二〇一四年七月一日「マクドナルド」
けさ、近所の西大路五条のマクドナルドのカウンター席で、かわいいなと思った男の子に、ぼくの名前と携帯の電話番号を書いた紙を手渡したら、大きく目を見開かれてしまって、一瞬の驚きの表情がすぐさま嫌悪の表情に変わってしまって、まあ、それ以上、ぼくもそこにいれなくて、そく出てきた、笑。ああ、恥ずかしい。ぼくが見てたら、ぼくの横に坐ってきたから、てっきり、ぼくのこと、タイプなのかなって思ったのだけれど、しばらくマクドナルドには行けへんわ、笑。たぶん、一生のあいだに、一度か二度くらいしか、お目にかからないくらいに超タイプの男の子だった。あ、だけど、おもしろいなと思ったのは、驚きの表情を見せた直後、その顔が嫌悪の表情に変化したのだけれど、そのとき、その男の子の身体が、ちょっと膨らんで見えたってこと。動物が攻撃や威嚇などをするときに、自分の身体を大きく見せることがあるのだけれど、そういった現象をじかに目にできたってことは、ぼくの経験値が上がったってことかな。あるいは、おびえたぼくのこころが、そういった幻覚を引き起こした可能性もあるのだけれど。しかし、あの男の子、もしかしたら高校生だったかもしれない。二十歳はこえてなかったと思う。白いシャツがよく似合う野球でもしてそうな坊主頭の日に焼けたガタイのいい男の子だった。
二〇一四年七月二日 「托卵」
吉田くんちのお父さんは
たしかにちょっとぼうっとした人だけど
吉田くんちのお母さんは、
しゃきしゃきとした、しっかりした人なのに
吉田くんちの隣の山本さんが
一番下の子のノブユキくんを
吉田くんちの兄弟姉妹のなかに混ぜておいたら
吉田くんちのお父さんとお母さんは
自分たちんちの子どもたちといっしょに育ててる
もう一ヶ月以上になると思うんだけど
吉田くんも新しい弟ができたと言って喜んでた
そういえば
ぼくんちの新しい妹のサチコも
いつごろからいるのか
わからない
ぼくんちのお父さんやお母さんにたずねてみても
わからないって言ってた
二〇一四年七月三日 「ピオ神父」
日知庵に行く前に、カトリック教会の隣にあるクリスチャンズ・グッズの店に立ち寄った。 ピオ神父の陶器製の置物が10260円だった。 値札が首にぶら下がっていたのである。 キリストも、マリアも、神父さんも、みな首に値札をぶら下げていたのであった。ピオ神父、10260円か、税込みで、と思った。ちょっとほしくなる陶器製の置物だった。そのクリスチャンズ・グッズの店の前に、太ったホームレスのおじいちゃんがいた。店ではぜんぜん気にしていないみたいだった。入口のドアの横で堂々と寝そべっていた。それにしても、やさしそうな顔のおじいちゃんだった。
日知庵から帰ってきてから、鼻くそ、ほじくってたら、あっ、とかいう声がしたから、指先を見たら、25年まえから行方不明になってた父親がいた。ぼくも、あって言って、ブチッて、指先で、父親をひねりつぶした。
二〇一四年七月四日 「FBでのやりとり」
FBの友だちの韓国語のコメントを自動翻訳したら、「最低の稼動時間が数分を残して日ぽんと鳴る何か子供を吸う吸う」って出てきて、ちょっとビビった。めちゃくちゃおもしろかったから。台湾人の友達たちの会話を翻訳したら、「初期の仕事に行く」「美しいか?」「実質的に頑丈です」「恩知らず!」だって、笑っちゃった。「恩知らず!」の言葉がインパクトある。それに詩を感じるぼくもぼくやけど。いま見直したら、「表面が単相やった夏だからそのような物であるか?」「まあそれにもかかわらず鋭く」「痰の沸点に見て」「キャプチャしようとの意図的に敏感だった緻密であり、迷惑なんだ」「皮膚、なぜこれらのラム酒の球の毒?」「あなたの早期出社イニング 」「まだ美しいか?」「まだ実質で頑丈ですか?」「まだ実質的に頑丈です」「恩知らず!」って、つづいてた。つぎのものは、流れてきたものを翻訳したもの。[笑顔]、心から幸せなあなたの周りの人々に感染することができます:) (翻訳: Bing) 笑顔が感染するというのはおもしろい。FBのタイムライン見てて、かわいいなと思ってた人から友だち申請がくると、あがってしまう。まあ、アジアの外国の人ばかりだけれど。でも、こんなふうに、翻訳ソフトがあるから、というか、その翻訳ソフトの出来がまだあまりよくないから、記事やコメントが、ときどきめっちゃおもしろい。いままたFBを見たら、友だち申請してた人が承認してくれてて、その台湾人の方に英語であいさつしたら、日本語で返事をされたので、日本語でやりとりしてたら、「ぼくはジジイですから。」と書くと、「ジジイとは何ですか?」と尋ねられた。「an old man のことです。」と書いたら、「「クソジジ」は聞いたことがあります。「ババ」の反対ですね。」と言うので、「「ババア」です。」と書いたら、「「ババ」「ア」ですか?」と訊いてきたので、「「クソババ」と言うときには、伸ばさないこともありますが、「クソ」がつかないときには、多くの場合、音を伸ばして、「ババア」と言います。」というふうに、その台湾人の方の日本語のレパートリーを増やしてあげた。
二〇一四年七月五日 「怖ろしくも、おぞましい存在」
人は、人といると、かならず与えるか奪うかしている。また与えつつ奪うこともしているし、奪いつつ与えることもしている。しかし、怖ろしくも、おぞましいのは、ずっと与えつづける者と、ずっと与えつづけられる者、ずっと奪いつづける者と、ずっと奪いつづけられる者の存在である。
二〇一四年七月六日 「吉野家」
仕事帰りに、牛丼の吉野家に入ってカレーライスを食べた。斜め前に後ろ向きにすわって食べてたガチムチの大学生の男の子のジャージがずいぶんと下に位置していて、お尻の割れ目までしっかり見えてた。見てはいけないものかもしれないけれど、3度ほどチラ見してしまった。帰るときに振り返った。かわいかった。かくじつに、ぼくの寿命が3年はのびたな、と思った。たまに思いもしなかった場所で奇跡のような瞬間に出合うと、ほんとに照れてしまう。その体育会系の学生の子が帰ったあとも、めちゃくちゃ恥ずかしくて、頬がほてって、どぼどぼと汗かいてしまった。カレーの辛さじゃなかった。
二〇一四年七月七日 「いろいろな人の燃え方」
人によって発火点が異なる。
人によって燃え方の激しさが異なる。
二〇一四年七月八日 「受粉。」
猿を動かすベンチを動かす舌を動かす指を動かす庭を動かす顔を動かす部屋を動かす地図を動かす幸福を動かす音楽を動かす間違いを動かす虚無を動かす数式を動かす偶然を動かす歌を動かす海岸を動かす意識を動かす靴を動かす事実を動かす窓を動かす疑問を動かす花粉。
猿を並べるベンチを並べる舌を並べる指を並べる庭を並べる顔を並べる部屋を並べる地図を並べる幸福を並べる音楽を並べる間違いを並べる虚無を並べる数式を並べる偶然を並べる歌を並べる海岸を並べる意識を並べる靴を並べる事実を並べる窓を並べる疑問を並べる花粉。
猿を眺めるベンチを眺める舌を眺める指を眺める庭を眺める顔を眺める部屋を眺める地図を眺める幸福を眺める音楽を眺める間違いを眺める虚無を眺める数式を眺める偶然を眺める歌を眺める海岸を眺める意識を眺める靴を眺める事実を眺める窓を眺める疑問を眺める花粉。
猿を舐めるベンチを舐める舌を舐める指を舐める庭を舐める顔を舐める部屋を舐める地図を舐める幸福を舐める音楽を舐める間違いを舐める虚無を舐める数式を舐める偶然を舐める歌を舐める海岸を舐める意識を舐める靴を舐める事実を舐める窓を舐める疑問を舐める花粉。
猿を吸い込むベンチを吸い込む舌を吸い込む指を吸い込む庭を吸い込む顔を吸い込む部屋を吸い込む地図を吸い込む幸福を吸い込む音楽を吸い込む間違いを吸い込む虚無を吸い込む数式を吸い込む偶然を吸い込む歌を吸い込む海岸を吸い込む意識を吸い込む靴を吸い込む事実を吸い込む窓を吸い込む疑問を吸い込む花粉。
猿を味わうベンチを味わう舌を味わう指を味わう庭を味わう顔を味わう部屋を味わう地図を味わう幸福を味わう音楽を味わう間違いを味わう虚無を味わう数式を味わう偶然を味わう歌を味わう海岸を味わう意識を味わう靴を味わう事実を味わう窓を味わう疑問を味わう花粉。
猿を消化するベンチを消化する舌を消化する指を消化する庭を消化する顔を消化する部屋を消化する地図を消化する幸福を消化する音楽を消化する間違いを消化する虚無を消化する数式を消化する偶然を消化する歌を消化する海岸を消化する意識を消化する靴を消化する事実を消化する窓を消化する疑問を消化する花粉。
猿となるベンチとなる舌となる指となる庭となる顔となる部屋となる地図となる幸福となる音楽となる間違いとなる虚無となる数式となる偶然となる歌となる海岸となる意識となる靴となる事実となる窓となる疑問となる花粉。
猿に変化するベンチに変化する舌に変化する指に変化する庭に変化する顔に変化する部屋に変化する地図に変化する幸福に変化する音楽に変化する間違いに変化する虚無に変化する数式に変化する偶然に変化する歌に変化する海岸に変化する意識に変化する靴に変化する事実に変化する窓に変化する疑問に変化する花粉。
猿を吐き出すベンチを吐き出す舌を吐き出す指を吐き出す庭を吐き出す顔を吐き出す部屋を吐き出す地図を吐き出す幸福を吐き出す音楽を吐き出す間違いを吐き出す虚無を吐き出す数式を吐き出す偶然を吐き出す歌を吐き出す海岸を吐き出す意識を吐き出す靴を吐き出す事実を吐き出す窓を吐き出す疑問を吐き出す花粉。
猿を削除するベンチを削除する舌を削除する指を削除する庭を削除する顔を削除する部屋を削除する地図を削除する幸福を削除する音楽を削除する間違いを削除する虚無を削除する数式を削除する偶然を削除する歌を削除する海岸を削除する意識を削除する靴を削除する事実を削除する窓を削除する疑問を削除する花粉。
猿を叩くベンチを叩く舌を叩く指を叩く庭を叩く顔を叩く部屋を叩く地図を叩く幸福を叩く音楽を叩く間違いを叩く虚無を叩く数式を叩く偶然を叩く歌を叩く海岸を叩く意識を叩く靴を叩く事実を叩く窓を叩く疑問を叩く花粉。
猿を曲げるベンチを曲げる舌を曲げる指を曲げる庭を曲げる顔を曲げる部屋を曲げる地図を曲げる幸福を曲げる音楽を曲げる間違いを曲げる虚無を曲げる数式を曲げる偶然を曲げる歌を曲げる海岸を曲げる意識を曲げる靴を曲げる事実を曲げる窓を曲げる疑問を曲げる花粉。
猿あふれるベンチあふれる舌あふれる指あふれる庭あふれる顔あふれる部屋あふれる地図あふれる幸福あふれる音楽あふれる間違いあふれる虚無あふれる数式あふれる偶然あふれる歌あふれる海岸あふれる意識あふれる靴あふれる事実あふれる窓あふれる疑問あふれる花粉。
猿こぼれるベンチこぼれる舌こぼれる指こぼれる庭こぼれる顔こぼれる部屋こぼれる地図こぼれる幸福こぼれる音楽こぼれる間違いこぼれる虚無こぼれる数式こぼれる偶然こぼれる歌こぼれる海岸こぼれる意識こぼれる靴こぼれる事実こぼれる窓こぼれる疑問こぼれる花粉。
猿に似たベンチに似た舌に似た指に似た庭に似た顔に似た部屋に似た地図に似た幸福に似た音楽に似た間違いに似た虚無に似た数式に似た偶然に似た歌に似た海岸に似た意識に似た靴に似た事実に似た窓に似た疑問に似た花粉。
猿と見紛うベンチと見紛う舌と見紛う指と見紛う庭と見紛う顔と見紛う部屋と見紛う地図と見紛う幸福と見紛う音楽と見紛う間違いと見紛う虚無と見紛う数式と見紛う偶然と見紛う歌と見紛う海岸と見紛う意識と見紛う靴と見紛う事実と見紛う窓と見紛う疑問と見紛う花粉。
猿の中のベンチの中の舌の中の指の中の庭の中の顔の中の部屋の中の地図の中の幸福の中の音楽の中の間違いの中の虚無の中の数式の中の偶然の中の歌の中の海岸の中の意識の中の靴の中の事実の中の窓の中の疑問の中の花粉。
猿に接続したベンチに接続した舌に接続した指に接続した庭に接続した顔に接続した部屋に接続した地図に接続した幸福に接続した音楽に接続した間違いに接続した虚無に接続した数式に接続した偶然に接続した海岸に接続した意識に接続した靴に接続した事実に接続した窓に接続した疑問に接続した花粉。
猿の意識のベンチの意識の舌の意識の指の意識の庭の意識の顔の意識の部屋の意識の地図の意識の幸福の意識の音楽の意識の間違いの意識の虚無の意識の数式の意識の偶然の意識の歌の意識の海岸の意識の意識の意識の靴の意識の事実の意識の窓の意識の疑問の意識の花粉。
猿を沈めるベンチを沈める舌を沈める指を沈める庭を沈める顔を沈める部屋を沈める地図を沈める幸福を沈める音楽を沈める間違いを沈める虚無を沈める数式を沈める偶然を沈める歌を沈める海岸を沈める意識を沈める靴を沈める事実を沈める窓を沈める疑問を沈める花粉。
猿おぼれるベンチおぼれる舌おぼれる指おぼれる庭おぼれる顔おぼれる部屋おぼれる地図おぼれる幸福おぼれる音楽おぼれる間違いおぼれる虚無おぼれる数式おぼれる偶然おぼれる歌おぼれる海岸おぼれる意識おぼれる靴おぼれる事実おぼれる窓おぼれる疑問おぼれる花粉。
猿と同じベンチと同じ舌と同じ指と同じ庭と同じ顔と同じ部屋と同じ地図と同じ幸福と同じ音楽と同じ間違いと同じ虚無と同じ数式と同じ偶然と同じ歌と同じ海岸と同じ意識と同じ靴と同じ事実と同じ窓と同じ疑問と同じ花粉。
猿を巻き込むベンチを巻き込む舌を巻き込む指を巻き込む庭を巻き込む顔を巻き込む部屋を巻き込む地図を巻き込む幸福を巻き込む音楽を巻き込む間違いを巻き込む虚無を巻き込む数式を巻き込む偶然を巻き込む歌を巻き込む海岸を巻き込む意識を巻き込む靴を巻き込む事実を巻き込む窓を巻き込む疑問を巻き込む花粉。
猿の蒸発するベンチの蒸発する舌の蒸発する指の蒸発する庭の蒸発する顔の蒸発する部屋の蒸発する地図の蒸発する幸福の蒸発する音楽の蒸発する間違いの蒸発する虚無の蒸発する数式の蒸発する偶然の蒸発する海岸の蒸発する意識の蒸発する靴の蒸発する事実の蒸発する窓の蒸発する疑問の蒸発する花粉。
猿と燃えるベンチと燃える舌と燃える指と燃える庭と燃える顔と燃える部屋と燃える地図と燃える幸福と燃える音楽と燃える間違いと燃える虚無と燃える数式と燃える偶然と燃える歌と燃える海岸と燃える意識と燃える靴と燃える事実と燃える窓と燃える疑問と燃える花粉。
猿に萌えるベンチに萌える舌に萌える指に萌える庭に萌える顔に萌える部屋に萌える地図に萌える幸福に萌える音楽に萌える間違いに萌える虚無に萌える数式に萌える偶然に萌える歌に萌える海岸に萌える意識に萌える靴に萌える事実に萌える窓に萌える疑問に萌える花粉。
猿と群れるベンチと群れる舌と群れる指と群れる庭と群れる顔と群れる部屋と群れる地図と群れる幸福と群れる音楽と群れる間違いと群れる虚無と群れる数式と群れる偶然と群れる歌と群れる海岸と群れる意識と群れる靴と群れる事実と群れる窓と群れる疑問と群れる花粉。
猿飛び込むベンチ飛び込む舌飛び込む指飛び込む庭飛び込む顔飛び込む部屋飛び込む地図飛び込む幸福飛び込む音楽飛び込む間違い飛び込む虚無飛び込む数式飛び込む偶然飛び込む歌飛び込む海岸飛び込む意識飛び込む靴飛び込む事実飛び込む窓飛び込む疑問飛び込む花粉。
猿の飛沫のベンチの飛沫の舌の飛沫の指の飛沫の庭の飛沫の顔の飛沫の部屋の飛沫の地図の飛沫の幸福の飛沫の音楽の飛沫の間違いの飛沫の虚無の飛沫の数式の飛沫の偶然の飛沫の歌の飛沫の海岸の飛沫の意識の飛沫の靴の飛沫の事実の飛沫の窓の飛沫の疑問の飛沫の花粉。
猿およぐベンチおよぐ舌およぐ指およぐ庭およぐ顔およぐ部屋およぐ地図およぐ幸福およぐ音楽およぐ間違いおよぐ虚無およぐ数式およぐ偶然およぐ歌およぐ海岸およぐ意識およぐ靴およぐ事実およぐ窓およぐ疑問およぐ花粉。
猿まさぐるベンチまさぐる舌まさぐる指まさぐる庭まさぐる顔まさぐる部屋まさぐる地図まさぐる幸福まさぐる音楽まさぐる間違いまさぐる虚無まさぐる数式まさぐる偶然まさぐる歌まさぐる海岸まさぐる意識まさぐる靴まさぐる事実まさぐる窓まさぐる疑問まさぐる花粉。
猿あえぐベンチあえぐ舌あえぐ指あえぐ庭あえぐ顔あえぐ部屋あえぐ地図あえぐ幸福あえぐ音楽あえぐ間違いあえぐ虚無あえぐ数式あえぐ偶然あえぐ歌あえぐ海岸あえぐ意識あえぐ靴あえぐ事実あえぐ窓あえぐ疑問あえぐ花粉。
猿くすぐるベンチくすぐる舌くすぐる指くすぐる庭くすぐる顔くすぐる部屋くすぐる地図くすぐる幸福くすぐる音楽くすぐる間違いくすぐる虚無くすぐる数式くすぐる偶然くすぐる歌くすぐる海岸くすぐる意識くすぐる靴くすぐる事実くすぐる窓くすぐる疑問くすぐる花粉。
猿に戻るベンチに戻る舌に戻る指に戻る庭に戻る顔に戻る部屋に戻る地図に戻る幸福に戻る音楽に戻る間違いに戻る虚無に戻る数式に戻る偶然に戻る歌に戻る海岸に戻る意識に戻る靴に戻る事実に戻る窓に戻る疑問に戻る花粉。
猿をとじるベンチをとじる舌をとじる指をとじる庭をとじる顔をとじる部屋をとじる地図をとじる幸福をとじる音楽をとじる間違いをとじる虚無をとじる数式をとじる偶然をとじる歌をとじる海岸をとじる意識をとじる靴をとじる事実をとじる窓をとじる疑問をとじる花粉。
二〇一四年七月九日 「思い出せない悪夢」
けさ、自分のうなり声で目が覚めたのだけれど、そのあとすぐに、隣に住んでいる人が、「どうしたんですか?」とドア越しに声をかけてくださったのだけれど、恥ずかしくて、返事もできなかった。なぜ、うなり声を出しつづけていたのか不明である。怖い夢を見ていたのだろうけれど、まったく思い出せない。
二〇一四年七月十日 「なにげないひと言」
なにげないひと言が、耳のなかに永遠に残る、ということがある。過去のベスト1とベスト2は、「おっちゃん、しゃぶって!」と「おっちゃんも勃ってんのか?」だ。これまで、どの詩にも書いていない状況のものだ、笑。きょうのは、ベスト3かな。「チンポ、しゃぶりたいんか?」
二〇一四年七月十一日 「怖い〜!」
バス停の近くで派手にイッパツ大きなくしゃみをしたら、なんだか妙にへなへなとした知恵おくれっぽいおじいさんが、「怖い〜!」と言って、ムンクの絵のように両手で頭を抱えて、くたっとひざまずいて、ぼくの顔を見上げた。マンガ見てるみたいで、めっちゃおもしろかった。憐れみを誘う、蹴り飛ばしてほしそうな顔をしていた。
二〇一四年七月十二日 「マクドナルド」
ジミーちゃんちに寄った帰り、北大路のマクドナルドで、「ハンバーガー一個ください」と言ったら、店員の若い男の子に、「これだけか?」と言われた。すぐさま、その男の子が、しまった、まずいな、という表情をしたので、ぼくも聞こえなかったふりをしてあげたけれど、不愉快になる気持ちよりも、こんなこともあるんだ、というか、とっさに思ったほんとうの気持ちが、こんなふうに言葉にあらわれることもあるのかと、おもしろがるぼくがいた。
二〇一四年七月十三日 「湖上の卵」
湖の上には
卵が一つ、宙に浮かんでいる
卵は
湖面に映った自分と瓜二つの卵に見とれて
動けなくなっている
湖面は
卵の美しさに打ち震えている
一個なのに二個である
あらゆるものが
一つなのに二つである
湖面が分裂するたびに
卵の数が増殖していく
二個から四個に
四個から八個に
八個から十六個に
卵は
自分と瓜二つの卵に見とれて
動けなくなっている
無数の湖面が
卵の美しさに打ち震えている
どの湖の上にも
卵が一つ、宙に浮かんでいる
二〇一四年七月十四日 「フンドシと犬」
フンドシをしていない犬よりフンドシをしている犬になりたい。
二〇一四年七月十五日 「もっとゆっくり」
アルバイト先の塾からの帰りに、西大路五条で車同士が目の前で激突した。バンッという音が目のまえでして、車同士がぶつかっているのを目にした。どちらも怪我がなかったみたいで、双方の運転席の人間はふつうに動いていた。お互いに、車を道路の脇に寄せていったので、二人とも、けがもなかったのだろう。けっこう大きな音がしたのだけれど。みんな、疲れているのかもしれない。もっとゆっくりとした、じゅうぶんに休みが取れる社会であればいいのになと思った。
帰ってから、いまつくっている全行引用詩・五部作のうちの一作「ORDINARY WORLD。」のために引用するエピグラフを一つ探した。きのう目にして、引用しようか、引用しないでおこうかと迷って、けっきょく引用しないことにしたのだけれど、塾の帰りに、ふと思い出されて、あ、あれは引用しなければならないなと思われたのであった。どのルーズリーフにあった言葉か覚えていなかったので、一〇〇〇枚以上のルーズリーフのなかから、きのう読んだものから順番にさかのぼって一枚一枚あたって探していたのだった。こんなことばっかり、笑。しかし、一時間ほどして見つかった。この文章だけ読んでも、ぼくには、もとの作品の全内容がいっきょに思い出せるのだけれど、P・D・ジェイムズは、ぼくがコンプリートにコレクションして読んだ数十人の詩人や作家のなかでも、もっとも知的な書き手で、ヴァージニア・ウルフを完全に超えているなと思っている数少ない物書きの一人である。「ああ、ぼくは大丈夫だよ。ようやく大丈夫になるさ。心配しないでくれ。それから見舞いには来ないで。G・K・チェスタートンの言葉にこういうのがあっただろう。"人生を決して信用せず、かつ人生を愛することを学ばねばならない"。ぼくはとうとう学べなかった」(『原罪』第四章、青木久恵訳)これはエイズで亡くなる直前の作家の言葉として書かれたものだけれど、ぼくは、いまこの言葉を書き写しているだけでも、涙がにじんできてしまった。P・D・ジェイムズ。けっして読みやすい作家ではないけれど、古書でも、たやすく手に入るので、たくさんの人たちに読んでほしいなと思っている。P・D・ジェイムズの作品に、はずれは一作もないのだけれど、とりわけ、『原罪』と『正義』は、天才作家の書いた作品だと思っている。自分のルーズリーフを読み返していて、自分が書いたことも忘れているようなメモが挟まれてあったり、付箋に細かい小さな字で自分の言葉が書き込んであったりと、そういうものを見つけることができるのも、楽しみのひとつになっている。で、そのうちのいくつかのものを書き込んでいこうかな。メモの記述がいつのものか、日付を入れるとわずらわしくなるので省略した。
〇
ごくごくと水を飲んだ。ヒシャクも、のどが渇いていたのだろう。
我慢にも限界があるのなら、限界にも我慢がある。
天国とはイメージである。好きなようにイメージすることができる。
音と昔が似ている。音が小さい。昔が小さい。音が大きい。昔が大きい。大音量。大昔量。
「様々」を 「さま〜ず」と読んでみたり
たすけて を ドレミファ と ドミソファ の どちらにしようか と しあんちゅう
薔薇族と百合族か 茎系と球根系か
これはわたしのしっぽ と言って ぼくのゆびをにぎるな!
パクチーがきらいだと言って ぼくの皿のなかに入れるのは やめて 意味 わかんない
ちょっと球形。
余白の鼓動。蠕動する句読点。
ピクルスって、なんか王さまの名前みたい。
過去と出合わないように と思ってみたり
別々の人間なのに、「好きだ」とか「嫌いだ」とかいった言葉で、ひとくくりにしてしまう。
つねに自分を超えていく人間だけが、すぐれた他人と肩を並べることができるのである。
うんこ色の空と書いてみる。でも、うんこにもいろいろあるから、うんこ色の空もあるかもしれない。青虫のうんこは緑だ。空がうんこしたら、やっぱり空色のうんこだろう。空色のうんこと書いてみる。うんこが空色なのだ。いろいろな色のうんこがしてみたい。バリウム飲んだつぎの日のうんこは白だった。
ことし出した詩集『ゲイ・ポエムズ』に収録してた散文詩を読み直していて、京大のエイジくんのことで、詩に書いていないことがひとつあることを思い出した。「たなやん、たなやんって、オレ、ノートに何ページも書いとったんやで。」このときのぼくの返事は「ふううん。」やった。バカじゃないの? 書いたから、なんなのって思った。
父親が、むかし、犬を洗うために洗濯機に入れたことがあって、弟が発狂したことがある。きれいになれば、いいんじゃないのって、ぼくは思ったけど。
たまに混んでいる。ぎゅんぎゅんに。なんでさばけている。ぽあんぽあんに。横にすわった大学生の足元。つぎつぎと飛び込んでいく座席の下。牛のひづめが櫛けずる地面。徘徊するしぼんだ風船。電車のなかは荒地だった。だれが叫んだのか。床が割れた。みんな線路に吸い込まれてしまった。さぼった×(ばつ)だ。
〇
夜遅くなって、雨の音がきつくて、こわい。隣の部屋の人、玄関で、カサ、バサバサとうるさい。
二〇一四年七月十六日 「「ちち」と「はは」」
「ちち」と「はは」を、一文字増やして、「ちちち」と「ははは」にすると、なんかおもしろい。一文字減らすと、「ち」と「は」で、小さな「っ」をつけたくなる感じだけれど、二文字増やしてみると、「ちちちち」と「はははは」で、ここまでくると、三文字増やしても、四文字増やしても、二文字増やしたときと、あまり変わらないような気がする。ちなみに、「ちちち」は否定する場面で使われることが多くて、「ははは」は、とりあえずは肯定する、といった場面で使われることが多いというのも、なんだかおもしろい。
二〇一四年七月十七日 「超早漏」
きょう、新しいズボンをはいたので、超小さいチンポコ(勃起時、わずか1センチ5ミリ)で超早漏のぼくは、道を歩きながら何十回と射精してしまって、まるでかたつむりみたいに、歩いたあとがべとべとになっていた。めっちゃ、しんどかった。さいしょは気持ちよく歩いてたけど、すぐにしんどくなってしもた。
二〇一四年七月十八日 「やわらかい頬」
ふと23才くらいのときに東京に遊びに行ったときのことが思い出された。昼間、ぼくは、バス停でバスの到着時刻表を見ていた。友だちとはぐれるまえに。記憶はそこで途切れて、池袋だったと思うけど、夜にイタリアンレストランで友だちと食事してた。なぜバス停でバスの到着時刻を見てたのかわからない。森園勝敏の『エスケープ』を聴いている。このアルバムのトップの曲が、ぼくに、ぼくの23才くらいのときのことを思い出させたのだと思う。まだ汚れていたとしても、そうたいして汚れていなかった、裸の魂を抱えた、ぷにぷにとやわらかい頬をしたぼくが、無防備に地上を歩きまわっていたころの記憶だった。
二〇一四年七月十九日 「言葉」
自分が考えるのではなく、言葉が考えるように、あるいは、少なくとも、言葉に考えさせるようにしなければならない。なぜなら、本来的には、「言葉が言葉を生む」、「言葉から言葉が生まれる」のだから。
二〇一四年七月二十日 「言葉」
言葉は共有されているのではない。言葉は共用されているのである。あるいは、言葉がわれわれ人間を共用しているのだ。言葉が共有されているというのは錯誤である。われわれはただ単に言葉を共用しているに過ぎない。あるいは、われわれ人間は、ただ単に言葉によって共用されているに過ぎないのである。
二〇一四年七月二十一日 「純粋ななにものか」
現実と接触しているかぎり、どのような人間も、純粋ななにものかにはならない。現実と接触しているかぎり、どのような詩も、純粋ななにものかにはならないように。
二〇一四年七月二十二日 「自分を卵と勘違いした男」
彼は冷蔵庫の卵のケースのところに
つぎつぎと自分を並べていった
二〇一四年七月二十三日 「開戦」
きょう、日本が宣戦布告したらしい。仕事帰りに、駅で配られていた号外で知ったのだった。それは、地下鉄から阪急に乗り換えるときに通る地下街にある、パン屋の志津屋のまえで受け取ったものだった。まだ20歳くらいのやせた若い青年が配っていた。押し付けられるようにして受け取ったそれをチラ見すると、バックパックにしまって、阪急の改札に入った。階段を下りていくときに、ちょっとつまずきかけたのだけれど、戦争ってことについて考えていたからではなくて、ただ単に疲れていて、その疲れが足元をもつれさせたのだと思った。烏丸から西院まで、電車のなかで戦争についてずっとしゃべりつづけていた中年の二人連れの女たちがいた。こういうときには、なにも考えていなさそうな男たちが大声で戦争についてしゃべるものだと思っていたので意外だった。むしろ中年の男たちは何もしゃべらず、手渡された号外に目を落として、うんざりとした顔つきをしていた。若い男たちも同じだった。西院駅につくと、改札口で、いつも大きな声で反戦を訴えていた左翼政党の議員が、運動員たちとともに、警察官たちに殴られて連行されていくところだった。人が警察官たちに殴られて血まみれになるような場面には、はじめて遭遇した。捜査員なのか、男が一人、その様子を見ている人たちの顔写真をカメラでバチバチと撮っていった。ぼくはすかさず顔をそむけて駅から離れた。部屋に戻ってPCをつけると、ヤフー・ニュースで戦争の概要を解説していた。ほんとうに日本は宣戦布告したらしい。ふと食べ物や飲み物のことが気になったので、近所のスーパーのフレスコに行くと、みんな、買い物かごに食べ物や飲み物を目いっぱい入れてレジに並んでいた。ぼくも、困ったことにならないように、数少ない野菜や缶詰や冷凍食品などを買い物かごに入れてレジに並んだ。酒もほとんど残っていなかったのだが、とりあえず缶チューハイは二本、確保した。値段が違っていた。清算するまで、いつもと違った値段が付けられていたことに気がつかなかった。人間の特性の一つであると思った。こんなときにも儲けようというのだ。どの時代の人間も同じなのだろう。どの時代の人間も同じように愚かなことを繰り返す。ようやくレジで代金を支払い、買ったものを部屋に持ち帰ると、すぐにキッチンの棚や冷蔵庫のなかにしまい込んだ。
二〇一四年七月二十四日 「海胆〜」
海胆海胆〜
海胆〜
二〇一四年七月二十五日 「輪っか」
指で輪っかをつくると、ついその輪っかで、自分の首を吊りたくなる。
二〇一四年七月二十六日 「夜の」
「夜の」という言葉をつけるだけで、エッチな感じになるのは、なぜだろう。「夜の昼食。」「夜の腋臭。」「夜の中性洗剤。」「夜の第二次世界大戦。」なんか、燃える。いや、萌える。
二〇一四年七月二十七日 「赤い花」
ガルシンのような作家になりたいと思ったことがある。一冊しか本棚にはないけれど、いつまでも書店の本棚に置かれているような。
二〇一四年七月二十八日「オナニー」
きょうも寝るまえに、小林秀雄が訳したランボオの『地獄の季節』を読みながら、オナニーしてしまった。これって、ランボオに感じてオナニーしてるのか、小林秀雄に感じてオナニーしてるのか、どっちなんやろ?
二〇一四年七月二十九日 「ドリブル」
過去が過去をドリブルする。過去が現在をドリブルする。過去が未来をドリブルする。現在が過去をドリブルする。現在が現在をドリブルする。現在が未来をドリブルする。未来が過去をドリブルする。未来が現在をドリブルする。未来が未来をドリブルする。
二〇一四年七月三十日 「詩と真実」
詩のなかで起こることは、すべて真実である。
二〇一四年七月三十一日 「ペペロンチーノ」
ひゃ〜。ペペロンチーノつくろうと思って、鍋に水入れてたら、水をこぼして、こぼしたまま作業してたら、水がこぼれてることすっかり忘れてて、そのうえをすべって、足を思い切り開いて、おすもうさんの股割り状態というか、バレリーナの開脚みたいになって、ものすごい激痛が走った。股関節、だいじょうぶやろか?
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2015年07月分
詩の日めくり 二〇一四年七月一日─三十一日
春
生命の芽吹きは死と同義
草木が芽吹いているのではなく
死が咲き乱れている
春に漂う死の破片は極めて正気で狂気のかけらもない
この緻密に計算された春の死に私の感情も巻き込まれる
新しい職場や新しい仕事や人間関係
全てが更新され死んでいく中
私の影も死で満たされる
この熱病のような陽気の中
私は固くスーツを着込み襟をそばだたせる
この自然の宴会はあまりにも危険で
隠れた殺戮が陰湿に乱舞している
その殺戮の粒子が刺してくるので
防毒マスクをかけた私はひとり温かさに堪えている
春は傾きながらも均衡を目指している
死や殺戮もまた一つの大いなる均衡で充実する
更には夏や秋や冬へと接続していく道筋を得るため
均衡は欠かせない
乱雑で混沌とした力学からぽっかりと浮かび上がってくる均衡を
春は季節の接続のために求めている
私は春の用意した均衡に乗ろうと思わない
そのような延命はもはや私には不要だし
夏に接続する命も要らない
私自身の刹那的な均衡がいくつも連鎖していけばいい
私は春から身を守りながら
小さな均衡を積み重ね星座を作る
私だけの春の星座を
闇のノエマ
野垂れ死ね
そう言い放ったあと
まっすぐに覗きあった
あなたは出ていった
夕闇に鳥の影が滑り
テーブルの上にはカード立て
肖像画にマジックインキで
悪戯書きがなされている
残された煙草がくゆる
この火は紀元前の野に焚かれ
天体が凍てつく夜にも
絶えず木切れが投げ込まれている
/
運び出される幻想曲
泥の匂が運びこまれると
風に乗って散り散りになりながら
虫たちの声の隙間で
それぞれの手が
おずおずと闇合に浸され
指先の溶けて滴る
音がする
まだ
何も
残らなくてよかった
空が息を落とすと
移動しているかたつむり
あなたは稜線となって
とっぷりと暮れなずむ
/
長く影を拾う
壁紙に刺さった画鋲にまつわるエピックだ
天井の隅まで
熱く火照った手足は伸び
視られている
その寂寥がつぎつぎ
飛び出して駆けてゆくと
影の踊る
流星の時間
遠く
描線のひとつひとつに
柱が立つ
/
塔の
冷たさ 静かに
そう
演奏する
低い 声が
半分開いた
滑り出し窓に
吸い込まれ
逆巻き
うねり
落ち
浸透する
溜の
乾燥する
明るさに
どこにもいきたくない
言葉が言葉を変えてゆく
/
沈黙が
拍子を打ってあなたは眠りにつく
眠りが
拍子を打ってあなたたちを刻む
あなたは誰で
そして何故
寝がえって枕に聞くと
身体は冷えきっているというのに
夢は毋になる
クラスで11人目のスターリンへ
あなたが誤って埋められた首だとしても
髭も髑髏も
黒々としている
スクリーンを手に口をつぐんだまま
明けていく夜がいくつ並んでも
始めから永遠にあなたはかわいい
/
愛をこめて
震える顔が
こぼれ
落ちて
着床する
腐葉土の硬さに
落ち込む低さ
世界は放射状
泡だった緑の肌に
集まった
誰のものだかしれない
涙の膜に
包み込まれた
ことを知らない
視界の端っこで
光が茹だる
/
ここから
蒸発する目鼻は
半減し
半減して
繰り上がる
横顔を同期する
かつてあなたを
目にしたことがありました
めくばせは
昼も夜も 零さないように
広く高くと 底面積を持ち上げて
そのまま遠く
重なった
どきどきとする 鼓動の在処が
関係のない 別のお話
顔たちは 石の
根を伸ばし
葉を増やして
やがて色づくことでしょう
/
ざわめく 文法のほとり
木々が揺れ 砂利が動く
こわばった苔が
胞子を放ち
旋回する鳥が
滑り去って見えなくなる
降り はじめる気配に
集まったのか 集められたのか
細波に蛙が飛び込む
/
不思議な指
ここにない指を数えて
一本
一本と
数えるたびに
一つづつ
新しく
腕を
伸ばして
触れようとする
そのようにして
造形している
/
髪に
頬に
額に
耳に
触れ
横顔を
はたく
首を
絞める
よろしければ共に 首を
絞め合ってみてください
/
あなたへ
あなたは
石になりました
おおきな 蛇の顔と
眼を合わせたなら石化する
そういう決まりだったから
石になった あなたは もう ここから 抜け出すことはできない
この 根本から 間違えた 物語のなかに
もしも 私が存在するのだとしたら
/
重なるほどに
関係のない
重なりを
束ねて
約束で
覆う
弓なりの夜
海岸が
追いかけてくるから
さよならを言うことができる
/
いちばん骨が
白くなる時間に
待っててって
苦しそうにつぶやいて
もういちど眠りにつく
21世紀の唇に
雨蛙はとまり
濡れ膨れた瞼で見あげている
ピアノの屋根へ
鳴声は吊られ
透明な
足跡を残して
野に
貼付いたまま
ゆっくりと傾いていく
詩の日めくり 二〇一四年八月一日─三十一日
二〇一四年八月一日「蜜の流れる青年たち」
屋敷のなかを蜜の流れる青年たちが立っていて、ぼくが通ると笑いかけてくる。頭のうえから蜜がしたたっていて、手に持ったガラスの器に蜜がたまっていて、ぼくがその蜜を舐めるとよろこぶ。どうやら、弟はぼくを愛しているらしい。白い猫と黒い猫が追いかけっこ。屋敷には、ぼくの本も大量に運ばれていて、弟が運ばせていた。弟は、寝室で横たわっているぼくの耳にキスをして部屋を出て行った。白い猫と黒い猫たちが後方に走り去っていった。と思った瞬間、その姿は消えていて、気がつくと、また前方からこちらに向かって、くんずほぐれつ白い猫と黒い猫たちが走り寄ってきて、目のまえで踊るようにして追いかけっこして後方に走り去り、またふたたび前方からこちらに向かって、くんずほぐれつ走り寄ってきた。猫を飼っていたとは知らなかった。でも、よく見ると、それが母親や叔母たちが扮している猫たちで、屋敷の廊下をふざけながら猛スピードで駆け巡っているのだった。ぼくのそばを通っては笑い声をあげて追いかけっこをしているのであった。完全に目を覚ましたぼくは、廊下中に立っている蜜のしたたる青年たちの蜜を舐めていった。
二〇一四年八月二日「戦時下の田舎」
戦時下だというのに、弟の屋敷では、時間の流れがまったく別のもののように感じられる。中庭に出てベンチに坐って、ジョン・ダンの詩集を読んでいる。ページから目を上げると、ふと噴水の流れ落ちる水の音に気がついたり、小鳥たちが地面の砂をくちばしのさきでつつき回している姿に気がついたり、背後の樹のなかに姿を隠した小鳥や虫たちの鳴く声に気がついたりするのであった。ぼくが詩を読んでいるあいだも、それらは流れ落ち、つつき回し、鳴きつづけていたのであろうけれども。足元の日差しのなかで、裸の足指を動かしてみた。気持ちがよい。夏休みのあいだだけでも巷の喧騒から逃れて田舎の屋敷でゆっくりすればいいと、弟が言ってくれたのだった。西院に比べて桂がそんなに田舎だとは思えないのだけれど。ぼくはふたたび、ジョン・ダンの詩集に目を落とした。ホラティウスやシェイクスピアもずいぶんとえげつない詩を書いていたが、ジョン・ダンのものがいちばんえげつないような気がする。
二〇一四年八月三日「100人のダリが曲がっている。」
中庭でベンチに腰掛けながら、ジョン・ダンの詩集を読んでいると、小さい虫がページのうえに、で、無造作に手ではらったら、簡単につぶれて、ページにしみがついてしまって、で、すぐに部屋に戻って、消しゴムで消そうとしたら、インクがかすれて、文字までかすれて、泣きそうになった、買いなおそうかなあ、めっちゃ腹が立つ。虫に、いや、自分自身に、いや、虫と自分自身に。おぼえておかなきゃいけないね、虫が簡単につぶれてしまうってこと。それに、なにするにしても、もっと慎重にしなければいけないね、ふうって息吹きかけて吹き飛ばしてしまえばよかったな。ビールでも飲もう。で、これからつづきを。まだ、ぜんぶ読んでないしね。ああ、しあわせ。ジョン・ダンの詩集って、めっちゃ陽気で、えげつないのがあって、いくつもね。ブサイクな女がなぜいいのか、とかね。吹き出しちゃったよ、あまりにえげつなくってね。フフン、石頭。いつも同じひと。どろどろになる夢を見た。
二〇一四年八月四日「科学的探究心」
きょうも、中庭で、ジョン・ダンの詩集を読んでいた。もう終わりかけのところで、昼食の時間を知らせるチャイムが鳴った。ぼくは詩集をとじて、立ち上がった。ちょっとよろけてしまって、ベンチのうえにしりもちをついてしまった。すると、噴水の水のきらめきと音が思い出させたのだろうか。子どものときに弟のところに行こうとして、川のなかでつまずいておっちんしたときの記憶がよみがえったのであった。鴨川で、一年に一度、夏の第一日曜日か、第二日曜日に、小さな鯉や鮒や金魚などを放流して、子どもたちに魚獲りをさせる日があって、なんていう名前の行事か忘れてしまったのだけれど、たぶん、ぼくがまだ小学校の四年生ころのときのことだと思う。川床の岩(いわ)石(いし)につまずいて、水のなかにおっちんしてしまったのである。そのときに、水際の護岸の岩と岩のあいだに密生している草の影のところの水が、日に当たっているところの水よりはるかに冷たいことを知ったのだった。しかし、川の水は流れているわけだし、常時、川の水は違った水になっているはずなのに、水際の丈高い草の影の水がなぜ冷たいのかと不思議に思ったのであった。ただし、ぼくが冷たいと思ったのは、川のなかにしゃがんで伸ばした手のさきの水だったので、水面近くの水ではなくて、水底に近い部分だったことは、理由としてあるのかもしれない。水底といっても、わずか2、30センチメートルだったとは思うのだけれど。子ども心に科学的探究心があったのであろう。水のなかで日に当たっているところと水際の草の影になっているところに手を伸ばして行き来させては、徐々に手のひらを上げて、その温度の違いを確かめていったのだから。水面近くになってやっと了解したのだった。水の温みは太陽光線による放射熱であって、直射日光の熱であったのだった。すばやく移動しているはずの水面近くの日に当たっているところと影になって日に当たっていないところの温度は、太陽光線の放射熱のせいでまったく違っていたのだった。いまでも顔がほころぶ。当時のぼくの顔もほころんでいたに違いない。40年以上もむかしのことなのに、きのうしゃがんでいたことのように、はっきりと覚えている。あっ、あの行事の名前、鴨川納涼祭りだったかな。それとも、鴨川の魚祭りだったかな。両方とも違ってたりして。
二〇一四年八月五日「ゴリラは語る」
弟の子どもの双子の男の子たちの勉強をみているときに、大谷中学校の2013年度の国語の入試問題のなかに、山極寿一さんの『ゴリラは語る』というタイトルの文章が使われていて、その文章のなかに、おもしろいものがあった。「「遊び」というのは不思議なもので、遊ぶこと自体が目的です。」「ゴリラは、日に何度も、しかもほかの動物とは比べものにならないほど長く、遊び続けることができるのです。」、「時間のむだづかいにも見える「遊び」を長く続けられるのは、遊びの内容をどんどん変えていけるからです。」いや〜、これを読んで、ぼくが取り組んでる詩作のことやんか、と思った。ゴリラとは、ぼくである。ぼくとは、ゴリラであったのだ〜と叫んで、弟の子どもたちとふざけて、部屋じゅう追いかけっこして騒いでいたら、突然、部屋に入ってきた弟に叱られた。ちょっとイヤな気がした。
二〇一四年八月六日「死父」
朝、死んだ父に脇腹をコチョコチョされて目が覚めた。一日じゅう気分が悪かった。
二〇一四年八月七日「寝るためのお呪い」
羊がいっぴき、羊がにひき、羊がさんびき……
羊がいっぴき、羊がにひき、羊がさんびき……
羊がいっぴき、羊がにひき、羊がさんびき……
一晩中、羊たちは不眠症のひとたちに数えられて
ちっとも眠らせてもらえなかったので、しまいに
怒って、不眠症のひとたち、ひとりひとりの頭を
つぎつぎと、ぐしゃぐしゃ踏んづけてゆきました。
二〇一四年八月八日「寝るためのお呪い、ふたたび」
棺がひとつ、棺がふたつ、棺がみっつ……
棺がひとつ、棺がふたつ、棺がみっつ……
棺がひとつ、棺がふたつ、棺がみっつ……
一晩中、死んだ父親が目を見開いて棺から
つぎつぎ現われてくる光景を見ていたので
まったくちらとも眠ることができなかった
二〇一四年八月九日「空気金魚」
人間の頭くらいの大きさの空気金魚が胸びれ腹びれ尻びれをひらひらさせながら躰をくゆらし、尾びれ背びれを優雅にふりまきながら、弟の差し出したポッキー状の餌を少しずつかじっていた。空気金魚は、この大きさで、空気と同じ重さなのだ。ポッキー状の餌も空気と同じ重さらしい。一人暮らしをはじめて三十年近くになる、広い屋敷は逆に窮屈だ、そろそろ帰りたい、と弟に話した。弟は隣の部屋に入っていった。ドアが開いていたので、つづいて部屋に入ると、空気娘たちが部屋のなかに何人も漂っていた。気配がしたので振り返ろうとすると、弟がぼくの肩に手を置いて「兄さんは、興味がなかったかな?」と言う。外見はぼくのほうが父親に似ていたが、性格は弟のほうが父親に似ているのだった。まったく思いやりのない口調であった。
二〇一四年八月十日「パーティー」
ぜったい嫌がらせに違いないと思うのだけれど、弟に屋敷を出たいと言ったつぎの日の今日に、なんのパーティーか知らないけれど、パーティーが開かれた。空気牛や空気山羊や空気象や空気熊や空気豚などが宴会場になっている大広間で空中にただよっているなかに、弟に呼ばれた客たちが裸で牛や山羊や象や熊や豚などに扮して、かれらもまた空中にただよいながら酒や食事を空中にふりまきながら飲食や会話をしているのだった。不愉快きわまる光景であった。あしたの朝いちばんに屋敷を出ることにした。
二〇一四年八月十一日「ブレッズ・プラス」
昼ご飯を食べに西院のブレッズ・プラスに行く途中、女性の二人組がぺちゃくちゃしゃべりながら、ぼくの前から近づいてきた。ぼくは、人の顔があまり記憶できない性質なので、もう覚えていないのだけれど、というのも、ちらりと見ただけで、もうケッコウという感じだったからなんだけど、ぼくに近い方、道の真ん中を歩いてた方の女性が、ぼくの出っ張ったお腹を見ながら、「やせなあかんわ。」と言いよったのだった。オドリャ、と思ったのだけれど、まあ、ええわ。人間は他人を見て、自分のことを振り返るんやからと思って、チェッと思いながらも、そのままやりすごしたのだけれど、ほんと、人間というものは、他人を見て、自分のことを思い出してしまうんやなあと、つくづく思った。パン屋さんに入って、BLTサンドのランチ・セットを頼んでテーブルにつき、ルーズリーフを拡げると、つぎのような言葉がつぎつぎと目に飛び込んできた。「今、わたしの存在を維持しているのはだれか?」(ジーン・ウルフ『新しい太陽のウールス』50、岡部宏之訳)「人間がその死性を免れる道は、笑いと絆を通してでしかない。それら二つの大いなる慰め。」(グレゴリイ・ベンフォード『輝く永遠への航海』下・第六部・5、冬川 亘訳)「人生で起こる偶然はみな、われわれが自分の欲するものを作り出すための材料となる。精神の豊かな人は、人生から多くのものを作り出す。まったく精神的な人にとっては、どんな知遇、どんな出来事も、無限級数の第一項となり、終わりなき小説の発端となるだろう。」(ノヴァーリス『花粉』 66、今泉文子訳)「人生を楽しむ秘訣は、細部に注意を払うこと。」(シオドア・スタージョン『君微笑めば』大森 望訳)「細部こそが、すべて」(ブライアン・W・オールディス『三つの謎の物語のための略図』深町眞理子訳)「本質的に小さなもの。それは芸術家の求めるものよ」(フランク・ハーバート『デューン砂丘の大聖堂』第二巻、矢野 徹訳)「人生はほとんどいつもおもしろいものだ。」(タビサ・キング『スモール・ワールド』5、みき 遥訳)「そうした幸せは、まさしく小さなものであるからこそ存在しているのだ」(サバト『英雄たちと墓』第II部・4、安藤哲行訳)「重要なのは経験だ。」(ミシェル・ジュリ『不安定な時間』鈴木 晶訳)「人生のあらゆる瞬間はかならずなにかを物語っている、」(ジェイムズ・エルロイ『キラー・オン・ザ・ロード』四・16、小林宏明訳)「経験は避けるのが困難なものである。」(フィリップ・ホセ・ファーマー『飛翔せよ、遙かなる空へ』上・15、岡部宏之訳)「すべての経験はわたしという存在の一部になるのだから」(ジーン・ウルフ『拷問者の影』11、岡部宏之訳)「新しい関係のひとつひとつが新しい言葉だ。」(エマソン『詩人』酒本雅之訳)「レサマは「覚えておくんだよ、わたしたちは言葉によってしか救われないってこと。書くんだ。」とぼくに言った。」(レイナルド・アレナス『夜になるまえに』通りで、安藤哲行訳)「われわれのかかわりを持つものすべてが、すべてわれわれに向かって道を説く。」(エマソン『自然』五、酒本雅之訳)「あらゆるものが、たとえどんなにつまらないものであろうと、あらゆるものへの入口だ。」(マイケル・マーシャル・スミス『ワン・オヴ・アス』第3部・20、嶋田洋一訳)「創造者がどれだけ多くのものを被造物と分かちもっているか、」(トマス・M・ディッシュ『M・D』下・第五部・67、松本剛史訳)「作品と同時に自分を生みだす。というか、自分を生みだすために作品を書くんだ」(オースン・スコット・カード『エンダーの子どもたち』上・4、田中一江訳)「人生の目的は事物を理解することではない。(……)できるだけよく生きることである。」(ウィリアム・エンプソン『曖昧の七つの型』下・8、岩崎宗治訳)「生きること、生きつづけることであり、幸せに生きることである。」(フランシス・ポンジュ『プロエーム(抄)』VII、平岡篤頼訳)。
二〇一四年八月十二日「言葉をひねる。」
言葉をひねる。
ひねられると
言葉だって痛い。
痛いから
違った言葉のふりをする。
二〇一四年八月十三日「言葉にも利息がつく。」
言葉にも利息がつく。利息には正の利息と負の利息がある。言葉を創作(つく)って使うと正の利息がつく。言葉は増加し、よりたくさんの言葉となる。言葉を借りて使うと負の利息がつく。預けていた言葉が減少し、預けていた言葉がなくなると、覚えていた言葉が忘れられていく。
二〇一四年八月十四日「くるりんと」
卵に蝶がとまって
ひらひら翅を動かしていると
くるりんと一回転した。
少女がそれを手にとって
頭につけて、くるりんと一回転した。
すると地球も、くるりんと一回転した。
二〇一四年八月十五日「卵」
波はひくたびに
白い泡の代わりに
白い卵を波打ち際においていく
波打ち際に
びっしりと立ち並んだ
白い卵たち
二〇一四年八月十六日「10億人のぼく。」
人間ひとりをつくるためには、ふたりの親が必要で、そのひとりひとりの親にもそれぞれふたりの親が必要で、というふうにさかのぼると、300年で10代の人間がかかわったとしたら、ぼくをつくるのに2の10乗の1024人の人間が必要だったわけで、さらに300年まえは、そのまた1024倍で、というふうにさかのぼっていくと、いまから1000年ほど前のぼくは、およそ10億人だったわけである。さまざまな人生があったろうになって思う。どうしたって、ぼくの人生はたったひとつだけだしね。
二〇一四年八月十七日「『高慢と偏見』」
あと10ページばかり。ジェーンはビングリーと婚約、エリザベスもダーシーと婚約というところ。いま、ちょっと息をととのえて、書き込みをしているのは、自分のことを嫌っているように見えてたダーシーが、いつ自分を愛するようになったのかとエリザベスが訊くところ。「そもそものおはじまりは?」(ジェーン・オースティン『高慢と偏見』60、富田 彬訳)このすばらしいセリフが終わり近くで発せられることに、こころから感謝。
二〇一四年八月十八日「amazon」
これで笑ったひとは、こんなものにでも笑っています。
二〇一四年八月十九日「ゴボウを持ちながら。」
スーパーで、ゴボウを持ちながら、買おうか買わないでおこうか、えんえんと迷いつづける主婦の話。すき焼きにゴボウをいれたものかどうか、ひさしぶりのすき焼きなので記憶があやふやで、過去の食事を順に追って思い出しては記憶のなかのさまざまな事柄にとらわれていく主婦の話。
二〇一四年八月二十日「素数」
13も31も素数である。17も71も素数である。37も73も素数である。このように数字の順番を逆にしても素数になる素数が無数にある。また、131のように、その数自身、数字の順が線対称的に並んだ素数が無数にある。
二〇一四年八月二十一日「有理数と無理数」
きょう、パソコンで、ゲイの出会い系サイトを眺めていたら、「しゃぶり好きいる?」というタイトルで、「普通体型以上で、しゃぶり好き居たら会いたい。我慢汁多い 168#98#36 短髪髭あり。ねっとり咥え込んで欲しい。最後は口にぶっ放したい。」とコメントが書いてあって、連絡した。携帯でやりとりしているうちに、お互いに知り合いであったことに気がついたのだが、とにかく会うことにした。さいしょに連絡してから一時間ほどしてから部屋にきたのだが、テーブルのうえに置いてあった「アナホリッシュ國文學」の第8号用の「詩の日めくり」の初校ゲラを見て、「おれも詩を書いてるんやけど、見てくれる?」と言って、彼がアイフォンに保存している詩を見せられた。自分を「独楽」に擬した詩や、死んだ友だちを哀悼する言葉にまじって、彼が彼の恋人といっしょにいる瞬間について書かれた詩があった。永遠は瞬間のなかにしかないと書いていたのは、ブレイクだったろうか。彼が帰ったあと、瞬間について考えた。瞬間と時間について考えた。学ぶことは驚くことで、学んでいくにしたがって、驚くことが多くなることは周知のことであろうけれど、やがて、ある時点から驚くことが少なくなっていく。ぼくのような、驚くために学んでいくタイプの人間にとって、それは悲しいことで、つぎの段階は、学ぶこと自体を学ばなければならないことになる。そのうえで、これまでの驚きについても詳細に分析し直さなければならない。なぜ驚かされたのかと。その方法の一つは、単純なことだが意外に難しい。多面的にとらえるのだ。齢をとって、いいことの一つだ。思弁だけではなく、経験を通しても多面的に見れる場面が多々ある。ぼくたちが、時間を所有しているのではない。ぼくたちのなかに、時間が存在するのではない。時間が、ぼくたちを所有しているのだ。時間のなかに、ぼくたちが存在しているのだ。まるでぼくたちは、連続する実数のなかに存在する有理数のようなものなのだろう。実数とは有理数と無理数からなる、とする数概念だが、この比喩のなかでおもしろいのは、では、実数のなかで無理数に相当するものはなにか、という点だ。それは、ぼくたちではないものだ。ぼくたちではないものを時間は所有しているのだ。ぼくたちでないものが、時間のなかに存在しているのだ。しかし、もし、時間が実数どころではなくて複素数のような数概念のものなら、時間はまったく異なる2つのものからなる。もしかすると、ぼくたちと、ぼくたちではないものとは、複素数概念のこのまったく異なる2つのもののようなものなのだろうか。しかし、ここからさきに考えをすすめることは、いまのぼくには難しい。実数として比喩的に時間をとらえ、その時間のなかで、ぼくたちが有理数のようなものとして存在すると考えるだけで、無理数に相当するぼくたちではないものに思いを馳せることができる。しかし、それにしたって、じつは、ぼくたちではないものというのも定義が難しい。なぜなら、ぼくたちの感覚器官がとらえたものも、ぼくたちが意識でとらえたものも、ぼくたちが触れたものも、ぼくたちに触れたものも、ぼくたちではないとは言い切れないからである。この部分の弁別が精緻にできれば、この分析にも大いに意義があるだろう。ところで、実数のなかで、有理数と無理数のどちらが多いかとなると、圧倒的に無理数のほうが多いらしい。多いらしいというのは、そのことが証明されている論文をじかに目にしたことがないからであるが、そのうち機会があれば、読んでみようかなと思っている。
二〇一四年八月二十二日「チュパチュパ」
阪急西院駅の改札を通るとすぐ左手にゴミ入れがあって、隅に残ったジュースをストローでチュパチュパ吸ったあと、そのゴミ入れに直方体の野菜ジュースの紙パックを捨てるときに気がついたのであった、着ていたシャツのボタンを掛け違えていたことに。朝は西院のマクドナルドを利用することが多くて、たいていは、チキンフィレオのコンビで野菜ジュースを注文して、あと一つ、単品のなんとかマフィンを頼んで食べるんだけど、今朝もそうだったんだけど、友だちと待ち合わせをしていて、野菜ジュースだけがまだ残っていて、でも時間が、と思って、ジュースを持って、店を出て、駅まで歩きながらチュパチュパしていたのだった。いや、正確に言うと、横断歩道では信号が点滅していたし、車のなかにいるひとたちの視線を集めるのが嫌で、チュパチュパしていなかったんだけど、それに、小走りで横断歩道を渡らなければならなかったし、改札の機械に回数券を滑り込ませなければならなかったので、そんなに歩きながらチュパチュパしていなかったんだけど、というわけで、改札に入ってから最後のチュパチュパをして、野菜ジュースの紙パックをゴミ入れに投げ入れるまで目を下に向けることがなかったので、自分の着ているシャツの前のところが長さが違うことに、ボタンを掛け違えて、シャツの前の部分の右側と左側とでは長さが違うことに気がつくことができなかったのであった。「西洋の庭園の多くは均整に造られるのにくらべて、日本の庭園はたいてい不均整に造られますが、不均整は均整よりも、多くのもの、廣いものを象徴出來るからでありませう。」(川端康成『美しい日本の私』)「断片だけがわたしの信頼する唯一の形式。」(ドナルド・バーセルミ『月が見えるだろう?』邦高忠二訳)「首尾一貫など、偉大な魂にはまったくかかわりのないことだ。」(エマソン『自己信頼』酒本雅之訳)「読書の楽しさは不確定性にある──まだ読んでいない部分でなにが起きるかわからないということだ。」(ジェイムズ・P・ホーガン『ミクロ・パーク』26、内田昌之訳)。
二〇一四年八月二十三日「通夜」
よい父は、死んだ父だけだ。これが最初の言葉であった。父の死に顔に触れ、ぼくの指が読んだ、死んだ父の最初の言葉であった。息を引き取ってしばらくすると、顔面に点字が浮かび上がる。それは、父方の一族に特有の体質であった。傍らにいる母には読めなかった。読むことができるのは、父方の直系の血脈に限られていた。母の目は、父の死に顔に触れるぼくの指と、点字を翻訳していくぼくの口元とのあいだを往還していた。父は懺悔していた。ひたすら、ぼくたちに許しを請うていた。母は、死んだ父の手をとって泣いた。──なにも、首を吊らなくってもねえ──。叔母の言葉を耳にして、母は、いっそう激しく泣き出した。
ぼくは、幼い従弟妹たちと外に出た。叔母の膝にしがみついて泣く母の姿を見ていると、いったい、いつ笑い出してしまうか、わからなかったからである。親戚のだれもが、かつて、ぼくが優等生であったことを知っている。いまでも、その印象は変わってはいないはずだ。死んだ父も、ずっと、ぼくのことを、おとなしくて、よい息子だと思っていたに違いない。もっとはやく死んでくれればよかったのに。もしも、父が、ふつうに臨終を迎えてくれていたら、ぼくは、死に際の父の耳に、きっと、そう囁いていたであろう。自販機のまえで、従弟妹たちがジュースを欲しがった。
どんな夜も通夜にふさわしい。橋の袂のところにまで来ると、昼のあいだに目にした鳩の群れが、灯かりに照らされた河川敷の石畳のうえを、脚だけになって下りて行くのが見えた。階段にすると、二、三段ほどのゆるやかな傾斜を、小刻みに下りて行く、その姿は滑稽だった。
従弟妹たちを裸にすると、水に返してやった。死んだ父は、夜の打ち網が趣味だった。よくついて行かされた。いやいやだったのだが、父のことが怖くて、ぼくには拒めなかった。岸辺で待っているあいだ、ぼくは魚籠のなかに手を突っ込み、父が獲った魚たちを取り出して遊んだ。剥がした鱗を、手の甲にまぶし、月の光に照らして眺めていた。
気配がしたので振り返った。脚の群れが、すぐそばにまで来ていた。踏みつけると、籤(ひご)細工のように、ポキポキ折れていった。
二〇一四年八月二十四日「新しい意味」
赤言葉、青言葉、黄言葉。赤言葉、青言葉、黄言葉。赤言葉、青言葉、黄言葉。「言葉同士がぶつかり、くっつきあう。」(ルーディ・ラッカー『ホワイト・ライト』第四部・22、黒丸 尚訳)よくぶつかるよい言葉だ。隣の言葉は、よくぶつかるよい言葉だ。「解読するとは生みだすこと」(コルターサル『石蹴り遊び』その他もろもろの側から・71、土岐恒二訳)「創造性とは、関係の存在しないところに関係を見出す能力にほかならない。」(トマス・M・ディッシュ『334』ソクラテスの死・4、増田まもる訳)言葉のうえに言葉をのせて、その言葉のうえに言葉をのせて、その言葉のうえの言葉に言葉をのせて、とつづけて言葉をのせていって、そこで、一番下の言葉をどけること。ときどき、言葉に曲芸をさせること。ときどき、言葉に休憩をとらせること。言葉には、いつもたっぷりと睡眠を与えて、つねにたらふく食べさせること。でもたまには、田舎の空気でも吸いに辺鄙な土地に旅行させること。とは言っても、言葉の親戚たちはきわめて神経質で、うるさいので、ちゃんと手配はしておくこと。温度・湿度・気圧が大事だ。ホテルではみだりに裸にならないこと。支配人に髪の毛をつかまれて引きずりまわされるからだ。階段から突き落とされる掃除婦のイメージ。まっさかさまだ。ホテルでは、みだりに裸にはならないこと。とくにビジネスホテルでは、つねに盗聴されているので、気をつけること。言葉だからといって、むやみに、ほかの言葉に抱かれたりしないこと。朝になったら、ドアの下をかならずのぞくこと。差し込まれたカードには、新しい意味が書かれている。
二〇一四年八月二十五日「天使の球根」
月の夜だった。欠けるところのない、うつくしい月が、雲ひとつない空に、きらきらと輝いていた。また来てしまった。また、ぼくは、ここに来てしまった。もう、よそう、もう、よしてしまおう、と、何度も思ったのだけれど、夜になると、来たくなる。夜になると、また来てしまう。さびしかったのだ。たまらなく、さびしかったのだ。
橋の袂にある、小さな公園。葵公園と呼ばれる、ここには、夜になると、男を求める男たちがやって来る。ぼくが来たときには、まだ、それほど来ていなかったけれど、月のうつくしい夜には、たくさんの男たちがやって来る。公衆トイレで小便をすませると、ぼくは、トイレのすぐそばのベンチに坐って、煙草に火をつけた。
目のまえを通り過ぎる男たちを見ていると、みんな、どこか、ぼくに似たところがあった。ぼくより齢が上だったり、背が高かったり、あるいは、太っていたりと、姿、形はずいぶんと違っていたのだが、みんな、ぼくに似ていた。しかし、それにしても、いったい何が、そう思わせるのだろうか。月明かりの道を行き交う男たちは、みんな、ぼくに似て、瓜ふたつ、そっくり同じだった。
樹の蔭から、スーツ姿の男が出てきた。まだらに落ちた影を踏みながら、ぼくの方に近づいてきた。
「よかったら、話でもさせてもらえないかな?」
うなずくと、男は、ぼくの隣に腰掛けてきて、ぼくの膝の上に自分の手を載せた。
「こんなものを見たことがあるかい?」
手渡された写真に目を落とすと、翼をたたんだ、真裸の天使が微笑んでいた。
「これを、きみにあげよう。」
胡桃くらいの大きさの白い球根が、ぼくの手のひらの上に置かれた。男の話では、今夜のようなうつくしい満月の夜に、この球根を植えると、ほぼ一週間ほどで、写真のような天使になるという。ただし、天使が目をあけるまでは、けっして手で触れたりはしないように、とのことだった。
「また会えれば、いいね。」
男は、ぼくのものをしまいながら、そう言うと、出てきた方とは反対側にある樹の蔭に向かって歩き去って行った。
二〇一四年八月二十六日「無意味の意味」
「芸術において当然栄誉に値するものは、何はさておき勇気である。」(バルザック『従妹ベット』二一、清水 亮訳)たくさんの手が出るおにぎり弁当がコンビニで新発売されるらしい。こわくて、よう手ぇ出されへんわと思った。きゅうに頭が痛くなって、どしたんやろうと思って手を額にあてたら熱が出てた。ノブユキも、ときどき熱が出るって言ってた。20年以上もむかしの話だけど。むかし、ぼくの詩をよく読んで批評してくれた友だちの言葉を思い出した。ジミーちゃんの言葉だ。「あなたの詩はリズムによって理性が崩壊するところがよい。」ルーズリーフを眺めていると、ジミーちゃんのこの言葉に目がとまったのだ。すばらしい言葉だと思う。以前に書いた「無意味というものもまた意味なのだろうか。」といった言葉は、紫 式部の『源氏物語』の「竹河」にあった「無情も情である」(与謝野晶子訳)という言葉から思いついたものであった。ジミーちゃんちの庭で、ジミーちゃんのお母さまに、木と木のあいだ、日向と木陰のまじった場所にテーブルを置いてもらって、二人で坐ってコーヒーを飲みながら、百人一首を読み合ったことがあった。どの歌がいちばん音がきれいかと、選び合って。そのときに選んだ歌のいくつかを、むかし、國文學という雑誌の原稿に書き込んだ記憶がある。「短歌と韻律」という特集の号だった。ぼくが北山に住んでいた十年近くもむかしの話だ。
二〇一四年八月二十七日「詩と人生」
きょうは、大宮公園に行って、もう一度、さいしょのページから、ジョン・ダンの詩集を読んでいた。公園で詩集を読むのは、ひさしぶりだった。一時間ほど、ページを繰っては、本を閉じ、またページを開いたりしていた。帰ろうと思って、詩集をリュックにしまい、さて、立ちあがろうかなと思って腰を浮かせかけたら、2才か3才だろうか、男の子が一人、小枝を手にもって一羽の鳩を追いかけている姿を目にしたのだった。ぼくは、浮かしかけた腰をもう一度、ベンチのうえに落として坐り直して、背中にしょったリュックを横に置いた。男の子の後ろには、その男の子のお母さんらしきひとがいて、その男の子が、段差のあるところに足を踏み入れかけたときに、そっと、その男の子の手に握られた小枝を抜き取って、その男の子の目が見えないところに投げ捨てたのだけれど、するとその男の子が大声で泣き出したのだが、泣きながら、その男の子は道に落ちていた一枚の枯れ葉に近づき、それを手に取り、まるでそれがさきほど取り上げられた小枝かどうか思案しているかのような表情を浮かべて泣きやんで眺めていたのだけれど、一瞬か二瞬のことだった。その男の子はその枯れ葉を自分の目の前の道に捨てて、ふたたび大声で泣き出したのであった。すると、あとからやってきた父親らしきひとが、その男の子の身体を抱き上げて、母親らしきひとといっしょに立ち去っていったのであった。なんでもない光景だけれど、ぼくの目は、この光景を、一生、忘れることができないと思った。
二〇一四年八月二十八日「人間であることの困難さ」
言葉遊びをしよう。言葉で遊ぶのか、言葉が遊ぶのか、どちらでもよいのだけれど、ラテン語の成句に、こんなのがあった。「誰をも褒める者は、誰をも褒めず。」ラテン語自体は忘れた。逆もまた真なりではないけれど、逆もまた真のことがある。一時的に真であるというのは、論理的には無効なのだけれど、日常的には、そのへんにころころころがっている話ではある。で、逆もまた真であるとする場合があるとすると、「誰をも褒めない者は、誰をも褒めている。」ということになる。さて、つぎの二つの文章を読み比べてみよう。「どれにも意味があるので、どこにも意味がない。」「どこにも意味がないので、どれにも意味がある。」塾からの帰り道、こんなことを考えながら歩いていた。ぼくに狂ったところがまったくないとしたら、ぼくは狂っている。ぼくが狂っているとしたら、ぼくには狂ったところがまったくない。じっさいには、少し狂ったところがあるので、ぼくは狂ってはいない。ぼくは狂ってはいないので、少し狂ったところがある。「おれなんか、ちゃろいですか?」「かわいい顔してなに言ってるんや。」「なんでそんな目で見るんですか?」。「なんでそんな目で見るんですか?」いったい、どんな目で見ていたんだろう。そういえば、付き合った子にはよく言われたな。ぼくには、どんな目か、自分ではわからないのだけれど。よく、どこ見てるの、とも言われたなあ。ぼくには、どこ見てるのか、自分でもわからなかったのだけれど。「人間であることは、たいへんむずかしい」(サルトル『嘔吐』白井浩司訳)「人間であることはじつに困難だよ、」(マルロー『希望』第二編・第一部・7、小松 清訳)「「困難なことが魅力的なのは」とチョークは言った。「それが世界の意味をがらりと変えてしまうからだよ」」(ロバート・シルヴァーバーグ『いばらの旅路』1、三田村 裕訳)「きみの苦しみが宇宙に目的を与えているのかもしれないよ」(バリー・N・マルツバーグ『ローマという名の島宇宙』10、浅倉久志訳)ほんと、そうかもね。
二〇一四年八月二十九日「放置プレイ」
さて、PC切るか、と思って、メールチェックしてたら、大事なメールをいったん削除してしまった。復活させたけど。あれ、なにを書くつもりか忘れてしまった。そうだ、オレンジエキス入りの水を飲んで寝ます。新しい恋人用に買っておいたものだけど、自分でアクエリアス持ってきて飲んでたから、ぼくが飲むことに。ぼくのこともっと深く知りたいらしい。ぼくには深みがないから、より神秘的に思えるんじゃないかな。「あつすけさん、何者なんですか?」「何者でもないよ。ただのハゲオヤジ。きみのことが好きな、ただのハゲオヤジだよ。」「朗読されてるチューブ、お気に入りに入れましたけど、じっさい、もっと男前ですやん。」「えっ。」「ぼく、撮ったげましょか。でも、それ見て、おれ、オナニーするかも知れません。」「なんぼでも、したらええやん。オナニーは悪いことちゃうよ。」「こんど動画を撮ってもええですか。」「ええよ。」「なんでも、おれの言うこと聞いてくれて、おれ、幸せや。」「ありがとう。ぼくも幸せやで。」これはきっと、ぼくが、不幸をより強烈に味わうための伏線なのだった。きょうデートしたんだけど、間違った待ち合わせ場所を教えて、ちょっと待たしてしまった。「放置プレイやと思って、おれ興奮して待っとったんですよ。」って言われた。ぼくの住んでるところの近く、ゲイの待ち合わせが多くて、よくゲイのカップルを見る。西大路五条の角の交差点前。身体を持ち上げて横にしてあげたら、すごく喜んでた。「うわ、すごい。おれ、夢中になりそうや。もっとわがまま言うて、ええですか?」「かまへんで。」「口うつしで、水ください。」ぼくは、生まれてはじめて、自分の口に含んだ水をひとの口のなかに落として入れた。そだ、水を飲んで寝なきゃ。「彼女、いるんですか?」「自分がバイやからって、ひともバイや思うたら、あかんで。まあ、バイ多いけどな。これまで、ぼくが付き合った子、みんなバイやったわ。偶然やろうけどね。」偶然違うやろうけどね。と、そう思うた。偶然であって、偶然ではないということ。矛盾してるけどね。
二〇一四年八月三十日「火の酒」
きょう恋人からプレゼントしてもらったウォッカを飲んでいる。2杯目だ。大きなグラスに。ウォッカって、たしか、火の酒と書いたかな。火が、ぼくの喉のなかを通る。火が、ぼくの喉の道を焼きつくす。喉が、火の道を通ると言ってもよい。まるでダニエル記に出てくる3人の証人のように。その3人の証人たちは、3つの喉だ。ぼくの3つの喉の道を炎が通り過ぎる。3つの喉が、ぼくを炎の道に歩ませる。ほら、偶然に擬態したウォッカが、ぼくの言葉を火の色に染め上げる。さあ、ぼくである3人の証人たちよ。火のなかをくぐれ。3つの喉が、炎のなかを通り過ぎる。ジリジリと喉の焼き焦げる音がする。ジリジリと魂の焼き焦げる音がする。ジリジリと喉の焼き焦げるにおいがしないか。ジリジリと魂の焼き焦げるにおいがしないか。ジリジリと、ジリジリとしないか、魂は。恋人からのプレゼントが、炎の通る道を、ぼくの喉のなかに開いてくれた。偶然のつくる火の道だ。魂のジリジリと焼き焦げる味がする。あまい酒だ。偶然がもたらせた火の道だ。ほら、ジリジリと魂の焼き焦げるにおいがしないか。My Sweet Baby! Love & Vodka! 「運命とは偶然に他ならないのではないか?」(フィリップ・ホセ・ファーマー『飛翔せよ、遙かなる空へ』下・48、岡部宏之訳)「だれもが自分は自由だと思っとるかもしれん。しかし、だれの人生も、たまたま知りあった人たち、たまたま居合わせた場所、たまたまでくわした仕事や趣味で作りあげられていく。」(コードウェイナー・スミス『ノーストリリア』浅倉久志訳)「すべては同じようにはかなく移ろいやすいものだ。少なくともそのために、束の間のものを普遍化するために書く。たぶん、それは愛。」(サバト『英雄たちと墓』第II部・四、安藤哲行訳)「ぼくにとってこれが人生のすべてだった。」(グレッグ・イーガン『ディアスポラ』第三部・8、山岸 真訳)「なんのための芸術か?」(ホフマンスタール『一人の死者の影が……』川村二郎訳)「作家は文学を破壊するためでなかったらいったい何のために奉仕するんだい?」(コルターサル『石蹴り遊び』その他もろもろの側から・99、土岐恒二訳)「言葉以外の何を使って、嫌悪する世界を消しさり、愛しうる世界を創りだせるというのか?」(フエンテス『脱皮』第三部、内田吉彦訳)ウォッカ。火のようにあまくて、うまい酒だ。喉が熱い。火のように熱い。真っ赤に焼けた火の道だ。ほら、ジリジリと魂の焼き焦げるにおいがしないか。
二〇一四年八月三十一日「できそこないの天使」
瞳もまだ閉じていたし、翼も殻を抜け出たばかりの蝉の翅のように透けていて、白くて、しわくちゃだったけれど、六日もすると、鉢植えの天使は、ほぼ完全な姿を見せていた。眺めていると、そのやわらかそうな額に、頬に、唇に、肩に、胸に、翼に、腰に、太腿に、この手で触れたい、この手で触れてみたい、この手で触りたい、この手で触ってみたいと思わせられた。そのうち、とうとう、その衝動を抑え切れなくなって、舌の先で、唇の先で、天使の頬に、唇に、その片方の翼の縁に触れてみた。味はしなかった。冷たくはなかったけれど、生き物のようには思えなかった。血の流れている生き物の温かさは感じ取れなかった。舌の先に異物感があったので、指先に取ってみると、うっすらとした小さな羽毛が、二、三枚、指先に張りついていた。鉢植えの上に目をやると、瞳を閉じた天使の顔が、苦悶の表情に変っていた。ぼくの舌や唇が触れたところが、傷んだ玉葱のように、半透明の茶褐色に変色していた。目を開けるまでは、けっして触れないこと……。あの男の言葉が思い出された。
机の引き出しから、カッター・ナイフを取り出して、片方の翼を切り落とした。すると、その翼の切り落としたところから、いちじくを枝からもぎ取ったときのような、白い液体がしたたり落ちた。
その後、何度も公園に足を運んだけれど、あの男には、二度と出会うことはなかった。
大洪水のあと
洪水が激しく流れたが
それに先立って激しく流れた風景の束があった
音響が激しく鳴り響いたが
それに先立って激しく鳴り響いた光の板があった
先立つ抽象的な激流によって
地上の生物の本質はすべて抜き取られて
本質無き大地の上を
洪水と音響はただ論証のように滑っただけだ
論証のあとにさらに流れていった私の手指たち
私の指は幾万本となくがれきの墓標となった
何も破壊などされていない
唯一、破壊という現象が破壊された
何も失われてなどいない
唯一、喪失という推移が失われた
静寂と痛みとはまったく同義であり
限りない痛みの原野は限りなく静かである
洪水は生き残った者たちによってその覚醒が同意された
洪水には無根拠な共感が次々と寄せられた
だが洪水はついに真実にはならなかった
激流も音響もすべて虚構だった
あらゆる人間の同意を取り付けても
なお虚構であることに耐えられること
大洪水とは虚構の大水が現実に流れること
そして私はこの大洪水で幾万回と殺され
幾万回と生まれ変わった
すべての地上の生物だった
#01
昼、蜩が啼いていた
今日私は遂に夏を認める
昼、蜩が啼いていた、と、私は日記に記さなかった
だから、昼、蜩は啼いていなかったことになるだろう
しかし私は今日、遂に夏を認めた
明日、もし昨日蜩が啼いていたことを忘れていたなら
そして明日、蜩が啼いたなら
私は明日、蜩が啼いたと認める
わくわくして
少し動機が早くなって、バラバラな扇風機を組み立て
扇風機のプラグをコンセントに差し込み、「中」のボタンを押し
扇風機を、私が信仰しているロック・バンドのフロント・マン
カート・コベインのポスターが一枚貼ってある、
白い壁に向けた
夕方になると、昼、蜩なんて啼いていなかったことになっていたし
しかしまだ遂に夏を認めた私がいたので
抗不安剤カームダンを含むと
多分、昼、蜩が啼いていたので、しっかりと書いておかないと
理由も曖昧なのに、遂に夏を認めた私は
孤独になる
私を、助けて下さい
と祈った
姉の買ってきてくれたフライド・チキンを頬張りながら
「愛しています。」
と、一言だけ、携帯電話のメールに
未だ意味の知れない「愛」という言葉の一語を書いて、パートナーに送った
*
人参果が欲しくてスーパーマーケットで捜したけれど
スーパーマーケットは全焼していた
全焼したスーパーマーケットは初めて見たので
それが全焼したスーパーマーケットだと気が付かず
真っ黒な灰の瓦礫の上で
ポケットからゴールデン・バット、210円の安煙草を取り出して
別売りのフィルターをつけて火を点けて座った
そして、「人参果、人参果」と呟きつつ、ふらふら
瓦礫のなかをさまよった
水たまりに油が浮いており、虹色に光っていたので
ずっと水たまりの光りを眺めていたら
茶色の毛だらけの野良猫が来て、
水たまりの水を舐めはじめた
懸命に、懸命に、毒を舐めていた
*
ピアノの音が聞こえ
音楽室に向かうと
ピアノが溶けはじめていた
T先生は、ちらと私に目をやると
ピアノが溶けているのは嘘なんだ、と仰った
確かにピアノは溶けていたので
先生の仰っていることが、私には解らなかった
そのピアノで先生は
正確にエリック・サティのジムノぺティを弾いた
梅雨ですね、
先生に告げると
そんな大雑把な季節把握はしてはならない、と仰った
ここまで書いて私が思慮したことは
私に水平に流れる時間というものは
感情がないということだった
意味なんかない
先生はピアノから離れると
白いくしゃくしゃのコンビ二の袋から
おにぎりを二つ取り出し食べた
感情のないこの時間にあって、おにぎりを頬張っている先生
振り返ると、ピアノはすっかり影になっていた
携帯電話にメールが届いて
パートナーから「私も愛しているよ。」という一文だった
私は少しずつ鬱になりはじめ
或る手段を使って
先生を殺害した
動機なんてない
こころの闇なんてない
動機には興味がない
大体何故
動機が必要なのだろうか
カート・コベインは「魚には感情がないから食べていい」と歌った
先生は殺すことができたのに
私は私自身を殺すことができないでいる
「ハロー、ハロー、どれ位ひどい?」
メロディを反芻しながら
夜の郊外の道をまっすぐ歩いた
精神科で処方された薬をコンビニのトイレで含み
ポカリ・スウェットで胃へ流し込む
遠くパートナーの足音が聞こえてきたと思うと
現れたのはファースト・フードの食い過ぎで
肥満したイエス・キリストだった
トイレの洗面所が備えているスペースで
キリストの鼻筋をガツッと殴った
右側でも左側でも、頬ではなかったので
キリストは混乱しながらその場にうずくまった
洗面所を備えているスペースを抜けて
レジに向かい
ゴールデン・バット二箱
百円のアイスコーヒーを購入した
どうせ地獄へと行くのだ
兎に角、今は煙草を喫って良い気分になろう
コンビニの前に置かれている灰皿に入っている水が
自然ドンドン水かさを増して
ついに灰皿から溢れ
ジー
ジー
蜩の声が頭いっぱい広がった
そう
確かに
蜩は啼いていた
鯨
腐敗した光の海を何千羽もの鳥が渡っていく
森はやがて溶け出して、染み込んだ地下に深く眠る
吼えるような風が耳の奥で膨らんで、弾力のある青い音色を吐き出してゆく
真っ白な樹液は私の腿をつたって流れ、湖の上には丸い月が広がってゆく
電気は暗い溝の内をのたうちまわって進みながら、蒼白い閃光を宙に浮かべる
墓の下で夜を呼ぶ声
眠りと眠りの間に挟まれた右手を抱きかかえながら街路を駆ける母親の影を、銀塩に浸された呼吸の中へ焼き付けた
赤く光る鳥の眼が下水道の奥で氾濫している
花の匂いを嗅ぎにきた少女はふくらはぎに噛み付いた野犬を引きずっている
雲に隠れる隙を見計らって月は静寂と熱い口付けを交わしている
古本屋の店先に積み上げられた絵本の山の底で、赤い人形の表紙が涙を流したので、黒いインクで書かれた文字を洗い流し、蒸発したおとぎ話が街ゆく人の健康を悪くさせた
感染症で熱にうなされる少女の脇に冷やした魚を挟みながら
彼女の汗を飲みに来る鼠たちをその尾を引っ張って剥がしながら
窓の外で笑いながらこちらを見つめる包丁を持った男の目を手で隠しながら
鳥かごの中で歌をうたう幼い妹の瞳を鳥がつつきながら
星の割れ目に新鮮な血液を流し込んだ
煙の中に散った花弁を拳の中で色が濃くなるまで握りしめた
黒色のうさぎに包帯を巻いて白く染め上げた
聞こえない音の中にかよわく解ける根をゆっくりと張った
自身の重みで震える空を泳ぎながら
沈殿する白血球の死骸の山に
寄生して朝を迎える
錆びついた氷のように
深遠な記憶を飲み込んで膨らんだ
傷のある左眼をもつ
羽のない鯨
小さな 五つの詩篇
一
罪深い朝よ
おまえはそんなにはりきってどこへ行くというのか
時空を超えて宇宙の滝まで行くというのか
俺を待ってはくれないだろうが
朝よ、おまえは嫌いじゃない
おまえが夜に吐き散らかした叫びが
結露してまばゆく光っている
おまえにも夜があり
泣き崩れた時があったのだろう
でも、朝よ
おまえは暗さを剥ぎとって透明な色を手に入れたのだな
朝よ、おまえが光ると人が喜ぶ
おまえが産んだ卵が孵る時だ
朝だ朝だよ
太陽をつかまえてこいよ
二
種よ
虫に食われた かんらからに乾いた親などの
真似をするんじゃないぞ
お前は一個の種として生きてゆけ
カラスに食われたのなら
黙って硬くなって糞から根を張れ
太陽の光が遠かったら、黙って眠っていろ
お前は種だ
やがてお前の時代が来る
でも種よ
万が一
腐れ掛かったら
俺の枯れた葉っぱの影で
ひとしきり皮膚を乾かせ
それまで俺は
からからに乾ききった体で
突っ立っているよ
三
座椅子に座り
スコッチのロックを飲る
僕は巨人になって
そこらへんの杉の木を二本折り
小枝を歯磨きして削ぎ落とし
流星をひとつつかまえて
グラスに入れる
星のカタチした流星
グラスの中で
かちりかちりと泳いでいる
満月のクレーターに顔を近づけると
酒臭いぞと雲に隠れた
宇宙の外側に顔を出すと
またそこは宇宙だった
果てしないんだなぁ
宇宙って
僕はそう言って
息を吐き出すと
きらきらと
流星雲となって
空へ伸びていった
四
午後の重みに しなだれた校舎から
飛び出したキャンディのようにチャイムが鳴る
太陽は後ろ向きになり
角ばった校舎は
ためいきとともに丸くなる
砂山が崩れると
ハンドスコップがことりと倒れ
ひかりは赤く染まり
川となって
町を流れてゆく
五
老人がベンチシートに並んでいるのだ
昔はたぶん女だった
男だった
今は老人だ
人生なんて そんなもの
皺皺に閉じ込めて
ホッチキスでとめている
そんなもんがあったんかい
それでも老人
剣を持ち
戦車を引き
戦いを挑んでいる
この世で一番相手にされないのに
それを苦にするでもなく
悟りきった戦士のように
今日も
乾いた脳で思考し
味の無い舌でまくし立てる
皺皺の老人
殺されても生きろ
燃やされる前に何か叫べ!
目の前の医者に噛みつけ!
サボテンと砂袋たち
仕事帰りにはいつもコンビニに寄る
たいていは
駅の近くにあるサークルKだが
サントリーのウォッカと明治のチョコレートを買い
帰りの電車を待つ何分かの間に
ストレスで固まった神経をアルコールと糖分で和らげるためだ
重たい砂袋のようになった体のどこかに
まるで
経年劣化できた
穴でも開いているようだった
反対側のホームのサラリーマンも
虚空をみつめながら
同様の思いでいるらしい
この島の人間は
働くことが好きなんだろう
あいた穴からポタポタと零れるのものを
愛おしんでいるのだ
砂袋の中にできた生傷を
愛でているのだ
でなきゃこんな自虐的な生活のどこに
使命を抱くことなんかできるだろうか
ぼくはこの運命共同体の中に隠された哲学と理念に
人々が繋がっているとは思えなくなっていた
つまり都会は調子の狂った時計を回し続け
鉄とプラスティックの歯車の中に生物と無機物を同時に閉じ込める
牢獄かブラックホールのようなものになり下がり
そしてサボテンたちが血を滲ませながら歌う唄をも飲み込んでいくのだ
満員電車の中に詰め込まれた砂袋たちがつり革につかまって吐き出している泥土が唯一
思考を止めてしまった人間から吐き出された思考なのだ
隣の砂袋がぼくに話しかけてきた
ギリシャと中国のせいで
大損さ
ぼくは肩をすくめてウォッカとミルクチョコレートを口に含ませた
この島では
市場はもっとも信仰を集める宗教だ
神の値打ちを値踏みする砂袋たちも
ホームの縁を千鳥になって歩くサボテンも
JRの動く宗教施設に乗り込むと
まるで記憶を遡るように
都会の中心へ戻っていった
砂袋をナイフで切り裂くと
ギリシャの空とミルク色のチョコレートが
プラスティック製の時間とサボテンたちを乗せて
大阪の駅をすでに発射していた
夏祭
赦して欲しい
たとえぼくが生きる側からいなくなっても、
それは生田川みたいに浅い流れに過ぎないのだから
空気が熱に膨らんでって
たしかに過古を甦らせてる
どうか連れ去ってくれ
縁日の世界へと
もういちど
夏祭のかのひとを眺め
うっとりとしてたいんだ
ぼくの小さな港よ
船は帰航を拒むばかりだ
赦して欲しい
たとえぼくが生きる側からいなくなっても、
うっとりとしながらかのひとを眺めてるからだ
どうか連れ去ってくれ
骨メール。
還暦を迎える前になくなった祖父の頭の上に、僕の折蛙がのっていた。焼かれた祖父は骨になった。祖父の鎖骨を掴んで骨壷にいれたことまでは覚えているが、それ以降のことは何も覚えていない。それでも偶に、覚えていなかったことを数分間だけ思い出すときがあった。しかし、数分後にまた忘れた。今度は思い出したことを忘れた、という言葉だけ覚えている。そういうものが積み重なって僕は物忘れのヒドイニンゲンだ、ということだけが頭に積み重なっていって、僕はそう、こうした円環の中に生きているのだ!ということが分かった途端に、電車が駅について、そう、分かったことがまたわからなくなって、ずれていくことをまた積み重ねていった。オヤジ達が祖父の骨を繋げて遊んでいるのを僕は遠くでみていた。オヤジ達は、あ、こことここの骨が繋がった。そう、たしかこうこうすると、ほら、鎖骨ってこうつながってるんですよ。という始まりがあって、気が付けば夕方になっていた。僕は明日の朝食を買うために、町のパン屋に入った。ちりちりちり、とお店のベルがるるるるるるってなると、縮れ毛の顎鬚をした主人がちらりとこっちを見てきて、もう閉めるから出てってくれ、みたいな顔をしたので、僕はじゃぁ、あす、朝五時にきます、みたいな顔をしてチョココロネを一つ掴んでレジに持っていった。鼻で笑われたついでに四月、という始まりがあって、町には地図を片手に持った若者が大勢いた。ある人は自転車に跨って霊園のある丘から、下った先にある大きな港まで巡り、あるものは事前に調べた情報を頼りに決められた順列の組み合わせで路地を歩いた。どちらかというと、僕は友達の女の子と本を読んでいた。部屋の中は何もなかった。安っぽい本を乱暴に読んでいると、調度品という言葉がヤケに目に付いた。大体そう、部屋に置いてあるものは調度品。これで片付ければいいそうなので、調度買い物にいくことにした。出たついでに散歩をすることにした。僕のレトリックはやはり調度品くらいの精度しかないから、見渡せる景色も大体調度品で済ませられるから、僕は女の子と手をつないでいれば良かった。「それでいいの?」「いいんだ。」。」。」みたいな会話を繰り返している内に雨が降ってきた。僕と女の子の間だけ晴れていたとか、言ってみたいけど、ウソだもんね。僕たちは砂浜まで行くと、ただひたすらと堤防に乗って北へ北へと歩いた。波打ち際には等間隔で打ち上げられた魚が死んでいて、その隙間を縫うように男が埋まっていて女がそれを掘り起こし、子供たちがヘドロになった父の内臓をお城にして遊んでいた。お城はやっぱりもってかれて、ただ、骨だけが残った。強い雨だった。骨はまるで死んだ珊瑚礁みたいに、パチンと薪のはぜた音がした。るるるるる。僕は電話にでようとした。それはメールだった、もう少しでラインになる。
落選なう
暗い夕暮れ
選ばれなかった鳥たちが
羽根をたたみ
闇に落ちて
ひっそりと死んでゆく
なう。
真夜中
やわらかい雨にうたれ
七月の街は
細部まで光り輝かき
朝には
選ばれなかった鳥たちの羽根も
きれい
なう。
次の月の
次に吠える
明るい夕暮れ
公園で
子供たちが水鉄砲で殺し合う
誰も死なない物語
なう。
若葉の香らない夏に
もうすぐ
闇が降り注ぐ
(お化けなんかいないよ
それは
死んでいる鳥たちの羽根
夏の終わりの
花火大会
なう。
夜空を飛ぶ
選ばれた鳥たち
みんな
八月に生まれた花
白い白い花が咲いたよ
(からたちの花/北原白秋)
白い秋は
まだイメージできない
赤い秋なら
もう目の前にある
比喩が
比喩とかいう
気取った表現がまだあるならば
それはもう
後はもう
(街の夜空で爆破されるだけだよ
比喩なう。
芸術なう。
引用なう。
批評なう。
爆破して、
落選なう。
2010年に生まれ流行り
2015年に死んで終わる
なう現代詩なう
ひとり
もう春を待ちながら
疑う夜
自分の羽根を疑え
選ばれた鳥も疑え
散らばって
もっと砕け散ってしまえ
鳥よ鳥たちよ
個性なんてくだらない
自分らしさなんて消えればいい
新しくて
美しく咲く九月の花のために
みんな
死んでしまえばいい、
(無題)
セルロイドの曲線を数えたら二十四本の蕾で、しかしそれは造花でありました。泳ぐことを辞めた男は夜中のうちに独りになって、数十センチを溺れ、流されたような水の流れが、いっとうきれいな跡となりました。そして今朝、イェーン!(人間!)と鳴き発つ気配がしまして、見れば滓が所々に落ちていたので、起き抜けに皆は途方に暮れ玉砂利に立ち尽くして仕舞います。墓石が熱を帯びてゆくのを指差して、ああ時が過ぎるねぃ…影が早いわぁと口々に云ったあとで、山の稜線を見下ろして黙り、やさしい誰かが咳をするのです。さらに際立つ現在のそれぞれ、耳に低い気流が立ち込めて参ります。
―――本当ニ、皆、印象ダケニナルノダワ――ソレデ寧ロ濃イ影ニナルノネ――印象ダケガ生活ヲ続ケルヨウナ事ガアッテ――例エバチョウド、アノ笑顔―――春日井ノ父ガソウダッタワ――アラ小森ノ叔母サマモソウヨ―――イズレ写真ニナッタケレド―――本当ニソウネ――印象ダケガ呼応スルノネ――対話モネ、返ッテ増エタミタイデ――近頃ネ、ウチノ人ッテバ良ク笑ウノヨ――オイ、君ガ一生懸命箸デ拾ッテ呉レテイタノハ―――アリャア何ダッタッケ?――ソンナ具合ニ態ト呆ケテ笑ウノヨ―――アラ変ネィ、モウコンナニモ薄グライノネェ…
翠がかった煙のしみる瞼をおさえるハンケチを振り終える手の重なりが解かれる。砂利をまぶした木立のなかに同じ顔、同じ皺。赤い子靴がふざけて転び、ケロリと蛙は鳴いた拍子に飛び込む。ああそれ無しでは淋しすぎた道程なのです。白い足首が何回も、汚い泥をはねあげておりました。堰を切った時鐘が降る坂の途で…(蝉降る丘にてさようなら!)御影の詳細に手向けた花々…(蝉降る丘にてさようなら!)…にぎやかな団欒が宗教と往きます。ここからあなたに聴こえるでしょうか、セルロイドの弾く水は、殊勝な鈍い音がいたします。
夜と星
水の上を渡る星々の
一生の間に産んだ後悔の数
口から吐き出された白い指紋
やがて空は明けゆき一人の影が姿を現す
土の中で音が舞う
AとGから映画館の割れる音がする
ガラスの尾をもつクジャクを見た
草の鋭い葉の先で幼い蝶はその一生を振り返る
工業地帯の涙、つまりは赤銅色の雨の正体は
哺乳瓶の底に沈澱した溶け出した母親の微かな残り
口から零した白く流れる甘い息
やがて雲は流れゆき一人の心臓が差し出される
森の中では月の見せる幻だけが僕の手の中で震えていた
純粋で汚れを知らない悪魔の子
地中に流れる熱い血潮は
次第に黒く錆びていった
氷と話した
今から15分で水の中へ戻ることにしよう
人の話す言葉は僕にはわからないから
この温度だけを伝えておくれ
闇を掘り返した
そこでは白骨化した遺伝子が幼い乳房の上を這いずりまわっていた
夜だというのになんと明るいことか
白い花の中には蝶の羽が浮かんでいる
遠くの星から声が聞こえる
ひとつの季節の中に発火した電流の叫び声を注ぐのだ
犬の前足から国際司法裁判所を経由して
私の耳に長い舌が差し込まれた
排水溝に唇をあてがって大きく息を吸うこと
次にその細い歯の裏に棲みついた蛙を大きな息で膨らませること
決して空の色は確認しないこと
生まれて間もない鳥の眼に生えた鱗のように柔らかな朝を迎え入れよう
それでもまだ足りないのだ
手のひらにできた湿疹の数が警察官の仕事の数を増やしていく
拳銃よりも重い視線に貫かれて
道ゆく風船の群れは地上に倒れた
赤い窓ガラスの上を白い鳥は平行に渡っていく
その途中で卵を産むが
そちらの方は重力に従って宇宙の組織の中へと分解されていく
冷たい空気が凍らない理由は舌を抜かれた星々だけが知っていた
僕の手が公転軌道上をかき回しているころ
すっかり血の抜けた脳が弾みよく僕の横を転がっていった
追いかける足をもたない鳥もいたが
追いかける足をもつ鳥もいた
ガラス片は星をさまよう
永久に忘れられることのない静寂の中で
一人の人間は豊かな祈りに対して
その節くれだった手を捧げるのだった
グラスには黒い心臓が注がれた
それには誰も手を付けない
それは飲むためにはないのだから
ではいったい何のために
鳥の羽ばたく理由は
蝋燭の火の中に記されていた
しかし教会の鐘の音は
海の底で眠る鳥たちを呼び覚ましはしなかった
石と水が互いに呼び合い、葉の上で交尾をすると
それを見届けた蟻が慌てて春の訪れを告げた
黄色い血液の中で未だに太陽を思う人間はいまい
とはいえ森は燃え上がるのだ
吐き出された夜を飲み込め
真実が風の吹く方へと流れたならば
透明な眼をした星々のことを思い出すのだ
砂が息づく水たちのように沈黙は虫たちの羽の裏で眠っている
夜明けは未だに噴水の中を循環して回っていた
湾曲した風の上を蛇の吐き出した鱗粉が渡っていく
海との絶交を果たした魚たちはようやく空のもとへと帰るのだ
めいめいが嵐を呼んだ
鋭く尖った星々が最後の歌をうたっている
木の中は安全か?
コウモリの笑い声が聞こえるか?
地を這う女たちの悲鳴は今日と明日の間に一瞬の温もりを見出せるのか?
羽のない空は彼らの声を伝ってどこまで逃げていこうというのか?
若い葉の上で仰向けに寝転がる蝶を見て
この空は涙を流すのか?
鋭く尖った星々が
教会の鐘の音のように獰猛な眼をして走っていく
逃げ遅れた水たちは氷のように葉を広げ
その口元に赤い果実を実らせた
闇だけが僕のちいさな手のひらで震えている
深い森の奥で誰のためともなく存在する赤い噴水の正体を
透明な眼をした星々はその風にのせて
溶け出した蝋燭の根元へと慎重に運ぶのだ
夢の経験
遥かに遠くに満ちていく 夢の泡立ち
その滑らかな円を割って
弱くともる炎
最後のひかりが 睡眠薬のなかに溶けていく
みどりで敷きつめられた甘い草原
潤沢なみずをたくわえて
豊かさを誇示する地肌にひろがる
セイタカアワタチソウの群生のなかを
恋人を失くして
自嘲するピエロのように踊る
わたしの幻影が かなしく背を向けて
うな垂れる
夕照がしみる水槽のような寝室で
空白のこころを埋めるものを
とりとめもなく捜す
茫々とした夢の荒野から
掌で 溢れだす記憶のみずを汲み上げて
そこから 零れていく稜線を眺めると
わたしは 予約のない夢のなかを
泳いでいたのがわかる
おもわず 夢の捨て場所に立ってみても
暗闇はかたく わたしの手を
見慣れたなつかしい場所に
押し戻すのだ
生きた長さだけ かわいた瞳孔を
夥しい夢の破片が洗う
閉じたこころが寝返りを打てば
夢の十字路が 砂塵を立てて
見え隠れする
かすかに見える
世界の弁証法をうたった宴が
行われた木に
逝った父が立っている
溢れる笑顔を浮かべて
わたしは 巧みな織物のように 流れる父の笑顔を
始めて見たのかも知れない
駆け寄って 父に話さなければならないだろう
そこには 父もわたしも 二度と行くことは
できないと
凍るようなわたしの手は 父の笑顔を切り裂いて
灰色の葬祭場に ふたたび運ぶのだ
わたしの手は いつまでも血にまみれている
父を葬った 洗ってもとれない鮮血の跡をなぞれば
この口語でできた時代に浸る
法悦の声がささやく
せせらぎが薫る みずの音をたてて
途切れることなく 優しさを滲ませて
こうして 古い砂漠に
垂直する貧しい雨の流れが
ふたつあった夜は
わたしの背中を 過ぎていく
振り返ることはない
綴りこまれた かなしい夢の波紋は
ひろがり わたしの骨になって
わたしは どこまでも遠い夢の欄干を見つめながら
みずのように流れている
忘れられた夢の都会のなかで
銃弾のような棘を抱えて
『壇密考』
入梅と
一字ちがいを
言い訳に
壇密氏が「週刊新潮」にコラムを連載始めた。本文は毒にもならない事柄をぶっきら棒に語りかけた趣き。まぁ詰らない。巻頭に挨拶かわりに、狂歌まがいの三駒句を掲げている。
入梅と
一字ちがいを
言い訳に
誰にも思いつきそうな句なのだが、なんだか妙に気に入っちゃって、今も眺めている。
何が、一字違いなのか計り知れないのだが(恐らくくだらないダジャレなのだろう)、衰弱しきった私の脳漿をしっとりと揺らす力があるのだ。
壇密氏の魅力は、中性的でオシャレッぽくないところだと、私は思っている。
綾鷹のキャップについている、マクドナルドの無料引換券をめくると、ソフトツイストが当たった。早速あした貰いにいこう。
夕陽の沈む向こう側
賭け(人生)に負けたやつだけが知っている
俺は町の灯りを見上げた
煙草の煙が
因縁に変わる
逃れられやしない宿業
道頓堀に雨が降る
赤い傘のカップルを
黒塗りの個人タクシーが
次々と落としていく
まるで戦場の
最前線に落とされていく落下傘部隊のように
欲望の町
何万人という人間が
突き落とされただろうその場所に
お前もまたポケットに
ちっぽけな(ふくらみ)思い出さえ持たずに
「行ってくる」と言った朝に帰れないでいるのさ
世界中の時間は少しずつ狂い
やがてパリと東京の時計は子午線の上で衝突するだろう
俺たちは昔のまんま無名で
ひとりの女と人生を愛する他に何も所有はしない
愛をねじ込んだ水道栓から
欲しいだけ出す
可笑しな男と暮らしたもんだと明美は言った
俺のトランプは53枚
全部スペードにかえてある
理由は簡単だ
カードはくらないで済むし
いかさまも防げる
破産したり自殺したり
友達はみんな不幸になったが
俺は死神の待ち伏せを知っていた
夜の町には
死神がわんさといる
人間の姿をして
君の隣に
偶然を装って今日もいるのさ
馬鹿なやつさ
死神を恋人にして
ラブホで一晩中ってやつもいる
愛か情か知らねぇよ
憧れってやつかもしれない
翌日にはすっかりと精気を抜かれちゃって
三か月後に
癌を宣告された友達もいる
賭け(人生)に負けたやつだけが知っている
シャンパンの
よく回った頭で考えてみな
金もない
地位もなく
唄もない
あるのは命きり
たった一つの
命だけ
負け続けて遺されたのは
命だけ
←↑→↓
ざぶざぶと時が過ぎる、そして過去、全身で受粉する、そんな夢を絶えず、発信して。やっぱり絶える。
ーー過去へ。
生も死も纏めて。
十字キーをピコピコ操る。まよなか。移動する。こういう脳のしくみが外へ流れ出ること。
ピコピコ。
↑
← →
↓
ピコピコ。
……十字キー。なつかしい手触り。あたりはもう、縊死した噴水みたいに静まり。
水を、縫い綴じると、誰かの顔になった。あっさりした顔。
もしかしたらならないかもしれないけど。でも、縫い綴じるとたしかにあらわれる。
あなたは本で、スプラッターで、内臓が喉のそばにあって、心臓がもわっと収縮し、肺も動いて、生きていて。
あなたは空だというけど、空であったためしはない。食べ物は通過するけど。
電車が、行くよ。電車の運転手も生きている。
まよなかはそれだけで価値がある。
水がわーって湧く。
泉が、欲しかった。
電車がくらやみに衝突して透き通って銀河へ近づき遠ざかる 私は歯を磨く。磨く。磨く。眠るのだ。そして電車が貫いていく。
もうすぐ、朝が来る。
画面にはなにもない。十字キーを触って。ねえ触って。
ねえここにある誰のものでもない過去を静かに動かして
そっと。
惑星が惰性よりももっとどうしようもない理由で動いている。
かなしい。
会ったこともないのに、よく知ってる感じ
すべてをはかいし考えるありのままの姿で蟻のままの姿見せるのよほら蟻たちが無数の列をつくって並んでいる被着体表面に塩化セシウムを塗布してみたその甘い甘い塩化セシウムにつられて沢山の蟻たちがやってきたのです何を仰るうさぎさんそんなことよりやらないか(!)ということですよ、会ったこともないのによく知っている感じというのはこういうことですよつまりそんなことよりやらないか(!)を連呼するうさぎさんのような片耳をピアスにふさぎ込んだ僕の背中を拭っていく雨のつぶつぶをかき集めて窓の外に垂れ流してやろうどもこのままでいいのかこのままじゃダメだ何がダメって情緒的で不安定でもっと片目に集中しなければならないかのアーサー・コナン・ドイルが冤罪事件を解き明かしたときのような清々しい世界へ僕たちを連れ戻して行かなければならない新世界よりが見たい新世界よりが見たいなら見ればいいドヴォルザークのようにカッコよく生きたいまやかしのない人生のように減少する日本の人口を次第に緩やかな流れの傾きを目にして立ち会った人々の心を底からひっくり返すように僕ももう少しデレク・ジャーマンのウィトゲンシュタインを見ていたい
臓器に咲く
太陽が寝ている ジュースを零している
仮面を被った人たちが畑を耕している
汗が落ち 汗をぬぐう
音なく鳥の群れは水平に空を滑ってゆく
風の囁きが過ぎる
白い砂と黒い土の情報と匂いを
運び知らせてゆく
爆弾が燃え広がる 街が平たく消える
何か収穫したわけではない穴ぼこが漂う
溶けた命やちぎれた物を置き去る
くちばしのない鳥が空洞をかかえながら
空を水平に滑ってゆく
風はあまりに早く無くなってしまうものを
囁きつづけているのだろうか
揺れる花一輪のまわりで多くの足跡は途切れている
あなた、腎臓におっぱいができてますね
えっ?
そしてそのおっぱいの先に・・・・
先に?
何か花のようなものが咲いてますよ
え? ぼくの臓器に自称Gカップのおっぱいが
ムチムチに膨らんでその乳首の先から花が
花が咲いているんですって?
どうやらそのようですねぇ どうされます?
・・・・さ、触ってみたいです・・ねぇ・・・エヘ
ま、気をつけてください 雪の降るような寒い季節に
邪心の無いひとによく起こることなのですから
太陽が寝ているのか
爆弾が燃え広がる
ジュースを零したのか
街が平たく消える
仮面を被った人たちが畑を耕している
何か収穫したわけではない穴ぼこが漂う
汗が落ち 汗をぬぐう
溶けた命やちぎれた物を置き去る
音なく鳥の群れは水平に空を滑ってゆく
嘴のない鳥が自身の真ん中に空洞を抱えながら
空を水平に滑ってゆく
風の囁きが過ぎる
風の正体は無残を知り、知らせつづける生きものか
人ひとり生きる間に
幾つもの花は枯れ折られ
捧げられていく
しかしまた
一輪の花の周りで
多くの足跡は途切れている
_
名もなき夏の島にて
真下に拡がる海原は
厳しく削られた岩の入江を包み、
とうに半世紀を過ぎた
今しも汽笛の鳴る港へと
煌めく漣(さざなみ)を寄せて
夏の賑わいが恋人達とともに
古い桟橋を大きく揺らして訪れる
そろって日に焼けた肌や
水着姿の往きかう坂道だの
あの日、キスばかりして
砂浜に忘れた浮輪とパラソル
燥(はしゃ)ぐ声を砂に埋め、
渇いた唇で忙しく即興の台詞をならべた
渚に残したいくつかの記憶は
失くしても、きっと悔やみなどしなかった
白いペンキの眩しくかがやく
樹々に隠れた丘の家で
時折、海を眺めて沈黙した
夕凪の吹くテラスの粗末なテーブルに
君が仲直りのカクテルを運ぶと
ふたたび口論をはじめて・・・・
「いつかまた逢いましょう
化粧をする鏡の中で
別れ際にそう云ったから、
君が立ち去った後も
ずっと僕は此処に留まったんだ
そのうち俄(にわか)漁師でも演じて
博打で船を一艘ぶん捕れば
ようやく君を忘れてもよい頃だと思った
時化(しけ)の夜に船を出し、
やがて大波をかぶり海の藻屑と消え‥‥
――つづきを話そう、
強い風に鳥たちが流されてゆく
気紛れな海は忽ちにして豹変した
岩場に叩きつけられた白波が砕け、
それは遥かに人の背よりも高い
僕は一羽の海猫に生まれかわり
今日も必死で、この辺りを飛んでいる
弟の闇について、
地獄/
弟は美術の専門学校へ行きながら地獄でアルバイトをしている。
週2日、
地獄でハチマキを巻いて生ビールや梅サワーを
何百杯も何千杯もつくり
夕方から夜中まで働いている。
弟は地獄でドリンカーと呼ばれている。
ひたすらドリンクをつくる係の事だ。
そして、ほぼ毎回のようにドリンカーズハイになっているらしい。
駅前のカラオケ屋の隣りにある地獄は365日いつも混んでいる。
夕方の開店と同時に
たくさんの人々が地獄へ押し寄せて来る。
地獄の見た目はどこにでもある普通の居酒屋だが
店員もお客さんもみんなこの店を地獄と呼ぶ。
店名が地獄だから。
店長/
地獄の店員はみんな
店長のことをブラピ店長と呼んでいる。
それは店長がブラッドピットに似ているからではない。
店長の好きな俳優がブラッドピットなわけでもない。
店長が
(俺をブラピと呼べ
そう言っているから、それだけの理由で
みんなとりあえずブラピ店長と呼んでいる。
店長は角刈りでルックスは地味なのだが
自らハードルを上げる、そのズレたストイックな姿勢は
店員やお客さんから時に失笑されつつも
レモンサワー10円の日や
唐揚げ100円で食べ放題の日
ポロシャツの襟を立てて御来店の方、全品半額の日
ピアノが弾ける方、アルコール類すべて15円の日
さらには
詩を書いている方、焼き鳥2本サービスの日
きれいな比喩を使いこなせる方、グラスワイン一杯無料の日
描写が丁寧な方、次回500円引きクーポン券プレゼントの日
作品のタイトルにセンスがない方、お通し千円の日
改行が下手な方、罰金五万円の日
顔がオダギリジョーに似ている方、お断りの日
死にたいと考えている方、全額無料の日
すべてにおいて自意識過剰な方、コーンスープおかわり自由の日
テキーラサンライズって言いたいだけの方、出入り禁止の日
北原白秋が男か女か知らない方、全品459(地獄)円の日
日本史とエヴァンゲリオンが好きな方、店長おすすめサラダ半額の日
今だにビートルズが最高のバンドだと思われている方、半殺しの日
ピカソを天才だと信じている方、国外追放の日
酔うと服を脱いで笑いを取ろうとする方、春巻一本サービスの日
落語や歌舞伎に詳しい方、私語禁止の日
童貞と処女の方、地獄オリジナルストラップをプレゼントの日
詩とは絶対にこうであると定義している方、論破の日
詩を書いたことがない方、日本酒無料の日など
その意表を突くアイデアで実際に店を繁盛店にしているため
細かい事に関して弟はもちろん、誰も何も言えない。
油絵/
弟は油絵を描いている。
様々なアイデアや方法で
どうやら自分の心の奥にある
闇らしきものを表現しているらしいが
基本的なデッサン力がないせいなのか
そもそもセンスの問題なのかわからないが
ただわけのわからない抽象画としか思えず
正直、退屈しか感じない。
そして何より、とにかく雑で純粋に下手すぎて
とても芸術とは思えない。
弟が、もしも、あえて、
いわゆる芸術とは真逆の方向を目指しているとしても
同じ印象にしか感じられない。
しかし、そんな弟が夕飯時に
頼んでもいないのに三ヶ月に一度くらいのペースで
不意に披露する古畑任三郎のモノマネはむちゃくちゃ上手い。
そして誰の古畑任三郎より面白い。
それを見た日は確実に、ご飯がいつもより美味しい。
その無駄にクオリティーの高い古畑任三郎を見る度に
弟が、どのような闇を抱えているのかわからないが
たとえ同じ家に生まれ同じ環境で育ち
同じような物事を経験してきても
それは本当にわからないが
こいつ、これを油絵で表現したらいいのにって
いつか弟の抱えている闇が
ユーモアや、日常にある普通のリズムや素朴さ
そのあるのかないのかわからない
ブラピ店長のようなセンスで
油絵の中で昇華できたらいいなって
その時は地獄へ冷やかしに行ってやろうかなって
来月に合コンがあるから
それを地獄でやるのもいいかなって
みんなに弟の古畑任三郎を見せてあげたいなって
そんなことを思いながら
私はいつもより美味しいご飯を
キャベツの多い野菜炒めと肉じゃがをおかずに食べているのです。
連作・『星の王子さま』のために
・客席消灯
・ブザー
・開幕
【タイトル/薔薇と蛇】
【クレジット】
原作『花と蛇/団鬼六』
主演女優『薔薇』
主演男優『王子さま』
(出演・配役)
・へび『エデンの蛇』
・うわばみ『ヤマタノオロチ』
・飛行士『飛行鬼(ひこおに)』
・呑兵衛『高倉健』
・地理学者『ミラ狂美』
・星の点灯夫『O嬢』
・地上の点灯夫『沖縄戦姫百合部隊の皆様』
・王様『白鵬』
・実業家『ゴジラ』
・バオバブ『にょろにょろ』
・坂本龍馬『Mr.T.』
撮影協力
『エデン@天界』
『幻想四次元銀河鉄道』
『表千家』
『さそり座』
『目黒エンペラー』
『チェルノブイリ原子力発電所』
『古代エジプト』
・エキストラ『タイタニック乗客の皆様』
・主題歌演奏『星』
・友情出演『北きつね』
【シーンズ】
(1)
次に王子さまが訪れた星では
ゴジラが星を数えていました
丘の上に座って
その小さな目で
夕陽に照らされながら
空を見上げて
(2)
次に王子さまが訪れた星では
薔薇がお酒を呑んでいました
「なぜお酒なんか呑むの?」
と、王子さまは訊きました。
「恥ずかしいからよ。」
と、薔薇は答えました。
薔薇の頬が、少し赤くなりました。
【主題歌/『少年』】
少年はいつも、
どこかへと去る
そんな習性だし
それが宿命
少年はうっかり、
四次元世界を旅行する
時間ってやつを
まだ知らないからさ
命を燃やして
戦えたらいいね
命を賭けて
愛せたらいいね
逆さになって
星に落ちていくとき
僕たち笑えたら
いいよね
【シーンズ】
(3)
「チャーリー、お前はガッツがある。俺はそういうお前が好きだ。もし辛いことがあったら俺に言え。俺たちは友達だ。」
と、砂漠のパン屋さんの仕事場で
飛行士は言った
一緒にパンをこねながら
でも飛行士には、チャーリーを星まで乗せていく船はないから、
「そんなに遠くから来たわけじゃないんだね。」
と、チャーリーに言われても、
返事はできない
それでも飛行士には飛行士の仕事があるのだ
砂漠に墜ちた飛行機を直すという
大事な仕事が
マーニー先生はヘビみたいだ
アルジャーノンに知恵の実を食べさせたけど
だからって偉いわけじゃないから
チャーリーは自分で町を出ていく
福祉作業所で、勉強しながら、
仕事をするために
みんなを悲しませないために
そこで友達をつくるために
「チャーリーお前は、勇気があるなあ!」
と、飛行士は泣いた
そして裏庭の
アルジャーノンのお墓に
薔薇の花束を捧げた
【第2主題歌/『ヘビの言葉』】
ヘビが与えるのは、知恵
知恵に耐えるのは、勇気
勇気を産み出すのは、愛
砂漠のヘビは金色の指輪
指輪の比喩は約束の証し
証しの言葉は死神の呟き
ヤマタを殺した英雄は
酒を呑ませて騙し討ち
猿田と咲耶は愛し合い
楽を奏でてダンスする
言葉は
砂漠の砂
その下に隠す
涙の星を見ぬ者よ
汝はただ、ヘビの餌食
砂漠が私に風を送る
熱風が私に真実を見せる
砂漠のヘビが足を登り
私の喉に巻き付いて締める
ヘビよ、ヘビよ、懐かしきヘビよ
君の言葉を聞かせておくれ
私が愛を見失わないように
私がエロスに見放されないように
たかだか神に
見放されることを畏れて
たかだか命を
喪うことを恐れて
【シーンズ】
(4)
その次に王子さまが訪れたのは北海道でした。
カラン、カラン・・・、と小さな音を立てて入ってきた王子さまは、
カウンターで一人で呑んでいた健さんの横に座りました。
ずいぶん寒いね。
と、王子さまは言いました。
北海道だからね。
と、マスターが暗い声で答えました。
王子さまは横を向きました。
健さんも王子さまを見ました。
二人の目が合いました。
ねえ、薔薇のトゲってどう思う?
ひつじには効かないかなあ。
と、王子さまは訊きました。
健さんは何も答えませんでした。
二人はカウンターに向き直りました。
僕、わかってなかったんだ。薔薇のこと。薔薇の気持ちも。
僕は薔薇の言葉なんか聞いちゃいけなかったんだよ。
薔薇が何をするかをちゃんと見なきゃいけなかったんだ。
だって僕は薔薇がいてくれて、嬉しかったんだもの。
と、王子さまは言いました。
薔薇ってのは弱いもんだ。綺麗だけどな。だから守ってやらなきゃいけないんだ。
と、健さんは言いました。
王子さまはにっこり笑って言いました。
そうだね。僕、あんまり小さかったから、よくわからなかったんだ。
大事なのは言葉じゃない。
と、健さんは言いました。
そうだね。
と、王子さまは言いました。
吹雪が止んで、外は満天の星空でした。
帰れるのか?
と、健さんが訊きました。
帰るよ。薔薇が待ってるから。
・・君はいかないの?
と、王子さまは訊きました。
俺はいかなくていいんだよ。
と、健さんは言いました。
【挿入歌『プレゼント』】
君に、宇宙を
一個、あげる
僕が、在ることの事実と
僕の、知ることのすべてを
僕の、ささやかなポエムってゆう
紙と、リボンで
僕の、やり方でラッピングして
【シーンズ】
(5)
最後に王子さまが訪れたのはSMバーでした。
その地下室の鉄の扉を押しあけて入ってきた王子さまを見て、薔薇は、
やっと来たわね。
と、言いました。
王子さまは何も返事をしないで、
カウンターの高椅子に座る薔薇の足許にきて、床に正座しました。
カウンターの向こう側(王子さまから見ると壁の向こう側ですね)からマダムは、
何よ。あんたたち知り合いだったの?(((笑)))
で、お前、何か呑むの?
と、王子さまに訊きました。
王子さまは、
オーガズム、をお願いします。
と、注文しました。
薔薇は、
私とママにはドライ・マティーニをお願いね。
と、言いました。
そして二人は黙りました。
やがてマダムが、
はい。どうぞ。
といって、自分と薔薇のマティーニをテーブルに置きました。
またしばらくしてマダムは、細長いグラスに注がれた、白濁したカクテルを薔薇に渡しました。
薔薇は細い指でグラスを握るように受け取って、その泡を真っ赤な口紅で飾った口でひとくち啜りました。
次に、自分のドライ・マティーニをひとくち含んで、王子さまのカクテルに注ぎ加えました。
はい。あなたのオーガズムよ。
あなた向きに、ドライ・オーガズムにしてあげたけど。
といって、足許に正座した王子さまに差し下ろしました。
王子さまは頭上に両手を挙げて、それを受け取りました。
乾杯ね。
と、マダムは言いました。
薔薇とマダムはグラスをうち合わせてひとくち飲みました。
薔薇は、カウンター席に座って、マダムのほうを向いたまま、
お飲みなさい。
と、王子さまに言いました。
このひと変なお客様でね。
常連さんなんだけど、女性とお話しないでいつも一人で呑んで帰るの。
きっとあなたを待ってたんだわ。
と、マダムは言いました。
三人とも黙りました。
マダムはマティーニを飲み干すと、別の女性客と話をし始めました。
その女性客の足許には、坂本龍馬が端正に背筋を伸ばして正座して、女性の足を嬉しそうに見上げながら、何か冗談を言っていました。
わたしのところに来るまでこんなにかかるなんて、
あなたってほんとに、なんてノロマなの。
・・・聴かせて。どこに寄り道してたのよ。
と、カウンターを向いたまま、薔薇は王子さまに言いました。
薔薇の足を見ながら、王子さまは長い物語りを語り始めました。
王子さまには足しか見えませんでしたから、カウンターに肘をついた薔薇の涙は見えませんでした。
涙の国って不思議ですね。
FIN
・・・・・・・・・・
【エンドロール】
【タイトル】
・本作品は架空の映画についての詩作品であり、小説として実在する『花と蛇』とは関係ありません。
・本作品には、実在する『花と蛇』からの引用は一切ありません。
【主題歌、挿入歌】
・本作品に引用された楽曲は、実在しません。
【シーンズ】
(脚註/引用元)
(2)
『星の王子さま/サン・テグジュベリ』より
「どうしてお酒なんか呑むの?」
と、王子さまはききました。
「恥ずかしいからさ。」
(3)
ダニエル・キース『アルジャーノンに花束を』より
「チャーリー、お前は勇気があるなあ。もし何か辛いことがあったら、お前には友達がいるんだってことを覚えといてくれ。」
「ついしん。どーかついでがあったらうらにわのアルジャーノンの おはかに花束をそなえてやてください。」
(4)
「星の王子さま」より
「ぼくはばらの言葉なんか聞いちゃいけなかったんだよ。
ばらがすることを見なきゃいけなかったんだ。」
「ぼく、あんまり小さかったから、よくわからなかったんだ。」
「かんじんなことは、目に見えないんだよ。」
「涙の国って不思議なところですね」
高倉健主演『幸福の黄色いハンカチ』より
「おなごちゅうのは弱いもんなんじゃ
咲いた花のごと、弱いもんなんじゃ
男が守ってやらないけん
大事にしちゃらんといけん」
※本作品は実在しないフィクションについての詩作品です。
夜の軋み
滲んだ肌に香水が匂う、
視覚からこぼれた淡い影たちが
発せられない声とともに
音もなく、永遠へとむかう
冷たい未来の交じった
柔らかな過去の感触がまだある
つい今しがたも、
昨日も、
生まれる以前も
窓の景色はいつも夜だった
ふたたび自由の風をおこし
燻ぶった愛を烈しく燃やすと、
忽ち、大地の裂けた下腹部は潤み
女は深淵の火照りをあらわに孕んで
嘘のない黒い瞳孔を大きく見開き、
いくども果て、
そしていくども痙攣した
滑らかな唇の
卑猥かつ命の凛々しさ
唾液に濡れて
濃密な舌に絡めた、
アノ感触がどうしても消せない
背く愛ゆえに列車は軋み、
白い合成樹脂の吊革を見上げては
いつか公園で乗ったブランコ、
たわわな胸をゆらす女の歩くさまを想い
するとまた淫らな血が騒ぎだす
やたら空席の目立つ、
長い年月を乗せたシート
その疎らな隙に乗じて
朝夕の犇めく乗客たちの残像は、
足早に何処へともなく
遠く走り去ってしまった
別れ際に足りなかった言葉が
急いたこの胸を焦がし、
古びた夜の闇に鳴る踏切へ
いつしか進路を遮られては
想いは置き去りのまま
夜の軋みに掻き消されて
窓の硝子に映るのは、
裏切る者の顔
歓楽街の夜景を透かして
巡りあうことのない筈の言葉たち
(唇から 唇へ
艶やかな花、彼処の花へ
最新のテクノロジーがもたらした
瞬時に流れ去る世界の
消毒液に浸された昼と夜
鮮やかなブルーに灯る
電光の文字と符号に
あまねく溺れてゆく声たち
――或いは、
水に映ったナルシサスの恋
終わらない物語の原型をなぞって
反自然の、難解なドグマを妄信し
可能なかぎり理不尽に敷かれた
罪に塗れたモラルの軌条を
人々は今日もただ闇雲に走るだけだ
(見馴れた駅
渇いた円環の内側で
覚えているのは、
指の蜜と棘の痛み。//
既に無人のホームへ降り立ったとき、
新しいメールを一件削除した。
きっと明日も刳りかえし、
逢瀬を刳りかえし
それでも一切をかなぐり捨て
ふたり逃げる勇気もなく
さても狂おしい
巡りあうことのない未来の
唇から 唇へ
震える、声を発して‥‥
粗末なプロペラ
プロペラは自作の
とても粗末なものだったので
すぐに壊れました
あいつらに砂を噛ませることが
僕の願いだったので
むしろ喜ばしいことでした
これから幾度となく
罵声を浴びせられるでしょうが
僕はその真ん中を突っ切って
駅へ向かうでしょう
そしてホームからするりと降りて
線路の中をずっと歩いて行くでしょう
1キロほど離れた
トンネルを抜けるまでは
続くと思います
そしてあいつらを振り切れると
判断したら
列車に出くわした瞬間
線路から茂みに飛び込んで
雲隠れ
そのままのうのうと生き続けるでしょう
粗末なプロペラは壊れました
僕はそれだけで満足です
モロゾフ
バスケ部の練習を終えて
川沿いをチャリで走っていると
いつもこの時間
クマみたいな犬を散歩させてる
おねえさんとすれ違う
モコモコフワフワの茶色い毛
鼻の低い丸い顔
どう見ても犬じゃない
でっかいテディ
ヌイグルミみたいなやつ
なんて言う種類の犬か
おねえさんに聞いてみようと思いながら
白いワンピースがヒラヒラするから
眩しくて
いつも
聞きそびれる
なんだか自分が
いっつも失敗ばかりしてる
チャーリー・ブラウンみたいに
すごくダメなやつに思えてきて
心の中でわーってなって
チャリを立ち漕ぎする
犬の名前がわからないから
勝手に
モロゾフと呼ぶことにした
ダラダラと練習サボって
ガンちゃんにシバかれた日も
もうこんな部活辞めてやるって
チャリでブッ飛ばしたけど
川沿いを
モフモフとモロゾフが歩いてきて
ぼくのことなんかまるで
興味がないとでも言いたげに
チラ見してシカトして通りすぎて行って
ワンピースがヒラヒラヒラヒラしていて
なんだかやりきれなくて
モロゾフのやつ
おねえさんのくるぶしを
うれしそうにクンクンしやがって
真夏日なのに青い春って
カルピスソーダみたいだ
水色に白の水玉
ちがう
白色に水色の水玉か
どっちでもいいや
濃ゆいカルピスを
はじける刺激で割って
おねえさんと飲みたい
ではああ、濃いシロップでも飲もう
冷たくして、太いストローで飲もう
『秋日狂乱/中原中也』
モロゾフの本当の名前
いつかわかる日が来るんだろうか
知りたいような知りたくないような
クマみたいな犬の名前
犬みたいなクマだったらどうだろう
おねえさん実は
猛獣使いだったりして
おねえさん実はぼくも
モンスターなんですって言って
バカすぎて笑える
恋、と書いたら、あと、書けなくなった。
『斜陽/太宰治』
たまに
遠くの空の夕焼けに
青と赤の交わるところに
見とれることがある
そんな姿を
クラスのやつらに見られるとうるさいから
ジョージ、昨日夕焼け見てたやろって
ジョージ、ちょっとウルッときてたやろって
おさるのジョージに似てるからって
そのあだ名やめろよ
今年の夏は
スリーポイントシュート
うまくなりたい
あ
あと
おこづかい貯めて
ビアンキのMTB欲しい
夏空色
チェレステカラーの
保健体育
5限目の
保健体育
浅黒い顔をした
中年の体育教師が
男性器のしくみについて
説明している
君は
眠たそうな顔をして聞いている
僕は
横目で君のノートを盗み見る
〈射精 精液の量:平均5~10ml〉
視線を下ろすと
制服のスカートから、白いふとももが覗いていて
僕の性器は硬直して
ズボンが膨らむ
ああ、僕はたぶん
今日も君に話しかけないだろう
昨日も今日も明日もこのまま
話したいことは
たくさんあったはずなのに
青の眠り
目を閉じると浮かんでくる
夏の日 ゆるんだ瞳と影が音もなくさまよっていた
あの日私の時間が揺れた
蝉しぐれのカーテンを開ければ
幼子の手を引いた私が歩いている
名もない道を
あてのない夕暮れを
ふと頬に触れるものがある
とどまった重い温度はいなくなり
あきらめと安堵の間にうまれた
淡い風のようなもの
まだ行くべき道の雑踏は消えることがない
幾度も幾度も顔を凍らせ
胸を支配する恐怖の坩堝は消えることがないだろう
頑なに身を固まらせ
直線的なまなざしを向けるでもなく
ただ 淡々と
思考し 動かしてゆく
瞬きをする
その湿っ気を含んだ重い瞼で
脳裏に中に潜む
ブルー
その濃淡の闇と安らぎが
わたしを少し眠らせる
火葬場
股関節のなかで
硬質なまるい宇宙が
つや消しの歩みとなって
冷却していた。
(恥ずかしげ、に
船賃六文
、なんて
いまどき
、ないから。
(百五十円、でどう? 船頭さん
二年まえに
牛がわたった河原
、の向こうには、
いちめんのはな、はな、はな、
花、いちめんの。
(そよぐ、せいじゃく
迎えにもこない牛をさがす煙は
すがたのない森をただよい、
空の底をぬけ、
ぐれんの炎は、
八十八年の喉仏を
ベージュ色に
灼熱する。
(うつむく言葉たちよ
腰の曲がった
煙と牛の笑い声が、
手をとりあって昇ってゆく
あかね色の風のなか、
今日も、
目覚めている
、という夢をみている。
墓石論
引用(昨日の日記より)・・・・・
僕は才能という語を、『成長や努力によって乗り越えられる可能性の限界より高い壁』という意味で使ってます。
街を歩けば、いろんなところに現実に壁が存在してるじゃないですか。
それと同じ感じのことで、ひとはみな壁だらけの世界で生きてますが、豊かな才能をもつひとは巨大な壁をもっているし、独創的な才能をもつひとは、不思議な場所に壁をもっている、というイメージです。
引用終わり・・・・・
ひとつ前の日記に、『才能とは壁である』、ということを書きました。
石川淳の安部公房批評なんかの材料をトントン積み木して書いたのではありますが、自分がこれまで考えてきたことにはよくフィットする表現だったような気がします。
カフカの『門』と漱石の『門』に言及して、開かない門ってことは、壁に門の絵を描いたってことだよね、と述べたのも、『してやったり』と思いました。
壁論、自分ではかなり気に入ってます。
そこでこの壁論を、都市論に展開してみているのですが、やりはじめて暫く想像の都市を探索散歩してたら、墓地の風景が想像の視界に入りました。
今日はそれについて書きます。
才能が壁なら、壁はひとつじゃないはずですよね。ですよね、と言われても、その前提条件の『才能とは壁である』に、誰も賛成しないかもしれないけど。
それでも良いので話を進めると、一人の人間につき、数十個から数万個ぐらいの壁があるはずであり、それはそのひとひとりが居住する主観世界、僕の造語で言い換えて、【絶対都市】を構成すると思います。
壁でできた、住民1名の架空都市が、人間1人につき一個あるわけです。
だけど人間の世界観ってやつはやはり、他人がいないとつまんないというか、なんかシックリこないものなので、この絶対都市は、他のひとの絶対都市と共通の宇宙内に存在し、みんなでひとつの【相対都市】を構成していると想像したほうがピンときます。
そこで一段階戻って、絶対都市と呼んだものは、よく見たらやっぱり、一個の建築物だったと考えます。
それらの形は様々で、ビルもタワーも方舟もピラミッドもあれば、病院みたいなのもツェッペリン号みたいなのもあるでしょう。だけど、どれもみんな何らかの仕組みで内側と外側が混在する、開いた形態をしていると考えます。
で、それらが複雑に内外で混ざりあいながら、世界すなわち【相対都市】が形成されていると想像します。
例えば、僕の絶対都市の一隅に、僕の『詩の才能』が一枚の壁として存在してるのですね。
でも空間的にそれにくっついて、誰か他のひとの『詩の才能』が一枚の別の壁として存在してる。建築物としては空間的に混在してても、そこは別の絶対都市だから、その『他者の詩の才能』たる壁には、僕は触れません。でも見える。蜃気楼みたいなものです。
概略そんなメトロポリスを散歩します。
すると、ある角を曲がったところに、広大な墓地があるんですね。
そこには大小の壁が整然と整理されて並んでるんですが、それは死者が生前持っていた才能(イコール壁)が、コンパクト
な長方形の石に変形したものなのです。
例えばですね。
今、我々の目の前にある、この黒い墓石が宮澤賢治の才能です。
ああ、これが彼の才能かあ、と思いますよね。
そんなに巨大なわけじゃないです。むしろたいへんコンパクト。なぜかというと、なにせ彼は死者だから、可能性という要素の大半を失ってるからですね。
でもやはり美しい。
そんな墓石が何兆個のオーダーを遥かに超える数で、だーっと、静かに並んでいるのです。
結構、いい感じの墓地だと思います。
賢治の才能の墓石を過ぎて、暫く小路を歩いていくと、生前、童話作家だった僕の母の墓石があるのですね。
彼女は200篇の童話を書いて、最後まで創作に悩みながら亡くなりましたが、たぶん無名のまま、だんだん忘れられていくのではないかと思います。
そんな彼女の才能のお墓に、僕はお花を供えるのですけど、これがですね。なかなか素敵なお墓なんですよ。明るい灰色の大理石のね。
彼女が敬愛した賢治のお墓と、素敵さではそんなに違うわけじゃない。訪れるひとの数とか、供えられた花の数は、さすがに違いますけどね。
彼女の墓から立ち上がって、周囲を見渡すと、穏やかな風が少し吹くんだな。
ここは比喩の都市だから、この風もなんかの比喩なんだろう。だけど、なんの比喩なのか、僕にはわからないのです。
スタディ・ローリン
夕飯の後 ヒートから白い錠剤を二つ取り出し
グラスに注いだ水で飲み下す
パーソナルコンピューターから
現代フォーク・ロック・シンガーの
煙草でがさついた声
慢性的アカシジアで椅子に座れないので
ベッドに転がっていると
被害妄想に満ちたショート・メールが
携帯電話に溢れている
この暮しを気に入っているのか
もうこう在るしかないのか
苔のつかない石の転がり方
何度教えて貰っても出来ない敬語の話し方
ずっと寂しかったので
もう寂しいとはどういうことかわからない
感情のない虫は殺される
耳近くを蚊が飛んでもシガレットの火が大事
同じことをくりかえすことはできる
シガレットに火を点けてすうこと
欠けたこころをタールが埋めていく
楽しいことはこの世に少ない
笑うことが馬鹿にすることなら
この世に向いていないな、と思いながら
バースデイを重ねてきたけど
死に近づいて祝ってくれるならば
望むところ
ノンアルコールのミント・カクテル ひとりのバースデイ
雨が降っている
保母さんの前で
シールの貼られた鍵盤を押さえる
今も楽譜は読めないけれど
生き方は本能が知っている
苔のつかない石の転がり方
何度教えて貰っても出来ない敬語の話し方
Herli ‐ 崩さぬ
/
しん台の上に
花咲くダリア
が飾られてた
紫色をした真っ直ぐな
くちもとをほころばせ
八重歯を見せかけた、
くちもとに、おだやかで
透明なかほそい糸をつたい
ソロッと花弁が抜け落ちた
木目模様の風洞の軌跡を幾重にも幾重にも揺らす、ベッドの上で
西の雲の空に見慣れたふたつの惑星が耀いてる
宵の空を観ながら、幾重にも幾重にも、降る石の上に雪が舞っていた
歩きながら、小高くこんもりと膨らんだ盛り土に小石を一つ置いた
そっと崩さぬようにそっと、小高く積まれた天辺に、小石を積んだ、/、かの足下に
眩いほどの真っ赤なダリア、/、かの足下に、小石を積んだ