#目次

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2014年11月分

月間優良作品 (投稿日時順)

次点佳作 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


Opuscule。

  田中宏輔



誰(た)が定めたる森の入り口 夜明には天使の着地するところ *

睡つてゐるのか。起きてゐるのか……。

教会の天井弓型にくりぬいてフラ・アンジェリコの天使が逃げる *

頬にふれてみる。耳にもふれてみる。そつと。やはらかい……。

数式を誰より典雅に解く君が菫の花びらかぞへられない *

胸の上におかれた、きみの腕。かるく、つねつて……。

知つてゐた? 夜が明けるといふこんな奇蹟が毎日起こつてゐることを *

うすくひらかれたきみの唇。そつと、ふれてみる。やはらかい……。

君のまへで貝の釦をはづすとき渚のほとりにゐるごとしわれ *

指でなぞる、Angel の綴り。きみの胸、きみの……。

書物のをはり青き地平は顕れし書かれざる終章をたづさへ *

もうやはらかくはない、きみの裸身。やさしく、かんでみる……。


* Tamako Sasahara


  島中 充

雑木林の木々に囲まれた 湿った寂しい坂道を登ると
不意に緑の沼に射すくめられる。
ホテイアオイがゆっくりと揺れ 
ボーボーとウシガエルが鳴いていた。
あの年 
この沼にまるまるふとった川エビがわいた。
子供たちは網ですくい取り 
村人たちは おいしいおいしいと食べた。
そしてゆっくりと緑の底から 
おんなの死体が浮き上がってきた。
髪の毛や顔にびっしり川エビが群がった
おんなの裸体。

君が殺したのだ 君が
たとえ 僕が手淫を教えたとしても
たとえ 僕が雑誌を貸したとしても
たとえ 僕たちが
解剖皿の蛙の白い腹を見ながら
おんなの死体がほしいと話し合った事があったにしても
殺したおんなの 陰部を鉛筆で開き
鉛の薄黒い痕跡を残したのは 君だ
君が殺したのだ

ハイライトに火をつけ 夕方の 水面を見ている
昔のようにうすくさざ波が立ち
ホテイアオイの中からウシガエルが鳴いている
二十六年前  君がおこしたあやまちを思い出し
帰郷した僕は またこの水面を見ている

やにわにギャーと悲鳴があがり
水しぶきがあがった
1メートルもある巨大なオタマジャクシだった
尻尾を蛇のようにくねらせ 
頭の手足をばたつかせたので
ウシガエルのおしりに 噛みついている蛇だとわかった

僕は 僕たちの思い出を 忘れたい
僕たちがウシガエルだったということを
君が今どうしているのか 僕は知らない
ただ思い出を 蛇の住む沼に 突き落とす

僕には息子がいる 中学三年生になり 
性に目覚める頃 解剖皿で蛙の腹を開き
手淫を覚える年齢になった

そう そのとおり
僕たちの過ちは 中学三年生の時だった
はっきり問えばいいのだ 僕に 
お前が殺したのかと
そうだ 僕が殺したのだ













 


音楽

  zero

人間であることを返却する前に
再び人間となることを予約しておく
すばやい林檎の色に待ち伏せされては
夜道を歩く闇の物思いにかすかに混じっていく
滲んでくる朝と縫い合わされるために
人間であることを浮動させるために
音楽は淋しく走り続け
この渦と地球との和音を引き締め
この岩と人間とのリズムを澄み渡らせる

見慣れた部屋もいつでも滝つぼになりうるし
住み慣れた土地もいつでも異国になりうる
そのような空間の変換にいつでも抵抗できるのは
積み重なる音楽のひねられた掟のみだ
広がりや色がなくても大きく鮮やかであり
都市が衰退し人口が減ってもますます生い茂るのは
死人の生活と希望を当たり前のものにする
時と間を無効にする音楽の静かな停滞のみだ

日が落ちるとき作曲される海がある
事件が起きたとき演奏される法がある
人を愛するとき編曲される自己がある
国が独立するときに録音される軍隊がある
それでも音楽は頑なで誰にも心を開かない
万象が心を閉ざす音が音楽を構成する
地図には載っているけれど行ってみるとそこには存在しない
膨大な哲学が編まれているけれど誰一人理解できていない
全てを根源から洩らしてしまうので却って聴こえない
それが音楽である


  前田ふむふむ

    
       


血液のように夕陽が射している
時々 ベランダから 鳩が囀る音がする
  
マッチ売りの少女は
おばあさんの幻影を消さないために
残りのマッチをすべて擦ったとき
ほんとうは
いったい 何を聞いたのだろうか

    
アウシュビッツ収容所に送られる
車両に乗るまえに
看守の眼を盗んで 咄嗟に
ポーランド人の床掃除の子供たち群れに
紛れた
ユダヤの少年は
そのとき 何を聞いたのだろうか

こうして静かな思索に耽っていると
金属音のような耳鳴りが大きく響いてくる
医者が処方した薬を 随分と飲んだが 
ほとんど効果はない

  1

赤い稜線が 空に 覆われながら 没して 
暗さが密度を上げている
わたしは 一日の疲労を癒すために
真白い霧に包まれたいと
街路灯が整列している 
アスファルトの道を 歩いていると 
視界が見渡せる 少し離れているところで 
霧が コップの水が溢れるように 湧き出ている 
確かめようと 近づくと 錯覚だったのか 
そこには ただ 澄んだ空気が 
覆っていて 
霧だと思ったものは なかったのだ

急いで歩いたせいか 息があがっている
立ち止まり バッグからハンドタオルを取り出し 汗を拭った

しばらく 眼を瞑り 呼吸を整える
すると 荒い胸の奥底には ぼんやりとしているが 
みずの流れがあり 
そこに浮かぶ もうすぐ輪になる
たくさんの細長い紙切れの
先端どうしが 
輪を結ぶかとおもえば 離れていく 
そして
離れている紙切れの先端どうしが 
輪を結ぼうと 徐々に近づくが 
結局 結ぼうとしない 
延々と その繰り返しを 
わたしは 塞がった眼のなかで眺めているのだ

煌々とした 街路灯がうしろに走っていく
神経回路のように ヘッドライトとテールランプが
交錯して 闇に溶けていく
街並みは 断崖のように聳えている
だいぶ歩いただろうか
よく覚えていない
でも もう何年も歩いている気がする
そして いつまでも
坂を下りている感覚がする
それに合わせるように
段々と 足は重くなっている
少し疲れを忘れるために
頭のなかを空っぽにしていると

それは 何の前触れのなく やってきた
わずかに出ている 蒼い月あかりが 
急に 白く霞んできて
わたしが待っていた 
霧が一面に 勢いよく 
わたしを覆い あっという間に 視界をなくしている 
それと同時に 胸のなかに棘として痞えていた 
みずに浮かぶ 細長い紙切れの先端どうしが 
おもしろいように 次々と すべての輪を結んでくる

胸の芯からの 叫びのような
その衝動を わたしは 何と名付けているのだろう
突然あらわれる あさひのような 
堰を切って落ちるみずのような
何ものかを 
あるいは 何ものかと言えないものを

眼の前にある街路灯は 霧にかすんで
空気が凍るくらいしずかで
わたしの強く打つ鼓動は
この夜のはるか向こうの
真昼を歩いている


   2

 (世界――患者 F・Sの症例 )

部屋は 水滴がたまるほど湿っていて 視界が全くないほど暗い そして
身体が触れている 壁や床は とても固い石でできている 何故か わたしは
 白い包帯を全身にまかれ がんじがらめされ 閂のようなものに 包帯の端
を結わかれていて 身動きできなくなっている 口も塞がれて なにも喋れな
い そして 暖房もない寒い部屋に 汚物まみれで 閉じ込められているのだ
 馬鹿げたありえない話だ どうしてこんな状況なのだろう わたしは精神も
肉体も健全だ こんなところを早く出て 若いのだから もっと 学問をして
 豊かな人生を謳歌したい そうだ好きな女性と街を歩くのだ だが現実は最
悪だ 意識は すでに消えそうだ でも もう何日も ものも食べずに みず
も飲まずに どうして生きているのだろう そのためか 身体は以前より軽く
なっている 不思議なことに ここには誰も来ない 白い包帯で巻かれているか
ら病院なのだろうか でも いままで 医師も看護師も見たことがない 考え
たくないが わたしが凶悪な精神病の患者で やむ負えず 閉じこめていると
しても 医師は診察のため 様子を見に来るだろう あるいは牢屋なのだろう
か しかし もっとも劣悪な独房であっても 一日に数回の食事と 監視の見
回りに誰か来るはずだ もしかしたら誘拐されて ここに閉じ込められている
のだろうか でも誘拐犯は見ていないし ただ単に 長い間 監禁したままで
 何のメリットがあるのだろうか どれも多分違うのだろう そもそも こう
して拘束されていることを 誰も知らないのだろうか あるいは みんな知っ
ていて助けてくれないのだろうか もう どのくらいこのままなのだろうか
 忘れてしまった いずれにしても どんな犠牲のうえに わたしが居たとし
ても この状況を 変えたいと思うのは 身体的苦痛もあるが それより 孤
独ゆえかもしれない 誰かに会いたい 
まさかと思うが壁のむこうから声がする 気のせいかもしれない
 聞こえたり 聞こえなかったりするのだから 幻聴だろうか でも声がとて
も愛おしい 多分 人と繋がりを持てるのは 声によってなのだろう こうな
って初めてわかる たとえ姿が見えなくても わたしに他者が生まれてくるか
らだ 今は 幻聴であるその声だけが わたし自身の存在確認なのかもしれない
珍しく 陽がさしているような気がする すると わたしは全く 気がつかな
かったが 口を塞がれて 包帯をグルグルに撒かれた人が 暗い部屋の一番奥
に 十数人 蹲っていたのだ そうか閉じこめられていたのは わたしだけで
なかったのだ わたしは 精一杯の呻き声をだした 彼らはわたしに気がつく
と 呻くように 話しかけてくる わたしは 嬉しさのため声にならない声で
泣いた
一年の多くを雨が降りつづく 都会の街のはずれに 長さ3.5メートル 高
さ2.5メートル 幅2.4メートルの ひとつの 放置され 全く見向きも
されない 小さなコンテナハウスがある 
傍によると なかから 異臭が流れてくる
覗いてみると 男が鏡に向かってぶつぶつ口ごもった独り言をいっている

    3

(声についての試論)

大空を 誰も射止めたことのない 鳥が飛んでいる 衆目のなか 一発の銃弾
が撃たれた 羽は砕かれ 動かなくなった鳥の死骸が 横たわる その衝撃で
 鋭利な光線のような 空白が生まれる

わたしは驚き 唾を呑みこむと その出来事は 四角い 紙のように切りぬか
れる その沈黙を 事実として 胸のなかに水滴のように落とすと そこから
 はじめて 声は生まれる

鳥の損傷した肉体の詳細は 多くは 道端に 置き忘れられて 小石の生涯を
終えるだろう

だが とくに 声の底にあり 意識に残る 最後の鳴き声には 暗闇に浮かぶ
一輪の白い水仙のような 夜の輝きがある

そこから声の意味を問うために わたしは 思索の陰鬱な暗闇を わけもなく
立ち入らねばならない
となりに自分の幻影を 引き連れて 糸杉の並木をいくども 疲れ果てるまで
 歩かなければならない
傷口のひらいた 派手な装飾をしている そんな 死んでいることも気づかな
い 奔放なものたちと 終わることのない対話を かさねなければならない

声は 生まれたときから 後戻りできないものだと 覚悟したのだろうか や
がて わたしを離れて あるいは わたしと再び結びつき 波紋として つ
ぎつぎと 人々の記憶のなかに 刻まれていくかもしれない 
やがて 人々と触れ合い 傷つけ合い そして ひとの狡猾や欺瞞を食らい
立ち止まった その曲折

高低の測りを正確に求める 人々の分別という呵責さに そのノマドのような
自由を 削ぎおとされ 未踏をいく冒険者のかたむきを 永遠のなかに 深く
沈めて 思考を停められたものとして また 数式の針のように 決して狂わ
ない定義として それは 人々の憧れとなるかもしれない つまり 銃口を
 いつまでも射手に持たせつづけて しずかな佇まいと 分厚い名声を携えた
 木漏れ日のような経歴に 浸りつづけるだろう

しかし 同時に そのくつろいだ身体には 鸚鵡のように いつまでも 同じ
意味を喋りながら 死者も寄り付かない空を 旋回しているのだ そして そ
こから派生して 生まれてくるものは お互い しがみつき合っていて いつ
までも 死ぬことはない 

ただ 世の中の気まぐれによって その裂け目から あたらしい物語を あた
らしい事実を 湧水のように つくっているのだ
ときとして 撃たれて 死んだ鳥が錐のような声をあげて
西の空に飛んでいく

   4

(「やす」くん――患者 T・Rの症例)

「りく」ちゃん と どこからか声がする
人見知りの僕に 「やす」くんという仲の良い友達がいた 「やす」くんは僕
を「りく」ちゃんが 親しみがあるから良いよと 最初に呼んだのだ その後
 みんなが「りく」ちゃんといい その呼び名は 二十歳を超えて 今でも言
われている この笑顔をたやさぬ「やす」くんは 物知りだった 「断食芸人」
という奇妙な物語や アレキサンダー大王がダータネルス海峡を渡った本当の
理由など 僕は眼を丸くして聞いた ある日 「やす」くんは マフラーを忘
れたので 家まで届けようと 僕は 知らない場所を尋ねながらいった 「国
境の公園」といわれるむこうに 高い壁があり それを潜ると 人気のない街
並みが続いていた そこは 薄暗くまるで死んでいるような精気を感じられな
い 不思議な感覚がしていた その二番目の三叉路のところに 「やす」くん
の家はあった 大きな鉄でできた戸を開けると 動物を絞め殺す鳴き声がした
 幅一メートルくらいの細い石を引き積めた道を 暫らく通って 玄関のとこ
ろに来ると 「やす」くんは 凍る眼で 僕をみて 奪うように マフラーを
取った 僕は 「やす」くんと声をかけて 手を差し出そうとしたが なぜか
 身体が動かなかった 街並みの異様な薄暗さと 余りの不快な感覚のため
 今まで現したことがない 軽蔑の眼でみていたのかもしれない 「やす」く
んは急いで家の奥に隠れていった 「やす」くんに会ったのは それが最後だ
った 次の日 学校に行くと 「やす」くんの席はなかった 先生は出席の点
呼で 「やす」くんの名を呼ばなかった 先生に「やす」くんのことを尋ねる
と とても 穏やかで落ち着いた顔をして そんな生徒はいないという 回り
をみると 理由はわからなかったが 「やす」くんと仲の良かった かこちゃ
んも けいくんも みんな楽しそうに 笑っている 「やす」くんのことを話
すと 誰も「やす」くんのことを知らないという 僕はとても悲しくなった 放
課後 かこちゃんと けいくんが 新しくお墓を作ったから いっしょにお参
りしようと 僕を誘ったので ついていくと 名前のないお墓だった かこち
ゃんとけいくんは 泣いていた 僕は誰のお墓か尋ねると「やす」くんのお墓
と小さく言って 私たちが天国に送るのといって泣いた 僕も訳もなく悲しく
なり 三人で夕暮れまで泣いた
それから十年がたった
大学生のときの春先の頃だった 大学巡回バスのなかで 「りく」ちゃんとい
う声がしたので 振り向くと 同い年くらいの学生がつり革をもって立ってい
た 学生は全く素知らぬ振りだったが おもわず「やす」くんと言っていた 
学生は 驚いて不思議そうな顔をしていた それ以上話しかけようとはしなか
ったが あれは「やす」くんだったかもしれない 
僕は 次の日 「国境の公園」にいった
その向うには 街の近代化で 高層マンション群が連なっていた 僕は 子供
の時と同じ 公園のブランコに乗った 「やす」くんの名付けてくれた「りく」
ちゃんという声がいまでも聞こえる でもどうしてだろう 僕は「やす」くんの
顔を知らないのだ 僕は あれから ずっと ブランコに乗っている
僕の脇で 「りく」ちゃんと 声がする
いっしょに来た彼女が もう帰ろうと言っている


         5

どのくらい歩いただろうか
いつまでも
アスファルトの道を歩いていると
遠くで おーい と 呼ぶ者がいる
振り返ると 通行人が
ハンドタオルを落としたと持ってきてくれた
お礼を言ってから
ふと わたしは ほんとうは
二度 声を聞いているのではないかと
立ち止まった

わたしは 友人の見舞いに行ったのだ
胸のなかが ざわざわして 
何か起きてないか 心配になり
スマートホーンを取り出して
友人に メールではなく
電話をした

空には
巨大な入道雲が浮かび
蝉が 鳴り止まない


はじまらないと

  阿ト理恵

きゅるきゅるのきのうまでのしあがりは透明とびっきりのご注文はうさぎですか?ご注目はなかのひとだからやさしいやさいだけ召しあがるんだな、で、すでにしないとできないとでられないとしらないとしねないとかさねないとかわさないとよばないとよどめないとわからないとわかってないとわかりたくもないとなれないとなりたくもないとくれないとくずれないとこたえないとこごえないときづかないときずつかないとおとさないとおとなしくないとつたえないとつたわらないとならべないとなくならないとなくさないとかざらないとかぎらないとあげないとあがらないとあそばないとそれないとそがれないとくだらないところがらないとまぜないとまざらないとならないとさわがないとさわれないとあやしくないとあやされないとあわせないといやされないとおもしろくないとうつくしくないとつくれないとつくさなさいといけないとがんばらないとかわいくないとさみしくないとあいせないとかよわくないといじらしくないといじられないとゆるせないとゆらせないとたのしくないとたのめないとなさけないとなかないとながれないとなじめないとかなわないといわないとはじまらないとないとな、で、アンモナイトみたくまるまる、で、そこはなんとかいかがなものかよりすぐりTHEざざざん少女を首になる夜か/しらん恋か/しらん胸か/しらん手か/しらん指かしらんらんキッチンで耳をすますフランスパンつかみどころのあるところの流儀のすべてはオールを漕ぎ意図せずともドロップアウトはかいじゅうするのどうして/どうしても/どうしたら最後の生物として出逢えるのわたしたち。


意識の運動について四つの詩

  前田ふむふむ



涼しい風が吹いている
川沿いの土手に繁る草は 笑顔のようにそよいでいる
仰向けになって寝ていると 
そこには 自己主張する青い空
そして
白い入道雲が わたしに覆いかぶさるように
睨んでいる 
あの入道雲の右あたりに 大きく鋏をいれ
四角く切りぬいたら その向こうには何があるのだろう
空は痛みのために
血を流すのだろうか
もし 切り抜いた向こうに 違う空があるのだとしたら
どんな空 なんだろう

昔 
見知らぬ世界に
風が通りぬける道がある と聞いたことがある
夜の漆黒のなかで 見たことがない一角の白い馬が 静かに息づいていて 
水晶のように透明な植物が一面
咲きほこり なめらかな風が 吹いていると
わたしは 幼いときに
確かに 聞いたことがある
そこがどこにあるのか
誰かに たずねてみても 知ることはかなわない
でも その夢のような場所をもとめて
ひとは 叶えたい願いを 風に流すのだろうか
あるいは 灰色の罪や悔いを
石のように積みかさねて
許しを乞うたのかもしれない
なぜか そのような気がするのだ

だからなのかもしれない
さわやかな 初夏の朝
ひとりで コーヒーを飲んでいるとき
ふと その風を感じたことがある
そんなとき
わたしは 鋏を入れて 毟るように
朝の陽ざしを 
白い清潔な窓を
テーブルの青い紫陽花を
コーヒーの香りがするダイニングを
すべて切り抜いて
目覚めたばかりの眼窩に仕舞込んだ
すると そのあとには 
ただ欠落した大きな穴が
胸の底で 呻くような低い轟音をたてて開いていて
切れ端には 血が滲んでいる

わたしは その度に 強い痛みを感じて
気丈な外見とは 裏腹に
後ろめたさと 後悔を隠して
誰もいないところで
切り抜いた
切れ端を 謝りながら 胸の底深くに埋めるのだ

もうすぐ命日になる
父の遺影が仏壇に飾ってある
きょうも
抑えられない欲望が命令する
ひかりに充ちた
風がとおりぬける道を 見るために
きょうは あの思い出を 迷わず 切り抜こうか
もう 分からないくらい 長い間 
血だらけの手だから
わたしはこうして 力強く生きている



生きる男  患者T・Cの症例

旗のようにつづく樹木の参道に わたしは 痛めている足を 引き摺りながら
自分の未来の平穏を願い 胸をときめかせて 大きな大樹の下の古びた神社に
やって来た なぜなら ここで聞いたことを 実行すれば 必ず 幸せを実感す
る生活が 約束されていたからであるし その他のいくつかの自分が望む答え
が 約束もされていたからだ
高価な衣装で着飾って 無表情な能面をつけた神官が 奥のほうから現れて
落ち着いた声で尋ねた 左の小高い丘に設えてある絞首台と 右の裾野にあ
る安息の揺り篭を差して 「どちらがおまえの未来か 答えてみなさい 」と
いった そして 神官は 右の揺り篭に 毒薬を置き 左の絞首台の前で 幸
福という名の詩を朗読した 空が溶けるような 甘美な朗読が 半ばにくる頃
期待とは裏腹に わたしはその不受理に 湧きあがる怒りを 抑えきれずに
 落ちている石で 神官を殺した カラスが洪水のように いっせいに飛んで
きて神官を 突いて食べている わたしは その時から 答えのない世界にむ
かった
空が 赤い血を浮かべているようだった 激しい動揺で 朦朧とした意識で歩
いていると 殺伐としたY字路にぶつかった すると そこに すでに死んだ
神官が現れて さきほどの神社とは逆に 右の道には絞首台 左の道には揺り
篭があった そこには毒薬は置いてなかった 代わりに ばらばらに離散した
家族が仲良く立っていた
誤解だったかと わたしは 後悔の念で 大声で泣いた そして 以前より強
い怒りで死んだ神官をふたたび殺した 神官は 幼い子馬のようだった 
涙が涸れて 笑い狂い 草が水滴で濡れる朝まで歩いた 
朝陽が眩しさを増してくると ふたたび Y字路が眼の前に現れた 今度は
逆に 右の道に揺り篭があり 左の道に絞首台があった 絞首台の上には毒薬
があり 一方の揺り篭のそばで 死んだ神官が わたしを嘲笑した視線で 幸
せのための詩を朗読した やがてその朗読は高笑いに変わった その作為的な
悪意に わたしは 死んだ神官を 何の戸惑いもなく殺した 神官は ウサギ
のように弱々しかった 
ある時 通勤電車のなかで 柔らかい座席に腰をおろしていると わたしは
 神官に囲まれていることに気付き 眼をつぶった そして 到着駅に着くと
 激しく嘔吐した わたしは 急ぎ足で まっすぐ家にむかったが 見慣れた
Y字路に来ると 強い頭痛に加え 急に目が見えなくなり 立っていられず
 意識が薄れてきて 気を失った 

翌日 よれよれの服を着た男が 顔を自分の家の前のどぶに 突っ込んだまま
死んでいた 
通行人は まるで気づかないように 通り過ぎた 
不注意の事故とみなされて 「40歳の無職の男が栄養失調により意識障害を
起こし転倒して死亡」と小さく新聞に載った 
とても 寒い日の極めて小さな出来事であった 
男は 神官を殺した数だけ 生きた 
男は 神官の質問に答えなかっただけ 生きた

男が行きたいと願った
近くの神社では 月例祭がおこなわれていて やさしい顔をした神官が
氏子たちが揃う前で 恭しく神前に頭を垂れていた





よく空をみているね―――といわれたことがある
「あの透明な色のなかにとけてしまいたいから」と 嘯いた
ほんとうは 無意識にみていたのだから 
わたしの足跡のように

わたしは はたして自分が思い描いたことを 出来たことがあっただろうか
世の中のひとが 普通に出来ていることを何ひとつ出来ていない気がする
いつも 心は空腹で だからといって無性に食べたいことはなかった
もう 終わりにしてもいいと思うけれど 
日陰で 隠れるように 地味な花を
咲かせていても 苦情を言われることはないだろう

今年は確定申告に行かなかった 
有り余る医者の領収書を眼にしていると 
生きている決算書のような気がして もう これ以上 
惨めな清算をしたくないと わたしは 紙切れのような薄い歩みを 
ごみと一緒に焼却した

春が軒下にたっていた 
夏が木に香ばしい汗をかいていた 
わたしは 一度も その優しさを口にしたことがなかった 
何度も 胸の透き間を 風は吹いたのに

わたしは 欠如という花束を握り 怯えている少年の声をよく聞いた
時間を忘れて ともだちと楽しく 地面の上に白いチョークや蝋石で書いた線路が 
切断されて わたしの前にある

雨が降っている

通販で買ったストーブは 冷たい身体を暖めてくれる
やがて 鼓動が 穏やかになる頃には わたしは 宛先のない手紙を書いている
柔らかな枕元に耳を当てると なつかしい電車のレール音 時間を走る電車の窓の外には
荒れ果てた平原があり 蹲っていた わたしがいたと 
そのわたしを探しにいく遠い旅にでると

テレビはついているが 音は聞えない

ドアを叩く音が途絶えてどれくらいたつのだろうか
朦朧とした瞑りのなかで 冬が香ばしく 窓枠の影を痩せたひかりが暖めてい

若い手を握ったきのうは 土のなかに沈んでいる
数年を跨いで 
本の間に 埋もれていた友人の手紙を見つけて 
遅れた返事を書く
宛て先のある手紙
ボールペンの先から 過去がみずのように湧き出てくる
窓のそとは 立ち上がった夕暮れ
赤い色が そっと 空のうえから ドアを叩いた
ひととき
わたしの鼓動が 熱を帯びて全身をおおった
       
空は きょうも 上にある


未明のとき

    1

いまおもえば どれくらいあっただろう
女が長い髪を振り乱し 
胸元ははだけ 汗ばんだ口元から
呼気が 荒々しく吐き出される
足は 一日を歩き切ったように
かくかくと 小刻みに震えている
けれど 顔を見ると
眼はみずうみの底のように 冷たいしずかさを
横たえている
殺意に似たものがしずかに鳥のように舞う
そういう無名の夜を 女を抱きながら ふたりで 
いくどか 通り過ぎた気がする

日常は悪意に満ちている
そこは境界のこちら側にいる
主観という震えるような囁きの舞台
やさしさに満ちた そして 軽蔑に溢れたことばが舌の上を飛び交う
暖かい風と 冷たい手のぬくもりが わたしの肩にふれる
そのひとつひとつの綻びに 
雨音のように浸みこんでいる 悪意がある
こうした いつでも掴むことができる 悪意があるから 
わたしは すすんで積極的に
ひとに向き合って生きていけるのだろう
けれど ふとした瞬間に 
音楽のような鼓動を 固く凍らせて
切り立つ断崖のうえに 冷たい幕をひろげた
無名の花が咲く時間がたしかにある
家の壁が 軋みをおこし
窓ガラスが ガタガタと音をたてて振動する
そんな夜が絶叫した未明に
恐ろしさで 時間の針ですら 振り返る
おぞましい正気が顔をだしてくる
それを見せるために 
夜は わたしの胸の底まで 
しずかな砂漠を一面にひろげているのか

「まってください」
女が バス停車場で乗り遅れて
あわてて 乗り込んだのだ
汗ばんだ声 呼気は 途切れ途切れに 上ずり
顔は昂揚として 恥ずかしさで 赤みを帯びている
落ち着こうと
つり革を握るか細い手の白さのうえに
痛々しい 赤く滲んだ傷がある
その切れ目から 
境界のむこうにある
無名の夜がしずかに 
覗いていたような気がした

女は何かを感じたのか
わずかに わたしの視線をけん制するように
一回 振り向き
清楚な眼をみせると
ふたたび 何もなかったように
そとの街並みを見ている


ラフ・テフ/ヘンドリック=世界の秘密

  織田和彦

「アフリカの匂いがする」
http://bungoku.jp/ebbs/pastlog/133.html#20080603_533_2806p

「ヘンドリックのいた夏」
http://bungoku.jp/ebbs/pastlog/215.html#msg4310

「ラフ・テフの切符」
http://bungoku.jp/monthly/?date=200602#a04

= ===== ======= ====== =

タバコを燻らしながら
食事をしていた
テラスに通じる掃き出しの広い窓から
朝陽が差し込む
麻衣子はバイキング形式のホテルの朝食を
トレイに乗せ
テーブルについた
そしてぼくに
昨晩はよく眠れたかどうかたずねた

直射する太陽のお蔭で
麻衣子の表情がよく見えた

   ∞   ∞

長い廊下を渡り階段を通る
トップライトから陽の差し込む
とても大きな部屋に入った

荒縄でぐるぐる巻きにされた
ダチョウとヘンドリックが横たわる
弁護士が
係争中の裁判は
11月の会期もって終る筈だといった

ヘンドリックはぼくの顔をギュッと睨んで
人権侵害もいいところだ!と憤慨した
入り口にいる憲兵が
ぼくらの方を眠たげに見た

この国はどうかしてる

ダチョウは新聞の差し入れをぼくに頼んだ
アラビア語の新聞がいい
ダチョウに葉巻を渡し
火をつけてやると

いや
やっぱ新聞はいい
面倒だからな

俺たちの仕事(事件)は大々的に出ているかい?
役人と財閥が癒着しているこの国じゃ
俺たちのような英雄は
いつも泥棒扱いさ!

吐き捨てるようにダチョウはいった

ダチョウさん
私たちのヘンドリックをもうこれ以上変なことに巻き込まないでくれる?

ワタシたち?
きみらもひょっとしてこいつらのまわし者か
ダチョウは訝しげに憲兵の方を見つめた

ねぇお願いだからもうヘンドリックは解放してあげて
馬鹿なことを言うなよ
ダチョウは麻衣子を睨んだ

部屋の隅で二台のスタンド型の大きな工場扇がブンっと唸りを上げて回る

ヘンドリックはぼくらの顔を見て安心したのか
鼻くそをほじりながらグゥーグゥー寝ている

  ∞   ∞

守衛がぼくらを見送り
差し入れを約束したダチョウと
ヘンドリックに別れを告げ
黄昏がおりてきた
刑務所をあとにする
    
  ∞  ∞

海岸を散歩しない?
海岸線の丘陵地帯に立地するホテルから歩いて10分
ダチョウの弁護士からの手紙を
麻衣子はぼくに手渡した
ダチョウは看守から手酷いリンチを受け
別の刑務所に移送されたこと
ヘンドリックは素行不良で
独房に移された事が書かれた手紙だ

ヘンドリックは
他の囚人と折り合いが合わず
すぐにトラブルを起こすらしい
浜の砂の熱くなりすぎ太陽
規則的に脈打つ海鳴り

ぼくたちの前を
数人のアラビア人たちが取り囲んだ

背中に撃鉄をくらい
目の前が暗くなった瞬間
ぼくはラフ・テフに居た

どこか
とてつもなく遠い国の
海辺に建つ
芝生のある大きな建造施設の中庭

テリア犬やシャム猫や 
オウムやトカゲやシャチなんかが居たりして
ハンバーガーやピザや 
チキンナゲットといったジャンク系の食べ物を
ひたすらパクパクと両手で口にしている

ぼくは彼らの中にヘンドリックがいないか探した
麻衣子はまたテリア犬に姿を変えられたのだろうか?
ぼくは中庭から動物たちの間をすり抜け
施設の中央を目指した

海の匂いのするテラスの
吹き抜けの大きな螺旋階段から
ひょこひょこと降りてきた
一匹の
サングラス掛けた大柄なカンガルーが
ポケットから葉巻を取り出し
ぼくにすすめた

カンガルーはサングラスの奥でニヒルに笑みを浮かべぼくに言った
警戒線を突破するのは
昔から死刑囚と決まっているんだがねぇ


 


初雪

  山人

朝方は雨に近いみぞれだったが、いつのまにか大粒の牡丹雪となり、真冬のような降りとなっている
誰にけしかけられるでもなく、雪は味気なく空の蓋を開けて降り出したのだ


すべての平面が白く埋め尽くされる前のいっときの解放
空間が大木の樹皮に触れるとき、水気を失った葉がさざめく
観る人の感傷を骨にしみこませるように、晩秋の風は限りなく透明だ

山が彩りを始めると、人々はこぞって目を細め、その色合いを楽しみに山域へと繰り出す
さまざまな出来事を、はるか彼方の空に浄化させ、廃田に生える枯草のように佇む老夫婦がいる
車は寂れた国道の脇に停車され、すでに水気を失ったススキはかすかな風になびく
ただ二言三言のありあわせの言葉を交わしあう
やがて散りゆく様を美しいと形容するのは、最後にきらめこうとする光と色である
年月の隙間に湧き出したオアシスのような思いがひとつずつ膨らんで、感情を刺激する
刻んできた時間を、他愛もない好日に、老夫婦は車を繰り出して秋深まる此処に来たのだ
それは、微かに自らの終焉の黒い縁取りを飾る行為のようでもあり
膨大な重い歴史に身を縮まらせるでもなく
ふわふわと綿あめのようにそれを背中に背負い、浮遊しているかのようであった
国道のカーブの突端に記念碑がある
その眼下には放射冷却の湖面から浮き出した霧が覆い、蒼い湖面と峰岸のモザイクな彩が静かに交接していた


気がつくと薬缶の水が沸き、蓋を押し上げる湯気の音が厨房に響いている
朝からこのように、厨房仕事をしているのはいつ以来だろうかと、記憶をたどる
見えるものが、一様にすべて白く塗りつぶされていく
そこに何かがあった痕跡は突起としてわずかに感じられる
それは三つの季節を流れた時のひらきなおりとあきらめであり
どこかの土の一片の微粒子として存在し続けているであろうあの老夫婦の所作を思い出していた
むしろ、雪は終わりの季節ではなく、はじまりの季節なのかもしれない


歌仙「初真桑」の巻 ● 現代詩組

  田中宏輔



歌仙「初真桑」の巻 ● 現代詩組



                捌 魚村晋太郎
                  田中宏輔
                  矢板進




初真桑四にや断ン輪に切ン     松尾芭蕉   夏

 濡れたスプーンにからむ白南風     晋太郎 夏

しぶしぶとテレビ電話に微笑みて     宏輔  雑

 犬の旅出に土産をわたす        進   雑

吊革を揺らしてのぼる月の坂       晋  月秋

 老いた力士とジャン・ケン・ポン    宏   秋




おとうとの通信簿を棄て原爆忌      進   秋

 複眼で夕映えを見ている        晋   雑

バスルーム電気を消して向き合えば    宏  恋雑

 アイデアしぼる坑夫の情婦       進  恋雑

きぬぎぬの舌の上なる糖衣錠       晋  恋雑

 集団自殺はお日柄もよく         宏   雑

満月に不意のくさめをしてしまう     進  月冬

 らせん小路で買った襟巻        晋   冬

つけてくるぜんまい仕掛けのビルディング 宏   雑

 鳥がこぶしをにぎり囀る        進   春

花影の重みに耐える水面に        晋  花春

 春の少女(おとめ)らが糞尿(くそゆばり)す   宏   春


ナオ

うららかに午後の教諭の背が伸びて     晋   春

 やさしい顔の正五面体         進   雑

ムーミンも金で祖国を売買し        宏   雑

 火星の中華街で飲茶を         晋   雑

なんとなく返事がしたい臍(ほぞ)のあな   進  恋雑

 蛇をつつけば藪が出るのよ       宏  恋夏

箪笥という箪笥溢れる蝉時雨        晋   夏

 朝の格子に楽譜うかべて        進   雑

月のごとあなたのハゲも世を照らす    宏  月秋

 胡桃に潜む替玉の皺           晋   秋

うそ寒い空にはそらの真理あり      進   秋

 デカルトさんも秋刀魚に飽きて     宏   秋


ナウ

未来語でしりとりをする案山子たち    晋   秋

 乗り逃げされた豪華客船        進   雑

酔い痴れて瓶詰の地獄浸りおる      宏   雑

 ガーゼで包む脳の右側         晋   雑

花びらの裏と表がなくなる日       進  花春

 土筆かかえてアジトに向かう      宏   春





           一九九九年八月一日首九月十二日満尾


ニューヨーク

  田能村

テーブルの上を
雨の美術館がすぎてゆく
画家は椅子に腰掛け
森に浮かぶ雲をながめている

潮の飛沫を浴びながら
蔦が壁を上ってゆく5月
画家の指先から
その輝かしい色彩を失い
朝の雲が風化してゆく

遠くで沈没してゆく船
立ち上がる樹々の緑が肌を刺し
風が鳥の声々と共に空へのぼって行く

泣きながら
蛇を投函する初夏
白い皿に息づく内臓にも
朝はきている
叫びも囁きも
今朝は風と化した

ナイフとフォークを錆び付かせ
食卓のナプキンを揺らし
潮風は海へと戻ってゆく

鰐の闊歩する街
ニューヨーク
人々は鮫の誘惑に抗しきれず
海の滴に濡れ
身をよじらせ宙に浮いている

風と共に
鰐と共に

空駆ける学芸員たち
郷愁の山河を越え
美術館に蝟集する人々に
昼食を供する

部屋の隅々に生い茂る
旺盛な観葉植物

アフリカの仮面が壁を制し
緑から鉄へ 岩からガラスへと連鎖する
憂愁の系列に飽き

樹々を配し
草々を繁茂させ
観客は嬉々として美術館を
前代未聞の花壇に改装する

見える物を消し去り
見えざる物を表しゆく窓

雨に濡れるテニスコートが
葉叢から覗き見え
花々大河を渡り
遠近法にすぺてが整列する

何を問えというのか
車が逆流してゆく高速道路に
遠泳してゆく裸の人々に
何の欲望を欲望せよいうのか

今は
欲望のしこりを踏襲する芝を敷く時

夏が春に滲みだし
秋も冬も結晶化し
点描の中に折り重なる
近代美術館

澄み渡る遠近法
透明度を増す光琳に
海鳴りの文様を架け
画家は芝の細道を行く


つり革と病院

  織田和彦



ペンギンみたいに
体を凍てつかせながら
通勤電車に乗っている
つり革の輪っか
まるで手錠みたいだ
一度そこに首が通らないか
試してみたことがある
猫じゃあるまいし
通るわけもなく
誰が触ったかしれないあの輪っか
汚ねえったら
ありゃしない
あんなもん
公共の場所にぶら下げて置くんじゃねぇ

仕事だの労働だのが
鬱陶しい朝
会社じゃ真面目で通っている部長さんが
女の子のスカートの中に手を入れた
満員の電車じゃ
間の悪い場合もあるし
部の悪い場合だってある
女の子のスカート丈だって
太腿の半端なく上の方だ

人生とは恐ろしいもので
行き着く場所は必ず墓場
生まれた場所も必ず母さんの腹の中
大概どちらも病院を経由する

「人はどこから来てどこへ行くのか」

そいつはとっくに答えの出た愚問で
人は病院から来て病院へ行くのだ
このあまりに実存的すぎる答えに
眉をひそめた貴方
社会主義革命を成し遂げたキューバでは
医療費はとっくに無料なのだ

ぼくらが子どもの頃から
馴染んできた日本の文化は
限りなく同調圧力の高い社会で
他人と違うことを
「落ちこぼれ」だとか
「浮きこぼれ」だとか言っていた

仲間に対する責任を全うすること
それが生活の100パーセントになったら
そいつはもう
立派な全体主義社会だ
ムッソリーニも
ヒットラーもいないファシズム
独裁者はぼくらの頭の中に存在する

幻想の国
ニッポンだ


雨上がりの夜

  破片


夜更けすぎ、雨は上がった
おはよう、
と、まろび出た月明かりに
夜は青くにじむ
星がいっそう燃えさかり
微かな苛立ちとともに
瞬く、消えそうな輝き、
遠くで風が鳴って
影絵の学校の門が鳴って
通り過ぎた足音が
ふたたび鳴って、
ゆるやかな勾配のふもと、
てっぺんのその先は見えない
見なれた道の続きが
とりのぞかれて
切り立っている
そら寒いほど白い
光がわだかまり
浮かぶ夜との繋がりを
引き裂かれて、できた
空白を埋めるために
あそこの中空を漂う風
だんだんと、
道の先から削られて
悲鳴は音を高くし
月明かりと、作られた光と、
溶け合って
ただ正面に見据える
空白だけが変わらず、迫り
誰も通らなかったはずの路地
縞模様の野良猫へ
兆すはずのなかった動揺
ここは、どこにでもある
果ての一歩手前。


晩夏だったはず

  飯沼ふるい

ちょうどあそこの
宅地に囲まれた
整地もなされていなくて
誰も見ているけど
誰も知らないような
小さな野っ原
まずあの野っ原がなければ
始められない気がする

姿のない声が
はっきりとそこから聞こえる

「うしろのしょうめんだぁれ」

子供らの唄うはないちもんめ
けれど本当にそうだという確証はない
他の人には
ヒステリックな主婦の金切り声や
老いたサラリーマンの鼻唄に
もしかしたら泣き女の痛ましい嗚咽だったり
はたまた人外の虚のようなおののきにさえ
感じうるかもしれない
暮らしの中のふとした追想か
けれどそれは本当に子供らの声に違いない

そしてその日見ていたものは
晩夏の景色のはずだった

九月の暮れの小さな遊び場
夕暮れに染まる
子供らの声が
とろとろと延びる影に溶けていく
なんてことを書いていると

「三番線に
 列車が参ります
 危ないので
 黄色い線より
 下がって
 お待ちください」

そんなアナウンスが
無人の駅舎の方から聞こえてきて
近くの踏切で
乳母車をおす男が寂しそうに立っているのが見えてくる

男は赤子の寝顔を覗き
このまま乳母車を踏切に投げ込んでしまおうか思案する
赤子を供物に捧げよう
それが馬鹿げた妄想で
彼だって赤子が真実愛しいのだから
ずっとハンドルを握りしめている

二両ばかりの列車を見送り
踏切を渡る男の哀しい背中を見送り
あの野っ原の方を振り返る

するとどういう訳か
さっきまでの赤や朱の彩りはすっかり褪せて
白い陰や黒い陽射しの入り混じる
無声映画のような風景になっている

そうなると
薄暗い雲から
綿みたいな雪が降らないといけない
冷たいにおいが
もうそこらに満ちている
町は黙祷をはじめ
唱う子らの声も
降りしきる雪に紛れ
九月の暮れに落ちた影が
乾いた雪に埋もれていく
そういう風に書き換えた

そろそろ終わりにしたいのに
終わりようのない雪は降り続いている
そもそも終わりとはなんだろか
散歩の道すがら
野っ原を眺めるたびに考えた
このちっぽけな野っ原は人を欺く為にあって
本当にそこにあるのは荒涼たる原野ではないかとも考えた
考えているうちに
あれははないちもんめじゃなくて
かごめかごめだと気がついた
一つの正しいことに触れた途端
野っ原は真っ白に塗りつぶされていく
僕が見たもの
僕が聞いたもの
それら一切は印象からも脱皮して
このように
白々しい言葉と果てていく

「かごめかごめ
 かごのなかのとりは
 いついつでやる」

もう何も見えないし
何も聞こえない
明日になれば野っ原に
まっさらな雪のかむった墓石が並ぶ

そう書かなければ
終われない気がするので。


男と冬

  山人


煙突の突き出た丸太で作られた小屋。
男は荒砥、中砥、仕上げ砥をそれぞれ一枚抜きの板におき、刃物を研ぎ始めた。
小屋の中には丸いストーブがごうごうと燃えている。
小屋の一角には一昨日捕らえた鹿が横たわる。
男は外の雪を目で追い、ほんの少し窓を開ける。
むせるように風雪が窓を打ち、男の喉に入った。
山は昨日から荒れ、本格的な冬が来たのだ。

男の愛用しているマグカップに、琥珀色のウイスキーが注がれ、乳白色のランプが灯された。
刃物を研ぎ始める男、入念に丹念に、荒砥から中砥と研ぎ、ランプに刃先を照らし見つめている。
刃を爪に押し当て、スッと刃先を動かすと爪の表皮が刃に食い込んでいく。
刃が着氷したのだ。
喜びを得たい、切りたいと疼いていた。
鹿をビニールシートの上に乗せ、ナイフをぶすりと入れる。
左右に切り開かれ、筋、関節、などを知り尽くした男のナイフは妖艶に赤く光り、肉にのめり込んでいく。

解体は一人では未だ終わらない。
乾燥や塩漬けであと数日は加工する必要がある。
背骨に沿った肉を切り取り、塩を塗る。
鉄板に鹿の油を塗りつけて、塩味だけのソテーだ。
血がまだ踊り、そこに在りし日の鹿が弾んでいる、命の味がする。
確かに鹿は躍動し、跳躍していたはずだ。

雪は本降りになり、また長い冬がやってくる。


技術

  にゅーおーだー

夕方、
夏に、
早く、も、
蚊帳を被せ、

手で、鳴らすのは、
うちわで、

ふゆ、ふゆ、ふゆ、
と、三度口にしては、
赦し、だよ、
と、毛糸を、施す、

振る舞いが、
とても、ゆっくりだ、
と、ふゆだから、
なつだから、と、
話し合っては、
だんろに、手を伸ばし、
また、伸ばされた、
尻尾で、結ばれる、
季節が来た、と、
たわいもない会話をする、

アルビノノート、
深い、白は、
浅くて、浅い、白は、
まるで、雪のようだ、
朝早く、駆け抜けていく、
神の、子供達が、
幼い、マレビトだ、
まだ、幼いぞ、
と、鬼の面をかぶって、
赤い、

赤く、充血するのではなくて、
白く、充血したまま、
の、手と足で、
浅い、雪、
深く、足を入れて、

ねじまがった、
優しさ、
と、奇形だ、
奇形、だ、
と、扉をたたく、
声が、
ボタボタと、
屋根から落ちて、

そして、
ポタポタ、
なみだ、を、
雪に、添える、

悲しいことばかり、
しか、書けない、
言葉は、また、
うれしいことばかり、
しか、書けない、
ことばは、
滅んでいくばかりで、
だれも、書けないような、
言葉で、駆け抜けていくような、
私の、貴方の、
言葉だけが、
書かれることで、ねじ曲がる、


349

  陽向






3という数字が好きで僕の側にはいつも3があった
赤ちゃんの時 ぴったり3時間置きにお腹が減ったと泣いていたらしい
今は4(死)9(苦)を敢えて好む 側には悲しそうな3が佇む
349 3の意味は分からないが4と9の意味は解る
3は一目惚れのようなinspirationだと思う
死と苦の鎖が僕を縛る 僕はきっと3なんだと心の中で呟く



「人間は死ぬ為に生まれてきたんだ」
父は酔いながら言った 僕はそうだと思ったのを覚えている
「アバートの部屋番号は4という字を使わない不吉だから」
父は言った 見てみたら本当にそうだった
全部のアパートがそうかというのは知らないが
僕が見たアパートには4という字は無かった
前に4:44が2回位あった 僕は何故か嬉しかった
いつも何もかも4と思っている そうして3が9だ



これさえ無ければ僕は幸せだった
「世界の中心で9を叫ぶ」
世界の中心で3が9を叫ぶ 4と思う
349 349 349 349
足跡は無い どこにもない
僕が9に蝕まれた足跡がどこにもない
対価もなく いつまでも9だけが側にいる
僕の背番号は349だ


  zero

分析された青空に立つ波としての分割された雲の層
植物たちのひしめき合いから放たれてくる芳醇な気体
俺たち岩だらけの登山道を隊列を作って歩き
すべての壁は初めから存在しなかった
標高と共に植物の命は小さく凝集され
標高と共に土はあらわに全角度から俺たちを照射する
俺の肉の中にあったすべての知識は息と共に吐き出され
俺の骨は途端に広がり過剰な風景を記録し続ける
山は際限なく人と植物と岩石を分解し
山の盛り上がりは風と日光でここまで膨れ上がった
展望が開けた場所で俺は何度も遥か下方へ身投げをし
その幻想の涼しい余白に腕を泳がせる
俺は文化を脱ぎ捨て裸で裏返った
じかの陽射しとじかの山肌から異常な意味を受け取った
ああ世界において万象は互いに奪い合っている
俺は山をそっくり盗み取ったが俺もまた山にすべてを盗まれた
実存などどこにも存在しないし壁もまた存在しない
山はおのれの不自由でもって俺の不自由をあがなった
俺の肌を滑り落ちる感情と形容詞
ここには主語だけがあり述語など何一つない
莫大な数の交信が暗黙裡に行われ
それは土と岩と苔と草と木を媒体とした
生きることに必要なことをすべて失って
生きないことに必要なことをすべて受け取って
俺は山を降りた先の街並みに新しく迷子になった


愛人

  リンネ

 上等の小麦粉のような肌が。あらゆる美しいものがそこに詰まって、出口を見失っている。死ぬことと生きることが完全にそこで分かたれて開かれている。決して食べることはできないのに。食べたいのに、食べられないものを、食べようとする間際に、肉の門番が、からだが立ちはだかる。あの音色の、あの乳房の、皮膚という皮膚すべてが、それらの攻防を極限まで追いやる。くびを、そのことばの響きさえも、締め付けられてしまう。それは決して食べることができないのに。食べたい、という底抜けの欲求がある。あらゆる対象に向けて。迷路のように。すべて、じぶんに欠如したものを、食べたい、と欲望すること。それは、食べられたい、というありえない欲求を、幻想の胃壁のうらに、うらとおもての狭間に。織り込もうとするかのように。それはおもてではない、それでも、うらのうらでしかないような面に。指折り、写し取っていくそれを。影をすくうように。影によってすくわれるように。やっぱり何も食べられないのだけど。食べたい。わたしは食べたい。わたしは呪文を、空しく残飯の積まれた廃屋の、くちびるを指でなぞって、数えていく。ぜんどうする見えないものこそを。このからだに情愛として記すことで、食べたい。呪文、宣誓、奇声、見えないもの、うらがえしになったその輪郭をなぞって、溶けていくある過剰さ、欠如しているがゆえの過剰さを。ビフテキに、折りたたまれた太陽の、欲情を、わたしは信じない。食べることを可能にするものに、わたしは異議をさしむける。信じないからこそ、書き込まれたわたしの過剰さは、ビフテキにも、そのことばの痕跡にも、顔にも、香りにもなにものにも先立っている。あまりにも繰り延べられているゆえに。すべてに遅れをとっているがゆえに。あれをしても、どこにも届かない。繰り返すほどに、離れていく。食べたい、ということばは、どこを見まわしても、その輪郭が見え過ぎている。しかしそれは、ほんとうの過剰さとはほど遠いしかたで。しかしいずれはさほど遠くもないどこかで、わたしはおそらく、結合したい。わたしとそれを。しかしそれを口にする間際に、わたしの口が、わたしを超え出てしまっている。その口はわたしのものではない。おそらくは、舌も、食道も、胃も、消えていくことばの尾ひれも。わたしのすべては、からだに遅れをとっている。決定的なほどの遅れを。先立つはずの、からだもまた、わたしに遅れている。食べたい、という感情はどこにも居場所をもてない。たましいにも、精神にも、あらゆる器官においても。それでも、食べたい、と口ごもって、存在している。それほど、わたしは愛している。だから居場所をもてない。愛にも結実しない。食べたい。食べたい。と。わたしは繰り返し、わたしは食べる。人間を。そのことばを。ことばでしかないような、人間でしかないような、それを。延長していく扉の前で。半開きの空間から、差し込むまばゆい光の前で。ひかり、とは似つかない、ある輝くものをのぞき見るために。卵のような目の、その口をひらくことで。すべてをみごもりたいがゆえに。わたしは食べたい。食べたい、と言うのだ。そのことばの苦しさに、触発されて震えることがある。なにもかもわからず、ただ並べられたことばに感情が引き寄せられ。夢を見るような、ある認識できない過剰さに。わたしはその過剰に、その欠如におぼれてしまう。本を折りたたむようにして、口を閉じる。緊張した胃に、ひとつの物語がまた孕まれたのを知って。流れる糞便のような、その物語を知って。それを吐き出すために、それに先だって、口を閉じようと。先立つものに、遅れるものに、その双方に抗いながら。


色は匂えど たちつせそ

  

上半身が間抜けになってしまった 働き蟻が5ミリ程の障壁を乗り越え 汗をぬぐってい
る 痛風の足をひきずり 万歩計が5000をしるしても たかだか 200キロカロリ
しか消費しないことを 感謝したらいいのだろう か くはかなながら 年たちかへる朝
にはなりにける 不用意にも 天使の羽にふれた気がした 汽笛の音が いささかの負託
を防御しかかって聞こえてくる 静脈と動脈が絡まって褐色の花蜜を滲ませ をちこちと
 ちりちり旋回はじめたのだ 股関節をあたためて をんなに振られた木偶の坊が 案山
子に凭れて逝っちゃっ た まづさはすずきにかよわす なんの契か 爪を剥がして刺青
している 小蜘蛛をテッシュで捕まえてはトイレに流した 思いでにもなりはしない へ
その胡麻がたまったりもした キスした 相変わらず口が苦い クンニした おもいっき
りクンニした


     註
  色は匂えど 涅槃経

  かくはかなながら、年立ちかへる朝になりにける。 蜻蛉日記 中  道綱母 

  玉章は鱸に通はす 男色大鑑巻一ノ四  井原西鶴 

文学極道

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