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2015年03月分

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* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


都市のような罠

  リンネ

 そしてある国にて、ある日ある街あるところにて、ある明け方のある時間のこと、つまりある特定されない能面のような時間、歴史から切断されたところに現れる細切れの時間におけるしかしそれゆえに普遍的な物語であること。こうした幾何学的な時空間を用意する試みは、冒頭から、しかしまたあなたがこれを読むという出来事の圧倒的な諸力に対して、なんの力も持ち得ないことは明白である。どうしても作文というのは生身の人間によって読まれるしかないのだから。それでもあなたの共感を得ようとする作者からのこの見え透いたアプローチに対して、あなたはきっと不快に思い、あるいは拒絶する。わたしのこうした過剰な注釈すらたしかに不快ではある。なおさら一層不快であるとすらいえる。ならばおおいに読み飛ばして頂いて結構である。こうしてあなたはいまこの作文を読むことを拒絶することのできる自由に従属されている。そしてもはやその自由から逃れることはできない宿命なのだ。このようにして、わたしたちの時間や人生というものは、ある一定のかたちをすでに帯びていやがおうにも到来して、

 などと脳内に響き渡る愚にもつかぬ思想の音色を、肛門からおならのようにもらしつつ街なかを歩いていると、場末めいた繁華街のうすぼやりとした裏通りにて、とつじょ静止する中年男のすがたが目に入ってくる。ほうらいまいったとおりだ。この世界のあらゆる事物は虚構のようにとうとつなしかたでわたしの前に現れてくる。人生はテクストなのだ。わたしは敷かれたレールを走る公共交通機関のように駆け寄り、清潔に髭を剃られたその男の口元に対し、いまささやかで公式的なキッスを与えてみる。それは葉書に切手を貼るようにあたりまえになされたので、このとうとつな接吻が、たんなる儀礼的なしぐさであり、もっといえば、一種のレトリックにすぎないということが、誰の目にも明らかであった。しかしどうも不思議なのは、この男にははっきりとした顔がないことである。というより、淫部をかくすかのようにして白ぼんやりとしたもやもやが彼の顔の一面をおおいつくしてしまっているのだ。

 わたしはかれこれ一時間、接吻を続けている。男の顔はレトリックまみれだ。すると次第にかれの顔つきが明らかになってきた。この男、会社勤め人らしい、不自然にしわの見えない清潔なスーツに身をすべてつつまれている。しかし衣服で包装された人体模型とでもいうように、まったくといっていいほど人間らしさがない。それがむしろ彼のかくされた人間性を予感させる。だからこそよけに惹かれてしまう。こんなところでいったいこの男は何をしていたのだろう。足元を薄汚れたおがくずに埋もらせたまま仁王立ちをして動かないその男は、ひょっとすると死んでいるようにもみえる。こうした光景はそう珍しいことではない。死にかけた人間が、他人に記憶されるのを待ちわびて、道端でひかえめに直立不動していることは、こういう現代的な都市の中ではままあることだ。ただいつもよりもちょっと洒落ているのは、その壁面のような顔の正面に、眼球には似ても似つかない小ぶりの四角い窓枠が、しかしそれでいて眼球のように二箇所しっかりと取りつけられている、という点である。人間にも建築にもなることのできない曖昧で悲壮な雰囲気が、じつに自然と見るものを魅力するというわけだろうか。たしかに妙に魅力的ではある。そのとらえようのない無機質な表情には、しかし、どこかこの世のうらみつらみといった情念に対する、決然とした抵抗の意志も読み取れそうだ。

 その男は、とつぜんそれまで閉じきっていた口をかたかたと開閉させ始めた。それとは少し遅れるようにして、その口蓋の暗部からつぎのようなポエムの音色が流れてきた。

悲しみの涙ではなく
あふれる涙だったんだ
解放される感覚
あのあたりから
目が見えなくなった
そういうことさ
情報を見たくないから
ブロックしていたんだ
遮断しだしたみたいな感じで
強制的にね、一週間ぐらい
医者にはものもらいと言われたんだが
自分の感覚的になんだか
自分が変わり始めているサインなんだ

ちゃんと全部理由があるのさ

 根のない草のように均質な内容の詩。いったいこれが人間の生み出したものとはだれだって思えないような抽象性。しかしたしかにまたこれもなにもかも脚本通り、すべてかれの自作自演の演出であるという可能性もある。そう、ほんとうはきっといたって健康な男なのだ。人間の健康なんて、作者の描写次第でどうにでもなる。それでいて作者はテクストのなかの世界など全く関心がないのだ。これがたんなる文字のつらなりでしかないともっとも切実に理解しているのは作者なのだから。無機物に対する完全な降伏。諦念。それにわたしははっきりいってこのように生物学的に分類困難な男となど、すこしだっておなじ時間を共有したいとは思わない。あなただってそうだろう。面倒ではないか。今後、この男の容貌についてはいっさい描写しないことを作者に要請しよう。しかしその一方でわたしは、すくなくともこの男を記憶することだけは努力しよう。かれの吐く息の醜悪さと、顔面に施されたふたつの窓枠とを。あなただって無理に忘れることはないだろう。覚えることも忘れることも、すでに人間の向こう側にあって、わたしはどうにもそれに耐えきれない。わたしは作者から、そして読者と、その、忘却されつつある男、それらすべてから逃げるようにしていま大通りに向かって走っていく。しかしまわりの景色のなにもかもがそれ以上のスピードでわたしを追い越して前方に消えていく。それはこの都市がおおきく傾きはじめた最初の兆候であったが、わたしにはそんなこと知るよしもなかった。

 そもそもどうしてかれがあのような姿であのような惨めな場所に立ち尽くしていたのか。わたしはあの男の顔に見覚えがあるようにも感じる。どこか魅力的な、ある国にて、ある日ある街あるところにて、ある明け方のある時間のこと、つまりある特定されない能面のような時間、歴史から切断されたところに現れる細切れの時間におけるしかしそれゆえに普遍的な物語であること。冒頭からのこうした……


受粉。

  田中宏輔



  ○


猿を動かすベンチを動かす舌を動かす指を動かす庭を動かす顔を動かす部屋を動かす地図を動かす幸福を動かす音楽を動かす間違いを動かす虚無を動かす数式を動かす偶然を動かす歌を動かす海岸を動かす意識を動かす靴を動かす事実を動かす窓を動かす疑問を動かす花粉。


  ○


猿を並べるベンチを並べる舌を並べる指を並べる庭を並べる顔を並べる部屋を並べる地図を並べる幸福を並べる音楽を並べる間違いを並べる虚無を並べる数式を並べる偶然を並べる歌を並べる海岸を並べる意識を並べる靴を並べる事実を並べる窓を並べる疑問を並べる花粉。


  ○


猿を眺めるベンチを眺める舌を眺める指を眺める庭を眺める顔を眺める部屋を眺める地図を眺める幸福を眺める音楽を眺める間違いを眺める虚無を眺める数式を眺める偶然を眺める歌を眺める海岸を眺める意識を眺める靴を眺める事実を眺める窓を眺める疑問を眺める花粉。


  ○


猿を舐めるベンチを舐める舌を舐める指を舐める庭を舐める顔を舐める部屋を舐める地図を舐める幸福を舐める音楽を舐める間違いを舐める虚無を舐める数式を舐める偶然を舐める歌を舐める海岸を舐める意識を舐める靴を舐める事実を舐める窓を舐める疑問を舐める花粉。


  ○


猿を吸い込むベンチを吸い込む舌を吸い込む指を吸い込む庭を吸い込む顔を吸い込む部屋を吸い込む地図を吸い込む幸福を吸い込む音楽を吸い込む間違いを吸い込む虚無を吸い込む数式を吸い込む偶然を吸い込む歌を吸い込む海岸を吸い込む意識を吸い込む靴を吸い込む事実を吸い込む窓を吸い込む疑問を吸い込む花粉。


  ○


猿を味わうベンチを味わう舌を味わう指を味わう庭を味わう顔を味わう部屋を味わう地図を味わう幸福を味わう音楽を味わう間違いを味わう虚無を味わう数式を味わう偶然を味わう歌を味わう海岸を味わう意識を味わう靴を味わう事実を味わう窓を味わう疑問を味わう花粉。


  ○


猿を消化するベンチを消化する舌を消化する指を消化する庭を消化する顔を消化する部屋を消化する地図を消化する幸福を消化する音楽を消化する間違いを消化する虚無を消化する数式を消化する偶然を消化する歌を消化する海岸を消化する意識を消化する靴を消化する事実を消化する窓を消化する疑問を消化する花粉。


  ○


猿となるベンチとなる舌となる指となる庭となる顔となる部屋となる地図となる幸福となる音楽となる間違いとなる虚無となる数式となる偶然となる歌となる海岸となる意識となる靴となる事実となる窓となる疑問となる花粉。


  ○


猿に変化するベンチに変化する舌に変化する指に変化する庭に変化する顔に変化する部屋に変化する地図に変化する幸福に変化する音楽に変化する間違いに変化する虚無に変化する数式に変化する偶然に変化する歌に変化する海岸に変化する意識に変化する靴に変化する事実に変化する窓に変化する疑問に変化する花粉。


  ○


猿を吐き出すベンチを吐き出す舌を吐き出す指を吐き出す庭を吐き出す顔を吐き出す部屋を吐き出す地図を吐き出す幸福を吐き出す音楽を吐き出す間違いを吐き出す虚無を吐き出す数式を吐き出す偶然を吐き出す歌を吐き出す海岸を吐き出す意識を吐き出す靴を吐き出す事実を吐き出す窓を吐き出す疑問を吐き出す花粉。


  ○


猿を削除するベンチを削除する舌を削除する指を削除する庭を削除する顔を削除する部屋を削除する地図を削除する幸福を削除する音楽を削除する間違いを削除する虚無を削除する数式を削除する偶然を削除する歌を削除する海岸を削除する意識を削除する靴を削除する事実を削除する窓を削除する疑問を削除する花粉。


  ○


猿を叩くベンチを叩く舌を叩く指を叩く庭を叩く顔を叩く部屋を叩く地図を叩く幸福を叩く音楽を叩く間違いを叩く虚無を叩く数式を叩く偶然を叩く歌を叩く海岸を叩く意識を叩く靴を叩く事実を叩く窓を叩く疑問を叩く花粉。


  ○


猿を曲げるベンチを曲げる舌を曲げる指を曲げる庭を曲げる顔を曲げる部屋を曲げる地図を曲げる幸福を曲げる音楽を曲げる間違いを曲げる虚無を曲げる数式を曲げる偶然を曲げる歌を曲げる海岸を曲げる意識を曲げる靴を曲げる事実を曲げる窓を曲げる疑問を曲げる花粉。


  ○


猿あふれるベンチあふれる舌あふれる指あふれる庭あふれる顔あふれる部屋あふれる地図あふれる幸福あふれる音楽あふれる間違いあふれる虚無あふれる数式あふれる偶然あふれる歌あふれる海岸あふれる意識あふれる靴あふれる事実あふれる窓あふれる疑問あふれる花粉。


  ○


猿こぼれるベンチこぼれる舌こぼれる指こぼれる庭こぼれる顔こぼれる部屋こぼれる地図こぼれる幸福こぼれる音楽こぼれる間違いこぼれる虚無こぼれる数式こぼれる偶然こぼれる歌こぼれる海岸こぼれる意識こぼれる靴こぼれる事実こぼれる窓こぼれる疑問こぼれる花粉。


  ○


猿に似たベンチに似た舌に似た指に似た庭に似た顔に似た部屋に似た地図に似た幸福に似た音楽に似た間違いに似た虚無に似た数式に似た偶然に似た歌に似た海岸に似た意識に似た靴に似た事実に似た窓に似た疑問に似た花粉。


  ○


猿と見紛うベンチと見紛う舌と見紛う指と見紛う庭と見紛う顔と見紛う部屋と見紛う地図と見紛う幸福と見紛う音楽と見紛う間違いと見紛う虚無と見紛う数式と見紛う偶然と見紛う歌と見紛う海岸と見紛う意識と見紛う靴と見紛う事実と見紛う窓と見紛う疑問と見紛う花粉。


  ○


猿の中のベンチの中の舌の中の指の中の庭の中の顔の中の部屋の中の地図の中の幸福の中の音楽の中の間違いの中の虚無の中の数式の中の偶然の中の歌の中の海岸の中の意識の中の靴の中の事実の中の窓の中の疑問の中の花粉。


  ○


猿に接続したベンチに接続した舌に接続した指に接続した庭に接続した顔に接続した部屋に接続した地図に接続した幸福に接続した音楽に接続した間違いに接続した虚無に接続した数式に接続した偶然に接続した海岸に接続した意識に接続した靴に接続した事実に接続した窓に接続した疑問に接続した花粉。


  ○


猿の意識のベンチの意識の舌の意識の指の意識の庭の意識の顔の意識の部屋の意識の地図の意識の幸福の意識の音楽の意識の間違いの意識の虚無の意識の数式の意識の偶然の意識の歌の意識の海岸の意識の意識の意識の靴の意識の事実の意識の窓の意識の疑問の意識の花粉。


  ○


猿を沈めるベンチを沈める舌を沈める指を沈める庭を沈める顔を沈める部屋を沈める地図を沈める幸福を沈める音楽を沈める間違いを沈める虚無を沈める数式を沈める偶然を沈める歌を沈める海岸を沈める意識を沈める靴を沈める事実を沈める窓を沈める疑問を沈める花粉。


  ○


猿おぼれるベンチおぼれる舌おぼれる指おぼれる庭おぼれる顔おぼれる部屋おぼれる地図おぼれる幸福おぼれる音楽おぼれる間違いおぼれる虚無おぼれる数式おぼれる偶然おぼれる歌おぼれる海岸おぼれる意識おぼれる靴おぼれる事実おぼれる窓おぼれる疑問おぼれる花粉。


  ○


猿と同じベンチと同じ舌と同じ指と同じ庭と同じ顔と同じ部屋と同じ地図と同じ幸福と同じ音楽と同じ間違いと同じ虚無と同じ数式と同じ偶然と同じ歌と同じ海岸と同じ意識と同じ靴と同じ事実と同じ窓と同じ疑問と同じ花粉。


  ○


猿を巻き込むベンチを巻き込む舌を巻き込む指を巻き込む庭を巻き込む顔を巻き込む部屋を巻き込む地図を巻き込む幸福を巻き込む音楽を巻き込む間違いを巻き込む虚無を巻き込む数式を巻き込む偶然を巻き込む歌を巻き込む海岸を巻き込む意識を巻き込む靴を巻き込む事実を巻き込む窓を巻き込む疑問を巻き込む花粉。


  ○


猿の蒸発するベンチの蒸発する舌の蒸発する指の蒸発する庭の蒸発する顔の蒸発する部屋の蒸発する地図の蒸発する幸福の蒸発する音楽の蒸発する間違いの蒸発する虚無の蒸発する数式の蒸発する偶然の蒸発する海岸の蒸発する意識の蒸発する靴の蒸発する事実の蒸発する窓の蒸発する疑問の蒸発する花粉。


  ○


猿と燃えるベンチと燃える舌と燃える指と燃える庭と燃える顔と燃える部屋と燃える地図と燃える幸福と燃える音楽と燃える間違いと燃える虚無と燃える数式と燃える偶然と燃える歌と燃える海岸と燃える意識と燃える靴と燃える事実と燃える窓と燃える疑問と燃える花粉。


  ○


猿に萌えるベンチに萌える舌に萌える指に萌える庭に萌える顔に萌える部屋に萌える地図に萌える幸福に萌える音楽に萌える間違いに萌える虚無に萌える数式に萌える偶然に萌える歌に萌える海岸に萌える意識に萌える靴に萌える事実に萌える窓に萌える疑問に萌える花粉。


  ○


猿と群れるベンチと群れる舌と群れる指と群れる庭と群れる顔と群れる部屋と群れる地図と群れる幸福と群れる音楽と群れる間違いと群れる虚無と群れる数式と群れる偶然と群れる歌と群れる海岸と群れる意識と群れる靴と群れる事実と群れる窓と群れる疑問と群れる花粉。


  ○


猿飛び込むベンチ飛び込む舌飛び込む指飛び込む庭飛び込む顔飛び込む部屋飛び込む地図飛び込む幸福飛び込む音楽飛び込む間違い飛び込む虚無飛び込む数式飛び込む偶然飛び込む歌飛び込む海岸飛び込む意識飛び込む靴飛び込む事実飛び込む窓飛び込む疑問飛び込む花粉。


  ○


猿の飛沫のベンチの飛沫の舌の飛沫の指の飛沫の庭の飛沫の顔の飛沫の部屋の飛沫の地図の飛沫の幸福の飛沫の音楽の飛沫の間違いの飛沫の虚無の飛沫の数式の飛沫の偶然の飛沫の歌の飛沫の海岸の飛沫の意識の飛沫の靴の飛沫の事実の飛沫の窓の飛沫の疑問の飛沫の花粉。


  ○


猿およぐベンチおよぐ舌およぐ指およぐ庭およぐ顔およぐ部屋およぐ地図およぐ幸福およぐ音楽およぐ間違いおよぐ虚無およぐ数式およぐ偶然およぐ歌およぐ海岸およぐ意識およぐ靴およぐ事実およぐ窓およぐ疑問およぐ花粉。


  ○


猿まさぐるベンチまさぐる舌まさぐる指まさぐる庭まさぐる顔まさぐる部屋まさぐる地図まさぐる幸福まさぐる音楽まさぐる間違いまさぐる虚無まさぐる数式まさぐる偶然まさぐる歌まさぐる海岸まさぐる意識まさぐる靴まさぐる事実まさぐる窓まさぐる疑問まさぐる花粉。


  ○


猿あえぐベンチあえぐ舌あえぐ指あえぐ庭あえぐ顔あえぐ部屋あえぐ地図あえぐ幸福あえぐ音楽あえぐ間違いあえぐ虚無あえぐ数式あえぐ偶然あえぐ歌あえぐ海岸あえぐ意識あえぐ靴あえぐ事実あえぐ窓あえぐ疑問あえぐ花粉。


  ○


猿くすぐるベンチくすぐる舌くすぐる指くすぐる庭くすぐる顔くすぐる部屋くすぐる地図くすぐる幸福くすぐる音楽くすぐる間違いくすぐる虚無くすぐる数式くすぐる偶然くすぐる歌くすぐる海岸くすぐる意識くすぐる靴くすぐる事実くすぐる窓くすぐる疑問くすぐる花粉。


  ○


猿に戻るベンチに戻る舌に戻る指に戻る庭に戻る顔に戻る部屋に戻る地図に戻る幸福に戻る音楽に戻る間違いに戻る虚無に戻る数式に戻る偶然に戻る歌に戻る海岸に戻る意識に戻る靴に戻る事実に戻る窓に戻る疑問に戻る花粉。


  ○


猿をとじるベンチをとじる舌をとじる指をとじる庭をとじる顔をとじる部屋をとじる地図をとじる幸福をとじる音楽をとじる間違いをとじる虚無をとじる数式をとじる偶然をとじる歌をとじる海岸をとじる意識をとじる靴をとじる事実をとじる窓をとじる疑問をとじる花粉。


物語の物語の物語

  Migikata

 図書館細胞は、高台へ至る斜面の住宅街にあった。傾斜の強い路地に板壁の湿った家屋がひしめき、石垣の間を脇に入れば、雑木が頭上から一面に影を這わす。薄暗いざわめきの明滅に体が沈む。しかし、この坂を上りきり振り返るならやがて眺望が開け、見晴るかす彼方は海だ。

 他の多くの図書館細胞と同じように、そこは民家の一室で、庭先の木戸に「図書館九一00一・文学的自動生成・人為即興部」という縦長の表示板がかかる。スマートフォンをかざして表示板のチップに認証を受けると、木戸を潜って進む。受付は土間に面した座敷への上がり口にあって、六十代後半くらいの和服の女性が二人、座卓の前でそれぞれノート型端末に向かっている。事前の予約と認証で、互いに挨拶をするときには既に総ての受け入れ準備が整っていたようだ。

 「ここは初めてですね。どうぞお楽になさって下さい」と一人がお茶を勧める間、もう一人が開け放した障子の向こう、縁側に腰を掛けて待つ三十歳ほどの女性に「いらっしゃいましたよ」と声を掛けた。はいと返事をして立ち上がると彼女は長身で、青い花柄に埋まったワンピースを南からの風が通り抜け、着衣の全体がふくらみ、靡いた。二人の婦人の脇に正座すると、名前を名乗って深々と頭を下げるので、こちらは立ったまま彼女に名乗り返した。相手に比べて雑なお辞儀を返していることが恥ずかしい。「蔵書」と通称される「非在図書開陳係員」に一対一で直接向き合うのは初めてだったから、とても緊張していたのだった。

 彼女には馴れたことだから、にこやかに木製のサンダルを突っかけると、いつの間にか極自然に横に立っている。「それでは歩きましょう」と彼女は言った。
「今もう、本が開いていますよ」

 体を寄り添わせて歩きながら彼女が流した言葉のイメージを、その場で聞き取ったものの一部がこれから先、題名を付して記す文章だ。

 家の敷地を出ると、流れる煙のようにして人けのない通りをさまよった。よく晴れた日で、前日の雨で濡れている木や草の匂いがした。家や植物に囲まれた狭隘な路地を歩き、そこを外れて開けた場所へも出た。手入れが行き届いていない荒れた林に草を分けて入り込んだり、用水路に沿って歩いたりもした。

 時には彼女は、間近で顔を向かい合わせて熱心に言葉を発した。また、ふと立ち止まると、体全体が目に入るだけの距離をとり、声を大きくして話した。しゃがみ込んで、道ばたの菫か何かの花を見つめながらひどく遅いペースで話すこともあった。ある場面ではこちらの二の腕を掴んで、直接体の中へ言葉を流し込もうとするかのように語ってくれた。

 並んで歩くほどに「本」は一枚一枚ゆっくりとめくられ、およそ三十分で堅い裏表紙が見え、話の最後の部分に覆い被さって終った。非在の本がひと度開き、再び閉じられたのだった。


『鞠を落とす・鞠が落ちる・ものが引き合う』
 
 鞠になって落ちるとき、落とすものの掌は見えていません。落とすものは雲と大差なく空の明るみを漂っていたのです。
 それはまったくスピリチュアルな存在ではないのに、どこか泰然とした悟性を保っているかのようでした。鞠になって両脇から押さえられ、冷たい高層の空気の中を上へ上へ掲げられていくと、「落とすもの」は父や母の思い出のような、曖昧な愛情さえ肌に伝えてきました。
 落とされることは不安で、一方では落ちることが嬉しい。不安と嬉しさが重なって捩れながら、大きな流れとなって渦を巻き、その流れが鞠を含む総てをさらに高く押し上げるようです。
 鳥か虫か、ちぎれた紙か。
 薄く広がって、それでも意思あるものたちが、羽ばたいて周りを取り巻きながら、螺旋に昇ってついてきます。冷涼な光子の粒が滑らかに空間を浸します。明るいけれども眩しくはありません。
 押さえていた掌が消えるように離れてしまうと、時間がするするほぐれ始めました。
 落ちるのです。
 地上からの光の反射が、野や山や家や道路や、穏やかなものやどうしようもなく獰猛なものの実在を視覚に返します。そしてそれが逆に降り注ぐ光のみなもとを意識させるから、猛烈な気流の抵抗を受けながらも、落ちてゆくものは空と引き合うものでもあると、はっきり言えるのです。
 拡大。地理の拡大ではなく、ものの拡大。街路樹の一本、桜の樹の拡大。思い出。葉柄から葉脈をなぞり、葉と葉と葉と、さらに葉に、感触をがさごそ委ねながら、緑色の苦い思い出ごと枝を突き抜けます。
 (お父さん、お母さん、とかつて言いながら赤い車のリヤウインドウに緑のクレヨンで数カ所断線した大きなマルを描いたことがありました。)
 こんにちは。さようなら。それがバウンド。鞠は人のいない歩道のアスファルトで一瞬極端にひしゃげます。ひしゃげるもの、それが鞠。過程というものについての強烈な愛の衝動が、激突を引き起こすのです。
 聞くもののない音を放つ激突。
 こんにちは。さようなら。
 それからもう一度昇ります。今度は引き上げられるのではなく、自分の力でそうしているかのように、昇る。昇る。微妙に回転しながらすさまじい速度で昇ります。
 「ウイークリーマンション ネオ・トライブ」の傍らを過ぎれば屋根、屋根のモザイク。感覚に反映するこの世の総てが微細なモザイクの集積なのです。
 今度の上昇は、全体的に見れば位置エネルギーが減衰する一過程ですが、呼吸も新陳代謝も周期を持って減衰する同じバウンドなのだから、そういう理屈でこの世の総体が鞠と一体になり、しかしそれぞれ異なる次元を併存させて跳ねるのです。
 どきどきします。
 脆い地殻のすぐ裏側で、マントルが対流し、内核が鼓動しているからです。恋のときめきではありません。小さな惑星が宇宙の原初を懐かしみ、心地よく動揺している幻が、開陳されているのです。
 鞠のバウンドの終わりは死んでしまうということではありません。
 眠りでも休息でもありません。
 連続したバウンドの地に着いた状態が、いくぶん長く時間の流れに投影されているだけです。
 鞠はまだ生まれず、今も無く、既に形を失って四散しているのに、それでも跳ねている過程の一部であるのです。
 落とされるものは結局落とすものでしかない、という幸せなあきらめはそんな仕組みから来るのだと。
 「そんな仕組みから来るのだ」と、耳元では蜂の羽音が囁いています。


 『もちろん、直接耳元で囁いたのはこの物語を語った女性に違いなかったが、その時の声の甘さ加減は、およそ人間の口から発せられたものとは思えぬほどであった』と最後に追記しておく。


雨の日

  zero


雨の日に、僕は雨粒の音を数えている。僕が数えられるよりももっと速く雨粒は降ってくるし、遠くの雨粒の音はよく聞こえない。それでも僕は雨粒の音を数えている。自分の感性の平原、その静寂に一番響く雨粒の音を探している。全てがほとんど同じであろう雨粒の音の中で、この世の正と負との境界を厳密に突くような雨粒の音を、たった一つでも聴き分けることができればいい。

雨の日に、僕は家の中で外を想像している。外は禁止されていて、不思議な権威をまとい、何やら神秘的なふりをするものだから、僕はそんな外に疑問を感じるし、そんな外をほっておけない。雨に包まれた外をどこまでも思い出していく。あの道をたどればあの駅に出て、あの裏道を抜ければあの大通りに出る。外が禁止されているのは余りにも不当だし、外は何かすっかり変わってしまったかのように振る舞うから、僕はいつもの外を再現して雨による変装を暴こうとする。

雨の日に、僕はいくつもホットケーキを焼く。何でも自分でやるのに向いているのが雨の日だ。雨は少しずつ自分の自分による自分のための生活を思い出させる。例えばゴミを整理して袋に詰めたり、本棚を整理したり、靴を磨いたり。自分が自分に立ち返り、外の助けを受けなくてもやっていける、そんな僕はホットケーキを焼く。自分の生命を遠回りに支えてくれるお菓子の栄養、僕はそれが自分の生活の要だと思うので、ホットケーキを焼く。

雨の日に、僕は本を読む。雨の日は本を読むのに適さないけれど、本の活字と雨音はどこか似ている気がして、活字と雨音が響きあうのを心地よく感じ取っているのだ。活字はいつでも降って来るもの。活字はいつでも潤っているもの。そして活字は記憶の水溜りの中に消えていくもの。雨は外に降っている。活字は僕の中に降ってくる。僕は活字が僕の中に降って来て、僕の地面にぶつかって音をたてる音楽のリズムを、エンドレスで聴き続ける。活字は大雨になり小雨になり、やがて静かに虹を映し出す。


蒼いひかり――三つの破片

  前田ふむふむ

ピアノのある部屋

頭が金槌で打たれているように痛む
激しくピアノが鳴り響くなかを
二十年前に死んだ父のなきがらを背負って
みず底を歩く
呼気が泡になり 上に次々と昇っていく 
深い暗闇から太陽のひかりに向かって
水草は 引っ張られるように 伸びていて
溺れた獣が生贄となっている 魚たちの狩場に 魚が一匹もいない
そこには 墓碑が林立している墓場のような 
夕暮れを迎えた森がある
その陰鬱なみどりをすすんでいくと
柿の木が庭に立つ
一軒の小ぢんまりとした木造の家がある
玄関のドアを開けて入ると
父は わたしから 浮くように離れたので あわてて手を伸ばしたが
届かず 抱き戻すことができずに 
少し みずのなかを漂ったが
ひとつの狭い部屋で 消えていなくなった
取り返しのつかないことが起こり
とても悲しくなり
動転して取り乱していると
ここはみず底だという意識はまだ あるのだが
いつの間にか 呼気の泡は消えている
わたしは 落ち着くために ゆっくりと呼吸を整えると
そこは
暗く 壁一面に まだらに黴が繁殖し 
湿気が充満し 
重苦しい時が流れている
その暗い部屋の真ん中に ピアノが一台置いてある
長い歳月を重ねた 古い一台のアップライト ピアノが置いてある
わたしはそのピアノをじっと見ている
なぜか 訳もなく みているだけだ
しばらく眺めていたが
無性に 理由が知りたくなり
わたしは過去の書棚から分厚い百科事典を
取り出して調べてみた
百科事典は 五十音順ではなく
使い勝手が悪かった
眼が文字で溢れるほど
長い時間を掛けて 探してみると
「わたしとピアノ」という項目の言葉が載っていた
生唾を呑みこんで 覗くように見てみると
その解説文は全文 黒くマジックで
塗り潰されていた
驚いて 落胆したが あきらめずに
わたしはさらに丹念に 過去の百科事典を調べた
すると
「わたしとピアノについての解説文を黒くマジックで塗り潰した理由」という
解説文が載っていた 
だが その解説文は再び 黒くマジックで塗り潰されていた
唖然としたが 納得できずに なお わたしは更に深く調べようと
「わたしとピアノについての解説文を黒くマジックで塗りつぶした理由を書いた解説文を塗りつぶした理由」を
探して見つけると
これも 全文 黒くマジックで塗りつぶされていた
胸が張り裂けるような 強い鼓動が わたしの全身を覆っていた

鼠色の雲が裂けて ひかりが身体を射し 
わたしは眩しさに眼を逸らした
ソファーから ゆっくりと起き上がると
夏の日差しを受けて大きな黒いわたしの影が 
わたしの前に不気味に立っていた
それはあの大きな父のように見えた
そして、ピアノの音色が―― 
今日も聞こえる
大きな黒い影のなかから 激しく軋むような呻き声を上げ
隘路に迷い込んだように ピアノの鍵盤が
いつまでも
一番高いオクターブの シの音を 連弾している



精肉譚

市場は 朝早くから 
人々の熱気に溢れており
生肉のほのかに甘い匂いが あたりを覆っている
市場の中央にある精肉店では
ガラスケースのなかに
豚肉のブロックが 積み重ねられている
その赤い血を腸に詰め込んだ
ソーセージがぶら下がっている
ぶつ切りにされた鶏肉が 部位ごとに
大皿の上に盛られている
店頭に立っている
親方の威勢の良い声が 路上に響いていく

裏手の狭い作業場では 
家庭の生活を補うために 学校を休んでいる
七人の子供が集められて
手際よく 鶏加工の流れ作業を行っている
眼を大きく パチクリさせた
幼い男と女の子たちは
手馴れた手つきで
一人目の子供は 鶏の首を切り 血抜きをする
二人目の子供は 鶏を熱湯の中に入れる
三人目の子供は 鶏の羽を毟り取り
四人目の子供は 鋭いナイフで鶏の頭と足を切り落とす
五人目の子供は 鶏を部位ごとに切り離し
六人目の子供は 鶏の内臓を取り出す
七人目の子供は 鶏の全ての部位を仕分けする
さあ 笑顔いっぱいにして
一人目 二人目 三人目 四人目
五人目 六人目 七人目
さあ、気合をいれて
一 二 三 四
五 六 七
繰り返される 爽やかな絵巻物
ノルマを全てやり終えると 鶏の血と脂で汚れた手を
手桶で洗った子供たちは 
店の親方から 報酬を貰うと
嬉しそうに街中へ

仕事が終わったから
はやく みんなで仲良く遊ぼう
一人目 二人目 三人目 四人目
五人目 六人目 七人目
本当に楽しいね 面白いね 嬉しいな
一 二 三 四
五 六 七
・・・・・・
あとでもう一回手を洗わないとね
ねえ もう一回やろうよ

夕陽が西空で真っ赤に染まっている



伝書鳩

十二段の階段を昇ると わたしの部屋がある
飛べない伝書鳩が 千羽棲みついている部屋がある
暖かい羽根布団のやさしさよ わたしは癒される
わたしは眠る 千羽の伝書鳩に埋もれながら
わたしの部屋の閉じた窓には 小さな穴が開いてある
外を覗くために 錐で開けた穴がある
千羽の伝書鳩は いつも穴を覗いている
穴の向うには 疲れ切ったわたしがいる

ああ 午後の海は真冬の嵐のようだ

鋭く尖った岬に 小さな古い灯台がある
岬の灯台には 激しい波しぶきを被った
細いジグザグ道を行かねばならない
その道は 途中 いくつもの寸断された溝があり
誰も行くことができない
更には 灯台の窓は
悉く 内側から 頑丈な板で塞がれて
釘で打ち付けられていて 
なかを見ることが出来ない
でも わたしは行ったことは無いが
灯台に住む美しい少女を知っている

一度だけ 恐る恐る部屋の小さな穴を覗いたとき
少女をみたことがあった

細い絹を纏っただけの 裸体だった

灯台が月の光で海に浮き上がって映る 穏やかな夜
わたしは 高まる心臓の鼓動を握り締めながら
部屋の小さな穴を覗いてみた
すると 灯台から 窓板を勢いよく突き破って
血だらけになった 千羽の伝書鳩が飛び出し
夜の海をいっせいに駆けていった

海はすべて 伝書鳩で埋め尽くされた
     
十二段の階段を昇ると わたしの部屋がある
わたしの部屋から悲鳴に近い泣き声がする
わたしは 今日は手紙を読んでいる
昔 一度読んで
長い間忘れていた手紙を 読んでいる
隔離された結核病棟の女性が
黄ばんだ古い紙の上で
空しく絶望の声を上げていた


話の途中で、タバコがなくなった。

  田中宏輔



それって、雨のつもり?
あきない人ね、あなたって。
忘れたの?あなたがしたこと。
あなたが、わたしたちに約束したこと。
もう、二度と滅ぼさないって約束。
また、はじめるつもりね。
すべての生きた言葉の中から、
あなたが気に食わない言葉を選んで
ぜんぶ抹殺するつもりでしょ。
この世界から。
なんて、傲慢なのかしら。
前のときには、黙っててあげたわ。
わたしも、品のない言葉は嫌いですもの。
それに、品のない言葉を口にする子供を目にして、
これではいけないわ。
悪い言葉が、悪いこころを育てるのよ、
って、わたしは、そう思ってたの。
でも、それは、間違いだったわ。
どんなに、あなたの目に正しく、
うつくしい言葉でも、
わたしたちのこころは、それだけじゃ
まっとうなものにならないのよ。
ほんとうよ。
あっ、タバコが切れたわ。
ちょっと待っててちょうだい。
そう、そう、こんどの箱舟には
どんな言葉を載せるの?
やっぱり、つがいにして?
滅びるのは悪い言葉だけで、
生き残るのは正しい言葉だけ?
でも、すぐに世界は
いろんな言葉でいっぱいになるわ。
あなたが嫌う、正しくもなく、うつくしくもない言葉が
すぐに、この世界に、わたしたちの間に、
はびこるはずよ。
雨の日に、こんな詩を思いついた。
ありきたりのヴィジョンで
あまり面白いものではないかもしれない。
最近は、俳句ばかり読んでいる。
富田木歩という俳人の顔写真がいい。
いま、ぼくが付き合っている恋人にそっくりだ。
本から切り取り、アクリル樹脂製の額の中に入れて、
机の上に飾って眺めている。
ぜんぜん似ていないと、恋人は言っていたけど。
恋人の親戚に、名の知れた俳人がいる。
と、唐突に、
音、先走らせて、急行電車が、駆け抜けて行く。
普通なら止まる、一夏(いちげ)のプラットホーム。
等しく過ぎて行く、顔と窓。
蚊柱の男、ベンチに坐って、マンガに読み耽る。
白線の上にこびりついた、一塊のガム。
群がりたかる蟻は小さい。
ヒキガエルが白線を踏むと、
蚊柱が立ち上がる。
着ていた服を振り落として。
ふわりと、背広が、ベンチに腰かける。
胸ポケットの中で、携帯電話が鳴り出した。
誰も、電車が来ることを疑わない


嘘つき

  島中 充

ガラス戸にぶつかり、足長蜂が死んでいた。
五年生の夏休み、暑くて私はすることもなく暇だった
死骸の前に座り込み、蜂の解剖にとりかかった。
羽を一枚一枚抜き、足をもぎ取り、腹を鉛筆でおした。
私は悲鳴を上げた。
腹を押したため、蜂の針がとびだし指を刺したのだ。
叫び声を聞きつけ、あわてて母が跳びだしてきた。
「どうしたの。」
「蜂に刺された。蜂で遊んでいると、
仲間の蜂が飛んで来て僕を刺して行った。」とへんな嘘をついた。
間抜けな自分が恥ずかしかったからだ。

子供のころ、私は嘘つきであった。
こんな嘘つきで、りっぱな大人に成れるのであろうかと
くよくよしていた。

前を見てカチャ、右を見てカチャ、左を見てカチャ。
私は写真を撮られた。
未成年への酒の提供で逮捕されたのだ。
少年課の刑事が前にふんずりかえり風営法違反だと言う。
私は未成年だと思わなかったと何度も答えた。
じゃ、連れてこようと、
十八才だと言うあどけなさの残る未成年を連れてきた。
私は未成年と思わないと答えた。
お前は金もうけのために未成年に酒を提供したのだ。
どんなことをしても起訴してやるからなと息巻いている。
夜の十一時から朝の六時まで
私は未成年だと思わなかったと答え続けた。
そして不起訴になった。

還暦をすぎ、六十五歳の老人になっても、
私は、やはり嘘つきである。
これでいいのかと
くよくよしている。


  zero

夜の街路で、街灯もない道を私はさまよっていた。正義はいつでも鋼鉄でできている。それは鋼鉄の壁かもしれないし、鋼鉄の刃かもしれない。私は自らの著作の記述で異教徒を激怒させ、異教徒に追われていた。だが、この異教徒は詩だ。私が信念を吐き出して安堵してしまったとき、鋼鉄の切れ味で私を追い詰めてくる他者、それは私の中の他者であり、私の中の詩に他ならない。私は街路で躓いて転んでうずくまる。どうやら膝をすりむいたようだ。追っ手はどこにいるのか。私を捕まえて何をしようとするのか。私はひたすら論理的で体系的で整合的で完璧な表現をしたいのだ。だがそんな私を理解不可能な鋼鉄の正義を振りかざして追撃するものがある。それが詩だ。詩が私の命を狙っている。詩に殺されるとき、私の理論の鎧はどうなってしまうのか。数人が走ってくる足音が聞こえる。異教徒の追っ手が私を見つけた。私はもう逃げられず、詩に殺されるほかない。詩なんて知らなければよかった。私の中に異教徒としての詩が侵入することを許したのが私の最大の失敗だ。いや、成功かもしれぬ。私が正常な論理のみで私を完結させようとしたとき、それは私に対する最大の裏切りだったのだ。異教徒としての詩は、結局は私の中の私に対する誠実さだったのだ。ついに異教徒たちは私を取り囲んだ。私はうろたえて恐怖した。異教徒の一人が銃を取り出し発砲する。詩の弾丸が私を撃ち抜く。私の死体を確認したうえで、異教徒の一人は私の服をすべて奪って、生きていたときの私と同じ服装になる。その異教徒は顔かたちも私と同一である。私は異教徒として別の身体を得た。詩という鋼鉄の正義を原理的に信じるテロ組織のリーダーだ。私は人間も自然も社会もすべてを歌に変えることができる。この牧歌性、生きる喜び、青春と懊悩、癒えない傷、そういう正義を守るために私は手段を選ばない。


群像

  飯沼ふるい




えぇ、ご指摘の通り、これはシベリアンステップの凍土に眠る名もなき独逸の冒険家が手首に巻いていたスカァフです。それはさておき私の話をまずお聞きなさい。





一小節、まだまだ弦楽は引きつって笑わなければならない。ティンパニ、ティンパニ。ここで叩く音が嬰児を爆ぜさせて射精、掌握された、
二等星、そのために手を繋ぎ唾液を髪に垂らす星、下痢をぶちまける、指のかたちに、夜が河川に運ばれる、星が運ばれる、海へ、塩辛い破裂音が犬吠埼に弾かれる、
3番線、それは以前に書いた詩の名残、架線にたなびくビニール袋、聞き慣れた単位に染められようとする一筋の希望、
地平線は震え、たくさんの涙腺から、医務室に収められた、ホルマリン漬けの卒業証書。





 我々の遺骨を
 我々が納める
 我々の指先
 




道玄坂を下っていた男は朗らかな東北訛りで、日露のエネルギィ通商に伴うOPEC諸国との資源交渉の影響について連れ添いの女に説いていました。
さて、浜田商店という看板のかかった、古ぼけた個人商店には萎びた玉ねぎや人参が、並べられています。
埃っぽい店内の空気をいっぱいに吸い込んだそれらは、近所の農家が三代前の主人に卸してからずっと残されているもののようにも見えるのです。
数年前に流行った文具のポスターが、レジの下に色褪せながらも貼られています。
そこに向かって深緑のジープが突っ込んで来たのは、語尾をずるずる引き延ばすような訛りを隠そうともしない男が女と別れてから中央線での人身事故に捕まり立ち往生していた時でした。
衝撃はよほど大きかったと見え、その破壊力は二度目の元寇の際、いざ浜に上陸せんとして蒙古兵が投げた、てつはうにまでおよび、肥前武士の右腕をちぎり飛ばしたものです。
彼の流した血とよく分からない体液は、海砂と化合してひとつの小さなストロマトライトになりました。
それは今も尚、死んだ観念のような姿で酸素を吐き続けています。





冬の陽のおおらかな無情
 行方は知らない

白い雪の静かな知性
 行先を教えない

低気圧が覆っている
敷き詰められた白線の下敷きになって
寒い
日本酒を呑む
うまい
こたつにミカン
カメラはNikon
言葉は知らない
除染済みの土砂を
モノクロに写して

僕は何に恋をする

人恋しさに
恋をする

干柿のような顔のカップル
1枚、どう?





皆さんもご存じのこととは思いますが、昨日、貯水池に落ちたゴムボールを拾おうとして、柵を乗り越えた子供が足を滑らせ池に落ち、溺死しました。
さればこそ、以下に述べる事実もまた教えなければなりません。
明後日は、老人がぬるい茶を大袈裟に啜りながら、彼の友人に王手を掛けることでしょう。
また、因数分解の初歩に戸惑う岐阜の中学生の女の子が、先生と目を合わせないよう不自然に目を泳がせることでしょう。





「青や緑は人に寒さを感じさせる、寒色と呼ばれる色です。赤や黄は逆に、暖かみを感じさせます。これを暖色といいます」
と、いつか図工の時間に先生が教えてくれた。新しく僕に与えられた言葉はそっくりそのまま教科書に印字されている。
青い水彩絵の具をなんとか絞り出す。弱ったなまこみたいな寒色が小汚いパレットにぽてりと落ちる。
ひねくれはじめていた当時の僕はそれで暖かい太陽を描こうとしたのだが、どうもうまくいかなかった。
太陽は赤い、などと誰が決めた。とは言うものの、しかし、しかし例えばだ。僕が赤いと思って見ている物が、僕が青いと思って見ている物の色で見える人に、焚き火や夕焼けの色、あれが暖色といいます。
と、教えたとする。
「ほう、あの色が」
彼が夏の黄昏を情感いっぱい込めて描いたとき、僕は彼をひっぱたいてしまうかもしれない。
てめぇの血は何色だと。お前それ暖かく見えんのかと。ひねくれるんじゃないよ。夕焼っていうのはこういう色だ。いや、違う……。
と、謎の押し問答が始まるのではないか。彼の暖かさとはいったいどうなのか。絵の話が論理学だか哲学だかの話になってしまうからもうやめる。
とにかく僕は諦めて画用紙を青空で埋めた。青く円い太陽はすっかり潰されて、雲を描くのも忘れた。





2014.11.30

またなにもしない1日。
彼らを思うことの虚しさ。
仕事を探さねば。
社会に出て働くこととは相容れないが、仕事をしなければ何事も説得力に欠ける。





教皇への布施を誤魔化し続け、売れない芸術家を養い続けたシチリアの銀行家は睡眠中に窒息死しました。
彼の不倫に嫌気がさした妻が、湿らせたシルクのハンケチを彼の喉に突っ込んだのです。
彼が死ぬ間際まで愛読してきたヴェスプッチの『新世界』第3版は、彼の死とともに妻の手で焼かれました。
その火を種に、思想家の卵が心密かに疑念視していた易経もまた、始皇帝の命により焼かれたのです。
それらの、明るい燃焼音を記録したレコオドはいずれ、オクラホマの図書館から見つかることでしょう。

その翌日の早朝、南米の密林に流れる小川に、純度の低い安物のコカインが大量に流れました。それを拾い上げた者が、キュロス2世に仕えた軍人の一人でした。
興味のままに服用し、興奮した彼が見たのはどこか遠い国から湧き立つ蒙古高句麗(ムクリコクリ)の雲でした。
神にも見紛う姿だと、畏れ敬う彼の大きく開かれた瞳には、新しい生の兆しがきらめいていました。
湧きあがる力のままに、彼は下エジプトの麦畑を蹂躙したのです。その後、彼はメデシン・カルテルに加担するマフィアの一員とみなされ、警官の一斉射撃を受け死亡しました。
彼の呟きは、ホメロスの耳にも届き、あの有名な枕詞となったのです。つまりオデュッセウスやテレマコスとは原子爆弾の隠喩ともいえるでしょう。





2015.1.15

白く薄い布を首から爪先までぴったり巻き付けられた中年のアラブっぽい男が腹をかっさばかれた。
舗装されていない路上で、細長く反りの強い刀を持った長身の男が倒れている中年男を踏みながら、男になにか怒鳴りつけ、おもむろに刃を脇腹に突き刺したのだ。
中年男はぎゃあぎゃあ叫びながら首を降りまくる。長身男は尚も怒鳴りながらマグロを解体するように何度も刀を押しては引いて、腹に一文字の穴を開ける。
血は一滴もでない。長身男が中年男を蹴って、横向きにさせたとたん、濡れた一塊の腸がどろりと地面に溢れる。中年男の胸がまだ上下している。
そこで目を背ける兄と知人。テレビの映像だった。自分はやべぇやべぇと言いながらその場を離れ、何度もその現場を振り向いた。
兄らとテレビを見ていた筈なのに自分だけいつのまにかそこに置いてかれていた。
砂埃と黄土色の荒廃した荒れ地を駆ける。すると、古い日本の宿場町の面影の残る、山の斜面をつづらに縫う田舎道についた。
折り返しのうねりの頂点に路が一つ伸びていて、そこに入ると、親戚の家のような実家だった。葬式の準備で慌ただしそうにしていた。
自分も真っ黒の靴下を探したが見当たらないので、深い紺色の靴下で我慢した。
ネクタイも葬式用の黒一色のものがなかった。一筋の黄色い雷模様のついた趣味の悪いネクタイで妥協した。
準備を終えると、見知らぬ子供と風呂に入っていた。田舎の子らしい垢抜けない丸い顔の男だった。途中でその兄と思わしき男が入ってきた。小学校高学年くらいの男だった。
狭い風呂だったから兄はずっと立ちっぱなしだった。





『インディアン』と、ある全体の為の便宜的な名詞それ自体をさも彼の名であるかのように入植者たちから呼ばれていることなど知る由もない男が
新しい命の為に流した汗は蒸発してアパラチア山脈の霧となったことに疑いようがありません。
しかし彼の妻はペストに罹り、腹の子と共に赤い土の中で分解されていきました。
彼の慟哭は、あのシチリアの銀行家が見た走馬灯の最後に、鈴の音のようにかすかに響いたのです。





雪のまばらに残った梨畑が午後四時の夕陽に曝されて、赤黒く染まっていた。
渋谷のスクランブル交差点を歩く群集が頭によぎった。
田舎者が思い浮かべるテンプレートな都会の偶像だ。
しかしそこに同時代の私がいる。
共有しきれない、私という境界が、肩をぶつけ合い、ざわめき、すれ違う。
哲学を噛み砕いたような胡散臭い曇天が、吾妻山の山体を覆い隠した。
雪片がそこから無軌道に落ちて、土塊を埋めていった。

老人の渋面みたいな梨木の皮膚が孤独だ。
お天気カメラに映る数人の死者が孤独だ。
そういう同質さは繰り返される。
私の境界も、
一生分の永遠のうちに切り取られ、
身震いし、崩れていく体。
身震いし、崩れていった町。
埋め合わせの、
夢見がちな言葉が群がる。








今、と言ったときの過去が幾度となく去来して、私、と言ったときの過去が幾度となく去来して、未来、へ進もうとする意志が宇宙と並行して走っている、今。








2014.11.13

ハローワークに行った。事務職は幹部候補として育てる予定がないと採用厳しい。資格、経験も必要になってくる。
帰りに美術館に寄った。常設展は以前見たときと変わらない。企画展の方へ向かう。
企画展はなんとか千甕という人の特集だった。
10代半ばの頃に描いたという仏画はきれいだった。仏画をまじまじと見るのは初めてだった。仏の纏う装飾物の緻密な描写に驚いた。
仏の体を成す墨の線ひとつひとつの柔らかさ、繊細さ。人の信仰を篤くさせる技術への畏敬。





えぇ、ご察知のこととは思いますが、これはチグリス川に辿り着いた遊牧民に伝わるタペストリーのひとつです。そんなことはいいから私の話をお聞きなさい。





たしか小学校に入学したての頃だった。自分の顔を好きに描きなさい、そう言われたのでクレヨンで想像上の自分を描いた。
描いている最中のことはまるっきり覚えていない。気がつくと子どもの描くお決まりのホームベース形の顔が教室の後ろの壁に並んでいる。
名前がないと誰かも分からない自画像の列のなかに僕の顔がある。両肘の関節を不自然に折り曲げておネエのように手を振っている。
その指の歪さったらない。派手な盆栽の枝ぶりかと。本物の自分の手と自分が描いたはずの自分の手を何度も見比べたのを覚えている。
僕の指はあんな形ではない。先生が、「みんな上手に描けていますね」とかなんとかニコニコしながら褒めた。
「はぁ、あの指が」
僕の指が先生にはあんな歪に見えるのだろうか。などと本気で考えるほど僕は阿呆ではなかった。お世辞という感じくらい分かった。
先生は僕の絵を「元気なのがよく分かるね」と褒めてくれた。気恥ずかしかったけど、努めてなんでもない顔をつくった。

ただ、世界はある時代までモノクロで出来ているのだと思っていたくらいには無知だった。
カメラが映す人はヘルメットをかむったアメリカ人、外人とはつまり全員アメリカ人だ。そしてみんな妙に素早い。せかせかと行進するアメリカ人。
モノクロの人たちは今どこでなにしているんだろう。日曜日の朝、戦争の話をしているテレビを見ていて思った。

それから少しして、母方のじっちやんが骨になった。骨を拾う時のカサカサという音が心地よかった。
みんながすすり泣いているのを見るのがおもしろかった。知らない親戚のおんつぁまが話しかけてくるのが怖かった。
大人が着る服もそこかしこに掛かる幕も骨も白と黒ばかりだった。戦争のテレビを思い出した。
じっちやんは、モノクロからフルカラーに世界が変わるときを生きていたのかと思った。
じっちやんは機関士だったという。
こんなにも目覚ましく色づいた世界にあって、機関車が真っ黒のまんまで、どす黒い煙を吐いてずんずんと突き進んでいたのを知ったとき、彼はがっかりしなかっただろうか。
そんなこと考えていると、僕のいなかった時代があったのだと、初めてわかった。
心のすぅっと浮くような涼しい感じがした。のど仏が納められて、質素な木箱が閉じられた。誰かがここからいなくなった。
あとで父ちゃんにモノクロの話をしたら思い切り笑われ馬鹿にされた。

それからクレヨンも絵の具も真っ先にあおいろが無くなっていった。
空は青いし雨も青いし朝顔もそれを植えたプラの鉢も運動着も青かったからだ。
ひねくれてしまったのは父ちゃんのせいだと思う。





四号室、ヤニ臭いシングルルームに男を呼びこんで寝る。ふやけた視界が捉える、シーツや鏡、暖色にまみれた時間、
窓の向こうの海浜公園から花火がうち上がる、雅やかな光の輪、もはや体温だけの男。
目から彗星のようにとめどなくこぼれた、意味と、水風船の破裂するようなびしゃびしゃの景色が、
饐えた臭いごと肛門に注がれ、指を首へ殺意のように絡め、銀が散り、塵が舞い、夜はあぶれて、
五時、水平線の底からたち昇る古い友人のような朝焼、部屋に残された指輪とコンドームが、他人事のように輝く。





これらは全て、明日をも知れない若い新橋のホームレスが仕立てた、平坦な悲劇の妄想です。
「かつて」から「いつか」にかけての時制の間、皆さんの身に起こってもよかった事実の目録です。

ベクトルとは常に一定とは限りません。幽霊のようにふわふわと彷徨うクォンタムとメランコリィとミィムとにより、それは湾曲し、正道を征き、あるいは拗ねたり、反発したりもするのです。
黄金に輝くアジア象の夢から生まれ、砕かれた林檎のような女陰が咲き乱れる沼へと注がれるように、
皆さんや、皆さんがご覧になっておられる教科書の綴じ紐や、この詩というくだらない言語遊戯の構造上「私」と語られるべき、この私も、
歴史と重力との網状のスペクトルをすり抜け、十一月の大西洋に人知れず舞い落ちる白雪になり得るのです。えぇ、そうです、おっしゃるとおりですので、私の話を聞きなさい。





以下余白







 


姉のネーミングセンスについて、

  泥棒

朝、
ベランダで
台所で
居間で
階段で
玄関で
庭で
近所で
コンビニで
駅前で


昼、
職場で
ファミレスで
取引先で
トイレで
タクシーで
本屋で
スーパーで
包丁振り回してんのが
俺の姉
めっさ、かっこいい、
今日も
町のあらゆる場所で
ずっと包丁振り回してる

夜、
姉は部屋で静かに本を読んでいる
海のある町で
でも他には何もない町で
ひとりの少女が様々な困難の中で
人々との出会いを通じ
少しづつ成長し大人になるも
最後は鉄塔から飛び降りる話
少女と海と鉄塔
たしかそんなタイトルの
ありふれた
小説か詩集かノンフィクション
姉はいつもその作品だけを
何回も読んでいる

ところで、
俺の家には姉がわっしょいと名付けた犬がいる。とても賢いゴールデンレトリバーである。ちなみに散歩係は俺だ。わっしょいの毛なみはきれい。姉が毎日ブラッシングしているからとてもきれい。姉はわっしょいといる時だけ包丁を振り回さない。優しくわっしょいに話しかけてる。


日曜、
俺は早起きした。今日は天気もいいし、わっしょいを連れて車で2時間。海へとたどり着いた。砂浜でわっしょいと散歩しながら姉のことをすこし想う。今頃、部屋でノートに意味不明な詩を書いている。きっと書いている。そして、たぶん、ノーブラで書いている。何年か前にとある詩のサイトへ姉は作品を投稿していた。
俺はそれを知っていてこっそり覗いていたのだが姉の作品はボロカスに叩かれていた。

そして、
(意味わかんねぇよ
というレスに対して
私もわかんねぇよ、と切り返し
(ただのオナニー作品でつまらん
というレスに対しては
オナニーは毎日してます、
主に妄想でしているので
エロ動画とかは見ませんね、と
論点のずれた無駄に丁寧な返信をし
挙げ句の果てには
(とても面白かったです
という貴重なレスに対して
だから何ですか?と
謎の逆ギレして
最終的に
出入り禁止になっていた。
そんな姉だが
包丁振り回してる姿は
めっさ、かっこいい、
そして
俺の姉はネーミングセンスがある
褒めても逆ギレされるから
俺は何も言わないが
絶対にネーミングセンスだけはある
この前も
姉が留守の間に部屋に入り
最近書いている詩を読んだが
内容はやはり意味不明だったけど
タイトルだけは良かった。
森森の森というタイトルだった。
すこし引用してみる

冬の森で
置き去りにした耳を
かいじゅうたちにあげた
春の屋根裏で
言葉をこんがり焼いたのに
森はまだ寒い、
(俺の姉「森森の森」)

どうだろう、
まず何より意味がわからない
現代詩みたいなものに犯されている
つーか、
意味がない気がする
もちろん意味がなくてもいい派の人
そんな人もいるだろう
とにかくつまんないのだ
雰囲気だけなのだ
そりゃ、叩かれるだろうよ、
でも、やはり、
森森の森という
このネーミングセンスだけはいい
無駄にいい
意味あり気で意味ないところが
とにかくいい
いや、姉の中では意味あるんだろうけど。

日曜の海、
まだ人はあまりいない
わっしょいは太い枝をくわえて
嬉しそうに走り回る
俺も一緒にひたすら走り回る
しばらくして
近くのカフェで休憩していると
冬の砂浜にも人が増えて来た
ゆっくり時間をかけて
ランチを食べている俺の膝に
わっしょいが鼻をくっつけてくる
どうやらまだ遊び足りないらしい
もうちょっと待ってくれよ
そう声をかけると
わっしょいは足もとで
昼寝をはじめた
コーヒーを飲み終え
わっしょいの寝顔を撮り
姉に写メで送ってから
わっしょいと
もう一度砂浜へ行き遊んだ
疲れを知らないわっしょいである
途中でおばちゃんに
(かわいいわんちゃんですね
と言われ
わっしょいは照れながらも
嬉しそうに笑った
陽も暮れはじめた頃
猛スピードで
海岸線を救急車が走っていく
その爆音を
映画みたいに切り取ったら
1時間くらい耳鳴りが続いた



わっしょい、おいで!



大好物のササミジャーキーを
おやつに3本あげて
わっしょいの背中を撫でる
姉に負けないくらい丁寧に撫でる
夕暮れ
それよりきれいな
わっしょいの毛なみ
落ちていたペットボトルを
上手にくわえ
今度はこれで遊ぼうよって顔で
わっしょいが俺を見る
冷たい風が吹く
わっしょい、そろそろ帰ろうか

渋滞の海岸線、
車の窓をすこし開ける
波の音は聞こえない
となりのでかい
俺の車の10倍はでかい
ダンプカーのエンジン音だけが響く
わっしょいが助手席にいるから
俺は煙草を吸えないので
ポケットにあった
いつのかわからないガムを噛んで
なかなか進まない
渋滞の列をぼんやり見ていた
わっしょいは
何か言いたそうに
遠くの鉄塔をずっと眺めていた、


amaoto

  山人

ガードレールに捲きついた細い蔓植物が雨にたたかれ揺れている
雨はそれほど強く降っていた
たぶん汗なのだろう、額から頬にかけて液体が流れ落ちている
さらに背中は液体で飽和され、まるで別の濡れた皮膚を纏っているかのようだ
雨は降るべくして降っている
草は、乾ききった葉の産毛をゆらめかせ、雨を乞い、重い空はすでに欲情していた
二つ三つ水が落下し、やがてばらばらとちりばめられ、草は今、雨に弄られ、四肢を震わせている
 私は無機質に草を刈る
たった今まで草たちは悦びに満ち溢れていた、その草を刈る
草は断面を切断され、ひときわ臭い液体をこぼし雨にくったりとその残片をアスファルトにさらしている
私たちは雨の中、いや、土砂降りの中、まるで水中を漂う藻のようにふわふわと何かに押され、引かれ
脳内のどこか片隅から放たれる小声に従い、動いていた
 雨、その水滴に溶け込んだ念仏
水滴が引力に引かれ落下し、アスファルトという固形物に撃ち当たり、球体が破壊される炸裂音
その音が、ひとしきり私たちの外耳に吸い込まれていく
脳内の広大な農場に張出した棘の先端をおだやかに覆うように流れていく
私たちは皆、ひとりひとりが孤独な生き物となり、降りしきる雨の中を、新しい戦いのプロローグの中を、ゆったりと活動していた


蒼い微光

  前田ふむふむ

    

     1

うすい意識のなかで
記憶の繊毛を流れる
赤く染まる湾曲した河が
身篭った豊満な魚の群を頬張り
大らかな流れは 血栓をおこす
かたわらの言葉を持たない喪服のような街は
氾濫をおこして
水位を頸の高さまで 引きあげる

これで 歪んだ身体を見せ合うことはない
徐々に 溶解していく、
水脈を打つ柩のからくりを知ることはないだろう
唯 あなたに話し 見つめあうことが
わたしには できれば良いのかもしれない

見えない高く晴れわたる空を
視線のおくで掴み 仄暗い部屋の片隅で
両腕で足を組みながら
そう思う

    2

冬の朝は とてもながい
しじまを巡りながら
渇いたわたしの ふくよかな傷を眺めて
満ちたりた回想を なぞりながら
やがて訪れるひかり
そのひかりに触れるとき
ながい朝は終焉を告げる
そこには 恋人のような温もりはないだろう

あの 朝を待つ 満ちたりた時間だけが
恋しいのだ

    3

無言の文字の驟雨が 途切れることなく続く
覆い尽くす冷たい過去の乱舞
わたしは 傘を差さずに ずぶ濡れの帰路を辿るが
あの 群青の空を 父と歩いた手には
狂った雨はかからない
やがて 剥がれてゆく 気まぐれな雨は
蒼いカンパスのうしろに隠れて
晴れわたる裾野には 大きなみずたまりをつくる

わたしのあらすじを 映すためだけに
生みだされた陽炎だ

     4

わたしは きのうがみえる都会の欠片のなかを
隠れるように浮遊する
モノクロームの喧噪が音もなく流れる
その沈黙する鏡のなかで 煌々と燃えている
焚き火にあたり ひとり あしたの物語を呟いてゆく

  八月の船は 衣を脱いで 冬の雪原をゆく
  二台の橇を象る冷たい雪を 少年のような
  孤独な眼差しで貫いて
  瓦礫の枯野に うすい暖かい皮膚を張る

  熱く思い描いた経験が
  あなたの閉ざされたひかりを立ち上げて
  新しい八月には たゆたう枯れない草原を広げる
  わかい八月には 約束の灯る静脈のなかに
  あの幼い日に夢で見た美しい船が
  今日も旅立っていく

     5

忘れないでおこう
たいせつなものを失った夜は
なぜか空気が浄らかに見える
世界が涙で 立ち上がっているからだろう
走りぬける蒼い微光のなかを
立ち止まっていく
忘れていた悔恨の草々
静かに原色が耳に呟く
「言葉は聞こえるときにだけ、いつまでもそこにある。」

鳥篭のなかの唖のうぐいすが
          激しく鳴いた


カントリー・ロード

  少年B

さびれたアーケード街では
無表情の老若男女の風景が
謙虚さを装って悪意を刺す。

夕刻に下校する都会男児の尿意は
中央の時計台でついに爆発し、
とぼとぼ徒歩徒歩ドボドボのリズムで
足元の影を長たらしめて、
そこに隔離の気配が充満してくる。
見ているのは監視カメラだけで、
転校まで育った都会の産物。
見上げた先には、
長針短針の錆びついた田舎の遺物が。
ーーッ、ムカつく。

振り返れば情けない足跡だらけ。
都会用のシューズが泣いている。
電柱をキックするも虚しい。
制服半ズボンの裾をしぼって
一滴、二滴、突然の豪雨!
アーチに激しく打ちつけるのは、
故郷からの加勢・都会マシンガン。

煙草屋の犬が野良を演じて吠えてくる。
負けじと吠え返せば興奮が加速し、
濡れっぱなしの田舎衣を脱ぎ捨てて、
四つん這いに雨の街を駆けてゆく。
街の無表情たちは都会犬に驚いて、
途端に人間に還る。一言二言、
異境語は意味不明だった。
噛みついてやったら田んぼ臭がした。
無様に振り払われて境界線を引かれた。
ここからは、オマエ、入れないよ、
と、集団下校の田舎っ子が取り囲む。

頬をつたう一筋の液体
援護射撃はいつしか上がっていた。
きっと髪から滑り落ちたに違いない。
けして、涙ではない。
停戦協定の虹がかかって、
都会犬はそいつを飛び越えてやろうと
また、駆け出した。


稜線のラクダ

  山人



一日中 しとしとと降り続いた雨ははたと止んでいる
ガラス越しに稜線が見える
夕焼けに染まった稜線
砂漠の上をラクダがとおる
ゆっくりゆっくりラクダは右に動く
あまりに美しく あまりにも悲しすぎる
私は 稜線のラクダを悲しそうに見つめている
明日は
晴れるだろうか 
私も
晴れるだろうか

稜線のラクダはゆっくりと山頂を目指して歩いている
この美しさを このはかなさを
私は誰に伝えたらいいのだろう
もうすでに 作業のダンプの影はなく
遠い稜線は私の前で 夕闇に包まれはじめている
こんなに 悲しく うつくしい稜線を そしてラクダ達を
今までずっと見たことはなかった


違反といいねのカオス花盛りです

  

「情けは人の為ならず」の本来の意味は、いつも人には親切にしたほうがよいという意味で、現在のその意味は「情けが仇」でございます。昨日もスーパーのレジで賢く並んでおりますと、きっと家に介護が必要な方が居られるのか、そのような買い物をされていて、大荷物なってしまっていたのですが、ものすごく手際よく、カートに入れて、駐車場のバイクに、まるで積み木を積むように積んでおられました。



わたしはその様子を見て、あまりの手際の良さに驚いて、おもわず「手伝いましょうか?」と、「小さな親切大きなお世話」な、いらぬ世話を口走ってしまいましたが、そこも上手に笑顔でかわして頂けまして、わたしは、走り去るバイクを笑顔でお見送りすることができました。おかげさまで、なんと清清しい日なんだと思いながら、わたしもバイクに買った豆腐とビールをぶらさげて、家路についたわけでございます。



「情けが仇」といえば、携帯端末のタッチパネルでも使える手袋というのを100均で買ったのですが、これが画面を押しても、まったく何をしても反応しないわけでして、安物買いしたと後悔していたのですが、近頃、ちょうど人差し指の部分が破れて穴があきまして、めでたく使えるようになりまして、他人から見れば、なんとも無様な手袋ですが、わたしからすれば、見た目が悪くとも、非常に便利な手袋でございまして、わたしの穴あき手袋に情けは無用なのでございます。



好きなことでも、上手に好きと言わなければ、不憫に思われたり、その「好き」までもが指摘される時代でございまして、そこには未だに自由はなく、相変わらず歴史は戦中を繰り返しております。昔から、無邪気な人間でも、野球と政治の話は飲み屋でするなと言いますが、今のインターネットも、立ち飲み屋と同じ状態でございまして、ただ、人と人の間には、刑務所の面会所のようにガラスの隔てがあるので、お酌も乾杯も握手もできません。ただただ、言葉だけが空しく黄色信号のように点滅していまして、気持ちの方は徐行もせずに、飲酒運転や、スピード超過、シートベルトの締め忘れなど、違反といいねのカオス花盛りです。


三月十九日ポタウさん

  お化け

一本の棒を箸と決めたとき、そこからこぼれ落ちたものも、水道の蛇口からの一滴みたいな「ポタウ」。「ポタウポタウ」は二本の細い棒を「箸」と呼んだときの飛躍の滴。「ポタウポタウポタウ」は滴の軌跡が固まった三本脚の悪魔で、下半身デルタの一区画を囲って罠をはり、獲物を待っている。「ポタウさん」「ポタウさん」「ポタウさん」という憐れみを誘う声が聞こえる。そうやっていつまでも人を騙してきたのだ。四本脚のポタウが走り出したのは、三月の「もう四月病」と、「来月は『来月は五月病だろう』」と思った昨日、三月十九日。ケモノは僕のまくらもとへ、近づくほどに足音がなくなって、とつぜん僕を引き裂くあの、優しい全部の嘘とホントを、バラさないまま「とき」を、まる呑みした「とき」も、腹の中ではみんな光はごっちゃ混ぜになくあり、取り込まれてまたお腹の音がなり、またみんなのハラノヤミ、見えるのは自信無さ気な、空のように夢の無い、僕と一緒に泣いているポタウさんの顔の空っぽ。


請求

  ゼッケン

増感嗅覚を構成するため、鼻腔奥へ移植した強化神経塊が、しかし、
予想より早くガン化したおれはチリ大学医学部で摘出手術と再移植を受けるため、
千葉からサンティアゴへ飛ぶ飛行機のエコノミークラスの席に座った
鼻にあてたハンカチを外し、視線を落とすと絹地に薄い色の血が染みをつくっている
旋回のために機体が傾き、東京湾にブイが浮かんでいるのが見えた
海面に波はなく、空は厚い雲で閉じていた
嗅上皮のガン組織は毛細血管を独自に引き込み、増殖を続けていた
急ごしらえの血管があちこちで破裂し、おれは鼻血が止まらなくなっていた
おれには嗅覚強化手術を受ける前の記憶がなく、一年前の記憶だけでなく、
なぜ、おれが記憶を失ったのか、その理由こそがおれの失ったものだった
嗅覚は五感のなかで記憶を引き出す力がもっとも強いそうだ
匂いや香りといった嗅いだものは光や音といった視たもの聴いたものよりもっと奥へ根を張るのだ
記憶喪失者を対象に嗅覚を強化し、記憶を呼び戻すための治療だと医者は言った
おれがその男を医者だと思ったのは病院で白衣を着ていたからだった
記憶を失った状態で発見されたおれを入院させてくれた身元引受人の男は言った

治療費は

きみの新しい鼻をすこしばかり我々の仕事のために役立ててくれたらいい
おれは電通のサーバールームや感染研の実験室を訪問し、匂いを嗅ぎ、
帰ってから身元引受人が机上に並べた数点のアイテムの匂いを嗅ぐ
ペンやグラス、数本の毛髪、ときには切り取られたと思しき肉片
だいたいは、どれかのうちひとつの匂いは訪問した部屋の中で嗅いだ空気の中に同じものが混じっていた
アイテムの持ち主が侵入者だ
変装や光学迷彩では匂いはごまかせなかった
おれは犬の仕事を奪っている
おれが身元引受人にそう言うと、身元引受人は
人ひとり拷問するのに犬がワンと哭いたからと、きみは
これから拷問を受ける本人に説明するのかい?
と言った、そうですか、とおれは言った
犬はなぜ犬がワンと啼くのかを説明できない
説明可能な理由を罪と呼ぶ

飛行機は上昇を続け、やがて水平飛行に移る
その前に巡航高度に達したというアナウンスがあるだろう
飛行機が飛ぶのは機能と構造があるからだ 理由があるからではない
おれにも理由がなかった 機能と構造があるだけだった
機能と構造が外界に剥き出しになっており、内部がなかった
外部環境と内部モデルの境界が理由であり、事象の順列を因果律と呼べるのは人間に理由があるからだった
理由そのものが自然科学の対象にならないのであれば、理由の追及が人間性そのものということになるのだろう
個々の事象に関する後付けの説明は理由の誤謬だ、理由は人間に先行する思い出なのだった
存在とは思い出だった
おれと飛行機は記憶喪失だった


葬送

  相沢才永



そこでは激しい血の轟きが聞こえる。
とあるひとりの少女が流した血の轟きが。
人々は耳を塞ぎ、目を塞ぎ、声ばかりを張り上げている。
聞き取れない言葉をけたたましく張り上げている。
血流は塞き止められず、彼らの足を次々と掬い上げ、
その冷ややかな誇りを飲み込んでいく。

少し離れたここでは喉を胃酸に焼かれた青年が、
足元にある、輪郭を失った感情を見つめている。
いつか腹の底に沈めたそいつがアスファルトの上で、
わざとらしく干乾びていく様子を見つめている。
“君が死んだのは僕のせいじゃない。
見てはいけないものを見るような、奴らが悪いんだ。
わかろうとしない奴らが悪いんだ。
知るのを恐れて、同じだと決め付けたのは奴らじゃないか。
どうしてそんな顔しているんだよ。”

青年にも微かに聞こえる。
血の轟きが。少女の咽び泣く声が。
たった今血だらけの理由など考えもせず、心の平穏を傷つける音が。
聞こえながら、ズボンを下ろし、自分の熱(いき)る器官を握りしめていた。
嘔吐した輪郭のない感情を片手に纏わり付かせ、頻りに動かした。
直に血流は彼のいる下流まで辿り着く。
分別を失くした少女の激情が、このまごついた性(さが)を飲み干してくれるのだ。
青年は悦びに身を捩り、間もなく果てた。
鼻の奥を刺激臭と鼻水と、不気味な甘みで満たしながら。
アスファルトに目を遣ると、ねっとりとした白い命が、感情の亡骸に埋まっていた。
すやすやと、眠るように埋まっていた。

「どうしてそんな顔しているんだよ。」

輪郭を取り戻そうと掘り返した記憶の中で、ひとりの男が青年に聞いている。
青年は答えず、質問を質問で返しながら、想いが生きようとする音を聞いている。
絶えず、聞こえてくる。
胃酸に焼かれた喉から張り上げる、ガマ蛙のような声が聞こえてくる。
聞こえながら、白々しく、聞こえない振りをしている。

文学極道

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