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2015年06月分

次点佳作 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


詩の日めくり 二〇一四年六月一日─六月三十一日

  田中宏輔



二〇一四年六月一日 「偶然」


 あさ、仕事に行くために駅に向かう途中、目の隅で、何か動くものがあった。歩く速さを落として目をやると、飲食店の店先で、
電信柱の横に廃棄されたゴミ袋の、結ばれていたはずの結び目がゆっくりとほどけていくところだった。思わず、ぼくは足をとめた。
手が現われ、頭が現われ、肩が現われ、偶然が姿をすっかり現わしたのだった。
 偶然も齢をとったのだろう。ぼくが疲れた中年男になったように、偶然のほうでも疲れた偶然になったのだろう。若いころに出合
った偶然は、ぼくのほうから気がつくやいなや、たちまち姿を消すことがあったのだから。いまでは、偶然のほうが、ぼくが気がつ
かないうちに、ぼくに目をとめていて、ぼくのことをじっくりと眺めていることさえあるのだった。
 齢をとっていいことの一つに、ぼくが偶然をじっくりと見つめることができるように、偶然のほうでも、ぼくの目にとまりやすい
ように、足をとめてしばらく動かずにいてくれるようになったことがあげられる。


二〇一四年六月二日 「魂」


心音が途絶え
父の身体が浮き上がっていった。
いや、もう身体とは言えない。
遺体なのだ。
人間は死ぬと
魂と肉体が分離して
死んだ肉体が重さを失い
宙に浮かんで天国に行くのである。
病室の窓が開けられた。
仰向けになった父の死体が
窓から外に出ていき
ゆっくりと漂いながら上昇していった。
魂の縛めを解かれて、父の肉体が昇っていく。
だんだんちいさくなっていく父の姿を見上げながら
ぼくは後ろから母の肩をぎゅっと抱いた。
点のようにまでなり、もう何も見えなくなると
ベッドのほうを見下ろした。
布団の上に汚らしいしみをつくって
ぬらぬらとしている父の魂を
看護婦が手袋をした手でつまみあげると
それをビニール袋の中に入れ
袋の口をきつくしばって
病室の隅に置いてある屑入れの中に入れた。
ぼくと母は、父の魂が入った屑入れを一瞥した。
肉体から離れた魂は、
すぐに腐臭を放って崩れていくのだった。
天国に昇っていく
きれいになった父の肉体を頭に思い描きながら
看護婦の後ろからついていくようにして、
ぼくは、母といっしょに病室を出た。


二〇一四年六月三日 「Oを●にする」 


●K、のようにOを●にしてみる。

B●●K D●G G●D B●Y C●●K
L●●K T●UCH G●●D J●Y C●●L
●UT S●UL Z●● T●Y

1●● + 1●● = 2●●●●
3●●●● - 1●● = 2●●

なんていうのも、見た目が、きれいかもしれない。
まだまだできそうだね、かわいいのが。

L●VE L●NG H●T N●
S●METHING W●RST B●X


二〇一四年六月四日 「影」


仕事から帰る途中、坂道を歩いて下りていると、
後ろから男女の学生カップルの笑いをまじえた
楽しそうな話し声が聞こえてきた。
彼らの若い声が近づいてきた。
彼らの影が、ぼくの足もとにきた。
彼らの影は、はねるようにして、
いかにも楽しそうだった。
ぼくは、彼らの影が、
つねに自分の目の前にくるように
歩調を合わせて歩いた。
彼らは、その影までもが若かった。
ぼくの影は、いかにも疲れた中年男の影だった。
二人は、これから楽しい時間を持つのだろう。
しかし、ぼくは? ぼくは一人、部屋で
読書の時間を持つのだろう。
もはや、驚きも少し、喜びも少しになった読書の時間を。
それも悪くはない。けっして悪くはない。
けれど、一人というのは、なぜか堪えた。
そうだ、帰りに、いつもの居酒屋に行こう。
日知庵にいる、えいちゃんの顔と声が思い出された。
ただ、とりとめのない会話を交わすだけだけど。
ぼくは横にのいて、若い二人の影から離れた。


二〇一四年六月五日 「循環小数」


微熱する交番でナオコを直していると、学生服を着た自転車が突っ込んできた。驚いて目を覚ますと、「うつくしいひととき。」とナ
オコがつぶやいた。「カフェで、こうしていっしょにいることが?」と言うと、「おれの見間違いかな。」とナオコ。微熱する交番
でナオコを直していると、学生服を着た自転車が突っ込んできた。驚いて目を覚ますと、「うつくしいひととき。」とナオコがつぶや
いた。「カフェで、こうしていっしょにいることが?」と言うと、「おれの見間違いかな。」とナオコ。微熱する交番でナオコを直し
ていると、学生服を着た自転車が突っ込んできた。驚いて目を覚ますと、「うつくしいひととき。」とナオコがつぶやいた。「カフェ
で、こうしていっしょにいることが?」と言うと、「おれの見間違いかな。」とナオコ。微熱する交番でナオコを直していると、学生
服を着た自転車が突っ込んできた。驚いて目を覚ますと、「うつくしいひととき。」とナオコがつぶやいた。「カフェで、こうしてい
っしょにいることが?」と言うと、「おれの見間違いかな。」とナオコ。微熱する交番でナオコを直していると、学生服を着た自転車
が突っ込んできた。驚いて目を覚ますと、「うつくしいひととき。」とナオコがつぶやいた。「カフェで、こうしていっしょにいるこ
とが?」と言うと、「おれの見間違いかな。」とナオコ。微熱する交番でナオコを直していると、学生服を着た自転車が突っ込んでき
た。驚いて目を覚ますと、「うつくしいひととき。」とナオコがつぶやいた。「カフェで、こうしていっしょにいることが?」と言う
と、「おれの見間違いかな。」とナオコ。微熱する交番でナオコを直していると、学生服を着た自転車が突っ込んできた。驚いて目を
覚ますと、「うつくしいひととき。」とナオコがつぶやいた。「カフェで、こうしていっしょにいることが?」と言うと、「おれの見
間違いかな。」とナオコ。……


二〇一四年六月六日 「LGBTIQの詩人の英詩翻訳」


Sophie Mayer

David’s First Drafts: Jonathan

Fuck you, Jonathan. You
abandoned me.
What was it you said? Oh yes: our love
is too beautiful
for this world. Fuck you.

Nothing, Jonathan, nothing
is too beautiful
for this stupid, unruly world and
don’t roll your eyes
and ask if I’m alive to the ambiguity. I’m the poet-king and nothing,

beautiful Jonathan, nothing is more
beautiful in my eyes
than you, so I cling, I cling with my
filthy bitten
fingernails to your non-existence, beautiful

filthy bitten sight ─ Jonathan ─ seen
everywhere
in the nowhere that passes
the ark
as it passes. I’m the drunken filthy

poet-king, Jonathan, that Plato saw in nightmares
dancing naked
in this gaping, ragged hole
that is power.
I’m naked without you, not a poem but a king

Jonathan, that is power and I
hate it.
Tell me how he did it, your father,
and why
I wanted it more than I wanted you, my king-poem, my Jonathan.


ソフィ・メイヤー

ダビデの第一草稿 『ヨナタン』

ファック・ユー、ヨナタン、おまえってやつは
おれのことを見捨てて行きやがって。
おまえは、何て言った? ええ、こう言ったんだぞ、
「ぼくたちの愛は、この世界にあっては
美しすぎるものなんだよ」ってな、ファック・ユー。

何もないんだぜ、ヨナタン、何もないんだ
美しすぎるものなんてものは
このバカげた、くだらない世界にはな。
しっかり見ろやい、おまえ。
この言葉の両義性を、おれが
ちゃんとわきまえてるのかどうかなんて訊くなよ。
おれは詩人の王で、それ以外の何者でもないんだからな。

おお、美しいヨナタンよ、おれの目にはな
おまえより美しいものなんてものは、何もないんだぜ。
それで、おれは、おまえがいないんで
おれは、おれの汚い指の爪をカジカジ噛んじまうんだ。
ヨナタンよ、
目に見える汚らしいボロボロの景色ってのは
どこにでもあってな
というのも、箱舟がそばを通り過ぎるときにはな
箱舟のそばを通り過ぎないところなんてものは
どこにもなくってな
おれは酔っぱらいの汚らしい詩人の王なんだぜ、
ヨナタンよ、

プラトンが悪夢のなかで見たこと
裸で踊りながらな
このぱっくり口を開いたデコボコの穴のなかでな
そいつが力なんだ。
おれは、おまえがいなけりゃ、ただの裸の男だ、
詩じゃないぞ、ただの王なんだ。

ヨナタンよ、そいつが力というもので
おれは、そいつを憎んでる。
おまえの父親が、そいつをどういうふうに扱ったか、
おれに言ってみてくれ。
そして、なんで、おれが、
おまえに求めた以上のことを、
おれがそいつに求めたのか、言ってくれ。
おれの王たる詩よ、ヨナタンよ。

訳注

David ダビデ(Saul に次いで Israel 第2代の王。羊飼いであった少年のころペリシテ族の巨人 Goliath を退治した話で有名。のち有能な統治者としてまたすぐれた詩人としてヘブライ民族の偉大な英雄となった:旧約聖書の詩篇(the Psalms)の大部分は彼の作として伝えられている:その子は有名な Solomon)。(『カレッジ・クラウン英和辞典』より)

David and Jonatan 互いに自分の命のように愛し合った友人(Damon と Pythias の友情とともに古来親友の手本として伝えられている:Jonathan は Saul の子。→1. Sam. 18.20)。(『カレッジ・クラウン英和辞典』より)

著者について

Sophie Mayer : ソフィ・メイヤーは、イギリスのロンドンを拠点に活動している作家であり、編集者であり、教育者である。彼女は、二冊の選集、The Private Parts of Girls (Salt, 2011)とHer Various Scalpels (Shearsman, 2009)と、一冊の批評書、The Cinema of Sally Potter: A Politics of Love (Wallflower, 2009)の著者である。彼女は、LGBTQ arts magazine Chroma: A Queer Literary Journal (http://chromajournal.co.uk )の委託編集者である。

Translation from ‘collective BRIGHTNESS’edited by Kevin Simmonds
http://www.collectivebrightness.com/


二〇一四年六月七日 「言葉」


 一人の人間が言葉について学べるのも、せいぜい百年にも満たない期間である。一方、一つの言葉が人間について学べる期間は、
数千年以上もあった。人間が言葉から学ぶよりも、ずっとじょうずに言葉は人間から学ぶ。人間は言葉について、すべてのことを知
らない。言葉は人間について、すべてのことを知っている。

 たとえどんなに偉大な詩人や作家でも、一つの言葉よりも文学に貢献しているなどということはありえない。どんなにすぐれた詩
人や作家よりも、ただ一つの言葉のほうが大いなる可能性を持っているのである。一人の詩人や作家には寿命があり、才能の発揮で
きる時間が限られているからである。たとえどのような言葉であっても、自分の時間を無限に持っているのである。


二〇一四年六月八日 「セックス」


ぼくの理想は、言葉と直接セックスすることである。言葉とのセックスで、いちばん頭を使うのは、体位のことである。


二〇一四年六月九日 「フェラチオ」


 二人の青年を好きだなって思っていたのだけれど、その二人の青年が同一人物だと、きょうわかって、びっくりした。数か月に一
度くらいしか会っていなかったからかもしれないけれど、髪形がぜんぜん違っていて、違う人物だと思っていたのだった。太めの童
顔の体育会系の青年だった。彼は立ち上がって、トランクスと作業ズボンをいっしょに引き上げると、ファスナーを上げ、ベルトを
締めて、ふたたび腰掛けた。「なかなか時間が合わなくて。」「えっ?」「たくさん出た。」「えっ?」「たくさん出た。」「えっ? 
ああ。うん。」たしかに量が多かった。「また連絡ください。」「えっ?」思いっきりはげしいオーラルセックスをしたあとで、びっ
くりするようなことを聞かされて、ダブルで、頭がくらくらして、でも、二人の顔がようやく一つになって、「またメールしてもいい
の?」かろうじて、こう訊くことが、ぼくができる精いっぱいのことだった。「嫁がメール見よるんで、すぐに消しますけど。」
「えっ?」呆然としながら、しばらくのあいだ、彼の顔を見つめていた。一つの顔が二人の顔に見えて、二つの顔が一人の顔に見えて
っていう、顔の輪郭と表情の往還というか、消失と出現の繰り返しに、ぼくは顔を上げて、目を瞬かせていた。彼の膝を両手でつかま
えて、彼の膝と膝とのあいだにはさまれる形で跪きながら。


二〇一四年六月十日 「フォルム」


 詩における本質とは、フォルムのことである。形。文体。余白。音。これらがフォルムを形成する。意味内容といったものは、詩
においては、本質でもなんでもない。しかし、意味内容には味わいがある。ただし、この味わいは、一人の鑑賞者においても、時と
ともに変化することがあり、それゆえに、詩において、意味内容は本質でもなんでもないと判断したのだが、それは鑑賞者の経験や
知識に大いに依存するものであり、鑑賞者が異なれば、決定的に異なったものにならざるを得ないものでもあるからである。本来、
詩には、意味内容などなくてもよいのだ。俳句や短歌からフォルムを奪えば、いったい、なにが残るだろうか。おそらく、なにも残
りはしないだろう。詩もまたフォルムを取り去れば、なにも残りはしないであろう。


二〇一四年六月十一日 「ホラティウス」


 古代の詩人より、現代の詩人のほうが実験的か、あるいは知的か、と言えば、そんなことはないと思う。ホラティウス全集を読む
と、ホラティウスがかなり実験的な詩を書いていたことがわかるし、彼の書く詩論もかなり知的だ。現代詩人の中で、ホラティウス
よりも実験的な詩人は見当たらないくらいだ。そして、エミリ・ディキンスンとホイットマン。このふたりの伝統に対する反抗心と
知的な洗練度には、いま読み返してみても戦慄する。さて、日本の詩人で、知的な詩人と言えば、ぼくには、西脇順三郎くらいしか
思いつかないのだけれど、現代に知的な詩人はいるのだろうか。ぼくの言う意味は、十二分に知的な詩人は、だけど。ホラティウス
の詩でもっとも笑ったのは、自分がつくった料理のレシピをただただ自慢げに開陳しているだけという料理のレシピ詩と、自分の知
っている詩人の実名をあげて、その人物の悪口を書きまくっている悪口詩である。ほんとに笑った。彼の詩論的な詩や詩論はすごく
まっとうだし、ぼくもおなじことを思っていて、実践している。詩語の廃棄である。これができる詩人は、現代においてもほとんど
いない。日常語で詩を書くことは、至難の業なのだ。


二〇一四年六月十二日 「膝の痛み」


 左膝が痛くて足を引きずって歩かなければならなかったので、近くの市立病院に行って診てもらったのだけれど、レントゲン写真
を撮ってもらったら、右足の膝の骨が奇形で、体重を支えるときに、その骨が神経を刺激しているという話で、なぜ右膝の骨が奇形
なのに、左膝が痛いのかというと、右膝をかばうために、奇形ではないほうの左足が負担を負っているからであるという話だった。
これまでのひと月ほどのあいだ、歩行困難な状態であったのだが、そのときに気がついたのは、足の悪いひとが意外に多いなという
ことだった。自分が膝を傷めていると、近所のフレスコで、おばあさんたち二人が、「ひざの調子はどう?」「雨のまえの日はひどい
けど、ふだんはぼちぼち。」みたいな会話をしているのを耳にしたり、横断歩道を渡っているときに、おじいさんがゆっくりと歩い
ているのを目にしたときに、ぼく自身もゆっくりと歩かなければならなかったので、気がつくことができたのだった。それまでは、
さっさと歩いていて、ゆっくり歩いている老人たちの歩行になど目をとめたことなどなかったのである。このとき思ったのは、ぼく
のこの右足の膝の骨の奇形も、左足の膝の痛みが激しくて歩行困難になったことも、ぼくの目をひろげさせるための現象ではなかっ
たのだろうかということであった。ぼくの目により深くものを見る力をつけさせるためのものではなかったのか、ということであっ
た。左膝の痛みが激しくて、仕事の帰り道に、坂道の途中で坐りこんでしまったことがあって、でも、そんなふうに、道のうえに坐
り込むなんてことは、数十年はしたことがなくって、日向道、帰り道、風は竹林の影のあいだを吹き抜けてきたものだからか、冷た
いくらいのものだったのだけれど、太陽の光はまだ十分にあたたかくて、ぼくは坂道の途中で、空を見上げたのだった。ゆっくりと
動いている雲と、坐り込んでいるぼくと、傍らを歩いている学生たちと、坂道の下に広がる田圃や畑のある風景とが、完全に調和し
ているように感じられたのであった。ぼくは、あの動いている雲でもあるし、雲に支えられている空でもあるし、ぼくの傍らを通り
過ぎていく学生たちでもあるし、ぼくが目にしている田圃や畑でもあるし、ぼくの頬をあたためている陽の光でもあるし、ぼくが坐
り込んでいるざらざらとした生あたたかい土でもあるのだと思ったのであった。


二〇一四年六月十三日 「ケルンのよかマンボウ」


戦争を純粋に楽しむための再教育プログラム。あるいは、菓子袋の中のピーナッツがしゃべるのをやめると、なぜ隣の部屋に住ん
でいる男が、わたしの部屋の壁を激しく叩くのか? 男の代わりに、柿の種と称するおかきが代弁する。(大便ちゃうで〜。)あらゆ
ることに意味があると、あなたは、思っていまいまいませんか? 人間はひとりひとり、自分の好みの地獄の中に住んでいる。

世界が音楽のように美しくなれば、音楽のほうが美しくなくなるような気がするんやけど、どやろか? まっ、じっさいのところ、
わからんけどねえ。笑。 バリ、行ったことない。中身は、どうでもええ。風景の伝染病。恋人たちは、ジタバタしたはる。インド
人。 想像のブラやなんて、いやらしい。いつでも、つけてや。笑。ぶひゃひゃひゃひゃひゃひゃ。

ケルンのよかマンボウ。あるいは、神は徘徊する金魚の群れ。 moumou と sousou の金魚たち。 リンゴも赤いし、金魚も赤い
わ。蟹、われと戯れて。 ぼくの詩を読んで死ねます。か。扇風機、突然、憂鬱な金魚のフリをする。ざ、が抜けてるわ。金魚、訂
正する。 ぼくは金魚に生まれ変わった扇風機になる。 狒狒、非存在たることに気づく、わっしゃあなあ。


二〇一四年六月十四日 「ベーコンエッグ」


フライパンを火にかけて
しばらくしたら
サラダオイルをひいて
ベーコンを2枚おいて
タマゴを2個、割り落として
ちょっとおいて
水を入れて
ふたをする
ジュージュー音がする
しばらくしたら
火をとめて
ふたをとって
フライパンの中身を
そっくりゴミバケツに捨てる


二〇一四年六月十五日 「点」


点は裁かない。
点は殺さない。
点は愛さない。

点は真理でもなく
愛でもなく
道でもない。

しかし
裁くものは点であり
殺すものは点であり
愛するものは点である。

真理は点であり
愛は点であり
道は点である。


二〇一四年六月十六日 「その点」


F・ザビエルも、その点について考えたことがある。
フッサールも、その点について考えたことがある。
カントも、その点について考えたことがある。
マキャベリも、その点について考えたことがある。
M・トウェインも、その点について考えたことがある。
J・S・バッハも、その点について考えたことがある。
イエス・キリストも、その点について考えたことがある。
ニュートンも、その点について考えたことがある。
コロンブスも、その点について考えたことがある。
ニーチェも、その点について考えたことがある。
シェイクスピアも、その点について考えたことがある。
仏陀も、その点について考えたことがある。
ダ・ヴィンチも、その点について考えたことがある。
ジョン・レノンも、その点について考えたことがある。
シーザーも、その点について考えたことがある。
ゲーテも、その点について考えたことがある。
だれもが、一度は、その点について考えたことがある。
神も、悪魔も、天使や、聖人たちも、
その点について考えたことがある。
点もまた、その点について考えたことがある。


二〇一四年六月十七日 「顔」


 人間の顔はよく見ると、とても怖い。よく見ないでも怖い顔のひとはいるのだけれど、よく見ないでも怖い顔をしているひとはべ
つにして、一見、怖くないひとの顔でも、よく見ると怖い。きょう、仕事帰りの電車の中で、隣に坐っていた二十歳くらいのぽっち
ゃりした男の子の顔をちらっと見て、かわいらしい顔をしているなあと思ったのだけれど、じっと見ていると、突然、とても怖い顔
になった。


二〇一四年六月十八日 「順列 並べ替え詩。3×2×1」


ソファの水蒸気の太陽。
水蒸気の太陽のソファ。
太陽のソファの水蒸気。
ソファの太陽の水蒸気。
水蒸気のソファの太陽。
太陽の水蒸気のソファ。

午後の整数のアウストラロピテクス。
整数のアウストラロピテクスの午後。
アウストラロピテクスの午後の整数。
午後のアウストラロピテクスの整数。
整数の午後のアウストラロピテクス。
アウストラロピテクスの整数の午後。

正六角形のぶつぶつの蟻。
ぶつぶつの蟻の正六角形。
蟻の正六角形のぶつぶつ。
正六角形の蟻のぶつぶつ。
ぶつぶつの正六角形の蟻。
蟻のぶつぶつの正六角形。


二〇一四年六月十九日 「詩」


約束を破ること。それも一つの詩である。
約束を守ること。それも一つの詩である。
腹を抱えて笑うこと。それも一つの詩である。
朝から晩まで遊ぶこと。それも一つの詩である。
税を納める義務があること。それも一つの詩である。
奥歯が痛むこと。それも一つの詩である。
サラダを皿に盛ること。それも一つの詩である。
大根とお揚げを煮ること。それも一つの詩である。
熱々の豚まんを食べること。それも一つの詩である。
電車が混雑すること。それも一つの詩である。
台風で電車が動かないこと。それも一つの詩である。
信号を守って横断すること。それも一つの詩である。
道でけつまずくこと。それも一つの詩である。
バスに乗り遅れること。それも一つの詩である。
授業中にノートをとること。それも一つの詩である。
消しゴムで字を消すこと。それも一つの詩である。
6割る2が3になること。それも一つの詩である。
整数が無数にあること。それも一つの詩である。
日が没すること。それも一つの詩である。
居間でくつろぐこと。それも一つの詩である。
九十歳まで生きること。それも一つの詩である。


二〇一四年六月二十日 「詩人」


詩人とは、言葉に奉仕する者のことであって、ほかのいかなる者のことでもない。


二〇一四年六月二十一日 「考える」


よくよく考える。
くよくよ考える。


二〇一四年六月二十二日 「警察官と議員さん」


 きょうは、ひととは、だれともしゃべっていない。太秦のブックオフに行くまえに、交番のまえを通ったら、かわらいしい若いガ
チムチの警察官に、「こんにちは。」って声をかけられたのだけれど、運動をかねて大股で歩いていたぼくは、「あはっ!」と笑って、
彼の顔をチラ見して通り過ぎただけなのであった。きょうは、一日、平穏無事やった。だれとも会わなかったからかもしれない。近
所の交番の警察官が、超かわいらしかった。あしたも交番のまえを通ったろうかしら? こんどは、ちゃんと、「かわいらしい!」
と言ってあげたい。ちゃんと、かわいらしかったからね。一重まぶたのかわいらしい警察官やった。
そいえば、数年まえに居酒屋さんのまえで見た若い議員さんも、かわいらしかったなあ。「かわいい!」と大声で言って、抱きつ
いちゃったけど、隣でその議員さんの奥さんも大笑いしてたから、酔っ払いに抱きつかれることって、しょっちゅうあるのかもしれ
ないね。議員さんてわかったのは、あとでなんだけど。
 なにやってるひとなの? って道端で訊いたら、その居酒屋さんの看板の横に、その議員さんの顔写真つきポスターが貼り付けて
あって、それを指差すから、「あっ、議員さんなの。めずらしいな。こんなにかわいい議員さんなんて。」って言ったような記憶があ
る。ぼくといっしょにいた友だちと顔なじみで、先にあいさつしてたから、ぼくも大胆だったのだろうけれど、いくら酔っぱらって
いたからって、そうとうひどいよなと、猛反省、笑。


二〇一四年六月二十三日 「こころとからだ」


 自分ではないものが、自分のからだにぴったりと重なって、自分がすわっているときに立ち上がったり、自分が立ち上がったとき
にすわったままだったりする。
 自分のこころが、自分のこころではないことがあるように、自分のからだもまた、自分のからだではないことがあるようだ。ある
いは、どこか、ほかの場所では、立ったまますわっていたり、すわったまま立っていたりする、もうひとりかふたりの、別のぼくが
いるのかもしれない。


二〇一四年六月二十四日 「切断喫茶」


 切断喫茶に行った。指を加工してくれて、くるくる回転するようにしてくれた。それで、知らない人とも会話した。回転する向き
と、回転する速度と、回転する指の種類で意味を伝えるのだけれど、会話によっては、左手の指ぜんぶを小指にしたり、両手の指ぜ
んぶを親指にしたりしなければならない。初心者には、人差し指と、中指と、薬指との区別がつかないこともあるのだけれど、回転
する指で会話するうちに、すぐに慣れて区別がつくようになる。こんど、駅まえに、首を切断して、くるくる回転するようにしてく
れる切断喫茶ができたらしい。ぼくは欲張りだから、二つか三つよけいに、頭をつけてもらいたいと思っている。


二〇一四年六月二十五日 「日記(文学)における制約」


 いま、「アナホリッシュ國文學」の、こんどの夏に出る第七号の原稿を書いている。「日記」が特集なのだけれど、ぼくも、「詩の
日めくり」というタイトルで、「日記」を書いている。このタイトルは、編集長の牧野十寸穂さんが仮につけてくださったものなの
だけれど、ぼくもこのタイトルがいいと思ったので、そのまま頂戴して使わせていただくことにしたのである。
 ところで、一文と一文とのあいだに、どれだけの時間を置くことができるのか考えてみたのだけれど、単に一日に起きたことを時
系列的に列挙していくだけだとしたら、その置くことのできる時間というものは、一日の幅を越えることはないはずである。したが
って、日記だと、その一文と一文とのあいだに置いておける最長時間というものは、二十四時間ということになる。いや、ふつうは
もっと短いものにしなければならないであろう。たとえば、こんなふうに。「朝起きて、トイレでつまずいた。夜になって新しいパ
ジャマを着て寝ることにした。」などと。もしも、これが日記でなければ、単に起きたことを時系列的に列挙していくだけだとして
も、一文と一文とのあいだに置くことのできる最長時間には制限がないので、たとえば、こんなふうにも書くことができるであろう。
「朝起きて、トイレでつまずいた。それから二百年たった。夜になって新しいパジャマを着て寝ることにした。」などと。また、日
記を書いている人物が途中で入れ替わったりすることも、正当な日記の条件から外れるであろう。もちろん、SFや幻想文学でない
かぎり、日記の作者は、人間でなければならないであろう。創作としての日記、すなわち、それが日記形式の文学作品というもので
あったなら、多少の虚偽を交えて、作者がそれを書くことなどは当然なされるであろうし、読み手も、書き手の誠実さを、ことの真
偽といった側面でのみ測るような真似はけっしてしないであろう。
 そうである。日記、あるいは、日記形式の文学作品というものにいちばん求められるものは、作者の誠実さといったものであろう。
もちろん、文学に対する誠実さのことであり、言葉に対する誠実さのことである。


二〇一四年六月二十六日 「メールの返信」


出したメールにすぐに返信がないと、お風呂かなと思ってしまう初期症状。
出したメールにすぐに返信がないと、寝たのかなと思ってしまう中期症状。
出したメールにすぐに返信がないと、寝たろかなと思ってしまう末期症状。


二〇一四年六月二十七日 「そして誰もがナポレオン」


 作者はどこいるのか。言葉の中になど、いはしない。では、作者はどこで、なにをしているのか。ただ言葉と言葉をつないでいる
だけである。それが詩人や作家にできる、唯一、ただ一つのことだからである。言葉はどこに存在しているのか。作者の中になど、
存在してはいない。では、言葉はどこで、なにをしているのか。言葉は、作者のこころの外から作者に働きかけ、自分自身と他の言
葉とを結びつけているのだ。

折り畳み水蒸気

 いま、ふと、ぼくのこころの中で結びついた言葉だ。ところで、作者が誰であるのか、ぼくには不明な言葉がいくつかある。どこ
かで見た記憶のある言葉なのだが、それがどこであるのかわからないのである。詩人か作家の言葉で見たような記憶があるのだが、
その詩人や作家が誰であるのか思い出せないのである。その言葉が、どの詩や小説の中で見かけた言葉なのか思い出すことができな
いのである。

そして誰もがナポレオン

 この言葉が耳について離れない。どこかで見たような気がするので、これかなと思われる詩や小説は、読み返してみたのだが、チ
ラ読みでは探し出すことができなかった。ツイッターで、この言葉をどなたか目にされた記憶がないかと呼びかけてみたのだが、返
答はなかった。ぼくの記憶が間違っていたのかもしれない。しかし、いずれにせよ、ぼくのこころの中か、外かで結びついた言葉で
あることは確かである。もう一つ、どこかで見た記憶があるのだが、いくら探しても見つからない言葉があった。ボルヘスのものに
似た言葉があるのだが、違っていた。「夢は偽りも語るのです。」という言葉である。この言葉もまた、しばしば思い出されるのだが、
「そして誰もがナポレオン」と同様に、思い出されるたびに、もしかしたら、作者などどこにもいないのではないだろうかと思わさ
れるのである。


二〇一四年六月二十八日 「洪水」と「花」


そのときどきの太陽を沈めたのだった。

 これは、ディラン・トマスの『葬式のあと』(松田幸雄訳)という詩にある詩句で、久しぶりに彼の詩集を読み返していると、あ
れ、これと似た詩句を、ランボオのもので見た記憶があるぞと思って、ランボオの詩集を、これまた久しぶりに開いてみたら、『飾
画』(小林秀雄訳)の「眠られぬ夜」のIIIの中に、つぎのような詩句があった。

 幾つもの砂浜に、それぞれまことの太陽が昇り、

 ディラン・トマスとランボオを結びつけて考えたことなどなかったのだが、読み直してみると、たしかに、彼らの詩句には、似た
ところがあるなと思われるものがいくつも見られた。その一つに、「洪水」と「花」の結びつきがある。もちろん、「洪水」は破壊の
それ、「花」は「再生」の、あるいは、「新生」のシンボルであるのだろうが、両者のアプローチの仕方に、言葉の取り扱い方に、両
者それぞれ固有のものがあって、ときには、詩集も読み返してみるべきものなのだなと思われたのであった。

 わたしの箱舟は陽光を浴びて歌い
 いま洪水は花と咲く
(ディラン・トマス『序詩』松田幸雄訳)

 (…)洪水も引いてしまってからは、──ああ、隠れた宝石、ひらいた花、──これはもう退屈というものだ。
(ランボオ『飾画』大洪水後、小林秀雄訳)

 ディラン・トマスのものは、いかにもディラン・トマスといった修辞だし、ランボオのものもまた、いかにもランボオのものらし
い修辞で、思わず微苦笑させられてしまった。


二〇一四年六月二十九日 「苦痛神学」


以下、ディラン・トマスの詩句は、松田幸雄訳、ランボオの詩句は、小林秀雄訳で引用する。

     ○

世界は私の傷だ、三本の木のようによじれ、涙を留める。
(ディラン・トマス『黄昏の明かりに祭壇のごとく』)

  長い舌もつ部屋にいる 三文詩人は
 自分の傷の待ち伏せに向かって苦難の道を行く──
(ディラン・トマス『誕生日の詩』)

      ○

 不幸は俺の神であった。
(ランボオ『地獄の季節』冒頭の詩)

 世界よ、日に新たな不幸の澄んだ歌声よ。
(ランボオ『飾画』天才)

 黒く、深紅の傷口よ、見事な肉と肉の間に顕われる。
(ランボオ『飾画』Being Beauteous)

 転々とさまようのだ、疲れた風にのり、海にのり、傷口の上を。
(ランボオ『飾画』煩悶)

 ふと頭に思い浮かべてしまった。海を渡って詩の朗読をしてまわる人間の大きさの傷口を、砂漠の砂のうえや森の中を這いずりま
わる人間の大きさの傷口を。


二〇一四年六月三十日 「愛」


 ある種類の愛は終わらない。終わらない種類の愛がある。それは朝の愛であったり、昼の愛であったり、夜の愛であったり、目が
覚めているときの愛であったり、眠っているときの愛であったりする。愛が朝となって、ぼくたちを待っていた。愛が昼となって、
ぼくたちを待っていた。愛が夜となって、ぼくたちを待っていた。
 終わらないことは、とても残酷なことだけれど、ぼくたちは残酷なことが大好きだった。残酷なことが、ぼくたちのことを大好き
だったように。愛は、目をさましているあいだも、ぼくたちを見つめていたし、愛は眠っているあいだも、ぼくたちのことを見つめ
ていた。その愛の目は、最高に残酷なまなざしだった。


二〇一四年六月三十一日 「ガリレオ・ガリレイの実験」


 きょう、友だちのガリレオ・ガリレイが、自分の頭と身体をピサの斜塔から落としたのであった。頭と身体を同時に落として、
どちらが先に地面に激突するか実験したのであったが、同時に落下したのであった。それまでにも頭と身体を同時に城や橋の上から
落とした者もいたが、同時に激突すると宣言したのは、友だちの彼が史上初であった。


遠い空

  zero

遠い空の明け方の光のもと
純粋なデモが始まった
幾つもの国境と限界を越えた先のデモだけれど
空を渡ってこちらまでシュプレヒコールは届いてきた
純粋なデモの純粋な示威行動と純粋な主張には何も内容がなかった
ただ純粋な行為としてデモは内容を持ってはいけなかった

遠い空はいつまでも遠く
決して近くなることがなかった
遥かな理想や高邁な哲学が
遠い空にはいつまでも秘されていた
飛行機も船も何もかも遠い空には及ばなかった
遠い空は搦め手を待っていて
逆走を求めていた
正確なな正攻法は遠さを近さに変えることができない

僕たちはとりとめのない話をしながら
気持ちは遠い空を揺蕩っていた
親しい友人たちや恋人たちの気持ちが飛んでいく場所
それが遠い空である
僕たちはお互いの眼差しを感じているが
この眼差しは遠い空へと幾筋も伸びていき
いつまでも保存されるのだった

遠い空の夕焼けの光のもと
テロ組織が国家に戦争を仕掛けた
民間人は死に大国が武力介入し多くの血が夕陽のように流れた
遠い空は山を映すように戦争を映した
木々の芽吹きと人間の死とが遠い空で等しく絡まった
無差別で無批判に何もかも映し出してしまう遠い空
その限りない優しさ


中原中也になりたくて

  泥棒

私の彼は
中原中也になりたくて
でも
なれなくて
夕暮れに
カップ焼きそば食べている
内定をもらえた
中の上の中の会社から
電話があって
内定取り消しになって
泣きながら
カップ焼きそば大盛り食べている
私が
コンビニへ行って
期間限定の
プレミアム瓶ビールを買ってきて
(これのんで元気だしなよ
って、
そう言ったら
ひと口だけのんで
ビールを丸いテーブルに
コンっと置いて
ズボンとパンツを
さっと脱いで
彼は
すこしだけ笑った

狭いお風呂に
一緒に入りながら
小さな鏡に映る
彼の
大きくなっている
おちんちん
そっと触りながら
(こんな日も勃起するんだね
って、
私は
良かれと思って
そう言ってみたのに
彼は
暗い顔をして
お風呂を出て行き
無言で服を
さっと着て
そのまま二度と帰って来なかった
言葉は
私の言葉は
こうやって
人を傷つけてしまう
あれから
もうすぐ一年が経ちます

私の彼は
中原中也になりたくて
でも
なれなくて
今は
串原串也って芸名で
全国をまわっています
小さなライブハウスで
朗読コントをしたり
詩人あるあるネタとかをやっています
そして
詩を書いている人達からは
失笑されています

私の彼は言っていました
もっと
詩をよんでもらいたいって
漫画や小説のように
普通によんでもらいたいって
つき会っていた頃
本当に
よく言っていました
その頃の私には
詩は
すごく
ものすごく
超ものすごく
特別なものだったから
普通によんでもらいたいって意味が
その感覚が
あまりわからなかったけれど
今は
すこしわかるのです
あれは
いつの日だったか
風が
急に強い風が
音を立て
何よりも先に
街を
丁寧に描写しながら
吹き抜けて
もう
誰も何も書くことが
できないねって
二人で
ただ
焼きつけるしかないねって
思いながら
近所の小川まで歩いた
春の日

トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです

(中原中也/春の日の夕暮)


今でも
月に一回くらいメールがきますが
ごくたまに
そのメールが
偶然かもしれないけれど
抒情的な
やけに抒情的な
一行詩になっている時があります
そんな時
私は
あの日に
彼が食べていたのと同じ
カップ焼きそば大盛りを
スーパーで買ってきて
ひとりで食べます
あの日
勃起していた彼に
何も言わず
お風呂で
セックスしていたら
いつものように
セックスしていたら
今年の春も
二人でお花見したり
電車に乗って
ツツジを見に行ったり
していたのかな

夕暮れ
ブックオフで
100円で売っている
知らない人の詩集を
パラパラめくり
なんとなく
よんでしまう
春の日の
夕暮れ

(串原串也/詩人あるある)


今だって
私にとって
彼は
串原串也などではなく
中原中也なのです
顔は
西郷隆盛みたいだったけれど
まったく
中性的ではなかったけれど
それでも
中原中也なのです
デートの時だって
いつも
ユニクロの服だったけれど
それでも
絶対
中原中也だったのです

春の日の夕暮れは
いつだって
急に強い風が吹いたり
人の気配がして
切ない
(こんな日もシャンプーするんだね
って、
私は私につぶやく
こんな日は
お風呂場の小さな鏡が
まるで深い意味があるかのように
抒情的に
やけに抒情的に
くもってゆきます
私は何になりたいのかな


裂け目

  尾田和彦


怒りのあまり
首の上に乗っかってる
頭が
今にも吹き飛びそうだった

苦痛というものは
人間を
深く地中に封じ込めておくものだ

うつぶせになったヘンドリックは
朝から熱し始めた太陽の光に晒され
砂を掴み
ヒリヒリと肩と背を焼かれ
海水の塩水に浸された顔は真っ赤になっていた

海辺のホテルに
男から電話がかかってきた
ヘンドリックは我々の捕虜になった
今から
九日間のうちに身代金を用意できなければ容赦はしない
男は低い声で言った
ヘンドリックはお前の分身だ
そいつを見捨てておくことは
どういうことか
お前が一番知っているだろう

あの感覚がまた戻ってきた
衰弱からくる恐怖
体の中から気力が失われ
生きることへの希望と信念が
やがて苦しみに変わる
ココ椰子の葉陰
遠くの海の匂い
生暖かい啓示

地面にカービン銃を下した兵士がぼくを見つめていた
鉄線の向こう側に
一匹の図体のでかいクマを運んだ
名前はヘンドリックだ
兵士は澄んだまなざしでぼくを見つめた

今は浜でグッタリしていることだろう
でっち上げられた現実が
また違う方向に向かい始めている
太陽は無関心さの象徴として空に張りつき
ぼくはカービン銃の兵士と
浜辺でリンチされている図体のでかいクマの話をしている


永遠の浅瀬

  コーリャ

男の子は
女の子と
このまま
永遠の浅瀬に
寝転がっていたいとおもった

ピンク色の夕焼けが
水平線のさきで
水槽にいれられた

ヒレのように足を水面にうつ
転がって泥を浴びる
そしてふりむけば女の子がいる

男の子は
女の子と
永遠の浅瀬に
寝転がっていたいとおもった


ツチノコ ツチンコ シタリガオ

  田中宏輔



もう もどっては こないよって

あいつは いった

ぼくのことなんか ほっといてよって

あいつは いった

ツチノコ ツチンコ シタリガオ

また どこかで会えるって? ハハン

かってに 思っててよ

ぼく 知らないよ

って

あいつは いった

ツチノコ ツチンコ シタリガオ

ぼくのことなんか 忘れてよ

もう 追いかけないでよ

って

あいつは いった

(ここで くるっと 宙がえり)

打ち水に

ハッとする 土ぼこり

土ぼこり

午後の日だまり

跳ね返り

ツチノコ ツチンコ シタリガオ

もう もどっては こないよ

って

あいつは いった

もう ぼくのことなんか 忘れてよ

って

あいつは いった

ツチノコ ツチンコ シタリガオ

(そこで 思わぬしっぺ返し)

ふうんだ

もう 忘れちゃってるよおおおだ

おまえのことなんか

もう だれも 追っかけないよ

って

いって やった

ツチノコ ツチンコ シタリガオ

(ここで くるっと 宙がえり)

午後の日だまり

跳ね返り

土となる

土となる


観賞魚

  リンネ

アダンの葉の裏に隠れたナナホシキンカメムシの光沢が照り返った日差しを受けて乱反射している。その輝きに呼応するようにして鬱蒼とした茂みのなかから浮かび上がる無数の頭蓋骨が、眼窩の空洞にくらやみを蓄えて近寄るもののなにもかもを飲み込んでいた。ひんやりとした地面のそこかしこで小さな甲虫が土埃をかすかに舞い散らせながら交錯して、いくつもの読み取ることのできないメッセージを繰り返し描いている。断末魔の叫び声が洞窟のなかにこだまし、そこで増幅した声音がいつまでもスローモーションのように重たい時間のうずまきに滞留している。あたりに満ちているのは水の揺れる音すら聞こえる驚くほどの静寂だった。ふと幻想の魚が洞窟から流れてくるひとすじの空気に逆らって泳いでいくのが見える。尾ひれからほとばしる虹色を浮かべた水滴が、透明な歴史の軌跡を色づけするようにしていつまでも消えずに宙づりになって残っている。その魚の顔面には無垢な輝きがあった。いずれ死ぬはずのものに特有の痺れるような輝きが、その洞窟のなかに堆積したあらゆる記憶を順々に照らしていくのだ。気がつけば数えきれぬほどの観賞魚があたりに散らばる頭蓋のなかから溢れ出て洞窟の方へ流れている。もう洞窟の内部は生きることも死ぬこともできないほどにまぶしい光の洪水に満ちて見えない。



まっくらな世界に、おまえは生まれまいと抵抗している。粘膜のようにまとわりつく時間が、時間の周りに幾重にも重なってはりついて、おまえは微動だにできないまま産み落とされかけている。むりやりのように開かれた目やにだらけの瞳を通じて、ようやくおまえはいまおまえの抜け殻を眺める。おまえはおまえの抜け殻の周りにあつまる虫けらのようなおまえの親族たちを眺める。そこでおまえはおまえの抜け殻に近づくおまえの息子に気がつく。おまえはおまえの抜け殻に火を放つおまえの息子を眺める。おまえはおまえの抜け殻に放たれた火が、おまえの抜け殻の顔面を焦がしていくのを眺める。おまえはおまえの抜け殻を燃やし尽くす炎に怯えて逃げ惑うおまえのまわりに集まる虫けらのようなおまえ同然の親族たちが燃えていくのを眺める。おまえはおまえの息子がおまえの抜け殻がごみくずのように燃えていくのを眺めて笑うのを眺めている。

おまえはおまえの息子がそのひんやりとした洞窟のなかにおまえの息子の家族を連れていくのを見てなにを思うか。おまえはこのまっくらな世界のなかで一段とくらやみに包まれたこの場所でおまえの息子がおまえの息子の家族に手をかけるさまを見せつけられてなにを思うか。おまえはなにもかもを見なければならない。おまえはおまえのほかだれでもないおまえじしんの息子の演じる一幕の唯一の観客なのだ。おまえは知らず知らずのうちに泣き始めた。おまえはおまえじしんの涙の表面に何重にもゆがんだおまえじしんの息子が映っているのをしらないのか。さあおまえは新たな命を生きねばならない。もはやおまえはおまえじしんをおまえのまま生きていくことはできない。おまえはもうおまえの息子に見せられたすべてを忘れることはできない。



Kがまだ高等専門学校に在学していた頃、父親が、巨大な水槽と何匹かの熱帯魚を突然家に持ち運び、自室にそれを置いて飼育を始めた。父は毎日朝早く家を出て仕事場に行き、いつも決まった時間に帰宅したあとはご飯を食べてテレビを見る。そうしてだいたい十二時前には床に着くという単調な生活を送る父には、それまでなんの趣味もないようにみえた。Kとしてはそうした父親の非人間的とも言えるような単調さに畏怖の念すら抱いていたものだから、意外に人間臭い一面もあるのだと、ある程度の好感を持って父親のその急な行動を見ていた。ところが何ヶ月かしたある夜、父が不気味に明るい声で観賞魚の一部が死んでいることを母に伝えた。そうして死んだ魚を網で乱雑にすくうとすぐにトイレに駆け込み、その魚を便器の中の汚水に放り込み、水洗レバーを大の方へまわし、勢いよく渦をまく便座の水流に飲み込まれて、死んだ魚は消えてしまった。母はやめなさいよ、と半分笑いながら諭すが、恐怖がその表情の裏側でふかく流れているのがKにはわかった。Kはそれまでの漠然とした父への恐れが、決定的な具象性をもってあるかたちを帯びていくのを感じた。何の感慨もなく屍体を処理するその光景に彼は初めて悪魔的なものを見た思いがし、それが自分の父親の行為であることがにわかに信じられなかった。その夜から、Kは自分の死骸が父親によって巨大なトイレの底に流されていく悪夢を、たびたび見るようになった。

ベッドに伏す父親の周りに、喪服に身を包んだ親族がびっしりと集まっている。Kは枕元に行き線香を焚く。近くで見ると、実に穏やかな表情である。死化粧をしているからか、どことなくマネキンのようなうさんくさい顔つきになっている。しかしそれはただ化粧をしているからではない。眉間から頭頂にかけて、見えずらいが一筋の切れ目が入っているのが見える。それは父親の抜け殻なのであった。Kはそうして抜け殻となった父のまわりに集まる親族たちが、なにか滑稽なものに見えてしょうがなかった。すべての欺瞞を暴くために、Kはおもむろにライターを取り出すと、父のその抜け殻の表面を燃やした。するとみるみるうちに火は勢いを増して燃えあがり、吹き上がるように天井まで炎が登っていく。頭上に広がる炎の海の中からなにかがKの額にぶつかって足元に落ちた。目前の炎に照りかえって青白く光るそれは、一匹の観賞魚であった。くねくねとのたうちまわりながら、死へと急速に向かっている。Kはその見覚えのある観賞魚を踏み潰そうといきおいよく足を上げた。一瞬、かれは父にすべてを見られているような気がして、それ以上動くことができなかった。Kはそのまま反転して生家を飛び出し、扁平な甲虫のように素早く自動車へ乗り込んでアクセルを踏んだ。かれはすべての因縁を追い抜くようにして何台もの車を幾度となく追い越した。そして翌日の早朝、Kは羽田空港から家族とともに沖縄本島へ向かい、そのまま読谷村にある有名な自然洞窟のなかで家族心中した。こうしたすべてのことは人々の記憶から水洗トイレへ流れるようにあっけなく消えていった。



インターネットを開きながら、おれは沖縄戦で集団自決を経験した人物の証言を覗いている。山の中の壕で家族をカミソリによって失血死させ、最後に自らも自殺を図るが、どうしても死にきれないで助かってしまった父親というのは、いったい何を感じるのだろうか。おれは試みに、自らの父親が自分の首元にカミソリの刃を突き刺すところを妄想してみた。ぐさりとやられた感触を首に感じる。血しぶきを浴びる父の顔を見ようと、振り返り、いまわのきわに目を見開いた。父の顔のあるはずのところには、無数の甲虫がひしめき蠢いており、容易にはうかがい知れなかった。となりでは妹と母親が血の海に溺れて、すでに傷口から白いものがはみ出して動いている。気づけば周りでは複数の家族が殺し合いを始めており、馬乗りになり、包丁で兄弟をどすどすと刺し続ける者や、赤ん坊を岩に叩きつける母親、注射を片手に毒殺の説明を始める看護婦などがいた。ふいに、そんな窒息しそうな妄想を取り消す明るい調子で、現実の台所から妻の呼ぶ声がした。それでも無視したままでいるおれを呼びに、今年小学校に入学したばかりの娘が部屋に入ってくる。おれは妄想をやめ、娘に怒られながら台所へ行き食卓につく。突然、電話が鳴る。母からだった。父が死んだという。原因はなんだというおれの質問に、母はにわかには答えづらい様子で沈黙している。本当は死んでいないのかもしれない。父が死ぬはずはないのだ。包丁をもったまま台所で立ち尽くす妻に話を伝えると、身支度を始めた。一人車に乗り込み、エンジンをかける。大きな舌打ちをしてから、おれはせき切ったように嗚咽した。


二島由紀夫のポテンシャル

  泥棒

四島由紀夫と五島由紀夫が殴り合う午後。
陽射しだけが美しい影をつくる午後。
草原で殴り合う2人の、
その影を見る限りはバレエのよう。
七島由紀夫は自宅の庭で筋トレをするのが日課。
丁寧に刈られた芝生の上に寝転んで陽を浴びる猫。
ホースで水をまき
その猫に虹を見せてやるのも日課。
三島だけが
どこにもいない。
六島由紀夫は
ネットで取り寄せた数種類の茶葉を独自にブレンド。
夕暮れ。その香り。
こだわりの紅茶で
仮面をつけた九島由紀夫と
ティータイムを楽しみながら
三島の話しに花を咲かせる。
少年少女が
マクドナルドを爆破する物語を書いてみようと思うんだ
いつかね。
そう言い残して
九島由紀夫は、思わせぶりに、
ゆっくり、消えた。
痛みを感じなさい、
肉体を傷つけ合うことでしか分かち合えない。
亡霊たち。
肉体のない三島の亡霊たち。
腹を、かっさばく、痛み。
早朝の新宿駅。
八島由紀夫が白線の内側で
文庫本を読みながら一島由紀夫を待っている頃
二島由紀夫が憂国で
鮮やかなロングシュートを決める。
そのポテンシャルの高さ。
二島が三島になる日も近い。
初夏の風。
枝の先端に着地する鳥。
その鳥のまばたき。
待ち合わせの予定を忘れて金閣寺。
存在しない左手首を、
ピッて、切る、空気の読めない、
一島由紀夫。
それらを
十島由紀夫がリリカルに切り取ってゆく現代。
肉体はないのに見える影。
靖国通り。
その印象だけをコミカルに描写する
技巧派の七島由紀夫。
誰の声にも耳をかさない。
そのメンタルの強さ。
描写の弱さ。
春の雪が全身を貫通する。
その見えない肉体美。


De'tente

  はかいし

窓を閉め切って
小鳥は飛び立てない
部屋を出て世界へ 止まり木のない林を見てみたい 武力がわたしを束縛する 抗生物質の魔法の弾丸 何発胸に受けても治まらない咳が 軋む窓を勢いよく閉じてしまう あの金属音が鋭い痛みとなって わたしを冷たくしていくの


孤島は燃えている
浜が崩されて
堆積した鉱物は陽射しを返す
遠くを臨むなら
目を凝らさなければ太陽にも見えてしまう
何千トンの水と 何万匹の海洋動物を沸騰させて
今まさに海に落ちてきた太陽は
頭痛がするほどの光と水蒸気の爆音を
窓に響かすのだ



羽が 拡げられ
翼の内側の皮膜も
よく見えるようにばたつく
小鳥の身体は温かく
瞳を落ちていく羽にもまだ残っている質量が
加速していく
聞こえるのだ この煩わしい陽の中でさえ
雪解けしていない一室に舞う羽毛が床に落ち
カツン、
ようやく始まった


熱で
窓は軟らかくなり
溶けていく
ガラスの気体は青く
空へと続いている 潮風を運ぶひとつの道ができる
きっともう二度と戻らないことを祈りながら
私は小鳥を見送る


幽霊とコントラバスの親子

  ねむのき

昼寝していたら
ちっちゃい男の子の幽霊に取り憑かれた
金縛りにあって動けないでいると
右手をちょこんと握ってきて
(かわいーなあ)
って呑気にそんなことを思ったけど
でも金縛りが解けたあと
起きて洗面台の鏡でよく見てみたら
取り憑いてたのは気色悪い緑色をしたおっさんの霊だった


近所のお寺に行って
お坊さんにお祓いを頼んだら
「ごめんウチそういうのやってないから(ポリポリ)」
お坊さんはキュウリの漬け物をポリポリ食べながら 
ぞんざいな感じでそう言った
お坊さんの漬け物がすごく美味しそうだったから
「お祓いはいいんで、その漬け物ひとくち下さい」
って聞いてみたら
「それだけはちょっと無理(ポリポリ)」
ってきっぱり断られた

お坊さんはかわりに
知り合いのK教授を紹介してくれた
なんでも除霊物理工学という新しい分野の研究で
第一人者と言われているえらい先生らしい
研究室を訪ねると教授はにこやかに出迎えてくれた
理学部棟の4階の隅っこに置かれた研究室は散らかっていて
たくさんの実験装置がうぃんうぃんひしめいている
部屋の奥の方では学生が二人雑魚寝していた
なんだかさっきからすごいミシミシ物音がする 
これがラップ音ってやつだろうか
「あー二人憑いてるね
そこの椅子に座って待ってて」
教授はそう言って席を立った
道着に着替えて戻ってきた教授の腰の黒い帯には
金の刺繍糸で「悪霊退散」の四文字が縫いつけてある
教授は僕の背後に立つと 深呼吸しながら精神を集中させ 
おっさんの霊にむかって渾身の正拳突きをかました
すると緑色のおっさんが悲しい顔をしながらふわふわ消えていく様子が
目の前にあった書棚のガラス戸にうっすら映って見えた
なんかもっとこうハイテクななにかを期待していたから 僕はちょっとガッカリした
「もう大丈夫だから安心して
またなにかあったらいつでも連絡してね」
優しい笑顔でそう言うとK教授は道着姿のまま
パソコンでなにかのデータを分析しはじめた
ディスプレイにカラフルな三次元グラフが表示される
僕はぺこりと礼をして研究室を後にした


帰りに駅前のボーリング場に寄った
とても混雑していたせいで 
しばらくしてアメリカ人の親子連れの二人と相席(相レーン?)にさせられた
親子の二人は太っててお尻がデカかった
なんだかコントラバスとチェロが並んでるみたい
コントラバスのお母さんはマイボールを持参していた
彼女の投球フォームはキレキレで 
スイングからフィニッシュまでまったく動きに無駄がない
ラメがキラキラしているライムグリーンのボールが
ものすごい角度でカーブして 
吸い込まれるようにピンを薙ぎ倒していく
ほとんど全部ストライクだった
チェロの息子くんは7歳で(見た目はもう少し幼い感じ)
お母さんよりだいぶ日本語が流暢だ 
息子くんは僕に正しい投げ方をレクチャーしてくれた
「ピンを狙うんじゃなくて 
右から二番目のスパットにボール投げるんだよ」
レーンに描かれた三角の目印をスパットと言うらしい
二人ともすごいフレンドリーで 
(やっぱアメリカ人ってコミュ力すごいな)
って僕は思った


4ゲームも遊んでボーリング場を出た頃には
辺りはすっかり暗くなっていた
結局晩ご飯をいっしょすることになって サイゼに入った
僕は明太子パスタ
お母さんはステーキのデカいやつ
息子くんはお子様セット
それから小エビのサラダと ピザとかフォッカチオとかも色々頼む
食事が済んだあとも長い時間ドリンクバーで居座って 
僕はお母さんと世間話を続けていた
コントラバス親子(ボーリングに夢中で名前聞くタイミングを逃した)は母子家庭らしい
まだ慣れない日本でシングルマザーを続けていて いろいろ苦労してるみたいだった
彼女は英会話スクールで先生をしていて
毎日サラリーマンにビジネス英語を教えているらしい
どうりで教えるのが上手だと思いましたよ と言うと
「わたし子供達がとても大好きだから、本当は学校の先生になりたかったの」
と彼女は肩をすくめ 笑った
息子くんは隣でずっと妖怪ウォッチのゲームで遊んでいた


緑が丘駅で二人と別れる頃には22:30を回っていた
お母さんとLINEを交換した
「またボーリング勝負しようね」
そう言って息子くんが僕の右手をちょこんと引く
昼間の金縛りの時と奇妙なくらい同じ手の感触だった
お母さんと手を繋いでバイバイしながら僕を見送る息子くん
その寂しげなまんまる顔が なぜか幽霊のおっさんの最期の表情と重なって
なんだかいたたまれない気持ちになった僕は
東急線に揺られながら ずっとおっさんの冥福を祈っていた
コントラバス親子が幽霊だったということを知ったのは
それからだいぶ経った後のことだった


君に触れるということ

  ズー


川沿いの村が栄えるのに港は重要だった、きみは雨ふりの続く時期になるとそんなことを考えている、南の大沼で採れるギチギチの葉は売り物として扱われるのに一週間ほど天日干しを必要とした、おもうにお義母さんが私を種なし南瓜だったからだときみに言ったのはパルルの丘に立ち海岸を見つめている時だったような気がする、小さな船着き場で村の若者が脂の多い死体と五枚鱗の小魚を引き揚げた朝も雨ふりは続いて、もしかしてあと二回生まれ変わったらほんとうによかった?五枚鱗のソテーとヤイヤイを蒸してすりつぶした朝食を私はもうずっと食べているってきみは知っていた、川沿いで栄えた村は子宝にも恵まれ増水した川に子どもを流すことがあったという、 とても良く晴れた日、村はきみにおもわれていたことをわすれる、目の前の海岸には雲がひとつも見当たらない、食べるんじゃない!乾燥させたギチギチの葉は男の道具に塗り込むと効果的だと聞いた、今は雨ふりの時期で、きみのきれいに謝らなければならない


あまのがわ 

  前田ふむふむ

   


換気扇が 軋んだ音を降らす
両親たちが 長い臨床実験をへて
飼い育てた文明という虫が 頭の芯を食い破っている
痛みにふるえる
今夜も 汚れた手の切れ端を 掬ってきた
うつろな眼で アスピリン錠剤をあおる

・・・・・・

痛むこめかみのなかの暗闇から
         歪んだ閃光を浴びて

動いている
わたしを氷山に葬るまなざしで
巨大なビルが キリンの群をつくり 動いている
生きているものは つねに声を
閉じられた咽頭の脈動を埋めた深みで
震わせながら
剃刀の器を瞳孔のなかに浸して
たえず 動いている
  ――――遠く遅れてゆく わたしの視線

動かないものは あすには 忘れられて
思い出という柩のなかに
石鹸の泡のように 仕舞われていくだろう
暗闇のなかで その化石にひかりをあてて
感傷に耽る地表にだけは 秒針は止まっている
その透明な 真新しい休息を
動いているものが 踏み固めていくのだ

急ぎ足で ビルに迷い込んだ 一羽の椋鳥が
サバンナを逃げ惑う シマウマの脅えた眼に
飲み込まれまいと 慌てて ときの歪に身をかくす
見上げれば 原色の空は
突き刺す言葉を 起立させている

動いている
わたしは 弓矢の姿勢で 動かなければならないのか
はたして わたしは ほんとうに 動いているのだろうか

動いている
傷ついた言葉の断片に
湧き水を口に含んで 微笑むあなたが
無数の星となって
わたしの胸のおくを 流れている
            生まれている
               死んでいく

・ ・・・・・・

喉が渇いて 熱があるようだ
音も無く 二つ目の閃光が
         濡れている眼を突き刺す

噎せ返る草のにおいのなかを 躰をしずめて歩く
「父と母が たどたどしい足取りで
やや うしろを歩く」
草は波をつくり 寄せては還して
塩からい汗を吐きだす夏を 加算しながら
「姉妹は 白いレースで飾ったスカートを着て
                 やや 前を歩く」
腕と足に絡み付いてくる草に 躰を裂かれて
わたしは 風に靡く葦のように
口から気泡を吐いて 草の海に たおやかに
溺れている

洗濯物を干す竿が 飛行機雲と平行に引かれている
かわいた手触りで ひかりを集めてある
なだらかな丘陵が 白い芽吹きに包まれて
かつて あの虹の掛かっていた
一面 恋人の胸のようなところに――
あたたかい風が 仕舞ってあるのだろうか

私信
「あなたとの約束は 守れそうにはありません
    きょう やはり たいせつな日です
       雨が降っていますが
   あの草のにおいのするところに行ってまいります」

・ ・・・・・

しばらく なだらかな素数の羅列が
    軟らかくなった脈拍の上に引かれる
       その最後尾を 三度の閃光が通り過ぎて

     ・・・・・

雨は 蟻の隊列にも 休息を与える

だから 弱い採光を ステンドガラスから灯して
講堂は わたしに 赤々とした呼吸の滑らかさを与えて
流れるみずいろの序奏のために
躰を丁寧にたたんでいる

座席に漂う 青く骨ばった息つぎ
眼に映る もえあがる新緑に充ちている春が
わたしの手から 滲み出てきて
込み上げる高揚を 口に切れば
かわいた声は 全身の座席に 立ちのぼってくる

講演台には ガラス瓶の水差しが 中央に浮びあがり
あなたの亜麻色の髪が 水差しのなかで
雨に濡れている
その 止まっている水滴のむこうに
瑞々しい言葉の廃墟が 広大に走り
きらきらとひかる あたたかい
あまのがわが 視える


いっそスモークチーズになりたい

  ねむのき

(※)

ああ めんどくさい
どうでもいい

あ 袋いらないです
レシートも結構です

釣り銭を財布にしまうのがめんどうだから 全部募金箱に流し込む 
業務用電子レンジを見つめる 単調な毎日が回転している
テープを巻き戻す不快な金属音が 頭のなかで響く 眩暈がする 
缶コーヒーと煙草をひったくるようにして ぼくはファミマを後にした
高校生らしきバイトの男の子が 弁当を手に困った顔をして店長を呼ぶ

そんなことは もはやどうでもいい
ああ めんどくさい と呟きながら
あてもなく駅前をうろつく 
薄汚れた本屋に入る 
ビジネス本コーナーには どこぞの成金が書き散らかしたであろう 
愚劣なタイトルの自己啓発本が平積みされている
ぼくは小さな手帳を買う
本屋を後にする

公園のベンチに腰掛けて 煙草に火を付ける
辺りを見回す
目に染みるほど青く空が晴れている
子供がひとりでボールを追いかけまわしている
手帳を取り出し ぼくは《宇宙を呪う歌》という詩を書きはじめる
ペンはするすると滑り ページを飛び越える
しばらくして壮大な叙事詩が完成した

「さっきからずっと何を書いてるの?」
子供がそばにやって来て訊ねた
「詩を書いているんだよ」
ぼくは答える
子供が手帳を覗き込む
「そんなにタバコを吸ってたら、スモークチーズになっちゃうよ」
ベンチの下に散らばった吸い殻を指さして 子供が言う
「きみはなかなかの詩人だね」
ぼくは笑う
子供は手を振って 走っていってしまった

全てがめんどうだった
宇宙の全てがどうでもよかった
〈いっそスモークチーズになりたい〉
手帳の新しい頁に ぼくは書き留めた――



風が吹いている
遠くで工事現場の防音シートがなびいて 曇り空に 鉄骨を叩く乾いた音が響く
ライターの火が付かない 僕は風を避けようとして 体をくるくるしている
すると彼と目が合った

「今日も詩を書いているの?」
ニコニコしながら駆け寄ってきて彼は言った
「また会ったね」
僕はベンチの端に座り直す 
すこし間をあけて 彼はぼくの隣にちょこんと座る
僕は手帳を取り出し ページをめくる
「じつは、きみのために新しい詩を書いたんだ」

Dal segno senza fine


kadambari panarata

  lalita

俺は自分のペニスを定規で測ってみた。18cm 横4.5cm

メスが満足するサイズだ。

容姿もいいしちょっと色気出せば、女も興味持ってくれる。

倍音を解析して、不協和音と協和音の二元性を超える。

音列を厳格に規定操作し、統御された音楽を構築する。

ノイズを加え、音響を具体化する。

四分音など音を複雑化し細密難解で立体的音楽を構築する。

音楽を構造化せず拍節をなくし,音そのものをきく。

純正率に回帰し、単純性をもとめる。

数学を音楽に適用する。

反復語法を追求する。

電子機械を音楽に適用する。

・・・・・・


女は言った。

あんた、それでもチンコついてんの?



むかついたからファックした。ケツをひっぱたいた。


彼女はアンアン喘いだ。


いい尻だった。

最近、余計な感傷から自由になって清々している。


彼女は筋金入り右翼フェミだ。


最近、上司が男性なのが気に入らなくて、ズボン脱がせて祖チンを馬鹿にしてリストラされたばかりだ。

ドエムなので、殴った。

殴って殴って殴った。

あざだらけになって血を吐いて失神した。

下の口になみなみとウォッカを注いだ。

om krim krishnaya govindaya gopivallabhaya svaha


最近、弟の友人の姉が覚せい剤で廃人になった。


救えない奴を救うったって無理


もう一回生まれ変わって来い。

彼女は多分、気持ちいいセックスしたことがないからしねないんだと思う。

誰か、殺してやれよ。

om ah vi ra hum kham vajra dhatu vam

戦争中の兵士はよく女の膣にビール瓶何本入るか試して遊んだらしい。


om vajrasattva ah

彼女はハローワークに並ぶ惨めな敗残者の男たちを眺めるのが趣味だ。

彼女はそういう哀れな男は去勢すべきだと思っている。

そうすれば、生き恥をさらさずにすむ。

彼女はいわゆる優しい女なんかよりずっと優しい。

彼女たちは言う。「チンコがちいさくても愛があれば女は満足!」

しかし、彼女はそんな妥協は無い。


真実を感情でごまかすほど卑怯じゃないから。

ベートーヴェンは言った。

「私の音楽で泣かないで欲しい。芸術家は火であり泣いたりしない。」

revenio cristo ad terra.


告白は放屁であり、恋愛は排便だ。

人間の醜さに吐き気。

もともと精液一滴だったくせに。

私ももう26。嗚呼。すべてが見え始めたのは、青年時代が終わってからだった。

きらめく朝日と共に夜明けが来ると。

権威的な大人たちを客観的に見れる今となっては、

昔の反逆を思い出す。

でも、すべてはベストタイミングで起こってる。

神聖なる女神の森の美酒を飲む。

現在の完全性という美酒を!

酔っている!ふらふらに!

千鳥足で。ダンサーのように。

距離が消える。

女神よ!

空間が消える!

エクスタシーと共に、排便した。

今日食べた、グリーンカレーのにおいがした。

大便はトイレに吸い込まれていった。

パンツに少しウンコがついた。

洗わなきゃ。風呂はいろ!

om mani padme hum om mani padme hum om mani padme hum


百合 #7.1

  アルフ・O

「予報は。
「雨のち晴れ。
「のち曇り。
「ついでに雪。
「また咲けないね、
「茎も葉もそろそろ限界、
「誰も来ないし。
「時折鷹と鳩が来るけど。
「ついばんでもらいなよ、
「やぁよ。
「雲に触れそう、
「水脈に届きそう、
「諦め悪いね。
「他人事、お互い様。


ガーデニア

  atsuchan69

避暑の家の涼しげな夏草の茂み
その影もまた深い碧に沈み、
淡く邪気ない木漏れ日が窓辺を揺らしていた
暗い六月の雨をしっかりと含んだ土の濃さが匂いたち、
やがて腐敗へとつづく露骨な大地のプロセスを
梔子の甘く優美な香りが蔽い隠している

彫刻のある楕円の鏡に映った二人は
鏡台に置いた一輪挿しを想わせるグリーンの瓶、
――多忙な夫からのプレゼントだという
花を模したキャップのある洒落た香水に眼をやり
禁断の部屋の猫足の椅子や家具たちを尻目に
その艶やかな白い花の匂いを嗅いだ

忘却も物語もない時間が短い針をまわし、
唇と唇がふれ、渇いた心が水を欲しがるように
不条理な夢が理不尽なまま永くつづくように、
いつか死に等しい罪にもふたり手馴れてしまっていた
隠蔽し続けることが真実を知る者の答えか否か?
偽りの昼の姿かたちはベッドへと転がった

繭のようにシーツで蔽われた二体のむくろ
容赦ない残酷な夏の光が、一切を白日に晒して


難解な朝

  zero

朝は難解である
アスファルトの奇異な色彩
人気のない誇張された静寂
待合室は不自然に明るく人を拒む
僕は始発電車に乗ろうと
駅のホームに立っているが
朝は難解である
時間は動くのをやめたかのよう
全てが終わった後の厳粛さに包まれ
光は目のあらぬところを貫く
これから仕事であり
僕はスケジュールを立てるが
朝は難解である
どこか狭間にはまり込んでしまった世界
新しいがゆえに言語化されていない風景
全てが虚構のようにみずみずしい
僕は朝を反射する
僕は単純な原理である
朝はこだまを返してくる
ずっと難解なままでいさせてくれと
それにあなたもひどく難解だと
そうこだまを返してくる
互いに難解であり続けることで
僕と朝との対話は尽きることがない
朝は本当はひどく単純だ
僕が単純であるのとまったく同じ理由で


  あおむら


僕らは雪をみていた
きみの息は、名詞を溶かし
これは、雪
それとも水、と
なぞなぞのように
みどり色のパンプスを
冗談まじりで蹴りあげて
僕は僕で
空に手をのばして
まなざしは
いくつも浮かび上がった水路を辿り
つめたい雪に触れる


竹婦人

  草野大悟

補色の皮膚にくるまれた
みずみずしい
くれない色の球体、に
浮遊する
ありふれた夕暮れ

しゃりしゃり、と
浸食される空から
ふきだす
涙形の星が、
しゃぶり尽くされて
裏葉緑青の毒に化けた
蛇衣を脱ぐ

言葉たちが
まとわりつく肌に
相槌をうっている蚊帳、の
吐息がきこえる


log

  アルフ・O

(彼は
 いつも
 こんなふうに、
 細胞一個 残さず
 つらつらと
 なぞる
 染み付いた痣を
 全部溶かして
 消そうとする

浴室の雨、42℃
叩きつけた唄と除光液


僕の好きな先生

  GENKOU

久しぶりにキツイ、体力も精神も、仕事にかなり消耗している。明日はもう完璧工場長にシバかれるな。無理もない今月は二度のミスだもの。ガラス結晶の光学材料、購買損失18万円、二度もやってしまったから。
コンマ何秒の一瞬の手違いでオシャカ様。集中力が欠如してるんかな。 夜デスクに座るのはこんな時ぐらいだ。腰痛だとかそんな言い訳は書きたくない、ミスはミス。原因と責任、所在申告は、集団、社会、組織や学校や会社じゃあ、あたりまえ中のあたりまえ、なのに10,5,6年も居ると、悪い入れ知恵が働き、不正を隠したい、と一瞬頭をよぎる。しかし必ずといっていいほどウシロメタさが悪循環に働き、いつか必ず表に現れるもの。人の心理面で働く人間の経験的法則だ。自分が小学校時分、もう自分は四十になるおっさんが、今でも尊敬している担任の先生をふと思いだした。こんな話しをしてくれたことがあった。四年生か六年生か忘れたが…先生曰く、『悪いことをしたけど、先生や親に知られなきゃ、いい…、でもね。絶対に)誰にもバレないで、悪いことはできないんだ。なぜだか…わかるか?。』教室の子供はみんなシーンと静まりかえる。『自分がそれを知ってるんだから。』(他の授業の時間で先生は、絶対という言葉は、むやみに使ってはいけない。ということも教えてくれた。)

 先ほど、やっとのことで仕事の、始末書、顛末書、是正措置の書類をまとめ、仕事場をあとにした。 
 
 一昨年逝かれたその先生を思い出し、小雨のあがった夜道をかえっている。


果てなき旅

  尾田和彦




その男は
全く欲ばかりで
気味の悪いことには
自分が正しいという話ばかりをしている
人を非難する言葉で
自分を正しいと言っている

怠け者か
世間知らずか
人食い人種か
眠ったまま
とうとう起きない
陽気なモラトリアムか
泥棒か

カーブミラーの
向こう側に広がってる
豊岡の日本海を見下ろすことができる
断崖の展望台
ぼくらは車を停めて
外国人と
学生さんのグループに紛れて写真を撮った
母さんが
ぼくと父さんに言った
3人での旅行は
これが生涯で最期かもね

マリンワールドがとても小さく見える
良く晴れた日の
ゴールデンウィークだが
シャツ一枚の薄着じゃ
ちと寒い
風が強いので
帽子が飛ばされそうになる

地上に人が誕生したとき
神様たちは
示し合わせたように
果てない旅を
人間に与えたに違いない
ぼくは尽きないものを願い
デジカメのシャッターを切った
カメラのレンズに
沈む景色
愛を結べなかった者たちの景色が
5月をうつす

人食い人種も
陽気なモラトリアムも
泥棒たちも
ひしめく夜の
星たちも
船荷の倉庫をいっぱいにし
やがて銀河にばら蒔く時を夢見てる

たかだか人間の感情などで
燃やせるものを世界と呼んだ傲慢と不遜とを
信じるか
愛せるか 


人間もどき

  ペスト

朝、柔らかな羽毛に口付けを
水槽の底で散り散りになった網膜が水を吸う
肺の海が広がる あなたは本の16ページ
錆びた釘が山から降りてくる
窒素はムカデの尾を裂いた
噴水が溶け出す
陽射しは四当分され村々へ運ばれる
勤勉なオウムはこう言った
人間になりたい
背負った鮫を道路の上に寝かせて
ゆっくりと少女は飲み込まれていった
雪が逃げ去っていく
もう中身のない呼吸は閉じられた
汚い手に包まれた手を踏み潰しながら
牛の黒い模様の上だけを歩く蝿がこう言った
僕の血は人間よりも赤い
釣竿の先に吊るされた
太い骨組みの汽車が夜を吐き出す
黒い色素が沈殿し
流電した鶏のトサカが赤く灯る
醜い男の背中に貼り紙を貼ろう
全てお見通しさ
贅肉を皿の上で
煮沸消毒した眼を丁寧に磨きながら
息を潜めて
草の中
辞書の羽が破れてしまった
もう彼は飛べないだろう
石鹸水の中からペニスをもった花が這い出てくる
こんな姿にしてくれて
墓の中
土が口に詰まった哀れな下着
卵の殻が泡を吹いて
風よりも重い視線を
それでもなお病む湖は
蒸発して吸われるだろう
蝶の鎖骨のあたりだとか
クラゲのレントゲン写真から抽出された雌しべのように
頬の溝の上を沈黙が渡っていく
森林を纏う赤血球の振動
瞼の裏に漂う静電気の糸
培養された鉱物の遺伝子
赤と白の間に働く磁力
気管支の不規則な変形
アルカリ性の北極熊が凍ってしまったので
人工の汽車は未だに緑色の涙を流す


引き裂かれる石

  ペスト

煌めく貝は死んだ風景の縞瑪瑙を
その古い葉模様とともに集めた
すると雷雨の大きな粒が落ち
夜の洞窟に響き渡る

しかし変質した石の震えは
明るい荒野の凍った銀を自らに引き寄せる
一つ一つの石は雷雨を含み
その力は潜在的であり変換されている

緩やかに引き裂かれる石の表皮に
水晶を委ねる音の深淵はこの表皮を剥ぎ取り
琺瑯の髪のごとく引き伸ばされたざわめきとともに
大地に帰っていく


雨の朝

  山人

久しぶりに雨が
そう日記に書きはじめてからふと外を眺める
激しく季節はずれの陽光に照らされ
疲弊した草たちは
むせぶように雨に濡れている
雨粒の音が、幾重にも重なった何処かに針のように入り込む
その奥で、カエルのつぶやきが聞こえている

季節は時をすべり
一つまみの夢を冬鳥がさらい
いくつかの諦めの氷片が砕けて冬となる
かすかに踏み跡をたどれば
そこにまた春があった
ずっと止まることなどなかった、あらゆる事柄は
終わることのない物語のように
幾冊ものノートに記帳されている

外の作業所の向こうは霧に包まれている
大気の中の微細な水粒が
すべての物物に湿気を与えている
あらかじめ知っていたかのように
大杉はそれを受け止めている

葉の裏で雨をやり過ごす蜘蛛が居るのだろう
少しばかりの湿気をとりこみ
頷くように外を眺める
生き物たちは、ただ黙って
雨とともにたたずんで居る

物語はまだおわらない
人は物語をつくるため生まれ
ずっと物語をつくり続ける

雨の日曜日はどことなく
生きる香りが漂い
乾いた何かを湿らせてくれる


木の扉

  イロキセイゴ

トイレの扉を開くと
思いっきり馬が出て来る喫茶店で
順番待ちをして居た
真緑のパラソルの下に居れば
ブルーベリーが実って居て
私よりちょっとだけ背の低い
木が扉をちょっと強く閉めると
壁ごと揺れる家屋を眺めて居る
お茶したら本屋に行こうかと
誘われてもノーサンキューのモードで
誌だけ買えれば床屋はまた別の日に行ければ良いと思う
木の扉は木の壁に擬態化し
殆ど高低差?(凸凹の無い滑らかさですね)が無いので
トイレの扉は出っ張っても引っ込んでも居ないので
思わずトイレの扉の前に待って居た所を
開けられて(その人は野球同好会の人だろう)(団体客で上得意と言った所)
尻を木の扉でぶつけられて仕舞った

文学極道

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