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2010年11月分

月間優良作品 (投稿日時順)

次点佳作 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


pool

  益子

塩素の匂い。水面に、空が映り込んでいる。プールの底も、同時に、透けて見える。プールの底も、空も、同時に、空であって、プールの底であって、同時に、なくて、Clと書くのだよ、塩素は、と教わった。空、と、プールの底、と、塩素。

日射しが強く、プールには誰もいない。水面に映り込んだ空には、白い雲があり、雲がない部分には、プールの底の色をした空がある。空に、映り込んだ水面には、Clが映り込み、雲が、なくて、ぼくの、足が、水面に、空に、沈んで、水面と、空に。

空が溶けて、水面に、降り注いだ。遠くの雲にはClと書かれていて、Clと書かれた雲が、走り去った。ぼくは、足を空に浸して、ちょうど雲が足のところに来た時に、飛び込んだ。空の中は、日射しが乱反射したプールの中のように、輝き、Clの匂いがした。そしてプールの底に、足が着いた。


(あさ水を弾く)

  田中智章



あさ水を弾く
風が汚されたのどをあらう
聴覚のゆめは畸形の吐いき
明日から野放しの天使が



生まれたばかり生まれたままで蟻が燃えて、逃げた骨片の表面で水が啼いている。話し声
が気になってカードを投げつけようとして水銀の川を。絵は二十二枚、それを十一枚とみ
なし一枚を除くべきか加えるべきか悩むうちに炭酸の海に無数の花が転生した。息が喉か
ら拡がる。丘には放し飼いの爪あとが夜ごと走っている。



九十九の浜を
生きたままプリンターの口からは
ぽろぽろとリングの石灰の滓
夜が仮にも夜ならば
結節をデネブとして波を口にふくむことで
「いいから」と言われた背中をみている



私は生物ではなく namamonoとして
装着した本や 海藻を
値引きしたまま歩いて
歌われれば雨に傷つき
切り開かれた体を
地面に縫いとめた



残骸の静寂は綿菓子をほおばった子の歩幅で、クレーンの鉄塊に骨を抜いた魚の亡骸と小
声で話している。野から海底から、岩が響く音の印字をレコードした婚礼が繰り返し自壊
しているのんびり、星が砂浜を降下していく根が斜めに、大きな空を裏返して夜の表面か
ら膿んだ泡が、波が冷たくて喉をあらった。
 
 


ある徘徊譚

  リンネ

少し遅れているが、それはいつものことである。待ち合わせのレストランまで、バスに乗っている。乗客はすでにほとんど降りてしまった。もうそろそろだろうと思い、手元のブザーに触れると、無数の赤いランプがまったく同時に点灯した。おやッ、なんとなく外を見てみるが、まるで見覚えがない景色である。…レストランはもう通り過ぎてしまったのだろうか。これではますます約束の時間に間に合わない。憂鬱な気分に浸りながら、バスが停止するのを待っていると、運転手がいつのまにか隣に座っていて、

「ぎりぎり、間に合うか?」
「そう、そうかもしれません」
「どこへ行くんだ?」
「もうじき、ですね」

停留所に降りると、あらゆる方向に森が広がっており、途方に暮れてしまった。バス停のポールがくるくると回転していて、何が書いてあるのかまったくわからない。仕方がないので、しばらく木々の隙間を抜けて歩いて行くと、とつぜん視界がひらけて、神社とバスターミナルが現れた。神社はとても長い階段の上にある。どうもそれを登る気にはならなかったので、自分はバスターミナルのほうへ向かった。制服を着た人が二三人いたが、どうしてだろうか、そばに行くと、わッ、と言って近くに掘られた洞窟の中に逃げていってしまった。自分が避けられているのかと思い、しかしその理由がまったくわからず、しばらく一歩も動けないままでいた。友人のAから電話がかかってきたのは、ちょうどそのときである。

「ああ、ちょっと間に合いそうにないよ」
「それは残念だね」
「ほんとうに?」
「ここはどこだろう」
「わからない、もしかしたら、間違えたのかもしれない」
「バスをかい? 残念だね」

話しながら歩いていたら、いつのまにか大きな駅の前にきている。近くにとても大きな路線図の看板が掲示されていて、とりあえず自分が今どこにいるのかを確認してみる。東京だということはわかるが、位置がはっきりしない。どこに書いてあるのだろうか、駅名が見つからないのである。何度も線路を目で追っていくが、何回目かで、そもそもこの駅の名前がわからないということに気がついて驚いた。しかし、友人のAはすでにここがどこかわかっているようで、

「一時間半くらいはかかるな」
「遠いね」
「バスでいけばいい」
「四十分はかかるよ」
「ほんとうに?」
「わからない、ここはどこだろう」
「やっぱり、ちょっと間に合いそうにないよ」

駅の中にはショッピングセンターがあって、服や惣菜やテレビゲームなどの店舗が並んでいる。運よく本屋もあったので、いい地図がないか探してみることにした。手当たりしだいの地図を広げて品定めをしていたら、このあたりの地形が詳細に描かれたものを見つけた。自分は驚くほど嬉々としてそれをつかみ、レジのあるほうへ向かっていく。しかし友人のAはもはやレストランに行くことも忘れて、エスカレーターを登っているので、それがとても頭にくる。もしやッ、と思い、地図を開き、しらみつぶしに探してみると、この駅の中にX…というレストランがあった。それが待ち合わせ場所だという確信はないが、自分は、すでにエスカレーターに乗って上の階へ移動している。どこからか、店内放送が流れているが、よく聞いてみると、それは友人のAの声であった。

「不思議なものだね」
「とても、とても」
「というのもつまり」
「つまり?」
「もうじき、だ」
「ほんとうに?」
「わからない、もしかしたら」
「そのとおりだ」
「夢を見ているのかもしれない」

自分はいよいよレストランへ入って行くが、ほんとうは、もう約束など忘れてしまっている。心のどこかでは、また遠く、あてどもない移動をくりかえす予感が生まれようとしており、だが、そのことに気がつくのは、とうぜん少し遅れてのことである。現に自分は、もうレストランをあとにして、友人のAを追いかけはじめている。しかし、それはまた、いつものことだろう。プラットフォームに電車が到着し、ぎりぎりで駆け込むと、さて、自分はふたたび抑えがたい絶望に襲われているのだ。つまり? これは決して夢ではないのだと、その身をもって実感している、そんな様子なのであった。車内にはたくさんの人が乗り込んできており、友人のAは、それに紛れていつのまにかどこかへ消えてしまった。不思議と静かな車内である。


みずのながれ

  早奈朗

息を、つむぐ

ひろがる花びらのまろやかな落ちこみに尾翼をつらぬいて、わたしは生成する。落ちるそこのところから、くつ跡のくぼみを音楽にかえて、色になりぶあつい花弁を胸のなかでふくらませる。ティッシュをとじこまれ、ゆるやかなすき間のうちをわずかずつ揺れながら息を落とす。みるまにひびき匂やかになる。本をひらき塗っていくことば。くろくなりつつある貝がらにふくれた花弁をつけたして、わたしとひろい海がかきこむ旋律。嬰音と休符のあいだにあみで引きよせるシロナガスクジラ。みずが潮をよび、潮がふかみをよぶ。銀のいろがみが波をおりたたんでいく。ひどくさざめきをくわえられて、ながれる海は、ひびけ、よろこび、霧になってちれ。わたしは飛行機だ。首をかたむけて風をきこう。あり方をちぢめよう。ひろがりの沃地はいつも泥にうずめられているから、そこでかけられる音楽はラジカセがぬまに埋もれて、ききとりにくい弦楽器がおどろきのようにあふれる。原住民はおどり、足かせをはめ、ことばをうたう。たがやす土波は都会をおおい、アンクレットがたがいにふれあいたたかわす。ちりがきょうの空にうかぶ。天はひろくつぼまっているから、雨がふる。わたしたちはよろこびをわかち、はんぶんにしてそれぞれ持っていく。家には塔がたてられている。そこにくもつをおき、煮立ちをかこつ。炎のはしらが立ち、それを演奏している。つえの先に火がなめらかにあり、それをのむ。ことばが侵入する。わたしは火を発ちてみちをいく。のむようにことばの家がゆれている。わたしはそれを統御しない。だからうめこまれもしない。そして雲をあつめて、笛をふく。雲がちぎれてむらさきいろの糸があらわれる。それでくみしき毛布をつくって、ひろく地球にしく。こんな物語のあとで地球がばくはつする。太陽系にとびだす。火星にいじゅうする。そして麺をすすり地球をなつかしむ。だけどわたしたちは飛行機だから、羽をひらき、うもうになれる。そしてかたく空をとぶ。うちゅうをとぶ。宝石のきりをめずらかに袋からはなつ。それは街に生えるだろう。そしてひとびとが萌えでる芽をふみつける。「それはひつようか」「ひつようだ」「ふくろからとびだそう」「そんなこともあるな」「ある」切り出される鉱石をわってなかからとび出てきたみずをひろくしきちりばめる。胸を宇宙のきぼにのばして、息をあたたかくすっている。とびこむ文字はうおになり胸をきり裂いていく。みどりのちしおにぬれ、雪をふくみながらたっている。

わくせいよふるえに触れて、みどりごえの藻せん毛の手を生やしてはえてこい。かみつくひとみのなごりをコップにかきくだいて、みる目をつぶる。あなたのことばをあけると、グライダーがきばをひらいて、のみこむ。みずべのきしにいつまでだって ぬれている ねこになる黒いつばさの男のひとみ、なん着陸して 読むことを解きほぐして小石がひびくまで池をわる。
ががーりんの はっけんに

みぶるいする ころも
○がとどく。家が折れて、つつみこまれるまで腕をのばして丸天井に桟敷をしき広げる。あおくなるまで川をせおってうってたとう。ながれるがらんに刻みこまれた文字は浮き喉にまで達するからそれをはきださなければならない。わたしが少しずつ皮ふを四角にはがしていって打ちつけるぬり壁の奥には歴史が書かれているから、それをとりだすために、一歩わにになって、絵本をころして、さつ戮の嵐が、ふきあれていって、文字をことばでよべば、「おまえはどこにいるか」
「ぼくはどこにもいない」
「それならば腕はどこにあるのか」
「腕は、ここにある。見せようか」
「ぼくたちは見せなくていい」「だから、川にながれる」「文字が川にながれていく」「すり切れるような布を小石のひょうめんにあてて、こすりつける。それがむかしからの作法だから、わたしたちは川に面した町でこうして行商をやっている」「あなたは老婦人だ」「わたしは老婦人の乳をもつ」「それならばしわぶきのむこうの町で酸化しながら、あなたはひだを表面ずつひらいて、わたしをねむらせるつもりなのか」「草はらでねむりなさい」「あなたは眠りのあい言葉をもつ。わたしは、あおを塗るすべを見つける」「見つけよ」

繰りくだるうちに穿孔が花ひらいて濃霧から氷になるためにことばが文字になったのじゃなかったか。氷をやぶるためにあなたの目がひらく地底のしもはむれて赤くゆれている。手がむすうに生えるのなら指がとどくためにたくさんの距離を経て、ぼくの舟は座礁する。いみがしもになるならばあふれるような腕は指揮のほうこうを海のなかにとどくように、引っ張りあげて、地面がゆれる。声がはり叫ぶ。腕のゆび先がいかになって、海に向かって青くなりのびていっても、地はだが海面にふれていっても、記述する糸がぼくはほしい。みずがしたたりぼたぼたになる。音をたてて炎になってゆく。海をこえられるのなら、その上を歩けるのなら、つばさになり黒ぐろとひろがれるのなら、波になろう

くずなみになろう

たちかえることが、波のあい間から声を立ちのぼらせることならば、みどりを踏みつけていって青をこぼらせる演奏のかん隔のかごの中からみどりとりんごとふくれあがるならば,記述するそばから、たくさん歩け。わたしのことばの窓から、いっぱいこぼれ落ちろ。ぬり薬をぬって、絵をえがいて、網のあいだから木を見つめよう。みずがひいていく。いけ、おがわ。「製鉄になれ」

ぬりぐすりをぬっていく。静脈がひらいていく。みどりがこんで、気がつくとたきぎが燃えている。まちがえることもなく、最後にはみずをきりぬけろよ、ことば。水をかこんで、ふるえる間欠泉を譜面としてながめて、まよい出す音をものかごにひろおう。魚をつくろう。いきてとびこむさかなを。うおがせびれになり、いきかえるとき、いみがことばになりおおきな山をつくる。のぼらなくてもいいから、穿とう。流れをくずしていこう。岩にしがみついて血をなめ、けずろう。歯をみせる。うかびあがって消去になる。身が、音符になるとき、たよるものが、雪崩のじくにあるとき、ゆきをむかえるために、あるくこと、時計をもつこと。しし髪に、櫛をさし込んで、草原がひろがる。大地にねざすこと、たゆむこと。みどりがおおきくなり枯れてゆくこと。よびこみの声が、わずかずつ小さくなっていくこと。そして、つぼみがひらくこと。

冬の波がきて、つゆをふくむこと。月にながれること。重心を、引っ張って、ずらすこと。わかれていって、つながらないしもや、もやを、どのようにうまく切れるか、きそいあっている小人になる。そして、夢のなかで、かえってくる。家がたおれて、メスをいれる。氷になり、うかぶ。ぼくははきだされている小石につかまり、からだのすみずみまでゆびになり刺しゅうを入れる。なかがわから見てくれていることを、ひろがる海の内がわのなみをそっと引きしぼって、弓になる。髪のすみずみまで/貝がらになり/くちてゆき/また再生する。記述することばは、くちてゆき、しかし洗いながされない。泥のなかから、たまっていく。


恋唄五つ

  鈴屋


カーテンの隙間から差しこむ日に
タバコの煙を吐きつけると大理石の壁が立ち上がる

毛布にくるまれたわたしたちの
よごしあった皮膚の上では微生物が急速に繁殖している
安息とは饐えることにはちがいない

あなたはベッドを降りて
下着を胸に掻き抱き、前かがみに浴室へ向かう
楽園を追われるイブ、とわたしはわらう

 +   +

ケヤキ並木の影が路上に倒れている

遅い秋の午後ともなれば
一秒、二秒、日輪を見詰めることができる
黄金のリング、暗い渦
逸らす視線の先、美しい緑青の斑がいつまでも剥がれない

不意に木枯らしが吹くと
吹き溜まりに眠っていた落葉がいっせいに立ち上がり
ケラケラ、ケラケラ、小躍りしながらアスファルトを駆けていく

「唄はだあれ?」
「ヘレン・メリル」

わたしがキーを回したので、あなたはカーラジオのボリュームを上げる
タイヤが枯れ枝を踏んで、小気味好い音をたてる

 +   +

窓の外の空をまだだれも冬とは呼んでいなくても
暖かく支度した部屋で、二つの紅茶は紅く、わたしたちは眠い
レモンスライスを浮かべると紅が薄まるのは口惜しい気もする

あなたは唇に手をあて隠れるように短い欠伸をする
それからうっすらと涙目になって、そのまま溶け入るような頬笑みをよこす

とてもたいくつ
とても大切なたいくつ

あと1時間
明日一日
それから一週間、それから一年
それから先もつづくはずの
大切なたいくつ

 +   +

闇の中に座って、それでも乳房の白さはぼうと映えて
わたしはあなたの腰をささえ
わたしの左右の二の腕にあなたの爪が食い入る
あなたの二つの眸と口がなおさらに黒い三つの空洞となって揺れ
あなたは死に仕える埴輪のようにゆるやかに踊っている

なぜわたしたちはこの現在にいるのか
なぜこんなところでこんなことをしているのか

あなたの忍び音は山脈の果てからとどく悲鳴のようにも聴こえ
藪を分けて、山犬がこちらを向く

 +   +

電車が鉄橋を渡る
草サッカーの歓声が上がる
耳もとでは絶え間ないススキの葉擦れ
絵画のように音にも遠近法があるのがわかる

わたしから離れて
今あなたは水辺にたどりついた

川面では夥しい光りの欠片が煌く
スカートをじょうずにたくし上げ、しゃがんでは手を水に晒し
立っては覚束ない足許のせいでふらついたりもする

あなたは上流から下流へゆっくり首を回してから
光のほかに何もない空を仰ぎ見る、いつまでも
そのままに、あなたは遠い
光りの中にいて、はるかに遠い


林檎のある浴室

  リンネ

 自宅の風呂である。いつから浸かっているのか、まるで思い出せない。ひだ状に醜くふやけた指を見れば、どうやら相当の間ここにいたということが分かるが、それにもかかわらず、私は、一向に風呂から出ようという気持ちにならずにいる。
 そしてそれはどうも、すぐ目の前にいる女のせいであるということが分かっていた。向かい合わせに浴中で座っているが、まったく黙りこくっている。何かに怒っているのだろうか。どうしてこのような状況にあるのか分からないが、石鹸の香りに混じって、女の体臭がかすかに感じられ、それが私をこの場に引き止めているようである。

 浴室はしだいにふんふんと湯気に溢れている。その様子がどうもおかしい。両手で必死に扇いでみるが、厚い霧に阻まれて、少しずつ女の顔が見えなくなっていく。そのまま、すぐに目の前がまっしろになってしまった。
 湯気は不思議なことに、鎖骨から上だけを覆っているのだが、むしろ自分はそのことで不安である。私は、さっきまで見ていたはずの女の顔が、すっかり思い出せなくなっていたのだ。浮かんでくるのはまずどうでもよい人の顔ばかりで、思い出そうとするほど、女の顔がそれらに埋もれていく、という、妙な状態になってしまった。

 ふいに、誰かのすすり泣くような声が聞こえ、私はどきりとして耳をすませた。どうやら、その泣き声は、湯船の中から聞こえてくるようである。
 水面の一点をしばらく眺めていると、突然そこから、林檎が一つぬっくりと浮かんできた。これはいったい、どういうことだろう!
 私は手を伸ばし、その林檎に触れようとするが、奇妙なことに、水面に立った波にのって、林檎が自分の手を避けてしまう。何度も掴みかかるが、そのたびにゆるりと見当もしないほうへ逃げていく。そうしているうちに、私はひどく悲しくなってしまい、林檎を見つめたまま、もう何もせずにぼうっとしている。

 女の足がいつのまにか、自分の股間まで伸びている。そのせいで私は、なんとも恥ずかしい気持ちになってしまった。女のほうはそれを察してか、先ほどから、ふたを開けたようにかしゃかしゃと笑っている。その笑い声がますます羞恥心を高揚させ、私のからだは驚くほど紅潮していた。
 湯水の中では、女の素足がうねっている。質感といい、動くさまといい、まるでイカのように滑らかだ。林檎が、波に押されてじっくりとこちらに近づいてくる。私は女の足により、しだいに絶頂に迫りつつあるが、それにつれて、目前の赤く丸い果物が、心なしか膨らんでいくように見えた。そしてよく見れば、その果実の球面には、向こうの女の顔が、そっくりと映りこんでいる! その女の首が、のどやかに、こちらを見てにこにこと笑っていた。

 ああ、これで女の顔が思い出せる、と私は目を細めて覗きこんだ―――が、そのとたんである。私は興奮のあまり、痙攣的に林檎をつかみ取って、あろうことかそのままかぶりついてしまったのだ。するとどうだろう、突然、女の足がよりどころなく、湯船の中をあっちへこっちへと、困惑したように行ったり来たりするではないか。
 私は二口、三口と、繰り返し、林檎をかじった。トマラナイ。トマラナイ。霧はなおも浴室を満たしているが、女ははじめのように、すっかり動かなくなってしまった。
 そんな折、湯船の中から、ふたたび何かがすすり泣く音が聞こえてくる。つまり、新しい林檎が水面に浮上する、という予感の芽生えである。私の視覚は、まだそこに現われる前から、冷たく、丸く太った林檎の姿を想像して、実に無邪気に喜んでいる。
 女はすでにそこにいないが、残り香によって、私はそれに気づかない。だがむろん、それはとりたてて重要なことでもなかった。
 浴室はますます湯気に溢れている。


熊のフリー・ハグ。

  田中宏輔




まあ

じっさいに、熊の被害に遭われた方には

申し訳ないのだけれど



熊のフリー・ハグに注意!



きょう

きゃしゃな感じの三人組の青年たちが

フリー・ハグのプラカードを胸にぶら下げて

四条河原町の角に立って

ニタニタ笑っていた

プラカードの字はぜんぜんヘタクソだったし

見た目も気持ち悪かったし

なんだか頭もおかしそうだった



そういえば

おとついくらいかな

テレビのニュースで見たのだけれど

二十歳くらいのかわいらしい女の子たちが二人

フリー・ハグのプラカードを胸に下げて

通っているひとたちに声をかけて

ハグハグしていた



とってもかわいらしい女の子たちだったから

ゲイのぼくでもハグハグしてもらったらうれしいかも

なんて思っちゃった



不在の猫

猫は不在である

連れ出さなければならなかったのだ

波しぶきビュンビュン

市内全域で捜査中

バケツをさげたオバンが通りかかる

「あたしの哲学によるとだね

 あんた

 運が落ちてるよ」

不在の猫がニャンと鳴く

挨拶する暇もなく

雨が降る

「このバケツにゃ

 だれにでもつながる電話が入ってるんだよ

 試してみるかい」

角のお好み焼き屋のオヤジが受話器を握る

「猫を見たわ

 過激に活躍中よ

 気をつけて

 あなたの運は落ちてるわ」

ガチャン

お好み焼き屋のオヤジは受話器を叩きつける

「あんた

 これはあたしの電話だよ

 こわれるじゃないか」

バケツをさげたオバンが立ち去る

お好み焼き屋のオヤジがタバコをくわえる

不在の猫がニャンと鳴く

雨が上がる

いまの雨は嘘だった

ずっと

青空だったのだ

お好み焼き屋のオヤジが放屁する

真ん前の空を横切って、一台のUFOがひゅるひゅると空の端っこに落ちていく

学校帰りの小学生の女の子が歌いながら歩いてきた

「きょうもまじめな父さんは

 あしたもまじめな父さんよ

 きょうもみじめな母さんは

 あしたもみじめな母さんよ

 ローンきつくてやりきれない

 ローンきつくてやりきれない

 みんなで首をくくって死にましょう

 みんなで首をくくって死にましょう」

不在の猫がニャンと鳴く

「お嬢さんの学校じゃ

 そんな歌が流行ってるのかい」

時代錯誤のセリフがオヤジの口を突いて出てくると

かわいらしい小学生の女の子はオヤジの目を睨みつけて

「バッカじゃないの

 おじさんって

 おつむは大丈夫?

 おててが二つで

 あんよが二つ

 あわせて四つで

 ご苦労さん」

テレフォン・ショッピングの時間です

午後にたびたび夕立が降るのは

ご苦労さんです

仕事帰りに一杯のご気分はいかがですか?

鼻息の荒い毛むくじゃらの不在の猫がニャンと鳴く

カレンダー通りに

月曜日のつぎは火曜日

火曜日のつぎは水曜日

水曜日のつぎは木曜日

木曜日のつぎは金曜日

金曜日のつぎは土曜日

土曜日のつぎは日曜日

日曜日のつぎは月曜日

これってヤーネ

燃え上がる一台のUFOから宇宙人が出てきて

インタビューを受けている

「とつぜんのことでした

 ブランコに乗っていたら

 知らないおじさんが

 おいらのことを

 かわいいかわいいお嬢さん

 って呼ぶものだから

 おいらは宇宙人なのに

 お嬢さんだと思って

 おじさんの手に引かれて

 ぷらぷらついていったの

 知らないおじさんは宇宙人好きのする顔だったから

 おいらは

 てっきり

 おいらのことをお嬢さんだと思って

 それで

 縄でくくられて

 ぬるぬるした鼻息の荒い毛むくじゃらのタコのような不在の猫がニャンと鳴く」

お好み焼き屋のオヤジがタバコを道端に捨てて

つま先で火をもみ消した

バケツをさげたオバンがまたやってきた

「あたしの哲学によるとだね

 あんた

 運が落ちてるよ」

それを聞くなり

お好み焼き屋のオヤジが

バケツを持ったオバンの顔をガーンと一発殴ろうとしたら

反対に

オバンにバケツでどつかれて

頭を割って

さあたいへん

どじょうが出てきてコンニチハ

頭から

太ったうなぎほどの大きさのどじょうが出てきたの

どうしようもないわ

お好み焼き屋のオヤジは道端にしゃがんで

頭抱えて

思案中

「ところで

 明日の天気は晴れかな」

ぎらぎら光るぬるぬるした鼻息の荒い毛むくじゃらのタコのような不在の猫がニャンと鳴く

「晴れ

 ときどき曇り

 のち雨

 ときには豹も降るでしょう」

だれもがそう思いこんでいる

気がついたら

6時50分だった

ニュースが終わるよ

終わっちゃうよ

猫は不在である

というところで

人生の達人ともなれば

自分自身とも駆け引き上手である

勃起が自尊心を台無しにすることはない

理性に判断させるべきときに

理性に判断させてはいけない

わたしが20代の半ばくらいのときに

神について、とか

人間について、とか

愛について、とか

生きることについて、とか

そんなことばかりに頭を悩ませていたのは

そういったことばかりに頭を使っていたのは

真剣に取り組まなければならなかった身近なことから

ほんとうにきちんと考えなければならなかった日常のことから

自分自身の目を逸らせるためではなかったのだろうか

真剣に取り組んで、ほんとうにきちんと考えなければならなかった問題を

自分自身の目から遠くに置くためではなかったのだろうか

たとえどんなにブサイクな恋人でも

濡れた手で触れてはいけない

オハイオ、ヤバイヨ

愛はたった一度しか訪れないのか

why

Why



詩に飽きたころに

小説でオジャン

あれを見たまえ



角の家の犬

自分が飼われている家の近くにいるときには

とてもうるさく吠えるのに

公園の突き出た棒につながれたら

おとなしい



掲示板



イタコです。

週に二度、ジムに通って身体を鍛えています。

特技は容易に憑依状態になれることです。

しかも、一度に三人まで憑依することができます。

こんなわたしでよかったら、ぜひ、メールをください。

また、わたしのイタコの友だちたちといっしょに、合コンをしませんか?

人数は、四、五人から十数人くらいまで大丈夫です。こちらは四人ですけれど、

十数人くらいまでなら、すぐにでも憑依して人数を増やせます。

合コンのお申し込みも、ぜひぜひ、よろしくお願いいたします! (二十五才・女性会員)。



今朝、通勤の途中、新田辺駅で停車している普通電車に乗っていたときのことでした。

「ただいま、この電車は、特急電車の通過待ちのために停車しております。」

というアナウンスのあとに、「ふう。」と、大きなため息を、車掌がつきました。

しかし、まわりを見回しても、車掌のそのため息に耳をとめたひとは、ひとりもおらず

みんな、ふだんと同じように、居眠りしていたり、本を読んだりしていました。

だれひとり、車掌のため息を耳にしなかったかのように、だれひとり、笑っていませんでした。

笑いそうになってゆるみかけていたぼくの頬の筋肉が、こわばってひきつりました。



一乗寺商店街に

「とん吉」というトンカツ屋さんがあって

下鴨にいたころや

北山にいたころに

一ヶ月に一、二度、行ってたんだけど

ほんとにおいしかった

ただ、何年前からかなあ

少しトンカツの質が落ちたような気がする

カツにジューシーさがないことが何度かつづいて

それで行かなくなったのだけれど

ときたま

一乗寺商店街の古本屋「荻書房」に行くときとか

おしゃれな書店「恵文社」に行くときとかに

なつかしくって寄ることはあるんだけれど

やっぱり味は落ちてる

でも、豚肉の細切れの入った味噌汁はおいしい

山椒が少し入ってて、鼻にも栄養がいくような気がする

とん吉では、大将とその息子さん二人と奥さんが働いていて

奥さんと次男の男の子は、夜だけ手伝っていて

昼間は、大将と長男の二人で店を開けていて

その長男が、チョーガチムチで

柔道選手だったらしくって

そうね

007のゴールドフィンガーに出てくる

あのシルクハットを、ビュンッて飛ばして

いろんなものを切ってく元プロレスラーの俳優に似ていて

その彼を見に行ってるって感じもあって

トンカツを食べるって目的だけじゃなくてね

不純だわ、笑。

とん吉には

プラスチックや陶器でできたブタのフィギュアがたくさん置いてあって

お客さんが買ってきては置いていってくれるって

大将が言ってたけれど

みずがめ座の彼は



ぼくが付き合ってた男の子ね

ぼくがブタのフィギュアを集めてたことをすっごく嫌がっていた

見た目グロテスクな

陶器製の精巧なブタのフィギュアを買ったときに別れたんだけど

ああ、名前を忘れちゃったなあ

でも、めっちゃ霊感の鋭い子で

彼が遊びにきたら

かならず霊をいっしょに連れてきていて

泊まりのときなんか

ぼくはかならずその霊に驚かされて

かならずひどい悪夢を見た

彼は痛みをあんまり痛みに感じない子やった

歯痛もガマンできると言っていた

ぼくと付き合う前に付き合ってたひとがSだったらしくって

かなりきついSだったんだろうね

口のなかにピンポンの球みたいなものを

あのひも付きの口から吐き出させないようにするやつね

そんなものをくわえさせられて

縛られて犯されたって言ってたけど

そんなプレーもあるんやなって思った

痛みが快感と似ているのは

ぼくにもある程度わかるけど

そういえば

フトシくんは

ぼくを縛りたいと言ってた

ぼくが23才で

彼が二十歳だったかな

ラグビー選手で

高校時代に国体にも出てて

めっちゃカッコよかった

むかし

梅田にあったクリストファーっていうゲイ・ディスコで出会ったのね



一度

ホテルのエレベーターのなかで

ふつうの若いカップルと乗り合わせたことがあって

なぜかしらん、男の子のほうは

目を伏せて、ぼくらのほうを見ないようにしてたけど

女の子のほうは、目をみひらいて

ぼくらの顔をジロジロ交互にながめてた

きっと

ぼくらって

ラブラブのゲイカップルって光線を発してたんだろうね



あのエレベーターのなかじゃ、あたりまえか

ラブホだもんね

なにもかもがうまくいくなんて

けっしてなかったけれど

ちょっとうまくいくっていうのが人生で

そのちょっとうまくいった思い出と

うまくいかなかったときのたくさんの思い出が

いっぱい

いいっっぱい

you know

i know

you know what i know

i know what you know

同じ話を繰り返し語ること

同じ話を繰り返し語ること



地球のゆがみを治す人たち



バスケットボールをドリブルして

地面の凸凹をならす男の子が現われた

すると世界中の人たちが

われもわれもとバスケットボールを使って

地面の凸凹をならそうとして

ボンボン、ボンボン地面にドリブルしだした

そのたびに

地球は

洋梨のような形になったり

正四面体になったり

直方体になったりした



2008年4月22日のメモ(通勤電車のなかで)



手の甲に

というよりも

右の手の人差し指の根元の甲のほうに

2センチばかりの切り傷ができてた

血の筋が固まっていた

糸のようにか細い血の筋に目を落として考えた

寝ているあいだに切ったのだろうけれど

どこで切ったのだろうか

どのようにして切ったのであろうか

切りそうな場所って

テーブルの脚ぐらいしかないんだけれど

その脚だって角張ってはいないし

それ以外には

切るようなシチュエーションなど考えられなかった

幼いときからだった

目が覚めると

ときどき

手のひらとか甲とか

指の先などに

切り傷ができていることがあって

血が固まって

筋になっていて

指でさわると

その血の筋が指先に

ちょっとした凹凸感を感じさせて

でも

どこで

どうやって

そんな傷ができたのか

さっぱりわからなかったのだ

これって

もしかすると

死ぬまでわからないんやろうか

自分の身の上に起きていることで

自分の知らないことがいっぱいある

これもそのひとつに数えられる

まあ

ちょっとしたなぞやけど

ごっつい気になるなぞでもある

なんなんやろ

この傷

これまでの傷



彼女は手紙を書き上げると

彼に電話した

彼も彼女に手紙を書き終えたところだった

二人は自分たちの家の近くのポストにまで足を運んだ

二つのポストは真っ赤な長い舌をのばすと

二人をぱくりと食べた

翌日

彼女は彼の家に

彼は彼女の家に

配達された

そして

二人は

おのおの宛てに書かれた手紙を読んだ



きのうは

ジミーちゃんと

ジミーちゃんのお母さまと

1号線沿いの「かつ源」という

トンカツ屋さんに行きました。

みんな、同じトンカツを食べました。

ぼくとジミーちゃんは150グラムで

お母さまは、100グラムでしたけれど。

ご飯と豚汁とサラダのキャベツは

お代わり自由だったので

うれしかったです。

もちろん、ぼくとジミーちゃんは

ご飯と豚汁をお代わりしました。

食後に芸大の周りを散歩して

それから嵯峨野ののどかな田舎道をドライブして

広沢の池でタバコを吸っていました。

目をやると

鴨が寄ってくるので

猫柳のような雑草の先っぽを投げ与えたりして

しばらく、曇り空の下で休んでいました。

鴨は、その雑草の穂先を何度も口に入れていました。

「こんなん、食べるんや。」

「ぼくも食べてみようかな。」

ほんのちょっとだけ、ぼくも食べてみました。

予想と違って、苦味はなかったのですが

青臭さが、長い時間、残りました。

鴨のこどもかな

と思うぐらいに小さな水鳥が

池の表面に突然現われて

また水のなかに潜りました。

「あれ、鴨のこどもですか?」

と、ジミーちゃんのお母さまに訊くと

「種類が違うわね。

 なんていう名前の鳥か

 わたしも知らないわ。」

とのことでした。

見ていると、水面にひょっこり姿を現わしては

またすぐに水のなかに潜ります。

そうとう長い時間、潜っています。

水のなかでは呼吸などできないはずなのに。

顔と手に雨粒があたりました。

「雨が降りますよ。」

ぼくがそう言っても

二人には雨粒があたらなかったらしく

お母さまは笑って、首を横に振っていました。

ジミーちゃんが

「すぐには降らないはず。降り出すとしても3時半くらいじゃないかな。

 しかも、30分くらいだと思う。」

そのあと嵐山に行き

帰りに衣笠のマクドナルドに寄って

ホットコーヒーを飲んでいました。

窓ガラスに蝿が何度もぶつかってわずらわしかったので

右手の中指の爪先ではじいてやりました。

しばらくのあいだ、蠅はまるで死んだかのような様子をしていて、まったく動かなかったのですが

突然、生き返ったかのようにして動き出すと、元気よく隣の席のところにまで飛んでいきました。

イタリア語のテキストをジミーちゃんが持ってきていました。

ぼくも、むかしイタリア語を少し勉強していたので

イタリア語について話をしていました。

お母さまは音大を出ていらっしゃるので

オペラの話などもしました。

ぼくもドミンゴの『オセロ』は迫力があって好きでした。

ドミンゴって楽譜が読めないんですってね。

とかとか、話をしていたら

突然、外が暗くなって

雨が降ってきました。

「降ってきたでしょう。」

と、ぼくが言うと

ジミーちゃんが携帯をあけて時間を見ました。

「ほら、3時半。」

ぼくは洗濯物を出したままだったので

「夜も降るのかな?」って訊くと

「30分以内にやむよ。」との返事でした。

じっさい、10分かそこらでやみました。

「前にも言いましたけれど

 ぼくって、雨粒が、だれよりも先にあたるんですよ。

 顔や手に。

 あたったら、それから5分とか10分くらいすると

 それまで晴れてたりしてても、急に雨が降り出すんですよ。」

すると、ジミーちゃんのお母さまが

「言わないでおこうと思っていたのだけれど

 最初の雨があたるひとは、親不孝者なんですって。

 そういう言い伝えがあるのよ。」

とのことでした。

そんな言い伝えなど知らなかったぼくは、

ジミーちゃんに、知ってるの?

と訊くと、いいや、と言いながら首を振りました。

ジミーちゃんのお母さまに、

なぜ知ってらっしゃるのですか、とたずねると

「わたし自身がそうだったから。

 しょっちゅう、そう言われたのよ。

 でももう、わたしの親はいないでしょ。

 だから、最初の雨はもうあたらなくなったのね。」

そういうもんかなあ、と思いながら聞いていました。

広沢の池で

鴨がくちばしと足を使って毛繕いしていたときに

深い濃い青紫色の羽毛が

ちらりと見えました。

きれいな色でした。

背中の後ろのほうだったと思います。

鴨が毛繕いしていると

水面に美しい波紋が描かれました。

同心円が幾重にも拡がりました。

でも、鴨がすばやく動くと

波紋が乱れ

もう美しい同心円は描かれなくなりました。

ぼくは振り返って、池に背を向けると

山の裾野に拡がる畑や田んぼに目を移しました。

そこから立ち昇る幾条もの白い煙が、風に流されて斜めに傾げていました。



ようやく珍しい体位の暗い先生に

イカチイ紅ヒツジの映像が眼球を経巡る。

なんと、現在、8回目の津波に襲われている。

ホームレスリングのつもり。

段取りは順調。

声が出てもいいように

洗濯機を回している。

ファンタスティック!

イグザクトゥリー?

アハッ。

ジャズでいい?

オレも、ジャズ聴くんすよ。

ふたたび、手のなかで、眼球がつるつるすべる。

ふたたび、目のなかで、指がつるつるすべる。

777 Piano Jazz。

事件が起こった。

西大路五条のスーパー大国屋の買い物籠のなかで

秘密指令を帯びた主婦が乳房をポロリ。

吸いません。

違った、

すいません。

老婆より中年ちょいブレ気味の一条さゆり似のメンタ。

火曜日午後6時30分発の

恋のスペシャル。

土俵を渡る。

つぎは難儀。

つぎはぎ、なんに?

SМILE。

「有名な舌なの?」

吸われる。

「有名な死体なの?」

居据わられる。

「有名な体位なの?」

坐れる。

こころが言い訳する。

いろいろ返します。

ポイント2倍デイ、特別価格日・開催中。

窓々のガラスに貼られた何枚もの同じ広告ビラ。

このあいだ恋人と別れたんやけど

いまフリーやったら、付き合ってくれる?

別れる理由はいろいろあったんやけど

なんなんやろね、なんとなくね。

とてもいい嘘だよ。

理由は、ちゃんとある。

ある、ある、ある。

ちゃんと考えてある。

いまなら、送料 + 手数料=無料。

YES OR NO?

YOU OK?

もうなにも恐れません。

あなたの買いたい=自己解体。

生まれ変わった昭和の百姓、二百姓。

ってか、なんだか、変なんです。

生きるって、なんて、すばらしいの?

なにも言ってませんよ。

紅ヒツジのイカチイ映像が

ぼくの過去の異物に寄り添っている。

喉越しが直撃する。

言下に垂下する。

期間限定の奴隷に参加。

面白いほど死ぬ。筋肉麻痺が分極する。

前半身31分。後ろ半身32分。横半身30分ずつ。

今後も、足の指は10本ずつ。

動いたり止まったりします。

念動力で動く仕組みです。

メエメエと鳴く一頭の紅ヒツジが

ぼくの耳のなかに咲いている。

基本、暑くないですか?

きわめて重要な秘密指令を

週5日勤務のレジ係のバイトの女の子が

パチパチとレシートに打ち出す。

(なぜだか、彼女たちみんな、眉毛をぶっとく描くのねん。)

エクトプラズムですもの。

はげしいセックスよりも、ソフトなほうがいいの?

紅ヒツジは全身性感帯だった。

柔道とカラテをしていた暗い先生は

体位のことしか考えている。

倫理に忠実な自動ドアが立ち往生している。

「有名な下なの?」

「有名な上なの?」

「有名な横なの?」

右、上、斜め、下、横、横、後ろ、前、左、ね。

じゃあ、こんどはうつぶせになって。

ぼくの有名な死体は彼の舌の上を這う。

彼の下の上を這う。

ルッカット・ミー!

do it, do it

一日は17時間moあるんだから

エシャール

そのうち、朝は15時間で、お昼は20時間で、夜は15時間moあるんだから

すぇ絵tすぇ絵tもてぇr府c家r

sweet sweet mother fucker

チョコレートをほおばる。

スニッカーズ、9月中・特別価格98円。

気合を入れて、プルプル・グレープを振る。

とても自由な言い訳で打ち震える。

きみの6時30分にお湯を注ぐ。

どんなに楽しいことでも

180CC。

きょうは実家に帰るんです。

紅ヒツジの覚悟の体位に

暗い先生は厳しい表情になる。

主婦が手渡されたレシートには、こう書いてあった。

「計¥ 恥ずかしい」

暗い体位を見つめている先生は

しばしば解釈の筋肉が疲労している。

ふだんはトランクス。

「なに? このヒモみたいなの↓」

自販機で彼に買ってあげた缶コーヒーに口をつける。

右、上、斜め、下、横、横、後ろ、前、左、ね。

ぼくのジャマをしないで。

恋人になるかどうかのサインを充電している。

道徳は、わたしたちを経験する。

everything keeps us together

指が動くと、全身の筋肉が引き攣れ

紅ヒツジの悲鳴が木霊する。

採集された余白が窓ガラスにビリビリと満ち溢れる。

「このテーブル、オレも使ってました。

 オレのは、黒でしたけど。」

どこまで、いっしょなの?

この十年間、付き合った子、

みんな、ふたご座。

なんでよ?

そのうち、二人は誕生日が同じで、血液型も同じ。

すっごい偶然じゃん。

それとも、偶然じゃないのかな。

名前まで、ぼくとおんなじ、田中じゃんか!

いくら多い名前だからってさあ。

それって、ちょっと、ちょっと、ちょっとじゃなあい?

それじゃあ、ピタッと無責任に歌っていいですか?

いいけどお。

採集された余白が窓ガラスにビリビリと満ち溢れる

西大路五条のスーパー大国屋の買い物籠のなかで

秘密指令を帯びた主婦が乳房をポロリ。

ポロリポロリのポロリの連発に

暗い体位の先生が自動ドアのところで大往生。

違った、

大渋滞。

ピーチク・パーチク

有名な死体が出たり入ったり

繰り返し何度も往復している。

紅ヒツジの全身の筋肉が引き攣れ

レジ係の女の子の芸術的なストリップがはじまる。

あくまでも芸術的なストリップなのに

つぎつぎと生えてくる

一期一会のさえない男たちの客の目がギロリ、ギロリ。

もう一回いい?

さすがに、いいよ。

ほんまやね。

2割引きの398円弁当に一番絞りの缶が混じる。

まとめて、いいよ。

持っておいで。

フリーズ!

ギミ・ザ・ガン!

ギミ・ザ・ガン!

カモン!

やさしいタッチで

見せつける。

よかったら、二回目も。



で、

それで

いったい、神さまの頬を打つ手はあるのか?

アロハ・

オエッ



さっき、うとうとと、眠りかけていて

ふとんのなかで、ふと

「恋愛増量中」なる言葉がうかんだ。

何日か前に、シリアルかなんかで

「増量20グラム」とかとか見たからかも

いや、きょう買ったアルカリ単三電池10個が

ついこのあいだまで、増量2本で1ダース売りだったのに

買っておけばよかったな、などと

朝、思ったからかもしれない。

いや、もしかしたら、いま付き合ってる恋人に対して、

そう感じてるからかもしれない。

どこまで重たくなるんやろうかって。

へんな意味ではなくて

いい意味で。



ケンコバの夢を見た。

ケンコバといっしょに

無印良品の店に

鉛筆を買いに行く夢を見た。

けっきょく買わなかったのだけれど

鉛筆の書き味を試したりした。

帰りに、その店の出入り口のところで

「おれの頭の匂いをかいでみぃ。」とケンコバに言われて

かいでみたけれど、ふつうに、頭のにおいがして

そんなに不快やなかったけど

ちょっと脂くさい頭のにおいがして

べつにシャンプーやリンスのいい匂いではなかった。

「ただの頭のにおいやん。」と言うと

「ええ匂いせえへんか。」と言われた。

「帰り道、送って行ったるわ。

 祇園と三条のあいだに中村屋があったやろ、

 その前を通って行こ。」

と言われたが、チンプンカンプンで

それは、いまぼくが住んでるところとはまったく違う場所だし

祇園と三条のあいだには中村屋もない。

しかし、芸能人が夢に出てくるのは、はじめて。

むかし、といっても、5、6年前のことだけど

ひと月くらい、北山でいっしょに暮らしていた男の子がいて

きのう、その子とメールのやりとりをしたからかなあ。

髪型は、たしかにいっしょやけど

顔や体型はぜんぜん違うしなあ。

なんでやろ、ようわからん。

しかし、いやな夢ではなかった。

むしろ、楽しい夢やった。

ずっとニコニコ顔のケンコバがかわいかった。



お皿を割ったお菊を

お殿様が

切り殺して

ブラックホールのなかにほうり込みました

読者のみなさんは

ブラックホールから

お菊さんが幽霊となって出てきて

お皿を、一枚、二枚、三枚、……と九枚まで数えて

一枚足りぬ、と言う姿を想像されたかもしれませんが

あにはからんや

お菊さんがホワイトホールから

一人、二人、三人、……と

無数の不死身の肉体を伴ってよみがえり

そこらじゅう

ビュンビュンお皿を飛ばしまくりながら出てきたのでした

いまさらお殿様を恨む気持ちなどさらさらなく

楽しげに

満面に笑みをたたえながら



ウンコのカ

ウンコの「ちから」じゃなくってよ

ウンコの「か」なのよ

なんのことかわからへんでしょう

虫同一性障害にかかった蚊で

自分のことを蠅だと思っている蚊が

ウンコにたかっているのよ

うふ〜ん



毎晩、寝るまえに枕元に灰色のボクサーパンツを履いたオヤジが現われ

猫の鞄にまつわる話をする金魚アイスのって、どうよ!

灰色のパンツがイヤ!

赤色や黄色や青色のがいいの!

それより

間違ってっぽくない?

金魚アイスのじゃなくって

アイス金魚のじゃないの?

たくさんの猫が微妙に振動する教会の薔薇窓に

独身の夫婦が意識を集中して牛の乳を絞っているのって、どうよ!

こんなもの咲いているオカマは

うちすてられて

なんぼのモンジャ焼き

まだやわらかい猫の仔らは蟇蛙

首を絞め合う安楽椅子ってか

やっぱり灰色はイヤ!

赤色や黄色や青色のがいいの!



院生のときに

宇部のセントラル硝子っていう会社のセメント工場に見学に行ったときのこと

「これは塩です」

そう言われて見上げると

4、5階建てのビルディングぐらいの高さがあった

塩の山

そこで働いている人には

めずらしくともなんともないものなのだろうけれど



自由金魚

世界最大の顕微鏡が発明されて

金属結晶格子の合間を自由に動きまわる金魚の映像が公開された。

これまで、自由電子と思われていたものが

じつは金魚だったのである。

自由金魚は、金属結晶格子の合間を泳ぎまわっていて

金属結晶格子の近くに寄ると

まるで金魚すくいの網を逃れるようにして、ひょいひょいと泳いでいたのである。

電子密度は、これからは金魚密度と呼ばれることになり

物理とか化学の教科書や参考書がよりカラフルなものになると予想されている。


ベンゼン環の上とか下とかでも、金魚たちがくるくるまわってるのね。

世界最大の顕微鏡で見るとね。



金魚蜂。

金魚と蜂のキメラである。

水中でも空中でも自由に泳ぐことができる。

金魚に刺されないように

注意しましょうね。



金魚尾行。

ひとが歩いていると

そのあとを、金魚がひゅるひゅると追いかけてくる。



近所尾行。

ひとが歩いていると

そのあとを、近所がぞろぞろぞろぞろついてくるのね。

ありえるわ、笑。



現実複写。

つぎつぎと現実が複写されていく。

苦痛が複写される。

快楽が複写される。

悲しみが複写される。

喜びが複写される。

さまざまな言葉たちが、さまざまな人間たちの経験を経て、現実の人間そのものとなる。

さまざまな形象たちが、さまざまな人間たちの経験を得て、現実の事物や事象そのものとなる。



顔は濡れていた。

ほてっていたというわけではない。

むしろ逆だった。

冷たくて、空気中の水蒸気がみな凝結して露となり、

したたり落ちているのだった。

身体のどこかに、この暗い夜と同じように暗い場所があるのだ。

この暗い夜は、わたしの内部の暗い場所がしみ出してできたものだった。

わたしの視線に満ち満ちたこの暗い夜。



あらゆるものが機械する。

機械したい。

機械される。

あらゆるものが機械する。

機械したい。

機械される。

あらゆる機械は機械を機械する。

あらゆる機械を機械に機械する。

あらゆる機械に機械は機械する。

機械死体。

故障した機械蜜蜂たちが落ちてくる。

街路樹が錆びて金属枝葉がポキポキ折れていく。

電池が切れて機械人間たちが静止する。

空に浮かんだ機械の雲と雲がぶつかって

金属でできたボルトやナットが落ちてくる。

あらゆるものが機械する。

機械したい。

機械される。

あらゆるものが機械する。

機械したい。

機械される。

あらゆる機械は機械を機械する。

あらゆる機械を機械に機械する。

あらゆる機械に機械は機械する。



葱まわし 天のましらの前戯かな

孔雀の骨も雨の形にすぎない



べがだでで ががどだじ びどズだが ぎがどでだぐぐ どざばドべが



四面憂鬱

誌面憂鬱

氏名憂鬱

四迷憂鬱

4名湯打つ

湯を打つ?

意味はわからないけど

なんだか意味ありげ

湯を打つと

たくさん賢治が生えてくるのだった

たとえば、官房長官のひざの上にも

スポーツキャスターの肩の上にも

壁に貼られたポスターの上にも

きのう踏みつけた道端の紙くずの上にも

賢治の首がにょきにょき生えてくるのだった

身体はちぢこまって

まるで昆虫のさなぎみたいに

小さい

窓々から覗くたくさんの賢治たち

さなぎのようにぶら下がって

窓々の外から、わたしたちを覗いているのだ

「湯を打つ」の意味を

こうして考えてみると

よくわかるよね

キュルルルルル

パンナコッタ、

どんなこった



さっき

散歩のついでに

西院の立ち飲み屋にぷらっと寄って

飲んでいました。

むかし

「Street Life.」って、タイトルで

中国人の26才の青年のことを書いたことがあって

立ち飲み屋の客に

その中国人の青年にそっくりな男の子がいて

やんちゃな感じの童顔の男の子で

二十歳過ぎくらいかな

太い大きな声で、年上の連れとしゃべっていました。

ときどき顔を見ていたら

やっぱりよく似ていて

そっくりだったなあ

と思って、帰り道に

その男の子と

中国人の青年の顔を思い浮かべて

ほんとによく似ていたなあと

ひとしきり感心して

ディスクマンで、プリンスの

Do Me,Baby を聴きながら

帰り道をとぽとぽと歩いていました。

もしかしたら、錯覚だったのかもしれません。

あの中国人の青年のことを思い出したくて、似ているなあと思ったのかもしれません。

いまでも、しょっちゅう、あの中国人青年の声が耳に聞こえるのです。

おれ、学歴ないやろ。

中卒やから

金を持とうと思うたら、風俗でしか働けへんねん。

そやから、風俗の店で店長してんねん。

一日じゅう、働いてんでえ。

そんかわり、月に50万はかせいでる。

たしかに、そんな感じだった。

ぼくと出会った夜

おれがホテル代は出すから

ホテルに行こう

って、その子のほうから言ってきて

帰りは、自分の外車で送ってくれたのだけれど。

さっき立ち飲み屋で話してた青年も

あどけない顔して、話の中身は風俗だった。

まあ、客にそのときはまだ女がいなかったからね。

でも、ほんとに風俗が好きなのかなあ。

このあいだ、よく風俗に行くっていう、24才の青年に

痛くない自殺の仕方ってありますか、って訊かれた。

即座に、ない、とぼくは答えた。

その子も童顔で、すっごくかわいらしい顔してたのだけれど。

おれ、エロいことばっかり考えてて、女とやることしか楽しみがないんですよ。

いたって、ふつうのことだと思うのだけれど。

それが、死にたいっていう気持ちを起こさせるわけでもないやろうに。

そういえば、あの中国人青年も、風俗の塊みたいな子やった。

おれ、女と付きおうてるし、女好きなんやけど

ときどき、男ともしたくなるねん。

おっちゃん、SMプレーってしたことあるか?

梅田にSMクラブがあんねんけど

おれ、月に一回くらい行ってんねん。

おれ、女とやるときには、おれのほうがSで、いじめたいほうなんやけど

男とするときには、おれのほうがいじめられたいねん。

おっちゃん、おれがしてほしいことしてくれるか?

って、そんなこと、ストレートに訊かれて

ぼくは

ぼくの皮膚はビリビリと震えた。



三日ぶりに

仕事場に彼が出てきた

愛人のわたしの前で他人行儀に挨拶する彼

そりゃまあ仕方ないわね

ほかのひとの目もあるんですもの

それにしてもしらじらしいわ

彼は首に娘を巻きつかせていた

「このたびはご愁傷様でした」

彼女は三日前に死んだ彼の娘だった

死んだばかりの娘は

彼女の腕をしっかり彼の首に巻きつけていた

彼の首には

三年前に死んだ彼の母親もぶらさがっていた

母親の死体はまだまだ元気で

けっして彼から離れそうになかった

その母親の首には

彼の祖父母にあたる老夫婦の死体がぶらさがっていた

もうほとんど干からびていたけど

そんなに軽くはないわね

わたしの目の前を彼が通る

机の角がわたしの腰にあたった

彼の足下にしがみついて離れない

去年の暮れに死んだ彼の奥さんが

わたしの机の脚に自分の足をひっかけたのだ

いつもの嫌がらせね

バカな女

でも彼のやつれた後ろ姿を目にして

彼とももうそろそろ別れたほうがいいのかなって

わたしはささやきつぶやいた

わたしの首に抱きついて離れないわたしの死んだ夫に



「言葉とちゃうやろ

 好きやったら、抱けや」

数多くのキッスと

ただ一回だけのキス

むかし、エイジくんって子と付き合っていて

その子とのキッスはすごかった

サランラップを唇と唇のあいだにはさんでしたのだ

彼とのキスはそれ一回だけだった

一年間

ぼくは彼に振り回されて

めちゃくちゃな日々を送ったのだ

ぼくは一度も好きだと言わなかった

彼もまた、ぼくのことを一度も好きだと言わなかった

お互いに

ぜんぜん幸せではなかった

だけど

離れることができなかった

一年間

ほとんど毎日のように会っていた

怒濤のような一年が過ぎて

しばらくぼくのところに来なくなった彼が

突然、半年振りに

ぼくの部屋に訪れて

男女モノのSMビデオを9本も連続してかけつづけたのだ

わけがわからなかった

「たなやんといても

 俺

 ぜんぜん幸せちゃうかった

 ほんまに

 きょうが最後や

 二度ときいひんで」

「元気にしとったん?」

「俺のことは

 心配せんでええで

 俺は何があっても平気や」

ぼくは30代半ば

私立高校で数学の非常勤講師をしていた

彼は京大の工学部の学生で柔道をしていた

もしも、もう一度出会えたら

彼に言おうと思ってる言葉がある

「ぼくも

 きみといて

 ぜんぜん幸せちがってた

 だけど

 いっしょにいなかったら

 もっと幸せちごうたと思う

 そうとちゃうやろか」



この齢になっても

愛のことなど、ちっとも知らんぼくやけど

「俺といっしょに行くんやったら

 きたない居酒屋と

 おしゃれなカフェバーと

 どっちがええ?」

「カフェバーかな」

「俺は居酒屋や

 そやからインテリは嫌いなんや」

「きみだってインテリだよ」

「俺のこと

 きみって言うなって

 なんべん言うたらええねん

 むっかつく」

ぼくは、音楽をかけて本を読み出す

きみは、ぼくに背中を向けて居眠りのまね

いったい、なにをしてたんだろう

ぼくたちは

いったい、なにがしたかったんだろう

ぼくたちは

ぼくは気がつかなかった

きみと別れてから

きみに似た中国人青年と出会って

ようやく気がついた

きみが、ぼくになにを望んでいたのか

きみが、ぼくにどうしてほしかったのか

ぼくたちは

ぼくたちを幸せにすることができなかった

ちっとも幸せにすることができなかった

それとも、あれはあれで

せいいっぱいの幸せやったんやろか

あれもまたひとつの幸せやったんやろか

よく考えるんやけど

もしも、あのとき

きみが望んでたことをしてあげてたらって

もちろん、幸せになってたとは限らないのだけれど

考えても仕方のないことばかり考えてしまう

つぎの日の朝のトーストとコーヒーが最後やった

二度とふたたび出会わなかった



単為生殖で増えつづける工事現場の建設労働者たちVS真っ正面土下座蹴り

&ちょい斜め土下座蹴り&真っ逆さま土下座蹴り



いつの間に

入ってきたのだろう

窓を開けたのは

洗濯物を取り入れる

ほんのちょっとのあいだだけだったのに

蚊は

姿を現わしては消える

音楽をとめて

蚊を見つけることにした

本棚のところ

すべての段を見ていく

パソコンの後ろをのぞく

CDラックもつぶさに見ていく

ふと思いついて

箪笥を開ける

箪笥を閉める

振り返ると

蚊がいた

追いつめてやろうとしたら

姿を消す

パソコンの前に坐って

横目で本棚のところを見ると

蚊がいた

やがて

白い壁のところにとまったので

しずかに近づいて

手でたたいた

つぶした

と思ったら

手には何の跡もない

ぼくは

白い壁の端から端まで

つぶさに見ていった

蚊はどこにもいなかった

ふと、壁の中央に目がひきつけられた

壁紙の一部がぽつりと盛り上がり

それが蚊に変身したのだ

そうか

蚊はそこから現われては

そこに姿を消していったんだ

ぼくは

壁面を

上下左右

全面

端から端まで

バシバシたたいていった

ぼくは、どっちを向けばいい?



倫理的な人間は、神につねに監視されている。



会話するアウストラロピテクス



あのひとたちは長つづきしないわよ

どうして?

わたしたちみたいに長いあいだいっしょにいたわけじゃないもの

そんな言葉を耳にしてちらっと振り返った

よく見かける初老のカップルだった

たぶん夫婦なのだろう

バールに老人たちがいることは案外多くて

それは隣でバールの主人の父親が骨董品屋を開いていて

というよりか

骨董品屋のおじいさんの息子が

骨董品屋の隣にバールをつくったのだけれど

だからたぶんそのつながりで老人が多いのだろう

洛北高校が近くて

高校生がくることもあったのだけれど

客層はばらばらで

あんまりふつうの感じのひとはいなくて

クセのある個性的なひとが集まる店だった

西部劇でしかお目にかからないようなテンガロンハットをかぶったひととか

いやそのひとはときどき河原町でも見かけるからそうでもないかな

マスターである主人は芸術家には目をかけていたようで

店内には客できていた画家の絵が掲げてあったり

大学の演劇部の連中の芝居のチラシが貼ってあったり

ぼくも自分の詩集を置かせてもらったりしていた

老夫婦たちが話題にしていた人物が

じっさいには何歳なのか

具体的にはわからなかったけれど

年齢差のあるカップルについて話していたみたいで

あの若い娘とは知り合ったばかりでしょ

とか言っていた



バール・カフェ・ジーニョ

下鴨に住んでいたころには毎日通っていた

ぼくの部屋がバールの隣のマンションの2階にあったから

いまでも、コーヒーって、200円なのかな



さっき

「会話するステテコ」って

突然おもい浮かんだのだけれど

意味がわからなくて

というのは

ステテコが何かすぐに思い出せなくて

ステテコに近い音を頭のなかでさがしていたら

アウストラロピテクス

って出てきた



ステテコって

フンドシのことかな

って思っていたら

いま思い出した

パッチのことやね



ステテコ

じゃなくて

フンドシで思い出した

むかし、エイジくんが

フンドシを持ってきたことがあって

「これ、はいて見せてや」

と言われたのだけれど

フンドシなんて

はいたことなくって

けっきょく

はいたかどうか

自分のフンドシ姿の記憶はない

ただ、「やっぱり似合うなあ」って

なんだか勝ち誇ったような笑顔を浮かべながら言う

エイジくんの顔と声の記憶はあって

当時は、ぼくも体重が100キロ近くあったから

まあ、腹が出てて、ふともももパンパンやったから

似合ってたのかもしれない

はいたんやろうね

なんで憶えてへんのやろ



フンドシは

白の生地に●がいっぱい

やっぱり

●とは縁があるんやろうなあ



これはブログには書けないかもね

フンドシはなあ



どうして、ぼくは、きみじゃないんやろうね。

どうして、きみは、ぼくじゃないんやろうね。



フンドシはなあ。


アレルギー性恋愛過敏症

  ゼッケン

ヴぁ、ヴぁ、ヴぁっくしょい! 好きです
つきあって、ヴぁっくしょい、ちーん! ください
ちょっと待って、と言った彼女はバッグからケータイを取り出し
カメラをおれに向けるとボタンを押した
鼻水最長記録男というタイトルで彼女のブログにのるそうだ
ありがとう、と言って彼女はケータイをバッグにしまい
まだ他に用事ある? と聞かれたおれは
ないです、と答えた 長く伸びた鼻水の先端が
フーコーの振り子のように回転しているのをおれは鼻先の感覚から想像した
よかったら、これ使ってください
ひとりきり、右の鼻孔から伸びた鼻水を啜り上げるか
勢いよく鼻息でとばすかで迷っていたおれにその女の子は
ハンカチを差し出して言った 
いや、ティッシュ持ってるんで
おれは鼻を噛んだ
アレルギーなんです、とおれは言った
恋愛の
そうなんですか、と女の子は言い、大変ですね
女の子はおれのくしゃみと鼻水の止まった顔を見て付け足した
残念です
じゃあ、と言って
ぼくらは別れた

ヴぁ、ヴぁ、ヴぁっくしょい! 好きです
つきあって、ヴぁっくしょい、ちーん! ください
男は
女の子にちょっと待ってと言うとジーンズの尻ポケットからケータイを取り出し
カメラを女の子に向けボタンを押した、鼻水最長記録女というタイトルでブログに
のせるのだろう
女の子を残して男が立ち去った後、おれは
くしゃくしゃの顔のままで鼻水を啜るかとばすか迷っていた女の子に
ティッシュを差し出した
女の子はすなおに受け取って鼻を噛んだ
あなたもアレルギーだったんですか
そう、恋愛の
おれはくしゃみと鼻水の止まった女の子の顔を見て
残念です、と言ったおれの方もくしゃみと鼻水は出なかった
女の子もおれのまともな顔を見て、それから
女の子の方もくしゃみと鼻水が出ないことに
女の子は

やっぱり、
残念、
と言って笑った


旅への誘い

  右肩

 あなたが頼まれて巌邑堂に茶請けの練り菓子を買いに行ったとする。帰路、通りすがりに金木犀から呼ばれたものの、そのまま山県さんの屋敷を過ぎるところまで来てようやく足を止めた、と。

 花の色は濃厚な黄色。

 振り向くと今もう見えない小花を照らすのと同じ光が、雲間から路地に注いでいる。注がれ溢れ、こぼれている。電線の影が地上に揺れ、路側帯の白線と平行してアスファルトを走る。
 あなたのスニーカーは白いコンバース。くたびれた靴紐が蝶結びのループを大きく左右に垂らしている。密度の低い午後三時だ。車と人が通らない。塀の向こうから張り出した楠が揺れ、いくらかまとまった量の葉が擦れ合う音がする。

 あなたは死の世界にいる。今日はあなたが死ぬのに良い日和であった。刺激を差異として陳列する「世界」で自己充足するのが人間だ。あなたはそう考えてきたとする。だから、あなた自身がいない「世界」はあり得ない、と。

 あなたはあなたのいない世界を歩き出す。山県さんの屋敷の脇から、狭い狸坂を下る。表具屋の羽目板の外壁に節穴があり、そこへ楓の葉が葉柄を引っかけて揺られている。それを見る。茶色の体毛に覆われた猫が空中で丸まっている。電柱の下に三分の一ほど雨水を溜めたバケツが置かれている、その角を右に曲がる。「菊」という漢字が見えた。冬蜂のようにあなたは歩く。

 こんにちは、「世界」。ごきげんよう、「人間」。

 あなたにはあなたの体が下界の狭隘な路地を抜け、色彩の多様な大通りへ出て行くのが、豆粒ほどの大きさで見えている。それはあなたではない。あなたは畳一枚ほどの白すぎる雲の上に正座し、左手の懐紙の上に乗せた巌邑堂の菓子を、桜の枝から削りだした楊枝で割っている。薄緑の菓子の肌の上を、季節風が吹き、潮流が循環する。その地殻、マントル、外殻、内殻。楊枝が深い記憶にずぶずぶと切り込み、割れめから甘く霞んだ黒色の餡が溢れ出す。
 一方、豆粒のあなたはガラスや、ガラスでない扉からいくつかの建物に出入りした後、夫または妻の待つ場所へと徐々に接近していく。「愛」ということがらについてあなたは考え、そんなものは何処にもないということに気づく。新鮮で、穏やかな驚きを感じている。それはたちまち性愛の喜びに勝る。

 むくと猫が起き出すと体を伸ばし、あなたの記憶の中の六角柱に飛び乗った。それは雪のように白いが、かつて神社で手に取った神籤の串を納める木箱と同じ形だ。茶色の猫もすぐに白くなり、白い州浜の砂を歩く。白砂はあなたの懐紙であり、二つに割られた練り菓子が生々しく濡れた食欲を舐め上げる。あなたの膝元に開いた柔らかな穴から神籤の串が飛び出す予感もある。


工場

  熊尾英治


君も この熱気の中にいてくれれば…

僕はドーナツ工場で働いている
砂糖の匂いと小麦粉と化学物質を吸う
そのことが無言の話題となっている
卵を÷と黄身が二つある
よくあることだ
だぶ付いた牛乳で溶かしてしまう

強くて甘い臭気
華氏のドーナツは膨れ
危険な夢を暗ますように
あなたの目蓋も閉じるのだろう
そして
もしかしたら?

もし 君もこの熱気の中にいてくれたら…

今日も工場長は素成メーターをチェックするのだった
血色の良い赤ら顔の
家では濃い牛乳を飲んでいる男だ

とある
曇り空の朝のこと
僕が
眠たい目をこすって工場に行くと
もう
機械はじぃじぃと呻っていて
そんな疎んじられた頃合に
咳かされる様な
君をよく想うのだ


羊飼い

  

午前7時
太陽の箍がほどけて
ねじれた金の針が
野山のあちこちの影にはらはらと落ちてゆく
朝露を踏み散らして
杖の先の鐘の音を
金色の羊たちが追いかけていく
山麓は
詩をうたいながら朗々と輝いて
見渡せど
見渡せど
羊飼いの双眸より
黒いものはなかった

昼12時
獣の姿をした
孤独な岩の足下を
羊たちの群れが
雲の子と共に
流れていく
ぽっかりと地面に空いた暗い穴に
桶がひとつ添えてあって
そこを枯れ井戸と呼ぶ人も
どこにもいない
乾いた荒野は
呼吸と共に明滅して
見渡せど
見渡せど
羊飼いの双眸より
黒いものはなかった

午後5時
草原は弓なりにしなって
蜘蛛の巣が素朴なピッツィカートを刻んでいる
羊たちはどこかできっと
暖かい塊になっている
どこからか羊飼いが
時おりそっと弦に触れてみた音がする
夕立は地平線に銅の弦を張って
感謝と祈りの歌を爪弾いて果てた
見渡せど
見渡せど
羊飼いの双眸より
黒いものはなかった

夜0時
星明かりの届かない暗がりに
焚き火がひとつ
影を躍らせている
羊たちは身を寄せあって
木立の奥でひっそりと揺れている
どこからか獣の気配がするたびに
羊たちは耳を振る
後ろ脚をわななかせる
山麓は
昔の海のように沈黙して
見渡せど
見渡せど
羊飼いの双眸より
黒いものはなかった

朝5時
夜と夜明けの境目は
口を噤んだまま
背の低い草むらを撫でている
子羊が小さく足をおりたたんで
母羊の真似をしながら
お腹をさらけ出している
赤光を浴びた羊たちが
新たな草地を求めていななき
羊飼いのケエプは
虹色に膨らんでいた
稜線は
鉄の味がするほどに赤く染まり
山麓は
鐘の音がからんと鳴って
海から吹く風が
羊雲を海へと導いている
見渡せど
見渡せど
羊飼いの双眸より
黒いものはなかった


サマー・ヴァケイション

  bananamellow



今朝がた夏を刻み終えた男の全身を漂白してベランダに干したところだと云う 
熟すことも腐ることもなく ただ 秋がくればカサカサと鳴るだろう 
できることなら、血の匂いのしない図鑑をくれ 魚鱗を貼付けたせいで
この夏を越せないなどというおまえの言い分がいまはつらい 

 *

滲む空からは一羽の鳥が降り注ぎ 白い腹をひらひら回転させ軋む 
赤の、嘴だけが波の浅瀬で凍てついたまま刺さっている

 *

熱を帯びた首筋から背中にかけて巨大な鴉に包容される夢をみた 
薄く明るい光で照らされた巨大な鴉の羽毛でわたしの夏の休息は完全に露になってしまった 
机のうえには銀や銅でできたコインが数枚転がっており 孔のあいたものを選んでは 
その先にこの夏、自然発火した女が見えないかと繰り返す

 *

ガラス瓶を灰皿の代わりにしているおまえは昨日、誤って底にペンを突き刺してしまったことを酷く後悔しているね 突き立てるものが小指でも短刀でもペニスでも、その後悔の質量に変わりはなかったと云ってさめざめと泣いている

 *

短い独白の後、それらがすべて誤りだったとせびる役者の背中には夏の、割と明るい夜の星空が似合う わたしにはこの夏を越す理由のひとつだと思えたが変わらずおまえは男の全身を漂白することに魂を賭けていたのだった 

 *

橋の両端で突っ立ているわたしたち 夏の夕暮れ 
河原でひとり祖先をおくっている男から焦点の深い写真をもらった

 


風切羽

  yuko

そう、
散らかった部屋
断片ばかりが積み重なり
ふいに背中
ぱっくりと、裂けて
僕の半身が
生まれる
夜に
羽ばたきの音が聞こえるか

暗がりで数を数えている
だれかの
指がたえまなく
折られ、
開かれ。

背中に
子午線が引かれ
地図上を
広げられ痛む羽で
教えてあげる
僕たちは二人ではない、
一人にもなれない、
腱と紐が
断たれ
崩れていく線形
はずされた意味のくびき

きみが生まれた日に
両親は雪像になった。
流れ出した血が
氷片を溶かして
飛び立とうとする運動の
間隙を
混じり合って流れていく
ぬらぬらとへばりつく
痕跡に
まなじりを決して

暗がりで数を数えている
だれかの
指がたえまなく
折られ、
開かれ。

質量だけ
くぼんだ部屋
流れこむ密度
断片を軸索にして
点滅する
血しぶき、
羽ばたきの影を裂いて
きみよ、
両腕を重ね
その骨を折る
視蓋にぶらさがった
嘘のような生き物の

生まれ
落ちていけ


プラットホーム最前列

  久石ソナ

濡れた足跡は
途中で途絶えて
あとから生まれるはずの
露骨を纏った冷たさに
西日を浴び終えた硝子細工の
颯爽と駆けてく反射光が
屈折を孕んで落ちてゆく
雨の香りはさまよっている。

傘を広げた空間の
さびしげな音に
紛れ込む純粋な色
正直に答える発音が
もどかしくて
薄いから
私の脊髄は固まって
動こうとしない。
寒さに揺さぶられ
鳥肌が立つ賑やかな駅のホームで
誰かが私に答える
折れた筋が眩しくて
音にならないのだ と
路面に落ちてゆく
大量の折れた傘は
轢かれるたびに
音を発して
焦げた匂いを
私の食道へと流し込む。

めまぐるしくも
あかるい夜に。

* メールアドレスは非公開


星霜

  破片

 青く開けていくビル群に横たわるアリアが名前を欲しがる、その耳打ちは誰にも聞かれてはいけないよ、人々はいつだって起きるのではなく、起こされるのだから。時間。冷たく呼吸もない建物たちの天辺と、まだ少し黒い空との交差するあの辺り、溶け合うようにして、だからこそ遠近で際立つ境界の、さらに向こうからやってきて、眼を細めながら夜明けにまどろむ、交通整備の制服にしみた。風雨に晒されて均質になったアスファルトにはなんだか光る粒々が散らばっていて、わたしたちはそれを「星が落ちた」と表現する、星が落ちるとわたしたちの眠りは次第に薄れていく、そうして今度は落ちた星が集まり、太陽になって浮かぶんだ、わたしたちはそうやって起こされているから、伸びやかで繊細な旋律のアリア、今は歌ってはいけない、愛されて美しくなるアリア、唇に指を当てて。



 雨が降ってくると星たちがいないから、人間っていうのはね、動きたくなくなる、じっとしていたくなるから、そういうときに旅ができたらこれほど素晴らしいこともない。身体を動かさなくても人はどこへだって行ける、この踵はザンクトゴアールの赤茶けた石畳に驚き、肺はプラハの清冽な風で喜んだこともある。きみもどこかへ出るといい。丁度外は雨が降っていて、時差でどこかの誰かが眠っていようとも、きみが煩く思われることはないだろうから。それにしてもこの雨は長い。溺れてしまいそうだ、星も、太陽も。だから、わたしの吐息もどこへも行かずに、二酸化炭素の濃度を強くして、再びこの身体の血液に乗って旅をする、そしてまた吐き出され、動かなくたってこれが生きてるってこと。



 これといって言葉を使う必要がなかった。ひとり何事かを呟いてみても、それは誰にも渡らず部屋の隅で口を開けているゴミ箱に吸い込まれてしまうから。少し寸法の合わないカーテンの隙間を、短命な星たちが縫い合わせていく、それでも仰げば同じ場所に瞬くのは、墜落した後再生しているからなのだろうか、わたしや、わたしたちのように。わたしの部屋。コンピュータや雑多な書がもはや部屋の空間自体のように僅かも身じろぐことなく在る中で、安っぽい天板だけの机に、メトロノームが揺れている、LentoかGraveか、わたしたちはいつも議論していたけれど、どうやらあの針はLentoで振れていて、今にも聞こえてきそうだね。脳細胞やその組織に鮮やかな色彩で音色を醸す、もう待てないと囁かれても、わたしは言葉を持たない、だから音を歌う、ありふれたイタリア語の音階で、ゆったりと荘重に。
 


 どうしてあんな場所にいたのかずっと不思議だった、黄金の恵み、葡萄の収穫や厳かな洗礼に生きる人たちの傍でないのか、硬すぎる街並みや暗闇のような夜明けに身を震わせるきみは少し滑稽でさえあったように思う。全く動こうとしないきみの声はそれなのに弾んでいて、澄んだ声がビルやモニュメント、タワーといった無機物にまで、その原子を割り込み、陽子や電子と絡まった、その時からここには星が降る。人間という生物を刻む。雪が積もるように、首を少し持ち上げて正面に見た信号機には、星が積もり、たくさんの影を作る。

 背の高い建物に囲まれたスクランブルの交差点には、なんとか数えられる程度の人だけが歩いていて、ちょっとずつ落ちてくる光の粒々には見向きもしない、雨と違ってあたたかいはずの星降りなのに、冬の空気はわたしたちの吐息を勢いよく引っ張り出す。時だ。空から星がなくなる、だからこんなにも、夜明け前は暗い。

 ひとひら、落ちてきた星を拾い上げると、その上に星じゃないものがぶつかって、ちいさく空気に噛みついて消えた、星が濡れている、規則正しい形状の結晶は星に食べられて、そうして濡れた星がわたしたちの頭上に落ちてくる、降ってくる、きみは歌う、音程をヴァイオリンの音色に変えて、人々は眠っているのに、わたしたちは歌う、指先は、星に届いたのに、閉ざさなければならない唇には、もう届かないのさ。


Une serie de l'homme 3〜En Iriyamada

  はなび


入山蛇さんの論文「科学と哲学と経済と教育と家庭と芸術と人」はアカデミックなものの対に位置しているなどと酷評されましたが、やはり、各方面から非常に評価されている。ということに対し先日「お前ら!どうしたって無視できない筈だろ!!」とコメントを発表。社会に対するさらなる衝撃をお与えになった。
その、入山蛇さんのある意味非常に反抗的な姿勢、というか、いつも喧嘩腰なご様子を拝見しておりますと僕のような凡人には到底わからない。と、盲目に信じてきた「どん底のいろ」の噴出のようなものを、しかし否応なく感じてしまうのですが、その部分は意識しておられますか?

いやべつに。

はては血圧大将などとおかしなニックネームまでつけられる現状は?

好きだね。

哲学者である入山蛇さんですが、喧嘩腰の哲学者というのは、どうも、まずい、とお思いにはなりませんか?

そうかな。

そうですよ。

まぁ、しかたがないね。

で、こうしてお会いしていると、おそろしいという印象が全く微塵もない。

温和に見えるのは私が気の小さい男だからです。

え?

ええ、そうです。

はぁ。

たとえば、わたしは年をとってもうすぐ死ぬんですけれど、わたしがいない世界というものは決して抽象ではないので、そちらとまったく逆をゆくなら永遠であるということなんです。それならば時間と呼ばれる軸はまったく基準にならなくなってくる。時間の始まりの地点である0を誰も証明できないというのはそこに体験がなかったということです。具体的に言うならば海で溺れて死にかけた時に海底に体を叩き付けられたら記憶となるが、それを共有することは出来ません。正義のおそろしさの裂け目はそんなところに存在しているように思います。その場所にいない人間がわかったような知ったかぶりをするのは罪だと思います。思想や言論や運動などのさまざまな行為はテーゼをふりかざさなくてはいけないという硬さもやはりもろいのではないかと感じています。それは―陥りやすい危険―という意味でですが、集団のモチベーションのためだけにあるのなら小学校の運動会のスローガンでいいのです。そういう視点を知ってしまったので、わたしは、自身のドブをさらうようにして探してゆくしか方法がないだけなんです。気が弱いので、残酷になるのが恐ろしいのです。はじめて書いた論文が「批判と防御 その趣向と三時の菓子について」ですからね。

三時の菓子ですか。

そうだよ。

甘いものはよく召し上がりますか?

そうだねマロングラッセなんか好きだね。

入山蛇さん、本日は素晴らしいお話をありがとうございました。シリーズ人、第三回目は入山蛇 艶(いりやまだ えん)さんでした。来週は春賀 美知太郎(はるか みちたろう)さんをお招きします。それではみなさまごきげんよう。


あなたへ

  yuko

拝啓


 これは、私があなたに宛てた最初で最後の手紙になるでしょう。こちらはもう随分と日が短くなって、丁度今、夕暮れ時です。秋の冷たい風が銀杏の葉を染めて、歩道では銀杏がずいぶん潰れてしまっています。
 窓の外に目を向けてください。アパートの正面にあたる道路では、バスから降りる人が列をつくって、ぞろぞろと行進しているのが見えるでしょう。列が列を作り、途切れることなくいつまで続くのでしょうね。其れを数えるのを生業にするだれかが、いると聞いたような気もします。
 道のあちこちで動物が死んでいて、彼らの眼はことごとく白濁して、なにも見えないようです。あなたがたは彼らの腕を、足を、折り重ねて焼却場へ運んでいくのでしょうね。ただ生まれたというだけで、ただ死んだというだけで。
 私は彼らの灰を、町中を流れていく川に撒いてあげたい。上流から次第に分岐して、網目状に張り巡らされた、約束のような川。舞いあがる灰は風に乗って、誰かの涙を取り戻すかもしれない。そうすれば彼らの眸は少しずつ透明になり、燃える炎の赤は血と同じ色だと、知ることができるでしょう。四角い建物から出る煙の行き先を、追うこともできるでしょう。同情はいつだって優しいから、私はそれが悲しいのでした。
 
 燃えていく
 骨は光
 血は種
 からだじゅうを風が
 通過して
 燃えていく

 今この机には強い西日が射して、窓の外を直視することができずにいます。こちらはといえば、肺を悪くしてから、呼吸をするたびにひゅうひゅうと煩いので、先日、母が耳を落としてくれました。わたしたちはたがいの声帯を触り合って会話をします。首の据わらない母の口元を、きれいなハンカチで拭ってあげるのが好きです。彼女の視線はいつもすこしだけ右上にはずれていて、私は川の話をする。だくだくと流れていくものの話を。私にとっての母は、たぶん窓枠なのでしょう。
 そして窓の外はすべてあなたです。なんて言ったら、あなたは驚くでしょうか。然し私は、これ以上のことばを持ちません。窓の外はすべてあなたですから、私は鍵に手をかけることができない。すべての穴という穴が塞がれて、ここはいわば結石なのでした。それがあなたのすべてを塞いでしまったらいいと、思いさえするのに、これを読んだあなたはきっとただ困ったように目を伏せるのでしょう。
 私はこの町に生まれ、育ち、私の両親も、そのまた両親も、そのまた両親も、この町に生まれ、育ち。列のどこかに並んでいるのでしょう。川は道筋を変えながら、いつまでも下流へと流れ続けている。あなたの頬骨に触れたい、ですが其れは強すぎて、私の指先を焼いてしまうから。さようなら、この町には海がないので、私は流れつくことができませんが、ただ生まれ、育ち、流れ流れ、この小さな部屋でまた新しい命が生まれようとしている、
のです。突然お手紙を差し上げた理由は、これが全てです。

 燃えていく 
 重ねられた
 わたしたちの
 空洞の
 容れ物の
 空洞の
 身体
 が
 轍にばらまかれて


サンクティティ

  しりかげる

 
 
この星は
どうしようもなく球体ですので
放逐された
吐瀉物、体温、影、
この身体で分泌された、もの、が
私の背中を追ってくるはずでした


たとえば
大気圏と呼ばれる
学術的なカテゴリ
呑みこまれたのは
ガラス張りの小部屋で
どこに散っても
ひとつの青に連れられ
左脳をもたない
原始的なしくみの
むきぶつ、に
飼育される
いき、もの


(腹を引き裂かれた馬のはらわたが
ごぷっ、とこぼれて
ずるずる伸ばされてゆく
星を引き裂いて
はらわたを取り出せば
どれだけ伸びるのでしょうね)
長いものには巻かれよ
、って先生が言っていました
ですから
長い、果てしなく永い
まるでえいえん? みたいな
内蔵にくるまれて
それがしあわせだと
おもいました/おもわされました
いいえ。
しんじてみました


けれども


裂いても割いても
なかから溢れるのは
もこもこ、した、綿ばっかりで
“ぬいぐるみ”
(ためしに
私のお腹を裂いてみたら
なかには幾百もの
プチプチした卵がつまっており)
あるいはこれが
いき、もの
なのだ





、唐突に。
呼吸
億劫になって
終わらせようとしたら
内蔵、が、喉、から
せり出してきました
勝手に呼吸をはじめる内蔵たち
、すう
、はあ


そのとき
気付きました、ね。
こうやって
いき、もの



飼われている。


尻尾をひきちぎられた日、
これまで放逐してきた
吐瀉物、体温、影、
この身体で分泌された、もの、が
私の背中に迫ってきていて


繰りかえされることを拒んではみるが
置いていかれるのはたまらないから、


すぐにでも左脳を捨て
単純なしくみになりたかった


ひとしく
いき、もの、は
青を冠して
異なる内蔵に巻かれてゆく
たとえば
大気圏と呼ばれる
学術的なむきぶつ


隠されながらも
普遍だと安堵できた
張りつめる水面
浅い目覚めのなかで
「神聖とは、


騙されることでしたから」
私はただ頷きながら
はらわたを首に巻き
おだやかにねむる。


(いびつな無精卵を
つみかさねて
そのうえにねむる。)



 
 

文学極道

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