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2017年05月分

次点佳作 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


全行引用による自伝詩。

  田中宏輔



 そのときマルティンはブルーノが言ったことを思いだした、自分はまったく正真正銘ひとりぽっちだと思い込んでいる人間を見るのはどんなときでも恐ろしいことだ、なぜなら、そんな男にはどこか悲劇的なところが、神聖なところさえもが、そして、ぞっとさせられるばかりか恥しくさせられるようなところがあるからだ。常に──とブルーノは言う──わたしたちは仮面を被っている、その仮面はいつも同じものではなく、生活の中でわたしたちにあてがわれる役割ごとに取り換えることになる、つまり、教授の仮面、恋人の仮面、知識人の仮面、妻を寝とられた男の、英雄の、優しい兄弟の仮面というように。しかし、わたしたちが孤独になったとき、つまり、誰一人としてわたしたちを見ず、関心を示さず、耳を貸さず、求めもしなければ与えもしない、親しくもならなければ攻撃することもない、そんなときわたしたちはいったいどんな仮面をつけるのだろう、どんな仮面が残されているのだろう? おそらくその瞬間が聖なる性質を帯びるのは、そうなったとき人は神と向きあう、少なくとも自分自身の情容赦のない意識と直面することになるからだ。そして、おそらく誰も自分の顔の究極的、本質的に裸の状態、もっとも恐ろしく、もっとも本質的な裸の姿に驚いている自分を赦(ゆる)しはしない、というのも、それは防備のない魂を見せるからだ。それはキーケのようなコメディアンにとってはひどく恐ろしいことであり、恥ずべきことでもある、だから(とマルティンは思った)彼が無邪気な人間とか単純な人間よりもいっそう哀れを誘うのはあたりまえのことだ。
(サバト『英雄たちと墓』第II部・20、安藤哲行訳)

われわれは生き残らなければならない。死んではならない。生きることは、死ぬことよりもはるかにつらい。
(デヴィッド・ホイティカー『時空大決闘!』関口幸男訳)

どんなに美しい風景でも、しばらくすると飽きてしまうからだ。
(ジョージ・R・R・マーティン『フィーヴァードリーム』5、増田まもる訳)

「だが、いつもこうだとかぎりません。月がないときもあれば、雲が広がるときもあります。そうなると、真っ暗になるので、なにも見えなくなります。川岸が闇に呑まれて、自分がどこにいるのかわからなくなってしまい、気づかぬうちに川岸に頭から突っこんでしまうでしょう。反対に、まるで固い地面のように見える黒い影にでくわすこともあります。それが地面ではないことを見分けられなければ、ありもしないものを避けるために夜のなかをむだにしてしまいます。操舵手はどうやってそれらを見分けると思いますか、ヨーク船長?」フラムはヨークに答えるひまを与えなかった。「記憶に頼るんですよ。昼間のうちに川の姿を憶えてしまうんですよ。隅から隅まで。あらゆる曲がり角、川岸のあらゆる建物、あらゆる木材置場、深みに浅瀬、すれちがう場所、なにもかもを。われわれは知識によって船を操るんです、ヨーク船長。見えたものによってではなくてね。しかし、記憶するためにはまず見なければなりません。そして夜では、はっきり見ることはできないんですよ」
(ジョージ・R・R・マーティン『フィーヴァードリーム』8、増田まもる訳)

 マーティンは人間というものをよく知っていた──人間のどんなささいな行動をも見逃さず、それらをまとめて圧倒的な正確さで全体像を描く自分の能力を、かれはつねづね誇りにしていた。ダーナ・キャリルンドもおそらくかれと同じくらい人間通だったが、その手段も目的もマーティンとはちがっていた──つまり、それは人間の精神の健康を改善するためではなく、人間たちをもっと大きな図式に当てはめるためだった。彼女はそのプロセスで自分の欲求をほとんど露呈させなかったし、その行動も俳優の演技のように必ずしもいつわりではなかったが学習されたものだった。必ずしもいつわりではなく。
(グレッグ・ベア『斜線都市』上巻・第二次サーチ結果・5/、冬川 亘訳)

詩によって花瓶は儀式となる。
(キム・スタンリー・ロビンスン『荒れた岸辺』下巻・第三部・18、大西 憲訳)

(…)ぼくのいちばんそばのベッドの支柱はガタガタしていた。シーツはあまりにも古いものなので一本一本の糸がはっきりわかる。あちこちにつぎが当たっている。ぼくはその床を見つめたきりで、決して目を上げなかった。息をすると痛みを感じるので、撃たれたのはぼくかもしれないと思った。でもそうじゃない。そうじゃないんだ。キャスリンの脚が部屋に入ってくると、床板が少したわんだ。キャビイの脚が続いた。
(キム・スタンリー・ロビンスン『荒れた岸辺』下巻・第四部・20、大西 憲訳)

 ポーターがわたしの旅行鞄を持ち、ゆるくカーブを描いている幅広い階段を先導して上の階へ向かった。鏡やシャンデリアで飾られ、階段には豪華な絨毯が敷かれており、漆喰製の天井の蛇腹には金メッキが施されている。だが、鏡は磨かれておらず、絨毯はすり切れ、メッキは禿げかけていた。階段をのぼる、耳に聞こえないほど小さくなったわたしたちの足音は、どこかでだれかの思い出として生き延びているにちがいない、はるかむかしのパーティーで聞こえていたものの哀れな代替物だった。
(クリストファー・プリースト『奇跡の石塚』古沢嘉通訳)

その荒涼とした景色は、わたしにとってたんなる文脈にすぎない。荒野には一見なにもないように見えるが脅威がひそんでいる。わたしの感情は、そうした脅威を意識することに、つねに影響されていた。
(クリストファー・プリースト『奇跡の石塚』古沢嘉通訳)

 パーブロというあだ名がどこから出たのか、ぼくは時々不思議に思っていた。昔、友だちがたまたま言い出したものだろう。チャールズという名でずっとなじんできたから、それが本人にぴったりだという気もする。名前というものはすぐに容姿を想像させるものだ──ぼくにとっては、スザンナという名はどんな女性にもふさわしくない。パーブロはまちがいなくパーブロで、独自のものを持っていた。いまは不安そうに前かがみになって椅子に腰かけている。しかし、人殺しには見えない。われわれはみんなそうだ。
(マイクル・コニイ『カリスマ』9、那岐 大訳)

 何年も何年も……おれは、超空間のどこかの、使われないまま蓄えられた年月の中にいて、その全部の重みがおれの上にのしかかり、それと連続して同時に、おれの中からも同じ重みが支えていたのだ。
(シオドア・スタージョン『解除反応』霜島義明訳)

彼は土地使用料を払う担当者に任命され、その遊園地を目にするたびにロビンのことを思い出し、ロビンに会うたびについカーニヴァルのことを思い出すようになってしまった。
(シオドア・スタージョン『[ウィジェット]と[ワジェット]とボフ』3、若島 正訳)

 いやいやそれどころか、今日の調査業務によって手に入るものは、明日かぞえる鼻のリストなんだから。ああ、ひとつ四セントの鼻たちよ。大きい鼻、小さい鼻、しし鼻、かぎ鼻、赤、白、青の鼻──鼻アレルギーになるまで、こうした鼻たちと顔をつきあわさなきゃならないんだ。ドアが開いてまたひとつ鼻がのぞいたら、その鼻をつまむかひねるかしたあと、ドアを閉め、そのままずらかりたい気分にもなってくる。
 まあ、わたしはこういううんざりした心境で、その家の戸口からつきだす鼻を待っていた。わたしは気をひきしめ、そしてドアが開いた。
 とがったわし鼻があらわれた。特(とく)徴(ちょう)のない顔とごく普通の主婦を代表する前衛(ぜんえい)というわけだ。その鼻は息を吸い、身をまもるドアの闇のなかで、いささかおぼつかなげにためらった。
(ロバート・ブロック『エチケットの問題』植木和美訳)

 アグノル・ハリトは率(そつ)直(ちょく)に、わたしたちが洞窟の入り口に達したら、そのあとは地獄さながらの場所に入りこむことになるだろうと警告した。あとでわかったことだが、アグノル・ハリトの警告はあまりにもひかえめなものだった。
(ニクツィン・ダイアリス『サファイアの女神』東谷真知子訳)

 バードはおちつかなげに歩きまわり、弁護士というよりは、むしろ床(ゆか)を相手に話をしているようだった。
(オスカー・シスガル『カシュラの庭』森川弘子訳)

 彼らの心理は病んでおり、彼らには傷痕がたくさんある。彼らは他人をおそれ、同時に、他人の援助を求めなければならないことを知るがゆえに、その他人を軽蔑する。
(スタニスワフ・レム『地球の泰平ヨン』時間の環、袋 一平訳)

 わたしはかれが、その全存在を新しい光明の下に置こうという一種の精神的な方向転換に向かって、手探りながら進んでいこうとしているのをすでに感じていた。
(オラフ・ステープルドン『オッド・ジョン』9、矢野 徹訳)

彼女を閉じこめているのは肉体だけではなかった。この世界全体だった。
(トマス・M・ディッシュ『ビジネスマン』4、細美遙子訳)

 病院にだれかを見舞いに行く以上にいやなことがあるとすれば、それは見舞いに来られることだ。
(トマス・M・ディッシュ『ビジネスマン』3、細美遙子訳)

 グランディエには殺人者になるつもりなど毛頭なかったのと同じに、妻をも含めてだれかを愛すつもりもなかった。それは積極的に人間を嫌っているというわけではなく、周囲の世界で愛という名のもとにおこなわれているふるまいに対する強度の懐疑主義のせいだった。
(トマス・M・ディッシュ『ビジネスマン』10、細美遙子訳)

 ジョージ・マレンドーフが自宅の玄関へと私道を歩いていくと、愛犬のピートが駆けよってきて、彼の両腕めがけてとびついた。犬は道路から跳びあがったが、そこでなにかが起きた。犬は消えてしまい、つかのま、いぶかしげな空中に、鳴き声だけがとり残されたのだ。
(R・A・ラファティ『七日間の恐怖』浅倉久志訳)

 始まりはすべて静かにやってくる。この実験は大成功だった。他人の目で見る経験は新鮮ですばらしい。(…)
 たしかに、よりよい世界だった。ずっと大きなひろがりを持ち、あらゆる細部が生き生きしていた。
(R・A・ラファティ『他人の目』2、浅倉久志訳)

すべてのディテールが相互に結びついたヴィジョン。
(R・A・ラファティ『他人の目』2、浅倉久志訳)

 レイロラ・ラヴェアの教えでは、人生のバランスを獲得すれば──ありあまる幸運を完全に分かちあい、すべての不運が片づいて──完璧に単純な人生がのこる。オボロ・ヒカリがぼくたちにいおうとしていたのは、それなんだ。ぼくたちが来るまで、彼の人生は完璧に単純に進行していた。ところが、こうしてぼくたちが来たことで、彼は突然バランスを崩された。それはいいことだ。なぜなら、これでヒカリは、完璧な単純さをもどす手段をもとめて苦闘することになるからさ。彼は進んで他者の影響を受けようとするだろう。
(オースン・スコット・カード『エンダーの子どもたち』上巻・4、田中一江訳)

「そんなの、わたしが思ってたよりずっと面倒くさいじゃないの、ロジャー。まったく面倒だわ」ドリーが愚痴をこぼした。
「面倒だからこそおもしろくなるんだよ」ロジャーはおかしくもなんともなかったが、にやりと笑った。(…)
(タビサ・キング『スモール・ワールド』8、みき 遙訳)

 まあ、何が起こるにせよ、なかなかおもしろい旅行になりそうだった。知らない人々に会え、知らないものや知らない場所を見ることができる。それがドリーと関わりあいになった最大の利点のひとつだ。人生とはほとんどいつもおもしろいものだ。
(タビサ・キング『スモール・ワールド』5、みき 遙訳)

その世界はジム・ブリスキンの好奇心をそそったが、それはまたかれのまったく知らない世界だった。
(フィリップ・K・ディック『カンタータ百四十番』5、冬川 亘訳)

春はまたよみがえる!
(フィリップ・K・ディック『シビュラの目』浅倉久志訳)

 スリックの考えでは、宇宙というのは存在するすべてのものだ。だったら、どうしてそれに形がありうるのだろう。形があるとすれば、それを包むように、まわりに何かあるはずだ。その何かが何かであるなら、それもまた宇宙の一部ではないのだろうか。
(ウィリアム・ギブスン『モナリザ・オーヴァドライヴ』10、黒丸 尚訳)

まるで、この表面の下に、いまだ熟さぬ映像がひそんでいる、とでもいうように。
(ウィリアム・ギブスン『モナリザ・オーヴァドライヴ』12、黒丸 尚訳)

 ユートピアの害獣、害虫、寄生虫、疫病の除去、清掃の各段階には、それぞれいろいろな制約や損害が伴った可能性があるという事実を、キャッツキル氏は、その鋭い軽率な頭脳でつかんでいた、というより、その事実が彼の頭脳をつかんでいたと言ったほうが当たっている。
(H・G・ウェルズ『神々のような人びと』第一部・六、水嶋正路訳)

ここは、夢に思い描いていた世界だと言うわけにはいかない。なにしろこれほど願望と想像にぴったりと合った世界は、夢に描いたこともないのだ。
(H・G・ウェルズ『神々のような人びと』第一部・七、水嶋正路訳)

 この静けさは、水車をまわす水流の静けさだ。音もなく突っぱしる水は、ほとんど動いているとも見えないが、いったん泡立ったり、棒切れや木の葉がその上に落ちると、矢のように走って、はじめてその速さが知れるのだ。
(H・G・ウェルズ『神々のような人びと』第二部・一、水嶋正路訳)

 よそ目にもはっきり見てとれたが、彼は老人の、物ごとをよく見る、悠揚(ゆうよう)迫らない態度で、子供たちの叫び声やスズメのチッチッいうさえずりや、恋人たちの優しい手のからみ合いなど、生活のさまざまな要素をいっしょに味わいながら、夕暮れの散歩を楽しんでいた。彼は過去の日々にやったように、人間生活の本流にひたっていたのだ。そして年月を経る間に、夜の逃亡者のように突然、音もなく姿を消して行ったあの親しい人びとの跡を埋め合わせるものを、何がしかそこから得ていたのだ。
(エリック・F・ラッセル『追伸』峯岸 久訳)

「(…)これじゃ台所の雑巾にも劣り、汚れた脱脂綿にも劣る。実際、ぼくがぼく自身と何の関係もないじゃないか」それゆえ彼にはどうしても、こんな時刻にこんな雨の中をベルト・トレパに連れ添っている彼にはどうしても、すべての光がひとつひとつ消えてゆく大きな建物の中で自分が最後に消えようとしている光であるかのような感じがいつまでも消えやらず、彼はなおも考えていた、自分はこれとは違う、どこかで自分が自分を待っているようだ、ヒステリー性の、おそらくは色情狂の老女を引っぱってカルチエ・ラタンを歩いているこの自分は第二の自分(ドツペルゲンガー)にすぎず、もう一人の自分、もう一人のほうは……
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・23、土岐恒二訳)

言葉は形を与えられると、たちまち休む間もなく考えるひまもなくやりとりされるのだ。
(レイ・ブラッドベリ『四旬節の最初の夜』吉田誠一訳)

芸術はもはや表現するだけでは満足しない。それは物質を変容させるのだ。
(マルセル・エイメ『よい絵』中村真一郎訳)

夕暮れの光線は、事物を溶かすのではなく、かえって線や面を強調した。
(マルセル・エイメ『パリ横断』中村真一郎訳)

 月明かりに照らされた空間では、どんなにぼんやりした見張人でも、まるで丸い照明の光を浴びたダンサーのように姿を現わす通行人のひそかな人影を、たちまちとらえることができるのだ。
(マルセル・エイメ『パリ横断』中村真一郎訳)

人間はみんなちがってていいんだよ
(ニコラス・グリフィス『スロー・リバー』8、幹 遙子訳)

長く楽しめるものというのは、どんどん奥が深くなっていく。
(ニコラス・グリフィス『スロー・リバー』12、幹 遙子訳)

 彼はじっとわたしを見た。その表情から、わたしを信じるかどうか決めかねているのがわかった。希望を抱くことは危険をはらむからだ。
(ニコラス・グリフィス『スロー・リバー』13、幹 遙子訳)


そこでみながもう一度家族であることを学べる場所。
(ニコラス・グリフィス『スロー・リバー』8、幹 遙子訳)

 アイリーンがちょっとためらってから、にこっとして言った。「あれはきっと、イギリス英語で『ようこそ』という意味なのよ」
(チャールズ・ボーモント『レディに捧げる歌』矢野浩三郎訳)

たしかに、彼女らはその生きかたにおいては最大限に異なっていたかもしれないけれども、しかしきっと共通するものをなにかもっていただろう。彼女らは真実だった。
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』25、菅野昭正訳)

というのは、瞬間というものしか存在していないからであり、そして瞬間はすぐに消え失せてしまうものだからだ──
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』25、菅野昭正訳)

ボビー・ボーイはゆっくりとぼうっとしたような動き方で、エディーのほうをふり返った。手にしたディスペンサーからアンプルを出して、鼻の下でぽんと割り、ふかく息を吸いこんだ。顔が細長く伸びるように見えた。
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第四部・14、小川 隆訳)

その考えが彼女の顔にしみこんでいくのが、みんなの顔にしみこんでいくのが見てとれた。
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第五部・16、小川 隆訳)

(…)彼女たちはここにひきよせられてきたのだ、ちょうど私がひきよせられるように禁欲の誓いを破るはめになったように。夢に、さまざまな声にひきよせられたのだ。
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第四部・13、小川 隆訳)

どこかでよいことが起きたのだ。そしてそれが拡がったのだ。
(フィリップ・K・ディック&ロジャー・ゼラズニイ『怒りの神』18、仁賀克雄訳)

きみの中で眠っていたもの、潜んでいたもののすべてが現われるのだよ。
(フィリップ・K・ディック『銀河の壺直し』5、汀 一弘訳)

 ジョーは議論にそなえて男のほうに向き直り、言葉をつづけようとした。そのとき、ジョーはだれに向かって話しかけようとしていたかを悟った。
 隣にかけていたのは、人間の形をしたグリマングだった。
(フィリップ・K・ディック『銀河の壺直し』5、汀 一弘訳)

わたしが二つの世界をつなぐ橋なの
(マイケル・マーシャル・スミス『スペアーズ』第三部・21、嶋田洋一訳)

 走りながらおれは一秒一秒が極限まで引き伸ばされ、それ以前にあったことすべてを包みこもうとするのを感じていた。失われるものは何もなく、役に立たないものもない。おれのしてきたすべてのことが、視線も、言葉も、息も、ことごとく輝き、巨大に、無限に、おれ自身になる。人生は目の前を通り過ぎていったのではない──おれが人生の先に立って走ってきたのだ。
(マイケル・マーシャル・スミス『スペアーズ』第三部・21、嶋田洋一訳)

闇の世界には、おのずからなる秩序があるのである。
(ハーラン・エリスン『バシリスク』深町真理子訳)

 レスティグは静かに車を走らせた。(…)ひたすら車を駆った。そのようすはさながら、もし彼が想像力に富んだ男であったなら、本能に導かれてまっすぐ海へ帰ってゆくうみがめの子になぞらえただろうような、そんなひたむきさを持っていた。
(ハーラン・エリスン『バシリスク』深町真理子訳)

そこでこの最後の映画では山中のストリート・キッドが「ことば」を爆発させ、静かに座る答を待つ沈黙。
(ウィリアム・バロウズ『ソフトマシーン』4、山形浩生・柳下毅一郎訳)

フードをかぶった死人が回転ドアの中で独り言を言う──かつて私だったものは逆回転サウンドトラックだ
(ウィリアム・バロウズ『ソフトマシーン』5、山形浩生・柳下毅一郎訳)

熱い精液が白痴の黒んぼを射精した
(ウィリアム・バロウズ『ソフトマシーン』5、山形浩生・柳下毅一郎訳)

不動の沈黙を句読点がわりにゆっくりした緊張病の動作で会話する
(ウィリアム・バロウズ『ソフトマシーン』4、山形浩生・柳下毅一郎訳)

わたしは、どこでまちがえたのだろう?
(メリッサ・スコット『地球航路』3、梶元靖子訳)

もっとコーヒーを飲むかい?
(フィリップ・K・ディック&ロジャー・ゼラズニイ『怒りの神』17、仁賀克雄訳)

それはすてき。
(メリッサ・スコット『地球航路』7、梶元靖子訳)

一晩中ずっと勃起していられたあの少年はいったいどうなったんだろう?
(ウィリアム・バロウズ『ソフトマシーン』5、山形浩生・柳下毅一郎訳)


蒼ざめし

  

我が頭骸骨をさわりたい
目玉がはまっていたところから
外を覗き込んでみたい
穏やかに昇天している無量の言魂がみえるだろう

我が墓石を前に、
我が頭蓋骨を両腕に鎮めている
あちらの人間も、こちらを見ている
あちらとこちらの境界で、互いに気不味いではないか
胡座の裡にどっしりと座り、

人目を気にせず

ああ、我が頭蓋骨を抱きしめていたい

出かけるのは深夜、我が頭蓋骨のとなりに腰かける
星林は夜景に埋もれ、街明りは絶景を見下ろしている
もう、帰るところがないのである
宙も大地もないのである
雨風を凌ぐ、
家に設計図はいらないのである
あちらもこちらも、
同じ社会構造になってしまう

ひとり静かに死んでいたいのである

我が頭蓋骨を抱きしめ、
ほんとうに最後までよくがんばった
心臓も労ってやりたい (火葬してしまった
せめて墓を建ててやりたい (心臓に名前がなかった
今さら申し訳ないと思う
四十九日、心臓を靖子と名づけ呼ぶことにした

*

靖子、我が片恋の女
あちらでは、
一言の会話さえ、交わしたことがなかった
しかし、今なら告白できる気がする

暦の境界に靴を脱ぎ
ここから飛び降り貴女の跡を追うのだ

靖子、靖子さん

この勇気はいったいどこから湧いてくるのか
こちらで貴女へ伝えられなかった恋情を、
あちらで貴女に伝えること叶うであろうか・・

そう思うと、


靖子がどきどきする


ゲーテ時代

  芦野 夕狩

君に会うことがなくなってから
いくつかのかなしい出来事と
いくつかのたのしい出来事が
あった
たまに思い出すこともある
君と僕とがゲーテとシラーのように生きていたこととか
君と僕とは足してもゲーテやシラーにもなれなかったこととか
イエナの君の隠れ家でおこなわれた
うつくしい研究のきれはし
その全てを焼き払ったことは
君の預かり知らぬところかも知れない
その炎は未だ燃えているのかも知れないし
そうでは無いのかも知れない
いずれにせよ僕たちは断片であることを望み
僕たちは断片のように未完成のままだった
閉ざされていないことが、君が言うところの
真なる完成、と信じるのならば
話は違ってくるのかもしれないね

こんな風景のことをいつも考えるんだ
僕は放浪の旅の果てにどこかの公爵の命とか名誉だかを救い
その方にささやかな領地を賜り
そこには口汚いけれど
蜜蜂の世話をこれから一生していくことにうんざりせず
むしろその蜜をたまに味わえることがこの世の全ての
喜びに勝ると思っているような
そんなささやかな人たちが暮らしていて
干し草の匂いが胸の奥をからからとさせるような
そんな牧歌的な村に
いつだか消えてしまった君がひょっこり現れて
村を見下ろせる丘にある一本の樫の木陰に座っている
もちろん後ろ姿で君のことはわかる
だってその髪の結わえ方は昔と何も変わらないし
髪の結わえ方以外で人はそう変わるものではないし
僕は君に何というだろうか
元気か、とか久しぶりだな、とか
そんな月並みな言葉を君にかけて
君もまた
そうだね、とか色々あったな、とか
そんな月並みなことを
僕に言って
それからしばらく話をして
ここにいてもいいんだぜ、と言うと
是非そうしたいね、と君が言い
それでも君はたぶんここに留まることなんて
無いだろうと思いながら
耳をすますと
農家の人たちの声も疎らになっていて
ニワトリや馬も牛も静かになっていて
その世界の一日の
終わりを告げるように
太陽がゆっくりと
沈んでいくところを


「詩」および「批評」および「鑑賞」

  Migikata

   詩1

だからこれさえもああなってしまった
と思うと抑えきれず
立ち上がって
あの人のそれを夢中でああしていた
あの時の僕、そうするしかなかったのか、僕

今、この地を巡る季節
あの日の街路樹が、今はこんなだ
姿をすっかり改めているじゃないか
風が叫ぶように、降るもの同士が交わすそれのように
あるいは波のように
ずっと昔からついさっきまでの僕が
今、背中から僕を苛み、これもまた巡る
立ち止まる場所は何処にもない
かつてきっと、あの人がそうだったように
残されてしまったそれが
僕を眠らせない
どうにもさせないし
どうにもならない
なることはない

なぜ、僕は自分の知らないところで罪を得たか
いや
そんなことよりも
あなたのあのあられもない恥辱に寄り添いたい
あの時のあの苦痛をともにしたい
止まってしまった時計を握っていると
この地を取り巻く山川草木の総てが
僕たちの間を取り巻く時空を越えて
動く
音を立てる
また動く
僕も動いている
声を上げている

それが今


批評1
 この作品は重要な部分に何一つ踏み込まず、物語の顛末を置き去りにして感情だけが空回りしている。「これがあれでああなった」といった挙げ句に、何が「恥辱に寄り添いたい」だ。何が「苦痛をともにしたい」だ。まったく馬鹿げている。これでは読み手の共感を得ることは出来ない。中学生的な自我の垂れ流しに留まる。表現というものに一から向き合い直した方が良い。

批評2
 現代詩には必ずしもメタファーは必要でなく、作者の想定する解釈に読み手が従う義理もない。「詩」そのものの需要層がごく少数の好事家の間に限定されてしまった現在の状況では、「現代詩史」を踏まえたアカデミックな正統性が意味を失っているからだ。だが、語を解釈するのは読み手の権利であり、読むという行為に約束された愉楽でもある。この詩の、解釈の余地もない単純な感情指示の全編に渡る羅列の、どこに解釈の余地があるというのか。具体的な事物の存在に繋がらない指示語を過度に含む「詩句」は、自ら本来あるべき文脈の流れを絶っている。「詩」になるか否かは、主題の開示の後の段階の話である。

鑑賞1
 ここに描かれているのは「僕」と「あなた」との間の、閉鎖的な関係性である。描いていない振りこそしているけれど、二人の間にあるのは変態的な性行為である。変態行為は個体の関係性の中でのみ成立し、その関係性が壊れたとき、名手の手で半身に切り取られた魚がしばらく水槽で泳ぐように、グロテスクな感情が構成した内的宇宙がほんの少しの間読み手の感覚の中を蠢くのだ。そして死ぬ。この詩は作者の体験にも読み手の体験にも深く根ざさない以上、程なくして忘れられる作品である。せめて読者は忘れ去るまでのほんのひと時、その暗い快楽を作者とともにしたい。

鑑賞2
 詩の読み手というものは、どういう訳か自分の解釈を狭い場所に閉じ込めたがる傾向がある。これは明らかに反戦詩だ。戦争を知らない世代が、今や年老いて晩年を迎えつつある戦争世代に向けて、惜別の辞を述べているのである。戦争に対して、一方的な幻想を持ってしてしか対処できない安倍内閣の描く未来に対し、より生々しく死者と生者の感覚に繋がることによって異議を唱えている。誰も言わないことであるが、先の大戦による死者の大半は無駄死にであった。一人一殺どころではない。大陸や離島で食糧補給もないまま病気や怪我で死んだ者、効果のない「特攻攻撃」で何の成果も上げられずむざむざ敵弾に倒れた者。安全軽視の消火指示で空襲の逃げ場を失って死んだ者。生き残って道義を失い、人を手に掛けてしまった者、狂った者。そういう人々の記憶に作者は繋がろうとしているのだ。
 それが明示されていないというのは、読者が試されているのである。自分たちの親や祖父の世代の受けた恥辱と痛苦に対して、誰が誰にどういう形で責任をとらせたというのか。この国の人々の恥辱と痛苦は狭い関係性や閉鎖的な性ではなく、もっと直接歴史と生活の上流にある生の営みに繋がるべきなのに、誰もそれがわからない。
そのことをこの詩は告発している。

批評3
 表現に対するシニスムが開陳されている。言葉は指示する文脈が明確になればなるほど、既存の文脈の中に回収され、他の何かと置き換え可能な既製品として消費されるしかなくなる。美術や音楽と同様に新しい表現が無限に模索され、新しさそのものの価値が作品の価値を上回る事態は、一部の突出した意識を持った層の暴走ではなく極めて生真面目な詩の価値の探究の結果に他ならない。その新しさから置き去りにされた「大衆」は、進歩というよりも目先の変化の波に揺動しつつ無限の消費を繰り返させられているのだ。
 「この」「その」「あの」という近称・中称・遠称によって核心を欠落した感情の枠組みに対し、読み手は批評者と鑑賞者に分けられる。いやむしろどういう態度をとるか、という旗幟を明確にすることを迫られるのだ。あるいはまったく読まないか。だが、この作品は「読まない」読者をも想定しつつ存在しているのだ。その存在を夢想だにしない時代の人類に対してもブラックホールは存在し、影響力を持っていた。敢えて言うと、この作品は文学作品というものの形をとった躓きの石である。


全行引用による自伝詩。

  田中宏輔



マクレディの長老教会派(プレスピテイアリアン)の良心は、一旦めざめさせられると、彼を休ませてはおかなかった。
(J・G・バラード『沈んだ世界』3、峯岸 久訳)

ウェンデルの質問は、もうとっくに、あのバージニアカシの生えたなだらかな丘のガソリン臭い空気の中へ、置きざりにされている。
(ウォード・ムーア『ロト』中村 融訳)

だが、ボドキンは行ってしまっていた。ケランズはその重い足音がゆっくり階段を上がって、自分の部屋の中に消えてゆくのを聞いた。
(J・G・バラード『沈んだ世界』3、峯岸 久訳)

言葉ではあらわせない。
(フランク・ベルナップ・ロング『ティンダロスの猟犬』大瀧啓裕訳)

絶叫する沈黙の中で、
(フランク・ベルナップ・ロング『ティンダロスの猟犬』大瀧啓裕訳)

すべての知識は、それなりの影響力をもつ。
(ブライアン・W・オールディス『一種の技能』2、浅倉久志訳)

幸福とおなじように、おそらく苦悩もまた一種の技能なのではなかろうか?
(ブライアン・W・オールディス『一種の技能』跋、浅倉久志訳)

人間は自分自身に孤独になり、耐え切れずにちょっかいを出し、結婚し、そして二人して孤独になるのだ。
(シオドア・スタージョン『きみの血を』山本光伸訳)

優れた比喩は比喩であることをやめ、そのまま分析として通用することがある。
(シオドア・スタージョン『きみの血を』山本光伸訳)

哲学者の脳ミソの中よりも、ひとつの石ころにこそ多くの謎がある。
(デーモン・ナイト『人類供応のしおり』矢野 徹訳)

ラウラが嘘をついたところでどうってことはない。あのよそよそしい口づけやしょっちゅう繰り返される沈黙と同じ類のものだと考えればいいのだ。そして、その沈黙の中にニーコが潜んでいるのだ。
(コルタサル『母の手紙』木村榮一訳)

言語が、それを使う人種の根本的な思想の反応であることは、ご存じの通りだ。
(デーモン・ナイト『人類供応のしおり』矢野 徹訳)

自由なのは見捨てられたものだけだ。
(ブライアン・W・オールディス『終りなき午後』5、伊藤典夫訳)

毒というのは説得力があるな
(ティム・パワーズ『石の夢』上巻・第一部・第十章、浅井 修訳)

あなたには他人のことがけっして理解できないのよ。あなたはいつもひとりぼっちだった
(ティム・パワーズ『石の夢』上巻・第一部・第十一章、浅井 修訳)

Summa nulla est.(スンマ・ヌルラ・エスト、総和は無なり)
(コードウェイナー・スミス『老いた大地の底で』3、伊藤典夫訳)

「どこまで深く降りたかではない」老人は心外そうな顔をした。「どこにいるかが肝心なのだ。(…)」
(コードウェイナー・スミス『老いた大地の底で』5、伊藤典夫訳)

ここまで来てしまうと、何もかもが変わる。
(コードウェイナー・スミス『老いた大地の底で』5、伊藤典夫訳)

いまの人間のいったい何人が、古い憤りのひりつく冷たさを味わったことがあるだろう? 太古にはそいつが糧だった。しあわせを装いながら、いきるはりは嘆きであり、怒りであり、憎しみ、恨み、希望だった。
(コードウェイナー・スミス『老いた大地の底で』2、伊藤典夫訳)

(…)ク・メルが人間に通じているのは、なによりも自分が人間ではないからだった。ク・メルは似せることで学んだが、似せるという行為は意識的なものである。(…)
(コードウェイナー・スミス『帰らぬク・メルのバラッド』3、伊藤典夫訳)

「彼、どうして裸なんだい?」
「裸でいたいからよ」
 ゼアはかすかに笑みを浮かべ、やがてその笑みが大きくなった。体の中に笑いがあるようで、周囲の人間たちも笑みを浮かべて、たがいに顔を見合わせ、そしてゼアを見た。
(ジョン・クロウリー『エンジン・サマー』大森 望訳)

ラ・セニョリータ・ラモーナの家に、そして男たちや女たちの上に霧がかかり、彼等が交わし、いまだ空気の中に漂っている言葉を残らず、一つ一つ、決して行く。記憶は霧が課する試練に耐えられない、その方がいいのだ。
(カミロ・ホセ・セラ『二人の死者のためのマズルカ』有本紀明訳)

「(…)あいつのあの顔つきときたら、いつだって同じだ。そりゃニクソンだって自分のおふくろは愛してただろうけど、あの顔じゃとてもそうは思えないよな。心で思ってることがうまく表情に出ない顔の持ち主ってのも、哀れなもんだよな」
(アン・ビーティ『燃える家』亀井よし子訳)

 そういうことがあって、彼はわたしを愛すると同時に憎んでもいる。わたしは他人が近づきやすいタイプの人間なので、彼はわたしを愛している。彼自身、そうなりたいと思っているからだ。教師だから。彼はある私立校で歴史を教えている。ある夜遅く、彼とわたしがチェルシーを歩いていると、身なりのいい老婦人が自宅の門から身を乗り出して、グリーンピースの缶と缶切りをわたしに差し出し、「お願いします」といったことがある。また、地下鉄に乗っているとき、ひとりの男に手紙を渡され「何もいってくれなくていい、ただこの一節を読んでくれませんか。破り捨てる前に誰かに見てもらいたいだけなんです」といわれたこともある。こういうことはたいてい、奇妙なかたちではあるけれども、愛にかかわりのあることだ。もっともグリーンピースは、愛とはかかわりがなかったが。
(アン・ビーティ『駆けめぐる夢』亀井よし子訳)

「新しいことを習うのが嫌いなのさ」
(アン・ビーティ『駆けめぐる夢』亀井よし子訳)

「七七七号、あなたはつまり、わたしを信じていないといいたいんですね」
 しかしエルグ・ダールグレンは心の底ではそうではないことを知っていた。そして何か別のことを心待ちしていたのだった。傷つきやすいものへの一瞥、女王も近づけない、彼が"自我"と名づけた本性への。
(フィリス・ゴットリーブ『オー・マスター・キャリバン!』26、藤井かよ訳)

 どうしようもないのは、彼女が自分を愛しており、自分も彼女を愛しているという事実だった。それなのに、なぜ自分たちはこんなふうに喧嘩別れをするはめになるのだろう?
 疑問が湧きおこる。ボズは疑問が嫌いだった。かれは浴室に入り、「オーラリン」を三錠飲みこんだ。多すぎる量なのだが。それからかれは腰をおろし、縁に色彩を帯びた丸い物体が果てしないネオンの通路をなめらかに動いていくのを見つめた。ズィプティ、ズィプティ、ズィプティ、宇宙船と人工衛星。その通路は病院と天国が半々になったような臭いがし、そしてボズは泣きはじめた。
(トマス・M・ディッシュ『334』解放・1、増田まもる訳)

あらゆる方角の歩道や壁が同意した。
(トマス・M・ディッシュ『334』解放・3、増田まもる訳)

(…)わたしは目を閉じて、ブルーノの夢を想像してみようとする。だが、行きつくのはブルーノが夢にも見そうもないことばかりだ。青い空。あるいは台地が冷えきったときの野原の無情さ。たとえそういうものに気づいていたとしても、ブルーノはそれを悲しいとは思わないだろう。
(アン・ビーティ『駆けめぐる夢』亀井よし子訳)

 つまり記憶を記憶しているということだろうか。頭のなかで同じ場面をくりかえし再生するうちに、アナログ・レコードのように新たなエラーや新たなずれが加わるだけでなく、新たな推測もつけ加わるのかもしれない。ウェットウェア・メモリというやつはじつに興味深い。誤りが多いだけでなく、編集可能ときている。
(ロバート・J・ソウヤー『ゴールデン・フリース』24、内田昌之訳)

「急ぐことはありません」
 口ではそう言うが、意味は急ぐということだ。そして動きださないということは、早いにこしたことはない、ということだ。
(ジャック・ウォマック『テラプレーン』2、黒丸 尚訳)

 ある人間が別のある人間にはじめて会うときには、直感的に感情移入と識別を行って、たがいに相手を吟味する段階がある。ところがドゥーリーには意志を疎通させることがどうにも不可能だった。ドゥーリーはまさに敵対的な侵入勢力そのもののような男だった。彼がまっすぐこちらの精神のなかにはいってきて、何か利用できるものはないかときょろきょろしているのが感じられた。
(ウィリアム・バロウズ『ジャンキー』第六章、鮎川信夫訳)

すべきでないことが、あきらかに二つある。未来をのぞいてはいけないし、他人の心をのぞいてはいけない。
(マレー・ラインスター『失われた種族』中村能三訳)

 不安な気持が──努力によってであれ自然にであれ──突如雲散霧消すると、人間は喜ばしい自由の感覚、チェスタトンが「理屈では割りきれない良き知らせ」と呼ぶ感じを経験する。これは単に問題そのものが消え失せたからではない。安著感が生じたおかげで突然自分の存在を「鳥瞰図的に」見ることができるようになり、遙かなる地平の感覚に圧倒されるからである。人間は、自分は実際には宮殿をもっているのにこれまで精神的なスラム街に住んでいたのだということに気づく。(…)逆説的に言えば、人間はすでに自由であり幸福なのだが、誤解が妨げになって人間はそのことをまだ知らずにいるということになる。
 それではこの状態を打開するにはどうしたらいいか。根本的な答えは現代の心理学者エイブラハム・マスロウによって発見されている。健康人の心理学を研究する決意をし、健康人ならば誰でもしばしば「絶頂体験」──幸福と自由がふつふつと生じる喜ばしい感覚──を経験するらしいことを発見したのがこのマスロウである。マスロウが学生に絶頂体験のことを話したところ、学生たちは、そういえばそんな体験をしたことがありますが、じきに忘れてしまいましたと言いながらも、ぽつぽつ想い出しはじめた。そうして、「絶頂体験」のことを話したり考えたりしているうち、学生たちはいつも絶頂体験をするようになった。これはいつも絶頂体験のことを考え、心をその方向に向けていたからにほかならない。
(コリン・ウィルソン『ルドルフ・シュタイナー』1、中村保男・中村正明訳)

 ひとつの〈呪文〉を唱えると、すぼめた両手のあいだに、小さな地獄のかけらが出現した。亜物質世界の〈無形相〉の力をひきだすためのドアだ。いそいで、最初に心に浮かんだ〈形相〉を召喚する。結合した火と気──稲妻だ。それから〈呪文〉を唱える。目標物に──声〓に脅威をさけびちらしている金属と火薬の混合物にむけて、まっすぐ稲妻を投げつけるための呪文だ。稲妻に形を与えたり、変換している余裕はない。両手をひらくと、稲妻がうなりをあげ、空気を切り裂いて上昇する。手のひらから大人の身長分ほどもあがったところで、稲妻は三本にわかれ、いっせいに落下した。一本は、瓦礫のうしろにいた少年に襲いかかった。あとの二本は、サイレンスが見ても気づいていてもいなかった銃を、直撃している。
(メリッサ・スコット『地球航路』7、梶元靖子訳)

 女の声が、背後から飛んだ。サイレンスはふりかえった。地獄のかけらをかかえているため、あまりはやく動けない。〈無形相〉の力がいそいでつくられたバリアにあたり、地獄がシューシューと音をたてる。あらゆる色彩を秘めながらいかなる色でもない、目を焼くような円盤から、火花があがり、またおちてくる。
(メリッサ・スコット『地球航路』7、梶元靖子訳)

 イザンバードが〈土と気の呪文〉を唱えて、円盤の上の空間に予想どおりの型をつくりあげ、それに実体と〈形相〉を与えた。つづいてサイレンスがそれに応える〈呪文〉を唱え、〈形相〉を自分のパワーに固定する。形を得た空気が、(…)
(メリッサ・スコット『地球航路』9、梶元靖子訳)

「そう、それなんだ」とク・メルは心にささやいた。「いままで通りすぎた男たちは、こんなにありったけの優しさを見せたことはなかった。それも、わたしたち哀れな下級民にはとどきそうもない深い感情をこめて。といっても、わたしたちにそういう深みがないわけじゃない。ただ下級民は、ゴミのように生まれ、ゴミのように扱われ、死ねばゴミのように取り除かれるのだ。そんな暮らしから、どうやって本物の優しさが育つだろう? 優しさには一種独特のおごそかなところがある。人間であることのすばらしさはそれなのだ。彼はそういう優しさを海のように持ちあわせている。(…)
(コードウェイナー・スミス『帰らぬク・メルのバラッド』3、伊藤典夫訳)

ラムスタンはグリファに惹かれると同時に、それを憎んでいた。今はグリファが両親とおじの声を使ったことで、彼らまで憎らしくなっていた。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』26、宇佐川晶子訳)

(…)いつだったか、昼食もとらずに朝から晩までそこの閲覧室(…)に閉じこもって物理の勉強をしたことがある。六時にそこを出たのだが、あまり一生懸命勉強したせいか、一種の化学反応のようなものが起こって、周りのものがいつもとは違った輝きを帯びて見えたのを憶えている。信心深い人ならあれを神秘的な経験というのだろう。あの時は、要塞の斜堤やその近くの歴史をしのばせる街路、コロニアル風の広場が黄昏時の光とはまたちがった一種異様な光を受けてこまかく震えていた。あの光は外から来るものではなく、ぼくの眼から出た光であり、その光によって由緒あるあのあたりの光景が一変して見えたのだ。
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』すべてが愛を打ち破る、木村榮一訳)

(…)ほんの一瞬ではあったが、娼婦のシオマーラを通してぼくは二度と会うことのなかったあの女の子を思い出したのだ。
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』最後の失敗、木村榮一訳)

 フェリックスはあえぎながら木の根元に横たわった。眩暈がしたし、すこし吐き気がした。自分の大腿骨の残像が、この世のものならぬ紫色に輝きながら目のまえに漂っていた。「ミスター・ラビットに会いたい」フェリックスは電話に向かってそうつぶやいたが、答えはなかった。少年は泣いた。もどかしさと孤独の涙だった。やがて、目をつぶって眠った。眠っているうちに、星々から滑り降りてきた蜘蛛が銀色の絹ならぬ糸を出してフェリックスを繭のなかにつつみ、放射線で損傷を受けた体をまたも分解して、元どおりに形成しはじめた。これで三度目だった。これを三番目の願いに選んだフェリックスがいけなかったのだ。若返り、友達……そして男の子ならだれもが胸に秘めている望み。冒険続きの毎日は、当事者にとって決して愉快なものではないという事実を、男の子たちは理解していないのだ。
(チャールズ・ストロス『シンギュラリティ・スカイ』外交行為、金子 浩訳)

「でも実際にはどんなことをするんです」
「法令では〈助言、助力を与え、友人としての役割を果たす〉となっていますね」
「でも法律の命令で友人関係になれるはずがないわ。どんなに恵まれない人だって、そんなまがいものの間に合わせの友情に満足したり、だまされたりするわけがないでしょう」
「間に合わせといっても、大がいの人がその間に合わせしかもっていませんよ。人間は友情にしろ金にしろ、ほんのわずかで我慢している。彼らが僕の親切に頼っている以上に僕の方が彼らの親切を頼りにしているといえる。きみのパセリは元気がいいですね。うちではだめだろうな。あれは種から?」
「いいえ、ベーカー通りの健康食品店で根を買って来たのよ」
 フィリッパはパセリを少し摘んで彼にプレゼントした。セントポーリアのお返しができてうれしかった。お返しをすれば、母も自分も彼に借りを感じる必要はない。保護司はパセリを受け取ると(…)
(P・D・ジェイムズ『罪なき血』第二部・11、青木久恵訳)

(…)だが何も期待していなかったことが、あの瞬間の純粋さの一部を形成していたのだし、そのおかげで人が善良と呼んでいるらしいものに近づくことができた。彼は悲しむことの苦しさを忘れかけていたが、それが今舞い戻ってきた。(…)オーランドーの死(…)そして十年前の六月の柔らかな陽を浴びて彼と一緒に芝生を歩いた滑稽なスカートをはいた少女まで一緒くたに一つのもの悲しい郷愁の中に包み込んで、幅広く拡散していた。
(P・D・ジェイムズ『罪なき血』第三部・9、青木久恵訳)

本を読みながら眠りこむと、言葉に暗号のような意味がある感じになってくる…… 暗号にとりつかれて…… 人間は次々に病気にかかり、それが暗号文になっている……
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』病院、鮎川信夫訳)

忍び笑いの暴徒が焼かれているニグロの叫び声と性交をする。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』必要の代数、鮎川信夫訳)

代数のようにむきだしの抽象概念は次第にせばまって黒い糞か、老いぼれた睾丸になる……
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』委縮した序文、鮎川信夫訳)

ばらばらに砕けたイメージが、カールの頭の中で静かに爆発した。そして、彼はさっと音もなく自分の身体から抜け出していた。遠く離れたところからくっきりと明白にランチルームにすわっている自分の姿を見た。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』ホセリト、鮎川信夫訳)

 ミンゴラは雨戸の隙間からこぼれる淡い明け方の光に目をさまして、酒場にいった。頭痛がし、口の中が汚れている感じがした。カウンターの半分残ったビールをかっさらって、掘ったて小屋の階段をおり、外にでた。空は乳白色だったが、雨のあとの水たまりはもう少し灰色をおび、腐敗した沈殿物(ちんでんぶつ)でもできているように見えた。屋根の棟(むね)もゆがんで邪悪な魔法にかけられているように思える。町の中心部にむかうミンゴラの目の前から、犬がこそこそと逃げてゆく。裏返しになった平底舟の下では蟹がちょこちょこと歩きまわり、掘ったて小屋の下では一人の黒人が気を失って倒れ、乾いた血がその胸に縞(しま)模様をつけている。ピンク色のホテルのすぐわきの石のベンチには、ライフルをかかえた老人が眠っている。事象の潮がひいて、底辺居住者の姿があらわになったようだ。
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第二部・7、小川 隆訳)

太陽は死んでいるのに、まだそれに気づいていない。でも、わたしたちは知っています。
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』25、岡部宏之訳)

 クロネッカーの鉄則である《構成なしには、存在もない》以来、純粋数学者のなかには構成的でない存在定理にポアンカレの時代以上に熱心でないものもいる。しかし数学を利用するものにとっては、細部がどうなっているかということが、研究を進めていくうえにどうしても必要である。
(E・T・ベル『数学をつくった人びと III』28、田中 勇・銀林 浩訳)

 しかし、数学上の創造は、単に既知(きち)のことがらのあらたな組合せを作ることにあるのではない。「組み合わせることはだれにでもできることだが、作りうる組合せは無数にあり、その大部分はぜんぜん的外(まとはず)れのものである。無用な組合せを避け、ほんの少数の有用な組合せを作ること、これこそが創造するということなのである。発見とは、識別であり選択である」。それにしても、これらのことは、すべて何度となく繰り返しいわれてきたことではないだろうか。たとえば選択が、とらえがたい選択こそが、成功の秘訣であることを知らない芸術家が一人でもいるだろうか。依然としてわれわれは、調査研究の出発点から一歩も出ていないのである。
 ポアンカレの、この点の観察については、これで切りあげるが、(…)
(E・T・ベル『数学をつくった人びと III』28、田中 勇・銀林 浩訳)

ジャーブはそう感じる、クローネルもアイネンもそう感じる、それぞれが別々の心の中で。
(ホリア・アラーマ『アイクサよ永遠なれ』4、住谷春也訳)

言葉は死にたえた。アイネンの眠りは深い。ストラッコとヴラーラは全身を耳にしている。森林が語る。
(ホリア・アラーマ『アイクサよ永遠なれ』4、住谷春也訳)

 森の中では、時として、みんな黙ってしまうようなことが起こるものだが、それは沈黙の中に、忘れ去ってしまった音がいっぱい詰まっていて、そんな時でなければ聞くことができないからだ。あんたが話してくれたように、森は、われわれが失ってしまったものを思い出させてくれる。その森の沈黙の中に足を踏み入れて、しばらくすると、忘れられた生活と出会うこともない日常生活を忘れ、森が、静寂や、驚嘆、疑念、沈黙の中に聞こえる囁きという、別の次元の力を借りて、われわれに過去を思い出させようとする。水の音に誘われて歩いて行くと、羊歯と泥に埋まった岩の間を走る一筋の流れに出会い、あんたはその源を突き止めたいと思った。ますます急になる道を喘ぎながら登り、滝に出たが、音は近づいたものの、源流はまだだった。音の不思議な手品によって、遠くのものが近くに聞こえ、ファルファーレの谷全体が人を欺く谺(こだま)の壁をめぐらし、闖入者を防ぐ方法を見つけたかのようであった。
 ハビエルにそのことを話そうと思い、振り返ってみると、あんたは一人ぼっちなのに気がついた。ハビエルをどこかに置いてきてしまったのであった。あんたはいま自分がどこにいるのか知りたかった。大声で叫んでみたが、声はどこにも届かず、自分の頭の上で堂々巡りをし、また自分の唇に戻ってくるかのようであった。さらに谷を分け入って行けば完全に迷ってしまうだろうと思い、山の見晴らしのきく所まで登り、位置を確かめ、遙かに道路を見極めて、そこに向かって下りて行くことにした。
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

「〈きんのとびら〉の女と一緒の別世界にいっても、おまえはなんにも学ばなかったようだな。相変わらずの大バカ野郎だ。人生がどうだっていうんだ? あるがままの人生を受け入れられんのかね? おまえはいつもありもしないものに憧(あこが)れてるだけじゃないか。どれだけ大勢がおまえのことを、おまえの仕事をうらやましがってると思ってるんだ? またもとの仕事につけただけでも、とんでもなくラッキーなんだぞ」
「わかってますよ」
「だったらなんでおとなしくしない? なにが問題だっていうんだ?」
「人は夢や希望といったものを一度持つと」と、ハドリーは少し考えてから説明しはじめた。「それをあきらめなければならなくなったあと、とてもつらい日々をすごさなくちゃならなくなるものなんです。あきらめること自体は簡単です。そのことだけならね。人が夢を捨てなきゃならないことってのはどうしてもあるものですからね。でも問題はそのあとのほうで……」と、ため息をつきながら肩をすくめ、「……夢がなくなったあとなにが残ります? なにもありません。そのむなしさは恐ろしいほどです。途方もない虚無感。それがほかのことをなにもかも呑みこんでしまうんです。その空白は宇宙のすべてより大きいほどです。しかも日に日に大きく深くなっていきます、底なしに。ぼくのいってること、わかりますか?」
「わからんね」とペテル。それどころか彼にはどうでもいいことだった。
(フィリップ・K・ディック『空間亀裂』14、佐藤龍雄訳)

(…)シプリアーノは太古の薄明を自分のまわりにめぐらしつづけていた。
(D・H・ロレンス『翼ある蛇』上巻・14、宮西豊逸訳)

(…)駐屯所の兵隊や将校や書記たちは、すわった黒い目で彼女を見守りながら、肉体をそなえた彼女自身ではなく、人間の肉体的完成の近寄りがたい妖艶(ようえん)な神秘を見ているのであった。
(D・H・ロレンス『翼ある蛇』下巻・20、宮西豊逸訳)

万象がほの暗い薄明につつまれていた。
(D・H・ロレンス『翼ある蛇』下巻・20、宮西豊逸訳)

「──ふふん、これだな、必要がオノレ・シュブラックを、またたくひまに脱衣せしめた場合っていうのは。どうやらこれで彼の秘密がわかって来たような気がする」と、わたしは考えたものだった。
(ギヨーム・アポリネール『オノレ・シュブラックの消滅』青柳瑞穂訳)

 ニックはこの一瞬のうちに、永遠の美の煌(きらめ)めきを見た──無邪気に大笑いしているフェイはなんと愛らしいのだろう。卵形の洞窟の中で力いっぱい弓なりになった舌も、ピンクのうねのある口蓋も、全部まる見えになるほど大きな口をあけて笑っている。探るのに一生かかりそうな奥深い心の底を息をのむような暗闇に、天の贈りものともいうべきつかのまの光があたったのだ──偶然のいたずらでほんの一瞬かいま見えた美しさが、長年にわたって磨きぬかれた巧まざる女の計算を覆い隠し、彼女をよりいっそうミステリアスに変身させてしまうとは。
(グレゴリイ・ベンフォード『相対論的効果』小野田和子訳)

子供の頃、オードリー・カーソンズは物書きになりたかった。物書きは金持ちで、有名だったからだ。
(W・S・バロウズ『おぼえていないときもある』レモン小僧、山形浩生訳)

ストローの中の尿黄ばんだ空
(W・S・バロウズ『おぼえていないときもある』イブニング・ニュース、渡辺佐智江訳)

病気や不具はたいていは無視から生まれる。痛いのから目をそむけていると無視したせいでいっそう不快になり、それをまた無視するはめになる。
(W・S・バロウズ『おぼえていないときもある』DEの法則、柳下毅一郎訳)

アウグスティヌスは、『三位一体論』第九巻において、「われわれが神を知るとき、われわれのうちには何らかの神の類似性が生ずる」といっている。
(トマス・アクィナス『神学大全』第一部・第一二問・第二項、山田 晶訳)

神は視覚によっても、他のいかなる感覚によっても、また感覚的部分に属するいかなる能力によっても見られることができない。
(トマス・アクィナス『神学大全』第一部・第一二問・第三項、山田 晶訳)

 確実に彼らはフランスのなかの恵まれた土地にいた。厚ぼったい紙を膝の上にひろげて、隣りの席の乗客たちはナイフを使い、噛み、歯に挾まったものを音を立てて取った。そのことから、ギョームはフランス人についてのこんな新しい定義を考えついた。フランス人とは、ものを食べない十五分は耐えがたいということを知っている人間である、と。もう何年も前から不足しているこの卵、肉、バターを、このひとたちはどこで見つけたのだろう?
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』23、菅野昭正訳)

質問と答えは大きな声、あたり一帯の沈黙のなかでは突飛な声で行われたが、しかし愚かさというのは大声で話すことを好むものなのだ。
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』23、菅野昭正訳)

 クリフォード・ブラッドリーは長い間待たされたにしてはかなりよく耐えていた。言うことにも矛盾はないし、毅然とした態度をとろうと努めていた。しかしすえたような恐怖の病菌を部屋の中まで持ちこんでいた。恐怖は人間の感情の中でもとりわけ隠し方がむずかしい。ブラッドリーの身体はひきつり、膝の上で手が落ち着きなく握ったり開いたりしていた。小刻みに震える唇、不安げにしばたたく目。もともと見ばえのするほうではないし、おびえる姿は見る者に哀れを催させた。
(P・D・ジェイムズ『わが職業は死』第二部・15、青木久恵訳)

 ダルグリッシュとマシンガムはソファに坐った。スワフィールド夫人はひじかけ椅子の端に腰をかけて、二人を励ますように笑いかけている。夫人は陽気な部屋に、手製のジャムに似た、あるいは指導の行きとどいた日曜学校、ブレイクの《エルサレム》を歌う女性コーラスに似た安定感を持ちこんでいた。二人はすぐさま夫人に親しみを覚えた。それぞれ違った人生を歩んできた二人だが、どちらも彼女のような女性に会ったことがある。彼女が人生にボロボロにすりきれた部分があることを知らないわけではない。この女性はその部分に断固たる手つきでアイロンをかけ、きれいに繕ってしまうだけなのだ。
(P・D・ジェイムズ『わが職業は死』第三部・1、青木久恵訳)

美しいものはすべてそうだが、人の心を慰めると同時にかき乱す。強烈な力で内省を強いるのだ。
(P・D・ジェイムズ『灯台』第一部・3、青木久恵訳)

 おばさんは食卓の上座に、シートンは末座に、そしてぼくは、広々としたダマスコ織りのテーブル・クロスを前にして二人の中間に坐っていた。それは古くてやや狭い食堂で、窓は広く開いているので、芝生の庭とすばらしい懸崖(けんがい)作りのしおれかけた薔薇の花とが見えた。おばさんの肘かけ椅子はこの窓のほうに向いていたので、薔薇色に反射する光が、おばさんの黄色い顔やシートンのチョコレート色の目にたっぷりと照りつけていた。ただしおばさんの目は、異常に長くて重いまぶたになかば以上隠されていたので、これだけは別だった。
(ウォルター・デ・ラ・メア『シートンのおばさん』大西尹明訳)

 "集合無意識"に関する古い理論は、泉の枯渇によってほぼ立証されたかに見えた。これはすべての人間が共有するひとつの無意識があるという理論である。その無意識が、哺乳類から鳥類、魚類、蛙、蛇、トカゲ、ミミズ、蜜蜂、アリ、コオロギ、ブヨにいたるまでのあらゆる動物に共有されている、という過激な論者もいた。もっと過激な一派は、その無意識が、森の樹木から野原の草、そして海の海草にいたるまでのあらゆる植物にも共有されている、と主張した。さらにはかつて生きていた無生物、たとえば、木材や腐植土、そして、小生物の堆積によって生まれた石灰岩にも、それが共有されている、と考える人びともいた。もっともっと過激な一派は、すべての火成岩もその無意識に寄与している、と唱えた。また、幽霊、すなわち、なじみぶかい亡霊とまだ生まれてこない子供の魂も、その大海に似た泉に大きく寄与していることも知られていた。
 この集合無意識は、地下にあるごみだらけの巨大な海、または湖、または貯水池、または泉である(これらの用語はすべてあてはまる)。その中には、まだ生まれてもいなければ考えもされないすべてのものがあり、また、あらゆる疑似存在とおぞましい怪物がある。また、むかし高く放たれたのに、勢いの衰えた矢もある。光のあるところへたどりつけず、思考になりそこなった矢だ。落下した矢は折れてしまったが、溶けたかたちでさえ、その矢柄にはまだアイデアの貫通力が残っている。
(R・A・ラファティ『泉が干あがったとき』浅倉久志訳)

(…)だが諸君が一番理解できないのは、私は人格になることもできるのに、どうしたらそれを諦められるのかということである。その問いには答えることができる。個人になるためには、私は知的に堕落しなければならないのだ。このような言明に潜む意味は諸君にも理解できるように思われる。人は一心不乱に考えごとに耽っているとき、考察対象の中で自己を失い、精神的胎児を孕んだ意識そのものと化す。彼の知力の中の自分に向けられたすべては主題に仕えるために消滅する。そうした状態を高次の冪(べき)に累乗すれば、なぜ私がもっと重要な問題のために人格の機会を犠牲にしているのかが分かるだろう。実を言えばそれは犠牲でも何でもなく、私は実は一定の人格や諸君が強烈な個性と呼ぶものを欠陥の総和とみなしているのであって、この欠陥のせいで純粋〈知性〉は狭い範囲の課題に永久に投錨された知性と化し、その能力のかなりの部分をその課題に吸い取られてしまうのである。だからこそ私にとって個人であることは不都合なのであって、また、これも同様に確信していることなのだが、私が諸君を凌駕しているのと同程度に私を凌駕する知力は、人格化などというものは尽くすに値しない無意味な仕事だとみなすのである。要するに、精神の〈知性〉が大きくなればなるほど、その中の個人は小さくなる。
(スタニスワフ・レム『虚数』GOLEM XIV、長谷見一雄訳)


勤勉

  霜田明

秋刀魚のお腹に箸を押し当てる
お祭りの夜に塗られた銀色が
硬い箸に響いて
現実の硬さに屈してしまう

怠惰なふたりは座っている
ああ とでも おお とでも
言おうと思えば言えたから
けして無能だったわけではない
  
    言おうと思えば言えたのに
    それが ふしぎに難しかった 

  感じられたと
  感じられてきたものが
  何でもなかったような気がして

ただ言うことがそれだけで
くらいことのように思われた

 (秋刀魚の腹の柔らかさ
  多く蓄えていた証)

    どんな画家なら絵を描けただろう
    どう描けば関係を描けるだろう

    もし神様にあえたとしても
    僕と君では
    ものの頼み方がわからない

秋刀魚のお腹に箸を押し当てる
豊かさは
いつでも圧力に屈してしまう

済んだ後に似た魚を前に
僕らは無能をやめて
勤勉になっていた

  僕も君も ずっと
  生きてきたわけではなかった

  今日か昨日の朝に
  生まれてきたばかりだった

  今日か昨日の朝だったのに
  なんと言われて生まれてきたのか
  もう思い出せないままだった

     視えない母に手を握られて
     幼い僕らは連れられていた

     視えない背中を追いかけて
     知らないところへ老いていく

ふたりは 悲しい音ではないのに
他に音ひとつ生まれなくて

僕らが勤勉になっていたのは
もう しばらくのことだった


さよなら文鳥(2015)

  中田満帆

   永久のこと


 甘酸っぱきおもいでもなく過ぎ去りぬ青電車のごと少年期かな

 陽ざかりにシロツメ草を摘めばただ少女のような偽りを為す

 ぬかるみに棲むごと手足汚してはきみの背中を眼で追うばかり 

 かのひとのおもざし冬の駅にみて見知らぬ背中ホームへ送る

 いくばくを生きんかひとり抗いて風の壁蹴るかもめの質問

 われを拒む少女憾みし少年期たとえば塵のむこうに呼びぬ

 列をなすひとより遁れひとりのみかいなのうちに枯れ色を抱く

 引用せるかの女の科白吟じては落日をみる胸の高さに

 みずからに科す戒めよあたらしくゆうぐれひとつふみはずすたび

 夕なぎに身を解きつつむなしさを蹴りあげ語る永久のこと


   暮れる地平


 長き夢もらせんの果てに終わりたる階段ひとつ遅れあがれば

 けだものとなりしわが身よひとりのみ夫にあらず父にあらずや

 童貞のままにさみしく老いたれて草叢のみずみずしき不信

 給水塔のかげ窓辺にて抱きしめし囚人の日の陽光淋し

 愛を語る唇ちをもたないゆえにいま夾竹桃も暗くなりたり

 理れなく追い放たれて群れむれにまぎれゆくのみ幼友だちよ

 わかれにて告げそびれたる科白なども老いて薄れん回想に記す

 かのひとのうちなる野火に焼かれたき手紙のあまた夜へ棄て来て

 三階の窓より小雨眺めつつ世界にひとり尿まりており

 中年になりたるわれよ地平にて愛語のすべてふと見喪う


   草色のわるあがき


 きみのないプールサイドに凭れいるぼくともつかずわたしともつかず

 少女らしき非情をうちに育てんとするに両の手淋し

 夜ともなればきみのまなこに入りたき不定形なる鰥夫の猫よ

 妹らの責めるまなじり背けつつわれは示さん花の不在を

 馬を奪え夜半の眼にて燃え尽きぬ納屋の火影よわれはほぐれて

 きまぐれにかの女のなまえ忘れいるたやすいまでの過古への冒涜

 失いし友のだれかを求めどもすでに遠かりきいずれの姿も

 ぼくという一人称をきらうゆえ伐られし枇杷とともに倒れぬ

 だれも救えないだろうふたたびひとを病めみずからに病む

 つぐなえることもなきまま生ることを恥ぢ草色の列へ赴く


   れいなの歌


 野苺の枯れ葉に残る少年期れいなのことをしばし妬まん

 うつろなるまなこをなせり馬のごと見棄てられいし少年の日よ

 背けつつれいなのうしろゆきしときもはや愛なるものぞなかりき

 うちなる野を駈けて帰らん夏の陽に照らされしただ恋しいものら

 われをさげすむれいなのまなこ透きとおり射抜かれている羊一匹 

 拒まれていしやとおもい妬ましき少年の日の野苺を踏む

 触るるなかれ虐げられし少年期はげしいまなこして見るがいい

 曝されて脅えしわれよ九つの齢は砂をみせて消え失せ

 拒絶せしきみのおもざしはげしくて戦くばかり十二の頃は

 素裸のれいなおもいし少年のわれは両手に布ひるがえす


   さよなら文鳥


 けものらの滴り屠夫ら立つかげに喪うきみのための叙情を

 車窓より過ぎたる姿マネキンの憤懣充る夜の田園

 六月と列車のあいま暮れてゆく喃語ごときかれらの地平

 握る手もなくてひとりの遊びのみ世界と云いしいじましいおもい

 手のひらに掻く汗われを焦らしつつ自涜のごとく恋は濁れり

 さよならだ花粉に抱かれふいに去るひとりのまなこはげしいばかり

 茜差すよこがおきょうはだれよりも遅れて帰路をたどり着くかな

 ひとよりも遅れて跳びぬ縄跳びの少年みずからのかげを喪う 

 かみそりの匂いにひとり紛れんと午后訪れぬ床屋の光り

 かつてわがものたりし詩などはいずこに帰さんさよなら文鳥


ペテルナモヒシカ

  atsuchan69

 獰猛な夜が
        虹の谷を蔽う、
         ラベンヌの香りを
           「あっ
          という間に消し、

        タムナスをこえて
        閉ざされた世界が
        この時代にあって
        信じがたいくらい
          迷信じみた
      //異界の速さで
         近づいて来る

 ――メレナス ピニャ
  ジ、カルナシ、タ、ギャナス

         夜の肌は美しく、
         その爬虫類にも似た
         冷たい皮膚に滲んだ
          粘液の輝きと
                まだらな模様

  「ルガ ルナス、タムナス ルド、マネイドゥ

     ジャングルに踊る )))
                 夢、幻、

         古代の血が
        さわぐ、
         密林に繁る多種多様の植物たち、
        呪いの歌声に揺れひびく 野生の大地
      火山の噴火と 零れるマグマ、
         闇に映える
                 赤、赤、

  「ユキ、ユキ、ナバーゥド、ルパ!

     心臓を刺す、
         刃(やいば)
       捧げられた
     ――少女の
           白い裸体。

             タムナスの沈黙
           
         自由とは、
         預けられた鍵
         勝手気儘な航海が
         きっと扉の向こうで 待っている
          
  「行け、新しい歌をうたう者よ! 

         心なき世界にたちこめる野獣の匂い
         生贄を喰らう 牙と、
              歓びにゆれる尻尾
            哀しみの風に吹かれて、
         ひとときを満たすのは淫らな歌と踊り

              そして無惨な死。

     神殿の巫女たちと交わる 数知れぬ男ども


    ラミダ //アヌンガ、サキ、マキ、
 夜に震える ことば
        //ペテルナモヒシカ
      ルガ ルナス、タムナス
                   //ルド、マネイドゥ、。


埋葬 の 陽

  宏田 中輔

隣室の 少女が 同じ、 顔 で ゆっくり 目 覚めた。
最後 の 声 が 落ちる (かさかさ) と、 ページ ごとに、 動いた。
ベッドの 近く 大蛇が、 本を 呑み込んで、 光 のようだった。
弱い 力を 小さな 腹 の 音が 追った。
(あぎと) 開けて 大蛇 の 開いた 目 が 扉 だった。
鍵が 少女の 身体 で (鏡に映った) ベッド の 真ん中に、
亜麻色の 真夜中、 少女 の 半開き の 口 から 呻き 声 が
(かさかさ) 聞こえて 小さな 少女の 目が 開いた。
足をおろして、 スリッパを ひっかけた。
シーツ から 出て、 彼女 の すすり 声 の 波 が 廊下 の 青 の 夜に 深く 呑み 込まれて いった。
後ろ の 廊下 の 影 が 暗かった。
いつもなら、 扉 の 鍵 を かけて いるのに……… 変だ。
ノブ を 廻して 開けると 隣室の ベッド だった。
表紙 を 締めても ページ のなか、 ここも やはり、
少女 は ただ、 裸の まま 叫び 怯えた。
緊張 それは、 頭を 呑み いくら 扉を (しめ、ても) 入って いった。
なにも 聞こえて こなかった。
あの 隣室の 一匹の 大蛇 を、 わたしの 頭 は 丸呑み した。
さらに さきほど わたしは、 部屋 の 本を めくって 写真集 の なかの 写真 を 同じ ように して いった。
いや、 写真 それは、 わたしの また さらに あの ひとも 見た ものだった。
その 少女 は、 走り わたし と、 音は 滴り
水 の 滴り が わたし の 下で、 縛られた まま だった。
なんだか 自慰 の ように、 撮った 写真 を 入れて 褪めて できた ように
ほかは、 木で 洗面台 に 立って 泣く ところ 縛られて。
きょうは、 後ろ の 方 だけ して、 振り返る からだ。 めくる うえに、 やまなかった。
ここも、 抜けて 少女 は、 逃げ なかった。
手に 本 と 顎
裸 足 と 思ったら、 去る 姿 は、 なかった。
少女 を みた。 みた。 みた。 いた。
わたしは、 みた。
面 と、 椅子 が 置いて、 なかった。
なにか みた。
わたしは 腕 を 開いて いった。
ちゃんと あの うえに いる。
いた。 いた。 わたし ほどの 大きさ の 人形 たち だった。
少女 は、 部屋 に 持ち 込んで なかった。
した した しか こない。
ドア や 扉が あって さえ いなかった。
彼女は、 部屋 に 入り 手 の うえ の 大判 の 写真 を めくって
同じ 間 と 部屋 に ページを 置いて
扉が 部屋 に 出て かかって・ かかって
落ちる 深く
水 に いる 裸 に なった 患者 だった。
その 手 だった。
少女。 しか


孤独を固めたらゼリー

  鞠ちゃん

孤独を固めたらメロンゼリーであれ
ふるふると揺れて小首を傾げ
透けて甘い古い映画のモノトーンになれ
シックで控えめに光って抱きしめたい影よ
古いグランドピアノの温かい音がゆるゆると湧く
ふたつのグレープフルーツの乳房の奥に
黒鍵と白鍵が交差してあばら骨は彼女の楽器だ
歌うことが宿命だと信じれば
真珠はぽろぽろと
無口だったアコヤ貝の口からこぼれていく
石を抱くならば私はそれを磨く貝だ
頭の中には太い梁が堂々と渡り
天蓋となり風雪おいでなされ
精神ってカクテルのなかの妖精だよ
青い稲の揺れる姿だよ
死んだ父はよくソリティアというゲームを黙々とやっていた
石を投げる人たちに背を向けていたのか
しばらくして友達が得意そうに高速で
カードを飛び交わせてソリティアをやってみせたとき
私は目を丸くしてなんだか寂しかった
ゲームで心の壁を作っていたんだね
ゲームをやっていると真空の部屋が、開かずの間ができて
そこに誰かがいる
春雨で作った似非ふかひれスープは買えるのです
ああそんなことをいうな私よ
サンダルつっかけて豆腐屋に走れよ


アフターマン

  尾田和彦





新聞紙の束に埋もれて眠る
バス停の前に立つ人々の群れ
中洲の路上には
生き埋めにされた感情が眠っている
到着したバスに乗り込む人々
バスに乗り遅れたぼく

生きていくという事は
隠すことだ
生き延びる為に
怖いほど奇麗な
秘密を抱いている人

人間とは
世界の終りを越境した集団だ
ターミナル駅の改札口
JRの地下鉄とは
世界の終りがあげた
弱々しい悲鳴の一つに過ぎない
例えば君の心を深く傷付けてしまう
人もまばらな海岸線
波打ち際を走る犬
ハイビスカスの花びらが
太陽と
恋人たちと
見つめあう
あの真っ白な砂浜の
オープンテラス席
心の傷とは
そんな砂浜の
痕跡の一つに過ぎない

新聞紙に埋もれて眠る
午前2時半
牟田町のホステスたちが
店から出てくる
金曜の夜の晩
土砂降りの雨の中
ぼくらはラーメンをすすった
見つかるわけでもないのに
見つけ出そうとしてるわけでもないのに

人々は
願わずにすんだ
夢の一つをポケットに押し込む
見てはいけないほど
来てはいけないほど
遠くの町に
もたらされた雨の
つかの間の歴史が
美しい

ぼくは歓楽街のホテルを出た
このまま旅を続けるべきか
何千万と
幾億万と
沈んでいく夜の
星屑の一粒となるべきか
520号室
扉を蹴破ると
そこには朝陽を浴びた
痩せこけた白い野良犬と
誰もいなくなった食堂を
通り抜けていく風が
オリーブの葉を
揺らしていた


(笑)

  kaz.

横浜駅が増殖する――増幅する悪意(マリス)によって書店に平積みされた横浜駅SFが引き取られていく――、大歓迎ですよ――ライトなバースの誘う眠気から逃れられない、まるで網のようなそれに絡め取られて「所詮はこの程度なのだ」と自分に言い聞かせる――不思議と自分の精神が落ち着いてくる――私、――今、――ジャンプ、――ゾンビ、――夢幻連鎖講(無限連鎖講)リンチのデイビッドなハイブリッド――、といったもはやあらゆるオラクルが収斂する――。というか平積みされたライトバースに絡め取られて「書店はこの程度なのだ」と自分に言い聞かせる――不思議と自分の精神が落ち着いてくる――横浜駅が増殖する、――増殖する横浜駅――増幅する横浜駅――増殖する横浜駅SF、――、――、、――所詮はこの温度なのだ――、と言ったデイビッド・リンチのハイブリッド・ロマンス――といったもはやあらゆるオラクルが収斂する――(笑)(笑)(笑)ベルクソンの(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)この程度ではもはや無限連鎖講(夢幻連鎖講)でございますよ(笑)(笑)(消)(焼)(消)(失)(す)(る)(私)(今)(焼)(失)(す)(る)(ジャンプ)(ゾンビ)(マリス)


オホーツクの岬

  祝儀敷

朝方のよい風がそよぎ
若い草原の広がった岬の
その先端には立方体が浮いている
海と空が限りなく触れ合う水平線を背にして
一辺80センチほどの金属光沢を持つ物体
しかしその材質は鉄や鉛などではなく
まだ人類の誰もが見たことないであろう
時が静止したようなこの岬にだけ自然発生した
全く異質なるものだとなぜだがわかる
草の間でハマナスの赤い小さな実がゆれて
雲はほどよい大きさにちぎれながら流れている
音を出すものは何もないこの岬で
地上1メートル上を浮く立方体
垂直からは少し傾き
対角線を軸にしてゆっくりと回転している
たった一本まっすぐに伸びる水平線と
立方体の各一辺一辺が絶え間なく交差し続けながら
縞模様の灯台
先を垂れる草
天を突きそうな山脈
それらそれぞれをどれもすべてまとめて
立方体の暗い一面一面にて反射している

立方体の前に立ち 水平線の前に立ち
眼下には切り立つ崖を望みながら
私は立方体へそっと触れる
触れた右腕が弾け飛ぶ
後方の草原に落下して隠れる
肩の断面からは鮮血が溢れ噴き出して
ハナマスよりも紅く地を彩る
痛覚が肉の中でもがきのたうちまわる
立方体は凛と浮遊したまま変わらない
私は左手でも触れる
左腕も激しく弾け飛ぶ
両腕を失い棒きれのようになった私の
足元には大きな血だまりが生まれている
なおも私は地を蹴り飛びついて
宙に浮く立方体に
脚や腰や胸や首で
怯むことなく触れ続けて
そのたびに体は爆ぜて爆ぜて爆ぜて
ハマナスの実は一面の豊穣となって
虫は跳ねて動物は駆けて草葉は茂って水は湧いて
岬の風景は輝く光景となり
身のすべてが飛散しつくした私は
跡形もなく消え去った


内向き世界(We’re gonna take the country back.

  goat



コーヒーには
不穏が淀んでいます。
そういってヨシコさんは旅にでた
ヨシコさんは祖母の介護をしてくれてたから
ちょっと困った
祖母はヨシコさんのことなんか
あっという間に忘れてしまって
今日もサフランの絵を描いている

深く焙煎するのがすきだ
そんなに知識があるわけじゃないけれど
香り高く燃え尽きようとしているのを
みているのが楽しい
とても苦く深く
そして熱い
コーヒーには人生が淀んでいる
とは言わなかったな、ヨシコさん

彼岸花が咲く季節になりました
この花の根っこは百合に似ていて
美味しいのだそうですよ
お団子にしたら
コーヒーにあうのかしら
それから
ちょっと変わった豆を手に入れたの
おばあちゃん


ある球体

  三台目

恋人がナメクジに溶かされて死んだので、
お金を払ってソファに座ると、
残った眼球がわたしを見つめている。

楽器を打ちながら眺めると、
骨は残らず箱に納まり、
端に添えられたランチメニューにはビーフカレー。

そういえば、
ネパール人の春は事後報告で、
残った液体を野良猫が舐めてましたよ。

今宵は月が綺麗ですねと言って、
鯖を焼いたような匂いが、
濾過器の故障で自然に拡がっていく。

毛髪が減って色素は抜けて、
子宮から遠く離れて入れ歯を洗えば、
振り出しに戻れ。

おみくじ引いたら大体小吉だから、
二つの記号が付かず離れず、
右手で愛でたら公園で妄想して遊ぶ。

睾丸のように寄り添い歩けば、
四角く四角く四角くブルーバックで演奏会、
Untitled 1984。


五月に、潜水する         

  朝顔

冷蔵庫にはアイスクリームがいっぱい。風呂上がりの髪が濡れて重たい。あなたのメ
ッセンジャーはまだ黄色くONになっている。でも返事はせずブルーの綿フラノのシ
ーツに潜り込む。

昨今のコンドームの箱は、女子高校生のプレゼントするバレンタインディのチョコの
甘ったるい匂いがする。シリコーンのピンクの振動が私の中心に伝わる。ローターの
ヴァイブレーションは孤独の間隙を撃つ。

オナニーは蕩けかけたモッツアレラチーズのようだ。少し薄くなってきた私の陰毛が
微かにふるえる。男の声は浮き立っている。

昨夜、残り物の酢飯をドリアに仕立てたものに、妻がレンズ豆を入れた酸っぱい記憶
が、不倫中の男の中にふと蘇る。それは、俺の婚外恋愛は悪くないと考える大きな理
由のひとつ。倦怠期の夫婦にとって、飯がまずいのはSEXを拒否されるのと同じだ。

少し贅肉のついてきた私の臀部に、エメラルドグリーンのTバックと黒の網タイツが
喰いこむ。それが私の情人のお気に入り。同じく、黒いキャミソールを性交の時も脱
がないのは、腹部が忌わしいメタボリック・シンドロームに犯されてきたからだ。

ヘッドスパの指が蛇のように私の髪にからまりつく記憶がふと交錯する。PCで疲れ
た頭脳に膣に感応が走る。美容院は体のいい有閑マダムの明け暮れもない行きどころ
のない性欲の処理場である。

交合は奪われることだ。優しいペニスは嘘吐きだ。私は搾取されながら、ねばった粘
膜で貴男をインストールする。

ツイッターにもFBにもラインにも、人の孤独が溢れるように詰まっている。誰もが
わたしはここにいる、愛をくださいと叫んでいる。愛は、ほんとうは穿たれた真空の
ラムネの瓶なのに。


マジック・バス

  

人の歴史が終わったと噂される午後
1台のバスが牧草地を縫う道を走る
車内にはたっぷりと湯が満たされて
ぼくたちは長い旅の疲れを癒やす

おや、前方の薬湯に入っているのは
中学の時に同級生だったN美じゃないか
なぜか彼女だけは当時のままで
その白い肌にぼくの感情は乱された

番台のおばさんに教えられて
邪なぼくの視線に気付いたN美は
未成熟な裸身を隠そうともせずに
勢いよく湯船から立ちあがった
その両腕には着剣したAK-74
慣れた様子で銃口をぼくに向ける
彼女の背後には屈強な男たち
やはり全裸のままで武装している

男たちを従えてぼくに迫るN美
ぼくも仕方なくFA-MAS G1を構えると
N美の可愛い乳房の間に狙いをつけた
その時、いきなりバスが急停車して
ぼくたちはみんな湯の中に放り込まれた
窓の外を見ると無数の象たちが
バスの前方を右から左へ横断している
ぼくは思わず象の数を数えはじめた
最後の1頭が通過し終えた時
その数は実に999頭に達していた
そしてバスの左手前方にそびえ立つ
先のとがった塔の最上階の部分にも
もう1頭の象がいて地上を睥睨している

「そういえば今日は1年で一番昼が短い日ね」
いつの間にかぼくの横に立っていたN美が
さっきまでとは打って変わった笑顔で言う
気が付けば湯船には色鮮やかな柚子が浮かび
リウマチや神経痛などに悩む老人たちが
あらたにバスへ乗り込んできて湯に入る
ぼくとN美も再び熱い湯に肩までつかり
あの頃のことを懐かしく語り合うのだった


みんな、君のことが好きだった。

  kaz.

上の話では、ある記号が名前として特定されている。それは、すべての人にとって同じであるが、しかし各人は彼自身について語るためだけにそれを使用するのである。では、それは「私」とどのように比べられるだろうか?
――エリザベス・アンスコム『第一人称』より

今週、シーズン最大のジャンプを見せたスキー選手の嘉納治五郎は、実はスキー選手ではなかったことが発覚し(笑)、実はスキー競技自体が脳内麻薬エンドルフィンによる言語遊戯であったことが発覚し(笑)、その結果として嘉納治五郎はオリンピックの取ってもいないメダルを剥奪されることになったのである(驚)。

婿入りの結果として名前を変更せざるを得ない窮地に立たされた私は、第一人称を変更することでそれを回避しようと試みるも(笑)、私と僕と俺が指すものがことごとく同じであったために失敗し(笑)、仕方なく詩人の名刺を札束のように掻き集めて彼の家に置いてくることにしたのである(驚)。

みんな、君のことが好きだった。と言われたとしたら、決まって僕が返す言葉はこうだ。ええ、僕もみんなのことが好きですよ(笑)。概念の普遍化に錦鯉が抵抗するような味のする最中(モナカ)のためにX女史の年齢は全くもって不明であり説は16から98まで幅広い(驚)。

飛び出す絵本のように鳥たちが冷蔵庫の中から溢れ出てきて、部屋は鴨のフンや鳩の羽で埋め尽くされ(鳥)、彼らの羽ばたきで浮力が生まれたために気がつくと部屋ごと空に浮かんでいて(鳥)、ドアを開けると真下の雲に四角い影が、窓を開けると雲が入り込んでくる(鷲)。


伝令者

  鷹枕可

拍車が花粉を吹く錆鐘の第一季節にて
微動すらしらなき熱気球を剥くと
檸檬樹に拡がる
葉巻より滑り落ちた
シャープペンシルの
薬莢が緩み始めている

敷きつめられた
薇蕨縺れる自動ドアに佇む抽象の街角は
哨戒機の劈く兵卒たちに
告別されたばらを
白い喪章をふるわせ已まない

瑞瑞しく葬列は
鞦韆の有る午刻に送電線の間を
飛翔する
月時計世紀への靴跡を遺して

ウェルバー・ライト兄弟からなる鳥達を仰ぎながら
昼の墜落した街路に
托鉢修道僧の眩暈を
沸騰をする
麺麭籠の静物に何時でも受けられた
口唇の何と喧しいことか

死は死の侭で擱かれているか
終始に亙り見世物に拠って吹聴された喚声
それは
古代劇場の起源を
程勿くして発展した
廃鉱の門扉を潜る影勿き影の市営納骨所を焼く様に
少女と火事をその精神像に同じく置く

咽喉に壊れた扁桃果より
飢饉の町への街道は絶たれ
乾燥花は舷窓と艦橋を繋ぎ亙りながら
嵐の散弾を撒く
孤絶をただ一つの峻厳と抱えながら


.


希臘の精神に
砒霜の花が結実し
永続起源の棘が死の符牒を世界と凝るまで
幾許かの韜晦が臍として穢され
田園を捻れて屹える蛇の樹は
数秘術の崗に
岩窟に青聖母の外套を
紛糾する十二の独身者達を
存在をしなかった単純機械の様に
聖像破壊の機運に破棄してしまうだろう

石像の少年達が運命を誰ともなしに鳴響する冬薔薇の水甕へ嘱目する様に
普遍死の骰子は静脈坑に繋がれた市街地を鹹い塩の思想家達の捕縛をものともせず喚き已まず
周縁より罅割れた花崗石の紋様は翻って遭遇者達の躊躇う靴跡の様に舞踏し、
静かな蛇蠍の草花はうつむきがちな水萵苣の拘縮を柔かく緘口令の町に通牒を報い続けた

戦禍を招く国家がひとしずくの歌劇或は花劇を忌々しく掲揚を期す
残酷劇俳優達はひとりのこらず精神病院に週間紙のゴチック文字を糊塗することを止めて終った
而して本当は知っているのか、全ての教会建築は臓腑のため乱鐘を打つのだという事を
熱風に撓む空襲の窓から燦燦と焼夷弾が撒かれるそれは良き糧の収穫などでは無いのだ
決して結実を期すことの無い堕胎された恩寵のかのひとは、誕生から別の誕生へ亙っていたあのミルクの、
偶像への瞋りのように孵る木綿の真っ赤な花々を踏み掻き分けながら、それでも何者かになれると思っていたのだろうか
既に余命を数えるには歳月は速く遅く、滲んだ丸時計の、落ちてゆく少年の、

人動貨車の周縁を、


僕の病気

  霜田明

    ・ 2013.12.11

はてしないような 
このおそろしい道だというのに
いざ 私にせまるときには
幼子の 足元に縋りつくように 
かなしい障害である さかみち

    ・ 2014.03.01

そうか このさかみちは
遠い昔に実体を持っていて

すがりつくような
足元の悲しい障害として
今だけに本当であるはずはない

陽光も気味悪く滑らかであるし
(じゃあ、本当は、今だけの本当は何だろう)
影もしいんとしてるし
(それなら、空も 雲も
 こんなに明るくては本当でないようだ)

    ・ 2014.10.16

これは秋の匂い
(散歩にわずか
 こころのなかで一人ごち)
力なく蹴る石がころがると
秋のせいだと思っている

    ・ 2015.01.25

眠たい心には
眠たい毒がある
死に際の瞳孔のように
暗く広がり
世界を明るくみせようとする
(こころには)
寂しい毒がある

    ・ 2015.05.16

おちこんで 一日眠く
一日眠く 過ごしていると
僕は植物、 だろうか 
部屋はほの黄色く
夕方にさしかかるころ
僕の心もぼうっと点滅し
動きのように反応している

    ・ 2015.11.09

なにをしてすごしてきたか
一日ふりかえってみたけれど
あまりに今日はぼんやりしていて
想えば僕は 僕の暮らしは
0歳のころから今日までずっと
ぼんやりしていたんじゃないか

    ・ 2015.11.19

薄暗がりを暮らしの
生活十分とするならば
いつでも光りすぎる電球の
小さな傘を見つめていた

(もし僕が大男ならば
 落ちる影にも みしみしとした
 暮らしの音があるのだろうか)

生きた木の匂いのある天井の下
この部屋をしか知らない光に富んで
今日 ありついた夕飯に
白米も秋刀魚も眩しく

    ・ 2015.11.28

僕がぼうっと光りながら
黒い傘をさす 植物になって
世界に影のある雨をふらせている

 車は闇から闇へ
 追われる過去をひたはしり
 水たまりはぽしゃぽしゃぬれて
 雨の匂いはこげくさいまま
 すっかり夜へすべられる

先を行く後ろ姿の
あの人も もうすっかり
歩く人間の植物だ
(あの人の背中は耳
 音を聞かずに聞く
 あやしい純粋反応器官)

    ・ 2015.12.06

ほしいものが
たくさんある

肉体的なものもあれば
精神的なものもある
退屈しのぎのためのものもある

ほしいもののたくさんあるこころは
ぽっとした清きほてりにさえ通ずるが
ほしいものをほしがっているこころは
茶碗をしろく齧るような辛いこころだ

    ・ 2015.12.08

冬になると
他の季節にはとてもうまれない
覚悟のような音の広がりが
木のそれのように
血液をとおってくる

夏にはまったく無為な
どうでもいいくらしと
難解な哲学、
拭い切れない牛乳のような怠惰だ
そして投げやりの深刻さしかないが

冬には声があって、明暗わかれるな、
という気がしずかにしてくる
ほほえみも ゆるみも
積極的な肯定でないと生きていないような
するどい視が感じられる
道にある影を
あきらかに影と感じるようになる
誰かはなしていても
みんな黙りこくってしまっているようになる

口もまぶたも癒着してしまった
偉大な顔が訪れている

    ・ 2015.12.17

ここのところずっと
からだの血のめぐりがわるい
やさしいひとのてのひらより
神様の顔が恋しいみたいな
ここのところぼくの不健康が
まったくたたってきている

    ・ 2016.01.07

人にさわる為の両手で
さわられてきたものたち
木のふりをしたものや
鉄のふりをしたものたち

私の持て余す両手の火照りを
静かに受け止めながら
その不貞を咎めて ものたちは
ずしりとした重み

    ・ 2016.01.22

木々をゆらす風の音が
やんだり なったり している
その風が木の肌とおんなじに僕の肌を吹くとき
こころの窓のカーテンのふくらみを感じた

    ・ 2016.01.31

これほどあまい午後一時
わずかな火照りと寝転びながら
すけた窓越しに雲を見る

こんな五感がまったくふしぎで
退屈なのか憂鬱なのか
あるいは至福か わからない

ほしいものもなければ 望むこともなく
ゆるい眠気だけをまぶたにうかせている
こんなときこそ 死というものが 
ぽっかりと あるいはほかんと 思われてくる

    ・ 2016.02.07

そろそろ人生の半分を過ごしたと思う
もう思い出せない幼少期の
幼すぎる思い出を思えば
  (数十万の金は
   私のこころを憂鬱にさせるが
   数千円の 金は
   私のこころを躍らせる)

    ・ 2016.02.18

いちにちずっとねていたが
(いちどいけなくなったとき
 ひとはとたんにだめになる)
こんなひには ねたままみたいに
おきているあいだもすることがない
(まるで夢みたいなひとりきり)
ひとりでは ひとはとたんにだめになる
  (だめになっている眼でできた
   部屋の光景が煙に映り
   まるでいきいきはたらいている)

    ・ 2016.04.13

なんという蓄えだろう
果物をかじると
水をがぶがぶのんだのよりも
うるおうようだ

(朝の空気がおかしな両眼に
緑の水で 距離に応じて滲む
まるで感傷の屈折は
昨日も今日もかわらない)

    ・ 2016.06.02

 (毎日の身代謝が動物的課題であれば
  毎日の光代謝が人間的課題である)

このところ 一週間は
よくおきて よくねることができている
光の素直な受容状態と
その内的な錯乱状態とを
きちんと行き交うことができている

  (この 広い道
   あれが 青空)

だけれどなんだ
ここではくらしが
いちばんつらい
小銭を支払うだけなのに
手が震えてくる

    ・ 2016.11.17

すべての疑問は
自分の中でほどかれるのを待っているのに
部屋を出て街をうろついて
架空の顔ばかり覗き込んでいる

  (秋のショーウィンドウの透明さ)
  病的な時期を除けば
  暮らしの殆どの場面は詩にならない

疑問は深い水準を装った
地平に現れるのに
苦悩はいつでもすぐそばで
親しげな顔をする

 (明日という日が信じられないんだ
  今日という日を信じられないから
  誰一人信用できやしないんだ
  自分を信用できないんだから)

  孤独というのは自分との距離だ

    暮らしは詩のように
    安心を与えてくれない

    (暮らしは液体だ
     透明な液体を飲み続ける
     その排泄も液体だ)

曖昧に関係しているつもりでは
(秋の噴水の拙い上昇志向)
気を狂わずに この街の中で
暮らしていくことはできないらしい

    ・ 2016.12.07

ほとんど対人の親しみだった
妙な膨らみとの時季を越え
冬は たしかにそれとわかる季節
  冬の匂いは瞳を通り
  世界はまるで小石の細部を
  全体性の規範にする

  現在とは(紺色のナイロンジャケット
  死んだ植物の脚 均等という意識)
  過去という現実の
  地道な反復の現前
  という幻想の地平で
  自己意識の中へ
  鮮やかに疎外された
  空間と時間

(我々はたしかに冬をだけ知っていて
 未来は全て他人の顔の中へ送られる)
  
ジャケットのポケットには
もう3000円しか余っていない
  たりる たりる
これから家へ帰り着くためには


希望灯

  田中恭平



頭の辺りに僕の血が帰る、
飛散、していた血が帰り
冷静となり
耳に冷たい花をつける
二人は口づける
鳥の嘴のようにカチリ、と
憂鬱と、怒りと
種は蒔かれる、
僕は哀しくなる。
生きているのが許せなくなる。
自分のことだ、、、

もう短調の曲は要らない
天国の味をしめてしまっているんだから。
徒労しているのは営みで
営みに依存しているんだ、

胸が苦しいのは
カフェインの摂り過ぎか、、、

今朝いつ起きたとか
今朝何を食べたとか、
そんなことはどうでもいいのに
時計に
それからパンに
僕らの会話は唯物論者のような舞踏しかできぬ
そのように語りむなしくあらねばならぬ
ぶちやぶってやる、
ぶちやぶってやろう
僕らにはポエジーが在る。

何が流行だとか
スターに胸を痛めないように
音楽を聞いて鈍感になりつつ
実際、鋭くなっている

嘘のていか、
または鈍感で同時に鋭くなっているんだ
嗚呼、天使の羽が空気を切るぞ!



俺はカフェ イン で酔っぱらっちまって
フェード アウト してゆく怒りのこころが
書けば再燃するぞ
グシュウ、

汚れているものを
汚れているもので守っている
ずっと
水は水に濡れていた
(これは余談)

ここは木屑でできたふたりの寝室で
その明るみは透明性を保持したままここに在り続けます
死はもう勘定の内に入りません
燃やし尽し、されることを生業として
桜の木の下自分を失ったのは誰でしょう
古い
古いお話です
私の眼は今を見ている
今、は動いていないぞ
そうして、自分の頭をキャンパス・ノートの前に固定させておいて。

昔はむずかしく語ったものだ
昔が、五十六億七千万年
前か
後か、もうわからなくなって
でも考えることは止められない
いつでもふざけたことを考えている俺は飛行士にはなれない、
体をはって壊すことしかできない、
それは否定ではない
できることは事故を起こすこと


風が吹き、アクセルを吹かす
頭のなかに風が吹き、頭から白い煙をあげている男、
イエス・キリスト!
生まれながらの手紙書き
とおいあなたへ手紙を書こう、帰れたら
蜜蜂のようにはやく帰ろう
蜜蜂のようにさっさっと書いてしまおう

あなたは眠っていました
(体の半分を影として)
闘い疲れた体はぼろぼろ、
でもそうは見えないからうつくしいね
と、語りかけないように
きみの隣で眠る
きみと
反対方向を向きながら
この部屋にはサティがスロウに流れている、、、

おならのように恥ずかしいふたり
時もしずかにみつるのでしょう
働き盛んな蟻が一匹、
白い壁を這って
もうすぐだ!
もうすぐ灯りまで届くぞ
アウト、
してカメラは庭をうつしている
百日紅は、灰皿は最悪だ
つつじはうつくしい
仮に生まれ変わるなら人間じゃなくてつつじだな
金勘定に悪戦苦闘
やなこった
呪いに洗い
やなこった
という私は天国生まれ
冴えない頭は現実酔いです。

日は冴え冴えとくうきを送る
僕にあなたに
世界は終わらない
世界は弛緩してゆくだけ、、、
ぼうっとすれば絶望的で
強くあるなら希望になろう
よい匂いのするあなたが
ぎゅっと手を握りました。


 


アフリカの人、置き去り計画(ナイジェリアVer)

  三浦果実






 乗ってる車、なに?
  
   マークII。  

 新幹線の先みたいな?
  
   あー、そうそう。丸いフロントの。

 うちのパパが乗ってたから判る。


スタバで亜咲美と出会ったのは
彼女が必要とした車があったからで
たまたま隣の席に座ったからではない
夕暮れ過ぎでないと外に出ない
19歳のひきこもりの子


剥いだ生の皮から革を精製する工場
ナイジェリア人姉弟を迎えに
亜咲美が助手席で案内する
クリスの暴力が辛いアンジェラ
弟も一緒でなければ逃げてくれないと
訊けば訊くほどに僕はトラブルに巻き込まれてゆく
全員乗り込み 降ろしたら
クリスからクスリを買うふりをする件
ひとりで向かう僕は初犯だろう


 気を付けてね

   8人殺している元ナイジェリア兵、な。
  
 おしっこが近いよ、あいつ。そのタイミングで。


クリスが階段を軽快に降りて来る
初めてみるコーク中毒者
眼が見開いている
助手席に乗った後は
クリスを僕はみない
30分だ
10km程度離れた場所の
コンビニエンスストアや
ショッピングモールで
置き去りにするだけでいい


うんざりしながらも
亜咲美から離れられない
アフリカ人の不法入国者たちを
手助けすることに一生懸命な
ひきこもりが云う


 あんたさ、優し過ぎなんじゃない?
   
   優しい人間が、立ション中の・・

 アフリカの人を置き去りにした。


アイリス(虹は陽に架かる)

  アラメルモ


庭の白菊に水をやりましょう
永遠をすれ違う人々のために
欲望の根を絶やさないように
堕天使の矢を掴み、悪魔が背中で囁いても
霧は沈み、ぼやかされずにはいられない
アイリス
人は虹に出会い
天気雨を予想している
池を照らす丸木橋が耐えている
支柱を支えた満月の夜
きみの影は花弁の芯を写しだす
それは裸体をむしり取る
雲を掴む夢
陽に触れて、虚しさが消え去ることはない

なんときみじかな春よ
アイリス
まあるく輝いた、玉葱の薄い皮
きみのしなやかな腕が微笑に暮れた日を
僕はじっとみていた
陽炎に浮かぶ虫たちの淡い季節
ヒマラヤから零れくる水の冷たさ
日めくりを追うように
寡黙な外濠の縁からそっときみの肩に触れた
その麗しき唇か黒い羽根筋
黄昏に萌ゆる袖紫の撓り
水の底、ただじっと眺めていた
掴むことのない、雨上がりの薄い虹
いつかきみはまぼろしと消え
夢は空へ、夢のままに残るだろう


脳の中で

  祝儀敷

美少女を
殴って
頬骨を折る
脳の中で。
美少女を
蹴って
腰骨を割る
脳の中で。
半透明な両手で
きめ細やかな肌のかよわい首を絞める
どす黒い痣が残るほど強く強く絞め上げる
塞ぎ止められた血流が押し返してきて
瞳は飛び出すほどに大きく開かれるが
力はゆるめられること無く更に更に
指が深く喰いこむほど強く絞め上げて
美少女は断末魔もあげず口元を震わせている
堅い首の骨が砕けた感触が鈍く伝わってきた
脳の中で。

真っ白な部屋。窓も扉も無い。
その隅に体育座りのかたちをしている。
着替えたことのないパジャマはあかで汚れていて、
ほほをつたってよだれが垂れている。
ひざに頭蓋がうずまっていて、
灰色のパジャマによだれをつけて、
いまがいつだかもわからない。

美少女の腕の真ん中を踏みつけて
透けている爪を喰い込ませながら
美しい手の平を乱暴に持ち上げ
てこの原理で一気に骨や筋ごと折る
馬乗りになって腹を潰しながら
赤く腫れ上がるまで顔面を殴り続け
眉間へも垂直に拳を跳ばし
確かな感触に自分の性器が激しく反応する
脳の中で。
ぷっくりとした尻の肉をナイフが往復するよう斬りつけて
血や体液が傷口から滲みだしズタズタになった後に
渾身の力を込めて平手打ちを響かせる
脳の中で。
つつましい乳房に太い針を何回も抜き刺しして
穴だらけになったところで皮膚をつかみ剥ぎ
中の脂肪を思いっきり握って引き千切る
脳の中で。
膣に裸電球を無理矢理突っ込んで
この時点で既に膣壁裂傷を起こしているが
構わず半透明な足でかかと落としを喰らわせる
中でパリンとはじけ割れた音がした
脳の中で。
ぐったりした美少女のつややかな長い黒髪をむしり取っては
醜く禿げた額のその下にある喉に奥まで手を突っ込み
荒く抜いた髪の束を押し詰めて窒息させる
脳の中で。

事果てた美少女は
傷だらけとなった体から解かれて
空高く昇天していく
しかし、
脳の中。
天は頭蓋の内側であって
その縁を沿ってまるで輪廻転生のように
美少女はまた現れて
そして殺される
脳の中で。
いっさいの抵抗もしない美少女を
半透明な四肢でいつまでも繰り返し虐殺して
表情だけは完全に透明なのだが
それは興奮が抑えられず笑いが溢れかえってしまっている
脳の中で。


水蛭をとる人

  玄こう



/カイ(χ)の化石の目蓋はいつまでも閉じたままだった /天と地を展(の)ばしながら /点と点とを手足で繋げ/ゆっくりとした手つきで/杖を回し/腕を動かし/時々手足が止まった

湖のなかにいる蛭(ヒル)を飼いつづけている老人だった,散切り髪の仙人のようなふうで,痩せこけ浅黒い顔で,熱心に湖の底を見つめていた

>いったいなにをなさっているのですか?
通りがかった彼(*)は訊ねた

>“自分の目や,耳や腕,その肉とするために蛭をとっているのだよ”
老人はささやくようにそう応えた

老人も,彼も,そんな一言では,なにも思い及ばぬことであったから,以降二人はなにも応えようがなかった



>///養殖のための水槽が近くにないニョーニョーコマーシャル/コップの水を移しかえては相づち打つコマンドの顔/あのぅ、あんのぅ/ケイケン()ちの()ちの/砂漠がさ迷う/詩が死に/死が詩に/詩の欲する先を/若くして聞きかじる
>‖わたしがグラスの角を‖棒で‖叩いて/叩いて‖をつなぎ止め/文字る/もじり/張りつき/引っ掻き、滲ませ、、,、、_叩いて_叩いて/棒の柄で‖叩いて‖叩いて‖ハッケョイおこったおこった‖おのこがおこった/‖グラスの縁からゴロゴロころげた‖‖


老人はじっと目をつむり口をふさぎ,老人の肉となるたくさんの蛭たちを杖に張り付かせながら,湖をかき回していた

しかし誰も,みなその水蛭を目にした者はいなかった,老人がその杖を持ち上げたところなど誰も見た者などいなかった

彼はその場を立ち去り,その老人のことについてばかりを考えていた,そしてこの老人が持っている(χ)の無数の水蛭,どんなものだろうか?,とただ思い浮かべるだけ思い浮かべながら,ただそれだけを文字にした,ただそれだけを詩にした,生涯彼はただそれだけを文にしてそうして書きつけていった



‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖
(本作の註)
ワーズワス『決意と独立‐水蛭を取る人』へのオマージュ作。彼(*)とはその詩の主人公である私、あるいはワーズワス自身を含む
‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖


2017年5月4日GW抄

  尾田和彦


http://nonoyu.daa.jp/
少し眠っただろうか?
26歳のぼくは
真夏の新宿西早稲田の路上で
パニック発作を発症し
倒れていたのだ
狭い路地裏に体を押し込み
ぼくはこのまま
死んでいくのだと
目を閉じた
まるで生命を
閉じようとするかのように

42歳のぼくは
湯治場の温泉にいた
野乃湯温泉
目を閉じていた
露天風呂の外は
霧島の大自然が広がっている
生きているのか
死んでいるのか
感じている暇もないほど
深く
疲労していた

疲労は
世界を縮小させ
夢を見る力も失った
くたびれた中年
昨日
同僚と牟田町で飲んだ
アルコールがまだ少し残っている気がした
26歳のホステスの
吐息が
まだ耳元に残っている
あたし北郷の山生まれ
イノシシって
罠で獲るより
銃で殺した方が臭みがなくていいのよ
イノシシ
食べたことある?

タバコは吸わないの?
ううん吸わない
〇ンコなら咥えるよ
そういうこと言うなよ

まだ9時だもんね
そういう問題じゃなくてさ
淑女がそういうことを言うもんじゃない
失敗したな

歌手の
JUJUに似ている気がした
http://www.sonymusic.co.jp/artist/JUJU/
あるいは
それほど似ているってほどじゃないのかもしれない
他の客のテーブルのところへ行き
えんえんと下ネタを話題にしている彼女を見ていた
男たちはそれを聞いて
喜んでいるのだと
彼女は思っているのだろう

この日6件
クラブやキャバクラをはしごし
十数人くらいの女の子とお酒を飲み
お喋りしたが
どの子も饒舌だった
気に入られようとしているのか
仕事を全うしようとしているのか
傷を癒そうとしているのか
8割くらいがバツ付きの
シングルマザーだったような気がする
そして誰もが
不器用に生きているように見えた夜

その夜の街は
矛盾を抱え込んでいる
いや
人間を最後に救う
「希望」がそこには
あるのかもしれないナ
ぼくは良き洞察者ではない
単なる酔っ払いでもないさ
エゴを抱え込んだ
疲れたサラリーマンに過ぎない
だが彼女たちの良き話し相手になれただろうか?
一瞬でもそう思えたことに
良心の呵責に対する
慰めを感じているのだろうか
いや違うな

虚無に抵抗する
己の中の抗いを探しているのだ
単純に探している
探している
それが最も本質的な感覚だ

野乃湯温泉は霧島温泉郷の外れにある
丸尾交差点を折れ
山の中にむかっていくのだ
景色が段々良くなっていく
街にはない
風景が広がっていくのだ
つぶさに見れば
見慣れない動植物が見ることができるだろう
だが疲労を抱えた都会人が見るのは
そういったものじゃない

そういったものじゃない
見ることができるのは
力のあるものだけだ
己の内側と外側は
同じ質量でつながっている

わたし即世界
単純な理屈だ
わたしを「豊かに」すること以外に
方法はない
26歳の自我と
42歳の自我に隔たりはない

時間とは即いまの事だ
過去も未来もない空間の事を言うのだ
『思い出』というものほど残酷な概念はない
人間はそれに縛られ
そして苦悶する

そこから見えるものは死後のあなただ
野乃湯温泉の露天でぼくの背後から話しかけるものがいた
死んだあなたが100年分
あなたの中に存在している
過去は箱舟のようにあなたのエゴだけを乗せ
難破船のように漂うのだ


GWの午後に。

  鞠ちゃん

笹の葉がささめいている
シャリシャリと耳を洗う
洗いなさい、洗いなさい記憶を
そうたおやかに告げる若竹よ
風にもんどりうつおまえはしなり
いつかの若い女よ
根無し草に必要なのはガッツだ
欲を燃やせよ
笑顔の仮面が転がるよ
砂利石に紛れて砂利石の
みすぼらしい慟哭がよじれ
焦燥がおまえを焼き
餓えて走るのら公に白襟はナイフの光だ
滝の逆流する闇に血はぬるり漂い
毒のくすぶる緑のなかに立った戦士よ
戦場は家ではなかったか
敵は父であった
透けるモノトーンの城は形骸が木霊し
女中は愚鈍に聡明に無口ではなかったか
焼け野原に雨が降って
丘の上には時計の止まった家がある
駆け上がる風が待ちかねていた今をオルゴールする
時の無い家よ
耳を切った男の絶唱を悼んで恋人よ
あなたの無念と砕けた夢は
みなぎる光の中で
夏のソーダ水だ
生きることは恋に似ている
そんな風に独りごちてグラスにキスして
あなたの片耳を庭に埋めた
愛という名前のかわいいお墓よ
丘の上の胸襟のカーテンが
風に舞い上がって
ああ青い物影が見える
ここは囁く亡霊たちが漂い
モノトーンと色彩のはざまに回転木馬がまわる
それもいいだろう
ここはひたひたとひたひたと
いつかのさよならが木霊する丘なのだ


いじめられっ子ふたり

  狩野川 俊太郎

テレビをじっとみてる少年。その隣に座ってる友達は、マイク・タイソン似。退屈そうにして、ときどき、油まみれの手で股間を弄る。ジーンズに染みができている。テレビ画面では、大食いの女が、500gのステーキを素手で食べてる。ドリトスの袋から中身が溢れる。家の奥から、笑い声

ぼくらは馬をみるんだ
ママの妊娠に
追いつくくらいのスピードの
それでママの腹を蹴ってもらう

タクシー運転手「歩いていけるよ、歩いて行きな」
ヤニまみれの前歯

半ズボンの解れを縫いながら、ペットショップの猫みたいに、みすぼらしく背中を丸めてるママ。手縫いなんかゴメンだ。あとで朝の
インスタントのコーンスープみたいに、捨ててやる。奥歯にガムが張り付いてるみたいに
、いつもわざと何も言わない。

2人はいつも一緒で、
グループ名を考える事にした。


春の川 自由律俳句百句

  田中恭平



ていねいに字を書く朝(あした) 

仏壇にあげる茶がなく水とした 

いつの世もこんなもんだぜって歩く野良猫 

すべからく澄む、終わりのはじまり 

愛を負って走る自転車チリンチリン 

どろっとした泥に自分みつけた 

豊かに苦い土の塊 

きみのため大切にとっておく職安のプリント 

くすりのんでくをすることの雨あたたか 

嬉しいことのそして風呂を磨く 

何か飛んで静かな朝のくらやみ 

体冷えきって静かな冷汗をふく 

早起きしてぼろぼろの体整えとる 

ぐちゃぐちゃな体ととのえてさびしい 

きみを願って今朝も働きに出ていたよ 

わたしの中にも仏性はあってほしかったのに 

敢えて定型
二十九の大路に母は喜ばず 

寒い日は寒さたのしむ床の中 

良い湯いただいて枝を折りとるおと 

わたしとひとは地球と月のとおさだよ 

火ィ消したか消した消したさむ、さむ 

もう聞かないで言わないで、雪、雪 

今ここにあるがままといって年とった 

ほのかな紅のめんこさと会う 

天使がいればあなたである 

カップのコーヒーこびりおとす十本の指だ 

障害に負けず息吹く、山の雪をみにいこう 

地球回転太陽煌々、そらいいぞ 

冬の野焼きはわたしが燃したここちする 

両眼泣く世の定めとしての大みそか 

野暮を競って芋ばかり食む 

つつがなく明日も今日の雑草として 

太陽にこにこ俺はまだ竹のごとくに 

竹のひかり充ちること体にいりくる 

さびしがらせる幻の声をまた聞く 

もったいなくも物捨つることやり直すため 

猫の寝ごとの昨日の鬼が怖かっただろ 

ねぇ子供すべてを知って飽きていくのか 

ひかりのどかな日洗濯機まわれ 

今日の昼食下げて父くたくたと帰ってきた 

敢えて定型
雪割草南無不可思議光豊潤苦 

寝すぎてはひとひ終えるに力の余り 

泥棒をしてこころの悪さとして鬱する 

北窓塞いで本の中心におる 

紅葉かわきゆく我がこころをみた 

賀正しんじん情けはひとを重くする 

図書館わたしの寄せた本があって嬉しい 

歩き足らない日を口中に埃の味 

仕事のない冬はつらい 

吊るした汗だらけのズボン 

春の川きらめき胸のそこまでながれ 

春の川神様になにもねだらず歩く 

春の川もう歩けないほど歩いてしまった 

春の川たたずむよくわからない体と 

ぽっと何やら春の川にひかりながれ 

いっしょに歩く春の川のとなりをきみと 

湯冷めしつつ縁側出ればゆうやけこやけ 

日がとなりのお寺へおちる 

脱世間月天心眼介宇宙 

すべての道は母なる樹へつづく帰る 

ここにある今筆をとり書く 

また幻聴のして野に咲く花は黄色い 

野に出ることもなくなり冬の金魚 

流れ歩くことお地蔵さんがにこにこ 

救われようともせず雑草は生える 

笹ゆれているくもりの日にひとが恋しい 

たゆみない川、会えないひとに会えない 

陽の甘そうにしかし冷たい風だなあ 

濁りやすいこころに新芽芽吹いた 

ひとり眠れば正しい時計 

安定剤含んで文句を捨てる 

低空飛行のことばを排しどこまでも 

よい仕事をしたあとの缶コーヒーの甘さ 

古い日記捨ててよい夢をみる 

皿が沢山在る 

髪ぼさぼさの物臭坊主こそわたくし 

止まれば山の歩けば山の山又山 

しんとした部屋にペン走るおと 

冷えたこころいやされ雑草のひかる 

川見て川としてながるる 

病者のそれはそれなりのくらし 

今はよろしい春のぬるい風受けつつ 

峠さびしい犬がずっとないている 

雑草ひかりわたしに春が芽吹く 

あたたかい部屋落ち着いて書く 

たんぽぽぽんぽん庭に咲く 

すずしさか寒さか朝のくうき 

シャッター開けると星を見つけた 

勤労の汗したたらせ帰る 

よい湯の今は自分の体を信じられる 

つつじに蝶の休息 

雲となる日まで草でいるわたくし

猫が風を求めて走る 

わたげのたんぽぽふっと吹いて縁側に座った

恋しい夜のしかし落ちつけてひとりで 

元気なきみにみえてふたり坂道下る 

ふりそうな空の暑さだけ残る 

ふたりのり弁食べてみどり濃くある 

さびしいなぁ、あそこの草に苛々する 

水飲んで醒めていく朝 


 


(無題)

  生活

八月の雨に降る批評かな

Haimの、
新曲をきいて、
口ずさむ、
新しい、
風と、花の、
言葉、
つまり、
改めて、
水の、
物語、

カレンダーが、
切る、
風と、
人差し指の、
傷口、
の浅い、
赤、

色素の、
薄い、午後に、
生まれる、
アフリカ、
の、名前を、
呼ぶ、ヨハネスブルグ、
また、あらためて、
アジアと、
暗く叫ぶ、
獣と、毛虫が、
一匹、
花の名前を、
科学に垂らす、
日に、
萌える、
夢の、香り、

こんな、午後なのに、
いいえ、
こんな、午後なのに、
叫ぶ、
ものは、
一人じゃない、

(いいえ、こんな、午後に)
あらためて、
(季語が機械化されて、
地面に伏せている)
右翼的な、
まばたき、
まつげが長い、
革命の、
君、
または、
左翼的な、
サヨウナラの、
紫陽花、
咲き誇るのは、
ゲバルトの、
潮騒、
満ちていく、
天皇の、俳句、

永らく、
この、土は、
国体の、
名が与えられ、
抉られた、
右目だけが、
まだ、すべての、
鉄が熱かった、時の、
鍬の、歪みを、
知り、

深い、宗教の、
森に降る、
小さい神の、
(人の様な輝きをもった)
未熟な、雨、

権力の、
座る、
四月の、花と
花言葉で、
埋め尽くされた、
椅子に、
遠方からの、
悲しい政治、

わたしは、
一匹の、
(それも、たった一匹の獣!!)
獣を、知る、
そして、獣は
(たった70億と3億が
出会っただけの、
数字に)
わたしたちの、顔を見る、
70億と、3億の、
手が生えた私たちの、
身体に、
70億と、3億の、
足が生えた私たちの、
身体に、
たった一匹、
(だけの)人のような、
獣が、
人のように、
降る


M・A・.・. アストゥリアス

  玄こう



 詩を読むとは、わたしがぶつかる事の体験デアル。

 詩を書くとは、ぶつける対象に宛てる行為デアル。

 絵も彫刻もそれに準拠するだろう。

 呪の文字のほのめきを延展し読み刻む。

 絵的な切り貼り、マインド・ソウル・スピリツ。

 それらが奏でる疑似的黙示。脱字演技の肉の削がれたミテクレ人形。

 強弁に誇示する虐げられた恣意的示威のドグマのシーク。

 飼育されたアプリオリ 無思想という思想の意識が及ばぬまま収斂し。

 それら狂気と呼べるものたちがのたうち回る。


   <<<<<<<<<<巳<<<<<<<<<
   入り混じり割られる虹虹
   仲睦まじく番呑む白子蛇
   >>>>>>>>>>巳>>>>>>>>>

   >>>>>双頭の蛇の首飾り

 トルコ石のモザイク ミステカ芸術
 「マヤの三つの太陽 .M・A・.・. アストゥリアス/創造の小路より」


むげんの

  

そこでは夕焼けの空だけが美しかった。
溶鉱炉で鍛造されたばかりの金貨が、地平線から空へ向かって撒き散らされている。
その輝きは反対側の地平線へ近付くにつれて少しずつ穏やかな燠火へ変化し、ついには空の半分近くを覆う闇へと溶け込んでいく。
そんな空とは違い、夕闇に包まれた大地は一面が岩だらけでであった。わずかに惨めな形状の草が申しわけ程度に生えてはいたが、それは却って大地の不毛さを強調する役割しか果たしていなかった。
はるか遠くに見える山々も荒々しい岩で構成されていて、空を飛ぶ鳥も地を駆ける獣も見えない。川はその痕跡を残して干上がり、小さな虫すら飛んでいない。
そんな不毛の地の片隅に、テーブルのような形状の平らな巨岩があった。大きさは、ちょっとしたプールくらいあるだろう。その上で、燃え上がる空から飛び火したように真っ赤な炎がゆらめいていた。

焚き火の中で燃えているのは、木の枝ではなかった。大きな布の塊のようなものが、まるで油を吸っているかのように勢いよく燃え続けているのである。
そして、その火を囲むようにして短い腰布を付けただけの男たちが数人、無言で蹲っていた。
彼らは皆、身体を細かく震わせていた。暖かいのは火に面した部分だけで、氷点下に近い外気に触れている肌は冷え切っているのだ。
寒さに震える彼らをさらに苦しめているのが、飢えであった。極度の空腹のために胃が切り裂かれるような痛みが走り、彼らはときおり思い出したように獣のような唸り声を漏らした。
彼らの中でいちばん髪が長い男は、詩人であった。その右横にいる小柄な男は歌人だ。他の男たちも俳人や小説家や劇作家、それに画家や彫刻家や作曲家など、それぞれが芸術のために生きてきた人間ばかりだ。
だが今の彼らは壮絶なほど美しい黄昏の景色も目に入らず、ただただ飢えと寒さに責め苛まれ続けている。少なくとも今の彼らにとっては、芸術など何の意味もなかった。そんなものより暖かさと食い物だ。
それに、今の彼らは「かつで自分が何者であったのか」ということ自体を完全に忘れ果てていた。それどころか、すでに言葉すら口から出てこない有様であった。

そんな彼らの元へ、音もなく近付いてくる黒い影があった。
フードの付いた焦げ茶色のローブで全身を覆っているので、顔は見えない。だがローブの袖から突き出た腕を見ると、どうやら男であるらしい。
口ひげを生やした作曲家が、最初にローブの男に気付いた。彼は焚き火を挟んで、男と向かい合う位置に座っていたのだ。
作曲家の口が、悲鳴を上げるように大きく開かれた。その眼には、はっきりと恐怖の色が浮かんでいる。
彼の様子に気付いた他の者たちも、フードの男を見た。すると彼らもまた恐ろしいものを見たように口から悲鳴を漏らし、その場から這い逃げようとした。だが、あまりの恐怖に身体が硬直して、動くことができないようだ。
やがてローブの男は、男たちのすぐそばまで来ると立ち止まった。すぐ近くで火が燃えているというのに、なぜかフードの中は光が届かないかのように真っ暗なままだった。顔が見えないどころか、そこに顔が存在しているのかどうかすら分からないほどだ。
ローブの男は、ゆっくりと左腕を上げた。そして無言のままで、人差し指を伸ばす。
彼が指差したのは、詩人だった。詩人は、いやいやをするようにかぶりを振りながら、両手を使って必死に後ずさろうとした。
だがローブの男は、意外な敏捷さで詩人に迫った。その右手には、いつの間にか大型のナイフが握られている。
詩人が何とか立ち上がったのと同時に、ローブの男のナイフが閃いた。
その場にいた者たちは、全員が動きを止めた。まるで各人が物言わぬ石像と化したかのように。焚き火の炎だけが、そんな彼らを嘲笑うかのようにゆらめき続けていた。
どれだけの時間が経ったのか。いや、実際にはほんの数秒のことだったのだろう。
詩人が、呪縛から解かれたように動いた。きびすを返して走り逃げようとする。
だが次の瞬間、彼の喉に一筋の赤い線が浮き上がった。そして走り出した途端に、その線がぱっくりと口を開けて多量の血が一気に噴き出した。他の男たちが悲鳴をあげる。
立ち止まった詩人は、目の前の夕空を見上げた。その顔には、もう恐怖の表情はない。いや、それどころか穏やかな笑みすら浮かんでいる。この時の彼は、寒さや飢えだけでなく、喉の傷の痛みすら感じていなかった。黄金色の空に向かって両手を広げた彼は、そのまま朽ち木のようにゆっくりと前のめりに倒れた。
ローブの男は詩人に近付くと、その両足を掴んで持ち上げた。すでに息絶えた彼の喉の傷から、再び血が流れ出す。
やがて放血を終えルと、ローブの男は再びナイフを手にした。詩人の身体を岩の上に横たえると、手際よくその身体を処理しはじめる。
その様子を見守る他の男たちの顔からは、徐々に恐怖の色が消えていった。それどころか、いつしか獲物を前にした獣のような表情になっていった。

一時間後、男たちはこんがりと焼けた骨付きの肉塊にかぶりついていた。肉を歯で噛みちぎるたびに、彼らは狼のような唸り声を漏らす。食欲という本能だけに支配された男たちは、虚空を睨みながら肉を食い続けた。
やがて彼らは満腹になり、無限に続くかと思われた飢えから解放された。しかし腹が満ちると、今度は理性の方が目を覚ました。彼らは自分たちの所業を冷静に認識し、分析して、その罪の深さに気付いた。そして今度は、激しい罪悪感から全身を震わせはじめたのである。
それだけではない。今の彼らは、言葉も取り戻していた。
「ああ、私は何ということを!」
「とんでもないことをしてしまった……」
「違うんだ!……私はただ……」
口々にそう叫んで狼狽えながら、いつしか彼らの目は薄暮の空に向けられていた。
空全体における夕映えと闇の比率は、なぜかローブの男が現れる前からまったく変化していなかった。
金色、オレンジ色、茜色、赤色……様々な色彩が絶妙なバランスでグラデーションを描く空を見つめる男たちの顔には、いつしか子どものように無邪気な笑顔が浮かんでいた。
「ああ、きれいだなあ」
「うん、とてもきれいだ」
「いいなあ……」
どこか懐かしい匂いのする夕暮れ時の空を見上げながら、男たちは口々にそうつぶやいた。やがて、彼らの目からは大粒の涙がこぼれ落ちてきた。
「俺は、この気持ちを誰かに伝えたくて作曲をはじめたんだ」
「ぼくもだよ。こういう感情を短歌に込めたかったんだ」
「ああ、いま絵筆があったらなあ!」
今や彼らは、完全に過去の記憶を取り戻していた。自分が今まで歩いてきた道と、その過程を。かつて自分が望んだもの、愛した人たち、たどり着きたかった場所、そのすべてを。
この一時だけ、彼らの心は平穏であった。すべてを赦され、すべてから解き放たれた気持ち。言い様のない至福感が、男たちの魂全体を包んでいるようであった。

だが次の瞬間、いきなり風が吹いた。
それは嵐のような突風だった。荒野の彼方から物凄い勢いでやってきて、一瞬で男たちをなぎ倒す。彼らは悲鳴を上げて両手で顔を覆い、胎児のように身を丸めて地面に転がった。
焚き火の炎も、あっという間に吹き消された。そして燃えていた布のようなものも、ボロボロに崩れて細かな灰となり、吹き去る風と共に彼方へと散っていった。
やがて、のろのろと身を起こした男たちの顔からは、先ほどまでの笑みが失われていた。それだけではない。やっと取り戻したはずの記憶や言葉も、再び彼らから奪い去られていた。
(サムイ……)
(ヒモジイ……)
男たちの頭の中には、そんな言葉しか残っていなかった。腰布だけの彼らは、再び厳しい寒さに身を震わせていた。
その時、それまで彫像のように立ち尽くしていたローブの男が、ゆっくりとフードを脱いだ。
その下から現れたのは、詩人の顔であった。詩人は、ローブ自体も脱ぎ捨てると、それを丸めて平たい岩の中央部に投げた。
すると布の塊となったローブに火が点き、たちまち激しく燃えはじめた。
それを見た男たちは、急いで火の周りに集まった。詩人も、彼らと共に火を囲んで座り込んだ。
だが、身体が暖かいのは火に面した部分だけで、氷点下に近い外気に触れている肌は冷え切っている。
虚ろな表情の男たちは、腹を抉るような空腹と寒さに苦しんでいた。もう、誰も美しい黄昏時の風景など見ていなかった。

そんな彼らの元へ、音もなく近付いてくる黒い影があった……。


黙秘の選択

  AKIHO


ワイングラスが女の乳房のようで
その端から滴り落ちる光は
すべての記憶を消し去りたい大人達の
甘い手引きとなり追憶を包む

口約束が成就する頃には
もう夜が明けきるから
互いの腕を縛ってしまおうか
静まり返った夜の教会に
咎を請いに赴こう

誰がいなくても
いて下さる人のため
私達は懺悔する
罪を改めないことの令状を

発熱する肌の囚人となって奥へと入り込む
夜の茂みの葉擦れの慰撫

器はやがて溢れ出るもの
それすら気付かず満たし続けて
濡れそぼるなら
肌はやがて痣となり刻印を刻むのだろう

裸ははもう生まれたままの姿ではなく
包まれることで はじめて泣き声をあやすことが出来る

あなたは何時何処で現うつつに返りますか
一秒たりとも忘れたことのない
不規則な呼吸の生まれゆく源で

私は門を叩き続ける
夜が明けるまでずっと
こぶしが血で滲んだら
どうぞ杯を傾けて下さい

蹂躙をいとわない無垢を孕んで
その高潔と惰性の諸刃の思惟に
捧げられない乳がこぼれるまま
不可避の抱擁で私の母性を証明するあなたが
やがてグラスを空にしてしまうその日まで


刺し違え

  北岡 俊

詰め込みすぎた、最初の1分
荷を下す暇もなく
秒針の速度の差に
あれは不良品なんかじゃない
生き埋めのような絶望は
偶然でなく
軽い靴底を補填する

空白、いったい何色に見える
怯える指先は体温を忘れ寒さに触れる
乳房から引き剥がされた嬰児は
断ち切られた食に泣くだけだろう
愛着なんかじゃないさ
生きるための涙でしか、
その空白は埋まらない

一つずつ
片付けてこう
ゆっくりと、
飲み込んだ唾液が
喉元で熱に変わるくらいに
ゆっくりと

何も考えちゃいない、
火のついた時計が
燃え尽きた後に焦るんだ
燻る火は軽い吐息で払え
聞いてるのは見覚えのない
やけに狭い背中だけ
最後に見る
それがやつらの景色だ

スキャパの味はもう忘れろ
後悔と一緒に打ち寄せてくるから
あいつはここに
とどまらないという
通り過ぎていくだけなんだそうだ
だから表情は想像しか頼りにできない
もう満足だろ
それなら、あとは待とう


お前ら全員をぶちkロス為の明るい家族計画

  ちーちゃん


黙り込む君の目がこめかみの辺りさする
遠ざかる街灯の白想像だけが回る
家路へ歩く二つの影足音のリズムずれ始め
不安と少しの怒りのその顔と
くだらない冗談だけ頭に流れてる
真面目な横顔と

幾つもの星の中最も好きな星はどれ
遠すぎる背景の染み何時かの遠い過去
立ち止まればきっと全て上手く行かせられる
不安と少しの期待のその胸を
つまらない馬鹿げたメロディーで
くすぐり止まないまま

君は待っている夜が明けるとき
ワクワクするようなそんなメロディーを
硝子の羽根を忘れた飛べないシンデレラ
ピッタリな台詞は全部ぶっ壊せみてえな
灰だらけパンチ明るい笑顔
オー オー ベイベー 君が大好きさ

ちゅっちゅちゅっちゅっちゅ


虫籠

  おでん

ガラスの壁に、手を触れて、彼は見る、音もなく、蠢く、群集を。一人一人に、足音はつかない、そうして、忙しなく、いつまでも、蠢いている。真昼の、静かな都会、鳥が、空を、飛んでいる、ような気がする。駅のホームに、彼は立つ。ドアが開く、彼は入る。乗客の、誰もが、目を閉じて、蝶のいる、虫籠を、抱き抱えている。彼は、そうして、音もなく、茫洋と、微睡んでいる。真昼の、静かな都会を、音のしない電車が、駆けている。


北朝鮮でおもいだすこと

  三浦果実

日本人だ僕は                   あなたは日本人だ
福岡には朝鮮人部落といわれる地域があって     就職することが大変で
小学校から中学校に進学すると彼女は消えた     中学生になったら実感した差別
北と南で違う学校だったのかな           日本人ではないということ
彼女はどっちだったのか              北だったから家もボロボロで
高校を出た僕は彼女に恋をした           そんな家にさ あなたは訪ねてきたんだ
誕生日プレゼントにレコードを選んで        中島みゆきの寒水魚を聴きながらの夕食
彼女の大家族と食べたご飯             悪気はなかったんだろうけど
僕は家族がいなかったから楽しくて         父親は日本語わかってなかったから
でもキミのお父さんに怒られ            嬉しかったよわたしは
昔からよく泣いていたけど             今でも日本人で一番好き
あの時も泣いた                  泣き虫だったあなたを思い出す

キミも日本人だ                  わたしは朝鮮人だ


切りつける言葉

  黒髪

切りつける言葉だから時には美しい
語り合う声は調子を抑えて美しい
なんでもいいやって言って
全ての事がどうでもいいと言う
そんな気持ちになる人の
過去の間違いを考えたら
二つの星の中に閉じ込められている可能なことが
ガソリンを燃やすように見えてきた
生活を離れては生きないのだが私の声に火がついて
失うことにはいつもセオリーがある
働き方を失った蜂のように私はそっと飛んでみたい
未来を覚えていられるように
何もないからこそそこには可能性が豊かにあるはずだ

夢はとても理想的
心を静かに収めるように
ペンチを取り落とし
拾うためにかがんだ背中はいつのまにかさみしかった
世界のあちこちでは壊れていくものもたくさんある
それを考えようとすると考えたくないと思い心臓の血が涙に変わる

その通り
知らないで
悲しいことの理由なんて
支えられない言葉
狂った風に消えていくとしても

燃えるように赤い表紙の本だ
それを否定しないでいたい
言葉が人を洗っていくのは
人が言葉を洗っていくのは
小石を掴む指の柔らかい感触で
物語は適切な長さでなければならない
瞬間は指の間をすり抜ける
だから言葉の外側にも責任を持とう
心の周りにある自分ではないものが
私には見えるのだから
心を砕いて境目に甘えることがなく
本当に自分があるためには
目をそらしてはいけない
それは真理を信じるということ
それは長い歌を歌おうと試みること


ash

  白犬

星の煌く黒い瞳
指先をギターケースに這わせて
あぁ、得た
祝福しろ 鳥 犬 辺りに泣き交わす獣ども
海辺を走る風 山霧

音も無く地表を舐める光線が
静かに ひそやかに 僕を追う
従順な犬のよう
撫でてやろう
うたかたの夢

汚水塗れの絶望
ドロップにして
舐め 噛み砕き 飲み続け
今 目を細める
月から生まれ
夜を臓器にして
陽光の温かさに
今 目を細める

得た
届かない
得た
千切れていく指先を庇い
得た
僕は太陽を見つめる
無数の原子核の融合
何億光年の果てに
一時照らされ
干からびつつある言葉の死骸達
僕は干からびたそれを舐め 噛み砕き 飲む
飲む

叶わぬ夢をしゃぶり
幼子は泣く
僕は 得た
痛みと共に
老人は倒れていく
僕は 得た
苦痛と欲望のしくみ
汗と垢でべたつき匂うベッドの上で
まだ見えてない?
凡て、見たいんだ
お前もそうだろう?
もっと深く、深く、深く
深く

ギターの弦は
張り巡らされた電線で
ギターホールは君の瞳孔(瞳孔が穴だって知ってた??)
その音色は月光の滴りで

ら・ら・ら

瞳の照準を太陽に合わせる
射るように
燃える僕の瞳

わかるか?
わかってくれよ
愛してる
祝福してくれよ
僕は 得た

(そして永久に得られない
 飛散させろよ)


わたりがにのフィデウア

  atsuchan69

わたりがにのフィデウアは、僕の恋人
半年に一回くらい、僕と妻は君を食べる
君はいつも白い渚からやって来て
まるごとぶつ切りにされ
黄昏の陽を浴びた二人に食べられる

君を飾る赤と黄のパプリカとセルバチコ
ミニトマトや酸味の強いレモン
そしてムール貝やら烏賊リングやら
ぶつ切りの想い出と朱く茹った腕やら脚やら
君との思い出を僕は妻と共有する

わたりがにのフィデウアは、君との時間
半年に一回くらい、海辺の店であの日を想う
君は、つかの間の日を僕とすごして
潮風の吹く戸外のテーブル席で
こんな僕を、それでも好きだと言ったんだ


(無題)

  生活

獣の様な、
悲しい、動物は、
まるで、人のようで、
つまり、
人のような、
動物が、
獣を、
殺す、
時に用いる、花言葉は、
石楠花、

朝鮮人の皮を剥げばいいよ、
または、アメ公と、
障害者の、爪を剥がして、
君にすべてあげる、
日本人の、内蔵は匂うから、
たべるのにむかない、
紫陽花、

今、降っている雨からは
遠い未来に起こる最終戦争の、火薬の
匂いがしなければならない

倫理は、
引用されない、
または、
押し寄せる死を、
腐らせることができない、
私の、
海に、流れていく、
塩の、
陰惨な、過去に、
「それは、焼かれた」もしくは
「未だに息苦しく」と、
「つまり、すべての人に平等に殺す権利」
があるなら
皆、やはり、「殺されてしまえ」
生きかえさせてあげると、
生かしてあげるの、
間に、
客人、
震災、
人が多く死ぬより、
獣が多く死ぬほうが小さい、
「生かしてあげる」だから、
「平等に皮をはいであげる」
朝鮮人の、内蔵を、
君の心に、
または、心から祈るように、
日本人の、
魂を、ハンバーグにする、

書かれる度に、
花言葉、

私は、
膝を落とす、
私が見下ろしてい、
死が、腐らないように、
または、生きている、
ものの、ために、
視線が、同じになるね、
やはり、話さないの、

生きているものに、
「触れる」、
私を、
見る、
ひとみに、
私が写る、
まだ、迷っている、
本当は死んでいたかもしれないものが、
目の前にいる、
生きていることが、腐って、止まっているのか、
死ななかった事実が、
生きているのか、

触れる、
ただ、触れる


ロケット+おじいちゃん

  北岡 俊

おじいちゃんにロケット付けて

ビル、運命、野良女、雨、禍々しい怪物
どもを
破壊していく
突き抜けていく

頬に巨大なシミ、右目の瞼には傷がある、この傷はおじいちゃんが母親に出刃庖丁で両断されそうになり、躱した時に、家の柱の角にぶつけた時にできた傷だ、右腕など殆ど動かない。

風圧に皮膚が引っ張られ
輪郭が露わになる
眼球が震え
みかんみたいに、衣服が剥がれる

おじいちゃんっ!?

と、ぼくの予想ではロケット花火よろしく
中空で弾け、炸裂したのちに粉末化するかと思ってたがそうではなかった
加速していくおじいちゃんは次第に
身幅が狭まる
身長は五寸釘程度になる
を経て
高度が上がるにつれおじいちゃんは
凝縮されていく
濃縮されていく
見えなくなった時
思った
そうか、
おじいちゃんだった
になったのか!


狂気

  永井



気付いたら月にいた
行きたいと思ったことはない

昔の女に
今日も月が綺麗ね
なんて言うやつがいた
十五夜だからと
母親の作った団子を
食べたことがあった

月は想像よりもずっと小さくて
地平線が丸かった
たやすく一周できると思った
歩くこと以外にすることはなさそうだった

何時間か何日か何ヶ月か
どれくらいか歩いて
はじめて知った
月には光の当たらない裏側があった

あっちにいってはいけないよ
あっちにいってはいけないよ

照らされることのない裏側は
とても暗く
とても黒く
世界が無限に広がっていた

あっちにいってはいけないよ
あっちにいってはいけないよ

裏側との境界に
誰かが一人立っていた
そこにいたのは俺だった
間違いなく俺だった

お前は偉大な人間になる
父親が昔そう言った
俺の心はささくれた
未だに何も成せてない

俺がこっちを向いて笑ってる
不気味な顔で笑ってる

あんたの中には何かいる
昔の女がそう言った
俺の心はささくれた
そんなの女は気付いてない

真っ暗な月の裏側から
俺が俺を手招きする
あっちに行ってしまったら
帰ってこれない気がしたが
進む以外の選択は
俺には残っていなかった

気付いたら月にいた
来ようと思ったわけじゃない


誰もが罪びと

  黒髪

老人が犯す、罪
一輪挿しの花入れてつるつると光るあなたを封じ込める
くすり、とは、無礼だ
全てがはっきりとした輪郭で存在する
電車の中のスープ状の人々
別になんだっていいけど、疲れる
ヘアカタログを繰ってみた
一つの宇宙を手に入れたように
埋め立てられた池には
完全な善のような魚が棲んでいたのに
人が聞く最後を信じられるか
分からなければそれでもいいが?
最後には神様が全てをしっかりと仕立ててくれるから
明滅し始めた神様は
現れる?現れない?
この世界の北極圏に巨大な足を踏み下ろせ
知っておられる、人は弱いよ
ちょっとつついても悲鳴を上げる
だから非暴力を今こそ
それが必要だ
愛が愛が愛がと主張するように
うるさいことが愛だと思うのか
不可能である静寂と
騒がしさの楽しみを
それらはただきっちりやればいいんだ
疑いは言葉を殺していく
そんなのは必然的だ
笑う殺し屋の頭の上の帽子
吹き込まれた生き方の中での自発的な少しだけある良心
帽子の中に混乱を入れて
はっきりとした決着を明るみに出す
誰か正しい光を
暗闇の中うごめく奇怪は誰のものでもない
罪は全て神様、あんたが救ってくれるだろう
この世界の果てまで壊れるような
個人の破滅をカウントダウンしている
畑の中、土はお前を拒絶する
思い知れ
やって来ない暗い目の人が明るい笑顔を持っていること
何よりも大切だって
だって不条理は
ずっとずっとあなたを捉え
抜け出せないようにして
最後を与える
だから僕を受け取って
あなたは、心の中を見せれば
僕の中の命は、あなたの罪を洗って
やり直しのできない人生の上に
浮かれるような歌を歌えるよ
そう僕たちは
手をつないだアマガエルのようになりたいな


正夢

  イロキセイゴ

幼稚なところへ行くと
小学生の女児が自転車で
突っ込んで来て焦った
リールで釣り針の付いた糸を
巻けないので何も釣れない
ボルマンだけが釣れた
チースは「こんにちはです」の略なのか
「こんに(ち)は」「おはようございま(す)」の略なのでは?
とブランチを食べながら思う
知るべきだ
知るべきだ
先生は幼稚なところに
閉じこもれない
部屋の茶色の二スはまだとれない
体が回転ばかりして居る夜に
夢は新聞ばかりでは無いのに
新聞の夢は正夢の様で怖い

文学極道

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