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Kolya

選出作品 (投稿日時順 / 全23作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


怪物

  コーリャ


クジラに呑まれて死にたかった。暗い胎内の小高い場所で三角座り。マッチを擦ったらすこし歌って。誰も助けにこないことがちゃんと分かったら。アイスティーの海にくるぶしから溶かされて。人魚として生まれかわりたかった。潮に吹き飛ばされて飛空する世界は、青色と月がみんな仲良く暮らしてる。

私は待っていた。離れの暖炉のなかに隠した金魚鉢の前で。朝には銀色の水を注いでやり。夜には段ボールを被せて眠らせてやった。餌には私の血をあげた。無口なバイオリニストみたいにカッターを引いて。人差し指で水面を掻いて。早く人間になってもらえるように。私が溶け出すように。でも浮かび上がったままの魚鱗は私を詰った。私は失敗した。たぶん、金魚は黄金の鳥になりたかったんだと思う。黄金の人っていないのだろうか?

そんな時だって私はなにかを待ちながら生きていた。乳色の海のように浮かぶ地平線と、降りしきる仮定の隕石群の原を、はんぶんこに眺めながら。私たちは待っていたのだった。車内は夕暮れを運んだ。戯れに唇を寄せた車窓は湿った紋章を浮かべた。私たちは音を微かに立てるくるみ割り人形みたいな気分だった。果実の匂いがした。バスはトンネルに入る。出し抜けに闇を右耳から流し込まれる。バスで溺れる。こんなところでは決して眠れなかった。トンネルを抜ける。人類を皆殺しにしようと、彼は誘う。銀紙を延べたような町々。陸橋を超えて。光はどんどん捨てられて、またトンネルに入って、出たときに、私はやっと、ひとごろし。と発音した。バスは次の王国に向かった。

私たちは体内に動物園を経営しているのです。タオルケットで覆面した教祖が高らかに宣言した。私の豚。私の猿。私の熊。私のきりん。私のドラゴン。私のにんげん。木組みの高台にいる教祖はピンクのスーツを着てる。タオルケットが風にはたはた鳴る。丘にずらっと体育座りな私たちはみずからの胸を抱きながら飼育している。私のキメラ、育ちなさい。忘れられた水車のある風物を過不足なく混じらせてしまうみずいろの降雨。私たちの空。私のキメラの飛ぶ空。さあ祈りましょう。祈りましょう。と言う声は獣のそれが混じっていたけど。私たちは空をみあげることをしてはいけない。

小説みたいなニジマス釣り。電子をてらてら降らす陽光。水面は川魚の影を結んで開いて。ほどけきった言葉。光の溜まりに足をすべりこませる。あの時!はそんな名前で呼び習わされた。そして、それは別の場所で、魚に似た鳥たちがゆっくりと回遊する踊りの下で、尖塔の鐘を三度だけ鳴らした。虹が咲いた根元には王国があって。革命のような雨にゆっくりと溶け出して、消え去り。私たちはそれを確認したあとに飛行。私たちは新しい虹をさがす怪物だった。私たちは。私たちをそんなふうにしか理解できなかった。


川沿いの聖堂

  コーリャ

聖堂の夜会に踊りに行こうと、あなた以外の右手が誘い出して、音をたてて破裂した日の名残り。俯かせた顔の影絵。錆びた蛇口みたいに固まった猫が見つめ。
祈りとオリーブ色がまじった夜がゆらめき始まる。

車はやっぱりキャデラック。キャラメルを流したように滑らかな道。速度と光を暴いていく。交差するクラックションはあの4文字みたいにきこえる。性交よりも良いサンドイッチをよこせよ。約束されたタイミングでの笑いが買われる。それでも自分たちは卑しくないと信じながら。夜のもっと深くに。
そんな手振りで漕ぎ出していく。

注ぎ過ぎたコーラの炭酸みたいに、夜会が溢れかえってる。割れたステンドグラスが聖母の顔の輪郭を探している。アルコールで建てられた塔たちはお祭りを囲んで照らす。仮面をつけた男女が入り乱れて新しい色を発明していてる。葡萄畑まで祝祭の火が舞う。口元から零れた色水の数滴が、開かれた白い胸で柔らかに着地する。誰かがなにか叫んでいる。酒盃の縁が薬指で弾かれたら、シンバルが砕ける音がして。魚みたいに泡を吹いて倒れたひと。戯れに尖塔の鐘を突くひと。などをない交ぜにする不吉な音楽の。
糖衣を一枚はがしていくと、便所にこもったままの男がずっと手を洗っている。

友達は知らない女と葡萄畑に消えた。闇の奥を冒険するらしい。どこかで怒声がして、夢の水面から鳥がひとなぎで飛び立つ。欲望の渦潮の中で、みんな自分の感覚にしか興味がなくなる。仮面のかぎられた視界は僕たちの暗やみを寄せる。自分の海に溺れているんだとおもう。塩の味がする夜。掻き傷のついた銅のような笑顔を貼り付けている。僕のなにかがざわつくと。後悔はさざなみのように寄せてくる。海にいきたい。冬の海に、いきたい。砂の城なんかつくって。月の城なんて名づけて。汚れてないことを、汚れないことを。祈って。グラスがまた砕け散る。鳴り止まない水の音。どうしてそこまでして手を洗がなきゃならない?
すこし吐き気がする。

バックヤードはすずやかに闇を呼吸する。ひきのばしたような貧しい川が身を横たえている。白すぎる星の原に風が鳴る。水に、手を、泳がせる。波紋の野火が白光を川面に散らした。ちいさな波を掠めながら静かに消えた。いつのまにか対岸に女の影が立っている。手をひっこめる。僕は立ってそちらを見つめる。相手も僕を見つめる。女はなぜか裸足だった。後ろで誰かが僕の名を呼んでいる。振り返る。誰もいない。また前を向く。女はいなくなっている。彼岸の先では聖堂が灯っている。そして僕の前には。
川が残酷のような姿をして流れている。

俯くと、水とアルコールの混血児が僕の首に手を回してくる。誰かが僕の名を呼んでいる。鼻の奥から麻の匂いがする。僕たちはあやまっていたんだろうか?なごやかにすべてなかったことにする陽の暮れ方や。恥ずかしさをだしぬけに与える夜の訪れ。かみさまに手紙をだしたはずだ。ワイン瓶の中で身を硬くする手紙。かもめの行き先。海岸の最果て。振り向いたときの表情。斜光。
そんなものたちを弄んだ両手が燃えている。

音楽が鳴り止まない。頭のなかに宿した海の。右耳の裏側。汀がいつも鳴っている。そのことにきづいたときから、僕たちは岸辺に閉じ込められていた。長い岸辺。広がる岸のどこにも、やわらかな砂にささったワインボトルなんて生まれない。城なんてないし、しあわせの国もない。波がなにもない浅瀬になじんでいく音をききながら。みとどけながら。燃える両手をどうすることもできず。彼岸の光をみつめながら。僕たちは。
僕たちを繰り返している。

知らない女が戻ってくる(あなたは戻ってこない)僕は冬の海に行こうと女を誘う。
女はひとつくびをかしげ、泳ぐみたいに聖堂へ戻っていった。


観覧車に亡命

  コーリャ

私たち逃走していた。かすりきずに錆びついたボディーは、夕日の射光に身包みをはがれ、匂いがするようなレモンの色にそまってしまい、塗装が晴れてしまった下地の部分の、心臓みたいな銀のフレームがばれて、わたしは少し恥ずかしいのだけど、ときどきいたましげな光を散らし、青い草原のコントラストになって、わたしと山とか街とかを、おきざる風でもって、逃がしてていくのは、やっぱり、レモンの色のバイバイ、11月がどうしようもなく似合ってしまうわたしたちの自家用車、その鋭角なウィングでそのまま空をとんでしまおうか、というと、ダッシュボードのなかの虹いろ味のメントスが、かろろ、ころがって、ふきこむ風と唱和し、赤土の地平線をこえるまでもなく、わたしたちは鳥のたぐいで、いわば無敵だった。そんな風物をたたえた、きせつのまなざしを、ねえ、あなたの心臓を、いま停めることで、表現してみようか?排気ガスとすなぼこりがまじった煙幕が魔法みたいにわたしたちの旅路の幕をあけるから、ヘンゼル、わたしたちが向かうばしょでは、水中を遊泳する、ぷらんくとんの大家族みたいに、ちいさな絶望たちが空にわだかまっているのかもしれないけど、光跡を辿ってゆけばわたしたち、故郷にいつでも帰れるんだよね?いじわるな鳥たちは色や光を啄むことはできないんだし。

作文の最後に、おしまい、なんて書いてはいけません、幼稚なことですよ、って先生に言われたのはどれくらい昔のことだったか覚えてないんだけど、そのときの原稿用紙いっぱいにつけられたバツじるし、斜線を引かれた題名はいつでも、わたし覚えていて、それからというもの、わたしはその思想をいつも胸ボタンに掛けていて、おしまい、と言うべきときや書くべきとき、それにふさわしい仕草なんてものの、おしまいのやり方を忘れてしまったので、誕生日とか、夕暮れとか、映画が始まるひと呼吸まえの暗やみ、わざと手放した風船とかを、うまく発音できなくて、たぶん英語が苦手なのも、それが理由で、単語帳にはたくさんの空白があって、綴りがそこにあるだけで、意味が剥落していたから、わたしはいろんなことに絶句で、あるいみ、おしまい、ジ、エンド、ハッピリー、エバー、アフター、なんだろうか、関係ないんだけど、えくすらめーしょん、って呪文みたいだけどいつとなえればいいの?

峠道を追いこしたら、西の海のあたまがみえて、わたしは、落陽のまぶしさをかばったあとに、手のひらで魚をつくり、影絵が水平と夕空のあわいを泳いでいくのです。あれが国だよ、と指した先をみると、レゴで埋めたてた島に、りっばな観覧車があるだけで、王様なんてそこにはいない、きがしたんだけど、だんだん近づくにつれて、橋を超えたり、手づくりのパスポートを提示したりしてるうちに、楽しいテーマソングがながれてきて、わたしたちはわりといろんなことがどうでもよくなって、まばゆい光で、ゆっくりと、夕暮れを攪拌しながら、わたしたちに手をふる、観覧車へ、続く道のりに、情景が吸い込まれていって、あ、わたし、こんなときになんていえばいいんだっけ、って、ウィンドウを下げながらおもったんだけど、変な綴りがたくさん思い浮かぶだけで、まあ、いいや、窓から頭をだして、それをひとつのこらず、ちからいっぱい叫んだのだった。

ていねいにならされた波のうえにいるように、観覧車の箱はゆるやか、スロウに揺すれて、遠い海中に沈んだ電灯の群れ、夕日を手に入れられない海中生物の街に同情している。そしてわたしたちこれからここで暮らしてゆく、って、ちゃんとわかってしまった。王族はシフト制だから、とあなたはいった。これからぼくたちは昇ってゆくのだから高貴に振舞おうよ、たとえ、そののちに逃れられない、下降があろうとも。エンドレスワルツっていうんでしょう、わたくし知っておりましたわ、というと、ちょっと傷ついたように、あなた、わらって、めにみえない王冠をわたしの頭のうえにそうっと載せたので。わたしの、綴れない、あたまの、剥落の中から、ビックリマークが、たくさん、発火、ぷらんくとんみたいに、わたしたちの王室をおよいで、きらきら、きらきら、拍手していた。そんな戴冠式でした。


レモンの花が咲くところ

  コーリャ

・クリスチャンでない僕らは上手な祈り方を知らなかった。

日曜日になると、僕とレモンは当たりをつけた家を訪れる。金属製のドアノックを叩く。臆病な小鳥が屋根から飛び立つ。家人は不在だ。そういう決まりになっている。僕たちは頷く。芝刈り機の心臓を揺り起こす。

・時間は掛からない。

小石を取りのぞき、芝を刈り高さをならす、雑種の花はすこし眺めてから毟り取る。窓辺の猫は、その工程を宝石の瞳でみつめつづける。すべて終われば写真を三枚撮る。芝生の写真。レモンの写真。僕の写真。家に帰って日付を書き込み、アルバムに挟む。アルバムを閉じる。パタン。

・名前は呪いのようなものだ。

あなたにいつも寄り添うくせに、それを必ずしも望んだわけではない。レモンという名を始めて耳にしたあなたは、つづりを訊ねてよろしいですか?と言うだろう。L-E-M-O-Nと彼は仕立ての良い楽器のような唇を動かす。当たり前だ。レモンにそれ以外のスペルがあるはずがない。良い名前ですね、とあなたがお世辞を言うと、彼は笑う。彼はかなりスマートに笑う男だった。

・彼はあまり自分のことを話したがらない。

とくに家族のことを口にしたのは一度しかなかった。左胸のポケットをいじる手癖をしながら、父親が病気だ、と彼は言った。それはまるで宣告のようだった。「早く死ねばいい」と彼が言い継いだとき、車のヘッドライトがガードレールに腰掛けた僕たちを舐め、深い影を張りつけにした。はまってしまったらどこにも出ることができない落とし穴みたいだった。自分の影に吸い込まれないように、彼は黙って足元を見張り続けた。

・「私の名前が欲しくないか?」

そう彼は言ったことがある「それなら僕の名前はどうなってしまう?」「紙飛行機を折って空に飛ばすさ。ゴッドファーザーに返すんだよ」名前を交換するというアイディアは馬鹿げていた。僕のそれも使い途がないくらい奇妙だったからだ。「それなら君の名前はなくなってしまうよ」「新しいのをみつけるのさ。もっと良いやつだ」それからレモンは名前を失くした。「どうやらどこかに落としたらしくてね」と彼は言った。ちゃんと探したのか?とたずねると彼はスマートに笑った。

・僕たちは二年かけてたくさんの芝生を刈った。

そろそろ終わりにしようと彼が言った。たしかにアルバムの紙幅も少なくなっていた。僕はゆっくり頷いた。最後の芝生。風の強い日。雲が早送り再生され、さまざまな生物の架空の進化図を示しながら流れていた。裏庭の一番奥には、小さな物置があり、その屋根に老いた果樹の梢が寄りかかっていた。日曜なのに街は無人だった。猫すらいなかった。不気味で静かな庭だった。

・刈り終えたころに天気雨が降りはじめた。

早く済ませてしまおう。彼がカメラを手にとる。そこで彼は凍りついてしまう。訝しんで彼の視線を追うと。芝生の上にレモンの実がひとつ転がっていた。なんだ。僕はおもわず笑って彼をかえりみたが。彼は無表情だった。僕は笑いを手早く隠す。彼をスポットライトで当てるように、水と陽光が手をとり合いながら降った。雪みたいだ、と僕はおもった。彼はそんな場所に凍っていった。もし彼が名前をもたなければ、僕は彼をどう呼びかければいい?君の名前は?花の名前は?国の名前は?そんなことばかり僕は考えた。おもむろに彼はカメラをあげる。ピントを震える指で丁寧にあわせて、シャッターを切った。

・すっかり雪の積もった芝生を彼は歩き始める。

そのたびに、ぼとり、ぼとりと肩から雪塊が落ちる。かがんでレモンを取り上げる。そのまま彼は罰のように雨と光を受けながら、ゆっくりと雪原に沈んでいった。

・その四枚目の写真を僕はアルバムに収めることができなかった。

彼が望んで持ち帰ったからだ。葬式の日。僕は彼にたずねた。まだあの写真は持っているかい?「焼いてしまったんだよ。すごく細かくやぶいてね。焼いてしまった。親父も焼いてやれるとよかったんだけど」この国ではむしろ火葬のほうが高くつくのだ。そういう決まりになっている。夕方。あらかたの光が紫に色を変えながら死んでいく。射光が低いから墓穴はまるで洞窟の入り口のように暗かった。異教の僧侶の呪文が終わると、柩は穴の中へ、やわらかに吸い込まれた。そのまま彼はかがみこみ、闇の深さをはかるように墓穴に手を伸ばした。何も掴むものがないことを知ると、白い花片が彼の手から離れ、それは棺の額に注がれていき、暗闇といっしょに閉じ込められていった。パタン。

・"Do you know the land where the lemons blossom?"

それから彼がどうしたのか? 新しい名前を探しに北半球に渡ったという噂をきいたが、それは誰にも分からない。一度だけ差出人不明の手紙が僕に届いた。消印のスタンプは、いままで誰も見たことがない国名を表記していた。写真が一枚だけそこに入っていた。山の裾まで続く広大な花畑の全景だった。白い花の群れが溢れる光だったころの思い出を懐かしんでいた。まるで世界の始まりの日に盗んできたような情景だ。僕はその花の名前を知らない。裏面には走り書きで。『レモンが花咲く国を知ってる?』 そう書いてあった。馬鹿にしないでほしい。それがレモンの木の花でないことは僕でも分かる。分かるけれど、なるほど。美しい国だ。僕はその絵葉書に書きこみを入れる。名もない花の国。アルバムの最終ページに挟む。アルバムを閉じる。パタン。



*タイトルはゲーテ「ヴィルヘルムマイステルの遍歴時代」第3巻第1章から。原文は"Kennst du das Land, wo die Zitronen bl〓hn"


生贄

  コーリャ




きみがほめてくれた鼻梁のさきから

からだは腐りおちていきます

(崖にたつ風車たちがうつろに手をふって

入水自殺をこころみるたぐいの


そうして盲いるときは

たとえ

けつえきが砂鉄で

ざえざえになっても

黒人というよりは

黒曜石(sic)にちかい鳥類として

うみべを警備しようって

こんたん

氷を燃やしたみたいにつめたい火矢を

星空に放ちながら

夜が朝にプロポーズするのを

指さし確認する

というおしごとをします


世界にはいろんなひとがいますからね

なんで生きてるんだろうってひとばっかりですが

みえない精霊と手をつないでぐるぐるダンスしつづけることで

神様にちかづいていく

そんな祈りかたを

いちばんはじめに

祈ったひとをしってますか?

階段の折り返しばしょで

なんとなく

神聖にふるまっているのは

その踊り手へのあこがれからです




ヤクの角でできたカヌーが霧の川をくだっていくように

いちばんはじめにこの街の匂いをかいだときみたいに

あるはずもない天国のことをかんがえています

そこにすむ動物の性格

なきごえ

にじの色のかぞえかたや

あらゆるおぞましい地名

ドストエフスキーはそっちでげんきにやってるか

ただ生きてるだけでなにかを盗んでいるきもちになることとか

なにもかも

なにもかもだった




「やっぱり許されたいから?」

とカーラジオのCMがいった

やっぱり許されたいから6月


よぞらに

アルミ缶を

星のかずだけ吐きだす自販機と

おなじ声質で

踏み切りの遮断機はうたって

あちら側とこちら側を

すらりとした二の腕でへだてた

助手席になげていたポールモールに手をとる

さいきんは世界中どこでも

悪魔の従者のように喫煙者をあつかうため

失明のげんいんになります

という警告文と

アイスランドでたべるブルーハワイの色をしたひとみのおとこが

異端審問官として

喫煙者たちをへいげいしている

車のハンドルにもたれてなにげなく

めのまえを横断していく

二両編成の列車は

仲良く手をつなぎながら

雑種のしょくぶつがよこしまなことをしているような森の奥へと

いみもなくわらいあいながら

かけこんでいった

そのあいだ

ずうっと

車のラジオは

季節のはなしをしていた

レモンを半分にきります

片方はすてます

のこったほうを

お皿にそえます

はいどうぞ

これが六月です

ということらしかった




神様は

ひとびとを

はんぶんこにしちゃったのである

だから私たちはいわば理科準備室の人体模型であり

いきることは

えいえんに放課後をまっていることにほかならず

立たされたままねむる夢のなかで

わたしたちは半身の肌を探しに

いつもたびにでかけているんだよ



と言った



天国では死んだひとたちが

生きてきたなかで

いちばんきれいだった海の話をするそうだけど

海のかわりに僕はいちばんきれいだった女の子のこと



と言った



あなたが死ぬとわたしも死ぬよ

と言った

自殺よくない

と言った

ちがうの

死んだあなたに殺されちゃうんだ

死んだあなたはわたしのすこしのぶぶんを略奪して

しのせかいにつれさってしまうの



と言った



いまも人体模型たちは

せかいじゅうのおおきなまちとちいさなまちを疾走しながら

半身をさがしているんだろうか

とは誰も言わなかった

そのかわり

さよならはちょっとだけ死ぬことだ

と誰かが言った

もしあなたたちのどちらもただしいなら

ぼくたちはさつりくをくりかえすことになり





そして、

そして、

とつぶやく接続詞が、

やさしくいだくうちゅうを航跡をひきながら旅団していく、

ながれぼしはいちびょうのあいだになんども死にながら

かつてうつくしかったものをひとつづつていねいに忘れていったのち

ショートケーキでできた地上に

アイシングシュガーとしてふり注いでいた

大気圏を突破したじゅんから

虹色のばくはつをおこす

戦時中にもかかわらず

ひとがしんだりするにもかかわらず

彼女はそんなところからわらいかけてる

流れ星をそのてのひらにうけとるごとに

地平線が歌うみたいに仄かに光る

そう 滅びるってこういうこと!

彼女は駆け出す

もう

うごかないオルゴールみたいな

うごかない遊園地の

うごかないコーヒーカップに

ふたりはのりこむ

聴こえる近さのものでは

みんな気狂いのお祭りのようだったし

聴こえこえないくらい遠くでは

国がホットチョコレートととして溶けながら滅亡した

かれらはまたどうしようもなく諍う

ひとが死んだらどうなるのか?

天国にはいかない

もしあなたが死んだら?

天国にはいかない

さようならは


そしてそしてそして

きみがほめてくれた鼻梁のさきから

崩落がはじまっていったら

すべてのビルがぜつぼうにくずれおちたら

ぜんぶのことばのいみがほどけて

いっぽんのピアノ線になってしまったら

クローゼットのなかには

さんかくすわりの天使がいて

あなたが死ぬまで歌をうたいつづけたら


素敵だなとおもったのですが

たぶん

ビルはおもいのほかくずれませんし

ことばのいみはわりとちゃんとわかってますし

天使とかいない

ピアノもなります

きせきとかもない

それは絶望とすらよんではいけない

魂とかほんとうはわからない

それでも

美しさをぜんぶさしひいたあとの地平に咲いた

なにかを

神聖とかんちがいしながら

生贄でもいいから

生贄でいいから



  追伸.


 (列車のレールは

 水底まで届いていたから

 なすがままに列車たちは

 みずうみに

 音もなくすべりこみ

 やっぱり

 手をつないだまま浮かんで

 空を飛ぶさまざまなものを

 みつめながら

 くるりくるりと

 水没してゆきました



 れっしゃは

 てんに

 のぼっていく

 あぶくをはきながら 

 あおいてんに

 のぼりながらぼくのなかでことばがあふれていく

 そのしゅんかんに

 ころされていれる

 ぼくたちはそのままの

 ことばになれずに

 みずにさいて

 さけて

 ちりになり

 ほのをもしらずに

 もえていく

 といい

 へんじがないと

 となりをみると

 とっくに水没してしまい

 とてもちいさいものになってしまっていて

 ひかりさえもぼくらをからめとらない

 なめらかなあんこくの

 もっとおくで

 なる心音に)


朝を待つ

  コーリャ


 /朝焼けを待つ。そのあいだに。口当たりのいいことばかり。話してしまうのを許してほしい。希望や。理想。その怪物的な言葉たちの。立つ瀬がなくなっていく。冬の夜の海浜の。そこここに。誰にも模写されたことのない。不燃性の生き物たちが身を波に洗わせて。すこしづつ体の色をうすめていく。彼は凍えながらそれを眺めている。吐く息が眼鏡のレンズを。バターでも刷いたようにくもらせるから。動物はみんな機械仕掛けにみえてしまう。ヒトデは。波の白さが。接触しあい。ショートして。エラーを起こしている場所から。気だるげに誕生して。そのままのかたちで。かつえながら死ぬのを待つのだろうし。海岸にしきつめられた岩砂は。いつかの満月よりも。なお人工物らしく。むしろここが月の裏側みたいな。水と砂漠の風物だ。抱きあって無理心中を後悔する海藻たち。砂の小丘に埋まったラジオは。そのまま小規模な音楽をながしながら落城し。無人島みたいに誰もいなかった。海が刺青した箇所をひたすら撫ぜながら。すこし―――。その光を思い出すことがある。暗闇とはいまでもときどき連絡を取り合う仲だ。缶コーヒーはまるで鉄を詰め込んだみたいに冷たい。タバコの匂いがしつこく潮の匂いに付け入る。彼は口当たりよく語りはじめる。例えば。そのあいだに。夜は白という色を。絵画を愛撫するみたいに。すこしづつ繋げていく。薬指はそんなときに役立つ。彼の隣で横たわっている女の髪を耳にかけたり。はずしたり。波のリズムにあわせて。首を緩くゆらしながら遊んでいた。


/その夜がすこし憎い。彼は笑顔のまま凍えている。その暗いことがちょっと怖い。みんなそのまま目を覚まさないかもしれない。その夜が怖い。その夜の廊下が怖い。もうひとりの自分がすぐ後ろにいて。いまにも彼になりすまそうとしている。鳥が眠るのを認めない。ずっと彼を見張れ。白夜のことは好きだけど。実在することは信じていない。その夜になると声がきこえる。その夜の声。頭蓋骨のなかに閉じ込めている。ときどき頭をかしげたときに。その夜が擦過音をたてる。それは砂時計の想像する五分間ににてる。耳馴染みのある夜だった。誰かの声がとどかない場所。その夜の音がたえず命令するので。水滴が水面を打って水紋をつくってなにもなくなるようにたよりない彼は従順に生きてきた。なのに砂時計の砂はなぜか湿って。流れることをしない。なのに。また別の朝はやって来る。その朝は彼らの望んだ朝じゃないのに。彼らの大切なことをなにも知らないくせに。彼らをあまねく照らし救う。そんなのもに捧げたくない。その朝も怖い。夜も怖い。だから彼は口当たりのいい言葉で語り続ける。そうすれば。彼の中だけでは。その夜はちがう夜と連結し。満月を背景に弓なりのシルエットを残しながら。長い列車にでもなってしまう。そんなことを独りで考え。彼は笑った。希望が泣いてる。理想が鳴いてる。などという。口笛もふいていく。


 /そのあいだに朝を待つ。冬の遅い日の出を待つ。さっきから海沿いの舗装道路に整列して彼らを眺めていたマネキンたちは。なにかの合図を待ちきれずにいっせいに汀に駆け込みはじめる。 車の通りがおもむろに増えて戦車がクラクションのかわりに空砲を打ちはじめる。それに驚いた飛行機はウィングをなくしたからそのままの加速度で溶いた雲につっこんでいく。朝の早いキャンディ屋がたくさんの飴を投げ込んで塩飴をつくってる。それをじっと見てるだけで。隠しステージにいけるような模様の空飛ぶ絨毯が。誰かの手紙をばらばらと捨てにくる。 また朝が始まろうとしてる。もう世界とは呼びたくないなにか。ただの生きるという発音では適切じゃないなにか。道すがらに誰かと手をつなぎ。手放すこと。それは。薬指の爪先が離れたとき。風に触れたとき。オブラートを舌で溶かすように。混沌の中のみえない一色になる。彼らはどんな顔をして溶けてゆけばいい?疑いようもない朝の光の幾筋に!そしてそれは嘘のひとりごとでしかない。彼は彼だけの言葉で。恐れていたものをなだめ。光を崇める。ということはできないことを知ってる。それは誰かから教えてもらったことだから。もうどうでもいい。とくに。あなたなんかは。それでいいから。だから。返そうとおもったんだ。言葉のほかで受け取ったものも。言葉も。そろそろだろう。起ち上がる。朝は来たが。朝焼けはみえない。老いた羊の群れのような雲が現れ。間の抜けたスロー再生で雨を降らせる。長いあいだ。女は砂に頬をつけて横たわっていた。 落ちた泥まみれ手首を唇にあてようとして。やめる。冷たい鉄が重く。冷たい。誰かが叫んでいるけど。わざと振り返らないで。進む。いまさらやっと海の匂いがする。灰色の海の光と闇の段々がさね。水平線のはるか遠く。白と青があざやかに手をつないでみえるのは幻想だね。風が朝から逃げていきざま、彼の長い前髪を開け放つ。緑灰色の泡立ち。僕の頭のなかで水滴が水面を打って水紋をつくる。体を捨てたあとの腕の温感。少しだけの眩しさ。なぜ光っている?どこが?海。海。海。と口当たりのいい言葉で。暁で空にかえっていくはずだから。望まれない冷たさと角度で。朝焼けはやってくるから。


棄教。遠足。

  コーリャ

たぶん始めに言葉も行いもあったから、僕たちは踊る。祖母はすこし丸いお腹にたくさんの宝石をつめて死んだ。むしろ僕は悪い宝石のためにお花をささげます。夕空だってきっと、その日は僕らを覆うこともせず、 鳥もカンガルーも厳粛です。地図のここと、人差し指であなたは、僕らを定め、いままでなににも捧げなかった薬指で、私はここ、と鼻の頭をゆび指しました。

右耳のイヤホンからあなたの声。左耳のイヤホンからだれかのお腹が凹んでいく音。どちらもわけ切れない。空色の道路。天気雨のトンネル。やがて僕ら朝霧に溶けて。空の姿見で化粧する海。あるいは望まれない浅い朝。すべてがガスからできた街。遠く、ガラスの海嘯。がらがらと崩れるみたいに景色はすすむ。暁と夕暮れはべつべつの双生児。そして街!文明を僕に光らせてね。メリーゴーランドの馬賊だ。コンクリートにゆっくり沈没するビル群の橙色。地雷を踏んだら虹色につつまれちゃうんですね。虹が沈殿。夜が自作自演した、ちがう夜。財宝。銀貨を噛み砕く野良犬。NPCな人々。本当にいきているの?神様がインストールされてないのだ。まるで不機嫌にうつむいて、ワン、ツー、ワン、ツー、足踏みして、どこにもいけない、いかない二進法。カーテンのように、祀られる神殿の。

振り返らないやさしさ。怒りをこめない雄々しさ。そして僕たちの諍い。逆しまの季節に語られる言葉は、みんな数学の問題みたいに分からない。 なにもないことが本当にあるなら。それはそれで素敵だから、ポカラの湖のことを最後に語らせてください。コップに水をいれます。(なるべく澄明に)ビー玉を落とします。カタン、と底に落ちたときにする音。それであなたの眠りが始まる。あなたは夢をみている。汀に座るあなたが考えることは、湖なんてそもそもなかったこと。古い光が根絶やしにされたら。それはただの大きな穴ではない、間歇ではない、空虚ですらない、火山湖でもない、精霊なんかいない。あなたしかいない。生きる、あるいは生きてないぼくらしかいない。めのまえの闇。静寂の発音。透明すぎる水。裸足の絶望。花の香りが散華するのをまって。心音が定まるのをまって。あなたはおもむろに棄教した。もうすべてがどうでもよくて、その時はなんでもなかったくせに、なぜかそのことばかり思い出しながら。そして、野原に歩いて帰るとき、あの遠方から、あなたに目配せする風車にむかおうとするとき、そしてあなたが目覚めるとき、言葉があったか、それとも行いがあったか、豪奢な光に瞼をけしかけられるとき、はじめて唇をひらくとき、それはまったく、あなたが贈る、祝詞しだいだ。


世界の終わり

  コーリャ


弟のプリンを冷蔵庫から盗む。鳥の名前にやたら詳しい。血液型が気になる。勉強ができない。(世界の終わり)

遅刻する。早退する。ブッチする。君に会いにいく。電車のドアが目の前で閉まる。(世界の終わり)

「蟻の巣にさ」「うん」「溶かしたアルミニウムを流し込むのね」「えげつな」「でも、キレイなんだよ」「うん」「ビルの化石みたいでさ」「うん」沈黙が実はキライじゃなかったりする。(世界の終わり)

蝶を原に放つ。シマウマを塗り絵にする。月光が自販機に落ちてる。天使についての歌を口ずさむ。(世界の終わり)

カブトムシになりたかった。船乗りになりたかった。通訳になりたかった。 詩人になりたかった。(世界の終わり)

ビッチのあの娘はカポーティを借りパクした。「遠い声、遠い部屋」(世界の終わり)

光る。回る。自転車のスポークス。坂道をくだる。先月の移動遊園地のポスターをはがす。(世界の終わり)

決まって深夜に出発する。助手席にカバンを置く。なにも終わらない。なにも始まらない。環状の橋を越えつづける。朝にはまだ時間がある。タイムスリップしちゃいそうな。濃い霧の先。(世界の終わり)

いつもの散歩道に花が咲いてた。(世界の終わり)

流れ星はあまり見たことがない。どこからか懐かしい匂いがする。振りかえる。シーンとしてる。フードをかぶる。冷蔵庫の扉はパタリと閉める。(世界の終わり)


青空

  コーリャ


*

ミサイルかな?と思ったけど、青リンゴだった。天気予報は嘘をついた。預言者も嘘をついた。みんな嘘をつきすぎて、こんな結末は幸福なんだ、なんて言ってた。空から、バラバラと、降ってくる青リンゴは、すこし跳ねたあとに、破裂して、青い炎が発火して、青い草原に、青い野火がひろがり、天気予報士は真っ青になり、預言者は青空に逃げ去り、青リンゴは降りつづけたので、ぼくたちの瞳は青く染まり、青い炎はどんどん燃え盛って、ぼくたちの瞳は真っ青になって、ぼくたちは、動物も、植物も滅びた。たとえば、白鳥たちは群れで横たわりながら、自分たちの白さを呪っていたが、青リンゴはそれでも降りつづけて、地球はさらに青くなってしまった。ひどく甘くもなってしまった。赤はなくなってしまった。やがて赤くない色も、青だけを残してすべてなくなり、ぼくたちは、青リンゴと等しくなりながら、ひどく甘くなりながら、どこまでも青に浸されていった。最後まで戦って、死のう、という雄々しさまでも、青く、青くなってしまい、それは、最後まで戦ったあとは、アップルパイを焼こう、というふうに、ひどく甘くもなってしまうのだった。


*

「絶望から逃げろ。」お祖父さんは[一の駅]を過ぎたとき、そう言った。車窓の外で、交戦状態にある風の連隊が花の敵機を撃墜していく。「雲の上には神様がいる。誰かが死ぬと宴会をする。だから雨は酒だ。神様たちの口からこぼれる、パンの滓は、雪。と呼ばれるし。酒盃からあやまって零れる数滴の酒のことを。雨と呼ぶのだ。」雹は唾だそうだった。[二の駅]を過ぎたとき、お祖父さんは眠ってしまった。まるで、音楽に聞き惚れるみたいに、ゆっくり、ゆっくりと、頷いていた。車窓の外で、水平線がそれとない曲線で広がり、その3分の1くらいのところで、帆をめいっぱい膨らませた船が、とかしすぎた水彩絵の具の色をしながら、画面の奥に消えていった。[三の駅]を過ぎたとき、お祖父さんはガラス瓶になってしまっていた。その中に紙片が入っていて、それを取り出す。「愛から逃げろ。」列車はトンネルに入っていった。トンネルを抜けたら、青空だった。[四の駅]を過ぎた。[五の駅]を過ぎて、[六の駅]を過ぎて、[七の駅]を過ぎたのに、ぜんぶ青空だった。


*

万策は尽きた。敵の大群はもう眼前にせまっているのだ。しなやかな四肢を猛らせる彼らは、美しい刺青をくっきりと浮かびあがらせている。ぼくたちは武装を解いて芝生に仰向けで寝転がり、殺戮がはじまるのを待った。空は冗談のように青くて、雲も、ベースボールも飛んでなかった。さっきまで、おとぎ話にでてくる、生きている怪物の森のように、たくさんの軍旗が賑々しく林立しているばかりだったが、いまはすこしづつ、歌が聴こえるようになっていた。その歌の詞は意味を保てずに、和音に溶けてしまい、やがて聴こえる軍靴のタップダンスが、調子をすこしづつ軽快にしていった。そろそろ始まるのだろう。まずは弓矢だ。あなたたちは、青空に狙いをつけながら、弓弦をめいっぱい引き絞る。歌も。仲間も。呼吸もなくなったときに。あなたたちは矢を放つ。矢の群れは跳ね上がって、青空のいちばん高いところで、いちどだけ翻り、新しい色を思いついた順から、雨として、ぼくたちに降り注ぐだろう。そしてひとり、ひとり、と、ぼくたちは雨に打たれて、終戦していく。雨粒がぼくたちを貫き、その鮮血が舞うとき、世界は赤という色を思い出し。意趣を凝らした羽根のさまざまな色が、本当の色を思い出しながら滑空し。敵兵は声を上げ突撃する。つややかな毛並みの馬群が、虹色のアーチをくぐりぬけ、鋭い剣をふるって、その度、ぼくたちの鮮血が吹き出て、ちいさな虹がいくつも吹き出て、世界は色という色をそのときだけ思い出しながら、ぼくたちと、あなたたちと、虹と、青と、等しいものになりながら、焼きあがったアップルパイのする、ひどい甘さを(空、光がどんどん光量を上げて)ぼくたちは思い出していた。


走れ私

  コーリャ

私は歓喜した。私は恋愛がわからぬ。私は非リアである。詩を書き、文学を読んで暮らしてきた。私は硬派である。コーヒーはブラックしか飲まない。そんな私が女子から一粒のチョコをもらった。オリゴ糖入りで頭がすっきりするという。口に含んだら甘やかに溶けていった。頭がすっきりした後、私はうれしがっていて、あまつさえ女子のことがすきだ、と気づいた。私は深く恥じ入った。

どうもさいきん頭がすっきりしないので、件のチョコを購うためにampmに入った。似たパッケージが陳列されているなか、そのチョコは売られていない。それから、セブンイレブン。ポプラ。デイリーヤマザキ。二件目のセブンイレブン。サンクス。そして二件目のサンクス。どこにも売られていない。私は疲弊してきた。頭がどんどんすっきりしなくなってきた。ならば、と思って、イオンに行った。見当たらない。けばけばしい極彩色の製菓が虹の光線で私の目を刺す。担当者にたずねると、静かに首を横にふり、私はこの道に入って長いが、そんなものはきいたことがない、と言われた。実在しているのか?とすら言われた。実在しているのか?だと。頭がどんどん甘やかになって、すっきりしなくなってきた。

オリゴ糖入りのチョコはどこに売っているのか?女子にメールをしようとおもってiPhoneを取りだす。日付けが目に入る。2/14である。ヴァレンタイン……。頭が甘やかになり、くらくらしはじめ、私はなにかに恥じ入った。連絡先をスクロールするが、女子の名前が思いだせない。さ、し、し、し、女子、違う、し、す、せ、せ、せ、聖ヴァレンタイン、違う。iPhoneをしまう。頭が疲弊してきた。実在しているのか?だと。違う。チョコだ。私はサンクスに駆けこむ。虹色の製菓が笑いさざめていている。実在しているのか?違う。iPhoneを取り出す、さ、し、し、実在しているのか?違う。頭がもっと甘やかになる。甘やかになった頭のなかで製菓担当が首を横にふりつづける。セブンイレブン。ポプラ。聖ヴァレンタイン。メールだ。違う。実在しているのか。ポプラなんか実在しているのか。違う。iPhoneをしまう。そうだ、チョコだ。そうだ、メールだ。iPhoneを取りだす。さ、し、女子。違う。さ、し、す、す、す、すき。違う。さ、し、す、す、すき、すっきりしたい。違う。頭が。虹が溶けていった。違う。さ、し、す、せ、そ、そうだ。チョコだ。チョコが女子なのだ。製菓担当が首をよこにふる。違う。チョコの実在をたずねるのだ。そうなのか?私は首を横にふり、スクロールする。さ、三件目のサンクスに駆け込む。さ、し、し、し、女子。違う。さ、し、す、す、せ、せ、せ、セックス。違う。違う。違う。私は純粋だ。私は硬派だ。私は聖ヴァレンタインだ。違う。私はサンクスだ。違う!私はなにをしているのだ。わたしは、わたしは、わたし。わたし、し、す、す、せ、製菓。そうだ。製菓コーナーだ。さ、し、す、せ、せ、聖歌コーナーで、チョコたちが歌をうたっている。虹色の光線のなかでチョコたちが。虹の歌。そうだ。チョコ。あ、チョコ、チョコ、チョコ、あ。あ、あ、あ、実在し、し、し、ていた。うれしい!うれしい!チョコたちが歌をうたっている。実在していた。私は実在しながら虹色の歌をチョコたちと共にうたいはじめた。

オリゴ糖入りチョコを購い。その場でパッケージを破る。一粒、口に含む。甘やかに溶けて、だいぶ頭がすっきりした。レジ待ちの客が訝しげにこちらをみている。あ、違います、違うんです。私は硬派なんです。と私は言う。レジの担当者が、いいからはやく帰ってください。と私に言い放つ。私は深く恥じ入った。

ちなみに、その後、メールは一通もこない。連絡先も見当たらない。女子は聖歌コーナーで虹色の歌をうたっているのだろうか?そして私の頭のなかでは、聖ヴァレンタインが静かに首を横にふりつづけている。


Tokyo

  コーリャ

Tokyo
かなしさをないまぜにするひとたち
あなたがいちばん卑怯だとしらせてくれる街
どうしても伝わらなかったことばが
ひかりの花弁になって
舞う町
あなたの生をふむステップが
無視されるところ

命を削っても
祈りを抉っても
別れていくひとびとに
Tokyo
ごらん、あなたのやさしさが
あなたにしか知られず
咲き誇って
枯れる

燃やされる
あなたの打算が
かいでごらん
あなたの体臭の
あなたの汗が
どんなふうに
ひとの汗にまじって
どんな匂いがするのかを
かいでごらん

そして、地下鉄の
副都心線の
おたがいのやさしさをもちよって
つり革にもたれかかってる
夜さ
どこまでも
Tokyo
あたまの悪いやつらの
天啓に
あなたが
教えられながら
Tokyo
改行ばかりの
Tokyo
Tokyo

いちばんすなおになれたときに
鳴っている音楽の
ヘッドホンの
声の
声の
声よ


anaesthesia

  コーリャ

その日、境内に行くと、村の子供たちが群がってなにかを覗きこんでいた。駆けて近づくと、ひとりが振り向き、見てみろよ、と言って、身を逸らしてくれて、大きな鼎が見えた。翡翠色のドロリとした液体が張ってあり、底にはなにかの樹の大きな枝が折って重ねてある。小さなあぶくがすこしづつのぼっている。これなに?と僕が訊ねると、しぃっ、とたしなめられる。あっ、と誰かが言って、ほら、咲くよ。と誰かが言った。枝に実がゆっくりと結んで、花が咲いた。うわあ、と誰かが言って、あぶくがいっせいに吹いてでてきて、ああ、と誰かが言って、ああ、と誰かも言った。花は開きながらそのまま散って、ゆっくりとあがりながら、花弁をひとつづつ、手放して、水面にあがるころには、光になったから、僕はゆっくりと手をのべて、水をすくった。

その日、境内に行くと、村の子供たちが群がってなにかを覗きこんでいた。駆けて近づくと、ひとりが振り向き、見てみろよ、と言って、身を逸らしてくれて、大きな鼎が見えた。翡翠色のドロリとした液体が張ってあり、底には子供のころの僕が両掌をもがれて座っている。口許から小さなあぶくがすこしづつのぼっている。これなに?と誰かが訊ねると、しぃっ、とたしなめられる。あっ、と誰かが言って、ほら、咲くよ。と誰かが言った。手首に実がゆっくりと結んで、指が咲いた。うわあ、と誰かが言って、鼎のなかの僕も、うわあ、と言ってしまって、あぶくがいっせいに吹いてでてきて、ああ、と誰かが言って、ああ、と僕も言った。掌は開きながらそのまま散って、ゆっくりとあがりながら、指をひとつづつ、手放して、水面にあがるころには、光になって、僕はゆっくりと手をのべて、水をすくった。


永遠の浅瀬

  コーリャ

男の子は
女の子と
このまま
永遠の浅瀬に
寝転がっていたいとおもった

ピンク色の夕焼けが
水平線のさきで
水槽にいれられた

ヒレのように足を水面にうつ
転がって泥を浴びる
そしてふりむけば女の子がいる

男の子は
女の子と
永遠の浅瀬に
寝転がっていたいとおもった


メイビーグレイ

  コーリャ

さいきん煙が紫にみえてきたんだ
だから俺は奴らに訊くのさ
What's the colour of smoke?
奴らは言う
White, White, White, White, Maybe Gray


今、撃つ

  コーリャ

俺がバリケードを直していると
「撃て!」
とサムが叫ぶ
ウェスティーも叫ぶ
「後ろだ!」
振り向こうとすると
閃光と銃声
ウェスティーの放った弾丸が
ゾンビの頭をぶち抜いて
どうやら俺は助かったようだ
「ついてくんだぜ」
とウェスティーが言う
「おい、シド、走れ」
とサムが言う
俺は走る
ためらいを殺さなければならない
ゾンビは暗がりから
背中を狙っている
だから走れ
そして撃つのだ
俺達はとにかく生きねばならないのだ

「壁が光ってるだろ?その下に武器があるぞ」
とウェスティーが言う
「どんなだ?」
と俺が言う
「とにかく開けてることだ」
とサムが言う
箱の蓋が天井開きになって
SFアニメじみた大砲が
発光しながら浮かびあがってきた
「ヒュー、それはゼウスの筒だぜ」
とウェスティーが言う
「賢く使うんだな、さ、次は外にでるぞ」
とサムが言う

BOOM!BOOM!
はははみろよ奴ら木の葉のように飛んでいく
「まずいシド、離れすぎている、再集結するぞ」
たしかに奴らは増えてきたが
BOOM!
これさえあれば
BOOM!
BOOM!BOOM!BOOM!
ははは
「シド、危ないぞ!」
ゾンビの腕が伸びて
俺を殴打する
青空が逆さまになって
俺は地に倒れた
「やられたのか!」
サムが叫ぶ
「だから離れすぎていると、救護が間に合うかどうか……」
ウェスティーが走る

気づいたときにはいつも手遅れなのだ
あのとき
ああすればよかったと思ったときから
すべて手遅れになりつつある
世界が
一色ずつ
剥落させていく
俺は
銃を握り
せめてひとりでも道連れにしようと
震える引き金をひく
ウェスティーが目の前で転がっている
ああ、灰色になっていく
いや、考えるな
すべてが手遅れになる前に
撃て、
撃て

「ファァック!12ラウンドしか行けなかったじゃねえか!」
ウェスティーがPS4のコントローラーをカウチに投げる
「ユーサック、シド」
サムがタバコを取り出す
俺は笑いながら頷いて席をたつ
「また明日な、友よ」
ウェスティーがウィンクする
サムの後について
玄関まで出て
タバコに火をつける
「そうか明日も働いてるのか」
とサムが言う
「9時から、17時まで、機械のようにね」
「そうだな、やることをやるだけだ」
サムは星をみていた
そしてタバコを茂みに捨てて
「じゃあまた明日、仕事場でな」
と笑った
「うん、また」
俺は家に帰った


越冬

  Kolya

越冬のことはなにもいえない
あれから僕の身体には青空が広がっていて
雲もない
なにもない

誰にもなにも
いいたくなくなってから
人の言葉が
まるで湖のようにきこえる
僕は両手を
いっぱいに広げて
湖面すれすれを横切るすがら
青空がまた広がっていくのをかんじる
そして僕ははなすというよりうたう
意味というより音のために

青空の高いところでは
強い風がふいて
僕は両手いっぱいに広げて
バランスをとる
減速し
翻り
加速する
加速するたび
僕の中で青空が広がる
そして僕は加速して
なにもいえなくなり
なにもきこえなくなる


地獄に雪が降っている そして俺は踊りだす

  Kolya

地獄に雪が
降っている
地獄に雪が
降っている
そして俺は踊りだす
すると

雪が
天に
降っていく
雪が
天に
降っていく
すると
俺は
踊りだす

俺に踊りが
降ってくる
地獄の雪に
降っていく
地獄の雪に
降っていく

すると
天が
降ってくる
すると
雪が
踊りだす
俺は地獄に降っていく
俺は地獄に降っていく

地獄の雪が
踊りだす
すると俺は降っていく

俺が天に降っていく

踊りが地獄に降っていく

俺は地獄に降っていく
俺は地獄に降っていく

地獄に雪が
降ってくる
地獄に雪が
降ってくる
すると

俺は
踊りだす

地獄に雪が
降っている
地獄に雪が
降っている
そして俺は踊りだす


ポカラ

  Kolya

そして夢から醒める。ひどく蒸し暑い。ファンは回っている。外は風が死んでいる。上等な部屋だが、エアコンは無い。夜のポカラは闇に沈んでいる。俺はベッドから出る。昼間見た、湖に行こうと思った。外は暗い。光が、無い。なるべく気をつけて、メインストリートのほうに出る。人はいない、と思う。確か、こっちのほうだと歩いていくと、前の方になにか、とてつもなく大きなものが横たわっている、そんな気がした。近づくと、どんどんそれが大きくなり、視界にもうはいりきらないくらいだ、と思ったとき、それが湖だと気づいた。ガードレールを挟んで、目の前に立つと、それは完璧に凪いでいて、だんだん目が慣れているのに、そこだけとてもとても暗く、黒くて、まるで大きな穴に思えた。それはなにもみえないほど底深く、すべてを飲み込むほど大きい。俺はその穴のことをよく思い出す。それはこんな風に。とてつもなく大きい。とてつもなく大きい。穴に行こうと思った。光が、無い。光は、無い。闇は上等なベッドから出る。外は死んでいる。とてつもなく、昼間見た風は死んでいる。そんな気がした。それはなにもみえないほど底が深く、すべてを飲み込むほど大きい気がした。穴だけとても暗く、黒く、光が、無い。光が、無い。光が、無い。すべてを飲み込むほど、横たわっている、どんどん大きくなる。ひどく大きくなる。だんだん目が凪いでいるのに、光が無い。闇だ。死んでいる。大きい。大きい。底が深く、とても暗く、黒くて、横たわっている。それが湖だと気づいた。それはなにもみえないほど底深く、すべてを飲み込むほど大きい。俺はその穴のことをよく思い出す。それはこんな風に。蒸し暑い闇は、底が深く、死んでいる。人と光は、前の方に沈んでいる。とても上等で、風が暗くて、黒くて、光が、無い。死んでいる風を飲み込む。歩いていくと、ひどく大きくなる。人がいない昼間と夜が、前の方に歩いていくと、ガードレールを挟んで、横たわる。ひどく暗くて、暗くて、暗くて。すべては飲み込まれている。ファンを飲み込み、湖を飲み込み、ポカラを飲み込み、俺を飲み込む。死んでいるを飲み込む。それはこんな風に。そして夢から醒める。ひどく蒸し暑い。ファンが回っている。俺はその穴のことをよく思い出す。それはこんな風に。それはこんな風に。それはこんな風に。


明暗

  Kolya

鴨居港は南に向いて、あちら側にはとりあえずは空のように果てしない海で、光だけが群れて棲んだ。近辺に友達がいて、一軒家をシェアした。

友達がある日、夢をみた。なんでも眩しい海岸にいたそうだ。なにかキラキラするものがたくさん埋まっているなと思うと、黄金の観音像だった。
俺はその光景を見に、よく海に向かったが、あるのは言葉にすらされない宗教的な閑散だけだった。
俺はたぶん絶望していた。男や、女、街、家族、国、祖母のこと……。
地獄はどこか別の次元にあるわけではなく、いつでもそこにあったことに気づいた。

海を見つめていると、心に踊り手が現れて、節を付けて踊った。
ときにちぎれるほど激しく。ときに止まったように静かに。
俺はそれを見つめていた。

浦賀は黒船がやってきたところだが、ゴジラが初めて上陸したところもそうなので、京急線の始発はゴジラのテーマが流れる。
ゴジラ、ゴジラがやってきた。そんな歌詞が思い浮かんだが、本当にそんなものがあるかは分からない。
電車のドアが閉まる。これから、鵺のような街に行く。
街の内臓は光の塔だった。人は贄で光だった。
俺はゴジラがやってくればいいな。と思った。

ゴジラが海からやってくる。
ひとびとは逃げ惑い、街とただの燃料になって。
夕焼けと混じって、世界は黄金と結婚する。

祖母が死んで、(俺はゆっくりと目を瞑り、)心の踊り手がとまった。
(死んだ踊り手をみつめた。)


神学

  Kolya

神様に全部返すつもりだった。僕が持ちうる世界のすべてを。だから紙飛行機を折ったし、賛美歌もつくった。ほら、あそこに見える、遊園地の廃墟は、神殿のつもりだった。たくさんの精霊が凍ったままの表情で暗がりにたっている。いずれ宝石になる虫たちが、光のない街灯に群れている。電車はいつまでも走り続けるし、線路は果てない。それなのに誰も乗っていない。デパートのマネキンたちは、紳士服売り場と、婦人服の売り場の、中間の踊り場で待ち合わせして、つぎつぎとサマーソルトでフェンスを越えていく。つま先が月を擦って弧を描く。人びとはみんな記憶になって、閲歴だけが透明になって、ウィンドウショッピングしていた。どこかで笑い声がきこえた。振り向くと、たくさんの子どもたちが、僕の身体をすり抜けていった。

言葉はだんだん空に盗られていった。もうすぐ僕も何も言えなくなり。何も聞こえなくなるだろう。そうすれば、きっと全部奪われ、僕は動物になり、どこまでも駆けていけるだろうから。その時が来るのはいつだろうか。世界が滅んだのに、雪が降るなんておかしな話だ。いくつかの透明人間たちがそれを見上げる。そして、すこし手をかざしたあと、またどこかに向かう。マンションからはTVの音が聴こえる。言葉がもうすくないので日がな波音を放送している。

駅前からもってきた自転車に乗る。下り坂を全速力で漕ぐ。ペダルが空転して、ああ苦しい、僕は笑う。賛美歌は口笛にしたんだ。そしたら鳥になっても歌えるからね。


2010年を、すくうため

  Kolya

空からあなたの好きな花びらが降ってくるような
とりとめのない季節から潮騒がきこえています
ぼくは元気です
あなたは元気ですか
あしたは天気ですか
小鳥の話をしましょう
もう飛べずに
路地裏で溶けるように
雨にうたれる
小鳥の話を

この前
2016年の女と会いました
美容のためと
かの女はこの2日絶食しているらしく
口にできるものは2リットルの黄色の飲料と
空のように透明なスパークリングウォーターのみで
口にするのはわたしはギャルじゃないしという主張であり
なぜか線香灰の色に染髪した
魔女のような格好をした女でした
ヨガを本気でやってるそうでした
ぼくは笑いました
そしてなにかを思い出しました
2010年の女をあなたは思い出しますか
2010年の友達をあなたは思い出しますか
あしたは天気です
ぼくは元気です
あなたは元気ですか
あしたは天気です

さよならはこのよのどこに咲くでしょう
あしたは天気です
2010年は死にました
路地裏でした
雨にうたれました
彼らは二度と戻りません
さよならはそんなところに咲くでしょう
でもそれだって潮騒になり
あしたは天気です
彼らは死にました
そしてあなたも雨にうたれますか
ぼくは元気です
あしたは天気です
ぼくは元気です
あなたは元気ですか
ぼくは元気です
とりとめない潮騒の季節の空から
あなたの好きな花びらが降ってくるような
天気はあしたです


空言

  Kolya

川に行こうと、誘った。
男は疲れていた。
もう終わりだろうと、いうことは分かっていた。
女は頷いた。
知らない街は、古い色紙で継いだみたいに寂れている。
疎らな人の行き交い。湿気に煙った商店街。ゆるく手をつないだ女に、男は語り始める。
「過去の数度の大戦で、地球の総人口は最盛期の10%にまで減った」

女は不思議そうに男をみていたが、薄く、頷いた。
男たちは、途中のセブンでお茶とコーヒーゼリー、アイスクリームをひとつずつ買って、また川へと歩き出す。
さびれた路地を抜けると土手に出る。
広い河川敷。
薄曇りの空は透明な晩夏のフィルターを重ね、そのままなくなってしまいそうな色をしている。
男が「広いね」と言うと、
女は「うん」と言う。
ゴウンゴウンと鉄球が転がるような音がする。
すぐ頭上に渡されている高架では赤色の電車が走っている。
それ以外では遠くから微かな蝉の声。広場の脇にある公園の、なんの役にたつとも思えない遊具では、少年誌が仰向けになっている。
舗装されていない道。背の低い灌木。藪。飛び出すひとり猫。
「右手の方の野球場に行こう」
水の気配はするけど、川面はまだ望めない。

平日の昼間。
いくつか隣接している野球場にはプレイヤーの姿はひとりもなく、陽炎が忘れていった野球の玉が転がっている。
それを拾う。
「前世紀の遺物だ。
ここは、ヤキュウ、と呼ばれる球技専用のコロッセオの遺跡だ」
男は硬式の野球ボールを宙に投げる。
キャッチ。
投げる。
球は空中で宙返りし、陽光を一閃、照り返し、落下。
キャッチ。投げる。リフレクション。キャッチ。
女はそれを無表情にみている。
男は語り続ける。
「なんでも旧時代のひとびとは、この球を投げ、棒でひっぱたき、追いかけまわし、叫び、喜んだり、悲しんだりしていたそうだよ」
「野蛮なものね」と女が言う。
男は笑う。
「その野蛮人の巧者に、イチロー、という名の者がいたそうだ。
伝説いわく、彼の全盛期には、棒をスイングしただけでハリケーンを起こし、
投げる球はレーザービームと呼称されるほどの破壊力を持ち、地球の地表程度なら軽々と破砕したそうだ。
オデュッセウスが如き英雄だ」
「聞いたことがある、イチロー・スズキ。
プリインストールされた私のオリジナルの記憶データに残っている」
女のほうもだいぶ興が乗ってきたようだ。

キャッチボールをする。
すこししたら飽きる。
球場のベンチに腰掛けて、ぬるくなったゼリーと、スープになってしまったアイスを匙ですくう。
対岸に並ぶ高いビル群。
遠くの土手で自転車を漕いでいく中年。
見渡せるものはどれも作り物でミニチュアのようにみえた。
「ごらん彼岸の街を。
あちらが人間の街だ。
こちらは偽物の街。
いまではアジア連邦のひとつの省でしかない、この日本という地は、大戦中、一貫したナショナリズムとゆくりなく結合した全体主義を、半ば国民の本来の性向に則する形で体現した。
人びとは心を失い。
挙句、ほとんどが死に絶え、あるいはサイボーグ化、デジタル化した。
にもかかわらず情報技術の先鋭化の粋である社会コンピューターのOSの優位性は皮肉にも未だに証明されている。
これでも海の向こうに比べればまだ幸せ、だそうだ」
男は偶然に通った京急線の鈍行列車を指さす。
「人が乗っているだろう。
しかし彼岸の街とこちらの街をこれだけ頻繁に行き交う車両には、生者はおそらく、ひとり乗っていればいいくらいなもので、
乗客に見えるものどもは幽霊という名の立体ホログラム、AIによる人型ロボット、そんなものたちばかりだ。
生身をまだ保っているオリジナルな人間たちは、あちらの高層ビル。
無論あれもデジタル影像の照射に過ぎないが、本当は地下ドームのシェルターにいまだ篭っている。
システムだけがゆくりなく稼働しつづけているが、それから益をうけるものは誰もいない。
それらの存在理由は欠落している。
それだけがエラーを起こしつづけている。
ただしそのビープ音は誰にも聞かれることはない。
ここは、」
男と女は広場をなにげなく見渡す。
「誰もいない」

煙草に火を点けると、咎めるように女が男を見ている。
「前時代的な嗜好ね」
「うん。俺たちはクローンだが、オリジナルのすべてが定量化した後にトランジットしてある。
身体的データ、個人的経験、そして、もちろんこういった日常の習慣もダウンロード項目から除外されるものではない」
女は顔をしかめて、すこし離れた水飲み場まで歩いていく。
男は煙草の煙を眺める。
蝉の声が定量的に、まるで録音されたもののように、飽きもせず、ワンリピートされる。
煙草をもみ消し、女のほうに向かう。
女は手を丹念に洗い終わって、男の側に寄ってから「やっ」と指先の水しぶきを男の鼻めがけて弾く。
「冷てー」と言うと、女はやっと笑う。
男は駆けて、蛇口をひねり、手を洗うふりをしてから、女のほうに戻って、同じように水を弾きとばす、女は逃げる。
男は追う。
わっと女を捕まえる。
不思議だ、ぜんぶ偽物なのに。
と男は思った。
顔と顔を近づけようとするが、女は避ける。
「忘れたの。もうそんなことはできない。すべてが監視下にあるの。もし私達が禁を犯せば、この世界は崩落するわ」
と女は言った。

そしてなにも定量的でない夕暮れ。
SFごっこのネタも付きて、沈黙していた。
かいた汗も乾いて、男と女は川岸にたっていた。
向こう側に林立する死者たちのビルのいくつかは、
すでに儀式的に崩壊し、
紫の火炎につつまれ、
音のない仮想のエラー音があてもなく広い空に延焼していく。
川は黄金色をしていた。
ぜんぶデタラメだと、思った。
デタラメになってしまったのだった。


光色のコークレッスン

  Kolya

もう何も書くことがなくなってしまった。と書いたら。書くことが始まる。書くことは終わらない。書くことは続いていく。たとえば、君が思いうかべるいちばん青い青よりもすこしだけ青い、青空を想像してほしい。その青空はどこまでも続いていく。そしてその青空を、よく見れば、すこしずつ移り変わる青色のグラデーションで出来ている。その青の始まりや、終わりのことを考えてほしい。なにがいったい終わるんだろう?そして、なにがいったい始まるんだろう?その青のいちばん青いところから、白が始まる。たとえば、君がおもいうかべるいちばんの白い白よりも、すこしだけ白い、砂浜を想像してほしい。その砂浜はどこまでも続いていく。そして、よく見れば、ガラスで出来ている。とても小さく細かいので、よく分からないが、いつかこなごなにしてしまった思い出の欠片で出来ている。その、君がおもいうかべるいちばん白い砂浜よりもすこし白い砂浜と、君がおもいうかべるいちばん青い青空よりもすこし青い青空は、すこしずつ移り変わる、思い出のグラデーションで出来ている。なにがいったい始まるんだろう。そして、なにがいったい終わるんだろう。光はどこから来るんだろう。思い出の光のグラデーションがある。そして、今、ここに降る光のグラデーションがある。それは、今という、未来に向かう、グラデーションだ。未来と、さっきの海浜を想像してみてほしい。その光景のグラデーションで、今が出来ている。(今、テレビでは、クリケットのプレビューが流れている。ボールが高くあがる。カウチ脇の窓から、飛行機が果てしなく飛びさる音。誰かのFacecook-Messengerの着信音。もう一本、ただの煙草を吸って、探偵のように、飛び出すつもりだ。)未来にも、降る光のグラデーションがあるように、そして、それもいつか思い出のグラデーションになるように。今は、今が、思い出と、未来の、グラデーションになるのを見つめている。それは煙。それは団欒で、ひとくくりの日常だ。そして、それは終わらずに続いていく。そのグラデーションを見つめれば、光の欠片で、始まらない今で、終わらない今で、もうそれからは何も書くことがなくなってしまうような、さっきの海浜からゆくりなく続いていく、光あふれる光景だ。

文学極道

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