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2016年10月分

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* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


全行引用による自伝詩。

  田中宏輔



真実の芸術は偽りの名誉を超越している。
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)

Verba volant, scripta manent. (言葉は消え、書けるものは残る)
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)

ボールがばあやの箪笥の
下に転がり込み、床では蝋燭が
影の端をつかみ、あちこちへ
引っ張りまわす でもボールはない。
それから曲がった火かき棒が
うろついてがちゃがちゃやっても
ボタンを一つ、それから乾パンのかけらを
たたき出しただけ。
ところがそのときボールはひとりでに
奮える闇の中に飛び出して
部屋を横切り、まっしぐら
難攻不落の長椅子の下に。
(ナボコフ『賜物』第1章、沼野充義訳)

 彼は、その態度や高価な衣服からみて上流階級と思われる背の高い美男子がアーヴァに近づくのを見た。彼女はにっこり笑って立ちあがり、彼を小屋に連れこんだ。
 その笑いがいけなかったのだ。
 彼女は、それまでに、自分のところにきた男に笑いを見せたことはなかった。その顔は、大理石の彫刻のように無表情だったのである。いま、この笑いを見たサーヴァントは、何かが体の中にこみあげてくるのを感じた。それは下腹から拡がって胸を駆けあがり、喉に噴きだして息を詰まらせた。それは頭の中に充満して爆発した。彼は眼の前が真暗になり、(…)
(フィリップ・ホセ・ファーマー『太陽神降臨』12、山高 昭訳)

一番興味のあることを見落していた。
われわれは毎日死ぬのだということを。忘却がはびこるのは
乾いた大腿骨の上ではなく血のしたたる生においてなのだ、
そして最高の過去もいまや皺くちゃになった名簿や、
電話番号や黄色に変色したファイルなどの薄汚れた積重ねだということを。
わたしは小さな花や肥った蠅に
喜んで生まれかわってもいいが、だが決して、忘れることはできない。
私はこの世の生活の
憂鬱(メランコリー)や優しさ
のほかは永遠性を退けてやるつもりだ。情熱と苦痛。
宵の明星の向うにだんだん小さくなってゆくあの飛行機の
濃い赤紫色の尾灯。煙草を切らしたときの
きみの動揺の身振り。きみが
犬に微笑みかけるときの仕草。銀白色のぬるぬるした
かたつむりが板石の上に残す跡。この良質のインク、この脚韻(ライム)、
この索引カード、落すといつも、
&の形(アンパーサンド)になる この細長いゴムバンド、
それらが天国で新たな死者によって見出され
その砦のなかに長い歳月たくわえられるのだ。
(ナボコフ『青白い炎』詩章第三篇、富士川義之訳)

スヴェンのいうとおりだった。シルヴァニアンはビーズつなぎに苦心する必要があった。彼は手仕事をしている間は、考える必要はなかったのだ。彼の手が、彼の代りに考えるのである。彼が手ぶらで考えなくてはならないような時は、問題はもう解けたと感じている時だった。
(フィリス・ゴットリーブ『オー・マスター・キャリバン!』29、藤井かよ訳)

彼の異常な活発さは、始まったときと同じ唐突さで消えてしまったようだった。
(クリストファー・プリースト『スペース・マシン』4・1、中村保男訳)

 わたしは思わず息を呑み、その拍子にアメリアの長い髪の毛を何本か吸いこんでしまったことに気づいた。途方もなく気を散らせるこの時間旅行の最中でも、わたしは、このようにこっそりと彼女との親密さを味わう瞬間を見つけていたのである。
(クリストファー・プリースト『スペース・マシン』5・4、中村保男訳)

 やれやれ、なんという言葉を知らん男だ、オウム以下ときてやがる。あれでも、女の生んだ子供だというのか!
(シェイクスピア『ヘンリー四世 第一部』第二幕・第四場、中野好夫訳)

 目の前に広がる光景を見たおふくろの目は、このおれの目だ。おふくろの目で、おれがまわりを見ているからだ。
(フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』杉山 晃・増田義郎訳)

あらゆるものが何かを待っているようだった。
(フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』杉山 晃・増田義郎訳)

ロジャーの目をとおして、われわれはかれが見たものを見た。
(デイヴィッド・ブリン『スタータイド・ライジング』上巻・第一部・9、酒井昭伸訳)

ここにあるのはなんだい?
(フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』杉山 晃・増田義郎訳)

 うつらうつらしだしたところで、はっと起きあがった。「なんてことだ、山羊を数えるみたいに聖人たちを数えてしまったぞ(…)」
(フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』杉山 晃・増田義郎訳)

 そしてきょうも、あのときのように、ドアの上にぶら下がる黒いリボンを見た。しかしあのとき内心思ったことは今度は浮かんでこなかった。
(フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』杉山 晃・増田義郎訳)

それで、きみはいつまでそこにすわっているつもりだい?
(スタニスワフ・レム『ソラリスの陽のもとに』5、飯田規和訳)

 物という物がいっせいに輝き出し、虹の光彩が、鏡や、ドアの把手や、ニッケル製のパイプの中でさんぜんときらめいた。まるで光が、途中で出会うすべての物体を叩いて、その狭い牢獄を打ちこわし、その中に閉じ込められている何かを解放しようとでもしているようであった。
(スタニスワフ・レム『ソラリスの陽のもとに』7、飯田規和訳)

 いまにして思えば、この、すべてのものが不安定で、一時的なものにすぎないという漠然とした印象や、戦慄の事件が迫っているという予感は現実そのものがつくり出していたような気がする。
(スタニスワフ・レム『ソラリスの陽のもとに』5、飯田規和訳)

「見るというのは明瞭に認識することだけど、憶えているというのは……もっとべつのものなのよ」
(ダン・シモンズ『エンディミオンの覚醒』上巻・第一部・4、酒井昭伸訳)

記憶というものも、その不完全さということがやはり天の恵みなのだ。
(ウィル・ワーシントン『プレニチュード』井上一夫訳)

いかに記憶し、いかに思考過程をはじめるか
(ブライアン・W・オールディス『率直(フランク)にいこう』井上一夫訳)

 ヴェテラン夢想家が夢想にふけるばあいには、時代おくれのテレビや映画みたいにストーリーを夢みるのではありません。小さなイメージの連続なのです。しかも、それぞれのイメージがいくつかの意味をもっている。注意深く分析してみると、五重、六重もの意味をもっていることがわかります。
(アイザック・アシモフ『緑夢業』吉田誠一訳)

 その子にとっては、雲はただ単に雲であるばかりでなく枕でもあるのです。その両方の感覚を合わせ持ったものは、ただの雲よりも、ただの枕よりも、すぐれたものなのです。
(スタニスワフ・レム『ソラリスの陽のもとに』5、飯田規和訳)

 人生における救いとは、一つ一つのものを徹底的に見きわめ、それ自体なんであるか、その素材はなにか、その原因はなにか、を検討するにある。心の底から正しいことをなし、真実を語るにある。
(マルクス・アウレーリウス『自省録』第十二巻・二九、神谷美恵子訳)

時間は継続を意味し、継続は変化を意味する。
(ナボコフ『青白い炎』詩章第三篇、富士川義之訳)

誤植に基づいた──永遠の生とは?
(ナボコフ『青白い炎』詩章第三篇、富士川義之訳)

 一九五九年の春じゅう、頻繁に、ほとんど毎夜、わたしは自分の生命がいまにも奪われるのではないかとおびえていた。孤独は悪魔(サタン)の遊び場である。
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)

生は大いなる不意打ちだよ。死がなぜさらに大いなる不意打ちではないのか、
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)

実際知恵それ自体よりも愉快なものがあろうか。
(マルクス・アウレーリウス『自省録』第五巻・九、神谷美恵子訳)

蜂巣にとって有益でないことは蜜蜂にとっても有益ではない。
(マルクス・アウレーリウス『自省録』第六巻・五四、神谷美恵子訳)

 万物はいかにして互いに変化し合うか。これを観察する方法を自分のものにし、絶えざる注意をもってこの分野における習練を積むがよい。実にこれほど精神を偉大にするものはないのである。このような人は肉体を脱ぎ棄ててしまう。しかして間もなくあらゆるものを離れて人間の間から去って行かねばならないことを思うから、自分の行動については正義にまったく身を委ね、その他自分の身に起ってくる事柄については宇宙の自然に身を委ねる。
(マルクス・アウレーリウス『自省録』第十巻・一一、神谷美恵子訳)

(…)しかし、しばらくのあいだ、大部分の航空兵にたいしていだいていた気持は、偽りの気持になった。ぼくは彼らを新しい眼で見るようになった。ぼくは彼らが好きなのかどうか、わからなかった。彼らとぼくでは、人間が違っていた。彼らは自信に満ちていたが、ぼくは贋(にせ)ものだった。ぼくは、自分が忘れてしまっていたものに近かった。
(ノーマン・メイラー『鹿の園』第一部・6、山西英一訳)

あなたはあたしが最初に思ったふうじゃないのね
(ノーマン・メイラー『鹿の園』第二部・9、山西英一訳)

彼女は、自分で停めたくなったときに停めるのだ。
(ノーマン・メイラー『鹿の園』第二部・9、山西英一訳)

ある意味では、ぼくにとって彼女は、今夜以前は存在していなかった。
(ノーマン・メイラー『鹿の園』第二部・9、山西英一訳)

すべてを理解せずに、その一部だけを理解するなんてことはできない。自然は……すべてなの。何もかもが入り混じってる。わたしたちもその一部で、ここにいることで、理解しようとすることで自然を変化させてる……
(ダン・シモンズ『ケリー・ダールを探して』II、嶋田洋一訳)

(…)「──あるものの一部だけを知るのは、あの絵をばらばらに引き裂くようなものだということなの。あの、火曜日に話してくれた女の人の絵……」
「モナ・リザ」
「そう。つまりそれはモナ・リザをばらばらにしてみんなに配って、それで絵を理解したって言ってるようなものなの」
(ダン・シモンズ『ケリー・ダールを探して』II、嶋田洋一訳)

思い描ける場所は、訪れることができるの
(ダン・シモンズ『ケリー・ダールを探して』III、嶋田洋一訳)

視線の鋭さにわたしは恐怖を感じたが、それが彼女に対するものか自分自身に対するものか、よくわからなかった。
(ダン・シモンズ『ケリー・ダールを探して』III、嶋田洋一訳)

「話してくれ」ぼくは翻訳機械を使って、老人に話しかけた。「あなたがたに、こんな考えが最初に浮かんだとき、というか、アイディアのほうであなたがたの頭にはいりこんできたとき、あなたがたはうれしかったんですか?」
(ブライアン・オールディス『未来』井上一夫訳)

 言語というものは、あらゆる文化にとって、最も本質的生産物だよ。その文化がわかるまでは、言語を理解することは不可能だ。ところが、言語がわからないで、どうやってその文化を理解できる?
(ブライアン・オールディス『未来』井上一夫訳)

(…)なぜ、そこで手を止めるか、自分ではわかっている。たとえ、なぜ手を止めたか、わからないようなふりをしようとも。あの昔ながらのうじ虫のような良心というやつだ。野球の一投のように長生きした亀のようにしぶといやつがうごめいているのだ。あらゆる感覚をとおして、おーいイギリス人みたいな猟の名人、こいつはカモだぞという。知性をとおして、空に漂い餌にありついたことのない鷹のような倦怠が、この仕事がすめばまた襲ってくるぞとささやく。神経をとおしては、アドレナリンの流れが止んで、吐き気がはじまるのを嘲笑してくる。網膜の奥の名匠は、自分を含めた光景の美しさを言葉巧みに押しつけてくる。
(ブライアン・オールディス『哀れ小さき戦士!』井上一夫訳)

決定のあり様は、また一般に思考の形式は、決定あるいは思考それ自体なのであって、それは正しい問題の立て方がその解決に等しいのと同じことであり、したがってその効用も一時的あるいは体系的にしか、つまり混沌とした前段階的局面としてのみ、形式から切り放して考えることはできないものなのだ。ということはまた、前提がいっそう重要なものとなるということだ。いや、これが唯一重要なんだ……
(トルマーゾ・ランドルフィ『ころころ』米川良夫訳)

 我々の内部にあるものは、やはりつねに我々の外側にもあるんだ。つまり、慌てるな、我々が何らかの関係を結ぶことができたものは我々の内部にあると、こう言おう。しかし関係がすべてではない、一つの関係はそのような他の事物の存在を否定したり、あるいはそれにとって替わったりするどころか、それらの存在することを肯定するのだ。関係は自己充足的ではない。
(トルマーゾ・ランドルフィ『ころころ』米川良夫訳)

どんな秘密も、そこへ至る道ほどの値うちはないのですよ。
(ゲルハルト・ケップフ『ふくろうの眼』第二十二章、園田みどり訳)

まるで存在しなかったかのように
過ぎ去るのは、
記憶に留められないもの
だけに限るのかもしれない。
(ゲルハルト・ケップフ『ふくろうの眼』第二十四章、園田みどり訳)

 宋人の茶に対する理想は唐人とは異なっていた、ちょうどその人生観が違っていたように。宋人は、先祖が象徴をもって表わそうとした事を写実的に表わそうと努めた。新儒教の心には、宇宙の法則はこの現象世界には映らなかったが、この現象世界がすなわち宇宙の法則そのものであった。永劫(えいごう)はこれただ瞬時──涅(ね)槃(はん)はつねに掌握のうち、不朽は永遠の変化に存すという道教の考えが彼らのあらゆる考え方にしみ込んでいた。興味あるところはその過程にあって行為ではなかった。真に肝要なるは完成することであって完成ではなかった。
(岡倉覚三『茶の本』第二章、村岡 博訳)

 茶道の要義は「不完全なもの」を崇拝するにある。いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、何か可能なものを成就しようとするやさしい企てである。
(岡倉覚三『茶の本』第一章、村岡 博訳)

この世のすべてのよい物と同じく、茶の普及もまた反対にあった。
(岡倉覚三『茶の本』第一章、村岡 博訳)

 ひので貝は美しくて、壊れやすく、はかない。しかし、だからこそ、それは幻影ではない。いつまでも在るものではないからといって、一足飛びに、それが幻影であるなどと思ってはならない。姿かたちが変わらないからといって、それが本物かどうかの証拠になるわけではないのだ。蜻蛉(かげろう)の一日や、ある種の蛾(が)の一夜は、一生のうち、きわめて短いあいだしか続かない。しかしだからといって、その一日、一夜を無意味だとする理由にはならない。意味があるかどうかは、時間や永続性とは関係がない。それはもっと違う平面で、違う尺度によって判断すべきである。
 それは、いま、この時の、この空間での、いまという瞬間に繋がるものであり、「現在在るものは、この時、この場所でのこの瞬間にしか存在しない」のである
(アン・モロウ・リンドバーグ『海からの贈り物』ひので貝、落合恵子訳)

 だんだんわたしは選ぶことを覚え、完全なものだけをそばに置いておくようになった。珍しい貝でなくてもいいのだが、形が完全に保存されているものを残し、それを海の島に似せて、少しずつ距離をとって丸く並べた。なぜなら、周りに空間があってこそ、美しさは生きるのだから。出来事や対象物、人間もまた、少し距離をとってみてはじめて意味を持つものであり、美しくあるのだから。
 一本の木は空を背景にして、はじめて意味を持つ。音楽もまた同じだ。ひとつの音は前後の静寂によって生かされる。
(アン・モロウ・リンドバーグ『海からの贈り物』ほんの少しの貝、落合恵子訳)

 ところでいま私にとって明々白々となったことは、次のことです。すなわち、未来もなく過去もない。厳密な意味では、過去、現在、未来という三つの時があるともいえない。おそらく、厳密にはこういうべきであろう。
「三つの時がある。過去についての現在、現在についての現在、未来についての現在」
 じっさい、この三つは何か魂のうちにあるものです。魂以外のどこにも見いだすことができません。過去についての現在とは「記憶」であり、現在についての現在とは「直観」であり、未来についての現在とは「期待」です。もしこういうことがゆるされるならば、たしかに私は三つの時を見すまし、それどころか、「三つの時がある」ということを承認いたします。
 それでもなお、不正確ないいならわしによって、「三つの時がある。それは、過去と現在と未来だ」といいたい人があるならば、いわせておくがよい。私は気にしないし、反対もしないし、非難もしない。ただし、そこにいわれていることの意味をよく理解していなければならない。未来であるものがすでにあるとか、過去となったものがまだあるなどと思ってはならない。私たちが正確なことばで語ることは、まれである。多くの場合、不正確な表現を用いている。それでもいわんとすることは通じるのです。
(アウグスティヌス『告白』第十一巻・第二十章・二六、山田 晶訳)

いったい時間とはなんでしょう?
(R・A・ラファティ『秘密の鰐について』浅倉久志訳)

 時間とは何だろう。子どもが時間を経験するとき、それは何の意味も持っていない。子どもは舞台裏で何が進行しているかなど、ほとんど、あるいはまったくわからない。だから何かが起きたときには、それが突然起きたようにしか思えない。もしきみがまだ幼すぎて、灰色の雲がやがて降る雨を意味することを知らなければ、まだ経験が浅すぎて、きみに向かってやってくる犬が、きみが逃げるよりも速く走れるのだということを知らなければ、この世はどれほど異様なところに見えるだろう。それをきみも想像してみてほしい。大人は急ブレーキを踏まねばならない事態に遭遇したとき、腹を立てるし、天気予報がいい加減だったというだけで、不機嫌になることがある。
 子どもの立場に立ってみれば、人生とはつねに猛スピードで過ぎてゆくか、じれったいほどのろのろと過ぎてゆくかのどちらかなのだ。とっておきのアイデアがひらめくのは夜寝るときだし、サーカスはあまりにもはやく終わってしまう。サヤインゲンはいくら食べてもなくならない。漫画は風刺に満ちた誇張ではなく、ごく当たり前の日常描写にすぎない。子どもは突然、壁に衝突することもあるだろう。距離とスピードの関係を正しく測ることができないからだ。
 漫画の中では人間が崖から落ちる。
 子どもは床の上で、毛布にからまって目をさます。ベッドから落ちてしまったのだ──どんなふうに落ちたかなどわかるはずがない。
(アン・ビーティ『ウィルの肖像』ジュディ・9、亀井よし子訳)

 現在は、われわれがそれを自らの前に残した時、再び未来となる。わたしは確かにそれを残し、わたし自身の時代にはほとんど神話でしかなかった過去の深淵に身をひそめて、待ったのである。
(ジーン・ウルフ『新しい太陽のウールス』38、岡部宏之訳)

これまでに生きた者は一人残らず、まだ時の何処かで生きている。
(ジーン・ウルフ『新しい太陽のウールス』39、岡部宏之訳)

 過去において永遠に根ざしていないものは、未来においても永遠ではありえないのである。そして、彼の喜びと悲しみを熟考すると、自分はもっとずっと小さいものではあるが、彼とそっくりだと思い当たった。おそらく、牧草が杉の巨木について考えるように、あるいは、これらの無数の水滴の一つが、〈大洋〉に思いを馳せるように。
(ジーン・ウルフ『新しい太陽のウールス』45、岡部宏之訳)

かれを生きたまま食べようとしたりはしないわ。かれがそれを望まないかぎり
(ロバート・A・ハインライン『愛に時間を』3、矢野 徹訳)

これがぼくにとってどれほど大きな意味があることか、きみにわかるかい?
(ロバート・A・ハインライン『愛に時間を』3、矢野 徹訳)

 時間などは存在しないんだ。空間も存在しない。かつて存在したものは、現在も存在し、これからも永久に存在するんだ。おまえはおまえで、自分自身とチェスをし、またもおまえは自分に王手をかけてしまったんだ。おまえはレフェリーなんだ。道徳は、おまえ自身の規則に従って行動するための、おまえ自身との約束だ。おのれ自身にまことであれ、だ。さもないと、おまえはゲームを台無しにするぞ
(ロバート・A・ハインライン『愛に時間を』3、矢野 徹訳)

口先だけの言葉だからこそ、忘れられませんよ、と彼は心の中でつけ加えた。
(ロバート・シルヴァーバーグ『生命への回帰』13、滝沢久子訳)

「人生ではね、最大の苦しみをもたらすものは、ごくちっぽけなものであることが多いの」
(ダン・シモンズ『エンディミオンの覚醒』上巻・第一部・10、酒井昭伸訳)

(…)わたしは見ていた。見ながら、すべてに形と意味をあたえていた。
(グレッグ・ベア『火星転移』下巻・第四部、小野田和子訳)

きみはいまなんという名?
(コードウェイナー・スミス『アルファ・ラルファ大通り』浅倉久志訳)

それが嘘でないとどうしてわかる?
(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』3、宇佐川晶子訳)

どうして、ぼくが嘘をつくんだい?
(フィリップ・ホセ・ファーマー『果しなき河よ我を誘え』4、岡部宏之訳)

あなたがあたしに嘘をついてるのが今日わかったわ
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

あらゆる可能性を想定する想像力を持つ者は、だれでもパラノイア患者さ
(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』10、宇佐川晶子訳)

この男を読みちがえていたのだろうか?
(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』5、宇佐川晶子訳)

ゴォーン! 一万の青銅の銅鑼がいちどきにたたかれて一つの音に凝縮した。高台の家々の庭で、谷間の都市で、カラファラ人たちは一家の銅鑼を鳴らして太陽との別れを知らせる。一つにとけあうその音は青銅の鳥のように舞いあがって、その翼の羽音がホテルを揺さぶり、窓々をふるわせた。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』4、宇佐川晶子訳)

その向こうにはわかりやすい情景がまた一つ。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』3、宇佐川晶子訳)

嘘にはそれなりの美しさがある。それなりの生命と整合性がある。
(リチャード・コールダー『デッドガールズ』第四章、増田まもる訳)

 こわくない、とラムスタンは自分に言い聞かせていたが、それは自分への嘘、あらゆる嘘の中で一番簡単な嘘だった。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』28、宇佐川晶子訳)

 窓の外をながめているうちに、ぼくはフッとおかしなことを考えた。
 この瞬間は、このときかぎりのものであるが、しかし永遠にここにありつづける、というようなことを考えたのだ。──ぼくたちは錯覚しているのだが、時間は決して過ぎ去っていくものではない。どんな短い瞬間にしても、永遠の一部であることに変わりはなく、そして永遠という言葉が不滅を意味しているのであれば、瞬間もまた消滅してしまうはずがないではないか。
 そんなことを考えたのである。
 時間はつねにそこにありつづける。うつろい、変化していくのは、時間ではなく、ちっぽけな生き物であるぼくたちのほうなのだ、と……
 今、この瞬間、ぼくが眼にしている夏の光、耳にしているセミの鳴き声は、永遠にここにとどまる。そして、ぼくだけが老いていき、死んでいくのだ。
(山田正紀『チョウたちの時間』プロローグ)

神とことばを交わすことができるのは、神と同じ、異端者、アウトサイダー、そして異邦人ということになるだろう。これが地獄の驚異だ。
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

 巧妙な芸術家というのは、大変なはったり屋で、いつも先回りをし、自分の負けを絶対に認めない。理性が狂ってしまったことも知らずに、それをエロティシズムだとか、武勲の誉れだとか、国家の要請だとか、永遠の救済だとか言ってごまかしている。そして狂人たちは喜んで協力もするのだが、自分たちを気づかってくれる人間に狂気をちょっと分け与えておけば、思いどおりにできることをちゃんと知っているからだ。いいかい、すべて問題は、人生の幻想を持ち続けるために、理性という幻想を持ち続けることにある。
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

 作家が書くことができるものは、ただ一つ、書く瞬間に自分の感覚の前にあるものだけだ…… 私は記録する機械だ…… 私は「ストーリー」や「プロット」や「連続性」などを押しつけようとは思わない…… 水中測音装置を使って、精神作用のある分野の直接記録をとる私の機能は限定されたものかもしれない…… 私は芸人ではないのだ……
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』委縮した序文、鮎川信夫訳)

 言葉というものは全部で一個のまとまったものになるいくつかの構成単位に分れているし、そう考えるべきものだ。しかし個々の単位は興味深い性の配列のように、前後左右どんな順序に結びつけることもできるものである。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』委縮した序文、鮎川信夫訳)

 言葉というのは一つひとつが、何か実体のないうつろいゆくもの、事物や思想を固定化したものにほかならない。発話された言葉を定着させるという必要性に迫られて、何世代にもわたる精神が選別と形象化を繰り返してきた末に、ようやく今の形になったものだ。
(マイケル・マーシャル・スミス『ワン・オヴ・アス』第3部・20、嶋田洋一訳)

 ある時期にわれわれは言葉というものを獲得し、それとともに向こうの世界から隔離されてしまった。世界を直接に理解するのではなく、思考が体験を媒介するようになったのだ──観察するのをやめてみれば、自分が思索の対象と切り離されていることはすぐにわかる。
(マイケル・マーシャル・スミス『ワン・オヴ・アス』第3部・21、嶋田洋一訳)

 法廷は内部に静止した黒い人影を吊るしたガラスの球のように、微動だにしなかった。その静寂は空虚ではなく、音楽の休止のように豊かで芳(ほう)醇(じゅん)だった。それは巨人の足どりにおける休止であり、一歩ごとに人間は蹂(じゅう)躙(りん)され無力化した。裁判長も、廷吏も、傍聴者も、みなショックを受けて無力な状態にあり、目を大きく見ひらいて激しく喘(あえ)いでいた。(…)
(ゾーナ・ゲイル『婚礼の池』永井 淳訳)

 二月の中旬でも、天候が彼の遅すぎた決心を受け入れて、明るい青空の日々が続いた。まったく季節外れの陽気で、それを真に受けた木々が早々と開花したほどである。彼はもう一度トプカピ宮殿を見てまわり、青磁器や、金でできた嗅ぎ煙草入れや、真珠で刺繍した枕や、スルタンの肖像を描いた彩画や、預言者マホメットの化石になった足跡や、イズニック・タイルや、その他もろもろに、敬意に満ちた、わけへだてのない、不思議そうなまなざしを送った。そこで、山のようにうず高く、眼前に広がっているのは、美だった。商品に値札を付けようとする店員みたいに、彼はこの大好きな言葉をこうしたさまざまな骨董品に仮に付けてみてから、一、二歩退いて、それがどの程度ぴったり「マッチ」しているか眺めてみた。これは美しいか? あれは?
(トマス・M・ディッシュ『アジアの岸部』IV、若島 正訳)

眼よ、くまなく視線を走らせよ、そしてよく見るのだ。
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

 過酷な逆説だが、あらゆるものを表現し、あらゆるものに意味を与えようとすれば、結局それは、あらゆるものから意味を剥奪することになり、文学という冷たい、人為的な方法によって、あらゆるものを表現するのは不可能だということを知らされる破目になるのだ。それに気がついたのはいつだったか? レストランの主人夫婦に浜辺から追い立てられた、痩せて、貧しい、無花果売りの女の、あの下品さそのものであろうか? ぼくの視線を捉えようとするその女の眼を見るのをぼくが拒否したこと、その女と、女が抱えている問題がぼくの思考の中に入り込み、ぼくがあの島に求めていた平穏が乱されるのを拒否したことであろうか? (…)
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

 だがおれは電話をしなかった。他人の人生を少しだけましなものにできる、ほんのちょっとしたこと。あのときもそれをしなかった。
(マイケル・マーシャル・スミス『スペアーズ』第一部・5、嶋田洋一訳)

 おれは待ちつづけた。煙を吸い込んでは吐き出し、今聞こえる悲鳴の中に、かつて耳にしたたくさんの悲鳴の残響を聞きながら。
(マイケル・マーシャル・スミス『スペアーズ』第二部・12、嶋田洋一訳)

それは別の場所に存在する、別の森の木々だった。
(マイケル・マーシャル・スミス『スペアーズ』第二部・13、嶋田洋一訳)

しかしそれを見たとき、だれが森だと思うだろう。
(ノサック『滅亡』神品芳夫訳)

 ぼくの最も深い感情は、あまりにも長いこと自分で知らずにきたので、今それに触れてもまるで他人のものみたいだった。次第に腹が立ってきた。
(ロジャー・ゼラズニイ&フレッド・セイバーヘーゲン『コイルズ』3、岡部宏之訳)

別の人間になるというのはどうかな?
(ロジャー・ゼラズニイ&フレッド・セイバーヘーゲン『コイルズ』14、岡部宏之訳)

だれでもみんな自分とは別のものでありたいと願ってるんだから
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

別の自分になることだけだ。
(グレッグ・イーガン『宇宙消失』第二部・7、山岸 真訳)

なぜ、この一日をわたしと過ごしたのか
(ポール・アンダースン『タウ・ゼロ』1、浅倉久志訳)

今夜わたしたちがこうして出会ったのは、ただの偶然ではないはず。
(ロジャー・ゼラズニイ『キャメロット最後の守護者』浅倉久志訳)

(…)乾いた噴水 からっぽの広場 風の中の銀色の紙 遠い町のすりへった音……なにもかもが灰色でぼやけ……頭がちゃんと働かない……むこうでハリーとビルの物語をしているきみはだれだ?……広場がカチッと焦点をとりもどした。わたしの頭の中のもやは晴れた。(…)
(W・S・バロウズ『おぼえていないときもある』おぼえていないときもある、浅倉久志訳)

一度見つけた場所には、いつでも行けるのだった。
(ジェイムズ・ホワイト『クリスマスの反乱』吉田誠一訳)

道は歩きやすかった。とりわけ、けもの道を見ようとせず、足がひとりでに道を見つけるようにすれば。
(テリー・ビッスン『熊が火を発見する』中村 融訳)

 オアは小さく笑った。「ああ、まったくさね。そう、計画はある」
 ベン=アミは大人の話を聞いている子供が感じるような、あるいはその逆の、欲求不満を感じはじめていた。「わかるように話してくれ」
(ケン・マクラウド『ニュートンズ・ウェイク』B面13、嶋田洋一訳)

 このことを、彼は深い感動をこめていった。わたしは自分の態度の冷たさを責められている思いがした。きっと悪い経験をかさねたため、わたしのなかに冷たさと不信が生じていたにちがいない。わたしも生まれながらのそういう人間ではなかった。だから、わたしは人に対する信頼の念を失うことで、人生においていかに多くのものを失ってしまったことか、また、きびしい警戒心を身につけることで、得るところがいかに少なかったことか、としばしば思ったのである。こういう心理状態が習慣になっていたので、ほんとうに悩みそうな、もっと大きな問題のばあいよりも、こんどの会話のことでわたしは悩んだ。
(チャールズ・ディケンズ『追いつめられて』龍口直太郎訳)

(…)小さな子供のときでさえも、恐ろしいことが四方八方から群がりよって来た。いつも何かわけのわからない暗黒の片隅があり、のぞき知ることのできない暗い恐怖の世界があり、そこから何かがいつも彼のほうをうかがっていた。そのため、彼は見ていてあまり格好のよくないことばかりやってきたのだった。
(ウィラ・キャザー『ポールのばあい』龍口直太郎訳)


時計

  山田太郎

七分、という時間はないのよ
電車を乗り継ぐ時間があるだけ
四秒、という時間はないの
日傘をひらく時間があるだけだわ
と女はいった

それから快速に身をゆだね
見なれぬ街で
深々と黒い、じぶんの井戸に
身を投げる

三十分、などというものはないのよ
熱いお茶が冷めるあいだがあるだけ
五分、などというものもないのよ
汗がひくあいだがあるだけ
と別の女はいった

そのあとで、猫舌の喉をうるおし
ほつれた鬢がかわく

匂いを感じる時間は一瞬
頬を打たれる時間も一瞬
とまた別の女はいった

そのあとわたしに還った本当のわたしが夕飯をつくり
本当のわたしから抜け出た本当のわたしが
つぎの日 電話をかける

時間の長さを忘れさせるのは
時間だけだわ と女はいった
かつて花と花をつなぐのは風だった
風になろうとした花は
時間につながれるしかなかったのか

便りには
空はいつも時計だったと書かれていた
便りには
川はいつも時計だったと書かれていた
便りには
あなたはいつも時計だったと書かれていた


詩の日めくり 二〇一六年九月一日─三十一日

  田中宏輔



二〇一六年九月一日 「断酒」


FBで、しじゅう poke される方がいらっしゃるのだけれど、正直、返事が面倒。すてきな方なので、「poke やめて」と言えないから言わないけど。

9月のさいしょに文学極道に投稿する予定の『全行引用による自伝詩。』かなりよい出来だけど、あまりに長いので、投稿が来週か再来週になりそう。

きょうのワード打ち込みは2ページ半くらいだった。いまの状態で、A4で15ページ。あしたは、フルに休みだから、できたら、あしたじゅうに、新しい『全行引用による自伝詩。』を完成させたい。まあ、無理でも、来週か再来週には完成させて、文学極道の詩投稿掲示板に投稿したいと思っている。

これから王将に行って、それから塾へ。きょうから、しばらく断酒して、通常の生活リズムに戻すつもり。がんばろう。

いま日知庵から帰った。帰りに、いま70円均一セール中のおでんを、5つ、セブイレで買った。お汁大目に入れてよと言うのが恥ずかしかったから、言わなかったら、お汁、ほとんどなくって、ひいたわ。お茶といっしょにいただく。おやすみ、グッジョブ!


二〇一六年九月二日 「天国・地獄百科」


塾から帰ってきて、届いていた郵便物を見ると、『天国・地獄百科』が入っていた。先日、ぼくの全行引用詩に体裁がそっくりと言われて、amazon ですぐに買ったものだったけれど、体裁がまったく違っていた。花緒というお名前のおひとだが、はたして、ぼくに嘘をつく理由がどこにあったのかしら?

あしたには、文学極道の詩投稿掲示板に、新しい『全行引用による自伝詩。』を投稿できるように、一生懸命にワード入力しよう。あしたは一日オフだから、なんとか、あしたじゅうには……。あとルーズリーフ16枚にわたって書き込んだもののなかから選んだものを打ち込めばいいだけ。今夜も寝るまでやろう。


二〇一六年九月三日 「あしたから学校の授業がはじまる。」


来週、文学極道の詩投稿掲示板に投稿する新しい『詩の日めくり 二〇一六年八月一日─三十一日』の下準備が終わった。きょうじゅうに出来上がりそうだ。あとはコピペだけだものね。マクドナルドでダブルフィッシュを食べてこようっと。

あしたから学校の授業がはじまる。心臓バクバク、ドキドキである。なんちゅう気の弱い先生だろう。まあ、いまから顔をこわばらせても仕方ない。きょうは、はやめにクスリをのんで寝よう。

4時に目が覚めたので、きのう、文学極道に投稿した新しい『全行引用による自伝詩。』のチェックをしていた。7カ所に、誤字があった。すべて直しておいた。2回チェックしたので、だいじょうぶだと思う。きのうも、寝るまえにチェックしたときの誤字を含めて、7カ所だよ。まあ、長い作品だしね。


二〇一六年九月四日 「きょうはいえた」


きょうは、2カ月ぶりの学校の授業。がんばらなくっちゃ。コンビニに行って、おでんと、お茶を買ってこようかな。いま、セブイレでは、おでんが70円。これが朝ご飯だ。コンビニに行くと、おでんは、しらたき4つ、大根6つ、玉子4つしか残っていなかった。売れているんですねというと、鍋をもってきて買う人もいはりましたよとのこと。ぼくは、しらたき2つ、大根2つ、玉子1個を注文した。お汁を多めに入れてくださいと言った。このあいだ言えなかったから。麦茶と。

これからお風呂に。それから学校に。ちょっと早めに行って、教科書読んでいようっと。

ブリンの『知性化戦争』の上巻を読んでいる。

きみの名前は?(デイヴィッド・ブリン『知性化戦争』下巻・第四部・54、酒井昭伸訳、99ページ・7行目)


二〇一六年九月五日 「詩の日めくり、完成。」


また4時起きで、コンビニでおでんと、おにぎりを買って食べた。さすがに、おでん8つは、おなかに重い。おにぎりは1つだけ。7時くらいまで、横になって休んでいよう。それが終わったら、文学極道に投稿する新しい『詩の日めくり』をつくろう。

腕の痛みがすごいので、作品つくりはやめて、横になっていた。

やった〜。きょうの夜中に、文学極道の詩投稿掲示板に投稿する新しい『詩の日めくり 二〇一六年八月一日─三十一日』が完成した。さいしょの方の日付けのところで、びっくりされると思うけれど、ぼくの『詩の日めくり』のなかでも、かなりよい出来のものだと思う。お祝いに、セブイレでも行こう、笑。

じっしつ、2時間でコピペは終わったんだけど、『詩の日めくり』は下準備に時間がかかる。まあ、そんなこと書けば、『全行引用による自伝詩。』も半端ない時間を費やして書いてるもんなあ。まあ、作品の出来と、かかる時間とは、なんの関係もないけど。思いついて数分で書いたものでもいいものはいい。

きのうは、分厚い本を2冊、飛ばし読みして読んだけど、けさは、一文字一文字ていねいに、コードウェイナー・スミスの全短篇集・第二巻を読んでいた。すでに読んだことのある短篇だけど。まだ途中だけど、冒頭の「クラウン・タウンの死婦人」ってタイトルのもの。スミスの文章にはまったく無駄がない。

自分へのお祝いに、酒断ちをやめて、日知庵に行こう。えいちゃんの顔を見て、ほっこりしよう。酒断ちは2日で終わった〜、笑。5時から行こう。

いま日知庵から帰った。文学極道に、新しい『詩の日めくり』を投稿しました。ごらんくだされば、うれしいです。こちら→http://bungoku.jp/ebbs/bbs.cgi?pick=9076

きょうは、日知庵で、Fくんといっぱいしゃべれて、しあわせやった。やっぱ、いちばん、かわいい。これから、お風呂に入って寝る。おやすみ。グッジョブ!


二〇一六年九月六日 「9回のうんこ」


けさ、いい感じの夢を見て(夢自体は忘れた)目がさめた。きのう、Fくんと日知庵で楽しくしゃべることができたからやと思う。学校からの帰り道、電車に乗りながら、Fくんは、ぼくにとって、福の神かなと思っていた。

きょうは、えいちゃんと、きみやに行く約束をしてて、いまお風呂からあがったところ。きのうはビールを飲みまくって、けさ起きられるかどうか心配だったのだけれど、目覚ましが起こしてくれた。きょうも飲むんやろうなあ。ビールの飲み過ぎなのかわからないけど、きょう8回も、しっかりうんこをした。

えいちゃんと、きみやで飲んでた。帰ってきたら、メール便が届いていた。近藤洋太さんから、現代詩文庫231「近藤洋太 詩集」を送っていただいた。一読して、言語を虐待するタイプの書き手ではないことがわかる。用いられている語彙も難解なものはなさそうだ。あしたから通勤のときに読もう。

いまさっき、9回目のうんこをした。しっかりしたうんこだった。どうして、きょうに限って、こんなに、うんこが出るのか、理由は、わからないけれど、なにか精神状態と関係があるのかもしれない。

きょう、2回目の洗濯をしているのだが、干す場所がないことに気がついた。


二〇一六年九月七日 「そこにも、ここにも、田中がいる。」


豊のなかにも、田中がいる。
理のなかにも、田中がいる。
囀りのなかにも、田中がいる。
種のなかにも、田中がいる。
束縛のなかにも、田中がいる。
お重のなかにも、田中がいる。
東のなかにも、田中がいる。
軸のなかにも、田中がいる。
竹輪のなかにも、田中がいる。
甲虫のなかにも、田中がいる。


二〇一六年九月八日 「警報解除」


これから学校へ。警報解除で授業あり。

いま学校から帰ってきた。これからお風呂に入って、塾へ。帰りに、日知庵によろうかな。きょうが、いちばん忙しい日。あした休みだけど。土曜が学校がある。連休がないのだ。今年度は、それがつらい。連休でないと、疲れがとれない年齢になってしまったのだ。


二〇一六年九月九日 「きみやの串カツデイ」


さっき、きみやから帰った。えいちゃんといっしょ。また、佐竹くんと、佐竹くんの弟子ふたりといっしょに。きょうは、きみやさん、串カツデイやった。ぼくは、えび串2尾とネギ串を食べた。佐竹くんの弟子ふたりのはっちゃけぶりが、かわいかった。えいちゃんは、途中で席をはずしてたけど、笑。


二〇一六年九月十日 「きみの思い出。思い出のきみ。」


自分自身がこの世からすぐにいなくなってしまうからか、この世からすぐにいなくなってしまわないものに興味を魅かれる。音楽、文学、美術、映画、舞台。まあ、現実の人生がおもしろいと云えばおもしろいというのもあるけれど。

きみの思い出。
思い出のきみ。

きょうは、夜に日知庵に行く。Fくんもくるっていうから、めっちゃ楽しみ。それまで、来月に文学極道の詩投稿欄に投稿する新しい『全行引用による自伝詩。』を、ワードに打ち込んでいよう。

いま打ち込んでいる『全行引用による自伝詩。』が素晴らしすぎて、驚いている。今月、文学極道の詩投稿掲示板に投稿した『全行引用による自伝詩。』が飛び抜けて素晴らしい出来だったのに、それを確実に超えているのだ。ぼくはきっと天才に違いない。

来月、文学極道の詩投稿掲示板に投稿する新しい『全行引用による自伝詩。』のワード打ち込みが終わった。脳機能があまりにも励起され過ぎたため、それを鎮めるために、お散歩に出ることにした。フフンフン。

いま日知庵から帰ってきた。Fくんと、ずっといっしょ。しあわせやった〜。こんなに幸せなことは、さいきんなかった。きょうは、Fくんの思い出といっしょに寝る。おやすみ、グッジョブ!


二〇一六年九月十一日 「キーツ詩集」


きょう、日知庵に行くまえに、ジュンク堂書店で、岩波文庫からキーツの詩集が出ているのを知ったのだった。原文で全詩集をもっているのだけれど、書店で岩波文庫の詩集を読んでいて、数ページ目で、えっ、と思う訳に出くわしたのだった。現代語と古語が入り混じっている感じがした。どちらかに統一すべきだったのでは、と思う。

キーツの詩集、岩波文庫だから、買うと思うけれど、訳をもっときっちり訳する人に訳してほしいなと思った。パウンドの詩集がそのうち、岩波文庫に入ると思うけれど、訳者は、新倉俊一さんで、お願いします。


二〇一六年九月十二日 「20億の針」


近藤洋太さんの「自己欺瞞の構造」を読んだ。小山俊一という一知識人の思索の跡を追ったものだった。こころ動かされるのだが、そこにも自己欺瞞がないわけではないことを知ってしまうと、世界は嘘だらけであたりまえかと腑に落ちる部分もある。これから晩ご飯を買いに行く。食欲も自己欺瞞的かな、笑。

けっきょく、イーオンに行って、カレーうどん(大)510円を食べてきた。この時間に、ゲーム機のあるところに子どもの姿がちらほら。保護者はいなさそうだった。危なくないんかいなと思う、他人の子どものことながら。さて、これからふたたび、ワードの打ち込みをする。

きのうジュンク堂で、ハル・クレメントの『20億の針』を10ページほど読んで、おもしろいなあと思ってたところで、店員のゴホンゴホンという声がしたので、本を本棚に戻した。続篇の『一千億の針』との二冊合わせの以前のカヴァーがよかったのだけれど、ヤフオクで探そうかな。


二〇一六年九月十三日 「魂についての覚書」


魂が胸の内に宿っているなどと考えるのは間違いである。魂は人間の皮膚の外にあって、人間を包み込んでるのである。死は、魂という入れ物が、自分のなかから、人間の身体をはじき出すことである。生誕とは、魂という入れ物が、自分のなかに、人間の身体を取り込むことを言う。


二〇一六年九月十四日 「久保寺 亨さんの詩集『白状/断片』から引用。」


集英社のラテンアメリカ文学全集がすばらしくて、なかでも、フエンテス、サバト、カブレラ=インファンテ、コルターサルからの引用が多い。図書館で借りて読んだのだけど、あとで欲しいものを買った。いま本棚を見たら、1冊、買い忘れてた。リスペクトールだ。amazon で探そう。

読み直す気はほとんどゼロだが、買っておいた。奇跡的な文体だったことは憶えている。無機的だった。

きょう、久保寺 亨さんという方から、詩集『白状/断片』を送っていただいた。本文に、「ういういしい0(ゼロ)のように」という言葉があるが、ほんとに、ういういしかった。奥付を見てびっくり。ぼくより10年長く生きてらっしゃる方だった。ういういしい詩句をいくつか、みなさんにご紹介しよう。


白状しよう。
ぼくが詩を遊んでいると、
詩の方もぼくを危なっかしく遊んでいて、
遊び遊ばれ、
遊ばれ遊び、
この世に出現してこなければならない詩像があるかのように、そのように……
(久保寺 亨「白状/断片」Vより引用)


ざあざあ降る雨の中で、
さかさまに、じぶんの名を呼んでみようか、
ラキアラデボク、ラキアラデボク、
いったいそこで何をしている、
ざあざあ降る雨の中で一本の樹木にもたれて、
雨のざあざあ聞きながら、
この世界を全身で読み解くことができないで、
……ラキアラデボク、ラキアラデボク……
(久保寺 亨「白状/断片」VIIより)


「そもそも哲学は、詩のように作ることしかできない」
とヴィトゲンシュタインは語ったが
             ぼくは「哲学するようにしか詩を作ることができない」
(久保寺 亨「白状/断片」VIIIより)


ぼくがどこに行こうと、そこにはぼくがいて、
ある日の0(ゼロ)流詩人としてのぼくは、堤防の上にしゃがみこんで、
ぼくがぼくであることの深いツカレを癒そうとしているのだった。
(久保寺 亨「白状/断片」Xより)


樹齢七百年の大きな樹木の前に立って、
ぼくは、七百年前の「影も形もないぼく」のことを
切々と思っていたのだった。
ああ、七百年前の「影も形もないぼく」がそこにいて、
そして、そのぼくの前に、ういういしい新芽が一本、
風に吹かれてゆれていて……
(久保寺 亨「白状/断片」XVより)


白状しよう。
「空(くう)の空(くう)、いっさいは空(くう)の空(くう)なり」
という響きに浸されつづけてきたのだった。
そして今さらのようにぼくは、
「空の空」なる断片を、
輝かしく散らしていこうとしている、
「空の空」なるただのぼくとして。
(久保寺 亨「白状/断片」XVIより)


久保寺 亨さんの詩集『白状/断片』から、とくに気に入った詩句を引用してみた。とても共感した。思考方法が、ぼくと似ているということもあるだろう。しかし、10歳も年上の方が、こんなに、ういういしく詩句を書いてらっしゃるのを知って、きょうは、よかった。

久保寺さんの詩句を引用してたら、40分以上たってた。クスリのんで、寝なきゃ。おやすみなさい。グッジョブ!


二〇一六年九月十五日 「そして、だれもいなくなったシリーズ」


そして、だれもいなくなった学校で、夕日がひとりでたたずんでいた。
そして、だれもいなくなったホームで、電車が自分に乗り降りしていた。
そして、だれもいなくなった公園で、ブランコが自分をキコキコ揺らしていた。
そして、だれもいなくなった屋根の上で、雲が大きく背をのばした。
そして、だれもいなくなった寝室で、雪がシンシンと降っていた。
そして、だれもいなくなった台所で、鍋がぐつぐつと煮立っていた。
そして、だれもいなくなった玄関で、プツがプツプツと笑っていた。
そして、だれもいなくなった玄関で、靴がクツクツと笑っていた。
そして、だれもいなくなった会社で、課長がひとりで踊っていた。


二〇一六年九月十六日 「怨霊」


きのう同僚の引っ越しがあって、手伝ったのだが、引っ越し先の床の上に悪魔の姿のシミがあって、そこに近づくと、鍵が置いてあった。家が山手にあって、洞窟までいくと、人食い鬼が現われて追いかけられたが、鬼の小型の者がでてきて、互いに争ったのだが、そこで場面が切り替わり、幼い男の子と女の子が玄関先で互いに咬みつき合っていたので引き離したが、お互いの腕に歯をくいこませていて全治2カ月の噛み傷だという話だった。怨霊がとりついていたのだ。という夢を見た。ドラマみたいだった。「子どもたちも戦っていたのだ。」という自分の呟き声で目が覚めた。


二〇一六年九月十七日 「ダイスをころがせ」


日知庵に行って、帰りに、岡嶋さんご夫妻とカラオケに行って、いま帰ってきた。ひさしぶりに、ストーンズの「ダイスをころがせ」を歌った。気持ちよかった。きょうから、クスリが一錠変わる。いま8錠のんでるんだけど、なかなか眠れない。きょうは、帰りに道で吐いた。くだらない人生してるなと思った。まあ、このくだらない人生が唯一の人生で、愛さなくては、情けなくなってしまう、哀しいものだけれど。


二〇一六年九月十八日 「ヤリタミサコさんの朗読会」


7時から9時まで、河原町丸太町の近くにある誠光社という書店でヤリタミサコさんの朗読会がある。恩義のある方なので、京都に来られるときには、かならずお顔を拝見することにしている。大雨だけど、きょうも行く。

朗読会から、いま帰ってきた。朗読されるヤリタミサコさんが出てくる詩集をつくるのだけれど、その表紙に、ヤリタさんのお写真が欲しかったので、きょう、バンバン写真を撮ってきた。もちろん、表紙に使ってよいという許可も得た。ヤリタさんの詩の引用も多量に含まれる詩集になる。来年か再来年かな。


二〇一六年九月十九日 「詩集の編集」


きょうは、朝から夜まで大谷良太くんちに行ってた。お昼ご飯と晩ご飯をごちそうになった。ありがとうね。ごちそうさまでした。

自分の原稿のミスに気がついたときほど、がっくりくることはない。これって、自分で自分を傷つけてるんやろうか。


二〇一六年九月二十日 「大根とは」


大根とはまだ一回もやったことがない。


二〇一六年九月二十一日 「黒いアリス」


このあいだ、1枚15000円で買った Hyukoh のミニアルバム2枚が、11月に日本版が2枚ともリリースされることが決まったらしい。1枚2000円くらいかな。まあ、いいや。ちょこっとだけ意外だったけど、というのは、アーティストの意向で日本版が出ないと思ってたからなんだけどね。長いこと、出なかったからね。

そういえば、むかし古書で、絶版で、なかなか手に入らないものをバカ高い値段で買ったのだが、数か月後に復刻版が出て、びっくりしたことがあるが、復刻されるという情報を、持ってたひとが知ってたのかもしれない。しかし、トム・デミジョンの『黒いアリス』は復刻しないと思う。するかなあ。8888円で、ヤフオクで落札した記憶がある。フレデリック・ブラウンの『さあ、きちがいになりなさい』も復刻したくらいだから、『黒いアリス』も、いつか復刻するかもしれない。レーモン・ルーセルの『ロクス・ソルス』は、どうだろう。復刻するかな。これも高かった記憶がある。まあ、このネット時代、お金を出せば、欲しいものは、ほとんど手に入る世のなかになったので、ぼくはいいと思っている。ブックオフもいいなあ。自分の知らなかった傑作に出合えるチャンスもあるからね。本との偶然の出合い。あと何年生きるのかわからないけど、ネット時代に間に合ってよかった。ちなみに、ジョン・デミジョンは、二人の作家の合作ペンネームで、トマス・M・ディッシュと、ジョン・T・スラデックの共同筆名。


二〇一六年九月二十二日 「実在するもの」


実在するものは関係をもつ。実在するとは関係をもつことである。関係するものは実在する。それがただ単なる概念であっても。


二〇一六年九月二十三日 「言葉のもつエネルギーについて」


言葉にはそれ自体にエネルギーがある。ある並べ方をすると、言葉は最も高いエネルギーを引き出される。そう考えると、全行引用詩をつくるとき、あるいは、コラージュ詩をつくるときに文章や言葉の配置が大事なことがわかる。言葉のもつポテンシャルエネルギーと運動エネルギーについて考えさせられる。


二〇一六年九月二十四日 「真に考えるとは」


詩人というものは、自分のこころの目だけで事物や事象を眺めているわけではない。自分のこころの目と同時に、事物や事象を通した目からも眺めているのである。真に考えるとは、そういうこと。


二〇一六年九月二十五日 「僥倖」


大谷良太くんちの帰りに、いま日知庵から帰った。日知庵では、東京から来られた方とお話をしてたら、その方が、ぼくの目のまえで、ぼくの詩集を amazon で、いっきょに、3冊買ってくださって、びっくりしました。『LGBTIQの詩人たちの英詩翻訳』と、『全行引用詩・五部作』上下巻です。翻訳は、もとの詩人たちの詩が一等のものなので、ぼくの翻訳がそれに見合ってたらと、全行引用詩は、もとの詩人や作家たちの言葉が活かされていたらと、こころから願っています。


二〇一六年九月二十六日 「花が咲き誇る惑星」


花が咲き誇る惑星が発見された。それらのさまざまな色の花から絵具が取り出された。その絵具を混ぜ合わせると、いろいろな現象が起こることが発見された。まだ世間には公表されてはいないが、わが社の研究員のひとりが、恋人に一枚の絵を送ったところ、その絵が部屋にブリザードをもたらせたという。


二〇一六年九月二十七日 「カサ忘れ」


あ、日知庵に、カサ忘れた。どこか抜けてるぼくなのであった。


二〇一六年九月二十八日 「言葉についての覚書」


ある書物のあるページに書かれた言葉は、その書かれた場所から動かないと思われているが、じつは動いているのだ。人間の頭がほかの場所に運び、他の文章のなかに、あるいは、ほかの書物のなかに運んで、もとの文脈にある意味と重ねて見ているのである。そうして、その言葉の意味を更新し拡張しているのである。しばしば、時代の潮流によって、ある言葉の意味が狭められ、浅い薄っぺらなものとされることがある。これをぼくは、負の伝搬性と呼ぶことにする。人間にもいろいろあって、語の意味を深くし拡げる正の伝搬性をもたらせる者ばかりではないということである。


二〇一六年九月二十九日 「メモ3つ」


2016年9月16日のメモ

言葉が橋をつくり、橋を架けるのだ。
言葉が仕事をし、建物をつくるのだ。
言葉が食事をつくり、食卓を整えるのだ。
言葉が子どもを育て、大人にするのだ。
言葉が家庭をつくり、国をつくるのだ。

言葉がなければ橋は架からないし
言葉がなければ建物は築かれないし
言葉がなければ食卓は整えられないし
言葉がなければ子どもは大人になれないし
言葉がなければ国はないのだ。

2016年9月18日のメモ

言葉が種を蒔き、穀物を育て、収穫する。
言葉が網を張り、魚を捕えて、調理する。
言葉が、子どもを生み、育て、老いさせる。
言葉が、酒を飲ませ、笑い泣かせる。
言葉が、酒を飲ませ、ゲボゲボ戻させる。

言葉こそ、すべて。

2016年9月21日のメモ

詩のワークショップが
東京であって
ジェフリーも、ぼくも参加していて
発泡スチロールで
ジェフリーは飛行機を
ぼくは潜水艦をつくってた。
ふたつとも模型のちょっと大きめのサイズで
発泡スチロールを
両面テープで貼り合せていったのだった。
ただそれだけの夢だけど。
つくってる途中で目がさめた。
ジェフリーは完成してた。


二〇一六年九月三十日 「接続」


ネットが20分前にぷつんと切れたので、電話して聞いたら、言われたとおりに、いちばん下のケーブルを一本抜いてしばらくしてつけたら、直った。ケーブルのさきが蓄電していることがあって、放電すれば直ることがありますと言われた。機械も、人間のように繊細なんやね。直ってよかった。憶えておこう


二〇一六年九月三十一日 「人生の縮図」


寝るまえに、お風呂に入って、お風呂から出て、パンツをはいて、シャツを着て、台所の換気扇のそばでタバコを一本吸ったら、うんこがしたくなって、うんこをした。なんか、ぼくの人生の縮図をそこに見たような気がした。


自由へと

  鷹枕可

透明なトルソの確かな炎の樹の
冬の乳房から滴り落ちた無垢の棘達よ
一週間の街燈を
隈なく張り巡る電流の鳥たちへ
荊の醸造工場が叩き落とした
灰と煤と塵
瓦斯室の瞋りを
それも後ろめたき吐露が懺悔し
赤葡萄の様に壊滅した諸々の嵐を咀嚼として

倦厭と惑乱
錻力のミニチュア蒐集家
裸の靴
水滴を纏う劇場
聯想は想像に撤かれた一握りの包帯でしかない

しかし誰が覗くというのか
永続に亙り時間を
斃れた時計の背後たる運命の偶然と
宣告をする
受話器の裁縫と解剖を

諸々の風洞に惧れ慄く絹の草花の
死後の窓縁から攫まれた趨勢の石臼達よ
林檎樹の一時刻を
寡婦達の
昏く長い喪葬へと続く黒森の炎へ擱け
血の棘達よ
白い墓地の瞋りを出生として


     /


横臥する花束
生きた霧鐘より滴る劇場
渦を巻く逆円錐の建築門
低く高い多翼の額装に縁取られた丘陵のうえの一台の楕鏡
真鍮の蛇を巡る炎
脆く研磨をされた現像を撒く
誰か過ぎ去った椅子
咽喉への編集
映像としてのヴィジョン
老嬢を花殻を印象を隔絶せよ

佇む壁の前の
ガーベラの軸芯に開く囁き声
地下隧道の私も知れぬ埋葬
黄昏の優麗なる翼人達
或は幽霊共のオペラ
望遠鏡に過去を与えたもう網膜
網膜を外に
鼓膜の内に
茫洋として海棲の百合の殻を眺めた

死の死たる趨勢のさなか
飽食を来す機械的季候
幾つか忘れやらぬ瞳の記憶
戦禍に次ぐ戦禍
破壊を免れた
小さな修道院の
胸倉の小さな鳩の鳩舎

エリュアールの呼ぶ自由と
私達の呼ぶ自由
二十一世紀間に亙る
それぞれの制約を越境し
死者と私達が繋がることはできうるだろうか

そして、安らかに静謐を迎え
すべての沸騰花が時間より離れ来るまで


     *


キッチン

  ユーカリ

親子丼ですね、はい、分かりましたよ。そう言ってしばらくの間なにもできないでいるのは、あなたの帰りが果てしなく遠い出来事のように思われるから、ではなく、わたしの立つキッチンがとてつもない怪物のように、わたしを捕らえしまうことだということを、あなたにはわかっていただこうと、むかし、足掻いたこともありましたね。

言葉足らずで、とてもじゃないけど伝えられることなどできなかった、あのキッチンの孤独というのものを、と思いかけたところで、ふと、親子丼を作るための、あの折れ曲がったスプーンのような鍋の名前を知りたくなり、そうこうしているうちに、鶏肉は解凍されてしまいましたね。

一口大に切り分けたあなたを醤油とみりんで味付けしただけの汁の中に浸すと、そういえば、玉ねぎを忘れていたことを思い出し、あわてて切って入れたものですから、少し指先を切ってしまい、傷口から赤い血が流れていて、けれど痛みはなく、というよりも痛いと思うわたしがいなかったのかもしれない、と思いかけたところで、立ちくらみがして、少しの間リビングのソファーで横になっていることも、また許されるのでしょうか。

いかほどの時間を眠り続けたのでしょうか、多分、ロッキーがエイドリアーン、と叫んで、エイドリアンが応えるまでの時間を1エイドリアンとしたら、249エイドリアンくらいの間ずっと、わたしは、と思いかけたところで、火を消し忘れてはいないか、と、大急ぎでキッチンまで戻る、と、夕暮れ中で抱き合う恋人みたいに、火は消されていて、潮汐に浸された約束の洞窟のように、火は消されていて、遠浅の海に滲む夕日のように、わたしは、消されていて、

コツコツとあなたを半分に割って、白濁した液体が、気狂いじみた黄色を呑み込んでいる、それを、あぶくが飛ぶまでかき混ぜてしまう、と、あとは底の浅い鍋に流し込んでしまうだけであろう、と、思いかけたところで、わたしが、突然泣き出していて、それはどういうことなのか、申し上げます、と、結局、何をやっても長宗我部だし、いつまでたっても蘇我入鹿ですから、そういえば、あなた、むかし、わたしが精液というのは、卵膜を破ろうとするから、同じように、眼球にかけたら、大変なことになりますよ、と警句をお伝えしたことがありましたよね、そうして、わたしの眼球から生まれてきたのが足利尊氏で、いつまでたっても鎌倉幕府が訪れないから、死体、をタカウジと埋めに行きました、もちろんそれは後醍醐天皇の死体にございますよ(もちろんそれは後醍醐天皇の死体にございますよ)

タカウジを幼稚園まで迎えに行き、先ほど作り上げておいた親子丼を食します。海苔はかけます、紅生姜はいりません、タカウジは年のわりに、肢体が大きいので、対面しておりますと少し変な気持ちになることがございます。タカウジがご飯粒を噛みますと、ご飯粒は、0.01エイドリアンのうちにひしゃげ、ぐちゃぐちゃになりますね(cha-cha-chaぐちゃぐちゃと口を開けながらなにかを召し上がることは、たいへんに不躾なことでございますので、およしになってくださいね、と、思いかけたところで、タカウジが、ぐちゃぐちゃとご飯粒を次から次へと潰していくのを見ておりますと少し変な気持ちになることがございます、と、思いかけたところで

サランラップをしておりますと、あなたの睾丸が、あかあかと、はち切れんばかりになっておりますから、握り潰しますと、あとはただ、落ち零れていくだけの夕日でした


水を抱える(botanique motif)

  村田麻衣子

わたしはわたしをころしたい 
それだけを申したくて今こここの円形の屋外劇場の後ろの方に 立っています 観客のぼやき あなたのことなんて知らないわ とか馬鹿げているなどという 声、それがわたしの輪郭をなぞるように はっきりとした意思へと向かわせます
ああ、こんなかたちをしているんだ 
喉の奥がわかっていることとそうでないこと 嘔吐の後に、トイレの前で涙目になっているおぼろげな景色も そうが流れていく音には懺悔も混じりけのない純粋なものに近くなる頃 運命には向かうべき方向が備えられ あらゆる方向から一つの意思を導きだす 重荷ではその時を迎えられない性があるゆえに 荷物は座席に置いた
 
初演が、もう始まってしまいますので ここで始まる 古代から伝わる悲劇のかなしみは、360度から迫りくる現実との対比で ここには 一滴の雨すら降らない。人々のからだから抽出される 涙さえ、年を重ね 枯渇する真皮の奥やそのなかに存在する言葉や堆積にしかみいだせません 
くたびれた だから、わたしは詩を書くのでしょうか それは紙が汚れることです
コラーゲンの入ったスープをコンビニで買って落として からだのなかで汚物にならずに 
雨の日の駐車場が汚れた
暑い日の空は、体の中を熱くしていたら死んでしまったでしょう だからよかったのかもしれない

冒険のような人生において 真夜中の国境付近は、たたずんでいた子供たちの鼓動より先に響いてくるのがわかってしまう あなたは生きている
 ここに。此処に、夢の手前で立ち往生する 

水が流れました わたしのなかの血液が うなだれたわたしの中で騒々しい 冒険に関しては、恐れをなし吐き気をすら、憶えました
それが 本当のことを申すと 吐きすぎてもう生きながらえないほどです  
わたしはここで、最後を遂げたいと思っておりましたが 口にするのは遅かったようで 誰かが 空き缶を投げてきてそれが顔に当たった 馬鹿らしいというからには馬鹿らしいのだなと 客観的には


わたしは 立往生しているが 崖の下に転落するのはほんの一瞬で きっと時間がかからない 
あなたは 雄を迎えたことなどないと言い ああそうなのと その人を祝挽歌と呼んだ。ちゃんづけで呼ぶと調子がいいのでそうした 生と死その2方向に、その命の糧を。滴の燐光を。分け与えましたあなたが見た世界と私が見た世界 あわせて360度 ばらばらにして180度ずつに隠された光の粒子 それぞれが目の奥で潰されて暗幕が掛かる 美しいものを護るように お互いに 言葉を発せずに触りもせずに 繰り返した
それが 死とのコミュニケーションでした
 祈るための公園すらいらないよと いやいるよと わたしは主張し 潰されなかった 虹彩は大変平坦な 破裂を起こしましたが 水の流れとともに穏やかな平日が描かれていました わたしから水が流れ出すということが滑稽で 戯れている噴水の水が流れ出すという想像で瞼を閉じました 

膝を折りました ええ抱える間も無くそうして人々のまえに新しい存在として膝をついて 迎えます 産んだことのない子供を抱きました あやすのがおせっかいにも 好きでした  わたしを呼びましたか そうすると
こころのなかが荒れ狂い 狂わされたくなどないのに静けさがやってくるのにはやはり時間を費やすしかなく 一瞬の秒針の狂いであればどんなによかったか
求められてから 本当にわたしでしょうかと聞き返す 堆積を終えた砂がしっとりと鎮座する
整列の美しさなど 憶えていますか?いいえ 

往年の堆積が始まる 自然を成してから 与えました あなたたちが、澱ませた世界のなかでね 公害の空気を吸って育ち 間違っては同じように修正液ばかりを使い 削り取ってやったら 汚らしくなる空虚さに はっとして それからあなたの裸を思い出させた どうしてか透き通っている あまたの希望を背にしていてもなお積み重ねられ
地層を偶然にも 鮮やかにしたのでしょう
わたしは 死なない 代わりに詩を書くのをやめてしまったのです
植物の断片を収集し 人間にあまたのことを尋ねましたので 偶然にも発覚したのですが
わたしの考えは傲慢なのです
なぜかというと
あなたに向かいあうときの
やさしさというのは、わたしの唯一の創造物だから


銃弾

  zero

銃身の鈍重さを仮装しながら
銃弾のようにすばやく生きるのだ
この秋の穏やかな一日は
最大限の速度で組み替えられていくから
この君の静止した生活も
信じがたい高速で雑踏に埋没していくから
撃ち出す可能性しかない母体を装い
撃ち出された現実性しかない弾丸を生きるのだ
この浜辺の町の風景には
夢の遊び込む一片の亀裂も存在しないから
この復旧されていく時間には
もはや現在の証明しか存在しないから
銃身の優しさで横たわり
銃弾の鋭さで何もかもつんざいていく
責任も罪も悪徳も無効になるこの秋の日
弾丸となりすべてを傷つけていく


宿り

  軽谷佑子

改札口のむこうに
家路があり
台所ではコンロが
火を保つ

雲がおしつぶすような
屋根のしたの暮らし
一人でいる時間はながく
短い諍いをくり返す

腕が枝になり
折れ引き裂けて川べの
夏草はことごとく枯れ
地面に伏せたばったの
顔があがる

今日になるごとに
明日のことばかり
かんがえる外のことは
わからなくなった

いつかかやつりぐさを
逆さまに持ち
かけ回るいつまでも
消えることのない火花


凍える蝶

  桐ヶ谷忍

夏の終わり

弱々しげな、うつくしいアゲハを捕まえた
微弱ながら生きているアゲハを
私は冷凍庫に入れた
なぜそんな残酷なことをしたのか自分でも分からない
分からないまま翌日
恐る恐る冷凍庫を開けてみる

アゲハは凍っていた

必死に出口を探そうとしたのだろう
開き口の側で壁に張り付く形で凍り付いていた
私は包丁を持っていき
蝶と壁の接合部分をうやうやしく
少しずつ削り取った

冷凍庫で冷やされた私の手の平の上で
凍りついたアゲハを見詰め
何かが可笑しかった
可笑しくて笑った
笑いながら

一気に手の平を閉じた

閉じた手の平を開けると
アゲハの細切れが零れていった
そうして
ようやく何故アゲハを凍りつかせたか
思い至る

夏の終わり
もうすぐ何らかの形で終えるはずだった
アゲハの最期
その、何らかの、どうやって死を迎えるのかを考えると
私には耐えられなかったのだ

うつくしいアゲハ

弱り切っている所を外敵に襲われるのではないか
あるいは人に踏みつけにされやしないか
花の下で安らかに死んでいくのか
分からないからいっその事
うつくしいまま

殺してしまった

私は床に落ちたアゲハの残骸をかき集めて
ユリの鉢植えに弔った
ユリもまた、枯れ始める前に凍らせよう
ぼんやりとそんな事を考える

うつくしいものは
うつくしいままに殺し
ありえない形で死体を壊す
自分の中の冒涜心に初めて気がついた

夏の終わり


無機質な詩、三篇

  シロ



君の温度がまだ残る部屋、その隅に、残された一つの残片
治癒途中のかさぶたの切れ端が、静かに残されている
物体がおおかた四角なのは、きりりと押し固めることができるようにと、誰かが考えたのか
それとも人の思考が四角く仕切られているのか
その形の中に有無をも言わせぬ、決別がある
部屋には饐えた匂いと、かすかな哀愁のある残照が目立った
君は、その古い真鍮のドアノブを静かにどちらか一方に回し、息を吐く
そして新たなる息を吸い込みながらそのドアを閉めていく
遠望は利く
そこに広がる景色は君が作った世界、そしてそこに何物にも変え難い君の言葉が飛翔していく
滑り止めのある錆びた鉄階段を下る
手すりには錆びの匂いと少しだけ緩和された靴音
階段から降り立つと、君は静かに部屋を一瞥し
舗装されて湯気の立ち上がる濡れたアスファルトを歩き出した


*

うす暗い工場の蛍光灯がぼんやりと灯される
地の底からのうめき声のような吸引機の音と
硬い木材を削る機械の音
荒削りをすると、木の塊から形が生まれ出る
ふしだらな毛羽をたてた
木材の荒々しいとげが怒っている
それを粗い砂紙でかけてやると、木の粉が飛び交う
削るとそこには再び私の思考がとげのように飛び出してくる
念入りにとげをなだめるように砂紙を掛け続ける


*

古びた家屋には朝からJKたちのハリのある声が響いている
夏は疎ましく立ちはだかり、暴力的な暑さを朝から晒しまくり
俺のあらゆる循環は、はたと立ち止まり、思いついたように体液が流れているのを自覚する
彼女たちの食事を早朝から作りはじめる俺は、彼女らの吐息から生まれた老人のようで
一声呻くようにつぶやき、がさついたため息を塵のように転がして作業にかかるのだ
まだ見ぬ未来のための朝食の一滴を彼女らに食べさす
ガチャガチャと食器が擦れ、畳を摩擦する靴下の音
便所のドアが開いたかと思うと、パンツの話をしたり
初老の俺の耳に、そういったあからさまなJKたちの営みが聞こえてくる
廊下にはどこはかとなく、つんとした彼女らの体臭が残り
代謝の活発な頭皮から離脱した、おびただしい毛髪がフローリングの上に無造作に落ちている
ばたりとドアが閉められて、奏でられたオルゴールの蓋も閉じられて
読みかけの本のページは、やり場のない暑さと虫の声と澱んだ風が吹き散らかしている
一粒の汗が彼女らの皮膚から発生し
いくつもの玉の汗が汗のコロニーをつくり、雑菌の温床になる
秘密に閉じられた物の怪から発芽した新種の異物
夏の断片、思い出したように真夏の田舎道を車が通る


屈折した詩人たち、出逢った友に、捧げる

  玄こう




   無題

この身ならぬ一日を、一字一句を抱え、はらいせる、散文を走らす

記憶が省かれていく、誰のためでもない、こ、そ、あ、ど、れって適当

少しずつ離れていく故里とを引き裂く空に 、私の両手の目や・足や

ハンドルを廻し、アクセルを踏み込む。、、カイロスの風が車内をうずめいている



生き死をわかつ特攻操縦士が競う、夜のテントの見せ物屋台船、一斉に明かりを落とす。おとり操作の機銃飛行から数えきれぬ弾丸が、見張りのデッキに立つ祖父のこめかみをすり抜けていった。命中はただ一発だが私は今も生きていた。物資を運ぶ貨物船に祖父は、通信士だった。一隻一隻の仲間の船は魚雷の激突と共に炎をあげながら沈んでいく。隔てた故里をあとに沈んだ人々、その生き残りの船はただ一隻だった、と通信を打ち続けた。船の見張り台に立ち打ち続けた。爺はそんな昔を昔話のように、語って聞かせてくれた。



故郷からなぜかしら記憶がそうしてよみがえっていたから、帰郷を済まし私は歯の痛みを抱えながら、一夜のハイウェイのなかで記している。長旅でもないのに、帰るあてどがどこへやら失踪したい欲求にかられながら、停泊、(2013/05/05/23:00)
無人のシャトルバスの窓のなかにうつしこまれた乗客座席うっすらと青白く照明を落とした車内にポツリ男が見おろしている。狭い視野の二重窓から誰かを待つふうな眼鏡の若い貌影になかんずく私はそれを見て車内で宿をとることに決めた。



**

   17歳

ある日ぼくは青い夕日をみた。氷のように冷たく、鉄のように固く、刃物のように鋭い夕日だった。そいつは空をなめまわした。そいつは空をくっていった。黄色いピンクのお面は、冷たい青いマスクにかわっていったのだった。
ある日ぼくは青い道を歩いていた。わき道の景色がどんなに寒々としたものであるか、
冷えた空気が死んだ霧のようにたちこめていた。そのときぼくのまわりの景色がぼくを捕らえようと、おくそ笑みを浮かべながら白霊の吐息がぼくをしばりあげた。ぼくはミイラのように固くなった。ぼくの体はとんがりだし、ぼくの肉は外にほうりだされた。さっき空をたいらげていたそいつは笑いながらこう答えた。

 「まわりがこんなに青いのはおまえにとってとても幸せなことだ
  誰がおまえを征することができようか
  これからおまえは詩人になりすまして旅をする
  おまえの外界を退いた空間のなかで
  しかしおまえは詩人の声をきき、旅をする
  これからおまえは詩人たちと出会い
  彼らの清純なる魂をみていくことになろう。」


・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・


  『本』

わたしたちはみんなによまれたいの
ねぇこの、虹をひらいてごらんよ
  
ねぇそんなにないてちゃ
おうちへかえれないよ
ほらみてごらんよ
きれいなにじが
あんなにくっきり

ねぇそんなにないてちゃ
にじがくもにかくれちゃう
てをかざしてごらん
みあげてごらん
きれいなにじがみえるよ

あんなにとおくにあるのに
あんなにたかいところにあるのに
なのにあんなにくっきり



  『ギターと北キツネ』

彼はもうかえってこない
あれから17年
彼のギターが蔵のなかで目覚めること
その白いおひげは北風でふるえていた
彼はかえってくるだろうか
春夏の原野で遊ぶこの時期
彼はでももうかえってこない


  『作家を志したものが言ったおはなし』

あのときとても大きな粒でないたのだ
でも今はなきたくない
かなしみはとてもおおきなものだが
あのとき落ちたものは
それは勇気という名
そして雨が降った
俺はそのまま
とても大切なことばを知った
山はそのまま流れ
谷は深くて短い
川は滝の心を知り
海のこころを知る
ただ一人のにんげんが生まれない
その大きな 大きな物
ただ 無いものが 欲しい


 『エドガー・アラン・ポー』

私の述べたことは真実である
皆は私を誇大妄想という
 「ユリーカ」
この世界は箱入りの大時計みたいなものさ
皆は私の直観に比べたら大洋に浮かぶ泡に等しい
 「ユリーカ」
でも皆は私を自己欺瞞な男だという
でもお前は私の確信を信じるかね
   

  『スプリット・ブレイン』

一個の私には二人の私がいる
一人は科学者 一人は芸術家
一人の私が林檎の絵を描くと
もう一人の私はそれを見てオレンジという
私が憂いに沈んでいるっていうのに
こいつらときたら笑っている
たわいもないことにいつも喧嘩ばかり
心はいつもとっかえひっかえ
私達はへつらいと偽りの中で
是か非かを 論争している


  『・リンドバーグ』

意気地がないねえ、君がどれほどまで過去において悲境の地にあったにせよ結局は過去のこと。まるで君は過去の屍を掘り起こしているのも同じことだ。
それよりどうだい、この海洋の美しさ、なんと大空の澄んでいることか、一点の太陽、過去にどんなことがあったにせよ、今僕らは大空に浮かぶ塵にも等しく、
……………そうさ、この先何が起ころうとも、この瞬間に生きていることでたくさんだ!



  『屈折した詩人がうたったうた』


 これで終わりだ わが兄弟よ
 これで終わりだ わが友よ

僕は何ひとつ持たず 砂漠の上をさまよっている
風に吹かれ 灼熱の陽に照らされ
たよるものは何ひとつない
昼と夜とが僕を突き抜け 月光が僕を照らす
コップのなかの砂漠では 手を伸ばしても何もつかめぬのだ

 これで終わりだ わが兄弟よ
 これで終わりだ わが友よ

コップの中が 全身の血で満ちぬかきり
僕はこの砂漠から逃れることは出来ない

 これで終わりだ わが兄弟よ
 これで終わりだ わが友よ

あぁ、僕に石を投げつけ、唾を吐きかけるつもりだな
あぁ、僕を愛するふりをして
   陰で罵倒罵声を浴びせているのだろう
あぁ、僕を愛するふりをして
   このままのたれ死にさせるつもりだな
あぁ、ここから逃げ出さなければ
あぁ、誰か僕を助けてくれ

 これで終わりだ わが兄弟よ
 これで終わりだ わが友よ

 あぁ、これで終わりだ


・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・



***

 二〇一三・四・二五 

    記


真夜中の迷い道を徒歩
針射す真っ赤な街の夕
君の瞳に目覚めた空が
耳にひそめる少年少女
ありふれた夢中を抱え
むせる咳を刻みながら
にぎやかな文字盤の目
分秒針を重ね合わせた
その五線譜を綴るのだ
歩む両手を互い握りしめ
蒸せた日差しのただ中を
太陽はほころんでいた。

円な瞳を耀かせながら
雲は逆さに流れていた
いつしか君とは逆に
流れていたのだった
だから、さよならとは邂逅だ
だから、いつか君の元へ贈る。

たどり着けるだろうか
この背中を縫ってく
かぜを
君の閾を通り抜けて
かぜは
歩く少年少女たちだ
傷つく
こころの燃えかすを
扉から
みえる玄関の明かり
眩い光
沈黙の
帷の
その光の風を煽りつ
むせ込んだ気管支炎
その背中はベッドに
横たわり心傷を
負いながらも君は
みなぎらせる魂を
その嘆く骨の声を
人々は救っていく
人々は救っていく

天地を繋ぐ滑車を
引き上げては降し
持ち上げては降し
魂は少し軽くなる
引きながら押して
押して引きながら
大地を這いながら
声の吐く白い息
聞こえぬ声の
無言の中の
聞こえぬ声の






                                                         .


死にたがりボーイズ 脱ぎたがりガールズ

  泥棒

「死にたがりボーイズ」


今年の夏、俺はついに、ついに、
死にたがりボーイズを結成した。
したのだが、だが、
その日の夜に
早速メンバーのひとりが死んだ。
次の日も、そのまた次の日も
メンバーは死んでいった。
結成した日には15人いたメンバーだが、だが、
なんてこったい。
結成してからわずか2週間で今は俺ひとりである。
みんな死んだ。
オーマイガッ!
これでは何もできない。
本当ならメンバー全員でバーベキューしたりボーリングしたり、
秋になったら
栗拾いとか紅葉を見に行ったりしたかったのだが、だが、
全ての計画は中止である。
オーマイガッ!
また最初からメンバー募集するのもめんどくさい。
いや、募集して、また集まったとして、
ちゃんと生きてくれる死にたがりはいるのだろうか?
みんなでバーベキューしながら
(死にたいね?(だよねぇ!
とか言ったり
ボーリングしてハイスコアだしつつも
(もう死にたいなあ(ま、そのうちね!
とか言いながら盛り上がってくれる奴はいないのだろうか?
ちゃんと仕事して、ご飯をしっかり食べて、よく寝て、
ちょいちょい死にたがるおもしろい奴はいないのだろうか?
もちろん死にたがるだけで本当に死んでしまったら困る。
あくまで死にたがりの奴。出てこいや!
俺は叫ぶ。
オーマイガッ!
月に吠える。
オーマイガッ!
よし、こうなったらカラオケだ。ひとりカラオケだ。
今夜はうたうぞ。朝までうたうぞ。暗い歌をうたいまくるぞ。
またいつかメンバーが集まったら
誰よりも上手く暗い歌をうたえるように練習だ。
(さすがリーダー!暗い歌、超うまいっすね!
とか言われたりしてな。な。
そんで、あれだ、今度は女性も募集しよう。そうしよう。
グループ名は死にたがりボーイズだが女性大歓迎。
冬はスノボやったり鍋やったり。楽しいぞ。ぞ。
これからはアクティブに死にたがらないとね。ね。
もちろんメンバーのみんなには長生きしてほしい。
みんな、死んだらだめだよ!絶対にだめだ。生きていこう。
いこうぜ!いこうぜよ!
俺は死なない。絶対に死なない。
みんなも死なないでくれ。約束だ。絶対に死なないでくれ。れ。
下に書いてあるのは
メンバーに必ず読んでもらいたい注意事項だ。だ。

死にたがりボーイズ注意事項

1 絶対に死なないこと

2 ポエムとか書かないこと

3 メンバー間で恋愛禁止

4 最低でも年に一度は死にたがること

5 みんな仲良くすること

6 ユーモアを忘れないこと

7 詩とかばっかり読まないこと

8 むやみに人様を傷つけないこと

9 合言葉はオーマイガッ!



「脱ぎたがりガールズ」


脱いでも脱いでも裸になれない
そうつぶやきながら
君が脱ぎたがりガールズを脱退した日
その日の夜は雨で
街を叩きのめす雨で
要塞みたいな雲が浮かぶ雨で
このまま世界が終わるような雨で
でもやっぱり
世界は終わらなくて
君は泣きながら洋服を何枚も何枚も重ねて
小さな小さな自分の世界に入って
こころがこわれたと
小さな小さな声でつぶやきながら
いつか
世界を本当に終わらせるだろう
自分の世界なんて
かんたんにこわせる
君らしさなんて
君の手で終わらせればいい
花や草が
孤独を語りはじめたら
この世界は本当に終わってしまうよ
だからね
君の孤独がなるべく長く続けばいい
長生きしてね
君が君を終わらせる日
その日は晴れで
きっと街全体が晴れで
ビルの向こうまで晴れで
遠く遠く知らない街まで晴れで
雲ひとつない青空が見える
おはよう
裸になれた
春、
新しい君が
きっとはじまる


小さき者へ

  zero

生まれたばかりの君は聖なる皮膚に包まれていた。今君は聖なる皮膚を脱ぎ捨てて、聖なる脈動となりほとばしり、聖なる瞳となって散っていった。祝祭の鐘は鳴りやまず、君の存在は歴史に深く刻まれた。君はもういない、だが君の祝祭は果てることなく執行され続ける。

慟哭する心臓たち。どこまでも降りていく螺旋に沿って、次第に密度を増していく氷河の底に宿る小さな火。君は既に描かれ拡げられ接続されている。君を幹として枝葉は広がり、根は深く張って水音が鮮やかだ。君は慟哭され、慟哭する、存在を賭けた慟哭の末に果てていく。

誰かが君の名を呼んでいる。君は既にすべての人たちと名を交換し合った。君の名は君をめぐる物語の証拠であり、君に捧げられた親しいまなざしの痕跡である。君の生きた豊穣な時間を指し示すしるしとして、君の名は海に至るまでどこまでも受け継がれていく。

君の流した血は私の血である。君の失った命は私の命である。君が葬られるとき、葬る私も葬られている。初めから決まっていたことなのだが、君は私なのだ。君を喪うとき、私も私を喪う。そうしてすべてが抜き取られた後で、私は脱け殻を生きる、君の名が大きく瞬くその時刻まで。


六花少年

  アルフ・O


m.

どうせ手に負えないのに
帰ってきてと呟く
隠すには余りある痣と火傷と
切り傷を引きずり
黒い双葉に怯える
結局耐えきれず摘み取ったけれど
身体は何処も溶解しなかったかわりに
足元の土が裂け始めた
その瞬間 同時に
俺は緩かに朽ちていくのだと知った
受け入れたふりをして
声を潜める
傷は消え
毒は伝播する
誰もがそれと気づかなくなるまで

- p.v.

「埋めるでも、覆い隠すでもなく、
 のみこんでほしい。その白に、
(そう口走ったのは多分ウイルスのせい
(空中分解した複葉機にまざった雪の結晶のような
「ふざけないで。何にも例えられたくない、
「未だ魔法が解けないから、実を熟れたまま遺しておけるの、


或る生活

  西木修

命有る所に、生活があった。
それは
台所の三角コーナー、
屠殺場
そして
ぬるくなったビールの中、
世界の果て


命有る所に、生活があった。
それは
カンガルーの子袋、
剥がれた天ぷら衣
そして
老人の目、
宇宙飛行士のヘルメット


命有る所に、生活があった。
それは
寂れたバス停、
生鮮食品のビニール袋
そして
ブラウン管のアナログ放送、
伝書鳩


命有る所に、生活があった。
それは
期限が迫る保健所と
不甲斐ない少年の情緒
そして、
盗まれたビニール傘と
中東に降る
クラスター爆弾の子ども


命有る所に、生活があった。
それは
母親の胎内、
スプーン一杯の蜂の巣
そして、
百を超える言霊たちと
公園の砂場に
置き去りにされた泥団子たち


最期は、
終わりなき快楽と信仰の、
(いえ、いつかは終わるのだろう)
交錯と、連鎖、そして、鮮血が
チェス盤の上で
織り成すもの全てを
幾度もなく、
掠め取っていった。


人間の生活とは普く
永遠に釣り合わぬ
鈍重な秤の上か


(またはかつての僧侶のように)
(唯一、その足と眼の均衡さに驚くか)


命有る所に生活がある。


ぼくがさかなだったころ Returns

  ダサイウザム

 詩なんか書くヤツみんなクズ。
 これは十数年来揺らぐことのない私の持論である。
 私自身がクズであることは公言している周知の事実なのだから、類は友を呼ぶということなのだろうか、とにかく私の周りに集まる連中はクズが多い。
 渡る世間はクズばかり、世の中には二種類の人間がいる。
 クズか、より酷いクズか、その二種類しかない。
「ダサイ先生、ファンレター来てますよ。」
 昨日の夕方、しとしとと秋雨の降る中を編集者の葛原君が、詩賊の編集部に届いたという私宛の手紙を持って訪ねて来た。
 封筒を裏返して差出人を見ると、宮澤百合子という名前が書いてある。
「女性のファンが付くなんて、いよいよ先生も隅に置けませんね。」
「何を言ってやがる。いくら私がクズだからって、これでも物書きのはしくれなんだ、そりゃあ女の読者だって一人や二人くらいいるだろう。」
「ダメ男に惹かれる女性もいますからね。先生のその自虐的なところが母性本能をくすぐるんですかね? 私が付いていないとこの人ダメになるみたいな?」
「失敬だな君は。知らん。」
「恋に発展したりなんかして。」
「馬鹿言うな。自分で言うのも何だが、ダサイファンの女なんて気味が悪くて相手したくねえや。」
「そうですかねぇ。ぼくはもっと女性ファンが増えればいいと思ってるんですけど。いや、先生の魅力が読者に上手く伝わっていないということは、ぼくら編集部の責任ですね。」
「何だよ急に。ヨイショしたって原稿料はビタ一文まけねぇからな。」
「先生がもっと有名になってくれたら詩賊も売れるし、そうしたら先生の原稿料も、ぼくの給料だって上がるんですよ。」
「だからさ、わかんねぇかな。きょうび詩なんか誰も読んでないって。」
「そんなことないですよ。少なくともぼくは、先生の作品毎回毎回行間まで読んでますから。」
「当然だろ。担当なんだから。給料貰って詩が読めるってどんな身分だよ。」
「そう言われてみるとそうですね。お金払わなくても詩が読めて給料まで貰えるなんて、いい仕事ですね、編集者って。」
「ほんと単純だな、君は。ういヤツめ。君が女だったら抱いてやってもいいくらいだ。」
「いえ、それは固くお断りします。」
「もう! 徹哉ったら、イ、ジ、ワ、ル!」

 そんな馬鹿話をしながら二人で酒を飲み、先生来月こそは締め切り頼みますよ、おう、まかせとけ私はやる時はやる男なんだ、と、ほろ酔いの葛原君を送り出した後、真夜中、布団に潜り込んで一人でコッソリと手紙の封を開けた。
 ドキドキしていたのである。
 私には女性の読者など皆無であるから、不意に手紙などを貰い、まるで片想いをしている中学生のように年甲斐もなく、それこそギャグポエム『悪目くん』の主人公にでもなったようなソワソワした心持ちで、弱冠緊張もしていたし、まさか葛原君の言うことを真に受けたわけでもないが、妙な期待にあれやこれやと想像を膨らませつつ、丁寧に三つ折りに畳まれた便箋を広げたのだった。
 薄紅色の可愛らしい便箋に、小さく線の細い文字がびっしりと書き込まれている。
 中を読んで愕然とした。

 世の中には二種類のクズがいる。
 こいつは、酷いほうのクズだ。



 *****



 はじめまして、ですよね、ダサイ先生? それともどこかで、お会いしたことがあるのかしら。
 突然のお手紙、失礼いたします。
 ダサイ先生はなぜ、私のことをご存知なんですか? 詩賊6月号に掲載された先生の作品『開襟シャツ』、あれは私のことですよね? どうしてお会いしたこともないダサイ先生が私をモデルにして作品を書かれたのかわかりませんが、若い頃の私の気持ち、心情を余すところなく作品にしてくださり、なんとも気恥ずかしく、嬉しく拝見いたしました。
 どうしてだか先生は私のことをよくご存知のようですので、今さら自己紹介も必要ないこととは思いますが、今後の先生の創作のお役に立てるかもしれません、私の話を聞いてください。

 私は今年で三十になる女です。アラサーですね。ネットで詩を書いています。私はPCを持っていないので、それまでネットの世界というものをまったく知らないまま生きてきたのですが、三年前、携帯をスマホに替えたことを機に、ネットを見るようになり、色々と検索をしていくうちに、『現代詩日本ポエムレスリング』ですとか、『頂上文学』ですとか、様々な詩のサイトがあるということを初めて知ったのでした。
「こんなところに詩人がいる! 」
 大げさな言い方ですが、その発見は私にとっては、たとえばギリシャ、イオニア海の断崖絶壁、入り江の奥の奥にそこだけ陽の当たる白い砂浜、ナヴァイオビーチにたどり着いたような、思ってもみなかった衝撃、興奮でした。長らく眠っていた詩への思い、詩作への情熱が、ふつふつと甦ってくるのを感じました。お恥ずかしい話ですが、私にもこれでも若い頃、ぼんやりと詩人を夢見ていた時期があったのです。

 中学生の頃から私は、学校の授業や全校朝礼など、時間的空間的に自由を制限されるような状況や集団行動に対して、動悸、目眩など、一種のパニック障害、不安神経症のような症状を持っていました。息苦しくなるといつも、死にかけの金魚のように空気を求めてパクパクと大きな口を開けて深呼吸していました。おまけに色黒で目が大きかったので、男子からは『デメキン』というあだ名で呼ばれ、肩を小突かれたりノートを隠されたり、虐められることもしょっちゅうでした。

 高校に入ってからもますますひどく、授業に集中できない状態は続き、教師の目には「やる気の感じられない怠惰な生徒」として映っていたのでしょう、日本史の授業中でした、私は態度を注意されました。
「日本の歴史も学べないとはおまえは非国民か。窓から飛べ。」
 先生は笑いながら言って、もちろんクラス全員、それがブラックユーモアであることは理解していましたが、私は瞬間的に頭に血が昇ってしまい、無言のまま窓枠に飛びついたところで、数名のクラスメートに引きずり下ろされました。こいつなら本当にやりかねん、普段からそう思われていたのでしょう、私は誰とも目を合わせることができず、そのまま黙って教室を飛び出しました。誰も追っては来ませんでした。

 高校二年の秋、十七才。私は修学旅行を欠席しました。二時間、三時間に渡る新幹線やバスでの団体移動は、私にとっては拷問に等しいものだったのです。旅行前日まで担任には何度も職員室に呼び出され説得され理由を聞かれましたが、私は黙秘権を行使する犯罪者のようにひたすら無言を貫きました。私の弁護をしてくれる奇特な人などどこにもいないと思っていました。

 クラスメートが修学旅行へ行っている間、課題を命じられてはいましたが、私はそれにはまったく手をつけず図書室で一人、やなせたかし先生の『詩とメルヘン』を読んでいました。大きな見開きページの一面、きれいなイラストに飾らない詩が添えられ、私はすっかりその世界に魅了されてしまいました。それが、私の詩との出会いです。それ以来、胸の奥に溜まっていく泥を、溢れる血を、グチャグチャにノートにぶちまけることが、私の日課になりました。

 父と母は私が物心付いた頃にはもう折り合いが悪く、毎日のように言い争いばかりしていましたが、私が高三に上がる春休み、口論の最中に母は台所から包丁を持ち出し、手首を切り自殺を計りました。父がすぐに取り押さえ、たいした傷ではなかったようでしたが、私は何だか夢の中の出来事のように、ぼんやりと醒めた目で二人を眺めていました。家族というものは、いえ、人間というものは、バカバカしいほど滑稽で、惨めで、くだらないことに一喜一憂している、顔の前をうるさく飛び回る羽虫のようなものですね。その日を境に母は家を出て実家に戻り、その後、精神病院に入院したと聞かされました。

 それからしばらくして、私はふとしたことから拒食症になり、一日にビスケットを三枚しか食べない日々が続き、二学期が始まる頃にはその反動が来たのか、過食症になっていました。誰もいない家の中で、胃がはち切れそうになるまで無理矢理食べ物を流し込み、トイレで喉の奥まで指を入れて吐きました。けれども、いくら吐いても胸の奥の泥は吐き出すことは出来ず、吐けば吐くほどますます深く、底なし沼のように沈みこんでいくのでした。やがて生理は止まり、体重は41kgくらいまで落ち、体重が減れば減るほどどこかほっとして、浮き出たあばら骨を撫でながらつかの間の安心感を得てはいましたが、それでもどうしても自分のことを好きになれず、周囲の人間とも馴染めず、馴染む気すらなく、自分は人とは違う、人よりも数段劣った人間なのだ、と思っていました。これ以上父親の世話にはなりたくない、顔も見たくない、早く家を出たい家を出たいと願いながら、けれども、人並みに社会に出てOLをする自信もなく、かと言って風俗や水商売には生理的な嫌悪感がありましたし、『生活』という言葉の息苦しさに押し潰されそうで、出来るだけ早く死ななければいけない、いずれ死ぬことが私に出来る唯一の責任、私に与えられた使命なのだと、今思えばなんともバカバカしい青臭い病的な考えですが、当時の私は真剣にそう信じ、思い詰めていました。

 二学期も中頃、秋も深まり校庭の木々が赤く染まっていくように、クラスメートの話題も受験一色になり、皆次々と将来を見据えた進路を決めそれに向かい受験勉強をしている中、私は一人焦っていました。どうせいずれは死ななければならないのだから勉強なんてしたくない、かと言って出来損ないの私には就職などは到底無理だ、今やりたいことと言えばしいて言うなら詩を書くことぐらいだろうか、どこかに学科試験も面接もなく受験できる、詩を書くための大学でもあればいいのに。いくらなんでもそんな虫のいい話あるわけないと思っていたら、あったのです。推薦入試は小論文だけ、O芸術大学文芸学部でした。

 K駅を降りて学生専用のバスに乗り、細く曲がりくねった路地を抜けたところに大学はありました。桜並木の坂道を上りキャンパスに入ると、そこは高校とはまったく違う、自由な華やかさで溢れていました。無事に高校を卒業し大学生になった私は、その伸びやかで開放的な雰囲気の中で人目をあまり気にすることもなく、他人と足並みを揃える必要もなくなり、広場恐怖のような緊張感もだいぶやわらいでいくように感じて、これが何か自分を変えるきっかけになるかもしれないと思い、新しい学生生活に期待もしていたのですが、そこでもやはり私は馴染むことが出来ませんでした。周囲を見渡すと、スキンヘッドで全身黒ずくめの女やサザエさんのような髪型で薄汚い破れたTシャツを着た無精髭の男、個性的でなければ芸術家ではないとでも言いたげな奇抜な格好をした者も多く、地元では『丘の上の精神病院』と揶揄されるほどで、作品そのものではなく外見や言動を少しでもエキセントリックに見せようと張り合っているような馬鹿者たちや、芸術よりも合コンが大事といったようなスーパーフリーさながらの獣たちもいましたし、真摯な芸術家の集団と言うよりはむしろ世間からは相手にされない奇人変人の吹き溜まりといった様相で、もちろん私自身もそういう出来損ないの一人ではありましたが、まだ若く芸術に対して憧れもあった私にはどうしてもそれが許せず、その吹き溜まりに自ら安らぎを求めるのも嫌でしたので、作品を創る者が自ら作品になってどうする、芸術家はただ黙って芸術だけを創ればいいのだと、一人で憤っていました。芸術なんて程遠い、所詮私たちは美術館の片隅で誰にも見られることもないまま錆びていくオブジェに過ぎないのだ、いや、そのオブジェにすらなれない私はいったい何なんだ、と思うと無性に虚しくなり、そのまま授業に出るのもやめてしまいました。昼前に大学に来て、誰もいないところで煙草を吸ったり、夕暮れ、四階の廊下から地面を見下ろし、散ってしまった桜の花びらのようにヒラヒラ舞い落ちてしまいたい、今飛び降りたら明日の朝までは見つからずにいられるだろうかなどと、頭から血を流して地面に倒れる自分の姿を想像したりしました。

 そんな短い学生生活の中で、ひとつだけ記憶に残っている授業があります。文芸学部らしく、創作の授業があったのです。眼鏡をかけたまだ若い准教授から与えられたテーマにそって、原稿用紙二枚の散文を書き、次週、准教授がそれを寸評していくというゼミ形式の授業でした。第一回目のテーマは「自己紹介」でした。小さな教室で准教授を囲むようにして向かいあって座る十五人ほどの学生は皆、作家や編集者を志しているような者ばかりですから、自己紹介程度の散文などお手の物とでも言いたげに、始めの合図と共に、競い合うようにして一斉に筆を走らせ始めました。人生や人付き合いにおいてすっかり卑屈になっていた私は、自己紹介などする気も起こらず、何を書いたらいいものか、しばらく周りの学生が何やら真剣にカリカリと音を立てて書いているのをぼんやりと眺めていました。けれども私もこのまま何も書かないというわけにもいかず仕方なく、自己紹介とはまったく関係のない『ぼくがさかなだったころ』という空白だらけの詩を即興で書き提出しました。次の週、返ってきた原稿用紙を見ると、タイトルの横に赤いインクで、『A+』と書かれていました。最高点でした。A+は二名だけ、と准教授は言い、スティーブン・キングが好きだと言うもう一人のA+である男子学生の原稿用紙のコピー(私は霊を見たことがある、という書き出しで始まるその学生の散文は、段落分けするのも惜しい、というくらいにぎっしりと最後まで文字で埋め尽くされていました。)を皆に配り、それを見ながら講義を進めていきました。最後まで私の名前も、私の詩も、話に出てくることはありませんでした。




  『開襟シャツ』


  人生というのは死ぬまでの間の
  壮大な暇つぶしに過ぎんよ、君

  と助教授は笑った
  日々は青葉のように眩しくて

  言葉はいつも僕に寄り添い
  いつでも僕を置き去りにする

  初夏、汗ばんだシャツの胸元を開け
  風を迎え入れる

  身震いするほど美しい詩を一篇書いて
  死んでやろうと思ってた




(ダサイ先生のこの詩、読んだ時思わず息が止まりました。これはまるっきり私のことですもんね。心臓まで止まりそうなほど驚きましたが、大ファンであるダサイ先生に私のことを書いていただけた喜び、どうしてもお伝えしなくてはと思い、このお手紙を書いています。)

 授業にも試験にも出ないまま一年が過ぎ春休みに入り、私は父に呼ばれました。大きな黒い座卓の上に、不可とすら書かれていない白紙の成績表を広げ、父は言いました。「詩人になるっていう夢は諦めたのか」 いつ私が会話もなかった父に「詩人になりたい」などと告白したのか、それは今となってはわかりませんが、私は恥ずかしさと悔しさで、芸術は人から教わるものではない、自らが感じるものだ、勉強なら大学でなくても出来る、と負け惜しみを言いました。父は呆れたのか諦めた様子で、それ以上何も言いませんでした。学生という肩書きを失い、ひっそりと社会に放り出され、今こそいよいよ死ぬべき時が来たように思いました。母と同じく手首を切ることも考えましたが、今私に必要なのは手段でも方法でもない、死ぬ覚悟なのだ、と思い真夜中、マンションの非常階段を上り地面を見下ろし、煙草に火を付け、それから遠くの灯りをぼんやり眺めたりしました。

 結局いつまでたっても死ねないまま、私は二十歳になり、バイトで貯めたお金をもとに、念願の一人暮らしを始めることになりました。築三十年はたつであろう、ボロボロのアパートでしたが、日当たりの悪い薄暗い四畳半の部屋で一人私は、もう二度と誰の言うことも聞かない、と決意しました。カサカサ、と背後で音がして振り向くと、ザラザラした土壁の上のほうで、赤茶色のゴキブリのつがいが交尾しているのでした。

 バイトの給料が月十万程度の、PCどころかエアコンもテレビも冷蔵庫もない貧相な生活の中、ネットの片隅で新たな詩の世界が広がっていたことなど知る由もなく、私は次第に詩から離れ音楽に傾倒するようになりました。詩は音楽に負けたのだ。詩は歌詞に負けたのだ。本当はただ、私の才能がなかっただけなのですが、どうしてもそれを認めたくなかったのです。『elf』という占いの月刊誌がありそこの読者投稿欄に、ricoというPNでイラストを添えたポエムを投稿し常連になっていましたが、その雑誌もしばらくして休刊となり、また私自身の生活も、フリーターとして何度か転職を繰り返した後にようやく正社員の仕事に就くことができ、あれだけ怖れていた『社会人』というごく普通のありきたりで忙しない日常を送る中で、次第に私は、詩を忘れていきました。詩を忘れることでようやく私もかつての、いずれは死ななければならない出来損ないなどではなく、『普通の人』として生きていく資格を得た、今となってはそんな気もするのですが、果たしてそれが本当に良かったのか悪かったのか、たった二枚の原稿用紙ですら埋めることのできなかった空白だらけの私の詩は、そのまま私の生き方のようでもありました。




  『雨空』

  生まれ変わったら詩はもうやめて
  絵描きになろうと私は思う

  小さな屋根裏をアトリエにして
  来る日も雨の絵ばかりを描こうと思う

  灰青色の絵の中で
  雨に打たれている少女は

  何かを叫ぼうとするのだけれど
  私は詩はもうやめたのだ

  晴れることない雨空で
  いつも私の胸は濡れている  




 詩を書かなくなってからも、完全に詩を諦めてしまったわけではなく、心のどこかで、誰にも読まれなくてもいい、自己満足でもいい、この詩を書くために生まれてきた、この詩があれば生きていける、そんな詩を死ぬまでに一篇だけ書いてみたい、もしかしたら心のどこかにそんな淡い思いがまだ残っていたのかもしれません。空白を抱えたまま月日を過ごし三年前、初めて詩のサイトを見つけた時の私の喜び、おわかりいただけるでしょうか。私はすぐにネットポエムにのめり込みました。今では数人の詩友ができ、皆で同人誌を発行しています。ダサイ先生のことは、そのお友達の一人に教えてもらいました。「詩賊っていう詩誌ができたよ」って。そこで初めてダサイ先生の作品に触れ、すぐに魅了されました。いつかは先生にお会いしてお話ししてみたいと思っていましたが、まさか先生も私のことを思ってくださっていたとは!

 自己紹介のつもりで書き始めたのですが、結局いつもの、感傷的な自己憐憫、自分語りになってしまいましたね。ダサイ先生にはそんなこともすべてお見通しでしょうから、恥ずかしいですが、このまま投函します。

 寒くなって来ましたので、お体には気をつけて。これからも、いい作品を楽しみにしています。MC、マイコメディアン、ダサイ先生。

 それでは、また。おやすみなさい。



 *****


 何が、「それでは、また」だ。
 私はとにかく不快だった。
 今まで、これほど薄気味の悪いファンレターをもらったことは一度もない。
 ろくに眠れないまま一夜明け、日中もあれやこれやと煩悶しながら家の中をうろうろ歩き回り夕方、「どうでしたファンレター?」と嬉しそうにやって来た葛原君にこの手紙を見せると、いつもは場を和ませようと口下手な癖に無理して明るく振る舞う彼もさすがに、「いや、まあ……」と言ったきり苦笑いを浮かべて黙りこんでしまった。
 ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ。
 どちらからというのでもなく、これではどうもやりきれねぇ、酒でも飲むか、自然とそういう流れになった。

 詩なんか書くヤツみんなクズ。
 詩なんか書いてもクズはクズ。
 残念ながら、詩は、あなたを悲劇から救わない。
 むしろ、喜劇を増すだけだ。

 どうして私にはこうもクズばかりが寄ってくるのだろう。
 認めたくはないが仕方がない。
 自らクズを招き寄せ、クズを糾弾し続けること、どうやらそれが、私のライフワークとなるらしい。
 因果応報。
 死ぬまでやってろ。
 これが喜劇ではなくて何だと言うのか。

 私はちびちびと飲みながら考える。
 葛原君は、名前にこそクズが付いてはいるが、人の幸せを願い、人の不幸を共に悲しむことが出来る、のび太みたいないいヤツだ。
 今はしがないアルバイト編集者として、編集長や先輩たちにパシリのように鼻で使われてはいるけれども、将来的には作家を目指し、内緒で小説を書いていることを私は知っている。
 いつかコイツを、私のようなクズのもとから巣立たせて、立派に羽ばたかせてやりたい。
 私は物書きの先輩として、それは、けして、とても誉められた先輩ではないのだし、反面教師にしかなれないのだが、私には私の背負ってきた美学がある。
 黙って、男の背中を見せてやるつもりだ。
 最近では葛原君も、私が良からぬことを考えていると、勘が働くようになってきたらしい。
 帰り際、振り向き様にこう言った。
「あんまり変に刺激しないほうがいいですよ、先生。どんな相手だかわかりませんから。」
 言わずもがな、そんなことは百も承知、こういう、作品と自身の現実の区別が付かない異常者が、いずれ悪質なストーカーへと変貌するのだろう。
 心配ありがとう、しかし私は、痩せても枯れても無礼派だ。
 無礼の道を突っ走る。
 私は彼女に返事を書いた。

「初めまして。
私はあなたのことなど知りません。
私があなたをモデルにしたなどと、つまらん言いがかりはやめて頂きたい。
大層な身の上話をご披露してくださったようですが、ずいぶん陳腐なフィクションですね。
あなたのような詩に溺れたクズが、私は死ぬほど嫌いです。
酒が不味くなる。
詩は、いや、人生は、私小説くずれの慰みものであってはならないと思います。
ただ、生きてあれ!
ぼくがさかなだったころ?
およげたいやきくんかおまえは!」

 深夜、時計の針はもう一時を回っている。
 返信を封筒に入れ、丁寧に糊付けし、〆、を書こうとしたその時だった。
 突然、携帯の着信音(燃えよドラゴンのテーマ)がけたたましく鳴り響いた。
 こんな時間に誰なのだろうか……。
 妙な胸騒ぎがする。
 葛原君ではない、直感でそう思った。
 まさか━━?
 私は封筒を表に返し、先ほど書いた宛名をじっと見つめた。
『宮澤百合子様』
 この胸騒ぎは、間違っても、恋、などではない。
 得体の知れない恐怖に、私は思わず身震いした。


#01

  田中恭平

 
ぼうっと、橙の灯りが雨霧にさびしがっている
かあちゃんに連絡入れとけ
って
エアロスミスの「Mama Kin」 聞きながら
俺はTシャツの二枚重ね着
加えてカーディガン灰色に腕を通し
飼い猫が
またどこかへくわえ運んで
靴下が見あたらない
今朝はとても寒い

疲れた眼を
労わりながら
ラッキー・ストライクを喫うと
季節外れの油虫が
すっと縁側を抜けてった
新しい朝は
また
いつもの朝へ変わってしまう


そして
僕はこんな詩を自然朗読していたっけ



 弥勒

モランは日本の古い動画を見ている
モランは「yasu kiyo」の動画を見ている
Yasu はこちら側を向いている
その笑顔は、どの学校にも必ず一人はいるような
それは、ここにいることそれ自体の嬉しさ
Yasu は
みんなに僕がみえているかどうか
いや、ときどきは、僕はみんなのことなんて見えないから
「Megane! Megane!!」
どっちにしろ
一方通行、だった

モランは日本の古い動画を見ている


イエス・キリストの実際の顔とされる
浅黒い肌の鼻の少し低い男の写真を眺める

ロバート・ジョンソンのCDを
わざとテープへと取り直し
その音源を流したものを
簡易レコーダーに吹きこみ
インポートし
8ギガのipodの
白いヘッドホンで、聞いている


精微され
全ての価格が上昇した
至るところに
十字路はあるが
かつて嘆かれていた
他国それ自体の教会を
捜してもない(のかな?)

この国の教会自体、それは
至るところにあるけれど
私の眼には四辻
こそ
こころそれ自体なんだと
足を
ドン!
ドン!
踏み鳴らした
血流が上がる
息が上がる
脈のスピードは人と
違ったり同じだったりするの?
左腕の脈の
 トクン トクン を眼を閉じ
確認すると
わたしたち は複合(=ポリ)していると
考えることはできるれど 
冷凍された 
脈のない人間を今後
証明の内へ入れるか 否か


  弥勒 は 
mean to a rock なのか
牛乳 
なのか・・・
今も一方通行の違反に人がいらついたり笑ったり



最近は
何もできないことへの自負に
一本の道にだって涙もろくなって困る
まっすぐ進んでいくのに
すれ違うあなたがいなければ困る


 大人だろう
 勇気を出せよ、か

 ぼうっと、橙の灯りが雨霧にさびしがっている
 本当はもうあまり考えたくはないのに
 このうつくしい百日紅は
 うつくしいなあ
 と

 きみへメールを送ってみた



 
気にしない 気にしないで
大丈夫だよ
気にしない 気にしないで
ここが今だから
ここがすべての今だと僕は願うよ


すべての子ははじめてのあなたのひかり
すべての子はあなたの空
すべての子はあなたの人生


私に気づいてほしい
私のことは知らないだろうけれど


なぜそんなに言葉ばかり読むの

これは私の番、みんなもずっと
出発だろうと 途上だろうと
誰もできはしないこと


いつも いつも
でもそれは私の夢 僕の夢
すべてのとき すべての人生で
あなたがすべて


俺は本当は薬なんてとりたくないし
ワインの味なんて知らない
きみの彼なら知っているだろ


雪が降るのを知っているくせに
いつも新聞が読めるのならば


それでいいだろう もう少しだけ眼を信じていたい
ぼうっと橙が
雨霧の中にあたたまりながら

おっと
午前九時になったら、缶コーヒーを買いに
外へ出よう そして
休館日の図書館の前で
うまく笑えたのなら 嬉しい


 マジで


 


散文を歩く

  玄こう


  ** 散文を歩く **

 あさのみどりの道がらに
 つめたい滴がホトと落ち
 背中をかえりみ狐の山河
 座り込んでうずくまる
 おやすみなさい伝説
 ドングリを拾う
 アラカシの実を
 みつぶ手に拾う
 お休みなさいと
 土枕に聴こえる
 寝台の道を
 のらりくらり
 海をまたぎ
 亜熱帯の
 遠い記憶
 


 ** 流浪の木馬 **


よきよきやよき、われもこう
よきよきやよき、われもこう
哀しみはゆうべのことのよう
見上げれば、月はおくそ笑み
ぼくらを眺めているはずだが
きょうは無しか知らん雲隠れ
のきしたにうずくまる子が1人
ちかづいてみると、なんだかな…
ただのガーデニングの鉢には紅万作
なんとも勘違いしながら、ふー驚き
 「でも、それ、見てるんでしょ?」
所々の家家にはイルミネーションがまたたく
子のみた景色が音のない路地に聴こえてくる
 この静けさがたまらない
寒いよきであれば、温もるものもあるのだろう
ヘッドホンを両の耳にふさぎ、ぼんやりと
軽快なアドリブギターにめぐりあう
 よきよきやよき
 われもこう
 哀しみはゆうべの
 ときのようだ
 あるきよみちを
 とおとび、とおとぶ
 よきよきやよき
 われもこう
 あるきよみちを
 とおとび、とおとぶ
 よきよきやよき
 われもこう


Lonely

  

Lonely

二つの水晶体を通して世界を見る
受刑者がアクアリウムの板を挟んで面会人と向き合う気分になる
おでこを付き合わせて熱心に話し込んでみても
どこも触れていない
頭に固定されたヘッドホンから流れる音がうるさく鳴るから
君の話なんか聞いてない
頭を掻きむしって抵抗しても無駄なこと
あと数分経てば俺はこの場から立ち去って
また君を置いてけぼりにするだろう
いつものことだけど 慣れないね
分かり合える直前で手錠を繋がれ ちっぽけな自意識に戻っていく

消灯時間が過ぎると独房の外から孤独に怯える死刑囚達のすすり泣きが聞こえる
なぁ そこにいるんだろ?
壁を一枚挟んだ背中越しに
きっと俺と同じように部屋の隅で小さくなってる君がいる

俺がパイプ椅子を投げつけたのは
君が嫌いだったからじゃない
傷ついてる時に君が笑ってたから

君が花瓶を割ったのは
俺を憎んでるからじゃない
君が寒さに凍えている時に
一人 暖炉に手をかざしていたから

「死が二人を別つまで」なんて嘘
どうして神父は平然とつくのかな?
大木の枝から
木の実が一つ広大な土地に放り出されるように
誰もが突然この世に産み落とされ
世界の広さに怯える
ヘッドホンのボリュームを下げて
耳を澄ますと

大地に張り巡らした根が地下水を吸い上げる音が聞こえる

稼働しっぱなしの映写機
瞼を閉じてそれを覆うと
一本の枝に誰彼構わず実る果実達がスクリーンに映る

本音は誰もがあの頃に戻りたい

壁についた無数の古傷をなぞると
今でも痛みが全身を駆け巡る

もういいだろ?

お互い十分傷ついた
無理にこじ開けなくてもその時が来れば 死神がたるんだ紐を引っ張ってブラインドをあげるかのように
いとも容易くこの壁を取り払ってしまうのだから
きっとそれぞれの独房には
ホテルの客室の引き出しに聖書が入っているように孤独が潜んでいて
誰もが乾いた指でページをめくって
それを朗読する

死が全ての者を繋ぐまで...

立ち上がって 右手を壁に置く
壁を一枚挟んだ向こう側で
きっと君は左手を重ねてる


ア ベースメント

  西木修

モグラの演説を
熱心に聞く者はいない


赤土を構成する
素粒子の一つ一つにこびりついた孤独へ
俺はダイヴする


蚯蚓のスパゲティは、
黄土をかけられ、
褐色の皿に同化する
銀色のフォークだけが、
ぶら下がった豆電球の光を
吸収し、それを反す


(この世で一番卑劣な奴らとは)
(自分で考えたみみっちい幸福論を)
(分別なしにそこら中に
撒き散らしながら地上を歩く奴らのことだ)


モグラの演説を
熱心に聞く者はいない


土を食べ、
暗渠で女を探す
覗き穴から見える
飴色のオブジェを
土を吐き、冷笑する
キューバ産の煙草を吸いながら、
(革命の匂いと、味がする)
土たちへの愛を、
俺は原稿用紙に落とし込む


ケラは
何かを思い出したように、
俺から逃げてゆく
土の中でさえ、
至極当然のように
何もかもが過ぎ去った


(信仰なくして、生きることがここまで辛いとは、私は知らなかったのです)


凡そは
通気孔から顔を出した
俺の頬にぽとりと落ちる
鈍色の水滴のように
蒸発を待たずして、
俺の孤独や自意識へと融合する


万歳、俺等の地下室よ


クズどもの残暑

  泥棒





密室で石鹸の香り
窓の外
嘆きの街路樹
通りの向こう側
鍵盤に囲まれた家があるだろ
誰かが死んだのさ
こんな夜は
星なんか見ないで
落ち葉を見るといいよ
クズども
映画のようにはいかないさ
君は
死にたくなる度に
その度に
きれいになってしまうから
みんなに呪われている
かも、しれない
街をぬらすためだけに降る雨


いつも雨、

その雨、
音楽のようにはいかないさ
渇いた花よ
さよなら
一度も死にたくなったことのない
僕と同じようなクズども
違うクズども
普通のクズども
死にたいクズども
死ぬ直前のクズども
最後に
やり残した事があるだろ
落ち葉を見たか
誰に笑われてもいいさ
褒められて
ただよろこぶ方法を
教えてほしかった


それにしても雨、


この雨、
夏の終わりの
この雨、が止んだら
君が好きな暗いだけの詩を
僕が明るく
誰よりも明るくよんであげる


妻の夫

  祝儀敷

妻は歩道を歩いている
妻はお茶を飲んでいる
妻はポスターを見ている
妻は児童公園で休んでいる

巨大な虫がいる
全長3メーターもあるようなカマドウマだ
ふすま挟んで居間にいる
触角をときたま動かしている

妻はスーパーでピーマンを買っている
妻は駅前でインタビューを受けている
妻は公民館でママさんバレーをしている
妻は小学校で懇談会に出席している

カマドウマはなにも食べない
畳のイグサでも食めばいいのに
そのでかい図体じゃ居間は窮屈だろう
天井スレスレで、跳ねもできない

妻は鼻歌を奏でながら自転車に乗って病院の中を通り抜けている
妻は新聞屋で温泉招待券をもらい店内のガラス戸に貼りついている
妻は軽自動車のシフトレバーをいじっている間にビルの上へ昇っている
妻はお隣の奥さんと井戸端会議をしながら桃の缶詰に指で穴を開けている

居間のカマドウマは虫だ
目ん玉は真っ黒くて部屋を反射している
意思というものはそこにはない
かさこそと少しだけ動く
あまりかわいいものではない
物音こそたてるが
カマドウマが鳴くことはない
私はふすま挟んで寝室にいる
ふとんが二枚敷かれたままだ
一つは妻の、もう一つは自分の
私は敷ぶとんの上にあぐらをかいている
掛けぶとんはちゃんと足元のほうに折り
上に座って羽毛をつぶさないようにしている
妻のほうは掛けぶとんが広げられている
中に誰も寝ていないので平らだ
掛けぶとんのカバーは緑の市松模様
なんとも古臭いデザイン
サザエさんにでもでてきそうだ
私はふとんの上に黒電話を乗せ
妻の連絡を待っている
シーツの上の黒電話は
カマドウマの目のよう部屋を反射している
私がひしゃげて写っている
ひとりじゃ食パンも焼けない
カマドウマが足をこすり合わせた
下品な音が寝室にも伝わってきた

妻は牛乳配達に挨拶しようとして天地が正反対になってしまっている
妻は横断歩道の白線にぶら下がって懸垂をして運動不足を解消している
妻はクリーニング屋の店内で洗われたスーツ達に巻かれ団子になっている
妻は銀行の受付で整理券を発行したまま週刊誌に頭をすげ変えられている
カマドウマといっしょに妻を待っている
黒電話はケーブルが部屋の外に伸びたまま一回も鳴らない
長時間のあぐらで足もしびれてきた
カマドウマの触角が先祖の写真にさわる
写真がすこし傾く
だけど先祖の顔はまったく変わらない
私は妻を待っている
電話は鳴らない
ひとりじゃお茶も湧かせない
ふとんの上で待ち続けるしかない
カマドウマがまた足をこすり合わせている
妻はまだ帰らない


狂気

  岩満陽平

覚えているのは、昨日の夜に永遠に目が覚めないでください
と神様にお願いして寝たことだけだ
僕は今見渡す限り白い所で、アルファベットのAがうんこしてるのを観察してる
僕は死んだのか 

生きているんだよ君は
一体誰だ?
アルファベットのBだ、そしてお前は今睾丸の中にいる
どういうことだ

スタスタスタスタ
スタスタスタスタ

なんの音だ?
君は今、音、だと言ったね、君はそういう概念で今まで生きてきたんだろう
意味が分からない
音だとか、あのアルファベットのAが目の前でうんこしているとか
そんなのは存在しないんだ、君は生きているんだよ、死んだ世界で

死んだ世界で
 生きているんだよ
だから死んでいるんだよ
生命なんてないんだよ
この世は生命の塊だよ
全部嘘だよ
というのが本当だよ
と今発言したよ
本当だよ

今僕がお前なんて死ねと思いながら生まれてありがとうと言っても
君は生まれてありがとうと言われて嬉しいとしか思わない


  ねむのき


煙草を吸いながら
中央線が幻のように
よこぎるのを見ていた

夜空には
やすらかな死が
紐に吊るされている

(おまえの悲しみには、異物がまじっているよ)

白い花で溢れた木の柩
かれの死体はひどく美しく/臭い

眼鏡をぬぐいながら
わたしは
痩せた月を柩に手向け
かれの胸をしずかに光らせる


彼方

  牧野クズハ



水のない河を
素足のまま
渡っていく
投げられた小石
のように水面を切って
小さい波を
残していく
爪が割れた右足が
捨てられた釣り糸に
絡まり縺れて
水底へ沈んでいく
ゆっくりと手招きする向こう岸
をぼんやりと見ながら
その時私は魚になって
苦しい苦しい
という言葉を
見つける

 
私を掬い上げた
舳先のない船は
暗闇の中に浮かぶ
工場群の照明に
点された仄暗い道標
に沿って進んでいく
錨を下ろしたまま
がりがりと河底を削って
流れの速い河から
黒く死んだ海へと流れ出る
エンジンのない船は
潮に逆らい暗礁に
乗り上げて燃え上がる
船員のいない船は
色を奪われた煙を上げて
黙したまま呻き続ける
燃えているのは私の体
いつの間にか舳先と化していた


焦げた船の骸たちは
見えない波に揺られて
砂浜に打ち上げられ
燻ぶり続ける
どこからか子供たちが
やって来て私を持ち上げ
はしゃぎながら駆けていく
夜の砂浜で拾った
貝殻や小石、ロープや私を
積み上げては崩し
積み上げては崩し
子供たちは
きゃっきゃっと笑う
その時舳先は初めて
向こう岸の明るさを
盗み見てしまった


息子よ

  朝顔

君は夕方、疲れた足を引きずって帰宅の道を急ぐ
二十五年ローンで購入したマンションの影が街路にまで長く伸びている
そのシルエットを見て
まるで家族の棺桶そっくりだと君は考え
いやいや俺は疲れているんだとつまらない妄想を吹き飛ばす

玄関を開けると疲れた顔の妻がいる
「今日はもう洗濯物を取り入れる元気がなかったの」と弱弱しく彼女は言う
君は腹立ちを抑えて
ネクタイを緩めながら食卓に着く
この部屋はどこもかしこも真っ白で四角いと君はつねに思う

ふと、部屋から息子が出てくる
髭は伸び放題で服にはカップ焼きそばの切れ端がくっついている
「お帰りなさい」と言う息子の声を無視して
君は鯵のアクアパッツアを食べ始めた
息子はあきらめたようにのろのろとベランダに出て
もう冷えたワイシャツや靴下を取り入れ始める

一週間前、君は父兄面談に行った
きちっと背筋を伸ばして肩を180°に張って
「不登校は息子の自己責任です」と言い切った君に
高校の担任はおびえたような薄笑いを浮かべて
「これ以上出席日数が足りないと停学になります」と呟いた

君は急に猛烈に腹が立って
洗濯物をていねいに仕分けして畳んでいる息子の背中を蹴とばす
「こんなことは男のやることじゃない」
妻は怯えた顔をして君に謝り
シャツを代わりにたたみはじめた

息子はまた無表情に戻り
部屋のドアをぱたんと閉めた

その夜、息子の部屋から大きな轟音が聞こえる
部屋の壁につぎつぎと大きな穴を開けているのだ
妻は君の手をベッド越しに握って
「もうここにいられなくなるかも知れない」と泣き声を出す
君は、いつもの行きつけの居酒屋の女店員のお尻をつかみたいと
脈絡なく思い

でもボトルをキープするだけの小遣いがないことが
腹立たしくなって唇を噛んで天井を見上げた
息子はドンドンドンと壁を叩いている
「息子さんは甘えたいんじゃないですか」と言う担任の声が耳にこだまし
結局君と妻が寝たのは夜更け過ぎだった

充血した目で朝君は玄関を出て
駅への道を少し年季の入った合成皮革の靴で歩き始める
君の息子はだらんと垂れている
息子よ、立て立て立てと呪文を唱えながら
君はラッシュアワーの雑踏に消えてゆく


左と右

  黒崎 水華

どうして てしうど
(分裂したのか)
右へと とへ左
(脳梁を線維で繋ぐ)
右半分を を分半左
(制御する)
優位半球 球半位劣
(言語中枢)

(正しい根拠がない)

何処か壊れている いないてれ壊か処何
(部分で)
人間的な分析を を感直な的物動
(働かせる)
白く濁って でん滲く黒
(灰色に移ろふ)
左から らか右
(衝突してゆく衝動)
正しい根拠が が拠根いし正
(ない)


浴槽

  ゼッケン

ぼくのパパはクソヤロウです

小学三年生になる息子が参観日でぼくのパパという作文を
発表するというのでおれは
仕事を休んで見に来た、なぜなら、息子の顔が
最近、おれの顔を見て笑顔になるまでに一瞬だけ表情をなくす
その瞬間の存在をおれは見逃さない
生きている表情は途中で欠落するものではないからだ、それは時間の
彼の生の中断を見せられるようでたまらなかった
おれは身をかがめ、息子の細い両肩を抱きしめるが、おれの肩越しにある彼の顔を見るのが怖い

担任は息子の名前を呼び、息子は元気よく返事をすると立ち上がり、
おれの隣に並んで立つ母親を振り返って笑った
おれを見ずに顔を正面に戻し、原稿用紙を両手に掲げる
ぼくのパパはクソヤロウです
海外留学中にオンナを妊娠させて逃げました
そのオンナがどうなったと思いますか?
海外でひとりで中絶手術を受け、なにごともなかったように
短期の語学留学を終えて日本に帰ってくると
大学を卒業し、小学校教師になりました
そして10年後、クソヤロウの息子の担任になりました
でも、じつはこれがぼくのパパがクソヤロウだという理由ではありません
ぼくのパパがクソヤロウなのは保護者面談で担任と正面から向かい合ったのに
ぼくのパパはそれがあのオンナだと気づきませんでした、笑顔でセンセイとオンナのことを呼んだのです
オンナは復讐してぼくを洗脳してぼくにぼくのパパをみんなの前でクソヤロウと呼ばせました

おわり

教室は静まり返っていたのか騒がしくなっていたのかみんながおれを見ているのか見ていないのか
おれには分からない、ただ、ただ、そんなつまらない理由でおれの息子を淫らにもてあそんだ女教師を引き裂いてやりたかった、
それから息子に許しを請いたかった、それから隣に立つ妻の名誉を汚した咎でおれは死なねばならない
こんなことでおれは死なねばならないのか?
震えるおれの手を妻が、しかし、そっと握っていった

だいじょうぶ、わたしもあなたをクソヤロウだって思ってたから でも、
わたしはひとを軽蔑するのが好きなの
あなたって最高よ

おれは安堵の涙を流した、笑顔の息子と笑顔の妻と笑顔の女たちに囲まれて
おれは人生でもっともうれしかった


チビけた鉛筆の唄

  atsuchan69

かたく凍った夢を砕いて
画用紙に宇宙を描いて暴れだす
果てのない星々の海は瞬き、
チビけた鉛筆が一本
煌く銀河を縦横無断に奔る


つめたく凍った言葉を融かして
原稿用紙に文字を紡いで歌いだす
美しい旋律は心の深淵をなぞり、
チビけた鉛筆が一本
壮大なシンフォニーを弾き語る


やがて純銀の軸に収まり
窓辺を透かしの帷が泳いでいた
風に、捲れる日誌の傍らで
チビけた鉛筆は一本
ごろごろ、ただ転がっている


GOLD

  熊谷


目をつむっても真っ暗になんかならない。この世界はどこかしら明かりが漏れ出していて、真っ暗かと思ってもそれは完璧な暗闇なんかじゃない。目を閉じると、まぶたの外に光があるのを感じる。まぶたに通う毛細血管の赤味と、何とも言えない柔らかい黄色いまだら模様。それは、いつか見たクリムトの黄金色に似ていた。愛情とか、安心とか、生命とか、そういうものを想起させるその色を感じながら、私たちはみな夜を迎え、眠りにつく。そのことは私たちにとって素晴らしいことだったし、とても大切なことのうちのひとつだった。



写真に映ったわたしは真っ白だった。いつからこんなに肌が白くなったんだろうっていうくらい白くて、あらゆるものを反射する勢いだった。夫がカメラの絞りを調節しながら、「背景が白いから、君がどこにいるかわかんなくなっちゃうね」とつぶやく。カメラマンの夫が結婚十周年を記念して写真を撮ろうと言い出したときは少しびっくりした。仕事で写真を撮ることはあっても、私生活で写真を撮ろうとすることは滅多になかったからだ。「表情が硬いなあ」と笑いながら夫は腰を屈めた。ものすごいスピードでシャッターを切る夫を見ながら、カメラマンはこんな速くシャッターを切るのか、とその速度にすこしドキドキした。生まれてからこのかた自分の顔に自信がなくて、写真を撮られることが苦手だったわたしがカメラマンの男と結婚したのも変な話だけど、現像された写真を見れば、わたしが彼のことをちゃんと愛しているというのは見てわかるほどだった。



今年、夫は体調を崩した。前から頭痛持ちだったのは知っていたけれど、頻度が一ヶ月に一回から一週間に一回、そうしてだんだん頭痛がない日のほうが少なくなっていった。ときどきトイレで吐く日もあって、ただの頭痛で片付けられないほど日常生活に支障が出ていた。病院に行くと「脳過敏症」という診断が出された。光や音などの刺激に対して脳が過敏になっていて、そのせいで体にさまざまな不調が起きているとのことだった。フリーランスで仕事を引き受けていた夫はほとんどの仕事を断り、家で寝込むことが多くなっていった。体重も減っていって、何だか鬱っぽくもなっていた。カメラマンという光とともに仕事する人間が、光に敏感になってしまうなんて、一体どんな気持ちで寝込んでいるのかと考えたら、とても悲しい気持ちになった。そんなある日、急に夫の右手が赤く腫れ出して、そこから全身に赤いポツポツが広がっていった。じんましんだ。すると夫は重くて大きい黒いカメラをこちらに渡してきて、「あのさ、俺の写真、撮ってくれないかな」と言うのだった。



ファインダーを覗いても、夫が何を考えて、何を感じて、どんな気持ちでいるのかさっぱりわからなかった。子どもがいないまま春夏秋冬を十回繰り返して、それなりにわたしたちは会話を重ねたし、どうでもいいことでケンカもしたし、それでもこうして見飽きた顔をお互い突き合わせながら、衣食住を共にしてきた。写真を撮り終えると、夫はまたベッドに戻っていく。顔にはまだ赤みが残っていて、触るとその膨らみがありありとわかるのだった。赤く腫れ上がった皮膚に、白いわたしの指が表面をなでたとき、「ごめんな、」なんて夫が言うので、ぎゅっと痩せた体を抱きしめた。このとき、初めてひとつになれたらいいのに、と思った。わたしは頭が痛くなったことがないから、夫がどんな痛みを感じているのか一生かけてもきっとわからなくて、わたしたちはどうしたって別々の生き物として生きていくしかなくて、それがすごくもどかしかった。だけど、目をつむっても完全な暗闇がそこにないように、どんなに夫が弱ろうとも、ダメになってしまおうとも、あのクリムトの絵に描かれた黄金色のように、夫に忍び寄るよくわからない暗い何かから守る、明るく柔らかい小さなお守りみたいな存在として側にい続けたいと強く思う。朝が来ればカーテンをあけて、豆腐とわかめの味噌汁を作って、布団のカバーを洗濯する。夜が来ればお風呂の浴槽を掃除して、干した洗濯物を取り込んで、野菜たっぷりの夕食を用意する。そんな風に、生活の輝きを絶やさないでおきたい。この先、あなたが元気になろうとも、元気にならなくとも、まぶたの裏にあの黄金色が見えている限り。


雨の庭

  ねむのき


かれは傘をさして
演奏していた
雨が降っているから
鍵盤はぬれていて
指で叩くたびに、音符は
五線譜のすきまから
あさい水たまりにおちてゆく
雨の斜線が、草や
木々の葉のうすいみどりへとまじわり
あるいは、みつめられた
楽譜の森のなかを
二匹の山羊があるいていた
手紙をはこぶように
それは細い線のうえをひっそりとすすみ
ときどき、耳をそばだてる
けれどたちどまることのない
しずかな伴奏にすべりおちる雨が
かれのちいさな肩へと触れたとき
ほどかれた音も
踏まれるたびに光りながら
転調する水の底で
楽譜は
白く
ぬれている、シャツに肌が透けていて
かれは傘をとじ
しずくがつたう五線譜に
いつのまにか記されていた
山羊の瞳はにじみ
雨の庭をうつす


ファストフードファイター

  こざかな

ハンバーガーショップとかほんとムリ。食べてる姿なんてしんでも誰にも見られたくない
し。今だって周りのやつら全員しんでほしくって。なんてことをつぶやいたら結構みんな
そう思ってて、そりゃちょっとはうれしかったけど、でも。したらどっかの誰かが「じゃ
あ今すぐ開戦しようぜ」って。誰もが、そんな気がしていただけなのかも。


どうせわたしまたガラスウィンドウ越しに思考している。けっきょくなんのために手づか
みなのかも分からないまま、ハッピーセットのおまけにもならない、わりと痛めのプラス
ティック弾を飛ばす銃を握りしめて、隙だらけなバンズにもたれて、いますぐにでも床に
落ちそうな体勢で、どれだけこんな格好してればいいんだろうって、ときどきは思うんだ
けど。そういや、気分の乗らない日なんかは「それなんの肉?」ってはぐらかして口も付
けてやんなかったな。ナニサマなんだか。ずっとお客様だったのかな。気が付くと―― 
辺り一帯とっくにペイント弾で染めあげられていて、しかもそれがわたしのたまたま着て
いたブサイクな服なんかよりずっと綺麗な蛍光色をしているものだから、もう、どうした
って当たりたくない。


タバコ臭い三階の窓際席から歩道を見下ろしているデブの上官が、チキンを振り回しなが
らものすごい怒声をあげてるのけっこうエス。そういやわたしこの前めちゃくちゃかっこ
いい傘買ったんだけど、それで叩いてくんないかな。食らってしばらくは無敵だってさ。
ドンキで買ったっぽい軍服をノリノリで着こなすおとこのこたち、あれさ、手持ちの火薬
に命令よりほんのちょっと少なめにお湯をかけて「平和をつくってます!」だとか言って
そうでウケるね。撮っておきだったのにもう穴だらけのストロベリーショートケーキセレ
ナーデ。それっぽいだけな3分間の黙祷。ごめんね。わかりやすい物しか口にできない。


誰もしなないうた。どうしようもない転調。聞いたこともないお店のポップコーンが美味
しいのになんかびっくり。かわいめのおんなのこたちの「救助要請」を映したアイフォン
の薄光で目を焼いて、盲目の振りをしながらモニターにキスする性癖。どうしよう(もな
い)わたし。たった60デニールで生き残れるのかな。(さいごの声なんてまだ誰にもあ
げたくないのに)


インカメでさっとメイクを直して顔を上げる、飛び交う視線にあてられても手を挙げてし
まわないように。そして周りをゆっくりと見渡し、とりわけレートの低そうなおとこのこ
たちを選んで、わざとらしく目をやった。(しんじあえ) ……したらそいつら、足下に散
らばったBB弾を指さして、ちょっと得意げに「それ1、2年で土に還るんだぜ」って、
ばーか。わたしもうただの一秒だって待ってらんない。


あ、ところでいま気づいたんだけど、上官の振り回すチキンの部位がなんかピースサイン
みたいな形してんの、あれかっこよくない? イエイ。


2011

  芦野 夕狩(ユーカリ)

教室にはわたしたちの他にだれもおらず、あたしたちもうぺちゃんこだね、というナナエの言葉に、ふかくため息をついたアヤコは、うつむいたまま自分の胸を見続けていて、差し染める西陽が、アヤコの輪郭だけを特別な彫刻のように、かたちづくる限り、わたしたちは誰ひとりとして、その滑稽な誤解を解くことも叶わずに、非行少年が、ふとした瞬間に海を見たくなり、海に誘われるままに、そのかいなに抱かれる、あの、言葉を失った瞬間、みたいな顔で、いつまでも終わらないこの日常の果ての果ての果てを、見届けることなどできないと知っているから、うすく、ひきのばされた薄紅色のゆううつを、滑るように息をしている。

黒板に書かれたたくさんの正しいが、どれ一つとして正しくないのは、わたしたちが、水に歪められたかなしみを、どこまでも掬えずに、とりとめもないふしあわせを、いきつぐ、ように 、酸素の濃度でいきついでいるだけのことだ、と、知った、あの春の、春の、水に浸された結末の、さいごの音がいつまでも鳴り止まない、そんな日常の、yesでもnoでもない、問いかけの解法を見つけ出すことができないから、アヤコのうつくしい輪郭線をたどるようにおちていく西陽のゆくえに、いかなる意味もみいだせないこともまた、

アメリカにも雨は降るんだよ、と、ナナエは黒板の正しいを向きながら言い、わたしたちはアメリカなんか一度も行ったことがなくて、それはナナエも一緒なんだけれども、アメリカにもまた、あの陰惨な時間が流れうることに、どうしようもない驚きを隠しきれずに、アメリカにも雨は降るんだね、と繰り返し囁くことしかできずにいる、アヤコのからだは、もうすっかり痩せてしまっていて、黒板消しを置くところに降り積もった、チョークの粉をずっと見続けているのは、近所にあった、リタリンを違法に処方してくれていた病院が、摘発されたことと、おそらく無関係ではないのだろう。

あたりは夕闇に包まれ、アヤコは暗闇に怯え出し、ナナエはそれを見ないふりをして、そろそろ出勤だから、と言い残すと、かんたんな呪文を唱えて、校舎の鍵を作り出し、それをアヤコに放り、それを受け取り損ねたために、教室に転がる鍵を、アヤコはいつまでも拾おうとしなくて、暫くのあいだ沈黙だけが教室にあふれ、そして、おしころされた嗚咽が沈黙を破り、暗闇のなかで、アヤコの鋭い視線が、戦場で狙撃兵のスコープが光るみたいに、わたしのこと、見ている。

文学極道

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