#目次

最新情報


2015年08月分

月間優良作品 (投稿日時順)

次点佳作 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


詩の日めくり 二〇一四年九月一日─三十一日

  田中宏輔


二〇一四年九月一日 「変身前夜」


 グレゴール・ザムザは、なるべく音がしないようにして鍵を回すと、ドアのノブに手をかけてそっと開き、そっと閉めて、これまた、なるべく音がしないようにして鍵をかけた。家のなかは外の闇とおなじように暗くてしずかだった。父親も母親も出迎えてはくれなかった。妹のグレーテも出迎えてはくれなかった。もちろん、こんなに遅くなってしまったのだから、先に寝てしまっているのだろう。父親も母親も、もう齢なのだから。しかも、ぼくのけっして多くはない給料でなんとか家計をやりくりしてくれているのだから、きっと気苦労もすごくて、ぼくが仕事を終えて遅くなって帰ってくるころには、その気苦労のせいで、ふたりの身体はベッドのくぼみのなかにすっぽりと包みこまれてしまっているにちがいない。申し訳ないと、こころから思っている。こんな時間なのだから。妹のグレーテだって、眠気に誘われて、ベッドのなかで目をとじていることだろう。グレゴールは自分の部屋のなかに入ると、書類がぎっしり詰まっている鞄を机のうえに置いて、服を着替えた。すぐにでも眠りたい、あしたの朝も早いのだから、と思ったのだが、きょう訪問したところでの成果を、あした会社で報告しなければならないので、念のためにもう一度見直しておこうと思って、机のうえのランプに火をつけると、その灯かりのもとで、鞄のなかから取り出した報告書に目を通した。セールスの報告は、まずそれがよい結果であるのか、よくない結果であるのかを正確に判断しなければならず、そのうえ、その報告の順番も大事な要素で、その報告する順番によっては、自分に対する評価がよくもなり、よくなくもなるのであった。グレゴールは報告する事項の順番を決めると、その順番に、こころのなかで、上司のマネージャーに伝えるべきことを復唱した。朝にもう一度目を通そうと思って、机のうえに書類を置いてランプの火を消すと、グレゴールはベッドのなかに吸い込まれるようにして身を横たえた。グレゴールは知らなかったし、もちろん、グレゴールの両親も、彼の妹も知らなかったし、彼らが住んでいる街には、だれ一人知っているものはいなかったのだが、先月の末に焼失した大劇場跡に一台の宇宙船が着陸したのだった。宇宙船といっても、小さなケトルほどの大きさの宇宙船だった。宇宙船は、ちょうどグレゴールがすっかり眠り込んだくらいの時間に到着したのであった。到着するとすぐに、宇宙船のなかから黒い小さなかたまりが数多く空中に舞い上がっていった。その黒い小さなかたまりは、一つ一つがすべて同じ大きさのもので、まるで甲虫のような姿をしていた。グレゴールの部屋の窓の隙間から、そのうちの一つの個体が侵入した。それは眠っているグレゴールの耳元まで近づくと、昆虫の口吻のようなものを伸ばして、グレゴールの耳のなかに挿入した。彼はとても疲れていて、そういったものが耳の穴のなかに入れられても、まったく気づくこともなく目も覚まさなかった。昆虫や無脊椎動物のなかには、獲物にする動物が気がつかないように、神経系統を麻痺させる毒液を注入させてから、獲物の体液を吸い取るものがいる。この甲虫のような一つの黒い小さなかたまりもまた、グレゴールの内耳の組織に神経を麻痺させる毒液を注入させて毒液が効果を発揮するまでしばらくのあいだ待ち、昆虫の口吻のようなものを内耳のなかからさらに奥深くまで突き刺した。そうして聴力をも無効にさせたあと、その黒い小さなかたまりはグレゴールの脳みそを少しすすった。すると、自分のなかにあるものを混ぜて、ふたたびグレゴールの脳みそのなかにそれを吐き出した。それは呼吸のように繰り返された。すする量が増すと、吐き出される量も増していった。そのたびに、黒い小さなかたまりは、すこしずつ大きさを増していった。もしもそのとき、グレゴールに聴力があれば、自分の脳みそがすすられ、そのあとに、もとの脳みそではないものが、自分の頭のなかに注入されていく音を聞くことができたであろう。「ちゅー、ぷわー、ちゅー、ぷわー、ちゅー、ぷわー、ちゅー、ぷわー。」という音を。「ちゅるるるるー、ぷわわわわー、ちゅるるるるー、ぷわわわわー、ちゅるるるるー、ぷわわわわー、ちゅるるるるー、ぷわわわわー。」という音を。交換は脳みそだけではなかった。肉や骨といったものもどろどろに溶かされ、黒いかたまりに吸収されては吐き戻されていった。そのたびに、黒い小さなかたまりは大きくなり、グレゴールの身体は小さく縮んでいった。やがて交換が終わると、黒い小さなかたまりであったものは人間の小さな子どもくらいの大きさになり、グレゴールの身体であったものは段ボールの箱くらいの大きさになっていた。すべてがはじまり、すべてが終わるまでのあいだに、夜が明けることはなかった。もとは黒い小さなかたまりであったがいまでは透明の翅をもつ妖精のような姿をしたものが、手をひろげて背伸びをした。妖精の身体はきらきらと輝いていた。太陽がまだ顔をのぞかせてもいない薄暗闇のなかで、妖精の身体は光を発してきらきらと輝いていた。妖精が翅を動かして空中に浮かびあがると、机のうえに重ねて置いてあった書類の束がばらばらになって部屋じゅうに舞い上がった。妖精は窓辺に行き、その小さな手で窓をすっかりあけきると、背中の翅を羽ばたかせて未明の空へと飛び立った。もとはグレゴールであったがいまでは巨大な黒い甲虫のようなものになった生き物は、まだ眠っていた。もうすこしして太陽が顔をのぞかせるまで、それが目を覚ますことはなかった。


二〇一四年九月二日 「言葉の重さ」


水より軽い言葉は
水に浮く。

水より重い言葉は
水に沈む。


二〇一四年九月三日 「問題」


 1秒間に、現実の過去の3分の1が現実の現在につながり、その4分の1が現実の未来につながる。現実の過去の3分の2が現実の現在につながらず、その現実の現在の4分の3が現実の未来につながらない。1000秒後に、いま現実の現在が、現実の過去と現実の未来につながっている確率を求めよ。


二〇一四年九月四日 「うんこ」


 西院のブレッズ・プラスというパン屋さんでBLTサンドイッチのランチセットを食べたあと、二階のあおい書店に行くと、絵本のコーナーに、『うんこ』というタイトルの絵本があって、表紙を見たら、「うんこ」の絵だった。むかし、といっても、30年ほどもまえのこと、大阪の梅田にあったゲイ・スナックで、たしかシャイ・ボーイっていう名前だったと思うけど、そこで、『うんこ』というタイトルの写真集を見たことがあった。うんこだらけの写真だった。若い女の子がいろんな格好でうんこをして、そのうんこを男が口をあけて食べてる写真がたくさん載ってた。芸術には限界はないと思った。いや、エロかな。エロには限界がないってことなのかな。そいえば、「トイレの落書き」を写真に撮った写真集も見たことがあった。バタイユって、縛り付けた罪人を肉切り包丁で切り刻む中国の公開処刑の写真を見て勃起したみたいだけど、あ、エロスを感じたって書いてただけかもしれないけれど、人間の性欲異常ってものには限界がないのかもしれないね。20代のころ、夜、葵公園で話しかけた青年に、初体験の相手のことを訊いたら、「犬だよ。」と答えたので、「冗談?」って言うと、首をふるから、びっくりして、それ以上、話をするのをやめたことがあるけど、いまだったら、じっくり聞いて、あとでそのことを詩に書くのに、もったいないことをした。ちょっとやんちゃな感じだったけど、体格もよくって、顔もかわいらしくて、好青年って感じだったけど、犬が初体験の相手だというのには、ほんとにびっくりした。ぼくは性愛の対象としては人間にしか興味がないので、他の動物を性欲の対象にしているひとの気持ちがわからないけれど、まあ、人間より犬のほうが好きってひとがいても、ぼくには関係ないから、どうでもいいか。えっ、でも、それって、もしかすると、動物虐待になるのかな。動物へのセックスの強要ってことで。同意の確認があればいいのかな。どだろ。ところで、そいえば、ゲイやレズビアンの性愛とか性行為なんか、もうふつうに文学作品に描かれてるけど、動物が性対象の小説って、まだ読んだことがないなあ。あるんやろうか。あるんやろうなあ。ただぼくが知らないだけで。


二〇一四年九月五日 「イエス・キリスト」


 きょう、仕事帰りに、電車のなかで居眠りしてうとうとしてたら、そっと手を握られた。見ると、イエス・キリストさまだった。「元気を出しなさい。わたしがいつもあなたといっしょにいるのだから。」と言ってくださった。はいと言ってうなずくと、すっと姿が見えなくなった。ありゃ、まただれかのしわざかなと思って周りを見回すと、何人か、あやしいヤツがいた。


二〇一四年九月六日 「本」


 地面は本からできている。本のうえをぼくたちは歩いている。木も本でできているし、人間や動物たちも、鳥や魚だって、もともとは本からできている。新約聖書の福音書にも書かれてある。はじめに本があった。本は言葉あれと言った。すると言葉があった。本の父は本であり。その本の父の父も本であり、その本の父の父の父も……


二〇一四年九月七日 「カインとアベル」


 カインはアベルを殺さなかった。カインのアベルを愛する愛は、カインのアベルを憎む憎しみより強かったからである。そのため人間の世界では、文明が発達することもなく、文化が起こることもなかった。人間には、音楽も詩も演劇もなかった。ただ祈りと農耕と狩猟の生活が、人間の生活のすべてであった。


二〇一四年九月八日 「存在の卵」


二本の手が突き出している
その二本の手のなかには
ひとつずつ卵があって
手の甲を上にして
手をひらけば
卵は落ちるはずであった
もしも手をひらいても
卵が落ちなければ
手はひらかれなかったのだし
二本の手も突き出されなかったのだ


二〇一四年九月九日 「生と死」


みんな死ぬために生きていると思っているようだが、みんな生きるために死んでいるのである。


二〇一四年九月十日 「尊厳詩法案」


今国会に、詩を目前にして、なかなかいきそうにないひとに、苦痛のない詩を与えて、すみやかにいかせる、という目的の「尊厳詩法案」が提出されたそうだ。


二〇一四年九月十一日 「チュー」


 けさ、ノブユキとの夢を見て目が覚めた。ぼくと付き合ってたときくらいの二人だった。ぼくの引っ越しを手伝ってくれてた。あと3年、アメリカにいるからって話だった。じっさい、ノブユキは付き合ってたとき、アメリカ留学でシアトルにいた。シアトルと日本とのあいだで付き合ってたのだ。ぼくが28才と29才で、ノブユキは21才と22才だった。夢中で好きになること。好き過ぎて泣けてしまったのは20代で、しかもただ一度きりだった。ぼくが29才の誕生日をむかえて何日もたってなかったと思うけど、そんな日に、ノブユキから、「ごめんね。別れたい。」と言われた。アメリカからの電話でだった。どうやら、むこうで新しい恋人ができたかららしい。「その新しい恋人と、ぼくとじゃ、なにが違うの?」って聞くと、「齢かな。ぼくと同い年なんだ。」との返事。そのときには涙は出なかった。齢のことなら、仕方ないよなって思った。「いいよ。それできみが幸せなら。」そう返事した。涙が出たのは、別れたんだと思って、いろいろ思い出して、三日後。好きすぎて泣けてしまったのだと思う。別れてから8年後に、偶然、ノブユキと大阪で出合ったことを、國文學に書いたことがあった。あるとき、ノブユキに、「なに考えてるか、すぐにわかるわ。」と言われたけど、ぼくには自分がなにを考えているのかわからなかった。なんか考えてるだろうって、友だちからときどき言われるんだけど、なにも考えてないときに限って言われてる、笑。きょうの昼間、買い物に出たら、「あっちゃん!」って言われたから、振り返ったら、すこしまえに付き合ってた男の子が笑っていた。「いっしょにご飯でも食べる?」と言うと、「いいよ。」と言うので、マクドナルドでハンバーガーのランチセットを買って、部屋に持ち帰って、いっしょに食べた。食べたあと、チューしようとしたら、反対にチューされた。


二〇一四年九月十二日「普通と特別」


ふつうのひとも、とくべつなひとだ。とくべつなひとも、ふつうのひとだ。


二〇一四年九月十三日 「確率生物」


「確率生物研究所」というところがイギリスにはあって、そこで捕獲されたかもしれない「雲蜘蛛」という生物がちかぢか日本にも上陸するかもしれないという。なんでも、水でできた躰をしているかもしれず、水でできた糸を編んで巣を張るかもしれないらしい。部屋に戻って、パソコンつけて、ツイッター見てたら、そんな記事がツイートで流れていて、ふと、なにかが落ちるのを感じて振り返った。部屋の天井の隅に、小さな雲が浮かんでいて、しょぼしょぼ水滴を落としてた。これか、これが雲蜘蛛なんだなって思った。見てたら、ゴロゴロ鳴って、小さな稲妻をぼくの指のさきに落とした。ものすごく痛かった。しばらくしてからもビリビリしていた。


二〇一四年九月十四日 「真実と虚偽」


真実から目をそらすものは、真実によって目隠しされる。虚偽に目を向けるものは、虚偽によって目を見開かされる。


二〇一四年九月十五日 「湖上の吉田くん」


湖の上には
吉田くんが一人、宙に浮かんでいる

吉田くんは
湖面に映った自分と瓜二つの吉田くんに見とれて
動けなくなっている

湖面は
吉田くんの美しさに打ち震えている

一人なのに二人である
あらゆる人間が
一人なのに二人である

湖面が分裂するたびに
吉田くんの数が増殖していく

二人から四人に
四人から八人に
八人から十六人に

吉田くんは
湖面に映った自分と瓜二つの吉田くんに見とれて
動けなくなっている

無数の湖面が
吉田くんの美しさに打ち震えている

どの湖の上にも
吉田くんが
一人、宙に浮かんでいる


二〇一四年九月十六日 「戴卵式」


12才になったら
大人の仲間入りだ
頭に卵の殻をかぶせられる
黄身が世の歌を歌わされる
それからの一生を
卵黄さまのために生きていくのだ
ぼくも明日
12才になる
とても不安だけど
大人といっしょで
ぼくも卵頭になる
ざらざら
まっしろの
見事なハゲ頭だ


二〇一四年九月十七日 「「無力」についての考察」


力のない無力は無であり、無のない無力は力である。


二〇一四年九月十八日 「詩集」


 タクちゃんに頼んで、京都市中央図書館に、ぼくの詩集の購入リクエストをしてもらって、いままで何冊か購入してもらってたんだけど、きょう、タクちゃんちに、京都市中央図書館のひとから電話がかかってきて、借り出すひとが皆無だったそうで、田中宏輔の詩集は、京都市中央図書館では二度と購入しませんと言われたらしい。購入したって図書館から通知がきたら、借り出すようにタクちゃんに言っておけばよかったなと思った。


二〇一四年九月十九日 「指のないもの」


 指のない街。指のない風景。指のない手。指のない足。指のない胸。指のない頭。指のない腰。指のない机。指のない携帯。指のない会話。指のない俳句。指のない酒。指のないコーヒー。指のないハンカチ。指のない苺。


二〇一四年九月二十日 「指のないひと」


 そいえば、むかしちょこっと会ってたひと、どっちの手か忘れたけど、どの指かも忘れたけど、指のさきがなかった。どうしてって訊くと、「へましたからや。」って言うから、そうか、そういうひとだったのかと思ったけど、お顔はとてもやさしい、ぽっちゃりとした、かわいらしいひとだった。背中の絵は趣味じゃなかったけど。


二〇一四年九月二十一日 「緑がたまらん。」


「えっ、なに?」と言って、えいちゃんの顔を見ると、ぼくの坐ってるすぐ後ろのテーブル席に目をやった。ぼくもつい振り返って見てしまった。柴田さんという68才になられた方が、向かい側に腰かけてた若い女性とおしゃべりなさっていたのだけれど、その柴田さんがあざやかな緑のシャツを着てらっしゃってて、その緑のことだとすぐに了解して、えいちゃんの顔を見ると、もう一度、
「あの緑がたまらんわ〜。」と。
笑ってしまった。えいちゃんは、ぜんぜん内緒話ができない人で、たとえば、ぼくのすぐ横にいる客のことなんかも、「あ〜、もう、うっとしい。はよ帰れ。」とか平気でふつうの声で言うひとで、まあ、だから、ぼくは、えいちゃんのことが大好きなのだけれど、ぜったい柴田さんにも聞こえていたと思う、笑。ぼくはカウンター席の奥の端に坐っていたのだけれど、しばらくして、八雲さんという雑誌記者のひとが入ってきて、入口近くのカウンター席に坐った。以前にも何度か話をしたことがあって、腕とか、とくに鼻のさきあたりが強く日に焼けていたので、
「焼けてますね。」
と声をかけると、
「四国に行ってました。ずっとバイクで動いてましたからね。」
「なんの取材ですか?」
「包丁です。高松で、包丁をといでらっしゃる方の横で、ずっとインタビューしてました。」
ふと、思い出したかのように、
「あ、うつぼを食べましたよ。おいしかったですよ。」
「うつぼって、あの蛇みたいな魚ですよね。」
「そうです。たたきでいただきました。おいしかったですよ。」
「ふつうは食べませんよね。」
「数が獲れませんから。」
「見た目が怖い魚ですね。じっさいはどうなんでしょう? くねくね蛇みたいに動くんでしょうか?」
「うつぼは底に沈んでじっとしている魚で、獰猛な魚なんですよ。毒も持ってますしね。 近くに寄ったら、がっと動きます。ふだんはじっとしてます。」
「じっとしているのに、獰猛なんですか?」
「ひらめも、そうですよ。ふだんは底にじっとしてます。」
「どんな味でしたか?」
「白身のあっさりした味でした。」
「ああ、動かないから白身なんですね。」
「そうですよ。」
話の途中で、柴田さんが立ち上がって、こちらに寄ってこられて、ぼくの肩に触れられて、
「一杯、いかがです?」
「はい?」
と言って顔を見上げると、陽気な感じの笑顔でニコニコなさっていて
「この人、なんべんか見てて、おとなしい人やと思ってたんやけど、この人に一杯、あげて。」と、マスターとバイトの女の子に。
マスターと女の子の表情を見てすかさず、
「よろしいんですか?」
と、ぼくが言うと、
「もちろん、飲んでやって。きみ、男前やなあ。」
と言ってから、連れの女性に、
「この人、なんべんか合うてんねんけど、わしが来てるときには、いっつも来てるんや。で、いっつも、おとなしく飲んでて、ええ感じや思ってたんや。」
と説明、笑。
「田中といいます、よろしくお願いします。」
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
みたいなやりとりをして、焼酎を一杯ごちそうになった。
えいちゃんと、八雲さんと、バイトの女の子に、
「朝さあ。西院のパン屋さんで、モーニングセット食べてたら、目の前をバカボンのパパみたいな顔をしたサラリーマン風のひとが、まあ、40歳くらいかな。そのひとがセルフサービスの水をグラスに入れるために、ぼくの目の前を通って、それから戻って、ぼくの隣の隣のテーブルでまた本を読み出したのだけれど、その表紙にあったタイトルを見て、へえ? って思ったんだよね。『完全犯罪』ってタイトルの小説で、小林泰三って作者のものだったかな。写真の表紙なんだけど、単行本だろうね。タイトルが、わりと大きめに書かれてあって、ぼくの読んでたのが、P・D・ジェイムズの『ある殺意』だったから、なんだかなあって思ったんだよね。隣に坐ってたおばさんの文庫本には、書店でかけられた紙のカバーがかかってて、タイトルがわからなかったんだけど、ふと、こんなこと思っちゃった。みんな朝から、おだやかな顔をして、読んでるものが物騒って、なんだかおもしろいなって。」
「隣のおばさんの読んでらっしゃった本のタイトルがわかれば、もっとおもしろかったでしょうね。」
と、バイトの女の子。
「そうね。恋愛ものでもね。」
と言って笑った。
緑がたまらん柴田さんが
「横にきいひんか?」
とおっしゃったので、柴田さんの坐ってらっしゃったテーブル席に移動すると、マスターが、
「田中さんて、きれいなこころしてはってね。詩を書いておられるんですよ。このあいだ、この詩集をいただきました。」
と言って、柴田さんに、ぼくの詩集を手渡されて、すると、柴田さん、一万円札を出されて、
「これ、買うわ。ええやろ。」
と、おっしゃったので、
「こちらにサラのものがありますし。」
と言って、ぼくは、リュックのなかから自分の詩集を出して見せると、マスターが受け取った一万円札をくずしてくださってて、
「これで、お買いになられるでしょう。」
と言ってくださり、ぼくは、柴田さんに2500円いただきました、笑。
「つぎに、この子の店に行くんやけど、いっしょに行かへんか?」
「いえ、もうだいぶ酔ってますので。」
「そうか。ほなら、またな。」
すごくあっさりした方なので、こころに、なにも残らなくて。
で、しばらくすると、柴田さんが帰られて、ぼくはふたたび、カウンター席に戻って、八雲さんとしゃべったのだけれど、その前に、フランス人の観光客が二人入ってきて、若い男性二人だったのだけれど、柴田さん、その二人に英語で話しかけられて、バイトの女の子もイスラエルに半年留学してたような子で、突然、店のなかが国際的な感じになったのだけれど、えいちゃんが、柴田さんの積極的な雰囲気を見て、「すごい好奇心やね。」って。ぼくもそう思ってたから、こくん、とうなずいた。女性にはもちろん、ほかのことにも関心が強くって、 人生の一瞬一瞬をすべて楽しんでらっしゃるって感じだった。
柴田さん、有名人でだれか似てるひとがいたなあって思ってたら、これを書いてるときに思いだした。増田キートンだった。
八雲さんが
「犬を集めるのに、みみずをつぶしてかわかしたものを使うんですよ。 ものすごく臭くって、それに酔うんです。もうたまらんって感じでね。」
「犬もたまらんのや。」
と、えいちゃん。 このとき、犬をなにに使うのかって話は忘れた。なんだったんだろう? すぐにうつぼの話に戻ったと思う。あ、ぼくが戻したのだ。
「うつぼって、どうして普及しないのですか?」
と言うと、
「獲れないからですよ。偶然、網にかかったものを地元で食べるだけです。」
このあと、めずらしい食べ物の話が連続して出てきて、その動物たちを獲る方法について話してて、うなぎを獲る「もんどり」という仕掛けに、サンショウウオを獲る話で、「鮎のくさったものを使うんですよ。」という話が出たときに、また、えいちゃんが
「サンショウウオもたまらんねんなあ。」
と言うので、
「きょう、えいちゃん、たまらんって、四回、口にしたで。」
と、ぼくが指摘すると、
「気がつかんかった。」
「たまらんって、語源はなんやろ?」
と言うと、
八雲さんが
「たまらない、こたえられない、十分である、ということかな。」
ぼくには、その説明、わからなくって、と言うと、八雲さんがさらに、
「たまらない。もっと、もっと、って気持ち。いや、十分なんだけど、もっと、もっとね。」
ここで、ぼくは、自分の『マールボロ。』という詩に使った「もっとたくさん。/もうたくさん。」というフレーズを思い出した。八雲さんの話だと、サンショウウオは蛙のような味だとか。ぼくは知らん。 どっちとも食べたことないから。
「あの緑がたまらん。」
ぼくには、えいちゃんの笑顔がたまらんのやけど、笑。
そうそう。おばさんっていうと、朝、よくモーニングを食べてるブレッズ・プラスでかならず見かけるおばさんがいてね。ある朝、ああ、きょうも来てはるんや、と思って、学校に行って、仕事して、帰ってきて、西院の王将に入って、なんか定食を注文したの。そしたら、そのおばさん、ぼくの隣に坐ってて、晩ごはん食べてはったのね。びっくりしたわ〜。人間の視界って、180度じゃないでしょ。それよりちょっと狭いかな。だけど、横が見えるでしょ。目の端に。意識は前方中心だけど。意識の端にひっかかるっていうのかな。かすかにね。で、横を向いたら、そのおばさんがいて、ほんと、びっくりした。 でも、そのおばさん、ぜったい、ぼくと目を合わせないの。いままで一回も目が合ったことないの。この話を、日知庵で、えいちゃんや、八雲さんや、バイトの女の子にしてたんだけど、バイトの子が、「いや、ぜったい気づいてはりますよ。気づいてはって、逆に、気づいてないふりしてはるんですよ。」って言うのだけど、人間って、そんなに複雑かなあ。あ、このバイトの子、静岡の子でね。ぬえって化け物の話が出たときに、ぬえって鳥みたいって言うから、
「ぬえって、四つ足の獣みたいな感じじゃなかったかな?」
って、ぼくが言うと、八雲さんが
「二つの説があるんですよ。鳥の化け物と、四つ足の獣の身体にヒヒの顔がついてるのと。で、そのヒヒの顔が、大阪府のマークになってるんですよ。」
「へえ。」
って、ぼくと、えいちゃんと、バイトの子が声をそろえて言った。なんでも知ってる八雲さんだと思った。
 ぬえね。京都と静岡では違うのか。それじゃあ、いろんなことが、いろんな場所で違ってるんやろうなって思った。そんなふうに、いろんなことが、いろんな言葉が、いろんな場所で、いろんな意味になってるってことやろうね。あたりまえか。あたりまえなのかな? わからん。 でも、じっさい、そうなんやろね。


二〇一四年九月二十二日 「時間と場所と出来事」


 時間にも困らない。場所にも困らない。出来事にも困らない。時間にも困る。場所にも困る。出来事にも困る。時間も止まらない。場所も止まらない。出来事も止まらない。時間も止まる。場所も止まる。出来事も止まる。時間も改まらない。場所も改まらない。出来事も改まらない。時間も改まる。場所も改まる。出来事も改まる。時間も溜まらない。場所も溜まらない。出来事も溜まらない。時間も溜まる。場所も溜まる。出来事も溜まる。


二〇一四年九月二十三日 「家でできたお菓子」


 ヘンゼルとグレーテルだったかな。森のなかに、お菓子でできた家がありました。といった言葉ではじまる童話があったような気がするけど、ふと、家でできたお菓子を思い浮かべた。


二〇一四年九月二十四日 「愛」


二十歳の大学生が、ぼくに言った言葉に、しばし、こころがとまった。とまどった。「恋人と別れてわかったんですけれど、けっきょく、ぼくは自分しか愛せない人間なのだと思います。」


二〇一四年九月二十五日 「過ちは繰り返すためにある。」


まあ、繰り返すから過つのではあるが。


二〇一四年九月二十六日 「神さま」


あなたは目のまえに置いてあるコップを見て、それが神さまであると思うことがありますか?


二〇一四年九月二十七日 「卵」


 きょうは、ジミーちゃんと西院の立ち飲み屋「印(いん)」に行った。串は、だいたいのものが80円だった。二人はえび、うずら、ソーセージを二本ずつ頼んだ。どれもひと串80円だった。二人で食べるのに豚の生姜焼きとトマト・スライスを注文したのだが、豚肉はぺらぺらの肉じゃなかった。まるでくじらの肉のように分厚くて固かった。味はおいしかったのだけれど、そもそものところ、しょうゆと砂糖で甘辛くすると、そうそうまずい食べ物はつくれないはずなのであって、まあ、味はよかったのだ。二人はその立ち飲み屋に行く前に、西大路五条の角にある大國屋で紙パックの日本酒を買って、バス停のベンチのうえに坐りながら、チョコレートをあてにして飲んでいたのであるが、西院の立ち飲み屋では、二人とも生ビールを飲んでいた。にんにく炒めというのがあって、200円だったかな、どんなものか食べたことがなかったので、店員に言ったら、店員はにんにくをひと房取り出して、ようじで、ぶすぶすと穴をあけていき、それを油の中に入れて、そのまま揚げたのである。揚がったにんにくの房の上から塩と胡椒をふりかけると、二人の目のまえにそれを置いたのであった、にんにく炒めというので、にんにくの薄切りを炒めたものでも出てくるのかなと思っていたのだが、出てきたそれもおいしかった。やわらかくて香ばしい白くてかわいいにんにくの身がつるんと、房からつぎつぎと出てきて、二人の口のなかに入っていったのであった。ぼくの横にいた青年は、背は低かったが、なかなかの好青年で、ぼくの身体に自分のお尻の一部をくっつけてくれていて、ときどきそれを意識してしまって、顔を覗いたのだが、知らない顔で、以前に日知庵でオーストラリア人の26才のカメラマンの男の子が、ぼくのひざに自分のひざをぐいぐいと押しつけてきたことを思い起こさせたのだけれど、あとでジミーちゃんにそう言うと、「あほちゃう? あんな立ち飲み屋で、いっぱいひとが並んでたら、そら、身体もひっつくがな。そんなんずっと意識しとったんかいな。もう、あきれるわ。」とのことでした。で、そのあと二人は自転車に乗って、四条大宮の立ち飲み屋「てら」に行ったのであった。そこは以前に、マイミクの詩人の方に連れて行っていただいたところだった。で、どこだったかなあと、ぼくがうろうろ探してると、ジミーちゃんが 、「ここ違うの?」と言って、すいすいと建物のなかに入っていくと、そこが「てら」なのであった。「なんで、ぼくよりよくわかるの?」って訊いたら、「表に看板で立ち飲みって書いてあったからね。」とのことだった。うかつだった。メニューには、以前に食べて、おいしいなって思った「にくすい」がなかった。その代わり、豚汁を食べた。サーモンの串揚げがおいしかった。もう一杯ずつ生ビールを注文して、煮抜きを頼んだら、出てきた卵が爆発した。戦場だった。ジミー中尉の肩に腕を置いて、身体を傾けていた。左の脇腹を銃弾が貫通していた。わたしは痛みに耐え切れずうめき声を上げた。ジミー中尉はわたしの身体を建物のなかにまでひきずっていくと、すばやく外をうかがい、扉をさっと閉めた。部屋が一気に暗くなった。爆音も小さくなった。と思う間もなく、窓ガラスがはじけ飛んで、卵型爆弾が投げ入れられ、部屋のなかで爆発した。時間爆弾だった。場所爆弾ともいい、出来事爆弾ともいうシロモノだった。ぼくは居酒屋のテーブルに肘をついて、ジミーちゃんの話に耳を傾けていた。「この喉のところを通る泡っていうのかな。ビールが喉を通って胃に行くときに喉の上に押し上げる泡。この泡のこと、わかる?」「わかるよ。ゲップじゃないんだよね。いや、ゲップかな。まあ、言い方はゲップでよかったと思うんだけど、それが喉を通るってこと、それを感じるってこと。それって大事なんだよね。そういうことに目をとめて、こころをとめておくことができる人生って、すっごい素敵じゃない?」ジミーちゃんがバッグをぼくに預けた。トイレに行くからと言う。ぼくは隣にいる若い男の子の唇の上のまばらなひげに目をとめた。彼はわざとひざを押しつけてきてるんだろうか。むしょうに彼のひざにさわりたかった。ぼくは生ビールをお代わりした。ジミーちゃんがトイレから戻ってきた。男の子のひざがぼくのひざにぎしぎしと押しつけられている。目のまえの卵が爆発した。ジミー中尉は、負傷したわたしを部屋のなかに残して建物の外に出て行った。わたしは頭を上げる力もなくて、顔を横に向けた。小学生時代にぼくが好きだった友だちが、ひざをまげて坐ってぼくの顔を見てた。名前は忘れてしまった。なんて名前だったんだろう。ジミーちゃんに鞄を返して、ぼくは生ビールのお代わりを注文した。ジミーちゃんも生ビールのお代わりを注文した。脇腹が痛いので、見ると、血まみれだった。ジミーちゃんの顔を見ようと思って顔を上げたら、そこにあったのは壁だった。シミだらけのうす汚れた壁だった。わたしが最後に覚えているのは、名前を忘れたわたしの友だちが、仰向けになって床のうえに倒れているわたしの顔をじっと眺めるようにして見下ろしていたということだけだった。


二〇一四年九月二十八日 「シェイクスピアの顔」


 塾の帰りに、五条堀川のブックオフで、『シェイクピアは誰だったか』という本を200円で買った。シェイクスピア関連の本は、聖書関連の本と同じく、数多くさまざまなものを持っているが、これもまた、ぼくを楽しませてくれるものになるだろうと思う。その筆者は、文学者でもなく研究者でもない人で、元軍人ってところが笑ったけれど、外国では、博士号を持ってる軍人や貴族がよくいるけど、この本の作者のリチャード・F・ウェイレンというひともそうみたい。あ、元軍人ね。学位は政治学で取ったみたいだけど、シェイクスピアに魅かれて、というのは、そこらあたりにも要因があるのかもしれない。『シェイクスピアは誰だったか』めちゃくちゃおもしろい。シェイクスピアは、ぼくのアイドルなのだけれど、いままでずっと、よく知られているあの銅版画のひとだと思ってた。でも、どうやら違ってたみたい。それにしても、いろんな顔の資料があって、それが見れただけでも十分おもしろかったかな。シェイクスピアっていえば、あのよく知られているハゲちゃびんの銅版画の顔が、ぼくの頭のなかでは、いちばん印象的で、っていうか、シェイクスピアを思い浮かべるときには、これからも、きっと、あのよく知られたハゲちゃびんの銅版画の顔を思い出すとは思うけどね。


二〇一四年九月二十九日 「きょうは何の日なの?」


 コンビニにアイスコーヒーとタバコを買いに出たら、目の前を、いろんな色と形の帽子がたくさん歩いてた。あれっと思ってると、その後ろから、たくさんの郵便ポストの群れが歩いてた。きょうは何の日なんやろうと思ってると、郵便ポストの群れの後ろからバスケットシューズの群れが歩いてた。うううん。きょうは何の日なんやろうと思ってたら、だれかに肩に手を置かれて、振り返ったら、ぼくの頬を指先でつっつくぼくがいた。ええっ? きょうは何の日なの? って思って、まえを見たら、ただ挨拶しようとして、頬にかる〜く触れただけのぼくの目を睨みつけてくるぼくがいて、びっくりした。きょうは何の日なの?


二〇一四年九月三十日 「夢は水」


けさ、4時20分に起きた。睡眠時間3時間ちょっと。相変わらず短い。ただし、夢は見ず。さいしょ変換したとき、「夢は水」と出た。


二〇一四年九月三十一日 「返信」


 ある朝、目がさめると、自分が一通の返信になっていたという男の話。その返信メールは、だれ宛に書かれたものか明記されておらず、未送信状態にあったのだが、男は自分でもだれ宛のメールであったのか、文意からつぎからつぎへと推測していくのだが、推測していくたびに、その推測をさらにつぎつぎと打ち消す要素が思い浮かんでいくという話。


詩の日めくり 二〇一四年十月一日─三十一日

  田中宏輔



二〇一四年十月一日 「ネクラーソフ『だれにロシアは住みよいか』大原恒一訳」


血糖値が高くて
ブタのように太ったぼくは
運動しなきゃならない。
それで
自転車に乗って
遠くのブックオフにまで行かなきゃいけない。

東寺のブックオフに行ったら
ネクラーソフの詩集が
108円のコーナーにあって
パラ読みしていたら
「ロシアでは あなたたちもよく知ってのとおり
 だまって頭を下げることを
 だれにも禁じてはいません!」
って、あって
目にとまった。
これって、
どこかで
近い言い回しを見た記憶があって
うううむ
と思ったのだけれど
詩集は
二段組で
内容は
農奴というのかな
百姓の苦しさと
百姓のずるさと
貴族の虚栄と
貴族の没落の予感みたいなこととか
宗教的なところとかばっかで
退屈な詩集だなあって思ってしまって
さっき読んだとこ
どこにあるかな
あれは、よかったなって思って
ページをペラペラめくって
さがした。
あると思ってた
どこかのページの左下の段の左側を見ていった。
さがしたら
あると思ったんだけど
それがなくって
二回
ペラペラしたんだけど
あると思ってた
どこかのページの左下の段の左側にはなくって
記憶違いかなって思って
まあ、よくあることなんだけど
こんどは
左のページの上の段の左側を見ながら
ペラペラめくっていたら
あった。

もう一度
見る。
「ロシアでは あなたたちもよく知ってのとおり
 だまって頭を下げることを
 だれにも禁じてはいません!」
これ
覚えちゃおう
って思って
この部分だけに
108円払うのも
なんだかなあって思ってね。

何度か
こころのなかで復唱して
CDやDVDのある一階に降りて
レインのDVDを買おうかどうか迷ってたら
うんこがしたくなって
帰って
うんこをしようと思って
いったんブックオフから出て
自転車に乗って
帰りかけたんだけど
東寺の前を通り過ぎて
短い交差点を渡って
なんか、たこ焼き屋だったかな
そこの前まできたときくらいに
でも
ネクラーソフの言葉から
そだ。
ふつうのことを禁じるって
たしか
レイナルド・アレナスが書いてたぞ。
キューバでは
たとえ
同性同士でも
バスのなかや
喫茶店のなかでも
見つめ合ってはいけないって
同性愛者を差別する
処罰する法律があったって
カストロがつくった
ゲイ差別の法律があったって
そいえば
厳格なイスラム教の国では
同性愛者だってわかったら
拷問死に近い
二時間にもおよぶ
石打の刑という死刑制度があったんだ。
これ
何ヶ月かまえに
ニュースになってて
「宗教が違うんだから、
 同性愛者が処罰されても仕方がないでしょう」
みたいな発言をしてたバカがいて
めっちゃ腹が立った記憶があったから
ブタは自転車の向きを変えて
たこ焼き屋の前で
キュルルンッ
と自転車をまるごと反転させて
東寺のブックオフへと戻ったのであった。
二階に行って
108円の棚のところに行くと
白髪のジジイがいて
もしや
吾が輩の大切な彼女をば
と思ったのだけれど
ネクラーソフの詩集の
表紙のなかにいた女性は無事で
ぼくの腕のなかに
へなへな〜
と、もたれかかってきたのであった。
彼女は
たぶん、ただの百姓娘なのだろうけれど
とても美しい女性であった。
可憐と言ってもよかった。
その手はゴツゴツしてるみたいだけどね。
そして
その目は
人間は生きることの厳しさに耐えなければならない
ということを身をもって知っている者だけが持つことのできる
生命の輝きを放っていた。
ブタは彼女を胸に抱き
階段を下りて
一階で勘定をすますと
全ゴムチューブの
ノーパンクの
重たい自転車を
全速力で
ぶっ飛ばしたのであった。
それにしても
イスラム圏じゃ
同性愛者は殺されても仕方ないじゃない
って書いてたバカのことは許せん。
まあ、バカには、なにを言っても
なにか言ったら
こちらもバカになるだけだし
ムダなんだけどね。
人間には
バカとカバがいてね。
「晴れ、ときどき殺人」
みたいに
ひとが簡単に殺人者になることがあるように
バカがカバになることもあれば
カバがバカになることもあるんだけど
ずっとカバがカバだってこともないしね
バカがバカだってこともないしね
でも、どちらかというと
ぼくはバカよりカバがいいなあ。

ぼくはブタだったんだ〜。
まっ、
でも、これは
観察者側の意見でね。

うんこするの忘れてた。
ところで
途中で寄った
フレスコから出たときに
スーツ姿の
まあまあかわいいおデブの男の子が
図面かな
書類をひらいて見ながら
歩いていたの。
薄緑色の作業着みたいなツナギの制服着て。
ぼくはフレスコから帰るために自転車を乗ったとこだったか
乗ろうとしてる直前で
彼のあそこんとこに目がいっちゃった。
だってチンポコ
完全にボッキさせてたんだもの。
すっごくかたそうで
むかって左の上側に突き出てた。
ええっ?
って思った。
図面の入った筒を握ってて
ボッキしてたのかな。
持ち方がエロかったもの。
かわいかった。
セルの黒メガネの彼。
右利きだよね。
ついて行こうかなって
いっしゅん思ったけど
それって、おかしいひとに思われるから
やめた。
部屋に帰って
フレスコで買った
麒麟・淡麗〈生〉を飲みながら
ネクラーソフの詩集の表紙のなかにいる
彼女の目の先にある
ロシアの平原に
ぼくも目を向けた。


二〇一四年十月二日 「みにくい卵の子」


みにくい卵の子は
ほんとにみにくかったから
親鳥は
そのみにくい卵があることに気がつかなかった
みにくい卵の子は
かえらずに
くさっちゃった


二〇一四年十月三日 「雲」


さいきん、よく空を見上げます。
雲のかたちを覚えていられないのに、
形を見て、うつくしいと思ってしまいます。
覚えていることができるものだけが、
美しいのではないのですね。


二〇一四年十月四日 「田ごとのぼく」


たしかに
田んぼ
一つ一つが
月を映していた。
歩きながら
ときどき月を見上げながら
学校から遅く帰ったとき
月も田んぼの水面で
少し移動して
でも
つぎの田んぼのそばに行くと
すでにつぎの田んぼに移動していて
ああ
田ごとの月って
このことかって思った。
けれど
ぼくの姿だって
ぼくが移動すれば
つぎつぎ違う田んぼに映ってるんだから
ぼくだって
田ごとのぼくだろう。
ぼくが
田んぼから月ほどにも遠くいる必要はないんだね。
月ほどに遠く
月のそばにいると
月といっしょに
田んぼに光を投げかけているのかもしれない。
ぼくも月のように
光り輝いてるはずだから。
違うかな?
どだろ。


二〇一四年十月五日 「恋人たち」


「宇宙人みたい。」
「えっ?」
ぼくは、えいちゃんの顔をさかさまに見て
そう言った。
「目を見てみて。」
「ほんまや、こわっ!」
「まるで人間ちゃうみたいやね。」
よく映像で
恋人たちが
お互いの顔をさかさに見てる
男の子が膝まくらしてる彼女の顔をのぞき込んでたり
女の子が膝まくらしてる彼氏の顔をのぞき込んでたりしてるけど
まっさかさまに見たら
まるで宇宙人みたい
「ねっ、目をパチパチしてみて。
 もっと宇宙人みたいになる。」
「ほんまや!」
もっと宇宙人!
ふたりで爆笑した。
数年前のことだった。
もうふたりのあいだにセックスもキスもなくなってた。
ちょっとした、おさわりぐらいかな。
「やめろよ。
 きっしょいなあ。」
「なんでや?
 恋人ちゃうん? ぼくら。」
「もう、恋人ちゃうで。」
「えっ?
 ほんま?」
「うそやで。」
うそやなかった。
それでも、ぼくは
i think of you.
i cannot stop thinking of you.
なんもなくなってから
1年以上も
恋人やと思っとった。


二〇一四年十月六日 「それぞれの世界」


ぼくたちは
前足をそろえて
テーブルの上に置いて
口をモグモグさせながら
店のなかの牧草を見ていた。
ふと、彼女は
すりばち状のきゅう歯を動かすのをやめ
テーブルのうえにだら〜りとよだれを落としながら
モーと鳴いた。
「もう?」
「もう。」
「もう?」
「もう!」
となりのテーブルでは
別のカップルが
コケー、コココココココ
コケーっと鳴き合っていた。
ぼくたちは
前足をおろして
牧草地から
街のなかへと
となりのカップルも
おとなしくなって
えさ場から
街のなかへと
それぞれの街のなかに戻って行った。


二〇一四年十月七日 「きょとん」


おとんでも
おかんでもなく
きょとん
きょとん
と呼んだら
返事してくれる
でも
きょとん
と目を合わせたら
きょとん
としなくちゃいけないのね
きょとん
ちょっとを大きくあけて
でへへ えへでもなく
でへっでもなく
でへへ
でへへと言ったら
でへとしなくちゃいけないのね
でへへ
でへへへれ〜
でへへ
って感じかな
柴田、おまえもか!
つづく


二〇一四年十月八日 「幽霊卵」


冷蔵庫の卵がなくなってたと思ってたら
いつの間にか
また1パック
まっさらの卵があった
安くなると
ついつい買ってくる癖があって
最近ぼけてきたから
いつ買ったのかもわからなくて
困ったわ


二〇一四年十月九日 「部屋」


股ずれを起こしたドアノブ。
ため息をつく鍵穴。
わたしを中心にぐるっと回転する部屋
鍵束から外れた1本の鍵がくすって笑う。
カーテンの隙間から滑り込む斜光のなかを
浮遊する無数の鍵穴たちと鍵たち
部屋が
祈る形をとりながら
わたしに凝縮する。


二〇一四年十月十日 「きょうも日知庵でヨッパ」


でも
なんだかむかついて

帰りは
西院の「印」という立ち飲み屋に。
会計、間違われたけれど
250円の間違いだから
何も言わずに帰ったけど。
帰りに
近所の大國屋に
いや
そだ
このあいだ
気がついたけど
大國屋の名前が変わってた。
「お多福」に。
ひゃ〜
「きょうは尾崎を聞くと泣いてしまうかもしれない。
 ◎原付をパクられた。」
って
「印」の
「きょうの一言」
ってところに書いてあって
ちっちゃな黒板ね

いいなあって思ったの。
書いたのは
たぶん、アキラくんていうデブの男の子
こないだ
バカな客のひとりに
会話がヘタって言われてたけど
会話なんて
どうでもいいんだよ
かわいければさ、笑。
あいきょうさ
人生なんて
けせらせら
なんだから。
「きょうの一言」
そういえば
仕事帰りに
興戸の駅で
学生の女の子たちがしゃべっている言葉で
「あとは鳩バス」
って聞こえたんだけど
これって
聞き間違いだよね。
ぜったい。
ここ2、3日のメモを使って
詩句を考えた。
more than this
これ以上
もう、これ以上
須磨の源氏だった。
詩では
うつくしい幻想を持つことはできない。
詩が持つことのできるものは
なまなましい現実だけだ。
詩は息を与える。
死者にさえ、息を与えるのだ。
逃げ道はない。
生きている限りはね。
勝ちゃん
胸が張り裂けちゃうよ。
龍は夢で
あとは鳩バス。


二〇一四年十月十一日 「音」


その音は
テーブルの上からころげ落ちると
部屋の隅にむかって走り
いったん立ちどまって
ブンとふくれると
大きな音になって
部屋の隅から隅へところがりはじめ
どんどん大きくなって
頭ぐらいの大きさになって
ぼくの顔にむかって
飛びかかってきた


二〇一四年十月十二日 「音」


左手から右手へ
右手から左手に音をうつす
それを繰り返すと
やがて
音のほうから移動する
右手のうえにあった音が
左手の手のひらをのばすと
右手の手のひらのうえから
左手の手のひらのうえに移動する
ふたつの手を離したり
近づけたりして
音が移動するさまを楽しむ
友だちに
ほらと言って音をわたすと
友だちの手のひらのうえで
音が移動する
ぼくと友だちの手のひらのうえで
音が移動する
ぼくたちが手をいろいろ動かして
音と遊んでいると
ほかのひとたちも
ぼくたちといっしょに
手のひらをひろげて
音と戯れる
音も
たくさんのひとたちの手のひらのうえを移動する
みんな夢中になって
音と戯れる
音もおもしろがって
たくさんのひとたちの手のひらのうえを移動する
驚きと笑いに満ちた顔たち
音と同じようにはずむ息と息
たったひとつの音と
ただぼくたちの手のひらがあるだけなのに


二〇一四年十月十三日 「ある青年の日記を読んで」


その青年は
何年か前にメールだけのやりとりをしたことがあって
それで、顔を覚えていたので彼の日記を見てたら

仕事でいらいらしたことがあって
上司とけんかして
それでまたいらいらして
せっかく恋人といっしょに
出かけたのに
道行くサラリーマンに
「オラッ」とか言って
からんだそうで
それで恋人になんか言われて
逆切れしたそうで
でも、それを反省したみたいで
「あと20日で一年大事でかわいい人なのに
 こんな男でごめんなさいお母さん大好き」
という言葉で日記は結んであって

「あと20日で一年大事でかわいい人なのに
 こんな男でごめんなさいお母さん大好き」

という言葉に、こころ動かされて
ジーンとしてしまった

いま付き合ってる恋人とも
そういえば、あと一ヶ月で1年だよねとか
もうじき2年だよ
とかとか言っていた時期があったのだった

きょう、恋人に
朝、時間があるから、顔を見に行こうかな
とメールしたら
用事ででかけてる、との返事

最近、メールや電話したら、いっつも用事

しかも、きょう電話したら
その電話もう使われていないって電気の女の声が言った

「あと20日で一年大事でかわいい人なのに
 こんな男でごめんなさいお母さん大好き」

彼の日記
なぜだかこころ動かされる言葉がいっぱいで

ある日の日記は、こういう言葉で終わっていた
さまざまな単行本や文庫本、それに小説現代という雑誌など
読んだ本を列記したあと

「その時は彼によろしくとか僕の彼女を紹介しますとか
 あなたのキスを探しましょうとか、不思議なタイトルだな… 」

彼の素直な若さが、うつくしい。
最後に、彼のある日の日記の一節をひいておこう
ぼくには、彼がいま青春のど真ん中にいて、
とてもうつくしいと思ったのだった

「「何でもないような事が幸せだったと思う」とあるけど
 まさにそうだと思った。金ないとか、仕事疲れたとか言ってたけど、
 そんなのは問題じゃないと。何より大事なかわいい恋人と、コーラとセッターと
 健康な体、仕事があればそれだけで幸せなんだとしゅんと思った!
 もう悲しませることなくしっかり生活しようと強く思った。」

「何より大事なかわいい恋人と、コーラとセッターと
 健康な体、仕事があればそれだけで幸せなんだとしゅんと思った!」

「それだけで幸せなんだとしゅんと思った!」

こんなに、こころの現われてる言葉、ひさしぶりに遭遇した。


二〇一四年十月十四日 「日付のないメモ」


京大のエイジくんに関するメモ。

ぼくたちは、いっしょに並んで歩いて帰った。
きみは、自転車を押しながら。
夜だった。
ぼくは下鴨に住んでいて、きみは、近くに住んでいると言っていた。
ぼくは30代で
きみは大学生だった。
高知大で3年まで数学を勉強していたのであった。
従兄弟が東大であることを自慢げにしていたので
3年で高知大の数学科をやめて
京大を受験しなおして
京大の建築科に入学したのであった。
親が建設会社の社長だったこともあって。
だから
きみと出会ったときの
きみの年齢は28だったのだった。
きみは京大の4回生だった。
ぼくたちは、一年近く毎日のように会っていた。
ぼくが仕事から帰り
きみが、ぼくの部屋に来て
ふたりで晩ご飯を食べ
夜になって
ぼくが眠りにつくまで
寝る直前まで、きみは部屋にいた。
泊まったのは一度だけ。
さいごに、きみが、ぼくの部屋に訪れた日。
ピンポンとチャイムが鳴って、ドアを開けようとすると
きみは、全身の体重をかけてドアを押して、開けさせないようにした
雪の積った日の夜に
真夜中に
「雪合戦しようや。」と言って
ぼくのアパートの下で
積った雪を丸めて投げ合った
真夜中の2時、3時ころのことは
ぼくは一生忘れない。
だれもいない道端で
明るい月の下
白い雪を丸めては
放り投げて
顔にぶつけようとして
お互い、一生懸命だった。
そのときのエイジくんの表情と笑い声は
ぼくには、一生の宝物だ。
毎晩のように押し合ったドア。
毎晩、なにかを忘れては
「とりにきた。」と言って笑っていたきみ。
毎晩、
「もう二度ときいひんからな。」
と言っていたきみ。
あの丸められた雪つぶては
いまもまだそこに
下鴨の明るい月の下にあるのだろう。
あの寒い日の真夜中に。
子どものようにはしゃいでいた
ぼくたち二人の姿とともに。


二〇一四年十月十五日 「風の手と、波の足。」


風の手が
ぼくをまるめて
ほうりなげる。
風の手が
ぼくをまるめて
別の風の手と
キャッチボールしてる。
風の手と風の手が
ぼくをキャッチボールしてる。

波の足が
ぼくをけりつける。
すると
違う方向から打ち寄せる波の足が
ぼくをけり返す。
波の足と波の足が
ぼくをけり合う。
波の足と波の足がサッカーしてる。

ぼくを静かに置いて眺めることなどないのだろうか。
なにものも
ぼくを静かに置いて眺めてはくれそうにない。
生きているかぎり
ぼくはほうり投げられ
けりまくられなければならない。
それでこわれるぼくではないけれど
それでこわれるぼくではないけれど
それでよりつよくなるぼくだけれど
それでよりつよくなるぼくだけれど
生きているかぎり
ぼくはほうり投げられ
けりまくられなければならない。


二〇一四年十月十六日 「卵」


万里の長城の城壁のてっぺんに
卵が一つ置かれている。
卵はとがったほうをうえに立てて置かれている。
卵の上に蝶がとまる。
卵は微塵も動かなかった。
しばらくして
蝶が卵のうえから飛び立った。
すると
万里の長城が
ことごとく
つぎつぎと崩れ去っていった。
しかし
卵はあった場所にとどまったまま
宙に浮いたまま
微塵も動かなかった。


二〇一四年十月十七日 「ウィリアム・バロウズ」


下鴨に住んでたころ
十年以上もむかしに知り合ったラグビー青年が
バロウズを好きだった。
本人は異性愛者のつもりだったのだろうけれど
感性はそうではなかったような気がする。
とてもよい詩を書く青年だった。
ユリイカや現代詩手帖に送るように言ったのだが
楽しみのためにだけ詩を読んだり書いたりする青年だった。
ぼくは20代後半
彼は二十歳そこそこだったかな。
ブラジル音楽を聴きながら
長い時間しゃべっていた日が
思い出された
バロウズ
甘美なところはいっさいない
すさまじい作品だけれど
バロウズを通して
青年の思い出は
きわめて甘美である
なにもかもが輝いていたのだ
まぶしく輝いていたのだ
彼の無蓋の微笑みと
その二つの瞳と

カウンターにこぼれた
グラスの露さえも


二〇一四年十月十八日 「ウィリアム・バロウズの贋作」


 本日のバロウズ到着本、6冊。なかとカヴァーのきれいなほうを保存用に。『ダッチ・シュルツ』は500円のもののほうがきれいなので、そちらを保存用に。『覚えていないときもある』も710円のもののほうがきれいなので、そちらを棚に飾るものにして。 きょうから通勤時は、レイ・ラッセルの『嘲笑う男』にした。ブラッドベリの『メランコリイの妙薬』読了したけど、なんか、いまいちやった。詩的かもしれないけれど、そのリリカルさが逆に話を胡散臭くさせていた。もっとストレートなほうが美しいのに、などと思った。
学校から帰って、五条堀川のブックオフに行くと、ビアスの短編集『いのちの半ばに』(岩波文庫)が108円で売っていたので買ったんだけど、帰って本棚を見たら、『ビアス短編集』(岩波文庫)ってのがあって、それには、『いのちの半ばに』に入ってた7篇全部と、追加の8篇が入っていて、訳者は違うんだけど、持ってたほうのタイトルの目次を見ても、ぜんぜん思い出せなかった。ううううん。ちかく、新しく買った古いほうの訳のものを読んでみようかなって思った。
おとつい、ネットで注文した本が、とても信じられないものだった。

裸の審判・世界発禁文学選書2期15 ウイリアム・バローズ 浪速書房 S43・新書・初版カバー・美本

 きょう到着してた。なんと、作者名、「ウイリヤム・バローズ」だった。「ア」と「ヤ」の一字違いね。まあ、大きい「イ」と、小さい「ィ」も違うけど。浪速書房の詐欺的な商法ですな。しかも、作者名のはずのウイリヤム・バローズが主人公でもあって、冒頭の3、4行目に、

 私、ウイリヤム・バローズは、パリのル・パリジャンヌ誌特派員として、このニューヨーク博覧会に行くことになった。

とあって、これもワラケルけど、最後のページには

 そしていざというときは、鞭という、柔らかい機械が二人を結びつけるだろう。いま、二人に聞こえるものは、路上にきしる、濡れたタイヤの連続音と、彼らの廻りに、うなりを上げている。雨の叫びだけであった。

とあるのである。「雨」の前の句点もおもしろいが、「鞭」を「柔らかい機械」というのは、もっとワラケル。ほかの文章のなかには「ランチ」という言葉もある、笑。翻訳した胡桃沢耕史さん(本に書かれている翻訳者名は清水正二郎さんだけど、胡桃沢さんのペンネームのひとつ)のイタズラやね。おもろいけど。パラパラとめくって読んだら、これって、サド侯爵の小説の剽窃だった。鞭が若い娘の背中やお尻に振り下ろされたり、喜びの殿堂の処刑室とか出てくる。はあ〜あ、笑。この本を出版した浪速書房って、エロ本のシリーズを出してて、たとえば、

世界発禁文学選書 裸女クラブ 新書 浪速書房 ペトロ・アーノルド/清水正二郎訳 昭45
世界発禁文学選書 乳房の疼き 新書 浪速書房 マリヤ・ダフェノルス 清水正二郎・訳
世界発禁文学選書〈第2期 第11巻〉私のハンド・バッグの中の鞭(1968年)

 こんなタイトルのものだけど、戦後、出した本がつぎつぎに発禁になったらしいけれど、発禁の理由って、エロティックな内容じゃなくて、この「詐欺的商法」なんじゃないかな。
 で、いま、浪速書房のウィリアム・バローズの「やわらかい機械」を買おうかどうか迷っている。ヤフオクに入札しているのだけど、いま8000円で、内容は、山形訳のソフトマシーンのあとがきによると、このあいだ買ったウイリヤム・バローズと同じように、主人がウィリアム・バローズで、またまた女の子を鞭打つエロ小説らしい。 出品しているひとに、ほんとうにバロウズの翻訳かどうか訊いたら、答えられないという答えが返ってきた。贋物だと思う。あ、この贋物ってのは、ウィリアム・バロウズが著者ではないということなんだけど、まあ、話の種に買ってもいいかなって思う。でも、8000円は高いな。キャンセルしてもいいって、出品者は言ってくれたのだけれど、贋物でも、おもしろいから買いたいのだけれど、8000円あれば、ほかに買える高い本もあるかなあとも思うし。あ、でもいま、とくに欲しい本はないんだけど。

ヤフオクでの質問

 小生の質問にお答えくださり、ありがとうございました。小生、ウィリアム・バロウズの熱狂的なファンで、『ソフトマシーン』の河出文庫版とペヨトル工房版の2冊の翻訳本を所有しております。ご出品なさっておられるご本の、最初の2行ばかりを、回答に書き写していただけますでしょうか。それで、本当に、ウィリアム・バロウズの『ソフトマシーン』の翻訳本かどうかわかりますので。小生は、本物の翻訳本でなくても、購入したいと思っておりますが、先に本物の翻訳本かどうかは、ぜひ知っておきたいと思っております。8000円という入札金額は、それを知る権利があるように思われますが、いかがでしょうか。よろしくお願い申し上げます。

 バロウズの『やわらかい機械』の本邦初訳と銘打たれた本に価値があると思って、最初に8000円の金額でオークションをはじめさせているのだから、ある程度の知識がある人物だと思う。その翻訳が本物かどうか、本文を見ればすぐにわかるはずなのに、それを避けて回答をしてきたので、このような質問を再度したのだった。なにしろ浪速書房の本である。山形裕生さんの『ソフトマシーン』の訳本の後書きでは、それは冗談の部類の本だと思われると書かれている本である。

回答があった。

 第一章ニューヨークへの道 一九六四年から五年にかけての、ニューヨークの最大の話題は、ニューヨーク世界博覧会が開かれたことである。私、ウィリヤム・バローズは、パリのル・パリジャンヌ誌特派員として、このニューヨーク博覧会に行くことになった。

 ひえ〜、これって、ウイリヤム・バローズの『裸の審判』の1〜4行目と、まるっきりいっしょよ。完全な贋物だ。ああ、どうしよう。完全な贋物。ふざけた代物に、8000円。どうしよう。相手はキャンセルしていいと言ってた。ううううん。マニアだから買いたいと返事した。あ〜あ、このあいだ買った『裸の審判』と中身がまったく同じ本に8000円。バカだなあ、ぼくは。いや〜、バロウズのマニアなんだよね、ぼくは。しかし、この出品者、正直なひとだけど
 最初の設定金額を8000円にしてるのは、なんでやったのかなあ。バロウズのこと、あんまり知らなかったひとだったら、そんなバカ高い金額をつけないだろうしな。あ、知ってたら、そんなものをバロウズが書いてたとは思ってもいなかっただろうしなあ。 不思議。でも、完全に贋物でも、表紙にウィリアム・バローズって書いてあったら買っちゃうっていう、お馬鹿なマニアの気持ち、まだまだ持ち合わせているみたい。この浪速書房の本も、きっと、詐欺で摘発、本は発禁処分を受けたんだろうね。 ぼくはただのバロウズファンだったけど、思わぬ贋作の歴史を垣間見た。胡桃沢耕史さん、生活のためにしたことなんだろうね。
 ちなみに、あのあと、つぎの二つの質問をオークション出品者にしたけど、返事はなかった。

 お答えくださり、ありがとうございました。その訳本は贋物です。先日購入しました、浪速書房刊のウイリヤム・バローズ作、清水正二郎訳の「裸の審判」の第一章の3行目から4行目の文章とまるっきり同じです。本物のウィリアム・バロウズの作品には、そのような文章はありません。きっとその本の最後のページには、次の文章が終わりにあるのではないでしょうか。「そしていざというときは、鞭という、柔らかい機械が二人を結びつけるだろう。/いま、二人に聞こえるものは、路上にきしる、濡れたタイヤの連続音と、彼らの廻りに、うなりを上げている。雨の叫びだけであった。」 それでも、小生はマニアなので、購入したいと思っております。

 ちなみに、引用された所からあとの文章はこうですね。「私の所属している、ル・パリジャンヌ誌は、アメリカのセブンティーン誌や、遠い極東日本の、ジヨセイヌ・ジーシン誌などと特約のある姉妹誌で十七、八歳のハイティーンを目標に、スターの噂話や、世界の名勝や、男女交際のスマートなやり方などを指導する雑誌であり、たまたまこの賑やかなアメリカ大博覧会は、近く開かれる東京オリンピツクとともに、我々女性関係誌のジヤーナリストの腕の見せ所であつた。」ご出品のご本は、当時、詐欺罪で差し押さえられ、発禁になりました。亡くなったエロ本作家の胡桃沢耕史(訳者名:清水正二郎)の創作です。本物のバロウズの翻訳本ではありません。

「極東日本の、ジョセイヌ・ジーシン誌」だって、笑っちゃうよね。ほんと、胡桃沢さん、やってくれるわ。

 やったー、ぼくのものになった! 中身は贋物だけど、画像のものがぼくのものになった。8000円は、ちょっと高かったけど、いま手に入れなかったら、いつ手に入れられるかわからなかったからうれしい。中身は、胡桃沢耕史さんの創作ね。しかもいま、ぼくが持ってるものとおんなじ内容、笑。早期終了してもらった。じつは、最後に、ぼくは、つぎのような質問をしていたのだった。 質問かな、強迫かな。

 そういった事情を知られたからには、出品されたご本の説明を改められないと、落札者の方とトラブルになりかねません。小生は、そういった事情を知っていても、この8000円という金額で、買わせていただくことに依存はありません。ウィリアム・バロウズの熱狂的なファンですから。オークションを早期終了していただければ、幸いです。

 贋物だとわかっていたんだけど、バロウズ・コンプリートのぼくは、ちょっとまえに、

 世界秘密文学選書10 裸のランチ ミッキー・ダイクス/清水正二郎訳 浪速書房

を買ってたんだけど、その本の末尾についている著者のミッキー・ダイクスの経歴の紹介文って、現実のウィリアム・バローズのものの経歴だった。ちなみに、訳者はこれまた清水正二郎さん、つまり、胡桃沢耕史さん。ほんと、あやしいなあ。このミッキー・ダイクスの『裸のランチ』の裏表紙の作品紹介文がすごいので、紹介するね。

「アメリカの、アレン・ギンスバークと共に、抽象的な難解な語句で 知られる、ミッキー・ダイクスが、詩と散文の間における、微妙な語句 の谷間をさまよいながら、怪しい幻影のもとに画き出したのが、この作品である。ほとんど翻訳不可能の、抽象の世界に躍る語句を、ともかくも、もっとも的確な日本語に訳さねばならぬので、大変な苦心をした。陰門、陰茎、陰核、これらの語句が、まるで機関銃のように随所に飛び 出して、物語のムードを形作っている。しかし、現実には、それは何等ワイセツな感情を伴わなくても、他のもっと迂遠な言葉に言い変えねばならない。かくして来上がったものは、近代の詩人ダイクスの企画するものとははなはだしく異なったものとなってしまった。しかし現実の公刊物が許容される範囲では、もっとも原文に近い訳をなし得たものと自負している。         訳者」

「ギンズバーグ」じゃなくて、「ギンスバーク」って、どこの国の詩人? そりゃ、詐欺で、差し押さえられるわ。ぼくは、500円で買ったけれど、この本、ヤフオクでいま5800円で出品しているひとがいたり、amazon では、79600円とか9万円以上で出品しているひとがいて、まあ、ゴーヨクなキチガイどもだな。

 しかし、こんな詐欺をしなきゃ生きていけなかった胡桃沢耕史って方、きつい人生をしてらっしゃったのかもしれない。自己嫌悪とかなしに、作家が、こんな詐欺を働くなんて、ぼくには考えられない。こういった事情のことを、戦後のどさくさにいっぱい出版業界はしてたんだろうけど。いま、こんなことする出版社はないだろうな。知らないけど。

 ちなみに、本物のウィリアム・バロウズの『裸のランチ』って、陰門や陰核なんて、まったく出てこないし(記憶にないわ)。むしろ、出てくるのは、ペニスと肛門のことばかり。


二〇一四年十月十九日 「土曜日たち」


はなやかに着飾った土曜日たちにまじって
金曜日や日曜日たちが談笑している。
ぼくのたくさんの土曜日のうち
とびきり美しかった土曜日と
嘘ばかりついて
ぼくを喜ばせ
ぼくを泣かせた土曜日が
カウンターに腰かけていた。
ほかの土曜日たちの目線をさけながら
ぼくはお目当ての土曜日のそばに近づいて
その肩に手を置いた。
その瞬間
耳元に息を吹きかけられた。
ぼくは
びくっとして振り返った。
このあいだの土曜日が微笑んでいた。
お目当ての土曜日は
ぼくたちを見て
コースターの裏に
さっとペンを走らせると
そのコースターを
ぼくの手に渡して
ぼくたちから離れていった。


二〇一四年十月二十日 「チョコレートの半減期」


おやじの頭髪の、あ、こりゃだめか、笑。
地球の表面積に占める陸地の割合の半減期。
友だちと夜中まで飲んで騒いで過ごす時間の半減期。
恋人の顔と自分の顔との距離の半減期。
大学の授業出席者数の半減期。
貯蓄の半減期。
問題の半減期。
悲しみの半減期。
痛みの半減期。
将来の半減期。
思い出の半減期。
聞く耳の半減期。
視界の半減期。
やさしさの半減期。
機会の半減期。
幸福の半減期。
期待の半減期。
反省の半減期。
復習の半減期。
予習の半減期。
まともな食器の半減期。
原因の半減期。
理由の半減期。
おしゃべりの半減期。
沈黙の半減期。
恋ごころの半減期。
恋人の半減期。
チョコレートの半減期。


二〇一四年十月二十一日 「魂」


 魂が胸のなかに宿っているなどと考えるのは間違いである。魂は人間の皮膚の外にあって、人間を包み込んでるのである。死は、魂という入れ物が、自分のなかから、人間の身体をはじき出すことである。生誕とは、魂という入れ物が、自分のなかに、人間の身体を取り込むことを言う。


二〇一四年十月二十二日 「卵病」


コツコツと
頭のなかから
頭蓋骨をつつく音がした
コツコツ
コツコツ
ベリッ
頭のなかから
ひよこが出てきた
見ると
向かいの席に坐ってた人の頭の横からも
血まみれのひよこが
ひょこんと顔をのぞかせた
あちらこちらの席に坐ってる人たちの頭から
血まみれのひよこが
ひょこんと姿を現わして
つぎつぎと
電車の床の上に下りたった


二〇一四年十月二十三日 「十粒の主語」


とてもうつくしいイメージだ。
主語のない
という主題で書こうとしたのに
十粒の主語
という
うつくしい言葉を見つけてしまった。

ああ
そうだ。
十粒の主語が、ぼくを見つけたのだった。
どんな粒だろう。
きらきらと輝いてそう。
うつくしい。
十粒の主語。


二〇一四年十月二十四日 「よい詩」


よい詩は、よい目をこしらえる。
よい詩は、よい耳をこしらえる。
よい詩は、よい口をこしらえる。


二〇一四年十月二十五日 「わけだな。」


 ウォレス・スティーヴンズの『理論』(福田陸太郎訳)という詩に 「私は私をかこむものと同じものだ。」とあった。 としら、ぼくは空気か。 まあ、吸ったり吐いたり、しょっちゅうしてるけれど。ブリア・サヴァラン的に言えば ぼくは、ぼくが食べた物や飲んだ物からできているのだろうけれど、ヴァレリー的に言えば、ぼくは、ぼくが理解したものと ぼくが理解しなかったものとからできているのだろう。それとも、ワイルド的に、こう言おうかな。 ぼくは、ぼく以外のすべてのものからできている、と。まあ、いずれにしても、なにかからできていると考えたいわけだ。わけだな。


二〇一四年十月二十六日 「強力な詩人や作家」


真に強力な詩人や作家といったものは、ひとのこころのなかに、けっしてそのひと自身のものとはならないものを植えつけてしまう。


二〇一四年十月二十七日 「名前」


人間は違ったものに同じ名前を与え
同じものに違った名前を与える。
名前だけではない。
違ったものに同じ意味を与え
同じものに違った意味を与える。
それで、世界が混乱しないわけがない。
むしろ、これくらいの混乱ですんでいるのが不思議だ。


二〇一四年十月二十八日 「直角のおばさん」


箪笥のなかのおばさん
校長先生のなかの公衆電話
錘のなかの海
パンツのなかの太陽
言葉のなかの惑星
無意識のなかの繁殖

箪笥のうえのおばさん
校長先生のうえの公衆電話
錘のうえの海
パンツのうえの太陽
言葉のうえの惑星
無意識のうえの繁殖

箪笥のよこのおばさん
校長先生のよこの公衆電話
錘のよこの海
パンツのよこの太陽
言葉のよこの惑星
無意識のよこの繁殖

箪笥のしたのおばさん
校長先生のしたの公衆電話
錘のしたの海
パンツのしたの太陽
言葉のしたの惑星
無意識のしたの繁殖

箪笥のなかのおばさんのなかの校長先生のなかの公衆電話のなかの錘のなかの海のなかのパンツのなかの太陽のなかの言葉のなかの惑星のなかの無意識のなかの繁殖

箪笥のうえのおばさんのうえの校長先生のうえの公衆電話のうえの錘のうえの海のうえのパンツのうえの太陽のうえの言葉のうえの惑星のうえの無意識のうえの繁殖

箪笥のよこのおばさんのよこの校長先生のよこの公衆電話のよこの錘のよこの海のよこのパンツのよこの太陽のよこの言葉のよこの惑星のよこの無意識のよこの繁殖

箪笥のしたのおばさんのしたの校長先生のしたの公衆電話のしたの錘のしたの海のしたのパンツのしたの太陽のしたの言葉のしたの惑星のしたの無意識のしたの繁殖

箪笥が生んだおばさん
校長先生が生んだ公衆電話
錘が生んだ海
パンツが生んだ太陽
言葉が生んだ惑星
無意識が生んだ繁殖

箪笥を生んだおばさん
校長先生を生んだ公衆電話
錘を生んだ海
パンツを生んだ太陽
言葉を生んだ惑星
無意識を生んだ繁殖

箪笥のまわりにおばさんが散らばっている
校長先生のまわりに公衆電話が散らばっている
錘のまわりに海が散らばっている
パンツのまわりに太陽が散らばっている
言葉のまわりに惑星が散らばっている
無意識のまわりに繁殖が散らばっている

箪笥がおばさんを林立させていた
校長先生が公衆電話を林立させていた
錘が海を林立させていた
パンツが太陽を林立させていた
言葉が惑星を林立させていた
無意識が繁殖を林立させていた

箪笥はおばさんを発射する
校長先生は公衆電話を発射する
錘は海を発射する
パンツは太陽を発射する
言葉は惑星を発射する
無意識は繁殖を発射する

箪笥はおばさんを含む
校長先生は公衆電話を含む
錘は海を含む
パンツは太陽を含む
言葉は惑星を含む
無意識は繁殖を含む

箪笥の影がおばさんの形をしている
校長先生の影が公衆電話の形をしている
錘の影が海の形をしている
パンツの影が太陽の形をしている
言葉の影が惑星の形をしている
無意識の影が繁殖の形をしている

箪笥とおばさん
校長先生と公衆電話
錘と海
パンツと太陽
言葉と惑星
無意識と繁殖

箪笥はおばさん
校長先生は公衆電話
錘は海
パンツは太陽
言葉は惑星
無意識は繁殖

箪笥におばさん
校長先生に公衆電話
錘に海
パンツに太陽
言葉に惑星
無意識に繁殖

箪笥でおばさん
校長先生で公衆電話
錘で海
パンツで太陽
言葉で惑星
無意識で繁殖

ポエジーは思わぬところに潜んでいることだろう。
これらの言葉は、瞬時にイメージを形成し、即座に破壊する。
ここでは、あらゆる形象は破壊されるために存在している。

単純であることと複雑であることは同時に成立する。

箪笥がおばさんを直角に曲げている
校長先生が公衆電話を直角に曲げている
錘が海を直角に曲げている
パンツが太陽を直角に曲げている
言葉が惑星を直角に曲げている
無意識が繁殖を直角に曲げている

左目で見ると箪笥 右目で見るとおばさん
箪笥の表面積とおばさんの表面積は等しい
箪笥を粘土のようにこねておばさんにする
箪笥はおばさんといっしょに飛び去っていった
箪笥の抜け殻とおばさんの貝殻
箪笥が揺れると、おばさんも揺れる
すべての箪笥が滅びても、おばさんは生き残る
右半分が箪笥で、左半分がおばさん
左目で見ると校長先生 右目で見ると公衆電話
校長先生の表面積と公衆電話の表面積は等しい
校長先生を粘土のようにこねて公衆電話にする
校長先生は公衆電話といっしょに飛び去っていった
校長先生の抜け殻と公衆電話の貝殻
校長先生が揺れると、公衆電話も揺れる
すべての校長先生が滅びても、公衆電話は生き残る
右半分が校長先生で、左半分が公衆電話
左目で見ると錘 右目で見ると海
錘の表面積と海の表面積は等しい
錘を粘土のようにこねて海にする
錘は海といっしょに飛び去っていった
錘の抜け殻と海の貝殻
錘が揺れると、海も揺れる
すべて海が滅びても、錘は生き残る
右半分が錘で、左半分が海
左目で見るとパンツ 右目で見ると太陽
パンツの表面積と太陽の表面積は等しい
パンツを粘土のようにこねて太陽にする
パンツは太陽といっしょに飛び去っていった
パンツの抜け殻と太陽の貝殻
パンツが揺れると、太陽も揺れる
すべての太陽が滅びても、パンツは生き残る
右半分がパンツで、左半分が太陽
左目で見ると言葉 右目で見ると惑星
言葉の表面積と惑星の表面積は等しい
言葉を粘土のようにこねて惑星にする
言葉は太陽といっしょに飛び去っていった
言葉の抜け殻と惑星の貝殻
言葉が揺れると、惑星も揺れる
すべての惑星が滅びても、言葉は生き残る
右半分が言葉で、左半分が惑星
左目で見ると無意識 右目で見ると繁殖
無意識の表面積と繁殖の表面積は等しい
無意識を粘土のようにこねて繁殖にする
無意識は繁殖といっしょに飛び去っていった
無意識の抜け殻と繁殖の貝殻
無意識が揺れると、繁殖も揺れる
すべての無意識が滅びても、繁殖は生き残る
右半分が無意識で、左半分が繁殖

閉口ともなるとも午後とはなるなかれ。

いま言語における自由度というものに興味がある。
美しいヴィジョンを形成した瞬間に
そのヴィジョンを破壊するところに行ければいいと思う。


二〇一四年十月二十九日 「卵」


終日
頭がぼんやりとして
何をしているのか記憶していないことがよくある
河原町で、ふと気がつくと
時計屋の飾り窓に置かれている時計の時間が
みんな違っていることを不思議に思っていた自分に
はっとしたことがある

きょう
ジュンク堂で
ふと気がつくと
一個の卵を
平積みの本の上に
上手に立てたところだった

ぼくは
それが転がり落ちて
床の上で割れて
白身と黄身がぐちゃぐちゃになって
みんなが叫び声を上げるシーンを思い浮かべて
ゆっくりと
店のなかから出て行った


二〇一四年十月三十日 「ピーゼットシー」


 きょうからクスリが一錠ふえる。これまでの量だと眠れなくなってきたからだけど、どうなるか、こわい。以前、ジプロヘキサを処方してもらったときには、16時間も昏睡して死にかけたのだ。まあ、いままでもらっていたのと同じものが1錠ふえただけなので、だいじょうぶかな。ピーゼットシー。ぼくを眠らせてね。


二〇一四年十月三十一日 「王将にて」


 西院の王将で酢豚定食を食べてたら、「田中先生ですよね。」と一人の青年から声をかけられた。「立命館宇治で10年くらいまえに教えてもらってました。」とのことで、なるほどと。うううん。長く生きていると、どこで、だれが見てるかわからないという感じになってくるのかな。わ〜、あと何年生きるんやろ。


  ペスト

淀んだ眠りは武器を取った
蜜蜂の運ぶ神聖な吐き気の正体を
 皮手袋に包まれた冷たい心臓へ差し出すために
黒い蟻たちの行列が森の外周を覆い囲む
痺れた右腕が戸棚の奥で笑っている

宇宙が寂しがって僕を呼んだ
 広い無菌空間の真ん中で
  破れた人形の脇腹を溶け出した沈黙が塞いでいるというのに
肺炎を患ったドアが小刻みに震えている
母親の乳を吸う小鳥がどうしたのかと尋ねるが
 奥歯のない星は手のひらの上の老人を見つめたまま話そうとしない

まばたきをした回数だけ古い文字は消えていった
 死んだはずの助産師はベルトのないズボンの中で凍っていた
上昇気流の中から白い血液だけを抽出するように
 送電を絶たれた換気扇がコップの底に沈んでいた

もうしばらくで朝が来るだろう
 そう言って引き抜かれた釘はザリガニとコオロギの間で今も挟まっている
牛に引きずられていくオルガンも
 毛虫の涙から作られた消毒液も
  みんなドアのない部屋の中で一人ずつ減る悲鳴の声を聞いている
最後に残った囚人は鶏の夢の中で朝を迎えるのだった

これだけはよく覚えておくようにと言われ、聴かされた鼓動の音も
 今ではもう、ノックの音とさえ聴き分けることができない
花瓶に挿され飾られた空が雨滴の首を絞め殺していった
 開かれた眼を蝋燭の火で炙る無邪気な鳥
ついに吐き出された青色の瞳が
 気泡の群れを掻き分けて海の中へと沈んでいく


メイビーグレイ

  コーリャ

さいきん煙が紫にみえてきたんだ
だから俺は奴らに訊くのさ
What's the colour of smoke?
奴らは言う
White, White, White, White, Maybe Gray


孵化

  イヤレス芳一

侮辱された追憶が花瓶を割った
 赤蟻の群がる朝露の香気を嗅いで
絹の靴下を履いた氷嚢を押しつぶすように
 顔のない声が墓場の輪郭をぼんやりさせる

海洋がさざ波の底に僕を埋めた
 深い夕凪と予言のあいだで
煤けた煙突の陰影に傲慢と罪が重なり
 ぼろを纏った核心が夜に怯える

潮流に乗って旅をする片口鰯の群れを
 赤銅色の鯨が歴史をさえずり丸飲みすると
ずれた地軸の果てに悔恨と月が凍るのだろう

――忘れ去られた彗星の記憶!
 胎児がヒタヒタと朝陽の夢に溺れている時
隻眼の母は薄目を開けて古びた文字を聴いている


雨 二篇

  山人



私たちは降りしきる雨の中、草むらに腰を下ろし、川の流れを見ていた。
彼はしゃべり、私もそれに応えるようにしゃべっていた。
ただそれは、衣服の内を流れる雨水や汗の流れる感触を誤魔化すためだけに会話していたのかもしれない。
それほど雨はひどい降りであった。
二匹か三匹のアブが私の周りを飛び回っている。まとわりつくアブである。それにしてもこの雨の中やたら飛び回り、秋へと向かう季節の急流の中でわずかな望みを託し、吸血しに来たのであろう。
 雨はとにかく酷い降りで落ちてきていた。
与えられたものに対して、その反動、あるいは、返し、と言うものがあるもので、先月から続いた日照りの反動は当然のごとく行われるのであろうか。
 かくて日照は、あらゆる水気を乾かして、空へとたくし上げ、多くの結露を蓄えてきたのであろう。
 私たちの雨具は、形状は「それ」であるが、すでに水気をさえぎる機能は失われ、むしろ水を吸収することに没頭している。つまり私たちは雨に飽和され、特にあらためて生体であると主張するまでもなく、二体の置物が雨に濡れそぼっているに過ぎなかった。さらに、アブについても言えるのだが、アブがまとわりついているのではなく、アブをまとわりつかせている、侍らせているとでも言おうか、私たちはとにかくそんな風体だった。
 受け入れ難い、現実の断片、それにもたれるように重力に逆らうこともなく、受け入れる。
アブの動きは止められない。アブを理解することで物事は動き始める。




うねるように雨は立体的に風とともにうち荒れている
緑と緑の間を荒んだ風が雨をともない蹂躙している
私は疲労した戦士のように澱んだ眼をして山道をあるいている
ただの一人もいないこの孤独な空間を打ちひしがれることもない
風が舐めるように広葉を揺らしていく
がしがしと太ることのみに命の灯を燃やし続ける草たち
廃れた林道には命をへばりつかせた脈動がある
人の臭さは無く、におい立つ草いきれだけが漂う
雨はすでに私の魂の中にまで入り込みあらゆる肉体が雨そのものになっている
私はひとりの雨となって山道を歩き
狭い沢に分け入りこむ
すでに私は雨と同類となり道を歩んでいる
水同士がむすびつき小動物のように山道に流れ
私の行く方向に皆流れ始めている
他愛もない休日
私はふと
雨の向こうを探していた。


歩く

  zero

駅から家までの道を歩きながら
様々な方角へと視線を分け入らせていく
見たこともない花が咲いていたり
知らなかったガソリン貯蔵施設があったり
私の視線は細くしなやかな糸のように
どこまでも犀利に分け入っていくから
その糸の先端に風景を創造するのだ
今まで気づかなかったのではない
今日私が視線を向けることで
そこに新たに花は創造される
今まで見逃していたわけではない
今日私が全容をつかむことで
貯蔵施設は存在を始める
歩くということ
視線があらゆる細部を撫ぜていくということ
視線は私のてのひら
見慣れた風景もそうでない風景も
全ていつでも新しいから
私は視線のてのひらで風景を新しく創造する
私の通ったあとに風景は新しく存在を始め
次に私が通ることでその存在が更新されるのを
どこまでも細かく存在し始めるのを
沸き立つように待ち続けている


文学的やあらへんで、

  泥棒


嫁の騎乗位。


嫁の騎乗位より美しい夕焼けなど
俺は見たことがない。
だから俺の詩には丁寧な描写など
一切必要ない。
そう、
俺の詩は深い闇で
太陽は敵でしかないから
俺の詩は
誰も励まさないし
何にも寄り添わない。
そう、
俺の詩は泣き言ではない。
陽が昇り沈むまで
そう、
夕焼けまでの九時間
そこで
俺は眠る
やっと眠る
笑いながら眠る。
そして
夢の中で
嫁の背中をなぞる
どんな比喩より繊細に
なぞりながら眠る。


旦那の現代詩。


旦那の現代詩より
意味のわからないものはない。
だから私は、
詩について考えたり定義したことなど
一度もないし
詩に励まされるつもりも
一切ない。
旦那は今夜も眠らずに
私の裸でオナニーをしている。
だから私は、
言葉の闇に包まれて
ひとりでセックスをしている。
私は美しい夕焼けを
二人で見たいだけなのに
今夜もひとりでセックスをしている。
だから私は、
現代と名の付くものを言い当てる。
当てたくないのに
すべて言い当ててしまえる。
近い将来
旦那の指が
終わりを告げる。


ポリフェノール。


せやろ
なんも文学的やあらへんで、
こりぁよ
芸術ちゃいまんねん。
離婚でんねん。
いわゆるひとつの離婚でんねんて
ワインちゅうより
レンガみたいな色しとるやろ
町のすべてがよ
ポリフェノールがありそうな夕陽を浴びて
2人はよ
線路沿いを歩いとったわけや
2週間くらい前かな
なんも喋らんと
ただ歩とんねん。
後ろから快速電車きよったら
2人はよ
赤と白に別れるで、
間違いないで、
離婚や
そんな感じしたんや
風に引き裂かれとるんちゃうかな、今頃。
ほんでな
でもな
あれやで、
もしかしたらな
最後にセックスしたかもわからんで、
ありゃあやしいな
あの2人は
やけに文学的なセックスしたかもわからんで、
なんせ最後やからな
しっかし仲良い夫婦やったわ
よう散歩しとったわ
この辺、なんもないけどな
手ぇつないで散歩しとったわ
さびしなるなぁ
ん。
前に一度な
奥さん、ドーナツつくりはってな
わしの家に持って来てくれたんや
ほんでな
旦那さんが詩集を出した言うてな
わし、それ、もろたんや
ちゃんと買うで言うたんやけどな
ほんでな
感想聞かせてくれ言うて
でもわしな、詩なんて読んだことないし
困ってもうたんやけど
読んでみたんよ。
ほな、めっさおもろいやんけって
わしの思てたんとちゃうのよ
やれ、孤独やとか
さびしいだの苦しいだの
死ぬとか
暗いもんやと思てたんや
もしくは、あれや、
がんばれ、みたいな
平等がなんたらかんたら
人間だもん、やればできるよ、みたいな、
詩って、そういんもんやと勝手に思ってたんやなぁ。
ちょっとな
わしには
なんやようわからんかったとこもあるけどな
めっさええやんて思たんや。
比喩とかな
バシッと決まってると、めっさかっこええやん。
現代詩って言うんか
ん。
それな、たまにな、
すらすら読める時があんねんて
ほんまやで、
でな
わしもな
最近な、詩を書いとんねん。
ん。
あんた東京から来たんか?
へー、弟さんかい
確かにちょっと似とるわな、いや、顔やなくて
喋り方とか。
連絡つかんのかいな?
お姉さん見つかるといいな
はよぉ見つかるといいな
ん。
ところでわしの喋り方、ちっと変やろ?
わしな、生まれは埼玉やねん。
そうや、だ埼玉やねん。
でもな、池袋とか、めっさ近いねん。
ま、どうでもええか
でな、お姉さんにもし会ったらな
わしの書いた詩な、読んでくれって伝えてな
ん。
ほれ、これやねん。
てかよ、今、ちょっと読んでくれや
感想聞かせてくれへんか?
ポリフェノールって題名やねん。
どや、かっこええやろ?
えらいシャレとるやろ?
ん。
ダサいか?
逆にダサいか?
だ埼玉ってか?
ん。
誰が川島なお美やねんっ。
ワイン好きちゃうし
比喩やねん。
悲しい比喩やねん。
でもな
内容は悲しないねん。
ん。
てか、のまれへんしな
わしな、ビール党やねん。
知っとるか?
ビールはな、グラスで味が変わるねん。
発泡酒もな
めっさええグラスでのむとな
エビスビールやねん。
いや、ほんまやでっ、
でもな
めっさええ詩ってのはな
グラスでは変わらへん。
どや、ええこと言うたやろ
なんか、それっぽいこと言うたやろ
ん。
たまには、ええこと言うねん、わし。
どや、池上彰みたいやろ
ん。
はよ読めや、感想言えや
ほんで何か質問とかしてくれへんか?
(いい質問ですね、
とか言わせろや
わし、池上彰ちゃうけどな


夢の所有者

  あやめの花

まどろみをつたう繊細な低音
気の遠くなるような響きがふくすうの水辺のイメージをつくりだして
下降するように浮游する夢は裸足のまま水辺をめざす


自転車を漕いで商店街をわたる、そんな空耳をくりかえし聞いていた、聴覚がひろがり、あたまが空間と調和するゆうぐれ、調和しないあしもとのもっとも鈍い部分に指をさしいれて、めくりあげてみる、果実肉のかわをはぐように、原形などかえりみずめくる、(めくるめくかんらく、あらわになった裏面はめの高さよりも低いところで波うっている、規則的に、からだは規則的に破損するけれど、きれいな、水辺の草花がおりなす綿密な夢にあざむかれて、住宅地のまんまんなか、木造アパートメントの一室でひとり、瞳孔からあふれんばかりの光彩をこぼす


(ひたされている、半分に割れたからだが、みなもから垂直に伸びる茎を掴んでいた)
オブラートをかぶせかろうじて温もりを維持してる、衣服をまとうための体積は肌色の、なつかしい受話器を掴んで、読点をうつようにまるで脈絡のないことばをくちにする(楕円、手鏡、折り紙細工)水脈をまさぐるために、なんどもとなえて乾いた舌は、人影のない水辺のようだった、なみまに墜ちる鳥の影、風でさざめく草花が肌をすべり抵抗する、もう、それしか聞こえない《わたし》わたしはぬかるむ部屋に足跡をつけながら、囁くような、カーテンの衣擦れの、繰言を聞いていた


(水辺に、降りそぼる(風の、透きとおる(まどろみは、はだか


(無題)

  町田町太

一九九七年、夏、沈黙は破られ

電気ドリルでも浴びたような奥歯だったけれど
というのは弁護人である青年は当時まだ十代半ばであり
にしては老け込んだ表情を固めて
それをそのまま湿気た中空にはりつけたまま
蒼褪めた唇で次のように述べたと記録にはある

ええ、仰る通りでございますその者は立方体の隅で饐えておりました!それはもう永久に萎んで仕舞った夕顔のような状態でおそらく誰も、少しも知らない間合いでしょう。こっそり其処へ忍び込んだに相違ないのです。その際に自らを取り巻く物体が瞬く間に酵母のように膨らむという当時の現在についつい気づかずに!いえ或いはそんな事などは承知のうえというBパターンも中途から芽生えたある種の諦念という状態(4)又は図解Cもこの場合は自ずと、云わずもがな容易に推察および仮定が可能ではありますが、ぎゅっとぎゅっと詰まってゆくあの空間自体を‥(青年は僅かに間をもって)、あの者が刻々どのような心で捉えていたものかどうかということととと(吃音ぎみに)そそれにそれに嗚呼いったいどどどうして何故このような‥失礼(ふるえる指の爪を噛みちぎる)要するにですねこの動機のきっかけこれに関して僕はどうにも解りかねます!とくにか…と、兎に角であります 果たしてそれが死因となって‥ぃんとなったからして‥‥!あの‥御免なさいやっぱり僕にはこれ以上…これいじょうはどうしても‥‥
ついに青年は声を詰まらせ、それきり黙りこみ、しゃくりあげるばかりなので、その後ろの男の番がきて

仕方ないといった調子でざわつく周囲に右手を翳し
ミルクのついたままの口髭を、ぬぐい
マイクを、握って、しきりにスイッチを確かめ確かめながら
上下の唇をしっとりと舐めて‥(という一連のあいだ傍聴者たちは、それはもうウズウズという様子で)

うむ、この村は四方を山に囲まれているわけです
つまりこの時節、なかなか陰気なものでして、はい
予報によれば今夜には、うん、強く長い雨が降るという
降らないなら?ふむ、さてはこれこの場も途端に
夢のひとコマということですなあ!
(とここで、じれったそうにしてざわつく一同を、再び制してから)

雨降れば、わたしたちはまた膨らんでしまうでしょう
哀しいかなわたしたちの孤独とは、云わば子嚢菌に類するものなのです
周囲に黙ってただ無性に増大する!(強い眼差しと拳骨をふりおろして)
いいですかな皆々様方、ここは一刻もはやくに帰るべきでありますぞ!
そして家族のいる者は、何を置いてもまず食卓を囲み
バタとパンとあたたかいミルクでも飲むのがよろしい
またそれが叶わぬ独身者は我が家にどうぞお越しください 
ええ、わたしもまた、孤独なのです
ふむ、正解を教えてくれないという結末、実にこれが結の論、そしてこの罪人‥でいいですね‥の唯一の尊厳なのであったと、我々は落着いたしましょう

(天井裏で様子を伺っていた少年が、
待ちかねたように鐘をうち鳴らす)

何かの虫が哀しげに鳴いて
暮れる陽は雲に隠れて見えなかったけれど
ぼんやりとした糸杉や、疲れた煉瓦だけ立体にしている

皆が、熱っぽい感想を口々にしながら広場へと溢れて背伸びしたり

頭をふりつつ散開しはじめる
誰かと誰かが肩を寄せ合い
誰かが誰かを安価な呑み屋へ誘って
道の両わきにはずらりと並ぶグラニット
その眼は虚空を見ていたとか、いないとか
そんなことは出鱈目であるとしても証拠がない


詩編「記号図鑑」

  ねむのき

   [ae]

きのう、隣のクラスの担任の
英語のヤマシタ先生が死んだ

ヤマシタ先生はおっとりした人で
授業はいつもつまらなくて
眠かったけど
めったに怒らない 
やさしい先生だった

先生の自宅のアパートからは
発音記号で書かれた遺書が
見つかったらしい

その日から 
隣のクラスのみんなは
〈apple〉を〈アップル〉と 
発音しなくなった

  

    [🎼]

今日は
誰でも上手にピアノが弾けるようになる
という仕組みの
ト音記号の形をした月がのぼる
年に一度だけの日で

夜の公園に集まった人たちが
なかよくお酒を飲みながら
順番に並んで
思い思いの曲を演奏している



    [±]

わたしの兄は
大学院で数学を専攻していて
それなのに文学オタクで
大学に詩の合評会のサークルを立ち上げるほど
詩が大好きで
自分は「日本で一番数学に強い詩人」だと
わりと本気で思ってる
ちょっと変わった人です

日々の生活の出来事を
微分したり
以前付き合ってた彼女にフラれた ほろ苦い思い出を
統計的に処理したり

兄の書く詩はとても数学的で
日常のことをテーマにしたものばかりなのに
超難解で
毎日ひっそり
詩のサイトに投稿もしてるみたいですが
誰にも理解されずに
いつもスルーされているようです

でも 
わたしが中学1年生の時
「マイナスにマイナスをかけるとプラスになる」
というのがどうしても分からなくて
とても頭を悩ませていことがあって
そのことを
兄に質問してみたら

 良いことがたくさん増えたら、すごく嬉しい
 でも
 嫌なことがたくさん増えたら、すごく悲しいし
 良いことがたくさん減っても、すごく悲しい

 だけどもし
 悲しいことがたくさん減ったら
 それはすごく嬉しいことでしょ

 それといっしょだよ

って教えてくれて
なんだか全然分らなかったのがウソみたいに
不思議と納得できたのです

だからたぶんわたしの兄は
本当に日本で一番の
数学詩人なのかもしれないと
ちょっと思っています



    [φ]

今朝 学校へ行く途中
つるつるした記号のようなものが
道路のうえに落ちているのを見つけた

見たことのない記号だったから
こっそり拾って 
学校に持っていった

図書室の記号図鑑で調べてみると
〈これは記号ではない〉
という意味を表す
いまではあまり使われていない
珍しい記号だった


一人で過ごす

  Migikata

生い茂る雑木の梢を眺めては
あなたから託されたノートの何処だったか
「ばらばら」
と書かれたのを読んだ。
「気づけば結局、総てがばらばらだ」

数週間前のことだった。

確か、雨が降り始めるところで
ベランダに張り出す廂が
雨粒に叩かれ小さく
次第に大きく、頭上に響くほどに
鳴る。
そんな朝に読んだ。

雨の匂い。
考えの重心が
多少その朝の有様に偏っていた。
だからかどうか、
鳥や獣や虫の
排泄物と死骸がとろけて
記憶に染みこみ
土の匂いを濃くし厚くし、
とめどない妄想の襞の奥まで
純白の蛆虫が食い込んでいる。
噛まれた痛みが、
ある。

そのノート、
三日ほどあと林道で取り落としたノートは
雨水に浸ったまま乾いてしまい、
ページがくっついてもう剥がせない。

そうして、書かれたことの一切は
脳を浮かべる粘液にまみれ
奥のところですっかり腐り始めている、
今、家から離れた渓谷に来ている。
この谷底は気持ちよく晴れ
生き物はみな上機嫌で生きているのに。
ここも地上の円盤の
端の端であって
ノートに書かれていたとおり
ここにあるものもみんな
ばらばら
脈絡がない。

高空を風が渡っていくらしい。
雲は綿を裂くように流れる。これも白い。
特に音というべき音はない。聞いていない。
無声のカンツォーネ、
それが地上を圧している。

蛆虫から孵化した小さな蠅が
頭蓋骨の内側の狭い場所を飛び回り
それが夥しい数である。
僕は蠅の王となり
蠅の群れように考え
蠅の群れのように
自ら問い掛けを続ける。
だがそれは、蠅たちの羽音に過ぎない。

僕はどこにいて
あなたは誰で
かつて僕やあなたや他の人たちは
何をしたのか。
したことに何の意味があったのか。

揺らぐ。

問いが揺らぐ、答えも揺らぐ。
ばらばらなものが、
統一を装いながら揺らぐ。
揺らぐことがわからず揺らぐ。

僕もコクヨのノートにパイロットの万年筆で書こう。
頭上のスカイブルー
ブルーブラックのインク
「ばらばらなことは確かだが、自覚できない。
蠅の王はどこまでも惨めである」

しかし、書くべきノートは何処にもない

ない。


  ペスト

人形の燃えた跡に残ったのは白い花
人肌に溶けた窓ガラス越しに
 手を伸ばして灰を掴んだ

拘束された酸素は留置場の底で眠る
 水面とドア
 船からあがった煙
顔のない馬車を鶏は追いかけていく
牛の中では水銀の上に瞳が浮かぶ

四角い炎の中心で果実は剥がれ落ちる海洋を思い出していた
 指紋の泣き叫ぶ声は透明な鏡の上を往復する
羊から溢れ出た小さな視界の粒子
木の葉のように空を舞う冷たい砂の膜の中へ
 クラゲの触手は人差し指の形をした孤独な振動を置き去りにした

僕の心電図が北の夜空へ映し出された頃
 飛べなくなったばかりの星を君の眼はなんと呼ぶだろうか

霧の茂みに隠れ
 血の塊がその汚れた翼を火で洗っていると
  その匂いを嗅ぎつけた鳥たちが地面の中から這い出てくる
解体された木の構造は水道管の奥に詰まっている
地図のもつ甘さに蟻たちは所狭しと群がった

指の上を魚の骨格が泳ぐ
 干からびた溶解炉の心拍数は次々とピアノの鍵盤を飲み込んでいった

赤い線の上だけを渡る蒸気機関車の群れであり
羽の欠けた蝶の体を循環する鳥の胃液の推進力であり
閉ざされた貝殻の内で死を待ちわびる温度でもある
 森林に咲き乱れた唇の間からは
  細菌たちの産声が静かに零れ続けていた

遺伝子工学の上に一匹の蛾が止まる
 黒く酸化した月に産み付けられた卵が割れ
  この星には初めての雨が降った
青い暗闇の中にいて、記憶は私たちの眼差しを歌う


喪失―失われるとき    

  前田ふむふむ

見送るものは 誰もいない
錆びていく確かな場所を示す
冬景色の世界地図を
燃やしている過去たちが
東の彼方から孤独に手を振る
知らぬ振りをする眼は 遥か反対を伺って
不毛な距離をあらわさない
すすり泣く静寂のさざなみが
過ぎていく春の揺らぎのなかを
固まる 真昼の荒野で瞬いていく

むかえるものは 誰もいない
絶え間なく律動する 縮まりいく そして絶えていき
砂粒へと綻びる 
帰りのない飾り立てた一本の直線の道を
過ぎていく人々のざわめきで塗された気配と
白い木の葉が落ちる
透明な街路樹に差す光線との
空隙のなかを
止め処なく走り抜ける暗闇の青さが
冷たく切り裂いていく

わたしが 決して語ることの無い
この失っていく砂漠のような時間のなかを
語り続けている 繋いでいる そして繋がっている
汚水と蒸留水の混沌で満ち溢れた
思惟の海の岬のふところで
折れた翼を精一杯に張って 飛び立つ海鳥たちの
鮮烈な讃歌が聴こえる

あの 霞みゆく緑の月を 打ち落とせ
あの 溶け出した黒い太陽を 打ち落とせ

金切り声を上げたばかりの海鳥が
見えない時間のなかを 朦朧としながら
喪失した痛みを数えて直立しているわたしの背中を
無造作に撫ぜていく
ああ わたしはひとりで 吹き荒ぶ断崖で
孤独に佇んでいたという現実が
鋭い尖塔のように
青々とした空に突き刺さっている
わたしは溢れ出す灰色の海で号哭することだけが
許されている
曳航される廃船の姿を晒して
今 世界が悲しく死にいく夜を歩いている


まるで詩人のような雰囲気で

  泥棒

今年の春から
高校生になった僕は
まるで詩人のような雰囲気で
電車通学をしています
窓の向こう
花々は
きれいです
新しい友達は
まだできていないけれど
新しい花々は
もう咲いています
とても
きれいです
僕は
みんなの名前
おぼえられるのでしょうか

最近
駅でよく見かける
きれいな目をした
ショートカットの女の子と
やたら目が合います
でも
よく考えてみれば
僕が
その女の子を
見ているだけなのかもしれない
夏の風が吹いて
僕は映画の主人公になりきって
女の子に
話しかけてみた
女の子は
詩集を読んでいた
チャンスなりっ
僕は
詩なんて読んだこともないし
まして書いたこともないけれど
まるで詩人のような雰囲気で
詩人が主人公の
映画のワンシーンのように
(詩が好きなんですか?
と聞いてみた
女の子は黙ったまま
僕を見つめて
一瞬
笑ってから
僕の顔を殴りつけてきました
そして
僕は前歯が折れました
自分に
いったい何が起こったのか
その時は
何もわかりませんでした

女の子は
空手黒帯で
関東大会二連覇をしているらしい
駅員と警察官が
僕に
苦笑いしながら教えてくれました
悲惨なりっ
誤解がとけて
女の子は
僕に
ひたすら謝ってくれたけれど
僕の前歯は
ぐらぐらして
心は静かに
もう止まっている
冷静なりっ
僕は学校へも病院へも行かず
近くの河原へ歩いて行った
リア充って言葉
誰が言いはじめたんだろう
やりきれない想い
いつもこうじゃん
いっつもこうじゃん
告白する前に
こうなるじゃん
告白さえ
僕はさせてもらえないのか
ツイッターなんて
童貞にとって
本当につぶやきたいことは
おっぱいもみたい。
とかばかり
毎日
同じことばっかり
だから僕は
この想いを込めて
生まれてはじめて詩を書いた
そして
ブログに載せた
中学の友達から
イイネ!と言われた
何がいいのかわからない
なにが、イイネ!だ、ばかっ。
詩なんて
もっとわからない
たぶん
僕が書いたのは詩ではない
そう思った
イイネ!なんて言われたら
終わりだ

川の向こう
花々が咲いている
名前なんて知らない
あの子
誰の詩集を読んでいたのだろう
夕暮れ
もう秋の気配がする夕暮れ
遠くで学校のチャイムがきこえる、


連想記

  はかいし

「女」というものは存在しない。

わたし、から始まった
坂道の緩急を
響き灘よ、裂け、破滅へのクオーク、
シリンダの内から、高層ビルの最上階で
わたしは忘れられた、
響き灘、シェリングの老眼でも見える、追憶者の轟き、どよめき

土曜は既に暗くない、
陸奥を飲み干せ、
関東平野に咲いた幾億の花が、発話が、
海底の通りを渡る
それが、ここからの夢の墓所

憂鬱の有袋類、
オポッサム、安寧を祈って、
援交しろ、
下等生物の苦悶、
吐き出された精子と卵子が、
子宮の区画を抜け出して、
新たな都市をつくる、
楽園という、イヴの名を死の象徴の電波塔へ、
また追憶、

緩急、濃暗の暗い街へ、
ウォール街の月曜日を、
スキップして、越え、声、声、
翼、なき
マバタキナキ、

象徴交換、わたくしのか細い鶴の首先から、
羽、落ちる
銀河は捨てられた、ゴミ袋の中で、
イメージを連鎖させる、
かの温かい襞のような暗黒物質の表面を、
スキーヤーが滑った跡は青白い、

枯れ葉を踏んで、また枯れ葉を、
ビスケットに変える、
その方が多くの人々が温まるから、

街に、帰っていく二つの影を、
わたくしは見送るだろう、
キナギ、タバマ、

伝染病の章を、
再び象徴交換と死

(ここで、排泄する、)

道具連環 ハイデガーの肺の中へ逆流する銀河
大気は鏡となって空を宇宙に押し出す
こうして延々と続く光の経路に
一万の壁を

重力が割れる
エラン・ヴィタル
生の躍動
躍動する神神
山火を引き連れて
痙攣する

パサージュ転移の原因は
谷崎潤一郎の夢のせい、
毒を飲め、
タモリ、自負の

司書だ、
おお、恐ろしい

まずは、すべての引用から詩を、初めてみる



山脈が、湧き出てく
木漏れ日のにおい、お前を愛したために
わたしは破滅してしまう、宮崎さん



パターン、パリ、自負の梱包
こん棒、
ガジェットを喰らう営み

帝のお目見えになる時刻、魂は辟易なさって、退社した

春は彼方から散文のリズム、秋は痩躯に欝して、ああ、ああ、エラン・ヴィタルの肺呼吸、これは詩ではないのだ、詩ではないのだよ!

狂気! すべては歴史のため、命懸けではい出てきた革命児。散文よ、散文よ、咲けよ、裂けよ、SAKEYO! うつぼ舟の中に垂れた庭先の薔薇が、青く、空模様を吸い込んで、蕾は開いていく。目の前で回転する機械、この辺りで既に重複があるのだろう、それを量産するのだ。

フロイトの大義派へ告ぐ

直ちにここから退去せよ ここから ここそこから あちらから どちらから? 退去せよ
天神は午睡した 夢よ、Dream、Maerd、その辺にしておけ


なんて

  

こら、そこのおっさん、おばはん、
じじばば、くそがきども

8月15日この終戦祈念日を迎えて
最後にひとこと言わしてもらう

便利すぎて不便!


8月の空のした

  蛾兆ボルカ

僕の職場から少し離れたあたりに
バス基地があり
わりとよく、その横を通る

バスを各地に出荷する運搬基地らしいのだ
ひとつの湖ぐらいの
だだっ広い土地に
バスが無数に並んでいる

ところで
普通の自家用車をどうやって運搬するか
っていうと
大型トレーラーに引かせた運搬車に
斜めに、かつ二段にして組み合わせて
8台ほどぎっしり詰みあげて運ぶのだ

大型バスはどうやるか、というと
考え方は同じで、ただし
縦にしたのを8台並べて
トレーラーで運ぶのだ

大型バスだから縦に積むと電柱より高い
ぎっしり8台積んで、横からみたら
城壁みたいだ

そんなふうにバスを積んだトレーラーが
何十台も隊列になって
8月の空のした、高速道路を突っ走るのは、
壮観だ
嘘だけど



(バス基地はほんとうにある)

いっこの湖ぐらいの、だだっ広い土地に
一月ほど前は、白いバスが無数に並んでたけど
今日は青いバスが無数に並んでいた


夜の山道(二バージョン)

  山人

一、
草は静かに闇の中、葉に露をまとい、一日の暑さを回想している。
ヘッドランプのあかりに照らされた、それぞれの葉のくつろぎが、私の心にも水気を与えてくれる。
闇は静かに呼吸していた。
その息が葉を動かし、それぞれの露がほころんでいる。
 
日中、病的に鳴き叫んでいた狂い蝉の声もなく、皆それぞれの複眼を綴じ、外皮は動かない。
ときおり、谷に近い場所でキョキョキョとヨタカの声がする。
闇を食い、大口を開けて虫をさらいこむ。

うっすらと下界には数々の明かりが見える。
厳かな団欒を過ごし、それぞれの家族がそこで暮らし、命の脈音が、不確かにぼんやりと発光している。

一途なおもいだけが、私をこうして山に繰り出させ、闇の中の登山道を歩いている。
頭をよぎる冷笑を、振りほどこうとするでもなく、私は私の意に任せ、山道をただ歩いている。

何も問題はない。
こうして私は山に入り、そしてこの夜の山を歩いている。
起伏のある静かな稜線はうっすらとその影を晒している。
そしてその上には星が散りばめられ、欠けはじめた月が頂きを照らし始めた。



二、
日が暮れ、夜になると言うのは、実は一瞬である
と言うことに気がついたのは最近だ。
空間は凝縮され、ついには何もなくなる。
色彩はすべて黒く塗りつぶされる。

凡庸な野鳥どもは何処かに失せ、
頑なで、入念な鳴き声が闇に放たれる。
なぜ誰も闇鳥という名で呼ばないのだろう。
ヨタカは孤独に浸り、闇を祝うように訥々と鳴き続けている。

山道の草の葉のそれぞれが、
その日一日を回想するように、
夜露を揺らしている。
その葉脈の体液は今、
静かに夜の音を聴きながら寛いでいるのだろう。

深山の一角の稜線を、山道を、深夜、
私は一人で歩いている。
遠くに見える夜景が美しい。
醜さと、欲望の塊がゆらゆらと発光し、
偽善者のような美しさを具えている。
その遠い明かりから私に注ぐ視線は皆無だ。

ときおり、風がとおる。
見えない風の道があるとする。
そして風は意図して吹いているのだと気づく。
その風が皮膚をこすると、
細菌が剥がれ落ち、再び私に生気が戻る。

この世に私のような者は、私だけだと知る。


  zero

人間の体は労働により徐々に疲労していき
ある真夜中に一つの硬い器となる
器は木ずれの音も雷光もなにもかも呼び寄せて
きれいにその中に収めてしまう
疲労というこの硬い器には
幾つもの突起があって
夜風で飛んでくる他者の息吹のようなものをひっかける
革命は沈降した
疲労は勃発した
器の表面に走る静脈には
労働だけでなく生活や恋愛や享楽なども含まれる
疲労は快楽からいちばん生じるため
そして労働は最も禁欲的な快楽であるため
器の中心にある心臓では
過去の刺激が流体となって押し出されている
この疲労の器を生かしている色を捨てた過去
この廃墟の器に倦怠を常に供給して
瞬間ごとの亀裂と崩壊によって生まれ変わらせていく
真夜中に疲労の器と化した人間の弱いまなざしには
世界中の激烈な視線が一斉に返されていく
今日も明日もない時刻の零点において


ロードムービー、ロックンロール、アメリカ、天使

  中田満帆

 *ロードムービー

 かれらはたがいになにものかを識らない
 むしろ識るためにともに歩き、または走る必要があるということだろう
 わたしがおもうに自動車や道は、自動車や道のように見えるだけの装置であって、
 それらそのものではない道標なのだ
 映画はそこに介入するものの、かれらの関係を解釈しようとはしない
 それはしてはならないことなのだ
 だからこそ映画は映画でいられる
 映画は決してかれらに介入しはしない
 やがてかれらがわかれようが──かれらはわかれることになっている──映画はなにもしない
 それが映画を映画たらしめてるのだ
 では観客であるわたしはいったいなにをしてるのだ?
 それはおそらくかれらを追うことだ
 わたしはかれらなしではいられない
 かれらこそわたしを奮い立たせてくれる存在だから
 遠く、遠くのほうまで追いかける
 やがてすべてが暗転してなんにも見えなくなるまでロードムービーはつづく

 
 *ロックンロール

 チャック・ベリーを識ったのはマーティ・マクフライを通してだった
 深海のダンスパーティーでかれはギターをかき鳴らした
 タッピングをした、背中で弾いた、アンプからジャンプした
 そして舞台のうえをもだえるように、蛇となって動いた
 わたしはまだ二歳だった
 それ以来わたしはロックを飽きもせず聴いている
 十四歳のころ、わたしは幼馴染みにいわれた
 おまえがロックを聴くなんてヘンだだって
 だけれどロックンロールは誕生以来、
 あまねくひとびとに契機を与えつづけてる
 わたしも与えられたひとりなのだ
 だからきょうもロックとともに
 おもい描いてる
 教科書に立っていた同級生の女の子たちのことや、
 広告のなかの素敵な女の子たちのこと、
 音楽雑誌の批評文のあの皮肉めいた文明を、
 すれ違いざまにぶつかってきたあらゆるおかしなできごとなんかをだ
 やがてすべては物語にかわってしまうから、
 わたしは作品以前のひとびとやものたちをできるだけ抱きしめたい
 抱きしめたいのだ
 放したくはないのだ
 ロックンロール、
 きょうもありがとう
 そしてあしたこそさようなら、だ
 「ロックンロールはひとを苦悩から解放させない。苦悩を抱え込んだまま踊らせる」
 これはピートの科白、でもザ・フーには興味がない
 わたしは「おまえはおともだちじゃねえんだよ」といったときの宮本が好きだ
 「願いによって神に祈ることなどできるものか」と叫んだジムが好きだ
 ロックンロール、それは神が遣わした、
 男のための苦汁である

 *アメリカ

 幼年期から棲むわたしの幻影のアメリカ大陸
 なまえのない通り
 あるいはその場かぎりのなまえを与えられた通りや町やビルディング、アパートメント
 プードルスプリングは存在する
 ベイ・シティも存在してる
 チャンドラーのハリウッドから
 グーディスのフィラデルフィアへ
 ブコウスキーは「涅槃」というなまえの詩でこう書いていた
  目的を
  すっかり見失っては
  あまりチャンスは
  望めない、
  かれは、バスに乗って
  ノースカロライナ州をぬけ
  どこかへ行く途中の
  若い男だった(訳=原成吉/「ユリイカ」95年5月)
 いっぽうトラビスは、テキサス州パリスで仆れ、
 息子ハンターともにヒューストンへ妻ジェーンを追いかける
 それは一九八四年のピープ・ショウだ
 男も女もやがて穢れていく子供たちもみんな悪夢をアメリカン・ドリームへと欺こうとして詩を書く、小説を書く、絵を描く、マスを掻く
 いちど失った友愛は決して二度とは帰って来ないというのに
 ビッグ・ガバメントの垂れ流すまやかしにやられて
 どこにも行き場を見失ってしまうのだ
 好機はそのものにはちがいないけれど、まるで紙切れのようで、
 いちど握ったらもう使いものにはなりはしないのだ
 さてサンアントニオを振り切ったトラビスはハンターに伝える
 「じぶんが触れようとするものが怖い」と
 そうしてジェーンとハンターを結びつけて消失する
 いっぽう一九六六年ニューヨーク州バッファッロー生まれのビリーは、
 誘拐した女の子レイラとモーテルで九八年に結ばれた
 わたしはそんなアメリカが愛おしくてたまらない
 「戦争に勝った国の映画なんか観ない」と清順はいったけれど
 わたしにはどうしても必要な毒物がアメリカなのだ
 一九八四年ジャームッシュは"Stranger than paradise"を完成させ、
 アメリカのぶ厚い皮をひったっくってしまった
 あの三人、かれらはニューヨークの片隅からフロリダへむかい、
 トム・ウェイツは臆病者の実験音楽、
 リッキー・リーが"マガジン"をだし、
 西脇市民病院でこのわたしが七月三日に産まれた
 でもそんなことはどうだっていい
 ラブホテルの看板"TOM BOY"の燦めきを感じながら、
 わたしはアメリカを記述している
 東海岸よりも西海岸が好きだ
 ブローティガンは、
 銃でみずからの頭をふっ飛ばした
 ああ時が流れ、
 草の葉が夏色に染まる
 子供のころずっと夢だった、
 デロリアンにまだわたしは乗ったことがない
 もし手に入れたらば、
 さてどの時代にいくべきだろうか?
 
 *天使

 きみの電話を教えて欲しい
 いつでも声が聞えるようにだ
 きみにはいつも世話になっているから
 どうしたってお返しがしたいのだ
 きみにとってなにが喜びだろうかしら
 わたしはわたしでなかったころの記憶を憶えてる
 わたしは木の畝にうずくまる哺乳動物で、
 麓のホテルから漏れる灯りをいつも物欲しそうに眺めていたのだ
 これはいつかきみが教えてくれたこと
 まだ憶えているだろうかしら
 これまでに何度も病院の寝台のわきできみと一緒に過ごしてきた
 二十九歳の六月がとびきり印象深くおもいだせる
 眠れないで朝を迎えたとき、
 突然温かいものがわたしを包んだのだ
 おかしな気分だったけれど気持ちがよかった
 胸のうえを大きな手が撫でてるような触りだった
 それはたしかにきみの羽の感触だった
 わたしはきみに気づいた
 そして太陽を見た
 永遠そのものが唇ちをあけて笑ってる
 いつかまたふたたび会おう
 今度は病院のそとで
 わたしにとっての疫病神であるアルコールをやりながら、
 犬のラベルのシェリル酒をやりながら、
 今度はきみの告白が聴きたい
 産まれたばかりのような、
 物語でも
 小説なんかでも
 ない、
 作品以前の作品を
 一緒になって回転木馬にゆすぶられながら、
 さ、  
 どうか、
 叶いますように、
 さ、


びくん、ぶぶ

  


スマートフォンが
びくん、びくん、ぶぶ
左手のひらに息づく何かを掬い
柔らかに発光する温かい腹を
人差し指で押して確かめる

びくん、ぶぶ
生きたツールを手中にと
意図された錯覚
省エネモードに変更すれば
大人しくただの道具に戻る
生きることは消費なのだ


年老いた猫が蟹を貪り食った

おいおい、と
甲羅から身を剥がしてやろうとしたら
取り上げられたら俺は死ぬ、
とばかりに抵抗したから
好きなようにさせた

大量に吐いて、次の日死んだ

フローリングに長く伸び
思い出したようにもがいて
びくん、びくん、ぶぶぶ、ぶるる

お取り寄せのタラバ蟹
あんなに貪らなければ
もう一週間は生きたかもしれないけれど
おい、猫よ、贅沢に消費したよな

心臓が動きを止めたら
熱も弾力も失って
お前というかわいい生き物は
別の何かになっちまった

ぺたんこの腹
そっと押しても震えない
皮の袋になっちゃったね


蝶のサラダ

  ねむのき

流れ星の 駅のホームで
駅員のおじさんが 
蝶を食べている
 
ガス燈の灯に集まった蝶を
大きな虫取り網で
すくっては パクパクと
口にはこんでいる

「ねえ、おじさん
「どうして、蝶を食べているの?
って訊いてみたら、駅員さんは
「かわいそうだけど、仕方がないことです
って答えた

(そうか
生きるためなら、仕方がないことも、
あるよね

ぼくは納得して
帰りにスーパーで 半額のアゲハ蝶を買った

夜のニュースを見ながら
ぼくは
ひとりで 蝶のサラダを食べた


   *


目が覚めると
駅員さんが枕元に立っていた

「たった今、準備が整ったところです
そう言って鞄から
ぶよぶよした立方体を取り出すと

タツノオトシゴに変身して
駅員のおじさんは
泳いでいってしまった

窓の外は
雲ひとつない晴れの空で
今日もたくさんの
白いタオルが降っている

展翅された 大きな青い蝶を閉じこめて
透明な立方体は
ぼくの部屋のベットのそばでずっと
ゼリーみたいに浮かんでいる


夜霧のパピヨン

  atsuchan69

霧につつまれた煉瓦通りを突当たり、
古いビルの地下にその店はあった
暗い夜の匂いが滲みついた長尺のカウンターには、
いつしか様々な顔と顔が並んでいた
俺は雑音の混じるオスカー・ピーターソンのピアノを肴に、
ほろ苦いカンパリをソーダで割ったやつを飲んでいる

青髭はパピヨン(♀犬)みたいな顔の女と一緒で、
紫煙を燻らせながらパッシモをタンブラーで飲んでいた
そしてシェークされた無色透明のカクテルが既に女の前にある
「酔っ払うには、まだ早すぎる」と男が言ったから、
たぶんそいつはギムレットだったに違いない。

案の定、パピヨン(♀犬)は最初の一口で咽てしまった
「だって酔わなきゃ」と、鼻を押さえて
男の胸から取りだされた白いハンカチを受けとった
「私、棄てられたの!」
――途端、キャンキャン吼えて泣いた
青髭はすまなさそうに店内を見回し、女の背中を擦った
パピヨン(♀犬)はカウンターに顔を埋めたが、
困ったという顔の青髭は、なぜか私と眼と眼があって
眉を下げたまま「梃子摺らせやがる」と、さも言いたげだった

左手でロメオ・Y・ジュリエッタを硝子の灰皿でつぶし、
「ご迷惑では?」と、俺に訊いた。
「お気を遣わずに。こちらも、関係なく一人で飲みます」
すると、パピヨン(♀犬)がとつぜん上体を起こした
「そうよ、私だって飲むわ!」
涙で溶けた化粧の下に、毅然とした別の女がいた
「わかった。よし、とことん飲もう」
青髭はそう言って、
「アイリッシュ・ミストで・・・・二人分作ってくれ」
やや髪の薄いバーテンダーに注文した

「ミスティか」と、俺はついうっかり口にした。
「ええと――」
初老のバーテンダーが尋ねる、「音楽も・・・・ですか?」
万事よろしい笑みを浮かべて青髭は言った、
「ジョニー・マティスの歌で頼む」

五十年を経た、黒い合成樹脂の円盤に針を落とし、
甘い声で彼が唄いはじめるや否やまったく理由もなく、
店の入口となった狭い階段から、
そして通気口からも地上の霧が降りてくる
いつしかドライアイスの煙のように真っ白な霧が
青髭とパピヨン(♀犬)の足元を包みはじめ、
やがては店中が夜霧のなかに沈んでしまった

「君は・・・・彼を、愛しすぎたのさ」
深い霧の中で青髭はパピヨン(♀犬)へ言った
「そう、きっとそうね」
「でも今夜からは、きっと違う。君は、もう昔の君じゃない」
「裏切られたもの。二度と愛なんて信じないわ」

そして霧の中で、俺はそっと小声で言った――
なんだ。これって青髭が毎度つかう落しの手口じゃん・・・・


花氷

  草野大悟

とけてゆく
森の、
やわらかな落ち葉のうえに
ゼリー状のものに包まれて、
ふるふると
産みおとされていた
ことば。
(しんでしまう

夏の中に立っているきみ
、と
氷のなかの
ことば。
(とけてゆく


ヘンドリックと青い空

  尾田和彦



湿気を含み
じりじりと指先に迫る煙草の火のような不快な暑さが
ぼくたちのクーラーのぶっ壊れた車内を
熱によって歪ませていた

「この夏の異常な暑さ」

ラジオの気象予報が繰り返し注意を呼び掛けていた

高速道路は帰省者たちの車で埋まり
ちょっと近所に遊びに行くだけの
ぼくらの時間まで奪っていく
その暴力的な非論理によって

都市的な風景を
ひそやかな不安によって
重層的かつ無根拠な宙吊り状態に置き
そしてそれによってぼくらは車内から真っ青な空と


どこまでも膨らんでいく入道雲を見上げながら
昼食までの憂鬱な時間を過ごさなければいけなかったのだ

この種のトランジット状態を密室で味わう羽目になるのが
ぼくたちが未だ構造さえ描くことのできない都市の姿なのだ

明美とぼくとヘンドリックは
高速を降り下道を走った
ヘンドリックは憤慨して云った
これじゃ2時まで昼飯にありつけないな
お前が高速に乗るって言い出したからいけないんだろ?
バカ言え!俺のせいか?
なんでこんなバカみたいに車ばっかなんだよ!
お盆だからよ
明美が優しく云った
お盆だからな

盆だからなんだって云うんだよ!
ぼくらはあまりにもうるさくヘンドリックが騒ぎ立てるので
近くのセブンイレブンでコーヒーでも飲むことにしたのだ
セブンイレブンの駐車場もすでに一杯だった
ぼくらは2メートルほどあるブロック塀ぎりぎりの端っこに車をとめ
ヘンドリックにアイスコーヒーを買ってやる約束をして
明美とぼくは店に向かった
車の窓
あけてきた?
ああ
全部全開にしてきたよ
じゃなきゃ
ヘンドリック
ぼくらが帰ってくるころには干からびて死んでるよ
ホントね
おバカなクマさんだから

明美はぼくをそそのかしてきた
ねえ
そろそろヘンドリックを手放さない?
手放すってどういうことさ
動物園とか?
ほら・・
ほらって
彼にふさわしい場所
きっとあると思うのよ

最初は冷たい女だと
ぼくは明美を疑いかけていたが
彼女は真剣にヘンドリックのことを
考えていたのだ
そうだ
ヘンドリックを甘やかし
彼をちゃんと自立させてやれないのは
ぼくのやり方が間違ってるからじゃないか?
ぼくらはポテトとピーナッツとコーヒーを買い
車に戻った
ヘンドリックは助手席を倒し
ダッシュボードに足をかけ
グーグーとイビキをかいて寝ていた
呆れた
よくこんな暑いところで寝れるもんよね
どこでも寝れるのがこいつの唯一の特技だからね

どこまでもモクモクと膨らんでいく入道雲
太陽と青い空
ぼくは明美に云った
目的地
変更するか?
どこに?

さあね
動物園とか


痘痕の雨の庭に佇んだときのこと

  GENKOU


   「雨の庭」

  墨の絵を描く嬰児が
  天照る水に
  その掌をかざす

  庭の雨に立ち
  空は、なぜか
  晴れ渡っていた

  肩に触れる小さな羽根の
  それは、鶉の羽だった
  頭脳の明晰な鶉の卵の小さな顔
  僕の肩にいつも乗っていたんだ

  同じ産着を着せ、
  四つ手の體が
  拭われた赤子

  墨の絵の庭咲く萩の花
  白く黒く手足の花びらばたつかせ
  雨粒は細かく弾き
  突風が時折
  雨を割り砕き
  
  庭の雨に立ち
  空は、しかし
  晴れていた

  、、、、、、、、、、、
雨の庭の庭の雨を長く心に刻んで、日暈(ゲンウン)の真昼の風、そは男の代名詞である。

   落葉は散る庭をカサカサ舞い込むすなわち女の代名詞である

   振り向くなく、仰向くなく、赤あく頬を染めた楓よ、貪婪の星星が降り注ぐ御影石、全ては女の代名詞である

   幾多の生きた人間を、りんりんと照らして踏みなりす化野の、自分のなしことをも自分でなくともしないまま、石仏八千体に、己が大地に疼き、表皮を脱ぎ捨て、身を寄せていた石たち。


「マヨネーズ」

  イロキセイゴ

ポストが閉鎖するとイッサは殺意を覚えた
白いマヨネーズの用器が着地すると
新聞の購読が止まって居る
白い白すぎるのだ

新聞に載る度にポストが閉鎖する事に
イッサは殺意を覚えて居た
例えば長良川で鵜飼を見学して居ても
白い白いポストが浮かび上がって来る

白いマヨネーズの用器が着地したのだ(そして声が発生したのだ)
問答無用でお琴を弾き始めるダミーに恐怖を感じながら
又しても白い白いポストが海水に濡れそぼちながら現れる

ラオーが白いポストを保持しながら
尾瀬沼への観光ツアーで
何故突きを喰らわせねば成らぬのだ
もう少し詳しく言うと前歯が折れたのでは無くて
少し欠けただけなのだと
何故シルクロードを通じて
正確に伝えようとしないのだ

誤解した白いポストに埋まり行く
マヨネーズの夥しさ
黒い椋鳥を観察したお好み焼き喫茶店で
又しても白い白いポストが
マヨネーズを充満させて居るでは無いか


シグレタ 二篇

  赤青黄

シグレタII



「『死者の書』とかね、タイトルばっか読んでる。後、レビューとかね。しょうじき、なかみなんて、どうでもいいんだよ。むしろその本を読んだ人間が何をどう思うのか、それをどのようにうけいれているのか、いくのか、もしくはうけいれないのか、そういうことに興味があるんだ。多分、どれだけ優れた作品が目の前にあっても、そこにそれを、それらを読むヒトがいて、そこに何かを寄せるヒトがいて、その寄せられたなにかに、なにかを返すヒトがいなければ、こんなものいらないんだよ。

「ウソ

「わかるかい?

「例えば感傷って言って安く縛り直して

そしたらだれも

何もいわなくなるから

この改行みたいに


「てめぇはそこでくたばってろ

「みたいな
 きたないことば
 きたないってだれがきめた?
  
        だれかがきめた

がいねんや
しそうや
ひゆや


 ビニールで出来た川の水を飲めば
 ぼくたちがこうしていきているという
 実感が持てるよね


「という言葉全てが嘘だった。つまりここにある言葉ははじまりから間違っていた。こういう独白は全て感傷であり、オナニーであって、少し高級に言えばストリップ・ショウであって、これはボクの中にある表現欲であって、つまりオナニーだ。性的興奮のないオナニーである。それをここでさらけ出せることにボクは喜びを感じているし、ボクの作品を通して行われるレスポンスでもダイアローグでもいいけど、そういったもののセックスを画面越しで見ることができてシアワセだ。「幸せだった。と言ってしまえば、関係は終わるかもしれないが、実は終わらないのだよ。

「つながることをやめることはできないのよ。

「さぁ、

「どうでもいいからそこでくたばってろよ

「つまりは

「一度書き始めたニンゲンは

「やめることなんてできないのよ?

「もしくは死んじゃえばいいんだ

「あるいは死ぬしかない

「そんな、簡単に死ぬ死ぬいうから、君は(´・_・`)とかされんじゃない

「ダイジョウブ?

「だから見えを張ってるし、

「だから無関心だし

「チンカスなんだよ

「無関心とか、そんなのなれないし…

「とても美しい
 限りなく美しい
 けど、
 そのうつくしさが
 どこに根ざしているのか分からない
 
「うそ

「わかる

「そこにある

「いいからだまってろよ

「なにこれ?

「感傷だよ

「まちにでればいい

「出ればいいんだ

「書くのをやめろ

「全て感傷

「つまり、幾つかの声だった

「ボクの中に住んでいる沢山のヒトの群れが、多分色んな言葉を声に出して読んでるんです。ボクは俗なイメージでいう多重人格、的な物に侵されているのかもしれません。多重人格って奴は、ちょっと調べただけですけど。俗なイメージでいう、何人もの人格がヒトの頭に同居しているって訳じゃなくて、一つの人格を保てなくなったヒトの精神が崩壊してバラバラになったものが、一見すると二つ以上に見えて、なんとか、つまり元々は一つだったものがパズルのピーズみたいにバラバラになった、みたいな感じなんだそうで

「そんなことどうだっていいでしょ!

「ボクの言ってることは正しいし

「ただしくないし

「間違ってたら恥ずかしいし

「ガキなんだね

「ガキのどこがわるい?

「ガキってなんだよ

「逃げんなよ

「ガキなんだ

「君は病気なんだ

「こんなこと考えてるから、いつも情けないし

「こんなものに価値なんかないし

「ないならかくなよ

「ないからかくなよ

「でもこれしか書けないんだ

「だめ、

「つまらない

「やりなおし

「他人はお前を受容しないし

「する価値もないって

「ままが言ってるんだ

「ままなんていない

「価値ってなんだよ

「こうして問い詰めてった先に残る

「匂いみたいなもんさ

「               」

「そういう行間や空白や句読点が、ボクの全てで

「ウソ

「やっぱりウソなんだよ

「ウソの何がわるい

「若いし

「なによりだめだ

「言葉は

「繋がっているけど、それは網でしかないから、

「その隙間から色々落ちいくんだ

「それが悲しい!

「それは悲しい、

「それは悲しい?

「それか悲しい。

「埋めていかなきゃ

「ボクはシグレタ。語感がいいからって出来た。多分新しい言葉。だれかが使っていた言葉で、一度死んで蘇った言葉かもしれないけど。多分、これを書いた人間が作った新しいことば。そして小さな作品のタイトルになったことば。意味のないことば。それはことばじゃない? そうだね、概念がないから。うそ。あるよ。本当はあるよ。ここに書いてあることがそう、ボクの概念だよ?ここまで積み上げられた言葉全てがシグレタの概念だよ?これ以上小さくするのは無理、できないよ。これが全てだから。ここも今あなたが読んでいる言葉もそうさ、いいとかわるいとか、そういう話じゃないんだよ。だから、明日から使ってください。ボクは誰か、そう他人とかいないとしんじゃうんだよ。あなたが思ってるよりカンタンにね!でもボクはそんなの許さないから


「全てウソだ







シグレタI


3月に降りだした雨は、8月になっても止まない。雨が降り始めた日は、ちょうど雪が降っていた。繋がらない携帯電話を曇り空に向けてかざした。公衆電話に並ぶ人達の行列には沢山の種類の人間がいた。泥だらけの男が10円玉をせびってくる。次にボロボロな服を来た男が、隣町のボランティアへいくための交通費をせびってくる。次にマイクを持った男達が大勢押しかけてきて、何か話しなさいと言った。ありのままのことを喋ると、しかし、それは聞きたいことではなかったと言って男達は別の場所に向かった。ボクは多分若かったのだと、そのとき思った。


地震がきたあの日、と呼ばれるあの日、と名指される日に起きたことが、そうあっけなかったから、ボクはこうしてシグレタが書ける。かけた、

文学極道

Copyright © BUNGAKU GOKUDOU. All rights reserved.