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2006年02月分

月間優良作品 (投稿日時順)

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* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


海の風景

  前田ふむふむ

海の風景

律動している自然の怒りを蔽う、薄皮で出来ている海の形象を、剥いで、赤裸々な実像を曝け出せば、煮えたぎる本質が、渇きの水を、欲して、知恵の回廊で語りかけるが、気づくものはいない。
風でさえ、空でさえ、ひかりでさえ。
誰も海の全貌を捕らえぬ儘、海の始めの半分は血まみれの海の意識を、世界の意識の外で隠している。
おぞましい生身の顔を見たものはいない。
海のあとの半分は痛みを持つ季節で成り立つ。
自然の美しき生と死との葛藤を、展開して、一度、海の眼の黒点に、集約されてから、いっせいに解き放たれた、
現在という海の景色。
その細胞を塩の臭いの濃い窓辺で老婆が、眺めている。
沖から一隻の船が戻ってくる。
老婆の人生の苦悩で痛んだ血管の中へ。

島に向かって歩く海鳥の夕暮れは、
欠落した空の形状を立ち上げて、浮かぶ船のほさきに、
繰り返しながら、港をつくる波は 
凪いだ水平線を飲み込んでゆく。
昇天する午後は 冷たい唇を海風に浸して、
錆付いた窓の中を抱擁する。
放浪する時間が海の濃厚な音律の中で、泳ぎだして、
黄色いひかりの、結晶体を産み出す。
そのひかりを浴びた老婆の住む海の家のドアノブに、
少年の手はいつまでも固定されている。
甲高い声をあげて、引き綱を船に乗せる、少年の背中を夕陽が照らして、細かく金色を撒き散らす。
遥か海の形相の上を、波に揉まれている色濃い魚影が、生臭い風に乗って、少年の腕の周りを勢い良く叩く。
期待に満ちた漁師たちの熱気が、船のいろどりを艶やかにする空隙を、勇ましい汽笛が埋める。次々と港を離れる船。また船。荒れ狂う戦場に向かう儀式か。
妻や家族たちが手を振り見送る。微笑ましい笑顔と不安。
見送る者のこころに闇が蠢く。

海に灯りが点滅すると、月が煌々とする海辺では、色彩を攪拌して黒くする瞑想の風景が、渇き出す抽象を燃やして、潮の香りを充たしている、ひかりが切断して裂けたベッドは、老婆の棲家を取り返す。
波の静けさが醒めた音を鳴らして、町並みを蔽い、細微な事柄を夜の卵の殻の中に仕舞い込み、
地上から封印してゆく。
夜は闇の手助けを受けて、海を波の上から、
少しずつ固めてゆく。
音だけが空に融けている。


流れる庭

  丘 光平



うなだれた手をのがれて
川にほどかれてゆく薔薇の花束
水面に散りしかれた一度きりの庭が
つめたく流れてゆく

 よろこび、純潔、そして愛の色づき
身体の熱が高鳴るほどに
すこしずつ、
すこしずつその美しい想いは夢と流れてゆく
行き先をしらない旅びとの夜にも似て

そして、降りはじめた
雨の光に灯る岸辺に
時と風に傷めたその羽ばたきを
うつろに束ねる一羽の鳥
その瞳の水面に
遠く流れてゆく薔薇は
薔薇はしずかに燃えている


雨の庭

  fiorina

雨が降ってきた。
やや強い降りになると、雨よけの庇は役に立たず、錆びた鉄の階段は濡れて滑った。手すりを伝いながら彼は一段ずつ慎重に足を運ぶ。古い木造アパートの、二階のとっつきの引き戸が細く開いて、女の顔が覗いた。
女は時折、窓辺の花をすっかり入れ替えた。30センチほどの奥行きの半間のバルコニーで、今雨に打たれているのは、7、8株の丈の高い白と紫のアヤメである。しどけなく開いた大輪の花びらに、雨は容赦なく沁みていき、深い緑の葉を光の雫が間断なく流れる。その窓から、ひと間の和室は深い沼へと沈み、降り続く雨音を遠く追いながら、彼らはひっそりと触れ合い、互いの魂の底に落ちていった。

     * * *

老人は枝折り戸を押して細い道にはいって行く。両側の竹垣から山吹の葉が小道に向かってつんつん伸びている。既に開いた一重の黄色い花びらの間から、無数の固い蕾もまた、先端に蛍のように黄を点している。こうして花々は無言に、次の朝を、季節を、老いの命にも約束する。道の突き当たりに格子窓があり、どこか不釣合いな古びたレエスのカーテンが、中ほどまで垂れている。その下に置かれた青い縁取りのランプが、レエスの複雑な編み模様を浮かび上がらせている。夕闇が迫るにつれ、ランプの芯はオレンジを濃くし、傘のブルーを深くし、白いレエスの影を妖しくしていった。その窓に向かってゆっくりと歩を進める瞬間を、一日のうちで彼は最も愛おしんだ。こうして帰ってくるために、午後の散策を欠かさないのだというようにーー

食卓には、質素だが明るい手の届いた夕食が整えられ、既に食べ物を与えられた老猫が、目を細めて板の間に丸まっている。手伝いの女は、必要な家事を済ませ、食事の支度を終えると、決して彼と顔をあわせることなく帰っていった。その女が来るようになって、庭の景色が少しずつ変わって来た。(雨の庭に欲しいのは・・・)ふいに声がする。



雨の庭に欲しいものは・・紫陽花 芙蓉 ・・ボケ アヤメ ・・・・
     睡蓮 山吹 ・・竹に苔  ・・・・・
  下野 白バラ・・・・秋海棠 と 藤袴



まだ若い、身の定まらない日々に暮らした女がいた。
女は、ある日忽然と彼の元から姿を消し、それが置手紙とでもいうように、窓に吊るした一枚のレエスと青いランプだけを残した。彼は驚き、愁傷し、手を尽くして探索したが、やがて捜すことをあきらめてみると、女の去ったことが至極自然であるのを感じた。ランプの明かりのように、ボウと霞んだ女との日々が、彼の中に喪われていないことも。女は白い一塊の雲で、その頃彼を苛み、滅ぼそうとしていた黒い太陽をつかの間さえぎってくれたのだった。女が去ったとき、再び現れた太陽は、幼年期の白いまぶしい輝きを取り戻していた。彼の耳の奥で、絶えず鳴っていた蝉の羽音は静かな雨の音に変わっていた。



幾人かの女を愛し、生死の離別を重ねた間にも、彼はあの女が思いついては歌うように呟いていた雨の庭の花を、彼の中に降る雨に咲かせていた。(でも、雨の庭に一番欲しいのは・・・)女が言い終わらないうちに抱き寄せた夜に、聞き逃したただひとつの花の名を除いて。

     * * *

暮れ残った庭に向かってひとり箸を動かしていると、また声が聞こえる。彼は耳を澄ます。いつの間にかまた雨が降り始め、猫が目を開いて彼を見ている。(お前も聞いたのかい?あの声を)彼は問いかけ、自らうなづいたが、老猫はむしろ彼の心を聴いているのかもしれなかった。
その一夜を雨は降り続け、明け方になって止んだ。子どもがわっと泣いた後の眼に映す世界の美しさが庭に満ち渡っている。いつの間にか、群生する青い竹と竹の間に、新たに一元の水引草が植えられていた。丸い水滴を宿した尖った竹の葉を縫って、朝の光が水引草の赤い点々を浮かび上がらせている。一度雨に沈み、光によってふたたび蘇ったそのあまりにも鮮やかな朱は、彼岸とし岸をつなぐきづなのように、懐かしい痛みを、彼の瞳に滲ませた。


「ラフ・テフ」の切符

  ミドリ



誰かが部屋のドアをノックしたのは
その町に引っ越してきて 3日目の日の朝だった
コンクリートで敷きつめられた 廊下に背の高いカンガルーが立っていて
「ラフ・テフ」行きの切符を 僕に差し出した

カンガルーはすぐに荷物を纏めるよう僕を促し
木製のドアにもたれて スモークを一本吸いだした
僕は図書館に勤める母に電話を入れ
カンガルーが「ラフ・テフ」行きの切符を持ってきたんだと伝えた
母は忙しいからと 折り返し「ラフ・テフ」へ直接連絡を入れると言って
「ガチャン」と電話を切った

すすけたキッチンを ぼんやり見つめていると
カンガルーがぴょこぴょこ部屋の中に上がりこんできて
僕のケツを蹴っ飛ばし
「グズグズするな」と尻尾をひん曲げながら言った

新しい町に引っ越してきたばかりで
これから彼女が部屋にやって来るんだと カンガルーに告げると
面倒みきれんなといった調子で 首を振り
30分だけ待ってやるよと言った

カンガルーはお腹のポケットから
スモークをもう一本取り出し
半開きのカーテンから差し込む 陽光に目を細めながら
プファーと煙たいものを部屋中に撒き散らした

彼女が部屋にやって来たのは
それから18分後のことで
「チャオー」なんて言いながら
いつもの調子でトートバックを ベットの上に放り投げると
「なんだお客さん?」と
愛らしくカンガルーを見上げながら言った

きっと いつもの習慣で
コンタクトレンズをし忘れているのだ

カンガルーは 横目で彼女を見つめると
「今からこの男を連れて行く」と僕を指差し
ドスの利いた声で言うと
「ほーお」っと彼女はカンガルーと少し 距離を置くように言い
「これからマイ・ダーリンと私はデートなのだ!」と 言うが早いか
コップとか皿とかトランプとかデッキチェアだとか
手あたりしだいにカンガルーの頭にぶっつけた

「オイ、このアマ!」と
カンガルーが体中でぶち切れた瞬間
僕の体中の血流がどこかへ流れ出し
重力に引っ張られていく感覚が神経を縛る

何分か後かにあとに
ゆっくりと目を開けてみたらば
きっと どこかの国の海辺に立つ
芝生のある大きな施設の庭の中にいた

庭では芝生でランチをとる
テリア犬やシャム猫や オウムやトカゲやなんかが居たりして
ハンバーガーやピザや チキンナゲットといった
ジャンク系の食べ物を
ひたすらパクパクと両手で口にしていた

僕の後ろの
すぐ背中の近くに立っていたあのカンガルーが
そっと僕の肩を掴まえて
「ここがどこだかわかるかい?」訊ねる
ゆっくりと 首を横に振ると
カンガルーは柔に笑い
「ラフ・テフ」だよと そう言い放った

「彼女はと?」
僕が刹那に彼に問うと
「探して見ればよいさ もし彼女が見つかれば”ここに居た”ということだ」
そんな謎のような言葉を残して
カンガルーは施設の入り口の
正面玄関のガラスの扉の中へと ひょこひょこと前つんのめりに
姿を消していった

ふと目を足元に落とすと
テリア犬のかかとが
僕のスニーカーのつま先の上に乗っかていた
そしてじっと彼女は
黒い眼差しで
僕の顔を覗き込んだまま正視している


「ラフ・テフ」という場所

  ミドリ



「ラフ・テフ」では みんな仕事を持っている

トカゲはアリンコを捕まえて
せっせと 袋詰めにする作業をしていたし
オウムはカフェバーで
カタツムリの背中にチョンと腰をかけ
一心不乱にジャズピアノを弾いていた

カナリナの店長が
厳しく従業員の動きに目を配っていて
ウエイトレスの文鳥が トナカイの紳士に粗相をすると
慌てて飛んで行って 一緒に頭を下げていた

シャム猫は海の写真ばかり撮っていたが
誰もそれについて咎めなかった

テリア犬は 僕のスニーカーをギュッと両足で押さえ込んで
「ここを離れないように」と
そんな目で彼女は訴えていた

太陽が西の方へ徐々に傾いていくと
芝生で被われた大きな施設も
周りは広大な 砂漠に囲まれていることが分かった

「日曜日はもう終わるのかな?」

テリア犬にそう訊ねると
彼女はぐっと僕の手首を引っ張って
海の方を指差しながら 付き従うようと
ぷいと首と尻尾を振って歩き出した

浜辺へ通じるブッシュ道の途中で ふいに歩みを止めたテリア犬が
楔をのように僕の目を見つめる

夜の浜辺に
マッコウクジラが尾っぽの付け根辺りから
砂浜に大きな胸を反らせて喘いでいる
「プシュー」と弱々しく何度も潮を吹きあげ
夜空をチラリと揺らすたび

このクジラと施設に暮らすどうぶつ達が
何かとても大きな秘密で関係しているような気がしていた
ブルブルと母から電話がケータイに着信する

「いまラフ・テフにいるよ」
僕はじっとテリア犬の目を見つめながら
少し上ずった声で 母にそう告げていた


化石

  二矢

裏山の赤土が剥き出しになった山の斜面で僕は化石を掘っている。
そこは中生代の地層が昨日の地震でむき出しになったところで、夕べ散歩の途中偶然にもティラノサウルスの親指を発見し、学会に報告したところだ。
山の頂上に立つ少女のミニスカートから除く白いパンティーを頼りに僕は一人発掘をしている。
不意に手元が暗くなり、見上げると白いパンティーは剥ぎ取られ、交尾の真っ最中。
やれやれ。
手のひらのマメを数えてお昼にする。
黒パンにウサギの耳を挟んだだけの簡単なサンドウィッチ。
泥水よりましな程度のコーヒーで流し込む。
土砂が流れ出す。
崩壊する新建築って寸法だな。
新しいパンティーを穿いた少女もスタンバイしているようだ。
僕は再びスコップを担ぎなおして土を掘る。
白いパンティーの縫い目と食い込みとを間違えないように、慎重に掘り進む。
晴れた午後のうららかな日を浴びて、裏山の赤土が剥き出しになった山の斜面で僕は化石を掘る。
白いパンティーの少女を目印にして。


Negara Katulistiwa  熱帯アジアの十字路にて

  コントラ

ベンクーレンのドミトリー、灰色の絨毯に夕方の日が差しこんで、ベランダに出ると、青く透きとおる北東の空に雲がちぎれている。埃を吸い込んだベッドの端には、誰かが忘れた国際フェリーの半券が落ちている。いましがた半裸で眠りつづけていたイギリス人は、少しまえに荷物をまとめて出ていった。誰もいない、翳ってゆく部屋。明け方、国境の水道を渡る列車のなかで出会った女の子は、別れ際に小さな紙片を僕に手渡した。煙草に火を点けて、いまその紙片を読んでいる。クレテック煙草の甘い煙はパチパチはじけながら、僕が数ヶ月前に引きはらった、寒い盆地のはずれにある下宿にまで記憶を参照していった。

椰子の木が植えられた空港からこの界隈まで、瀟洒な二階建てバスが結んでいる。街の通りのあちこちは工事中で、闇のなかベンガルの男たちがかざすオレンジ色のランプで、渋滞する車の列が誘導されてゆく。朝、目がさめると、5階の窓は開け放たれている。じわじわと湿度をあげる空気をつたって、建築資材がぶつかりあう音がビル街に響いている。ヤンゴン、クアラルンプール、スラバヤ。台北、コロンボ、シンガポール。安宿のベッドとシーリング・ファンが回る天井。小さな吹き抜けの空間で撹拌され気化してゆく意識。真昼には路線バスを十字路ごとに乗り換えて、近代的なショッピング・コンプレックスのエスカレーターを昇ってゆく。屋上のテーブルから街を見晴らすと、三角州の上にはうっすらと排気ガスの層がかぶさっている。1日3回以上冷たいシャワーを浴びて、そのたびにパウダーを全身に塗りたくった。ひんやりした熱帯夜の手のひらで、セブンイレブンで買ったシャーベットを飲み干すと、僕は屋台で遅い食事をとっている、スカーフを巻いた女たちのおしゃべりを聞いていた。

最終日、彼女はいくら待っても現れなかった。「検事」通りの出口の、30度を超える日なたで、通りの反対側、ナシゴレンを炒める屋台から甘い煙が流れている。Jam Karet. 歯の欠けたガム売りの男が話しかけてくる(この土地では時間はガムのように伸び縮みするものなのだ、と)。国際フェリーに乗って海峡を渡るとき、船尾に集まる潮の渦を眺めながら、僕は「旅」について、冷たい「構造」を発見するのかもしれない。国際ターミナルの免税品店を漂うコロンの匂いのなかで、あるいは、空港に向かう二階建てバスの窓から、高木樹が植えられた分離帯を眺めながら。バスがランプウェイを降りてゆくと、滑走路にはもう飛行機が到着していて、その光景を、フェンスの向こうの荒れ地から、僕はただ見まもっていた。


・追記
書いているときはほとんど視界になかった自分の脳天気さに絶望するのですが、この作品を構成している、実在する地域の一部(特にスマトラ島とスリランカ)は2004年暮れの大津波の被災地域です。書いてしまってから手遅れなのですが自戒のために。


green

  軽谷佑子

わたしたちははしるあのひとは
死んだので皆もとにもどる

(かたあしを
踏みそのあいだにかたあしを
曲げ踊っていましたいつまでも
踊っていなければ)

わたしとわたし
とでわたしたち
もうひとりはしまっておいた
けれどもとうに失くした

あらされた家の
墓土を踏みかため
階段のしたのとおい


(枯れた木の
まわりをぐるぐる
と眩暈もせずいつまでも
まわっていなければ)

しめりけをもつ
草千里をはしりぬけ
わたしたちはもう
生きなくてもいい

(階段の
したで眠っていた誰か
を誰も起こさなかった
あのひとの死を知らしめよ)


二月の雨

  りす

縦列するハザードランプ
点滅して人影を探す
夕暮れ 二月の雨
傘が開いて灯る色

製紙工場の煙が南に流れる
南には錆びた海がある
岸に触れては戸惑う
波の指先

星座をあしらった傘の下
路地を曲がるふたつの焔
袖を引き合っては正していく
残雪へ踏み込むつま先

窓明かりが雪を蒼くして
わだちは線路のように繋がり
足跡は行き先を尋ねあう
傘は小さな星座を暖めて放つ

終業のサイレンが町を駆ける
工場の音が遠のいていく
マフラーの隙間から少し
鼓動が零れはじめる


月の海

  橘 鷲聖

月の海は明ける空の冷たさの中
彼方
探している透明な航路の終わりに
姿勢の祈りの正しさだけが
新しい
悲しみに暮れる人の弱さを愛した人は
許されることを許している君のような
ここに碑は無く
厳かな空だけが続いている


滅びた小鳥の唄

  ミドリ




ダンボール箱に
セーターが届きました
それと靴下とTシャツと
滅びた小鳥の唄とです

いま欲しいものは
マフラーとトランプ
そして君の穿き古し下着が欲しい

いま僕は病院のベットで寝ている
でも君はこの時間もどこかで起きている
寝返りを打ちながら僕は
いつもそのことを考えてる

昨日200リットルの血が抜かれました
その血がいまどこかで保管されているのか
あるいはどこかへ流されてしまったのか

僕はなんだか
ぶよぶよの犬みたいになってくみたいで
困っています

看護婦さんに
天ぷらが食べたいと言ったら
首をすくめて
注射をもう一本打ちますよと 言われました

8月には君とブラジルへ行きたい
サンパウロの町をふたりで歩きたいんだ
僕はあきらめて
いつか偉くなるという野心も
いまではすっかりと切り捨てています

時間が欲しくて
泣きたいくらいですが
ただ寝っころがっているだけなのに

思うに
病室のベットに寝っころがりながら
社会のことを考えていたりする
そしたら体中がサボテンみたいになり
目に映るすべての事柄について
トゲトゲしい感情しか生まれません

でもいま君がここに居てくれたら
そっと手を差し伸べることができたなら
それらのことについて
和解することができると思うのに

この小さな手と足で
こんな味気ないものを掴み触るような
この病室のベットの湿ったシーツのことを
滅びた小鳥の唄と僕はそう呼んでいるのです


舞の涙

  ミドリ



老舗のホテルで寝ている舞は
魚みたいで
息もしていないのに
きれいに見えた

お互いどんなしくみで
そうなってきたのか わからないのに
仕方なくそう抱き合って
迎えた朝のような気がした

愛情に問題があったのか
人生に何かが足りなかったのか
とかく大きな問題を残して
迎えた朝のような気がした

ふたりはいつも真剣勝負で
まったく嘘のない世界にいたはずなのに
それが全然 息苦しくもなく
むしろ癒されている自分がいたりした

アフリカのどこかの部族では
女の子が生まれると
木彫りの男の形をした人形を
ひとつ与えるのだそうだ

そういえば昨晩
無神経にゆがんだような
舞の両腕の力が
僕の背中を彫刻刀のようにつかみ 握りしめ
そして彼女は自分自身の身体の中に
僕を押し込めようとしていたような気がした

それはとっても
時間をかける必要のあることのはずなのに
舞ってば 一分一秒をそれを急ぐように
何度も僕の背中に
力を込めていた

「痛いよ」と
僕が言って ふたりが身体を突き放すと
そこにはとても空っぽな
空間が広がっているような気がして
痛ましかった

形だけタオルを胸に巻いて舞は
太もものアザをさすりながら
この夏 最後の海だもの
うんとたくさん
あしたは泳がなきゃ
そう言って
テレビをパチンとつけて観ながら舞は
「うんうん」ってひとり 
頷いている彼女がいた

「舞はね
 昔からこの世界を知って
 生まれてきた気がするの
 ずっと不幸を
 背負ったまま死んでいくことも
 わかっているの

 でもね
 たったひとつだけ
 生きてきた証を残して
 死んでいきたいの

 ただそれを
 一緒に探してくれたり
 体験してくれたりしてくれる
 ボーイフレンドが
 欲しかっただけ」

そう言って
少し日焼けした横顔の舞は
顔も上げずに
肩をぐずぐずさせながら
浜辺を見下ろす海みたいに
泣いていた


プロポーズ。

  りす

歩道橋が長すぎるので途中で諦めて、壊れた洗濯機の話をする。眼下を灯りのない貨物列車がいつまでも通り過ぎて行く。君は厚い眼鏡をハンカチで拭きながら熱心に相槌を打ってくれる。君の相槌の品揃えは、帝国ホテルのコンシェルジュみたいに完璧だ。僕の言葉は砂漠に降る雨のように、君の相槌に吸収されてしまう。だから僕は君の体内のどこかに、僕の名前を冠した瑞々しいオアシスがあるんじゃないかと常々思っているんだ。それにしても、今日に限ってどうも会話が食い違う。どうやら、僕は二槽式洗濯機について話しているのに、君の頭には全自動洗濯機しか浮かんでいないようなのだ。脱水槽が回転しない、という状況を理解させるのに、貨物列車が五本も通過していった。でもこの程度の食い違いは、君が眉間に皺を寄せて器量を損なうほど、深刻なことではないんだ。マーガリンとバターのように、片方を知らなければ、どっちがどっちでもいいような代物だ。そんな些細な錯誤はこの、長すぎる歩道橋に比べればたいした問題ではない。シェイプアップしたいの、と君が言うから、わざわざ歩道橋なんて前近代的な迂回路を選んだのはいいが、どうにも階段の数が多すぎはしないか。歩道橋の途中に自販機を置けばいいのに、という君の本末転倒な提案にも、そこそこの市場価値はあると思うよ。だけど、最初から踏切を渡れば良かった、なんて愚痴を言うつもりはない。君を見習って、これからは提案型の人生を送ろうと思ってるんだ。君は今、二槽式洗濯機の説明を求めている。説明なんて回りくどいことはやめにして、この際、結婚しようじゃないか。結婚して僕の洗濯機で、君が自分の下着を洗ってみれば、すべては一瞬に了解されるんじゃないか?だからさ、結婚しよう。僕が二槽式洗濯機の柔軟な使い勝手についてくどくど説明すれば、へえ、とか、ふーん、とか、むむむ、とか、君の相槌の訓練にはなるかもしれないが、最近わざわざ全自動洗濯機から二槽式洗濯機に買い換えた、うちの母親の気持ちは一生理解できないだろう。いや別に母親と同居してほしいと言ってるわけじゃないし、安易な文明化に警鐘を鳴らしているわけでもない。ましてや、洗濯と選択の掛詞で恋のボディーブローを狙ってる訳でもない。文明化、大いに結構。スローライフ、断固反対。ところで最近、やけに貨物列車が増えたと思わないか?気のせいなんかじゃなくて、実際に増えてるんだよ。この理由をくどくど説明すると、君のオアシスが溢れてしまうから止めておくけど、ほら、あそこに見えるのが越谷ターミナルだよ。あそこは、たくさんのコンテナがお迎えを待っている幼稚園みたいな所だ。そんな切ない場所だから、人目につかない田舎に貨物ターミナルはあるんだ。結局、僕が言いたいのは、この際、君の心を脱水槽に放り込んでしまったらいい、ってことなんだ。いつまで君は洗濯槽の中でぐるぐる回ってるんだ、ってことなんだ。そういえばこの間、眼鏡を縁なしに変えようか、なんて悩んでたよね。そんなの結婚しちゃえば、すぐ解決することだよ。ウェディングドレスに眼鏡は似合わないから、コンタクトにするしかないだろう?だから二人で二槽式洗濯機のある生活をしてみようじゃないか。踏切より歩道橋を選んでしまう君は、きっとすぐに気に入ると思うよ。でも、さっきも話したように、肝心の脱水槽が壊れているんだ。だから今しばらくは、君の体内のオアシスが枯れてしまわないように、遠回りするデートをこのまま、続けていくしかないと思ってるんだよ


驟雨

  樫やすお

冷たい雨滴を吸い、縁の下には昔のままにスニーカーが投げ捨てられてある。苔むした石畳の崩れ目に落ちていた懐中時計は私の耳朶に鈍く縋りつく。
その秒針の音の底澄みに、凍えた男の濁声が執着していた。彼女の足音だけが鋭く露を刺し、頬から多くの瞬きが零れた。

私はそわそわして木の皮を梳っている。

橋桁のそばで捨て犬が鶏の脚を銜えて佇んでいた。暗闇に、その双眼の潤いが脆く像を繋ぎとめ、空獏を見つめている。

公衆トイレの窓
堀の中に飛び込んだカラスが
溺死し
月は揺する
極度に緊張して柔軟性を失い
舌が
闇の中で湿りつく

墓石は空間に重くある。
人々は知らず顔で、トタン屋根の貸家をとり壊すことにいつまでも夢中だった。夜風の中に、剥がれた茜色の塗料は川面を底深く沈み、貧しげなフナに呑み込まれて重量を失った。

土臭い残雪にぽつぽつと
足跡を辿ると
カーテンのほつれ目に
青白くヒヤシンスが湧き出した

私はその軒下で雨止みを待っている

夏にできたつばめの巣には、生きなかった卵が残っていた。その一つを手にとって握り潰すと、枯れた粘液が硬い手首を伝って、袖口から私の体温を貪った。


バレンタインのこと

  葛西 佑也


*お弁当のこと

今日もお弁当を 自分で
作ったってことを
フタをあけて初めて気づく
しょっぱいってこと、は
しあわせなんだと
自分に言い聞かせて
きんぴらごぼうを咀嚼、する
いつかの 女の味
に 似てるんだね これ



*屋上のこと

あたしのこと すーき?
それはもう聞き飽きた、と
思いつつも
舌を絡めてやる
お昼の歯磨きをしていないことを
思い出して 一瞬引き戻されるけど
すぐに忘れてしまう
そういうのもいいじゃんって
思う なんか自然体で


*昨晩のこと

台所で母さんが泣いてい、た
理由 は 分からないけれど
あの涙もしょっぱい だろうから、
きっと、しあわせなんだろうと
思うことにして
きっと明日は お弁当がないだろうから
自分で作るべき日なんだなって
自分に言い聞かせ て
あー ねむーい って一言


*先生のこと

せんせい ぼくは まだ
子どもなんです どうしよもなく
どーしよーもなく 子ども
だから、せんせいに色々
聞かなくちゃいけない
しゃっぱいのこととか
一瞬についてのこととか
気づくってどういう意味なのかとか
せんせいが生きていてくれたら
ぼくはしあわせなのに


*砂のこと

ゆめ、で なんども
なんども 砂漠が やってくる
そんなものは望んじゃいないんだけど
もしかしたら、砂が恋しいのかもしれない
ちいさいころ たくさん
砂遊びをして、しまったから
安部公房の「砂の女」が、
頭をよぎって
女はかなしいのかなって


*告白のこと

ラブレターがたまらなく、好きなんだ
おくるのも もらうのも
書きながら、読みながら
どきどきするんだ
伝えたいんだ しあわせだよ
しあわせ
きっと 愛しているんだと思う
だから、バレンタインを前にして、
すべて おわりにしたいんだ

って思う


ラストノート

  双葉月ありあ

あおぞら
とうめいな鍵盤に
ちいさな指 滑らせた
まじり気のない風に乗り
どこまでも飛んでゆく旋律
まるで あの夏の日差し、
みたいに

うすめたインク、
キングズブルーのかき氷
しゃんしゃんしゃらりと唄いつつ
町じゅうに降り積もる
思い出という、ものたち
まるで あの夏の水平線、
みたいに

ヒマワリの花びらを
古ぼけた辞書に挟んで
それで あの夏を
のこしておいたつもりでいた
カラカラのくちなし色の
いずこに夏が在るのやら、

押しつぶす
乾いた花は崩れ
そっとモノトーンに馴染んでゆく
はらはら 粉っぽさを感じた指先は
時雨の街より だいぶ つめたい

ああ、夏は
夏はもう
朽ち果てた過去のものがたり
鮮やかな響きのワルツすら
今や虚しいだけで
透きとおった空気は
全てを無に帰し自ら染まる

春の色彩は奪われた色、


赤刹

  うれい

あの頃、お母さんの毒々しい真っ赤な口紅を勝手使って怒られたあの頃

ちょうど、今日みたいな夕暮れ時 カレーの匂い、赤ん坊の泣き声がどこか遠くで鳴っては 止んで

初めて真っ赤なマニキュアを爪に塗った日、あなたの黒ずんだ血が爪の間に挟まって不快だった


淡水のなかで赤いサカナは空気を求めて


あの頃悪戯に塗りたくったルージュはきっともう捨てられたんだろうけど


泣きながら謝るあたしをお母さんは床に叩き付けて


遠くでは、赤ん坊の泣き声がして


止んでしまった


そう、縁日で飼った赤いサカナも呼吸ができずに次の日水槽の上に浮かんでた


鼻に付くカレーの匂いと錆の臭い



泣き声はもう聞こえない


処女

  大輔

あなたに残してきた白い雪が溶けて帰宅すると胸に落ちていたものが蒸発しました

その前の事

足を動かす前の事です

あなたは爪先で軽く指をかけて少し傾けると困った顔で苦しくない?と聞くから息を吸って柔らかく入れ替えた擬態の裏側に捧げてそれを

それを始める界隈に白い光および振動そして直ちに始まる高速にそれ(何もありません)しないことを満たし有用の明日には眠るまでに

それ--それ――関連づけられて――肋骨を
正しい?
それ――それは
美しい?

関連、「なぜ」、であることの世界は継続されて悲嘆が美しいことの意味を皆の前で必要なものは正確であると思う単語それで正確であると「思う」であることそれで正確であると思うことを

傾き
適し
乾かすために空気は澱み

続けます

それ--それ――関連づけられて――太ももに
正しい?
それ――それは
美しい?

曇った窓
真珠
要求されずに

眉が近づく

縮小されたらすぐにいきそうになるんだ

シーツはそのままで

いいよ

あぁ

神様はAライン状態です

Vの頭文字から流れるようなフロウ

あぁ

神様はAライン状態です


それはそうです(この人は行わない、そして)理解することの

自由

笑う場合には

私たち

初めは美しい([ある内部])
それ--それは

理解

しかし確かに蒸発に関することの問い掛けには



苦しみが伴い

それは打つことにより震動して私の終了まで保持されて現われて混ぜて何も変わらずにそれを誰でも1つの思いによって始めたいと思うべきなのです

それは単なる  です

それ

唇を上げる場合

私たち
初めは美しい([ある内部])場合
それが感じられるかもしれません

継続
継続され
悲しいもの
まだ継続され
悲しいものたちへと継続して縮小されて

いきそうになります

Vの頭文字から流れるようなフロウ

あぁ

神様はAライン状態です

Vの頭文字から流れるようなフロウ

あぁ

神様はAライン状態です


(sister)

  he

そらで
ほしをきって
くびはひかってた

すいどうかんのなかに
しぬほどうつくしいへびがつながれている
けもの、の。
におい
うみにしおをまいたとき
ふたござのゆめはあわになってゆっくりとしみわたった

たべのこしのはちみつはなめた
おちているリボンをむすんだ


(sister)

こうもりは下着すがたでうろうろ
わたしはなにに似ている
んだろう
シェルターのしたとけたくつひも
でもすこしかしこくなってバスはいってしまった。

いまでもほどうとよべるよんでもいい
もののなかのわれめ
きげんぎれのかえるが、みえた
とんだ


しんだもの
いきているもの
どちらでもないマーブルっぽいもの
歩道橋の電柱にかぶさったかいものかご 
うちのめされたこくとうのけつえきがた
カスティアーノ、のゆめをみた
レ』からはじまるこのしゃつは(くさい
いき、ぎれ
いきていたときはかいものかご

たそがれ

 だったばしょ
  たそがれ
   
   であったばしょ(カスティアーノのゆめ

   ひるますぎのへいめんずに(せかい

   ひるますぎのへいめんずに(せかい 応用的

   ひるますぎのへいめんずに(せかい 応用的に へびのにおい)

          折れ曲がった、
    標識に、
                従わないと言う義務、

でもすこしかしこくなってバスはいってしまった。

みずのないかわにとびこむひみつ
みどりいろの、
しのびよるものがせん
だったなら、どうしようもない
せんがからだにこうをうった

  うずくまるカスティアーノというぎむ
                というぎむはへいめんにうずくまる
  カスティアーノはうずくまる(というぎむは)
              かれでありかのじょであり、およぐ
             へいめんを。うみの。
                       ショウジョウバエ 
 いっぴきもいない
 かわきすぎたくち もとのひび 
 だったばしょ だったこと 
 であったもの であったばしょ 

  うむという
           (げんかい
  そだたねば  
            )ほねに

シェルターのしたとけたくつひも
カスティアーノのむすべないゆめ

ちきゅうじんはきをてらっている
  こんなはいきょにこびをうっては
  林のほうにかけていく足をまちぶせる、
    しがいせん(をのみこんだ
    わたしはい(ってくる
      哀しい目盛がいちずつ
       ふえた

はっぽうしたり、きたないことばを
 きたないからだで密着させようとせかいする
  ただちに(かれらがのみこもう
 よくの(」して、いるしょくりょう
  ただちに(ぶたのつまさきを
    よくの(」ほしであったかわで

    うたう(われる)

いき、ぎれ(いきづくよ)

  つんざく。じゅうりょうで。くうふくで。あか
  い。/かくりされたへいめん/ひと/であった)
  もの。//であったばしょ。レ』//からはじまっ
  た。まさぐられたひふ。けいしき。ようふく)
  のほつれめにつっこんで×××××××××
  きづくよ
  うに、」」ぜんぶしくまれていたこと

くうきにとぐろをまくへび
すいどうかんにつながれたひみつをみつけ

    まぼろしがはじまる
 そのさかいとして


 (sister)      
灰と、
      (sister)
   肉と、
          (sister)

  よこくもなしにきられたほしのくびが

らあああん、っと
ひかって(  おやすみ 
sister,)とうみんからさめて
と言った


触角としての、唇、の

  藍露

唇は生まれ変わる。触角としての。
研ぎ澄まされた輪郭をなぞって、
指がふるふると震える。めくれた
皮は粉雪のように舞っては、落ち
てゆく。夜明け。朝を感知する。
カーテンの間から射し込む光。赤
い突起物が鮮やかに浮かび上がり、
時間のお知らせがやってくる。生
まれ変わる、新しい感覚たちへと。
まるで剥きたての太陽みたいに。

触角としての、唇、敏感な、それは覚醒した惑星。

長い夜を超越して、渇いた空間を
潤してゆく。舞い落ちた粉雪は溶
けて、川になる。さらさら、と流
れる煌めき。眩しい、ひとつの線
になって。瞼の裏で反射する音を
聴く。唇は成長する。触角として
の。感覚、津波のように押し寄せ
る感覚。とめどなく、とめどなく。
ぴんと張ったバイオリンの弦。ど
こからともなく音楽が溢れ出す。

触角としての、唇、敏感な、それは眠らない楽器。

満月を齧る、朝。夜の足跡を掻き
分けて、きのうの忘れ物を拾う。
酸性の汁が飛び散る。クレーター
を舌で踏みならして、黄色い水滴
が垂れる。唇は変化する。触角と
しての。酸性とアルカリ性を分別
して、変色するリトマス試験紙の
ように、赤味を増す。口先を尖ら
せて、丸みを帯びたちいさな林檎。
じりじりと蟻の行列を呼んでいる。

触角としての、唇、敏感な、それは転生する果実。


白い都市

  川 英

ソコは。
溢れている
ただ、天蓋はない
一斉に眠ることもあれば
一斉に目覚めることがあるという それだけのことだ

街に耳を当てカツテは聞いた雑踏の鼓動
力強かった
でも、偏在していたソレは
今、自失とし訪問を待ち続けている

彼女は。
螺旋階段を駆け下り
駅へと向かう細い路地 へ
そこは、室外機が寄生する雑巣(ザッソウ)
ホタリ ホタリ
首に鋭い冷気を感じ 這わせる指
傷ついたプラスチックホースから 落ちる透明な血
(イタクナイ?)
羽音が、間断なく低い響きを立て続ける
ホタリタ (ブブブブブ)リタホタリ(ブブブブブ)タリタホ(ブブブブブ)
反芻している細い路地では、
自由落下が時を支配する

ああああああ、あ

喘ぎに似た声を置き去りにして、彼女は人の溢れる商店街へ

彼は。
Hof, Platz, Strasse, Passage
そこでは、あらゆる都市の器官が打ち捨てられた玩具のように雑存し、
2月の果てですべてが凍り付いている 
彼はそこへ、
壁に耳を押し付ける再生行為へと向かう
(癒着して、離れないかもしれない)

逆回しのスローモーションで、押し当てる耳

響く壁が、
響いている壁が、 
あるいは、うめいている石が
あるいは、回帰している三半規管の中へ、
オゾオゾと、這いつくばりまわる繊毛上を
つまりは、うめいている石が
この壁を叩き割って、うめきを、一斉に
一斉に、ぶちまけろ、街へ
アロマプラプテ 
ああ、(トルコ人の売る)石榴に似たうめき(喘ぎ)

彼と彼女は。
桜の木下で、腐乱したかった彼女
は、やがて空から墜落した彼の腕の中へ

堕ちる
膠着した雪が、振り分ける指先の痺れ
とは。

火を付けてくれないかしら?指先に火を

髪にからみついて離れない、幾千本の肌熱や、
フタリが抱き合ったベットの、ただ、皺だけが増加してゆく 
ダム

 喉を吸ってくれないか?喉元の石を

海へ回帰する雨の音だけが増加してゆく 
ダム

 
明るいビルの底 
フタリ フタリ

彼のその冬のアトリエで
白い都市が産声をあげる


終幕

  DARKZONE

夢のような午後と
リズムを刻む車輪が
そっと隣に座ってくれと言った
君の手のつめたさを
遠い雲の合間に
見つけようとしている

はるかな旋律の
その果てにうちよせて
まわりながらきえていく
たくさんのちいさな貝殻のように

ひとつぶの心をおとして
とかした
空の岸辺に
にじむように ひかる
幼なげなひとみ

明るくなる町におりてくる
さまざまなひかりが
ちいさな その鎖を
思い出してとささやき
はにかむ頬に
とまどいながら
触れ

その手をつつんで
歩き出そうと
静かに
静かに
語り続け・・・

夢の終幕にむかって
とけてゆく



午後・・・


抱擁

  葛西 佑也

青い絵が
こちらをじっと見ていた
むしゃくしゃしたので
白い絵の具で、
ラクガキをしてやった。

その絵が、今
美術館 に 飾られている
有名な画家が
描いたものらしい。

螺旋階段をあがっていくと
吹き抜けの天井から、
まっすぐに ひたすらに
光が差し込んでくる、
手を差しのべようとして、
さらわれそうになる 自分を
寸でのところで引き止める

存在を忘れられた友人が、
不意に何かを
告げようとしたのが
分かったので
「絵?」、と、
聞き返す
返事はなかった
空気は塩分を
含んでいる
呼吸をする度に
しょっぱいので。

友人は
羽、に夢中になっていた
湖に降り立つ天使の
跳ね飛ぶ飛沫が
シミのように見える
中年女性の多くが悩む
それに似ている
絵もまた
老化しているのか
そうだろうか

舌がざらざらする
僕は 塩を感じる
そこではじめて、
ここが円形の建物だと
知覚する
友人はまた
存在を忘れられている


青い絵を舐めていく、
額も含めて 隅々 丁寧に、
しょっぱくないよ しょっ
ぱくない。
なんで

衝撃のあまり、
身動きが出来ない
それでいて 
体中の繊細な部分の
震えは止まらない。
存在を消した友人が
後ろから、僕を
抱きしめている。


紙飛行機

  リリィ

旋回



親指の爪は黄色く変色して白い罅が細枝をしならせていましたが
真四角に似せた青の色紙で
紙飛行機を折りました

電線で仕切られた靄掛かりの空気の中へ


すふう


吸い込む動画が私の頭を愉快に貫き脳に押し込みますが

急降下


くおおおおう

青は地球の境界と同化する前に

くぬん…

バケツに溜まった凍った雨水に飲み込まれてしずみました。


花嫁

  りす

貸し出されたまま行方が知れない花嫁。
かつては箱詰めにし風呂敷に包み贈与され集落を循環していたが、やがて在庫の
滞留が起こり幾千ものコンテナに詰め込まれ港から貨物船へ運ばれ海を渡った。
船倉から夜通し聞こえる花嫁の華やいだおしゃべりは二段ベッドの船員たちを朝
まで眠らせなかった。花嫁は五大陸すべての港に上陸し、街角にあまねく行き渡
り全ての男子は母から生まれた途端に花嫁とすでに結婚していた。ショットバー
で隣り合わせた頭が良すぎて使い物にならない女は花嫁であり、遭難した雪山で
首を絞めてとどめを刺す救助隊は花嫁である。花嫁が巷の話題にもならなかった
のは、語り部たちが臆病なレトリックによって脱がすよりは重ね着させることを
使い捨てるよりは再利用することを街灯の下の薄闇から絶えずしたたかに説いて
いたからだ。食卓にそそぐ柔らかな光のように花嫁は家屋を侵し夜になれば一人
ベランダに立ち帰る場所があったかのような眼差をしている。花嫁は回収されな
ければならないが、期限を決めなかった契約は果たされるはずもなく、貨物船が
積んでくるのは花嫁が趣味で書いた遺書ばかりだ。遺書は花嫁から花嫁へチェー
ンメールのように繋がり、花嫁たちの感度を均一にならしていく。
             一斉にヴェールを脱いで世界を裏返す日のために。


一月の暖炉

  アメ

彼女が妬ましいので冗談のつもりで
暖炉に押し倒すと別珍のスカートに火が付いて
あっという間に燃え上がってしまったのでした

ぺらぺらと彼女への賛美が口を付くわたしは
周囲からの信頼も厚く
くちびるが焼け爛れてしまった彼女は歌うこともできぬので
この身は無実となりました
なんて可哀想な彼女とあの人


ただひとりあの人だけは
私へ疑いの視線を投げます

それがわたしにとってどんなに心地の良いことか
きっと彼は知らないのでしょう
知っていたならわたしのことなど
見向きもしないに違いない


彼女は美しさが失われたことを嘆き
やがて一月の湖に身を投げたのでした
わたしはあまりのことに言葉を失い
嗤い過ぎて嗚咽しました
ああ 呼吸が苦しい

人々は私を慰めますが
ただひとりあの人だけは
わたしを睨み付けるのでした

それがどんなにどんなに気持ちの良い事か
きっと彼は知らないのでしょう


あの人は私を許さないに違いない
やがて全てが消えうせても
わたしだけを許さないに違いない

そう思うと歓喜が身体を駆け巡り
私は嗤い過ぎて嗚咽しました


いつまでもいつまでも
肩を震わせ嗚咽しました

文学極道

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