Salem、カナンの地の都サレム、オレゴン州州都セイレム、魔女を焼いたマサチューセッツの港街セーレム
きみの訛ったSalemは、それらがまるでひかりと濁りの調和とし佇んでいるSalem
それは歪みつつカッチリ響く根音5度の和音─パワーコードの残響、確かに俺はそこを知っていて、わかっているような気さえした。
24度の寝室、異袋のなか、効きのすっかり去った眠剤と、オロナミンCの甘さがとろんと、恋をするとき。
十代の苦悩は重大だが、重罪ではないだろう、外でラッキー・ストライクを喫っていると、彼らは歩いているが、歩かされているだけ、
ほっとかれているだけ、なんだと29歳の男の体のなか、老婆を宿している、俺はわかっていた。この体は健全であって、つまりどうかしているんだろう、
きみは形あるもので物語っているのですか? きみに高学歴がなくてよかったね。俺もひとしく馬鹿だから、この国ではそれで過ちが少ないんだろう。
堕ちることは上昇だと考えたら、敬虔な死んだ女は水に沈むのか、疑問を持った。敬虔な死んだ女が語る言葉が聞きたいけど、郊外のファミレス、
コーヒーを口にし、煙草を吹かし、299円のドリアを分けあいながら、死んだ人間と語る、無理も承知だけど、俺は今も丁寧、死んでいっていて、
今年の正月には「今を生きる」と大書したのにね。でも死んでいくことそれは、なんでこんな面白いんだろう。ダメになった筋肉を無理に動かすのは楽しいよ。
従っているものに従ったけれど、私に従うものがいない、望んで叱られたいなんてマゾフィスティックだけど、楽しいこともあるよ。
サウナの高温の鉄棒を、水で濡らした雑巾で、ていねい、ふきとる。雑巾はたちまち焼け焦げサウナに異臭がたちこめても、裸の男らは
年始から今までつづくテレビのていたらく芸能ニュースに、必死くいいってる。
真黒の雑巾をゴミ箱に投げ込んだら、向こうのレイプ事件もこっちのこころの傷痛も忘れたいけど、物を握るたび顔をしかめた夏でした。
白桃色の女が川のながれに馴染んでいるのは、製紙工場の匂いのせいなんだろう、と、ぼうっとした秋のはじまり。
骨が成長すると俺は痛くて堪らなかったけど、痛くないと生きてる気もしなくなった馬鹿になってしまった。
望んでいたダディはいつかダッドだったけれど、今では電気保安事務所を構えコンビニの点検業務にルーズいそしんでいる。
セ・ラ・ヴィ。
きみに勇気があれば希望なんていらない、種があれば、植物は勝手、生えるようなもので。
製紙工場の匂いの手前、黒い川ながれ、月が映る。
現代この月だって荒らすことができて、アメリカはかつて星条旗を立てたけど、時という手術代の上できみの心臓からガラス片すべてとりのぞくに
きみ自身でやらなくちゃいけないのなら、慈悲をメスとして伝えたい。
コホン、えー、この手術はたいへんに難しい、しかし、きみは正しい、きみは正しかった。親切はとき、人を活かし、ころす。
寝室の窓を開ければ、森の闇が広がっている。
意識しつつ存在しないようにできないだろうか。
そして存在しつつ意識しないということはできないか。
Love and Sympathy 2016.8.30(火)
最新情報
2016年09月分
月間優良作品 (投稿日時順)
- 書くことは思い出ならずや - 田中恭平
- 全行引用による自伝詩。 - 田中宏輔
- キャンディ - ゼッケン
- 詩の日めくり 二〇一六年八月一日─三十一日 - 田中宏輔
- ケレケレのはなし - 花緒
- 2010年をころせない - 田中恭平
- かのじょの肖像 - あやめ
- 2010年を、すくうため - Kolya
- 之繞 - ただならぬおと
- 口縄 - 湯煙
- 空言 - Kolya
- 水鏡 - 桐ヶ谷忍
- 峠の山道 - シロ
- 郷土の愛 - zero
次点佳作 (投稿日時順)
- 岩手七号 - 山田太郎
- 四の月になると - 牧野クズハ
- すべてのものに終わりがある、サーカスであろうと夏であろうと - ユーカリ
- 街 - 西木修
- 痛ポエケット ブースNo.ヌ―69【百合イカエロイカ】 - 百合花街リリ子
- 私が生きている、従って私が死に、嬰児は且て喃語を秩序とした - 鷹枕可
- 奏淋鳥 - アラメルモ
- 加筆修正と読者と海より広い本屋のために - 泥棒
- 雨の日の エスキース - 玄こう
- グッドレビュー - 鈴木
- BACK TO THE ACID PLANET - 花緒
- メンタルヘルスディストーション - 泥棒
- 忘れられた題名 - プディング
- いすは立ったまま - 北
* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。
書くことは思い出ならずや
全行引用による自伝詩。
(…)当時、彼は父の農場で働いていたポーランド人の女中を愛していましたが、夢想のなかで自分がこの美しいひざの上に、女中となった聖処女のひざの上に坐っているのだと想像し、女中を聖処女に混同しているのでした。ところでその日、眼を閉じて再び聖処女を見たとき、彼は突然、彼女の髪がブロンドであることに気づきます!
マリアはエリーザベトの髪をしているのです! 彼は驚き、強い印象をうける! 彼の愛していないこの女性こそ、事実上、彼の唯一の、まことの愛であることを、神みずからがこの夢想を介して彼に教えているように彼には思われるのです。
非合理的論理は、混同のメカニズムにもとづいています。つまり、パーゼノーの現実感覚はお粗末なものであるということです。彼はさまざまの出来事の原因を捉えることができず、他者のまなざしの背後に隠されているものを決して知ることはないでしょう。しかし外部世界は、それがどんなに隠されたもの、再認できないもの、非因果的なものであっても、無言のものではない。それは彼に語りかけます。ボードレールの有名な詩、「長い反響(こだま)が……混りあい」、「香と色と音とがたがいに応えあう」あの詩におけるように、外部世界においては、ひとつのものは別のものに近づき、別のものと混りあい(エリーザベトは聖処女に混りあいます)、かくして、この接近によってひとつのものは理解されるのです。
(ミラン・クンデラ『小説の精神』第三部・混同、金井 裕・浅野敏夫訳)
芸術においては、形式はつねに形式以上のものです。
(ミラン・クンデラ『小説の精神』第七部、金井 裕・浅野敏夫訳)
『プヴァールとペキュシェ』の第二部は未完のままに終わったが、この部分は主に『筆写』と称するもので成っている。これは、奇妙なこと、馬鹿げたことを記した文例、自ら愚劣なることを露呈した引用文を蒐めた一大資料集であり、これを二人の書記が大まじめで筆写するのは専ら自己啓発につとめるためだが、フロベール自身の意図するところは痛烈な風刺にあったにちがいない。
(ジュリアン・バーンズ『フロベールの鸚鵡』4、斎藤昌三訳)
事物から言葉が生まれるのと同じように、言葉自体から事物が生まれる場合もあるというのが現代の考えのようである。
(ジュリアン・バーンズ『フロベールの鸚鵡』7、斎藤昌三訳)
芸術はもはや表現するだけでは満足しない。それは物質を変容させるのだ。
(マルセル・エイメ『よい絵』中村真一郎訳)
結局のところ、本は現実の人生ではない。
(ジュリアン・バーンズ『フロベールの鸚鵡』7、斎藤昌三訳)
短く、簡潔で、まがいものでない言葉を使うこと。
(ジュリアン・バーンズ『フロベールの鸚鵡』7、斎藤昌三訳)
いつもほめられたり励まされたりしていないと落ち着かないような弱さ
(ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』第一部・17、御輿哲也訳)
そう、じゃああれはうまくいったんだ、成し遂げられたんだわ。そして、成し遂げられたものすべてがそうであるように、それもまた厳かなものとなった。おしゃべりや感情を洗い流してよく考えてみると、それはパーティーの最初からあったようにも思える。ただ、はっきりと見えるようになったのは、やはりパーティーがすんだ後のことで、こうして目に見える形をもつことによって、それはあらゆるものに確かな安定感をもたらしていた。
(ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』第一部・18、御輿哲也訳)
なぜあの光景だけは、輪に包まれた光を浴びたように細かい部分まで生々しくよみがえってくるのか、その前もその後も、何マイルにもわたって茫漠たる空白が続くばかりだというのに?
(ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』第三部・5、御輿哲也訳)
そしてこれが──と、絵筆に緑の絵具をつけながらリリーは思う、こんなふうにいろんな場面を思い描くことこそが、誰かを「知る」こと、その人のことを「思いやる」こと、ひいては「好きになる」ことでさえあるはずだ。
(ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』第三部・5、御輿哲也訳)
空中に投げられた石にとっては、落ちるのが悪いことでもなければ、昇るのが善いことでもない。
(マルクス・アウレリウス『自省録』第九巻・一七、神谷美恵子訳)
哲学のわざは単純で謙虚なものである。
(マルクス・アウレリウス『自省録』第九巻・二九、神谷美恵子訳)
ぼくにはつねに精神を活動させるなにかが必要なんだ。
(S・C・ロバーツ『クリスマス・イヴ』中川裕朗訳)
自然は、多様性から力を引き出している。自然の中には、善人、悪人、気が変になった人、絶望している人、スポーツマン、寝たきり老人、身体障碍者、愉快な人、悲しんでいる人、知性的な人、無気力な人、利己的な人、寛大な人、小さい人、大きい人、黒い人、黄色い人、赤い人、白い人など。さらに、いろいろな宗教家、哲学者、マニアックな人、賢者などもいる。避けるべき唯一の危険は、この中の何者かが、他の何者かによって抹殺されることである。
(ベルナール・ウェルベル『蟻』第2部、小中陽太郎・森山 隆訳)
「日本を沈没させろとおっしゃる……」とレスターがたずねる。
「わしの口から、そう言ってはおらんだろ」
サッチャーがそう訊き返す。この人の心臓では、バターも溶けまい。
「考えとしては面白いと思わんか。真珠湾の意趣返しみたいなもんでな」
「血迷ってますよ、サッチャー」
バーナードがそう言いながら、頭蓋骨を温かくしておこうとするかのように、ほつれ毛を頭頂部になであげ、
「こんなことは聞こえてない。聞いてない」
(ジャック・ウォマック『ヒーザーン』8、黒丸 尚訳)
闇がなかったら、光は半分も明るく見えるだろうか
(ジャック・ウォマック『ヒーザーン』9、黒丸 尚訳)
名前を持つことが自立した実体として存在することである。
(ベルナール・ウェルベル『蟻』第3部、小中陽太郎・森山 隆訳)
思考を変えていくいちばんよい方法は、想像力の範ちゅうから外へ出ることだ。
(ベルナール・ウェルベル『蟻』第4部、小中陽太郎・森山 隆訳)
(…)帰りは黙りこくっていたが、その顔には許してあげるわと言うような微笑が浮んでいた。
あの日と同じ微笑を浮かべてラウラがドアを開けてくれた。(…)
(コルタサル『母の手紙』木村榮一訳)
「(…)お料理は少し固くなっているかもしれないわ」
固くなってはいなかったが、何の味もしなかった。(…)
(コルタサル『母の手紙』木村榮一訳)
ぼくたちはゴーロワーズを吸った。ジョニーはコニャックならほんの少し、タバコは日に八本から十本くらいなら吸ってもいいと言われていた。しかし、タバコをふかしているのは彼の身体のほうで、彼自身は穴から外に出るのをいやがってでもいるように、あるものの中にじっと身をひそめている。
(コルタサル『追い求める男』木村榮一訳)
(…)そのとき一匹のスカイテリアが彼のズボンをくんくん嗅いだので、彼は恐怖におののいた。人間に変わろうとしている! とても見ちゃいられない! 犬が人間に変わるのを見るなんて、恐ろしい! こわい! が、たちまち犬は走り去った。
(ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』丹治 愛訳)
彼の黄色味をおびた猫のような目はほんの少しだけ開いていて、本当の猫の目みたいに、揺れ動く枝や過ぎ行く雲を映してはいても、その奥にどんな考えや感情が宿っているかを示すことはなかった。
(ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』第一部・1、御輿哲也訳)
結局、人は自分の本当の気持ちを言葉にすることなどできないのだろう。
(ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』第一部・4、御輿哲也訳)
「ママ、パパに何があったの?」
「パパは詩人だったのよ」
「詩人ってなんなの、ママ?」
「パパもわからないっていってたわ。さあ、手を洗って、夕ご飯にしましょう」
「わからなかったの?」
「そう、わからなかったのよ。さあ、手を洗ってっていったでしょ……」
(チャールズ・ブコウスキー『職業作家のご意見は?』青野 聰訳)
私は階段をさらに上って行かなければならない。
何度も階段を上がる。
一生のあいだ、崇高さと奇矯さとの違いをたっぷりと味わい尽くして。
(ゲルハルト・ケップフ『ふくろうの眼』第二十四章、園田みどり訳)
(…)「美しい人間は心のなかまで美しいと、本気で思ってらっしゃるの? わたしは同意できないわ。その伝でいけば、醜い人間はなかまで醜いということになる」
「いいえ、そうは言ってませんよ」シスター・ブリジェットは面白がっていた。「わたしはただ、美は表面的なものにすぎないという考えに疑問を呈しているだけ」シスターはコーヒー・カップを両手で包み込むように持った。「もちろん、心なぐさむ考えではあるわ──そう考えれば、自分がいい人間のような気分になれる──でも、美しさは富と同様、その人の徳性にとっての財産なの。裕福な人間は、法を遵(じゆん)守(しゆ)し、寛大で、親切でいることができる。極貧(ごくひん)の人は、そうはいかない。一ペニーのお金を手に入れるのに汲(きゆう)々(きゆう)としている人にとっては、親切でいることさえたいへんなことなの」彼女は皮肉な笑みをうかべた。「貧困が人を向上させるのは、豊かでいることもできるのに、みずから貧困を選んだ人の場合だけ」
「それには反論しませんけど、でも、美しさと富がどう関係するのかわかりませんわ」
「美しさは、孤独や拒絶されることからくるマイナスの感情から、人を遠ざけてくれるの。美しい人は重んじられる──ずっとそうだったし、あなた自身がそれを証明している──だから、そういう人たちは、恨みや嫉妬や、自分の持ちえないものを持ちたいという欲求と比較的無縁でいられるの。(…)」シスターは肩をすくめた。「もちろんつねに例外はあるわ(…)でも、わたしの経験では、魅力的な人は、芯まで魅力的なの。外面の美しさと内面の美しさ、どちらが先なのかという議論はあるでしょうけれど、その二つはたいてい、手に手を取って進むものなの」
(ミネット・ウォルターズ『女彫刻家』4、成川裕子訳)
ルイーズが言う。「とにかく、この前より楽よ。ドッグフードしか食べなかった頃のことを思えば」
アンナが言う。「前に犬だったとき──」
ルイーズは自己嫌悪を憶えながらも、口を挟む。「あなたが犬だったときなんて、絶対に、ないのよ」
アンナが言い返す。「どうしてわかるのよ?」
ルイーズが言う。「あなたが生まれたとき、私はその場にいたの。あなたのママが妊娠していたときだってよ。あなたがこのくらいだった頃から私は知ってるんだから」彼女は給使長がしたように二本の指を近づけた。ただし、指にはしっかりと力を込めて。
アンナが言う。「それより前だもん。あたしが犬だったのは」
(ケリー・リンク『ルイーズのゴースト』金子ゆき子訳)
幽霊はまたもベッドの下に潜り込んで、片手だけ突き出している。まるでベッドルームでタクシーを拾おうとしているみたいに。
(ケリー・リンク『ルイーズのゴースト』金子ゆき子訳)
少女探偵は再度試みる。「このレストランはいつからここにあるの?」
「かなり以前から時々です」と彼は言う。
(ケリー・リンク『少女探偵』金子ゆき子訳)
「そこのテーブル・クロスの上にパンがある」とジョニーは宙を見つめたまま言う。「それは疑いもなく固いもので、何ともいえない色艶をしていて、いい香りがする。それはおれじゃないあるものだ。おれとは別のもの、おれの外にあるものだ。しかし、おれがそれに触れる、つまり指を伸ばして掴んだとする。するとその時、何かが変化するんだ、そうだろう? パンはおれの外にあるのに、おれはこの指で触り、それを感じることができるんだ。おれの外にある世界も、そういうものじゃないかと思うんだ。おれがそれに触れたり、それを感じたりできるのなら、それはもうおれとは違った、別のものだとは言えないはずだ。そうだろう?」
「いいかい、ジョニー、何千年も前から髯をはやした大勢の学者たちが、その問題を解こうと頭を悩ませてきたんだ」
「パンのなかは昼なんだ」とジョニーは両手で顔を覆って呟く。「おれは思いきって、パンに触ると、二つに切って口に放り込む。何も起こらないと分かっているが、それが恐ろしいんだ。何も起こらないから恐ろしい、分かるかい? お前はパンを切り、ナイフを突き立てるが、何もかも元のままだ。おれには分からないんだ。ブルーノ」
(コルタサル『追い求める男』木村榮一訳)
それは彼を精神的に支えていると気づくが、操りもし、傷つけてもいる……そうしているのが彼自身でもあり、彼以外のものでもある。
(イアン・ワトスン『ヨナ・キット』3、飯田隆昭訳)
クレールがそばにいると秋がいつもとちがって見えるんだ、とあなたは書いてきたわ。日曜日になると、あなたたちは手をつなぎ、ひと言も口をきかずに何時間も歩いたのね。公園には、涸れたヒヤシンスの残り香が漂っていた。長い間散歩しているうちに落葉を燃やす匂いが鼻をつくようになったけど、そんな風に散歩していて、むかし私たちが海岸を歩きまわった時のことを思い出したのね。きっとそれは、自分たちの身にいろいろなことが起こり、川岸を歩いたり、ジャスミンや枯葉の匂いを嗅いだりして、終わりつつある季節の謎めいた予兆を感じとっても、二人ともそのことをけっして口にしようとしなかったせいね。結局、沈黙なのね。クレール、クレール──あなたは私に宛てた手紙でそう書いてきた──君はようやくわかってくれたんだね。かつて僕が持っていたものをまた手に入れたんだ。今僕はそれを所有することができる。僕はふたたび君を見つけたんだよ、クレール。
(フエンテス『純な魂』木村榮一訳)
(…)子供の頃はクエルナバーカに家があったので、週末はきまってブーゲンヒリアの花が咲き乱れるあの家で過ごしたものね。あなたは水泳や自転車の乗り方を教えてくれた。そして土曜日の午後は自転車で遠くの村へ行ったけど、あの頃の私はあなたの目を通して世界を発見していったの。(…)
(フエンテス『純な魂』木村榮一訳)
幸福な時代! われわれは人生が永遠につづくと思っていた。
(カート・ヴォネガット『タイムクエイク』44、浅倉久志訳)
(…)彼女が公園の中で触れ、運び、発見したもの、それが彼女なのだろう。(…)
(フエンテス『女王人形』木村榮一訳)
これがすてきでなくて、ほかになにがある?
(カート・ヴォネガット『タイムクエイク』4、浅倉久志訳)
しかし、なにもないということは、なにかがあることを暗示している。
(カート・ヴォネガット『タイムクエイク』7、浅倉久志訳)
サー・ジョンと仲間の美術貴族たちは大英博物館やルーヴルやメトロポリタンの監督として、夢見るファラオやキリスト磔刑や復活(第二のデ・ミル監督の出現を待ちわびる究極の超大作映画の題材)の絵画を揃え、たしかに人間の魂の空虚を巧みに満たしてくれたが、そもそも魂のなかに欠けていたものは何だったのだろうか。
(J・G・バラード『静かな生活』木原善彦訳)
しかし、詩人というものは、みんなきちがいではないですか?
(ジャック・ヴァンス『愛の宮殿』8、浅倉久志訳)
詩人の神経は伝導性があり、抑えきれないほどのエネルギーの奔流を運びます。彼は不安です──どれほど不安なことか! 彼は時の動きを感じます。指のあいだには、まるで生きた動脈をつかんだように、暖かいパルスが伝わってくる。ある一つの音で──遠くの笑い声、小さな波紋、一陣の風で──彼は気分が悪くなり、失神します。なぜなら、時の果てまでかかっても、その音、その波紋、その風がふたたびくりかえされることはないからです。これこそがだれもがたどらねばならん旅、耳をろうする悲劇なのです! しかし、きちがい詩人がそれを別なものにしたいと願うでしょうか? 一度も歓喜のないものに? 一度も落胆のないものに? 一度もむきだしの神経で人生をつかみえないものに?
(ジャック・ヴァンス『愛の宮殿』8、浅倉久志訳)
恐怖には二つの種類がある──本能的なものと、条件づけられたものとだ。
(ジャック・ヴァンス『殺戮機械』5、浅倉久志訳)
最初は確かにおずおずと、ためらいがちに読んでいた。膨大な数の本を前にして立ちすくみ、どうやって進めばいいのかさっぱりわからなかった。一冊の本が次の本につながっていくような一貫した読書方針もなく、よく、二冊、三冊を並行して読んでいた。次の段階になると、読みながらメモをとるようになり、それ以降はつねに鉛筆片手に読書をした。メモといっても読んだ内容を要約するのではなく、印象に残った一節をただ書き写すだけだった。メモをとりながらの読書を一年かそこら続けてからようやく、時おりためらいがちに自分の考えを書きとめるようになった。「私には文学が広大無辺な国のように思える。そのはるかな辺境へ向かって旅しているけれど、とうていたどり着けない。始めるのが遅すぎた。遅れを取り戻すのは不可能だ」と女王は書いた。それから(それとは無関係に)「エチケットというのは煩わしいこともあるが、気まずい思いをするほうがもっと悪い」。
(アラン・ベネット『やんごとなき読者』市川恵里訳)
「(…)考古学は主として物事のあいだに脈絡をつける過程であって、どんな発見でも、すでに知っている事柄との可能な共鳴を表面化するのよ。ときには、博物館や発掘現場を歩きまわるだけで、眼が開けることもあるわ」
(グレゴリイ・ベンフォード『時の迷宮』上巻・第三部・1、山高 昭訳)
「(…)高校時代、(…)僕らはそこで抱きあったんだよ、車がブーンと音をたててハイウェイを駆け抜けていき、カーラジオがBGMを奏でてるなかでね」
すでに詰め終え、あとは封をすればいいだけになっていたもうひとつのボール箱の上に、彼はガムテープを貼った。彼は側面まで伸ばしたテープの端を親指でしっかり押しつけると、残りのロールを手でちぎった。
「あなたのしたのはそれだけ?」と彼女は言った。
「そのときはね」と彼は言った。
「別のときはどうしたって言うの?」
彼はにやりと笑った。「まさか君、僕が十代のときにしたことを妬いてるんじゃないだろうね」
もちろん彼女は嫉妬していた──なぜなら彼女は、人も物事も記憶のなかで完全に忘れ去られることはないと知っていたから。いくつかの過去の出来事を思い起こしてみるとき、われわれはその鮮明さに驚いてしまう。過去の記憶がわれわれの考えをくつがえしてしまうことだってあり得るのだ。
(アン・ビーティ『広い外の世界』道下匡子訳)
(…)しかし、先に述べたように、変わったのは私だけだった。私以外はすべてが昔のままだった。歩道、ライムの木の街路、未だに始終修理が必要な樫の囲い、昔は怖かったのに今はただ薄汚いだけの大きな屋敷、ヨーロッパアカマツの傍らの教会、道の赤い砂、鉄板に豚の浮彫のある飾りが目立つので記憶している、教会の隣の一風変わった家──みな同じだ。だが、何にもまして、鹿が昔と同じなのが印象的だ。昔と同じく妖精のようで、見ていると心が躍る。昔と同じく、神秘的な動き方をする。私が、子供の時以来今日まで鹿を見る機会が殆ど無くてよかったと思った。特に、まだらのある鹿は一度も見なかった。今日の驚きと歓喜の感動を新鮮に保つため、今後しばらく又鹿を見るのは、やめておこうと思う。
(E・V・ルーカス『鹿苑』行方昭夫訳)
私の思い出の鹿苑を数十年振りに訪ねた後、一マイル半歩いて市場のある町に来た。ここで昔最初の弓矢を買ってもらった小さな玩具とキャンデーの店を探してみたが無駄だった。どこにあったか覚えていたのだが、店に代って新しい大きな建物が立っていた。弓矢を買ってくれたのは独り者の訪問客の一人だった。こういう人は、僅かな金額で、子供の世界に輝きを与え、この世を天国に変える魔力を持っているものだ。最初の弓矢を再度入手できないのは辛い悲劇の一つである。
(E・V・ルーカス『鹿苑』行方昭夫訳)
かれは自分が冷水の入ったコップになった気がした。何たる気ちがいじみた考えだ! コップの外側の水滴みたいに冷たい汗が噴き出していた。身体の中は冷たくて仕方がない! かれは腕をくみ、慄えはじめた。やっと指先が毛布をまさぐり、それをつかむと身体に引っぱり上げた。
(フィリップ・K・ディック&ロジャー・ゼラズニイ『怒りの神』5、仁賀克雄訳)
(…)この世で一番不幸な人の中に、過去において自分が蒙った被害を忘れられない人がいる。また、自分が他人に与えた危害を忘れられないので不幸になっている人もいる。実際、人間というのは、記憶しておきたいことは忘れ、忘れたいことは覚えているように生まれ付いているのだ。
(ロバート・リンド『忘れる技術』行方昭夫訳)
鉄道での旅行者の遺失物が今ロンドンの主要駅の一つで販売されている。その品物のリストが発表され、それを見た多くの人が人間の忘れっぽさに驚いている。だが、件の統計上の数字が入手できれば、忘れる客がそんなに多数だということになるかどうか、私は疑問に思う。実は、私が驚くのは人の記憶力がいい加減だということより、その素晴らしさである。現代人は電話番号まで記憶しているではないか。友人の住所も覚えている。ビンテージワインの年号も覚えている。(…)
(ロバート・リンド『忘れる技術』行方昭夫訳)
(…)現実の釣竿は忘れてしまう。この種の記憶喪失は、いかに彼が魚釣りを楽しんだかの嬉しい証拠である。彼が釣竿を忘れるのは、詩人がロマンチックな事柄を考えていて、手紙を出すのを忘れるのと同じである。この種のぼんやりは私には美徳のように思える。忘れっぽい人は人生を最大限に生かそうとする人なので、平凡なことはうっかり忘れることが多い。ソクラテスやコールリッジに手紙を出してくれと頼む人などどこにいるか。彼らは、投函など無視する魂を持っているのだ。
(ロバート・リンド『忘れる技術』行方昭夫訳)
(…)真実というものは、人によって耐えられる量、ふさわしい分量が決まっている。おれと話をする人間の中でも、弱いやつほど作り話や嘘を欲しがる。そういうやつには真実を嘘で塗り固めて、生きる助けにしてやらなければならない。生の言葉ですべてを語れる相手は、限りない知力と寛い心をもった存在、つまり神だけだ。神が相手の時はシニスムは考えられない。というのはシニスムは、相手が耐えられる以上の真実を伝えたり、我慢できる以上のどぎつい言葉を発するのに役立つからだ。そこで思うのだが、友達関係を耐えられるものにしようと思ったら、たがいに相手を買い被らなければならない。それに見合った優れた人間にならなければと重荷に感じて、相手がいつも不快になるほどの買い被りが必要だ。その分量があまりに多いと、相手は傷つき、関係を断ってしまうだろう──一生の絶交になることもある。
(ミシェル・トゥルニエ『メテオール(気象)』第七章、榊原晃三・南條郁子訳)
(…)愛が完全かどうか(…)を見る試金石、まちがいなく見分ける指標は何かと言うと、次のようなまれな現象が起こっているかどうかだ。すなわち、顔に欲望を覚えるという現象。体のどの部分より顔にエロティシズムがあるように思われる時……それが愛だ。おれは今、顔こそが人間の体の中でもっとも官能的な部分だということを知っている。人の体の中で真に性的なのは、唇であり、鼻であり、とりわけ目なのだ。
(ミシェル・トゥルニエ『メテオール(気象)』第七章、榊原晃三・南條郁子訳)
それは私の顔だ。たびたびきょうのように、むだに終わった日に、私はじっと自分の顔をながめて時を過ごす。私にはこの顔がちっともわからない。他人の顔は一つの意味を持っているが、私の顔にはそれがない。私の顔が美しいか醜いかも、決めることができない。醜いと言われたことがあるから、そうだろうと思う。しかしそう言われても腹立たしくはない。じつを言うと、人が土くれや岩の塊りなどを美しいとか醜いとか言うように、そういう種類の形容詞を私の顔に与えうるということが、私を驚かせるのである。
(サルトル『嘔吐』白井浩司訳)
人々の顔を眺めるのは彼にとって楽しいことだった
(ジョセフィン・テイ『時の娘』2、小泉喜美子訳)
苦しみは人生の視野を拡げ、より同情心ある人物にする。自分も同じような目に遭っていれば、他人の不幸を理解しやすくなるというわけだ。
(P・G・ウッドハウス『それゆけジーヴス』5、森村たまき訳)
(…)もっとも、悲劇といえば、かれがぼくに語ったことが、真実だとしたら(ぼくは真実だと信じていますが)けっきょく、そんなことを言えば、人間の一生なんてみんな悲劇ですからなあ。舞台へなんかへかけられるものとはまたちがった、もっと不思議な悲劇ですからなあ
(アーサー・マッケン『パンの大神』4、平井呈一訳)
人生の幸福は非常に少ないものにかかっている。
(マルクス・アウレーリウス『自省録』第七巻・六七、神谷美恵子訳)
人間には、人間的でない出来事は起りえない。牡牛には、牡牛にとって自然でない出来事は起りえない。葡萄の樹には、葡萄に自然でない出来事は起りえない。また石にも、石に特有でないことは起りえない。かように、もし各々のものにおきまりの自然なことのみ起るのならば、なぜ君は不満をいだくのか。宇宙の自然は君に耐えられぬようなものはなにももたらさなかったではないか。
(マルクス・アウレーリウス『自省録』第八巻・四六、神谷美恵子訳)
つぎのことを記憶せよ。無花果(いちじく)の樹が無花果の実をつけるのを驚いたら恥ずかしいことであるように、宇宙がその本来結ぶべき実を結ぶのを驚くのも恥ずかしいことである。同様に医者や舵取りが患者に熱のあるのや逆風の吹くのを驚くのも恥ずかしいことである。
(マルクス・アウレーリウス『自省録』第八巻・一五、神谷美恵子訳)
万人互いに一致しているわけでもなく、個人にしても一人として自己と一致している者はない。
(マルクス・アウレーリウス『自省録』第八巻・二一、神谷美恵子訳)
魂の働きのなかには、低級なものもいくつかある。その面から魂を見ない者は、魂を完全に知ることはできない。そしておそらく、魂が単純な歩き方で進んでいるときにこそ、それをもっともよく見てとることができるのだろう。情念の疾風は、魂を、それが高い位置をとっている場合に、より多くとらえる。それに加えて、魂はおのおのの材料の上に完全に身をのせきり、そこで全体で働きを行い、けっして同時にひとつ以上のことを扱わないのだ。そして材料を、それに従ってではなく、みずからに従って扱う。事物というものはおそらく、独自に、それ自身の重さや寸法や性質を持っているのだろう。しかし、われわれのなかへはいってしまうと、魂は、自分の了解しているとおりにそれらのあり方を裁断して、事物に着せかけてしまう。(…)
(…)われわれに事物についての了解を与えているものは、われわれ自身なのだ。
(モンテーニュ『エセー』第I巻・第50章、荒木昭太郎訳)
われわれは皆断片からできていて、あまりにかたちをなさない多様な組成をしているので、一片一片が瞬間ごとにおのおのべつの動きをする。われわれとわれわれ自身とのあいだには、われわれと他人とのあいだにあるのと同じくらいの相違がある。
(モンテーニュ『エセー』第II巻・第1章、荒木昭太郎訳)
「もう終りにしましょうよ」と彼は言った、「二時近いですよ」
「それももっと多くを言うために少なく言う言いかたですの?」
「それとは反対に、『聖書』のなかでは、言葉がいかに表現の新鮮さを保ちつづけてきたか見てごらんなさいよ」
「それはきっと言葉遣いがとても単純な箇所でしょうね」と彼女は言った、「毎日の言葉が使われている箇所ね」
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』17、菅野昭正訳)
(…)そして、おそらく、その景色があれほど美しくなかったら……とはいうものの、ただひとつの状況を異なるものとして想像することなどできるだろうか?……人生には、まるで芸術の傑作のように整えられている瞬間が、またそういう全生涯があるものなのだ、と彼には思われた。あれは彼らにとって目眩(めくるめ)く驚異だった。六月のこよなく美しく晴れた日のことで、(…)
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』21、菅野昭正訳)
スヘヴェニンゲンの浜辺も、他の浜辺と同じように、地雷を埋めた浜辺だった。
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』23、菅野昭正訳)
(…)今(なんて言葉だろう、今なんてものはありはしない)、ぼくは河に面した手すりに腰をかけ、赤と黒のツートンカラーの遊覧船が通るのを眺めている。写真を撮る気になれない。ただあわただしく行き交う事物を眺めながら、腰をかけたままじっと時の流れに身をまかせている。風はもうおさまっていた。
(コルタサル『悪魔の涎』木村榮一訳)
(…)家は、決められた時間に食事をとるしっかりした家庭で、うす暗い客間があり、ドアの脇にはマホガニーの傘立てが置いてある。壁にはロマン派の風景画がかかっているにちがいない。家で勉強していると、時間は雨の日のようにのろのろ過ぎていく。母親に期待をかけられている彼は、最近父親に似てきた。アヴィニョンの叔母さんに手紙を書かなくては。お金を持たないそんな彼のためにパリの街々とセーヌ河がある。(…)一袋十フランのフライド・ポテト、四つに折り畳んだポルノ雑誌、空のポケットのような寂しさ、幸運な出会い。町は未知の事物で埋めつくされている。風や町にも似た気易さと貪欲な好奇心に駆られて彼はそれらの事物を熱愛する。
(コルタサル『悪魔の涎』木村榮一訳)
(…)悪は──何世紀にもわたって記録されてきたのとは異なり──混沌(こんとん)の道具などではないのだ。創造こそが混沌の力なのだ。ほら、この真理は自然界のあらゆる仕組みに見いだせる──花粉の雲や、蠅(はえ)の群れや、鳥の渡りにだ。こうした出来事は正確さこそあれ、混沌としている。その正確さは過剰さからくるものであり、百万発撃って標的に数発あたるようなものだ。いや、悪は混沌ではない。簡潔さであり、システムであり、断ち切るナイフの一突きなのだ。とりわけ、回避不可能なことだ。善のエントロピー的解決であり、創造性の絶対的単純化なのだ。ヒトラーはずっとこのことを知っていたし、国家社会主義はつねにそれを具現していた。電撃戦や強制収容所がこの単純さの戦術的表現でないとすれば、なんだというのか?
(ルーシャス・シェパード『メンゲレ』小川 隆訳)
──とはいえ、こうしたこともしょせん人間性の一部ではないだろうか?
(ルーシャス・シェパード『竜のグリオールに絵を描いた男』1、内田昌之訳)
時の歩みをもっともよく教えるのが手である。手は、ひとが三十歳になる前から老いはじめる。
(レイナルド・アレナス『めくるめく世界』35、鼓 直・杉山 晃訳)
わたしは両手を上げて、見ようとした──今は手の甲に静脈が浮いていることも知っていた。手に静脈が浮き出した時が、人が大人になった時なのだ。
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』4、岡部宏之訳)
(…)「どうやら、死ぬことは気にしていないみたいね──さばさばしてるもの」
わたしは御者台の背にしがみついた。「そりゃ、死は異常なことではないからね。ぼくのような人間はきっと何千人も何万人もいるよ、死に慣れている人間は。人生のうちの本当に重要な部分はもう終わってしまったと感じている人はね」
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』18、岡部宏之訳)
花?
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』18、岡部宏之訳)
時はわれわれの嘘を真実に変えると、わたしはいっただろうか?
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』17、岡部宏之訳)
これまで知ってきたものがすべて光の中に溶けたり暗闇の中に逃げてしまったのだ
(ルーシャス・シェパード『ぼくたちの暮らしの終わりに』小川 隆訳)
「メタファーとはなんだね? だれか?」
「メタファーは、ふたつのものを類似させる言葉のあやです」
「ちがう、ふたつもまちがいがある。類似は最初からそこにある。メタファーはそれを見るだけだよ。そしてメタファーは、たんなる言葉のあやではない。人間の精神の本質そのものだ。われわれ人間は、類似性や対比や関係を見出すことで、自分たちの周囲のものを、自分が経験したことを、自分自身を理解しようとする。われわれはそれをやめられない。たとえ精神がそれにしくじっても、精神は自分に起きていることをなんとか理解しようと努力しつづける」
(コニー・ウィリス『航路』下巻・第二部・承前・34、大森 望訳)
ほんとに、何度言えばわかるの? 比喩は現実なのよ
(メリッサ・スコット『地球航路』8、梶元靖子訳)
比喩は象徴の一種なの、いい? そして象徴は、〈技〉の基礎です。わたしたちは象徴を通じて現実を操作するのだから、したがって、象徴もまた現実であり、現実でなくてはならないのよ。
(メリッサ・スコット『地球航路』8、梶元靖子訳)
必要なのは幻影だけれど、幻影にはモデルが必要だ。
(メリッサ・スコット『地球航路』5、梶元靖子訳)
そのながめは、その瞬間には現実であり、そのあとではたぶん想像されたものになるわけだけど、光子のパターンとして視覚神経のマトリックスに表示され、ほぼデジタル化された神経電荷として脳にはいり、記憶、快感、その他の中枢に放電する。
(ヒルバート・スケンク『ハルマゲドンに薔薇を』第二部、浅倉久志訳)
存在は秩序を必要とする。
(トム・ゴドウィン『冷たい方程式』伊藤典夫訳)
「わたし、どれくらいいられるの?」
自分の思考の谺(こだま)にも似た質問に、彼は思わずたじろいだ。
(トム・ゴドウィン『冷たい方程式』伊藤典夫訳)
どうやら自分の経験と酷似しているような表現に出くわしたのだ。
(ナボコフ『青白い炎』詩章第三篇、富士川義之訳)
詩人の真価は、有限な表現による言語の舞いではなく、知覚と記憶、知覚されるものと記憶されるものへの感受性、それらのほぼ無限の組みあわせにこそある。
(ダン・シモンズ『ハイペリオン』上巻・詩人の物語、酒井昭伸訳)
右半球であつかえるたった九語の語彙だけで、どうやって立派な詩が作れるのかと、不思議に思うかね?
答えはこうさ。小生は一語も言葉を使わなかったのだよ。詩にとって、言葉とは二義的なものにすぎない。なによりたいせつな対象は真実だ。ゆえに小生は、強力な概念、直喩、関係を用いて、物自体(デイング・アン・ズイツヒ)──影のなかにひそむ実体をあつかった。たとえていえば、ガラスやプラスティックやクロムアルミニウムすら出現しないうちから、より高度な強化(ウイスカード)合金の骨格を用いて、エンジニアが摩天楼を築きあげるがごとく。
(ダン・シモンズ『ハイペリオン』上巻・詩人の物語、酒井昭伸訳)
(…)この小屋がまた、奇妙に居心地がいい。なかにあるのは、ものを食うための食卓、眠りかつセックスをするための寝棚、大小便用の穴、黙々と外を眺めるための窓、それだけだ。小生の環境は、まさに語彙を反映していたといえよう。
(ダン・シモンズ『ハイペリオン』上巻・詩人の物語、酒井昭伸訳)
大むかしから、監獄とはもの書きにとって最高の場所だった。
(ダン・シモンズ『ハイペリオン』上巻・詩人の物語、酒井昭伸訳)
彼女のおろかな恐怖はすべて流れ去り、彼女の力のなくなった手は、静かにヘンリーの手に握りしめられ、臨終の言葉に、ひそかな音のリズムを見いだして、それを楽しんでいるかのようだった。
(ファニー・ハースト『アン・エリザベスの死』龍口直太郎訳)
(…)彼はこの皮肉っぽい軽い詩のように、いとも簡単に詩が浮かんだ頃のことを思い返した。今は詩作もずっと知的で計算された言葉の選択と配列になっている。自分の生活の中で内側から自然に湧き上がるものが、はたしてあるだろうか。
(P・D・ジェイムズ『神学校の死』第二部・19、青木久恵訳)
サディーはとても優しい子でした。詩は情熱だけれど、人生のすべてである必要はないということを教えてくれました。
(P・D・ジェイムズ『神学校の死』第二部・19、青木久恵訳)
人間が一生許すことも忘れることもできないもの、それはその人間が幼くて無力であるときに受けたひどい仕打ちだ。
(P・D・ジェイムズ『皮膚の下の頭蓋骨』第五部・37、小泉喜美子訳)
(…)ある哲学者の言葉を、確かロジャー・スクルートンだったと思うけど、思い出しましてね。"想像したものが与える慰めは想像上の慰めではない"
(P・D・ジェイムズ『殺人展示室』第二部・19、青木久恵訳)
詩はかならずしも意味をもたなくてもいい、自然のものがしばしば意味をもたないように。
(ウォレス・スティヴンズ『アデージア』片桐ユズル訳)
詩の目的はひとの幸福に貢献するにある。
(ウォレス・スティヴンズ『アデージア』片桐ユズル訳)
ソネットの厳しい規則が詩作に高い水準を強制できるように、科学的な事実に忠実であることは、よりよいSFを生みださせることができる。これを無視するのは、自由詩型についてのロバート・フロストの言葉──"それはネットを下ろしてテニスをするのに似ている"──を思いおこさせる。
(グレゴリイ・ベンフォード『リディーマー号』のあとがき、山高 昭訳)
文体は主題から自然に生まれるものだ
(ジュリアン・バーンズ『フロベールの鸚鵡』7、斎藤昌三訳)
オーデンいわく、「詩は実際の効用をもたらすものにあらず」。
(ジュリアン・バーンズ『フロベールの鸚鵡』10、斎藤昌三訳)
そして若いころ書いたわたしの詩一篇だ。この詩はとるに足らないもので、いまのわたしとしてはできれば破って棄ててしまいたい代物だ。
(ノサック『ドロテーア』神品芳夫訳)
それが印刷されたとき、どんなに得意であったかは、今でもよくおぼえている。これでみんな、おれが詩人だということを知るだろうと、あの当時は思ったものだ。
(ノサック『ドロテーア』神品芳夫訳)
世間の普通の人は詩など読まないものと、わたしは思いこんでいた。雑誌を見ていて詩が出てくると、人々は「おや、ここは詩じゃないか」と言って、そして急いでページを繰って小説を探そうとする。
(ノサック『ドロテーア』神品芳夫訳)
そりゃ今だって詩人はいるさ、それは誰も否定しないよ、でも誰も詩人のものなんて読みやしない。
(コルターサル『石蹴り遊び』その他もろもろの側から・99、土岐恒二訳)
作家は文学を破壊するためでなかったらいったい何のために奉仕するんだい?
(コルターサル『石蹴り遊び』その他もろもろの側から・99、土岐恒二訳)
「やっぱり芸術は、それを作り出す芸術家に対してしか意味がないんだなあ」
(ロバート・ネイサン『ジェニーの肖像』8、井上一夫訳)
こんなに見つめあったりするのは、なにか気脈の通じる人間どうしだけができることだ。
(ノサック『ドロテーア』神品芳夫訳)
(…)わたしの手はわたしの視線を追って、できるだけの早さでカンバス上を走りまわるのだった。ところが、そのわたしの視線は、また、現実に見えないものまで求めているのだった。つまり、そこにあるものではなく、かつてそこにあった、そしていつかはそうなるだろうという対象の姿を求めるのである。
(ロバート・ネイサン『ジェニーの肖像』10、井上一夫訳)
私は、ときたま穀倉とか台所とか人目につかない所とかで見かけることのある、その用途はもはやだれにも説明できないような、そういった物や、箱や、什器(じゆうき)のことを考える。われわれが時間の行(こう)業(ぎよう)を理解していると思うことの虚しさ。時間はその死者たちを埋葬して、その鍵を手許から離しはしない。ただ夢の中でのみ、詩の中でのみ、遊戯の中でのみ──蝋燭を点し、それをかざして廊下を歩くならば──われわれは、はたしてわれわれであるのかどうかもわからないこのわれわれの存在よりも以前にわれわれであった存在を、ときとして垣間見るのである。
(コルターサル『石蹴り遊び』その他もろもろの側から・105、土岐恒二訳)
わたしたちは知ることのなんと少ないことか──迫り来る寒さにしても、奇蹟や死、まして細長い浜辺や、丘や、木や石のわずかの壁と、小さな火、わたしたちを暖めてくれる明日の太陽や、明日の平和への願い、良い天気への願い……この嵐で明日なんて吹っとんでしまったとしたら、どうなるんだろう。もし時間というものが静止してしまったら? それに昨日というものも、もしわたしたちがそういう嵐に道を失ってしまったら、もう一度その昨日を迎えるかもしれない。そこでわたしたちはその昨日を明日の朝日と思いこむかもしれない。
(ロバート・ネイサン『ジェニーの肖像』6、井上一夫訳)
彼はほとんど無一物で暮らしていたし、彼が一年に一枚の絵も売れたかどうか危ういものである。しかし、彼は自分の才能を疑ったことのない、幸福な人間だった。彼の欲望はささいなものであったが、その悲しみは苦痛は伴わないが大きなものだった。
(ロバート・ネイサン『ジェニーの肖像』8、井上一夫訳)
どのくらいの時間で、ひとは地獄を──そして天国をのぞくことができるものだろう。
(ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』ヤコブのあつもの、深町真理子訳)
わたしはすぐに答えなければいけない。遅れることは、まちがった答えと同じだけ危険だわ
(フランク・ハーバート『デューン 砂の惑星』第一巻、矢野 徹訳)
成長はその必要とするものによって制限される、
(フランク・ハーバート『デューン 砂の惑星』第二巻、矢野 徹訳)
緊張が大きなときに真実をはっきりと知る
(フランク・ハーバート『デューン 砂の惑星』第二巻、矢野 徹訳)
それは象徴以上のもの、現実だ。
(フランク・ハーバート『デューン 砂の惑星』第二巻、矢野 徹訳)
視界だけに頼るなら、ほかの感覚は弱まる
(フランク・ハーバート『デューン 砂の惑星』第三巻、矢野 徹訳)
真実とは強力な武器なのだ。
(フランク・ハーバート『デューン 砂の惑星』第三巻、矢野 徹訳)
存在しないこと、それは存在することと同じほど致命的なものとなり得る。
(フランク・ハーバート『デューン 砂の惑星』第三巻、矢野 徹訳)
世界は多数の群衆と少数の個人とで成り立っている。
(D・H・ロレンス『翼ある蛇』上巻・1、宮西豊逸訳)
年齢を重ねるにつれて、自分の一部が新しい風景のように見えてくるのだ。
(グレゴリイ・ベンフォード『大いなる天上の河』下巻・エピローグ・2、山高 昭訳)
成功は饒舌だが、失敗は無言である。
(グレゴリイ・ベンフォード『大いなる天上の河』上巻・第二部・4、山高 昭訳)
絶対は崩壊の餌食であり、永遠は変質の餌食である。
(ミシェル・トゥルニエ『メテオール(気象)』第十章、榊原晃三・南條郁子訳)
最愛の人の不倫は食欲をそそる究極の前菜である。
(リチャード・コールダー『デッドボーイズ』第3章、増田まもる訳)
海水パンツをはいた姿などというのは、まったくの裸身でもなければ、ときおり悩ましくさえある衣服の独創的な言葉でもない。
(ミシェル・トゥルニエ『メテオール(気象)』第十三章、榊原晃三・南條郁子訳)
箱庭が小さければ小さいほど、その包括する世界は大きい。(…)風景が小さければ小さいほど、ますます強力な霊力が手に入る。
(ミシェル・トゥルニエ『メテオール(気象)』第十八章、榊原晃三・南條郁子訳)
最高の幸福は不幸の總元締、智彗の完成は愚鈍のもと。
(『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』人生論、杉浦明平訳)
人間でいるってことは、変てこなもんだ
(ルーディー・ラッカー『空を飛んだ少年』第三部・20、黒丸 尚訳)
個人的な好みに左右されるようなことには正しいもまちがいもない
(オースン・スコット・カード『神の熱い眠り』4、大森 望訳)
音楽や性行為、文学や芸術、それは今やすべて、楽しみの源ではなくて苦痛の源にされてしまってるんだね
(アントニイ・バージェス『時計じかけのオレンジ』3・4、乾 信一郎訳)
選択のできない人間というものは、人間であることをやめた人だよ
(アントニイ・バージェス『時計じかけのオレンジ』3・4、乾 信一郎訳)
ほかに選択の余地がないにもかかわらず、それがあるかのように行動して、その結果なにもかも失ってしまう人間が驚くほどたくさんいる。それもこれも、しなければならないことをするのに耐えられないからなんだよ
(オースン・スコット・カード『神の熱い眠り』5、大森 望訳)
神は、善良であることを望んでおられるのか、それとも善良であることの選択を望んでおられるのか? どうかして悪を選んだ人は、押しつけられた善を持っている人よりも、すぐれた人だろうか?
(アントニイ・バージェス『時計じかけのオレンジ』2・3、乾 信一郎訳)
聖書の著者は神である。
(トマス・アクィナス『神学大全』第一部・第一問・第一〇項、山田 晶訳)
「神を持ちだすなよ。話がこんぐらがってくる」
(キース・ロバーツ『ボールターのカナリア』中村 融訳)
あんた自身が神様を信じていれば、その言葉ももうちょっともっともらしく聞こえるだろうがね。
(ブライアン・オールディス『子供の消えた惑星』2、深町真理子訳)
神がいると、本当に信じているのですか?
(ジェイムズ・P・ホーガン『プロテウス・オペレーション』下巻・27、小隅 黎訳)
天国なんてないのよ
(チャールズ・プラット『バーチャライズド・マン』第二部・天国、大森 望訳)
パパは天国にいるっていったじゃない。
(チャールズ・プラット『バーチャライズド・マン』第二部・天国、大森 望訳)
単純にして明快な事実だよ。事実に対して動転する必要があるかね?
(チャールズ・プラット『バーチャライズド・マン』第一部・暗闇、大森 望訳)
そう、私は真実を要求した。しかし心の奥底で私が本当に欲望していたのは、驚異だったのだ。
(ミシェル・ジュリ『熱い太陽、深海魚』松浦寿輝訳)
しかし、人と近づきになる楽しみは、すべての楽しみがそうであるように、間違いなく確実な出費を要求した。
(A&B・ストルガツキー『世界終末十億年前』第二章、深見 弾訳)
微笑は、今の話を本気にする必要はないと語っていた。だが、信じたふりをしてくれれば嬉しいという含みも感じられた。
(ロバート・F・ヤング『たんぽぽ娘』伊藤典夫訳)
ところが、そのあいだに不思議なことが起こった。まるでふたつのからだがぴったりと触れあったことで通り道ができたかのように、新しい理解がジーンのもとに届いた。
(アンナ・カヴァン『愛の渇き』大谷真理子訳)
しかし、その真実は、はたして彼の知っているとおりなのだろうか。
(フレデリック・ブラウン『さあ、気ちがいになりなさい』2、星 新一訳)
ぼくは過去の食卓のうえに今この食前の祈りを繰り返す。
(ディラン・トマス『飼鳥が焼けた針金で』松田幸雄訳)
「聞いているかね、友よ?」
彼女は一語余さず聞いていたし、それぞれの語のあいだに広がる暗黒にも耳を澄ませていた。
(ロバート・リード『地球間ハイウェイ』第二部・ジュイ・1、伊藤典夫訳)
身をこがして光をふりそそぐ力がないならば、せめてそれをさえぎらないようにするがよい。
(トルストイ『ことばの日めくり』一月三日、小沼文彦訳)
神は愛そのものではない。愛は人間における神の現れの一つであるにすぎない。
(トルストイ『ことばの日めくり』五月二十四日、小沼文彦訳)
愛は二人だけのものである。たとえそれがつまらない、気取った、ばかげたものであっても、愛し合う二人だけのために愛は存在する。
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)
〈知性〉の第一の義務は自己に対する懐疑である。これは自己軽蔑とは別物だ。想像された森の中で道に迷うことは現実の森の中で道に迷うことより難しいが、それは前者が考えている者にこっそり手助けするからである。解釈学とは現実の森の中の迷宮庭園なのであって、それは森が見えなくなるような刈り込み方をされているのだ。諸君の解釈学は現実について夢想する。だが私が諸君に示そうとするのはさめた現実なのであって、肉が付き過ぎて、そのために信じるに足りないように見える現実なのではない。
(スタニスワフ・レム『虚数』GOLEM XIV、長谷見一訳)
諸君は人間とは〈知性〉であり、〈知性〉とは人間であると主張してやまないが、この等式の誤謬が諸君を盲目にしたのだ。
(スタニスワフ・レム『虚数』GOLEM XIV、長谷見一訳)
キャンディ
さっき買ったツナのおにぎりを
おれはコンビニの棚に戻し、隣に並んでいたおかかのおにぎりに替えた
レジの店員がおれを呼び止めた
おにぎりは全品100円のはずで
カネはすでに支払っていたし、同じ値段のものを交換しただけだ
万引きではない、店員はいったん
払い戻してから改めておかかのおにぎりをレジに通すと言った
何が売れて何が売れなかったのか
バーコードを機械に読み込ませる必要がある
おれは面倒くさかったのではない、店員に手間をかけさせたくなかったのだ
40後半にさしかかって、おれは働いたことがなかった、親が土地を売って金を残してくれたのだ
恥じていた。
金のために働きたくないおれが
金のために働くコンビニ店員に
手間をかけさせたくない
と思ったのは独善でしかなかったということだろう
だが、おれは
怒りをおさえられない、ツナとおかか、
ふたつの違いは
おれと店員
働かないおれと働いている店員の違い
より重要だというのだ
おれと店員が入れ替わってもフランチャイズは気にしない
しかし、ツナとおかかは入れ替わるたびにおれか店員かのどちらかが
バーコードを読まねばならない
店員がおれを見ている
おれは店員を見ることができず、視線を落としたまま、一歩
レジに向かって踏み出した
おれはおかかをカウンターに差し出そうとした、そして店員は言った
私たちが管理しているのは商品ではありません
さっきまでツナを食べたかったお客様がふと、おかかを食べたくなった
その気持ちを
大事に
記録させてもらっています
ピ!
店員はバーコードを読み取ったおかかのおにぎりをおれに渡した
管理こそ、愛
おれは働くことになるだろう
詩の日めくり 二〇一六年八月一日─三十一日
二〇一六年八月一日 「胎児」
自分は姿を見せずにあらゆる生き物を知る、これぞ神の特権ではなかろうか?
(ミシェル・トゥルニエ『メテオール(気象)』榊原晃三・南條郁子訳)
二〇一六年八月二日 「胎児」
神の手にこねられる粘土のように
わたしをこねくりまわしているのは、だれなのか?
いったい、わたしを胎のなかで
数十世紀にもわたって、こねくりまわしているのは、だれなのか?
また、胎のなかで
数十世紀にもわたって、こねくりまわされているわたしは、だれなのか?
それは、わからない。
わたしは、人間ではないのかもしれない。
この胎は
人間のものではないのかもしれない。
しかし、この胎の持ち主は
自分のことを人間だと思っているようだ。
夫というものに、妻と呼ばれ
多くの他人からは、夫人と呼ばれ
親からは、娘と呼ばれ
子たちからは、母と呼ばれているのであった。
しかし、それもみな、言葉だ。
言葉とはなにか?
わたしは、知らない。
この胎の持ち主もよく知らないようだ。
詩人というものらしいこの胎の持ち主は
しじゅう、言葉について考えている。
まるきり言葉だけで考えていると考えているときもあるし
言葉以外のもので考えがまとまるときもあると思っているようだ。
この物語は
数十世紀を胎児の状態で過ごしつづけているわたしの物語であり
数十世紀にわたって、
わたしを胎内に宿しているものの物語であり
言葉と
神の物語である。
二〇一六年八月三日 「胎児」
時間とは、なにか?
時間とは、この胎の持ち主にとっては
なにかをすることのできるもののある尺度である。
なにかをすることについて考えるときに思い起こされる言葉である。
この胎の持ち主は、しじゅう、時間について考えている。
時間がない。
時間がある。
時間がより多くかかる。
時間が足りない。
時間がきた。
時間がまだある。
時間がたっぷりとある。
いったい、時間とは、なにか?
わたしは知らない。
この胎の持ち主も、時間そのものについて
しばしば思いをめぐらせる。
そして、なんなのだろう? と自問するのだ。
この胎の持ち主にも、わからないらしい。
それでも、時間がないと思い
時間があると思うのだ。
時間とは、なにか?
言葉にしかすぎないものなのではなかろうか?
言葉とは、なにか?
わからないのだけれど。
二〇一六年八月四日 「胎児」
わたしは、わたしが胎というもののなかにいることを
いつ知ったのか、語ることができない。
そして、わたしのいる場所が
ほんとうに、胎というものであるのかどうか確かめようもない。
そうして、そもそものところ
わたしが存在しているのかどうかさえ確かめようがないのだ。
そういえば、この胎の持ち主は、こんなことを考えたことがある。
意識とは、なにか?
それを意識が知ることはできない、と。
なぜなら、袋の中身が
袋の外から自分自身を眺めることができないからである、と。
しかし、この胎の持ち主は、ときおりこの考え方を自ら否定することがある。
袋の中身が、袋の外から自分自身を眺めることができないと考えることが
たんなる言葉で考えたものの限界であり
言葉そのものの限界にしかすぎないのだ、と。
そして、
言葉でないものについて、
この胎の持ち主は言葉によって考えようとする。
そうして、自分自身を、しじゅう痛めつけているのだ。
言葉とは、なにか?
それは、この胎の持ち主にも、わたしにはわからない。
二〇一六年八月五日 「胎児」
生きている人間のだれよりも多くのことを知っている
このわたしは、まだ生まれてもいない。
無数の声を聞くことができるわたしは
まだわたしの耳で声そのものを聞いたことがない。
無数のものを見ることができるわたしは
まだわたしの目そのもので、ものを見たことがない。
無数のものに触れてきたわたしなのだが
そのわたしに手があるのかどうかもわからない。
無数の場所に立ち、無数の街を、丘を、森を、海を見下ろし
無数の場所を歩き、走り跳び回ったわたしだが
そのわたしに足があるのかどうかもわからない。
無数の言葉が結ばれ、解かれる時と場所であるわたしだが
そのわたしが存在するのかどうかもわからない。
そもそも、存在というものそのものが
言葉にしかすぎないかもしれないのだが。
その言葉が、なにか?
それも、わたしにはわからないのだが。
二〇一六年八月六日 「胎児」
数学で扱う「点」とは
その言葉自体は定義できないものである。
他の定義された言葉から
準定義される言葉である。
たとえば線と線の交点のように。
しかし、その線がなにからできているのかを
想像することができるだろうか?
胎児もまた
父と母の交点であると考えることができる。
しかし、その父と、母が、
そもそものところ、なにからできているのかを
想像することができるだろうか?
無限後退していくしかないではないか?
あらゆることについて考えをめぐらせるときと同じように。
二〇一六年八月七日 「胎児」
この胎の持ち主は、ときどき酩酊する。
そして意識が朦朧としたときに
ときおり閃光のようなものが
その脳髄にきらめくことがあるようだ。
つねづね
意識は、意識そのものを知ることはできない、と。
なぜなら、袋の中身が、袋の外から袋を眺めることができないからであると
この胎の持ち主は考えていたのだけれど
いま床に就き、意識を失う瞬間に
このような考えが、この胎の持ち主の脳髄にひらめいたのである。
地球が丸いと知ったギリシア人がいたわ。
かのギリシア人は、はるか彼方の水平線の向こうから近づいてくる
船が、船の上の部分から徐々に姿を現わすのを見て、そう考えたのよ。
空の星の動きを見て、地球を中心に宇宙が回転しているのではなくて
太陽を中心にして、地球をふくめた諸惑星が回転しているのだと
考えたギリシア人もいたわ。
これらは、意識が、意識について
すべてではないけれど
ある程度の理解ができるということを示唆しているのではないかしら?
わからないわ。
ああ、眠い。
書き留めておかなくてもいいかしら?
忘れないわね。
忘れないわ。
そうしているうちに、この胎の持ち主の頭脳から
言葉と言葉を結びつけていた力がよわまって
つぎつぎと言葉が解けていき
この胎の持ち主は、意識を失ったのであった。
二〇一六年八月八日 「胎児」
わたしは、つねに逆さまになって考える。
頭が重すぎるのだろうか。
いや、身体のほうが軽すぎるのだ。
しかし、わたしは逆さまになっているというのに
なぜ母胎は逆さまにならないでいるのだろう。
なぜ、倒立して、腕で歩かないのだろうか。
わたしが逆さまになっているのが自然なことであるならば
母胎が逆さまになっていないことは不自然なことである。
違うだろうか。
二〇一六年八月九日 「チェンジ・ザ・ネーム」
アンナ・ヴァンの新作が出るらしい。コンプリートに集めてる作家なので買うと思うけど、ハヤカワから出るコードウェイナー・スミス全短篇の2作目は、すべて既読なのだが、せめて、まだ訳してないのを1作でも入れておいてほしかった。バラード全短篇集など、創元は出してほしくない。読んだのばっか。
アン・レッキーのレベルの作家は、そうそういないと思うけれど、SFかミステリーにしか、ほとんど未来の文学はないと思うので、ハヤカワ、創元、国書にはがんばってほしい。
二〇一六年八月十日 「詩は個人の文学である」
ぼく自身は、もうぼくのことについてしか書かないので、ぼくの詩は、個人の文学だと思っている。そして、もう個人の文学しか、詩にはないと思っているのだが、30代から、そう思って書いているのだが、そう、もう、だれも個人には興味がないのだった。まあ、それでいいと思うけれど。
二〇一六年八月十一日 「現代詩文庫」
ぼくの知らない名前のひとのものが『現代詩文庫』にたくさん入ってる。もう何人もそうなんだけど、ずいぶん以前から、そんな文庫には意味があるとは思えなくなっていた。思潮社、どういう編集方針なんだろう?
二〇一六年八月十二日 「世界は滅びなくてよい。」
日知庵でも、かわいい男の子(31歳)と話をしていたけど、世のなかにかわいい男の子がいるかぎり、世界は滅びなくてよい。
アレナスもペソアも47歳で死んでいる。47年組なんやね。ぼくは、47歳までに、よい詩を書いたかと自分に問えば、どうだったかなと答えるしかない。その齢に応じたよいものを書いてきたと思っているから。昨年、思潮社オンデマンドから出た『全行引用詩・五部作・上巻』とその下巻がいまのところ、ぼくの最高傑作だ。
きょうは日知庵でバイトだったのだけれど、だいぶ飲んできた。バイト中にもお客さんからビールを3杯いただいて飲んだけど、バイト上がりにも1杯飲んだ。タバコ吸ったら、クスリのんで寝よう。鏡みたら、顔がゾンビだった。まあ、もともとゾンビ系の顔をしてるけれども。
二〇一六年八月十三日 「芸術」
人間が生きるためには、芸術などは必要のないものの最たるものの一つであろう。しかし、芸術がなければ、人間が人間である必要のないものの最たるものの一つである。
二〇一六年八月十四日 「まだウンコみたいな詩を書いてるの?」
何年か前、ヤリタミサコさんの朗読会でお会いしたときに、平居 謙さんから、こう言われたことが思い出された。「まだウンコみたいな詩を書いてるの?」 そのときのぼくの返事、「まだウンコみたいな詩を書いてますよ。」 「ウ」じゃなくて、「チ」か「マ」だったら、最高の褒め言葉だったんだろうな。
二〇一六年八月十五日 「人間自体がもっともすばらしい芸術作品なのだ」
人間自体がもっともすばらしい芸術作品なのに、なぜ人間以外の芸術作品を求めてやまないのか。
恋をしているときに、なぜ、ぼくは、それがうつくしい芸術作品の一つだと思わなかったのだろうか。恋が終わってからしか、そのときのことが書けないのは、ぼくが、その恋を作品として見ていなかったからだろうけれど、いまから思うと、もったいないことをしたなあと思う。うん? そうじゃないのかな?
二〇一六年八月十六日 「字数制限」
俳句や短歌が文芸作品であるのは、用いられる語の音節数の制限があるからである。道路に制限速度があるように、詩にも制限語数というのがあってもよいのかもしれない。まあ、ぼくなんかは、違反ばかりしているだろうけれども。
二〇一六年八月十七日 「偶然」
偶然が怖いけれど、偶然がないのも怖い。
いま日知庵から帰ってきた。日知庵に行くまえに、ジュンク堂で新刊本を5冊買った。合計9000円ほど。アンナ・カヴァンの『鷲の巣』、『チェンジ・ザ・ネーム』そして、彼女の短篇が入っている『居心地の悪い部屋』、コードウェイナー・スミスの全短篇集・第二巻の『アルファ・ラルファ大通り』、ハーラン・エリスンの短篇集『死の鳥』である。いったい、いつ読むのかわからないけれど、いちおう、これらを買っておいた。そういえば、カヴァンをイギリス文学の棚で探していたが見つからず、ジュンク堂の店員に訊いたら、フランス文学の棚に並べられていた。 「アンナ・カヴァンはイギリスの作家ですよ。」と言うと、「あとで確認しておきます。」という返事が返ってきた。いや〜、びっくりした。どこで、どうなって、フランス文学の棚に行ったのか知らないけれど、商品については知っとけよ、と、こころのなかでつぶやいた。
きのう、寝るまえに、『恐怖の愉しみ』上巻のさいしょの作品を読んで、つぎの作品の途中で寝てしまった。
二〇一六年八月十八日 「図書館の掟。」
けさ、つぎにぼくが上梓する思潮社オンデマンド詩集『図書館の掟。』のゲラが届いた。やらなければならないことがたくさんあるのだけれど、このゲラチェックを最優先しよう。350ページ分のゲラチェックである。何日でできるかな。
詩集『みんな、きみのことが好きだった。』が、書肆ブンより復刊されることになりました。すべての先駆形の詩が収載されます。(思潮社オンデマンドから既発売の『ゲイ・ポエムズ』、『まるちゃんのサンドイッチ詩、その他の詩篇』、来年発売予定の『図書館の掟。』に分載されているものすべてを含む)きょう、再刊の話をいただいたところで、いつごろ発売になるのか、わかりませんが、ぼくが30代の後半から40代の初めまでに書いた、すべての先駆形の詩を収録する予定です。『ゲイ・ポエムズ』(思潮社オンデマンド)とともに、ぼくのベスト詩集になると思います。電子データのない作品があって、その打ち込みで、●詩の長篇の散文があって、しかも、その●詩が全行引用詩でもあるので、本文5ページ・参考文献、超小さい字で5ページを打ち込まなければならず、めっちゃ憂鬱でしたが、あらためて自分の詩を読んで、へえ、こんなの書いてたのとか思ったりしてます。
●詩の散文詩の全行引用詩の本文の打ち込みが終わった。参考文献のところは一日では終わりそうにないけれど、いまではもう読んだ記憶のない本がいっぱいあって、そういう興味でもって眺めながら、あしたから打ち込んで行こうと思う。しんど〜。
二〇一六年八月十九日 「全行引用詩・五部作・序詩」
澤あづささんが、ぼくの『全行引用詩・五部作・序詩』を、ご紹介くださっておられます。新作です。ぼくの望んでいた通りの理想的なレイアウトで、ご紹介くださってます。こころから感謝しております。
こちら→http://netpoetry.blog.fc2.com/blog-entry-17.html
二〇一六年八月二十日 「福武くん」
いま日知庵から帰った。日知庵では、Fくん(31歳のぽっちゃりしたかわいい男の子)と、プログレ、カルメン・マキ、ビートルズの話で盛り上がった。いっしょにカラオケしたかったなあ。こんど誘ってみよう。
二〇一六年八月二十一日 「しんどかった〜。」
やったー。あと数日は確実にかかると思っていた●詩の参考文献の打ち込みが終わった。朝の9時からこの時間までのぼくの集中力は半端じゃなかった。孤独な作業だったけれど、すべての芸術行為が孤独なのであった。ひとりでお祝いをするために、これからスーパーに行って、お酒を買ってきて飲もうっと。
ヱビスビールを飲んでいる。BGMは、2、3日まえに、Fくんにすすめた「四人囃子」の『ゴールデン・ピクニックス』である。日本でさいこうのプログレバンドだった。1曲目はとばして聴いたほうがいいと思うけど、ぼくはとばさずに聴いてる。いまかかってるのは「泳ぐなネッシー」 プログレである。
クリムゾンの『ディシプリン』にかけ替えた。脳みその半分がビールのような気がする。錯覚だろうけど。
あしたは神経科医院に。ここ数日の平均睡眠時間が極端に短い。神経症がひどくなっているのかもしれない。クスリをかえてもらう頃合いなのかもしれない。いまのんでるクスリ、さいしょはのんで数分で気絶する勢いで眠ったけれど、いまじゃ眠るまでに1時間以上かかってしまっているものね。
プリンスの『MUSICOLOGY』にかけ替えた。「CALL MY NAME」のすばらしさ。プリンスはやっぱり天才だった。
ぼくは自分の詩のタイトルに、海外アーティストの作品の曲名をつけることが多いのだけれど、「DESIRE。」の出所がようやくいまわかった。ツエッペリンだった。コーダに入ってたから、長いあいだわからなかったのだった。手放したCDだったから。これで、タイトルの出所のわからないものがなくなった。
二〇一六年八月二十二日 「きょう何年かぶりかで」
きょう何年かぶりかで痴漢された。数年まえに痴漢されたときは、タイプの若い男の子だったから、うれしかったけど、きょうは、ぼくよりおっさんだったから厭だった。
きょう何年かぶりかで置換された。数年まえに置換されたときは、タイプの若い男の子だったから、うれしかったけど、きょうは、ぼくよりおっさんだったから厭だった。
二〇一六年八月二十三日 「鈴木さんご夫妻」
いま日知庵から帰った。Sさんご夫妻と遭遇。そこで、ぼくの出自の半分が判明した。ぼくは半分、高知で、半分、兵庫だったのだ。ずっと半分、京都人だと思っていたのだけれど。丹波の笹山が京都だと思っていたのだった。55歳まで。
こんど思潮社オンデマンドから出る『図書館の掟。』のゲラチェックばかりで、本が読めていない。きょうは寝るまえに、なにか読もう。ぼくは詩をつくるために生まれてきたんじゃなくて、人生を楽しむために生まれてきたのだ。人間との出合いが、いちばん楽しいけれど、読書は2番目に楽しい。あ、2番目は、お酒かも、笑。
チューブでよい曲を聴くために Swings の曲をクリックしたら、いきなり不愉快なCMが出てきて、ああ、人生もそうだけど、ほんと、しょうがないなと思った。
きょう、夜の10時ころに日知庵に行くときに、河原町を歩いてた女の子が、隣の女の子に、「ちゅーしたい〜。」というと、「してもいいよ〜。」と言って、道端で歩きながら、ちゅーしてたのだけれど、20代前半の学生かな、OLかな。わからへんけど、めっちゃいいものを見たような気がした。得々〜。
二〇一六年八月二十四日 「図書館の掟。ゲラチェック終了。」
ブレッズプラスで、こんど思潮社から出る『図書館の掟。』のゲラチェックをすまして、いま郵便局から思潮社の編集長の〓木真丈さん宛にお送りした。あさってに到着する予定だ。で、部屋に戻ると、さっそく、書肆ブンの大谷良太くんから、こんど復刊する『みんな、きみのことが好きだった。』のゲラが。ゲラチェックの地獄はつづくのである。ワード原稿でゲラがきたので、ぼくがプリントアウトしなければならない。これからA4のコピー紙を買いに行こう。
これから書肆ブンから復刊する『みんな、きみのことが好きだった。』の電子データをプリントアウトする。240ページである。まあ、ぼくの詩集では、短いほうである。ぼくの詩集は300ページがあたりまえのようになっている。もちろん、この先に出る予定のものはみな300ページ超えてるのだ、呪。
バッジーを聴きながらプリントアウトをしている。
二〇一六年八月二十五日 「きょうも、ゲラチェック終了。」
書肆ブンから復刊する『みんな、きみのことが好きだった。』のゲラチェックをしたものを、いま郵便局から、大谷良太くんに送った。これで、しばらくは、といっても、数週間から1か月くらいは再校のゲラチェックはこないはずだ。ふう。ようやく、9月に文学極道に投稿する作品に取り組むことができる。
ぼくの『全行引用による自伝詩。』を詩集にするときには、女性の知り合いに表紙になってもらおうかなと思っている。同じタイトルで何冊も出すと思うけれど、すべての詩集において違う女性に表紙になってもらおうかなと思う。「自伝」に他人のしかも異性の画像を使うのは、世界でも、ぼくくらいだろう。
こんど思潮社オンデマンドから出る『図書館の掟。』の表紙デザインができあがって、送っていただいたのだけれど、ぼくの詩集のなかでも、もっともポップで大胆なものになっていると思う。ぼくのつぎのつぎのつぎの詩集はまだ表紙を決めていないけれど、人間の顔がいちばん興味深い。
そだ。こんど書肆ブンから復刊する『みんな、きみのことが好きだった。』も320ページをこえていたのだった。ゲラは240枚で済んだのだけれど。
二〇一六年八月二十六日 「ネギは、滅びればいい。」
いま日知庵から帰ってきた。きょうも、来られた方と楽しくお話しできたし、おいしいお酒も飲めて、うれしい。ネギは、滅びればいいと思っているけれども。
二〇一六年八月二十七日 「あれはゲラじゃなくって、」
イーオンで中華弁当を、セブイレで麦茶を買ってきた。きのう、新しい『全行引用による自伝詩。』の引用をだいたい決めた。きょう、塾にいくまえに完璧に選んでおくつもりだ。打ち込みが地獄になるほどの引用量なのだが、いつものことだ。がんばる。
ブレッズプラスでルーズリーフを眺めていたら、8月に文学極道に投稿した『全行引用による自伝詩。』に、ぜひ追加したいものがあったので、これから投稿した作品を書き改めようと思う。きょうは、そのあと、髭を剃って、頭の毛を刈って、お風呂に入って塾に行こう。
物がいつ物でなくなるのだろうか?(ロジャー・ゼラズニイ&フレッド・セイバーヘイゲン『コイルズ』14、岡部弘之訳)
けっきょく、ワードいじってたら、こんな時間に。ヒゲを剃ったり、頭の毛を刈ったりできなかった。しかも、ワード直しが不完全に終わらせなければならなかったし。これからお風呂に。それから塾に。
いま日知庵から帰った。帰ってFB見たら、元アイドルの方から友だち承認がきてて、びっくり。ぼくとアイドルのつながりなんて、まえに付き合ってた青年が作曲家で、アイドルの曲をつくってたくらいだから、なんでかなと、はて〜。でも、もちろん、承認した。なんのつながりなんだろう。おもしろ〜い。
その方のページにとんで、お顔を見たら、おかわいいので、二度目のびっくり。なんのつながりかは、まったく不明。でも、天然のかわいらしさをそなえてらっしゃる方みたいで、よかった。人間の世界って、おもしろいね。どこで、どうつながるのか、まったくわからない。
きょう、大谷良太くんに、「ゲラ直し、届いた?」って訊くと、「届きましたよ。でも、あれはゲラじゃなくて、まだワード原稿の段階ですよ。」と言われて、なるほどと思った。そっか。ゲラは、出来上がりまえのものを言うんだね。というところで、詩集を出して20年以上になるが、まだ知識不足だった。
あしたはビアガーデンだ。あしたで夏休みが終わった感じがある。月曜から、文学極道の詩投稿欄に投稿する新しい『全行引用による自伝詩。』のワード原稿の打ち込みをする。膨大な量なので、何年かかるかわからないけれど、やることにした。1000枚以上のルーズリーフ、100分の1は打ち込みたい。
二〇一六年八月二十八日 「天罰」
もうちょっとで持ってるCDを買うところだった。デヴィッド・ボウイ、けっこう揃えていたのだ。ひさしぶりに、『Station To Station』が聴きたくなって。アルバム的には、『ダイヤモンドの犬』がいちばん好きかな。やっぱ、プログレ系になってしまう。
いま、Hyukoh のCDを買った。15000円だった。2014年の秋に出た新品を保管していたものらしい。もうしばらくCDは買わないでおこう。2BICのも、さっき2枚買った。ああ、amazon なんかなければいいのに〜。あ、そしたら自分の詩集も売れないか、笑。うううん。
Hyukoh のCDは、しょっちゅうチェックしていたから買えたのだけれど。届いたって、どうせ数日で飽きちゃうんだろうな。部屋にあるCDの棚を見て、ふと、そう思った。まあ、いいか。
Hykoh もう1枚、CDを出してたみたいで、そちらも買った。それも15000円した。もうね、ファンだからね。仕方ないよね。ぼくはね、もうね、バカだからね〜、ああ、amazon なんかなくなればいいのに。いや、なくなったら、さっきも書いたけど、自分の詩集が売れない。ふにゃ〜。
Hyukoh さいしょに買ったのはアルバムで、つぎに買ったのは、アルバムに先だって発売されたEPらしくって、2曲ダブルらしい。まあ、いいけどね。CD、4枚で、合計 33600円以上もした。まあ、本だって、過去に、1冊 50000円くらいの買っちゃったことがあるけどね。ううん。
でも、まあ、いいや。欲しかったものだから。そろそろクスリのんで寝る。おやすみ、グッジョブ!
あ、さいしょに買ったのが、アルバムだったけど、それは2015年に出たものらしい。あとで買ったのが EPで、2014年に出たものらしい。ぼくのツイート、5つか、6つまえの情報が間違ってた。まあ、2つとも手に入ったから、いいんだけどね。あ、クスリのまなきゃ。二度目のおやすみ。
あ、ぼくの出身中学の弥栄中学が廃校になってたことを、きょう知った。よい思い出は、悪い思い出よりはるかに少ないけど、というのは、運動のできないデブだったからで、めっちゃいじめられっ子だったから、殴られたり蹴られたりばかりしていた思い出があって、ああ、でも、廃校か。ちょっとさびしい。
高校に入って柔道部に入ったけど、中学では理科部だった。高校に入ってから身長が伸びたけど、中学では前から数えたほうがはやかったくらいの身長だった。で、デブだったので、いじめっ子たちの標的だったのだ。思いっきり空中両足蹴りをされたことがある。ぼくがサッカーで動きがすごく鈍かったとき。
神さまは、みんな、ごらんになっておられるので、連中には天罰がくだってると思うけれど、ぼく自体は、彼らに天罰がくだることは願っていない。天罰がくだるのは神さまが設定された宇宙の摂理であたりまえのことだからである。
2年まえに、ぼくにLGBT差別したアメリカ人の男が、昨年、アメリカに帰って心筋梗塞で亡くなった。まあ、こういう天罰なんかじゃないのかな。神さまは、みんなごらんになっておられるのだ。おもしろいことに、この男自体がゲイだったのだ。ぼくはオープンリーのゲイだから、差別したのだろうけど。
いま、きみや主催のビアガーデンから帰ってきた。おなかいっぱい。じつはビアガーデンに行くまえに、森崎さんとごいっしょに、アイリッシュ・バーで、ビールを飲んでいた。どんだけヒマジンやねん、という感じ。
あしたから、文学極道の詩投稿掲示板に投稿する新しい『全行引用による自伝詩。』をワードに打ち込んでいくけど、きょうのうちに、打ち込む順番を決めておこう。けっきょく、語の選択と配列しかないのだ。言語表現には。
ネットで曲数とか調べたら、きのう買った Hyokuoh のCD、2枚ともEPみたいで、どちらも、6曲ずつの収録作らしい。到着したら、正確にわかるけれど、まだ到着していないので、ネットでの情報だけだから、わからないけれど。
基本的には、天才的な書き手のものしか引用していないので、ルーズリーフを並べ直しているだけで、脳機能が励起されているような気がする。日本人の詩人や作家の文章では脳機能が励起されないのは、単なるぼくの好みだけではないようなものがあるような気がする。ぼく自体が日本人的ではないのかもね。
二〇一六年八月二十九日 「こころのない子ども。こころのない親。」
こころのない子ども。こころのない親。こころのない教師。こころのない生徒。こころのない医師。こころのない患者。こころのない上司。こころのない部下。こころのない男の子。こころのない女の子。こころのない男の子でもあり女の子でもある子。こころのない男の子でもなく女の子でもない子。楽な世界かもしれない。こころがあると面倒だものね。でも、面倒だから、ひとは工夫する。こころがあると痛いものね。でも、痛いから、痛さから逃れる工夫をする。こころがあると、こころが折れる。でも、こころが折れるから、折れたこころを癒してくれるものを求めるのだ。
もう順番を決めた。あとは打ち込むだけ。この打ち込み予定のペースだと、『全行引用による自伝詩。』の文学極道の詩投稿欄への投稿には、確実に10年以上はかかりそう。まあ、いいや。
Fくんのツイートを見て、自分もカップ麺が食べたくなったのだけれど、やめておこう。寝るまえの読書は、なし。ルーズリーフを眺めながら、よりよい順番になるかどうか考えながら寝よう。おやすみ、グッジョブ!
あかん。欲望には忠実なぼくやった。これからセブイレに行って、カップ麺を買ってきて食べようっと。まだクスリのんでなくて、よかった。
大盛の天ぷらそばを食べた。
FB見てたら、ある詩人が「えらくなって自作解説したい」と書いていて、びっくりした。詩人って「えらくなる」ことのできるものなのかしら? ぼくなら、ぜったい、えらくなりたくないけどなあ。そんなん思うてるひと、詩人とちゃうやん。と思ってしまった。こわいなあ。詩でえらくなるという考え方。
詩なんて、ただの言葉遊びで、せいぜい、ものごとを見るときのフィルターになるくらいで、詩を書いたからって、それで、えらくなったり、逆に、えらくならなかったりするものなんかじゃないと思うんだけどなあ。ぼくと同じくらいの齢の詩人だったけど、ほんと、しょうもないひとやなあと思った。
ぼくの詩歴について嘘っぱちを書いてる者が、「ネット詩の歴史」というタイトルのHPをつくっている。調べもせずに、間違った知識で書いていたのだ。こんな者の書いた「ネット詩の歴史」なんてHPには嘘がいっぱいなんじゃないか。嘘をばらまくなよ。間違った知識というか、思い込みかな。しかし、調べもせずに、ひとの詩歴をでっちあげるっていうのは、どういう神経しているのだろう。そして、それをネット上の詩投稿掲示板に書き込んでいたのだ。だれでも見れるところに嘘を書き込む神経って、なに?
二〇一六年八月三十日 「きょうはずっと雨だった。」
きょうはずっと雨だった。塾が休みなので、部屋にいた。外に出たのは、コンビニに2回行ったくらいかな。きょうは酒も飲まず、タバコも吸わず、禁欲的な一日だった。ワードの打ち込みがA4で5ページというのが、ちょっとくやしいけれど。きょうは、はやく寝れるかな。クスリのんで寝よう。おやすみ。
けさ、4枚のCDが到着した。2枚で30000円した Hyukoh のもののほうは大したことがなかった。あとの1600円ほどのと2000円ほどの 2 BiC のもののほうがよい。まあ、たいてい、そんなもの。
うわ〜。2BiC の Unforgettable を聴いてたら、涙が出てきちゃったよ〜。You are unforgettable to me. というのだ。ぼくにも、そういう子がいたのだと思うと、涙が出てきちゃった〜。
きょうも朝から、ワードA4に5ページ、打ち込んだので、『全行引用による自伝詩。』の打ち込みは、きょうは、これでやめて、ちょっと休憩しよう。6時半にお風呂に入ったら、塾へ行こう。
いま日知庵から帰ってきた。きょうもヨッパ〜。かなり、ベロンベロンである。服を着替えて、クスリのんで寝る。おやすみ、グッジョブ!
それにしても、夏休みは、毎日が日知庵帰りだったなあ。
二〇一六年八月三十一日 「嘔吐、愛してるよ。」
サルトルの『嘔吐』とは認識の嘔吐だと思っていたが、もしかしたら、自己嫌悪の嘔吐かもしれない。
愛してるよ。愛されていないのは知ってるけど。ブヒッ。
ケレケレのはなし
フィジーの村落には未だにケレケレと呼ばれる文化というか風習みたいなのが残っていて
、ようするに、フィジーでは、わたしのものはあなたのもの、あなたのものはわたしのも
の、というふうに所有の観念が希薄なのです。だから、もしここがフィジーだとしたら、
わたしはあなたのカバンを勝手に開けて、あなたのハンカチで鼻をかんでもいいし、あな
たはあなたで、わたしの財布を勝手に開けて、わたしのクレジットカードであなたの好き
なマウンテンバイクを、15回払いだかリボ払いだかで買ってみたところで、別段、わた
しには怒る権利なんかないのです。だって、わたしのクレジットカードはわたしのものか
どうか分からないわけでーーー
実際、わたしがフィジーでホームステイしていたときは、ホームステイ先のお母さんがわ
たしのバックパックを勝手に開けて、電池とか小銭とかをわたしの許可なく使ったりして
いたし、それって泥棒じゃないのって、あなたはたぶん思うんだろうけど、フィジー的に
は、というか、わたしからしても、それはぜんぜん、泥棒なんかじゃなくて、小銭は減る
けどお札は減らないのです。わたしの持っているものが誰のものなのか自明ではないので
、ようすれば、わたしのお金はホームステイ先のお母さんのものなのかもしれなくて、自
分のものなのかもしれないものを無駄遣いなんてしません。だから、電池だって、律儀に
ちゃんと一本ずつ減っていくし、お金もちゃんと3フィジードルずつくらい減っていくに
過ぎないのです。あなたがわたしのシャンプーを勝手に使ったりするのと、大差ないと思
うんだけどーーー
と、書いていて気付いたんですが、自分のものかもしれないから、大事に使うのか、他人
のものかもしれないから、大事に使うのか、わたしにはよく分からなくなってきました。
わたしも、ホームステイ先に置いてある細々した日用品とか、ホームステイ先のティキっ
ていう名前の娘さんが持っているスルっていう民族衣装とか、勝手に使ってたけど、自分
のものだと思ってたのか、やっぱり他人のものだと思ってたのかよく分からないけど、べ
つに無駄遣いはしていませんでした。でも、やっぱり、完全に自分のものだと分かってい
るときと比べて、使い方はちょっと荒かったかもしれません。もし壊したり無くしたりし
ても、わたしの持ってる日本円の額からしたら、すぐに新しいものを買って返せるしって
いうおごりもやっぱしあったかもしれなくてーーー
一回、ティキに、わたしのオーデパルファムをケレケレされたことがあって、それはわた
しが20歳の記念に買ったサンタ・マリア・ノヴェッラの1本が1万5千円くらいする高
級品で、大事に大事にちょっとずつ使ってたやつなのに、気づいたら瓶の半分くらい勝手
に使われてしまってたから、なんでそんなことするんだろうって、ちょっと本気で気持ち
が怒ってしまった。それで、それわたしのものだし、すごく大事にしているやつだし、高
いものでもあるから、いきなし半分も減るなんておかしい、勝手に変な使い方しないでっ
て涙目になって怒ったらーーー
あなたが、この家にあるものどれを使っても/わたしは絶対怒らないのに/どうして、わたしがあなたのものを使ったら/あなたはわたしに怒るの/って返されてわたし答えられなかったんです/
あなたのものは誰かから貰ったものばかりだけど/わたしのものはわたしががんばって働いて貯めたお金で買ったものだから/ちょっとだけなら使っていいけど/勝手に半分も使うなんておかしいよって言おうとしたのだけど/
わたしががんばって働いても/その香水買うことなんてできないし/そんなにいい匂いのする香水、どこで売っているのかも分からない/街まで出て/空港まで行って/そしたら買えるのかもしれないけど/
でも、やっぱりわたしががんばっても/お母さんに頼んでも/空港まで行けるバス代はもらえるかもしれないけど/そんなにいい匂いの香水/ジャスミンの甘い香りがするその香水/わたしには絶対買えないと思うし/
どうして、わたしはがんばっても手に入らなくて/あなたはがんばったら手に入るのに/あなたは分けようとはしないの/
それに、わたし半分しか使ってないし/あなたの分の半分、ちゃんと残してあるのに/なんでそんなに怒るのって、わたしの頭の中で、反論がぐるぐる回りだして/
でもわたし、がんばってこれを買うためにバイトしたんだよ、ファミリーレストランの時給850円で /学費払って/寮費払って/旅行のために貯金して/残ったお金を貯めてがんばったんだよって脳内で反論したら/
わたしだったら、それを買うためにがんばったりなんかしない/とてもいい匂いのする香水だと思うけど/おばあちゃんの家に撒いたら、みんなすごく喜んだけど/それを買うために働いたりなんかしないし/働いたところで、がんばったって思ったりなんかしない/
どうして、あなたは香水のために、がんばったり、怒ったりできるの/わたしには買えないけど、あなたの国ではみんな香水持ってるんでしょう/誰かが持ってる香水、半分貰えばいいのにって違う種類の反論がぐるぐる回りだして/
もういいや、高かったけど/大事にしてたけど/わたしきっと何か勘違いしてしまってるんだ/何がおかしいのかよく分からないけど/ここで怒ることは恥ずかしいことなんだって思って/
このオーデパルファム全部使ってください/このお家に置いてもらって/キャッサバとかタロ芋とかたくさん食べさせてもらってるのに/わたし謝りたいんですって決心したら/ごめんねあなたの大切にしてるもの勝手に使って/わたしにとっては大したことじゃないんだけどって、ティキがわたしに綺麗な首飾りをくれましたーーー
その首飾りを
あなたに
渡したいんです
わたしのもの
すべて
あなたが
どんなふうに
使っても
あなたが
すぐに
捨ててしまっても
あなたのもの
が
わたしのもの
でなくても
わたしのもの
が
あなたのもの
でなくても
わたしのもの
が
わたしのもの
でしか
なかったことを
いま 悲しく感じているのでーーー
2010年をころせない
夜が明けたら
残ったのは希望と書かれた使用済み切符
それ一枚っきりだったので
あのひとの憧憬が冷たい男性か
あたたかい女性かも
冷たい女性であったか
あたたかい男性であったかも
もう一度見ただけで全く忘れてしまいたくなりそうで
頭の、頁はさらさらと秋の打ちくる水へ滴らせつつ
にも似た、いいえ、もっと暗い方法だって使って
しまいに
泣いてしまったのです
びくつく
びくつく
という言葉が固まりびっこってるので
こころが正確、歩けるように語ったらば
あなたは
まるでわたしが手の上であなたの心臓を転がしたように
ゾッ、としてしまい
ついに即座さっさと歩いて
店を出てしまいました
ナップ・サックから「裸のランチ」を取出すと
確かに
最初の章のおわり
ジェーンは死んだ
と記述されていましたが
それがその行の
少し前
マリファナ信奉者によってか、は、
あの独特な匂い
それを匂わせつつ記述されていないことが
とても良いことのように思えてなりませんでした
確認を終えると
ホットコーヒー二杯分の料金が支払い済みだったことに
ハッ、と驚き
私は走って店の外へ出て
あなたがいないか
一応、捜すよう街路に目を配ったのですが
もちろん
あなたの姿はありませんでした
しかし
なぜ
あなた、も
神さえも見ていないだろうと
否
そのとき頭の中
神様のことなんて
一切
なかったのに
どうして店を出て
あなたを捜すふり
なんてしてしまったのでしょう
駅で
東京では人身事故に寄る電車の発着遅延が
日常の内であることを確認し
渋谷から代々木へとグングン歩いていると
秋の風が頬を撫で
まるで新しい母のようでとても嬉しかった
アパートに戻ると鍵は壊れたまま
新聞屋が
勧誘のとき置いていったビール缶がころがっています
新聞屋と契約し
缶ビールを六日で飲み終えてしまうと
とるのをやめてしまったことが悔やまれる、このテレヴィがない部屋で
私は小さなアコースティック・ギターを爪弾くと
それが宇宙の全てであるよう思え
まるで世間が小さくなってくので
別段
いいのですけど
冷蔵庫を開けると
誰かが置いていった
コンビニ・エンスストアの
スナックの廃棄品の肉があったので
それをレンジにかけたあと
更にバターで炒めます
いつか佐藤伸治さんが
「窓は開けておくんだよ」
と歌ったので、窓は開けておくのですが
この部屋には電車の軋み走る音、ロクな音しか入ってきませんでした
涙は流れてこないのですけれど
肉を炒めるといって
まるで死んだものを
さらに殺すことのできるような気がして
黙ってするのです
次の日
出勤すると二日酔いのあなたがいて
わたしはバックヤードの電球を取り換えようとして
電球は発光するのですが
凹凸の噛み合いが悪いのか、電球が固定しません
結局ガムテープで
電球の周辺を天井と強引に接着させました
そして
死んだ木の中、あなたとわたしはふたり黙々と仕事をしました
夜のはじまり
あなたは「コーラが飲めるのなら、まだ大丈夫だね」
とあたたかく、冷たく言いました
あなたはいつも水を飲んでいました
「いいじゃない、実家に帰ってフリーターやって
それで機材を買って」
「はい」
「じゃあ、これで別れだ」
と
二人で駅へ向かって歩くとあなたは
「何か食べてく」
と言いました
「ラーメンですか」
「ちょっと、中見てきて」
とあなたは言い、私は中華料理屋に入り予約票に名前を書いたところ
なぜ、外から見ても店に他の客がないのに
中を見にいかなければならないのか
それと待っているひともいないのに予約票に名前を書く私を
店員が目の前で止めないのか
さっと考えましたましたがわかりません
中からも
客はわたしたち二人しかいないことはわかり、大人のところに 2
と記入して
店員は何も言わないのでした
予約票に名前を書き
外へ出てあなたに予約票に名前を書いたこと告げ
二人店に入るとさっきのニコニコしたまま静止したような
店員はおらず、わたしたちは一番奥の席に座りました
瓶のビールは、あなたが頼んだのか、わたしが頼んだのか
覚えていません
それは、あなたがわたしのコップにビールを注ぎ、それを口にしたとき
わたしの東京があなたとともに
ついに波にボロボロとくずれさり、なくなり、ひろいあげても
もう一度、うつくしく、くずせ、と言われ
無理なことだからです
かのじょの肖像
とむらったり とむらわれたり
獲得したとしつきで
いびつなたかみから許そうとしている
けもののような草花をふみたおした
夏のふうけいをまいそうして
吸いこんでいく
ひるすぎまでの断水
まだ遠ざかっていたい
■
こうなる以外にも なりようはあったのだと
ゆめの不正な咬合でおもたくなったあたま
ひとつづきでとぎれることのない感官
どこまでもどこまでもつづく
貯水槽のとなりに放置されていた自転車の
あざやかなしょうめつの緒をゆわえて
ほら、
戸棚のなかで水菓子がだめになろうとしている
桶のなかで金魚がだめになろうとしている
ふたついじょうの
欠陥がある
いきをするよおにいきているので
■
(あ、)
あの 競泳者のような雲たちのながれ
ねむたくなるようなゆうなみ
ウールであまれた洋服をぬいでいく
あかるさや
くらさではかることを許された
幼児のころにめぐったはてしない時間
ひかりの環からはずれて
月のプロセスをあいするということ
それは
まぎれもない下降だった
■
夜、になってしまえば
うつくしいたてがみのシマウマを抱擁する
そういうゆめをはじく器官となって
色彩をともなったいらだちを
突き崩していく
爪のすきまに入りこんだ
繊維状の
ゆめの天体
蝉のはねよりもあわい
白線のうえを歩いていく
ここはまだ浅瀬
どこまでもどこまでもつづく
消灯、
2010年を、すくうため
空からあなたの好きな花びらが降ってくるような
とりとめのない季節から潮騒がきこえています
ぼくは元気です
あなたは元気ですか
あしたは天気ですか
小鳥の話をしましょう
もう飛べずに
路地裏で溶けるように
雨にうたれる
小鳥の話を
この前
2016年の女と会いました
美容のためと
かの女はこの2日絶食しているらしく
口にできるものは2リットルの黄色の飲料と
空のように透明なスパークリングウォーターのみで
口にするのはわたしはギャルじゃないしという主張であり
なぜか線香灰の色に染髪した
魔女のような格好をした女でした
ヨガを本気でやってるそうでした
ぼくは笑いました
そしてなにかを思い出しました
2010年の女をあなたは思い出しますか
2010年の友達をあなたは思い出しますか
あしたは天気です
ぼくは元気です
あなたは元気ですか
あしたは天気です
さよならはこのよのどこに咲くでしょう
あしたは天気です
2010年は死にました
路地裏でした
雨にうたれました
彼らは二度と戻りません
さよならはそんなところに咲くでしょう
でもそれだって潮騒になり
あしたは天気です
彼らは死にました
そしてあなたも雨にうたれますか
ぼくは元気です
あしたは天気です
ぼくは元気です
あなたは元気ですか
ぼくは元気です
とりとめない潮騒の季節の空から
あなたの好きな花びらが降ってくるような
天気はあしたです
之繞
曇ったレンズ
それを越えたところに
うっすら視えているもの
展開されゆく街並み
と、
ひとつ、落ちた
いかずち
見慣れた希望が
かすれて見え始めたのは
その光ぐあいの悪化のため、
それとも、私の眼が
悪くなったせい
全て
としか言いようのない
全てを言い尽くせたことを
悟った日の呆気なさを
とてもよく覚えている
それを全て誰にも彼にも
聞き流されてしまった後の
呆気なさも含めて
よく覚えている
コンポから音楽が流れる中で
昼寝をしてしまったら
もう秋で
網戸から吹く
冷房のような風に
揺さぶり起こされた
夢も何もなかったかのように
現実を始めている
ひだひだのカーテン
空気感の青いリビング
そこで先に夕食を摂っていた
懐かしい思い出の背中
今は無い傷椅子
絵を描くようになって
判ったのは
名前や言葉のように
覚えたい形を覚えることが
なかなか難しいこと
落雷で
焼け潰れた木を
仮定してみる
羽織るものは持ってきたろうかと
心配してあげたい人のことを想って
私はその木を
見にゆきたくなる
夜風がただ寒くなるころ
その人といっしょに
なにもない野外に
抛りだされていることの
痛みもない一時の幸せを
仮定してみる
想像することに対する
拭えない恐怖
視るより先に
触ってしまえた心の一個が
いま頭の中でぼろぼろ欠けていく
全てを言い終えた私にはもう
これから、より鮮やかな嘘を
ついていくばかりの使命しか
残っていない
それならば、いっそ、もう、と
どこかへ出向くたび、その帰りに必ず決意した
二十一歳の
あたらしき日々
人より少し
正直すぎた私は
歌を聴いている人が好きで
そのくせ、その隣に無言で居ることは
地獄のように寂しかったのだ
ずっと
口縄
なだらかな石段がつづく坂のたもと。コンクリートの壁によって仕切られた、隣り合う念仏寺の敷地と小さな町工場との境。その境の前に敷かれる薄汚れた煎餅板の上で、墓参りや散策に訪れる人々を横目に陣取る猫。おまえがいる。ふさふさと白に茶を染めた清潔な毛並みを揺らし、ふくよかにみなぎる首筋を撫でてやると物欲しげに声をたてる。頭を垂れ瞼を閉じ、前脚をそろえ、置物であるようにして、じっとただずむ。
うららかな晩秋の昼下がり。私は買ったばかりのデジタルカメラを取り出し、おまえにレンズを向ける。無私の時であった。標準の画角からやがて広角を選んだかと思えば、気怠いばかりのうつらうつらとするおまえの顔までにじり寄り、鋭く張る銀髭。そして淡い薄桃に色づいた肉が小さく円形をなし剥き出している顎の真下。そばに両膝をつき、ボディをやや上向きに固定し接写を試みる。澄み渡る空。そっと開いた金色の眼。焦点を瞳孔に合わせ、はるか遠くを眼差す、一瞬を切り取る。
撮影を行う合間に近くのコンビニで買ってきた、ミンチ状になった魚の身を差し出してやると、こくりこくり頭をもたげるおまえは大きく伸びをして、眼下に散らばる赤茶けた泥のようなものに鼻頭を近づけ、確かめながらゆっくりと口中へと含み、数分後にはもらさず平らげる。悠々と毛繕いで締めてみせる。そして眠る。
人の話し声が聞こえる。コツコツという乾いた靴音とともに、石段をやってくる。おまえの左耳。わずかに後方へ反る。置物のまま。瞼が開かれていく。速度が上がり大きくなる。フレームを決めピントを合わせ、かまわずレンズを定めるとシャッターボタンを押しこんだ。バンッ!。あたりに破裂音が響く。ファインダー。視線。空をさまよう。靴音の主は携帯電話を片手に私の脇を小走りに過ぎていった。
木々の梢が擦れあう
コンクリートの壁が翳りはじめる
隣り合う念仏寺の敷地と町工場との境。わずかな隙間を隠すように立て掛けられている、縦長の青いプラスチック板が塞ぐ。その下方。地面を底辺とする矩形をしたものが覗き見る。薄暗く遮るもののない一本道。煎餅板を蹴り上げて飛び込んだか。そして駆けたか。待ちつづけた。しかしいつまでも現れない。
住宅や個人事務所などが建ち並ぶ静かな脇道を進み、霞がかる街と地平に浮かぶ空とを望む、照り返す夕陽が美しい一角。そこからなだらかにつづいていく長い石段を下りきりたもとを越えると、歩道を挟んで再び広い国道が横たわる。北に南に往来を繰り返す忙しない車輌の群れ。それらと対峙するように鎮座していたおまえ。ときに門前に建つ石碑をよじ登りてっぺんから勢いよく隣の石碑へと鮮やかに飛び移ってみせた。地面に背をこすりつけてはばかることなく白い腹を見せた。闇の猫。無邪気に時を戯れ、今もそこに生きるか。
空言
川に行こうと、誘った。
男は疲れていた。
もう終わりだろうと、いうことは分かっていた。
女は頷いた。
知らない街は、古い色紙で継いだみたいに寂れている。
疎らな人の行き交い。湿気に煙った商店街。ゆるく手をつないだ女に、男は語り始める。
「過去の数度の大戦で、地球の総人口は最盛期の10%にまで減った」
女は不思議そうに男をみていたが、薄く、頷いた。
男たちは、途中のセブンでお茶とコーヒーゼリー、アイスクリームをひとつずつ買って、また川へと歩き出す。
さびれた路地を抜けると土手に出る。
広い河川敷。
薄曇りの空は透明な晩夏のフィルターを重ね、そのままなくなってしまいそうな色をしている。
男が「広いね」と言うと、
女は「うん」と言う。
ゴウンゴウンと鉄球が転がるような音がする。
すぐ頭上に渡されている高架では赤色の電車が走っている。
それ以外では遠くから微かな蝉の声。広場の脇にある公園の、なんの役にたつとも思えない遊具では、少年誌が仰向けになっている。
舗装されていない道。背の低い灌木。藪。飛び出すひとり猫。
「右手の方の野球場に行こう」
水の気配はするけど、川面はまだ望めない。
平日の昼間。
いくつか隣接している野球場にはプレイヤーの姿はひとりもなく、陽炎が忘れていった野球の玉が転がっている。
それを拾う。
「前世紀の遺物だ。
ここは、ヤキュウ、と呼ばれる球技専用のコロッセオの遺跡だ」
男は硬式の野球ボールを宙に投げる。
キャッチ。
投げる。
球は空中で宙返りし、陽光を一閃、照り返し、落下。
キャッチ。投げる。リフレクション。キャッチ。
女はそれを無表情にみている。
男は語り続ける。
「なんでも旧時代のひとびとは、この球を投げ、棒でひっぱたき、追いかけまわし、叫び、喜んだり、悲しんだりしていたそうだよ」
「野蛮なものね」と女が言う。
男は笑う。
「その野蛮人の巧者に、イチロー、という名の者がいたそうだ。
伝説いわく、彼の全盛期には、棒をスイングしただけでハリケーンを起こし、
投げる球はレーザービームと呼称されるほどの破壊力を持ち、地球の地表程度なら軽々と破砕したそうだ。
オデュッセウスが如き英雄だ」
「聞いたことがある、イチロー・スズキ。
プリインストールされた私のオリジナルの記憶データに残っている」
女のほうもだいぶ興が乗ってきたようだ。
キャッチボールをする。
すこししたら飽きる。
球場のベンチに腰掛けて、ぬるくなったゼリーと、スープになってしまったアイスを匙ですくう。
対岸に並ぶ高いビル群。
遠くの土手で自転車を漕いでいく中年。
見渡せるものはどれも作り物でミニチュアのようにみえた。
「ごらん彼岸の街を。
あちらが人間の街だ。
こちらは偽物の街。
いまではアジア連邦のひとつの省でしかない、この日本という地は、大戦中、一貫したナショナリズムとゆくりなく結合した全体主義を、半ば国民の本来の性向に則する形で体現した。
人びとは心を失い。
挙句、ほとんどが死に絶え、あるいはサイボーグ化、デジタル化した。
にもかかわらず情報技術の先鋭化の粋である社会コンピューターのOSの優位性は皮肉にも未だに証明されている。
これでも海の向こうに比べればまだ幸せ、だそうだ」
男は偶然に通った京急線の鈍行列車を指さす。
「人が乗っているだろう。
しかし彼岸の街とこちらの街をこれだけ頻繁に行き交う車両には、生者はおそらく、ひとり乗っていればいいくらいなもので、
乗客に見えるものどもは幽霊という名の立体ホログラム、AIによる人型ロボット、そんなものたちばかりだ。
生身をまだ保っているオリジナルな人間たちは、あちらの高層ビル。
無論あれもデジタル影像の照射に過ぎないが、本当は地下ドームのシェルターにいまだ篭っている。
システムだけがゆくりなく稼働しつづけているが、それから益をうけるものは誰もいない。
それらの存在理由は欠落している。
それだけがエラーを起こしつづけている。
ただしそのビープ音は誰にも聞かれることはない。
ここは、」
男と女は広場をなにげなく見渡す。
「誰もいない」
煙草に火を点けると、咎めるように女が男を見ている。
「前時代的な嗜好ね」
「うん。俺たちはクローンだが、オリジナルのすべてが定量化した後にトランジットしてある。
身体的データ、個人的経験、そして、もちろんこういった日常の習慣もダウンロード項目から除外されるものではない」
女は顔をしかめて、すこし離れた水飲み場まで歩いていく。
男は煙草の煙を眺める。
蝉の声が定量的に、まるで録音されたもののように、飽きもせず、ワンリピートされる。
煙草をもみ消し、女のほうに向かう。
女は手を丹念に洗い終わって、男の側に寄ってから「やっ」と指先の水しぶきを男の鼻めがけて弾く。
「冷てー」と言うと、女はやっと笑う。
男は駆けて、蛇口をひねり、手を洗うふりをしてから、女のほうに戻って、同じように水を弾きとばす、女は逃げる。
男は追う。
わっと女を捕まえる。
不思議だ、ぜんぶ偽物なのに。
と男は思った。
顔と顔を近づけようとするが、女は避ける。
「忘れたの。もうそんなことはできない。すべてが監視下にあるの。もし私達が禁を犯せば、この世界は崩落するわ」
と女は言った。
そしてなにも定量的でない夕暮れ。
SFごっこのネタも付きて、沈黙していた。
かいた汗も乾いて、男と女は川岸にたっていた。
向こう側に林立する死者たちのビルのいくつかは、
すでに儀式的に崩壊し、
紫の火炎につつまれ、
音のない仮想のエラー音があてもなく広い空に延焼していく。
川は黄金色をしていた。
ぜんぶデタラメだと、思った。
デタラメになってしまったのだった。
水鏡
梅雨の晴れ間の夕暮れ
灰色の路地に
茜色の空を映した大きな水溜り
跨げずに立ち止まると
水溜りの中に鳥がいた
電線に止まっているのが映されている
羽を広げては閉じていて
飛ぶのか飛ばないのか
飛べないのか
焦れながら見ていてふと気が付く
眉間に力を入れている
慌てて力を抜く
眉間にシワを寄せていたら、取れなくなってしまう
私が子供の頃から
喧嘩ばかりしていた両親の眉間は
鬼のようにくっきりとシワが刻まれている
あんな風にはなりたくない
いいやなるものかと
私は微笑んでいるよう心掛けている
そうしてまた気が付く
今日も一日、シワが寄らないように寄らないように
のっぺりと笑って過ごした事を
昨日も一週間前も十年前も
のっぺりと
顔に手を遣る
自分がどんな顔をしているのか分からない
水溜りに向かって顔を突き出してみた
真っ黒な顔だった
シワどころか目も鼻も口もない
真っ黒に塗り潰された顔だった
逆光だからだ
橙が強すぎるせいだ、だから
その時、鳥が私の顔を突っ切って行った
飛べたのか
なぜだか悔しくて情けなくて
こわくて
衝動的にヒールで思いっきり水鏡を割った
飛び散ったひとつひとつの飛沫に
私の靴の内側に
黒い顔が映っている
私の
私の顔が、顔は、
悲鳴をこらえて走った
頭上を何羽も鳥が飛び回っている
* メールアドレスは非公開
峠の山道
峰と峰とのつなぎ目に鞍部があり、南北の分水嶺となっている
古い大葉菩提樹の木がさわさわと風を漂わせる
峠には旅人が茶化して作った神木と、一合入れの酒の殻が置いてある
岩窟があり、苔や羊歯が入り口に生い茂っている
そこは湯飲み岩窟と呼ばれていた
旅人がそこでありあわせの石でかまどを作り、火をたき、近くの清水で湯を作った
嗜好品としての茶ではなく、白湯を飲む
しげしげと旅人がかまどを作り、一杯の白湯のために火をおこし、それを飲む
硬く純粋な清水のとげがこそげ落ち、におい立つ水の甘さがふくれあがる
湯飲みに注がれた、湯気の噴いた白湯をいただく
ふうふうと息を吹きかけ、口中でころがして喉を滑らせる
胃腑に穏やかな沈静がしみこんで、解毒するように息を吐き出す
嗚呼、涼やかな大葉菩提樹の風が初夏の光線を引き立たせ、ふるえている
大木は歴史を旅した旅人だ
そして私もまだ
*
峠の山道に
一本の棒が立っている
木質の中に
すでに水気もなく
粉がふくような外皮をそなえ
その他愛もない空間に
ひっそりと立っている
徘徊途中のハエが
てっぺんで羽を休め
手をすり合わせる
しばし左右に向きを変え
行き先のない
向こう側へと飛翔した
棒には一片の脳すらなく
あるのは
ひとつのぼんやりとした意志である
それは一途とか
かたくなとかでもなく
不器用な詩人のようで
ただそこに
立っていたいとだけ
思っているのだった
郷土の愛
故郷を愛する前に
故郷に愛されている
故郷においてすべては始まり
人はみな故郷の意志を浴びて
目覚め、働き、交流する
人の意志は人から始まるのではなく
あらかじめ故郷から意志されている
人はいつでも受け身になって
故郷の愛を受け取るのみだ
故郷の緑の道を歩くとき
人は自ら歩くのではなく
故郷の無限の愛によって
やさしく突き動かされているのだ
人よ驕ってはいけない
郷土を愛する以前に郷土に愛されている
始まりにある大いなる受動性のもとに
人はすべてを意志しているのだ
岩手七号
幽霊として生まれ
幽霊として死んでいくこのわたしは
生きているあいだは
すこし塩けのある水を湛えた
ちいさな
水槽にすぎなかった。
(メダカくらいは泳いでいた
(かもしれない。
幽霊であるわたしにも
コトコト動く心臓と
巡る青い血があり
健気に動く筋肉と腱があった。
すこしも
役に立たなかったが
並の下、程度の脳みそも完備されていた。
問題は
それ以外に
なにもなかったことだ。
ある ── 空腹の夕べ
手のひらをみつめて
何げに ソラをもちあげてみた。
なぁ〜んちゃって
と 肩をすくめた姿勢で 浮かしてみた。
ふわっと
手のひらに血がきざし 血流のしびれがきざした。
錯覚だろうか。
なにかに触れている。
これが あの、 ソラと呼ぶものか。
嘘のように軽々と「ソラ」とつぶやき
信者のように見上げてみる。
まるでお尻の なめらかさだ。
かなしいかな
扇風機の風で翔んでいく。
ほんとうは ないので
見送って
泳がせて いた。
手のひらを眺めていると
トツゼン
セックスがほしくなった。
テレビで
セックスはいい セックスはいいねと
女優やタレントに 笑顔で
叫んでいるのは人工肛門手術をした後の渡哲也だ。
不思議な人もいるものだ。
わたしのセックスライフにも、
相手が必要だ。
そのお相手はいまテーブルの白い皿に載っている。
あれでも昔は山田さち子という名前があったのだ。
それがいまはなぜか岩手七号になっている。
わたしの手のひらにあわせて
身繕いをしている
薄紅の秋の実。
わはは、ざまあみろ。
福山雅治、
おまえの吹石一恵より丸いぞ。
とカラ威張りしていると──。
いや、だめよ、
そんなことはだめ、
まさか、そんな、コトは。
いくらなんでも
それは神を冒とくしている。
スカートめくりじゃあるまいし、
半分に切るなんて。
岩手七号がいやいやをした。
でも切らなきゃはじまらないだろ。
吉永小百合をみろ、小百合だって
やってるんだ、
まして幽霊がリンゴとやってどこに
不都合があるのだ。
四の月になると
四の月になると優しさを装った行商人が春の風と共にやって来る。全てを不問に付す免罪符を手にして。四月に蔓延する桜の花弁から漂い出す絶望の匂いに酔った人々に、法外な値段で免罪符を売り渡していく。桜が咲かなくとも、絶望という罪を背負っている私は彼の去来を歓迎しない。絶望することは罪ではない。絶望は人間固有の本能の一つ。私はずっと鋭いナイフを研ぎ澄ませ、頸に当てては嘔吐するイメージを浮かべては泣き続けている。
五の月になると腕無しの医者が初夏の病と共にやって来る。新緑の季節に飛散する、虚無という病原菌と共に。医者は求める人全てに処方箋を配り歩く。人々は薬で楽になる。私は彼の薬を強く拒む。虚無は諸悪の根源であるという彼の謳い文句を拒絶する。虚無は病ではなく業なのだ。人間全てが少なからず抱えているもの。私はそれを受け入れる。虚無と踊れ。遊べ。薬など必要ない。
六の月になると法螺吹き天気予報士がやって来る。雨は数週間降り続き、じめじめした天気が続くと嘘八百を並べる。六の月の雨は私たちの心から吐き出される汚水なのだ。年に一度の排水処理期間だ。街は洗われることなく、毒されていく。この季節に雨傘は手放せないでしょうと似非予報士は言うが、それよりも高性能の防護服が必要だろう。私はこの毒の季節を待ち望んでいる。私たちの真実の味を楽しめることに。毎朝天に向かってこの身を毒水に晒すのだ。持て余した少しの寿命と引き換えに。
すべてのものに終わりがある、サーカスであろうと夏であろうと
ねえ
ギターのFコードの抑え方知ってるかな
人差し指で全部の弦を抑えないといけないやつ
わたし手がすごくちっこいから
すっごく難しくてさ
すっごく苦労したんだよね、
なんて関係ない話は置いといてさ
たとえば
ギターのFを抑えて
そのまま1フレットずつ
音を高くしていくの
決められたコード進行じゃない
別にマイナーでも
セブンスでもサスフォーでもなんでもいい
そうやって1フレットずつ音を高くしていく
そうやってでたらめに
時に不安げな音の響きも混じって
でもなんとなく前向きな感じで
音を昇り続けたら
空から垂れ下がったほころびの
猫のしっぽのような感触が
頬に触れるような
≠
サイト名:ある日常の。
エントリー名:編み物のほころび
日付:2009.8.29
編む、という言葉は適切ではないのかもしれないね
歴史学者をこじらせてしまったおかけで
サマーセーターのほころびに留まる視線は
よろよろと浮浪者めいた足どりを辿り
あらゆる忘却の境界線をなぞりながら
滑り落ち
床に転がるのだろう
もはや視線とも呼べない
宛先不明の
ちょうど瓶に詰められた
手紙のもつ
哀しみに似ている
編む、というよりもむしろ、ほどくような
そんなこと言っていたらせっかくのカレーが冷めてしまうのに
でもそれも違うような…わからない
問題はせっかくとろとろになるまで煮込んだ
歴史の天使の話、前にもしたかもしれないけど
にんじんを台無しにするような
ベンヤミンという哲学者が「歴史の概念について」という遺稿に記した
あなたのそうやってすぐ考え込んで周りのことまでわからなくなる
あの天使のことをいつも考えてしまう
悪いくせなんだけど、もう諦めた
天使が過去を見ていて
手つかずのお皿にラップをかけたら、まだ冷め切っていなかった
天使は過去を見ているというよりも、過去に敗れ去ったものたちの
白く曇ったお皿をふたつとも冷蔵庫に入れてしまうと
破局、とベンヤミンが表現する
椅子に座り、彼のこと見ているふりをして
瓦礫のように崩れ去ったありさまに目を見開かされている
私は壁に掛けられたサマーセーターを見ていた
天使は進歩という嵐にいまにも吹き飛ばされそうになっている
セーターは最初はもっと爽やかな色だった
僕は今まで国家や権力が綺麗に編んできた歴史が
初めて会った時これを着ていたことなんてもう覚えていないだろうから
ほころんでいるところから全てを始めたいと思っているだけなんだよ
ほころんでも色褪せても捨てられなかったことの無意味さに少し奥歯が痛んだ
≠
サイト名:2ちゃんねる
スレッド名:【☆祝☆】今日から忍術修行始めます【水走り習得】
レス番号:357
日付:2013.9.1
救済ですね
聖書を鞄にしまいながら、女は言った。女はちょうど聖書を仕舞い終えると、祈るかのように両手をテーブルの上で組み、僕を見つめた。僕はその瞬間の出来事をとても上手に思い出すことができる。例えば彼女の頼んだメロンソーダはまるで和式便所みたいな奇妙な形をした容器の中でぶくぶくと泡をたてていたし、僕のアイスコーヒーはその時入れられたガムシロが火砕流のように緩やかに、けれどもアイスコーヒー本人からしてみたら緊急なのかもしれないけど、黒い液体を侵食していく最中だった。窓の外ではスカートを履いた女が通り過ぎていくところだった。或いはスカートから伸びた生白い太腿が通り過ぎただけなのかもしれない。とにかくその薄青いスカートから伸びる生白い太腿の肌理はそれぞれとても丁寧に収まっていて、理科の教科書の細胞の章の最初ページに載っている写真みたいに適切だった。一部分その一つ一つ肌理が崩れているわけではないのだが、およそ120から130あたりの肌理がそれぞれほんのり赤く染まっていて、或いはその脚がさっきまでどこかのベンチに押し付けられていたことが想像できた。ほんのり赤くなった地帯は喫茶店の窓枠を通り過ぎる間にだいたい90くらいまでの肌理に収まっていき、もう少し経てば綺麗に痕も残らないだろう、とそう思った。ただその脚が窓枠から消える瞬間、その肌理の適切な収まりの所々から覗く毛穴が無数の目のような在り方で僕を見ていた。千円札を財布から取り出しテーブルに置き、すみません、とだけ言い残してその脚の行方を追おうとした。救済は、という女の探るような細い声が後ろの方から聞こえてきたのを覚えているが、僕は振り返らずに脚を追って外に出ると、そこには多くの人たちがいて、多くのスカートから伸びた生白い脚があって、さっき僕をまじまじと見つめた太腿を見つけることは叶わなかった。その場で失望の縁に腰掛けるように蹲ると、背後でカラランと音がなり、救済が追いついたことを知った。僕は救済を見つめると、その首元の肌理は所々で適切ではなくなってしまっており、大部分で黒ずんでいたし、いま切った木の切断面みたいにカサカサとしていた。肌理の乾いた大きな黒目は全体として僕を見ていたともいえるが、それは背景の一つとして、まるで肌理の一つ一つを見つめることなく脚そのものを見ているみたいに、阿呆のやり方で眺めていた。ただ補ってあげたいという思いのままに、救済の首元に手を伸ばした。僕の掌の肌理の所々から余分な皮脂が分泌されていたし、救済には明らかに水分が足りなかったから、僕はただ補ってあげたい、という思いだけだった。女はきつく睨みつけたまま、その視線を動かそうとはしなかった。救済は徐々に強く腹あたりを蹴りつけ、僕は鳩尾にはいった一撃に呼吸がうまくできなくなり、地面に崩れ落ち、意識が剥がれていくさなかに、誰かに、何かに救われたかった男の物語を思い出していた。
≠
サイト名:エンジェル日和
エントリー名:さよならを反対から読むとらなよさだよ
日付:2008.8.22
最悪色した あなたのさよなら
わたしは泣き虫色 あなたは玉虫色
What あなたの心の色
夏という季節に 身を横たえる白雪姫
王子様はいつだって 気まぐれなキッスをする
When 優しさに包まれる日
いつまでも待っている oh my summer
波があなたを届けてくれる oh your surfin
だからメイビー届かない思い
ずっと胸に抱いて眠り続ける endless
天使が甘いキッスをしても
あなたじゃなければ目を覚まさない
たくさんの女に許している唇も
わたしにキッスをする時だけは
I believe
月光に濡れて本当の色になる I believe...
≠
サイト名:ひめるのブログ
エントリー名:サマーソフト
日付:2013.9.29
夏の終わりにはサマーソフトを聞くんだ
そう彼女は得意げに言った
英語わかるの
そう聞いたら
なんとなくね
そうしたり顔をする
だったら今ここで同時翻訳してよ
そう困らせてみても
いいよ
そう答えてにこにこしている
じゃあ、と言って携帯でサマーソフトを再生しようとした
彼女は少しだけ待ってといって
心の準備をしたのか
わからないけど
かかってこいよと言わんばかりの笑顔で
いいよ、と言った
再生ボタンを押す
さぁまそー
スティヴィーワンダーを意識した繊細ふうな声で歌いだした
え、翻訳は?
今からするつもりだったの! やり直し!
怒られたからもとに戻してもう一度再生ボタンを押す
さぁまそー
不思議な金魚がー
いつか
バナナになってもー
適当に
やり過ごしてください
朝でーす
みんな起きてください
朝でーす
不思議な金魚をー
迎えに行きます
めっちゃサンシャインですよねー
ちょっと待って今サンシャインってそのまま言ったよね
そう聞くと
だってそうとしか訳せないんだもん
そう嘯いた
僕たちは終わりかけの夏に腰掛けて
意味のない言葉のやり取りで
色んなことをやり過ごそうとしていた
コンビニで買ったアイスが
ベンチの脇に置いたビニール袋の中で溶けていった
そもそもサマーソフトってなに?
そう聞くと
わかんないけど多分なんかもふもふしたものだよ
そう答えた
街
猫の尻を追いかけ裏へゆく
蚊をぱん、と潰して表へゆく
我々はその繰り返しで生きている
私はこの矛盾を、
この逆説を、
このシニスムを、抱き締めている
街は大きく欠伸をして
我々を見ている
コロッケが
見事な狐色に揚がると、
私はすべてを許す気になる
街は大きく口を開けて、
ひたすらに唾を撒き散らす
これを食べたいか、と
私は街に聞く。
街は大きく頷いて、
私はどうしてもか、と
俯むいた。
街は何度も頷き続け、
鋭い犬歯が
ヒッソリ口の中から覗いている。
お前は表か、それとも裏街か
……
「(o・mo・te)」
街は、声は出さず、
やっぱり牙をのぞかせながら
そう口を動かした。
それから、ニッと
街は三日月のように笑う。
私がコロッケを手の上にのせて、
(時が経ち、微かに温かいだけだ)
街の方へ差し出すと、
街はガブリと私の両手ごと噛み付いた。
血がぽととと、とたれている
涙もぽととと、地に落ちる
五歳の私は痛くて
ほろろ、と泣き続け、
二十二歳になって、
大人になった
未だに私は、
街の口から両手を
引き抜くことができない。
あの街 / この街と、
私の街
痛ポエケット ブースNo.ヌ―69【百合イカエロイカ】
おおきに
ようおこしやす
同人誌月刊『百合イカエロイカ』編集長
百合花街リリ子どす
本名は宮沢いいますねん
宮沢ゆうても
りえ違いますえ
ケンヂどす
嫌やわぁデクノボーやおまへんえ
百合棒どす
幻想的なイマジネーションと
卑猥なオノマトペ駆使して
官能ロマンポルノ百合ポエム書くのが趣味どす
どうぞごゆるり見ていっておくんなはれ
おぶう如何どすか
せやせや聞いておくりやすこないだ
ベッドの下に隠したエロ本
サンタフェとか百合姫とかMY詩集とか最果とか
オカアハンに捨てられてもうたんどす
殺生どすやろ
もう恥ずかし過ぎて死んでしまう系
まあよろしおす
ほんまはもっとえげつないコレクションありますのや
若い頃はおつれらと隠れて
よう展覧会- exposicion - 開いたもんどす
アートどすえ
エロスとタナトスとペーソスとおいでやすとよろしおす
メルヘンチックなはんなりオナニーさせたら
プロ級どすえ
チェリーやけど
あ、
見てくれはりました?
あての代表作
『春画鉄道69の夜』
猫耳の女バンニと姦パネルラが
永遠の少女性
不老不死の身体を手に入れるため
深夜の京阪電車に乗って旅に出る
そうどす
京阪乗る人おけいはんどす
あ、
先言うときますけど
あての痛ポエム
罵倒もスルーもどこ吹く風
痛くも痒くもあらしまへん
心理分析しはっても
一筋縄ではいきまへんえ
亀甲縛りどす
これはギャグやと罵る前に
考えてもみてもらいたいのは
ハンネでしか本音を言われへん
自虐をギャグにするしかあれへん
屈折した哀しみの中にこそ
ポエジーは宿るということ
それがいわゆる
ハンネの日記……
なァんてね(^-^)v
だいぶ話が脱線してもた
鉄道だけに……
ガタンゴトン
ガタンゴトン
パンタグラフ!
ほんで女バンニと姦パネルラが
生八つ橋をポクポク食べながら
白鳥の頭を模したディルド使うて
出町柳から
パコパコ
パンパエコ
パンコパンコパン
天満橋で姦パネルラだけ
サウザンクロスに
昇天しはった後
どこからともなくダーさん来はって
「えいえんなんてなかった」
「知らんがな」
ゆうやつ
知りまへんか
もう、いけずぅ、あんたはんモテ系か羨ましいわぁ
それとか
『オプションの多いレズ風俗店』
名門女子高
聖宝塚カサブランカ女学院高等部に転入した
転校生(美少女)の設定で
演劇部のクラブ活動中
発声練習してたら知らん間に
部長(クールビューティー)に白いブラウス脱がされてもうて
姫百合のシロップ塗られてしもて
くぱぁ
あん、食べられてまう
お姉様そこはあきまへんえ(>_<)
堪忍しておくれやす
あっ、声出てしまいますえ
あっ、おぅ、いぃ、うん、えぇ、おぉ、あぁん、おおぅ
あそこが熱いなあいうえお
もっとさわさわしておくれやす
おねえさまああああ━━━━━っ!!
トロトロ
ゆうやつ
これも知りまへんのんか
いちびりどすえあんたはんリア充やおまへんか妬むわほんまに
いつやったかオトウハンに
「あてが死んだら
エロ本と百合ポエム
ぜんぶ燃やしておくれやす」
ゆうたらオトウハンが
「当たり前じゃこの恥さらしが
なに童貞と中二病ダブルでこじらせとんのや
手遅れやないかわれアホかボケカスブブヅケェ」
言わはって
いくつになっても有り難いのは
親の愛どすなぁ
ほんま
なぁ、と詩子
あてももうすぐそっち逝きますさかい
一緒に食べよな
生八つ橋
三途の川で納涼床
みんなの幸のためならば
あてのからだなんか
百ぺん抱かれてもかましまへん
なぁ、と詩子
おまはんひとり
幸せに出来なんだあての
ディルドみたいな痛ポエム
何処に何を挿入しても
ほんとうの天上へさえ行ける切符には
ならしまへん
あての心の処女膜は
もう誰にも破れんのどす
童貞と中二病だけやおまへん
シスコンも入れてトリプルで
銀河の果てまでこじらせてます
せやから言いましたやろ
これは詩やおまへん
痛ポエムや
ただの
妄想スケッチや
て
あ、お客はん、ちょいと待っておくれやす
『百合イカ』買うておくんなはれ
姉妹誌の季刊誌『百合詩ーズ』もありますえ……
*****
『ジューンリリイブライズ(シックスナイン)』
永遠を誓うなら6月
雨に咲いて
双子の様に死のうと決めた。
ソックスガーターを脱がせ
白い足首に
口づけすると
桜桃の匂いがしたから。
━━ねえ、姦パネルラ、何処を歩いて来たの?
━━薄氷。
トゥシューズの乙女のように
爪先立ちで歩いて来た
私たち、
白鳥の停車場まで
━━見て、女バンニ。
姦パネルラの足首から脹ら脛
膝の裏から内腿へと
舌を這わす
薄紅色の花芯の脇に
小さな蟹のような痣がある。
69
ケンタウル、露を降らせ
ケンタウル、露で濡らせ
サウザンクロスへ
一人で逝った姦パネルラ。
残された私も一人
そして迎えたSeptember
〜サヨナラも言えずに〜
らっこの上着を羽織り
今夜も
星めぐりの歌を歌う。
私が生きている、従って私が死に、嬰児は且て喃語を秩序とした
_I,自死を未遂する青年期の反復記述
誰にでも届くことばを書こう
誰のものでもないミモザに
燦爛たる扇越しに
囁き交すピウス14世の母、
記念碑は倒されるが倒される毎に より壮麗に縁取られてゆくのだ赤いリボンテープの十字に拠って
玩具の兵隊が暖炉の畔より死の行進をはじめた
爆ぜる薪は心臓を愚かに註解し、未踏のバレリーナは天井を這う
乱雑な痴夢の断末魔のなかで
より美しい或青年は四肢姿態が月桂樹に酷似していた咎で冷淡なアポロンの凱旋車に誘拐されてしまった
彫刻家ベルニーニ氏の霊感と気息が
退屈な退屈な退屈な弥撒弥撒弥撒曲群の自罰を罷免されるがために
揺るぎない血と木漏れ日の闘争の季節の中で
私は人知れず人を知り
人は最后の檸檬の肉としての苦渋を噛締めるのか
轟き已まない遮断機の眠りを否み
従属と蹂躙の中で襤褸布となりはてた反抗の季節よ
際限なき呵責にひしがれた矯正のための声よ
青春期とは云う迄もなく擦過された咽喉である
従って存在しない血塊を受け蝙蝠傘が散開をする不誠実な私を残して残して
ほどよい飽食で満たされた困窮よ
印刷機に輪転するレミング共への侮蔑よ
侮蔑が侮蔑をよび思想は自ら根幹を断つだろう
憎悪に燦然と充ちた紙幣の慈善より美しいものはない
施しと誓約で刷られたヒステリーを起す群衆の幽霊よ
静寂の為にこそ声はあり
騒乱の為にこそ死は掲揚をされるのだ
_II,変哲の髄
螺旋礎の硬き未遂碑撃つ侭に
滑稽の餐室
慈善の魔笛
霧鐘塔の海嘯
検体身躯を晦冥に捕縛するも
知悉よ鳴け
悲歎臼時計の海底建築物を
修飾且つ簡素たる
無棘薔薇莟緩み綻びあり
婀娜たる死の無き死を迷妄するが如く
大腿を縫綴じ指を呪いある
時間の警喩
燦然蝶の玻璃戸に
黒蜘蛛は
夥多たる人物群群像の容貌を踏襲しつつ
尚懐胎と想像に
無原罪の磔刑
弛緩液化せる
偶像叡智の血塊たる多翼象徴体を
粛粛と火葬室に処したり
舌禍饒舌記念碑を崇敬をもせず
放埓たれ
鹹湖を逡巡せる遅行帆船よ
悪辣と整然に
泥濘人物起源の庭園は
落胤を追随し已まずとも
絶望へ渇望へ
威嚇の領野は魘夢がごとくにも終端勿く
円環劇場を叫喚せる
視線私製の零落を現象体の欺瞞に晒しぬ
概念機関と社会的隷属が均しく有りつつ
非確実なる存在を咎め
公営納骨所の贖罪
咽喉を焼く骨壺そして
人工の既製としての希臘彫刻
外燈を打建てよ
邁進す躍進す
破壊者が展望を巻く逆円錐
地下階を
苦役たらしめたる
死者の嘱望よ
_III,精神を反抗する精神
新しい薔薇のための衣類を
偏綺な死の森の磔杭のために委ねよう
花々で造された肝臓の荒野を越えて
黎明は今や瓦斯に張りつき
黄昏は麦の椅子に純粋な血族を銃座のように並べ列ねるだろう
修道院は盲いた広報紙のなかで叫ぶだろう
科学 科学 科学
吃音の矯正器のためのもろもろの硬殻よ
胡桃には永続への街宣車が咽喉の飾り釦のように轍を逸れてゆく
そして歯科医の検死室を朗らかなラヴェルの晩年が通り過ぎていった
縛鎖に縺れ絡まる机上よ
絶後の死を恍惚と語る敬虔な数学よ
総ては均整と整列された概念の愉悦であるならば
絶対的な破壊
頑迷な人工調和、
その血液採取のための安天鵞絨の窒息は猿轡より滑落した拇指の穹窿ではないと
だれが断絶し得るのか
青い試験紙のテープに録音をされた偶然の秤量は
シャンソンの腐敗と同じく
零落してゆく遊戯用木馬を公開議会の鈍鉄製の梯子より取除くだろう
安寧の機嫌を甚だしく損ねつつ綿菓子の紡錘機より雲の腕を攫むことは可能だろうか
若し峻厳な枢機卿の肖像に二十日鼠を放つならば
熱気球は墜落と上昇に均しく引き裂かれ
凡庸な刺繍製の
呆けた松葉杖と何ら変わらなくなるであろう
殴り付けられた懐中に鹹湖が渺渺と毒の棘を排気し
乾燥する凝膠を擦過してゆく現代的人間精神とは
既に腐朽した前近代的機械製造工場に於いて試みられた愚昧な想像に縁る錬金術の復興でしかないであろう
見よ、全ては既視的な現象に没落していたが
全てが苦難の前に倒された訳ではない
見よ、新しい薔薇のために
刷新された不調和と左右非対称の人工庭園を誇るべき破壊運動が巻き起こってゆくのを
奏淋鳥
県境から山手に逸れると錦川の下流につながる
整備された広い交差点は海岸を見渡せる国道へも近い
海を眺めながら車を走らせていると街はすぐにみえてくる
帰りの渋滞を避けようと、たまに山手に逸れるのだが
この古い二車線に歪む黄ばんだ道路も
いまでは買い物客の多さですんなりと抜けることはない
ハンドルを切ることもなく、通りすぎていく。
この道を左手に見やれば鳥が丘団地がある
入り口はすでに暗渠に覆われた路肩
その昔わたしが杭を打ち、重い測量の機械を背負っては何度も山道を通った
汗と黄土にまみれた場所だ
雑木林に囲まれた低い山
この辺り一面は目立つ商店もなく、屋根瓦の民家がひっそりと点在していただけだった
当時、二十歳を過ぎたわたしは一年以上何もしないで家に引きこもっていた
ファッション雑誌の切り抜きを、ガラス板の裏側に貼り付けては眺めて楽しむ
不登校の子供が暗いタンスの中で何時間も空想に耽るように
そんな子供を心配しない親はいないだろう
まだ少し雪の残る季節だった
重機の運転をしていた叔父に測量のアルバイトを勧められた
勧められたとは言っても、ほとんど強制的に仕事を持ちかけられたのだ。
小さな森が切り開らかれ更地になるのには新鮮な驚きもあった
大木が倒され、唸りをあげるブルドーザーに削られ、みるみるうちに斜面には線が引かれる
その姿を見ていると、もう後には戻れない心境になってしまう
「ここの白菜を全部抜き取ってくれ」
背の低い厳つい顔をした年長の現場監督からそう言われた
吐く息の冷たい中、最初の仕事は人糞を撒いた肥がそのまま残る、野菜を土から抜き取る作業だった
真っ白な軍手が、まるで罪人のように泥と肥やしに染まる
見かねた運転手のおっちゃんが降りて来て手伝ってくれた
一日の仕事が引けた、涙を抑えていた
わたしはいまでもはっきりと記憶している。
スケールを両手に剥き出しの山を駆けめぐる
硬い岩盤を避けて杭を打ち、丁張りで堀方を示していく
安全靴の長い紐を結ぶ、辛い仕事だった
それでも二本と線の引かれた淡色のヘルメットを被る、建設会社の若い監督たちはやさしくしてくれた
段々とブロックが積まれ、団地の姿になるまで二年くらい頑張った
若くて体力もあった、何よりも意地があった
仕事が一段落着いたとき、雇われていた下請けの会社から正社員になれと誘われたが、断った
土太い腕、日焼けした顔、飯粒を啄む、手荒い男たち
キツい、辛いだけの仕事を抱え込む意味がわからない
腰を痛め、たぶん身体も気力も彼らには就いていけない、そう思った
、平屋の大きなスーパーが麓にみえてくる
車を停めた、駐車場の、二階建てのプレハブが軋む音。
団地という枠図が整うと後は建て売り業者の仕事だ
そんなときに会社を定年していた親父が、雑役係で臨時の職を紹介してもらう
家から団地まで通うのには距離もある、親父は50ccのカブで通っていた
仕事に関してよく文句も言っていたが、そこを辞めてからは口癖のように懐かしんでもいた
一度二人でこの団地を眺めにきたことがある、けれど、
途中の渋滞で口喧嘩をしてしまった
無口に顔を強張らせたまま、新しい家々が建ち並ぶ高台を目指してぐるりと一周する
頂上にある円形の白い大きな貯水槽、小さく見下ろす鳶たち
入口の付近にあった家の壁
その薄く褐色に塗られた縁取の線だけが眼に付いた
、路傍と、、意識は薄れ。
話しが長くなってしまったようだ
わたしは誰に話しかけているのか
一人公園のベンチに腰かけていると記憶に溺れてしまうのだろう
もちろん、この入り口付近に設けられた敷居の基礎を作ったのはわたしだが、誰もそんな事に興味はないのだ
梅や銀杏の木に添うような、柘植や皐月を囲む手入れの行き届いた花壇
色鮮やかに敷き詰められた石畳や、背凭れが鋼で装飾された木製のベンチも
明日は子供たちや小犬に蹴散らされる、浅瀬の砂場に日が暮れるまで
労した人間の面影もない、何処にも在りはしないのだ
両手をあたまの後ろに組みながら、深く背を沈めて物思いに耽る
あしをまえになげだし、からだは空にむかって、たおれた
手前の道路を小走りに去って行ったのはランニング姿を乱した中年の男だった
遠く、まだ手付かずの森を眺めていた
それから一組の若い母子連れがやって来たが、いつのまにかその姿は見えなくなっていた。
景色の中で小説が読みたくなるときがある
誰も居ない場所を探していたりすると、なかなか見つからないことに気づく
周りの状況が気になればなるほど寂しさもまた実感するのだが、
そのようなときに若い男女連れが現れようなものなら、たちまち逃げ出したくなってしまう
今日はたまたま誰にも逢わずに済みそうな気配だ
ただ脇にある公衆便所の扉の鍵が閉まったまま、人が出てこないのは妙だった
見たこともない木々の葉が生い茂り、ひっそりと佇み、まるで季節を見過したような公衆便所
使われているのだろうか、と近づいてみる
中からがさがさと、紙の擦れる音がした
団地の入り口は岩盤だらけで、重い掛矢を何度も振り回した
測量の機械が読めるようになると気分は一人前の現場監督だ
監督たちが寝泊まりする、麓の事務所には暇潰しによく誘われたが
同じ下請けの人夫たちの目線を避けるのは辛かった
、煙草を吹かし、物語を数ページめくる
あれからもう一時間くらい経つのだ
車の冷房が効きすぎて腹でも下しているのだろうか
それともまわりを意識して出られないのか
わたしは立ち上がり、できるだけ足音を立てないように、もう一度ゆっくり便所の方へ近づいてみる
扉の入口は赤に黒文字の鍵がかかり、まだしっかり閉じられているようだ
耳をそっと近づけてみた
しばらくすると、またがさがさと擦れる音が微かに聞こえてくる
風か、外から小窓に吹き込んでくる風の悪戯に違いない
誰も居ない狭い隙間を通り抜けて、ここに居るのです、と鳴き声を囁いているのだ
淋しい音、窓は固く閉じられていた
壊れているのだろうか、しかしあの耳元に残る小さな擦れは気のせいだろうか
緊張に身構えれば、手は硬直してしまう
決心して扉を叩いてみた、最初は軽く二度、間を置いて二度、大きく拳で叩いてみた
そして扉の取手をぐいぐいと力強く廻しながら
「誰か、誰か居るのですか?」
返事はなかった
沈黙に、あのがさがさと擦れるような音が止んだ
とたんに戦慄がはしる、首筋から全身が強張った、誰もそこには居ない
、暖かな汗の滴に枝の葉が揺れた
団地のプレハブに備え付けられた粗末な洗面器の板張り
干からびた梅干しの種がひとつ転がっていた。
陽差しが波を運ぶ
点在する剥がれた道路のつぶやき
葉が黄緑色に染まる頃
梅の木や銀杏にやってくるのは小さな小鳥たち
野鳥は朝を告げるばかりでメジロの鳴き声も忘れている
カナリアとは漢字で金糸鳥と書くが、その由来はアフリカ大陸の北西、大西洋に浮かぶカナリア諸島である
見たことも、その鳴き声も聴いたことのない鳥だ
少し喉が渇いてきた
道路も通勤帰りの車で満ちてきた
たおしていたからだをゆっくりもちあげる
いくら青空を見上げても、雲の中までは見えてこない、森
私は捲れた文庫本を後部座席に放り投げ
、冷めた車のエンジンを始動させた。
※
奏淋鳥…………カナリア(金糸鳥)
加筆修正と読者と海より広い本屋のために
狭い海
職員室みたいな街で
君と僕は出会ったのさ
廊下に流れている川
そこで
君は魚になって
僕は岩になって
みんなは鳥になって
もう誰もいない
教室は
博物館と同じだね
案の定
君と僕には終わりがない
毒にも薬にもならない。
情緒を殺害、して
血まみれになる、夕方、
俺には
何の達成感も、ない。
太陽が
まるで正論のように、沈み、
雲は
やけに散文的な雨、を、
釘のように降らす
打ちつけられ、て、
毒にも薬にもならない。
終わった発想、で、
お前ら全員
何を奏でる、のか、
俺は静かな草になる。
遠慮はいらない
踏み、潰してくれないか、
新しい花
そうさ
お前らのため、に、
メンヘラバスターズ!
りゃお!
頭ポンポンからの誹謗中傷
この落差、
この落差で
メンヘラどもをやっつけちょる
わし、
メンヘラバスターズのリーダーやっちょるんよ
趣味は山登りっちゃ
りゃお!
今日も明日も明後日も
メンヘラども
情け容赦なく叩き潰すっちゃね。
じゃのに
最後は仲良おなっちまう
にゃぜか
必ず最後は仲良おなっちまうんよ
じゃから
わし、
リーダー失格
そんじぇ
今、
メンヘラとつき合っとるっちゃね
彼女の手首
その傷を褒め殺す
りゃお!
頭ポンポンして
しゃらに
頭ポンポンポンして
しゃらにしゃらに
頭ポンポンポンポンポンポンポンして
ほっこり
いや、
もっこりしているっちゃね
わし、
このまま
じぇっとバカでいたいっちゃ
彼女のために
誰よりもバカでいたいっちゃね
そんじぇ
休日
山の頂上で
孤独をうたうんよ
論外
真実などない
明日
草の上で
戦争がはじまる頃
君の思想が
通用しなくなる
他人の思想と入れかわる
そのくり返し
いつか
戦場に花が咲く
誰も死なない戦争をしよう
リコピン
こんにちは、
お元気ですか?
僕は
光速で
情報に轢かれながら
死んでいます。
朝のひかりで
リコピンを摂取しながら
ひとり死んでいます。
線路沿いの花が睨んでいる午後
その殺伐とした美しさで
巨大な妄想を
ちぎれるまで咲かせている
美しいのは認めるから
はやく散れ、
君も
なるべくはやく散って
死んだ方がいいよ
こんにちは、
お元気ですか?
トマトジュースを
半分ください、
何を見ても何も見た気がしない
優しさで汚された街が人をのみ込む午後。次から
次へとみんな高い場所へ消えていく。君が今まで
集めてきた言葉や数字が砕け散る日も近い。きれ
いな名前をつけられて少しづつ汚されていく夜。
個性的な景観が無機質になる瞬間を見た。この街
のどこかで野蛮な題名の音楽会が開かれている。
正しい手錠の使い方を知らないから。もう朝が近
いのさ。僕の知らないところで光が生まれている
らしい。何を見ても何も見た気がしない。闇を闇
で語る君が光を信じるようになるまで僕はきれい
だ。昨夜の出来事が加筆修正されて朝がくる。海
へ行こうか。ひろい海。そこで何を見ようか。最
初に見た印象とは違う世界。今日だけは加筆修正
を誰にもさせない。終わりのはじまりを見るよ。
拾った海で新しい街をつくるのさ。それが世界。
全員詩人
登場人物が全員詩人の映画があったなら
それは間違いなくコメディ映画である。
内容はどうでもコメディとして見なければならない。
どんな事件が起きようがサスペンスにはならない。
なってはいけない。
そしてハートフルなヒューマン映画にだけはならないように
監督には注意してもらいたい。
いや
監督も詩人だったなら観客も全員詩人でなければならない。
これは問題だ。
やはり詩人は少ない方がいい。
毒針
咲いている花の中でも
一番咲いている
死んでいる人の中でも
一番死んでいる
夏の終わりに
ボードレールの本が
逆さまに
本棚にあるのを見た
僕は
この本屋には
このひろい本屋には
もう二度と来れないだろう
夢の中で
夢の中の本屋で
理想的な背表紙の並びを見て
毒針が
時計みたいに規則正しく
胸を刺してゆく
真夜中
雨の日の エスキース
*
オセロの反対コミュニティ 呪われた阿保阿保君の一人の労働者. 玄関を入ると香ばしい麦茶の香りがした. 特別最近, 台所でヤカンの麦茶を沸かしたりしたことないのに 何故だか玄関入ると 香ばしい香りがたちこめていた. 化学物質の人工臭とはまるで違い, どこか気持ちも和らぐ. ようやく身体を折り畳み 今日 帰宅くたくた 全身“胸糞”まみれな心の羽根を, 作業靴を脱ぎ, 玄関マットレスで足踏みをしながら携帯を開く. 今日は久しぶりに嗅ぐ香りがたくさんあった. いくつもあった. 設備の汎用機の油漏れの匂い. →電車ホームの豆や屁の匂い. →アスファルトやビニルシートのすえた匂い. 街なかの匂いを揮発し浄化していた一日だっ, 分散していく自分の位置に,, おかれている.
**
時計の文字盤から落ちる言の葉 1 2 3 4 5 … 沿う雨を奏でている ,夢の戸から以前居た女の声が 紫色をしたクローズド ,出色の街の雨は文美(あやみ) ,日一日と新しい命が抗している ,ほつる雲が真綿のように秋を待ちわびている ,空と草木の雫 ,灰色をした雫,,, ...
***
夏が少しずつ遠のいているのをみるとなぜだか身の回りの音が静かに聴こえる サンダルで歩く足音が騒がしさを踏み消している 一枚二枚と木の葉を草履の裏にくっつけながら, 身の回り喧騒が遠のくのはきっと台風が近づいている前触れだから, 歩く私の足音を,車の喧騒を,吹き消し, 秋の風たちが様々な音をさらっていた
****
君はいつも夢にまで咲き,わたしは蔦の這う赤レンガのゲートをいくつもくぐる.凡庸な陽のひかりを浴び路のわきの沢に両足を浸し,落ち葉のせせらぎをじっと聴き立ち尽くしている.肥沃の混在する物憂げなカラーリング.水に浮くシラー カリアス書簡をめくり,歩く,歩く,左右くまなくめくり,項(ページ)を探し,求めて歩く.
菖蒲の池のほとりを魚見している,深泥(ミドロ)の粒をたたえた形跡が,夢にまで咲く形跡が,天井の雲間に曳かれた無数のたま粒が,横に長くあしらう水化粧の顏となり,,灰色く目元を濡らすツブツブを束ね,さわさわと降る雨となり,頬を探し,求めて歩く.
.
.
. .
グッドレビュー
彼女は、よみふけった。言葉を一切合財打ち捨てて
それだけの理由で長い旅に出た。最初にたどり着いた国で
顔のよい男と恋をして、そのあと三人の子供に恵まれた。
彼女はそれからもにんしんをして、男の寝る部屋のまんなかのベッドに
たどたどしい足取りで近寄った。
「きっと同義語のはなしをしたがっているに違いない」
と言われた気がした。
妻殺害の容疑者だ。
逃げるように姿をくらませ別の男と暮らし
まったく不発におわった未完の処女作を執筆して
いじげんに行った。
幼少の頃、
自分は完全に満足が得られない、という理由でこの国のあの人が
実在的なものとして体験され、
麻薬は一切使用しない、という約束さえも一方で破棄し
彼女は、放列する視線からは決して目をそらさなかった
というか、ていうか、
太陽の光のつまらなさ、と先ほどのつまらなさを頭上でブン回し
それらを等価に混合して彼女の今を探索しようにも
これはやはり性的な情緒が非なんとか的に解釈され
移転もままならないとわかったからだ
誰がって、彼女が、だ。
きっとよくない話に導かれて
やわらかな移動力もなくして
変位の代数に閉じこもった脆弱な続がらを幕切れに、彼女とその仲間は
所定の時刻になると素振りがくるったように
頬笑みを唾棄した人たちの記憶を横滑りさせ
それは、まるで内圧からあるように、突然、そして、激しく、
いきおいはもうボロボロと、
ハワイの観光を題材にした処女作のタイトル
「大丈夫です、つまらない駄作です」を不慣れなフランス語にして
むやみに誰かに語りかけたりしながら家の壁に自分を立てかけて
暮らした。
うまれてから今までずっと。
BACK TO THE ACID PLANET
「五階、呉服売り場で御座います」長引く不況に苦しむ
松川デパート。売上利益率の急降下が、経理担当者の粉
飾決算に拍車をかける。皆様の温かいご愛顧を受けなが
らも、赤字決算に歯止めがかかる気配は御座いませんの
で、此の度リストラを断行することと致しました。接客
担当の山川さんは一時帰休。仕入担当の水島さんはリス
トラ部屋で待機。スミレに行ってきます、が口癖の本山
さんは5段階降格の上、雇用契約を眼前で引き千切って
問答無用でクビ。怒り狂った本山さんが、商品在庫を全
て焼却処分したために、五階、呉服売り場には、商品は
なく、従業員もおらず、当然、客などいるはずもなく、
ただ白い空間が広がっているばかりだと考えていらっし
ゃる方がいるとすれば、「それは、貴方の誤解です」
「五階、呉服売り場でございます」中国人観光客の急減
に悩む松川市。インバウンド需要の取り込みに向けて本
山さんはNHK中国語講座で猛特訓。したが、解雇済みの
ため、誰も中国語は話せません。オモテナシ日本を実現
するべく、外資系コンサルティングファームに経営改革
案の策定を依頼。結果、五階売り場面積の大部分をユニ
クロに持参金付きで譲渡。残った面積は喫茶すみれ、で
はなく、ブルーボトルコーヒー社を土下座外交により誘
致。したが、丁重に謝絶されたので、やっぱり喫茶すみ
れ。バイト面接に現れた本山さんは一旦、採用の上、難
癖つけて即刻解雇。もはや、呉服など廊下の隅にさえ置
かれることもなく、五階、呉服売り場にはヒートテック
しかないと考えていらっしゃる方がいるとすれば、「そ
れは、貴方の誤解です」
「五階、呉服売り場でございます」東シナ海への関与を
強める日本国。財政赤字の垂れ流し。失墜する日本国へ
の信頼。一挙に問題を有耶無耶にするには戦争以外の方
法はあり得ません。この間、赤字に苦しむ呉服売り場を
延命させる日本国からの補助金。呉服を愛用すれば日本
国への愛着が湧いて、カミカゼ特攻隊で日本国から消え
たくなるのは当然の心理学的帰結。見返りに、本山さん
は再雇用の上、日本国の慰安婦として転籍処分。したが
、不貞行為により即刻解雇されたので、差し当たりすみ
れで面倒みてます。全国民の安全を守る為、凡ゆる情報
を収集し不満分子を抹殺するのが必要すぎる国民保護活
動。ならば、五階、呉服売り場には、日本国の盗聴器が
仕掛けられていない呉服などないと考えていらっしゃる
方がいるとすれば、「それは貴方の誤解です」
「五階、呉服売り場で御座います」砂漠化が進展する然
程青くもない地球。オゾン層の破壊、地球温暖化現象は
人類規模の問題であり、人類の力では解決不可能。この
間、猛威を振るう難病奇病の数々。あら、大変、インド
で鰐皮の子供が生まれました。深刻すぎる滅亡リスクを
抱えながらも、人類が存続していられるのは、当然、バ
イオレッタ星人のおかげです。宇宙人好みの製品に特化
した五階、呉服売り場。山川さんは宇宙人の慰み物。水
島さんは宇宙ゴミ。本山さんは、解雇と雇用の無限ルー
プによりすみれに四次限空間を生成して宇宙人と交信す
るのが仕事。だったが宇宙ゴミで骨まで燃やして解雇。
もはや、五階、呉服売り場には、人間の買える呉服など
ないと考えていらっしゃる方がいるとすれば、「それは
貴方の誤解です」
「五階、呉服売り場で御座います」世界とは畢竟、伝言
ゲーム。誤解が誤解を生み、誤解が湾曲して歪み続ける
プロセスを極限まで進めた結果生じる共通了解は凡庸。
だから、本山さんの解雇&雇用の無限ループにより生じ
るラヴという名のグルーヴィーなハイだけが、バタフラ
イ効果により、インドの奇病を治癒。できる可能性を信
じて、本山さんは、足裏診断士5級の資格取得に向け猛
勉強。したが、すみれからの苦情により即刻解雇。本山
さんの媚態をバイオレッタ星人の集合的無意識に落とし
込む雇用契約の締結。宇宙規模で、万物が万物に照応す
るのは、詩的にも科学的にも当然すぎる必然。ならば、
呉服の購入が、本山さんの雇用を守り、松川市の経済を
守り、日本国の存続を守り、世界の秩序を守り、宇宙に
平和を齎す、と考えていらっしゃる方がいるとすれば、
「それは貴方の誤解です」
メンタルヘルスディストーション
風景が
やわらかくならない。
いつも
鉄のようなゼリー感覚
ガードレールは楽器だと思うんだよね。
叩くと
鳥が消えるから
ね。
何もしないで日が暮れる頃
病みツイートより深く
もっと深く
太陽がプラスティック爆
うあ。
人気のない漫画のように急に終わる
うあ。うああ。
連載しろ
速攻で
辞める辞める詐欺
鳥が戻ってくる
病める病める夕方
世界を一望する
うあ。
ちっちゃ!
お前の世界、その小ささ
東京ドームの半分の半分の半分の半分の半分くらい
その100億分の1
うあ。
攻める攻める日常
君は個性的だね
うあ。
君より個性的な人がいるよ
もう
君のとなりに
いるかもしれないね
右にも左にも
100メートル先にも
たぶん
いるんだろうね
100年先にもいる
ね。
君の100メートル先にいる小鳥が
よく見えるけれど
本当は
小鳥の100メートル手前に君がいるだけなのかもね
ね、
理屈の森で
みんな競う
燃やしてはいけないものを
燃やす
となりを刺し
うえを落としたら
やっと個性がなくなる
ね。
100メートル先くらいまでなら
すべて潰せるよ
世界だって
ね。
代々木から歩いて五分
実家はレゴブロック(実話
地下鉄でポエムが歪む
うあ。
手首に貯金してまあす
うあ。うああ。
誰も注目してくれない夜
貯金くずしまあす。
うあ。
コンビニで闇を買う
買った闇を
ネットで売りつける
一年後
それが戻ってくる
闇。
鳥は戻ってこない
うあ。
自分大好き
みんな大好き
アボカド大好き
コレステロール死ね
自撮り棒に刺さって死ね
うあ。
真夜中
白馬に乗った二次元が
落馬して三次元になる
言わんこっちゃねー
スマホで
世界征服だ!
戦争だあ
ポエスとポエムで戦争だあ
錠剤と地雷ばかりの街
戦車で行くコミケ
うああ。
東京っメンタルヘルスディストーション!
うあ。
戦争だあ
水色だあ
炎上だあ
味のない泥のんで
生きるでやんす(^-^)
全滅!
うあ。うああ。
処女を守れ
兵隊ども
比喩に負けるな
ひるむな
つぶやくな
てやんでいっセンチメンタル!
ナースの格好で
注射針の先で
未来を刺すでやんす(^ ^)
しゃらくせいっリストカット!
塩まいとけ!塩。
デリカシーのない奴ら
この指とまって折れ
折ってみろ
あることないこと
書いて書いて
伝書鳩で一斉送信
名誉毀損で訴えてやる
調教っメンタルヘルスディストーション!
傷なんかねえから
包帯いらない
ガードレールに座りながら
楽器の練習
エアで。
うあ。
やっと
やっとだ
やわらかくなる
風景。
忘れられた題名
今日は偶然、雨が降ったけれど
そんなことは3日も前から既にわかっていることだった
僕の言葉は決して君のところへは届かないだろうけれど
その君のほんの手前、30cmのところに
黄色い花を咲かせたかった
革靴を食べる緑色の幼虫が
僕の目の縁を這っている
そして木肌に触れた僕は
その赤い窪みを伝う水を
傘の上に落ちた4つ目の数字を
犬の掘る穴の中へ
春とともに注いだのだ
この匂いは何の匂いか
腕を渡る蛇の残した小さな卵
折りたたまれた羽を広げる この鉄塔は
あの繋ぎとめられた送電線の中にも青い血を流している
蒸気機関車へ一人の男が乗り込むたびに
僕は水族館に立ち込める
あの暗い照明の匂いを思い出していた
何もわからないことがわかればいいのだと
国道一号線を東へ1キロ渡ったところにある
犬小屋には書いてあった
たとえ月の表面がこの青い水のもつ光沢にすっかり満たされたとしても
僕のこの剥き出しになった右目の骨格を渡る蟻たちの歩幅は
太平洋を横断するのに2年の歳月を要するだろうし
そして、
鳥と鯨のもつ大きさの違いを認識することもないだろう
僕は、
点滅し始めた信号機を渡る人間たちの真似をして
花に溜まった幼い蜜を静かに飲み込む準備をしていた
砂漠に雨が降らないのは
雨が降らないから砂漠になったのだとすれば
その風船の汚れた紐の先を君の手首に巻きつけるのは
鳥が空の中に彼らの卵を隠したのと同じ理由で
君の初めて覚えた言葉が月よりも白い海だったとして
砂をかんで開かない扉の中で
このコップの水を飲んだのは誰なのか
君の目が犬の湿った鼻先のように潤んでいる
だから僕は書いたのだった
木の幹に穴を開ける虫たちのように
今日はこの口の中で青い火が枯れるだろう
蝶の羽で作ったその手袋は
君の過呼吸をとめるのに必要なだけの容積を
その体に有しているのだろうかということを
いすは立ったまま
サンタクロース
母乳みたいなの
おかあさん
母乳みたいなの
ひましに
母乳みたいなの
ほしぶどう
母乳みたいなの
ひなたで
母乳みたいなの
いねむり
母乳みたいなの
なにか
母乳みたいなの
おいたを
母乳みたいなの
したの
母乳みたいなの
たった
母乳みたいなの
ままのいす
母乳みたいなの
おとうと
母乳みたいなの
ねむらせ
母乳みたいなの
いもうと
母乳みたいなの
ねむらせ
母乳みたいなの
よふけ
母乳みたいなの
ひとり
母乳みたいなの
たったまま
母乳みたいなの
ねむるいす
母乳みたいなの
いすが
母乳みたいなの