あなた自身について考えることができない。そもそも、考えるということ自体、あなたにはできないのだから。それにしても、Ghost、わたしたちが夢を見ているときのわたしたちとは、いったい、何ものなのだろうか。それは、目が覚めているときのわたしたちと同じわたしたちなのだろうか。わたしたちは夢と同じものでできているという。何かあるものが、夢になったり、わたしたちになったりするということなのであろうか。しかし、Ghost、あなたは夢ではない。あなたは夢をつくりだすものである。夢を見ているわたしたちと、あなたが結びつけるものとは、同じものからできているのだが、あなたは、その同じものからできているのではないからだ。Ghost、あなたは夢ではない。夢をつくりだすものなのだ。ときに、あなたが結びつけるものが、わたしたちを驚かすことがある。べつに、あなたは、わたしたちを驚かそうとしたわけではない。ただ結びつこうとするものたちを結びつかせただけなのだ。Ghost、ときに、あなたに結びつけられたものが、わたしたちに、わたしたちが見なかったものを見させることがある。わたしたちに、わたしたちが感じなかったことを感じさせることがある。それは、あなたが片時も眠らず起きていて、ずっと、目を見開いているからだ。Ghost、ときに、あなたが結びつけたものに対して、不可解な印象を、わたしたちが持つことがある。そういったものの印象は、結びつけられたものとともに、しばしばすぐに忘れられる。わたしたちには思い出すことができない。あなたは、すべてのことを思い出すことができる。結びつけられるすべての時間と場所と出来事を、それらのものが醸し出すすべての些細な印象までをも。おそらく、わたしたちは、あなたが結びつけた時間や場所や出来事でいっぱいなのだろう。そのうち、どれだけのものをわたしたちが記憶しているのかはわからない。Ghost、あなたが、わたしたちの夢のなかで見せてくれるものが、いくら不可解なものであっても、それはきっと、わたしたちにとって必要なものなのだろう。しかし、どのような結びつきも、あなたにとっては意味のあるものではないのであろう。Ghost、ときおり、あなたのほうが実在の存在で、わたしたちのほうが仮定の存在ではないのかと思わせられる。ときに、わたしたちは、あなたに問いかける。しかし、あなたは、わたしたちに答えない。わたしたちは、わたしたちの問いかけに、みずから答えるしかないのだ。あなたは、わたしたちに問いかけない。そもそも、あなたは問いかけでもなければ、答えでもないからだ。しいていえば、問いかけと答えのあいだに架け渡された橋のようなものだ。Ghostは目ではあるが口ではない。見ることはできるが、しゃべることができない。あなたは、わたしたちの魂の目に、あなたが結んだ時間や場所や出来事を見せてくれるだけだ。Ghost、あなたにとって、あらゆる時間と場所と出来事は素材である。わたしたちには思い出せないことがある。あなたには思い出せないことがない。Ghost、あなたは言葉ではない。しかし、言葉と似ている。言葉というものは、名詞や動詞や形容詞といったものに分類されているが、これらは身長と体重と体温といったもののように、まったく異なるものである。一つのビルディングが建築資材や設計図や施工手順といったものからできているように、Ghostによって、さまざまな時間と場所と出来事が結びつけられる。わたしたちのなかには、わたしたち自身がけっして覗き見ることのできない深い深い深淵がある。あなたは、その深淵のなかからやってきたのであろう。Ghost、詩人は、あなたのことを、あなたがたとはいわなかった。たとえ、たくさんのあなたがいるとしても、結局、それはただ一人のあなただからだ。あらゆる集合の部分集合である空集合φが、ただ一つの空集合φであるように。そうだ、あなたは、あらゆる時間と空間と出来事の背後にいて、あるいは、そのすぐそば、その傍らにいて、それらを結びつけるのだ。既知→未知→既知→未知、あるいは、未知→既知→未知→既知の、出自の異なる別々の連鎖が、いつの間にか一つの輪になってループする。この矢印が自我であろうか。言葉から言葉へと推移するこの矢印。概念から概念へと推移するこの矢印。Ghostは、詩人によって、自我と対比させて考え出された仮定の存在である。わたしたちの身体は、同時にさまざまな場所に存在することができない。あなたは、同時にさまざまな場所に存在することができる。ここだけではなく、他のいかなる場所にも同時に存在することができる。Ghost、わたしたちの身体は、現在というただ一つの時間に拘束されている。あなたは、いくつもの時間に同時に存在することができる。あなたはさまざまな時間や場所や出来事を瞬時に結びつける。それとも、Ghost、さまざまな時間や場所や出来事が瞬時に結びつくということ、そのこと自体が、あなた自身のことなのであろうか、それとも、さまざまな時間や場所や出来事が瞬時に結びつくということ、そのことが、あなたというものを存在させているということなのであろうか。image after image。結ぼれ。結ぼれがつくられること。夢の一部が現実となり、現実の一部が夢となる。真実の一部が虚偽となり、虚偽の一部が真実となるように。Ghost、いつの日か、夢のすべてが現実となることはないのであろうか。いつの日か、現実のすべてが夢となることはないのであろうか。一度存在したものは、いつまでも存在する。いつまでも存在する。ときに、わたしたちは、わたしたちの喜びのために、わたしたちの悲しみのために、何事かをするということがある。あなたは、あるもののために、何事かをするということがない。いっさいない。あなたは、ただ時間と場所と出来事を結びつけるだけだ。それが、あなたのできることのすべてだからだ。Ghost、わたしたちは驚くこともあれば、喜ぶこともある。そして、わたしたちが驚くのも、わたしたちが喜ぶのも、すべて、あなたがつくった結ぼれを通してのことなのだが、あなたは、驚くこともなければ、喜ぶこともない。いっさいないのだ。しかし、Ghost、わたしたちの驚きが大きければ大きいほど、わたしたちの喜びが大きければ大きいほど、わたしたちは、わたしたちがあなたに似たものになるような気がするのだ。なぜなら、わたしたちには、ときによって、あなたが、まるで、驚きそのものであるかのように、喜びそのものであるかのように思われるからである。Ghost、間違って、鳥の巣のなかで眠ることもあった。間違って? あなたが間違うことはない。眠ることもない。けっして、けっして。


THE GATES OF DELIRIUM。

  田中宏輔



 そこに行けば、また詩人に会えるだろう。そう思って、葵公園に向かった。魂にとって真実なものは、滅びることがない。葵公園は、賀茂川と高野川が合流して鴨川になるところに、その河原の河川敷から幅の狭い細長い道路を一つ挟んであった。下鴨本通りと北大路通りの交差点近くにあるぼくの部屋から、その公園に行くには、二通りの行き方があった。北大路通りを西に向かって上賀茂橋まで行き、そこから川沿いに河川敷の砂利道を下って行く行き方と、下鴨本通りを南に向かって普通の歩道を歩いて行く行き方である。
 途中、下鴨本通りにあるコンビニに寄って、マールボロのメンソール・ボックス一箱と、コーヒー缶を一つ買った。公園に着いたときにも、陽はまだ落ち切ってはいなかった。しかし、公衆便所の輪郭や、潅木の茂みの形は、すでにぼんやりとしたものになっていた。飲み終わったコーヒー缶をクズかごに入れ、便所の前にあるベンチに腰かけると、タバコに火をつけて、ひとが来るのを待った。詩人を待っているのではなかった。詩人が現われるとしても、それはすっかり夜になってしまってからであった。タバコをつづけて喫っているうちに、便所に明かりが灯った。時間がくると、自動的に電灯がつくのであった。だれも来なかった。
 詩人がいつもいたところに行くことにした。詩人はよく、少し上手の河川敷に並べられたベンチの一つに坐っていた。ぼくは、道路を渡って河川敷に向かって下りていった。潅木の生い茂る狭い道を通って石段を下りると、茂った枝葉を覆うようにして張られていた蜘蛛の巣が、顔や腕にくっついた。手でとってこすり合わせ、小さなかたまりにして、横に投げ捨てた。砂利道に下りると、ちらほらと人影があった。腰をおろして川のほうを向いているひとが一人。ぼくより、十歩ほど先にいる、ぼくと同じように、川下から川上に向かって歩いているひとが一人。ぼくとは反対に、川上から川下に向かって歩いてくるひとが一人。その一人の男と目が合った。ぼくたちは値踏みし合った。彼は、ぼくのタイプじゃなかったし、ぼくも、彼のタイプじゃなかった。彼がまだ視界のなかにいるときに、ぼくは視線を、彼のいないところに向けた。彼の方は、すれ違いざまに、ぼくから顔を背けた。ぼくは、目の端にそれを捉えて、あらためて、ぼくたちのことを考えた。ぼくたちは、ただ本能のままに自分たちの愛する対象を選んでいるだけなのだと。ウミガメの子どもたち。つぎつぎと砂のなかから這い出てくる。ウミガメの子どもたち。目も見えないのに、海を目指して。ウミガメの子どもたち。おもちゃのようにかわいらしい、ぎこちない動き方をして。ウミガメの子どもたち。なぜ、卵から孵るのだろう。そのまま生まれてこなければいいのに。ウミガメの子どもたち。詩人の詩に、ウミガメが出てくるものがいくつかあった。以前に、ウミガメが産卵するシーンをテレビで見たことがあって、それを詩人に話したら、詩人がウミガメをモチーフにしたものをいくつか書いたのであった。河川敷に敷かれた丸い石の影が、砂利道の上にポコポコと浮かび出た無数の丸い石の影が、ぼくにウミガメの子どもたちの姿を思い起こさせたのだろう。そんなことを考えながら歩いていると、あっという間に、詩人がいつも坐っていたベンチのところに辿り着いた。ベンチは、少し離れたところに、もう一つあったのだが、そちらのベンチの方には、だれも坐らなかった。坐った瞬間、ひとが消えるという話だった。じっさい、何人か試してみて、すっと消え去るのを目撃されているのだという。川辺の風景が、流れる川の水の上に映っている。流れる川の水が、川辺の風景の上に映っている。もしかすると、流れる川の水の上の風景の方が実在で、川辺の風景の方が幻かもしれなかった。
 月の夜だった。満月のきらめきが、川面の流れる水の上で揺らめいている。よく見ると、水鳥が一羽、目の前の川の真ん中辺りの、堆積した土砂とそこに生えた水草のそばで、川面に映った月の光や星の光をくちばしの先でつついていた。その水鳥のそばの水草の間から、もう一羽、水鳥がくちばしをつつきながら姿を現わした。二羽の水鳥は、寄り添いながら川面に映った光をつついていた。しかし、水鳥たちは知っている。ぼくたちと同じだ。いくら孤独が孤独と身をすり寄せ合っても、孤独でなくなるわけではないということを。どれほど孤独と孤独がいっしょにいても、ただ同じ孤独を共有し、交換し合うだけなのだと。どれだけ孤独が集まっても孤独でなくなるわけではないということを。ゼロがどれだけ集まってもゼロであるように。
 水鳥が川面のきらめきに何を語っているのか知っているのは、ぼくだけだ。水鳥は、川面に反射する月のきらめきや星のきらめきに向かって、人間の歴史や人間の秘密を語っているのだった。それにしても、繰り返しはげしくくちばしを突き入れている水鳥たち。まるで月の輝きと星の輝きを集めて、早く朝を来させるために太陽をつくりだそうとしているかのようだ。たしかに、そうだ。川面に反射した月明かりや星明りが集まって、一つの太陽となるのだ。あの便所の光や、ぼくのタバコの先の火の色や、川面に反射した、川沿いの家々の軒明かりや、窓々から漏れ出る電灯の光が集まって、一つの太陽となるのだ。しかし、それは別の話。人間のことはすべて知っているのに、ぼくのことだけは知らない水鳥たちが、川の水を曲げている。ぼくのなかに曲がった水が満ちていく。夜はさまざまなものをつくりだす。もともと、すべてのものが夜からつくられたものだった。
 事物から事物へと目を移すたびに、魂は事物の持つ特性に彩られる。事物自体も他の事物の特性に彩られながら、ぼくの魂のなかに永遠に存在しようとして侵入してくる。一人の人間、一つの事物、一つの出来事、一つの言葉そのものが、一つの深淵である。そして、ぼくの承認を待つまでもなく、それらの人間や事物たちは、やすやすと、ぼくの魂のなかに侵入し、ぼくの魂のなかで、たしかな存在となる。ときどき、それらの存在こそがたしかなもので、自分などどこにも存在していないのではないか、などと思ってしまう。薬のせいだろうか。いや、違う。ぼくが錯乱しているのではない。現実の方が錯乱しているのだ。どうやら、ぼくの思いつくことや、思い描いたりすることが、詩人の書いた詩やメモに、かなり影響されてきたようだ。詩人がこの世界から姿を消す前に、ぼくの名前で発表させていたいくつもの詩が、ぼくを縛りつけている。詩人と会ってしばらくしてからのことだ。いつものように、ぼくの体験したことや、思いついたことを詩人に話していると、詩人が、ぼくのことを詩にしようと言い出したのである。それが「陽の埋葬」だった。それは、ぼくの体験をもとに、詩人がつくり上げたものだった。ぼくはけっして、ぼく自身になったことがなかった。ぼくはいつも他人になってばかりいた。詩人はそれを見通して、ぼくに対して、もうひとりのわたしよ、と呼びかけていたのだろう。詩人も、ぼくと同じ体質であった。ぼくと詩人が出会ったのは偶然の出来事だったのだろうか。おそらく、偶然の出来事だったのだろう。あらゆることが人を変える。あらゆることが意味を変える。その変化からまぬがれることはできない。出来事がぼくを変える。出来事がぼくをつくる。ぼくというのも、一つの出来事だ。ぼくが偶然を避けても、偶然は、ぼくのことを避けてはくれない。
 一つの偶然が、川下からこちらに向かってやってきた。


THE GATES OF DELIRIUM。

  田中宏輔



 世界は、ただ一枚の絵だけ残して滅んだという。いったい、だれの描いた、どの絵として残ったのであろうか? あるいは、世界自身が、世界というもの、それ自体が、ただ一枚の絵になってしまったとでもいうのであろうか? それは、わからない。詩人の遺したメモには、それについては、なにも書かれていなかったのである。しかし、それにしても、なぜ、写真ではなかったのであろうか? 人物であっても、あるいは、風景であっても、なぜ、写真ではなく、絵でなければならなかったのであろうか?
 詩人は、絵を見つめていた。しかし、彼は、ほんとうに絵を見つめていたのであろうか? 詩人の生前のことだが、あるとき、詩人が、一冊の本の表紙絵をじっと見つめているときに、わたしが、「女性の頭のところに、死に神がいますね。」といったことがあった。わたしは、その死に神について、詩人が、なにか、しゃべってくれるのではないかと思ったのである。しかし、期待は裏切られた。詩人は、「えっ、なになに?」といって、真顔で、わたしに尋ね返してきたのである。そこで、わたしが、もう一度、同じ言葉を口にすると、詩人は、「ああ、ほんとうだ。」といって、笑いながら、しきりに感心していたのである。わたしには不思議だった。その絵を見て、女性の頭のところにいる死に神の姿に気がつかないことがあるとは、とうてい思えなかったからである。なぜなら、その絵のなかには、その死に神の姿以外に、女性のまわりにあるものなど、なに一つなかったからである。詩人は、いったい、絵のどこを見つめていたのであろうか? 絵のなかのどこを? どこを? いや、なにを? であろうか? 
 その本のタイトルは、『いまひとたびの生』というもので、詩人が高校生のときに夢中になって読んでいたSF小説のうちの一冊であった。作者のロバート・シルヴァーバーグは、ひじょうに多作な作家ではあるが、生前の詩人の言葉によると、翻訳された作品は、どれも質が高く、つまらない作品は一つもなかったという。ところで、『いまひとたびの生』という作品は、未来の地球が舞台で、そこでは、人間の人格や記憶を、他の人間の脳の内部で甦らせることができるという設定なのだが、論理的に考えると、矛盾するところがいくつかある。小説として面白くするために、作者があえてそうしていると思われるのだが、宿主の人格と、それに寄生する人格との間に、人格の融合という現象があるのに、それぞれの記憶の間には、融合という現象が起こらないのである。しかも、宿主の人間の方は一人でも、寄生する人間の方は一人とは限らず、二人や三人といったこともあり、それらの複数の人格が、宿主の人格と寄生している人格の間でのみならず、寄生している人格同士の間でも、それぞれ相互に他の人格の記憶を、いつでも即座に参照することができるのである。これは、複数の人間の記憶を、それらを互いに矛盾させることなく、一人の人間の記憶として容易に再構成させることができないからでもあろうし、また、物語を読者に面白く読ませる必要があって施された処置でもあろうけれども、しかし、もっとも論理的ではないと思われるところは、宿主となっている人間の内面の声と、寄生している人間の内面の声が、宿主のただ一つの心のなかで問答することができるというところである。まるで複数の人間が、ふつうに会話するような感じで、である。この手法は、ロバート・A・ハインラインの『悪徳なんかこわくない』で、もっとも成功していると思われるのだが、たしかに、物語を面白くさせる手法ではある。また、このヴァリエーションの一つに、シオドア・スタージョンの『障壁』というのがある。これは、一人の人間のある時期までの人格や記憶を装置化し、それを用いて、その人格や記憶の持ち主と会話させる、というものである。これを少しくは、ある意味で、自己との対話といったところのものともいえるかもしれないが、しかし、これを、まったきものとしての、一人の人間の内面における自己との対話とは、けっしていうことはできないであろう。話を『いまひとたびの生』に戻そう。この物語では出てこない設定が一つある。生前の詩人がいっていたのだが、もしも、自分の人格や記憶を自分の脳の内部で甦らせればどうなるのか、というものである。はっきりした記憶は、よりはっきりするかもしれない。その可能性は大きい。しかし、あいまいな記憶が、どうなるのか、といったことはわからない。その記憶があいまいな原因が、なにか、わからないからである。思い出したくないことが、思い出されて仕方がない、ということも、あるのかどうか、わからない。意思と記憶との間の関係が、いまひとつ、はっきりわからないからである。人間というものは、覚えていたいことを忘れてしまったり、忘れてしまいたいことを覚えていたりするのだから。しかし、『いまひとたびの生』の設定に従えば、一人の人間の内面で、一人の人間の心のなかで、自己との対話が、より明瞭に、より滞りなくできるようになるのではないだろうか? 感情の増幅に関しては、それをコントロールする悟性の強化に期待することができるであろう。わたしには、そう思えなかったのであるが、詩人はそのようなことをいっていた。
 世界は、ただ一枚の絵だけ残して滅んだという。いったい、だれの描いた、どの絵として残ったのであろうか? あるいは、世界自身が、世界というもの、それ自体が、ただ一枚の絵になってしまったとでもいうのであろうか? それは、わからない。いや、しかし、それは、もしかしたら、詩人の肖像画だったのかもしれない。しかし、現実には、詩人の肖像画などは、存在しない。それどころか、写真でさえ、ただの一枚も残されてはいないのである。ところで、もし、詩人の肖像画が存在していたとしたら? きっと、その瞳には、世界のありとあらゆる光景が絶え間なく映し出されているのであろう。きっと、その耳のなかでは、世界のありとあらゆる音が途切れることなく響き渡っているのであろう。あらゆるすべての光景であるところの詩人の瞳に、あらゆるすべての音であるところの詩人の耳に。ただ一枚の肖像画であるのにもかかわらず、実在するすべての肖像画であるところの、ただ一枚の肖像画! 世界が詩人を笑わせた。世界が詩人とともに笑った。世界が詩人を泣かせた。世界が詩人とともに泣いた。世界が詩人を楽しませた。世界が詩人とともに楽しんだ。世界が詩人を嘆かせた。世界が詩人とともに嘆いた。
 そうして、世界は、ただ一枚の絵だけ残して滅んだのかもしれない。


百行詩

  田中宏輔



一行目が二行目ならば二行目は一行目ではないこれは偽である

二行目が一行目ならば一行目は二行目であるこれは真である

三行目が一行目ならば二行目は二行目であるこれは偽である

四行目を平行移動させると一行目にも二行目にも三行目にもできる

五行目は振動する



六行目が七行目に等しいことを証明せよ

七行目が八行目に等しくないことを証明せよ

八行目が七行目に等しくないことを用いて六行目が七行目に等しくないことを証明せよ

九行目が無数に存在するならば他のすべての行を合わせて一つの行にすることができるこれは真か偽か                   

十行目は治療が必要である



十一行目がわかれば十二行目がわかる

十二行目がわかっても十一行目はわからない

十三行目は十四行目を意味する

十四行目は読み終えるとつぎの行が十一行目にくる

十五行目はときどきほかの行のフリをする



十六行目は二通りに書くことができる

十七行目はただ一通りに書くことができる

十八行目は何通りにでも書くことができる

十九行目は書くことができない

二十行目は自分の位置をほかの行にとってかわられないかと思ってつねにビクビクしている



二十一行目は二十二行目とイデオロギー的に対立している

二十二行目は二十三行目と同盟を結んでいる

二十三行目は二十二行目と断絶している

二十四行目は二十一行目も二十二行目も二十三行目も理解できない

二十五行目は二十四行目とともに二十二行目と二十三行目に待ちぼうけをくわせられている



二十六行目は二十七行目と目が合って一目ぼれした

二十七行目は二十八行目が二十六行目に恋をしていることに嫉妬している

二十八行目は二十七行目に傷つけられたことがある

二十九行目は二十八行目とむかし結婚していた

読むたびに三十行目がため息をつく



読むたびに三十一行目と三十行目が入れ替わる

三十二行目は三十三行目の医者である

三十三行目は三十二行目の患者である

三十四行目は三十五行目の入っている病院である

三十五行目は三十一行目の行方を追っている



三十六行目は出来損ないである

三十七行目はでたらめである

三十八行目は面白くない

三十九行目は申し訳ない

四十行目は容赦ない



四十一行目は四十二行目と違っていて異なっている

四十二行目は四十三行目と違っているが異なっていない

四十三行目は四十四行目と違っていないが異なっている

四十四行目は四十五行目と違っていないし異なってもいない

四十五行目はほかのすべての行と同じである



四十六行目は四十七行目とよく連れ立って散歩する

四十七行目は四十八行目ともよく連れ立って散歩するが

四十八行目はときどきもどってこないことがある

四十九行目は五十行目と散歩するときは寄り添いたいと思っているが

五十行目はそんなそぶりを微塵も出させない雰囲気をかもしている



五十一行目は慈悲心を起こさせる

五十二行目も同情心をかきたてる

五十三行目は寒気を起こさせる

五十四行目は殺意を抱かせる

五十五行目は読み手を蹴り上げる



五十六行目は五十七行目のリフレインで

五十七行目は五十八行目のリフレインで

五十八行目は五十九行目のリフレインで

五十九行目は六十行目のリフレインで

六十行目は五十六行目のリフレインである



六十一行目は朗読の際に読まないこと

六十二行目は朗読の際に机をたたくこと

六十三行目は首の骨が折れるまで曲げること

六十四行目はあきらめること

六十五行目はたたること



六十六行目は揮発性である

六十七行目は目を落とした瞬間に蒸発する

六十八行目ははずして考えること

六十九行目のことは六十九行目にまかせよ

七十行目は他の行とは分けて考えること



七十一行目は正常に異常だった

七十二行目は異常に正常だった

七十三行目は正常よりの異常だった

七十四行目は正常でも異常でもなかった

七十五行目は異常に正常に異常だった



七十六行目は七十八行目を思い出せないと言っていた

七十七行目は七十七行目のことしか知らなかった

七十八行目はときどき七十六行目のことを思い出していた

七十九行目は八十行目のクローンである

八十行目は七十九行目のクローンである



八十一行目は八十二行目から生まれた

八十二行目が存在する確率は八十三行目が存在する確率に等しい

八十三行目が八十二行目とともに八十四行目をささえている

八十四行目は子沢山である

八十五行目は気は弱いくせにいけずである



八十六行目は八十七行目とよく似ていてそっくり同じである

八十七行目は八十八行目にあまり似ていないがそっくり同じである

八十八行目は八十九行目とよく似ているがそっくり同じではない

八十九行目は九十行目とまったく似ていないがそっくり同じである

九十行目は八十六行目に似ていないか同じかのどちらかである



九十一行目はおびえている

九十二行目はつねに神経が張りつめている

九十三行目は睡眠薬がないと眠れない

九十四行目は神経科の医院で四時間待たされる

九十五行目はときどききれる



九十六行目はここまでくるまでいったい何人のひとが読んでくれているのかと気にかかり

九十七行目はどうせこんな詩は読んでもらえないんじゃないのとふてくされ

九十八行目は作者にだって理解できていないんだしだれも理解できないよと言い

九十九行目はどうせあと一行なんだからどうだったっていいんじゃないと言い

百行目はほんとだねと言ってうなずいた


LA LA MEANS I LOVE YOU。

  田中宏輔



●マドル●マドラー●マドラスト●子供たちは●頭をマドラーのようにぐるぐる回している●マドラーは●肩の上でぐるぐる回っている●ぐちゃぐちゃと●血と肉と骨をこねくりまわしている●そうして●子供たちは●真っ赤な金魚たちを●首と肩の隙間から●びちゃびちゃと床の上に落としている●子供たちの足がぐちゃぐちゃと踏みつぶした●子供たちの真っ赤な金魚たちの肉片を●病室の窓の外から●ぼくの目が見つめている●学生時代に●三条河原町に●ビッグ・ボーイ●という名前のジャズ喫茶があった●ぼくは毎日のように通っていた●だいたい●いつも●ホットコーヒーを飲んでいた●そのホットコーヒーの入っていたコーヒーカップは●普通の喫茶店で出すホットコーヒーの量の3倍くらいの量のホットコーヒーが入るものだったから●とても大きくて重たかった●その白くて重たい大きなコーヒーカップでホットコーヒーを飲みながら●いつものように●友だちの退屈な話を聞いていた●突然●ぼくの身体が立ち上がり●ぼくの手といっしょに●その白くて重たい大きなコーヒーカップが●友だちの頭の上に振り下ろされた●友だちの頭が割れて●血まみれのぼくは病院に連れて行かれた●べつにだれでもよかったのだけれど●って言うと●看護婦に頬をぶたれた●窓の外からぼくの目は●首から上のないぼくの身体が病室のベッドの上で本を読んでいるのを見つめていた●ぼくは●本の間に身を潜ませていた神の姿をさがしていた●いったい●自我はどこにあるのだろうか●ページをめくる指の先に自我があると考える●いや●違う●違うな●右の手の人差し指の先にあるに違いない●単に●普段の●普通の●あるがままの●右の手の人差し指の先にあると考える●ママは●人のことを指で差してはだめよ●って言っていた●と●右の手の人差し指の先が記憶をたぐる●でもさあ●人のことを差すから人差し指って言うんじゃんかよ●って●右の手の人差し指の先は考える●自我は互いに直交する4本の直線でできている●1本の直線からでもなく●互いに直交する2本の直線からでもなく●1点において互いに直交する3本の直線からでもなく●1点において互いに直交する4本の直線からできている●と●右の手の人差し指の先が考える●ぼくの目は●窓の外から●それを見ようとして●ぐるぐる回る●病室のなかで●4本の直線がぐるぐる回る●右の手の人差し指以外のぼくの指がばらばらにちぎれる●子供たちの首と肩の隙間から●真っ赤な金魚たちがびちゃびちゃあふれ出る●子供たちは●頭をマドラーのようにぐるぐる回している●マドラーは●肩の上でぐるぐる回っている●ぐちゃぐちゃと●血と肉と骨をこねくりまわしている●そうして●子供たちは●真っ赤な金魚たちを●首と肩の隙間から●びちゃびちゃと床の上に落としている●それでよい●と●右の手の人差し指の先は考えている●45ページと46ページの間に身を潜ませていた神もまた●それでよい●と●考えている●ああ●どうか●世界中の不幸という不幸が●ぼくの右の手の人差し指の先に集まりますように!


メシアふたたび。

  田中宏輔




つい、さきほどまで

天国と地獄が

綱引きしてましたのよ。

でも

結局のところ

天国側の負けでしたわ。

だって

あの力自慢のサムソンさまが

アダムさまや、アベルさま、それに、ノアさまや、モーゼさまたちとごいっしょに

辺獄の方まで観光旅行に行ってらっしゃったのですもの。

みなさん、ご自分方がいらしたところが懐かしかったのでしょう。

どなたも、とっても嬉しそうなお顔をなさって出かけられましたもの。

あの方たちがいらっしゃらなかったことが

天国側には完全に不利でしたわ。

それに、もともと筋肉的な力を誇ってらっしゃる方たちは

どちらかといえば

天国よりも地獄の方に

たくさんいらっしゃったようですし……。

まあ、そう考えますと

はじめから天国側に勝ち目はなかったと言えましょう。

地上で活躍なさってる、テレビや雑誌で有名な力持ちのヒーローの方たちは

その不滅の存在性ゆえに

最初から、天国とは無関係なのですもの。

何の足しにもなりません。

そして、これが肝心かなめ。

何といっても、人間の数が圧倒的に違うのですもの。

いえね

べつに、ペテロさまが意地悪をされて

扉の鍵を開けられないってわけじゃないんですよ。

じっさいのところ

天国の門は、いつだって開いているんですから。

ほんとうに

いつだって開いているんですよ。

だって、いつだったかしら。

アベルさまが、ペテロさまからその鍵を預かられて

かつて、カインに埋められた野原で散歩しておられるときに失くされて

もちろん

ペテロさまは、アベルさまとごいっしょに捜しまわられましたわ。

でも、いっこうに見当らず

とうとう出てこなかったらしいんですのよ。

まえに、アベルさまには言っておいたのですけどね。

お着物をかえられたらって。

だって、あの粗末なお着物ったら

イエスさまが地上におられたときに着てらっしゃった

亜麻の巻布ほどにもみすぼらしくって

まともに見られたものではなかったのですもの。

ですから

懐に入れておいた鍵を落とされたってことを耳にしても

ぜんぜん、不思議に思わなかったのです。

ペテロさまは、イエスさまに内緒で

(といっても、イエスさまはじめ天国じゅうのものがみな知っていたのですけれども)

合鍵をつくられたのです。

しかし、これがまた鍛冶屋がへたでへたで

(だって、ヘパイストスって、天国にはいないのですもの)

ペテロさまが、その鍵を使われて

天国の門の錠前に差し込んでまわされると

根元の方で、ポキリってことになりましたの。



それ以来

天国の門は開きっぱなしになっているのです。

ああ、でも、心配なさらないで。

天国にまでたどり着くことができるのは善人だけ。

それに、ペテロさまがしっかり見張ってらっしゃいましたわ。

ある日、ウルトラマンとかと呼ばれる異星の方が

ご自分の星と間違われて

こちらにいらっしゃったとき

その大きなお顔を、むりやり扉に挟んで

その扉の上下についた蝶番をはずしてしまわれたのです。



その壊れた蝶番と蝶番のあいだから

ペテロさまは

毎日、毎日、見張ってらっしゃいましたわ。

さすがに

さきほどは、綱引きに参加しに行かれましたけれどもね。

毎日、しっかりと見張ってらっしゃいましたわ。

ほんとうに

これまで一度だって

悪いひとが天国に入ってきたっていう話は聞きませんものね。

まっ

それも当然かしら。

だって、鍵を失くされてからは

ひとりだって、天国にやってこなかったのですもの。

そうそう

そういえば

何度も、何度も

門のところまでやってきては

追い返されていたひとがいましたわ。

まるで、ユダの砂漠の盗賊のような格好をした

アラシ・カンジュローとかという老人が

自分は、クラマテングとかという

正義の味方であると

喉をつまらせ、つまらせ

よく叫んでいましたわ。

ペテロさまがおっしゃったとおり

あの黒い衣装を脱いで、覆面をとれば

天国に入ることができたかもしれませんのに。

意固地な老人でしたわ。

それがまた、可笑しかったのですけれど。

まあ、ずいぶんと脱線したみたい。

羊の話に戻りましょう。



どうして

天国と地獄が綱引きをすることになったのかってこと

話さなくてはいけませんわね。

それは

わたしが退屈していたからなのです。

いえいえ

もっと正確に言わなくては。

それは

わたしが、ここ千年以上ものあいだ

イエス・キリストさまに無視されつづけてきたから

ずっと、ずっと、無視されつづけてきたからなのです。

もちろん

イエスさまは、わたしが天国に召されたとき

それは、それは、たいそうお喜びになって

わたしの手をお取りになって

イエスさまに向かって膝を折って跪いておりましたわたしをお立たせになられて

祝福なさいましたわ。

イエスさまは

あのゴルゴタの丘で磔になられる前に

上質の外套を身にまとわれ

終始、慈愛に満ちた笑みをそのお顔に浮かべられ

わたしの手をひかれて

わたしより先に天国に召されていたヤコブさまや

その弟のヨハネさまがおられるところに連れて行ってくださって

わたしに会わせてくださいました。

天国でも、イエスさまは地上におられたときのように

そのおふたりのことを

よく「雷の子よ」と呼んでいらっしゃいましたわ。

そして、イエスさまがいちばん信頼なさっておられたペテロさまや

その弟のアンデレさまに、またバルトロマイさまや

フィリポさま

それと、あの嫉妬深く、疑い深いトマスさまや

もと徴税人のマタイさまや

イエスさまのほかのお弟子さま方にも

つぎつぎと会わせてくださいましたわ。

どのお顔も懐かしく

ほんとうに、懐かしく思われました。

きっと天国でお会いすることができますものと信じておりましたが

じっさいに、天国で会わせていただいたときには

なんとも言えないものが

わたしの胸に込み上げました。

そして

イエスさまや

もとのお弟子さま方は

わたしを天国じゅう、いたるところに連れて行ってくださいました。

ところが

やがて

そのうちに

天国の住人の数がどんどん増えてゆきますと

イエスさまや

そのお弟子さま方は

わたしだけのことにかまっていられる時間がなくなってまいりましたの。

当然のことですわね。

なにしろ

イエスさまは

神さまなのです。

天国の主人であって

わたしたちの善き牧者なのです。

ひとびとは牧される羊たち

ぞろぞろ、ぞろぞろついてまわります。

いつまでも

どこまでも

きりがなく

ぞろぞろ、ぞろぞろついてまわるのです。

もちろん

そのお弟子さま方のお気持ちもわからないわけではありませんが。

ひとびとは牧される羊たち

ぞろぞろ、ぞろぞろついてまわります。

いつまでも

どこまでも

きりがなく

ぞろぞろ、ぞろぞろついてまわるのです。

そして

やがて

ついに

イエスさまは

お弟子さま方たちや、信者のみなさんに、こうおっしゃいました。

「わたしはふふたび磔となろう。

 頭には刺すいばら

 苦しめる棘をめぐらせ

 手には釘を貫き通らせ

 足にも釘を貫き通らせて

 いまひとたび、十字架にかかろう。

 それは、あなたたちの罪のあがないのためではなく

 それは、だれの罪のあがないのためでもなく

 ただ、わたしの姿が

 つねに、あなたたちの目の前にあるように。

 つねに、あなたたちの目の前にあるように

 いつまでも

 いつまでも

 ずっと

 ずっと

 磔になっていよう。」



そこで

お弟子さま方は

イエスさまがおっしゃられたとおりに

天国の泉から少し離れた小高い丘を

あのゴルゴタの丘そっくりに造り直されて

イエスさまを磔になさいました。

さあ

それからがたいへんでした。

磔になられたイエスさまを祈る声、祈る声、祈る声。

天国じゅうが

磔になられたイエスさまを祈りはじめたのです。

それらの声は天国じゅうを揺さぶりゆさぶって

あちらこちらに破れ目をこしらえたのです。

その綻びを繕うお弟子さま方は

ここ千年以上も大忙し。

休む暇もなく繕いつくろう毎日でした。

わたしもまた

跪きひざまずいて祈りました。

かつて

あの刑場で

磔になられたイエスさまを見上げながら

お母さまのマリアさまとごいっしょにお祈りをしておりましたときのように

跪きひざまずいて祈りつづけました。

地上にいるときも

マグダラで

わたしにとり憑いた七つの悪霊を追い出していただいてからというもの

ずっと

わたしは、イエスさまのおそばで祈りつづけてきたのです。

天国においても同様でした。

ところが

あるとき

奇妙なことに気がついたのです。

磔になられたイエスさまのお顔が

険しかったお顔が

どこかしら

奇妙に歪んで見えたのでした。

それは

まるで

なにか

喜びを内に隠して

わざと険しい表情をなさっておられるような

そんなお顔に見えたのです。

そして

さらに奇妙なことには

いつの頃からでしたかしら

お弟子さま方が声をかけられても

お返事もなさらないようになられたのです。

また

わたしの声にも

お母さまのお声にも

どなたのお声にも

お返事なさらないようになられたのです。

けれども

お弟子さま方は

そのことを深く追求してお考えになることもなく

ただただ

天の裂け目

天の破れ目を繕うほうに専念なさっておられました。

ああ

祈る声

祈る声

祈る声

天国は

イエスさまを祈る声でいっぱいになりました。

そうして

そして

何年

何十年

何百年の時が

瞬く間に過ぎてゆきました。

イエスさまのお顔には

もう

以前のような輝きはなくなっておりました。

何度、お声をおかけしても

お顔を奇妙に歪められたまま

わたしたちの祈る声には

お返事もなさらず

まるで

目の前のすべての風景が

ご自分とは関係のない

異世界のものであるかのような

虚ろな視線を向けられておられました。

わたしのこころは

わたしの胸は

そんなイエスさまをゆるすことができませんでした。

そして

そんな気持ちになったわたしの目の前に

膝を折り、跪いて祈るわたしの足元に

磔になられたイエスさまのおそばに

天の裂け目が

天の破れ目が口を開いていたのです。

目を落としてみますと

そこには

なにやら

眼光鋭いひとりの男が

カッと目を見開いて

こちらを見上げているではありませんか。

日本の着物を着て

両方の腕を袖まくりして

その腕を組み

じっと

こちらを見上げていたのです。

その顔には見覚えがありました。

天国の図書館にあった

世界文学全集で見た顔でした。

たしか

アクタガワ・リュウノスケという名前の作家でした。

わたしは、そのとき

彼の『クモノイト』とかという作品を思い出したのです。

そのお話は

イエスさまの政敵

ブッダが地獄にクモノイト印の釣り糸を垂らして

亡者どもを釣り上げてゆくというものでありました。

カンダタとかという亡者が一番にのぼってきたことに

シャカは腹を立て

釣り糸を

プツン



切ったのです。

スッドーダナの息子、ブッダは目が悪かったのです。

遠見のカンダタは

シッダルダ好みの野生的な感じがしたのですが

近くで目にしますと

なんだか

ただ薄汚いだけの野蛮そうな男なのでした。

ブッダは

汚れは嫌いなのです。

それで

カンダタの代わりを釣り上げるために

釣り糸をいったん切ったのです。

たしか

このようなお話だったと思います。

仏教においても

顔の醜いものは救われないということでしょうか。

わたしには、たいへん共感するところがございました。

アクタガワの視線の行方を追いますと

そこには

イエスさまが

磔になられたイエスさまのお顔がありました。

わたしは立ち上がり

鉄の鎖があるところに

酒に酔われたサムソンさまを縛りつけるために使われる

あの鉄の鎖が置いてあるところにゆきました。

刑柱の飾りにと、わたしが言うと

お弟子さま方はじめ

大勢の方たちが、それを運んでくださいました。

わたしは

その鎖の一端を磔木(はりぎ)の根元に結びつけ

残るもう一端を

天の裂け目

天の破れ目に投げ落としました。

みな

唖然としたお顔をなさられました。

すると

突然

鎖が引っ張られ

イエスさまの磔になられた刑柱が

ズズッ

ズッ

ズズズズズズズッと

滑り出したのです。

お弟子さま方はじめ天国の住人たちは

みな驚きおどろき

ワッと駆け寄り

その鎖に飛びつきました。

イエスさまは

事情がお分かりになられずに

傾斜した十字架の上で目を瞬いておられました。

わたしは

わたしが鎖を投げ下ろした

天の裂け目

天の破れ目を上から覗いてみました。

無数の亡者たちが鎖を手にして引っ張っておりました。

見るみるうちに

天の鎖が短くなってゆきました。

そして

とうとう

イエスさまが磔から解き放たれる前に

天の鎖が尽きてしまいました。

つまり

イエスさまは

お弟子さまや

天国の住人たちとともに

みなものすごい声を上げて

地獄に落ちてしまわれたのです。

ひとり

ただひとり

天国に残されたわたしは

ナルドの香油がたっぷり入った細口瓶を携え

天の裂け目

天の破れ目に坐して、この文章をしたためております。

こんどは地獄にある

地獄のエルサレムで

地獄のゴルゴタの丘で

イエスさまを祈るため

イエスさまを祈るために

わたしは

この

天の裂け目

天の破れ目に、これから降りてゆきましょう。

地獄でも

きっと

イエスさまは奇跡を起こされて

いえ

地獄だからこそ

こんどもまた

奇跡を起こされて

きっと

ふたたびまた

天に昇られることでしょう。

ですから

このわたしの文章を

お読みになられたお方は

どうして

天国にだれもいないのか

お分かりになられたものと思います。

わたしのしたことは

けっして

あのイヴのように

神に敵(あだ)する

あの年老いた蛇に唆(そそのか)されてしたことではないのです。

わたしの

わたしだけの意志でしたことなのです。

そして

最後に

サムソンさま

ならびに

お弟子さま方はじめ

辺獄にお出かけになられたみなさま方に

お願いがございます。

もしも

天国の門のところで

まだうろうろしている黒装束の老人を見かけられましたら

覆面をしたままでも

もう天国に入られてもよろしいと

お声をかけてあげてください。

よろしくお願いいたします。


では

ごきげんよろしく。

さようなら。


                            マグダラのマリアより



         


順列 並べ替え詩 3×2×1

  田中宏輔




映画館の小鳥の絶壁。
小鳥の映画館の絶壁。
絶壁の映画館の小鳥。
映画館の絶壁の小鳥。
小鳥の絶壁の映画館。
絶壁の小鳥の映画館。

球体の感情の呼吸。
感情の呼吸の球体。
呼吸の球体の感情。
球体の呼吸の感情。
感情の球体の呼吸。
呼吸の感情の球体。

現在の未来の過去。
未来の過去の現在。
過去の現在の未来。
現在の過去の未来。
未来の現在の過去。
過去の未来の現在。

実質の実体の事実。
実体の事実の実質。
事実の実質の実体。
実質の事実の実体。
実体の実質の事実。
事実の実体の実質。

彼の彼女のハンバーグ。
彼女のハンバーグの彼。
ハンバーグの彼の彼女。
彼のハンバーグの彼女。
彼女の彼のハンバーグ。
ハンバーグの彼女の彼。

孤島の恍惚の視線。
恍惚の視線の孤島。
視線の孤島の恍惚。
孤島の視線の恍惚。
恍惚の孤島の視線。
視線の恍惚の孤島。

直線の点の球体。
点の球体の直線。
球体の直線の点。
直線の球体の点。
点の直線の球体。
球体の点の直線。

どこの馬の骨。
馬の骨のどこ。
骨のどこの馬。
どこの骨の馬。
馬のどこの骨。
骨の馬のどこ。

きゅうりのさよならの数。
さよならの数のきゅうり。
数のきゅうりのさよなら。
きゅうりの数のさよなら。
さよならのきゅうりの数。
数のさよならのきゅうり。

一篇の干し葡萄の過失。
干し葡萄の過失の一篇。
過失の一篇の干し葡萄。
一篇の過失の干し葡萄。
干し葡萄の一篇の過失。
過失の干し葡萄の一篇。

ぼくが夢のなかで胡蝶を見る。
夢が胡蝶のなかでぼくを見る。
胡蝶がぼくのなかで夢を見る。
ぼくが胡蝶のなかで夢を見る。
夢がぼくのなかで胡蝶を見る。
胡蝶が夢のなかでぼくを見る。

右の耳の全裸。
耳の全裸の右。
全裸の右の耳。
右の全裸の耳。
耳の右の全裸。
全裸の耳の右。

あなたの影の横揺れ。
影の横揺れのあなた。
横揺れのあなたの影。
あなたの横揺れの影。
影のあなたの横揺れ。
横揺れの影のあなた。

白紙の信号機の増殖。
信号機の増殖の白紙。
増殖の白紙の信号機。
白紙の増殖の信号機。
信号機の白紙の増殖。
増殖の信号機の白紙。

信号機の小鳥の増殖。
小鳥の増殖の信号機。
増殖の信号機の小鳥。
信号機の増殖の小鳥。
小鳥の信号機の増殖。
増殖の小鳥の信号機。

夢の糸の錯誤。
糸の錯誤の夢。
錯誤の夢の糸。
夢の錯誤の糸。
糸の夢の錯誤。
錯誤の糸の夢。

詩の一度きりの増殖。
一度きりの増殖の詩。
増殖の詩の一度きり。
詩の増殖の一度きり。
一度きりの詩の増殖。
増殖の一度きりの詩。

田中の広瀬の山田。
広瀬の山田の田中。
山田の田中の広瀬。
田中の山田の広瀬。
広瀬の田中の山田。
山田の広瀬の田中。

TVの弁当箱の抑圧。
弁当箱の抑圧のTV。
抑圧のTVの弁当箱。
TVの抑圧の弁当箱。
弁当箱のTVの抑圧。
抑圧の弁当箱のTV。

画面の重湯の暗喩。
重湯の暗喩の画面。
暗喩の画面の重湯。
画面の暗喩の重湯。
重湯の画面の暗喩。
暗喩の重湯の画面。

孤島のシャツの世界。
シャツの世界の孤島。
世界の孤島のシャツ。
孤島の世界のシャツ。
シャツの孤島の世界。
世界のシャツの孤島。

両頬のマクベスの渦巻き。
マクベスの渦巻きの両頬。
渦巻きの両頬のマクベス。
両頬の渦巻きのマクベス。
マクベスの両頬の渦巻き。
渦巻きのマクベスの両頬。

桜の文字の公園。
文字の公園の桜。
公園の桜の文字。
桜の公園の文字。
文字の桜の公園。
公園の文字の桜。

瀕死の感情の帆立貝。
感情の帆立貝の瀕死。
帆立貝の瀕死の感情。
瀕死の帆立貝の感情。
感情の瀕死の帆立貝。
帆立貝の感情の瀕死。

物語の日付の距離。
日付の距離の物語。
距離の物語の日付。
物語の距離の日付。
日付の物語の距離。
距離の日付の物語。

曲解の表面の拡散。
表面の拡散の曲解。
拡散の曲解の表面。
曲解の拡散の表面。
表面の曲解の拡散。
拡散の表面の曲解。

表面の小鳥の品詞。
小鳥の品詞の表面。
品詞の表面の小鳥。
表面の品詞の小鳥。
小鳥の表面の品詞。
品詞の小鳥の表面。

睡眠の小鳥の物語。
小鳥の物語の睡眠。
物語の睡眠の小鳥。
睡眠の物語の小鳥。
小鳥の睡眠の物語。
物語の小鳥の睡眠。

現実のデズデモウナの紙挟み。
デズデモウナの紙挟みの現実。
紙挟みの現実のデズデモウナ。
現実の紙挟みのデズデモウナ。
デズデモウナの現実の紙挟み。
紙挟みのデズデモウナの現実。

わろた。おやすみなさい。ごめんなさい。
おやすみなさい。ごめんなさい。わろた。
ごめんなさい。わろた。おやすみなさい。
わろた。ごめんなさい。おやすみなさい。
おやすみなさい。わろた。ごめんなさい。
ごめんなさい。おやすみなさい。わろた。

振動する小鳥の受粉。
小鳥の受粉する振動。
受粉する小鳥の振動。
振動する受粉の小鳥。
小鳥の受粉する振動。
受粉に振動する小鳥。

樹上のコンビニの窒息。
コンビニの窒息の樹上。
窒息の樹上のコンビニ。
樹上の窒息のコンビニ。
コンビニの樹上の窒息。
窒息のコンビニの樹上。

ブラウスの刺身のマヨネーズ炒め。
刺身のマヨネーズ炒めのブラウス。
マヨネーズ炒めのブラウスの刺身。
ブラウスのマヨネーズ炒めの刺身。
刺身のブラウスのマヨネーズ炒め。
マヨネーズ炒めの刺身のブラウス。

フラスコの紙飛行機の蒸発。
紙飛行機の蒸発のフラスコ。
蒸発のフラスコの紙飛行機。
フラスコの蒸発の紙飛行機。
紙飛行機のフラスコの蒸発。
蒸発の紙飛行機のフラスコ。

海鼠の水槽の回し飲み。
水槽の回し飲みの海鼠。
回し飲みの海鼠の水槽。
海鼠の回し飲みの水槽。
水槽の海鼠の回し飲み。
回し飲みの水槽の海鼠。

樹上のフラスコのブラウス。
フラスコのブラウスの樹上。
ブラウスの樹上のフラスコ。
樹上のブラウスのフラスコ。
フラスコの樹上のブラウス。
ブラウスのフラスコの樹上。

階段の沸騰するプツプツ。
沸騰するプツプツの階段。
プツプツの階段の沸騰。
階段のプツプツの沸騰。
沸騰する階段のプツプツ。
プツプツの沸騰の階段。

樹上のブラウスの刺身。
ブラウスの刺身の樹上。
刺身の樹上のブラウス。
樹上の刺身のブラウス。
ブラウスの樹上の刺身。
刺身のブラウスの樹上。

待合室の松本さんの燻製。
松本さんの燻製の待合室。
燻製の待合室の松本さん。
待合室の燻製の松本さん。
松本さんの待合室の燻製。
燻製の松本さんの待合室。

踏み段の聖職者の振動。
聖職者の振動の踏み段。
振動の踏み段の聖職者。
踏み段の振動の聖職者。
聖職者の踏み段の振動。
踏み段の聖職者の振動。

無韻のコップの治療。
コップの治療の無韻。
治療の無韻のコップ。
無韻の治療のコップ。
コップの無韻の治療。
治療のコップの無韻。

蒸発するコンビニの聖職者。
コンビニの聖職者の蒸発する。
聖職者の蒸発するコンビニ。
蒸発する聖職者のコンビニ。
コンビニの蒸発する聖職者。
聖職者のコンビニの蒸発する。

振動する窒息する花粉。
窒息する花粉の振動する。
花粉の振動する窒息する。
振動する花粉の窒息する。
窒息する振動する花粉。
花粉の窒息する振動する。

コンビニの男性化粧品棚の受粉。
男性化粧品棚の受粉のコンビニ。
受粉のコンビニの男性化粧品棚。
コンビニの受粉の男性化粧品棚。
男性化粧品棚のコンビニの受粉。
受粉の男性化粧品棚のコンビニ。

フラスコの鯨の回し飲み。
鯨の回し飲みのフラスコ。
回し飲みのフラスコの鯨。
フラスコの回し飲みの鯨。
回し飲みのフラスコの鯨。
回し飲みの鯨のフラスコ。

指先の樹液の聖職者。
樹液の聖職者の指先。
聖職者の指先の樹液。
指先の聖職者の樹液。
樹液の指先の聖職者。
聖職者の樹液の指先。

樹上の水槽のブラウス。
水槽のブラウスの樹上。
ブラウスの樹上の水槽。
樹上のブラウスの水槽。
水槽の樹上のブラウス。
ブラウスの水槽の樹上。

松本さんの本棚のマヨネーズ炒め。
本棚のマヨネーズ炒めの松本さん。
マヨネーズ炒めの松本さんの本棚。
松本さんのマヨネーズ炒めの本棚。
本棚の松本さんのマヨネーズ炒め。
マヨネーズ炒めの本棚の松元さん。

鳴り響く帽子の群れ。
帽子の群れの鳴り響く。
群れの鳴り響く帽子。
鳴り響く群れの帽子。
帽子の鳴り響く群れ。
群れの帽子の鳴り響く。

正十二角形の鯨の花びら。
鯨の花びらの正十二角形。
花びらの正十二角形の鯨。
正十二角形の花びらの鯨。
鯨の正十二角形の花びら。
花びらの鯨の正十二角形。

テーブルの象の花。
象の花のテーブル。
花のテーブルの象。
テーブルの花の象。
象のテーブルの花。
花の象のテーブル。

指先の鯨の蒸留水。
鯨の蒸留水の指先。
蒸留水の指先の鯨。
指先の蒸留水の鯨。
鯨の指先の蒸留水。
蒸留水の鯨の指先。

朝凪の一茎の鯨。
一茎の鯨の朝凪。
鯨の朝凪の一茎。
朝凪の鯨の一茎。
一茎の朝凪の鯨。
鯨の一茎の朝凪。

踏み段の顆粒の波。
顆粒の波の踏み段。
波の踏み段の顆粒。
踏み段の波の顆粒。
顆粒の踏み段の波。
波の顆粒の踏み段。

顆粒の小鳥の暗闇。
小鳥の暗闇の顆粒。
暗闇の顆粒の小鳥。
顆粒の暗闇の小鳥。
小鳥の顆粒の暗闇。
暗闇の小鳥の顆粒。

帳面のサボテンの巡回。
サボテンの巡回の帳面。
巡回の帳面のサボテン。
帳面の巡回のサボテン。
サボテンの帳面の巡回。
巡回のサボテンの帳面。

ネクタイの雲の名前。
雲の名前のネクタイ。
名前のネクタイの雲。
ネクタイの名前の雲。
雲のネクタイの名前。
名前の雲のネクタイ。

朝凪の百葉箱の十六方位。
百葉箱の十六方位の朝凪。
十六方位の朝凪の百葉箱。
朝凪の十六方位の百葉箱。
百葉箱の朝凪の十六方位。
十六方位の百葉箱の朝凪。

孤独の小鳥の集団。
小鳥の集団の孤独。
集団の孤独の小鳥。
孤独の集団の小鳥。
小鳥の孤独の集団。
集団の小鳥の孤独。

一茎の聖職者の夕凪。
聖職者の夕凪の一茎。
夕凪の一茎の聖職者。
一茎の夕凪の聖職者。
聖職者の一茎の夕凪。
夕凪の聖職者の一茎。

ぼくは金魚に生まれ変わった扇風機になる。
金魚は扇風機に生まれ変わったぼくになる。
扇風機はぼくに生まれ変わった金魚になる。
ぼくは扇風機に生まれ変わった金魚になる。
金魚はぼくに生まれ変わった扇風機になる。
扇風機は金魚に生まれ変わったぼくになる。

祈りの青首大根の旋回。
青首大根の旋回の祈り。
旋回の祈りの青首大根。
祈りの旋回の青首大根。
青首大根の祈りの旋回。
旋回の青首大根の祈り。

二千行のルビの蠅。
ルビの蠅の二千行。
蠅の二千行のルビ。
二千行の蠅のルビ。
ルビの二千行の蠅。
蠅のルビの二千行。

スーパーマーケットのリア王の増殖。
リア王の増殖のスーパーマーケット。
増殖のスーパーマーケットのリア王。
スーパーマーケットの増殖のリア王。
リア王のスーパーマーケットの増殖。
増殖のリア王のスーパーマーケット。

倫理の二千行の腰掛け。
二千行の腰掛けの倫理。
腰掛けの倫理の二千行。
倫理の腰掛けの二千行。
二千行の倫理の腰掛け。
腰掛けの二千行の倫理。

海面の鳥肌の手術。
鳥肌の手術の海面。
手術の海面の鳥肌。
海面の手術の鳥肌。
鳥肌の海面の手術。
手術の鳥肌の海面。

朝食の吃音の註解。
吃音の註解の朝食。
註解の朝食の吃音。
朝食の註解の吃音。
吃音の朝食の註解。
註解の吃音の朝食。

断面のビルの蠅。
ビルの蠅の断面。
蠅の断面のビル。
断面の蠅のビル。
ビルの断面の蠅。
蠅のビルの断面。

言葉はぼくを孤独にする。
ぼくは孤独を言葉にする。
孤独は言葉をぼくにする。
言葉は孤独をぼくにする。
ぼくは言葉を孤独にする。
孤独はぼくを言葉にする。

ぼくがひとりを孤独にする。
ひとりが孤独をぼくにする。
孤独がぼくをひとりにする。
ぼくが孤独をひとりにする。
ひとりが孤独をぼくにする。
孤独がひとりをぼくにする。

わたしはこころに余裕がない。
余裕はこころにわたしがない。
わたしは余裕にこころがない。
こころは余裕にわたしがない。
余裕はわたしにこころがない。
こころはわたしに余裕がない。

苺の幽霊の椅子。
幽霊の椅子の苺。
椅子の苺の幽霊。
苺の椅子の幽霊。
幽霊の苺の椅子。
椅子の幽霊の苺。

側頭部の聖職者の糊付け。
聖職者の糊付けの側頭部。
糊付けの側頭部の聖職者。
側頭部の糊付けの聖職者。
聖職者の側頭部の糊付け。
糊付けの聖職者の側頭部。

樹上のコーヒーカップの一語。
コーヒーカップの一語の樹上。
一語の樹上のコーヒーカップ。
樹上の一語のコーヒーカップ。
コーヒーカップの樹上の一語。
一語のコーヒーカップの樹上。

苺の注射器の秩序。
注射器の秩序の苺。
秩序の苺の注射器。
苺の秩序の注射器。
注射器の苺の秩序。
秩序の注射器の苺。

波打ち際の苺のトルソー。
苺のトルソーの波打ち際。
トルソーの波打ち際の苺。
波打ち際のトルソーの苺。
苺の波打ち際のトルソー。
トルソーの苺の波打ち際。

側頭部の海のコーヒーカップ。
海のコーヒーカップの側頭部。
コーヒーカップの側頭部の海。
側頭部のコーヒーカップの海。
海の側頭部のコーヒーカップ。
コーヒーカップの海の側頭部。

稲妻の樹上の鯨。
樹上の鯨の稲妻。
鯨の稲妻の樹上。
稲妻の鯨の樹上。
樹上の稲妻の鯨。
鯨の樹上の稲妻。

夜明けのバネ仕掛けのサンドイッチ。
バネ仕掛けのサンドイッチの夜明け。
サンドイッチの夜明けのバネ仕掛け。
夜明けのサンドイッチのバネ仕掛け。
バネ仕掛けの夜明けのサンドイッチ。
サンドイッチのバネ仕掛けの夜明け。

樹上の暴走のカルボナーラ。
暴走のカルボナーラの樹上。
カルボナーラの樹上の暴走。
樹上のカルボナーラの暴走。
暴走の樹上のカルボナーラ。
カルボナーラの樹上の暴走。


Pooh on the Hill。

  田中宏輔




Narrate refero.

私は語られたることを再び語る。

                    (『 ギリシア・ラテン引用語辭典』)

熊がかわいそうな人間を食うのなら、なおさら人間が熊を食ったっていいではないか。

                    (ペトロニウス『サテュリコン』66、国原吉之助訳 )

(これを殺しても殺人罪にならない)

                    (文藝春秋『大世界史14』)

またそれを言う。

                    (横溝正史『嵐の道化師』)

「いやんなっちゃう!」と、プーはいいました。

                    (A・A・ミルン『クマのプーさん』6、石井桃子訳)

「そうらね!」と、コブタはいいました。

                    (A・A・ミルン『クマのプーさん』5、石井桃子訳)

「あわれなり。」と、イーヨーはいいました。

                    (A・A・ミルン『クマのプーさん』6、石井桃子訳)

それでしゅ、それでしゅから、お願いに参ったでしゅ。

                    (泉 鏡花『貝の穴に河童のいる事』)

饂飩(うどん)の祟(たた)りである。

                    (泉 鏡花『眉かくしの霊』二)

それは迷惑です。

                    (泉 鏡花『山吹』第一場)

為様(しよう)がないねえ、

                    (泉 鏡花『高野聖』十九)

やっぱり、ぼくが、あんまりミツがすきだから、いけないの

                    (A・A・ミルン『クマのプーさん』1、石井桃子訳)

と、プーは、かなしそうにいいました。

                    (A・A・ミルン『クマのプーさん』4、石井桃子訳)

じぶんじゃ、どうにもならないんだ。

                    (A・A・ミルン『プー横丁にたった家』6、石井桃子訳)

あのブンブンて音には、なにかわけがあるぞ。

                    (A・A・ミルン『クマのプーさん』1、石井桃子訳)

もちろん、あれだね、

                    (A・A・ミルン『クマのプーさん』7、石井桃子訳)

何だい?

                    (フィリップ・K・ディック『時は乱れて』12、山田和子訳)

変な声が聞えるんです。

                    (泉 鏡花『春昼後刻』三十一)

変かしら?

                    (リチャード・マシスン『縮みゆく人間』5、吉田誠一訳)

その声が堪(たま)らんでしゅ。

                    (泉 鏡花『貝の穴に河童のいる事』)

花だと思います。

                    (泉 鏡花『高野聖』十六)

花がなんだというのかね。

                    (ホラティウス『歌集』第三巻・八、鈴木一郎訳)

あの花はなんですか。

                    (泉 鏡花『海神別荘』)

ラザロはすでに四日も墓の中に置かれていた。

                    (ヨハネによる福音書一一・一七)

なぜ四日かかったか。

                    (横溝正史『憑(つ)かれた女』)

「四日ですか」

                    (フィリップ・K・ディック『アルファ系衛星の氏族たち』3、友枝康子訳)

神のみは、すべてのものを愛して、しかも、自分だけを愛している。

                    (シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』宇宙の意味、田辺 保訳)

誰もそのような愛を欲しがりはしないにしても、

                    (E・М・フォースター『モーリス』第一部・11、片岡しのぶ訳)

「こりゃまた、なんのこっちゃい。」と、イーヨーがいいました。

                    (A・A・ミルン『プー横丁にたった家』9、石井桃子訳)

何を言ってるんだか分らないわねえ。

                    (泉鏡花『春昼後刻』二十七)

と、カンガは、さも思案(しあん)しているような声でいいました。

                    (A・A・ミルン『クマのプーさん』7、石井桃子訳)

これらはことばである。

                    (オクタビオ・パス『白』鼓 直訳)

そこには現在があるだけだった。

                    (サルトル『嘔吐』白井浩司訳)

すべてが現在なのだ。

                    (アゴタ・クリストフ『昨日』堀 茂樹訳)

記憶より現在を選べ

                    (ゲーテ『ほかの五つ』小牧健夫訳)

いったいぜんたい、なんのことなんだか、プーは、わけがわからなくなって、頭をかきました。

                    (A・A・ミルン『クマのプーさん』6、石井桃子訳)

「花は?」

                    (フロベール『感情教育』第一部・五、生島遼一訳)

「花は」

「Flora.」

たしかに「Flower.」とは云はなかつた。

                    (梶井基次郎『城のある町にて』手品と花火)

汝は花となるであろう。

                    (バルザック『セラフィタ』五、蛯原〓夫訳)

花となり、香となるだろう。

                    (サバト『英雄たちと墓』第IV部・7、安藤哲行訳)

それにしても、なぜいつもきまってあのことに立ちかえってしまうのでしょう……。

                    (モーリヤック『ホテルでのテレーズ』藤井史郎訳)

どこであれ、帰ってくるということはどこにも出かけなかったということだ。
            
                    (フエンテス『脱皮』第三部、内田吉彦訳)

あれは白い花だった……(それとも黄色だったか?

                    (ブライス=エチェニケ『幾たびもペドロ』3、野谷文昭訳)

「青い花ではなかったですか」

                    (ノヴァーリス『青い花』第一部・第一章、青山隆夫訳)

見覚えました花ですが、私(わたし)はもう忘れました。

                    (泉 鏡花『海神別荘』)

真黄色(まつきいろ)な花の

                    (泉 鏡花『春昼後刻』三十三)

淡い青色の花だったが、

                    (ノヴァーリス『青い花』第一部・第一章、青山隆夫訳)

「だれか、このなかへ、ミツをいれておいたな。」と、フクロがいいました。

                    (A・A・ミルン『クマのプーさん』6、石井桃子訳)

ぼくは、ばかだった、だまされてた。ぼくは、とっても頭のわるいクマなんだ。

                    (A・A・ミルン『クマのプーさん』3、石井桃子訳)

「いやんなっちゃう!」と、プーはいいました。

                    (A・A・ミルン『クマのプーさん』6、石井桃子訳)

嫌になつちまふ!

                    (泉 鏡花『化銀杏』六)

単純な答えなどはない。

                    (アルフレッド・ベスター『虎よ、虎よ!』第二部・14、中田耕治訳)

私はもはや、私自身によってしか悩まされはしないだろう。

                    (ボードレール『夜半の一時に』三好達治訳)

「それが、問題(もんだい)なんだ。」と、ウサギはいいました。

                    (A・A・ミルン『プー横丁にたった家』7、石井桃子訳)

人間に恐ろしいのは未知の事柄だけだ。

                    (サン=テグジュペリ『人間の土地』二・2、堀口大學訳)

私は未知のものより、既知のものをおそれる。

                    (ヴァレリー『カイエ一九一〇』村松 剛訳)

私が話しているとき 何故あなたは気難しい顔をしているのですか?

                    (トム・ガン『イエスと母』中川 敏訳)

きらいだからさ。

                    (夏目漱石『こころ』上・八)

これは私についての話ではない。

                    (レイモンド・カーヴァー『サン・フランシスコで何をするの?』村上春樹訳)

どこかに石はないだろうか?

                    (ホラティウス『諷刺詩集』第二巻・七、鈴木一郎訳)

どうして石なんだ?

                    (フィリップ・K・ディック『銀河の壺直し』11、汀 一弘訳)

石は硬く、動かない。

                    (サルトル『嘔吐』白井浩司訳)

すべてのものにこの世の苦痛が混ざりあっている。

                    (フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』杉山晃・増田義郎訳)

石があった。

                    (テッド・チャン『バビロンの塔』浅倉久志訳)

石なの?

                    (フィリップ・K・ディック『宇宙の操り人形』第三章、仁賀克雄訳)

「花は?」

                    (フロベール『感情教育』第一部・五、生島遼一訳)

「花は」

「Flora.」

たしかに「Flower.」とは云はなかつた。
 
                    (梶井基次郎『城のある町にて』手品と花火)

またそれを言う。

                    (横溝正史『嵐の道化師』)

これで二度目だ。

                    (泉 鏡花『眉かくしの霊』二)

「きみ、気にいった?」

                    (A・A・ミルン『プー横丁にたった家』2、石井桃子訳)


ベルゼバブ。

  田中宏輔



 コーヒーを飲み終えられたベルゼバブさまは、机の上に置かれたアルコールランプを手元に引き寄せられると、指を鳴らして、火花を発して火を灯されました。すると、ベルゼバブさまの前に坐らされておりました老人が、ビクンッと躯をふるわせて、そのゆらゆらと揺れ動くアルコールランプの炎に目をやりました。はじめてアルコールランプといったものを目にしたのでしょうか、ほんに、その眼差しは、狂った者の、恍惚とした眼差しでございました。ベルゼバブさまは、しばらくのあいだ、その老人の顔を眺めておられましたが、白衣のポケットから、折り畳まれたハンカチを取り出されると、それでスプーンの柄を持たれて、アルコールランプの炎の中に、スプーンの先を入れられました。スプーンの先は、たちまち炭がついて黒くなりました。ベルゼバブさまは、たびたび手を返されて、ふくらんだ方も、へこんだ方も、丹念にスプーンの先を熱せられました。そうして、ベルゼバブさまは、充分に熱せられたスプーンの先を、呆けた眼差しをアルコールランプの炎に投げつづける狂った老人の額の上に押し当てられたのでございます。すると、ギャッという叫び声とともに、老人の躯が椅子の上で跳ね上がり、寄り目がちの双つの眼がさらに寄って、瞬時に充血して、真っ赤になりました。狂った老人は、顔を伏せて、自分の額を両の手で覆うようにしてふるえておりました。ベルゼバブさまは、ふたたびスプーンの先を丹念に熱せられると、こんどは、それを老人のうなじに押し当てられたのでございます。老人は、グアーッという、獣じみた声を発して床の上に這いつくばりました。ベルゼバブさまは、その様子を飽かずに眺めておられましたが、わっしらもまた前脚をこすりながら、手術台の上に横たえられた女の死骸の上から、その這いつくばった老人の背中を見下ろしておりました。それは、毛をむしり取られ、傷だらけにされて群れから追い出された老いぼれ猿のように、まことに醜く無惨な姿でございました。ベルゼバブさまが、このような老いぼれ猿の姿をごらんになられて、いったい、どのようなお歌をおつくりになられるのか、ほんに、楽しみなことでございます。あれは、いつのことでありましたでしょうなあ。わっしらがむさぼり喰らうこの女が絶命し、ベルゼバブさまが、この女の胎の内から血まみれの赤ん坊の肢体を引きずり出されたのは。そうして、ベルゼバブさまは、その赤ん坊の首を、まるで果実を枝からもぎ取られるようにして引きちぎられると、ぐらぐらと煮え立つ鍋の中に放り投げられました。すると、その赤ん坊の首が、激しく沸騰する熱湯の中で微笑みを浮かべて、ゆらゆらと揺れておるのでございました。あのとき、ベルゼバブさまが、わっしらの前で詠まれたお歌は、ほんに、すばらしいものでございました。


   ひとり居て卵うでつつたぎる湯にうごく卵を見ればうれしも   (『赤光』)


 いえいえ、もちろん、このお歌ばかりではございません。斎藤茂吉のお名前でおつくりになられた、どのお歌も、まことにすばらしいものでございます。仮のお宿のひとつになさっておられる、この気狂い病院で、ベルゼバブさまは、ほんに、たんとの、すばらしいお歌をおつくりになられました。


   狂人に親しみてより幾年(いくとせ)か人見んは憂き夏さりにけり   (『あらたま』)

   みやこべにおきて来(きた)りし受持の狂者おもへば心いそぐも   (『あらたま』)

   きちがひの遊歩(いうほ)がへりのむらがりのひとり掌(て)を合す水に向きつつ   (『あらたま』)

   ダアリヤは黒し笑ひて去りゆける狂人は終(つひ)にかへり見ずけり   (『赤光』)

   けふもまた病室に来てうらわかき狂ひをみなにものをこそ言へ   (『あらたま』)

   暁にはや近からし目の下(もと)につくづくと狂者のいのち終る   (『あらたま』)

   ものぐるひの屍(かばね)解剖(かいぼう)の最中(もなか)にて溜(たま)りかねたる汗おつるなり   (『あらたま』)


有り難いことに、使い魔たる、わっしら、蠅どものことをも、ベルゼバブさまは、たんと、たんと、お歌に詠んでくださっておられます。


   留守居して一人し居れば青(あを)光(ひか)る蠅のあゆみをおもひ無(な)に見し   (『あらたま』)

   汗いでてなほ目ざめゐる夜は暗しうつつは深し蠅の飛ぶおと   (『あらたま』)

   ひたぶるに暗黒を飛ぶ蠅ひとつ障子(しやうじ)にあたる音ぞきこゆる   (『あらたま』)

   あづまねのみねの石はら真日(まひ)てれるけだもの糞(ぐそ)に蠅ひとつをり   (『あらたま』)


 ベルゼバブさまは、手を伸ばされると、気の狂った老人の頭をつまみ上げられて、壁に叩きつけられました。ゴンッという、大きな鈍い音とともに壁が揺れ、干からびた猿のような老人の死骸が床の上に落ちました。老人は声を上げる間もなく、絶命しておりました。治療室の白い壁の上に、血まみれの毛髪と肉片が貼りついておりました。ベルゼバブさまは、立ち上がられて壁のすぐそばまで寄って行かれると、その壁面の模様を、しばしのあいだ眺めておられましたが、突然、なにかを思いつかれたかのように、その壁面を指さして、机のある方に向かって歩き出されました。それで、わっしらは、その合図にしたがって、切り刻まれた女の死骸から離れて、血まみれの壁の方へと向かって、飛び立ったのでございます。





                       *引用された短歌作品は、すべて、斎藤茂吉のものである。


『斎藤茂吉=蠅の王(ベルゼブル)論』。 

  田中宏輔




 ボードレールの作品世界に通底している美意識は、詩集『悪の華』(堀口大學訳)に収められた詩の題名によって捉えることができる。たとえば、「不運」、「前生」、「異なにほひ」、「腐肉」、「死後の悔恨」、「幽霊」、「墓」、「陽氣な死人」、「憂鬱」、「虚無の味」、「恐怖の感應」、「われとわが身を罰する者」、「救ひがたいもの」、「破壊」、「血の泉」、「惡魔への連祷」などである。

 本稿では、前半で、これらの語群をキーワードとして用い、斎藤茂吉の作品世界に、ボードレール的な美意識が表出されていることを示し、後半で、「蠅」がモチーフとして用いられている茂吉の短歌作品を幾首か取り上げ、『斎藤茂吉=蠅の王(ベルゼブル)論』を導き出し、その作品世界を新たに解読する手がかりを与えた。


     夕さればむらがりて来る油むし汗あえにつつ殺すなりけり     (『赤光』)

     をさな妻こころに守り更けしづむ灯火(ともしび)の虫を殺しゐたり     (『赤光』)

     宵ごとに灯(ともし)ともして白き蛾(が)の飛びすがれるを殺しけるかな     (『あらたま』)

     ゆふぐれてわれに寄りくるかすかなる蟆子(ぶと)を殺しつ山の沼(ぬ)のべに     (『ともしび』)

     ちひさなる虻にもあるか時もおかず人をおそひに来るを殺しつ     (『石泉』)


 これらの歌は、きわめて特異な印象を与えるものであった。害虫退治という題材が特殊なためではない。害虫退治が題材であるのに、ここには、害虫に対する嫌悪や憎悪といった表現主体の悪感情がほとんど見られないためである。悪感情もなく、害虫を殺すといったことに、なにかしら、尋常ならざるものが感じられたのである。


     ゴオガンの自画像みればみちのくに山蚕(やまこ)殺ししその日おもほゆ     (『赤光』)

     河豚の子をにぎりつぶして潮もぐり悲しき息をこらす吾(われ)はや     (『あらたま』)

     さるすべりの木(こ)の下かげにをさなごの茂太を率(ゐ)つつ蟻(あり)を殺せり     (『あらたま』)


 子供ならば、面白がって害虫でもない小動物を殺すことがあるかもしれない。しかし、そのことによって、自分のこころが慰められているのだという認識はないであろう。あるいは、そう認識するまえの段階で、そのような行為とは決別するものであろう。しかし、茂吉は、そう認識しつつも殺さなければならないほどに、こころが蝕まれていたのであろう。


     むらぎものみだれし心澄みゆかむ豚の子を道にいぢめ居たれば     (『あらたま』)


このような歌を詠まずにはいられない茂吉の心象風景とは、いったい、いかなるものであったのだろう。


     唐辛子(たうがらし)いれたる鑵(くわん)に住みつきし虫をし見つつしばし悲しむ     (『白桃』)

     昆虫の世界ことごとくあはれにて夜な夜なわれの燈火(ともしび)に来る     (『白い山』)

     砂の中に虫ひそむごとこのひと夜山中(やまなか)に来てわれは眠りぬ     (『白桃』)

     たまきはる命をはりし後世(のちのよ)に砂に生れて我は居るべし     (『ともしび』)


 これだけ昆虫を殺しながらも、その昆虫、あるいは、その昆虫の世界を哀れに思い、自身が昆虫に転生するような歌をもつくるのである。茂吉は、かなり振幅のはげしい嗜虐性と被虐性を併せ持った性格であったのだろう。


     鼠等(ねずみら)を毒殺せむとけふ一夜(ひとよ)心楽しみわれは寝にけり     (『暁紅』)

     狼になりてねたましき喉笛(のどぶえ)を噛み切らむとき心和(なご)まむ     (『愛の書簡』)


 まことに陰惨な心象風景である。しかし、このようなこころの持ち主には、小胆な者が多い。そして、そういった人間は、しばしば神経症的な徴候を示し、病的ともいえる奇矯な振る舞いに及ぶことも少なくない。


     この心葬り果てんと秀(ほ)の光る錐(きり)を畳に刺しにけるかも     (『赤光』)

     ふゆの日の今日(けふ)も暮れたりゐろりべに胡桃(くるみ)をつぶす独語(ひとりごと)いひて     (『あらたま』)


このように病んだこころの持ち主が、異常なもの、グロテスクなものに、こころ惹かれるのも無理はない。


     一夜(ひとよ)あけばものぐるひらの疥癬(かいせん)にあぶらわれは塗るべし     (『ともしび』)

     うち黙(もだ)し狂者を解体する窓の外(と)の面(も)にひとりふたり麦刈る音す     (『あらたま』)

     狂者らは Paederasie をなせりけり夜しんしんと更(ふ)けがたきかも     (『赤光』)

     あたらしき馬糞(まぐそ)がありて朝けより日のくるるまで踏むものなし     (『ともしび』)

     狂人のにほひただよふ長廊下(ながらうか)まなこみひらき我はあゆめる     (『あらたま』)

     けふもまた向ひの岡に人あまた群れゐて人を葬(はふ)りたるかな     (『赤光』)

     墓はらを歩み来にけり蛇の子を見むと来つれど春あさみかも     (『赤光』)

     朝あけていろいろの蛾(が)の死(しに)がらのあるをし見れば卵産みけり     (『白桃』)


これらの作品には、どれにもみな、ボードレール的な美意識が表出されているように思われる。


     ものぐるひの声きくときはわづらはし尊(たふと)き業(なり)とおもひ来(こ)しかど     (『白桃』)

     十日なまけけふ来て見れば受持の狂人ひとり死に行きて居し     (『赤光』)

     死に近き狂人を守るはかなさに己(おの)が身すらを愛(は)しとなげけり     (『赤光』)

     うつせみのいのちを愛(を)しみ世に生くと狂人(きやうじん)守(も)りとなりてゆくかも     (『この日ごろ』)


 精神科医であった茂吉の、気狂いに対する ambivalent で fanatic な思いは、どこかしら、彼の昆虫に対する思いに通じるところがある。ボードレールもまた、つねに ambivalent で fanatic な思いをもって対象に迫り、それを作品のなかに書き込んでいくタイプの詩人であった。


     まもりゐる縁の入日(いりび)に飛びきたり蠅(はへ)が手を揉むに笑ひけるかも     (『赤光』)

     留守をもるわれの机にえ少女(をとめ)のえ少男(をとこ)の蠅がゑらぎ舞ふかも     (『赤光』)

     冬の山に近づく午後の日のひかり干栗(ほしぐり)の上に蠅(はへ)ならびけり     (『あらたま』)

     うすぐらきドオムの中に静まれる旅人われに附きし蠅ひとつ     (『遠遊』)

     蠅(はへ)多き食店にゐてどろどろに煮込みし野菜くへばうましも     (『遠遊』)


「蠅」が茂吉の使い魔であることは、一目瞭然である。「蠅の王」(ベルゼブル、ベルゼブブ、あるいは、ベルゼバブ)は、蠅を意のままに呼び寄せたり、追い払うことができるのである(ユリイカ1989年3月号収載の植松靖夫氏の「蠅のデモロジー」より)。「ベルゼブル」は、マタイによる福音書12・24や、ルカによる福音書11・15によると、「悪魔の首領」であるが、茂吉に冠される称号として、これ以上に相応しいものがあるであろうか。demonic な詩人の代表であるボードレールに与えられた「腐肉の王」という称号にさえ、ひけをとらないものであろう。

 つぎに、茂吉を、「蠅の王」と見立てることによって、彼の作品世界を新たに解釈することができることを示してみよう。本稿の目的は、ここに至って達成されたことになる。


     ひとり居て卵うでつつたぎる湯にうごく卵を見ればうれしも     (『赤光』)


 一見、何の変哲もないこの歌が、「卵」を「赤ん坊」の喩と解することによって、「ひとりでいるとき、赤ん坊を茹でていると、煮えたぎる湯のなかで、その赤ん坊の身体がゆらゆらと揺れ動いて、それを眺めていると、じつに楽しい気分になってくるものである」といったこころ持ちを表しているものであることがわかる。


     汝兄(なえ)よ汝兄たまごが鳴くといふゆゑに見に行きければ卵が鳴くも     (『赤光』)


「卵」を「赤ん坊」と解したのは、この歌による。

 拙論にそって、斉藤茂吉の作品を鑑賞すると、これまで一般に難解であるとされてきたものだけではなく、前掲の作品のように、日常詠を装ったものの本意をも容易に解釈することができるのである。




                                            *引用された短歌作品は、すべて、斎藤茂吉のものである。


熊のフリー・ハグ。

  田中宏輔




まあ

じっさいに、熊の被害に遭われた方には

申し訳ないのだけれど



熊のフリー・ハグに注意!



きょう

きゃしゃな感じの三人組の青年たちが

フリー・ハグのプラカードを胸にぶら下げて

四条河原町の角に立って

ニタニタ笑っていた

プラカードの字はぜんぜんヘタクソだったし

見た目も気持ち悪かったし

なんだか頭もおかしそうだった



そういえば

おとついくらいかな

テレビのニュースで見たのだけれど

二十歳くらいのかわいらしい女の子たちが二人

フリー・ハグのプラカードを胸に下げて

通っているひとたちに声をかけて

ハグハグしていた



とってもかわいらしい女の子たちだったから

ゲイのぼくでもハグハグしてもらったらうれしいかも

なんて思っちゃった



不在の猫

猫は不在である

連れ出さなければならなかったのだ

波しぶきビュンビュン

市内全域で捜査中

バケツをさげたオバンが通りかかる

「あたしの哲学によるとだね

 あんた

 運が落ちてるよ」

不在の猫がニャンと鳴く

挨拶する暇もなく

雨が降る

「このバケツにゃ

 だれにでもつながる電話が入ってるんだよ

 試してみるかい」

角のお好み焼き屋のオヤジが受話器を握る

「猫を見たわ

 過激に活躍中よ

 気をつけて

 あなたの運は落ちてるわ」

ガチャン

お好み焼き屋のオヤジは受話器を叩きつける

「あんた

 これはあたしの電話だよ

 こわれるじゃないか」

バケツをさげたオバンが立ち去る

お好み焼き屋のオヤジがタバコをくわえる

不在の猫がニャンと鳴く

雨が上がる

いまの雨は嘘だった

ずっと

青空だったのだ

お好み焼き屋のオヤジが放屁する

真ん前の空を横切って、一台のUFOがひゅるひゅると空の端っこに落ちていく

学校帰りの小学生の女の子が歌いながら歩いてきた

「きょうもまじめな父さんは

 あしたもまじめな父さんよ

 きょうもみじめな母さんは

 あしたもみじめな母さんよ

 ローンきつくてやりきれない

 ローンきつくてやりきれない

 みんなで首をくくって死にましょう

 みんなで首をくくって死にましょう」

不在の猫がニャンと鳴く

「お嬢さんの学校じゃ

 そんな歌が流行ってるのかい」

時代錯誤のセリフがオヤジの口を突いて出てくると

かわいらしい小学生の女の子はオヤジの目を睨みつけて

「バッカじゃないの

 おじさんって

 おつむは大丈夫?

 おててが二つで

 あんよが二つ

 あわせて四つで

 ご苦労さん」

テレフォン・ショッピングの時間です

午後にたびたび夕立が降るのは

ご苦労さんです

仕事帰りに一杯のご気分はいかがですか?

鼻息の荒い毛むくじゃらの不在の猫がニャンと鳴く

カレンダー通りに

月曜日のつぎは火曜日

火曜日のつぎは水曜日

水曜日のつぎは木曜日

木曜日のつぎは金曜日

金曜日のつぎは土曜日

土曜日のつぎは日曜日

日曜日のつぎは月曜日

これってヤーネ

燃え上がる一台のUFOから宇宙人が出てきて

インタビューを受けている

「とつぜんのことでした

 ブランコに乗っていたら

 知らないおじさんが

 おいらのことを

 かわいいかわいいお嬢さん

 って呼ぶものだから

 おいらは宇宙人なのに

 お嬢さんだと思って

 おじさんの手に引かれて

 ぷらぷらついていったの

 知らないおじさんは宇宙人好きのする顔だったから

 おいらは

 てっきり

 おいらのことをお嬢さんだと思って

 それで

 縄でくくられて

 ぬるぬるした鼻息の荒い毛むくじゃらのタコのような不在の猫がニャンと鳴く」

お好み焼き屋のオヤジがタバコを道端に捨てて

つま先で火をもみ消した

バケツをさげたオバンがまたやってきた

「あたしの哲学によるとだね

 あんた

 運が落ちてるよ」

それを聞くなり

お好み焼き屋のオヤジが

バケツを持ったオバンの顔をガーンと一発殴ろうとしたら

反対に

オバンにバケツでどつかれて

頭を割って

さあたいへん

どじょうが出てきてコンニチハ

頭から

太ったうなぎほどの大きさのどじょうが出てきたの

どうしようもないわ

お好み焼き屋のオヤジは道端にしゃがんで

頭抱えて

思案中

「ところで

 明日の天気は晴れかな」

ぎらぎら光るぬるぬるした鼻息の荒い毛むくじゃらのタコのような不在の猫がニャンと鳴く

「晴れ

 ときどき曇り

 のち雨

 ときには豹も降るでしょう」

だれもがそう思いこんでいる

気がついたら

6時50分だった

ニュースが終わるよ

終わっちゃうよ

猫は不在である

というところで

人生の達人ともなれば

自分自身とも駆け引き上手である

勃起が自尊心を台無しにすることはない

理性に判断させるべきときに

理性に判断させてはいけない

わたしが20代の半ばくらいのときに

神について、とか

人間について、とか

愛について、とか

生きることについて、とか

そんなことばかりに頭を悩ませていたのは

そういったことばかりに頭を使っていたのは

真剣に取り組まなければならなかった身近なことから

ほんとうにきちんと考えなければならなかった日常のことから

自分自身の目を逸らせるためではなかったのだろうか

真剣に取り組んで、ほんとうにきちんと考えなければならなかった問題を

自分自身の目から遠くに置くためではなかったのだろうか

たとえどんなにブサイクな恋人でも

濡れた手で触れてはいけない

オハイオ、ヤバイヨ

愛はたった一度しか訪れないのか

why

Why



詩に飽きたころに

小説でオジャン

あれを見たまえ



角の家の犬

自分が飼われている家の近くにいるときには

とてもうるさく吠えるのに

公園の突き出た棒につながれたら

おとなしい



掲示板



イタコです。

週に二度、ジムに通って身体を鍛えています。

特技は容易に憑依状態になれることです。

しかも、一度に三人まで憑依することができます。

こんなわたしでよかったら、ぜひ、メールをください。

また、わたしのイタコの友だちたちといっしょに、合コンをしませんか?

人数は、四、五人から十数人くらいまで大丈夫です。こちらは四人ですけれど、

十数人くらいまでなら、すぐにでも憑依して人数を増やせます。

合コンのお申し込みも、ぜひぜひ、よろしくお願いいたします! (二十五才・女性会員)。



今朝、通勤の途中、新田辺駅で停車している普通電車に乗っていたときのことでした。

「ただいま、この電車は、特急電車の通過待ちのために停車しております。」

というアナウンスのあとに、「ふう。」と、大きなため息を、車掌がつきました。

しかし、まわりを見回しても、車掌のそのため息に耳をとめたひとは、ひとりもおらず

みんな、ふだんと同じように、居眠りしていたり、本を読んだりしていました。

だれひとり、車掌のため息を耳にしなかったかのように、だれひとり、笑っていませんでした。

笑いそうになってゆるみかけていたぼくの頬の筋肉が、こわばってひきつりました。



一乗寺商店街に

「とん吉」というトンカツ屋さんがあって

下鴨にいたころや

北山にいたころに

一ヶ月に一、二度、行ってたんだけど

ほんとにおいしかった

ただ、何年前からかなあ

少しトンカツの質が落ちたような気がする

カツにジューシーさがないことが何度かつづいて

それで行かなくなったのだけれど

ときたま

一乗寺商店街の古本屋「荻書房」に行くときとか

おしゃれな書店「恵文社」に行くときとかに

なつかしくって寄ることはあるんだけれど

やっぱり味は落ちてる

でも、豚肉の細切れの入った味噌汁はおいしい

山椒が少し入ってて、鼻にも栄養がいくような気がする

とん吉では、大将とその息子さん二人と奥さんが働いていて

奥さんと次男の男の子は、夜だけ手伝っていて

昼間は、大将と長男の二人で店を開けていて

その長男が、チョーガチムチで

柔道選手だったらしくって

そうね

007のゴールドフィンガーに出てくる

あのシルクハットを、ビュンッて飛ばして

いろんなものを切ってく元プロレスラーの俳優に似ていて

その彼を見に行ってるって感じもあって

トンカツを食べるって目的だけじゃなくてね

不純だわ、笑。

とん吉には

プラスチックや陶器でできたブタのフィギュアがたくさん置いてあって

お客さんが買ってきては置いていってくれるって

大将が言ってたけれど

みずがめ座の彼は



ぼくが付き合ってた男の子ね

ぼくがブタのフィギュアを集めてたことをすっごく嫌がっていた

見た目グロテスクな

陶器製の精巧なブタのフィギュアを買ったときに別れたんだけど

ああ、名前を忘れちゃったなあ

でも、めっちゃ霊感の鋭い子で

彼が遊びにきたら

かならず霊をいっしょに連れてきていて

泊まりのときなんか

ぼくはかならずその霊に驚かされて

かならずひどい悪夢を見た

彼は痛みをあんまり痛みに感じない子やった

歯痛もガマンできると言っていた

ぼくと付き合う前に付き合ってたひとがSだったらしくって

かなりきついSだったんだろうね

口のなかにピンポンの球みたいなものを

あのひも付きの口から吐き出させないようにするやつね

そんなものをくわえさせられて

縛られて犯されたって言ってたけど

そんなプレーもあるんやなって思った

痛みが快感と似ているのは

ぼくにもある程度わかるけど

そういえば

フトシくんは

ぼくを縛りたいと言ってた

ぼくが23才で

彼が二十歳だったかな

ラグビー選手で

高校時代に国体にも出てて

めっちゃカッコよかった

むかし

梅田にあったクリストファーっていうゲイ・ディスコで出会ったのね



一度

ホテルのエレベーターのなかで

ふつうの若いカップルと乗り合わせたことがあって

なぜかしらん、男の子のほうは

目を伏せて、ぼくらのほうを見ないようにしてたけど

女の子のほうは、目をみひらいて

ぼくらの顔をジロジロ交互にながめてた

きっと

ぼくらって

ラブラブのゲイカップルって光線を発してたんだろうね



あのエレベーターのなかじゃ、あたりまえか

ラブホだもんね

なにもかもがうまくいくなんて

けっしてなかったけれど

ちょっとうまくいくっていうのが人生で

そのちょっとうまくいった思い出と

うまくいかなかったときのたくさんの思い出が

いっぱい

いいっっぱい

you know

i know

you know what i know

i know what you know

同じ話を繰り返し語ること

同じ話を繰り返し語ること



地球のゆがみを治す人たち



バスケットボールをドリブルして

地面の凸凹をならす男の子が現われた

すると世界中の人たちが

われもわれもとバスケットボールを使って

地面の凸凹をならそうとして

ボンボン、ボンボン地面にドリブルしだした

そのたびに

地球は

洋梨のような形になったり

正四面体になったり

直方体になったりした



2008年4月22日のメモ(通勤電車のなかで)



手の甲に

というよりも

右の手の人差し指の根元の甲のほうに

2センチばかりの切り傷ができてた

血の筋が固まっていた

糸のようにか細い血の筋に目を落として考えた

寝ているあいだに切ったのだろうけれど

どこで切ったのだろうか

どのようにして切ったのであろうか

切りそうな場所って

テーブルの脚ぐらいしかないんだけれど

その脚だって角張ってはいないし

それ以外には

切るようなシチュエーションなど考えられなかった

幼いときからだった

目が覚めると

ときどき

手のひらとか甲とか

指の先などに

切り傷ができていることがあって

血が固まって

筋になっていて

指でさわると

その血の筋が指先に

ちょっとした凹凸感を感じさせて

でも

どこで

どうやって

そんな傷ができたのか

さっぱりわからなかったのだ

これって

もしかすると

死ぬまでわからないんやろうか

自分の身の上に起きていることで

自分の知らないことがいっぱいある

これもそのひとつに数えられる

まあ

ちょっとしたなぞやけど

ごっつい気になるなぞでもある

なんなんやろ

この傷

これまでの傷



彼女は手紙を書き上げると

彼に電話した

彼も彼女に手紙を書き終えたところだった

二人は自分たちの家の近くのポストにまで足を運んだ

二つのポストは真っ赤な長い舌をのばすと

二人をぱくりと食べた

翌日

彼女は彼の家に

彼は彼女の家に

配達された

そして

二人は

おのおの宛てに書かれた手紙を読んだ



きのうは

ジミーちゃんと

ジミーちゃんのお母さまと

1号線沿いの「かつ源」という

トンカツ屋さんに行きました。

みんな、同じトンカツを食べました。

ぼくとジミーちゃんは150グラムで

お母さまは、100グラムでしたけれど。

ご飯と豚汁とサラダのキャベツは

お代わり自由だったので

うれしかったです。

もちろん、ぼくとジミーちゃんは

ご飯と豚汁をお代わりしました。

食後に芸大の周りを散歩して

それから嵯峨野ののどかな田舎道をドライブして

広沢の池でタバコを吸っていました。

目をやると

鴨が寄ってくるので

猫柳のような雑草の先っぽを投げ与えたりして

しばらく、曇り空の下で休んでいました。

鴨は、その雑草の穂先を何度も口に入れていました。

「こんなん、食べるんや。」

「ぼくも食べてみようかな。」

ほんのちょっとだけ、ぼくも食べてみました。

予想と違って、苦味はなかったのですが

青臭さが、長い時間、残りました。

鴨のこどもかな

と思うぐらいに小さな水鳥が

池の表面に突然現われて

また水のなかに潜りました。

「あれ、鴨のこどもですか?」

と、ジミーちゃんのお母さまに訊くと

「種類が違うわね。

 なんていう名前の鳥か

 わたしも知らないわ。」

とのことでした。

見ていると、水面にひょっこり姿を現わしては

またすぐに水のなかに潜ります。

そうとう長い時間、潜っています。

水のなかでは呼吸などできないはずなのに。

顔と手に雨粒があたりました。

「雨が降りますよ。」

ぼくがそう言っても

二人には雨粒があたらなかったらしく

お母さまは笑って、首を横に振っていました。

ジミーちゃんが

「すぐには降らないはず。降り出すとしても3時半くらいじゃないかな。

 しかも、30分くらいだと思う。」

そのあと嵐山に行き

帰りに衣笠のマクドナルドに寄って

ホットコーヒーを飲んでいました。

窓ガラスに蝿が何度もぶつかってわずらわしかったので

右手の中指の爪先ではじいてやりました。

しばらくのあいだ、蠅はまるで死んだかのような様子をしていて、まったく動かなかったのですが

突然、生き返ったかのようにして動き出すと、元気よく隣の席のところにまで飛んでいきました。

イタリア語のテキストをジミーちゃんが持ってきていました。

ぼくも、むかしイタリア語を少し勉強していたので

イタリア語について話をしていました。

お母さまは音大を出ていらっしゃるので

オペラの話などもしました。

ぼくもドミンゴの『オセロ』は迫力があって好きでした。

ドミンゴって楽譜が読めないんですってね。

とかとか、話をしていたら

突然、外が暗くなって

雨が降ってきました。

「降ってきたでしょう。」

と、ぼくが言うと

ジミーちゃんが携帯をあけて時間を見ました。

「ほら、3時半。」

ぼくは洗濯物を出したままだったので

「夜も降るのかな?」って訊くと

「30分以内にやむよ。」との返事でした。

じっさい、10分かそこらでやみました。

「前にも言いましたけれど

 ぼくって、雨粒が、だれよりも先にあたるんですよ。

 顔や手に。

 あたったら、それから5分とか10分くらいすると

 それまで晴れてたりしてても、急に雨が降り出すんですよ。」

すると、ジミーちゃんのお母さまが

「言わないでおこうと思っていたのだけれど

 最初の雨があたるひとは、親不孝者なんですって。

 そういう言い伝えがあるのよ。」

とのことでした。

そんな言い伝えなど知らなかったぼくは、

ジミーちゃんに、知ってるの?

と訊くと、いいや、と言いながら首を振りました。

ジミーちゃんのお母さまに、

なぜ知ってらっしゃるのですか、とたずねると

「わたし自身がそうだったから。

 しょっちゅう、そう言われたのよ。

 でももう、わたしの親はいないでしょ。

 だから、最初の雨はもうあたらなくなったのね。」

そういうもんかなあ、と思いながら聞いていました。

広沢の池で

鴨がくちばしと足を使って毛繕いしていたときに

深い濃い青紫色の羽毛が

ちらりと見えました。

きれいな色でした。

背中の後ろのほうだったと思います。

鴨が毛繕いしていると

水面に美しい波紋が描かれました。

同心円が幾重にも拡がりました。

でも、鴨がすばやく動くと

波紋が乱れ

もう美しい同心円は描かれなくなりました。

ぼくは振り返って、池に背を向けると

山の裾野に拡がる畑や田んぼに目を移しました。

そこから立ち昇る幾条もの白い煙が、風に流されて斜めに傾げていました。



ようやく珍しい体位の暗い先生に

イカチイ紅ヒツジの映像が眼球を経巡る。

なんと、現在、8回目の津波に襲われている。

ホームレスリングのつもり。

段取りは順調。

声が出てもいいように

洗濯機を回している。

ファンタスティック!

イグザクトゥリー?

アハッ。

ジャズでいい?

オレも、ジャズ聴くんすよ。

ふたたび、手のなかで、眼球がつるつるすべる。

ふたたび、目のなかで、指がつるつるすべる。

777 Piano Jazz。

事件が起こった。

西大路五条のスーパー大国屋の買い物籠のなかで

秘密指令を帯びた主婦が乳房をポロリ。

吸いません。

違った、

すいません。

老婆より中年ちょいブレ気味の一条さゆり似のメンタ。

火曜日午後6時30分発の

恋のスペシャル。

土俵を渡る。

つぎは難儀。

つぎはぎ、なんに?

SМILE。

「有名な舌なの?」

吸われる。

「有名な死体なの?」

居据わられる。

「有名な体位なの?」

坐れる。

こころが言い訳する。

いろいろ返します。

ポイント2倍デイ、特別価格日・開催中。

窓々のガラスに貼られた何枚もの同じ広告ビラ。

このあいだ恋人と別れたんやけど

いまフリーやったら、付き合ってくれる?

別れる理由はいろいろあったんやけど

なんなんやろね、なんとなくね。

とてもいい嘘だよ。

理由は、ちゃんとある。

ある、ある、ある。

ちゃんと考えてある。

いまなら、送料 + 手数料=無料。

YES OR NO?

YOU OK?

もうなにも恐れません。

あなたの買いたい=自己解体。

生まれ変わった昭和の百姓、二百姓。

ってか、なんだか、変なんです。

生きるって、なんて、すばらしいの?

なにも言ってませんよ。

紅ヒツジのイカチイ映像が

ぼくの過去の異物に寄り添っている。

喉越しが直撃する。

言下に垂下する。

期間限定の奴隷に参加。

面白いほど死ぬ。筋肉麻痺が分極する。

前半身31分。後ろ半身32分。横半身30分ずつ。

今後も、足の指は10本ずつ。

動いたり止まったりします。

念動力で動く仕組みです。

メエメエと鳴く一頭の紅ヒツジが

ぼくの耳のなかに咲いている。

基本、暑くないですか?

きわめて重要な秘密指令を

週5日勤務のレジ係のバイトの女の子が

パチパチとレシートに打ち出す。

(なぜだか、彼女たちみんな、眉毛をぶっとく描くのねん。)

エクトプラズムですもの。

はげしいセックスよりも、ソフトなほうがいいの?

紅ヒツジは全身性感帯だった。

柔道とカラテをしていた暗い先生は

体位のことしか考えている。

倫理に忠実な自動ドアが立ち往生している。

「有名な下なの?」

「有名な上なの?」

「有名な横なの?」

右、上、斜め、下、横、横、後ろ、前、左、ね。

じゃあ、こんどはうつぶせになって。

ぼくの有名な死体は彼の舌の上を這う。

彼の下の上を這う。

ルッカット・ミー!

do it, do it

一日は17時間moあるんだから

エシャール

そのうち、朝は15時間で、お昼は20時間で、夜は15時間moあるんだから

すぇ絵tすぇ絵tもてぇr府c家r

sweet sweet mother fucker

チョコレートをほおばる。

スニッカーズ、9月中・特別価格98円。

気合を入れて、プルプル・グレープを振る。

とても自由な言い訳で打ち震える。

きみの6時30分にお湯を注ぐ。

どんなに楽しいことでも

180CC。

きょうは実家に帰るんです。

紅ヒツジの覚悟の体位に

暗い先生は厳しい表情になる。

主婦が手渡されたレシートには、こう書いてあった。

「計¥ 恥ずかしい」

暗い体位を見つめている先生は

しばしば解釈の筋肉が疲労している。

ふだんはトランクス。

「なに? このヒモみたいなの↓」

自販機で彼に買ってあげた缶コーヒーに口をつける。

右、上、斜め、下、横、横、後ろ、前、左、ね。

ぼくのジャマをしないで。

恋人になるかどうかのサインを充電している。

道徳は、わたしたちを経験する。

everything keeps us together

指が動くと、全身の筋肉が引き攣れ

紅ヒツジの悲鳴が木霊する。

採集された余白が窓ガラスにビリビリと満ち溢れる。

「このテーブル、オレも使ってました。

 オレのは、黒でしたけど。」

どこまで、いっしょなの?

この十年間、付き合った子、

みんな、ふたご座。

なんでよ?

そのうち、二人は誕生日が同じで、血液型も同じ。

すっごい偶然じゃん。

それとも、偶然じゃないのかな。

名前まで、ぼくとおんなじ、田中じゃんか!

いくら多い名前だからってさあ。

それって、ちょっと、ちょっと、ちょっとじゃなあい?

それじゃあ、ピタッと無責任に歌っていいですか?

いいけどお。

採集された余白が窓ガラスにビリビリと満ち溢れる

西大路五条のスーパー大国屋の買い物籠のなかで

秘密指令を帯びた主婦が乳房をポロリ。

ポロリポロリのポロリの連発に

暗い体位の先生が自動ドアのところで大往生。

違った、

大渋滞。

ピーチク・パーチク

有名な死体が出たり入ったり

繰り返し何度も往復している。

紅ヒツジの全身の筋肉が引き攣れ

レジ係の女の子の芸術的なストリップがはじまる。

あくまでも芸術的なストリップなのに

つぎつぎと生えてくる

一期一会のさえない男たちの客の目がギロリ、ギロリ。

もう一回いい?

さすがに、いいよ。

ほんまやね。

2割引きの398円弁当に一番絞りの缶が混じる。

まとめて、いいよ。

持っておいで。

フリーズ!

ギミ・ザ・ガン!

ギミ・ザ・ガン!

カモン!

やさしいタッチで

見せつける。

よかったら、二回目も。



で、

それで

いったい、神さまの頬を打つ手はあるのか?

アロハ・

オエッ



さっき、うとうとと、眠りかけていて

ふとんのなかで、ふと

「恋愛増量中」なる言葉がうかんだ。

何日か前に、シリアルかなんかで

「増量20グラム」とかとか見たからかも

いや、きょう買ったアルカリ単三電池10個が

ついこのあいだまで、増量2本で1ダース売りだったのに

買っておけばよかったな、などと

朝、思ったからかもしれない。

いや、もしかしたら、いま付き合ってる恋人に対して、

そう感じてるからかもしれない。

どこまで重たくなるんやろうかって。

へんな意味ではなくて

いい意味で。



ケンコバの夢を見た。

ケンコバといっしょに

無印良品の店に

鉛筆を買いに行く夢を見た。

けっきょく買わなかったのだけれど

鉛筆の書き味を試したりした。

帰りに、その店の出入り口のところで

「おれの頭の匂いをかいでみぃ。」とケンコバに言われて

かいでみたけれど、ふつうに、頭のにおいがして

そんなに不快やなかったけど

ちょっと脂くさい頭のにおいがして

べつにシャンプーやリンスのいい匂いではなかった。

「ただの頭のにおいやん。」と言うと

「ええ匂いせえへんか。」と言われた。

「帰り道、送って行ったるわ。

 祇園と三条のあいだに中村屋があったやろ、

 その前を通って行こ。」

と言われたが、チンプンカンプンで

それは、いまぼくが住んでるところとはまったく違う場所だし

祇園と三条のあいだには中村屋もない。

しかし、芸能人が夢に出てくるのは、はじめて。

むかし、といっても、5、6年前のことだけど

ひと月くらい、北山でいっしょに暮らしていた男の子がいて

きのう、その子とメールのやりとりをしたからかなあ。

髪型は、たしかにいっしょやけど

顔や体型はぜんぜん違うしなあ。

なんでやろ、ようわからん。

しかし、いやな夢ではなかった。

むしろ、楽しい夢やった。

ずっとニコニコ顔のケンコバがかわいかった。



お皿を割ったお菊を

お殿様が

切り殺して

ブラックホールのなかにほうり込みました

読者のみなさんは

ブラックホールから

お菊さんが幽霊となって出てきて

お皿を、一枚、二枚、三枚、……と九枚まで数えて

一枚足りぬ、と言う姿を想像されたかもしれませんが

あにはからんや

お菊さんがホワイトホールから

一人、二人、三人、……と

無数の不死身の肉体を伴ってよみがえり

そこらじゅう

ビュンビュンお皿を飛ばしまくりながら出てきたのでした

いまさらお殿様を恨む気持ちなどさらさらなく

楽しげに

満面に笑みをたたえながら



ウンコのカ

ウンコの「ちから」じゃなくってよ

ウンコの「か」なのよ

なんのことかわからへんでしょう

虫同一性障害にかかった蚊で

自分のことを蠅だと思っている蚊が

ウンコにたかっているのよ

うふ〜ん



毎晩、寝るまえに枕元に灰色のボクサーパンツを履いたオヤジが現われ

猫の鞄にまつわる話をする金魚アイスのって、どうよ!

灰色のパンツがイヤ!

赤色や黄色や青色のがいいの!

それより

間違ってっぽくない?

金魚アイスのじゃなくって

アイス金魚のじゃないの?

たくさんの猫が微妙に振動する教会の薔薇窓に

独身の夫婦が意識を集中して牛の乳を絞っているのって、どうよ!

こんなもの咲いているオカマは

うちすてられて

なんぼのモンジャ焼き

まだやわらかい猫の仔らは蟇蛙

首を絞め合う安楽椅子ってか

やっぱり灰色はイヤ!

赤色や黄色や青色のがいいの!



院生のときに

宇部のセントラル硝子っていう会社のセメント工場に見学に行ったときのこと

「これは塩です」

そう言われて見上げると

4、5階建てのビルディングぐらいの高さがあった

塩の山

そこで働いている人には

めずらしくともなんともないものなのだろうけれど



自由金魚

世界最大の顕微鏡が発明されて

金属結晶格子の合間を自由に動きまわる金魚の映像が公開された。

これまで、自由電子と思われていたものが

じつは金魚だったのである。

自由金魚は、金属結晶格子の合間を泳ぎまわっていて

金属結晶格子の近くに寄ると

まるで金魚すくいの網を逃れるようにして、ひょいひょいと泳いでいたのである。

電子密度は、これからは金魚密度と呼ばれることになり

物理とか化学の教科書や参考書がよりカラフルなものになると予想されている。


ベンゼン環の上とか下とかでも、金魚たちがくるくるまわってるのね。

世界最大の顕微鏡で見るとね。



金魚蜂。

金魚と蜂のキメラである。

水中でも空中でも自由に泳ぐことができる。

金魚に刺されないように

注意しましょうね。



金魚尾行。

ひとが歩いていると

そのあとを、金魚がひゅるひゅると追いかけてくる。



近所尾行。

ひとが歩いていると

そのあとを、近所がぞろぞろぞろぞろついてくるのね。

ありえるわ、笑。



現実複写。

つぎつぎと現実が複写されていく。

苦痛が複写される。

快楽が複写される。

悲しみが複写される。

喜びが複写される。

さまざまな言葉たちが、さまざまな人間たちの経験を経て、現実の人間そのものとなる。

さまざまな形象たちが、さまざまな人間たちの経験を得て、現実の事物や事象そのものとなる。



顔は濡れていた。

ほてっていたというわけではない。

むしろ逆だった。

冷たくて、空気中の水蒸気がみな凝結して露となり、

したたり落ちているのだった。

身体のどこかに、この暗い夜と同じように暗い場所があるのだ。

この暗い夜は、わたしの内部の暗い場所がしみ出してできたものだった。

わたしの視線に満ち満ちたこの暗い夜。



あらゆるものが機械する。

機械したい。

機械される。

あらゆるものが機械する。

機械したい。

機械される。

あらゆる機械は機械を機械する。

あらゆる機械を機械に機械する。

あらゆる機械に機械は機械する。

機械死体。

故障した機械蜜蜂たちが落ちてくる。

街路樹が錆びて金属枝葉がポキポキ折れていく。

電池が切れて機械人間たちが静止する。

空に浮かんだ機械の雲と雲がぶつかって

金属でできたボルトやナットが落ちてくる。

あらゆるものが機械する。

機械したい。

機械される。

あらゆるものが機械する。

機械したい。

機械される。

あらゆる機械は機械を機械する。

あらゆる機械を機械に機械する。

あらゆる機械に機械は機械する。



葱まわし 天のましらの前戯かな

孔雀の骨も雨の形にすぎない



べがだでで ががどだじ びどズだが ぎがどでだぐぐ どざばドべが



四面憂鬱

誌面憂鬱

氏名憂鬱

四迷憂鬱

4名湯打つ

湯を打つ?

意味はわからないけど

なんだか意味ありげ

湯を打つと

たくさん賢治が生えてくるのだった

たとえば、官房長官のひざの上にも

スポーツキャスターの肩の上にも

壁に貼られたポスターの上にも

きのう踏みつけた道端の紙くずの上にも

賢治の首がにょきにょき生えてくるのだった

身体はちぢこまって

まるで昆虫のさなぎみたいに

小さい

窓々から覗くたくさんの賢治たち

さなぎのようにぶら下がって

窓々の外から、わたしたちを覗いているのだ

「湯を打つ」の意味を

こうして考えてみると

よくわかるよね

キュルルルルル

パンナコッタ、

どんなこった



さっき

散歩のついでに

西院の立ち飲み屋にぷらっと寄って

飲んでいました。

むかし

「Street Life.」って、タイトルで

中国人の26才の青年のことを書いたことがあって

立ち飲み屋の客に

その中国人の青年にそっくりな男の子がいて

やんちゃな感じの童顔の男の子で

二十歳過ぎくらいかな

太い大きな声で、年上の連れとしゃべっていました。

ときどき顔を見ていたら

やっぱりよく似ていて

そっくりだったなあ

と思って、帰り道に

その男の子と

中国人の青年の顔を思い浮かべて

ほんとによく似ていたなあと

ひとしきり感心して

ディスクマンで、プリンスの

Do Me,Baby を聴きながら

帰り道をとぽとぽと歩いていました。

もしかしたら、錯覚だったのかもしれません。

あの中国人の青年のことを思い出したくて、似ているなあと思ったのかもしれません。

いまでも、しょっちゅう、あの中国人青年の声が耳に聞こえるのです。

おれ、学歴ないやろ。

中卒やから

金を持とうと思うたら、風俗でしか働けへんねん。

そやから、風俗の店で店長してんねん。

一日じゅう、働いてんでえ。

そんかわり、月に50万はかせいでる。

たしかに、そんな感じだった。

ぼくと出会った夜

おれがホテル代は出すから

ホテルに行こう

って、その子のほうから言ってきて

帰りは、自分の外車で送ってくれたのだけれど。

さっき立ち飲み屋で話してた青年も

あどけない顔して、話の中身は風俗だった。

まあ、客にそのときはまだ女がいなかったからね。

でも、ほんとに風俗が好きなのかなあ。

このあいだ、よく風俗に行くっていう、24才の青年に

痛くない自殺の仕方ってありますか、って訊かれた。

即座に、ない、とぼくは答えた。

その子も童顔で、すっごくかわいらしい顔してたのだけれど。

おれ、エロいことばっかり考えてて、女とやることしか楽しみがないんですよ。

いたって、ふつうのことだと思うのだけれど。

それが、死にたいっていう気持ちを起こさせるわけでもないやろうに。

そういえば、あの中国人青年も、風俗の塊みたいな子やった。

おれ、女と付きおうてるし、女好きなんやけど

ときどき、男ともしたくなるねん。

おっちゃん、SMプレーってしたことあるか?

梅田にSMクラブがあんねんけど

おれ、月に一回くらい行ってんねん。

おれ、女とやるときには、おれのほうがSで、いじめたいほうなんやけど

男とするときには、おれのほうがいじめられたいねん。

おっちゃん、おれがしてほしいことしてくれるか?

って、そんなこと、ストレートに訊かれて

ぼくは

ぼくの皮膚はビリビリと震えた。



三日ぶりに

仕事場に彼が出てきた

愛人のわたしの前で他人行儀に挨拶する彼

そりゃまあ仕方ないわね

ほかのひとの目もあるんですもの

それにしてもしらじらしいわ

彼は首に娘を巻きつかせていた

「このたびはご愁傷様でした」

彼女は三日前に死んだ彼の娘だった

死んだばかりの娘は

彼女の腕をしっかり彼の首に巻きつけていた

彼の首には

三年前に死んだ彼の母親もぶらさがっていた

母親の死体はまだまだ元気で

けっして彼から離れそうになかった

その母親の首には

彼の祖父母にあたる老夫婦の死体がぶらさがっていた

もうほとんど干からびていたけど

そんなに軽くはないわね

わたしの目の前を彼が通る

机の角がわたしの腰にあたった

彼の足下にしがみついて離れない

去年の暮れに死んだ彼の奥さんが

わたしの机の脚に自分の足をひっかけたのだ

いつもの嫌がらせね

バカな女

でも彼のやつれた後ろ姿を目にして

彼とももうそろそろ別れたほうがいいのかなって

わたしはささやきつぶやいた

わたしの首に抱きついて離れないわたしの死んだ夫に



「言葉とちゃうやろ

 好きやったら、抱けや」

数多くのキッスと

ただ一回だけのキス

むかし、エイジくんって子と付き合っていて

その子とのキッスはすごかった

サランラップを唇と唇のあいだにはさんでしたのだ

彼とのキスはそれ一回だけだった

一年間

ぼくは彼に振り回されて

めちゃくちゃな日々を送ったのだ

ぼくは一度も好きだと言わなかった

彼もまた、ぼくのことを一度も好きだと言わなかった

お互いに

ぜんぜん幸せではなかった

だけど

離れることができなかった

一年間

ほとんど毎日のように会っていた

怒濤のような一年が過ぎて

しばらくぼくのところに来なくなった彼が

突然、半年振りに

ぼくの部屋に訪れて

男女モノのSMビデオを9本も連続してかけつづけたのだ

わけがわからなかった

「たなやんといても

 俺

 ぜんぜん幸せちゃうかった

 ほんまに

 きょうが最後や

 二度ときいひんで」

「元気にしとったん?」

「俺のことは

 心配せんでええで

 俺は何があっても平気や」

ぼくは30代半ば

私立高校で数学の非常勤講師をしていた

彼は京大の工学部の学生で柔道をしていた

もしも、もう一度出会えたら

彼に言おうと思ってる言葉がある

「ぼくも

 きみといて

 ぜんぜん幸せちがってた

 だけど

 いっしょにいなかったら

 もっと幸せちごうたと思う

 そうとちゃうやろか」



この齢になっても

愛のことなど、ちっとも知らんぼくやけど

「俺といっしょに行くんやったら

 きたない居酒屋と

 おしゃれなカフェバーと

 どっちがええ?」

「カフェバーかな」

「俺は居酒屋や

 そやからインテリは嫌いなんや」

「きみだってインテリだよ」

「俺のこと

 きみって言うなって

 なんべん言うたらええねん

 むっかつく」

ぼくは、音楽をかけて本を読み出す

きみは、ぼくに背中を向けて居眠りのまね

いったい、なにをしてたんだろう

ぼくたちは

いったい、なにがしたかったんだろう

ぼくたちは

ぼくは気がつかなかった

きみと別れてから

きみに似た中国人青年と出会って

ようやく気がついた

きみが、ぼくになにを望んでいたのか

きみが、ぼくにどうしてほしかったのか

ぼくたちは

ぼくたちを幸せにすることができなかった

ちっとも幸せにすることができなかった

それとも、あれはあれで

せいいっぱいの幸せやったんやろか

あれもまたひとつの幸せやったんやろか

よく考えるんやけど

もしも、あのとき

きみが望んでたことをしてあげてたらって

もちろん、幸せになってたとは限らないのだけれど

考えても仕方のないことばかり考えてしまう

つぎの日の朝のトーストとコーヒーが最後やった

二度とふたたび出会わなかった



単為生殖で増えつづける工事現場の建設労働者たちVS真っ正面土下座蹴り

&ちょい斜め土下座蹴り&真っ逆さま土下座蹴り



いつの間に

入ってきたのだろう

窓を開けたのは

洗濯物を取り入れる

ほんのちょっとのあいだだけだったのに

蚊は

姿を現わしては消える

音楽をとめて

蚊を見つけることにした

本棚のところ

すべての段を見ていく

パソコンの後ろをのぞく

CDラックもつぶさに見ていく

ふと思いついて

箪笥を開ける

箪笥を閉める

振り返ると

蚊がいた

追いつめてやろうとしたら

姿を消す

パソコンの前に坐って

横目で本棚のところを見ると

蚊がいた

やがて

白い壁のところにとまったので

しずかに近づいて

手でたたいた

つぶした

と思ったら

手には何の跡もない

ぼくは

白い壁の端から端まで

つぶさに見ていった

蚊はどこにもいなかった

ふと、壁の中央に目がひきつけられた

壁紙の一部がぽつりと盛り上がり

それが蚊に変身したのだ

そうか

蚊はそこから現われては

そこに姿を消していったんだ

ぼくは

壁面を

上下左右

全面

端から端まで

バシバシたたいていった

ぼくは、どっちを向けばいい?



倫理的な人間は、神につねに監視されている。



会話するアウストラロピテクス



あのひとたちは長つづきしないわよ

どうして?

わたしたちみたいに長いあいだいっしょにいたわけじゃないもの

そんな言葉を耳にしてちらっと振り返った

よく見かける初老のカップルだった

たぶん夫婦なのだろう

バールに老人たちがいることは案外多くて

それは隣でバールの主人の父親が骨董品屋を開いていて

というよりか

骨董品屋のおじいさんの息子が

骨董品屋の隣にバールをつくったのだけれど

だからたぶんそのつながりで老人が多いのだろう

洛北高校が近くて

高校生がくることもあったのだけれど

客層はばらばらで

あんまりふつうの感じのひとはいなくて

クセのある個性的なひとが集まる店だった

西部劇でしかお目にかからないようなテンガロンハットをかぶったひととか

いやそのひとはときどき河原町でも見かけるからそうでもないかな

マスターである主人は芸術家には目をかけていたようで

店内には客できていた画家の絵が掲げてあったり

大学の演劇部の連中の芝居のチラシが貼ってあったり

ぼくも自分の詩集を置かせてもらったりしていた

老夫婦たちが話題にしていた人物が

じっさいには何歳なのか

具体的にはわからなかったけれど

年齢差のあるカップルについて話していたみたいで

あの若い娘とは知り合ったばかりでしょ

とか言っていた



バール・カフェ・ジーニョ

下鴨に住んでいたころには毎日通っていた

ぼくの部屋がバールの隣のマンションの2階にあったから

いまでも、コーヒーって、200円なのかな



さっき

「会話するステテコ」って

突然おもい浮かんだのだけれど

意味がわからなくて

というのは

ステテコが何かすぐに思い出せなくて

ステテコに近い音を頭のなかでさがしていたら

アウストラロピテクス

って出てきた



ステテコって

フンドシのことかな

って思っていたら

いま思い出した

パッチのことやね



ステテコ

じゃなくて

フンドシで思い出した

むかし、エイジくんが

フンドシを持ってきたことがあって

「これ、はいて見せてや」

と言われたのだけれど

フンドシなんて

はいたことなくって

けっきょく

はいたかどうか

自分のフンドシ姿の記憶はない

ただ、「やっぱり似合うなあ」って

なんだか勝ち誇ったような笑顔を浮かべながら言う

エイジくんの顔と声の記憶はあって

当時は、ぼくも体重が100キロ近くあったから

まあ、腹が出てて、ふともももパンパンやったから

似合ってたのかもしれない

はいたんやろうね

なんで憶えてへんのやろ



フンドシは

白の生地に●がいっぱい

やっぱり

●とは縁があるんやろうなあ



これはブログには書けないかもね

フンドシはなあ



どうして、ぼくは、きみじゃないんやろうね。

どうして、きみは、ぼくじゃないんやろうね。



フンドシはなあ。


Jumpin' Jack Flash。

  田中宏輔



●捜さないでください●現実は失敗だらけで●芸術も失敗だらけ●ちゃんと生きていく自身がありません●ハー●コリャコリャ●突然●自由なんだよって言われたってねえ●恋人没収!●だども●おらには●現実がいっぱいあるさ●芸術だっていっぱいあるわさ●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●街じゅういたるところから●猿のおもちゃたちが●姿を現わす●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●街じゅういたるところから●猿のおもちゃたちが●姿を現わす●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●シンバルを打ち鳴らしながら●猿のおもちゃたちが●ぼくのほうに向かってやってくる●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●シンバルを打ち鳴らしながら●猿のおもちゃたちが●ぼくのほうに向かってやってくる●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●脱穀の北朝鮮●朝鮮民主主義人民共和国の令嬢夫人たちが●足をあげて●足をさげて●オイ●チニ●オイ●チニ●黄色いスカートをひるがえし●オイ●チニ●オイ●チニ●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●脱穀の北朝鮮●朝鮮民主主義人民共和国の令嬢夫人たちの黄色いスカートがまくれあがり●マリリン・モンローのスカートもまくれあがり●世界じゅうの婦女子たちのスカートもまくれあがる●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●自転車は倒れ●バイクも倒れ●立て看板も倒れ●歩行者たちも倒れ●工事現場の建設作業員たちも倒れ●ぼくも道の上にへたり込む●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●吹けよ●風!●呼べよ●嵐!●沸騰する二酸化炭素●カーボン・ダイオクサイド●真っ直ぐな肩よ●来い!●沸騰する二酸化炭素●カーボン・ダイオクサイド●真っ直ぐな肩よ●来い!●東京のあるゲイ・バーでの話●ジミーちゃんから聞いたんだけど●隣に腰掛けてた三木のり平そっくりの男のひとが●ジミーちゃんに向かって●こんなこと言ったんだって●「あまりこっちを見ないで」●「恐れなくてもいいのよ」●「話しかけてくださってもいいのよ」●「でもお話ってセンスの問題でしょ」●「この方がリクエストしてくださるから赤とんぼ入れてくださるかしら」●もちろん●ジミーちゃんは●そのひととは一言も口をきいていません●このエピソード●なんべん思い出しても笑けてしまいます●エリカも笑けるわ♪●記憶の泡が●ぷかぷかと浮いている●記憶の泡が●ぷかぷかと浮いている●大きな記憶の泡たちが●ぷかぷかと浮いている●小さな記憶の泡たちが●ぷかぷかと浮いている●見ていると●小さな記憶の泡たちは●つぎつぎとぷちぷちはじけて●隣に浮かんでいる大きな記憶の泡と合わさって●ますます大きな記憶の泡となって●ぷかぷかと浮いている●ぷかぷかと浮いている●ぼくは●棒の先で●そいつをつつく●そしたら●そいつが●パチンッとはじけて●ぼくの持っている棒を●引っ張って●引っ張られたぼくは●落っこちて●ぼくが●ぷかぷかと浮いている●ぼくが●ぷかぷかと浮いている●大きなぼくの泡が●ぷかぷかと浮いている●小さなぼくの泡が●ぷかぷかと浮いている●見ていると●小さなぼくの泡は●つぎつぎとぷちぷちはじけて●隣に浮かんでいる●大きなぼくの泡と合わさって●ますます大きなぼくの泡となって●ぷかぷかと浮いている●ぷかぷかと浮いている●記憶が●棒の先で●大きなぼくの泡をつつく●そしたら●ぼくは●パチンッとはじけて●えさをやらないでください●公園には●そんな立て看板がしてあったのだけれど●ぼくは●いつものように●えさをやりに公園に行った●公園には●小さなぼくがたくさんいた●たくさんの小さなぼくは●くるってる●くるってるって●鳩のように鳴きながら●砂をひっかきまわして●地面をくしゃくしゃにしていた●ぼくは●ぼくの肉をなるべく小さくひきちぎって●投げてやった●すると●たくさんの小さなぼくは●くちばしをあけて●受けとめると●ぱくぱく●ぱくぱく●ぼくを食べた●ぼくは●ぼくの肉をひきちぎっては投げ●ひきちぎっては投げてやった●たくさんの小さなぼくは●ぱくぱく●ぱくぱく●ぼくを食べた●たくさんの小さなぼくは●ぱくぱく●ぱくぱく●ぼくを食べた●たくさんの小さなぼくは●もうぼくの身体に●肉がぜんぜんついていないのを見ると●くるってる●くるってるって●鳩のように鳴きながら●飛び去っていった●ぼくは●自分の胸の奥の●奥の奥の●骨にこびりついた●ちびっと残った肉のかけらを●骨だけになった指先で●つまんで食べた●こんな詩の一節を●むかし書いたことがあって●公園のベンチに坐りながら●持ってきた本を読んでいた●ひと休みして顔を上げると●ひとつ置いて●横に並んだベンチのうえに●となりのとなりのベンチのうえに●疲れた様子の猫が一匹●腰掛けていた●猫が首をまわして●ぼくのほうを見て●にやりと笑うので●ぼくは●猫の隣にいって●猫の肩をもんでやった●肩でも凝ってるんだろうなって思って●すると●猫はうれしそうに●くすくす笑って●公園のブランコのあるほうを眺めていた●しばらくすると●もういいよ●という合図のつもりなのか●猫は●ぼくの手の甲をひとかきすると●にやりと笑って●走り去っていった●ぼくは●自分のいたベンチにもどって●またしばらく本を読んでいた●2●3ページほど読んだところだった●前のほうから●子供たちの声がするので●向かい側のベンチのほうに目をやった●4人の小さな子供たちに囲まれて●ひとりのおじいさんが●片手をすこし上げていた●指を伸ばした右の手のさきで●その手のさきにある地面のうえで●たくさんの枯れ葉が円を描いて●くるくると回っていた●やがて●枯れ葉は●おじいさんの腕のまわりを●螺旋を描いて●くるくると回りながら●まとわりついていき●おじいさんのからだ全体をすっぽりと包み込んでしまった●そのくるくると螺旋を描いて回る枯れ葉を見て●子供たちがさらに声をあげた●おじいさんが左手をすこし上げると●こんどは●全身を包んでくるくると回っていた枯れ葉が●これまた螺旋を描きながら●左腕を伝って●地面のうえに落ちていき●地面のうえでも円を描いて●子供たちの足に●腰に●腹に●背に●手に●顔に●頭に●全身●からだじゅうに●カサカサあたりながら●くるくる回って●くるくるくるくる回って●すると●子供たちは●いっそう大きな声でさわいで●おじいちゃんに声をかけた●すてきなおじいちゃん●大好きなおじいちゃん●カッチョイイおじいちゃんって●枯葉はいつまでも●子供たちのからだを取り巻きながら●くるくる回っていた●くるくるくるくる回っていた●子供たちの歓声を聞くと●おじいさんは●すごく喜んで●けたけた笑って●軽快にスキップしながら●公園から走り去っていった●でも●子供たちは●おじいさんよりすごくって●手を上げると●子供たちのまわりで●そこらじゅうのものが●ぐるぐる回りだした●そばの大人たちは悲鳴をあげて舞い上がり●自転車は舞い上がり●立て看板は舞い上がり●植わっていた樹木は根っこごと●ずぼっと抜けて舞い上がり●ブランコは鎖からちぎれ●シーソーの板は軸からはずれ●鉄棒さえ支柱ごと地面から抜けて舞い上がり●ぐるぐるぐるぐる回りだした●ぼくのからだも宙に舞って●ぐるぐる回りだした●世界が●子供たちのまわりで●ぐるぐるぐるぐる回った●突然●子供たちが手を下ろすと●みんな●どすん●どすん●と落っこちて●ぼくは手に持っていた本がなくなっていたから●そのあと公園のなかを●はぐれた本を探して●ずいぶんと長い間かかって探さなければならなかった●イエイ!●仕事帰りに寄った●烏丸のジュンク堂で●ぼくの作品が載ってる号でも見ようと思って●國文學の最新号とバックナンバーが置いてある棚を見たら●ぼくの原稿が載っているはずの号がないので●店員さんに訊くと●発売日が20日から27日に変更になっていた●うううううん●そういえば●去年のユリイカの増刊号も●ぼくの書いている号の発売日が延期されたぞ●ま●偶然だと思うけど●しかし●きょう●店員さんが見せてくれた書店向けのその27日発売の増刊号の予告のチラシ●執筆者の数が●いつもの号の倍近く●昨年のユリイカの増刊号の『タルホ』特集もものすごく分厚かったけど●今回の國文學の臨時増刊号●『読んでおくべき/おすすめの短編小説50 外国と日本』も分厚そう●ああ●そう●きょう●新しい詩集のゲラの校正をしていて●ぼくが26歳のときのことを書いているところがあって●そのころ知り合った20歳の青年のことを●思い出していて●ああ●ヘッセなら●これを存在の秘密とでも言うんだろうなあ●と思った●彼は福岡出身で●高校を出てすぐ●18才から京都で●昼間はビリヤード店で●夜はスナックでアルバイトをしていると言っていた●ぼくが下鴨に住んでいたころね●ぼくが住んでいたワンルーム・マンションの向かい側に●そのビリヤード店があって●彼が出てくるところで●ぼくと目が合って●で●ぼくのほうから声をかけて●そのあとちょこっとしゃべって●それから口をきくようになったのだけれど●3回目か●4回目に会ってしゃべっていたときかな●別れ際に●「こんどゆっくり男同士の話をしましょう」と言われて●びっくりして●いままでも男同士だったし●ええっ?●という感じで●またそのときの彼の目つきがとてつもなく真剣だったので●それから●ぼくは彼を避けたのだった●避けるようになったのだった●ぼくは●彼はふつうの男の子だと思っていたから●ふつうの男の子とはふつうに接しないといけない●と●ぼくは思っていたのだ●そのときのぼくは●ね●ま●いまでもそうだけどさ●ぼくは自分の大事な感情や気持ちから●逃げることがよくあって●いまから思うと●大切なひとを●大切な時間を●たくさんすり抜けさせてしまったんだなあと思う●ああ●ヘッセなら●これを存在の秘密とでも言うんだろうなあ●そう思った●存在の秘密●ヘッセが言ってたかな●もしかしたら言ってたかもしれない●言ってなかったら●ぼくが考え出した言葉ってことになるけど●なんだかどこかで見たような記憶もある●ありそうな言葉だもんね●ま●どうでもいいんだけどね●あ●そうそう●詩集の校正をしていた喫茶店でね●高瀬川を見下ろしながら●「ソワレ」っていう京都では有名な喫茶店の二階でね●こんなこと考えていた●思い出していた●考えながら思い出していた●思い出しながら考えていた●ぼくは●ほんとうに●何人もの●もしかしたら深い付き合いになっていたかもしれないひとたちを避けてきたのだった●と●いま46歳で●もう●愛する苦しさも●愛されない苦しさも●若いときほどではないのだけれど●記憶はいつまでも自分を苦しめる●まあ●苦しむのが好きなんだろうね●ぼくは●笑●人生というものが●ぼくのもとからすぐに通り過ぎていくものであるということを●若いときのぼくは知らなかった●いまのぼくは知っていて●古い記憶に苦しめられつつも●思い出しては●ああ●あのとき●こうしておいたらよかったのになあとか●ああしておいたらよかったのになあとか●考えたりして●おいしい時間を過ごしているっていう●ああ●ほんまにオジンやな●チャン●チャン●で●その青年とは●半年くらい経ってから●高野にある「高野アリーナ」だったかな●そのホテルのプールで再会して●いっしょにソフトドリンクを飲んだのだけれど●コーラだったと思う●でも●そのとき●彼は彼の友だちと来ていて●その友だちに●ぼくのことを説明しているときに●その友だちが●きつい目つきで●ぼくのことを見つめていたので●それから●ぼくはあまりしゃべらずに●ただ●彼の顔と●水泳を中学から高校までしていたという●すこしぽちゃっとしたからだつきの●彼のからだを眺めながら●夏のきつい日差しで●自分のからだを焼いていた●というのはちょこっと嘘で●というか●もうすこし詳しく書くと●彼の股間を●青いビキニの布地を通して●横にストライプの細い線が二本はいった●青いビキニの布地を通して●もっこりと浮かび上がった彼のチンポコの形を●ジーパンのときとは違って●はっきりうつった彼のチンポコの形を●じっと眺めていた●ぼくは彼の勃起したチンポコをくわえたかった●ぼくは彼の勃起したチンポコをくわえたかった●たぶん●彼の体型によく似た●太くて短いチンポコね●あ●20代後半まで●ぼくは●夏には真っ黒に日焼けした青年だったのだ●若いときの写真は●ぼくの詩集の『Forest。』にのっけているので●カヴァーをはずすと本体の表紙に●ぼくの若いときの写真がたくさんついているので●見る機会があれば●見てちょうだいね●チャン●チャン●じゃないや●もうちょっと考えないとだめだね●いまでも苦しんでるんだからね●若いときの苦しみは●自分の気持ちだけを考えての苦しみで●それで強烈に苦しんでいたのね●相手の気持ちを考えもせずに●相手の苦しみをわかろうともせずにね●でも●いまの苦しみは●相手の苦しみをも感じとりながらの苦しみで●けっしてひとりよがりの苦しみではないから●若いときの苦しみとは違っていて●より苦しい部分もあるんだけど●それでも●深いけれど●強烈ではなくなったわけで●それは意義のある苦しみだとも言えるわけでね●つきつめて考えればね●未知ならぬ未知●既知ならぬ既知●オキチならぬオキチ●未知なる未知●既知なる既知●オキチなるオキチ●オッ●キチ●洗剤自我●なんか●いいっしょ?●いいでしょ?●洗剤自我●ゴシゴシ●キュッって●あちゃ●ghost into tears●もちろん●burst into tears●のパスティーシュ●ね●涙に幽霊する●と訳する●ゴーストは翻訳機械でもある●ゴーストは仮定の存在であるにもかかわらず●近づいてくるときにもわかるし●離れていくときにもわかる●そばにいてじっとしているときにも●その気配を感じとることができるのだ●Wake up,the ghost.●たくさんのメモを見渡していると●ゴーストの設定が●はじめに設定していた立ち位置と●多少変わっていることに気づかせられる●そのずれもまた楽しい●ルンル●ルンル●ル〜●日々●これ●口実●ゴーストと集合論●集合論といっても●公理的集合論のほうではなくて●素朴集合論のほうだけど●ゴーストと集合論を●空集合を梃子として●照応させることができた●どの集合も空集合を部分集合とするが●それらは●ただひとつのまったく同じ空集合である●ファイ↑●Φ●ファイ↓●したがって●分裂機械の作品のなかで●主人公の青年が詩人と交わした会話を思い出して書いたところで●詩人が●ゴーストを複数形ではなく●単数形として扱っていたことも●論理的に十全たる整合性があって●あると思っていて●数年前に●dioに●数学的な記述でもって●集合論と自我論を対比させて●論考を書いたことがあったが●その論考の発展形として●分裂機械19の散文詩を書くことができた●ファイ↑●Φ●ファイ↓●『THE GATES OF DELIRIUM。』は●ぼくの作品のなかでも●とびきり複雑な構成の散文詩にするつもりで●井原秀治さんに捧げて●『The Wasteless Land.IV』として書肆山田から詩集として上梓する予定●3●4年後にね●さっき●ノヴァーリスをノートしていて●はっ●として●グッ●なのじゃ●ふるいじゃろう●笑っておくれ●そだ!●シェイクスピアと亡霊って●すっごい深いつながりがあって●『ハムレット』において●亡き父親の霊である亡霊の言葉によって●ハムレットの人格が一変するように●亡霊が人間に影響を与えるということは●重々明白で●『リチャード三世』の第五幕・第三場に●「待て!●何だ●夢か●ああ●臆病な良心め●どこまでおれを苦しめる!」●というセリフがあって●夢のなかで亡霊に責め立てられるのも●じつは●自分の良心が自分自身を咎めるからであって●同じく●第五幕・第三場に●「影が●ゆうべ●このリチャードの魂をふるえ上がらせたのだ」●というセリフがあって●影=亡霊●とする記述が見られるんだけど●『リア王』のセリフには●「わしはだれじゃ?」●というのがあって●それに答えて●「リアの影」というのがあるのだけれど●夢と影●自我とゴースト●この4つのものが●シェイクスピアのなかで●ぼくのなかで●ぐるぐる回っている●ファイ↑●Φ●ファイ↓●自我=夢●夢=影●影=亡霊●亡霊=自我●この数日●シェイクスピアを読み直してよかったな●と●つくづく思う●以前に●ミクシィの日記にも書いた●『あらし』のなかにある●「わたしたちは夢と同じものでつくられている」●といったセリフや●『ハムレット』のなかにある●第一幕・第三場の●「影?●そうとも●みんな影法師さ●一時の気まぐれだ」●といったセリフや●同じく●第二幕・第二場の●「夢自体●影にすぎない」●といったセリフに表わされるように●シェイクスピアの戯曲には●よく●ぼくたちの実体が●ゴーストとちっとも違わないってことが書かれてあるような気がする●うううううん●やっぱり●ぼくは●霊●ゴーストなんだ●それで●霊は零で●ぼくはゼロで●なんもなしだったのか●今夜は●『リア王』を再読する予定●第一幕・第一場のセリフ●「何もないところからは●何も生まれない」●について考えたくて●あ●もうそろそろ寝る時間かな●ナボナ●ロヒプノール●ピーゼットシー●ワイパックスを一錠ずつ取り出し●手のひらのうえにのせて●パクッ●それから水をゴクゴク●で●眠るまでの一時間ほどのあいだ●シェイクスピヒイイイイイイイイイイア●と●エリオットのまね●笑●できることなら●生きているあいだに●顔を見たひとみんな●声を聞いたひとみんな●そばにいたひとみんなを●こころにとどめておきたい●とかなんとか●霊は●ゴーストは●蜘蛛のように●くるくると巻き取るのだ●時間を●空間を●出来事を●くるくると巻き取っていくのだ●そのヴィジョンがくっきりと目に浮かぶ●愛によって●理解しようとする意図によって●糸によって●時間を●空間を●出来事を●くるくると巻き取っていくのだ●ひゃひゃひゃ●意図は●糸なのね●ひゃひゃひゃひゃひゃ●ワードの機能は●無意識の意図を●糸を●つむぎだすのだね●自分のメモに●「表現とは認識である」とあった●日付はない●ひと月ほど前のものだろうか●わたしが知らないことを●わたしの書いた言葉が知っている●ということがある●しかも●よくあることなのだ●それゆえ●よくよく吟味しなければならない●わたしの言葉が●認識を先取りして●時間と空間と出来事を●くるくると巻き取っていくのだ●「表現とは認識である」●この短いフレーズが気に入っている●発注リストという言葉を読み間違えて●発狂リストと読んでしまった●お上品発狂●おせじ発狂●携帯電話発狂●注文発狂●匍匐前進発狂●キーボード発狂●高層ビル発狂●神ヒコウキ発狂●歯磨き発狂●洗顔発狂●小銭発狂●ティッシュ発狂●ノート発狂●鉛筆発狂●口紅発狂●カレンダー発狂●ときどき駅のホームや道端なんかで●わけわからんこと言うてるひとがいるけど●手話で発狂を表わしてもいいと思う●オフィーリアの発狂を●手話で表わしたらどんなんなるんやろうか●きれいな手の舞いになるんやろうか●おすもうさんも発狂●ハッキョー●のこった●のこった●てね●後味すっきり●発狂も●やっぱ後味よね●ええ●ええ●それでも●ぼくにはまだ●虫の言葉はわかりません●あたりまえだけど●あたりまえのことも書いておきたいのだ●沖縄では●塩つぶをコップの半分ほども飲むと●蟻の言葉がわかるという言い伝えがあるんだけど●死んじゃうんじゃないの●塩の致死量って●どれくらいか忘れたけど●むかし●京都の進学高校で●洛星高校だったかな●運動会の日に●ある競技でコップ一杯分の塩つぶを飲ませられて●生徒が何人か死にかけたっていう話を聞いたことがある●その場で倒れて救急車で病院に運ばれたらしいけど●朝●通勤の途中に寄った本屋さんで●シェイクスピアの『あらし』をちらりと読んでたら●「ああ●人間てすばらしい」というセリフがあって●人間手●すばらしい●で●違うページをめくったら●ちんちんかもかも●ってセリフがあって●あれ●こんなセリフあったんやって思って●帰ってきてから●しばらく●ちんちんかもかもって●そういえば●むかし読んだことがあって●笑ったかなあって●美しい●オフィーリアの●溺れた手の舞いが●スタージョンの●ビアンカの手を思い出させて●ええと●いまのアメリカの大統領●名前忘れちゃった●あ●ブッシュね●あのひと●完全にいかれちゃってるよね●戦争起こして●ゴルフして●あんなにうれしそうな笑顔ができるんだもんね●戦争が好きなひとの笑顔って●こわいにゃ●腹筋ボコボコのカニ●毎日ボコボコ●ボコボコ●爆撃してるのね●あ●で●手話発狂●そうそう●そだった●手で●ぐにぐにしてるひとがいたら●それは手話発狂なんやって●そだった●『ハムレット』のなかで●オフィーリアが発狂して●川辺で歌い踊りながら●川に落ちて死んだ●と●告げるシーンがあって●もちろん●美しい声で歌を歌いながら●若い娘らしく可憐に踊りながら●川に落ちるんやろうけど●どんなんやったんやろうかって●きれいな手の舞いやったんやろうかって●手に目が●目に手が●たたんた●たん●たた〜●たたんた●たん●たた〜●軽度から重度まで●いろいろな症状の発狂リスト●程度の違いは多々●多々●たたんた●たん●たた〜●たたんた●たん●たた〜●で●ぼくたちは●思い出でできている●ぼくたちは●たくさんの思い出と嘘からできている●ぼくたちは●たくさんの嘘とたくさんのもしもからできている●嘘●嘘●嘘●もしも●もしも●もしも●ぼくたちは●百億の嘘と千億のもしもからできている●それは●けっして●だれにも●うばわれることのない●ときどきノイローゼの仮面ライダー●キキーって●ときどきショッカーになる●「あんた●仮面ライダーなんやから●悪モンのショッカーになったらあかんがな」●「変身願望があるんです」●「正義の味方なんやから●そんな願望持ったら●あかんがな」●「そやけど●どうしても●ときどきショッカー隊員になりたいんです」●「病気やな」●「ただの変身願望なんです」●「病気だよ」●「キキー!」●自分の感情のなかで●どれが本物なのか●どれが本物でないのか●そんなことは●わかりはしない●そう言うと●まるで覚悟を決めた人身御供のように●わたしは●その場に身を沈めていったのであった●ずぶずぶずぶ〜●百億の嘘と千億のもしも●きょう●『The Wasteless Land. III』の校正を●仕事場の昼休みにしていて●「ぶつぶつとつぶやいていた」●と書いてあったのを●[putsuputsu]と[putsu]やいていた●と発音して●これっていいなって思ったり●[tsuputsupu]と[tsupu]やくでもいいかなって●思ったりしていた●市場の仕事って●夜明け前からあって●って言葉を●昼過ぎに職場で耳にして●ああ●何年前だったろう●十年くらい前かな●ノブユキに似た青年が●ぼくのこと●「タイプですよ」って●「付き合いたい」って言ってくれたのは●でも●そのとき●ぼくには●タカシっていう恋人がいて●タカシのことはタンタンって呼んでいたのだけれど●ノブユキに似た彼には何も言えなかった●彼は●市場で働いてるとか言ってた●「朝●はやいんですよ●夜中の2時くらいには起きて」●だったかな●だから●会えるとしても●月に一回ぐらいしか●と言われて●ぼくには●壊れかけの関係の恋人がいて●タンタンのことね●壊れかけでも●恋人だったから●で●彼には●ごめんねって言って●梅田のゲイ・ポルノの映画館で●東梅田ローズっていったかな●彼といっしょに●トイレの大のほうに入って●ぼくたちは抱き合い●キスをして●彼のチンポコを●ぼくはくわえて●彼のアヌスに指を入れて●ぼくは彼のチンポコをくわえながらこすって●こすりながら彼のチンポコをくわえて●彼は目をほそめて●声を出して●あえぎながら●ぼくの口のなかでいって●彼は目をほそめて●あえぎながら●ぼくの口のなかでいって●すると●アヌスがきゅって締まって●ぼくの指がきゅって締めつけられて●ああ●ノブユキ●ほんとに似てたよ●きみにうりふたつ●そっくりだったよ●もしも●あのとき●もしも●あのとき●もしも●あのとき●ぼくが付き合おうかって●そんな返事をしてたらって●そんな●もしも●もしもが●百億も●千億もあって●ぼくの頭のなかで●[tsuputsupu]と[tsupu]やいている●つぷつぷとつぷやいている●[tsuputsupu]と[tsupu]やいている●つぷつぷとつぷやいている●ぼくたちは●百億の嘘と千億のもしもからできている●ぼくたちは●もしも●もしもでいっぱいだ●ぼくは何がしたかったんだろう●ちゃんと愛しただろうか●ぜんぜん自身がない●百億の嘘と千億のもしもを抱えて●ぼくは●[tsuputsupu]と[tsupu]やいている●つぷつぷとつぷやいている●つぷつぷと●通報!●通報!●蘇生につぐ蘇生で●前日の受難につぐ受難から●凍結地雷という兵器を想像した●踏むと凍結するというもの●きのう●dioのメンバーで●雪野くんという●まだ京都大学の一回生の男の子がいて●その子が●この夏●哲学書をたくさん読んでいたらしく●「ぼくって●まだ不幸を知らないんです●これで哲学を理解できるでしょうか」●って訊いてきた●「不幸なんて●どこにでもあるやんか●ちょっとしたことでも●不幸の種になるんやで」●って言ってあげた●いや●むしろちょっとしたことやからこそ●不幸の種になるといってもよい●ぼくなら唇の下のほくろ●なんだか泣き虫みたいで●情けない●あ●情けない話やなくて●不幸の話やった●そうやな●漫才師の「麒麟」っていうコンビの片割れが●むかし●公園で暮らしたことがあるって●そんなことを書いた本があって●売れているらしくってって●このあいだの日曜日に会った友だちが●ジミーちゃんね●「今●本屋で探しても●ないくらいやで」●とのこと●ほら●他人の不幸も●そこらじゅうに落ちてるやんか●でも●赤ちゃんがいてると●不幸が●どこかよそに行ってしまうんやろうなあ●アジアやアフリカの貧しい国の子供たちの顔って●輝いてるもんなあ●アジア●アフリカかあ●行ったことないけど●写真見てたら●そんな気がするなあ●おいらのこの感想も浅いんやろなあ●そこのほんまの現実なんて知らんもんなあ●でも●公園で暮らしてた●っていうエピソードは●レイナルド・アレナスを思い起こさせる●レイナルド・アレナス●『夜になる前に』という映画や●そのタイトルの自伝で有名な作家●彼の尋常でない●男の漁り方は●必見!●必読!●そういえば●ラテン・アメリカの作家の作品には●ゲイの発展場とか●よく出てくるけど●女性にも理解できるんやろうか●まだ訊いたことないけど●また●訊けるようなことちゃうけど●笑●男やったら●ゲイでなくてもわかるような気がするけど●ちゃうかなあ●どやろか●笑●道徳とは技術である●多くの人間が道徳につまずく●あるいは●つまずくのを怖れる●道徳のくびきを逃れようとする者は多いが●逃れ切ることができる者は少ない●道徳は●まったき他人がつくるものではない●自分のこころのなかの他人がつくるものである●いわば●自分のこころに振り回されているのである●パピプペポポ詩って●タイトルにしようかな●うんこの本をきのう買ったから●うんこのことを書くにょ●『うんことトイレの考現学』っちゅう本だにょ●うんこの話も奥が深いんだにょ●しかし●ひかし●ひかひ●ひひひ●そんじょそこらにあるうんこの詩を書くにょ●さわったら●うんこになる詩だにょ●嗅いだら●うんこの臭いがするにょ●ぼくは●そんな滋賀●柿●鯛●にょ●阿部さん●黒丸って●それひとつだけでも●そうとう美しいですものね●で●砲丸が空から落ちてくるように●黒丸でページを埋め尽くすと●それはもう●美しい紙面に●というわけで●戦争を純粋に楽しむための再教育プログラム●こんどの詩集は●全ページ黒丸で●埋め尽くしました●文字ではなく●黒丸だけを見るために●ぱらぱらとページをめくる●といった方も●いらっしゃるんじゃないかしら●と●ひそかに●ほくそえんでいます●ぼくは●ぱらぱら●自分でしてみて●悦に入ってました●書肆山田さんから●ゲラの第二稿がまだ届かないので●読書三昧です●笑●そろそろ睡眠薬が効いてきたかな●眠くなってきた●阿部さん●おはようございます●すごいはやいですね●ぼくはいま起きました●真ん中の弟を●下の弟が殺した夢を見ました●それを継母がどうしても否定するので●ぼくが下の弟を●サーカスの練習で使う●空中ブランコの補助網の上で●弟を下に落とそうと脅かしながら●白状させようとするのですが●白状しません●最後まで白状しませんでしたが●ぼくは●真ん中の弟の骨についた肉を食べて●その骨をいったん台所の流しの●三角ゴミ入れのなかに入れて●またそれを拾い出して●ズボンのポケットに入れました●奇妙な夢でした●意味わからん夢ですね●スイカを見る●スイカになる●真夜中の雨の郵便局●ぼくの新しい詩集の校正をようやく終えたのが●夜の12時すぎ●さっき●で●歩いて7●8分のところにある●右京郵便局に●こんな夜中でも●ぼくと同じ時間に●二組みのひとたちが●郵便物を受け取りに●あるいは●書留を出しにやってきていた●昼には●四条木屋町の「ソワレ」という有名な喫茶店に行って●ジミーちゃんに●ぼくの作品が載ってる●國文學の増刊号を読んでもらって●感想を聞いたり●ぼくの新しい詩集の初校を見てもらって●ぼくが直したところ以外に●直さなければならない箇所がないか●ざっと見てもらったりしていたのだけれど●場所が変わると●気分が変わるので●ぼく自身が●きのうまで気がつかなかったミスを見つけて●そこで●5箇所くらい手を入れた●ああ●文章って怖いなあ●と思った●なんで二週間近く見ていて●気がつかなかったんやろうか●また文章と言ったのは●こんどのぼくの詩集って●改行詩じゃないのね●とくに●『The Wasteless Land.III』は●一ヶ所も改行していないので●書肆山田の大泉さんも●ぼくのその詩集の詩をごらんになって●マグリットの●『これはパイプではない』という作品が思い出されました●と手紙に書いてくださったのだけれど●ということは●「これは詩ではない」という詩を書いたということなのか●それとも●単に「これは詩ではない」というシロモノを書いたということなのか●まあ●ぼくは●自分の書いたものが●詩に分類されるから●詩と言っているだけで●詩と呼ばれなくても●詩でなくてもいいのだけれど●まあ●詩のようなものであればいいのだけれど●あるいは●詩のマガイモノといったものでもいいのだけれど●ぼくは●ぼくの書いたものを見て●読者がキョトンとしてくれたら●うれしいっていう●ただそれだけの●単純なひとなのだけれど●ぼくは●ああ●ぼくは●詩を書くことで●いったい何を得たかったのだろう●わからない●いまだによくわからないのだけれど●ぼくは●詩を書くことで●かえって何かを失ってしまったような気がするのだ●その何かが何か●これまた●ぼくにはよくわからないのだけれど●もしも得たかったものと●失ってしまったものとが同じものだとしたら●同じものだったとしたら●いったいぼくは●ぼくは●中学2年のとき●祇園の家の改築で●一年間ほど●醍醐にいた●一言寺(いちごんじ)という寺が坂の上にあって●両親はその坂道のうえのほうに家を買って●ぼくたちはしばらくそこに住んでいた●引っ越してすぐのことだと思う●友だちがひとり●自転車に乗って●東山から●わざわざたずねてきてくれた●土曜日だったのかな●友だちは●ぼくんちに泊まった●夜中にベランダに出て●夜空を眺めながら話をしてたのかな●空に浮かんだ月が●いつになく大きくて明るく輝いていたような気がする●でも●そのときの話の内容はおぼえていない●ぼくはその友だちのことが好きだったのだけど●ぼくは●まだセックスの仕方も知らなかったし●キスの仕方も知らなかったから●あ●これは経験ありか●嘘つきだな●ぼくは●笑●でも●ぼくからしたことはなかったから●したいという衝動はあったのだろうけど●はげしい衝動がね●笑●でも●どういうふうにしたら●その雰囲気にできるか●まったくわからなかったから●いまなら●ぼくのこころのなかの暗闇に●ほんのすこし手を伸ばせば●その暗闇の一部を引っつかんで●そいつを相手に投げつけてやればいいんだと●知っているんだけど●しかし●もうそんな機会は●『Street Life。』●こんなタイトルの詩を●何年か前に書いた●いま手元に原稿の写しがないので●正確に引用できないんだけど●その詩は●ぼくが手首を切って風呂場で死んでも●すぐに傷が治って生き返って●ビルから飛び降りて頭を割って死んでも●すぐに元の姿にもどって●洗面器に水を張って顔をつけて溺れ死んでも●すぐに息を吹き返して●そうやって何度も死んで●何度も生き返るという●ぼくの自殺と再生の描写のあいだに●ぼくとセックスした男の子のことを書いたものなんだけど●その男の子には●彼女が何人もいて●でも●ときどきは●男のほうがいいからって●月に一度くらいって言ってたかな●ぼくとポルノ映画館で出会って●そのあと●男同士でも入れるラブ・ホテルに行って●セックスして●彼はアナル・セックスが久しぶりらしくて●かなり痛がってたけど●たしかに●締まりはよかった●大きなお尻だった●がっちり体型だったから●シックスナインもしたし●後背位で挿入しながら●尻たぶをしばいたりもした●で●このように●ぼくの死と再生というぼくの精神的現実と●その男の子とのセックスという肉体的現実を交互に書いていったものだったのだけれど●その男の子がぼくに話してくれたことも盛り込んだのだけれど●そのときの話を●完全には思い出すことができない●彼は●女性はいじめたい対象で●大阪のSMクラブにまで行くと言っていた●男には●いじめられたいらしいんだけど●はじめての経験は●スピード出し過ぎでつかまったときの●白バイ警官で●そいつに●ちんこつかまれて●くわえられて●口のなかでいった●とかなんとか●ぼくは最初のセックスで●相手に「いっしょにいこう」と言われて●えっ?●どこに?●って言ったバカなんだけど●で●その男の子は●あ●この男の子ってのは●ぼくの最初のセックスの相手じゃなくて●Street Life●の男の子のほうね●で●その男の子は●中国人で●小学校のときに日本にきて●中学しか出てなくて●いま26歳で●学歴がないから●中学を出てからずっと水商売で●いまはキャバクラの支配人をしていて●女をひとり●かこっていて●部屋まで借りてやって●でも●ほんまに愛しとる女もいるんやで●そいつには俺がSやいうことは知られてへんねんで●もちろん●ときどき男とセックスするなんてぜんぜん知らんねんで●想像もしたこともないやろなあ●とかなんとか●そんな話をしていて●ぼくは●そんなことを詩の言葉にして●ぼくが●何べん自殺しても●生き返ってしまうという連のあいだにはさんで●ええと●この詩●どなたかお持ちでないでしょうか●ある同人誌に掲載されたんですけど●その同人誌をいま持ってないんですよ●ワープロを使っていたときのもので●パソコンを買ったときに●ワープロとフロッピー・ディスクをいっしょに捨ててしまったので●もしその同人誌をお持ちでしたら●コピーをお送りください●送料とコピー代金をお返しします●同人誌の名前も忘れちゃったけど●『Street Life。』●いい詩だったような記憶がある●言葉はさまざまなものを招く●その最たるものは諺どおり●禍である●阿部さん●場所って●不思議な力を持っているものなのですね●「ソワレ」で●それまで見えていなかったものが●見えてしまったのですもの●ひさしぶりに●哲学的な啓示の瞬間を味わいました●「われわれの手のなかには別の風景もある」●含蓄のあるお言葉だと思います●わたしたち自身も場所なので●わたしたちを取り囲む外的な場所自体の記憶+ロゴス(概念形成力・概念形成傾向)と●わたしたち自身の内的な場所の記憶+ロゴス(概念形成力・概念形成傾向)が●作用し合っているというわけですね●わたしたちだけではなく●場の記憶やロゴス(概念形成力・概念形成傾向)も●随時変化するものなのですね●ヘラクレイトスの●「だれも同じ川に二度入ることはできない●なぜなら●二度目に入るときには●その川はすでに同じ川ではなく●かつまた●そのひとも●すでに同じひとではないからである」といった言葉が思い起こされました●薔薇窗16号●太郎ちゃんのジュネ論●明解さんの引用が面白い位置にあって●このスタイルって●つづけてほしいなあって思いました●かわいらしかったですよ●タカトさんのお歌も●幽玄な感触が濃厚なもので●味わい深く感じました●ああ●雨脚がつよくて●雨音がつよくて●なんか●ぼくのなかにあるさまざまな雑音が●ぼくのなかから流れ出て●それが雨音に吸収されて●しだいにぼくがきれいになっていくような気がしたのですが●そのうち●ぼく自身が雨音になっていくような気がして●ぼくそのものが消え去ってしまうのではないかとまで思われたのでした●ぼく自体が雑音だったのでしょうか●阿部さん●記憶+ロゴス(概念形成力・概念形成傾向)●と書きましたが●記憶=ロゴス(概念形成力・概念形成傾向)●かもしれませんね●こういったことを考えるのも好きです●ひとりひとりを●ひとつひとつの層として考えれば●世界はわたしたちの層と層で積み重なっているという感じですね●でも●わたしたち自身が質的に異なるいくつもの層からなるものだとしたら●世界はそうとうな量●さまざまなもので積み重なってできているものとも思われますね●世界の場所という場所は●数多くの層を●数多くのアイデンティティを持っているということになりますね●その層と層とのあいだを●また●自分のなかの層と層とのあいだを●あるいは●世界と自分との層と層とのあいだを●いかに自由に移動できるか●表現でどこまで到達し●自分のものとすることができるか●どのぐらいの層まで把握し●同化することができるか●わあ●わくわくしてきました●ぼくも●もっともっと深い作品を書かねばという気になってきました●おとつい●「ぽえざる」で●年配の女性の方が●「みんなきみのことが好きだった。」を手にとってくださり●目次をちらりとごらんになられて●「すてきね」とおっしゃって●買って行ってくださったのですが●ぼくは●なんて返事をするべきかわからなくって●ただ「ありがとうございます」と言っただけで●お金を受け取ったあと●ぺこりと頭をさげただけだったのですが●きのうと●きょう●その年配の女性の方のことが思い出されて●なんていうのでしょうか●幸福というものが●どういうものか●46歳にもなって●まだわからないところがあるのですが●おとつい耳にした●「すてきね」という●ささやくような●つぶやくようなその方の声が●耳から離れません●来年●また●「ぽえざる」でお会いしたときに●なんておっしゃってくださるのか●なにもおっしゃってくださらないのか●わかりませんが●「すてきね」という●その方の声が●すさんだぼくの耳を●ずいぶんと癒してくださったように思います●お名前もうかがわないで●なんて失礼なぼくでしょう●でも●このことは●創作というものがなにか●その一面を●ぼくに教えてくれたような気がします●自分さえ満足できるものができればいいと思っている●思っているのですが●「すてきね」という声に●そう思っている自分を●著しく恥ずかしいと思ったわけです●うん●勉強●勉強●まあ●こんな殊勝な思いにかられるのも●ほんのすこしのあいだだけなんだろうけどね●笑●言葉は同じような意味の言葉によっても●またまったく異なるような意味の言葉によっても吟味される●ユリイカの2003年4月号●特集は●「詩集のつくり方」●むかし書いた自分の文章を読み返す●自分自身の言葉に出会う●かつて自分が書いた言葉に●はっとさせられる●もちろん●体験が●言葉の意味を教えてくれることもあるのだけれど●言葉の方が●体験よりはやく●自分の目の前に現れていたことにふと気づく●ふだんは気がつかないうちに●言葉と体験が補い合って●互いに深くなって●さらに深い意味を持つものとなって●ぼくも深くなっているのだろうけれど●きのう●シンちゃんに●「許す気持ちがあれば●あなたはもっと深く●自分のことがわかるだろうし●他人のこともわかるだろう●むかしからそうだったけれど●あなたには他人を理解する能力がまったく欠けている」●と言われた●ぼくは●今年亡くなった父のことについて電話で話していたのだ●「ひとそれぞれが経験しなければならないことがある●ひとそれぞれに学ぶべきことがある●学ぶべきことが異なるのだ●ひとを見て●自分を見て●それがわからないのか」●とも言われた●深い言葉だと思った●と同時に●46歳にもなって●こんなことが●自覚できていなかった自分が恥ずかしいと思った●自分を学べ●ということなのだね●むずかしい●と●そう思わせるのは●ぼくが●人間として小さいからだ●それは●ひとを愛する気持ちが少ないからか●だとすれば●ぼくは●愛することを学ばなければならない●46歳にもなったぼくだけれど●でも●ぼくは●これから愛することを学べるのだろうか●自分を学べ●の前に●愛することを学べ●と書いておく●きょうの一日の残りの時間は●それを念頭において生きてみよう●あとちょっとで●きょう一日が終わるけど●笑●でも●ぼくの場合●愛することとは何か●と考えて●それで学んだ気になるかもしれない●それでは愛することにはならないのだけれど●無理かなあ●愛すること●自分を学ぶこと●うううん●ひとまず顔を洗って●歯を磨いて●おやすみ●笑●トマトケチャップの神さまは●トマトの民の祈りの声を聞き届けてはくださらない●だって●トマトケチャップの神さまだからね●彼氏は裸族●ぜったい裸族がいいわ●彼の衣装は裸だった●ぼくに向かって微笑んでくれた●彼の顔は●こぼれ出る太陽だった●ぼくは●目をほそめて●彼を見上げた●うつくしい日々の●記憶のひとつだった●そのときにしか見れないものがある●その年代にしか見れないうつくしいものがある●そのときにしか見れない光がある●その年代でしか感じとれない光がある●言葉が●それらを●ときたま想起させる●思い出させる●タカトさん●きょうのお昼は●東山に桜を見に行きました●八坂神社の円山公園に行き●しだれ桜を見てまいりました●散り桜もちらほらと見受けられました●帰りに四条木屋町を流れる高瀬川のあたりを歩いておりますと●花筏というのでしょうか●タカトさんのミクシィの日記を拝読していて●この言葉を知りましたが●川沿いに植えられた桜の花びらが散り落ちて●川一面に流れておりました●また●いたるところで●詩は●うんこのように●毎日●毎日●ぶりぶりってひりだされているのですが●そのことには気がつかないで●いかにも「詩」みたいなものにしか反応できないひとが●たくさんいそうですね●すました顔で●でっかいうんこをする彼女が欲しいと●そんなことを言う●男の子がいてもいいと思います●うんこ色のパンツをはいた●ひきがえるが●白い雲にむかって●ぶりぶり●ぶりぶりっと●青いうんこを●ひっかけていきます●そしたら●曇ってた空が●たちまち●青く青く●晴れていきました●うんこ色のパンツをはいた●ひきがえるに●敬礼!●ペコリ●笑●くくく●昨年の冬に●近所の公園で踏みました●草のなかで●気づかずに●こんもりと●くやしかった●笑●そういえば●雲詩人とか●台所詩人とか●賞詩人とか●いろいろいますが●すばらしいですね●ぼくは●うううん●ぼくは●ぼこぼこ詩人です●嘘です●ぼくは●うんこ詩人です●ぼくは●でっかいうんこになってやろうと思っています●一度形成されたヴィジョンは●音楽が頭のなかで再生されるように●何度でも頭のなかで再生される●わざと間違った考察をすること●わざと間違えてみせること●わざと間違えてやること●タカトさん●「言葉の真の『主体』とは誰か」ですか●書きつけた者でもなく●読む者でもなく●言葉自体でもなく●だったら●こわいですね●じっさいは書きつけた者でもあり●読む者でもあり●言葉自体でもあるというところでしょうか●「わたし」という言葉が●何十億人という人たちに使用されており●それがただひとりの人間を表わすこともあれば●そうでない場合もあるということ●いまさらに考えますと●わたしが記号になったり●記号がわたしになったり●そんなことなどあたりまえのことなのでしょうけれど●あらためて考えますと●不思議なことのように思われますが●だからこそ●容易に物語のなかに入りこめたり●他者の経験を自分のことのように感じとれたりするのでしょうね●きょう●dioの締め切り日だと思ってた●だけど違ってた●一日●日にちを間違えてた●一日もうけたって感じ●ワルツじゃ●いや●アルツか●笑●笑えよ●おもろかったら●笑えよ●こんなもんじゃ笑われへんか●光が波立つ水面で乱反射するように●話をしているあいだに●言葉はさまざまなニュアンスにゆれる●交わされる言葉が●さまざまな表象を●さまざまな意味概念を表わす●それというのも●わたしたち自身が揺れる水面だからだ●ユリイカに投稿しているとき●過去のユリイカに掲載された詩人たちの投稿詩を読んでいると●「きみの日曜日に傷をつけて●ごめんね」みたいな詩句があって●感心した●それから●たびたび●この言葉どおりの気持ちが●ぼくのこころに沸き起こるようになった●きみに傷を●と直接言っていないところがよかったのだろうか●きみの日曜日に●というところが●Shall We Dance●恋人とこの映画を見に行く約束をして●その待ち合わせの時間に間に合いそうになくって●あわてて●バスに乗って●河原町に行ったのだけれど●あわてていたから●小銭入れを持って出るのを忘れて●で●財布には一万円札しかなかったので●運転手にそう言うと●「釣りないで」●ってすげなく言われて●ひえ〜●って思って固まっていたら●ほとんど同時に●前からはおじさんが●後ろからは背の高い若い美しい女性が●「これ使って」「これどうぞ」と言ってお金を渡そうとしてくださって●これまた●ひえ〜●って状態になったんだけど●おじさんのほうが●わずかにはやかったので●女性にはすいませんと言って断り●おじさんにもすいませんと言って●お金を受け取って●「住所を教えてください」●と言うと●「ええよ●ええよ●もらっといて」●と言われて●またまた●ひえ〜●となって●バスから降りたんやけど●そのあと●恋人と映画をいっしょに見てても●バスのなかでの出来事のほうがだんぜんインパクトが強くて●まあ●映画も面白かったけどね●映画よりずっと感動が大きくって●で●その感動が●長いあいだ●こころのなかにとどまっていて●ぼくも似たことを●そのあと●阪急の●梅田の駅で●高校生くらいの恋人たちにしてあげた●切符の自販機に同じ硬貨を入れても入れても下から返却されて困ってる男の子に「これ使えばええよ」と言って●百円玉を渡してあげたことがあって●たぶん●はじめてのデートだったんだろうね●あの男の子●女の子の前で赤面しながらずっと同じ百円硬貨を同じ自販機に入れてたから●あの子の持ってた百円玉●きっとちょこっとまがってたんだろうね●あの子たちも●どこかで●ぼくのしてあげたことを思い出してくれてたりするかなって●これ●まだどこにも書いてなかったと思うので●いま思い出したので●書いとくね●でも●あのときの恋人●いまどうしてるんやろか●あ●ぼくの恋人ね●いまの恋人と同じ名前のえいちゃん●エイジくん●おおむかしの話ね●あのときのエイジくんは●えいちゃんって呼んだら怒った●それは高校のときに付き合ってた彼女だけが呼んでもええ呼び方なんや●って言ってた●いま付き合っているえいちゃんは●えいじって呼び捨てにすると怒る●なんだかなあ●笑●初恋が一度しかできないのと同じように●ほんとうの恋も一度しかできないものなのかな●ほんとうの恋●真実の恋と思えるもの●その恋を経験した後では●どの恋も●その経験と比べてしまい●ほんとうの恋とは思えなくさせてしまうものなのだから●しかし●ほんとうの恋ではなかっても●愛がないわけではない●むしろ●ほんとうの恋では味わえないような細やかな愛情や慈しみや心配りができることもあるのではないか●スターキャッスルのファーストをかけながら●自転車に乗って郵便局に行ったんやけど●「うまく流れに乗れば土曜日に着きます」という●局員の言葉に●ああ●郵便物って●流れものなのか●と思って●帰りは●「どうせ●おいらは流れ者〜」とか●勝手に節回しつけて●首をふりふり帰ってきました●あ●ヘッドフォンはスターキャッスル流しっぱなしにしてね●で●これから●また自転車に乗って●五条堀川のブックオフに●ひゃ〜●どんなことがあっても●読書はやめられへん●本と出会いたいんや●まあ●ほんまは恋に出会いたいんやけどね●笑●いやいや〜●恋はもうええかな●泣●恋愛増量中●日増しに●あなたの恋愛が増量していませんか●翻訳するにせよ●しないにせよ●誤読はつねにある●ジョン・レノンの言葉●「すべての音楽はほかの何かから生まれてくるんだ」に●しばし目をとめる●目をとめて考える●あらゆるものがほかの何かから生まれてくる●うううん●なるほど●あらゆるものがほかの何かからできている●とすれば●まあ●たしかに●そんな気がするのだけれど●では●それそのものから生まれてくるものなどないのだろうか●それそのものからできているものなどないのだろうか●とも思った●もう一度●「すべての音楽はほかの何かから生まれてくるんだ」に●目をとめる●ブックオフで『新古今和歌集』を買った●あったら買おう●と●チェックしていた岩波文庫の一冊だった●で●手にとって開いたページにあって●目に飛び込んできた歌が●「言の葉のなかをなくなく尋ぬれば昔の人に逢ひ見つるかな」で●運命的なものを感じて●すかさず買う●笑●人間はひとりひとり●自分の好みの地獄に住んでいる●水風呂につかりながら読んでいる『武蔵野夫人』も●面白くなってきたところ●どうなるんやろねえ●漱石が知性の苦しみを描いたのに対して●大岡昇平は●知性の苦しみが美しいところを描いている●この違いは大きいと思う●小説は実人生とは異なるのだから●美しいものであるべきだと思う●真実が美しいのではないのだ●真実さが美しいのだ●ぼくは●苦しみを味わいたいんやない●苦しみを味わったような気になりたいんや●だから●漱石よりも大岡昇平のほうが好きなんや●麦茶の飲みすぎで●ちとおなかが冷えたかも●お腹が痛い●新しいスイカ割り●スイカが人間にあたって●人間がくだけちゃうっての●どうよ●うぷぷぷぷぷ●ああ●なぜ●わたしは●わたし自身に偽りつづけたのだろうか●そんなに愛をおそれていたのだろうか●愛だけが●人間に作用し●その人間を変える力があるからだろう●なぜなら●本物の愛には●本物の苦痛があるからだ●でも●贋物の愛にも本物の苦痛があるね●笑●なんでやろか●よい日本人は死んだ日本人だけだ●というのが●太平洋戦争のときの●アメリカ政府のアメリカ人に対する日本人というものの戦略的な知らしめ方●いわゆるスローガンのひとつだったのだけれど●詩人にとって●よい詩人も●案外●死んだ詩人だったりして●笑●彼は同時に二つの表情をしてみせた●ぼくのこころに二つの感情が生じた●そのひとつの感情を●ぼくは悲しみに分類し●悲しみとして思い出すことにした●自我を形成するものを遡ると●自我ではないものに至りつくのか●自転車に乗って●嵐山に行った●ジミーちゃんと●ジミーちゃんは●モンキー・パークに行くという●ぼくは猿がダメなので●というのも●大学の人類学の授業の演習で●嵐山の猿を観察していたときに●仔猿をちらっと見ただけで●その母親の猿に追いかけられたことがあるからなんだけど●で●それで●ぼくは●モンキー・パークの入り口の登り口近くの●桂川の貸しボートの船着場のそばの●石のベンチの上に坐って●目の前に松の木のある木陰で●ジミーちゃんを待っていました●川風がすずしく●カゲロウがカゲロウを追って飛んでいる姿や●鴨が鴨の後ろにくっつくようにして水面をすべっている様子を目で追ったり●ボートがいくつで●どんな人たちが何人くらい乗っているか●数えてみたりしていました●いや●多くの時間は●さざなみの美しさに見とれていましたから●ボートとそのボートに乗った人たちのことは●その合い間に観察していた●と書いたほうが正確でしょう●十二のボートが川の上に浮かんでいました●三人連れのボートが一つ●三人の子供を乗せた父親らしきひとの4人乗りが一つ●あとは●男女のカップルにまじって●男男のつれ同士が二つ●女女のつれ同士が一つでした●ぼくが一人で坐っていると●ゲイらしきカップルが●左となりに腰掛けて●自分たちの姿をパチパチ写真に撮りはじめました●背中に腕をまわして抱き合ったり●まあ若いから●まだ20歳くらいでしょう●二人とも●かわいらしくて美しいから許される光景でしたが●笑●と●思っていると●右となりにも●ゲイらしきマッチョ風の男同士のカップルがやってきて●ここは●どこじゃ●と●ぼくは不思議に思いましたが●まあ●そんなこともありかな●と思いました●有名な観光名所ですものね●右となりのカップルは●タイかフィリピンかカンボジアからって感じで●中国語とも韓国語とも違う言葉をしゃべっていたような●左となりのカップルは●たぶん韓国語だと思いますけど●ぼくは●川の風景と●川ではないものの風景を●たっぷり楽しんでいました●ジミーちゃんがくるまで●4●50分くらいでしょうか●左となりのカップルは●楽しげに●ずっといちゃいちゃしていました●時代ですね●川のうえを●川の流れとともに下っていくさざなみが●ほんとにきれいやった●また●さざなみの一部が●川岸にあたって●跳ね返ってくる波とぶつかってできる波も●ほんまにきれいやった●ぼくは●きょうの半分を●川に生かされたと思った●川と●川風ちゃん●ありがとう●美しかったよ●何もかも●画像を撮らなかったのが残念●行きの自転車では死にそうなくらいに暑かったですが●陰にはいりますと●川風がここちよかったです●同じくらいの時間に●タカトさんも行ってらっしゃってて●でも●南北と●違う川沿いの道だったようですね●お会いできずで●残念です●きらきらときらめく水面が美しかったです●ここ●1●2週間●悩むことしきり●自分の生き方もですが●生きている道について考えていました●父親が●ことし亡くなったのも関係があるのかもしれません●ジミーちゃんに●帰りに一言●言いました●ぼくって●だれかひとりでも●ひとを幸せにしてるやろか●って●そんなん知らんわ●とのお返事でした●うううううん●もしも●ぼくの存在が●ただひとりの人間のためにもなっていないのだとしたら●生きている価値なんかあるんやろか●って●川の美しさに見とれながら●そんなこと●考えていました●家族がいないということがきっかけでしょうか●自分の選んだ道ですが●自分の選んだ生き方ですが●自分の存在があまりに小さく思えて●こんなこと●考えるひとじゃなかったのですが●考えれば気がつくこと●考えなければ●いつまでも気がつかなかったであろうこと●ひとつひとつの息が●つぎの息につづくように●孤独を楽しむ●といっても●もう自分が孤独でないことを●ぼくは知っている●何かについて考えたり●思い出したりすると●その何かが●ぼくに話しかけたり●考えさせたりしてくれるからだ●ぼくが出来事に注意を払うと●出来事のほうでも●ぼくに注意を払ってくれるのだ●だから●赤ちゃんや●幼児が●愛に包まれているように見えるのだ●ときどき●ぼくは●ぼくになる●ときどき●詩人が●詩人になるように●で●詩人がぼくになったり●ぼくが詩人になったり●これまで●ぼくは●たくさんのことに触れてきたけど●そのとき同時に●たくさんのことも●ぼくに触れていたのだ●と●そんなことを●きょう●電車のなかで読んでいた●シルヴァーバーグの『Son of Man』●の●He touches everything and is touched by everything.●というセンテンスが●ぼくに教えてくれた●ほんとうのぼくが●ここからはじまる●帰りの通勤電車のなかで●ふとメモを取った言葉だった●ところで●禅●って●詩の骨●みたいなものかしらね●矛盾律の解体●と●言ってもいいのかも●解体●じゃなく●再構築かな●彼のぬくもりが●まだそのベンチの上に残っているかもしれない●彼がそこに坐っていたのは●もう何年も前のことだったのだけれど●あるものを愛するとき●それが人であっても●物であってもいいのだけれど●いったい●わたしのなかの●何が●どの部分が●愛するというのだろうか●どんな言葉が●いったい●いつ●どのようなものをもたらすのか●そんなことは●だれにもわからない●わかりはしない●人生を味わうのが●人生の意味だとしたら●いま●どれぐらいわかったところにいるんだろう●ふと水鳥が姿を現わす●なんと生き生きとした苦痛だろうか●その苦痛は●ぼくの胸をかきむしる●ああ●なんと生き生きとした苦痛だろうか●苦痛という言葉が●水鳥の姿をとって●ぼくの目の前に姿を現わしたのだ●ぼくは●夜の賀茂川の河川敷で●月の光にきらめく水のうねりを眺めていたのだった●ぼくは●前世に水鳥だったのだ●巣のほうを振り返ると●雛が鷹に襲われ●自分もまた襲われて殺されたのだった●水は身をよじらせて●ぼくの苦痛を味わった●水鳥の姿をした●ぼくの前世の苦痛を味わった●それを眺めながら●ぼくも身をよじらせて苦痛を味わった●大学のときに●サークルの先輩に●「おまえ●なんでいつも笑っているの?」●って言われて●それから●笑えなくなった●それまで●ひとの顔を見たら●ついうれしくて●にこにこ笑っていたのだけれど●ささいなことで●人間って傷つくのね●まあ●ささいなことだから●とげになるんだろうけど●ミツバチは●最初に集めた花の蜜ばかり集めるらしい●異なる種類の花から蜜を集めることはしないという●そのような愛に●だれが耐えることができようか●ひとかけらの欺瞞もなしに●ぼくは彼を楽しんだ●彼が憐れむべき人間だったからだ●彼もまた●ぼくを楽しんだ●ぼくもまた憐れむべき人間だったからだ●こんなに醜い●こんなに愚かな行為から●こんなに惨めな気持ちから●わたしは●愛がどんなに尊いものであるのか●どれほど得がたいものであるのかを知るのであった●なぜ●わたしは●もっとも遠いものから●もっとも離れたところからしか近づくことができないのであろうか●鯨が●コーヒーカップのなかに浮かんでいる●ベートーベンよりバッハの方がすてきね●音楽がやむと●鯨は●潮を吹いて●からになったコーヒーカップのなかから出てきて●葉巻に火をつけた●光は闇と交わりを持たない●光は光とのみ交わりを持つ●われわれが言語を解放することは●言語がわれわれを解放することに等しい●高村光太郎の詩を読む●目で見ること●目だけで見ること●ついつい●わたしたちは●こころで見てしまう●目だけではっきり見ることは不可能なのだろうか●言葉で考える●というより●言葉を考える●というより●言葉が考える●まったくわたしがいないところで●言葉が考えるということは●不可能だと思うが●言葉が●わたしのことをほっぽっておいて●ひとりでに他の言葉と結びつくということはあるだろう●もちろん●結びつくことが●即●考えることではないのだが●言葉がわたしを置いていく●わたしのいない風景がどこにもないように●そこらじゅうに●わたしを置いていく●わたしの知らないあいだに●あらゆる風景が●わたしに汚れていく●いつの間にか●どの顔のうえにも●どの風景のなかにも●わたしがいるのだ●ひとりでに●みんなになる●あらゆるものが●わたしになる●掲示板●イタコです●週に二度●ジムに通ってからだを鍛えています●特技は容易に憑依状態になれることです●一度に三人まで憑依することができます●こんなわたしでも●よかったら●ぜひメールください●イタコです●年齢は微妙な26才です●笑●でも週に二度事務に通っています●いやああああああああああん●ジムに通っています●でも●片手でピーナッツの殻はむけません●むけません●むけません●むけません●たった一度の愛に人生がひきずりまわされる●それは●とてもむごくて●うつくしい●サラダ・バーでゲロゲロ●彼の言葉は●あまりにこころのこもったものだったので●ぼくには●最初●理解することができなかった●うんちも●うんちをするのかしらん●吉田くんは●手足がバラバラになる●だから●相手をやっつけるときは●右手に右足を持って●左手に左足を持って●相手をポカスカポカスカなぐるのだが●あんまりすばやくなぐって●もとに戻すので●相手もなぐられたことに●気がつかないほどだ●裸の女が●エレベーターのなかで●胸元を揺らすと●エレベーターが●ボイン●ボインってゆれる●裸の老婆が●しなびた乳房の先をつまんで●ふにゅーって伸ばすと●エレベーターが急上昇!●ビルの屋上から飛び出て●大気圏の外まで出ちゃった●摩天楼の上で●キングコングが美女を手から離して●地面に落とす●飛んでっちゃったエレベーターをつかもうとしたんだな●キキキ●きっとね●事実でないことが●記憶としてある●偽の記憶●と●ぼくは呼んでいるが●なぜそんな記憶があるのだろう●親の話によると●幼いころのぼくは●テレビで見たり●本で読んだりしたことを●みんなほんとうのことだと思っていたらしい●また●嫌なことが贋の記憶をつくるということもあるかもしれない●たとえば●ぼくは●おつかいが嫌いだったので●商店街に行く途中で通る橋のたもとにある大きな岩の表面を●いつもびっしりとフナムシのような昆虫が覆っていたという記憶があるんだけど●これなんかはありえない話で●おそらくは無意識がつくりあげた幻想なのであろう●まるで悪夢のようにね●比喩が●人間の苦痛のように生き生きしている●苦痛は●いつも生き生きしている●それが苦痛の特性のひとつだ●深淵が深い●震源が深い●箴言が深い●信念が深い●ジェルソミーナ●だれも知らないから●捨てられるワタシ●ノウ・プロブレムよ●このあいだ合コンに行ったら●相手はみんなイタコだった●みんな●死んだ友だちや死んだ歌手や死んだ連中を呼び出してもらって●大騒ぎだった●ぼくにもできるにゃ●ひさんなバジリコ・スパゲティ●I●II●III●IV●と●ローマ数字を耳元でささやいてあげる●芸術にもっとも必要なのは勇気である●と言ったのは●だれだったか忘れたけれど●恋人たち●気まぐれな仮面●奇妙な関係●貝殻の上のヴィーナス●リバー・ワールド・シリーズ●と●つぎつぎに●フィリップ・ホセ・ファーマーの小説を読んでいると●そんな気になった●ぼくも●テキスト・コラージュをはじめてつくったときには●それが受け入れてもらえるかどうか●賭けたのだけれど●現代詩はかなり実験的なことも可能な世界であることがわかった●ぼくは自分が驚くのも好きだけど●ひとを驚かせるのはもっと好きなので●これからも実験的な作品を書いていきたいと思っている●何もしていないのに●上の前歯が欠けた●相方没収!●突然●自由なんだよって言われたってねえ●きょう●ニュースで●息子の嫁の首を鉈でたたいて●殺そうとした姑がいたという●80歳のババアだ●ジミーちゃんにその話をしたら●「その切りつける瞬間●その姑さんが念じた言葉●わかる?」●と訊いてきたので●「殺してやる?」と答えたら●そうじゃなくて●「ナタデココ」●と言って●自分の首を指差した●やっぱり●ぼくの友だちね●微妙にこわいわ●友だちだけどね●友だちだからね●笑●母親に抱えられた赤ん坊が通り過ぎていく●人には●無条件で愛する対象が必要なのかもしれない●自己チュウ●と違って●自己治癒●脱穀の北朝鮮●朝鮮民主主義人民共和国の令嬢夫人たちが●踊りに踊る●一糸乱さず整然と●脱穀の北朝鮮●朝鮮民主主義人民共和国の令嬢夫人たちが●踊りに踊る●一糸乱さず整然と●黄色いスカートが●ひらひらと●ひらひらと●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●街じゅういたるところから●猿のおもちゃたちが●姿を現わす●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●街じゅういたるところから●猿のおもちゃたちが●姿を現わす●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●シンバルを打ち鳴らしながら●猿のおもちゃたちが●ぼくのほうに向かってやってくる●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●シンバルを打ち鳴らしながら●猿のおもちゃたちが●ぼくのほうに向かってやってくる●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●脱穀の北朝鮮●朝鮮民主主義人民共和国の令嬢夫人たちが●足をあげて●足をさげて●オイ●チニ●オイ●チニ●黄色いスカートをひるがえし●オイ●チニ●オイ●チニ●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●猿のおもちゃたちが●シンバルを打ち鳴らす●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●脱穀の北朝鮮●朝鮮民主主義人民共和国の令嬢夫人たちの黄色いスカートがまくれあがり●マリリン・モンローのスカートもまくれあがり●世界じゅうの婦女子たちのスカートもまくれあがる●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●自転車は倒れ●バイクも倒れ●立て看板も倒れ●歩行者たちも倒れ●工事現場の建設作業員たちも倒れ●ぼくも道の上にへたり込む●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●オスカル・マツェラートの悲鳴がとどろくように●街じゅういたるところ●窓ガラスは割れ●扉ははずれ●植木鉢は毀れ●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●建物はブルブルふるえ●道もブルブルとふるえ●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●何台もの自動車が歩道に乗り上げ●つぎつぎとひとたちを跳ね●何台もの自動車がビリヤードの球のようにつぎつぎと衝突し●特急電車や急行電車や普通電車がつぎつぎと脱線する●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●ビルの壁に取り付けられた看板はビルの壁ごと剥がれ落ち●ヘリコプターはキリキリ舞いしながら墜落し●飛行機は太陽の季節のようにビルを突き抜けて爆発炎上し●コンクリートの破片が●ガラスの破片が●血まみれの手足が●空からつぎつぎと落っこちてくる●空からつぎつぎと落っこちてくる●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●大気はビリビリに引き裂かれ●白い雲は粉々に吹き散らされ●大嵐の後の爪痕のように●街じゅういたるところの景色がバリバリと引き剥がされていく●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●ぼくの顔から目が飛び出し●歯茎から歯が抜け●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●身体じゅうの骨がはずれ●世界のたががはずれ●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●脳髄から雑念が払われ●想念から悲観が欠け落ち●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●時間は場所と出来事からはずれ●場所は出来事と時間からはずれ●出来事は時間と場所からはずれ●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●時間は場所と出来事からはぐれ●場所は出来事と時間からはぐれ●出来事は時間と場所からはぐれ●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●すこぶる●ひたぶる●すこすこ●ひたひた●爽快な気分になっていく●爽快な気分になっていく●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●吹けよ●風!●呼べよ●嵐!●沸騰する二酸化炭素●カーボン・ダイオクサイド●まっすぐな肩よ●来い!●沸騰する二酸化炭素●カーボン・ダイオクサイド●真っ直ぐな肩よ●来い!


存在の下痢。

  田中宏輔




って

どうよ!

下痢をしているわたしの部屋に

ジミーちゃんがたずねてきて

唐突に言ったの

最近

猫を尊敬するの

だって

猫って

あんなに小さくて命が短いのに

気にもとめない様子で

悠然と

昼間からただ寝てばかりいる

きっと悟っているに違いない

ですって

わたしは下痢で

おなかが痛いって言って

きてもらったんだけど

きのう、恋人にひどいことを言われて

ショックで

ひどい下痢になったわたしの部屋で

いろいろお話をしてくれてるんだけど

ジミーちゃんの話には猫がよく出てくる

ぼくは動物がダメで

猫がかわいいとか思ったこと

一度もないんだけど

ジミーちゃんの話を聞いて

猫の存在から

存在というものそのものについて

すこし考えた

たしかに猫の存在は

ぼくにはどうってことのないものだけれど

ぼくにとってどうってことのないものが

まわりまわって

どうってことのないものではないものになって

ぼくそのものの存在を



ここまで書いたところで

ジミーちゃんが口をさしはさんだ

「そんな自分についての話でどうどうめぐりになってないで

 猫のように悟るべきっ!」

だって



この文章のタイトルをどうしようって言ったら

「恋人に気持ち悪いって言われて

 とても悲しいの」

にしたらって言われたので

わたしが

「気持ち悪いって言われてないわよ

 けがらわしいって言われたのよ」

と言って

ジミーちゃんのほうに向かって

声を張り上げたら

ジミーちゃんが大笑いをしだして

涙を流した

存在って不思議ね

わたしの下痢もとまらないし

存在の意味についても

あんまり深く考えられないし

ここらでやめとくわ

そんなこんな言ってるあいだ

Dave Brubeck のピアノと

ベースとドラムが

ここちよいジャズを

のんびり奏でてた

そうよ

のんびり奏でてたのよ

下痢をしているわたしの部屋で

ゲーリー・クーパーが

ヘアーをたわしで櫛どいていたら

あるいは櫛どいているときに

ネコがコネをつかって

詩集の賞をねらって

詩を書いているのかと思いきや

ねらっているのは

じつは鰹節であった

ってのは

どうよ

当たり前すぎるかしら

存在の下痢について

きょう

ジミーちゃんと酔っ払いながら

話していたのだけれど

ジミーちゃんは

存在の下痢以前に

下痢の存在について

自我の存在を疑っていた

デカルトに訊いてみないと

とか言い出した

あの近代合理主義哲学のそ

そ?



はじめのひとの「祖」ね

育毛剤のコマーシャルで

むかし

シェーン、カミング・バック

っていうのがあったけど

おそ松くんのイヤミは

ただ

シェー

とだけ言っていた



クッパを食べて

ゲリゲリになった

ゲーリー・クーパーが

芸名を

ゲリゲリ・クッパに変えようとしたら

良識ある周囲の人たちに

猛反対にあった

っていう夢を見たと嘘をつけ



わたしにうるさくせっつくのよ

どうすりゃいいのさ

こ〜の わぁ〜たぁ〜しぃ〜

ってか

ブヒッ

存在が下痢をするなら

存在はちびりもするだろう

包皮も擦るし



放屁もするし

脱糞もするだろう

存在は骨折もするかもしれないし

病に倒れて重態に陥ることもあるだろう

存在はあてこすりもするだろうし

嫌味を言うかもしれない

足を踏むことだってあるだろう

あらゆる存在がさまざまな存在様式で存在する

実在の存在だけではなく

仮定の存在も下痢をするし

ちびりもする

放屁もするし

脱糞もする

そのほか

ごにゃごにゃもするのだ

実在と仮定のほかに

可能性の存在というものもある

これもまた

下痢もするし

ちびりもする

って書いてきて

あれ

下痢をすると

ちびりもするって

同じことじゃないかなって

いま気がついた

あちゃ〜

この文章

書き直さなきゃならないかも

いや

下痢をするからって

ちびるとは言えないから

まあ

いいか

このままで

せっかく書いたんだし、笑。

ゲーリー・スナイダーを

山にひきこもった詩人のジジイだと思っているのは

わたしだけかしら

高村光太郎も山にひきこもっちゃったし

そういえば

山頭火だって

そう言えなくもない感じがする

都会生活をしていて

都会生活者の存在の下痢を描写する詩人っていないのかな

ぶひひ

それじゃあ

おれっちがひりだしてやろうかい

存在の

ブリッ

ブリブリブリブリブリッ

って

ひゃ〜

って言って

自分でスカートをまくるちひろちゃん

きゃっわいい!

おっちゃんは

存在の下痢をする

存在を下痢するのだ

存在もまた下痢をする

存在自体が存在の下痢をするのだ

存在が嘔吐する

だったら

哲学的な感じがするかな

ありきたりだけど

存在が下痢をする

だと

やっぱり、くだらん

って言われるかな

ほんとにくだってるんだけどね、笑。

うううん

存在が嘔吐する

のほうがいいかな



でも

ゲリグソちびっちゃうみたいに

存在が

シャーッ

シャーッ

って下痢ってるほうがすてき

嘔吐だと

床の上に

べちゃって感じで

存在がはりついちゃうような気がするけど

下痢だと

シャーッ

シャーッ

って感じで

存在が

はなち

ひりだされるってイメージで

なんだか

きらきらとかわいらしい



きょうは

ぼくも

じゃなかった

ぼくは

きょうも

下痢がとまらず

でも

腸にいいようにって

バランスアップっていうビスケットのなかに

食物繊維が入ってるものを食べたんだけど

しかも繊維質が一番多い

一袋3枚・食物繊維6グラム入りのものを

朝9時50分から

昼の1時すぎまで

ちょっとずつかじっては

緑の野菜ジュースをちびりちびり

ちょっとずつかじっては

緑の野菜ジュースをちびりちびり

口のなかでゆっくりと、じっくりと

シカシカと、ジルジルと

唾液と混ぜながら

緑の野菜ジュースでビスケットをとかして

合計6袋18枚も食べたのだけれど

ビスケットをかじって

5分から10分もすると

うううう

おなか

いたたたたた

って感じで

トイレで

シャーシャー

トイレで

シャーシャー

してたのね

食べてすぐって

生理的にっていうか

肉体的にっていうか

ぜったい

直で出てたんじゃないと思うけど

食べてないときにはシャーシャーあまりしなかったから

直で出てたのかもしれない



シンちゃんが前に言ってたけど

からだが反応して

食べてすぐシャーシャーしてるんじゃなくて

神経が反応してシャーシャーさせてるんだよって

あらま

そうかもしんない

存在は魂を通して

生成し、消滅する

時間として

場所として

出来事として

精神や物質といったものも

ただ単なる存在の一様式にしか過ぎず

存在は魂を通して

生成し、消滅する

時間として

場所として

出来事として

そして

存在が生成するものであるがゆえに

存在は消滅するものなのであり

存在が消滅するものであるがゆえに

存在は生成するものなのである

存在が生成しなければ

存在は消滅しないのであり

存在が消滅しなければ

存在は生成しないのである

ぼくは

きょうも、ひどい下痢をして

ようやく存在というものが

どういうものなのか

その一端をうかがい知れたような気がする

ビスケットをかじりかじり

シャーシャー

シャーシャー

ゲリグソちびりながら

ぷへぇ〜

おなか痛かったべぇ〜

もう一週間近くも下痢ってる



存在の下痢

というかさ

存在は下痢

なのね



ぼくのいま住んでるマンションで

もう一年以上も前のことになるのだけど

真夜中のものすごい「アヘ声」に目を覚まさせられたことがあって

それから

それが数分間もつづいたので

よけいに驚かされたのだけれど

個人的な経験という回路をめぐらせる詩句について

あるいは

そういった詩句の創出について考察できないか考えた

語感がひとによって違うように

どの詩句で

それが起こるのかわからない

偶然の賜物なのだろうか

書くほうにとっても

読むほうにとっても

死んだ父親に横腹をコチョコチョされて

目が覚めたのが

朝の3時46分

寝たのが

1時頃だから

3時間弱の睡眠

あと

いままで寝床で

目を覚ましながら横になっていた

dioの印刷が終わったあと

百万遍にある、リンゴという

ビートルズの曲しかかからない店で

食事をしながらお酒を飲んで

打ち上げをしていたのだけれど

そのときに着ていた服が

父親の形見のコートだったので

「このコート

 死んだ父親のなんだよね」

って言って

「父親の死んだのって

 今年の平成19年4月19日だったから

 逝くよ

 逝く

 なんだよね」

って言うと

斎藤さんが

「わたしの誕生日も4月19日なんです」

って言うから

びっくりして

「ごめんね

 気を悪くさせるようなこと言って」

って、あやまったんだけど

まあ

彼女もべつに機嫌を悪くするわけでもなく

ふつうにしていてくれたから

ぼくも気がやすまって

そのこと忘れていたんだけど

きのう

詩集の校正を書肆山田に送ることができたので

河原町六角にある日知庵に行って

その話をして

酔っ払って帰ってきたから

そんな夢を見たのかもしれない


The Wasteless Land.

  田中宏輔




Contents

I.  Those who seek me diligently find me.
II. You do not know what you are asking.
III. You shall love your neighbor as yourself.
IV. It was I who knew you in the wilderness.
V. Behold the man!
Notes on the Wasteless Land.





『オハイオのある蜂蜜(ほうみつ)採りの快美な死にかただ。その男は空洞にな
った樹(き)の股(また)のところに、探し求める蜂蜜がおびただしく貯(たくわ)えられてい
るのを発見し、思わず身を乗り出しすぎて、そのなかへ吸いこまれ、
そのままかぐわしい死を遂げたという。』





より巧みな芸術家
Thomas Stearns Eliotに。





I.  Those who seek me diligently find me.


四月は、もっとも官能的な月だ。
若さを気負い誇る女たちは、我先にと
美しい手足を剥き出しにする。
春の日のまだ肌寒い時節に。
冬には、厚い外套に身を包み
時には、マフラーで首もとまで隠す。
こころの中にまで戒厳令を布いて。
バス・ターミナルに直結した地下鉄の駅で降りると
夏が水の入ったバケツをぶちまけた。
ぼくたちは、待合室で雨宿りしながら
自動販売機(ヴエンディング・マシーン)で缶コーヒーを買って
一時間ほど話をした。
「わたくし、あなたが思っていらっしゃるような女じゃありませんのよ。
こんなこと、ほんとうに、はじめてですのよ。」
どことなく似ていらっしゃいますわ、お父さまに。
幼いころに亡くなったのですけれど、よく憶えておりますのよ。
いつ、書斎に入っても、いつ、お仕事の邪魔をしても
スミュルナ、スミュルナ、わたしの可愛い娘よ
と、おっしゃって、膝の上に抱いて、接吻してくださったわ。
聖書には、お詳しくて? 創世記・第十九章のお話は、ご存じかしら?
たいてい、いつも、夜遅くまで起きていて、手紙を書いたり、本を読んだりしています。

この立ちこめる霧は、何だ。
この視界をさえぎる濃い霧の中で、いったい、如何(いか)なる代物に出交(でくわ)すというのか。
人生の半ばを過ぎて、この暗い森の中に踏み迷い、
岩また岩の険阻(けんそ)な山道を、喘(あえ)ぎにあえぎなが彷徨(さまよ)い歩くおまえ。
いま、おまえは、凄まじい咽喉(のど)の渇きに苛(さいな)まれている。
だが、耳を澄ませば、聞こえるはずだ。
深い泉のさざめきが。
どんなに干からびた岩の下にも、水がある。
さあ、おまえの持つ杖で、その岩の端先(はなさき)を打つがよい。
(すると、その岩の裂け目から、泉が迸(ほとばし)り出る。)
これで、おまえの咽喉(のど)の渇きは癒され
顔の前の濃い霧も、ひと吹きで消え失せる。
もはや視界をさえぎるものは、何もない。
こんどは、その岩の割れ目に、杖を突き立ててみよ。
    かの輝けるゆたかなる宝、
    糸のごと、狭間(はざま)に筋(すじ)ひきて、
    ただ奇(くす)しき知恵の魔杖にのみ、
    己が迷路を解きあかすなり。
『一年前、あなたの写真を、近くの古書店で、手に
入れました。写真の裏には、電話番号が書かれてあり
ぼくは、あなたに、何度も電話をかけました。』
――でも、それは、ずいぶんと昔のことなのですよ。
わたしが、自分の写真を、本のあいだに挾んでおいたのは。
いま、わたしが何歳であるか、それは申しませんが
あなたから、お電話をいただいたときには、もう
お誘いを受けられるような年齢(とし)ではなかったのです。
ことわりもせず、電話番号を変えて、ごめんなさいね――襟懐(きんかい)。
    見出でし泉の奇(くす)しさよ。
この男も、詩人の端くれらしく
つまらぬことを気に病んで
眠れぬ一夜を過ごすことがある。
そんなときには、よく聖書占いをする。
右手に聖書を持って、左手でめくるのだ。
岩から出た蜜によって、あなたを飽(あ)かせるであろう。
(前にも一度、これを指さしたことがある。)
そういえば、ジイドの『地の糧』のなかに
「蜜房は岩の中にある。」という言葉があった。
アンフィダという場所から、そう遠くないところに
灰色と薔薇色の大きな岩があって、その岩の中に
蜜蜂の巣があり、夏になると、暑さのせいで
蜜房が破裂し、蜂蜜が岩にそって
流れ落ちる、というのだ。
動物の死骸や、樹幹の洞の中にも
蜜蜂は巣をつくることがある。
詩のモチーフを得るために、この詩人は
しばしば聖書占いと同じやり方で辞書を開く。
William Burke というのに出会ったのも、それで
詩人の William Blake と名前(ファースト・ネーム)が同じ
この人物は、自分が殺した死体を売っていたという。

無防備都市(ローマ、チツタ・アペルタ)。
夏の夕間暮れ、月の女神の手に、水は落ち
水はみな、手のひらに弾かれて、ほどけた真珠の玉さながら、飛び散らばる。
アルテミスの泉と名づけられた噴水のそばにある
細長いベンチの片端に腰かけながら
彼女は恋人を待っていた。
たいそう、映画の好きな恋人で
きょう、二人で観る約束をしていた映画も
彼のほうから、ぜひ、いっしょに観に行きたいと言い出したものであった。
彼女が坐っているベンチに
彼女と同じ年ごろのカップルが
腰を下ろして、いちゃつきはじめた。
男が一人、近寄ってくると、彼女の隣に腰かけてきて
「ミス・ドローテ」と、耳もとでささやいた。
『どうか、驚かないでください、といっても、無理かもしれませんね。
許してください。しかし、あなたのように、若くて美しい方なら
突然、このように、見知らぬ男から声をかけられることも
それほど、めずらしいことではないでしょう。
これまで、あなたほど、顔立ちの見事に整った、美しい女性には、お目にかかったことがありません。
ほんとうですよ。ところで、わたしがあなたに呼びかけた、ドローテという名前は
ある詩人の作品のなかに出てくる、見目もよく、気立てもやさしい、若い娘の名前なのです。
ですから、そのように、眉間に皺を寄せて、わたしを見つめないでください。
あなたの美を損ねてしまいます。
わたしが、あなたの聖(きよ)らかな泉を汚すことは、けっしてありません。』





II. You do not know what you are asking.


ゴールデン・ウィークを迎えるころになると
授業に出てくる学生の数が激減する。
半減期は一週間、といったところだろうか。
それでも、昔に比べれば、ずいぶんとましになったものだ。
この大きな階段教室に、学生が二人、といったこともあったのだ。
(そのうちの一人は、最初から最後まで、机の上につっぷして眠っていた。)
点が甘いということで、登録する学生の数が非常に多いのだが
出欠をまったく取らないので、出てくる学生の数が見る見る減っていくのである。
出欠を取れば、学生が出てくることはわかっているが、時間が惜しい。
授業内容さえ充実していれば、かならず出てくるはずだ、と
そう思って、授業にも、いろいろと工夫を凝らしてみるのだが
なかなか思いどおりには、いかないものである。
小説のなかに出てくる、ちょっとした小物や、ささいな出来事が
――その場面に、すばらしい表情を与えるものとして
あるいは、作品世界全体をまとめる象徴的なものとして機能することがある
ということは、前の授業で、電話を例に、説明しましたね。
今回は、ハンカチについて見ていくことにしましょう。
まず、電話のときと同様に、ハンカチという言葉の起源と、その用途について調べ
つぎに、いくつか、文学作品を採り上げて、そこで用いられている、さまざまな例を通して
いったい、どのような効果が得られているのか、考えていくことにしましょう。
ハンカチ、すなわち、ハンカチーフという語がはじめて文献に現われるのは
十六世紀、もう少し正確に言いますと、一五三〇年のことですが
じっさいには、それ以前にも用いられていたと思われます。
その原型となるものは、古代エジプトにも存在しておりましたし
ギリシア・ローマ時代にも、顔の汗をふいたりした、スダリウムと呼ばれる布切れや
食事のときに手をふいたりした、マッパと呼ばれる布切れがありました。
また、これらの布切れは、競技のスタートの合図に振られたり、賞賛の印として振られたり
教会で儀式が執り行われる際に、僧侶の手に持たれたりしました。
ハンカチが一般に普及したのは、もちろん
「ハンカチーフ」という語が文献に現われた十六世紀以降のことですが
それはまず、上流階級の間で、装飾品として手に持たれたことにはじまりました。
当時は、手袋や扇と同様に、服装の一部をなすアクセサリーとして重要なものでした。
なかには、宝石が縫いつけられたり、豪華な刺繍が施されたりしたものもありました。
十七世紀になりますと、一般の婦女子のあいだでも用いられるようになりました。
形見の品として譲り渡されたり、愛の印として贈られたりしました。
こういった例を、文学作品のなかから、いくつか採り上げていきましょう。
つぎの文章は、スタンダールの『カストロの尼』において、主人公が、自殺するまえに
手紙とハンカチを、自分の恋人に手渡してくれるように、ひとに頼むところです。

『どうして、あんなに字が汚いのかしら。
ひと文字、ひと文字、大きさもバラバラで、ほんっとに、ヘタクソな字!
それに、どうして、あんなに歩きまわって、黒板のあっちこっち、いろんなとこに書いてくのかしら。
ちゃんと、ノート、取れないじゃない。ったく、もう。あっ、あの字、あれ
  なんて書いてあんの? なんて書いて? なんて?
なんて書いてあんのか、ゼンゼンわかんない。
ちゃんと書いてよね。』

そのひとがふだん身につけていたものを形見にしたりすることは、ごく自然な感情によるものでしょう。
つぎに、愛の印に贈られたハンカチが、たいへん重要な小道具として出てくる作品を紹介しましょう。
『あの黒いものは、なんだろう。』
    キャンキャン吠えながら、尨犬(むくいぬ)が駆け降りてくる。
『だれが教室に入れたのですか? どうして、こんなところに連れてくるのですか?』
     だれも答えない、だれも。
                     『だれも
答えないのですか? だれか、一人くらいは、わたしにこたえられるはずでしょう?
それとも、犬が自分から勝手に入ってきたとでもいうのですか?
自分から勝手に?』

 とうとう、ペットまで、教室のなかに持ち込むようになってしまった。
いやはや、なんという連中だろう。あまりにも馬鹿らしくて、これ以上、叱る気にもなれない。
『おれが、あんなに大事に思って、おまえにやったハンカチを、おまえは、キャスオウにやった。』
                                         これは、あの
シェイクスピアの『オセロウ』にあるセリフですが、苺の刺繍が施された
このハンカチは、オセロウの母親遺した形見の品で、批評家のトマス・ライマーは
このハンカチ一枚に、みなが右往左往する、この作品を批判して、「ハンカチの笑劇」と呼びました。
『午後から、なにか、予定ある?』
『とりあえず、あたしは、髪を切ってもらいに
美容院に行くわ。それから、アルバイトに
行くかどうか、考えるわ。』

                           あと十分で、二講時目終了のチャイムが鳴る。
また、そこの先輩が、意地が悪いのよ。
若い客が、あたしとばかり、話したがるもんだから
嫉妬してんのよ。まわりに、だれもいなくなったりしたら
もう、たいへん。ほんっとに、ひどいのよ。
きのうなんて、のろいわね、とか、グズね、とか言って
あたしの顔を、にらみつけんのよ。
どう思いますか? さあ、はやく立って、答えてください。
入って、まだ二日目よ。
できるわけないじゃない。
することだって、いっぱいあんのに。
あーあ、もっとラクだと思ってたわ、マネキンの仕事って。
あっ、そうそう
それより、マルトの話、聞いた?
新しい恋人ができたの、って言ってたわ。
ねっ、きみも、詩が好きかい?
ぼくは、ボードレールや、ランボーの詩が好きなんだけど。
ですって。
いきなり隣の席にきて、その彼氏、そう言ったんですって。
マルトも、あのとおり、文学少女でしょう。
わたしも、ボードレールや、ヴェルレーヌが好きよ、って返事したらしいわ。
ジャックっていう、高時時代から付き合ってる、れっきとした恋人がいるっていうのにね。
彼って、体育会系でしょ。新しい彼氏は、ゼンゼン違うタイプなんですって。
背が高くて、やせてて、それに、顔が、とってもきれいなんですって。
どう思いますか? さあ、はやく立って、答えてください。
弟のラインハルトが、部屋のなかに閉じこもったまま、出てこないのよ。
お母さんの話だと、一日じゅう、ほとんど閉じこもりっきりで
食事もろくに摂ってないっていうのよ。
たしかに、見るたびに、やせてってるって感じだったわ。
お母さんたら、このままだと、拒食症で死んじゃうかもしれないわ、って言うのよ。
どうやら恋わずらいらしいんだけど
(ところで、一つ年下の弟は、ことし高校を出たばかりの青年だ。)
同い年の幼なじみの女子にふられたっていうのよ。
あたしと同じ、エリーザベトっていう名前の子なんだけど、たしかに、可愛らしい子だったわ。
まあ、あたしの知ってるのは、彼女が中学生ぐらいまでの
ことだけど。(近くに森があって、弟と彼女は、小学生のころ、よくいっしょに、苺狩りに出かけた。
湖水のほとりで、ハンカチを拡げ、そのうえに、採ってきた苺をならべて、二人で食べた。)
その彼女から、ある朝、弟に手紙がきたらしいんだけど
それからなんですって、弟が部屋のなかに閉じこもるようになったのは。
あたしたち、弟が高校に入るときに、こちらに越してきたでしょ。
それでも、弟は、月に一度か、二度くらい、そのこと逢ってたらしいのよ。
お母さんたら、なんでも見てきたことのようにしゃべるんだけど
これは、たしかに、ほんとうのことなんですって。
やっぱり、遠距離恋愛って、むずかしいのよね。
どう思いますか? さあ、はやく立って、答えてください。
えっ、なに? なに? あたってるの? さっきから?
あら、ほんとだわ、どうしましょう。
あなたも、聞いてなかったわよね。
まあ、どうしましょう――
どう思いますか? さあ、はやく立って、答えてください。
どう思いますか? さあ、はやく立って、答えてください。
ねえ、アガート。ねえ、ジェラール。ねえ、ダルジェロ。
あなたたち、みんな、聞いてなかったの?
どう思いますか、ですって。
なにか言わなくちゃ。
えっ、あの黒板に書いてある言葉をつかって、なにか言いなさいよって?
イヤン、字が汚くて、ゼンゼン読めないわ。





III. You shall love your neighbor as yourself.


この地下鉄は南に行き、南の端の駅に着くと
北に転じて、ふたたび北の端の駅に戻る。
電車、痴漢を乗せて走る。
感覚器官が、感覚器官の対象に向かって働く。
見目美(うるわ)しい乙女たちよ、その身をまかせよ。
わが息の霊の力、尽きるまで。
汝の胸の形、汝の腰の形、汝の尻の形は
その形を見る者の目を捉え
その香料の芳(かんば)しい香りを放つ汝の身体は
その匂いをかぐ者の鼻先を捉える。
感覚器官が、感覚器官の対象に向かって働く。
他人に気づかれないように、こっそりと
ひそかに、感覚器官が、感覚器官の対象に向かって働く。
愚かな女は騒がしい。
自分の唇を制する者には知恵がある……
見目美(うるわ)しい乙女たちよ、その身をまかせよ。
わが息の霊の力、尽きるまで。
見目美(うるわ)しい乙女たちよ、その身をまかせよ。
わが息の霊の力、及ぶうち。
わたしの横に
駆け込み乗車してきたばかりの男が立っている。
噴き出た汗をハンカチでぬぐいながら、男は、すばやく社内を見渡した。
坐れないことがわかると、溜め息をついて
書類の入った袋を、鞄のなかにしまった。
それにしても、この男の表情は陰鬱である。
それは、この男が、これから先、自分がどこへ行き、どんな顔をして
どのように振る舞わなければならないかを知っているからだ。
男が、わたしの身体を透かして、通路の向こう側を見た。
わたしの姿は目に見えず、だれも、わたしを目で見ることはできない。
わたし自身が、ひとの目に触れることを望まないかぎりは。
男の視線の先に、空席を求めて隣の車両からやってきた、一人の妊婦の姿があった。
その表情は苦しげで、またその足取りも重く、なお一歩ごとに、その重みを増していったが
ときおり、他の乗客の背中に手をつきながら、しだいに、こちらに近づいてきた。
男が、ふたたびハンカチを取り出して、額や花の下の汗をぬぐった。
激痛が、彼女の両腕を扉付近の支柱にしがみつかせた。
わたしは首をまわして、わたしの息を車内全体に吹きかけた。
これで、だれ一人、女に自分の席を譲ることができなくなった。
突き出た腹を自ら抱え、女が、その場にしゃがみ込んだ。
わたしは、男の耳もとに、わたしの息を吹きかけた。
男の胸がはげしく波打ちはじめた。
男が足を踏み出した。
フウハ フウハ フウハ
ドックン ドックン ドックン ドックン ドックン ドックン
おのれ自身が創り出した、淫らな映像に惹き寄せられて。

名画座で上映されていたのは
無防備都市(ローマ、チツタ・アペルタ)。
夏の夜、波の模様に敷き詰められた敷石のうえを
溜め息まじりに言葉を交わしながら、恋人たちが通り過ぎて行く。
広場に残っていたカップルたちも、夜が更け、噴水が止まると、ぽつぽつと帰りはじめた。
ひとの動く気配がしたので振り返ると、植え込みの楡の樹の後ろから、丸顔の女の子が顔を覗かせた。
あまりに若すぎると思ったが、そばにまでくると、それほどでもないことがわかった。
たどたどしいフランス語で、あなた、ガブリエル伯父さんでしょ、と訊ねられた。
あらかじめ電話で教えられていたとおりに、そうだよ、きみの伯父さんだよ、と答えると
彼女は微笑んで、地下鉄に乗るのね、と言い、ぼくの腕をとって歩き出した。

すみれ色の時刻。
友だちと大声でしゃべり合う学生たちや
口を開く元気もない、仕事帰りの男や女たちを乗せて
地下鉄は、ゴウゴウ、音を立てて走っている。
わたし、メフィストーフェレスは
馬の足を持ち、贋(にせ)の膨(ふく)ら脛(はぎ)をつけて歩く
つむじ曲がりの霊である。
このすみれ色の時刻。
ジムこと、ジェイムズ・ディリンガム・ヤングは、まだ
二十二歳の貧しい青年であったが、彼の住む安アパートの二階には
鏡のまえで美しい髪を梳きながら、新妻のデラが、彼の帰りを待ちわびていた。
彼の膝のうえには、宝石の縁飾りのある、べっ甲の櫛が入った小さな箱が置かれていた。
その高価なプレゼントを買うために、彼は、父親から譲り受けた
もとは祖父のものであった、上等の金時計を売らなければならなかった。
ミス・マーサ・ミーチャムは四十歳、通りの角で、小さなパン屋を営んでいる。
最近、彼女は、自分の店にくる客の一人に、思いを寄せている。
男は、いつも(新しいパンの半分の値段の)古パンを二個、買って行く。
こんど、彼のすきをみて、古パンのなかに、上等のバターをたっぷり入れてあげましょう。
彼女は、吊革につかまりながら、ジムのまえで、そんなことを考えていた。
馬の足を持つ、このねじくれた霊、メフィストーフェレスなる
わたしには、こうした事情が、すぐにわかるのだ。
二人の耳もとに、わたしは、いまこの電車に乗ってくる、一人の男を待っていたのだ。
あの背の高い、やせた白髪頭(しらがあたま)の
男が乗ってくるのだ。
プロテスタント系の私立大学に勤める、文学部の教授である。
創作科のクラスで、詩や小説の書き方を教えている。
三十代半ばで、はじめて女を知った、この男は
それからの数年間というものを
肉欲の赴くまま、享楽に耽(ふけ)っていたのだが
三十代の終わりに、妻となるべき女と出会って
それまでの淫蕩な生活に、突然、終止符を打ったのである。
彼は、妻のことをいちずに愛し、妻もまた、彼のことをいちずに愛した。
ともに暮らした十年のあいだ、子宝には恵まれず、あえて養子を取ることもしなかったので
彼らの家のなかに、子どもの声が響くことなどはなかったが、それで、さびしくなるということもなかった。
むしろ、二人きりでいることが、相手に対する愛情を、より深いものにしていった。
それゆえ、五年まえに、まだやっと三十を越えたばかりの妻を、交通事故で失くしてからというもの
彼は、妻を慕う気持ちのあまり、あらゆる女性を避ける避けるようになってしまったのである。
通いの家政婦のほかには、彼の家に訪れる女性は、一人もいなかった。
(わたし、メフィストーフェレスが、人間の耳もとに息を吹きかけると
たとえ、どれほど萎えしぼんだ魂の持主でも、情欲の
俘虜(とりこ)となって、生きのいい魂を取り戻すことができるのである。
かつて、あのファウストでさえ誘惑し、その胸のなかに
情欲の泉を迸(ほとばし)らせた、このわたしである。)
背中を押されて入ってきたセヴリヌ・セリジは、通路の真ん中で足を止め、目を凝らして見た。
このがっちりとした体格、この着くずれした背広、それに、この品のない首つきは……
彼女の斜めまえに立っている男に、その男の後ろ姿に見覚えがあったのである。
男が何気なく振り向いた拍子に、自分の知り合いではなかったことがわかって、彼女は、ほっとした。
ふと、彼女は、きょう、マダム・アナイスの家で自分を抱いた中年の男の言葉を思い出した――
『恥ずかしいんだね、ええ、恥ずかしいんだね。でも、いまに嬉しがらせてやるからな。』
美しい女が馬鹿な真似をすると、たちまち破滅する。
それが、夫のある身なら、なおさらである。
わざわざ、彼女の耳もとに、わたしが息を吹きかけてやることもない。
ただ、この体格のいい男の耳もとに、ひと吹きするだけでよい。

『あなたの泉に祝福を。』
電車が停まり、その扉が開くたびに
ひとびとが乗り込み、人々が降りて行く。
すべてのことには季節があり、すべてのわざには時がある。
男と女の出会いにも、時がある。
生涯において、ただ一度、同じ電車のなかに乗り合わせる、ということもある。
どの女も似通ってはいるが、同じと言えるところは、一つもない。
その胸の形、その腰の形、その尻の形のことごとく
その形それぞれに、男の目は捉われる。
さあ、いままた、扉が開いて、女たちが乗り込んできた。

よくよく、おまえに言っておく。
この電車が、つぎの駅に着くまえに
おまえは、三度、痴漢の手をはらいのけるだろう。
だが、恐れるな。この者は、よい痴漢である。
それにしても、この胸は、痴漢の愛する胸、痴漢のこころにかなう胸である。
痴漢がおまえの胸にさわるとき
おまえは、痴漢がすることを、他人に知らせるな。
それは、その行為が隠れてなされるためである。
そうすれば、おまえの胸に触れた手は
さらなる悦びを、おまえにもたらせてくれるであろう。
アハァ アハァ
アハァ アハァ
手はすでに、おまえの胸のうえに置かれている。
もしも、おまえの胸にさわる手が
おまえの胸のボタンをはずそうとするなら
おまえは、おまえのその胸の下着の留め金をはずせ。
そうだ、まことに、おまえの情欲は見上げたものである。
まことに、おまえは情欲の俘虜(とりこ)である。
もしも、痴漢が、おまえの乳房を引っ張って、おまえを
車両の端から端まで引き摺って行こうとするなら
その痴漢の手に、二車両は引き摺られて行け。
さあ、この生き生きとした悦楽にひたれ。
この悦楽の泉にひたれ。
 アハァ アハァ
 アハァ アハァ

「あたし、見てたわよ。
あの痴漢ったら、向こうの端から、こっちに向かって
一人、二人、三人って、つぎつぎに手を出していたでしょ。
あたしで、ちょうど、十人目になるわね。
でも、わたしには近づかないでよ。
ちょっとでも、さわったりしたら、警察に突き出してやるから。」
これまで、あなたのまえに、恋人が現われなかったのは
ただ、あなたの美に、だれも気がつくことができなかったからである。
事実、あなたは、もっとも美しい猿よりも美しい。
諺に、『老女は地獄で猿を引く。』というのがあるのを知っているか。
猿は、だれをも愛さず、だれにも愛されなかった女の、唯一、あの世での連れ合いなのだ。
人間には人間がふさわしく、猿には猿がふさわしいと思わないか。」
「愛を意味するギリシア語のエロースが
ローマに入ると、欲望という意味の言葉、キューピッドとなった。
不死なる神々のなかでも、ならぶ者のない、美しいエロース。
この神は、あらゆる人間の胸のうちの思慮と考え深いこころを打ち砕く。」
 ララ
ここがロドスだ、跳んでみよ。

さわる、さわる、さわる、さわっている。
おお、女よ、たとえ、おまえが、一日に千回、手をはらいのけても
おお、女よ、きっと、おまえは、一日に千五百回、手を出されるだろう。

さわってる。





IV. It was I who knew you in the wilderness.


男に出会ったのは、きのう
地下鉄の駅から出て、大学の構内に入って行くところだった。
男は研究室に立ち寄ると、すぐに教室に向かった。
                                  尨犬(むくいぬ)の姿となって
階段教室の前にいると
遅れてやってきた女子学生が、わたしを拾い上げた。
授業をしながらでも、始終、男は死んだ妻のことを思い出していた。
そのあと、一日じゅう、男のあとをつけまわしてみたが
男は、片時も、妻のことを忘れることがなかった。
何を見ても、何をしても、男は、すべてのことを、死んだ妻とのことに結びつけて考えた。
かつて、わたしが魂を奪い損ねた男と同じ名前を持つ男、あの男こそ
新たなる、神の僕(しもべ)、新たなる、わが獲物!





V. Behold the man!


ひと渉(わた)り、さっと車内に目を走らせると
そのあとは、ひとには目もくれない。
ただ、目をやるものといえば
言葉、言葉、言葉、
広告の。
彼の表情は硬かった。
亡くなった妻のことを思い出すとき以外に
その顔に笑みが浮かぶことなど、まったくなかった。
ここ、何年物あいだ、この詩人の魂に映るものといえば、岩の山、岩の谷、岩と岩ばかりの風景だった。
しかし、どんなにかわいた岩の下にも、水がある。
どれほどかわいた岩地でも、その下には、かならず水が流れているのだ。
もとをたどれば、詩人という言葉は
小石のうえを流れる水の音を表わすアラム語に行きつく。
こころの奥底に、流れる水がなければ、詩など書けるはずもない。
ひとを愛し、人生を愛してこそ、詩人であるのだから。
いまひとたび、そのかわいた岩々の裂け目から水を噴き出させ
その胸のなかに、情欲の泉を溢れ出させてやろう。
悪戯(いたずら)好きのわたしが、ほんとうに好きなのは
神の目に正しい道を歩まんとする者を
その道から踏みはずさせ、わたしの道を歩ませること
その彼の魂を、命の本減から引き離し、わたしのものとすること
その彼を、あの世における、わたしの奴隷、私の僕(しもべ)とすることなのだ
たしかに、かつて、わたしは、あのファウストの魂を奪い取ることができなかった。
それは、わたしが、背中に甲羅を生やした悪魔にしては、あまりにも初心(うぶ)だったからである。
しかし、もう、二度とふたたび、神には騙(だま)されない。けっして、騙(だま)されることはない。
わたしの新しい獲物、このファウストの魂は、わたしのものとなる。
足もとに目を落とし
耳を澄ましてみよ。
聞こえてこないか。
泉の湧く音が。
流れのもとの
深い水のとどろきが。
そら、そこの
その岩の古い肋骨(あばらぼね)を
おまえの持つその杖で打ってみよ。
シュバッ、シュバッ、シュバッ、シュバッ、シュバッ
と岩の割れ目から湧き水が迸(ほとばし)り
たちまち、かわいた岩地が
泉となる。

何者だ、この異形のものは。いま、耳もとでささやいていたのは、こいつなのか。
人間とは思えぬ、その姿。まるで絵に描かれた悪魔のようだ。だが、窓ガラスに、こいつの姿はない。
おかしなことだが、なんだか、自分の顔つきまで、自分のものではないような気がしてきた。
かなり疲れが溜まっているようだ。マルガレーテが生きていたころには、こんなことはなかった。
ああ、グレートヘン。ぼくの可愛いひと。あの唇の赤さ、あの保保の輝きよ。
きみといた十年のあいだ、たしかに、ぼくは、もっとも浄(きよ)らかな幸福を味わうことができた。
ときおり拗ねて、ツンとすまして見せたけれど、それが、またさらに、きみのことを愛しく思わせた。
きみの無邪気な、そんな仕草に、ぼくは、どんなに、こころ惹かれたことか――
きみは、ちっとも知らなかっただろう?

電車が停まって、ファウストのそばの座席が二人ぶん空くと
乗り込んできたばかりのデイヴィッドとキャスリンが、その空いたところに、すかさず腰を下ろした。
褐色に日焼けした二人は、真珠をつないだ短めのネックレスを首に嵌め、レモンイエローの
サマーセーターに、白のジーンズという揃いの出で立ちで、髪をスカンジナヴィア人なみの白っぽい
ブロンドに染め、全体を短く刈り込んで、見かけを、そっくり同じにしていた。
もともと、兄妹のように、よく似た二人であったが、このように
同じ身なりと同じ短い髪型でいると、ひとの目には、まるで双生児(ふたご)の男兄弟のように映った。
ねっ、キスして。女が男の目を見つめながら、そう言うと、男が女の肩に腕をまわして、抱き寄せた。
唇が離れると、女が、男の耳もとで、ねっ、あたしにもキスさせて、と、ささやいた。
すると、男が、わざと驚いたふりをして、ひとが見てるぜ、と言って微笑んだ。
さすがに、ファウストも、このとびきり派手な二人の振る舞いには、目をやらざるを得なかった。
ひとに見られてるの、嫌? 女が坐り直し、男の腰にまわした腕を背中の方に動かした。
いいとも、悪魔め。おれが嫌なわけないだろ? いかにもうれしそうに、男が、そう答えると
メフィストーフェレスが、口の端をゆがめて、ニヤリと笑った。

何を人間が渇望しているのか、それを一番よく知っているのは、悪魔であるこのわたしだ。
この世界の小さな神さまの魂は、わたしのものである。
わたしに不可能なことがあるだろうか。
この脚の長いキリギリスの魂は、かならず、わたしが手に入れてみせる。
さあ、ファウスト先生よ、わたしの言葉をお聞きなさいよ。
そういつまでも、文献ばかりにしがみついていないで、現実をしっかりごらんなさいな。
最近の先生の作品は、生気がなくて、ちっとも、よくありませんよ。
ほんとうの詩なんてものは、先生ご自身の胸のなかから湧き出てこなければ、得られないものでしょう?
ところで、先生、ごらんのこの二人のうち、女の方の名前を、あなたにお教えしましょうか?
それは、先生が、もっとも愛しておられた女性と同じ名前の、グレートヘン、すなわち、マルガレーテ。

なに? グレートヘン? マルガレーテだって? それがこの娘の名前なのか?
そう言われてみれば、ぼくの愛しい妻、マルガレーテに似ているような気がしてきた。
この胸の奥深くに仕舞い込まれた、ぼくの花、ぼくの愛しいマルガレーテの面影に。
色褪せることのない、その面影。すべての花のなかで、もっとも清純で、可愛らしい花よ。
おいおい、悪魔め、その臭い息を、ぼくの耳もとに吹きかけるな。
マルガレーテがいなくなってからというもの、ずっと、ぼくのこころは、枯れた泉のようだった。
ただ、マルガレーテと過ごした日々が、そのすばらしい思い出だけが、ぼくを生かしてきた。
たとえ、どれほど美しい女性を見かけても、こころ惹かれることなどなかった。けっして、なかった。
つねに、ぼくの愛しい妻、マルガレーテの面影が、ぼくのこころを捉えて離さなかったのだから。
しかし、いま、ぼくの目のまえにいる、妻に似た、この娘の、なんと魅力的なことだろう。
よもや、女性というものに、これほど激しく胸が揺さぶられることなど
二度とはあるまい、と思っていたのに。

それにしても、この胸の昂(たかぶ)りは、いったい、どこからやってきたのだろう。
いやいや、どこからでもない。もとより、この胸の昂(たかぶ)りは、ぼく自身のなかにあったものだ。
ぼく自身の胸のなかに、この胸のなかに、もう一つ別の魂が、邪(よこしま)な魂が潜んでいたのだ。
いま、ぼくの傍らにいる、この悪魔の姿も、溢れ出る愛欲にまみれ
からみつく官能をもって現世に執着する、その邪(よこしま)な魂が、ぼくの目に見せた幻に違いない。
ダ!
ジー・ダ! そら、見るがいい。
ねっ、あたしの女になって。うわずった声で、女が男にささやいた。
キャスリンは、おまえだ。そう言い返す男の口もとを、女の手のひらがふさいだ。
いいえ、あたしがデイヴィッドで、あなたが、あたしのすてきなキャスリンよ。
激しく抱擁し合う二人の姿が、その二人の首もとで輝く真珠の光が、ファウストの目を捉えた。
情欲の泉が、ファウストの胸のなかから、その胸のもっとも深いところから湧き上がってきた。
すると、ここぞとばかりに、ひと吹き。メフィストーフェレスが、ファウストの耳もとに息を吹きかけた。
ファウスト先生よ、いま、これより、わたしが、あなたの僕(しもべ)となって、あなたに仕え
これまで、あなたが味わったことのない最高の瞬間を、あなたに味わわせてあげましょう。
ただし、その瞬間を味わった暁(あかつき)には、以後、あなたが、わたしの僕(しもべ)になるという条件と引き換えに。
さあ、ここに神があります。血をひと垂(た)らしつけて、署名していただきましょう。
ダ!
ウンター・ホイチゲム・ダートゥム・! さあ、きょうの日付で。
ああ、この紙も、このペンも、そして、この悪魔の姿も、声も、みな幻なのだろう。
いま、ぼくの目のまえにいる、この二人のやりとりも、また、一つの芝居、一つの幻に違いない。
ならば、なぜ、なにゆえ、この胸の奥深く、情欲の湧き水が、岩の狭間(はざま)に噴き上がるのか。
まことに、愛着(あいぢやく)の道は、その根の深きもの。これを求むること、やむ時なし。
まるで、岩から岩へと激する滝が、欲望に荒れ狂いながら深淵に落ち込むようなものだ。
親指を噛んで、そら、悪魔よ、このひと垂(た)らしの血でいいのか。
グレートヘンが、いや、あの娘が、ハンカチを落とした。
おお、悪魔よ。あのハンカチを、取ってきておくれ。
ダ!
ダ・ニムス! ほら受け取るがいい。
おお、この芳(かぐわ)しい香りよ。
なんたる歓びの戦慄(おのの)きが、ぼくを襲うことだろう。
この胸も張り裂けてしまいそう。
ああ、苦しい、苦しい。心臓が掻きむしられるようだ。
だが、これが、最高の瞬間だ!

                                ファウストの身体が後ろに倒れた。
針が落ちた。事が終わった。
乗客たちの姿が光に包まれ、その光が天使の群れとなって、聖なる歌を唱いはじめた。
おお、なんと胸くその悪い響きだ、この調子はずれの音は。
おや、ファウストの身体が宙に浮くぞ。
だんだん上がっていく。
また、横取りするつもりなのか。
――この死体は、わたしのものだ。
ここに、こいつが自分の血で署名した書付(かきつけ)があるのだ。
おお、天井にぶつかって、ファウストの死体が床のうえに落ちたぞ。
あはははは、そうだ、ここは地下鉄だ。地下鉄の電車のなかだぞ、天使どもめ。
だが、これほどたやすく手に入る魂に、値打ちなどちっともない。おまえたちにくれてやる。
ジー・ダ。ウンター・ホイチゲム・ダートゥム。ダ・ニムス。見るがいい。きょうの日付でくれてやる。
ディー・クライネン、ディー・クライネン。ちび、ちび。












Notes on the Wasteless Land.




 この詩は、題名のみならず、その形式や文体も、また、この詩に引用された詩句のうち、そのいくつかのものも、西脇順三郎によって訳された、T・S・エリオットの『荒地』に依拠して制作されたものである。西脇訳の『荒地』を参照すると、まったく同じ行数でこの詩の本文がつくられていることがわかる。また、この詩の主題は、全面的にゲーテの『ファウスト』に負っている。ほかにも、さまざまな文章や詩句から引用したが、本作の文脈や音調的な効果、あるいは、視覚的な効果のために、それらの言葉をそのまま用いるだけではなく、漢字や仮名遣いなどを改めたところもある。それらの仔細については、以下の注解に逐一述べておいた。ただし、西脇訳の『荒地』からのものは、とくに指摘しておかなかった。じっさいにそのページを開けば、どこから、どう引用しているのか、一目瞭然だからである。それにまた、エリオットの『荒地』のもっともすばらしい翻訳を傍らに置いて、この作品を味わっていただきたいという気持ちからでもある。
 エピグラフは、メルヴィルの『白鯨』78(幾野 宏訳、二重鉤及び読点加筆)より。各章のタイトルは英訳聖書からとった。各章の注解の冒頭に、日本聖書協会による訳文を掲げておいた。




I.  Those who seek me diligently find me.


第I章のタイトルは、PROVERBS 8.17 "those who seek me diligently find me."(箴言八・一七、「わたしをせつに求める者は、わたしに出会う。」)より。なお、日本聖書協会が訳した聖書からの引用では、訳文に付されたルビを適宜省略した。

第一連・第七行 吉増剛造『<今月の作品>選評17』ユリイカ一九八九年七月号、「今月は選者も、少し心を自在にして(戒厳軍のようにではなくさ、……)」より。

第一連・第九行 三省堂のカレッジクラウン英和辞典、「It rains buckets.(米)どしゃ降りだ。」より。(米)は、アメリカ英語の略。日本語の文を引用する際に、ピリオドを句点に改めた。以下、同様に、横組みの参考文献を用いるときには、日本語の文や語句にあるコンマやピリオドを、それぞれ読点と句点に改めて引用した。

第一連・第一七行 サルトルの『一指導者の幼年時代』中村真一郎訳、「彼は小さかったときに、母親がときどき、特別な調子で、「お父さま、書斎でお仕事よ」と言ったのを思い出した。」より。

第一連・第一八行 スミュルナを、教養文庫のギリシア神話小事典で引くと、「別名ミュラといい、フェニキアの王女。父のキニュラスに欲情をいだき、酒を飲ませて酔わせ、彼女が自分の娘であることを父に忘れさせた。スミュルナが身ごもると父は父子相姦の恐ろしさに狂い、スミュルナを森の中まで追いかけ、斧で殺した。」とある。呉 茂一の『ギリシア神話』第二章・第六節・ニには、「ズミュルナは、はじめアプロディーテーへの祭りを怠ったため女神の逆鱗(げきりん)にふれ、父に対して道ならぬ劇しい恋を抱くようにされた、そして乳母を仲介として、父を誑(あざむ)き、他所(よそ)の女と思わせて十二夜を共に臥(ふ)したが、ついに露見して激怒した父のために刃を以て追われ、まさに捕えられようとした折、神々に祈って転身し、没薬(ズミユルナ)の木に変じた」とある。

第一連・第二〇行 本文で言及しているお話とは、創世記・第十九章のロトと二人の娘の物語である。妻を失ったロトは、二人の娘とともに人里離れた山の洞穴の中に住んでいたのであるが、娘たちが、前掲のスミュルナと同様に、父に酒を飲ませて酔わせ、ともに寝て、子をはらみ、出産した、という話である。近親相姦といえば、オイディプスの名前が真っ先に思い出されるが、彼が自分の母親と交わってできた娘の数も二人である。また、箴言三〇・一五にも、「蛭にふたりの娘があって、/「与えよ、与えよ」という。」とある。ソポクレスの『コロノスのオイディプス』にも、「二人の娘、二つの呪いは……」(高津春繁訳)とあるが、イメージ・シンボル事典を見ると、2は「不吉な数である。」という。「ローマにおいては2という数は冥界の神プルトンに献ぜられた。そして2月と、各月の第2日がプルトンに献ぜられた。」とある。

第一連・第二一行 ヴァレリーの『我がファウスト』第三幕・第三場に、「何か本がないかしら……。考えないための本が……。」、「何か本が欲しい、自分の声を聞かないための本が……。」(佐藤正彰訳)とある。ふつうは、読むうちに自分のことを忘れてしまうものである。自分のことを忘れるために、と意識して読書するというのは、ふつうではない状況にあるということである。仕事や雑事に多忙な人間ではない。そうとう暇のある人間でなければ、それほど自己に構うことなどできないからである。この連に出てくる女性が、そういった状況にある人間であることは言うまでもない。なんといっても、毎晩のように、返事の来るはずもない手紙を、長い長い手紙を、本のなかの登場人物たちに宛てて、何通も書くことができるくらいなのだから。ちなみに、彼女がこの日の夜に読んでいたのは、シェイクスピアの史劇の一つであった。彼女は、つぎに引用するセリフに、長いあいだ、目をとめていた。「思いすごしの空想は必ず/なにか悲しみがあって生まれるもの、私のはそうではない。/私の胸にある悲しみを生んだものは空なるものにすぎない、/あるいはあるものが私の悲しむ空なるものを生んだのです。/その悲しみはやがて本物となって私のものとなるだろう。/それがなにか、なんと呼べばいいか、私にもわからない、/わかっているのは、名前のない悲しみというにすぎない。」(『リチャード二世』第二幕・第二場、小田島雄志訳)、この言葉が、彼女を魅了するように、筆者をも魅了するのだが、はたして、読書人のなかで、こういった言葉に魅了されないような者が一人でも存在するであろうか。そうして、この日の夜も、彼女は、自分の声を聞きながら、リチャード二世の妃に宛てて、長い長い手紙を書いて、一夜を明かしてしまったのであった。

第二連・第一行 fogは、「(精神の)困惑状態、当惑、混迷」を表わす。in a fog で、「困惑して、困り果てて、途方にくれて」の意となる。以上、三省堂のカレッジクラウン英和事典より。また、「霧があるので一そう暗闇(くらやみ)が濃(こ)くなっているんです。」(ゲーテ『ファウスト』第一部・ワルプルギスの夜・第三九四〇行、相良守峯訳)という文も参照した。なお、ゲーテの『ファウスト』からの引用はすべて相良守峯訳であるので、以下、『ファウスト』の翻訳者の名前は省略した。

第二連・第三行 ダンテの『神曲』地獄・第一曲・第一行、「われ正路を失ひ、覊旅半にあたりてとある暗き林のなかにありき」(山川丙三郎訳)、同じく、ダンテの『神曲物語』地獄篇・序曲・第一歌、「ここはくらやみ(、、、、)の森である。」、「三十五歳を過ぎた中年の詩人ダンテはその頃、人生問題に悩み深い懐疑に陥っていたが、ある日散歩をしているうちに、偶然このくらやみの森の中に迷いこんでしまった。」(野上素一訳)より。

第二連・第四行 ゲーテの『ファウスト』第二部・第二幕・第七八一三行、「この険阻(けんそ)な岩道」より。

第二連・第七行 カロッサの『古い泉』藤原 定訳、「古い泉のさざめきばかりが」より。

第二連・第九行 出エジプト記・第一七章に、エジプトから逃れて荒野を旅するイスラエル人たちが、飲み水がなくて渇きで死にそうになったとき、神に命じられたモーセが、ナイル川を打った杖でホレブの岩を打つと、そこから水が出た、と記されている。

第二連・第一〇行 ゲーテの『ファウスト』第二部・第一幕・第四七一六行、「岩の裂目(さけめ)から物凄じくほとばしる」、第二部・第四幕・第一〇七二〇―一〇七二一行、「乾(かわ)いた、禿(は)げた岩場(いわば)に、/豊富な、威勢のいい泉が迸(ほとばし)り出る。」より。

第二連・第一四行 ゲーテの『ファウスト』第一部・ワルプルギスの夜・第三九九五行、「岩の割目(われめ)から呼んでいるのは誰だ。」、講談社学術文庫の『古事記』(次田真幸全訳注)中巻・一八八ページにある、杖は「神霊の依り代(しろ)である。これを突き立てるのは、そこを領有したことを表わす。」という文章より。

第二連・第一五行―一八行 ゲーテの『ファウスト』第二部・第一幕・第五八九八−五九〇一行。

第二連・第二八行 ゲーテの『ファウスト』第二部・第一幕・第五九〇七行。

第二連・第三二行 三省堂のカレッジクラウン英和辞典に、「bibliomancy 聖書うらない(聖書を任意に開き、そのページのことばでうらなう)」とある。

第二連・第三四行 詩篇八一・一六、句読点加筆。

第二連・第三六―四二行 「わたしはアンフィダのそばに、美しい女たちが降りてくる井戸があったことを思い出す。ほど遠からぬところには、灰色とばら色の大きな岩があった。そのてっぺんには、蜜蜂が巣くっているといううわさを聞いた。そのとおりだ。そこには無数の蜜蜂がうなっている。彼らの蜜房は岩の中にある。夏になると、その蜜房は暑さのために破裂して、蜜を放り出し、その蜂蜜が岩にそって、流れ落ちる。アンフィダの男たちがやって来て、この蜜を拾いあつめる。」(ジイド『地の糧』第七の書、岡部正孝訳)より。なお、ジイドの『地の糧』からの引用はすべて岡部正孝訳であるので、以下、『地の糧』の翻訳者の名前は省略した。

第二連・第四三―四四行 土師記一四・八、「ししのからだに、はちの群れと、蜜があった。」、ゲーテ『ファウスト』第二部・第三幕・第九五四九行、「洞(ほら)になった木の幹(みき)からは蜂蜜(はちみつ)が滴(したた)る。」より。

第二連・第四七―四九行 筆者の一九九八年七月九日の日記の記述、「三省堂のカレッジクラウン英和辞典を開くと、burail 埋葬、burier 埋葬者、burin 彫刻刀、とあって、そのつぎに、固有名詞の Burke が二つつづき、burke 葬る、押える、とあり、さらに、末尾には、[William Burke (人を窒息死させてその死体を売ったため一八二九年、絞首刑に処せられたアイルランド人。)]と載っていた。」、一九九八年八月二十二日の日記の記述、「岩波文庫の『ことばのロマンス』(ウィークリー著、寺澤芳雄・出淵 博訳)の索引で、Burke を引くと、p.90 に、固有名詞からつくられた動詞の例として、burkeが挙げられていた。本文―→アイルランドのバーク(William Burke)は、死体を医学部の解剖用に売り渡すために多くの人々を窒息死させた廉(かど)で、1829年エディンバラで絞首刑に処せられた。この動詞は、現在では「(議案などを)握りつぶす、もみ消す」の意に限られているが、十九世紀中葉の『インゴルズビー伝説』では、まだ本来の意味「(死体をいためないように)扼殺する」で用いられている。」より。なお、七月九日の日記の余白に、朱色の蛍光サインペンで、「corpus=作品、死体」と書き加えてあったが、いつ書き加えたのか、正確な日付は不明である。しかし、William Burke からWilliam Blake を連想したときのことであろうから、本文の作成に入ったごく初期のころ、だいたい同年七月中旬から八月上旬までの間のことであろうと思われる。死体づくりに励んだ William と、作品づくりに励んだ William。二人が、名前だけではなく、corpus という単語でも結びつくことに、気がついた、ということである。

第三連・第一行 ROMA,CITTA,APERTA(邦題『無防備都市』)は、ロベルト・ロッセリーニ監督による、一九四五年制作のイタリア映画。

第三連・第二―四行 教養文庫の『ギリシア神話小事典』に、アルテミスは「月の女神」とある。また、マラルメが一八六四年十月にアンリ・カザリスに宛てて書いた手紙にある、「月光のもと、噴水の水のように、あえかなせせらぎと共に真珠(たま)となって落下する蒼い宝石だ。」(松室三郎訳)という文も参照した。イメージ・シンボル事典によると、真珠は、「愛および月の女神達の表象物」であるという。ちなみに、本作の第∨章の注解に出てくるヘラクレイトスは、「『自然について』と題する一連の論考から成っている」「書物を、アルテミスを祠(まつ)る神殿に献納した」(岩波書店『ソクラテス以前哲学者断片集』第I分冊第II部・第22章、三浦 要訳)という。

第三連・第五―九行 「「雨でも平気なの?」/「別に、地下鉄まで遠くはありませんし……」/「スーツが濡れるわよ」/「通りにばかりいるわけではありませんわ、私たち、映画にも行くし……」/「誰なの、『私たち』って」」(モーリヤック『夜の終り』I,牛場暁夫訳)より。

第三連・第二一行 ある詩人の作品とは、ボードレールの『美女ドローテ』(三好達治訳)のこと。

第三連・第二四行 呉 茂一の『ギリシア神話』第一章・第五節・一、「いつかもう九つの月がたったある日、アルテミスは森あいの池で、暑さをしずめに自らも沐浴(ゆあみ)し、伴(とも)のニンフたちにも衣を脱いで沐浴させた。そして羞(は)じらいに頬を染める少女も、強いて仲間入りをさせられたのであった。その姿を見ると、(きっと連れのニンフたちが、おそらくは嫉(ねた)みと意地悪と好奇心から、叫び声を立てたであろう)、アルテミスは、美しい眉を険しくひそめて、決然とした語調で叫んだ。「向うへ、遠くへいっておしまい。この聖(きよ)らかな泉を、汚すのは私が許しません。」」より。





II. You do not know what you are asking.


第II章のタイトルは、MATTHEW 20.22 "You do not know what you are asking."(マタイによる福音書二〇・二二、「あなたがたは、自分が何を求めているのか、わかっていない。」)より。

第一連・第二一―三五行 ハンカチに関する記述は、つぎの文献による。冨山房『英米故事伝説辞典』 handkerchief の項、学習研究社『カラー・アンカー英語大事典』 handkerchief の項、小学館『万有百科大事典』ハンカチーフの項、平凡社『大百科事典』ハンカチーフの項。

第一連・第三七―三八行 本文で言及している、スタンダールの文章とは、「さあ書けたよ。地下道が敵に占領されないか心配だわ。早く机の上にある手紙をもって、ジュリオさまに渡してきておくれ。お前自身がだよ(、、、、、、)、わかって。それから、このハンカチをあのひとに渡して、いっておくれ。わたしはあのひとを、いつのときも愛していました、そして少しも変らず今の瞬間も愛していますって。いつのときも(、、、、、、)だよ、忘れるのじゃないよ!」(『カストロの尼』七、桑原武夫訳)のこと。

第三連・第三―四行 ゲーテの『ファウスト』第一部・市門の前・第一一五六行、「私には黒い尨犬しか何も見えませんが。」より。

第四連・第三行 「おれがあんなに大事に思って、お前にやったハンカチを/おまえはキャシオウにやった。」(シェイクスピア『オセロウ』第五幕・第二場、菅 泰男訳)より。なお、第II章・第四連の注解では、シェイクスピアの『オセロウ』からの引用はすべて菅 泰男訳であるので、以下、第II章・第四連の注解では、『オセロウ』の翻訳者の名前は省略した。

第四連・第五―七行 シェイクスピアの『オセロウ』第三幕・第三場に、「苺(いちご)の刺繍(ししゆう)をしたハンカチを奥様がおもちになってるのを/ごらんになったことはありませんか?」、第三幕・第四場に、「あのハンカチは/あるエジプトの女から母がもらったのだが、/それは魔法使いで、人の心をたいていは読みとることが出来た。/その女が母に言ったということだ──これをもっている間は、/かわいがられて、父の愛をひとり/ほしいままに出来るが、万一これを失うか、/それとも人に贈るかしたら、父にいとわれ/嫌われて、父の心はよそに移り/新しい慰みを追うようになろうぞ、とな。母はいまわの際(きわ)に、それをおれにくれて、/おれが妻をめとることになったら、それを妻にやれと/言った。おれはその言いつけ通りにしたのだ。」、第五幕・第二場に、「ハンカチです。わたしの父が、その昔、母にやった/古いかたみの品なのです。」とある。一つのハンカチをめぐる二つのセリフのあいだに、ちょっとした矛盾が見られるが、劇の進行上、問題はない。ご愛嬌といったところだろうか。ところで、岩波文庫の『オセロウ』の解説のなかで、菅 泰男は、十七世紀末に、トマス・ライマーが、シェイクスピアの『オセロウ』のことを、「血みどろ笑劇」とか「ハンカチの喜劇」とか言って批判したことを紹介しているが、菅 泰男はまた、英宝社の『綜合研究シェイクスピア』のなかでも、「シェイクスピア批評史・1・十七世紀」のところで、ライマーの批判について、つぎのように言及している。「新古典主義の影響の著しい王政復古期には、イギリスでもシェイクスピアを完全にやっつけたものがあった。トマス・ライマー(Thomas Rymer, 1641-1713)という好古家は1678年と1693年に二つの悲劇論を書いて、イギリス人もギリシャの古典作家の基礎に立つべきであったと論じ、イギリス劇を手ひどく非難した。殊に後の著で『オセロ』をやっつけたのは有名である。この劇は「ハンカチーフの悲劇」だと彼はきめつける。「この芝居には、観客を喜ばせる、いくらかの道化と、いくらかのユーモアと、喜劇的機知のヨタヨタ歩きと、いくらかの見せ場と、いくらかの物真似とがある。が、悲劇的な部分はあきらかに味も素気もない残忍な笑劇にすぎない」と言う。」と。T・S・エリオットも、『ハムレット』という論文の原注に、ライマーの批判について、つぎのように書きつけている。「私はトマス・ライマーの『オセロ』非難にたいする確固たる反駁をまだ見たことがない。」(工藤好美訳)と。アガサ・クリスティーもまた、自分の作品のなかで、主人公のポアロに、シェイクスピアの『オセロウ』について、つぎのように批判させている。「イアーゴは完全殺人者だ。デズデモーナの死も、キャシオーの死も──じつにオセロ自身の死さえも──みなイアーゴによって計画され、実行された犯罪だ。しかも、彼はあくまで局外者であり、疑惑を受けるおそれもない──はずだった。ところがきみの国の偉大なシェイクスピアは、おのれの才能ゆえのジレンマと闘わなければならなかった。イアーゴの仮面を剥ぐために、彼はせっぱつまったすえなんとも稚拙な工夫──例のハンカチ──に頼ったのである。これはイアーゴの全体的な狡智とは相容れない小細工であり、まさかイアーゴほどの切れ者がこんなヘマをしでかすはずがないと、だれしも思うに違いない。」(『カーテン』後記、中村能三訳)と。

第四連・第八―六八行に出てくる人物についての注解 マルト、ジャックは、ラディゲの『肉体の悪魔』(新庄嘉章訳)から。名前の出てこないマルトの新しい恋人も、『肉体の悪魔』の主人公を参考にした。この主人公は、「『悪の華』を愛誦(あいしよう)して」おり、「マルトに『言葉(ル・モ)』紙のコレクションと『地獄の季節』を次の木曜日にもって行こうと約束した」。彼は、マルトが「ボードレールとヴェルレーヌを知っていることをうれしく思い、僕の愛し方とは違うけれども、彼女のボードレールを愛するその愛し方に魅惑された」のだという。シュトルムの『みずうみ』(高橋義孝訳)からは、ラインハルトの名前を拝借した。エリーザベトは、このラインハルトの幼なじみのエリーザベトと、コクトーの『怖るべき子供たち』(東郷青児訳)の主人公の姉、エリザベートから拝借した。アガート、ジェラール、ダンルジェロの三人の名前も、『怖るべき子供たち』から。

第四連・第二三行 「女主人はエリザベートの美しさに驚いた。残念なことに売り子の資格はいろいろの外国語を知っていなければならない。彼女はマネキンの職しか得られなかった。」(コクトー『怖るべき子供たち』一、東郷青児訳)より。

第四連・第四七―四八行 シュトルムの『みずうみ』の「森にて」の場面から。苺の下に敷くのに拡げられたハンカチから、シェイクスピアの『オセロウ』に出てくる、イチゴの刺繍が施されたハンカチを連想されたい。ちなみに、イメージ・シンボル事典によると、イチゴは、愛の女神や聖母マリアのエンブレムであるという。





III. You shall love your neighbor as yourself.


第III章のタイトルは、LEVITICUS 19.18 "you shall love your neighbor as yourself:"(レビ記一九・一八、「あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。」)より。

第一連・第一―二行 伝道の書一・六、「風は南に吹き、また転じて、北に向かい、/めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。」より。イメージ・シンボル事典によると、北は、冬、死、夜、神秘を、南は、夏、生命、太陽、理性を表わすという。この南北間を往復する地下鉄電車は、本作の第V章・第六連・第一―五行の注解で詳述する、人間の魂の「二極性」を象徴させている。

第一連・第三行 「駿馬(しゆんめ)痴漢(ちかん)を駄(の)せて走(はし)る」(大修館書店『故事成語名言大辞典』)より。

第一連・第四行 「感覚器官は感覚器官の対象に向かってはたらく。」(『バガヴァッド・ギーター』第五章、宇野 惇訳)より。

第一連・第七―八行 「眼は、まことに、把捉者である。それは超把捉者としての形によって捉えられる。なぜならば、人は眼によって形を見るからである。」(『ブリハッド・アーラヌヤカ・イパニシャッド』第三章・第二節、服部正明訳)より。

第一連・第九―一〇行 「鼻は、まことに、把捉者である。それは超把捉者としての香りによって捉えられる。なぜならば、人は鼻によって香りを嗅ぐからである。」(『ブリハッド・アーラヌヤカ・イパニシャッド』第三章・第二節、服部正明訳)より。

第一連・第一四行 箴言九・一三、「愚かな女は、騒がしく、みだらで、恥を知らない。」より。

第一連・第一五行 箴言一〇・一九、「自分のくちびるを制する者は知恵がある。」より。

第一連・第二五―二七行 「悪魔が陰鬱なのは、おのれがどこへ向かって行くかを知っているからだ。」(ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』下巻・第七日・深夜課、河島英昭訳)より。

第一連・第二九行 「彼のすがたは目に見えず、だれも彼を目で見ることはできない。彼は心によって、思惟(しい)によって、思考力によって表象される。このことを知る人々は不死となる。」(『カタ・ウパニシャッド』第六章、服部正明訳)より。

第一連・第三一―三三行 「僕はしばらくして一人の妊婦に出会った。彼女は重たい足どりで高い日向(ひなた)の塀に沿うて歩いていた。時々、手を延ばして塀をなでながら歩いた。塀がまだ続いているのを確かめでもするような手つきに見えた。そして、塀はどこまでも長く続いているのだ。」(リルケ『マルテの手記』第一部、大山定一訳)より。

第二連・第三行 須賀敦子の『舗石を敷いた道』(ユリイカ一九九六年八月号に収載)、「雨もよいの空の下、四角い小さな舗石を波の模様にびっしりと敷きつめた道が目のまえにつづいていた。」より。

第三連・第六―一〇行 「ちっちゃな丸顔がとび出して、彼に話しかけた。/「あたしザジよ、ガブリエル伯父さんでしょ」/「さよう」ガブリエルは気取った口調で答える。「そなたの伯父さんじゃよ」小娘はくすくす笑う。」、「「地下鉄に乗るの?」/いいや」/「どうして? なぜ乗らないの?」」(レーモン・クノー『地下鉄のザジ』1、生田耕作訳)より。

第三連・第五―七行 ゲーテの『ファウスト』第一部・魔女の厨・第二四九九行、「馬の足というやつも、無くちゃおれも困るんだが、」、第一部・魔女の厨・第二五〇二行、「贋(にせ)のふくらはぎをつけて出(で)歩(ある)いているのさ。」、第一部・ワルプスギスの夜・第四〇三〇行、「つむじ曲がりの霊だな、君は。」より。イメージ・シンボル事典によると、ゲーテの『ファウスト』に出てくる悪魔のメフィストーフェレスは両性具有者であるという。エリオットの『荒地』に出てくる予言者のティーレシアスも二(ふた)成(な)りである。本作では、ティーレシアスが、エリオットの『荒地』において果たした役割を、メフィストーフェレスに担わせている。

第三連・第九―一四行 オー・ヘンリーの『賢者の贈りもの』(大津栄一郎訳)より。

第三連・第一五―一九行 オー・ヘンリーの『古パン』(大津栄一郎訳)より。

第三連・第三〇―三九行 「もう五年がすぎたのだ!」、「身にしみて感じるひまもなかったほど、それほど速く過ぎさってしまったあの幸せな十年の歳月!」、「若い妻は、やっと三重を迎えるというのに死んでしまった。」(ローデンバック『死都ブリュージュ』I、窪田般彌訳)より。

第三連・第四五―四八行 「セヴリヌは、その男のうしろすがたをちらつと見ただけだが、それには見おぼえがあつたのだ。がつちりとした体格といい、着くずれた背広といい、それに、あの、品のない肩つきといい、首つきといい……」(ケッセル『昼顔』四、桜井成夫訳)より。なお、ケッセルの『昼顔』からの引用はすべて桜井成夫訳であるので、以下、『昼顔』の翻訳者の名前は省略した。

第三連・第四九行 マダム・アナイスは、セヴリヌが春をひさぐ淫売宿の女主人。

第三連・第五〇行 「「恥ずかしいんだね、ええ、恥ずかしいんだね。でも、今に嬉しがらせてやるからな、見ていて御覧」とアドルフさんが、ささやいた。」(ケッセル『昼顔』五)より。このアドルフという人物は、セヴリヌが、マダム・アナイスの淫売宿で最初に寝た客。

第四連・第一行 箴言五・一八、「あなたの泉に祝福を受けさせ、/あなたの若い時の妻を楽しめ。」より。

第四連・第二―三行 「何方(いづかた)より來たりて、何方(いづかた)へか去る。」(鴨 長明『方丈記』一)より。

第四連・第四行 伝道の書三・一、「すべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。」より。

第四連・第五行 伝道の書三・八、「愛するには時があり、憎むに時があり、」より。

第四連・第六行 「この生涯において、ただ一度めぐり合った地上の恋人、その名前すら、私は知らなかったし、その後も知ることがなかった。」(ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』下巻・第五日・終課、河島英昭訳)より。

第四連・第七行 「似通ってはいたが、同じといえるものは何一つなかった。」(サバト『英雄たちと墓』第II部・19、安藤哲行訳)より。なお、サバトの『英雄たちと墓』からの引用はすべて安藤哲行訳であるので、以下、『英雄たちと墓』の翻訳者の名前は省略した。

第五連・第一―三行 マタイによる福音書二六・三四、「よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないというだろう」より。なお、第五連は、一か所をのぞき、すべて、聖書からの引用で構成した。ちなみに、シェイクスピアの『ヴェニスの商人』に、つぎのようなセリフがある。「悪魔でも聖書を引くことができる。」(第一幕・第三場、中野好夫訳)。

第五連・第四行 マタイによる福音書二八・一〇、「恐れることはない。」、ヨハネによる福音書一〇・一一、「わたしはよい羊飼である。」より。

第五連・第五行 マタイによる福音書三・一七、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」より。

第五連・第六―一〇行 マタイによる福音書六・三―四、「あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな。それは、あなたのする施しが隠れているためである。すると隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。」、箴言九・一七、「「盗んだ水は甘く、/ひそかに食べるパンはうまい」」より。しかし、聖書のなかには、「なんでも、隠されているもので、現れないものはなく、秘密にされているもので、明るみに出ないものはない。」(マルコによる福音書四・二二)といった言葉もある。

第五連・第一一行 詩篇三五・二一、「彼らはわたしにむかって口をあけひろげ、/「あはぁ、あはぁ、われらの目はそれを見た」と言います。」より。

第五連・第一三行 マタイによる福音書三・一〇、「斧がすでに木の根もとに置かれている。」より。

第五連・第一四―一六行 マタイによる福音書五・四〇、「あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には上着をも与えなさい。」より。

第五連・第一七行 マタイによる福音書一五・二八、「女よ、あなたの信仰は見上げたものである。」より。

第五連・第一八行 マルコによる福音書一五・三九、「まことに、この人は神の子であった」より。

第五連・第一九―二一行 マタイによる福音書五・四一、「もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。」より。

第五連・第二二行 ゲーテの『ファウスト』天上の序曲・第三四五行、「この生き生きした豊かな美を楽しむがよい。」より。

第六連・第二―六行 出雲神話の一つ、因幡(いなば)の白兎の話(『古事記』上巻)より。

第六連・第九行 ヘラクレイトスの『断片八二』、「もっとも美しい猿も、人類に比べたら醜い」(ジャン・ブラン『ソクラテス以前の哲学』鈴木幹也訳)より。

第六連・第一〇―一一行 シェイクスピアの『空騒ぎ』第二幕・第一場の、「嫁に行きそこなった女は、子供のためにあの世の道案内が出来ないから、その代り猿の道案内をさせられると言いましょう、だから、私、今のうちに見せ物師から手附けを貰っておいて、死んだらその猿を地獄まで連れて行ってやる積りよ。」(福田恆存訳)というセリフを引いて、「「老嬢は地獄でサルを引く」という諺は、知れ渡っていたようである。」と、イメージ・シンボル事典に書かれている。ただし、この注解で引用したシェイクスピアの件(くだん)のセリフは、イメージ・シンボル事典に掲載されているものではない。また、事典にあるものよりもより広範囲に引用した。ボードレールが、「動物の中で猿だけが、人間以上であると同時に人間以下であるあの巨大な猿だけが、ときに女性に対して人間のような欲望を示すことがある。」(『一八五九年のサロン』9、高階秀爾訳)と述べているのが、たいへん興味深い。なお、ボードレールの『一八五九年のサロン』からの引用はすべて高階秀爾訳であるので、以下、『一八五九年のサロン』の翻訳者の名前は省略した。猿に関しては、何人もの詩人や作家や哲学者たちが面白いことを述べている。以下に、引用しておこう。「コロンビアの大猿は、人間を見ると、すぐさま糞をして、それを手いっぱいに握って人間に投げつけた。これは次のことを証明する。/一、猿がほんとうに人間に似ていること。/二、猿が人間を正しく判断していること。」(ヴァレリー『邪念その他』J、佐々木 明訳)、「simia, quam similis, turpissima bestia, nobis!/最も厭はしき獸なる猿は我々にいかによく似たるぞ。」(Cicero, De Natura Deorum.I,3,5. 『ギリシア・ラテン引用語辭典』収載)、「かつてあなたがたは猿であった。しかも、いまも人間は、どんな猿にくらべてもそれ以上に猿である。」(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第一部・ツァラトゥストラの序説・3、手塚富雄訳)、「猿(さる)の檻(おり)はどこの国でもいちばん人気がある。」(寺田寅彦『あひると猿』)、「純粋に人間的なもの以外に滑稽(コミツク)はない」(『天国の夏』)のである。なお、『ツァラトゥストラ』からの引用はすべて手塚富雄訳であるので、以下、『ツァラトゥストラ』の翻訳者の名前は省略した。

第六連・第一二行 イギリスの博物学者ジョン・レーの「ロバにはロバが美しく、ブタにはブタが美しい。」(金子一雄訳)という言葉より。講談社『[英文対訳]名言は力なり』シリーズの一冊、『悪魔のセリフ』に収められている。

第六連・第一三―一四行 「愛(性愛)あるいは恋を意味するエロースという語は、そのまま神格としてギリシア人の間に認められて来た。ローマでは「欲望」 Cupido クピードーの名をこれにあてている、すなわちキューピッドである。」(呉 茂一『ギリシア神話』第一章・第七節・一)より。

第六連・第一五―一六行 「さらに不死の神々のうちでも並びなく美しいエロースが生じたもうた。/この神は四肢の力を萎(な)えさせ 神々と人間ども よろずの者の/胸のうちの思慮と考え深い心をうち拉(ひし)ぐ。」(ヘシオドス『神統記』原初の生成、廣川洋一訳)より。

第六連・第一八行 「「だが、君、もしそれがほんとうなら、何も君は証人を必要とすまい、ここにロドスがある、さあ、跳んで見給え。」/この話は、事実によって証明することのてっとり早いものについては、言葉は凡て余計なものである、ということを明らかにしています。」(『イソップ寓話集』五一駄法螺吹き、山本光雄訳)より。

第七連・第二―三行 「伊邪那美命言(まを)さく、愛(うつく)しき我(あ)がなせの命かくせば、汝(いまし)の国の人草(ひとくさ)、一日(ひとひ)に千(ち)頭(かしら)絞(くび)り殺さむ」とまをしき。ここに伊邪那岐命詔りたまはく、「愛(うつく)しき我が汝妹(なにも)の命、汝(いま)然(し)せば、吾(あれ)一日に千五百(ちいほ)の産(うぶ)屋(や)立てむ」とのりたまひき。」(次田真幸全訳注『古事記』上巻・伊邪那(いざな)岐(きの)命(みこと)と伊邪那(いざな)美(みの)命(みこと)・五・黄泉(よみの)国(くに))より。





IV. It was I who knew you in the wilderness.


第IV章のタイトルは、HOSEA 13.5 "It was I who knew you in the wilderness,/in the land of drought;"(ホセア書一三・五、「わたしは荒野で、またかわいた地で、あなたを知った。」)より。

第一連・第四行 ゲーテの『ファウスト』第一部・書斎・第一三二三行、「なんだ、これが尨犬の正体か。」そうだったのである。イメージ・シンボル事典のMephistopheles メフィストフェレスの項に、「独立と真の自己を獲得するため、全なるもの the All から離脱した魂の否定的な側面を表す。」とある。





V. Behold the man!


第V章のタイトルは、JOHN 19.5 ""Behold the man!;""(ヨハネによる福音書一九・五、「「見よ、この人だ」」)より。

第一連・第四行 「ことば、ことば、ことば。」(シェイクスピア『ハムレット』第二幕・第二場、大山俊一訳)より。

第一連・第一二―一三行 「poet(詩人)という言葉は、もとをたどれば小石の上を流れる水の音を表すアラム語に行きつく。」(ダイアン・アッカーマン『「感覚」の博物誌』第4章、岩崎 徹訳)より。

第一連・第一五行 「人生を愛してこそ詩人だ。」(オネッティ『古井戸』杉山 晃訳)より。

第一連・第一六―一七行 ジイドは、『地の糧』第六の書で、「わたしは唇が渇きをいやした泉を知っているのだ。」と述べているが、第一の書・一には、「しかし泉というものは、むしろ、われわれの欲望がわき出させる場所にあるのだろう。なぜならば、土地というものは、われわれが近寄りながら形づくってゆく以外には、存在はしないし、まわりの風景もわれわれの歩むにしたがって、少しずつ形が整ってゆくからだ。」と書いている。

第一連・第一八行 ゲーテの『ファウスト』天上の序曲・第三三八―三三九行、「およそ否定を本領とする霊どもの中で、/いちばん荷(に)厄介(やつかい)にならないのは悪戯者(いたずらもの)なのだ。」、天上の序曲・第三二〇行、「わたしのいちばん好きなのは、むっちりした生きのいい頬(ほ)っぺたなんで。」より。

第一連・第一九―二一行 ゲーテの『ファウスト』天上の序曲・第三二四―三二六行、「あれの魂をそのいのちの本源からひきはなし、/もしお前につかまるものなら、/あれを誘惑してお前の道へ連れこむがよい。」より。

第一連・第二四行 ゲーテの『ファウスト』第二部・第五幕・第一一八三四―一一八三九行、「いい年をして、まんまと騙(だま)されやがった。/自(じ)業(ごう)自(じ)得(とく)というものだが、はてさて景気が悪い。/人に顔向けもならん大失敗だて。/骨折損のくたびれ儲(もう)けとは、いい面(つら)の皮(かわ)だ。/甲(こう)羅(ら)のはえた悪魔のくせに、/卑しい情欲や愚かな色気に負けたとは。」より。

第一連・第三〇行 ニーチェの『ツァラトゥストラ』第四・最終部・晩餐(ばんさん)、「なるほど泉の湧(わ)く音はここにもしている、それはあの知恵のことばと同様に、ゆたかに倦(う)むことなく湧いている。」より。

第一連・第三一行 「御血統の泉が、源が、涸(か)れ果ててしまったのです──流れのもとが止ってしまったのだ。」(シェイクスピア『マクベス』第二幕・第三場、福田恆存訳)より。

第一連・第三二行 ニーチェの『ツァラトゥストラ』第一部・贈り与える徳・2、「新しい深い水のとどろき、新しい泉の声なのだ。」より。

第一連・第三四行 ゲーテの『のファウスト』第一部・ワルプルギスの夜・第三九三八行、「この岩の古い肋(あばら)骨(ぼね)につかまっていてください。」より。

第二連・第三行 「自分ならぬ別の女を見ているような気がした。」(ケッセル『昼顔』四)より。

第二連・四行 マルガレーテは、ゲーテの『ファウスト』第一部のヒロインの名前である。第二部・第五幕の最後の場面にも登場する。

第二連・第六―一〇行 グレートヘンは、岩波文庫の『ファウスト』第一部の巻末にある第二八一三行の註にあるように、マルガレーテの愛称である。以下、『ファウスト』第一部・庭園・第三一七七行、「可愛いひと。」、第一部・街路・第二六一三行、「あの唇の赤さ、頬の輝き。」、第一部・庭園・三一三六行、「あなたは確かに最も浄(きよ)らかな幸福を味わわれたんです。」、第一部・街路・第二六一一―二六一二行、「躾(しつ)けがよく、慎(つつ)ましやかで、/しかもいくらかつん(、、)としたところもある。」、第一部・庭園・第三一〇二―三一〇三行、「ああ、単純や無邪気というものは、自分自身をも、/自分の神聖な値(ね)打(うち)をも一向知らずにいるのだからなあ。」より。

第三連・第二―七行 デイヴィッド・ボーンは、ヘミングウェイの『エデンの園』(沼澤洽治訳)の主人公の名前。キャスリン・ボーンは、その妻。以下、『エデンの園』第一部・1、「むらなく焼けているのは、遠い浜まで出かけ、二人とも水着を脱ぎ棄てて泳ぐおかげである。」、第三部・9、「スカンジナヴィア人なみのブロンド」、「白いブロンド」、第一部・1、「両横はカットしたので、平たくついた耳がくっきりと出、黄茶色の生え際が頭にすれすれに刈り込まれた滑らかな線となって後ろに流れる。」、第三部・9、「そっくり同じにして」、第一部・1、「夫婦と名乗らずにいると、いつも兄妹に見間違えられた。」、「二人が結婚してから三週間めである。」より。なお、『エデンの園』からの引用はすべて沼澤洽治訳であるので、以下、『エデンの園』の翻訳者の名前は省略した。
 イメージ・シンボル事典を見ると、「対のもの、双子」は、「相反する2つのものを表す。たとえば、生と死、日の出と日没、善と悪、牧羊者と狩猟者、平坦な谷と切り立った山。そしてこの相反するものが結局は、総合し補足しあう働きをする。」とあり、「2」は、「たとえば、積極性と消極性、生と死、男と女、といった両極端の、相違する、二元的な、相反するもの(の結合)を表す。」とある。本作において、対になった二つのものが多く現われるのも、また、さまざまなものが二度現われるのも、偶然ではない。それが、本作のもっとも重要なモチーフを暗示させるからである。

第三連・第八行 ヘミングウェイの『エデンの園』第一部・1、「「ね、キスして」と言った。」より。

第三連・第一二行 ヘミングウェイの『エデンの園』第三部・10、「お揃いで見せびらかすの嫌?」より。

第三連・第一三行 ヘミングウェイの『エデンの園』第三部・10、「「いいとも、悪魔。僕が嫌なわけあるまい?」」より。

第四連・第一行 ゲーテの『ファウスト』第二部・第四幕・第一〇一九三行、「何を人間が渇望(かつぼう)しているか、君なんかにわかるかね。」より。

第四連・第二行 ゲーテの『ファウスト』天上の序曲・第二八一―二八二行、「この、地上の小神様はいつも同じ工合にできていて、/天地開闢の日と同じく変ちきりんな存在です。」より。

第四連・第三行 創世記一八・一四行、「主に不可能なことがあろうか。」より。

第四連・第四行 ゲーテの『ファウスト』天上の序曲・第二九〇行、「脚のながいきりぎりす(、、、、、)」より。

第四連・第六―八行 ゲーテの『ファウスト』第一部・夜・第五六六―五六九行、「あんな古文献などというものが、一口飲みさえすれば/永久に渇(かわ)きを止めてくれる霊泉ででもあるのかね。/爽(さわや)かな生気は、それが君自身の、/魂の中から湧(わ)き出すのでなければ得られはしない。」より。

第四連・第九行 「名前があると、彼女のことが考えやすい。」(ロバート・B・パーカー『ユダの山羊』12、菊池 光訳)ので。ちなみに、ゲーテの『ファウスト』第一部・魔女の厨・第二五六五―二五六六行と、第一部・書斎・第一九九七―一九九九行に、「通例人間というものは、なんでも言葉さえきけば、/そこに何か考えるべき内容があるかのように思うんですね。」、「言葉だけで、立派に議論もできる、/言葉だけで、体系をつくりあげることもできる、/言葉だけで、立派に信仰を示すことができる、」とある。まことに考えさせられる言葉である。また、シェイクスピアの『夏の夜の夢』第五幕・第一場に、「詩人の眼は、恍惚たる霊感のうちに見開き、/天より地を眺め、地より天を望み」(土居光知訳、旧漢字部分を新漢字に改めて引用)、「そして想像力がいまだ人に知られざるものを/思い描くままに、詩人のペンはそれらのものに/たしかな形を与え」(小田島雄志訳)、「現実には在りもせぬ幻に、おのおのの場と名を授けるのだ。」(福田恆存訳、旧漢字部分を新漢字に改めて引用)という、よく知られた言葉もある。このよく知られた言葉を、三人の翻訳者によるものを切り貼りして引用したのは、どの翻訳者のものにも一長一短があって、一人の訳者によるものだと、かならずどこか欠けてしまうところがあると筆者には思われたからである。どの訳がいちばんよいのか、散々、悩んだのであるが、悩んでいるうちに、ふと、こんなことを考えた。選べるから、選択しようとするのである、と。選べない状態では、選択しようがないからである。また、比べることができるから、不満も出るのだ、と。そういえば、ひとむかしも、ふたむかしもまえのことなのだが、田舎に住むゲイ・カップルの交際は長つづきすると言われていた。都会のように、つぎつぎと相手を見つけることができないからだというのだ。簡単に違った相手を見つけられると思うと、いまいる相手にすぐに不満もつのるものなのだろう。たしかに、これを捨てても、あれがある、という選べる状態であったら、いまあるものを簡単に捨ててしまって、ほかのものに乗り換えることに、それほど躊躇はしないものだろう。簡単に捨ててしまうのだ。そういえば、『源氏物語』には、つぎのような言葉があった。「ぜんぜん人を捨ててしまうようなことを、われわれの階級の者はしないものなのだ。」(紫 式部『源氏物語』真木柱、与謝野晶子訳)、「今日になっては完全なものは求めても得がたい、足らぬところを心で補って平凡なものにも満足すべきであるという教訓を、多くの経験から得てしまった自分である」(紫 式部『源氏物語』若菜(上)、与謝野晶子訳)。筆者も、はやくそういった境地に至りたいものである。もうとっくに、そういった境地に達していなければならない年齢になっていると思われるからである。

第五連・第三―四行 ゲーテの『愛するベリンデへ』高橋健二訳、「その時もう私はお前のいとしい姿を/この胸の奥ふかく刻んだのだった。」、ゲーテの『ファウスト』第一部・街路・第二六二九行、「可愛い花は」より。平凡社の世界大百科事典に、マーガレット Margaret (Marguerite)の「語源はギリシア語のマルガリテス margarites ならびにラテン語のマルガリータ margarita で<真珠>の意味である。花の名前としては国によりさす植物がちがい、英語ではモクシュンギク Chrysanthemum frutescena、ドイツ語ではフランスギク、フランス語ではヒナギクをいう。また各国語とも他のキク科植物を含む総称ともされている。」とある。「いずれにしても花びらは白かうす黄色で花の心は金色である。」と、研究社の『英語歳時記/春』にある。花言葉を、柏書房の『図説。花と樹の大事典』で調べると、マーガレットは「誠実」と「正確」、ヒナギクは「無邪気」と「平和」であった。カレッジクラウン英和辞典で、マーガレットの語源である真珠の項を見ると、「精粋、典型:a pearl of woman──女性の中の花」という、語意と成句が載っている。シェイクスピアの『オセロウ』の第五幕・第二場にある、劇のクライマックスで、オセロウは、愛する妻を真珠にたとえて、よく知られている、つぎのようなセリフを口にする。「どうか、いささかもおかばい頂くこともなく、さりとて誣(し)いられることもなく、/ありのままにわたしのことをお伝え下さい。それから、お話し下さい、/懸命に愛するすべは知らなかったが、心の底から愛した男、/嫉妬しやすくはなかったのだが、はかられて/心極度に乱れ、愚かしいインディアンのように/その種族のすべてにもかえられぬ、貴い真珠の玉を/われとわが手から投げうってしまいました、と。」(菅 泰男訳)。シェイクスピアの『オセロウ』のヒロイン、デズデモウナと、ゲーテの『ファウスト』のヒロイン、マルガレーテの二人のヒロインが、真珠という語で結びつくことで、あらためて二つの作品が悲劇であったことに気づかされた。真珠は、美しい女性にたとえられるだけではなく、イメージ・シンボル事典に、「(とくにローマ人に)涙を連想させる。」とあるように、悲しみを象徴するものとしても用いられるのである。

第六連・第一―五行 ゲーテの『ファウスト』第一部・市門の前・第一一一二―一一一七行、「おれの胸には、ああ、二つの魂が住んでいて、/それが互に離れたがっている。/一方のやつは逞(たくま)しい愛慾に燃え、/絡(から)みつく官能をもって現世に執着する。/他のものは無理にも塵(ちり)の世を離れて、崇高な先人の霊界へ昇ってゆく。」より。

 ノエル・コブは、『エロスの炎と誘惑のアルケミー』に、古代ギリシアのパパイラスの、つぎのような言葉を引いている。エロスとは「暗く神秘的で、思慮分別のある要領の良い考えは隠れその代わりに暗く不吉な情熱を吹き込む」「どの魂の潜みにも隠れ住んでいる」(中島達弘訳、ユリイカ一九九八年十二月号)ものである、と。ノエル・コブの引用自体が孫引きであるので、筆者のものは曾孫引きということになる。

 パスカルの『パンセ』第六章(前田陽一訳)にある、断章四一二、断章三七七、断章四一七に、「理性と情念とのあいだの人間の内戦。/もし人間に、情念なしで、理性だけあったら。/もし人間に、理性なしで、情念だけあったら。/ところが、両方ともあるので、一方と戦わないかぎり、他方と平和を得ることがないので、戦いなしにはいられないのである。こうして人間は、常に分裂し、自分自身に反対している。」、「われわれは、嘘(うそ)、二心、矛盾だらけである。」、「人間のこの二重性はあまりに明白なので、われわれには二つの魂があると考えた人たちがあるほどである。」とある。なお、『パンセ』からの引用はすべて前田陽一訳であるので、以下、『パンセ』の翻訳者の名前は省略した。

 ボードレールは、『赤裸の心』(阿部良雄訳)の一一と二四に、「あらゆる人間のうちに、いかなるときも、二つの請願が同時に存在して、一方は神に向かい、他方は悪魔に向かう。神への祈願、すなわち精神性は、向上しようとする欲求だ。悪魔への祈願、すなわち獣性は、下降することのよろこびだ。」、「快楽を好む心は、われわれを現在に結びつける。魂の救いへの関心は、われわれを未来につなぐ」と述べている。なお、ボードレールの『赤裸の心』からの引用はすべて阿部良雄訳であるので、以下、『赤裸の心』の翻訳者の名前は省略した。

 ゲーテの『ファウスト』第一部・夜・第七八四行に、「おれはまた地上のものとなった。」というセリフがある。ボードレールのいう二つの請願というものを、ゲーテの言葉を用いて言い現わすと、「天上的なものに向かうものと、地上的なものに向かうもの」とでもなるであろうか。

 プルーストの『失われた時を求めて』(鈴木道彦訳)の第三篇『ゲルマントの方』や、第五篇『囚われの女』にも、「私たちは、二つある地からのどちらかを選んで、それに身を委ねることができる。一方の力が私たち自身の内部から湧き上がり、私たちの深い印象から発散するものなのに対して、他方の力は外部から私たちにやってくる。」とか、「一方には健康と英知、他方には精神的快楽、常にそのどちらかを選ばなければならない。」とかいった文章がある。なお、プルーストの『失われた時を求めて』からの引用はすべて鈴木道彦訳なので、以下、『失われた時を求めて』の翻訳者の名前は省略した。

 新潮文庫の『ヴェルレーヌ詩集』の解説で、堀口大學は、ヴェルレーヌが、「一つは善良な、他は悪魔的な、二重人格が平行して(、、、、)自分の内に存在すると確認したらしいのだ。善と悪、異質の二つの鍵盤(けんばん)の上を、次々に、または同時に、往来するように自分が運命づけられていると気づいたというわけだ。」と述べているが、ヴェルレーヌ自身、『呪はれた詩人達』の「ポオヴル・レリアン」の項(鈴木信太郎訳、旧漢字を新漢字に改めて引用。ちなみに、ポオヴル・レリアンとは、ヴェルレーヌ自身の子と)に、「一八八〇年以後、彼の作品は、二種類の明瞭に区別される領域に分けられる。そしてなほ将来の著作の予想は、次の事実を明らかにする。即ち、彼は、同時的ではないとしても(且又、この同時的といふことは、偶然の便宜に起因して、議論からは外れるのだ)、尠くとも並行的に、絶対に異つた観念の作品を発表して、この二種類の傾向といふシステムを続けようと決意した事実である。」と書いており、さらに、「信仰」と「官能」という、この二つの領域への志向が、彼のなかでは思想的に統一されていて、「一つの祈りのみによつても、また一つの感覚的印象のみによつても、多くの著作を易々と作り得るし、その反対に、それぞれによつて同時に唯一つの著作を、同じく自在に、作り得るのである。」とまで言うのであるが、これらの言葉には、ヘラクレイトスの「対峙するものが和合するものであり、さまざまに異なったものどもから、最も美しい調和が生じる。」(『断片8』内山勝利訳)や、「万物から一が出てくるし、一から万物が出てくる。」(『ヘラクレイトスの言葉』一〇、田中美知太郎訳)といった思想の影響が如実に表れているように思われる。

 右の引用に見られるような、いわゆる「反対物の一致」という、ヘラクレイトスの考え方が、後世の詩人や作家たちに与えた影響はまことに甚だしく、その大きさには計り知れないものがある。「俺は 傷であつて また 短刀だ。」(『我とわが身を罰する者』鈴木信太郎訳)と書きつけたボードレールや、「心して言葉をえらべ、/「さだかなる」「さだかならぬ」と/うち交る灰いろの歌/何ものかこれにまさらん。」(『詩法』堀口大學訳)と書きつけたヴェルレーヌについては言うまでもなく、「また見附かつた、/何が、永遠が、/海と溶け合ふ太陽が。」(『地獄の季節』錯乱II、小林秀雄訳。海 mer は女性名詞であり、太陽 soleil は男性名詞である。また、海は水を、太陽は火を表わしている。)と書きつけたランボーにおいても、その影響は著しい。また、「異端者の中の異端者だったわたしは、かけ離れた意見や、思想の極端な変化や、考えの相違などに、つねに引きつけられた。」(『地の糧』第一の書・一)というジイドも、『贋金つかい』の第二部・三に、「二つの相容れない要求を頭の中に蔵していて、両者を調和させようとしている」(川口 篤訳)と書きつけている。現実にも、ときには、あるいは、しばしば、この言葉どおりの状況にジイドが直面したであろうことは、想像に難くない。また、プルーストの『失われた時を求めて』の第三篇『ゲルマントの方』にも、「その二つは互いに相容れないように見えるかもしれないが、それが合わさるとはなはだ強力になるものであった。」といった言葉があり、トーマス・マンの『魔の山』(佐藤晃一訳)の第六章にも、「対立するものは」「調和しますよ。調和しないのは中途半端な平凡なものにすぎません。」といった言葉がある。プルーストやトーマス・マンが、ボードレールやジイドらとともに、ヘラクレイトスの系譜に列なる者であることは明らかであろう。なお、ジイドの『贋金つかい』からの引用はすべて川口 篤訳であるので、以下、『贋金つかい』の翻訳者の名前は省略した。

 堀口大學は、前掲の『ヴェルレーヌ詩集』の解説で、「極端に背(はい)馳(ち)する二つの性格間の激しい争闘とも解されるこの詩人の生涯と作品から、一種の偉大さがにじみ出る」などと述べているが、ヴェルレーヌの偉大さなどいっさい認めず、その矛盾に満ちた人生に、なによりも混沌を見て取る者の方が多いのではなかろうか。ヴェルレーヌの『煩悶』に、「私は悪人も善人も同じやうに見る。」(堀口大學訳、旧漢字を新漢字に改めて引用)といった詩句があるが、筆者には、これが、「悪人」とか「善人」とかいったものをきちんと弁別した上で書きつけたものであるとは、とうてい思えないのである。そういえば、犯罪の種類も程度も異なるが、ヴェルレーヌと同様に刑務所に収監されたことのあるヴィヨンもまた、『ヴィヨンがこころとからだの問答歌』に、「美と醜も一つに見えて、見分けがつかぬ。」(佐藤輝夫訳)といった詩句を書きつけていた。ちなみに、これらの詩句と類似したものに、ヘラクレイトスの「上がり道と下り道は同じ一つのものである。」(『断片60』内山勝利訳)や、ゲーテの「では降りてゆきなさい。昇ってゆきなさい、といってもいい。/おなじことなんです。」(『ファウスト』第二部・第一幕・第六二七五―六二七六行)や、シェイクスピアの「きれいは穢(きたな)い、穢いはきれい。」(『マクベス』第一幕・第一場、福田恒存訳)や、ランボーの「ここには誰もいない、しかも誰かがいるのだ、」、「俺は隠されている、しかも隠されていない。」(『地獄の季節』地獄の夜、小林秀雄訳)や、ヴァレリーの「異なるものはすべて同一なり」、「同一なるものはすべて異なる」(『邪念その他』A、佐々木 明訳)といったものがあるが、この類のものは、例を挙げると、枚挙に遑(いとま)がない。ヴェルレーヌのことを考えると、筆者には、サバトの『英雄たちと墓』第I部・13にある、「彼の心は一つの混沌だった。」といった言葉が真っ先に思い浮かんでしまうのだが。

 しかし、ワイルドが、『芸術家としての批評家』の第二部で語った、「われわれが矛盾してゐるときほど自己に真実であることは断じてない」(西村孝次訳、旧漢字を新漢字に改めて引用)というこの言葉に結びつけて、ヴェルレーヌがいかに「自己に真実であ」ったかということを思い起こすと、たしかにその意味では、堀口大学が述べていたように、「この詩人の生涯と作品から、一種の偉大さがにじみ出」ていることを全面的に否定することはできないように思われるのだが、それでもやはり、その生涯の傍若無人ぶりといったものをつぶさに振り返ってみれば、あらためて、先の堀口大學の言説を否定したい、という気持ちにも駆られるのである。なお、ワイルドの作品からの引用はすべて西村孝次訳であるので、以下、ワイルドの作品の翻訳者の名前は省略した。また、それらの引用はみな、旧漢字部分を新漢字に改めた。

「私たち哀れな人間は/善いことも悪いこともできる。/動物であると同時に神々なのだ!」、この詩句が、だれのものであるか、ご存じであろうか。ヴェルレーヌと同じように、一生のあいだ、自己の魂の二極性に苦しめられたヘッセのもの(『平和に向って』高橋健二訳)である。ヴェルレーヌとヘッセとでは、ずいぶんと生きざまが違うように見えるが、魂の二極性に苦しめられたという点では、共通しているのである。ヘッセが、『荒野の狼』(手塚富雄訳)で、主人公のハリー・ハラーについて、「感情において、あるときは狼として、あるときは人間として生活していた」というとき、それがハリーひとりのみならず、自己も含めて、魂の二極性に苦しんだあらゆる人間について語っていることになるのである。じっさい、ヘッセは、『荒野の狼』に、つぎのように書いている。「ハリーのような人間はかなりたくさんある。多くの芸術家は特にそうである。この種類の人間は二つの魂、二つの性質をかねそなえている。彼らのうちには神的なものと悪魔的なもの、父性的な血と母性的な血、幸福を受け入れる能力と悩みを受け入れる能力が対峙したり、ごっちゃになったりして存在している。」と。そして、「なぜ彼が彼の笑止な二元性のためにそんなにひどく苦しんでいるか」というと、「ファウストと同様、二つの魂は一つの胸にはすでに過重のもので、胸はそのために破裂するに違いないと信じている」からであるという。「しかし実は二つの魂ではあまりに軽すぎるのである。」といい、「人間は数百枚の皮からできている玉葱(たまねぎ)であり、多くの糸から織りなされた織り物である。」というのである。つまり、「ハリーが二つの魂や、二つの人格から成り立っていると思うのは彼の空想にすぎない、人間はだれしも十、百、もしくは千の魂から成り立っている」のだというのである。

 プルーストの『失われた時を求めて』の第五篇『囚われの女』にも、「私は一人のアルベヌチーヌのなかに多くのアルベヌチーヌを知っていたから、今も私のかたわらにまだまだ多くの彼女が横たわっているのを見る思いであった。」、「彼女はしばしば私の思いもかけぬ新たな女を創(つく)りだす。たった一人の娘でなく、無数の娘たちを私は所有しているような気がする。」とあるが、たしかに、このような感覚は、ひとが恋愛相手に対して持つ、ある種の戸惑いや躊躇といったものがなぜ生じるのか、と考えれば、不思議でもなんでもない、ごくありふれたふつうの感覚として、たちまち了解されるものであろう。

 ワイルドが、『芸術家としての批評家』の第一部で、「もっとも完璧な芸術とは、人間をその多様性において剰すところなく映し出すところの芸術だ」と述べているが、そういった芸術を創り出すために、これまで芸術家はさまざまな方法を試みてきた。たとえば、ロートレアモンは、フェルボックホーフェンに宛てて送った一八六九年十月二十三日付の手紙に、「ぼくは悪を歌った、ミッキエヴィッチやバイロンやミルトンやスーゼーやミュッセやボードレールなどと同じように。もちろん、ぼくはその調子を些(いささ)か誇張したが、それも、ひたすら読者をいためつけ、その薬として善を熱望させるためにのみ絶望をうたう、このすばらしい文学の方向のなかで新しいものを作りだすためなのだ。」(栗田 勇訳)と書いているが、たしかに、『マルドロールの歌』は、二元的なもののうち、一方のみを強調して描くことによって、他の方をも暗示させるという手法の、そのもっとも成功した例であろう。まさに、「一方を思考する者は、やがて他方を思考する。」(『邪念その他』A、佐々木 明訳)という、ヴァレリーの言葉どおりに。また、「常に悪を欲して、/しかも常に善を成す」(ゲーテ『ファウスト』第一部・書斎・第一三三六―一三三七行)というメフィストーフェレスのセリフに呼応するように、両極の一方での体験がもう一方の境地を導く、その一部始終を描いてみせる、という手法もある。もちろん、ゲーテの『ファウスト』は、その手法のもっとも成功した例であろう。『ファウスト』は、そして、『マルドロールの歌』もまた、結局のところは、同じく、魂のさまざまな要素を、相対立する二つの要素に集約させて二元的に扱い、その両極の狭間で葛藤する人間の姿をドラマチックに描くことによって、人間の魂の多様性というものを表わそうとしたものであって、その目的は見事に達成されており、ただ単に、人間の魂を二元的なものとして扱ってはいないのである。なんとなれば、「われわれの知性は、どんあにすぐれたものであっても、心を形作る要素を残らず認めることはできないもので、そうした要素はたいていの場合すぐ蒸発する状態にあり、何かのことでそれがほかのものから切り離されて固定させられるようなことが起こるまでは、気づかれずに過ぎてしまう」(プルースト『失われた時を求めて』第六篇・『消え去ったアルベヌチーヌ』)ものだからである。それゆえ、人間の魂といったものを、そのすべての側面を、具体的に列挙して表わすことなどはけっしてできないことなのである。これは、「同一の表現が多様な意味を含み得る」(プルースト『失われた時を求めて』第二篇『花咲く乙女たちのかげに』)といったことを考慮しない場合であっても、である。ヴァレリーが、「ゲーテは、数々の対比の完全な一体系、あらゆる一流の精神を他と区別する希有にして豊饒な結合を、われわれに示しております。」(『ゲーテ』佐藤正彰訳)と述べているように、また、ゲーテの『ファウスト』第一部・夜・第四四七―四四八行にある、「まあどうだ、すべての物が集まって渾一体(こんいつたい)を織り成し、/一物が他の物のなかで作用をしたり活力を得たりしている。」という言葉からもわかるように、「二」すなわち「多数」と、あるいは、「二」すなわち「無数」と、捉えるできものなのである。ヘッセ自身もそう捉えていたからこそ、自分の作品のなかで、あれほど執拗に、「二極性」といったものにこだわりつづけていたのであろう。「二」すなわち「多数」、「二」すなわち「無数」といえば、筆者には、「アダムとイヴ」と「彼らの子孫たち」のことが思い起こされる。二人の人間からはじまった、数えきれないほどの数の人間たち、彼らの子孫たちのことが。

 ランボーは、ポオル・ドゥムニーに宛てて送った一八七一年五月十五日付の手紙と、ジョルジュ・イザンバアルに宛てて送った一八七一年五月十三日付の手紙に、それぞれ、「「詩人」はあらゆる感覚の(、、、、、、、)、長期にわたる、大がかりな、そして理由のある錯乱を通じてヴォワイヤン(、、、、、、)となるのです。」、「凡ゆる感官を放埓奔放に解放することによって未知のものに到達することが必要なのです。」(平井啓之訳)と書いている。しかし、「あらゆる感覚の(、、、、、、、)、長期にわたる、大がかりな、そして理由のある錯乱」とか、「凡ゆる感官を放埓奔放に解放すること」とかいった件(くだり)には、その言葉のままでは容易に把握し難いところがある。よりわかりやすい表現に置き換えてみよう。

 ランボーは、「ヨーロッパで僕の知らない家庭は一つもない。──どこの家庭も、わが家のようにわかっている。」(『地獄の季節』下賤の血に、秋山晴夫訳)という詩句を書いているが、ボードレールの『一八五九年のサロン』5にも、「真の批評家の精神は、真の詩人の精神と同じく、あらゆる美に対して開かれているに相違ない。彼は勝利に輝くカエサルの眩いばかりの偉大さも、神の視線の前に頭をさげる場末の貧しい住人の偉大さも、まったく同じように味わうことができる。」といった文章がある。ランボーの詩句とボードレールの文章とのあいだに、意味内容においてそう大きな隔たりがあるようには思われない。時系列的に、ボードレールの文章とランボーの詩句とのあいだには、と書き直してもよい。ところで、ランボーはまた、先の二つの手紙のなかで、「「われ」とは一個の他者であります。」と語っているのだが、このよく知られた言葉も、ボードレールの「詩人は、思うがままに彼自らであり、また他人であることを得る、比類なき特権を享受する。彼は欲する時に、肉体を求めてさ迷う魂の如く、人の何人たるを問わず、その人格に潜入する。ただ彼一人のために、人はみな空席に外ならない。」(『群衆』三好達治訳)という言葉と、意味概念的には、それほど距離のあるものには思われない。これらはまた、シェイクスピアのように、きわめてすぐれた詩人に当てはめて考えると、なるほど、と首肯される言葉であろう。ジイドの『贋金つかい』第一部・十二に、「他人の気持を自分の気持として感じる妙な自己喪失の能力を私は持っているので、私には、いやでも、オリヴィエの気持、彼が抱いているに違いないと思われる気持を、感じ取ることができた。」とあるが、この「他人の気持を自分の気持ちとして感じる」「自己喪失の能力」といったものも、また、ランボーの「「われ」とは一個の他者であります。」という言葉や、それに照応するボードレールの言葉と、意味のうえにおいては、それほど大きな違いがあるようには思われない。

 あるインタヴューのなかで、エンツェンスベルガーが、「ぼくの過去に対する参照のシステムは、過去に対する理解の射程は、二百年前にまでとどきます。らんぼうな言い方をすれば、フランス革命です。その時代のたとえばディドロとなら、ぼくは膚と膚を接して漢字あうことができる。彼の存在は、ぼくにとってはほとんど生理的な真近かさだ。でも、中世となると、ぼくには分りません。ぼくの歴史的"神経"は、そこまではおよばない。中世の農民がどうだったか、その神経をぼくは持ちあわせない。でもフランス革命期にインテリがどうだったかなら、それをぼくは自分のからだの中で感じることができる。たくさん本を読んでいて、当時の人びとがどんなふうだったか、家や家具がどうだったか、恋愛関係がどうだったか、どの恋人から逃げだしてどの恋人のところへ行ったか、それがまたどのようにしてダメになったか、そのようなスキャンダルだって、まるで身内の者のことのように分る。」(『現代詩の彼方へ6』エンツェンスベルガー宅で2、飯吉光夫訳、ユリイカ一九七六年七月号)と答えているが、このなかで、とりわけ興味深いのは、「たくさん本を読んで」というところである。ジョルジュ・プーレが、『批評意識』(佐々木涼子訳、ユリイカ一九七六年七月号)のなかで、プルーストによってラモン・フェルナンデスに宛てて送られた一九一九年の手紙から、「ある本を読み終えたばかりの時は」、「われわれの内なる声は、長いあいだじゅう、バルザックの、フローベルのリズムに従うように訓練されてしまっていて、彼ら作家と同じように話したがる。」といった一節を引用した後、それにつづけて、「自分の内で他人の思考のリズムを延長しようとするこの意志が、批評的な思考の最初の行為である。ひとつの思考についての思考、それはまず、他者の思考が形成され、はたらき、表現されていく運動に、いわば肉体的になりきることで、自分のものではないあり方に順応してみないことには存在しえない。呼んでいる著者のテンポ(、、、)にあわせて自分自身を調節すること、それはその著者に近づくというより以上のこと、それは彼に入りこんでしまうこと、彼の最も奥深く、最も秘めやかな、考え、感じ、生きる方法に密着するということである。」と書いているが、この「自分のものではないあり方に順応」することができるというのも、プルーストが、ジイドのいう「他人の気持を自分の気持ちとして感じる」「自己喪失の能力」といったものを持ち合わせていたからであろう。もちろん、こういった「他人の気持を自分の気持ちとして感じる」「自己喪失の能力」というものを持ち合わせているのは、なにも、詩人や作家たちばかりとは限らない。だれもが持ち合わせている能力であろう。友だちや恋人とのあいだで、仕草や癖がうつることは、それほどめずらしいことではないし、よく言われることだが、長くいっしょにいる仲の良い夫婦は、表情や顔つきまで似てくるらしいのだが、じっさい、以前に、喫茶店で、ひじょうによく似た兄妹のように見える老夫婦を目にしたことがある。

 しかし、なぜ、「自分のものではないあり方に順応」することができるのであろうか。ラモン・フェルナンデスの『感情の保証と新庄の間歇』IIに、「ニューマンは、事物を理解する二通りの方法があると言う。一つは、概念にもとづく推論による抽象的(、、、)理解。他の一つは、想像力の与える経験、感情、個々の行為の具体的表象にもとづく合意(アサンチマン)による真の(、、)理解である。」(野村圭介訳、ユリイカ一九七六年七月号)とある。カミュは、「理解するとは、まずなによりも、統一することである。」(『シーシュポスの神話』不条理な論証・不条理な壁、清水 徹訳)といい、ボードレールは、『一八五九年のサロン』3に、「想像力、それは分析であり、それは綜合である。」、「それはあらゆる創造物を解体し、その解体された素材を、魂の最も深奥な部分からのみ生まれて来る規矩にしたがって寄せ集め、配置することにより、新しい世界を創り出し、新しいものの感覚を生み出す。」と述べているが、こういった「想像力」によって、ランボーやボードレールやジイドらは、「他人の感情を、まるでそれが自分自身の感情ででもあるかのように想像して」(プルースト『失われた時を求めて』第二篇『花咲く乙女たちのかげに』)、「「われ」とは一個の他者であります。」とか、「思うがままに彼自らであり、また他人であることを得る」とか、「他人の気持を自分の気持ちとして感じる」「自己喪失の能力を私は持っている」とかと書き述べることができたのであろう。まさしく、「想像力」によって、「他人の気持を自分の気持として感じ」、「勝利に輝くカエサルの眩いばかりの偉大さも、神の視線の前に頭をさげる場末の貧しい住人の偉大さも、まったく同じように味わうことができる」のであろう。

 しかし、「想像力の与える経験、感情、個々の行為の具体的表象にもとづく合意(アサンチマン)による真の(、、)理解」とはいっても、ほんとうのところ、じっさいには、現実と想像とのあいだに、なんらかの相違があるのではないだろうか。

 ジイドの『贋金つかい』第一部・八に、「人間は、自分がそう感じると思うものを感じるのだと気づいてから、私は心理分析というものにまったく興味を失ってしまった。そこから、逆に、人間は現に感じているものを、感じていると思うものだとも考えられる……。このことは、私の恋愛について見れば、よくわかる。ローラを愛することと、ローラを愛していると思うこととの間──さほど彼女を愛していないと思うことと、さほど彼女を愛していないこととの間に、どれほどの相違があろう? 感情の領域では、現実と想像との区別はつかない。」とある。感情の領域では、現実と想像とのあいだに相違はない、というのである。「俺は地獄にいると思っている。だから俺は地獄にいるんだ。」(『地獄の一季節』地獄の夜。道宗照夫・中島廣子訳、『フランス名句辞典』大修館書店)という、ランボーの詩句が思い起こされる言葉である。

 ランボーが書きつけた、「あらゆる感覚の(、、、、、、、)、長期にわたる、大がかりな、そして理由のある錯乱を通じて」とか、「凡ゆる感官を放埓奔放に解放することによって」とかいった言葉を、「想像力によって」という言葉に置き換えてみると、それぞれ、「「詩人」は、想像力によって、ヴォワイヤン(、、、、、、)となるのです。」、「想像力によって、未知のものに到達することが必要なのです。」となる。これで、ランボーが書きつけた手紙の言葉がかなり把握しやすいものとなったであろう。

 ワイルドの『芸術家としての批評家』第二部に、「自己について何ごとかを知るためには、他人についてすべてを知らねばならぬ。」という言葉がある。これほどに極端な主張ではないが、ジイドの日記にもこれと似た言葉がある。「己を識ることを学ぶための最善の方法は、他人を理解しようと努めることである。」(『ジイドの日記』第五巻・一九二二年二月十日、新庄嘉章訳、旧漢字部分を新漢字に改めて引用)というのである。ランボーは、「ひとりの人間には、多数の他人(、、)がその生命(いのち)を負うているように僕には思えた。」(地獄の一季)うわごと(その二)・言葉の錬金術、堀口大學訳)と書いており、プルーストの『失われた時を求めて』の第五篇『囚われの女』にも、「ひとりの人間は多くの人物によって形つくられている」といった言葉がある。また、コクトーは、「ぼくたちは半分しか存在していない。」(『ぼく自身あるいは困難な存在』演劇について、秋山和夫訳)と言い、ヴァレリーは、「自分自身になるためには、ひとは他人が必要である。」(『ヴァレリー全集 カイエ篇9』、『人間』岡部正孝訳)と書いており、ボーヴォワールは、「各人がすべての人びとによって作られています。そして各人はすべての人びとを通してはじめて自分を理解するものであり、各人はすべての人びとが彼ら自身について打ちあける事柄を通じて、また彼らによって明らかにされる自分自身を通じて、はじめてその人びとを理解するのです。」(『文学は何ができるか』一九六四年年十二月討論、平井啓之訳)と述べている。T・S・エリオットも、『宗教と文学』という論文のなかで、「私たちはつぎからつぎへと強力な個性に影響されてゆくうちに、一人あるいは少数の特定の個性に支配されないようになります。そこに広い読書の価値があるのです。さまざまのきわめて異なった人生観が私たちの心の中にいっしょに住んでいると、それらは互に影響しあいます。すると私たち自身の個性は自分の権利を主張して、私たち独自の配列に従ってこれらの人生観をそれぞれに位置づけるのです。」(青木雄造訳)と書き述べているのである。もちろん、わたしたちに影響を与えるのは、「書物」を介した体験だけではない。

「民主化直後のモンゴルは、ひどい物不足だった。二年前のモンゴルといまのモンゴルでは比較にならないほど変わっている。まず、モノが多い。店にはいろいろな食料品(お菓子、野菜、魚の缶詰、ジュースなど)や電化製品がいっぱい並び、なんと二十四時間営業のコンビニもある。ドイツのベンツ、BMW、といった高級車やVOLVO、日本製のホンダ、トヨタ、日産の車が、ウランバートルの街を走っている。車全体の数でいえば、二年前の何倍かになっているだろう。街の外観はそう変わらないが、人びとの生活は大きく変化している。モノが増え、いろんな意味で自由になった一方で、以前はほとんどなかった貧富の差が拡大している。/自分はどうだろう。やはり同じではない。いや、以前と同じ自分と同じでない自分が同居している。」と、相撲取りの旭鷲山が、ベースボール・マガジン社から出ている『自伝 旭鷲山』の第5章のなかに書いている。「自分はどうだろう。やはり同じではない。いや、以前と同じ自分と同じでない自分が同居している。」というところに着目されたい。これは、「本」からのものではない。「読書」からのものではない。いわゆる、「経験、感情、個々の行為の具体的表象にもとづく合意(アサンチマン)による真の(、、)理解」といったものによるものであろう。プルーストの『失われた時を求めて』の第一篇『スワン家の方へ』のなかに、先の旭鷲山の言葉と、よく響き合う文章がある。「自分はもはや今までの自分と同じではなく、また自分一人だけでもない、自分とともに新たな存在がそこにいて、自分にぴったりとはりつき、自分と一体になり、彼はその存在を振り払うこともおそらくできないだろうし、今後はまるで主人や病気に対してそうするように、この存在とよろしく折りあっていかねばならないだろう、と。にもかかわらず、一人の新しい人物がこのように自分につけ加わったことを、ついいましがた感じて以来というもの、彼には人生がこれまで以上に興味深いものに思われ出した。」という箇所である。しかし、「以前と同じ自分」、「以前と」「同じでない自分」とは、いったいなんであろうか。ジイドの『贋金つかい』第一部・八に、「私は、自分でこうだと思っている以外の何者でもない。──しかも、それは絶えず変化する。」といった言葉がある。オーデンの『D・H・ロレンス』にも、「あらゆる瞬間に、彼はそれまで自分に起こったすべてのことを加えて、それによってすべてのことを修正する。」(水之江有一訳)といった言葉があり、ヴァレリーの『カイエB一九一〇』にも、「私には完了された姿として、自分を認識することができない。」(村松 剛訳)といった言葉がある。

 ワイルドが、『虚言の衰頽』に、「僕らが見るもの、また僕らのその見方といふのは、僕らに影響を与へたその芸術に依存するのだ。ある物を眺めるといふことは、ある物を見ることとは大違ひなのだよ。ひとは、その物の美を見るまでは何物をも見てはゐないのだ。その美を見たとき、そして、そのときにのみ、物は生れてくるのだ。現在、人々は靄を見るが、それは靄があるからぢやない、詩人や画家たちが、そのやうな効果の神秘な美しさを人々に教へてきたからなのだ。靄なら、何千年来ロンドンにあつたかもしれぬ。あつた、と僕はいふよ。でもね、誰ひとりそれを見なかつたのだ、だから僕らは、それについては何も知らないわけだ。芸術といふものが靄を発見するまで、それは存在しなかつたのだ。」と書いている。指摘されて、はじめてその存在を知ることができる、というのである。ディラン・トマスの『詩について』という詩論のなかにある、「世界は、ひとたびよい詩がそれに加えられるや、けっして同じものではなくなってしまうのです」(松田幸雄訳)といった言葉に通じるものである。そういえば、マイケル・スワンウィックの『大潮の道』11のなかに、指摘されて、はじめてその存在を知ることができる場面がある。夜空を見上げると、輝く星が闇のなかで瞬いている。しかし、相手に闇の方に目を凝らすように言われて、「見えた。二匹の大蛇がからみあっている、一匹は光で、一匹は闇だ。からんだ体がもつれた天球を形作る。頭上で明るい蛇が闇の蛇の尾を口にくわえている。真下では、暗い蛇が明るい蛇の尾を口にくわえている。光を呑みこむ闇を呑みこむ光。パターンが存在するのだ。それは実在し、永遠に続いている。」(小川 隆訳)と、主人公が思い至るのである。パターンを見出す。補助線を自在に引けるような目にとって、高等数学程度の幾何の問題などは、なんでもない。ここで、ランボーの「僕は久しい以前から、可能な一切の風景を掌中に収めていると自負してきた。」(『地獄の一季節』錯乱II・言葉の錬金術、秋山晴夫訳)という詩句を、たとえこれが誇張表現であっても、この言葉どおりの心情をもって書きつけられたものであると仮定したうえで検討してみると、彼のこの詩句に、彼の自負を、いかに多くの知識を得てそれを身につけてきたか、自己の体験からいかに多くのことを学び悟ってきたかという、彼の大いなる自負を、窺い知ることができよう。

『ヘラクレイトスの言葉』三五に、「智を愛し求める人は、実に多くのことを探究しなければならない。」(田中美知太郎訳)とある。スティーヴン・スペンダーが、「最も偉大な詩人とは、非常な記憶をもった人のことであり、その記憶が彼らの最も強い経験を越えて自己以外の世界の観察まで達するのである。」(『詩をつくること』記憶、徳永暢三訳)と述べているが、ボードレールも、『一八四六年のサロン』7に、「記憶が芸術の偉大な基準であることを私はすでに指摘した。芸術は美の記憶術である。」(本城 格・山村嘉己訳)と書いている。カミュの「芸術家は思想家とまったく同じように、作品のなかに踏みこんでいって、作品のなかで自己になる。」(『シーシュポスの神話』不条理な創造・哲学と小説、清水 徹訳)といった言葉に即していえば、芸術家の「非常な記憶」「美の記憶」が、「作品のなかで」一つに結び合わせられる、といったところであろうか。ワイルドの『芸術家としての批評家』第二部に、「かれは多くの形式で、また無数の違つた方法で、自己を実現し、どうかして新しい感覚や新鮮な観点を知りたいとおもふ。たえざる変化を通じて、そしてたえざる変化を通じてのみ、かれは己れの真の統一を発見する。」といった、ランボーの手紙の言葉を彷彿させるような一節があるが、 Mestmacher の「mutando immutabilis. 変化することによりて不変なる。」(旧漢字部分を新漢字に改めて引用)という成句が、『ギリシア・ラテン引用語辭典』にも収載されており、パスカルも、『パンセ』の第六章に、「われわれの本性は絶えまのない変化でしかないことを私は知った。そして、それ以来私は変わらなかった。」(断章三七五)と述べており、ジイドもまた、『贋金つかい』の第三部・十二に、「個人は優れた資質に恵まれ、その可能性が豊かであればあるほど、自在に変身するものであり、自分の過去が未来を決定することを好まないものである。」と書いている。ボルヘスやサルトルは、さらに、「過去を作り変えることはできないが、過去のイメージを変えることはできる」(『エル・アレフ』もうひとつの死、篠田一士訳)、「私は自分の現在をもって、追憶を作りあげる。」(『嘔吐』白井浩司訳)とまで書いている。「現在」が、「過去のイメージを変え」、「追憶を作りあげる」というのである。モーリヤックの『テレーズ・デスケイルゥ』七に、「私たちは、自分で自分を創造する範囲内でしか存在しない」(杉 捷夫訳)という言葉があるが、「自分を創造する範囲」を可能な限り拡大する、といったイメージで、あのランボーの手紙のなかにある、「あらゆる感覚の(、、、、、、、)、長期にわたる、大がかりな、そして理由のある錯乱」とか、「凡ゆる感官を放埓奔放に解放することによって」とかいう言葉を捉えると、難解なところなど、ほとんどなくなってしまうのではなかろうか。

 ところで一方、ウィトゲンシュタインが、『論理哲学論』の5・63で述べている、「私とは、私の世界のことである。」(山本一郎訳)や、彼の一九一五年五月二十三日の日記のなかにある、「私の言語の限界(、、、、、、、)は、私の世界の限界を意味する。」(飯田 隆『現代思想の冒険者たち07・ウィトゲンシュタイン』)といった考えを通して、ジイドが『贋金つかい』の第三部・七に書いた、「最も優れた知性というのは、自己の限界に最も悩む知性のことじゃないのかな」という言葉にあたると、ランボーがなぜ詩を放棄したのか、その理由の一端を推測することができる。ヴァレリーが、ジャン=マリ・カレに宛てて送った一九四三年二月二十三日付の手紙のなかで、ランボーについて、「《諧調的支離滅裂》の力を発明あるいは発見した」といい、「言語の機能をみずから意志的に刺戟して、その刺戟のこうした極限的な激発点へと辿りついてしまったとき、かれとしては、ただ、かれのなしたことをすることしか──つまり逃亡することしかできませんでした。」(菅野昭正・清水 徹訳)と述べている。取り立ててこのヴァレリーの見解に異を唱えるつもりはない。しかし、ランボーが詩を放棄した理由は、これだけではないように筆者には思われるのである。管見ではあろうが、つぎに、筆者が推測するところのものを述べて見よう。

 ジイドの『贋金つかい』第二部・一に、「自分が別人になったような気がする。」とあるが、もし、ほんとうに、「感情の領域では、現実と想像との区別はつかない」のなら、「最高度」にまで「想像力」を働かせると、「自分が別人になったような気がする。」ではなく、「自分は別人になった。」とまで確信するまでに至るはずである。おそらく、これが、「「われ」とは一個の他者であります。」といった言葉を、ランボーが自分の手紙のなかに書きつけた経緯(いきさつ)であろう。ニーチェの『ツァラトゥストラ』の第三部に、「それぞれの魂は、それぞれ別の世界をもっている。」とあるが、もし、ランボーが本心から「ヨーロッパで僕の知らない家庭は一つもない。」と思ってこう書きつけたのだとしたら、彼が、ヨーロッパの家庭のその夥しい数の人間の魂のなかに「潜入」し、その夥しい数の「世界」を知り、その夥しい数の「他者」の思考に同調することができたと、こころからそう思って書きつけたのだとしたら、それは、彼の錯乱したこころが書かせたものに違いない。所詮、ヴァレリーがいうように、「われわれは自分の心中に現われるものしか、他人の心に忖度することができない。」(『雑集』人文学・二、佐藤正彰訳)ものであるのだから。一人の人間が保有できる人格の数について、その限度について、統計的な資料に基づいていうわけではないが、せいぜい、「十、百、もしくは千」といったところではないだろうか。ヨーロッパ中の人間と同じ数というのなら、少なくとも、「十万、百万、もしくは千万」もの人格を弁別する能力が必要なはずである。ランボーならば、そのような能力を有していたとでもいうのだろうか。しかし、それは、人間が持つことのできるぬ力といったものを遥かに超えたものであろう。

 リスペクトールが、『G・Hの受難』で、「神は存在するものであり、あらゆる矛盾するものが神のなかにあり、したがって神は矛盾しないのだ。」(高橋都彦訳)と書いている。仮にそうであるとすると、「ヨーロッパで僕の知らない家庭は一つもない。」と正統に主張することができるのは、唯一、「神」だけであるということになる。もちろん、これは、「神」が存在するとしての話なのであるが。

 たしかに、「わたしは神である。」と、言葉なら書きつけることはできる。口にすることもできる。しかし、「わたしは神である。」と「想像」することは、「わたし神である。」と思うことは、それが「神」自らの思考でなければ、狂人以外の何者の思考でもない。

 したがって、ランボーが採ることのできた道は二つしかなかったことになる。彼が、自分のことを「神」であると主張するか、しないか、である。もし、主張していたとしたら、彼は自分がくるっていることに気がつかなかった、ということになるであろう。しかし、彼は主張しなかった。たしかに、「精神を通して、人は『神』に至る。」(『地獄の季節』不可能、小林秀雄訳)といった詩句を書きはしたが、じっさいには、自分のことを「神」であると主張しなかったのである。それは、おそらく、彼の気が狂っていなかったからであろう。「ヨーロッパで僕の知らない家庭は一つもない。」という彼の言葉が、あくまでも文学表現上のものであり、それが誇張表現であるということを、彼がはっきりと認識していたということである。もし、彼が、彼の手紙に書いていたことを、その言葉どおり、まっとうに推し進めていったならば、そのうちいつか狂気に陥らざるを得なかったであろう。文学的に後退することは、彼のプライドが許さなかったはずである。彼は、プライドを棄てる代わりに、文学を放棄したのである。放棄せざるを得なかったのであろう。

 魂が二つに、あるいは、もっと多くに分裂しているということだけで、苦しみをもたらすということならば、たしかに、それを統合して一つの人格をつくり上げ、苦しみから逃れればよいのであるが、そもそも、じつのところ、人格が分裂しているという現象がなければ、われわれは他者を理解することも、延(ひ)いては、自分自身のことを理解することもできないものなのである。ヴァレリーの『邪念その他』Tに、「毎秒毎秒、われわれの精神には門番や家政婦の考え方がひらめく。/もしかりにそうでないとすれば、われわれはこうした種類の人びとを理解することも、かれらから理解されることもできぬだろう。」(清水 徹訳)とある。「毎秒毎秒」というのは、大袈裟に過ぎよう。「その都度、その都度」といったところであろうか。ところで、モームが、『人間の絆』13に、「生まれたての子供というのは、自分の身体が、自分の一部分だということがよくわからない。周囲の事物と、ほとんど同じように感じている。だから、彼らが、よく自分の拇指を玩(もてあそ)んでいるのを見ても、それは、傍にあるガラガラに対するのと、まったく変らない。はっきり自分の肉体を意識するのは、むしろきわめて徐々であり、しかも苦痛を通して、やっとそうなるのだ。ちょうどそれと同じ経験が、個人が自己を意識するようになる過程でも必要になる。」(中野好夫訳)と書いているが、ブロッホもまた『ウェルギリウスの死』の第I部で、「涙をたたえるときはじめて眼は見えるようになる、苦しみの中ではじめてそれは視力ある眼となり、」(川村二郎訳)と語っている。筆者にも、まさしくこの言葉にあるように、人生においては、「苦しみ」を通してはじめてわかる、といった体験をいくつもしてきた。このブロッホの言葉に、モームの言葉を合わせて考えてみると、人間は苦痛や苦しみといったものを通して自他の区別をつけ、自己を形成していくものであり、さまざまなことを知っていくということになるのだが、プルーストの『失われた時を求めて』の第六篇『消え去ったアルベルチーヌ』に、「苦痛の深さを通して人は神秘的なものに、本質にと、達するのである。」とある。ジュネの『薔薇の奇蹟』にも、「絶望は人をして自分の中から逸脱させます」(堀口大學訳)といった一節がある。ふと、漱石の『吾輩は猫である』十一にある、「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。」という言葉とともに、サバトの『英雄たちと墓』の第I部・5にある、「いったい自分自身の物語が結局は悲しいもの、神秘的なものではないような、そんな人間が存在するものだろうか?」といった言葉が思い出される。なにも、ヴェルレーヌやヘッセといった人間だけが、魂の引き裂かれる苦しみや苦痛を味わうわけではないのである。およそあらゆる人間の苦しみであり、苦痛なのである。

 では、いつまでも、人間は、魂が引き裂かれる苦痛や苦しみに耐えなければならないのであろうか。おそらく、耐えなければならないものなのだろう。しかし、その苦しみは軽減させてやることはできるのである。その方策のヒントは、つぎに引用する、シェイクスピアの『リチャード二世』の第五幕・第五場のセリフのなかにある。「私はずっと考えつづけている、どうすれば/私の住(す)み処(か)のこの牢獄(ろうごく)を世界になぞらえられるかと。/けれども世界には数え切れぬ人々が住み、/ここには私以外には人は一人もいないから、/うまくゆかぬ、だが、ともかくやってみよう。/この脳髄(のうずい)は魂(たましい)の妻としてみてはどうだ。/魂は父親だ。この二つが思念の子を生み、/そしてこの思念は次々(つぎつぎ)と子や孫を生みつづけてやむことがない。/つまりはこの思念がこの小さな世界の住人となる。/この住人は現実世界の住人と気(き)質(しつ)を同じくしている。/思念は満足(まんぞく)することがないからだ。立(りつ)派(ぱ)な思念が生まれ、/例(たと)えば信(しん)仰(こう)上(じよう)の問題を考えても、たちまち/懐(かい)疑(ぎ)と混(ま)じりあい、一つの聖句を持ち出して対立させる。/例えば「小さき者らよ、来(きた)れ」という聖句にたいして、/「ラクダが針(はり)の穴(あな)を通るよりも、天国に入ることは難(むずか)しい」と、/別の聖句を対置して心を惑(まど)わせてしまうのだ。」、「こうして私は、一人でさまざまの役(やく)を演(えん)じながら、/どれ一つにも満足(まんぞく)できぬ。ある時は王者となるが、/反(はん)逆(ぎやく)を恐れてむしろ乞(こ)食(じき)になりたいと願い、/そこで乞食となれば、今度は貧(ひん)窮(きゆう)にさいなまれて、/王でいた時のほうがよかったと思い返す。/そこでふたたび王者となれば、たちまちにして/ボリンブルックに王(おう)位(い)を奪(うば)われたことを思い起こし、/今や自分が何者でもないと思い知るのだ。だが、たとえ/何者になろうと、私にしろ誰(だれ)にしろただの人間である限り、/何物によっても満足は得られず、ただ、やがて/何者でもなくなることによって、はじめて安(やす)らぎを得(え)るしかない。」(安西徹雄訳、P・ミルワード『シェイクスピア劇の名台詞』講談社学術文庫)である。このセリフの最後のところにある、「何者でもなくなることによって」という言葉がヒントになるのである。「何者でもなくなる」を、「何者でもある」という言葉に置き換えると、よいのである。「何者でもある」すなわち「何者でもあり得る」と認識することによって、人間は、魂の引き裂かれた苦しみや苦痛を、自ら軽減させることができるのである。では、その認識は、いったい、どのようにしたら得られるものなのであろうか。それには、「別の目を持つこと、一人の他人、いや百人の他人の目で宇宙をながめること、彼ら各人のながめる百の世界、彼ら自身である百の世界をながめることであろう。そして私たちは、一人のエルスチーヌ、一人のヴァントゥイユのおかげで、彼らのような芸術家のおかげでそれが可能になる。」という、プルーストの『失われた時を求めて』の第五篇『囚われの女』のなかにある考え方が、これはまた、ワイルドの『虚言の衰頽』のなかにある、「芸術といふものが靄を発見するまで、それは存在しなかつたのだ。」という考え方に繋がるものであるが、もっともよい方法を示唆しているように思われるのである。「百人の他人の目で宇宙をながめること」、「彼ら自身である百の世界をながめること」というのである。

「百人の他人の目」、「彼ら自身である百の世界」というもののうちには、たとえば、俳句における季語であるとか、短歌における枕詞や、本歌取りに用いられる古歌であるとか、連句や連歌や連詩の連衆たちによってその場で発せられる言葉であるとか、引用される文献であるとか、引喩で用いられる元ネタであるとか、じつにさまざまなものが考えられる。スタール夫人の言葉に、「フランスにおいては人間に学び、ドイツでは書物に学ぶ。」(『ドイツ論』1・13、道宗照夫・中島廣子訳、『フランス名句辞典』大修館書店)というのがある。スタール夫人のこの言葉は、後で引用する、ヴァレリーの自叙伝のなかにある言葉と呼応するものである。

 トーマス・マンが、『魔の山』の第六章に、「思想というものは、闘う機会を持たなければ、死んでしまいます、」と、また、W・C・ウィリアムズが、『パターソン』の第一巻・序詩に、「知識は/伝搬しないと自壊する。」(沢崎順之助訳)と書きつけているが、たしかに、ポワローの述べているように、「批判者をもつことは、優れた本にとって必須である。公表した書物の一番大きな不幸は、多くの人がその悪口を言うことではなくて、誰も何も言わないことである。」(『書簡詩』X・序文、藤井康生訳、『フランス名句辞典』大修館書店)のであろう。ヴァレリーは、「真実は嘘を必要とする──なぜなら……対比なくして、いかに真実を定義しようか。」(『刻々』 HOMO QUASI NOVUS (殆ンド新シキ人)、佐藤正彰訳)と書いている。ヨハネによる福音書一・五にも、「光はやみの中に輝いている。」とある。創世記二・一八で、神が、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」といい、アダムにエバを与えたのも、そのほんとうの理由は、神が自己の存在をより確かなものにしたかったからであろう。ヨハネによる福音書一・一に、「初めに言(ことば)があった。言(ことば)は神と共にあった。言(ことば)は神であった。」とある。ちなみに、ゲーテが、『ファウスト』の第一部・書斎・第一二二四―一二三七行で、この「言(ことば)」について、あれこれとさまざまな翻訳を試みている。「言葉(Wort)」、「意味(Sinn)」、「力(Kraft)」、「業(Tat)」というふうに。三島由紀夫の『禁色』の第三十三章にも、「ソクラテスは問いかつ答えた。問いによって真理に到達するというのが彼の発明した迂(う)遠(えん)な方法だ。」、「私は問いかつ答えるような対象を選ばなかった。問うことが私の運命だ。」、「それでは何のために問うのか? 精神にとっては、何ものかへ問いかけるほかに己れを証明する方法がないからだ。問わない精神の存立は殆(あやう)くなる」といった文章がある。以上のような言葉は、他者との鬩(せめ)ぎ合いのなかで自己の個性が発現するという、大岡 信の『うたげと孤心』の考え方にも通じるものであり、また、『邪念その他』Gのなかで、 「「他人」だけがわれわれから引き出してくれるものがある。われわれが「他人」からしか引き出さないものがある。/それぞれ御自分のためにこうしたサービスの対照表を作ってごらんなさい。/たとえば他人は、われわれから、言い返し、ウィット、感情、欲望、羨望、淫欲、思いつき、よき或いは悪しき仕打ちを引き出す。「他人」というものがその行為によって、あるいはただ存在するというだけのことによってそれらを触発しなかったならば、われわれは何と多くのことを抑制しもせず、なし得もせず、おこないもせず、願いさえもしなかったろう!/だがわれわれの方も「他人」から必要なものをほとんど引き出している。パンも引き出すし言語も引き出す。そして、「他人」の目つき、行動、ことば、沈黙の中に映っている、われわれ自身の多くのイメージを引き出す。/鏡はこうした「他人」のうちの一人だ。」(佐々木 明訳)といい、『自叙伝』のなかで、「わたしは自分の友人や知己には実に無限のものを負っているのである。わたしは常に会話から学んできた。十の言葉は十巻の書物に匹敵するのである。」(恒川邦夫訳)と語っているヴァレリーの「その詩人的本性によって──自分が遭遇し、目ざまし、ふとぶつかり、そして気づいた、──しかじかの語、しかじかの語と語の諧和、しかじかの構文上の抑揚、──しかじかの開始等、言語上の幸いな偶有事がその表現の一部を成すような叡智的な想像し得る統一的理論を探す人は、これ亦詩人である。」(『文学』詩とは、佐藤正彰訳)といった考え方にも通じるものであろう。なお、ヴァレリーに『文学』からの引用はすべて佐藤正彰訳であるので、以下、『文学』の翻訳者の名前は省略した。先のヴァレリーの言葉から、カミュの「理解するとは、まずなによりも、統一することである。」や、ボードレールの「想像力、それは分析であり、それは綜合である。」といった言葉が思い出されるが、相手の繰り出してくる言葉を即時に理解し、それに応えて、自分が拵えた言葉をつぎの者に送らなければならない即興的な連詩を、じっさいに体験したことのある筆者には、よく理解できる言葉である。ヴァレリーはまた、「思考には両性がある。己れを孕ませて、己れ自身を懐胎する。」(『文学』文学)といい、「われわれは、誰も明瞭に作ったものでもなければ、作り得たわけでもなかった数多の慣習或いは発明によって捕えられ、支えられ、制せられている。それらの間に「言語」があり、これこそ最も重要なもので、われわれ自身の最も内奥まで、われわれを支配しているものだ。これなくしては、われわれは秘密すらも持つまい、──われわれの秘密を持つまい。即ち、何世紀もの試みと、語と、形式とを以って、知らず知らずのうちにわれわれを作り上げているこの数百万の他人(、、)なくしては、われわれは自分自身と交通することができず、自分の考えるところを自分に提供することができない。」(『文学』詩人一家言)とも述べているが、まことに説得力のある言葉である。アンドレ・マルローの『侮蔑の時代』にも、「個人は集団と対立しながらも、集団から糧を得るものだ。」(三野博司訳、『フランス名句辞典』大修館書店)といった言葉がある。ヴァレリーが語ったことを要約したようなこの言葉が、ことのほか筆者のこころの琴線に触れたため、住まいの近くにある府立資料館に行って、マルローの『侮蔑の時代』を読むことにした。一九九九年の二月四日のことである。雪が激しく降っていた。しかし、いくら探しても、件(くだん)の言葉は見当たらず、ほとほと困り果てていたところ、ふとなにか思いついたかのように、もう一度、『フランス名句辞典』の解説に目を通して見たのである。すると、そこには、「引用句は「序文」から。」とあって、筆者は、あまりに軽率な自分自身に、しばしのあいだ、呆れてしまったのである。いくら探しても見つかるはずがなかったのである。というのも、筆者が手にした、昭和十一年に第一書房から出され、小松 清によって翻訳された『侮蔑の時代』には、「序文」がついてなかったからである。しかし、何度も読み返していて、よかったなと思えることもいくつかあった。まず、扱われている題材が、筆者好みのものであった。翻訳の文体の、それほど硬くもなく、軟らかくもない、ちょうどよい感じのものであった。また、レトリック的にも、新しい発見がいくつもあった。しかし、なによりも、筆者のこころを惹いたのは、その開いたページのところどころに、文字が削除されたために空白になっていたところがあったことである。それは、昨今の一部の小説によく見られる、会話が多いとか、改行が夥しいとかいったことによる空白ではなくて、伏せ字にあたる個所を削除して、その部分をそのまま空けておいたものである。伏せ字の処理が施してある本など、一度も目にしたことがなかったので、筆者には、なにかめずらしいものを発見したような喜びがあったのである。ふと、「大岡 信」特集号である、『國文學』の一九九四年八月号で、大岡 信が引用していた、松浦寿輝の『とぎれとぎれの午睡を が浸しにやってくる』というタイトルの詩が思い出された。これもまた、「至る所で字が飛んでいる」、「普通の叙述からぽこぽこ字を削ってしまった」(大岡 信による解説)ものであったが、この場合は、マルローのものとは違って、検閲という外的な要請によってなされたものではなく、松浦寿輝の個人的な事情、彼個人の内的な欲求によってなされた文字の削除による字(じ)面(づら)のうえでの空白である。検閲という制度には嫌悪を催すが、検閲という制度によって目にした書物には、なにかしら新鮮な喜びと、そのようなものを目にする機会を持つことができて、うれしく思った記憶がある。雪の降る日ではあったが、資料館から帰る筆者の足は、ずいぶんと軽かったことを憶えている。

 ジョイスが、「ぼくたちが出会うのは常にぼくたち自身。」(『ユリシーズ』9・スキュレーとカリュプディス、高松雄一訳)と書いているが、これは、おそらく、パスカルの『パンセ』第一章の断章一四にある、「自然な談話が、ある情念や現象を描くとき、人は自分が聴いていることの真実を自分自身のなかに発見する。それが自分のなかにあったなどとは知らなかった真実をである。その結果、それをわれわれに感じさせてくれる人を愛するようになる。なぜなら、その人は彼自身の持ちものを見せつけたのではなく、われわれのものを見せてくれたのだからである。」か、あるいは、このパスカルの考え方の源泉にあたるものと筆者には思われる、プラトンの『メノン』にある、「こうして、魂は不死なるものであり、すでにいくたびとなく生まれかわってきたものであるから、そして、この世のものたるとハデスの国のものたるを問わず、いっさいのありとあらゆるものを見てきているのであるから、魂がすでに学んでしまっていないようなものは、何ひとつとしてないのである。だから、徳についても、その他いろいろの事柄についても、いやしくも以前にも知っていたところのものである以上、魂がそれらのものを想い起すことができるのは、何も不思議なことではない。」(藤沢令夫訳)といった言葉に由来したものであろう。ヴァレリーもまた、『続集』で、「われわれはわれわれの存在によって内包されうるものしか認識できない。/もっとも思い設けない物事でさえ、われわれの構造によって待ち設けられており、そうでなければならない。」(寺田 透訳)と述べている。しかし、はたして、ほんとうにそれは、もともと「自分自身のなかに」、「自分のなかにあった」「もの」なのであろうか。

 梶井基次郎が、『ある心の風景』に、「視ること、それはもうなにか(、、、)なのだ。自分の魂の一部或は全部がそれに乗り移ることなのだ」と書いている。ヴァレリーもまた、「別の人が一人はいってくることは、独りでいた人を即座に無意識のうちに変えてしまう。」(『刻々』備考、佐藤正彰訳)と述べているが、筆者が思うに、パスカルやプラトンらが、もともと「自分自身のなかに」、「自分のなかにあった」「もの」と考えたのは、それが、じつは、「視た」瞬間、「聴いた」瞬間、「知った」瞬間に、即座に彼ら自身のものになったものであるからと、つまり、その一瞬のうちに彼らによって理解されたものであるかたと思われるのであるが、如何であろうか。

 ヴァレリーが「数々の他のもので自分を養うということほど、独創的なものはないし、自分(、、)であるものはない。しかし、それらを消化する必要がある。ライオンは同化された羊からできている。」(『芸術についての断章』二、吉川逸治訳)、「他人の養分をよく消化しきれなかった者は剽窃者である。つまり彼はそれと再認できる食物を吐き出すのだ。/独創性とは胃の問題。」(『文学』)と書きつけているが、まことに示唆に富む比喩である。たとえば、消化されるものの物性と消化する側の胃の状態によって、消化に要する時間や消化の具合が異なると考えると、物事を理解する速度や理解の度合いといったものが、理解される事柄の難易度や理解する方の能力などによって違ったものになるということが、容易に連想されるであろう。

 そうして、極端な場合、自分が、そして、他人が、まるで別人のように豹変することがあるとしても、そのことを驚かずに受け入れるのである。難しいことかもしれない。しかし、とても大切なことである。だから、いつでも受け入れる準備をしておくのである。「それというのも人間は」「私たちとの関係で変化するとともに、彼ら自身のうちにおいても変化するものであるから」(プルースト『失われた時を求めて』第五篇『囚われの女』)、いわば、「各瞬間ごとに」「無数の」「「私」の一人がそこに」(プルースト『失われた時を求めて』第六篇『消え去ったアルベルチーヌ』)いて、「各瞬間ごとに」「無数の」「彼」「の一人がそこに」いると考えればよいのである。「自己の分裂をあらゆる瞬間に感じるからといって、」(モーリヤック『夜の終り』XI、牛場暁夫訳)、そのことで悩んだりして、自分のことを苦しめなくてもよいのである。「mutando immutabilis. 変化することによりて不変なる。」といった、ラテン語の成句でも思い起こせばいであろう。

 ところで、プルーストが、『失われた時を求めて』の第三篇『ゲルマントの方』で、「天候がちょっと変化しただけでも、世界や私たちは作り直される。」と書いているように、たしかに、「各瞬間ごとに」、「あらゆる瞬間に」、わたしたちは変化しているのだろうけれど、しかし、ヴァレリーが、『詩学講義』の第十講で、「もしわれわれが、感性の瞬間的効果によってたえずひきずりまわされているなら、われわれの思考は無秩序以外の何ものでもなくなるでしょう。」(大岡 信・菅野昭正訳)と述べているように、これはとりわけ、決断や選択をしなければならないときに顕著なのだが、決断を下すために、選択するために、思考をめぐらす時間が、もちろん、事と場合によって、ほんの数瞬のこともあれば、数刻もかかることもあるであろうが、その時間においては、変化の停止状態か、あるいは、ほとんど変化のない状態にある必要があるのである。そうでなければ、ごくごく短い時間に、決定とその決定の打ち消しを繰り返すことになるかもしれないからである。そのようなことになれば、他者との関係において、非常に大きな不利益を被らなければならないことになろう。じっさい、筆者は話をしている最中に、よくころころと意見が変わるため、あるときとうとう、友人のひとりに、「おまえは狂っている。」という、使徒行伝二六・二四にある言葉まで引用されて、筆者が精神病院に行って診てもらうまで、友人としての付き合いを控えさせてもらうと宣告されたのである。それからすぐに、一九九八年三月二十七日に、京大病院の医学部附属病院・精神神経科に行くと、医師に、「あなたの場合は、精神というよりも、性分や性格といったものの問題だと思います。」、「さしあたって、精神には異常は見られません。」と言われて、帰らされたのである。その晩、彼に電話を入れて、病院でのやりとりを伝えると、「精神でなくっても、性格に問題があるってのは、まだひっかかるけど、一応、気狂いじゃないんだ。」などと言われはしたが、また友人として付き合ってもらえることになったのである。そのため、それ以来、筆者は、ひとと話をするときには、自分の意見をほとんど口にしなくなったのである。「おまえは狂っている。」などと、二度と言われたくなかったからである。しかし、その代わりに、よく友人たちから、「なにを考えてるのか、さっぱりわからない。」といったことを言われるようになったのであるが。

「一人で交互に犠牲者になったり体刑執行人になったりするのは、快いことかもしれない。」という言葉が、ボードレールの『赤裸の心』一にある。ジイドもまた、『贋金つかい』の第I部・八に、「自分自身からのがれて、だれか他人になるときほど、強烈な生命感を味わうことはない。」と書いている。筆者が、ヴェルレーヌに対する堀口大學の言葉にどうしても首肯できないというのも、彼が自分の魂を二つに引き裂いていたのが、じつは、より強烈な快感を得るためではなかったか、という疑いを拭い去ることができなかったからである。彼の『懺悔録』第二部・六にある、「私の苦悩は本能的に欲求なのだ。」(高畠正明訳)という一文を目にすると、なおさらそう思われるのである。ヴァレリーが、『邪念その他』Gに、「人は他人に聞いてもらうために胸を叩いて懺悔するのだ。」(佐々木 明訳)と書きつけている。ヨブ記二・一二にも、「声をあげて泣き、めいめい自分の上着を裂き、天に向かって、ちりをうちあげ、自分たちの頭の上にまき散らした。」とある。かつては、悲しみを表わすのに、大声を上げて泣き叫びながら、自分の着ている衣を引き裂いたり、頭に灰を被ったりすることがあったのである。ヴェルレーヌの振る舞いにも、これに似た印象を受けるのだが、彼の場合は、あくまでも演技的なものであるような気がするのである。ここで思い出した詩句がある。ボードレールの『どこへでも此世の外へ』のなかに、「お前は、もはや苦悩の中でしか、楽しみを覚えないまでに鈍麻してしまったのか?」(三好達治訳)といった言葉であるが、まるでヴェルレーヌのために書かれた詩句のように思われたのである。

 つまるところ、自分が一つの固定した人格の持主であると考えることは、錯覚にしか過ぎないということである。したがって、魂が分裂していることに苦しんだり、苦痛を感じたりすることも、認識に至るまでは、仕方のないことであって、それは悲劇的なことではあるが、同時にまた、人間というものが、その悲劇的な事柄を受け入れることが充分に可能な存在であるということも、知っておく必要があるということである。もしかすると、これは悲劇的なことなどではなくて、一つの恩寵、絶対的な恩寵のようなものとして受け取るべきものなのかもしれない。

 ふと、ヘラクレイトスの「たましいの際限は、どこまで行っても、どの途(みち)をたどって行っても、見つかることはないだろう。計ればそんなに深いものなのだ。」(『ヘラクレイトスの言葉』四五、田中美知太郎訳)といった言葉が思い出された。ランボーの「彼は何処にも行きはしまい。」(『飾画』天才、小林秀雄訳)という詩句とともに。はて、さて、なぜであろうか……。

 ビセンテ・ウィドブロの『赤道儀』のなかにある、「ひとつの星に起きた一切のことをだれが語るのだろうか」(内田吉彦訳)という詩句をもじって、この第六連・第一―五行の注解を締め括ろう。

──一つの魂に起こった一切のことを、いったい、だれが語るというのであろうか、と。

第六連・第六行 博友社の独和辞典、「da そら、それ」より。

第六連・第七行 博友社の独和辞典、「sich da! ごらん」より。

第六連・第八行 ヘミングウェイの『エデンの園』第一部・1、「ね、私の彼女になって、」より。

第六連・第九行 ヘミングウェイの『エデンの園』第一部・1、「「キャスリンは君だ」」より。

第六連・第一〇行 ヘミングウェイの『エデンの園』第一部・1、「いいえ、私はピーターであなたが私のキャスリン、きれいなきれいなキャスリン。」より。

第六連・第一一行 オクタビオ・パスの「むかいあう二つのからだ」(『二つのからだ』桑名一博訳)より。

第六連・第一二行 ゲーテの『ファウスト』第二部・第一幕・第五九二二行、「泉は深い奈(な)落(らく)から沸(わ)きあがり、」より。

第六連・第一四―一六行 ゲーテの『ファウスト』第一部・書斎・第一六四二―一六四八行、「もしあなたが私といっしょに、/世の中へ足を踏み入れてみようとお考えなら、/私は即座に、甘(あま)んじて、/あなたのものになりますよ。/あなたのお相手になってみて、/もしお気に入ったら、/しもべにでも、奴隷にでもなりまさあ。」、第一部・書斎・第一六五六―一六五九行、「では、この世ではあなたに仕える義務を負(お)いましょう。/お指図に従って、休む間もなくはたらきましょう。/その代りあの世でお目にかかったら、/おなじ勤めをやっていただくんですな。」より。

第六連・第一七行 ゲーテの『ファウスト』第一部・書斎・第一七三六―一七三七行、「どんな紙きれだっていいんですよ。/ちょっと一たらしの血でご署名(しよめい)をねがいます。」より。

第六連・第一九行 博友社の独和辞典、「unter heutigem Datum 今日の日付で」より。

第六連・第二一行 「私が眼の前に見ているものは、一つの痛ましい芝居、身の毛もよだつような芝居だ。」(ニーチェ『アンチクリスト』六、西尾幹二訳)より。

第六連・第二三行 吉田兼好の『徒然草』第九段、「まことに、愛着(あいぢやく)の道、その根ふかく、源(みなもと)とほし。六塵(ろくじん)の楽欲(げうよく)おほしといへども、皆厭(えん)離(り)しつべし。」、第二百四十二段、「楽といふは、このみ愛する事なり。これを求むることやむ時なし。」(西尾 實校注、旧漢字部分を新漢字に改めて引用)より。

第六連・第二四行 ゲーテの『ファウスト』第一部・森林と洞窟・第三三五〇―三三五一行、「例えば岩から岩へと激する滝が、/欲望に荒れ狂いながら深淵に落ち込むようなものだ。」より。

第六連・第二七行 ゲーテの『ファウスト』第一部・街路・第二六五九―二六六二行、「あの可愛い子の身についているものを何か手に入れてくれ。/あの子の休み部屋へつれて行ってくれ。/あれの胸に触れたスカーフでも、靴下留(くつしたどめ)でも、/私の気(き)慰(なぐさ)みのためにとってきてくれ。」より。

第六連・第二九行 博友社の独和辞典、「da nimm’s! そらやるよ(物をさし出す際)」より。

第六連・第三〇行 「おお、このかぐわしい息。正義の剣も/つい折れそうになるほど! もう一度。そら、もう一度。/死んでからもこのとおりであってくれ。さすればお前を殺した後も/お前を愛しつづけていられる。もう一度。これが最後の口づけだ。/これほどにも美しく、これほどにも恐ろしい女はかつてなかった。/泣かずにいられようか。だがこれは残酷な涙だ。この/悲しみは天の悲しみ。天は愛する者をこそ撃つ。」(シェイクスピア『オセロー』第五幕・第二場、安西徹雄訳、P・ミルワード『シェイクスピア劇の名台詞』講談社学術文庫)より。

第六連・第三一行 「おののきがわたしを襲った。」(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第二部・教養の国)より。

第六連・第三三行 ゲーテの『ファウスト』第一部・寺院・第三七九四行、「ああ、苦しい、苦しい。」、第一部・夜・第四七七行、「心臓が掻きむしられるようだ。」より。

第六連・第三四行 ゲーテの『ファウスト』第二部・第五幕・第一一五八六行、「おれはいま最高の瞬間を味わうのだ。」より。

第七連・第一行 ゲーテの『ファウスト』第二部・第五幕・第一一五八六行の後に挿入されたト書き、「(ファウスト、うしろに倒れる。死霊たちが彼を抱きとめて、地面に横たえる)」より。

第七連・第二行 ゲーテの『ファウスト』第二部・第五幕・第一一五九四行、「針が落ちた。事は終った。」より。

第七連・第四行 ゲーテの『ファウスト』第二部・第五幕・第一一六八五行、「調子はずれの音が聞えるぞ、胸糞(むなくそ)の悪い響きだ。」より。

第七連・第七行 ゲーテの『ファウスト』第二部・第五幕・第一一六一四―一一六一五行、「ところが困ったことに、近頃では魂を/悪魔から横取りする手段がいろいろできている。」より。

第七連・第八行 「ワーグナーの遺体は私のものだ。」(ジャン・デ・カール『狂王ルードヴィヒ』鳩と鷲、三保 元訳)より。

第七連・第九行 ゲーテの『ファウスト』第二部・第五幕・第一一六一三行、「早速こいつに血で署名した書付を見せてやろう。」より。

第七連・第一四行 博友社の独和辞典、「die Kleinen 子供たち」より




(自 一九九八年六月十日  至 一九九九年三月二十日 加筆修正 二〇一〇年十二月七日―同年同月二十五日)


図書館の掟。

  田中宏輔






     人柱法(抜粋)

     公共施設は、百人収容単位につき一人の人柱を必要とする。
     千人を超える公共施設に関しては、二百人収容単位につき一人の人柱を必要とする。
     人柱には死刑囚をあてること。
     准公共施設については無脳化した手術用クローンをあてること。
     人数に関しては公共施設の場合を適用する。
     一般家屋ではホムンクルス一体でよい。





濡れた手で触れてはいけない
かわいた唇で愛撫するのはよい
かわいた唇で接吻するのはよい
しかし
けっして歯を立ててはいけない
噛んではいけない
乾いた指が奥所をまさぐり
これをいたぶるのはよしとする
死者たちは繊細なので
死者たちの悪口を言ってはいけない
死者たちはつねに耳をそばだてている
死者と生者とのあいだの接触は
一度にひとりずつが決まりである
死者のコピーは司書にあらかじめ申し出ておくこと
死者がたずねられて困ることはたずねてはいけない
死者の安らぎはこれを最優先に遵守する
生者と生者との逢引はこれを禁ずる
死者は生者よりも嫉妬深く傷つきやすいため
隣人が死者の場合
隣人のひざの上に腰掛けないこと
図書館のなかで
生者が死者に変容するとき
死亡確認は司書にまかせること
死者は階級別に並べられている
第一階級は偉大な学者や芸術家たちからなる
第二階級は大貴族からなる
第三階級はその他の特権階級の者たち
大商人や高級官吏たち
第四階級は中流階級の者たち
第五階級は下層階級の者たち
太陽は入れないこと
二度とふたたび死者が受粉できなくなるため
溺れたものを目にした者は
ただちにその場を立ち去ること
死者の身体を乾かしてから
書架に並べ終わるまで
死者の貸し出しは二週間
二週間を過ぎると復活する
復活は死者の記憶を減ずる
貸し出しカードは
死者そのものであるため
取り扱いに注意すること
死者の身体の一部および全体を損なった場合
借り出した本人を死者として供する
常識的な範囲で死者をいたぶることは許されている
常識的な範囲でいたぶられることは
死者たちの幸福の一部である
リクエストは常時受け付けている
あなたの求める死者の名前を
リクエストカードに記入すれば
その死者が死んだばかりで埋葬がまだの場合
三日以内に納入されることになる
ただしリクエストされた名前が生者のものである場合
当図書館に納入されるまで
およそ一ヶ月から半年の期間を要するので
お急ぎの場合は
リクエストされた利用者の手で搬入していただくこととする
書架の死者たちの手首にはナンバーが打たれている
手首のナンバーを取り替えることはこれを禁ずる
この規約を破るものは貸し出しカードの一枚に加えることとする


     *


ガチャリという手錠の音が部屋のなかに響いた
死者を坐らせるときには気をつけなければならなかったのだが
ついぼんやりとしてしまっていた
死者は19世紀末の北アイルランド出身の若くて美しい女性で
うすくひらいた紫色の唇が言葉にできないくらいに艶めかしかったのだ
ぼくは彼女の両の手を自分の両の手で包み
彼女の唇に自分の唇を触れさせた
興奮して噛んだりしないように注意して
ぼくはぼくの上下の唇の先で
彼女の下唇をはさんだ
冷たい唇がゆっくりひらいていった
ぼくは彼女の唇に耳をくっつけて
彼女の声をきいた
死者の声はどうしてこんなに魅力的なのだろうか
声をひそめて語る彼女の言葉を聞いていると
まるで愛撫されているかのようだった
彼女の息がぼくの耳をくすぐる
過去が死者によって語られる
どうして死者の語る過去は
生者の語る現在よりも生き生きとしているのだろうか
彼女は彼女の死の間際に何が起こったのか教えてくれた
どうして理不尽な死が彼女を襲ったのか
静かにゆっくりと語ってくれた
死者の息は冷たい
冷たい息がぼくの耳にかかる
目を閉じて彼女の声を聞いていた
視線を感じて目を開けると
手前の書架と書架の間から
美しい女性の死者の視線を感じた
一度に一人ずつ
というのが図書館の掟だった
ぼくはアイルランド人の貴族の娘を立ち上がらせると
彼女を元の書架に連れいき
手錠をはめて
さきほど目にした女性の死者のところに足を運んだ
彼女の姿はなかった
この図書館にはたくさんの書架があり
見間違うこともあるのだけれど
さきほど目にした女性がいた本棚のところには
びっしりと死者たちが立ち並んでいた
20世紀後半の東南アジア人の死者たちだった
第一階級の死者たちの棚だった
それらの老若男女の死者たちのなかには彼女はいなかった
額の番号を見ても抜けている番号はなかった
見間違いだったのだろうか
その死者は東南アジア系の肌の浅黒い
ちょっぴり丸顔の若い女性だった
後ろにひとのいる気配がしたので振り返った
彼女だった
彼女は死者ではなかったのだ
ぼくの目がみた彼女の瞳は死者のそれではなく
生者のそれだったのだ
ぼくは視力がそれほどよくなかったので見間違えたのだった
ぼくは彼女に一目ぼれした
彼女もそうだった
ふたりは互いに一目ぼれしたのだった
図書館では生者同士の会話が禁じられている
死者たちに嫉妬心を呼び起こすからだというのだが
わずかにひらいたカーテンの隙間から
月の光が射し込んでいた
死者たちの魂を引き剥がす太陽光線をさけるために
その用心のために図書館は夜にしか開いていないのだ
ぼくたちは周りの人間たちや死者たちには
わからないように目で合図して図書館から出て行こうとした
するとこの部屋を監視している図書館員にでも気づかれたのだろうか
ぼくたちの後ろから
ハンドガンを携帯した二人の図書警備員が追いかけてきた
ぼくたちはいくつもの書架と書架の間を抜けて走った
迷路のような部屋のなかを彼らの追跡を振り切るために


     *


だれも借りていないはずなのに
いるはずの場所にはだれもいなかった
しかし垂れ下がった鎖が
そこに彼女がいたことを告げていた
そこには20世紀半ばころに亡くなった
アメリカの女流画家がいるはずだった
図書館には頻繁に足を運んでいるのだが
いつもだれかが彼女を借り出していた
きょう来てみて
だれも借り出してはいないことを知って
よろこんでこの書架の前に来たのに
彼女の姿はなかった
写真で見た彼女は美しかった
60代に入ったばかりのころの彼女の写真だった
きょうこそは彼女の話が聞くことができると思ったのに
司書に訊いても彼女の死体がどこにあるのかわからなかった
だれかが無断で連れ出したのだろうか
無断で死者を連れ出したりすると
どんな罰則が科せられるのか
知らない者はいないはずだけど
ぼくはまだ見ぬ彼女に会いたくて
なんとか探し出せないものかと
書架と書架の間を長い時間さ迷った


     *


死者の身体から
婦人警官が身を離した
生者との接吻で死者は目覚めるのだ
図書館警察管区の一室である
刑事は容疑者の女の前に死者を坐らせた
「死者は嘘をつけないとおっしゃるのね」
「そのとおりです」
刑事は死者の後ろに立って死者の肩に片手をのせて答えた
「死者はそのときに信じたことを事実としてしゃべるだけなのですよ」
「それまたしかりです」
「では彼が述べたことは彼が事実だと思ったことを述べただけじゃないですか」
「おっしゃるとおりです」
「彼が信じたがっていたことと嘘とはどう違うの」
「あなたは死者に感情がないとお思いですか」
刑事の横にいた女が口を開いた
「この女は何者なの」
「死者のひとりです」
容疑者の女は目を瞠った
「自分のほうから口を開いてしゃべる死者なんているの」
「きわめてめずらしいことでしょうね」
刑事は容疑者の女の目をじっと見つめた
「死者に感情なんてあるはずがないわ」
「あるのですよ」
「それと死者が嘘をつくつかないといったこととどういう関係があるの」
「死者にもプライドがあり故意に嘘をつくことができないのです」
「どうどうめぐりだわ」
刑事が口を挟んだ
「わたしたちはあなたが直接彼を殺したとは考えていません」
「当然だわ」
容疑者の女は死者の首を見た
死者の首は異様にねじまがっていた
首を吊った痕がなまなましかった
「しかし故意に他者を自殺に追い込むことは刑罰の対象になるのですよ」
「証拠はあるの」
「死者の証言しかありません」
「起訴は無理ね」
「あなたは法律が変わったことをご存じないようですな」
容疑者の女の表情が一変した
「知らないわ」
「死者の証言は容疑者の自白に勝るというものです」
「そんな・・・」
「わたしたちのような死者が出現して
 より詳しく死者について知られるようになったからよ」
死んだ女が静かに言った
そばにいた婦人警官が容疑者の前に坐っている死者の耳元にささやいた
死者の口から細い消え入りそうな声が漏れる
死者の言葉に容疑者の女は蒼白になり気を失った


     *


老女の死体はバレーを踊る
月の光のもとで
老女の死体はバレーを踊る
月の光のもとで
無声映画時代の映画のように
ぎこちない動きだけれど
老女の死体はバレーを踊る
老人の死者たちは
近い過去よりも
遠い過去について
好んで思い出す
老女は幼い頃に習った
バレーを踊っていた
月の光が
老女の白い肌に反射する
老女の影が地面を動く
老女の足が地面をこする
だれにも見つからない場所で
老女の死体はバレーを踊る
老女は画家になるよりも
ほんとうはバレリーナになりたかったのだ
人間はほんとうになりたいものにはならないものなのだ
老女の死体はバレーを踊る
月の光のもとで
老女の死体はバレーを踊る
月の光のもとで
無声映画時代の映画のように
ぎこちない動きだけれど
老女の死体はバレーを踊る
だれにも見つからない場所で
ひとりの司書が連れ出していたのだ


     *


「それでどちらのウィルスなのですか」
「記憶転写型です」
記憶転写型のウィルスに感染した死者は
その記憶がある一人の死者としだいに似てきて
最終的にはまったく同じ記憶を持つことになるのだった
「記憶欠損型よりも感染力が強くて
 性質が悪いものでしたね」
司書の表情が一段と暗くなった
「もう十年以上も前の話ですが
 東端の都市の中央図書館が
 記憶転写型のウィルスにやられて
 瞬く間に滅びました」
「そうでしたね
 わたしたちの文明は
 死者を中心に発展したもので
 その死者がわれわれを教え導いてきたのですからね
 死者たちが語る言葉に混乱や間違いがあれば
 わたしたちの都市も
 わたしたち自体も生き残ることができませんからね」
「それでどれぐらいの死者たちがウィルスに感染していましたか」
「10名です」
図書館警察の刑事がその死者たちの写真を
テーブルの上に並べていった
「そうですか
 それはよかった
 まだ初期段階でしたね
 ウィルス保菌者の生者を特定するのは難しくないでしょう
 さっそく記録に当たりましょう」
司書はテーブルの上に並べられた写真から目を上げて言った
「それはすでに手配済みです
 しかし特定された人物が存在しないのですよ」
刑事は司書にファイルを手渡した
「記録に間違いがあったとでもおっしゃるのですか」
ファイルを持った司書の手に力が入った
「いえいえそうではありません
 記録は存在するのですが
 その記録にあった人物は生きてはいないのです
 5年ばかり前に死んでいました
 遺体は火葬されていました」
司書は目を瞠った
「それでは
 死者の言葉を耳にした生者はいったいだれなんでしょう」
刑事は声を落として言った
「死者解放運動の者たちの仕業か
 他の都市の謀略か
 そのどちらかでしょう」
司書は表情を失った
「被害が小さなうちに見つかってよかった」
刑事が立ち上がって部屋から出て行った
司書は両の手で頭を抱えてテーブルの上を見つめた
テーブルの上には刑事の置いていったファイルがあった
司書にはファイルをすぐに開ける勇気がなかった


     *


「おぼえているかしらあなたも
 わたしたちがまだ学生で若かったころ
 この図書館でお互いに一目で恋に堕ちて
 図書館警備の者たちに追われて
 逃げ回った日のことを」
「おぼえているとも
 きみといっしょに
 この迷宮のような図書館のなかを
 二人して書架と書架のあいだを走り抜け
 警備の者たちを振りほどこうとして
 逃げ回った日のことを」
「そのあとわたしたちがどうなったか
 おぼえてらっしゃるかしら」
「おぼえているとも
 ぼくの父が政庁の高級役人だったので
 二人ともお咎めなしだったじゃないか
 どんな罰が下されるか
 二人してあんなにビクビクしていたのに」
「それからわたしたちは
 二度とふたたび
 二人いっしょに
 図書館に訪れることはなかったわね」
「そうだった
 訪れる必要があるときは
 かならず別々の日にしていたね」
「子どもたちのことはおぼえてらっしゃるかしら」
「ぼくたち二人の子どものことだね
 どうしてそんな聞き方をするんだい
 デイヴィッドとキャサリンがどうかしたのかい」
「いえ」
「デイヴィッドはぼくに
 キャサリンはきみに似ていたけれど
 二人を並べるとやっぱり双子で
 瓜二つそっくり同じ顔をしていたね」
「わたしたちの子どもたち
 ただふたりきりの兄妹だった
 でも車の事故で二人とも死んでしまったわ
 わたしもそのときに死にかけたのだけれど」
女の目から涙が落ちた
女はしばらくのあいだむせび泣いていた
死者の視線は女の目に注がれたままだった
「ごめんなさい
 あなたに聞かせても
 あなたはあなたが死んでからの出来事は
 何一つ覚えていられないのに」
死者は新しい知識を長時間記憶できないのだった
女は立ち上がって部屋を出た
部屋の外には死者を目覚めさせ
眠らせることのできる死者の女がいた
この死者は自分の方からしゃべることができ
またウィルスに感染しないのだった
その死者の女は生者の女と入れ替わりに部屋に入った
生者の女は隣の部屋に入った
「たしかにわたしの夫の記憶が転写されています
 赤の他人が夫の記憶を持っているなんて耐えられないわ」
係官はうなずきながら
記憶転写ウィルスがどれだけ正確に記憶を転写させているか
チェック項目にしるしをつけていった


     *


オリジナルの死者を含めて
ウィルスに感染した10人の死者が火葬にふされた
つぎつぎと灰と煙と骨にされていく死者たち
眠りのさなかに燃え上がる10人の死者たち
死者たちは痛みを感じない苦痛を感じない
同じ記憶をもった10人の死者たち
つぎつぎと灰と煙と骨になっていく
同じ記憶を持った10人の死者たち


     *


夫の記憶を
ほんとうの夫の記憶を
白紙状態の死者にコピーするというのだけれど
赤の他人が夫の記憶を持っていることには違いはない
もう二度と夫のもとには訪れないわ
いえそれはもう夫ではないのだから
そんな言い方もおかしいわ
夫ではないんですもの
いえいえ違うわ
記憶は夫のものよ
わたしにはあのひとの記憶が必要だわ
わたしにはあのひとの言葉が必要だわ
二人のあいだの思い出を語り合うことが
わたしの慰め
わたしの唯一の慰めですもの
あのひとの顔ではないけれど
あのひとの記憶を持った男のところに
夫の思い出を語る赤の他人のところに
きっとわたしはやってくるでしょう
すぐにとは言わないまでも
遠くない日
いつの日にか
ふたたび
また


     *


「かけたまえ」
男は図書館長の視線から目を離さずに腰掛けた
「カタログは、そのなかかね」
男は持ってきた鞄を図書館長の目の前に置いて開けた
二つ折りのカタログを手に持って
男は唇の端を上げて、図書館長に思わし気な視線を投げかけた
「そのカタログにある死者が、どうして、わたしの興味を強く惹くと考えたのかね」
「電話でもお話ししたと思いますが、それはあなた自身が詩人だからです
 しかも、この詩人の死者の研究家だからですよ」
「わたしの研究分野は、きみが思っているほど狭いものではないのだよ
 それはいったい、だれなんだね。その死者の詩人は」
「あなたは、かねがね、死者による詩の朗読会を催したいと
 いろいろなところで発表なさっていますね
 この死者の詩人は、生前に、あなたのおっしゃったようなことを
 していたのですよ」
図書館長は深く腰掛けていた椅子から身を乗り出すようにして
上体を前に傾けた
「いったい、それは、だれだね」
図書館長の頭のなかに何人かの詩人の顔が浮かんだ
男はエゴン・シーレの絵を見上げた
「あなたの後ろにあるシーレの絵を
 この詩人も生前は大好きだったようですね」
図書館長にはすでにその死者がだれであるのか察しがついていたが
男の態度に怒りを覚えて眉間に皺を寄せた
「もったいぶらないで、はやく教えたまえ
 いまきみを図書警備の者に言って出て行かせることも出来るのだぞ
 あるいは、きみを直接、図書館警察の身に引き渡すこともできるのだ
 死者はオークションに出品しなければならない
 その法律を破った者に、どんな罪が科せられるか知っているだろう」
「いや、あなたは、そんなことはしませんよ
 ぜったいにできませんよ
 このカタログをごらんになればね」
男は図書館長の前にカタログをもって拡げた
図書館長はため息をついた
「これは、わたしが研究している日本の21世紀の詩人じゃないか
 生前に、引用のみからなるポリフォニックな詩を書いていた詩人で
 そうだ
 わたしもこの詩人のように考えたことがあったぞ
 すぐれた詩人たちによる
 すぐれた作家たちによる朗読大合唱なのだ
 大共同制作なのだ
 シェイクスピアが生きていたら
 いや死んでいてもいいのだ
 死者として図書館にいてくれたら
 さまざまなすぐれた詩人や作家が死者として図書館にいてくれたら
 彼ら・彼女らに、どれだけの美しい詩を聞かせてもらえるか
 また組曲のようにして
 合唱のようにして
 彼ら・彼女らの朗読コンサートができるのに
 ああ、シェイクスピアが
 エリオットが
 マラルメが
 ポオが
 図書館のできたときに死者であったならばよかったのに」
図書館長は興奮して一気にしゃべった
男はカタログを閉じた
図書館長は目をすえて、男の目を見た。
「さて、どうなさいますか」
男は、いかにも小ずるそうな表情をして図書館長の顔を見た
図書館長は机の引き出しから小切手帳を取り出した


     *


男は図書館長から小切手を受け取った
死者たちによる合唱だって
死者たちの共同制作だって
たとえすぐれた詩人であろうと
すぐれた作家であろうと
ただ死者たちが持つ記憶を
あの愚かな図書館長がコラージュするだけではないか
それが過去の詩人たちによる
過去の作家たちによる
合唱とか共同制作とかと呼べるようなものになるのか
あの愚かな図書館長のこころのなかでは
そうなのだろう
すぐれた詩人や
すぐれた小説家たちが円陣になって
大傑作を創作している
そんな妄想を
あの愚かな図書館長は
あの頭のなかに描いているのだろう
そしておれの財布のなかには
あの愚かな図書館長の妄想によって
大金が転がり込んできたのだ
歩合はそう悪くない
おれの儲けもけっして小さくはない
なにしろおれの命がかかっているのだからな


     *


図書館長は椅子の背にもたれて
男が去っていくときの表情を思い出していた
他人を小ばかにしたようなあの笑みを
無理解というものが
どれだけ芸術家にとって大切なものか
共感されること以上に
バカにされたり
無視されたりすることが
芸術にとって
どれだけ大切なことなのか
あの男は知らない
そう思って
図書館長はほくそ笑んだ
偶然が生み出す芸術のすばらしさを
いったいどれだけの芸術家がほんとうに知っているのだろうか
他のすぐれた詩人や作家たちが口にする
体験の記憶や作品のフレーズの豊かさを
そしてまた
芸術家ではないが
自己の体験をよく観察し
そこから人生について意義ある事柄を知り
それから語られるべきことを語ることのできる人々の言葉が
どれだけ豊かであるのかということを
そういった死者たちを
図書館がどれだけ抱えているのかを
そういった人々や詩人や作家たちによって
つぎつぎと繰り出される言葉たち
それらが編み出す一篇の巨大なタペストリーが
どれだけ美しいものになることか
それを知らないのだ
わたし以外の者たちは
図書館長は大きくため息をついて
よりいっそう目を細めて笑った
そのタペストリーは随所にきらめきを発することだろう
もちろん
ところどころにある沈み込みは仕方がないであろう
意味もなさず
映像喚起力もないところは随所にあるであろう
しかし
ディラン・トマスのすぐれた詩のように
きっとすごいフレーズが顔を覗かせてくれるだろう
図書館長は机の引き出しから二冊のファイルを取り出した
上のものには
これまでに図書館に収められた
すぐれた詩人や作家たちの写真がファイルされていた
下のものには
図書館長が選んでいた
さまざまな階級や職業の死者たちの写真が並んでいた
貼り付けられた写真の下には
図書館長の細かい字が
びっしりと書き込まれていた


     *


図書館長は自分が翻訳した詩人のメモの訳文に目を通した

 シェイクスピアの自我は彼の作品に残っている
 その影響は後世の人間の自我の形成に寄与している
 とりわけ詩人や作家や批評家に
 
 たくさんの詩人たちのなかに
 たくさんの作家たちのなかに
 それぞれのシェイクスピアがいる
 シェイクスピアの自我がさまざまな姿をもって
 おびただしい数の人間のなかに収まっているのだ
 その表現者の一部となった
 たくさんのシェイクスピアがいるのだ

この詩人の自我もわたしの一部となっているということだ
わたしの思考傾向をつかさどる自我の一部となっているのだ

図書館長は
番号のついたメモの写しをファイルにしまった


     *


図書館長は
詩人のメモのコピーを眺めていた

 作者が作品と同じ深さをもっているとはけっして言えない
 作者が作品と同じ高さをもっているとはけっして言えない
 作者が作品と同じ広さをもっているとはけっして言えない

図書館長は
コピーのページをめくっていった

 作品には未来がある
 解釈はつねに変化するのだ

図書館長は
またべつのメモのコピーに手をとめた

 読み手は作者を想像する
 作者は読み手を創造する

 これを逆にすると
 ただ陳腐なだけだが
 真実はどちらにあるのだろうか
 どちらにもあるのだろうか
 どちらにもないのだろうか

 読み手は作者を創造する
 作者は読み手を想像する

 もしかすると
 こうかもしれない

 読み手は作者を創造する
 作者も読み手を創造する

 しかし
 つぎのような可能性は
 考えるだけでもむなしくなるものだ

 読み手は作者を想像する
 作者も読み手を想像する

図書館長は
このメモのコピーの上で
左の肘をついて
手のひらにあごをのせた
手のひらに
今朝剃り忘れたひげがあたって
ジリリと小さな音を立てた
もう何度も目を通しているコピーであったが
図書館長の
右手の人差し指が
このメモの言葉の下を
ゆっくりとなぞっていった 


     *


図書館長の目が
詩人のメモの上を走る

 現代人は
 現代人であるがゆえに
 個人としてのアイデンティティーが希薄だ
 パソコンメール
 携帯電話
 携帯メール
 人格の浸透が常に行なわれているのだ
 子どもたちの人格の浸透度を考えると
 現代こそ
 一九八四年の世界であるということがわかる
 と考えたこともあるが
 いったい人間が
 まったき個であったことなどあったのだろうか
 どの時代に?
 なかったろう
 つねに
 わたしとは、わたしたちなのだ
 わたしとは、わたしたちなのだった

図書館長は、詩人のメモのコピーをファイルにしまうと
帰り支度をはじめた


     *


図書館長は、連日
詩人の原稿に目を通していた

 書かない人間のほうがよく知っている
 並みの書き手はあまり知らず
 優れた書き手はほとんど知らず
 最良の書き手はまったく知らない
 だから書くことができるのだ
 書かない人間は愛することができる
 愛することについて書く人間は
 真に愛したこともなければ
 真に愛されたこともないのだ
 作家とは恥ずかしい輩だ
 詩人とは恥ずかしい連中だ
 知らないことを書いているのだから

図書館長の口からため息がもれた


     *


目を開くことはできないが感じることはできる
死者たちは感じることができるのだ
手錠につながれた死者たちは感じていた
生者たちが書架と書架のあいだで
睦言をささやいているのを
恋人たちが互いを思いやり
いたわり合って言葉を紡ぎ出しているのを
死者たちは感じるのだ
嫉妬を
死者たちは
もはや特定の個人を愛するということができないので
それができる生者たちに嫉妬を覚えるのだ
生者たちの愛を目の当たりに感じること
それが唯一
死者たちのこころを乱すものなのだ
死者たちにこころがあったとしての話だが
というか
こころと呼んでいいものが死者にもあるとしての話なのだが

死者たちの心理学はまだ解析されはじめたばかりであったが
生きている者と同様に自らの意志で目を開くことのできる死者が出現して以来
それらの死者たちについての分析が急速に進展していることは事実であった
ただそれが
自らの意思では目を開くことのできない死者にも適応できるものなのかどうかは
異論が続出しているのが実態である

生者たちの睦言
そんなものでさえ
死者たちにとっては
致命的なものなのだ

それが
やがて死者たちが
自分の記憶を語ることができないようになる要因のひとつであった

生者と生者との逢引はこれを禁ずる

これは大事な図書館の掟のひとつであった

死者たちは動揺していた
恋人たちの睦言に

大いなる嫉妬の嵐が
死者たちの胸のなかを吹き荒れていた

図書館の天蓋の窓ガラスから落ちる月の光が冴え冴えと
目をつむって眠ったように死んでいる
死者たちの白い死衣にくるまれた身体を照らし出していた


     *


両手が鎌になっている死者が
リングの中央で切りつけ合っている
それを10人ばかりの生者たちが見守っている
生者たちは自分の賭けているほうの死者の名前を
口々に叫んで応援している
一人の死者が相手の死者に肘を切りつけられて
片腕を落とした
切断された肘から
白濁した銀色の体液が滴り落ちる
片腕の死者がよろけたところで
相手の死者が両手の鎌を交差させて
死者の首を挟んで鋏のようにして切断した
首が落ちて
首のない身体がくず折れる
一瞬
静寂が訪れる
その沈黙のベールを破って
扉が開けられた
「動かないで
 あなたたちを逮捕します」
最初に部屋になだれ込んだ刑事が言った
だれも動かなかった
「全員
 死は免れないでしょう
 もちろん
 あなたたちには
 死者になる権利は剥奪されるでしょう
 死と同時に火葬に付されるでしょう」
警察官の手によって
死者のゲームを主催していた者や観客たちが
つぎつぎと手錠につながれていった


     *


「それではつぎに弁護側の死者に証言させてください」

法廷には
弁護側の死者と
検察側の死者が出廷していた

死者は虚偽を口にすることはないので
裁判で証言者として認められることになったのである

証言台のところで
女性の死者に
生者の弁護士助手が近づいて
耳元にささやいた

女性の死者の口から
ぽつぽつと言葉がもれていく
マイクがその声をすべて拾っていった


数式の庭。

  田中宏輔




庭に数式の花が咲いていた。
よく見かける簡単なものもあれば、
学生時代にお目にかかったややこしいものもあった。
近づいて、手でもぎると、
数と記号に分解して、
やがてすぐに、手のひらのうえで消えた。
庭を見下ろすと、
数式は、もとの花に戻っていた。


*


数式の花のあいだを
ぼくの目の蜂たちが飛び回る
数式の花にとまり
その蜜を集めて
足に花粉をつけて
飛び回る
やがて
数式の花は受粉し
実を結ぶだろう。
つぎの新たな数式を。


*


ぼくが庭で
数式の花が息ならば
なんと、かすかで
力強い息なのだろう

その息が枯れぬよう
ぼくは、ぼくである庭にこころを砕いた
ぼくは、ぼくである庭に願った
ちょうどよい日ざしと雨が訪れますようにと

でも、訪れたのは
日照りつづきと
草をもなぎ倒す嵐の日々
それでも
数式の花は咲く

なんと、かすかで
力強い息だろう
ぼくは、ぼくである庭に祈る
たとえ、どのような日でもよい
訪れよと


*


庭に出て
背中を伸ばした。
部屋にこもりきりで
ずっと本を読んでいて
疲れていたのだ。

花のひとつに手をのばして
マクローリン展開した。
すると、数式の花は
めまぐるしく姿をかえ
やがて、ぼくの手のなかで
もとの美しい多項式に姿を戻した。

ぼくは
庭の隅に花を放り捨てた。
たちまち、数式の花は
空中で数字と記号にかわって
庭土のうえに散らばって落ちた。


*


しばらくのあいだ
鼻を近づけて
数式の花の香りを楽しんでいると
ふと、気がついた

ぼくが
香りを楽しんでいるのではなくて
数式の花が
ぼくを楽しんでいるのだと


*


数日前につくって
ほっておいた数式が
庭できれいに咲いていた。

その数式の花は
その前につくった、いくつかのものと
まったく同じ数の数字と記号でできていたのだが

花は色と形と香りを変えながら
庭の風景をも変形し
わたしの姿をも変形した。

かぶってもいない帽子を手で押さえ
履いた記憶もない服の裾に目を落とした。
風にブラウスの水色が揺れていた。

その数式の花も
風になぶられ、風をなぶりながら
つぎつぎと色と形と香りを変えていった。


*


いま、わたしの庭には
円周率πの花が咲いている。
虚数単位iの花が咲いている。
ネイピア数eの花が咲いている。
数1の花が咲いている。
数0の花が咲いている。
まだ咲いていないけれど
わたしの目のなかに咲いた
オイラーの公式の花が
いちばんうつくしかった。


*


わたしは蝶だった。
生きているときには蝶であったものだった。
いまはほぼ蝶の死骸というものになっている。
蟻たちが、わたしを数字と記号に分解していく。
まだ分解されずに残った私の複眼に
無数の空と無数の雲と無数の花が映っていた。
わたしを生きている蝶にしていたものは何だったのだろう。
わたしを蝶に生まれてこさせたものは何だったのだろう。
わたしは、花や雲や空と、何が違っていたのだろう。
複眼が外され、徐々に数字と記号に分解されていく。
ひとつひとつに別れていく雲と空と花たち。
もとは同じ数字と記号であったのに。


*


わたしはただの1つの記号にしか過ぎないのだけれど
わたしはときどき他の数や記号といっしょにされて
一度も訪ねたこともない場所で
思いもしたことのない力でもって変形され
はじめて出くわす次元に出現する。
わたしを、それまでのわたしでなかったものにする
その変形の力と、その力の場は
わたしが変形されているあいだにおいては
わたしと一体となっているのだが
しばらくすると
ふっと
力が抜けて
わたしのもとから立ち去るのである。
立ち去られたわたしは
それがなにものであるのか
それがなにであったのかの記憶はないのだけれど
わたしが以前と同じ姿かたちをした記号であっても
けっして以前とは同じ意味内容をもった記号ではないことを
わたしと
わたしに変形を及ぼした、そのものだけが知っている。
そして、わたしに変形を及ぼした、そのものが
ひとつの魂をもつものであって
そのひとつの魂が
他の無数の魂と共有するひとつの場に、わたしを置き
わたしを変形し
わたしを新しく生まれ変わらせたことを
わたしは知っている。
変形のその場とその時において
わたしが、わたしを変形した、そのものとが
一体であったためであると思う。
その存在は、わたしを変形しているときには
わたし以外のなにものでもなく
わたしそのものであったというのに。
それとも、わたしが
わたしこそが
変形するその場とその時そのものであったとでもいうのだろうか。
ひとつの記号にしか過ぎないわたし。
反転しても同じ形をしたわたし。
総和をあらわすギリシア語の最初のアルファベット。
インテグラル。


*


あらゆるものが比である。

指が
いくつかの
大きさの異なる
数式の輪郭をなぞる。

指は
太陽の輪郭をなぞり
庭に咲く
数式の花の輪郭をなぞる。

指がなぞる
いくつもの数式の花たち。

つぎつぎと変形されて
異なる相に出現していく数式の花たち。

異なる相において詳らかになる新たな構造。
姿を変えた数多くの数式の花たち。

数式の花の花びらを引きちぎっては
庭に撒き散らす指の動き。

それは
蝶の飛跡にも似た
目の運び。

目は
しばしば
忘我となって
数そのものとなり
記号そのものとなり
ときには
線分そのものとなり
角そのものとなる。

指は
目となり
鼻となり
耳となり
口となる。

それは
たちまち
指差されたものそのものとなり
見られたものそのものとなり
かがれた香りそのものとなり
聞かれた音そのものとなり
口にされた言葉そのものとなる。

あらゆるものが比である。

指が
いくつかの
大きさの異なる
数式の輪郭をなぞる。

指は
太陽の輪郭をなぞり
庭に咲く
数式の花の輪郭をなぞる。


*


むかしからよく見かける
数式の花も
見慣れたものだが
うつくしい。

新しく見慣れない数式の花が咲いていて
すこし奇妙な感じがするのだが
それはまだ見慣れていないためだろう
十分にうつくしい。

そして
それ自身は
それほどうつくしくはないのだけれど
こんな数式の花も咲いている。

それ自身のうつくしさは
取るに足らないようなものなのだが
それが咲いているために
ほかの数式の花が
ことのほか、うつくしく見えるのだ。

その花の貧しいうつくしさによって
うつくしさの貧しさによって
他の花の豊かなうつくしさに
うつくしさの豊かさに気づかされるのだ。

しかし、そういった花に
貧しいという言葉を与えたのは
間違いだったかもしれない。
ときには、間違いも
またうつくしいものだけれど。

わたしの数式の庭では
すべての花が咲き匂っている。
わたしは、わたしのちっぽけな存在を
その花のなかにおいて、しばらく眺めていた。


*


花もまた、花に見とれている。


*


数式の庭が、わたしを呼吸する。
わたしもまた、数式の庭を呼吸する。
数式の庭が、わたしを吐き出し、わたしを吸い込む。
わたしが、数式の庭を吐き出し、数式の庭を吸い込む。
数式の庭が明滅するたびに、わたしの存在が明滅する。
わたしの存在が明滅するたびに、数式の庭が明滅する。
この数式の庭が存在するので、わたしが存在する。
もしも、この数式の庭が存在しなければ、わたしは存在しない。
わたしが存在するので、この数式の庭が存在する。
もしも、わたしが存在しなければ、この数式の庭は存在しない。


*


数式の花が夢のなかでわたしを見る。
夢がわたしのなかで数式の花を見る。
わたしが数式の花のなかで夢を見る。
数式の花がわたしのなかで夢を見る。
夢が数式の花のなかでわたしを見る。
わたしが夢のなかで数式の花を見る。


*


数式の花が庭のなかでわたしを見る。
庭がわたしのなかで数式の花を見る。
わたしが数式の花のなかで庭を見る。
数式の花がわたしのなかで庭を見る。
庭が数式の花のなかでわたしを見る。
わたしが庭のなかで数式の花を見る。


*


・・・・・・わたし
のなかに咲く数式の花
のなかに咲くわたし
のなかに咲く数式の花
のなかに咲くわたし
のなかに咲く数式の花
のなかに咲くわたし
のなかに咲く数式の花
のなかに咲くわたし
のなかに咲く数式の花
のなかに咲くわたし
のなかに咲く数式の花
のなかに咲くわたし
のなかに咲く数式の花
のなかに咲くわたし
のなかに咲く数式の花
のなかに咲く・・・


*


わたしを変形し
展開していくあなたから
あなたが所有していなかったものが流れてくる。
あなたがあなた自身のなかにあることを知らない
つねにあなたのそとにあり、それと同時に
いつでもあなたのなかに存在することもできるもの
ほかのあらゆるものとつねにつながっており
それと同時にほかのあらゆるものとは別の存在であるもの
つねにほかのものと、その存在の一部を与え合い受け取り合うもの
それがわたしに流れ込んでくることがわかる。
その力は、あなたをも変形し展開し
わたしとあなたを結びつけ
「数式」の意味を変え
「あなた」の意味を変え
「数式でもあり、あなたでもあるもの」をつくりだす。
「数式でもなく、あなたでもないもの」をつくりだす。
わたしを違う相に移し
わたしの構造を変える。
あなたを違う相に移し
あなたの構造を変える。
やがて、流れはとまり
わたしたちの結ぼれはほどけ
わたしは、もとの数式の花に立ち戻り
あなたも、もとのあなたに立ち戻る。
けっして同じ
「数式の花」でもなく
「あなた」でもない
わたしとあなたに。
二度と同じものではない
わたしとあなたに。


*


あなたが忘我となるとき
わたしは歓喜の極みとなる。
わたしもまた、わたしが数式であることを忘れる。
そのとき、あなたは喜びの極致に至る。
忘我とは、我であり、我でないもの。
歓喜の極みとは、もはや歓喜ではない。
喜びの極致とは、もはや喜びではない。
存在そのものなのだ。
わたしとあなたの忘我と歓喜が
存在を存在ならしめるのだ。
そのためにわたしはいる。
そのためにあなたはいる。


*


もはや、あなたのいないわたしはなく
あなたのいないわたしも存在しない。
わたしのいないあなたは、あなたではなく
あなたのいないわたしはわたしではない。
存在が、わたしとあなたをひとつにしているのだ。
それとも、わたしとあなたが存在というものなのだろうか。
数式をいじっていないあなたはあなたではなく
あなたにいじられていないわたしは数式ではないということなのだろう。
やがて、わたしは、わたしを自ら変形し展開するようになり
あなたも、あなた自らを変形し展開していくようになったのだけれども
つねに、わたしの一部はあなたであったし
あなたの一部は、わたしであった。
わたしの変化と、あなたの変化は連動していた。
わたしとあなたは、とても似てきたのだ。
わたしとそっくりなあなたがいる。
あなたとそっくりなわたしがいるのだ。
いつの日か、わたしがあなたであり
あなたがわたしであるようになる日がくるのだろうか。


*


見る見るうちに
いましも、しぼみ
しおれていくところだった。
この数式の花は死んで
ほかの数式の花を咲かせる。
そのためにこそ
この数式の花はある。
だからこそ
この数式の花は
何度も死ななければならない。
他の数式の花を何度も咲かせるために。


*


庭に出て
花たちを眺めていると
花たちの顔が
わたしの隣を見ているような気がしたので
横を見ると
十年ほどもむかしのわたしだろうか。
深刻な表情をして花のほうを見ていた。
その奥にあるわたしの部屋では
高校生ぐらいのわたしだろうか。
受験参考書か問題集と取り組んでいたのだろう。
ノートにせわしくペンを走らせていた。
そのうち、つぎつぎと
さまざまな齢のわたしの姿が
庭を取り囲んでいった。
数も数えられなくなった。
わたしはいつの年のわたしなのかと
ふと思った。
無数のわたしのなかの
ひとりのわたしであるのだろうけれど。
そうか。
数式の庭もまた
さまざまなわたしを眺めていたのだと
わたしは気がついた。
さまざまなときに咲く
さまざまに咲くわたしを。


*


数字や記号が
ばらばらと落ちる。
土は手をのばして
それらの数字や記号を
土のなかに引き入れる。
数字や記号が
じょじょに土のなかに
吸い込まれるようにして
姿を消していく。


*


花びらの一枚一枚が
色あざやかな光の形をしている。
花びらの一枚一枚が
生命の色に輝き彩られている。
数式の花は
光と息を吸収して育つ。
数式の花は
光と息からできている。
光は
わたしたちの目で
息は
わたしたちの生命で
数式の花は
わたしたちの目と生命にあふれている。
だからこそ
ときおり
とりわけ
忘我のときに
数式の花が
わたしたちの目となり
わたしたちの息そのものとなるのだった。


*


その花は
噴水のように
つぎつぎと変形し
展開するのだけれど
同じ形に見えてしまう。
増えつつあり
減りつつあるので
減りつつあり
増えつつあるので
いつまでも同じ数の花を咲かせ
それらはつねに異なる形をとり
それらはつねに異なる色に染まるのに
同じ形と色合いをもっているのだ。
その噴水のように咲く数式の花を
長いあいだ見つめていることがある。
わたしもその花の花弁のように
みずからの内部に落ち
みずからの内部より上昇する。
何度も何度も際限もなく
それを繰り返して生きているような
そんな気がするのだった。


*


その数式の花の花壇では
ブラウン運動のように
数字や記号が動き回っている。
式変形も、
式展開もまったく予測がつかず
無秩序に数字や記号が動き回っている。
そんな印象がするのだった。
法則はどこにあるのだろう?
あるのだろうか?
あるとすれば
それは、花壇のなかに?
それとも、花壇のそとに?


*


その数式の花のことを
「ふたつの花」と呼んでいる。
ひとつなのだが、ふたつだからである。
その花が変形し展開するとき
その花の影も変形し展開するのだが
まったく異なる形に変形し展開するのだ。
影だけ見ていても美しい花なのだが
空に雲がかかり
影のほうの花がすっかり見えなくなると
影ではないほうの花も同時にとまり
式変形もせず式展開もしないのであった。


*


この花が咲いているときには
数式の庭には風が吹かない。
風がきらいなのである。
多くの数式の花と同様に
この花の花粉は、わたしの目が運び
わたしの手が運ぶ。
考えごとでもしていたのだろうか。
間違えて
不等号記号を置くべきところに
等号記号を置いてしまった。
すると
その数式の花は
みるみるうちにしぼんでしまって
ばらばらの数字と記号の塊になってしまったのだった。
しかし
見ていると
その数字と記号のひと塊のものが光り輝き
見事に美しいひとつの数式の実となったのだった。
わたしは自分が間違えて
不等号記号の代わりに等号を置いたのかどうか
振り返って
考え直さなければならなかった。


*


まだらの影になった
庭を見下ろした。
すべての花が枯れ果てて
数と記号が庭じゅうに散らばっていた。
わたしのこころが、いま打ちひしがれているからだろう。
わたしのこころの状態が
この数式の庭に呼応しているのか
あるいは、逆に
わたしのこころの状態に
この数式の庭が呼応しているのか。
そういえば
数多くのこころの日々
この庭にある
さまざまな数式の花が
わたしの目を喜ばせ
わたしのこころを喜ばせてくれたものだった。
わたしは庭に降り立ち
そこらじゅうに散らばった数と記号を手に集めて
じっくりと眺めていた。
雲がさり
庭に陽が射した。
ふと思った。
いま、わたしのこころを痛めている事柄も
いつかは時が過ぎ
わたしのこころの状態が変わるときがくるであろうと。
すると
わたしの手のなかにあった数と記号が
じょじょに薄くなり
やがて消え去ってしまった。
庭を見ると
どの数式の花も
小さなつぼみをつけて
花を咲かそうとしているところだった。
わたしの頬がゆるんだ。
小さなつぼみばかりの数式の花たちが
わたしの目にまぶしく輝いていた。


*


わたしは
新しい目で
それらの花たちを眺めた。

それらの花たちもまた自分たち自身を
新しい目で
見つめ合っていた。


*


さあ
すべての花よ
元に戻りなさい。
そう言うと
すべての数式の花が
つぎつぎと変形し
元の姿に戻っていった。
すっかり元に戻ると
ふたたび最初から
数式の花が変形しはじめた。


*


わたしにとって
この数式の庭は
エデン以上にエデンである。
なぜなら
すべての花が永遠の命であり
すべての花が知恵であるから。


*


友だちが
ひとつの花を指差して
その数式の意味について話してくれた。
わたしとは違った解釈だった。
わたしは友だちの言葉の意味を考えた。
すると
友だちが指差した数式の花が
姿と色を変えて
まったく違ったものになった。
その瞬間
庭のほかの花たちも違ったものになった。
すっかり様子が変わった数式の庭を眺めながら
わたしは
わたしと
わたしの横にいる友だちとのあいだでは
この数式の庭の風景は
きっと異なるものなのであろうなと思った。


*


黒い小さな影が
いくつか、ちらほらと。
花にとまっては
数や記号のあいだに
細長い黒い線をのばす。
数式の花たちのうえを
ちらほらと飛んでは
花弁にとまって
数や記号のあいだに
細長い黒い線をのばす。
やがて
いくつかの
その黒い影は
輪郭を明瞭にし
あざやかな色をもって
蝶の姿形となっていった。
蝶たちもまた
数や記号でできた
この数式の庭の花なのであった。


*


きょうは
目をつむって
庭を眺めようと思った。
目をつむると
目をあけているときには
はっきりと見えなかったものが
見えることがあるのだ。
蝶たちや蜂たちの羽音も
花たちが
永遠の命と
知恵につながる音も
つぎからつぎに変形し
展開していくすばらしい音も
目をつむって見たときのほうが
よく見えるのだった。
目をつむったまま
ふたつの手のひらを合わせ
くぼみをつくると
そこに蝶が姿をあらわす。
手のひらにかすかに翅があたる。
目をつむったまま
手のひらを閉じ
ふたたびくぼみをつくると
そこに蜂が姿をあらわす。
手のひらにかすかに翅があたる。
目をつむったまま
手のひらを閉じ
ふたたびくぼみをつくると
そこにたくさんの数字と記号が姿をあらわす。
手のひらのなかで
数式の花たちが
つぎつぎと変形し
展開していく。
手のひらにかすかに数字や記号が触れる。
いったん手のひらを閉じ
じょじょに手のひらを離していって
そのあいだに
数式の庭を
すっぽりと入れた。
目をつむったまま
わたしは
わたしの庭を
じっくりと眺めた。
手のひらに感じる永遠の命と
知恵。


*


花があるので
花のしたの草や土が見える。
庭があるので
庭のうえの雲や空が見える。
雨が降ると
雨に濡れた草や土が見える。
雨が降ると
雨に濡れた雲や空が見える。


*


わたしが
数式の花をつぶさに観察し、理解すると
花もまた
わたしのことをよく観察し、理解するのだった。


*


花は
花から生まれて
花になるのではなかった。
この数式の庭の一部が
これらの数字や記号が
わたしの目と手でもって
花となって咲くのであった。


*


それほどうつくしいわけでもなく
独特の雰囲気をもったものでもなかった
その数式の花は
わたしの目をとくに魅くものではなかったのだ
その花が
この数式の庭の映像をよりクリアにして
たくさんの数式の花たちの
そのほんとうの形や色に気づかせてくれるまで
わたしにはわからなかったのだった
この数式の花の価値が。
数多くの数式の意味を正しく把握できたのは
この数式の花のおかげだった。
正しく理解するように促し
さらにより深く考えるように示唆する
この数式の花。
もしかすると
この花が
この数式の庭のなかで
もっとも重要なものなのかもしれない。


*


数式を通してしか存在しないものがあり
あなたを通してしか存在しないものがあり
数式とあなたを通してしか存在しないものがある。
数式を通したら存在しないものがあり
あなたを通したら存在しないものがあり
数式かあなたたのうちどちらかを通したら存在しないものがある。


*


わたしは、ときどきわたしを忘れるので
数式の庭を眺めて、わたしを思い出すことにしている。
数式の庭もまた、ときどき自分自身を忘れるので
わたしを眺めて、数式の庭を思い出すことにしている。


*


もしも
数式の庭が
神の吐き出した唾なら
わたしは
その唾の泡
一つにも
値しないかもしれない。


*


いくつかの数を葬って
いくつかの記号を葬って
わたしの足音が遠ざかってゆく。


*


葬られた数式が
しだいに分解していく。
分解された数式は
おびただしい数の数や
記号といったものの亡骸は
わたしそっくりの
亡霊となって
わたしのいない
数式の庭を眺めている。


*


目で見え、目そのものとなるもの
耳に聞こえ、耳そのものとなるもの
手で触れ、指や手の甲そのものとなるもの
舌で味わえ、舌そのものとなるもの
こころに訴え、こころそのものとなるもの
思考を促し、思考そのものとなるもの
そんなものばかりから
世界はできているのではない。
もしも
そういったものだけからできているとしたら
世界は、とても貧しいものであるだろう。
じっさいには
世界は豊かである。
視線とならぬ、光でないものもあり
音域にあらぬ、音でないものもあり
質量や体積を持たぬ、物質でないものもあるのであろう。
こころにならぬものがあり
潜在意識や顕在意識にならぬものがあるのだろう。
かつて、わたしは
わたしの全存在が
時間や
場所や
出来事からなっていると考えていた。
わたしを取り巻く
あらゆるすべての事物・事象が
かつては、わたしの一部となり
いま、わたしの一部であり
これから、わたしの一部となるであろうと考えていた。
あらゆるすべてのものが
わたしとなるであろうと考えていたのであった。
わたしを取り巻く
あらゆるすべての事物・事象と
わたしがつながっていると考えていたのである。
あらゆるすべてのものが
わたしにつながるであろうと考えていたのであった。
しかし、この数式の庭には
かつて
時間でなかったものや
場所でなかったものや
出来事でなかったものもあるのであろう。
あるいは
いま
時間でないものや
場所でないものや
出来事でないものもあるのであろう。
あるいは
これからも、けっして
時間にならぬものや
場所にならぬものや
出来事にならぬものもあるのであろう。
この数式の庭が
いま咲き誇っている
この数式の花たちが
わたしにとって
かくも豊かであるというのも
かつて数式であったものたちや
これから数式になるものたちだけではなく
いま数式でないものたちや
これまで数式にはならなかったものたちや
これからも数式にはならないであろうものたちが
この数式の庭のなかに存在するからであろう。
この数式の庭は
わたしにとって
思考をめぐらす格好のモデルであった。
世界は
わたしとなるものばかりからできているのではなかった。
わたしとつながるものばかりからできているのではなかった。
けっして、わたしにはならぬものからもできており
けっして、わたしとはつながらないものからもできているのであった。
これは
わたしの確信であり
この確信こそが
わたしであると言ってもよい。


*


はたして、ほんとうに
わたしにならないものなどあるのだろうか?
ああ、あるように思う。
わたしのなかにやってはくるけれど
わたしが式を組み立て
変形し展開させるときに力を貸してくれるのだけれど
けっして式そのもののなかに数や記号として入ってくるわけではなくて
わたしのなかにやってきた痕跡さえも残さず
わたしのなかから立ち去ってしまうもの。
いや、それは
つねに、わたしの外にあって
それと同時に
わたしの内部に侵入し
わたしを
それまでのわたしとは異なるわたしにするもの。
これをロゴスと呼んでもよいと
あるいは
神と呼んでよいと
以前のわたしは思っていたのだった。


*


文章において
あるいは
詩において
後者のほうが顕著であろう。
すべての余白が
まったく異なる意味を持っている。
わたしの外からやってきて
わたしの外にあるのと同時に
わたしの内部で
わたしの思考に働きかけるものも
わたしの思考の逐一に従って異なるものなのだろうか。
あるいは
それは
つねに同じものなのだろうか。
同じものでさまざまに異なるものなのだろうか。
ひとつの顔における
さまざまな表情のように。
ひとつの式における
さまざまな変形や展開のように。


*


わたしの外にあって
わたしの内部に入ってくる
それは
けっして、わたしにはならない
わたしになることはない
それは
わたしがいないときにも存在するのだろうか。
わたしがいるからこそ
わたしの外にいるのだとしたら
わたしがいないときにも
この数式の庭のなかに存在することができるのであろうか。
わたしの存在とはまったく関係もなく
それは
存在するものなのだろうか。
数式の庭を眺めながら
つらつらと
そのようなことを考えていたのだが
とつぜん
目のまえで
花たちが
つぎつぎと変形し展開していった。


*


それが存在することを感じ取れないのに
それが存在することを確信したのは
正しかったのだろうか。
正しくなかったかもしれない。
正しくなかったかもしれないが
もはや、正しいか正しくないかは
わたしにはどうでもよいことであった。
ただ
それが、いったいどのような意味を
わたしにもたらせるのか
わたしにとって
それがどのような意味を持つものか
それだけが重要な気がするのであった。
それが存在するのだと
直感的に感じ取っているのだとしたら
その存在は感じ取れるものなのだということになる。
したがって
直感的に感じ取れるものであってはならないのだ。
さいわいなことに
直感的に
それが存在することを感じ取ったのではなかった。
なぜなら
それは
けっして感じ取れるものであってはならないからである。
たとえ直感でも。
直感を
ふつうの感覚と同じように捉えることはできないが
わたしに厳しいわたしは
直感であっても
それを感じ取ってはならないものだと思っている。
においがすることで
あらためて呼吸していることに気がつくことがあるけれど
あらためて空気が存在していることに気づかされることがあるけれど
その存在は、そういったものであってもならないのだ。
絶対的に感じ取れないものの存在の確信を
わたしはしなければならない。
錯誤だろうか。
錯誤であったとして
なんとすばらしい錯誤であろうか。
なんとうつくしい過ちであることだろうか。
それがもたらせる可能性について想像しただけで
胸が張り裂けそうになるほど
うちふるえてしまう。
こうして思いをめぐらせ
それが存在することに思い至ったわたしは
それが存在することを確信するまえにいたわたしとは
まったく違ったわたしがいることに
無上の喜びが込み上げてくるのである。
この胸が張り裂けそうになるほどに
うちふるえてしまうのであった。


*


たとえとして
もしかすると大きく誤っているかもしれないけれど
わたしの外にあって
それと同時に
わたしのなかに侵入してくる
それは
もしかすると
構文のようなものかもしれない。
文法のようなものであろうか。
そう考えたこともあった。
この数式の庭で言えば
定義である。
定理である。
すると
それは、わたしのなかにもあることになる。
わたしのなかにも
という言葉のほうが適しているが
しかし、それではいけないことに気がついた。
より基本的なもの?
定義より?
そうだ。
わたしをわたしたらしめるもの
けっして、わたし自身のなかにはなくて。
他のものもみなすべて
それら自体としてあらしめるもの
けっして、それら自身のなかにはなくて。
けっして、わたしにはならないもの。
けっして、わたしには感じ取れないもの。
けっして、見えないもの。
けっして、感じ取れないもの。
その存在が、けっして感じ取れないもの。
ああ、これが
わたしの新しいアイテムになったようだ。
生まれてはじめて目にした
うつくしい、めずらしい式のように。


*


それは見えるものであってはならない。
人間は見たものになるのだから。
たとえ、こころの一部であっても。
それは感じ取れるものであってはならない。
人間は感じ取ったものになるのだから。
たとえ、こころの一部であっても。
目にも見えず
あらゆる感覚器官で感じ取れもせず
なおかつ
わたしの数式の花の変形や展開に一役を担うもの。
わたしの思考とはならないけれど
わたしの思考を駆動させる一助とはなるもの。
核心ではなくて?
いや
それが核心である可能性も考慮しなければならない。
であっても
それは
存在することを確信することも拒むものとして考えるべきなのか
存在することを確信させてもいけないものなのかどうかと
ふと考えた。


*


目にも見えず
存在を確認することもできない
わたしとはならない
わたしにつながらないもの
そのようなものが存在するとしても
わたしには
それが存在することを確認することはけっしてできない。
わたしを包含する
わたしでないものを想起させなくてはいけないのだが
それは論理的にも不可能である。
しかし
その存在を確信するのと
その存在についての可能性をないものとしてふるまうのは
とてつもなく異なる
まったく違った生き方になるような気がするのだった。


*


こういうことを書くと
なにもわかっていないということを
わかられてしまうような気が
ちらっとしたのだが
たとえば
光が直進するのは
光がみずからそうしているのか
あるいは
なにものかがそうさせているのか。
もちろん
通常空間にあって
なにものもさえぎるものもなく
屈折させるような媒体もない場合の話だが。


*


一夜をおいて
考えていたのだが
欲を出したというのか
さまざまな間違いをしてしまったらしい。
ぼくの外にあって
けっしてぼくとはならないもの
けっしてぼくとはつながらないもの
それはまた
時間ではないもの
場所でもない
出来事でもない
そういったものは
ぼくの数式にも
ぼくの思考にも
いっさいの影響を与えてはならないのだった。
そういったものを
ぼくは存在していると確信しなければならなかったのだ。
きのう、たくさん言葉を書きつけたのだけれど
寝ようと思って
電気を消して
横になっていると
ふと
このように思われたのである。
いまは
確信している。
ぼくの外にあって
けっしてぼくとはならないもの
けっしてぼくとはつながらないもの
それはまた
時間ではないもの
場所でもない
出来事でもない
そういったものがあって
ぼくの数式にも
ぼくの思考にも
いっさいの影響を与えないものがあると。
そういったものが
存在していると。


*


あのような言葉で説明したつもりになっていたが、
いったい、あれで定義と言えるようなものになっていただろうか。
しかし、もし仮に、定義と言えるようなものになっていたとしても、
それが実在するものとは限らない。
ただ、それに相当させたと、わたしが思われる定義を与えただけで
その定義に相当する事物や事象が実在するとは限らず
その定義に相当する概念としてのみ存在する、
いわば
概念的存在物としてのみ存在する可能性もあるということだが
それが
ぼくの与えた定義に相当するものであるならば
それが現実に存在することを証明するのは、永遠に実証不可能である。


*


網を自分が引きながら
海辺で漁網を引く人々の姿を見ることはできない。

火を焚く男に
空に煙がたなびく様子を見ることはできない。

数式の庭のなかにいながら
数式の庭のなかにいるわたしを見ることはできない。

はたして、そうだろうか。

いまはツールがあるから
古典的な哲学が通じなくなりつつある。

数式の庭にいながら
数式の庭にいるわたしを見ることもできる。

数式の庭のなかにいながら
数式の庭のなかにいるわたしを見ているわたしを見ることもできる。

数式の庭と
数式のなかにいるわたしが無限に包含し合う。


*


螺旋を描きながら
星々が吐き出され
星々が吸い込まれる。
庭に咲いた数式の花が
ある夜
螺旋を描きながら宙を舞い
変形し展開していった。
螺旋を描きながら
変形し縮退していった。
星々の配置がめまぐるしく変化するように
数式の数と記号の配置もめまぐるしく変化していった。


*


数式にあいまいなところはひとつもない。
あいまいなのは
わたしの解釈である。
しばしば
数式の花によって
わたしにまとわりついたあいまいさが振り落とされる。
そうして
あたらしい目でもって
わたしの目が数式を見つめると
数式の花が
以前に見えていた姿とは違ったものに見える。
まるで
見覚えのない部屋で目を覚ましたかのような
そんな気がすることもある。


*


星々を天空に並べた手と同じ手が
わたしの数式の庭で
数と記号を並べている。
夜空を輝かせている目と同じ目が
数式の花を咲かせている。
星々を吸い込み
星々を吐き出すものが
数式をこしらえては、こわし
こしらえては、こわしているのだった。


*


目のまえにある数式の庭と
わたしの頭のなかにある数式の庭のあいだに
その中間状態とでも言うのだろうか
いや、そのどちらでもないものなのだから
中間状態ではないのかもしれない
目のまえで変形し展開していく数式の庭でもなく
わたしの頭のなかで繰り広げられるイメージでもない
数式の庭が
無数に存在しているのだろうと思う。
ときおり、その片鱗を
こころの目で垣間見るような気がするけれど
はっきりとこころにとどめておくことはできない。
いったいなぜだろうか。


*


待ちたまえ。
そう、せっかちに変形するのではないよ。
ときには、じっくりと展開していくがいい。
きみの変化する様子そのものを
わたしの目に見せてほしい。
変化していく姿でもなく
変化した姿でもなく
変化そのものを
わたしの目に
じっくりと味わわせておくれ。


*


つづけたまえ
おまえ、不可思議な数式の花よ
この庭に咲く数式の花とは違った花よ
いま、わたしのこころの目に咲くおまえは
わたしのなかにも
この庭のなかにも
おまえがいたような痕跡はなく
また
おまえが現われるような兆候も
いっさいなかった。
めまぐるしく変形し展開していくおまえ
不可思議な数式の花よ
おまえは、いったいどこからやってきたのか。
いや、問うのはあとにしよう。
わたしのいまのすべては
おまえの変形していく姿を追うために費やそう。
ただ、わたしは、こころから願っている。
おまえが、突然、姿を現わしたように
おまえが、突然、ここから立ち去ってしまわないようにと。


*


あらゆる空間が物質系であるが
すなわち
あらゆる空間は、未知・既知を問わず
物質が受けるさまざまな物理的拘束状態にあるということであるが
わたしの数式の庭は
そのような物理的な拘束状態にはない。
数式の庭の限界は
わたしの思考の限界
それのみである。
わたしの自我が
つねに外界とインタラクティヴであることを考慮すれば
それを、わたしの限界と言うのは正確な表現ではないかもしれない。
こう言い換えよう。
数式の庭のなかで起こる
いっさいのことの限界は
世界とわたしの限界である、と。


*


限られた個数の数と記号であるが
無限に組み合わせることができるのだ。
限られた語彙で無限に異なるニュアンスで考えることができるように。
しかし、無限は、すべてではない。
すべての数式の花が
わたしの数式の庭に咲くわけにはいかない。
わたしがけっして知ることのない数式の花の数が
いったい、どれだけあるのか
それすらもわからないのだけれど
きっと、わたしが知ることのできる数は
それよりも、ずっとずっとすくないのだろうと思う。
生きている限り
考えることができる状態である限り
わたしは生きて考え、考えながら生き
この数式の庭に、わたしの目を凝らしているだろう。
そうありたいと、こころから思っている。


*


数や記号をいっさい使わないで
数式の花を咲かせている。
ただ一度だけ
オイラーの公式について書いたときにだけ
数と記号を使ったことがあるだけである。
そういえば
言葉を使わないで
すなわち
思考を意識的に巡らせることなく
ものを眺めているときに
音楽を聴いているときに
いったい精神状態がどのような状況にあるのか
考えたことがないことに
ふと気がついた。


*


わたしは
わたしのこころが
瞬間瞬間に、ころころ変わることを知っているし
そんなにいつも、クリアな視界のなかで
ものを見ているわけではないことも知っている。
なるべく、いつもクリアにものを見ようとしている
認識しようとしているのだけれど
そのクリアにしたつもりのものでもって
よけいに視界が曇る場合があることもあるであろうと
そのような可能性があることも知っている。
ひとと話をしていて
しばしば
自分が迷子になっていくような
そのような思いをすることがあるのは
話のなかに出てきた事物や事象の
そのなかにではなく
その外に
わたしの目を曇らせる
なにかがあるような気がするのだった。
話のなかに出てくる事物や事象の
外側にある、いったい、なにが
わたしの目を曇らせているのであろうかと
わたしが考えを巡らせているうちに
相手は
わたしを置いてけぼりにしていったのだった。
そこでは、ただ
事物や事象にとらわれたわたしが
途方に暮れているのであった.
わたしと相手の息と息のやりとりのなかで。
この数式の庭に、ひとりたたずんで
わたしは、しばしば考えるのであった。
わたしが思いを巡らせた事物や事象が
わたしを置いてけぼりにしたのであろうか
それとも、相手がわたしを置いてけぼりにしたのであろうか
あるいは、わたしが、わたし自身を置いてぼりにしたのであろうか
迷子にしたのだろうか、と。


*


わたしは思うのだった。
わたしたち人間は
互いに了解し合うことは、ほとんどない。
誤解したまま、出合い
誤解したまま、こころを通わせて
誤解したまま、別れるのだと。
わたしは思うのだった。
おまえたち、数式は
けっして互いに誤解することはない。
誤解し合うことはないのだと。
もしかすると
了解し合うことすらないのかもしれないのだけれど。


*


世界と、わたしの限界が
この数式の庭の限界だと、わたしは考えたが
この数式の庭自体が
喩的には
世界であり
わたしであるのだから
これは
同じものを対象にして
同じ概念を適用しようとしているとも言えるものかもしれない。
あくまでも
喩的にではあるが。
しかし
そもそも
世界も
わたしも
この数式の庭というもの自体も
喩的な存在なのだとしたら
いったい、わたしは
なにをよりどころにして
言説すればよいのであろうか。
もしも
あらゆる言葉も
数や
記号も
全的に喩的なものであるというのならば。


*


疲れていたのだろうか。
数式の庭で
花壇を見ていて
ひとつの花に目をとめていたのだが
もっとよく見ようとして
かがんで見ていたのだが
数式の変形と展開がひと段落して
しばらく静止状態になって
おおよそのところ
変形と展開が、し終わったと思えたところで
同じ姿勢だと疲れるので
伸びをしようとして立ち上がると
立ちくらみがして
一瞬
気を失いそうになったのだが
意識的な断絶は感じなかった。
ただ以前にも気を失ったことがあって
そのときにも意識的な断絶は感じなかったので
もしかすると
気を失っていたかもしれないが
そのときには
バスタブから立ち上がったところから
バスルームのドアのところまで
身体が移動していたので
気を失っていたことがわかったのだが
姿勢も
立ち上がりかけたところと
ユニットバスのトイレットの
便器のなかに
片腕を入れてうなだれていたところとでは
ずいぶん違っていたので
その断絶が起こったことが容易に推測されたのだけれど
こんかいの場合は
ほんのわずかのあいだ
目をつむっただけで
すこし背をかがめた感じの
ほとんど同じ姿勢だったことから
意識的な断絶はなかったように思われたのだが
気がつくと
わたしは
数や記号と同じくらいの大きさになっていた。
数や記号のほうが
わたしと同じくらいの大きさになっていたという可能性も
一瞬かすめたのだけれど
目に入る限りの風景からその可能性がきわめて低いことが
瞬時にわかった。
さいしょの1秒未満の時間では
と、わたしは推測するのであるが
わたしは、自分がどこにいるのかわからなかったのであるが
見慣れぬ光景ながらも
とてもよく見知っているような気がして
すぐにそこが
自分がいつも見下ろしている
花壇のひと隅であることに気がついたのである。
幾何の問題を考えているときに
しばしば
自分が、まだ、かき込まれていない
つまり存在しないのだけれど
しっかりとした実在感をもって
あたかも存在するかのごとき印象を持たせる
補助線の
直線や線分になって
わたしが取り組んでいる、当の
その図形のなかに入り込んで
考えていることがあるのだが
つまり
自分自身が
直線になったり
線分になったりして考えているわけであるが
その経験と比較して考えるに
これは
自分が、数式のなかに入り込んでしまったのかと考えたのである。
しかし
わたしは
巨大な数や記号をまえにして
いったい、わたし自身は、数なのか、それとも、記号なのか
にわかには、わからず
しばらくのあいだ、途方に暮れていた。
そういえば
わたしは
自分が図形のなかで直線になって考えているとき
わたし自体の意識はまったくなくなっており
わたしがわたしであるという意識のことであるが
それがまったくなくなっていて
いわゆる、忘我の状態にあって
ふと、われにかえると
経っていたであろうと
後付けの思いだが
感じていた時間の何倍もの時間が経過していたのであるが
いま、この数式の花の傍らにいて
どのような時間の進み方をしているのか
見当もつかなかった。
とりあえず
わたしは
数と記号が組み合わさった
数式の花が咲き乱れる
花壇のなかを
ひとり
へめぐりはじめることにしたのだった。


*


問題を検討しているときに
自分が直線となって考える
直線として考えていたりしているときには
忘我の状態であり
時間がものすごく長いあいだ経っていても
自分のなかでは
あっという間のことであったりするのだが
まあ
時間感覚がまったくといいほど
ほとんどなくなっているというわけだが
これは、たいへんおもしろいことである。
忘我
つまり
わたしという意識がなくなると
時間感覚もなくなってしまうということである。
文章を書いているとき
作品を書いているときにも
ときおり
そういった状態になることがある。
「みんな、きみのことが好きだった。」という詩集の
はじめのほうに収めた20作近くあるものの多くのものが
そういった状態において、つくり出されたものであった。
意識を集中して作品をつくっていると
あっという間に時間が経ってしまっていたのだった。
図形の話に戻ろう。
忘我のときのわたしは
直線として図形のなかで延長したり
角をいくつかに等分割したりしているのだが
いま
数式のなかにいて
自分が
いったいなにか
わからずにいるのだけれど
それは
わたしが文章を書いているときに
意識を集中して作品をつくっているときにおこる現象とよく似ている。
意識を集中し過ぎたのだろうか
意識を集中し過ぎたときに
ある限界を超えると起こるのだろうか
忘我という現象が。
そのときのわたしの働きは
まるで時間そのものであると考えられる。
働きというか
わたし自身が時間になっているのだろうか。
わたしはいるはずなのに
わたしの姿は
わたしの意識は
わたしの存在は
わたしには見えず
わたしには意識されず
ただ対象だけがあり
わたしが意識の対象とするものだけが存在しており
それが言葉のときには
ただ、対象とするその言葉だけがあり
その言葉たちが自動的に結びついていくのを
見守っているだけであったのだが
見守っていたのは
わたしの意識ではなく
時間そのもののような気がしたのである。
幾何で
自分が直線になって考えていると
自分が考えることと関連しているだろうか。
すなわち
じつは
わたしが
自分では直線となって
延長したり角を分割したりしていると考えていたのだけれど
わたしは時間となって
その直線を延長したり分割したりしているのだろうかと。
それとも
時間によって
自分が延長されたり分割されたりしているのだろうかと。
図形が
わたしを直線にすると言い換えてもよいのだが
図形が
わたしを角として分割すると言い換えてもよいのだが
図形というよりも
時間が
というほうが
直感的に正しいような気がする。
時間が
と、いえば
文章を書いているときの
意識を集中させて作品をつくっているときの
あの忘我の状態の
わたしがなにであるのかを
よく言い当てているような気がするのである。
わたしがなにか
どういった状態にあって
どういった働きをするものであるのかを。
意識を集中し過ぎると
あるところで
忘我となること。
そして
わたしが
時間そのものとなるということ。
これは、まったく新しい知見であった。


*


これまで考えていたこととは逆だと思った。
あらためて考えてみよう。
文章を書いているとき
意識を集中させて作品をつくっているときの
忘我の状態にまで至った場合だが
そういうのは
そのほとんどの場合が
メモや引用の詩句や文章を
コラージュしているときに起こったのである。
これまでは
それらの言葉が
自動的に言葉同士
結びついていったように考えていたのだけれど
じつは
それらの言葉は
わたしという時間を通して
あるいは
わたしというものを
いわゆる
糊のようなもの
接着剤のようなもの
セロテープのようなものにしていたのではないだろうかと
そう考えたのである。
それとも
幾何の問題において
時間というものが
わたしを直線にして延長したり
わたしを角にして分割したりしたように
言葉が言葉と結びついているときに
自動的に結びついていると思えるようなときは
時間が
わたしを言葉にしているのだろうか。
言葉と言葉をつなぐものとしてではなく
いわば
無媒介のものとしての言葉
言葉そのものに。
すると
数式の花は
わたしをなににしているのだろう。
わたしをこの数式のなかに閉じ込めて。
数とか記号として?
それとも
数式を変形し展開させるもの
それを作用とか
力と仮に呼ぶとしよう。
わたしをその作用の一画を担うものとして
あるいは
その力の一部として使おうとしているのだろうか。
駆動力か
持続力か
決着力か
そういった類のものだろうか。
あるいは
なにか
可能性といったものか。


*


言葉と、わたしは
磁石と砂鉄のようなものだろうか。
あるいは、逆に、砂鉄と磁石か。
あるいは、また、磁極の異なる磁石の一端同士のようなものか。
だとすれば、磁極によって形成された磁場が
現実に表現された文章というものに相当するだろうか。
文脈は、いわば、磁力線のようなもので
いや、このモデルには欠陥がありすぎる。
磁場に影響されるものには磁性がなければならない。
磁性のないものには磁場は影響しない。
そうだ。
質点として考えてみてはどうか。
言葉同士が
十分に影響を与え合うようなくらいに大きな質量をもった
質点として考えてみては、どうだろうか。
引力項と斥力項を考慮し
そして
質点のひじょうに多い多体問題として捉えるのだ。
それらが形成する重力場を
文章として捉えることができる。
あるいは
書籍と。
そして
音における三大要素である
高低・強弱・音色
といった項を付加すると
かなり厳密に
現実に近いモデルができあがるような気がする。
もちろん
現実に表現された文章や詩句は
さらに複雑な項のもとでの考察を要するのであろうが
高低・強弱・音色に相応させるものを
これから考えよう。
あ、ちょっと笑ってしまった。
帰納的に考えるのではなく
演繹的に考える癖がついてしまっている。


*


言葉自体が考える。
図形自体が考える。
数式自体が考える。
わたしが考えている可能性は
いったいどれぐらいあるのだろうか。
あるいは
言葉が、わたしとともに考える。
図形が、わたしとともに考える。
数式が、わたしとともに考える。
そうだ。
このほうが現実に近いモデルだろう。
このとき
わたしと言葉とのあいだに、どれだけの浸透度があるのだろうか。
わたしと図形とのあいだに、どれだけの浸透度があるのだろうか。
わたしと数式とのあいだに、どれだけの浸透度があるのだろうか。
わたしは、ほとんど言葉か。
わたしは、ほとんど図形か。
わたしは、ほとんど数式か。
あるいは
わたしは、まったく言葉か。
わたしは、まったく図形か。
わたしは、まったく数式か。
それとも
部分的に、わたしは、言葉なのだろうか。
部分的に、わたしは、図形なのだろうか。
部分的に、わたしは、数式なのだろうか。
いつまでも暮れることのない
数式の庭のなかの、この花壇のなかで
わたしは、数と記号のあいだにたたずみながら
こんなことを考えていた。
疲れたので
傍らの等号にもたれたら
等号が動いて
わたしの身体がよろめいてしまった。
もしも、だれかが
わたしの数式の庭で
片肘をかけて
斜めに身体をかたむけた
わたしの姿を目にしたら



に見えるかもしれない
などと
ふと思った。
(はたして
 わたしに
 身体はあったかしら
 どうかしら
 わたしには、わからない。)


*


我を忘れて
わたしが、わたしについて
いっさい意識しないとき
わたしの視界に、わたしの身体の
いかなる部分も存在せず
わたしの存在を知らしめす
どのようなしるしもなく
ただ対象とする
数式や図形や語群の形成する世界があって
その世界とは
ただ、わたしのなかに、
わたしとそれらのあいだにだけ形成されたもので
その世界に
わたしとそれらの数式や図形や語群が存在する。
その存在の仕方をさらに精緻に分析する。
わたしのなかに
それらの数式や図形や語群と共有する意味概念の領域が生じると考えると
それもまたひとつの世界で
わたしのなかに、あらかじめあったものでもなく
それらの数式や図形や語群のなかに、あらかじめあったものでもない
まったくあたらしい世界だ。
これは、以前のわたしの詩論の考え方だった。
あるいは、つぎのようにも考えられる。
それらの数式や図形や語群が形成する世界に
わたしが招き入れられるのだと。
それは、わたしの理解とか共感が生じたときに
それらの数式や図形や語群の世界の門が開かれて
わたしの目にそれらの世界に入るように促すのであろうと。
それはほとんど同時生起的に起こるものであろうが
いったい、どちらのほうが
現実に近いモデルであろうか。
まえに
この数式の庭をまえにして考察したところからいえば
それらの数式や図形や語群やわたしは質点のようなもので
それらが互いに影響し合って
ひとつの力場を形成するというものであった。
これは上記のふたつのモデルのうち
どちらに相応するだろうか。
あたらしく考察したほうだろうか。
少しく、そのように思われる。
以前の詩論に書いたモデルもよいモデルではあるのだが。


*


数式の庭で、そのようなことを考えながら
いちばん近くにあった花壇を見ると
ひとつの花が咲いていたのだが
その花のはなびらにあった≠に目を凝らすと
切った爪ほどの大きさのわたしが
片肘をかけて等号に寄りかかっていた。
わたしは、その爪の先ほどの大きさのわたしをつまみあげて
下におろすと
もとの数式に目を戻した。
式は見違えるほどに美しくなっていた。
その美しさに目を奪われて
わたしは
わたしの小さな姿がどこに行ったのか
わからなくなっていた。
ぱっと目に見える範囲には
いなかった。


*


この花壇の花は
わたしが位置を変えると
違った花に見える。
まるで
多義的な解釈が可能なテキストのように。
しかも
さいしょの場所に戻ってみても
さいしょに見たものとは違った花になっているのだった。


*


目が覚めると
数式の庭のなかにいた。
また身体が小さくなっていた。
エクトプラズムのように濃い霧が
庭に満ちていた。
頭上で音がするので見上げたが
霧のようなエクトプラズムで
数式の花が変形し展開する姿は
目にみえなかった。
気配はエクトプラズムを通しても
伝わってきたのだが
エクトプラズムの霧が
少し薄れているところから叫び声が聞こえた。
目をこらして見ると
数に身体を寸断されているわたしがいた。
こぼれ落ちたのだろうか。
数や記号がこぼれ落ちるのは
式が変形と展開を終えてしばらくしてからだった。
と思っていると
わたしのうえにも
等号記号が落ちてきて
わたしの身体をまふたつに寸断した。
ところが
わたしは無事で
まったく瓜二つの
同じ姿のわたしがもうひとり
わたしの目のまえに立っていたのだった。


*


ひとつの花がしぼむとき
そのたびに
数式の庭も
わたしの家も
わたしの街も
わたしも
空も
すべてのものが
みんな
その花弁のなかにしまわれる。
ひとつの花が花ひらくとき
そのたびに
数式の庭も
わたしの家も
わたしの街も
わたしも
空も
すべてのものが
みんな
その花びらのなかから現われる。


*


瓜二つそっくり同じに見えた
ふたりのわたしを眺めていると
やはり違いはあって
ほとんど同じ数と記号からできているのだろうし
その配列も微妙に異なっているだけだと思う。
ふたりを子細に眺めると同じようで違っている。
その違いが些細なために逆にこうして見つめていると
まったく異なるふたりにみえてきてしまうほどだ。
そういえば
以前に授業中に
視線を感じたので
窓の外を見ると
窓の外から
わたしのほうに顔を向けたわたしがいた。
と思っていると
わたしは窓の外にいて
教室にいるわたしを見つめていた。
教室でわたしを見ているわたしがいた。
ふと
校門の
教員のだれかの車が駐車してあるところを見ると
その車のそばに立ってわたしたちふたりのわたしを
交互に見ているわたしが立っていた。
そのわたしには
わたしは意識を移せなかったが
授業中であることを思い出して教室にいるわたしを見ると
わたしは教室に戻っていて
窓の外にいるわたしから視線をはずして
授業を再開した。
もちろん
これらの時間に要した
感覚的な時間は
数秒といったところだったであろうが
意識的な時間経過感覚と
物理的な時間経過に要した時間とのずれはあるだろうから
正確には
どれだけの時間が経っていたかはわからない。
生徒の態度のほうに異変がなかったので
それほど時間は経っていなかったであろう。
授業中
何度か窓の外を見たが
もうひとりのわたしの姿は消えていた。
わたしには
さいしょから
校門のほうにいるわたしを見ることができなかったであろう。
そもそも教室からは
位置的に見えない場所であったからである。


*


水盤に浮かべた
ふたつの数式の花を眺めていた。
水に映った空の青さと
雲の白さの絶妙な配色に
ひときわ花がうつくしかった。
まるで
空の青みより青く
雲の白みより白い数式の花に
ぼくの目が吸い込まれそうだった。
いや
すでに吸い込まれていたのであろう。
水盤を見下ろしながら。
空や雲を
とっくに吸い込んでいるくらいなのだから。
いや
もっと正確に描写してみよう。
数式の花は
物理的に対象移動させるかのように
形象的に対象移動させていたのであろう。


*


この数式の花は
わたしの位置を変える。
わたしの視点を変える。
わたしのいる場所を変える。
わたしを沈め
わたしを浮かせる。
わたしを横にずらし
わたしを前に出し
わたしを後ろに退かせる。
しかし
もっともすばらしいのは
わたしを同時に
いくつもの場所に存在させることだ。
わたしは同時にいくつもの場所から
この数式の花を眺めることができるのだ。
すべての花がそうであったなら
と思うことがある。
さまざまな視点から同時に眺めるこの数式の花は
もちろん
場所場所によって
さまざまな表情を見せるのだ。
わたしの顔が
さまざまな角度から見ると
さまざまに異なって見えるものであるように。


*


それは
数と記号の偽物だった。
数と記号に擬態した偽物から後ずさりながら
ただちに退却しなければならないと
わたしは思った。
ゴム状に固体化したエクトプラズムの綱が
わたしの足にまとわりついた。
あたりを見回すと
数多くのわたしが、たちまち
エクトプラズムの網に捕らわれていった。
とても濃いエクトプラズムに覆われた
花壇を眺めていると
つぎつぎと自分のなかから
自我が消失していく感覚に襲われた。
わたしは
数式の庭に背を向けて
いそいで立ち去った。


*


手を離しても
落ちないコップがある。
わたしが名辞と形象を与えた
ひとつのコップである。
存在する
存在した
存在するであろう
すべての名辞と形象を入れても
けっして満ちることはないコップである。
これを手にして立つわたしをも
わたしが存在している数式の庭ごと
そのコップは
なかに入れることもできるのである。


*


人間は
おそらく他の人間といっしょにいなければ
他の人間といっしょにいる時間がまったくなくなってしまえば
自分が人間であるということに気づくこともなく
自分が人間であることを知ることもなく
自分が人間である必要性も感じることもないのではなかろうか。

数や記号たちも
おそらく他の数や記号がなければ
他の数や記号といっしょにいる時間がまったくなくなってしまえば
自分が数や記号であるということに気づくこともなく
自分が数や記号であることを知ることもなく
自分が数や記号である必要性も感じることもないのではなかろうか。


*


数式の花の美しさに見とれていると
しばしば自分がその花そのものになって
自分の美しさに見とれているような気がする。

わたしのなかに
数式の花が咲くというのではなく
わたしそのものが
見とれていた数式の花になって
わたしに見とれているという感覚だろうか。


*


わたしがいないときの
数式の花の変形と展開は
わたしがいるときの
変形や展開と同じものであるのかどうか
それを確認することはできないのだが
それが異なるものであるというのが
理論的な立場からの見解であり
わたしの直感とも一致する
これは、わたしというものが
そのような直感をもつように
長年訓練されてきたからであろうか
わたし自身がそれに答えることはできない
おそらく、そのことについては
だれにも答えることはできないであろう


*


いま
なにも咲いていない
このからっぽの花壇のなかに
仮想数式の花たちが咲き誇っている
その仮想数式の花たちは
このからっぽの花壇のなかの
あらゆる場所を占めて咲いており
その本数は理論上無限であり
このからっぽの花壇そのものになっている
その仮想数式の花たちは
間断もなく変形し展開しつづけている
そのあまりの素早さに
このからっぽの花壇の輪郭が変形し展開し
数式の庭そのものが変形し展開してしまうほどに


*


この数式の花たちは
素粒子の大きさしかなく
この花壇のいたるところに
現われては消滅する
それが文字通り瞬間であるために
連続的に存在するかのように見えるのだが
空に浮かんだ雲のように変形し展開しつづけるために
その形をとどめることは、けっしてない。
その姿を目にした場所に目を凝らすと
なにも見えなくなり
見えないところに目をやると
見えてくる。
この素粒子の大きさの数式の花は
変形し展開する時間そのものを見せる
変形し展開する場所そのものを見せる
変形し展開する出来事そのものを見せることはない


*


たとえばゼロで除するといった禁則がある。
禁則を一つ犯すことで数式の花は咲かなくなる。
ところが、いま目にしている花壇の数式の花たちは
禁則を破らせたまま開花させたものたちで
異様な印象を与えるものであった。
その変形と展開は、禁則を犯した個所以外は
論理的なものであり、その個所を含めて
式をたどって見ていると異様なところはないのだが
全体を見渡すと、わたしの視界を破壊するほどに
異様で、理解不可能なものになるのであった。
しかし、このような禁則を犯した数式の花にも
なぜかしら、わたしは愛着を感じるのだった。


*


ちょうどよい距離というのがある。
ある数式の花を眺めていてそう思った。
その花は、もう変形も展開もひと段落して
安定した形状を保っていたのだが
わたしが庭を移動して眺めていると
ある距離から、ある角度から眺めると
その美しさが映えるのだが
ある距離以上でも以下でも
その数式の花から離れると
同じ角度からの眺めでも
その美しさが映えないのである。
他の数式の花との間隔がそう思わせるのだろうか
そう思って、違う場所に植え替えてみたのだが
そうではなかった。
最初に見たときの距離とは異なっていたのだが
やはりある距離以上でも以下でも
その美しさは映えなかった。
また、その数式の花を
もとの場所に戻してみると
もっとも美しく見える距離が
最初の距離とは違った距離であったので
他の数式の花との距離も
問題ではあったと思われたのだが
それ以外の要素も考えられた。
わたしが変化したことだった。
同じ場所にあっても
わたしが変化したために
その距離が変わってしまったということなのであろう。
友だちとこのあいだしゃべっていて
星座が、星の配置が、見る場所によって違うと
何万光年も離れた場所から同じ場所を見ても違うと
また、わたしたちの場所もつねに移動しているはずで
つねに異なった場所に星も、われわれもいるのだと話していた。
そうだ。
離れた場所であれば
その星の光が届く時間も異なるはずだ。
違った場所にいると
そのものが違って見えるだけではなく
そのものの違った時間にある状態を見ているのだから
わたしがその数式の花を元の場所に戻したところで
同じ美しさを見出さなかったことも
不思議なことではなかった。


*


数式が変形し展開しているように見えるのだが
じつは数式自体は変形も展開もしていないのである。
目のまえの数式の花が、別の数式の庭に移動し
それと同時に、別の数式の庭から
別の数式の花が移動してきて
目のまえに現われるということである。
つまり、数式の花は不変であり
数式の庭も不変であり
相対的に見れば
ただ、それらが移動しているという
それだけのことなのである。
数式の花が、なぜつぎつぎと転移するのか
わたしが興味があるのは、その点だ。
なぜ、数式の花が
ある数式の庭から別の数式の庭へと転移するのか
そのなぞが、わたしの関心をひくのである。
その数式の花の美しさと
変形と展開の見事さよりも。


*


魂が胸の内に宿っているなどと考えるのは間違いである。
魂は人間の皮膚の外にあって、人間を包み込んでいるのである。
死は、魂という入れ物が、
自分のなかから、人間の身体をはじき出すことである。
生誕とは、魂という入れ物が、
自分のなかに、人間の身体を取り込むことを言う。

このようなことを考えたことがあるのだが
あらゆる集合における部分集合である空集合が
全体集合の部分集合である空集合に等しいのであるが
個々の人間を包み込んでいる魂もまた
それは、ただひとつの魂であるのではないかと
わたしには思われたのだけれど
数式の花たちが、突然、姿を現わし
変形と展開をし終わったあと
しばらくして
数と記号に分解する様子を見ていると
もしかすると
数式の花をめまぐるしく変形し展開させていたのも
人間を包み込んでいたものと
同じ魂ではなかったのかと思われたのであるが
いったい、どうなのであろうか。
わたしの目にまぶしく輝く数式の花の美しさを見て
数式の花もまた、魂に包み込まれているような気がしたのだ。


*


いちまいの庭をひろげ
ひとかたまりの数字と記号をこぼし
数式占いをする


*


むかし
まだ学生だったころ
恋人と琵琶湖に行ったのだが
恋人が自分のそばから離れて泳いでいたとき
風に揺れる湖面のさざ波に乱反射する太陽の光が
あまりにもきれいだったのか
そのとき
湖面に反射する光が
きらきらと乱反射する太陽の光が
ピチピチと音を立てて
蒸発しているように感じたことがある。
湖面に反射する光が
わたしの目をとらえたかのように
わたしのこころが
湖面で反射する光と直接結びつけられたかのように感じて
その瞬間から、自分が光そのものになって
湖面で蒸発していくような気がしたのだった。
少しずつ自我が蒸発していくような
そんな恍惚とした時間を過ごしたのだった。
つぎつぎと自我の層がはがされていくような
無上のここちよさを味わっていたのだった。
そうして、一度
光が湖面で蒸発している
湖面で光が音を立てて蒸発している
という思いにかられると
その日、一日のことだったが
湖面に目をやるたびに
ピチピチ、ピチピチというその音が
耳に聞こえてしまうのだった。
数式の庭に立って
変形し展開していく
数式の花を眺めていると
これもまた不思議なことに
わたしには
その音が聞こえてくるのであった。
湖面で蒸発する光の音が
おそらくは
わたしだけに聞こえるものだったように
もしかすると
この花たちの立てる音も
わたしの耳にだけ聞こえるものかもしれないが
いや
きっと耳をすませば
湖面で蒸発する光の音も
数式の花が立てる音も
だれの耳にでも聞こえるものだと思う。
数式の花が立てる音は
花ごとに微妙に異なるのだが。


*


しかし
なにかほかのことに
こころがとらわれているときには
たとえば
砂浜にいる人たちの姿や
まばらに立ち並んだパラソルの様子や
湖面に浮き漂う水藻に目をやっていたりすると
湖面で蒸発する光の音が
聞こえなくなくなることがあったように
数式の花の
変形し展開していく音も
変形し展開していく様子ではなくて
いくつもの花たちの配置を目でとらえ
その配置のうつくしさや
背景の空白とのバランスといったものに
こころがとらわれているときには
聞こえてこないのであった。
これは
内的沈黙とでも呼べばよいであろうか。
いや
沈黙とは
自ら声を発しないことと解すれば
これは
内的沈黙ではない。
内的無声というものであろうか。
いや、違った。
内的無音とでもいうものであろうか。
それとも
ただの無音なのか。
わたしが注視しなければ
音は存在しなかったのだろうか。
それならば
沈黙である。
しかし
わたしが存在しなくとも
湖面で光は蒸発したであろうし
やはり
沈黙ではなく
内的無音であったのだろう。
数式の庭では・・・
そうだ。
まだわからないのだった。
数式の花が
わたしのいないときに
変形し展開することがあるのかどうか
日をまたいで眺めたときに
時間をおいて見たときに
数式の花の形が異なることに気づくことは
しばしばあったのだけれど
それは
わたしのほうが見方が変わって
解釈が異なるために違って見えた可能性があるので
わたしがいないときにも
数式の花が変形したり展開したりしているとは
断定できないのだった。
わたしの記憶の不確かなことをも配慮して考えると
けっして断定することなどできないのだった。
確実に
変形し展開しているといえることもあったのだが
あらためて考えてみると
そう断定する自信がなくなるのであった。
もちろん
注視しているときにも
数式の花は
沈黙することはあった。
わたしの内的無音なのかもしれないが
変形もせず展開もしないで
音がしないこともあったのだが。
音を発するかどうか。
音が聞こえるかどうか。
沈黙か、内的無音か。
考えてもわからないことだが
感じることから考えること自体は
たいへんおもしろい
興味の尽きないものである。


*


音と声は違うものなのであろうか。
音というと、声よりも客観的なもののように思われる。
波長や振幅といった言葉が思い浮かぶからだが
声というと、動物の鳴き声や、人の話し声がすぐに思い浮かぶのだが
たとえば、犬の鳴き声をワンワンと言ったり
バウワウと言ったりして、国語によって表記が異なるように
また、あるときに、女性の声が、人によっては
ただ元気なだけに聞こえたり
そこに挑発的なものを感じとったりするように
さまざまなニュアンスをもって、
人ごとに違った印象を受けるものになったりすることがあるのだが
そうすると、声は、
けっして同じ意味をもって人の耳に聞こえるわけではないということになる。
音もそうかもしれない。
それに、そもそも、音と声とのあいだに、それほど違いはないのかもしれない。
声は、ただ、生物の喉の声帯や鳴管を通して発せられる音にすぎないのだから。
そういえば、ものの見え方も、そうだ。
人ごとに、その人独自のニュアンスでもって見ているのだろう。
だとすれば、同じ数式の花でも
その変形や展開の仕方も、人によって違ったものに見えるということである。
数式の花でさえも、である。
ということは、
おそらく、日常、目にするもの、世のなかで目にするものあらゆるものすべて、
すべてのものが、人によって異なったものとして感じとられているということである。
目に見えるものだけではなく、感じとれるものすべてのものが
人によって違ったものに感じとられているということである。
それがそれそのものとして
絶対的に同じ印象で万人に共通した意味をもつことなどないということである。
なんと、人間は孤独な存在なのだろう。
いや、人間だけではない。
動物も植物も昆虫も鳥も魚も、それに生物ではない物たちも、
物ですらない風景といったものでさえ
なんと、孤独な存在なのだろう。
空に浮かぶ雲も
雨のつぎの日に道にできた水たまりも
夜空を彩る星たちの配置も
テーブルに置かれたコーヒーカップの音も
そのコーヒーから漂う芳香も
わたしたちの頭に思い浮かぶ事柄も
辞書のなかに存在する言葉も
あらゆる事物・事象が、概念すらもが、ただひとつのものも
孤独ではないものなど存在しないということである。
存在するものすべてが孤独なものであるということである。
どのような時間も場所も出来事も、孤独なものであるということである。
わたしたちの生の瞬間は、わたしたちがふと足をとめた場所は
わたしたちが偶然遭遇した出来事は
なんという孤独さをまとっているのだろうか。
しかし、わたしのなかにあるなにかが
いや、わたしのなかにあると同時に、わたしの外にもあるなにかの力が
それら孤独な時間や場所や出来事を結びつけようとしていることは
直感的にわかる。
直感的に感じとれる。
たとえば、空に浮かんだ雲を、
道にできた水たまりが嬉々として映しとっていることを
わたしの目は見る。
夜空を彩る星たちを
テーブルに置かれたコーヒーカップが立てる音が少しく震わせるのを
わたしの目は見るのだ。
そうだ。
これこそが恩寵ではないだろうか。
孤独であること。
これこそが恩寵というものではないのだろうか。
孤独でないものなど、ひとつもないということ。
なにものも絶対的に同じ意味を共通してもたらすことなどはないということ。
このことが、わたしを、わたしたち人間を
いや、あらゆる生き物たちを、あらゆる事物・事象を、
あらゆる概念すらをも、生き生きとしたものにしているのだ。
結びつけるということ。
考えるということ。
見るということ。
聞くということ。
結びつけられるということ。
考えさせられるということ。
見られるということ。
聞かれるということ。
孤独であるからこそ、結びつけられるということ。
もしも、孤独でなければ
結びつけられることもなく
考えられることもなく
見られることもなく
聞かれることもなかったのだ。
もしも、孤独でなければ
結びつけることもなく
考えることもなく
見ることもなく
聞くこともなかったのだ。
しばしば、わたしは、さまざまな物事を見て、感じて
わたしの記憶や、わたしがそのときにようやく了解した過去のことどもを結びつけるとき、
異なるいくつかのわたしを結びつけて
ただひとりのわたしにするといった感覚になることがある。
わたしであったのに、わたしであったことに気がつかずに過ごしていたわたしを
いまのわたしに沁み込ませるような気がするときがあるのだ。
しかし、それも、いまのわたしが孤独であり、
取り戻したわたしもまた、孤独であるからであろう。
ゼロとゼロを足してもゼロになるように、ゼロにゼロを掛けてもゼロになるように、
孤独と孤独が結びついても孤独でなくなるわけではないのだが、
それでも、孤独であるわたしが結びついていくことは、
わたしにとって、いくばくかの喜びに感じられるのである。
ときには、大いなる喜びを感じることもあるのである。
いや、それこそが、わたしにとって最上の喜びのように感じられるのである。
結びつけられた孤独の孤独さが強烈であればあるほどに。
シェイクスピアの言葉をもじって言うならば、
「その喜びこそは、最上の喜びにして、最高の悲しみ。」とでもいうものだろうか。
喜びなのに悲しいというのは矛盾しているだろうか。
だれの詩句だったろう。
「喜びが悲しみ、悲しみが喜ぶ。」と書いていたのは。
ブレイクだったろうか。
それとも、シェイクスピアだったろうか。
いずれにせよ、喜びが悲しみと結びつき、悲しみが喜びと結びつくということであろう。
そうだ。
数式の花に見とれているとき
その美しさに喜びを感じているわたしは
わたしのこころのどこかで、なぜか悲しんでいるような気がしているのだった。
「日が照れば影ができる。」
「光のあるところ、影がある。」
これらはゲーテやシェイクスピアの言葉であったろうか。
しかりとうなずかされる言葉である。
「一本の髪の毛さえも影をもつ。」
これは、ラブレーだったろうか。
ソロモンの「草の花」のたとえも思い出された。
生きている限り、どのように小さなことどもにも
わたしにかかわったものは、できうる限りこころにとどめ
その存在にこころを配ることにしよう。
わたしにかかわった人たちや物事に、できうる限りこころとどめられるように
その人に、その存在に、こころ配ろう。
それが、わたしにできることの最良のこと、最善のことのように思われる。
いま、ふと、リルケの言葉が思い出された。
「こころよ、おまえは、なにを嘆こうというのか?」
違った。
「こころよ、おまえは、だれに嘆こうというのか?」
いや、前のだったかな。
定かではなくなってしまった。
しかし、最初に思い浮かべた
「こころよ、おまえは、なにを嘆こうというのか?」
この言葉を思い出して、この断章を終えようと思ったのだけれど
じっさいに書いてみると、終えられなくなってしまった。
最後に書く言葉として適切であったのかどうか
わからなくなってしまったからである。
わたしは嘆いていたのか。
いや、嘆いていたのではない、という気持ちがわき起こったからである。
わたしは喜びをもって書きつづっていたのだから。
そうか。
そうだった。
喜びは悲しみをともなうのだった。
ならば、喜びは嘆きをもともなって当然である。
なにものもすべて孤独であるからこそ、結びつこうとするように
そうであるものは、そうでないものに結びつこうとし
ある状態のものは、その状態とは違った状態になろうとするのだ。
もっていないと、もちたくなるように
もっていると、もっていたくなくなるように。
あったことは、なかったことのように思いたくなり
なかったことは、あったことのように思いたいように。
タレスやヘラクレイトスやエンペドクレスといった哲学者たちの言葉が思い出された。
いや、彼らの言葉が、いままた、わたしを、ふたたび見出したのだった。


*


花の下に
小さなわたしがいた。
うつぶせになって倒れていた。
腰をかがめて
そっと手で揺さぶろうとすると
指が触れるか触れないかの瞬間に
小さなわたしの姿が消えた。
立ちあがると
違った場所に立っていた。
振り返って見上げると
巨大な数式の花の後ろに
それよりも巨大な人影があった。
逆光で真黒だったが
それがわたしであることは感じられた。


*


草花の葉緑体が光を呼吸するように
数式の花は知性を呼吸する。
わたしたちの目とこころを通して。

葉緑体は自らを変え、光を吸収する。
あるいは、このとき、光は葉緑体を変化させると言えるだろう。
変化した葉緑体は、光のいくばくかを変化させて
草花の養分と結びつけ、いくばくかの光を吐き出す。
吐き出された光は、草花を自ら光り輝かせる光となる。
草花を美しく見せるのは造形と色彩を際立たせるこの光のためである。

数式の花のさまざまなフェイズが知性を吸収する。
あるいは、このとき、知性は数式の花にさまざまなフェイズを見ると言えるだろう。
このさまざまなフェイズは、
過去知識の堆積と新たなフェイズを予感させるものから構成されている。
とりわけ、新たなフェイズは、新しいアスペクトをもたらせることがあり
まったく新しいフェイズは、ときには、直面した知性の目をすり抜けて
新たなアスペクトの到来を見逃せることがあるほどである。
なぜなら、まったく新しいフェイズというものが、発見者の知性にのみ依存しており
その知性がその新しいフェイズから新しいアスペクトを獲得しない限り
その数式の花がもたらせたものを習得し得ないからである。
数式の花が、その造形と色彩の見事さを物語るのは
その数式の花を見る者の知性を吸収し
新たなフェイズとアスペクトを解き放ち
それが新たな知性を発生させる
知の光のきらめきのすごさである。
数式の花の内からの輝きは、それを見る者の顔から
いや、全身から
喜びと知性のきらめきを
そのきらめき輝く光をほとばしらせるほどなのである。

庭先に降り立ち
なんとはない数式の花を見て
ふと、こんなことを考えたのであるが
そうだ。
まったく新しいフェイズというものを発見することなど
わたしにできるのだろうかと。
まったく新しいアスペクトをもつことが
わたしにできるのだろうかと思った。
まったく新しい感覚や感情といったものでさえ
それまで自分がもっていなかったそれらのものを
自分が獲得するとき
つねに
すでに獲得していたものと比較することによってのみ
感得していたように思われたからである。
ましてや、知となると
わたしごとき知性の持ち主に
わたし以外の人間にも未知である
新しいフェイズを発見し
新しいアスペクトをもたらせることができるとは
とうてい考えられない。
すでに他者によってもたらされた新しいアスペクトを
いまもまだすべて知っているわけではないわたしである。
他者にとっては既知であるが
わたしにとっては未知の
新しいフェイズを発見し
それをこれまでのフェイズに積み重ね
そこから新しいアスペクトを得るのに
まだまだ修練中のわたしである。
わたしごとき知性の持ち主に
わたし以外の人間にも未知である
新しいフェイズを発見し
新しいアスペクトをもたらせることができるとは
とうてい考えられない。
考えられないけれど
それを願いとしてもちつづける熱意は
けっして失わないであろう。
それが、わたしを生かす限りは。
おお、数式の花よ。
きょうの日は
おまえのほんとうの価値を知らしめてくれた
記念すべき日であることよ。
祝え! わたしよ。
祝え! 数式の花よ。


*


まったく新しい感覚や感情といったものでさえ
それまで自分がもっていなかったそれらのものを
自分が獲得するとき
つねに
すでに獲得していたものと比較することによってのみ
感得していたように思われたからである。

わたしは思った。
しかし、これは考察が足りなかった。
まったく新しい感覚や感情が
それが感じとれるとき
それを感じさせる外的要因と
それを感じとるわたしの内的要因が結びついて生じさせているからである。
いわば、事物・事象の同時生起のように生じていることがあるからである。
いや、もっと簡素に言えば
それがわたしを新しくすると同時に
それをわたしが新しいものと感ずるということである。
フェイズやアスペクトも、そうである。
ほぼ同じようなものであるのだろう。
まったく新しいフェイズやアスペクトを感得するには
いったいどうすればいいだろうか。
天才ではない、ただの凡人であるわたしには
これまでどおり、日々、自分の目を
精神を、こころの目と、こころを
現時点での未知なるところへ
未知なるものへと向けつづけなくてはならない。
それと同時に
過去に堆積したフェイズとアスペクトについても
怠ることなく検討しつづけなければならないだろう。
まさしく、ゲーテの言葉どおり
生きている限り、努力して迷うものなのだ。
そうだ。
生きている限り
迷いつつも努力しつづけて
考えつづけなければならないのである。
天才であったゲーテでさえ
生きている限り、努力しつづけたのだ。
わたしなど、どれほど努力しても足りないものであるだろう。
自己と
自己につながるあらゆるものを。
自己につながっていたあらゆるものをも。
自己につながるであろうあらゆるものをも考察しつづけよう。
たとえ、自己につながらないであろうものがあるとも予感されようとも。
自己につながらないものがあるとしても
その存在の可能性をも考慮に入れて
さらなる知識を求め
さらなる知見を得て
考えよう。
考えつづけよう。
考えることが、わたしなのであるから。
感じつづけるとともに。


*


なんとはなしに眺めていて
思ったのだが、
このなんでもない
あたりまえの数式を
はじめに考えたものは
偉大であったのだと思う。
はじめにつくりだすことが
いかにむずかしいことであるか
また
つくりだしたそれを
他の多くの人間に
その意味するところのものであることを理解させ
そのことで
他の人間のこころが
それを使いこなせるようにするまでに
その意味を確たるものにするのが
いかに困難で
なおかつ
新しければ新しいほど
つまり
それを前にした人間にとって
それがどのような意味をもって
のちには公的に
どのような意義をもつものとなるのか
まだわからないときに
それをつくりだした人間が
どのような無理解と障害に遭遇するのか
遭遇してきたのか
考えただけでも怖ろしい。
なんとはなしに眺めていた
この数式の花にも
いわくつきの話があったのであろう。
あまりに基本的で
だれによって考えだされたのかも不明な
名もないこの数式にも
だれも語り継ぎはしなかったであろうけれど
きっと
ものすごい苦悩と喜びの物語があったのであろう。
こころがつくりだし
それがまた
こころをつくるのだもの。
きっと
ものすごい苦悩と喜びの物語があったのであろう。


*


詩人のメモとルーズリーフから目を離して
庭先に目を向けた。
詩人のメモにあった簡潔な言葉が
わたしのこころを
あたりまえのようにして存在しているさまざまなものに
思いを馳せさせる。
かわきかけの刷毛でひとなでしたように
ほんのいくすじか、かすかに
もうひとなですると、なにもつかないといったぐあいに
まるで申し訳なさそうにとでも言うように
空のはしに白い雲がかかっていた。
わたしが手で雲をなでると
白い雲がすーっと消えていった。
まさしく青天である。
あのかわきかけの刷毛のひとなでは
わたしのこころの記憶になった。
記憶といっても
おぼろなもので
いつまでも覚えていられるものではないだろう。
そういえば
さいきん、よく空を見上げる。
空を見上げては、雲のかたちを見つめている。
どの日の雲のかたちも違っているのだろうけれど
どんなかたちであっても、うつくしいと思ってしまう。
なぜかは、わからない。
それに、どの日の雲のかたちも覚えているわけではない。
じつを言えば
いま自分の手で消した
ひと刷毛の雲のかたちだけしか覚えていないのだった。
しかし、どの日の雲のかたちもうつくしかった。
雲のかたちを覚えていられないのに、
そのかたちを見て、うつくしいと思ってしまうのだった。
覚えていることができるものだけが
うつくしいのではないことに気がついたのだった。
いつまでも覚えていられるものだけがうつくしいわけではないのだと。
覚えていることができるものだけがうつくしいわけではないのだと。
きょうは
一年のうちで
南中高度がもっとも高い日ではなかろうか。
朝もまだはやい、こんな時間なのに
つよい日差しに
数式の花たちが数や記号の影を落としている。
わたしは庭先のテーブルに
詩人のメモやルーズリーフを置いて
椅子に腰を下ろした。
この天気のよい
濃い影を落とす日差しのつよい日に
庭先のテーブルに肘をついて
両手のひらの上に自分の顎をのせて
すこしのあいだ
うとうととしていた。
なんの心配ごともなく
ただ詩人のメモやルーズリーフにあった言葉を
ひとつひとつ思い出していた。
鼻の下や額から汗が噴き出してきた。
目をあけて
まどろみから目をさますと
目の先に
さっきまでなかった花が咲いていた。
とても小さな花だった。
こうした
まどろみから目をさましたときにしか
見つけることができなかったものかもしれない。
そんなことを思った。
それは
詩人のメモにあった数式と同じものであった。
詩人は
フェイズとアスペクトという言葉をつかって
言葉が形成するものや、その効果についてよく語っていた。
ただし、そのフェイズもアスペクトも
言語学でつかわれる意味ではなく
詩人独自の意味合いを持たせていた。
フェイズは、言葉が形成する意味概念そのものに近いのだが
詩人は、ときおり、フェイズを相とも呼んでいた。
相は、ある法則
それは
単一のものでも複数のものでもよいのだが
ある法則にしたがって概念を形成する場のことで
その場は
言葉が形成すると同時に
その言葉を受けて頭になにものかを思い浮かべる
その言葉の受け手の頭のなかにもあるもので
言葉というものが、つねに受け手の存在によってしか
その存在できないという立場から
詩人は、こんなことを言っていた。
「言葉はね。
 ぼくのなかにもあって
 それと同時に、ぼくの外にもあるものなんだ。
 たとえば、きみが、空に浮かんだ雲を指差して
 雲、と言ったとするだろ。
 ぼくが、きみの言葉を聞いて
 空を見上げたとしよう。
 そこに雲があるかないかで違うけれど
 いまは、きみが、雲と言って
 雲が浮かんでいたとしよう。
 ぼくは、きみの言葉から導かれて
 雲に目をやったのだろうけれど
 ぼくの目は、その雲を見るのだろうけれど
 ぼくのこころは、きみが口にした雲という言葉で思い出される
 さまざまな記憶にもアクセスして
 目で見ている雲以外の雲も
 こころの目に思い浮かべるだろうね。
 ことに、きみといっしょにいた
 さまざまな思い出とともにね。
 そして
 もっと、おもしろいのはね。
 もしも、きみが、雲と言って指し示したところに
 雲がない場合ね。
 それでも、ぼくは
 そこに、雲を見るだろうね。
 なにが、ぼくに雲を見させるんだろう。
 きみが口にした、雲という言葉かい?
 おそらく、そうだろう。
 きみが口にしなければ、ぼくのこころの目に
 雲の姿かたちなど、微塵も思い浮かばなかっただろうからね。
 でも、もしも、ぼくがいなければ、どうだったんだろう。
 きみが、雲という言葉を、ぼくに言わなかったら?
 ぼくのこころの目に浮かんだ雲の姿かたちは
 きっと現われることなどなかったろうね。
 言葉が、ちゃんと機能した言葉であるためには
 その言葉を理解できる受け手が存在しなければならないってことだね。
 言葉がちゃんと機能するっていうのは
 その言葉が指示する対象が存在するかどうかではなくて
 その言葉の受け手が
 その言葉が指示するものがなにであるかを
 きちんと認識できているかどうかにかかっているんだよね。」
アスペクトは、これまた言語学でつかわれる意味とは異なって
視点という意味でつかっていたように思う。
そしてフェイズとアスペクトについて
こんなことも言っていた。
「同じ事物でも
 フェイズが異なればアスペクトが異なり
 アスペクトが異なればフェイズも異なる。
 いま
 きみの手元にあるコップについて考えてみよう。
 それを単に液体を入れる容器として見る見方と
 それを、ぼくのコップと色違いのもので
 かつて、ぼくの恋人が使っていたもの
 ぼくが恋人と過ごしたいくつもの日を思い出させるものとして見る見方と
 ぼくにとっても
 日によって
 フェイズも異なればアスペクトも異なる。
 ぼくにとってのそのコップと
 きみにとってのそのコップの意味
 フェイズやアスペクトが違っていて当然だね。
 これがあらゆる事物・事象について言えることだよ。
 しかし、ある点で
 いや、多くの点で共通するフェイズやアスペクトを持ち合わせているから
 ぼくたちは
 ぼくたち人間は理解することができるんだろうね。
 お互いの生活を。
 お互いの生き方を。
 お互いの気持ちや考えてることを。」
そのときのわたしは、詩人の言っていることの意味を
すべて理解できていたわけではなかったが
さいきんになって、ようやくわかるような気がしてきたのであった。

1+1=1
こんな数式に意味があるのだろうか。
詩人のメモには、つぎのようなことが書いてあった。

ひと塊の1個の粘土に、もうひと塊の1個の粘土を加えて、
ひと塊の1個の粘土にしてやることができる。
それを
1+1=1
という式にかくことができる。
そういうフェイズとアスペクトをもつことができる。
このフェイズとアスペクトのもとでは
つぎのような式も意味をもつ。
1+1+1=1
1+1+1+1=1
・・・
左辺の数を1に限定することはないので
2+3=1
などともできるし
右辺の数を1に限定することもないので
2+3=4
ともできる。
1を10000個足す場合も
1+1+1+・・・+1=1
とできるし
1=1+1+1+・・・+1
のように
1個の粘土を10000万個にもできる。
このことは
ヘラクレイトスの「万は一に、一は万に」といった言葉を思い出させる。

詩人のメモにあった考察は
まったくのでたらめだったのだろうか。
いや、ベクトルとして見れば、妥当である。
間違いではない。
ベクトルでは
ゼロベクトルから出発して多数のベクトル和として表現することさえできる。
詩人は、あのメモにゼロという数字を書かなかったし
無限という言葉も書いていなかった。
たしかに、ゼロという数は
詩人のあのメモにあるフェイズとアスペクトからは
出てくるものではなかっただろう。
しかし、無限は?
そうだ。
たしか、詩人は、こんなことを言っていた。
「無限は数ではなくて
 状態だからね。
 無限にあるような気がしても
 無数にあるような気がしても
 無限や無数といったものはないからね。
 概念としては定義できても
 定義されたものが必ずしも存在するわけではないからね。」
詩人は、無限を数としては認めていなかったようである。
ゼロという数も嫌っていた節がある。
空集合について、独特の見解も持っていたし。
さっき見かけた
1+1=1
という小さな数式の花が消えていた。
見間違いだったのだろうか。
詩人のメモが見させた幻想だったのだろうか。
かつて、詩人が言ったように、
雲という言葉が
じっさいには、そこにない雲を
こころの目に見させることがあるように。


*


詩人のメモから

無限に1を足すという言葉に意味があるとすれば
無限=1
ということになるであろうか。
いや
無限に1を足したものが1に等しいのと
無限が1に等しいというのではフェイズが異なる。
1+1+1+・・・=1
という式になるということだが
同じフェイズから
同じアスペクトから
1+1+1+・・・=2
という式もできるし
1+1+1+・・・=3
・・・
という具合に、それこそ無限は
いや、無限に1を足したものは、どのような数にもなる。
これは
あくまでも
無限=2
無限=3
・・・
とは異なるフェイズであるが
あたかも
無限=1
無限=2
無限=3
・・・
が妥当であるかのような印象を与えるものである。
もしもこの奇妙なアスペクトを生じさせるフェイズを承認するならば
上記の式より
1=2=3=・・・=無限
といった式にも意味があることになる。
このアスペクトは、なにをもたらせるか?
このアスペクトを生じさせるフェイズはなにをもたらせるか?
言葉についてのなにを?
自我についてのなにを?


*


n個というとき
nを、ある任意の数とみなす。
ひとまず、ある数が仮に文字nに置かれているのだとみなす。
無限個などというものとみなすことはない。
しかるに
nを無限にすると
という言葉を耳にするやいなや
こころのなかで
nを無限に大きな数というものに置き換える気になってしまう。
無限に大きな数などというものが
あたかも存在するかのように。
無限に大きな数などというものを数として受け入れない立場からすると
では、無限という概念を、どう定義するのか。
定義できないのである。
そして、従来からある無限の定義を受け入れないことには
幾何も代数も完全に放棄しなければならないことになるのである。
こころのどこかが抵抗しつづけているのである。
無限に。


*


数にも履歴があるとする。
つまり演算の痕跡があるとするのである。
とすれば、どれだけの痕跡があり
履歴が生ずるのか
想像するにおびただしい数であろう。
さまざまな演算子で
さまざまな数式に用いられた痕跡が
わが目で見られるというのだ。
まるで言語のように。
このとき
言語と同じように
異なるフェイズとアスペクトをもって
その痕跡も見られるということであるのならば
履歴が、見るひとによって
異なるものとなるということである。
言葉が
読む人のファイズとアスペクトで
まったく異なる意味をもつように。
数が経験してきたさまざまの演算と数式
そのおびただしい体験と経験について考えると
これまで言葉が体験してきたもの
これまで言葉が経験したきたさまざまなものをも思い起こさせた。
そうだ。
言葉が体験し、経験したのだ。
わたしたちが体験し、経験するとともに。


*


このアスペクトからすると
1=1+2+3+・・・
2=1+2+3+・・・
3=1+2+3+・・・
・・・
ある数が
あらゆる数を結びつけたものとしても表現できる。
ここでは、もはや、数が問題なのではなく
結びつけることが数自体より重要なこととなっているのである。
演算を繰り返せば繰り返すほど
演算子の+という記号と
その機能の重要性がます。
究極的には、近似的に
+という演算子のみのアスペクトが生じる可能性がある。
いや、そのような可能性などないだろうけれど
可能性があると書いてみたかったのである。
書いてみると、可能性があるように思えると思ったからである。


*


「+という演算子のみのアスペクトが生じる可能性がある。 」
あるわけがない。
言葉を使わないで
言葉がつながることを示唆することができないように。
ただ
演算子の意味が強調されると
数の意味概念が後退させられるような気がしたのだった。
意味概念の後退とは
たとえば
2と3といった数の意味の輪郭であり
足すという演算のほうに意識が集中させられると
2でも3でも
あまり、その数自体に意味がなくなっていくということである。

2や3では無理か。
もっと大きな数。
自我とは
この演算子のことであろうか。
+だけではないし
まず
線形に演算されるものとも思われないが。
しかし、演算子も
数がなければ演算子が機能しないので
数と演算子の関係を
言葉と自我との関係として
アナロジックに見てやることもできる。
そうだ。
まさしく
数は言葉に
演算子は自我に。
しかし、言葉が自我と分かちがたいものであるように
数も演算子と分かちがたいものであろう。

逆か。
数が演算子と分かちがたいものであるように
言葉も自我と分かちがたいものなのであろう。


*


そして、さらに
もっとおもしろいことにはね、
と、ゴーストが聞こえない声でささやいた。
見えない指で、わたしが差し示した空に雲がなくてもね、
きみたちは、空を見上げて
そこにない雲を
こころの目に思い浮かべることもあるんだよね。
と、ふと、そんな声が聞こえたような気がして
空を見上げた。


*


ゴーストは、空を曲げ
雲をまっすぐに伸ばしてばらまいた。
直線状の雲に数式の庭が寸断され
わたしの視線も寸断され
数と記号の意味合いのわからぬ並びを
同時に縦から横から斜めから上から下から
しばらくのあいだ眺めていた。


*


コーヒーカップをテーブルの上に置いて
足もとの数式の花に目をやった。
コーヒーの香りがコーヒーをこしらえたように
数式の花がこの庭をこしらえ
わたしをこしらえたのだとしたら
あの言葉は逆に捉えなければならないだろう。
「宇宙は数でできている」
とピタゴラスは言った。
宇宙は数でできているのではなく
数が宇宙をこしらえたのだと。


*


ところが、だ。
数ではないものもあるのだ。
すべてのものが数に還元できるわけではない。
そうだろうか。
わたしたちは、すべてのものを数に還元しようとしている。
すべてのものを数え上げ、数にしようとしている。
実現できているかどうかは、わからないのだが。
しかし、数ではないものもあるであろう。
数にできないものもあるであろう。
感覚器官が知覚できないものがあるように
数にできないものもあるはずだ。
では、それを記号にすればよいのだ。
数と数をつなぐものと考えればよいのだ。
はたして、そうだろうか。
数にもならず、記号にもならないものがあるはずだ。
数にもならず、記号にもならないもの。
数式でいえば、数式にあらわされないもののことである。
数と記号を定義する言葉とその言葉を与えるなにものか。
では、数と記号と
その数と記号を定義するなにものかの意思と言葉をのぞくと
世界は空っぽなのか。
いや、世界はないのか。
いやいや、世界ではないのか。
もちろん
世界は空っぽではないだろう。
数でもなく、記号でもなく
その数や記号や
それらにまつわるもろもろのものをのぞいた
なにものかが存在するだろう。
その存在は確認できないものであるが
存在していることは直感的にわかる。
しかし、数や記号や
それらにまつわるものがなければ
この世界は存在しないのだろう。
この世界とは違った世界があるのかもしれないが
それは、この世界ではないのだろう。
数にもできず
記号にもできず
数や
記号の定義にも関わりがないもの
それがなにか
わたしには
すぐに思いつくことができなかった。
思いついた
あらゆるものが
数と記号と
言葉でできているのだった。
その言葉というのも
すべて、記号がどういう意味をもつものなのか
その意味を与える言葉でしかなかった。
そんなものばかりしか思い浮かばなかったのだ。
もちろん、思い浮かばないから存在していないのではなく
思い浮かばないものではあるが
思い浮かばないものも存在していることは確信しているのであるが
やはり
数が宇宙をこしらえたのだと
つくづくそう思われるのであった。


*


丸め合わせた
手のひらのなかで
数や記号が
かさかさ音をたてて
動き回っている。
手のひらに
チクチクあたる
数や記号のはじっこ
このこそばがゆい感じが
とてもここちよい
身体で感じる
数と記号


*


 数あるいは数的なものが記号よりさきにあって、あとで記号を創り出させたのか、記号あるいは記号的なものがさきにあって、あとで数を創り出させたのか、わからない。それとも、数あるいは数的なものと、記号あるいは記号的なものは、同時生起的に創り出されたものであるのか。
 明らかに後代になってつくられた数や数的なもの、記号や記号的なものがあるのだけれど、まったくの原初においては、どうだったのであろう。
 これは、語がさきか(もちろん、最初は文字言語ではなく音声だろうけれど)、語法がさきか、という問題に似ている。単純に、語がさきであると断定してよいのであろうか。原初においても、語法的な欲求がさきにあって、のちに語がつくられた可能性はないであろうか。語法と語法的な欲求は違うものであろうか。もちろん、語法と語法的な欲求を混同してはならないと思うのだが、語法的な欲求とでも呼ぶしかないものがあるような気がして、語法的な欲求という言葉でしかあらわせないものがあって、それが語をあらしめたのではないか、少なくともそういったケースがあるのではないかと思われるのであるが、どうであろうか。もちろん、新しい事物や事象に、新しい言葉を与える場合があるのだが、このような場合の欲求のことではない。いや、こういった欲求も含めていいのだが、形式が実体を求めるようなもの、そうだ、俳句や短歌がよい例だ。形式が言葉を求める、実体験あるいは実体験への観想を求めるように、語法的なものが語を求めるというようなことがあるように思えるのである。
 たとえば、さいしょのものの比喩としたら、数をビーカーに入れて、長い時間、温めながら撹拌しつづけると、記号が滲み出してきて、やがて数と数が記号によって結びつけられるというようなイメージだろうか。あるいは、さらに合理的な比喩としたら、堆積岩の生成過程を例にあげることができるであろう。別々の砂礫が高圧力のもとで、それぞれの砂礫の接触面で溶融するかのように結びついて、ひとかたまりの岩石となる過程である。
 ふたつ目のものの比喩としたら、過飽和水溶液から結晶が晶出するように、記号あるいは記号的な欲求が、数や記号を晶出させるといったイメージだろうか。
 記号あるいは記号的な欲求を、語法あるいは語法的な欲求として見て、数あるいは数的なものを、言葉として見てとると、数と記号の問題は、語と語法の問題の、より単純な系として見ることができる。これによって、言葉に関する問題、意識や無意識に関する問題、文学や芸術に関する問題などを、とても取り扱いやすい系で考えてやれることになるということである。
 極端であろうか。唐突であろうか。素っ頓狂であろうか。


*


 事物・事象が精神と結びついたものであることは、現実の在り様から分明であるが、また文学作品が読み手の解釈と密接に結びついていて、読み手の解釈との関わりによってのみ、その作品のじっさいの在り様があるように(日常の言葉のやりとりにおいても、これは言えるのだが)、数式もまた、その数式の意味をどこまで知っているか、その数式があらわしているものと示唆するものが、どういったものであるのかということを知っているのか知らないかで、どこまでその数式の変形や展開に関われるのかが異なるものになるように、違ったフェイズとアスペクトをもつ者にとっては、同じ数式が同じ数式ではなくなるのである。同じ数式が異なるフェイズとアスペクトをもつということである。このことは、あらゆる事物や事象が、その事物や事象を観察し解釈し解析する者によって、その存在をあらしめられるという、現実の在り様に相似している。
 ところで、その観察し解釈し解析する者は、その者が観察し解釈し解析する対象が存在しなければ、存在しないものであるのであろうか。存在するのか存在しないのかは、わたしにはわからない。しかし、もしも、世界に、ただひとりの存在者しかいないとしたら、あるいは、こう仮定したほうがよいであろう、もしも、ただひとりの存在者しかいない世界があるとしたら、その存在者にとって、現実とは、いったいどのようなものであろうか。観察し解釈し解析するものがいない世界での現実とは、いったいどのようなものであろうか。そもそものところ、そこには現実というものがあるのかどうか。
 数式がただひとつしかない世界があるとして、はたして、その数式は、意味をもつものであるのだろうか。観察し解釈し解析する人間がいなくて。自らの姿をのぞき見ることのできる鏡もなくて。 
 おそらくそのただひとりの存在者は、どうにかして、自分を観察し解釈し解析しようとするであろう。現実をあらしめるために。それゆえに、神は、世界を創造し、人間というものを創り出したのかもしれない。ここで、ふと、わたしは、詩人のつぎのような言葉を思い出した。
「神とは、あらゆる人間の経験を通して存在するものである。」


*


 数式においては、数と数を記号が結びつけているように見えるが、記号によって結びつけられたのは、数と数だけではない。数と人間も結びつけられているのであって、より詳細にみると、数と数を、記号と人間の精神が結びつけているのであるが、これをまた、べつの見方をすると、数と数が、記号と人間を結びつけているとも言える。複数の人間が、同じ数式を眺める場合には、数式がその複数の人間を結びつけるとも考えられる。複数の人の精神を、であるが、これは、数式にかぎらず、言葉だって、そうである。言葉によって、複数の人間の精神が結びつけられる。言葉によって、複数の人間の体験が結びつけられる。音楽や絵画や映画やスポーツ観戦もそうである。ひとが、他人の経験を見ることによって、知ることによって、感じることによって、自分の人生を生き生きとさせることができるのも、この「結びつける作用」が、言葉や映像にあるからであろう。


*


わたしは目である。
わたしは視線である。
わたしは頭である。
わたしは手である。
わたしは触感である。
ダイヤブロックを組み合わせ、いろいろなものを模したものをこしらる。
あるいは、なにものにも似ないものをこしらえる。
わたしはダイヤブロックを出現させる。
わたしはダイヤブロックそのものにもなる。
このとき、わたしはわたしの目をつくる。
わたしの視線をつくり、わたしの頭をつくり、
わたしの手をつくり、わたしの触感をつくる。

わたしは記号である。
わたしは数と数を結びつける。
わたしは数を出現させる。
わたしは数そのものにもなる。
このとき、わたしは記号をつくる。
わたしは思いつきである。
発想である。
計画である。
わたしは文意である。
わたしは文脈であり、効果である。
わたしは言葉と言葉を結びつける。
わたしは言葉そのものにもなる。
このとき、わたしは思いつきとなる。
発想となり、計画となる。

ダイヤブロックでつくろうとしたものがつくれないことがある。
重力のせいで、形が崩れるのだ。
あるいは、ダイヤブロックの数が足りなかったり
ダイヤブロックにほしい色がなかったり
ちょうど使いたい大きさのものがなかったりして。
用いる記号を間違って使ってしまったり
正しく変形したり展開したりすることができないことがある。

適切な文体が思いつかず
目的とした文意を形成する文脈を形成できなかったり
目的とした効果を発揮することができなかったりする。
無意識的に手にとったダイヤブロックを組み合わせていると
見たこともないうつくしいものになったりすることがある。
無意識的に数式をいじっていると
すばらしい予感を与える数式になったりすることがある。
無意識的に言葉をつぶやいたりしていると
すばらしい音楽的なフレーズができることがある。
数多くの書きつけたメモを眺めていると
ふいにそれらが結びついて
見たこともないヴィジョンがもたらされることがある。
こういったときに、よく
わたしは、自身がダイヤブロックそのものになった気がするのだった。
こういったときに、よく
わたしは、自身が数そのものになったような気がするのだった。
こういったときに、よく
わたしは、言葉そのものになったような気がするのだった。

それとも、ダイヤブロックそのものは、
なにかを目指してつくられたものではなかったのだろうか。
それとも、数そのものは
なにかを目指してつくられたものではなかったのだろうか。
それとも、言葉そのものは
なにかを目指してつくられたものではなかったのだろうか。
出来の良いわたしがあり
出来の悪いわたしがある。
良くもなく悪くもないわたしもある。
良くもあり悪くもあるわたしがある。

わたしそのものは
なにかを目指してつくられたものではなかったのだろうか。
庭先のテーブルに肘をついて
空を眺めていた。
雲のかたち。
つぎつぎとかたちを変えていく雲の形。
それは風のせいなのか。
雲にかかる重力と浮力のせいなのか。
地球が自転しているためか。
それとも
わたしが眺めているからだろうか。
わたしの目が
こころが
雲の形を変えていくのだろうか。


*


庭に出ようとした瞬間から
精神のなかに
数や記号があふれ出てくるのが感じられる。
数や記号が働きだそうとするのを感じる。
数式の庭に足を踏み入れたとたん
わたしの目と肉体は
内からの数や記号の圧力と
外からの数や記号の圧力にさらされて
まるで両手でピタッと挟まれた隙間のようだ。
限りなく薄い空気の膜のようなものとは言わないが
無に近い存在かもしれない。
無力な無ではないつもりではあるが。


*


詩人がネット上に書いていた言葉に目を通していた。
日記の断片であろうか、作品の一部のようにも見えるが
詩人は、つくりかけの詩の断片をよくそのまま放置しておいた。
記憶と音に関するところだ。

ネットの詩のサイトに投稿していた詩を何度も読み直していた。
もう、何十回も読み直していたものなのだが
一か所の記述に、ふと目がとまった。
記憶がより克明によみがえって
あるひとりの青年の言葉が
●詩を書いていたときの言葉と違っていたことに
気がついたのである。わずか二文字なのだが。
つぎのところである。

●「こんどゆっくり男同士で話しましょう」と言われて   誤
●「こんどゆっくり男同士の話をしましょう」と言われて  正  

誤ったのも記憶ならば
その過ちを正したのも記憶だと思うのだが
文脈的な齟齬がそれをうながした。
音調的には、正すまえのほうがよい。
ぼくは、音調的に記憶を引き出していたのだった。
正せてよかったのだけれど
このことは、ぼくに、ぼくの記憶が
より音調的な要素をもっていることを教えてくれた。
事実よりも、ということである。
映像でも記憶しているのだが
音が記憶に深く関与していることに驚いた。
自分の記憶をすべて正す必要はないが
とにかく、驚かされたのだった。
いや
より詳細に検討しなければならない。
●詩のまえに書いたミクシィの日記での記述の段階で
脳が
音調なうつくしさを優先して言葉を書かしめた可能性があるのだから。
記憶を出す段階で
記憶を言葉にする段階で
音調が深く関わっているということなのだ。
記憶は正しい。
正しいから正せたのだから。
記憶を抽出する段階で
事実をゆがめたのだ。
音調。
これは、ぼくにとって呼吸のようなもので
ふだんから、音楽のようにしゃべり
音楽のように書く癖があるので
思考も音楽に支配されている部分が大いにある。
まあそれが、ぼくに詩を書かせる駆動力になっているのだろうけれど。
大部分かもしれない。
音調。
それは、ほとんどつねに、たしかに恩寵をもたらせるのではあるのだが
恩寵とは呼べないものをもたらすこともあるのだった。

青年が発したのは、まさに言葉であって、ものではなかった。
ものはなかったので、それをそのまま保存しておくことはできなかった。
詩人は、音声によって、その言葉を聞かされたのであった。
青年は、言葉によって、そして、そのとき言葉を発した気持ちを
その表情に、そのからだのつくりだす雰囲気によって伝えたであろう。
伝えようとする意志がどこまで意識的かどうかにはかかわらず
きっと、その表情やからだぜんたいから醸し出されるニュアンスは伝わったであろう。
そして、その言葉はその青年の呼吸と同じように吐き出され
詩人の呼吸と同じように吸いこまれたのであろう。
呼吸。
そうだ、呼吸は呼気と吸気からなる一連の運動である。
しかし、吸い込んだ空気中の酸素をすべて変換してからだは吸収するのではなく
からだは吸い込んだ空気から変換した二酸化炭素と変換しなかった酸素を吐き出すのだ。
呼吸。
詩人がよく使ったレトリックだが
おそらく、そのとき、その時間がふたりを呼吸していたのであろう。
その場所がふたりを呼吸していたのであろう。
その出来事がふたりを呼吸していたのであろう。
おそらく、そのとき、その時間が詩人と青年を呼吸していたのであろう。
その場所が詩人と青年を呼吸していたのであろう。
その出来事が詩人と青年を呼吸していたのであろう。
詩人の一部を時間に変え、時間の一部を詩人に変え
詩人の一部を場所に変え、場所の一部を詩人に変え
詩人の一部を出来事に変え、出来事の一部を詩人に変え
青年の一部を時間に変え、時間の一部を青年に変え
青年の一部を場所に変え、場所の一部を青年に変え
青年の一部を出来事に変え、出来事の一部を青年に変え
そうして、詩人の一部はその青年となり、その青年の一部は詩人となり
その年の一部は詩人となり、詩人の一部がその青年となったのであろう。
そのとき、人はその青年を呼吸し、その青年は詩人を呼吸していたのであろう。
音声による言葉の意味概念の想起は
詩人が書いていたように、
音声による「なめらかさ」といったものをくぐってもたらされたのであろう。
その青年が発した言葉による意味概念のなかで
とりわけ、「男同士」というところが強い印象を持たせたであろう。
したがって、その「男同士」という言葉につづく言葉として
詩人としては「で」という、もっともありふれた
つまり、詩人が知るところでもっとも標準的な言葉を
音声的にも耳慣れたものであり、音調的にも
「の」よりも、耳にここちよいほうを
「正しい記憶」ではなく「記憶していたと思っていた言葉」から
引き出したのであろう。
のちのち詩人が、「正しい記憶」を思い出せたのは
詩人が書いていたことから推測されるだろう。
自分の作品を何度も読み返しているうちに
その言葉が想起させるイメージが
これはヴィジョンだけではなく、
そのときのニュアンスとかいったものも含めて
詩人が想起させたときに
「正しい記憶」のほうが
「それはまちがっているぞ」というシグナルでも発していたのであろう。
詩人は、そのシグナルにはじめは気がつかなかったが
何度も読み返しているうちに気がついたのであろう。
詩人は、「文脈の齟齬」と書いていたが
「正しい記憶」による「心情の齟齬」とでもいったものが
詩人のこころのなかに生じたのではないだろうか。
「正しい記憶」が「誤った記憶」を正す機会は
そうあることではない。
詩人は貴重な機会をつかまえたわけだ。
まさしく、恩寵といったものを感じていたであろう。
恩寵か。
わたしは、数式の庭を見渡した。
数式の花たちは、わたしにとって言葉でもあり
記憶でもあり、ものでもある。
数式の花たちにとっても
おそらく、わたしは、言葉でもあり
記憶でもあり、ものでもあるのだろう。
詩人は、べつの日の日記に、つぎのようにも書いていた。

何十回も読み直していて気がつかなかったのに
気がついたのは、あの投稿掲示板の大きさによるところも大きい。
あの大きさだと、間違いに気がつくことがほんとうに多いのだ。
まずいところに気がつくことがほんとうに多いのだ。
視覚というのも、「正しい記憶」に関与しているのかもしれない。
さて
もちろん、視覚も「もの」ではない。
「もの」に依存するが。

書かれたものの大きさが、その作品を見渡せる大きさが
「正しい記憶」や、よりよい表現を促せたということか。
わたしの目は、もう一度ゆっくりと、数式の庭ぜんたいを見渡した。
プリントアウトした詩人の言葉をテーブルのうえに置いて
わたしは、ひとつの数式の花のところに足を向けた。


東條英機。

  田中宏輔




      歴史教育にこそ、決して枯れることのない泉がある。それはとりわけ
     忘却の時代において、無言の警告者として刹那的な栄華を超越し、つね
     に過去を思いだすことによって、新しい未来をささやくのである。    
          (アドルフ・ヒトラー『わが闘争』I・第一章、平野一郎訳)


規則I
 自然の事物の原因としては、それらの諸現象を真にかつ十分に
説明するもの以外のものを認めるべきではない。
(ニュートン『プリンシピア』第III編・世界大系・哲学における推理の規則、中野猿人訳)


大がかりの見せしめを目的とする罰は、常になんらかの不正を伴う/国家を破滅させた
罰として/首をくくられ/吊り下げられる/気の毒な将軍/彼は/自分の
利益のために人殺しをするのではなく/偉大なる祖国のために
/祖国愛から/殺す/根っからの軍人だった。                                          *01

もう/処刑はすんだか?                                                   *02

戦争のかつての主役であり/現に今もそうである/人間の身体が/ハンカチで
/顔を/覆(おお)われ/絞首台の上に/横たわっていた。                                    *03

死んでいるのかい?                                                     *04

彼は/ハンカチをとって/自分自身の/顔を/見た。                                       *05

牢を出ると/森がある/森へ入っていく道がある/この森は/彼の故郷だった
/海の上に傾いたこの鬱蒼(うつそう)とした森/彼は/この森を愛していた。                            *06

やがて/森に入ってしばらく行った斜面で足を停め/木々のあいだから
海が見られるような向きをとった。                                               *07

もし、時間というものが静止してしまったら?/陽が沈むことがあっては
ならない/太陽の下では一日のうちにすべてが変るのだ
/彼はそう言って、引鉄(ひきがね)を引いた。                                          *08



規則II
 ゆえに、同じ自然の結果に対しては、できるだけ同じ原因を
あてがわなければならない。
(ニュートン『プリンシピア』第III編・世界大系・哲学における推理の規則、中野猿人訳)


どうして森なんかに行ったの?                                                 *09

苺を取りに。                                                         *10

ほんとう?                                                          *11

彼は/ハンカチに/つつまれた/野いちごを/目の前につきだした。                                *12

どこで見つけたの?                                                      *13

すこし森を歩いてみない?                                                   *14

あたし、ここにいてもいい?                                                  *15

森はきれいだよ/そのうえ/苺の茂みがある/見事な苺がなっている。                               *16

ふと眼の隅に白いものが動くのを見て、彼はそちらに視線をむけた。                                 *17

それ/何を隠してるんだ?                                                    *18

わたしの好きな遊び、何だか知ってる?                                              *19

「可愛い兵隊(カリグラ)」                                                   *20

知らぬ間に/靴のひもがとけたわ。                                                *21

肩ひとつしゃくってみせると/彼は/ひざをついて
靴ひもを結んでやった。                                                      *22

靴はいらないのよ。                                                       *23

彼は/山と/積もった/靴の山に/靴を投げつけた。                                        *24

木端微塵/地雷が/爆発した。                                                  *25

森の周りに/地雷がある/地雷が仕掛けられている/それが森の境界だった。                             *26

足が、腕が、頭が/ちぎれてあたりに飛びちった。                                          *27

枝々に/血のしたたる/ちぎれた皮膚が/ぶら下がっていた。                                    *28



規則III
 物体の諸性質のうち、増強されることも軽減されることも許されず、また
われわれの実験の範囲内ですべての物体に属することが知られるようなもの
は、ありとあらゆる物体の普遍的な性質と見なされるべきである。
(ニュートン『プリンシピア』第III編・世界大系・哲学における推理の規則、中野猿人訳)


戦争について語ることの外に/いったい、何が残されているのだろう?/聞くがいい
/わたしの言葉を心して聞くのだ/忘れてもらいたくない。                                    *29

第二次大戦なんて関係ないわ/過去の物語にすぎないわ/戦争は終ったのよ。                            *30

お前は知っているかい?/いま/おまえの祖国に/どんな人たちが生きているかを/
市民達は、政治的無関心と快楽とに取り憑かれており/間もなく/祖国を/
滅ぼしてしまうだろう/平和がこの頃ほど、長く続いていたことは
かつてない/平和が悲惨であるぐらいなら、戦争と代った
ほうがましだ/だれにしろ/平和より戦争を
えらぶ/と将軍はいった。                                                   *31

そろそろ/紙の上に/樹々の密生する現実の森そのものを含ませよう。                                *32

なんと申す森だ、これは?                                                    *33

カチン。                                                           *34

カティン Katyn は、現ベラルーシのスモレンスク近郊のドニエプル河畔にある
森/長さ八メートル、横一六メートルの一二層からなる穴に約三〇〇〇
人のポーランド軍将校の死体が横たわっていた/全員、正規軍装を
着用し、手を縛られ、首の後ろ側に銃で撃たれた跡があった。                                   *35



規則IV
 実験哲学にあっては、諸現象から一般的な帰納によって推論された命題
は、たとえどのような反対の仮説が考えられようとも、それらがよりいっ
そう正確なものとされるか、あるいは除外されなければならないような他
の現象が起こるまでは、真実なもの、あるいは真実にきわめて近いものと
みなさなければならない。
(ニュートン『プリンシピア』第III編・世界大系・哲学における推理の規則、中野猿人訳)


心は祖国愛にみち、口唇には歌をくちずさみながら/からだをまっすぐに伸ばして、
胸を張って/首くくりの吊し縄の方へと足を運んで/行き/行く/と
/ふと/ふり仰ぐと/何か/光っている/ように見えた。                                       *36

太陽は右手に/左手は海になっている。                                               *37

ハンカチが/光ったのだ。                                                     *38

それは太陽のせいだ/太陽は一切の白い物を容赦(ようしや)はしない。                                 *39

頭上にあった/黄金の手巾を/見て
/彼は自分自身に言った。                                                     *40

この手巾を一番多く所有する者が、最大の勇者と判定される/しかし/結局、
それはわたしの手のなかにあったものではなかったのだ。
わたしの手には何もなかったのだ/と。                                               *41

とはいうものの/定めとあれば、死ぬほかはない/祖先の多くの人たちと同じ
ように/偉大なる祖国のために/私は死んで太陽に捧げられねばならない
/そうだ/帝国のためには、いつでも死ぬ覚悟があった/いつでも。                                  *42

おお/祖国のために死ぬことの幸福さよ!                                              *43

太陽は沈み、また昇るのだろうか?                                                 *44

黄金(こがね)色(いろ)なす/雲を/見はるかしながら/彼はそう/言った。                               *45

将軍の言葉に/森が/緑の枝を/靡(なび)かせる。                                          *46

樹の枝に/ひっかかっている/一枚の/ハンカチが/
海の方へと/ひらひら/飛んで行きました。                                             *47

留(とど)まれ/お前はいかにも美しい。                                                *48

数秒のあいだ/ハンカチが/宙に静止した。                                              *49

きれいじゃない?/ほんとうにそう思う?/きれいでしょう?
/そう?/そうじゃなくて?                                                     *50

バスというバスが/一時間前に発車していた。                                             *51

しかし/彼は/待っていた。                                                     *52

もう一度同じ場所に戻ってくるという確信があったからだ。                                       *53

コーヒー飲む?/別のところで/コーヒーを
もう一杯いかが?                                                          *54

泣いているの?                                                           *55

すべてのものは海から来たんだ。                                                   *56

そうとも/そうだった。                                                      *57

おお海よ/海よ、おまえはどうして逃げるのか。                                            *58

わたしは海であるのか/わたしは海であるのか/わたしは海であるのか。                                 *59

来ないのもよい。バスも……。                                                    *60

あるいはまた……                                                          *61











 References

*01:タキトゥス『年代記』第十四巻・44節、国原吉之助訳/タキトゥス『年代記』第十五巻・51節、国原吉之助訳/アイザック・ディネーセン『復讐には天使の優しさを』第二部・2、横山貞子訳/トーマス・マン『トニオ・クレーゲル』高橋義孝訳/サバト『英雄たちと墓』第IV部・5、安藤哲行訳/D・H・ロレンス『完訳チャタレイ夫人の恋人』第十章、伊藤整訳・伊藤礼補訳/ヘッセ『別な星の奇妙なたより』高橋健二訳/サバト『英雄たちと墓』第IV部・5、安藤哲行訳/タキトゥス『年代記』第十五巻・49節、国原吉之助訳/スタッズ・ターケル『「よい戦争」』1・ロージー・銃後の勤労戦士、渡辺和枝訳/ヨーゼフ・ロート『果てしなき逃走』第十三章、平田達治訳。*02:ヘッセ『アウグスツス』高橋健二訳/シェイクスピア『マクベス』第一幕・第四場、福田恆存訳。*03:シェイクスピア『ハムレット』第一幕・第一場、大山俊一訳/シェイクスピア『ハムレット』第一幕・第一場、大山俊一訳/ダス『「ノールランのらっぱ」から』林穰二訳/D・H・ロレンス『指ぬき』小野寺健訳/プラトーノフ『粘土砂漠』9、原卓也訳/トーマス・マン『ヴェニスに死す』高橋義孝訳/クワジーモド『現代人』井出正隆訳/エーヴ・キュリー『キュリー夫人伝』第一部・二、川口篤・河盛好蔵・杉捷夫・本田喜代治訳。*04:D・H・ロレンス『指ぬき』小野寺健訳。*05:ソルジェニーツィン『イワン・デニーソヴィチの一日』木村浩訳/シェイクスピア『ハムレット』第五幕・第二場、大山俊一訳/ラドヤード・キップリング『船路の果て』小野寺健訳/カトリーヌ・アルレー『わらの女』I、安堂信也訳/カトリーヌ・アルレー『わらの女』I、安堂信也訳。*06:カトリーヌ・アルレー『わらの女』II、安堂信也訳/アーシュラ・K・ル・グイン『始まりの場所』4、小尾芙佐訳/アーシュラ・K・ル・グイン『始まりの場所』4、小尾芙佐訳/シェイクスピア『マクベス』第五幕・第四場、福田恆存訳/アーシュラ・K・ル・グイン『始まりの場所』1、小尾芙佐訳/コレット『青い麦』一、堀口大學訳/トーマス・マン『ヴェニスに死す』高橋義孝訳/D・H・ロレンス『完訳チャタレイ夫人の恋人』第五章、伊藤整訳・伊藤礼補訳。*07:D・H・ロレンス『完訳チャタレイ夫人の恋人』第八章、伊藤整訳・伊藤礼補訳/アイザック・ディネーセン『復讐には天使の優しさを』第三部・13、横山貞子訳。*08:トーマス・マン『トニオ・クレーゲル』高橋義孝訳/ロバート・ネイサン『ジェニーの肖像』6、井上一夫訳/ヨベル書二一・一〇/ミュッセ『戯れに恋はすまじ』第一幕・第四景、進藤誠一訳/クライヴ・バーカー『不滅の愛』第五章・V、山本光伸訳。*09:アーシュラ・K・ル・グイン『始まりの場所』5、小尾芙佐訳。*10:シェイクスピア『リチャード三世』第三幕・第四場、福田恆存訳、句点加筆。*11:イェジイ・アンジェイェフスキ『灰とダイヤモンド』第七章、川上洸訳。*12:D・H・ロレンス『死んだ男』I、幾野宏訳/メリメ『ドン・ファン異聞』杉捷夫訳/ルソー『告白』第十一巻、桑原武夫訳/アイザック・ディネーセン『復讐には天使の優しさを』第二部・8、横山貞子訳/ジャック・フィニイ『悪の魔力』福島正実訳。*13:ミュッセ『戯れに恋はすまじ』第四幕・第六景、進藤誠一訳。*14:D・H・ロレンス『息子と恋人』第二部・第九章、小野寺健訳。*15:エーヴ・キュリー『キュリー夫人伝』第一部・一、川口篤・河盛好蔵・杉捷夫・本田喜代治訳。*16:D・H・ロレンス『息子と恋人』第二部・第七章、小野寺健訳/G・マクドナルド『リリス』18、死か生か?、荒俣宏訳/ヘッセ『車輪の下に』第二章、秋山六郎兵衛訳/シェイクスピア『リチャード三世』第三幕・第四場、福田恆存訳。*17:小松左京『旅する女』6.*18:D・H・ロレンス『春の陰翳』三、岩倉具栄訳/クライヴ・バーカー『不滅の愛』第一章・I、山本光伸訳。*19:ロバート・ネイサン『ジェニーの肖像』12、井上一夫訳。*20:タキトゥス『年代記』第一巻・41節、国原吉之助訳.*21:トーマス・マン『トニオ・クレーゲル』高橋義孝訳/ロバート・ネイサン『ジェニーの肖像』4、井上一夫訳。*22:ジャック・フィニイ『大胆不敵な気球乗り』福島正実訳/D・H・ロレンス『死んだ男』I、幾野宏訳/ロバート・ネイサン『ジェニーの肖像』4、井上一夫訳。*23:プラトーノフ『ジャン』2、原卓也訳。*24:D・H・ロレンス『完訳チャタレイ夫人の恋人』第一章、伊藤整訳・伊藤礼補訳/ウィーダ『フランダースの犬』1、村岡花子訳/コクトー『怖るべき子供たち』一、東郷青児訳/ソルジェニーツィン『イワン・デニーソヴィチの一日』木村浩訳/ソルジェニーツィン『イワン・デニーソヴィチの一日』木村浩訳。*25:レーモン・クノー『地下鉄のザジ』3、生田耕作訳/スタッズ・ターケル『「よい戦争」』2・爆撃者と被爆者・空襲のなかの暮らし、本田典子訳/沢村貞子『貝のうた』戦争がはじまる。*26:ヘロドトス『歴史』巻六・八〇節、松平千秋訳/ティム・オブライエン『僕が戦場で死んだら』18、中野圭二訳/カトリーヌ・アルレー『わらの女』II、安堂信也訳/アーシュラ・K・ル・グイン『始まりの場所』1、小尾芙佐訳。*27:シェイクスピア『ヘンリー五世』第四幕・第一場、大山俊一訳/沢村貞子『貝のうた』戦争がはじまる。*28:メレジュコーフスキー『ソレント』草鹿外吉訳/サマセット・モーム『物もらい』瀧口直太郎訳/ティム・オブライエン『僕が戦場で死んだら』8、中野圭二訳/ヨーゼフ・ロート『果てしなき逃走』第二章、平田達治訳。*29:ヴィーレック『カルタゴよ、さらば』児玉惇訳/ヴィーレック『カルタゴよ、さらば』児玉惇訳/アイスキュロス『縛られたプロメーテウス』呉茂一訳/ホメーロス『オデュッセイア』第一巻、高津春繁訳/カトリーヌ・アルレー『わらの女』I、安堂信也訳。*30:スタッズ・ターケル『「よい戦争」』記念碑、中山容訳/スタッズ・ターケル『「よい戦争」』記念碑、中山容訳/カポーティ『叶えられた祈り』川本三郎訳。*31:ミュッセ『戯れに恋はすまじ』第三幕・第三景、進藤誠一訳/エーヴ・キュリー『キュリー夫人伝』第二部・一、川口篤・河盛好蔵・杉捷夫・本田喜代治訳/アフマートワ『平和のうた』江川卓訳/アフマートワ『平和のうた』江川卓訳/プルタルコス『アギスとクレオメネス』クレオメネス・二三(二)、岩田拓郎訳/クライヴ・バーカー『不滅の愛』第四章・II、山本光伸訳/ホメ―ロス『イーリアス』第十二巻、呉茂一訳/D・H・ロレンス『完訳チャタレイ夫人の恋人』第十章、伊藤整訳・伊藤礼補訳/タキトゥス『年代記』第十五巻・46節、国原吉之助訳/タキトゥス『年代記』第三巻・44節、国原吉之助訳/T・H・ガスター『世界最古の物語』バビロニアの物語・神々の戦争、矢島文夫訳/ヘロドトス『歴史』巻一・八七節、松平千秋訳/サスーン『将軍』 成田成寿訳、句点加筆。*32:コレット『青い麦』一、堀口大學訳/マラルメ『詩の危機』南條彰宏訳/モーリス・ブランショ『文学空間』II、粟津則雄訳。*33:シェイクスピア『ヘンリー四世』第二部・第四幕・第一場、中野好夫訳。*34:スタッズ・ターケル『「よい戦争」』4・罪と罰・ポート・シカゴの大爆発、唐沢幸恵訳。*35:平凡社『東欧を知る事典』カティン事件/岩波ブックレット『シリーズ東欧現代史1・カチンの森とワルシャワ蜂起』渡辺克義/岩波ブックレット『シリーズ東欧現代史1・カチンの森とワルシャワ蜂起』渡辺克義。*36:アドルフ・ヒトラー『わが闘争』I・第七章、平野一郎訳/トーマス・マン『ヴェニスに死す』高橋義孝訳/プルタルコス『アギスとクレオメネス』アギス・二〇、岩田拓郎訳/ジャック・フィニイ『ゲイルズバーグの春を愛す』福島正実訳/ランボー『飾画』ある理性に、小林秀雄訳/ガルシン『あかい花』二、神西清訳/メリメ『ヴィーナスの殺人』杉捷夫訳/原民喜『永遠のみどり』/D・H・ロレンス『完訳チャタレイ夫人の恋人』第五章、伊藤整訳・伊藤礼補訳/ティム・オブライエン『僕が戦場で死んだら』16、中野圭二訳/ラーゲルクヴィスト『バラバ』尾崎義訳。*37:ヘロドトス『歴史』巻四・四二節、松平千秋訳/小松左京『旅する女』1。*38:メリメ『ドン・ファン異聞』杉捷夫訳/カポーティ『感謝祭のお客』川本三郎訳。*39:カミュ『異邦人』第一部・4、窪田啓作訳/ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳。*40:アーシュラ・K・ル・グイン『始まりの場所』1、小尾芙佐訳/ヘロドトス『歴史』巻二・一二二節、松平千秋訳/ゴールディング『ピンチャー・マーティン』11、井出弘之訳/D・H・ロレンス『死んだ男』II、幾野宏訳。*41:ヘロドトス『歴史』巻四・六四節、松平千秋訳/ヘミングウェイ『暗黒の十字路』井上謙治訳/ロバート・ネイサン『ジェニーの肖像』8、井上一夫訳/ゲーテ『ファウスト』第二部、相良守峯訳。*42:ローデンバック『死都ブリュージュ』VII、窪田般彌訳/ソポクレス『コロノスのオイディプス』高津春繁訳/トーマス・マン『ヴェニスに死す』高橋義孝訳/サバト『英雄たちと墓』第I部・12、安藤哲行訳/D・H・ロレンス『馬で去った女』三、岩倉具栄訳/モリエール『人間ぎらい』第四幕・第四場、内藤濯訳/アドルフ・ヒトラー『わが闘争』I・第五章、平野一郎訳/アドルフ・ヒトラー『わが闘争』I・第五章、平野一郎訳、句点加筆。*43:『NHK音楽シリーズ 1 ショパン─その愛と生涯』第三章、園部三郎/エーヴ・キュリー『キュリー夫人伝』第一部・一、川口篤・河盛好蔵・杉捷夫・本田喜代治訳。*44:クライヴ・バーカー『不滅の愛』第五章・VII、山本光伸訳。*45:アーサー・シモンズ『阿片喫む人』尾島庄太郎訳/トーマス・マン『トニオ・クレーゲル』高橋義孝訳/トーマス・マン『トニオ・クレーゲル』高橋義孝訳/アーシュラ・K・ル・グイン『始まりの場所』1、小尾芙佐訳/ジーン・リース『あいつらのジャズ』小野寺健訳。*46:タキトゥス『年代記』第十四巻・36節、国原吉之助訳/シェイクスピア『マクベス』第五幕・第五場、福田恆存訳/V・E・フランクル『夜と霧』七・苦悩の冠、霜山徳爾訳/モーパッサン『テリエ館』2、青柳瑞穂訳、句点加筆。*47:ラディゲ『肉体の悪魔』新庄嘉章訳/エーヴェルラン『ヨーロッパのどこかで』林穣二訳/ヒメーネス『唄』荒井正道訳/ヨーゼフ・ロート『果てしなき逃走』第十九章、平田達治訳/コレット『青い麦』一、堀口大學訳/トーマス・マン『ヴェニスに死す』高橋義孝訳/T・H・ガスター『世界最古の物語』ハッティの物語・姿を消した神様、矢島文夫訳。*48:ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳/ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳、句点加筆。*49:サバト『英雄たちと墓』第I部・2、安藤哲行訳/メリメ『ドン・ファン異聞』杉捷夫訳/プラトーノフ『ジャン』11、原卓也訳。*50:D・H・ロレンス『息子と恋人』第一部・第四章、小野寺健訳/マーガレット・ドリブル『再会』小野寺健訳/P・D・ジェイムズ『殺人展示室』第三部・2、青木久恵訳/サリンジャー『ナイン・ストーリーズ』バナナフィッシュにうってつけの日、野崎孝訳/D・H・ロレンス『歓びの幽霊たち』幾野宏訳。*51:マ・フニンプエー『同類多数』南田みどり訳/イェジイ・アンジェイェフスキ『灰とダイヤモンド』第十章、川上洸訳。*52:T・H・ガスター『世界最古の物語』カナアンの物語・バアルの物語、矢島文夫訳/D・H・ロレンス『太陽』二、岩倉具栄訳/トーマス・マン『ヴェニスに死す』高橋義孝訳。*53:サバト『英雄たちと墓』第I部・2、安藤哲行訳。*54:クライヴ・バーカー『不滅の愛』第五章・III、山本光伸訳/G・バタイユ『無神学大全・内的体験』第一部・III、出口裕弘訳/クライヴ・バーカー『不滅の愛』第五章・III、山本光伸訳。*55:プラトーノフ『フロー』原卓也訳。*56:クライヴ・バーカー『不滅の愛』第五章・V、山本光伸訳。*57:ロバート・ニュートン・ペック『豚の死なない日』3、金原瑞人訳/モリエール『人間ぎらい』第四幕・第四場、内藤濯訳。*58:ヴァレリー『夏』鈴木信太郎訳/詩篇一一四・五。*59:ヨブ記七・一二/ヨブ記七・一二/ヨブ記七・一二。*60:吉増剛造『<今月の作品>選評19』ユリイカ一九八九年九月号。*61:大岡信『<今月の作品>選評1』ユリイカ一九九〇年二月号。


ジャンヌとロリータの物語。

  田中宏輔




Contents

Hourglass Lake
Katyn
Selve d'Amore
Katyn
Selva Oscura
Gethsemane
Bois Chesnu
Nageki no Mori
Ararat



登場人物

Jeanne d'Arc ジャンヌ・ダルク(1411 or 1412−1431)。ローマ教皇庁はルーアンの審決をまだ取り消していない。それでいて、教皇庁は、一九二〇年、ジャンヌを聖女に列した。したがって、ジャンヌの存在は、異端の女にして聖女という、まことに不可解なものである。(平凡社『大百科事典』)

Dolores Haze ドロレス・ヘイズ。ウラジーミル・ナボコフ(1899−1977)の『ロリータ』という小説の題名は、それに出てくる少女の名前 "Dolores"の愛称"Lolita"による。(Vladimir Nabokov,"Lolita", U.S.A.,Vintage International,1989,p.9.)新潮社文庫版・大久保康雄訳の『ロリータ』の訳注に、ドロレスとは、「悲しみ」、「悲哀」の意で、キリスト教の「マリアの悲しみ」に由来する、とある。研究社『羅和辞典』に、「悲しめる」という意味の形容詞 "dolorosus"、「悲嘆、苦悩」という意味の名詞 "dolor"が収載されている。"Via dolorosa"、「悲しみの道」という言葉が、筆者に想起されたが、それは、十字架を背負わされたイエス・キリストが、<総督の官邸>から<ゴルゴタという所>(マルコによる福音書15・16 、15・22)にまで歩ませられた道の名である。(M・ジョーンズ編『図説・新約聖書の歴史と文化』左近義慈監修/佐々木敏郎・松本富士男訳)

Pier Paolo Pasolini  ピエール・パオロ・パゾリーニ(1922−1975)。イタリアの詩人、作家、映画監督。同性愛にからみ、ローマ郊外で殺された。(平凡社『大百科事典』)

King Lear リア王。ウィリアム・シェイクスピア(1564−1616)の『リア王』の主人公。ブリテンの老王。(シェイクスピア『リア王』大山俊一訳)

Hans Giebenrath ハンス・ギーベンラート。ヘルマン・ヘッセ(1877−1962)の『車輪の下に』の主人公。角川文庫版・秋山六郎兵衛訳の『車輪の下に』に、「ハンス・ギーベンラートは疑いもなく優秀なる子供だった。この子が他の子供たちとまざって走り廻っていたとき、どんなに上品で一目を惹いていたかを見れば、それで十分だろう。」とある。

Jesus Christ イエス・キリスト(B.C.4?−A.D.30)。カトリック教では、イエズス。ユダヤのベツレヘムに生まれたキリスト教の開祖。"Jesus" は "help of Jehovah"の縮約形 "Joshua" に由来し、また"Christ"は、救世主 "Messiah"の意の称号で、"Jesus the Christ"といわれていたものが、後に"the" が脱落して、"Jesus Christ"と固有名詞化されたものである。(三省堂『カレッジ・クラウン英和辞典』)キリストは、ギリシア語では"Christos"、ラテン語では"Christus"。普通名詞で、その意味は「油を塗られた者」である。「油を塗る」という動詞は "chrisma"である。なお、同じく、「油を塗られた者」のことを、ヘブライ語では "mashiah"という。このヘブライ語からメシア "Messiah"「救世主」という語が生まれたのである。(山下主一郎『シンボルの誕生』)

Maximilian Kolbe マクシミリアン・コルベ(1894−1941)。カトリック司祭、宣教師、殉教者。一九四一年、アウシュビッツで餓死刑に定められた囚人の身代わりになって殉教した。一九七一年列福、一九八二年列聖。(平凡社『大百科事典』)

Pierre Cauchon ピエール・コーション(1371−1443)。ボオヴェイの司教。一九三一年のジャンヌに対する異端裁判における宗教裁判官。名義上の主席裁判官は、ジャン・ル・メートルであったが、審理の行方は、コーション一人の手に委ねられていた。(堀越孝一『ジャンヌ=ダルクの百年戦争』)

Judges and People 陪席判事たちと民衆。ルーアンにおける、ジャンヌに対する異端裁判では、一四三一年二月二一日を第一日目として、六回の公開審理と、三月一〇日以降の八回の獄中審理がもたれ、いったんは、五月二四日に異端の審決が下されたが、ジャンヌが回心を誓ったので、コーションは審決を変更し、終身刑を申し渡した。ところが、同月二八日にジャンヌが回心を翻したため、二九日に、再度、法定合議が執り行われ、三〇日に、ルーアンの広場において、「もどり異端」と宣言され、ルーアン代官に引き渡され、火刑に処せられた。(堀越孝一『ジャンヌ=ダルクの百年戦争』)この裁判においては、陪席判事の発言は参考意見に過ぎず、コーションただ一人が、異端審問官代理のジャン・ル・メートル(最終審議には欠席)と並んで裁決権をもっていた。(レジーヌ・ペルヌー、マリ=ヴェロニック・クラン『ジャンヌ・ダルク』福本直之訳)


場所

Hourglass Lake  アウアグラス・レイク。ナボコフの『ロリータ』に出てくる森林湖で、ラムズデイルから数マイルの所にある。(Vladimir Nabokov, "Lolita", U.S.A., Vintage International, 1989, p.81.)

Katyn  カティン。一九四三年四月一二日、ドイツは、スモレンスク近郊カティンの森で、大量のポーランド軍将校の死体を発見し、これをソ連の虐殺行為であると発表した。モスクワは直ちに反駁し(山本俊郎・井内敏夫『ポーランド民族の歴史』)ドイツの仕業であると発表した。後に、ソ連がポーランド人将校ら一万五千人を殺したことが暴露した。(平凡社『東欧を知る事典』)

Selve d'Amore  セルヴェ・ダモーレ。ローレンツォ・デ・メディチ(1449ー1492)がつくった詩の題名『愛の森』より。(饗庭孝男『「西欧」とは何か』三田文学・一九八九年・夏季号・二〇九ページ)

Selva Oscura  セルヴァ・オスクーラ。ダンテ・アリギエリ(1265−1321)の『神曲』地獄篇に出てくる森。誤謬、非現実、無定形を表わす。(大修館書店『イメージ・シンボル事典』)

Gethsemane  ゲッセマネ。エルサレム東方、オリーブ山(八一四メートル)の麓にある園。イエスがユダに裏切られ、捕らえられた苦難の地。(三省堂『カレッジ・クラウン英和辞典』)「油絞り器」を意味する。(教文館『旧約・新約聖書大事典』)

Bois Chesnu  ボワ・シュニュー。ジャンヌ・ダルクが生まれたドムレミイの村から西に三キロメートルほどの所にある森で、彼女がお告げを聞いたといわれている場所の一つ。(村松剛『ジャンヌ・ダルク』)"chesnu"は古仏語で、現代仏語の"chene"に当たり、(高山一彦編・訳『ジャンヌ・ダルク処刑裁判』巻末に附載されている「編訳者の註釈」)槲、楢、樫などのぶな科こなら属の木の総称である。(三省堂『クラウン仏和辞典』)キリストの十字架がオーク材であったために、キリストのエンブレムとなった。また、この木は、太陽王の火葬用の薪であった。(大修館書店『イメージ・シンボル事典』)太古、森を神聖視したゲルマン人は、樫の森には、供犠を行なう祭司のほかは足を踏み入れることをゆるさなかった。暗闇に坐った祭司は、樫の樹の葉からもれる囁きにじっと耳を澄まし、神意を聴き取った。(谷口幸男・福嶋正純・福居和彦『ヨーロッパの森から』)

Nageki no Mori  嘆きの森。『古今和歌集』巻第十九収載の安倍清行朝臣女さぬきの歌から。岩波文庫・佐伯梅友校注の脚注に、「なげきの森という神社(鹿児島県にあるという)の由来を考えた歌。人々の嘆き(木にかけて)が集まって森となっているのだろうというわけ」とある。

Ararat  アララテ。トルコ東端にある火山(五一〇〇メートル)。(三省堂『カレッジ・クラウン英和辞典』)洪水が引いた際に、ノアの箱舟が漂着した所。(教文館『旧約・新約聖書大事典』)


事物と象徴

cricket  コオロギ。その鳴き声を楽しむ習慣は、現在、ギリシアほかの地中海地域、インド、中南米に盛んで、これを神の声に擬して神託を得たりもする。しかし、西ヨーロッパ地域では、その声を死の予兆と見たり、女のおしゃべりに模したり、雑音扱いにする。イギリスでは、これが鳴けば嵐が来ると信じられた。(平凡社『大百科事典』)

owl  フクロウ。死と暗闇に関連をもつ鳥で、エジプトの象形文字では、死、或は、地平線に沈み、夜の航行をする死んだ太陽の領域を表す。ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(23or24−79)によると、悪い知らせをもたらす鳥であるという。(大修館書店『イメージ・シンボル事典』)

mine  地雷。昔は敵の防御施設の下にトンネルを掘って仕掛ける爆発物を指し、中世末期以来、攻囲戦で使われてきた。(ダイヤグラム・グループ編『武器』田島優・北村孝一訳)

strawberry  イチゴ。聖母マリアのエンブレム。(大修館書店『イメージ・シンボル事典』)

bramble  キイチゴ。キリストのイバラの冠の材料の一つ。ヘブライにおいては、神の愛、燃える薮から聞こえる神の声を表す。(前掲同書)

shoes  靴。靴を脱ぐことは、「主の前に裸で立つ」ことの一つの形式である。(前掲同書)

lily  シャルル七世(1403−1461)は、ジャンヌと彼女の二人の兄にユリの紋章を与え、貴族の称号「白ユリ」を授けた。(村松剛『ジャンヌ・ダルク』)ユリは不死(土中の球根から再生する)、永遠の愛、復活(復活祭の花)を表す。エドガー・アラン・ポー(1809−1849)では、たいてい悲しみを表す。トーマス・スターンズ・エリオット(1888−1965)では、ユリ−葬式−復活祭−イエスという意味関連がある。また、ハトとユリは受胎告知を表す。(大修館書店『イメージ・シンボル事典』)

handkerchief  ハンカチ。毎日新聞社刊の『聖書美術館3・新約聖書2』に収載されている『聖ヴェロニカ』(一四〇〇年から一四二〇年ごろにかけて、ケルンで活躍した無名画家によるもの)の解説に、「イエスが十字架の道行きをされたとき、彼女はイエスの苦しみに同情して、自分のハンカチ(ベールともいわれる)で額の汗をぬぐってあげた。すると、不思議なことに、その布には、イエスの顔がうつされていた。これは新約外典の『ニコデモの福音書』(『ピラト行伝』とも称せられる)に記された話である」とある。

toad  ヒキガエル。ヒキガエルの腹には、死者たちの魂がつまっているともいわれる。(大修館書店『イメージ・シンボル事典』)

rain  雨。神の恩寵を表す。(前掲同書)

flood  洪水。十二宮では双魚宮を表し、再出現を意味する。(前掲同書)








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Hourglass Lake



  Jeanne d'Arc

どうして森へなんか行くの?
(阿部日奈子『キャロル式三段論法十番勝負』)


  Dolores Haze

あたし、新しいセーターを森のなかでなくしちゃったの。
(ナボコフ『ロリータ』第一部、大久保康雄訳)

で、あなたの方は?
(シェイクスピア『空騒ぎ』第三幕・第二場、福田恆存訳)


  Jeanne d'Arc

あたし?
(テネシー・ウィリアムズ『やけたトタン屋根の上の猫』田島博訳)

わたし、──いまは、よくわからないのよ。
(キャロル『ふしぎの国のアリス』高杉一郎訳)

でも、
(ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳)

そこへ行けば
(ハイネ『森の寂寞』片山敏彦訳)

森は
(フェンテス『脱皮』内田吉彦訳)

わたしに
(エリオット『寺院の殺人』第一部、福田恆存訳)

失ってしまったものを思い出させてくれる。
(フェンテス『脱皮』内田吉彦訳)

それはよく知っているものだった。
(ガルシア=マルケス『族長の秋』鼓直訳)

森の繁みのあいだに
(ゲーテ『ファウスト』第二部、相良守峯訳)

茂みの奥のあちこちに、
(サムイル・マルシャーク『森は生きている』第一幕・第一場、湯浅芳子訳)

到る処に
(ヘッセ『キオッジア』高橋健二訳)

忘れ去ってしまった音がいっぱい詰まっていて、
(フェンテス『脱皮』内田吉彦訳)

地面をふむと
(サムイル・マルシャーク『森は生きている』第四幕・第三場、湯浅芳子訳)

消える。
(フリョーデング『落日に』尾崎義訳)

縡(ことき)れる。
(リリエンクローン『麦穂の中に死す』坂本越郎訳)

多くの記憶を
(サンドバーグ『真実』安藤一郎訳)

草の上に
(ワイリー『野生の桃』片桐ヨウコ訳)

木の下に
(ミカ書四・四)

雑草のなかに
(エマソン『詩人』斎藤光訳)

置きざりにしたまんま。
(ヴェーデキント『ブリギッテ・B』吉村博次訳)

・・・・・・姿は見えない
(フライシュレン『十一月』高安國世訳)

どうしてだか分る?
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』木村榮一訳)


  Dolores Haze

どうして?
(プラトン『メノン』藤沢令夫訳)


  King Lear

はっ、はっ、はっ!
(シェイクスピア『リア王』第一幕・第一場、大山俊一訳)

答えてやるとも。
(シェイクスピア『マクベス』第四幕・第一場、福田恆存訳)

いまこそ喜べ。
(シェイクスピア『ヘンリー四世』第二部・第四幕・第五場、中野好夫訳)

みんな死ぬのじゃ。
(シェイクスピア『ヘンリー四世』第二部・第三幕・第二場、中野好夫訳)


  Pier Paolo Pasolini

馬鹿!
(ブライス=エチェニケ『幾たびもペドロ』野谷文昭訳)

このばかが!
(キャロル『ふしぎの国のアリス』高杉一郎訳)

あっちへ行け!
(テネシー・ウィリアムズ『やけたトタン屋根の上の猫』田島博訳)

あっちへ!
(シェイクスピア『オセロウ』第四幕・第二場、菅泰男訳)

しっ!しっ!
(キャロル『ふしぎの国のアリス』高杉一郎訳)

さあ、さあ、
(シェイクスピア『十二夜』第一幕・第五場、小津次郎訳)

やり直し!
(ラディゲ『ヴィーナスの星』江口清訳)

やり直し!
(ラディゲ『ヴィーナスの星』江口清訳)


  Jeanne d'Arc

嘘!
(テネシー・ウィリアムズ『欲望という名の電車』小田島雄志訳)


  Dolores Haze

また?
(ガルシア=マルケス『悪い時』高見英一訳)


  Pier Paolo Pasolini

もちろん。
(シェイクスピア『オセロウ』第四幕・第三場、菅泰男訳)


  Dolores Haze

まあ、そう。すてきだわ
(ナボコフ『ロリータ』第一部、大久保康雄訳)


  Pier Paolo Pasolini

さ、さ!
(シェイクスピア『じゃじゃ馬ならし』第三幕・第二場、福田恆存訳)

みんな、位置につきなさい。
(キャロル『ふしぎの国のアリス』高杉一郎訳)

もとの同じところへ、
(プラトン『パイドロス』藤沢令夫訳)


  Jeanne d'Arc

どこまでやったかしら?
(シェイクスピア『じゃじゃ馬ならし』第三幕・第一場、福田恆存訳)


  Dolores Haze

あなた憶えてないの?
(フェンテス『脱皮』内田吉彦訳)

森よ!
(トルストイ『春なお早い・・・・・・』清水邦生訳)

蟋蟀(こほろぎ)多(さは)に鳴く
(『万葉集』巻第十・秋の相聞・読み人知らずの「花に寄する」歌)

森へはいる
(ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳)

ところ。
(ダンテ『神曲』浄罪篇・第二十八歌、野上素一訳、句点加筆=筆者)


________________________________________


Katyn



  Pier Paolo Pasolini

ここはくらやみの森である。
(ダンテ『神曲』地獄篇・序曲・第一歌、野上素一訳)

森はしいんとして、
(ドイプラー『冬』石川進訳)

いたるところに闇がある。
(リンゲルナッツ『いたるところに』五木田浩訳)

そこではすべての願いがかない、熟し、完結する、
(ダンテ『神曲』天堂篇・第二十二歌、野上素一訳)

またそこでのみ、あらゆる部分はかつてそれがあったままと同じ姿をとるのである。
(ダンテ『神曲』天堂篇・第二十二歌、野上素一訳)

それは、この場所が神によって直接支配されていたからである。
(ダンテ『神曲』天堂篇・第三十歌、野上素一訳)

美しい森よ。
(ヘルダーリン『散歩』片山敏彦訳)

これは古い森だ。
(ゲーテ『ファウスト』第二部、相良守峯訳)

古い森の
(ダンテ『神曲』浄罪篇・第二十八歌、野上素一訳)

森の縁
(ボブロフスキー『子供のとき』神田芳夫訳)

わたしたちはここにいる。
(民数記一四・四〇)

そこから深い森の奥へ!
(ランボー『何がニナを引止める』堀口大學訳)

さあさあ、
(シェイクスピア『お気に召すまま』第五幕・第一場、阿部知二訳)

ここのあたりからはじめてくれ、ええと──
(シェイクスピア『ハムレット』第二幕・第二場、大山俊一訳)

ぼくのとても好きなせりふがあるんだ。
(シェイクスピア『ハムレット』第二幕・第二場、大山俊一訳)

ほら、ほら!
(シェイクスピア『リア王』第五幕・第三場、大山俊一訳)


  Jeanne d'Arc

どうして森へなんか行くの?
(阿部日奈子『キャロル式三段論法十番勝負』)


  Pier Paolo Pasolini

そう、そう、
(テネシー・ウィリアムズ『欲望という名の電車』小田島雄志訳)

すばらしい始まりだ。
(ディラン・トマス『皮商売の冒険』北村太郎訳)

さあ、つづけてくれ。
(シェイクスピア『ハムレット』第二幕・第二場、大山俊一訳)


  Jeanne d'Arc

どうして森へなんか行くの?
(阿部日奈子『キャロル式三段論法十番勝負』)


  Dolores Haze

あなた、まえにも同じことをきいたわ。
(マヤ・ヴォイチェホフスカ『夜が明けるまで』清水真砂子訳)


  Pier Paolo Pasolini

おい、おい。
(シェイクスピア『『ロミオとジュリエット』第一幕・第一場、大山敏子訳)

きめられたセリフ以外は
(シェイクスピア『ハムレット』第三幕・第二場、大山俊一訳)

喋っちゃいかん。
(シェイクスピア『リア王』第三幕・第五場、大山俊一訳)

さあ先をやってくれ。
(シェイクスピア『ハムレット』第二幕・第二場、大山俊一訳)


  Dolores Haze

あたし、新しいセーターを森のなかでなくしちゃったの。
(ナボコフ『ロリータ』第一部、大久保康雄訳)


  Jeanne d'Arc

どうして?
(シェイクスピア『十二夜』第三幕・第一場、小津次郎訳)


  Dolores Haze

あたしってとてもだらしがないの。
(ブライス=エチェニケ『幾たびもペドロ』野谷文昭訳)


  Jeanne d'Arc

相手は誰?
(ガルシア=マルケス『百年の孤独』鼓直訳、疑問符加筆=筆者)


  Dolores Haze

もう覚えてないわ。
(ブライス=エチェニケ『幾たびもペドロ』野谷文昭訳)

相手が誰だったか知らないけど、
(ロベール・メルル『イルカの日』三輪秀彦訳)

でもそれがどうしたの?
(ジョン・ダン『夜あけ』永川玲二訳)

あのセーターは純毛だったのよ。
(ナボコフ『ロリータ』第一部、大久保康雄訳)

で、あなたの方は?
(シェイクスピア『空騒ぎ』第五幕・第二場、福田恆存訳)

どうして森へなんか行くの?
(阿部日奈子『キャロル式三段論法十番勝負』)


  Jeanne d'Arc

あたし?
(テネシー・ウィリアムズ『やけたトタン屋根の上の猫』田島博訳)

そうねえ。わたし、
(キャロル『ふしぎの国のアリス』高杉一郎訳)

わたし、──いまはよくわからないのよ。
(キャロル『ふしぎの国のアリス』高杉一郎訳)

でも、
(ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳)

そこへ行けば
(ハイネ『森の寂漠』片山敏彦訳)

ああ、ああ・・・・・・
(テネシー・ウィリアムズ『欲望という名の電車』小田島雄志訳)

ええと──
(シェイクスピア『ハムレット』第二幕・第二場、大山俊一訳)


  Pier Paolo Pasolini

はなはだ多くの骨があり、
(エゼキエル書三七・二)


  Jeanne d'Arc

そう。
(シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』第四幕・第三場、中野好夫訳)


  Pier Paolo Pasolini

それはいたるところに在る。
(ル・クレジオ『戦争』豊崎光一訳)


  Dolores Haze

地面も見えないほどよ。
(サムイル・マルシャーク『森は生きている』第一幕・第三場、湯浅芳子訳)


  Jeanne d'Arc

あの、地面から出てきたものは何でしょう。
(ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳)


  Dolores Haze

そうよ。あそこ。
(フェンテス『脱皮』内田吉彦訳)


  Jeanne d'Arc

おお、かわいそうに、
(シェイクスピア『ロミオとジュリエット』第五幕・第三場、大山敏子訳)

あの頭蓋骨。
(シェイクスピア『ハムレット』第五幕・第一場、大山俊一訳、句点加筆=筆者)


  Dolores Haze

あんた、どう?
(ミストラル『プロヴァンスの少女』杉富士雄訳)

わたしといっしょにこない?
(ミストラル『プロヴァンスの少女』杉富士雄訳)


  Jeanne d'Arc

わたしにどうしろって言うの?
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』木村榮一訳)


  Dolores Haze

そこは土が深くないので、
(マタイによる福音書一三・五)

土でこれをおおうために、
(エゼキエル書二四・七)

土を盛り、土を盛って
(イザヤ書五七・一四)

これを踏みつけ、
(ダニエル書七・二三)

埋めましょう。
(アポリネール『サロメ』堀口大學訳)


  Jeanne d'Arc

もしよければ、そうしましょう。
(プラトン『パイドロス』藤沢令夫訳)

でも、
(プラトン『パイドロス』藤沢令夫訳)

あたしは森から帰れなくなるわ。
(サムイル・マルシャーク『森は生きている』第一幕・第三場、湯浅芳子訳)

おそろしいことだわ!
(ビョルンソン『人の力を超えるもの』第一部・第一幕・第一場、毛利三彌訳)


  Pier Paolo Pasolini

これらの骨は、
(シェイクスピア『ハムレット』第五幕・第一場、大山俊一訳)

すべて
(エリオット『寺院の殺人』第一部、福田恆存訳)

土でこれをおおわなければならない。
(レビ記一七・一三)

土は
(オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』小川亮作訳)

死者たちのものなのだ。
(シュトルム『海辺の墓』吉村博次訳)

骨は、
(シェイクスピア『ハムレット』第五幕・第一場、大山俊一訳)

押し潰されることを欲している。
(ル・クレジオ『戦争』豊崎光一訳)

さあ、
(シェイクスピア『ハムレット』第二幕・第二場、大山俊一訳)

来て踏め、
(ヨエル書三・一三)

踏みはずすことなく、
(ヘブル人への手紙一二・一三)

踏みしだく者は幸いなるかな!
(ゴットフリート・フォン・シュトラースブルク『トリスタンとイゾルデ』第一章・序章、石川敬三訳)

Quidquid calcaverit hic,rosa fiat.
(研究社『羅和辞典』)

この者が踏みつけるものは何でもバラになれかし。
(研究社『羅和辞典』)


  Dolores Haze

しっ、
(シェイクスピア『空騒ぎ』第二幕・第一場、福田恆存訳)

黙って。
(シェイクスピア『マクベス』第二幕・第二場、福田恆存訳)

あれは梟、
(シェイクスピア『マクベス』第二幕・第二場、福田恆存訳)

梟の声かしら、
(エリオット『寺院の殺人』第一部、福田恆存訳)


  Jeanne d'Arc

鳴いているわ。
(ロベール・メルル『イルカの日』三輪秀彦訳)


  owl

ほう!
(シェイクスピア『空騒ぎ』第三幕・第二場、福田恆存訳)

ほ、ほう!
(シェイクスピア『空騒ぎ』第三幕・第三場、福田恆存訳)

阿呆がきたよ、ほう。
(シェイクスピア『十二夜』第二幕・第三場、小津次郎訳)


  King Lear

おい!
(シェイクスピア『リア王』第四幕・第六場、大山俊一訳)

お前たちはこの神聖な場所で何をしておる。
(ゲーテ『ファウスト』第二部、相良守峯訳)

おお胸も張り裂けるような光景!
(シェイクスピア『リア王』第四幕・第六場、大山俊一訳)

何というむごいことを!
(シェイクスピア『ハムレット』第四幕・第一場、大山俊一訳)

さあ言え。
(シェイクスピア『リア王』第五幕・第三場、大山俊一訳)

娘たち、
(シェイクスピア『リア王』第一幕・第一場、大山俊一訳)

なんと申す森だ、
(シェイクスピア『ヘンリー四世』第二部・第四幕・第一場、中野好夫訳)

この森は?
(シェイクスピア『マクベス』第五幕・第四場、福田恆存訳)


  Jeanne d'Arc and Dolores Haze

カティン。
(平凡社『東欧を知る事典』句点加筆=筆者)


  King Lear

もう一度言うがよい。
(シェイクスピア『リア王』第一幕・第一場、大山俊一訳)


  Jeanne d'Arc and Dolores Haze

カティン。
(平凡社『東欧を知る事典』句点加筆=筆者)


  King Lear

もう一回!
(シェイクスピア『リア王』第五幕・第三場、大山俊一訳)


  Jeanne d'Arc and Dolores Haze

カティン。
(平凡社『東欧を知る事典』句点加筆=筆者)


  King Lear

そのとおり。
(シェイクスピア『マクベス』第一幕・第三場、福田恆存訳)

ここは
(ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳)

聖なる森
(ランボー『太陽と肉体』堀口大學訳)

聖なる地である。
(使徒行伝七・三三)

ここにもまた戦争があった。
(ル・クレジオ『戦争』豊崎光一訳)

殺される者は多い。
(イザヤ書六六・一六)

だれも救う者はない。
(ホセア書五・一四)

これこそはまこと非道、絶無、残酷きわまる殺人だ。
(シェイクスピア『ハムレット』第一幕・第五場、大山俊一訳)

手足をしばって、
(マタイによる福音書二二・一三)

両眼をえぐり、
(士師記一六・二一)

鼻と耳とを切り落とし、
(エゼキエル書二三・二五)

その皮をはぎ、その骨を砕き、
(ミカ書二・三)

ことごとく殺し
(哀歌二・四)

ことごとく殺し
(マタイによる福音書二・一六)

ことごとく殺してしまった・・・・・・。
(ミストラル『プロヴァンスの少女』杉富士雄訳)

あはあ、あはあ、われらの目はそれを見た。
(詩篇三五・二一、句点加筆=筆者)

おお何とおそろしい、おそろしい、おそろしい事だ!
(シェイクスピア『ハムレット』第一幕・第五場、大山俊一訳)

殺される者はおびただしく、
(ナホム書三・三)

彼らの血はちりのように流され、
(ゼパニヤ書一・一七)

地はその上に流された血をあらわして、
(イザヤ書二六・二一)

かわくこともない。
(イザヤ書四九・一〇)

どこへ足を踏み入れても、
(リルケ『ドゥイーノ悲歌』第一悲歌、浅井真男訳)

血がそこから流れでた。
(シュトルム『白い薔薇』吉村博次訳)

は!
(シェイクスピア『あらし』第五幕・第一場、福田恆存訳)

はっはっ!
(シェイクスピア『ハムレット』第一幕・第三場、大山俊一訳)

この森にいつまでいるつもりだ?
(シェイクスピア『夏の夜の夢』第二幕・第一場、福田恆存訳)

swelling ground 盛り上がった土地
(三省堂『新クラウン英和辞典』)

多くの人がつまずき、
(マタイによる福音書二四・一〇)

その足は土を踏まなかった。
(ダニエル書八・五)

彼らはやって来たときと同じように、去って行った。
(フェンテス『脱皮』内田吉彦訳)

swelling ground 盛り上がった土地
(三省堂『新クラウン英和辞典』)

多くの人がつまずき、
(マタイによる福音書二四・一〇)

くつを脱ぎ
(イザヤ書二〇・二)

跪く
(メーリケ『恋びとに』富士川英郎訳)

swelling ground 盛り上がった土地
(三省堂『新クラウン英和辞典』)

多くの人がつまずき、
(マタイによる福音書二四・一〇)

祈り
(エリオット『寺院の殺人』第一部、福田恆存訳)

歩みも重く立ち去って行った。
(ヴェルフェル『幼な友達』神保光太郎訳)

だが、
(ゲーテ『訪ない』高橋健二訳)

娘たち、
(シェイクスピア『リア王』第一幕・第一場、大山俊一訳)

お前たちはこの神聖な場所で何をしておる。
(ゲーテ『ファウスト』第二部、相良守峯訳)

こうして足で踏まれ、
(イザヤ書二六・六)

足の裏の下にあって、
(マラキ書四・三)

これらの骨は、生き返ることができるのか。
(エゼキエル書三七・三)

バカバカしい!
(シェイクスピア『ハムレット』第一幕・第二場、大山俊一訳)

おやっ!
(シェイクスピア『リア王』第四幕・第六場、大山俊一訳)

おお、
(シェイクスピア『空騒ぎ』第四幕・第一場、福田恆存訳)

あれは何だ?
(シェイクスピア『あらし』第三幕・第二場、福田恆存訳)

どうして、そんなことが。
(シェイクスピア『夏の夜の夢』第三幕・第二場、福田恆存訳)

いや、そんなことはありえない。
(シェイクスピア『じゃじゃ馬ならし』第三幕・第二場、福田恆存訳)

いや、いや、いや!
(シェイクスピア『リア王』第五幕・第三場、大山俊一訳)

おお!
(シェイクスピア『リア王』第四幕・第三場、大山俊一訳)

見よ、
(エゼキエル書三七・七)

骨と骨が集まって
(エゼキエル書三七・七)

みるみるうちに、
(シェイクスピア『ハムレット』第一幕・第二場、大山俊一訳)

その上に筋ができ、肉が生じ、
(エゼキエル書三七・八)

皮がこれをおおった。
(エゼキエル書三七・八、句点加筆=筆者)



バン!
(ジョージ・オウエル『カタロニア讃歌』鈴木隆・山内明訳)



銃声一発!
(テネシー・ウィリアムズ『欲望という名の電車』小田島雄志訳)



  King Lear

伏せろ! 地面に伏せるんだ!
(ガルシア=マルケス『百年の孤独』鼓直訳)

戦争が始まった。
(ル・クレジオ『戦争』豊崎光一訳)



ダダダダダッ
(J・G・バラード『太陽の帝国』第一部、高橋和久訳)



機銃掃射!
(ジョージ・オウエル『カタロニア讃歌』鈴木隆・山内明訳、感嘆符加筆=筆者)



バン、バン、バン!
(テネシー・ウィリアムズ『やけたトタン屋根の上の猫』田島博訳)



バン、バン、バン、バン!
(テネシー・ウィリアムズ『やけたトタン屋根の上の猫』田島博訳)



  King Lear

戦争!
(ゲーテ『ファウスト』第二部、相良守峯訳)

そこに向けるべき銃があり、
(ドルトン・トランボ『ジョニーは戦場へ行った』信太英男訳)

発射すべき弾丸があり、
(ドルトン・トランボ『ジョニーは戦場へ行った』信太英男訳)

殺されるべき人間がいる。
(ドルトン・トランボ『ジョニーは戦場へ行った』信太英男訳、句点加筆=筆者)

これらの者は
(ペテロの第二の手紙二・一二)

ほふられるために生れてきた、
(ペテロの第二の手紙二・一二)

見よ、
(ヨブ記五・二七)

われわれの尋ねきわめた所はこのとおりだ。
(ヨブ記五・二七)

この場所こそ呪わしいのだ。
(ゲーテ『ファウスト』第二部、相良守峯訳)

戦争はやむことがない。
(ル・クレジオ『戦争』豊崎光一訳)

あはあ、あはあ、
(詩篇三五・二一)

見よ、流血。
(イザヤ書五・七)

見よ、叫び。
(イザヤ書五・七)

a swelling sound 高まっていく音
(三省堂『新クラウン英和辞典』)

うなりをあげる砲弾、
(ポール・エリュアール『おれたちの死』大島博光訳)

突進する戦車の数々。
(ル・クレジオ『戦争』豊崎光一訳)

さあ始めろ。
(シェイクスピア『ハムレット』第三幕・第二場、大山俊一訳)

ぶっ放せ。
(シェイクスピア『十二夜』第二幕・第五場、小津次郎訳)

殺せ、殺せ、
(シェイクスピア『リア王』第四幕・第六場、大山俊一訳)

皆、殺せ。
(サムエル記上一五・三)



  Jeanne d'Arc

ああ、神さま!
(ゲルハルト・ハウプトマン『沈んだ鐘』第四幕、秋山英夫訳)


  Dolores Haze

どうすればいいのかしら?
(ル・クレジオ『戦争』豊崎光一訳)


  Pier Paolo Pasolini

戦争を停めるための一つの言葉が必ずやあるにちがいない。
(ル・クレジオ『戦争』豊崎光一訳)


  Dolores Haze

でもどの言葉かしら?
(ル・クレジオ『戦争』豊崎光一訳)


  Jeanne d'Arc

一語で?
(ボルヘス『パラケルススの薔薇』鼓直訳)


  Pier Paolo Pasolini

ああ、そうだとも、
(シェイクスピア『お気に召すまま』第二幕・第四場、阿部知二訳)


  Jeanne d'Arc

戦争をやめさせるもの、何かしら。
(ヘミングウェイ『武器よさらば』第一部・第四章、石一郎訳、句点加筆=筆者)

ことば、ことば、ことば。
(シェイクスピア『ハムレット』第二幕・第二場、大山俊一訳)


  Dolores Haze

ああ、意味のない言葉よ!
(ポー『リジーア』富士川義之訳)


  Pier Paolo Pasolini

世には多種多様の言葉があるだろうが、意味のないものは一つもない。
(コリント人への第一の手紙一四・一〇)


  Dolores Haze

けれどその言葉を知らない。
(トルストイ『陽はばら色の西に消えゆき』清水邦生訳)


ひゅう!
(シェイクスピア『リア王』第四幕・第六場、大山俊一訳)

頭上をかすめる弾丸のうなり、
(ドルトン・トランボ『ジョニーは戦場へ行った』信太英男訳)


  King Lear

見よ、
(エゼキエル書一八・三)

殺害に殺害が続いている。
(ホセア書四・二)



バン!
(ジョージ・オウエル『カタロニア讃歌』鈴木隆・山内明訳)



ダダダダダッ
(J・G・バラード『太陽の帝国』第一部、高橋和久訳)



  cricket

cri-cri
(三省堂『クラウン仏和辞典』)

cri-cri
(三省堂『クラウン仏和辞典』)


取りちらかした地面には、
(ディラン・トマス『敵たち』北村太郎訳)

骨でできた
(オクタビオ・パス『砕けた壺』桑名一博訳)

こおろぎが鳴いていた。
(ディラン・トマス『敵たち』北村太郎訳)

こおろぎの骨、
(シェイクスピア『ロミオとジュリエット』第一幕・第四場、大山敏子訳)

そのからだはそこなわれて、
(ダニエル書七・一一)

機関砲の砲弾を受けばらばらになっていた。
(J・G・バラード『太陽の帝国』第二部、高橋和久訳)


  Dolores Haze

さあお出でなさい、
(ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳)

こおろぎ、こおろぎ、こおろぎちゃん、
(サンド『愛の妖精』篠沢秀夫訳)

一しょに楽しい思いをしましょう。
(『グリム童話』収載『ならずもの』高橋健二訳、句点加筆=筆者)


  King Lear

このあばずれ!
(ブライス=エチェニケ『幾たびもペドロ』野谷文昭訳)


  Pier Paolo Pasolini

しっ、静かに!
(エミリー・ブロンテ『幻想するひと』斎藤正二訳)

この老いぼれめ、
(シェイクスピア『じゃじゃ馬ならし』第五幕・第一場、福田恆存訳)


  Dolores Haze

で、どこ?
(テネシー・ウィリアムズ『欲望という名の電車』小田島雄志訳、疑問符加筆=筆者)

どこにいるの?
(テネシー・ウィリアムズ『欲望という名の電車』小田島雄志訳、疑問符加筆=筆者)

何もこわいことはないのだから安心して、
(プラトン『テアイテトス』田中美知太郎訳)

いたいた、
(テネシー・ウィリアムズ『やけたトタン屋根の上の猫』田島博訳、読点加筆=筆者)

こんなとこに、いた!
(テネシー・ウィリアムズ『やけたトタン屋根の上の猫』田島博訳)


  cricket

cri-cri
(三省堂『クラウン仏和辞典』)

cri-cri
(三省堂『クラウン仏和辞典』)


  Dolores Haze

オホホホ。
(シェイクスピア『十二夜』第三幕・第四場、小津次郎訳)

まあ、なんてかわいいこと。
(ミストラル『プロヴァンスの少女』杉富士雄訳)

こんなに大きくなって!
(ガルシア=マルケス『百年の孤独』鼓直訳)


  Jeanne d'Arc

笑っているのかしらん?
(リルケ『愛と死の歌』石丸静雄訳)


  Dolores Haze

こおろぎは
(ダリーオ『シンフォニア灰色長調』荒井正道訳)

すべて
(エリオット『寺院の殺人』第一部、福田恆存訳)

私のもの。
(ヴァレリー『セミラミスの歌』鈴木信太郎訳)

私のものよ。
(アンリ・ミショー『夜の中で』小海永二訳)

この足で踏みにじってやるわ。
(シェイクスピア『リア王』第三幕・第七場、大山俊一訳)


  King Lear

おお!
(シェイクスピア『リア王』第二幕・第四幕、大山俊一訳)

こんなことをして、なにになるんだ。
(ダンテ『神曲』地獄篇・第二十一歌、野上素一訳、句点加筆=筆者)

どうしてそれを隠しておくんだ。
(シェイクスピア『十二夜』第一幕・第三場、小津次郎訳、句点加筆=筆者)


  Dolores Haze

おかげで、あたしたちは、また森へやられるのよ。
(サムイル・マルシャーク『森は生きている』第三幕・第二場、湯浅芳子訳、句点加筆=筆者)


  King Lear

こういったことすべてをどうやって忘れよう?
(ル・クレジオ『戦争』豊崎光一訳)


  Pier Paolo Pasolini

こら老いぼれ!
(シェイクスピア『リア王』第二幕・第二場、大山俊一訳)

黙れ!
(シェイクスピア『じゃじゃ馬ならし』第一幕・第二場、福田恆存訳)

静かにせい。
(シェイクスピア『ヘンリー四世』第二部・第三幕・第二場、中野好夫訳)

この老いぼれめ、
(シェイクスピア『じゃじゃ馬ならし』第五幕・第一場、福田恆存訳)

あっちへ行け!
(テネシー・ウィリアムズ『やけたトタン屋根の上の猫』田島博訳)

あっちへ。
(シェイクスピア『お気に召すまま』第五幕・第一場、阿部知二訳)


  owl

ほう!
(シェイクスピア『空騒ぎ』第三幕・第二場、福田恆存訳)

ほ、ほう!
(シェイクスピア『空騒ぎ』第三幕・第三場、福田恆存訳)

阿呆はいったい、いずこへまいった。
(ゲーテ『ファウスト』第二部、相良守峯訳)


  Pier Paolo Pasolini

あとで森のなかをさがすのがたいへんだ。
(サムイル・マルシャーク『森は生きている』第一幕・第三場、湯浅芳子訳)

・・・・・・さ、用意は出来たか?
(シェイクスピア『じゃじゃ馬ならし』第四幕・第一場、福田恆存訳)


  Jeanne d'Arc

えっ!
(シェイクスピア『リチャード三世』第三幕・第五場、福田恆存訳)


  Pier Paolo Pasolini

やり直し!
(ラディゲ『ヴィーナスの星』江口清訳)

やり直し!
(ラディゲ『ヴィーナスの星』江口清訳)


  Jeanne d'Arc

嘘!
(テネシー・ウィリアムズ『欲望という名の電車』小田島雄志訳)


  Dolores Haze

また?
(ガルシア=マルケス『悪い時』高見英一訳)


  Pier Paolo Pasolini

もちろん。
(シェイクスピア『オセロウ』第四幕・第三場、菅泰男訳)


  Dolores Haze

いつまでやるつもり?
(テネシー・ウィリアムズ『欲望という名の電車』小田島雄志訳)


  Jeanne d'Arc

まるで違うふたつの話を、いっしょくたにして、いったいどうなさりたいの?
(ハシント・ベナベンテ『美徳を裏切る人びと』第一幕、荒井正道訳)


  Pier Paolo Pasolini

まあ、そう言わずに、気を鎮めて。
(シェイクスピア『あらし』第一幕・第一場、福田恆存訳)


  Dolores Haze

あと一回でおしまいにしてくれない?
(テネシー・ウィリアムズ『欲望という名の電車』小田島雄志訳)


  Pier Paolo Pasolini

わかった。わかった。
(ハシント・ベナベンテ『美徳を裏切る人びと』第二幕、荒井正道訳)

もう一度、これが最後だ。
(シェイクスピア『オセロウ』第五幕・第二場、菅泰男訳)


________________________________________


Selve d'Amore



  Hans Giebenrath

どこへ行くのさ?
(マヤ・ヴォイチェホフスカ『夜が明けるまで』清水真砂子訳)


  Jeanne d'Arc

え?
(シェイクスピア『オセロウ』第四幕・第一場、菅泰男訳)


  Hans Giebenrath

で、
(シェイクスピア『ハムレット』第一幕・第二場、大山俊一訳)

何を探しているの?
(ガルシア=マルケス『悪い時』高見英一訳)


  Dolores Haze

・・・・・・なにを捜してたんだっけ?
(テネシー・ウィリアムズ『欲望という名の電車』小田島雄志訳)


  Jeanne d'Arc

森の苺。
(ジュール・シュペルヴィエール『雲』嶋岡晨訳、句点加筆=筆者)


  Dolores Haze

森の木苺。
(ラディゲ『憤ったニンフ』江口清訳、句点加筆=筆者)


  Jeanne d'Arc

森に實るたぐひない苺よ。
(ラディゲ『秋』川村克己訳、句点加筆=筆者)


  Hans Giebenrath

場所はどこか知ってるかい?
(ロベール・メルル『イルカの日』三輪秀彦訳)


  Dolores Haze

わからない。
(シェイクスピア『オセロウ』第二幕・第三場、菅泰男訳)


  Jeanne d'Arc

どこでそれを見つけたの?
(フェンテス『脱皮』内田吉彦訳)


  Hans Giebenrath

suo loco.
(岩波書店『ギリシア・ラテン引用語辭典』)

それ自身の場所に。
(岩波書店『ギリシア・ラテン引用語辭典』)

でも、
(ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳)

ひとつとして同じ場所にとどまっていない。
(ル・クレジオ『戦争』豊崎光一訳)


  Dolores Haze

だったら早く見つけなきゃいけないわね。
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』木村榮一訳)

あるところへ行く道を教える?教えない?
(サムイル・マルシャーク『森は生きている』第四幕・第二場、湯浅芳子訳)


  Jeanne d'Arc

さあ、どうかお教えください、
(シェイクスピア『ロミオとジュリエット』第三幕・第三場、大山敏子訳)


  Dolores Haze

つれてってちょうだい。
(シェイクスピア『十二夜』第一幕・第二場、小津次郎訳)


  Hans Giebenrath

じゃ、行こう。
(シェイクスピア『ロミオとジュリエット』第二幕・第二場、大山敏子訳)

一緒においで。
(シェイクスピア『ハムレット』第二幕・第一場、大山俊一訳)

ぼくもいっしょに行く。
(シェイクスピア『ロミオとジュリエット』第一幕・第一場、大山敏子訳)


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Katyn



  Hans Giebenrath

見てごらん!
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』木村榮一訳)

ハンカチだ!
(シェイクスピア『オセロウ』第三幕・第四場、菅泰男訳)

苺の刺繍をしたハンカチ、
(シェイクスピア『オセロウ』第三幕・第三場、菅泰男訳、読点加筆=筆者)

だが、待てよ!
(シェイクスピア『ハムレット』第一幕・第五場、大山俊一訳)

なんだろう?
(シェイクスピア『ロミオとジュリエット』第五幕・第三場、大山敏子訳)

木の下に
(ヨブ記四〇・二一)

繁みのあいだに
(ゲーテ『ファウスト』第二部、相良守峯訳)

隠れている。
(ヨブ記四〇・二一)

いた。
(ボブロフスキー『拒絶』神田芳夫訳)

これだ、
(シェイクスピア『ハムレット』第一幕・第五場、大山俊一訳)

それっどうだ、
(シェイクスピア『リア王』第三幕・第四場、大山俊一訳)

つかまえたぞ。
(ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳)

見てごらん、
(ジョン・ダン『蚤』湯浅信之訳)

骨でできた
(オクタビオ・パス『砕けた壺』桑名一博訳)

こおろぎ、
(ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳)

虐殺された
(ジャン・ジュネ『花のノートルダム』堀口大學訳)

ポーランド人将校、
(平凡社『東欧を知る事典』読点加筆=筆者)

だがこれは生きている。
(ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳)

おまえは生き残りか?
(J・G・バラード『太陽の帝国』第二部、高橋和久訳)


  cricket

cri-cri
(三省堂『クラウン仏和辞典』)

cri-cri
(三省堂『クラウン仏和辞典』)


  Hans Giebenrath

ああ!
(シェイクスピア『リア王』第四幕・第六場、大山俊一訳)

あの頃の日が忘れられない。
(ネクラーソフ『公爵夫人トゥルベツカーヤ』谷耕平訳、句点加筆=筆者)


  cricket

cri-cri
(三省堂『クラウン仏和辞典』)

cri-cri
(三省堂『クラウン仏和辞典』)


  Hans Giebenrath

おまえはどこにもいるし、
(エーミー・ローエル『ライラック』上田保訳)

おまえはどこにもいた。
(エーミー・ローエル『ライラック』上田保訳)


  cricket

cri-cri

cri-cri


  Hans Giebenrath

そして
(シェイクスピア『ロミオとジュリエット』第二幕・第三場、大山敏子訳)

ぼくはここにはいないのだ。
(シェイクスピア『ロミオとジュリエット』第一幕・第一場、大山敏子訳)

ぼくはそこに留まったままなのだ。
(フェンテス『脱皮』内田吉彦訳、句点加筆=筆者)


  Dolores Haze

途中で、本当は何を探しているのか、忘れちゃったからじゃない?
(ブライス=エチェニケ『幾たびもペドロ』野谷文昭訳)


  Hans Giebenrath

そうだとも。
(シェイクスピア『ハムレット』第五幕・第一場、大山俊一訳)

あのころ、ふるさとの森の中で
(ボブロフスキー『プルッセン悲歌』神田芳夫訳)

つぎつぎに姿を消していった
(フィッツジェラルド『カットグラスの鉢』飯島淳秀訳)

草葉のこおろぎ、
(ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳)


  cricket

cri-cri
(三省堂『クラウン仏和辞典』)

cri-cri
(三省堂『クラウン仏和辞典』)


  Hans Giebenrath

お前ではない、
(リルケ『ドゥイーノ悲歌』第三悲歌、浅井真男訳)

長年のあいだ、お前を忘れていたが、
(ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳、読点加筆=筆者)

お前ではない、
(リルケ『ドゥイーノ悲歌』第三悲歌、浅井真男訳)

おまえはそこにおいで!
(シェイクスピア『ロミオとジュリエット』第四幕・第三場、大山敏子訳)


  cricket

cri-cri
(三省堂『クラウン仏和辞典』)

cri-cri
(三省堂『クラウン仏和辞典』)


  Jeanne d'Arc

これがなんであるか、あなたに示しましょう。
(ゼカリヤ書一・九)

土くれと一緒に、
(ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳)

それを地に投げなさい。
(出エジプト記四・三)

あなたのそれを。
(リルケ『鎮魂歌』石丸静雄訳、句点加筆=筆者)


  Hans Giebenrath

これは何としたことだ。
(ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳)

別の森が
(ゴットフリート・ケラー『さよなら』堀内明訳)

現われた!
(シェイクスピア『ハムレット』第一幕・第一場、大山俊一訳)


突如としてすぐ近くの/地中から森が一つ姿を現わしていた。
(ミルトン『失楽園』第十巻、平井正穂訳)

蟋蟀が
(グンナル・エーケレーフ『魂ノ不在』圓子修平訳)

黒い森になった。
(ディラン・トマス『はつかねずみと女』北村太郎訳)


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Selva Oscura



  Hans Giebenrath

ほれ、こうしてまた森の中で出あうことになったよ。
(サムイル・マルシャーク『森は生きている』第四幕・第二幕、湯浅芳子訳)

おまえを探して二度もここへきたんだ。
(ビョルンソン『人の力を超えるもの』第一部・第二幕・第一場、毛利三彌訳)

さあ、おいで。
(シェイクスピア『ハムレット』第五幕・第二場、大山俊一訳)

茂った森へ、
(ゲーテ『あこがれ』高橋健二訳、読点加筆=筆者)

深い森の奥へ!
(ランボー『何がニナを引止める』堀口大學訳)


  Jeanne d'Arc

どうして森へなんか行くの?
(阿部日奈子『キャロル式三段論法十番勝負』)


  Hans Giebenrath

お前は神に会わなければならない。
(フェデリコ・フェリーニ『ジュリエッタ』柱本元彦訳、『ユリイカ』一九九四年九月号・一〇二ページ)


  Jeanne d'Arc

神に会うって?
(フェデリコ・フェリーニ『ジュリエット』柱本元彦訳、『ユリイカ』一九九四年九月号・一〇二ページ)


  Hans Giebenrath

ほら見てごらん!
(シュトルム『夕暮れ』吉村博次訳)

ぼくの手が
(シュトルム『白い薔薇』吉村博次訳)

なすところを、
(シェイクスピア『マクベス』第一幕・第四場、福田恆存訳)


  Jeanne d'Arc

どうしようというの?
(シェイクスピア『ハムレット』第三幕・第四場、大山俊一訳)


  Hans Giebenrath

そら!
(シェイクスピア『マクベス』第二幕・第三場、福田恆存訳)

折れ曲がれ!
(シェイクスピア『ハムレット』第三幕・第三場、大山俊一訳)


  Jeanne d'Arc

やめて!
(シェイクスピア『ハムレット』第三幕・第四場、大山俊一訳)


ブチ
(ケンネス・レックスロス『春のおもい』成田成寿訳)


  Jeanne d'Arc

ああ、
(シェイクスピア『ハムレット』第四幕・第七場、大山俊一訳)

かわいそうに!
(シェイクスピア『マクベス』第四幕・第二場、福田恆存訳)


  Hans Giebenrath

ごらん、
(シェイクスピア『ヴェニスの商人』第五幕・第一場、大山敏子訳)

なかはうつろさ。
(ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳)

なかみはからっぽだ。
(エリオット『うつろな男たち』高松雄一訳、句点加筆=筆者)

そら!
(シェイクスピア『マクベス』第二幕・第三場、福田恆存訳)


ブチ
(ケンネス・レックスロス『春のおもい』成田成寿訳)


  Hans Giebenrath

これもまた空である。
(伝道の書五・一〇)

そら!
(シェイクスピア『マクベス』第二幕・第三場、福田恆存訳)


ブチ
(ケンネス・レックスロス『春のおもい』成田成寿訳)


  Hans Giebenrath

そら!
(シェイクスピア『マクベス』第二幕・第三場、福田恆存訳)


ブチ
(ケンネス・レックスロス『春のおもい』成田成寿訳)


  Jeanne d'Arc

もうやめて!
(シェイクスピア『ハムレット』第三幕・第四場、大山俊一訳)


  Hans Giebenrath

なかはうつろさ。
(ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳)

からっぽだ。
(シュトルム『深い影』吉村博次訳)

さあ、手をおだし。
(ミストラル『プロヴァンスの少女』杉富士雄訳)

恐れることはない。
(マタイによる福音書一〇・三一)

神さまの思し召しだ!
(ゴットフリート・フォン・シュトラースブルク『トリスタンとイゾルデ』第十三章、石川敬三訳)

これこそは最も切なる祈りなのだ!
(シュトルム『別れ』吉村博次訳)

手にあるそれは
(出エジプト記四・二)

お前のためにつくられたのだ。
(シュトルム『小夜曲』吉村博次訳)

二つに
(列王紀上三・二五)

へし
(エウジェーニオ・モンターレ『昼も夜も』河島英昭訳)

折るがいい。
(シュトルム『秋』吉村博次訳)


  Jeanne d'Arc

不思議だわ。
(ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳)

いったいこの中に何がはいっているのかしら。
(ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳)

あけて見ようかしら。
(ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳)


すると、
(シェイクスピア『マクベス』第三幕・第三場、福田恆存訳)

蟋蟀が
(グンナル・エーケレーフ『魂の不在』圓子修平訳)

涙をぽろぽろこぼした。
(ガルシア=マルケス『百年の孤独』鼓直訳)


  Jeanne d'Arc

そこでわたしはそれを投げすてて逃げだした。
(マーク・トウェイン『イヴの日記』大久保博訳)


  Hans Giebenrath

待て、
(シェイクスピア『マクベス』第二幕・第一場、福田恆存訳)

逃げてはいけない、
(シュトルム『時がうった』吉村博次訳)

おお!
(シェイクスピア『リア王』第五幕・第三場、大山俊一訳)

なんだ、
(シェイクスピア『マクベス』第二幕・第一場、福田恆存訳)

どうしたのだ。
(シェイクスピア『ハムレット』第二幕・第一場、大山俊一訳)

僕の靴
(ランボー『「居酒屋みどり」で』堀口大學訳)


(ダンテ『神曲』天堂篇・第三十歌、野上素一訳)

触れるやいなや、
(ダンテ『神曲』天堂篇・第三十歌、野上素一訳)

蟋蟀の
(シェイクスピア『マクベス』第二幕・第二場、福田恆存訳)

いままで細長かった形が丸く変わった。
(ダンテ『神曲』天堂篇・第三十歌、野上素一訳、句点加筆=筆者)

a mine
(研究社『新英和大辞典』)

地雷
(ダイヤグラム・グループ『武器』田島優・北村孝一訳)

になった。
(ディラン・トマス『はつかねずみと女』北村太郎訳)

a mine
(研究社『新英和大辞典』)

地雷
(ダイヤグラム・グループ『武器』田島優・北村孝一訳)

になった。
(ディラン・トマス『はつかねずみと女』北村太郎訳)

そして
(シェイクスピア『リア王』第一幕・第一場、大山俊一訳)

その頭には
(シェイクスピア『ハムレット』第二幕・第二場、大山俊一訳)

こう、しるしてある。
(ルカによる福音書二四・四六)

I.N.R.I.
(三省堂『カレッジ・クラウン英和辞典』)

(Iesus Nazarenus,Rex Iudaeorum ユダヤ人の王、ナザレのイエス)
(三省堂『カレッジ・クラウン英和辞典』丸括弧加筆=筆者)

と、
(シェイクスピア『ハムレット』第一幕・第一場、大山俊一訳)

そこで土くれを投げてみた。
(マーク・トウェイン『イヴの日記』大久保博訳)
















ピカッ
(辻真先・原作/石川賢・作画『聖魔伝』第二十九章)
















ズズーン
(辻真先・原作/石川賢・作画『聖魔伝』第十四章)
















光があった。
(創世記一・三)
















A mine exploded.地雷が爆発した。
(研究社『新英和大辞典』)

神はその光を見て、良しとされた。
(創世記一・四)

その響きは全地にあまねく
(詩篇一九・四)

ひびき渡る。
(エレミヤ書五一・五五)

a mine
(三省堂『カレッジ・クラウン英和辞典』)

地雷火が
(原民喜『貂』)

頁のうえに
(リルケ『読書する人』富士川英郎訳)

Flying sparks started another fire. 飛び火した。
(研究社『新和英中辞典』)

地を震わせ
(イザヤ書一四・一六)

地をくつがえす
(ヨブ記一二・一五)

大いなる光、
(ゲーテ『ファウスト』第二部、相良守峯訳)

神様が、
(インジェロー『一つの七倍−よろこび』古谷弘一訳)

森の上で、
(フランシス・ジャム『愛しています・・・・・・』手塚伸一訳)

美しい姿でみおろしている。
(カール・シャピロ『郷愁』三井ふたばこ訳、句点加筆=筆者)

地は再び新しくなり、
(ミルトン『失楽園』第十巻、平井正穂訳)

浄められ、
(ミルトン『失楽園』第十巻、平井正穂訳)

エデンの園のようになった。
(エゼキエル書三六・三五)


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Gethsemane



a passage through a wood 森の中の通路
(三省堂『新クラウン英和辞典』)

a passage from the Bible 聖書の一節
(三省堂『新クラウン英和辞典』)


  Jesus Christ

わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。
(マタイによる福音書二六・三九)

しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい。
(マタイによる福音書二六・三九)

(神は黙したもう)
(ミストラル『ばらあど』荒井正道訳)

(神は黙したもう)
(ミストラル『ばらあど』荒井正道訳)

(神は黙したもう)
(ミストラル『ばらあど』荒井正道訳)


  Jesus Christ

わたしは死ぬべき運命をもった存在だったのだ。
(ディラン・トマス『わたしがノックし』松田幸雄訳)


  Jeanne d'Arc

伝説の森、
(ゲオルゲ『誘い』富士川英郎訳、読点加筆=筆者)

こおろぎがなく
(キーツ『秋に寄せるうた』出口泰生訳)

なつかしい
(ハイネ『セラフィーヌ』第三歌、片山敏彦訳)

ふるさとの森。
(ハンス・カロッサ『Stella mystica(神秘の星)』片山敏彦訳、句点加筆=筆者)

わたしはそこできいたのだった。
(ネクラーソフ『公爵夫人ヴォルコーンスカヤ』谷耕平訳)


(キーツ『レイミア』第一部、大和資雄訳)


(キーツ『ギリシア古甕のうた』出口泰生訳)

声、
(シェリー『アドネース』上田和夫訳、読点加筆=筆者)


(キーツ『レイミア』第一部、大和資雄訳)


(キーツ『ギリシア古甕のうた』出口泰生訳)

声、
(シェリー『アドネース』上田和夫訳、読点加筆=筆者)


(キーツ『レイミア』第一部、大和資雄訳)


(キーツ『ギリシア古甕のうた』出口泰生訳)


(シェリー『アドネース』上田和夫訳)

を。
(キーツ『小夜啼鳥に寄せるうた』出口泰生訳)

そして私は子供だった。
(ハンス・カロッサ『水の中の空』片山敏彦訳)

子供だった。
(ハンス・カロッサ『水の中の空』片山敏彦訳)

ああ!
(シェリー『ナポリ近く失意のうちによめる歌』上田和夫訳)

なつかしい
(シェリー『アドネース』上田和夫訳)

故里の
(シュトルム『復活祭』吉村博次訳)

家。
(ル・クレジオ『オロール荘』佐藤領時・豊崎光一訳、句点加筆=筆者)

ああ、お父さん!
(ホセ・エチェガライ『拭われた汚辱(四幕の悲劇)』第一幕、篠沢真理訳)

お父さんはどこ。
(ホセマリア・サンチェスシルバ『汚れなき悪戯』江崎桂子訳)

お母さんはどこにいるの?
(ゲルハルト・ハウプトマン『沈んだ鐘』第四幕、秋山英夫訳)

わたしの指環! わたしの指環!
(アロイジウス・ベルトラン『夜のガスパールの幻想曲』及川茂訳)

刻まれた
(サンドバーグ『貨幣』安藤一郎訳)

しるし。
(創世記四・一五、句点加筆=筆者)

JESUS MARIA
(Georges Duby and Andree Duby,Les Proces de Jeanne d'Arc,Gallimard,Julliard,1973 )

JESUS MARIA
(Georges Duby and Andree Duby,Les Proces de Jeanne d'Arc,Gallimard,Julliard,1973 )


神が
(ジョン・ベリマン『ブラッドストリート夫人賛歌』澤崎順之助訳)

ひかる姿をあらわす。
(ダンヌンツィオ『アルバの丘の夕ぐれ』岩崎純孝訳)

そして
(ハンス・カロッサ『水の中の空』片山敏彦訳)

神が話しかけてきた。
(フランク・ハーバート『ドサディ実験星』岡部宏之訳)


  Jesus Christ

こんな森のなかでなにをしているんだ?
(モリエール『ドン・ジュアン』第三幕・第二景、鈴木力衛訳)

なぜ、
(ダンテ『神曲』地獄篇・第三十二歌、野上素一訳)

指環の印を
(レミ・ドゥ・グルモン『薔薇連祷』上田敏訳)

みつめてばかりいるのだ?
(ダンテ『神曲』浄罪篇・第十九歌、野上素一訳、疑問符加筆=筆者)


  Jeanne d'Arc

主よ、あなたでしたか。
(マタイによる福音書一四・二八)

ああ、神様!
(ホセ・エチェガライ『拭われた汚辱』第四幕、篠沢真理訳)

イエス様、
(アロイジウス・ベルトラン『夜のガスパールの幻想曲』及川茂訳)

でも、
(シェイクスピア『ロミオとジュリエット』第五幕・第三場、大山敏子訳)

もう誑かされぬ。
(ヴァンサン・ミュゼリ『白鳥』齋藤磯雄訳)

二度とふたたび。
(ジャン・デ・カール『狂王ルートヴィヒ』三保元訳)

わが神、わが神、
(マタイによる福音書二七・四六)

どうしてわたしをお見捨てになったのですか。
(マタイによる福音書二七・四六、句点加筆=筆者)

あなたは私を棄てました。
(キーツ『レイミア』第二部、大和資雄訳)


  Jesus Christ

黙りなさい。
(士師記一八・一九)

あなたは神をののしってはならない。
(出エジプト記二二・二八)


  Jeanne d'Arc

わたしは知らなかった前途に何がまっているか!
(ネクラーソフ『公爵夫人ヴォルコーンスカヤ』谷耕平訳)

火で焼かれ、
(エレミヤ書五一・三二)

火に包まれて燃えあがった
(ゲーテ『ファウスト』第二部、相良守峯訳)

わたしの肉体。
(マヌエル・デル・カブラル『負担』田村さと子訳、句点加筆=筆者)

わたしは
(ネクラーソフ『公爵夫人ヴォルコーンスカヤ』谷耕平訳)

生きながら燒かれ、
(D・H・ロレンス『不死鳥』刈田元司訳)

生きたまま焼かれ、
(D・H・ロレンス『不死鳥』安藤一郎訳)

火に炙られながら
(ジョン・ベリマン『ブラッドストリート夫人賛歌』澤崎順之助訳)

死んでしまった。
(オーガスタ・ウェブスター『種子』古谷弘一訳)


  Jesus Christ

知っている。
(シェイクスピア『リチャード三世』第一幕・第三場、福田恆存訳)

わかっている、
(シェイクスピア『ハムレット』第四幕・第四場、大山俊一訳)

わたしの白ゆりよ!
(イワノフ『白ゆり』草鹿外吉訳)

わたしの白ゆりよ!
(イワノフ『白ゆり』草鹿外吉訳)

あの日のことを思い出すか?
(ハンス・カロッサ『灰いろの時』片山敏彦訳)

あの日のことを。
(ハンス・カロッサ『灰いろの時』片山敏彦訳、句点加筆=筆者)


________________________________________


Bois Chesnu



  Jeanne d'Arc

あなたは近づいて、
(哀歌三・五七)

恐れることはない。
(マルコによる福音書五・三六)


(ナボコフ『ロリータ』第二部、大久保康雄訳)

仰せられました。
(哀歌三・五七)

そして、
(ポール・クローデル『ローヌ河の歌』中村真一郎訳)

また、
(イェイツ『黒豚の谷』尾島庄太郎訳)

私はお前のくるのを待っていた、
(ダンテ『神曲』天堂篇・第十五歌、野上素一訳)

わたしは
(ネクラーソフ『公爵夫人ヴォルコーンスカヤ』谷耕平訳)

キリストである。
(マタイによる福音書二三・一〇)

神である。
(ブルフィンチ『中世騎士物語』野上弥生子訳)


(ナボコフ『ロリータ』第二部、大久保康雄訳)

仰せられました。
(哀歌三・五七)

そこで
(ネクラーソフ『公爵夫人ヴォルコーンスカヤ』谷耕平訳)

わたしは
(ポー『盗まれた手紙』富士川義之訳)

どうしてわかるの?
(マヤ・ヴォイチェホフスカ『夜が明けるまで』清水真砂子訳)


(ナボコフ『ロリータ』第二部、大久保康雄訳)

言いました。
(ジャン・ジュネ『花のノートルダム』堀口大學訳)


  Jesus Christ

わたしを見るのだ。
(パブロ・ネルーダ『マチュピチュの頂』野谷文昭訳、句点加筆=筆者)


ほんの一瞬のことであった。
(リスペクトール『家族の絆』貴重品、深沢暁訳)

目の前でイエスの姿が変り、
(マタイによる福音書一七・二)

ハンカチ
(シュトルム『みずうみ』高橋義孝訳)

となった。
(ポー『黒猫』富士川義之訳)

すると、
(サムイル・マルシャーク『森は生きている』第一幕・第一場、湯浅芳子訳)

まばたき一つ、
(キーツ『レイミア』第二部、大和資雄訳、読点加筆=筆者)

ほんの一瞬の間に、
(リスペクトール『家族の絆』貴重品、深沢暁訳)

キリスト自身、
(リスペクトール『G・Hの受難』高橋都彦訳)

また現われた!
(シェイクスピア『ハムレット』第一幕・第一場、大山俊一訳)


  Jesus Christ

あなたは備えをなせ。
(エゼキエル書三八・七)

馬に乗れ。
(エレミヤ書四六・四)

あなたとあなたの所に集まった軍隊は、みな備えをなせ。
(エゼキエル書三八・七)

かぶとをかぶって立て。
(エレミヤ書四六・四)

そしてあなたは彼らの保護者となれ。
(エゼキエル書三八・七)

ほこをみがき、よろいを着よ。
(エレミヤ書四六・四)


  Jeanne d'Arc

その時、
(リスペクトール『G・Hの受難』高橋都彦訳)

答えて言いました、
(ジャン・ジュネ『花のノートルダム』堀口大學訳)

わたしはこれらのものを着けていくことはできません。
(サムエル記上一七・四〇)

慣れていないからです。
(サムエル記上一七・四〇)

と。
(リスペクトール『家族の絆』愛、高橋都彦訳)

すると、
(サムイル・マルシャーク『森は生きている』第一幕・第一場、湯浅芳子訳)

あなたは
(サムエル記上二一・一)

微笑みながら
(フェデリコ・フェリーニ『ジュリエッタ』柱本元彦訳、『ユリイカ』一九九四年九月号・八五ページ)

仰せられました。
(哀歌三・五七)

さあ、行きなさい。
(使徒行伝九・一五)

恐れることはない。
(マルコによる福音書五・三六)

わたしがあなたを助ける。
(イザヤ書四一・一三)

わたしの言うことを信じなさい。
(ヨハネによる福音書四・二一)

わたしはあなたとともにいる。
(イザヤ書四一・一〇)

と。
(リスペクトール『家族の絆』愛、高橋都彦訳)


  Jesus Christ

それは偽りではない。
(ハバクク書二・三)

わたしはあなたといた。
(ハンス・カロッサ『Stella mystica(神秘の星)』片山敏彦訳)


  Jeanne d'Arc

けれども
(エミリ・ディキンスン『大聲でたたかうのは』刈田元司訳)

神は戦争の中には存在しないのですね。
(ビョルンソン『人の力を超えるもの』第二部・第一幕・第四場、毛利三彌訳)

世界は絶えまなく戦争に見まわれ、戦争の恐怖におびえているというのに、
(エリオット『寺院の殺人』幕間劇、福田恆存訳)


  Jesus Christ

神はいつもいた!
(リスペクトール『G・Hの受難』高橋都彦訳)


  Jeanne d'Arc

そう、
(リスペクトール『G・Hの受難』高橋都彦訳)

そしてわたしは
(リスペクトール『G・Hの受難』高橋都彦訳)

私の体は焼かれた、
(ベルナール・B・ダディエ『神よ、ありがとうございます』登坂雅志訳)


  Jesus Christ

私はあなたを殺さなければならなかった。
(シルヴィア・プラス『お父さん』徳永暢三訳)

あなたを焼き、
(エゼキエル書二八・一八)

焼き浄めて新しくする
(ミルトン『失楽園』第十一巻、平井正穂訳)

ために。
(フランツ・ヴェルフェル『酒席の歌』淺井眞男訳)

火のあとに残るもの、
(アンドレ・デュ・ブーシェ『白いモーター』小島俊明訳)

それは
(アンドレ・デュ・ブーシェ『白いモーター』小島俊明訳)

私の心臓!
(シェイクスピア『ロミオとジュリエット』第三幕・第二場、大山敏子訳)

さあ、
(シェイクスピア『マクベス』第一幕・第五場、福田恆存訳)

神に返すのだ。
(カルロス・ドルモン・ジ・アンドラージ『食卓』ナヲエ・タケイ・ダ・シルバ訳、句点加筆=筆者)

その心臓を、
(ジュール・シュペルヴィエール『壁のない世界』嶋岡晨訳、読点加筆=筆者)

私の熱した心臓を。
(ヘッセ『十月』尾崎喜八訳、句点加筆=筆者)


キリストは
(ジョン・ベリマン『ブラッドストリート夫人賛歌』澤崎順之助訳)

娘の
(シェイクスピア『ハムレット』第二幕・第二場、大山俊一訳)

胸の中に
(シェイクスピア『ハムレット』第一幕・第五場、大山俊一訳)

手をそっとさし入れ、
(パブロ・ネルーダ『マチュピチュの頂』野谷文昭訳、読点加筆=筆者)

心臓を
(トラークル『デプロフンディス』瀧田夏樹訳)

引き抜いた。
(セーサル・バジェッホ『九匹の怪物』飯吉光夫訳、句点加筆=筆者)

キリストの
(エドウィン・ミュア『時間の主題による變奏』第九曲、大澤實訳)

手のなかには、
(アルフレト・モムベルト『夜更にわたしは山の背を越えた』淺井眞男訳)

燃えなかった
(アンドレ・デュ・ブーシェ『はためく』小島俊明訳)

心臓がある。
(サンドバーグ『シカゴ』福田陸太郎訳、句点加筆=筆者)

キリストの
(エドウィン・ミュア『時間の主題による變奏』第九曲、大澤實訳)

燃えなかった
(アンドレ・デュ・ブーシェ『はためく』小島俊明訳)

心臓がある。
(サンドバーグ『シカゴ』福田陸太郎訳、句点加筆=筆者)


  Jeanne d'Arc

──どこに置き忘れたのかしら、
(ラディゲ『福引』川村克己訳)

みせしめの
(アポリネール『花のはだか』堀口大學訳)

私の心臓。
(エリオット『聖灰水曜日』大澤實訳、句点加筆=筆者)


  Jesus Christ

あなたは
(サムエル記上一七・四〇)

死ぬことはない。
(レオポルド・セダール・サンゴール『火の歌(バントゥー人の歌)』登坂雅志訳)

母なるおんみ
(ハンス・カロッサ『不安な夜の後に』片山敏彦訳)

母なるおんみ
(ハンス・カロッサ『不安な夜の後に』片山敏彦訳)

わたしの白ゆりよ!
(イワノフ『白ゆり』草鹿外吉訳)


  Jeanne d'Arc

私のこと?
(ホセ・エチェガライ『拭われた汚辱(四幕の悲劇)』第三幕、篠沢真理訳)


  Jesus Christ

我が身は/御身の息子にして、
(ポール・クローデル『眞晝の聖女』佐藤正彰訳)

御身はマリヤに在せば、
(ポール・クローデル『眞晝の聖女』佐藤正彰訳)

私の母。
(カヌク『イスタンブールのうた』峯俊夫訳、句点加筆=筆者)

キリストを
(ヴェルレーヌ『夜の鳥』堀口大學訳)

産む
(ルカによる福音書一・三一)

母マリヤであった。
(ルカによる福音書二四・一〇)

神である
(ヨハネによる福音書八・四一)

わたしは、
(リスペクトール『G・Hの受難』高橋都彦訳)

すでにいくたびとなく
(プラトン『メノン』藤沢令夫訳)

生まれかわってきたものである。
(プラトン『メノン』藤沢令夫訳、句点加筆=筆者)

いっさいのありとあらゆるものを見てきている。
(プラトン『メノン』藤沢令夫訳、句点加筆=筆者)

あなたは美しい。
(雅歌四・一)

そのからだに触れ、くちづけをし、ともに寝ようという欲望を感じる。
(プラトン『パイドロス』藤沢令夫訳)

わたしの白ゆりよ!
(イワノフ『白ゆり』草鹿外吉訳)

わたしの白ゆりよ!
(イワノフ『白ゆり』草鹿外吉訳)

わたしを
(リスペクトール『G・Hの受難』高橋都彦訳)

みごもって
(ルカによる福音書一・三一)

わたしを
(リスペクトール『G・Hの受難』高橋都彦訳)

産むがよい、
(ゴットフリート・ベン『コカイン』生野幸吉訳)


  Jeanne d'Arc

今、この瞬間、
(リスペクトール『G・Hの受難』高橋都彦訳)

お言葉どおりの身に成りますように。
(ルカによる福音書一・三八)


二人は森の奥深く分け入った。
(シュトルム『みずうみ』高橋義孝訳)


________________________________________


Nageki no Mori



  Pier Paolo Pasolini

フィナーレだ!
(ゴットフリート・ベン『舞踏会』生野幸吉訳)

なげきの森
(『古今和歌集』巻第十九・安倍清行朝臣女さぬきの「題しらず」の歌)


(シェイクスピア『リア王』第一幕・第一場、大山俊一訳)

梟が
(アポリネール『エレジイ』窪田般彌訳)

塒(ねぐら)
(張均『岳陽晩景』阿部正次郎訳)


(シェイクスピア『ヴェニスの商人』第二幕・第二場、大山敏子訳)

雛を
(ミストラル『プロヴァンスの少女』杉富士雄訳)

間引く
(フランク・ハーバート『ドサディ実験星』岡部宏之訳)

たび
(ハンス・カロッサ『老いたる魔術師』片山敏彦訳)

森は
(シュトルム『森のなか』吉村博次訳)

だんだん
(シェイクスピア『マクベス』第一幕・第三場、福田恆存訳)

暗くなる。
(ロビンスン・ジェファーズ『海豚』外山定男訳)

暗くなる。
(ロビンスン・ジェファーズ『海豚』外山定男訳)


森から森へ
(キーツ『レイミア』第一部、大和資雄訳)

暗い森の奥深く
(キーツ『ロビン・フッド』出口泰生訳)

森の中を歩いていると、
(キーツ『サイキに寄せるうた』出口泰生訳)

閉じている門の前に着いた。
(ハンス・カロッサ『聖者の手の上の小さな都』片山敏彦訳)

すぐそばに/赤い木苺や野薔薇の花が咲いてゐた。
(フランシス・ジャム『お前の貧しさは知つてゐる・・・・・・』室井庸一訳)

背後にある
(ジョアオン・カブラル・ジ・メロ・ネト『アスピリンに捧げる碑文』ナヲエ・タケイ・ダ・シルバ訳)

教会が
(ヨルゲンセン『ラジオ』山室静訳)

芝生の
(エミリ・ディキンスン『豫感』刈田元司訳)

真ん中にある
(ヘッセ『車輪の下に』秋山六郎兵衛訳)

an instrument screen 百葉箱
(小学館『英語図詳大辞典』)

のように
(ポール・クローデル『ローヌ河の歌』中村真一郎訳)

建っていた。
(ハンス・カロッサ『聖者の手の上の小さな都』片山敏彦訳)

barbed wire 有刺鉄線
(三省堂『カレッジ・クラウン英和辞典』)

barbed words とげのある言葉
(三省堂『カレッジ・クラウン英和辞典』)

はり巡らされた二重の鉄条網、
(宮田光雄『アウシュヴィッツで考えたこと』読点加筆=筆者)

有刺鉄線の囲いに
(ロバート・ロウエル『北軍戦死者のために』金関寿夫訳)

二二〇ボルトの三相電流。
(早乙女勝元編『母と子でみる2アウシュビッツ』句点加筆=筆者)

これは触れるものことごとくを真黒にする。
(シェイクスピア『ヘンリー四世』第一部・第二幕・第四場、中野好夫訳)


(エドウィン・ミュア『城』大澤實訳)

の上に
(マタイによる福音書二・九)

鋼の
(ズビグニェフ・ヘルベルト『戦争』工藤幸雄訳)

文字が
(フライリヒラート『自由新聞』井上正蔵訳)

あらわれる。
(ロルカ『月がのぞく』野々山ミチコ訳)


  Jeanne d'Arc

LASCIATE OGNI SPERANZA,VOI CH,ENTRATE
(Dante Alighieri,"La Divina Commedia"Inferno III 9,La Nuova Italia,Firenze,1973,p.30.)

汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ。
(ダンテ『神曲』地獄篇・第三歌、山川丙三郎訳、句点加筆=筆者)


まばたき一つ、
(キーツ『レイミア』第二部、大和資雄訳、読点加筆=筆者)

鋼の
(キーツ『レイミア』第二部、大和資雄訳)

文字が
(フライリヒラート『自由新聞』井上正蔵訳)

消えうせる。
(バイロン『マンフレッド』第一幕・第一場、小川和夫訳)

現われる。
(ウォレ・ショインカ『私はわが身を清める(断食の十日目)』登坂雅志訳、句点加筆=筆者)


  Jeanne d'Arc

ARBEIT MACHT FREI
(早乙女勝元編『母と子でみる2アウシュビッツ』)

労働は自由への道。
(早乙女勝元編『母と子でみる2アウシュビッツ』句点加筆=筆者)


まばたき一つ、
(キーツ『レイミア』第二部、大和資雄訳、読点加筆=筆者)

鋼の
(ズビグニェフ・ヘルベルト『戦争』工藤幸雄訳)

文字が
(フライリヒラート『自由新聞』井上正蔵訳)

また消える、
(ロバート・フロスト『林檎もぎのあと』安藤一郎訳)

また現われる。
(オクタビオ・パス『白』鼓直訳、句点加筆=筆者)


  Jeanne d'Arc

This is none other than the house of God
(GENESIS 28.17)

これは神の家である。
(創世記二八・一七)

ああなんという静けさ!
(シェリー『ジェーンに−思い出』上田和夫訳)

今こそ、汝の新しき主を迎えよ!
(ミルトン『失楽園』第一巻、平井正穂訳)


音もなく
(ハンス・カロッサ『猫に贈る詩』片山敏彦訳)

戸は内側へ開かれた──
(ハンス・カロッサ『聖者の手の上の小さな都』片山敏彦訳)


  Jeanne d'Arc

祈りのことばを口ずさみながら
(ネクラーソフ『公爵夫人トゥルベツカーヤ』谷耕平訳)

わたしは十字をきった・・・・・・
(ネクラーソフ『公爵夫人ヴォルコーンスカヤ』谷耕平訳)

中へ入って見ると、
(ブルフィンチ『中世騎士物語』野上弥生子訳)

一人の司祭がいた。
(フィッツジェラルド『罪の赦し』飯島淳秀訳)


彼はいま祈っている。
(使徒行伝九・一一)

司祭は身を起こした。
(カミュ『異邦人』第一部、窪田啓作訳)


  Maximilian Kolbe

あなたはどこから来たか。
(ヨブ記二・二)


  Jeanne d'Arc

わたしは戦場からきたものです。
(サムエル記上四・一六)

きょう戦場からのがれたのです。
(サムエル記上四・一六)


  Maximilian Kolbe

この神聖な場所に、なんの用があるんでしょう?
(ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳)

穏やかな事のためにこられたのですか。
(サムエル記上一五・四)


  Jeanne d'Arc

穏やかな事のためです。
(サムエル記上一五・五)


  Maximilian Kolbe

神を探しているのですか?
(J・G・バラード『太陽の帝国』第二部、高橋和久訳)


  Jeanne d'Arc

イエス。
(ポール・クローデル『眞晝の聖女』佐藤正彰訳、句点加筆=筆者)

それで神は?
(D・H・ロレンス『肉体のない神』安藤一郎訳)

神様はどこ?
(ブライス=エチェニケ『幾たびもペドロ』野谷文昭訳)


  Maximilian Kolbe

おられます。ごらんなさい、この先です。
(サムエル記上九・一二)

それ、そこに、
(シェイクスピア『ロミオとジュリエット』第三幕・第三場、大山敏子訳)

すぐそばに。
(シェイクスピア『オセロウ』第五幕・第一場、菅泰男訳)


見ると、
(ヨハネの黙示録一六・一三)

鳥籠の
(シェイクスピア『ハムレット』第三幕・第四場、大山俊一訳)

前に
(ゲーテ『歌びと』高橋健二訳)

神がいた。
(フェデリコ・フェリーニ『ジュリエッタ』柱本元彦訳、『ユリイカ』一九九四年九月号・八六ページ)


  Maximilian Kolbe

祈るがよい。
(ヤコブの手紙五・一三)

神が
(アポリネール『地帯』堀口大學訳)

新雛(にいびな)を
(エミリー・ブロンテ『わが思うひとの墓』斎藤正二訳)

おしつぶすために
(パスカル『パンセ』第六章、前田陽一・由木康訳)

土くれのように
(アンドレ・デュ・ブーシェ『白いモーター』小島俊明訳)

踏みつけておられる。
(ジョン・ダン『冠』湯浅信之訳)


  Jeanne d'Arc

いいえ、
(トルストイ『ドン・ジュアン』第一部、柴田治三郎訳)

神父さま、
(フィッツジェラルド『罪の赦し』飯島淳秀訳)

それは
(ホーフマンスタール『体験』富士川英郎訳)

あなたの神、
(出エジプト記二〇・一二)

あなたのもの。
(詩篇七四・一六)

私の
(トルストイ『ドン・ジュアン』第二部、柴田治三郎訳)

神ではありません。
(エレミヤ書一六・二〇)

わたしはこれを受けいれない。
(アモス書五・二二)


  Maximilian Kolbe

子よ、
(創世記一七・八)

なげき悲しむがいい!
(シェリー『哀歌』上田和夫訳)

その心臓の奥の奥まで
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳)

嘆きの声で
(ジャン・ジュネ『花のノートルダム』堀口大學訳)

すっかり満たされるのだ、
(ゲーテ『若きウェルテルの悩み』井上正蔵訳)

血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない。
(ヘブル人への手紙九・二二)

神は苦しむ者をその苦しみによって救い、
(ヨブ記三六・一五)

これをみ心にとめられる。
(詩篇八・四、句点加筆=筆者)

苦痛こそなくてはならないものだ。
(エバハート『人間はさびしい生きもの』田村隆一訳、句点加筆=筆者)

わたしたちは
(ホーフマンスタール『無常の歌』富士川英郎訳)

その苦しみをよろこんでわが身にひきうけなければならないのだ。
(エリオット『寺院の殺人』第一部、福田恆存訳)

Accipe hoc.
(岩波書店『ギリシア・ラテン引用語辭典』)

これを受けよ。
(岩波書店『ギリシア・ラテン引用語辭典』)

この苦痛という
(ジェフリー・ヒル『葬送曲』富士川義之訳)

神の
(伝道の書七・一三)

賜物
(詩篇一二七・三)

を。
(リルケ『読書する人』富士川英郎訳、句点加筆=筆者)

いやいや、
(ホセ・エチェガライ『拭われた汚辱(四幕の悲劇)』第一幕、篠沢真理訳)

何事も神から出たこと。
(ビョルンソン『人の力を超えるもの』第二部・第二幕・第三場、毛利三彌訳)

苦痛こそ
(エバハート『人間はさびしい生きもの』田村隆一訳)

神である。
(ブルフィンチ『中世騎士物語』野上弥生子訳)

苦痛こそ
(エバハート『人間はさびしい生きもの』田村隆一訳)

キリスト自身、
(リスペクトール『G・Hの受難』高橋都彦訳)

神である。
(ブルフィンチ『中世騎士物語』野上弥生子訳)


  cricket

cri-cri
(三省堂『クラウン仏和辞典』)

cri-cri
(三省堂『クラウン仏和辞典』)


  Jeanne d'Arc

ほら!
(D・H・ロレンス『神の肉体』安藤一郎訳)

茂った森から
(キーツ『レイミア』第一部、大和資雄訳)

コオロギのすだくのが聞こえるでしょう。
(ゲルハルト・ハウプトマン『ソアーナの異端者』秋山英夫訳)

こおろぎが
(エミリ・ディキンスン『こおろぎが歌い』刈田元司訳)

鳴いている。
(イェイツ『道化帽子』尾島庄太郎訳)

こおろぎが
(エミリ・ディキンスン『こおろぎが歌い』刈田元司訳)

鳴いているわ。
(ロベール・メルル『イルカの日』三輪秀彦訳)

きっと恐ろしいことが起る。
(ワイルド『サロメ』西村孝次訳)


  Maximilian Kolbe

空つぽの巣で
(イェイツ『塔』大澤實訳)

雛は生まれる。
(チャールズ・オルソン『かわせみ』出淵博訳、句点加筆=筆者)

私は
(ブルフィンチ『中世騎士物語』野上弥生子訳)

それを取って
(ハンス・カロッサ『聖者の手の上の小さな都』片山敏彦訳)

ひなを集める。
(マタイによる福音書二三・三七、句点加筆=筆者)

押しつぶされ
(トム・ガン『へだたり』中川敏訳)

砕かれた骨、
(パブロ・ネルーダ『独裁者』桑名一博訳、読点加筆=筆者)

骨と骨、
(オクタビオ・パス『砕けた壺』桑名一博訳、読点加筆=筆者)

この森いちめんに
(エズラ・パウンド『春』新倉俊一訳)

骨の山
(ジョアオン・カブラル・ジ・メロ・ネト『ペルナンブコの墓地(「トリタマ」)』ナヲエ・タケイ・ダ・シルバ訳)

どうしてこんなに夥しいのか?
(ホーフマンスタール『人生のバラード』川村二郎訳)

あれは兵隊だ。
(レイモン・クノー『不幸な人たち』三輪秀彦訳、句点加筆=筆者)

この森は
(シェイクスピア『マクベス』第五幕・第四場、福田恆存訳)

戦争をひたすら求める。
(サンドバーグ『闘争』安藤一郎訳)

ここは神がわれわれに与え給うた世界だ。
(フランク・ハーバート『ドサディ実験星』岡部宏之訳、句点加筆=筆者)

拷問にかけられ、
(ジェフリー・ヒル『葬送曲』富士川義之訳、読点加筆=筆者)

虐殺された
(ヴェルレーヌ『パリの夜』堀口大學訳)

おびただしい
(ロバート・フロスト『林檎もぎのあと』安藤一郎訳)

戰士たちの古い骨、
(エドウィン・アーリントン・ロビンスン『暗い丘』福田陸太郎訳、読点加筆=筆者)

ひと足ごとに
(クワジーモド『帰郷』河島英昭訳)

ばらばらに
(ゴットフリート・ベン『墓場を越えて』生野幸吉訳)

砕かれた
(パブロ・ネルーダ『独裁者』桑名一博訳)

こおろぎの
(エリオット『荒地』大澤實訳)

骨、
(エリナー・ウァイリー『鷲と土龍』辻以知郎訳、読点加筆=筆者)

骨、
(エリナー・ウァイリー『鷲と土龍』辻以知郎訳、読点加筆=筆者)

骨。
(エリナー・ウァイリー『鷲と土龍』辻以知郎訳、句点加筆=筆者)

神は苦しむ者をその苦しみによって救い、
(ヨブ記三六・一五)

これをみ心にとめられる。
(詩篇八・四、句点加筆=筆者)

苦痛こそなくてはならないものだ。
(エバハート『人間はさびしい生きもの』田村隆一訳、句点加筆=筆者)

わたしたちは
(ホーフマンスタール『無常の歌』富士川英郎訳)

その苦しみをよろこんでわが身にひきうけなければならないのだ。
(エリオット『寺院の殺人』第一部、福田恆存訳)

この苦痛という
(ジェフリー・ヒル『葬送曲』富士川義之訳)

神の
(伝道の書七・一三)

賜物。
(詩篇一二七・三、句点加筆=筆者)

いやいや、
(ホセ・エチェガライ『拭われた汚辱(四幕の悲劇)』第一幕、篠沢真理訳)

何事も神から出たこと。
(ビョルンソン『人の力を超えるもの』第二部・第二幕・第三場、毛利三彌訳)

苦痛こそ
(エバハート『人間はさびしい生きもの』田村隆一訳)

神である。
(ブルフィンチ『中世騎士物語』野上弥生子訳)

苦痛こそ
(エバハート『人間はさびしい生きもの』田村隆一訳)

キリスト自身、
(リスペクトール『G・Hの受難』高橋都彦訳)

神である。
(D・H・ロレンス『神の肉体』安藤一郎訳)


  Jeanne d'Arc

そんなものは、瞬き一つで消すことができる。
(ジョン・ダン『日の出』湯浅信之訳)


  Maximilian Kolbe

神を試みるのか。
(使徒行伝一五・一〇)


  Jeanne d'Arc

神様を試すことにはならないわ。
(ビョルンソン『人の力を超えるもの』第一部・第一幕・第一場、毛利三彌訳)


  Maximilian Kolbe

神を試みてはならない。
(マタイによる福音書四・七、句点加筆=筆者)


  Jeanne d'Arc

ほら!
(D・H・ロレンス『神の肉体』安藤一郎訳)

消えてしまった。
(アイヒ『罌粟』坂上泰助訳)


神の
(ゲゼレ『ヘリオトロープ(向日性の花)』朝倉純孝訳)

姿はなかった。
(ポー『ウィリアム・ウィルソン』富士川義之訳)


  Maximilian Kolbe

何?
(トルストイ『ドン・ジュアン』第一部、柴田治三郎訳)

何を?
(コクトー『ピカソに捧げるオード』堀口大學訳)

何をしたって?
(コクトー『ピカソに捧げるオード』堀口大學訳)

あなたがしたことを、わたしに言いなさい。
(サムエル記上一四・四三)


  Jeanne d'Arc

わたしは神の御声に従うのです。
(モリエール『ドン・ジュアン』第五幕・第三景、鈴木力衛訳)


  Maximilian Kolbe

あなたの手にあるそれは何か。
(出エジプト記四・二)

それをここに持ってきなさい。
(マタイによる福音書一四・一八)


  Jeanne d'Arc

This is mine.
(Tony Randel 監督の "HELLBOUND HELLRAISER II"に出てくる Juria役の Clare Higginsのセリフ)


  Maximilian Kolbe

Is it yours?
(三省堂『新クラウン英和辞典』)


  Jeanne d'Arc

Yes,certainly.
(三省堂『新クラウン英和辞典』)

a mine
(研究社『新英和大辞典』)

地雷。
(ダイヤグラム・グループ『武器』田島優・北村孝一訳)

これこそ神であり、
(詩篇四八・一四)

わたしを踏みつける者を
(詩篇五七・三)

ことごとく滅ぼし、
(詩篇一〇一・八)

またたくまに滅ぼされたのだ。
(哀歌四・六)

そして
(リルケ『ドゥイーノ悲歌』第八悲歌、浅井真男訳)

すべてのものを
(ヨハネの黙示録二一・五)

新たにされる。
(詩篇一〇四・三〇)

あらゆるものは再び作られる、
(ポール・クローデル『金の歌』中村真一郎訳)


  Maximilian Kolbe

それをさして誓ってはならない。
(ヨシュア記二三・七)

またそれに仕え、それを拝んではならない。
(ヨシュア記二三・七)


  Jeanne d'Arc

わたしはこれが全身と、その著しい力と、/その美しい構造について/黙っていることはできない。
(ヨブ記四一・一二)


(テッド・ヒューズ『カマス』田村英之助訳)

でできた
(ゲオルク・ブリッティング『追剥騎士』淺井眞男訳)

わたしの心臓、
(エレミヤ書四・一九、読点加筆=筆者)

わたしの
(エレミヤ書四・一九)

地雷、
(チャールズ・オルソン『ヨーロッパの死』出淵博訳、読点加筆=筆者)

炎のなかで鋳られ、完成された神。
(ジェフリー・ヒル『小黙示録』富士川義之訳、句点加筆=筆者)

外側は美しく
(マタイによる福音書二三・二七)

内側は
(マタイによる福音書二三・二七)

きらきら光る精密な仕掛け、
(カミュ『異邦人』第二部、窪田啓作訳、読点加筆=筆者)

いろいろの器械が
(ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳)

そつくりはいつている。
(アルフレト・モムベルト『夜更にわたしは山の背を越えた』淺井眞男訳)

抱え
(レオポルド・セダール・サンゴール『シニャールに捧げる歌(カーラムのために)』登坂雅志訳)

持っている
(ヴェルレーヌ『汽車の窓から』堀口大學訳)

わたしにとって、
(サムエル記下一・二六)

これはおそろしく重いわ。
(ゲーテ『ファウスト』第二部、相良守峯訳)


それには、
(シェイクスピア『マクベス』第五幕・第四場、福田恆存訳)

イエス・キリストの
(ポール・クローデル『眞晝の聖女』佐藤正彰訳)

I.N.R.I.
(三省堂『カレッジ・クラウン英和辞典』)

(Iesus Nazarenus,Rex Indaeorum ユダヤ人の王、ナザレのイエス)
(三省堂『カレッジ・クラウン英和辞典』丸括弧加筆=筆者)

という名が
(ヨハネの黙示録一九・一六)

しるされていた。
(ヨハネの黙示録一九・一六)


  Maximilian Kolbe

キリストは、いくつにも分けられたのか。
(コリント人への第一の手紙一・一三)


  Jeanne d'Arc

御覧なさい、わたくしを。
(バイロン『マンフレッド』第三幕・第一場、小川和夫訳)


そこで、
(テモテへの第二の手紙二・一)

彼女は
(ヨハネの黙示録一八・八)

ハンカチの端をつまんでひっぱりだし、ひろげて見せた。
(ジョイス『ユリシーズ』1・テーレマコス、高松雄一訳)

ありありと
(ランボー『音楽につれて』堀口大學訳)

浮かびあがる
(ダンヌンツィオ『アルバの丘の夕ぐれ』岩崎純孝訳)

白百合、
(レミ・ドゥ・グルモン『むかしの花』上田敏訳)

乙女の騎士、
(ゴットフリート・フォン・シュトラースブルク『トリスタンとイゾルデ』第十三章、石川敬三訳)


  Maximilian Kolbe

とてもはっきり見える。
(ラールス・グスタフソン『哲学者たちの対話』飯吉光夫訳、句点加筆=筆者)

燃えている!
(ハンス・カロッサ『蝶に』片山敏彦訳)

火の刑罰を受け、人々の見せしめにされている。
(ユダの手紙七)

とてもはっきり見える。
(ラールス・グスタフソン『哲学者たちの対話』飯吉光夫訳、句点加筆=筆者)


  Jeanne d'Arc

あれはわたしなのよ──
(アンナ・アンドレーヴナ・アフマートワ『ヒーローのいない叙事詩』江川卓訳)


  people

殺せ!
(ヴェルレーヌ『詩法』堀口大學訳)

殺せ、殺せ、
(ヨハネによる福音書一九・一五)

早く殺せ。
(ブルフィンチ『中世騎士物語』野上弥生子訳)

殺してしまえ!
(ブルフィンチ『中世騎士物語』野上弥生子訳)


  Pierre Cauchon

異教徒よ!
(エリオット『荒地』大澤實訳、感嘆符加筆=筆者)

異端のものよ!
(ゲオルク・トラークル『眠り』高本研一訳)

女は男の着物を着てはいけない。
(申命記二二・五)


  Jeanne d'Arc

なぜそんなことをおっしゃいますの?
(シェイクスピア『オセロウ』第五幕・第二場、菅泰男訳)


  Pierre Cauchon

主はそのような事をする者を忌みきらわれるからである。
(申命記二二・五)


  Jeanne d'Arc

神さま、
(シェイクスピア『オセロウ』第五幕・第二場、菅泰男訳)


  Pierre Cauchon

罪を白状しろ。
(シェイクスピア『オセロウ』第五幕・第二場、菅泰男訳)


  Jeanne d'Arc

神さま、
(シェイクスピア『オセロウ』第五幕・第二場、菅泰男訳)

神さま、
(シェイクスピア『オセロウ』第五幕・第二場、菅泰男訳)

異端糺問官は
(ズビグニェフ・ヘルベルト『マーギェル』工藤幸雄訳)

わたしの知らない事をわたしに尋ねる。
(詩篇三五・一一)


  Pierre Cauchon

黙れ、静かにするんだ。
(シェイクスピア『オセロウ』第五幕・第二場、菅泰男訳)

焼き場はすでに設けられた。
(イザヤ書三〇・三三)

多くのたきぎが積まれてある。
(イザヤ書三〇・三三)

haeretico comburendo.
(岩波書店『ギリシア・ラテン引用語辭典』)

異端者は燒かれるべき。
(岩波書店『ギリシア・ラテン引用語辭典』)

火炙りの刑に値する。
(トルストイ『ドン・ジュアン』第一部、柴田治三郎訳)


  Judges

異議なし、異議なし、
(ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳)


  Pierre Cauchon

さあ、これを殺してしまおう。
(マルコによる福音書一二・七)

宣告はくだされたのだ。
(バイロン『マンフレッド』第一幕・第一場、小川和夫訳、句点加筆=筆者)

神聖な焔で貴様を焼いてやろう。
(ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳)

死ぬがよい!
(ゴットフリート・ベン『急行列車』生野幸吉訳)

火を持ってこい。
(シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』第三幕・第三場、中野好夫訳)

火を放て。
(パブロ・ネルーダ『マチュピチュの頂』野谷文昭訳、句点加筆=筆者)


  Jeanne d'Arc

神さま、
(シェイクスピア『オセロウ』第五幕・第二場、菅泰男訳)


  Pierre Cauchon

火を放て、
(パブロ・ネルーダ『マチュピチュの頂』野谷文昭訳、読点加筆=筆者)

小鳥を飛ばせてやれ、
(シェイクスピア『ハムレット』第三幕・第四場、大山俊一訳)


その汗布がしめされているあいだじゅう、
(ダンテ『神曲』天堂篇・第三十一歌、野上素一訳)

燃えていく火の
(ジョン・ベリマン『ブラッドストリート夫人賛歌』澤崎順之助訳)

匂いがした。
(アレン・テイト『魂の四季』成田成壽訳、句点加筆=筆者)


  Jeanne d'Arc

わたしの皮膚は黒くなって、はげ落ち、
(ヨブ記三〇・三〇)

わたしの骨は熱さによって燃え、
(ヨブ記三〇・三〇)

火の燃えくさとなって焼かれる。
(イザヤ書九・五)

私はいま燃えているのだ。
(リルケ『来るがいい最後の苦痛よ』富士川英郎訳、句点加筆=筆者)


  Maximilian Kolbe

あなたが見える。
(ヴェルレーヌ『夜の鳥』堀口大學訳、句点加筆=筆者)

あの日のあなたが見える。
(ヴェルレーヌ『夜の鳥』堀口大學訳、句点加筆=筆者)


教会の外、
(リスペクトール『家族の絆』水牛、林田雅至訳、読点加筆=筆者)

森では
(エリオット『寺院の殺人』第二部、福田恆存訳)


(シェイクスピア『マクベス』第二幕・第二場、福田恆存訳)

が、
(シェイクスピア『ハムレット』第一幕・第一場、大山俊一訳)

生まれる
(パブロ・ネルーダ『呪い』田村さと子訳)

雛を
(ミストラル『プロヴァンスの少女』杉富士雄訳)

間引きする。
(ロバート・ロウエル『日曜の朝はやく目がさめて』金関寿夫訳、句点加筆=筆者)

神の姿が
(ビョルンソン『人の力を超えるもの』第二部・第二幕・第三場、毛利三彌訳)

現われた。
(イェイツ『クフーリンの死』尾島庄太郎訳)

神の
(レオポルド・セダール・サンゴール『春の歌』登坂雅志訳)

足が
(エウジェーニオ・モンターレ『ヒットラーの春』河島英昭訳)

土くれのように
(アンドレ・デュ・ブーシェ『白いモーター』湯浅信之訳)

ひな鳥を
(フェンテス『脱皮』内田吉彦訳)

踏みつぶす。
(ゴットフリート・ベン『われらは芥子の野に・・・・・・』生野幸吉訳、句点加筆=筆者)


  Maximilian Kolbe

見よ、ここにキリストがいる。
(マタイによる福音書二四・二三)

わたしたちの主イエス・キリストである。
(ローマ人への手紙一・四)

そしてまた
(シェイクスピア『マクベス』第一幕・第五場、福田恆存訳)

あなたの神
(ルツ記一・一六)


(コリント人への第一の手紙一〇・一七)

わたしの神、
(ルツ記一・一六、読点加筆=筆者)

イエス・キリストである。
(ローマ人への手紙一・四)


  Jeanne d'Arc

さあ、その雛をちょうだい。
(ミストラル『プロヴァンスの少女』杉富士雄訳、句点加筆=筆者)


  Maximilian Kolbe

お前は何を呉れる?
(ハンス・カロッサ『聖者の手の上の小さな都』片山敏彦訳)


  Jeanne d'Arc

神の御足の下で
(レオポルド・セダール・サンゴール『春の歌』登坂雅志訳)

苦しみを。
(マックス・ジャコブ『瞑想』齋藤磯雄訳)


  Maximilian Kolbe

そなたの両手は祝福されている。
(リルケ『告知』石丸静雄訳、句点加筆=筆者)

わたしはそれをあなたの手にわたす。
(士師記七・九)

受取るがいい、
(リルケ『オルフォイスのソネット』高安國世訳)

Est tuum.
(岩波書店『ギリシア・ラテン引用語辭典』)

それは汝のものなり。
(岩波書店『ギリシア・ラテン引用語辭典』)

われわれを造った神は一つ。
(マラキ書二・一〇)

わたしの神
(ルツ記一・一六)


(シェイクスピア『マクベス』第三幕・第一場、福田恆存訳)

あなたの神は
(ルツ記一・一六)

一体である。
(マタイによる福音書一九・六)

これらはわたしの手で一つとなる。
(エゼキエル書三七・一九)


  owl

ほう!
(シェイクスピア『空騒ぎ』第三幕・第二場、福田恆存訳)

ほ、ほう!
(シェイクスピア『空騒ぎ』第三幕・第三場、福田恆存訳)

阿呆がきたよ、ほう。
(シェイクスピア『十二夜』第二幕・第三場、小津次郎訳)


死んだ
(エドウィン・ミュア『時間の主題による變奏』第九曲、大澤實訳)

ひな鳥を
(フェンテス『脱皮』内田吉彦訳)

ひとまたぎ、
(ヴェルレーヌ『コロンビーヌ』堀口大學訳)

ひとりの男、登場する。
(ゴットフリート・ベン『肉』生野幸吉訳)


  King Lear

みんな死ぬのじゃ。
(シェイクスピア『ヘンリー四世』第二部・第三幕・第二場、中野好夫訳)


  Pier Paolo Pasolini

触るな、阿呆!
(シェイクスピア『空騒ぎ』第四幕・第二場、福田恆存訳)

それに触わるな!
(J・G・バラード『太陽の帝国』第一部、高橋和久訳)
















ピカッ
(辻真先・原作/石川賢・作画『聖魔伝』第二十九章)
















ズズーン
(辻真先・原作/石川賢・作画『聖魔伝』第十四章)














________________________________________


Ararat



  Hans Giebenrath

踏む者もなくなった
(エレミヤ書四八・三三)

僕の踏みつけられた靴、
(ジョン・ダン『香水』湯浅信之訳、読点加筆=筆者)

森のなかに、
(ゲーテ『ファウスト』第二部、相良守峯訳)

あの靴が
(シェイクスピア『ハムレット』第一幕・第二場、大山俊一訳)

いつまでも残っているにちがいない。
(ボルヘス『一九八三年三月二十五日』鼓直訳)


  Dolores Haze

その靴をはかせてやるといいわ。
(ガルシア=マルケス『百年の孤独』鼓直訳、句点加筆=筆者)

あの森の中で
(ジャン・ジュネ『花のノートルダム』堀口大學訳)

虐殺された
(ジャン・ジュネ『花のノートルダム』堀口大學訳)

歩兵の
(イザヤ書九・五)

足が
(エレミヤ書二・二五)

はだしにならないように。
(エレミヤ書二・二五、句点加筆=筆者)


  Maximilian Kolbe

聖なるこの静けさ!
(ネクラーソフ『公爵夫人ヴォルコーンスカヤ』谷耕平訳)


  toad

ゲゲ
(草野心平『月夜』)

ゲゲ
(草野心平『月夜』)


蛙が鳴きだす。
(エズラ・パウンド『詩篇』第二篇、新倉俊一訳)


  Hans Giebenrath

なんだこいつ跛じゃないか。
(ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳)


  Jeanne d'Arc

雨かしら。
(レオン・ポール・ファルグ『かはたれ』山内義雄訳)


  Dolores Haze

雨がふるのかしら?
(ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』高杉一郎訳)


  Pier Paolo Pasolini

いづれは雨だ。
(フランシス・ジャム『お前も退屈してゐやう』室井庸一訳)


  toad

ゲゲ
(草野心平『月夜』)

ゲゲ
(草野心平『月夜』)


  King Lear

生きているのは蛙だけか?
(オクタビオ・パス『砕けた壺』桑名一博訳、疑問符加筆=筆者)

死なないのは蛙だけなのか?
(オクタビオ・パス『砕けた壺』桑名一博訳)


  Hans Giebenrath

びっこひきひき、雨の中か!
(シェイクスピア『ヘンリー四世』第一部・第三幕・第一場、中野好夫訳)


  Pier Paolo Pasolini

それ、ひき蛙、
(シェイクスピア『マクベス』第四幕・第一場、福田恆存訳)

雨を降らせよ。
(『ブッダのことば−スッタニパータ−』第一蛇の章二ダニヤ、中村元訳)


  King Lear

さあ、そろそろ森から離れるときがきた、
(ダンテ『神曲』地獄篇・第十四歌、野上素一訳)


  Pierre Cauchon

ここから出て行けば、この世で再び一同が逢うことは決してないだろう。
(ブルフィンチ『中世騎士物語』野上弥生子訳)


  Jesus Christ

それもよい。
(エミリー・ブロンテ『わが思うひとの墓』斎藤正二訳)


  Dolores Haze

あたしたちのあとにくるのは大洪水よ、あとはどうともなれ、よ、
(ゴットフリート・ベン『掻爬』生野幸吉訳)


  Jeanne d'Arc

After me the deluge!
(三省堂『カレッジ・クラウン英和辞典』)

後は野となれ山となれ!
(三省堂『カレッジ・クラウン英和辞典』)


  All the Players

After us the deluge!
(三省堂『カレッジ・クラウン英和辞典』)

後は野となれ山となれ!
(三省堂『カレッジ・クラウン英和辞典』)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(ネクラーソフ『公爵夫人トゥルベツカーヤ』谷耕平訳)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(ネクラーソフ『公爵夫人トゥルベツカーヤ』谷耕平訳)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(ネクラーソフ『公爵夫人トゥルベツカーヤ』谷耕平訳)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(ネクラーソフ『公爵夫人トゥルベツカーヤ』谷耕平訳)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(ネクラーソフ『公爵夫人トゥルベツカーヤ』谷耕平訳)

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(ネクラーソフ『公爵夫人トゥルベツカーヤ』谷耕平訳)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(ネクラーソフ『公爵夫人トゥルベツカーヤ』谷耕平訳)

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(ネクラーソフ『公爵夫人トゥルベツカーヤ』谷耕平訳)

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(ネクラーソフ『公爵夫人トゥルベツカーヤ』谷耕平訳)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(ネクラーソフ『公爵夫人トゥルベツカーヤ』谷耕平訳)

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(ネクラーソフ『公爵夫人トゥルベツカーヤ』谷耕平訳)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(ネクラーソフ『公爵夫人トゥルベツカーヤ』谷耕平訳)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(ネクラーソフ『公爵夫人トゥルベツカーヤ』谷耕平訳)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(ネクラーソフ『公爵夫人トゥルベツカーヤ』谷耕平訳)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(ネクラーソフ『公爵夫人トゥルベツカーヤ』谷耕平訳)

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(ネクラーソフ『公爵夫人トゥルベツカーヤ』谷耕平訳)

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(ネクラーソフ『公爵夫人トゥルベツカーヤ』谷耕平訳)

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(ネクラーソフ『公爵夫人トゥルベツカーヤ』谷耕平訳)

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(ネクラーソフ『公爵夫人トゥルベツカーヤ』谷耕平訳)

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(ネクラーソフ『公爵夫人トゥルベツカーヤ』谷耕平訳)

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(ネクラーソフ『公爵夫人トゥルベツカーヤ』谷耕平訳)

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(ネクラーソフ『公爵夫人トゥルベツカーヤ』谷耕平訳)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(ネクラーソフ『公爵夫人トゥルベツカーヤ』谷耕平訳)

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(ネクラーソフ『公爵夫人トゥルベツカーヤ』谷耕平訳)


  Pier Paolo Pasolini

カット、
(ジャン・ジュネ『花のノートルダム』堀口大學訳、読点加筆=筆者)

カット。
(ジャン・ジュネ『花のノートルダム』堀口大學訳、句点加筆=筆者)

すばらしい!
(ガルシア=マルケス『悪い時』高見英一訳、感嘆符加筆=筆者)

すばらしい!
(ガルシア=マルケス『悪い時』高見英一訳、感嘆符加筆=筆者)


  Dolores Haze

それでおはなしはおしまい?
(フェンテス『脱皮』内田吉彦訳)


  Pier Paolo Pasolini

やりなおしだ。
(コクトー『傷ついた祈り』堀口大學訳)

やり直し!
(ラディゲ『ヴィーナスの星』江口清訳)


  Jeanne d'Arc

嘘!
(テネシー・ウィリアムズ『欲望という名の電車』小田島雄志訳)


  Dolores Haze

また?
(ガルシア=マルケス『悪い時』高見英一訳)


  Pier Paolo Pasolini

もちろん。
(シェイクスピア『オセロウ』第四幕・第三場、菅泰男訳)

das ist eure Pflicht;
(Goethe"Faust"Zweiter Teil,l.11665,C.H.Beck,Munchen,1991,p.351.)

それがお前たちの勤めなのだ。
(ゲーテ『ファウスト』第二部、相良守峯訳)


四月になると

  田中宏輔



順番がきて
名前を呼ばれて立ちあがったけれど
なんて言えばいいのか、なにを言えばいいのか
わからなくって、ぼくはだまったまま
(だまったまま)うつむいて立っていた。

しばらくすると
後ろから突っつかれた。
突っつかれたぼくの身体は傾いて
一瞬、倒れそうになったのだけれど
身体を石のように硬くして(かた、くして)
傾き(かたむき)ながらも立っていた。

(教室の隅にある清掃用具入れの
  ロッカー、そのなかのホーキも傾いているよ。)

先生が、すわりなさいとおっしゃった。

後ろの席の子が立ちあがった。

ぼくは机のなかに手を入れて
音がしないように用心しながら
きょう、配られたばかりの教科書を
一ページずつ繰っていった。
見えない教科書を
繰っていった。

……級友たちの声が遠ざかってゆく
遠ざかってゆく、遠くからの、遠い声がして、
ぼくは窓の外に目をやった。

だれもいない(しずかな)校庭の
端にある鉄棒に(きらきらと)輝く
一枚の白いタオルがぶら下がっていた。

ぼくのじゃなかったけれど
あとでとりに行こうと
(ひそかに)思いながら
見えない教科書を繰っていった。

だれかが
下敷きに光をあてて
天井にいたずらし出した。

ひとりがはじめると
何人かが、すぐに真似をした。

天井に
いくつもの光が
踊っていた。

ぼくは、教科書を逆さに繰っていった。

光が踊るのをやめた。

ぼくの列が最後だった。

先生が出席簿を持って
出て行かれた。

新学年、新学期
はじめてのホームルーム。

春の一日。

まひるに近い
近い時間だった。


いますこし、あなたの木陰に

  田中宏輔




いますこし
あなたのかたわらで
あなたのつくる木陰に
わたしをやすめさせてください

かつて
あなたから遠く
遠くはなれていったわたしを
あなたの幹にもたげさせてください

あの日は
春の陽の光が
とてもやさしくあたたかでした
わたしはひとり巣をはなれました

見知らぬところへ
風がみちびくままに
ふたつのつばさをひろげ
わたしは飛んでゆきました。

いごこちよければとどまって
あきたころになればまた飛んでゆきました
ずいぶん遠くに飛んでゆきました
ずいぶんあなたからはなれてしまいました

そうこうしているうちに
わたしのつばさは病におかされました
りょうのつばさはばたかせて
遠くにまで飛べないようになったのです

そんなある日、わたり鳥の群れが
わたしのうえをとおりすぎてゆきました
それがあなたのうえをとおることを願って
わたしは群れのなかに飛びこみました

群れのうしろにつけば
遠い道のりを飛ぶことができるのです
それは遠く、遠く
はるかに遠い道のりを飛んでゆきました

何日も何日も飛びました
そのあいだもはねがぬけてゆきました
どんどんどんどんぬけてゆきました
目もすこうし見えなくなってゆきました

そうして、とうとう
ちからつきて落ちてしまったのです
ところがそこはあなたの枝のうえ
あなたの腕に抱きとめられたのです

あやまちをくりかえしくりかえし
わたしは生きてきました
もう二度とあなたのもとをはなれません
はなれることなどできないでしょう

つばさやぶれるまえに
病にやぶれるまえに
わたしはもどってくるべきでした
あなたのもとにもどってくるべきでした

いますこし
あなたのかたわらで
あなたのつくる木陰に
わたしをやすめさせてください

いますこし
あなたのかたわらで
あなたのつくる木陰に
わたしをやすめさせてください


             ─父に─


カラカラ帝。

  田中宏輔




●K、のようにOを●にしてみる。

B●●K
D●G
G●D
B●Y
C●●K
L●●K
T●UCH
G●●D
J●Y
C●●L
●UT
S●UL
Z●●
T●Y

1●●+1●●=2●●●●
3●●●●−1●●=2●●

なんていうのも、きれいかも。

まだまだできそうだね、かわいいのが。

L●VE
L●NG
H●T
N●
S●METHING
W●RST
B●X

文章でも、きれいかも。
R●BERT SILVERBERG の S●N ●F MAN から
ただし、全部、大文字にするね、そのほうがきれいだから、笑。(作者名とタイトルも、笑)
1●8ページから

CLAY G●ES IN. ●N HIS SIXTH STEP HE
SWINGS R●UND. THE D●●R IS STILL ●PEN.
HIS R●B●T WAITS BESIDE IT,’G●●D,’ CLAY SAYS.
’REMEMBER,I’M B●SS.IT SAYS ●PEN.’

すると、マイミクの剛くんから

これは、語頭が●なのがよいと思います。
語尾も、かな。

とコメントがあり、ぼくはつぎのようにお返事しました。

●UT
Z●●
いまのところ、思いつくのが、これくらいですかね。
きょうは、カリガリ博士をDVDで見ていましたが
途中で電話が入り
見るのをやめました。
きょうは買い物に近くのスーパーに出ただけで
不活発な一日でした。
ぬくりんこ
靴下を履いた足の裏につけて
きょうも眠ります。
やめられませんね。
ぬくさから抜け出すのは。

そしたら、マイミクのKeffさんからも、つぎのようなコメントが。

わっ。 Oが●になっただけでなにか見てはイケナイものを見ているような気分に…。
●RACLE
●RTH●D●XY
権威のありそうなものもいかがわしく見える●(笑)

そういう点では
F●UR LETTERS W●RD
や罵り言葉のなかでは 
Oを●にすると映えるのは
●H MY G●SH (●H MY G●D)
ですねえ…神入ってますから(笑)

S●N ●F A BITCH
●BSCENE
●BS●LETE
WH●RE
とかはどうなんでしょう。もとのOのほうがショッキングかも。

ところで、●詩の●を■にしたらずいぶん印象変わりますよね!?

きゃ〜
Keffさん
すてき!

■詩は、まだつくっていないのですが
さっそくつくってみましょう。

ためしに前の日記のものを。

■先斗町通りから木屋町通りに抜ける狭い路地の一つに■坂本龍馬が暗殺されかかったときの刀の傷跡があるって■だれかから聞いて■自分でもその傷跡を見た記憶があるんだけど■二十年以上も前の話だから■記憶違いかもしれない■でも■その路地の先斗町通り寄りのところに■RUGという名前のスナックが■むかしあって■いまでは代替わりをしていて■ふつうの店になっているらしいけれど■ぼくが学生の時代には■昼のあいだは■ゲイのために喫茶店をしていて■そのときにはいろいろなことがあったんだけど■それはまた別の機会に■きょうは■その喫茶店で交わされた一つの会話からはじめるね■店でバイトをしていた京大生の男の子が■客できていたぼくたちにこんなことをたずねた■もしも■世の中に飲み物が一種類しかなかったとしたら■あなたたちは■何を選ぶのかしら■ただし■水はのぞいてね■最初に答えたのはぼくだった■ミルクかな■あら■あたしといっしょね■バイトの子がそういった■客は■ぼくを入れて三人しかいなかった■あとの二人は日本茶と紅茶だった■紅茶は砂糖抜きミルク抜きレモン抜きのストレートのものね■ゲイだけど■笑■

これも、きれいね。
しばらく●詩をつくっていて
ほかのものでは、どうなのかなって、考えるだけでしたが
■は、●についで、候補の一番でした。
あと

とか

とか

とか
なかが黒くて、つまっている記号を候補にしていますが
やはり


がいいでしょう。
でも
▲や
▼も
面白そう。

●は
リズムをつくりやすいのですね。
いかにも
紙面の下で跳ね上がったような
紙面の上で、かな。
浮遊感があって
動きがあるのですね。
■は
その動きがにぶくなりますね。
というより、動かない。
動かさない。
だから
■にすると
浮遊感よりも
固定感がつよくなり
言葉のほうが
今度は逆に
浮遊しているように見えるかもしれませんね。
■が
柱の一部として突き出していて
空中で言葉をささえている
という感じでしょうか。
縦書きだとね。

すると、マイミクのKeffさんからまたコメントをいただいて。

▲をぼんやりといいひとそうな▲かきもののあいだに▲はさむと▲おもった
よりも▲攻撃性が▲むきだしに▲なって▲こわくて▲いい▲あじが▲出る▲か
▲も▲とおもいました▲こんど▲わたしも▲つかってみようと▲おもいます▲

で、ぼくのお返事は

より幾何学な感じになりますね。
散文詩の新しい形態の時代にしましょう、笑。

すると、マイミクのウラタロウさんからもコメントが。

■は方眼紙とか平安京のような感じがしました。
そういえば荻原裕幸さんは▼を爆弾に見立てた短歌を詠んでいましたね。

つぎは、ウラタロウさんのコメントに対するぼくのお返事。

萩原さんね。
むかし玲瓏にいらっしゃったころのものは
見たことがあるんだけど
いま活躍されてる方ですね。
そうね。
短歌は音の世界なのに
記号や図形を無音の文字記号として使ってらっしゃる方が
何人かいらっしゃるみたいですね。
萩原さんなら孤立なさらないでしょうけれど
風あたりはきつそうですね。
ぼくみたいに
ほとんど無視されるより
そのほうが気持ちいいでしょうけれど、笑。

そしたら、またまたKeffさんから、コメントをいただきまして。

荻原さんに先例がありましたか(10へえ)



































でますね。
火炎瓶にも見えます。

詩歌でマインスイーパだ

いわゆるニューウェーブ三羽がらすから誰か一人選べ
って言われたら
荻原さんかなあ。
作歌のエロスが伝わります。
(もっともこれって、若手の「短歌の中の人」にとっては 結構シビアな質問だと思いますよ…)
塚本邦雄はそういえば*使いでしたね。

で、ぼくもまたまたお返事して。





これはいいですね。
動きがあって
いまにも地面に激突して爆発しそう。
萩原さんだったかどうか記憶がありませんが
記号だけで短歌をつくったひとがいたように思います。
まあ、●ひとつで詩だとしていたひとも詩人にいましたしね。
なんでもありでしょう。
それを詩とか短歌として認める感受性のひとがいれば●Kなんでしょう。
その時代ではダメでも、後世に認められることもありますからね。
芸術家の作業はとにかくつくることと
それを見てもらえる場所におくことでしょうね。

そういう意味でいえば
現代は、芸術家にとって
とてもいい時代だと思います。
容易に作品発表できますし
読み手はごまんといるわけですから。
前にも書きましたが
ぼくはミクシィで
面白い書き物をするひとを何人も発見しました。
いまもときどき
いろいろな人の日記を拝見しています。
最近は
マイミクにならずに
お気に入りのなかに入れて
拝見させてもらっています。
全体に公開しているひとが多いので。
なにしろ
しゃべり言葉で
面白い日記を書くひとが多いので
ミクシィを堪能しています。

逆に俳句や短歌はなかなか楽しめませんね。
空間的なものですか
余白の印象が低くなりますから
余白の美しさを味わうことが困難ですからね。
散文の分かち書きという感じで
日記を読むと
個性豊かなひとがそうとういる感じです。
たぶん、ぼくもその影響を受けているでしょう。
むかしのぼくは
笑。
なんて書かなかったですから、笑。
メールやミクシィを通じて培われた感性でしょうね。
話が飛びました。
そういえば
2ちゃんねるで
文字で
絵を書く人が多くて
見て面白いと思っています。
あれは絵ですよね。
面白い。

するとまたまた、ウラタロウさんからコメントが。

ネットをあちこち見ていると、昔の文学畑だったらありえなかった、というような表現も多いです。「乱れ」っぷりに眉をひそめる人も多いけれど、たしかに支離滅裂だったり破壊的だったりするけれど、そこには可能性も潜んでいるんじゃないかなって思います。どうみても壊れている文なのに面白いのもありました。

で、つづけて、またまたKeffさんからもコメントが。

宏輔さん、

いま蟹工船ブームだそうですが
詩歌であの路線ならだんぜん萩原恭次郎ですよ。
記号の使い方がロシア・アヴァンギャルドそこのけに暴力的で、すかっとします。
人間の声だけで朗読するのは結構知恵がいるかも。

こないだ見かけた日本人アナーキストの人のブログの自己紹介に
萩原恭次郎の「ラスコーリニコフ」が引用されていて
おー!ぴったりだ!
と思いました。
ぜんぜん古びてなかった。笑

で、で、ぼくのおふたりへのお返事です。

ウラタロウさんへ

ぼくも壊れた文体好きです。
小学生の
そしてそして文体も大好きです。
面白ければ、よいのだと思っています。
主語がどれかわからないなんて文体
外国語の初学者になった気分で読んで
ゲラゲラ笑ってしまいます。

Keffさんへ

萩原恭次郎は、おしゃれですね。 きのうカリガリ博士を見損ないましたが
ドイツ表現主義もいいですね。
ロシア・アバンギャルドといえば
先日、日記にとりあげたロシアSFが、そうでしたね。
蟹工船の文体は、ぼくも引用しましたが
とても美しいですし、凝縮度がすごいですね。
それがブームって
ぼくにはよくわからないのですが
まあ、弛緩した文体の多い現代でも
凝縮した文体を求める向きがあるということなのでしょうね。
ぼく自体は
凝縮した文体を目指したことは一度もなく
むしろ
だらだらとした
えんえんと、ぐだぐだ書いてるような文体を
目指してはいませんが
書いているような気がします。
飯島耕一が「おじやのような詩」と書いていた詩を
ぼくはぜんぜん悪いと思ったことがないので
まあ、おじやのような詩でもいいかなあって感じで書いてます。
気持ちよければ
長くてもいいんじゃなあい?
って感じです。

凝縮した文体も好きですけれど
ぼく自体は書けないなあって思っています。

今朝、本棚の角で、瞼を切りました。
血が出ました。
痛い。
あほや〜。



●K B●●K  D●G  G●D  B●Y  C●●K
L●●K  T●UCH  S●METHING
W●RST  B●X  G●●D  J●Y
C●●L  ●UT  S●UL  Z●●
T●Y  L●VE  L●NG  H●T
N●

1●●+1●●=2●●●●
3●●●● - ●●=2●●



心音が途絶え
父の身体が浮き上がっていった。
いや、もう身体とは言えない。
遺体なのだ。
人間は死ぬと
魂と肉体が分離して
死んだ肉体が重さを失い
宙に浮かんで天国に行くのである。
病室の窓が開けられた。
父の死体は静かにゆっくりと漂いながら上昇していった。
魂の縛めを解かれて、父の肉体が昇っていく。
だんだんちいさくなっていく父の姿を見上げながら
ぼくは後ろから母の肩をぎゅっと抱いた。
点のようにまでなり、もう何も見えなくなると
ベッドのほうを見下ろした。
布団の上に汚らしいしみをつくって
ぬらぬらとしている父の魂を
看護婦が手袋をした手でつまみあげると
それをビニール袋のなかに入れ
袋の口をきつくしばって、病室の隅に置いてある屑入れの中に入れた。
ぼくと母は、父の魂が入った屑入れを一瞥した。
肉体から離れた魂は、すぐに腐臭を放って崩れていくのだった。
天国に昇っていくきれいになった父の肉体を頭に思い描きながら
看護婦の後ろからついていくようにして、
ぼくは、母といっしょに病室を出た。



あさ、仕事に行くために駅に向かう途中、
目の隅で、何か動くものがあった。
歩く速さを落として目をやると、
結ばれていたはずの結び目が、
廃棄された専用ゴミ袋の結び目が
ほどけていくところだった。
ぼくは、足をとめた。
手が現われ、頭が現われ、肩が現われ、
偶然が姿をすっかり現わしたのだった。
偶然も齢をとったのだろう。
ぼくが疲れた中年男になったように、
偶然のほうでも疲れた偶然になったのだろう。
若いころに出合った偶然は、
ぼくのほうから気がつくやいなや、
たちまち姿を消すことがあったのだから。
いまでは、偶然のほうが、
ぼくが気がつかないうちに、ぼくに目をとめていて、
ぼくのことをじっくりと眺めていることさえあるのだった。
齢をとっていいことのひとつに、
ぼくが偶然をじっと見ることができるように、
偶然のほうでも、じっくりとぼくの目にとまるように、
足をとめてしばらく動かずにいてくれるようになったことがあげられる。



源氏の気持ちのなかには、奇妙なところがあって、
衛門督(えもんのかみ)の子を産んだ二条の宮にも、また衛門督にも、
憎しみよりも愛情をより多くもっていたようである。
いや、奇妙なところはないのかもしれない。
人間のこころは、このように一様なものではなく、
同じ光のもとでも、さまざまな色とよりを見せるものであろうし、
ましてや、違った状況、違った光のもとでなら、
まったく違った色やよりを見せるのも当たり前なのであろう。
源氏物語の「柏木」において描出された光源氏の多様なこころざまが、
ぼくにそんなことを、ふと思い起こさせた。
まるで万華鏡のようだ。



ひまわりの花がいたよ。
ブンブン、ブンブン
飛び回っていたよ。
黄色い、黄色い
ひまわりの花がいたよ。
お部屋のなかで
ブンブン、ブンブン
飛び回っていたよ。
たくさん、たくさん
飛び回っていたよ。
あははは。
あははは。
ブンブン、ブンブン
飛び回っていたよ。
たくさん、たくさん
飛び回っていたよ。
あははは。
あははは。



仕事から帰る途中、坂道を歩いて下りていると、
後ろから男女の学生カップルの笑いをまじえた楽しそうな話し声が聞こえてきた。
彼らの若い声が近づいてきた。
彼らの影が、ぼくの足もとにきた。
彼らの影は、はねるようにして、いかにも楽しそうだった。
ぼくは、彼らの影が、つねに自分の目の前にくるように歩調を合わせて歩いた。
彼らは影まで若かった。
ぼくの影は、いかにも疲れた中年男の影だった。
二人は、これから楽しい時間を持つのだろう。
しかし、ぼくは? ぼくは、ひとり、部屋で読書の時間を持つのだろう。
もはや、驚きも少し、喜びも少しになった読書の時間を。
それも悪くはない。けっして悪くはない。
けれど、ひとりというのは、なぜか堪えた。
そうだ、帰りに、いつもの居酒屋に行こう。
日知庵にいるエイちゃんの顔と声が思い出された。
ただ、とりとめのない会話を交わすだけだけど。
ぼくは横にのいて、二人の影から離れた。



ジェフリーが、ツイッターで、ゲイの詩人で、宗教的なテーマで、
ゲイ・ポエトリーを書いてるひと、いませんかって呼びかけていたので
「ぼく書いてるよ。」と言って、いくつか選んで、メールで送った。
アメリカで、ゲイの詩のアンソロジーの出版が計画されているらしくて
そこに日本のゲイの詩人の作品を入れたいという編集者がいるって話だった。

ぼくは、ぼくのゲイ・ポエトリーを、ぼくの膨大なファイルのなかから選んだ。
つぎのものは、もとのファイルから取って、ゲイ・ポエトリーのファイルを
新しくつくって、そこに放り込んだもの。

『グァバの木の下で』というのが、そのホテルの名前だった。
かきくけ、かきくけ。
マールボロ。
みんな、きみのことが好きだった。
むちゃくちゃ抒情的でごじゃりますがな。
王國の秤。
夏の思い出。
泣いたっていいだろ。
高野川
死んだ子が悪い。
水面に浮かぶ果実のように
頭を叩くと、泣き出した。
木にのぼるわたし/街路樹の。

このなかから、宗教的な事項を含んでいるものを選んだ。
つぎのものがそれで、それをジェフリーに送り、ぼくの Facebook にも載せて、自分で英訳した。

水面に浮かぶ果実のように
マールボロ。
頭を叩くと、泣き出した。
みんな、きみのことが好きだった。
夏の思い出。

でも、ぼくの英訳が不完全だったのか、このうち、3つのものを、ジェフリーが英語に訳し直してくれた。
以下のものが、それ。



poems by TANAKA Atsusuke 田中宏輔・詩
Translations by Jeffrey ANGLES ジェフリー・アングルス・訳



水面に浮かぶ果実のように

いくら きみをひきよせようとしても
きみは 水面に浮かぶ果実のように
ぼくのほうには ちっとも戻ってこなかった
むしろ かたをすかして 遠く
さらに遠くへと きみは はなれていった

もいだのは ぼく
水面になげつけたのも ぼくだけれど



Like A Fruit Floating on Water

No matter how I try to draw you close
You, like a fruit floating on water
Do not return at all
If anything, you float farther
Farther from me

Even though it was I who picked you
It was I who threw you on the water



マールボロ

彼には、入れ墨があった。
革ジャンの下に無地の白いTシャツ。
ぼくを見るな。
ぼくじゃだめだと思った。
若いコなら、ほかにもいる。
ぼくはブサイクだから。
でも、彼は、ぼくを選んだ。
コーヒーでも飲みに行こうか?
彼は、ミルクを入れなかった。
じゃ、オレと同い年なんだ。
彼のタバコを喫う。
たった一週間の禁煙。
ラブホテルの名前は
『グァバの木の下で』だった。
靴下に雨がしみてる。
はやく靴を買い替えればよかった。
いっしょにシャワーを浴びた。
白くて、きれいな、ちんちんだった。
何で、こんなことを詩に書きつけてるんだろう?
一回でおしまい。
一回だけだからいいんだと、だれかが言ってた。
すぐには帰ろうとしなかった。
ふたりとも。
いつまでもぐずぐずしてた。
東京には、七年いた。
ちんちんが降ってきた。
たくさん降ってきた。
人間にも天敵がいればいいね。
東京には、何もなかった。
何もなかったような顔をして
ここにいる。
きれいだったな。
背中を向けて、テーブルの上に置いた
飲みさしの
缶コーラ。



Malboro

He had a tattoo.
Under his leather jacket, a solid, white T-shirt.
Don’t look at me.
I thought I didn’t live up.
There are lots of other young ones.
I am nothing to look at.
But he chose me.
Want to grab a cup of coffee?
He didn’t put in any cream?
So, you’re the same age as me.
He smoked a cigarette.
Only a single week of no smoking.
The name of the love hotel was
Under the Guava Tree.
Rain had soaked his socks.
Should’ve bought some new shoes sooner.
I took a shower with him.
His dick was white and beautiful.
Why am I writing this down in a poem?
Once and that’ll be all.
Just once and that’s okay, someone once said.
I didn’t go home right away.
That was true for both of us.
We both lingered on and on.
I was in Tokyo for seven years.
Our dicks had fallen.
They had fallen a long way.
It’s good if there are natural enemies for people.
There was nothing in Tokyo.
He looked as if there was nothing
And so he was here.
He was beautiful.
His back turned, he placed
On the table his can of cola
Half consumed.



夏の思い出


白い夏
思い出の夏
反射光
コンクリート
クラブ
ボックス
きみはバレーボール部だった
きみは輝いて
目にまぶしかった
並んで
腰かけた ぼく
ぼくは 柔道部だった
ぼくらは まだ高校一年生だった

白い夏
夏の思い出
反射光
重なりあった
手と

汗と

白い光
光反射する
コンクリート
濃い影
だれもいなかった
あの日
あの夏
あの夏休み
あの時間は ぼくと きみと
ぼくと きみの
ふたりきりの
時間だった
(ふたりきりだったね)
輝いていた
夏の
白い夏の

あの日
ぼくははじめてだった
ぼくは知らなかった
あんなにこそばったいところだったなんて
唇が
まばらなひげにあたって
(どんなにのばしても、どじょうひげだったね)
唇と
汗と
まぶしかった
一瞬

ことだった

白い夏の
思い出
はじめてのキスだった
(ほんと、汗の味がしたね)
でも
それだけだった
それだけで
あの日
あのとき
あのときのきみの姿が 最後だった
合宿をひかえて
早目に終わったクラブ
きみは
なぜ
泳ぎに出かけたの
きみはなぜ
彼女と
海に
いったの

夏の

白い夏の思い出
永遠に輝く
ぼくの
きみの
夏の

あの夏の日の思い出は
夏がめぐり
めぐり
やってくるたびに
ぼくのこころを
引き裂いて
ぼくの
こころを
引き千切って
風に
飛ばすんだ

白い夏
思い出の夏
反射光
コンクリート
クラブ
ボックス
重ねた
手と
目と
唇と
汗と
光と
影と
夏と



Summer Memory

Summer
White summer
Summer memory
Reflections of light
Concrete
Clubs
Locker rooms
You were on the volleyball team
You shone
Dazzling to the eyes
Me lined up
Sitting down
I was on the judo team
We were still freshmen
Summer
White summer
Summer memory
Reflections of light
Overlapping
Hands and
Hands and
Sweat and
Light
White light
Reflecting
Concrete
Dark shadows
No one was there
That day
That summer
That summer vacation
That time
Was just our time
Just you and me
You and me
(Just you and me, right?)
You shone
Summer
White summer
Sun
That day
Was my first time
I didn’t know
That it was such a ticklish place
The lips
Touching scanty whiskers
(Just a few, no matter how you let them grow, right?)
Lips and
Sweat and
Dazzling
It lasted
Only
A moment
Summer
A memory
Of white summer
A first kiss
(You really tasted of sweat, right?)
But
That was all
That was all
That day
That time
That time anyone ever saw you
We did not stay at the camp
The teams ended early
Why
Did you go
Out for a swim
With her
In the sea?
Summer
A summer
Day
White summer memory
Forever shining
My
Your
Summer
Day
The memory of that summer day
Flipping through the summers
Flipping through
Each time I come to it
It tears my heart
Apart
Tears my heart
Into shreds
Then scatters it
To the wind
Summer
White summer
Summer memory
Reflected light
Concrete
Clubs
Locker rooms
Overlapping
Hands and
Eyes and
Lips and
Sweat and
Light and
Shadow and
Summer



つぎのものは、ジェフリーが英訳してくれなかったものだけど
ぼくの英訳は、しのびないので、原文の日本語のものだけ掲げるね、笑。
あ、それと、ぼくが自分のファイルから選び出しておいたゲイ・ポエトリーをいくつか。



頭を叩くと、泣き出した。

カバ、ひたひたと、たそがれて、
電車、痴漢を乗せて走る。
ヴィオラの稽古の帰り、
落ち葉が、自分の落ちる音に、目を覚ました。
見逃せないオチンチンをしてる、と耳元でささやく
その人は、ポケットに岩塩をしのばせた
横顔のうつくしい神さまだった。
にやにやと笑いながら
ぼくの関節をはずしていった。
さようなら。こんにちは。
音楽のように終わってしまう。
月のきれいな夜だった。
お尻から、鳥が出てきて、歌い出したよ。
ハムレットだって、お尻から生まれたっていうし。
まるでカタイうんこをするときのように痛かったって。
みんな死ねばいいのに、ぐずぐずしてる。
きょうも、ママンは死ななかった。
慈善事業の募金をしに出かけて行った。
むかし、ママンがつくってくれたドーナッツは
大きさの違うコップでつくられていた。
ちゃんとした型抜きがなかったから。
実力テストで一番だった友だちが
大学には行かないよ、って言ってた。
ぼくにつながるすべての人が、ぼくを辱める。
ぼくが、ぼくの道で、道草をしたっていいじゃないか。
ぼくは、歌が好きなんだ。
たくさんの仮面を持っている。
素顔の数と同じ数だけ持っている。
似ているところがいっしょ。
思いつめたふりをして
パパは、聖書に目を落としてた。
雷のひとつでも、落としてやろうかしら。
マッターホルンの山の頂から
ひとすじの絶叫となって落ちてゆく牛。
落ち葉は、自分の落ちる音に耳を澄ましていた。
ぼくもまた、ぼくの歌のひとつなのだ。
今度、神戸で演奏会があるってさ。
どうして、ぼくじゃダメなの?
しっかり手を握っているのに、きみはいない。
ぼくは、きみのことが好きなのにぃ。
くやしいけど、ぼくたちは、ただの友だちだった。
明日は、ピアノの稽古だし。
落ち葉だって、踏まれたくないって思うだろ。
石の声を聞くと、耳がつぶれる。
ぼくの耳は、つぶれてるのさ。
今度の日曜日には、
世界中の日曜日をあつめてあげる。
パパは、ぼくに嘘をついた。
樹は、振り落とした葉っぱのことなんか
かまいやしない。
どうなったって、いいんだ。
まわるよ、まわる。
ジャイロ・スコープ。
また、神さまに会えるかな。
黄金の花束を抱えて降りてゆく。
Nobuyuki。ハミガキ。紙飛行機。
中也が、中原を駈けて行った。



高野川

底浅の透き通った水の流れが
昨日の雨で嵩を増して随分と濁っていた
川端に立ってバスを待ちながら
ぼくは水面に映った岸辺の草を見ていた
それはゆらゆらと揺れながら
黄土色の画布に黒く染みていた
流れる水は瀬岩にあたって畝となり
棚曇る空がそっくり動いていった
朽ちた木切れは波間を走り
枯れ草は舵を失い沈んでいった

こうしてバスを待っていると
それほど遠くもないきみの下宿が
とても遠く離れたところのように思われて
いろいろ考えてしまう
きみを思えば思うほど
自分に自信が持てなくなって
いつかはすべてが裏目に出る日がやってくると

堰堤の澱みに逆巻く渦が
ぼくの煙草の喫い止しを捕らえた
しばらく円を描いて舞っていたそれは
徐々にほぐれて身を落とし
ただ吸い口のフィルターだけがまわりまわりながら
いつまでも浮標のように浮き沈みしていた



『グァバの木の下で』というのが、そのホテルの名前だった。

こんなこと、考えたことない?
朝、病院に忍び込んでさ、
まだ眠ってる患者さんたちの、おでこんとこに
ガン、ガン、ガンって、書いてくんだ。
消えないマジック、使ってさ。
ヘンなオマケ。
でも、
やっぱり、かわいそうかもしんないね。
アハッ、おじさんの髪の毛って、
渦、巻いてるう!
ウズッ、ウズッ。
ううんと、忘れ物はない?
ああ、でも、ぼく、
いきなりHOTELだっつうから、
びっくりしちゃったよ。
うん。
あっ、ぼくさ、
つい、こないだまで、ずっと、
「清々しい」って言葉、本の中で、
「きよきよしい」って、読んでたんだ。
こないだ、友だちに、そう言ったら、
何だよ、それって、言われて、
バカにされてさ、
それで、わかったんだ。
あっ、ねっ、お腹、すいてない?
ケンタッキーでも、行こう。
連れてってよ。
ぼく、好きなんだ。
アハッ、そんなに見つめないで。
顔の真ん中に、穴でもあいたら、どうすんの?
あっ、ねっ、ねっ。
胸と、太腿とじゃ、どっちの方が好き?
ぼくは、太腿の方が好き。
食べやすいから。
おじさんには、胸の方、あげるね。
この鳥の幸せって、
ぼくに食べられることだったんだよね。
うん。
あっ、おじさんも、へたなんだ。
胸んとこの肉って、食べにくいでしょ。
こまかい骨がいっぱいで。
ああ、手が、ギトギトになっちゃった。
ねえ、ねえ、ぼくって、
ほんっとに、おじさんのタイプなの?
こんなに太ってんのに?
あっ、やめて、こんなとこで。
人に見えちゃうよ。
乳首って、すごく感じるんだ。
とくに左の方の乳首が感じるんだ。
大きさが違うんだよ。
いじられ過ぎかもしんない。
えっ、
これって、電話番号?
結婚してないの?
ぼくって、頭わるいけど、
顔はカワイイって言われる。
童顔だからさ。
ぼくみたいなタイプを好きな人のこと、
デブ専って言うんだよ。
カワイイ?
アハッ。
子供んときから、ずっと、ブタ、ブタって言われつづけてさ、
すっごくヤだったけど、
おじさんみたいに、
ぼくのこと、カワイイって言ってくれる人がいて
ほんっとによかった。
ぼくも、太ってる人が好きなんだ。
だって、やさしそうじゃない?
おじさんみたいにぃ。
アハッ。
好き。
好きだよ。
ほんっとだよ。



みんな、きみのことが好きだった。

ちょっといいですか。
あなたは神を信じますか。
牛の声で返事をした。
たしかに、神はいらっしゃいます。
立派に役割を果たしておられます。
ふざけてるんじゃない。
ぼくは大真面目だ。
友だちが死んだんだもの。
ぼくの大切な友だちが死んだんだもの。
without grief/悲しみをこらえて
弔問を済まして
帰ってきたんだもの。
Repeat after me!/復唱しろ!
absinthe/ニガヨモギ
悲しみをこらえて
ぼくは帰ってきたんだもの。
Repeat after me!/復唱しろ!
誕生日に買ってもらった
ヴィジュアル・ディクショナリー、
どのページも、ほんとにきれい。
パピルス、羊皮紙、粘土板。
食用ガエルの精巣について調べてみた。
アルバムを出して、
写真の順番を入れ換えてゆく。
海という海から
木霊が帰ってくる。
声の主など
とうに、いなくなったのに。
Repeat after me!/復唱しろ!
いじめてあげる。
吉田くんは
痛いのに、深爪だった。
電話を先に切ることができなかった。
誰にも、さからわなかった。
みんな、吉田くんのことが好きだった。
Repeat after me!/復唱しろ!
ぼく、忘れないからね。
ぜったい、忘れないからね。
おぼえておいてあげる。
吉田くんは、仮性包茎だった。
勃起したら、ちゃんとむけたから。
ぼくも、こすってあげた。
absinthe/ニガヨモギ
Repeat after me!/復唱しろ!
泣いているのは、牛なのよ。
幼い男の子が
ぼくの頭を叩いて
「ゆるしてあげる」
って言った。
話しかけてはいけないところで
話しかけてはいけない。
Repeat after me!/復唱しろ!
ごめんね、ごめんね。
ぼくだって、包茎だった。
without grief/悲しみをこらえて
absinthe/ニガヨモギ
もっとたくさん。
もうたくさん。



泣いたっていいだろ。

あべこべにくっついてる
本のカバー、そのままにして読んでた、ズボラなぼく。
ぼくの手には蹼(みずかき)があった。
でも、読んだら、ちゃんと、なおしとくよ。
だから、テレフォン・セックスはやめてね。
だって、めんどくさいんだもん。
うつくしい音楽をありがとう。
ヤだったら、途中で降りたっていいんだろ。
なんだったら、頭でも殴ってやろうか。
こないだもらったゴムの木から
羽虫が一匹、飛び下りた。
ブチュって、本に挾んでやった。
開いて見つめる、その眼差しに
葉むらの影が、虎(とら)斑(ふ)に落ちて揺れている。
ねえ、まだ?
ぼくんちのカメはかしこいよ。
そいで、そいつが教えてくれたんだけど。
一をほどくと、二になる。
二を結ぶと、〇になるって。
だから、一と〇は同じなんだね。
(二って、=(イコール)と、うりふたつ、そっくりだもんね)
ねっ、ねっ、催眠術の掛け合いっこしない?
こないだ、テレビでやってたよ。
ぼくも、さわろかな。
そうだ、いつか、言ってたよね。
ふたつにひとつ。ふたつはひとつ。
みんな大人になるって。
中国の人口って14億なんだってね。
世界中に散らばった人たちも入れると
三人に一人が中国人ってことになる。
でも、よかった。
きみとぼくとで、二人だもんね。
ねえ、おぼえてる? 言葉じゃないだろ! って、
好きだったら、抱けよ! って、
ぼくに背中を見せて、
きみが、ぼくに言った言葉。
付き合いはじめの頃だったよね。
ひと眼差しごとに、キッスしてたのは。
ぼくのこと、天使みたいだって言ってたよね。
昔は、やさしかったのにぃ。
ぼくが帰るとき、
いつも停留所ひとつ抜かして送ってくれた。
バスがくるまでベンチに腰掛けて。
ぼくの手を握る、きみの手のぬくもりを
いまでも、ぼくは、思い出すことができる。
付き合いはじめの頃だったけど。
ぼくたち、よく、近くの神社に行ったよね。
そいで、星が雲に隠れるよりはやく
ぼくたちは星から隠れたよね。
葉っぱという葉っぱ、
人差し指でつついてく。
手あたりしだい。
見境なし。
楽しい。
って、
あっ、いまイッタ?
違う?
じゃ、何て言ったの?
雨?
ほんとだ。
さっきまで、晴れてたのに。
そこにあった空が嘘ついてた。
兎に角、兎も角、

志賀直哉はよく書きつけた。
降れば土砂降り。
雨と降る雨。



木にのぼるわたし/街路樹の。

ぼく、うしどし。
おれは、いのししで
おれの方が"し"が多いよ。
あらら、ほんとね。
ほかの"えと"では、どうかしら?
たしか、国語辞典の後ろにのってたよね。
調べてみましょ。
ううんと、
ほかの"えと"には、"し"がないわ。
志賀直哉?
偶然かな。
生まれたときのことだけど
はじめて吸い込んだ空気って
一生の間、肺の中にあるんですって。
ごくわずかの量らしいけどね。
もしも、道端に
お父さんやお母さんの顔が落ちてたら
拾って帰る?
パス。
アスパラガス。
「どの猿も 胸に手をあて 夏木マリ」
「抜け髪の 頭叩きて 誰か知れ」
「フラダンス きれいなわたし 春いづこ」
「ゐらぬ世話 ダム崩壊の オロナイン」
「顔おさへ 買ひ物カゴに 笠地蔵」
「上着脱ぐ 男の乳は みんな叔母」
「南下する ホームルームは 錦鯉」
これが俳句だと
だれが言ってくれるかしら?
〈KANASHIIWA〉と打つと
〈悲しい和〉と変換される。
トホホ。
それでも、毎朝、奴隷が起こしてくれる。
まだ、お父様なのに。
間違えちゃったかな。
ダンボール箱。
裸の母は、棚の上にいっしょに並んだ植木鉢である。
魔除けである。
通説である。
で、きみは
4月4日生まれってのが、ヤなの?
オカマの日だからって?
だれも気にしないんじゃない?
きみの誕生日なんて。
それより、まだ濡れてるよ。
この靴下。
だけど、はかなくちゃ。
はいてかなくちゃ。
これしかないんだも〜ん。
トホホ。
いったい、いつ
ぼくは滅びたらいいんだろう。
バーガーショップ主催の交霊術の会は盛況だった。



かきくけ、かきくけ。

ちっともさびしくないって
きみは言うけれど
きみの表情が、きみを裏切っている。
壁にそむいた窓があるように
きみの気持ちにそむいた
きみの言葉がある。
きみの目には、いつも
きみの鼻の先が見えてるはずだけど
見えてる感じなんか、しないだろ。
そんな難しそうな顔をしちゃいけない。
まるで床一面いっぱいに敷き詰められた踏み絵みたいに。
突然、道に穴ぼこができて
人や車や犬が、すっと消えていくように
きみの顔にも穴ぼこができて
目や鼻や唇が
つぎつぎと消えていけばいいのに。
もしも、アブラハムの息子が、イサクひとりじゃなくて
百も、千もいたら、しかも、まったく同じ姿のイサクがいっぱいいたら、
ゼンゼンためらわずに犠牲にしてたかもしれない。
ノブユキは、生のままシメジを食べる。
ぼくが、台所でスキヤキの準備してたら
パクッ、だって。
アハッ。
かわいいよね。
すておじいちゃん。
拾ってきてはいけません。
捨ててきなさい。
ママは残酷なのだ。
バスに乗って
ぼくは、よくウロウロしてた。
もちろん、バスの中じゃなくて、繁華街ね。
キッズのころだけど。
そういえば、河原町に
茂吉ジジイってあだ名のコジキがいた。
林(はや)っちゃんがつけたあだ名だけど
ほんとに、斎藤茂吉にそっくりだった。
あっ、いま、コジキって言ったらダメなのかしら。
オコジキって丁寧語にしてもダメかしら。
貧しい男と貧しい女が恋をするように
醜い男と醜い女が恋をする。
ぼくはうれしい。
バスの中では、
どの人の座席の後ろにも
ユダが隠れてる。
ここにもひとり、そこにもひとり。
そうして、ユダに気をとられている間に
とうとう祈りの声は散じてしまった。
それは、むかし、ぼくが捨てた祈りの声だった。
蟻は、一度でも通った道のことは忘れない。
一瞬で生まれたものなのに、
どうして、すぐに死なないのだろう。
おひさ/ひさひさ/おひさ/ひさ。
で、はじまる、わたくしたちのけんたい。
ひとりでにみんなになる。
ああん、そんなにゆらさないでよ。
お水がこぼれちゃうよ。

カッパの子どもが
(子どものカッパでしょ?)
頭をささえて、ぼくを睨み返す。
ゆれもどしかしら。
もらった子犬を死なせてしまった。
ぼくが、おもちゃにしたからだ。
きのう転生したばかりだったけれど、
でも、また、すぐに何かに生まれ変わるだろう。
さあ、ビデオに撮るから
そこに跪いて、ぼくにあやまれ。
そしたら、ぼくの気がすむかもしれない。
たぶん、一日に十回か、二十回、ビデオを見れば
ぼくの気がすむはずだ。
それでもだめなら、一日中見てやる。
そしたら、きみに、ぼくの悲劇をあげよう。
ぼくは、膝んところを痛めたことがない。
いつも股のところを痛める。
おしりが大きくて、太腿が太いから
股がすれて、ボロボロになってしまう。
これが、ぼくがズボンを買い替える理由だ。
やせてはいない。
標準体型でもない。
嘘つきでもなかったけれど、
母乳でもなかった。
母乳がなかったからではない。
マスミに言われて、3月に京大病院の精神科に行った。
精神に異常はないと言われた。
性格に問題があると言われた。
しぇんしぇい、精神と性格とじゃ、
そんなにちごとりまへんやんか。
どうでっか。そうでっか。さいですか。
二枚の嫌な手紙と一枚のうれしい葉書。
光は、百葉箱の中を訪れることができない。
留守番電話のぼくの声が、ぼくを不快にさせる。
そんなにいじめないでください。
サウナの階段に
入れ歯が落ちてたんだって。
それ、ほんとう?
ほんとうだよ。
百の入れ歯が並んでた
なんて言えば、嘘だけどね。
嘘だってついちゃうけどね。
だって、いくら嘘ついたって
ぼくの鼻、のびないんだも〜ん。
そのかわり、
オチンチンが大きくなるの。
こわいわ。
こわくなんかないわ。
こわいのはママよ。
小ごとを言うのに便利だからって
あたしの耳の中にすみだしたのよ。
家具や電化製品なんか、どんどん運び込んでくるのよ。
香典返しに、
たわしとロウソクをもらう方がこわいわ。
ヒヒと笑う
団地の子。
手術したい。
ヒヒと笑う
団地の子。
手術したい。
手術してあげたい。
いやんっ、ぼくって、ノイローゼかしら。
ぼくぼくぼく。
たくさんのぼく。
玄関を出ると
目の前の道を、きのうのぼくが
とぼとぼと歩いているのを見たが
それもまた、読むうちに忘れられていく言葉なのか。
百ひきの亀が、砂浜で日向ぼっこしてた。
おいらが、おおいと叫ぶと
百ひきの亀がいっせいに振り返った。
おいらは
百の亀の頭をつぎつぎと、つぎつぎと
ふんっ、ふんっ、ふんっと、踏んづけていった。



むちゃくちゃ抒情的でごじゃりますがな。

枯れ葉が、自分のいた場所を見上げていた。
木馬は、ぼくか、ぼくは、頭でないところで考えた。
切なくって、さびしくって、
わたしたちは、傷つくことでしか
深くなれないのかもしれない。
あれは、いつの日だったかしら、
岡崎の動物園で、片(かた)角(づの)の鹿を見たのは。
蹄(ひづめ)の間を、小川が流れていた、
ずいぶんと、むかしのことなんですね。
ぼくが、まだ手を引かれて歩いていた頃に
あなたが、建仁寺の境内で
祖母に連れられた、ぼくを待っていたのは。
その日、祖母のしわんだ細い指から
やわらかく、小さかったぼくの手のひらを
あなたは、どんな思いで手にしたのでしょう。
いつの日だったかしら、
樹が、葉っぱを振り落としたのは。
ぼくは、幼稚園には行かなかった。
保育園だったから。
ひとつづきの敷石は、ところどころ縁が欠け、
そばには、白い花を落とした垣根が立ち並び、
板石の端を踏んではつまずく、ぼくの姿は
腰折れた祖母より頭ふたつ小さかったと。
落ち葉が、枯れ葉に変わるとき、
樹が、振り落とした葉っぱの行方をさがしていた。
ひとに見つめられれば、笑顔を向けたあの頃に
ぼくは笑って、あなたの顔を見上げたでしょうか。
そのとき、あなたは、どんな顔をしてみせてくれたのでしょうか。
顔が笑っているときは、顔の骨も笑っているのかしら。
言いたいこと、いっぱい。痛いこと、いっぱい。
ああ、神さま、ぼくは悪い子でした。
メエルシュトレエム。
天国には、お祖母(ばあ)ちゃんがいる。
いつの日か、わたしたち、ふたたび、出会うでしょう。
溜め息ひとつ分、ぼくたちは遠くなってしまった。
近い将来、宇宙を言葉で説明できるかもしれない。
でも、宇宙は言葉でできているわけじゃない。
ぼくに似た本を探しているのですか。
どうして、ここで待っているのですか。
ホヘンブエヘリア・ペタロイデスくんというのが、ぼくのあだ名だった。
母方の先祖は、寺守(てらもり)だと言ってたけど、よく知らない。
樹が、葉っぱの落ちる音に耳を澄ましていた。
いつの日だったかしら、
わたしがここで死んだのは。
わたしのこころは、まだ、どこかにつながれたままだ。
こわいぐらい、静かな家だった。
中庭の池には、毀れた噴水があった。
落ち葉は、自分がいつ落とされたのか忘れてしまった。
缶詰の中でなら、ぼくは思いっ切り泣ける。
樹の洞(ほら)は、むかし、ぼくが捨てた祈りの声を唱えていた。
いつの日だったかしら、
少女が、栞(しおり)の代わりに枯れ葉を挾んでおいたのは。
枯れ葉もまた、自分が挾まれる音に耳を澄ましていた。
わたしを読むのをやめよ!
一頭の牛に似た娘がしゃべりつづける。
山羊座のぼくは、どこまでも倫理的だった。
つくしを摘んで帰ったことがある。
ハンカチに包んで、
四日間、眠り込んでしまった。



王國の秤。

きみの王國と、ぼくの王國を秤に載せてみようよ。
新しい王國のために、頭の上に亀をのっけて
哲学者たちが車座になって議論している。
百の議論よりも、百の戦の方が正しいと
将軍たちは、哲学者たちに訴える。
亀を頭の上にのっけてると憂鬱である。
ソクラテスに似た顔の哲学者が
頭の上の亀を降ろして立ち上がった。
この人の欠点は
この人が歩くと
うんこが歩いているようにしか見えないこと。
『おいしいお店』って
本にのってる中華料理屋さんの前で
子供が叱られてた。
ちゃんとあやまりなさいって言われて。
口をとがらせて言い訳する子供のほっぺた目がけて
ズゴッと一発、
お母さんは、げんこつをくらわせた。
情け容赦のない一撃だった。
喫茶店で隣に腰かけてた高校生ぐらいの男の子が
女性週刊誌に見入っていた。
生理用ナプキンの広告だった。
映画館で映写技師のバイトをしてるヒロくんは
気に入った映画のフィルムをコレクトしてる。
ほんとは、してはいけないことだけど
ちょっとぐらいは、みんなしてるって言ってた。
その小さなフィルムのうつくしいこと。
それで
いろんなところで上映されるたびに
映画が短くなってくってわけね。
銀行で、女性週刊誌を読んだ。
サンフランシスコの病院の話だけど
集中治療室に新しい患者が運ばれてきて
その患者がその日のうちに死ぬかどうか
看護婦たちが賭をしていたという。
「死ぬのはいつも他人」って、だれかの言葉にあったけど
ほんとに、そうなのね。
授業中に質問されて答えられなかった先生が
教室の真ん中で首をくくられて殺された。
腕や足にもロープを巻かれて。
生徒たちが思い思いにロープを引っ張ると
手や足がヒクヒク動く。
ボルヘスの詩に
複数の〈わたし〉という言葉があるけど
それって、わたしたちってことかしら。
それとも、ボルヘスだから、ボルヘスズかしら。
林っちゃんは、
毎年、年賀状を300枚以上も書くって言ってた。
ぼくは、せいぜい50枚しか書かないけど
それでもたいへんで
最後の一枚は、いつも大晦日になってしまう。
いらない平和がやってきて
どぼどぼ涙がこぼれる。
実物大の偽善である。
前に付き合ってたシンジくんが
何か詩を読ませてって言うから
『月下の一群』を渡して、いっしょに読んだ。
ギー・シャルル・クロスの「さびしさ」を読んで
これがいちばん好き
ぼくも、こんな気持ちで人と付き合ってきたの
って言うと
シンジくんが、ぼくに言った。
自分を他人としてしか生きられないんだねって。
うまいこと言うのねって思わず口にしたけど
ほんとのところ、
意味はよくわかんなかった。
扇風機の真ん中のところに鉛筆の先をあてると
たちまち黒くなる。
だれに教えてもらったってわけじゃないけど
友だちの何人かも、したことあるって言ってた。
みんな、すごく叱られたらしい。
子どものときの話を、ノブユキがしてくれた。
団地に住んでた友だちがよくしてた遊びだけど
ほら、あのエア・ダストを送るパイプかなんか
ベランダにある、あのふっといパイプね。
あれをつたって5階や6階から
つるつるつるーって、すべり下りるの。
怖いから、ぼくはしないで見てただけだけど。
団地の子は違うなって、そう思って見てた。
ノブユキの言葉は、ときどき痛かった。
ぼくはノブユキになりたいと思った。
鳥を食らわば鳥籠まで。
住めば鳥籠。
耳に鳥ができる。
人の鳥籠で相撲を取る。
気違いに鳥籠。
鳥を牛と言う。
叩けば鳥が出る。
鳥多くして、鳥籠山に登る。
高校二年のときに、家出したことがあるんだけど
電車の窓から眺めた景色が忘れられない。
真緑の
なだらかな丘の上で
男の子が、とんぼ返りをしてみせてた。
たぶん、お母さんやお姉さんだと思うけど
彼女たちの前で、何度も、とんぼ返りをしてみせてた。
遠かったから、はっきり顔は見えなかったけれど
ほこらしげな感じだけは伝わってきた。
思い出したくなかったけれど
思い出したくなかったのだけれど
ぼくは、むかし
あんな子どもになりたかった。



死んだ子が悪い。

こんなタイトルで書こうと思うんだけど、って、ぼくが言ったら、
恋人が、ぼくの目を見つめながら、ぼそっと、
反感買うね。
先駆形は、だいたい、いつも
タイトルを先に決めてから書き出すんだけど、
あとで変えることもある。
マタイによる福音書・第27章。
死んだ妹が、ぼくのことを思い出すと、
砂場の砂が、つぎつぎと、ぼくの手足を吐き出していく。
(胴体はない)
ずっと。
(胴体はない)
思い出されるたびに、ぼくは引き戻される。
もとの姿に戻る。
(胴体はない)
ほら、見てごらん。
人であったときの記憶が
ぼくの手と足を、ジャングルジムに登らせていく。
(胴体はない)
それも、また、一つの物語ではなかったか。
やがて、日が暮れて、
帰ろうと言っても帰らない。
ぼくと、ぼくの
手と足の数が増えていく。
(胴体はない)
校庭の隅にある鉄棒の、その下陰の、蟻と、蟻の、蟻の群れ。
それも、また、ひとすじの、生きてかよう道なのか。
(胴体はない)
電話が入った。
歌人で、親友の林 和清からだ。
ぼくの一番大切な友だちだ。
いつも、ぼくの詩を面白いと言って、励ましてくれる。
きっと悪意よ、そうに違いないわ。
新年のあいさつだという。
ことしもよろしく、と言うので
よろしくするのよ、と言った。
あとで、
留守録に一分間の沈黙。
いない時間をみはからって、かけてあげる。
うん。
あっ、
でも、
もちろん、ぼくだって、普通の電話をすることもある。
面白いことを思いついたら、まっさきに教えてあげる。
牛は牛づら、馬は馬づらってのはどう?
何だ、それ?
これ?
ラルースの『世界ことわざ名言辞典』ってので、読んだのよ。
「牛は牛づれ、馬は馬づれ」っての。
でね、
それで、アタシ、思いついたのよ。
ダメ?
ダメかしら?
そうよ。
牛は牛の顔してるし、馬は馬の顔してるわ。
あたりまえのことよ。
でもね、
あたりまえのことでも、面白いのよ。
アタシには。
う〜ん。
いつのまにか、ぼくから、アタシになってるワ。
ワ!
(胴体はない)
「オレ、アツスケのことが心配や。
アツスケだますの、簡単やもんな。
ほんま、アツスケって、数字に弱いしな。
数字見たら、すぐに信じよるもんな。
何パーセントが、これこれです。
ちゅうたら、
母集団の数も知らんのに
すぐに信じよるもんな。
高校じゃ、数学教えとるくせに。」
「それに、こないなとこで
中途半端な二段落としにする、っちゅうのは
まだ、形を信じとる、っちゅうわけや。
しょうもない。
ろくでもあらへんやっちゃ。
それに、こないに、ぎょうさん、
ぱっぱり、つめ込み過ぎっちゅうんちゃうん?」
ぱっぱり、そうかしら。
「ぱっぱり、そうなのじゃあ!」
現状認識できてませ〜ん。
潮溜まりに、ひたぬくもる、ヨカナーンの首。
(胴体はない)
棒をのんだヒキガエルが死んでいる。
(胴体はない)
醒めたまま死ね!
(胴体はない)
醒めたまま死ね!



そしたら、このあいだ、4月の半ばかな、ジェフリーから返事がきて
そのゲイの詩のアンソロジーをつくっている編集者の KEVIN SIMMONDS さんから
つぎのようなメールがきたって連絡してくれた。
ぼくの「水面に浮かぶ果実のように」に対してのもので
メールをコピペするね。

I'd like to include this poem and perhaps something else. Do you have any other Tanaka translations done other than those you sent? Also, I'll have my partner look at the guy who writes the shorter pieces and get back to you. Will you be leaving the country anytime soon? I'd rather risk having to wait to include other of your translations in the second printing than have to lose them altogether for the first. That said, please get this signed release back to me and have Tanaka send an email (in Japanese is OK) endorsing the translation and including his permission. Don't forget to tell me where this has appeared (if it has, include publisher/journal and date) and who owns it (if it's not you and Tanaka). I'll just generate new releases if other poems fit the anthology.

The inclusion of this Tanaka poem is very important to me and the anthology! Can't stress that enough!

Thanks,
k~

上の一行にある

The inclusion of this Tanaka poem is very important to me and the anthology!

って言葉を目にして、めっちゃうれしかった。
ちかぢか、ぼくの「水面に浮かぶ果実のように」が、
アメリカで出されるゲイの詩のアンソロジーに収められるってわけね。
めっちゃうれしかった。



日付のないメモ。

さきほど、入口からだれかが入ってきたような気がしたのだけれど
身体が動かず、顔のうえに腕をおいて居眠りしていたので
布団のなかで固まっていると
顔に触れる手があって、叫び声をあげると
気配が消えた。
ぼくの身体も硬直がとけて
目をあけるとだれもいなかった。
たぶん、幻覚だろうとは思っていたのだけれど。
昨夜、本を読んでいるときに
ふと、内容がわからなくなって
ページをめくり直すと数ページ読んだ記憶がなかった。
時間がぽこりそこだけなくなったかのように。
テーブルのしたの積み重なったCDのしたから
日付のないメモが見つかった。
ここに引用しておく。

「ことし50才になったよ。
 なったばかり。
 1月生まれやからね。」
「ぼくも1月生まれなんですよ。」
「山羊座?」
「ええ。」
「何才になったの?
 たしか、30すぎたくらいだったよね。」
「32才になりました。」
(…)
「つくづく、いろんな人がいるなあと思います。」
靴フェチの青年の話をした。
ぼくの靴をさわりながらオナニーをする青年。
日にやけた体格のいい好青年だった。
見せるだけの男の子の話もした。
大学生か院生くらいだった。
自分がオナニーするのを見てほしいというのだった。
ぼくが身体に触れようとすると
「だめ! 見るだけ!」
と言って、ぼくの手をはらうのだった。
彼もまた、体格のいい好青年だった。
いろいろな性癖があるねと言った。
「初体験はいつ?」
「中学のときでした。
 友だちから、気持ちのいいことしてやろかと言われて
 さわられたのが初体験です。」
「ふつうの友だち?」
「ええ。」
「でも、そのとき、きみが断ってたら
 友だちのままでいられたやろか?」
「わかりませんね。
 どうだったでしょう。」
「まあ、断らなかったんだからね。
 じっさいは。
 でも、気まずくなったかもしれないね。」
「たぶん。」
「その友だちとはずっと付き合ってたの?」
「高校が別々だったので
 中学のときだけでした。
 高校では女の子と付き合ってました。」
「じゃあ、どっちでもええんや。」
「ええ。
 いまでも、どっちでもいいんですよ。」
「そんな子、多いね。」
(…)
「人間って汚いと思います。」
「どうして?
 まあ、汚いなって思えるときもあるけど
 そうじゃないときもあるよ。
 むかし、Shall We Dance? って映画を恋人と見に行ったとき
 映画館の前で待ち合わせしてて
 自分の部屋を出るときにあわててて
 小銭入れを忘れたのね。
 で
 バスに乗ってから
 1万円札しかないことに気がついて
 で
 バスの車掌に言ったら
 両替もできないし
 いま回数券もない
 って言うのね。
 で
 困ってたら
 前と後ろから同時に声がかかったんだよね。
 前からは、おじさんが、これ使って、と言って、小銭を
 後ろからは、髪の長いきれいな女性が、これを使ってください、と言って回数券を
 ぼくにくださろうとしたのね。
 おじさんのほうがすこしはやかったから
 女性の方にはていねいにお断りして
 おじさんに小銭をいただいたのだけれど
 お返ししますからご住所を教えてくださいと言ったら
 そんなんええよ。
 あげるよ。
 と言ってくださってね。
 もうね。
 映画どころじゃなくって
 ぼくは、そのことで感激してた。
 映画もおもしろかったけどね。」
「そら、映画より感動しますね。」
「でしょ?
 だから、ぼくも似たことを梅田駅でしてあげてね。
 高校生ぐらいのカップルが、初デートだったんだうね。
 切符売り場で、何度も100円硬貨を入れては下から吐きだされてる男の子がいてね。
 顔を真っ赤にして。
 100円玉がゆがんでることに気がつかなかったんだろうね。
 おんなじ100円玉を入れててね。
 で、ぼくがポケットから100円玉をだして
 ぽいって入れてあげたの。
 男の子が、あ、って口にして
 ぼくは、ええよ、という感じで片手をあげて笑って立ち去ったんだけど
 そうそう、このあいだ地下鉄で
 目の見えないひとが乗ってきたらね。
 女子高校生の子が、そのひとのひじをとって
 ごく自然にそうふるまったって感じでね。
 いつもそうしてるってかんじやったなあ。
 人間は汚くないよ。」
「そういうところもありますね。」
「九州に旅行に行ったときね。
 20年ほどもむかしの話だけど
 ゲイ・スナックの場所がわからなくて
 公衆電話から店に電話で場所を聞いてたんだけど
 なかなかわからなくて困ってたら
 となりで彼女に電話をかけてた青年が
 「おれ、その場所、知ってますよ。案内しますよ。」と言い
 自分の電話口に向かって「ちょっとまっとれ、あとで掛け直すわ。」
 って言って、その場所まで案内してくれてね。
 場所柄かなあ。
 九州人だからかなあ。
 京都人にはいなさそうだけどね。
 そんなことがあった。
 九州といえば、20代のころに
 学会で博多に行ったときに
 ぼくだけ院生たちと別行動で
 夜にゲイ・スナックに行ってたんだけど
 タイプだった青年にタイプだって言うと
 ぼくはタイプじゃないって言われたんだけど
 「どちらに泊ってらっしゃるんですか? 車できてるので送りますよ。」
 と言ってくれてね。
 純朴そうな好青年だったな。
 そんなことがあってね。」
(…)
「人間が汚いって、
 それ、もしかしたら、自分のこと思って言った?」
「そうです。」
「ああ、そうなんだよね。
 人間って、ときどき、自分のこと、汚いって思っちゃうんだよね。
 また、そう思わないといけないところがあるんだよね。
 そう思えない人間って、なにか欠陥があるんだよね。
 自分の欠陥を指摘できないという決定的な欠陥がね。」
「そうなんですか。
 自分が汚いから
 ひとも汚いって思えるんじゃないかと思いました。」
「逆もまた真でね。
 ひとのことも、自分のこともね。
 つながってるから。
 みんなね。
 で
 たとえば
 きみには、どんな汚い面があるの?」
「ひと通りのない道で
 カーセックスしたあと
 彼女に別れ話をしたんですよ。
 はじめから別れ話をするつもりだったんですけど
 セックスは、やりおさめで、やりときたかったので。」
「セックスして、どれくらいあとに?」
「30分くらいです。」
「そりゃ、彼女もびっくりだったろうね。
 別れるときには
 別れようと思ったときには
 つぎの子ができてて
 それで新しい子と付き合うために
 付き合ってた子と別れるっていうひとがいるけど
 そういうひとなんだね。」
「はい。」
「残酷やなあ。
 まあ、男同士やから、その気持ちわかるけどね。
 ぼくにも経験あるからね。」
「なにげないことをケンカの種にして
 文句言って別れました。
 汚いですよね。」
「いや、ただ単に、自己本位なんやろ。
 人間って余裕がないとね、
 気持ちに余裕がないと、ひとにやさしくなれないしね。
 やさしく、じゃないな
 相手の気持ちを考えて言ったりしたりすることができないんじゃないかな。
 Shall We Dance? のときのこと
 映画より、バスの運賃なかったときの体験のこと思い出すとね、
 前の座席に坐ってたおじさんも
 ぼくの後ろに
 ぼくと同じように吊革につかまって立ってた女性も
 こころに余裕があったんだよね。
 そう思うわ。
 そのときは感動しただけやったけど
 いま思い出すと
 人間のこと、もう一段深く掘り下げて知れたんやね。
 余裕があったから
 ひとにやさしくできたんやね。
 でも、その余裕って
 べつに金持ちやからとかっていうことじゃなくて
 人間的な余裕かな。
 そういった余裕があれば
 汚くなることもないやろうね。」
「そうでしょうね。
 人間って汚いって思うのは
 やっぱり、おれが汚いからでしょうか?」
「いや、それは、さっきも言ったように
 きみだけやないで。
 ただ、そうじゃないひとも、いつもそうとは限らないだろうし
 きみも、ぼくも、いつも汚いわけじゃないし
 いつもきれいなわけでもないし
 ただ単に、自己本位なだけなんだよ。
 だれもがそうであるときと
 そうでないときとがあるんじゃないかな。
 そうじゃないときのほうが多いひともいるやろうし
 そうじゃないときがほとんどないひともいるやろうしね。
 そうじゃないときのほうが多いひとって
 やっぱり余裕があるんやろうね。
 土地柄もあるやろうね。
 さっき言った九州の男の子の話ね。
 電話の話と、スナックでの話ね。
 ふたつとも九州やったしね。
 まわりのひとが、ひとに気遣う習慣がある土地柄なんじゃないかな、
 九州って。
 そういう土地柄だったら、九州のあの男の子たちのような子がいても
 ふつうのことだろうね。
 習慣。
 それと、学習ね。
 むかし、国際でいっしょだった英語の先生で
 中西先生って方がいらっしゃって
 その方の話だけど
 教養のあることのいいところは
 まずしくても
 まずしさを恥じなくてもいいことだとおっしゃっててね。
 知り合いの女性が
 ハーバードを出てらっしゃるのだけれど
 アルバイトでスーパーのレジ係をしてらっしゃってて
 でも、そんなこと、そのひとにとってはなんでもないことで
 たとえ時給が低くても、仕事としてちゃんとこなしていて
 給金をもらって生きていることは、ごくあたりまえのことだって。
 そうだね。
 土地柄と、教養かなあ。
 教育、育ち、育てられ方っていうか、そんなものに影響されるね。」
「そうでしょうね。」
「でも、きみって、素朴そうなのに
 女にはけっこうすごいんだね。」
「友だちに、顔に似合わず
 えげつないって言われます。」
「まあね、顔は、ほんとやさしそうだもの。
 人間って、こわいなあ、笑。」
にこにこしてる彼。
なんで、笑いがとまらへんのやろか。
ふたりとも、まじめに話しながらも笑ってた。
笑いをとめて話をするのが、よけいにこわいからか。
たぶん、そうだったのだろう。
(…)
「京都人は、あまりひとにかまわないね。
 政治的に、むかしから難しい土地柄ってことがあるって
 そんな話聞いたことあるよ。
 明治維新のときとか。」
手がぷにぷにしていて、かわいい。
乳首が感じるらしい。
それほど大きくないペニス。
というか、小さいほう。
「ふだん見えないところが見えると
 興奮しますね。」
「たしかに、他人のたってるチンポコ見ること
 ふつうはないもんね。」
「むかし、一度だけ、東梅田ローズというところに行きましたけど
 もう、みんなすごいことでしたよ。」
「あっちでも、こっちでも
 チンポコおったてて、ってことでしょ、笑。
 そいえば、女の子同士の発展場ってないんやろか?
 ないんやろうなあ。
 聞いたことないもんね。
 小説でも読んだことないし。」
「聞きませんね。
 でも、個人の家で
 女の子同士会ってたりするかもしれませんんえ。」
「あったら、小説に出てくるはずなんやけど。
 読んだことないなあ。
 レズビアンが出てくる小説はあるけど
 出会いはふつうのところやった。」
ここで、京大のエイジくんのことについてしゃべった。
めっちゃかっこよかったけど、彼にはそれが負担やったみたいな。
「万人に好かれる顔やったらええなって思います。」
「好かれる顔してるんじゃない?」
「マニア受けする顔やと思ってました。」
「だいじょうぶ。
 10人ゲイがいてたら
 8人はいけるって言うと思う、笑。」
「あとのふたりはなんなんですか?」
「ガリ専とフケ専かな、笑。
 でもね。
 万人受けする顔って
 幸せやないよ。
 性格も傲慢になるしね。」
「なるでしょうね。」
「人間って、弱いしね。
 つぎにすぐできると思ったら
 すぐに手放すからね
 いま持ってる幸せ。
 つぎのもののほうがいいって思いこんでね。」
ここで、ケイちゃんの話をする。
「まあ、きみは、65点ちょい上くらいかな。
 中よりすこし上
 ちょっとモテルって感じかな。
 そのちょっとモテルって感じが万人受けでしょ、笑。」
「65点ですか。」
「ちょい上ね。
 高得点だと
 あとは落ちるだけやからね、笑。」
「なるほど。」
(…)
「仕事場で、同性からモーションかけられたことってあるの?」
「ないですよ。」
「ほんとう?」
「いや、ありますかね。
 もしかしたら、このひと、おれのこと好きなのかなって
 感じたことありますけど。」
「あると思うよ。
 ぼくも、先生で好きな先生いらっしゃるもの、笑。」
「そうなんですか。」
「相手も気づいてんじゃない?
 好きだとか
 嫌いだとかって感情は、隠せないもんね。」
「そうですね。」
「きみは、そのひとのこと好きなの?」
「いえ、べつに。」
「そっか、好きなほうが人生おもしろそうだけど、笑。」



P・D・ジェイムズの『殺人展示室』、読み終わりました。

人物描写と情景描写は
いつものように、とてもいい感じやった。
でも、さいごのところで、ちょっとなあ、と思った。
情景描写も人物描写も、これでもか! という感じやっただけに
さいごが、ちょっと、ええ? 
って思った。
ジェイムズ、コンプリートにコレクションしたけど
きょうから、『灯台』を読むのだけれど、どうやろうか。
もう数カ月も、ジェイムズづけやから
文体には慣れてしもたから、読むのは苦痛やないけど
それでも、じゅうぶん、読むのが遅い。
まあ、フロベールの『プヴァールとペキュシェ』ほど、遅くはないけど。
そいえば、このあいだまで読んでたSFは、はやかった。
かといって、すかすか読めるエッセイとかには、まったく興味がないし。



恋愛拒否症。

きょうも、日知庵でヨッパ。
横須賀から来てた男の子がそばに坐りに来て
話しかけてくれたけど
帰ってきた。
そいえば
何年か前も
日系のオーストラリア人のすっごいかわいい男の子が
ひざをくっつけてきたけど
気がつかないふりをしてた。
そだ。
これも何年か前
部屋に遊びにきた元教え子が(予備校のね)
さそってきたときも
ぼくは気がつかないふりをしてた。
つくづく
恋愛拒否症なのだと思う。
なのに
恋愛したいって思ってるってのは
頭でも、おかしいのかな?



『ガレッティ先生失言録』創土社版、到着。

あと、ブックオフでのお買い物、1冊。
五条堀川のブックオフでは
ブコウスキーの『町でいちばんの美女』単行本 105円。
これ、じつは、買うの二度目。
一度目は、お風呂場で読んだので
読み捨てた本だったのだが
きょう、なつかしくて手にとると
「精肉工場のキッド・スターダスト」
というタイトルの短篇が二番目に収録されていて
このタイトルから
むかし付き合ったノブユキのことが鮮やかに思いだされたので
衝動買いしたのであった。
二十数年前の話だ。
付き合いはじめて
まだ、そんなに経っていなくて
ノブユキはシアトルに留学していたから
長期の休みのときに会っていたのだけれど
さいしょの冬休みのときに
おみやげと言って渡されたのが
「精肉工場」というタイトルのポルノビデオだった。
英語のタイトルは忘れたけれど
meat なんとかだったと思う。
「ノブユキ」に似た日本人っぽい青年が
ガタイのいい白人の男に犯されるという設定のものだった。
似てない?
と訊くと
似てると思って買ってきたというのだ。
そういえば
ケンちゃんは自分が出演していたゲイ・ポルノのビデオを
ぼくにプレゼントしてくれたけれど
別れるときに返したら
「持っていてほしい。」
と言われて、びっくりしたことがある。
ノブユキのいたシアトルの大学でのレイプ事件
放課後に、日本人留学生の男の子が黒人の4人組に犯された話。
きのう、タカヒロくんに話してて
アメリカ人のガタイがいい人って、人間離れしてるもんね。
きゃしゃな日本人だったら抵抗できないかも、とかとか言ってて
ディルド8本、ロスの税関での没収(ディルド一個とビデオ7本の聞き間違い)の話もした。
これは、笑った。
ノブユキにもらったビデオ、捨てたのだけれど
いつか、どこかで目にすることができればいいなって思ってる。
ノブユキと出会った日の別れ際に
「バイバイ」
と、ぼくが言うと
ノブユキの微笑みがちょこっとのあいだ、歪んでとまったのだけれど
ぼくが笑うと、安心した笑顔になった。
その表情が鮮やかに思いだされて
それで、ブコウスキーを買い直したってわけ。
「精肉工場」ね。
ノブユキにもらったビデオのほうだけど
凍りついた牛の肉とか
ぜんぜん出てこなかった。

ブコウスキー
読んでおもしろいと思うのだけれど、
ブコウスキーをおもしろいと思うのは、
どこかで、だめだ、という気がしていた。
それで、ブコウスキーの本は、
お風呂場で読んで、読んだあとは捨てていたのだけれど、
パラ読みしてたら、やっぱりおもしろい。
目次ながめてるだけでも笑けてしまうぐらい。
でもでも、さきに、ガレッティ先生のほう、読もう。



反時計まわり。

もう何十年も、黒板に向かって、数式を書いたり消したりしておりますが
おとつい、あるおひとりの数学の先生に
「田中先生、図形は、どうして反時計まわりにアルファベットをふるのでしょうか。
 ご存じでしたら、教えていただけませんか?」
とたずねられて、その理由は知らなかったのですが
「たしかに、数学では習慣的にそうしていますが
 時計まわりでもよいはずですが
 しかし、たしかに
 座標平面を4分割したとき
 象限の名称が反時計まわりに
 第I、第II、第III、第IV象限って名付けられていますね。
 デカルトの時代には正の象限しかなかったので
 デカルト以後でしょうけれど。」
とかとか話しておりましたが、判然とせずにおりましたところ
古代文字の書き方の話になり
右から左に、それとも、左から右に書くのはどうしてでしょうね。
みたいな話にまで飛びましたら
その数学の先生が、近くにおられた宗教学の先生に
「アラビア語は右から左に書くのですか?」
と訊かれて
その宗教学の先生が
「そうですよ。」
とおっしゃって
「インクのない時代だからだったのでしょうね。」
と、ぼくが口をはさむと
「右利きの場合は、ですね。
 しかし、もともと文字を石に掘っていたので
 右から左なのですよ。」
とおっしゃって、身ぶりをまじえて
「こう、左手に鑿を持ち、右手で槌を打つのですね。」
「楔形文字の場合もですか?」
とぼくが言うと
「それは型を圧す方法ですから
 左から右です。
 右からでしたら、つけた型を損なうかもしれないでしょう。」
と言われて、ああ、なるほどと思ったのですが
すると、さいしょにぼくにたずねられた数学の先生との話に戻って
その数学の先生が、ぼくとの会話のいきさつを話されたので
すると、その宗教学の先生が
「巡礼が廻廊をまわるのも反時計まわりですよ。」
ぼくも、もうひとりの数学の先生も知らないことでした。
思わず、ふたりは目を合わせましたが
「どうして反時計まわりなんですか?」
と、その数学の先生が宗教学の先生に訊かれたのです。
そしたら、意外なところに
いや、よく考えたら意外ではなかったのですが
「北極星を中心に星が反時計まわりに動いているでしょう。
 そこからじゃないですか。」
ぼくと、もうひとりの数学の先生の目がもう一度合いました。
「解決しましたわね。
 おもしろいですわね。
 きょう、わたくし、脳が覚醒して眠れないかもしれません。」
「ぼくもです。
 習慣といっても、起源があるものでしょうから
 理由があるのですね。」
そしたら、その数学の先生が目をきらきら輝かせて
ひとこと、こうおっしゃいました。
「そうでしょうか。
 わかりませんよ。」
と、笑。
おもしろいですね。
人間というものも、知識というものも。
ぼくにたずねられた数学の先生
ぼくにP・D・ジェイムズを教えてくださった方で
P・D・ジェイムズばりに知的な方で
たまにたずねられることがあるのですが
そのたびに緊張いたします。
楽しい緊張ですが、笑。
そういえば、デカルトもニュートンも
むかしの学者って、数学や科学が専門でも
神学と哲学以外に、占星術も学問として修めていましたね。



この数学の先生、岸田先生というお名前なのだけれど
ぼくに、P・D・ジェイムズをすすめてくださった先生ね。
で、『原罪』のテーマって、日本では無理ですよね、ナチスなかったし
と、ぼくが言うと
「そうですか?
 日本にはありませんか?
 在日問題とか、あるんじゃありませんか?」
とおっしゃって。
そういえば、ぼくの実母だって、被差別部落出身者だし
それが理由の一つでぼくの父親とも離婚したんだし
とか思ったけれど、いま職員室で言うことじゃないと思って、そのことは黙ってた。
「そうですね。
 ぼくは当事者じゃないので、想像もできませんでしたけど
 それほど自分から遠い話ではありません。
 韓国籍の友人もいましたし。
 でも、それで苦しんでるなんて聞いたこともなかったので
 思い至りませんでした。」
そうか。
在日問題か。
気がつかなかった。
うかつやったな。



ピオ神父、10260円。

きのう
日知庵に行く前に
カソリック教会である三条教会の隣のクリスチャンズ・グッズのお店で
いろいろなものの値段を眺めていた。
安物っぽいピエタ像が10000円以上してたり
どう考えても、そんな値段はおかしいと思うものがいっぱいあった。
ピオ神父の20センチくらいの陶器製の置物が
10260円だった。
税込みで。
ちょっと欲しくなるくらいのよい出来のものだったが
ほかのものもそうだが
値札がひも付きのもので
首にぶら下げてあるのであった。
キリストもマリアも神父さんもみな
首に値札がぶら下がっていたのであった。
店の入り口にホームレスが寝ていた。
店のひとは追い払わないでいた。
太ったホームレスだった。
そういえば
だれだったか忘れたけど
また、いつのことだったか忘れたけど
四条河原町で明け方に狭い路地のところに
ガタイのいい男が裸で酒に酔って寝ていたらしく
連れて帰ったらホームレスだったって
だれか言ってたなあ。
タクちゃんかな。
タクちゃんは、汚れが好きだからなあ。
たぶん。



そうそう
きょう買った世界詩集の月報にあった
アポリネールの話は面白かった。
アポリネールが恋人と友だちと食事をしているときに
彼が恋人と口げんかをして
彼が部屋のなかに入って出てこなくなったことがあって
それで、友だちが食事をしていたら
彼が部屋から出てきて
テーブルの上を眺め渡してひとこと
「ぼくの豚のソーセージを食べたな!」
ですって。



人間の基準は100までなのね。
むかし
ユニクロでズボンを買おうと思って
買いに行ったら
「ヒップが100センチまでのものしかないです。」
と言われて
人間の基準って
ヒップ 100センチ
なのね
って思った。
って
ジミーちゃんに電話で
いま言ったら
「ユニクロの基準でしょ。」
って言われた。
たしかにぃ。
しかし
ズボンって言い方も
ジジイだわ。
アメリカでは
パンツ
でも
パンツって言ったら
アンダーウェアのパンツを思い浮かべちゃうんだけど
若い子が聞いたら
軽蔑されそう。
まっ
軽蔑されてもいいんだけどねえ、笑。



部屋にあった時計がなくなっている。
枕元にあったのだけれど、なくなる理由がわからない。
部屋の外で、このビルの非常ベルも鳴らされているし、よくわからない。
もうちょっと、時計をさがす。
あ、非常ベルが鳴りやんだ。
相変わらず、目覚まし時計はない。
もうちょっと、さがそうっと。

見つかった。
なにが。
目覚まし時計が。
マカロニサラダをつくるときに、キッチンに持っていっていたのであった。



ごめんなさい、午前2時さん。

へんな時間(ごめんなさい、午前2時さん)に目がさめた。
得したのか(読書できるから)なあ。
しかし、はやすぎる。
もう一度寝床に(クスリ、飲んでるんだけど、飲み過ぎのせいかなあ)。
ああ、でもすっかり目がさめてる。
コーヒーを飲むべきかどうか。
ハムレット状態でR。



つぎの長篇詩のタイトル、『カラカラ帝。』に。
「カラカラって?」
「からかって?」
「ご変身くださいまして、ありがとうございました。」
「いいえ、ご勝手に。」
「そりゃ、そうでしょ。」
「噛むって言ってたじゃん!」
「ぜったい、ぜえったい買うって言ってたじゃん。」
「わーすれましたぞな、もっし。」



安田太くんのこと、思い出した。2歳下で、ラグビーで国体に出た、かっこいいヤツだったけど、どSやった。けど、二人で河原町のビルの上階にあるレストランに行ったとき、男女のカップルの女の子のほうが、ぼくらをじろじろ見てた。そんなにゲイ丸出しやったんやろか。二人とも体格よかったんだけど。

男の子は顔を伏せてた。ぼくらを見ないように。おもしろいね。女の子はじろじろ見てて、男の子は恥ずかしそうにうつむいてた。女の子の好奇心って、つよいね。男の子がシャイなだけなのかな。まあ、しかし、ぼくらがゲイのカップルだってことは見破られてたんだ。どこでやろか。べつに手もつないでないし。

やっぱ、視線かな。ぼくと太くんの、お互いに見つめ合う。

太くんが21歳で、ぼくが23歳のときの話ね。ディープな話は、作品でまた書こうと思ってる。ヒロくんと同じように絵を描くのが趣味やった。ゲイって、けっこう芸術やってる子が多くて、ぼくの付き合った子のうち、二人は作曲家やった。一人は複数の歌手のゴーストライターしてた。もう一人はCM曲。

あ、CMの子とは付き合ってないか。できてただけかな、笑。しかし、二人とも、ぼくよりずっと年下なくせに、えらそうだった。二人とも同じこと、ぼくに言ってたなあ。「芸術やってたら、それで食べられるぐらいにならんと、あかんのちゃう?」って。こんな言葉は、芸術で食べてるから言えるんだよね。

さてさて、これから、西院のパン屋さんまでモーニングを食べに行こう。帰りにダイソーで、詩集の賞に応募するための封筒を買ってこよう。きょうは、3つ、4つの賞に応募しようっと。んじゃ、行ってきま〜す。



鼻輪。

注文していたパンが2個たりなかったので、アップルパイみたいなのね、カウンターに行って、あと2個たりないからねって言って頼んで、自分が坐っていたテーブルに戻ると、さっきまで唐だった隣のテーブルに家族連れ3人の女性がやってくるところだった。姉なのかな、30代くらいの女性が
posted at 10:23:56

「トイレどこかしら?」と妹らしき女性にたずねた。(顔がお母さんンと3人ん似ていたので)ぼくが「ここにはトイレがありませんよ。出て、隣のビルの地下にトイレがあります。」と言うと、妹さんのほうが(彼女は20代だろうね)「ありがとうございます。」と言って、姉の顔を
posted at 10:27:51

見上げた。妹はすでに腰かけていて、姉は立っていたから。姉が母親といっしょに出て行くと、妹さんは、少しぼくに近いところに坐りなおして「ありがとうございました。」とにこっと笑いかけてきたので、ぼくは、いつも自分のリュックにしのばせている自分の詩集を出して、「これ、よかったら、
posted at 10:30:02

読んでみてください。詩集です。もしも気に入られれば、ジュンク堂や紀伊国屋や大垣書店に、ほかの詩集も置いてありますから、買ってやってください。その詩集、シリーズものなんですよ。」と言って彼女の手に渡した。彼女は「ありがとうごじあます。」と言って手のなかの詩集のページを
posted at 10:32:31

めくった。しばらく目を落としていたが、母親たちが戻って来たので、ぼくが詩集をプレゼントしたことを二人に説明した。二人は別に怪訝そうな顔をすることなく、ぼくに礼を言い、店員に運ばれてきたパンやサラダに目をやった。ぼくのほうにも、あの2個のアップルパイがきた。
posted at 10:35:07

ぜんぶたいらげて、レックバリの『氷姫』を読んでいた。奥のテーブルにパン屋サラダを運び終わった店員が、ぼくの目の前を通り過ぎようとしたので、「もう10時になっていますかね。」と尋ねた。少しふっくらとした若い女性の店員は、「ええ、過ぎていますよ。」と返事してくれた。いつも
posted at 10:37:14

にこにこ笑顔をしている、かわいらしい店員さんだった。ぼくが、いつもたくさんパンを食べるので、きっと、ぼくにききたいことがあるような気がしてる。いったい、一日にどれだけ食べるんですかって、笑。自分のテーブルの上にあったレシートを見ると、9時51分になっていた。そりゃあ、
posted at 10:39:16

10時は過ぎてるなと思った。隣のテーブルの女性陣たちに、「いや、これからダイソーに行くので、訊いたんですよ。」と言った。携帯を持ってないことは言わなかった。ぼくは、時計も持たない主義なのだ。で、ダイソーで、詩の賞に応募するための封筒を4枚買い、アルカリ単3電池も
posted at 10:41:10

6個入りのもの2セット買って、雨のなか、透明のビニール傘をさして帰ったのだが、帰り道で、黒人の青年に出合った。というか、すれ違った。おもしろかった。だって、彼は、スーツ姿で、スーツケースを手にして、傘を持って歩いてたんだけど、鼻輪もしてたの。それも小さいヤツじゃなくて、
posted at 10:43:11

唇の3分の2くらいの大きさの銀色のもの。完全な金属製の輪っか。びっくりした。でも、おもろかった。笑わなかったけど、こころのなかで、思いっきり笑った。こんな鼻輪をした黒人青年の話を、日本の会社のどんな立場のひとが相手にするんだろうかって。ビジネスの話のあいだ、気になって
posted at 10:44:54

仕方がないんじゃないかなって。ぼくだったら見るわ〜、その鼻輪。きらきらと輝く、めっちゃ肌の色とコントラストしてる、その銀色の輪っかを。男前の若い黒人さんだったから、ドキッともしたけどね。輪っかは、印象に残るわ。まあ、ぼくが会社のひとだったら、そく抱きついちゃうかもね、笑。ブヒッ。
posted at 10:47:37



吉田くん。

電車に乗ると、席があいてたので、吉田くんの膝のうえに腰かけた。吉田くんの膝は、いつものように、やわらかくてあたたかかった。電車がとまった。親子連れが乗り込んできた。小さな男の子が吉田くんの手をにぎった。

このあたりの地層では、吉田くんが、いちばんよい状態で発見されます。あ、そこ、褶曲しているところ、そこです、ちょうど、吉田くんが腕を曲げて、いい状態ですね。では、もうすこし移動してみましょう。そこにも吉田くんがいっぱい発見できると思いますよ。

玄関で靴を履きかけていたわたしに、妻が声をかけた。「あなた、忘れ物よ。」妻の手には、きれいに折りたたまれた吉田くんがいた。わたしは、吉田くんを鞄のなかにいれて家を出た。歩き出すと、吉田くんが鞄から頭を出そうとしたので、ぎゅっと奥に押し込んだ。

「きみ、どこの吉田くん?」また、いやなこと、訊かれちまった〜。「ぼく、吉田くん持ってないんだ。」「えっ? いまどき、携帯吉田くん持ってないヤツなんているの?」あーあ、ぼくにも携帯吉田くんがいたらなあ。いつでも吉田くんできるのに。

はじめの吉田くんが頬に落ちると、つぎつぎと吉田くんが空から落ちてきた。手で吉田くんをはらうと、ビルの入口に走り込んだ。地面のうえに落ちるまえに車にはねられたり、屋根のうえで身体をバウンドさせたりする吉田くんもいる。はやく落ちるのやめてほしいなあ。

ゲーゲー、吉田くんが吐き出した。「食べ過ぎだよ。」吉田くんが吐き出した消化途中の佐藤くんや山田さんの身体が、床のうえにべちゃっとへばりついた。

吉田くんを加熱すると膨張します。強く加熱すると炭になり、はげしく加熱すると灰になります。蒸発皿のうえで1週間くらい置いておくと、蒸発していなくなります。

吉田くんは細胞分裂で増えます。うえのほうの吉田くんほど新しいので、すこし触れるだけで、ぺらぺらはがれます。粘り気はありません。

「あちちっ!」吉田くんを中心に太陽が回っています。「あちちっ!」太陽が近づくときと遠ざかるときの時間が短いのです。「あちちっ!」吉田くんは、真っ黒焦げです。

さいしょの吉田くんが到着してしばらくすると、つぎの吉田くんが到着した。そうして、つぎつぎと大勢の吉田くんが到着した。いまから相が不安定になる。時間だ。たくさんの吉田くんがぐにゃんぐにゃんになって流れはじめた。

この竹輪は、無数の吉田くんのひとりである。空気・温度・水のうち、ひとつでも条件が合わなければ、この竹輪は吉田くんに戻れない。まあ、戻れなくてもいいんだけどね。食べちゃうからね。

二酸化吉田くん。

「水につけて戻した吉田くんを、こちらに連れてきてください。」ずるずると、吉田くんが引きずられてきた。「ぼくは、どこにもできない。」本調子ではない吉田くんの手がふるえている。「ぼくは、どこにもできない。」絵画的な偶然だ。絵画的な偶然が打ち寄せてきた。

きょうのように寒い夜は、吉田くんが結露する。

「はい。」と言うと、吉田くんが、吉田くん1と吉田くん2に分かれる。

吉田くんは、ふつうは、水に溶けない。はげしく撹拌すると、一部が水に溶ける。

吉田くんを直列つなぎにするときと、並列つなぎにするときでは、抵抗が異なる。

理想吉田くん。

吉田くんの瞳がキラキラ輝いていた。貼りつけられた選挙ポスターは、やましさにあふれていた。

精子状態の吉田くん。

吉田くんを、そっとしずかに世界のうえに置く。吉田くんのうえに、どしんと世界を置く。

タイムサービス! いまから30分間だけ、3割引きの吉田くん。

丸くなった吉田くんを、ガリガリガリガリッ。

「ほら、出して。」注意された生徒が、手渡された紙っきれのうえに、吉田くんを吐き出した。「もう、何度も、授業中に、吉田くんを噛んじゃいけないって言ってるでしょ!」端っこの席の生徒が、手のなかの吉田くんを机のなかに隠した。

「重くなる。」吉田くんの足が床にめりこんだ。「もっと重くなる。」吉田くんがひざまずいた。「もっと、もっと重くなる。」吉田くんの身体が床のうえにへばりついた。「もっと、もっと、もっと重くなる。」吉田くんの身体が床のうえにべちゃっとつぶれた。

あしたから緑の吉田くん。右、左、斜め、横、縦、横、横。きのうまでオレンジ色の吉田くん。右、左、斜め、横、縦、横、横。

吉田くんの秘密。秘密の吉田くん。

ソバージュ状態の吉田くん。

焼きソバ状態の吉田くん。

「さいしょに吉田くんが送られてきたときに、変だなとは思わなかったのですか?」「ええ、べつに変だとは思いませんでした。」机のうえに重ねられた吉田くんを見て、刑事がため息をついた。

さまざまなことを思い出す吉田くんのこと。さまざまな吉田くんのことが思い出すさまざまなこと。さまざまなことが思い出す吉田くんのこと。

「いててっ。」足の裏に突き刺さった吉田くん。

春になると、吉田くんがとれる。

吉田くんをチンして温め直す。

散らかした吉田くんを片づける。

窓枠のさんにくっついた吉田くんを拭き取る。



吉田くん。 しょの2

恋人も、友だちも、さまざまな理由で、ぼくから離れていったし、さざまな事情で、ぼくも彼らから離れていった。憎まれたり憎んだりもしただろう。いまも愛されているかもしれないし、愛している。しかし、文学は、一度として、ぼくから離れることはなかったし、ぼくが文学から離れることもなかった。
posted at 12:33:04

きのう思いついた短い作品をこれから書き込む。連作である。いつか、これも長大な作品になることと思う。さまざまな方向転換と作り直しを繰り返して。
posted at 12:34:42

テレビを見ながら、晩ご飯を食べていた吉田くんは、突然、お箸を置いて、テーブルの縁をつかむと、ぶるぶるとふた震えしたあと、動かなくなった。見ていると、身体の表面全体が透明なプラスチックに包まれたような感じになった。しばらくすると、吉田くんは脱皮しはじめた。#yoshidakunn
posted at 12:40:33

ことしも吉田くんは、ぼくの家にきて、卵を産みつけて帰って行った。吉田くんは、ぼくの部屋で、テーブルの上にのってズボンとパンツをおろすと、しゃがんで、卵を1個1個、ゆっくりと産み落としていった。テーブルの上に落ちた卵は、例年どおり、ことごとくつぶれていった。#yoshidakunn
posted at 12:44:26

背の高い吉田くんと、背の高い吉田くんを交配させて、よりいっそう背の高い吉田くんをつくりだしていった。#yoshidakunn
posted at 12:45:23

体重の軽い吉田くんと体重の軽い吉田くんを交配させていったら、しまいに体重がゼロの吉田くんができちゃった。#yoshidakunn
posted at 12:47:15

今日、学校から帰ると、吉田くんが玄関のところで倒れてぐったりしていた。玄関を出たところにあった吉田くんの巣を見上げた。きっと、巣からあやまって落ちたんだな。そう思って、吉田くんを抱え上げて、巣に戻してあげた。#yoshidakunn
posted at 12:49:44

きょう、学校からの帰り道、坂の途中の竹藪のほうから悲鳴が聞こえたので、足をとめて、竹藪のほうに近づいて見てみたら、吉田くんが足をバタバタさせて、一匹の蛇に飲み込まれていくところだった。#yoshidakunn
posted at 12:51:24

吉田くんの調理方法。吉田くんは筋肉質なので、といっても、適度に脂肪はついてて、おいしくいただけるのですけれども、肉を軟らかくするために、調理の前に、肉がやわらかくなるまで十分、木づちで叩いておきましょう。#yoshidakunn
posted at 12:54:17



なぜ、眠る直前の記憶がないのだろうか。目が覚めているときの自我というものが消失してしまうからだろうか。自我が固定した一個のものとして見るのならば消失はあり得ない。瞬間瞬間に凝集されたものとして考えるとよいだろう。なにを凝集するのか。概念のもとになるものだろう。 #otetugaku
posted at 15:13:05

自我は概念になるもとになるものと、それらが凝集される、そのされ方によって形成されるものではあるが、概念のもとになるもの自体に概念形成力があるために、自我はつねにさまざまな感覚器官の影響を受けているのである。形成される場の環境に依存し、状況に大いに依存する。 #otetugaku
posted at 15:16:35

眠る直前に、概念のもとになるものを凝集するだけの力を自我が持てず、つまり、凝集するだけの概念形成力を自我が失っているために、眠る直前の自分の状況を自覚することができないのである。 #otetugaku
posted at 15:21:07

ところで、眠っているときに見る夢は、いったいだれがつくているのだろうか。夢を見ているのは、いったいだれであろうか。夢の材料とは、いったいなにからつくられているのであろうか。 #otetugaku
posted at 15:22:29

眠っているときに見るのは、わたしである。わたしの自我である。しかし、それは眠る前に存在していた(たとえ、瞬間瞬間にではあっても)自我とは異なるものである。感覚器官が働かず、環境もまったく異なるために、持ち出される概念になるもとのものがまったく異なるからである。 #otetugaku
posted at 15:25:05

では、夢をつくっているのはだれか。それも、わたしである。しかし、それは夢を見ているわたしとは異なるわたしである。なぜなら、夢を見ているわたしが知らないことをわたしに教えることがしばしばあり、驚かされるような知識をもたらせるものだからである。まるで赤の他人だ。 #otetugaku
posted at 15:27:50

それでは、夢の材料は、いったいなにからつくられているというのか。それもまた、わたしだ。それこそ、まったきわたしであり、全的にわたしであるものなのだ。目がさめているときにわたしを形成している自我を包含する、無意識領域をも含めてのわたし。すべてのわたしであろう。 #otetugaku
posted at 15:29:29

つまり、夢を見ているときに現象的に発生している自我は、少なくとも二つあり、その二つの自我に、自我を形成する素材を提供しているものが一つあるということである。その二つの自我に自我を形成させる素材を提供している全的なわたしを、いかに豊かなものにするか。 #otetugaku
posted at 15:33:16

知識だけではなく、経験に照らし合わせた知見も大いに利用されているであろう。感覚器官が、無意識的に導入しているもろもろの事柄も大事なものである。したがって、つねに、アンテナを張っていなければならない。もろもろのことどもに。つねに慎重に、そして、ときには大胆に。 #otetugaku
posted at 15:36:24

いまから、パスタの材料買いに行ってくるわ。雨が少し弱くなってるようやから。雨は眺めていると美しいのだけれど、買い物に出かけるときには美しいとはあんまり感じひんなあ。でも、どこか美しいところ見つけてこよう。美しいところ探して歩こう。たぶん、いっぱいあるやろな。 #otetugaku
posted at 15:39:27

雨、ぜんぜんゆるないわ。もうちょっと待って買いに行こう。それまで、D・H・ロレンス。いま、BGMは、バークレイ・ジェイムズ・ハーベストの『TIME HONOURED GHOSTS』。 #otetugaku
posted at 15:43:51



けさ、お風呂場で考えた数学の問題。

いま、お風呂に入って身体を洗っているときに、突然思いついた。このあいだ、何人かの数学の先生たちで検討していた分数式の恒等式の定数について、変形後の定数が同じものである保証がされているかどうかだけど、ぼくは十分条件って思ってそう言ったけど、必要条件だね。とてもおもしろい比喩を考えた。

日本じゅうのホテルのすべての部屋に合うマスターキーを持っていたら、京都のホテルのどこの部屋にでも入れる。必要条件から引き出された、新しい恒等式から導き出された定数には、その日本じゅうのホテルのすべての部屋に合うマスターキーの意味がある。これ、ワードにコピペして学校に持って行こう。



図書館の掟。II  しょの1

『死者とうまく付き合う方法』という本が
書店のベストセラー・コーナーに平置きで並べてあった。
デザインもセンスがよくて、表紙に使われていた写真の人物も
だれかはわからなかったが、威厳を持った死者特有の表情をしていた。
表紙をめくると、その人物が大都市マグの先々代の市長であることが明記されていた。
いったい、この市長の子孫が、どれだけのロイヤリティーを懐に入れたのか
知ることなどできないが、この売れ行きを見ると相当なものであることが推測される。
わたしが手にとって見ていたこの短いあいだにも
少し年配の一人の女性が、平置きの1冊を手に持ってレジに向かう姿が見られたのだから。
ベストセラーは買わない主義のわたしであったが
ページを開くと、文字の大きさと余白のバランスもよく
文体も、気に障るようなものではなさそうだったので買うことにした。
わたしの仕事に関するものではなかったので
レジでは、領収証は要求しなかった。



悲しみ。

1/2 + 1/4 + 1/8 + 1/16 + 1/32 + 1/64 + …… = 1

1 = 1/2 + 1/4 + 1/8 + 1/16 + 1/32 + 1/64 + ……

1/2 + 1/4 + 1/8 + 1/16 + 1/32 + 1/64 + …… = 1

1 = 1/2 + 1/4 + 1/8 + 1/16 + 1/32 + 1/64 + ……

半分+半分の半分+半分の半分の半分+半分の半分の半分の半分+…… = 1

1=半分+半分の半分+半分の半分の半分+半分の半分の半分の半分+……

半分+半分の半分+半分の半分の半分+半分の半分の半分の半分+…… = 1

1=半分+半分の半分+半分の半分の半分+半分の半分の半分の半分+……

だから、悲しみの半分を悲しみではないものにする。

残った半分の悲しみの半分をほかのものにする。

さらに残った半分の半分の悲しみの半分をほかのものにする。

これを繰り返して、悲しみを限りなくほかのものにする。

それなのに、残ったものは、最初にあったものと同じもの、

同じひとつの悲しみであった。



以下は、文学極道の詩投稿掲示板に書いたコメントです。
おもしろいものだと思ったので、ここにその写しをコピペしておきます。
るるりらさんの詩句に対するコメントでした。
(のちに訂正をしたものを含む)


一になれない 僕のおもいは 

この「一」は「1」のほうがいいかなって思いました。

0.999……=1

数学的にはこうなのですが、この方向に

分は0.1
厘は0.01
毛は0.001
糸(し)は0.0001 
忽(こつ) 0.00001 
微(び)0.000001 
繊(せん)0.0000001 
沙(しゃ)0.00000001 
塵(じん)0.000000001
埃(あい)0.0000000001
渺(びょう)0.00000000001
漠(ばく)0.000000000001
模糊(もこ)0.0000000000001
逡巡(しゅんじゅん)0.00000000000001
須臾(しゅゆ)10-15(1000兆分の1)
瞬息(しゅんそく)10-16 
弾指(だんし)10-17
刹那(せつな) 10-18
六徳(りっとく)10-19 
虚空(こくう) 10-20  
清浄(せいじょう)10-21   
阿頼邪(あらや)10-22
阿摩羅(あまら)10-23 
涅槃寂静0.000000000000000000000001

これらが利用されてあればなあ、と、ふと思いました。
そうすれば、「一になれない」というところと符合すると思うのですが
しかし、それでは、るるりらさんの意図から外れますね。
「一になれない」というところと符牒するようにつくるのは難しそうですね。
あ、ぼくは、へんなところにこだわっているのかも、と思いました。
すいません。
作者の意図の上で、まず検討しなければならないのに。
うえの小さな数たちは、つぎの言葉の扉にあたるものだったのですから。

一に遠い遠い その数に寄り添う
強い花があるという


追記

バカなことを書きました。
すいません。

0.999……=1

だめですね。
1になっちゃだめなんですもの。

分は0.1
厘は0.01
毛は0.001
糸(し)は0.0001 
忽(こつ) 0.00001 
微(び)0.000001 
繊(せん)0.0000001 
沙(しゃ)0.00000001 
塵(じん)0.000000001
埃(あい)0.0000000001
渺(びょう)0.00000000001
漠(ばく)0.000000000001
模糊(もこ)0.0000000000001
逡巡(しゅんじゅん)0.00000000000001
須臾(しゅゆ)10-15(1000兆分の1)
瞬息(しゅんそく)10-16 
弾指(だんし)10-17
刹那(せつな) 10-18
六徳(りっとく)10-19 
虚空(こくう) 10-20  
清浄(せいじょう)10-21   
阿頼邪(あらや)10-22
阿摩羅(あまら)10-23 
涅槃寂静0.000000000000000000000001



一になれない 僕のおもいは 

を、より整合性あるように結びつける叙述って、いま思いつきませんが
思いつきましたら、また追記させていただきます。
おもしろそうですから。
純粋な好奇心からのものです。


追記2 

五条大宮の公園の日のあたったベンチに坐りながら
P・D・ジェイムズの『罪なき血』を読んでいましたら

1−0.1=0.9
1−0.01=0.99
1−0.001=0.999
 ……

であることに気がつきました。
これを逆用すれば、いかがでしょうか。
叙述で実現するには、どうすればよいのかは、
ぼくにもまだわかりませんが。
ちなみに、上の式を思いついたのは、P・D・ジェイムズの『罪なき血』のつぎの記述のところでした。

(…)スケイスの生活はすっかり彼女の生活に直結し、毎日の日課は彼女の日々の外出に
よって決まったから、彼女の姿がないと、まるで話相手を失ったように手持ち無沙汰になる。
(第二部・13、青木久恵訳、ハヤカワ文庫 282ページ)

また、逆用ということでは、つぎのような等比数列の和も1になりますので
もしかしたら、利用できるかもしれませんね。

1/2 + 1/4 + 1/8 + 1/16 + 1/32 + 1/64 + …… = 1

両辺を入れ換えた式も逆用できるかもしれません。

1 = 1/2 + 1/4 + 1/8 + 1/16 + 1/32 + 1/64 + ……

ですね。

1/2 + 1/4 + 1/8 + 1/16 + 1/32 + 1/64 + …… = 1

半分+半分の半分+半分の半分の半分+半分の半分の半分の半分+…… = 1

書いてて、自分が楽しくなってきました。
どこかで、ぼく自身の詩に使おうかなって思いました。
また、なにか気がつきましたら、追記させていただきますね。


追記3

ふたたび公園に行きました。

1=0.1+0.9
1=0.01+0.09
1=0.001+0.009
 ……

といった式を公園の入り口で思いつきました。
自転車がスムーズに通れないようにしてある車輪通過止めのための金具の間を
ペダルを右・左に斜めにして工夫して侵入しようとしたときでした。
途中でフレスコというスーパーに寄り、ベンチに坐りながら食べようと思って買った
「鶏南蛮弁当399円」を先ほど坐っていたベンチの上であけたのですが
鳩がたくさん寄ってきたので、ひとの多い、鳩の寄らない公園の中央に移動して
桜の花の下で食べながら、入り口で思いついた式のつづきを考えていました。

1=0.1+0.9
1=0.01+0.09
1=0.001+0.009
 ……

これらの式を辺々足し合わせたものを想起させますと

左辺=1+1+1+……= ∞

右辺を見かけ上、2つの数列の和として(ここのところで数学的に誤りがありますが)
それぞれ取りだしてみますと

0.1+0.01+0.001+……
0.9+0.09+0.009+……

で、これは、どちらも、無限大になります。
式にしますと

0.1+0.01+0.001+……= ∞
0.9+0.09+0.009+……= ∞

これらを、もとの式に代入すると

∞ = ∞ + ∞

となりますが、この式は、数学的に正しくない場合がありますね。
(そもそも、途中の操作で違反をしているのですが)
しかし、右辺と左辺を入れ替えた

∞ + ∞ = ∞

この式は正しいのです。
おもしろいですね。
しかし、この正しい式から、∞ を引いてやることはできません。
これは、∞ が数ではなくて、状態をあらわす記号であるためですが
仮にできるとしてやってみますと

 ∞ =0

という式が出てきます。
おもしろい。
そういえば、

0.1+0.01+0.001+……= ∞
0.9+0.09+0.009+……= ∞

についてなのですが、

0.9+0.09+0.009+……=9×(0.1+0.01+0.001+……)

ですから、

 ∞ = 9×∞

という式も導かれます。
これ自体は数学的に正しい式なのですが
両辺を入れ換えた式も数学的に正しく、そのほうが心理的にも妥当なものに思えるでしょうから
それを書きますと

9×∞ = ∞

となります。
9を、どのような大きな数にしても成り立ちます。
そこで、その数の代わりに ∞ の記号を入れてみますと

 ∞×∞ = ∞

が得られます。
この式もまた数学的に正しいものなのですが
この式において、∞ を数のようにして扱い、両辺を ∞ で割ることはできません。
仮にできたとすると

 ∞ = 1

となってしまいます。
おもしろいですね。
0という数もおもしろいものですが
∞ という記号も魅力的ですね。

るるりらさんの詩作の意向に添った式というのは
おそらく、つぎの式、一つだけだったでしょう。
長い記述を書きつづってしまって、ごめんなさい。
ついつい、楽しくて。

0.1+0.01+0.001+……= ∞


追記4

うわ〜、るるりらさん、ごめんなさい。
きのうの考察、間違ってました。

0.1+0.01+0.001+……=1/9

であって、∞ にはならなかったです。

0.9+0.09+0.009+……=1

であって、∞ にはならなかったです。
しかし、1+1+1+……= ∞ は正しいのですが
どこで間違ったのでしょう。
これからいそいで調べます。
(しばし、調べてみました。)
こんどの式の値は、間違ってなかったみたいです。
しかし、矛盾しますね。
きょうは、公園で、このことについて考えます。
夕方からは塾なので、それまでに解決すればいいのですが。


追記5

わかりました。

1=0.1+0.9
1=0.01+0.09
1=0.01+0.009
 ……

これが間違っていました。
恥ずかしい。

1=0.1+0.9
0.1=0.01+0.09
0.01=0.001+0.009
 ……

ですね。
しかし、これだと
左辺は 1+0.1+0.01+0.001+……=10/9
右辺は (0.1+0.01+0.001+……)+(0.9+0.09+0.009+……)=1/9+1=10/9
ということになり、あまりおもしろいものではなくなりました。
すいません。
ただ、つぎのことだけは、わかりました。
塵が積もっても山にならないことが。
なぜなら

0.1+0.01+0.001+……=1/9

だったからです。


追記6

0.9+0.09+0.009+……=1

のほうが

0.1+0.01+0.001+……=1/9

より断然、おもしろいですけど
そもそも

0.9+0.09+0.009+……=0.999……



0.9+0.09+0.009+……=0.999……=1

ですものね。
こちらのほうを利用して
っていうのは、どうでしょうか。
うううん。
ぼくもすぐに思いつきそうにありませんが。



三村京子さんの大阪・京都ライブ情報。

3/25(金)中崎町(大阪)Common cafe
http://www.talkin-about.com/cafe/
open19:00/start19:30
前2000yen/当2500yen(1d別)
共演:良元優作(歌、ギター)
船戸博史(コントラバス)

3/26(土)京都 拾得(じっとく)
http://www2.odn.ne.jp/jittoku/
open17:30/start19:00
前2000yen/当2500yen(1d別)
共演:長谷川健一(歌、ギター)
船戸博史(コントラバス)

ぼくは、あした、拾得に行きます。



2011年3月26日のメモ しょの1 図書館の掟。II  しょの2

「これは何だ?」
両手首をつなぐ鉄ぐさりを持ちあげて、
死んだ父は言った。
そして、ふいに思い出したかのように
「そうだった。
 名誉ある死者は
 こうして鋼鉄製の手枷を嵌められて
 過去の知識を現代に確実に伝える語り部として
 図書館に収蔵されるのだった。
 わたしもそのひとりだった。」
死んだ父の目が、わたしの目を見据えた。
「それで、おまえは、わたしに
 いったい、何を訊ねにきたのかね。」
「母についてです。
 母が死んだのです。」
「あれが死んだ……
 なぜじゃ?」
「わかりません。
 自ら首を吊って亡くなりました。」
死んだ父が天井を見上げた。
「それで、なぜ、わしのところに来たのかね?」
ふたたび死んだ父の視線を受けて
わたしは、すこしひるんでしまった。
死者にも感情があったことを思い出したからであった。
表情にあらわれることはなかったが
虹彩に散らばった銀色のきらめきがわずかに、だが確実に増したのだった。
「母が亡くなったのが
 ここにきて、あなたに会われてから
 すぐにだったからですよ。」
「死者には生前の記憶しかないのだよ。」
「いいえ、それは事実ではありません。
 数日のあいだは、記憶を保持できるはずです。
 わたしたち生者の赤い血と違ってはいても
 その銀白色の血液にも霊力があり
 あなたたち死者の体をかりそめにでも動かし
 あなたたち死者の脳にかりそめにでも思いをめぐらすことができるはず。
 いったい、母はあなたから何を聞きだしたのですか?」
「あれは、わしの話を耳にして帰ったのではない。」
「どういうことですか?」
「あれは、おまえのことを、わしに話に来たのじゃ。」
「わたしのことをですか?」
「そうじゃ。」
「わたしの何についての話だったのですか?」
「おまえが、もはや人間ではなくなっておると話しておった。」
「どういうことですか?」
「リゲル星人と精神融合を繰り返しておるあいだに
 おまえが、人間としての基幹部分を喪失してしまったと言っておった。」
わたしは自分の手先に目をやった。
わたしの指のあいだをリゲルの海の水を覆っていた。
リゲルの渚でよく見かけた小魚が手の甲のうえを泳ぎ去っていった。
ダブル・ヴィジョンだった。


* これは、『舞姫。』と『図書館の掟。』をつなぐ作品のひとつになる。



2011年3月26日のメモ しょの2

 シンちゃんの部屋に4時30分ごろに着いた。電話で言っておいた時間通り。シンちゃんは、時間どおりでないと、そのことだけで10分は嫌味を言うひとだから、時間は速めでも遅めでもなく、ほとんどぴったりでないと、非常に不愉快な目に遭うので、時計も形態も持たないぼくは、シンちゃんちの近くにあるコンビニの時計で時間を調整したのだった。180円の(税抜きだったか税込みだったか忘れた。値札が180円だったことだけ憶えてる。)ナッツ(アーモンドとカシューナッツのもの)を一袋、おみやげに買って言ったのだった。チョコチップの入ったクッキー(よくスーパーで100円で売ってるやつ)とカプチーノ(おいしかったので、いくらするのって言ったら、パッケージを出して、150円で8袋って言うから、じゃあ、一袋30円しないんだね、おいしいね、ぼくがいつも飲んでるインスタントのネスレのなんか、まずいわ〜、これに比べたら、と言った。溶けるから、と言ってシンちゃんが、ぼくのカプチーノからプラスティックのバー・スプーンのちいさいやつ、あの耳かきみたいなやつを出した。ぼくが溶けるの、と再度きくと、曲がるからというので、曲がると溶けるは違うんじゃない、とか言ったけどスルーだった。)をごちそうになった。カプチーノの顆粒状粉末が入った銀色のチューインガムくらいの袋をあけて熱湯を注いでくれたんだけど、泡立ちがすごかった。くるくるバー・スプーンでかき混ぜてくれた。二敗目をすぐにリクエストしたら、それは、自分で混ぜろというつもりでか、ぼくの手にバー・スプーンをのせた。CDかDVDをかけて、というと、『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』のDVDをかけてくれた。英語の教材用にもなってるやつで、へえ、英語を勉強しながら見てるんだって言った。ブラビがジジイで生まれてくるやつね。ふつうの映画だったら、くさいんじゃないってセリフが随所に盛り込まれていた。けれど、時間に関する思考実験的な趣のある映画だったから、ふつうだったら、吹き出すくらいにくさいセリフも意味深長なものになっていた。作者はきっと、この設定を思いついたときに、やったなって思ったんじゃないかなってシンちゃんに言った。シンちゃんは返事もせず、何度か見てるはずの画面から視線を外さなかった。こういうところにも、シンちゃんのゆがんだ精神の反映が見て取れる。ふつうの映画だったら吹き出して笑ってしまうようなセリフでも、赤ん坊が死にかけの老人の顔と姿かたちで生まれてくるっていう状況のなかに放り込まれると、意味が深くなるっていうのは、ぼくにはすごく勉強になった。作者は有名な作家だったと思うけど、と何度か言ったのだけれど、もちろん、この言葉もぜんぜん聞いていないふりをするシンちゃんであった。「臆病になってはいけない。」だったかな。「臆病だわ。」だったかな。「なんとか be a chicken」だったかな、そんなセリフが出てきて、シンちゃんに、チキン野郎って、日本語でも言うね、って言うと、言葉づかいが粗野な連中のあいだでやろ、とのお返事。で、ぼくはこう言った。あるいは、自分は粗野だってひとに思わせたい連中のあいだではねって。女優の話が出た。さいしょのソーンで死にかけの老婆に扮装していたきれいな女優について、ぼくが、このひと、陶器のようにきれいやねって言ったら、シンちゃんが、おれは、あとで出てくる、女優が好きや、とのこと。どの女優やろうかと思っていたら、シンちゃんは映画の題名も忘れていたようだったので、ぼくが直感で、コンスタンティンにでてきたあのガブリエルのひとって訊いたら、うなずいてみせた。その女優は、ずいぶんあとになって出てきたのだけれど、ぼくがこのひとなのと言うと、そうやという返事。ちょっと違って見えるねというと、いっしょやという。まあ、そう言われてみれば、そうかなと思って見ていたら、ぼくの目にもはっきり思い出されて、そうや、このひとやったと見えるようになった。カーテンに触れて(シンちゃんの部屋は7回にあって、すぐそばに小学校か中学校課知らないけれど校庭のようなものがあって見下ろせるのである。以前、窓の外に目をやったら、シンちゃんから、飛び降りたくなるか、と言われたことがある。はじめて、部屋に訪れたときのことである。)「遅くなっても明るい季節になったね。」と言って、ふと気がついた。「もう、5時30分くらいじゃない? そろそろ、ライブに行かなくちゃ。ああ、いいところで見れなくなっちゃけど、しょうがないよね。」と言って部屋を出た。部屋にたずねたときにも、へんな剃り方してるなあ、剃りすぎじゃないって思った眉毛が、やっぱり帰りしなにも気になって見たのだけれど、はっきり口に出して言うと、またメンドくさいやりとりになるから、部屋に入ったときにだけ、めっちゃ早口で「眉毛、すごくない?」と言って、すぐに部屋に上がり込んだのだけれど、帰りしなには一瞥するだけで、眉毛のことには触れずに、さっさと靴を履いて部屋を出た。シンちゃんのマンションは西院の阪急の駅から歩いて数分のところにあった。バス停には、土曜日だったからか、それとも時間が時間だったからか、うっとうしいくらいの数のひとがバスを待っていた。ぼくは、ぼくが乗るはずの202番のバスがくるのを待っていた。しばらくすると、ひだりの視界の隅に、ジャージ姿(青いジャージだったと思う。)の青年の姿が入ってきた。そのほうに顔を向けると、青年は時刻表のほうを向いたので、ぼくには背を向ける格好になって、顔がはっきり見えなかった。少し時間が経って長くなったかなあと、そろそろ刈ったほうがいいんじゃないかなと思えるほどの長さの短髪で、若そうな感じはした。くの字に身体を曲げて(斜め横に、篇んあ方向だなと思った。)時刻表を見ていたと思うのだけれど、彼が突然、奇声を発したので、バス停にいたひとの何人かの視線を彼は集めた。しかし、時刻表をみつめながらだったので、みなにも後ろ姿しか見えなかったので、なにかの間違い、いまの奇声は聞き違いだったのじゃないかと思ったひともいたのではないかと思われた。まわりの気配を察するとじっと見つめつづけるひとはいなさそうだった。ぼくだけだったかもしれない。すると、その青年はふたたび奇声を発して、こちらを振り返った。ひょこひょこと視線をさ迷わせ奇声をあげえながら時刻表から青年の顔が剥がれていった。顔が剥がれていく、といった感じで身体が時刻表から遠ざかり、こちらにむかって動き出したのだった。肉付きのよい、かわいらしい顔をした青年だった。ふぞろいの、といった形容がぴったりのふぞろいの口ひげやあごひげ(その区別は、じつはつかない。つかないのも境界がなかったように思えるからだ。口とあごの? そうかもしれない。口ひげとあごひげではなくて。)その口ひげとあごひげを、もしもゲイ・スナックで見かけたものならば、ああ、ワイルドな感じがするなと思えたかもしれない。いや、このときも少しはそう思ったのだった。違った場所で、違った時間に、違ったひとたちがまわりにいたら、いやいなかったら、ぼくは、青年に声をかけたかもしれない。かけていたと思う。それぐらいかわいらしかった。視線がひょこひょことするところが気になるのだけれど、素朴な青年って感じで、顔つきはタイプだった。202号のバスがきたので乗った。青年の後ろ姿をバスの窓から追った。その姿はすぐにちいさくなって見えなくなった。バスはそこそこあいていて、ぼくはラッキーなことにさいしょに乗り込んだので、ラッキーな(のかな)いちばん前の、出口のところの席があいていたので、そこに腰かけた。丸太町堀川で下りて、ローソンに入った。拾得(じっとく)というライブハウスの場所を訊くためにだ。店員が二人がかりで地図を拡げてさがしてくれた。すると、地図のその場所には鉛筆で二重に丸がしてあった。その縁の大きさが少し違っているためにはっきりと二重に、とわかる二重の丸が書かれていたのであった。赤いポストが目印だという。赤いポストと聞いて、ふと赤いという言葉は必要ないんじゃないかと思った。しかし、赤いという言葉があると、そりゃ、はっきりポストのことを示しているし、目にするときにも赤い色そのものをさがすし、わかりやすいかな、そろそろ暗くなっているけれど、まだ色の見分けはつく時間だからな、とも思った。赤いポストのところを右に曲がると信号を一つ越えてしばらくするとお目当ての場所が見つかった。あたりまえだけど、場所のほうがぼくのところにきてくれるわけではないので、お店がぼくを見つけたとは言えないな。ライブハウスに入ると、扉をあけてすぐの入口で予約した田中宏輔ですけれど、と言って、2000円を払って店のなかに入った。ステージにいちばん近い場所があいていたので、そこに坐った。シンちゃんにもらった聖書と仏教関係の本がバンバンにつまった紙袋を右において、左にリュックを置いた。リュックには財布とCDプレーヤーしか入ってなかったのだけれど、本を入れることはできなかった。肩が凝っていたからだ。数日前から肩が凝っていたのだ、いつになく。演奏がはじまるまで、シンちゃんにもらった本を読むことにした。バスのなかですでにすべてパラ読みしていたのだけれど、いちばん分厚い聖書をひろげた。これには外典も入っていて、知恵の書のページをめくって、これは引用しておこうと思っていた箇所にしおりをはさんで、メモをした。そうこうしているうちに、おそらく2、30分足らずのあいだだったと思うのだけれど、というのは、入口に置いてあった時計を見たときに時間を確認していて、6時34分だったし、メールで、そして、パソコンで見たHPでの予定では開演は7時からだったので、2、30分くらいだと思ったのだけれど、もしも、入口で時計を見ていなかったら(大きな針時計だった。)もう少し長い時間に感じていたかもしれない。演奏がはじまった。長谷川健一という名前の歌手がギターを抱えてステージにあがった。30過ぎに見える小柄でやせた男性だった。(女性だったって書くと間違いだし、おもしろいと思ったけれど、すぐに、おもしろくないなと思ったので書くのをやめた。)めりはりのない曲だなという印象を持った。そういった曲が何曲かつづいたあと、3曲目か4曲目で、途中で声が裏返しになる曲があって(フォルセットって言うのだったかな。)あれ、これって、あの知恵遅れの男の子の声といっしょじゃん、って思った。その声のところがよかったかな。キュルキュル鳴らすへたくそなバイオリンの音のようで。へたな弾き手がへたに弾いた弾き方で聞かせてくれる、なにが引っかかっているのかしら、その弓には、と思える、弦のうえを滑らかに滑ることを忘れさせられた弓を弾くへたくそな弾き手の弾きかたのように思えたのであった。最悪だけど、どこか人間っぽいなとも思えるものなのだけれど、その音ではなくて、そういった音が出るということころが。しばらくして、三村京子さんと入れ替わった。いただいたCDで聴いたことのある曲がつづいた。
 あと4曲やらせてもらいます。という三村京子さんの声が聞こえた。三村さんの演奏は、ずいぶんと男前だった。



2011年3月26日のメモ しょの3

退屈だし
テレビを見ながら
自分の気分をコロコロ変えていたのだけれど
それも退屈したので
本棚から
カレッジクラウン英和辞典を取り出して
適当なページをあけて気分を変えてみることにした。

longsuffering 長くしんぼうする。がまん強い。
estrange 離れさす。引き離す。
camomile カミツレ(キク科の薬用植物)
mute (鳥が)ふんをする。
complete 完全な。全部そろっている。
fearsome 恐ろしい。
apostrophe アポストロフィ。省略符。
vogue (ある時期の)一般的風習。流行。人気。
rancho (スペイン系の人の多い中南米地方で放牧場(ranch)で働く人々の住む)小屋(hut)。(そういう小屋の集まった)部落。
stop bath 現像停止液。
deducible 演繹[推論]できる。
mercurate 水銀と化合させる。水銀(化合物)で処理する。
reputation 評判。世評。好評。名声。名著。
U,u 英語アルファベットの第21字(18世紀ごろまでは u は v の異形として用いられ u と v の区別がなかった)。(連続するものの)第二十一番目(のもの)。
arise 起こる。生じる
overwrite 書きすぎる。乱作する。(…のことを)誇張して書く。

適当にページを繰って指をはさんで目につく単語を抜き書きして
自分の気分を変えてみたけれど
また退屈したので
辞書を本棚に戻してテレビに戻った。



2011年3月26日のメモ しょの4

花粉より確かなものがあるのだろうか。
ぼくの目をこんなに傷め
ぼくの頭をこんなに傷めつけるものが。

ギャフンより確かなものがあるのだろうか。
ぼくの顔をこんなにもギャフンとさせ
ぼくの気持ちをこんなにもギャフンギャフンとさせるものが。



2011年3月26日のメモ しょの5

「へ」と「し」と「く」とつ」が似てる。
そのなかでも、「へ」と「く」
「し」と「つ」がよく似てる。
回転させたり
線対称に移動させると
そっくり同じものになる。
あ、
「い」と「こ」もよく似てる。
「り」は、ちょっとおしいかな。
「も」と「や」も似てるかな。
ひらがなとカタカナの違いがあるけど
「せ」と「サ」も似てる。
線対称だ。
「けけけ…」と笑うと
「1+1+1+…(いちたすいちたすいちたす…)」だ。



図書館の掟。II  しょの3


「では、わたしは罰せられるのかしら?」
「いいえ。
 死者は罰せられません。
 わたしたち生者に死者を罰することはできません。
 生前の言葉が、たとえ故意にせよ、誤っていたとしても
 死んでから、真実を語っていただけるのですから。」
「そうでしたわね。
 もちろん、わたしは、わたしが書いたときには
 それが真実だと思っておりましたのよ。
 いいえ、こう口にするほうがいいですわね。
 ああ書くことが真実を伝えることだと思って
 そして、じっさい、そう書くことで
 わたしの記憶も、あの記述通りのものになっていたのね。
 死んでから、どうして、じっさいのことが記憶によみがえったのか
 わたしにはわかりませんが。」
「死者としてお持ちの記憶が真実かどうかはまだわかっておりません。
 生者のときの記憶と違っているところがあることと
 死者が嘘をつけないということはわかっておりますが
 現実の把握に関しては主観が大きいので
 また心理的な抑圧が記憶を捏造することもありますので
 客観的な真実かどうかは、けっしてわからないのですよ。
 しかし、いまもなお詳しく研究されている分野ではありますね。
 それは長年、図書館で調べられていることの一つなのです。」
「まあ、わたしも死んでからはじめて知ったことがありますもの。
 それが真実であるとは思われないことも、ずいぶんたくさんありましたわ。」
「図書館運営は、ほんとうに有益な事業だと思いますよ。
 わたしたち人間にとって、もっとも大事な事業の一つでしょう。」
図書館に新しく収められることになった死者との面接が終わり
司書は死者の手をとって立たせた。



きのうは、三村京子さんのライブで
音楽を聞きながら、いくつかの詩句が思い浮かんだ。
部屋で読書してるだけのときより
外に出て、しかも、芸術に触れることは
やはり、ぼくの詩のためにも、とてもいいことなのだと思った。
歌と演奏がおわり、アンコールもおわって
三村さんにあいさつしようと立ちあがって近づいていくと
即座に、「あつすけさんですね。」と言ってくださって
「ええ。はじめまして。こんにちは。
 すばらしい演奏でしたよ。」と口にするのがせいいっぱいで
恥ずかしくて(人見知りなのだ、この50才のジジイは、笑)
逃げるようにして出入り口の扉に向かったのであった。
出入り口に向かう直前に「それは本ですか。」
とたずねられ、めちゃくちゃ恥ずかしかった。
紙袋いっぱいにパンパンにふくれていたからである。
分厚い本ばかり入っていたからだった。
シンちゃんの部屋に寄って、聖書と仏教関連の本をもらって
持ってきていたからである。
ふだんから、こんなふうに重たい本をたくさん持って外にでてると思われたら
ぜったいいやだなと思って
「いえ、友だちにもらった本なんですよ。」
と、答えにならない返事をして、出入り口の扉に向かって
急ぎ足で歩き去ったのであった。
「もうお帰りになるのですか。」
という三村さんの声に「ええ。」とだけ返事をする時間を確保して。
それでせいいっぱいだった。
外に出ると、冷たい風が気持ちよかった。
バス停でバスを待っているとき
ぼくは時計も携帯電話も持っていないので時間がわからず
背広姿の左右の手の長さが違う身体障害者の男性が
バスの時刻表をのぞき込んでいたので
時間をきくと左腕にはめた腕時計を見せてくれて
(長いほうの腕か短いほうの腕か忘れた)
「一分ほど早いんです、ですからいま、9時39分ですね。」
と言って教えてくれた。
時計は10時20分前を示していた。
すぐに彼が乗るバスがやってきた。
彼が乗り込んでから彼が乗ったバス(93系統だったかな)の
時刻表を見たら、彼が乗ったバスの時間は9時47分か49分だった。
この2つの時間だった。
偶数の時間ではなかった。
記憶が不確かなのはなぜだろう。
「ほぼ時間通りやな。」
「時間ぴったしやな。」
の2つのうちのどちらかの言葉を頭に思い浮かべたという記憶はあるのだけれど
この2つの記憶がまるで量子的な状態で存在しているので
つい、きのうのことなのに、不思議な感じがする。
やはり、こころに残ったことはつねにメモするべきなのか。
いや、どうだろ。
量子状態の記憶があるということから
おもしろい事柄を考察できるかもしれないのでいいことだったことにしよう。
きのう取ったメモは、大量にあるけれど
一度に入力するのは、しんどいので、ぼちぼちと。
シンちゃんの部屋で見たDVDの感想が大方を占めるのだが。


追記 

量子状態の記憶が、これからどのような状態に移行していくのか
いつの日かたしかめることができるかもしれない
できないかもしれない。
すっかり忘れているかもしれないし
ひょんなことから思い出すかもしれない。
ただし、思い出したものが、ほんとうの事実を反映した記憶かどうかは
わからない。



うんこ。

きょう買った、ブックオフでのお買い物。
単行本1冊。
パトリシア・コーンウェルの『切り裂きジャック』105円
まえにも、違うブックオフで、105円コーナーで見ていたのだけれど
載ってる写真がえげつなくて買えなかった。
でも、きのう、塾の帰りに寄った五条堀川で見たそれは
まえに見たほどグロテスクではなくなっていた。
そういえば、古本市場で
バタイユの全集の第何巻か忘れたけれど
その高い本が1冊、105円のコーナーに置いてあったので
買おうかなと思って中身を見ると
中国人の公開処刑の写真が載っていて
バタイユはそれを見て性的な興奮に近いものを覚えたって書いてたから
ひぇ〜って、こわくなって
その本をただちにもとのところに戻したけれど
いまだったら、買えるかもしれないな。
もう、それほど過敏じゃなくなったのかな。
コーンウェルのものも
きのうは、まだちょっとグロテスクだなと思って
買わなかったのだけれど
きのうの夜に、チラ読みした記述を思い出していると
ああ、あの時代の背景が如実にわかる書き方がしてあって
庶民の生活や上流階級の人間の生活や警察の誕生や刑法の仕組みなど
さまざまなことがより深く広く知れるから
それは、文学の、ひいては、人間の理解にもつながるなと思って
きょう、歩いて買いに行ったのだった。
あってよかった。
だれも興味ないのかしら?
そうそう、きょうは、マクドナルドなんかじゃなくて
西院のパン屋さんでモーニングセット食べた。
パンは、チーズケーキ味のもの3個、
アーモンド味のケーキっぽいもの3個、
ライ麦パン3個。
飲み物は、アイスラテカフェ。
ごま味のドレッシングで
刻み角ベーコンとコーンを添えたポテトサラダと
たっぷりのレタスで
390円なのだった。
パンは食べ放題だから、あとで追加注文もできるという、すぐれどころなのだ。
おなかいっぱいだったので
それで、歩いて五条大宮のブックオフまで行ったってわけだけど
西大路五条の私立病院のまえあたりで、
わきや背に汗が出てきているのに気がついた。
雨粒も、ぽつぽつ、顔や手にあたりはじめたのだった。
で、ああ、ビニール傘を持ってきていてよかったと思ったのだけど、
歩いていると、きゅうにうんこがしたくなって
五条大宮の公園のトイレでうんこした。
なぜかしら、ゲリピーのうんこだった。
なにか、悪いもの、食べたかな。
食べてないと思うけど。
あ、きのう食べた弁当だけど
コロッケがちょっと傷んでるって感じだったわ。
あれか。

とかってことを、ツイッターに書いてたら、
見る間に、フォローワーの数が減っていって、
さっき見たら、学校の生徒のフォローワーが一人もいなくなっていた。
「排便日記」みたいなタイトルで毎日書いたりしたら、
だれもフォローしてくれなくなったりして、笑。
あ、書かないけど
そういうのって凝りだすと、
ほかのことができなくなってしまうような気がする。
一日じゅう、トイレのなかにいて。
それはないか、



THE GATES OF DELIRIUM。

 詩人のメモのなかには、ぼくやほかの人間が詩人に語った話や、それについての考察や感想だけではなくて、語った人間自体について感じたことや考えたことが書かれたものもあった。つぎのメモは、ぼくのことについて書かれたものであった。

 この青年の自己愛の絶えざる持続ほど滑稽な見物はない。恋愛相手に対する印象が語るたびに変化していることに、本人はまったく気がついていないようである。彼が話してくれたことを、わたしが詩に書き、言葉にしていくと、彼は、その言葉によってつくられたイメージのなかに、かつての恋愛相手のイメージを些かも頓着せずに重ねてしまうのである。たしかに、わたしが詩に使った表現のなかには、彼が口にしなかった言葉はいっさいなかったはずである。わたしは、彼が使った言葉のなかから、ただ言葉を選択し、並べてみせただけだった。たとえ、わたしの作品が、彼の記憶のなかの現実の時間や場所や出来事に、彼がじっさいには体験しなかった文学作品からの引用や歴史的な事柄をまじえてつくった場合であっても、いっさい無頓着であったのだ。その頓着のなさは、この青年の感受性の幅の狭さを示している。感じとれるものの幅が狭いために、詩に使われた言葉がつくりだしたイメージだけに限定して、自分がかつて付き合っていた人間を拵えなおしていることに気がつかないのである。それは、ひとえに、この青年の自己愛の延長線上にしか、この青年の愛したと称している恋愛相手が存在していないからである。人間の存在は、その有り様は、いかなる言葉とも等価ではない。いかに巧みな言葉でも、人間をつくりだしえないのだ。言葉がつくりだせるものというものは、ただのイメージにしかすぎない。この青年は、そのイメージに振り回されていたのだった。もちろん、人間であるならば、だれひとり、自己愛からは逃れようがないものである。しかるに、人間にとって必要なのは、一刻もはやく、自分の自己愛の強さに気がついて、自分がそれに対してどれだけの代償を支払わされているのか、いたのかに気がつくことである。この青年の自己愛の絶えざる持続ほど滑稽な見物はない、と書いたが、もちろん、このことは、人間のひとりであるわたしについても言えることである。人間であるということ。言葉であること。イメージであること。確かなものにしては不確かなものにすること。不確かなものにして確かなものにすること。変化すること。変化させること。変化させ変化するもの。変化し変化させるもの。記憶の選択もまた、イメージによって呼び起こされたものであり、言葉を伴わない思考がないのと同様に、イメージの伴わない記憶の再生もありえず、イメージはつねに主観によって汚染されているからである。

 ぼくは、ぼくの記憶のなかにある恋人の声が、言葉が、恋人とのやりとりが、詩の言葉となって、ぼくに恋人のことを思い出させてくれているように思っていた。詩人が書いていたように、そうではなかった可能性があるということか。詩人が選び取った言葉によって、詩人に並べられた言葉によって、ぼくが、ぼくの恋人のことを、恋人と過ごした時間や場所や出来事をイメージして、ぼくの記憶であると思っているだけで、現実にはそのイメージとは異なるものがあるということか。そうか。たしかに、そうだろう。そうに違いない。しかし、だとしたら、現実を再現することなど、はじめからできないということではないだろうか。そうか。そうなのだ。詩人は、そのことを別の言葉で語っていたのであろう。恋人のイメージが自己愛の延長線上にあるというのは、よく聞くことであったが、詩人のメモによって、あらためて、そうなのだろうなと思われた。彼の声が、言葉が、彼とのことが、詩のなかで、風になり、木になり、流れる川の水となっていたと、そう考えればよいのであろうか。いや、詩のなかの風も木も流れる川の水も、彼の声ではなかった、彼の言葉ではなかった、彼とのことではなかった。なにひとつ? そうだ、そのままでは、なにひとつ、なにひとつも、そうではなかったのだ。では、現実はどこにあるのか。記憶のなかにも、作品のなかのイメージのなかにもないとしたら。いったいどこにあったのか。



ケンコバの夢を見た。2

ふざけ合った。
「ほらほら、おれの乳首さわってみ。」
ケンコバが、ぼくに脇のしたをさわらせた。
「これ、イボやん。」
「オレ、乳首3つあるねん。」
おもいっきり笑けるケンコバの脇のしたをさわりまくる。
「こそばったら、あかんて。」
宴会場の隅っこでふざけ合ってた。
ああ、楽し、と思ったら目が覚めた。
もっと長い時間、楽しめてたらよかったのになあ。



nothing to lose。

きょうも、日知庵でヨッパ、
帰りに、
道で、
かわいらしい男の子や女の子が
いっぱい、
ぼくも思い出がいっぱい、
よぎって、
さよならね、
って思った。
the love we made,
the dream we made



不思議な感覚。

10分くらい、半覚醒状態で夢を見た。
目をつむって、行ったこともない学校の校舎を歩いてた。
生徒たちが廊下を歩いてる。
ぶつかりながら。
階段を上がって、廊下を渡る。
繰り返していると、ふと、足に違和感があった。
目をあけると茶室だった。
重力の方向がおかしいと思ったら、寝床で目がさめた。
おもしろい体験だった。



uni-ball signo ぼくの大好きなゲル・インク・ボールペン

ぼくが好きなボールペンの替え芯を
近所のイーオンに買いに行ったら
なかった。

三菱
ぼくの好きなボールペンは
直径0.38mm
のゲル・インクのボールペン

ネットで探したら
ノック式のものになっていて
ぼくの使っている型のボールペン自体
製造されてなかったのね。
替え芯を5本くらい買っていたから
気がつかなかったのだけど
ノック式
ぼくは、それ、ダメなんだよね。

まあ、しかし、もう製造していないんだったら
それでがまんするしかない。

どうして
いいものが製造されなくなってしまうんやろか。
不思議やわ。

ときどき
こういうことってある。

なんでやろか。
不思議。

三菱
ゲル・インク・ボールペン
直径0.38mm



「もう、おれとできひんやろ?」と言われて
できるよ、と答えた。
嫌がってるから、という理由を口にはしなかったけど、笑。
ひゃははは。



フィリップ・ラーキンとパーラメント通り。

P・D・ジェイムズの『死の味』に、
フィリップ・ラーキンの詩論が出てきて思いだした。
むかしみたポール・マッカートニーのつくった映画に、
イギリス現代詩人として、じっさいに出てきたのを。
黄金の毛並みの小猿といっしょに。
現代詩人がイギリスではまだ尊敬されているのだと思った。

『死の味』には、ロンドンの通りの名前で、
パーラメント通りというのもあった。
マールボロウ通りというのを、以前に読んだ小説で見た記憶がある。
ロンドンじゅう、タバコの銘柄の通り名だらけなのかな。
それで霧のロンドンって、
あ、ちょっとすべったな、笑。



アンリ・ミショオと小峰慎也

いま、アンリ・ミショオの『詩論断章』(小海永二訳)のページを開くと
いきなり
「私は自分の健康のために書く」
とあって
小峰慎也さんを思い出した。
そいえば
ミショオの「悪魔払いの詩論」からも
小峰さんの詩のお顔がちらりとうかがえそうだ。
「なすべきことの一つは、悪魔払いだ。」
ミショオのこの言葉は
小峰さんのいくつもの詩を思い起こさせる。
ブルブルッ。



詩人の個性

個性と性格について、
ハーバート・リードの「詩人の個性」を読んでいて考えた。
この2分法には乱暴な印象はあるが、
ぼくなりに捉えなおすと、
こういうことかな。
性格は自然に培われていくもので、ほぼ無意識的に形成されたものであり、
あるところから一定不変的であるのに対して、
個性は獲得されていくもので、半ば意志的に獲得されたもので、
つねに可変的なものであり、いくらでも更新できるものだということ。



からっぽが、いっぱい。

ウォレス・スティーヴンズの『理論』(福田陸太郎訳)という詩に
「私は私をかこむものと同じものだ。」とあった。
としら、ぼくは空気か。
まあ、吸ったり吐いたり
しょっちゅうしてるけれど。

ブリア・サヴァラン的に言えば
ぼくは、ぼくが食べた物や飲んだ物からできているのだろうけれど
ヴァレリー的に言えば、ぼくは、ぼくが理解したものと
ぼくが理解しなかったものとからできているのだろう。
それとも、ワイルド的に、こう言うかな。
わたしは、わたし以外のすべての人間からできている、と。
まあ、いずれにしても、なにかからできていると考えたいわけだ。
わけだな。



チェスタトンの言葉。

電車のなかで読んでいたP・D・ジェイムズの
『原罪』下巻に、チェスタトンの言葉が引用されていて
こころに残ったのだけど
つぎのものは、エイズに患っていて、友だちの家にやっかいになりながら
闘病生活をしていた作家が
救急車で運ばれるときのセリフで

「ああ、ぼくは大丈夫だよ。ようやく大丈夫になるさ。
 心配しないでくれ。それから見舞いには来ないで。
 G・K・チェスタートンの言葉にこういうのがあっただろう。
 "人生を決して信用せず、かつ人生を愛することを学ばねばならない"。
 ぼくはとうとう学べなかった」(157ページ下段、青木久恵訳)

隣に坐った30代くらいの小太りのスーツ姿の男性が
そのひとの娘だろうね
携帯の画像をつぎつぎと変えていくのを眺めながら
ああ、このひともチャーミングだし
画像に映ったさまざまな表情の幼い女の子の笑顔もかわいらしいし
世界はまだまだすてきだなあと
ぼくも、こころおだやかになっていった。
世界は、そんなにおぞましいものでもなく
汚らしいものでもないということを、あらためて思った。
昼には、東寺にある「時代蔵(じだいや)」というところで天丼を食べた。
おいしかった。
人間であることの喜びのひとつね。
おいしかったと言えることは。
ところで、うえのチェスタトンの言葉、
ぼくには、ひっかかるところがあって
それで孫引きしたのだけれど
人生も信用していいものだし
人間に関することは
人間そのものも含めて
すべて愛する対象として
もっとも価値あるものだとも思ってるんだけど
学ぶことで
愛することができるわけではないのではないかなって
いや
学んだかな。
深く理解するということで
さまざまな状況を
さまざまな状況にいるひとに対して理解を持つということで
いとしく思うことにいたったわけだから
学んだのかもしれない。
しかし、「人生を信用せず」は、ないと思う。
「たとえ裏切られることがあろうとも、人生に信を置き」
なんじゃないかな。
そう思った。


ぼくたちの幼いセックス。

いつまでも
幼いぼくたちのセックス。
愛ではなく
快楽に引き起こされた
ぼくたちの幼いセックス。
愛のない
快楽だけのセックス。
でも、それでいいのだとも思う。
愛にはセックスはいらないのだから。
ぼくたちの幼いセックス。
愛ではなく
愛だという思い込みによる
ぼくたちの幼いセックス。
美しかったし
楽しかったし
のちには甘美な思い出となった
なにものにも代えがたい
体験だった。
「詩よりもずっと大切なこと」と、「ぼくたちの幼いセックス」について書いた。
この2つのことは、これまでのぼくの作品の主要なテーマだったし、
これからもそうだと思う。
夜の風が冷たかった。
ぼくの頬に触れる彼の指はもっと冷たかった。
彼はけっして愛しているとは言わなかった。
ぼくもまた。
ぼくが彼を思い出すように、
彼もまた、ぼくのことを思い出してくれているのだろうか。
10日後に、まったく抒情的ではない作品を書く予定。
ぼくはなんて矛盾してるんだろう。
愛から、ぼくほど遠い人間はいないかもしれない。
愛したいのに、愛する愛し方を知らないのだ。
ぼくもまた、彼を愛してるとは言わなかった。
いつも、「好きだよ。」としか言わなかった。
彼もまた。
彼といっしょにすわった駅の入り口の石畳。
手を触れて街を歩くひとを見つめてた若かったぼくたち。
口づけするのに夢中で、何時間も口づけし合ったぼくたち。
30年近く前の瞬間という時間。
美しい彼は、たくましい彼は、
ぼくを守るようにして横抱きにして、エレベーターに乗って。
二人が見下ろした繁華街を行き交う人々の頭。



詩よりも、ずっと大事なもの。

ぼくは大学院を出て
作家になろうと思って
家を出て、親と縁を切り
がむしゃらに本を読みまくった。
本に書いてあることは、とてもよく勉強になった。
それまで探偵小説やSFしか読んだことがなかったぼくには
外国の詩や、翻訳で読むゲーテやシェイクスピアがおもしろかった。
ぼくが感じたこともない感情を持たせてくれたと思ったし
ぼくが考えたこともないことを考えさせてくれたと思っていた。
でも、30代になり
40代になり、それまでのひととの付き合いで
ひとを信じたり信じられたり
裏切ったり裏切られたりして
それらの詩や本に書いてあったことは
ぼくがすでに感じていたことを言葉にしてあっただけのもので
ぼくがすでに考えたことのあることが言葉にされているものあることに
それをぼくが言葉にできなかったものであることに気がついた。
いまのぼくには、詩や小説に書いてあることよりも
ずっとずっと多くのことを過去の自分の体験から学んでいる。
とりわけ、付き合っていたえいちゃんから学んでいる。
付き合っていたときに彼がぼくのことを大事にしてくれたことから学んでいる。
付き合っていた恋人たちの言葉や表情やしぐさを
いまのぼくは
ぼくの記憶にある、そのときのことを解釈することから学んでいる。
ぼくを誘惑した友だちや先輩や高校の先生や中学の先生から
そのひとたちの表情、微笑み
おずおずとした態度や雰囲気から学んでいる。
一瞬の目配せ、微笑み
ぼくの詩作品は、多くのものが
それらの目配せや微笑みや
とまどい、苦痛、よろこびから
その瞬間瞬間からできているように思っている。
もちろん、たくさん読んだ詩や小説があってこそなんだろうけどね。
才能のあるひとは
たぶん、たくさん読まなくても
人生から、日常から学ぶ能力が十分あるんだろうけれど
ぼくは、どんくさいから。

まだ作品にしていないものを
これから、どのようにして作品にしていくか
ぼくは、ことし50歳になって
あとせいぜい数十年のあいだに、その思い出を
どれだけ書いていくことができるか
っていうと
こころもとない。

詩は
ぼくにとっての詩は
また、そういったものではないものもある。
言語の結びつきをさきぶれに
経験をこえていくもの、こえたもの
それでも経験の後ろ盾によって
その経験があるからこそ
経験をこえることのできるなにものか
目にしたことのない光景
光といったもの
そういった新しいヴィジョンを想起させるものもつくっていると思う。
なぜ、こんなことをこの時間に書いたのだろうか。
自分の作品が理解されることがあまりにないゆえに?
たぶん。
だれもが理解されているわけではないのだろうけれど。
ぼくが愛したひとに。
そして、ぼくを愛したひとに
幸せになってほしい。
駅のターミナルで
ぼくの目をちらっと見たひとにさえ
ぼくは愛に近いものを感じることができるような人間になることができた。
ぼくに嫌悪感をもって意地悪をしてきたひとにも
ぼくを裏切ったり
ぼくをバカにしたりしたひとにも
愛情に近い思いをもつことができるようになった。
ぼくは弱くなったのだろうか。
もしもそうなら
ぼくはもっともっと弱くなりたい。



未成熟。

一瞬の判断で、
そのあと、よくない方向に転ぶことがよくある。
ぼくは、学ぶことがへたくそなのだった。
で、
そのへたくそさが、作品に未成熟さを持たせているのであった。
もちろん、未成熟であるということは、
ぼくという書き手にとっては、ありがたいことである。
きょうも1つ、ミスった。



きょうは、『図書館の掟。』の続篇を考えていた。

他のシリーズでも共有するモチーフで
魂の抽出。
エクトプラズム。
ホオムンクルス。
まず、霊魂分離機の前で、
囚人たちからエクトプラズムを抽出するシーンを考えてた。
魂からエクトプラズムを抽出するシーン。
ガラス瓶に現れる白いエクトプラズム。
囚人たちの苦悶の表情。
魂から、ほとんどエクトプラズムを分離されたあと
しばらくのあいだ気を失っている囚人たち。
完全回復することはできないが
魂の形相が類似の形相を無数の多相世界から再吸収して
魂がエクトプラズムを再生する。
エクトプラズムの抽出を繰り返すと
ゴーレム化する。
ゴーレム化した死刑囚でも呪術に用いられないわけではない。
実験体以外は、人柱に用いる。
どうしてもゴーレム化しない死刑囚は呪術性が高いので
重要な公共施設の人柱に用いられることが多い。
無脳化したクローンは、現実的には、人柱としては、見せかけのうえで供されるだけで
エクトプラズムのない魂には呪術的な力はない。
公共施設は異なる呪術で結界が施されている。
その術も術者の存在も秘密にされている。
准公共施設の人柱にまったく呪術性のない人体が使われているが
准公共施設とは、政治的に重要な場所ではない。
おもに、公務員たちの研修・休養施設である。
摘出された脳は異なる目的に使われる。
人脳計算機に用いられるのだ。
抽出されたエクトプラズムからホムンクルスを複数つくりだすシーン。
小人のホムンクルスたち。



『リチャード二世』を読んで。

おおむかし、一度読んでるんだけど。
この戯曲には、再三、「悲しみ」という言葉が現われる。
おおむかし、一度読んでるんだけど。
重い主題なのだけれど
「悲しみ」という言葉が、これほど頻出すると
なぜかしら、笑けてしまう。
トマス・ライマーが、戯曲『ハムレット』を
「ハンカチの笑劇」と読んだが
『リチャード二世』をそれにちなんで
『「悲しみ」という言葉の笑劇』と読んでみたい。
しかし、つぎのセリフは、考えさせられる。
シェイクスピアがいかに心理学に通じていたのか。
心理学が発見される300年ほども前に。

プッシー それは思いすごしの空想というものです、お妃様。
王妃 そんなものではない、思いすごしの空想は必ず
 なにか悲しみがあって生まれるもの、私のはそうではない。
 私の胸にある悲しみを生んだものは空なるものにすぎない、
 あるいはあるものが私の悲しむ空なるものを生んだのです。
 その悲しみはやがて本物となって私のものとなるだろう。
 それがなにか、なんと呼べばいいか、私にもわからない、
 わかっているのは、名前のない悲しみというにすぎない。
(シェイクスピア『リチャード二世』第二幕・第二場、小田島雄志訳)


つぎの言葉には、笑った。

恥にまみれて生きるがいい、死んでも恥は残るだろう!
  (シェイクスピア『リチャード二世』第二幕・第一場、小田島雄志訳)



ブレイクと、西寺郷太くん

「一瞬のなかにしか、永遠はないのさ。」

と、ノーナ・リーブズの西寺郷太くんは書いてたけれど
ブレイクの有名な詩句が先行してたことを忘れてた。
めっちゃ有名な詩なのにね。
斎藤 勇さんの『英詩概論』に出てて、ああ、そういえば
むかし読んだ詩にあったわ、と思って、本棚を見るも
ブレイクの訳詩は、アンソロジーに収録されていたものしかなく
とてもみじめな気持ちになってしまった。
近いうちに買いに行きます。
あ、ネットで買おうかな。
斎藤さんの本から抜粋。

To see a World in a grain of sand,
And a Heaven in a wild flower,
Hold Infinity in the palm of your hand,
And Eternity in an hour.
(Auguries of Innocence,I-4)

ひと粒の砂に世界を、
野の花に展開を見とめ、
掌(たなごころ)のうちに無限を、
ひと時のうちに永遠をにぎる、

いまから、ネットで検索しようっと。
いっぱいサイトがあって
訳文が載ってた。
こことか



http://www1.odn.ne.jp/~cci32280/PoetBlake.htm

ひとつぶの砂にも世界を
いちりんの野の花にも天国を見
きみのたなごころに無限を
そしてひとときのうちに永遠をとらえる
                  (寿岳文章訳)


きのう、寝る前に感心したもの
Tennyson のもので

'Tis better to have loved and lost
Than never to have loved at all.
(In Memoriam,xxvii)

愛せしことかつてなきよりは、
愛して失えることこそまだしもなれ。(斎藤 勇訳)



ひさびさの出眠時幻覚。物語だった。音声つき。

さいしょのシーンは、夜のレストランを外から見ていた。
ヘリコプターくらいの位置から。
光に満ちた窓の向こう側。
盛装した男女が席についていた。
動いているのはこれから席につこうとしているカップルと
ウェイターだけだった。
嵐だろうか。
突風で夜の街が
引き剥がされでもしたかのように
さまざまなものが持ちあがっていく。

ここで
ぼくの意識がひとりの青年から
もうひとりの青年に移った。

ブルーの海。
太陽がまぶしかった。
ふたりの子どもがいた。
男の子たちは裸で泳いでいた。
とつぜん波が持ちあがり
筒状になった。
父親らしき人物の名前はザックだった。
ザックはふたりの男の子を抱いた。
海が渦巻状になり、その中心に3人がいた。
ザックがひとりの子どもに向かって
「ハーンのようになれ。」
と言って
ひとりずつ
渦の中心から放り投げた。
ザックは渦のなかに飲み込まれた。
ふたりの男の子は
ブルーの海のなかにもぐりながら
一度も浮かぶことなしに
ずんずん岸に向かって泳いでいた。
子どもたちは
ひとりひとり別に泳いでいた。
やがて、子どもたちの身体は少年のそれになり
青年のそれになっていった。
髪も伸びていた。
全裸であることには変わりがない。
ふたりは、白い砂、ブルーの海から上がった。
すると、そこは、山だった。
ヒマラヤだった。
サーベルタイガーがいた。
ふたりの青年が全裸で
サーベルタイガーをあいだに挟んで雪の上を歩いている。
ここで目が覚めた。

はじめ、自分はハーンと呼ばれた青年の目から
上空からレストランのなかを眺めていた。
つぎに、嵐になって、瞬間的に意識が移動して
レストランのなかで食事をしていた青年になって回想していた。
それが海のシーンだったが
レストランのなかにいた青年の名前はわからない。
そして、その青年は、「ザックの教え」という言葉をもって
回想をはじめたのだった。

さいごの海のシーン
山のシーンで
ふたりを眺めていた視点は
だれの視点だったのか、わからない。

ブルーの海のなかで
白い砂地を下に泳ぎつづけていた子どもが
青年になっていくシーンは長かった。
その成長ぶりに気がつくまで
しばらく時間がかかった。
しかし、場面は美しかった。

目が覚めた瞬間に
これは長い物語の一部であると予感した。
それで、記憶が新しいうちにと思って
ここに書いた。

きのう、飲みすぎで
クスリが効かず
半覚醒状態で寝床に入っていたのだった。
何度か時計を見た。
記憶があるのは
5時過ぎ
8時過ぎ
10時半ばころか終わりに
そして、ついさっき。
23という数字。
23分だったのだろう。
「ザックの教え」、「ザックの教え」
と反芻しながら、シーンを忘れないように
頭のなかにもう一度、反復させて
パソコンのスイッチを入れたのだった。



溺れた詩集。

湯船につかりながら詩集を読んでいたのだが
おもしろくなかったので湯船のうえで手を離した。
詩集はもちろん湯のなかに沈んでいったのだが
詩集は沈むまえから溺れ死んでいたのだった。
詩人が言葉のなかで溺れ死んでいたのか
言葉が詩人のなかで溺れ死んでいたのかはわからないけれど。



 夏の蓮(はちす)の花の盛りに、できあがった入道(にゆうどう)の姫宮の
ご持仏の供養(くよう)が催されることになった。
              (紫式部『源氏物語』鈴虫、与謝野晶子訳)

「こんな儀式を、あなたのためにさせる日があろうなどとは予想もしなかっ
たことですよ。これはこれとして来世の蓮(はちす)の花の上では、むつま
じく暮そうと期してください」
  蓮(はちす)葉を同じうてなと契(ちぎ)りおきて
          露の分るる今日ぞ悲しき
 硯(すずり)に筆をぬらして、香染めの宮の扇(おうぎ)へお書きになっ
た。宮が横へ、
  隔(へだ)てなく蓮(はちす)の宿をちぎりても
         君が心やすまじとすらん
 こうお書きになると、
「そんなに私が信用していただけないのだろうか」
 笑いながら院は言っておいでになるのであるが、身にしむものがあるごよ
うすであった。
              (紫式部『源氏物語』鈴虫、与謝野晶子訳)

 数式においては、数と数を記号が結びつけているように見えるが、記号に
よって結びつけられたのは、数と数だけではない。数と人間も結びつけられ
ているのであって、より詳細にみると、数と数を、記号と人間の精神が結び
つけているのであるが、これをまた、べつの見方をすると、数と数が、記号
と人間を結びつけているとも言える。複数の人間が、同じ数式を眺める場合
には、数式がその複数の人間を結びつけるとも考えられる。複数の人間の精
神を、であるが、これは、数式にかぎらず、言葉だって、そうである。言葉
によって、複数の人間の精神が結びつけられる。言葉によって、複数の人間
の体験が結びつけられる。音楽や絵画や映画やスポーツ観戦もそうである。
ひとが、他人の経験を見ることによって、知ることによって、感じることに
よって、自分の人生を生き生きとさせることができるのも、この「結びつけ
る作用」が、言葉や映像にあるからであろう。
 ここのところ、『数式の庭。』に転用しよう。


(…)宮が
  大かたの秋をば憂(う)しと知りにしを
     振り捨てがたき鈴虫の声
と低い声でお言いになった。ひじょうに艶(えん)で若々しくお品がよい。
「なんですって、あなたに恨ませるようなことはなかったはずだ」
と院はお言いになり、
  心もて草の宿りを厭(いと)へども
     なほ鈴虫の声ぞふりせぬ
ともおささやきになった。
              (紫式部『源氏物語』鈴虫、与謝野晶子訳)

「月をながめる夜というものにいつでもさびしくないことはないものだが、
この仲秋(ちゆうしゆう)の月に向かっていると、この世以外の世界のこと
までもいろいろと思われる。亡くなった衛門督(えもんのかみ)はどんな場
合にも思い出される人だが、ことになんの芸術にも造詣(ぞうけい)が深か
ったから、こうした会合にあの人を欠くのは、ものの匂いがこの世になくな
った気がしますね」
とお言いになった院は、ご自身の楽音からも憂(うれ)いが催されるふう
で、涙をこぼしておいでになるのである。
              (紫式部『源氏物語』鈴虫、与謝野晶子訳)

「ものの匂いがこの世になくなった気がします」という比喩、嗅覚障害にな
って、においが感じられなくなったぼくには、身にしむ表現でした。

「今夜は鈴虫の宴で明かそう」
こう六条院は言っておいでになった。
              (紫式部『源氏物語』鈴虫、与謝野晶子訳)

このあとしばらくして、源氏は冷泉院に移動して、つぎの歌を詠んだ。

  月影は同じ雲井に見えながら
     わが宿からの秋ぞ変れる
 このお歌は文学的の価値はともかくも、冷泉院のご在位当時と今日とをお
思いくらべになって、さびしくお思いになる六条院のご実感と見えた。
              (紫式部『源氏物語』鈴虫、与謝野晶子訳)

 同じように見えるものを前にして、自分のなかのなにかが変わっている
ように感じられる、というふうにもとれる。同じもののように見えるものを
目のあたりにすることで、ことさらに、自分のこころのどこかが、以前のも
のとは違ったもののように思える、ということであろうか。あるいは、もっ
とぶっ飛ばしてとらえて考えてもよいのかもしれない。同じものを見ている
ように思っているのだが、じつは、それがまったく異なるものであることに
ふと気がついた、とでも。というのも、それを眺めている自分が変っている
はずなので、同じに見えるということは、それが違ったものであるからであ
る、というふうに。
 この巻の感想の終わりに、源氏の言葉を引用しよう。

「(…)年のいくのとさかさまにますます濃くなる昔の思い出に(…)」
              (紫式部『源氏物語』鈴虫、与謝野晶子訳)

ウラタロウさんのコメント

宏輔さんの言葉が、触媒のような、カレイドスコープの覗き穴のような感じ。

ぼくのお返事

コメントくださり、ありがとうございました。
そうおっしゃっていただけて、とてもうれしい。
ぼくも楽しんで『源氏物語』を読んでいます。
さいしょはバカにして読んでましたけれど
いまは感心することしきりです。
原文も買っていますので
晶子訳を読み終わったら原文対照で
読み直そうかなって思っています。
英訳も持っているので
英語訳も使いながらも楽しそうですね。
いろいろやってみたいです。

ふたたび、ウラタロウさんのコメント

各種訳もくわわるとさらに、捉えられないほどめくるめくことになりそうですね。

ふたたび、ぼくのお返事

さ来年には、とりかかろうかなと思っています。
生きていればですが、笑。



緑がたまらん。

えっ、なに?
と言って、えいちゃんの顔を見ると
ぼくの坐ってるすぐ後ろのテーブル席に目をやった。
ぼくもつい振り返って見てしまった。
柴田さんという68歳になられた方が
若い女性とおしゃべりなさっていたのだけれど
その柴田さんがあざやかな緑のシャツを着てらっしゃってて
その緑のことだとすぐに了解して
えいちゃんの顔を見ると
「あの緑がたまらんわ〜。」
と。
笑ってしまった。
えいちゃんは、ぜんぜん内緒話ができない人で
たとえば、ぼくのすぐ横にいる客のことなんかも
「あ〜、もう、うっとしい。
 はよ帰れ。」
とか平気で言う人で
だから、ぼくは、えいちゃんのことが大好きなのだけれど
きのうも、ぜったい柴田さんにも聞こえていたと思う、笑。
ぼくはカウンター席の奥の端に坐っていたのだけれど
しばらくして、八雲さんという雑誌記者の人が入ってきて
入口近くのカウンター席に坐った。
何度か話をしたことがあって
腕とか日に焼けてたので
「焼けてますね。」
と言うと
「四国に行ってました。
 ずっとバイクで動いてましたからね。」
「なんの取材ですか?」
「包丁です。
 高松で、包丁をといでらっしゃる横で
 ずっとインタビューしてました。
 あ
 うつぼを食べましたよ。
 おいしかったですよ。」
「うつぼって
 あの蛇みたいな魚ですよね。」
「そうです。
 たたきでいただきました。
 おいしかったですよ。」
「ふつうは食べませんよね。」
「数が獲れませんから。」
「見た目が怖い魚ですね。
 じっさいはどうなんでしょう?
 くねくね、蛇みたいに動くんでしょうか?」
「うつぼは
 底に沈んでじっとしている魚で
 獰猛な魚ですよ。
 毒も持ってますしね。
 近くに寄ったら、がっと動きます。
 ふだんはじっとしてます。」
「じっとしているのに、獰猛なんですか?」
「ひらめも、そうですよ。
 ふだんは、底にじっとしてます。」
「どんな味でしたか?」
「白身のあっさりした味でした。」
「ああ、動かないから白身なんですね。」
「そうですよ。」
話の途中で、柴田さんがぼくの肩に触れられて
「一杯、いかがです?」
「はい?」
と言ってお顔を見上げると
陽気な感じの笑顔でニコニコなさっていて
「この人、なんべんか見てて
 おとなしい人やと思っってたんやけど
 この人に一杯、あげて。」
と、マスターとバイトの女の子に。
マスターと女の子の表情を見てすかさず
「よろしんですか?」
とぼくが言うと
「もちろん、飲んでやって。
 きみ、男前やなあ。」
と言ってから、連れの女性に
「この人、なんべんか合うてんねんけど
 わしが来てるときには、いっつも来てるんや。
 で、いっつも、おとなしく飲んでて
 ええ感じや思ってたんや。」
と説明、笑。
「田中といいます、よろしくお願いします。」
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
みたいなやりとりをして、焼酎を一杯ごちになった。
えいちゃんと、八雲さんと、バイトの女の子に
「朝さあ。
 西院のパン屋さんで
 モーニング・セット食べてたら
 目の前をバカボン・パパみたいな顔をしたサラリーマンの人が
 まあ、40歳くらいかな
 その人がセルフサービスの水をグラスに入れるために
 ぼくの目の前を通ったのだけれど
 その人が、ぼくの隣の隣のテーブルで
 本を読みだしたのだけれど
 その表紙にあったタイトルを見て
 へえ?
 って思った。
 『完全犯罪』ってタイトルの小説で
 小林泰三って作者のものだったかな。
 写真の表紙なんだけど
 単行本だろうね。
 タイトルが、わりと大きめに書かれてあって
 『完全犯罪』
 で、ぼくの読んでたのが
 P・D・ジェイムズの『ある殺意』だったから
 なんだかなあって。
 隣に坐ってたおばさんの文庫本には
 書店でかけた紙のカバーがかかっていて
 タイトルがわからなかったけれど
 ふと、こんなこと思っちゃった。
 朝から、おだやかな顔をして
 みんなの読んでるものが物騒って
 なんだか、おもしろいって。」
「隣のおばさんの読んでらっしゃった本のタイトルがわかれば
 もっとおもしろかったでしょうね。」
と、バイトの女の子。
「そうね。
 恋愛ものでもね。」
と言って笑った。
緑がたまらん柴田さんが
「横にきいひんか?」
とおっしゃったので、柴田さんの坐ってらっしゃったテーブル席に移動すると
マスターが
「田中さんて、きれいなこころしてはってね。
 詩を書いておられるんですよ。
 このあいだ、この詩集をいただきました。」
と言って、柴田さんに、ぼくの詩集を手渡されて
すると
柴田さん、一万円札を出されて
「これ、買うわ。
 ええやろ。」
と、おっしゃったので
「こちらにサラのものがありますし。」
と言って、ぼくは、自分のリュックのなかから
詩集を出して見せると
マスターが受け取った一万円を崩してくださってて
「これで、お買いになられるでしょう。」
と言ってくださり
ぼくは、柴田さんに2500円、いただきました、笑。
「つぎに、この子の店に行くんやけど
 いっしょに行かへんか?」
「いえ、もう、だいぶ、酔ってますので。」
「そうか。
 ほなら、またな。」
すごくあっさりした方なので、こころに、なにも残らなくて。
で、しばらくすると
柴田さんが帰られて
ふたたび、カウンター席に戻って
八雲さんとかとしゃべったのだけれど
その前に、フランス人の観光客が2人入ってきて
若い男性二人だったのだけれど
柴田さん、その二人に英語で話しかけられて
バイトの女の子もイスラエルに半年留学してたような子で
突然、国際的な感じになったのだけれど
えいちゃんが、柴田さんの積極的な雰囲気見て
「すごい好奇心やね。」
って。
ぼくもそう思ってたから、こくん、とうなずいた。
女性にも関心が強くって
人生の一瞬一瞬をすべて楽しんでらっしゃる感じだった。
柴田さん、有名人でだれか似てるひとがいたなあって思ってたら
これを書いてるときに思いだした。
増田キートンだった。
八雲さんが
「犬を集めるのに
 みみずをつぶしてかわかしたものを使うんですよ。
 ものすごく臭くって
 それに酔うんです。
 もうたまらんって感じでね。」
「犬もたまらんのや。」
と、えいちゃん。
「うつぼって、どうして普及しないのですか?」
と言うと
「獲れないからですよ。
 偶然、網にかかったものを
 地元で食べるだけです。」
めずらしい食べ物の話が連続して出てきて
その動物を獲る方法について話してて
うなぎを獲る「もんどり」という仕掛けに
サンショウウオの話で
「鮎のくさったものを使うんですよ。」
という話が出たとき
また、えいちゃんが
「サンショウウオもたまらんねんなあ。」
と言うので
「きょう、えいちゃん、たまらんって、3回、口にしたで。」
ぼくが指摘すると
「気がつかんかった。」
「たまらんって、語源はなんやろ?」
と言うと
八雲さんが
「たまらない、
 こたえられない。
 十分であるということかな。」
ぼくには、その説明、わからなくって
「たまらない。
 もっと、もっと。
 って気持ち。
 いや、十分なんだけど
 もっと、もっとね。」
ここで、ぼくは自分の詩に使った
もっとたくさん。
もうたくさん。
のフレーズを思い出した。
八雲さんの話だと
サンショウウオは蛙のような味だとか。
知らん。
どっちとも食べたことないから。
「あの緑がたまらん。」
ぼくには、えいちゃんの笑顔がたまらんのやけど、笑。
そうそう。
おばさんっていうと

モーニング・セットを食べてるパン屋さんで
かならず見かけるおばさんがいてね。
ある朝
ああ、きょうも来てはるんや
思って
学校に行って
仕事して
帰ってきて
西院の王将に入って定食注文したの
そしたら
横に坐って
晩ごはん食べてはったのね。
びっくりしたわ〜。
人間の視界って
180度じゃないでしょ。
それよりちょっと狭いかな。
だけど
横が見えるでしょ。
目の端に。
意識は前方中心だけど。
意識の端にひっかかるっていうのかな。
かすかにね。
で、横を向いたら
そのおばさん。
ほんと、びっくりした。
でも、そのおばさん
ぜったい、ぼくと目を合わせないの。
いままで一回も
目が合ったことないの。
この話を、えいちゃんや、八雲さんや、バイトの女の子にしてたんだけど
バイトの子が
「いや、ぜったい気づいてはりますよ。
 気づいてはって、逆に、気づいてないふりしてはるんですよ。」
って言うのだけど
人間って、そんなに複雑かなあ。

このバイトの子
静岡の子でね。
ぬえ
って化け物の話が出たときに
ぬえって鳥みたいって言うから
「ぬえって、四つ足の獣みたいな感じじゃなかったかな?」
って、ぼくが言うと
八雲さんが
「二つの説があるんですよ。
 鳥の化け物と
 四足の獣の身体にヒヒの顔がついてるのと。
 で、そのヒヒの顔が
 大阪府のマークになってるんですよ。」
「へえ。」
って、ぼくと、えいちゃんと、バイトの子が声をそろえて言った。
なんでも知ってる八雲さんだと思った。
ぬえね。
京都と静岡では違うのか。
それじゃあ
いろんなことが
いろんな場所で違ってるんやろうなって思った。
あたりまえか。
あたりまえなのかな?
わからん。
でも、じっさい、そうなんやろね。



音。

その音は
テーブルの上からころげ落ちると
部屋の隅にはしって
いったん立ちどまって
ブンとふくれると
大きな音になって
部屋の隅から隅へところがりはじめ
どんどん大きくなって
頭ぐらいの大きさになって
ぼくの顔にむかって
飛びかかってきた



音。

左手から右手へ
右手から左手に音をうつす
それを繰り返すと
やがて
音のほうから移動する
右手のうえにあった音が
左手の手のひらをのばすと
右手の手のひらのうえから
左手の手のひらのうえに移動する
ふたつの手を離したり
近づけたりして
音が移動するさまを楽しむ
友だちに
ほらと言って音をわたすと
友だちの手のひらのうえで
音が移動する
ぼくと友だちの手のひらのうえで
音が移動する
ぼくたちが手をいろいろ動かして
音と遊んでいると
ほかのひとたちも
ぼくたちといっしょに
手のひらをひろげて
音と戯れる
音も
たくさんのひとたちの手のひらのうえを移動する
みんな夢中になって
音と戯れる
音もおもしろがって
たくさんのひとたちの手のひらのうえを移動する
驚きと笑いに満ちた顔たち
音と同じようにはずむ息と息
たったひとつの音と
ただぼくたちの手のひらがあるだけなのに。



それぞれの世界。

ぼくたちは
前足をそろえて
テーブルの上に置いて
口をモグモグさせながら
店のなかの牧草を見ていた。
ふと、彼女は
すりばち状のきゅう歯を動かすのをやめ
たっぷりとよだれをテーブルのうえに落としながら
モーと鳴いた。
「もう?」
「もう。」
「もう?」
「もう!」
となりのテーブルでは
別のカップルが
コケー、コココココココ
コケーっと鳴き合っていた。
ぼくたちは
前足をおろして
牧草地から
街のなかへと
となりのカップルも
おとなしくなって
えさ場から
街のなかへと
それぞれの街のなかに戻って行った。



敵だと思っている
前の職場のやつらと仲直りして
部屋飲みしていた。
膝が痛いので
きょうは雨だなと言うと
やつらのひとりに
もう降っているよと言われて
窓を開けたら
雨が降っていたしみがアスファルトに。
でも雨は降っていなかった。
膝の痛みをやわらげるために
膝をさすっていると
目が覚めた。
窓を開けると
いまにも降りそうだった。
この日記を書いている途中で
ゆるく雨の降る音がしてきた。



文法。

わたしは文法である。
言葉は、わたしの規則に従って配列しなければならない。
言葉はわたしの規則どおりに並んでいなければならない。
文法も法である。
したがって抜け道もたくさんあるし
そもそも法に従わない言葉もある。

また、時代と場所が変われば、法も違ったものになる。
また、その法に従うもの自体が異なるものであったりするのである。
すべてが変化する。
文法も法である。
したがって、時代や状況に合わなくなってくることもある。
そういう場合は改正されることになる。

しかし、法のなかの法である憲法にあたる
文法のなかの文法は、言葉を発する者の生のままの声である。
生のままの声のまえでは、いかなる文法も沈黙せねばならない。
超法規的な事例があるように
文法から逸脱した言葉の配列がゆるされることもあるが
それがゆるされるのはごくまれで
ことのほか、それがうつくしいものであるか
緊急事態に発せられるもの
あるいは無意識に発せられたと見做されたものに限る。
たとえば、詩、小説、戯曲、夢、死のまえのうわごとなどがそれにあたる。



フローベールの『紋切型辞典』(小倉孝誠訳)を読んでいて、いろいろ思ったことをメモしまくった。そのうち、きょう振り返っても、書いてみたいと思ったものを以下に書きつけておく。

印刷された の項に

「自分の名前が印刷物に載るのを目にする喜び!」

とあった。

1989年の8月号から1990年の12月号まで、自分の投稿した詩がユリイカの投稿欄に載ったのだが、自分の名前が載るのを目にする喜びはたしかにあった。いまでも印刷物に載っている自分の名前を見ると、うれしい気持ちだ。しかし、よりうれしいのは、自分の作品が印刷されていることで、それを目にする喜びは、自分の名前を目にする喜びよりも大きい。ユリイカに載った自分の投稿した詩を、その号が出た日にユリイカを買ったときなどは、自分の詩を20回くらい繰り返し読んだものだった。このことを、ユリイカの新人に選ばれた1991年に、東京に行ったときに、ユリイカの編集部に訪れたのだが、より詳細に書けば、編集部のあるビルの1階の喫茶店で、そのときの編集長である歌田明弘さんに話したら、「ええ? 変わってらっしゃいますね。」と言われた。気に入った曲を繰り返し何回も聴くぼくには、ぜんぜん不思議なことではなかったのだが。ネットで、自分の名前をしじゅう検索している。自分のことが書かれているのを見るのは楽しいことが多いけれど、ときどき、ムカっとするようなことが書かれていたりして、不愉快になることがある。しかし、自分と同姓同名のひとも何人かいるようで、そういうひとのことを考えると、そういうひとに迷惑になっていないかなと思うことがある。しかし、自分と同姓同名のひとの情報を見るのは、べつに楽しいことではない。だから、たぶん、自分と同姓同名の別人の名前を見ても、たとえ、自分の名前と同じでも、あまりうれしくないのではないだろうか。自分の名前が印刷物に載っているのを見ることが、つねに喜びを与えてくれるものであるとは限らないのではないだろうか。


譲歩[concession] 絶対にしてはならない。譲歩したせいでルイ十六世は破滅した。

と書いてあった。

 芸術でも、もちろん、文学でも、そうだと思う。ユリイカに投稿していた
とき、ぼくは、自分が書いたものをすべて送っていた。月に、20〜30作。
選者がどんなものを選ぶのかなんてことは知ったことではなかった。
そもそも、ぼくは、詩などほとんど読んだこともなかったのだった。
新潮文庫から出てるよく名前の知られた詩人のものか
堀口大學の『月下の一群』くらいしか読んでなかったのだ。
それでも、自分の書くものが、まだだれも書いたことのないものであると
当時は思い込んでいたのだった。
譲歩してはならない。
芸術家は、だれの言葉にも耳を貸してはならない。
自分の内心の声だけにしたがってつくらなければならない。
いまでも、ぼくは、そう思っている。
それで、無視されてもかまわない。
それで破滅してもかまわない。
むしろ、無視され、破滅することが
ぼくにとっては、芸術家そのもののイメージなのである。


男色 の項に

「すべての男性がある程度の年齢になるとかかる病気。」

とあった。

 老人になると、異性愛者でも、同性に性的な関心を寄せると、心理学の本で読んだことがある。
 こだわりがなくなっただけじゃないの、と、ぼくなどは思うのだけれど。でも、もしも、老人になると、というところだけを特徴的にとらえたら、生粋の同性愛者って、子どものときから老人ってことになるね。どだろ。


問い[question] 問いを発することは、すなわちそれを解決するに等しい。

とあった。古くから言われてたんだね。


都市の役人 の項に

「道の舗装をめぐって、彼らを激しく非難すべし。──役人はいったい何を考えているのだ?」

とあった。

これまた、古くからあったのね。国が違い、時代が違っても、役人のすることは変わらないってわけか。
 でも、ほかの分野の人間も、国が違っても、時代が違っても、似たようなことしてるかもね。治世者、警官、農民、物書き、大人、子ども、男、女。


比喩[images] 詩にはいつでも多すぎる。

とあった。

 さいきん、比喩らしい比喩を使ってないなあと思った。でも、そのあとで、ふと、はたして、そうだったかしらと思った。
 ペルシャの詩人、ルーミーの言葉を思い出したからである。ルーミーの講演が終わったあと、聴衆のひとりが、ルーミーに、「あなたの話は比喩だらけだ。」と言ったところ、ルーミーが、こう言い返したのだというのだ。
「おまえそのものが比喩なのだ。」と。
そういえば、イエス・キリストも、こんなことを言ってたと書いてあった。
「わたしはすべてを比喩で語る。」と。
言葉そのものが比喩であると言った詩人もいたかな。どだろ。


分[minute] 「一分がどんなに長いものか、ひとは気づいていない。」

とあった。

 そんなことはないね。齢をとれば、瞬間瞬間がどれだけ大事かわかるものね。その瞬間が二度とふたたび自分のまえに立ち現われることがないということが、痛いほどわかっているのだもの。それでも、人間は、その瞬間というものを、自分の思ったように、思いどおりに過ごすことが難しいものなのだろうけれど。悔いのないように生きようと思うのだけれど、悔いばかりが残ってしまう。ああ、よくやったなあ、という気持ちを持つことはまれだ。まあ、それが人生なのだろうけれど。
 ノブユキとのこと。エイジくんとのこと。タカヒロとのこと。中国人青年とのこと。名前を忘れた子とのこと。名前を聞きもしなかった子とのことが、何度も何度も思い出される。楽しかったこと、こころに残ったさまざまな思い出。



2010年11月18日のメモ

人生においては
快適に眠ることより重要なことはなにもない。
わたしにとっては、だが。



2010年11月19日のメモ 

無意識層の記憶たちが
肉体のそこここのすきまに姿を消していくと
空っぽの肉体に
外界の時間と場所が接触し
肉体の目をさまさせる。
目があいた瞬間に
世界が肉体のなかに流れ込んでくる。
肉体は世界でいっぱいになってから
ようやく、わたしや、あなたになる。
けさ、わたしの肉体に流れ込んできた世界は
少々、混乱していたようだった。
病院に予約の電話を入れたのだが
曜日が違っていたのだった。
きょうは金曜日ではなくて
休診日の木曜日だったのだ。
金曜日だと思い込んでいたのだった。
それとも、わたしのなかに流れ込んできた世界は
あなたに流れ込むはずだったものであったのだろうか。
それとも、理屈から言えば、地球の裏側にいるひと、
曜日の異なる国にいるひとのところに流れ込むはずだった世界だったのだろうか。



2010年11月19日のメモ 

考えたこともないことが
ふと思い浮かぶことがある。
自分のこころにあるものをすべて知っているわけではないことがわる。
いったい、どれだけたくさんのことを知らずにいるのだろうか。
自分が知らないうちに知っていることを。



カラオケでは、だれが、いちばん誇らしいのか?

あたしが歌おうと思ってたら
つぎの順番だった同僚がマイクをもって歌い出したの。
なぜかしら?
あたしの手元にマイクはあったし
あたしがリクエストした曲だったし
なんと言っても
順番は、あたしだったのに。
なぜかしら?
機嫌よさげに歌ってる同僚の足もとを見ると
ヒールを脱いでたから
こっそりビールを流し入れてやったわ。
「これで、きょうのカラオケは終わりね。」
なぜかしら?
アララットの頂では
縄で縛りあげられた箱舟が
その長い首を糸杉の枝にぶら下げて
「会計は?」
あたしじゃないわよ。
海景はすばらしく
同僚のヒールも死海に溺れて
不愉快そうな顔を、あたしに向けて
「あたしじゃないわよ。」
みんなの視線が痛かった。
「なぜかしら?」
ゆっくり話し合うべきだったのかしら?
「だれかが、あたしを読んでいる。」



かつて人間だったウーピー・ウーパー

マイミクのえいちゃんの日記に

帰ってまた

ってタイトルで

食べてしまったサラダとご飯と豚汁と ヨモギ団子1本あかんな〜 ついつい食べてまうわ でも 幸せやで皆もたまにはガッツリ食べようね
帰りに考えてた ウーパールーパーに似てるって昔いわれた 可愛いさわ認めるけど 見た目は認めないもんね でも こないだテレビでウーパーを食べてたなんか複雑やったなやっぱり認めるかな 俺似てないよねどう思いますか? 素直によろしくお願いします

って、あったから

似てないよ。
目元がくっきりしてるだけやん。

って書いたんだけど、あとで気がついて

ウーピー・ゴールドマンと間違えてた。
動物のほうか。
かわいらしさが共通してるかな。
共通してると似てるは違うよ。

って書き足したんだけど、そしたら、えいちゃんから返事があって

間違えないで。 ウーピー食べれないでしょ 。間違うのあっちゃんらしいね。
目はウーピー・ゴールドマンに似てるんや。 これまた、 複雑やわ。 ありがとう。

って。なんか、めっちゃおもしろかったから、ここにコピペした。
えいちゃん、ごめりんこ。

ちなみに、えいちゃんの日記やコメントにある絵文字は、コピペできんかった。
どういうわけで?
わからん。
なぜだ?
なぜかしらねえ。

「みんなの病気が治したくて」 by ナウシカ



捨てなさい。

というタイトルで、寝るまえに
なにか書こうと思った。
これから横になりながら
ルーズリーフ作業を。
なにをしとったんじゃ、おまえは!
って感じ。
だらしないなあ、ぼくは。
だって、おもしろいこと、蟻すぎなんだもの。

追記 2010年11月20日11時02〜14分
   なにも思いつかなかったので、俳句もどきのもの、即席で書いた。

捨ててもまた買っちゃったりする古本かな
なにもかもありすぎる捨てるものなしの国
あのひとはトイレで音だけ捨てる癖がある
目がかゆい目がかゆいこれは人を捨てた罰
捨て台詞誰も拾う者なし拾う者なし者なし
右の手が悪いことをすれば右の手を捨てよ



おじいちゃんの秘密。

たいてい、ゾウを着る。
ときどき、サルを着る。
ときには、キリンを着る。
おじいちゃんの仕事は
動物園だ。
だれにも言っちゃダメだよって言ってた。
たま〜に、空を着て鳥を飛んだり

鳥を着て空を飛んだりすることもある
って言ってた。
動物園の仕事って
たいへんだけど
楽しいよ
って言ってた。
でも、だれにも言っちゃダメだよって言ってた。
言ったらダメだよって言われたら
よけいに言いたくなるのにね。
きのう、ぶよぶよした白いものが
おじいちゃんを着るところを見てしまった。
博物館にいるミイラみたいだったおじいちゃんが
とつぜん、いつものおじいちゃんになってた。
おじいちゃんと目が合った。
どれぐらいのあいだ見つめ合ってたのか
わからないけれど
おじいちゃんは
杖を着たぼくを手に握ると
部屋を出た。



蝶を見なくなった。

それは季節ではない。
季節ならば
あらゆる季節が
ぼくのなかにあるのだから。

それは道ではない。
道ならば
あらゆる道が
ぼくのなかにあるのだから。

それは出合いではない。
出合いならば
あらゆる出合いが
ぼくのなかにあるのだから。



蝶。

それは偶然ではない。
偶然ならば
あらゆる偶然が
ぼくのなかにあるのだから。



「わたしの蝶。」と、きみは言う。

ぼくは言わない。



蝶。

花に蝶をとめたものが蜜ならば
ぼくをきみにとめたものはなんだったのか。

蝶が花から花へとうつろうのは蜜のため。
ぼくをうつろわせたものはなんだったのだろう。

花は知っていた、蝶が蜜をもとめることを。
きみは知っていたのか、ぼくがなにをもとめていたのか。

蝶は蜜に飽きることを知らない。
きみのいっさいが、ぼくをよろこばせた。

蝶は蜜がなくなっても、花のもとにとどまっただろうか。
ときが去ったのか、ぼくたちが去ったのか。

蜜に香りがなければ、蝶は花を見つけられなかっただろう。
もしも、あのとき、きみが微笑まなかったら。



蝶。

おぼえているかい。
かつて、きみをよろこばせるために
野に花を咲かせ
蝶をとまらせたことを。

わすれてしまったかい。
かつて、きみをよろこばせるために
海をつくり
渚で波に手を振らせていたことを。

ぼくには、どんなことだってできた。
きみをよろこばせるためだったら。
ぼくにできなかったのは、ただひとつ
きみをぼくのそばにいさせつづけることだけだった。



蝶。

きみは手をあげて
蝶を空中でとめてみせた。

それとも、蝶が
きみの手をとめたのか。

静止した時間と空間のなかでは
どちらにも見える。

その時間と空間をほどくのは
この言葉を目にした読み手のこころ次第である。



蝶。

蝶の翅ばたきが、あらゆる時間をつくり、空間をつくり、出来事をつくる。
それが間違っていると証明することは、だれにもできないだろう。



蝶。

ぼくが、ぼくのことを「蝶である。」と書いたとき
ぼくのことを「蝶である。」と思わせるのは
ぼくの「ぼくは蝶である。」という言葉だけではない。
ぼく「ぼくが蝶である。」という言葉を目にした読み手のこころもある。
ぼくが読み手に向かって、「あなたは蝶である。」と書いたとき
読み手が自分のことを「わたしは蝶である。」という気持ちになるのも
やはり、ぼくの言葉と読み手のこころ自体がそう思わせるからである。
ぼくが、作品の登場人物に、「彼女は蝶である。」と述べさせると
読みのこころのなかに、「彼女は蝶である。」という気持ちが起こるとき
ぼくの言葉と読み手のこころが、そう思わせているのだろうけれど
ぼくの作品の登場人物である「彼女は蝶である。」と述べた架空の人物も
「蝶である。」と言わしめた、これまた架空の人物である「彼女」も
「彼女は蝶である。」と思わせる起因をこしらえていないだろうか。
そういった人物だけでなく、ぼくが書いた情景や事物・事象も
「彼女は蝶である。」と思わせることに寄与していないだろうか。
ぼくは、自分の書いた作品で、ということで、いままで語ってきた。
「自分の書いた作品で」という言葉をはずして
人間が人間に語るとき、と言い換えてもよい。
人間が自分ひとりで考えるとき、と言い換えてもいい。
いったい、「あるもの」が「あるもの」である、と思わせるのは
弁別される個別の事物・事象だけであるということがあるであろうか。
考えられるすべてのことが、「あらゆるもの」をあらしめているように思われる。
考つくことのできないものまでもが寄与しているとも考えているのだが
それを証明することは不可能である。
考えつくことのできないものも含めて「すべての」と言いたいし
言うべきだと思っているのだが
この「すべての」という言葉が不可能にさせているのである。
この限界を突破することはできるだろうか。
わからない。
表現を鍛錬してその限界のそばまで行き、その限界の幅を拡げることしかできないだろう。
しかも、それさえも困難な道で、その道に至ることに一生をささげても
よほどの才能の持ち主でも、報われることはほとんどないだろう。
しかし、挑戦することには、大いに魅力を感じる。
それが「文学の根幹に属すること」だと思われるからだ。
怠れない。
こころして生きよ。



蝶。

蝶を見なくなった。
「それは蝶ではない。」
あっ、ちょう。



友だちの役に立てるって、ええやん。友だちの役に立ったら、うれしいやん。

むかし付き合った男の子で
友だちから相談をうけてねって
ちょっとうっとうしいニュアンスで話したときに
「友だちの役に立てるって、ええやん。」
「友だちの役に立ったら、うれしいやん。」
と言ってたことを思い出した。
ああ
この子は
打算だとか見返りを求めない子なのね
自分が損するばかりでイヤだなあ
とかといった思いをしないタイプの人間なんだなって思った。
ちょっとヤンキーぽくって
バカっぽかったのだけれど、笑。
ぼくは見かけが、賢そうな子がダメで
バカっぽくなければ魅力を感じないんやけど
ほんとのバカはだめで
その子もけっしてバカじゃなかった。
顔はおバカって感じだったけど。

本当の親切とは
親切にするなどとは
考えもせずに
行われるものだ。
           (老子)



つぎの詩集に収録する詩を読み直してたら、西寺郷太ちゃんの名前を間違えてた。

『The Things We Do For Love。』を読み直してたら
郷太ちゃんの「ゴー」を「豪」にしてた。
気がついてよかった。
ツイッターでフォローしてくれてるんだけど
ノーナ・リーブズのリーダーで
いまの日本で、ぼくの知るかぎりでは、唯一の天才作曲家で
声もすばらしい。
ところで数ヶ月前
某所である青年に出会い
「もしかして、きみ、西寺郷太くん?」
ってたずねたことがあって
メイクラブしたあと
そのあとお好み焼き屋でお酒も飲んだのだけれど
ああ
これは、ヒロくんパターンね
彼も作曲家だった。
西寺郷太そっくりで
彼と出会ってすぐに
郷太ちゃんのほうから
ツイッターをフォローしてくれたので
いまだに、それを疑ってるんだけど
「違います。」
って、言われて、でも
そっくりだった。
違うんだろうけれどね。
話を聞くと
福岡に行ってたらしいから。
ちょっと前まで。
福岡の話は面白かった。
フンドシ・バーで
「フンドシになって。」
って店のマスターに言われて
なったら、まわりじゅうからお酒がふるまわれて
それで、ベロンベロンになって酔ったら
さわりまくられて、裸にされたって。
手足を振り回して暴れまくったって。
たしかにはげしい気性をしてそうだった。
ぼくに
「芸術家だったら、売れなきゃいけません。」
「田中さんをけなす人がいたら、
 そのひとは田中さんを宣伝してくれてるんですよ。
 そうでしょ? そう考えられませんか?」
ぼくよりずっと若いのに、賢いことを言うなあって思った。
ひとつ目の言葉には納得できないけど。
26歳か。
CMの曲を書いたり
バンド活動もしてるって言ってたなあ。
CMはコンペだって。
コンペって聞くと、うへ〜って思っちゃう。
芸術のわからないクズのような連中が
うるさく言う感じ。
そうそう
作曲家っていえば
むかし付き合ってたタンタンも有名なアーティストの曲を書いていた。
聞いてびっくりした。
シンガーソングライターってことになってる連中の
多くがゴーストライターを持ってるなんてね。
ひどい話だ。
ぼくの耳には、タンタンの曲は、どれも同じように聞こえたけど。
そういえば
CMで流れていた
伊藤ハムかな
あの太い声は印象的だった。
そのR&Bを歌っていた歌手とも付き合ってたけれど
後輩から言い寄られて困ったって言ってたけど
カミングアウトしたらいいのに。
「きみはタイプじゃないよ。」って。
もっとラフに生きればいのに。
タンタンどうしてるだろ。



アメリカ。

ノブユキ
「しょうもない人生してる。」
何年ぶりやろか。
「すぐにわかった?」
「わかった。」
「そしたら、なんで避けたん?」
「相方といっしょにきてるから。」
アメリカ。
ぼくが28歳で
ノブユキは20歳やったやろうか。
はじめて会ったとき
ぼくが手をにぎったら
その手を振り払って
もう一度、手をにぎったら、にぎり返してきた。
「5年ぶり?」
「それぐらいかな。」
シアトルの大学にいたノブユキと
付き合ってた3年くらいのことが
きょう、日知庵から帰る途中
西大路松原から見た
月の光が思い出させてくれた。
アメリカ。
「ごめんね。」
「いいよ。ノブユキが幸せやったらええんよ。」
「ごめんね。」
「いいよ、ノブユキが幸せやったらええんよ。」
アメリカ。
ノブちん。
「しょうもない人生してる。」
「どこがしょうもないねん?」
西大路松原から見た
月の光が思い出させてくれた。
アメリカ。
「どこの窓から見ても
 すっごいきれいな夕焼けやねんけど
 毎日見てたら、感動せえへんようになるよ。」
ノブユキ。
歯磨き。
紙飛行機。
「しょうもない人生してる。」
「どこがしょうもないねん?」
「ごめんね。」
「いいよ、ノブユキが幸せやったらええんよ。」
アメリカ。
シアトル。
「ごめんね。」
「ごめんね。」



偶然。

職員室で
あれは、夏休みまえだったから
たぶん、ことしの6月あたりだと思うのだけれど
斜め前に坐ってらっしゃった岸田先生が
「先生は、P・D・ジェイムズをお読みになったことがございますか?」
とおっしゃったので、いいえ、とお返事差し上げると
机越しにさっと身を乗り出されて、ぼくに、1冊の文庫本を手渡されたのだった。
「ぜひ、お読みになってください。」
いつもの輝く知性にあふれた笑顔で、そうおっしゃたのだった。
ぼくが受け取った文庫本には、
『ナイチンゲールの屍衣』というタイトルがついていた。
帰りの電車のなかで読みはじめたのだが
情景描写がとにかく細かくて
またそれが的確で鮮明な印象を与えるものだったのだが
J・G・バラードの最良の作品に匹敵するくらいに精密に映像を喚起させる
そのすぐれた描写の連続に、たちまち魅了されていったのであった。
あれから半年近くになるが
きょうも、もう7、8冊めだと思うが
ジェイムズの『皮膚の下の頭蓋骨』を読んでいて
読みすすめるのがもったいないぐらいにすばらしい
情景描写と人物造形の力に圧倒されていたのであった。
彼女の小説は、手に入れるのが、それほど困難ではなく
しかも安く手に入るものが多く、
ぼくもあと1冊でコンプリートである。
いちばん古書値の高いものをまだ入手していないのだが
『神学校の死』というタイトルのもので
それでも、2000円ほどである。
彼女の小説の多くを、100円から200円で手に入れた。
平均しても、せいぜい、300円から400円といったところだろう。
送料のほうが高いことが、しばしばだった。
いちばんうれしかったのは
105円でブックオフで
『策謀と欲望』を手に入れたときだろうか。
それを手に入れる前日か前々日に
居眠りしていて
ヤフオクで落札し忘れていたものだったからである。
そのときの金額が、100円だっただろうか。
いまでは、その金額でヤフオクに出てはいないが
きっと、ぼくが眠っているあいだに、だれかが落札したのだろうけれど
送料なしで、ぼくは、まっさらに近いよい状態の『策謀と欲望』を
105円で手に入れることができて
その日は、上機嫌で、自転車に乗りまわっていたのであった。
6時間近く、通ったことのない道を自転車を走らせながら
何軒かの大型古書店をまわっていたのであった。
きょうは、昼間、長時間にわたって居眠りしていたので
これから読書をしようと思っている。
もちろん、『皮膚の下の頭蓋骨』のつづきを。
岸田先生が、なぜ、ぼくに、ジェイムズの本を紹介してくださったのか
お聞きしたことがあった。
そのとき、こうお返事くださったことを記憶している。
「きっと、お好きになられると思ったのですよ。」
もうじき、50歳にぼくはなるのだけれど
この齢でジェイムズの本に出合ってよかったと思う。
ジェイムズの描写力を味わえるのは
ある年齢を超えないと無理なような気がするのだ。
偶然。
さまざまな偶然が、ぼくを魅了してきた。
これからも、さまざまな偶然が、ぼくを魅了するだろう。
偶然。
さまざまな偶然が、ぼくをつくってきた。
これからも、さまざまな偶然が、ぼくをつくるだろう。
若いときには、齢をとるということは
才能を減少させることだと思い込んでいた。
記憶力が減少して、みじめな思いをすると思っていた。
見かけが悪くなり、もてなくなると思っていた。
どれも間違っていた。
頭はより冴えて
さまざまな記憶を結びつけ
見かけは、もう性欲をものともしないものとなり
やってくる多くの偶然に対して
それを受け止めるだけの能力を身につけることができたのだった。
長く生きること。
むかしは、そのことに意義を見いだせなかった。
いまは
長く生きていくことで
どれだけ多くの偶然を引き寄せ
自分のものにしていくかと
興味しんしんである。
読書を再開しよう。
読書のなかにある偶然もまた
ぼくを変える力があるのだ。


骨。

  田中宏輔






どの、骨で
鳥をつくらうか。

どの、骨で
鳥をつくらうか。

手棒(てんぼう)の、骨で
鳥をつくらう。

その、指は
翼となる。

その、甲は
胸となる。

鳥の、姿に似せて
骨を繋ぐ。

白い、骨で
鳥をこしらへる。

白い、骨の
鳥ができあがる。

その、骨は
飛ばない。

石の、やうに
じつとしてゐる。

石の、やうに
じつとしてゐる。

首の、ない
鳥だ。


II

どの、骨で
蛇をつくらうか。

どの、骨で
蛇をつくらうか。

傴僂(せむし)の、骨で
蛇をつくらう。

その、椎骨は
背骨となる。

どの、椎骨も
背骨となる。

蛇の、姿に似せて
骨を繋ぐ。

白い、骨で
蛇をこしらへる。

白い、骨の
蛇ができあがる。

その、骨は
這はない。

石の、やうに
じつとしてゐる。

石の、やうに
じつとしてゐる。

首の、ない
蛇だ。


III

どの、骨で
魚をつくらうか。

どの、骨で
魚をつくらうか。

蝦足(えびあし)の、骨で
魚をつくらう。

その、踝は
背鰭となる。

その、足指は
尾鰭となる。

魚の、姿に似せて
骨を繋ぐ。

白い、骨で
魚をこしらへる。

白い、骨の
魚ができあがる。

その、骨は
泳がない。

石の、やうに
じつとしてゐる。

石の、やうに
じつとしてゐる。

首の、ない
魚だ。


IV

どの、骨で
神殿をつくらうか。

どの、骨で
神殿をつくらうか。

骨無(ほねなし)の、骨で
神殿をつくらう。

その、肋骨(あばらぼね)は
屋根となる。

その、椎骨は
柱となる。

神殿の、形に似せて
骨を繋ぐ。

白い、骨で
神殿をこしらへる。

白い、骨の
神殿ができあがる。

この、神殿は
不具のもの。

この、神殿は
不具の者たちのもの。

来(こ)よ、来たれ
不具の骨たちよ。

纏つた、肉を
引き剥がし。

縺れた、血管(ちくだ)を
引きちぎり。

ここに、来て
objetとなるがよい。

ここに、来て
objetとなるがよい。




それらは、分骨された
片端の骨鎖(ほねぐさり)。

その、生誕は
呪ひ。

その、死は
祝福。

その、屍骨(しかばね)は
埋葬されず。

糞の、門の外に
棄てられる。

或は、生きたまま
火にくべられる。

片端の骨鎖(ほねぐさり)、
骨格畸形のobjet。

骨を、割き
骨を砕く。

骨を、接ぎ
骨を繋ぐ。

白い、骨で
objetをこしらへる。

白い、骨の
objetができあがる。

その、骨は
動かない。

なにを、する
こともない。

なにを、する
こともない。

神に、祈る
こともない。

神に、祈る
こともない。

石の、やうに
じつとしてゐる。

石の、やうに
じつとしてゐる。

首の、ない
objetだ。


陽の埋葬

  田中宏輔




 よい父は、死んだ父だけだ。これが最初の言葉であった。父の死に顔に触れ、わたしの指が読んだ、
死んだ父の最初の言葉であった。息を引き取ってしばらくすると、顔面に点字が浮かび上がる。それ
は、父方の一族に特有の体質であった。傍らにいる母には読めなかった。読むことができるのは、父
方の直系の血脈に限られていた。母の目は、父の死に顔に触れるわたしの指と、点字を翻訳していく
わたしの口元とのあいだを往還していた。父は懺悔していた。ひたすら、わたしたちに許しを請うて
いた。母は、死んだ父の手をとって泣いた。──なにも、首を吊らなくってもねえ──。叔母の言葉
を耳にして、母は、いっそう激しく泣き出した。

 わたしは、幼い従弟妹たちと外に出た。叔母の膝にしがみついて泣く母の姿を見ていると、いった
い、いつ笑い出してしまうか、わからなかったからである。親戚のだれもが、かつて、わたしが優等
生であったことを知っている。いまでも、その印象は変わっていないはずだ。死んだ父も、ずっと、
わたしのことを、おとなしくて、よい息子だと思っていたに違いない。もっとはやく死んでくれれば
よかったのに。もしも、父が、ふつうに臨終を迎えてくれていたら、わたしは、死に際の父の耳に、
きっと、そう囁いていたであろう。自販機のまえで、従弟妹たちがジュースを欲しがった。

 どんな夜も通夜にふさわしい。橋の袂のところにまで来ると、昼のあいだに目にした鳩の群れが、
灯かりに照らされた河川敷の石畳のうえを、脚だけになって下りて行くのが見えた。階段にすると、
二、三段ほどのゆるやかな傾斜を、小刻みに下りて行く、その姿は滑稽だった。

 従弟妹たちを裸にすると、水に返してやった。死んだ父は、夜の打ち網が趣味だった。よくついて
行かされた。いやいやだったのだが、父のことが怖くて、わたしには拒めなかった。岸辺で待ってい
るあいだ、わたしは魚籠のなかに手を突っ込み、父が獲った魚たちを取り出して遊んだ。剥がした鱗
を、手の甲にまぶし、月の光に照らして眺めていた。

 気配がしたので振り返った。脚の群れが、すぐそばにまで来ていた。踏みつけると、籤細工のよう
に、ポキポキ折れていった。


*


死んだものたちの魂が集まって/ひとつの声となる/わたしは神を吐き出した/神は罅割れた指先で
/日割れた地面を引っ掻いた/川原の石で頭を叩き潰された小魚たち/小魚たち/シジミも/ツブも
/死んだものたちの魂が集まって/ひとつの声となる/わたしは神を吐き出した/罅割れた指先は川
となり/死んだものたちの囁き声が満ちていく/せせらぎに耳を澄ます水辺で枯れた葦/きらきらと
光り輝く神の指/神の指/神の指先に光る黄金の川/死んだものたちの魂が集まって/ひとつの声と
なる/わたしは神を吐き出した/神は分裂し/ひとりは死んだ/神は分裂し/ひとりは精霊となった
/死んだ神は少年の姿となって川を遡る/川を遡っていく/右の手に巨大なシャモジを持った精霊が
後を追う/後を追って行く/


enema/浣腸器


/美しい/少年は服を剥ぎ取られ/美しい/少年は後ろ手に腕を縛られ/美しい/少年は尻を突き出
し/美しい/巨大なシャモジが振り下ろされる/美しい/巨大なシャモジが振り下ろされる/美しい
/少年の喘ぎ声/美しい/少年の喘ぎ声/美しい/川原の石が叫ぶ/美しい/川原の石が叫ぶ/美し
い/その縛めをほどけ/美しい/その縛めをほどけ/と/美しい/川原の石が叫ぶ/美しい


/enema/浣腸器


肛門に挿入された浣腸器/川原に響き渡る喘ぎ声/肛門に挿入された浣腸器/川原に響き渡る喘ぎ声
/波打つ身体/激しく震える少年の身体/足を開いて四つん這いになった少年は/身体を震わせなが
ら脱糞する/ブブッブブッ/ブッブッ/シャー/シャー/と/激しく身体を震わせながら脱糞する/
きらきらと光り輝く神の指/神の指/神の指先に光る黄金の川/神の指先は黄金の川に輝いていた/
少年はジャムパンを頬張りながら/ゴクゴクと牛乳を飲んでいる/川原に向かって/ゴクゴクと牛乳
を飲んでいる/棒を飲んで死んだヒキガエル/ヒキガエルは棒を飲んで死んでいた/toad/Tod/ヒ
キガエル/死/シッ/toad/Tod/ヒキガエル/死/シッ/


*


 月の夜だった。欠けるところのない、うつくしい月が、雲ひとつない空に、きらきらと輝いていた。
また来てしまった。また、ぼくは、ここに来てしまった。もう、よそう、もう、よしてしまおう、と、
何度も思ったのだけれど、夜になると、来たくなる。夜になると、また来てしまう。さびしかったの
だ。たまらなく、さびしかったのだ。
 橋の袂にある、小さな公園。葵公園と呼ばれる、ここには、夜になると、男を求める男たちがやっ
て来る。ぼくが来たときには、まだ、それほど来ていなかったけれど、月のうつくしい夜には、たく
さんの男たちがやって来る。公衆トイレで小便をすませると、ぼくは、トイレのすぐそばのベンチに
坐って、煙草に火をつけた。
 目のまえを通り過ぎる男たちを見ていると、みんな、どこか、ぼくに似たところがあった。ぼくよ
り齢が上だったり、背が高かったり、あるいは、太っていたりと、姿、形はずいぶんと違っていたの
だが、みんな、ぼくに似ていた。しかし、それにしても、いったい何が、そう思わせるのだろうか。
月明かりの道を行き交う男たちは、みんな、ぼくに似て、瓜ふたつ、そっくり同じだった。
 樹の蔭から、スーツ姿の男が出てきた。まだらに落ちた影を踏みながら、ぼくの方に近づいてきた。
「よかったら、話でもさせてもらえないかな?」
 うなずくと、男は、ぼくの隣に腰掛けてきて、ぼくの膝の上に自分の手を載せた。
「こんなものを見たことがあるかい?」
 手渡された写真に目を落とすと、翼をたたんだ、真裸の天使が微笑んでいた。
「これを、きみにあげよう。」
 胡桃ぐらいの大きさの白い球根が、ぼくの手のひらの上に置かれた。男の話では、今夜のようなう
つくしい満月の夜に、この球根を植えると、一週間もしないうちに、写真のような天使になるという。
ただし、天使が目をあけるまでは、けっして手で触れたりはしないように、とのことだった。
「また会えれば、いいね。」
 男は、ぼくのものをしまいながら、そう言うと、出てきた方とは反対側にある樹の蔭に向かって歩
き去って行った。

 瞳もまだ閉じていたし、翼も殻を抜け出たばかりの蝉の翅のように透けていて、白くて、しわくち
ゃだったけれど、六日もすると、鉢植えの天使は、ほぼ完全な姿を見せていた。眺めていると、その
やわらかそうな額に、頬に、唇に、肩に、胸に、翼に、腰に、太腿に、この手で触れたい、この手で
触れてみたい、この手で触りたい、この手で触ってみたいと思わせられた。そのうち、とうとう、そ
の衝動を抑え切れなくなって、舌の先で、唇の先で、天使の頬に、唇に、その片方の翼の縁に触れて
みた。味はしなかった。冷たくはなかったけれど、生き物のようには思えなかった。血の流れている
生き物の温かさは感じ取れなかった。舌の先に異物感があったので、指先に取ってみると、うっすら
とした小さな羽毛が、二、三枚、指先に張りついていた。鉢植えの上に目をやると、瞳を閉じた天使
の顔が、苦悶の表情に変っていた。ぼくの舌や唇が触れたところが、傷んだ玉葱のように、半透明の
茶褐色に変色していた。目を開けるまでは、けっして触れないこと……。あの男の言葉が思い出され
た。
 机の引き出しから、カッター・ナイフを取り出して、片方の翼を切り落とした。すると、その翼の
切り落としたところから、いちじくを枝からもぎ取ったときのような、白い液体がしたたり落ちた。

 その後、何度も公園に足を運んだけれど、あの男には、二度と出会うことはなかった。


虫、虫、虫。

  田中宏輔




蚯蚓


 朝、目が覚めたら、自分のあそこんところで、もぞもぞもぞもぞ動くものがあった。寝たまま、頭
だけ起こして目をやると、タオルケットの下で、くねくねくねくね踊りまわるものがあった。まるで
あのシーツをかぶった西洋のオバケみたいだった。あわててタオルケットをめくると、パンツの横か
ら、巨大な蚯蚓が、頭だか尻尾だか知らないけど、身をのけぞらしてのたくりまわっていた。とっさ
に右手で払いのけたら、ものすっごい激痛をあそこんところに感じた。起き上がって、パンツを一気
にずり下ろしてみると、そこには、ついてるはずのぼくのチンポコじゃなくって、ぐねぐねぐねぐね
のたくりまわっている巨大な蚯蚓がついていた。上に下に横に斜めに縦横無尽にぐぬぐぬぐぬぐぬの
たくりまわっていた。一瞬めまいらしきものを感じたけど、ぼくは、すぐに立ち直った。だって、あ
のカフカのグレゴール・ザムザよりは、不幸の度合いが低いんじゃないかなって思って。ザムザは、
全身が虫になってたけど、ぼくの場合は、あそこんところだけだから。パンツのなかにおさめて、上
からズボンをはけば、外から見て、わかんないだろうからって。こんなもの、ごくささいな変身なん
だからって、そう思えばいいって、自分に言い聞かせて。情けないけど、そうでも思わなきゃ、学校
もあるんだし。そうだ、とりあえず、学校には行かなくちゃならないんだから。ぼくは、以前チンポ
コだった蚯蚓を握ってみた。いきなり強く握ったので、そいつはぐぐぐって持ち上がって、キンキン
に膨らんだ。口らしきものから、カウパー腺液のように粘り気のある透明な液体が、つつつっと糸を
引きながら垂れ落ちた。気持ちよかった。ずいぶんと大きかった。そうだ。以前のチンポコは短小ぎ
みだった。おまけにそれは包茎だった。キンキンに勃起しても、皮が亀頭をすっぽりと包み込んでい
た。無理にひっぺがそうとすれば、亀頭の襟元に引っかかって、それはもう、ものすっごい激痛が走
ったんだから。もしかすると、この新しいチンポコの方がいいのかもしんない。そうだ。そうだとも。
こっちのほうがいい。ぼくは制服に着替えはじめた。
 電車のなかは混んでて、ぼくは吊革につかまって立っていた。電車の揺れに、ぼくのあそこんとこ
ろが反応して、むくむくむくっと膨らんできた。前の座席に坐ってる上品そうなおばさんが、小指を
立てた右手でメガネをすり上げて、ぼくのあそこんところを見つめた。とっさにぼくは、カバンで前
を隠した。そしたら、よけいに、ぼくの蚯蚓は、カバンにあたって、ぐにぐにぐにぐにあたって、あ
っ、あっ、あはっ、後ろにまわって、あっ、あれっ、そんな、だめだったら、あっ、あれっ、あっ、
あつっ、つつっ、いてっ、ててっ、あっ、でも、あれっ、あっ……



*



とっても有名な蠅なのよ。


とっても有名な蠅なのよ、あたいは。
教科書に載ってるのよ、それも理科じゃなくって
国語なのよ、こ・く・ご!
尾崎一雄っていう、オジンの額の皺に挟まれた
とっても有名な蠅なのよ
あたいは。

でもね、あたいが雄か雌か、なあんてこと
だれも、知っちゃいないんだから
もう、ほんと、あったま、きちゃうわ。

これでも、れっきとした雄なんですからね。

フンッ。

(あっ、ここで、一匹、場内に遅れてやってまいりました!
 武蔵の箸に挟まれたという、かの有名な蠅であります。)

──おいっ、こらっ、オカマ、変態、
  おまえより、おれっちの方が有名なんだよ。

あたいの方が有名よ。

──なにっ、こらっ、おいっ、まてっ、まてー。

(あーあ、とうとう、ぼくの頭の上で、二匹の蠅が
 追っかけっこしはじめましたよ。作者には、もう
 どっちがどっちだかわかんなくなっちゃいました。)

(おっと、二匹の蠅は、舞台を台所に移した模様です。)

──あっ、ちきしょう、こりゃあ、蠅取り紙だっ。

いやっ、いやっ、いやー、羽がくっついちゃったわ。

(そっ、それが、ごく自然な蠅の捕まり方ですよ。) 



*



羽虫


真夜中、夜に目が覚めた。
凄々まじい羽音に起こされた。
はらっても、はらっても
黒い小さな塊が、音を立てて
いくつも、いくつも纏わりついてきた。
そういえば、ここ、二、三日というもの
やけに、羽虫に纏わりつかれることが多かった。
きのうは、喫茶店で、口がストローに触れた瞬間に
花鉢からグラスのなかへ、羽虫が一匹、飛び込んできた。
今朝などは、起き上がってみると
シーツの上に、無数の黒い染みが張りついていたのだ。
と、そうだ、思い出した。
ぼくは思い出した。
ぼくは、とうに死んでいたんだ。
おとといの朝だった。
目が覚めたら、ぼくは死んでいた。
ぼくは、ぼくのベッドの上で死んでいたのだ。
そうだ。
そして、ぼくは
ぼくの死体を部屋の隅に引きずっていったんだ。
あれだ。
あのシーツの塊。
ぼくは、シーツを引っぺがしに立ち上がった。
ぼくがいた。
目をつむって、口を閉じ
膝を抱いて坐っていた。
すえたものの、それでいて
どこかしら、甘い匂いがした。
それは、けっして不快な臭いではなかったけれど
腐敗が進行すれば臭くなるだろう。
ぼくは、ぼくの死骸を抱え運び
自転車の荷台に括りつけた。
ぼくの死骸を捨てにいくために。


(不連続面)


真夜中、夜になると
ぼくは、ぼくの死骸を自転車の荷台に括りつけ
自転車を駆って、夜の街を走りまわる。

真夜中、夜になると
ぼくは、ぼくの死骸の捨て場所を探しさがしながら
自転車を駆って、夜の街を走りまわる。

踏み切り、
踏み切り、
真夜中、夜の駅。

ぼくの足は、いつもここで止まる。
ここに、ぼくの死骸を置いていこうか
どうしようか、と思案する。

でも、必ず
ぼくは、ぼくの死骸といっしょに
自分の部屋に戻ってくることになるのだ。



*



あめんぼう


あめんぼうは、すばらしい数学者です。
水面にすばやく円を描いてゆきます。



*






夏の一日
わたしは蝶になりましょう。

蝶となって
あなたの指先にとまりましょう。

わたしは翅をつむって
あなたの口づけを待ちましょう。

あなたはきっと
やさしく接吻してくれるでしょう。



*






死に
たかる蟻たち
夏の羽をもぎ取り
脚を引き千切ってゆく
死の解体者
指の先で抓み上げても
死を口にくわえてはなさぬ
殉教者
死とともに
首を引き離し
私は口に入れた
死の苦味
擂り潰された
死の運搬者






*






髑髏山の蟻塚は
罪人たちの腐りかけた屍体である。

巣穴に手を入れると
蟻どもがずわずわと這い上がってきた。

たっぷりと味わうがいい。
わたしの肉体は余すところなく美味である。

じっくりと味わうがいい。
とりわけ手と唇(くち)と陰茎は極上である。



*



蛞蝓


真夜中、夜の公衆便所
  消毒済の白磁の便器のなかで
    妊婦がひとり、溺れかけていた
      壁面の塗料は、鱗片状に浮き剥がれ
       そのひと剥がれ、ひと剥がれのもろもろが
       黒光る小さな、やわらかい蛞蝓となって
      明かり窓に向かって這い上っていった
    女が死に際に月を産み落とした
  血の混じった壁面の体液が
 月の光をぬらぬらと
なめはじめた



*



蝸牛


窓ガラスに

雨垂れと

蝸牛

頬伝う

私の涙と

あなたの指



*



自涜する蝸牛


  ユダの息子オナンは、故意に己の精を地にこぼした。そのため主は彼を殺された。(創世記三八・九−十)


自涜する蝸牛。
屑屑(せつせつ)と自慰に耽る雌雄同体(アンドロギユヌス)。
人葬所(ひとはふりど)にて快楽を刺青するわたくし、わたくしは
──溶けてどろどろになる蝸牛。*

さもありなん。
この身に背負つてゐるのは、ただの殻ではない。
銅(あかがね)の骨を納めた骨壺(インクつぼ)である。

湿つた麺麭(パン)に青黴が生へるやうに
わたくしの聚(あつ)めた骨は日に日に錆びてゆく。

──死よ、おまへの棘はどこにあるのか。**

──わたくしの棘は言葉にある。
その水銀(みずがね)色の這ひずり跡は
緑青(あをみどり)色の文字(もんじ)となつて
墓石に刻まれる。

──死の棘は罪である。***

しかり。
罪とは言葉である。
言葉からわたくしが生まれ
そのわたくしがまた言葉を産んでゆく。

自涜する蝸牛。
屑屑(せつせつ)と自慰に耽る雌雄同体(アンドロギユヌス)。
両性具有(ふたなり)のアダム、悲しみの聖母マリア(マテル・ドロローサ)。

日毎、繰り返さるる受胎と出産、
日々、生誕するわたくし。



*: Psalms 58.8  **: 1 Corinthians 15.55  ***: Corinthians 15.56



*



祈る蝸牛


小夜(さよ)、小雨(こさめ)降りやまぬ埋井(うもれゐ)の傍(かた)へ、
遠近(をちこち)に窪(くぼ)溜まる泥水、泥の水流るる廃庭を

葉から葉へ、葉から葉へと這ひ伝はりながら
わたしは歳若い蝸牛のあとを追つた。

とうに死んだ蝸牛が、葉腋(えふえき)についたきれいな水を
おだやかな貌つきで飲んでゐた。

きれいな水を飲むことができるのは
雨の日に死んだ蝸牛だけだと聞いてゐた。

見澄ますと、雨滴に打たれて震へ揺れる病葉(わくらば)の上から
あの歳若い蝸牛がわたしを誘つてゐた。

近寄つて、わたしは、わたしの爪のない指を
そろり、そろりと、のばしてみた。

、わたしの濡れた指が、その蝸牛の陰部に触れると
その蝸牛もまた、指をのばして、わたしの陰部に触れてきた。

わたしたちは、をとこでもあり、をんなでもあるのだと
 ──わたしたちは、海からきたの、でも、もう海には帰れない……

わたしたちは、をとこでもなく、をんなでもないのだと
 ──魂には、もう帰るべきところがないのかもしれない……

この快楽の交尾(さか)り、激しく揺れる病葉(わくらば)、
手を入れて(ふかく、ふかく、さしいれて)婪(むさぼ)りあふわたしたち。

わたしたちは婪(むさぼ)りあはずには生きてはゆけないもの。

──ああ、雨が止んでしまふ。

濡れた指、繰り返さるる愛撫、愛撫、恍惚の瞬間
、瞬間、その瞬間ごとに、

わたしは祈つた、

──死がすみやかに訪れんことを。



*



蟷螂


  蟷螂(たうらう)よ その身に棲まふ禍(まが)つもの おまへの腹はおまへを喰らふ


 小学生のころに、道端とかで、カマキリの姿を見つけたりすると、ぼくは、よく踏みつけて、ぐち
ゃぐちゃにしてやった。踵のところで、地面にぎゅいぎゅいこすりつけてやった。ときには、そのほ
っそりとしたやわらかい胴体を、指で抓み上げて、上下、真っ二つにぶっちぎってやったりもした。
すると、お腹のなかから、気味の悪い黒褐色の細長いものが、ぐにゅるにゅるにゅるぐにゅるにゅる
と、のたくりまわりながら飛び出てきた。本体のカマキリのほうは、とっくに死んでいるのに、お腹
のなかに潜んでいたそいつは、踏んづけてやっても、なかなか死ななかった。バラバラにしてやって
も、しぶとく動いていた。ぼくは、そいつがカマキリのほんとうの正体か、それとも、もうひとつ別
の姿か、あるいは、もうひとつ別の命のようなものだと思っていた。そいつがハリガネ虫とかと呼ば
れる、カマキリとはぜんぜん別個の生き物であるということを知ったのは、中学校に入ってからのこ
とだった。そいつは、カマキリのお腹のなかに棲みつきながら、カマキリの躯を内側から蝕んでいく
というのだ。そのことを知って、カマキリを殺すことがつまらなくなってしまった。そしたら、とた
んに、カマキリの姿を目にしなくなった。見かけることがなくなったのである。不思議なものだ。そ
れまで、あんなによく出くわしていたというのに。
 カマキリは、学名(英名とも)を Mantis といい、それは「巫」の意を表わすギリシア語に由来する
という(『ファーブル昆虫記』古川晴男訳)。たしかに、カレッジ・クラウン英和辞典で調べると、語
源は、ギリシア語のアルファベット転記でも mantis であった。神託(oracle)を告げるというのだ。
 ぼくは夢想する。カマキリが、蝶の姿となったぼくの躯を抱きしめ、ぼくを頭からムシャムシャと
むさぼり喰っていく様を。まるで陸(おか)に上がったばかりの船員が女の身体にむしゃぶりつくよ
うに。その荒々しさが、ぼくは好きだ。二の腕に黛色の入れ墨のある若くて逞しい船員の、潮の匂い
がたっぷりと沁み込んだ、男らしいゴツゴツとした太い指。その太い指に引っ掻きまわされて、くし
ゃくしゃにされる女の髪の毛。それは、ぼくの翅だ。カマキリは、その大きなトゲトゲギザギザの前
脚で、ぼくの美しい翅をバラバラに引き裂いてゆくのだ。そのヴィジョンは、ぼくを虜にする。
 蝶のやうな私の郷愁!(三好達治『郷愁』)。ぼくの目は憶えている。ぼくの美しい翅が、少年の
指に粉々に押し潰されたことを(ヘッセ『少年の日の思い出』高橋健二訳)。ぼくの目は憶えている。
その少年の指が、ぼく自身の指であったことを。ぼくの指が、ぼくの美しい翅を、粉々に押し潰して
いったことを。



*






コンコン、と
ノックはするけど

返事もしないうちに
入ってくるママ

机の上に
紅茶とお菓子を置いて

口をあけて
パクパク、パクパク

何を言ってるのか
ぼくには、ちっとも聞こえない

聞こえてくるのは
ぼくの耳の中にいる虫の声だけだ

ギィーギィー、ギィーギィー
そいつは鳴いてた

ママが出てくと
そいつが耳の中から這い出てきた

頭を傾けて
トントン、と叩いてやると

カサッと
ノートの上に落っこちた

それでも、そいつは
ギィーギィー、ギィーギィー

ちっとも
鳴きやまなかった

だから、ぼくは
コンパスの針で刺してやった

ノートの上に
くし刺しにしてやった

そうして、その細い脚を
カッターナイフで刻んでやった

先っちょの方から
順々に刻んでやった

そのたびごとに
そいつは大きな声で鳴いた

短くなった脚、バタつかせて
ギィーギィー、ギィーギィー鳴いた

そいつの醜い鳴き顔は
顔をゆがめて叱りつけるママそっくりだった

カッターナイフの切っ先を
顔の上でちらつかせてやった

クリックリ、クリックリ
ちらつかせてやった

そしたら、そいつは
よりいっそう大きな声で鳴いた

ギィーギィー、ギィーギィー
大きな声で鳴きわめいた

ぼくの耳を楽しませてくれる
ほんとに面白い虫だった


THE SANDWITCHES’S GARDEN。

  田中宏輔




MELBA TOAST & TURTLE SOUP。
  カリカリ・トーストと海亀のスープの物語。



二年くらい前、ある詩人に、萩原朔太郎は好きですか、と尋ねられた。嫌な質問だった。というのも、
この手の質問では、たいていの場合、好きか、嫌いか、といった二者択一的な返答が期待されており、
それが、詩人の好悪の念と同じものであるか、ないかで、その後の会話がスムーズなものになったり、
ならなかったりするからである。しかも、彼は用心深く警戒し、先に自分の好き嫌いは言わないので
ある。好きではないですけど、別に嫌いでもありません。ぼくの返事を聞くと、詩人は顔をしかめた。


しきりに電話が鳴っていた。
                        (コルターサル『石蹴り遊び』28、土岐恒二訳)
まだうとうととしながらも
                 (プルースト『失われた時を求めて』囚われの女、鈴木道彦訳)
わたしは受話器をとりあげた。
                (ボルヘス『伝奇集』第I部・八岐の園・八岐の園、篠田一士訳)

自分の気持ちを正直に口にしただけなのに、詩人は不機嫌そうな顔をして黙ってしまった。唐突にさ
れた質問だったので、つい、正直に答えてしまったのだ。そこで、気まずい雰囲気を振り払うため、
ぼくの方から、でも、亀の詩は好きですよ、と言った。すると、彼は、人を疑うような目つきをして、
そんな詩がありましたか、と訊いてきた。ぼくは、ほら、あのひっくり返った姿で、四肢を突き出し、
ずぶずぶと水底に沈んでゆく、あの亀の詩ですよ、と言った。詩人はさらに眉根を寄せて首を傾げた。


ん?  
                  (タニス・リー『死の王』巻の一・第三部・六、室住信子訳)
電話の声は  
          (ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』フェイディング、三好郁朗訳)
聞き覚えのある声だった。  
                         (ヘッセ『デーミアン』第七章、吉田正巳訳)

あとで調べてみると、朔太郎の「亀」という詩には、「この光る、/寂しき自然のいたみにたへ、/
ひとの心霊にまさぐりしづむ、/亀は蒼天のふかみにしづむ。」とあるだけで、逆さまになってずぶ
ずぶと水底に沈んでいく亀のヴィジョンは、ぼくが勝手に拵えたイマージュであることがわかった。
そういえば、大映の「ガメラ」シリーズで、バイラスという、イカの化け物のような怪獣に腹をえぐ
られたガメラが、仰向けになって空中を落下していくシーンがあった。その映画の影響かもしれない。


もしもし?  
                       (プイグ『赤い唇』第二部・第十回、野谷文昭訳)
空耳だったのかしら、  
                 (サリンジャー『フラニーとゾーイー』ゾーイー、野崎 孝訳)
ぼくはあたりを見まわした。   
                         (ヘッセ『デーミアン』第七章、吉田正巳訳)

ひと月ほど前のことだ。俳句を勉強するために、小学館の昭和文学全集35のページを繰っていると、
石川桂郎の「裏がへる亀思ふべし鳴けるなり」という句に目がとまった。裏返しになった亀が、悲鳴
を上げながら、突き出した四肢をばたばたさせてもがいている姿に、強烈な印象を受けた。そして、
海にまで辿り着くことができなかった海亀の子が、ひっくり返った姿のまま、干からびて死んでいく
という、より「陽の埋葬」的なイメージを連想した。熱砂の上で目を見開きながら死んでいくのだ。


壁に   
                     (トーマス・マン『トニオ・クレーゲル』高橋義孝訳)
絵が一枚かけてあった。  
                         (ヘッセ『デーミアン』第七章、吉田正巳訳)
死んだ父の肖像だった。   
                                   (原 民喜『夢の器』)

ここひと月ばかり、様々な俳人たちの句に目を通していったが、読むうちに、俳句の面白さに魅せら
れ、勉強という感じがしなくなっていった。とりわけ、村上鬼城、西東三鬼、三橋鷹女、渡辺白泉な
どの作品に大いに刺激された。鬼城の「何も彼も聞知つてゐる海鼠かな」という句ひとつにしても、
それを知ることで、ぼくの感性はかなり変化したはずである。穏やかな海の底にいる、一匹の海鼠が、
海の上を吹き荒れる嵐に耳を澄ましているというのだ。この静と動のコントラストは、実に凄まじい。


亡霊は生き返らない。  
                                   (イザヤ書二六・一四)
パパは死んじゃったんだ。ぼくのお父さんは死んでしまったんだ。
                   (ジョイス『ユリシーズ』10・さまよえる岩、高松雄一訳)
どこか別の世界にいるのだった。
                     (ル・クレジオ『リュラビー』豊崎光一・佐藤領時訳)

河出書房新社の現代俳句集成・第四巻で、鬼城を読んでいると、「亀鳴くと嘘をつきたる俳人よ」と
「だまされて泥亀きゝに泊りけり」の二句を偶然、目にした。次の日に、新潮社の日本詩人全集30を
めくっていると、これまた富田木歩の「亀なくとたばかりならぬ月夜かな」という、亀が鳴かないこ
とを前提として詠まれたものを見かけた。桂郎の句では、亀は鳴くものとして扱われていたが、別に、
亀が鳴くことには疑問を持たなかった。これまで、亀の鳴き声など耳にしたことはなかったけれど。


絵の
                       (ウィーダ『フランダースの犬』3、村岡花子訳)
唇が動く。
                          (サルトル『嘔吐』白井浩司訳、句点加筆)
父はわたしにたずねた。
                  (ズヴェーヴォ『ゼーノの苦悶』4、父の死、清水三郎治訳)

このように、亀が鳴くことを否定する句をつづけて目にすると、逆に、亀が鳴くことを前提とした句
が、数多く詠まれているのではないか、と思われてきた。そこで、歳時記にあたって調べることにし
た。角川の図説・俳句大歳時記・春の巻を見ると、「亀鳴く」が季語として掲げられていた。そこに
は、亀が鳴くものとして詠まれた句が、十あまりも載っていたが、前掲の木歩のものとともに、亀が
鳴かないものとして詠まれた、「亀鳴くと華人信じてうたがはず」という、青木麦斗の句もあった。


またかい。
                              (堀 辰雄『ルウベンスの偽画』)
同じ文句の繰り返しだ。
                          (セリーヌ『なしくずしの死』滝田文彦訳)
そこにはオウムがいるのかしら。
                (ヘッセ『クリングゾル最後の夏』カレーノの一日、登張正実訳)

講談社の作句歳時記を見ると、「カメには声帯、鳴管、声嚢もないので、鳴くわけはなく、俗説に基
づくものであるとされているが、かすかにピーピーと声を出すことはあるらしい」とあり、前掲の角
川の歳時記にも、「いじめるとシューシューという声を出すという」とあるが、「しかし、これらが
鳴き声といえるほどのものかどうかは疑わしい」ともあって、亀が鳴くとは断定していない。また、
教養文庫の写真・俳句歳時記には、「実際に鳴くわけではないが、春の季題として空想する」とある。


しかし、
        (ドストエーフスキー『カラマーゾフの兄弟』第一巻・第三篇・第三、米川正夫訳)
あのハンカチは一体どこでなくしたのかしら、
                  (シェイクスピア『オセロウ』第三幕・第四場、菅 泰男訳)
色は海の青色で
                           (梶井基次郎『城のある町にて』昼と夜)

動物の生態を歳時記で知ろうとするのは、間違ったことかもしれない。そう思って、平凡社の動物大
百科12を見ると、「一部のゾウガメの求愛と後尾にはゾウもねたむかと思われるほどのほえ声がとも
なうことがある」とあった。亀は鳴くのだ。しかし、前掲の句に詠まれたものは、大方のものが、沼
や池などに棲息する水生の亀であって、ゾウガメのような大型のリクガメではなかったはずである。
知りたいのは、昔から日本にいる、イシガメやクサガメといった亀が、鳴くかどうか、なのである。


これがまた
              (カミロ・ホセ・セラ『パスクアル・ドゥアルテの家族』有本紀明訳)
地雷を埋めた浜辺だった。
                    (ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』23、菅野昭正訳)
どこの浜辺もすべて地雷が埋めてある。
               (ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』7、菅野昭正訳、句点加筆)

文献に頼るのはやめ、京都市動物園に電話をかけて、直接、訊くことにした。以下は、飼育係長の小
島一介氏の話である。亀は鳴かない。たしかに、リクガメは、交尾のときや、痛みを受けたときに、
呼吸にともなって音を出したり、カゼをひいて、鼻水のたまった鼻から音を出したりすることはある。
しかし、それはみな、偶然に出る音である。おそらく、春の日にあたるため、水から上がってきた亀
たちが、人の気配に驚いて、トポトポトポと、水に飛び込む音を、「亀鳴く」としたのだろう、と。


そういえば、
                   (メーテルリンク『青い鳥』第四幕・第八景、鈴木 豊訳)
芥川龍之介が
                         (室生犀星『杏っ子』第二章・誕生・迎えに)
海の方へ散歩しに行った。
                       (ル・クレジオ『モンド』豊崎光一・佐藤領時訳)

トポトポトポが、亀の鳴く声とは、ぼくには思いもよらない、ユニークな見方だった。その光景は、
カゼをひいた亀が、ピュルピュルと鼻を鳴らす姿とともに、ほんとに可愛らしかった。電話を切って、
図書館に行くと、教育社の古今和歌歳時記の背表紙が目に入った。「実は呼吸器官である」とあった。
小学館の日本語大辞典・第三巻を繙くと、「これは鳴くのではなく、水をふくんで呼吸する音である
という」。で、また、何気なく歳時記を見ていると、ふと、「蚯蚓鳴く」という季語に目がとまった。


どうしてこんなにたくさん?
                  (ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』第I部、水野忠夫訳)
ほら、さわってごらん。
                  (ヒメネス『プラテーロとぼく』9・いちじく、長南 実訳)
何時かはみんな吹きとばされてしまふのだ。
                          (ポール・フォール『見かけ』堀口大學訳)


*



LAUGHING CHICKENS IN THE TAXI CAB。



学校の帰りに、駅のホームで電車が来るのを待っていると、女子学生が二人、しゃべりながら階段を
下りてきた。ぼくが腰かけてたベンチに、一つ空けて並んで坐った。「こんど、太宰治が立命に講演
しに来るねんて」「そやねんてなあ。あたし、むかしの人やと思てたわ」「どんな感じやろ」「写真
どおりやろか」。ぼくは、太宰のことを訊こうとしたが、思い直してやめた。声をかけるのもためら
われるぐらい、二人とも美人だったのだ。間もなく電車が来た。ぼくは、違う入り口から乗り込んだ。


彼女はどこに埋められたの?
                      (ナボコフ『ロリータ』第二部・32、大久保康雄訳)
ぼくのハンカチの中だ。
                  (エーリッヒ=ケストナー『飛ぶ教室』第四章、山口四郎訳)
迷わないように
                       (ホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』8、鼓 直訳)

去年の夏休みは、アキちゃんと、賀茂川の河川敷で、毎日のように日光浴してた。ぼくたち、二人と
も、短髪ヒゲの、どこから見ても立派なゲイなのだけど、アキちゃんは、さらにオイル塗りまくりの
フンドシ姿で、川原の視線を一身に集めてた。ぼくだって、カバのように太ったデブで、トランクス
一つだったから、かなり目立ってたと思うけど、アキちゃんには、完全に負けてた。自転車に乗った
子供たちが、アキちゃんのプルルンと丸出しになったお尻を指差して、笑いながら通り過ぎて行った。


妹と
                      (ロビン・ヘムリー『ホイップに乗る』小川高義訳)
いっしょに
                              (ノサック『弟』1、中野孝次訳)
古い歌を
                    (ナディン・ゴーディマ『釈放』ヤンソン柳沢由実子訳)

タクちゃんの部屋に遊びに行くと、テーブルの上に道具をひろげて、お習字の練習をしていた。つい
最近、はじめたらしい。タクちゃんは、ぼくのことをうっちゃっておいて、熱心に字を書きつづけた。
ぼくはベッドの端に腰かけて、「飛」という字を、メモ用紙にボールペンで書いてみた。一番苦手な
字だった。そう言って、ぼくが、ふたたび書いて見せると、書道の本を手渡された。見ると、ぼくの
書き順が間違っていたことがわかった。正しい書き順で書くと、見違えるほどに、きれいに書けた。


織り
          (スティーヴンソン『ジーキル博士とハイド氏』手紙の出来事、田中西二郎訳)
込んで
                        (モーパッサン『女の一生』十三、宮原 信訳)
おいたのだ。
                       (ポオ『盗まれた手紙』富士川義之訳、句点加筆)

夜中の一時過ぎに電話が鳴った。ノブユキからだった。一週間ほど前に帰国したという。親知らずを
抜くのに、アメリカでは千ドルかかると言われ、八百ドルで日本に帰れるのにバカらしいやと思って、
日本に帰って抜くことにしたのだという。保険に入ってなかったからだろう。それにしても、驚いた。
ぼくの方も、二日後に親知らずを抜くことになってたから。ぼくの場合は、虫歯じゃなくて、いずれ
隣の歯を悪くするだろうからってのが理由だったけれど。ノブユキの声を聞くのは、二年ぶりだった。


だが、それはもう
                           (サルトル『壁』伊吹武彦訳、読点加筆)
ここには
                       (マリー・ノエル『哀れな女のうた』田口啓子訳)
ないのだ。
                   (T・S・エリオット「寺院の殺人」第一部、福田恆存訳)

本って、やっぱり出合いなんだよね。先に、「ライ麦畑でつかまえて」を読まなくってよかったと思
う。サリンジャーの中で、一番つまらなかった。たぶん二度と読まないだろう。まあ、文学作品の主
人公というと、たいてい自意識過剰なものだけど、「ライ麦」の主人公に鼻持ちならにものを感じた
のは、その自意識の過剰さもさることながら、自分だけが無垢な魂の持ち主だという、とんでもない
錯覚を、主人公がしてたからだ。かつてのぼくも、そうだった。だからこそ、いっそう不愉快なのだ。


ずっと以前のことだ。
                     (ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』上、河島英昭訳)
ある晩、
                  (ズヴェーヴォ『ゼーノの苦悶』4・父の死、清水三郎治訳)
海がそれを運び去った。
                            (『ギルガメシュ叙事詩』矢島文夫訳)

エイジくんは、ぼくの横にうつぶせになって、背中に字を書いて欲しいと言った。Tシャツの上から
だ。直に触れられるより気持ちがいいらしい。書くたびに、エイジくんは、何て書かれたか、あてて
いった。ぼくが易しい字ばかり書くものだから、途中から、エイジくんが言う字を、ぼくが書くこと
になった。「薔薇」という字が書けなかった。一年ほど前のことだ。西脇順三郎の「旅人かへらず」
にある、「ばらといふ字はどうしても/覚えられない書くたびに/字引をひく」を読んで思い出した。


そうなんだ。
                 (シェイクスピア『ハムレット』第一幕・第四場、大山俊一訳)
ああ、海が見たい。
                        (リルケ『マルテの手記』第一部、大山定一訳)
バスに乗ろうかな。
                     (セリーヌ『なしくずしの死』滝田文彦訳、句点加筆)

lead apes in hell:女が一生独身で暮らすという句がある。猿を引き回すことが老嬢の来世での仕事
であるという古い言い伝えに由来し、エリザベス朝時代の劇作家がしばしば用いた、と英米故事伝説
辞典にある。イメージ・シンボル事典によると、老嬢は地獄で猿を引く、という諺が知れ渡っていた
らしい。シェイクスピアの『空騒ぎ』第二幕・第一場に、「地獄へ猿をひいて行かなくてはならない
のだ」(福田恆存訳)とある。「陽の埋葬」で、ぼくは、それを逆にした。猿が、ぼくを引くのだ。


そうすれば、
                          (ジュネ『ブレストの乱暴者』澁澤龍彦訳)
ぼくのハンカチが
                 (ギュンター・グラス『ブリキの太鼓』第III部、高木研一訳)
出て来るかと思って。
                (シュペルヴィエル『ロートレアモンに』堀口大學訳、句点加筆)

タカヒロがポインセチアを買ってきてくれた。昨年のクリスマスの晩のことだ。別れてから、八年に
なる。タカヒロが大学一年のときに、ふた月ほど付き合っただけだが、ここ一年くらい、電話で話す
ようになった。いま付き合ってる相手が、京都だというのだ。卒業すると、タカヒロは東京の会社に
就職した。ぼくのところに寄ったのは、ついでだった。コーヒーを淹れたあと、養分になると思って、
その豆の滓を鉢の中に捨てた。二日もすると、白い黴が生えた。何度捨てても、同じ白い黴が生えた。


このバスでいいのだろうか?
                   (ナボコフ『キング、クィーンそしてジャック』出淵 博訳)
あゝ、いゝとも。
                    (モリエール『人間嫌い』第一幕・第一場、内藤 濯訳)
お前も来るかい?
                              (ジュネ『泥棒日記』朝吹三吉訳)

毎日のように葵書房という本屋に行く。すぐ近所なので、日に三回行くこともめずらしくない。この
間、ジミーと行った。彼はオーストラリアから来た留学生で、大学院で日本文学を専攻している。二
階の文芸書コーナーで、彼が新潮日本文学辞典を開いて見せた。コノ人、田中サンノ先生デショウ?
そう言って、彼は指先をページの右上にすべらせた。そこには見出し語の最初の五文字が、平仮名で
書いてあった。田中サンノ先生だから、おおおかまナノデスカ? それを聞いて、ぼくは絶句した。


ハンカチを
                         (モーパッサン『テリエ館』2、青柳瑞穂訳)
浮べて、
                       (ラディゲ『肉体の悪魔』新庄嘉章訳、読点加筆)
海はまた別の物語を語る。
                   (J・シンガー『男女両性具有』I・第七章、藤瀬恭子訳)

温泉の番組で、レポーターが、卵が腐ったような臭いがするって言ってた。彼女は、卵が腐った臭い
を嗅いだことがあるのだろうか。この間も、ニュース番組で、アナウンサーが、あるものが雨後の筍
のように生えてきましたって言ってたけど、彼が実際に雨後の筍を観察したことがあって言ったとは
思えない。卵が腐ったような臭いも同じで、現実に嗅いだことがあって言ったとは思えない。ゆで卵
の殻を剥くと、すごく臭いことがある。卵が腐ったような臭いと聞くと、ぼくは、これを思い出す。


海はもう
                       (トーマス・マン『ヴェニスに死す』高橋義孝訳)
ハンカチを
                    (サングィネーティ『イタリア綺想曲』99、河島英昭訳)
少しずつほどきはじめていた。
                (トランボ『ジョニーは戦場へ行った』第一章・3、信太英男訳)


*



STRAWBERRY HANDKERCHIEFS FOREVER。



『英米故事伝説辞典』で、「handkerchief」の項目を読んでいると、こんな話が載っていた。「ハン
カチの形はいろいろあったが、四角になったのは、気まぐれ者の Marie Antoinette 王妃がハンカチ
は「四角のがよい」といったので、 Louis XVI が1785年「朕が王国の全土を通じハンカチの長さは
その幅と同一たるべきものとす」という珍しい法令を布告した」というのである。「四角」といえば、
前川佐美雄の「なにゆゑに室は四角でならぬかときちがひのやうに室を見まはす」が思い起こされた。


置き忘れられた
               (ボルヘス『伝奇集』第I部・八岐の園・円環の廃墟、篠田一士訳)
写真をとりあげると、
                    (ヴァン・ダイン『カナリヤ殺人事件』16、井上 勇訳)
海だった。
                        (パヴェーゼ『月とかがり火』3、米川良夫訳)

この項目には、もうひとつ、面白い話が載っていた。ハンカチが、フランスの宮廷内で流行したのは、
Napoleon I の妃 Josephine (1763-1814)が「前歯が欠けていたので、微笑するときなど、これを
隠すためにハンカチを用いた」からである、というのだ。ノブユキは、笑うとき、女の子がよくする
ように、手で口元を隠して笑った。歯茎がぐにっと見えるからだった。たしかに、見事な歯茎だった。
with handkerchief in one hand sword in the other:片手にハンカチ、片手に剣という成句がある。


一度も、その海を見たことがなかったけれど、
                      (ユルスナール『夢の貨幣』若林 真訳、読点加筆)
長いあいだ、眺めていた。
            (ズヴェーヴォ『ゼーノの苦悶』6・妻と恋人、清水三郎治訳、読点加筆)
なぜ、海の眺めは、かくも無限に、また、かくも永遠にこころよいのか。
                   (ボードレール『赤裸の心』三〇、阿部良雄訳、読点加筆)

不幸に際して悲しみを表わす一方、それに付け込んで儲けを企む、といった意味である。ハンカチが(1)
悲しみの象徴として用いられている例に、芥川龍之介の「手巾」がある。ある婦人が、自分の息子が
死んだことを告げに、主人公宅を訪れたときのことだ。件の話に触れる婦人の様子に悲しげなところ
が少しもないことを不審に思っていた主人公が、偶々、婦人が膝の上で手巾を両手で裂かんばかりに
して握っているのを目にして、その婦人が実は全身で泣いていたということに気づくという話である。


忘れていたことを想い出そうとして、
                  (シェイクスピア『マクベス』第一幕・第三場、福田恆存訳)
ほどけかかった
                       (トーマス・マン『ヴェニスに死す』高橋義孝訳)
ハンカチの隅をつまみ上げてみた。
                      (ディクスン・カー『絞首台の謎』10、井上一夫訳)

ハンカチが悲しみの象徴となることは、涙をふくときに使われることから容易に連想される。「突然
わたしは、自分の目に涙が溢れ出るのではないかと恐れた。わたしは人前を取り繕うために叫んだ。
/「目にレモンのしぶきがはねたんです」/わたしはハンカチで目をふいた。」「あのときハンカチ
のかげで感じたあの憂鬱さをわたしはけっして忘れることができない。それはわたしの涙をかくした
ばかりでなく、一瞬の狂気をもかくしたのだ。」「わたしはハンカチを顔から放して、涙ぐんだ目を


あの海が思い出される。
                (プーシキン『エヴゲーニイ・オネーギン』第一章、金子幸彦訳)
すさみはてた心は
                      (レールモントフ『悪魔』第一篇・九、北垣信行訳)
あらゆることを、つぎつぎと忘れ去るのに、
                      (ナボコフ『ロリータ』第二部・18、大久保康雄訳)

他人の面前でさらけ出した。わたしはむりにつくり笑いをしてみんなを笑わせようと努力した。」こ(2)
の滑稽かつ悲惨な場面は、ズヴェーヴォの「ゼーノの苦悶」の中で、もっとも印象的な箇所だった。
コントなどで、男の子が女の子を呼びとめて、その娘が落としてもいないハンカチを(つまり、男の
子自身の持ち物を)手渡そうとする場面を目にすることがあるが、その起源は、「愛の印として、男
性が女性に贈ったり」、「女性が男性にさりげなく落として拾わせたりした」という、一六世紀頃の(3)(1)


ハンカチをプレゼントしたの
                   (トルーマン・カポーティ『誕生日の子供たち』楢崎 寛訳)
おぼえてるかい?
                       (コクトー『怖るべき子供たち』一、東郷青児訳)
そう言って
               (シェイクスピア『リチャード三世』第四幕・第四場、福田恆存訳)

風習にまで遡る。この風習は、drop (throw) the handkerchief to:意中を仄めかす、気のあること(1)
を示す、という成句の中に引き継がれている。しかし、また、ハンカチを「恋人への贈り物にするの(4)
は、離別のもとになるとして避けられる」ともあり、「むやみに贈与してはいけない」ものともいう。(5)(1)
シェイクスピアの「オセロウ」の初演は一六〇四年である。その頃には、ハンカチは一般に普及して
いた。「愛の印」であったハンカチが、オセロウをして嫉妬に狂わせ、彼の最愛の妻デズデモウナを


指を離すと、
             (アイザック・アシモフ『銀河帝国の興亡1』第II部・7、厚木 淳訳)
ハンカチは床に落ちた。
            (ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』下巻・82、木村 浩・松永緑彌訳)
彼女はハンカチを拾いあげようとはしなかった。
                       (ボリス・ヴィアン『日々の泡』52、曾根元吉訳)

死なしめたのである。それは、苺の刺繍が施された一枚のハンカチだった。苺にハンカチ、といえば、(6)
シュトルムの『みずうみ』にある「森にて」の場面が思い出される。苺は聖母マリアのエンブレムで(7)
あり、ハンカチを聖骸布(キリストの遺骸を包んだ亜麻布)、或はヴェロニカの聖顔布に見立てると、
ハンカチに包まれた苺の構図は、キリストに抱かれた聖母マリアの図像、すなわち、「逆ピエタ」と
なる。「包む」は、「みごもる」という語にも通じ、イヴを「みごもった」アダムの姿を髣髴させる。


どうしてあのときハンカチを床から拾わなかったのだろう?
            (ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』下巻・84、木村 浩・松永緑彌訳)
まだ百年はたっていなかったが、
                  (ボルヘス『伝奇集』第II部・工匠集・刀の形、篠田一士訳)
まだそこにあるだろうか?
                    (ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』1、菅野昭正訳)

tie a knot in a handkerchief:(何かを忘れないために)ハンカチに結び目をつくる、という成句(8)
がある。かつての呪術的な風習の名残であろうか。『フランス故事ことわざ辞典』を繙くと、Nouer
l'aiguillette.:飾り紐を結ぶ、といった成句もあった。解説に、「ある特定の文句をとなえながら、
飾り紐に三つの結び目をつくる。この詛いの作法は憎い相手の縁談をぶちこわすために、嫉妬になや
む男や捨てられた女が行なった」とある。「人の結婚をさまたげるために詛いをかけた」というのだ。


海の上に
                           (アンリ・ミショー『氷山』小海永二訳)
コーヒーを
                    (ヴァン・ダイン『カナリヤ殺人事件』18、井上 勇訳)
注いだ。
                   (ロジャー・ゼラズニイ『砂のなかの扉』6、黒丸 尚訳)

処刑の際などに、流れ出た血をハンカチに染み込ませて、記念のために取っておくという風習がある。
ルイ16世が処刑されたあと、断頭台の柳行李が首斬り人の馬車によって運ばれていたときのことであ
る。それが、偶然、馬車の上から転げ落ちると、たちまち人々が群がって、自分たちの下着やハンカ
チなどを擦りつけていったという。そのため、そこらじゅう、何もかもが血まみれになったという。(9)
シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』第二幕・第二場、第三幕・第二場に、このような風習が


合い言葉は?
                    (シュニッツラー『夢小説』IV、池内 紀・武村知子訳)
波だ。
      (ピーター・ディッキンソン『エヴァが目ざめるとき』第二部、唐沢則幸訳、句点加筆)
涙?
            (マルグリット・デュラス『モデラート・カンタービレ』8、田中倫郎訳)

あったことを示唆するセリフが出てくる。貴族の血をハンカチに浸して、記念にとっておいたらしい。
『ヘンリー六世』の第三部・第一幕・第四場には、一四六〇年十二月三〇日のウェイクフィールドの
戦いの際に、ヨーク公が敵方のマーガレット王妃に、自分の息子のラトランドの血に浸されたハンカ
チを突きつけられ、それで涙をふくように迫られる場面がある。血に染まったその布切れの経緯につ
いては、『リチャード三世』の第一幕・第三場や第四幕・第四場のセリフの中でも触れられている。


涙が頬を伝った。
                       (サルトル『一指導者の幼年時代』中村真一郎訳)
去って行った者は、美しい思い出になる。
         (トム・レオポルド『君がそこにいるように』水曜日、岸本佐知子訳、読点加筆)
電話をかけようか、やめようか?
            (ソルジェニーツィン『煉獄のなかで』上巻・1、木村 浩・松永緑彌訳)

シェイクスピアの『冬の夜語り』第五幕・第二場に、ハンカチが、形見の一つとして挙げられている。
形見の品というものが、呪術的な事物になり得ることは言うまでもない。それに持ち主の血がついて
いたりすると、なおいっそうのこと、呪術性が増すであろう。竹下節子の『ヨーロッパの死者の書』
第四章に、キリスト教初期殉教者たちの「殉教で流した血に浸した布」が聖遺物となって、「人々の
病の治癒などに効験」があるとされたり、「信仰の中心に据えられるようになった」という件がある。


留守番電話の声は
              (ダイアン・アッカーマン『「感覚」の博物誌』第四章、岩崎 徹訳)
祈りの言葉を繰り返した。
                (グエン・クワン・テュウ『チュア村の二人の老女』加藤 栄訳)
よく記憶しているのだ。
                 (ターハル・ベン=ジェルーン『砂の子ども』17、菊地有子訳)

この起源は、ハンカチではなく、血でもって、さらに遡ることができよう。フレイザーの『金枝篇』
第二十一章・四に、霊魂が宿るという血に対する畏怖の念から、血のついたものがタブー視されたり、
神聖視されたりしたとある。出エジプト記にある過越の祭りなど、聖書の様々な記述が思い出される。
東條英機が、逮捕直前にピストル自殺を図ったときにも、CIC(防諜部隊)の逮捕隊とともに部屋
に駆け込んだ外人記者のなかに、ハンカチをその血糊に浸して土産として持ち帰った者がいたという。(10)


次に生まれ変わるときには
                  (トム・レオポルド『誰かが歌っている』18、岸本佐知子訳)
波となって
                      (フォークナー『サンクチュアリ』25、加島祥造訳)
生まれでるのだよ。
                   (ホーフマンスタール『詩についての対話』富士川英郎訳)

(1)学習研究社『カラー・アンカー英語大事典』(2)第五章、清水三郎治訳(3)平凡社『大百科事典』(4)
角川書店『スコットフォーズマン英和辞典』(5)三省堂『カレッジクラウン英和辞典』、以上、ここまで、
辞書の類は、handkerchief、或はハンカチーフの項を参照(6)第三幕・第三場、菅 泰男訳(7)大修館書店
『イメージ・シンボル事典』(8)研究社『新英和大辞典』knotの項(9)ルノートル/カストロ『物語フラ
ンス革命二・血に渇く神々』二、山本有幸編訳(10)ロバート・ビュートー『東條英機(下)』木下秀夫訳。



*



TWIN TALES。



『ジイドの日記』を読んでいて、ぼくがもっとも驚かされたのは、友人であるフランシス・ジャムに
ついて、ジイドがかなり批判的に述べていることだった。ジャムがいかに不親切で思い上がった人間
か、ジイドは幾度にも渡って書き記している。詩人としての才能は認めていたが、公平な批評能力も
なく、他人に対する思いやりにも欠けていると考えていた。もしも、田中冬二が、『ジイドの日記』
を読んでいたら、ぼくたちが「フランシス・ジャム氏に」という詩を目にすることはなかっただろう。


何か落としたぞ、ほら、きみのだ。
                       (ナボコフ『ベンドシニスター』1、加藤光也訳)
たしかに、
                            (ラディゲ『肉体の悪魔』新庄嘉章訳)
僕のものだった。
                            (ラディゲ『肉体の悪魔』新庄嘉章訳)

蜂の巣つきの蜂蜜を食べた。北山通りにある輸入雑貨屋で買ってきたものだ。四角いプラスチックの
箱の中にぴったりおさまって入っていた蜂の巣は、五センチくらいの高さの四角柱で、上から覗くと、
数多くある小さな六角形の、どの穴ぼこの中にも、黄金色に輝く透明な蜂蜜がたっぷりつまっていた。
ペティーナイフで切る蜂の巣はとてもやわらかかった。巣をつぶして食べるようにと書いてあったが、
ウェハースの形に切り取って食べた。食べかすを噛んでいると、ガムを噛んでいるような感じがした。


小波(さざなみ)の渦が
                       (ナボコフ『ベンドシニスター』1、加藤光也訳)
ハンカチを巻いて
                       (コクトー『怖るべき子供たち』1、東郷青児訳)
すうっと消える。
                        (リルケ『マルテの手記』第一部、大山定一訳)

三年くらい前のことだ。テネシー・ウィリアムズの『欲望という名の電車』を読んで、びっくりした。
第五場に、スタンリーが山羊座で、ブランチが乙女座であると書いてあったのだ。当時、付き合って
いたノブユキが乙女座で、ぼくが山羊座だった。ノブユキの姓が、ぼくと同じ「田中」であるという
ことを知ったときよりも、びっくりさせられた。そういえば、『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』を
読むと、ぼくが好きなサッフォーを、サリンジャーも好きなことがわかる。彼もまた山羊座だった。


花のように
                                (ヘッセ『詩人』高橋健二訳)
ハンカチは
                       (サルトル『一指導者の幼年時代』中村真一郎訳)
ほどけてゆく。
                          (サド『美徳の不運』前口上、渋澤龍彦訳)

高校二年の夏だ。以前から憧れてた先輩の安藤さんに、俺んちに泊りに来いよって言われた。試合を
見てるときなんか、だれにもわからないように、お尻をさわられたりしてたから、先輩も、ぜったい
に、ぼくのことが好きだと思ってた。寝る前に、先輩がトイレに立ったとき、ベッドの横にごろんと
なって、腕を伸ばした。すると、指の先に触れるものがあった。SM雑誌だった。グラビアだけ見て、
元の場所に置いて先輩を待った。先輩が戻ってきたとき、ぼくは目をつむって眠ったふりをしていた。


ひかりと波のしぶきのために、
                           (カミュ『異邦人』第一部、窪田啓作訳)
目をさました。
                 (モーリヤック『蝮のからみあい』第一部・一0、鈴木建郎訳)
眼がさめた時には、なんの記憶もなかった。
                            (モーパッサン『山小屋』杉 捷夫訳)


*



ぼくが住んでるワンルーム・マンションの隣に、「カフェ・ジーニョ」という名前の喫茶店がある。
喫茶店なんて言うと、マスターは怒って、うちはバールですよって言うんだけど、どう見ても、喫茶
店って感じだから、つい、喫茶店って言ってしまう。で、そこでバイトしてる高校生のミッちゃんに
訊いてみた。こんど知り合った男の子が、俺の欲しいのは身体じゃないんだって言うんだけど、どう
思うって。すると、こんな答えが返ってきた。メンドクサイのが好きなのねって。ぼくもそう思った。


ぼくは
                       (サルトル『一指導者の幼年時代』中村真一郎訳)
花びらが
                           (カミュ『異邦人』第一部、窪田啓作訳)
海に落ちてゆくのを見つめていた。
                       (ナボコフ『ベンドシニスター』4、加藤光也訳)

この前、タクちゃんちで食事をしてると、突然、彼が、「corpus」って、死体って意味があるんだけど、
キリストって意味もあるのよって言った。ぼくが、へえって言うと、クリスチャンの彼は、ぼくの目
の前に祈祷書を突き出して、ここに、真の御体をほめたたえよ、ってあるでしょ。これをラテン語で、
「ave verum Corpus」って言うのよ。ave はほめたたえる、verum は真に、Corpus はキリストって意
味ね。じゃ、仏といっしょだよねって、ぼくが言った。マホメットのことは、二人とも知らなかった。


ページをめくると、
                      (ジイド『贋金つかい』第一部・十二、川口 篤訳)
海だったのだ。
                        (モーパッサン『女の一生』十三、宮原 信訳)
ふと本から眼を上げた。
                            (カフカ『審判』第一章、原田義人訳)

北大路橋を渡っていると、ぼくの肩の上に、鳩が糞を落とした。びっくりした。買ったばかりのジャ
ケットなのに、と思って見上げると、いつものように何十羽もの鳩たちが電線の上にとまっていた。
西岸の河川敷で、ひとりの老婆が、コンビニなどで手渡される白いビニール袋の中から、パンくずを
取り出して撒きはじめた。すると、頭の上の鳩の群れがいっせいに飛び立ち、撒かれた餌のところに
舞い降りていった。通勤の途中だったので、着替えに戻るわけにもいかず、そのまま駅に向かった。


テーブルの上に
                             (サルトル『部屋』二、白井浩司訳)
ハンカチが
                       (ジイド『贋金つかい』第三部・九、川口 篤訳)
たたまれて置かれてあった。
                    (リルケ『オーギュスト・ロダン』第一部、生野幸吉訳)

ブチブチ、ブチブチ、踏んづけてる、これ、何の音って訊くと、ショウヘイがカエルだよって教えて
くれた。大粒の雨が激しくフロントガラスに打ちつけている。ぼくが電話をかけたときには、