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2020年10月分

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* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


詩の日めくり 二〇一八年十三月一日─三十一日

  田中宏輔



二〇一八年十三月一日 「記憶」

 感情の発展過程で、ある点以上には絶対成長しない人がある。かれら
は、セックスの相手と、ふつうの気楽で自由な、そしてギブ・アンド・
テイクの関係をほんの短いあいだしか続けられない。内なる何かが、幸
福に耐えられないのだ。幸福になればなるほど、破壊せずにはおけなく
なる。
(フレデリック・ポール『ゲイトウエイ』20、矢野 徹訳)

同じような文章をほかでも読んだ経験がある。
ぼくや、エイジくんが、そういった性質なのだと思う。
どちらか一方ではなくて、両方とも、そうやったんやから
とうぜん、うまくいくわけなかったのだけれど。

二〇一八年十三月二日 「千本日活にて/31。」

「自分からアプローチするほうのひと、勇気あるなあと思う。」
「えっ?」
「だって、断られるかもしれないじゃないですか?」
「まあね、それはそうだね。」
「断られたらショックでしょう?」
「ショック受けるかもね。」
「ぼくは、アプローチするのは無理ですわ。」
「でも、まえは、きみのほうからアプローチしてきたんやで。」
「そうでした。」
「ええっ? って、思ったもの。
 おぼえてる?」
「おぼえてますよ。」
「どれぐらいまえだっけ?」
「一年ぐらいじゃないですか?」
「そんなにまえ?」
「たしか、そうでしたよ。」
「うそみたい。」
ほんとだ。
うそみたいに時間が過ぎていく。
「思い出した。
 夏ごろやったね。」
うなずきながら笑う彼。
笑い顔が子どもみたいやった。
「このあいだ、ミクシィで
 キッスについて書いてね。
 フィリピンのゲイ・ビデオの一部がチューブになってて
 それを貼り付けてね。
 子どもみたいな顔をした青年が
 ウィンナーのはしっこをくわえてね。
 それを口にくわえながら
 相手の口元にそれをもっていって
 もう一方のはしっこをくわえさせるときに
 半分、笑っててね。 
 それ見て、
 ゲイのセックスって、
 友だちの延長みたいなもので
 まるでゲームみたいなものだなって思って。
 ふざけてるけど、
 真剣だということね。」
「わかります。
 フィニッシュがゲームの終わりみたいな。」
「言えてる。」
近くで悲鳴に近いあえぎ声がしている。
ふたりで顔を見合わせて笑った。
「はじめてきたのはいくつのとき?」
「26かなあ。」
「そなんや。
 じゃあ、まだ10年たってないね。」
「たってませんよ。」
「いま、いくつなん?」
「31。」
「いちばん、ええ時期かな。」
「そうなんですか?」
「うん。」
悲鳴の本体が移動した。
ふたりがはじめて会ったのは2年まえってことか。
ぼくは、もうちょっとのところで
こう言いそうになった。
「このあいだ、チューブで見た
 フィリピンのゲイ・ビデオに出てくる、かわいい男の子に似てるよ。」
って。
そう言わなかった。
そのかわり、こう言った。
「これまでで、最高のセックスって、どんなのだった?」
「おなじひとと
 おなじことしても
 こちらの気分で、ぜんぜん違った感じに思えますし。」
くびをひねるぼく。
「でも、こういうのがよかったとか、あるんちゃう?」
と、ひつこく食い下がるのであった。

その話を聞きながら、ゲラゲラ笑って
「じゃあ、こんど会ったら
 ぼくとのセックスがいちばんって言われるようにしよう。」
と言って、また笑った。
いつまで笑っていられるんだろう?
ずっと?
そんなわけないか。
そんなわけないやろなあ。
こわい、こわい。
「知ってるひとがいてるって
 ほっとしますね。」
「そうやろね。
 知らんひとばっかりやったら
 緊張するやろね。
 こころって同調するものやから
 過去に同調した経験があると
 すっとなじんでしまうのかもしれへんね。」
グレゴリイ・ベンフォードの『輝く永遠への航海』という
とんでもないSFを読んでいたせいで、
こんな言葉遣いになったのだと思う。
専門の物理学者が叙述するブラックホール内での
人類を含める有機生命体とメカニックスとの死闘を描いたSF小説で
とんでもない風景描写の連続で
サイバー・パンクを読んでいるような気がした。
「はじめてきたときには、できた?」
「いえ、かえりました。」
「やっぱり、びっくりして?」
「ええ、抵抗感ありました。」
「そだよね。ぼくもはじめの3回ぐらい
 なにもせんと帰ったもの。」
「自分の父親ぐらいの年齢のひとには
 ちょっと。」
ぼくももう49歳で、オジンなんだけどなあって思いつつ
「アリストテレスの言葉に
 同じ年同士は楽しいってことわざを入れたものがあってね。
 たしか共感について書いてたとこかなあ。
 共感する
 こころを寄せるってことね。」
「ずっと興味があったんですけど。」
「なにに?」
「ここにきはるひとって
 カミングアウトしてないひとは
 ふだんは普通に仕事してはるわけじゃないですか?
 でも、ここでは、おねえになったり、Mになったり
 それで、会社では、部下に命令してたりするわけじゃないですか?」
「厳しい顔、してたりしてね。」
顔を見合わせて笑った。
「どんなふうに仕事、してはるんかなあって思ったら
 知りたいなあって思って。」
「ぼくはカミングアウトしてるけど
 いつも、こんな感じで
 だらだら。」
ほんとに、だらだらなのだ。
しゃべり方はね。
「でも、みんな、ちょっと後ろ暗くて
 秘密があるってことでも昂奮してるんじゃないのかな?」
「あ、わかります、それ。」
「後ろめたさが
 平凡な人生を刺激してるって感じがして。」
ううん、と言ってえくぼをつくる彼。
「うつくしいときなんて
 たかだか数十年だよ。
 あっという間に過ぎちゃう。
 その目でいろいろ見たらいいよ。
 いろいろ体験するといいと思うよ。
 ふつうのひとには、想像できないことが
 いっぱい起こるからね。
 たとえば、そうだな
 ゲイの社会では
 社会的な地位による身分差がないのね。
 貧乏でも、若くてかわいければ
 たとえ相手が社長や医者でもタイプじゃなきゃ
 振り向きもしないんだ。」
「やっぱり、わかさですか?」
「そうだね、それとかわいらしさかな。
 きみは、わかくて、かわいいから身分が高いよ。」
「だれもそばに来てくれなくて
 期待はずれで帰ったことがありますよ。」
「それはね、
 そのときいたひとたちが
 みんな待つひとだったからだと思うよ。
 自分からアプローチするひとじゃなかったら
 動かないでしょ?
 でも、そんなことあるんやあ。」
「ありましたよ。
 なんか、さびしかったですよ。」
「なんやろ、
 偶然かな。
 こうやってふたりが会ってるのも
 しゃべってるのも
 気が合うってのも偶然だし。」
「ぼくも、こんなふうにふつうにしゃべること
 なかったなあ。」
ひとりごとのように言う彼。
こういった時間流のなかでも
さまざまな事物や事象が生成し変化し消滅していく。
ぼくたちの声、微笑み、気持ちも
瞬間瞬間に変化し消滅していく。
詩人の役目は、その生成し変化し消滅する事物や事象を
マトリックスの形で残していくこと
それに尽きると思う。
そのうえで、現実には起こりえない事物・事象についての
概念的な操作を暴力的に行なうこと。
それが理想かな。
好きだとは言わなかった。
付き合いたいとは言わなかった。
言葉ではないもので、通じ合っていたのだし
1年も会っていなくても、愛し合えたのだから。
もしもそれを愛というのならば。

二〇一八年十三月三日 「タレこみ上手。 転んでも、起きない。転んだら、起きない。コロンでも起きない。」

ストローのなかを行き来する金魚
小さいときに
ストローのなかを
2、3センチになるように
ジュースを行き来させて
口のなかのちょっとした量の空気を出し入れして
遊んだことがある。
とても小さな食用金魚が
透明なストローのなかを行き来する。

二〇一八年十三月四日 「さまざまな大きさの食用金魚がつくられている。」

さまざまな食感の食用金魚がつくられている。
グミより食感が楽しいし、味が何よりもおいしい金魚。
金魚バーグに金魚シェイク
食用金魚の原材料は、不安や恐怖や怒りである。
ひとびとの不安や恐怖や怒りを金魚化させたのである。
金魚処理された不安や恐怖や怒りは
感情浄化作用のある金魚鉢のなかで金魚化する。
金魚化した感情をさまざまな大きさのものにし
さまざまな味のものにし、さまざまな食感のものにして
加工食品として、国営金魚フーズが日々大量に生産している。
国民はただ毎日、不安や恐怖や怒りを
配送されてきた金魚鉢に入れておいて
コンビニから送り返すだけでいいのだ。
すると、その不安や恐怖や怒りの質量に応じた枚数の
金魚券が送られてくるという仕組みである。
その金魚券によって、スーパーやコンビニやレストランなどで
さまざまな食用金魚を手に入れられるのだ。

二〇一八年十三月五日 「金魚蜂。」

金魚と蜂のキメラである。
水中でも空中でも自由に浮遊することができる。
金魚に刺されないように
注意しましょうね。
転んでも、起きない。
起きてたまるもんですか
金魚をすると咳がでませんか。
ぶりぶりっと金魚する。

二〇一八年十三月六日 「金魚尾行。」

金魚尾行。
ひとびとが歩いていると
そのあとを、金魚がひゅるひゅると追いかける。

二〇一八年十三月七日 「金魚顔の彼女と。」

金魚顔の彼女と。

二〇一八年十三月八日 「近所尾行。」

地下金魚。
金魚サービス。
浮遊する金魚。
金魚爆弾。
近所備考。
近所鼻孔。
近所尾行。
ひとが歩いていると
そのあとを、近所がぞろぞろとついてくるのね。
近所尾行。
ありえる、笑。

二〇一八年十三月九日 「自由金魚」

世界最強の顕微鏡が発明されて
金属結晶格子の合間を自由に動く電子の姿が公開された。
これまで、自由電子と思われていたものが
じつは金魚だったのである。
自由金魚は、金魚鉢たる金属結晶格子の合間を通り抜け
いわば、金属全体を金魚鉢とみなして
まるで金魚すくいの網を逃れるようにして
ひょいひょいと泳いでいたのである。
電子密度は、これからは金魚密度と呼ばれることにもなり
物理化学の教科書や参考書がよりカラフルなものになると予想されている。

ベンゼン環の上下にも、金魚がくるくる廻ってるのね。
単純なモデルだとね。
すべて金魚雲の金魚密度なんだけど。

二〇一八年十三月十日 「絵本 『トンでもない!』 到着しました。」

一乗寺商店街に
「トン吉」というトンカツ屋さんがあって
下鴨にいたころ
また北山にいたころに
一ヶ月に一、二度は行ってたんだけど
ほんとにおいしかった。
ただ、何年まえからかなあ
少しトンカツの質が落ちたような気がする。
カツにジューシーさがない日が何度かつづいて
それで行かなくなったけれど
ときたま
一乗寺商店街の古本屋「荻書房」に行くときとか
おされな書店「啓文社」に行くときとかに
なつかしくって寄ることはあるけれど
やっぱり味は落ちてる。
でも、豚肉の細切れの入った味噌汁は相変わらずおいしい。
山椒が少し入ってて、鼻にも栄養がいくような気がする。
トン吉のなかには、大将とその息子さん二人と女将さんが働いてらして
ふだんは大将と長男が働いてらして

その長男が、チョー・ガチムチで
柔道選手だったらしくって
そうね
007のゴールドフィンガー
に出てくる、あのシルクハットをビュンッって飛ばして
いろんなものを切ってく元プロレスラーの俳優に似ていて
その彼を見に行ってるって感じもあって
トンカツを食べるってだけじゃなくてね。
不純だわ、笑。
次男の男の子も
ぼくがよく行ってたころは
まだ高校生だったのかな
ころころと太って
ほんとにかわいかった。
その高校って
むかし、ぼくが非常勤で教えてたことがある高校で
南京都学院高校って言ったかな
すごい荒れた高校で
1年契約でしたが
1学期でやめさせていただきました、笑。
だって、授業中に椅子を振り上げて
ほんとにそれを振り下ろして喧嘩してたりしてたんだもん。
身の危険を感じてやめました。
先生が、生徒が悪いことしたら、土下座させたりするヘンな学校だったし
日の丸に頭を下げなくてはいけなかったので
アホらしくて
初日にやめようとも思った学校でしたが
つぎの数学の先生が見つかるまで
というのと、紹介してくださった先生の顔もあって
1学期だけ勤めましたが
あの学校にいたら
ぼくの頭、いまよりおかしくなってると思うわ。
生徒は、かわいかったけど。
偏差値の低い学校って
体格がよくて
無防備な子が多いのね。
夏前の授業では
ズボンをおろして
下敷きで下半身を仰ぎながら授業受けてたり。
あ、見えてるんだけれど。
って、思わず口にしてしまった、笑。
ぼくも20代だったから
ガマンのできないひとだったんだろうね。
いまだったら、どうかなあ。
つづけてるかなあ。

二〇一八年十三月十一日 「けさ、太った女の子といっしょに暮らしてる夢を見た。」

女の子って言っても
20代半ばかな
たまに女の子の夢を見るけれど
たしかに
さいしょに好きになったのは女の子だったし
中学生までは
ぼくの時代の女の子は純情だったような印象だけど
女の子とはなにを話していいかもわからなかったし
男のほうが付き合いやすかったし
わかりやすかったから
ここ数日
バーセルミとル=グインの小説を読んでて
心理学用語が出てきて
その言葉が頭骨に突き刺さっている。
規制
「ほんとうに愛するものに出会うのを怖れている」
「どう振る舞えば、うまくいくかわかっているのに、わざとそう振る舞わない」
でも、人生はやりなおすことができないものだし
ぼくが付き合ってきた恋人たちに愛情をもってたのも確信してるし
とてもへたな付き合い方だったろうけど
もうすべて過ぎたことなのだから
けっして尊敬されるような生き方はしてこなかったし
どちらかといえば、目をしかめて見られるような生き方だったけれど
感心されるような
一部のひとにでいいから
感心されるような作品を書かなくちゃね。
どのような生にも意味があるのだけれど
ぼくが
ぼくの人生に意味があったということが
いつか確認できるために
いい作品書かなくちゃ
いまからエースコックのワンタンメンを食べます。
ひと月ちょいまえに出会った青年がいて
その青年はゲイでもバイでもなくって
ストレートなんだけど
でも、ぼくといっしょにいたいって思うらしくて
ぼくになついてくれていたのだけれど
ぼくは、わざと彼に冷たく接してしまった。
規制
まさしく規制

何度も同じことをしてしまう。

別れ際の彼のさびしそうな顔が
何度も目に浮かぶ。
ぼくに思いやりがあったら
やさしく接することができたと思う
どうして、やさしくなれないのだろう
彼の顔を見てるだけで
それだけで
ぼくも幸せな気分だったからだろうか
それがいつか自分を悲しい気持ちにさせるからと直感したからだろうか
規制かな
やっぱり
忘れられない。
しなかったことの後悔ほど
忘れられないものはない。

二〇一八年十三月十二日 「意味なしに、バカ。」

このとき考えたというのは
このときよりまえには考えたことのないことについて考えるという場合と
このときよりまえに考えたときとは違う方向から眺めたり
その思考対象に対して考えたことのない考えを思いめぐらすことであって
けっして
以前に考えたようには考えたということではなかった。
以前に考えたように考えるというのであれば
それは、たんなる追走にしか過ぎないであろう。
追想ね、バカ。
六波羅小学校。
運動場の
そと
路地だった。
彼は
足が3分の1で
ハハ
小学校だった
のではなかった
中学校だった
そいつも不良だった
ぼくは不良じゃなかったと思うのだけれど
学校や
家では

親のいるまえでは
バカ
そいつのことが好きだったけど
好きだって言わなかった
そういえば
ぼくは
学校では
だれのことも好きだって言わなかった
中学のとき
塾で
女の子に
告白されたけど
ぼくは好きだって言わなかった
かわいい子だったけど
好きになるかもしれないって思ったけど
3分の1

みじけえ
でも
なんか
まるまるとして
でも
ぜんぶ筋肉でできてるみたいな
バカ
ぼくも
デブだったけど、わら
このとき考えたのは
なんだったんだろう。
遡行する光
ぼくの詩は
詩って言っていい? わら
きっと
箱のなかの
頭のなかに
閉じ込められた光
さかのぼる光
箱のなかで
反射し
屈折し
過去に向かって遡行する光
ぼくの見たものは
きっと
ぼくの見たものが
ぼくのなかを遡行する光だったんだ
ぼくのなかで
遡行し
走行し
反射し
屈折する光
考える光
苦しんだ光
笑った光
きみの手が触れた光だった
先輩が触れた
ぼくの手が見てる
ぼくの光
光が光を追いかける
名前も忘れてしまった
ぼくの光
光が回想する
光にも耳があってね
音が耳を思い出すたびに
ぼくは
そこにいて
六波羅小学校の
そばの
路地
きみのシルエットはすてきだった
大好きだった
大好きだったけど
好きだって言わなかった
きみは
遠いところに引っ越したぼくのところに自転車で来てくれて
遡行する光
反射し
屈折する光
光が思い出す




何度も
光は
遡行し
反射し
屈折し
思い出す。
あんにゃん
一度だけ
きみの腰に手を回した
自転車の後ろに乗って
昼休み
堀川高校
いま
すげえ進学校だけど
ぼくのいたときは
ふつうの高校で
抜け出して
四条大宮で
パチンコ
ありゃ
不良だったのかな、わら
バカ
意味なしに、バカ。
どうして光は思い出すんだろう
どうして光は忘れないのだろう
光はすべてを憶えてる
光はなにひとつ忘れない
なぜなら、光はけっして直進しないからである。

二〇一八年十三月十三日 「暇だと、現実に溺れてしまう。」

暇じゃないけど
暇みたいに見えるだろうなあ。
「この夏は
 詩を書いてらっしゃったの?」
そんなことないですよ。
夏は
ぼく
ぜんぜんダメだし
ゲヘヘ
これから秋じゃ〜ん
頭が冴えてくるハズゥ

ここまでは言わへんかったけど
「夏は
 ぼくの敵です。」
敵は
ぼくのさぼり癖だよ。
ちょっと耽溺するはずが
ずいぶん耽溺して
現実に溺れてしまうのだ。
でも
先週
二杯目の焼酎
ロック
ひとくち
口をつけただけで
もう飲めなかった
タバコにも
またアレルギーで
吐き気がするし
でも
もう秋じゃ〜ん
ぼくの頭が冴えてくるハズゥ
読書の秋って
よく言うな
ぼくにとって
よい読書がいちばん
元気のもと
去勢
すごい博学だけど
まるでキチガイじみた博学さ
好きだけど、わら
現実に溺れる
非現実に溺れるぐらいに、わら。
わらら。
プッ。

二〇一八年十三月十四日 「どろどろになる夢を見た。」

焼死と
変死と
飢え死にとだったら
どれがいい?
って、たずねたら
魚人くんが
変死ですね。
って、

ぼくも。

言うと
アラちゃんが
勝手に
「ぼく安楽死」と名言。
じゃない
明言。
フンッ。
目に入れたら痛いわ。
そこまで考えてへんねんけど
どなると
フェイド・アウト
錯覚します
割れた爪なら
そのうち、もとにもどる
どろどろになる夢を見た
目にさわるひと
耳にさわるひと
鼻にさわるひと
手にさわるひと
足にさわるひと
目にかける
耳にかける
鼻にかける
手にかける
足にかける
満面のお手上げ状態
天空のごぼう抜き
乳は乱してるし
ちゃう

はみだしてるし
そんなに
はみだしてはるんですか
抜きどころじゃないですか?
そんな
いきなり乳首見せられても
なんで電話してきてくれへんの?
やることいっぱいあるもの。
あんまり暇やからって
あんたみたいに飛行機のなかでセックスしたりせえへんちゅうの!
ディッ
ディルド8本?
ちゃうわよ。
ビデオとディルドと同じ金額やのね。
あたし、ほんとに心配したんだから
ワシントン条約でとめられてるのよ
あんたが?
ビデオがよ
ビデオが?
ディルドもよ
ロスから帰るとき
あなたがいなくなってびっくりしたわ
16年前の話を持ち出さないで!
ビデオ7本とディルド1本で
合計16万円の罰金よ
空港の職員ったら
CDまでついてくんのよ
カードで現金引き出すからだけど
なによ
さいしょ、あんたディルド8本で
つかまったのかしらって思ったのよ
は?
8本の種類って
あんた
どんだけド淫乱なのかしらって、わら
大きさとか形とかさ、わら
それはまるで蜜蜂と花が愛し合うよう
それは
必要
かつ
美しいものであった
それは
ほかのものたちに
したたる黄金の輝きと
満たされていないものが
いっぱいになるという
充溢感をもたらせるもの
生き生きとしたライブなものにすることのできる
イマージュ
太字と
細字の
単位は不明の
イマージュ
読みにくいけれど、わら
ふんで

二〇一八年十三月十五日 「132センチの世界」

ドハゲ
ドチビ
ドブス
ド近眼
ゲイ
統合失調症のぼく
それでも、めげない!

二〇一八年十三月十六日 「232キロの世界」

たんなるハゲ
たんなるデブ
たんなるブス
たんなる近眼
たんなる統合失調症
たんなるゲイのぼく
部屋にはいるのに半日かかり
部屋から出るのに半日かかるぼく
それでも脱げない!
じゃない
めげない!

二〇一八年十三月十七日 「友だちのいないひと」

シンちゃんも
ちょっとおかしいし
ジミーちゃんもいまダウンしてるし
まえに付き合ってた恋人はブッチしてるし
ぼくもいま友だちがアライブじゃないんだけど
きょう
友だちのいないひとが
ぼくの部屋にきた
ぼくはきみの友だちじゃないんだから
ぼくのこと
友だちだと思わないでねって言って
ぼくには頼らないでねって言った
きみは
ぼくが幸せにしたいひとじゃないんだから
きのう
じゃないや
けさ
何度も起きた
4時とか
5時とか
6時前に
そしたら
近くにおられる先生が
ぼくと同じように
あさ
何度も起きたって
目が覚めたって
きょうから授業だったから。
ぼくと同じように
緊張するんやなあって思って
「ぼくもですよ。
 けさ
 何度もおきちゃって
 緊張してたのですね。
 こころって
 身体に
 ほんとに影響しますね。
 ちゃんと
 あさ
 起きなさいって
 言うんですね。
 あ
 命じるのかな。」
って言って。
ごめんなさい。
ぼくは
きみの友だちじゃないから
ぼくの顔を見にこないで。
「すいません。
 うっとうしいですか?」
まあね。
きみは
ぼくが幸せにしたいひとじゃないんだもの。
ぼくってケチなんだ。
わけると増えるのが愛かもしれないけれど。
きみに、わけるつもりはなくって。
きみを愛することも
憎むこともできそうにないし
しないよ。
きょう
友だちのいないひとが部屋にきた。
ぼくはずっと
ほとんどずっと
ミクシィと
チューブに集中して
友だちのいないひとの顔を見ないようにしてた。
そろそろお風呂にしようかな。
きょうは、いいチューブをたくさん見たよ。
いい映像がいっぱい。
いい音楽がいっぱい。
いいジョークがいっぱい。
画像のなかでは
愛がいっぱい。
愛がいっぱいだった。
きょうは、いいチューブをいっぱい見たよ。
いい映像がいっぱい。
いい音楽がいっぱい。
いいジョークがいっぱい
How About Love?

二〇一八年十三月十八日 「ケイト・ウイルヘルムの『杜松の時』を読み終わって、基本的なことの振り返りを。」

引用から。(サンリオSF文庫・友枝康子訳、84ページ)

 始まりは簡単だった、とジーンは思った。何事も始まりは簡単なもの
だ。表面は簡単だ。しかし深く入ると複雑なものだ。その表面をジーン
がごく当り前に受け入れることができる間は、生活は容易だった。何事
でも、誰にでも非常に感じやすい表面張力というものがあり、それを動
揺させることなくその近くをすれすれに通っていくのが安全だと彼女は
悟った。表面張力を破ることなく見ることは、人が見ることを選んだも
の、理解しうることなのだった。投影された自分だからだ。しかし一た
びその表面が攪乱されると、流れや横流、波の逆巻く水域などの渦中に
引きずりこまれて、透明なもの、簡単なもの、扱いやすいものは跡形も
なくなる。

 一年まえまで付き合っていた恋人とは、5年くらいのあいだ付き合って
いたのだが、それまで付き合っていた恋人とは違って、ほぼ毎日会って
いた。付き合って3年目くらいかな。それまでに見たことのない表情で
ぼくを非難したことがあって、びっくりしたことがある。でも、それが
きっと、彼についてのイメージのなかで、ぼくの持っていなかったもの
だったのだろう。
 ぼくの持っていた、彼についてのイメージ。ぼくの自我の範囲のなか
で形成されたイメージ。ぼくの自我が推測して形成したイメージ。
 ということは、ぼくが驚いたときにはじめて、ぼくの自我が形成した
ものではない彼に出会ったことになる。
 このときのショックほどではないが、だれかと会うような機会がある
と、よく驚かされることがあるのだが、人生は驚きの連続だなと、陳腐
な言い回しがよく思い浮かぶ。
 
 しかし、ここで皮肉なことに、ワイルドの言葉を思い出してしまっ
た。あるいは、三島由紀夫だったかな。

皮膚がいちばん深い。

二〇一八年十三月十九日 「こんな詩があったらいいな。」

内容がなく
意味がなく
音も声もなく
形もない詩。
あるいは
内容があり
意味があり
音も声もあり
形がない詩。
あるいは
内容がなく
意味がなく
音も声もなく
形がある詩。

二〇一八年十三月二十日 「いっしょに痛い。」

いっしょに痛い。
ずっと、いっしょに痛い。

ポンポンと恩をあだで返すひと。

するすると穴があったら入るひと。

サイズが合わない。

靴は大きめに買っておくように言われた。

こどものとき。

死んだ●●と●●するのは恥ずかしい。

二〇一八年十三月二十一日 「誤解を誤解すると」

誤解を誤解すると
誤解じゃなくなる

なんてことはないね。

二〇一八年十三月二十二日 「すぐに通報します。」

韓国テレビの『魔王』のなかでのセリフ

「おれは知っている、
 ひとは過去を忘れても、
 過去はけっしてひとを忘れない。」

そやろうか。

ロバート・バーンズの言葉

「他人の目に映るように、自分を見れたら。」

そうやね。

かつて人間は
無意識の自分
あるいは
内心の声を
神の存在と結びつけていたのではないか。

二〇一八年十三月二十三日 「詩論」

詩と散文の違いは
改行とか、改行していないとかだけではなくて
根本的には
詩は
鋭さなのだということを
考えています。

それを
狭さ
という言葉にしてもよいと思います。

ウィリアム・カーロス・ウィリアムズは
具体物
と言いました。

経験を背景としない詩は
まずしい。

しかし、経験だけを背景にした詩も
けっして豊かなわけではないのですね。

才能というものが
たくさん知っていることでもなければ
たくさん知っていることを書くことでもないと思うのですが
たくさん知っていて
そんなところはうっちゃっておいて書く
ということが大事なのかなあって思っています。

きのうもお話したように
もう雑誌や同人誌の時代は完全に終わっています。
ネットで下書きを書き
詩集で完成形にいたらせる
ということで
これからの数十年は過ぎていくでしょう。

それからあとのことはわかりません。
ただ、文学を楽しむことのできる人間の数が極度に減っていくと思います。

二〇一八年十三月二十四日 「近所の大国屋で、きのうの夜の10時過ぎに夜食を買いに行ったら」

レジ係の女性が、ぼくに話しかけてきた。
「日曜もお仕事なんですね。」
ぼくは、このひと、勘違いしてるなと思ったから
あいまいに、うなずいた。
ぼくと似てるひとと間違えたのかな。
でも、ぼくに似てるひとなんて、いなさそうなのにね。
なぞやあ。
おもろいけど。
こんどは、あのリストカッターの男の子に話かけられたいよう。
あごひげの短髪の体格のいい、童顔の男の子やった。

二〇一八年十三月二十五日 「『スプーンリバー詞花集』、到着しました。」

ネット古書店は、すごい。
注文して2日後に到着。
およそ半額で購入しましたが
まっさらでした。
よかった。
詩集って、古書店で買うもの
ほとんどが新品同様だったのだけれど
これって、贈られたひとが売ったものなんやろうか。
このあいだのジェイムズ・メリルといい
作品の質は高くて、資料的にも必要なもので
ふつう、詩人なら手放さないような気がするんやけど
ちがうかな。
『スプーンリバー詞花集』、パラ読みしたら、訳文に
不満が。
訳文自体の文体がおかしい日本語で
句読点の打ち方もおかしいところがあり
びっくりしました。
……だそうだ。
にするべきなのに
……だ、そうだ。
なんて、ぜったいにおかしいし
口語と文語がぐっちゃぐちゃ。
むかし読んだものと違う印象がある。
翻訳者が違うのかなあ。

二〇一八年十三月二十六日 「リストカット」

近所の大国屋でバイトしている男の子は
たいてい体育会系の子が多くて
ガタイがよくて、肌が日に灼けてて
スーパーの店員らしくないんだけど
なかには、ぼくと目が合って
なにやら、あやしい雰囲気をかもし出す子もいて、笑

そのなかのひとり
その子がレジ係のときに
ぼくの目をあまりにきつい目で見返すものだから
ああ、きっと、この子って、ぼくに興味があるんだなあって
2、3週間思っていたのだけれど
先週だったかな
レジで作業している
その子の左手首を見たら
たくさんの切り傷があって

ぼくの左手首にもリストカットの傷痕があって
でも
その子の傷痕は、ぼくのよりも太くって長くって
たくさんで、びっくりした。
ぼくのは、包丁だったけど
その子のは、包丁とは思われない太さだったから
あれは、なんで切ったんやろうか。
登山ナイフか何かかなあ。
包丁とは思われない太さの傷痕やった。
でも
その男の子
顔はかわいくて
体格もよくって
女の子にもモテル感じやったから
なんか
こころのなかに持ってるんやろうね。
ぼくが彼の左手首の傷痕を見てから
ぼくとその子は
ぼくが大国で買い物をするたびに
何度も見つめ合ってるんやけど
言葉は交わせられへんね。
きっと、ずっと。
言葉を交わしたら、アカンような気がする。
見つめ合ってるだけで、わかるところがあるような気がする。
こころのなかに持ってるってこと。
こころのなかに持っていて
持っているのがいやなものを。
きっと、ね。

二〇一八年十三月二十七日 「いま、ヨッパで帰ってきたところでした。」

まえに付き合っていた恋人と飲みに行きました。

こんなこと言われて、ドボン→
「けっきょく、あっちゃんって、放任主義やからなあ。
 いまの恋人って、おれのこと、束縛してきよるんやけど
 そこかな。
 心配されてるって感じがするやろ。」
「えっ?」
むっちゃ腹が立ったので
嘘をついてやりました。
「ぼくにも恋人ができたんやで。」
「どこで見つけたん?」
「ぜったい言わへん。」

前恋人は12時過ぎに帰りましたが
ぼくは2時過ぎまで飲んでました。
店を出て、ヨッパでぶらぶら
立ち並木にぶつかって
ヘッドフォンこわして
半泣きで帰りました、笑。

二〇一八年十三月二十八日 「詩論」

わたしとは、なにか。わたしとは、どこにあるのか。

ということに、とても興味があった。
20代から、ずっと。
引用のみによる実験的な作品も
それを明らかにしたいという気持ちから、つくったものでもあった。
だれひとり、引用のみによる詩をぼくがつくった動機について
このように考えたひとはいなかったけれど。
いま、ぼくは、「わたし」とは、形成力としてのロゴスであると思っている。
意味形成という側面からだけではなく
意味の希薄な情景や情感の形成にもロゴスが関与していると思っている。
このときのロゴスとは、引力のようなもので
引き付け合う力である。
もちろん、これは何も新しい考え方ではなくて
ソクラテス以前のギリシア哲学にあるもので
「何を、いまさら」というものであるが
「何を、いまさら」ということをはっきり検証したのが
引用のみによる詩であった。
ふつうの書法では、自明的でないからである。
また、コラージュでもわかったことだが
ひとつひとつの言葉や、さまざまな情景や、いろんな音が
それぞれロゴスを持っていて
互いに結びつこうとしていること。
その場所が「わたし」であるということだった。
もちろん、そのロゴスは、たとえば
同じ語であっても、ぼくのなかに飛び込んできたとき
ぼくのなかの他の語や感情といったものが作用するとき
同じ語が、それまで持たなかった違った引力を持ったりするのだけれど、
まあ、はやい話が
部分が寄り集まって、場と実体を持つとして
それが、「ぼくというもの」になると考えるのだけれど
だから、容易に
「わたしでないもの」が「わたし」になることができるのである。
洗脳が良い例である。
単純な話だと思うのだけれど
どうして、世のなかに氾濫している自我論って
むずかしく書かれてあるのだろうか。
むずかしく(見せて)書くことに意義があるとでも思っているのかもしれない。
ひさびさの日記は
つまらないことを書いてしまったように思うが
このぼくの日記よりもつまらないものを
ここ1週間ほど読んだ気がする。
みんなまとめて、さっき捨てました。

二〇一八年十三月二十九日 「詩論」

きのう
キム・イングォンくんが弟で
ぼくといっしょに暮らしている夢を見ました。
夢をつくっているわたしと
夢を見ているわたしが同じものなのかどうかは
いまだにわからないのだけれど
ロゴスという点で
意味形成・情景形成と
意味把握・解釈という
点で
結びつける力が
わたしなのだと思った。
きょうは、キム・イングォンくんに会えるかな。

二〇一八年十三月三十日 「文体」

ここ1週間で読み終わったSF文庫本。

『エデンの授粉者』 ジョン・ボイド
『異次元を覗く家』 ウィリアム・ホープ・ホジスン
『黄金卿の蛇母神』 A・メリット
『窒素固定世界』 ハル・クレメント
『サンダイバー』 デイヴィッド・ブリン
『謎の大陸』 アトランティス  デル・リー
『第十番惑星』 ベリャーエフ
『テラの秘密調査官』 ジョン・ブラナー
『呪われた村』 ジョン・ウィンダム

どれもカヴァーの絵がすばらしかったので買っておいたものだが
中身がカヴァーに釣り合うくらいによかったものは
『エデンの授粉者』と『呪われた村』くらいかなあ。
なつかしく、かわいいジュブナイルSFとしてなら
ベリャーエフの『第十番惑星』もいいかもしれない。
『異次元を覗く家』なんて
100年まえの小説で、文体が古臭かった。
しかし、ジョン・ウィンダムは、
古くならない作家だと思った。
なんでやろうか。
詩でも、ぜんぜん古くならないものってある。
古くなるものって、どこが古くなるんやろうか。
やっぱり文体なんやろうね。

二〇一八年十三月三十一日 「100人のダリが、曲がっている。」

のだ。
を。
連続
べつにこれが
ここ?
お惣菜 眉毛
詩を書く権利を買う。
詩を買う権利を書く。
そんなお茶にしても
また天国から来る
改訂版。
グリーンの
小鉢のなかの小人たち
自転車も
とまります。
ここ?
コロ
ぼくも
「あそこんちって
 いつも、お母さんが怒鳴ってるね。」
お土産ですか?
発砲しなさい。
なに?
アッポーしなさい。
なになに?
すごいですね。
なになになに?
神です。
行け!
日曜日には、まっすぐ
タトゥー・サラダ
夜には、まさかの
タトゥー・サラダ
ZZT。
ずずっと。
感情と情感は間違い
てんかんとかんてんは勘違い
ピーッ
トコロテン。
「おれ?
 トラックの運転してる。」
毎日もとめてる
公衆の口臭?
公衆は
「5分くらい?」
「おととい?」
ケビン・マルゲッタ。
半分だけのあそ
ピーッ
「八ヶ月、仕事なかったんや。
 そんときにできた借金があってな。
 いまも返してる。」
「じゃあ、はじめて会うたときは
 しんどいときやったんやね。」
たんたんと
だんだん
もうすぐ
だんだんと
たんたん
一面
どろどろになるまで
すり鉢で、こねる。
印象は、かわいい。
「風俗には、金、つこたなあ。
 でも、女には、よろこばれたで。
 おれのこんなぐらいでな(親指と人差し指で長さをあらわす=小さい)
 糖尿で、ぜんぜんかたくならへんから
 おれの方が口でしたるねん。
 あそ
 ピーッ
めっちゃ、じょうずや言われる。」
イエイッ!
とりあえず、かわいい。
マジで?
梅肉がね。
発砲しなさい。
あそ
ピーッ
お土産ですか?
説明いりません。
どれぐらいのスピードで?
まえにも
あそ
ピーッ
見えてくる。
「選びなさい。」
曲がろうとしている。
間違おうとしている。
見えてくる。
「選びなさい。」
まさかの
トコロテン。
ピーッ
あそ
ピーッ
見えてくる。
「上から」
ピーッ
見えてくる
「下から。」
のだ。
を。
連続
ピーッ
唇よりも先に
指先が
のだ。
を。
連続
ピーッ
行きます。
「選びなさい。」
「からから。」
「選びなさい。」
「からから。」
たまに
そんなん入れたら
なにかもう
ん?
隠れる。
指の幅だけ
ピーッ
真っ先に
あそ
ピーッ
みんな
ネバネバしているね。
バネがね。
蟻がね。
雨が
モモンガ
掲載させていただきました。


  黒羽 黎斗

倒立した壁は全て崩れている
(泡の内側は外へと向かう)
淀んでいた周囲は過去ではない
(口の中には走り回る森の群れ)
方角の向こう側から光が飛んでくる
(四季の乳房、道の消失)
振動している空洞の外側には形状という枷
痴れ者である樹々の幹から滴る樹液は
核融合で消えたいくらかの質量は、右目に宿っている
被い切れなかったことを知っている

淡くなろうとした血痕の脳裏では
見境のなくなった幾人もの星屑が、流星になろうとした
顔から出ていこうとする霊魂たちは一つの管であり、
役目を終えられず、手を胸にあてる

回る僕、回る私、星、四つの指と、一つの手

鹿の雄は、移ろいに宿り
鹿の雌は、暗がりに宿る
同じ脈を通わせて、思慕の中にいる
見渡す限りの全ての中の、真っ只中に
居座っている

空の端を掴み、息を吐くと
そこから私たちは居なくなる

荒れた原野が、背中に迫る
恐ろしい人、首に、赤

潰した紙屑が、広がっている

回転の、振動は、止まった。


詩の日めくり 二〇一九年一月一日─三十一日

  田中宏輔



二〇一九年一月一日 「ウルトラQ」

元旦からひとりぼっち。ウルトラQのDVDを見てすごす。やっぱり、ウルトラQの出来はすばらしい。ちくわを肴に、コンビニで買ったハイボールも2杯のんで、いい感じ。ウルトラQ、涙が出るくらい、いい出来だ。

二〇一九年一月二日 「調子ぶっこいてバビロン」

そういえば
きょう、仕事場で
このあいだの女性教員ね
そのひとに
「田中さんて
 なんで、そんなに余裕のある顔してるの
 つぎの仕事を探さなきゃならないっていうのに。」
なんて言われました。
べつに余裕のある顔してるんじゃなくって
そういう顔つきなのっていうの。
ああ
調子ぶっこいてバビロン
きょう
20数年ぶりにあったひとがいてね
そのひとに
さそわれちゃった、笑
ぼくの数少ない年上のひとでね
相変わらずステキでした

二〇一九年一月三日 「卵予報」

きょうは、あさからずっとゆで卵でしたが
明日も午前中は固めのゆで卵でしょう。
午後からは半熟のゆで卵になるでしょう。
明後日は一日じゅう、スクランブルエッグでしょう。
明々後日は目玉焼きでしょう。
来週前半は調理卵がつづくと思われます。
来週の終わり頃にようやく生卵でしょう。
でも年内は、ヒヨコになる予定はありません。
では、つぎにイクラ予報です。

二〇一九年一月四日 「卵」

あなたが見つめているその卵は
あなたによって見つめられるのがはじめてではない
あなたにその卵を見つめていた記憶がないのは
それは
あなたがその卵を見つめている前と後で
まったく違う人間になったからである
川にはさまざまなものが流れる
さまざまなものがとどまり変化する
川もまた姿を変え、形を変えていく
その卵が
以前のあなたを
いまのあなたに作り変えたのである
あなたが見つめているその卵は
あなたによって見つめられるのがはじめてではない
あなたにその卵を見つめていた記憶がないだけである

二〇一九年一月五日 「リサ・タトル」

イギリスSF傑作選『アザー・エデン』さいごに収録されたリサ・タトルの「きず」を読んで寝よう。ギャリー・キルワースの掌篇3篇は笑った。質の高いアンソロジーだった。むかしはじめて読んだときも、アンソロジーとして、質が高いと思ったのだけれど。

リサ・タトルの「きず」を読み終えた。おもしろかったという記憶通り、おもしろい作品だった。内容は憶えていなかったのだけれど。きょうから、イアン・マクドナルドの『火星夜想曲』を読む。まあ、きょうは、後書きと冒頭の作品の一部で眠りにつくことになるのだろうけれど。楽しみだ。これは初読だ。

二〇一九年一月六日 「創卵記」

神は鳥や獣や魚たちの卵をつくった
神は人間の卵をつくった
卵は自分だけが番(つがい)でないのに
さびしい思いがした
そこで、神は卵を眠らせて
卵の殻の一部から
もう一つの卵をつくった
卵は目をさまして隣の卵を見てこう言った
「おお、これこそ卵の殻の殻
 白身もあれば黄身もある
 わたしから取ったものからつくったのだから 
 そら、わたしに似てるだろうさ」
それで、卵はみんな卵となったのである

二〇一九年一月七日 「朗読会の準備」

クリアホルダー20枚と用紙500枚を買ってきた。1月19日(土)の朗読会で配布する、ぼくの詩のテキストを印刷するためだが、いま考えているのは、18枚に相当する量で、30分の朗読では、多すぎるかもしれない。途中でやめるということも考えている。ザ・ベリー・ベスト・オブ・ザ・ベストだ。

わずか1時間で、1月19日(土)の朗読会の、配布用のテキストが印刷できた。頭のなかの計算では数時間かかると出たのだけれど、機械はすごいね。「王国の秤。」を落として、「マールボロ。」を採った。はじめて書いた詩である「高野川」から、最新作の「いま一度、いま千度、」まで、選びに選んだ。

朗読会は、1月19日の土曜日に京都の岡崎で催されます。もう予約でいっぱいなので、新しく参加されることはできないと思いますが。宮尾節子さん主催です。ぼくはゲストになっています。30分ほど朗読する予定です。(対談含めてかもしれませんが)

二〇一九年一月八日 「約束の地」

その土地は神が約束した豊かなる土地
地面からつぎつぎと卵が湧いて現われ
白身や黄身が岩間を流れ
樹木には卵がたわわに実って落ちる
約束の地

二〇一九年一月九日 「二つの卵」

二つの卵は
とても仲良し
いつもささやきあっている
二人だけの言葉で
二人だけに聞こえる声で

二〇一九年一月十日 「水根たみさん」

水根たみさんから、詩集『幻影の時刻』を送っていただいた。10行にも満たない短詩がいくつも載っている。長くても、14、5行。いさぎよい感じ。ここまで言葉を短くできるのかという思いで、詩行を読んだ。

二〇一九年一月十一日 「卵」

卵を割ると
つるりんと
中身が
器のなかに落ちた
パパが
胎児のように
丸まって眠っていた
ぼくは
お箸を使って
くるくるかき回した
パパはくるくる回った

二〇一九年一月十二日 「卵」

卵を割ると
つるりんと 中身が
器のなかに落ちた
ぼくはちょっとくらくらした
ぼくが胎児のように
丸まって眠っていた
ぼくは
お箸を使って
くるくるかき回した
ぼくはくるくる回った
ものすごいめまいがして
目を開けると
世界がくるくる回っていた

二〇一九年一月十三日 「空卵」

卵を割ると
空がつるりんと
器のなかに落っこちた
白い雲が胎児のように
丸まって眠っていた
ぼくは
お箸を使って
くるくる回すと
雲はくるくる回って
風が吹いて
嵐になって
ゴロゴロ
ゴロゴロ
ピカッ 
ババーン
って
雷が落ちた
ぼくは
怖くなって
お箸をとめた

二〇一九年一月十四日 「イアン・マクドナルド」

イアン・マクドナルドの『火星夜想曲』ぼくには読みにくい文体だ。ここ10日間ほどで、まだ数十頁しか読めていない。きのう、Amazon で、『三分間の宇宙』と『ミニミニSF傑作展』を買った。短篇SFのアンソロジーだ。到着するのが楽しみ。中断中の読書、3冊。楽しくない読書はやめるようにしている。

二〇一九年一月十五日 「卵」

コツコツと
卵の殻を破って
卵が出てきた

二〇一九年一月十六日 「卵」

コツコツと
卵の殻を破って
コツコツという音が生まれた
コツコツという音は
元気よく
コツコツ
コツコツ
と鳴いた

二〇一九年一月十七日 「卵」

藪をつついて卵を出す
石の上にも卵
二階から卵
鬼の目にも卵
覆水卵に戻らず
胃のなかの卵

二〇一九年一月十八日 「『三分間の宇宙』と『ミニミニSF傑作展』」

何日かまえに、Amazon で注文した、SFアンソロジー『三分間の宇宙』と『ミニミニSF傑作展』が届いた。『三分間の宇宙』は新刊本のように、きれいだ。タイトルだけで、本文が一文字もない作品も載っている。そういえば、『源氏物語』にも、そういうものがあったかなあと記憶している。間違えてるかな?

二〇一九年一月十九日 「たくさんのひとり」

いま朗読会の1次会から帰ってきた。貴重な一日だった。

たくさんのひとりという言葉を使って朗読しておられた方がいらっしゃって、そうだね、ぼくたちは、たくさんのひとりだよねって思った。

二〇一九年一月二十日 「まーくんと、きよちゃん」

まーくんと、きよちゃん。ぼくの誕生日に、日知庵で、ぼくのために焼酎の『夢鹿』を一本、入れてくださったお客さま。お名前を憶えておかなくちゃね。とてもチャーミングなカップルだ。きよちゃんは、喜代子ちゃんというのが本名。とてもかわらしい女子だ。まーくんも同じく、とてもかわいらしい男子だ。

二〇一九年一月二十一日 「卵」

教室に日光が入った
きつい日差しだったから
それまで暗かった教室の一部がきらきらと輝いた
もうお昼前なんだ
そう思って校庭を見た
卵の殻に
その輪郭にそって太陽光線が乱反射してまぶしかった
コの字型の校舎の真ん中に校庭があって
その校庭のなかに
卵があった
卵のした四分の一くらいの部分が
地面の下にうずまっていて
その上に四分の三の部分が出てたんだけど
卵が校庭に現われてからは
ぼくたちは体育の授業ぜんぶ
校舎のなかの体育館でしなければならなかった
終業ベルが鳴った
帰りに吉田くんの家に寄って宿題をする約束をした
吉田くんちには
このあいだ新しい男の子がきて
吉田くんが面倒を見てたんだけど
きょうは吉田くんのお母さんが
親戚の叔母さんのところに
その子を連れて行ってるので
ぼくといっしょに宿題ができるってことだった
吉田くんちに行くときに
通り道に卵があって
ぼくたちは横向きになって
道をふさいでる卵と
建物の隙間に
身体を潜り込ませるようにして
通らなければならなかった
そのとき
吉田くんが
ぼくにチュってしたから
ぼくはとても恥ずかしかった
それ以上にとてもうれしかったのだけれど
でもいつもそうなんだ
ふたりのあいだにそれ以上のことはなくて
しかも
そんなことがあったということさえ
なかったふりをしてた
ぼくたちは道に出ると
吉田くんちに向かって急いだ

二〇一九年一月二十二日 「卵」

わたしは注意の上にも注意を重ねて玄関のドアをそっと開けた
道路に卵たちはいなかった
わたしは卵が飛んできてもその攻撃をかわすことができる
卵払い傘を左手に持ち
ドアノブから右手を静かにはなして外に出た
すると、隣の家の玄関先に潜んでいた一個の卵が
びゅんっと飛んできた
わたしは
さっと左手から右手に卵払い傘を持ち替えて
それを拡げた
卵は傘の表面をすべって転がり落ちた
わたしは
もうそれ以上
卵が近所にいないことを願って歩きはじめた
こんな緊張を強いられる日がもう何ヶ月もつづいている
あの日
そうだ
あの日から卵が人間に反逆しだしたのだ
それも、わたしのせいで
京都市中央研究所で
魂を物質に与える実験をしていたのだ
一個の卵を実験材料に決定したのは
わたしだったのだ
わたしは知らなかった
そんなことをいえば
だれも知らなかったし
予想すらできなかったのだ
一個の卵に魂を与えたら
その瞬間に世界中の卵が魂を得たのだ
いっせいに世界中にあるすべての卵に魂が宿るなんてことが
いったいだれに予想などできるだろうか
といって
わたしが責任を免れるわけではない
「これで進化論が実証されたぞ」と
同僚の学者の一人が言っていたが
そんなことよりも
世界中の卵から魂を奪うにはどうしたらいいのか
わたしが考えなければならないことは
さしあたって、このことだけなのだ

二〇一九年一月二十三日 「きみは卵だろう」

バスを待っていたら
停留所で
知らないおじさんが ぼくにそう言ってきた
ママは、知らない人と口をきいてはいけないって
いつも言ってたから、ぼくは返事をしないで
ただ、知らないおじさんの顔を見つめた
きみは卵だろう
繰り返し、知らないおじさんが
ぼくにそう言って
ぼくの手をとった
ぼくの手には卵が握らされてた
きみは卵だろう
待っていたバスがきたので
ぼくはバスに乗った
知らないおじさんはバス停から
ぼくを見つめながら
手を振っていた
塾の近くにある停留所に着くまで
ぼくは卵を手に持っていた
卵は、なかから何かが
コツコツつついてた
鶏の卵にしては
へんな色だった
肌色に茶色がまざった
そうだ
まるで惑星の写真みたいだった
木星とか土星とか水星とか
どの惑星か忘れたけど
バスが急停車した
ぼくは思わず卵をぎゅっと握りつぶしてしまった
卵の殻のしたに小さな人間の姿が現われた
つぎの停留所がぼくの降りなければならない停留所だった
ぼくは殻ごとその小人を隣の座席の上に残して立ち上がった
その小人の顔は怖くて見なかった
きみは卵だろう
知らないおじさんの低い声が耳に残っていたから
降りる前に一度けつまずいた
ぼくは、一度も振り返らなかった

二〇一九年一月二十四日 「テーブルの上に残された最後の一個の卵の話」

透明なプラスティックケースのなかに残された
最後の一個の卵が汗をびっしょりかいている
汗びっしょりになってがんばっているのだ
その卵は、ほかの卵がしたことがないことに
挑戦しようとしていたのだった
卵は、ぴょこんと
プラケースのなかから跳び出した
カシャッ

二〇一九年一月二十五日 「記憶」

ふと、京大のエイジくんのことを思いっきり思い出してしまって、そのエイジくんに似ている、いま好きな子とのあいだに、いくつもの共通点があって、人間の不思議を感じる。もしかしたら、人間って、ひとりしかいないのかもしれないって思ったことがある。ただひとりの人間が、何人もの人間のフリをしたがって、何人もの人間のように見えてるだけじゃないのかって。そう思えるくらいに、似ているのだ。顔ではない。雰囲気かな。魂かな。姿かたちではないものだ。ああ、そんなことを言えば、ヒロくんとも似ている。みんな、同一人物じゃないのかってくらい。しかし、これは錯覚だろう。ぼくの脳が、何人もの人間を結びつけようとしているだけで、ひとりひとりまったく違った雰囲気、魂をもっているのだろうから。ただ、脳の認識のうえでは、何人もの人間がひとりに見えることがあるというだけで。けさ、ノブユキの夢を見た。もう25年もまえの恋人を。

二〇一九年一月二十六日 「断片」

ひとはそれぞれの人生において、そのひと自身の人生の主人公であるべきである。したがって、他者に対しては、自己は他者を生かす背景に退かなければならない。けっして他者の人生において、自分が主人公となってはならない。と同時に、自己の人生において、他者を主人公にしてはならない。さまざまな感情に振り回されることのない、たしかなものがほしい。ひさしぶりに訪れた建仁寺の境内の様子は、子どものときに記憶していたものとすっかり違ったものになっていた。わたしの子どものときには、わたしたち子どもたちの姿があちこちに見られた。高学年ならば野球の真似事をしていたのではなかっただろうか。低学年ならば、境内の公園の遊具を用いて遊んでいたものであった。池が二つあった。その一つで、わたしたち子どもたちは、よくザリガニ獲りをしていた。そんな光景は、いまは、どこにもない。子どもたちの姿さえ、どこにも見当たらないのだった。訪れるのは、わたしのような役人か、政府関係者か、切腹を見にやってくる外国人くらいのものであった。戦後になって、首都が東京から京都になり、切腹会場が東京から京都に移されて、建仁寺の境内の様子が様変わりしたのであった。ズズッという音がしたので振り返った。ホムンクルスが串刺しになった。わたしは立ち上がって、男の顔を見た。男はいやしい身なりの霊体狩りで、齢はわたしと同じくらいか、少し上であったろうか。「ここは聖なる霊場である。ここでホムンクルスを獲ることは禁止されておるはず。」男は少しもひるまず、こう答えた。「お役人さまは、お知りじゃないんですね。このあたりでも、近頃は、醜いホムンクルスが徘徊するようになって、わっしらのような者に、ホムンクルスを狩るようにお達しが出されたんでさ。」わたしは自分の無知を恥じて、口をつぐんだ。男はそれを悟ったかのようないやらしいニヤけた笑いを顔に浮かべて、突き刺したホムンクルスを腰にぶらさげた網のなかに入れた。傷ついたホムンクルスの身体から銀白色の霊液が砂利のうえに滴り落ちた。「このホムンクルスのように、化け物じみた醜いホムンクルスたちが増えたのは、つい最近のことですが、ご時世なんでしょうな。」「それ以上、口にするな。」わたしは男を牽制した。どこに目や耳があるかもしれなかった。政治に関する話は、きわめて危険なものであった。男の姿が目のまえから消えてしばらくしてからも、わたしの身体は緊張してこわばっていた。肉体的な苦痛ほど恐ろしいものはない。わたしはそれを熟知していた。なぜなら、わたし自身が拷問者だからだ。わたしにわからない。どうして苦痛が待っているのに、男も女も、日本人も外国人も、反政府活動をするのか。第二次世界大戦で、日本がアメリカに勝ち、アメリカを日本の領土としてから、もう二十年以上もたつというのに、アメリカを日本から独立させようなどという馬鹿げた運動をするのか。国家反逆罪は死刑である。死刑囚から情報を引き出すために拷問するのが、わたしの仕事であった。また、眼球や内臓を摘出したあと、エクトプラズムを抜くために、わたしたちの手から術師たちの手に渡すのだが、そのまえに、まぶたと唇の上下を縫い合わせるのだが、その役目も、わたしたちは担っていた。

二〇一九年一月二十七日 「イマージュ」

鳥の散水機の電気技師の植木鉢のネクタイピンの微笑みのエスカレーターの瞑想の溜まり水の肘掛け椅子の小鳥の映画館の薬莢の古新聞の電信柱の蜜蜂の肘掛け椅子のビニールの牛の藁屑の理髪店の新幹線のレモンの俯瞰の花粉の電気椅子の首吊り台の雲のいまここのいつかどこかのかつてそこの自我の密告者の麦畑の船舶のカンガルーのエクトプラズムのハンカチの襞の寄木細工の草の内証の等級の新約聖書の自明の連続のオフィーリアの多弁の乾電池の朝食の時計のトランプの絆創膏の護符のバインダー・ノートの孔子の老子の荘子の政府承認の散文の韻文の抑揚の踏み板の首吊り縄の勲章の衣装のルーズ・リーフのコンセントの歌留多の帽子の絵空事の逮捕の証明書のぼっきの遺伝性機能障害の検査官の杜甫の陶淵明の去勢の描写の退屈のスパイ行為の旧約聖書の情念のサボタージュの堕落の壁の政治的偏向の因果律の表現のタイルのタオルの葱の小松菜の逐電の代謝作用のレコードのハミガキチューブの古典の技巧の細胞の組織の飛び領土の直線の亡霊の故郷の世界のコーランの原始仏典のチャートの汗の株式相場の計算用紙の意味の構造の漢字の経験の翻訳の瞬間の全体の官能の食料品店の心臓病の収集の薬玉の土曜日の寝台の手袋の顔の曲がり角の森羅万象の金魚の石榴の自転車の蝙蝠の幸福の鉄亜鈴の約束の珊瑚の嵐のつぐみの左手の教理問答の彫像のゼニ苔のウミガメの無関心の修練の献血の飛行機のつぼみの砂肝の道標の犯罪者の群青の異端者の刑罰の電極のチョコレートの意識の知覚の因果関係の非能率の膝頭の壺の光の風景の事物の言葉の音の葉脈の噴水の羽毛の噴水の間違いの存続の鼓動の樹冠の犬の亀裂の娯楽の技法の臨界の砂浜の蚊柱の鍵束の呼吸の神話の紙やすりの座薬の継母の自然の服従の奢侈の経路の埃の食虫植物のヨットレースの舌打ちの撫子の洗面台の受話器の因果律の告発の周期の背中の万葉集の釘抜きの微笑みの悲しみの平仮名の山脈の軍需工場の贓物占いのスパンコールの麻痺の渦巻きの赤錆の手術室のハンバート・ハンバートの考察のジュリアン・ソレルのスポーツ観戦のドン・ジョバンニの俳句の勢子のDNAの砂糖菓子の証言の肉体のコマの胡麻の素朴の軋轢の潜在的同性愛者の有刺鉄線の単位の美の事情の技術の不穏の明晰のヒキガエルの知識の木炭の発音の魂の売春宿の特権階級の太平記の嘘の真実の異議の働きの輸入品の人生の隔離状態の接触の摩滅の物語の現実の井戸の存在の舞踏家の無為の沈黙の殖産興業の小太鼓の原爆の違反者の抑揚のカインの営みのアベルの形容詞の通年の活版印刷のミンチカツ・ハンバーガーの猿の微振動の猫の霞の圧迫の雨の回転運動のマルガレーテの対称移動のジュリエットの杖のハムレットの翼のリア王のショッピングモールの芭蕉のファウストのアーサー王の神のコーヒーのクーラーの破局の悶えのカメラの糊のポールのジョンのジョージのリンゴの黒人の白人の哲学の季節の偏見の創造の黄色人種の骸骨のピンクの仮定の青の紫の向日葵のニガヨモギの裸電球の暁のクエン酸の馬頭星雲の薄暮の朝日の真夜中の正午の文庫本の図鑑の辞書の感情のボール箱の物証の治療のダイダロスの歯ブラシの比喩のエンジンのタオルの事典の韻律の休暇の雑誌の孤独の叫びの螺旋の出来物の表面の剃刀の括約筋の潰瘍の内部の露台の鱗の声のモザイクの交接の繊毛の接触の屏風の喉の階段のイメージの現実の波の肉体の焦点の麻薬の足音の旋回の儀式の背骨のゲップの名残のジャイロスコープの出産の弾丸の迷信の拷問の凧の深淵の堕落の緊急の排泄の漆黒の禿の勝利の偏光のクラゲの恥辱の放棄の愚連隊の弾丸の象牙の皮膚の響きの切り株の人混みの廃墟の高木の茂みの鈴の模様の繁殖の移植の抱擁の恍惚の布地の汚染の睦言の大衆の蔓の火打ち石の海鳴りの緊張の気泡の道の根の演技の橇の憂鬱の記録の噴水の壁掛けの緊張の眉毛の習慣の屈折の桟橋の平面の棍棒の瘡蓋の乳房の眉毛の真珠の刷毛の挨拶の信頼の解説の休息の襲撃の陰毛の物語の誤解の躊躇いの雑草の炎の物腰の強さの弱さの根の結晶の魂の寄生虫の万華鏡の曖昧の覇者のタクシーの騒動の鶏の胃の腸の肺の歓喜の音階の神秘の感触の一枚の溝の隠喩の霧の伸縮自在の追跡の恋歌の波紋の潅木の鳴子の象徴の人間の爆発の楔形文字の饗宴の旋律の木造のトマトケチャップの福音の隣人の頭蓋のマヨネーズの手術の霊感の悲劇の定期券の寝室の読み物のオーバーヒートの性的倒錯の頌歌の凸凹の司祭の蹄鉄の溺死の瞳の狼狽の非在の歓楽街の親指の精神安定剤の地雷の空集合の枯れ枝の跳躍の共鳴の消滅の象形文字の有刺鉄線の存在様式の境界の騙し合いの切符の跳躍の湿疹の手榴弾の田園交響曲の警察の驚愕の手紙の片隅の無人の胸部の思春期の急流の未遂の図書館の地平線の群集の無意識の自動皿洗い機の運動靴の周辺の臍の観覧車の憂いの銀紙のバス停の花壇の白旗のこめかみの頂点の吊革の吸い取り紙の懺悔の踏み越し段の籠の頬の妄想の劇場の陶器の奴隷の囀りの膨張の波動の唸りの洟水の背鰭の軋りの偶然の朝市の被写体の動揺の威厳の木っ端微塵の藪睨みの反復の審問の実体の瞼の突起物の語彙のこおろぎの微熱の絨毯の鼻梁の契約の気配の吟味の喪服の目配せの持ち前の雨音の滑走の武装解除の欄干の義足の上辺の胎動の瀕死の橋梁の指令の血筋の刹那の痙攣の沸点の波間の花びらの権利の水圧機の衝動の触角のエレベーターの符牒の生簀の眩暈の養子の鍾乳洞の数年前の例外の浴室の蛹の駐車場の破片の台風の動機の水槽の容貌の承認の純粋の迷走の虐待の美徳の跳躍の旋律の使徒の足蹴りのなだれの帽子の眩しさの犠牲者の観念論の悔恨の擦れ違いの城壁の封印の漣の尾鰭の輪郭の盲人の狼藉の趣味の国家の行列の神経の迷走の起源の解毒剤の穿孔器の元老院の深層心理の遠心分離機の異星人情報局の紙くずの摘み手のひと刷毛の滑稽の満足感の化粧のピーナツバターの自学自習の生まれ育ちの執刀医の瞑想の血管の謝罪の難点の相殺の花盛りの孵化の把手の留置場の小枝の虹彩の心無しの面影の量子ジャンプの軌道追跡装置の永劫の揮発性の移植の化石の返信の新陳代謝の斥力の割増料金の一瞥の孤島の昏睡状態の拒絶の意思疎通の略奪の新聞紙の弛緩の興奮の先祖の液体酸素の空腹の引力の映写機の緊張の王さまの兆候の激痛の湖岸の人形の難点の不機嫌の習わしの多幸症の瞬きの処方箋の暗黙の減圧室の妥協の茫然自失の物真似の長時間の告白の岸辺の意識の汚染の取り違えの真実の屈辱の芥子の静寂の袋小路の伝染病の微笑の訂正のガラガラのグリグリのバリバリの前歴の水流の偽りのアルマジロの段々畑の糸巻きの憎悪の残量の動作の咽喉の胚芽の悲哀の範囲の潜水艦の闘技場の試験結婚の饒舌の回収の両眼の縫合の禿げ頭の交信の大気圏突入の円環体の蜃気楼の胎児の壁紙の軌道の妊娠の避難の礼儀の汚染の鰐の催眠術の継ぎ目の急降下の輪転機の蜜蜂の大津波の胞子の渓谷の雷電の擬態の翻訳の慈善家の熱風の水蒸気の蝶の消化不良の象の幽霊の結び目の放浪の隊列の嫉妬の抱擁の泥炭質のまがいものの便箋の日没の狩猟場の音楽室の地すべりの電位差の巻き毛の官吏の凝結の鯨の剥製の宇宙飛行士の絶滅の理解の落下の殺戮の交換台の精神改造の戦さ化粧の徘徊の悩みの宇宙人同形論者の基盤の異種族嫌悪症の構造の大股のないがしろの塊の否定の状況の遮断の崇拝の間違いの鉄くずの水牛のスキャンダルの脊髄液の霊魂の繊維のひき蛙の陳列の宿命の費用の輻射熱の横笛の腐敗の還付の突然変異の反動の不意打ちの頭文字の輸出入の塒の呪いの錯覚の鸚鵡の所要時間の合唱の正体の檻の足元の思案の貧困の呟きの鉱山の傍観の砂漠の踊りの爬虫類の演説の凝視の折柄の初耳の彫刻家の爆破!

二〇一九年一月二十八日 「美しい言葉」

荘子は、美しい言葉は、燃え盛る炎のようだと書いていた。

二〇一九年一月二十九日 「ジャック・ケルアック」

未読だったケルアックの本を読む。「ディテールこそが命なのだから。」(ケルアック『地下街の人びと』2、真崎義博訳、新潮文庫100ページうしろから4行目)この言葉以外、目をひくところは、どこにもなかった。とくにこころ動かされる場面も描写もなく、ただただだらしない文体がつづいていく小説だと思った。

二〇一九年一月三十日 「荒木時彦くん」

荒木時彦くんから、詩集『crack』を送っていただいた。余白をぞんぶんに使いこなした、といった印象の詩集だ。

二〇一九年一月三十一日 「西原真奈美さん」

西原真奈美さんから、詩集『朔のすみか』を送っていただいた。朗読会でお聞きした「箱買い」という言葉に再度、出くわして、ぼくにはなかった経験をなさっているのだなあと、あらためて思った。「次の重さ」も重たい気がして、ひさかたぶりに重たい詩を読んだ気がした。


(平屋に住んでいると)

  田中恭平

 
平屋に住んでいると
背が縮みます
秋雨が身に染みる、とは
このことなのですね

安心を得る為に骨を捨てました、
しかし法悦には満足しております
ぜんしん、が脱臼して
髪は煙草の灰のように白いです

満ち欠け、と
いえば月 けして年齢によりませんが
一度、礼に向かいますので
そのときに その不思議なお尻をお見せください  敬具


味のしないガムのような念仏、
法悦はもう無い、くすりの服用によるさっかくか
副作用は日々強くなる
さいきん 嚥下ができなくなった

ペヤング ペヤング ペヤング 週五
胃袋から全身へペヤングソース焼きそばが送られ
わたしはもう人間ではない
かといってダイナマイトにはなれない


平屋に住んでいると
背が縮みます
秋雨が身に染みる、とは
このことなのですね

また 手紙を書き直している。自然法爾に、放流、

  


わたしはゐない

  鷹枕可

喉が渇き、その手を差し出す、しかしだれに、その手を差し出せというのか、
愛を唄ったかのような歌手達の陶酔に、まさか精製糖の微結晶に、さもあらず、
猟銃を選る詩人達、
猟銃を選る詩人達、
喧噪にしか詩人達は静物を溶解できないだろう、
それだからこそ比喩という帆を、舵を切る様に、散りばめなくては、壊れた眼の花束を、凝らしみつめなくては、
入口はある、しかし出口はない、坂道を堰き止める果物の、そして血肉の、骨の、最期が訪れるなどだれもが夢にも思わなかった、
腐敗は歴史の、人間どもの目抜き通りからやってくる、世界を逃れなくては、扉がない、裂傷がない、果てへと発っていった、鉄道列車がもう、ない、
逃げ遅れたのだと気づいた、だが時計は容赦無く長針を、その肌へと刻み止まない、誰もが何処かに行けるものと思っていた、愚かにも、誰もが、
晩年の証明写真、ただ一つの涯へ投げられた検死室、精神病院階下より、もはや終ってしまった私小説の石の花がほころび、心臓へ至るすべての道は絶たれていった、
だれが知るだろう、英字に飲まれていった人々を、唇のかみそりを、不健康な癒着の関わりにかつて慈しみの充ち満ちていた病窓を、
だれもが自分自身を探せないだろう、あらゆる蔑称の絶え間ない鄙びた地方国家、実象は現実生活のただならぬ呵責に病みやつれ、その貌はあたらしい墓石の様になめらかであり、
傲岸であり、そして表象の、粘土、ぬかるみの薄ら寒さをたたえ、アポロンへのきだはしに落ち窪んでいるのだ、
だが人々を、侵犯するものたちが皆、貝殻を聴く薪の断面に、創世記という書かれてはならなかった後悔に、
弔鐘を打ち揺らし、そして人々を見送ったかの一日に、
諸君は覚めていることすらも叶わなかったのだ、峰には鷲の、繊毛にはペストの鼠達の歴史をかかげよ、個室には鍵をなくした螺条殻が渦巻く、
その絹の壁には埋められた塑像の肉が馨るだろう、理由もなく目は裂かれ、理由もなく声は塞がれ、そして私達にはもどらぬ未来が、彼等という私達が、
俟つだろう、どうか願わくばその後刻へ、
人生どもの応接間に、一脚の黒い椅子を築いてくれ、
それが訣別のかわりだ、
それが訣別のかわりだ、
舵を、
鐘楼に
旧る
球体鏡へ、



花を鏤めて紙の少年を新しい明日などへ誘うな
憤懣の海――地下階段
羚羊と移相――比喩掌紋のあざとくも有れ
釘の痕や風洞――絶対‐無の光芒に驕り
醜い蝶の腹腔――閂を已むなく、
潮時計――豚とし豚なせるものの挨拶に翻し
      肉親に薫るもの、日食
  一対 恒星の 
     雌雄
       嘗て楕円に
          偏執を――いもうとの飽くるなき真鍮花‐市民、磨鏡を紛うなき血染史に漬し
       螺旋する もの
  ナルシス――鏡像の静物
    人体、終世を孤絶する花冠に敢えて
              崩壊しゆく 
     城の絵葉書を宵夜爾後、松葉杖に健忘し
  土地の砂時計、 
正負の幾何学 意志潤うを堰止め
  いろくづ、うつそうそのみにしもふりなだるらむと
    曰 生膚を剥し 
        地球史に一刷の定款、を     



企まずしてわかたれた途よ
人は人を知らずして触れ合いこともなげにそのゆびをすら離し
帰らぬ帰途を振りかえり已まない
だが敢て
兆すものがあるならば
撃て、と命じる意志をこそ撃て
ピアニストよ
玻璃の様に逞しき
空は梁
ひばりひばりと鳴くな故国を
不慮の偶然
憎しみもいやましにいてつきやまねばこそ
賤しき自が
蠅のその寵児たるを知りそむるを
_

醜い蛆よ
かばねのはてよりつきぬちもひもとかれ
印章‐史
結紮性紫斑、
そのかみがみの死府を差ししめしては
雲母などとみまごうを
鋳られたる潮はつかのはて且て曝されたる天主そののちの血飲児をうるうとも
十字格子を工廠は混めて
水銀蒸留法

クロロフィル置換壜にしも地球燈を鋳れば
実にも實る虚血こそあれ
膏を乾く灯置火よ
あくるひははてなき幾兆の劫波にたけてゆきかえらず
つきくずれつつ
橄欖鳩がこえをいきに聴き損じにしが


答えのない数式

  ローゼ・ノイマン

原初に還る感覚 人や生物、原子から抜け出す瞬間
やがては枯れて消えてしまう花の様に夢を観る

フリージャズの9th不協和音 歪んだ心に共振する
私はきっと暗闇の内(なか)から生まれたと思う

紫色の空を観る 廻る空に思いをはせて
僕は宇宙(せかい)に溶けていく 雲の様に 雨の様に

自戒の様に自分のなかの自分が重荷になる
答えの数式は出ているのに運命はそれを許しはしない



原初に戻るように 自分という概念という枠を抜ける
そこにある感情は愛、それとも産みの苦しみ

Starless Dark まるで胎児の様に空回る
歴史を観て来た 古い書物を紐解いた

星々が隠れみれない街の空 私は相変わらずだけど
誰かが言ったように残った自分が愛しい

運命の数式を解こうと科学者と革命家が動いている
常に神は我々を試そうとするのか、レールをしくのか?



運命論者になる度 私はハデにころんだ
父の記憶、その記憶は曖昧で その血が流れている事を知る


エンプティチェア

  滝本政博

テーブルには二脚の椅子があり
その一つに座っている
対面する椅子には誰もいない
何処にいるのだろう
椅子に座る人は
誰かのベッドに入り込んでいたり
ひとりで町を歩いていたりしているのか

椅子に座ってわたしは待つ
何処にいるのだろう
わたしの周りから消えていった人たち
みんな最後には何処かに行ってしまう

あの人 と よべる人が一人いて
今でもわたしを悩ませる
はるか遠い昔に
別れた人だ
何処にいるのだろう

あの人を椅子に座らせて 対面する
言わなければいけない言葉があった
はずだ 遠い昔 あの時
いまでもなかなか言葉になってくれないが
どうか幸せであるようにと願うばかりだ

眠りから覚めても自分が自分であることの不思議
何処にいるのだろう
わたしはずっと愚かなままだ
いつのまにか時は過ぎ
またこの椅子に座っている


祖国

  鷹枕可

祖国を懐かしむ時、
新しい家族を迎える時、
敗れた夢を庇われた時、
傷を抱き竦められた時、
ふれ合う故郷の話に花が咲く
桟敷の二つの椅子に
かの慈しみに何を返せばいいのだろうか、
ふと花束より、
目を
逸らす
同朋より
乖離せざるを得なかった時、
繁栄を極めた彼等が零落してゆく時、
憎しみを許されなかった者達の
逃避行のゆきつく涯を思う時、
先ず私が思い出すのは
故郷を流れる川であり
蒲公英を揺らす
今は無き
旧る風の歌声の流離である、

未だ幼い頃、
泥のなかから、知らぬ隣人に声をつぐんで、
いかがわしげに眺めていた事を、
思い出す
何の理由も意趣も無い
記憶の端切である、
かの頃は
日暮迄
野をゆき、草を摘み、夕餉の待つ家へ
後ろ髪を引かれ乍ら、
帰途へつくのを日々惜しんでいた
いつからか
家族が一人減り、
二人減り、
そして家も人手に渡り
土地とも縁無く為って後に、
かつての親友たちの訃報を聞いた、
不思議にも悔しくも思えず
何の感情をも想起されなかった、
ただ、
凡ての物事は、
留まることなく
押し流されて返らないのだと
現に思う私も
いつか、その時を待っているのだろう、
人間達の黄昏に行き遭いつつ、

_

花を、
或は希望を、
もう一日を、
誰もが口遊める、祖国を
季節を湧き返った、歓声に
流れ止まず、離れては近づける、
花筏の火事を
既に誰でもなくなった、われらに、

春の琴瑟、
蒼褪め
花壁に揃えられ、
三等航海士は錨に搦められ殉せり、
その印章を辿る、細やかな、針の、
死者の喉が、通る、束の間の、
記憶の中の家並よ

何も、憶えてはいないのだった
でも確かに、憶えていたのだった

言葉を、希望を、
脆く、最期にも、憶えていられるもの、祖国、
それは決して国家ではなく 
春の脈拍を打つ
流れる懐中の 古き名残、錫の花鉢に降る木洩れ日の、窓よ
永続に
忘失をされた、
異邦 の、
貴き青き罌粟の寓意に


『源氏物語』私語 〜野分〜

  アンダンテ

・・〜野分〜

遣唐使が廃止され、国風文化の最中(さなか)に『源氏物語』は書かれた。藤原道長を中心に置
く摂関家の時代は、謂わば第一次鎖国時代だった。安史の乱で楊貴妃が殺され、その後唐王朝は
衰退の一途をたどっていった。そんな折、菅原道真は唐に見切りをつけ遣唐使の廃案を朝廷に提
出した。その後、唐が滅んだので打ち止めになった。もし遣唐使が続投していたなら、超貴族
(藤原家)とその顔色ばかり窺う貴族たちの巣窟、宮廷社会という極めて特殊舞台での紫式部の
活躍はなかったかも知れない。玄宗帝は息子の嫁楊貴妃を略奪、年は倍以上離れていた。


 ・御屏風もかせのいたくふきけれはをしたゝみよせたるにみとをしあらはなるひさしのおましにゐ給へる人ものにまきるへくもあらすけたかくきよらにさとにほふ心ちして春のあけほのゝかすみのまよりおもしろきかはさくらのさきみたれたるをみる心ちす……
 ……かのみつるさきさきのさくらやまふきといはゝこれはふちのはなとやいふへからむこたかき木よりさきかゝりて風になひきたるにほひはかくそあるかしと思ひよそへらる

 野分は毎年、秋にやってくる。屏風などは片隅にたたんで寄せてあり、御簾も巻き上げられたり
もした。それは、垣間見のチャンスでもあった。夕霧の垣間見が始る。「きよら」と最上の誉め言
葉でたたえられた紫の上は樺桜、玉鬘は山吹の花、明石の姫君は藤の花に喩えられた。


 ・いまゝいれるやうにうちこはつくりてすのこの方にあゆみいて給へれはされはよあらはなりつらむとてかのつまとのあきたりけるよといまそみとかめたまふ

 夕霧十五歳。垣間見のエキスパート父源氏に垣間見さえも固く禁じられていた紫の上の姿を風見舞の折つい垣間見てしまった夕霧。風が吹き荒れ夕霧 のいるところが見えそう。いったん退き、源氏が帰って来たところにさも初めて参上したかのように声作りして簀の子のほうに歩み出る。≪されはよあらはなりつらむ≫源氏は節穴ではない。夕霧の所作はばればれ。そのことには深く立ち入らず、大宮の住む三条の宮ついで秋好中宮のところへ風見舞にいくように命じる。


 ・空はいとすこくきりわたれるにそこはたとなく涙のおつるををしのこひかくしてうちしはふき給へれは中将のこはつくるにそあなるよはまたふかゝらむはとておき給なり……

 ・しのひやかにうちをとなひてあゆみいて給へるに人ゞけさやかに おとろきかほにはあらねとみなすへりいりぬ……

 ≪しはふき≫≪をとなひ≫前述の≪こはつくり≫と同じく咳払いの意。まめ人と言われる中将は
よく咳払いをする。咳を聴いただけで中将だと源氏に気づかれるのだ。同じ伝達の咳払いでもそれ
ぞれニュアンスの違いがある。式部は聴いた者の反応と絡ませ、じつに巧妙にその場に溶け込ませ
る。

 ・
 ・なにゝかあらむさまさまなるものゝ色とものいときよらなれはかやうなるかたはみなみのうへにもおとらすかしとおほす御なほし花文れうをこのころつみいたしたるはなしてはかなくそめいて給へるいとあらまほしきいろしたり

 源氏のお伴しながら、秋好中宮、明石御方、玉鬘そして花散里を見舞う。花模様を織り込んだ布
地に、最近摘み取った紅花とつゆ草の花で染めた二藍色の着料。あまりにも素晴らしい。花散里の
染色の見たては南の上(紫の上)にも劣らないと源氏は感心する。


 ・中将にこそかやうにてはきせ給はめわかき人のにてめやすかめりなとやうのことをきこえ給ひてわたり給ぬ……

 源氏は三十六歳、若紫を見染て二十年近くの月日が過ぎている。若紫から野分まで二十二帖で埋まっている。これは単純なストーリーではない。様々なプロットが絡みあって転回していく。

********註解
:底本には『校異源氏物語』池田亀鑑編著を用いた。


ワークス

  自由美学

親父のメッシュキャップには
きまって球団のロゴ刺繍か
「漁協組合」って文字が入っている
野球も観なけりゃ漁師でもない
なんでもないただの親父なのに
あのキャップの主張がなんなのかは
いまだによくわからない

いくつもの鋏ケースを腰からぶら下げ
親父は今日も庭いじり
公道に自慢のワークスをめいっぱい広げては
日がな一日チョキチョキやっている
そんな親父の横顔が
時々JISマークに見えてしかたない

庭の片隅でひん曲がっている親父を
せむしの懸崖五葉松が笑う
サビた一斗缶から垂れ下がる枝は
バカになったマジックテープのようだ
安全靴がゆらりと転がって
苔のうえにあっさり投げ出される親父
まばゆい日差しは
ありとあらゆる主張をひっぺがしていく

野良猫はすぐにのりしろをはみ出したがる
我が家の玄関マットにどっかり乗っかって
目には縦長の切り込みを入れ
胴は山折り
しっぽは谷折り
おでこをお腹にのりづけして
やがてはマットの毛になる

テンプレートでくりぬかれた宿命
そいつを俺にしっかりと貼っつける
瓶詰めにしたそれらを
会社と役所に
そして実家に送付したら完成だ
紙パッキンできっちりホールドされながら
俺は社会になる
なんでもないただの親父になるために


沈黙を集めた鉱物の名前と人の息の長さ

  なまえをたべたなまえ

覚える

 白、と、雪の単語を覚えた口が白くも冷たくもならない事に気づいた子供の手に触れて、体温、と、温かい、と単語を教える私の唇が、子供の頬と同じように赤く、繋がりは常に赤に象徴される。血のように。言葉には色がない。だから、私と言葉はいつも繋がらない。言葉がなくても、私と子供は繋がる。いつか詩を教える。きっと、それは、彼が大人になる前に。

砂糖

 子供の頃、死んだ蛙に塩を盛るつもりが、間違って砂糖を盛った事があった。母が、それは砂糖だよ。舐めたらわかるよ、塩を盛らないといけないよ、と私に言ったので、私は、母がいなくなった後、蛙に持った砂糖を舐めた。甘さに死は混ざらない。死を知るのに、味覚では足りない。概念を舐めることはできない。だから、未だ、人を舐めたことがない。

鉱物性植物

 通勤中に突然浮かんだ。そうだ、鉱物性植物の図鑑を作ろう、と、いったいその植物がどんなものかも検討がつかなかった。いつもこうだ。まず、単語やフレーズが浮かんでからすべてが始める。鉱物のような硬度を誇るのか、土中に生育しているのか、花は宝石か、根は鉱脈の様に、輝いているのか。即身仏―永遠の瞑想のために、衆生救済のために、生と死の狭間で弥勒を待つ姿―が植物性鉱物のイメージの元にあることをその後気づいて、図鑑を作るのをやめた。生と死、植物と鉱物、混ざらないものが混ざって、どちらでもあると同時にどちらでもないものを編纂することは、どちらでもあると同時にどちらでもあるものを、何かにしてしまう気がして。



 白く吐かれては消えていく。凍えている間は見える。生きていることと死んでいくこと、どちらも白で象徴される事がある。相反する二つがどうして、白で?。生は白、死は黒、死神は黒、死装束は白、砂糖と塩は白、で、腐敗は黒で。私の肌は黄色で、白人は白く、黒人は黒く。私の書くものは、何色?息の様に、凍える時にだけ白く、見えるものがいい。

賢治

 妹との別れは、永遠、永劫の別れだ。法華経の世界では、死後、人は輪廻を繰り返す。私たちは私ではない何かに生まれてまた死んでいく。それを永劫繰り返す。まさに輪廻の世界だ。私は輪廻すれば母も父もすべて忘れてしまうが、また、輪廻し続ける限り、私ではなくなった私が、母ではなくなった母や父ではなくなった父ともしかしたらまたこの世界のどこか出会い、出会い続けながら死に続け、生き続け。では、今いる私は?今いる私の母は?死に続ける、生き続ける、どちらも重なり合って続いていく永劫に。私は一体誰だ?生きているのか、死んでいるのか、生き続けているのか、死に続けているのか、私は私でないものを続けているのか。

長く

 あまりにも長く人であり続ける、というフレーズが浮かんでから、ずっと、あまりにも、の意味を考えている。人の間を離れて、人でないものの間に入っている時期があった。動物達は、短く死んでいく。場合によっては、殺されていく計画的に。私たちは、人は、あまりにも長く人であり続ける、ことの重さを考え続けている間にも、また、人以外のものは計画的に殺されていくの私は知っている。人であり続ける、一瞬でも良いから、人でないあり方に、ありたい、と、思うときに、動物達の寝息が聞こえる。あまりにも長く、長く、人が人であり続ける、覚めている間に見る夢は、本当は見ることができないもので、それは現実でしかない。だから、ずっと夢を見ている。

息を潜める

 息を潜める為に、詩を書いている。息を潜めて、人でないものに出会うための、人でないものの間に入っていくために、息を潜める。人であることを忘れる瞬間のために。長く、息をついで、長く、息を潜める。鉱物の様に静かに、即身仏の様に、弥勒の到来を待って、長く息を続け瞑想のために。





2984年の悲しみと青い映画について


青い映画について、
駱駝と話す、赤い言語、
共産党員と、トイレットの、
真昼の発音、

―英語が全部学習された
 だから、編み物の、
 発音を、冬に温めて、
 夏に、水浸しにする、
 羊、と、Sheep
 の、間にひかれた、
 赤道、
 ppp、
 いえ、ぷぷぷ、
 です、
 濁点を足したら、
 走り出したね、
 オフロードは、
 詩に似合わない単語、
 いや、詩人に
 似合わない、単語、
 詩人は、
 頭が悪いから、
 優しい、数学ができない、
 優生学的に、
 死んでいる人々へ

 悲しい出来事が起こっている、
 だから戦争だ、
 悲しみを、
 餌に、
 鱒刷りを、
 アメリカと、
 カーディガン、
 ブの、音が辛い、
 ブカブカの、音が
 本当につらい、
 編まれたのだから、
 ジープみたいに、
 ブロロロ、って、

 あ、

 ブローディガン

 現代詩もまともに書けない人が、
 人の詩を読んで、
 批評してる、
 腐ってるね、
 ああ、
 腐ってる、
 
 漫画とJPOPしか知らない
 人が、人の詩を読んで、
 詩を書いてる、
 悲惨だね、
 それも、良い年した
 おっさんやおばさんがそうだ、
 可哀そう、

 映画は、まだ、
 雨を知らない、
 だから、ずっと青い、
 ケンジみたいだね、
 ずっと、あの冬の日
 から、青ざめてる
 ケンジだね、
 2984年から、
 2984匹の動物達へ、
 101号室から愛をこめて、
 
 
 かなしみと動物達は
 透明な唾液で結ばれていた
 それを、私は
 トトカカイイキキ、と
 名付けて
 叫んだ、
 皆、気が狂った、と、
 私を見て、言った、
 夢を見なさい、
 生暖かい雨に
 吐き気のするような
 人の気配、
 夢を見なさい、
 晴天だ、
 

 生活に、鉛をつけて、
 深く落とすとき、
 子供の背骨が、
 折れる音と、
 羊が
 Sheepになるために、
 焼かれていく、
 匂いがする部屋へ、
 blue、と、
 青い、つまり、
 タケシは、
 映画を、とめて、
 ケンジを撮らないで、
 
 第四次延長は、
 人が決壊する、
 地点、
 駅名は、
 ghost、つまり、
 魂は、青白く、
 熱をもたらして、
 点灯する、
 この、映画は、
 青く塗りつぶされている、

 詩を、失う、
 つまり、
 ケンジ ミヤザワ
 を失う、
 故郷は、
 映画に塗りつぶされた
 青だ、
 魂だけが、
 人の気配をもって、
 ぼんやりと、
 明滅を、
 繰り返して、
 私が、照明する、

 消灯、
 閉館の時間です、
 魂は、
 ポケットにしまって、
 貴方の顔は、
 青ざめています、
 あの、雪の日の様に、
 静脈が、青く青く、
 浮かび上がった、
 晴れた、今
 地獄だけが青くて


我が熱

  

春も光風、草にしっとりとした、
匂いが近づいてくる
銀色に砕けた夜空に浮かぶ、
ほっそりとした三日月は、
指先の中で、貴女の重力に撓んでいる

廃線の駅は、口の中に解け、
その甘味を、ニ匹の氷は知らない
時刻表は、ウィスキーに乗り、
魚のふりをする代わりに、
言葉に連絡しないグラスに、嫉妬をぶつけた

真珠色の、アスファルトは、
ベンチに凭れ掛かり、
花の中は、償いを諦め、
濡れては乾き、生まれては死に、
その甘味を、胃は知らない


Anthology

  深尾貞一郎

「書道教室」8歳

日曜日は自転車に乗って書道教室に行きます。
書道の道具の入ったカバンは、墨汁で汚れています。
自転車の前カゴの中で、カバンが揺れています。

ペダルをこぐ半ズボンから、膝小僧が伸び縮みしてるよ。

国道沿いを抜けて、海沿いの農道を抜けて。

雨の日はバスで行きます。
しと、しと、降る、雨。

ガードレールに腰掛けて。 
黒い傘のメッキした棒に雨水がしたたります。
カバンを抱えていたら、僕の前に自動車が止まりました。

「乗っていかない?」
車の中で、僕がかわいそうに見えたと、その大人は言いました。
2km離れた所で降ろしてもらいました。

いつも教室が終わったら、
自転車に乗って、
駄菓子屋で、肉まんを買って帰ります。
冷えていてもね、お母さんが喜ぶから。


「冬の農道」16歳

幼なじみと二人、駅から歩いた日。

舗装された、古い、細い農道を歩く。
両側に田園が広がり、すこしとおくに防波堤。
かがやいた海が見える。
作物のない、平たい田んぼを、
真白に覆う、薄い雪を、
飴色の低い太陽が、ただ照らす。

彼の詰め襟の学生服は、
丈を短く仕立て直されて、
ただ、ぼくを威圧した。
路線バスは1時間に2本しかなかった。
あまり話すこともなかった。

ぼくは、言葉のない人間だった。
おびえて生きる、つまらない奴だった。
凍結した雪を踏んで黙って歩く。

彼は、違う道に向かっていた。
そうしなければ、意味がないかのように。
ぼくも、やがてそうした。

記憶の中の子供らは、
もう、そこにはいないのだが、

沢で蟹を捕っていた。
水草のあおい匂い。ざらついた石の手触り。
ちいさなゴム長靴がゆらす水面は、
まだ、冷たさを与えて。


「汽水域」30歳

憧れは都会に咲くことでしょうか。
乾いた銀の鐘のように凍った夜がありました。
瀬に漂い着いたのは、
火星の残像を映すブラウン管です。

強がりな、
コンクリートに寂しい肩を広げる河。
煙る工場の電飾に顔をさらし、
カラカラと改札を通り過ぎます。

極北からクジラのいびき声がとどく頃、
黄色いタクシーの室内灯、
孤独で優しい帰路もありました。

乾いた銀の鐘のようなコンペイトウにも似た、
カラカラと咲く、
固く凍った都会にて。


「幸せに生きることができますように」42歳

点は区切られた線上にある。
無限の点を通過するのに、
無限の時間はいらない。
それは一瞬であっていい。

竹の飾りに、
短冊を結わえる。
この願いを込めた、
四角い紙きれは、
風にそよぐ。

小枝にさがるのは、
お金持ちになりたいという、
誰かが書いた、
いくつかの、
本音めいた願い。

彼女がほしいと、
真っ白な短冊は、
泣いているのだろうか。
照れ笑いしているのだろうか。

かわいらしい、
アイドルの写真がさげてあった。
ふわふわと揺れ、
竹飾りを華やかにする。

明日はまた、
竹の飾りのように、

儚くとも希望を持ち、
風に乗ればいつかは、
枯れてしまってもいい。
胸のなかの夜空は輝く、
そこにはわたしの、
宝ものが映っている。


人の温度

  なまえをたべたなまえ

息がまた、くぎられて、
くべられていく、
動物達よ、
この、温度を、
落とす、
この、
人である、
生温かい、
温度を、落とす、
場所を探している、

死に、未だ、
宿らない、熱を、
吐いて、
生きている、
温度を、
測りなおす、
毎日を、
人ばかり、見ている、
人だかりの、
中に、落ちていく、
温度を、
まだ、確かめている、
手を、

舌の上で息を区切っていく速度が温度に変わる地点を走っている
私たちは未だ、動物達だ

人、や、
魂、では、
語れなかった、
ものを、息で、区切っていく、
この速度は、
体温「だけ」を上げる、

温度が体中をめぐっている感覚だけが生きている
粘性を帯びた生活が
息を切らすたびに、
床一面に広がる、
温度を落とす、
人の気配が漂って、
匂いが、
人の匂いが、

焦げていくこともない、
この、体から、
熱だけが、
続いて、
もう、ただただ、
長引いていくだけの、
息、

動物たちの季節、
この温度は、
私たち以外を、
燃やし尽くしてしまう、
そして、私までも、

生きていくことを、
徐々に、
落としていく、
速度、

温度が、
人から、
動物へ変わる、
速度、

生きていることを、
死んでしまった、が、
超えていく速さで、
温度を、
人の、温度を
落としていく、


初恋

  小西

14年間のキスが終わると
ふるさとごと奪い取られたみたいに
もう何も残っていなかった


塩サラダ

  自由美学

カリフラワーそっくりな白いボアブルゾンを
あなたはところ構わず脱ぎ捨てて
その上にいつも
どかっと逆さまにしたヘルメットを置くんだ
かぶり口に若草色のグローブを引っかけてさ
それがなんだか
サラダボウルからはみ出たレタスみたいだねって
二人してけらけら笑ったね

笑った/のに

アボカドのたね、
くりぬいたところにダイストマト
赤々と散りばめて嘘
かさねてしまう面影をジップロックして

わたしたちはいつだって
逆さの手にナイフを隠し持って
つま先立ちで歩いてた

すがったり投げたり
ちぎれちぎれのクルトンがもう
ばらばらとこぼれ落ちては
沈んでくサワークリームのなかに
ラディッシュの赤/赤に
忘れたふりの笑いかた
ああ情感過多の朝だ
二人乗りで混ぜあった夏のハレーション

//とおくなる

秘密基地で指切りした/のに、
ふと閉じ込めたはずの声と
抜けるような孤独が
白ワインビネガーにつんと染みて

わたしはまた
キッチンで一人泣きながらサラダ作ってる


pistols

  白犬

rhythm 渦 のくたーん 僕は何処? 肉に封された夢魔の数々 嫌だな もっと解放しろ 「僕は無責任に笑う」 君達の愚かなだんす、笑えるよに。 花を撒く 蒔く また、笑えるように 九官鳥 dead copies 鳥達が地平を翔ぶとき 射精されたみたいな赤い夕陽がさ それをさ 穢さないようにそっと食む

意味の無い夜に
意味の無い言葉を
「あたしを殺して」
せっくすとあるこーると煙
優しさを撒き散らす
獲物のtaboo
退屈だなー。

愛があるから愛があれよ
理屈を積み上げては交われよ
鏡、断面、断層、愛しき獣面

だんす
疲れきった
君のこうがんを絞り上げて笑うのさ
僕はまだニンシン出来無いよ。

「僕はここだよ」
犬の目玉に赤く燃える丸点
睫毛が伸びて
君を屠った
赤い陽を浴びて僕は裸で立ってる
小鳥達、いつでも会えるよ?
退屈な人達。
でぃーぷきす。
何も産まないから
遊んでるんだろ?
もっと
深く、
落ちて来て

「まだ出来無いよ」
白いびーと 夜の魂を抱いて
したい
もっと

傷口に花を

もっと
深く、
落ちて来て


LEMON BEACH

  GROWW

展望台の銀の手すりに、街中の花々を円筒形に閉じ込める。冷気と霧のなかに点在する欠陥高層集合住宅を互いに繋ぐ、距離という距離を冬の空に張る弦に作りかえる。ラブホテルと高架橋が重なって見える横断歩道の真ん中に立ち止まり、遠景の山脈に在るはずのない氷河を見つけ出す。老いも若きも集団で死にゆく天体へとジョギングするついでに、電波塔のふもとで風を選び取る。そうすれば百貨店のアドバルーンは焼け跡の立木のように動かず、時の流れもそれに倣うだろうから。結果の総和として凪ぐ海岸、レモン・ビーチ(skrt skrt)


物置

  イロキセイゴ

イチゴが成人して
二十二歳で卒業して行く
広範な自治は母の指に依存して
水が飛んで来るだけでは
潜水は出来なかった
ハタキでハエを追い払って
曲の構造を露わにした
母は退場して
就職する事は旋回する事だと言った
イチゴの発散する生気を
ヒヨドリが食べに来た
単数形のドアと複数形のドアが
太陽の光をコントロールしている
鈍い光が物置だけを照らしていた


履歴書

  滝本政博

生まれ そして 死にました
子供であり父であり祖父でした
馬に乗ってとぼとぼと歩きました
汽笛を鳴らし 出発しました
乾きと空腹のなかにいました
熱風のなかにいました
戦禍に巻き込まれてゆきました
銃を担ぎどこまでも歩きました

ほら 空はこんなに薄っぺらい蝶の翅
開閉し 反転する影絵だね
鳥影は擦り切れた音盤の中を飛びました
歳月もぐるぐる回って過ぎて行きました

収穫の秋に子供が生まれました
子供は春には走りまわりました
子供は犬を飼い
何処に行くにも一緒に連れまわしました

生き そして 死にました
あの人を愛しました
あの人にあうときは なにごともうわの空
駆け出して 胸に飛び込みました
あの人は毛並みにそって撫でてくれた
ひっくり返ってみる 
でんぐり返ってみる
あの人の胸の中で

ほとんど眠れませんでした
病院のベッドにいました
病院を抜け出して映画を観にゆきました
サーフィンの映画でした
スクリーンに海が映りました
盛り上がる波を乗りこなしました
ああ なんという美しさでしょう


harpy

  白犬

風切り羽根を微かに震わす
風を目を細めて視る
内蔵に絡み付く野薔薇の刺が優しい
貴方のimageは風に溶けて
もう貴方の顔も忘れてしまう

届か無いと千切った腕が
いつか貴方に
届か無いと毟った羽根が
いつか地上に

啄み(孕む)のは言葉達です
うんざりと
海に漂流するそれらを

性器を掻き回した指を
口に入れられた時
生臭い潮に似た味がした

私のお腹の中に
まだ海が居るの



求めるものから
引き千切られて
寂しく発光する
醜い寄り合いに
いつか彼らに
柔らかく命の香りがする
春の光が
届くようにと

大きな風切り羽根を1枚引き抜いた

落とす





紛れもなく貴方と





もう名前も呼びたくない





地を駆ける毛むくじゃらの私は
はちきれんばかりに尻尾を振るのです
本当に、楽しかった


内蔵が求める獲物の連鎖を
誰も彼もがその時には泣いて居て
私達と私達は殺し合い
私の嫌いな正義さえ擦り切れて
野と水と記憶が残り


記憶


私は火を飲む


内蔵も脳も
てろてろ融解する朝に
零れるものを掬い溢れるものを掬い
私は人面の鳥
火を飲んだ


私の中にしか無い空へ
羽瞬く
その太陽を突き抜ければ
また会える?

また、会いたい
貴方に
貴方達にも

空も
地も
海も

光が 溢れて


印刷をしたい衝動

  イロキセイゴ

鷲の飛翔から
微光が放出されて
鷹の隊列が少し乱れた
稲穂の中で揺曳するイタチが
私から目を背けた
田のあぜ道に生えるセンダングサの実が
ズボンや靴や帽子に付いて
鷹や鷲は微光だけではなくて
微香も放っていると
確信した
山のあなたに
猫じゃらしが生えている
私は徒党を組んで
自然を印刷したい衝動に駆られた
エノキの木を抱いていると
心なしか鷹や鷲の飛行高度が
下がったと思った

文学極道

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