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2015年09月分

月間優良作品 (投稿日時順)

次点佳作 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


詩の日めくり 二〇一四年十一月一日─三十一日

  田中宏輔



二〇一四年十一月一日 「She’s Gone。」


風水って、よう考えてあるえ。
そなの?
東西南北すべてに地上があって宇宙があるのよ。
東に赤いもんを置くのは、あれは、お日さんがあがってきはるからやし
西に黄色いもんを置くのは、あれは、お月さんの明かりを表してあるのんえ。
へえ。
ちょっと、きょう撮ったこの花見てえな。
なになに。
これ、冬桜。
へえ、大きいの?
アップで撮ったから大き見えるけど、こんなもんえ。
と言って、右手の人差し指と親指のあいだをつづめて2、3センチにして見せる。
藤とザクロと枇杷は、家の敷地のなかには植えたらあかんえ。
なんで?
根がものすごう張るし、上も繁殖するから、家のなかに光が入らへんのえ。
そだよね。
藤の花って、きれいだよね。
むかし、船くだりして見た藤の花の美しさには、びっくりした。
トモくんといっしょに、船で川くだりしてたときに見たんだけど
船頭さんの話を聞かされながら川をくだってたんだけど
がくんとなって、はっとして見上げたら
数十メートル先の岩頭に、藤の花がまといつくように
いっぱい咲いていて、あの紫色の花が
太陽光線の光で、きらきらきらめいて、ほんとにきれいやった。
突然、ふっと目に見えるところに姿を現わしたってことも
その美しさをより増させたように思う。
こころの準備のないときに、ふっと姿を現わすということ。
このことは、ぼくにヴァレリーの、つぎのような言葉を思い起こさせた。
それとも、つぎのようなヴァレリーの言葉が、ぼくにこのような感慨を抱かせたのか。

 兎は、われわれを怯えさせはしない。しかし、兎が、思いがけず、だし抜けに飛び出して来ると、われわれも逃げ出しかねない。
 われわれに取って抜き打ちだったために、われわれを驚嘆させたり、熱狂させたりする観念についても、同じことが言える。そういうものは、少し経つと、──その本来の姿に戻る……
(『倫理的考察』川口 篤訳)


二〇一四年十一月二日 「Sara Smile。」


ずいぶん、むかし、ゲイ・スナックにきてた
花屋の店員が言ったことだったかどうか
忘れてしまったのだけれど
切花を生き生きとさせたいために
わざと、切り口を水につけないで
何日か、ほっぽっておいて、かわかしておくんだって。
それから、切り口を水にさらすんだって。
すると、茎が急に目を醒ましたように水を吸って
花を生き生きと咲かせるんですって。
さいしょから
たっぷりと水をやったりしてはいけないんですって。
そうね。
花に水をやるって感じじゃなくって
あくまでも、花のほうから水を求めるって感じでって。
なるほどね。
ぼくが作品をつくるときにも
さあ、つくるぞって感じじゃなくて
自然に、言葉と言葉がくっついていくのを待つことが多いもんね。
あるいは、さいきん多いんだけど
偶然の出会いとか、会話がもとに
いろいろな思い出や言葉が自動的に結びついていくっていうね。
ああ
なんだか
いまは、なにもかもが、詩とか詩論になっちゃうって感じかな。
書くもの、書くもの、みんなね。

すると、マイミクの剛くんからコメントが

たしか
水の代わりに炭酸水をやるといいらしいですよ

これも
ストレスみたいなものでしょうね

ぼくのお返事

初耳でした。
ショック療法かしらん。

すると、またまた、剛くんからコメントが

ヴァレリーの兎みたいですね。

ぼくのお返事

そうね。
そして、その驚きが長続きしないように
切花も
ポエジーも
瞬間的沸騰をしたあとは
じょじょに
あるいは
急激にさめていくという点でも酷似してますね。
ふたたび熱されることはあってもね。
まえより熱せられることは
まれですね。
シェイクスピアや
ゲーテくらいかな。
ここに
パウンドをくわえてもいいかな。
あと
ボードレールくらいかな。
きのう
おとつい
ずいぶんむかしの自分のメモを読み返して
ボードレールのすごさに
感服してました。

すると、またまた、剛くんからコメントが

あつすけさんは、ボードレールをどの本でどの訳で読みますか?

ぼくのお返事

人文書院の全集を持ってるから、それで。
詩は文庫で堀口さんと三好達治だよ。

マイミクの阿部嘉昭さんからもコメントが、じつは、うえの剛くんとの応答の前に

水で蘇るというのは
やはり魔法ですね。

花田清輝『復興期の精神』の
「クラヴェリナ」は
はたして実在の生物なんだろうか。

ぼくのお返事

花だ性器ですね。
読んだことがないのですが
ああ
まだまだ読んだことのないものだらけです。
読むリストに入れておきます。


二〇一四年十一月三日 「If That’s What Makes You Happy。」


ときおりボーッとしているときがあるのだが
放心と言うのだろうけれど
わたしはときどきそういう状態になるが
起きているあいだにも
自我が休息したいのだろう
魂が思考対象と共有する部分を形成しないときがあるようだ

孫引きされたマルセル・モースの『身体技法』を読んで
こんなことを思った
たしかにそうだ
人間は食べることを学んで食べることができるのだ
話すことを学んで話すことができるのだ
愛することも学ばなければ愛せないだろう
愛することのはじめは愛されること
また他人がどう愛し愛されているかを知ることも大事
自分とは違った人間が
自分とは違った愛され方をし
愛し方をしていることを知るのも大事

食べ方が違う
話す言葉が違う
愛し方が違う
いま同じ日本にいる人間でも
ひとりひとりどれだけ違うか考えると
人間というものがいかに孤独な存在かわかる
かといって
同じ食べ方
同じ言葉
同じ愛し方
これは孤独ではないが
とてもじゃないけれど
受け入れがたいことだ

まるでミツバチのようだ

マルセル・モースの『身体技法』から
ずいぶん離れたかもしれないけれど

ふと思ったのだが
愛もまたわたしという体験からなにかを学ぶのかもしれない
神がわたしという体験を通じて学ぶように

エドモンド・ハミルトンの『蛇の女神』(中村 融訳)を読んでいると
「音には目をくらませる力がある」とあったのでメモしていたら
ジミーちゃんから電話があって
「あなたの詩は
 リズムによって
 理性が崩壊するところがよい。」
と言われて
ものすごい偶然だと思った

正確に言うと
電話があったのは
メモをルーズリーフに清書しているときにだけど

その花は肛門をひろげたりすぼめたりしていた。


二〇一四年十一月四日 「シャロンの花」


 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの『輝くもの天より堕ち』を読み終わった。ぼくが満点をつけるSFは10冊から20冊のあいだの数だと思う。けっして少ない数ではないが、これは満点以上のものだった。本文517ページに、「シャロン」あるいは「シャローン」は「そこらの女」という意味の俗語だという割注があったのだけれど、ぼくの辞書やネットで調べても、そういう意味がなかったが、シャロンというのはイスラエル西部の肥沃な場所で、もとは「森」の意とあった。俗語に詳しくないし、ネイティヴでもないので、「シャロンの花」とかいった言葉が聖書にあるが、そういったものが転用されて、俗語化して卑俗な意味になったのかもしれない。これは、いつか、ネイティヴの知り合いに話す機会があれば、訊いてみようかなと思う。物語に夢中になって、引用メモすることをいっさいせずに読み切ってしまったので、これから印象に残った言葉を探さなければならない。一か所だけだけど。内容はだいたいこういうもの。「すべてのもとは、子どもの時代になにをしたかということ。」もちろん、ぼくは、「なにをしなかったか。」ということも大事だと思うけれど、いまからできることも大事だとも思う。数時間前の読書なのに、記憶が違っていた。本文497ページ「もしもあなたが年を経た金言を聞きたければ、わたしはこういいたい。幼いころにあなたがやるすべての行動、そして起きるあらゆることが重要だと。」(浅倉久志訳)


二〇一四年十一月五日 「お風呂場」


お風呂場でおしっこしたり、セックスしたり、本を読んだり、ご飯を食べたり、自転車に乗ったり、家族会議を開いたり、忙しいお風呂場だ。


二〇一四年十一月六日 「言葉」


言葉にも食物連鎖がある。
言葉にも熱力学の第2法則がある。
言葉にもブラウン運動がある。
言葉にも屈光性がある。
言葉にも右ねじの法則がある。
言葉にもフックの法則がある。


二〇一四年十一月七日 「ヴォネガットの『国のない男』を読んで」


人間というのは、何かの間違いなのだ。
(ヴォネガット『国のない男』2、金原瑞人訳)

たまには、本当のことを書いてみたらどうなの?
(ヴォネガット『国のない男』2、金原瑞人訳)

ご存じのように、事実はじつに大きな力を持つことがある。われわれが望んでいないほどの力を。
(ヴォネガット『国のない男』2、金原瑞人訳)

  〇

いくつか全行引用詩に使えそうなものを抜き書きしてみた。しかし、読んだ記憶がある文章も書いてあった。もしかしたら、読んだ本かもしれない。つぎのような個所である。

  〇

思い切り親にショックを与えてやりたいけど、ゲイになるほどの勇気はないとき、せめてできそうなことといえば、芸術家になることだ。これは冗談ではない。
(ヴォネガット『国のない男』3、金原瑞人訳)

  〇

 そいえば、ヴォネガットも専攻は化学だったらしい。ぼくと同じで、親近感が増すけど、ヴォネガットのような経験もやさしさや思いやりも、ぼくにはないので、人間はぜんぜん違う。ヴォネガットは、こうも書く。

  〇

詩を書く。どんなに下手でもかまわない。ただ、できる限りよいものをと心がけること。
(ヴォネガット『国のない男』3、金原瑞人訳)

  〇

「できるだけよいものをと心がけること。」これは、もちろん、ぼくもいつも思っていること。


二〇一四年十一月八日 「ヴォネガットの『青ひげ』を読んで」


 たまにする失敗。本のうえで、開けたページのうえで、メモをとっているときに、ペンがすべって、メモしてる紙からはみ出して、本のページのうえを、ペンがちょろっと走ること。いま、ヴォネガットの『青ひげ』184ページのうえで起こった。2行+***+2行目の下のほう、「途中ずっと」の左横で。読書が趣味なだけではなくて、うつくしい表紙の本のコレクターでもあるぼくは、以前なら、本のページがちょっとでも汚れたりしたら、発狂した人間がとる行為のような勢いで部屋のすみに本を投げつけたりしたものだけれど、きょうはおとなしかった。どうしてだろうか。いや、むしろ落ち着いておとなしい、いまのぼくの精神状態のほうが、以前の精神状態よりも狂っているような気がする。ちょっとしたインクの汚れ、これが数時間後に、あるいは、数日後に、頭のなかで、巨大な汚れとなって発狂したような状況を引き起こすかもしれない。などと、ふと考えた。いったい、ぜんたい、ぼくは、本の価値をどこに置いているのだろうか。内容だろうか。文字の書かれた紙という物質だろうか。その紙面の美しさだろうか。表紙の絵の好ましさだろうか。いや、そのすべてに価値がある。ぼくには価値があるのだった。そうだ。ぼくのメモの走り書きがなぜ、印刷された文字の左横に存在するのか説明していなかった。ふだんのメモや文章は、すべて横書きにしているのだが、このときのメモにはもう余白がほとんどなく、メモ用紙の下から引き出し線をちょこっと上に書いて、そのあと、メモ用紙の右の残された少ない余白に、それは縦2cm、横5mmほどのものだったのだが、そこに「縦書き」で変更メモを書いたのだった。それが、本のページに縦にペンの走った跡が残される理由だったのである。ちなみにその少ない余白に書いたぼくの言葉は、「別の現実の」であった。ここだけ赤色のインクである。なぜなら、まえの言葉「ある事柄の」のうえを赤線を引いて書いたものだからである。それまでのメモは、そのメモ用紙に関しては、黒インクだけで書いていたからであった。ちなみに、メモ用紙のした3分の1を訂正含めて書き写すと、「p.184うしろ l.6-7参照 現実の出来事が象徴そのものとなることがある。あるいは、現実が別の現実のメタファーとなることがある。(自作メモ)」である。もとの本にはこうある。「ときには人生そのものが象徴的になることがある。」(浅倉久志訳)さて、ぼくがいったい、ふだん、本を読んでなにをしているのか、その一端を披露したのだけれど、本を読んで、その本に書かれた事柄をさらにひねったものにしたり、逆にしたり、拡げたり、一般化したり、パーソナルなものにしたりして、変形しているということなのだ。初期の読書では、詩人や作家の書いたものの解釈をしていたのだが、あるときから、本に書かれた内容以外のものも含めて「読書」に参加するようになったのだった。いわば読みながら創作に関与しているのだった。これを正当な読書だと言うつもりはない。ぼくの読み方だ。ところで、つまらない作品だと思うものに大量のメモをすることもあれば、傑作だけれど、いっさいメモができなかったものもあるのだが、おそらくさきほど書いたような経緯もあるのだろう。あまりに完璧すぎてメモができなかったものにP・D・ジェイムズの『正義』がある。いや、『正義』からもメモをした記憶がよみがえった。しかし、ぼくの頭は不完全なので、あったことのない記憶もあれば、なかったことのある記憶もあるらしい。メモしていなかったかもしれない。読書に戻ろう。ヴォネガットの『青ひげ』への感情移入度がきわめて高い。ふと思ったのだが、「現実が別の現実のメタファーとなることがある。」は、「ある一つの現実がそれとは別の一つの、あるいは、いくつかの現実のメタファーとなることがある。」にしたほうがいいだろうか。いじりすぎだろうか。まあ、状況に合わせて変形すればよいか。そいえば、さっき、ヴォネガットの『青ひげ』(浅倉久志訳)を読んでいて、「「まちがいね」と彼女は言った。」を、さいしょ、「「きちがいね」と彼女は言った。」と読んでいた。ルーズリーフにメモしようと思って再読して勘違いに気がついた。疲れているのだろうか。きのうもほとんど眠っていない。クスリの効きが落ちてきたようだ。


二〇一四年十一月九日 「アップダイクの『走れウサギ』を読んで」


 ジョン・アップダイクの『走れウサギ』の冒頭の2ページを読んで、あれっと思い、さらに2ページを読んで確信した。これ、まえに読んで退屈だと思って、捨てた本だった。しかし、いま読むとメモ取りまくりなのである。ぼくの言葉の捉え方が変わったのだと思う。こういったことも、ぼくの場合、めずらしくないんだな。


二〇一四年十一月十日 「amazon」


こんなやつに笑われたひとは、こんな連中にも笑われています。


二〇一四年十一月十一日 「おれの乳首さわってみ。」


ふざけ合った。
「ほらほら、おれの乳首さわってみ。」
ケンコバが、ぼくに彼の脇のしたをさわらせた。
「これ、イボやん。」
「オレ、乳首3つあるねん。」
「こそばったら、あかんて。」
ああ、楽し、と思ったら目が覚めた。


二〇一四年十一月十二日 「かわいいおっちゃん」


 きょう、近所のスーパー「フレスコ」で晩ご飯を買ってたら、ちょっと年下かなと思えるかわいいおっちゃんがいて、見たら、見つめ返されたので、目線をそらしてしまった。目線をそらしても、まだ見てくるから、近所だからダメだよと思って、顔を上げないで買い物をつづけたけど、帰ってから後悔した。こういうときに、勇気がないから、ときめく出会いができないんやな、と思った。数か月に1度くらいある、稀な機会やのに。また会うかなあ。ここに住んで10年くらいで、はじめて見た顔やったから、もう会わへん確率が高い。もったいないことをしてしまった。ちょっと声をかけるだけでよかったのに。


二〇一四年十一月十三日 「卵は廻る」


一本の指が卵の周りをなぞって一周する
一台の自転車が地球のまわりを一周する


二〇一四年十一月十四日 「マイミクの方のブックレビューで見つけた、ぼくの大好きな詩句。」


マイミクの方のブックレビューで見つけた、ぼくの大好きな詩句。

Jean Cocteau

「赤い包み」
という詩にある詩句

Je suis un mensonge qui dit toujours la vérité .
(ぼくはいつも本当の事を言う嘘つきだ)

原文を知らなかったので
とてもうれしい。
フランス語が読めないので
語音が楽しめないのだけれど。

あるサイトがあって
そこは英語で、コクトーの言葉が書いてあった。
上の詩句は

I am a lie who always speaks the truth.

でした。
ふつうやね、笑。
でも、lie を受けるのが who なんて、意外やわ。
へんなとこで感心してしまう、笑。

すると、マイミクの剛くんからコメントが

はじめてlieを習ったとき、
英語でこのことばを人に使うと、
ものすごい中傷になるので
日本語のように使ってはいけないといわれた記憶があります。
ジーニアスにも、
かつてはこのことばを使われたら、
決闘を申し込むほどだったとありました。

mensonge は〈嘘つき〉ではなく「嘘」

qui は英語でいうところの「who」ですから
「嘘」が人間のように修飾されているみたいです。

日本語では訳しづらいニュアンスですね。

ぼくのお返事

文法上は、擬人法的な扱われ方で
語意上は、擬人法的に訳したらダメってことね。
堀口大學さんの訳文って
たしか
「わたしとは真実を告げる偽りである。」
って訳していたような記憶があります。
いま
ネットで調べました。

ぼくという人間は虚偽(いつわり)だ、
真実を告げる虚偽(いつわり)だ。 (堀口大学訳)

たしかに、こうでしたね。
しかし、つぎのように訳しておられる方もおられますね。

「ぼくはつねに真実を語る嘘つきだ。」

ジャン・コクトー「赤い包み」末尾 1927 『オペラ』収録

ううううん。
「嘘つき」という訳には抵抗があるなあ。
堀口さんの訳が耳にこびりついてるからかなあ。
まあ、単なるメタファーなんやろうけど。
たしかに、微妙なメタファー。
そうだなあ。
たとえば
名詞の ruin なんてのは、ひとには使わない単語だけど
使うとしても、one's ruin って感じでだろうけど
He was a ruin.

彼は廃墟だった。
彼は破滅だった。
ってメタファーとして使えるってことやね。
たしかに、詩的な感じがするね。

すると、また剛くんからコメントが

嘘そのものってことね。
たんに
不定冠詞の un
数形容詞の un として
「一つの」
「一個の」
と、つけて訳しても、カッコいいかもね。

すると、ぼくがブックレビューで右の言葉を見つけた
当のマイミクのしーやさんからコメントが

そう、嘘つきではなく、正しくは、嘘なのだけれど
詩集ではなく、絵で知ったの
13,Novembre 1934
とあるので、詩集のほうが、先ね
挿絵として描かれたものなのでしょうか
いま、図録がすぐ手元にみつからなくて、あいまい
そう、オペラで括られて、展示されていた気もする
そのための作品だったかもしれない
おとこのこの顔が、描いてあったから
「嘘つき」と勝手に訳した嘘つきです
ちなみにその絵画のほうの英語訳は

I am a lie that always tells the truth 

でした。

ぼくのお返事

that のほうが自然な感じがしますね。

「嘘つき」と訳されてあるものもありますね。
といいますか、いまネットで調べたら
堀口大學さんの訳以外、みんな、「嘘つき」になっています。
不思議!

Comprenne qui pourra:
 Je suis un mensonge qui dit toujours la vérité.

 わかる人にはわかって欲しい、
 「ぼくはつねに真実を語る嘘つきだ」ということを。 (コクトー「赤い包み」 1927 )

どっちのほうがいいかは、もしかしたら好みによるのかもしれないですね。


二〇一四年十一月十五日 「重力」


鉛筆が机の上から転がり落ちる速さと同じ速さで
机が同じ向きに90度回転したら
鉛筆は机の上で静止したままだ
鉛筆が机の上から転がり落ちる速さと同じ速さで
机が同じ向きに90度回転し
それと同じ速さで建物が同じ向きで90度回転したら
鉛筆は机の上を逆向きに転がり落ちる
鉛筆が机の上から転がり落ちる速さと同じ速さで
机が同じ向きに90度回転し
それと同じ速さで建物が机と同じ向きで90度回転し
それと同じ速さで地面が机と同じ向きで90度回転すると
鉛筆は机の上を逆向きに転がり落ち
机の下を転がり
机の脚元から上昇する
鉛筆が机の上から転がり落ちる速さと同じ速さで
机が逆向きに90度回転したら
鉛筆は倍速で転がり落ち
机の下を転がる
鉛筆が机の上から転がり落ちる速さと同じ速さで
机が同じ向きに90度回転し
それと同じ速さで建物が机と逆向きに90度回転すると
鉛筆は机の上から転がり落ちる
鉛筆が机の上から転がり落ちる速さと同じ速さで
机が同じ向きに90度回転し
それと同じ速さで建物が机と逆向きに90度回転し
それと同じ速さで地面が建物と同じ向きに90度回転すると
鉛筆は机の上に静止したままだ


二〇一四年十一月十六日 「本のうんこ」


 本がうんこをするとしたら、自分より小さい本をうんこにして出すんやろうか。それとも、印刷された文字をうんこにして出すんやろうか。まあ、余白の紙をうんこにはしないだろうけれど。おなかをくだしてたら、文字がシャーって出てきたりして。本の出す固いうんこって文字がギューってからまってそう。


二〇一四年十一月十七日 「本のイメージ」


 本のイメージって、鳥かな。魚っぽい形もしてるけど。虫じゃないだろし、猿や犬とも違ってっぽい。やっぱ、鳥かな。鳥は卵だし、本も卵から生まれるのかもしれない。そしたら本が先か卵が先かって話になるのかな。鳥かごのなかの止まり木に小さな本がちょこんと腰かけて、足をぶらぶらさせてる姿が目に浮かぶ。


二〇一四年十一月十八日 「本の料理」


 本を料理する。煮たり、焼いたりするのもいいけど、サンドイッチもいいかな。細く切って、パスタにもできるし、厚く切って、おでんの具材にもいいかもしれない。ピザの生地にも使えるかな。でも、本って、さしみがいちばんおいしかったりして。和・洋・中華、なんにでも使える具材だね。


二〇一四年十一月十九日 「フューチャー・イズ・ワイルド」


 塾の帰りに、五条堀川のブックオフで、『フューチャー・イズ・ワイルド』という本を買った。200000000年後の地球に生息しているかもしれない生物を予測してCGにした本。とてもきれい。108円。きのうも見たのだけれど、買わなかった。でも、気になって、きょう、あるかなと思って行った。200000000年後の世界なんて、関係ないじゃん、とか、きのうは思ってたのだけれど、きょう、通勤電車のなかで、5000000年後の風景とか、100000000年後の風景とか考えてたら、あ、参考になるかな〜と思って、あれ買わなきゃと思ったのだった。氷結した地上で、畳のうえに坐って、おかきをパリパリ食べてるぼくとか、焼けるような日差しのなか、ジャングルのなかで、そばでは巨獣が咆哮してるというのに、ヘッドフォンでゴキゲンな音楽聴きながら、友だちとピンポンしてるぼくとか、思い浮かべていたのだった。


二〇一四年十一月二十日 「ラルース 世界ことわざ名言辞典を読んで」


二兎を追うものは三兔を得る。
証拠より論。
我がふり見て人のふり直せ。
一方美人。
皿を食らわば毒まで。
仇を恩で返す。
三度目の掃除機。
あらゆる善いことをした人でも、わたしに悪いことをした人は悪人である。
金銭は人の尊敬よりも確かな財産である。


二〇一四年十一月二十一日 「円筒形のパパ」


ぼくが授業をしていると
円筒形のパパが
教室の真ん中に現われた
円筒形のパパは
くるくる回転していて
ぼくは授業中なので
驚いた顔をしてみせるわけにもいかず
黒板に向かって
複雑な因数分解の解法について書き出した
式を書き終わったところで振り返ると
やっぱり円筒形のパパは
教室の真ん中で
くるくる回転していて
ぼくは生徒がノートをとり終わるのを待つふりをしながら
生徒の机と宙に浮かんだ円筒形のパパに
交互に目をやった
ほとんどの生徒のペンの動きがとまったことを確かめると
黒板に向かって式の解説をはじめた
黒板をみるときに
ちらっと目の端でとらえた円筒形のパパは
やっぱりくるくる回転していて
生徒といっしょに
せめて
じっとして
こっちを見ていて欲しいな
と思った


二〇一四年十一月二十二日 「パパ」


 父親には恨みごとしかないと思っていたのだが、ひとつだけ、感謝していることがあった。ぼくの知るかぎり、一生のあいだ働かずに生きていた父親の趣味が文学や芸術であったことだ。映画のスティール写真を写真屋に言いつけて1メートル×2メートルくらいの大きなものにして寝室に飾っていたり、しかもそれは外国人俳優のヌード写真だった。たしか、『化石の森』という映画で、レイモンド・ラブロックがベッドのうえで、背中とお尻の半分を露出している白黒写真だった。書斎にはほとんどありとあらゆる本があった。ほとんど外国のもので、なかにはゲイ雑誌もあった。薔薇族やアドンやさぶやムルムといった日本の代表的なゲイ雑誌があった。生涯において、女性の愛人しか持たなかった父親だったが、精神的には、男性にも魅かれていたのかもしれない。あるいは、単なる文芸上の趣味だったのか。継母は、女の愛人には厳しかったが、ゲイ雑誌は、単なる趣味だったと思っていたようだ。ぼくが父親の本棚にあるゲイ雑誌について尋ねると、「単なる趣味でしょ?」と言って笑っていたから。ぼくが翻訳小説に親しんでいるのは、父親の影響だろう。音楽の趣味も、父親の趣味と同じだ。ポップス、ジャズ、ロック、ラテンといったものが好きだった。サンバやボサノバをよく錦市場のところにあった「木下」という喫茶店で聴いた。家でも聴いていたが、父親は、その喫茶店のアイスコーヒーが好きで、ぼくもよく連れて行ってもらった。「ここのママはレズビアン。」と言っていた。大学生のときに、「ママって、レズビアンなの?」って訊いたら、「よく言われますけど、レズビアンじゃありません。」と言っていた。どうだったんだろう。そのお店にはレズビアンって感じの女性や、見た目あきらかにゲイのカップルがよく行ってたから。父親は、そんな雰囲気が好きだったのだろう。父親の頭のなかでは、ゲイやレズビアンは、人生をちょっぴり違った味わいにしてくれるスパイスのようなものだったのだろうかと、いまとなってはそう思う。靴とかもすべてオーダーメイドのおしゃれな父親だった。錦市場のその喫茶店「木下」で飲んだアイスコーヒーはほんとにおいしかった。漏斗状のプラスティック容器を使って、アイスコーヒー用に焙煎されたコーヒー豆の粉を紙フィルターに入れ、氷をたっぷり入れたグラスのうえにそれを置いて、細く湯を注いでいったのだった。とても香り高くて、行くたびに、その香りのよさに目を見張ったものだった。その店のママもいまは亡くなり、その店もないらしい。ぼくも祇園に住んでいたころは、父親とよく行ったものだったが、家を出てからは、下鴨に住んでいたので、錦市場には足を運ばなくなった。きょう、武田先生に、錦市場のなかにある居酒屋さんに連れて行ってもらったのだ。以前は、そんな居酒屋などなかったのであるが、魚介類を目のまえで網焼きして出してくれる店が何軒もできていたのだった。錦市場の様子が、30年前とは、まったく変わっていることに驚かされたが、驚くことは何もないと、いまこの文章を書きながら、ふと思った。30年もたてば変わって当たり前だ。父親によく連れて行ってもらった喫茶店の「木下」もとっくになくなっていた。


二〇一四年十一月二十三日 「アスペルガー」


 いま塾から帰ったんだけど、帰りに五条通りの北側を歩いていると、向かい側から素朴系の口髭ありのかわいい男の子が大きなバッグを背負いながらやってきたんだけど、かわいいなあと思って顔をみたら、近づいてきたから、ええっと思って避けて急ぎ足で通り過ぎたんだけど、振り返ったらふつうに歩いてたんで、べつにヨッパでもなく、なんだか、損した気分。声をかければよかった〜。こんなんばっかし。数年前には、電車のなかで、かわいいなあと思って顔を見たら、にこって微笑まれて、びっくりして、見なかったふりして、場所をかわったんだけど、それもあとでは損した気分。もっと積極的にせなあかんのになあと思いつつ、53才。もう一生、出会いはあらへん感じ、笑。「神々が味わいたいのは、動物の脂身と骨ではなく、人間の苦しみなのよ。」(マーガレット・アトウッド『ペネロピアド』XVI、鴻巣友季子訳、141ページ)そいえば、好きだった子に「言葉とちゃうやろ、好きやったら抱けや。」と言われたのだけれど、「言葉やと思うけど。」みたいなことを言ったような記憶がある。言語化されていないことがらについて解する能力が欠如していたのだと思う。アスペルガーの特徴の一つである。いまでも、そういうところがあるぼくである。


二〇一四年十一月二十四日 「詩の完全立方体」


この詩篇は
一辺が一行の詩行からなる立方体である
一行は一千文字からできている
八個の頂点には句点が置かれている
上面と下面に正方形がくるように置き
上面の正方形の各頂点を反時計回りにABCD
Aの下にEがくるようにして
下面の正方形の各頂点に反時計回りにEFGH
と仮に名づける
辺AE、BF、CG、DHの各中点を通る平面で
この立方体を切断すると
切断面の一方は男となり
もう一方は女となる
平面ABGHでこの立方体を切断すると
切断面の一方は夜となり
もう一方は昼となる
二つの頂点B、Hを通る平面で
体積の等しい四角すいを二つつくる平面で切断すると
切断面の一方は神の存在を証し
もう一方は神の不在を証す
このように
この立方体を分割する際に
同じ体積の立体が二つできるように切断すると
相反する事物・事象が切断面にできる


二〇一四年十一月二十五日 「小鳥」


猫の口のなかで
噛み砕かれた小鳥の死骸が
元の姿にもどって
猫の口から出て
地上から木の上にもどった

小鳥は
幾日も幾日も
平穏に暮らしていた

河川敷の
ベンチの後ろの
藪のなかに捨てられていた
錆びた鳥籠が
もとの金属光沢のある
きれいな姿になっていった

小鳥が
子供が待っている
鳥籠のなかに背中から入っていった
子供は鳥籠の扉を閉めて
後退りながら
鳥と鳥籠を家へ持ち帰った


二〇一四年十一月二十六日 「卵病」


卵の一部が
人間の顔になる病気がはやっているそうだ
大陸のほうから
海岸線のほうに向かって
一挙に感染区域が拡がっていったそうだ
きのう
冷蔵庫を開けると
卵のケースに入れておいた卵が
みんな
人間の顔になっていた
すぐにぜんぶ捨てたけど
一個、割ってしまったようで
きゃっ
という、小さな叫び声を耳にした気がした
こわくて
それから残りの卵はそっとおいて捨てた


二〇一四年十一月二十七日 「素数と俳句/素数と短歌」


 ふと思ったのだけれど、俳句の5・7・5も、短歌の5・7・5・7・7も、音節数の17と31って、両方とも素数だよね。ただそれだけだけど。17と31の数字を入れ替えた71と13も素数だった。べつに、これまた、ただそれだけだけど。


二〇一四年十一月二十八日 「言葉でできた犬」


言葉でできた犬を
ぼくも飼ってる
仕事から帰ると
言葉が
わっと走りよってきてくれる
言葉といっしょに河原を散歩するのも気持ちいい
公園でも言葉といっしょに夕日を見ながら
ジーンとすることもある
いまも隣で
わけわからないながらも
ぼくといっしょに
言葉が
このパソコンの画面を
眺めている


二〇一四年十一月二十九日 「ペリコロール。」


ぺリコロールだったかな
お豆さん入りのパンを食べてたら
けさ、奥歯のブリッジがバキッ
って、割れた。
きょう一日、食べ物に気をつけないと
いや、食べ方に気をつけないと。
左奥歯のブリッジが割れたので
右奥歯で食べないとね。
パンのなかに入ってた豆が硬くて
ふつうは柔らかいんだけど
生地の表面近くにあった豆だったから
焼き上げたときに乾燥して硬かったのね。
ひゃ〜
びっくらこきました。
でも、悪いことのあとには
いいことがあると思うからいいかな。
明日、歯医者に行こうっと。
午後から、もと彼とお食事の約束。


二〇一四年十一月三十日 「小子化」


 きょう、ネットのニュースを見てびっくらこいた。小子化だって。不況のせいで、子どもに栄養が行き渡らないで、だんだん子どもの大きさが小さくなっていってるらしい。このまま不況がつづくと、21世紀の終わりには、5歳の子どもの身長が5cm。15歳の子どもが15cmになると予測されている。


二〇一四年十一月三十一日 「月間優良作品・次点佳作」


今月投稿された詩のなかで
もっとも驚かされたのは
吉田 誠さんの『吉田 誠参上!』でした
目にした瞬間に凍りつきました
高校3年生
体育会系男子
身長176センチメートル
体重67キログラムの吉田さんが
猛吹雪とともに
画面のなかから躍り出てきたからです
まあ、それからの一時間というもの
猛吹雪のなかで
ずっとしゃべりっぱなし
吉田 誠さんの饒舌さには呆れ果てました
というのも
吉田 誠さんは留学先の火星で整形手術をしたらしく
二つの口で同時に違う内容のことを
ずっとしゃべりつづけていたのですもの
しゃべり終わると
吉田 誠さんはすっと目の前から姿を消してしまいましたが
画面のなかをのぞいても何も出てこず
幻でも見たのかしら、などと思ってしまいました
(後で留学先の火星に帰られたことがわかりました)
今月、一番、驚かされたのは
この吉田 誠さんの『吉田 誠参上!』でしたが
つぎに驚かされたのが
吉田 満さんたちの『手』でした
画面を見ると
ぐにゅっと手がでてきて
ぼくの手をパチンってしばいたのです
それも一本の手ではなく
何十本もの手で

びっくりして画面を見ると
パソコンのスピーカーから「ナンじゃ、ワレッ」という怒鳴り声の合唱が聞こえたので
蹴りつけて踏んづけてやりました
ぎゅっ、ぎゅって踏んづけてやると
吉田 満さんたちの手はおとなしくなりました
つぎに驚かされたのは
吉田和樹さんの『ぺんぺん草』でした
画面を見ると
床一面にぺんぺん草が生えて
ぼくの部屋が河川敷の見慣れた景色になりました
毒気の強い作品が多いなかに
このような凡庸な作品もときにはよいのではと
みなさんも、こころ癒されてくださいね
発想は貧弱ですが、想念を現実化する確かな描写力には目を瞠りました
以上の3作品を、今月の優良作品に選びました。
いつものように
つぎに、次点佳作の方のお名前と作品名をあげておきますね

次点佳作

吉田めぐみ「フランケンシュタインとメグ・ライアン」
吉田裕哉「戦場の花嫁 あるいは 戦場は花嫁か?」
吉田ところてん「イカニモ・ガッツリ・発展場」
吉田ぼこぼこ「昼ご飯を食べるのを忘れて」


ぼくがさかなだったころ

  イヤレス芳一

 私はその男の詩を、いくつか、読んだことがある。
 数年前から私は『現代詩日本ポエムレスリング』という詩のSNSに、趣味として書いた自作詩を投稿している。同じように詩を書いている会員同士が、互いの作品の感想を述べ合ったり詩にまつわる雑談を交わしたりと、『詩』という世間一般ではそれほど愛好者の多くない趣味をネット上で気軽に共有できる社交場として、それぞれ楽しんでいるのである。昨年の春先、シュリケンというHNのその男は現れた。男は有名な詩句のパロディ作品を投稿しているようだったが、お世辞にも上手とは言い難い。改行をしただけの日記のようだ。自分の気持ちや日常の些細な出来事をそのままストレートに言葉にしただけでなんの趣向もレトリックもないのだが、逆に本人はそのシンプルさがご自慢らしい。作品やコメントの端々に、どこか詩や詩人を馬鹿にするような舐めているようなニュアンスも見受けられる。たとえば、こんな作品がある。


 『詩をやめる』シュリケン

 詩をやめろ
 日記を書こう

 日記なら
 魂などいらない

 こんなものは詩ではない
 と言われたら

 そうですよこれはスケッチブックです
 と言ってやろう

 わたくしという現象は青色発光ダイオードの
 せわしい明滅(←いかにも現代詩っぽい単語)

 やる気スイッチが入った時だけ
 光ります


 賢治を侮辱している、そう思った。そうして自分の未熟で粗末な作品は棚に上げ、他人の作品は評価せずに「馴れ合いだ。」「くだらない。」などと罵るのである。詩の投稿サイトにはよくいる、実力も才能も伴わないのにプライドばかり無駄に高く人と衝突ばかり繰り返す、人間性に難のあるメンヘラ、コミュ障、酔っ払いの類いの一人なのだろう。こういう手合いは、ひたすら無視をするに限る。なに、実生活が孤独で惨めなので、せめてネットの中だけでもチヤホヤされたいのに違いないのだ。遊び半分でヌンチャクを振り回し自滅する中学生のように、ひとしきり暴れるだけ暴れ痛手を負うとアカウントを削除して行方をくらまし、時が過ぎればまた別のHNを使用してなに食わぬ顔で恥ずかし気もなく舞い戻ってくる。どこの詩サイトにも、そういうはた迷惑な寄生虫のような利用者が、一人や二人、必ずと言っていいほど存在するものだ。そう思い私も、わざわざ関わり合いになるつもりはなかったのだが、男の傍若無人な振る舞いはさすがに鼻につくところがあり、私の大切な居場所を土足で踏みにじられては堪らないというような義憤も手伝い、なによりその高慢な態度とは裏腹にあまりにも作品が空虚で次元が低いため、ついつい我慢できずに「相当酷い。批評以前の問題。」とコメントを入れてしまった。私は、日頃の男の言動から察するに感情的な反論や口汚い罵倒の言葉が返ってくるものとばかり思い込み、これでは私も奴と同じ穴のムジナではないか、やはり自ら関わるべきではなかったと己の軽率さを悔やむとともに、今後起こるであろうコメント欄での不毛なやり取りを想像し内心鬱々としていたのだが、事態は意外にも、さらにおかしな方向へと動いたのだった。SNS内の私信機能を使い、男から、長い長いメールが送られてきたのだ。



 *****

 こんばんは。先日は僕の詩にレスをいただき、ありがとうございました。早いもので僕がネットで詩を書くようになってから、もう五年ほど過ぎました。こうしてお会いしたこともない方に自分の詩を読まれ、感想を頂くということは、なんとも気恥ずかしく、また、嬉しいものですね。僕はPCを持っていないので、それまでネットの世界というものをまったく知らないまま生きてきたのですが、五年前、暇潰しに携帯でネットを見るようになり、そこで初めて詩のサイトがあるということを知ったのでした。
「こんなところに詩人がいる! 」
 大げさな言い方ですが、その発見は僕にとっては、南太平洋の真ん中で人知れずひっそりと栄える小さな秘島、楽園を見つけたような、あるいは地中海の断崖絶壁、入り江の奥の奥にそこだけ陽の当たる白い砂浜、美しい渚にたどり着いたような、思ってもみなかった衝撃、興奮でした。長らく眠っていた詩への思い、詩作への情熱が、ふつふつと甦ってくるのを感じました。恥ずかしい話ですが、僕にもこれでも若い頃、ぼんやりと詩人を夢見ていた時期があったのです。

 小学生の頃から僕は、学校の授業や全校朝礼など、時間的空間的に自由を制限されるような状況や集団行動に対して、動悸、目眩など、一種のパニック障害、不安神経症のような症状を持っていました。息苦しくなるといつも、死にかけの金魚のように空気を求めてパクパクと大きな口を開けて呼吸していました。中学生の頃には、授業中の緊張感、不安感を身体的な痛みで紛らわすため、右手に収まる小さなカッターナイフで左手の指の腹を切るのが癖になっていました。当然、血が滲んでくるのですが、そのままにするわけにもいかないので、手のひらにスティック糊を塗り、そこに血を混ぜ合わせ、赤黒くなった糊を垢のように練り上げるのです。そうすることで少しでも不安から意識をそらし、時間を潰そうとしていました。自分のそんな病状を誰にも言えず、自分でも受け入れられず、そうでもしなければやっていられなかったのです。授業中に血まみれの手のひらを捏ね回すその奇行をクラスメートに見つかり、問い詰められたこともあります。

 高校に入ってからもますますひどく、授業に集中できない状態は続き、教師の目には「やる気の感じられない怠惰な生徒」として映っていたのでしょう、日本史の授業中でした、僕は態度を注意されました。
「日本の歴史も学べないとはおまえは非国民か。窓から飛べ。」
 先生は笑いながら言って、もちろんクラス全員、それがブラックユーモアであることは理解していましたが、僕は瞬間的に頭に血が昇ってしまい、無言のまま窓枠に飛びついたところで、数名のクラスメートに引きずり下ろされました。こいつなら本当にやりかねん、普段からそう思われていたのでしょう、僕は誰とも目を合わせることができずにいました。(イヤレスさん、ここでBGMに『Raining/Cocco』を聴いてください、グッときますよ。)

 高校二年の秋、十七才でした。僕は修学旅行を欠席しました。二時間、三時間に渡る新幹線やバスでの団体移動は、僕にとっては拷問に等しいものだったのです。旅行前日まで担任には何度も職員室に呼び出され説得され理由を聞かれましたが、僕は黙秘権を行使する犯罪者のようにひたすら無言を貫きました。僕の弁護をしてくれる奇特な人などどこにもいないと思っていました。

 クラスメートが修学旅行へ行っている間、課題として司馬遼太郎『街道をいく』の読書感想文の提出を命じられていましたが、僕はそれにはまったく手をつけず図書室で一人、やなせたかし先生の『詩とメルヘン』を読んでいました。大きな見開きページの一面、きれいなイラストに飾らない詩が添えられ、僕はすっかりその世界に魅了されてしまいました。それが、僕の詩との出会いです。いつか、やなせ先生に僕の詩を読んでもらいたい。(今となってはそれももう、叶わぬ夢となってしまいましたね。)それ以来、胸の奥に溜まっていく泥を、グチャグチャにノートにぶちまけることが、僕の日課になりました。(後日談ですが、僕の提出した読書感想文を読んだ副担任に、おまえには文才がある、と誉められたのです。今思えば、そのひとことが卒業後の進路決定にも繋がっていたのかもしれません。)

 高三に上がる春休み、両親が別居することになり母は家を出ました。僕は父と家に残りましたが、それはけして父を慕っていたからなどという理由ではなく、ただ単に高校が近かったからということと、父がいない間は一人きりでいられるからという理由でした。夏休み直前、僕はふとしたことから拒食症に陥り、一日にビスケットを三枚しか食べない日々が続き、二学期が始まる頃にはその反動が来たのか、過食症になっていました。誰もいない家の中で、胃がはち切れそうになるまで無理矢理食べ物を流し込み、トイレで喉の奥まで指を入れて吐きました。けれども、いくら吐いても胸の奥の泥は吐き出すことは出来ず、吐けば吐くほどますます深く、沼のように沈みこんでいくのでした。その頃、体重は54kg(身長は178cmありました。)くらいまで落ち、体重が減れば減るほどどこかほっとして、浮き出たあばら骨を撫でながらつかの間の安心感を得てはいましたが、それでもどうしても自分のことを好きになれず、周囲の人間とも馴染めず、馴染む気すらなく、自分は人とは違う、人よりも数段劣った人間なのだ、と思っていました。これ以上親の世話にはなりたくない、顔も見たくない、早く家を出たい家を出たいと願いながら、けれども、人並みに社会に出て仕事をこなし生活していくなんてことは僕にはとても無理だ、もしそうなったら出来るだけ早く死ななければいけない。いずれ死ぬことが僕に出来る唯一の責任、僕に与えられた使命なのだと、今思えばなんとも馬鹿馬鹿しい青臭い病的な考えですが、当時の僕は真剣にそう信じ、思い詰めていました。

 二学期も中頃、秋も深まり校庭の木々が赤く染まっていくように、クラスメートの話題も受験一色になり、皆次々と将来を見据えた進路を決めそれに向かい受験勉強をしている中、僕は一人焦っていました。どうせいずれは死ななければならないのだから勉強なんてしたくない、かと言って出来損ないの僕には就職などは到底無理だ、今やりたいことと言えばしいて言うなら詩を書くことぐらいだろうか、どこかに学科試験も面接もなく受験できる、詩を書くための大学でもあればいいのに。いくらなんでもそんな虫のいい話あるわけないと思っていたら、あったのです。推薦入試は小論文だけ、大阪芸術大学文芸学部でした。(副担任の言葉を真に受けていたのかどうか、僕は論文の練習などせずとも、必ず合格する、これは運命なのだと何の根拠もなく確信していました。)

 近鉄南大阪線喜志駅を降りて学生専用のバスに乗り、細く曲がりくねった路地を抜けたところに大学はありました。桜並木の坂道を上りキャンパスに入ると、そこは高校とはまったく違う、自由な華やかさで溢れていました。無事に高校を卒業し大学生になった僕は、その伸びやかで開放的な雰囲気の中で人目をあまり気にすることもなく、他人と足並みを揃える必要もなくなり、広場恐怖のような緊張感もだいぶやわらいでいくように感じ、これが何か自分を変えるきっかけになるかもしれないと思い、新しい学生生活に期待もしていたのですが、そこでもやはり僕は馴染むことが出来ませんでした。周囲を見渡すと、スキンヘッドで全身黒ずくめの女やサザエさんのような髪型で薄汚い破れたTシャツを着た無精髭の男、個性的でなければ芸術家ではないとでも言いたげな奇抜な格好をした者も多く、地元では『丘の上の精神病院』と揶揄されるほどで、作品そのものではなく外見や言動を少しでもエキセントリックに見せようと張り合っているような馬鹿者たちもいましたし、真摯な芸術家の集団と言うよりはむしろ世間からは相手にされない奇人変人の吹き溜まりといった様相で、もちろん僕自身もそういう出来損ないの一人ではありましたが、まだ若く芸術に対して理想もあった僕にはどうしてもそれが許せず、その吹き溜まりに自ら安らぎを求めるのも嫌でしたので、作品を創る者が自ら作品になってどうする、芸術家はただ黙って芸術だけを創ればいいのだと、一人で憤っていました。芸術なんて程遠い、所詮僕らは美術館の片隅で誰にも見られることもないまま錆びていくオブジェに過ぎないのだ、いや、そのオブジェにすらなれない僕はいったい何なんだ、と思うと無性に虚しくなり、そのまま授業に出るのもやめてしまいました。昼前に大学に来て、誰もいないところで煙草を吸ったり、夕暮れ、四階の廊下から地面を見下ろし、散ってしまった桜の花びらのようにヒラヒラ舞い落ちてしまいたい、今飛び降りたら明日の朝までは見つからずにいられるだろうか、などと思ったりしました。

 そんな短い学生生活の中で、ひとつだけ記憶に残っている授業があります。文芸学部らしく、創作の授業があったのです。眼鏡をかけたまだ若い助教授から与えられたテーマにそって、原稿用紙二枚の散文を書き、次週、助教授がそれを寸評していくというゼミ形式の授業でした。第一回目のテーマは「自己紹介」でした。小さな教室で助教授を囲むようにして向かいあって座る十五人ほどの学生は皆、作家や編集者を志しているような者ばかりですから、自己紹介程度の散文などお手の物とでも言いたげに、始めの合図と共に、競い合うようにして一斉に筆を走らせ始めました。人生や人付き合いにおいてすっかり卑屈になっていた僕は、自己紹介などする気も起こらず、何を書いたらいいものか、しばらく周りの学生が何やら真剣にカリカリと音を立てて書いているのを阿呆のように眺めていました。けれども僕もこのまま何も書かないというわけにもいかず仕方なく、自己紹介とはまったく関係のない『ぼくがさかなだったころ』という空白だらけの詩を即興で書き殴り提出しました。次の週、返ってきた原稿用紙を見ると、タイトルの横に赤いインクで、『A+』と書かれていました。最高点でした。A+は二名だけ、と助教授は言い、スティーブン・キングが好きだと言うもう一人のA+である学生の原稿用紙のコピー(私は霊を見たことがある、という書き出しで始まるその学生の散文は、段落分けするのも惜しい、というくらいにぎっしりと最後まで文字で埋め尽くされていました。)を皆に配り、それを見ながら講義を進めていきました。最後まで僕の名前も、僕の詩も、話に出てくることはありませんでした。




  『開襟シャツ』


  人生というのは死ぬまでの間の
  小さな金魚鉢に過ぎんよ、君

  と助教授は笑った
  日々は新緑のように眩しくて

  言葉はいつも僕に寄り添い
  いつでも僕を置き去りにする

  初夏、汗ばんだシャツの胸元を開け
  風を迎え入れる

  身震いするほど美しい詩を一篇書いて
  死んでやろうと思ってた




 授業にも試験にも出ないまま一年が過ぎ春休みに入り、僕は父に呼ばれました。大きな黒い座卓の上に、不可とすら書かれていない白紙の成績表を広げ、父は言いました。「詩人になるっていう夢は諦めたのか」 いつ僕が会話もなかった父に「詩人になりたい」などと告白したのか、それは今となってはわかりませんが、僕は恥ずかしさと悔しさで、芸術は人から教わるものではない、自らが感じるものだ、勉強なら大学でなくても出来る、と負け惜しみを言いました。父は呆れたのか諦めた様子で、それ以上何も言いませんでした。大学で学ぶための費用を働いて得るということがどれだけ大変なことか、それをみすみすどぶに捨てるということがどれだけ愚かなことか、そんな当たり前のことも僕はわからず、ただ自分の苦しみばかりに囚われていたのでした。学生という肩書きを失い、ひっそりと社会に放り出され、今こそいよいよ死ぬべき時が来たように思いました。けれどもそうは思いながらもなかなか死ねず、ずるずるとその時を先伸ばしにして日々を送っていたのです。ちょうどその頃、片想いしていた女の子(高校を中退してフリーターをしている、どこか陰のある女の子で、細いメンソールの吸殻に、いつも紅いルージュが付いていました。一度だけ二人で、映画館デートをしました。薄暗い館内でひとつ年上の彼女の肩に甘えて頭をちょこんと乗せて、2時間寝た振りをしていました。僕はこの世の中で彼女にだけは、過食嘔吐のことを打ち明けていたのでした。帰り道、家の近くまで送って行き、別れ際、どちらからというわけでもなく不器用にキスをして、次の日から、何となくお互いに気まずくなってしまい、それきり、この恋は終わったのでした。BGMは、『東京/くるり』をどうぞ。)が結婚するということを風の噂で聞き、いよいよもう、この世に未練もなくなった、いつ死んでもかまわないと思いました。世間では『完全自殺マニュアル』という本が話題になっていて、僕も書店で立ち読みしましたが、僕に必要なのは手段でも方法でもない、死ぬ覚悟なのだ、と思い真夜中、マンションの非常階段を上り地面を見下ろし、煙草に火を付け、それから遠くの灯りをぼんやり眺めたりしました。

 結局いつまでたっても死ねないまま、僕は二十歳になり、バイトで貯めた金をもとに、念願の一人暮らしを始めることになりました。築三十年はたつであろう、ボロボロのアパートでしたが、日当たりの悪い薄暗い四畳半の部屋で一人僕は、もう二度と誰の言うことも聞かない、と決意しました。カサカサ、と背後で音がして振り向くと、ザラザラした土壁の上のほうで、赤茶色のゴキブリのつがいが交尾しているのでした。

 バイトとは言え自分で働いて得た金で自活できたことが自信になったのか、それともただ食費がなかっただけなのか、少しずつ過食も抑えられるようになってきて、あまり吐かなくなったある日、もう悩むことにすら疲れ、ふと、奇妙な感覚に襲われました。ちょうどドストエフスキーの『罪と罰』を読んでいた影響もあったのでしょう、ラスコーリニコフが金輪際誰にも心を打ち明ける必要はないと悟るシーン、自分一人がやっと立てる断崖絶壁で生きていく覚悟を決めるシーン、それらはラスコーリニコフにとっては絶望や諦めにも似た暗く深い心情として描かれていたようでしたが、僕には逆に、新しい道のように思えたのです。そうだ、苦しいなら苦しいまま、死にたいなら死にたいまま、そのままで生きていってもかまわないのだ。死ぬしかない、とそう固く信じこんでいた自分にとって、新しいその考えは、ひとつの救いのように感じられました。



  「人非人でもいいじゃないの。
  私たちは、生きていさえすればいいのよ」
  『ヴィヨンの妻/太宰治』



 バイトの給料が月十万程度の、PCどころかエアコンもテレビも冷蔵庫もない質素な生活の中で、ちょうど『インターネット』『ネットサーフィン』などの言葉が一般に広まりつつある頃だったと思いますが、ネットの片隅で新たな詩の世界が産声を上げつつあることなど知る由もなく、僕は次第に詩から離れ音楽に傾倒するようになりました。詩は音楽に負けたのだ。詩は歌詞に負けたのだ。本当はただ、僕の才能がなかっただけなのですが、どうしてもそれを認めたくなかったのです。『elfin』という占いの月刊誌がありそこの読者投稿欄に、カリノソウイチというPNでイラストを添えたポエムを投稿し常連になっていましたが、その雑誌もしばらくして休刊となり、また僕自身の生活も、フリーターとして何度か転職を繰り返した後にようやく正社員の仕事に就くことができ、あれだけ怖れていた『社会人』というごく普通のありきたりで忙しない日常を送る中で、次第に僕は、詩を忘れていきました。詩を忘れることでようやく僕もかつての、いずれは死ななければならない出来損ないなどではなく、『普通の人』として生きていく資格を得た、今となってはそんな気もするのですが、果たしてそれが本当に良かったのか悪かったのか、たった二枚の原稿用紙ですら埋めることのできなかった空白だらけの僕の詩は、そのまま僕の生き方のようでもありました。




  『雨空』

  生まれ変わったら詩はもうやめて
  絵描きになろうと私は思う

  小さな屋根裏をアトリエにして
  来る日も雨の絵ばかりを描こうと思う

  灰青色の絵の中で
  雨に打たれている私は

  何かを叫ぼうとするのだけれど
  私は詩はもうやめたのだ

  晴れることない雨空で
  いつも私の胸は濡れている  




























  ジオゲネスの頃には小鳥くらい啼いたろうが
  きょうびは雀も啼いてはおらぬ
  『秋日狂乱/中原中也』























 詩を書かなくなってからも、完全に詩を諦めてしまったわけではなく、心のどこかで、誰にも読まれなくてもいい、自己満足でもいい、この詩を書くために生まれてきた、この詩があれば生きていける、そんな詩を死ぬまでに一篇だけ書いてみたい、もしかしたら心のどこかにそんな思いがまだ残っていたのかもしれません。空白を抱えたまま十年以上の月日を過ごし五年前、初めて詩のサイトを見つけた時の僕の喜び、おわかりいただけるでしょうか。長い長い沈黙が嘘のように、堰を切ったように後から後から言葉が溢れ出してきて止まらず、最初は僕も嬉々として次から次へと詩を書いて投稿していたものですが、次第に何が何やら自分でもわからなくなり、削除したり暴言を吐いたり、多くの方にご迷惑をおかけして、穴があったら入りたい気持ち、あ、こんなところにちょうどいい穴が、と思い覗きこむと、それは自らが掘った墓穴ですから、どうすることも出来ません。

 いただいたコメントへの感謝の気持ちをお伝えしようと書き始めたのですが、結局いつもの、感傷的な自己憐憫、自分語りになってしまいました。けれどもこれが、エンジン全開クラッチ切れてる、シュリケンスタイルなのです、なんて、開き直れるほど面の皮も厚くなってしまい困ります。

 今、帰りの電車の中です。もうすぐ最寄り駅に着きます。寒くなって来ましたので、お体には気をつけて。イヤレスさん、僕たち、うまくやれそうですね。『Whatever/OASIS』聴いてください。これからもよろしくお願いします。

 それでは、また。



 *****


 何が、「それでは、また」だ。私はとにかく不快だった。今まで、これほど薄気味の悪い私信をもらったことは一度もない。見ず知らずの私に長々と自己愛にまみれた大げさな自分語りを送りつけてくるその狂態、痴態もさることながら、一見、自分の弱さや醜さをさらけ出した独白のように装いつつ、実はそれらを言い訳にして自己を正当化しようとしているその見え透いた魂胆、薄汚く歪んだ自己顕示欲、現実逃避、太宰の威を借る狐、詩にたかる蝿のような執着心、「内心では読者を鼻で嗤っているのではないか」と勘繰りたくなるような、丁寧な言葉使いではあるけれども蜘蛛の巣のようにネットリとまとわりつく奇妙な文体、深みのないひとりよがりな苦悩、すべてが私には嫌悪しかもたらさず、なぜだか私自身が侮辱を受けているような倒錯すら感じ、ただただ不快であった。
 聞くところによるとこのシュリケンという男は別の筆名を持っていて、『頂上文学』という芸術系詩サイトに参加しており、エンターテインメントの書ける作者としてある程度の評価を受けているのだという。どのような作品が評価されたのかは知らないが、この私信のように自意識過剰でわざとらしい自分語り、自己戯画化、私生活の切り売りが果たしてどこまでエンターテインメントたりえるのかどうか、私には甚だ疑問である。どうせ、仲間内での誉め合いなのだろう。そうだ、きっとそうに違いない。偉そうなことを言っておまえだってしっかり馴れ合っているじゃないか、いったい私と何が違うのだ、確かに私の詩は趣味ではあるが少なくとも私はおまえのように詩を馬鹿になどしていない、詩が好きで、詩を必要としているその気持ちに勝手に優劣など付けられてたまるものか、何がシュリケンだ、文責も持たず好き放題書き散らしたあげくどうせまたすぐに名前を変えるつもりなのだろう、それで居場所を見つけたつもりなのかそれがおまえのやりたかったことなのか詩とは何だ文学とはそんなものか芸術なんてどこにある、作品を創る者が自ら作品になってどうする芸術家はただ黙って芸術だけを創ればいいのだ、いつまで自分を偽るつもりだ姿をあらわせ、本当のおまえはどこにいる?シュリケン、シュリケン、シュルシュルシュ、誰にも見られることのないオブジェ、顔のないトルソー、ド田舎のラスコーリニコフ気取り、唾と蜜、露悪趣味、止まり木、金魚鉢、空白、おまえにとって私は誰だ私にとっておまえは何だ、アントなのかシノニムなのか私の名前は‥‥‥。
 遠く記憶の奥底に沈めたはずの、忘れていたはずのあの目眩、あの息苦しさをうっすらと思い出しながら私は、シュリケンに返信した。(私は、さかなに還るのだろうか。)
「ずいぶん大層なフィクションですね。
詩は、いや、人生は、私小説くずれの慰みものであってはならないと思います。
BGMは、『海を探す/BLANKY JET CITY』で。」




  「私たちの知っている葉ちゃんは、
  とても素直で、よく気がきいて、
  あれでお酒さえ飲まなければ、
  いいえ、飲んでも、」
  『人間失格/太宰治』


神様のこと

  

さて神様、このお話が面白いか、或いは面白くないかなどについて、わたくしその判断をいただける余地を与えられておりません。故にわたくし、わたくしのできることを精一杯に行為するだけにございます。神様の喜びのみを考え想像し、ここへ生まれ辿り流され漂着したものが今のわたくしにございます。

わたくしは、神様、神様、と口走っておりますが、神様もそれぞれに個性をお持ちになられ、そして生まれ今日までお育ちになっておいでますので、この則を手にした方も、わたくし同様に、わたくしもこの則を手にした方の、神様なのでございます。では、どのように致せば、神様を人括りにすることなく、神様方々に喜んで頂けるか夢想するにあたり、わたくしが思い当たる節をご説明したく存じ上げます。

では、わたくしの出生を説明させて頂きます。「わたしは植物が好きです。」以上にございます。

神様がわたくしに対して、相当以上のご興味を抱いておいでの場合、わたくしの出生についてこと細かくご説明する必要がありましょうが、たいてい神様の出生についてのお話など、犬に純粋な欠伸と退屈を与えてしまうことが常にございます。

それは何故かと申し上げますと、神様がお生まれになり、今日まで生まれ辿り流され漂着しておいでになっていることは、明らかにございます。生まれり辿り流され漂着し、永くもはかない神様の記憶を、すべて同じく日に奉り立てること非常に困難であるからです。

わたくし、わたくし一人では抱えきれない大きな夢を持っています。神様の夢のお話をお聞きする前に、そしてその夢があまりに大きい故に、簡潔に説明することができます。わたくしが死んだ後、夢は生き続けることでしょう。それがわたくしの夢にございます。

さて、神様、神様の夢をお聞きする前に、もうひとつお聞きください。神様、わたくしの場合、その夢の大きさ故、その夢は先にご説明さしあげた夢の一部分にございます。わたくしの周囲にはたくさんの神様がおいでになられます。

そしてわたくしもここへ生まれ辿り流され漂着した一人なのでございますので、わたくしにはその大きな、いえ、偉大な夢を叶える為の役割を配分されております。しかし不思議なことに、その偉大な夢の方から、音沙汰があるわけでなし、分担されたりすることはございません。

わたくしは神様の中の、ここへ生まれ辿り流され漂着したものとして、わたくしの階段を建造いたしますが、それよりもわたくし自身のたったその一段の階段を瞑想する方が、神様の階段を上るよりも難しいことなのでございます。

わたくしが神様の喜びのために、わたくし自身を無くすことができれば、たったその一段の階段を造ること容易なのかもしれませんが、それぞれの神様の喜びを願うほど、それはわたくし自身が、わたくし自身との折り合いに迷うからにございます。

神様、流行の風にお乗りになってはいけません。一段一段、階段を建造するために、今世の河の流水、情緒無く急がしく速すぎます。わたくしは神様が流行の風からお去りになられる姿を知りたくありません。しかし、寂しさが淋しさを啄ばむでなく、清水の滴る静かな山林に寂しさを祠に淋しさを生きることができますが、寂しさとは親しむことができません。

安穏という形のないもの、剣という意味のないものに対して、わたくしは希望を抱き胸に据え、神様やここへ生まれ辿り流され漂着したものがお亡くなりになられても、その偉大な夢は生きつづけます。このどうしようもない喜びの代わりに合わせられた手のひらの中で、暖められた小さな孤独を争いとお呼びしても、お赦しいただけますか?


静物

  zero

林檎や梨が
その位置を偶然から必然へと動かすとき
その表面へ差す光は
外部に言葉を与え 内部を言葉から離した
再び
林檎や梨が
その位置を必然から偶然へと移すとき
昼の底にある闇が
にぎやかな籠を形成して
色彩は昼の空間に連続し
夜は白々と浅薄に飛び散った
籠が憂えているのを
その憂えが時間の湾曲に沿っているのを
林檎はその見えざる跳躍において怒り
梨はその見えざる分裂において喜んだ
銃声に似た何かが聞こえると
それぞれの個体は一気に溶け出し
昼の壺の中へと 空の溶液の底へと
硬さを静かに統一し
瞬間を痙攣的に編集していった


詩の日めくり 二〇一四年十二月一日─三十一日

  田中宏輔



二〇一四年十二月一日 「イエス・キリストの磔刑」


 イエス・キリストが磔にされるために、四条河原町の交番所のところを、自分が磔にされる十字架を背負いながら歩かせられていた。それほど多くの民衆が見ていたわけではないのだけれど、片側の狭い橋のうえは、ひとが磔にされる様子を見ようとする人間でいっぱいだった。磔など、そう珍しくもないものなのに。イエスが河川敷に降りていく坂道でつまずいた。すると、警吏のひとりが鞭を振り上げて、イエスの血まみれの膝に振り下ろした。ビシリという鋭い音がすると、イエスの血まみれの膝にあたらしい傷口が開いた。イエスの身体がよろけた。背負っていた磔(はり)木(ぎ)が、彼の背中からずり落ちた。すると、別の警吏が、群衆の先頭にいて、イエスの様子を見ていたぼくの目のまえに鞭を振り下ろして、「おまえが代わりに背負え!」と大声で言い放った。鞭の音とともに、地面のうえを一筋の砂塵が舞い上がった。恐怖心でいっぱいのぼくは、臆病なくせに、好奇心だけは人並みに持ち合わせていたのであろう、裸同然のぼろぼろの腰布一枚のイエスの代わりに、重たい磔木を背中に負って、刑場の河川敷の決められた場所まで歩いた。道中をイエスが磔木を引きずらなければならなかったのと同様に、そのあまりに重い磔木を、ぼくもまた河川敷の地面のうえで引きずらなければならなかった。群衆の見ているまえで、ぼくは磔木を刑場の決められた場所まで運んだ。警吏たちがイエスの身体を十字架のうえに載せ、一本ずつ釘をもって彼の手のひらを磔木に打ちつけると、イエスがそのたびに悲鳴をあげた。警吏たちが、イエスの両足を重ねて、太い釘で磔木に突き刺すと、イエスはひときわ大きな悲鳴を上げた。何人もの警吏たちによって、磔木が立てられると、それを見ていた群衆たちは罵声を上げながら手を叩きだした。拍手しだしたのである。さすがに、ぼくには、拍手をする気など起こるはずもなく、ただ、苦痛にゆがんだイエス・キリストの顔を見上げることしかできなかった。風はなく、空には雲ひとつない、十二月の第一日目の出来事であった。そう思っていると、どこから雲があらわれたのか、にわかに空がかち曇り、突然の嵐のように風が吹きすさび、大雨が降りだしたのである。イエスが雨に濡れた顔を上げて、何か叫んでいた。聖書にある言葉だったのであろうか。でも、その言葉ではなかったような気がした。


二〇一四年十二月二日 「かさかさ」


後ろで、かさかさという音がしたので振り返った。すると、かさかさという文字が壁のうえを這っていた。手でぱちんと叩くと、ぺちゃんという文字となって床のうえに落ちた。


二〇一四年十二月三日 「シェイクスピア」


 ウルフの『自分だけの部屋』を読んでいるのだが、たしかにまっとうな見解だとは思うものの、ちょっと古いなあと思われる記述もある。じっさい、古い時代の書物なのだが、ではなぜ、シェイクスピアが古くならないのだろうか。シェイクスピアにはなにがあるのだろう。あるいは、なにかがないのか。わからない。きょうは、ヴァージニア・ウルフの『自分だけの部屋』のつづきを読みながら寝よう。バリントン・J・ベイリーの『時間帝国の崩壊』めっちゃゲスい。10年ほどむかしに、たしか、5000円くらいで買った記憶があるのだけれど、ちょっとイラッてくる。ふと思ったのだけれど、なぜシェイクスピアの戯曲が、その言葉が、いまにいたってもなお、ぼくのこころに深く迫ってくるのかというと、それは、シェイクスピアの言葉の簡潔さ、単純さ、直截さによってもたらされたものではないのかなって。どかな。もちろん、きわめてレトリカルでもあるのだけれど、使われている言葉は、常日頃、ふつうに使われている言葉ばかりなのだ。


二〇一四年十二月四日 「シェイクスピア」


カレッジクラウン英和辞典をパラパラとめくっていると

Silver often occurs native.
銀はよく自然のままに見いださる

といった
受験のときに見た覚えのあるものや

A mule is a cross between a horse and an ass.
ラバは馬とロバの合いの子である

という
とっくにぼくが忘れている
というか
思い出すことのなかったものや

There was a congregation of bees around the hive.
ハチの巣のまわりに蜜バチが群れていた

といった
まるで詩の一節のようなものに出会ったのだけれど

Shakespeare had small Latin and less Greek.
シェイクスピアはラテン語はほとんどわからなかったし、ギリシア語にいたってはなおいっそうわからなかった

なんてのに出くわしたときには
なんだか固い言い方だけど
当惑させられてしまった
本を読んで
シェイクスピアが大学を出てなかったことや
ギリシア語やラテン語ができなかったってことは知ってたけど
何も辞書の例文として、そんなことまで書かなくてもいいんじゃないのって
そう思った
そんなことで
うんこにすることないんじゃないのって
顔面ストリップ
友だちのハゲが気にかかる
ぼくも売り切れです


二〇一四年十二月五日 「言葉」


空気より軽い言葉がある。
その言葉は空中を上昇する。
空気より重い言葉がある。
その言葉は空中を下降する。


二〇一四年十二月六日 「言葉」


うちの近所にうるさい言葉が飼われていて
近づくと、うるさく吠えかかってくる。


二〇一四年十二月七日 「言葉」


北半球では
言葉も
東から上り
南で最高点に達し
西に沈む。


二〇一四年十二月八日 「興戸駅」


これって生まれてはじめての経験かも。
ぼくがびっこひきひき歩いていたら
後ろから歩いてきた学生たちが
みんな
ぼくを横切って
ぼくの前を歩いていった。
ぼくだって歩いていたのに
なんだか
ぼくだけが後ろに
ゆっくりとさがっていってるような
そんな気もした。
なにもかもが
ゆっくり。

ぼくが見上げた空は
たしかにいつもよりゆっくりと
風景を変えていった。

いつもより
たくさんのものに目がとまった。
田んぼの周りに生えている雑草やゴミ
通り道にあった
喫茶店のドアに張られたメニューのコピー
歩道橋の手すりについた、まだらになった埃の跡。
これって、きっと雨のせいだろうね。
さいきん降ったかな。
どだろ。
ぼくは何度も
その埃が手のひらにくっついたかどうか
見た。
埃はしっかり
銀色に光った鋼鉄製の手すりにこびりついていて
(ステンレススティールだと思うけど、違うかな?)
ぼくの手のひらは、ぜんぜんきれいだった。

歩きながら食べようと思って
ル・マンドというお菓子を
リュックから出したら
そのお菓子を買ったときのレシートが道に落ちたので
拾おうとして、しゃがみかけたら
学生服姿の高校生の二人組のうちの一人が
さっと拾い上げて
ぼくに手渡してくれた。
きっと、ぼくの足が不自由だと思ったからだと思う。
人間のやさしさって
感じる機会ってあんまりなくって
あんまりなかったから
電車の扉がしまってからでも
その高校生たちの後ろ姿を
見えなくなるまで
ぼくの目は追っていた。


二〇一四年十二月九日 「生きること」


 生きてみないと、意味がわからない。生きていても、意味がわからない。生きているから、意味がわからない。意味がわからないけれど、生きている。意味がわからないのに、生きている。意味がわからないようにして、生きている。このどれでもあるというのは、生きていることに意味がないからであろう。それとも、このどれでもなくって、意味があって、生きているのかもしれない。でも、その意味がわからない。しかし、意味がわからなければ、自分で意味をつくればいいわけで、それなら、いくらでも意味を見いだせる。見いだした意味が、自分の人生に意味をつくりだす。でも、とりあえず生きてみることかな。つべこべ言わずにさ。齢をとって容色は衰え身体も大丈夫でないところが出てくるのだけれど、とりあえず生きつづけることかな。意味よりは、まずは生きていくことの使命のようなものを感じる。生まれてきた以上、生きつづける努力は必須なのだと思う。


二〇一四年十二月十日 「恋人たち」


過去形で書いてきた恋人たちだって、いまでもまだ、ぼくのなかでは現在形である。いや、未来形であることさえあるのだ。


二〇一四年十二月十一日 「桃太郎」


 村人たちは笑顔で宝物を桃太郎に手渡した。桃太郎は後ろ向きに歩いて大八車のうえに宝物を並べて置いた。すると、犬や雉も宝物を持って後ろ向きにやってきて、それを大八車のうえに載せた。山盛りいっぱいになった宝物を積んだ大八車を後ろ向きに進ませて、桃太郎たちは後ろ向きに歩きはじめた。一行は港に着けてあった船に後ろ向きに歩いて乗り込んだ。船は後ろ向きに海のうえを走った。鬼が島に着くと、一同は宝物を積んだ大八車を後ろ向きに押して鬼のすみかまで運んだ。そうして、桃太郎たちは、血まみれの鬼たちに宝物を順々に配っていった。


二〇一四年十二月十二日 「間接キッス」


台湾にいるテッドから葉書がきた。貼り付けてあった切手をうえからちょっと舐めてみた。間接キッスかな、笑。


二〇一四年十二月十三日 「タクシーを捨てる」


「タクシーを拾う」という表現があるのだから、「タクシーを捨てる」、あるいは、「タクシーを落とす」といった表現があってもよいのになあと、ぼくなどは思う。


二〇一四年十二月十四日 「宇宙」


 たぶん、ぼくたちひとりひとりは、違った宇宙なんじゃないかな。だから、ぼくがぼくの地球上で空気より重いものを放り投げてたら、ぼくの宇宙では下に落ちるけれど、ほかのひとの宇宙では、地球上で空気よりも重いものを放り投げても、宙に浮いて空にまで上がってしまったりすることもあるんじゃないかな。違った宇宙だから、違った力が作用したりするんだろうね。そうだね。ぼくたちは、ひとりひとりが、きっと違った宇宙なんだよ。そんな気がする。


二〇一四年十二月十五日 「お出かけ」


これが光。これからお出かけ。少し雨。これが光。ぼくのなかに灯る。少し雨。


二〇一四年十二月十六日 「100円オババと、河原町のジュリーと、堀 宗(そ)凡(ぼん)さんのこと」


ぼくが子どものころ
祇園の八坂神社の石段下で
よく、100円オババの姿を見かけた。
着物姿の、まあ、お手伝いさんって感じのババアだった。
うちにも、ぼくや弟たちが子どものころは
お手伝いのおばあさんがいたのだけれど
うちのお手伝いのおばあさんたちのほうが
だんぜん清潔っぽかったし、見た目もよかったし
なにより、ずーっと穏やかな感じだったように思う。
いまだに、おふたりの名前は覚えている。
おふたり以外のお手伝いのおばあさんたちの名前は出てこないけど。
すぐ下の弟のほうは、「あーちゃん」
一番下の弟のほうは、「中島のおばあちゃん」
と呼んでいた。
なつかしい、音の響きだ。
どちらのお名前も、思い出すのは、数十年ぶりかもしれない。
一番下の弟を背に負いながら、トイレをしていて
ひっくり返って、弟が泣き叫んで
その声のすごさに家中で大騒ぎになって
一日でクビになったお手伝いのおばあさんの顔は覚えているのだけど
そのおばあさんって、一日だけのひとだったのだけれど、顔は覚えていて
名前は覚えていないのね。
人間の記憶って、不思議ぃ〜。

100円オババは、道行くひとに
「100円、いただけませんか?」
と言って歩いていたのだけれど
まあ、早い話が
歩く女コジキってとこだけど
あるとき、父親と、すぐ下の弟と
祇園の石段下にあった(いまもあるのかな)
初音といううどん屋さんに入って
それぞれ好きなものを注文して食べていると
その100円オババが、店のなかに入ってきて
すぐそばのテーブルに坐って
財布から100円硬貨をつぎつぎに取り出して
お金を数えていったので
びっくりした。
「あれも、仕事になるんやなあ。」
と父親がつぶやいてたけど
ぼくは
ぜんぜん腑に落ちなかった。

河原町のジュリーと呼ばれていたコジキがいた。
死ぬ半年くらい前に
市の職員によって救い出され
病院に入っていたのだけれど
足かな
膝かな
歩くのに不自由していたのだけれど
そのボロボロのコジキ姿を見かけると
ぼくは、とても強い好奇心にかられた。
そのひとの過去が自由に頭のなかで組み立てられたからだ。
何才くらいだったのかな
70才は過ぎてたと思うけど。
もしかしたら、過ぎてなかったかもしれない。
あるとき
祇園の八坂神社の向かって左側の坂道で
父親とぼくが
河原町のジュリーが足をひきずりながら歩いてくるのを見ていた。
ジュリーが近くまでくると
父親がタバコの箱を手渡した。
ジュリーは
脂まみれのドレッド・ヘアーのその汚い頭を大きく振って
ぼくの父親に何度も頭を下げていた。
父親は、つねづね、
施しだとかいったことは偽善だと言っていたように記憶しているのだが
父親が、ジュリーにタバコをやっていたのは、このときだけではなかったようだ。
ぼくの心理はとても単純なものだけれど
ぼくの父親の心理は、ぼくにはまったくわからないものだった。

日本でより
外国でのほうが有名だったのかしら?
堀 宗凡さんに
フランスの雑誌社がインタビューするというので
そのときに
宗凡さんの家の庭に立てる板に
ぼくがいくつか、一行の詩を
花の詩を書いてあげたのだけれど
雑誌には
ぼくの名前がいっさい載らなかった。
庭に立てられた板の詩は載っていたように記憶しているのだけれど。
宗凡さんのお人柄は
とてもあっさりしたもので
ぼくもお茶を少し習っていたし
お茶だけでなく、個人的にも交流があったのに
ぼくの名前をいっさい出さなかったことに
ぼくはとても強い怒りを感じた。
いまでも不思議だ。
なぜ、ぼくの詩だという説明が
どこにもなかったのか。
そのことは、宗凡さんがもう亡くなられたので
きくことができないけれど。
そのときの、ぼくの一行詩。
いくつか書き出してみようかな。

花もまた花に見とれている。

これって、ヴァリエーション、いくつもできるね。

見つめているのは、わたしかしら? それとも花のほう?

花も花の声に耳を澄ませている。

とかとかね。
そいえば、むかし、『陽の埋葬』のひとつに

雨もまた雨に濡れている。

と書いたことがあった。


二〇一四年十二月十七日 「「あ」と「い」のあいだ」


こぶし大の白い立方体の上に「あ」が生まれる
こぶし大の白い立方体の下に「い」が生まれる
こぶし大の白い立方体が消え去る
こぶし大の白い立方体が消え去っても
「あ」と「い」は存在しつづける
かつて「あ」と「い」のあいだには
こぶし大の白い立方体が存在していたのだが
いまや「あ」と「い」のあいだには
何もない
かつて「あ」と「い」のあいだに
こぶし大の白い立方体があったことを知っているのは
わたしとこの言葉を読んでいるあなただけだ
わたしたちの知らないところで
こぶし大の白い立方体が現われては消えてゆく
わたしたちの知らないあいだに
こぶし大の白い立方体が現われては消えてゆく


二〇一四年十二月十八日 「名前間違え」


 塾の帰りに、ふだんは見ない日本人作家の棚の方へ足を運んだら、永 六輔さんが選者をしてらっしゃる『一言絶句』という本があって、サブタイトルが「「俳句」から「創句」へ」とあって、あれ、たしか、むかし、『鳩よ!』という雑誌で、ぼくの作品が選ばれたことがあるぞと思って、手にとってみたら、ぼくが書いた

鮭はうれしかった、またここに戻ってこられて
川はよろこんだ、まだ水がきれいだと知って

が、133ページ(光文社 知恵の森文庫 2000年初版第一刷)に載ってたのだけれど、いまのぼくなら、「水」を「自分」にするかなって、ふと思った。あ、光文社さんからは、あらかじめ、なんの連絡もなかったのだけれど、この本のなかで、作者の名前が「田中弘輔」になってて、ぼくの名前って、そんなに珍しくないだろうから、間違いにくいと思うんだけど、訂正していただける機会があったら、光文社の方に訂正していただきたいなと思った。こうして、名前を間違えられたのだけれど、間違えられた名前のひともいらっしゃる可能性はあるわけで、自分が書いてもいないものを書いたと思われて迷惑なひともいるだろうなと思った。ところで、ネットでググると、ぼくと同じ名前のひとが何人もいらっしゃってて、「田中宏輔」というと、ハゲ・デブ・短髪・ヒゲのゲイの詩人だと思われて迷惑なひともいるような気がする。自分で、ハゲ・デブ・短髪・ヒゲのゲイの詩人だって公言してるからね。そいえば、「田中宏輔」というお名前のプロ野球選手もおられる。

ありゃ、いま奥付を見たら

「お願い(…)どの本にも誤植がないようにつとめておりますが、もしお気づきの点がございましたら、お教えください。(…)」

ってありました。連絡してみましょうか。ツイットのアカウントにあるかもしれませんね。検索してみます。

ありました。つぎのようなツイートを送りました。

 知恵の森文庫の、永 六輔さんの『一言絶句』に、作品を収録されている作者なのですが、作者名の一文字が違っています。133ページの作者名「田中弘輔」は、正しくは、「田中宏輔」です。きょう、偶然、本を目にして、気がつきました。そのうち訂正していただければ幸いです。


二〇一四年十二月十九日 「ふと思い出した言葉」


 キッチンでタバコをすってたら腰をぐねった。体重が重すぎてだと思うけれど、ひとりだけど、カッコつけて足を交差させていたためだと思う。なんちゅう重さ、笑。かなり太った感である。むかし、「このでっかい腹は、おれのもんや」と言われた記憶がある。だれにだったろう。(覚えてるよん、エイジくん、チュッ!)


二〇一四年十二月二十日 「自由電子」


いきなり自由だなんて
まあ、かまわないけどね。
               ──自由電子

どうせ、自由電子の顔なんて
ひとつひとつ、おぼえてなんかいないでしょ?
まさか、きみも自由電子?
ぼくも自由電子。
そろそろまいりましょうか?
そうさ、お前も強い電磁場のなか
思い通りには動けないのさ。
じゃあ、もう自由電子じゃないじゃん。
不自由電子じゃん。
自由なうちにやりたいことやっておかなきゃね。
マニア
自由電子もエコだから。
ブイブイ。
ちょいとちょいと
そこの自由電子のおにいさん、
寄ってかない?


二〇一四年十二月二十一日 「コンドーム」


コンドーム
って、おもしろいものですよね。
チンポコ以外のものにもはめられますものね。
拳銃は男性器のシンボルの一つでしたね。
弾は精子ですものね。
でも、拳銃だと、精子が突き抜けちゃいますね、笑。
なんかおもしろい。
答案用紙に穴をあけるのに、コンドームをかぶせる必要はないのですが
必要のないことをするというのが、人間のおもしろさで
文化とか、芸術とかって、そんなところにあるんだな〜
とかとも思いました。
ところで
2年ほど前に聞いた話です。
インド旅行に行った若い男の子が
売春宿の裏側にまわってみたら
使った後のコンドームが洗って干してあったんですって。
いっぱい。

それを写真に撮ろうとしたら
とても怖い感じのひとがカメラを取り上げたんですって。
こわいですね〜。
一度使ったコンドームをまた使うなんて。
いや
怖いというのではなくて
貧しさが、そうさせているのでしょうけれど
この逸話を
立ち飲み屋で
おもしろそうに話している若い男の子に
「無事に帰れてよかったね。」

ぼくは言いました。
中盤から終わりにかけての情景
まるで映画のよう
そういえば
冒頭のシーンも映画のひとコマのよう。
とても映像的で
シリアスなのに
ユーモラスでもありました。
楽しい話でしたね。
いま部屋で、キーボードを打ち込んでいるのですが
なんだか、外に出て行きたくなっちゃいました。
公園は寒いから
古書店めぐりでもしようかな。
あ、いま気がつきましけれども
コンドーム
のばす「ー」を「う」にしたら
こんどうむ
今度産む
になちゃうんですね。
おもしろい。


二〇一四年十二月二十二日 「芸術家の幸せ」


 いまふと思ったのだが、詩を読めるだけでも幸せなのに、詩を書かなければ、より幸せではないというのは、とても不幸なことではないかと。もしかしたら、芸術家って、芸術作品をつくらなくなったときに、ほんとうの幸せがくるのかもしれない。まあ、それを世間じゃ、芸術家の死と言うだろうけど。


二〇一四年十二月二十三日 「卵」


窓の外にちらつくものがあったので
目をやった。


二〇一四年十二月二十四日 「代用コーヒー」


メルヴィル『白鯨』の1に
「豆コーヒー」(幾野 宏訳)
フォークナーの『アブサロム、アブサロム!』の7に
「炒りどんぐりのコーヒー」(篠田一士訳)
というのが出ていた
いわゆる「代用コーヒー」ってヤツね
コーヒー党のぼくとしては
ぜひ一度は飲んでみたいなって思っている
あっ
勝手にコーヒーいれちゃだめだよ
なにさ
なによ
なになにぃ?
なになにぃ?
くるくる
パー!


どんどん×
じゃなく
どんどん書ける
じゃなく
どんどん駆ける
じゃなく
どんどん賭ける
どうしたんだろう
投稿時代みたいだ
投稿時代には
多いときは
一日に十個くらい書いてた
ううううん
間欠泉かな
やっぱ
でもこれでとまったりして、笑


二〇一四年十二月二十五日 「一途」


 きょう、日知庵で飲んでたら、日知庵でバイトをしてる女の子の彼氏が仕舞いかけに店に入ってきたのだが、常連さんのひとりが、「いちずだねえ」と彼氏に声をかけて、彼氏が照れ笑いをしていたので、ぼくが「いちずって、どういう漢字を書くの? いちはわかるけど。」と言うと、「途中の途です。」と答えてくれて、そこですかさず、「一途なのに、途中の途って、へんなの。」と思ってぼくがそう言うと、「途中の途って、道って意味らしくて、一つの道って意味らしいですよ。」「へえ、そうなんだ。さすが京大生、よく知ってるね。」と言って、ぼくも感心したのだった。一途なのに、途中の途ってねえ。ぼくには、おもしろかった。


二〇一四年十二月二十六日 「死体が立ち並んだ畑」


20年近く前ですが
甥の面倒を見ているときに
甥が親から買ってもらっていた
絵をつくって動かすことができるおもちゃで
草原に木を生やしたりして背景をつくり
草原に、たくさんの手が生えるような光景を
つくってやって
その手が、ゆらゆらと動くようにしてやった記憶があります。
パソコンで描く絵の先駆的な
おもちゃだったわけですが
それが思い出されたのです。
手が生えてくるといえば
コードウェイナー・スミスの『シェイヨルという名の星』を思い出しますが
そこは地獄のような風景で
罪人の貴族たちに放射線のようなものをあてて
身体や顔面のいたるところから生えてくる手や足や耳や鼻や目を
牛頭人が、貴族たちの身体から
手術用のレーザーメスでつぎつぎと刈り取って行くというものでしたが
それも思い出しました。
怖くて、ぞくぞくする小説でしたが
いまだに細部の描写をも忘れられません。
のばした手が枯れるというのは
聖書に記述があり、それも美しいのですが
むかし
北山に住んでいたとき
畑に
いっぱい名札が立てられているのを見て
ここには中村さんが
ここには山田さんが
ここには武村さんが
生えてくるのね。
と思ったことがありました。
ずいぶんむかし
ブログか
詩に書いたことがありましたが
あれは
貸し畑っていうのでしょうか。
なんていうのか忘れましたけれど。
名札がたくさん並んでいるのは
不気味で、よろしかったです。
ことに夕暮れなんかに
その畑の前を通りますと。


二〇一四年十二月二十七日 「業」


歌人の林 和清ちゃんとの会話。
「こんど生まれ変わるとしたら
どんな人間になりたいって思う?」
「う〜ん。
高校時代にすっごく好きなヤツがいたのね、
ソイツみたいのがいいな。」
「もっと具体的に言ってよ。」
「具体的ね。
そうだね、
すっごくフツーだったのね、
フツーにあいさつできて、
フツーに人と付き合えて。」
「ふうん。」
「だれとも衝突しないし、
だれからも憎まれたことがないって、
そんなヤツ。」
「は〜ん。
アツスケって、
ほんとに業が深いんだ。」


二〇一四年十二月二十八日 「焼き飯頭」


もしもし
なあに
わかる
よっちゃんでしょ
ああ
きのうは
サラダ・バーでゲロゲロだったね
ほんとにね
あっ
きのう言ってた
死んだノーベル賞作家って
何ていう名前か思い出した
カミロ・ホセ・セラでしょ
きのう
ファミレスで思い出せへんかったから
キショク悪くて
ふうん
あっ
それより
これから
うちに来てゴハン食べへん
なんで
なんでって
べつに
はあ
いっしょのほうがおいしいから
はあ
でも
きのうもゴチになったやん
そんなんええで

つくってくれるん
チャーハン
チャーハン
さいきん
コッてるねん
きのうは焼きそばで
きょうは焼き飯
まあ
まあ
そう言わんと
おいしい
だいじょうぶ
ほな行くわ
まずかったら
近所のコウライに行って
チャーハン食べたらええんちゃう
そやなあ
なあ
なあ
ぼくってなあ
いっぺん
焼き飯って聞いたら
焼き飯頭(あたま)になるねん
はあ 
なにそれ
頭んなか焼き飯焼き飯焼き飯って焼き飯でいっぱいになるねん
ああ
それおもろいやん
じゃ
詩にするわ


二〇〇二年一月十九日のお昼ごろに
このような会話が電話でやりとりされたのです
頭のなかで焼き飯頭焼き飯頭焼き飯頭って頭が焼き飯になった人のイメージを
思い浮かべながら近くに住んでるよっちゃんちに行きました

それ違うやん
焼き飯頭頭(あたまあたま)ってことになるやん
そうでもないんちゃう
どういうこと
焼き飯頭を考えてる頭ってことにならへん
それで
焼き飯頭頭ってこと
ウィ
そっかなあ
そっかなあ
なんか違う気がするねんけどなあ
じゃあ
焼き飯頭頭のことを考えたら
焼き飯頭頭頭になるってことね
焼き飯頭頭頭のことを考えたら
焼き飯頭頭頭頭になるのね
それより
チンチン頭(ヘッド)っていうのもええで
なにそれ
あんたも
ときどきそうなってるはず
あっ
そういうこと
でも
そんなん詩に書けへんわ
やること
やっとるくせに
そやけど
あんまりやわ
チンチン頭(ヘッド)なんて

チンチンと違うで
チンチンになってるやんか
なってるんやろか
なってるはず
ポコポコヘッドもあるで
それ
吉本やん
そういうたら
コーンへッドちゅうのもあったなあ
とうもろこし頭の変な宇宙人がでてくるヤツね
ちょい
チンチンやわ
ちゃうやろ
そうかなあ
おもろかった
見てへん
ぼくもや
あほみたいな感じやったもん
ぼくらの話より
ましかもしれへんで
そうかなあ
そやろかなあ
たぶんなあ
たっぷん
たっぷんな


二〇一四年十二月二十九日 「小鳥」


地面のうえに、ひしゃげてつぶれたように横たわっていた小鳥の骨が血と肉をまとって生き返った。小鳥は後ろ向きに飛んで行った。何日かして、ベンチのうえに置かれた鳥籠に、その小鳥が後ろ向きに飛びながら、開いた扉から入った。鳥籠を持ち上げて、一人の少年が後ろ向きに河川敷を歩き去って行った。


二〇一四年十二月三十日 「ぼくと同じ顔をした従兄」


小学校のときに、継母の親戚のところに一日、預けられたことがあるのですが
よそさまの家と、自分の家との区別がつかなかったのでしょうね。
なにをしても叱られるなんてことがないと思っていましたら
冷蔵庫のプリンを勝手にぜんぶ食べてしまって
その親戚のひとのおやじさんに、きつく怒られてしまいました。
二十歳のときに
実母にはじめて会いに高知に行きましたときに
自分の血のつながった従兄弟たちに会いましたら
そのうちのひとりが、ぼくの顔と体型が瓜二つだったのです。
ぼくは、当時はあまり酒が飲めませんでしたが
ぼくと同じ顔をした従兄は大酒呑みでした。
日本酒を2升は呑むと言うのです。
はじめて血のつながった従兄弟たちといっしょに過ごした日の
夜の大宴会の様子は、いまでもすぐ目に浮かびます。
2、30人の親戚が集まって
祖母の2周忌で、酒を飲んでいたのです。
ぼくの知らない
ぼくの赤ん坊のときの話だとか
ぼくが2歳のときに、従兄弟の顔を引っ掻いたらしくって
「これ、あつすけにつけられた傷やけ。」とか、額の髪を掻き上げて見せられました。
高知弁をもう20年くらい聞いていないので
だいたいの音しか覚えていませんが
京都弁に比べると
いかにも方言って感じに思えました。
京都弁も方言なのですが、笑。
ぼくにそっくりの従兄弟は2歳上だったのですが
数年前に、心筋梗塞で亡くなりました。
亡くなる前に、足を怪我して引きずっていたそうです。
田舎なので、差別語をまだ使っているのでしょうか。
それとも、実母が年寄りなので、差別語というものを知らないのか、
「あの子は、ちんばひきよってね。かわいそうに。」と言っていました。
もちろん、差別意識はなく、使っていた言葉だと思います。
十年以上前ですが、実母が泣きながら、電話で、ぼくに謝っていました。
ぼくの父親が実母と別れた理由のひとつに
実母が被差別部落出身者であることを
結婚するまで、ぼくの父親に隠していたとのことでした。
それが原因のひとつで、ぼくの父親と離婚したとのことでした。
もう三十代半ばを過ぎていたからかどうかはわかりませんが
ぼくの身体に、被差別部落のひとの血が流れていることに
なにも恥じる気持ちも、逆に誇る気持ちも感じませんでしたが
たぶん、若いときに聞かされていても、動揺はしなかったと思います。
そして、ぼくが三十代半ばだったか、後半くらいに出会った
青年のエイジくんが、高知県出身だったのです。
高知県高知市出身でした。
彼とのことも、いっぱい思い出されました。
ふたりでいたときのこと
ひとりひとりになって
相手のことを考えていたときのこと
楽しかったこと
笑ったこと
口惜しかったこと
悲しかったこと
さびしかったこと
そうだ。
親戚の家の玄関で靴を脱いだとき
自分の脱いだ靴を見下ろして
ああ
足がちょっとしめっていて
靴、臭わないかな
なんてことを
少し暗い玄関の明かりの下で
ふと思ったことなど
どうでもいいことですが
どうでもいいことなのに
細部まで覚えているのですが。
どうでもいいことだから
細部まで覚えているのかもしれませんが。
さっき
「血のつながった」
と書いたとき
はじめ
「知のつながった」
でした。
手書きと違って
ワードでの書き込みって
偶然が、いろいろあって、おもしろいなと思いました。


二〇一四年十二月三十一日 「ホサナ、ホサナ」


福井くん
きょうのきみの態度
よかったよ
吉田くんがいなくなって
こんどは
ぼくってわけ
きみで四人目だよ
きみも
ぼくのコレクションに加えてあげる
きみは
なにがいいかな
鉛筆
消しゴム
それとも三角定規かな
きみの体型に合わせて選んであげるね
ううん
そうだな
先をビンビンに尖らせた鉛筆がいいかな
きみの神経質な感じにぴったりだろ
じゃあ
台所にあるゴキブリホイホイ
見てくるね
アハッ
いたよ
おっきいのが
まだ生きてるよ
こうやって
脚をもいでって
っと
アハッ
つぎは
福井くん
きみね
きみの番ね
ちょっと
アゴ
あげてね

引っこ抜くから
いっ
いいっ
いいっ
っと
アハッ
やったね
やったよ
きれいに引っこ抜けたよ
きみの頭
あれっ
泣いてるの
痛かったの
でも
もう何も感じないでしょ
ぼくだって痛かったんだよ
ほら
これ見てよ
左目のまぶた
腫れてるでしょ
きみに殴られた痕だよ
痛くてたまらなかったよ
まだヒリヒリしてるよ
でも
もういいんだけどね
ゆるしてあげるね
そうだ
まだやることが残ってた
両方削った鉛筆は
鉛筆は
っと
あった
これだ
これね
これって
たしか
貧乏削りって言ったんだよね
これを
こうして
きみの首に突き刺して
グイグイグイって

ふう
できた
あとは
ゴキブリの脚をくっつけていくだけだね
ほうら
こうして
ボンドでくっつけてっと
ふうふう
ふうっと
はやく乾け
はやく乾けっと
ほら
できあがったよ
きみは
ぼくの四番目のコレクション
ぼくの大切なコレクション
さあ
友だちが待ってるよ
きみの友だちたちがね
ぼくの机の引き出しの中にね
みんな知ってるよね
ホサナ
ホサナ
主の御名によって来たる者に祝福あれ
かつて来たる者にも
いま来たる者にも祝福あれ
アハッ
知らなかっただろう
ぼくにこんな力があるって
ぼくのお祖母ちゃんは霊媒だったんだよ
ぼくは、よくひきつけを起こす子だった
お祖母ちゃんには
ちいちゃい時によく幻を見せられたんだよ
お祖母ちゃんがね
呪文をとなえながらね
こんなふうに
目をつぶって
ふっ
ふって
手の二本の指に息を吹きかけてね
えい
えい
えいって突然叫んだりしてね
あれは
いくつのときのことだろう
針の山の頂上に
座布団の上に坐ったお祖母ちゃんがいてね
えいって叫んで
お祖母ちゃんが両手をあげると
まわりじゅうに火が噴き出したのは
そのとき
ぼくは
まだちっちゃかったから
お祖母ちゃんのひざの上に抱きついて離れなかったんだけど
とっても怖かったんだろうね
しばらく気を失ってたらしいんだ
あとで聞いたらね
それからだよ
いろんなものが見え出したのは
いろんなことができるようになったのは
ホサナ
ホサナ
主の御名によって来たる者に祝福あれ
かつて来たる者にも
いま来たる者にも祝福あれ

みんな
ゆるしてあげる


蝉と艦隊

  Migikata

 落ちた蝉に雷神が憑依し、階層ごとの十万の世界に展開する総ての定理の根底を震撼させる。鋼鉄の艦首が海の脊髄を切り、記憶の集合体を勢威により支配せんと表音の地平へ遠征を試みるとき、蝉はおしっこを飛ばして覚醒する。肉の受胎する呪われた幻想を放電の物理で捌くのだ。
 トーチを握る手を離すな。蒙を啓け。明白な名を持つ機関に油を注し、自転の地軸をずらすな。自他ともに死すべきものは死し、生くべきものは生き、生き物は皆収縮し弛緩し、永遠にことの顛末に驚愕せねばならぬ。教皇たちが並べる艦隊に抗い、海に水の波を、地上に草の波を巻き起こせ、高く。干からびた球体の皮膚全面に神経と血管の、震える網を掛けよ。対流する純白のマントルが最深部から四千度超の興奮を持ち上げ感覚は正しく欲情の突端を研磨する。
 真鍮の六分儀が砲の射程を定める。砲弾はきりきり回転しつつ愛と破壊の諸相を夥しく糾合する。ねじり巻く空気の層の奥から感情の胞子が原色をまぜこぜにして粒つぶと湧出するのだ。鉄環で連結された七十一億二千八百九十一隻の艦艇から集中砲撃の標的とされるのは、脚の先の鈎が樹皮からはずれ、クヌギの木から堆積する腐葉土へ仰け反り落ちたお前だ。蝉の皮を被りさらに脱皮を待つ、悪霊にも斉しいお前の、その陽にさらされカサカサに乾いた無垢な魂の残骸だ。
 猛烈な乾燥に見舞われた魂内部の擦過の、その霊的な熱が神を呼び招き、電荷の負荷が孵化し羽化し登仙し当選し当然雲を呼ぶ。六本の脚をばらばらに藻掻かせ開かせ、瀕死の性技に甘酸っぱい涎の滴りをはふうと糸曳いて漏らし、生殖能力の焼尽した卵型の未来への把手を握りしめて。雲の掌が地球という球体を鷲掴みにするとき、集束した宇宙線の筋肉繊維がごくんごくんと脈打ちラララ盛り上がるララ。

 壊滅の展開図

落雷火の菫落雷火の菫落雷火の菫落雷火の菫
落雷火の菫落雷火の菫落雷火の菫らく雷火の
すみれ落ライヒノ菫らくライひのスミレ落雷
火の菫ラくらいひノスみれらKうラI落雷火
の菫HいのすMIれらららららららRRRR
RRRRRRRPRRRRRRRRRRRR
RRくRRRRRRいIII火の菫落雷火菫

 腐臭の展開図
 汚濁の展開図


結晶

  zero

線香をあげるとき
仏壇に飾られたあなたの遺影の中で
あなたは結晶化していた
あなたは若いままでもう歳をとらない
あなたはいかなる光も言葉も感情も透過する
温かく透明な結晶だ

あなたの作品の数だけ
あなたの結晶は作られた
どんな批評も解釈も砕くことのできない
それでいてどんな批評も解釈も虹色に変える
季節の巡りの証のような結晶

あなたの結晶は静かに鳴り響いている
遠くにある存在とも遥かな距離を経て共鳴する
存在することは共鳴することであり
あなたは常に無限の他者と交流している

私の中にもひとつ
あなたの結晶がある
私を映し出し私に問いかけるあなたの結晶
これから歳をとっていくにあたって
様々な側面を見せ様々な問いを発してくれるだろう

私が変化していく過程で
あなたの結晶の全てを明らかにすることはできない
あなたが謎のままであり続ける角度を前にして
あなたの取り返しのつかない不在に
せめて言葉だけでも捧げていいだろうか


  草野大悟

(欲情する樹々
蜘蛛が
雨糸をゆらすと、
針の穴ほどの
光たちが
きらきら
溶けあい、
うっすらと
午前十時五十分の星座が
現れる。

(白濁する森
目覚めている
、という夢をみていて
逃げ遅れた妖精が
尻尾を踏まれ
魔物、と
よばれるようになったとき、
環のまん中で
磔にされていた
太陽の骸がわれて
虹がうまれたんだ。

(充満するオゾン


ねずみの尾に口付けを

  ペスト

誰もいない教会の中で
 息を吐く一匹のねずみがいる
蜘蛛の足音に耳を澄ますと
 空には鳥が浮かんでいた

腐乱死体は缶詰めにされて
 森の奥へと出荷される
  全部で96個
   数え間違いがなければの話だが

嵐の中に卵を産み付け
 蝶は涼しげな顔をして去っていった

椅子の背もたれには女の二の腕の皮が使用される
氾濫した鳥のくちばしをひとつずつ摘み上げ
 それを夢遊病患者の長い舌の上へと陳列していくと
  私は決まってこう言うのだった
  「ありがとう。」

重りを吊るしておいたおかげで
 時計の針は常に6時半を刺すように躾けられていた
血の流れに沿って
 魚の背びれは裁断されるだろう
丘の上に放牧される果実の産毛を刈り取りながら
 結露した明かりは徒刑場の中をさまようだろう
溶け出した瞳孔の流れを遮る二本の足の前で
 長い尾の途中に鳥の足跡が芽生えるだろう

犬の胃袋に包まれて街の夜は増殖を始める
磨かれた雲の表面に映し出された傷口は
 黒い蟻たちの行列に縫い合わされて消えた

針金の中心を真っ二つに裂きながら
 僕の指は青い唇を探すだろう
港に一隻の客船が沈んでいるように
 葉の裏側に刺された注射器からは赤ん坊の鳴く声が止まない

雫よりも硬い季節が降り始める
穴のあいた手紙の中を痩せた心臓が駆けていった
白い毛皮の上で眠る蚤たちの甲皮の隙間に
 君は新鮮な唾液を供給し続けている

夕闇の存在は蔦を纏っただけの骸骨に過ぎない
橙色の肺が壁に張り付いているのを見て
 大気は震えあがることだろう
それに耳を澄ますと
 空には欠けた左胸が浮かんでいた


あなたの詩にはセンスがない。

  泥棒

夕陽が
巨大な刃物に見えると
あなたは言う
浴衣の袖に
夏の終わりをぶら下げて
つま先で感じる
感じているらしい
闇とか、それ、本当か。

八月の深い所で
あなたが書いた詩は
センスのない刃物だった
夕陽に反射して
そこらじゅう光輝いていたけれど
あなたの詩が
輝いたわけではない
勘違いして
つま先で蹴り捨てる
蹴り捨てたらしい
石とか、それ、比喩か。

とても大切なことだから2回書きます

あなたの詩にはセンスがない。
あなたの詩にはセンスがない。

比喩の雨など降らないのに
ほとんどない技術の傘を広げ
ユーモアの風に吹き飛ばされ
まるでセンスのないあなたが
今日も詩を書いている
夜の海を泳ぐ
さかなみたいな詩を書いている
そう、
あなたはまるで
削られた山のよう
急斜面に造られた墓地のよう
つま先が濡れている
あなたの
その思わせぶりに青いつま先が濡れている
そう、
あなたはまるで
まだ詩を書いていない詩人のよう
九月に咲くムクゲのよう

詩はセンスで書くものではないと
センスのないあなたは言うだろう
夜空の下で
私に言うだろう
(あなたにもセンスはありません
と言うのだろう

あなたから
詩だけを切り取れば
見えてくる景色
はじめて夕陽に反射する
ムクゲに詩を感じる
今日も揺れながら
しぼんでゆく
夜空の下で
説明できない距離を歩き
技術の石につまづくならば
その石で
距離をはかればいい


今、撃つ

  コーリャ

俺がバリケードを直していると
「撃て!」
とサムが叫ぶ
ウェスティーも叫ぶ
「後ろだ!」
振り向こうとすると
閃光と銃声
ウェスティーの放った弾丸が
ゾンビの頭をぶち抜いて
どうやら俺は助かったようだ
「ついてくんだぜ」
とウェスティーが言う
「おい、シド、走れ」
とサムが言う
俺は走る
ためらいを殺さなければならない
ゾンビは暗がりから
背中を狙っている
だから走れ
そして撃つのだ
俺達はとにかく生きねばならないのだ

「壁が光ってるだろ?その下に武器があるぞ」
とウェスティーが言う
「どんなだ?」
と俺が言う
「とにかく開けてることだ」
とサムが言う
箱の蓋が天井開きになって
SFアニメじみた大砲が
発光しながら浮かびあがってきた
「ヒュー、それはゼウスの筒だぜ」
とウェスティーが言う
「賢く使うんだな、さ、次は外にでるぞ」
とサムが言う

BOOM!BOOM!
はははみろよ奴ら木の葉のように飛んでいく
「まずいシド、離れすぎている、再集結するぞ」
たしかに奴らは増えてきたが
BOOM!
これさえあれば
BOOM!
BOOM!BOOM!BOOM!
ははは
「シド、危ないぞ!」
ゾンビの腕が伸びて
俺を殴打する
青空が逆さまになって
俺は地に倒れた
「やられたのか!」
サムが叫ぶ
「だから離れすぎていると、救護が間に合うかどうか……」
ウェスティーが走る

気づいたときにはいつも手遅れなのだ
あのとき
ああすればよかったと思ったときから
すべて手遅れになりつつある
世界が
一色ずつ
剥落させていく
俺は
銃を握り
せめてひとりでも道連れにしようと
震える引き金をひく
ウェスティーが目の前で転がっている
ああ、灰色になっていく
いや、考えるな
すべてが手遅れになる前に
撃て、
撃て

「ファァック!12ラウンドしか行けなかったじゃねえか!」
ウェスティーがPS4のコントローラーをカウチに投げる
「ユーサック、シド」
サムがタバコを取り出す
俺は笑いながら頷いて席をたつ
「また明日な、友よ」
ウェスティーがウィンクする
サムの後について
玄関まで出て
タバコに火をつける
「そうか明日も働いてるのか」
とサムが言う
「9時から、17時まで、機械のようにね」
「そうだな、やることをやるだけだ」
サムは星をみていた
そしてタバコを茂みに捨てて
「じゃあまた明日、仕事場でな」
と笑った
「うん、また」
俺は家に帰った


列車

  ねむのき

紙製の駅で
ぼくは羊を見つめて立っている
駅を食べてしまわないように
ずっと見ていなければならなかった

閉じた硝子の瞼のように
静かな場所だった
ときおり一両だけの列車がやってきて
色のない草むらへ走っていった

やがて太陽が西に傾くと
空を吊るしている紐がほどかれて
白くてやわらかい花びらのようなものが
たくさん降りはじめるのだった

そうして気がつくと
駅も羊たちも消えていて
記憶のなかの誰もいない教室で
ぼくは列車の絵を描いていた





形のない列車に乗って
左から右へと動いてゆくので
右から左へ どこまでも続く
直方体の空気のかたまりが
窓から身をのりだしているぼくのからだの
表面をやわらかくして
なめらかにすべってゆく

どこへ行くというのだろうか
どこまで行っても
ぼくの瞼の内側でしかないのに

左から
右へ
列車が動いてゆくので

矩形の窓から手を伸ばし
色鉛筆で
まっすぐな線を世界に引き続けると
そのさきにはどこまでも
右から左へ
水のない海が
葉をのばすようにひろがっている


花について三つの断章   

  前田ふむふむ

 1

真っ直ぐな群衆の視線を湛える泉が
滾々と湧き出している
清流を跨いで
わたしの耳のなかに見える橋は 精悍なひかりの起伏を
静かなオルゴールのように流れた
橋はひとつ流れると
橋はひとつ生まれて
絶え間なく うすく翳を引いて
川岸に繋がれた
度々 橋が風の軽やかな靴音を鳴らして
街のあしもとで囁いていると
あなたは 雪の結晶のように聡明な純度で
橋のうえから
ひきつめられたアスファルトの灼熱のまなざしを指差して

「砕かれた石の冷たさは 一筆書きの空と同じ色をしていた」
(人は言うだろう
(過去が 垂直の心拍を一度だけ
(小さな掌ににぎる あまのがわをめざした と

それに飽きると ときには 暑さをしのぐ
陽炎の風鈴を並べて
わたしを 
赤い蜜月の夢のなかで浮かぶ しなやかな欄干に誘う

誘われる儘に 橋を渡ろうとすると
あなたは 冬に切り出した花崗岩の巨石を積んだ
瓦礫船を横切らせる
とりわけ 翼のように広がる波は
いっしんに みずおとを わたしの胸に刻み付けるが
一度も 波たつことはなく
悠揚な川は すでに みずがないのだ

ふるえながら 戸惑っていると
乾いた頁が剥がれて 題名を空白にした詩行の群が
交錯する河口の風のように
わたしを吹きつける
心地よい 湿り気が聴こえる

あれは 熱望だったのかもしれない
槍のように胸を刺した 約束だったかもしれない

フクジュソウの花が 
わたしの身体を足元から蔽い
一面 狂おしく咲いている

  2

愁色の日差しが川面を刺すように伸びて
眩しく侵食された山を
父の遺影を抱えてのぼった
その抱えた腕のなかで
わたしが知る父の人生が溢れて
暖かい熱狂と 冷たい雨のふるえが
降下する
滲む眼のなかに 黒く塗りつぶした
五つの笑顔を束ねれば
遺影に冷たいわたしの手が やわらかく
喰いこんでくる

青い空は、望まれなくても
そこにあった
望まれたとしても――

季節を間違えた向日葵の群生が
右に倣い 左に倣い
つぎつぎと 花を咲かせている

   3

落陽を忘れて――
青い空
朝顔の蔓が 空をめざす
   生をめざす 死をめざす
本能をほどいて 十二の星の河を渡る間に
抑えられない曲線をのばして
石の思想を弓のように折り
狂いながら
シンメトリーの道徳的な空白を埋めている
やがて 若さを燃やし尽くして
流れる血が凍るとき
底辺だけの図形的な土に馴染み
跡形もなく 身体をかくす
それは――
植物は 人の欲望に似ている

朽ちていった夕暮れで飾る終焉も
すべてを見届けて 飛び立つ梟も
ふたたび 朝の陽光とともに佇む 黎明が
いっせいに芽吹くとき
渇望する書架の夢は 
途切れることなく
みずのにおう循環を
永遠のなかで描いているのだ

その成り立ちに 死という通過点は
あの稜線に沿って放つ
ひかりの前では 一瞬の感傷なのだろうか

花壇が均等に刈られた家では
喪中を熔かして
家族が死を乗り越える午後に
鳥さえも号哭して
すべてのあり方が 過去のなかの始まりを見据えている

その行為は 死者のために有るのでは無い
――説明的な文脈がすぎる

庭――
勢い良く若さを空に向けている
あかみどりのつらなりに
白い波が 断定の傷を引く
椿 金木犀 さざんかの木が包帯を巻きながら
    包帯を切る 訃報の鋏は
庭のすべてのときを繋いでいる

新しい空に向けて
気高くりんどうが 一輪 生まれた


警察

  泥棒

雨が降るかもしれない日に
雲を見ていた
駅前で
噴水のない駅前で
雲にしか見えない雲を見ていた
バスは
ロータリーをまわる
ちいさな出来事を
ひとつひとつ
丁寧に確かめながら
ゆっくりロータリーをまわる





携帯電話



が鳴る。




駅から15分
静かに歩く
透明人間みたいに静かに歩く
太陽が挫折して夕暮れになる
耳をすまし
低く流れる不協和音
遮断機
響く
線路沿い
314号室

私は裸になっても裸になった気がしない
1分が90回すぎて
私はまた
駅へ向かう
警察とすれ違う
方向を変えて
図書館へ向かう
小雨が降る
別館AとBの上空
鉛色の雲が止まっている
これは雨ではない
街全体が噴水になる
湿気で
うねる髪を束ね
高層ビルをイメージで絞り上げる
乱用された雑な比喩が
雑に並べられた風景
公園のベンチ
海よりも圧倒的に広い公園のベンチ
カビの生えた詩集
カビの生えた題名のない詩集
一行も読まないまま
夕暮れを読破
それを閉じて
先入観を捨てながら
また雲を見る
雨が降るかもしれない日も
雨が降らないかもしれない日も
同じ日のように
夜空には
画鋲みたいな星
決して画鋲ではない
画鋲みたいな星

夜の駅前では
ちいさかった出来事たちが
おおきな物語となって
さらに巨大化して
街をのみ込む
最終電車が
発狂しながら駅に到着すれば
すべての物語は
最終回に突入して
バスは混雑する
運転手のいないバスは混雑する
警察が
鉄のドーナツをぶら下げて
あらゆる闇を
右から順に捕まえる
私は
左から順に潰していく

自首します
私は透明ではないのです
伏線だらけの街
ほとんど回収できないまま
私は動けなくなった
朝までほとんど動けなくなった


絶対納豆

  蛾兆ボルカ

吉野屋でチープなツマミを食べながら
僕は黒のホッピーを呑む

もともと隣にオンナノコが座る店は嫌いだし
無口なママの店は金がかかるものだから
立ち飲み屋が好きなんだけど

立ち飲み屋にすら
鬱陶しい常連客がいるもので
関東のやつらは酒の飲み方がわかっていない

僕は本当は、ロシアの立ち飲み屋でウォッカを呑みたい

僕の想像では、(だが)
ロシアではカウンター越しに
鱒缶詰の空き缶に入れたグラスが
タン!
と、置かれる

そして間髪入れず
角刈り金髪の粋なお姐さんが、
空き缶からカウンターに溢れるまで
アルコール80度のウォッカを
注いでくれる
注いでくれる
注いでくれる

もちろん色白でオッパイはデカイが
たぶん処女だ

僕は、彼女が
人生の始めから終わりまでのいつかに
『ウラー!』
と、叫ぶ声を聴かない
彼女が声もなく泣く悔し涙を見ない
その権利は僕にはない

僕はただ
彼女が注いだウォッカを一息に飲み干して
(もちろん鱒缶の中を先に干してからだが)
カウンターに
タン!
と、置いて
無関心な彼女の白い頬の微細な動きと
僕をチラリと見る眼差しとを見る
(そのときの彼女の青い目の青/いや、
よく見れば灰色なのか)

関東のやつらは
酒の飲み方が何もわかっていない


吉野屋の納豆はパックのまま80円で出てくるし
海苔は60円でパックのまま出てくるから
悪くない

カウンターの内側のお兄さんは
ロシアの労働者みたいに無口であり
無駄なことは言わないから
僕は『絶対納豆』について思考する
(非言語的に)

絶対納豆は
日常的な相対納豆ではないし
酒場における納豆のイメージでもない
納豆そのものであり
他のツマミや牛丼から独立して
単品でその存在を示す納豆だ
一粒が他の一粒から自由だから
期待通りの糸なんか引かない
(意図?なんちゃって)

美味しいかどうかとか
関係なく
吉野屋のカウンター上で
白くて四角い発泡スチロールのパックのまま
それは僕の前にあったのだ
(しかしながらもう食べてしまった)

僕は本当は
ロシアの立ち飲み屋に行って
男の二三人もナイフでぶっ殺してそうな
/に見えてウブで可愛い
角刈り金髪のお姐さんが注いだ
ウォッカを呑みたいのだが
(その白い首筋の細い蛇の刺青)

とりあえず絶対納豆は食べたことだし、
今日は悪くない夜だな、と思いながら
1020円払い

店を出て叫ぶ
8月下旬の雨のなかで
非言語的に/音もなく
密かに



ウラー!


雨上がりの庭で

  


雨上がりの庭で蛇を見ました

小さな頭に長い身体がうねうねと従い
尻尾の先は叢に残されたままでした

頭の先から狂いなく
黒い縦縞模様は編まれているようでした

久しぶりの雨に浴した草花
をかじろうと跳びだしてきたバッタ
を捕まえようと身構えていたカマキリ
をぱくりと飲み込んだ後だったのでしょうか

黒い丸い眼の頭をコンクリートブロックに載せて
実に満足そうでした

私に気がついた蛇はパタンと頭を後ろに投げ
その後を濡れた縞が追ってゆくのでした

頭はどこまで行ったかと百日紅の向こうを覗き込んだ途端
尻尾の先を見失ってしまいました



蛇を見た夜はやはり夢を見るのです


私は

力を奪われ

閉じ込められる

虐げられながらも

次第に力を取り戻し

隙をついて逃げ出し

今にもというところ

しっぽをつかまれて

また閉じ込められ 

力を奪われて

取り戻し

逃げて

何度も


最初は駅のガード下の自販機の前で手首を掴まれ

次には寂れた漁師町の一軒家に閉じ込められ

ある時は暇に飽いた若妻に

または仲の悪い双子の兄弟に見張られ

煤けたアパートの階段を駆け降り

水族館の搬入口で

新興住宅地の空き地で

不安に駆られて後ろを振り返る


こんなにも

力の限り逃げた

から自由になれた

はずだと確信する

手前で ぬらり

忍び込む 疑い

膨れ上がり

漏れ出し

つい

後ろを

振り返る

と必ず待ち受ける 絶望 

嗚呼、やはり 私は逃げられぬ




雨上がりの庭で

黒い丸い眼の頭をコンクリートブロックに載せて
蛇は 実に満足そうでした

突然眠りを妨げられた蛇は
逃げ去る途中の草かげに
トカゲの尻尾をみつけ
迷うことない素早さで呑み込みました
まさか自分の尻尾だなんて
微塵も疑いもせず

そして

消えました


  ねむのき

夜が青くなる
空を飛びはじめる
溶けていく砂を浴びる
波がうちよせ
逆さまの果実が
水面をすべりだす

月を覆う枝
浮かぶ死者の舟
貝を拾い集める手
斧をかかげ
新しい歌を歌う人々

すべてが
近づきつつある
そしてすべてが許されてゆく
塔が星のように血を流し
燃えつきたあと
夥しい数の 父の群れが
ゆらゆらと/ゆれながら/上空から影を落とし

青く 青く
夜はさらに青く
閉じた光を歪ませ
終りの始まりが
ようやく終わりはじめる

枷を外し
縄を切り裂く音が
遠くから聞こえてくる


Aug. 28

  アルフ・O

「元カレ?
「全然知らない人。
「ふぅん、
「あ、くそっ、電池切れた。
「ご執心じゃん、
「うるさい。―――空、分解されちゃったね、
「また掻き集めればいいじゃん、あたしらで。
「そのあとは?
「知らない。燃やしちゃえば、
「……はらいそ。
「え、なに?
「『楽園』だって。
 ぴー・えー・あーる・えー・あい・えs
「あはは、なんだか分かんないよ。
「ちぇ。眠い?
「眠いね、
「ねよっか。
「うん、


バックミラー

  イヤレス芳一

深夜
交通量の少ない山道を
車で帰る
トンネルの手前で
カーラジオの電波がおかしくなって
崖側のガードレールの後ろに立つ
白い人影が見えた


あっ


て思ってそのまま通りすぎて
トンネルの中を逃げるように走っていると
だんだん背筋が寒くなってきて
あー嫌だなー嫌だなーって心臓がドキドキバクバクなって
身体中から冷たい汗がドワーっと吹き出してきて
バックミラーをちらりと見ると
後部座席に
びしょ濡れの女のひとが座っている
バッチリ目が合ってしまったので
無視するわけにもいかず
舌打ちしながら
雑巾のような勇気を振り絞り
「お客さん、どちらまで?」
と聞くとびしょ濡れの女のひとは
長い髪をかきあげて


「おまえタクシーちゃうやろ!!」


と怒って消えた
それを言うなら正しくは
タクシードライバーだとは思ったが
私は霊媒師ではないので
地縛霊の考えることはようわからん

でも
見えてまう

別に見たないけど

見えてまうねん


いつまでたっても
成仏できへん
びしょ濡れの女のひとが


タクシーじゃなかったら
いったい何を待ってんねやろ


私の車の後部座席が
いつもひんやり冷たく感じられるのは
おおよそそんな理由です
そうです
ちょうど今あなたが
右手で撫でているそのあたりです

(運転手はそう言って低く笑った)

ひんやりしているでしょう?
しっとり濡れているでしょう?
お客さんわかりますかそのシートの染みに込められた
びしょ濡れの女の
行き場のないかなしみが
毎晩のようにその道を通り
その度にびしょ濡れの女を後ろに乗せて
なんだか私は女に親近感すら抱くようになったのですよ

と言ってもよかったかもしれません
いつだったか私が

今夜も濡れてるね
グショグショだね

って言うと女は
一瞬ギョッとした表情をしてそれから
少しはにかんだまま

「おまえタクシーちゃうやろ!」

ってもうそれが口癖なんですね
あなたはイエローキャブなんですか?
ってくだらない冗談で私は返して‥‥‥‥





(なにヤダこの運転手さん気持ち悪い‥‥‥)
わたしは身の危険を感じて口を開いた
「すみません、ここで止めてください、降ります!」

運転手は無言のまま振り向きもしない
タクシーはますますスピードを上げ深夜のカーブをタイヤをギュルギュル軋ませながら曲がって行った

「止めてください! 止めて! 今すぐ降ろして!」





キキーーーッッッッッ!!!!






突然の急ブレーキで車は止まった
わたしは助手席の背もたれに頭をぶつけた
恐怖とパニックで慌てふためき
ガチャガチャとドアを開けようとしたが
ロックされているのかなかなか開かない
ゆっくりと運転手がこちらを振り返った時
わたしは男が正気でないことを悟った‥‥‥
わたしはハッキリと見たのだった
黒い沼のように澱んだ男の瞳に


ポエム



書かれてあるのを‥‥‥‥‥‥


閉じた場所

  


 壁

コンクリートの高い壁に囲まれた道を一輪車で走っている。行き止まりまで行ってみる。見上げるほどの高い壁。行き着く手前でスパンと右の壁が切れているのに気づく。車輪の向きを90度変えて曲がる。

壁の道は遠く真っ直ぐに続いている。壁の上の空は夕方を思わせる灰色で、雲に隙間なく覆われてはいるがすぐに雨になりそうな気配はない。左手の壁は途切れなく先まで続いている。右側の壁には幾つもの切れ目があり、曲がれば違う道がひらけるはずだ。

一輪車はシャリシャリと回りつづけている。いっそ車輪の動きを止めて、じっくり辺りを観察してみようか。そんな思いが幽霊のように頭をかすめはするが、足の回転を止める命令を脳は出さない。進むのはごく自然なのだ。気がついたら漕いでいた。




 部屋

結局僕は真っ直ぐに走っている。一輪車をクルクル漕いで。必然に身をまかせるのが気持ちよくて曲がる気にならない。

左側の壁に道がないのは、壁の外側が外界だからかもしれない。ならば出口はこの先にあるはずだ。饒舌に思考は回るけれども頭の隅ではわかっている。要するに僕は、真っ直ぐに漕ぎ続けたいんだ。

車輪が急に重くなる。道はいつの間にか沈み込むリノリウムに似た床に変わっている。力を入れて漕ぎ続けて足がだるくなった頃、部屋のように長方形にひらけた場所に出て一輪車を降りた。

部屋には入ってきた入り口とその向かい側に出口があって、いつでもまた漕ぎ続けられることが僕を安心させる。柔らかいソファーに深々と身を沈めると背後の二つの映写機が回り出し、壁に四角く一つの映像を写す。


下るのが好きだった
あの坂の上からの景色が見える
海と平行して走る道路が遠く白くきらめく
鳶がゆっくり輪をかいている
庭には水色と赤紫の西洋朝顔が毎日咲いて
玄関のスロープをいつも大股で登るんだ
乗りこなすことのなかった一輪車が
玄関の隅で錆を浮かせている
白い壁を背景に父と母の姿が見える
横切る手と影がある




 中心

いつの間にか僕は眠っている。夢の中で夢見ている。中心へ中心へと曲がり続け、いつしか雲を貫く太い幹にたどりつく。樹木医のように耳をつけ、流れる水音を聴いている。一輪車はいつの間にかなくなっている。僕はもうどこへも行かない。

目を閉じて、ずっと聴いているんだ。


S市

  山人

むかし住んでいた中都市を車でめぐる
広大な敷地にいくつもの工業団地が立ち並び
その周辺には刈り取られた田圃が季節を煽るように敷き詰められている
なつかしい鉄工所や、古いビルもまだあった

学校を出て初めて勤める地へ、狐色のコートを羽織り、ローカル線に乗った
初めてもらった給料の少なさに驚いた
それでラジカセを買ったり、鳥の巣のようなパーマをかけた
白衣の白さに気恥ずかしさを感じながら、菓子づくりもやらせてもらえた

文通をしていた
手紙を大家さんから受け取ると長大な文章を書いては投函していた
文字数の多さが募る思いの大きさだと思い込んでいた頃だった

あの街は、大人の出発点であり、もうひとつの故郷だった気がする
まったく奇妙な人の集まりで、個性に満ち溢れ
その人たちが皆、一つの構内でパンや菓子を作っていた
それぞれの細かい動きや、話しぶり、今でも鮮明に覚えている


なつかしい街の様子はかなり変わっていて、よく立ち寄った喫茶店やデパートは無かった
よく飯を食いに行った食堂は存在していた
しかし、もう営業はしていなく人の気配すらもない
タバコ屋の大家さんはもうこの世にはいないだろう
かつて工場があった場所を探すがほとんど解らない
時代はまるでどこかに急ぐように走り続けているのだと思った

  *

乾き物の肴で
覚えたてのタバコを吸っていた
みっチャンという酒場で
飲んでいたんだ

ショーケースの中には
ショートケーキやシュークリームが並んでいたし
売店の女の子は可愛かった
ミニを履かされていたからきゅんとした
女子寮で膝を立てて下着を見せる子が居た

街を歩いていると
金木犀のにおいがした
秋、鈴木と言う男とよく歩いた
スパゲティ屋でワラエル夢を語っていた

住んでいた周りに側溝があり
夏は強烈に痒い薮蚊が出た
熱帯夜
冷たい風呂に浸かっても眠れなかった

仕事中にアイドルの歌をうたっていた水野は
地方紙の訃報欄に載っていた

佐々木さん
小娘を弄び堕胎させた
フィアンセの眼球は取り除かれていた。



なんだか今
ひどく僕は疲れていて
紙芝居のような
思い出を辿っていると
なんだか
瞼がふくらんで
頭の中が痒くて仕方ない
丸い椅子に座り
パチパチと炎の前で
それらを眺めている
絵は一枚一枚炎にくべられ
きな臭いにおいとともに
火の粉が舞い上がった


#03 

  田中恭平

 
百日紅の花は寒に縮みつつ
その先 蕾を遺している


静かにするんだ──

先に服した薬が内側でそう告げた

硝子戸を開け、じっと寒を見つめる

茫洋とした視線へ
孑孑の
騒ぐ声が挿入され
目は
眼となって
百日紅の花の赤さを
正信する
否 
眼が
目となって
百日紅の花の
神の
生成の
妙が知れると

私は陶器の
灰皿を、縁側に置き
煙草を嗜み

静かにするんだ──



舌で転がしてみる

この戦時下
 
パラパラと
舞い落ちるのが
百日紅の
花弁であって
中華人民共和国の降下爆弾

なくて良かった


一弁
一弁
灰皿に詰め
灰皿の灰と
花は
互い
形を失っていく

明日から米の
供給は終わり
煙草屋へ寄ったら
読売新聞しか
置いていなかった

家を引き払い
薬代に換えて
駅前ベンチで眠ろう

左派の私を
雇ってくれる
映画会社を捜そうとも
しかし
東京は灰燼か
郵便は止まった


最後の煙草に火を点けて


静かにするんだ──


しかし

百日紅の花は寒に縮みつつ
その先 蕾を遺している

たとえ
私のこの両目が
義眼であったとしても

 


かさぶたはげて

  やかもち

気付かぬうちに足の甲から血が出て君は死ぬる
今日も誰かの誕生日であることを思いながら父と母は性交したため
そのために、僕は死ぬる。


秋が地底から沸き起こって
ずっと寝て居たくなるだろう。
だだっ広く白い部屋に一人
関係も無ければ意味あいも無く
薄めになってしまった音だけが
赤く鳴り響いていれば。


あなたのいわれのない孤独とか絶望は
お菓子の夕闇に抱かれてじっと
シクシクと笑っているでしょう。
君は死ぬる。


Soine(株)

  ゼッケン

おれは夜、添い寝のバイトをしている
客は40後半から50代の男が多い
おれと同年代の男たちであり、女はめったにいない
たいてい出張先のビジネスホテルに呼ばれる
おれは部屋に入る前にパジャマに着替え、枕を抱えて扉を開ける
客には予約時にスタッフが電話で説明している
客は風呂に入り、あとは寝るだけの状態でおれを迎えねばならない
予約の時間ちょうどに部屋の鍵は外しておかねばならない
扉が開くとおれはお辞儀や挨拶はしない。自分の寝室に入るのに自己紹介をするやつはいないからだ
そして
おれは寝る
客はいくぶんためらう
おれは目を閉じたまま言う
あしたは雨だ
照明が消されるまでに5分から10分、あるいは消されない
おれの腸は月一回洗浄される
おれはヨーグルトを食い、肉を食わない
満月の頃、おれの腸は均一できめの細かい細菌叢で一面に覆われる
夏はなだらかに起伏して先はアルプスの稜線で途切れる牧草地に風が渡り、
低地より早く迎える秋には冬の備えとなる干し草がサイロいっぱいに積みあがっているだろう
外は雪で埋もれていても、サイロの中は干し草のひそやかな発酵で暖かく湿度がある

動物では死と呼ばれる回帰が サイロの中の眠りは穏やかで 不可視だ

糊の効いたベッドのシーツはおれの体臭を吸収しない
おれの寝息は規則正しく、しかし、さらに長い周期で刻々と変化していく
季節と星の運行がおれと見知らぬ客をひとつベッドの中で
眠らせていく
泣き出す客がたまにいる
おれは目を開けず
手を握ってくる客もいる
おれは握り返さない
おれの呼吸は健やかに伸び、体温はすこし下がる

朝にはなにもかも連続していない


スヴァスティカ

  atsuchan69

  ○
   。 
  。 ゜ 〇
ぶくぶくと発酵し、
白く泡立ったパロールが
プチン、パチンと弾ける刹那
闇に包まれた沈黙の森へ
微少の琥珀金を含んだ飛沫を散らす、
ランゲルハンス細胞の 突起

煮えたぎる
夜と、
瀝青の黒に映える
 「ワン・センテンス/椀子蕎麦

俯瞰するイメージは、
血まみれの過去を遠く置去りにした
 女//
無限遠の被写界深度によって
像をむすんだ、南高梅
赤い楼閣の建ち並ぶ 永谷園
食卓のクローズアップ・・・・

刃こぼれした拙いことばや
陰影の醸しだす強い生命の匂い。
脂の効いた軽やかな厚味、
独特な切り口でみせる 
濡れた金星(Venus) その日常の悶え

枯れ落ち葉のうかぶ沼の安らぎと
敷き詰められた権威が澱む深緑の面に
構・築・さ・れ・た 基礎を一瞬にして壊す、
 わずか一滴の毒にも似た
淫らな蘇芳に染まる 起立した♂(アソコ)

怪奇なるマーブル模様の波紋を描いて
ざわめく数式の破綻 と、怯え
薔薇の花弁を這う仮面のラング・ド・シャ
濡れた舌の精緻な軌跡さえ狂う、
あまりにも乱暴な筆致の――オチンコ。
想いは、嵐の海に泣き叫ぶ 声
 「あはあ、あはあ・・・・

薄墨色の空に渦巻く、ルーン文字
破れはためく帆を幾度もたたき照らす光
 ――ドドンガーガー!
大粒の雨と吹きずさむ、異界の風と叫び )))

 暗転/
爽やかな慈愛にみちたエーゲの牡蠣、
 おお、スヴァスティカ。
――「歓び」そのもそのよ!

今しも死者を乗せた船に
セイレーンたちが降り立つ
やがて波に呑まれてゆく陽気な言葉たち
美しい音色を残して砂の海へと沈む

 「いやーん、ワン・センテンス/ワン・タン、麺。

なんて卑猥で下賎な飛沫なのだろう
 呪われた言葉よ、魔物たちよ
  泡立つパロール、
――「歓び」そのものよ! 


  山人

私は森の中にいた
山ふくろうの鳴き声と、おぼろ月夜がおびただしい夜をつくっていた
さしあたり気候は悪くない季節とみえ、そして夜もふけつつある
記憶を辿るが、なぜだか脳が反応を示さない
記憶の構造が気体のようにふわふわと漂っている
この場を離れ、私の拠りどころへと帰る必要がある
さいわいその昔、私は山野を歩く趣味を持ち、さまざまな知識があった
窪地の風が通らないやわらかい腐葉土の上で、横になり少し目を瞑る
流れる霧のその先から明かりが徐々に差し込み、朝が来る
季節は初夏である
そばに渓流があるのか、ミソサザイの突き刺すような声が聞こえる
標高はさほど高くないだろう
まだありふれた雑木があり、一度は人の手が入ったところだ
藪を行くとチシマザサの群落があり、根から斜めに突き出た筍が生えている
小沢を通り、少し登るとコルリの陽気なさえずりが聞こえてくる
多くの野鳥は、森で棲み分けを行い、ひらけた光り溢れる地に居るのがコルリだ
コルリに導かれ、改良されたブナ林に出る
ふと見るとチゴユリの群落があたりを覆い尽くしている
きっと道筋は近い
やがて近くに鉈目を見ることになる
しかし、それは忽然と消えた
たしかに人の存在があり、人の呼吸があったはず
やがて、あたりは再び霧が覆われ
縦横無尽に立ちふさがる蔓群落と灌木が一層激しく立ちふさがり
森は深く難解さを増していった


変わりたい

  黒髪

変えたい変えたい人を変えたい
大事な人も大してそうじゃない人もみんな変えたい
必要なら呼んでくれ
その声を聞き逃さない
共に生きているという縁をつながりを
僕の狂った信念さ

変わりたい変わりたい自分が変わりたい
嘘と偏屈で自由にならない
気持ちを残しておざなりの
考えのリズムと思考のすきま
僕の狂った信念さ
そうさ執着してるのさ

もしかしたら人は人じゃなく
全て悪いプログラムなんじゃないかしら
毒を飲んで死なないように
いつも誰かを助けてる
変えたい変わりたい
一生かけて変えたい変わりたい

憎まない憎まない過去を未来を憎まない
取り合いも競争もあるが
差別をされた不幸を見て
自分じゃないと安堵はしない
特に美しいものや普通なもの
どっちの肩を持とうかな
どっちか持たなきゃいけないと僕は思ってしまうのかな

思考においては我を忘れる
そのように僕は道から外れた
コロコロ転がった真珠を僕は追いかけた
多くのヒーローが伝えたかったこと
泣かないヒーローが
笑顔を忘れないヒーローが
君はまだ午後のお昼寝中
どんな悪夢も大したことはないんだ
一人しかいなけりゃ心から笑えないだろ
子どもたちは独りぼっちな自分を
夕焼雲に投射しながら
明日また朝を迎えるんだ

体も頭も調子はずれ
愛も余裕もない
末期のセリフとはするまいぞ
まだわが望みを消すまいぞ
とばすシャボン玉
人は変わる
風に乗って飛んでいけ
小さいの大きいの
閉じ込められている愛を
過去さえ失いかけた
夢の中で許されない者
誰か救ってください
叫びかける相手もない閉じ込められた心の希望を想って
宇宙の姿にも
いつもの夜空にも
愛はあふれそうだ
光を与えてくれる人の数は
かぞえきれない


鳩よ! 夜明け前

  GENKOU

戦慄の墜ちる雷イカズチを            
 詩的に完全無防備に言語世界は
  あなたの意のままに繰(ク)るのです
必至の責務に 完全無防備に 
わが胸の奥底に 広がる
 失念と失望に綴じながら  
時の伴より 送り詣でる 
あなたの伝書を届けてくれた 
      鳩
        
大陸と大海の肩に               
密約の諸事を 知ったがために
肩に触れるその霊は
ヴィジョンを走らせ美音を引き抜く
目に付随する瞬間(トキ)を宿し        
あらゆる行間から
言葉は同時に
溶かれ放たれていく
      鳩

半ばちぐはぐに踊ってみせる
ハンモックの黒い赤んぼうたち
ふたつの手のひらを握りしめ
バイバイと手を振っている
喜び哀しみ怒りを握り

幾多の先人の斜交いを滑りながら、
空の青さ 緑の萌える 
幾多の彩りを
見分ける瞳を 
笑う
      鳩


貴女の乳房を咬みながら
ぼくらは豊潤な歓びを味わう
観る瞳が
人の愛くる世界を聲の側カタエに
看ながら
呑み干されたワイングラス 
僕はクシャミをし
毛布にくるまり
耳障りな
ヘックシ、と
風邪をヒク よな
ほこりの立つ
掘っ立て小屋の街に居る
      
      鳩


あなたが送る 実りの蜜を降らせた、しークシ  
涙、ポロロヨダレ るるるh ooラララ 鼻水、ポシュン
キミがクシャンとクシャんだから
ぼくは鼻水、ポシュンだ
涙、ポロロ ロロロロロ
ヨダレ るるるhooラララ                
盲目のタクトに神経を尖らせ
両の指から半身・全身・肩身輪踊ワルツ
タクトを振っていた。
老いた男が目を閉じ 〜っと、ニッコリ そうしてゆっくり、黙り・コックリ
鈴の音が聴こえる
     
      鳩 




               

人差指の先からお前の顎と頬に滴るお前の赤く染まる過去の眠り
寝息を立てるお前と唇が絡み合う舌の音階、コンダクトしていく    
  されば フェニキア ソロモン の ルカチア 蝶の舌 翡翠の宝石 ルカチア
            
気持ちよく眠る汝の袂  わが胸の奥底に 
広がる鳩よ 青く空  森羅万象 
緋色のくちびる
 貴女の喉もとの茎に
  僕は鋏をいれ壺に挿す


※※


  夜明け前  2015 09 24 

朝の光を背にくるみ
 私の歩く かげうつす

首から頭を持ち上げ  
 黙って見下ろせ!                       

何ソレ未知か! 
 直須足下無一糸去
(−本の糸ほどの足跡も残してはいけない)              
    
素足で歩きたい、        
 地球の足ウラに撒かれた海の砂つぶ 
  泥水に溶かれた水たまり 
 
両 足 膝 が 両手一杯 地にぬかづく
 舌にまかれた蛇がいる
  泥酔の口をあけ 喉もと奥の 
   腹の虚室が むせかえり  
    つばき一滴 透明な糸を垂らす

断つつもりの酒 が!
私を ふたたび
おとしめた 
 
吐物を頬にこすりつけ
青く透明な色艶が額に輝く

朝が来る、
空が白む前から
陽がすでに昇っている
私は
立ち上る、
立ち上る前から
立ち上る

午前5時 


 


揺れる影──2048=1のための照明

  ペスト

種子は口をひらいた──星を枯れた舌の上に埋め
無防備な砂金の腹の上で──熱線は加速していく
鳥のくちばしの空洞内部から──揮発した鏡に向けて
汚れた足先を見つめていた──花束は白く噛み砕かれる
海水の降り積もった空のように新鮮な──根に繋がれた痙攣を
苦痛を光は味わうだろう──叫びは揺りかごの中へと注いでいる
息を固めた氷の上を──細い溶岩の糸は静かに大気圏に触れ
赤い赤の風が吹く──鼓膜を失った魚は気泡のように弾けていく
鮫の卵巣に閉じ込められた朝日の匂いを耳にする──時計に染みつく錆びた花粉を
炭化した白鳥の涙の茂るその奥で──塗られた視線の伸びた先の
不意に呼ばれたような気がしたので──葉の上に鐘の音の抜け殻が止まる

文学極道

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