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2011年11月分

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* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


The Marks of Cain。

  田中宏輔





尋ね行くまぼろしもがなつてにても
  魂(たま)のありかをそこと知るべく
                  (紫 式部『源氏物語』桐壺)


臓腑(はらわた)を切り開くと *01
それは、一枚の地図だった。
った。

だが、またしても、求めるものを、わたしは見出さなかった。 *02

血、血、血、
立ち罩める血、血の匂い、
血、血のにおいに、半ば酔い、噎せりながら
鮮血滴る少女の躯から搾りとった血、
血は、羊の皮袋(アベルが神に供えた群の初子)逆剥ぎの)贄の)中。 *03
すでに腸抜きをすませた少女の肌は蝋白色、
その血、血まみれの唇は灰色の
半人半樹の美児(まさづこ)、樹葬体。 *04
その半身は少女の裸身、裸体、
その剥き出しの乳房は片生(な)りの乳房(それゆえ、に
いっそう艶めかしい)淫縻な象(かたち)。
その褐色の半身は、果実の生る木、
その膝から下は堅い(かたい)樹皮に覆われた果樹、
その足は根となり、根をのばし、地面と、土と、かたく、かた、く、結びついていた。

死してもなお屹立する少女の胸に手をのべ、
わたしは、その胸にある未熟な果実を、黒曜石の小刀で切りとった。 *05
(その、象(かたち)のまま)切りとった乳房を裏返すと)と、
まだ熟しきらない安石榴の実が *06
ぎっしりつまっていた。

頬ばると、血、
血、血と、血の、匂いと、味がした。
わたしは、残ったもう片方の乳房を切りとると、それも頬ばり、頬ばった。
血、血、血、血と、血の味のする安石榴の実。
そして、わたしは、
切りとった双つの乳房のあと(血、血まみれ、
の)胸)にも、まるで獲物に跳びかかった山犬のように、むしゃぶりついた、った。

血、血、血、、、血と、血、
と、血と、血を、すっかり味わい尽くすと、
さらなる樹体を求めて(もと、めて)て)わたしは、足を踏み出した。

地、地と、
地に蔓延る茨と薊、 *07
刺す荊棘(いばら)に苦しめる朿(とげ)。 *08
裸足のわたし、わたしの裸足は生傷だらけだ。
血まみれの踵(つぶなぎ)、踵(かかと)を上げるたびに、わたしの足跡に血が滲み出た、た。
まるで酒ぶねを踏むように、わたしの足は地面を踏み歩いた。 *09
地、地に蔓延る茨と薊を踏み踏み拉きながら、
息のある樹体を求めて立ち潜り、
立ち徘徊い歩いた。
た、だが、
目にするのは、
折り枝(え)に苧環(おだまき)、枯れ木ばかりだ。
百骸香樹に、千骸果樹、みな、わたしが葬(はふ)り散(はらら)かしてきた樹体ばかりだった。
骨、骨、骨、
と、
血、
血を、
その血の滴りを、いまもなお、わたしは胸に感じる。 *10
感じることができる。できる、のだ。
この土、この地面のように、に、
お、おお、この夥しい死の枯れ骨を見よ。 *11
それらの骨と骨と骨は、みな、わたしが葬(はふ)った樹体の成れの果てだ。
わたしが葬(はふ)り(ほふり)血を)搾り)取り)肝取り)腸(わた)抜きした樹体の成れの果てだ。
その皮膚は縮んで骨につき、たちまちすぐに、
かわいて枯れ木のようになった。 *12
った。腕(ただむき)、腕(うで)
と手、手と、手(たなさき)についた、
血、血と、血、血、血と、血、血と、血と、
血いいいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ…………


──弟アベルは、どこにいるのか。 *13


あ、


──弟アベルは、どこにいるのか。


あ、ああ、


──弟アベルは、どこにいるのか。


あ、ああ、いくら耳塞ぎ、
耳塞いでも聞こえる神の声、カミ、ノ、コエ。


──弟アベルは、どこにいるのか。


知りません。わたしは、弟の番人なのでしょうか。 *14


──弟アベルは、どこにいるのか。


お、おお、また、わたしは過去に引き戻されてしまった。


──弟アベルは、どこにいるのか。


お、おお、神よ、神よ、
いつまで、あなたは、わたしに目を離さず、
唾を飲む間も、わたしを棄てておかれないのですか。 *15

おお、神よ、
神よ、わたしの祈りを聞き、
わたしの口の言葉に耳を傾けてください。 *16


──弟アベルは、どこにいるのか。


おお、神よ、神よ、
あなたは、なぜ、わたしに、
このような恐ろしい呪いをかけられたのですか。


──弟アベルは、どこにいるのか。


あ、ああ、耳立つ、神の声、カミ、ノ、コエ。


──弟アベルは、どこにいるのか。


おお、神よ、神よ、
あなたは、なぜ、わたしの声にこたえてくださらないのですか。

あなたは、なぜ、わたしの口の言葉に耳を傾け、
これに、こたえてくださらないのですか。


──弟アベルは、どこにいるのか。


おお、神よ、神よ、どうしても、こたえてくださらないのですかっ、か。

ならば、天よ、耳を傾けよ、わたしは語る。
地よ、わたしの口の言葉を聞け。 *17

わたしは、弟アベルを殺した。これを野原に連れ出し、これを殺した。 *18
兄弟殺し! これは人間の歴史始まって以来の、
最初にして最古の人殺し。 *19

それゆえ、わたしは神に呪われ、神の前から離れなければならなかった。
地のおもてから追放され、地上の放浪者とならねばならなかった。 *20
そして、放浪の果てに、エデンの東、ノドの地に住まわった。 *21
わたしは妻を娶り、妻は子をみごもり、エノクを産んだ。
わたしは町を建て、その子の名をつけた。 *22
町は、エノクの裔で栄えた。
ああ、しかし、神は、主なる神は、
なんと恐ろしい呪いを、わたしにかけたのだろう。
わたしに、わたしの孫の孫の孫のであるメトサエル子レメクを殺させた。 *23
飢えと渇きをもって、わたしに幻を見させ、
わたしに、わたしの、骨肉の血を、
血と肉を、喰らわせたのだ。
わたしが、わたしの喉の渇きを癒し、
わたしの腹と口の飢えをおさめて、正気に戻ると、と、
そこには、わたしが喰い散(はらら)かした、血まみれのレメクの屍骨(したい)があった。
あ、あったのだ。
だっ、
あ、ああ、あ、ああ、
わたしは、これがために嘆き悲しみ
裸足と裸身で歩きまわり、
山犬のように嘆き、
駝鳥のように悲しみ泣いた。 *24
しかし、神はさらなる禍いをもって、わたしを撃たれた。 *25
わたしの耳をとらえ、わたしの耳に、ヘボナの毒液を注ぎ込まれたのだ。
その毒は、ひと瞬きの間で、わたしの身体を廻り、
ふた瞬きの間に、瘡をつくった。
まるで癩病やみのような
けがらわしい瘡が、
たちまち、わたしの
全身全躯を覆っていったのだ。 *26
瘡蓋を剥がしてみると、その瘡蓋の下の肉は、
腐った肉の色を見せ、腐った肉の臭いを放っていた。
おお、そして、わたしは、わたしの身体は、
まるで天骨(むまれながら)の背虫(おさむし)、傴僂(せむし)のように、背骨が湾曲してゆき、
しまいに、わたしは、わたしの頭(こうべ)を、地のおもてに擦りつけんばかりに、
ああ、まさに、神が呪われたあの古(いにしえ)の蛇さながら、さ、ながら、 *27
這い歩き、這い蹲らなければならなかったのだ。
だっ。だ。
ああ、
あ、ああ、
そのとき、わたしは、わたしの口は、
その骨の、激しい痛みと苦しみの中から、声をかぎりに叫び声を上げた。

「おお、神よ、神よ、わたしは不義の中に生まれました。
 わたしの母は、罪のうちに、わたしをみごもりました。 *28
 なにゆえ、わたしは、胎から出て、死ななかったのか。
 腹から出たとき、息が絶えなかったのか。 *29
 なにゆえ、あなたは、わたしを胎から出されたのか、
 わたしは息絶えて、目に見られることなく、
 胎から墓に運ばれて、
 初めからなかった者のようであったらよかったのに。」 *30

と。

しかし、神は、これには、こたえられなかった。

そこで、わたしは、繰り返し神の名を呼ばわり、繰り返し神に祈った。

「神よ、わが救いの神よ、
 血を流した罪から、わたしを助け出してください。」 *31

と。

「おお、神よ、神よ、わが救いの神よ、
 血を流した罪から、わたしを助け出してください。」

と。

と、

すると、そのとき、神は、つむじ風の中から、わたしにこたえられた。 *32

「なぜ、あなたの傷のために叫ぶのか、
 あなたの悩みは癒えることはない。
 あなたの咎(とが)が多く、
 あなたの罪が甚だしいので、
 これらのことを、わたしは、あなたにしたのである。」 *33

と。

と、

そして、神は、さらにつづけて、こういわれた。

「人は自分の蒔いたものを刈り取ることになる。 *34
 あなたも、また、あなたが蒔いた、あなたの裔を、
 あなた自身の手で刈り取ることになる。
 なぜなら、わたしが、あなたに、あなたの孫の孫の孫、
 すなわち、あなたの裔レメクの子供たちを殺させるからである。
 わたしは、あなたを血にわたす。
 血は、あなたを追いかける。
 あなたには、血の咎があるゆえ、血はあなたを追いかける。 *35
 人の子よ、あなたに与えられたものを喰べなさい。 *36
 あなたの口を開いて、わたしが与えるものを喰べなさい。 *37
 あなた自ら屠手となり、後生(のちお)いの裔、骨肉の血と肉を喰べなさい。
 さもなければ、たちまち、あなたの肉は腐れ、
 目はその穴の中で腐れ、舌はその口の中で腐れることになる。 *38
 その痛みと苦しみは、唯一、あなたの裔の血と肉によってのみ癒される。
 それゆえ、あなたは、あなたの骨肉の血と肉を喰べることになる。
 あなたは、これを拒むことはできない。
 なぜなら、これが、わたしの呪いである。
 この呪いをとくことはできぬ。
 この呪いをとく手だては、ただひとつ。
 あなたが、あなたの弟アベルの屍骨(したい)を見つけ、
 これを、わたしへの供物として、わたしに差し出すことである。
 そのとき呪いは成就し、あなたは、もはや人を喰べない。 *39
 わたしは、あなたの弟アベルの屍骨(したい)を、あなたの目から隠し、
 その隠し処を、あなたの裔の子らの臓腑(はらわた)の中に印す。
 あなたは、あなたの手で、その臓腑(はらわた)を切り開き、
 その印を見出さなければならない。
 しかし、わたしは、その印を印した裔の子の名をあかすことはしない。
 これもまた、わたしの呪いである。」

と。

と、

お、おお、
いまもなお、わたしの耳に残る神の古声、フル。コエ。

お、おお、たしかに、わたしは、弟アベルを殺した、殺、した、した、た、
あ、ああ、しかし、わたしの罪は過去のものだ。 *40
過去の、過去の、過去、の、
過去のことだ、だ、
あ、ああ、
それなのに、また、ああ、
また、あの日のことが、思い出される。
あ、あの日も、また、あの日も、また、風のある日だった。
籾殻を除くため、打ち場に麦束を運び、棒切れで、穂先を叩いていた。 *41
わたしと、弟アベルのふたりで叩いていた。
あれもまた、風のある日だった。
風は籾殻を捕らえ、籾殻は風に捕らえられ、
脱穀された穀物は、たちまち、小山となっていった。
わたしと、弟アベルのふたりは、その小さな山を崩して、袋に詰め、
括り合わせた袋を、牛の背に負わせて、帰り支度をした。
しかし、帰るには、まだ早かった。
わたしと、弟アベルのふたりは遊んだ。
棒切れ振り回して、遊んだ。遊んで、いた。
すると、そのうち、遊びが本気になって、喧嘩になった。
家に帰ると、腫れ上がったふたりの顔を見て、
父アダムは、わたしを叱った、わたしだけを叱った。
わたしの顔だって、ずいぶんと腫れ上がっていただろうに、
きっと、弟アベルの顔よりもひどく腫れ上がっていただろうに、に、
お、おお、それなのに、それなのに、
なぜ、父アダムは、わたしだけを叱ったのだろう。
なぜ、わたしだけが、父アダムに叱られたのだろう。
ああ、でも、あの日だけじゃない。あの日だけじゃなかった。
いつも、そうだった。いつでも、いつも、そうであった。
わたしだけが叱られたのだ。わたしだけが。
理由を言っても聞いてくれなかった。
むしろ、理由を話そうとすると、よけいにきつく、わたしは叱られた。
それに、また、わたしが、土を耕す者、父アダムの仕事を嗣ぎ、 *42 *43
一所懸命、畑で働いても、ちっとも褒めてくれなかった、
羊を飼う者、弟アベルが、取るに足らない仕事を、ほんのすこし、 *44
ほんのわずか手伝っただけで、これを褒めたりしたのに。に。
あ、ああ、わたしの心が捻くれ折れ曲がったのは
それは、わたしが、父アダムから、まったく愛されずに育ったからだ。
せめて、わたしが、母イヴにだけからでも愛されていたら……
しかし、母イヴもまた、わたしのことを、ちっとも愛してはくれなかった。
ちっとも愛してなどくれなかった。
いや、むしろ、それどころか、わたしのことを憎んでいた。
わたしのことを憎んでいた。わたしのことを憎んでいた。わたしのことを憎んでいたのだ。
あ、ああ、きっと、母イヴの魂(こころ)には、あの古(いにしえ)の蛇が棲みついていたのだ。
そして、その顎(あぎと)が、わたしの魂(こころ)を噛み砕いていったのだ。
それゆえ、わたしは、わが口をおさえず、
わたしの霊の悶えによって語り、
わたしの魂の苦しさによって嘆く。 *45

ああ、なぜ、母イヴは、わたしをみごもり、はらみ、産んだのか、 *46

と。

ああ、なぜ、母イヴは、わたしをみごもり、はらみ、産んだのか、

と、

と。

あ、ああ、わたしなど、生まれてこなければよかったのに、
生まれてくることなどなければよかったのに、
胎の実は報いの賜物である。 *47
それでは、わたしは、何だったのか。
父アダムと母イヴにとって、いったい、何だったのだろうか。
わからない。わから、ない。
わたしにわかるのは、わかっているのは、
父アダムと母イヴのふたりが、わたしのことを疎み、
わたしよりも、弟アベルを、弟アベルばかりを
可愛がったということだけだ。
それは、わたしの顔が醜いからか。
それは、わたしの顔が、野の獣のように醜いからか。
神の姿に肖(あやか)る父アダムにも、それにふさわしい母イヴにも似ない、 *48 *49
わたしの顔が、飢えた山犬のように醜く恐ろしいからか。
あ、ああ、わたしは、ふたりを愛していたのに、
深く、ふかく、愛していたのに、
だれよりも、深く、ふかく、愛していたのに、に、
ふたりは、わたしを疎み、弟アベルを可愛がった。弟アベルだけを可愛がった。
それは、わたしの顔が醜く、弟アベルの顔が美しかったからか。か。
ああ、たしかに、わたしは醜く、弟アベルは美しかった。
その顔(かんばせ)は麗しく、その声は愛らしかった。
しかし、わたしは長子である。
長子には、だれからも愛され、
だれよりも愛される権利があるのだ。
あ、ああ、それなのに、なぜ、それなのに、なぜ、
父アダムと、母イヴは、弟アベルだけを可愛がり、わたしを疎んじたのか。か。

あ、ああ、それなのに、なぜ、なぜ、……、

神も、また。また、……、


──弟アベルは、どこにいるのか。


あ、


──弟アベルは、どこにいるのか。


あ、ああ、


──弟アベルは、どこにいるのか。


あ、ああ、いくら耳塞ぎ、
耳塞いでも聞こえる神の声、カミ、ノ、コエ。


──弟アベルは、どこにいるのか。


知りません。わたしは、弟の番人なのでしょうか。


──弟アベルは、どこにいるのか。


あ、


あ、


また、、また、わたしは、過去に、過去に、引き戻されてしまった。


たっ、


──弟アベルは、どこにいるのか。


あ、ああ、
どの樹体にも、どの樹体にも、弟アベルの埋葬場所は印されていなかった。


──弟アベルは、どこにいるのか。


あ、ああ、これまで、どれだけたくさんの樹体を切り裂いてきただろう。
その夥しい数の少年たちよ、その夥しい数の少女たちよ。

ザクロ、イチジク、イチジククワ、
オリーブ、ブドウにナツメヤシ、ナルド、シナモン、アメンドウ、
チンコウ、ミルラに、セイニュウコウ。 *50

血、血と、血、血、血と、血、と、
ありとあらゆる樹体を、わたしは切り裂き、切り刻んできた。た、
あ、ああ、それは、神がわたしにかせられた罪咎の罰。
しかし、どの樹体にも、どの樹体の臓腑(はらわた)にも、
(弟アベルの)埋葬場所は)
印されてなかった。


たっ、


あ、ああ、それでもなお、神はささやく、
わたしの耳にささやく。


──弟アベルは、どこにいるのか。


と。


神はささやく、
わたしの耳にささやく。


──弟アベルは、どこにいるのか。


と。


わたしは、知らない、
       知ら、ない、
 わたしは、弟の番人じゃない、
            じゃない、
              じゃ、ない、
                のだ、と、と。


神がささやく、
わたしの耳にささやく。


──弟アベルは、どこにいるのか。


と。


──弟アベルは、どこにいるのか。


と。


と、


お、おお、神よ、神よ、
いつまでお怒りになるのですか。 *51

あなたの怒りによって、わたしの肉には全きところがなく、
わたしの罪によって、わたしの骨には健やかなところがありません。 *52

いったい、いつまで、わたしは、わたしの、裔の子らの、血と肉を喰らいながら、
この曠野を彷徨いつづけなければならないのですか。

お、おお、神よ、神よ、
血、血と、血、血、血と、血が、血と、血が、、
血が、血と、血が、血がっ、
血が、
あ、ああ、
血と、血が、血が、わたしを、
血、血と、血、血と、血が、わたしを、を、狂わせた。た。た。
あ、ああ、哀れなる、わが頭(こうべ)、妖しくも、狂いたり。
哀れなる、わが魂(こころ)、麻のごと、乱れたり。 *53
血、血と、血を、血、血と、血を、
血を、見ているだけで、わたしは酔う。 *54
寸々に切り裂き、切り刻み、血、血を浴び、血にまみれて、
て、血、血を浴び、血まみれになることが、わたしの悦びとなった。た。
あ、ああ、あの噴き零れる臓腑(はらわた)、
あの温もりと滑り、
あ、あの、
温もりと、滑りと、重みが、
わたしの、わたしの狂った魂(こころ)の、唯一、ただひとつの慰めであった。った。
あ、ああ、わたしの目に光り耀く美しい少年たちよ。
目に光り耀く美しい少女たちよ。
その姿を目にしただけで、
わたしの魂(こころ)は、火の前の蝋燭のようにとろけてしまい、 *55
その躯を抱けば、わたしの情欲は、まるで茨の火のように燃え上がった。 *56
あ、ああ、華漁(はなあさ)り、華戯(はなあざ)り、
寸々に切り裂き、切り刻み、生き剥ぎ、逆剥ぎ、生き膚断ち、
血、血まみれの肉叢(ししむら)、肉塊、肉の塊が、わたしの病んだ魂(こころ)を慰めた。た。

見澄ますと、
石を投げれば、とどくほどにも離れたところに、 *57
樹葬されたばかりの美しい少年が立っていた。
立ちしなう美しい少年の美しい裸体、
目をつむったその美しい少年の目耀(まかよ)ふ美しさ、
その美しい少年の美しい半身には、どんなに小さな傷跡もなく、
腫れ物の痕もなく、雀斑もなく、黒子さえもなかった。た。
だが、その樹体は、無花果の甘い馨りを芳っていた。 *58
その半身は、擬(まが)うことなき果樹のそれ、無花果の樹そのものだった。
その頬は、芳しい花の床のように馨りを放ち、その唇は、
百合の花のようで、没薬の液を滴らす。 *59
その躯を抱きしめ、その唇に、わたしの唇を重ね、
その舌先を吸い、その甘い唾液を啜った。
その甘い唾液は、なめらかに流れ下る良き葡萄酒のように、
わたしの唇と歯の上を滑っていった。 *60
その臀(いさらい)、臀(いしき)の膚肉(ふにく)は柔らかく、その窪みは深かった。
花瓣の夢を見ながら、わたしは愛撫した。
わたしの堅い指は、その花瓣を解(ほぐ)そうとし、
その柔らかな花瓣は、わたしの指を包み込もうとした。
蕊(しべ)に触れると(ふれ、ると)、花瓣が指先に纏わりついてきた。
わたしの(わた、しの)堅い指は、その花瓣と蕊(しべ)と戯れた。た。
脹ら脛にできた瘡蓋に似た褐色の樹皮を毟り剥がすと、と、
生肉色の樹肉から、赤黒い地が流れ落ちた。
微かに動く瞼(目(ま)蓋)、
幽かに歪む口の端。
手に力を入れて陰茎をつかみ、
黒曜石の小刀で、臍下から胸元まで、一気に切り裂いていった。った。
噴き零れる臓腸(はらわた)はら)わた)、
血、血、血、血と、血、血、血と、地に滲(し)む、血、
さらに、それを切り開いて、わたしは、手を(て、を)入れて、みた。た。


──弟アベルは、どこにいるのか。


あ、ああ、この臓腸(この(はら、わた)の、温もり(ぬく、もり)、


──弟アベルは、どこにいるのか。


開いた唇、ひとすじの血涎れ(ちよだれ)
下垂る臓腸(はらわた)、引き攣り震える躯(から)だ)
それでも、神の似姿、麗しき少年の裸体は少しく傾き(かた、むき)
傾きながらも、目を瞑って、て、立って、いた。

あ、ああ、しかし、またしても、
しかし、またしても、臓腸(はらわた)には、印されてなかった。た。
わが弟アベルの、
アベルの、
の、

お、おお、ついに、手が疲れ、つるぎが手について離れなくなった。った。 *62


──弟アベルは、どこにいるのか。


お、おお、神よ、神よ、
すべて、あなたが命じられた命令のとおりにいたしました。
わたしは、あなたの命令に背かず、また、それを忘れませんでした。 *63


──弟アベルは、どこにいるのか。


お、おお、神よ、
神よ、すべての樹体は尽きました。
その夥しい数の樹体は、みな、私の手が葬(はふ)りました。
残ったものはひとりもなく、ひとりも逃れたものはありません。 *64 *65
わたしの背後、わたしの道は、
骨、骨、骨、
と、
血、血と、血、血、血と、血の足跡で、満ちている。る。る。 *66

お、おお、神よ、わが救いの神よ、
血を流した罪から、わたしを助け出してください。

神よ、御心ならば、わたしをお救いください。
すみやかに、わたしをお助けください。 *67


──弟アベルは、どこにいるのか。


お、おお、わが神、わが神、
なにゆえ、わたしを棄てられるのですか。
なにゆえ、遠く離れて、わたしを助けず、
わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。 *68

お、おお、神よ、神よ、……、

おっ、おお、
いま霊が、わたしの顔の前をすぎた。 *69
った。

お、おお、
ついに、主が、主が、
主なる神が、つむじ風の中から、わたしにこたえられた。

「わたしの言葉は成就する。 *70
 人を殺して、その血を身に負う者は、死ぬまで逃れ人である。 *71
 いま、あなたの終わりがきた。あなたの最後の運命がきた。 *72 *73
 人の子よ、立ち上がれ、わたしは、あなたに語ろう。 *74
 屠(ほふ)られた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、栄光と、
 賛美とを受けるにふさわしい。 *75
 あなたの弟アベルが、これである。
 あなたの弟アベルは、人類最初の殉教者である。 *76
 人の子よ、わたしは、これをこさせる。 *77
 先にあったことは、また後にもある、
 先になされたことは、また後にもなされる。 *78
 あなたの弟アベルが、兄であるあなたカインに殺されたように、
 後の世に、その不信仰な曲がった時代に、 *79
 イエスと呼ばれる男が、ユダという名の男によって、つるぎに渡される。 *80
 彼もまた、あなたと同じように、
 愛することに激しく、憎むことに激しいからだ。
 さあ、ついに終わりの時がきた。
 わたしの言葉は成就する。
 後の世のユダが、腹を裂き、臓腸(はらわた)を地に噴き零すように、 *81
 あなたは、あなたの手について離れなくなったその小刀で、
 あなたの腹を裂き、あなたの臓腸(はらわた)を開きなさい。 *82
 アベルの屍骨(したい)の隠し処とは、あなたの躯である。
 なぜなら、あなたの弟アベルは、兄であるあなたカインの中にあり、
 兄であるあなたカインは、あなたの弟アベルの中にあるからだ。
 それは、あなたの母イヴが、あなたの父アダムの中にあり、
 あなたの父アダムが、あなたの母イヴの中にあるように、
 また、後の世のイエスが、彼の弟子であるユダの中にあり、
 そのユダが、師と仰ぎ、先生と呼ぶイエスの中にあるように。 *83
 さあ、人の子よ、塵に帰りなさい。 *84
 あなたは、塵だから、塵に帰りなさい。 *85
 わたしが、あなたの息を取り去ると、
 あなたは死んで、塵に帰る。 *86
 塵は、もとのように土に帰り、
 霊は、これを授けた神に帰る。 *87
 霊は、わたしから出、
 生命(いのち)の息は、わたしがつくったからである。」 *88

と。

と、

お、おお、神よ、
神よ、見よ、
わたしは、わが腹に刃物を突き刺し、
なお激しい苦しみの中にあって、 *89
わが臓腸(はらわた)を切り裂き、切り開いた。た。 *90
あ、ああ、わが臓腸(はらわた)よ、わが臓腸(はらわた)よ。 *91
その印は、わが額の印と同じもの、同じもの、の、の、
お、おお、神よ、神よ、
神よ、

グロリア・パートリ・エト・フィリオ・エト・スピリトゥイ・サンクト。
シクト・エラト・イン・プリンシピオ・エト・ヌンク・エト・センペル・エト・イン・セクラ・セクロールム。アーメン。 *92

父と、子と、聖霊に、栄えあれ。
初めにありしごとく、いまも、いつも、世々に至るまで。アーメン。












埋骨されなかったフレイズによる 0puscule:The Marks of Cain Reprise。



われは一つの花を慕えど、どの花なるを知らざれば
心悩む。
われはあらゆる花々を眺めて
一つの心臓をさがす
(ハイネ『われは一つの花を』片山敏彦訳)


 *


花のはだかは肉の匂(にお)い
(アポリネール『花のはだか』堀口大學訳)


 *


重い血の枝むら
(高橋睦郎『眠りと犯しと落下と』)


 *


かさなりあった花花のひだを押しわけ
(大岡 信『地下水のように』)


 *


花弁をひらく
(吉増剛造『渋谷で夜明けまで』)


 *


すると、血(ち)がそこから流れでた
(シュトルム『白い薔薇』吉村博次訳)


 *


人間のように血(ち)がしたたる
(吉増剛造『素顔』)


 *


血は血に

血は血に滴たる

あ。
(村山槐多『ある日ぐれ』)


 *


或(あ)る日、花芯(くわしん)が恋しかった。
(津村信夫『臥床』)


 *


死んだ少年のむれ そのいたいたしい
美しいアスパラガス
(吉岡 実『模写──或はクートの絵から』)


鶏頭のやうな手をあげ死んでゆけり
(富沢赤黄男)


 *


おお、樹木よ、お前の樹液は私の血だ!
(シャルル・ヴァン・レルベルグ『私は君たちであり』堀口大學訳)


 *


オトウサンナンカキリコロセ
オカアサンナンカキリコロセ
ミンナキリコロセ
(丸山 薫『病める庭園(には)』)


 *


同じこのような幸福のゆめを
ぼくは見たことがなかったろうか
樹も 花も 接吻も 愛のまなざしも
(ハイネ『同じこのような幸福の』井上正蔵訳)


花よ きみを ぼくの夢に 迎えよう
そこに いろどりさまざまに
歌う 魔法の 茂みに
(ヘッセ『ある少女に』植村敏夫訳)












分骨されたフレイズについて。



*01:阿部謹也が著した『刑吏の社会史──中世ヨーロッパの庶民生活誌』の「第二章・刑罰なき時代・2・処刑の諸相(12)内臓びらき」にある、内臓びらきの刑の図版が、大場正史が著した『西洋拷問刑罰史』の「第九章・異端糾問」に掲載されている「大腸をえぐり出される宗教改革の先駆、聖エラスムス」の図版と同じものであるのは解せないが、いずれにしても、この図版には、きわめて強烈な刺激を受けた。小学生の頃に、岩に鎖で繋がれたプロメーテウスが、二羽の禿鷹に繰り返し腹を切り裂かれ、肝臓を啄まれるという話を読んで、すごく怖い話だと思ったのだが、これに、たしか、白土三平の漫画だと思うが、磔になった罪人の目の玉を、烏がその鋭い嘴で抉り出す場面とが重なって、長い間、頭から離れなかったことを憶えている。いまでは、澁澤龍彦が著した『妖人奇人館』にある「切り裂きジャックの正体」を読んで、これぐらいに丁寧に殺されるなら、ぼくも、殺されたっていいかな、なんて、つい思ってしまうぐらいに、人間が壊れてしまっているのだけれど。ここに、その「切り裂きジャックの正体」の中から、もっとも興味をそそられた部分を引用してみよう。「ケリーは血の海のようになったベッドの上に、全裸で仰向けに寝ていた。右の耳から左の耳まで断ち切られ、首は胴体から離れそうになっていた。耳と鼻がそぎ落され、顔は原型をとどめぬほど切傷だらけであった。上腹部も下腹部も完全に臓腑を抜き取られていて、肝臓が右の腿の上に置かれ、子宮をふくめた下半身も、えぐられていた。壁には血痕が飛び散り、ベッドのわきのテーブルの上に、妙な肉塊が置かれていたが、これはあとで調べてみると、犠牲者の二つの乳房だった。その近くには心臓と腎臓がシンメトリックに並べてあり、壁にかかった額縁には、腸がだらりとぶら下がっていた。」この凄まじい殺し方には、禍々しさとともに、Jack the Ripper の美学への真摯な傾倒が窺われるのではないだろうか。それにしても、このきれいに腑分けされた臓物には、なぜかしら、宗教的な儀式が行われたような印象を受けてしまうのだが、臓物占いでもしたのだろうか。この『The Marks of Cain。』は、直接的には、冒頭に掲げた「内臓びらき」の図版に触発されたものなのだが、澁澤龍彦が著した『黒魔術の手帖』に書かれていた「ジル・ド・レエ侯の肖像」とともに、古代ローマ時代の臓物占いにも、また大いに触発されたものでもある。『夜想5号』の「屍体」特集号で、「屍体芸術」というものが存在していることを知ったのだが、小学生のときに読んだことのある、日野日出志の漫画の繊細な美しさには、遠く及ばないような気がした。日野日出志の漫画は、大事に隠し持っていたのであるが、たしか、小学校六年生のときだったろうか、父に見つかって、一冊残らず、すべて捨てられてしまったという記憶がある。ずいぶん以前のことだが、あの佐川くんに切り刻まれたフランス人女性が、肉片を縫い合わされて、人間の姿に(あくまでも屍体だが)復元された全裸写真を、雑誌で見たことがある。犯されたあと、生殖器から胸部にかけて真一文字に切り裂かれ、腹部から臓腑を引きずり出された中国人娘の写真(南京大虐殺の際のもの)や、アウシュヴィッツなどの強制収容所で行われた拷問や虐殺の記録写真にも触発された。麻酔なしの生体解剖をはじめ、さまざまな人体実験が行われたという。
*02:ヘッセ『飲む人』高橋健二訳。
*03:創世記四・四。
*04:神学的対論『ブリハッド・アーラヌヤカ・ウパニシャッド』第三章・第九節、「(一)まがうことなく人間は/森の主なる樹木さながら/彼のからだの毛は樹葉/彼の皮膚は木の外皮/(二)彼が傷つけられるとき/その皮膚からは血が流れる/木が切られれば外皮から/樹液が流れ出るように/(三)彼の肉は木の辺材/堅いその腱は木質部/骨は樹木の心材であり/髄は木の髄にたとえられる」(服部正明訳)及び、ダンテ『神曲物語』地獄篇・第十三歌、野上素一訳を参照した。
*05:M・M・ペイス『エジプトミイラの話』清水雄次郎訳。臓腑摘出に黒曜石の石刀が用いられた。
*06:雅歌四・三、六・七で、頬の美しさが、ザクロの赤い実にたとえられている。イメージ・シンボル事典によると、ザクロの木は、ディオニュソスの滴り落ちた血から生えたといわれる。民数記の第十三章には、ザクロが、乳と蜜の流れているカナンの地から、ブドウやイチジクとともに、肥沃の象徴として持ち帰られたとある。ザクロは、神からの賜物、或いは、豊饒を表わす聖処女の表象物である。教育社の大百科事典によると、ザクロは、人間の味がするので、鬼子母神への奉納物にされていたという。また、ギリシア神話では、ザクロは、冥府の食べ物とされており、オウィディウスの『変身物語』第五巻の中に、プルートスによって冥界に連れ去られたプロセルピナが、そこにあったザクロの実を七粒食べたために地上界に戻ることができなくなったという話がある。
*07:創世記三・一八。
*08:エゼキエル書二八・二四。
*09:哀歌一・一五。
*10:ロンサール『カッサンドルに』井上究一訳。
*11:エゼキエル書三七・一─二。
*12:哀歌四・八。
*13:創世記四・九。
*14:創世記四・九。
*15:ヨブ記七・一九。
*16:詩篇五四・二。
*17:申命記三二・一。
*18:創世記四・八。
*19:シェイクスピア『ハムレット』第三幕・第三場、大山俊一訳。
*20:創世記四・一四。
*21:創世記四・一六。
*22:創世記四・一七。
*23:創世記四・一八。
*24:ミカ書一・八。
*25:ゼカリヤ書一四・一二。
*26:シェイクスピア『ハムレット』第一幕・第五場、大山俊一訳。
*27:創世記三・一─一五。ヨハネの黙示録一二・九。
*28:詩篇五一・五。
*29:ヨブ記三・一一。
*30:ヨブ記一〇・一八─九。
*31:詩篇五一・一四。
*32:ヨブ記三八・一。
*33:エレミヤ書三〇・一五。
*34:ガラテヤ人への手紙六・七─八。
*35:エゼキエル書三五・六。
*36:エゼキエル書三・一。
*37:エゼキエル書二・八。
*38:ゼカリヤ書一四・一二。
*39:エゼキエル書三六・一四。
*40:シェイクスピア『ハムレット』第三幕・第三場、大山俊一訳。
*41:M・ジョーンズ編『図説・旧約聖書の歴史と文化』左近義慈監修・佐藤陽二訳。
*42:創世記二・一五。
*43:創世記四・二。
*44:創世記四・二。
*45:ヨブ記七・一一。
*46:ホセア書九・一一、「産むことも、はらむことも、/みごもることもなくなる。」より。
*47:詩篇一二七・三。
*48:創世記一・二七。
*49:創世記二・一八。
*50:左近義慈・南部泰孝著『聖書時代の生活 I』。
*51:詩篇九〇・一三。
*52:詩篇三八・三。
*53:ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳。
*54:ラディゲ『柘榴水』堀口大學訳。
*55:ミカ書一・四、詩篇六八・二。
*56:詩篇一一八・一二。
*57:ルカによる福音書二二・四一。
*58:教育社の大百科事典によると、イチジクは、ザクロと同様に、豊饒のシンボルだが、原罪との関わりにより、欲望の象徴(創世記三・七)ともなっている。イメージ・シンボル事典によると、イチジクは両性具有を、イチジクの木は男性を表わしているという。また、イチジクは、バール神への典型的な捧げ物であるといい、ギリシア神話では、ディオニュソスが、冥界の入口にイチジクの木を植えたという。しかし、イチジクの木を、少年の樹体とした最大の理由は、葉をむしると、そのむしり取られた葉柄や葉基といったところから、精液によく似た白濁色の樹液が滲み出てくるからである。干しイチジクは、列王紀二0・七の中に、腫物に効くと書かれている。
*59:雅歌五・一三。
*60:雅歌七・九。
*61:中原中也『雨の日』。
*62:サムエル記下二三・一〇。
*63:申命記二六・一三。
*64:士師記四・一六。
*65:歴代志下二〇・二四。
*66:ホセア書六・八。
*67:詩篇七〇・一。
*68:詩篇二二・一。
*69:ヨブ記四・一五。
*70:エゼキエル書一二・二八。
*71:箴言二八・一七。
*72:エゼキエル書七・三。
*73:エゼキエル書七・一〇。
*74:エゼキエル書二・一。
*75:ヨハネの黙示録五・一二。
*76:創世記三・三、三・八。
*77:エゼキエル書二一・二七。
*78:伝道の書一・九。
*79:マタイによる福音書一七・一七、ルカによる福音書九・四一。
*80:ミカ書六・一四。
*81:使徒行伝一・一六─一九。
*82:ヨブ記一六・一三、「わたしの肝を地に流れ出させられる。」より。
*83:マタイによる福音書二六・二五。
*84:詩篇九〇・三。
*85:創世記三・一九。
*86:詩篇一〇四・二九、「あなたが彼らの息を取り去られると、/彼らは死んで塵に帰る。」より。
*87:伝道の書一二・七。
*88:イザヤ書五七・一六。
*89:ヨブ記六・一0。
*90:大岡 信『地下水のように』、「ぼくはからだをひらく/樹脂の流れる森に向って」より。
*91:エレミヤ書四・一九。
*92:Gloria Patri et Filio et Spiritui Sancto. Sict erat in principio et nunc et semper, et in saecule saeculorum. ラテン語の祈祷文。最後の「アーメン」は、コロスとの唱和。


以上の文献を引用するにあたって、拙作の文脈に合わせて部分的に書き改めたり、書き加えたりしたところがある。


ねじ

  黒崎立体

ひとりじゃないんよ、と言われて
かえり道おなかをさすってた
おろせと言われても聞き入れなかった
そうしてうまれてきたんが
わたしのおにいちゃんです

予定日を過ぎてやっとはじまった陣痛
あんまり痛くって
かんごふさんに水さしを投げつけた
そうしてうまれてきたんが
わたし です

おんなのひとは赤ちゃんをうむと
頭のねじがにほんくらい ふっとぶ
それでちょうどよくおかあさんになれる

破けてしまったおかあちゃんを
おとうちゃんが病院へ連れていった夜
おにいちゃんの布団にもぐって
かみつぶしていた時間にうまれていたんが
わたしの おとうと

おかあちゃんはちょっと
ねじを外しすぎて
のびきったゴムみたい
おとうとばっかり抱きしめている
おかあちゃん呼んでも、心がひもじい

おかあちゃんが病気でたおれて
子宮を取ったと聞いた時
わたしはとてもほっとした
もう、なんにもうまれてこない

おかあちゃん、あとはもう死ぬだけだね


みずうみの、

  田中智章




洞窟の中は星が咲き乱れる秋だった。
呼吸を止めて止めて止めて、それでも息を飲んだ。
鳥が一羽また一羽と、架かっていく。破裂を含むように、孕むように。
断層の線を睨んで、暗い夜に、昼に、頭骨の中に。
指先で引いた蛍光の輪郭でみずうみは、
息をするように潜ったり沈んだり。
そのリズムは秋の一部で、
ゆっくりと落命したり弾けるように笑ったり、
気配のような影を映す。
映して誂うように笑顔。つめたいな、
水面が、そうして冷たい日時計をつくり、
鳥の羽が、いびつな螺旋を描いて、
陽溜まりが水滴となって、
ぽつぽつと道が浮かびあがるなかを、
潜って、泳いでいく、手足の、
化粧が湖底に零れ落ちていて。
 
 
 


スロープタウン

  debaser



この街は、スロープだらけだ、スロープをいくつか通らないとどこにも行けない仕組みになっている、たとえば、スロープを五つ通らないと街のどの場所からも市役所には行くことが出来ないし、市外へ出る駅の中には、百を超えるスロープがあった、だけども五つのスロープを通って市役所に行って、職員になぜこの街にこんなにもスロープがたくさんあるのかを尋ねても明確な答えは得られないだろう、市役所には、市史の編纂室があり、そこは月に一度、市民に公開されている、しかし、そこにはスロープに関する記述を持つ資料はひとつもなかった、市民に公開される編纂室とは別に市役所の建物の地下にも部屋があった、そこに市民には決して公開できない街の秘密が隠されている、スロープもその秘密のひとつだ、という噂もあったが、それを真剣に考えるものはいなかった、なぜなら、この街では、スロープに手すりをつけることが主な市民の仕事であり、市民の生活はスロープの上で成り立っている、日々、市の職員によってスロープは、いたるところに作られる、十分ほど街を歩けば、その間に少なくとも二箇所か三箇所のスロープの工事現場を見ることになるだろう、職員は、白のヘルメットを被り、黙々とスロープを作っている、しかし彼らが作るスロープには手すりがない、手すりをつけるのは、市民の仕事だ、



私の父は、この街で一番腕の立つスロープに手すりをつける技師だった、むろん、腕の立つ技師は父以外にも何人もいたが、わたしの家には父の仕事に対する市からの感謝状がいくつも飾られていた、父は家では無口な人だったが、夕食後、機嫌のいい時などは、わたしに仕事の話をしてくれた、父は自分の仕事に誇りを持っているようだった、わたしの知っているスロープの手すりの多くは、父によって作られていたことを知ったまだ幼かったわたしは、実際にそのスロープを通るたびに、手すりにつかまりながら、いつもよりゆっくりと歩くことにした、そんな仕事熱心な父だったが、家庭のことは母にまかせきりで、それに愛想をつかした母は、他の技師と恋に落ち、家を出て行った、母が出て行く日、父は仕事で留守だったが、家の軒先から表の通りまで緩やかに伸びる父が作ったスロープの手すりを母は一度も触れなかった、わたしは、その時の様子を鮮明に覚えている、



わたしは、市の大学の建築学部に入った、勉強のほとんどはスロープに関するもので、スロープの構造の専門研究はもちろん、都市学におけるスロープ、文学におけるスロープ、教養として多岐にわたるスロープのことをたくさん学んだ、四年生になって初めて、手すりに関する授業が開始する、前期は、教科書を使った座学がほとんどだが、後期になると、学生は、建設会社の研修生として、実際に本物のスロープに手すりをつける作業に携わる、実際の技師の指示を仰ぎ、朝から晩まで働く過酷な研修だが、ここで挫折してしまうと、この街では生きていけないことをみんなわかっているから、誰もが黙々と作業をこなす、作業中に私語を交わすものはいないし、昼の休憩の間も各自、教科書の復習で休む暇もないほどだ、わたしは入学時から、父のせいもあって、気のせいかもしれないが、先生から特別扱いを受けていた、成績は悪くなかったが、研修先は、街で一番大きな建設会社を指定された、そこには成績上位の学生があつまり、技師もみな優秀だった、わたしは、鈴木さんのもとで手すりに関する基本的な実務作業を教わった、鈴木さんはとても優秀な技師だった、わたしが父の娘であることは、事前に聞かされていたらしく、何度か一緒に働いた時の父の仕事ぶりを懐かしそうに話してくれた、父がいなくなってから、父のことを考えることはあまりなくなっていたけど、鈴木さんが話してくれる父のことはもっと聞きたいと思った、



二月になると、卒業制作で学生は忙しくなる、わたしも例外ではなかった、卒業制作は一人でスロープの手すりをつけなければいけない、いくつか建設予定のスロープの中から、わたしは、市の郊外にある個人の邸宅から通りに伸びるそんなに規模の大きくないスロープを選んだ、老夫婦の住む小さな家だったが、今使っている西側にあるスロープの勾配が年老いた体には少しきつくなったという理由で、新しいスロープを東側に作ることになっていた、作業前日の夜、わたしは興奮したのかあまり眠ることができなかった、テレビをつけてスロープに関する映画を途中まで観て、それから有名技師がスロープに関してざっくばらんに語り合うラジオ番組を途中まで聴いて、それでもやはり眠れそうにないので家の外に出た、わたしの家は、高い丘の上に建てられていて、街の様子がくまなく見渡せることができた、わたしがまだ幼いころ、家族三人で時折ここから街を見下ろして、街のスロープに張り巡らされた手すりを眺めていたことを思い出した、わたしは父と母の真ん中で、手すりがなんのためにあって、そしてスロープに呪われてしまったようなこの街の特異について、なにひとつ了解せず、普通の街の普通の家族がそうするように、ただ街を眺めていた、



時計を見ると、朝の四時だった、まだ空は明けていないが、このまま眠ることはもうないだろうと思った、前日、卒業制作に取り掛かることを電話で鈴木さんに報告すると、鈴木さんは、頑張れよ、と言った、電話の向こうから子供の声が聞こえた、この家は、わたし一人には広すぎるし、スロープだってもう今となってはひとつあれば充分だ、部屋に戻って、スロープの教科書をぺらぺらとめくった、頭には何も残らなかった、いや、わたしの頭の中は、他に余計なものが入り込む隙がないほどにスロープのことでいっぱいだった、シャワーを浴び、この街の誰もがそうするようにわたしは黒いヘルメットを被った、新聞配達員がスロープをいきおいよく駆け上ってくる音が聞こえる、わたしは家の外に出た、わたしの目の前に広がるスロープ、父がとりつけた手すり、母がいなくなった日、そして父がいなくなった日、わたしは、なにごともないようにスロープを駆け下りた、朝の日差しが、スロープの半分に影を作った、この街は、スロープだらけだ、スロープをいくつ通っても、どこにも行けない


川沿いの聖堂

  コーリャ

聖堂の夜会に踊りに行こうと、あなた以外の右手が誘い出して、音をたてて破裂した日の名残り。俯かせた顔の影絵。錆びた蛇口みたいに固まった猫が見つめ。
祈りとオリーブ色がまじった夜がゆらめき始まる。

車はやっぱりキャデラック。キャラメルを流したように滑らかな道。速度と光を暴いていく。交差するクラックションはあの4文字みたいにきこえる。性交よりも良いサンドイッチをよこせよ。約束されたタイミングでの笑いが買われる。それでも自分たちは卑しくないと信じながら。夜のもっと深くに。
そんな手振りで漕ぎ出していく。

注ぎ過ぎたコーラの炭酸みたいに、夜会が溢れかえってる。割れたステンドグラスが聖母の顔の輪郭を探している。アルコールで建てられた塔たちはお祭りを囲んで照らす。仮面をつけた男女が入り乱れて新しい色を発明していてる。葡萄畑まで祝祭の火が舞う。口元から零れた色水の数滴が、開かれた白い胸で柔らかに着地する。誰かがなにか叫んでいる。酒盃の縁が薬指で弾かれたら、シンバルが砕ける音がして。魚みたいに泡を吹いて倒れたひと。戯れに尖塔の鐘を突くひと。などをない交ぜにする不吉な音楽の。
糖衣を一枚はがしていくと、便所にこもったままの男がずっと手を洗っている。

友達は知らない女と葡萄畑に消えた。闇の奥を冒険するらしい。どこかで怒声がして、夢の水面から鳥がひとなぎで飛び立つ。欲望の渦潮の中で、みんな自分の感覚にしか興味がなくなる。仮面のかぎられた視界は僕たちの暗やみを寄せる。自分の海に溺れているんだとおもう。塩の味がする夜。掻き傷のついた銅のような笑顔を貼り付けている。僕のなにかがざわつくと。後悔はさざなみのように寄せてくる。海にいきたい。冬の海に、いきたい。砂の城なんかつくって。月の城なんて名づけて。汚れてないことを、汚れないことを。祈って。グラスがまた砕け散る。鳴り止まない水の音。どうしてそこまでして手を洗がなきゃならない?
すこし吐き気がする。

バックヤードはすずやかに闇を呼吸する。ひきのばしたような貧しい川が身を横たえている。白すぎる星の原に風が鳴る。水に、手を、泳がせる。波紋の野火が白光を川面に散らした。ちいさな波を掠めながら静かに消えた。いつのまにか対岸に女の影が立っている。手をひっこめる。僕は立ってそちらを見つめる。相手も僕を見つめる。女はなぜか裸足だった。後ろで誰かが僕の名を呼んでいる。振り返る。誰もいない。また前を向く。女はいなくなっている。彼岸の先では聖堂が灯っている。そして僕の前には。
川が残酷のような姿をして流れている。

俯くと、水とアルコールの混血児が僕の首に手を回してくる。誰かが僕の名を呼んでいる。鼻の奥から麻の匂いがする。僕たちはあやまっていたんだろうか?なごやかにすべてなかったことにする陽の暮れ方や。恥ずかしさをだしぬけに与える夜の訪れ。かみさまに手紙をだしたはずだ。ワイン瓶の中で身を硬くする手紙。かもめの行き先。海岸の最果て。振り向いたときの表情。斜光。
そんなものたちを弄んだ両手が燃えている。

音楽が鳴り止まない。頭のなかに宿した海の。右耳の裏側。汀がいつも鳴っている。そのことにきづいたときから、僕たちは岸辺に閉じ込められていた。長い岸辺。広がる岸のどこにも、やわらかな砂にささったワインボトルなんて生まれない。城なんてないし、しあわせの国もない。波がなにもない浅瀬になじんでいく音をききながら。みとどけながら。燃える両手をどうすることもできず。彼岸の光をみつめながら。僕たちは。
僕たちを繰り返している。

知らない女が戻ってくる(あなたは戻ってこない)僕は冬の海に行こうと女を誘う。
女はひとつくびをかしげ、泳ぐみたいに聖堂へ戻っていった。


公開空地

  DNA

園芸部でも
ないわたくしが
やつれたビニルホース
でぶっぱなした冷水を
ひと月おくれて
のみ干し
てゆく
あの向日葵
に今日、白さの
灰が積もる

すべて
の氷花が
いっせいに枯れ
名に乗る
ことさえ、断念した
晩夏の氾濫

沈んだ校庭の
野っぱら
に寝転んでも
踝まで
は浸かる
だろうから
砂利を描いた
額縁は錆びて
側溝からの
顔に寄り付きはしない

視線だけが
(物質だった)
ただひとつの
(物質だった)
明るさとは縁を切り、反転した眼球のなかに住まう 
湖面から水晶へと乱反射する光は淡く、一握りの灰が呼応していた

呼び 呼ばれているプラタナスの入り口で
十階から見おろした公開空地には 一本の蘇鉄がとり残され 
その実を喰らった兄妹たちが いまも 苦しんでいると聞いた

「誰が最後の石を投げた」

水底の
なかで揺れながら
ふたたび
凍りつき
誰も座ることのなかった
椅子を焼く


宛てられる

  zero

本の続きが読みたいと思ったので
部屋を出て外へ向かう
ポストの裏側に続きは書いてあった
また続きが読みたくなったので
デパートへ行く
エレベーターの壁に続きは書いてあった
(僕だってこんな風に書かれているのだ)

部屋で人を待っていた
その人がやってきたので
慌てて窓から逃げる
今度は林で人を待っていた
その人がやってきたので
見つからないように
林の奥へと入っていく
(僕だってこんな風に待たれているのだ)

食べたいものがいくつもあって
何を食べるか迷ってしまったので
食べたくないものを食べることにする
食べられるものと食べられないものでは
食べられないものの方が好きだ
食べられないものを食べたいのだが
僕には食べる資格がなくて
(僕には消滅する資格もない)

フランスに行きたいと思ったので
フランスがやって来た
ルーヴル美術館は
うまい具合に動いてくれて
僕は部屋の椅子に座ったまま
すべての作品を見ることができた
(僕だってこんな風に動いているのだ)


観覧車に亡命

  コーリャ

私たち逃走していた。かすりきずに錆びついたボディーは、夕日の射光に身包みをはがれ、匂いがするようなレモンの色にそまってしまい、塗装が晴れてしまった下地の部分の、心臓みたいな銀のフレームがばれて、わたしは少し恥ずかしいのだけど、ときどきいたましげな光を散らし、青い草原のコントラストになって、わたしと山とか街とかを、おきざる風でもって、逃がしてていくのは、やっぱり、レモンの色のバイバイ、11月がどうしようもなく似合ってしまうわたしたちの自家用車、その鋭角なウィングでそのまま空をとんでしまおうか、というと、ダッシュボードのなかの虹いろ味のメントスが、かろろ、ころがって、ふきこむ風と唱和し、赤土の地平線をこえるまでもなく、わたしたちは鳥のたぐいで、いわば無敵だった。そんな風物をたたえた、きせつのまなざしを、ねえ、あなたの心臓を、いま停めることで、表現してみようか?排気ガスとすなぼこりがまじった煙幕が魔法みたいにわたしたちの旅路の幕をあけるから、ヘンゼル、わたしたちが向かうばしょでは、水中を遊泳する、ぷらんくとんの大家族みたいに、ちいさな絶望たちが空にわだかまっているのかもしれないけど、光跡を辿ってゆけばわたしたち、故郷にいつでも帰れるんだよね?いじわるな鳥たちは色や光を啄むことはできないんだし。

作文の最後に、おしまい、なんて書いてはいけません、幼稚なことですよ、って先生に言われたのはどれくらい昔のことだったか覚えてないんだけど、そのときの原稿用紙いっぱいにつけられたバツじるし、斜線を引かれた題名はいつでも、わたし覚えていて、それからというもの、わたしはその思想をいつも胸ボタンに掛けていて、おしまい、と言うべきときや書くべきとき、それにふさわしい仕草なんてものの、おしまいのやり方を忘れてしまったので、誕生日とか、夕暮れとか、映画が始まるひと呼吸まえの暗やみ、わざと手放した風船とかを、うまく発音できなくて、たぶん英語が苦手なのも、それが理由で、単語帳にはたくさんの空白があって、綴りがそこにあるだけで、意味が剥落していたから、わたしはいろんなことに絶句で、あるいみ、おしまい、ジ、エンド、ハッピリー、エバー、アフター、なんだろうか、関係ないんだけど、えくすらめーしょん、って呪文みたいだけどいつとなえればいいの?

峠道を追いこしたら、西の海のあたまがみえて、わたしは、落陽のまぶしさをかばったあとに、手のひらで魚をつくり、影絵が水平と夕空のあわいを泳いでいくのです。あれが国だよ、と指した先をみると、レゴで埋めたてた島に、りっばな観覧車があるだけで、王様なんてそこにはいない、きがしたんだけど、だんだん近づくにつれて、橋を超えたり、手づくりのパスポートを提示したりしてるうちに、楽しいテーマソングがながれてきて、わたしたちはわりといろんなことがどうでもよくなって、まばゆい光で、ゆっくりと、夕暮れを攪拌しながら、わたしたちに手をふる、観覧車へ、続く道のりに、情景が吸い込まれていって、あ、わたし、こんなときになんていえばいいんだっけ、って、ウィンドウを下げながらおもったんだけど、変な綴りがたくさん思い浮かぶだけで、まあ、いいや、窓から頭をだして、それをひとつのこらず、ちからいっぱい叫んだのだった。

ていねいにならされた波のうえにいるように、観覧車の箱はゆるやか、スロウに揺すれて、遠い海中に沈んだ電灯の群れ、夕日を手に入れられない海中生物の街に同情している。そしてわたしたちこれからここで暮らしてゆく、って、ちゃんとわかってしまった。王族はシフト制だから、とあなたはいった。これからぼくたちは昇ってゆくのだから高貴に振舞おうよ、たとえ、そののちに逃れられない、下降があろうとも。エンドレスワルツっていうんでしょう、わたくし知っておりましたわ、というと、ちょっと傷ついたように、あなた、わらって、めにみえない王冠をわたしの頭のうえにそうっと載せたので。わたしの、綴れない、あたまの、剥落の中から、ビックリマークが、たくさん、発火、ぷらんくとんみたいに、わたしたちの王室をおよいで、きらきら、きらきら、拍手していた。そんな戴冠式でした。


厨房

  鈴屋


ホールの照明を消し、コック服をスーツに着がえ、厨房に戻る。ショットグラスにウイスキーを注ぎ、一息にあおる。調理台に椅子を引き寄せ座り、一度締めたネクタイをゆるめ、調理台に片肘をつき脚を組む。二杯目は唇を湿らすように啜る。胃が熱い。塩の効いた生ハムを噛む。こうして孤独を周到にととのえる。閉店後のこの男の習慣である。

手入れの行き届いた頭髪と靴。よく似た黒い艶。
白色タイルの壁に囲まれた密室に視線をめぐらしていく。首が遅れてついていく。
ダクトのファンが回っていないので空気が動かない。
冷凍冷蔵庫のモーターがクンッと止まって、いまさら、ノイズに気づく。
庫内の闇で動植物の細胞が静かに死につつある。
荒涼とした地平が望まれる。
調理台、二槽シンク、オーブンレンジ、ズンドウ、ボール、フライパン、レードル、バット、等々。
つねに摩擦を浴びている金属の柔和な輝き。
油の染み、水滴、一点もない。
日々、男は磨いた。
耳を澄ましてみる。沈黙は金属の本領だが、ひじょうに遠い闇の場所でかすかに軋む気配がある。
料理のようなもの、顔のようなもの、女のようなもの、ぶよぶよしたものがきゅうに厭になる。
壁、什器、備品の光りが増していく。それ自体発光し、瞬く。
用途が失せる。反乱を感じる。
首が動かない。
何も考えない。
ということは男によって疑われているが。
赤銅色に鈍く光っている男の顔。幾つかの穴と中央の突起。用途が失せる。
金属、道具、首の宴。あるいは男の喪。
首の内部の砂の飽和と消失。
時間は刻まれているか。
すべては疑われているか。
鳥葬が望まれる。
地平の果て。
ショットグラスが指をすり抜ける。

ランチタイムの白ワイシャツの群れがよぎる。プラットホームの雑踏とキオスクにならぶスポーツ新聞の赤い見出しとオーダーをとおすウエィトレスの思わせぶりな目つきがよぎる。今日一日のカケラが擦り切れた昔になる。男が立ち上がる。これから階段を昇り深夜の舗路に佇み、生臭い夜気を肺いっぱいに吸いこむだろう。人影絶えたビルとビルの狭間を足早に立ち去るだろう。普段のことだが。


  原 健

ふっと水が
そろそろと花弁をひらきはじめたとあなたはいう
膝をゆるく立て畳んだ服にひろがる皺の窪みに顔よせ
髪はふくらみ
身じろぎするたびに光り
そのいろはくちなわのよう
背の高い葦はらが
あなたのあなすえのさきにさかれ川がみえ
水面にいくつも
うつらにみる眼の弧が浮かび
息ざしのあわいを待つまもなく
ささやく
それはくちつきの沫のあらのに似て柔らかい
あらわれてはさらわれるみずからのきざはしを
あなたに
そっとすくう


ハッピー・エンド

  DNA

///軽やかさとは必ずしも乗り越えられる為だけにあるのではなく
黙することそれをひとつの命題としたあなたの背中に躓く/// 


こうして
また、
崩れおちた
口に黒い
布切れ
を被せ 冬の
街路に
棄てられた
喉もとから
ひとつひとつ
半透明の
物体
を叩き
おとし 
鈍く
反響する、
石ころ
の内側 
出合い
そびれた宇宙の
欠片と
通信する
手だて 

ここからさき、
叫ぶこと
は封じられ 
小さな
守り手たちが
指と指とを重ね
合わせ
暗い
季節の到来を祈る 
微かに
ひかりゆく、あの
錆びた
砂漠の
ほうへと
足は
埋められ 
発芽する
躊躇いを
胸に抱く
それでも
なお 
白い
ひかりの
末路を
追って
帰り道
出くわした
花々で
満ちる
通信機の

いま、ここで
薫って
いる


一番星

  山人

汗ばんだシャツを背負い
夕暮れを歩く
橙色の入道雲が
薄闇に沈みかけた蒼い空に黄昏ている

少しむっとしたアスファルト
鬱血した時が、俄かに開放されようとしていた
沈静が流れはじめる
一日が裏返り
闇にもたれようとしていた

一つ星が
私をみつめている

遠い年月の井戸
忙殺された狭間で
奈落の肉が熱を帯び
毛細をつくる
氷の言葉が延髄を通り、
掻かれた。
その亡骸が
一番星となって
一人瞬いている
救えなかった命
殺した星


部屋の明かりが灯る頃
膨大な蝉の音を連れ
私は闇に狩られる

一番星は
冷たく闇を、私を、貫いた


失語

  

三度目の寝がえりをうった、あんたを尻目に、分厚い本を捲る指先から、言葉が次々と滑り落ち、指落ち、手落ち、こくこくと時間をなでる、その古びた柱時計の中に、午睡がゆるやかに行進するのを、実は見ていたんだなって、そう気付いた時には遅く、頬にあてがわれた掌から、伝わる、体温が、一切を告げる、何かが始まる、何も始まらないかもしれないことも、全部含めて。(あんたは次に俺の手を握る)

手を握り締めて、開いたら、そこには夜が、更けていた、
夜が俺とあんたの顔に翳んで、瞳を、取り出そうとする
やめてと、繰り返しうめく、口から、言葉が夜に、次々と、墜落して
今夜、あんたと俺の手の中であらゆる言葉が重力を忘れる。

捩れる肉体から伝わる、嬌声が瞬間を、更新していく、そんな月並みな物語が、背骨をなぞりつつ、ゆくりなく、夜空に溶けて、絶えていく、もう二度と離さないと、誓った手が、情熱的に、お互いを撫で合う、悲しみの限りを尽くして、寄る辺なく漂う、二つの艀は、これから何度でも訪れるだろう災いを、振り切れるだけの櫂を探した、互いの身体へ、その櫂を探しにいく、俺はあんたを、あんたは俺を、もうすでに、裏切っていたというのに。(あんたは次に俺の手を離す)

離れた、手のひらから、気怠い朝が始まる
言葉たちは、すべて、撃ち落とされてしまった、殺戮の朝に
二人の物語は、ねじを巻かれる、気怠い朝の息吹に、繰り返される無為に、
剥き出しになった殺意を抜かれる
今、再び物語が始まる、終わらなかった、二人のための物語が始まる。

じとじとと、発芽する殺意のない、憎しみが、幼児のように、世界を吸収して、卵割を始める、幼児どもが、わらわらと、二人の裂け目から溢れだす。(あんたは次に、)増えすぎたにくしみが、熟れた柘榴の切り口のように、醜くとも、発話を求めているというのに。(あんたは次に俺の、)腐り切った、幼児どもの口々から、伝わる、臭気を帯びた、吐息が、またの墜落を予告し、朽ちた化石を掘り起こし、わらわらと、わらわらと、増え続ける、その口々から、わらわらと、わらわらと、零れおちては潰えてゆく、声。(あんたは次に俺の手を)掬う、その体温が、腐食して、腐食させ、腐食する。その手を


シナガワ心中

  黒沢



星が、縺れ
ひきつりながら後退していく
瞳の表てに 何かが
写り、
母と呼ばれる無限のそうしつの
暗いどよめき

― 私と貴方は、同じ階段を、べつべつに下りていく。
上空、どれほどの高さだったか。ほそ長い階段が、ぶきように延ばされた飴細工のように、闇を伝い、宙づりの影を縫って、彼方の市街地へと下降している。色とりどりの立体灯火。貴方は途中、何度も足をやすめながら、軌道の向こう、 滲んで見える品川の全景を、しつこく指差した。



もう 此処でいいですか
かあさん やはり違うんです

― 風が、うごく。
予想外の焦点のゆれ。遅れてきしむこの階段を、何時から下りはじめ、いつになったら、私と貴方は辿り終わるのか。それを考えるにつれ、謂れのない疲労を感じた。

此処でいいですか



年老いた彼女は、汚れの目立つ手すりに掴まり、己れの足運びを何度も反芻して、思い返すみたいに、時間をかけて前へ進んだ。

息をのむ近さで、馬や、ラクダや、いて座や、近未来や、有り得ない生きもの達の星座が流れ、右やひだりを遷移していく。母は時折、見えづらいはずの瞳を伏せ、やみ雲に光りを追いかけて、名前を与える。



教えられる、
発話のしかた
事物の名称
世界のふところ
内奥、
ということ

― 父の顔を捜していた。
彼女に聞かされたその投影は、この上空の何処を求めてもない。あれは、ばら色星雲ですか。私の声を受けて、母がかさねる。あれはお前に、ずっと昔にくり返し教えた、にくの欠片。



かあさん やっぱり違うんです

階段は品川の、時代遅れのネオン街に下りたつ。地上で立ち止まると、却ってぐらぐら視線がみだれた。かあさん、少し、よりすぎだよ。

― よりすぎですよ。
パチンコ屋の裏口が見えた。仕事を終えた勤めにんやら、休憩時間の店員やらが、ごみのバケツを覗き込んでいる。電線の向うには、曲りくねった化学照明が吊るされていて、夢の名残りを辺りにばら撒く。かあさん、ここではないですからね、私は先回りした。



明りのなかで見ると、貴方はぞっとするほどの生めいた瞳だ。水の淡いで星が泳いでいて、ゆれやすい生きものを形作る。父ではない、他のにんげんの顔が横切り、私は嫌悪からでなく、怖れのために先を急いだ。地下道にはいる。銀の移動体が通りすぎていく。列車、だったか。

もう 此処ならいいでしょう
未だなのですか
はは、とは
彼女は
呼び名ではなく、



改札では、足もとの覚束なかった彼女が、今では黙って後ろを歩いている。地下道は、線路を伝い、行方のわからない排水溝や、非常経路を縫って、もう暫らく続くのだろう。見しらぬ花が、咲いている。私はそれに言及しない。綻び、きえた風の見取り図。頭上で駅員のアナウンスが、ひずんだマイクで拡大された。

― 暗いどよめき。
終端にきて、地べたのマンホールをずらすと、また、内奥から闇があらわれた。私と貴方のうす寒い目前に、べつの階段があり、それは飴細工のように、ぶきように引き延ばされて、さらに深くへ下降していく。かあさん、未だまだ、終わりはこないようです。



星が、見える
生きものは
かたむき 死滅して
渦を巻いている
無限のそうしつと
発話したのは私だったか だれ、
だったのか

おそらく品川のビル群が見える。遥か足下で、識別灯が、気が遠くなるほどの疎らさ、じれるような間隔で、明滅を続けていた。


ドクターモロダシ島  後編

  大ちゃん

前編までのあらすじ

最悪の毒婦、ばばあの言葉責めにより嬲られた俺は、復讐鬼と化し、
自らのペニスと足首を付け替える改造手術を施した。しかし、
ようやく探し当てた女は、尾羽打ち枯らし、老醜を晒していたのだった・・



               本編


「おビールでも飲みはる。」と                      
ばばあ                          
「うん。」と                            乾杯の後
俺                           彼女は三つ指をついて
なんか調子狂うな                    畳に額をこすり付けた

 
          「今日一日、夫婦の契りを結ばさせていただきます。
          不束者ですが、よろしゅう御願いいたします。」


             だってさ・・・


土下座した後
実に自然なアプローチで
スルスルと
俺のズボンを下ろすと
パンティに手をかけた


          「ちょっと待った、ここは俺じゃないと。」 

     
彼女のリードに
任せていたんじゃ
何の為の復讐劇だか
判んなくなっちゃう                         そ れ っ


             ばばあは少し仰け反っただけ

             
         「あ足首ですか、OK・OKやで、いける、いける。
          親指がペニスなのかしら?分かった、じゃぁ、
          ここフェラするわな。」


総入れ歯をはずし                        こそばいような
半分ビールの残った                     良い気持ちのような
コップに投げ入れた後                   むかし高校の池の鯉に
俺のアンクルサムを                  足の指を吸わせていたのを
パクってくわえた                        想い出していた


            とろける様なファンタイム
            今 過ぎて行きます
            ああ ここは
            天国に一番近い島 
   

                           ばばあはフェラをやめると
                               従順な犬のように
                                 仰向けになり
                                ベットベットに
                              ローションを塗った
                             性器を剥き出しにした


          「どうぞ、カムインや!」


ついに来たリベンジの時                            
おれはやる
やってやるぞ
前戯などはお構い無しだ                                                                                                         
                           ウラミハラサデオクベキか
                               いざ つかまつる
                                ジャンケンポン     
                                          
           足指じゃんけんはグーの形で
           いきなりインサートした
           ズボズボって音を立て
           一気に踵まで入って行く
           休まずにじゃんけんはグーとパーを
           交互に繰り出していた
               

ああ良い按配だ                          冒険だったが
今までは                          バックにも挑戦した
素股だかなんだか                        彼女を回転させ
ワカラナかったのが                     背後から腕をまわし
嘘みたいなグリップ力                   干し葡萄を摘みながら
やっぱり俺                         高速でピストンした
オペして良かったかも


             はずれない
             外れないよ
             いくら試しても
             すぐに外れていたバック
             それがどうだい
             自由自在だ


プレイ中の彼女                     「大丈夫。」って聞くと
死にかけの猫みたいに              「あんさん、気持ひウィ〜〜。」
グーって唸っていた                     嗚咽を漏らしている
痛いのかな?                       どうやら俺の取越苦労


             しかし 
             ちょっと待って
             俺 今
             大人の女性を
             満足させている?
             こうなったら絶対
             イかせてみたい


             もう少しだハニー
             最後の体位は決めてある
             人類49番目のラーゲ
             究極奥義その名も
             ヨ シ ム ラ


老女体をもう一度                      さらに彼女の身体を
180度回転させ                   ややリクライニングさせた後
こちら向きに騎上位にし                俺はベンチプレスのように
仰向けになった俺の               荒々しくその両足首を掴み挙げた
曲げた膝の上に                            今ここに
手を付かせた                       ヨシムラは完成を見る


                                
             高射砲の強度で下方から
             白髪混じりの陰部めがけ
             何度も腰を振り続けた
             「タカイ、タカーイ。」
                                               
                         
ゾンビみたいに
白目をむいている彼女の
だらしなく開いた口から
次々に涎が流れ落ち
キラキラと輝いていた


             つま先までタトゥーを入れた足が
             俺の気まぐれ次第で
             閉じたり開いたりしているのは
             まるで孔雀の羽根


俺は今このヨシムラで
霊鳥と化した彼女を
涅槃の神々への贄とするのだ


             カーム
             限界点が見えた
             往こう一緒に
             好きだ
             好きだ
             好きだ


         エンジェルズ カーム, ウイアー ヒィィィアー

    
             暗黒が訪れた





波止場への帰り道
二人寄り添って歩いた


「ねぇ、ハニー、質問があるの。         「実はな、若い時分、レズ仲間に
どうしてあんなにズッポリ、巨足を        尼サンがおっての、その娘の頭を
入れることが出来たの?」            入れていたんや。せやからあんさ
                        んのは、わて史上2番目かな。」


             100%解(ゲ)シュタポ


思うに彼女
腕の良い女王様だったのだろう
何人のM男達に
至福の時を与えてきたのか


             しかし寄る年波には勝てず
             思うようなプレイが
             出来なくなった頃
             心に1匹のマムシを
             飼うようになった
             プライドという名の
             えげつない神経毒を持った


                          そんな時とても不幸な事だが
                         ピュアだった俺は彼女と出会い
                      完膚なきまでに地獄に突き落とされた


その後は
彼女自身も
転がり落ちるように
風俗の奈落に
沈み込んで行った


             風俗に慣れているから
             風俗でしか働けないから
             そしてやっぱり
             風俗が好きだから
             生きる為に
             生き残る為に 
             プライドすら
             かなぐり捨てたのだろう


                               ああ哀れなおんな
                                    そして
                              なんて哀れなこの俺


彼女は下垂した瞼の奥から
ぼろぼろと涙を流し
こう言った


          「あんさん堪忍やで、うちがあんなこと言わなんだら、
          こんな身体には・う・う・。」


気付いていたのか
でも
もう良い
もう良いんだよ


             おしゃぶりな口をKISSで塞いだ


さっきのプレイだって
ただ
気持ち良いだけじゃなかった
恐かったし
しんどかっただろう
だけどじっと
我慢していてくれたね


             息も歯茎も
             もう何もかも
             臭かったけど
             愛しくて
             愛しくて
             舌を絡ませ
             チュウチュウと
             吸い上げた


          「君に、取って置いて貰いたい。」


俺はミイラになった
足の親指を差し出した


                                 彼女はそれを
                              ティッシュに包むと
                             シワシワの胸の谷間に
                                捻じ込みながら


         「肌身離さず持っています。火葬される時も一緒やで。」

おお!
ディア・グランマ
その心意気や良し


             今の貴女は性格美人
             愛され度200%の
             ダーリンウーマンだ



船の上から俺は
小さくなっていく彼女に
千切れんばかりに
手を振っていた


                                 さよなら俺の
                                伊豆の踊り子よ
                              (MIE県だけど)
                            もう逢う事もないだろう


           「俺達、良いSEXが出来たね。」





エピローグ


あれから男としての
自信を手に入れた俺
それなりに順風満帆


             おもしろ半分
             You tubeに投稿した
             股間の巨足で
             サッカーボールを
             リフティングしている
             セミヌード動画が超受け


                               見る見る火が付き
                         その道の指南書「JUON」の
                              カリスマ読モとなり
                      「呪怨スーパーボーイ」にも選ばれた


最近ではTVにも進出し
お茶の間のサポーター達からは
「魔羅ドーナ」と呼ばれている


             プライベートのほうも
             ぬらりひょんガールの
             「貞子ちゃん」と
             ヨシムラできそうな
             良い雰囲気だ

 
                                    だけど
                                一つ難を言えば
                                  あの日以来
                               ジョニーの指の間
                         ジュクジュクの水虫が治らない


             ふふふ
             まったく
             あのババアって奴は
             いったい・・・



                   完






参考文献

女がたまらずヨガリ泣く、SEX新体位「ヨシムラ」驚異のアクメパワー
週間大衆2010年11月29日号

ポーの一族 小鳥の巣   萩尾望都著


田へ

  WHM

わァじゃわめぐ、じゃわァじゃわァするじゃ、
なァ、がァどごさいだっきゃ、どごさ、



ざらついてたから、月面に触れるみたいな胸の空砲とか、とてつもない熱風に遠ざけられてく無数の、

名前も知らない、小さく小さくひび割れてくときのからだのさざめき、

いずれ遠くの後ろの方から近づいてくる擦音も、街頭に引き延ばされた髪の歳月に寄り添いながら、耳元でふるえる装飾具を連れ、鳴らして、

手をひいて歩く、地面が目を覚まして急に起き上がる、朝でもないのに、ひんやりとうなじの辺りを、ゆっくり逆撫でていく、動物の感触に、尖った嗅覚が、脳髄を通り抜け、べろりとはみ出した舌先から、熱のかたまり、

月、

月面から、光に濡れる、浮遊する瞳たち、いくつもの、地上で姿勢を低くするものたちが、瞬間、いっせいに襲来する、草藪に千の虫が湧き、いっせいに北上する、走る足の親指から破裂、破裂の、掻き乱れ隆起する皺が、祖母のからだを北上していく、

点々とした染みが、地平線上を、一群の象の群れになり、幾度も踏み潰された記憶の皮膚から、大きな大きな耳を揺らして、長い鼻から、水浴びでもするように、水しぶきが舞い上がる、いくつもに飛び散って、たとえ砂のようになっても、もう誰ひとり消えてなくなるな



わたし帰る場所がない。帰る場所がないのに、帰りたい場所があるから、あるような気がするから、お母さんにごめんなさいと言わなくちゃ。言わなくちゃって口ごもって、地球が無数に太陽を身ごもって、朝、目玉焼きを、冷蔵庫に並べられたパックの中から、卵と卵を、エプロンしながら、おはよう、おはよう、おはよう、



ガードレールを越え聳えかかるような山林のなかを一時間ほど走ると、その家はある。くねくねとした道沿いにぽつ、ぽつと、民家が点在し。方々に生い茂る手つかずの草むらに隠れ、ひっそりと渓流が。川のわきには、風呂敷ほどの田畑が様々に広がり。いい時分には、その中にぽつんと、青いつなぎを着た人が見える。おーい。色褪せてくたびれた帽子の。こんな山地じゃ誰がほんとうに生きてるか死んでるかなんてわからない。ガラス越しに見えるあのフィギュアみたいな人も、見えない汗をからだに浮かべてる。生きていれば、何だって、同じように。

ハンドルを切って角を曲がり、ドアを開いて車から降りる。玄関を開け、色褪せたつなぎが壁に静かに垂れ下がっている。ここには涙がいくつあっても足らない。


自己満足

  中田満帆




太った聖者 2007

 たんさんの夜を踏み
 救い上げるべきなにを探してゐた
 黒い点のあつまりとかさなりをよけ
 旧国道のしずまりをゆく

 なにかに奪われたくて
 なにかを奪いたくて
 やはらかいカーヴに乗り
 手のひらが足もとへ落ちる
 たやすく慰みが欲しくて
 小さな秋めがけて

  求めるものはあてつも
  信じるものはなく
  閉じた門口に立つては
  だれもいない庭にベールの女を見ようとした  
  こころのうちでひどく犯しながら

 救い上げるべきを見つけられない
 駅の裏道をたぐり寄せて
 ひとりだれかを欲したが
 降りてきたのはとても太つた聖者で
 薄暗い笑みのなか手のひらをさしだした
 なにももつてゐないから
 かれの過ぎるのをぢつと待つてゐた

  これだけを願う
  木のようなひと
  あるいは人のような木が見たいと


広告
  (平成22年11月2日「産経新聞」夕刊、第三文明および文芸社の広告より)


 つまらない室の
 まつたくつまらない夜
 ふたつの新聞広告を見ていて
 それもくだらない
 ことなのに眠れないあたま
 が長い時間を与えられたために
 考えさせられる
 たとえばこれ──


     人類にとって「善」とはなにか──鈴木光司


 少なくともそれは
 かれの小説ではないし
 おれのへたくそな詩でもないし
 第三文明でも
 非営利のあつまりでもない
 ましてやひとびとのふところから
 金銭を差しださせ
 考えることを忘れさせてしまう新興宗教
 では決してない
 信じるものをなにももたず
 うたぐることで生きすすめてきた
 おれにはまずもって
 じんるいも
 ぜんも
 えそらごと
 にすぎない
 つぎにこれ──


   成熟社会を生きる知恵と技術を学ぶ──藤原和博


 成熟そのものが遠く
 まぼろしのなかにあるというのに
 おそらくその知恵は地図にないところの
 森林でいまその果をひらいていることだろう
 そしてその技術は見なれない路上を夜風
 によって運ばれるゆきだおれのかばね
 があみだしているさなかだろう
 いつたいそんなものをかれは
 いつどこで学ぼうというのか
 おれには見当もつかない──


   報道の自由とメディアの倫理──なぜ今問われる?


 どこの覘き魔も
 どんな変態も
 あらゆる偏執狂も
 テレビとインターネットの見過ぎ
 でばかになってしまったしまりのないひとびとも
 金銭を舌で味わう政治屋さんや
 ふしぎな法人の餌にされ
 際限なく喰いもの
 にされていれば
 報道もその自由も
 とうの昔しにかれらの手のうち
 ささいな事故と事件を主食に決定され
 だれもかもが知らないうちに視覚や声帯を奪われる
 倫理というなまえの男たちは
 その食の量や質を整
 えるときだけ室からでてひとびと
 のうちへ侵入するのだ
 かれらがもっとも嫌うのは
 いくら魂しいを穢されても
 かおを醜く改変されても
 生きようとする非情なる幻視者だ
 窓の額縁をむこうにして
 まず犬がはじけ
 つぎに猫が切り裂かれ
 鳥たちが羽をもぎとられるとき
 幻視者たちはすばやく莨火を合図
 にしてだれもいなくなつた怒りの町へ
 警告の光りを熾す
 おれは深夜、
 その距離を確かめて
 はノートのうえに記録 
 しつづけてやめない
 つよい吐き気や
 揺れるような寒さ
 のなかで同行するものが
 だれひとりいなくとも
 決してやめない
 さてつづくは──


   期待に応える仕事を──エド・はるみ

 
 もはや喪われてしまった年月や
 欲しくてたまらなかった世界の
 そのちんぷさに気づかない
 かの女は即席の美談や消費期限の短すぎる自身
 によつて檻にされている哀しみの古壁だ
 無芸と芸をとりちがえ
 手遅れのひとびとのあまたが
 かの女のほかに何万人と控えている
 そんなひとを視界に確かめるとおれ
 はその視線をかならず絶つてしまう
 心あるだれかがいつかれらへバラッド
 を奏でるのか──おれは
 期待しすぎて朝を生きられない
 時間が速度をあげてゆく──


   ヨーロッパ統合の精神的源流──池田大作、S・ナポレオン


 あの大陸にいる白いひとびとが
 時間と金と益をかけて手を組んだだけなのに
 なぜだれもがさもすばらしいと拍手するのか
 おそらくこのふたりの山師たちがその
 解答欄を世界から隠しつづけているにちがいない
 ひとびとは同じような病衣を着せられて
 この生を均しい落差をもつて
 存在させられている
 だれかはだれかを殺させ
 だれかはだれかに眩むような
 灯りをあてているが
 あらゆるひとが本当に脱ぐべきは
 犯意でも悪意でも尿意でも
 ねたむでもうたぐりでもにくしみでもなく
 かれらのような連中が無料配布している
 あたらしく光沢のある病衣だ
 夜の幻視者たちはこの衣を検査
 して力づよい口笛をながく吹くだろう
 しかし山師たちも衣の改訂に砂粒ひとつの
 余念だつてなく蓄えた脂肪を抱いて
 すべてのものを統合しようと
 楽しそうに企んでいるところだ
 疲れたおれの窪みへ
 温く水分が伝ってくる
 だれかの涕が送信されてきたのか
 もうじき終わりが始まる──


   あなたも世界大統領──伊藤浩明
   「ヒトラーが悪なら戦争を止めろ!
   人類はそんなこともできないのか?」
   世界平和の鍵は卍にある


 たったひとりによって成立
 する歴史などはない
 だれもが抱いていた理想
 を協力しあいながらつくり
 あげたひとびとがいただけだ
 これは売りものにされてしまった物語
 のほんの、裏返しとほころび
 無知なおれにいわせるとあれは
 白を名乗るひとびうとのうちわもめ
 せかいはくず入れのようで
 だいとうりょうは病原体の一種
 へいわは呑んだくれのとても臭う息で
 まんぢはあなたの安物の首飾り
 とてもお似合いです──


   どんなことからも大好転──池田志柳
   今すぐ人生を好転させる秘訣とは?
   苦難から脱出できた事例も多数紹介

 
 だれも歩こうとしない路次
 をおれは通ってきたというのに
 遠い視界を過ぎていく群れ
 はどれもおなじく陽に晒された表通り
 をひとつの固体みせて過ぎてゆくばかりだ
 そこからあぶれまいと互いにさまたげあい
 ながらあくまで情が通っているように
 信じこまされているひとたち
 それを完全への近道
 と信じてうたぐりもしない
 ほんとうに好転を跳ぶもの
 は蠅群のなかのかばねのように
 入るところも出るところも
 わからない経路のうちにいる
 おれはもうそこを捨てて
 光りを喪わせることは
 したくない──


   妖精を探しに──さち よつは
   愛の悲劇的側面を象徴する魂の深淵からの、
   絶叫が聞こえる、第一詩集


 もはやなにをいっている
 のかもおれにはわからない
 ようせいもひげきもたましいの深淵
 もとうに消えてしまったものだ
 そこに遺されたのは骨組みですら
 ないのにこのひとは砂糖と着色料
 をぶちまけてきれいごとに酔うのか
 おそらくその酔いを強めようと
 著しているのだろう
 かの女の言の葉
 には見てくれのいい幽霊
 たちが漂っているのだろう
 おれだってそのたぐいなのだが──

 
   本と出合う幸福なひとときは文芸社から──


 たしかに出会いは幸福
 かも知れないがおれはどちらかといえば不幸
 を撰びだしたいのが本音だ
 本のなかに地獄や孤立があれば
 そこに浸って身を焦がしつつ眼 
 を研いでいたい
 書店や図書館の昏さにかおをうずめ
 血や脂の温さを紙のうえに滴らせること
 それにしても今夜も眠れないようだ
 朝をまぢかにひかえて夜
 は息づいてやまない──だから 
 光りつづけよ
 灯火よ
 月よ
 インキよ
 おれの戸口に立ったままの男よ、おやすみはいわない。


ぼくは小説家になろうかと思った 2010

 夜遅く
 窓づたいにネオンがやってくる
 とてもいやらしい色をして
 ぼくの蒲団をめくる
 女がいないやつは
 人間でないものに
 女を見出すしかない
 七色に羽ばたく鳥のつばさに
 魂しいを預けた

 翌朝
 だれもいない裏通り
 だれかのげろを鳥が啄ばんでいて
 裏町の物語、
 その仕組みについて
 鳥語で明かしていた
 ぼくはかげという通訳をつかい
 おぼろげながら意味をとる
 虚無の殺されたあたりを
 ゆっくりと歩き
 ぼくは小説家になろうかと思った
 灯りがついていたって人間の室とはかぎらない


即興詩 2011.11

  ふるい灰のような、
          埃りのようなものが光りのあいまに浮かぶ
  それらをからだにこりつけながら横たわり
  そうして立ちながらもいくばくかの聖さと
  なにがしかの技量を得て
  それらとともに終わりを待ったあと
  だれかといっしょに救貧院を放たれて手配師に連れられた
  どこか中部でみな食事代をもらうとばらばらになってとんこ
  だれもいないところを遁れ
  建物のまえを通りかかる
   そんなところでかつて
   配達夫だったことがあった
   あまり早くはない朝どき 
   老局員が機械から零れたものを手でよりわけ
   それを横目しながら発車口へでる
   たやすい区画を任されていたというのに遅くまでくばり終えなかった
   かくれてだれかの吸い殻を手にするあいまにロッカーに水が注がれれば
   就業になった
   どっかで桃の匂いがしてる

 通りで眠っているちにもちものを失う
 残ったやつでペンと履歴書を手にするも
 どのようなものにも受け入れられない 
 すべてに縁のないことをいまさらながら覚って
 ただなにもかもに遠ざかる
 すっかりあてもなくなっては家へ帰える
 職も探さずにねむりにつき 
 夜ふけては父とやりあい
 いつも負かされた

 しばらくしたら、
        ふたたび文なしのままでていく
  手に入れれるのはかげだ
  男のようなものや女のようなものや子供のようなものがどこへでも歩む
  それらはかげを通って
  かげのうちで失せ
  だれかがしゃべるのが聞える
   おれだってだれかに好かれたい 
   生きてるうち?
   死んだあと?
   ふたたびノートのまえに戻るまで
   それらを憶えておこうか
   おたわごとでもいいからな

      まだかげが火照ってる


ロマンス

  右肩

 ロマンは傷を負っている。縦長の深い亀裂から赤黒い内奥を見せ、不規則な感覚で汚れた血を吹き上げてくる。そういう経験的な事実をすべて承知しながら、僕も周りの誰彼も、溺れてあがく人のように何かを求める。「何か」に正体はないのだから、僕は無音のうちに展開する精神的な動作の経緯そのものを冒険と呼ぶほかはない。
 だから、こうして僕がスーパーの棚から卵のパックを取り下ろす行為も確固としてロマンである。ロマンでしかない、たとえ卵が一ダースの絶望であると考えるにしてもだ。そうに違いない。それは滑らかな白い光沢を持った絶望で、食せば美味でありセックスと家族の味がする。そして僕が、今手に取ったこの一群の卵の殻を割り、冬光の中で輪郭を保ったまま微細に揺らめく白身と黄身の総体を食する、ということはもうない。二度とない。僕はロマンを演じながら実は死へつながるロマンの、一直線の軌道から脱輪し、転覆してしまっている、そういう人間だからだ。
 血は乾いているけれど、数時間前に誤って切った左掌の、その傷が痛い。卵の入った透明なプラスチックケースを、バスケットの中の入浴剤と歯ブラシの間に置いたあと、しばらく傷口を見つめている。その間、感覚的にずいぶん長い時間、僕と、僕がいるのと同じ通路に立つ四人、それぞればらばらな間隔で立つばらばらな存在の男性二人と女性三人が、それぞれのポーズで立ったまま動かないでいたのだった。複数の肉体が同じタイミングで静かに動きを止めている、という非常に希な現象が、なんの含意もなく唐突に成立した。こんなことに僕は驚いてしまっている。
 この五つの主体を一〜二メートルの線分で繋ぐと五芒星が現れるか、というとそんなこともない。不揃いな線形が雑に交錯し、視界から進入して僕の心臓を包む薄膜を掻きむしるだけだ。そこに浅い傷が交錯して走る。その傷もむろん五芒星ではない。なおも掻きむしろうとする。
 程なく僕らは動き始める。僕の背後を横切り卵の棚の向こうにある精肉のコーナーへとゆっくり移動していく女、女の骨格を持った抽象がいつの間にか換骨奪胎され変換され革命され転覆され吊し上げられてもの寂しく寒い。それが向こうで寒々と豚バラ肉のパッケージを手に取っているらしい。
 一方男は身体をするする伸ばして伸びきってほぐれ始め、さっさと一本のテープになって躍り上がり、天井付近を走る配管に巻き付いてからきゅるきゅると縮んで短い包帯に、つまり病夜の胸苦しい思い出になる。思い出はちょっと中空を仰ぎ見てから鼻を啜り、「焼き肉のタレ」の瓶をつかむ。それが僕かも知れない。そう思ってまじまじと男の顔を見るが、どうしても彼は眼球を裏側から押し出すような嫌な痛みの思い出でしかなく、肺が破けるような恐ろしい咳の感覚のフラッシュバックでしかない。結局、とても顔とは言い表せない包帯の切れ端であって、僕自身とは似ても似つかない。
 残りの女性二人については、あっけなく見失ってしまったのだが、その一人が調味料と味噌のコーナーへとフロアを曲がっていく後ろ姿だけがちらっと見えた。赤いダウンのベストを着ていた。肩口からブルーのモヘヤのセーターの袖が覗いている。
 僕は押していたカートのハンドルを静かに離してその場へ置き去りにし、女の後を付けようとして歩き出したはずなのに、実はまったく違った方向、ロウソクと線香と祝儀不祝儀の袋の並んだコーナーへ入り込んでいた。足は止まらず猶も歩く。

 僕は何も買わずにスーパーを出て、とぼとぼと夜の運河沿いの道を歩いた。建物の暗いシルエットの作る平野のスカイライン。寒風は北辰が穿つ天蓋の小穴の向こうから吹きつけ、光に濁る水面を掻き乱しながら自らも乱れる。小さな旋が地上を彷徨い、僕の首周りでは襟がはためく。柔らかいわりに先端の尖った細長い希望が幾筋も流れていて、掃き寄せられたプラタナスの枯れ葉の溜まりに墜落し、消える。顔を上げたら見えるはずの、遠い赤信号の下の交差点を左に渡って僕はマンションの部屋に帰るのだが、もちろんそこにも貧弱な希望が絶えることなく降り注いでいる。それだけだ。傍らを幾台もの車が通りすぎ、僕よりも遙かに先に交差点を通過していく。僕の未来というものは既に誰かが消費している過去である、ということを僕はまた、たちまち理解しようとしている。


フロムS・トゥS

  浪玲遥明

アスファルトで固められた道路を歩いていました。ところどころ罅割れた隙間から洩れる月明かりが、足元を照らしてくれる夜。星空には引力があるので、屋外を歩いていると時々、宙に浮きそうで怖かった。流線形のメロディが映る水たまりで、アメンボがすやすや眠っていました。

立ち止まって目を閉じては、瞼の裏に明日の太陽を探すのですが、何度試しても見つかりません。ただ、画用紙の中で風が吹き、少年が広い草原の中でカマキリと一緒にバッタを探しているだけなのです。太陽が無くても、空は青かった。

それでも歩き続けると、道路の傍らに生えている見たこともない樹の枝から、葉っぱが一枚ペロリと剥がれて、ひらひら舞い落ちながらだんだん赤くなっていくんですね、地面を見るとその樹の周りだけ真っ赤に染まっていました。

(それにしても、星空を見上げる人は星や月に何を期待しているのでしょうか。この間、通りすがりに獅子座をハサミで切ってみると、ライオンと鯨が生まれて、鯨が星屑をすべて飲み込んでしまったので、私の夜空は空っぽです。ようやく星空の引力を心配せずに安心して夜の街を歩くことができそうで、ほっとしています。)

封筒には、草原で吹いていた風と、ライオンの鳴き声、流線形のメロディ、それからアスファルトの隙間から洩れていた月明かりを一緒に入れておきました。今思えばきっと、あの赤に染まりながら舞い落ちた木の葉が明日の太陽だったのですが、掴み損ねた今となってはもうどうしようもありません。しかし、僕はまだ生きています。あなたを愛しています。どうか、忘れないでください。

(そうそう、水たまりは実は海でした。)


眼球を刳り貫き放り投げるバイト

  sample

僕の右手はいつも深爪で
それはバイトの関係上しようがない事で
いつもクッキーの缶の口に貼られた
シールを剥がすのに苦労したり
痒いところに手を伸ばしても
いまいち、こう、快感がなく
ついつい手元にあるペーパーナイフで
ポリポリやるんだけど
たまに、力加減を誤って
痛い目を見たりするんだな。

そもそも僕のバイトってのは
ちょっと特殊で
言ったら、まぁ、夜の仕事なんだけど
僕も一応、学生ですから
昼は真面目に大学の授業受けて
放課後はそれなりにバイトでもして
クラスメイトに飲みに誘われでもしたら
ほどほどに付き合える程度のお金は
持ち合わせていたいなっていつも思ってるから
原付に乗って大久保の雑居ビルの地下にある
ハプニングバーって言って
おかまや露出狂、SMマニアなど
世間的には変態って呼ばれる人たち相手に
酒を出す店に行き
週に二回
多い日でも三回かな
そこの小さなステージの上で
眼球を刳り貫き放り投げるバイトをしています。

詳しく説明すると
そのハプニングバーは夜の十二時を回ると
一時間に一回、いろんな見世物をするわけ
その中の一つとしてあるのが
投げ眼球ショー。
ひとりの人間が舞台に上がり
眼球を一つ刳り貫き
壁に向かって放り投げては拾い
また放り投げる
ただそれだけの奇妙なショーなんだ。
そんな薄気味悪くて、とち狂った見世物を
だれが好き好んで見るのかって思うだろうけど
世の中には、なんでもかんでも
見れるものは見てやろうっていう
灰汁の強い性的嗜好を持つ人が
たくさんいるんです。

投げ眼球。って言う見世物に
歴史なんてあるはずもなく
人口も世界でおよそ十二人
って言われているぐらいのものだから
規則さえなく
そのショーの形態は人それぞれで
この店には僕のほかに
二人の眼球放りがいるんだけど
その内のひとりは昔、
脱サラして小さな劇団に入った末に
たまたま団員に誘われて飲みに来た
この小さなハプニングバーで見た
投げ眼球ショーに魅了されて
翌日の朝には劇団を辞めて
その夜には投げてたっていう
相当な変人で
彼はローマの貴族が着るような
金属製の鎧に森高千里とか
獅子舞にピンク・フロイドとか
衣装とBGMの不和と衝突にポリシーを持った
いちばん集客力のある中年親父なんだ。
噂によると彼の投げる右目は義眼で
いくつもステージ用の眼球を持っているらしい。

もう一人は僕とそれほど年の変わらない
学生の女の子で
彼女のスタイルってのがとても硬派で
音楽は鳴らさずに
その日着てきたTシャツやなんかのまま
ひたすら壁に刳り貫いた眼球を
投げては拾うっていう
スタンダードなもので
彼女の見た目を例えるなら
休み時間に教室の隅でひたすら
少女マンガを描いているような
ちょっと根暗っぽくて、髪に艶のない
垢ぬけない子なんだけど
放り投げた右目を追う左目の眼光の鋭さと
刳り貫かれた右目の空洞の深いコントラストに
妙に惹かれるものがあって
その子が出勤の日は
自分のステージが終わった後も舞台袖に残って
彼女の投げる姿だけは
必ず見てから帰るようにしている。
最近見たステージは二週間前の金曜日で
その日も彼女は
特別なパフォーマンスをすることもなく
いつもどおり数回投げた後
舞台を降りようとしたときに
外国人の客がブラボー!
とかなんとか言ってから
彼女に近寄ってチップにと
一万円札を渡そうとしたとき
何も言わず無表情のまま
眼球を握っていない方の手で
一万円を受け取っていたのを見たときは
ははっ、そこはしっかりしてるんだな。って
初めて彼女の素を見たような気がした。


今夜もあと少しで
僕の眼球投げの出番だ。
それまでの間バーカウンターに座り
爪をやすりで研ぎながら
指をアルコール消毒し
右目を蒸しタオルに包んで温める
こうしておくと少し眼球の弾力がアップして
刳り貫きやすく壁からの跳ね返りも良くなるので
いつも念入りに温めているのだ。
スキンヘッドのバーテンダーの男が僕に話しかける。
「今日は何投?」
僕は答える。
「十二。自己ベスト更新するよ。」
「そうか、がんばれよ。」
「うん。まかして
今日はすごいの見せたげるから。」

まばらな拍手の中、僕の名が呼ばれた。

文学極道

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