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2017年06月分

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* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


de verbo ad verbum/nihil interit。 大岡 信 論

  田中宏輔



 先生にはじめてお目にかかりましたのは、もう十年ほども前のことになりましょうか。ユリイカの新人に選んでいただい
た年のことでした。場所は、新宿の駅ビルにある PETIT MONDE という喫茶店の中でした。そのとき、先生は、さる文
学賞の選考会のお帰りだったのですが、お疲れになったご様子など、まったく見られませんでした。まっすぐに見つめる方、
というのが、第一印象でした。「おれは、体全体、眼になったのだ。」(「Presence」第四歌)という、先生ご自身の
お言葉どおり、全身を目にして見つめることができる方だと、目そのものになって見つめることができる方だと思いました。

 いま、まっすぐに見つめる、という言葉から、「思慮の健全さこそ最大の能力であり、知恵である。それはすなわち物の本性
に従って理解しながら、真実を語り行うことなのだ。」(廣川洋一訳)といった、ヘラクレイトスの言葉(断片112)が思い起こされ
ましたが、先生ご自身のお言葉にも、「辻さんをいい詩人だというのは、物事にぶつかったときに、反射的に別のことを考える
わけではなくて、ぶつかった物事にそのまま引き入れられるように見てしまう姿勢を持っているからです。」とありまして、こ
れは、一九九四年の八月に発行された、「國文學」の「大岡信」特集号において、辻征夫さんについて、お書きになった文章の
中にあるお言葉なのですが、それはまた、はじめてお会いしたときに、ぼくが先生に対して持ちました印象でもあり、いま
もなお持ちつづけております印象でもあります。

 しかし、こういった視線には、むかしはよく出遭ったものだと思われました。もしかすると、先生に対して、たいへん失礼な
ことを書くことになるのかもしれませんが、ぼくには、子供がひとを見つめる目に、ものをじっと見つめる目に、じつによく
似ているような気がしたのです。先生の「額のエスキース」という詩の中に、「女性の中に眠っている/孤独な少年はめざめるの
だ」といった詩句がありますが、先生が、ひとやものをじっと見つめられるときには、先生の中にいる少年が目を覚ますので
しょう。そして、その少年が、先生の目を通して、ひとやものをじっと見つめるのだと思います。
 やがて、その少年の身体は、少年自身の目に映った、さまざまなものに生まれ変わっていきます。
 

 ぼくらの腕に萌え出る新芽
 ぼくらの視野の中心に
 しぶきをあげて廻転する金の太陽
 ぼくら 湖であり樹木であり
 芝生の上の木洩れ日であり
 木洩れ日のおどるおまえの髪の段丘である
 ぼくら                                                     (「春のために」)


 ああ でもわたしはひとつの島
 太陽が貝の森に射しこむとき
 わたしは透明な環礁になる
 泡だつ愛の紋章になる                                                (「環礁」)


 転生は、あらゆる詩人の願いでもあり、また、おそらくは、多くの人々の叶わぬ願いでもあるのでしょうが、詩人は、詩の
中で、何度も生まれ変わります。


 若さの森を
 ぼくはいくたびくぐり抜けたことだろう                               (「物語の朝と夜」)


 この夥しい転生のモチーフ。先生は、ほんとうに、さまざまなものに生まれ変わられます。しかし、先生の詩集を繙いてお
りますうちに、あることに思い至りました。詩人が生まれ変わっているのではなく、さまざまな事物や事象の方が詩人に
生まれ変わっているのではないか、と。人間だけではなく、事物や事象といったものも、詩人となって生まれ変わるのではな
いか、と。そう考えますと、歴史上の人物や文学作品の登場人物だけが作者を代えて生き延びるのではなく、さまざまな
事物や事象もまた場所を変え、時代を越えて生き延びることになります。もちろん、有名な人物や、世間によく知られ
た事物や事象ばかりではありません。詩人が心に留めた、さまざまなものが生まれ変わって、ぼくたちの前に姿を現わす
のです。そして、そういったものたちが、同じ名前と姿で現われたり、名前や姿を変えて現われたりするのです。ときには、
人間が感情や観念といったものに姿を変えたり、感情や観念といったものが人間の姿をとって、ぼくたちの前に現われたり
もしますが。しかし、そうして、ものたちは場所を変え、時代を越えて生き延びるのです。詩人や作家、哲学者や思想家と
いった人々の著作物の間を、つぎつぎと渡り歩きながら、あるいは、飛び渡りながら、生き永らえていくのです。


 だれにも見えない馬を
 ぼくは空地に飼っている
 ときどき手綱をにぎって
 十二世紀の禅坊主に逢いにゆく
 八百年を生きてきた
 かれには肉体の跡形もない
 かれはことばに変ってしまった肉体だ
 やがてことばでさえなくなるはずで
 それまでは仮のやどり
 ことばの庇を借りているのだという
 華が開き世界が起つ
 とかれがいえば
 かれという華が開きかれという世界が起つのだ
 ことばとして ことばのなかで ことばとともに
 開かれまた閉じ
 浮かびまた沈み
 生まれたり殺されたりしながら
 かれはことばでありつづけ
 ことばのなかに生きつづけて
 死ぬことができない
 地にことばの絶えぬかぎり
 かれは岩になり車輪になり色恋になり
 血になり空になり暦になり流転しつづけ
 そのためにかれは
 自分が世界と等量であるという苦い認識に
 さいなまれつづけねばならないのだ
 何が苦しいといって
 ことばがわが肉体と化すほどの
 業苦はない
 人間がそれを業苦と感じないのは
 彼らが肉体をほんとうに感じてはいないからだ
 と
 この枯れはてた高僧は
 いうのである                                               (「ことばことば」1)

 
 詩人となって生まれ変わり、詩人の言葉を通して生まれ変わる、夥しい数の人物、事物、事象たち。このように、詩の中で、
言葉が他の言葉となって、つぎつぎと生まれ変わるさまを眺めておりますと、詩人といったものが、ただ単に言葉が生まれ
変わる場所にしか過ぎないのではないかと思わされます。そして、事実、そのとおりなのです。詩人とは、言葉が生まれ変
わる場所にしか過ぎません。しかし、そのようなことが起こるのは、すぐれた詩の中でのみのことで、凡庸な詩の中では、け
っして言葉は生まれ変わりません。生きている感じすらしないでしょう。プルーストが、「文体に一種の永遠性を与えるのは、
暗喩のみであろうと私は考えている。」(「フローベールの「文体」について」鈴木道彦訳)と書いておりますが、これは、ある言葉
が生まれ変わって新しい概念を獲得するときには、その言葉が書きつけられた作品自体が、それまでに書かれたあらゆる
作品とは違ったものになる、という意味でしょう。そして、そういった作品は、プルーストも書いておりますが、読み手の「ヴ
ィジョンを一新した」ことになるのです。読み手の感性を変えることになるのです。言葉が生まれ変わるときには、ぼくたち
もまた、生まれ変わるというわけなのです。言葉はそれ自身が意味するものなのですが、同時にまた、他のすべての言葉に
働きかけて、それらの意味にも影響を与えるものなのですから。一体全体、言葉が生まれ変わるとき、それが、ぼくたち
読み手に影響を与えないということがあり得るでしょうか。「私たちが本当に知っているのは、思考によって再創造されるこ
とを余儀なくされたもののみ」(『失われた時を求めて』第四篇「ソドムとゴモラ」、鈴木道彦訳)と、プルーストは書いておりま
すが、ぼくも、それが、「魂の中にほんとうの意味で書きこまれる言葉」(プラトン『パイドロス』藤沢令夫訳)であり、ほんとう
に、そういった言葉だけが、永遠のいのちを持つものなのだと思っております。「俺はすべての存在が、幸福の宿命を待っている
のを見た。」(『地獄の季節』「錯乱II」、小林秀雄訳)といったランボーの言葉や、「彼に示すがいい、どんなに物らが幸福になり
得るかを、どんなに無邪気に、そして私たちのものとなり得るかを。」(『ドゥイノの悲歌』「第九の悲歌」、高安国世訳)といっ
たリルケの言葉を、この文脈の中に読み込むこともできましょう。ホフマンスタールの言葉にありますように、たしかに、「ぼ
くらの肉体を揺り動かし、ぼくらをたえまなく変身させつづける言葉の魔力のためにこそ、詩は言葉を語る。」(『詩について
の対話』檜山哲彦訳)のです。
 
 ぼくはいま、詩人とは、言葉に奉仕することしかできない存在だと考えております。詩人ができることといえば、ただ言
葉を吟味し、生まれ変わらせることだけだと。もちろん、それは、ほんものの詩人だけができることなのですが。しかし、そ
れによって、詩人もまた、永遠のいのちを得ることができるのではないでしょうか。「芸術家の進歩というのは絶えず自己を犠
牲にしてゆくこと、絶えず個性を滅却してゆくことである。」(『伝統と個人の才能』一、矢本貞幹訳)といった、エリオットの言
葉も、それをはじめて目にしたときには、ずいぶんと驚かせられましたが、いまでは、ごく当たり前の言葉のように思ってお
ります。しかし、言葉の方からすれば、たぶん、一人の芸術家の進歩などには興味はないでしょう。おそらく、ただ自分が
再創造されつづけることにしか関心はないでしょう。

 最近、ぼくは、こう考えています。ぼくが経験し、知るのではない。言葉が経験し、知るのである、と。すなわち、言葉が
見、言葉が聞き、言葉が触れ、言葉が感じるのである、と。言葉が目を凝らし、耳を澄まし、喜びに打ち震え、悲しみに打
ち拉がれるのである、と。なぜなら、ぼくの経験とは、言葉が経めぐったことどもの追体験にしか過ぎないと思われるから
です。そして、ぼくが知るのは、言葉が知ってからのことなのだ、と。いくら早くても、せいぜい言葉が知るのと同時といった
ところであり、それも、かろうじてそう感じられるというだけのことであって、じっさいは、言葉が知るよりも早く知ること
など、けっしてできないのですから。言葉の方が、新しい意味をもたらしてくれる人間を獲得するのです。したがって、言葉
が知っていることを言葉に教えるということほどナンセンスなことはない、ということになりましょう。そうしますと、ほん
ものの詩人と、そうでない詩人とを見分けるのは、造作もないことになります。言葉に貢献したことのある詩人だけが、ほ
んものの詩人なのですから。先生のお言葉であります、「うたげと孤心」が、いかに多くの人々の「ヴィジョンを一新した」か、
述べる必要などないでしょう。「かりにも作者の名の冠せられた文学作品は、一つの美しい「言葉の変質」なのであ」ると、三島
由紀夫は、『太陽と鉄』の中で書いておりますが、ヴァレリーは、さらに過激なことを書いております。「われわれは「言葉」そ
のものを文学的傑作中の傑作と考えることができないであろうか。」(『詩学序説』「コレージュ・ド・フランスにおける詩学の教授
について」、河盛好蔵訳)、「一個の文字が文学です。」(『テスト氏』「ある友人からの手紙」、村松剛・菅野昭正・清水徹訳)、「あ
る「語」の歴史を考察すべきである、──ある同じひとつの語の歴史、まるで四囲の偶発事に対して「自我」が応酬するとでも
いうように、同じひとつの語がいくたびもだしぬけに登場する、そうした登場の歴史を考察すべきである。」(『邪念その他』O、
清水徹訳)と。
 
 プラトンの言葉に、「人がふさわしい魂を相手に得て、その中に言葉を知とともに蒔いて植えつけるとき、その言葉のもつ種
子からは、また新たな言葉が別の新たな心の内に生まれて、つねにそのいのちを不死に保つことができる」(『パイドロス』藤沢
令夫訳)とありますが、ふと、ぼくは、ポオやボードレールの美しい顔を、マラルメやヴァレリーの美しい顔を、脳裡に思い浮
かべました。「種をまく文章があれば、収穫する文章もある。」(『反哲学的断章』丘沢静也訳)と、ヴィトゲンシュタインが書い
ておりますが、先生の詩によって、ぼくには、まことに実り豊かな収穫がもたらされました。


蘇生幻想譚

  田中恭平


またやっちまった、
月にミサイルが突き刺さってら
心臓が変奏して青くなってら
ドクダミの白い花が咲いてら
とんとん、と
夜を靴でこづく

虫の声が聞こえる、それは
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀佛と聞こえるが
寺が近い所為か、実際には求愛のコールらしいが
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
僕の耳は白い
僕の顔は浅黒い
もう夏だなと、冷えている耳


五丁目で語調を整え胡蝶蘭。
と言ってみた
誰もいない気が、しなかったから言ってみた
庇護者かも知れないと思った
携帯電話は家へ置いてきた
御金も置いてきたからとても不安になるのは何故?


白い粉、アーバンな午前四時、シャッターが上がり
呪われた者同士が言葉を交換しあう
僕が案山子に語りかけてみると
肉欲を迫られたので、つんのめって、バア
遊びではいけないのですか?
遊びだからいけないのです
それにセイコウしても丁稚が生まれます
なぜ?
その児は生前真珠を飲んで喉頭がんで亡くなりました
嗚呼!
これが絶望ではない、


テクテク、テクっていくと案山子は元の茶畑のなかに戻りました
それで宜しい
僕はラッキーストライクを吸い、玩具のカメラで歪んだ町を
もっと歪ませて録ました
その晩僕はそのネガに呪われて、死にました


次の日、生き返ってみますといつもの天井でした
昼食は天丼でした、蠅が飛んでいました
なぜそんなことを訴えているかというと自分でも定かではないが、
最近話し方が可笑しいのです
先生に診てもらいますと
これが何に見える? と三本指を出しました
私は答えました
三本です、
もっと言いたいことがあるだろう、
ホラ、これはただの指だよ、
うまい具合に調律があっておるから、人間としてはおかしい
どういうことですか?
きみは一度死んだかね?
精神的な意味で、ですか?
違う、二元論ではないんだ、
精神と肉体とかじゃなくて、端的に死んだのかね?
はい、それは歪んだ町のなかで動けなくなりました
ネガの中に入ったのかね?
はい、すると玩具のカメラごと燃されてしまったので、
僕は自分で勝手に死んだんじゃないかぁ、と思っていたんですが。
生きとるよ!
ああ、そうですか、とするとやはり蘇生に成功したか・・・・・・
何を言っておる?
それより先生は今でもお煙草は?
吸っとるよ!
やめられないのが、人間ですねぇ

月にミサイルが突き刺さっとるが・・・・・、
アメリカがやったんでしょう
北じゃないのかな
先生はなぜそんなに聞きたがる!
きみのことに興味関心がある、
案山子の方がよっぽど役に立ちますぜ
あいつらはおったてるだけだ
先生だってその気があったりしてな!
何をふざけたことを!!
ああ、五月蝿い、五月蝿い!
大体あんたは精神科医じゃないじゃないか
ただの歯科医じゃないか!
──それはきみの妄想だよ
誰?
──きみは失敗作だ
誰?誰だ
──きみは失敗作だ
──きみは失敗作だ、ゆえにうつくしい
なんで失敗作であることがうつくしい理由になるんだよ
──完成しないという幻想を込めた
誰と話しているんだい?
百分の一を作ったヤツです
統合失調症の発症率か、
──どんなに高い塔を作っても、バラバラにしちゃうよ?
俺は普通の人間になりたいだけだ、今は、
──過去の罪状を今泣いても遅い、邁進せよ、
気付くと
夜を、靴でこづいている

 


窓辺

  霜田明

座っているだけの
カフェテラスの窓辺
ぼくはいつだって
平和でいたかった

  窓の桟に
  ハエトリグモが一匹
  アルミ製の桟は
  彼の橋ではなく

    登ろうとしては
    滑り落ちる
    ひっくり返って
    宙を掻くようにもがいている

     (ただ満足でないのなら
      どうやっても満足はありえない)

        僕の悔いや妬みがああやって
        着飾って歩く人々の姿をとるならば
        きっともう それは
        僕の内部ではないんだ

     (短く明けるコーヒーの黒)
      着飾ることを羨んでいた

    窓の桟に
    ハエトリグモが一匹 

     (登ろうとしては
      滑り落ちる
      ひっくり返って
      宙を掻くようにもがいている)

       (僕の無能を限ることで
        温もる冬のカフェテラス)

        見つめることの無邪気さが
        ハエトリグモを重大にする

         (彼らのように有能でありたかった)
         (ぼくらはみんな虚しいと思っていたのに)

            わずかな賞賛さえ恋しかった
            あなたの愛を勝ち取りたかった

              このクモに対する僕のように
              誰も僕を励ますことはできない

               (君は世界が怖くはないか
                僕らはいつでも人が怖い)

              このクモの生命は
              僕の生命と同じ

            僕らはきっと同じところにいて
            きっと同じことを知っている

         (それでも
          僕は いけないんだ)

      僕は必死に
      怠惰を暮らす

   差し込む夕陽の眩しさに        
   明日を信じてしまいそうになる

 僕らの吹かれる共同を
(どうして生命に置いたのか)


イヴの手が触れるアダムの胸の傷あと──大岡信『地上楽園の午後』

  田中宏輔



 主なる神はその人に命じて言われた。「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べて
よろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと
死ぬであろう」。
                                (創世記二・一六‐一七)

これを愛する者はその実を食べる。
                                  (箴言一八・二一)

 ──地上楽園の午後。ここには二七篇の詩作品が収められている。わずか四行の短篇詩から二
五六行の長篇詩まで、実にさまざまな形式や内容をもった詩作品が収められている。読み手はそ
れを手に取って、こころゆくまで味わうことができる。なかで、もっとも美味なるものは、二五
六行にわたって展開される長篇詩「友だちがまた一人死んだ」である。これは、ただ筆者の憶測
にしか過ぎないが、この詩の題名にある、友だちとは、おそらく吉岡実氏のことであろう。しか
し、それにしても、この詩人の嘆きは、(あえて、この詩作品の表現主体は、とはいわない。)な
ぜ、こんなにも美味なのか。近しいものがこの世を去ることほど悲しいことはない。かつて妹の
死という悲しみが、宮沢賢治の胸のなかで、美味なる詩の果実となったように、親しい友人の死
という悲しみが、大岡信氏の胸のなかで、美味なる詩の果実となったのであろう。悲しみの果実、
その美味なる果肉を一齧り、


 《その人は種を携へ
 涙を流していでゆけど
 束を携へ
 喜びて帰りきたらん》   
 (詩篇一二六)

 そのやうに人は生まれた
 だがいつの日に
 しんじつ束を携へ
 喜びに帰りきたらん?

 生まれ落ちた瞬間から
 ぼくらは種を
 運ぶ人であるよりも
 運ばれていつか
 どこかに転がり落ちるだけの
 旅する種ではなかったか


 そうか、わたしたち自身が種であったのか。逆説的なこの詩句に、とてもつよく惹かれる。こ
ういった逆説的な視点、あるいはapproachの仕方は、大岡氏の詩法の根幹をなすものであり、
この長篇詩だけでなく、『地上楽園の午後』に収められた、すべての詩篇において一貫している。
ユリイカ76年12月号(「大岡信」特集)所収のinterview欄に、「ひとつのことを考えると、ど
うしてもその裏側を考えなくちゃいられない、そういう精神的な習性が身について」いるという、
大岡氏自身の発言があるが、改めてそのことを確認した。また、大岡氏の詩法を前掲のinterview
欄における、大岡氏自身の発言をcollageして解すると、「二元論的な問題をまずつか」み、「二
つのおよそ何か次元の違うようにみえるものを統一する視点」から詩を構築する、というような
ものであるが、同欄には、また、氏自身の、「徹底して矛盾したものが何よりもよく一致してる
ような状態があれば、それが」「絶対というもののイメージだと思う」という、何やら、三位一体
論を彷彿とさせるような言説もある。ちなみに、三位一体論とは、父と子と聖霊が神の三つの位
格であるとするキリスト教の神概念であるが、そこでは、キリストの存在とは「この世に全き人
として存在した全き神である」と定義されている。(高橋保行著「ギリシャ正教」第二章)人で
あると同時に神であるイエス・キリスト、これこそ、氏の語る、「徹底して矛盾したものが何よ
りもよく一致してるような状態」即ち「絶対というもののイメージ」そのものではないだろうか。
どうやら、大岡氏の詩精神の在り処には、聖書世界のvisionが重要な位置を占めているようで
ある。これまでも、大岡氏の詩作品の中には、詩語の出自が、聖書のどこにあるのか容易に知る
ことのできるものが多々あった。もちろん、この『地上楽園の午後』という最新詩集のなかにも、


 かんたんな話ではない
 地上のすべてを押し流す大洪水の
 まつただ中でノアのやうに
 箱舟にまる一年も閉ぢこもるなんて
                                (「箱舟時代」第一連)

という連からはじまる詩作品があり、最初に引用した「友だちがまた一人死んだ」という詩篇
のように、聖書の一節を引用し、それを軸として展開した詩行をもつ詩作品もある。「言葉の現
象と本質──はじめに言葉ありき」のなかに、氏の、

 
 われわれは自分自身のうちに、われわれを所有しているところの絶対者を、所有しているのだ。


という文章があるが、これなどは、小生に、


キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。
                             (ガラテヤ人への手紙二・二〇)

という、新約聖書の聖句を思い起こさせるものであり、さらにまた、先に引用した氏の文章の
後にある、


 われわれの中に言葉があるが、そのわれわれは、言葉の中に包まれているのである。


というところなどは、パスカルのつぎのような文章を思い起こさせるものであった。

 
空間によっては、宇宙は私をつつみ、一つの点のようにのみこむ。考えることによって、私
が宇宙をつつむ。
(『パンセ』前田陽一・由木康訳)

 パスカルは、いわずと知れた高名な自然科学者であるが、また信仰心の篤いキリスト教信者で
もあった。『パンセ』の断章三四八にある、この文章のなかの「宇宙」という言葉の背後には、
「神」の如きものの影像が垣間見える。
 
 ヨハネによる福音書一・一に、「言(ことば)は神であった。」という聖句がある。大岡氏は、
言葉は絶対者である、という。小生には、氏の見解が、福音書作者の視座に極めて近いものに
思われるが、如何なものか。

──地上楽園の午後。あらぬところに思いを馳せた午後であった。


#blUesUnday

  kaz.

#一九一八年四月 #わずかに #太陽 #を食う地方が今ようやくわかった。 #今夜は大層 #顔 #色がいい。 #先頃ふと大病に罹った者があると聞いて、故郷に帰る途中立寄ってみると #最もあくどい奴は口をおッぴろげて笑っていやがる。

#一人に会った。#目付は #乃公の眼 #と酷似で、顔色は皆鉄青だ。 #一晩じゅう睡れない。何事も研究してみるとだんだん解って来る。 #おお解った。#某君兄弟数人はいずれもわたしの中学時代の友達で、 #これはてっきりあいつ等のお袋が教えたんだ。

#朝、静坐していると、 #五 #人 #が飯を運んで来た。 #だが彼等はますます #まるきり #光 #を食いたく思う。#中には彼の心臓をえぐり出し、油煎りにして食べた者がある。 #見たまえ。#狼村の小作人が不況を告げに来た。

#村に一人の大悪人があって寄ってたかって打殺してしまったが、 #本人はもうスッカリ全快して官吏候補となり某地へ赴任したと語り、#いつ #も出ない。 #「叔さん、わたしゃお前に二つ三つ咬みついてやらなければ気が済まない」

#飯だ。 #今夜は #この勇気があるために #恐れる理がある。 #四千年来、時々 #日 #を食って、どんな大きな骨でもパリパリと咬み砕き、腹の中に嚥み下してしまう。 #わたしは箸をひねって #日 #の事を想い出した。

#君がせっかく訪ねて来てくれたが、 #月 #が #どうも変だと思って、早くから気をつけて門を出た #おれは三十年あまりもこれを見ずにいたんだ、今夜見ると気分が殊の外サッパリして初めて知った、それにしても用心するに越したことはない。

#が、#門も開かない。 #二冊の日記を出した。 #一読してみると、 #一時に書いたもの #乃公 #乃公 #乃公 #乃公 #乃公 #が無い。 #お前に咬みついてやると言ったのも、大勢の牙ムキ出しの青面の笑も、先日の小作人の話も、 #病気に罹ったの #も #どれもこれも皆暗号だ。

#何に限らず研究すればだんだんわかって来るもので、昔から人は #日 #をしょっちゅう食べている。わたしもそれを知らないのじゃないがハッキリ覚えていないので歴史を開けてみると、その歴史には年代がなく曲り歪んで、どの紙の上にも「仁道義徳」というような文字が書いてあった。

#大笑いして #死肉 #もやっぱり人間だ。#日 #は人に食われるのだが、それでもやっぱり #「あんまりいろんな事を考えちゃいけません。静かにしているとじきに好くなります」 #月の #兄弟 #は #あの時分にはまだ生れているはずがないのに、 #日 #は #。

#七年 #前 #その #何年間は全く夢中であった #「お前はすぐに改心しろ、真心から改心しろ、ウン解ったか。 #」 #……あの女が #しるす。

(Twitterに上げたものを編集し、再掲)
(全文を魯迅『狂人日記』井上紅梅訳より引用)
(ルビの重複の指摘を受けたので再度編集)


草花ノート

  



春から初夏に咲く草花 (山野草) を野外観察しました。好みの生体を選び、その花の名と、その花言葉と、そのときに連想した言葉を貼り合わせました。


ゝ観察した草花とその花言葉のリスト

・タビラコ
花言葉:秘かな楽しみ

・ヤブヘビイチゴ
該当なし

・ヘビイチゴ
可憐、小悪魔のような魅力

・カタバミ
喜び、 輝く心、母のやさしさ

・タチツボスミレ
小さな幸せ、つつましい幸福

・キランソウ
追憶の日々、健康をあなたに

・ナズナ
あなたにすべてをお任せします

・ハナニラ
悲しい別れ

・ホトケノザ
調和

・クサフジ
生命力の旺盛な

・カラスノエンドウ
小さな恋人達、喜びの訪れ、未来の幸せ

・シロツメクサ
私を思い出して、幸福、幸運、復讐

・キツネノボタン
嘘をつくなら上手に騙して

・オドリコソウ
快活、陽気、隠れた恋

・カキツバタ
幸運は必ず来る、幸せはあなたのもの

・キショウブ
信じる者の幸福、私は燃えている

・ハハコクサ
いつも思う、温かい気持ち、いつも想っています

・シロバナタンポポ
私を探して、そして見つめて

・ハルジョオン
追想の愛

・ケマンソウ
あなたに従う

・ササユリ
清浄、上品、純潔

・ワスレナグサ
真実の愛、私を忘れないで

・ツルアリドオシ
無言の恋

・オカタツナミソウ
私の命を捧げます



ゝ草花の観察中に連想した言葉のメモ

・ゆれる
・あなたはあつい
・微量の乙女心のこる
・焦げくさい三月の手紙
・畦道の空
・夢をしている
・道標
・幻が停車している
・ああ、父よ
・その色
・わたしたちの弟は、話し下手な
・里山の血
・もしくは
・土の故郷
・幸せの探しかた
・占った
・あてずっぽ
・四月を摘む
・栞にはさんだまま
・ここにいないということ
・くすぐったい
・すべてのいないということの意味
・風を帯びた
・ほら、あなたの母性
・ごらん、これは水死体
・あれが焼死体
・来世もわたしたちいちりんの(ね
・一寸法師はあとすこしのところでカマキリに食べられました
・緑命の五月
・神社の水
・人間が果物を食べる
・人の味がする
・母乳のふるさと
・涙は海の母
・世界自然遺産は既に死んでいる
・パンダこそ蟄居する自然の姿
・笛の音遠ざかる
・草花は死に切れない
・生き返らない生命
・誰かに枯らされるまえに
・ト、ヘンのまえ
・潔く自害して果てる



ゝ草花の観察中に連想した言葉に草花の名を添えました

ゆれる・タビラコ
・ヤブヘビイチゴ
あなたはあつい
・カタバミの
微量の乙女心のこる
焦げくさい三月の手紙
・タチツボスミレ
畦道の空
・ナズナが
・キランソウの夢をしている
道標
・ハナニラの
幻が停車している
ああ、父よ・ ホトケノザ
・クサフジ色
わたしたちの弟は、話し下手な
・カラスノエンドウ
里山の血
もしくは
土の故郷
幸せの探しかた
を占った
・シロツメクサ
あてずっぽのクローバー
四月を摘む
そして、栞にはさんだ
ここにいないということ
・キツネノボタン
すべてのいないということの意味
くすぐったい
風を帯びた、・オドリコソウ
ほら、
あなたの母性
ごらん、
これは水死体 ・カキツバタ
あれが焼死体 ・キショウブ
来世も
わたしたち
いちりんの・ハハコクサ
一寸法師は
あとすこしのところで
カマキリに食べられました
・シロバナタンポポ
緑命の五月
神社の水 ・ハルジョオン
人間が果物を
食べると
人の味がする
母乳のふるさと・ケマンソウ
涙は
海の母
世界自然遺産は既に死んでいる
パンダこそ
蟄居する自然の姿
・ササユリの笛
遠ざかる
・ワスレナグサ
草花は死に切れない
生き返らない
生命は・ツルアリドオシ
誰かに枯らされるまえに
ト、ヘンのまえで
潔く自害して果てる・オカタツナミソウ



ゝ草花の観察中に連想した言葉と草花の名に花言葉を添えました

ゆれるタビラコ (秘かな楽しみ、調和
ヤブヘビイチゴ (小悪魔のような魅力
あなたはあつい
カタバミの (喜び、 輝く心、母のやさしさ
微量の乙女心のこる
焦げくさい三月の手紙

タチツボスミレ (小さな幸せ、つつましい幸福
畦道の空
ナズナ (あなたにすべてをお任せします
キランソウの (追憶の日々、健康をあなたに
夢をしている
道標
ハナニラの (悲しい別れ
幻が停車している

ああ、父よ、ホトケノザ (調和
クサフジ色 (生命力の旺盛な
わたしたちの弟は、話し下手な
カラスノエンドウ (小さな恋人達、喜びの訪れ、未来の幸せ
里山の血
もしくは
土の故郷
幸せの探しかたを占った
シロツメクサ (私を思い出して、幸福、幸運、復讐
あてずっぽのクローバー
四月を摘む
そして、栞にはさんだ
ここにいないということ
キツネノボタン (嘘をつくなら上手に騙して
すべてのいないということの
くすぐったい意味

風を帯びた、オドリコソウ (快活、陽気、隠れた恋
ほら、あなたの母性
ごらん、
これは水死体 カキツバタ (幸運は必ず来る、幸せはあなたのもの
あれは焼死体 キショウブ (信じる者の幸福、私は燃えている
来世もわたしたち
いちりんのハハコクサ (いつも思う、温かい気持ち、いつも想っています
一寸法師は
あとすこしのところで
カマキリに食べられました

シロバナタンポポ (私を探して、そして見つめて

緑命の五月
神社の水 ハルジョオン (追想の愛
人間が果物を
食べると
人の味がする
母乳のふるさと ケマンソウ
(あなたに従う
涙は海の母

世界自然遺産は既に死んでいる
パンダこそ
蟄居する自然の姿
ササユリの笛の音 (清浄、上品、純潔
遠ざかる
ワスレナグサ (真実の愛、私を忘れないで
草花は死に切れない
生き返らない
生命はツルアリドオシ (無言の恋
誰かに枯らされるまえに
ト、ヘンのまえで
潔く自害して果てるオカタツナミソウ (私の命を捧げます



ゝ草花の観察中に連想した言葉と花言葉を本来在った場所に戻しました

ゆれる調和、秘かな楽しみ
小悪魔のような魅力
あなたはあつい
喜び、 輝く心、母のやさしさ
微量の乙女心のこる
焦げくさい三月の手紙

小さな幸せ、つつましい幸福
畦道の空
あなたにすべてをお任せします
追憶の日々、健康をあなたに
夢をしている道標
悲しい別れ
幻が停車している

ああ、父よ、調和よ
生命力の旺盛な
わたしたちの弟は、話し下手な
小さな恋人達、喜びの訪れ、未来の幸せ
里山の血
もしくは
土の故郷
幸せの探しかたを占った、私を思い出して
幸福、幸運、復讐、あてずっぽのクローバー
四月を摘む
そして栞にはさんだ
ここにいないということ
嘘をつくなら上手に騙して
すべてのいないということの意味

くすぐったい風を帯びた
快活、陽気、隠れた恋
ほら、あなたの母性
ごらん、これは水死体
幸運は必ず来る、幸せはあなたのもの
あれは焼死体
信じる者の幸福、私は燃えている
来世もわたしたち
いちりんの温かい気持ち
いつも想っています
一寸法師は
あとすこしのところで
カマキリに食べられました

私を探して、そして見つめて

緑命の五月
神社の水 追想の愛
人間が果物を
食べると
人の味がする
母乳のふるさと
あなたに従う涙は
海の母

世界自然遺産は既に死んでいる
パンダこそ
蟄居する自然の姿
清浄、上品、純潔の笛の音
遠ざかる
真実の愛、私を忘れないで
草花は死に切れない
生き返らない
生命は無言の恋
誰かに枯らされるまえに
ト、ヘンのまえで
潔く自害して果てる私の命を捧げます


会議室

  蹴鞠 路次男

ホワイトボードの上に
たくさんのタスクが書いてあって
それは黒い字の中にときどき赤い字が混じっていて
あれって血かな? と
隣の遠藤さんに訊きたいけど
会議室は静かで
ひとこと発すれば千語を要求されるくらい
会議室は静かだったので
私は黙って血を見ていた

カラフルな丸いマグネットが
ホワイトボードの隅にきれいに並べてあって
ひとつだけマグネットが剥き出しのがあったから
あれが孤独ってやつかな? と
隣の遠藤さんに訊きたいけど
会議室は静かで
君はどう思う? なんて水を向けられたら
きっと酸欠で倒れてしまうから
私は黙って孤独を見ていた

マーカーのインクが薄くなったので
主任さんはついに黒を諦めて
全部を赤で書き始めた
これって出血大サービスだね、って
隣の遠藤さんに言いたかったけど
会議室は静かで
シュルキュルとマーカーが出血する音だけが響いて
貧血で目の前が暗くなってきたので
私は一生懸命ホワイトボードの
ホワイトなところだけを見つめていた

ホワイトボードは文字でいっぱいになり
もう書くスペースが無くなったので
主任さんはイレーザーで左半分を消してしまった
ホワイトが復活した部分に
爽やかな風が通り抜けた
「リセット」
遠藤さんがつぶやいたので 私は
うん、とうなづいて
剥き出しのマグネットを見つめた


(無題)

  緑茶をどうぞ

傘をさしたら
雨が降っていたので
傘を閉じた

   「パラレルパラソル」



店先に山積みの
青空を一枚買って
初夏の花を包んだ

   「紫陽花」



明日の日記に
10日先のことを書いていたら
裸足で行進を続ける人たちの
首に下げた時計が
ぐにゃり曲がったようだった

    「熱」



ヒシビロコウは
眠たそうな目の上に
青いアイシャドウを
塗っている

    「クレヨン」




今日は朝から
かなしいが降っている
そう言えば
夕べの天気予報で
降るって言ってたっけ


    「晴れときどき、かなしい」


Dry/Slow/Anchor

  アルフ・O


静止する、

辿り着く気もしない
煉獄の岐路にて。
氷は融けず渇いていく
緋色の爪を削る羽根
何か云いかけては
口を噤みを繰り返すマーブル模様
の、背中。
やっと帰ればシャンデリアは人の身体で
まばらにろうそくを灯していた

静止する、

貴方は昔ミュージックビデオで
幻影となり
屋上からフェンスを越え
仰向けにゆっくり墜ちていった
それは時に使い捨てられる
ストラトキャスター型のギターにも似て
数年後貴方は
本当に赤いストラトを携えながら
冬眠したり
突然起きては深呼吸したり
水鉄砲にはまだ手を出せないままです

正視する。

羅針盤の鎖を解いて錨を下ろす夜。

目を背ける、

パーキングエリアで倒れ込んだ、少年
その遥かに上空で
観覧車からマフィンがバラ撒かれては
ベルボーイが鍵のないオルガンの蓋を
律儀に閉めてゆく
そこに否応無く佇んでいる筈の
光について、

再生する、

みずうみ、みどろ。
ねむりにつくまえに。
あなたのなをきかせて。

再生―――。


1/3(欲望/三者関係)

  霜田明

「幼児は飲み尽きることのない乳房がつねに自分のところに存在していることをのぞむが…この衝迫はもともと不安に根ざしているものなのである…出産によってひきおこされる激しい被害的な不安…自己と対象が…破滅してしまうのではないかというおびえ…」[1]



君は 不可能だから
美しいんだ

  ぼくらのかわりを吹いている
  均等の口笛が流れると
  
   (遠くで目覚めていることが
    僕の背中を優しくする)
    
      僕は君を恋していた
      君という可能性を信じていたところで
    
    僕は君を恋している
    不可能性を 君そのものの可能性を
    
  君はいなくなってしまったんだ
  それ以来君は 君と僕の間に固定されてしまった
      
    ぼくらは膨らむ
    無際限を 有限のうちに孕もうとするから
      
     (正しさのせいで
      いつもより間違えてしまうことのないように)
     
        歴史が肩に包帯を巻いている
        水のように膨らんだ現存意識
       
          珠のような光が
          僕をじっとみつめている
      
            美しい関係を得るためには
            僕は自分でなくならねばならない
         
          むやみに満足しながらでなければ
          僕の帰り道はいつだって
          
           (不本意だと思いながら
            帰ることしかできなかった)
       
              不本意だという考えは
              セルフイメージからの落差によるものだから
             
                他者である僕が他者である僕に
                説教するのを眺めながら帰った
               
             (なにもかもが不本意なんだ
              こんなはずではなかったのに)
           
            もう取り返しのつかないものたちが
            春の細部に集っている
        
          いままでやろうとしてきたように
          不可能性へはあるいていけない
          
        僕が歩いていけるのは
        いつでも可能性の広がり方へだけなのだ
          
     (もう取り返しのつかないものたちが
      春の細部に集っている)
          
        確かだと感じられてきた過去を
        こんなに遠く感じるとは
        
         (不可能性は直線の道を想定したが
          可能性は散乱の様態を現した)
        
            未来と呼ばれるそのものを
            こんなにはっきり感じるとは
          
              僕は人間になれるはずだと
              いまならほとんどそう思える
          
                僕の孤独は不可能なものからの距離だと
                不可能なものの遠さが僕に教える

              君が愛おしいのは
              君が 不可能だから愛おしいんだ

           (ぼくらのかわりを吹いている
            均等の口笛が流れると)
  
          遠くで目覚めていることが
          僕の背中を優しくする
    
        ずっと君を恋していた
        君という可能性を信じていたところで
    
      今ははげしく羨望している
      僕にとっての不可能性 君そのものの可能性を

        触れられればいいのに 触れることができない
        触れた途端に 不本意にかわる
    
          不本意というのは
          現実性の二重の落差によるものだから
      
        何もかもが不本意なんだ
        朝目覚めてから夜眠るまで
  
      不本意なことが不本意なんだ
      可能なもののちかさが僕に教える
  
    僕は一体どこからきたのか
    君へのうらみにかさなる不安へ
  
     (ぼくらはどんどん膨らんでいく
      無秩序を 秩序のうちに孕もうとするから)
   
        関係を信ずることができないから
        おかしいな 僕はなに一つ信じてやしない
    
      だけど 不可能なものを離れさえすれば
      それでいいんだ これからは
  
        そうだ「死ねば死にきり」、だ
        不可能なものに触れる手を持っていない僕なのだから

      死ぬことは、
      不意にしかやってこない
 
      (「私が今日まで並べてきたもの」
        偶然としてあらわれるほかない現実性へ向かうこと)

          でも、なにを恐れることがあるだろうか
          いままでだって僕の世界は

            僕を散々
            遠ざけてきたじゃないか
 
          性的欲望は人間の形をした
          諸部分が非人間的に統合されることを願っている
  
            性的関係はお互いがお互いに対して
            人間同士であるところに成就する
      
              代理像同士の接触 性交渉に代表像される
              優劣と好悪の支配関係
    
                性的欲望の思い描く理想像は
                僕らが互いに人間でない関係である
      
              精神の異常性は共同性へ疎外された
             「歴史的現在」の平衡意識に依存する
    
            異常性はただしく異常性であるところに存在する
            平衡意識を得ていない狂人は狂人になりかわることができない
    
         (自分で自分を愛せなければ
          愛されることは虚しくないか)
          
       (愛されることを前提にして
        暮らしていくことは虚しくないか)
    
          異常性は他者と認める他者から
          異常と認められなければ存在できない

           (正常性は他者と認める他者から
            正常と認められることで存在できるように)

       「愛すべきものは不在である」[2]
       「私は密かにその無意味性に耐える」[3]

     受容と認識はすでに関係である
     関係はほかの関係たちと背反し合うことで主体を疎外する
     
       「欲望に居場所を与えてやること」[4]
        僕は顔のない僕自身が恐ろしくてたまらない
     
      僕は君を想像している
      顔を 身体を 君の言葉を 君を
  
  ひとりで暮らしていると どうして
  消え入ってしまうような恐怖を感じるのだろう     

   (孤独な君に依りたがることならば
    孤独というのはなんなのだろう)

これほど確かに存在しているのに どうして
生きているような気がしないのだろう



「伊豆で溺れたときも、やっぱり同じような体験をしました。やっぱり身体が冷たくなっちゃって、「経験上、このままいったら駄目だな」と思って、もうあがろうと思って岸のほうに向かって泳いで、もうすぐあがれるところで駄目になったんです。恐怖というのはその瞬間にはありませんでした。「これで終わりか」というだけで、その後のことはぜんぜんわからなくなった。ただ、周りはなんでもねえのに、俺だけ死ぬというのはおかしい」というか、おかしいってこともないんですけど、奇妙な感じになりました。」[5]
 
※1 メラニー・クライン「羨望と感謝」『羨望と感謝』(誠信書房)
※2 シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』(ちくま学芸文庫)
※3 新宮一成「言語という他者」『ラカンの精神分析』(講談社現代新書)
※4 フィリップ・ヒル『ラカン』(ちくま学芸文庫)
※5 吉本隆明「死を迎える心の準備なんて果たしてあるのか」『人生とは何か』弓立社


暗い窓辺に

  atsuchan69

陰鬱な雨音が窓辺に滲みて
低くつづく唸り声と
さかんな水飛沫とともに
霧中に奔り去る夢の銀輪たち

仄暗い部屋で
目覚めると
突如、
胸に激しい痛みを覚えた

良くない
一日の訪れは
ああ、
確かに。

今、この場所が
――魂の牢獄――
だと、
気付かせる

 雨音はさらに強まり//

寝間着の袖で窓を拭き、
外の景色を覗いた

葉を濡らした街路樹は
重く撓(しな)垂れ、
やがて狂った風に吹かれるまま
野獣のごとく暴れ騒いだ

 激しい、/薬物の濫用と
 閃光の後に/子供たち
 鳴り響く 落雷の/青く光る、
 音/不可視の眼。

破滅へ導かれても
尚、不確かな明日を信じている
爽やかな夏の朝の始まりが、
――ふたたび
此処へやって来るのだと

 誰もが、きっと誰もが )))

千切れた雲が忽ち、
素早く流れては消え

低く、獄舎を覆った妖しい空を
ただ雲は虚しく千切れ
標もなく、何処へと
遠く彼方へと流れ去り
現れては、忽ちにして消えてゆく

 盲信しよう、
いつかこの暗い窓辺に

おまえは必ずやって来て
甘く優雅な薫りとともに
艶やかな唇に花言葉を添えて
白い梔子を飾るのを

煌びやかに移ろう日々と、
大きく開け放った窓から覗く
狭い町並みが迷路のように連なり
始終、安穏とした空気にみちて

清しい朝の眺めが、
微塵の痛みもなく訪れることを


枯槁

  中田満帆

 頬を打って、
 小径から冷めた霧が、
 遠ざかる、
 みそひともじの歌声は、倫理の、
 呼びかけと
 はらからのうらぎり
 うつくしい児や、
 《まなざしの》 
 うらめしい児や、
 《まなざしも》
 みてぐらとともにおまえの日の戯れも、
 火のなかへ焚べてしまえ、
 藤袴。
 石はかの女を見てる
 嵯峨野の官吏から
 安積の沼地。

 ひとの燃える温度
 薪をわる手斧は
 もはや薪をわるだけでは済まされない
 古帽のなかへ顔を匿い、
 地唄で土を這う
 雨だ、
 ふるき吉野の苜蓿
 またしても経験へと降りしきる、
 雨だ、
 きみはきみを殺す
 どうしてそんなことに
 《まなざしの》
 どうしてそんなことで
 《まなざしを》
 あなたは海を見てる
 サハラの兎唇も
 芦鶴の逢坂も
 それからずっと枯槁
 それからずっと枯槁


登下校

  maracas

木があった
車などが通った
太陽が上にあるけど
駄目だった
二時間目は英語だった
月があった
木もあったけど
木のなかに月の光はなかった
窓があった
地球と月の
共通重心があった
剪定師が枝を切るスピードで
車などが通った
二時間目は数学だった
雲があった
冷たい風が通った
古い家もあったけど
家のなかにだれもいなかった


カラジウム

  kaz.

→フォーメーションユニオン〓!〓!〓!〓!……(1)

カラフルなキメラに窓は外されて世界史が通底する門が開かれる開かれる開かれる開かれる……(2)
そのイメージを、……(3)
まず、赤、それは空に伝わり、糸となって降り注いだ、ここまででもう陳腐だ、それを表すのが青、信号機となって灯る、それはやや緑、ダイオードが、入道雲に乱反射してさざめく、白、ぎんぎらとしたそのぬめり、焼尽する火、ブレスせよ、吸い込め、それらを、オレンジが投げられた、プラズマの放電がみかんを焼き尽くす、黒焦げ、苦労したな、この色の香りは燻製のようで、灰色、『バイオエシックスの基礎づけ』という教科書の匂い、紫色の煙でそれを精液の臭いに変える、マジックの色、交わりたいという色、ピンク、フラミンゴのように股を広げたか、あるいは秒速5センチメートルの桜の花びらの落下速度か、色彩には緑青を付随させる、その錆色の窓枠を取り外す、尻尾が蛇のライオン、彼女の体毛は風を引き起こす、枝垂れ柳のように靡いて、通風口のような彼女の鼠蹊部が開く、……(4)

そこに掟の門がある、……(5)

門がある、門がどっしりと構えている、門番は非常にさり気ない言伝を預かっている、
「いいかな、およそどんな技術という技術も、書かれた瞬間に終焉する」
「なぜって。理由なんてないさ、あるのは倫理だけ」
「山川の倫理用語集のP259を参照してみよう。『いき』それは九鬼周造の『いきの構造』の中で洞察された、江戸時代の日本の美意識」
「すい、つう、いきの三要素に分かれ、それぞれが相反する要素を構図的に意識し合う」
……(6)


注解
なお、タイトルとなったカラジウムはサトイモ科の球根植物で、葉の模様が特徴的である。熱帯生まれであるため雨に強い。

(1)カラジウム→フォーメーションユニオン変換の公式を導出したときの、アドニスの台詞を参照。「君は詩学か? 否詩学か? 神智学か? 審判待ちで。」なお、!は普通のエクスクラメーションマーク、〓は反転したエクスクラメーションマークである。それを組み合わせて!〓!〓!〓という形態を作っている。

(2)岡崎体育のアルバム「XXL」初回限定版特典を参照。「こんなぶっ飛んだことを書かれても、削除対象にできないのが残念だ」という、有名な台詞がある。その発言からして、この表現が意味するのは、およそどんな出来事も門――もちろんこれは神や女性器といったメタファーなのだが――を通して開かれるのみであり、さらには窓――これも外からの光を取り入れるという役割からして、神や女性器のメタファーとなっている――という表現からして、推察するに、この一節が言いたいのは、色彩豊かな合成獣、すなわち遺伝子の作為的な突然変異ないしはノックアウトを適用した生物によって、窓そのものが外され(この一節だけで小説が書けそうだ、何故なら窓枠を取り外すのには一定の手続きがいるからだ、とりわけこの辺りの市街地の住人には。何故ならこの地区では窓枠を取り外す行為は条例によって規制されており、外界からの明るい光を取り入れる、すなわち形質転換的な禁忌の行為として見なされているからだ。まず、役所に窓を外す旨を書面で提出しなければならず、次に付け替える窓を購入した際の領収書を「窓枠購入証明書」に付随して提出しなければならない。役所における一般的な見解としてはそれは騒音対策であったり、遮光性能の向上であったりするわけだが、どうしてそういう書類を提出しなければならないのかといえば、それは窓枠というものが一種の贅沢品として見なされているからである。)、世界史が通底する、というのは窓を外すことによって世界の歴史がよく見えるから、それは窓枠に歴史があるように、最初木製でブラックウォルナットを使っていたのが金属製の真鍮やアルミを使ったものに変わるように、という程度の意味合いであってそれ以上でもそれ以下でもない、と言及することによってさらなる意味の付随を図るのだが、という話はさておき窓――すなわち女性器――が外されてその向こうに門が見え、門――すなわち第二の女性器――が開かれるのが見える、その様子を再現すると、窓が外されて開かれ、門の閂が外されて開かれる様子が、ありありと目に浮かぶだろう。

(3)岡崎体育「感情のピクセル」の歌詞を参照。「イメージを」と謳っている。この段落が言及したいのは次のような見解である。すなわち、フォッサマグナに足を踏み入れたということで事実上倒錯が始まっていたとする初期アリストパネスの見解から外れてバシュラールを擁護する形で炎天下の堤真一を呼び起こす呼び声ならぬ呼び笛を――人はそれを篠笛と呼ぶ――詩の中に音として取り入れた結果、この連は本来連結されていたそれまでの行から改行されて下ったのである。

(4)赤と言及したときに赤い空が思い浮かび、空に結ばれた創世記エヴァンゲリオンのATフィールドの如き赤い糸が空から垂れ下がってくるのを想像して、それが『赤い糸』を連想させるような陳腐なものであったような気がして青い色の空にチャネルを切り替え、すると青という言葉から青信号が連想されて青信号の中の青色発光ダイオードが喚起され、それはやや緑であることが認められ、その光が入道雲に乱反射するときの色はきっと緑色の雲だけれども、その想像をあえて逆手にとって白色、ミルク色の空を呼び起こし、そのぬめりがぎんぎらとした感触を舌に与え、それが燃えているときの火の色はおそらくはオレンジであり、『アリエナイ理科の科学』を参考に調理したバーニングみかん、すなわち電子レンジ内のほの明るさの中で電極を刺したみかんに放たれる電気の映像を撮影しようとしたらフィルムが焼けて磁気も受けて使い物にならなくなり、黒色のフィルムを取り出すのにも苦労したなあという過去の印象が湧き上がってきて、ここで唐突に灰色に切り替わる、書物の色、そして音楽はジミ・ヘンドリックスの「パープルヘイズ」なので紫色の煙、紫が魔法っぽい色なのでマジックの色、マジックのキュキュっという書き音が鳥の性行時の鳴き声みたいなので「交わるときの色」という意味で用い、そしてはっと我に帰るとピンクがフラミンゴと共に幻視され、あるいは落下する桜の花びらと共に幻視され、そうして色彩を意識したときには錆色である緑青がかねてより錆びついている取り替えた窓枠と共に思い起こされ、その窓枠を取り外しているキメラは遺伝子改変のため尻尾が蛇のライオンのようになっており、その体毛は運動するにつれ風のつむじを引き起こすのだ。その風が、その(彼女=)キメラの鼠蹊部にある女性器を、一言で言えば、花開かせる、というわけだ。

(5)フランツ・カフカ『掟の門前にて(原題はVor dem Gesetz)』を参照。ちなみに、これを実写化したドラマ映像がYouTubeにかつて流れており、見たことがある。灰色のモノクロームの色彩の中で、掟の門番とのやり取りが始まるのだった。さらに言えばジャック・デリダのカフカ論も『掟の門前にて』を扱っており、このカフカ論の中では「Gesetz(法律、令、掟といった意味合い)」が翻訳に先立って示されており、その翻訳の不可能性、誤謬性を脱構築している、と論じている。

(6)最終連。それまでの連との繋がりが断たれ、それまでの流れからいうと起承転結の転に近いものになっている。しかしこれまでの解説を踏まえて読むならば、それまでの連が音韻学に立脚した自由連想的、連鎖的なものであったのに対し、この連は言伝という形で台詞が続くようになっており、「あるのは倫理だけ」という連が印象的に響くが、その倫理さえも前の連が参照した『掟の門前にて』において脱構築された《Gesetz》とみて読むならば、もはや何も存在しない、と表現するのが正しく、そのような侵犯をなすことによって表現されるのは、この連以降に連綿と続く一種の自己注解という形式そのもの、ないしはそれ自体である。しかしそれでも美意識だけは残るのだと言おうとしての『いきの構造』なのだ。もっとも、これだけの言伝では「いき」を再構成することもままならないだろうけれども。

参考文献
Mimesis: The Representation of Reality in Western Literature, Fiftieth Anniversary Edition. Princeton UP, 2003.
『参考文献により注解をズタボロに引き裂く』Mr. Children編著
『Mr.によるMr.』Mr.著
『アーティストは境界線上で踊る』斎藤環ほか


侏儒

  芦野 夕狩

おれは朽ちた木に咲いた嘘だ
みずからを生け贄にして泣き叫ぶおんなたちの
あだの心臓をたずさえて一括りの
みずの隙間から産まれてきた
血まみれの嘘だ

錆びた鉄といにしえのうたと
おれの指のさきの硬いしこりと
眠ることのない木々の慟哭とを
額面いっぱいに塗りたくった
それがおれの全てではあるまいと信じながら

それが不幸か
これが不幸のありようならば
肥溜めのわきで眠る豚どもの腐臭にもおとる
おれの指にできた血のまめほどに
とるに足らぬことどもに
いにようされし侏儒のこえよ


赤い風鈴

  井上優

赤い風鈴


   序

『本当のことを言おうとして、芸術は嘘をつく。』
 こんな、あたり前にも思えることが、分っていない。
文芸に於いてさえ。

『生命(いのち)の宿らない芸術は、芸術ではない。』
言い換えれば
『本当の芸術は、生命(せいめい)である。あるいは、本当の芸術は生命(いのち)を受胎する。』
 こんな、あたり前にも思えることが、分っていない。

 純粋芸術に於いては、まさにフィクションこそが本当のノンフィクションである。人間の本質に触れたくて人は、ノンフィクションではなく小説を読むのだから。
 いや、詩・小説はメタ・ノンフィクションと言うべきだろうか? 俗世間的現実を越えた現実、生身の人間、赤裸々な剥き出し(むきだし)の人間がそこに立ち現れるからである。
 プラトンは、この世は影の世界であると言う。イデアの世界、すなわち真実の世界を映し出すこと、醸し出すこと、薫らせることこそ、本当の芸術の使命ではないだろうか?
 そこには、潤沢な血流と鼓動が寄り添う。
 二十年以上も詩を書いてきて得た、ささやかな真理だ。

 現実は複雑に錯綜し、真実を見る目は、繁栄という仮初め(かりそめ)の表層に奪われ流されてしまう。

 真実の自己を見つめることさえ、酷(ひど)く困難を極める、時代。
 時代が、来るべき破極と再生を、自ら望んでいるようだ。

 僕のつく嘘は、どれだけ真理であり生命(いのち)を宿しているだろう?



   *

甘すぎるんじゃないか? 晃が笑った。
月刊詩誌の投稿欄に載った作品だ。不思議なインスピレーションで、一気に書き上げた。

   *

『完全自殺マニュアル』が東京都で発禁になった頃だろう。悪名高い本で、いかに自殺するのが一番楽かという内容だった。その本を使って自殺する若者が後を絶たなかった。

その頃から、僕は有償のボランティア・センターに通い詰めていた。その頃始まったばかりの制度で、今はボラバイトというのだろうか。それとも介護保険に組み込まれているのだろうか?
 ボランティア・センターには、色とりどりの若者が溢れていた。社会人入試で入学した三十二歳の医学部生から、予備校生やフリーター。家事手伝いや、若い主婦。閑を持て余した大学生。
 僕はボランティア・センターから、脳性マヒ児のリハビリの派遣先を紹介された。
 小さな子供なので、手足の運動の補助をして、筋肉が固まってしまわないようにするボランティアだった。そうしないと、将来歩けるようにもならないばかりか、骨の成長を阻害してしまう要因にもなるという。
 派遣先は、小さな一軒家だった。
分厚い眼鏡をかけたオバサンがその子のお母さんだった。会った初日、そのオバサンは唐突に言った。
「あなたみたいな雰囲気の人が、この前自殺したの。」
それから新興宗教の教義と○○先生の人柄を延々と説かれた。
通い始めて、二ヶ月目のことだった。奥の部屋から、自殺した青年より暗いのではないかという公務員らしき父親が出てきて、駄目だしといった風に言う。
「○○先生の本だよ。千円の本だけど、学生さんだから五百円にしておくよ。」
 本を買うことだけは、僕は断れなかった。もちろん入信はしないけど。

   *

「池袋の献血センター、いいぜ。」
「何がいいんだよ。」
「ピンクの制服の、眼鏡(めがね)っ(っ)娘(こ)看護婦さんがいるんだぜ。」
「それは、垂涎(すいぜん)ものだな。」
「そうだろう。その上、森(もり)高脚(たかあし)だぜ。今度一緒にいこうぜ。」
その頃、森高千里の美脚は有名になりつつあった。フィギュアというオタクのリカちゃん人形がある。そのフィギュアで森高千里をモデルにした人形が発売され、密かなブームにまでなっていた。

 現代詩に憧れ、漫画を読み、チョコッと勉強する。ニートのはしりのようだったのだろうか?

   *

 池袋の献血センターは、東口を出てすぐの処にある。
狂牛病やエイズの血液感染が騒がれる前だった。ちょうど成分献血が始まり、成人の採血量も200ccから400ccに変わった頃だったと思う。
僕と晃は『献血オタク』の世界に入っていった。

 献血で血を抜かれた後は、不思議な爽快感と陶酔感があった。
頭の風通しが良くなり、風がキラキラと光る。頭のてっぺんが、空に開かれたような開放感。少しふらつくところもいい。
『落とされる』というのだそうだが、柔道技で頚動脈を絞められる技がある。脳に血が廻らなくなり、気を失ってしまう技だ。それは、誰しも病みつきになるほどに気持ち好いらしい。僕も、同じ原理で気持ち良いのだろう。
ヤバイことに、どこの柔道部でも『落とす』のがうまい先輩は後輩の人気者になるというセオリーがあるようだ。風薫る五月。風光る五月。
眼鏡っ娘もかわいいし。
あ、詩のインスピレーションが湧いてきそうだ。

   *

 僕はメゲずにボランティア先にも通っていた。子供のリハビリを手伝うのは、何故か楽しい。何故だか分らないけれども、とにかく楽しい。自分も少しは他人のために出来ることがあることが、ちょっぴり自信にもなった。
そしてなんとか両親とも、巧く会話するコツをつかんだのだ。とにかく暗い話をするに限る。
「顔色がわるいわね。」
 と言われれば、
「血を売って、家計に入れているんです。」
泣きそうな顔をしながらうつむいて言うと、オバサンは満足そうに眼を細める。
オヤジさんも、
「○○先生の新刊が出たんだ。どう?」
 と畳み掛ける。
「最近参考書の読みすぎで、髄膜炎なんです。おまけにこの前鼻をかんだら、脳みそが垂れてきてたんです。脳みそ移植してもらわないと。あの、ちょっと脳みそ、分けてくれませんか?」
「あーまた出てきた。」と鼻をかむまねをして、ティッシュのビニールに仕込んでおいたナメクジに青海苔をふり掛けたものを鼻に詰め込んだ。
「あー僕の脳みそ、鼻から出て来てまだ動いてる! 」
 脳というキーワードがブラック過ぎたなと反省しつつも、それしか思いつかない僕の脳でもある。
 身を挺した演技のせいで、それ以降オヤジさんは僕に取り合わなくなった。

   *

「持たざる者は、更に奪われるであろうってな。」
 晃がしたり顔で言った。そのセリフがこの場合に、どうあてはまるのかは解らなかった。
「差別が差別を呼び、それが悲惨の連鎖を引き起こすのさ。」
「僕らは、何も出来ないのかい?」
「まあ、あまり考え過ぎず、気にせず、ボチボチやるんだな。」

   *

ボランティアを朴訥に続けて通ううちに、いつの間にか半年程の時間が流れていた。
初めのときより、オバサンの瞳が和らいできたと思うのは、僕の錯覚だろうか?
「ボウズ、続いてるな。」
 オヤジさんも、ぶっきら棒に、短く言葉をくれる。

 でも風が欲しい。心に風が。

   *

リハビリを手伝って、10ヶ月あまりたった。
「そういう子は寿命も短いのだから、無理に運動なんかさせても無駄よ。歩けるようにはならないのよ。」
 母親が分別ありげに言う。リハビリテーションの理念も概念も解っていないくせに。

「受験勉強は大丈夫なの?」
「そういうことじゃないだろう!」
 僕だって、その子が歩けるようになるとは思っていない。障害の重さを見ていると判ってしまう。だけど、歩けるか歩けないかだけが問題じゃないだろう。それ以上に。
「そういうことじゃないだろう!」
「そういうことじゃないだろう!」
人が生きていくっていうことは。

【灼熱の体温が欲しい】

自分を、極限まで追い詰めたかった。いや、自分の限界を見定めたかったのかもしれない。
 血がうねる。血が渦巻き、逆流しそうだ。薄らぼんやりしていた現実が、肉体と心から迸る情熱でリアルになる。初めて『血潮』という言葉を実感・実体験している。血潮がうねり、岸壁に波しぶきを打ち上げている。

  ***

 いつの間にか、病院のベッドで寝ていた。
 清潔な匂いのする、白いベッド。
そうだ、献血センターをハシゴして、400ccを3回、成分献血を1回混ぜて1・6リットルの血を抜いたのだった。
勿論弟の名義も使い、従兄弟二人の名前も使い献血センターを巡って、献血のハシゴをした。献血のチェックが、まだ甘い時代だった。
死にたかった訳ではないと思う。きちんと計算していたからだ。十八歳以上の体内血液量は、男性の場合、体重の約8パーセントだ。身長178cm体重65kgの、運動部で鍛えた体には約5・2リットルの健康な血液がある。その三分の一、1・73リットルが失われても死なない。
ギリギリまで自分を追い詰めたい衝動に駆られていただけなんだ。

***

 気づくと僕は、子供の頃の体になっていた。シングルのベッドが、やけに広々している。アソコも皮を被って、サナギ状態だ。鏡がないので顔は確認出来ないが、皮膚を触った感じは全く子供になっているとしか思えない。ツルリとしすぎている。
 隣のベッドの女の子には、見覚えがあった。誰だろう? 思い出せないが、懐かしい感じがする。

 女の子は、硝子のボトルに入った血液を輸血していた。
「今日は若いお兄さんの血ね。サラサラしていて、さわやかになりそう。」

 思い出した。ここは僕が小学校一年生のときに入院していた、カトリック系病院の小児科病棟だ。
あのときは原因不明の、43度高熱での入院だった。発熱したとき家の天井が近くなり、天井の木目がはっきり見えた。臨死体験というものをしたのだろうか?
 今、気がついた。僕は、あの当時に戻っている。正確には、僕は二十年近くの記憶を持ったままに、小学生の時の体に意識が戻っているんだ。いや、当時の意識が混ざった感覚。自分は十九歳なのか、九歳なのか定かでない。やたらに眠い。僕は眠り続けた。

   *

 病院は人里離れた高原の、小高い山の中腹にあった。重症の子供の多い、小児科専門の病院だった。
空気のきれいな自然環境の良い場所にある、古風な木造の洋館のような病院だった。回復に長期の療養が必要な子供の為の、家のような病院でもあるらしかった。僕は時折喘息の発作にも見舞われた為に入れられたらしいが、ここで完全に治癒した。*
「今日はオヤジの血ね。オヤジギャグばかり出てくる。血に苦労が沁み込んで、黒々(くろうぐろう)してる。」
 隣の女の子は、たしか重度の再生不良性貧血だったと、後に両親から聞いた覚えがある。僕より一才か二才年上の娘だった。小学校時代に、彼女と口を利いた記憶はまるでない。
 名前は、そう、ノエルだった。漢字を当てはめた名前では、奥原(おくはら) 野絵留(のえる)だった。

幼い頃の僕は、彼女の明るさが羨ましくて、看護婦さんとの会話に耳をウサギにしていただけだった。

 僕は学校で、むしろ明るい方だった気がする。背は低かったが、走るのが速くケンカも強くお調子者で、友達も多かった。友達も大勢見舞いに来てくれていた。病院生活は退屈だろうと、沢山の漫画本を友達それぞれが貸してくれた。

人間は、他人から評価されれば、自然と明るく振舞える。
彼女の明るさは、僕とは異質だった。彼女の友達がお見舞いに来たという記憶は無い。それどころか、両親の姿さえ見ることは稀(まれ)だった。

彼女の明るさは、内側から滲み出てくるようだった。『内在する生命』という言葉が頭をよぎる。“病気の彼女に内在する明るい健康な生命”現代詩にかぶれて培った、頭でっかちの悪い癖だ。


   *

 隣のベッドのノエルが話しかけてきた。そう、僕は確かにあの頃、ノエルと話しをしていたんだ。何故忘れていたのだろう?
 十二月半ばになっていたせいか、話題はクリスマスのことになった。ノエルもクリスマスは待ち遠しいようだった。
「だって私の名前は、クリスマスっていう意味なのよ。」
 彼女ははにかんだように笑った。
「私達、今年良い子だったかしら、心配だわ。あなたのことじゃないのよ。私の心の中が心配なの。」
「きっとサンタさんは、クリスマスプレゼントをくれるさ。君は良い子だと思うよ。」
*「ノエルの心の中が見たいな。僕よりは、ずっと良い子だと思うよ。」*

 ノエルは、何も答えなかった。そして話題をずらした。*
「キリスト教っていうと、クリスマスが最大のお祭りとおもっている人が多いけれど、本当はちがうのよ。」
「え! クリスマスじゃないの? 」
 ノエルは淡々と語りだした。
「イースター(復活祭)は、イエス・キリスト様が十字架にかけられて死んで、三日目によみがえったことを記念しているの。一番重要なお祝いの日なのよ。」*
「知らなかったよ。」
 ノエルは続けて語った。
「その日は、クリスマスが十二月二十五日って決まっているようには、きまってないの。」
「どうやって、決めるの? 」
 ノエルの本当に語りたいことが分らずに、ぼんやりと訊いた。
「イースターは春分の日の後の、最初の満月の次の日曜日なの。」
「難しいんだね。」
「神秘的でしょう? クリスマスよりも深い、なにか秘密があるのよ、きっと。」
「そうなのかな。」*
「もっとすごい、神秘があるのよ。」
「この世は、次の世界に生まれるための、お母さんのお腹の中の世界なんだって。神父様がそう言っていたわ。」
「でも、苦しい世界ね。私達をお腹に宿している神様もお辛いでしょうけれど。」

   *

 小児病棟では、風呂に入れないほど病状の重い子のために、看護婦さんが3日毎に身体を熱いタオルで拭く。
 ノエルの胸は、乳首とそのまわりがチョンとふくらんでいて、つぼみのようだった。ベッドが隣なので、自然に見えてしまう。
 彼女の中の生命の息吹は、身体にも芽吹いている。肉体は病魔に蝕まれてしまっているけれど。
生動する生と性。そして聖。そこには、絶えず相克が待ち構えている。

   *

 街の浮かれた喧騒とは隔絶されて、白い病室はいつもの通り静かだった。ただ、看護婦さん(当時はまだ看護師という呼び方はなかった)が、仕事の合間にクリスマスらしい飾りつけをし、ささやかなパーティーを開いてくれた。

病状の比較的軽い慢性病の子供は、一時帰宅を許される。残されるのは、病状が重い子供か、急性病で入院している子供だ。残された子供の中には、僕たちより小さな子供達もいた。
クリスマス会は、両親の参加も許されていた。そのせいではしゃいでいる子供もいたが、両親がなんらかの理由で来ないので、泣きじゃくる子供も何人かいた。彼女は、泣く子をあやすだけで、パーティーには参加しなかった。
いや、出来なかったのだと思う。あとになって考えてみれば。そして彼女は、自分がもらったクリスマス・プレゼントのお菓子を、泣いている小さな子供達に、分けてあげていた。
 僕の両親は、寿司折を持ってきてくれた。回転寿司ではない、比較的高級な店の寿司だった。僕は祖父と行く回転寿司の方が、口に合ったのだけれども。
「お父さんお母さん、十分遅刻したから罰金千円ちょうだい。」
 気づくと僕は、九歳の頃言っていた言葉を思い出し、その通り言っていた。
 そのときノエルは、両親の来ない小さな子供たちに話しをしていた。
いつもベッドで寝ている重い身体をおして、何を話しているのだろう?
 よく聴いてみると、小さな子にお祈りのしかたを教えているのだった。

『天におられる私達の父よ 御名が聖とされますように 御国が来ますように 御心が天に行われるように地でも行われますように 今日わたしたちの日ごとの糧をお与えください わたしたちが人を許すように わたしたちの罪をお許し下さい わたしたちを試みにあわせず 悪からお救いください。」 
私達の本当のお父様は、天国にいらっしゃるのよ。イエス様もお父様なの。ちょっとむずかしいお話しだけど。

『恵みあふれる聖マリア 主はあなたと共におられます 主はあなたをえらび祝福し
あなたの子イエスも祝福されました 神の母聖マリア 罪深いわたくしたちのために 今も死を迎えるときも 祈ってください。』
マリア様が、本当のお母さんなのよ。いつも、私達をみまもり、助けてくれているの。

 ノエルの頬に、熱いものが流れていた。それは、涙だろうか。本当の海の香りがした。*

 深夜、ふと目が覚めてしまった。すると隣のベッドで寝ているはずの彼女がいない。僕は夢遊病者のように、病院内を探索に出かけた。病院の廊下がきしむ音が、夢の中のように遠くで聞こえた。
 次第にはっきりして来る意識のなかで、途方にくれる自分がいた。どこから探せばいいのだろう。小さな身体に夜の病院は、途方も無く大きく広く感じられた。
 仕方なく、ナース・ステーションを避けながら、一階から順番に探していった。木製のドアを軋ませないように注意しながら、一つずつ病室を見回し、トイレから用具要れの部屋まで開けて探した。けれども、どこにも姿はみあたらなかった。
 ふと閃いて、一番上の階にある、礼拝堂に昇ってみた。

彼女は礼拝堂に一人でいた。後ろ姿は淋しそうだった。何かお祈りをしているらしい。そのうち、彼女の鳴き声が礼拝堂を満たした。
「お父さん、お母さん。」その言葉だけ、聞き取れた。
 でも、その声は、何故か心が休まる、不思議に温かい泣き声だった。

   *

「今日は若い女の人の血ね。つやがあるわ。今日は私、綺麗でしょう。」
 彼女は、いつもの調子に戻っていた。実際彼女は可愛らしかった。
彼女の瞳は、泉の湧き出している湖水のようにいつも澄んでいた。それは、ベッドから降りられないのが不思議なくらい、はつらつとした瞳でもあった。
ただ、彼女の病気がはっきりしてしまうのは、肌の色が日本人離れして抜けるように白いことだった。言い換えれば、蒼白な肌の色。
再生不良性貧血は、骨髄中の造血幹細胞が減少することによって、骨髄の造血能力が低下し、末梢血中の全ての系統の血球が減少してしまう病気なのだ。血液の赤色をつくる、赤血球中の赤い色素でもあるヘモグロビンも、当然減ってしまう。それが、彼女を蒼白にしている。美しいほどに。

彼女のベッドの脇には、赤い風鈴があった。ベッドが窓際だったせいだろうか。僕には、その赤い風鈴と、輸血用の赤い血液ボトルが同じもののように感じられた。彼女の肉体に、新鮮な風を送る、輸血用の血液ボトル。

看護婦さんと無邪気に、生き生きと戯れている彼女は、僕には眩しかった。
 彼女が悪戯に、看護婦さんから体温計を奪った。

「看護婦さん、検温やり直し。体温計クン、機嫌が悪くて、頭をカッカさせてるみたいなの。きっと友達とケンカしたのよ。」
 ノエルは熱が高いと、わざと体温計を脇からずらし、周囲の人を心配させないようにする。でもそれに失敗すると、言い訳がまだ幼いのだった。小学校3年生か4年生の少女の素顔を覗かせてしまう。

 僕も看護婦さんと仲良くなりたくて、ノエルの真似をして看護婦さんから体温計を奪おうとした。でもそれは僕のガサツな手から滑り落ち、床に散った。ガラスと水銀が散乱した。
「大丈夫よ、心配しなくていいのよ。」
看護婦さんは優しく言ったが、目は悲しかった。

 彼女は、何もなかったかのように、話を変えた。その場の空気を柔らかにするように。
「私、今日で何人の人達とお話ししたかしら。何人の人の人生を生きたかしら。出合った人は今日で1095人ね。何度も同じ人と出会っているだろうけど。」

   *

 彼女のベッドの風鈴は、夏が終わってもしまわれることなく飾ってあった。冬でもその硝子の風鈴は、窓辺にあった。ヒーターの温かい風が時折触れ、音を奏でた。

突然に、百合の花の香りがした。カサブランカだろうか? 香りがふくよかだ。百合はマリア様をあらわす花だ。
ふと、なにかの暗示を感じた。*そして、そよ風が吹いた。やさしい風だ。
 赤い風鈴が、涼しい音色で響き渡った。

「風って、見えるのね。イエス様のお姿も見えたわ。そして命は光なのね。色々な人たちとお話しして分ったの。昨夜(ゆうべ)は、マリア様ともお話しできたわ。」
彼女が折り紙で作った天使が、白いカーテンに鮮やかに映えていた。
 温もりは、流れるように部屋を満たしてゆく。
新約聖書の、山上の垂訓(すいくん)が頭をよぎった。
『心清き者は幸いである。汝は神を見るであろう。』

彼女は本当に神様を見たのだろう。

「クリスマスが終わると、復活祭が待ち遠しくなるの。」
 彼女は、幸せそうにはしゃぎながら、いつのまにか眠りについた。

 次の朝目覚めると、僕の隣は真っ白なベッドだった。そこには、清潔さだけがあった。残酷なまでの清潔さ。彼女は、何も残さなかった。窓際の赤い風鈴を除いては。たった一つ僕に残されたのは、爪痕だった。僕の心臓に、赤く潤んだ爪痕が残った。

   *

 忘れていた、物語があった。潜在した意識の中に。
彼女に、あのときの僕の血を輸血できたとしたら、彼女はなんて言っただろう?
現実という無理解と背徳と欲望の渦巻く世界の中で、僕らの愛は収縮し萎縮し、鉄鎖に繋がれている。きっと。


蛾と心

  

波の蛍光灯にはりついて
小さな母が
影を見つめている
どこから飛来してくるのか
波は知れない

未だ夜の明かりに求められる
138億年前の爆発
母に光の形をとどめ
その、荒々しい波が
私の大脳皮質を凸凹に踏み潰す

手足や道具から
人間の主語や意味が〓げ
母は微笑みながら降り積もる
性善や性悪が波を支配し
現象がここにある

研ぎ澄まされた私の触覚の
視界が保有している権限は
闇の隅々に鎮み行使される
微かに震える波動が子宮に打ち寄せ
希望は最後まで動かないでいる


YUICHI SAITO

  朝顔

なぐり書きの線
力強いストローク
一つ覚えと言えばそうかも知れない
どらえもん



ももももも

繰り返し繰り返し書くうちに
それは円になり波になり噴水になり
藍色の叫び

ああ
この叫びはどこかで聞いた
四分の一世紀前
八街のスイカ畑の真ん中の隔離病棟で聞いた
最初はこわくてこわくてうずくまっていた   
十畳の部屋に十二人が布団を敷きつめて寝た
エガワサンは時々飴をくれた
ちゃーちゃんは時々頭からカップ焼きそばをぶっかけた
金さんは機嫌が悪いと髪をわしづかみにして
床を引っ張りまわした

それでもみんなみんな同じ釜の飯を食った仲間だった
セクハラをする施設員を
「Hな
ことされなかったかぁい」
と少し喋れるサトウさんは忠告した

言葉のない世界に八か月いて慣れた頃
突然解放された私は教会に行って
「聖書を読めば救われます」と聞いて
じゃあエガワサンはちゃーちゃんは金さんは
どうやって救われるのかと混乱した

あの頃は
光のない世界に戻されるのが怖くて
ただただ怖くてずうっと自分の部屋にいた
 
二十年経った後、北川口に
知的障害者のアトリエがあると知って
父親と訪ねて行った

工房集
あの時とおんなじ人たちがいた
挨拶ができない人にどしどしぶつかってくる人たちが
だけれどきれいなマフラーが壁の棚にあり
画集が幾つかテーブルに置いてあった
それはそれは明るい光に包まれて
職員の人は根気強く書や織を教えていて
カフェーは陽だまりの中に居心地よくあって

神よ
あなたが救わない人たちが   
ここでは救われています
NYでも高く評価された
青い噴水のような
まあるい母親のような
どらえももももも


          

*齋藤裕一。アールブリュットの画家として世界的に活躍する。          


僕は彼女を抱きしめたかった

  芦野 夕狩

会社から帰る途中に
空き缶が転がっていて
道路の傍に
コロコロと転がっていくんだよね

誰かを
例えば上司を
無能だ、と心の中で罵ってみて
その空き缶の転がる道を歩いてく

剥がれていく
仕事中に書類で指を切って
そこに貼り付けた絆創膏が
ほの暖かい湯に浸って
だらしなく剥がれていく

僕が僕である悲しみ
という言葉の反対として
僕じゃないよろこび
というものがあるとしたら
主語はなんだろうね
絆創膏だろうか

鬱病になってしまった後輩からラインが来る
無理はしないでね(無理をしない程度に世の中に貢献してね
後輩は絆創膏のように剥がれていってしまったのかもしれない
君が君じゃないよろこび

空き缶の転がる道を歩く
歩く
何度も歩く
たぶん
無能だと思っていた人たちは
皆等しく無力なだけなのかもしれない
僕と同じように

剥がれていく
あさ鏡を見るたびに
耳が小さくなっている気がする
口が四角になっている気がする
僕が僕じゃない喜び(?)

鬱病になってしまった後輩にラインを送る
なんかさ、結局
世の中が全部悪い気がする
よくわかんないけど
俺頭悪いから難しいことわかんないけど
お前がお前のこと責めるのを俺が許せないっていうか
俺がフツーに働けてて
こういうこというのもすげー無責任だと思うから
お前がお前のこと責めるのを俺が許せない証拠に
会社辞めようと思うわ
まじ
止めないでくれよ

返事がない
ただの屍かもしれない(既読だけど
もしかしたら救えたはずの命を
見殺しにしたのかもしれない
遅すぎたのかもしれない

とりあえずセックスがしたくなった
愛とか恋とかそういうのじゃなく
ベッドの上で欲望の塊に成り果てて
なんかよくわからないけど
果てしなく意味のないセックスをしなければならなかった
そうすることが世界への復讐だった
意味や価値を求められて
失われていったものたちへの葬いだった

夜の街で女を買い
僕が救えたはずの命が終わったことと
それと同時に世界が終わったことと
僕たちは銃弾が飛び交う戦場のようなところで
ただ剥き出しにセックスをしなければならないことを
伝えた
女は見るからに商売女で
トクホの烏龍茶を飲んでいた
お金を渡すまでは僕の話を聞いてくれた
お金を渡したあとはスマホをいじっている
でもさ
若者の貧困は世の中が悪いと思うんだよね
俺頭悪いから難しいことわかんないけど
ある意味君のために俺会社辞めたんだわ
まじで
女は先にシャワーを浴びると言って浴室に消え
僕は部屋で彼女の体を見ないように努めていた
だってそういうものは秘匿されてなければならないから
女と入れ違いにシャワーを浴び
女の言うままにベッドに寝かされ
手コキをされた
僕は彼女を抱きしめたかった
ただ彼女は乳首は痛いといった
だから裸で抱き合うことはできず
僕はしごかれていた
正常位でいい?
そう言われて
いいよ、と言って
そのまま彼女が横になって
ローションを塗られて
挿れた
僕は彼女を抱きしめたかった
けれど彼女は足開きすぎると痛いと言った
だからそれは無理だった
彼女はスッキリとした美人だと思っていたけど
お腹が出ていた
綺麗に三段に分かれていて
わずかばかりに足を開くとそれがより強調された
僕は彼女を抱きしめたかった
彼女は
なんか萎えてない?
と言った
僕は手でしてくれる?
と頼んだ
いいよ、と言った
そのまま目を瞑っているとすぐ射精した
お互いにすぐに着替えてホテルを出た
火災が発生しているビルから脱出するみたいに


  朝顔

あなたの腕は大きくて細かった
抱きしめられて暫く二人でじっとしていた
部屋にはイランイランの香りがたち込めていて
カーテンは静かな薄緑色だった

それから私は見た
あなたの腕が四方八方に伸びて
パキラの木のようにどんどん大きくなって
部屋中をジャングルのように覆ってゆくのを

すっかりマイナスイオンに包まれた寝室で
私とあなたは安心して睦みあった
父ライオンと子ライオンのように

外は森閑としていて紺色だった
時々上の部屋の人の寝息が聞こえた
充電中の携帯のシグナルが二台枕の上で赤く灯っていた


契り

  鞠ちゃん

三白眼の太陽がその青白い白目を光らせ
昔気質の男が時として言葉を選び語るがごとく言う

野生の王を忘れたか
我が花嫁よ
おまえが幼い者だった頃
私はおまえの愛らしい額に飾る花を作るべく野を照らした
おまえが懸命に編んだ王冠のシロツメクサの匂いは
甘く青臭くとろりとして
おまえの幼い心を酔わせ
それは私の誓った永世の愛の言葉だった
おまえはこれ以上のものを得たのか?

海辺を転げるあのもどかしく飛び跳ねるビニールボールに
歓声を上げて潮の香に揉まれる砂だらけの幼な妻を
私はじりじりと焼け焦がして
おまえの守護者となり、愛の源泉となり
おまえの背中に私の熱い唇で痕をつけた

季節は過ぎて、貧しさ、着の身着のままのおまえよ
世界は変わり、嘆きは乾いた灰に吸い取られていた
後には歯を食いしばる心とあほ踊りする心が
ちいさな河の芥、あぶくになって水面を揉み合っていた

灰の降った後の世界で生きようとも私はおまえの傍にいる
思い出せ私を
私と番いおまえの熱情にして歩いていくのだ
目を伏せて記憶の香水ボトルに私を閉じ込めるな
おまえの瞳に映る者はすべて私の伝令だ

”思い出してよ”、と
紫つゆ草が朝に濡れて歌う
赤まんまが指切りして囁く
猫じゃらしが道化者を買って出た
アザミは友情を見せて見つめている
セレナーデを歌う草花たちを婚礼の祝い客にして
微笑みをグラスに添えれば
私はおまえの時を奪い
光で隅々まで満たし
おまえは静謐という名の人知れぬ湖の
私に抱かれる魚となって
ただ水底に美しい魚影だけを残すだろう
そうして私たちは回転しながら
私たちだけを抱きしめあい、永遠を交わせるのだ
おまえはあの頃のように、私を感じ思うだけでいい
娘よ


回帰幻想譚

  田中恭平

 

 それは一般的に海と言われているが、わたくしには恥ずかしい果実、葡萄の崩れたものにしか感じられない、で、歩いていた、ら、白い砂がわっと風で舞い上げられて、口内に、眼中に入ったが為に、あららとお道化るようなオーバー・リアクション、スローモーション、が少しかかったこの世に於いて、「ボクノ、コエニハ、ディレ、イ、イ、イガ、カカカッテテテッ・・・イル」と呟いて、ペッ、ペッ、と砂塵を口中から吐き出す。眼は大切なので慎重に涙に任す。顔が洗いたいなと思う。

 「弥勒菩薩はとしおえん、弥勒菩薩はとしおえん」
 蒲公英みたいな黄色い帽子を被った幼稚園児がそう歌いながら歩いている町へ出た。俺は魚だった。まるで。廃れたスーパー・マーケットで売られているような魚だった。おえ。気分が悪いよ。まるで。そこを虚無僧が通っていった。俺を喰って成仏させることもできない、清貧な坊さんだというか。昼、虚無僧はラッキー・ストライクを駅前で吸った。俺、袋の中から見た。まるで。煙草の草は天高く浄土へ辿りついただろうか。その晩俺の首はバッサリ斬られた。まるで。
 
 二つのエピソードが脳の中で葛藤をはじめつつ、パソコンに向かってキーボードを叩いている。ぶちまけたいことがあるということは悪夢だけれど、いい悪夢だね。だね、って誰に言っている?書いているんだろう?きみのオルグをやんわりと拒否し、軽快に歩けるのはポケットの中に御金が入っていない、財布が入っていないから。さいわいだね。不幸だということは。この階層までおりてくるものはいない。と、やっと顔を洗えた。公園。ラッキィ。ひとつラッキィがあると、もっとラッキィが欲しくなるもので、何分自分は努力もしないのだけれど、書くことは好きなので物を書いている、内に巧くなっていったのか、好きこそものの上手なれ、ということだねぇ、と魚の首がつぶやく。頂きました。ちょっと焼きすぎてしまったね。畜生にちとくれてやろうと思うたが、畜生のヤツグルメになって、今じゃ私すら喰わない、鮪のヤツばっかり食べて、鮪のヤツ地獄行きだよ。可哀そうとも思わない。あんなスピードで生き急いでいるから悪い、と蛇口をしっかりしめると、蒲公英みたいな黄色い帽子を被った幼稚園児ふたりが俺の方をじっと見つめていた。俺、変?「ねぇ、その歌どこで覚えたの」と声をかけた途端不審者がられるのか、妄想なのか、その境目がわからずに、俺はその幼稚園児の腕にぎゅっと抱きしめられると、中川家の猫になってた。で、俺みたいな魚。まるで。を猫な俺が食ってた。なにこれ珍百景。泣いていいのかな、
 

 気付いたら走り出していた。浜の俺は、魚な俺は、猫な俺は、自分でもうつくしいと思った。何かグッドなフィーリングだと思った。特に魚な俺がグーンと碧い海の影から明るみに出る時その一呼吸だって捉えて、ぎゅっと粉砕する、浜辺な俺だった。指からこぼれ落ちるものがあった。きらきらと輝いて。なにこれ珍百景。パワー!!絶対この後鬱になるなと思ったら、感じただけならまだよかった。俺は書いている。少し蒸し暑い寝室で。
 

 今はギロチンに興味関心がある。聖母に興味関心がある。乳房に興味関心がある。クリープの粉に興味関心がある。こころの底から笑ってみることに興味関心がある。ダーンス。が済んだら、またつまらなくなるんだろう、俺の、わたくしの両指よ。あったかくなったこころにやっと入れ物が見つからなくなりそうだよ。でも、それは絶望ではない。多分!


河原の土手で寝転びながら

  玄こう




音が聴こえてこない文字が横一列に並んでいた。年老いた者や若者も子どもも、みんな封じ込められていた。人々はみな階の屋上へと駆け上る。逃げるように生活から、そう、逃げるように外へ出ようと...変わりばえのしないジェイルズル_ーム。
陽が射す、寝覚めた眼をこすり一条の光る文字の、格子面が色とりどりに嵌めこまれたステンドグラスを囲う、ジェィルズル_ームの孤児院ミサで、弾くであろう優さん。

「あれぇ?生きとったんや〜」。「ワリカッタなぁ〜生きとって…」。俗離れがしきれんから葡萄酒焼酎酌み交わすならわしだ。にこやかに手をふり、別ち、川をつたいシュリンクスを吹き鳴らす。音の階を色とりどりに流れる、川瀬に吹く風もろともいやに生暖かかった。どこへいったんだろうか。幼なじみはどこを空でほっつき歩き野垂れ死んでるんだろうか。かの死んだ親友をふと空に見上げた。
過ぎ去りし春一番の風を顎にのせ土手を駆け上った。そこはジュエルのめくるめく点滅信号が瞬いていた。朝の横断歩道に立ち、手にする酒瓶の栓をこじ開け封じ、分泌する胃液が口に昇ってくる。惑溺にすがるどぶねずこう。

>頭がどんどん悪くなる
>人相もどんどん悪くなる
>体はどんどん鈍くなる
>学もどんどん鈍くなる
>呑吐(どんと)回りが早くなる
>歳がどんどん鈍くなる
>時がどんどん早遅れる
>萎んで枯れる顔の膨らみ
>土手で大の字に仰ぐ曇天
>どんどん流れる
>耳障りに韻を踏む
>脈動する血が
>頭のまわりを
>どんどん流れる


起き上がりこぼしたよだれを拭いながら天頂をかすかにさざめく星たちのダイオード。光害からより遠く離れ頭上の真上にまたたいていたのさ。猫の額の広さにうんざりするくらい光害スモッグの黄砂が周囲を覆い、天頂から手指で数えて東へ55゚近くに赤く見せるマースさへ黄色く調子ついていた。恒星と同じに地球圏内では同じ域のむじなだ。落ち着かないまままたたちて、あとは北斗七星のおおぐま座ぐらいしかめぼしい星がみつからない。疲れた首が欠伸をした。

動物と植物とが天と地とをばっこする者たちの、その手に牽かれる牛。捕らわれる額の真中を、屠殺者が引き金を引く。食肉牛のくり貫いた眼球を剃刀で輪切りにして、硝子に貼りつけ、眼玉の構造を子らに見せて教育している弟が、

演技のしつけ、台本の選定に忙しいと電話で話してた。現在の近況時をメカがメカで知らせるばかりなネット相が嘘臭くて、いやはやネットのドツボにはまりありとあらゆる人・類・種のるつぼであって、たから何ん何だというのか?

/過去五百年間を跨ぎ/すべてのメディア情報(だとかいう呼び名)が一年に飛び交うという/嘘くさく馬鹿げた劣化文に貶められた/矢筈折る手近なデジカメバキバキのバカチョン/だれでもオキレイに撮れる御用達/人と人との情の報い/短絡な示しを召喚し顔無し脱身体ゴーストのパトスが侵す/分割脳のセカンドライフばかりである/

対置させ二重に相殺するありとあらゆる危うさを、←・→ 綱引きしている力の次元じゃなく、もうひとつそこに新たな違った綱を接続させる必要があるんだと思う。引き絞りの三次元スペースの焦点を見付ける事なんだと思う。

なにいってんだろ、携帯ネットモードで自分イデアと出であうメモ。。美術評論家のグリーンバーグの示す脱中心みたいなもんも、日本ではお馴染みで流行ってるんだろうけど。なんだかな。マッスのデッサンを通らぬ人らが、セザンヌの画やロダンの彫刻をいったい。どこまでわかって批評してんだかな。ことばを意味論解釈しているだけ。親父のアンフォルメル絵画も、シュールもアレゴリも一足とびのお家芸の箱庭でしかないわ。悶々と訳わからねぇような屁理屈を張りながら現代アートもおお流行りだ。はは詩も絵もそんなんではやれぬわ。親父が来週家にくるらしい。こんどこそ奴の口をねじ曲げる。奴の鼻をへし折るつもり。


私の体はいつも古い

  選者

わけいってもわけいってもメンヘラ

私の体は、
いつも、古い、
私を織り成す、
糸の、織られた日は、長く、
(長い詩を書くためには、長く雨が降らなければならない)

「私は、痛みを」
取り除く、つまりは、
(やがて、)または、
引き伸ばされた、
世俗的なるもの、から、
押し潰された、
政治的な、過度に、過度に、
(政治的な枕)
眠れない、枕、
枕詞に、
紫陽花、または、
蜜柑、
身体的な、死を、
書くためには、
柑橘類の、酸味と、
花の、香りを、
紙に、

私は、
貴方の、
敵だ、
月明かりに、
下る、
糸に、
引く、
低い、神の、涎、

私と、言う、
新しく、生まれた、
幼い、概念、
火を灯す、
人差し指の、
指先が、始めて、
燃える、
油ー始めて、
「私」が、
獣に、混じった時の、
汗の名残、
または、
獣道を、探した、
人の道を捨て、
捨てられた、道を、
まわって貴方に、会うために、
暗い夜、雨が降る前の、
あの、すべてを、濡らしてしまう、
雨が、闇を、夜を濡らして、
引き剥がしてしまうまえに、
捨てられた、獣道を、
行く、

(貴方の、
新しく、編まれた、
皮膚に、新しく、
織られた、
花言葉と、
瞳と口が、
添えられ、)

わたしの、
からだは、
いつも、ふるい、
ひらがなや、
かんじの、
ように、
古く、
未だに、
人を、
続けなればならない、
夜の、闇の中で、
獣道を、探す
(神を、知覚することはできない、
だから、神は闇に、暗闇に覆われている)
この、暗闇を、払うことはできない、

雨が降る、上がらなければならなかった、
雨が降る、

雨が、
編まれる、
音が崩れる、


sex tribute

  白犬

女の肉
男の肉
トルソ
sex

黙れ

沈黙の中の
性的な香り

豊穣な
繊細な

幾万の香りの粒子を

貴方はその不細工な舌で
押し潰し 蹂躙し 押し込める
言葉という呪いで 言葉という呪いに


(その日曜日に、私達はある川沿いで出会う
 燕が黒い小さな俊敏なナイフのように空を舞っている
 白い陽光が降り きらきらと水面で細かく砕かれていく
 そんな時空で
 柔らかな黒い果実のように
 あなたの存在を私は受け取った
 匂いが 漏れていた
 あなたの微笑みの中の苦悩は
 子栗鼠の目をした私の中に
 ただちに、ゆっくりと、反響を始めた)

無数の 乱反射する 沈黙の 柔らかな 温かな 瑞々しい 冷酷な 香り
私は2対の(あるいは無数の)目を綴じ

それらを思う 殆ど夢見るように


性的な 夢


(私達は川べりを歩いていった
 ホオジロの艶々とした囀りが響き
 私達の会話は 楽しいものだったと記憶している
 その間も ずっと
 あなたの苦悩は ちらちらと影の中に揺れていた
 そう、最初に目に留まったのはそれだったのだ
 それこそが 常に白い私の視界の中で
 あなたの、存在を指し示す 唯一の )


(木陰に佇んだあなたは
 遠い水面の先に目をやった
 私は黒い目でその視線を追った
 そこには有り触れた 街の 穏やかな風景が
 白い 光に 包まれ
 影の織る絵画のように あった
 その時 私の中に起きた感情を
 私はまだ名づけることが出来ない)

私の不細工な舌は
美しい無限の匂い達を
押し潰し 蹂躙し 押し込める
私という呪いで 私という呪いに

生の懊悩だとか言ってみたい、と
性の懊悩だと嗤っていたい、と


(いつの間にかあなたは
 私の傍から姿を消していた
 川と街の風景はまだ思い出に残っている
 あなたのその黒い苦悩が
 私の傍からあなたを去らせたのだと
 私は直感している
 あなたはそれを留めることが出来ない
 あなたはそれを留めることが出来ない?)

その香りは
今も空中を舞っている 恒常的に その有限性に
警察犬よりも素早く
私はそれを嗅ぎ付ける

その脆く美しい香りを
私はまだ名づけることが出来ない

香りに呼応するように
血が 私の中を激しく巡る

女の肉
男の肉
ちぎり合う生の
奪い合う性の
触れない夢の
トルソ の 見えない頭部 から 滑り落ちる涙
硝子のsex

黙って
静かにして
今は 感覚を 澄ませて

逃してはいけない
貴方はそれを逃してはいけない

散る 香り 萌え る 光 のよう な それ  を  あ な た は


喪っては いけない



夢を見るように
名づけたいと思うのだ



ほら、美しい

(反吐が出る寸前の)

捧げもの

sex tribute


ダフネー

  本田憲嵩

   1

水のせせらぎのかぼそく落ちてゆく音の
さらさらとそよぐ 細い川が立っている
あるいは川面に映る 黒髪のなびく樹木の体幹
水面を揺らす風の冷ややかさでつるりと象られた
細ながい球根の輪郭だ
その黒い枝葉は 星の川で 夜の森の奥底へと接続されている
つやのある蟻のように瞳は円らで
まるで揺らめく水瑪瑙だ
そこにも小さな光の星が落ちている
川を下るように君という樹木を下ってゆく
苔生した
浅瀬のけぶる

   2

さらさらと
声の葉が いつまでもせせらぎ続けている
水のしずくのかぼそく落ちてゆく幹の
きらめく細い川が立っている


箱庭_【或は選者氏へ、】

  鷹枕可

眠れば、
光暈が静か、
騒めく
熟れないわたしたちの小鳥が
わたしたちが鳩の心臓を
包むやわらかな降る花が
だれのものでもない、
あなたの、

めまぐるしく
喪われた攪拌機のうちそとに
癒えることなきこどもが
石灰の墓碑銘に紛れるならば
わたしは
わたしたちの死を
あなたへ、

孵れ、
今は今でしかないのだから

明るい夜
だれかが死ぬ夜の絹のなかで
明けやらぬ電球
器械の、
全て喪われた
個室のラヴェルを擱いて
逃れる
亡命者がくれた
青い雛罌粟のかたち、
生きていた記憶
それはあなたたちの、

産れなきこどもを
少年たちを
個人を 俟ちながら

かれらは死は迷宮建築を今も尚燻り、

_


私が、なにものでもないわたし、に
降る、鎧戸を霰が、
ああそれは、
かのものたちが、
死を忘れつつ、腐りゆく、
薔薇のフーガを、
外套に包み包まれた、鳩尾をながれやまず、
それは青ざめた縁の、
辺縁を差し、
楕円を姿見として
再発を、撒く鉤十字の
忘られなき
罰をあたえる、あなた、へと
泥濘、
模倣のような雹は、
やわらかにも嬰児虐殺を、
古びてゆく、諸々の切窓に、
狂人達の晩餐は、
漆喰の、
瞳を、
喉をくつろげて、
底を、呻る、
轍のような死に
溜められた瞋り
白い瞋り、
文法へ開かれた
吃りの、驟驟とした、
何もない、嘔吐、
労働者へ
腕のない眠りより生臭い、街燈の底へ
傷なき繃帯は
追うか追われ、
骨灰を、煤埃を、
あなたが、なにものでもないあなた、へ


names

  完備

それだけが見える
ということが、あるのか
かつて、私であった人の
私へ曳かれる眼差しと
交わる、畸形の花
びらに似た、包装紙
いちぶ尖ったアルミ缶
ゴミやゴミが裏返り、
「眠るように」という
直喩のうちに、「眠る」私へ
伸ばされる
かれの身体が裏返り、
まぼろしを
告ぐるはやさしい同型射。
畸形の花々のうちに
ふつうの、雑草のにおいを覚え
私はここで息絶えていい
かつて、それだけが見える
という、「それ」を、
呼ぶためにあった名前よ
いまここで、お前が
意味するまぼろしを見せてくれ


浴室

  蹴鞠 路次男

ドアを開けると魚になった妻が立っていて
さんざん苦労をかけたからだろう
魚以上に青い顔をして
もうなにも掴まなくてもいいように
手は薄いひれになって
もう台所で踏ん張らなくてもいいように
足は流線の尾ひれになって
口をパクパクとさせた時
それはたしかに「ただいま」と聞こえた
比較的おおきな魚の来訪に
飼い猫の五右衛門はたじろぎ
下駄箱の陰に隠れ
噛み付いて良いものかどうか
思案しているようだった
あいにく手頃な水槽がないので
自然と風呂場へといざなう運びとなり
妻も勝手知ったる我が家であるから
いそいそと廊下を辿り
脱衣場を通り過ぎると
服も脱がずに
浴槽に体を沈めてしまった
もとより服など着ていないのだが
何も剥がずして躊躇なく水場へ踏み込むあたりは
さすがに水生の者と思えた
あいにく昼さがりのことで
浴槽には水も湯も張ってなく
魚類に適した環境ではなかったが
昨夜の水の気配に安心するのか
妻は気持ちよさそうに体を伸ばしくつろいでいる
蛇口をひねり浴槽に水を入れると
妻は驚いたように私の目を見つめ
尾びれで浴槽の底をパタンと叩いた
飼い猫の五右衛門は未練の残る目で
浴室の扉の隙間から中を覗いている
妻の体は水を含んでしだいに光りはじめ
淡い潮の香りを放ち始めた
透き通るような白い腹は
思わず裂いてみたくなるほどの
大きな謎のように見えた
五右衛門が「アオん」と鳴いた

おそらく
浴槽に水がいっぱいになるまで
われら3体の生き物はこの場に居るのだろう
なぜだか いつまでも
浴槽の水がいっぱいにならなければいいと思った
浴槽から水があふれたとき
何かが始まり 何かが終わる
ということはないのだろう
五右衛門がもう一度「アオん」と鳴けばいいと思った
そのあとのことは 誰にもわからない


夏越の祓

  atsuchan69

数多(あまた)の田は
既に水が張られ
夜ともなれば蛙が鳴き、
やがて狂おしいほどの肌の火照り、

野鯉を釣った後の
烈しい血の騒ぎも抑えがたく
儀式は、六月のうちに
さも義人を装って

氷室の白い塊りを
派手なゆかたを着た妻が砕き、
削った荒い氷の欠片
酒は微かに牝の匂いがする

生暖かい闇に
冷たさの角が光る
――夏越の祓。
水無月豆腐を肴に呑む

ひとり縁側で
碧い硝子の器を舐めると
じんわりと汗が滲み、
腕や太腿をやぶ蚊に刺された

あ、あれは土間からの水音 )))

杉の盥(たらい)で踊る、
巨きく真っ黒な魚が一匹――
きっと明日にも捌いて
ふたり、酢味噌で食べよう


衝動

  黒髪

それだけですよソラシドレ
革命大好きカキクケコ

運の悪い時には槍の雨が降る
信じていても愛はやって来ない
こちらから行くことが道のりを縮める
やって来ないことを思うとき
余暇のような過ごし方になる

曇り空ははっきりしない
タイツを履いて攻撃準備
アドレナリンで興奮させた
心の使い方を覚えたよ

とても小さな行動範囲
とても小さな愛の場所

カラーンコローン
緑の帯ついた本
シーンシーン
旅立ちの曲

いつでも準備をしている途中
駆け出すのは焦りではなく衝動に従って
栄光が二つに割れ
時のシャワーを浴びる
今ではもう昔の話
でも思い出す
宛先のない心が話したがっている
誰でもいい
疑いを持たないならば
心の痛みのことを聞いてくれるのなら
飲めないけれど
酒飲み友達みたいになるかい
子供のころ思っていたような
立派な言葉をしゃべり合い
くだらない冗談を共有して

おとぎ話の続きを考えよう
権力に情けをかけられて
反省した末に
残った破れ野原
過去から目を背けないで
未来の不安を隠さないで
今や雄々しき血のたぎり
愛と論理が欲しいから
橋の上に立って幽霊のように
見渡せ
見通せ
くたびれた優しさを
心に秘めたよ
同じ夢を持ち
生きようとした星の話
光り輝く群衆の
僕もその中の一人
誰も罵ったりはしないで
時のメビウスに投げかける
昔の歌を
昔の愛を

ポツンと取り残されている
誰かが僕の涙の中にいる


心中に予告、心中に遅刻

  紅茶猫

駅前の来来軒で
ぶどうパンを三斤買って
その重さに
前のめりになりつつ
足早に歩く 

パンと私を
天秤にかければ
明らかに
わたくしの方

重い
ぶどうパン三斤で
沈むか
この身体


夕べ、スマホが
けたたましく鳴って
「明日心中を決行する」と
メールが来た。

今年に入り二度目の
決行予告

(23:08)

かったるい


日時:明日
場所:川
参加人数:2人
持ち物:水着、ぶどうパン三斤
備考:雨天決行だよん



だから何で
ぶどうパン
水着もこれ相当おかしいよ、

などと返したところで
返信は無い。


2時間ほど歩いて
街外れにある森の
階段を
16段上って87段降りた

濃紺の改札を通り
地下鉄に乗り込むと
ワカメが車両狭しと
生い茂っていた

利用者の立場に
全く立っていない
運営ぶりである

吊り革のように
ぶら下がる
酸素ボンベを
口に当てると
浮き上がらないように両手で
しっかりとパイプを握った

海の真ん中に川は無いと思う

海の真ん中に川は無いと思う!

階段を87段上って16段降りるべきだった?

ワカメが頬をなでる
黒い大きな影が
窓の外を通り過ぎていった



(15:08)


「まだ?」
「遅いよ」
「今日はもう止めるよ」
そう言い残して
スマホが先に水没した。

文学極道

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