骨のない魚が窓の外を歩いている
靴がないと 振り返った
(がんじがらめの嘘が
ぺらり浮かんで消える)
この世で一番大きなワニが
捕食するその顎で 噛み砕くその前に
一息つかせておくれよと
飲み込むと喉が灼けるようで
目を白黒させた
胃を守るために美味しくいただくはずだった
フュメ・ド・ポワソン
には地獄が渦を巻いているそうで
震えて濁らせた
スープの澱がやがて
眼球の新鮮さを失うようで
わたくしは?
骨がないからどんな風にでも
折り曲げられる と言ったのは
だれか高名な生物学者だったか
「ガクジュツテキには
とブリーフをずりあげながら語る
(摩擦ではげた頭が赤い)
「ヒセキツイドウブツです
「ヒジョウにコウドな
「キワメてマレな
早すぎた熱放出を終えて
急速に冷めていく高名なアレなキトウが
咳払いする
「さしずめキミは
「ゼンドウドウブツです
「ウゴメクようでしたので
「もしかすると
「カンケイセイブツかもしれない
「千匹
「キミのセキニンだ
ティッシュに丸め込まれた
論議の終焉
意味のなかった祈祷と
添加される責任のアスパルテームの神殿が
飲み込めない
「しばらくチリョウのために
「ペニスのソウニュウをつづけます
「ケイカをみるため
「ツウインしなさい
それはどこか遠くの国の風習ですか
高名な生物学者は
高名なお医者様でもあったので
ごっこ遊びにぬかりはなかった
丁寧に小骨一本も残さぬように
指をならせば
丁寧にみつ折にされた
骨のない魚の密猟が
ウミウシのアメフラシ儀式を形作る
しってたかい
貝殻を体内にかついで
あのぬめぬめとした
さびしいイキモノは生きているんだぜ
「それはチガイます
「そもそもギョルイではありません
生臭いミルクが急速に乾燥して
塩分とミネラルとショ糖が
原始のスープキューブに
固められたトマトソース
ワニの背のゴツゴツしたウロコが
削っていくチーズの
こんがりと焼かれてしまうその前に
雨を降らせてこの火照りを冷まさなければ
魚は靴をはかない
まして長靴は はかない
水の中で無意味な靴は再生し
L・フェニルアラニン
のような強い甘味が
喉を灼くから
とてもとても薄い貝殻で
守らなきゃいけないものがある
貞節というのは時代錯誤なのか
骨のないわたくしが
いがらっぽく呼吸するので
誤解だらけの靴紐が結べない から
再生しワニに食べられるまで
気泡をぷくぷくと口のふちに
しろい粘膜上皮がふるると鳴いた
(あ
昇天
致しました)
大気圏の層の奥ひだから見下ろしたのだ
たっぷりのチーズをかけて
こんがり焼かれたラザニアの
帰れない山脈が背骨だというのならば
やはりわたくしは
骨のない魚に違いないと
ロッキーの拳骨がしたたかに
(がんじがらめの嘘が
陰毛と一緒に
喉に絡まる)
海洋生物が
進化と淘汰の
淫乱な交わりで
その欠陥が
補完されてさらにケッカンが
形成される
流動する
まるで性器みたいな
ゼンドウするインビなセイブツが
骨がないから何も言えない
わたくしを
めぬぬと陵辱していく
ワニの大きな顎が噛み砕く前に
たとえばそれが
薄汚れた落書きだらけの
駅のトイレの神殿に
いかにも恭しく供えられている
芯なしのペーパーのように
簡単に剥がされていく
オルガスムでも
水にながせよと
ばくんと
蓋を閉じた
最新情報
2013年03月分
【coreless。】
走れ私
私は歓喜した。私は恋愛がわからぬ。私は非リアである。詩を書き、文学を読んで暮らしてきた。私は硬派である。コーヒーはブラックしか飲まない。そんな私が女子から一粒のチョコをもらった。オリゴ糖入りで頭がすっきりするという。口に含んだら甘やかに溶けていった。頭がすっきりした後、私はうれしがっていて、あまつさえ女子のことがすきだ、と気づいた。私は深く恥じ入った。
どうもさいきん頭がすっきりしないので、件のチョコを購うためにampmに入った。似たパッケージが陳列されているなか、そのチョコは売られていない。それから、セブンイレブン。ポプラ。デイリーヤマザキ。二件目のセブンイレブン。サンクス。そして二件目のサンクス。どこにも売られていない。私は疲弊してきた。頭がどんどんすっきりしなくなってきた。ならば、と思って、イオンに行った。見当たらない。けばけばしい極彩色の製菓が虹の光線で私の目を刺す。担当者にたずねると、静かに首を横にふり、私はこの道に入って長いが、そんなものはきいたことがない、と言われた。実在しているのか?とすら言われた。実在しているのか?だと。頭がどんどん甘やかになって、すっきりしなくなってきた。
オリゴ糖入りのチョコはどこに売っているのか?女子にメールをしようとおもってiPhoneを取りだす。日付けが目に入る。2/14である。ヴァレンタイン……。頭が甘やかになり、くらくらしはじめ、私はなにかに恥じ入った。連絡先をスクロールするが、女子の名前が思いだせない。さ、し、し、し、女子、違う、し、す、せ、せ、せ、聖ヴァレンタイン、違う。iPhoneをしまう。頭が疲弊してきた。実在しているのか?だと。違う。チョコだ。私はサンクスに駆けこむ。虹色の製菓が笑いさざめていている。実在しているのか?違う。iPhoneを取り出す、さ、し、し、実在しているのか?違う。頭がもっと甘やかになる。甘やかになった頭のなかで製菓担当が首を横にふりつづける。セブンイレブン。ポプラ。聖ヴァレンタイン。メールだ。違う。実在しているのか。ポプラなんか実在しているのか。違う。iPhoneをしまう。そうだ、チョコだ。そうだ、メールだ。iPhoneを取りだす。さ、し、女子。違う。さ、し、す、す、す、すき。違う。さ、し、す、す、すき、すっきりしたい。違う。頭が。虹が溶けていった。違う。さ、し、す、せ、そ、そうだ。チョコだ。チョコが女子なのだ。製菓担当が首をよこにふる。違う。チョコの実在をたずねるのだ。そうなのか?私は首を横にふり、スクロールする。さ、三件目のサンクスに駆け込む。さ、し、し、し、女子。違う。さ、し、す、す、せ、せ、せ、セックス。違う。違う。違う。私は純粋だ。私は硬派だ。私は聖ヴァレンタインだ。違う。私はサンクスだ。違う!私はなにをしているのだ。わたしは、わたしは、わたし。わたし、し、す、す、せ、製菓。そうだ。製菓コーナーだ。さ、し、す、せ、せ、聖歌コーナーで、チョコたちが歌をうたっている。虹色の光線のなかでチョコたちが。虹の歌。そうだ。チョコ。あ、チョコ、チョコ、チョコ、あ。あ、あ、あ、実在し、し、し、ていた。うれしい!うれしい!チョコたちが歌をうたっている。実在していた。私は実在しながら虹色の歌をチョコたちと共にうたいはじめた。
オリゴ糖入りチョコを購い。その場でパッケージを破る。一粒、口に含む。甘やかに溶けて、だいぶ頭がすっきりした。レジ待ちの客が訝しげにこちらをみている。あ、違います、違うんです。私は硬派なんです。と私は言う。レジの担当者が、いいからはやく帰ってください。と私に言い放つ。私は深く恥じ入った。
ちなみに、その後、メールは一通もこない。連絡先も見当たらない。女子は聖歌コーナーで虹色の歌をうたっているのだろうか?そして私の頭のなかでは、聖ヴァレンタインが静かに首を横にふりつづけている。
静物の台座
彼女は石膏で、ものを置く台座を作るのだ
バナナだとか、オレンジ、ブドウ
静物画の題材となるような果物を置きたい、と言う
四肢のないトルソを更に切り詰めた、女性の下腹部だけの形
そんな格好をした台になるの、と
秘密だけれど
部屋の椅子に裸で座って
自分の性器をじっくり見たのね、鏡も使ったのよ
指で
開いたりつまんだり、色々とやってみて
一番ぐあいの良いところを作ってみることにしました
おへそのだいぶ下、腰椎の終わる辺り、そこから体が器になって
皿状の浅い凹面にものを載せるの
色々載せて試してみたいな
尿道口か、膣口から
香油のようなものが滲み出る仕掛けができれば
面白いけれど
そこまでやったら、さすがにあざといかな
要は体から分泌するものと
載せてあるもの、果物などの匂いが入り混じった幻臭を
みんなに感じさせられたら、それでいいんです
アトリエの窓に引かれた白いカーテンから
春の午後の光が溢れている
彼女は椅子から立ち上がって
僕の周囲を歩き回って見せた
私とモノが繋がっていることが大切
石膏の台座を誰かが見ている間も
こうして動いている私の性器は
ちょっとずつ形や湿り具合を変えながら
日常の流れの中で老いていく
変わらない石膏を通して
変わる私のことを、みんなが見ているのね
それ、
どう思いますか
そんなふうに聞かれて目を覗きこまれた
もちろん僕は困ってしまう
僕は椅子に掛けたままだから
正面に立ち止まった彼女の
腰の辺りが、丁度
目の高さになっている
現実の肉体は襞の深いスカートと
その下に重ねたロングパンツに隠れているが
ペニスの勃起を、どうしても
僕は止められない
ただし
もうすぐ二十五歳になって
何人かの男性経験を持つのに
男たちは誰一人、彼女の体にその痕跡を残さない
透明な影だけが、通り過ぎてはただ消えてゆく
その体
僕と彼女が肉体関係を結ぶことは
一〇〇パーセントあり得ない
彼女は僕を愛の対象として見ていないし
僕も、そこをどうかしようとは思わないからだ
なんと優雅な
孤独とは本来こんなふうに
優雅なものなんだ
ルソーのジャングルへ行きたいな
赤っぽい熱をはらんだジャングル
果物や動物たちがみっしり詰め込まれた土地
その中を私、ひとり川船に乗って流れるの
私の子宮はからっぽで
月に一度の血を落とすだけですけど
バナナやオレンジやブドウや
この世のものならぬ果実の甘さが
快感となって渦巻いています
気持ちよさに絶息して漏らしたおしっこが
たらたらと床を流れるような川
目をつむって横たわったまま
快楽の川をボートで下ると
岸辺では
黄金の猿が鳴くんですね
僕は立ち上がって
アトリエの窓辺に立った
カーテンを少し引いてみると
暮れかかった陽射しに
数本のサクラの木が枝を広げ
まだ固い蕾を光らせているのが見えた
庭の向こうにコンクリートの塀があり
その向こうは崖になっていて
遠い海の方角へ
この街の家並みが延々と続いている
僕の後ろには
作業台に乗った粘土像があり
陰唇の半ば開いた女性器が形になりつつある
その脇に彼女が立ち止まっているのがわかる
アップした髪のあたり
彼女の首筋の細い後れ毛は
今金色に輝いているのだろう
僕はそのまま目を閉じてみた
もう一度言うと
孤独とは
こんな優雅なものなのだ
僕にも
彼女にも
ふたつの終焉
1
美しいものは汚されるためにあるのです。隠されたものは暴かれるためにあるのです。邂逅のように、再会のように、死別のように、僕はどのような重力とともにでもこの映像の糧の中を泳がなければならなかった。歴史の埃によって彩られてあるために一層美しい、伝来の白磁が善人によって路上で割られた。それぞれの破片はとたんに険しく人を傷つけるものとなり、それまでの滑らかな形体を失い、雑踏と喧騒とあらゆる無関心によって研ぎ澄まされてすべての声を吸収した。少年であるということは、大地から生え出たままの内側であるということだ。美しくふさがった光の体に歴史の血液を引き込んで、本質的に何物も裂けたり欠けたりしないということだ。裏庭ではユズリハの勝気なたたずまいと冗長な葉が風景の局部にささやかな表現を燈していた。街路では友人と会う約束をしたのだが遅れそうになって速足で歩く主婦が子供への愛情と夫への愛情を混ぜ込んでしまった。大使館では外交官が他国の外交官に向かって国家の意思をその舌と声帯の湿り気の中に腐敗させていった。そのようないくつもの、いくつもの絡まり、つまり社会システムは僕の何もかもを見通していたが、僕にとって社会とは常に背後であった。気配を感じる場所、悪寒を感じる場所、ふと手を添えられる場所であって僕の宇宙を超えていた。その背後に忍び寄ってきて悪口雑言の限りをつくす壊れたブリキのおもちゃがあり、僕が振り向いてもすぐさま背後に回られるので僕は堂々巡りをしながら社会からやって来た奇妙な来訪者の悪口雑言をすべて却下したつもりでいた。しかしブリキのおもちゃはいつの間にか牛になりその黒い眼に満々たる憎しみを湛え、さらにはいつしか虎となりその体重で僕は大きく突き飛ばされた。僕の背後ではこのように社会がむくむくと黒い煙を吐いており、やっと僕は社会を振り返ることができた! だがその瞬間、舞台は劇場、振り向いた視界には満員の人たちがてんでに僕のことを嘲笑している、大笑いしている、嘲笑は釘となり僕の全身に打ち込まれ、嘲笑は鋏となり僕と人々との親愛の鎖を断ち切った。そうして愛は、包み込む無垢な仮想された愛は、僕の心の重量とともに死んだ。少年は少年である条件と権利と義務と背後を失った。もはや僕は美しくも秘められてもいなかった、すべてが貫通され吟味され貶められ、品評の対象となり、愛の盾などという盲目の装置は消え、貫通してくるものから防御するため自身の皮膚を新たな悪意の盾としなければならなかった。美しいものは汚していこう、隠されたものは暴いていこう……!
2
天界も地界も同じようなものだった。どこまでも収束しようとしていく漸近線からの接触を無限に拒絶するということ。水のかけらも光の房も風のとげも何もかも触れることができない、天上と地下の二つの絶対領域。僕はそこに住んでいたと同時に、そこへ無限に近づいても行った。完全な鉱石と完全な図形と完全な引力が、この人間の薄っぺらい生活空間の上下両方に螺旋を描いて、論理と倫理と権力のあでやかな立体を鋳造した。あらゆる細部、あらゆる差異、あらゆる表情を凌駕する形で、一つの単純な宝玉はその表面と裏面とを天上と地下で分かち合っていた。学問、文学、研究、芸術、道徳、そういったものは、細かな根付きと犀利な構造でもって生活から生え出たものであったが、僕はその優しい連結を観念的に断ち切って、それらを天上と地下の二つの絶対領域に熱と共に閉じ込めた。空虚だが態度と方向だけは豊かだったそのような日々を経て、僕はついに自ら生計を立てなければならなくなった。生計を立てるために、身体のあらゆる部位から鎖を放ち、身近なところからはるか遠くまで、透明なところから濁ったところまで、巻きつき絡みとり、逆に巻き付かれ絡み取られるのを敢行していった。それは、数限りない他者との対決と和睦とすれちがいであり、正確無比な社会との愛に満ちた抱擁であった。人間の生活空間は、僕がそれと対話するに従い、相対的な巨大さを増し、巨大な相対性を増し、僕の天上と地下とも感覚しあい相対化していった。天上にあった硬質な真理やとげだらけの善、吹きすさぶ美はそれぞれの根を暴かれ、生活の土壌に咲く花々となった。地下にあった膨大な憎しみや消えない傷、さびしい特権意識はそれぞれの頭蓋が透視され、生活の洗濯紐にぶら下がる柔らかい物資となった。絶対的なものはもはやどこにもなく、相対的なものを絶対視したという錯誤の苦い現実性だけが砂のように残った。夢や真理や憎しみや外傷よ、すべてにさようなら! 僕はこの際限なく広がる人間の生活のシステムの中をどこまでも分け入っていく食欲で十分希望に満ちている。
侘び住まい・冬の末
藪がさわぎ
川面がけばだち 雨風まじり
二日まえから 蜘蛛が棲みつく部屋で
女が 石の子宮に 掌をあてている
鉄橋を渡る貨物列車に耳をそばだて
風の方位を測り
レールの光を 壁になぞり
旅する
竹筒に一輪 侘助は伏し目がち
女が 下からしつこく覗きこむので
花弁は芯から赤らんで
たまさか 窓にさす薄日
畳を這う蜘蛛
色味のとぼしい唇
そろって微笑する
両手で湯呑を包み
背筋を伸ばし 正座している女の ひととき
壁が消え 一面 川の景
部屋が 上流に動いてやまない
雪の思想 裏面
雪のように、
やさしく、
溶けていく、
白い、思考の中で、
血のように、凍らない、
冷たい、思想が、
生まれて来る
この、二椀の、
雪が、早く雨に変わりますように、
と、祈る、声が、する、
そう、この土地では、
雪ですらも、砂にかわるのだから、
飲み込まれたばかりの、
家々から、漏れる、静けさも、
どこもかしこも、
浅いばかりで、
手は、ひび割れた、ばかり、
それを埋めるように、
砂が、混ざって、
赤くなるのを、
見ては、振り払う、
手の、
多さばかりが、
やっぱり、降る、
「凄く芸術的なあなたの尿道から」
とか、
とにかく、
「凄く、芸術的な」
なにか、が秘められているなら、
この、土地の、風土を、
今すぐ終わらせるような、
言葉をくれてやってほしい、
もし、「すごく文学的な」
でも、「すごく芸術的な」な
でも、なんでもかんでも、
「すごく」なさけない、
現実を、埋め合わせるためだけに、
降るような、雪なら、
早く溶けてしまえ、
そして、剥き出しの、
地面で、横たわった、
なさけない、体に、
優しく花が咲くのなら、
それを、微笑みながら
摘んであげる、
骨は、雪、で出来ているわけじゃないから、
この、寒さの中でも、
音がならない、
肺を、この土地の、
砂に、砂の混ざった、風に、
あった、肺を、
そして、声を、
探している、外では、
やっぱり、砂嵐が
続いていて、
その、向こうには、
歯並び、
の、悪い、一人の、
男でも、女でもいいから、
突っ立っていて、
風に飛ばされないように、
身をかがめながら、
何も考えていないなら
その人も、さらって行ってほしい、
これは、裏面だから、
何書いてもいいよね、
いいよね、って、
子供をあやすように、
遠くで、未だ、
終わっていない、
雨が降っても、
風がつよくても、
もう、思い出さない、
記憶だけが、あって、
それでも、皆生きている、
の、一言で、まとまるような、
冷たい、思想だけが、
風の中で、吹き荒れている、
冷たい、思想が、
体に宿っていくのを、
日に日に感じるよ、
誰もかれもが、
でも、あの、大雪の日だけは、
違ったみたいだよね、
皆、口ぐちに、あの、
日のことを語っていた、
あの、日、語った、言葉は、
あの日の、言葉でしかなくて、
今ここには、もうないんだよね、
そうかわかった、
だから、皆、冷たい思想の中で、
やっぱり、この、
二椀の雪が、早く、雨に変わるように、
祈っているんだね、
(おまへが たべる この ふたわんの ゆきに
わたくしは いま こころから いのる
どうか これが兜率(とそつ)の 天の食(じき)に 変わって
やがては おまへとみんなとに 聖い資糧を もたらすことを
わたくしの すべての さいはひを かけて ねがふ )
俺は、すべての、災いを、かけて、願うよ、
お前たちが食べる、この、二椀の、
雨が、この、土地の、砂を、
じべたに、はいつくばらせたまま、
もう二度と、舞い上がって、
僕らを、押し潰さないように、
飲み込まないように、
私は、今、こころから祈るよ、
(わたくしの すべての さいはひを かけて ねがふ )
今、詩を、書いている途中にも、揺れたよ、
動物たちが騒いでいる、
そして、すぐに、静かになる、
冷たい、砂のように、舞い上がって、
すぐに、消えてなくなる、
この風土にも、
あの、二椀の、雪にもられたはずの、
雪が降る、
それが、早く、雨に変わるように、
僕の、すべての、修羅よ、
雨を、呼べ、
砂も、雪も、
溶かして、消し去ってしまう、
雨を、
泥濘
弟が、壁に短い線を引いている。
それをくりかえしている。
何を書いているの、と訊ねる。
雨、と答える。
わたしは傘をさす。
テレビは激しい雨音。
大雨、洪水、注意報。
誰かが言った。
チャンネルを変える。
人が大口を開け、笑っている。
壁に向かう弟の手が、止まっている。
雨は止んだの?と訊ねる。
まだ、止んでいないよ。
傘の下で
弟の、冷たい足を撫でる。
映りの悪いテレビ。
電源を落とす。
弟の、鼻をすする音と
衣服の擦れ合う音だけが聞こえる。
もう、夕食は済ませている。
飼いならした天人鳥。
黒く、細長い尾を立てて
朱色のくちばしを水に付ける。
水浴びがはじまり
小さな体を震わせる。
水しぶきが、弟の顔にかかる。
手の平で拭い、弟は言った。
雨も、こんなふうに冷たいのだろうか
そうして少しだけ皮膚の上にとどまったら
いつのまにか、消えてしまうのかな。
わたしは傘を閉じ
少量の水を飲んだ。
カーテンを半分開けて
濃い雲を探した。弟は眠っていた。
壁に描かれた雨。
胃の底に
水が溜まってゆくのを感じた。
ヘンドリックの最後
肉屋の軒先で 雨宿りしながら
ぼくはグラム398円の値のついた
ショーケースの中の
肉の切れ端を見ていた
タバコに火をつけた
ヘンドリックが
食肉になって
世の中に貢献したいといったとき
ぼくは反対しなかった
食肉処理場に
向かう車の中
不安そうに
身を屈めながら
彼はこう言った
「最後のタバコを一本くれないか?」
ぼくは上着のポケットの中のマルボロを引っつかむと
彼に手渡した
するとヘンドリックは
立て続けに3本のタバコに
火をつけた
「おい、体に悪いぞ」
「バカ言え・・」
ヘンドリックは
3本目のタバコを吸い終えると
「世話になったな」と
ぼくの肩に手を置いた
「今ならまだ引き返せるぞ」
「バカ言え、俺は意志が固いんだ」
涙ぐみ
コブシをまるめる
彼の横顔を少しだけ見た
食肉処理場のおじさんに
ヘンドリックを引き渡すと
ぼくは見上げた空の青さに
少し目を細め
ヘンドリックがすべての検査に運良くパスし
立派に市場に出回ることを祈った
さっきまでヘンドリックが座っていた
助手席のシートのくぼみを見つめると
空色の
夏みかんの匂いが少ししたような気がした
どこかにようやくたどり着いたような
どこかにまた新たに向かって歩き始めるような
不思議な気持ちがした
肉屋のおじさんに
806円のお釣りと
300グラムの肉をもらうと
雨降る街ん中
ぼくは
小走りに出て行った
供花
少女がしゃがみこみ
自分の影を古いアスファルトに垂らしている
路地裏、午後三時、大安の日
アパートの二階
アルミの冷たい窓枠に肘をついて
しばらく一人でぶつぶつ何事かを嘆いている彼女を見ている
いつも誰かしらに親父臭いと言われる
ショートホープ
左手に握られた毒素が苦い
「あなたがそばにいないから」
――あなたがそばにいないから。
彼女が嘆いた流行り歌のタイトルのようなことばの上に
厚い雨雲が傾れている
煙草の煙は
そこへ溶け込む遥か手前で散る
もしかすると彼女は
クスリが切れてしまった少女
そういう現代社会の病の表れなのではなく
人の身体を真似た
ことばの陰影なのかもしれない
人でいることに
窮屈さを感じたことばたちが
押し潰された声帯を通して
吐瀉物のように漏れ出ている
そう思うと
善きものへの志向とか
人並みに生きるということとか
なにか道徳的なことが浮かんでは沈む
僕の頭ン中でもことばが衣擦れを起こしているらしい
けれど14mgのタールの中には道徳的なものなど
これっぽちも含まれていない
そして次第に雨が降る
無限の、その一歩手前ほどの意味を孕む雨
それは台所のシンクに詰まっていた汚水だ
死んだ魚の腐肉を浚った水だ
どこかで三年前に生まれた赤子を洗った産湯だ
生きる、ということにおいて
無限の、その一歩手前ほどの意味を孕む雨だ
彼女は雨に濡らされている
華奢な彼女の背中と
それを眺める自分との間に潜む
湿った空気のせいで
古いアスファルトがふやけていく
蜘蛛の食事のように
古いアスファルトはゆっくりと彼女の真っ赤なハイヒールを飲み込んでいく
踝、太もも、下腹部、鳩尾、胸、
彼女の姿を成すものは
しどけなげに降る雨とともに
路地の暗い影の底へ沈んでいく
はなむけに煙草を雨に晒すと
ほの赤い熱源が音もたてずに冷えた
彼女の姿がこの世界のどこにも見えなくなる
雨が止む
似たりよったりのアパートに挟まれた
細い道の遥か向こうで
虹の切れ端が覗いている
向かいの部屋のベランダでは
放置された観葉植物がじっと枯れるのを待っている
彼女のことばの落ちた所は陽炎で滲んでいた
次の煙草に火をつける
路地裏、午後三時、大安の日
生理がこねぇ
気付いたこと、俺は芸術について語ってる時より、どの馬が一番速いか語るときの方がいきいきしてらぁ、ってこと。上がり3ハロンで人生決まると思ってますよ、といつまで俺はくすぶってりゃ気が済むんだ?
婚約者に買ってもらった婚約指輪の裏側には「禁煙しろ」ってアルファベットで刻まれてるんだけど、そもそも煙草吸わないあなた、禁煙してますか? してませんよね、そうなんですよ禁煙って煙草吸ってるから出来るわけで常に細胞レベルでニコチンにうずうずしてないと禁煙って言えないわけでさ、煙草吸わないと出来ないんだよ、っつったら、殴られた、グーで、いてぇよ。
セックスするときコンドームを使用しない様に神様から作られたタイプの人間、つまり俺みたいなやつが一番こころにぐさっと来る言葉ってのが、「生理が来ない」、こいつはもう核兵器、そもそも生活不能者ってほどでもないけど定職につけない奴にそんなこと持ちだしてどうする? こちとらアコムとアイフルに挟み撃ち喰らって目の前には奨学金というヌリカベが迫っててよ、生理がこねぇんじゃそりゃ末脚も糞もねぇ、追い込みどころか追い込まれじゃねぇか、って毎回思うんだけど、なんとなく毎度スルーして生きてきたんだよね。
つーのもこれまでは恋愛も糞もねぇから、やりたいやつとやられたいやつがやりあってただけであって、んなもん俺が親父だなんて誰にも証明できねーのばっかだったから、華麗にスルー、女の敵だね、いやいや、女ってそんなもんだろ? 「糞ビッチ」とか馬鹿じゃねぇかなぁと思う、女は糞ビッチだろうが、そっから始まるんじゃねーの?
そんでだ、なんだか婚約しちゃったんだよね、もちろん婚約者に彼氏も愛人も売春も認めてるから俺の種じゃねぇだろっつーベースは変わんねぇんだけどさ、「生理がこねぇ」、ぞくぞく来たね、だって逃げ場ねぇもん、永遠の愛を誓い合っちゃったもん、ニーチェ風に言えば、「愛情の見せかけを永遠に約束」しちゃったもん。一応いまんところ学生という仮面被って色々やってたんだけど、全部おじゃん、これ最高じゃね? 一生懸命になって人生のチキンレースに参加しながら、歯ぁガタガタ言わせて誰の子ともしれねぇ野郎の面倒をみるなんて、なんて素敵。脳裏をよぎった言葉、てめぇの敵を弱り切ったカスだと思うなよ、てめぇの敵はいつでもてめぇにとって最も恐ろしい敵であれ。速攻でやぶりすてた就職相談会の案内を吸い殻やらでぐしゃぐしゃになった屑かごから拾い集めてきてパズルしてさ、次は公務員試験の日程の調査よ、ここまできたらもうマジだろ、俺は俺がもっとも恐れていたものになるんだ、これほど胸が躍る瞬間なんてないだろ?
そんで思い出したのがこの前読んだ、河出の『ペット殺処分』って本、動物愛護センターの実務をノンフィクションっぽく書いたフィクションなんだけど、正直言っちゃうとさ、なんで罪のない犬や猫が心ない飼い主のせいでこんな目に合わんといかんの? とかおとめチックな感傷をもろだしして、ぼろ泣きしました、飼ってる猫抱きしめちゃいました。はい、俺の進路決定、生涯糞みたいなペット飼い主を呪い続けながら、感情ひた隠して犬や猫を安楽死させることにしました、公務員試験受かるくらいの脳みそは持ってんだよ、意外に。ってことをとある医学部の女性に相談してたら産むにしろ産まないにしろ母胎の安全のために妊娠検査はした方がいいよ、ってナイスアドバイスをされたので婚約者にしてもらった。自暴自棄になってんの? いや、わくわくしてる。
はい白、はい生理不順、残念でした、シュウカツ関連グッズもう一度屑かごにぶち込んで、公務員試験関連のブックマーク一瞬で消し去った。あんな、「禁煙」って普通アルファベットにしたら「KINNEN」だろ? 「KINEN」になってんだけど、これじゃ「記念」じゃね? 知っててやってたんならあんたすげぇよ、とか思いながら、今日もスパスパ禁煙。コーヒー&シガレッツでそういうのあったね。実はもう一カ月煙草買ってねーのよ、金ためて、あんたと暮らす家買いたいからさ、シケモク吸ってんのよ、わかる?
知ってる? 今でも世界中でわらわらと子供とか死んでんだよ? わらわらわらわら。
知ってる。
その無数の誕生と死のなかのひとつにてめぇの子かもわかんねぇ誕生と死を数えられないのが、わりかし人間なんじゃない? 犬とか猫とか毎日何十匹も殺しながら、ひとつの誕生を祝福する、この矛盾の中に隠されたなにかを、だれかわかったら俺に教えてくれ。
平原に咲く花
白く息が凍る
あの朝と同じように
この朝も
雲のない空を見上げれば
梢の先には
まだ生まれない
朝が宿って
生まれる前に
母が埋葬された冬の平原に
咲く花を植えたい
少女の手のひらに
にぎられた種から
発芽する春のように
あなたの瞳に灯る色の
あなたじゃないあなたの瞳にも
等しく灯る
数式の外にある輪環
あるいは、花環
そのなかで、
冬の平原に咲く花の名を知らない
誰も知らなくていい
夢
顕彰の旗が波音にはためき
瓦礫に突き刺さっている
故郷を捨てられない者の群れが
火照った耳を泥土にうずくめている
不毛は語草にこびりつき
冤罪原子は浮遊し
地獄や天国も色褪せ
生は罪が人目に晒された夢
命は爪を研ぎ指先は火のように熱く
鋭い閃光が恐怖と希望の
あいだを乱反射している
かもめの翼 陽の光を切り裂く
時折 とても眩しい
おはよう、人類
寝付けなくて、いつの間にかベランダで煙草を吸いながら朝焼けを見ている。温度が交差する。畦に沿いながら暖かな温度が侵入して夜は撤退してゆく。小さな音楽が始まるみたいに、誰にも聞こえない音楽が始まるみたいに、雀のちゅんちゅんという囀りが押し並べて等しく人家の屋根に降り注いで、しあわせの角度を測り予ている人達の頬にゆっすらと感触を残して、まるでそんな事件は起こらなかったかのように、今は穏やかな風が煙の鼻先を曲げてしまったところ。
小さく噛み砕かれた笑顔が、最先端の技術で復元されて、世界中の小さな子どもたちの眦に降り注ぐような嵐があってもいいじゃないか。この国では桜という花がもうすぐ咲くのです。小さく、薄っすらとピンクをさした色合いの花弁が開いては、無力に風に吹かれながら、たくさんの人に踏まれたりして土に戻ります。円らかなお顔が水たまりに映っているのを見ている小さい女の子よ、君の唇に桜の花びらが止まった時、君は一体何を思うのだろうか。
青色を薄くさした空に、白く刻印されているのは、かつていたと言われている巨鳥、飛べなかった今日の空にその白い骨の残りかすだけを悔しそうに漂わせている。翼はもうない。現代日本人は翼を持たない種族だ。空を飛びたいと思うことができることと実際に翼を持っていることには反比例の関係があるのかもしれない。哀しむこと勿れ、空を飛ぶに能はずと知り、なお空を飛んだ人たち。もしそうならば、あなたたちの背中には等しく白い翼が生えていることだろう。ある時雀に訪ねたんだ、「空ってどうだい?」「空ってなに?」
おはよう、人類。などとふざけたことを言いながら今、煙草を吸っていて、畦に沿って、春とか目覚めとか幸せとかそれとは正反対の惨事だとかが、じりじり畦に沿って、進むのを、ふざけながら見ている。自分が道化だと思うような人間には自分を後頭部から眺めることができるという、なんとも悲しい機能がついていて、ふざけている自分をふざけながら見ている自分はやっぱりふざけていて、どうせふざけているのならば、もう少しだけこの世に居座って、空を飛ぶのはまた今度、とお茶らけてみようかな。桜が咲いたって何も変わりはしないのだけれども。
夜通し見ていたドキュメンタリーのことをまだ覚えている。タンザニアの有名なやつ。元傭兵でその当時は警備員だったおっさんが、政府が戦争さえ起こしてくれれば妻も子も喜ぶのにな、って笑ったのを覚えている。
ふみ子は土葬にして
ちょっと、
にぎったら
つぶれて
砂になった、それは
ふみ子の
身体をささえていた
したから18個目の椎骨、
わたしの指と指の
あいだをすりぬけて
ハクモクレンの
季節に消えた
ふみ子が死んで
2日めの朝
ふみ子の母と
わたしは
ふみ子を解体した
ひとつの頭、
にほんの腕、
にほんの脚、
それから胴体、
肉や骨が詰め込まれた
ふみ子のそれらは
頭上にひろがる青天よりも
圧倒的に広い
世界を内蔵してるから、
どこまでも続く
掴むことができない
(わたし、うまれてから
わたしいがいのだれかのもので
たのしいことなんてひとつもなかった。
うすいようでぶあつい皮膚を
つまみあげるとあらわれる
皮膚と肉のあいだの
わたしそこにいるから、いつだって
きりきざまれずに火葬されたら
そこで、わたし、消滅するんかな、)
ふみ子の仕組み
ふみ子の具体性
蓄積された喧騒
昼と夜の、退屈とか
ひとつひとつ
ガーゼで包んで
中庭に植えられた
ハクモクレンのとなり、
そこにまとめて埋葬して
手向けたのは造花
枯れないって
良いことと思えないけど、
ハクモクレンの季節になると
ふみ子という名前の女の子が
白い花びらを摘み取り
千切ってばらばらにして
遊んでいたことをおもいだす。
ハクモクレンみたいな
白いスカートをひらひらさせて
(たのしいことなんてひとつもない
(そこで、わたし、消滅するんかな
と言ってばかみたいに笑った、
ふみ子の
醜い歯並び
その向こうの青天
そこでわたしは、ふみ子を解体した。
「お客様、お客様
「お客様、お客様、本日は当館にご来場ありがとうございました。映画の上映が終わりましたので、速やかにご退場ください」とアルバイト係員の近藤明美が三度丁寧にアナウンスするが、それでも座席でぐったりしたまま動じず、いっかな退席する気配の見せないケンタに対し、加えて三度「お客様、お客様、本日は当館にご来場ありがとうございました。映画の上映が終わりましたので、速やかにご退場ください」とこれもばか丁寧にアナウンスを繰り返すが、ここにいたってもやはりケンタは鑑賞シートに深く座したまま動じないといった体たらくゆえ、同僚の間でもっぱら生き仏であるという定評をもらい常日頃愉悦することしきりの近藤明美もとうとうこれには業を煮やし、しかし業務中であるのでむやみやたらに声を荒げることもままならず、それでも内面に押さえつけられた憤怒のために声はいきおい大声となり、「おきゃくさまあ……おきゃくさまあ……あ! ……ほんじつわあ……はやくう…あ! はやくたい、たいじょうしてえ……はいい!」と仏顔を化粧崩れの如くに崩しながらにじりにじりと場内の隅に座するケンタのほうへに詰め寄るが、暗がりでケンタが泡を吹いて悶絶しているのを見てとるや否や「ぎやーっ」と反転し、そのまま素っ頓狂な声をあげて思わず後方伸身宙返り二回ひねり後方屈身宙返りしてしまうなどの狂態を演じたのち退場口をくにらくにらして駆け抜けていく、と数秒後、すぐに事情を聞いた訳知り顔の年輩の係員岸田一信がAEDを抱えながら場内にそそくさと駆け込んできたかと思うと、「患者は……患者はどこだ!」とバリトン気味の声音でとりあえず絶叫し、席でぐったりしているケンタを発見すると駆け寄ってまた、「ぉおれが、おれがきみを救う!」ととりあえず絶叫した。岸田はケンタの着ていたネルシャツのボタンを一つ一つ慇懃に取り外すと、さらにわけのわからないふにゃふにゃしたマカロニ文字の書かれたTシャツを、持参した布切りバサミで慎重に切り開いたのち、装置の電極をはだけた胸部の適当な場所に貼り付けてみるが、この岸田という奴、要領を得ぬといった顔でなかなか装置を起動できず、おもむろに両の手に拳固を握りしめたかと思えばぐわんと天井を見上げ悔恨に塗れた体で、「……くそこれまでか、おれには、ぐ、おれにはこの男を……救うことが、でき、なかった……まこ、もこ、まことに無添加、いや無念、極まり、ない……ゆ許せ、許せ、青年よお、青年ようおおおおお……」などと大仰に非劇を演出している手前、AEDは勝手に起動しケンタの体内に電流を注ぐと、ケンタはむくりと覚醒、嗚咽号泣しながら「救急車、救急車」と叫ぶ、が、喉が裂けたような感覚があってけっきょく叫べず、代わりになぜか「スープパスタスープパスタ」「色即是空パスタ」あるいは「君の瞳にパスタ」などという意味のないようなことばをわめき散らし、そのまま数人の係員の制止する声を戦場へ向かう兵士らを鼓舞する類の声援のごとくに気持ち良く受け止め意気揚々と映画館を後にし、それでもいまだ半分意識を失ったままであったゆえ、やはりわけもわからずむやみに映画館近くのハンバーガーショップへ勇み顔で立ち入り、なぜかチーズバーガーのピクルス抜きと頼むところをバンズ抜きと言い間違え、店員は「チーズバーガー、バンズ抜きですね、二百五十円になります」と快活な笑顔で朗らかに答え「あ、すいません、追加でミートも抜いてもらって、コカ・コーラの、ええとコーラ抜きもお願いします!」とケンタが白目をむいて威勢よくのたまえば「かしこまりました。そうすると合計で三百五十円になります!」とやはり快活な笑顔で朗らかに返ずるのであった、であった、であった、などと悠長に三度云っているような暇もやはりなくそのままはやる足で近くの公園まで無心に彷徨、人妻婦人たちが日ごろのうっぷんを晴らすべく愚にもつかぬ世間話などを激烈な勢いでべちゃくりあうのをしかしよく耳をすましてみると、もはや彼女らの会話は内実を失った何やら会話っぽい発話のやり合いに過ぎないものへと変じており「あらそうなの田城さんの旦那さんもええほんとお? そうなのよまあまあそういう加藤さんのとこの旦那さんもほんとそんな感じじゃありませんの? そうよねえ分かる分かる。ほんと勘弁してほしいわよねえ。わたしたちだって羽伸ばしたいわあ。そうよねえ分かる分かる。でもあれじゃあない? あれ? え? あれ? ……あ! え? あれ。あれそうよねえ分かる分かる、え? うんうん、ほんと勘弁してほしいわよねえあれ。分かるわたしもほんとそう思うすごく思うわあって、おほほ。やっぱりあれよねえ、わたしたちって、分かるわよねやっぱり気が合うのよねえ分かるほんと、わたしも分かるほんと、ほんとそう思う分かるわあなんでこんな分かるのかしらほんとそう思う分かるわあ」などと表層的上っ面のレベルにおける意味のない相互理解を認証し合って愉悦することしきりであるのをベンチに腰掛け耳に受け流しながら、砂場におびただしく溢れかえる体長三四尺ほどの童女らの蟻のごとく賑やかで無邪気な戯れをぼんやりと平均的に眺めるなどしていると、うわこれはもしや食物神オオゲツヒメノカミのお告げかなあなどと感得せずにはいられぬほどあまりにも唐突に無性に腹が減った感覚に襲われたかと思えばそのまま空腹的欲望は階乗的スピードで絶頂にまで到達、あわてて先ほど購ってきた紙袋を開き、何やら楽しげなピエロのマークのついたべらべらの包装を取り除いた途端、そこに本来あるはずのバンズが存在しなかったのゆえ、むろんミートも存在しなかったのゆえ、チーズとタレとレタスなどのくにょくにょどもが押さえを失って無残に膝元にぶち撒かれるという状況に至って、ようやくケンタははっきりと意識を取り戻しおもむろに天空を仰いだ。
快晴、快晴、まさしく快晴!