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2014年03月分

月間優良作品 (投稿日時順)

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* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


無色の欲望

  zero

始まりと終わりはどこまでも流れ落ちていくので
現在の幅に射し込む水の光だけで流れていく渓流
岩は感情のように水の流れを変え
木の葉は矜持のように水の面を彩る
僕はその川の方向のような
一個の論理になりたい
一個の機械的な連鎖を生み出す機関になりたい

建築はどこまでも増えて土地の限界を試し続ける
人々は関係から関係へと包括と還元を繰り返す
都市は修辞のように人の心をあいまいにし
社会は定型のように人の手足の歌を規律する
僕はその社会の照明のような
一個の概念になりたい
一個の明晰な理解を生み出す関数になりたい

この世でたった一人であるがゆえの孤独
歴史の中の特異点であるがゆえの寂寥
誰とも最終的には分かりえない絶望
僕はその唯一性に反逆を企てて
一個の無色の欲望になりたい
誰とでも分かち合え分かり合える
この世にも歴史にも何回も登場する
何の個性もない生きる欲望になりたい


HELLO IT’S ME。

  田中宏輔



ところで、きみの名前は?
(トマス・M・ディッシュ『話にならない男』若島 正訳)

ぼくの名前?
(ジョン・T・スラデック『西暦一九三七年!』乗越和義訳)

きみの名前だよ。
(J・ティプトリー・ジュニア『ハドソン・ベイ毛布よ永遠に』伊藤典夫訳)

名前は何といったっけ?
(フィリップ・ホセ・ファーマー『わが夢のリバーボート』6、岡部宏之訳)

なんて名前だったっけ?
(テリー・ビッスン『赤い惑星への航海』第一部・1、中村 融訳)

きみの名前は?
(J・G・バラード『終着の浜辺』遅れた救出、伊藤典夫訳)

きみの名前は?
(ジャック・リッチー『貯金箱の殺人』田村義進訳)

きみの名前は?
(ハリイ・ハリスン『ステンレス・スチール・ラットの復讐』11、那岐 大訳)

きみの名前は?
(コニー・ウィリス『リメイク』大森 望訳)

きみの名前は?
(ケン・マクラウド『ニュートンズ・ウェイク』A面5、嶋田陽一訳)

きみの名前は?
(コードウェイナー・スミス『ナンシー』伊藤典夫訳)

きみの名前は?
(ノーマン・スピンラッド『星々からの歌』クリア・ブルー・ルー、宇佐川晶子訳)

きみの名前は?
(アルジス・バドリス『隠れ家』浅倉久志訳)

きみの名前は?
(エリック・F・ラッセル『ディア・デビル』伊藤 哲訳)

きみの名前は?
(ジョン・ボイド『エデンの授粉者』13、巻 正平訳)

きみの名前は?
(ニールス・スティーヴンスン『スノウ・クラッシュ』下・41、日暮雅通訳)

きみの名前は?
(R・A・ラファティ『とどろき平』浅倉久志訳)

きみの名前は?
(R・A・ラファティ『つぎの岩につづく』浅倉久志訳)

きみの名前は?
(ジェフリイ・コンヴィッツ『悪魔の見張り』15、高橋 豊訳)

きみの名前は?
(ロッド・サーリング『歩いて行ける距離』矢野浩三郎訳)

きみの名前は?
(レイモン・クノー『地下鉄のザジ』7、生田耕作訳)

きみの名前は?
(フィリップ・K・ディック『空間亀裂』6、佐藤龍雄訳)

きみの名前は?
(ナン&アイヴィン・ライアンズ『料理長殿、ご用心』中村能三訳)

きみの名前は?
(シオドー・スタージョン『ゆるやかな彫刻』伊藤典夫訳)

きみの名前は?
(エリス・ピーターズ『アイトン・フォレストの隠者』4、大出 健訳)

きみの名前は?
(ロジャー・ゼラズニイ『おそろしい美』浅倉久志訳)


生きる

  深尾貞一郎

いのちが鳴く

梯子をのぼると
つやつや照る屋根から
声はきこえた
そっと瓦を剥ぐ

ひらかれるはずのなかった
藁の床が光った
うら返った瓦の
釉薬のない生地は鉄錆びの色

伸びあがる
ふるふると
つんのめった雛の脚
ピンク色の鉤形には羽根もない
ひらききった
二個のくちは黄色いひし形なのだ
これらはくちなのだ

かさなるよう
透きとおる肌は戯れる
ピンクの頭骨に産毛生え
血がかよう
眼なるところは黒く
なんと大きく
薄い肉の膜

蓮のかたちに広げた
わたしのかたい手のひらの中で
うごいている
ぷっと膨れた腹に
つまっている
わたしの手よりも
温かなもの


古い人

  zero

古い人よ
あなたの残してきた足跡が
時間の湖に一つずつ落ちる音がして
僕はそこに誰にも使われなかった時計の針を見る
新しい村に深く棲み付きながら
あなたの姿は目に見える姿とは別の姿だ
あなたの声はこだまを失って久しい
声には代わりに美しい義務ばかりが返された
権利を自分の手になじむように削って用いていた
古い人よ
どんな微風にでも新しくとがった権利が乗って来て
あなたのまなざしはそれを消化するには繊細すぎる
人との多色の交わりが幾筋もつながっていく中で
あなたの生の表現はその筆触を落ち着かせ
それと同時に柔らかい繊細さを増して行った
僕は新しくも古くもなく
ただあなたを訪れるごとに一つずつ感情が生まれていった
絶対的に古い人よ
相対的な景色に打たれ相対的な人に打たれ
相対的なすべてに真心でもって驚いてきた絶対的に古い人よ
僕はあなたへと至るきざはしを解体しようと思う
あなたに対する債務は徐々に返還していく
もうどんな一個人も絶対的に古くなどならないように
無数の原理と無数の伝統と無数の宗教が
すべて巡り巡って空間に位置を持たないように
すべて反応し合って絶対的な新しさを生まないように
ふたたび古い人よ
あなたの古さは古いままいつまでも生まれ変わっていく


害虫

  sample

夜の蜘蛛を生かして
償われた指腹のよどみに
吹き溜まる星々は研削され
なめらかな肩口を晒し合いながら
目まぐるしい渦中からの
放逐を同意してゆく

霧散する、フラグメント
融点の狭間で点、を穿つ
蠕動する点、は凝集し、繋がり
硬い皮膜に拘留された
やわらかな部位を露出する
開示された身体は隠逸のために

腕を束ねた偏平足たち
暗い池沼にひたされた足おと
泡沫の潰えた水面に
なだらかな額を投影する
月はゆらいで扇状に煌めき
分岐する白糸が露に濡れている

封じられた羽虫の触角が微動する
断たれたばかりの
白目が反照して眩しい
しずかに湾曲される関節
後ろ手に粒立った呼吸が
ひとつずつ壊死してゆく

不純な渦、体液の流れるおと
/雑/踏/。/朝/が/来る
外殻の街、中空、網状の導線が
絶縁されてゆく幻視の中で
おなじ空を見上げて
佇む、人がいる


anaesthesia

  コーリャ

その日、境内に行くと、村の子供たちが群がってなにかを覗きこんでいた。駆けて近づくと、ひとりが振り向き、見てみろよ、と言って、身を逸らしてくれて、大きな鼎が見えた。翡翠色のドロリとした液体が張ってあり、底にはなにかの樹の大きな枝が折って重ねてある。小さなあぶくがすこしづつのぼっている。これなに?と僕が訊ねると、しぃっ、とたしなめられる。あっ、と誰かが言って、ほら、咲くよ。と誰かが言った。枝に実がゆっくりと結んで、花が咲いた。うわあ、と誰かが言って、あぶくがいっせいに吹いてでてきて、ああ、と誰かが言って、ああ、と誰かも言った。花は開きながらそのまま散って、ゆっくりとあがりながら、花弁をひとつづつ、手放して、水面にあがるころには、光になったから、僕はゆっくりと手をのべて、水をすくった。

その日、境内に行くと、村の子供たちが群がってなにかを覗きこんでいた。駆けて近づくと、ひとりが振り向き、見てみろよ、と言って、身を逸らしてくれて、大きな鼎が見えた。翡翠色のドロリとした液体が張ってあり、底には子供のころの僕が両掌をもがれて座っている。口許から小さなあぶくがすこしづつのぼっている。これなに?と誰かが訊ねると、しぃっ、とたしなめられる。あっ、と誰かが言って、ほら、咲くよ。と誰かが言った。手首に実がゆっくりと結んで、指が咲いた。うわあ、と誰かが言って、鼎のなかの僕も、うわあ、と言ってしまって、あぶくがいっせいに吹いてでてきて、ああ、と誰かが言って、ああ、と僕も言った。掌は開きながらそのまま散って、ゆっくりとあがりながら、指をひとつづつ、手放して、水面にあがるころには、光になって、僕はゆっくりと手をのべて、水をすくった。


冬髪

  葉月ナジ

凍る舌苔が擦れあう
蟻の蘇生のような精密さで
「植物園は愚かである」
そう言って祖父は息を引き取った

(半熟の花粉を舐め取ったのは誰だったのだろうか?)

叔母の潰れた踵によると
「閑日」には挿絵がつくらしく
剥離の庭には
破棄したはずの群青だけが居残っていた

森の縫い目をほどきながら
まるで本当のことのように
のぼりつめて
いく

泥にまみれた瞼は捨てていこう
(おりこうな由来さえあればいい)
蒸れた檻の傘をかざして
(今はその気配さえあれば いい)

腐葉土を齧り尽くして
透明な底を知る
こじつけた頁は甘かったのに
(それでも)
不実の鞄を抱えたまま
練った鏡の島で沈んでいく肌が
縫い付けられた問いを保って

仏花にちなんだ君の名だけが這う

蜂の根の数珠が
仄かを羽織っていく
遠巻きに透ける喉が
とるにも足らぬあの日に凍って
まるで嘘のように
似通っていく

おりて
いく


A whole new world in the hole

  熊谷


色とりどりの火花と
生まれたての瞳がひらく
鳴り響いた大きな音
暗い夜は何だか怖いから
泣くか笑うかしてないと
赤ちゃんは落ち着かないようだった
だいじょうぶ
君はきっと大丈夫と言って
ひだり手を離された
ぱらぱらという音をたてて
輝かしい金色の火薬は散った
こどもが欲しいと言ったあなたが
子供みたいな私の手を
つかんで離して
息苦しく生ぬるい
若すぎた夏の焦げた匂いを
二度と忘れさせないようにして
二度と目の前に現れることはなかった
そうして静かになった夜に
赤ちゃんはようやく
眠りにつくことができた





こころに空いた
真っ暗な空間の
その穴からあなたがひとり残って
残業しているのが見える
一通り手術のリスクを
説明し終えた医者は
「元恋人の残業が終わったら
手術を始めます」と言って
承諾書にサインを求めてきた
積もり重なった悲しみに
赤ちゃんはとうとう
眠りから目を覚ましてしまった
そうしてプライドが高い私は
あなたの名前が書かれるはずの
すべての書類に
自分の名前で署名をしてしまった
今すぐ、塞いでほしい
生まれたときから空いていた
心臓の小さな穴を
真っ黒な空間を





赤ちゃんは心臓に穴が空いている
という重い病気を抱えていて
あなたは納期が近い
大事な仕事を抱えていた
終電の時間が近づいても
家に帰ることはできなかった
花火を見に行ったのが
結局最後のデートになったのだけれど
あの日よりもずいぶん
髪の毛がボサボサに伸びていた
このままでは手術が始められない
と焦っていたら
「では、あなたの手術をしましょう」
と言って医者は
聴診器を胸にあて始めた
触れたところから焦げ臭い匂いが
診察室に広がっていくのを感じた
「とてもきれいな花火を見たんですね」
と医者はつぶやいた
開いたものはいつか閉じていく
そうして赤ちゃんはまた
眠り始めようとしていた





誰もいない過疎化した街の
さびれた観覧車に
赤ちゃんは乗っていた
回転する余命に
あわせるようなスピードで
だいじょうぶ
君は大丈夫と言って
小さなみぎ手を握りしめた
こどもが欲しいと言ったあなたは
残業に疲れ果てて
奇妙な夢を見ていた
海外出張で飛行機に
乗らなくてはいけないのだけれど
チケットをどこを探しても
見つけられない夢だった
あなたは呆然と
飛行機に乗っていたはずの
あなたを想像しながら
夢のどこかで
ひとり取り残されていた
チケットはきっと見つからない
なぜならあの時すべて
あなたの名前の書類は
私の名前に書き換えてしまったのだから

観覧車の向かいには
海が広がり、そして朝日がのぼる
手術は必ず成功することになっている
あなたが乗ろうと乗らまいと
飛行機が空高く飛ぶのと同じように


三月の手紙

  前田ふむふむ



白く鮮やかに咲きほこる
一本のモクレンの木の孤独を わたしは
知ろうとしたことがあるだろうか
たとえば 塞がれた左耳のなかを
夥しいいのちが通り抜ける
鎮まりゆく潜在の原野が かたちを震わせて
意識は 漆黒の海原の深淵をかさねながら
ひかりを見ることがなく
失われていった限りなく透明な流れを
いつも一方の右耳では 強靭な視力で見ている
そのように引かれている線のうえで
萌えだしている夜明けを
風雨に打たれて 力なくかたむいて立つ
案山子のような生い立ちの孤独として
意識したことがあるだろうか

恋人よ
わたしが手紙のなかで描いた円のうちがわで
あなたが死の美しさに触れられたら
わたしに囁いてほしい
ときが曲線を風化させる前に

空に有刺鉄線が張られて
その格子のすきまに止まった
泣き叫ぶ白鳥の群を 美しいといった

恋人よ
あの着飾った日記帳のながい欠落した日付が
ほんとうは 満ちたりた日々で埋めてあると
うすく視線を やせた灌木の包まる
感傷的な窓にやった

恋人よ
寒々とした白昼のカレンダーのなかで
熱くたぎる乳房の抱擁を
わたしの白く震える呼吸に沈めてほしい

盲目の荒野を歩く朝の冒頭を
生まれない匂いが 草の背丈まで伸びて
見渡せば 死のかたちが視線にそって 描かれる
次々と波打つように
わたしは 大きく声を
茫々とした見える死者にむければ
小さな胸の裂け目から
仄かに 流れるみずが
わたしの醒めたからだの襞を走る
ああ 生きているのだ
詩の言葉の狭間を

わたしは 充足した世界を 埋めつくしている両手を
空白のそとに捨てて
ふたたび 見えない風に吹かれる

夕陽の翼から 零れるほどの
先達が見つめた

恋人よ
赤く沈む空に 昂揚した頬をあげて
梟は 今日も飛び立ったのだろうか


カラチョキチョキ。

  田中宏輔



ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』を読んでたら
アリストンという名前の哲学者が、ハゲ頭を太陽に焼かれて死んだって書かれていた。
べつに、ハゲでなくっても、日射病ぐらいにはかかると思うんだけど。
まあ、ハゲには、直射日光も、かくべつキツイってことなのかな。
カラチョキチョキ。
いつも、ぼくの髪を切ってくれる美容師の男の子が、前にこんなことを言ってた。
ハゲってさあ、すぐに散髪が終わっちゃうの、嫌がるんだよねえ。
だから、その人には見えないように、頭の後ろで、ハサミを動かしてあげるの。
髪の毛を切らないで、チョキチョキ、チョキチョキって、音をさせてあげるの。
ただ、ハサミの音を聞かせてあげるだけだけどね。
それで、満足みたいよ。
それ、あたしたちのあいだでは、カラチョキチョキって呼んでるんだけど。
そういえば、古代ギリシアの悲劇詩人である、あのアイスキュロスも
頭がハゲてたせいで死んだって話を読んだことがある。
ヒゲワシという種類の鷲に、頭に亀をぶつけられて殺されたらしい。
その鷲は亀の肉が好物で、生きている亀を岩の上に落として甲羅を割ってバラバラにして食べるという。
詩人のハゲ頭を、岩と間違えたってことなんだろうけど、悲惨な話だ。
これって、ハゲの人のほうが、ハゲじゃない人より災難に遭う確率が高いってことかな。
カラチョキチョキ。
だからこそ、ひといち倍、ハゲには思いやりが必要なのだ。
ん?


取材メモ 2013

  むじな

「実家の部屋」
Sさんは実家を出て一人暮らしをしている。
彼はオタクで、実家で使っていた部屋には、いまも雑誌やビデオのコレクションを大量に置いてある。
ある日、実家から「すぐに帰ってきてくれ」と電話があった。
実家に戻ると、とにかく部屋に行けという。
理由も分からずに自分の部屋に連れて行かれた。
「あけてくれ」
両親に言われるままにふすまを開けようとしたが、なぜか開かない。
むりやり開けようと力を入れると、わずかに開いたすき間に老人の顔が見えた。
むこう側から、知らない老人が凄い形相でふすまを押さえている。
三人がかりで強引に開けて、突入した。
その瞬間、部屋の床が抜けて、家の二階が崩れた。

「セーラームーンにもらった」
四、五歳のころの話。
自分は覚えていないが、家族から聞いた話。
キャンプに行ったとき、急に自分の姿が見えなくなった。
日暮れが近くなり、みんなで必死に探していると、自分が突然、森の奥から走って現われた。
それを見て母親は悲鳴を上げた。
娘が満面の笑みで、何か動物の内臓のようなものを両手いっぱいに抱えていたからだ。
どうしたのかと聞くと、「セーラームーンにもらった」と答えたという。
どうやら自分には、その内臓がアクセサリーや宝石に見えていたようだ。
家族にそれを取られると思って必死に抵抗したらしいが、それも記憶にはない。

「おんぶ」
Nさんはおばあちゃん子だった。
入社式直前におばあちゃんが亡くなり、楽しみにしていた晴れ姿を見せられなかった。
入社式の日、社員のTさんが彼を見て「君!」と慌てた。
なんですかと言うと、急にしどろもどろになって「あ、いや、すまん。なんでもない」と言った。
それから数年後。
Tさんが他の支店に移動することになり、部署内で送別会があった。
その席でのこと。
「実は、君には話そうと思って、ずっと話せなかったことがあるんだ」
Tさんは声をひそめて言った。
「君が入社式の日、背中におばあさんを背負ってきたように見えて、本当にびっくりしたよ。あれ、いったいなんだったんだろうな」

「あんまの話」
私、人には言う必要もないので、あまり言わないんですが、全盲ではないんです。
だから、見えてたんです。そのお宅の息子さんに、尻尾が生えてるの。
ちょろんとした、指の長さくらいの。

「鳥かごの話」
シャッター通りの鳥かごが、たまにガタガタと揺れる。
ひと筋となりの商店街で惣菜を売っているが、たまに客から「昔、あそこにはオウムがいて、それを懐かしんでいるように思えるねえ」と言われる。
テンプラ屋さんが飼っていたものだが、その鳥かごはもう、ずっと昔にない。

「前かけ」
酒に酔った若者の集団。
そのうちの一人が、地蔵の赤い前かけをふざけて取り、自分の首にかけた。
別の若者が注意してすぐに元に戻したが、その後、ふざけた若者の鼻から血が止まらなくなった。ティッシュで押さえても止まらない。
ようやく止まったころには、彼のTシャツの襟元は、血で真っ赤になっていた。
まるで地蔵のまえかけのような形だった。

「よりこさんいますか」
男の声で「よりこさんいますか」と電話がかかってくる。
最初は「間違いですよ」と丁寧に断っていたが、あまりにも頻繁にかかってくるので、
ある時、
「よりこって誰だよ!」
と怒鳴ってしまった。
すると、受話器のむこうで、
「よ、よりこは私ですが……」
と、弱々しい女性の声がした。
怖くなって何も言わずに受話器を置いた。

「青い蛾」
Tさんは幼稚園のころ、大きな青いガを見た。
手のひら二つ分はある巨大なガ。
この話をするとみんな「夢でも見たんじゃないの?」と言うが、その時のスケッチブックが今も残っている。
ある時、用事で実家に戻った時、押入れから当時のものをしまいこんだダンボールが出てきた。
そこには確かにスケッチブックがあり、青いガの絵も確かにあった。
が、そこには記憶にないものもあった。
おそらく幼稚園の先生が書いたと思われる、赤い文字の文章。
内容を要約すると、どうやら自分は友達の首を絞めて殺しかけたらしい。そのことを注意する母親向けの厳しい内容だった。
Tさんが幼稚園で首を絞める遊びを提案して、広めたのだという。

「無音」
映像関係の会社で働いている。
ある場所でビデオ撮影をしたときのこと。
後日、編集しようとビデオを見ていたら、ところどころプツプツと音が途切れている。
「どうすんだよ。これじゃあ使えないよ」
音声トラックを確認すると、その場所で撮影した部分にだけ、よくわからない無音部分がある。
首を捻っていると、同僚が、その無音部分に規則性があるのでは、と言い出した。
「これ、モールス信号じゃないですか?」
半信半疑で解読できるか試してみると、それは確かにモールス信号だった。
「まだいきている」
「ここにいる」
「たすけてくれ」
そういったことが、何度も繰り返されていた。


置いてき堀

  はかいし

山道を父とともに走りながら、目に写るものを少しずつ言葉にしていく。葉の落ちた落葉樹の群れの中で、静かな光を放つ常緑樹。走る私の喘ぎ。このままくずおれてしまいそうだ。ならばいっそ自分から、くずおれてしまえ。前を走っている父が言う。大丈夫だ。あともう少しで家に着く。父よ、言っておくが私はもう無理だ。限界だ。走り切れない。走りにキレがない。父よ、だが大丈夫だ。私はダメかもしれないが、お前は大丈夫だ。お前なら私をおぶっていける。ダメだ、それでは共倒れになる、と父。ならばいっそのこと共倒れてしまえ。走り去る父。私は置いてきぼりを食らう。むしゃむしゃ。なかなか味がある。こいつはいけるぞ。なんて名前の料亭だろうか。置いてき堀? いい店を見つけた。少なくとも、休むにはいい。紹介してやろうか。結構だって? まあそう言わずに。注文は? オムライスにしよう。なんかいつも俺って小村いすおとか言いたくなるんだよな、と父が言う。それって食べれるの、と突っ込む。グレイトだからな、何でもありだ、と父。グレイトも父の口癖だ。グレイト・ギャツビーはさぞかしグレイトだったんだろうな。あんなののどこがグレイトなんだ、と私。皮肉なんだよ、あれは。まあ、なんでもグレイトだよ、と父。さてこっからどうやって進めようか。オムライスがやってきて、店を後にする父と私。最後に見たものを言葉にしよう。山道を抜けたところにある、老人会のチラシが貼られた掲示板。この辺も老人だらけになってきたなあ、と父。お父さんはまだだよ、と私。


星座的布置

  sample

海のない手のひらの庭
土を踏む三脚の椅子
雪、重なる雪、そのあいだに
燃えるものがあるなら

空白を焚きつける
指先の罪悪を冷たい鍵にする
小さな灯りに目を細める
たったふたつの隠微な痙攣

光、降りる朝に遺された爪痕
重なっては崩れる雪片
堆積する間もなく滅びてゆく
か細い陰影だけを残して

いつか肘掛けに置かれていた
精悍で滑稽ですらあった腕
健全な重み、溢れていた緑
その陰で交わされた対話

舌先に遺された発音
繋がらなかった対話の描線
回遊する雪虫が
白い風景に溶け込んでゆく

人の形象が夜を演じる
星の口唇術が指先を誘う
窓の向こうから
手のひらを見せながら

網膜にひろがる街
あたらしい椅子の匂い
まだ雪は、届けられたばかり
声は失ったばかり


若かった

  深尾貞一郎

青葉の茂る涼やかな木蔭に
作業車のドアを開け放てば
汗まみれのシャツも
じきに乾いた

真夏の樹のように働き
泥だらけのズボンを穿いたまま
ずっと
冗談ばかり言っていた

倒したシートに寝そべって
今もまだ夢見る
目には映らない
記憶のなかの居場所を

愛してくれた人たちを想う
まだ消せない
家庭の夢と寝ころぶ


感性

  にぃーおーだー

『雪の日』

雪の、
歩き方だけが、
早くなっていく、

雨の中、
駆け回るように、
固まった、
体の、関節を、
一つ、一つ、
外していく、
熱を、込める、
冷えないように、
押しては、引いて、
祖母に、教えられたように、
向かい入れるのは、
隙間を、ぬって、
歩いてくる、人達、

外では、
野豚が、三回転半の、
宙返りを決めて、
光すらも、凍らせた、
風景の中を、

恩寵や、
重力、または、
罪や、罰、
よりも、
深い、生活の言葉は、
乱れたままで、

花瓶に、いける、
一輪の、花に、
本の中でしか知らない、
失われた、人々の、
優しい、手を、見つける、

外に出て、空を見上げる、
雪、手、雪、手、
無数の、手が降っている、
冷たい、冷たい、
と、手が触れるたびに、
肌が、小声で、囁く、

その隣では、
まだ、野豚が三回転半の、
宙返りを、決めて、
現代を、駆け回っている、
この、雪で、手で、
覆い尽くされた、
光り輝く、風景の中を、



第一章 昼下がり、舌の上で、ひかりは、

昼下がり、
ひかり、は、
しぜんと、やいばに、
なって、
夕闇、みみなりのする、
この、とちの、
におい、

けものたちだけが、
つめたい、むれをなして、
わたしたちを、
おそってくるまえに、
わたしたちは、
あたたかいむれを、
はなれて、
また、
(もういちど、はじめから
 やりなおさなければならない)

つちを、巡る、
かぜの、冒険、
それは、病、
次から、次へと、
私たちの、間を、
通り抜けて、
切り刻んでいく、

あなた、たちは、
あたかかい、
としで、汗だくで、
働くのだろう、

私は知っている、
あなた、たちが、
食べる、凍えた、
まずしい、しょくぶつや、
どうぶつたち、の、
こわれていく、
たましいの、かずかずを、

このとちは、
貧しさばかりで、
うめつくされているというのに、
あなた、たちは、
このとちで、生まれた、
ものを、よろこんでたべる、

ひとりのともが、
しぬたびに、
ひとつの、ものがたりが、
うしなわれていくなかで、
おおくのものが、しんで、
失われていく、この土地だけは、
かわらない、

古事記で、
記される、ここから、
向こうが、
さばえなす、神々の、
領土なら、
今、私は、
境界にいる、

(また、もう一度、
 初めから、語りなおさなければならない)

三日前に、
芽吹いた、
それでは、まだ、
幼い、
手の中に、
収まる、ような、
魂の中で、
朝、
凍えた、
ばかりの、
小さな、
雨の、群れ

手は、
遠くを、知っている、
足は、
遠くを知らない、
耳だけが、ちかく、を、
教え、
教え込まれた、数だけの、
叫びが、わたしのしらない、
人の、顔を、呼び覚ます、

夢は、冒頭で、
熱を持って、眠りの中で、
体中に、溶け込んだ、
(千度の、高温に、
耐えられるように、
私たちの、体は、
できているんだ、)

「いつか、
 貴方が救おうとした、
 むれは、
 腐り果てるだろう、けんじ」

獣、たち、
の、あしおとだけが、
雨を引き連れて去っていく、
の、を、追う様にして、
早くなる、
あなたの、ちいさな、
たましいが、
つまった、
しんぞうの、中に、
みをよせあって、
ふるえる、
むれ、を、

「昼下がり、
 舌の上で、
 たましいは、」
「たましい、だけは、
 みをよせあわない、
 ために、
 この、からだをつくった」

たましいを、
手放すようにして、
花に、名を与える、
その時、
たましいは、
舌の上で、
昼下がりの、
眠るような、
輝きの中で、
優しい雨を浴びて、


第ニ章 土地の名前を、忘れるための、夕闇

土地に、
踏まれた、
足に、つく、
泥、の、
泥の、
また、足に、
踏まれた、
土地に、つく、
つく、泥の、
色、と同じ、
夕闇だけが、
残された、残された、
と、口にする、
人の、背中を、
やっと、捕まえる、
蝉の、背中が、
ゆっくりと、
割れるような、
速度で、
この、夕闇の、
赤が、
黒く、裂かれていく、
時に、

指を切った、
契るための、
唇は、
病に、
切り刻まれた、
風、の、
傷となって、
届くでしょう、
(眠りだけが、
 この、土地に、
 名づけられた、
 病から、
 唯一、
 逃げるための、
 瞼は、凍えを、知らない、
 だから、
 夢だけは、近い場所で、
 遠く、凍える
 凍えた、ものを、
 温める、手は、
 指は、)

(指を、切るのだ、
 病に、犯された、
 風が、
 契りの、ための、
 唇を、
 切り裂いていくのなら
 けもの、たちの、
 後、を、追って、
 私達は、
 ばけもの、になるんだ)

比喩が、
世界に、与えられた、
雨なら、
(降らせられるはずだ)

土に、剥ぎ取られた、
あなた、の、
からだ、から、
わたされた、
少しの、毒が、
私の、言葉を、
滲ませて、

夕闇、
切り裂かれるようにして、
夜、


第三章 涅槃、

切り刻まれた、
言葉が、ちぐはぐに、
発話されて、
貴方の、切り刻まれた、
体の、
色を、白く、させる、
日に、

明るい、部屋で、
明るい、色、
の、中に、
横たわる、
群れから離れて
、けもの、の、
ように、けもの、
たち、のように、
夕闇に、染まる、
前に、失った、
たましい、だけが、
よびもどされない、
まま、

投げかけられる、
言葉が、多いほど、
貴方は、また、
傷つけられ、
病に、犯されたまま、
唇は、契るために、
ようやく、赤く、
なって、
指先は、
硬く、名を、
拒絶しては、
閉じられた、
瞼が、軽い、
剥ぎ取られた、
あらゆるものが、
物語で、
また、物語で、
力で、剥ぎ取られた、
明るい、死、
笑っても、
悲しんでも、いない、
顔に、閉じられた、
瞼と、
契りの、ための、
唇だけが、

(閉じられているだけで、
 なぜ、貴方が、
 この、けもの、たちの、
 群れを、離れたって、
 誰がわかるんだろう)

閉じられているだけで、
言葉だけが、多く、
多く、何度も、
強く、弱く、
投げかけられて、

言葉は、
きっと、貴方の、
閉じられた、重みに、
耐えられないから、
逃げ出すよ、


第四章 骨格と、

手をとれ、
とれ、と、
摘み取られた、
手の多くが、
雨戸に、投げ込まれ、
幸い、外は、
晴れている、

正座、した、
横顔、
私は、二度、
その、姿を、
見た、

その話を、
ずっと昔に、
祖母にした、
時、祖母の、
手が震えていたのを、
覚えている、
覚えている、

震えていた、
のは、小さな、
ざわめきで、
それが、災い、
となって、
土に、埋もれるまでに、
後、何年かかるでしょう、

土に埋もれた、
災いの、
後に、花咲くのは、
小鳥の、名前を持った、
野花、であることを、
願う、

縁側に、
咲いていた、
アジサイ、
そして、松に、
雨が、当たる、
夕時、の、
暗闇の、中で、
仏間に、掲げられた、
写真の、いくつかの、
後ろに、差し入れられた、
手紙、

黄色く、腐敗したんだね、
と、手紙に、告げる、
後、少しで、
暗闇が、やってくるだろう、
その時、真っ赤に、
燃える、炎を、
蝋燭に、灯して、
浮かぶのは、
浄土の、輝きを、
もった、仏の、
体ぐらいで、

手にとられ、
とられた、手だけが、
また、雨戸に、投げつけられ、
瓦の、落ちる音を、
聞くたびに、雨の、
香り、


第四章 吃音、

木の葉を、
千切るようにして、
契った、
未だ、声をかけられない、
こごえだけが、
残ったままの、
手、
て、てと、
手を、取り合うように、
そこに、擬音が、
降り注いで、
初めての、
発話だけが、
飽和した、

一つの空間を、
押し込めるようにして、

世界、
と、名指した、
時の、顔は、
青ざめている、

アダージョ、
アレグロ、

よりも、

ひばりや、
すずめの、
名が、音が、
今は、懐かしい、

生き抜いていくことが、
一つの、信仰なら、
あなたに、降った、
二つ目の、戒めは、
乖離で、
剥ぎ取られた、
み、は、
もう、こうべをたれない、

あなたが、
また、この家に、
生まれてくること、
そしてまた、
この家が、
あなたから生まれてくること、
背筋を、這い上がる、
身をよじるようにして、
青ざめている

海の彼方でも、
山の彼方でもなく、
うみのあなた、
やまのあなたに、
宿るようにして、
集う、
身を寄せ合うようにして、
寄り集まる、

生きているものは、
皆、悲しい、と、
教える、声の、
小ささだけが、
大きい、のは、
体だけで、
小さくなっていくのは、
雨、あめ、
あめ、と、
やめることなく、
ふることなく、

とち、とち、
土地、と、
家々に、

『雨の日』

水道を、ひねる、
真昼、水の音の中に、
流れる、体、
を、またひねる、様にして、
生活に、浸す、

硬い言葉、
やわらかい、言葉、
数を数える、
声に出して、
小さく、大きな身振りで、

林の奥で、
奥だけで、雨が降っている、
また降っている、
その音を、聞きに行く、
これは、生活の音ではない、
(そして、それは、生活の、
 言葉でもない)

荒々しい、人の、
優しい言葉、
物静かな人の、
怖い、言葉、

(それは、生活の言葉)

比喩は、福音の、様に、
降っている、
(だから、それは、
 生活の言葉じゃない)

詩を、書いている時は、
林の、奥で、
雨が降っている、
その、音が聞こえる

第五章、世界中の、豚ども、醜く、わめけ

雨が降る度に、
春が近づいて来る、
生活が始まる、
あなたが生まれるようにして、


再誕した、春は遠野に

  はかいし

行き先も告げずに走り、ぼうっと霞んでいく街を見送ったときの、あなたが忘れられないのはどんなときですか、という一言が忘れられなくて、思い返してはサイコロのように転がしてみるけれども、いつまで経ってもゼロの目が出ないように、あなたはいつしか忘れ去られて、風とともに消えゆくのですか、と問い尋ねる私はどこにもなく、無と化している。

昨日あなたは野里を離れ、遠くの方へ行きました。そしてそこから帰ってきませんでした。これはまれに見る盗作劇です。ねえ、皆さん、私は盗作をしているんですよ、虫かごの中に埋めていた光るたんぽぽの花花が散りゆく景色の中を、盗作者の手つきでもって歩いているんです、手だけでタップダンスを踊るようにして、ね。

「私だって、波動の一部ぐらいは使えるんだ」
「お前のせいでアド損しまくっているんだけど何かいい手札ないの?」
「ないね」
「馬のことをちゃんと考えてあげなきゃダメでしょ」
「ばんえい馬部の裏方で働きたい」
「やっぱりヨーロッパとかあっちの方の感受性っていうものにすごい魅力を感じるんですよ」
「ヒスチジンのイオン化の問題」
「波動を使えるなら、使ってしまえばいいんだ」
「私は波動を感じる、それもとてつもない生の波動を。パジャマ姿のままで」
「昨日ジャック・デリダの『ヴェール』を読んだんだ。小説みたいな書き出しで驚いていたら、それは他の人との共著だったんだ」
「何が書いてあったの?」
「もう覚えていない。出だしだけでひどく遠ざけられたような気がしたよ」

遠ざかっていくものたち、それらに向けて差し出した挨拶は、途方に暮れてしまうほど長いので、忘れないように、紙にしっかりと書き写して、声に出して読み上げてみるけど、その声は遠ざかってしまったものたちには決して届かず、滞留を起こしている、そんな気がしている。


レッド・ツベルクリン

  MANITOU

2014年2月。レッド・ツェッペリンはソチ五輪の銀盤上でトリプルアクセルを3回決
めそこなった。アンコールが何曲だったかは不明だがどうでもいいことだ。選手村のレス
トランではドゥービー・ブラザーズがすき焼きにディープ・パープルをぶち込んで食って
いた。すき焼きを食わなかったレッド・ツェッペリンは銀盤上でトリプルサルコウを4回
決めそこなった。調理場からユーライア・ヒープの唐揚げが次から次へ飛んで来る。それ
に頭から齧り付くポール・バターフィールド・ブルースバンド。尻っぽから齧り付いたレ
ッド・ツェッペリンは銀盤上でトリプルトウループを5回決めそこなった。シライ/キム
ヒフンは6回決めそこなった。けどクイックシルバー・メッセンジャー・サービスなんか
7回決めそこなってケツのぜんぶの毛穴からハッタイ粉が吹き出たんだぜ。あいつらみん
な死んだ。それが兆候だったと後に解説のサノさんは語った。


ヤマモモの並木が続く高台の歩道を歩きながら、
平原林ミサヨは買ったばかりのパンプスの感触を確かめていた。
眼下に望む海からの風が心地よく頬を撫でてゆく。
ネイビーカラーのパンプスはすぐに彼女の足に馴染むだろう。
やわらかな春の光を浴びながら、平原林ミサヨはふと思う。
ああ、どうして空はこんなにおのれらの歯列がぜんぶ透けて見えるくらい青いのか。
どうして世界はこんなにおのれらのミンコフスキー光円錐を日曜日の河川敷のバーベキュー
の串で斜めに突き刺したみたいに孤独なのか。


それには理由がある。レッド・ツェッペリンがソチ五輪の銀盤上でトリプルフリップを3
回決めそこなったからだ。直後にカントリー・ジョー&フィッシュが印旛沼で清老頭(チ
ンロートー)を出しそこなったというニュースが各国報道ブースに4回入りそこなってハ
ーマンズ・ハーミッツは八郎潟ポン、ヤング・ラスカルズは油ヶ淵チイ、スペンサー・デ
イビス・グループは多鯰ヶ池リーチ、ラヴィン・スプーンフルはチミケップ湖ロン、と無
意味にハモりながら囲む雀卓が銀盤上をストレートラインステップで5回横切りそこなっ
た。直後にウィッシュボーン・アッシュは銀盤上でトリプルルッツを6回決めそこなった。
マーシャル・タッカー・バンドは7回決めそこなった。だが、レッド・ツェッペリンは3
回決めそこなって足がこんがらかってつんのめって転んで打った。頤を。


モミジバフウの並木が続く高台の歩道を歩きながら、
平原林ミサヨは臀部にあてがった簡易オムツの感触を確かめていた。
私がオムツをしているのは便が漏れ出るからじゃない。
私からマサオが漏れ出て行くのを防止するためだ。
平原林ミサヨはそう信じていた。
マサオは彼女が週3回清掃に行くオフィスビルの5Fにある信販会社の男だ。
しかし実のところ、平原林ミサヨからはマサオではなく、
ヤマダデンキの店員トラスケが漏れ出ているのだ。
彼女はなぜそのことに気が付かないのか。


それには理由がある。レッド・ツェッペリンがソチ五輪の銀盤上でドーナツスピンを3回
転してすぐにコケたからだ。クロスフィットスピンは踏み切る直前にまたしても足がこん
がらかってつんのめって転んで打った。頤を。おのれらヘンドリックスだ。ジミ・ヘンド
リックスを持って来い! 聖火台の十字架で火炙りされて乳首を焦がしたジョニ・ミッチ
ェルがおらぶ。だがしょせんは無駄な努力だった。レッド・ツェッペリンがシットスピン
を3回転してすぐにコケたからだ。ジミはソープへ沈んで地道に生きる徳島県人の阿波踊
り大会で5回優勝しそこなった。そのくせデイヴ・ディー、ドージー、ビーキー、ミック
&ティッチは銀盤上でビールマンスピンを6回転してコケた。フライング・ブリトウ・ブ
ラザーズは7回転してコケた。だが、レッド・ツェッペリンは3回転してすぐにコケた。


うるせえな。何回転でもいいじゃねえか。
ハナミズキの並木が続く高台の歩道を歩きながら、
平原林ミサヨが顎に手をやってシリコン製の変装マスクを剥ぐと、
マイルス・デイビスの黒い顔が現れた。
スライ・ストーンにゃさすがのオレもビビったぜ。
おのれらマクラグリンだ。ジョン・マクラグリンを持って来い! 
だが、おのれらが高台まで担いで来たのはカイル・マクラクランだった。
おのれらは間違えたのだ。ならレッド・ツベルクリンを持って来い!
などと無体なことを所望するJAZZの帝王マイルス。
やれドッコイショッ。ねぐらのある児童公園に帰り着いたマイルスは、
公衆トイレ裏の地べたに敷かれたダンボールの上に座り込むと、
静かに自叙伝(宝島社文庫)の追補編を口述し始めた。


 まあ、聞いてくれ。昔、オレがミズーリ州セントルイスで、初めてディズとバードの演奏を聴いた夜にゃあえらくぶっ飛んだもんだが、これから話すのはそれよりももっと前のことだ。そのセントルイスと、オレの家があったイーストセントルイスの間にはミシシッピ川が流れてるんだが、ある時、こっち側の河川敷でロック・フェスティバルが開かれたんで聴きに行ったんだ。どんなバンドが演奏するのか誰も知らなかったが、地元のバンドで「レッド・ツベルクリン」てのが出るという噂だけはオレも聞いていた。三つ年上の高校生だったミヤマのさーちゃんに誘われて、ぼくと同級生のタニグチも一緒に行ったんだけど、さーちゃんは途中から別行動だった。ロックフェスなんて初めての経験だったから、ぼくもタニグチもけっこう胸がドキドキしてたんだよ。大阪からは「ウエストロード」ってバンドが来ていた。「ウエストロード・ブルース・バンド」が正式なバンド名だと知ったのはもうちょっと後のことだ。あの時は「ウエストロード」とだけ名乗っていた。ギターに塩次伸二と山岸潤史がいた。日本のブルースギタリストの草分け的存在になった二人だ。何曲かブルースをやったんだろうけどよく覚えていない。ぼくはまだあまりブルースの曲を知らなかったからね。て言うかコード進行ぜんぶ同じだし、延々とギターソロをやりだしたら曲名なんかどうでもよくなったりして。山岸潤史は今はニューオーリンズに移り住んで、パパ・グロウズ・ファンクとワイルド・マグノリアスの二つのバンドでギターを弾いている。塩次伸二は日本でブルースを追求し続けて、2008年に心不全で死んだ。ミヤマのさーちゃんは在日アメリカ軍基地の奴にコネがあって、LSDが手に入るから一人二万円出せとか言ってたんだけど、こっちは中学生だし金なんか持ってるわけないだろ? 京都からは「スラッシュ」ってバンドが来ていた。スラッシュ・メタルとは関係なくて、元GN´Rのギターのスラッシュとも関係なくて、もっと昔の、日本のロック・レジェンドの頃のバンドなんだけどね。名前は国際的な悪の組織スラッシュから取ったんだろうとその時は思った。意味はツグミ。ナポレオン・ソロとイリア・クリアキンがTVでこの組織と戦っていた。「テン・イヤーズ・アフター」の「I Woke Up This Morning」という曲のカヴァーをやっていたよ。「夜明けのない朝」っていう邦題でシングルカットされて、カッコいいイントロと、アルビン・リーの早弾きソロでよく知られた曲だった。でもアルビン・リーの早弾きって、どこか寺内タケシみたいなところがあって、ROCKとしてはイマイチと言うか、変だったと思わない? まあいいや。この日聴いたバンドの中では、ぼくはこの「スラッシュ」がいちばん気に入ったんだ。あれ以後このバンドはどうなったのかな。ググってみたらある程度は分かった。メンバーは大森○○、長谷川○○、松田○○、真木○○、矢部○○って人達。その後解散して、何人かのメンバーは「腐縁」や「五人組」といったバンドをやっていたらしい。それと、バンド名の由来を勘違いしていた。彼らの古いポスターには「Slush」とプリントされてるけど、ツグミは「Thrush」だ。あの日はミヤマのさーちゃんだけ途中でいなくなった。実はどこかで米兵と落ち合って、LSDをやってたんだよ。あくる日から高校を一週間休んで、あれからなんかさーちゃんぶっ壊れたみたいだった。結局さーちゃんは高校をやめたんだけどね。東京からは「頭脳警察」が来ていた。河川敷にたむろしていた在日アメリカ軍基地の兵士が、バンド名の意味は?って英語で叫んで、ステージからヴォーカルのパンタって奴がBRAINPOLICE!って叫び返していた。こっちはマザーズ・オブ・インベンションの曲からもらったバンド名だね。フランク・ザッパの。やったのはオリジナルばかりだった。「世界革命戦争宣言」とかやったのかな。覚えてないけど。赤軍派を支援するとか言って。今思えばちょっとイタいけどね。政治的なことなんかどうでもよくて、ロックと言えば洋楽だったぼくの耳には、「頭脳警察」の歌はすごくダサく聴こえたんだよ。でも頑張っていたと今は思う。「はっぴいえんど」もそうだけど、あの頃から日本語でオリジナルをやるなんて。あと在日アメリカ軍基地のバンドも来ていたよ。これは完全に「クリーム」のコピーバンドだった。ギターのソロもクラプトンの完コピで、「Strange Brew」とかやってたな。あれはまあ、あんなもんでしょう。ミヤマのさーちゃんと最後に会ったのは5年後の東京だった。さーちゃんは女のアパートに転がり込んで、まあヒモみたいなもんだったけど、その女に他に男ができてさ、アパートを追い出されてえらく落ち込んでいた。本気で惚れてたのかもね。ダサいブガルーパンツ履いて、ちょっとだけタトゥー入れて、福生の路地裏で一袋2500円で買わされたニセ物のマリファナ持って来て、煙草はチェリーに変えたとか言ってオッサンみたいで、ほんと笑えるくらい落ち込んでいた。ひと晩ぼくのアパートに泊めてあげて、あくる朝は西日暮里駅まで送って行ったんだけど、あれから今日までさーちゃんの消息は不明なんだ。あの日、結局「レッド・ツベルクリン」は出て来なかった。バンド名がフザケてやがるからどんなバンドか期待してたんだがな。そんなわけで、あの日からオレに取って「レッド・ツベルクリン」は幻のバンドになったってわけだ。永遠に幻のバンド。どうせチンケなバンドだったに決まってるけどな。と思いつつ念のために「レッド・ツベルクリン」でググッてみたら、けっこうヒットするんだわこれが。わりと若い女がヴォーカルをやってる「レッド・ツベルクリン」の2011年のライブmovieがある。レッド・ツェッペリンの「移民の歌」を歌っている。映画「ドラゴン・タトゥーの女」(ハリウッド版)で、ヤー・ヤー・ヤーズのカレン・Oがカヴァーしていた、アアア〜〜〜〜アアッ!ってターザンみたいなやつ。カレン・Oのはクールだったが、こっちの方は何とも言えずヘタなのがいい。がんばれよネーちゃん! これとはまた別のバンドらしい「レッド・ツベルクリン」の噂話をTwitterでやってる奴がいるぞ。あと「レッド・ツベルクリン」ってハンドルネームで楽天やAmazonにショップレビューとか書き込んでる奴がいるな。日本にゃThe Alfeeってバンドがあるのか? ぜんぜん興味ないけど。そいつら結成時のバンド名の候補が、「がくや姫」と「レッド・ツベルクリン」だったらしい。ついでに見つけたんだが、「ローリングすどうズ」って須藤さん一家のバンドや、「ヨンタナ」ってバンド名もあった。どうせかなりのオッサン世代だろこいつら。みんなどうしてこんなにアフォなんだ。どうしてこんなに。どうしてどうして……。(マイルス談)


それには理由がある。レッド・ツェッペリンがソチ五輪の銀盤上でバックスクラッチスピ
ンを3回転してすぐにコケたからだ。うるせえな。何回転でもいいじゃねえか。マイル
ス・デイビスのシリコンマスクを剥いだ平原林ミサヨがチャーリー・タマヨ考案の後ろと
びひねり前方伸身2回宙返りをやる前に銀盤上で足がこんがらかってでんぐり返ってひっ
くり転げて転倒してコケて打った。頤を。いと派手に。あるいは地味ヘンドリックスに。
ケツから漏れ出たヤマダデンキのトラスケは銀盤上でキャンデロロスピンを5回転してコ
ケた。アイアン・バタフライはバタフライキャメルのバタフライジャンプからキャメルス
ピンに入って6回転してコケた。クワイエット・サンは7回転してコケた。だが、レッ
ド・ツェッペリンは3回転してすぐにコケた。


ノートI

  yy

十月二十五日。垣根越しにアッサムの花を見つける。
ノートIを開く。


ノートI

ウロボロスの眠り。皮膚にまとわりつく唾の匂い。ふやけた指先の微妙な襞と、上唇の先端とが触れ合う感触。
王国が瓦解し始めた頃のことだ。私は寝ても起きても左手の親指を吸い続けていた。屈強な矯正器具たちの、どこかぎこちない微笑みを覚えている。私の恍惚を片目に恥じらっていたのだと思う。親指の皮膚はオブラートのようにふやけては捲れ、捲れては口腔に溶けていった。ときおり指先から血が滲み出すこともあった。
七歳と八か月のとき、爪より少し下の皮膚が角化して直径一センチのタコができた。私は近所の病院に連れてゆかれた。半田ごてのような器具が親指に押し当てられ、ほんの数十秒で、タコは低温火傷の痕になった。その痕を労わるように、私は親指をしゃぶり続けた。
学校では羞恥と矜持とが綯交ぜになり、一人きりで過ごすことに努めた。休み時間にはひとけのない階段の踊り場の隅へゆき、校庭を眺めながら親指を吸った。授業中も机に顔を伏せて親指をしゃぶり、家に帰ると、学校で我慢した分、余計に力強くしゃぶった。
九歳前後で、指しゃぶりの癖は当人も気づかぬうちに消滅した。

指しゃぶりのもたらす自閉的な沈黙のうちに、私は、私の話し言葉を書き言葉へと置き換えていった。「たとえあなたが牢獄の中にいるとしても、そして四方の壁に遮られて世間の物音が何ひとつあなたの感覚に届かないにしても、それでもあなたにはご自身の少年時代が、あの貴重な、王国のような豊かさが、さまざまな思い出の宝庫があるではありませんか。」しかし、本当は牢獄と四方の壁こそ、王国の豊かさを半ば無意志的に創り出すのである。ゆえに王国とは書き言葉の建築に他ならない。王国がかつて存在したとすれば、それは常に痕跡としてでしかない。

私の親指に濃いマニキュアを塗りながら、あの豊艶な唇が辿ったいくつかの言葉を書き留めておきたい。王国を築こうとするものの宿痾を祝福するために。

「回想する限り、生は渇仰せざるを得ない。だから、呼びかけることをやめなさい。
舌の上に限りない懐かしさを浮かべて、微笑み続けなさい。
「予期と回想は、決して区別し得ないのです。反復への躊躇いを棄てなさい。声を漏らさず、
発願しなさい。あなたは満たされるゆえに死ぬのです。

ある種の人間にとって、最も恐れるべきものとして、満たされがある。

私はこのノートを立ち遅れるために書く。誰に宛てて書くわけでもない。私はこれを立ち遅れるために書く。すべての眠りの端緒のための、つまり、薄闇から言葉を奪うためのスケッチとして。
或いは、痕になることでタコが私とは別の存在になったように。

或いは、辿りなおされることで初めて輪郭を得る字形たちのように。

意味の拡張とは幻想に過ぎない。幻覚の遥か手前の幻想。意味は領界ではなく、欠落の砂丘を過ぎる風だ。風は砂塵を舞い上がらせ、語りへ逃れようとする眼差したちを塞ぐ。塞がれた眼差したちは盲目の恐怖から執拗に喚き立て、意味に掴みかかろうとする。そして砂が彼らを呑む。

意味への抵抗としての沈黙。その沈黙を支える肉としての口唇と親指。

王国は砂丘の中に築かれる。律法。城壁。尖塔。言葉のように整然とした家並み。しかし、すべてが完成した夜――往路にも心地よい疲労の漂う夜、砂嵐が訪れ、沈黙が王国を支配する。まず、月が掻き消される。次いで家々の戸の下の隙間から、幾筋もの流沙が滲み拡がる。女は麻布を巻いてその隙間を埋め、子供は砂紋を指先に弄ぶ。強風に神経叢を浸蝕された夜警らの、断末魔の叫び――母さん、これでやっと僕も……。砂塵が彼らの肺胞に流れ込む。疑塑性の丘陵は刻々姿を変え、王国は暁には砂の中へと埋没する。

テレビのドキュメンタリー番組でポンペイの悲劇を知った夜、幼少期の微熱が私を襲った。

言葉の被膜には手で触れることができる。頬やエプロン、腿やハンカチと同様、それは実体だ。しかし、言葉の核となると、触れるどころか目にすることもできない。それは房状だろうか。紡錘状だろうか。それはタングステン原子の構造模型に似た何かかもしれないし、西向きの窓辺に射す十一月の陽光に似た何かかもしれない。いずれにせよ、それが円環に孕まれた単なる亀裂ではないことを、私は理解しているつもりだ。

階下の物音が止み、私以外の皆が寝静まる頃、〈おばけ〉は決まって部屋の片隅に佇んでいた。鼻先まで被った掛布団の下で親指をしゃぶりつつ、私はその黒々とした毛むくじゃらの巨体を見つめていた。〈おばけ〉は私を喰らおうと狙いながら、私に怯えているようだった。
私は彼のことが好きだった。しかし、彼と言葉を交わすことは終になかった。

或るとき〈おばけ〉は言った。「見えるだろう。彼は窓際で親指をしゃぶっている。彼は口を開けて、自らの声が押し潰されてゆくのを思い出す。灰に咽頭が塞がれてゆく。それだけだ。

〈おばけ〉はポンペイで死んだ。たった一つの態勢で、私にその名を呼ばれたから。

小一時間ばかり掛かって、〈おばけ〉の死骸を砂の中から掘り返した。軽トラックの荷台に担ぎ上げ、その脇にスコップを抛る。四肢は揃っているが、至るところ骨がむき出しだ。体毛は半分以上禿げ、眼窩は落ち込んで砂が詰まっている。
軽トラックを走らせて国道に戻り、閉鎖された実験牧場へと向かった。午後八時。古いサイロの中に死骸を運び入れ、干し草とともに火を放つ。それから車に戻り、家に着いたのは明け方だった。もし砂の中でまだ息をしていたら、ナイフで自ら屠るつもりだった。



生まれ落ちた瞬間に眼裏に映える流木を幻視せよ。

遠くに一本の木が見えた。男はその木のもとに辿り着こうとした。しかし、疲れ果てて歩くことすらままならなかった。そこで男は、「木よ、おいで」と言った。木は動かない。木よ、おいで。男は手招きをしながら、何度も木に呼びかけた。
やがて時が経ち、男は衰弱して死んだ。すると木が立ち上がり、男へ近づいてきた。そして、男の傍らを通り過ぎて波打際まで歩き、そこで頽れた。

或いは鏡を覗き込んだり、部屋を見渡したりして、誰もいないことを知る。この原初の不在の認識から、言葉が生じる。言葉はしばしば、疎外の種子であると見なされている。しかし、本当は疎外こそ言葉の種子なのだ。

そして親指とは、もうひとりの他者である。親指は言葉なき疎外において口腔を塞ぐ。

沈黙はこの占有に似ている。

私は耳を澄ます。すると、口腔の親指が急に熱を失う。

ふと右胸の下に峻烈な痛みを覚えて、私は道端に立ち止まった。十一月。遠足にでも行くのだろうか、赤い帽子を被った幼児たちが傍らを通り過ぎてゆく。私はその場にしゃがみ込み、靴紐を結ぶふりをして痛みが治まるのを待った。実体のある空洞に、脇の方へ肋骨を圧迫されていた。幼児たちが行ってしまうと、右胸に掌を押し当てながらゆっくりと立ち上がった。白い服を着た女が目の前を横切っていった。
医者はレントゲンの結果を見て、しきりに顎先を撫でて言った。ほら、ここ、右下肺部に浸潤影がありますでしょう。ちょうど横隔膜と肺の合間に。ここに種子が紛れ込んだんですね。しかも、ほら――医者は二枚目のレントゲン写真を指差した――胸膜炎を併発している。ええ、やられてます、完全に穴が開いている。右胸の痛みはこれによるものでしょう。え?種子って何か?そりゃあなた、言葉の種子ですよ……。あなた、書き物か何かなさるでしょう。しかしどうにも思うように書けず、ノートを引き千切って胸腔の穴に投げ捨てた……そのノートに書かれていた言葉が滲み出して、肺や横隔膜に炎症を引き起こした、というわけです。まあ、肺実質には神経が少ないから、胸膜にも手を出したんでしょうね。
医者は私の顔を覗き込むようにして言った。治療法はね、しばらく一切書き物をしない、ってことです。そして何より、肉に触れることです。

白壁の家。広い居間の真ん中に低木が植わっている。私は水をやろうとキッチンへ向かう。キッチンには女が立っている。女は横目に私を見ている。
居間に戻ると、低木の姿が消えている。窓際のソファに歩み寄り、その片隅に腰を下ろす。窓の向こうをトラックが通り過ぎてゆく。

治療機序=最初から影だけであったものへの同一化。

私は肉に触れた。肉は私の指先を呑み込もうとしたが、肉の中に巣食う洞まで指先が行き当たると、嘔吐反射のように自らの外へ押し戻すことを繰り返した。指に絡みつく粘膜は、唾液と違い、実在の不透明さに白濁していた。

六歳のときのことだ。居間から玄関へ私を連れ出そうとする女の手を逃れるため、テーブルの脚にしがみつき、泣き喚き、足掻いていた。朝、担任の先生やクラスメイトが玄関先にまで迎えに来て、私の名を呼んだ。女はいつになく恐ろしい形相をしていた。激しい攻防の末、私は辛うじて勝利した。誰もいない家の中で――女もどこかへ出て行ってしまった――一日中フローリングの床に寝転がって過ごした。
あの静けさを、私は至福と信じて疑わない。

あの、無音の淵から引き上げられてゆく乳房のような静けさ。

沈黙は不穏さと静けさの合間をさまよう。口を紡ごうが耳を塞ごうが、沈黙はいずれの岸辺にも辿り着かない。

静けさとは充溢であって、欠落ではない。

欠落とは、無への認識の途上にある何かである。無が十全に認識されるとき、それはそれが時間に与える密度において、充溢と変わりない。いや、むしろ喪失を予め刻まれていることにおいて――喪失は記号に肉、或いは痛みを与える――充溢を上回りさえする。
ここにおける密度とは、認識の飽和としての静けさ、ないし安らいへの指標である。
つまり、無は認識されうるばかりか、抱かれうる。
在るものは自らを孕むとき、無への端緒をつかむ。
眠りにつくものはすべて、それぞれの仕方で自らを孕むだろう。

そして無の認識は、自らと自らでないものとを一つの円環につなぐ。

そして親指が唇に触れ、口腔に滑り込む。在るものは掠れ、無が刻々を満たす。

一つの原初的な図形。

淡い栗色のカーテンが膨らむ。その柔らかな襞に掌を埋める。
日向に猫の拉げた骸を見つけた午後。

家のすぐ向かいに広場があり、よくそこでシロツメクサを集めて遊んだ。イチイの木が中央に立っていて、その幹の小さな虚が眼窩のようで怖かった。しかし、いま思えば、ああして遊んでいる最中は、親指のことなどすっかり忘れていたのだ。イチイの実を石で潰して、集めた汁にシロツメクサを浸して食べた。誰もいない静まりかえった白昼の広場は、まさに私の縄張りだった。

風に扉が開いて、廊下の薄暗がりの奥に寝室が浮かぶ。
決して足を踏み入れてはならない。
階段の踊り場に延びる矩形の陽光。その中に音もなく舞う埃の煌めき。
小さな振り子時計。無生物たちの呼気。
絶えた呼び声の残響。

残滓の解剖。
カーテンのない子ども部屋で親指をしゃぶりつつ、私は思念に耽った。私の目に映るこの窓枠は、何度時軸の上に浮かんで沈み、沈んでは浮かび、沈んだきり息を潜めることは終にないのか。言葉は、別の言葉へ継ぎ合わされることをどうして渇仰して已まないのか。

母胎にあるときから、ひとはマスターベーションによって自らを養い、自らの輪郭を確保するのかもしれない。私の場合、遅くとも四歳のときには、マスターベーションをしていた憶えがある。そもそもの初めにあった行為は、マスターベーションであろう。そこから自己受精まで、眠り一つ介するだけで辿り着けるはずだ。

眠り。或いは曳航を免れること。或いは呼び声を響かせないための信仰。

私は窓際に座り込んで半日を過ごした。何かを埋めようとすることに抗うには、そこに予め埋め込まれているものを見出すほかない。

だから、刻むのではなく、掬い取ることに言葉を費やすべきだ。

よく晴れた日の正午の囁き。「喰い殺されたくはないだろう?

予め失われてあるものを思慕することでしか、失うことは免れ得ない。
自ら手放したと認識するものはすべて、手放されたものとしての自らを認識できない。
この認識の切断が、失われつつあるものへの思慕を妨げ、失い難いものへの愛着と、失い難さという観念それ自体を枯渇させる。
しかし、枯渇は涌出の前触れであり、永い引き潮である。
喪失を記憶に縫合するためには、自らが喪失される記憶を辿り直さなければならない。衝動と恐怖。故にその遡行には、ともに喪失される他者が――「私はあなたとともに私を失くす」と告げうる他者が必要である。

親指は死んだ他者である。

再び開かれうる形でしか、円環を閉じえないこと。既に亀裂のあるものを閉じようと足掻けば、自ら肢体を損ない、その損なわれた肢体を自ら消化するほかないということ。いわば円環とは、自慰と自死の中間形態なのだ。

ここに眠りが要求される。

市役所前から路面電車に乗り、山裾から海岸へ広がる市街地を横断して、終点より一つ手前の旧英国領事館前で降りる。そこから十五分も坂道を歩けば、山頂行のロープウェイ乗り場に着く。三階建てのその建物の、二階は市街地を見渡せるカフェテラスになっていた。私はそのカフェテラスでパニーニを食べるのが好きだった。窓際の席からは海と漁港と、海岸線沿いの街並みが一望できた。
坂の多い街だった。幅広い舗装された坂道もあったが、細い、民家の合間を縫うような石畳の路も無数に走っていた。或る教会の裏側に延びる石畳の路の曲がり角から、家々の屋根の向こうに小さく、杉の木立に囲まれた公園が望まれた。家の近所の公園だ。遠くにあるそれを眺めるのが好きで、その坂道を幾度も行き来しては教会のベンチに腰掛けて休んだ。恐ろしい無為に躰の内側を貪られてゆく感覚を、一刻一刻、舐め尽すように味わいながら。
日曜日には信徒と偽ってミサに預かり、ホスチアを口にした。私は捜していた。

〈おばけ〉よ、あなたはどこにいるのか。

書き言葉を紡ぐとき、それが必然性を帯びるには、ただ零れ落ちるものを視野に認めさえすればよい。すると書き言葉の方から、それを拾い上げてくれる。例えば橋の欄干からパンの屑を抛ると、鷲の群れのうち、必ず一羽だけが舞い降りてそれを喰らう。必ず一羽だけが。他の鷲たちは見向きもせず、悠然と円を描き続けている。
その円の中の沈静。

掌底には金木犀の花弁が降り積もっていた。
十一月、私はあなたに手紙を綴った。
「言い様を失った出来事でマスターベーションをしてください。」
手紙は宛先不明で送り返されてきた。すると、あなたはもういないのか。
もう一通の手紙。
「言葉の訪いを待つことができない。咽頭が裏返り、失語の赤い果肉が剥き出されているようだ。」
投函した帰り、何気なく回り道した路地で櫟の木を見つけた。見失って久しい赤い
果肉に埋もれる黒い胚珠

例えば、眩暈について書き留めた覚書の断片。「私はあなたを求めて、あなたの喉を披いた。けれどもそこには、私の愛しか見つからなかった。愛は不在を創造し、自らが創造したその不在へと呑み込まれる。私はあなたを愛しているのだ。」

仮に円環の切断が許されるならば、何かを憎むことができなくてはならない。これは自己原因を孕む存在の抒情的帰結である。しばしば憎しみは果肉に埋もれ、土に落ちて腐食する。しかし最後まで残るものがそれだ。

黒い胚珠を舌先に載せて笑う顔。

憎むべきは円環の破壊者である同一性だ。
自同律と差異の私生児にして持続の淵源、言葉、記憶、死、他なるもの、それら一切の母胎である同一性だ。
濡れた親指のタコの痕だ。

その家の玄関口には大きな庇があった。正午の陽射しを避けて、私は庇の陰に身を潜めていた。誰にも見つかってはならない。六歳の私は学校のみならず、家を一歩出たら、どこまでも緘黙を貫いていた。近所の人に見つかって声を掛けられでもすると、互いに無駄に狼狽することになる。私はもう一度、音符が描かれた鳶色のボタンを押した。抜け殻の居間と廊下に、どこか間の抜けたチャイムの音がくぐもって響く。やはり、誰もいないようだ。買い物にでも出かけたのだろうか。今日が午前授業であることは知っているはずなのに……。
しばらくして、私は裏口に回ろうと思い立った。塀と壁の合間、伸び放題の雑草の生えた薄暗がりの中に足を踏み入れる。塀にランドセルの端を擦りつつ、裏口の戸の前に来て、不意に私は尿意を覚えた。裏口の戸は閉まっていた。塀の向こうからテレビの音が漏れてくる。それが異様に不快で、再び草を踏んで表に戻った。
尿意は刻一刻と増してゆく。眩暈のするほど陽が眩ゆい。私はランドセルを下ろすこともせず――誰かが通りかかれば、文字通り跡を絶って逃げ出さなければならなかった――ひたすら母の帰りを待った。いつしか股間に生温い感触が沁み拡がった。
私はその場から一歩たりとも動こうとしなかった。親指を唇に持ってゆくことさえ躊躇われるほど、白昼の刻々を息苦しい緊張が浸していた。
母が買い物袋を手に返ってきたとき、私は口がきけなかった。
股間は既に乾いていた。
あの日、私は亀裂が在るという事実を初めて認識した。

故にこのノートにおける一切の書き言葉は、緘黙の遠い木霊に過ぎない。

カーテンと緘黙の合間に潜む殺害。そこで鳥たちが空白に裂かれた。

円環の南と北に、痛みと笑いがある。

目に映るものを見、耳孔に響くものを聴くことで、両極から離れ、斥力と引力の限りない均衡としての静謐、すなわち円環の中心部に至る。

男は胸を患っていた。そして、自らの死期が近いことを覚っていた。男はノートを一枚破り、そこに鉛筆で遺書、と書いた。私はこの人生に満足しています。私は満足して死にます。男は実際、満ち足りた笑みを浮かべていた。紙の上の文字たちは、見る見る意味を失っていった。激しい胸痛の発作に堪えつつ、男は最後の行を締めくくった。さて、この紙切れで紙飛行機でも作るとします。

思えば、円環など一度もあった試しはない。
親指が虚像に過ぎないとすれば、死が実像なのだ。

ここに一幅の肖像画がある。死んだ男の遺影だ。子どもがその画を描いたらしい。男の注文なのか、子どもの独創なのか知らないが、額縁の中で男は大口を開けて笑っている。生前男は、病棟の一番静かなところを探し回り、それが薄暗い非常階段の踊り場であることを知ると、点滴棒を引きずりつつそこに毛布を運び込んだ。そして、壁際に蓑虫のように蹲り、一日の大半を過ごした。看護師たちは夜毎男を病室へ連れ戻すのに苦労した。男は子どものようだった。



視界に映えるものの外在を信頼しよう。活字は頁の上に整然と並んでいる。これ以上に完成した秩序を内在に認めることはできまい。

声は痛みを要求するものだ。私の場合、右胸の下が痛む。胸膜が引き攣って鋭い疼痛が小刻みに走る。息が荒くなる。掌を当てると少し収まるが、咳き込むと痛みのあまり蹲ってしまう。もっともすべて気のせいなのだ。レントゲンを撮れば、浸潤影の一つも見つかりはしない。しかしいっそう確かなことは、口を噤んでいる限り、痛みはないということだ。痛みがないと、核も芯もない踏みつぶされた果肉のような沈黙が胸に押し拡がる。視野が焦点を失い、喉が異様に乾く。その息苦しさに思わず声を上げると、痛みが走る。

踊ることが好きだ。同一性は片目を瞑りながら踊り、自ら足を絡ませて倒れ込んで笑う。私はその笑い声に合わせて踊る。同一性は私の踊りを見て、腹を抱えて転げまわり……すべてが笑いに包まれるのだ。

一々の語の倒潰に拘泥しなければならない。その瓦礫の上に立ち止まらなければならない。

よく白昼夢を見る。天井の高い暗い部屋の中でひとつの躰が燃えている。その煙が天井に燻り、出口を捜して渦巻いている。やがて両開きの窓が開く。風が吹いたのだ。しかし、煙は天井から降りてこない。躰は燃え続け、窓は鎹を軋ませて再び閉まりかける。

壁紙を張り替えた。寝台は昔のままだ。私は冬を待った。多くのものが凍え死んだ。しかるべき場所にそれらを埋葬しなければならない。書き留めるための灯がかえって陽射しを遠ざけてしまう。

墓銘は掠れ切ることで初めて完成する。

名付けることを怠ったがゆえに見失われた風景はどれほどであろう。しかし、風景が見失われて初めて、言葉の領域が空白の中に生まれる。本当は見失われたものを捜すことの徒労をこそ、記述すべきなのだ。

噛み砕いた乳房への追悼として、すべての墓石は口を噤む。

私は追憶された名の絶えざる回帰である。
私は
高架橋の下のマンホール
に埋葬
される六角形の瞳孔
 無脊椎 咳嗽 溶食
される石灰(見なさい)と囁かれて終わる
夢の統辞を書き留めた紙切れ「窓際に並び置かれた自家中毒する観葉
植物たちに何を伝えよう。お前たちの
母が欄干で死んだことかそれとも
木曜日。私は或る哲学者の伝記を片手にミスタードーナツに入った。コーヒー一杯で午後の講義までの時間を費やすつもりだった。一番奥の窓際の席に腰かけ、机の上に本を置く。コーヒーに一口だけ口をつけてから、栞のある頁を開く。一行ずつ指先でなぞりつつ辿ってゆく。「……デーモン……プラトン的イデア……性愛……自己誹謗……その言葉は宗教的な響きすら……最初の数日間に味わった自己分裂について……」(162)。私は本を閉じた。コーヒーは少しも覚めていない。向かいの席に腰かけている男と一瞬だけ目が合う。私は表紙を開いた。哲学者の最晩年の写真。次の頁を捲る。父と母の肖像。父の顔はいかにも子どもじみていて、母の眼差しは異様に虚ろだ。それから屋敷。哲学者が幼少期を過ごした家らしい。その家の屋根に三つの窓がある。細い眦をいっそう細めて薄笑いする三つの目。

三つめの目は本来、額の裏側に埋もれていて外気に晒されることはない。それが晒されてあるということは、額の皮膚と肉とが切り裂かれ、閾を越えた眩ゆさを感受するよう定められたということだ。おそらくは自然の手によって。しかし、眩ゆさのあまり瞼を閉じてみよ。そこには閾を越えた昏さが広がっているだろう。

だから、いつでも手の届くところに手鏡を置いて、額に亀裂が走っていないか確認し続けなければならない。しかし、両目同時には映らないような小さなものに限る。眼差しが鏡面に照り返り、額を傷つけることだってありうるのだ。

卑屈さの自覚が恥辱と信仰を産む。両者とも同じ床で育つ。

額が地に触れるとき、そこに自意識が鬱血して頭蓋内圧を亢進する。つまり、熱と悦びとが訪れ、官能となり発作を引き起こす。額は繰り返し地に打ち付けられる。
けれどもこの営みによって目が潰されることはない。それどころか、地に打ち付けられる度、視神経の一時的な障害のために網膜に光が走る。澄み冴えた閃光が昏い視野を貫く。

卑屈さから最も遠い営みは、静かに地に俯せていることだ。額と地の境に漂う言霊に耳傾けていることだ。

意志的に創り出された痛みは、いかなる場合にも観念の核とはなりえない。言葉という分散媒の中で、肉の痛みを核として結晶する観念はすべて、偶然にもたらされたものである。そしてそのような観念だけが、肉の痛みへの対抗に資する。

そもそも痛みとは発生や構築の機序に潜む何かであり、解体や腐食の過程とは関係がない。「少なくとも私はそのように確信している。」

この言明を「知覚している」と言い換えるまでの刻々を生と呼ぶべきだ。

まるで螺旋を下るかのようにこれらの着想を綴っている。正直なところ、いつ言葉が尽きるか、どこでこのノートを終えるべきなのか分からない。明け方に川縁の路を散歩する。水面に朝焼けが映えて、それはときに澄み冴えた菫色、ときに酔うようなロゼ色をしていた。或る橋の袂を越えたところに芒が繁茂しており、私は緩やかな土手を水際まで降りて、芒の穂をむしり取った。しかし、掌には何も残らなかった。

痛みの感受が粗雑であるから、悪寒や眩暈といった不純物が生じるのだ。音楽が澄んでいるように、感受することも澄んでいればよい――尤もこれは形容矛盾だ。

仮に書き言葉の中に安寧を孕ませることができれば、もはやそれが応答を要求することもないだろう。つまり、何も書かないでいることができるだろう。

一日中宛てもなく街を歩き廻り、疲れ切って部屋に戻る。そしてカーテンを閉め、ベッドに横たわり、壁と天井の境目を見る。ここに言葉が付け加わりさえすれば、生活は完成する。言葉を欠くことができたとき、生活は解体され、ベッドとカーテンと壁と天井が、部屋に残る。マンションの一角の仄明るい部屋に。

紡がれてゆくそばから解けてしまう仕方で、初めて言葉は音楽の欠片を掴む。

胎生期の旋律を再現しようとするすべての試みは失敗を免れない。まさにその失敗から郷愁が、郷愁から喪失についての認識が生まれるからである。そしておそらく、喪失についての認識から言葉が生まれる。

或いは、階段を上り踊り場で立ち止まる。踊り場の窓から庭を見下ろすと、そこに私の見知らぬ男が立っている。しかし、その男の横顔は確かに誰かに似ている。誰だろう。私は彼を知っているかもしれない。私は窓を開けて声を掛ける。男は私の方を振り向く。その顔は穏やかな笑みを浮かべている。私は男に名前を尋ねる。しかし男は微笑んでいるばかりで何も答えない。私は仕方なく窓を閉める。例えばそのように、空白を書き言葉で埋めてゆく。

沈潜するための場所に呼び声は木霊しない。呼び声の木霊しない場所を探して私は街中を歩き廻る。空白があるせいで言葉は浮かび上がるのだ。

私は瓶を机の片隅に置く。空の瓶だ。それに陽が射して緑青がかった影を伸ばすのを見る。見ることで何かを得ようとしない。瓶が空のままであるように。しかし肉の朽ちる歳月を思ってしまう。

親指を包丁で切断する夢。

十一月五日。実家から電話がある。母が死んだ。交通事故で。爽やかな秋の風が部屋を通り過ぎてゆく。

礼節を守ることが何より大切だ。

穴は埋められたとして、無くなりはしない。穴とは、裏返った充溢であり、穴がなければ充溢もない。ひとは言葉や音楽や肉でもって穴を埋めようとする。穴は埋まる。それだけだ。埋められる前と何一つ変わらず、穴は穴のままだ。

気を紛らわせることが、聖体より上にあるような信仰、つまり、最も純粋な信仰。

烏が窓枠の中を横切ってゆく。二年前の十月二十五日、書斎で縊死した父は、数年来鬱病を患って通院もしていた。

身体は困難さを蒙ることで持続の上に屹立する。それを打ち崩すことはできない。その前に恥じながら跪くか、或いは正気を犠牲にするかだ。

風の強い日だった。咳はすっかり已んでいた。陽射しはノートを横切り、机の縁のところで撚糸のように細くすぼまって絶えていた。雲が見えた。見る間に屋根の向こう側へ姿を消してゆくその雲を追って、私はベランダに出た。そして、その日の明け方に見た夢を思い出した。男が腹を抱えて笑っていた。男の肛門から透明なチューブを垂れていた。私は男と向かい合うようにして、薄暗い沼の畔に立っていた。男は腹を抱えて笑っていた。透明なチューブの中をゆっくりと血が降ってゆく。不意にその男が父に似ていると思う。男に話しかけようとした瞬間、目が覚める。

窓のない部屋は一つの救いではないだろうか。

坂道は弓なりに延びて丘の頂の総合病院へ続いていた。細い道にもかかわらず、車通りが多かった。病院への直行バスが渋滞で遅れることもあった。坂の麓の十字路には、ファミリーレストランとガソリンスタンドが向かい合うようにして建っていた。私は朝毎にファミリーレストランまで坂道を下ってゆき、六人掛けのボックス席でコーヒーを一杯だけ飲み、また坂道を登っていった。病院の正面フロアは数年前に改装されたばかりで、大型の液晶テレビが待合席の前に据えられていた。いつもNHKのニュースか連続ドラマが流れていたが、妙に音量が小さく、一番前の席に座らなければ何も聴こえないくらいだった。平日は患者たちが病棟からフロアへ出てきた。私も退屈しのぎに音の聴こえぬ大型テレビを見たり、外来患者やその付き添いの家族を観察したりしていた。休日には受付の前に幾つもの列ができ、廊下や階段をひっきりなしにひとが行き交っていた。地下二階にある陰気で古臭いカフェテリアでさえ混み合うのだった。それは一年を通してそうだった。この地区では唯一の総合病院なのだ。私は三階の病室の窓から駐車場を見下ろして昼間を過ごした。だだっ広い空間に転々とともる街灯が、夜と、靄がかった早朝には妙に現実離れしたものに見えた。窓下には植樹されたばかりの樫の苗木が並んでいた。或る昼下がり、足取りも覚束ない子どもがその苗木を縫うようにして歩き廻っていた。私はその子どもをどこかで見たことがあった。確かにそのときも赤い服を着ていた。少し離れたところに父親らしき男が立っていた。子どもは何に躓いたのか、前のめりに勢いよく転んだ。そしてしばらく倒れ込んだままだった。父親が両脇を掴んで抱き起すと、子どもはようやく大声を挙げて泣き始めた。私は点滴の液体が尽きたのを確認して、ナースコールを押した。若い女の看護師がやってきた。マスクのせいで表情はほとんどうかがえない。点滴の袋を別のものに取り換え、看護師が病室を出て行くと、既に二人の姿は見当たらなかった。それから数日後のことだった、坂の麓のファミリーレストランで、私は窓越しに二人を見つけた。男はホットケーキを小さく切り分けて、子どもの口に運んでやっていた。

指先に纏わりつく冷気を払い除ける術はない。或いは、その術を得ようとして、人は家族を創る。

光や影は夥しく見いだされるだろう。しかし、薄明や薄闇が得られるとは限らない。

繰り返し眼裏を過ぎる虫たちを追うように坂を駆け下りてゆく。何を失くしたのか思い出せない。虫たちは視界に白い糸屑のような残影を残して左右に流れ去ってゆく。石畳の坂道は路面電車の走る大通りに繋がっている。陽射しが眩しい。

砂浜で新聞紙が燃えてゆく様を観察していた。新聞紙は見る間に燃え尽きた。灰は潮風に浚われていった。ハマナスが咲いていた。その向こうに停まっている白の乗用車から誰かが私を見ていた。私は鞄からもう一束新聞紙を取り出して、ライターで火をつけた。

一度蹲ってしまうと、そのまま躰が硬直して、二度と立ちあがれないという予感がある。

感覚の季節があった。私は同じ区の別のアパートへ移った。ベランダからは公園が見えた。柵の向こうで塗装の禿げたキリンが笑っていた。

部屋の床に横たわり、部屋を見渡すと、そこに壁や天井や、棚や机があることが分かった。
始まりにあったものはこの白さに違いなかった。暗い白さだ。それに焦点を合わせた途端、眩暈に襲われる。白さの手前には指が伸びている。何かを掴みあぐねて沈みかけているようだ。

鮮明な認識にしか安らいはあり得ない。

夢を見た。すぐそばにブランコがあり、金網の向こうには夕方の街並みが見えた。掌があり、それに私の右の頬が触れていた。左の頬はもっと柔らかく暖かいものの上にあった。私は公園のベンチに横たわっていた。女の声がした。それは私の名を呪文か何かのように唱えていた。

自動車の水を撥ねる音に混じって、男の声がする。近所のガソリンスタンドからだ。この部屋からいま男の見ている光景を見ることはできない、という認識。或いはその認識の中に取り残されてあること。

或いは待ち望まれるものがどのような名で呼ばれるのかを知ることによって、

手元に残ったものと言えば、一通の手紙くらいだ。「……Oのことは、本当に残念に思います。Kは怒り狂っていた。僕は、彼が人を殺すのではないかと思ったことが少なからずある。確かに、傍目にはいつも温和でしたが、Oは自分に惨めさを与えた人を決して許さなかった。その惨めさが、自らの人間的な欠陥に由来すると自覚していたがゆえに、彼は、ついに自らを殺してしまったのです。」

待ち望まれるものがどのような名で呼ばれるのかを知ることによって、
刻々を耐え凌ぐことができる。


春と食欲

  織田和彦



春の中で眠っているものは
悲しい想いなのです
どうにかこうにか
空に登ってゆく自転車
ギコギコと
悲しみばかりが満ちてゆく頃
人間は静かに死ねる

氷砂糖のような個体の優しさや騒々しさ
その弾き出された言葉は
弾丸のように隣人を撃ち
社会に字板のペンキでルサンチマンと落書きされるのです

人間の根っこを引っ張り
やがて膨らみもつれたものが頭部と呼ばれるものになり
ビルとビルの隙間で
ネクタイを締め
電卓の中の数字を覗き込んでいる人種が
サラリーマンと呼ばれた時代
春は朽ちてゆくだけ
自らも不幸を製造する工場となるのです

妬み深く
犬の遠吠えのように白々と開けていくのが都会の夜
ゴミを漁っているカラスは
深く繋がれた業のように
希望とも絶望ともつかぬ嘴を持っている
人間が捨てたものによって繋がっている命を目の前で見る悍ましさ
あの黒い鳥は
羽の先の一枚一枚までが人間のゴミでできているのさ

だからあんなに艶っぽく黒い色をしているのかい?
いや違うね
ゴミが甘いだの旨いだのと誂う前に
食べることを止められない成れの果てが
ぼくらだってことさ


黒い犬

  にゃむ

五円玉に穴があいている
その道理で
紐を右耳の穴へ通したくなる。
穴がひらいた犬は口をあけられ
私服の歯科医がお日様を背中で浴びて覗いている
その出来事は 庭の中で起きたのだった。
庭は私が買ったのではなく
親が買い 私はその家に住んだ
木があり陽がさす
それだけにすぎない。
脱臼をした日
私の耳には穴がなかったが
腕が白いとほめられた頃
私の犬は虫歯になった
黒い犬だがワタと名付けた、
その道理で
日々を幸福と呼ぶことにした。
寝そべる犬と庭。
全ての由来は
瓦の上で干からびているが
私はまだ見たことがない
ワタはなおない。
父はたまに屋根へ上る、
雨が漏る翌朝に。
母もそれを知っている。


春/

  ハァモニィベル

めざめると
 あたまが
  ひらがなだけになっていた
 このままでは 
じょじょおがない

いやいや
 そんなことはない

   〈はるのためいき〉

 ほら



ひらがなで、あろうが/なかろうが

ここにある はる

そう ことりも こいをうたう はる
なのに
   きみは、もう いない

     (はねになったきみ〉

 ほら



はなのしたで/ねむると
  もう「めざめなくていい」と
  かたくなった/からだが/かたる
 だけど、せめて/うみが
もういちど/うみが/みたい

  しかいに/もはや/いろは
    いろは/もうないが
  だけど/もういちど/みたい

  〈あのおもいでのあおを〉

 ――あおだったはるを


ジニア

  山人

初夏のような空気が立ちのぼる街並みを歩いていた
振り返ると古い大きな病院がある
病院の入り口付近には大きな桜並木があり
自転車置き場には夥しい花弁が散りばめられていた
小枝の先からはなれていった いくつかの一片
桜は 木であることも知らず立っている


医師の話を他人事のように聞いていた
治療するのだという
「治療」という言葉がずっと頭にこびりつき
廊下はひかり
ベンチシートの老人達は喫茶店の客のように寛いでいた

初夏ような風は心地よかった
風が顔にあたり 額に髪をなびかせる
真っ直ぐに遠くを見つめながら髪を耳にそっとかける
ふと足をとめ ジニアの種を買う
ダリアのような鮮烈な色合いが
戸惑う血液を溶かし 未来をひらかせる気がした
ジニアの花が見たい そう思った

小さな花壇にしゃがみこむ
しっとりとした土のにおいが なにかを育もうとする力を感じる
きっときっと 花を咲かせてみせる
あの鮮烈なジニアの花を見たいから
土のにおいを嗅ぎながら額の汗をぬぐった


大国の面子

  大ちゃん

昨日全くいつものように
ポエム勢いランキングをROMっていたら
炎のようなセンテンスに出合った

「お前はこの時代の坂本竜馬になれ。」

あの方がそう書き込まれたのだ

「中国の面子をなによりにし、尖閣諸島の領有権を放棄し、
世界に冠たる日中同盟を構築せよ。」

そんなことを目指せばわたくしは
1億の同胞から村八分にされ
とたん売国奴に堕してしまう
右翼系週刊誌にぼろくそに書かれるだろう

逡巡しているわたくしにあの方は

「天草四郎たれ!」

竜馬の次は四郎とな?
激しい時空の超え方ですな
キツイですわ
わたくしにそれは
ちょっとキツイですわ

・・・はっ

何を迷ってたんだろう
わたくしに反論する資格など
たとえばどこにでも・・・
ユーキャンでさえも売っていない

あの方がやれと仰るなら
単にやったらエエ話やないか
誰に何と言われようが
あの方について行くと
そう決めたわたくしじゃないか
弱い自分を克服しなきゃ

「今こそお前という種を、大陸に散布する時が来た。」

あありがとうございます

「そして咲かせよ!日中友好の黄色い大輪を。」

おお!ひまわり
やります
わたくしは
絶対にやりぬきます!


日が変わって次の日
わたくしは伊丹空港の
古くて狭いゲートをくぐり
南京行きの便に飛び乗っていた

一番キツイところから
このミッションを始めようと思う
「汝狭き門より入れ。」
とも言うではないか

13億の苗床にゴッドシード(神の種)を
いざ叫ばんかな

「汝の隣人を愛せよ!日中同盟万歳!」


雲肌の襖

  atsuchan69

冬鳥の啼く声も掠れ
野火煙る薄闇に
遠い鐘の音とともに
虚ろに舞う、
まばゆい欠片たち

山颪(おろし)の風に攫われる
か細い梢の一瞬の落花、
土に眠る豊かな彩りと
ひややかな水の命を
小さな花の色に映して

雪の果てに颯爽と散り、
蘗(ひこばえ)の匂う野山にも咲く
あれは月夜に朧に散った花弁
冴えた風のうごくさまに倣い、
止め処なく空谷を埋める

淡く紅をさした白無垢の、
ふるえる花唇のむごく幽かな血の色
静やかに息尽きる幻、その刹那に
光滲む雲肌の襖をひらけば
然も絢爛とひろがる春、桜絵巻

文学極道

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