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2020年11月分

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* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


詩の日めくり 二〇一九年二月一日─三十一日

  田中宏輔



二〇一九年二月一日 「現代詩集」

集英社から出た『世界の文学』のシリーズ、第37巻の『現代詩集』は、まず学校の図書館で借りて読みました。のちのち、ネットの古書店で買いました。ウィドブロの『赤道儀』など、すばらしい詩篇がどっさり収録されていました。500円で買ったかと思います。送料別で。

二〇一九年二月二日 「Amazon」

これを嗅いだひとは、こんなものも嗅いでいます。
これを噛んだひとは、こんなものも噛んでいます。
これを感じたひとは、こんなものも感じています。

二〇一九年二月三日 「波と彼」

「波のように打ち寄せる。」というところを
「彼のように打ち寄せる。」と読んでしまった。
寄せては返し、返しては寄せる彼。

二〇一九年二月四日 「作品」

今月、文学極道に投稿した2作品が、じっさいの体験をもとにしたものだということに気づくひとはいないかもしれない。ぼくの実体験じゃなくて、ぼくの恋人や友だちやワンナイトラバーの実体験をもとにしたものである。人間とはなんと奇怪な生きものなのであろうか。じゃくじゃくと、そう思いいたる。

二〇一九年二月五日 「俗だけれど」

ジャン・マレーの自伝をブックオフで108円で買う。ジャン・コクトーの詩集未収録詩篇が巻末に数十篇掲載されていて、読んだ記憶がなかったので、買うことに決めた。まだパラ読みだけれど、ジャン・マレー自身の記述の細やかなことに驚く。よい買い物だった。古書店めぐりをしていて、はじめて目にした本なので、その点でも、手に入れられて、うれしかった。

二〇一九年二月六日 「詩は言語の科学である。」

「詩は言語の化学である。」としたら、だめだね。あからさま過ぎるもの。

二〇一九年二月七日 「若美老醜」

若い頃は、年上の人間が、大嫌いだった。齢をとっているということは、醜いことだと思っていた。でも、いまでは、齢をとっていても美しいひとを見ることができるようになった。というか、だれを見ても、ものすごく精密につくられた「もの」、まさしく造物主につくられた「もの」という感じがして、ホームレスのひとがバス停のベンチの上に横になっている姿を見ても、ある種の美的感動を覚えるようになった。朔太郎だったかな、老婆が美しいとか、だんだん美しくなると書いてたと思うけど、むかしは、グロテスクなブラック・ジョークだと思ってた。

二〇一九年二月八日 「あっちゃ〜ん!」

「あっちゃ〜ん!」ときには、「あっちゃ〜ん! あっちゃ〜ん!」と二度呼ぶ声。父親がぼくになにか用事を言いつけるときに、二階の自分の部屋から三階にいるぼくの名前を呼ぶときの声。ずっといやだった。ぞっとした。気ちがいじみた大声。ヒステリックでかん高い声。

二〇一九年二月九日 「ジキルとハイジ」

クスリを飲んだら
ジキル博士がアルプスの少女ハイジになるってのは、どうよ!
スイスにあるアルプスのパン工場でのお話よ
ジャムジャムおじさんが作り変えてくれるのよ
首から上だけハイジで
首から下はイギリス紳士で
首から上は
田舎者の
山娘
ぶっさいくな
女の子なのよ
プフッ
さあ、首をとって
つぎの首を
力を抜いて
さあ、首をとって
つぎの首を
首のドミノ倒しよ
いや
首を抜いて
力のダルマ落としよ
受けは、いまひとつね
プフッ
ジミーちゃん曰く
「それは、ボキャブラリーの垂れ流しなだけや」
ひとはコンポーズされなければならないものだと思います
だって
まあね
ミューズって言われているんですもの
薬用石鹸
ミューウーズゥ〜
きょうの、恋人からのメール
「昨日の京都は暑かったみたいですね。
 今は長野県にいます。
 こっちは昼でも肌寒いです。
 天気は良くて夕焼けがすごく綺麗でした。
 あつすけさんも身体に気をつけて
 お仕事頑張って下さいね。」
でも、ほんまもんの詩はな
コンポーズしなくてもよいものなんや
宇宙に、はじめからあるものなんやから
そう、マハーバーラタに書いてあるわ

二〇一九年二月十日 「実感」

あ、背中のにきび
つぶしてしもた

ささいな事柄を書きつける時間が
一日には必要だ

二〇一九年二月十一日 「彼女は」

彼女は波になってしまった。

彼女は彼になってしまった。

二〇一九年二月十二日 「ウォルター・テヴィス」

ウォルター・テヴィスの短篇「ふるさと遠く」がSFアンソロジー『三分間の宇宙』に含まれていた。わずか3ページ半だ。最新の訳を数か月まえに読んだのだが、40年まえの翻訳で、また読もう。もう、5度目くらいだ。味わい深い傑作だから、よい。それにしても短い。短いヴァージョンだったりしてね。

二〇一九年二月十三日 「ヴァン・ヴォクト」

ヴァン・ヴォクトの『宇宙船ビーグル号』を堀川五条のブックオフで、82円で買った。持ってたはずなのだけど、あらためて自分の部屋の本棚を見てなかったからだ。82円というのは、2月17日で店じまいでということで、80%引きということでだった。一部は読んだ記憶はある。ジュブナイルもので。

二〇一九年二月十四日 「バレンタインチョコ」

きよちゃん、きょうこさん、藤村さんからバレンタインチョコ。

二〇一九年二月十五日 「B級ばっかり」

よく行くレンタルビデオ屋がつぶれたので、山ほどDVDをもらってきた。さきに、若い子たちが、若い男の子たちが有名なものを持って行ったあとなので、ぼくは、あまりもののなかから、ジャケットで選んでいった。ラックとか、椅子とか、カゴとかも持って行っていいよというのでカゴを渡されて、ま、それで、DVDを運んだんだけどね。でも、見るかなあ。ぼくがもらったのはサンプルが多くて、何ていうタイトルか忘れたけど、一枚手にとって見てたら、店員さんが、それ、掘り出し物ですよって、なんでって訊くと、まだレンタルしちゃいけないことになってますからね、だって。ううううん。そんなのわかんないけど、ぜったい、これ、B級じゃんってのが多くて、見たら、笑っちゃうかも。でも、ほんとに怖かったら、やだな。ホラー系のジャケットのもの、たくさんもらったんだけど、怖いから、一人では見れないかも。ヒロくん、近くだったら、いっしょに見れたね。あ、店員さん、「アダルトはいらないんですか?」「SMとかこっちにありますけど」だって。けっきょく、SMも、アダルトももらってない。もらってもよかったのだけれど、どうせ見ないしね。そしたら、若い男の子が、ここ、きょうで店じまいですから、何枚でも持って帰っていいみたいですよって言ってくれて。その男の子、ぼくがゆっくりジャケット見て選んでるのに興味を持ったらしく「みんな、がばっとかごごと持って帰るのに珍しいですね」と言って、さらに、近くにお住まいですかとか、一人暮らしですかとか、笑顔で訊いてくるので、ちょっとドキドキした。前に日知庵で日系オーストラリア人の男の子にひざをぐいぐい押し付けられたときは、うれしかったけど、困った。恋人がいたので。で、きょうの子も、明日はお仕事ですか、とか、早いんですか、とか訊いてきたので、あ、もう帰らなきゃって言って、逃げるようにして帰った。いま、ぼくには、大事な恋人がいるからね。間違いがあっちゃ、いけないもの、笑。あってもいいかなあ。ま、人間のことだもの。あってもいいかな。でも、怖くて帰ってきちゃった。うん。ひさびさに若い男の子から迫られた。違うかな。単にかわったおっさんだから興味を示したのかな。ま、いっか。

二〇一九年二月十六日 「Close To You。」

「おれ、あしたも、きてるかもしれないっす」
「あっちゃん、おれのこと、心配やったん? 」

ごらん

約束をまもったものも
約束をやぶったものも
悲しむことができる。

「おれ、あしたも、きてるかもしれないっす」
「あっちゃん、おれのこと、心配やったん?」

ジュンちゃん
きょうは
むかしのきみと
楽しかったころのこと
思い出して寝るね。
ぼくと同じ山羊座のO型。
きみの誕生日は18日で
ビートたけしといっしょだったね。
きみが
ぼくの部屋のチャイムを鳴らすところから
思い出すね。
ピンポーンって。
ぼくの部屋は二階だったから
きみは
階段をあがってきて
ただそれだけなのに
ひろいオデコに汗かいて
ニコって笑って
うひゃひゃ。
十九歳なのに
頭頂はもうハゲかけてて
ハゲ、メガネ、デブ、ブサイクという
ぼくの理想のタイプやった。

おやすみ。

ジュンちゃんは
見かけは、まるっきりオタクで
俳優の六角精児みたいだったけれど
高校時代はそうとう悪かったみたい。
付き合ってるあいだ
その片鱗が
端々にでてた。
ひとは
見かけと違って
わからないんだよねえ。

二〇一九年二月十七日 「Close To You。」

水にぬらした指で
きみの背中をなぞっていると
電灯の光が反射して
光っていた

たなやん
おれが欲しいのは、言葉やないんや
好きやったら、抱けや

おれ、たなやんのこと
好きやで

うそじゃ
たなやんなんか、好きやない

いっしょにいるとおもろいだけや
一生、いっしょにいたいってわけやないけどな

テーブルの上に
冷たいグラスの露が
こぼれている

何度も
きみの背中に
水にぬらした指で文字を書いていく

首筋がよわかった

ときどき
きみは
噛んでくれって言ってた

ぼくは
きみを後ろから抱きしめて
きみの肩を噛んだ

ヘッセなら
それを存在の秘密と言うだろう

ぼくの指は
けっして書かなかった
愛していると

グラスの氷がぜんぶ溶けて
テーブルの上は水びたしになってしまった

いま、どうしてるんやろか
ぼくが30代で
エイジくんが京大の学生だったときのこと

どうして、人間は
わかれることができるんやろう
つらいのに

それとも
いっしょにいると
つらかったのかな

そうみたいやな
エイジくんの言動をいま振り返ると
ぼくも彼も
ぜんぜん子どもやった
ガキやった

やりなおしができないことが
ぼくたちを
生きた人間にする
そう思うけど
ちと、つらすぎる

二〇一九年二月十八日 「名前を覚えるのが仕事」

日知庵で、お隣になったひと、お名前は竹内満代さん。

二〇一九年二月十九日 「カヴァー」

本は持ってたら、カヴァーをじっくり見れるから好き。これからより齢をとって、どれだけ読み直せるかわからないけれど、持っているというだけで、こころがなごむ。初版のカヴァーがいちばんいいと思う。創元も、ハヤカワも。

二〇一九年二月二十日 「きみや」

いま、きみやから帰ってきた。かわいらしいカップル、長野くんと荒木さんと出会い、イタリア語がしゃべれる遠山さんご夫妻と出会った。人生はめぐり合いだなあと、つくづく思ったきょうだった。遠山さんがイタリア語ができることを知ったのは、たまたま、きみやにイタリア人のカップルが来ていて、遠山さんがイタリア語をしゃべって応対されていたからだ。遠山さん、若いころにイタリアで仕事をなさっていたらしい。流ちょうなイタリア語だった。

二〇一九年二月二十一日 「忘我」

電車のなかで数学の問題を解いていたら、降りるべき駅をとっくに通り過ぎていた。いつも、授業の4、50分前に学校につくようにしているので、なんとか折り返して間に合ったけれど、ぎりぎりだった。ぼくは、問題を解いている間、自分自身が角や辺になって、図形上を動いていたような気がする。このとき、ぼくは、もう人間のぼくではなくて、角そのもの、辺そのものになっていたのだと思う。全行引用詩をつくっているときにも、この忘我の状態は、しばしば訪れる。ところで、ぼくが、ぼくの作品で、ぼくのことを描いているのが、ぼくのことをひとに理解されたいと思っているからだという意見がある。とんでもない誤解である。たくさんの「ぼく」を通して、「ぼく」というもののいわば「ぼく」というもののイデアについて考察しているつもりなのだけれど、そして、その「ぼく」というのは、ぼくの作品の『マールボロ。』のように、「ぼく以外の体験を通したぼく」、「ぼくではないぼく」というものも含めてのさまざまな「ぼく」を通して、イデアとしての「ぼく」を追求しているのに、引用というレトリックも、その有効な文学技法の一つであり、そのことについて、何度も書いているのだけれど、だれひとり、そのことについて言及してくれるひとがいないのには、がっくりしてしまう。それだから、ぼくの作品について、ぼく自身が語らなければならないのだけれど、ぼくの視点からではなく、異なる視点から言及してほしいとも思うのだけれど、そんなに難しいことなんだろうか。

二〇一九年二月二十二日 「ガラ携」

いま日知庵から帰ってきました。きょうも、日知庵におこしくださり、ありがとうございました。ぼくのガラ携には、きていませんでした。機械のことに、うといので、ぼくにはさっぱり理由がわかりませんが、機種によって違うのかもしれませんね。

二〇一九年二月二十三日 「突然、死んだ父が」

突然、死んだ父が、ぼくの布団のなかに入ってきて
添い寝してきたので、びっくりして飛び起きてしまった。

二〇一九年二月二十四日 「水道の蛇口をひねると」

水道の蛇口をひねると
痛いって言うから
ぼくは痛くもないのに
痛くなってくる
ぼくは静けさを
フリーザーに入れて
水道の蛇口をひねって
痛いって言うから
ぼくは痛くもないのに
痛くなってくる
できた沈黙に
ぼくの声を混ぜて
水道の蛇口をひねって
痛いって言うから
ぼくは痛くもないのに
痛くなってくる
水道の蛇口をひねるだけで
ぼくは痛い
沈黙のなかにさえ
ピキッとした音を聞いてしまう
山羊座は地獄耳なのだ
本人が地獄になる耳なのだけど
水道の蛇口をひねると
痛いって言うから
ぼくは痛くもないのに
痛くなってくる

二〇一九年二月二十五日 「確定申告」

確定申告が終わった。ことしは支払わなくてはならないかなと思っていたら、還付金が出た。税金のからくりが、さっぱりわからないで生きている。

二〇一九年二月二十六日 「文学」

文学作品は、いったん読み手が頭のなかで、自分の声にして読んでいるので、どの登場人物の声も読み手の声だと言える。複数の話者がいても、すべて読み手の声だと言えるので、文学鑑賞とはまことに倒錯的な行為だと言えよう。

二〇一九年二月二十七日 「がりがり」

チャイムが鳴っている
がりがりと、薬を噛み砕いて飲み込むと
教室に入った
生徒たちのなかには
まだ薬を飲み込んでいない者もいた
口に放り込んでいる者や
カバンのなかの薬入れの袋を開けている者もいた
「さあ、はやく薬を飲んで、授業を受ける気分になりましょう」
電車に乗る前でさえ、薬を飲まなければ不安で
電車に乗ることもできない時代なのだ
さまざまな状況に合わせた薬があって
それさえ服用してれば、みんな安心して生きていける
とても便利な時代なのだ

二〇一九年二月二十八日 「この人間という場所」

胸の奥で
とうに死んだ虫たちが啼きつづける
この人間という場所

傘をさしても
いつでもいつだって濡れてしまう
この人間という場所

われとわれが争い、勝ちも負けも
みんな負けになってしまう
この人間という場所

二〇一九年二月二十九日 「何十年ぶりかに」

きょう、待ち合わせの場所に
行ってたのだけど
ぜんぜん来なくって
何十年ぶりかに
すっぽかされてしまった
付き合わない?
って、きょう言おうと思ってたのだけれど
縁がなかったってことなのかな
好きだったのだけれど
そんなに若くない
頭、ハゲてて
めがねデブで
典型的なサラリーマンタイプの
30代後半で
このクソバカって思ったけど
バカは、ぼくのほうだね

二〇一九年二月三十日 「蛙」

ピチャンッ
って音がしたので振り返ると
一番前の席の子の頭から
蛙が床に落っこちて
ピョコンピョコンと跳ねて
教室から出て行った
その子の頭は
池になっていて
ゲコゲコ
蛙がたくさん鳴いていた
ほかの生徒の顔を見ると
ぼくの目をじっと見つめ返す子が何人かいたので
その子たちのそばに行って
缶切りで
頭を
ギコギコ
あけていってあげた
そしたら
たくさんの蛙たちが
ピョコン、ピョコン
ピョコン、ピョコンと跳ねて
教室じゅうで
ゲコゲコ鳴いて
あんまりうるさいので
授業がつづけてできなかった
と思ってたら
すぐにチャイムが鳴ったので
黒板に書いた式をさっと消して
ぼくもひざを曲げて
ピョコンピョコンと跳ねて
職員室に戻った

二〇一九年二月三十一日 「箴言」

才能はそれを有する人を幸福にするものとは限らない。


積年と積雪

  なまえをたべたなまえ

冬を迎え入れる、
雪が降れば、
歳をまた、
戸棚から取り、
写真を撮る、
手が、余る、
手に余る、
人の、あまりにも、
大きな口に、
受けられていく、
雪の、積もる、
積雪と、
積年、と、
咳を、重ねる、

また、都市を、
窓口に、
手の戸を立てて、
捨身(しゃしん)の、
行方を、文(ふみ)に
当てる、

野が雪に、
焼かれている、
中で、余る、
手を、踏み、当てる、
あの、感触を知って、
咳がまた、重なり、
雪が、都市に、
そして、
寒色の中へ、

影を伸ばす、
陽の内に、
畑仕事を終え、
炉を切って、
事を終える、
事切れる
この床で、
陽を短く、
息をつなぐ、
息継ぐことを、
また、戸に立て、

とにかく、と、
急き立てる、人に、
咳を、また急ぎ、
ゆっくり、と、
息を切らして、
事を、反対から、
床に、置いて、
炉から、戸を抜いて、
火を、田、
そして、畑、
戸に書く、
人の声、

雪が生きている、


塩と水をたくさん詰め込んで、今、私。明日、JPOPは絶望する。皆、皆殺しにしてやる、と、彼氏が言ったの。彼氏は、三回、「NO.NO.NO」といって、NYは燃えているか、と言って、HIPHOPを信じていたわ。「信じていたわ」が引用される回数が100と3回飛んで、今、私が、JPOPを皆殺しにするとき、Twitterが叫んだわ。「おいそこの、黄色い猿達を全員歌わせるな」、って。

JPOPに降る雨がTokyo

肺に冬を植える。びしょ濡れなのはスネアだけでいいね、と、trapは

BoomBap

と、言いながら低く旋回している。この夏、私は。JPOPに人を植える。

山を登る、足が遅れてついてくるのを私の汗だけが感じている。私は、ずっと先に、本当はいるはずなのに、と、この体から抜け出ていく息や汗、そして、匂い。この匂いはJPOPで本当にうんざり。こんな夢を見た。
アメリカでは子供と銃弾が交換される時代が来たんだって、赤毛の彼が笑顔で言う。歯はもちろん真っ白で、今朝、洗濯したみたい。漂白剤ーいつも飲んで嘔吐するだけの飲み物、南部では今これが流行ってるんだって、特に奴隷をぶん殴った後にのむのがね。奴隷ー花を摘むようにいつも笑顔だ、その汗が特に、甘くてJPOPみたいだね、って笑いあう。歯が白いと、生きてる実感がする、って彼は言う。だから、私はいつもいのる。ずっと歯が白いままで、そしたら、ずっと彼と一緒だから。結婚して、私が生んだ子供が白くて。

枕元でぼんやりと宿る病が花のように咲いているのを見ている眼を外へ追いやる。階下では、未だに、生きている者達がせわしく食器を鳴らしている。私の内部で割れる音がする。懐かしい音だと、口にすると水が運ばれてくる。病が水に口をつけて、あーくだらねぇな。やめた


詩の日めくり 二〇一九年三月一日─三十一日

  田中宏輔



二〇一九年三月一日 「考察」

同じ密度で拡散していく。

二〇一九年三月二日 「箴言」

仏に会えば仏になるし、鬼に会えば鬼になる。
ひとはひとと出会って、ひとになる。

二〇一九年三月三日 「H」

イタリア語で
Hのことは
アッカっていうの
でも
イタリア語では発音しないから
ハナコさんはアナコさんになります
ヒロシくんはイロシくんになります
アルファベットで
ホモシロイと書けばオモシロイと読まれ
ヘンタイと書けばエンタイと読まれ
フツーよと書けばウツーよと読まれます

二〇一九年三月四日 「ピーターに気をつけてね。」

あしたは神経科医院に。痛みどめももらえるように言おう。ピーター、つくねに気をつけてね。

二〇一九年三月五日 「リンゴの存在」

ここにリンゴがある
といえば、リンゴがあると思う。

ここにリンゴがない
といえば、リンゴがないと思う。

ここにリンゴがあるかもしれないしないかもしれない
といえば、あるかもしれないしないかもしれないと思う。

しかし、リンゴの存在は
ことばによらない。

二〇一九年三月六日 「ところで、きみの名前は?」

「ところで、きみの名前は?」(トマス・F・モンテレオーニ『既視感』鎌田三平訳、SF短篇アンソロジー『三分間の宇宙』258ページ下段・第20行)

二〇一九年三月七日 「殺したかもしれない。」

ぼくは小学校のときに
継母を自宅のビルの屋上から
突き落として殺してやろうと思ったことがある。
小学5年のときだったかな。
小学校5年だったら
警察には疑われないと思って。

二〇一九年三月八日 「久保寺 亨さん」

久保寺 亨さんから、詩集『続・白状/断片』を送っていただいた。宗教的なところに関心をもたれておられるようで、そのような描写が随所にあらわれる。また宗教と哲学は密接な関係をもっているのだろう。哲学的な考察も随所にあらわれる。生のなりわいの根本的な詩集だ、と思われた。

二〇一九年三月九日 「草野理恵子さん」

草野理恵子さんから、同人詩誌『Rurikarakusa』の第10号を送っていただいた。「抽斗」のなかで、「抽斗の中 突然雨が降り出した」とあったのだが、ぼくもまったく同じレトリックを使ったことがあったので驚いた。ぼくのは「箪笥のなかで」だったけれど。草野理恵子さんに親近感をもつはずだなと思った。

二〇一九年三月十日 「葱まわし」

葱まわし 天のましらの前戯かな

孔雀の骨も雨の形にすぎない

べがだでで ががどだじ びどズだが ぎがどでだぐぐ どざばドべ が

二〇一九年三月十一日 「ミッション」

火曜日のミッションを成功させること!

3月23日 土曜日 11時半 歯医者

二〇一九年三月十二日 「藤井晴美さん」

藤井晴美さんから、詩集『無効なコーピング』を送っていただいた。冒頭の詩篇から、いきなり胸を掴まれた。この方の詩篇は、ぼくを興奮させる。そういった言葉遣いだ。おいくつくらいなのだろう。ぼくの好みにぴったりの表現をなさっておられて、とても興味がある。ありがたくご本をいただく。

二〇一九年三月十三日 「耳にしたこと」

仕事の帰り道、近所で
建築現場に居残った若い作業員二人がいちゃついてた
一人の青年が、もう一人の青年の股間をこぶしで強くおした
「つぶれるやろう」
「つぶれたら、おれが嫁にもろたるやんけ」
イカチイ体格の、真っ黒に日焼けした男の子たち

二〇一九年三月十四日 「傘」

ふつう、一人でさす傘は一本である。
しかし、たくさんの人間で、一本の傘をさす場合もあれば
ただ一人の人間が、たくさんの傘をさす場合もあるかもしれない。
ただ一人の人間が無数の傘をさしている。
無数の人間が、ただ一本の傘をさしている。

うん?
もしかしたら、それが詩なんだろうか。

きょう、恋人に会ったら
ぼくは、とてもさびしそうな顔をしていたようだ。

たくさんのひとが、たくさんの傘をさしている。
同時にただ一本の傘をさしている。
それぞれの手に一本ずつ。
ただ一本の傘である。
たくさんの傘がただ一本の傘になっている。
ただ一本の傘がたくさんの傘になっている。
たくさんの人が、たくさんの傘をさしている。
同時にただ一本の傘をさしている。

二〇一九年三月十五日 「詩人」

詩人のうち、いくらかは
意味を吟味することで人間を知ろうとする
詩人のうち、いくらかは
人間を吟味することで意味を知ろうとする
詩人のうち、いくらかは
意味を吟味することで意味を知ろうとする
詩人のうち、いくらかは
人間を吟味することで人間を知ろうとする

詩人のうち、いくらかは
意味を吟味することなく人間を知ろうとする
詩人のうち、いくらかは
人間を吟味することなく意味を知ろうとする
詩人のうち、いくらかは
意味を吟味することなく意味を知ろうとする
詩人のうち、いくらかは
人間を吟味することなく人間を知ろうとする

詩人のうち、いくらかは
意味を吟味することもなく人間を知ろうともしない
詩人のうち、いくらかは
人間を吟味することもなく意味を知ろうともしない
詩人のうち、いくらかは
意味を吟味することもなく意味を知ろうともしない
詩人のうち、いくらかは
人間を吟味することもなく人間を知ろうともしない

二〇一九年三月十六日 「考察」

言葉が意味を通じて意味を知る
言葉が意味を通じて人間を知る
言葉が人間を通じて意味を知る
言葉が人間を通じて人間を知る
人間が言葉を通じて意味を知る
人間が言葉を通じて人間を知る
人間が人間を通じて意味を知る
人間が人間を通じて人間を知る

二〇一九年三月十七日 「八千代館」

高校時代に
クラス・コンパの二次会のあとで
友だち6、7人で
酒に酔った勢いで
生れてははじめてポルノ映画館に行ったのだけれど
そのときに見たピンク映画の一つに
田んぼのあぜ道で
おっさんが農婆を犯すというのがあって
そんな記憶が、ふと思い出されたのだ
八千代館という
そのポルノ映画館も
きょう行ったら
若者向けの洋服屋になってた
ポルノ映画を見て、勃起した友だちの
チンポコさわりまくりの高校時代だった

二〇一九年三月十八日 「ゲゲゲのゲーテ」

あの黄色と黒の
ちゃんちゃんこ着たゲーテ

二〇一九年三月十九日 「焼き鳥じゃなくて」

書き鳥

二〇一九年三月二十日 「箴言」

倫理的な人間は、神につねに監視されている。

二〇一九年三月二十一日 「地球のゆがみを治す人たち」

バスケットボールをドリブルして
地面の凸凹をならす男の子が現われた
すると世界中の人たちが
われもわれもとバスケットボールを使って
地面の凹凸をならそうとして
ボンボン、ボンボン地面にドリブルしだした
それにつれて
地球は
洋梨のような形になったり
四面体になったり
直方体になったりした

二〇一九年三月二十二日 「ゴミ」

ゴミはゴミになるまえはゴミじゃなかった。

二〇一九年三月二十三日 「鯉もまた死んでいく 鯉もまた死んでいく」

中学3年のときかなあ
何かがパシャって水をはねる音がして
見ると
白川にでっかい鯉が泳いでいて
なんで白川みたいに浅い川に
そんな大きさの鯉がいるのかな
って不思議に思うくらいに大きな鯉だったんだけど
ぼくが
「あっ、鯉だ!」って叫ぶと
林くんが
学生服の上着をぱっと脱いで川に飛び下りて
その鯉の上から学生服をかぶせて
鯉を抱え上げて川から上がってきたのだけれど
学生服のなかで暴れまわる鯉をぎゅっと抱いた林くんの
彼のお父さんと同じセルの黒縁眼鏡の顔が
それまで見たことがなかったくらいにうれしそうな表情だった
今でもはっきり覚えている
上気した誇らしげな顔
林くんはその鯉を抱えて家に帰っていった
ガリ勉だと思ってた彼の意外なたくましさに
鯉の出現よりもずっと驚かされた
ふだん見えないことが
何かがあったときに見えるってことなのかな
これはいま考えたことで
当時はただもうびっくりしただけだけど
ああ
でももう
ぼくは中学生ではないし
彼ももう中学生ではないけれど
もしかしたら
あの三条白川の川の水は覚えているかもしれないね
二人の少年が川の水の上から顔をのぞかせて
ひとりの少年が驚きの叫び声を上げ
もうひとりの少年が自分の着ていた学生服の上着を脱いで
さっと自分のなかに飛び降りてきたことを
あの三条白川の川の水は覚えているかもしれないね
ひとりの少年が顔を上気させて誇らしげに立ち去っていったことを
そして、もうひとりの少年が恨みにも似た羨望のまなざしで
鯉を抱えた少年の後ろ姿を見つめていたことを

二〇一九年三月二十四日 「俳句」

花ひらく さまには似ても にぎりつぺ

花ひらく さまに似たれど にぎりつぺ

花ひらく さまにも似たる にぎりつぺ

手から手へ 無情な水を こぼし合う

額寄せ 水こぼし合う 縁かな

椀の手に 無情な水を こぼし合う

二〇一九年三月二十五日 「年金の相談」

年金の相談に行ったら、7月に来て下さいと言われた。そうか、タイムラグがあるのか。

二〇一九年三月二十六日 「海東セラさん」

海東セラさんから、詩誌『グッフォー』第71号を送っていただいた。海東セラさんの作品「床」では、床の模様と、床の存在としての立ち位置みたいなものがていねいに描いてあって、ああ、こういう書き方もあるのだなと思わされた。

二〇一九年三月二十七日 「幽霊がいっぱい」

マンションでは
猫や犬を飼ってはいけないというので
猫や犬の幽霊を飼うひとが増えて
もうたいへん
だって、壁や閉めた窓を通りこして
部屋のなかに入ってきちゃうんですもの
まあ、うちの死んだお祖父ちゃんが
アルツで、夜な夜な
よそ様の部屋に行って
迷惑かけてることがあって
文句は言えないんだけど

二〇一九年三月二十八日 「詩論」

聖書のなかで、さいしょになされる問いかけは、創世記の第三章・第一節の「園にあるどの木からも取って食べるなとほんとうに神が言われたのですか」という、いにしえの蛇の言葉であった。イヴのその問いかけに対する答えは、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」というもので、すると、狡猾な蛇は、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」と言ったのだが、けっきょく、イヴはその木の実を食べ、アダムにも食べさせたので、二人は善悪を知ることになったのである。このことは、人間の知恵というものが、唆しと誘惑、そして虚偽と欺瞞からはじまったということを教えてくれる。詩とは何かと考えることがあり、以前に、問いかけではないかと書いたことがあった。聖書のさいしょの問いかけが悪魔によって発せられたこと、そして、そのあとの虚偽と欺瞞に満ちたいにしえの蛇の言葉を思い起こしてみると、もしも、詩というものが問いかけであるのだとしたら、根源的に、詩人のこころには、誘惑してやろう、唆してやろうという気持ちや、その言葉には、虚偽や欺瞞といったものが含まれているのではないか、とも思われた。

二〇一九年三月二十九日 「詩論」

凝固点降下という現象がある。純粋な物質に不純物を入れると、固体になる温度が下がるという現象である。純粋な物質だと結晶化するのに時間がかかるが、不純物を入れるとたちまち結晶化するという現象もある。人間の体験も、自己の体験をのみもとにして考えるよりも、他者の体験やものの見方といったものを合わせて考えたほうが、より迫真的なものとなったり、じっくりと考えさせられるものとなることが多いように思われるのだが、その他者の体験やものの見方といったものに、映画や文学といった、あからさまな「つくりもの」を入れると、自己の人生がより生き生きとしたものに感じられるためには、自己の体験である、「真実のなかに」、自己の体験ではない「少しの虚偽が必要である」ということにならないだろうか。いや、もしかすると、「少しの」ではなく、自己の人生をより生き生きとしたものと感じるために、「たくさんの」虚偽を必要としている人間もいると思われる。その数もけっして少なくないような気がする。筆者もその一人であろう。頭のなかには、実在人物の名前よりも多くの、文学作品の登場人物の名前が収まっているのである。

二〇一九年三月三十日 「詩論」

詩人のマイケル・ファレル氏に、とても基本的なことを訊いてみた。「あなたはなぜ詩を書いているのですか」という質問に詩人がとまどっていた。同じく、詩人のジョン・マティア氏にも同じ質問をしてみた。二人とも、即座に答えられず、なんとか答らしきものを聞き出すのに相当な時間を要した。ぼくはつねに、自分がなぜ詩を書いているのか考えて生きているので、ぼくの素朴な質問にすぐに答えられなかった詩人たちのとまどう表情を見て、ぼくのほうがとまどってしまった。自我とは何か。言葉とは何か。記憶とは何か。思考とは何か。関心があるのは、ぼくには、ただこれらのことについてのみ。

二〇一九年三月三十一日 「人生の意味」

ジミーちゃんのところに食事に行く約束をしていて、じっさいに行ってみたら、彼はピアノを弾いていて、玄関でピンポンってチャイムを一分くらい押しつづけても出てこなかったので、そのまま帰った。往復で2時間以上もかかったのだけど、自転車なので、運動になったかなって思うことにして、まあ、芸術にいそしんでいるときだから仕方ないかなって。ぼくなら、ピアノ、途中でやめるけどね。まあ、そういう人なんだろうね。これがはじめてじゃないから、そんなに驚かないけれど、ぼくもわがままだけど、そこまではね。いろいろなひとがいて、いろいろなひとと出会って、人生を味わうのが、人生の意味だと思うから、べつにいいんだけどね。帰ってきたら、リュックのなかで、ヘッドフォンが千切れてた。5年保証に入ってたから、ジョーシンに行って交渉。1週間以内に届くとのこと。


出奔

  滝本政博

瞼を開けた朝は直立した眩い裸体だ
はたして わたしは そこにいた 
あなたが そこにいたからには  
鳥達は今日も空で生きる 
わたしたちは あなたは 笑うだろうか 
野辺に咲く花のように香るのだろうか 

季節の風を身に纏う芳しいあなたと 
野茨の靴で戸外へと歩き出す
幾多の昼と夜を超えて進む 
移りゆく空の色彩 
地の輪郭に沿って 隆起の丘を越えて 
窪みに沿って 森を向け 小川を渡り 
途中までしか書かれていない小説のような 
開かれた頁の上を踏む 
読めない展開を進む  

滲み広がる赤 
夕焼けを飲み込み 
半開きの空が閉じてゆく 
太陽が最後の瞬きをする
二人を掴み揺さぶる明暗
ひととき山裾を燃やして空は暮れてゆく
  
夜を歩いてゆく 
今日の公演はお終いと劇場のカーテンを引き 
人々が犬とともに眠りについたその後で 
川に沿って海までゆこう 
海はいいね 
眠る海の胸は上下して 
海の底冷え 風はぴいぷうだ

渚 足を水に浸し 
あふれ 胸を張るものを前に 
注ぎたそう千粒の涙を 
幾億粒の砂より掘り出そう 
埋もれてしまった 何もかもを 
樹々を その果実を 
わたしたちの恐怖を 巡る季節を……

景色は息づいている 
輝く瞳の揺籃期は 
見るものすべてに意味があった 
魚が 蛇が 動物が 蝶が 花開き 世界に組み込まれてゆく 
あなたの白い胸に散る雀斑の数さえ 
宇宙の星と繋がる

元気よく手をふって歩いてゆこう 
唇には歌を 唄いながら
春の歌を唄え 冬の歌を
ここにわたしはいる あなたの傍にいる
 
春 雲は胸のあたり 半身を出し淡い色彩を歩く
夏 二人は薄く汗を着て いまだ物語が始まるずっと手前にいる
秋 絡まる橙と青の静脈の毛糸 ほころびてゆくとき
冬 狼の横顔 馬の尻 あなたの歩く影に雪が降る

歩きつづける 二人は旅人
空の下 地平の彼方からやってきた 
わたしたちのことは忘れていい
遠くまだ見ぬところへ歩いてゆくのです
空の下で眠り 空の下で起きる
二人は夢をみる 大抵は悪夢を
でも、ときおり 美しいものがちらりと見えたりするのだ


In The Night

  GROWW

誰しもがこの夜の擬人化を試みては、くだらない形容動詞を当てはめようとする。しかしながら、大都市の電光の飛沫や、文明の寿命よりも永い距離といった事物に阻まれて、誰ひとりあの夜空の冷たい地肌に触れることはできない。せめてもの悪あがきにと、人工衛星で真鍮色の傷をつけてみても、無声映画のコマ送りより速く消えてしまうし、星雲の群れが放つ光子の波の、億年単位のディレイは、いかなる天啓や隠喩も含まずに気層の裡で揺らいでいるだけだ。そんな徒労にも似た茫漠さを忘れたくて、風俗街を満たす有象無象の情報に気を紛らわせたり、交差点の大型ビジョンに映る美男美女を連れ合いにする妄想に酔い痴れたりした日々もあった。が、それでもやっぱり、結局のところ俺は、俺達の頭上を覆うあの深淵の、無限の拒絶に未だ恋い焦がれていて(と同時に怖れてもいて)、缶酎ハイを片手に灯の絶えた飲み屋街の路地をほっつき歩き、雑居ビルの稜線でもって矩形に切り取られた夜空を左手で掴もうとしては、バランスを崩して左足をドブに突っ込んだりするのだ。


或る庭

  鷹枕可

或る庭、それはわたくしという庭――、


狭量な支配者の気紛れに、
剪定をされた
夢の庭
痴呆者達が
埋葬された百の礎
支配者は礎の花を愉しむ
切り揃えられた百の棘が
異端を貫き、苛む
鍛練をされた兵卒、知的であるが為に痴的な
自己酩酊を及ぼし
百科事典的叡智の底深く、意味深き披瀝を競う
其処には正気を過たぬ狂人達が溢れている
庭の夢にしか延命を叶わぬ
遅滞をした風葬‐遺骸が、
腐り乾き襤褸切の様に躍っている
愛でられる事無く、
或は偏愛を享けた埋葬花が
自を疑わず
狂乱の季節を静やかに秩序として、いる
誰もが叡智の果実と入れ替わる
黄昏時
永続の果を求て
自称詩人達は甘く、正確な葛藤を誇る
それは
痴呆者達の証拠物件
隠匿された自らを遺骸を、
運命は約束を守る
総てが更地に、砂の痕を遺すことなく返ってゆく、
場所に縋り附く、
静謐なもの、狂奔
誰もその刻限を越えることは出来ない
醜き花々よ、
朽ちて返れ
砂へ塩を滴らせ、

:

旧い希望を 掻く
 百の手帖に、
幼年期
   ヤルダバオトが臍なきを憎み
 晩鐘を呑む夕に斃れた
検分の間に間に   
   円錐 
  鏡のなかの溪間へ切開膚をあらため
地平線はただひとつ瞼を瞠る
 蔑視をされた
綴れ織り
闇の窓から手が触れ
  今を限り、絶鳴唱歌に
 裸足としての
ヘルメース薬剤株式会社を嘯き
遺恨の全ては混めてあれ
 葡萄酸を瓶に摘む
   列柱宮を俯瞰してさりゆくものもあるだろう


かつてみどりごを、

ミュシャが見た夢の季節が終り、

闇の褥にかしずく枯れた花をかき集めて
蘇える幾兆かの命を吹く死の水門を上げるかれら委縮して燃える渺渺たる膏海へ
私書箱に花享ける
蓚酸に錆び朽ちて
余りに滑らかな人工衛星 
鳥瞰の嶺、
遠近に麓を
闇ばかりなる静物へ生花を挿してひとは返らず
旋廻するもの、運命
風車塔の悲鳴を
かつて咽の咽喉の喉に追い落し
石灰の嬰児製粉場に塵に
焉んぞ平均の花は滾り已まぬか


平家物語

  アンダンテ

(一)天草本平家物語

『天草本平家物語』(1592年・文禄元)では、平家の由來が聞きたいという右馬之允(うまのじよう)の問いかけに喜一檢校の坊は≪まづ平家物語の書き始めには、奢りを極め、人をも人と思はぬやうなる者はやがて亡びたといふ證跡(しやうぜき)に、大唐(たいとう)・日本において驕りを極めた人々の果てた樣態(やうだい)をかつ申してから、さて六波羅の入道前の太政(だんじやう)大臣〔マヽ〕清盛公と申した人の行儀の不法なことを載せたものでござる。≫こう答える。

抄者ハビアン(Fucan Fabian、恵俊・1565年(永禄8年)- 1621年(元和7年1月)の生きざまは、そのまま小説になるほどだ。『イソップ(伊曽保)物語』翻訳(1593年・文禄2)。『仏法』(1597年・慶長2)を編集したのち徹底して仏教批判の立場を取る。林羅山と論争し(1606年・慶長11年)当時支持されつつあった地球球体説と地動説を主張した。修道女と駆け落ち(1608年・慶長13年)して棄教し、『破提宇子』(1620年・元和6)を出版キリスト教を批判して日本イエズス会から即座に禁書とされ「地獄のペスト」と評された。((*ハビアン – Wikipedia 参照))

いくら≪日本のことばとイストリヤ(歴史)を習ひ知らんと欲する人のために≫((*原書扉紙))
書かれたとしても、『平家物語』を教材として『天草本』を起こした者が、その象徴である
・祇園精舎の鐘のこゑ
・諸行無常のひびきあり
・沙羅双樹の花の色
・盛者必衰のことわりをあらはす
このくだりを飛ばすとは……。≪祇園精舎の鐘の声≫の表現自体は『平家物語』のオリジナルではない。当時、観想念仏を呼び起こす決まり文言として祇園精舎が流布していた。問題なのは聖地が見つからない。祇園精舎の位置がどこなのか定まらず、そこにあったという無常堂の存否も定かでない。祇園精舎の手引きともいえる『祇園図経』は、本当に史実に基づいた記録なのかも怪しいのだ。アンコールワットが聖地だと誤解する事態がおき、参拝する茶番も発生した。

 ・おごれる者もひさしからず
 ・ただ春の夜の夢のごとし
 ・たけき者もつひにはほろびぬ
 ・ひとへに風のまへのちりに同じ
 軍記と仏教説話とのフュージョン。あたりまえの事だが、『平家物語』は平家(側)の人々によって語られた物語ではない。語るにも語りうる平家の人々はほぼ全滅していてこの世にいないのだ。この長大な物語の資料は畢竟源氏(側)の人々によるものが大きい。『平家物語』成立を伝える資料として『徒然草』第二百二十六段がある。その中に慈円の名が出てくる。慈円はこの長大な物語を統括するプロデューサーの役割を担っていたのではないか。『平家物語』の有名な冒頭のくだりは慈円の手になるという夢想を呼び起こすのだ。


******* 註解 *******
*出典:『天草本平家物語』(岩波書店 1927.6.28)新村出 序並閲、龜井高孝 飜字
*誤記・誤植と思はるゝものは原形そのまゝを載せて左側に小さくマヽ(原のまゝの意)を配す。
*「祇園精舎のうしろには よもよも知られぬ杉立てり昔より山の根なれば生いたるか杉神のしるしと見せんとて」:『梁塵秘抄255』
*「かの須達長者の祇薗精舎造りけんもかくやありけんと見ゆるを」:『栄花物語』
*「娑羅双樹の涅槃の夕までのかたを書き現させ給へり」:『栄花物語』
*「鐘の音のここかしこに聞ゆるも、ぎをんしゃうじゃの無常院の夕暮の心地す」:『高倉院升遐記』
*「釈迦如来、生者必滅のことはりをしめさんと、沙羅双樹の下にしてかりに滅を唱給ひしかば」:『保元物語』


絶滅収容所へ

  鷹枕可

毀れた指
滅び行く人間の季節を悼み、
祷りの外に追葬を遂げ損ねて、問う
私は人間か
私は有機機構の一棟の工場か

機械機構の血が熱く滾る
人が人を已める時、
置かれた
静物にも血は通っている
葛藤の均衡にも
無感情の抽象を刻む、世紀よ
心臓の鳥を聴け
病める彼等の為に
そして已む無く咲き揃えられた花垣にも
傷ましき繃帯のなかの喪失を

事象は均しく磁界のなかを巡っている
世界が静止する、固唾の暇も無く
かの静謐にも永続を探せない為にこそ、星星の穹窿よ、拍動を、起せよ、と
実象、
現実にも亡き貴き、
死点を縺れて
種は顕われる
だが誰が落としたのかをかの一滴に問うな
存続にも意志を
巖膚に無き華を
諸君もやがて知るだろうから

喝采と歓声に
独立記念の夢が、夢見られた夢であった、嘗ての、
華に拠り設えられた凱旋門は、
希望を、懐かしく明日を
告白に、暮れて
夜と窓より紡がれる、
叶わなかった、揺椅子を
甘く、眠る未来を振り返るだろう
群衆の花に紛れて
いつか還る、還ると
だから
鐘を見上げて、
私は
私達を迎えるため
現を、
屹度亙るためにこそ、声は

____

独房10‐26号
試薬予想致死量を投与するも過覚醒‐譫妄を予想周期を越え、発現。
拠って処理剤γを投与、16:16 死亡を確認。 


東京受胎

  ローゼ・ノイマン

夜の蝶、炎の帳の内で灰のなかから甦る
原始的な信仰の様に 人は美と炎と黄金を信仰するのか

メガロポリスが死に絶え僕が生まれた
荒野に散らばるのは古(いにしえ)の「理(ことわり)」
弱肉強食、個人主義、法と秩序
そして自由−−

受難の時、空から天災が降り注ぎ
選ばれし奇形児達はその「理」に従う
受難の時、空から天災が降り注ぎ
選ばれし奇形児達はその「理」に従う

東京だけじゃなく 世界中で災いが起きる
それは産みの苦しみなのか 終末の時なのか
いずれにせよ進化しないものは死に絶える
いずれにせよ進化しないものは死に絶える

選ばれし奇形児達は夜の海を泳ぎ
創世の時、古き神々と失われた信仰をみる
全てが変わり行き 神無き世界に立っている
創世の時、神無き世界で僕等は立っている

メガロポリスが死に絶え僕が生まれた
荒野に散らばるのは古の「理」
弱肉強食、個人主義、法と秩序
そして自由−−


十七歳

  月屋

指先から血液。
優しい星あかりが燃え尽きる頃、春が来るんだって。冬の雲は柔らかい土になってあなたを育てる。私の瞳の奥の視覚野を突き抜けた先にはきっと天使がいて、つまりは私、天国に行けるんだって思っています。
指先から淡雪。
紅葉が地面に落ちる前に崩れていくのを太陽に透かして見ていた。からから回る風車の持ち主はきっともう成人している。どこかで鈴がはねている。帰ってこないね。甘いサイダーの美しい泡の音を聞きながら頬を冷やして、あなたを待っていた夏がもう懐かしい。私のブレザーの襟が風に煽られている。
赤い頬の、青い睫毛の、その行く末は過去だけ。今が美しくなるためのおまじないのような祈りのようなただの未熟。何も無い、春を待っている。終わらない、冬を願っている。暖かな光を、握りしめていたかった。


ワゴンセール

  自由美学

ウチは漬物工場のパート従業員、勤続20年
ウチがこん会社支えてきたんや
若い社員らでそんなん回るはずないやん
段取りとかあんなもんウチやないとわからへんで
ウチがおらなこん工場潰れてまうで
見てやこれ、腰かてこない曲がってしもて
ほんまえらいんやからこん仕事わかるか

ウチん化粧は年々濃うなってく
帽子にマスクでほとんど顔も見えへんのに
そんでもピンクのアイシャドーこれベタ塗りや

せや、ほんで、
あん人おるやろほら、いっつもようしてくれる係長さん
ウチいっちゃん話しやすいねんあん人
そうそうそう、
ほいであん人いつ係長なったんやったかな
何の話やったっけ、あーそうや
あんたほら、去年定年で辞めて行かはった松ちゃんおるやろ
いっちゃんベテランさんゆうて社員らにチヤホヤされとったのに
辞めた次ん日には係長までこんなんゆうとったわ
「えっと。あのおばちゃん、名前何やったかな」て
こないだかてあいつおるやろ、せや主任、主任、
あれもうここ来て何年なる?
あいつまだ名札見やなウチん名前わからへんみたいやしな
ウチここ何年おる思てんほんま
ほんでも、さっき、
あんたもちょっと考えやな思い出されなんだやろ、松ちゃん

二課のやまもっさん、あん人な、
仕事帰りにスーパーたかやすでよう会うねん
なんや半額なった弁当、あれ目当てで行くんやてゆうてたわ
これちょっと聞いた話やけど
あん人旦那の浮気で離婚しはってんてな
そっから女手一つで息子さん育てあげたんやて
そんでもええとこ就職しはったやろあん息子さん
それも早うに結婚してな
せやせや、こないだも見てんけどな
あっこの嫁、
いっつも買いもんカゴい〜っぱいビール買って行かはんねん
あんま夫婦仲うまいこといってはらへんのちゃうか

そんなんゆうとってもウチかてほれ
身に付けてるもんはほとんど娘の着古しやし
結婚するまで恋愛ゆうもんもほとんど知らんかったわ
旦那と別れてから必死こいて働いてきたけどや
気いついたらもう60やて!

ほんで、昨日もあんた、
重たい体引きずりもって団地帰るやろ
いっつも食べたらそんまま寝てまうからウチ
先に顔洗っとこ思て、ふと洗面台の鏡をのぞいたんやわ
ほんだらまぶたんとこの、このピンクの化粧あるやろ
そうこれが溶けてな、もう、てらんてらんに光ってんねん
ひっひっひ! いつもんことやけどな
なんやウチん顔、惣菜のプラ容器に見えたわ一瞬
ほんまあれあかんなマツキヨのアイシャドー
ほんでも、ウチ、
いつまでもワゴンの隅に残ってるあれあれあれあれあれあるやん、
そうそうそうそう、
ピンク色の値引きシールがベタベタ貼られたたかやすの見切り品
なんやあれみたいやなてウチ
ごっつ悲しなったわ、ほな


冬の劇場 (2020 リライト版)

  GROWW

夜明けが追いかけてくる、
終幕ののちに──

冬の叫びが劇場を駆け巡り、
顔のない俳優がコートを羽織る。
しおれた花束が客席を賑やかし、
スポットライトの熱は、とうに冷めきった。

「真実も、嘘も、大げさな戯曲も、
長ったらしい独白も、もうたくさん。」
老女優は煙草を吸いながら、そう嘯く。
煙は暁に染まり、
赤い絨毯の上に、灰が白く光っている。

緞帳は確かに愛を孕んでいた。
しかし、書割の世界は全て凍ってしまった。
月が沈み、星々の葬列を見送ったあと、
冷たい太陽の下で、我ら観客は漂う、
孤独の遠い海を。

──台詞を奪われ、魂を忘れ、形もない「主役」に、
神々を見いだすものなど、もはや誰もいないのだ。


わからないことばかりなので

  滝本政博

眠っているあなたがいる
きれぎれの眠り
泥濘んだ眠りの道を歩く
曇天 空は撹拌され濁りを増す
夢は何層もの思い出の重みに発熱する
あなたが触ってくれる時
どんな顔をしていいかわからない
二人で抱き合ってきれぎれの眠りを眠る
あなたとわたしは千にも分断されて
朝が来るのを遠くに引き延ばす
何度も目覚めては抱きしめ合う

あなたのスカートの中で暮している
というのは比喩だが
すべてはメタファーである
だが何の?
わたしの放った鳩が
あなたの胸まで飛んでゆき白い花を咲かせる
理解するのではなく到達するこころみ
だが何処へ?

そこにいるのですか
雨がなにもかも濡らしてゆく
流されてゆくだけの感情があれば
また感情が戻ってくるのならば
あなたの腕のなかで
どのような雨も心地よかった
雨の音を聞いていると
血管のなかを幸福の種が巡るようだ

あの日
日が暮れて
夜になっても捜しに来てくれたあなた
わたしだって捜していたのだ
どこにいたのですか
あなたは
あなたが救ってくれるはずだった
差し出される白い手にすがりつきたかった
帰って行くのはあなたの湿った匂いの中だ


水のことわり

  灰草露

毛布にくるまった孤独の吐息
解(かい)が知りたいのです
答え以上に過程が重要
白い煙
くゆらせたため息は
いつしか空に昇ってゆく

教えてください
雪がふる理由(わけ)を
あの子が状態変化して
舞い降りてきたに違いない
信じることは滑稽ですか?
信じる、はいつも
大切でしょう?

抱きしめたとたん
氷はとけて
慌てて掬い上げようとしても
面影はいつも足早く

冬はお嫌いですか?
あの子の帰りを待ちませんか
銀の針に糸を通して
刺繍の結晶、絵描きます
おかえりなさいと言ってくれたら
私は宝物でしょう?


夜食害

  八坂

夜中 わたしたちだけが
仕方なく飯を噛む時
不幸の先っぽで思わず笑ってしまう
やっと今度の行き止まりらしかった
一晩、二晩と 怠惰に皺を増やしたけれど
引っ掛かりのない幕引き
溜息も勿体無いくらいに

ただ1人 幼な子だけは心残り
しくしくと尾を引いている
優しく抱え上げて 充分撫でてやれば
明日にでも空に紛れていくでしょう
いいや 悲しむことはない
頼まずともすぐに来る奴なんだ

口の中のものをよく飲み込んでから
手を右に替えて数百回目の0地点をもう一度
ゴールだかスタートだか
もうずっと分かっていない

いつか飲み込めなくなったら
きっと教えてほしい


スキッパー

  自由美学

ズル休みして
とっておきのシャツでスキップする
わたしだけのために
わたしだけの道を一人行く
忘れたフリが
幸せなぐらいシリアスすぎて引く

久しぶりのパンプスが
ナーバスに締めつけた恋
つんのめる先から
ケサランパサラン
ほら
バランス取って
プリズムのアーチ橋を渡って行く
セセリチョウのあのホバリングで
ふざけた朝を越えてけ

孤独の重みで
アスファルトと語っている
この靴音ばかりが
手帳のグリッド罫を抜けて
なかで泳ぐ足
パカパカするパンプスの踵は
鯉の口みたいだ

ビル陰でパンストを脱いだら
ケサランパサラン
ふざけた恋
めくるめく風が寝グセを跳ね
忘れたことに気づいた録画予約と
日焼け止め
そのどちらもつまらなくした
おひさまの匂い
今このときがドラマ

地球は正しく
すべては楽しく
ただ回る

自販機で買った炭酸水が
また胸の奥んとこ
貫いて
こんなシャツなのに
こんなシャツだってのに
遠くなる背中
もうすぐ突き抜けちゃう
爪の形まで忘れたら
キンモクセイが香りだしたこと
伝えに行くよ


新装改訂〜シャンプーガール

  菊西夕座


利き手が左の美容師に 逆巻く寝癖の頭髪を
七五調へと整えて 切ってもらっているさなか
鏡の奥でぼんやりと シャンプーガールが立っている
広いフロアでただひとり 私がイスにのっていた。

はるのひは みもこころもかるくして とんでいきたい どこまでも

店の主人はサーファーで サスペンダーを肩にかけ
遊びほうけて日焼けした 顔をにこにこさせながら
気どって私に近よると 気安く話題をふりまいて
うまい話はないものか 眉間に指をあてている。

でんせんに いちわのとりがつなわたり ケンケンパッパ ケンパッパ

年は40そこそこで 昔はホストをしていたか
あるいはAV男優か 妙にすれてるこの男
「五月あたまの連休に この商売はふるわない」
そんなことをぼやいては もうけ話をまっている。

あのとりが そらのかなたへまうきなら からのこころを つれてって

「今日はこれからどちらまで?」 美容師くんの声がする
「鍵屋をさがしているんです。家の合鍵ほしくって」
すると主人が「なんだって? 家をさがしているのかね?」
話に首をつっこむと いきいきしながらやってくる。

でもとりが うみをこえていくのなら とちゅうでからを おとしてよ

「わたしは家を知ってるぞ。海の近くの一軒屋」
見当ちがいの鍵穴に 勝手なキーをさしこんで
紹介料をもらおうと 不動産屋にTELしてる
だけどリゾート開発で 家は消えたと言われてる。

るりいろの はねをひたすらかるくして とんでいきなよ ありがとう

波乗りどきを逃したと 主人が私をなぐさめる
鍵がこぼれた会話には だれもその後は入れない
チョキチョキチョキと単調に 音が流れて髪が落ち
左回りの秒針に シャンプーガールがあくびする。

からのみに なみのくちづけみちるけど やがてひきしお にげていく

お調子者が首かしげ またこちらへとやってくる
「このウェーブは高すぎる。もっと逆毛をなでつけろ」
サーファー男が櫛を手に 理想の波を起こそうと
ひとのヘアーに挑めども 美容師くんに止められる。

ただひとつ やどしたこいはしらはまの とおくにかすむ ふるさとよ

「逆毛の鍵は濡らしです。洗ってからの梳かしです」
美容師くんはそっけなく 乾いた返事ではねつける
なにをやってもからまわり 主人はどうにも軽佻で
じりじりしながら来客を きどって待つしか能がない。

いつのひか たどりつけたらもういちど このみをささげ かりのやど

椅子が回って秒針も 右へと回りはじめれば
無用に広いフロアを 私は歩いて横断し
白亜の壁にすえられた 洗面台の前にゆき
新たなイスにもたれると シャンプータイムがはじまった。

しずしずと おおしくからをかつぎあげ なみうちぎわを すすむたび

やっと出番がまわされた 少し太めの女の子
頭をごしごしやりながら 世間話にうってでる
「休みに海へいきますか? タイのリゾートいいですよ。
ビーチでゆっくり飲むビール。アタシにとって最高です」。

はなをつむ りょうてのはさみおおきくて いつもせなかで みとれてた

ビールの泡と手の泡と 意外に明るいその笑顔
泡から生まれたビーナスが 楽しそうにうち明ける
シャワーのやさしい水音と 頭皮をほぐすマッサージ
ソフトな揉み手が啓示する シャンプーガールの気楽さよ。

きがつけば きしにくだけるなみのてに さらわれてゆく からコロと

やがて窓辺のもとのイス そこに私はもどされた
跳ね毛がすっかり静まって 荒波ひとつ立ってない
鏡を見つめチェックして 「いかがでしょうか?」の返答に
私はひとつのアイデアを 鏡に向かって披露した。

はるのひは みもこころもすてさって いだかれていた あのからに

「窓辺のイスと壁ぎわの シャンプー台や白い棚
そこのあいだの空間が こんなに広くあいている
ダンスやショーもできるほど 大きくあいたフロアを
有効活用しなくては どうにも損な気もするが」。

でんせんに いちわのとりがまいもどり ケンケンパッパ ケンパッパ

主人に「もっと」とせがまれて 私はしぶしぶつけ足した
「つまり鏡のこの奥で 髪を切られているさなか
ファッションショーかストリップ あるいは波を乗りこなす
サーフィン芸がのぞけたら 素晴らしいなと思います。

あのとりが ふたたびそらへまうきなら あのくものなか つれてって

鏡をとおし触れてこそ 風味があるといえましょう
ハサミを入れるタイミング それに合わせて身が踊り
まるで合鍵Show my ヘアー 変化がぴったり重なって
鏡の前とその奥で 異なる世界の連動です」。

でもとりが うみをこえていくのなら かいがんせんに おとしてよ

指をつきたて鏡へと 一直線につきさせば
視線の先に立ちすくむ お役ごめんの泡姫が
両手の泡に手錠され あわれに体をこわばらせ
時計の針を戻せよと いまにも泣いてしまいそう。

るりいろの はねをますますかるくして とんでいきなよ さようなら

「踊れるだろう?」と目を剥いて 迫る主人に怖気づき
思わず「無理」と首をふる シャンプーガールの落日よ
「ならば結構、君はクビ」 日焼けた男は息巻いて
「たったいまから大胆に、リニューアルを開始する」!

こうかくの かたいこころをほぐすなみ おもいでつれて みちしおに

いうが早いか鏡板 それにとびつくサーファーは
いまにもまたがる勢いで 鏡の世界に落ちていく
私の助言がきっかけで 彼女は職をうしなった
店から放りだされると あとにはシャボンが舞うばかり。

ただひとつ みをよせたのはかりのやど もぬけのからの もちぬしよ

いまは遠くのリゾートで 泡を飛ばして酔いながら
サーフボードを踏みにじり 憂さを晴らしているだろか
そこでは貧しい住民が 開発事業で締め出され
切られた髪の毛のように 浜をおわれて海に散る。

いつのひか めぐりあえたらつたえたい からにひそめた このおもい

鏡の奥でサーファーが 切られた髪を大量に
巨大な流しそうめんの 仕掛けに流し飛び乗って
行き場をなくすものたちの 失意を駆っているのやら
けれど私は目を瞑り 頭をかくよ シャンプーガール。

のそのそと きみのなきがらかつぎあげ もにふくしては またあるく
はなをつみ はさみをからにかざしては いつもむちゅうで ささげてた
きがつけば きしにくだけるなみのてに さらわれてゆく からコロと
そこで私は目が覚めて 身を抜く椅子にシャンプーの 薫りを宿し 店をでた。


十六歳

  月屋

満月の夜は溶けていくのよミニトマト。
君のピアスホールが燃えていくのよオリオン。
指先から雪が香る。揺れる夜に、造花についた水滴がとてつもない美しさをもって死んでいった。無音の、無音の、無音の、無音の。深夜二時。優しい愛は要らないと櫛を机に投げる。柔らかい毛布に暖かい皮膚。ブルーライトです。耳鳴り。
まわり続けるレコードに祈ることはもう何も無いからバウムクーヘンを正しく食べる。アールグレイからオレンジが香った。ヌーヴェルヴァーグの映画から美しいピアノが聴こえる。いままで生きていたことが信じられないなぁ。私に心臓があることはフィクションみたいね。地球上、十六年間の歴史に千年後も残っちゃうような素晴らしい出来事はあったんだろうか。いやいや千年後はここに地球は無いわね。私が生まれて二年程はたくさんの写真があります。それから今まで全くないので本当にはもう幽霊になったんじゃないかなと思っているんです。いや、写真なんてなくとも生きていることに変わりないと言うんでしょう。言ってくれ。生きているわ。私。きっとね。


  山田はつき

こえを失って一週間が経ちました。
日記の上ではまえみたいに話せています。
少しばかりかぜがあたたかくなってきましたが、
相変わらずかわいたままの空気が、
はねを舞わせているのが見えます。

地面が緩やかに溶け出して、
足場はガラガラと崩れ落ちて、
それでも膨れた身はなんとか、
指先を針金にひっかけて、
何につかまっているんだっけ。

私が私であることを、
私に問いかけるために、
紙とペンを経由して、
電磁気と光に頼って。
いつしかわからなくなる私のこと、
ちゃんと思い出せるように、
日記の上ではちゃんと話しています。

呼吸が早くなって、
ゆっくりになるのを感じます。

文学極道

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