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2016年08月分

月間優良作品 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


全行引用による自伝詩。

  田中宏輔



いつから家は家だったのだろう?
(チャイナ・ミエヴィル『クラーケン』下巻・第五部・59、日暮雅通訳)

ドアってやつはいつドアでなくなる?
(ジョン・スラデック『時空とびゲーム』越智道雄訳)

ドアを見たら、開けるがよい。
(ロバート・シルヴァーバーグ『ガラスの塔』9、岡部宏之訳)

 彼は衣装戸棚の扉をぐいと引き開けた。何も掛かっていないハンガーがカラカラと音をたて、扉に掛かっていた彼自身のオーバーコートがふわりと飛び出して両袖が揺れた。だが、彼女の衣類はそこには一枚もなかった。
 ただの一枚もなかった。
(ジョン・クロウリー『リトル、ビッグ』II・[4]・IV、鈴木克昌訳)

──大切なのは釣りをしている気分であって、かかる魚ではない。同じように、大切なのは愛している気分であって、愛する女性ではない。
 そう思っていたのが、若いときだった。
(チャールズ・L・グラント『死者との物語』黒丸 尚訳)

恋は人を幸福にはしない。何人かの思想家の後で彼もそう考えた。だがそのことを確認したところで、やはり幸福になれるわけではないのだ。
(ミッシェル・デオン『ジャスミンの香り』山田 稔訳)

すべての家具の形態のなかでもっとも想像力に乏しいものがベッドであるのは興味深い。
(J・G・バラード『二十世紀用語辞典プロジェクト』木原善彦訳)

 彼は部屋を出て、階段を下り、丘に生えた一本の木のところまで歩いていった。完璧な日だった。昼間というものの歴史が目の前にまるごと広がっている気がした。燃えるような草は、これまで見てきたすべての草を代表していた。
(フリオ・オルテガ『ラス・パパス』柴田元幸訳)

電話がさんざんさんざん鳴った末に誰かが出る。向こう側から、聞き覚えのある沈黙。
(ケリー・リンク『マジック・フォー・ビギナーズ』柴田元幸訳)

電話口のクラークからは、裏手のベランダまで見通せた。
(メアリ・ロビンソン『おまえのほうが……』小川高義訳)

 従業員が地面を掃いていた。つぎの当たったグレーのオーバーオールを着ている。なんだか地面そのものから生えてきたみたいな男だ。それほど周囲に溶け込んでいる。
(エドラ・ヴァン・ステーン『マルティンズ夫妻』柴田元幸訳)

洗濯ロープにぽつんと一枚吊るされたタオルがその情景を見守る。
(クラリッセ・リスペクトール『五番目の物語』柴田元幸訳)

「どうしてあくびはうつるのか?」
(ジェラルド・カーシュ『狂える花』駒月雅子訳)

 彼のことばがおわらないうちに、扉(とびら)がひらいて、若い婦人がはいってきた。質素だが身だしなみのよい服装をしていて、千鳥の卵のようなそばかすのある顔は、いきいきと賢そうで、ひとりの力で世の中を歩いてきた女の人らしく、態度もきびきびしている。
(コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの冒険』ぶなの木立ち、阿部知二訳)

彼女の視線はゆっくりと動いて、すべてのものの上を渡り歩いた。
(ロバート・ネイサン『ジェニーの肖像』7、井上一夫訳)

 彼女はふり返って、微笑(ほほえ)んだ。「今度は何を考えているの?」と彼女は尋ねた。
 はじめて彼女の顔を正面から見つめた。その顔は理解を越えるほど素朴な顔だった。つぶらな目があり、そこでは不安はただ不安であり、喜びはただ喜びだった。
(ハインリヒ・ベル『X町での一夜』青木順三訳)

彼女は頭がおかしいという噂をたてられていた──事実またそのとおりだった。
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』変容の館、木村榮一訳)

君に必要なものがぼくにはわかっていた。単純な感情、単純な言葉だ。
(ナボコフ『響き』沼野充義訳)

彼は指を突き出して、宙に小数点を書いた。でも、ラルフ・サンプソンはその点にさわれる。彼がさわると、点がバスケットボールに変わる。一点差の勝ちだ。ジャンプして、シュートだ、ラルフ。得やすいものは失いやすい(イージー・カム・イージー・ゴー)。
(アン・ビーティ『貯水池に風が吹く日』7、亀井よし子訳)

 ペドロは、彼女は頭がおかしいと言う気になれなかった。事実おかしかったからだ。それに、タンクには小壜一本分のガソリンすら残っていないにちがいない、と言ってやる気もしなかった。馬の耳に念仏だったからである。
(ブライス=エチェニケ『幾たびもペドロ』2、野谷文昭訳)

人間は自分の何気ないひと言がどのような結果をもたらすのか、まえもって知ることはできないのだ。
(E・E・ケレット『新フランケンシュタイン』田中 誠訳)

「いったいなぜぼくらは年を取るんだろう? 時々……自然じゃないように思えることがあるんだ」
 見なくても彼女が肩をすくめるのが感じられた。「それが人生なのよ」
 ぼくにとっては、それではあまり答えにはなっていないのだ。疑問が深まれば深まるほど、答えはどんどん浅いものになってゆく──いちばん深い疑問には、結局、答えなんてぜんぜんなくなってしまうんだ。なぜ物事ってのはこんなふうなんだろう、キャス? ため息をついて、腕が触れあう。
(キム・スタンリー・ロビンスン『荒れた岸辺』下・第三部・16、大西 憲訳)

「神の困ったところは、めったにわれわれの前へ現われないことじゃない」とキッチンはつづけた。
「神の困ったところは、その正反対だ──神はきみやおれやほかのみんなの襟がみを、ほとんどひっきりなしにつかんでいる」
(カート・ヴォネガット『青ひげ』21、浅倉久志訳)

 レジナルド卿は、精いっぱい抵抗するものの、銃口がまっすぐ自分を狙っているのに気づいた。まるで、スローモーションの映画を見てでもいるように、奇妙なくらい鮮明にすべてを見ることができ、感じることができた。丸い銃口がとても大きく見え……その上に、憎悪をむきだしにした、引きつりゆがんだゲリラの凶悪な顔をはっきりと見た。拳銃を握る男の拳がしろくなりはじめているのすら見ることができた。
(テレンス・ディックス『ダレク族の逆襲!』2、関口幸男訳)

 ソルは知っている。サライはレイチェルの子供時代の各成長段階を宝物のようにたいせつにしており、日々のありふれた日常性を慈(いつく)しんでいた。サライの考え方によれば、人間の経験の本質は、華々しい経験──たとえば結婚式がそのいい例だが、カレンダーの日付につけた赤丸のように、記憶にくっきりと残る華やかなできごとにではなく、明確に意識されない瑣末事の連続のほうにあるのであり、一例をあげれば、家族のひとりひとりが各自の関心事に夢中になっている週末の午後の、さりげない接触や交流、すぐにわすれられてしまう他愛ない会話……というよりも、そういう時間の集積が創りだす共同作用こそが重要であり、永遠のものなのだ。
(ダン・シモンズ『ハイペリオン』下・学者の物語、酒井昭伸訳)

きみも、見てはいるのだが、観察をしないのだよ。見るのと観察するのとではすっかりちがう。
(コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの冒険』ボヘミヤの醜聞、阿部知二訳)

 ふしぎな感銘とか異常なものごととかをもとめるならば、われわれは、いかなる想像のはたらきにもまして奔放なところをもつ実人生そのものについて見なければならないのだ
(コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの冒険』赤髪連盟、阿部知二訳)

 人生というものは、人間の頭ではとても考えられないほど、ぜったいにふしぎなものだね。日常生活のまったくありふれた事柄でさえも、とうてい、われわれの勝手な想像をゆるさないものをふくんでいるのだ。
(コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの冒険』花婿の正体、阿部知二訳)

 ルーシーにいうつもりはなかったが、ルーシーにはあってじぶんにはない資質がなにか、最近分かってきたような気がしていた。それを言葉にするのはむずかしい。ある意味では、ジェーンがいつもいっていることで、ルーシーには芯がある。ルーシーはきっといい女優になれるが、それは彼女にはしっかりとした基盤のようなものがあるからだ。あらためてなにかをでっちあげる必要がない。ピギーはいつもいっていた。マリリン・モンローが素晴らしい女優なのは、彼女のなかにべつな人間が隠れているのがだれにでも分かるからだ。くすくす笑ったり、口をとがらせたりすればするほど、隠れているべつの人間の存在がますますリアルになってくる。
(アン・ビーティ『愛している』16、青山 南訳)

 ここでは、顔があくびをし、物をほおばり、また傷あとをとどめ、愛と見えるものに焦がれ、金切り声をあげている。どれもが千の顔のひとつであり、二度と見ることはない。
(サミュエル・R・ディレイニー『アインシュタイン交点』伊藤典夫訳)

 あのすべてはどうなったのか? また、そのほかの誰も知らないことども。たとえば母親の眼差し、愛にあふれ、しばしば彼の上で安らっていた眼差しは、もしかするとゲオルクの善良さのなかに生きつづけていたのではなかったのか。彼の髪の黒っぽい捲き毛のなかに、子どものくせ毛をやさしく撫でていた手のあとがのこっていたのではあるまいか。しかし、いまやそのすべてが死んでしまった。
(ベーア=ホフマン『ある夢の記憶』池内 紀訳)

 カーキ色の服の男は、靴紐のない靴をみつめたまま、首をふった。靴にこびりついた泥のかたまり。生きることの苦痛。彼は静かに考えていた。これは宇宙の物質──物質ではあるが、いつか精神に昇華するもの。精神も靴も、彼にとってはまったく同じで、ただ、より基本的なものが、物質としての姿にあらわれる。物質こそ原初の個性的な存在である。
(ウィリアム・ピーター・ブラッティ『エクソシスト』プロローグ、宇野利泰訳)

物がいつ物でなくなるのだろうか?
(ロジャー・ゼラズニイ&フレッド・セイバーヘイゲン『コイルズ』14、岡部弘之訳)

有限の存在である人間が無限を知ることができるのは、有限の事物を介してのみである。
(ウンガレッティ『詩の必要』河島英昭訳)

 ぼくが読んだ本のなかに、ラブレーという作家について書かれた一冊がありました。死の床(とこ)で、ラブレーはこういったそうです。〈わたしは、不確実なものを探しに行くだけだよ〉
(R・C・ウィルスン『連環宇宙』第三十二章、茂木 健訳)

 ああ、ぼくはそんなことをすでにみな話していたな、ちがうか?
 どうだか、わからない。心の中であまりに多くのことが動きまわっているので、これまでに起こったことと、まだ起こっていないことと、心の中以外では絶対に起こらないことについて、ぼくはいささか混乱している。
(フレデリック・ポール『ゲイトウエイ3』上・9、矢野 徹訳)

 グローヴァーは話し終えると、トレイシーが何かを言うのを待った。そんなに多くを語ってしまったことを彼は悔やんでいた。気恥ずかしさを彼は感じていた。自分は自ら選んで犬になったわけではないのだ、そのような常軌を逸した行為の数々は必要性から生まれるものであって、嘆き悲しむべきことではないのだということを、彼女にわかってほしかった。ときとして、一人の人間の、人間であることへの怒りは、予期されるものを大胆に改変してしまうというかたちで、もっともみごとに顕在化されるのだ。なぜなら人々の自己などというものはほとんどうわべだけのものにすぎないからだ。
(マーク・ストランド『犬の生活』村上春樹訳)

なにごとも、そうなるべき必然性はない。
(ジョン・クロウリー『時の偉業』4、浅倉久志訳)

「未来から目を背ける訳にはいかないんだ」
「そうよ、そうだわ。それは真実よ」彼女は窓から気怠い午後の景色を噛みしめていたが、彼の言った意味でではなかった。
(ジョン・クロウリー『リトル、ビッグ』I・[2]・I、鈴木克昌訳)

「この犬は夢ばかり見ているのよ」
(コルタサル『秘密の武器』木村榮一訳)

 感情の発展過程で、ある点以上には絶対成長しない人がある。かれらは、セックスの相手と、ふつうの気楽で自由な、そしてギブ・アンド・テイクの関係をほんの短いあいだしか続けられない。内なる何かが幸福に耐えられないのだ。幸福になればなるほど、破壊せずにおけなくなる。
(フレデリック・ポール『ゲイトウエイ』20、矢野 徹訳)

それはかめへんのよ。
(エリザベス・A・リン『北の娘』1、野口幸夫訳)

それは問題じゃないのよ、
(ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』ギレアデ、深町真理子訳)

 いちばん大きなものだって失われてしまうのに、小さなものが生き残るなんて誰が予想するでしょう? 人は何年もの時を忘れ、瞬間を覚えています。数秒の時間、象徴的なもの、それだけが残って物事を要約します──プールに掛かった黒い覆い、とか。愛は、いちばん短いかたちでは、ただのひとつの言葉と化します。
(アン・ビーティ『雪』柴田元幸訳)

「愛ね。そんなに重要なものかしら。あなたは先生だったから、ご存じでしょう。重要なもの?」
(P・D・ジェイムズ『策謀と欲望』第二章・15、青木久恵訳)

「愛って、名詞でもあり動詞でもあるのよね」
(オーエン・コルファー『新銀河ヒッチハイク・ガイド』下・第8章、安原和見訳)

その忘れがたい素晴らしい思い出によって、われわれはいつも被害を受けるのだ、
(ブライス=エチェニケ『幾たびもペドロ』1、野谷文昭訳)

幸福がひとを殺さないということが、どうしてあり得るのだろうか?
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』21、菅野昭正訳)

自分を破壊する者を愛する人は必ずいるものだ
(フリッツ・ライバー『現代の呪術師』村上実子訳)

ぼくはここからはじめる。
(オースン・スコット・カード『キャピトルの物語』第一部・5、大森 望訳)

「昔には帰れない」と、ことわざはいう。
 そう、帰れないのはよいことなのだ。
(R・A・ラファティ『昔には帰れない』伊藤典夫訳)

人間が二度と戻ってこないというのはよいことなのだ
(ブライアン・W・オールディス『銀河は砂粒のごとく』3、中桐雅夫訳)

ぼくは告白を書く。詩を書く。
(R・C・ウィルスン『連環宇宙』第三十二章、茂木 健訳)

書くことに意味などないのなら、いったい何に駆り立てられてぼくは詩作をしているのだろうか。
(ナボコフ『賜物』第1章、沼野充義訳)

ぼくはふたたび存在するようになったのだ。
(スティーヴン・バクスター『タイム・シップ』下・第六部・1、中原尚哉訳)

 日常生活では、詩への無関心は人類のもっとも目立つ特徴の一つである。偉大な詩が人類の最大の業績だということを否定する人はほとんどいないのだが、詩を読む人は殆どいないのだ。
(ロバート・リンド『無関心』行方昭夫訳)

美しいものというものはいつも危険なものである。光を運ぶ者はひとりぼっちになる、とマルティは言った。ぼくなら、美を実践する者は遅かれ早かれ破滅する、と言うだろう。
(レイナルド・アレナス『夜になるまえに』刑務所、安藤哲行訳)

育ちや経験の偶然による違いが人格に大きな違いを産むとでも思っているのかね?
(マイクル・スワンウィック『大潮の道』13、小川 隆訳)

肝要なこと、それは偶然性である。定義を下せば、存在とは必然ではないという意味である。存在するとは、ただ単に〈そこに在る〉ということである。
(サルトル『嘔吐』白井浩司訳)

 禅の庭は、断片だけ書きこまれた詩にたとえられる。空白を埋められるかどうかは、読み手の明敏さにかかっている。詩人の役目は自分のために閃きを得ることではなく、読み手の心にそれを呼び起こすことだ。禅の庭を作った人はそのことを知っている。庭を愛でる人々の間で、時としてまるで相反した見方が生ずるように見えるのはそのためだ。
(ミシェル・トゥルニエ『メテオール(気象)』第十八章、榊原晃三・南條郁子訳)

 何という表現形式であろうか! どうして今まで誰もこの表現形式の秘密に気づかなかったのだろう?
(ジョン・クロウリー『リトル、ビッグ』II・[6]・I、鈴木克昌訳)

知っている事柄を適正に配置することによって知らない事柄まで自然と顕(あらわ)になってくる
(ジョン・クロウリー『リトル、ビッグ』II・[5]・I、鈴木克昌訳)

ぼくは他人の思い出の品が好きなんだ。自分自身のよりね。
(トマス・M・ディッシュ『老いゆくもの』宮城 博訳)

確かな確かさ
(チャイナ・ミエヴィル『クラーケン』上巻・第二部・37、日暮雅通訳)

人間につくられたものだが、人間以上のもの──
(ポール・アンダースン『ドン・キホーテと風車』榎林 哲訳)

かつて自分がもっていたもの、とりにがしてしまったなにか。
(R・C・ウィルスン『世界の秘密の扉』幕間劇・2、公手成幸訳)

あの何か間違ってはいないものの響き、ずっと昔に起こった何かの経験、正しく光り輝くものであったことの?
(オラフ・ステープルドン『オッド・ジョン』10・世界の現状、矢野 徹訳)

愛はたった一度しか訪れない、
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

どうして一度も、愛していると言ってやらなかったのだろう。
(ルーディ・ラッカー『ホワイト・ライト』第一部・5、黒丸 尚訳)

なぜ「きみを愛している」といえなかったのか?
(リチャード・コールダー『アルーア』浅倉久志訳)

きみから逃げたのは、好きで好きでたまらなかったからなんだ。
(コードウェイナー・スミス『星の海に魂の帆をかけた女』10、伊藤典夫訳)

ある瞬間から次の瞬間までのあいだのことが思いだせない。
(ゴードン・リッシュ『はぐらかし』村上春樹訳)

自分で書いた詩行さえ覚えていないのだ。
(J・L・ボルヘス『ある老詩人に捧げる』鼓 直訳)

あんまり頭がいいほうじゃないから。
(ウォルター・テヴィス『マイラの昇天』伊藤典夫訳)

思い出せないことは、再発見するしかないのだ。
(R・C・ウィルスン『無限記憶』第一部・7、茂木 健訳)

発見するということ以上に、魅力的なことは他にない。
(アンドレ・ジッド『アンリ・ミショーを発見しよう』小海永二訳)

詩人とは、瞬間の中で生き、と同時に瞬間の外に立って中を見ている存在であるはずだ。
(ケリー・リンク『墓違い』柴田元幸訳)

しかも、物語の多くを間違って覚えている。
(ロジャー・ゼラズニイ『アヴァロンの銃』6、岡部宏之訳)

人間にいろんな面があるのなら、もちろん、状況にもいろんな面があるんだ。
(アン・ビーティ『愛している』25、青山 南訳)

すべてがノイズになる。
(ジョン・スラデック『使徒たち──経営の冒険』野口幸夫訳)

本当の偉大な画家は、最大の効果が得られる色ならなんでも使う。
(デイヴィッド・マレル『オレンジは苦悩、ブルーは狂気』浅倉久志訳)

制限する要素は、自分自身にある。
(R・C・ウィルスン『世界の秘密の扉』第二部・第十一章・1、公手成幸訳)

わたしたちは限界によって自由になる。みずからをひとつの世界に制限することで、このひとつの世界を本当の意味で味わえるのだ。
(R・A・ラファティ『第四の館』第十一章、柳下毅一郎訳)

物語のなかでは、失われるものなど存在しないのだ。すべては形を変えるだけ。
(ジェフ・ヌーン『葉分戦争』田中一江訳)

語り手たちがなにかを捨てることはぜったいない
(ジョン・クロウリー『エンジンサマー』大森 望訳)

 次のことは銘記せよ。人びとがことばをかわすとき、たがいの顔に何が起こるか、それが小説の本題なのだ
(サミュエル・R・ディレイニー『ノヴァ』6、伊藤典夫訳)

思い出が彼女の顔をやさしくしていた。
(ゼナ・ヘンダースン『血は異ならず』帰郷、宇佐川晶子訳)

幸福でさえあれば、ちっとも構わないじゃない?
(ジョン・ウィンダム『地衣騒動』1、峯岸 久訳)

じつを言えば、たいていなにをやっても楽しいのだ。
(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』13、安原和見訳)

 人間はその生涯にむだなことで半分はその時間を潰している、それらのむだ事をしていなければいつも本物に近づいて行けないことも併せて感じた。
(室生犀星『杏っ子』むだごと)

誰が公立図書館を必要とする? それに誰がエズラ・パウンドなんかを?
(チャールズ・ブコウスキー『さよならワトソン』青野 聰訳)

 まあ、詩というものは、できてしまえば、なんとなく生気を失うものよ……完成しないことこそが、それに無限の生命を与えるわけだわ。彼女は、独りで微笑した。
(ベンフォード&ブリン『彗星の核へ』下・第六部、山高 昭訳)

 しかしどんな芸術においても、いちばん大切なのは、芸術家が自分の限界といかに戦ったかということなんだ
(カート・ヴォネガット『国のない男』12、金原瑞人訳)

どうだろう、ゲイに転向するというのは?
(J・ティプトリー・ジュニア『大きいけれど遊び好き』伊藤典夫訳)

 男にもし膣と乳房があれば、世の中の男はひとり残らずホモになっているだろう、とシルビオ・リゴールは口癖のように言っていた
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』変容の館、木村榮一訳)

愛するのには相手が要(い)るけど、別れるにも相手が要るのよね
(マーガレット・ドラブル『再会』小野寺 健訳)

どんな経験も価値あるものになりうる
(ブライアン・オールディス『子供の消えた惑星』1、深町真理子訳)

心は、自分が経験していることを理解しようとする
(コニー・ウィリス『航路』下・第三部・47、大森 望訳)

なにかを見るために、それを理解する必要はない。でも理解するためには、それが見えなければいけない
(R・C・ウィルスン『観察者』茂木 健訳)

理解するというのはたんに原理を知ることとはちがう。
(ルーシャス・シェパード『メンゲレ』小川 隆訳)

だが理解するなどというのは驚くのにくらべ、じつにつまらないことだった。
(ブライアン・W・オールディス『隠生代』第二部・1、中上 守訳)

人はそれぞれ自分流の驚き方をする。
(カミロ・ホセ・セラ『二人の死者のためのマズルカ』有本紀明訳)

美しいものを見る喜びは他人の存在によって倍加する、と聞いたことがある。謎めいた共感がそこに加わり、ひとりの心ではつかみきれない微妙なものが明らかになるからだ。
(ジャック・ヴァンス『音』II、浅倉久志訳)

とにかくわれわれ人間は数が多すぎるうえに、だいたいの人間が自分が幸せになる方法も、他人を幸せにする方法も知らない。
(P・D・ジェイムズ『不自然な死体』第一部・12、青木久恵訳)

 ビリー・ブッシュはスモーキィを見詰めた。まるで、紙の上に書かれた単語と日頃喋っている単語とが同じものであることを、初めて理解したかのようだった。
(ジョン・クロウリー『リトル、ビッグ』I・[2]・II、鈴木克昌訳)

「自分が年老いたように思えるというのは、多分、世界が古いってこと──それもとっても古いってことが判るようになったことなのさ。自分が若い頃は、世界も若く見えるもんだよ。ただそれだけのことさ」
(ジョン・クロウリー『リトル、ビッグ』I・[2]・II、鈴木克昌訳)

「ぼくはあの薔薇を憶えている。そしてあの薔薇も、ぼくを憶えているんだ」
(R・C・ウィルスン『無限記憶』第二部・12、茂木 健訳)

私は昨日の私と同じ人間だ。だが、昨日の私は誰だったのだろう。
(P・D・ジェイムズ『罪なき血』第一部・5、青木久恵訳)

 二人のことは鮮明に思い出すことができた──二人の女性は、チャーリーの人生の中で、お互いに何年も隔たった存在なのに。
(シオドア・スタージョン『ヴィーナス・プラスX』大久保 譲訳)

単語と単語のあいだに何か月もの時間が広がっているかもしれないなんて、想像したことがあるだろうか
(ジーン・ウルフ『ピース』2、西崎 憲・館野浩美訳)

音と音との距離は音そのものと同じくらい重要な意味をはらんでいる。
(ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』丹治 愛訳)

すべては失われたものの中にある。
(アンナ・カヴァン『失われたものの間で』千葉 薫訳)

時も場所も、失われたもののひとつだ。
(アンナ・カヴァン『失われたものの間で』千葉 薫訳)

人間とはゆっくりと燃える存在だ。
(グレッグ・ベア『女王天使』上・第一部・13、酒井昭伸訳)

僕は絶えず作られ、作り直される。それぞれの人が僕からそれぞれの言葉を引き出す。
(ヴァジニア・ウルフ『波』鈴木幸夫訳)

言葉が語る。
(マルティン・ハイデッガー『言葉』清水康雄訳)

 お座なりの拍手を浴びてわたしはさがると、テーブルをまわりはじめた。ジョークをいったり、お世辞をいったり、世の中をうまく動かしていくのは他愛ない軽口なのである。
(マイクル・スワンウィック『ティラノサウルスのスケルツォ』小川 隆訳)

空は雲でいっぱいだった。
(チャイナ・ミエヴィル『ペルディード・ストリート・ステーション』上巻・第二部・17、日暮雅通訳)

雲の中にはあらゆる種類の顔があるわ。
(チャイナ・ミエヴィル『細部に宿るもの』日暮雅通訳)

若い時、わたしは画家になりたかった。
(ドナルド・バーセルミ『月が見えるだろう?』邦高忠二訳)

 画家は筆運びを見て画家を知る。音楽家は演奏を聴いて数百万人のなかから音楽家を見いだす。詩人は数音節で詩人を知る。とりわけ、その詩から一般的な意味や形が排されている場合には。
(ダン・シモンズ『エンディミオンの覚醒』下・第二部・20、酒井昭伸訳)

 芸術家の場合は作品と対(たい)峙(じ)した瞬間にその質がわかるというか、眼にするのと判断するのがほぼ同時というか、いや、ごくわずかだが眼にする前にその価値がわかってしまうというか、
(ジョン・ランチェスター『最後の晩餐の作り方』冬、小梨 直訳)

自分の作品を完全に表現した人間が誰かいるとすれば、それはシェイクスピアでしょう。
(ヴァージニア・ウルフ『自分だけの部屋』3、川本静子訳)

なぜ生きていたいと思うのだろう?
(フィリス・ゴットリーブ『オー・マスター・キャリバン!』18、藤井かよ訳)

意識が連続性を保とうとするのは自然なことよ。
(ケン・マクラウド『ニュートンズ・ウェイク』B面12、嶋田洋一訳)

彼は通りにいるすべての人間なのである。その通り自体でもあった。
(イアン・ワトスン『マーシャン・インカ』I・5、寺地五一訳)

人は、たくさんのものに、たくさんの愛に、そしてたくさんの夢に別れを告げるものだ。
(クリフォード・D・シマック『中継ステーション』36、船戸牧子訳)

遠からず君はあらゆるものを忘れ、遠からずあらゆるものは君を忘れてしまうであろう。
(マルクス・アウレーリウス『自省録』第七巻・二一、神谷美恵子訳)

わたしたちにどんな存在価値があるの?
(ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』5、深町真理子訳)

 自分自身にむかってすこしばかり自慢できるということは、かれらの人生に、補遺という形で一つの意味を与えるんだよ。
(ノサック『弟』2、中野孝次訳)

「王さまであるのは楽しいことにちがいありませんわ、たとえ阿呆どもの王さまにしてもね」
(D・H・ロレンス『翼ある蛇』下巻・18、宮西豊逸訳)

たいした詩人ですこと
(オースン・スコット・カード『死者の代弁者』上・1、塚本淳二訳)

誰のためにも奉仕しない想像力。
(コルターサル『石蹴り遊び』その他もろもろの側から・79、土岐恒二訳)

罪深いということが、たぶん人間の条件だったのだ。
(ブライアン・W・オールディス『解放されたフランケンシュタイン』第二部・5、藤井かよ訳)

要するに、自分を許してくれる人間がほしいってことさ
(コルタサル『生命線』木村榮一訳)

答が与えられるなら、ときに問いは奪われてもよい
(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』19、安原和見訳)

ひとは《いいお方》を訪問したら、自分自身も《いいお方》になる以外にすべはないのである。
(ノサック『弟』2、中野孝次訳)

まだあなたに話しているのか?
(ブライアン・W・オールディス『銀河は砂粒のごとく』3、中桐雅夫訳)

人々は時間なしには生きることができない。
(ノサック『クロンツ』神品芳夫訳)

時間とは、諸事が一時におこるのを防ぐものだ
(レイ・カミングス『時間を征服した男』1、斎藤伯好訳)

人類は客観的事実に縛られてはいない。
(フレデリック・ポール『マン・プラス』3、矢野 徹訳)

神々が人間に贈ることができる最も価値のある祝福は孤独なのだ、
(カミロ・ホセ・セラ『二人の死者のためのマズルカ』有本紀明訳)

現実であるのは孤独であることだ。
(ナンシー・クレス『プロバビリティ・ムーン』15、金子 司訳)

最も優れたものは孤独の中で作られるものであるらしい。
(ヴァニジア・ウルフ『波』鈴木幸夫訳)

豊かな想像力はつねに現実感に裏打ちされていなければならない。
(P・D・ジェイムズ『正義』第一部・3、青木久恵訳)

 今ここで、時はもちろん春、アマガエルが、ライラックが、空気が、汗が乾いていく感触が、愛を語っていた。
(シオドア・スタージョン『ヴィーナス・プラスX』大久保 譲訳)

頭の中だけのことだ。
(A&B・ストルガツキー『収容所惑星』第二部・8、深見 弾訳)

「おまえさん、幽霊を信じる者は馬鹿だと思っとるだろ?」ずっと昔、ある老人に訊かれたことがある。「いやはや、幽霊のほうが何を信じてるか知ったら、さぞかし驚くだろうて!」
(R・A・ラファティ『第四の館』第十章、柳下毅一郎訳)

醜い者は、醜い者をひきつける。
(グレゴリイ・ベンフォード『大いなる天上の河』下・エピローグ・1、山高 昭訳)

「さあ、行きなよ、兄弟、自分の茂みを見つけるんだ」
(ナボコフ『森の精』沼野充義訳)

孤独にさえ儀式はある、と彼は考えた。
(ロッド・サーリング『孤独な男』矢野浩三郎・村松 潔訳)

言葉というものはすべて、経験を共有している必要がある。
(ホルヘ・ルイス・ボルヘス『一九八三年八月二十五日』柴田元幸訳)

ブライアが目の前の光景を表現する言葉を十個選べといわれたら、"きれい"はその中に入らなかっただろう。
 事情を知らなかったら、戦争があったと思うかもしれない。何かひどい災害や爆発が風景全体を破壊したと思ったかもしれない。
(シェリー・プリースト『ボーンシェイカー』20、市田 泉訳)

「ひと目惚れですか」アレックスはいった。
 アダムはうなずいた。《恋っていうのはいつだってひと目惚れですよ》
(ジャック・マクデヴィッド『探索者』7、金子 浩訳)

それはきみのもの──きみに属するものだ。
(R・C・ウィルスン『世界の秘密の扉』第三部・第十七章・2、公手成幸訳)

何もかも夢なんだよ。
(ハインリヒ・ベル『別れ』青木順三訳)

ぼくは彼のすべてが羨ましい。彼の苦しみの中には、ぼくには拒まれているあるものの萌芽があるように思えるのだ。
(コルタサル『追い求める男』木村榮一訳)

ところで、蜂蜜はおもちかな?
(エイミー・トムスン『緑の少女』上・16、田中一江訳)

我々は狒々でも犬でもない。ほかのものだ。
(フランソワ・カモワン『いろいろ試したこと』小川高義訳)

与えられないものは求めないこと
(ジョン・クロウリー『エンジンサマー』大森 望訳)

懐旧の念とは、取り返しのつかない喪失にひたすら苦悩することだ。とりわけ、手に入れたことのない物の喪失に。
(ジョン・クロウリー『訪ねてきた理由』畔柳和代訳)

それは彼が小さな公園で学んだことだった。
(ジョン・クロウリー『リトル、ビッグ』II・[5]・IV、鈴木克昌訳)

本が開かれた。そして読者がいる。このわたしが読者であり、同時にその書物でもある。
(バリントン・J・ベイリー『光のロボット』13、大森 望訳)

わたしこそがその場所。
(ハーラン・エリスン『鈍刀で殺(や)れ』小梨 直訳)

視覚が暗さに慣れきるには四十五分もかかる。女はそんな知識をいっぱいたくわえている。
(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『おお、わが姉妹よ、光満つるその顔よ!』浅倉久志訳)

誰かが使い方をまちがったからといって、それが使いものにならないとは限らない
(チャイナ・ミエヴィル『クラーケン』上巻・第二部・35、日暮雅通訳)

二十八歳になってもまだ大人じゃないことがわたしを苦しめた。
(イヴァン・ヴィスコチル『ヤクプの落し穴』千野栄一訳)

いうまでもないことだけれど、きれいだったよ、みんな。
(マーク・レイドロー『ガキはわかっちゃいない』小川 隆訳)

人々はたぶん、ほんの一瞬、かれの言葉の意味につまずくだけで、まさにかれはつまずかせるために話しているのであり、そうやって自分たちに教えようとしているのだと気づくだろう。
(フランク・ハーバート『デューン 砂丘の子供たち』第2巻、矢野 徹訳)

 わしらは、真実なんていう知識を、こんな風に、本来一番信じていない者から知らされ、一番嫌っているものに無意識に引きずりまわされるもんじゃ。
(ラーゲルクヴィスト『巫女』山下泰文訳)

 人を幸福にしてやれる。そう思うほどエゴを酔わせるものはない。夫婦仲がうまくいく根本の理由はそこにあるね。だが、もう片方にも幸せにしてもらう能力がなければならない。その能力は思ったほどそうざらにあるわけではない。
(P・D・ジェイムズ『罪なき血』第三部・8、青木久恵訳)

わたしは目が覚めていたが、しばらくはそのことに気づいていなかった。
(ジーン・ウルフ『ケルベロス第五の首』柳下毅一郎訳)

そして、わたしはもちろん、悪意がある以外はすべてにおいて潔白よ。
(ロジャー・ゼラズニイ『ユニコーンの徴(しるし)』7、岡部宏之訳)

どうやって目的地まで行くかってことは、どこへ行くかってことと同じくらい大切なんだよ。
(ダン・シモンズ『エデンの炎』上巻・3、嶋田洋一訳)

不在は存在よりもさらに多くを語る
(フランク・ハーバート『デューン 砂丘の子供たち』第2巻、矢野 徹訳)

一度気づいてしまったら、もうその事実に目をつぶるわけにはいかない。
(パット・キャディガン『汚れ仕事』小梨 直訳)

心こそ唯一の現実ではないか。人の考えこそ、その人を決定する。
(アルフレッド・ベスター『分解された男』2、沼沢洽治訳)

人間はまったくの孤独におかれると死ぬ。
(コードウェイナー・スミス『ナンシー』伊藤典夫訳)

転落の痛さを思い知らせるためには、うんと高いところへ押しあげてやる必要がある。
(ゴア・ヴィダール『マイラ』16、永井 淳訳)

一番大事なことは、実際頭が痛くなくても、頭痛は起こせるというのを知ること。
(カミロ・ホセ・セラ『二人の死者のためのマズルカ』有本紀明訳)

もし自分がたくさんいたら、よりよく物を見ることができるのだろうか?
(イアン・ワトスン『存在の書』第三部、細美遙子訳)

観察者は観察する行為を通じて、観察対象と相互作用をもつ
(R・A・ハインライン『異星の客』第二部・21、井上一夫訳)

誤植がいっぱいないような全集をもつ詩人は幸福なのであります。
(オーデン『作ること、知ること、判断すること』中桐雅夫訳)

「この世にはもとにもどせないものが四つある。口から出た言葉、放たれた矢、過ぎた人生、失った機会だ」と古人はいいました。
(テッド・チャン『商人と錬金術師の門』大森 望訳)

苦痛の原因はたいてい、ささいな事柄だと相場はきまっている。
(エリック・フランク・ラッセル『内気な虎』岡部宏之訳)

たえず苦労すると、人はどんなに衰えるものか。
(ジョアナ・ラス『フィーメール・マン』第二部・V、友枝康子訳)

「おまえは疲れてるんだ」彼は自分の声がそう言うのを聞いた。
(パット・ルーシン『光の速度』村上春樹訳)

迷うことはない。自分が誰であるかが分かっている限り、人は決して迷わないものだ。
(シオドア・スタージョン『ヴィーナス・プラスX』大久保 譲訳)

新しさこそ生の原理である。
(コリン・ウィルソン『賢者の石』I、中村保男訳)

答えはいつだって簡単なほどいいものなのだ。
(ノサック『弟』4、中野孝次訳)

ひょっとして、文体のことですか?
(ナボコフ『賜物』第1章、沼野充義訳)

その質問が終わって、ワインがなくなった。あるいは、その逆かもしれない。
(アブラム・デイヴィッドスン『眠れる美女ポリー・チャームズ』古屋美登里訳)

簡単に達成できて価値のあることなど、なにひとつ存在しないのだ。
(R・C・ウィルスン『クロノリス─時の碑─』第一部・2、茂木 健訳)

もはや、樹から花が落ちることもない、
(ナボコフ『言葉』秋草俊一郎訳)

人間であること、それが問題なのだ。
(フランク・ハーバート『デューン 砂丘の大聖堂』第1巻、矢野 徹訳)

 ジムはいまだにそんな金持ちの空気をまとっていた。彼のオーラと霊能力は大部分、そうした集合的記憶から生まれていた。実のところ、人の影響力というのはまといついている些細なものから生まれるのではなかろうか?
(R・A・ラファティ『第四の館』第一章、柳下毅一郎訳)

 本物の悲鳴はいつも偽物のように聞こえる。ちょうど、本物の恐怖が、同情心のない者には、つねに滑稽で軽蔑すべき対象のように見えるのと同じだ。
(R・A・ラファティ『第四の館』第十三章、柳下毅一郎訳)

 ある夜、ストーリーテリングのコツを私に伝授しようと、あなたは言いました。「大部分を省略して語れば、どんな人生だってドラマチックに聞こえるものさ」
(アン・ビーティ『雪』柴田元幸訳)

 ヒラルムは無言だった。生まれてはじめて、夜の正体を知ったのだ。夜とは、大地そのものが空に投げかける影であることを。
(テッド・チャン『バビロンの塔』浅倉久志訳)

詩人オーデンの忠言──「芸術家は敵に包囲されて暮らしているようなものだ」
(ジョン・ランチェスター『最後の晩餐の作り方』夏、小梨 直訳)

 ありゃ、あんたの奥さんになる人だ。あるいは──地獄にはならないかもしれんが、兄弟よ、ちょっとした人生になる!
(ウィリアム・テン『道化師』中村保男訳)

すでに解答を知っている場合、彼女はより深い意味を考えようとはしないはずだ
(フランク・ハーバート『デューン 砂の惑星1』矢野 徹訳)

 人生は、人生ならざる何ものかと衝突しているのです。つまり、それは半ば人生なのですから、私たちはそれを人生と判断するのです。
(ヴァージニア・ウルフ『自分だけの部屋』4、川本静子訳)

ああ、ややこち、ややこち。
(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『苦痛志向』伊藤典夫訳)

 人、それに人でなくてもなにかを憎むのは慎むことだ。自分が憎んでいるものと同じになるのはたやすい。
(キリル・ボンフィリオリ『チャーリー・モルデカイ2』22、三角和代訳)

なぜ、きょうのことを考えないんだい?
(ハリイ・ハリスン『人間がいっぱい』第二部・9、浅倉久志訳)

物事を知らずに済ませるのは難しくない。
(ケリー・リンク『マジック・フォー・ビギナーズ』柴田元幸訳)

 「想像だけならいくらでもたくましくできるわ、ヴァン。問題はそれにとらわれない、ということ……で? 何を想像したの?」
(ピエール・プール『ジャングルの耳』蘭の束・7、岡村孝一訳)

本物であろうとなかろうと、名称をつけることは可能だ。
(P・D・ジェイムズ『罪なき血』第一部・5、青木久恵訳)

世の中には嘘っぱちではないけれど、はっきり真実と言えないこともあるのさ。
(ジョン・クロウリー『リトル、ビッグ』I・[3]・III、鈴木克昌訳)

 物語を読む誰もがその終わり方について同じことを感じるわけではない。そしてもしあなたがはじめに戻ってもう一度読んだら、前に読んだ気でいたのと同じ物語ではないことを発見するかもしれない。物語は形を変える。
(ケリー・リンク『プリティー・モンスターズ』柴田元幸訳)

 それが実際に父親の口から聞く最後の言葉ということがわかっていたなら、マルティンは何か優しい言葉を口にしただろうか?
 人は他人に対してこんなにも残酷になりうるものだろうか?──とブルーノはいつも言うのだった──もし、いつか彼らが死ななければならない、そしてそのときには、彼らに言った言葉はどれも訂正しえないものだということがほんとうに分っているなら。
 彼は父が後ろを向き、階段のほうに遠ざかっていくのを見た。そして、姿を消すまえにもう一度向きなおり、死後何年かしてマルティンが絶望の中で思いだす、あの視線を向けたのだった。
(サバト『英雄たちと墓』第I部・7、安藤哲行訳)

あらゆるものは、始まったところにもどるものなのよ。
(ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』2、深町真理子訳)

弱そうに見えることは、弱いことと同じだ。
(ニコラス・グリフィス『スロー・リバー』7、幹 遙子訳)

これまでにあなたの見たいちばん美しいものは、なんですか?
(ロジャー・ゼラズニイ『ドリームマスター』1、浅倉久志訳)

結局、記憶なんてのは、純然たる選択の問題なのよね
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

過去を忘れなさい。忘れるために過去はあるのよ。
(デニス・ダンヴァーズ『エンド・オブ・デイズ』上・11、川副智子訳)

路上ですれ違う人々の誰もが二人を祝福してくれないのは何故なのだろうか? 足もとの舗道や、一面の白い空ですら二人を祝福してくれないのは何故なのだろうか?
(ジョン・クロウリー『リトル、ビッグ』II・[4]・II、鈴木克昌訳)

おれは変わった……「おれ」の意味が変わった。
(シオドア・スタージョン『コスミック・レイプ』23、鈴木 晶訳)

 ダルグリッシュの視線が、すでに一度はとらえておきながら気がつかずにいた或るものの上にとどまったのはそれからだった。大机の上に載っている、黒い十字架と文字の印刷された通知書の一束である。その一枚を持って、彼は窓ぎわへと行った。明るい光でよく見れば、自分のまちがいがわかる、とでも言うように。しかし
(P・D・ジェイムズ『黒い塔』2・1、小泉喜美子訳)

誰かよりすぐれているということは、その人を幸福にはしません。
(マイクル・スワンウィック『ウォールデン・スリー』小川 隆訳)

ウィカム氏は、あらゆる婦人にふりかえって見られる幸福な男であったが、エリザベスはそういう男に傍にかけられた幸福な女であった。
(ジェーン・オースティン『高慢と偏見』16、富田 彬訳)

「わたしはこれまでに二十カ所の教区を受け持った。年に五千件の告白を四十年も聞いていれば、人間についてのすべてはわからなくても、すべての人間がわかってくるよ」
(R・A・ラファティ『一切衆生』浅倉久志訳)

"愛"とか"欲望"とか呼ぶものがどこから生まれるかは、だれにもわからない。
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』26、岡部宏之訳)

《故郷》がわたしたちの一部であるように、わたしたちは《故郷》の一部なんです。簡単に切り離すなんてできませんわ──
(ゼナ・ヘンダースン『血は異ならず』大洪水、宇佐川晶子訳)

これから成長するにつれ、この子はその細やかで豊かな感情のために、きっといろいろ苦労するに違いないわ。
(ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』第一部・16、御輿哲也訳)

ヌートがまだ生きているということに、クリフはもはやまったく疑いを抱いてはいなかった。「生きている」という言葉が何を意味しているとしても。
(ハリイ・ベイツ『主人への告別』6、中村 融訳)

 人生というものは、簡単に言えば、途方もなく気楽なものである──少なくとも、あてがないことと孤独であることの問題を、このふたつを無視することによって解決してしまえば、しばらくは気楽このうえもない。
(ダグラス・アダムス『宇宙の果てのレストラン』30、風見 潤訳)

「あの女が幸せなはずはないわよ」わたしは断固としていった。
 フィオナは首を振りながら反対意見をのべた。
「幸せなのよ。でも誰かと分かちあえるような幸せじゃないのよね。誰かと分けたら、その価値がなくなっちゃうのよ。わたしたちの幸せは、分けたら、もっと大きくなるのにねえ」
(ジョン・ブラナー『地獄の悪魔』村上実子訳)

 欲しがっていたものが、もうどうでもいいと思いはじめたころに手に入るわけか。こんな経験はよくあることだから、そのために知的な人間がいつまでもくよくよするわけがないが、それでも心を乱す力は十分残っていた。
(P・D・ジェイムズ『不自然な死体』第一部・2、青木久恵訳)

長いつきあいだというのに、この時計とわたしはあまり親しい間柄ではない。私がこの時計に抱いている感情は、友情というよりは尊敬に近い。
(アンナ・カヴァン『われらの都市』IV、細美遙子訳)

 しかも"彼"はかなり耳が遠くなっていて、とくに女性や子どもの高い、かぼそい声が聞こえにくい状態だ。"彼"が最後に小鳥のさえずりを聞いたのは千年前のことだし、雀はもうずいぶん長いこと、顧みられることもなく、地に落ちつづけている。
(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『肉』小野田和子訳)

クリスピンはじっと僕を見ていた。僕にはわかった。クリスピンも僕と同じで、魅せられていると同時に、脅えているのだ。
(エルナン・ララ・サベーラ『イグアナ狩り』柴田元幸訳)

 だれでも最良のものを得られることはめったにないし、得ても長続きしないわ。次善のもので手を打ったら?
(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』28、宇佐川晶子訳)

一枚の仮面の下にたくさんの顔が隠されているのか、それとも一つの顔がたくさんの仮面を被っているのか、彼にはどちらなのか判らなかったが、自分自身についてもそのどちらなのか判らないのだった。
(ジョン・クロウリー『リトル、ビッグ』I・[2]・II、鈴木克昌訳)

 記憶とは奇妙なものだ。記憶は、ときどきわたしたちがそう信じたくなるほど鮮明にはなりえない。もしなれるなら、それは幻覚に似てくるだろう。ふたつの場面を同時に見る感じになるだろう。いちばん現実に近い心像がうかぶのは、夢のなかである。それ以外の場合、わたしたちの記憶像は多少ともぼやけている。
(ジョン・ヴァーリイ『スチール・ビーチ』下・第一部・06、浅倉久志訳)

しかし自我なくして眺めた世界をどうして記述しよう。
(ヴァジニア・ウルフ『波』鈴木幸夫訳)

 ご存じのように、事実はじつに大きな力を持つことがある。われわれが望んでいないほどの力を。
(カート・ヴォネガット『国のない男』2、金原瑞人訳)

 ユーモリストってのは、信じてることと信じていないことをごっちゃにするんで困る。効果をあげるためには、どっちでも使う。
(ジョン・アップダイク『走れウサギ』上、宮本陽吉訳)

わたしたちを大発見へと導くのは常に真実というわけではない
(サバト『英雄たちと墓』第III部・20、安藤哲行訳)

だれもかれもが有罪の世界で、なぜ罪の意識にさいなまれなければならない?
(ルーシャス・シェパード『ファーザー・オブ・ストーンズ』内田昌之訳)

答はない。
(アン・ビーティ『ハイスクール』道下匡子訳)

危機は人間を変える。隠れた性格をおもてへひきだしてくる。
(ウォード・ムーア『ロト』中村 融訳)

無名はひそかで豊かで自由だ、無名は精神の彷徨を妨げぬ。無名人には暗闇の恵みがふんだんに注がれる。
(ヴァージニア・ウルフ『オーランドー』第二章、杉山洋子訳)

無名であれば羨望ゆえの焦り恨みとも心は無縁、
(ヴァージニア・ウルフ『オーランドー』第二章、杉山洋子訳)

憎しみこそこの世でもっとも破壊的な力だと人は言うだろう。だが、そんなことを信じてはいかん。一番破壊的なのは愛さ。
(P・D・ジェイムズ『わが職業は死』第四部・1、青木久恵訳)

あたしができなかった事はたったひとつ、あった事をなかった事にすることだ。黙っていたことは絶対に取り戻せないんだ
(カミラ・レックバリ『氷姫』V、原邦史朗訳)

「約束だけなら、息をしないという約束だってできるわ」
(ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』荒野、深町真理子訳)

かれらが翔ばないのは、翔べないからだ。
(トマス・M・ディッシュ『歌の翼に』13、友枝康子訳)

(…)「人はみな堕ちるし、人はみなどこかに着地する。たぶん、そんなところなんだろう」
「おそろしく長い旅になるぞ」
「それほどでもないと思うよ。ひとすじの光になってしまえばね」
(R・C・ウィルスン『連環宇宙』第三十二章、茂木 健訳)

秘密は秘密を持てない。秘密であるだけだ。
(ケリー・リンク『マジック・フォー・ビギナーズ』柴田元幸訳)

誰かの立場に自分を置いてみるということは、いつでもすぐにそれをやめることができるなら、楽しいものなのである。
(コリン・ウィルソン『殺人の哲学』第一章、高儀 進訳)

世界のすべてのものは美しい。でも人間に美が認識できるのは、それをたまに見たときか、遠くから見たときだけだ……。
(ナボコフ『神々』沼野充義訳)

思い出の中の友達ほどよい友達はいないし、思い出の恋ほどすばらしいものもないわ
(アルジス・バドリス『アメリカ鉄仮面』第九章、仁賀克雄訳)

「ときどき思うんだよ、そうした小さな幸せは、まさしく小さなものであるからこそ存在しているのだと。誰にも気にとめられずに通り過ぎていく、あの名もない人々のように」
(サバト『英雄たちと墓』第II部・4、安藤哲行訳)

どんなものだって、きみが何かを手に入れるとすれば、それは誰かが手放したからなんだ。
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

「嘘をいう必要があると思った場合には嘘をついてきました。そして、その必要がなかった場合にもね」
(ジーン・ウルフ『新しい太陽のウールス』40、岡部宏之訳)

だれもが嘘をつく。必要に応じてか、それとも必要以上にな。
(ジャック・ヴァンス『復讐の序章』9、浅倉久志訳)

「われわれは嘘をつける。それは意識のもつ利点だ」
「わたしなら利点だとはいわないぞ」
「そのおかげで、コミュニケーションにおいて無数の興味深い可能性がひらけるのだ」
(ジョン・スコルジー『老人と宇宙3 最後の星戦』9、内田昌之訳)

子供たちは言った、死とは生に意味を与えるものなの? で俺は言った、いや生こそ生に意味を与えるのだよ。
(ドナルド・バーセルミ『学校』柴田元幸訳)

道に迷ったのだろうか? そんなはずはない。自分を見失わない限り道に迷うことはない。
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』昼夜入れ替えなしの興業、木村榮一訳)

きっと頭がおかしくなってるのね!
(チャールズ・ストロス『シンギュラリティ・スカイ』死者からの電報、金子 浩訳)

 ぼくの発見したところでは、えてして取るに足らない事件のほうが観察をめぐらす機会も多く、原因と結果とにたいして鋭い分析もこころみることもでき、調査していて魅(み)力(りょく)を感じるのだ。大きな犯罪ほど、単純な様相になりがちだ。というのは、たいていの場合大きな犯罪ほど、動機が明瞭になってくるからだ。
(コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの冒険』花婿の正体、阿部知二訳)

でも人間、あんまり学問をつんだってろくなことはないよ。
(デイヴィス・グラック『合法的復讐』柿沼瑛子訳)

この世では、ぜったい謝らないほうが賢明である。ちゃんとした人間は人に謝罪など求めないし、悪質な人間はそれにつけこもうとするのだから。
(P・G・ウドハウス『上の部屋の男』小野寺 健訳)

単独活動する天才は、つねに狂人として無視される
(カート・ヴォネガット『青ひげ』24、浅倉久志訳)

何か違ったものを見ているのだ。
(スティーヴン・キング『やつらの出入口』高畠文夫訳)

「帝王(スルタン)は壮大な夢をお持ちだ」ルビンシュタインが言った。「だが、あらゆる夢はもしかしたら、さらに大きな夢の一部であるのかもわからん」
(ドナルド・モフィット『星々の教主』下・16、冬川 亘訳)

語ることは確かな治療法である
(フィリップ・クローデル『ブロデックの報告書』XXXII、高橋 啓訳)

あなたもまたひょっとして世界の寸法を測りにいらしたのですか?
(フィリップ・クローデル『ブロデックの報告書』XIII、高橋 啓訳)

 子供にでも訊いてみるがいい。やっていい価値のあることだって、ずっとやっている価値はない。
(チャールズ・バクスター『Sudden Fiction』覚え書、小川高義訳)

もちろん、この荒廃には意味がある。
(ミシェル・トゥルニエ『メテオール(気象)』第十六章、榊原晃三・南條郁子訳)

 我々はいつだって欲しくないものを注文するものなのだ、そんなことは自明の理ではないかとあなたは思うかもしれない。
(マリリン・クライスル『アーティチョーク』村上春樹訳)

 かたわらにきた彼女が、まばゆい星明かりの中で身をかがめたとき、レイブンは見てとる──彼女のうなじと肩だけでなく、露出された肌のいたるところ、脇腹、太腿、上腕から肘にかけて、また肘から手首にかけて──いたるところに毛すじほどの傷痕の網模様が走っているのを。左右対称の人工的な傷痕、この光のいたずらがなければ見えなかったであろう傷痕。その瞬間に、まだ信じられない気持ちで、これほど残酷に彼女を痛めつけた事故がなんであるかをさとる。
 もっとも強烈で、容赦ない、極度の打撃──
 老齢。
(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『たったひとつの冴えたやりかた』第二話、浅倉久志訳)

 私は、現実を暗示してはいるものの実はその現実をいっそう明確に否定するために点(つ)いているに過ぎないような暗い明かりの並木道を歩いた。
(ハインリヒ・ベル『X町での一夜』青木順三訳)

存在せぬ神々を崇拝するほうが、より純粋なのではありませんかな?
(イアン・ワトスン『バビロンの記憶』佐藤高子訳)

答えられないような質問で、自分も、まわりの人間も苦しめてはいけないね。
(スティーヴン・バクスター『虚空のリング』上・第二部・8、小木曽絢子訳)

 想像で創りあげたものはすべて真実である。間違いなくそうなのです。詩は幾何学と同じように正確に事実を表わすものです。
(フロベールの書簡、一八五三年八月十四日付、ルイーズ・コレへの手紙、ジュリアン・バーンズの『フロベールの鸚鵡』14、斎藤昌三訳から)

ある問題を解決するための最大の助力者は、それが解決できるものだと知ることである
(トーマス・M・ディッシュ『虚構のエコー』5、中桐雅夫訳)

だが、いちど気がつくと、なぜ今まで見逃していたのか、ふしぎでならない。
(ドナルド・モフィット『第二創世記』第二部・7、小野田和子訳)

神々が味わいたいのは、動物の脂身と骨ではなく、人間の苦しみなのよ
(マーガレット・アトウッド『ペネロピアド』XVI、鴻巣友季子訳)

 人生よりも本を好むという人がいるが、驚くにはあたらないと思う。本は人生を意味づけしてくれるものだからだ。
(ジュリアン・バーンズ『フロベールの鸚鵡』13、斎藤昌三訳)

彼女が相手から学ぶことはあっても、相手が彼女から学びとることは何もない。
(アーシュラ・K・ル=グィン『革命前夜』佐藤高子訳)

 フロベールは、オメーの俗悪さを列挙する場合にも、全く同じ芸術的な詐術を使っている。内容そのものは下卑ていて不快なものであっても、その表現は芸術的に抑制が利き調和しているのだ。これこそ文体というものなのである。これこそ芸術なのだ。小説で本当に大事なことは、これを措いてほかにない。
(ナボコフ『ナボコフの文学講義』上・ギュスターヴ・フロベール、野島秀勝訳)

あらゆる精神分析医の例に洩れず、ランドルフも自分自身にしか関心がない。
(ゴア・ヴィダール『マイラ』37、永井 淳訳)

 世界は悪く、人間はすべて愚かだ──だが、押しつぶされない人びともいる。それは語り伝える価値のあることではないだろうか?
(フレッド・セイバーヘイゲン『赤方偏移の仮面』宇宙の岩場(ストーン・プレイス)、岡部宏之訳)

叡智は必ずしも知識から生まれるものではないし、知識からはけっして生まれえぬ叡智もある。
(ジョン・クロウリー『エンジンサマー』大森 望訳)

ときに男たちは互いに殺しあうこともあるけれど、それも同じように愛を理由としている。
(ジャック・ケイディ『暗黒を前にして』黒丸 尚訳)

(…)今日という一日が、自分の人生をどれほど変えてしまったことか。
 ラッセルはその半分もわかっていなかった。
(ジョー・ホールドマン『擬態』37、金子 司訳)

文章というものの一番大切な部分は、話し言葉の自然な口調なのだ、
(ヴァージニア・ウルフ『オーランドー』第四章、杉山洋子訳)

文句を言わずに規則に従わなければならないのは、力のない者であり、影響力のない者である。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『デイワールド』3、大西 憲訳)

まともな人間はみな、地獄をのぞいたことがあるのだ。
(ジェラルド・カーシュ『遠からぬところ』吉田誠一訳)

ヒントは少しでよいのだ。
(ジョン・クロウリー『リトル、ビッグ』II・[6]・III、鈴木克昌訳)

「YMCAのことよ。実を言うと、あそこはホモの溜(たま)り場。もう気がついてると思うけど」
(R・C・ウィルスン『時に架ける橋』第二部・8、伊達 奎訳)

 絵葉書には『ぼくは今、数知れぬ愛の中を、たった一人で歩いている』と書いてあったが、これはジョニーが片時も離さずに持っているディラン・トマスの詩の一節だった。
(コルタサル『追い求める男』木村榮一訳)

ベルコの足どりには最前ハンマーを持ったときの昂(たか)ぶりが残っていた。
(マイケル・シェイボン『ユダヤ警官同盟』上巻・13、黒原敏行訳)

眠りというのは、そこから目ざめるときにしか意識できない。
(ナディン・ゴーディマー『末期症状』柴田元幸訳)

ぼくは音声に豊かな霊力があることを信じます。イツパパロトル! ──黒曜石の胡(こ)蝶(ちょう)! イツパパロトル!
(D・H・ロレンス『翼ある蛇』上巻・3、宮西豊逸訳)

口にすると、そのものに現実性を与えることになる。
(ロバート・シルヴァーバーグ『ヴァレンタイン卿の城』上巻・第一部・13、佐藤高子訳)

これは私の潜在意識なんだろうか?
(スタニスワフ・レム『泰平ヨンの未来会議[改訳版]』深見 弾・大野典宏訳)

すっかり同じだけど、同じとは違う。
(チャールズ・シェフィールド『ニムロデ狩り』11、山高 昭訳)

われわれは同じものを見る、だがまるで違った目で見るのだよ
(ロバート・シルヴァーバーグ『〈教皇〉ヴァレンタイン』下巻・第三部・4、森下弓子訳)

「君の自転車はなんて名前なの?」
 男の子は返事もせずに顔を伏せたが、やがてひどく早口で言った。
「ミニ」
「とてもきれいだね」モンドは言った。
(ル・クレジオ『モンド』豊崎光一・佐藤領時訳)

 名前というものにはふしぎな力がある。なにかに名前をつけると、たとえそのなにかが目の前になくても、それについて考えることができるのだ。
(ジョン・クロウリー『ナイチンゲールは夜に歌う』浅倉久志訳)

 エメリアにも再会した。ずっと美しいエメリア、そう、どんな思い出よりも美しく、けっして言葉だけの存在ではないエメリアはストーブのそばに腰かけていて、皿が割れる音にもかかわらず、僕が呼びかけているにもかかわらず、僕がその肩に手をかけているにもかかわらず、歌を口ずさみつづけた。それを聞いて僕は吐き気を催した。
(フィリップ・クローデル『ブロデックの報告書』XXXII、高橋 啓訳)

室内の空気まで、笑いを噛み殺している感じだった。
(オルダス・ハックスリー『ジョコンダの微笑』三、小野寺 健訳)

自然なものは憎悪だけといった世界では、恋はひとつの病なのだ。
(ホセ・エミリオ・パチェーコ『砂漠の戦い』11、安藤哲行訳)

 受話器を取るまでに彼女は時間をかけた。電話の相手はたぶん医者だろうと彼女は見当をつけたが、まさにそのとおりだった。
 いかにも職業的な快活さを耳にしても、それで快活になれるわけではない。
(テネシー・ウィリアムズ『天幕毛虫』村上春樹訳)

愛にしろ憎しみにしろ、彼は強い感銘を受けたことが一度もなかった。
(イタロ・ズヴェーヴォ『トリエステの謝肉祭』5、堤 康徳訳)

 彼の本名を直接本人に尋ねた人は誰もいなかった。さすがに村長は一度くらいきいてみただろうが、返事はもらえなかったのだと思う。今となってはどうしようもない。もう遅すぎるし、おそらくそのほうがいいのだ。真実というものは、へたに手を出すと怪我をするし、生きてはいけないほどの深手を負うことだってある。誰しも望むところは、生きることなのだから。なるべく苦しまずに。それが人間だ。きっとあなただってわれわれと似たようなものだろう。
(フィリップ・クローデル『ブロデックの報告書』I、高橋 啓訳)

「みんなはぼくたちが恋仲だと思ってる」わたしはある日、散歩の途中でそういった。
 すると、彼女は答えた。「そのとおりだもの」
「ぼくのいう意味がわかってるくせに」
「じゃ、恋とはどういうことだと、あなたは思ってるの?」
「よく知らない」
「いちばんいい部分は知ってるはずよ──」と彼女はいった。「こんなふうに歩きまわって、なにを見てもいい気分になること。もしあなたがそのほかの部分をとり逃がしたとしても、べつに気の毒には思わないわ」
(カート・ヴォネガット『青ひげ』20、浅倉久志訳)

「やれやれ」と、ロンドンへ帰る汽車に腰をおちつけたとき、水力技師はくやしそうな顔をしていった。「とんだけっこうな仕事でした。親指はなくするし、五十ギニーの報酬はふいになるし、いったいなんの得るところがあったでしょう」
「経験です」ホームズが笑いながらいった。「経験はそれとなく役にたつものですよ。きみはそれをことばにして話すだけで、これから一生のあいだ、すばらしい話し相手だという評判を得ることができます」
(コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの冒険』技師の親指、阿部知二訳)

 わしらは、わしとおまえとは、ほんとに一つのものではなかったんだね──おたがいに相手の感じていることを理解するほどにはね。すべてがそこにあるんだよ、いいかい? 理解と──同情、それは貴重なものなんだ。(…)わしらは、恐ろしいことに、人生の外側ばかり歩いて来たのだということに気がついたんだよ。おたがいに何を考え、何を感じているかを話しあったこともなく、ほんとうに一つになることもできずにね。おそらく、あのちっぽけな男と細君との間には、隠し立てすることは何もなく、おたがいに相手の生活を生きているんだよ。
(ジョン・ゴールズワージー『陪審員』龍口直太郎訳)

「ものごとに終わりはなく、それを言うなら始まりもなく、ただ途中があるだけ」
(オーエン・コルファー『新銀河ヒッチハイク・ガイド』下・第12章、安原和見訳)

「まず基本を教える。小さなことからひとつずつな。ジャグルは、一連の目立たない小さな動作から成り立っている。それをたてつづけに、早くやるんだ。すると、切れ間のない流れのように、あるいは同時に起こっているように見える。同時になにかが起こるなどというのは錯覚だよ、きみ。ジャグルもそうだが、それ以外の場合でも同じことがいえる。物事は、すべてひとつずつ起こるのさ」
(ロバート・シルヴァーバーグ『ヴァレンタイン卿の城』上巻・第一部・6、佐藤高子訳)

そして誰かがナポレオン
(カミングズ『肖像』伊藤 整訳)

 服のハンガーが戸棚のなかで、たがいに身を寄せあってうずくまっている怯えたけもののように、くっつきあってぶらさがっていた。
(ハーラン・エリスン『バジリスク』深町真理子訳)


カップ麺

  湯煙

インスタントの代名詞である、カップ麺を前にする人々の様態は興味深い。

 ───"熱湯を注いで三分"─── 麺を封じ込めている容器の表面に、そう書かれている。

あるものは、ボクサーを気取りfighting pauseをとる。
あるものは、疲れているのか体温計を脇にはさみ熱を測る。
あるものは、割り箸をスティック変わりにしてにわかドラマー。
あるものは、SUUNTOウォッチを手に素早く上蓋をめくりあげる強者だ。
あるものは、fighting pauseに酔いしれたあげくのばしてしまう青き若輩者。
あるものは、瞼を閉じてただ瞑想に耽る。
………
              
その様態は様々だ。

 
   *

 
 多くのものに愛され胃袋を満たし、断固たる地位を築いているが、偉大な歴史の始まりは激烈であった。

 堅牢な鉄製の丼頭をした組織aが、奥深い雪山にある山荘を舞台にして大規模な銃撃戦を繰り広げた。日に日に激しさを増す攻防の最中に、防弾製の鎧で身を固める鯨頭をしたもう一つの組織bが拡声器を向け、山荘に立て籠る丼頭へ延々と投降を呼び掛けていた。

 あたり一面をしんしんと覆う雪の降りしきる寒空の下。膠着が続き長期戦の様相を呈する中、当時、購入する者にはもれなく付属していたプラスチックのフォークで組織bがづるづるとなにかをかっこみはじめた。皆が神妙な面持ちで墓標のように立ち尽くしたまま攻防は一旦小休止となり、湯気と白い息とにまみれた悲壮な姿がブラウン管を通して茶の間へ流れ、それは世に出回り始める。

 このころロックンロールと呼ばれるものがまだまだ熱く世を覆っていた。が次第にそのほとぼりは徐々に冷め、下火になるとともにフォークに取って変わられた。息苦しい四畳半の部屋の隅で身を寄せあう人々がづるづるとすすっているうちに、地に突きたてられた二本の箸が互いにがなりたてあい世を席巻した。どこもかしこも尖った笑いがあふれる、そんな痛々しい賑わいが障ったのか、お上がコントロールを強めると、やがてあちらこちらでひらひらとナイフが飛び交うようになった。その先は主に露天風呂で溺れかけていた赤ら顔をしたサルと呼ばれた集団だった。もちろんその間も休むことなく世の多くの者たちの口中へ吸い込まれていき、しっかり噛みちぎられ、胃袋へとおさめられていった。
 半世紀を越え進化を続け、まぶされるかやくの種類は増し、味つけには激しい辛さをともなうようになった。

  
   *

 
安 藤 百 福
世の安らかなるもののため百の幸福を
男の、陰りを深く彫りこむ貌が、永遠のような無言を、見つめている。

  
   *


今日ではとうとう地球外へと飛び出し、貴重な宇宙保存食としての地位にのぼり詰めている。上昇するシャトルの狭い空間内に設えられた小さな小さな窓からどこまでも広がる終わりなき闇の彼方に蒼くいきずく完全なる球体の星は写真とは違い一つの美しい鉱物を愛でるかのような極上の気分を味わわせ、ほのかに懐かしみと桃源郷の夢心地とでじっくりほぐしてくれる。


カレーの庶民

  atsuchan69

たった今、水とルーだけのカレーをアルマイトの鍋で作ってる途中だ。煮えたら、茄子とキャベツの野菜炒めをそこへぶち込んでやるつもりだが、男の料理だし、丁寧に作るつもりなど初めからまったくない。肉がないので竹輪と蒟蒻を指でちぎって鍋に入れた。白いペンキの剥がれた窓枠に、小さなヤモリが張り付いている。外は雨だ。閉めきった夏の家はスチームサウナみたいになっていて、窓という窓はぜんぶ曇っている。扇風機がひとり淋しく風を送っているが、蒸し暑くて敵わない。水冷式クーラーならリビングに設置してあるが、あいにくと此処は飯を食べる場所だ。そもそも避暑の家にクーラーがあるというのもなんだか可笑しい。それでも冷蔵庫を開けると肌寒い靄が魔法のようにあらわれて少しばかり嬉しくなった。麦茶をコップに注いで、書き物をしているキッチンテーブルの上のノートに目をやる。パーカーの万年筆が開かれたノートの上に無造作に置かれてあり、それは「たった今、水とルーだけのカレーをアルマイトの鍋で作ってる途中だ」と記したばかりだった。水とルーだけのカレーというのは、戦後になって売り出された即席カレーのことなのだが、ほとんどの家庭では、肉と玉葱を炒めたあと人参と馬鈴薯をルーと一緒に煮込んで作るはずだ。冷たい麦茶を飲んで、首にかけたタオルで汗を拭く。カレーが煮えたら、茄子とキャベツの野菜炒めをそこへぶち込んでやるつもりなのだが、私のカレーの作り方は、他所とはずいぶんと変わっていた。とつぜん、雨の音が激しくなってきたようだ。ガラス窓をいきおい伝い落ちる水の向こうに巨きな緑の物影が揺れ動いている。あまりテレビは見ないが、どうも台風が来ているらしい。カレーが煮えたようだ。茄子とキャベツの野菜炒めをぶち込もうとした矢先、ダイヤル式の黒電話が鳴った。受話器を取ると、妻からで「東京タワーにモスラが繭をつくった」という。もうじきそっちも暴風圏に入るぞと言うと、「モスラの繭はどんな風にもびくともしないでしょう」と強い確信をもって言った。勝手にしてくれ、ふとキッチンテーブルの上のノートに目をやると「肉がないので竹輪と蒟蒻を指でちぎって鍋に入れた」という嘘が書かれてある。肉がないだと? 肉ならきのう買ったぞ、牛肉の上ロース。それに缶詰のコンビーフだってあるし、ソーセージだってある。だいいちカレーに竹輪と蒟蒻はないだろう? ふたたび妻が電話してきた、「あなた今どこ?」――葉山、おまえ馬鹿じゃないの。ここにいるって知っているから電話してきているんだろ。そんなことより台風が上陸するらしいぞ。カレーが煮えたら、茄子とキャベツの野菜炒めをそこへぶち込んでやるつもりだが、ノートを見ると「白いペンキの剥がれた窓枠に、小さなヤモリが張り付いている」等と虚偽が記されている。「外は雨だ」とも太字の青いインク文字で綴られていた。嘘だろ、いつから俺はこんな嘘吐きになったんだ。ヤモリなんかいない。外も雨じゃない、またよく読むと、「とつぜん、雨の音が激しくなってきたようだ」という全く事実でない戯言がさも事実であるかのように書いてある。嘘だ、嘘だ、嘘だ! 俺の書くやつはぜんぶ出鱈目で大嘘だ。ここは葉山じゃないし、たった今この俺は昭和時代に建てられた古びた木造の別荘なんかに居ない。「水冷式クーラー」ってなんやねん。「パーカーの万年筆」? いまどきキーボードやろ。もうだれもこの俺の書くやつを信じないし読まないぞ。おっと、妻からの電話だ、「カレーが煮えたら、茄子とキャベツの野菜炒めを入れるんでしょ?」知らねえよ、切るぞ。ガチャッ! なんだか蒸し暑くて敵わない。茹だる頭の中でふたたび電話が鳴った。テレビは、ウソしか伝えていない。東京タワーにモスラが繭をつくったという‥‥「あなた今どこ?」


サイテーだって知ってる

  ユーカリ

スーパーにお魚を買いに行く途中に
買い物袋を忘れたことに気づいて
アパートまで取りに戻り
ついでに履歴書に貼る写真も撮ってしまおうって
クリアファイルも持って出かけたら
空が嫌な感じで
さっきまで世界の果てまで快晴です
みたいな感じだったのに
雨が降るのはさよならのせいだね

急遽傘も持たないといけなくなって
窮屈になった身体が
少しだけ雨に濡れたりして
汗と一緒になって
すごく嫌な感じで
それとヒールなんか引っ掛けてきちゃったから
足元も気をつけないといけなくて
下ばかり向いて歩いていたら
排水溝のところで
タバコの吸殻がくるくる回っていて
すごく不健康そうにみえるあぶくが浮かんでもいて
そういう退廃にまた身を委ねてしまうのは
全部あなたのせいにしたくて

買い物も済ませて
履歴書に貼る写真をみると
こんな顔だっけとか
なかなかにありきたりな感想を抱いて
でも急に老けたりしなくてよかったな、とか
不摂生による甚大な被害を免れたことで
まだ自分は誰でもいい誰かに女として
必要とされる未来もあるのかなって思えて
誰でもいいというのはとても気楽だから
雨が止んだのはとてもいいことだと思う

家で一人になるとどうしようもなく空っぽになるから
テレビをつけてどうでもいい言葉を聞く
どうでもよくない言葉から逃げてきたから
そういうの、とても心地よく感じる
すごく無意味で、おやつみたいに栄養がない
誰かを傷つけるよりも
自分を傷つける方が100倍マシだね

3日前に連絡無しでやめたバイトから
しつこく電話がかかってきて
すごくいらいらしてしまうのは
それ以外の電話を待っているからじゃないんだ、って
あなたのこと着信拒否にして
自分が不幸になることに完全なアリバイをつくる

知り合いの男とホテルにいって
セックスもしたし
もう大丈夫
ちゃんと堕ちていけるよ

インターホンがなったからびっくりして
レンズ越しに覗いたら宅配便だった
ダンボールをめちゃくちゃに開いて
そういえば壁掛け時計を買ってたなって思い出した
同じ時間で生きていくんだもんね、とかそういう
正しさに裏付けられた言葉は強いね

そういうの
優しさとか、誠実とか
なんでそんなに簡単に透き通ってしまうかな
もっと人間らしく淀めばいいのに


母校

  zero


母校へと続く道を
十数年ぶりに歩いていると
風景に込められた無量の意味が
過ぎ去った感覚を再び過ぎ去らせて
私の身は引き裂かれ
その間隙を過去の雨だれが舐めていく

緑地公園をさまよう私の流跡
郷愁と郷土愛の合金に似たものが
新幹線の下の道に紡がれていく
夏の陽射しは木の葉に燃え移り
太陽の実が至るところで輝いている
高校生の頃
世界はもっとまばゆく熱かった

母校に辿り着くと
何も変わっていなかった
校舎の見た目というよりも
高校の果たす機能が変わっていない
目に映る高校球児も
大工仕事をしている若い教師も
昔とそっくり同じ顔をしている
何よりも額の部分に同じ含みがある

図書館でもみな夏の装い
本はこの世の冷却材のようで
司書さんに挨拶をし
卒業生として著作を寄贈した
寄贈は母校との師弟関係への一打撃
拒絶から愛へ向かう精神史の証明

私は高校時代に文学を知った
私の著作は高校時代へのはなむけで
夏は毎年鋭利に人生を区切るのだった


手話

  アラメルモ


display

「 on ………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
………」…answer」
………………………ワタシハアラメルモデス」
「アナタハダレデスカ?」

不具合にもなれてきたようだ。
ダブルクリックのほんのわずかな遅れがここでは光の速度にまで到達してしまう。
つまり約8秒間は待たなければならないわけだ。

熱海に近い病院の窓から反射鏡の角度を少しずつ上に修正。
読み取るのは内蔵型のマダガスカル2号だ。
おまえもう少しはやく自走してくれないかな。
このようなことを考えだしてから1年と半月も経ってしまった。
改良型アケミNは指先の動きが速すぎて人間の眼には追えなかった。
いくら優れたアンドロイドとは言っても普段から何役もこなしていれば微妙な狂いは生じてしまう。
紫外線の分量計に目をやりながら彼女のことを考えていた。
両腕をもぎ取られ、地下室の格納庫に座り続けていた頃の切ない眼差し。
仕事を終えると僕はアケミに会いに行く。
襟首にあるコントロールパネルの蓋を開ければ二人で未来の会話ができたのだ。
「お腹が空いた」だとか、「ちょっとトイレに行ってくる」だとか……
感覚も無いくせに、いや、感覚は確かにあったのだろう。
しなやかな人工毛髪を撫でてやると、瞳の奥の黒い小さな蛍光レンズの粒から、薄く虹色のプリズムが溢れ出してきた。
あの輝き、あの瞼を霞めた反射は、僕が感じた幻覚だったのだろうか。
地下室の入り口を通り抜けるといつもあのときの感覚がよみがえってしまう。

紫外線の分量レベルがようやく基準値を下がりはじめた。
「………off
」このような不具合は永久に無くならないのだろう。
第5区画分離センターのカウンターバーにはステロイド化した獣のような男たちが群がっている。
腕を切り離された彼女たちの醜い指先。オーガニックに組み込まれた∈BSR。自在に感応する性器。内蔵から放たれる受容体のフレグランス。
成層圏から見下ろしても海を渡る鳥の姿は見えない。アケミの死は土に餓えた男どもの糧になる。
遥か洋上に浮かぶ二つの太陽。水素濃度の上昇に肺魚どもが宴をはじめる。
X−2Dayは近い。魚たちが潮の流れに戯れた記憶。この駿河湾もやがて太平洋に組み込まれていくのだ。

マダガスカルの光線波が血液からモニターの信号に反応を始めた。
プラグを外れるときの感触がない。完璧に写しだされたクリスタルの文字化。
僕の思考回路の痕跡もデータベースから消え去る日。
我々は誰に伝達を告げればよいのだろう。
………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」」ワタシハアケミデス
光の帯を交差する指
回路の不具合からまた呼び戻されてしまった。


詩の日めくり 二〇一六年七月一日─三十一日

  田中宏輔



二〇一六年七月一日 「ヴィーナスの腕」


コンクリート・鉄筋・ボルト・ナットなどなど
構造物の物質的な素材と
温度や重力や圧力や時間といった物理的な条件や
組み立てる技術や出来上がりの見通しや設計図
といったもので建物が出来るとしたら
さしずめ
概念は物質的な素材で
自我は物理的な条件や組み立てる技術や出来上がりの
見通しといったものだろうか
言葉が言葉だけでできているわけではないといわれるとき
後者の物理的な条件や技術や見通しなどのことを
考慮に入れてのことなのだろう
その言葉に個人の履歴が
またその言葉の歴史的な履歴があって
そういったもののほかに
その言葉を形成したときの個人の状況(部屋の様子など)も
大いに反映されてる
ヴィーナスの彫刻の腕のない有名なものがあるけれど
その彫刻について
「腕がないから
 想像し
 美しいというように思えるのだ」
みたいな文章を
綾小路くんが読んだことがあって
って
ぼくが
たくさん本を読んでいると驚くことがあんまりなくなるんだよねえって
一般論を口にしたときに言って
しばらくお話
不完全なものが完全なものを想起させるという骨子の文章だったかな
ヴィーナスだからうつくしい
だから
ない腕も
あった状態でうつくしいはずっていう
常識論でもあると思うんだけど
人間て
あまのじゃくだから
Aについては非Aを思いつくんじゃないのって言った
でもさらに人間は
Aでありかつ非Aであるという矛盾律に反するものや
Aでもなく非Aでもないっていうのまで
Aという内容を見たら頭に思い浮かべるんじゃないのって言ったら
森くんが
人間って
そんな論理構造で捉えられるものばかりじゃないものまで
捉えるんじゃないのかなって言うので
まさしく
ぼくもそう思っているよと言った
そしたら
綾小路くんが
(ヴィーナスの話をはじめたときには
 彼は 
 はっきりと言わなかったのだけれど
 ということは話の途中で思いついたと思うのだけれど)
(その腕のないヴィーナスの話を書いた人は
 きのう大谷くんから
 その文章は清岡卓行のものだと教えてもらった)
たぶんその思いつきに自分でこれはいけるぞって
思って書いたのではないかと思います
とのこと
作者がうまく説明できることだからという理由で
その文章を書いた可能性があるということ
というのも
綾小路くん曰く
「ぼくはその腕を頭に思い浮かべることができなかったんです」

ふううむ
それに思いついたことひとつ
腕のある状態を
ぼくらはふつうの状態としているが
そのふつうの状態も
具体性にかけることがあるということなのね
またまた思いついたことひとつ
事柄だけをAと捉えず
文章全体をAと捉えて
非A
Aかつ非A
Aでもなく非Aでもなく
エトセトラ・エトセトラと考えると
わたしたちは文章を書くことに過度に敏感になるのではないか
臆病になるのではないか

と書かれてあるだけで
ほかのいっさいのものの意味まで
ひきよせて考えてしまう
句点

だけで
あらゆる意味概念の
言葉
文脈
文章をあらわすとなると
文学が
とても
書くのが
いや
解釈も
むずかしいものになる

意味概念が
Aかつ非A
といったことはあるかもしれんが
現実の物事が
Aかつ非Aということはないかものう
しかし
解釈論としては
事物に対しても
Aかつ非Aはありえる
そいつは
まあ
解釈が
現実の事物そのものではないからじゃが
しかし
神秘主義の立場でなら
たとえば
イエスが
神であると同時に人間であるというのは
何十億という
クリスチャンたちが
(何億かな)
信じてるんだから
事物でも
Aかつ非Aはあると
考えることについては
意義がある
意義がない


二〇一六年七月二日 「人間自体が一つの深淵である。」


わたしたちのこころには
自分でも覗き込むことの出来ない深い淵があってね
それは他人にもぜったいに覗き込むことのできない深い淵でね
自分でも
じゃなくて
自分だからこそかな
その深い淵にはね
近づこうとすると
遠回りをさせて
その淵から引き離そうとさせる力が自分のなかに存在してね
無理に近づこうとすると
しばしば躓いてしまって
まったく違った場所を淵だと思ったり
ひどいときには
あやまった場所で
二度と立ち上がれなくなったりするんよ
もしかすると
他人の方が近くに寄れるのかもしれないけれど
でもね
その近さってのは
ほんのわずかのものでね
淵からすれば
ぜんぜん近くなってないのね
ひとがいくら近いと思っても
そうじゃないってわけ
人間自体が一つの深淵である


二〇一六年七月三日 「朗読会」


きょう、京阪浜大津駅近くの旧大津公会堂に行くことにした。ジェフリーさんと久しぶりにお会いする。方向音痴で、交通機関の乗り方もあまり知らないので、早めに出ることにする。三条京阪から30分くらいのところらしい。(いま、ネットで調べた。)

伊藤比呂美さん、平田俊子さん、新井高子さん、川野里子さん、田中教子さん、ジェフリー・アングルスさん、キャロル・ヘイズさんの朗読らしい。

個性的な強烈な詩の朗読だった。新井高子さんとは、何年振りかでお会いした。相変わらずチャーミングな方だった。また平田俊子さんの詩のユーモアは、ぼくにはないものだった。そして、伊藤比呂美さんは、朗読も迫力があり、人間的な魅力にもあふれた方だった。とりわけ、伊藤比呂美さんは、人間の器が違い過ぎる。巨大だ。ぼくの書いているものが弱弱しい糸で縒り合わせられたものであることが実感された。生の朗読会、行ってみるものだなって思った。

きのう、モームの『サミング・アップ』を読んでいて、それがあまりに自然に自分の胸に入ってくる文章なので驚いた。きょう、ジェフリーに、「さいきん、何を読んでいるの?」と訊かれ、即座に、「モーム。」と答えた。「あとSFと。」と付け足した。「ルイーズは、げらげら笑っちゃった。」と言った。

ううん。撚り合わせる糸を太くしなければならない。55歳。だいぶ経験もしていると思うのだけれど、どこか弱弱しいのだな。もしかしたら、経験していないのかもしれない。経験していないのかもしれない。きちんと。


二〇一六年七月四日 「優れた作家の凡庸さ」


いま、きみやから帰ってきた。これから、モームの『サミング・アップ』を読みながら寝る。さくさく読める。メモはいっさいしていない。書かれてあることに異論もなく、新しい見解も見出せなかったからである。成功した作家というものの凡庸さに驚きはしたけれど、常識がなければ小説も書けないのだから、そう驚くべきことではないのかもしれないとも思った。まあ、それでも短篇選は読むけど。むかし、長篇の『人間の絆』を読んだけれど、よかったと思うのだけれど、記憶がまったくない。読んで栄養にはなったと思う類の本だった。とにかく体調が悪い。本を読みながら床に就く。


二〇一六年七月五日 「マンリケちゃん」


ハイメ・マンリケの『優男たち』太田晋訳・青土社
編集を担当なさった郡 淳一郎さんからいただいたのですけれど
いま100ページくらい読みました
プイグがなさけないオカマとしてではなく
こころある人間として書かれてあると思いました
キャンプなオカマとしてのプイグ
鋭く
繊細で
力強いプイグ
マンリケも
ぼくのいちばん好きな『赤い唇』をもっとも高く評価していたので
うれしかった
レイナルド・アレナスのことが書かれた章を読み終わったところ
アレナスの本はすべて読んでいたので
アレナスがどんなものを書くか知ってはいたが
最期に自殺したことは記憶になかった
その作品があまりに強烈な生命力を持っていたからか
自殺するような作家だったとは思いもしなかったのだ

持ってる本で
一番手近なところにおいてある
『夜明け前のセレスティーノ』に手をのばして
解説を読むと自殺したことが書いてあった
読んだのは
そんなに前ではなかったし
ユリイカの特集号も持っているし読んだのに
やっぱり生命力のずばぬけて傑出した作家だったから
自殺したことを読後に忘れさせてしまったのだろうか
47歳だった
ぼくも2008年1月で47歳だ
アレナスはカストロを死ぬまで憎んでいた
それは死ぬまで自由を愛していたということなのだと思う
同性愛がただたんに愛の一つであること
ただそれだけのことを世界に教えることのために
死ぬまでカストロを憎んでいたのだと思う
ただ同性愛者というだけで
数多くの人間を拷問し虐殺したキューバ革命の指導者を
マンリケの本を読んでよかった
怒りや憎しみが人を輝かせることもあるのだ
愛だけがふれることのできる変形できるものもあるかもしれないが
愛だけではけっして到達できない場所やできないこともあるのだ
ロルカの章を読んだ
スペインの内乱時に
銃殺されたという悲劇で有名な
ジプシー歌集と同性愛を歌った詩を
読んだことがあったのだが
それほどいいとは思われなかった
しかしマンリケという作家の力だろうか
いままでそれほどよいと思われなかったフレーズが
えっこんなにこころによく響く言葉だったんだ
って思わせられてしまった
(といっても二箇所だけ)
まあしかしこのマンリケという作家
いままで耳にしたこともなかったけれど
言葉の運び具合がじつにいい
適度に下品でそこそこ品もよい

しかし訳文で一箇所
これはいやだなって訳があった
萌え
って言葉が使ってあるところ
キャンプなオカマってことは
わかってるんだけど
この言葉は
当時の文化状況を説明するときには
合ってないような気がする
いまの文化状況ならわかるけれど
ここんところ
異論はありそうだけど
ロルカが巨根だったって
へえええええええ
マンリケが人から聞いた話でだけど
そんなこともマンリケの本には書いてあった
ぶひゃひゃ
そんな話題もうれしい
いい薬です
いやいい本でした
マンリケの本の最後はマンリケ自身のことをつづったものだった
ただしそこに自分と同じ名前の人間を探すというのがあって
これっていま
たくさんの人がしてるけど
ネットで自分の名前を検索するってやつ
マンリケの場合は人名帳だったけれど

ぼくと同じ名前のひともたくさんいて
そのひとたちが嫌な思いをしなければいいなって思うんだけど
いやな思いをしてたらごめんなさいだす

マンリケの本に戻ります
自己分析してるところで
シモーヌ・ヴェイユやリルケの引用をしてたんだけど
どちらの引用も
ぼくの大好きなところだったから
マンリケのことを
これからはマンリケちゃんと呼ぶことにするね

それらの引用は
とてもいいって思うから
ここに引用しとくね
「苦しんでいる人に注意を向けるという能力は
 非常に稀にしか見られないばかりか
 きわめて困難なことでもある
 それはほとんど奇蹟に近い
 いや
 奇蹟にほかならないのである」
「おそらく恐ろしいものというものはすべて
 その存在の深みにおいて
 私たちの救いの手を求めている
 救われない何かなのである」


二〇一六年七月六日 「品詞」


形容詞とか
名詞とか
動詞とか
副詞とか
助詞とか
言葉というものを一括して品詞分類しているが
どれも「言葉」としての範疇で列記されている
しかし
おなじ「言葉」としてカテゴライズされてはいても
じつは
身長とか体重とか温度とかくらいに、それぞれが異なる別の範疇のものかもしれない


二〇一六年七月七日 「詩人」


塾の空き時間に、『モーム短篇選』上巻で、「ジェーン」を読んでいた。まだ途中だけど、モームがうまいなあと思うのは、とくに女性を意地悪く描いているところが多い。ぼくのエレクトラ・コンプレックスを刺激するのかな。これ読みながら、きょうは寝る。おやすみ、グッジョブ!

いま日知庵から帰ってきた。『モーム短篇選』下巻のつづきを読もう。「詩人」の落ちは予想がついてた。予想通りだったけど、笑った。


二〇一六年七月八日 「「モーム短篇選」上巻の脱字」


むかしから学生映画とか好きだったからショート・フィルムをよく見るんだけど、演技者も無名、ぼくも無名ってのが、よいのかもしれない。ぎこちなさを以前に書いたけど、ぎこちなさというのが、ぼくには大事なポイントかな。芸術が芸術であるための一つの指標かな。ぎこちなさ。大事だと思う。クロートっぽいというのは、どこか、うさん臭いのである。とりわけ、芸術において、詩は、シロートっぽくなければ、ほんものに見えないのである。というか、ほんものではないのである。ぎこちなさ。

岩波文庫『モーム短篇選』上巻の脱字 203ページ 3行目 「好きなだけ歌っていのよ」 「い」が抜けている。 岩波文庫に間違いがあると、ほんとに嫌気がさす。やめてほしい。間違ったまま、7刷もしているのね。うううん。

読書を可能ならしめているのが、個々の書物に出てくる「ぼく」「かれ」「かのじょ」「わたし」「おれ」が、異なる「ぼく」「かれ」「かのじょ」「わたし」であっても構わないという約束があって、たとえば、同じ映画を見ても、見る者によって、見られた人物が異なってもよいというところにある。


二〇一六年七月九日 「ひさしぶりの梯子」


学校の帰りに、大谷良太くんちによって、そのあと、きみや、日知庵のはしご。きょうは、ビール飲みまくり。あしたは、遊びに出かけよう。


二〇一六年七月十日 「投票」


鉄橋のアザラシ バナナな忠告 疑問符な梨 さらにより疑問符なリンゴ

投票してきた。共産党候補と共産党とにである。帰りに、スーパー「ライフ」で、サラダと穴子弁当を買ってきた。


二〇一六年七月十一日 「文学経験」


20代と30代は、世界文学全集を、いろいろな出版社で出ているものを読みあさっていた。40代になり、SFの文庫本の表紙がきれいなことに気がついて、SFにのめりこんだ。ミステリーとともに。50代になって、純文学とSFの比重が同じくらいになった。


二〇一六年七月十二日 「煉獄効果なのだろうか?」


転位
一つの象徴からまた別の一つの象徴へ
夜がわたしたちを呼吸する
わたしたちを吐き出し
わたしたちを吸い込む
夜が呼吸するたびに
わたしたちは現われ
わたしたちは消滅する
これは比喩ではない
夜がわたしたちを若返らせ
わたしたちを年老いさせる
転位
一つの象徴からまた別の一つの象徴へ
不純物が混じると
結晶化する速度が大きくなる
純粋に近い結晶性物質であればあるほど
不純物の効果は絶大である
記憶に混じる偽の記憶
もしも事実だけの記憶というものがあるとしたら
それは記憶として結晶化するには無限の時を要することになる
もしかしたら
記憶として留めているものは
すべて不純物である偽の記憶を含有しているものなのではないだろうか
無数の事実ではないもの
偽の記憶
偽の記憶ではあるが
それは不必要なものであるかといえば
そうではない
むしろ
事実を想起せしめることが可能であるのは
その偽の記憶が在るがためであろうから
絶対的に必要なものなのである
偽の記憶がなければ
いささかの事実も明らかにされないのであろうから
虚偽がなければ記憶が想起され得ないという
わたしたちのもどかしさ
自分のものであるのに
どこか他人ごとめく
わたしたちの記憶
しかし
そうであるがゆえに
わたしたちは逆に
他者の記憶を
わたしたちのなかに取り込んで
わたしたちの記憶のなかに織り込み
わたしたちの生のよろこびを
わたしたちの事実を
わたしたちの真実を
横溢させることができるのである
偽の記憶
すべての営みが
与え合い
受け取り合う
真偽もまた


二〇一六年七月十三日 「顔面破裂病」


通勤電車に乗っていると
前の座席に坐ってる
女子高校生の顔が
ピクピクしだした
いそいで
ぼくは
傘をひらいた
ぼくの顔が破裂した
ぼくはゆっくりと
傘をしぼませて
傘の内側にくっついてる
顔の骨や目ん玉や鼻や唇や
ほっぺたの肉など
みんなあつめて
顔のあったところでくっつけていった
女子高校生の顔面のピクピクは
顔面破裂病の初期症状を
はっきりと示していた
彼女は
おぞましいものを見るような目つきで
ぼくの顔をちらちらと見ていた
ぼくもむかしはそうだったんだよ
ひざを持ち上げて
傘を盾にしていた向かいの席の人たちも
ぼくが顔の骨と骨をくっつけているときには
すでにみんなひざを下ろして
傘をしまっていた
突然
床が顔に衝突
と思ったら
両目が顔から垂れたのだった
もう何度も顔から飛び出しちゃってるんで
ゆるゆるになっちゃってるのね
ぼくは
もう一度
目ん玉を元に戻して
額の上に
顔面破裂病のシールを貼った


二〇一六年七月十四日 「さぼっている。」


7月になって、本を読まなくなったのだけれど、自分でも理由がわからない。ぼうっとしているだけの時間が多くて、無駄に過ごしている。まあ、そんなときがあってもいいかなとは思うけれど。


二〇一六年七月十五日 「「わたくし」詩しか存在していない。」


けっきょくのところ、
あらゆる工作物は自我の働きを施されたもので形成されているので、
詩もまた「わたくし」詩しか存在していないような気がします。
また、「非わたくし」性を呼び込むものが
歴史的事実であったり、科学的事実であったり
他者の個人的な履歴や言動であったりするのでしょうけれど
それをも「わたくし」にするのが表現なのでは
と、ぼくは思っています。
引用という安易な方法について述べているだけなのではなく
引用以外の部分の一行一句一文字のことをも、
ぼくは、「わたくし」化させているような気がしています。
でも、これは、自我をどうとるかという点で
見方が異なるということなのだと思います。
ぼくは、すべての操作に自我が働くという立場ですから
そういうふうに捉えています。

「客観的」というのはあるとしても表現の外での話で
「他者」も表現の外でなら存在するかもしれないのですけれど。
どちらも、完全な「客観性」や「「他者性」を持ち得ないでしょうね。
ぼくは、そういう見方をしています。

「わたくし」について書かなくても「わたくし」になってしまう。
公的な部分というのは言語が持つ履歴のようなものだと考えています。
読み手のなかで形成されるものでもあると考えています。
あくまでも表現されたものは、表現者の自我によって形成されていると思うのです。
どんなに自分の自我を薄くしようとしても、その存在は消せないでしょう。
表現する限りにおいては。

言葉から見ると、人間は道具なのですね
言葉の意味を深めたり拡大したり変形したりするための。

あるいは、餌といってもいいでしょう。

物書きはとりわけ
言葉にとって、大事な餌であり、道具なのです。

詩人の役目は
言葉に奉仕すること

ただこの一つのことだけなのですね。

できることは。

そして
言葉に奉仕することのできたものだけが
ほんとうの意味での詩人なのだと思います。

そういう意味でいうと
「私を語る」ことなどどうでもよく
「詩の署名性」のことなどもどうでもいいことなのですね。

ただ、人間には自己愛があって
まあ、動物のマーキングと似たものかもしれませんが
「私を語る」欲望と
「自分が書いた」という「署名性」にこだわるものなのかもしれませんが
言葉の側から見ると
「私を語る」ことが、言葉にとって有益ならば、それでよいし
「私を語る」ことが、言葉にとって有益でなければ、語ってくれるなよ
ということなのだと思います。

人間の側からいえば
言葉によって、自分の人生が生き生きしたものに感じ取れればいいのですね。
読む場合でも、書く場合でも。


二〇一六年七月十六日 「全行引用による自伝詩。」


パウンドも生きているあいだは、その作品をあまり読まれなかったのかもしれない。ダン・シモンズの文章に、「生きていたときには、あの『詩篇』なんて、だれも読まなかったのに。」(『ハイペリオンの没落』上巻・第一部・14、酒井昭伸訳、215ページ)とあった。

『全行引用による自伝詩。』のために、10分の1くらいの量のルーズリーフを処理していた。どうやら、『全行引用詩・五部作』上下巻より、よいものになりそうにないので、計画中止するかもしれない。何年もかかって計画したものもあるけれど、すべて実現してきた。計画中止にするかどうかはわからないけれど、こんなの、はじめての経験だ。


二〇一六年七月十七日 「詩人」


詩人とは、言葉によって破滅されられた者のことである。


二〇一六年七月十八日 「1つのアイデア」


1つのアイデアが、ぼくを元気づけた。1つのアイデアが、ぼくの新しい全行引用詩に生き生きさを与えてくれた。引用の断片を見つめているうちに、ふと思いついたのだ。引用自体に物語を語らせることを。言葉は、ぼくを使役するだろう。言葉は、ぼくを酷使するだろう。言葉は、ぼくを破滅させるだろう。

きのうのぼくの落ち込みは、ほんとうにひどかったけど、いま5つの断片を結びつけてみて、おもしろいものになっているので、ひと安心した。きのうから、韓国アーティストの Swings の曲をずっと聴いている。まえに付き合ってた男の子にあまりに似ているので、なんか近しい感じがする、笑。

きょう一日でつくった部分、3メートルくらいの長さになった。休日なのに、ずっと部屋にこもって作業してたぼくの咽喉に、これからコンビニに行って、ビール買ってきて飲ませよう。

これが、2、30メートルになると、1冊の詩集になる。これから、サラダとビールをいただく。

短篇のゲイ・フィルムをよくチューブで見るのだが、その1作に出てた、てらゆうというアーティストの「ヤッてもないのに君が好き〜easy〜」って曲を、これまたチューブで聴いてて、なんだか癒された。彼のチューブを見てたら、トゲトゲした自分の感じがちょこっとでもなくなってくような気がした。

イマージュを形成しつつ、そのイマージュを破壊するコラージュをつくっていると、どうしてもトゲトゲしくなってしまう。ああ、これかもしれない。ぼくの恋愛がすぐに終わってしまう理由は。未成熟。55歳で。歯を磨いて、クスリをのもう。おやすみ、グッジョブ!


二〇一六年七月十九日 「全行引用による自伝詩。」


いま、てらゆうという名前のアーティストのチューブに、彼の曲の感想を書いたのだけど、芸術のなかで、ぼくは、ユーモアがもっとも高い位置にあると思っているのだが、きょう、つくっていた全行引用詩も、ユーモアのあるものにしたいと思って、ハサミで切った紙片をセロテープで貼り付け合わせていた。

すべての紙片の順序を決めた。あとは、セロテープでくっつけていくだけ。きょうじゅうにくっつける。ふう、これで、8月に文学極道に投稿する新しい作品『全行引用による自伝詩』ができた。シリーズの第一作品だけど、たぶん、これだけで詩集1冊分あると思う。『全行引用詩・五部作』の補遺みたい。

終わった。晩ご飯を食べに行こう。セロテープも、ダイソーで買っておこう。あと、ちょっとでおしまいだから。ワードへの打ち込みは、今晩からはじめよう。恋人がいないと、こんなに作業がスムーズ。(負け惜しみ〜、笑)

これからさっき出来上がったばかりの『全行引用による自伝詩』をワードに打ち込んで行こう。理想とはかけ離れたものだけれど、現実につくれたものに限界があっても、あたりまえだものね。自分の発見していない美が、どこかにひっそりと潜んでいるかもしれないしね。まあ、レトリック例文集みたいな詩。

1メートル分くらい打ち込んだ。きちがいじみた内容だったので、お祝いに、コンビニに行って、ビールを買ってきて飲んでいる。55歳にもなって、まだ、きちがいじみたものが書けることがうれしい。

いいものが書けたときって、なんというか、過去に何度か死のうと思ったことがあったのだけれど、ああ、死ななくてよかったなって感じかな。自分がここに存在しているという実感が、ぼくにはつねにないのだけれど、その予感みたいなものは感じ取れるって感じかな。

腕の筋肉が痛くなるまでワードに打ち込んでいこうと思う。並べてみて、はじめて発見したことがある。ぼく以外のひとにも発見の喜びを知ってほしいので書き込まないけれど、ラテンアメリカ文学者同士の影響って、言葉のレトリック上にも見られるのだなと思った。ヒント書き過ぎかな。まあ、いいや。

2メートルほど入力した。しんど〜。まえにつくった『全行引用詩・五部作』上巻・下巻をどうやって入力したのか記憶がない。もとのルーズリーフを切り刻んでいないので、書き写したことになるのだが、そうとうな労力だったろうなと思う。もう二度と、できない。今回のは、書き溜めたルーズリーフの半分ほどを処分するつもりで、半分くらいしか読み直しをせずにつくったのだけれど、これは、ライフワークにするつもりだったけれど、今回でやめるかもしれない。ここ数日の苦痛はたいへんひどかった。きちがいじみた、笑けるものができたのでよかったけれど、打ち込みもたいへん。


二〇一六年七月二十日 「全行引用による自伝詩。」


きょう、ワードの打ち込み、A4で、14ページまでだった。あと半分ちょっと。これだけで、薄い詩集ができる。このあと、全行引用詩はしばらくつくらないことにした。あまりに精神的な労力が激しくて。というか、ぼくは、ふつうの詩を、ここしばらくつくっていない。つくれなくなったのかな。

きみやからの帰り道、ぼくの頭のなかは、ピンクフロイドの「あなたがここにいてほしい」がずっと鳴ってた。15年の付き合いのあった友だちとの縁が切れて1年。ぼくは、人間にではなく、芸術に、詩に、自分のほとんどの精力を傾けているのだなとあらためて思った。人間が好きだと思っていたのだけど。

たくさんのことを手にすることは、ぼくにはできないと知っていた。20代、30代、40代と、何人もの恋人たちと付き合って別れた。付き合いつづけられなかったのは、ぼくの人間に対する愛情が、詩に対する愛情より高くなかったと思える。いま、全行引用による自伝詩を書いていて、そう思った。

1つのことを得ることも、ぼくにはむずかしいことかもしれない。でも、まあ、もう、死もそんなに遠いことではなくなって、少なくとも、詩だけは、得ようと思う。

Swings の I'll Be There Ft. Jay Park を聴いている。もう5回か、6回目。これくらい美しい曲のように美しい詩が、1つだけでもつくれたら、死んでもいいような気がする。ぼくは、もう、つくっているような気がするのだけれど、つくっていないような気もする。

まあ、いいや。ぼくの詩は、ぼくが生きているあいだは、ほとんど読まれないような気がする。それでよいという声も、ぼくの耳に聞こえる。おやすみ、グッジョブ!

Swings の I'll Be There Ft. Jay Park を、もう10数回は聴いてる。美しい曲。すてきな恋人たちとは何人も出合ってきた。美しい曲もたくさん知っている。でも、ぼくのこころは、どこかゆがんでいるのだろう。詩をつくろうとしている。はやく死が訪れますように。

たぶん、死ぬまで、詩を書きつづけるのだろうから。これでいいや、と思うのが書けたら、死んでもよい。


二〇一六年七月二十一日 「あなたは私を愛した甘い夢」


昨日の夜でした.
悪夢だ.
悪夢から逃れる方法は,
目を覚まして真ん中に
しかし睡眠を開始します.
別のブランドの新しい悪夢.
起きてまた寝て, 起きて, 寝ます.
起きて夜の外に,
沈黙や沈黙.
目に失敗して暗くなる前に適応.
目を開けて.
それは落ちるようにブラックホール.
なぜ, また目を閉じた.
見ないであろうタバコを吸いに素敵な夢を
あなたは私を愛した甘い夢.

いま見た中国人のFBフレンドのコメントの機械翻訳
これは詩だよね。

「あなたは私を愛した甘い夢.」

すばらしい言葉だ。
「みんな夢なんだよ。」
って引用を、きょう、ワードに打ち込んでた。

ぼくと付き合ってた恋人たちも
みんな夢だったのだ。

ぼくも、だれかの夢であったのだろうか。

たぶんね。

そこにいて
笑って
泣いてた
夢たちの記憶が
きっと
ぼくに詩を書かせているのだな。

「みんな夢なんだよ。」

「みんな夢なんだよ。」

「あなたは私を愛した甘い夢.」


二〇一六年七月二十二日 「あいまいに正しい」


「あいまいに正しい」などということはない。
感覚的にはわかるが
「正確に間違う」ということはよくありそうで
よく目にもしてそうな
感じがする 。


二〇一六年七月二十三日 「孤独な作業」


ワードを打ち込みながら、作品つくりって、こんなに孤独な作業だったっけと、再認識してる。うううん。

いま日知庵から帰ってきた。塾に行く途中、てらゆうくんに似た男の子が(22、3歳かな)自転車に乗ってて、かわいいなと思った。こういう系に、ぼくは弱いのだな。日知庵では、帰りがけに、かわいいなと思ってた男の子(31歳)がそばに寄ってきて、しゃべってくれたので、めっちゃうれしかった。

きょうはワード打ち込み、2ページしかしなかった。なんだかつながりがおもしろくなくって、というのもあるんだけど、だけど、ぼく的におもしろくないってだけだから、ひとが読んだらどうなのかは、わからない。思いついて数分で書いた「水面に浮かぶ果実のように」が、ぼくの代表作になってるものね。
ぼく的には、『全行引用詩・五部作』が、いちばん好きなんだけど、これが評価される見込みは、ほとんどゼロだ〜。まず、さいごまで読むひとが、ほとんどいなさそうだし、ぜったい、どこか飛ばし読みしそうだし、笑。

あかん。Swings の曲を聴いて、ジーンとして、きょうも目にした、かわいい男の子たちを思い出して、自分の若いときのことを思い出してる。夢を見たい。むかし付き合った男の子たちの。えいちゃん、えいじくん、ノブユキ、ふとしくん、ケイちゃん、名前を忘れてしまった、何人もの男の子たち。


二〇一六年七月二十四日 「書くことはたくさんある。」


いま日知庵から帰った。あしたはワード打ち込み、何時間やれるだろう。がんばろう。さいきん、本を読んでいない。『モーム短篇選』下巻の途中でストップしている。

今週は、『全行引用による自伝詩』の制作にかかりきりだったのだが、まあ、まだ数日かかるだろうけど、さっき、ふと思いついた。この引用に関するノートを付け加えようと。『The Wasteless Land.』と同じ構造だが、膨大な量のノートになると思う。『全行引用による自伝詩』の本文で、8月に文学極道に投稿したあと、その注解ノートを何か月か、場合によっては、一年くらいかけて書こうと思う。さっき冒頭の3行ほどの引用について考えた部分だけで、数ページ分くらい思いついていたので、どこでやめるか、あるいは、やめないか、自分自身にいたずらを仕掛けるような感じで書こうと思う。ぼく自体はからっぽな人間なのに、書くことはたくさんある。どしてかな。


二〇一六年七月二十五日 「いままでみた景色のなかで、いちばんきれいなものはなに?」


きょうは、ずっと横になって音楽を聴いてた。これから大谷良太くんとコーヒーを飲みに出る予定。『全行引用による自伝詩。』の入力は夜にしよう。音楽を聴いて、ゲイの短篇映画を見てたら、ハッピー・エンドって少なくて、たいていは苦い終わり方。ふつうに生きてるだけでも苦しそうなのにね、この世界。

いま、きみやから帰ってきた。大谷くんと、モスバーガー、ホルモン焼きや、日知庵のはしご。きょうは、入力ゼロ、笑。帰りに、阪急電車のなかで、途中から乗ってきた男の子がチョーかわいくって、隣に坐ってきたからドキドキだった。まあ、毎日が、奇跡なんだよなって思う。美しい、悲しい、味わい深い、この人生。

ロジャー・ゼラズニイの引用で、「いままでみた景色のなかで、いちばんきれいなものはなに?」というのがあったと思うのだけれど、これ、『引用による自伝詩。』に入れてなかった。あした入れておこうと思う。『まるちゃんのサンドイッチ詩、その他の詩篇』のさいしょのほうの作品に引用してたと思う。

この1行の引用について、えんえんと何ページにもわたって注解を書くことになると思う。好きになった子にはかならず聞くことにしているのだが、みんな、「そんなん考えたこともない。」と言うのだった。ぼくはいつも考えているので、そう聞くたびに眉をひそめるのだった。


二〇一六年七月二十六日 「作業終了」


『全行引用による自伝詩。』のワード打ち込みが終わった。


二〇一六年七月二十七日 「蛙。」


同じ密度で拡散していく。


二〇一六年七月二十八日 「イタリア語では」


イタリア語で
Hのことは
アッカっていうの
でも
イタリア語では発音しないから
ハナコさんはアナコさんになります
ヒロシくんはイロシくんになります
アルファベットで
ホモシロイと書けばオモシロイと読まれ
ヘンタイと書けばエンタイと読まれ
フツーよと書けばウツーよと読まれます


二〇一六年七月二十九日 「因幡っち」


韓国のアーティストのCDを買いたいと思ってアマゾンで検索しても買えないことがわかって悲しい。Hyukoh と Swings の音楽がすごく好きなんだけど、手に入らない。これって、どうして? って思うんだけど。いまいちばん美しい音楽を手に入れられないって、どうしてなの? って思う。

きょう、因幡っちとカラオケバーで朝5時まで歌った。かわいかった。人間は、やっぱ、かわいい。かわいいというのが基本だわ。

そう、かわいいというのが基本。人間は、基本、かわいいわ。


二〇一六年七月三十日 「TED」


マイミクのTEDさんの「sometimes」という詩を読みました。

sometimes we love
sometimes we sad
sometimes we cry

sometimes sometimes

life is it
it is life

とても胸がキュンとしたので

i think so.

a lot of time has us
a lot of places have us
a lot of events have us

so we know ourselves
so we love ourselves
so we live together

と書き込みました。

同じような喜びと
同じような悲しみを
わたしたちが体験しているからでしょうね
うれしい顔はうれしい顔と似ています
悲しい顔は悲しい顔と似ています


二〇一六年七月三十一日 「文学極道投稿準備完了」


『全行引用による自伝詩。』の本文の見直しが終わった。ぼくの全行引用詩のなかでは、不出来なものだ。しかし、注解をつけて、その不出来さを逆手にとろうと思う。できるかどうかはわからないが、もちろん、できると思っているから着手するのだ。全行引用による本文はきょうの夜中に文学極道に投稿する。


三十歳

  zero

朝陽は陰々と降りかかる、その日の人々の通勤に結論を下すため。人々が夢から生まれ、途端にすべやかな仮面とともに成人するのを見届けるため。電車は巨大な獣のように息を荒げて疾駆する、人々を腹の中に収めてはまた吐き出し、同じ線路を毎回異なるまなざしでやさしくにらむ。彼は着古したスーツに身を包んで、粉々になった朝の中枢を手繰るようにホームへとのぼっていく。始まりがすべて何かの終わりだとしても、この一日のはじまりは終わらせたい流血を一つも止血してくれない。

正しいものがどれも間違っていても、正しさが終焉する沃野に今彼は立っていて、そこでは間違いもすべて狂気を治めてしまう。追求する目的という果実めいたものはとっくに食らいつくして、追求の運動という飢えばかりが残った。彼のスーツにはたくさんの色彩が混じって、その黒を一層黒くした。どんな苦難も喜びも吸い取るために、スーツは黒でなければならなかった。彼と朝陽は毎朝新しく出会い、新しく別れる、互いに交わすメッセージはすべて言葉以外に蒸留しなければならない、例えば雲の白のように。

コンピューターの原料となる岩石がまだ自らの夢を知らなくても済んだころから、自然を利用するのは人間の罪滅ぼしだった。風が木の葉を揺らすように、仕事は人間を動かした。風の源泉が不明であるように、仕事の源泉を遡ると結局彼自身に還流した。畢竟人生は一つのパズルに過ぎない、与えられた謎に対して適切な解を返して行って次第に全体へと漸近する、当てはまりの快楽に満ちた命のやり取りだ。パズルに直面した苦悩もまた一つのパズルであり、そのパズルを解くパズルも当然無限にパズルである。

捨てていった影に寄り添うように、膨大な量の光を捨てる。消していった憎しみに寄り添うように、膨大な量の愛を消す。どんな緻密な倫理も彼を追い込むことはできず、彼は倫理に垂直に突き刺さる永遠の直線なのだ。死ぬことは何かを始めることであり、彼は自分が死ぬときに何を始めるか、何が始まるか、それだけをきれいな文字でノートに厳密に記述している。社会は死で構成されており、死んだ権力が死んだ暴力を行使して、ますます彼の垂直な直線は強靭に伸びていくばかりだ。


秋津

  田中恭平

 
バズ・オズボーンの、グラッジ(よごれた)なディストーション・サウンドが出せるペダル・エフェクターは
重た(へヴィー)過ぎたから売り払った。

2010年。
冷凍都市の語は、東京から転じ、凍今日、からきていると秋津のキャンパス・ノートの
のたくって、ひとくった歌詞の書き殴りで知った。
冬に死んだ秋津のノート。

秋津の死んだ日。
東京に於けるアルバイトの産んだ利潤がめっちゃ良かったみたいなこと
携帯からヤフー・ニュースで読んで
酒飲んで
賭け損で
バンドを解散するかどうか男臭いバンド
汗臭いスタジオ
秋津はアレだ、蜻蛉だったから、寒さで死んだんだよ、とか
ノースモーキングの赤字を無視して煙草喫いながら話した。

秋津の部屋どうなるんだろうな、親来て片づけるにしては秋津、児相のこと話してたしな。
学費も確か奨学金っていってたな。
実家、平和島だっけ。
秋津、言うこと無茶苦茶だったけど、急に敬語使うんだよね。
田中さん、あのぅ、ヤ―・ブルースのリフはノリに任せて変えないで頂けないでしょうか?お願い致します!! 
似てる(笑)。
赤色のモヒカンが、お願い致します!!(笑)。 
秋津フジ・ロック嫌いだった。 
商業主義とか言ってたな。フジ・ロックは商業主義ですよ!プレイヤーの汗があのデカイステージからキッズに飛びますか!! 
似てる(笑)!
 
あのね、なんか、夜ね、秋津から電話かかってきたんだよ、
ラジオで、ロックとかパンク紹介するラジオ番組だったんだけど、
その番組のご意見番みたいなおっちゃんが、それ言ってたらしい、同じこと、フジ・ロックは商業主義だ、って。 
ああ、そのおっちゃんの真似だった。 
違う、単純に同じ考えだったみたいなんだけど、
そのおっちゃんが、次のラジオの収録前に死んだんだって。

死んだ? 

うん、なんか死因はその追悼の放送では言わなかったけど、秋津がね、フジ・ロック批判したからそのスジの人に消されたんですよ!とか
声荒げて言っててかなり焦ってて、田中さん!僕がね、フジ・ロックがどうとか言ったのは本当に内緒ですよ!僕も消されてしまいますよ嗚呼、駄目だ!
この電話も盗聴されてる、って。
それほんと? 
ほんとほんと、これは秋津追い詰められているな、って、関係妄想みたいなの出てるな、って、
だからね、秋津、きみな、ジョン・レノンでも清志郎でもないんだから盗聴されているわけないじゃん落ち着きなよ、って言って、
したら、田中さん、清志郎は盗聴されてませんよ、って、ちょっと笑ってた。 

俺、秋津のアパート行ったことある。
えっ。
部屋中にCDとそのプラスティック・ケースが散乱してて、で、部屋の高いところにね、「百万回生きた猫」の絵本が飾ってあったんだよ。
アレ?「百万回死んだ猫」じゃなくて? 
いや、俺もそういうタイトルだと思ってたんだけど、「生きた猫」が正しかったらしい、
で、おっ、何この本、って言ったらね、秋津が、それは親父が贈ってくれた唯一の本です、って妙に真剣な顔して言って。

それから秋津が、僕はご覧の通りパンクスですけど、そんなレッテルを貼ること自体もうステレオ・タイプなんですよって言って。 
んー? 
僕はね、生きかえるんですよ。この生はだから、いいんですよ、あと何万回も生きかえるんですから。

秋津がニコニコして、で、これ秋津の歌詞のメモのノート。俺は、秋津が死んだんじゃないと思うんだよ。俺らが残されただけなんだよ。
 
 


Avenida 68 (藝術としての詩)

  天才詩人


Lと出会ったのは、まばらな枯れ木が散らばる空地が豊かな森に変わる、街のはずれのある小ぎれいなパン屋だった。そのパン屋で、僕は毎週土曜日、夢のようなケーブルを敷設するプランについて話す場をもつため、大勢の客を招いてミーティングを開いていた。大きな常緑のプランターがならぶ窓から鈍色の午後の日がこぼれる、つややかな白い2階のフロアで、エンジニア、学生、服飾デザイナー、それから町の安宿にちょうど居合わせた外国人旅行者など、いろいろな職業や国籍の参加者が、部屋の四つ角に配されたテーブルを囲み、意思の疎通を図った。僕らは、各自が発音する単語を一つ一つていねいに厚いボール紙の表面に記入しながら、日ごとの参与観察のデータと、国外へ移動する人々のフローを追尾する、遠く離れた土地での追加調査、それから調査地に着くまでに歩いたり立ち止まったりした街角やL字とS字形の路地を、色とりどりの地図上にボールペンで書きこんでいった。

そのグループのなかの、Lという端正な顔立ちの女性がとりわけ僕の注意を引いた。Lはその町の大手新聞社の販売部で働いていた。彼女の家は、街の貧困地区を南北に縦断する片側4車線の首都高速を、気の遠くなるほど長い跨線橋でオーバークロスした、溶接工場やショッピングセンターが混在する再開発地区にあった。グーグルマップで見ると、その場所からLのはたらく新聞社までは東へわずか2キロの道のりだったが、この街ではライトレールや路線バスはすべて南北に走る高速道路にに沿って整備され、彼女の通勤はいつもそれだけで「一日が終わってしまうんじゃないかと思うくらい」の時間がかかった。「歩いたほうが早いんじゃないの?no será mas fácil moverte a pie?」と笑いながら僕が言うと、彼女は答える「あなたはまだ来たばかりだから、この街を東西の方向に移動することの大変さを知らないのよ。」

Lは続けた「私の家は68号通りにあるんだけど、人はその一帯をいまだに『72』って呼ぶ。廃線になった国鉄のターミナルが解体されたあと、市は区画整理のために一本一本の通りにつけられた番号を調整しにかかった。だけどそこに大きなミスがあって、72と呼ばれるエリアは、地図のなかから消えてしまった。そんな市当局の失態のせいで、ここ数年、清掃局の車はLの家の周辺をいつもうっかりと通り過ぎてしまう。白昼の路上に何日たっても回収されない廃棄物がうず高く積もり、住民がついに抗議集会を開き、68号線を封鎖した。人々は巨大なスピーカーを通りの真ん中に据えてサルサ音楽を大音量で鳴らし、夜を徹して踊りつづけた。やがてにわかづくりの食べ物屋台がならぶ夜市が現われ、外国人観光客が見物に来るまでになった。その狂騒の一部始終が彼女の働く新聞社の朝刊で『72号線のカーニバル』というタイトルのもとに一面をかざったのはついさいきんのことだった。」

数ヵ月たったある夕方、はじめてLの住む家を訪れた。曇り空の水滴がアスファルトの路面を湿らす、しずかな日曜日だった。午前中から、街のあちこちで彼女のバーゲン品探しに付き合い、そのあと何をするでもなく、ぶらぶらと「72」の近くまでやって来た。Lの家は、68号線から小さな路地をはいったところにあるコンクリートの3階建てで、このあたりでは目をひく建物だった。しかしLの家族は、建物の屋上部分に置かれた、廃品の市バス3台を改造した小さなスペースに住んでおり、その外側のパティオには観葉植物や洗濯物を干すスペースが所狭しとならんでいた。Lによれば、地上階の部屋の多くはアパートとして賃貸されており、あまり楽ではないらしい彼女の家族の生計を支えていた。Lの家族が暮らすその屋上からは、灰色のセメントの住宅群や、大型量販店のむこうにスモッグにかすむ首都高速の防音壁が見え、そこを疾走する自動車のタイヤがアスファルトを擦る音が、微かにしかし絶え間なく聞こえていた。

いまではほとんど市井の人々の口にはのぼらない。だが、ちょうどその量販店の真新しいアスファルトの駐車場があるあたりには、ほんの4−5年前まで、この町の玄関として今世紀のはじめに建設された、ル・コルビジェ様式の近代的な国鉄ターミナルがあった。その話をどこかではじめて聞いたとき、僕は心が躍った。そして、それ以来、国鉄の駅があったころのこの一画の様子をいつも地元の誰かに聞こうと心に決めていた。しかし不思議なことに僕は毎回その機会を逸した。どんな相手と会っても、肝心なときにうっかりそのことを聞き忘れてしまうのだ。そして今日、屋上からまさにそのガラス張り建築のターミナルがあった場所に目をやりながら、Lにその話をしようと思ってふり返ると、僕が口を切るよりも早く彼女は言った。「明日の朝食のパンを買いに行かなくちゃ。一緒に来る?」

そして部屋に入ると、黒いジャンパーを羽織り、僕の存在を忘れたかのように、早足で階段を下りはじめる。僕はLに一歩遅れたまま後ろを歩き、S字形にくねった路地をゆく彼女の背中を追う。「今日はパン屋に行くのもう2度目だよなぁ Ya es la segunda vez que vamos a panadería hoy! 」と叫ぶと、彼女は後ろを振り向くことなく「そうね!siii!」とだけ答える。大型スーパーの広告塔ごしの、ツイストロールのかたちをした雨雲が浮かぶ空。解体されアスファルトで整地され、まるで浮き島のように住民の記憶から消えつつあるガラスばりの近未来建築と、廃棄物やスクラップで封鎖された幹線道路で住民が踊りつづける、「カーニバル」の夜深け。僕はLとこの街で出会ってからの数ヶ月間歩いたり立ち止まったりした、ボール紙の地図の上に色とりどりにマーキングされた無数の地点を思い出しながら、彼女と最初に言葉をかわした、あのパン屋の午後の日がさすフロア、そして、その店がある豊かな森におおわれた界隈まで引き返すための交通機関と、それだけで「一日が終わってしまい」そうな道のりについて反芻していた。

Avenida 68 (藝術としての詩・続) Copyright 天才詩人 2016-08-18 11:00:27


神学

  Kolya

神様に全部返すつもりだった。僕が持ちうる世界のすべてを。だから紙飛行機を折ったし、賛美歌もつくった。ほら、あそこに見える、遊園地の廃墟は、神殿のつもりだった。たくさんの精霊が凍ったままの表情で暗がりにたっている。いずれ宝石になる虫たちが、光のない街灯に群れている。電車はいつまでも走り続けるし、線路は果てない。それなのに誰も乗っていない。デパートのマネキンたちは、紳士服売り場と、婦人服の売り場の、中間の踊り場で待ち合わせして、つぎつぎとサマーソルトでフェンスを越えていく。つま先が月を擦って弧を描く。人びとはみんな記憶になって、閲歴だけが透明になって、ウィンドウショッピングしていた。どこかで笑い声がきこえた。振り向くと、たくさんの子どもたちが、僕の身体をすり抜けていった。

言葉はだんだん空に盗られていった。もうすぐ僕も何も言えなくなり。何も聞こえなくなるだろう。そうすれば、きっと全部奪われ、僕は動物になり、どこまでも駆けていけるだろうから。その時が来るのはいつだろうか。世界が滅んだのに、雪が降るなんておかしな話だ。いくつかの透明人間たちがそれを見上げる。そして、すこし手をかざしたあと、またどこかに向かう。マンションからはTVの音が聴こえる。言葉がもうすくないので日がな波音を放送している。

駅前からもってきた自転車に乗る。下り坂を全速力で漕ぐ。ペダルが空転して、ああ苦しい、僕は笑う。賛美歌は口笛にしたんだ。そしたら鳥になっても歌えるからね。


あな 二篇

  シロ

貴方の声が
虫のように耳もとにささやき
私の皮膚を穿孔して
血管の中に染み込むと
私の血流はさざめき
体の奥に蝋燭を灯すのです
貴方のだらしのない頬杖も
まとわりつく体臭も
すべてが私の奥に
石仏のように染み込んでいたのです

明るすぎる店内は光っていて
ひとりで持つ手が重たいのです
ふと買い物の手が
貴方の好きな惣菜を求めていて
ショーケースの冷気で顔を洗うのです

閉じられた束縛の中で
私は蛇のようにじっと
湿度の高い空間で
安寧を感じていたのかもしれません

道路脇のカラスがなにかを啄ばんでいます
私の汗腺を塞いでいた あなたの脂
それでもつついているのでしょうか

       *


夜のさなかというわけでもなく
朝のさなかというわけでもない
いつも中途半端な時間に覚醒するのだ

安い珈琲を胃に落とし込めば
やがて外界の黒はうすくなり
いくぶん白んでくる

陳腐な私という置物の胴体に
ぽっかりと誰かが開けた穴の中を
数えきれない叫びがこだまして
私の首をくるくる回す

この大きな空洞の中を
ときおり小鳥が囀り
名も無い花が咲くこともあった

今はこの空洞に何があるのだろう
暗黒は苔むして微細な菌類がはびこり
私のかすかな意思がこびりついているだけだ

また大きくせり出した極寒の風が
いそいそとやってくる
私とともにある 
この
巨大な穴

外をみる
いくぶんかすかに白んできたようだ
空洞の上に厚手の上着を着込み
私は私に話しかけるために
外に出ようと思った
老いた犬を連れて


命中しないあなた、でも愛してる(アンチ藝術としての詩)

  ヌンチャク

通天閣には、まだ上ったことがない。下から見上げるばっかりだ。あべのハルカスが出来るほんの15年ほど前、新世界と呼ばれるあの界隈のてっぺんは、通天閣だった。俺はWと、新今宮駅を降りる。高架下に出ると、8月のムッとした熱気の風に乗って、排ガスと生ゴミの臭気が漂う。いかにも昭和レトロな、錆びついた自転車の前と後ろに、潰れた空き缶のぎゅうぎゅうに詰まった汚いビニール袋を、3つも4つもくくり付けて、ギイギイと、痩せこけた爺さんが通りすぎていく。耳朶のないスキンヘッドの男が、個室ビデオの看板を持って、黙って立っている。新今宮から天王寺まで、交通量の多い直線道路沿いに、隙間なく一列に、ブルーシートを被せたダンボール小屋が長屋を形成し、悪臭を放ち、その前でホームレスと犬が、同じような呆けた表情で日向ぼっこしている。俺はWの手を取り、駅前の横断歩道を渡る。新世界の、フェスティバルゲート(Festival Gate)という、名前と外観だけはやたらと賑やかな複合施設、つまりは第三セクターの、夢見がちでありがちな失敗作に入っていく。施設の中と外を、2階から4階を、小さなジェットコースターが、客の来た時だけ、自暴自棄に駆け巡る。係員は欠伸をこらえていた。俺とWは、閑散とした廃墟の中をくぐり抜け、スパワールドへたどり着く。1000円キャンペーン。水着に着替え、エレベーターで上昇し、屋内プールで落ち合う。Hoopで二人で選んだコバルトブルーのビキニ。小さな惑星のように丸い乳房の膨らみ。水を湛え、新しい生命が生まれる。俺は彗星。いつか俺が燃え尽きた時、おまえの海に堕ちたい。オレンジ色の、大きな浮き輪にWを、座らせて、引っ張って、潜って、丸いお尻を見上げて、触って、流水プールを、流され、流れるままに、ぐるぐると回り続けた。スパワールドの裏には、天王寺動物園が広がっている。入場口を過ぎてすぐ右手に、チンパンジー舎がある。壁一面に描かれた密林の絵、作り物の大きな黒い木の枝に座り、チンパンジーは、いつも遠い空を見上げている。動物園の高い塀の向こう、立ち並ぶビルとネオン看板を越えて、スモッグで霞んだ空を、ぼんやり見ている。その頃、家族と絶縁し、一人暮らしであるにも関わらずバイトすら辞めてしまい、無職だった俺は、かつて自分が、美大生だったこと、詩を書いていたことなどすっかり忘れて、日々の生活のこと、これからの将来のこと、就職のこと、Wのこと、手枷足枷のように縛りつけてくる、ありとあらゆるもののことを、漠然と考え始めていた。動物園のチンパンジーと、ブルーシートの小屋で暮らすホームレスと、どちらがいい暮らしをしているだろう、そんなことを思ったりした。Wは、天然と言うか、アホというか、世間知らずというか、常識や物を知らないところがあった。この前、鉄筋バットでね。それ、金属バットやろ! バットに鉄筋入ってたら、野球やるたび、死人でるわ! Wは、自分の間違いをまるで恥ずかしがりもせず、俺がひとつひとつツッコミを入れると、楽しそうによく笑った。屋内プールから屋外ゾーンに出て、二人で露天のジャグジーに浸かった。他の客から見えないように、泡の中で、Wの丸い胸を下から支えながら、たわわに実った果実のような、その丸み、そのやわらかさ、その瑞々しさを、掌の中に抱きながら、俺は、空へといきり立つ、突き上げる、新世界のシンボル、通天閣を眺める。青いガラスの展望台から、何人かの人影がこちらを見ていた。その、新世界のてっぺんから、いったい何が見えるのだろう。俺からは、HITACHIの文字しか見えない。Idler's Dream。俺は想像する。新今宮。UNIQLO。たこ焼き。づぼらや。スマートボール。ヤンキー衣料。串カツ。ジャンジャン横丁。フェスティバルゲート。ジェットコースター。スパワールド。天王寺動物園。ブルーシート。ダンボール。茶臼山。美術館。青空カラオケ。公園。噴水。植物園。駅前広場。青空将棋。交差点。雑踏。ビッグイシュー。近頃の藝術家は、街も、人も、生活も、悲しみも、貧困も、藝術も、他人事みたいに、俯瞰するのがトレンドらしい。大風呂敷のように広げた地図の、どこか見えないところに、隠されたシナプスがあると言う。伝書鳩にでもなったつもりか。クルックー、クックルー、Googleアース、フラット・アース、新世界秩序、神の視座。馬鹿と煙はなんとやら。俺にはあの、いつも遠い空を見上げて、不満そうな面をしている、寡黙な類人猿が、ほんとうの藝術家に思えてならない。高い作り物の木の上に立って尚、届くはずのない空。自分で果実をもぎ取る自由すら、奪われてしまったあの、空っぽの頭の中に、ほんとうの詩が、その息吹が、衝動が、咆哮が、飼育員にも、客にも、仲間の群れにも、誰にも伝わらずに、世界から遮断され、隔絶され、無自覚なまま、蠢いている。彼は、表現する術を知らない。バナナは上手に剥けるだろう。否応なく飼い慣らされる、ワンワールド。俺もいつか、そうならなければならない。テクスト、ではない。アート、でもない。夢のケーブル? そんなものは、ぶった切れ。俺は誰ともシェアしない。藝術とは、生き様だ。ただ、生きることだ。偽物の世界で、覚悟を決めて、生きることだ。空を見上げればケムトレイル(chem trail)、ダダ漏れの放射能。これが人類の檻ではなくて何だというのか。たまには吠えろ、俺のチンパン。通天閣には、ビリケンさんという神様がいて、土踏まずのない足の裏をこすると、幸せになれるという。結婚式 ― wedding ― という、俺の人生にはおよそ縁がないと思っていた言葉が、突然脳裏をよぎり、不意を突かれ、狼狽し、のろまな牛のようにその言葉を、その意味を、その責任を、反芻しながら、俺は、扁平足で子供っぽいWの足の裏をくすぐった。Wは、目を細めて、屈託なく笑う。www。


はげかくし

  花緒

オラ

まいあさ

でえこん

入った

みそ汁

においで

目をさます

しゃもじガチョウ

やってきて

とん
とん
さく
さく

タマネギ

切りはじめる

みそ汁

タマネギを入れるなんざ
さいていだ

みそ汁

でえこん
たまご
それから
たこさんウインナーに かぎる

タマネギもってけえってくんろ
明美さんもそう言ってたズラ

オラが言うと

しゃもじガチョウ

やってきて

つる
つる
てか
てか

オラのあたま

タマネギを
植えはじめる

はげかくし

タマネギを使うなんざ
さいていだ

植毛

でえこん
たまご
それから
たこさんウインナーに かぎる

だいたい

オラのごときハゲあたまが
ハゲをかくす理由なんか ねえ

オラ

ハゲあたま
から

でえこん

生える

たまご

生える

たこさんウインナー

生える

それをめがけて

しゃもじガチョウ

タマネギをもってくる


プラットホーム

  李 明子

記憶を失った詩人が
昔書いた詩を朗読してもらった時だけ
声を上げて泣いた

いつかプラットホームで
往年とかわらない端正な横顔
「君、もう僕は詩が書けないんだよ」
「君、もう僕はどっちの方角に帰ればいいかわからないんだよ」
それが
どんなに悲しい告白であったか
「君、詩を書くんだよ、」
と くり返し言った
もう どっちの方角に帰ればいいかわからない
冬のプラットホームで


   *


いつかわたしが
自分の詩を読んでもらって
声を上げて泣く
沢山の詩を書いたが
一つとして満足の行くものはなかったと
それなのに
今は書けないと言うことがどうしてこれほど
悲しいのかと
わたしが詩を書いたことなど
クヌギ林を風が通り抜けたくらいのこと
それなのに
詩を書けなくなった自分を
まるで何かに詫びるようにーー


亡命者

  湯煙


幼児への誘拐と殺害の容疑だという。
星々をつなぎとめ星座をかたちづくる。崇高というのでないが、
信念と倫理とが発動され、瞬きは忙しく、瞼を微細な痛みが貫く。
愁いの夕空から蝙蝠たちを展開させるための試行が様々に召喚するようだ。
私は尊厳とよばれるものをかけて被告席から歩きだし証言台に向かう。
黒衣を纏う無表情のものたちを前にして死刑宣告を受ける。
そのとき私はどのように逝くべきか。ことばを吐くのか。聴きたいか。
いったい誰が判断を下し線引きは行われているのか。
誰が許可するのか。金銭の取り引きによる和解はあり得るのか。
私は蝙蝠たちの飛翔に眼を凝らす。
確実に侵食し追いつめるものたちの姿を探りたい。
私は無実であり再審を請求する。黙秘ではなく潔白を証すために。
厳格を珍重し求め、非情なまでに他を排する、永い歴史の中で培った思想。
王を定め位を定め、神へ奉納する国、川という川を越え下らねばならない。
新月の夜に私は走り出す。


漁を営む海辺の町だ。
小島の片隅にあり、年中温暖な気候を保つ。
乾いた潮風が島内をめぐりながら日光を受け、翼を広げている。
自然であることを謳歌している。
まだ軽い痺れを残す身を浜辺に横たえうつらうつらしていると、
屈強な背広姿をした中年男の二人が近づき、
寝そべる私の両脇へと腕を差し込んで抱え起こそうとした。
私は冷静に理由を話すよう乞うたが、
男達は答えを返さず私をぐいぐいと引っ張っていこうとするだけだった。
そばに置いていた、所々にじわと赤黒い斑点を滲ませる、
袖と襟元が弛んで垂れ下がるみすぼらしい上着に腕を伸ばしつかみとると、
私は何も言わずおとなしく連行されていった。
幼い頃から通いつめ慣れ親しんでいる駄菓子屋で買い込んでいた、
表面全体がまだ淡く原色の鮮やかさを僅かにとどめる色とりどりの金平糖。
その数粒が、正午を過ぎたばかりの陽の中へこぼれおちるのを見た。


海ができるまでに

  山田太郎

その発端は
 水に書かれなければならない

その顛末は
 水で描かれなければならない

たれにも見ることが叶わない
ただ
ふれることができるだけの
物語だとしても

どこにでもあるような一本のロープが 世界を
わけるように張られ
かつてあった世界と もう なくなった世界を
隔てた

あのとき
絵本が 一冊
ロープの向こうへ流れていったのだ

鉦、太鼓も もう 聞こえないでほしい
わたしはただ 
とりかえしのつかない色をした
朝焼けの
 朝焼けの
滲む色だけをなつかしむ

近づけない
出来事の 淡々としたあざやかさに
沈黙する地平

幾つもの水たちが
幾つもの陰影に語らせたお話の結末は
水と塩がなごむ世紀まで
綴じている


ダサイウザム第一回詩賊賞受賞スピーチ全文

  ヌンチャク

「特別賞に引き続き、長らく、お待たせいたしました。いよいよ、栄えある詩賊賞の発表です。今回、初めて賞を創設するにあたり、今後の詩賊の方向性を決定付けることにもなるとあって、選考委員の方々はケンケンゴウゴウ、カンカンガクガク、議論に議論を重ねたと伺っております。……さあ、それでは参りましょう、第一回詩賊賞受賞、無礼派と自称する傍若無人な言動とそれに相反するユルい作風で賛否両論巻き起こしました、自称太宰治の劣化コピー、虚栄心と羞恥心のがっぷり四つせめぎ合い、近所迷惑この上なしフルスロットル空吹かし、マイコメディアン、皆様、盛大な拍手と嘲笑でお迎えください、詩なんか書くヤツみんなクズ、ダサイウザムさんです! どうぞ!」

 司会者に促され、ふらふらと壇上に上がった蓬髪の男は、スタンドマイクの手前で一瞬躓きかけた。先程までしこたま飲んでいたのだろう、顔面は耳たぶの先まで京劇に出てくる孫悟空のように派手に紅潮し、窪んだ目は据わり、それでいて妖しく鈍い輝きを放っていた。
 華やかな授賞式にはおよそ似つかわしくない男の異様な雰囲気に、直に拍手もまばらになり、会場は一種の緊迫感のようなものに包まれ静まりかえった。
 男はそんなことは意に介さないとでもいうように、ただでさえ緩んでいるネクタイの結び目を右手で乱暴に引き伸ばしさらに緩め、マダムのネックレスのようにだらりと首からぶら下げ、前髪をグシャグシャとかき上げながら大きく鼻を啜った後、どこを見るというのでもなく中空の一点を睨み付け、口を開いた。その風貌に似合わず意外にも、甲高い声であった。

「いやいや、どうも、只今ご紹介にあずかりました、ダサイウザムです。今からちょうど二年前の夏、太宰の小説『ダス・ゲマイネ』に登場する詩誌『海賊 Le Pirate』を模した詩誌『詩賊 Le Poerate』が盛大に船出の日を迎え、太宰を愛する私もこんな詩誌を待っていたのだとさすがに嬉しく居ても立ってもいられず、私も船員の一人としてこの大義ある航海に加えて頂きたく、今まで参加してきたわけで、あれからまあ二年経ち、この度は、なんか、賞を頂けるということで、ノコノコやってきたんですけれども、まあ一体、なんと言うんですかね、ずらりとお並びの選考委員の皆々様に、面と向かってこんなことを言うのもあれなんですがね、単刀直入に言うと、あんた方、偉そうにふんぞり返って座ってらっしゃいますが、一般人、いわゆる世間の人たちにどれだけの知名度があるんですかね? あんたたちの詩って、誰が読んでいるんですかね? 詩集はどれほど売れました? そもそもどこに売ってます? 誰も知らんだろう? 今を生きる現代人にはまったく見向きもされないのに現代詩とは、なんとも皮肉なもんじゃないですか。最早誰にも必要とされていないんですよ、我々は。詩賊と名の付いたこの新造船も、出港直後の大層な熱意はどこへやら、世界に詩を届けるどころか、今や大海原のど真ん中で羅針盤を失い漂流中ときたもんだ、見渡す限りの水平線には大陸はおろか、たまにぶつかる小島ですら行けども行けども人っこ一人いない無人島ばかり、挙げ句の果てには甲板の上で仲間割れの大喧嘩、船員は次々遁走、死亡説まで流れる始末、風雨に晒され破れたマストは茶色く汚れ、ああ、こんなはずではなかったとジリジリと身を焼く灼熱の太陽を恨めしく見上げると、アホウ、アホウと鴎まで馬鹿にしやがる、いやいや失礼、口が滑ったすみません、いずれもご立派な経歴肩書きの詩人の皆様方、私みたいなクズが出る幕じゃねぇや、いやほんと、詩賊賞だってさ、笑っちまうぜ、現代詩なんていう狭い狭い村社会、どこに世界があるんだよ、学歴優先コネ優先の仲間内のくだらねぇ審査員ゴッコに付き合わされて、感謝感激、これで私の作品も海の藻屑とはならず文字通り浮かばれるってわけだ。溺れる者はポエムにもすがる、私の詩が、溺れる者のせめて浮き輪代わりにでもなれば幸い、どうせ直ぐに沈むけどな。沈め! 畜生、……最近、反省したことがひとつある。私は無礼派を名乗っているが、全然、無礼じゃない。むしろ人が好すぎるくらいだ。私はこんな賞を貰うために詩なんか書いているのではないのだ。嫌われるだけ嫌われてやろうと思っているのである。無頼どころか、無礼にすらなれずに何が文学か。己の美学のために猫でも女でも全てを振り払い、蹴り飛ばし、なぎ倒していくのである。詩賊賞? クソ食らえだそんなものは! お義理の拍手喝采などいらねぇよ腑抜けども、おっと、貰った以上は私のものだ。賞は返上しないぜ編集長。私に賞を与えたことを、生涯悔やめ。詩賊賞の汚点として語り継げ。本当の本当に詩を侮辱して嗤っているのは私じゃない、おまえたちだ! 詩を解放しろ! 私に言わせりゃ詩なんか書くヤツみんなクズ、詩書きを批判するためにわたしがこんなに声を荒げているってのに、肝心なおまえたちがそんな死に体でどうする! 金にも名誉にもならん仕事に命まで懸けて悔しくないのか! 懇意になるな、権威になれ! まるで倒しがいがないじゃないか! 私をブチのめしてみせろ! それから司会者! 黙って聞いてりゃてめぇディスりすぎだろ……。」

 ダサイはそこまで言うと、スタンドマイクを握りしめたまま、舞台の真ん中で仰向けに卒倒した。急性アルコール中毒である。すぐさま救急車で病院に運ばれ事なきを得たのだったが、ダサイにはその時の記憶はまったく残っていなかった。ダサイが倒れた時、客席は騒然となり、何事が起きたのかと皆総立ちで騒ぐ様は、さながらスタンディングオベーションのように見えなくもなかったと言う。拍手がまるでなかったことを除けば。


「ひょっとして倒れて運ばれるまでを含めた全てが彼なりのパフォーマンスだったのではないか?」
「本当は司会者と裏でネタ合わせが出来ていたのではないか?」
「救急隊員の話によると、ダサイは救急車の中で突然何事もなかったかのようにムックリと起き上がりひとこと、『酔拳……』と呟いたらしい。」
「第二回以降の詩賊賞の授賞式がなくなったのはダサイが原因だそうだ。」
「詩賊の編集者の間では、ストップ・ザ・ダサイがスローガンになっている。」
 それから数年間詩賊界隈では、そんな背びれ尾ひれの付いた噂がまことしやかに流れていたが、詩賊は既に廃刊となり、当時を知る関係者も雲散霧消、真相は今もって薮の中である。
 数々の問題行動で詩賊を廃刊へと追いやった張本人、ダサイウザムは、憎まれっ子世に憚るのことわざ通り、なぜか今も生き永らえ、くだらない詩を書き続けていた。
 ダサイ本人はデカダンを装い無礼派を名乗っているが、周囲からは嘲りを込め新愚作派と呼ばれていることを、彼は知らない。


コクーン

  熊谷


昨日の耳鳴りが
日付変更線をまたいで
かすかに聴こえている

繭は破られる
それは生まれる前から
すでに決まっていたのかもしれない

予感が
左胸から右胸へ
すっと通って
跡が残る

殻が割れて
あなたの手が伸びてくる
拒む理由を探しているうちに
いつの間にか夜が来る

脚先から始まる契りは
飲み込まれる喉の奥
あなたの口元に
集まるあらゆる敏感な神経

発光しかけて
恥ずかしさで
またすぐ暗くなる
こんな激しく明滅する夜に
溶けていく心臓の影

破りたかったあなたと
破られたかったわたしは
ちぎってはちぎり
ちぎってはちぎり
それを暗闇に捨て放った

テレビのなかの人達に
私たちの行為は
ずっと見られていて
秘密にすらできなかった

そして真夏から浮いたまま
ふたりだけそこに
永遠に取り残されて
どれだけ待っても
日付は変わらず
耳鳴りだけがこうして
いつまでも響いている






とも君のことhttp://bungoku.jp/ebbs/pastlog/482.html#20160720_289_8976p
改稿ver.


捧げる

  園里

かさなる本の重みに耐え
開かれた詩集には
よれた赤い中帯のかたちをしたくぼみが
両面にあった
すこし長い空洞の
そうまるで肺のような

(血管でつむいだ
 二つの赤いまゆと
 医師は言った)

明かりのつく夜
支えられた体育館の天井に捧げると
彼は云った


BACK

  5or6

拝復、猛暑に蒸発する君香る爽やかな季節
の中で速やかに下へと向かうエロティズム
と肢と褐色のプッシーを転轍する音が卑猥
に共鳴する牛乳瓶の底から屈折した雷光が
美しく愚行に満ちた腰を照らすから乱暴に
押し込んだHEAD即ち脳膜に繋がる車輪
から削る火花で燃えるアンビエントから煤
が生まれて喘ぐ真夏のクリスマスローズを
滑らかに中指でそっと円を描くように擦り
雄蕊から雌蕊へと授粉させる蜜蜂のように
弱く強く弱く強く弱く震わせ羽音を耳元に
聞かせ温床に潜り始まった悪戯の黄昏泣き
に呼ばれオメガの試験管から穴に戻る蟻達
の整列に飛ぶEUC式二進法:10100
1001010110110100100
1101111110100100110
0111010100100101010
1010100100101101111
0100100111010101010
0100110011111010010
0101101011010010010
1001001010010010110
0111010010010100110
と破廉恥に触れたフレンチなローションに
安堵するCALLするラメ入りのKNOW
は嘘だからTHINKする虚ろげなWWW
是非もなくFLOATING LIGHT
の奇跡改め膝上漂うWORK無しに軽率に
顔に頬に既に奥に腰はまだだからもう少し
BACK今貼り付け脳膜の車輪で削られた
火花で燃えるアンビエントの煤払う午後に
俯せにさせるBACKきみの腰から乱暴に
切り取る虹色のBRIDGEを渡る屈折の
道徳から錚錚たるや薄い褐色の音楽を尊重
しながら流るる交差点ですれ違い振り向く
黒髪絡むVOICEをかき消す後光を射す
聖人の教えに跪くは懺悔する御身に慈しむ
肉体の膨らみから恥骨までを両手で広げて
見繕う言葉を癒す十二単めくれば光の魚群
から七色の飛沫輝き以て長い睫毛を動かす
唇に含ませていく真夏のクリスマスローズ
に何ら罪も無く雄蕊と雌蕊をもう一度重複
コラージュ中指で中指で第一関節を曲げて
円を描いて放つ飛び散る定着の賛辞を無理
矢理含ませ非難に無難に大事そうにソレを
丁寧にそっと萎ませ誠実に拝答をBACK

拝啓、

BACK.

凄く、

気持ち良かった。


敬具。


(無題)

  匿名

僕はスキージャンプをしていた。大会だった。
坂のてっぺんから勢いよく下り、反り返ったジャンプ台を目前に緊張感が走った。
飛んだ。
風を薙ぐスキーボードと僕の身体が非常に鋭利に思えた。
着地だ。
着地した瞬間、僕の世界が輝いた。物理的にだ。
瞬間、誰かが言った。
「りんごと子供用のビールもどきだ!あれはいつも子供を馬鹿にする大人の仕業に違いない!」
僕は意識を失った。
目が覚めると見知らぬ光景が辺りに広がっていた。
僕は崖の上に立ち、下界を見下ろしていた。
世界には雪が降り積もり、下界には小さな木造の小屋と、藍色の海が有った。
僕は小屋に行かなければならない気がして、この断崖絶壁を下る決断をした。
命綱などない、正真正銘の命懸けだ。なんてダジャレを言いながら。
足場らしい足場もないのに、僕は苦なく崖を下っていく事が出来ていた。
不思議だ。
崖を下る途中に白い髭を長く伸ばした仙人の様な人と会った。
彼は小石としか思えないところに、つま先立ちで立っていた。
彼は笑いながら何かを話しかけていたが、僕はそれを覚えていない。
気が付いたら彼は居なくなっていた。崖も、下りきっていた。
小屋が目の前にあったので、入ろうとした。
だが、扉が開かず入る事ができなかったのだ。
そこでふと、僕はスキージャンプをしていた事を思い出した。
元いた場所に帰りたくなったのだ。
仕方が無いので海を歩く事にした。
崖沿いに海の中を歩き、向こう側に見える岸へと歩こうとしたのだ。
最初は膝までの水深だった。
段々と水かさが増えてきた。
腰までになった。
どれけだ歩いても向こう岸に届く気がしない。
崖沿いに歩いているのだから、道を間違える筈が無いのに。
振り向いてはダメな気がした。
気付いたら水かさは鼻の上まで上がっていた。
呼吸ができない。
死ぬのだ。
何故帰りたいのかと声が聞こえた。
「愛しているから」
そう答えた。
気が付くと僕はスキー場にいた
誰かが言った。
「りんごと、子供用のビールもどきだ!あれはいつも子供を馬鹿にする大人の仕業に違いない!」


夏が終わらないこと

  ユーカリ

近くの小学校で行われる夏祭りは
屋台から漏れる橙色の灯りや
人々の喧騒や和太鼓の響きを伴って
私にその存在を示していた
でも私はずっとそれとは反対の
日の沈んだ方の空を見ていた

翌朝、件の小学校に足を向けると
お祭りの残骸がまるっと
セミの死骸のように
グラウンドに転がっていて
それに群がるように
熱気から覚めた人たちが
懸命にその痕跡を消そうとしていた

子供達も若干数いたけど
屋台をたたんだり
櫓を解体するのは男の仕事らしくて
捨てられたゴミを拾い終わると
子供達は日陰で涼んで
最近はやりのゲームとか
そんな他愛のない話をして
みんなまだまだ夏休みが終わらないことを
信じているみたいだった

予想通りあまり若い女性はいなかった
鄙びた土地ではあるけど
私がここにいた頃から、若い女の人が
町内会で頑張っているなんて話
聞いたことなかったし
私のことを知ってる人には絶対に
会いたくなかったから

男の人たちは年齢もまちまちで
みんな汗を流しながら重たいものを持っていて
若い衆、とか呼ばれていそうな人も数人おり
その一人がなんとなく
嵐の櫻井くんに似ている気がして
でもすぐに遠くに行ってしまったから
残念だな、とか
そういう軽薄さが私にとって
今はすごく大事なことのように思えた

夏が終わらないこと
サマーイズエンドレスであるということ
私の浴衣には魔法がかかっていて
たいして可愛くもないのに
おばあちゃんはいつも
べっぴんさんだね、って
言ってくれていたこと

櫓の最後の木材がトラックに載せられ
男の人たちは特に感慨深げでもなく
淡々と帰るべき家に帰って行ったのだろう
先ほどまでグラウンドに転がっていた
お祭りの残骸は跡形もなくなっていて
グラウンドの真ん中に立ってみても
人々の喧騒や和太鼓の響きも
当たり前だけど
何も聞こえなかった


明暗

  Kolya

鴨居港は南に向いて、あちら側にはとりあえずは空のように果てしない海で、光だけが群れて棲んだ。近辺に友達がいて、一軒家をシェアした。

友達がある日、夢をみた。なんでも眩しい海岸にいたそうだ。なにかキラキラするものがたくさん埋まっているなと思うと、黄金の観音像だった。
俺はその光景を見に、よく海に向かったが、あるのは言葉にすらされない宗教的な閑散だけだった。
俺はたぶん絶望していた。男や、女、街、家族、国、祖母のこと……。
地獄はどこか別の次元にあるわけではなく、いつでもそこにあったことに気づいた。

海を見つめていると、心に踊り手が現れて、節を付けて踊った。
ときにちぎれるほど激しく。ときに止まったように静かに。
俺はそれを見つめていた。

浦賀は黒船がやってきたところだが、ゴジラが初めて上陸したところもそうなので、京急線の始発はゴジラのテーマが流れる。
ゴジラ、ゴジラがやってきた。そんな歌詞が思い浮かんだが、本当にそんなものがあるかは分からない。
電車のドアが閉まる。これから、鵺のような街に行く。
街の内臓は光の塔だった。人は贄で光だった。
俺はゴジラがやってくればいいな。と思った。

ゴジラが海からやってくる。
ひとびとは逃げ惑い、街とただの燃料になって。
夕焼けと混じって、世界は黄金と結婚する。

祖母が死んで、(俺はゆっくりと目を瞑り、)心の踊り手がとまった。
(死んだ踊り手をみつめた。)


(仮)現代詩(汗)現代詩(笑)現代詩(涙)

  泥棒


覚せい剤が入っているのかな( ^ω^ )

ら、
未来が
空に浮かんでいる郊外
その夕方。
僕は電車の窓から
過去を見つけてしまうのら、
鳥、
着地して、
うたっている。
線路は
どこまでも続いていない。
いないのら、
キャベツや白菜を育てている畑に
びくともしない鉄塔に
建売住宅に
ひとつの世界が
ぐわっ
ぐわわっと
生まれるのら、
線路は
世界に続いていない。
鳥になりたいと
鳥が、
うたうわけがないのら、
僕は
着地して、
明日も
どこかに
着地して、
たぶん様々なことに感動して、
その直後。
君を軽蔑しなければならない
尊敬とは
そういうことなのら、
電車は未来を過ぎてしまう。
ら、
覚せい剤が入っているのかな(汗)
景色にも。
ら、
すり潰した葉は
風に飛ばされ
今夜あたり
僕、
飛べそう
飛ぶ気もないのに
乙、
僕の世界は
こんなにも狭い
君が入るすきまもない
すきまもないのに
未来が
未来だけが
今、
ここにあるのら、





女の子を泣かせるために\(^o^)/

西にかわいい女の子がいれば(かわいいね。と声をかけ
東にかっこいい現代詩があれば(かっこいいっすね乙!と言い
僕は僕で一日に一編の詩を書き上げ誰からも褒めらることなく
そもそも読まれることもなく
森へ向かい悪魔を退治し海で魚を捕まえる。
すこしのユーモアと現金を持ち平日の昼間から本屋へ行き
何時間も立ち読みしては店員から(変な奴がまた来てる。
と噂され
雨の日は部屋から一歩も出ないで風の日には勢いよく空を飛ぶ。
そういう発想は僕にはない。
女の子を泣かせるために
僕はロマンチックな詩を書きたいけれど(笑)
もはや女の子は
女の子たちは詩では泣かない。
泣かないらしい(ネット調べ)
だから僕は南へ向かい北にたどり着く。
国境のない魚たち。
こうなったら
雨にも負けず風にも負けず
歩いて歩いて歩きまくって
僕の歩いた距離で女の子を笑わせたい。





地球滅亡(=゚ω゚)ノ

誰かが笑った日に誰かが死ぬ乙!地球は
君のために回っていないのに君を中心に
回っている乙!行こう過去へ乙!日本語
が死ねば未来を引用する猫たちは爆発し
ないバスに乗り確かめ合う乙!行こう過
去へ乙!未来は正論でできているから誰
も行かない乙!君を連れて行こう過去へ
乙!中心からズレて地球が爆発したら君
と僕のこと猫のこときっと未来の誰かが
詩にしてくれるよ乙!それをさらに未来
の誰かが現代詩と呼び過去の引力で新し
い日本語が生まれるのさ乙!おはよう誰
もいない地球(涙)さよなら出会えなかった
人類(涙)書こう未来へ乙!僕は今日もみん
なの敵だよ(涙)望んでこうなったのさ乙!
すべてが僕の想像を越えていくのかな乙!

文学極道

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