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2012年11月分

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* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


黒い光輪。

  田中宏輔




I あがないの子羊



I・I 刺すいばら、苦しめる棘


その男は磔になっていた。
目は閉じていたが、息はまだあった。
皹割れた唇が微かに動いていた。
陽に灼けた身体をさらに焼き焦がす陽の光。
砂漠の熱い風が、こんなところにまで吹き寄せていた。
腕からも、足からも、額からも
もうどこからも、血は流れていなかった。
砂埃まみれの傷口、傷口、乾いた
血の塊の上を、無数の蠅たちが
落ち着きなく、すばやく移動しながら
しきりに前脚を擦り合わせていた。
頭の上では、それより多い蠅の群れが飛び回っていた。
蠅が蠅を追い、蠅の影が蠅の影を追っていた。
男の目が、微かに開かれた。
彼と同じように磔になった男のひとりが彼の横顔を見つめていた。
もうひとり、彼の脇に、彼と同じように磔になった男がいたが
もはや彼には首を動かす力もなかった。
磔柱の傍らでは
汗まみれ、泥だらけのローマ兵たちが
サイコロ遊びに打ち興じていた。
襤褸布の塊のような灰色の犬が
見えない目で、真ん中の磔台の男を見上げていた。
犬の目はふたつとも色を失っていて、石のように固まっていた。
突然、俄にかち曇り、一陣の風が吹き荒れた。
砂という砂が、風に巻き上げられた。
真昼間に、太陽は光を失い、夜となった。
「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」
男が暗闇のなかで叫んだ。
すると、光が戻った。
男は息を引き取っていた。
両脇の死体が片づけられているあいだ
真ん中の磔柱では
件(くだん)の犬が、溝穴にできた血溜まりを嘗めていた。
男の死を見とどけていた女たちのなかから石が投げつけられた。
いくつも、いくつも投げつけられた。
犬にあたり、磔柱にもあたった。
それでも、犬は血溜まりを嘗めつづけていた。
ローマ兵のひとりが、女たちに手を振り上げた。
石つぶてがやんだ。
ひとりのローマ兵が犬を捕まえ
尻尾をつかみ上げて逆さにすると
思い切り地面に叩きつけた。
犬は一瞬の絶叫ののち、左前脚を曲げて
躯を引き擦るようにして、その場を去っていった。
もう女たちも石を投げつけなかった……
……なかった、いなかった。
そこには、ペテロはいなかった。
そこには、アンデレはいなかった。
そこには、ヤコブはいなかった。
そこには、ヨハネはいなかった。
そこには、フィリポはいなかった。
そこには、バルトロマイはいなかった。
そこには、トマスはいなかった。
そこには、マタイはいなかった。
そこには、もうひとりのヤコブもいなかった。
そこには、シモンはいなかった。
そこには、タダイはいなかった。
そこには、ユダはいなかった。
磔台の上の死をはじめから終わりまで見つめつづけていたのは
ガリラヤからつき従ってきたひと握りの女たちと
もの珍しげに見物していたエルサレムの子供たちと
磔の番をしていたローマ兵たちだけだった。





注記

 この第I部のタイトルは、講談社発行のバルバロ訳聖書・新約・一三七ページの注記より拝借した。また、第I部・第I篇のタイトルは、共同訳聖書のエゼキエル書二八・二四にある、「イスラエルの家には、もはや刺すいばらもなく、これを卑しめたその周囲の人々のうちには、苦しめるとげもなくなる。こうして彼らはわたしが主であることを知るようになる」からつけた。頭に戴いたのは、王冠ではなく、いばらの冠であった。イエスの頭上、磔柱の上方には、ピラトの指示によって、「ユダヤの王、イエス」と記された罪標が打ちつけられていた。
 犬は、この長篇詩の狂言回し的な存在で、それが象徴するものは甚だ多義にわたっているが、まずは、アルファベットに注意されたい。DOGが逆さまになると……。この犬を盲目にしたのは、無知蒙昧な民衆の比喩である。また、犬に血を嘗めさせたのは、列王紀の第二一章、第二二章にある、悲惨な最期を遂げた人々の血を犬が嘗めたという記述から。また、これは、葡萄酒を血に喩えた、最後の晩餐におけるイエスの言葉にも符合させたものである。ちなみに、『イメージ・シンボル事典』の「dog」の項を見ると、サイコロの悪い目のことが「イヌ」と呼ばれていたらしい。
「そこには──がいなかった。」と列記したのは、いわゆる十二使徒たちの名前であるが、このうち、ペテロをのぞいて、すべて講談社・少年少女伝記文学館・第一巻『イエス』によった。ペテロのみ、共同訳聖書から採った。ゴルゴダの丘にいたのは、記述した者のほかにも、イエスを訴えた祭司貴族や、律法学者や、ヘロデ・アンティパスに遣わされた者たちや、処刑見物の好きな民衆たちもいたであろう。しかし、彼らも、イエスがきれいな亜麻布に包まれるまではいなかったであろう。これは想像にしか過ぎないが、ローマ兵に命じられ、イエスに代わって十字架を背負ったクレネ人のシモンが、イエスが息を引き取るまで見つめつづけていたのではないだろうか。彼の名前をここに入れたかったのであるが、詩の調子が崩れることがわかったので諦めた。





I・II ヴィア・ドロローサ I


クレネのシモンは          犬が跛をひきな
  坂道を下りながら          がら坂道を
    下りてゆきながら          下りて
      思い出していた          くる
        磔になった男の         …
…         あの男の死に顔を
なぜ          死の間際に浮かんだ
あの男が          あの不思議な死に顔を
自分のことを          頭から離れなかった
ユダヤの王だなどと         シモンの右足が
そんな世迷言をいったのか        小石を一つ
農夫のシモンにはわからなかった       けった
わからなかったけれど、そんなことなど
いまの彼にとってはどうでもいいことであった
 あの男の代わりに十字架を背負わされたところにきた
   あの男が膝を折って蹲ったところだ、とそのとき
     傍らを汚らしい灰色の犬が走り抜けていった
       そいつは跛をひきひき走り去っていった
         シモンの目に、あの男の幻が現れた
           まだ磔にされる前、衣服を剥ぎ
…            取られて裸にされる前の姿
なぜ             であった。シモンが手
あの男              をのべると、ふっ
の幻が目の              と消えた。消
前に現れたのか              えてしま
クレネのシモンには              った
わからなかった。わから             …
なかったけれど、ローマ兵に
強いられて、あの男の代わりに
重い十字架を背負わされたことなど
不運なことだったとは微塵も思わなかった





注記

第I部・第II篇のタイトルについて、『図説・新約聖書の歴史と文化』(新教出版社、M・ジョーンズ編、左近義慈監修、佐々木敏郎・松本冨士男訳)の解説を引用しておく。「ヴィア・ドロロサ(すなわち<悲しみの道>)は旧市街(すなわち中世の都市)を通る道につけられた名で、イエスが<総督の官邸>から<ゴルゴタという所>(マルコ15・16、22)へ十字架を背負って歩まれた道を示し、敬虔な巡礼者たちによって使われる道である。13世紀の修道僧が最初に巡礼者としてこの旅をしたのが、おそらく事の起こりであろう。この道を現代の巡礼者たちは金曜日毎に、<十字架の道行きの留(りゅう)>(The stations of the cross)の各所で、祈祷と瞑想のために立ち止まりながら通過する。」。





I・III ヴィア・ドロローサ II


上がる道も下る道も、同じひとつの道だ。
        (ヘラクレイトス『断片』島津 智訳)


「あんた、さっきから、なに考えてんのさ。」
「いや、なにも、べつに、なにも考えちゃいない。」
「ははん、こっちに来て、あたいと飲まないかい。」
赤毛の男は席を立って、女のそばに腰かけた。
──わたしの顔を知る者はいない。
「ここの酒は、エルサレムいちにうまいよ。」
「ほんとかね。」
男は、中身に目を落として、口をつけてみた。
「よく濾してある。香りづけも上等だ。」
男は一気に呑み干した。
「おやまあ、陰気くさい顔が、いっぺんに明るくなっちまったよ。」
「ああ。ほんとにうまかった。苦みがなかった。」
「ここじゃあ、枝蔓ごと、もぎ取ったりはしないからね。」
──田舎じゃないって、言いたいのか。
「女、なんという名だ。」
「マリアさ。」
──あのひとの母親と同じ名だ。神に愛されし者、か。
「あんたは、なんて言うんだい。」
「ユダだ。ユダ。マリアほどにありふれた名前だ。」
女が身を擦り寄せて、男の胸元を覗き込んだ。
男の手が懐にある財布の口を握った。
「なにか大事なものでも、懐のなかに持ってんのかい。」
──大事なもの? 大事なもの? 大事なもの?
「金だよ。金。金に決まってんだろ。」
「そら、大事なもんさね。」
女が男の膝のあいだに手を滑り込ませた。
財布を握る男の手にさらに力が入った。
女の耳は、三十枚の銀貨が擦れ合う音を聞き逃さなかった。
戸口の傍らで、灰色の毛の盲いた犬が蹲っていた。





II デルタの烙印



II・I 死海にて I


ユダは湖面に映った自身の影を見つめていた。
死の湖(うみ)、死の水に魅入られた男の貌(かお)であった。
その影は微塵も動かなかった。
ただ目を眩ませる水光(すいこう)に
目を瞬かせるだけであった。
──この懐のなかの銀貨三十枚。
──これが、あのひとの命だったのか。
──これが、わたしの求めたものだったのか。
ユダは砂粒混じりの塩の塊を手にとって
彼自身の水影めがけて投げつけた。
水面から彼の姿が消えた。
「友よ。」
「えっ。」
ユダの目が振り返った。
イエスが、生前の姿のまま立っていた。
ユダはおずおずと手をさしのべた。
(ひと瞬き)
イエスの姿はなかった。
──幻だったのか……
──そういえば、はじめて師に出会ったのも、ここだった。
ユダの歪んだ影像(かげ)が水面で揺らめいていた。





II・II 死海にて II


ユダは湖面に映った自身の影を見つめていた。
死の湖(うみ)、死の水に魅入られた、男の貌(かお)であった。
その影は微塵も動かなかった。
ただ目を眩ませる水光(すいこう)に
目を瞬かせるだけであった。
「友よ。」
「えっ。」
見知らぬ男がユダに話しかけてきた。
「死の湖(うみ)を覗き込んで、いったいなにを見ていたのだ。」
「……、自身の影を。」
「それは死だ。」
「えっ。」
「それは、死自体にほかならない。」
──いったい、この男は何者なんだろう? 死神だろうか。
「それは、おまえの目がこれから確かめることになる。」
ユダは、こころのなかを見透かされているのを知って驚いた。
男は石を手にとって、湖面に投げつけた。
「これで死は立ち去った。私についてきなさい。」
ユダの足は、男の歩みに固く従った。





II・III ヴィア・ドロローサ III


「……、そのとき、わたしは死のうと思っていたのだ。」
薄暗闇のなかで、マリアはユダの目を見つめた。
「じゃあ、そのひとは、あんたの命の恩人じゃないか。」
ユダは、女の豊満な胸のあいだに顔を埋めた。
女の目は、ユダの背後にある星々のきらめきを見つめていた。
「どうして、そのひとを売っちまったんだい。」
無意識のうちに、女の乳房を掴んでいたユダの手に力が入った。
「痛いじゃないか。」
「すまない。」
ユダは顔を上げてあやまった。
女はユダの頭を胸に抱いて、ささやくような小声できいた。
「金が欲しかったのかい。」
「ちがう。そんなものが欲しかったんじゃない。」
ユダは手をのばして、財布を引き寄せた。
「これは約束どおり、おまえにやろう。」
女の手に財布が渡された。
ユダは女の身体から身をはなした。
「行こうか。夜が明けてしまう。」
「あんたも大事なひとを失くしちまったんだね。」
マリアはまだ信じられなかった。
磔になって処刑された男が三日後によみがえるなんて。
そんな馬鹿な話を確かめるためだけに
銀貨三十枚も出す男がいるなんて。
──師よ。いま、わたしは、あなたを確かめにまいります。
ふたりの足は、イエスが葬られた墓穴に向かって
いそいだ。





III 復活



III・I 虚霊


墓穴のなかは、狼でさえ夜目がきかないほどに暗かった。
ふたりは、土壁に手をはわせて手探りしながら歩をすすめた。
奥に行けば行くほど、臭いがきつくなる。
──師は、師は、師は、……
マリアは袖口で鼻のあたりを覆った。
「見えるか。」
「ええ。」
マリアの声は、布を透してくぐもって聞こえた。
目が慣れて、少しは見えるようになった。
「師は、師は、師は、やはり死んでいた。」
ユダの身体が頽れた。
と、突然、狂ったようにイエスの遺体を引っ掴むと
亜麻布を巻きとって裸に剥いた。
「ああ、師よ、師よ、師よ。あなたは死んでいた。」
──やはり、復活など、ありはしなかったのだ。
ユダはマリアの姿をさがした。
マリアは亜麻布を持って立っていた。
「しっ。」
耳のいいマリアが合図した。
ユダはイエスの身体を抱き上げてマリアの背後に身を隠した。
──だれだろう。
マリアは亜麻布を纏って、両手をひろげた。
マグダラのマリアたちが姿をあらわした。
「驚くな。主はよみがえられた。」
マグダラのマリアたちは、御使いの声に驚いた。
「思い出すがよい。主は、おまえたちに約束されたであろう。
 主はよみがえられたのだ。すでにここにはおられない。」
女たちは駈け出すようにして墓穴のなかから出て行った。
ユダはイエスの亡骸を地面のうえに置いた。
「さあ、出よう。女たちが戻ってきてはまずい。」
「その死体は、どうするのさ。」
──持ち出さねばなるまい。
「外に持ち出そう。」
マリアは肩をすくめた。
「わたしが背負って歩く。」
ふたりは墓穴から出た。
「友よ。」
「えっ。」
ユダの目が振り向いた。
「どうしたのさ。急に振り向いたりしてさ。」
マリアが訝しげに訊ねた。
「いや、なんでもない、なんでもない。さあ、行こう。」
大きさの異なる影が、エルサレムの門の外に消えた。
盲目の犬が、ひょこひょこと、ふたりの後ろからついていった。





III・II 廃霊


登場人物  マグダラのマリア
      ヤコブとヨセフの母マリア
      ペテロ
      ペテロの弟アンデレ
      他の使徒たちのコロス
      大祭司カヤパ
      祭司長と長老たちのコロス

舞台・I  エルサレムの町外れ、ある信徒の家
舞台・II  大祭司カヤパの屋敷


舞台・I

(エルサレムの町外れ、イエスの使徒たちが隠れ家にしている、ある信徒の家。早朝。)

アンデレ──目が冴えて眠れなかった。

ペテロ──それは、わたしも同じこと。いや、ここにいる信徒たちはみな同じこと。だれひとりとして眠った者はおらぬ。

アンデレ──じゃあ、兄さんたちも、主が言われたことを信じているのかい。

(ペテロ、言葉に詰まり、空咳。)

アンデレ──信じているのかい。それとも、信じちゃいないのかい。

ペテロ──信じている、信じている、信じているとも。しかし、わたしにどうしろと言うのだ。いったい、わたしにどうしろと言うのだ。

使徒たちのコロス──それは、わたしたちも同じこと。どうすることもできない。いったい、わたしたちになにができると言うのか。

アンデレ──マグダラのマリアたちは、危険を冒してでも、主が埋葬されている墓穴に行くと言っていた。

ペテロ──アンデレよ。わたしたちは、おたずね者なんだぞ。ここにこうしているだけでも、危険がどんどん増していくのだ。きっと、墓穴のまわりは、大勢の番兵たちが見張っていることだろう。

使徒たちのコロス──マグダラのマリアたちが帰ってきたぞ。

(ふたりのマリア、登場。激しい息遣い。)

マグダラのマリア──主がよみがえられたわ。主が約束されたように、三日目になって、よみがえられたのよ。そう御使いが、わたしたちに告げたわ。

ヤコブたちの母のマリア──このふたつの目が証人よ。

使徒たちのコロス──それは、まことか。

アンデレ──それは、ほんとうか。

ペテロ──まあ、待て、アンデレ。

(ペテロ、マグダラのマリアを睨んで、)

ペテロ──マリアよ。番兵たちはどうした。見張りの番兵たちがいただろう。

ふたりのマリア──(声を合わせて)いいえ、いなかったわ。

マグダラのマリア──しかも、墓穴の入り口は開いていたわ。それが何よりの証拠だわ。

使徒たちのコロス──それが、何よりの証拠だ。

ペテロ──待て。パリサイ人たちが、いや、大祭司カヤパの手下どもが主の亡骸を持ち去ったのかもしれないぞ。

(アンデレ、マグダラのマリアの手をとり、)

アンデレ──番兵は、いなかったのだな。

(マグダラのマリア、力強く肯く。)

アンデレ──じゃあ、兄さんたち、ぼくたちも見に行くべきだよ。

ペテロ──罠かもしれん。

(使徒たちのコロス、動揺して、身を揺り動かす。)

アンデレ──何を言うんだ、兄さん。

ペテロ──罠かもしれんと言ったのだ。番兵がいないだなんて、だれが信じるものか。それにな、もしも、主が復活されておられるのだとしたらな、マグダラのマリアたちの目の前にではなく、まず、わたしたちの目の前に御姿をあらわせられるはずだ。

使徒たちのコロス──そうだとも、そうだとも。なぜ、わたしたちの目の前に御姿をあらわせられないのだ。

(ペテロと使徒たちみんな、ふたりのマリアを家の外に叩き出す。アンデレ、腕を組んで考え込む様子を見せる。)


舞台(二)

(舞台は替わって、大祭司カヤパの屋敷内。昼過ぎ。)

祭司長、長老たちのコロス──カヤパさま、例の罪人、ナザレのイエスの死体が盗まれました。

大祭司カヤパ──番兵たちはどうしておったのじゃ。

祭司長、長老たちのコロス──おりませんでした。

大祭司カヤパ──どこに行っておったのじゃ。

祭司長、長老たちのコロス──わかりません。

大祭司カヤパ──なんじゃと。

祭司長、長老たちのコロス──それよりも、カヤパさま。女がふたり、町で変な噂を流しているという知らせが入りました。

大祭司カヤパ──へんな噂とは。

祭司長、長老たちのコロス──例の罪人、ナザレのイエスがよみがえったというのです。

大祭司カヤパ──ばかな。その女たちを捕らえよ。すぐに捕らえよ。そのふたりの女たちの仲間が、例の罪人、ナザレのイエスの死体を盗み出したのじゃろう。そのふたりの女ともども、みな捕らえよ。  

祭司長、長老たちのコロス──みな捕らえましょう。

(ここで、「捕らえよ! 捕らえよ!」の大合唱となり、舞台の上にするすると幕が下りてゆく。)





III・III 偽霊


ユダは目を凝らした。
駱駝を留めて、まじまじと見つめた。
砂漠の真ん中に、林檎の木が一本、生えていたのだ。
林檎の真っ赤な実がひとつ、ぶら下がっていた。
ユダは、それを手にとって、もいでみた。
すると、手のなかの林檎は
たちまち灰となって、掻き消えてしまった。
風のこぶしが、ユダの頬を殴った。
「友よ。」
「えっ。」
ユダの腹のなかで、ナイフの切っ先がひねられた。
「師よ。」
ユダの腹から、ナイフが引き抜かれた。
「師よ。」
ユダは、砂のうえに、膝を折ってうずくまった。
「師よ。」
三たび、ユダは、男に呼ばわった。
男は、ユダの着物でナイフの血をぬぐい、腰に差した鞘におさめた。
「師よ、あなたは、よみがえられた。いま、わたしの目はたしかめました。」
男の影は、ユダの話を聞いていた。
「師よ、わたしを、おゆるしください。
 あの日、あなたを犬どもに売ったのは、わたしです。
 ああ、いま、わたしは、あなたがゴルゴタの丘で磔になられた
 あなたの苦しみを、いま、いま、……」
男は思い出した。
自分の代わりに十字架につけられた、あのナザレの男の顔を。
「イエスさま、お約束をお守りください。
 ガリラヤで、アンデレたちがお待ちしております。
 おお、主よ、主よ、わたしを、おゆるしください。
 わたしは、ペテロにそそのかされ、あなたを、あなたを、……」
ユダの顔が膝の上に落ちた。
駱駝の背から、ユダの荷物を降ろしながら、男は考えていた。
髭を剃った自分の顔が、磔にされた、あの髭の薄い女のような男の顔に
自分の顔が似ていると。
そういえば、ナザレの男のことは、巷で噂になっていた。
磔にされて死んだはずのあの男が、復活して生き返ったというのだ。
このことを利用してやることができるかもしれない。
バラバは、ユダの死体を後にして立ち去った。
盲いの犬が、ユダの腹から流れ出る血を
飽かずに舐めつづけていた。





参考に。apple of Sodom: ソドムのリンゴ。(死海沿岸に産するリンゴで外観は美しいが食べようとすると灰と煙になったという。Dead Sea apple ともいう。(『カレッジクラウン英和辞典』apple の項目より)。


Still Falls The Rain。 後篇  ──わが姉、ヤリタミサコに捧ぐ。

  田中宏輔




つぎつぎと観客が増えていき、店のなかが立ち見でもいっぱいで
ぼくと湊くんがいるテーブルのすぐそばまで、ひとが立ち見で
女性に連れられた子どもが、まだ5、6歳だろうか、女の子が
赤い子ども用のバッグを肩から提げて、クマの人形、パディントンって
言ったかな、それのグリーンと茶色のチェックのチョッキを着た
クマの人形を手にしていた女の子がそばにきたとき、店主の女性が
椅子をもってきた。その椅子は前述した、大きい中央のテーブルのもので
そのテーブルを壁に片側をくっつけたためにあまったものであった。
女の子がその椅子に腰かけた。まだまだ客は入ってきて、
しかもそれが圧倒的に女性が多くて、いろいろな香水の匂いがした。
ぼくは湊くんに
「なんで、こんなに女性が多いんだろうね。」
「さあ、なんででしょうかね。」
「ビートゆかり人たちの朗読って書いてあったと思うけど。
 ビートって、そんなに女性に人気だったっけ?」
「いやあ、そんなことないですよ。
 どうしてでしょうね。」
このときには、ぼくはまだ、この夜の朗読会の趣旨と
朗読するメンバーのことについて、ヤリタさん以外
ひとりのことも知らないのだった。
湊くんは、佐藤わこさんの詩集を東京ポエケットで買っていて
彼女のことは、間接的にだが、詩のうえでは知っていて
また、その詩集を出している佐藤由美子さんのことも見たことがあると
東京ポエケットでその詩集を売っていたのが佐藤ゆみこさんだったからだが
話をしたということもなくて、ただ詩集を買っただけというので
湊くんもまた、ヤリタさん以外、直接知っているひとはいなかったようだった。
佐藤由美子さんが、イーディさんの本のことを話される前に
佐藤わこさんが、詩の朗読をした。
いただいた詩集の『ゴスペル』を読まれたのかな。
ぼくは、朗読されていく声を耳で追いながら
彼女の詩集の言葉を、目で追っていった。
とてもスマートな詩句で、耳も、目も、ここちよかった。


専門の言葉や常套句を放棄したあとには、何ものも芸術作品の誕生をさまたげはしない。
(トンマーゾ・ランドルフィ『無限大体系対話』和田忠彦訳)


朗読会の途中で扉を開けて入ってくる人たちの様子に目をとめた。


I looked out the window.
(Jack kerouac, On the Road, PART THREE-2, p.183)


窓の薄いレースのカーテンに手を触れ、そっと
押し上げて、窓の外の夜を見ようとするが、真っ暗に近くて
雨が降っているかどうかわからなかったが、


It started to rain harder.
(Jack Kerouac, On the Road, PART ONE-3, p.22)


入ってくる人の手に傘が握られ、それがすぼめられているところから、
とうとう、雨が本格的に降り出したことに気がついた。


思い出された事実には重要なことなど何もない、大切なのは思い出すという行為それ自体なのだ。
(シオドア・スタージョン『ヴィーナス・プラスX』大久保 譲訳)


むかしというのはいろんな出来事がよく迷子になるところでね
(ロバート・ホールドストック『アースウインド』4、島岡潤平訳)


ぼくらは人生に迷子となるが、人生はぼくらの居所を知っている。
(ジョン・アッシュベリー『更に快い冒険』佐藤紘彰訳)


ダイヤモンド・シティーで
迷子になって、嗚咽を漏らしながら
階段を
手すりを伝いおりて来た
あの小さな男の子は
あれからあと、ぼくのことを夢に見ただろうか?
高校生の男の子や女の子たちは
まったく知らない顔と顔をして
階段に腰を下ろして
しゃべくりあっていた。
ハンカチーフをしくこともなく
じかに坐り込んでいた
制服姿の何人もの高校生たち。
お菓子の包みを、そこらじゅうにまいて。
カラフルな包み紙たちは
なぜかしらん、なきがらのようだった。
ぼくらが偶然、階段を使って下りたからよかった。
ぼくは、迷子になっていた男の子のそばにゆき
安心するように
自然な笑顔になれ

自分に呪文をかけて
その男の子に話しかけ
いっしょにいたジミーちゃんが、スーパーの店員を呼びに行った
迷子になった
きみは、ぼくのことを、いつか夢に見るのだろうか?
バスのなかで、母親に抱かれながら
顔をぼくのほうに向けて
ぼくの目をじっと見つめていたあの赤ちゃんも
いつか、ぼくのことを夢に見るだろうか?
ぼくがこれまで出会ったひとたちは
ぼくのことを夢に見たことがあるのだろうか?
ぼくのことを夢に見てくれただろうか?


What will you dream with us?
(Robert Silverberg, Son of Man, chap.15, p.122)


六条院の玉鬘。


What do you want out of life?
(Jack Kerouac, On the Road, PART THREE-11, p.243)


夢の浮橋


What will you dream ?
(Robert Silverberg, Son of Man, chap.15, p.122)


ものをこそおもへ。


See and die.
(Robert Silverberg, Son of Man, chap.15, p.120)


We all will die. We all will see.
(Robert Silverberg, Son of Man, chap.15, p.120)


タカヒロ
ノブユキ
ヒロくん
エイジくん
あの名前をきくことのなかった中国人青年よ
みんな、ぼくを去って
ぼくは、みんなから去って
いま
ここには
だれもいない。
いま
ここには
だれもいない


となると僕の握っているこの手は誰の手か?
(ジェイムズ・メリル『イーフレイムの書』H,志村正雄訳)


あの白い靴下も感じていただろうか?
ぼくもくやしさを。
ぼくのあこがれを。
ぼくの、ぼくの、ぼくの。
また会えるよね。
きっと、また会えるよね。
まだ会えるよね。
さもあらば、あれ。
ぼくの目に、きみの姿がよみがえる。
高校でも遠足ってあったんだよね。
遠足で、帰りに、ぼくはきみの斜め前の座席に坐ってた。
ちょっと眠かったから
ちょっと寝てたら
「あつすけ寝てるん?」
って、声がして
ぼくは、目が覚めてしまったけど
寝てるん?
っていう
山本くんの声が、そのまま、ぼくに寝たふりをさせてた。
きみは両足をあげてた。
それを甲斐くんが、自分の手のひらの上に載せて
あのガリ勉ガリ男の甲斐くんは
ぼくよりずっと頭がよかった
秀英塾でも、成績がトップだった甲斐くんが
きみの足を持って。
きみの両方の足を持って。
ぼくはきみのことが好きだったから
すごく甲斐くんのことが、うらやましかった。
すごく甲斐くんのことが、嫌いになった。
きみの
「あつすけ」と呼んでくれてたときの声がよみがえる。
声も感じてくれていたのだろうか。
ぼくのくやしさを。
ぼくのあこがれを。
きみの声が直線となって
ぼくの足もとに突き刺さる。
あのときの真っ白い靴下も直線となって
ぼくの足もとに突き刺さる。
あのときの列車といっしょに走っていた窓も
甲斐くんも、先生も、みんな直線となって
ずぶずぶと、ぼくの足もとに突き刺さる。
突き刺さる。
突き刺さるたびに
ぼくの足は後ずさる。
きみは野球部だった。
ぼくはデブだったけど
きみは、デブのぼくより、身体が大きくて
あの白い靴下を
きみの足を持った甲斐くんの声も憶えてるよ。
「しめってる。」
思い出されていく
声が、姿が、風景が
つぎつぎと直線となって
ぼくの足もとに突き刺さっていく。
ずぶずぶと、ぼくの足もとに突き刺さってゆく。
突き刺さる。
突き刺さるたびに
ぼくの足は後ずさる。
さもあらばあれ。
過去の光景が
つぎつぎと直線となって
ずぶずぶと斜めに突き刺さってゆく。
突き刺さる。
突き刺さるたびに
ぼくの足は後ずさる。
あの白い靴下も
階段に座り込んでいた高校生たちも
迷子の男の子も
あの夜の朗読会のヤリタさんの声も
パパも
ママも
タカヒロも
ノブユキも
ヒロくんも
エイジくんも
あの名前をきかなかった中国人青年も
みんな
つぎつぎと直線となって
ずぶずぶと斜めに突き刺さってゆく。
突き刺さる。
突き刺さるたびに
ぼくの足は後ずさる。


認識するとは、現実に対し然り(ヤー)を言うことだ
(ニーチェ『この人を見よ』なぜかくも私は良い本を書くのか・悲劇の誕生・二、西尾幹二訳)


「存在」は広大な肯定であって、否定を峻拒(しゅんきょ)し、みずから均衡を保ち、関係、部分、時間をことごとくおのれ自身の内部に吸収しつくす。
(エマソン『償い』酒本雅之訳)


Dream lover, won't you come to me?
Dream lover, won't you be my darling?
It's not too late or too early.
Dream lover, won't you kiss me and hold me?
Dream lover, won't you miss me and mold me?
(John Ashbery, Girls on the Run. XII, pp.28-9)


夢がまちがってることだってあるのよ
(チャールズ・ブコウスキー『狂った生きもの』青野 總訳)


間違っているかどうかなんて、そんなことが問題じゃないんだ、絶対に間違いのないようにするなんてことは、何の役にも立ちはしない、
(トンマーゾ・ランドルフィ『幽霊』米川良夫訳)


何が「きょう」を作るのか
(ジェイムズ・メリル『ページェントの台本』下・NO、志村正雄訳)


誰がお前をつくったか
(ブレイク『仔羊』土居光知訳)


だれがぼくらを目覚まさせたのか
(ギュンター・グラス『ブリキの音楽』高本研一訳)


ぼくらを待ちうけ、ぼくらを満たす夜、
(ジャック・デュパン『蘚苔類』4、多田智満子訳)


眠っているあいだも、頭ははたらいている。
(ロバート・ブロック『死の収穫者』白石 朗訳)


多くの名前が人間の夜をつぶやく
(ウィリアム・S・バロウズ『爆発した切符』シャッフル・カット、飯田隆昭訳)


ぼくらは夢と同じ生地で織られている
(ホフマンスタール『三韻詩(てるつぃーね)』川村二郎訳)


夢はきみのために来たのだ
(ホフマンスタール『冷え冷えと夏の朝が……』川村二郎訳)


「ころころところがるから
 こころって言うんだよ。」


誰が公立図書館を必要とする? それに誰がエズラ・パウンドなんかを?
(チャールズ・ブコウスキー『さよならワトソン』青野 聰訳)


ぼくは、ボードレールが書き損じて捨てた詩句のメモみたいなものが
見てみたい!


愛とは驚愕のことではないか。
(ジョン・ダン『綴り換え』湯浅信之訳)


体験に勝る教えなし。


苦しみによって喜びを知ること
(エミリ・ディキンスンの詩 一六七番、新倉俊一・鵜野ひろ子訳)


人生を知るためには、何度も何度も
天国と地獄のあいだを往復しなければならないのだ。


努力を伴わない望みは愚かしい
(エズラ・パウンド『詩篇』第五十三篇、新倉俊一訳)


理解は愛から生じ、愛は理解によって深まる。


交わりは光りを生む
(エズラ・パウンド『詩篇』第七十四篇、新倉俊一訳)


野球部だった。
キャプテンは
もうひとりの山本くんだったよね。
ぼくの山本くんは、いつもほがらかに
ニコニコしてた
家は、呉服屋さんだったかな
そいえば
着物が、とってもよく似合いそうだったね。
きみも
ぼくも
おなか
出てたもんね。
なのに
あの日
あのとき
ぼくらは
高校一年生だった
きみは
「あつすけ。
 おれな。
 双子の弟がおってな。
 そいつ
 生まれたときから、ずっと
 寝たままやねん。
 ずっと寝たまま
 目、さましたこと、ないねん。」
とても真剣な
思いつめたようなきみの顔は
なんだか
とても怖かった。
なんで、ふたりっきりになったのか
おぼえてへんけど
そのこと聞いた、ぼくが、どう思ったか
とても怖かったってことしかおぼえてないんやけど
ふだんは
ニコニコして
明るく笑ってた
ぼくの山本くんじゃなかったから
怖かった。
あのときのぼくらは
もうどこにもいないけど
「あのとき」に貼りついたまま
どこかで
いや、
「あのとき」の教室に、いるんやろうなあ。
しょっちゅう
肩を抱かれてたような気がする。
ぼくもデブだったし
きみもデブだったのに
なんだか、ふたりして、ころころしてたね。
きみの顔が
きみが怖かったのは
一度だけだったけど
その一度が
ものすごく大きい一度だった。
あのときのきみも
あのときの顔も
あのときのぼくも
あのときの話も
あのとき、きみが語った双子の弟くんも
あのときの教室も
あのとき、きみがぼくに話した理由も
その理由を、ぼくは知らないけど
理由がなくって
話をするような、きみじゃなかったから
きっと理由はあって
ぼくも
あえて、きみの顔を見て
その理由を見つけようともしなくって
その理由や
なんかも
つぎつぎと直線になって
ぼくの足もとに
突き刺さる。
ずぶずぶと突き刺さる。
突き刺さってくる。
ぼくは
後ずさりする。
そのたびに後ずさりする。


なぜ人は自分を傷つけるのが好きなんだろう?
(J・ティプトリー・ジュニア『ヴィヴィアンの安息』伊藤典夫訳)


白い靴下の山本くんも
双子の弟のことを、ぼくに言ったのは、
自分を傷つけるためだったのだろうか?


Worse, it was traditional to feel this way.
(John Ashbery, Girls on the Run. IV, p.11)


何のための生か? 何のための芸術か?
(ホフマンスタール『一人の死者の影が……』川村二郎訳)


イメージのないところには、愛は生まれない。
イメージのないところには、憎しみは生まれない。
イメージのないところには、悲しみは生まれない。
イメージのないところには、喜びは生まれない。
イメージのないところには、いかなる感情も生まれない。
イメージのないところには、いかなる現実も生まれない。
イメージのないところには、いかなる事物・事象も生まれない。
イメージのないところには、世界は生まれない。


イメージは、われわれが直接にそれを知っているものだから本モノである。
(エズラ・パウンド『ヴォーティシズム』新倉俊一訳)


においがするまで、そこに空気があることさえ気がつかないぼくだ。
突然の認識が、なにによってもたらされたのか、考えてみよう。 ひと
晩かかったのだ、この認識に達するまで。ひと晩? そうだ。夜のあい
だに、脳が働いていたに違いない。夜のあいだに、潜在意識が働いてい
てくれたのだろう。記憶にはないが、きっと、あの朗読会のことを夢に
見ていたのだろう。だから、こうして、朝、通勤電車のなかで、突然、思
い至ったのだ。くやしさが、ひとつになった。朗読会に来ていた人たち
のこころがひとつになったのだった。そこでは、くやしさというものが、
共通のもので、みんなをひとつに束ねるロープの役目を果たしていたの
であろう。ひとりひとり、みんな違ったくやしさだったと思うけれど、
くやしいという思いは共通していて、それが共感の嵐となって、あの朗
読会場を包んだのだろう。


詩はなんらかの現実を表現することを職能としない。
詩そのものがひとつの現実である。
(トリスタン・ツァラ『詩の堰』シュルレアリスムと戦後、宮原庸太郎訳)


表現においては、個人の死は個性の死ではない。個性の死が個人の死である。


具体性こそが基本である。現実を生き生きとさせ、「リアル」たらしめ、個人的に意味のあるものにするのは「具体性」なのである。
(オリバー・サックス『妻を帽子とまちがえた男』第四部、高見幸郎・金沢泰子訳)


ぼくは愚かだった。いまでも愚かで浅ましい人間だ。しかし、ときに
は、いや、まれには、それは一瞬に過ぎなかったかもしれないが、ぼく
は、やさしい気持ちでひとに接したことがあるのだ。ぼくのためにでは
なく。そんな一瞬でもないようなら、たとえどれほど物質的に恵まれて
いても、とことんみじめな人生なのではなかろうか?


Look long and try to see.
(Jack Kerouac, On the Road, PART FOUR-1, p.250)


もみの樹はひとりでに位置をかえる。
(ジャン・ジュネ『葬儀』生田耕作訳)   


変身は偽りではない
(リルケ『月日が逝くと……』高安国世訳)


事物というものは、見たあとで、見えてくるものである。


ひとつの書き言葉はひとつのイメージ、映像であり、いくつかの書き言葉は連続性をもつイメージである、すなわち動く絵(ムービング・ピクチャー)
(ウィリアム・S・バロウズ『言霊の書』飯田隆昭訳)


イメージが言葉をさがしていたのか、言葉がイメージをさがしていたのか。


Just as a good pianist will adjust the piano stool
before his recital,by turning the knobs on either side of it
until he feels he is at a proper distance from the keyboard,
so did our friends plan their day.
(John Ashbery, Girls on the Run. V, p.11)


好きな形になってくれる雲のように、もしも、ぼくたちの思い出を、
ぼくが好きなようにつくりかえることができるものならば、ぼくは、き
っと苦しまなかっただろう。けれど、きっと愛しもしなかっただろう。
星たちは、天体の法則など知らないけれど、従うべきものに従って動
いているのである。ひとのこころや気持ちもまた、理由が何であるかを
知らずに、従うべきものに従って動いているのである。と、こう考えて
やることもできる。


Lacrimoso, we can't get anything done!
Lacrimoso,t he bear has gone after the honey!
Lacrimoso, the honey drips incessantly
from the bough of a tree.
(John Ashbery, Girls on the Run. IV, pp.10-1)


 ファミレスや喫茶店などで、あるいは、居酒屋などで友だちとしゃべ
っていると、近くの席で会話している客たちのあいだでたまたま交わさ
れた言葉が、自分の口から、何気なく、ぽんと出てくることがある。無
意識のうちに取り込んでいたのであろう。しかも、その取り込んだ言葉
には不自然なところがなく、こちらが話していた内容にまったく違和感
もなく、ぴったり合っていたりするのである。異なる文脈で使用された
同じ言葉。このような経験は、一度や二度ではない。しょっちゅうある
のである。さらに驚くことには、もしも、そのとき、その言葉を耳にし
なかったら、その言葉を使うことなどなかったであろうし、そうなれば、
自分たちの会話の流れも違ったものになっていたかもしれないのであ
る。このことは、また、近くの席で交わされている会話についてだけで
はなく、たまたま偶然に、目にしたものや、耳にしたものなどが、思考
というものに、いかに影響しているのか、ぼくに具体的に考えさせる出
来事であったのだが、ほんとうに、思考というものは、身近にあるもの
を、すばやく貪欲に利用するものである。あるいは、いかに、身近にあ
るものが、すばやく貪欲に思考になろうとしているのか。


This was that day's learning.
(John Ashbery, Girls on the Run. VII ,p.15)


 蚕を思い出させる。蚕を飼っていたことがある。小学生のときのこと
だった。学校で渡された教材のひとつだったと思う。持ち帰った蚕に、
買ってきた色紙を細かく切り刻んだものや、母親にもらったさまざまな
色の毛糸を短く切り刻んだものを与えてやったら、蚕がそれを使って繭
をこしらえたのである。色紙の端切れと糸くずで、見事にきれいな繭を
こしらえたのである。それらの色紙の切れっ端や毛糸のくずを、言葉や
状況や環境に、蚕の分泌した糊のような粘液とその作業工程を、自我と
か無意識、あるいは、潜在意識とかいったものに見立てることができる
のではないだろうか。もちろん、ここでは、蚕を飼っていた箱の大きさ
とか、その箱の置かれた状態、温度や湿度、動静や、適切な明暗の
光線照射時間といった、蚕が繭をつくるのに適した状態があってこそ
のものでもあるが、これらは、自我がつねに 外界の状況とインタラク
ティヴな状態にあることを思い起こさせるものである。


Look long and try to see.
(Jack Kerouac, On the Road, PART FOUR-1, p.250)


すべては見ること
(ジョン・ベリマン『73 カレサンスイ リョウアンジ』澤崎順之助訳)


事物を離れて観念はない。
(ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ『パターソン』第一巻・巨人の輪郭・I、沢崎順之助訳)


人間精神の現実的存在を構成する最初のものは、現実に存在するある個物の観念にほかならない。
(スピノザ『エチカ』第二部・定理一一、工藤喜作・斎藤 博訳)


すべての物が非常な注意をこめて一瞬一瞬を見つめている
(ジャン・ジュネ『葬儀』生田耕作訳)


事物は事物そのものが織り出した
呪文からのように僕らを見つめる。
(ジェイムズ・メリル『ミラベルの数の書』9.2、志村正雄訳)


幸運は続かないことをすべてのものが語っている
(エズラ・パウンド『詩篇』第七十六篇、新倉俊一訳)   


地上の人生、それは試練にほかならない
(アウグスティヌス『告白』第十巻・第二十八章・三九、山田 晶訳)


すべてのものにこの世の苦痛が混ざりあっている。
(フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』杉山 晃・増田義郎訳)


あらゆる出会いが苦しい試練だ。
(フィリップ・K・ディック『ユービック:スクリーンプレイ』34、浅倉久志訳)


願望の虐む芸術家は幸いなるかな!
(ボードレール『描かんとする願望』三好達治訳)


 自分の心を苛むものを書き記すこともできれば、そうすることによってそれに耐えることもできるひと、その上さらに、そんなふうにして後代の人間の心を動かしたい、自らの苦痛に後代の人間の関心を惹きつけたいと望むことができるひとは幸いなるかな
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』18、菅野昭正訳)


これまで世界には多くの苦しみが生まれなければならなかった、その苦しみがこうした音楽になった
(サバト『英雄たちと墓』第I部・9、安藤哲行訳)


苦悩(くるしみ)は祝福されるのだ。
(フロベール『聖アントワヌの誘惑』第三章、渡辺一夫訳)


創造する者が生まれ出るために、苦悩と多くの変身が必要なのである。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第二部、手塚富雄訳)


そもそも苦しむことなく生きようとするそのこと自体に一つの完全な矛盾があるのだ
(ショーペンハウアー『意思と表象としての世界』第一巻・第十六節、西尾幹二訳)


苦しみは人生で出会いうる最良のものである
(プルースト『失われた時を求めて』第六篇・逃げさる女、井上究一郎訳)


私は自分を活気づける人たちを愛し、又自分が活気づける人たちを愛する。
われわれの敵はわれわれを活気づける。
(ヴァレリー『文学』佐藤正彰訳


わたしの敵たちもわたしの至福の一部なのだ。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第二部、手塚富雄訳)


多感な心と肉体を捻じり合わせて愛に変えうるのは苦しみだけ
(E・M・フォースター『モーリス』第四部・42、片岡しのぶ訳)


苦痛が苦痛の観察を強いる
(ヴァレリー『テスト氏』テスト氏との一夜、村松 剛・菅野昭正訳)


苦しむこと、教えられること、変化すること。
(シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』不幸、田辺 保訳)


苦痛の深さを通して人は神秘的なものに、本質にと、達するのである。
(プルースト『失われた時を求めて』第六篇・消え去ったアルベルチーヌ、鈴木道彦訳)


人間には魂を鍛えるために、死と苦悩が必要なのだ!
(グレッグ・イーガン『ボーダー・ガード』山岸 真訳)


See and die.
(Robert Silverberg, Son of Man, chap.15, p.120)


聖なる魂等よ、まづ火に噛まれざればこゝよりさきに行くをえず
(ダンテ『神曲』浄火・第二十七曲、山川丙三郎訳)


すべては見ること
(ジョン・ベリマン『73 カレサンスイ リョウアンジ』澤崎順之助訳)


だれかがノイズになっているよ。
こくりと、マシーンがうなずいた。
それは、言葉ではなく、言葉と言葉をつなぐもののなかに吸収されていった。


創造性とは、関係の存在しないところに関係を見出す能力にほかならない。
(トマス・M・ディッシュ『334』ソクラテスの死・4、増田まもる訳)


なにそれ?
(ケリー・リンク『飛行訓練』七、金子ゆき子訳)


それ、ほんと?
(ジョン・クリストファー『トリポッド 2 脱出』2、中村 融訳)


ほんとに?
(ジェイムズ・メリル『ミラベルの数の書』1.9、志村正雄訳)


もしも視界を広げたら、ものはすべて似たものばかりだ。
(エマソン『霊の法則』酒本雅之訳)


なにものにも似ていないものは存在しない。
(ヴァレリー『邪念その他』P,清水徹訳)


自然界の万障は厳密に連関している
(ゲーテ『花崗岩について』小栗 浩訳)


一つの広大な類似が万物を結び合わせる、
(ホイットマン『草の葉』夜の浜辺でひとり、酒本雅之訳)


類似関係(アナロジー)を感知する
(ボードレール『エドガー・ポーに関する新たな覚書』阿部良雄訳)


類似の本能だけが、不自然ならざる唯一の行動指針である。
(ラディゲ『肉体の悪魔』新庄嘉章訳)


類似の対象を全体的に、また側面から観察すること
(ゲーテ『『プロピュレーエン』への助言』小栗 浩訳)


明白な類似から出発して、あなたがたはさらに秘められた別の類似へとむかってゆく
(マルロー『西欧の誘惑』小松 清・松浪信三郎訳)


流れは源を示すもの。
(ジョン・ダン『聖なるソネット』17、湯浅信之訳)


木の葉はいつ落ちたのだろう?
(マイケル・スワンウィック『大潮の道』12、小川 隆訳)


 物質ないし因果性──この二つは同一であるから──が主観の側において相関的に対応しているものは、悟性(ヽヽ)である。悟性はそれ以外のなにものでもない。因果性を認識すること、これが悟性の唯一の機能であり、また悟性にのみある力である。
(ショーペンハウアー『意思と表徴としての世界』第一巻・第四節、西尾幹二訳)


観念の秩序と連結は、ものの秩序と連結と同じである。
(スピノザ『エチカ』第二部・定理七、工藤喜作・斎藤 博訳)


 万物はいかにして互いに変化し合うか。これを観察する方法を自分ののにし、耐えざる注意をもってこの分野における習練を積むがよい。実にこれほど精神を偉大にするものはないのである。
(マルクス・アウレーリウス『自省録』第一〇章・一一、神谷美恵子訳)


人間には自分の環境の特徴を身につける傾向がある。
(イアン・ワトスン『寒冷の女王』黒丸 尚訳)


めぐりのものがみな涙を流すとき──おまえもまた涙をながす──そうでないはずはない。
おまえがため息をついているとき、風もまたため息をもらす。
(エミリ・ブロンテ『共感』村松達雄訳)


いままでに精神も徳も、百千の試みをし、道にまよった。そうだ、人間は一つの試みだった。ああ、多くの無知とあやまちが、われわれの肉体となった。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第一部、手塚富雄訳)


およそ世に存在するもので、除去してよいものなど一つとしてない。無くてもよいものなど一つとしてない。
(ニーチェ『この人を見よ』なぜ私はかくも良い本を書くのか・悲劇の誕生・二、西尾幹二訳)


魂と無縁なものは何一つ、ただの一片だって存在しない
(ホイットマン『草の葉』ポートマクからの旅立ち・12、酒本雅之訳)


万物は語るが、さあ、お前、人間よ、知っているか
何故万物が語るかを? 心して聞け、それは、風も、沼も、焔も、
樹々も蘆も岩根も、すべては生き、すべては魂に満ちているからだ。
(ユゴー『闇の口の語り資子と』入沢康夫訳)


兄弟よ! しかするなかれ、汝も魂汝の見る者も魂なれば。
(ダンテ『神曲』浄火・第二十一曲、山川丙三郎訳)


愛の道は
愛だけが通れるのです。
(カルロス・ドルモン・ジ・アンドラージ『食卓』ナヲエ・タケイ・ダ・シルバ訳)


魂だけが魂を理解するように
(ホイットマン『草の葉』完全な者たち、酒本雅之訳)


詩人を理解する者とては、詩人をおいてないのです。
(ボードレールの書簡、1863年10月10日付、A・C・スィンバーン宛、阿部良雄訳)


日知庵で飲んでいると
作家の先生と、奥さまがいらっしゃって
それでいっしょに飲むことになって
いっしょに飲んでいたのだけれど
その先生の言葉で
いちばん印象的だったのは
「過去のことを書いていても
 それは単なる思い出ではなくってね。
 いまのことにつながるものなんですよ。」
というものだった。
ぼくがすかさず
「いまのことにつながることというよりも
 いま、そのものですね。
 作家に過去などないでしょう。
 詩人にも過去などありませんから。
 あるいは、すべてが過去。
 いまも過去。
 おそらくは未来も過去でしょう。
 作家や詩人にとっては
 いまのこの瞬間すらも、すでにして過去なのですから。」
と言うと
「さすが理論家のあっちゃんやね。」
というお言葉が。
しかし、ぼくは理論家ではなく
むしろ、いかなる理論にも懐疑的な立場で考えている者と
自分のことを思っていたので
「いや、理論家じゃないですよ。
 先生と同じく、きわめて抒情的な人間です。」
と返事した。
いまはむかし。
むかしはいま。
って、大岡 信さんの詩句にあったけど。
もとは古典にもあったような気がする。
なんやったか忘れたけど。
きなこ。
稀な子。
「あっちゃん、好きやわあ。」
先生にそう言われて、とても恐縮したのだけれど
「ありがとうございます。」
という硬い口調でしか返答できない自分に、ちょっと傷つく。
自分でつけた傷で、鈍い痛みではあったのだけれど
生まれ持った性格に起因するものでもあるように思い
こころのなかで、しゅんとなった。
表情には出していなかったつもりだが、たぶん、出ていただろう。
きなこ。
稀な子。
勝ちゃんの言葉が何度もよみがえる。
しじゅう聞こえる。
「ぼく、疑り深いんやで。」
ぼくは疑り深くない。
むしろ信じやすいような性格のような気がする。
「ぼく、疑り深いんやで。」
勝ちゃんは何度もそう口にした。
なんで何度もそう言うんやろうと思うた。
一ヶ月以上も前のことやけど
日知庵で飲んでたら
来てくれて
それから二人はじゃんじゃん飲んで
酔っぱらって
大黒に行って
飲んで
笑って
さらに酔っぱらって

タクシーで帰ろうと思って
木屋町通りにとまってるタクシーのところに近づくと
勝ちゃんが
「もう少しいっしょにいたいんや。
 歩こ。」
と言うので
ぼくもうれしくなって
もちろん
つぎの日
二人とも仕事があったのだけれど
真夜中の2時ごろ
勝ちゃんと
四条通りを東から西へ
木屋町通りから
大宮通りか中新道通りまで
ふたりで
手をつなぎながら歩いた記憶が
ぼくには宝物。
大宮の交差点で
手をつないでるぼくらに
不良っぽい二人の青年に
「このへんに何々家ってないですか?」
とたずねられた。
不良の二人はいい笑顔やった。
何々がなにか、忘れちゃったけれど
勝ちゃんが
「わからへんわ。
 すまん。」
とか大きな声で言った記憶がある。
大きな声で、というところが
ぼくは大好きだ。
ぼくら、二人ともヨッパのおじさんやったけど
不良の二人に、さわやかに
「ありがとうございます。
 すいませんでした。」
って言われて、面白かった。
なんせ、ぼくら二人とも
ヨッパのおじさんで
大声で笑いながら手をつないで
また歩き出したんやもんな。
べつの日
はじめて二人でいっしょに飲みに行った日
西院の「情熱ホルモン!」やったけど
あんなに、ドキドキして
食べたり飲んだりしたのは
たぶん、生まれてはじめて。
お店いっぱいで
30分くらい
嵐電の路面電車の停留所のところで
タバコして店からの電話を待ってるあいだも
初デートや
と思うて
ぼくはドキドキしてた。
勝ちゃんも、ドキドキしてくれてたかな。
してくれてたと思う。
ほんとに楽しかった。
また行こうね。
きなこ。
稀な子。
ぼくたちは
間違い?
間違ってないよね。
このあいだ
エレベーターのなかで
ふたりっきりのとき
チューしたことも
めっちゃドキドキやったけど
ぼくは
勝ちゃん
ぼくの父が死んだのが
平成19年の4月19日だから
逝くよ
逝く
になるって、前に言ったやんか

それが
朝の5時13分だったのね
あと2分だけ違ってたら
ゴー・逝こう
5時15分でゴロがよかったんだけど
そういえば
ぼく
家族の誕生日
ひとりも知らない。
前恋人の誕生日だったら覚えてるのに
バチあたりやなあ。
まるで太鼓やわ。
太鼓といえば
子どものとき
よく
自分のおなかをパチパチたたいてた
たたきながら
歌を歌ってたなあ
ハト・ポッポーとか
千本中立売通りの角に
お酒も出す
タコジャズってタコ焼き屋さんがあって
30代には
そこでよくお酒を飲んでゲラゲラ笑ってた。
よく酔っぱらって
店の前の道にひっくり返ったりして
ゲラゲラ笑ってた。
お客さんも知り合いばっかりやったし
だれかが笑うと
ほかのだれかが笑って
けっきょく、みんなが笑って
笑い顔で店がいっぱいになって
みんなの笑い声が
夜中の道路の
そこらじゅうを走ってた。
店は夜の7時から夜中の3時くらいまでやってた。
朝までやってることもしばしば。
そこには
アメリカにしばらくいたママがいて
ジャズをかけて
「イエイ!」
って叫んで
陽気に笑ってた。
ぼくたちの大好きな店だった。
4、5年前かなあ。
店がとつぜん閉まった。
1ヶ月後に
激太りしたママが
店をあけた。
その晩は、ぼくは
恋人といっしょにドライブをしていて
ぐうぜん店の前を通ったときに
ママが店をあけてたところやった。
なんで休んでたのかきいたら
ママのもと恋人がガンで入院してて
その看病してたらしい。
ママには旦那さんがいて
旦那さんは別の店をしてはったんやけど
旦那さんには内緒で
もと恋人の看病をしていたらしい。
でも
その恋人が1週間ほど前に亡くなったという。
陽気なママが泣いた。
ぼくも泣いた。
ぼくの恋人も泣いた。
10年ぐらい通ってた店やった。
タコ焼きがおいしかった。
そこでいっぱい笑った。
そこでいっぱいええ曲を知った。
そこでいっぱいええ時間を過ごした。
陽気なママは
いまも陽気で
元気な顔を見せてくれる。
ぼくも元気やし
笑ってる。
ぼくらは
笑ったり
泣いたり
泣いたり
笑ったり
なんやかんや言うて
その繰り返しばっかりやんか
人間て
へんな生きもんなんやなあ。
ニーナ・シモンの
Here Comes the Sun
タコジャズに来てた
東京の代議士の息子が持ってきてたCDで
はじめて、ぼくは聴いたんやけど
ビートルズが、こんなんなるんかって
びっくりした。
親に反発してた彼は
肉体労働者してて
いっつもニコニコして
ジャズの大好きな青年やった。
いっぱい
いろんな人と出会えたし
別れた
タコジャズ。
ぼく以外のだれかも
タコジャズのこと書いてへんやろか。
書いてたらええなあ。
ビッグボーイにも思い出があるし
ザックバランもええとこやったなあ。
まだまだいっぱい書けるな。
いっぱい生きてきたもんなあ


There's so many things to do, so many things to write!
(Jack Kerouac, On the Road, PART ONE-1, p.7)


No ideas but in things
事物を離れて観念はない
(ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ『パターソン」第一巻・巨人の輪郭 I、沢崎順之助訳)


「物」をじかに扱うこと。
(エズラ・パウンド『回想』新倉俊一訳)


何年前か忘れたけれど
マクドナルドで
100円じゃなく
80円でバーガーを売ってたときかな
1個だけ注文したら
「それだけか?」
って、バイトの男の子に言われて
しばし
きょとんとした。

何も聞こえなかったふりをしてあげた。
その男の子も
何も言ってないふりをしてオーダーを通した。
このことは
むかし
詩に書いたけれど
いま読んでる『ドクター・フー』の第4巻で
「それだけか?」
って台詞が出てきたので
思い出した。
きのう、帰りの電車の窓から眺めた空がめっちゃきれいやった。
あんまりきれいやから笑ってしもうた。
きれいなもの見て笑ったんは
たぶん、生まれてはじめて。
いや、もしかすると
ちっちゃいガキんちょのころには
そうやったんかもしれへんなあ。
そんな気もする。
いや、きっと、そうやな。
いっつも笑っとったもんなあ。
そや。
オーデコロンの話のあとで
頭につけるものって話が出て
いまはジェルやけど
むかしはチックとかいうのがあってな
父親が頭に塗ってたなあ
チックからポマードに
ポマードからジェルに
だんだん液体化しとるんや。
やわらかなっとるんや。


「知っている」とは、ひとつの度合いに他ならない。
──存在せんがための度合いに。
(ヴァレリー『残肴集(アナレクタ)』八七、寺田 透訳)


すべては見ること
(ジョン・ベリマン『73 カレサンスイ リョウアンジ』澤崎順之助訳)


吉岡 実 の『薬玉』を
湊くんが東京の神田で見つけてくれました
いま、湊くんから電話があって
神田の神保町に来てるんですけど
『薬玉』
きれいな状態で、3500円ですけど、どうしましょうって。
即答した。
買って、買って、買って。
と言った。
うれしい。
日本人の書いた詩集で
ぼくがいちばん欲しかったもの。


問うのは答を得るためだ。
(ハリイ・ハリスン『ステンレス・スチール・ラット諸君を求む』14、那岐 大訳)


そなの?
そだったの?
詩人の役目は、
ありふれた問いに対して、新たな切り口で問いかけ直すことじゃないの?
答え自体が、新たな問いかけになっているのよ。


There were plenty of queers.
(Jack Kerouac, On the Road, PART ONE-11, p.73)


どうだろう、ゲイに転向するというのは?
(J・ティプトリー・ジュニア『大きいけれども遊び好き』伊藤典夫訳)


夜には昼に教えることがたくさんあるというし、
(レイ・ブラッドベリ『趣味の問題』中村 融訳)


ぼくはいま詩を生きている。夜はぼくのものだ。
(ティム・パワーズ『石の夢』下・第二部・第十八章、浅井 修訳)


だれかがノイズになっているよ。
マシーンが、こくりとうなずいた。
それは言葉ではなく、言葉と言葉をつなぐものに吸収されてしまった。


ウサギがいるよ。
(ジェイムズ・P・ブレイロック『魔法の眼鏡』第三章、中村 融訳)


弟の夢を見た。
部屋の隅にいて
お茶のペットボトルと
シュークリームのいくつか入った袋を目の前に置いて
弟が座っていた。
まだ小さな子どもだった。
かわいらしい弟を抱きしめて齢をきいた。
「いくつになったの?」
「ななつ」
ぼくは、かわいい弟を抱きしめた。
弟は写真を持っていた。
ぼくが付き合っていた男の子の写真だった。
ただにっこりと笑っている顔だったけれど。
無垢な弟は、ただその小さな手に写真を持っていただけだった。
「あっちゃんのお友だちやで」
弟が笑った。
天使のようにかわいらしい弟だった。
目が覚めた。
弟を発狂させた継母のことを思った。
地獄に落ちて死ねばいいと。
はやく地獄に落ちて死ねばいいと。
いま喘息で苦しんで生きているけれど
もっと苦しんで死ねばいいのだ。
父親は、平成19年に死んだ。
ぼくがこころから憎んでいた人間は
2人しかいない。
第一番目の父親はガンで死んだ。
十分に苦しんだだろうか。
そして弟は
無垢な子どものときの姿にもどって
幸せになって欲しい。
ノドに包丁を突きつけたり
自分の体に傷をつけたり
そんなことは忘れて
かわいらしい子供のときの姿に戻って
天国に行って欲しい。
こんな願いを聞き届けてくれる神さまなんていないだろうけど
ぼくは、こころから願っている。
無垢でかわいらしい弟を抱きしめて
ぼくは泣いた。
自動カメラ。
ヒロくんが
自動カメラをセットして
ぼくの横にすわって
ニコ。
ぼくの横腹をもって
ぼくの身体を抱き寄せて
フラッシュがまぶしくって
終わったら、ヒロくんが顔を寄せてきた
ぼくは立ち上ろうとした
ヒロくんは人前でも平気でキッスするから
イノセント
なにもかもがイノセントだった
写真に写っているふたりよりも
賀茂川の向こう側の河川敷に
暮れかけた空の色のほうが
なんだか、かなしい。
恋人たち
えいちゃんと、ぼく。
「宇宙人みたい」
「えっ?」
ぼくは、えいちゃんの顔をさかさまに見て
そう言った。
「目を見てみて」
「ほんまや、こわっ!」
「まるで人間ちゃうみたいやね」
よく映像で
恋人たちが
お互いの顔をさかさに見てる
男の子が膝まくらしてる彼女の顔をのぞき込んでたり
女の子が膝まくらしてる彼氏の顔をのぞき込んでたりしてるけど
まっさかさまに見たら
まるで宇宙人みたい
「ねっ、目をパチパチしてみて。
 もっと宇宙人みたいになる」
「ほんまや」
もっと宇宙人!
ふたりで爆笑した。
数年前のことだった。
もうふたりのあいだにセックスもキスもなくなってた。
ちょっとした、おさわりぐらいかな。
「やめろよ。
 きっしょいなあ」
「なんでや?
 恋人ちゃうん? ぼくら」
「もう、恋人ちゃうで」
「えっ?
 ほんま?」
「うそやで。
うそやなかった。
それでも、ぼくは
i think of you
i cannot stop thinking of you
なんもなくなってからも
1年以上も
恋人やと思っとった。
土曜日たち。
はなやかに着飾った土曜日たちにまじって
金曜日や日曜日たちが談笑している。
ぼくのたくさんの土曜日のうち
とびきり美しかった土曜日と
嘘ばかりついて
ぼくを喜ばせ
ぼくを泣かせた土曜日が
カウンターに腰かけていた。
ほかの土曜日たちの目線をさけながら
ぼくはお目当ての土曜日のそばに近づいて
その肩に手を置いた。
その瞬間
耳元に息を吹きかけられた。
ぼくは
びくっとして振り返った。
このあいだの土曜日が微笑んでいた。
お目当ての土曜日は
ぼくたちを見て
コースターの裏に
さっとペンを走らせると
ぼくの手に渡して
ぼくたちから離れていった。
期末テスト前だから
放課後に補習をしているのだけれど
そこで、ぼくの板書についての話になって
それから、その板書を消すときの話にうつって
「数学の先生って
 黒板の消し方
 みんないっしょやわ。」
「えっ? 
 そなの?
 ぼくは、ほかの先生がどう消してらっしゃるのか
 見たことないから知らないけど。」
「横にまっすぐいって
 すぐ下にいくの。
 それから反対の方向に
 またまっすぐ横にすべらせていくの。
 だから、さいごには
 黒板に横線がいっぱいできるのよ。」
「ほかの教科の先生は
 横に消していかれないの?」
「英語の先生は斜めに消さはるひとが多いわ。」
「でも、国語だったら、縦が合理的じゃないかなあ?」
なんて話をしていました。
ごくふつうにある話なんだろうけれど
ぼくにはおもしろかった。
「数学の先生が、みんないっしょ」というところが、笑。
100円オババは、道行くひとに
「100円、いただけませんか?」
と言って歩いていたのだけれど
まあ、早い話が
歩く女コジキってとこだけど
あるとき、父親と、すぐ下の弟と
祇園の石段下にあった(いまもあるのかな)
初音という店に入って
それぞれ好きなものを注文して食べていると
その100円オババが、店のなかに入ってきて
すぐそばのテーブルに坐って
財布から100円硬貨をつぎつぎに取り出して
お金を数えていったので
びっくりした。
「あれも、仕事になるんやなあ。」
 と父親がつぶやいてたけど
ぼくは
ぜんぜん腑に落ちなかった。
顔を寄せる3人のものたち。
12時半に寝て
2時半に起き
パソコンを起動し
文学極道をのぞいて
だれか見てくれていたかチェックして
会話のところが
一段行頭落としをしていなかったから
それを直して
またパソコンを切って
部屋を暗くしていたら
うとうとしていたら
さっき
3人くらいのものたちが
部屋にはいってきて
顔を寄せてきたので
わっと思って
照明のスイッチを入れた。
3人の姿はなかった。
怖かった。
むかしはデンキをつけたまま寝てた。
消すと、よくひとの気配がして怖かったからだ。
ひさしぶりである。
しかし、3人は多すぎる。
いままで、もう、何度も、何度も
飛翔する夢を見てきた。
けさも、街のうえを飛んでいた。
きのう寝る前に1錠よけいに精神安定剤を服用したせいか
眠りがここちよかった。
おとつい、テーブルの上においていたクスリが1錠すくなかったのだが
そのときには見つからず
4錠で眠りについたのだった。
おとついの眠りは浅かった。
12時すぎに飲んで3時過ぎに目が覚めたのだった。
しかし、けさは、一度目に目がさめたときは5時くらいで
もう一度、横になっているときに
飛翔する夢を見ていたのだった。
街のうえでは、わりとスピードがはやかったのだが
いつのまにか、砂地のうえを
砂地のつづく地面のうえを飛んでいた。
ゆっくりとスピードが落ちていき
地面すれすれになると
ぼくは手を胸の前にだして
とまる準備をした。
ぼくが地面のうえを浮かんで
地面のほうが動いているような感じに思えた。
手が地面についた
そこで目が覚めた。
そして、ようやく、ぼくは気がついたのだった。
いままで、ぼくが飛翔していたと思っていたのだけれど
ぼくは地面のうえに浮かんでいただけで
街のほうが
砂地の地面のほうが動いていたのだった。
まさしく、そういった感じだったのだ。
これも、ゆっくりとスピードが落ちていき
ぼくが徐々に地面に近づいていったから
わかったことだと思うのだけれど
スピードが異なると解釈が異なるという体験は
おそらく初めてのことだと思う。
少なくとも夢のなかでの出来事を観察してのことでは。
これから、夢も、起きているあいだのことも
より示唆に観察しなければならないと思った。
スピードが、着目する点になることがあるとは
ほんとに意外だった。
紙くずを屑入れにほうり投げた。
丸めた紙くずが屑入れの端っこにあたって転がった。
ぼくは転がらなかった。
しかし、ぼくは、まるで自分が落ちて転がったかのように感じたのであった。
あらちゃんが、ぼくのことを心配して部屋に来てくれたとき
朗読会の帰り、自転車で戻ってくる途中で、西大路丸太町のバス停のベンチの上に
ちょうど切断された頭のような形の風呂敷包みが置かれていたことを話した。
ずいぶん、むかし、ゲイ・スナックにきてた
花屋の店員が言ったことだったか
それとも、本で読んだことだったのか
忘れてしまったのだけれど
切花を生き生きとさせたいために
わざと、切り口を水につけないで
何日か、ほっぽっておいて、かわかしておくんだって。
それから、切り口を水にさらすんだって。
すると、茎が急に目を醒ましたように水を吸って
花を生き生きと咲かせるんですって。
さいしょから
たっぷりと水をやったりしてはいけないんですって。
そうね。
花に水をやるって感じじゃなくって
あくまでも、花のほうから水を求めるって感じで
って。
なるほどね。
ぼくが作品をつくるときにも
さあ、つくるぞって感じじゃなくて
自然に、言葉と言葉がくっついていくのを待つことが多いもんね。
あるいは、さいきん多いんだけど
偶然の出会いとか、会話がもとに
いろいろな思い出や言葉が自動的に結びついていくっていうね。
ああ
なんだか
いまは、なにもかもが、詩論になっちゃうって感じかな。


Other dreams.
(John Ashbery, Girls on the Run. XII, p.28)


You can go.
(John Ashbery,Girls on the Run. VIII, p.17)


まだなにか新しいものがある。
(スティーヴン・バクスター『時間的無限大』16、小野田和子訳)


兎の隣には鹿がいる。
(クリフォード・D・シマック『中継ステーション』7、船戸牧子訳)


きみはまたぼくと会うことになる
(ジェイムズ・P・ブレイロック『ホムンクルス』5、友枝康子訳)


こんどは何を知ることになるだろう?
(クリフォード・D・シマック『中継ステーション』5、船戸牧子訳)


それがすべてじゃないさ。

  菊西夕座


鷺山動物公園のてっぺんに「ゴリラ」と銘うたれた檻がある
(空には星屑、ニヒリスター。)
外縁に堀をめぐらせ灌木を張り渡し数本の石柱を突きたてて芝を植えた箱庭の
(地には砕石、ニヒリストーン。)
野ざらしにされた角切りのコンクリートボックス内をのぞきこめば
自販機サイズのでくの坊が黒い毛むくじゃらで気だるくうずくまっている
(無言の宝石、ニヒリストパーズ。)
ロケットランチャーのような肥大化した腕をはちきれそうにもてあまし
ぶっとくいかつい短足を 片いっぽうは投げ出して もういっぽうを抱え込み
俺にいわせりゃ――「ゴリラ」だ?「檻ラ」だ。――「野獣」だ?「隷獣」だ。

階段を上って爬虫類館のまえにせり出す手狭なバルコンが雌「檻ラ」の観覧席
(夜空にまたたくニヒリスター。)
視界の中途にかかる蜘蛛の巣さえ気にしなければ絶好のビューポイントだった
(地には転がるニヒリストーン。)
まるで狙撃手にでもされたようなうしろめたい気持ちが兆すのを見逃すならば

「檻ラ」はガラス張りの電話ボックスにホモサピエンスが収まるすがたを連想させた
といってもそのボックスは横倒しにされ彼女は壁にもたれ片ひざを抱えこんでいる
手にもつのは緑色の受話器ではなく『藁にもすがる想い』の小さな藁くずだった
藁くずをピチャピチャ舐めながら彼女が通話している相手は上の空だろう
(たゆまぬ煌めきニヒリストパーズ。)

うつろな目が蜘蛛の巣越しにもうお前を見飽きたという単調なシグナルを投げかけてくる
(彼女と見合いしたのはこれが初めてなのに一瞥で俺を見限ったのか)
「檻ラ」の重く沈めた土手っ腹は爆弾を巻く殉教者のように悲壮さを帯びて硬くふくれあがっている
(首に巻きつくニヒリストール。)
箱庭に入るかわりに彼女が観衆からとりあげたのはゴリラそのものではなかったか?
(足を滑らすニヒルスロープ。)
あるいは「ゴリラ」という名の檻に入ることさえ彼女は拒絶しているのかもしれない
だからこそ檻の中に置かれた冷たいコンクリートの箱で二重に囚われてみせるのか?

ならばその腹が爆裂し「ゴリラ」という名の檻を高々と粉砕する日を夢見よう
(空にこぼれるニヒリスター。)
爆風は箱庭に張り渡された太い灌木を裂き石柱をなぎ倒し水のない堀をのり越えるだろう
(地には飛びちるニヒリストーン。)
強化ガラスを打ち砕き厚い胸をいからせバルコンに躍り上がり狙撃手をひねり潰すだろう
もう手の届かないところに消え失せた恋人の声を待って永遠に受話器をもちつづけ
その受話器をマイクロフォンに代えて美しい歌を痛切にうたう道化師もひねり潰すだろう
得意げに山を下りた人間はそのときまで野生の真性を「ゴリラ」で騙りつづけるにちがいない
(黙せる宝石、ニヒリストパーズ。)

「もしもし、あなたはもう安らかな天上に羽をのばして暮らしておりますか?」
「おかけになった電話番号は現在つかわれておりません」
胸をたたいて閉じこめた思い出をいっせいに呼び起こしてもあなたの声は響かない
いつまでこうして期待に輪をかけていれば途切れた糸がもういちど結ばれるのだろうか
荒れた湿地でいたずらにのびる瓶子草のような影をひきずったまま同じ世界をのぞき続け
ふたたび振り向く姿を射とめるためにあなたが視界をよぎる日を待ちこがれている
(ニヒリスター・・・ニヒリストーン・・・ニヒリストパーズ。)
鷺山動物公園のてっぺんに「我ら」と銘うたれた檻がある


ボタンホール

  sample

プラットホームを歩いていたら
数歩先で人と人とが
すれ違いざまに接触した。
体と体の打ち合う音がして
ボタンがひとつ
床に落ち、私の足もとに転がった。
思わずそれを拾い上げ
視線を元の場所へと戻したが
どちらが失くしたものかは分からず
落としましたよ、
と言う声は喉の奥で綻んだまま
ふたつのうしろ姿は
うしろ姿の中に紛れてしまい
私の手の中に、ボタンは留まった。

電車が到着する。手の平を握る。
コートのポケットに手首を差し込んで
降り口に近い座席に座る。
態々、急ぎ足を立ち止まらせて
渡してあげる程のものじゃない。
そもそも、拾い上げるものでもない。
そう思って、目の前の座席から
女性が立ち上がり、電車を降りて行った。
その空席には誰も座らないまま
電車が次の駅に向かったので
小さな緊張のたがが外れたのを感じつつ
対面する車窓のガラスに映る
自身と少しの間、目を合わせてから
窓の外へと、焦点をやさしく押し込んだ。

郊外の風景には、郊外の風景らしい
適切な距離と、適切な暗さを守るように
家々が夜に針穴を開け
最小限の光で塞いでいる。
そんな、つましい星間を
電車は光の束となり
開封された夜の切り口から
終点、とアナウンスされる場所まで
長い手を差し伸べて行く。
私はそこから、みっつほど前の駅で降りる。
駅舎から少し歩き、入り組んだ路地へ入る。
その奥にひとつだけ
煌々と点る、家の明かりがあった。

路地と人家を区画する為に
設けられたブロック塀には
大半の葉を落としてしまった
花水木の影が貼り付き
細く神経質な枝振りは
眼の端に浮かぶ静脈を思い起こさせるようだ。
二階の窓辺に置かれた観葉植物の鉢植えが
磨りガラス越しに映っている。
その奥に現れた人影。
カーテンが閉められ、長方形の光に
型枠通りの闇が嵌め込まれる。
木の影が消え去り、私の影も消え去って
不意に訪れた暗闇に一瞬、
目を開けているのが不思議に感じた。

私は数分後
いくつかの角を曲がり終え
使い古した眼鏡を外し
眉間を指で軽く揉んだ後
弛めた手の平からゆっくりと剥がれ落ちた
黒いボタンに目を留め
知らない街のどこかで
冬のコートの一部に
やり切れないボタンホールと
無用の重なりだけがあることを、思う。


青空

  コーリャ


*

ミサイルかな?と思ったけど、青リンゴだった。天気予報は嘘をついた。預言者も嘘をついた。みんな嘘をつきすぎて、こんな結末は幸福なんだ、なんて言ってた。空から、バラバラと、降ってくる青リンゴは、すこし跳ねたあとに、破裂して、青い炎が発火して、青い草原に、青い野火がひろがり、天気予報士は真っ青になり、預言者は青空に逃げ去り、青リンゴは降りつづけたので、ぼくたちの瞳は青く染まり、青い炎はどんどん燃え盛って、ぼくたちの瞳は真っ青になって、ぼくたちは、動物も、植物も滅びた。たとえば、白鳥たちは群れで横たわりながら、自分たちの白さを呪っていたが、青リンゴはそれでも降りつづけて、地球はさらに青くなってしまった。ひどく甘くもなってしまった。赤はなくなってしまった。やがて赤くない色も、青だけを残してすべてなくなり、ぼくたちは、青リンゴと等しくなりながら、ひどく甘くなりながら、どこまでも青に浸されていった。最後まで戦って、死のう、という雄々しさまでも、青く、青くなってしまい、それは、最後まで戦ったあとは、アップルパイを焼こう、というふうに、ひどく甘くもなってしまうのだった。


*

「絶望から逃げろ。」お祖父さんは[一の駅]を過ぎたとき、そう言った。車窓の外で、交戦状態にある風の連隊が花の敵機を撃墜していく。「雲の上には神様がいる。誰かが死ぬと宴会をする。だから雨は酒だ。神様たちの口からこぼれる、パンの滓は、雪。と呼ばれるし。酒盃からあやまって零れる数滴の酒のことを。雨と呼ぶのだ。」雹は唾だそうだった。[二の駅]を過ぎたとき、お祖父さんは眠ってしまった。まるで、音楽に聞き惚れるみたいに、ゆっくり、ゆっくりと、頷いていた。車窓の外で、水平線がそれとない曲線で広がり、その3分の1くらいのところで、帆をめいっぱい膨らませた船が、とかしすぎた水彩絵の具の色をしながら、画面の奥に消えていった。[三の駅]を過ぎたとき、お祖父さんはガラス瓶になってしまっていた。その中に紙片が入っていて、それを取り出す。「愛から逃げろ。」列車はトンネルに入っていった。トンネルを抜けたら、青空だった。[四の駅]を過ぎた。[五の駅]を過ぎて、[六の駅]を過ぎて、[七の駅]を過ぎたのに、ぜんぶ青空だった。


*

万策は尽きた。敵の大群はもう眼前にせまっているのだ。しなやかな四肢を猛らせる彼らは、美しい刺青をくっきりと浮かびあがらせている。ぼくたちは武装を解いて芝生に仰向けで寝転がり、殺戮がはじまるのを待った。空は冗談のように青くて、雲も、ベースボールも飛んでなかった。さっきまで、おとぎ話にでてくる、生きている怪物の森のように、たくさんの軍旗が賑々しく林立しているばかりだったが、いまはすこしづつ、歌が聴こえるようになっていた。その歌の詞は意味を保てずに、和音に溶けてしまい、やがて聴こえる軍靴のタップダンスが、調子をすこしづつ軽快にしていった。そろそろ始まるのだろう。まずは弓矢だ。あなたたちは、青空に狙いをつけながら、弓弦をめいっぱい引き絞る。歌も。仲間も。呼吸もなくなったときに。あなたたちは矢を放つ。矢の群れは跳ね上がって、青空のいちばん高いところで、いちどだけ翻り、新しい色を思いついた順から、雨として、ぼくたちに降り注ぐだろう。そしてひとり、ひとり、と、ぼくたちは雨に打たれて、終戦していく。雨粒がぼくたちを貫き、その鮮血が舞うとき、世界は赤という色を思い出し。意趣を凝らした羽根のさまざまな色が、本当の色を思い出しながら滑空し。敵兵は声を上げ突撃する。つややかな毛並みの馬群が、虹色のアーチをくぐりぬけ、鋭い剣をふるって、その度、ぼくたちの鮮血が吹き出て、ちいさな虹がいくつも吹き出て、世界は色という色をそのときだけ思い出しながら、ぼくたちと、あなたたちと、虹と、青と、等しいものになりながら、焼きあがったアップルパイのする、ひどい甘さを(空、光がどんどん光量を上げて)ぼくたちは思い出していた。


花売り

  紅月

ギムナジウムの罅割れた唇を
なぞる人差し指は青い血にまみれて
この細い裏路地の影のなかでわたしたちはやがて
交わさぬことの愛撫を識り零れていくのだろう
返される砂時計が凍えた額のうえに置かれ
凪いだ瞳からは大量の小砂が溢れてくる


わたしたちはかつて学徒とよばれ
お互いに名前で呼びあうことをしなかった
ひややかな小川が森を横切り
そのどこまでも張りつめた水には
信仰をはこぶ純白の子羊だけが
しずかにくちづけて渇きをいやす
獣のあかく濡れた舌はそのまま流れをくだり
臍のあたりで渦を巻きながら、
(窪みから伸ばされたひかる尾が
幾重にも他の尾と絡みあっては
青空へと放たれていくのがみえる
街を徘徊するはじまりの器官が
その熱だけをあけわたして
誰の名も埋葬されたあとに
遊びだした指だけが先行するから、)


献身をゆるすならば
ゲシュペンストの麓におりて
誰もいなくなった真夜中の歩道橋で
名も知らぬあなたはうたをうたってください
幾重にも波打つ神話は弧を描きながら
声のない閉ざされた公園の隅にある
「叡智」と名付けられたシーソーを大きく揺さぶって
その中心に立って動じぬ遠い母の
臀部は経血に濡れていた(青い、)


裏路地の排水に浮かぶ廃油
涌きあがる昆虫たちには骨がない
着飾った裸体で
たかく父の名を呼ぶ(空には、
にぶく絡まりあう臍の緒が
幾重にも走っているのがみえる、)
切り分けられた空の断面から
あおい蝶が滴っているのが
みえる、(いまでも花びらのようだよ/母さん、)
強烈な逆光に彫りこまれた影のなか
醜く罵りあった、紫痣だらけの
砂が尽きたらまたしずかに時計を返して
はじまりの帰路のうえに溜まった細やかな砂が
真冬の額をどこまでも汚しながら
ギムナジウムの瞳の凪いだ深淵の底
あざやかに宿る白昼へいつまでも残響している

 


冬の虹

  yuko

海沿いを走っていく列車、
やわらかい
頬骨をこすりつけて
栗鼠たちは火花の散る
なだらかな
夕暮れの背骨を齧ってしまう

今、とっぷりと
沈んでいくんだよ
あたたかなものたちが、
人差し指の先に
浮かぶ列島のみどりが、
虹彩に定着して
迷い子のちきゅうは
冬の軌道から逸れていく

降りしきる雪のつばさは
春の拍動をやさしむために。
あるいは、
軋むレールの冷たさで
水底に
骨の王国が建てられるように

また、
生まれてくるんだね
かるい水茎を
束ねて
あなたの背より高い
チェロの音が流れ出してる


やぶ蚊の群れ

  一洋

抹茶フラペチーノを啜りながら立ち上げたウィンドウズからアクセスすると、脳髄のシンボルと一緒に『文学極道』というタイトルが飛び出してくる。文学極道は、ここカナダのコンピューターからでもアクセスできるのが特徴だ。「投稿の際は、必ず各掲示板の投稿規定をお読みください」という指示に従って、投稿規定のページを開ける。「芸術としての詩を発表する場、文学極道です。糞みたいなポエムは貼らないでください」から始まるこの投稿規定に関して、特記すべきことは三つ。一つ、作品は一人につき、月に二度までしか投稿できない上、同じ週に二つの作品を投稿することはできない。二つ、毎週日曜日は合評促進との名目で、一切の投稿が出来ないことになっている。三つ、投稿前に既存の作品にレスポンスを返さないといけない。この三つのルールを守るのは意外と難しい。例えば、土曜日に夜遅くまでタイプし続け、ようやく完成した作品を投稿しようとしたら、もう夜一時を過ぎていたために二つ目の規定に引っ掛かり弾かれた、そんなことが何度もあった。僕は、それら三つの項目の重要性をマークするために、「一人につき月に二度まで(同じ週には一度まで)、月曜〜土曜日の間」から「既存の記事への返信投稿」までを、ドラッグして反転させる。教科書に引かれたラインマーカーのように、白地を青く染め上げて、文字色を反転させる、そしてまた別の箇所をクリックすると、青地が消えて白地に変わり、薄っすらと灰色掛かった文字が再び現れる。この行為には別にこれといった意味合いはないのだが、字を白くする機能だけになれば、雪原のように真っさらな白を生み出す、そのときあらゆる強調的性格は失われ、もはや規定は規定としての意味をもてなくなってしまう。そうこうするうちにフラペチーノの容器が空っぽになり、そのクリームの白さと甘さが、攪拌され野草の青色に混じっていったのを思い出すのだ。

ところで忘れがちなことと言えば、機能メニュー、新規投稿フォーム、返信フォームなどに直接つながったショートカットキーが設定されていることだろう。記事を探しながら自分がどこにいるのか分からなくなったときは、これらのキーを利用すればいつでも自分の行きたい場所に移動できるので便利だ。僕はこの箇所も同じようにドラッグで反転させようとするが、マウスのカーソルがどこにも見当たらない。マウスのカーソルが自分の場所を指し示すのに、それが時々どこに行ったか分からない。仕方なく、マウスをぐるぐると回して、自分の居場所を探し出してやらねばならない。思えばネットの世界だけでなく、実際の生活でも、僕という人間は大変な方向音痴だ。授業の質問のために哲学棟に向かったとき、そのあまりに広大な大学敷地のために、何度も道に迷ったものだ。一番最近道に迷ったとき、地面という地面に雪の降り積む中を、グレーのフリースを身に纏い、あまりに長いこと凍えながら彷徨い歩いた。マウスカーソルに、自分が道に迷っているという意識はない。彼は、全く自分の居場所が分からないままだから、見失った自分の道を再び僕に見出してもらうために、画面上をやぶ蚊のように煩わしく旋回しているだけなのだ。そのうちにカーソルは幾つもの方向に分散し始め、この文学極道という空間を過っていった幾億のマウスカーソルの亡霊までもが、視界に現れる。砂嵐のように画面全体を隈なく覆い尽くすカーソルの群れ。今にも画面から溢れ出して、自分の位置を聞き尋ねて来るんじゃないかと、僕は恐ろしくなる。ああ。僕だって、自分の居場所なんか、少しも分かりやしないというのに。

もはやどうしようもなく、茫然としてそのコンピューター画面を眺めていると、そのカーソルの動きに、ある規則が見られる。彼らは、「迷い子」というキーワードを反転させ、それを強調するようにその周囲に群がる。次に、「冬の軌道から逸れていく」を青く染め上げて、白文字に変えてしまう。「レール」「束」「雪」を選択し、それぞれ、レールの切断面であるイニシャルIの字形、束ねられた花、降りしきる雪を、カーソルの群れが纏まって、その形態を丁寧に模写をする。「つばさ」では、海辺に見たカモメを、「骨」では髑髏を、擬態する亡霊たち。最後に、詩中に現れる一連の光景を、マウスカーソルの白と黒とが再構成していく。海沿いを走っていく列車、線路上に置いた、砕けた団栗を取り去る栗鼠たち、その列車と栗鼠を含む島、島が沈んでいく様子、それを写真に撮ったiPad、島の映る写真を指差すiPadの上の指先、その指先が拡大する虹の輪、そのiPadの上に降ってきた雪の結晶。すべては雪に覆われ、沈む、水底の栗鼠の骨、そこから伸びてきた水草の茎。それからチロチロと水が流れ出して、空っぽになる水槽。その水槽を入れた室内で響くチェロの音。それらすべてが、マウスカーソルの集合によって築き上げられている。そこで強烈なインスピレーションを得た僕は、AltとNを同時に押し、投稿ボタンまで限りなく漸近する。無数のカーソルが、ただ一つ僕のマウスカーソルへと収束し、藪蚊の群れが一瞬で死滅し、画面は閑散としている。ここは芸術としての詩のサイト、Artに限りなく近くまで行き届かねばならない。投稿ボタンをクリックして、空間へと昇華していく僕の詩篇は、『冬の虹』というyukoさんの詩を押し退け、その上に鎮座した。コンピューターの電源を落とし、僕は立ち上がる。一つのマウスポインタが、スタートメニューの終了をクリックする。画面が明滅を始め、シャットダウンする瞬間、画面上には誰の眼差しもなく、抹茶フラペチーノの空容器が、ゴミ箱の中で静かに光っている。


(文学極道の『掲示板のつかいかた』、yuko『冬の虹』より部分引用)


  黒髪

石ころ形の悲しみを硫酸に溶かしてあぶくにしようぜ
悲しみを減らしたい心という、他者のメロディーを奏でてさ
石ころに語らせて耳をじっとすますんだ

津波が海の中に引き込んだ
魚は喋らなくても視線をそそいでいるだろ
モーターサイクルボーイよ、つんざくエンジンで、おびえをかき消して
饒舌な音を、あたりにこだまさせて

歳月が
重いスポンジケーキみたいな物だったら、誰も持てない
心配の多い心はわからない
化学プラントを壊して爆発を起こすみたいな破壊衝動、注目されるほど痛い

僕の口を被っていた黒いカーテンは、今記憶だけを覆う
コントロールのきかないインビジブルの
色をみるために切り裂く、ナイフで
パックリと口を開いた記憶の中に昨日の血がつく

悲しみは水よりも軽い
見てみぬふりと黒メガネで覆われてきた物事の意味を、縫い付けるための糸が、繭からつむぎ出されている
空に上って空気に紛れるまでに悲しみが溶かし出されたら
ああ神様のところに届いて
叩きつけるような雨が人を犯す
同じことが繰り返される
雨上がりの道路の輝きや架かる虹は美しい逆理
少し空気の成分が変わったのは
魚の減少と関係がある
海の底を見通せる魚眼は
認識の甘さに警告の光を発する
最後の守備兵である魚達が泡を吐いている


世界の終わり

  コーリャ


弟のプリンを冷蔵庫から盗む。鳥の名前にやたら詳しい。血液型が気になる。勉強ができない。(世界の終わり)

遅刻する。早退する。ブッチする。君に会いにいく。電車のドアが目の前で閉まる。(世界の終わり)

「蟻の巣にさ」「うん」「溶かしたアルミニウムを流し込むのね」「えげつな」「でも、キレイなんだよ」「うん」「ビルの化石みたいでさ」「うん」沈黙が実はキライじゃなかったりする。(世界の終わり)

蝶を原に放つ。シマウマを塗り絵にする。月光が自販機に落ちてる。天使についての歌を口ずさむ。(世界の終わり)

カブトムシになりたかった。船乗りになりたかった。通訳になりたかった。 詩人になりたかった。(世界の終わり)

ビッチのあの娘はカポーティを借りパクした。「遠い声、遠い部屋」(世界の終わり)

光る。回る。自転車のスポークス。坂道をくだる。先月の移動遊園地のポスターをはがす。(世界の終わり)

決まって深夜に出発する。助手席にカバンを置く。なにも終わらない。なにも始まらない。環状の橋を越えつづける。朝にはまだ時間がある。タイムスリップしちゃいそうな。濃い霧の先。(世界の終わり)

いつもの散歩道に花が咲いてた。(世界の終わり)

流れ星はあまり見たことがない。どこからか懐かしい匂いがする。振りかえる。シーンとしてる。フードをかぶる。冷蔵庫の扉はパタリと閉める。(世界の終わり)


漂っている

  山人

漂っている
田の畦の
名もない雑草の根元に
捨てられた溜め池の
透き通る水の中に
細い目で鳴くアマガエルの喉に
咽び泣くような曇天の中の
炭焼き小屋の煙の中に
確かに漂っているのだと思いたい

石が石で終わるのは
あきらめた夕暮れに似ている
敷かれた道はひび割れ
雨水を染み込ませている

遠く重い呪縛から
糸が解けるように
開放させてください

雫る先の
かすかな四十雀の細かい動きは
澱んだ空気を彫り進む
暖気された空間が生まれる
少しだけ光は漂っている


不在の梯子

  中田満帆


 不在の梯子を揺さぶりつづける
 永く
 ただながく 
 うえにはだれもいないのに 
 だれもいないからこそ
 おくびようとさみしさを
 佇んでゆさぶるのだ

 呼ぶもののないところ
 ふり返るひとのいないとき
 恥ずかしい身のうちを青い天板に語る
 知つていることも持つているものもなく
 午后のなかでひとりのみの悪態をつくだけ
 死んでいつたやつらへ
 遠ざかつていつたひとたちへ
 ただ毒を吐く

 もうぼくが愛するのは止まつているものだけだ
 朽ちかけの家並みに草むらの遊技場
 忘れられたままのいつぴきに悲しいまでの一台
 それらを打ち毀しながら愛し
 よりよい位置を探すのだ
 さわがしく気のふれた連中を遠ざけて

 しかしきようの夕ぐれどき
 ぼくはとうとう梯子を引き倒した
 草むらに葬つて花を散らしてやれば
 どこからかざまあみろと声がする
 そこでかぎりない悪態も疲れはてて
 椅子もない室のなかぼくはひとり眠つていた


    それでも明日になれば梯子はふたたび青い天板へかかつてあるだろうか


秋にめぐらす 三編

  鈴屋

道に立木の影はやつれる 野づらの菊花は しろじろと霜に臥
す 民族が曲がり来たった いく千年 土壁の 蜘蛛の眼は寄
りつつあり ヤモリの眼は離れつつあり山里に 最後の人々の
記憶が生きのびていく耳鳴りの 森に隠れた少女よ 死臭まと
わる処女よ 振り向きざま 「ほら」と笑んでは とりどり宝石
と見紛う臓腑を きらきら散らかす秋の長夜

 +
  
ネコジャラシが風を 批判している坂の上の 生ハム色の雲の
舌がねぶる窓辺で 夕空見つめ涙ぐむ 少女よ 神を「神様」
と呼んではいけない 神は命名を忌む せめても「嗚呼」と小
さく喉を震わせなさい あなたは見つける 立ち去った神の 
もはや 消えのこる白衣 あなたはいつだって 運命のように
遅れ わたしはといえば 町はずれの変電所を見学し 落葉ふ
みしめ舗石に歩をたがえ 勝手口から 蛇口に至る技術的な秋

 +

秋 少女の古典的な靴音 駅 町 道 辿る 孤独な母国語 
少女が日暮れの街角で 死のお菓子を街頭販売する 紅いリボ
ンと微笑をそえて 行きかう民族に 売る 星空のもと お歯
黒のような家並みの 乏しい窓明かりを横目に わたしは帰る
帰る? いずくへ? 死のお菓子を一口 口に含めば 冷たい
甘みが溶けだし薄荷が すうすう わたしを捨てて 身体がか
ってに先を行く 


無題

  zero

僕には心がないのです、この充実ですか、これは何か砂糖菓子のような余分なものでしかないのです、ただ甘いだけでそこで閉じてしまいます、あなたはそんなに死にたいのですか、死にたいと言いたくて、死にたいと口にするたびに生きたくなるようでもあり、何かの滝でしょうか、なだれ落ちていく、その後の空白しかあなたを生かすことができない、空と草、洞窟と海、このような類義でも対義でもない斜な関係ばかりですね、首を吊るよりも山で凍死した方がいい、そんな二者択一よりももっとたくさんの選択肢があるではないですか、大体僕がこんなことを書いているのも無数の死を指し示すために過ぎません、言葉の機械性、経験の二重性、世界の孤立、あらゆるところに既にひびが入っていて、ひびどころではない死が、語ることも経験することも存在することもできないものとして、例えば国家試験や近所の結婚、火事騒ぎ、そんなものそれ自体として梳き込まれているのです、僕の心は重なれば重なるほど薄くなっていきます、生きるとは心を重ねて薄くしてしまいには消し去ってしまうことです、あなたは頭の中で他人の声が聞こえるのですか、すごく冷静な声で「親父を殺してしまえ」とあなたに告げて、あなたはその声がとても嫌なのですか、それがあなたの現実というひとつの直角ならば、僕はその直角をまるめていくつもの紐をつくるでしょう、御覧なさい、僕の優しさがこんなに雨に濡れています、光っています、重く冷たく、雨と雨でないものとの隙間に入り込もうとして、アクセル、ブレーキ、速度計、たくさんの都市があなたを取り囲んでいます、僕はそのたくさんの都市を、さらにたくさんの風音で包んでいきましょう、人格というのはひとつの季節に過ぎません、ひとつの人格が移ろえば、景色も温度も変わります、違った花が咲きます、人格の抜け殻からいくつもの国家が立ち昇りました、国家とは夢の物質です、暴力とは菫の媚態です、人々は政治を何度も書き直して、推敲して、権力という書物に溢れるばかりの署名をしたのです、政治は技術の一塊であり、人々から政治から国家から政治から人々へと技術の桂冠が潮を更新しながら、あなたは国家の内燃機関へ手紙を出したのですか、旧交を温めるため、内燃機関の顔面へと文字の没落していくもろもろの要因を噴射したのですか、国家を生きるために自然を生きる必要があると僕は思います、国家の規範と自然の規範の両方に指を捧げながら、今日もマクドナルドは憂鬱なのでしょう、制服を纏った店員の抑え気味な化粧の下でよく動く筋肉の果てから、フライドポテトを揚げるネットの手さばき、大きな看板、簡素なテーブルと椅子、僕とあなたは列に並んで苛立ちを会話でごまかしながら、しばらくしてカウンターに置かれたカードを見ながら注文、飲み物をもってテーブルへ移動し、食べ物がしばらくしてやってくる、何かが突き刺さっていましたね突き通していましたね、僕とあなたとマクドナルドと国家と、その何かにはまた何かがくるまっていて、その何かの上にさらに何かが経過したでしょう、0.932467年以上前のことです、僕は昔、体中に力を入れて歯を食いしばることがとても気持ちよかったのです、祖父母の過干渉のストレスがあったのでしょう、何か排泄するかのような気持ちよさでした、それからいくつの雲が僕の頭上を通り過ぎたでしょう、何匹の蜘蛛が僕の家の庭で鳥に食われたでしょう、年齢は罪です、年を重ねるのは恥ずかしいことです、大きな陥落がテレビで流される度に僕はそこに自らの慙愧を重ね合わせました、少女との恋がありました、何度も目が合いました、目が合うたびに体中が狂おしく甘くなったのです、でも僕は恋を禁止していました、だが禁止していたのは相手の少女であり社会であり政治でありそれらの共謀と延々と過去を無の箱へと落としていく作業、その箱を僕は今部屋の隅の棚の上に置いているのです、オルゴールが時間を切り裂きその快楽に逆に切り裂かれるそういう箱です、箱を彩る輪郭に刷り込まれているのは、僕の欲情が垂らす一滴の汗、箱が懐かしいのは箱との距離を勘違いしているから、告白します、僕のすべての断定は勘違いでした、僕のすべての理解は13度くらい傾いていたのです、あなたは自分が生きていることを確かめたくて腕を切ったのですか、血が出て来てやっと自分が生きていることを実感できたのですか、僕も過去の自分が生きていることを確かめたくて、しばしば想像を膨らませるのです、東京都板橋区の狭い路地を自転車でこいでいるときの自分、その水銀のような統覚と雨のような身体、記憶と想像の二つの長所にあいさつを重ねながら、過去に僕が生きていたことを確かめることで、現在の自分が居てもいいような気がするのです、過去がなかったら今の自分は不当です、悪です、過去があるから現在は正義なのです、さて未来を想像してみましょうか、未来に挨拶して握手して会話していつの間にか未来と入れ替わりましょうか、ところが未来は出入り禁止です、僕の城下町には入れません、なぜかというと希望という厄介な病気に罹っているからです、希望によって皮膚がただれた泣きそうな少年が僕の未来です、少年と僕とは戒護者立会いの下でガラス越しに接見するのです、未来という少年は永遠に服役しなければなりません、生きている実感、それは多様な仕草で人々の口のあたりに貼りつきますね、孤独ですか、それは何を指しているのですか、例えば世界で初めて生まれたエネルギーは孤独だったでしょうか、孤独とは挫折あるいは挫折未遂、孤独な人間の周りにはあまりにも美しい情念が広がっています、孤独な人間は空間を飾り過ぎるのです、だから虚しくなる、挫折する、人間は美しい関係未遂を繰り広げることで、その論理的背後である孤独に再び修飾されるのです、部隊が編成されます、兵士が行進します、戦争の演習が幾度もなされます、あなたが復讐心に駆られて相手に反撃する、それは戦争と同じではないですか、口喧嘩と撃ち合い、どちらも同じ回路の上を走っていく超越同士の衝突でしょう、僕は昔よく喧嘩をしました、素手の喧嘩です、一度警察に通報されて、取り押さえられて、尋問されて、釈放されて、警察官の体を支えている大地には権力の肥料がまかれていました、警察官の制服には国家の押し付けがましい苦悩が焼き印されていました、行政の意思決定における上司と部下との確執が僕に烙印を押すべきか流れに流れていったのです、あなたは何もかもが嫌なのですか、あなたの中には複数のあなたがいて、それらのせめぎあいが絶えざるストレスを生んでいるのですか、そしてそれを発散するために、酒を飲んでは暴れ、そしてそれを後悔するのですか、僕には嫌悪する資格がありません、嫌うことによって築かれた小さな丘の上で自足していると、いつの間にかその丘が奈落だという現実と幻想の折衷物に背筋をまさぐられてしまうのです、僕は好んで分裂しますが、分裂した木の枝や小宇宙や活字がそれぞれに愛し合い絡みあってしまうのです、僕はこの分裂してもなお生き伸び続ける自己愛が怖い、そしていつもの自分のキャンバスからはみ出る快楽と苦痛は、もはや自分が描かれる場所がないという香りのようなものにはじき出され、暴れることによって不在になることの手触りはどんどん増殖してしまいました、あなたは入院するのですか、病院による監視の粒によってあなたは穴だらけになるでしょう、近所の噂話の壁によってあなたは水平の重みを感じるでしょう、病人を隔離する制度がその目的の純粋さを失い社会の感情と政府の権力によって泥まみれになる現場においてなおもあなたは自分の存在を叫び続けることができますか、

文学極道

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