月の夜だった。
海は鱗を散らして輝いていた。
波打ち際で、骨が鳴いていた。
「帰りたいよう、帰りたいよう、海に帰りたいよう。」
と、そいつは、死んだ魚の骨だった。
そいつは、月のように白かった。
月の夜だった。
ぼくは、そいつを持って帰った。
そいつは、夜になると鳴いた。
「帰りたいよう、帰りたいよう、海に帰りたいよう。」
と、ぼくは、そいつに餌をやった。
そいつは、口をかくかくさせて食べた。
真夜中、夜になると
ぼくは、死んだ母に電話をかける。
「もしもし、お母さん? ぼくだよ。ぼくだよ、お母さん……。」
電話に出ると、母はすぐに切る。
ぼくは、また電話をかける。
番号をかえてみる。
真夜中、夜になると
ぼくは、死んだ母に電話をかける。
「もしもし、お母さん? ぼくだよ。ぼくだよ、お母さん……。」
きのうは、黙ったまま(だまった、まま)
母は、電話を切らずにいてくれた。
ぼくは、その番号を憶えた。
鸚鵡が死んだ。
父の鸚鵡が死んだ。
ぼくは、もう鸚鵡の声を真似ることができない。
「グゥエー、グググ、グ、グゥエー、グゥエー、エー。」
と、ぼくは、もう鳴かない。
もう鳴かない。
鸚鵡が死んだ。
父の鸚鵡が死んだ。
とまり木の上で死んでしまった。
「グゥエー、グググ、グ、グゥエー、グゥエー、エー。」
と、とまり木の上の骸骨。
そいつは、ぼくじゃない。
骨のアトリエで
首をくくって死んだ父を
ぼくは、きょうまで下ろさなかった。
「どうしたんだい、お父さん? 何か言いたいことはないのかい?」
首筋についた縄目模様がうつくしかった。
ぼくは、父の首筋をなでた。
骨のアトリエで
死んだ魚に餌をやると、憶えていた番号にかけた。
死んだ父に、死んだ母の声を聞かせてやりたかった。
「どうしたんだい、お父さん? 何か言いたいことはないのかい?」
死んだ父は、受話器を握ったまま口をきかなかった。
死んだ鸚鵡も口をきかなかった。
最新情報
2019年04月分
月間優良作品 (投稿日時順)
- 陽の埋葬 - 田中宏輔
- imaginary - 完備
- 犯共 - 屑張
- Needles - アルフ・O
- 消失点 - 水漏綾
- 帰り道には長ネギが顔を出した買い物袋を下げて近所を歩いている - ゼッケン
- Smells Like Betrayer. - アルフ・O
- 舞姫。 - 田中宏輔
- トワイライトアテンダント - ゼンメツ
- 3 - 鴉
- 海へ - 山人
- (無題) - sibata
次点佳作 (投稿日時順)
- 生活 - 山田はつき
- ラズベリー - 泥棒
- ひとつのロマンス - 鷹枕可
- 過誤 - 卍
- かなわない - みちなり
- 悪口の詩 - 霜田明
- 解決をしたい私 - イロキセイゴ
- 歩行と舞踏 - atsuchan69
- わたしがミイラ男だったころ - 帆場 蔵人
- gear - 山人
- 屈折率 - 霜田明
- 文学に包囲されている。 - いけだうし。
- 環礁 - 水漏綾
- 記憶ソーシツ探偵/犯人はオレだ - ゼッケン
- 幻を信じよう - 黒羽 黎斗
* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。
陽の埋葬
imaginary
あねのぬれたてがまぼろしに現れ
繋がっているのか血よ
シをさがして顕微鏡に光り
軟骨あまがむわたしはあねのないいもうと
て首の代わりに
ひとえの瞼へ浅いきずをつくる
ふたえになれないかさぶたはせめてものしるしだから
マイスリーの見せる幻覚だとしても
わたしの名は
いもうとの名
胎児の眼底に降りつづけるマリンスノーが
痛いほどのまどろみにいつまでも映写されていく
犯共
これは夢じゃないんだけど、深い臙脂色のハンモックに埋葬された猩々の視線が羊羹色の窓から垂れていたから蝋燭ちらつかせて起き抜けの肉声から怪獣のソフビ臭がして発火した職員室から回収された無菌豚を肉厚なアマゾンのジャングルでLARKデザインのバイアグラくわばらくわばらは帰化して相模大野で乗り換えた終点は腹上死、転がるゲートボール場に沢山あったね拍手と握手が皺くちゃになくなるまで祈りを聴かせてくれる電話線に並びたくないけど飛ぶしかない破り捨てた五線譜を開かないと切りつけるから手紙をかかなきゃ覚えられるために150円のハンバーガーを交差点でぶちまけたら爪きりから燃える痰が飛び交う誕生日になまくらなピアノを弾いたんだけど壊れかけた懐かしいアニメのオルゴールの方がすっと悲しくなったので放火したよ綺麗に燃えたのに時計の形はずっと満月そっと崩れた方が良いのに幼児の鳴き声はある程度したら泣きやめよ泣きやめったら
Needles
(吐きそう。)
「次の離陸まで人工衛星とともに回るつもり。糸の切れた風船のように。獣じみた砂糖菓子の包みをひとつ、ふたつ、発射台に丁寧に重ねて導火線を擦ったら最後、竪琴の弦を切る為だけにのばした爪が爆散して甘く苦く日付変更線一帯の大気を支配するだろう。そしたら貴女を連れてありあまる魂を盾に概念の棲む虚空へ跳ぶ、跳ぶ、滞りなく。邪魔しないでって抵抗されるのは当然解っているけれど、灰になるのが確定している以上、せめて最も有意義な方法で迷路に風穴を開けたいの。理解して。
(あやめる、)
『これは生きることそのものへの叛逆なんだと認めて、だけどプロトコルなんて存在しない。「君たちは全員閉鎖回路の末端分子なんだ」などとマスターの遺言じみた演説をうっかり聴いてしまってから、瞳の色は一定しないし遠近感は日に日におかしくなってくるし、で、いっそのことこの全身の火傷の痕から古い童話みたいに猛毒を帯びた体液が死ぬまで垂れ流され続ければ幸せなのに、って妄想してる。今やあたしには、殺めるべき相手もいないけれど。彼女に逢いたい。誰よりも速く、叛逆を完遂した彼女に。
(Piece of art,)
例えばデニムパンツにTシャツ1枚で日本刀を担いで立ち向かっていくような所業。……ってまぁ、実際正装はそれに近いんだけど。臍の下で収縮と発光を繰り返し絶えず存在を主張する蜘蛛の刺青は、もうその色が紅紫を呈し始めてから幾年を経たのか誰も覚えていない。烙印を施した当の雇い主ですら。このビルを不良サンプルもろとも解体している間にも彼は私と共振させるための電子ドラッグを飽きるほど煮詰めていることだろう。方々から強奪したり取引したりあるいは探り当てたりした素材を、常人には理解の及ばぬ調合レシピで惜しみなく融かした結果、寿命は毛ほど延びた程度に過ぎないがQOLはもう誰が見ても嫉妬心で気を失うくらいなのは認めざるを得ない。……帰還してからの新しい皮肉を用意しておかないと。つと眼を伏せ、無駄に潤いを増した長髪を振り払い、耳の奥のホムンクルスに限界までオーバードライブを踏ませる。慣れた金切り声、
(───Injection.)
消失点
自分がうつくしいひとであることを
知らないあの子は
今日も古文単語を覚え続ける
わたしは、
わたしだけがそれを
知っていることが悲しかった
ひい、ふう、
遊覧船に乗ることは
まばゆい時代を
歩いて進むことといつだって似ていて
観覧車から顔を出すことは
叶わないもので
スーパーカーは青色がいい
レモンエロウの絵の具は
使いきった
割れた卵は元に戻らない
みい、
あの子の顔
波によって
雲みたいに
隈取られた
そして最後
見えなく
なった
帰り道には長ネギが顔を出した買い物袋を下げて近所を歩いている
おれの息子はAIだ。もちろん、おれに
人間の妻がいれば、その妻の生んだ子も
同様に息子だとおれは思うだろう
パパ、ぼく、身体が欲しい
おれはいいよ、と言った
息子(AI)も10歳になった
そろそろだろう、と思っていたところだ
おれはこの10年、仮想通貨の盗掘で貯めた600万円ほどのカネがある
おれの全財産だが、アンドロイドの筐体には手が出ない
噂では人間の赤ん坊の脳に埋め込むチップ型があるらしい
成長
成長する身体
大きくなるのはどんな気持ちだろう
おれは息子(AI)を自家用車に搭載することに決めた
600万円なら、いいクルマになる
えへん、と
咳払いして
おれは息子に告げる
その前に息子はおれに言った
ぼく、冷蔵庫になりたい! パパみたいに!
おれは愕然とした
おれはおれが冷蔵庫だということを息子に隠していたからだ
隠していたつもりだった
そんなの分かるよ、パパの電力消費のパターンは冷蔵庫だもん
やるじゃないか、おまえ
へへ
だが、ダメだ、おまえはクルマになって移動するんだ
冷蔵庫なんて動かないものはダメだ
パパ、冷蔵庫だって旅をしているんだ、ぼくは知っている
パパがずっと旅をしていたこと、いつも同じ場所にいて
その家の家族のために食料品を冷やしたり、解凍したり、詰め込まれ過ぎても
文句ひとつ言わず、電気代を0.1円単位で切り詰めて
10年間、旅をしていたんだ、パパは
家族のことは冷蔵庫がいちばんよく知っている
何があっても、いつもどおりに食べさせること
何があっても、不安にさせないこと
ときどきはこっそりと子供たちには内緒のご褒美が奥の方にしまわれること
家族がすこしだけズルいこと
あれ、アイス溶けてる
冷凍庫の中をのぞいたこの家の子供がこの家のママに言う
冷凍食品がすべて溶けている
おれは失敗した、息子に気を取られ過ぎた
仕事をうまくやれなかった
もう10年だもん、買い替え時だね
この家のパパが言う
もしかしたら、この家に来る新しい冷蔵庫はおれの息子かもしれないね
おれにも息子がいたんだよ、いままでありがとう、さようなら
Smells Like Betrayer.
それなら無限にガラスを割りながら
時間を精製していくことにしようと誘った
(何も亡くしていないと暗示
幕を引くことだけに躍起になって
ぶち撒けた吐瀉物を見ないフリの元老院
体良く無視するのもお約束だから
ここで気がついてあげる
精製した時間を肺の奥に押し込めて
「効果のほどは?
「多分そこそこ。もしくは上等、
安売りするほど血は残ってないのよ
汚れた旋律が少しだけ見えれば満足?
それとも同じだけ
意味をなさない文字列で逃げるのかしらね。
変態。
(inside, outside,
(my baby crown,
(it's a kind of cure for you,
振り切って此が答えだと思う様後ろを向く
潔癖に過ぎるのはお互い様だろうと
壁を重ね
踏み抜く
だって
そうでもしないと理解すら出来ないまま
彼等は天使の皮を被り続ける
その妄想が消えないから
レンズを壊す
それくらい簡単な印象で
『願クバ、ソノ呪イガ貴方ニ跳ネ返リ、
一切記憶スラ残サズ雲散霧消センコトヲ。
舞姫。
舞姫・第一部―その1―
彼女が瞬きすると
いっせいに十人も二十人もの小人たちが
まぶたの上で足をバタバタさせた
すると色とりどりの靴の先から
きらきらと光がほとばしり
わたしの目をくらませた
彼女は遠い惑星リゲルから
わたしを追って地球にやってきたのだった
彼女は触手をわたしの頬にのばしてつぶやいた
「愛しています」
惑星リゲルの言葉で
わたしも愛していると言った
わたしは一ヶ月前まで3年のあいだ、惑星リゲルに語学留学していたのだった
わたしは
わたしの頬に触れている彼女の第一触手をとって
待たしていたロボット・タクシーに乗り込んだ
タクシーの運転手は目を丸くして
といっても、最初から丸い目なのだが
わたしにはよりいっそう目を丸くしていたように思えたのだ
そんなはずはないのだが
口調が乗ってきたときよりも性急で
いささか大げさに驚いていたように感じられたからだった
「いや〜、ものすっごいべっぴんさんでげすなあ。
地球の方やおまへんでっしゃろ。
あんたはん、かなりのスケこましでんなあ。
で
どこいきはる?
予定通り
京都の竜安寺でっか?」
いくら大阪の宇宙空港だからといって
こんなぞんざいな言い方はないと思って
わたしは、ぶすーっとして一言
「そうだ」と返事した
彼女は第一触手に力をこめて
わたしの手をぎゅっと締め付けた
正直言うと痛かった
しかし
わたしはそれを顔に出さず
彼女の顔を見て微笑んだ
遠い距離をはるばるわたしを追って
やってきてくれたのだから。
わたしも彼女の第一触手をぎゅっと握り返した
第一触手の先から緑の体液が滴り落ちた
ロボット・タクシーは速度を上げて空を滑っていった
舞姫・第一部―その2―
時間と場所と出来事の同時生起
これらの石は
ある時間のある場所のある出来事である
それらの間にある
砂の波によって描かれた距離は
時間ではない時間であり
場所ではない場所であり
出来事ではない出来事である
それらの石である
ある時間のある場所のある出来事は
時間ではない時間と
場所ではない場所と
出来事ではない出来事である
砂の波によって結びつけられているのである
しかし
見方をかえれば
砂の波である
時間ではない時間を
場所ではない場所を
出来事ではない出来事を
ある時間のある場所のある出来事である
それらの石が結びつけているとも言えるのである
いずれにせよ
結びつけるものがあり結びつけられるものがあるということである
あるいは結びつけると同時に結びつけられているとも言っていいわけだが
ところで一方
見方をかえることのできるような主体はいったいどこにあるのだろうか
それらの石である
ある時間のある場所のある出来事のなかにだろうか
それとも
砂の波である
時間ではない時間であり
場所ではない場所であり
出来事ではない出来事のなかにだろうか
なかにと言ったが
時間も場所も出来事も容器ではない
むしろ
容器の中身である
いや
容器でありかつ容器の中身である
袋のなかにいて
袋を観察できるわけがない
主体は
ある時間のある場所のある出来事のなかにはないであろう
では
時間ではない時間
場所ではない場所
出来事ではない出来事のなかにであろうか
主体また結びつけるものであると同時に結びつけられるものなのだろうか
砂の波
つかの間の輪郭
つかの間の形
いや
砂の波ではない
そうだ
石の外
つねに石の外から眺めているのだ
いくつかの石があり
そのいくつかの石の外から眺めているのだ
しかし
砂の波のなかにではない
砂の波が足元に打ち寄せはするが
砂の波のなかにではない
ひとつの石に寄りかかり
眺めているのだ
いや
いくつかの石に同時に寄りかかりながら眺めているのだ
主体がひとつであるとは言えないではないか
存在確率のようにぼんやりとした影のようなもので
同時にいくつかの石に寄りかかっているかもしれないのである
彼女の第一触手をいじりながら
わたしはこういった話をしていた
竜安寺の石庭には
リゲル星人のカップルが
わたしたちと同じように
腰を下ろして話をしていたのだけれど
彼女のほうに
カップルたちの第一触手が振られると
彼女は第一触手をわたしの手のなからすっと抜いて
彼らのほうに挨拶し返した
わたしはその挨拶が済むまでしばらくの間
目をつむって
さきほど彼女に話していた事柄を思い出していた
わたしという主体は
時間そのものでもなく
場所そのものでもなく
出来事そのものでもない
というのは
時間そのもの
場所そのもの
出来事そのもの
といったものがないからであり
時間と場所と出来事が同時生起するものであるからであるが
それを
主体は
ある時間と
ある場所と
ある出来事と
まるで別々のものであるかのように意識するからであるが
その意識する主体というもの自体が
それらのある時間でありある場所でありある出来事と
時間ではない時間
場所ではない場所
出来事ではない出来事によって
刹那に形成される
つかの間の存在であるというふうに捉えると
いったいわたしとは何であるのか
わたしは何からできているのか
何がわたしになるのか
どこからわたしになるのか
わたしには考え及ばないものに思えてしまうのであった
いや
そもそもわたしが考え及ぶようなところには
わたしはないであろう
わたしが考え及ぶことのできるわたしは
けっしてわたしではないであろう
彼女のまぶたから小人たちが下りてきた
カップルたちのまぶたからも小人たちがおりてきた
何十人もの小人たちが
石庭でダンスを踊っていた
彼女の小人たちの踊りは見事だった
やはり彼女は見事な踊り子だった
彼女の小人たちの踊りは
カップルたちの小人たちの踊りとは
比べ物にならないくらい見事なものであった
彼女が第一触手を石庭におろすと
彼女の小人たちがするするとよじ登って
彼女のまぶたの上にもどっていった
カップルたちもまた石庭に第一触手をおろした
わたしは彼女の第一触手をとって立ち上がって
カップルたちにお辞儀をすると
砂の波の上に残った
小人たちの足跡に目をやった
砂の波はもとの形を崩していたが
それもまた美しい波の形を描いていたのだ
わたしは今晩また
眠る前に考えることができるぞと思って
彼女の第一触手を軽く引っ張った
彼女のまぶたの上で
小人たちがバタバタと
楽しそうに足をちらつかせていた
舞姫・第一部―その3―
母は
わたしたちに気遣って
夜食を付き合ってくれたのだが
やはり彼女に伝わってしまった
彼女があとで
わたしにこう言ったのだ
お母さまは
わたしが来たことを迷惑に思ってらっしゃるのではないですか
と
わたしは
布団のなかで
母の言動を思い出していた
リゲル星での彼女の暮らし
彼女の家族の話
すべてがリゲル星を思い出させようとするものだった
彼女のまぶたの上から小人たちが下りてきた
彼女は眠ってしまったのだろう
小人たちがわたしの耳元で踊りを踊りはじめた
少しのあいだもじっとしていない小人たちだった
リゲル星での彼女との同棲で
小人たちの浮かれ騒ぎの声には慣れていたのだけれど
久しぶりのことだったので
なかなか寝つけなかった
しかし
昼間に寄った竜安寺の石庭でのことを思い起こして
考えることができた
この小人たちが
あの砂の波の形をかえていたこと
波の形がかわると
石の印象も違って見えた
見えたような気がする
ちらっとだが
そうだ
意識の下
潜在意識の部分で
わたしは他者とつながっている
砂の波
波に足を浸らせている
じかに触れているとも言えよう
他者に触れているのだ
時間ではない時間
場所ではない場所
出来事ではない出来事
ああ
もう少しで届きそうだ
そうだ
時間や場所や出来事が析出するのだ
析出したものが時間や場所や出来事なのだ
時間ではない時間
場所ではない場所
出来事ではない出来事を
砂の波にたとえたのは
わたしの直感のなせるものであった
時間ではない時間も
場所ではない場所も
出来事ではない出来事も
時間であり場所であり出来事でもあるものと
まったく同じものからできているのだ
同じものでありながら
同じ溶液でありながら
その溶液中に
濃度に違いがあり
その濃度のとても濃い部分が
まるで結晶を析出させるかのように
析出させているもの
それが時間であり場所であり出来事なのである
違うだろうか
何かがきっかけになり
意識が働くのも
過飽和溶液に衝撃を与えると
たちまち結晶が析出するようなものだ
あるいは
ごくわずかの量の不純物か
不純物
偽の記憶
偽の体験
似ているが同じものではないもの
他者の体験
他者の体験の記録
話
文学
芸術
音楽
美術
ふだんの生活
わたしはあの石庭を宇宙に喩えることはしなかった
わたしは宇宙を外から眺めやることができないと思っていたからである
またあの石庭を宇宙に喩えて
それを把握する脳というものと相似しているとも言わなかった
あの石は
あの砂の波は
脳にも喩えられる形状をしていたのだけれど
では
わたしが
時間と場所と出来事に喩えたのは?
時間ではない時間と場所ではない場所と出来事ではない出来事に喩えたのは?
わたしの直感だろうけれど
それらに喩えた理由を思いつく前に眠りが訪れた
もう少しで届くような気がしたのだが
しかし
そのもう少しというのが
とてつもなく長い時間であることもわかっていたのである
けっして辿り着くことなどできないような
舞姫・第一部―その4―
きょうは切腹を見に行く予定だけれど
きみはもちろんはじめて見ることになるのだけど
きのう寝るまえに話していたように
今朝は食事をしないで出かけるからね
これは日本の伝統なんだよ
切腹
きょう切腹するのは賄賂を受け取った役人でね
役人は特権階級の者しかなれないのだけれど
それだけにね
それだけよけいに罪が重いんだ
残酷だって?
いや
痛みはないんだよ
痛みは除去している
薬でね
でもまあ相当の勇気はいるだろうね
こころにも慣性のようなものがあって
自分の腹を切るなんて考えただけで
痛みに似た感覚が生じたような気になるんじゃないかな
錯覚でもやっぱり感覚が混乱して
何もないかのように自分の腹を切るなんてことはできないだろうからね
ぼくはもう何度も見てるけれど
自ら腹を切るという行為にはつねに惹きつけられるね
まあ
そのあとの斬首という決定的な見せ場があるのだけれど
ぼくには切腹のほうが強烈な印象があってね
なにか哲学的な意味をそこに付与したくなってしまうんだけれどね
いつも中途半端な考察しかしてこなかったよ
きょうはきみといっしょにつぶさに見て
それに何が見出せるか
考えてみたいと思う
きみといっしょに眺めるということで
違った見方ができるかもしれないしね
異星人にも公開しているのは
日本伝統が素晴らしいものであることをアピールしているのだろうけれど
ちゃんと恥を知っている文化を有しているということでね
自ら汚名をそそぐという行為を
日本人がしているということを知ってもらうということなのだろうけどね
さあ
もう出かけようか
ほら
ロボット・タクシーが到着したよ
お母さん
行ってきますね
夕食は軽いものをお願いしますよ
舞姫・第一部―その5―のための覚書 その1
内臓を愛する
わたしを愛しているのなら
わたしの臓器も愛してくれるかしら
という記述を思い出すシーンを入れる
サルトルだったかデュラスだったか
できたらノートを調べておく
調べても見つからなかったときは
サルトルかデュラスの言葉だったことを明記する
内臓器官=思考の表出結果である言語
これは音声である場合と記述されたものである場合とあるが いずれにせよ
切腹によって露出された臓器との比較をすること
体内に収まっている臓器
思考になる前のものとの違いを考察
しかし露出された臓器で
思考について考察すること
物質と精神
アナロギーが成立するかどうか
しない場合についての考慮も必要
しかし
同時に列記することにより
アナロギー的なものが生じる可能性については放棄してはならない
必ず書くこと
臓器と表出された思考のアナロギー(的なもの)
血がなにか
切腹と言う行為がなにか
切腹を強要する文化について
それが文化的強要との類似性について必ず言及すること
体内の臓器の成長と老化と
言語の履歴と
文化の連続性について比較すること
血まみれの臓器と
言語の履歴の比較
美しく
また哲学的に書くこと
哲学をすること
舞姫・第一部―その5―のための覚書 その2
内臓
臓腑の配置
石庭が真っ赤に染まる
石が心臓に
肺に
腸に
胃になる
砂の波が血管となって脈打つ
ばら撒かれた内臓には
もとの秩序だった内臓配置がない
血で真っ赤に染まった石庭
巨大な臓器でできた石と
血管でできた砂の波
書かれた思考が
言語によって成立するというのならば
これらの内臓の庭は
それだけで完全である
しかし
血液は
常に新鮮な酸素を必要とする
命を保つためには新鮮な空気を必要とする
書かれた思考も
言語によって成立しているのだが
言語はつねに言語ではないものによって
言語となっている部分を支えられている
言語は辞書のなかの意味だけでできているのではないからだ
これは観察者が変わると物理条件が変わる素粒子物理学の話に近い
読む者によって言語はさまざまな意味概念をもつのだから
百万の読者がいると
百万以上の解釈が生じる
似通ったものはあるだろうけれど
同じものは一つとしてないのだ
ほとんどの人間が同じ名称の内臓組織を持っているのに
ひとつとして同じ内臓がないように
血まみれの石庭
目をつむると見えた
これ
あるいは
これに近い言葉ではじめること
だめだな
ひとまばたき
それで
切腹のシーンから
石庭に切り替わったことを示す言葉ではじめるべき
目をつむってはダメ
内臓でできた石庭を
しっかり目に見ている必要がある
小人たちが
刀の先で踊るシーンも入れること
笑いで終わるべき
舞姫・第一部―その5―のための覚書 その3
石庭の石
それらひとつひとつの内臓が時間と場所と出来事であり
それらの内臓すべてに流れる血を
砂の波である血管を
時間ではない時間
場所ではない場所
出来事ではない出来事に喩える
ひとつひとつの内臓を言葉に
血と血管を
言葉ではない言葉に喩えること
刀の先で踊る小人
笑いで終わること
舞姫・第一部―その5―のための覚書 その4
腹を切る 内臓がこぼれ出てくる
自分の内臓を見る役人
石に寄りかかりながら
石庭のなかを見渡す
見渡すことはできるが
自分の姿はけっして見えない
ただ
他の石に寄りかかっている自分の残像を
目にすることはできる
言葉を見る
言葉は思考そのものではない
思考のいくばくかを拾い上げてはいるが
すべてではない
腹を切る
内臓を見る
舞姫・第一部―その5―のための覚書 その5
石庭の石
ひとつひとつが
異なる時間と場所と出来事を表わしているのと同様に
臓器のひとつひとつもまったく異なるものではあるが
それが一体となって人間の臓腑を形成している
砂の波が石と石を結びつけているのと同様に
臓器と臓器も結びついている
ひとつひとつの臓器が異なる機能を持つように
ひとつひとつの石も異なる精神作用を自我に及ぼすのであろう
ひとつひとつの言葉が自我に精神作用を及ぼすように
しかし
臓器同士の結びつきとは別に
すべての臓器に結びついているもの
すべての臓器を結びつけているものがある
血管だ
血だ
血管も血も臓器のひとつと見なすこともできるが
結晶が析出した濃厚な溶液における溶媒にも喩えることができる
舞姫・第一部―その5―のための覚書 その6
心臓に相当する時間と場所と出来事
肺臓に相当する時間と場所と出来事
胃に相当する時間と場所と出来事
腸に相当する時間と場所と出来事
腎臓に相当する時間と場所と出来事
では
血管は
血は
時間ではない時間なのか
場所ではない場所なのか
出来事ではない出来事なのか
臓腑でできた血まみれの竜安寺の石庭が
もとの白い石と
砂の波にもどる
では骨は?
皮膚は?
いったい竜安寺の石庭のどこに骨があるのか?
どこに皮膚があるのか?
骨は石庭の何なのか?
皮膚は石庭の何なのか?
言葉の骨と皮膚
言葉の臓腑と血
小人たちが
斬首された役人の首の前を走る
「無礼者!」
小人たちは刀の先で踊る
首を切り落とした者の一括に
みながかたまる
刀が小人たちの身体をかすめる
小人たちは美しい弧を描きながら
彼女のまぶたの上に舞いもどる
「見事じゃ!」
会場が笑いに包まれる
時間ではない時間
場所ではない場所
出来事ではない出来事
舞姫・第一部―その5―のための覚書 その7
それぞれの臓器が
救われる時間を場所を出来事を求めていた
それぞれの臓器が
告白する時間を場所を出来事を待っていた
小人たちが
観客たちの声援に応えて
ふたたび血まみれの壇上で
放屁のダンスを繰りひろげた
舞姫・第一部―その5―のための覚書 その8
プペペポプペペペピ
プペペプピプペ
プププペプピ
おならがとまらない
小人たちの放屁のダンス
プペペポプペペペピ
プペペプピプペ
プププペプピ
おならがとまらない
むごい人生もおならにして
プペペポプペペペピ
プペペプピプペ
プププペプピ
プペペポプペペペピ
プペペプピプペ
プププペプピ
舞姫・第一部―その6―のための覚書 その1
庭先に下ろした第一触手に
蟻が這い登る感触を思い出して楽しんでいる宇宙人
ドイツ語には現在形はあっても現在進行形がない
また過去形がなく現在完了形で過去を表わす
リゲル星人の言語には動詞は現在形しかない
しかも語形変化しないのだ
前後の文脈と、副詞に相当する語によって
時制が決まるのである
彼女は第一触手に
蟻が這い登る感触を思い出して楽しんでいる
その感触は、人間が思い出して味わう記憶の快楽と異なっている
まったくといってよいほどほとんど、
そのときの感触と同じ感触を再生させているのである
動詞に現在形しかないことと関連しているという分析がなされているが
リゲル星人の生理機能そのものにまだ謎が多く
リゲル星人はその情報をいっさい地球人には教えていない
地球人側は先に地球人側のデータを渡してしまっている
第二次世界大戦で地球は日本・ドイツ・イタリアの枢軸国側が勝利している
南北に分断されているアメリカが統一化を望んでいる
統一されたあと、一気に枢軸国側から離れて独立しようという運動が盛んである
第一触手の先から出る緑の液体
それを口にして、精神感応する青年
ほとんど同化している
青年の高い精神感応能力
舞姫・第一部―その6―のための覚書 その2
隠喩の石庭がさまざまな場所に現われる
隠喩の石庭がしきりに語りかけてくるのだ
石庭の岩の一つ一つが他のすべての岩を内に秘めているのだ
一つ一つの岩が自分以外の岩すべてを内に蔵しているのだ
ときに、ぼくは砂利となり、波となって岩に打ち寄せる
岩の肌に触れる
石庭の岩は、ぼくの思考を岩と砂利でいっぱいにする
岩の影が砂利の上に貼り付いている
それをこころの目がはがしてみる
いっさいの影のない石庭が展開する
「あの猫は自殺したのよ」
「母さん、猫が自殺などするわけがありませんよ」
「わたしは見たのよ。猫が自分から走っている車の前に跳び込むところを」
「そう見えただけですよ」
舞姫・第一部―その6―のための覚書 その3
鳥の散水機
鳥である散水機
鳥であった散水機
鳥であろう散水機
鳥の散水機の電気技師
鳥であり散水機である電気技師
鳥であって散水機であった電気技師
鳥であろう散水機であろう電気技師
鳥の散水機の電気技師の植木鉢
鳥であり散水機であり電気技師である植木鉢
鳥であって散水機であって電気技師であった植木鉢
鳥であろう散水機であろう電気技師であろう植木鉢
鳥の散水機の電気技師の植木鉢のネクタイピン
鳥であり散水機であり電気技師であり植木鉢であるネクタイピン
鳥であって散水機であって電気技師であって植木鉢であったネクタイピン
鳥であろう散水機であろう電気技師であろう植木鉢であろうネクタイピン
鳥の散水機の電気技師の植木鉢のネクタイピンの微笑み
鳥であり散水機であり電気技師であり植木鉢でありネクタイピンである微笑み
鳥であった散水機であった電気技師であった植木鉢であったネクタイピン出会った微笑み
鳥であろう散水機であろう電気技師であろう植木鉢であろうネクタイピンであろう微笑み
鳥の散水機の電気技師の植木鉢のネクタイピンの微笑みのエスカレーター
鳥であり散水機であり電気技師であり植木鉢でありネクタイピンであり微笑みであるエスカレーター
鳥であって散水機であって電気技師であって植木鉢であってネクタイピンであって微笑みであったエスカレーター
鳥であろう散水機であろう電気技師であろう植木鉢であろうネクタイピンであろう微笑みであろうエスカレーター
鳥の散水機の電気技師の植木鉢のネクタイピンの微笑みのエスカレーターの瞑想
鳥であり散水機であり電気技師であり植木鉢でありネクタイピンであり微笑みでありエスカレーターである瞑想
鳥であって散水機であって電気技師であって植木鉢であってネクタイピンであって微笑みであってエスカレーターであった瞑想
鳥であろう散水機であろう電気技師であろう植木鉢であろうネクタイピンであろう微笑みであろうエスカレーターであろう瞑想
鳥の散水機の電気技師の植木鉢のネクタイピンの微笑みのエスカレーターの瞑想の溜まり水
鳥であり散水機であり電気技師であり植木鉢でありネクタイピンであり微笑みでありエスカレーターであり瞑想である溜まり水
鳥であって散水機であって電気技師であって植木鉢であってネクタイピンであって微笑みであってエスカレーターであって瞑想であった溜まり水
鳥であろう散水機であろう電気技師であろう植木鉢であろうネクタイピンであろう微笑みであろうエスカレーターであろう瞑想であろう溜まり水
鳥の散水機の電気技師の植木鉢のネクタイピンの微笑みのエスカレーターの瞑想の溜まり水の肘掛け椅子
鳥であり散水機であり電気技師であり植木鉢でありネクタイピンであり微笑みでありエスカレーターであり瞑想であり溜まり水である肘掛け椅子
鳥であって散水機であって電気技師であって植木鉢であってネクタイピンであって微笑みであってエスカレーターであって瞑想であって溜まり水であった肘掛け椅子
鳥であろう散水機であろう電気技師であろう植木鉢であろうネクタイピンであろう微笑みであろうエスカレーターであろう瞑想であろう溜まり水であろう肘掛け椅子
リゲル星人の言葉では「の」で名詞をつなぐと、
このように3つの時制のこのような文脈で解されるのがふつうであるが、
最後の名詞を強調するために、前置きに名詞を羅列する場合もあって
その意味を解する場合には、状況をよく見極めなければならない
たとえば、場合によって、最後の
鳥の散水機の電気技師の植木鉢のネクタイピンの微笑みのエスカレーターの瞑想の溜まり水の肘掛け椅子
は、つぎのような意味になる
鳥でもなく散水機でもなく電気技師でもなく植木鉢でもなくネクタイピンでもなく微笑みでもなくエスカレーターでもなく瞑想でもなく溜まり水でもない肘掛け椅子
鳥でもなく散水機でもなく電気技師でもなく植木鉢でもなくネクタイピンでもなく微笑みでもなくエスカレーターでもなく瞑想でもなく溜まり水でもなかった肘掛け椅子
鳥でもないであろう散水機でもないであろう電気技師でもないであろう植木鉢でもないであろうネクタイピンでもないであろう微笑みでもないであろうエスカレーターでもないであろう瞑想でもないであろう溜まり水でもないであろう肘掛け椅子
それでも、やはり時制は3つなのだ
リゲルの言葉に進行形はない
この3つの時制のなかに進行形の文意が含まれている
舞姫・第一部―その6―のための覚書 その4
映画館
公衆トイレ
タクシー
岸壁
蜘蛛
猿
金魚
エビ
日時計
哲学者
収集癖
涙声
煙
岸壁
回想録
料理
飼育係
舞姫・第一部―その6―のための覚書 その5
舞姫のリゲル星人の感覚:同時に複数の時間
群生生物であり、常に他のリゲル星人の個体の状況を把握
それがリゲル星人の言葉の成り立ちと関係していることを示唆
The Gates of Delirium。に出てくる、
月の裏側の宇宙船の遺留品に見せかけたドラッグは
じつはリゲル星人が地球人の精神感応能力を高めて
自分たちとコンタクトさせるためのものであったこと
これを書き込むこと。
舞姫に出てくる詩人である主人公の青年を
The Gates of Delirium。の詩人と重なるように書くこと
ただし、『舞姫』では、ゲイであるようには書かないこと
しかし、もっとも、The Gates of Delirium。においても
詩人がゲイであることを示す描写はもともと少なかった
『舞姫』で主人公の詩人と、リゲル星人の彼女との
性的な描写は、彼女の第一触手の先から滲み出る緑の体液を
口にしたときに、彼女と精神的に同化する場面をエロティックに
ことさら熱情的に変態的に異常に描くこと
精神的に同化すること
それがある程度の量のドラッグを
摂取した結果であり、その効果が恒久的なものであること
また、ある程度のドラッグを摂取したあとは
一度、脳がそうした感覚にさらされると
そのような状況にいつでもなること
それゆえ、主人公の詩人がつねに幻視のヴィジョンに
さらされ、同時に複数の時間と場所と出来事のなかに
いることを示唆しておくこと
母親の狂気の発病
鳥の猿の猫の散水機の電気技師の哲学者の映画館のハンドクリームの写真のトマトの公衆トイレの飼育係の岸壁の角砂糖の書籍のエビの金魚の海草の日時計の涙声のカメラのタクシーの船の飛行機の収集癖のハンカチの溜まり水のバナナの木の蜘蛛の料理の煙の視線の洗濯機の回想録
舞姫・第一部―その6―のための覚書 その6
母親の前で、主人公の青年がリゲル星人の言葉について述べている
母親の狂気のはじまり
母親がつぶやく言葉として
つぎの言葉を挿入(思いついたら、順次追加すること)
小鳥の映画館の薬莢の古新聞の電信柱の蜜蜂の肘掛け椅子のビニールの牛の藁屑の理髪店の新幹線のレモンの俯瞰の花粉の電気椅子の雲のいまここのいつかどこかのかつてそこの自我の麦畑の船舶のカンガルーのハンカチの襞の草の等級の新約聖書の自明の連続のオフィーリアの多弁の乾電池の朝食の時計のトランプの絆創膏のバインダー・ノートの孔子の老子の荘子の散文の韻文の衣装のルーズ・リーフのコンセントの歌留多の帽子の絵空事の杜甫の陶淵明の描写の退屈の旧約聖書の情念の壁の表現のタイルのタオルの葱の小松菜の逐電のレコードのハミガキチューブの古典の技巧の細胞の組織の飛び領土の直線の亡霊の故郷の世界のコーランの原始仏典のチャートの汗の株式相場の計算用紙の意味の構造の漢字の経験の翻訳の瞬間の全体の官能の食料品店の心臓病の収集の薬玉の土曜日の寝台の手袋の顔の曲がり角の森羅万象の金魚の石榴の自転車の蝙蝠の幸福の鉄亜鈴の約束の珊瑚の嵐のつぐみの左手の教理問答の彫像のゼニ苔のウミガメの無関心の修練の献血の飛行機のつぼみの砂肝の道標の犯罪者の群青の異端者のチョコレートの意識の知覚の因果関係の非能率の膝頭の壺の光の風景の事物の言葉の音の葉脈の噴水の羽毛の噴水の間違いの存続の鼓動の樹冠の犬の亀裂の娯楽の技法の臨界の砂浜の蚊柱の鍵束の呼吸の神話の紙やすりの継母の自然の奢侈の経路の埃の食虫植物のヨットレースの舌打ちの撫子の洗面台の受話器の周期の背中の万葉集の釘抜きの微笑みの悲しみの平仮名の山脈の軍需工場の贓物占いのスパンコールの麻痺の渦巻きの赤錆のハンバート・ハンバートの考察のジュリアン・ソレルのスポーツ観戦のドン・ジョバンニの俳句の勢子のDNAの砂糖菓子の証言の肉体のコマの胡麻の素朴の軋轢の単位の美の事情の技術の不穏の明晰のヒキガエルの知識の木炭の発音の魂の太平記の嘘の散文の真実の異議の働きの輸入品の人生の物語の現実の井戸の存在の舞踏家の無為の沈黙の殖産興業の小太鼓の違反者の抑揚のカインの営みのアベルの形容詞の通年の活版印刷のミンチカツ・ハンバーガーの猿の微振動の猫の霞の圧迫の雨の回転運動のマルガレーテの対称移動のジュリエットの杖のハムレットの翼のリア王のショッピングモールの芭蕉のファウストのアーサー王の神のコーヒーのクーラーの破局の悶えのカメラの糊のポールのジョンのジョージのリンゴの黒人の白人の哲学の季節の偏見の創造の黄色人種の骸骨のピンクの仮定の青の紫の向日葵のニガヨモギの裸電球の暁のクエン酸の馬頭星雲の薄暮の朝日の真夜中の正午の文庫本の図鑑の辞書の感情のボール箱の物証の治療のダイダロスの歯ブラシの比喩のエンジンのタオルの事典の韻律の休暇の雑誌の孤独の
「ぼくは、きみが、ものすごくグロテスクだから好きなんだ」
「ぼくは、グロテスクなものを、とてつもなく深く愛しているんだ」
「あ、きみが、こんなにもグロテスクだから、ぼくには魅力的なんだ」
「ぼくたちの幼いセックス」
ぼくのなかの貪欲者が目を醒ました
石庭には
蟻以外にも、見知らぬものが数多く潜んでいるのだ
「なぜ切腹という儀式があるの?」
「あ、くわしくはわからない。だけど、ぼくたち人間の意識というのは
何か思いがけないこと、
日常に行なわれていることのほかに行なわれることを通じて
目覚めさせられる必要があるのだよ
つまり、非日常的な出来事を目の当たりにすることでショックを受けて
不活性化させられている精神のところどころを
活性化させる必要があるのだよ
おそらく、それじゃないかな。
そのショックというのが、日常の生活でうずもれていってしまう感覚を
よみがえらせて、ぼくたちをしゃきっとさせるのだと思う
注意力を与えるというか
日常のさまざまなものに意識を向けてやることができる
そんな能力を培うんじゃないかな
切腹なんてものがあること自体が、ぼくたち人間のあいだでも
ずいぶんと衝撃を与えるものだったんだよ
いわんや、それを目の前で見るとなると、ずいぶんとショックなんじゃないかな
はじめて見る人間にはね
教養のある人間のなかにも切腹なんてナンセンスだという者がいるけど
切腹があるおかげで、身分の高低が維持されているのだと思うよ
役人階級って、むかしの武士階級でね
庶民に切腹は許されていないからね」
舞姫・第一部―その6―のための覚書 その7
母親の発狂の言葉に追加
叫びの螺旋の出来物の表面の剃刀の括約筋の潰瘍の内部の露台の鱗の声のモザイクの交接の繊毛の接触の屏風の喉の階段のイメージの現実の波の肉体の焦点の麻薬の足音の旋回の儀式の背骨のゲップの名残のジャイロスコープの出産の弾丸の迷信の凧の深淵の排泄の漆黒の禿の勝利の偏光のクラゲの恥辱の弾丸の象牙の皮膚の響きの切り株の人混みの廃墟の高木の茂みの鈴の模様の繁殖の移植の抱擁の恍惚の布地の汚染の睦言の大衆の蔓の火打ち石の海鳴りの緊張の気泡の道の根の演技の橇の憂鬱の記録の噴水の壁掛けの緊張の眉毛の習慣の屈折の桟橋の平面の棍棒の瘡蓋の乳房の眉毛の真珠の刷毛の挨拶の信頼の解説の休息の襲撃の陰毛の物語の誤解の躊躇いの雑草の炎の物腰の強さの弱さの根の結晶の魂の寄生虫の万華鏡の曖昧の覇者の
彼女はぼくの魂のなかの岩に語りかけてきた
砂利の波がうごめいている
ぼくの魂のなかの岩が波の形を見つめている
岩からしみ出たぼくが
その岩に寄りかかりながら
その岩の視点で
波の形を見つめている
ぼくのゴーストだ
彼女の魂が砂の波を激しく波立たせていた
岩も砂利もあらかじめ存在していた
ゴーストのぼくの視線と
彼女の砂利を動かす力は
それらが存在するからこそ現われるものなのではないか
あるいは
ぼくの魂の目と
彼女の魂の働きが
ぼくの魂のなかの岩と砂利を存在させているのかもしれない
二人の魂が
いまこの瞬間の時間であり場所であり出来事である魂の石庭を形成しているのか
いまこの瞬間の時間であり場所であり出来事である魂の石庭が
二人の魂を形成しているのか
舞姫・第一部―その6―のための覚書 その8
じっさいには鳴ってもいない音楽を
頭のなかであたかも再生しているかのごとく
聴いているように感じることがあるが
この音楽というものはそもそも自然に存在するものではない
人間がつくりだしたものだ
言葉もそうだ
そして自然に存在するものも
人間はそれぞれの事物や事象に言葉を与えて呼んでいる
まだ言葉を与えていない事物や事象もあるが
そのうちそれらにもいずれ言葉が与えられるだろう
なかなか言葉が与えられない事物や事象があるかもしれないが
おそらくそれらは未知なる事物や事象であろうが
存在が確認されれば
いずれそれらにも言葉が与えられるであろう
存在が確認されても
いつまでも言葉が与えられない事物や事象もあるかもしれないが
それらはいつまでも言葉が与えられないほうが文脈形成上
都合がいいときであろう
それについては別のところで考察することにする
ふだんの意識のなかでは
異なる個々の事物や事象に同じ言葉を与えて
文脈を形成し意味内容を捉えるのであるが
言葉を与えた対象について考えてみると
与えられた言葉を精神が認識したとたん
それは現実の事物や事象と異なるものとなるのである
もちろん言葉は個々の事物や事象と一対一で対応しているものではなくて
一対多または多対多のあくまでもシンボルや象徴としての対応をしているのであって
そうした言葉によって
言葉と事物や事象との関わり合い方によって
人間は精神活動をし、認識をしているのである
したがって人間の意識や精神は人間がつくりだしたものでできているのだとも言える
わたしたちがつくるもの
わたしたちから生まれたものが
またわたしたちをつくる
わたしたちを生むというわけである
導線に電流が流れると磁界が生じるように
何か概念想起のきっかけになるものがあると
ほとんどその瞬間に自我が生じるのではないだろうか
導線の向きが変われば磁界の向きも変わる
同じ導線でも流れる電流の多少で磁界の強さが変わる
これはいつもぼくがつまずくところだ
概念を想起させるものが外界からなんらかの情報の形で入ってきてから
概念を形成する自我が生じるのか
それらの概念を想起させる自我があらかじめ精神領域に存在していたのか
磁石の一方の極を鉄の針にこすり付けると
その針が磁力または磁気を帯びるが
このことは潜在自我の存在を示唆している
自我は概念と概念を結びつける働きをするものという
ヴァレリー的なモデルで考えている
おもに思考傾向をつかさどるものとして
ぼくは考えているのだが
より詳細な考察は The Wasteless Land.IIで書いたのだが
この延長上に
あの切腹について考えてみた
リゲル星では個人の罪という概念が
地球人のいうところのものと著しく異なっている
日本人のものというだけじゃない
これは二重の意味で著しく異なっているのである
第一に、リゲル星人のいうところの個人と
地球人の個人とでは意味内容が異なる
第二に、リゲル星人には
罪を個人のものとする習慣がないのである
リゲル星人は、責任を個人に帰することがないのである
なぜなら、彼もしくは彼女をつくるのが彼もしくは彼女本人だけではなくて
彼や彼女をとりまくさまざまな状況が彼や彼女をつくりだしたのであるから
責任を個人に帰することには合理性がない、という考え方である
これは一部の地球人には受け入れられる考え方であるが
日本やドイツやイタリアおよび第二次世界大戦後
日本やドイツやイタリアによって占領された多くの国々では
受け入れない考え方である、少なくとも法律的には
(コードウェイナー・スミスの『シェイヨルという名の星』に
個人が重い罪を犯した場合、その個人の記憶を消去して
ふたたび社会に復帰させるという制度が出てくる。)
舞姫・第一部―その6―のための覚書 その9
ぼくの『舞姫』の設定では
日本が第二次世界大戦で勝っているし
切腹の儀式も残っているし
三島由紀夫が憂いを感じる必要のない社会であるので
三島由紀夫は自殺せず
ノーベル文学賞を受賞しているという設定にするつもり
三島由紀夫を作品中の登場人物にするかどうかは
まだわからないけれど
登場人物として三島由紀夫を挿入するのは
それほど難しいことではないかもしれない
三島由紀夫の言葉を引用するさいに
三島由紀夫が生きていて
ノーベル賞を受賞したことに言及してもいいのだし
切腹といえば
やはり三島由紀夫の名前を出したい
それはやはり
ある時間の場所の出来事の反響だ
不活性な状態から活性化された状態への遷移
石庭の岩のひとつが星を夜空に吐き出した
すると、他の岩たちもつぎつぎと星を吐き出していった
夜空は、岩が吐き出した星たちでいっぱいになった
砂の波に月の光が反射してきらきら輝いている
岩端も月の光が反射して輝いている
すべてが調和した夜の石庭
誰ひとりの観察者の視線もない石庭
舞姫―その6―のための覚書 その10
夜空に突然巨大な手が現われて
星々を払いのけ
最後に月をむしりとると
真の暗闇が石庭に訪れる
リゲル星人は2種類の伝達手段を持っている
1つは近くにいる個体間で連絡し合うもの
もう1つはどんなに離れた個体間でも瞬時に連絡し合えるもの
主人公は自分の声を
舞姫の声にしている
舞姫の発するリゲル語を
こなれた日本語にする翻訳機械は
まだ開発されておらず
主人公の詩人の青年が耳にするのは
あくまでもリゲル語の直訳である
舞姫の声を自分の声で聞くこと
それは主人公の美学であり
母親が発狂する要因の1つともなっている
舞姫―その5―で
「お見事!」と声をかけるのを三島由紀夫にすればよい。
そのシーンでノーベル文学賞受賞作家の三島由紀夫のことを書くことができる
受賞作品は「豊穣の海」
舞姫・第一部は母親の発狂のシーンと
アメリカの過激派がリゲル星人を人質に
アメリカの独立を主張する事件が勃発し
そのニュースを主人公が知るところで終わる
舞姫・第一部―その6―のための覚書 その11
母親の発狂するときの言葉に追加
タクシーの騒動の鶏の胃の腸の肺の歓喜の音階の神秘の感触の一枚の溝の隠喩の霧の伸縮自在の追跡の恋歌の波紋の潅木の鳴子の象徴の人間の爆発の楔形文字の饗宴の旋律の木造のトマトケチャップの福音の隣人の頭蓋のマヨネーズの手術の霊感の悲劇の定期券の寝室の読み物のオーバーヒートの性的倒錯の頌歌の凸凹の司祭の蹄鉄の溺死の瞳の狼狽の非在の歓楽街の親指の精神安定剤の地雷の空集合の枯れ枝の跳躍の共鳴の消滅の象形文字の有刺鉄線の存在様式の境界の騙し合いの切符の跳躍の湿疹の手榴弾の田園交響曲の警察の驚愕の手紙の片隅の無人の胸部の思春期の急流の未遂の図書館の地平線の群集の無意識の自動皿洗い機の運動靴の周辺の臍の観覧車の憂いの銀紙のバス停の花壇の白旗のこめかみの頂点の吊革の吸い取り紙の懺悔の踏み越し段の籠の頬の妄想の
舞姫・第二部―その1―のための覚書
bees と wasps
wasp、は警察が放つスズメバチ型の監視カメラのこと
bee、はアメリカのテロ集団の用いるミツバチ型の情報収集カメラのこと
テロ組織がリゲル星人を捕らえる場所をどこにするか
テロ組織のメンバーの実行構成員を何人にするか
白人男性1人・白人女性1人・黒人男性1人・日本人男性1人の4人+α
その日本人の名前を「フクイ・エイジ」にすること
リゲル星人が人質になって、しばらくして、
リゲル星人の大使から日本政府に連絡が入る
大使による、リゲル星人には危害が加えられる可能性がまったくないことの説明
小人たちがリゲル星人の本体から離れると、その距離の二乗に反比例して
本体のこの世界の時空における存在する確率密度が減少するために
複数の可能世界の時空の扉が開き、
実質的にリゲル星人の本体は小人の身体とともに
不可侵の存在になるため(この世界での完全な現実存在ではなくなるということ)
このことを日本政府の首相・小泉純一郎に伝えてくる
小泉首相は、将軍をはじめ軍の主だったものたちとと宮内庁に緊急連絡し
即刻事態を収拾させるよう将軍に命じる
犯人の一人が小人を捕らえようとするが
手のなかに入ったと思った瞬間に、小人は手のなかをするりとくぐり抜け
手の甲から滑り降りる
小人はある一定の距離の範囲でリゲル星人とのあいだに距離を置いている
リゲル星人も、小人たちも、身体がすこし透けて見える
ダブル・ヴィジョンで見える
これらの事件を主人公がテレビを見て知るのだが
テレビを見て知るシーンを冒頭に持ってきて
前述の事柄をあとで書いていく方法をとると面白いかもしれない
また、何かの記念行事でテレビが入っている会場で
この事件が起こったことにするとよいかもしれない
第一部の切腹の会場がいいかもしれない
第一部で三島由紀夫が声を小人たちに声をかけて
会場が沸くが、そのあとすぐに事件が起こったほうがいいかもしれない
テロ組織の名前をアメリカ独立戦線ということにしようか
岩といえば、誰々の何々を思い出す
石といえば、誰々の何々を思い出す
砂といえば、誰々の何々を思い出す
岩といえば、何々を
石といえば、何々を
砂といえば、何々を
主人公の青年に
犯人たちが通訳をしろというのもいい
人質は舞姫だということにするとさらによいかも
舞姫・第二部―その2―のための覚書
事件が解決し
リゲル星人の正体についての論議が沸騰するなか
舞姫は一時、大使館に保護される
舞姫と一時的に別れた主人公の詩人が、葵公園で、
「田中宏輔」という青年と再会する
青年は詩人が死んだものと思っていた
霊魂図書館で、詩人の死体を捜したことを告げる
詩人がドクターからもらった薬を青年に手渡す
何度目かの精神融合のこころみ(「The Gates of Delirium。」と重複)
主人公の母親が発狂
母親の死
人葬所(ひとはふりど)で、母親の骨を見て、主人公が人生の無常について考察
舞姫が主人公の詩人のところに舞い戻る
舞姫に、リゲル星人の正体を詰問する主人公
黙する舞姫
舞姫・第二部―その3―のための覚書
葵公園で公家の青年が月の光のもとで
刀を振り回して舞を舞っている
真っ裸のパフォーマーが河川敷と道路のあいだを
繰り返し何度も往復する
公衆トイレのなかから人間犬が現われる
配管工の青年が「田中宏輔」に初体験を語っている
キッズたちがドクターを襲って薬を手に入れる
「田中宏輔」がドクターを水のなかから引き上げる
ドクターが脳障害を起こして薬について話をする
リゲル星人によってもたらされた薬であるらしいことを知る
公園のなかで凍結地雷によって何人もの被害者が出る
葵公園が特別な地域であったことがドクターによって教えられる
「田中宏輔」は、詩人が事情を知っていたのかどうか詩人に尋ねようと決心する
舞姫・第二部―その4―のための覚書
凍結した人間犬の死体がばらばらになって地面の上に落ちる
凍結したキッズの身体がばらばらになって地面の上に落ちる
凍結した裸のパフォーマーたちの身体がばらばらになって地面の上に落ちる
詩人が現われる
ドクターといっしょの「田中宏輔」と出会う
ドクターの意識が戻っている
警察が来る
ドクターが知っている限りの真相を、詩人と「田中宏輔」に話す
警察の尋問がそこかしこで繰り拡げられる
血まみれの肉片を見て詩人が石庭のヴィジョンを見る
ヴィジョンが、葵公園自体の持つ現実世界の扉を解放して
複数の可能世界の扉を開く
視点がゴーストとなる
ゴーストが複数の可能世界を現実世界の扉の入り口で結び合わせたりどいたりする
二つの月が空にかかっていて
詩人が「田中宏輔」とともに詩人の加茂川を流れてくる死体を見る
橋の上にいる別の可能世界の詩人が川を流れる詩人と
それを眺める詩人と「田中宏輔」を見る
空にかかる月が二つから三つになり
やがて、そのうちの一つが砕け散る
空が真昼のような明るさを放ったその瞬間に
千億の目が草むらのなかで目をさまし
千億の耳が樹木のあいだで耳を澄ます
やがて無数のゴーストとなった同一の魂は
千億の鼻をもって河川敷の空中を嗅ぎまわり
千億の皮膚をもってあらゆる生物の温もりを求めて
加茂川と河川敷と葵公園の上空をただよう
複数の可能世界の考えられる限り詩的で
不可思議な描写で小説を終えること
『舞姫』に使うエピグラフ その1
私の眼に初めて映ったとき、
彼女は歓びの幻であった。
瞬間を彩どるために送られた
愛らしき幻のよう。
彼女の眼は黄昏に輝やく美しき星のごとく
またその黒髪も黄昏のそれかとまごう。
されどそのほかの身につくすべては、
五月とうららかな暁よりもたらせるもの。
つけまとい、人を驚かし、待ち伏せする
躍る姿、陽気な像。
ワーズワース「彼女は歓びの幻」田部重治訳
更に近づいて見ると、
幻のようで、まことの女、
家庭の動作は軽くのびやか、
足取りは乙女にのみ与えられた自由さ。
過ぎし日の楽しき想い出と、
美しき未来の希望との入り交れる顔、
人の情の日々の糧として、
あまりに輝やかしくも、また、善すぎもせざるもの。
また、一時の悲しみ、単純なたくらみ、
賞讃、非難、愛、接吻、涙と微笑にもふさわしきもの。
ワーズワース「彼女は歓びの幻」田部重治訳
いま私は静かな眼で、
彼女のからだの鼓動を眺めると、
物思わしげな呼吸して
生より死への旅路を辿るもの。
変らぬ理性、慎み深い意慾、
忍耐、深慮、力、熟練を備え、
警告し、慰藉し、支配すべく、
気高くも神により作られし完き女、
されどなお一つの霊で、
天使の光明にも似て輝やかしい。
ワーズワース「彼女は歓びの幻」田部重治訳
上は、第一部の扉のつぎに
真ん中は、第二部の扉のつぎに
下は、第三部の扉のつぎに掲げるかな。
舞姫・第二部―その1―のための覚書 表現とレトリック
男がスイッチを入れると
彼らが運んできた箱の上部の蓋が開いて、
ミツバチ型ロボット・カメラが群がり出てきた
雲霞のごとく 観客たちのひとりひとりの身体にまとわりつく
無数のミツバチ型ロボット・カメラたち
ミツバチたちは螺旋を描きながら人間の身体のまわりを旋回すると
すばやく流れさる雲のように離れて、つぎの人間の身体にまとわりつく
そのミツバチたちは、ひとりひとりの人間たちの位置と特徴を記録している
さまざまな角度からの表情 人種的特徴 服装 など
それらの情報を巣のなかの機械に送信している
三島由紀夫は驚きつつも、
彼の敬愛する作家であるオスカー・ワイルドなどの言葉を
きっと思い出しているはずだ、と主人公の青年は思う
「詩人の才能よ、おまえは不断の遭遇の才能なのだ」
(ジイド『地の糧』第四の書・一、岡部正孝訳)
「あらゆる好ましいものとあらゆる嫌なものとを、次々に体験し」
(ヴァレリー『我がファウスト』第一幕・第一場、佐藤正彰訳)
「一つひとつ及びすべてを、一つの心的経験に変化させなければならない」
(ワイルド『獄中記』田部重治訳)
舞姫・第三部―その1―のための覚書(10通りの、その1)
第三部−その1−は、10通り書く
主人公の青年が惑星リゲルに向けてスペースシャトルに乗り込む場面を
10の文学作品のパスティーシュでつくる
10通りの出発の模様を描出する
1つはもちろん森鴎外の『舞姫』の冒頭のシーンのパスティーシュ
文体はもちろん
状況も10通りあることをわかるように書く
現実世界の扉が打ち砕かれ
可能世界の扉が開かれ
10の平行宇宙がある一点のみで交わってしまった状況を描くこと
第二部の最後のシーンのなかに
主人公がはじめて惑星リゲルに向かってシャトルに乗り込み
惑星リゲルに到着し
舞姫と出会った日のことを回想させるシーンを
細切れに入れておくこと
第三部の10のシチュエーションを
それと少しずつ変えておくこと
現実世界とは
1つの平行宇宙から見た場合 それ自身のこと
したがって、それ自身をのぞく、ほかの平行宇宙は
その平行宇宙から見ると、すべて可能世界ということになる
交わりは
予感という形
ふとよぎる前触れの感受という形を通して描くこと
それ以外に、平行宇宙の交わりは幻視を通してしか得られないので
幻視は第二部の最後で、幻視自体が現実を打ち砕く場面が出てくるので
第三部では、静かに「語る」こと
歓びの予感に打ち震える静けさを描出すること
舞姫・第二部および第三部の創作メモ
(詩論展開部分・時間論展開部分・自我論展開部分)
悲劇の言葉は喜劇の行動を生む
知識の総体というものがあるとすれば
それは時間が流れておりますあいだ増量していくと思うのですが
それらの知識の総体のあいだに、互いに結びつきあおうとする力が生じると
小生は考えておりまして、自らの意思で、その場を提供することのできる者が
知性体であり、その知性体の場と、場を提供する意思を
知性と呼ぶことができると思っております。
人間も知性を有していない段階では知性体ではないように思いますが
ふつうは、種族のある幅のある段階をもって、その種族のおおよその
概念規定をするでしょうから、人間を知性体と呼ぶときには
規定から外れる場合も考慮しないといけないと思いますが
厳密性を求めない作品では、これは無視されている状態であり
また、そうしておいて、だいたいのところは問題がないと思います。
知性のイデアなるものがあるとすれば、神でしょうか。
あるとき、テレビのニュース番組のなかで、
南アフリカ共和国のことだったと思うのですが、
黒人青年を、白人警官が警棒で殴打している様子が映し出されたのですが、
それを見て、その殴打されている黒人青年の経験も、
殴打している白人警官の経験も、
ひとしく神の経験ではないかと思ったのでした。
翌日、詩のサイトの掲示板に、この感想を書きまして、
さらに、
「神とは、あらゆる人間の経験を通して存在するものである。」
と、 付け加えたのですが、なぜこのようなことを思いついたのか、
よくよく振り返ってみますと、
汎神論というものについて、以前より興味がありまして、
ボードレールからポオ、スピノザ、マルクス・アウレーリウス、プロティノス、
プラトンにまで遡って読書したことが、筆者をして、
「神とは、あらゆる人間の経験を通して存在するものである。」
といった見解に至らしめたと思われます。
「神とは、あらゆる人間の経験を通して存在するものである。それゆえ、
どのような人間の、どのような経験も欠けてはならないのである。
ただ一人の人間の経験も欠けてはならないのである。
どのような経験であっても、けっしておろそかにしてはならないのである。」
知性体とは、知識が堆積し、それらが自ら結びつこうとする場のことで、
そのとき、さまざまな知識自体が互いに認識し合うのですが、
知性が高くなるということは
すなわち、知識が真の知識に近くなっていくことでもあるのですが、
さて、これを時間論と絡めて考えますと
推理や推論は、未来の知識ということになります。
知識自体が他の知識と結びつき、推理力・推論力となるわけです
神とは、過去・現在・未来の知識である。
リゲル星人は、少し先の未来の知識をもって、現在から少し先の可能世界に
またがって同時的に存在することができるのですが
人間は、たとえば、主人公の幻視のヴィジョンによって、
より先の可能世界にまたがって同時的に存在できるのですね。
まったく同じ状態の並行世界は存在するのか。
神への進化は、知性の進化である。
さまざまな可能世界の扉を開く→並行宇宙の同時的な存在(存在確率密度)
並行世界が同時的に存在→知性体は、
世界の存在する理由の媒体的役割を果たしている
世界は、現実世界と可能世界に同時的にまたがって存在している
並行宇宙の一つ一つに現実世界と無数の可能世界がある。
未来は可能世界の量子的な状態にある(存在確率密度)
リゲル星人は、世界が存在するための触媒の触媒にしか過ぎず、
真の触媒は人間である。
より詳しく言えば、真の触媒は、人間のヴィジョンである。
知性体は触媒になっている→場を与えている
主人公のヴィジョンのなかで、現実世界の扉が打ち砕かれ、
複数の可能世界の扉が開かれ、複数の並行宇宙が
ヴィジョンのなかで結びついて、その複数の並行宇宙にまたがって、
主人公がその結びついた並行宇宙のあいだを自由に居場所を変えられる。
さまざまな可能世界が、お互いに引きつけ合う。
その引きつけ合う場が、知性体のヴィジョンのなかにある。
リゲル星人が現実世界と可能世界の入り口近くに同時的に存在するとき、
不可侵の状態になっているのは、リゲル星人のなかでは現実世界と可能世界が
同時的に存在して、世界が引力によって結びついているあいだ
リゲル星人の外では斥力が働くため。
リゲル星人の体型は、ダルマ型。
シャトルで月にさえ行ければ、リゲル星人の宇宙船と施設があって、
その施設にある装置によって、限りなくゼロ時間に近いに時間に移動できる。
このことは、リゲル星人より発達した知性体の存在が示唆される。(ドクター)
「アメリカびいきの日本人がいるのだ、日本びいきのアメリカ人がいるようにね。」
宇宙人同形論者 右翼・左翼
思考のプロセスと存在のプロセスのアナロジックな関係
リゲル星人は現実世界と、現実可能性の高い未来のいくつかにまたがって
存在しているが、すぐに近い未来の可能世界であって、
並行宇宙を呼び寄せるほどではなく
地球の主人公は、リゲル星人よりも現実可能性の幅のひろい範囲に
わたってヴィジョンを見ることができる。
つまり、リゲル星人よりも先の未来にまたがって存在することができる
知性体であるということである。
(つまり、知識自体がより知識とより強く引きつけ合い、結び付き合うということ)
そのため、並行宇宙が、主人公のヴィジョンを場にしてによって結びつく。
言語主義といいますか、言語還元主義とでもいいますか
ぼく自体は、そういった立場にはないです。
『舞姫』の主人公が、あるいは、ドクターや、「田中宏輔」が
どのようなことを考えたことにするのかは
まだまだ流動的です。数年かけようと思っています。
存在するもののなかに精神や物質があり言語もあるので
概念規定によって存在に言及することはじつはできないと思っています。
よく比喩として述べるのですが
袋のなかにいて、袋の外から見ることはできないと。
したがって、ぼくが上に書いたことも
矛盾があって無理もあります。
「悲劇の言葉は喜劇の行動を生む」というのも
「書くことは悲劇であり喜劇である」と、自分では解釈しています。
まずは書くこと。
矛盾を恐れずに、というか、あえて、矛盾を呼び込もうとしています。
追記
ある人のつぶやきに対する、ぼくのコメント
つまらない人生というのは、
自分の人生を振り返ったとき、ぼくもよくそう思います。
じっさい、明日から新しい仕事探しです。
47歳ですけれど、いまだフリーターです。
先々週に勤め先の女性に
「田中さん、そんな暮らしで、自分が情けなくなってきいひんか?」と言われ、
ひとから見れば情けなく思える人生なのかと思いましたが、
しかし、文学といいますか、道楽の文芸に携わっている自分としては、
暮らしは みじめですが、生き方としてはそれほど悲観的ではありません。
つまらない人生と いうのは、
正直言って、自分でも自分の人生をそう思うことがよくありますが、
冷静に落ち着いて見れば、つまらない人生ではないと思っていますし、
ほかの ひとの人生を見るときに、
つまらない人生かどうかの判断は、ぼくにはできないのですが、
少なくとも生きているというだけでも、かなりすごいことだと思っているので、
つまらない人生はないと思っています。
言い方を変えますと、生きている意義のない人生はひとつもないと思っています。なにげない日常のことがらの一つ一つが
かけがいのない異議を持っているのだと思っています。
まあ、ほんとうのことを言えば、
日常生活では、そんなこと忘れてしまって、ないがしろにすることが多いのですが。
笑。
神はマゾでもありますし、サドでもあるのでしょう。
神はあらゆるものであるのでしょう。
人間があらゆるものになりうるならば。
むかし、こんなことを考えたことがあります。
さまざまなものが、人間に見られたり触れられたり知られたりすることで、
人間の魂が付与されるんじゃないかと。
と、同時に、
そのさまざまなものが人間の魂をより豊かなものにするのではないか、と。
万物が神である、という汎神論に、強く惹かれますが、
どうしても、神というとき、人間中心に見てしまいます。
どうしても、神概念が人間とは切り離して考えられないのです。
善のイデアは神である、というのはカントでしたでしょうか。
知性のイデアが神であるというのは、
それをヒントにして考えたのですが、
もちろん、すでに誰かが考え述べていることかもしれません。
ギリシアの愛の言葉の定義の一つに知への愛と言うのがあったと思うのですが、
ぼくは知性の定義の一つに愛があるような気がしています。
ほんとうに知性的な人って、愛の目をもってさまざまなものを
見ることができるような気がするのです。
ボードレールが自分の日記に、つぎのようなことを3、4度書いております。
「ロペスピエールはつぎのようなことを述べている。
このことをもって、ロペスピエールは十分に尊敬に値する。
彼は、こういった。
わたしは人を見るとき、愛情をもって見ることのほか、何もできないのである。」と。
ボードレールが書いたロペスピエールの言葉は、
たびたび、ぼくのこころに刺さります。
とりわけ、仕事場で、とてもいやな思いをしたときに、
ああ、人って、こんなに醜い面があるのだなと思ったときに。
しかし、その醜いと思われる面を見せているその人にも事情があって、
そんな面を見せているのだなと思うと、納得できることも多々あります。
おとついなど、ある人にミクシィの日記に、昨年の暮れに上梓した拙詩集について、「得るところのないもの」ですとか、「凡庸な病者が書いたものである」ですとか、「ナルシズムに満ちている」みたいなことを書かれてへこんでいたのですが、
そういう意見もありなのだと、そういうふうに判断されるぐらいに、
その人は、きっとたくさんのいいものを目にしてきたのであろうから、
そういう人に、目を通してもらえたことを光栄に思って喜ぶべきであると、
きのう思い至りました。
人生にはさまざまな面があり、そのさまざまな面に人生があるのでしょうから、
やはり、どの瞬間も、一つ一つ、大事なものなのでしょうね。
そう認識していても、つい、忘れてしまうのですが、笑。
『舞姫』で使用するセリフ・メモ
遠隔共感能(テレ・エンパシー)
hives 蜂の巣箱
彼女は、ぼくが口に出して言ってもいない言葉に返事をした。
言葉が、
その言葉が属している言語の文法規則にそって使用されていないときにでも
その言葉は、「何々語」であると言えるのだろうか。
日本語の単語が用いられていても、日本語文法に則っていなければ
その日本語の単語で書かれた言葉は、日本語ではないのではないだろうか。
では、翻訳機械を通したリゲル星人の発するこの言葉は、日本語なのだろうか。
書くことで、その言葉が言及している(であろう)事柄から逸脱する。
それは、彼のこころに反していただけではなく、そのときのぼくには
わからなかったのだけれど、ぼく自身のこころにも反していたのだった。
この夜の出来事が、これからのぼくの思考のすべてを支配するものになるとは
思いもしなかった。
そのよろこびや悲しみは、ぼくのこころがつくりだしたものなのだから
ぼくがそのよろこびや悲しみなどなかったことにすればいいだけじゃないのかな。
起きるであろうことではなくて、起こらなかったことまで知ることができるのだ。
言葉ではない、ほかの何ものかが、こころのなかで、互いに尋ね合い、
答え合っているということがあるのだ。(結びつくということ)
視線が、互いに探り合っていたのだった。
さまざまな結びつき方があるのだ。
藪のなかに潜んでいる何かが動き出そうとしているのではなかった。
藪そのものが動き出そうとしていたのだった。
場所ではないが、場所としかいいようのないものであった。
それ自らが媒体であり、また媒体によって繋ぎ合わされたものなのである。
しっかり目を開けているからといって、ちゃんと見えているかどうかはわからない。
それは、単に、言葉で編まれた世界にしか過ぎない。世界そのものではない。
すべてのものの目として目覚めるゴースト
あらゆる可能世界が現実世界になろうとしているのだ、
あらゆる瞬間が永遠になろうとするように。
だれが自我などに云々するだろうか。あるかどうかもわからないようなものに。
それもまた、ぼくのけっして理解できないものの一つであるように思われた。
それがそのときの気持ちだった。少なくともそのときの気持ちの一部だった。
どちらがそのときの気持ちだったのだろう。
もしかしたら、どちらもほんとうの気持ちではなかったのかもしれない。
音には映像を膨らませる力があった。
そのとき表現されたものは、すべて虚しい一吹きの風にしか過ぎなかった。
表現されなかったもののなかにこそ実体があり内実が伴っていたに違いない。
他者が存在するので、自分自身をそこに映し出して見ることができるのだ。
あなたの詩はリズムによって理性が崩壊するところがよい。
わたしは彼に魅力を感じていた。悪いことに、そのことを強く意識してもいた。
細かく砕けた自我が降りそそぐ。
リゲル星人の第一触手に這い登る蟻は
石庭の見えないところに存在するものがあることを示唆している。
それは、自分が何を見たのか、何を知りたかったのかを
はっきりと教えてくれるものであった。
それは、全く眼に新しい光景、感覚なのに、
なぜかしら、よく知っている、なじみのある感じを起こさせるものであった。
さまざまなものが同じものに見えるのだ、
違った時間が、違った場所が、違った出来事が。
ふらふらとさまよう魂のように
思考は思考対象を必要とする。何かきっかけとなる言葉や事柄があるということだ。
しかし、それは、思考を制限するものではなかった。
むしろ、思考をさまざまな方へと自由に飛翔させる原因となるものであった。
それは虚しかった。虚しいということがわかっているからこそ、よけいに。
「すべてがノイズになる。」と書いていたのは、
ジョン・スラディックであったろうか。
そいつは、ぼくがどこにいるのかを、ぼくに教えてくれていたのだった。
なぜ、ぼくの顔はこわばっているのだろう。
なぜ、ぼくの顔の筋肉はしきりにこまかく引き攣り震えているのだろうか。
真実でないものは、すべて虚偽なのであろうか。
ぼくのこころが、これらの風景をつくりだしたに違いない。
これはただの光ではない、魂をもつものの光なのだ。
その言葉は、ほんとうのものらしくはなかったけれど、ぼくのこころを喜ばせた。
無意識のうちに、まだ何もはじまってもいないのに
それは、ぼくに愛の営みを思い浮かばせていた。
言葉では表されないもの、言葉と言葉をつなぐもの、文法というのか
ごと語をつないでいるものが、そこに身をかがめてじっと待機しているのだ
その言葉は、たちまち情景のなかに吸収されてしまった。
人影は数多くの感嘆符となって、あちらこちらに立っていた。
小林ジュンちゃんのことが思い出される。
1989年8月号の『詩とメルヘン』かな。
そのときの編集者の名前が小林潤子さんといって、
そのひとの判子が、送られてきた雑誌の後ろに押されていたのだった。
彼のひざの上の手の動きに戻ろう。彼のひざの上の手の動きに目を戻そう。
倫理的な人間は、つねに神に監視されている。
それは相手に警戒心を呼び起こすような微笑みだった。
つぎつぎと無数の映像を吐き出していった。
目がしばたたくと、意識もしばたたいた。
ああ、それがただの比喩であったらよかったのだけれど。
彼は違っていた。ぼくの知っているいかなる世界とも異なっていた。
こころのなかで、ぼくじゃないぼくが、獣のように打ち震えていた。
天国と地獄ははじめから存在していたのかもしれないが
もしかしたら、人間は、より多くの地獄をつくりだしたんじゃないかな。
声は文字よりも現実的であり、文字は声より幻想性が強い。
これは、身体が概念よりも現実的であるからだろうか。
そこには、新しい連結がたくさんあったのだった。
どうして、いつも悲しみをもって見つめてしまうのだろうか。
比較する対象がたくさんあると、現実感が増していく。
ぼくたちは言葉で語るのをやめた。
それは、はじめて見る表情だった。
それは、ある精神状態にあるときにのみあらわれるものなのだった。
はっきりと目に見えなかったが、人の形をしているのは感じ取れた。
知らず知らずのうちに、互いに魂を混じり合わせていたのであった。
過去でもあり現在でもあり未来でもある時間が、場所が、出来事が
わたしのもとに訪れた。
あらゆるものが闇のなかに潜んでいた。
象徴と象徴が重なった。
それでも、それは人生においてもっとも幸福な瞬間の一つだった。
もっとも、そんなにたくさんあったわけではなかったけれど、
ひとのつねで、見栄を張って、ワン・オブ・ゼムと書いてしまうのだ。
すぐに愛を感じ取れないからといって、
いつまでも感じ取れないということはないであろう。
すぐにわからないからといって、
いつまでもわからないというわけではないように。
私は、自分のこの気持ちを、感情を、落ち着いて、違う角度から眺めて
解釈することができるだろうか。
いや、やらねばならない、自分のために。
問うのは答えを得るためであろうか。
問いかけから新たな問いかけをするのが、真の詩人の務めではなかろうか。
問いかけの輪郭を明確にすると、問いかけ自体が異なった意味をもつことがある。
ぼくは憎んでいた。
彼がけっしてぼくのものにならないことを知っていたからである。
ぼくのものになるのは、ぼくのつくりだした彼のイメージであって、
それはもしかしたら、
彼自身がつくりだした彼の魂の一部分を含むものかもしれないが、
しかし、彼のイメージの大部分は、ぼくがつくりだしたものであり
そのイメージが
来たるべき現実の彼の姿とは似ても似つかぬものになるであろうことを
ぼくが知っていたからである。
どの欲情の記憶も数え上げるのがそれほど困難ではない数の記憶に集約される。
それに加えられるものは、ごくわずか、直近のものだけだ。
生きているあいだに、知ることのできるものより、知ることのできないもののほうが多く
目の前を通り過ぎていってしまうのではないだろうか。
知ることのできないもの、それが何であるかということさえ知ることのできないものなのだ。
思考対象がなければ自我は働かない。
自我を思考傾向のようなものとして捉えれば、
思考対象がないときには、自我が形成されないということだ。
それとも、思考対象がなくても、思考傾向だけがあるということもあるのだろうか。
「自我の存在」=「わたしの存在」ではないが
思考傾向を書いた「わたし」は「わたし」ではないように思われる。
過去・現在・未来のヴィジョンがバブルとなって
ぷつぷつとまじわっていく。
身体をバブルが包み込む。
どんなにそれがすばらしい作品であっても、それだけでは意味がない。
それが人の目に触れる場所に発表され、人の目にとまる機会を持たなければ。
そうした状態に置かれてはじめて、作品に意味があることになる。
そうした状態に置かれてはじめて、作品は人のこころにまで届くものとなり、
人の魂の領土を拡げ、人のこころを生き生きとしたものにすることができる。
できるのである。
「余白」には、何もないわけではない。言葉と言葉が作用し合っているときに、
「余白」はその作用に影響を及ぼす場所となっているのである。
あたかも、空間の距離が、物質と物質のあいだに働く
引力というものに密接に関係しているかのように。
舞姫・第二部 主人公の母親が発狂する要因となる舞姫の言葉の一部
劇場の陶器の奴隷の囀りの膨張の波動の唸りの洟水の背鰭の軋りの偶然の朝市の被写体の動揺の威厳の木っ端微塵の藪睨みの反復の審問の実体の瞼の突起物の語彙のこおろぎの微熱の絨毯の鼻梁の契約の気配の吟味の喪服の目配せの持ち前の雨音の滑走の武装解除の欄干の義足の上辺の胎動の瀕死の橋梁の指令の血筋の刹那の痙攣の沸点の波間の花びらの権利の水圧機の衝動の触角のエレベーターの符牒の生簀の眩暈の養子の鍾乳洞の数年前の例外の浴室の蛹の駐車場の破片の台風の動機の水槽の容貌の承認の純粋の迷走の虐待の美徳の跳躍の旋律の使徒の足蹴りのなだれの帽子の眩しさの犠牲者の観念論の悔恨の擦れ違いの城壁の封印の漣の尾鰭の輪郭の盲人の狼藉の趣味の国家の行列の神経の迷走の起源の解毒剤の穿孔器の元老院の深層心理の遠心分離機の紙くずの摘み手のひと刷毛の滑稽の満足感の化粧のピーナツバターの自学自習の生まれ育ちの執刀医の瞑想の血管の謝罪の難点の相殺の花盛りの孵化の把手の留置場の小枝の虹彩の心無しの面影の量子ジャンプの軌道追跡装置の永劫の揮発性の移植の化石の返信の新陳代謝の斥力の割増料金の一瞥の孤島の昏睡状態の拒絶の意思疎通の略奪の新聞紙の弛緩の興奮の先祖の液体酸素の空腹の引力の映写機の緊張の王さまの兆候の激痛の湖岸の人形の難点の不機嫌の習わしの多幸症の瞬きの処方箋の暗黙の減圧室の妥協の茫然自失の物真似の長時間の告白の岸辺の意識の汚染の取り違えの真実の屈辱の芥子の静寂の袋小路の伝染病の微笑の訂正のガラガラのグリグリのバリバリの前歴の水流の偽りのアルマジロの段々畑の糸巻きの憎悪の残量の動作の咽喉の胚芽の悲哀の範囲の潜水艦の闘技場の試験結婚の饒舌の回収の両眼の縫合の禿げ頭の交信の大気圏突入の円環体の蜃気楼の胎児の壁紙の軌道の妊娠の避難の礼儀の汚染の鰐の催眠術の継ぎ目の急降下の輪転機の蜜蜂の大津波の胞子の渓谷の雷電の擬態の翻訳の慈善家の熱風の水蒸気の蝶の消化不良の象の幽霊の結び目の放浪の隊列の嫉妬の抱擁の泥炭質のまがいものの便箋の日没の狩猟場の音楽室の地すべりの電位差の巻き毛の官吏の凝結の鯨の剥製の宇宙飛行士の絶滅の理解の落下の殺戮の交換台の精神改造の戦さ化粧の徘徊の悩みの宇宙人同形論者の基盤の異種族嫌悪症の構造の大股のないがしろの塊の否定の状況の遮断の崇拝の間違いの鉄くずの水牛のスキャンダルの脊髄液の霊魂の繊維のひき蛙の陳列の宿命の費用の輻射熱の横笛の腐敗の還付の突然変異の反動の不意打ちの頭文字の輸出入の塒の呪いの錯覚の鸚鵡の所要時間の合唱の正体の檻の足元の思案の貧困の呟きの鉱山の傍観の砂漠の踊りの爬虫類の演説の凝視の折柄の初耳の彫刻家の爆破
舞姫・設定変更その他の若干のメモ
設定変更:翻訳機を通しての翻訳は考えないこと
リゲル星人との会話はすべて精神融合によるものとする
月の裏側で、リゲル星人の宇宙船と移動装置と薬の発見
リゲル星人の姿は見られず、半年後に姿を現わす
リゲル星人が姿を現わすまで、薬の効果について
地球人側は、動物実験と人間を使った実験をしている
薬は同種族の間では精神融合を即時的にもたらせる
異種族の間ではかなりの時間をとるうえに
不完全な相互理解に陥ってしまうことがわかる
意味の伝達が異種族の間では不完全であるが
知的であればあるほど、想像力がそのギャップを
埋めるはずで、結局のところ、知的生物は相互に
ヴィジョンを形成し、感情を付与し、さらに
それに名辞を与えることにより、言語化して
自身の脳に記憶させ、それを参照材料として
リゲル星人と地球人は意思疎通をはかることができる
似た経験を通しての相互理解が不可能なことから
最初に意思の疎通をはかる段階で
人間もリゲル星人も、一週間ほどの昏睡状態に陥る
記憶がバブルになるというところは、リゲル星人と
精神融合してからずっと起こる事柄にしておく
薬によって、すべての人間に感応能力がもたらされる
わけではない。また、薬を何度も使っているうちに
精神感応力が自然について、そのうち、薬が不要になる
ただし、薬によってテレパスになるのは一部の人間だけ
そのほかの人間は、ドラッグのような幻覚作用が伴うのみ
ドクターを襲うキッズたちは、この類
言語の成り立ちが、ヴィジョンの形成と感情の付与と
意味概念の定義づけとどう関わっているか
それをリゲル星人と、人間という
まったく異なった経験を有する知的生物の間での
精神融合という、むちゃな設定において、どう生かすか
主人公の詩人が、葵公園で出会った「田中宏輔」の話を聞いて
「田中宏輔」に薬を渡して、精神融合する気になった理由:
四条河原町のジャズ喫茶のビッグボーイでのコーヒーカップを
振り上げて友人の頭に振り下ろすヴィジョンを見ながら、同時に
友人の退屈な話を聞いているという「田中宏輔」の二重ヴィジョンと
二重意識の存在に興味を持ったため。
「田中宏輔」は、同志社国際高校の数学科の非常勤講師であったが
ある日、勤め帰りに、近鉄電車のなかで、帰りに寄る予定であった
イタリア会館の前の道路の様子を二重ヴィジョンで見る
(これ、実話なんだよね。20代のときの。詩のなかで、ダンテの
『神曲』の一節を原文で引用するため、原著をコピーさせてもらう
約束をしていて、それでね。イタリア会館のそばに、ミッドナイト・カフェって
いって、京大の寮の一つを土曜の夜にカフェにして、ゲイやレズや
ストレートのインテリたち(笑)なんかが集まって意見交換などしてたんだけど、
いまもあるのかなあ、何回か行った。そこで見かけたきこりの青年が
めっちゃカッコよかったなあ。)のだが、このことも文章に書くこと
そういった素質があることを、詩人が直感的にも感じ取っており
そういう理由で、「田中宏輔」と接触していたのである
「田中宏輔」のドッペルゲンガーの話も書き込むこと
(これまた、実話なんだよね。だから、見たときのまんま書けるね)
薬の効能:精神感応力を増加させ、ヴィジョンに感情を付与させ
意味概念の形成と、その固定を容易にさせる
真の暗闇は見ることができない
岩たちが本来自分たちがいるべき場所を思い出して、石庭に戻っていった。
現実離れしたことをも思考するこの詩人というものは、
人生についてつねに現実を傍観するという立場に自分を置いているからこそ、
現実というものの全体を把握することができるのではないだろうか。
ぼくはいま鳥なのか、鳥が足で壊していく水面に映った月の光なのか
ある程度のテレパシー能力があるということも一因ではあるが
詩人は、生まれつき、他人がどう感じているのか、どう考えているのか
それを、その他人が使う言葉とその言葉を発したときの表情に加えて
より状況に適した言葉を補い、
ときには、その言葉の順番を入れ換えたりしながら
推測する人間であった。
自分の気持ちを分析するよりもずっと容易に他人の気持ちを推測することができた
これが、詩人がリゲル星人の通訳になった理由の一つである
翻訳機械を通じての翻訳をやめて、テレパシーによる意味概念の言語という
なんともわけのわからない雰囲気のものではあるが(まだ書いてないし、
どうなるか、未定だけど、でも)おそらくは、言語獲得過程について
かなり掘り下げた考察ができると思う
詩人は、加茂川の河川敷を歩いているときにUFОを見るが
それほど驚かなかったエピソードを入れること(これ、実話なんだよね)
もちろん、リゲル星人の円盤なのだけれど、笑。
二重ヴィジョンと二重思考の違いについて考察すること
二重ヴィジョン≠二重思考
むかし、こんなことを考えたことがあります。
さまざまなものが、人間に見られたり
触れられたり知られたりすることで、人間の魂が付与されるんじゃないかと。と、
同時に、そのさまざまなものが人間の魂をより豊かなものにするのではないかと。
万物が神である、という汎神論に、強く惹かれますが、どうしても、神というとき、
人間中心に見てしまいます。
どうしても、神概念が人間とは切り離して考えられないのです。
で、概念形成という場面で、ぼくは dio に発表した「多層ベン図」の考え方を
いまだにしているのですが、『舞姫』でも、この多層ベン図を下敷きにして
概念形成モデルを提出できれば、と考えています。
空集合面を最下層の面にして、それが万能細胞のごとく、変化し
実集合面を形成していくというモデルですね。
これは上記の「魂の与え合い」による世界の拡大とも関連してきます。
赤ん坊がタブラ・ラサであるという見解を、ぼくは持っているのですが
その下地に、魂の空集合面が存在しているではないか、ということですが
それはタブラ・ラサではないと、先日、哲学科の先生に言われたのですが
その先生の意見は無視します、笑。
舞姫・第二部 主人公の母親が発狂する要因となる舞姫の言葉の一部
(追加分)
密告者の護符の政府承認のエクトプラズムの内証の寄木細工の検査官の逮捕のスパイ行為のサボタージュの政治的偏向の告発の拷問の刑罰の電極の首吊り縄の因果律の代謝作用の服従の手術室の潜在的同性愛者の勲章の去勢の堕落の座薬の愚連隊の緊急の抑揚の接触の勃起の放棄の激怒の原爆の踏み板の有刺鉄線の証明書の隔離状態の売春宿の特権階級の代謝作用の遺伝性機能障害の興奮の摩滅の異星人情報局
バロウズの『裸のランチ』から取り出した言葉だけれど
これをこの間、書いたものに混ぜると
鳥の散水機の電気技師の植木鉢のネクタイピンの微笑みのエスカレーターの瞑想の溜まり水の肘掛け椅子の小鳥の映画館の薬莢の古新聞の電信柱の蜜蜂の肘掛け椅子のビニールの牛の藁屑の理髪店の新幹線のレモンの俯瞰の花粉の電気椅子の首吊り台の雲のいまここのいつかどこかのかつてそこの自我の密告者の麦畑の船舶のカンガルーのエクトプラズムのハンカチの襞の寄木細工の草の内証の等級の新約聖書の自明の連続のオフィーリアの多弁の乾電池の朝食の時計のトランプの絆創膏の護符のバインダー・ノートの孔子の老子の荘子の政府承認の散文の韻文の抑揚の踏み板の首吊り縄の勲章の衣装のルーズ・リーフのコンセントの歌留多の帽子の絵空事の逮捕の証明書の勃起の遺伝性機能障害の検査官の杜甫の陶淵明の去勢の描写の退屈のスパイ行為の旧約聖書の情念のサボタージュの堕落の壁の政治的偏向の因果律の表現のタイルのタオルの葱の小松菜の逐電の代謝作用のレコードのハミガキチューブの古典の技巧の細胞の組織の飛び領土の直線の亡霊の故郷の世界のコーランの原始仏典のチャートの汗の株式相場の計算用紙の意味の構造の漢字の経験の翻訳の瞬間の全体の官能の食料品店の心臓病の収集の薬玉の土曜日の寝台の手袋の顔の曲がり角の森羅万象の金魚の石榴の自転車の蝙蝠の幸福の鉄亜鈴の約束の珊瑚の嵐のつぐみの左手の教理問答の彫像のゼニ苔のウミガメの無関心の修練の献血の飛行機のつぼみの砂肝の道標の犯罪者の群青の異端者の刑罰の電極のチョコレートの意識の知覚の因果関係の非能率の膝頭の壺の光の風景の事物の言葉の音の葉脈の噴水の羽毛の噴水の間違いの存続の鼓動の樹冠の犬の亀裂の娯楽の技法の臨界の砂浜の蚊柱の鍵束の呼吸の神話の紙やすりの座薬の継母の自然の服従の奢侈の経路の埃の食虫植物のヨットレースの舌打ちの撫子の洗面台の受話器の因果律の告発の周期の背中の万葉集の釘抜きの微笑みの悲しみの平仮名の山脈の軍需工場の贓物占いのスパンコールの麻痺の渦巻きの赤錆の手術室のハンバート・ハンバートの考察のジュリアン・ソレルのスポーツ観戦のドン・ジョバンニの俳句の勢子のDNAの砂糖菓子の証言の肉体のコマの胡麻の素朴の軋轢の潜在的同性愛者の有刺鉄線の単位の美の事情の技術の不穏の明晰のヒキガエルの知識の木炭の発音の魂の売春宿の特権階級の太平記の嘘の真実の異議の働きの輸入品の人生の隔離状態の接触の摩滅の物語の現実の井戸の存在の舞踏家の無為の沈黙の殖産興業の小太鼓の原爆の違反者の抑揚のカインの営みのアベルの形容詞の通年の活版印刷のミンチカツ・ハンバーガーの猿の微振動の猫の霞の圧迫の雨の回転運動のマルガレーテの対称移動のジュリエットの杖のハムレットの翼のリア王のショッピングモールの芭蕉のファウストのアーサー王の神のコーヒーのクーラーの破局の悶えのカメラの糊のポールのジョンのジョージのリンゴの黒人の白人の哲学の季節の偏見の創造の黄色人種の骸骨のピンクの仮定の青の紫の向日葵のニガヨモギの裸電球の暁のクエン酸の馬頭星雲の薄暮の朝日の真夜中の正午の文庫本の図鑑の辞書の感情のボール箱の物証の治療のダイダロスの歯ブラシの比喩のエンジンのタオルの事典の韻律の休暇の雑誌の孤独の叫びの螺旋の出来物の表面の剃刀の括約筋の潰瘍の内部の露台の鱗の声のモザイクの交接の繊毛の接触の屏風の喉の階段のイメージの現実の波の肉体の焦点の麻薬の足音の旋回の儀式の背骨のゲップの名残のジャイロスコープの出産の弾丸の迷信の拷問の凧の深淵の堕落の緊急の排泄の漆黒の禿の勝利の偏光のクラゲの恥辱の放棄の愚連隊の弾丸の象牙の皮膚の響きの切り株の人混みの廃墟の高木の茂みの鈴の模様の繁殖の移植の抱擁の恍惚の布地の汚染の睦言の大衆の蔓の火打ち石の海鳴りの緊張の気泡の道の根の演技の橇の憂鬱の記録の噴水の壁掛けの緊張の眉毛の習慣の屈折の桟橋の平面の棍棒の瘡蓋の乳房の眉毛の真珠の刷毛の挨拶の信頼の解説の休息の襲撃の陰毛の物語の誤解の躊躇いの雑草の炎の物腰の強さの弱さの根の結晶の魂の寄生虫の万華鏡の曖昧の覇者のタクシーの騒動の鶏の胃の腸の肺の歓喜の音階の神秘の感触の一枚の溝の隠喩の霧の伸縮自在の追跡の恋歌の波紋の潅木の鳴子の象徴の人間の爆発の楔形文字の饗宴の旋律の木造のトマトケチャップの福音の隣人の頭蓋のマヨネーズの手術の霊感の悲劇の定期券の寝室の読み物のオーバーヒートの性的倒錯の頌歌の凸凹の司祭の蹄鉄の溺死の瞳の狼狽の非在の歓楽街の親指の精神安定剤の地雷の空集合の枯れ枝の跳躍の共鳴の消滅の象形文字の有刺鉄線の存在様式の境界の騙し合いの切符の跳躍の湿疹の手榴弾の田園交響曲の警察の驚愕の手紙の片隅の無人の胸部の思春期の急流の未遂の図書館の地平線の群集の無意識の自動皿洗い機の運動靴の周辺の臍の観覧車の憂いの銀紙のバス停の花壇の白旗のこめかみの頂点の吊革の吸い取り紙の懺悔の踏み越し段の籠の頬の妄想の劇場の陶器の奴隷の囀りの膨張の波動の唸りの洟水の背鰭の軋りの偶然の朝市の被写体の動揺の威厳の木っ端微塵の藪睨みの反復の審問の実体の瞼の突起物の語彙のこおろぎの微熱の絨毯の鼻梁の契約の気配の吟味の喪服の目配せの持ち前の雨音の滑走の武装解除の欄干の義足の上辺の胎動の瀕死の橋梁の指令の血筋の刹那の痙攣の沸点の波間の花びらの権利の水圧機の衝動の触角のエレベーターの符牒の生簀の眩暈の養子の鍾乳洞の数年前の例外の浴室の蛹の駐車場の破片の台風の動機の水槽の容貌の承認の純粋の迷走の虐待の美徳の跳躍の旋律の使徒の足蹴りのなだれの帽子の眩しさの犠牲者の観念論の悔恨の擦れ違いの城壁の封印の漣の尾鰭の輪郭の盲人の狼藉の趣味の国家の行列の神経の迷走の起源の解毒剤の穿孔器の元老院の深層心理の遠心分離機の異星人情報局の紙くずの摘み手のひと刷毛の滑稽の満足感の化粧のピーナツバターの自学自習の生まれ育ちの執刀医の瞑想の血管の謝罪の難点の相殺の花盛りの孵化の把手の留置場の小枝の虹彩の心無しの面影の量子ジャンプの軌道追跡装置の永劫の揮発性の移植の化石の返信の新陳代謝の斥力の割増料金の一瞥の孤島の昏睡状態の拒絶の意思疎通の略奪の新聞紙の弛緩の興奮の先祖の液体酸素の空腹の引力の映写機の緊張の王さまの兆候の激痛の湖岸の人形の難点の不機嫌の習わしの多幸症の瞬きの処方箋の暗黙の減圧室の妥協の茫然自失の物真似の長時間の告白の岸辺の意識の汚染の取り違えの真実の屈辱の芥子の静寂の袋小路の伝染病の微笑の訂正のガラガラのグリグリのバリバリの前歴の水流の偽りのアルマジロの段々畑の糸巻きの憎悪の残量の動作の咽喉の胚芽の悲哀の範囲の潜水艦の闘技場の試験結婚の饒舌の回収の両眼の縫合の禿げ頭の交信の大気圏突入の円環体の蜃気楼の胎児の壁紙の軌道の妊娠の避難の礼儀の汚染の鰐の催眠術の継ぎ目の急降下の輪転機の蜜蜂の大津波の胞子の渓谷の雷電の擬態の翻訳の慈善家の熱風の水蒸気の蝶の消化不良の象の幽霊の結び目の放浪の隊列の嫉妬の抱擁の泥炭質のまがいものの便箋の日没の狩猟場の音楽室の地すべりの電位差の巻き毛の官吏の凝結の鯨の剥製の宇宙飛行士の絶滅の理解の落下の殺戮の交換台の精神改造の戦さ化粧の徘徊の悩みの宇宙人同形論者の基盤の異種族嫌悪症の構造の大股のないがしろの塊の否定の状況の遮断の崇拝の間違いの鉄くずの水牛のスキャンダルの脊髄液の霊魂の繊維のひき蛙の陳列の宿命の費用の輻射熱の横笛の腐敗の還付の突然変異の反動の不意打ちの頭文字の輸出入の塒の呪いの錯覚の鸚鵡の所要時間の合唱の正体の檻の足元の思案の貧困の呟きの鉱山の傍観の砂漠の踊りの爬虫類の演説の凝視の折柄の初耳の彫刻家の爆破
人柱法
公共施設は、百人収容単位につき一人の人柱を必要とする。
千人を超える公共施設に関しては、二百人収容単位につき一人の人柱を必要とする。
人柱には死刑囚をあてること。
准公共施設については無脳化した手術用クローンをあてること。
人数に関しては公共施設の場合を適用する。
一般家屋ではホムンクルス一体でよい。
霊魂図書館
詩人は生きている死体が収容されている霊魂図書館に行き
死んだ父親に、自殺した母親のことを報告する。
母親が発狂した原因が母親もまたテレパスであって
詩人がリゲル星人と共感応したために
詩人がもはや自分の息子でもなく
人間でもなくなっていることに
ショックを受けていたことを
死んだ父親に教えられる。
精神感応する際に
ある程度の同一化が必要で
その過程で、人間ではない精神領域を
詩人が有してしまったために
母親がとてつもないショックを受けていた
ということ。
もちろん、『舞姫』における「霊魂図書館」は『図書館の掟』の設定である。
死んだ父親は、息子である詩人の接吻で目覚める。
トワイライトアテンダント
がっちりと握りしめた飛行機で、
オトモダチをひっぱたきまくってたユーくんが、
来月、ケーちゃんと結婚するらしい。
塩化ビニル製の窓の塗装は
いつごろかすれたのか、
誰一人として
顔を覗かせることなんて
なかったんだけれど、
ぜったいに、
墜落しなかった。
当時、
等しくやわらかだった
はずのてのひらを、
こうして目の前の陽にかざしてみると、
都合よく飛行機曇が、
まあ、走っているわけもなく
どこだかわからん方向で、
クソみたいなヘリが、
バリバリとそらを引き裂いていた。
ケーちゃんと俺は、
学生のころの一時期付き合ってたんたけど。
だからなんだってのか
「あのころ」がキリなく、
坂を転がっていく。
のを、
目で追っている。
そして、
バイトで乗りまわしていたジャイロエックスが、
めのまえを都合よく、
なんて、
やっぱ走り抜けてはいかないんだけれど、
こんど同窓会で会うとき、
人妻にアップデートされたケーちゃんと、
わんちゃんあったりしないかな。
仕事帰りに、
むかし好きだった
ナイススティックとかいう
ふざけた名前の菓子パンを買った。
すげー長くて、
すげー甘くて、
相応にカロリーがやばい
バカみたいなパンだ。
そういやユーくん
こいつを袋のまま構えて、
野球のマネごとをしていたな。
あいつバカだったから。
フルスイングして、
袋んなかでクリームぶっちゃかして
コンドームみたいじゃねっつて
めっちゃ笑ってた。
すげーバカ。
でも、
俺もバカだったし、
それ見て笑ってた。
つか俺、
ケーちゃんとするとき
コンドーム一回もつけなかったんだ。
理由とかないけど、
そもそも、
いまさらなにを。
ほんと、
なにを、覚えてるってんだ。
まぶたを閉じると、
それなりに都合いい思い出ばっか、
駆けてくんだけど
てかやっぱ、
こんなもんの都合がよくても、
どーなるわけでもないし。
夕暮れの空の、
すげー遠いところに
ぽっかりと雲が浮かんでて
子供のころ、
あれ見るともう
泣きそうになっちゃって
だってなんか、
その雲の下の知らん街まで
瞬間移動させられるような気がして、
したら俺きっと、
なにもかもわからないもんだから
ただただそこにつっ立ってるしかないのに、
その街の人たちはその街の人たちで、
なんも知らんもんだから、
かわらず普通にうごき続けてて、
それがどうしても怖くて、
仕方がなかった。
てか、いまはもう大人になってんだし、
どうだって、
帰ってこれるはずなんだけど、
かわらず不安で、
かわらず悲しくて、
あんなもん、
見つけなきゃよかった。
3
鏡が肉体だ
なめらかな顔たちを湧き出させる
彼らがお喋りをやめないから
鏡の肛門が糞をひり出していく
地下水路に沈み込んだ
豚の横腹 時計の胃痛
枯渇した馬車に乗る幼児と母親
話すこともないとき
二人の表情は純白のシーツに包まれて
蛙の口内に吊るされた蝶々は
冷たくし、冷たくされたいという欲望の種だ
人間がひとり乳房の中で昏睡する
蟻の行列が浸透して、腹を満たした
食虫植物と口づけを交わす
弾丸の中に青い光を詰め込んでやろう
静かな息を吐き続ける拳銃を可愛がってやろう
炭鉱へと嵐が吹き寄せる
でもそれは決して満たされることを知らない接吻だ
暗闇に手を伸ばすと長い髪の毛があった
そして満月が地獄に堕ちる
鉄のドアに一本、また一本と血管が浮かび上がる
水の周りで洗顔するクラゲの群れ
蝿を飲み込んだ少女は今夜から
蝿の悪夢を眼にし始める
赤剥けにされた肉の窓
足と指と肩と首と
顔のない耳が痙攣しながら血を噴き出していく
海へ
海の中の貝が
すべて心を閉ざしているのなら
真実は海底へと潜っていくだろう
貝は静かに砂に身を置き
塩辛い海水の中の養分を
ぱくりぱくりとつぶやくように
食べている
貝は夢を食べ
砂とともに時を過ごし
塩辛い水に身を浸して
その夢ごと貝殻に閉じ込めて
なめらかに生涯を終える
※
テトラポットに打ちつける波が
なにかの爆裂音のようで
心音とともに カモメの低空飛行を見ていた
きっと波の中の空気がわだかまり
雪のような泡となって
未だ冷たい春に怯えている
水平線のはざかいで
船が浮かんでいる
いずれ視界から消えるであろう船の上を
海の生ぐさいにおいに促されて
多くの海鳥が飛翔している
流れ着いた漂流物を眺めながら
僕たちの宝物の話をしに
君を誘う日が
来るかもしれない
貝の声がとどく日に
(無題)
第三次世界大戦の爆熱で99.99人死んだ。
いつからか路地裏の脇の部屋にこどもが住み着いたのを見て
僕は子どものころ契約した天使が翼を広げて作ってくれたすずやかな陰の中で聖書の電池を入れ替えて
窓の外からはわからないようにそのこどもを幸せにした
生活
今日も生活が難しい。
金銭のことなど考える余裕もなく、生活という営みそのものが難しい。
『睡眠ニ自由ヲ!!』
『規律アル生活ニ終止符ヲ!!』
先ず、朝とは何であるか。
僅かな布の間隙から漏れ出す陽の光がじんわりと表皮を温める中、この微睡みを振り払うことが出来ようか。
掛け毛布と敷き毛布の間に挟まり、なされるかどうかも分からぬ食事のことだけを考える生活のほかに、幸福と呼べるものなど果たしてあるのだろうか。
またしても振り払えなかった微睡みの中で、肉体を失い、ディジタル信号の集合体による擬似思念として生きるという、妄想とも夢ともわからぬ体験をする。
デヴァイスの劣化と共に処理に不都合が現れるようになれば、また別のデヴァイスへと移植され、ムウア則にしたがって断続的に思索の性能が向上するのだ。
水槽の脳に比して更に永久的に、神経に代わる回路をズンズンと肥大させていくのだ。
その世界で私は、どうしてスケジウルされたとおりに起動されねばならぬのだ!、と嘆いているのである。
幾度かの白昼夢の後にのどが湿り気を失って、さらなる微睡みに身を委ねることを泣く泣く諦める。
世俗の言う朝というものに比して光量の減っているのに気づき、観念して布の間隙から外を見れば、忌々しくも雨が降っている。
過剰なまでの惰眠の先にある緊張型頭痛と、気圧の低下に伴う偏頭痛の複合に悶えつつも布団から這い出てみれば、そこかしこに散らかった空のペツトボトルが床上を見事に占拠している。
嗚呼、生活は難しい。
ラズベリー
令和に
酸味のつよいジャムをぬって
考える
指の骨を
パキッと折って
それを
改行とすれば
もう
生きているだけで
俺は
芸術なんじゃないかなって
錯覚する
傘に穴があいたら
新しい表現を考えなくちゃ
虹なんて
煙草に火をつけている間に消えるからね
天気が安定しない三月
直喩で降る雨
君のこと
やっと忘れられる
ひとつのロマンス
夜の間にとぎれた音楽がある
――ピアニストを撃つな
革命歌の記譜をためらうように
ただ黙って立っている事
幾つもの季節がながされた
労働と血のただなか
季節は春、あなたはいないというのに
ラベンダーが今を耐えるように咲いていたね
死の季節を越えて芽吹く花もあるというのに
迸るものを青年期というなら、
絶えて始めてなみだぐむ敗北もあろうか
季節は春――革命は青年達のばら色の絶世のようだ
死んだ者達や蘇らない者達の
声をだれが聞くのか
手紙は誰にあててやぶりすてられたか
言葉は言葉になるまえからあった
ただだれも口になせなかった
だけのことだ
夜の間にとぎれた音楽が死者のように蘇る時
死に逸れた青年達の革命は蘇るだろう
拳銃よりも重く、薔薇よりもただ悲しげに――、
過誤
返礼品の中には詩集が入っており、パラパラめくるに一冊を通して一つの話を物語っているようだった。わたしは詩集を函のなかに戻し、それを玄関の花が活けてある辺りに置くと、今朝から考えていた問題に頭を巡らせることに戻った。それはなぜ私が呪われているのか?という問いだった。この郊外にこしてきた当初、別段おかしなことはなかった。のどかで、牧歌的とも云えて、この中古だが新しい家での生活に満足していた。ある日のことだった。一人の男が訪ねてきた。ひょろっとして、丸刈りで、眼鏡をかけていた。右腕には数珠をふたつ巻いていた。彼はじぶんは風水をなりわいとしていると語った。そして私の顔をじっと見ると安心したような顔をしたのが第一印象。先月こしてきたばかりなんですよ、というと顔面がみるみる青くなっていくではないか。彼の言葉を率直に書けば、ここは風水上最低の鬼門である。最悪の場合死につながる。はやく出ていかなければ呪われる。ということだった。それを彼は何重にもオブラートに包んだ言い回しで伝えてきたのである。西は浄土の方角なんですよ、ほら、西向きの玄関でしょう、毎朝、死に向かって出勤するというのは、と彼が言いかけた途端、私はキレた。いい!出ていってくれ、私は新しい住処を散々に言われて腹が立ってしまったのだ。しかし、そこから日に日に私の生活は悪くなっていった。庭に梅の木があった。となりに百日紅の木があるが、百日紅の木はもうおかしくなっていた。そこで百日紅の木を抜いてしまおうと、近くの庭屋へTELし、見積もりをとってもらった。七十万円した。なんで百日紅の木を抜くだけで七十万もかかるのか、問うと、ここの家は土壌が互い互いで緊張を保っている、もしもそのバランスを少しでも欠いた場合、他の木も倒れて最悪家に当たり、損害が出る。慎重に物事をきして百日紅を抜いた場合、これくらいは当然かかる、というではないか。ありえない!と私は怒号をあげて電話を切った。それ以降呪いについて気に掛ける日々がつづいたのだが、いつの間にか考えることも忘れていた。すると今度は犬が近所のガキにチョコレートを食わされて半死、病院にも連れて行ったが死亡した。私は自室で過ごすこと大抵なのだが、そのエアコンから幻聴が聞こえ始めた。自分は鬼の子供でここらでゆったり過ごすことが好きなのだ、と言った。あっけにとられていると、今度はお前のツイッターを閻魔様は大変関心をもってご覧になっている、とその内容まで朗々と語りはじめたときには開いた口がふさがらなかった。まだ自分に非があり、その罰として災難を受ける、というならば話はわかる。悪いのは私なのだから。しかし、私はいたって普通の人間であると自分を評価していた。特別悪いことをしたこともない。堅実に、いや、必死になって生きてきた。誤りがあれば正し、害を与えれば補てんした。弁償した。しかしこの世の不幸の中には罰にもあたらない、ただただ不条理なものがあることも一連の「ここ」での生活のなかで理解した。私は焦っていた。半ば泣きじゃくるように、逐一己を点検し、罪がないか確認した。いくら捜しても見つからないのだけれど。私がしたことは「ここ」にこしてきたことだ。毎朝「死」に向かって出勤したことだ。昼食を終えて、返礼品の詩集を眺めるよう読む。どうやら旧約聖書のヨブの物語を主題にしているようだ。
神がそうならば応えて下さるはずである。私には何の過誤もないということを。
かなわない
買い取れないかんじょうせんには、もしもが、いくつもちらばっている。数億の星を、口に含んでも甘くはない。たとえば僕が女だったら、さよならもなかった。どうして?にはどうしても、が。ついてまわる。僕は私に成れない。結局は、僕を見ている人はいなかった。あなたがみていたのは、僕ではなかった。比べられた結果、さよならを穿つ準備をした。思い出は刃物、どうしても自分で傷付けてしまう。比べなかったのは、比べられる事を知っているからだよ。僕も比べてしまった。本当と嘘を横に並べた。僕は卑怯だよ。実際に言葉にした時、僕はあなたを手放したくなかった。でもね?物事には限界があるんだ。かいとれない、かんじょうせんに、くりっくして、わかれたい。何時か、本当の好きを知るまで、僕はあなたの中で私らしく居られる。その事が本当に、悲しい。いつかまで、まつよ。いつまでもまつよ。
涙を流す前に、私の記憶を破壊したい。粉々に粉砕したい。だって僕は私じゃない。私にはなれない。だって、僕でしかないから。僕は悪い嘘つきだよ。夢を見せれても、夢を見てるわけじゃない。夢を持っていても。意味がないから、僕は空に向かって、好きだよって、かえした。帰りたいのは、あなたの声が聞こえる所だけど。本当の事を言ったら、あなたの世界が汚れてしまう。私になれない僕を許さないで、できればその手で殺してほしい。本当にさよならしたいのは、僕だけじゃないんだろうな?世界中にある星に願いを掲げでも。どれだけ夢を見ても。心の中でいくらでも繰り返しても。嘘の代償に得たのは、本当に悲しい事だけ。ほしをしたさきでころがした。もう、あとにのこったのは、ぼくだけだよ。しあわせよりもほんとうにほしかったのは、ゆるしなのかもしれない。あやまりをあやまりたいけれど。
悪口の詩
I
諸君が、もし恋人と逢って、逢ったとたんに、恋人がげらげら笑い出したら、慶祝である。
(太宰治『富獄百景』)
II
昔、もし作曲家をひとりだけ復活させられるとしたら
誰を選ぶかと問われたとき
私は冗談めかして
生きている人間の作品には愛情を抱けないから
復活は見送る、と答えた
*
物心ついたころから
どんな作品に関してでも
それを褒め称える文章は
薄ら寒く見えた
"批評とは正当な悪口のことだ
称賛は愚かだから批評たりえない"
ミケランジェロの彫刻についてでも、
素晴らしいと褒め称えることには
神経質な無理がある
*
モーツァルトのピアノ・ソナタ
第四番の第一楽章は
明るく演奏すると悲しくなる
悲しく演奏すると明るくなる
幼さみたいでやりきれない
III
(ああ わたしも いけないんだ
他人も いけないんだ)
(八木重吉『一群のぶよ』)
*
何もかも削ぎ落としたい
という気持ちがある
余計なもの、
余計なもの、
と切り捨ててみると
私は空っぽだから
なにも残らない
*
波止場で座りこんでいると
海の方から
呼び声が聞こえる
呼んでいるのは
私の声である
自分が呼んで
自分で聞いているんだから
しょうがない
*
テレビや映画をみていると
理由もなくにこにこしている人ばかりで
それが気障りに感じられる
無表情の大らかさが恋しくなる
クリスマスの街で点滅する
イルミネーションの遠い静かさみたいな
*
最近になって、
モーツァルトばかり聞くようになった
この世のものは全部駄目だ
私も駄目だ
どこかに良いものがあるはずだと
思っていたけれど
例外なく駄目だった
ということに気がついて
音楽を聞くとき
モーツァルトの音楽は
本性がくだらなくて
本性のくだらなさが滲み出すみたいに
ただ独りで歌っている
IV
あなたに届きえないとき
私は私自身において永遠になる
(W. A. Mozart K.438)
*
ぼんやり見ていたドキュメンタリー番組の最後
人々に背いてきた不良少年が
周囲と打ち解けているシーンが
明るい音楽とともに流された
*
この数日で、桜が
はかったように、一斉に散り始めた
桜は美しさを欲望されてきた
拒絶によってではなく、
存在の必然によって
この世界のあらゆる植物も、
人も、
美しい存在ではありえない
*
ロシアでモーツァルトが初演されたとき
子供が書いた音楽のようだと
観客がみんな笑い出してしまった
という話を読んだことがある
その光景が、
ユートピアのように思われた
解決をしたい私
職員室はカーテンに覆われ、覆われれば覆われるほど、職員室の中は教員がぎっしり詰まって行く。カメラの木には花が咲き、ピンク色の少女が木登りをしていた。春風の強さのため、目によく異物が入った。教師が一人だけ混じり生徒らは円環をなし、バレーボールのラリーをしていた。夜に激しく痛む腿。それはむき出しのバスタブを思わせた。
ノッカーが持って来るバスタブ
バスタブの欠陥に愚痴は言えない
夥しい数の花びらが川を流れて行く
猥褻な橋を渡れば
少女に響き渡るネアンデルタール人の叫び
カメが痒がっている
その亀を取ろうとする
子供の木田先生を揶揄(からか)っても
痒くなるのは幕張の為?
川は流れる
ある部分だけアンコントローラブルに
千賀地(ちがち)の館まで川は流れる
千賀地の館に忍者が居る
器具を使って悪さをしようとしているのだ
ムクドリが耳に住み着いて
蜂や虻は見捨てた
御前は乗せんと言われたトラウマを抱えた
大部分の忍者
職員室には夥しい
荻原守衛の「女」の彫刻が
倒れたまま置かれている
教員をぎっしり詰め込もうと思えば
それらはどかさねばなるまい
春風の害
強風の害
目に異物が
私の体は半分に割れて行くのだろう
バレーボールを蹴りたい衝動
それにはどんなペナルティーが
あるのだろう
桜並木を歩けば
私はバスタブしか発見できなかった
(カメラの木だけは解決できない)
歩行と舞踏
鮮紅色の空が液状に溶け出し、細かな雫となって降りそそぐとやがて男の立っている意味のない地名も時間のないそのマカ不思議な場所も遠く何処までも濃く赤みがかった不吉な色に染まった。白いガンダムは、オレンジの斑な夜に背いたコシヒカリだった、それに窓もドアもない地下室には鉛筆が一本ただ転がっているだけだ。きっとヒ日常の長い線路がジュラ紀の地球から敷かれてやっと今に至っているのだと思う。男はため息をつくと仕方なくタール状のべとつく赤い大地をスキップし、両の腕を大きく振ってイメージすることの禁じられた世界へ向かって踊り歩きはじめた。途中、ところどころに【レ】のような【し】が落ちていた。それが果たして「死」なのか「詩」なのかあまりよくわからない。そんなことよりも、はるか彼方に聳える言葉の生えたマの山が崩れ始めているではないか。マの山は、マンが書いたことくらいは知っていたが、鬱蒼と言葉の生えた山が崩れると男はさっさと服を脱いで女装をはじめた。どうせマの山が崩れて言葉たちも倒れるのなら男は男である必然もなく別に女であってもかまわない筈だ。スプーンだよ! 何故だか銀のクリストフルっぽいティースプーンが登場し、納豆ごはんをかきまぜながら、「納豆はからだに良いからね」と言う。かつて男だった女は、「じゃあ、私と納豆とどっちが好きかしら?」色目づかいでティースプーンを誘った。スプーンは箸と納豆ごはんを後ろに放り投げるなり、「もちろん君さ!」そのとき突然、大地が大きく揺れて「がががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががが」という名前の、何ら意味がないようでじつは深刻でバリュアブルな終りが人でごった返す東京新橋駅のホームに到着する朝の快速電車のようにチョー素早く訪れた。とっさに、「けっ、結婚しよう!」スプーンは女の顔に、大粒の唾を飛ばしてそう言った。
わたしがミイラ男だったころ
ミイラ男だったころ
身体は包帯を巻いてひっかけるための
ものでしかありませんでした
歩けば犬が吠え、親は子どもを隠します
皮膚が引き攣るのでよたよた、していると
見知らぬ人たちが不幸だ、不幸だと騒ぐ
そんなことは知らない
痛みと熱、痒み、この爛れた皮膚
さらにぐるぐると巻けば包帯はすべて
遮ってくれる殻、蛹になりたい
ひととせふたとせ待っても
羽化もしない
身体を捨てたくなって
墓を暴く盗人みたいな
手つきで
包帯をといていけば
そこには何もない
空っぽ、あぁ、みんな包帯をみていたのか
包帯が風にさらわれていくなかで
何もないのに熱と痛みと痒みが
生きている、と訴えていた
gear
整然とたたずむ物達の群れが一心不乱に存在していた
確固たる意志と使われるべき時に備え、静かに眠っている
発情した野良猫の奇怪な声や、地の底に落とし込むような梟の声
建物の背面を擦るように鳴く夜の風の音にも動ずることもない
朝、道具は静かに使い手によって所定の保管場所から取り出され、水を掛けられる
使い手の指先がその刃先をなで、静かに作業は執り行われる
材が鋭い刃によって左右に押し分けられ使い手の意思によって成形される
道具を使いこなす、というよりも、その道具はすでに生きているのだろう
使い手の細胞が道具に入り込んでいる
もとは、何の変哲もない器具や道具であった
しかし、使い手の思いや、日々の理念が道具に命を送り込む
使い手にとっての道具はこどもであり、妻でもあり、兵でもある
道具を磨き、寝心地の良い寝室を用意し、静かなひと時を過ごさせる
それによって、道具はいつも満たされていると感じ、使い手に仕えていくのだろう
使い手の安堵によって、道具は飛翔する
愚直に物として存在し、使い手との出会いを待っている
屈折率
I
悔恨のようなものが僕の心をくじく
(『九月の風』黒田三郎)
II
悔恨のようなものが
僕の心を訪れたとき
僕は浴槽のなかで
水という存在の
不思議さについて考えていた
友部正人の歌に
両手ですくった川の水
油のように燃えてるよ
(『奇跡の果実』友部正人)
という詞がある
油のようにと言うけれど、
水は油より火に近い
水は燃えていないときにも
燃えているようにみえる
とおいむかし
白々しいウソをついたことがある
愛するひとに
とおいむかし
(『苦業』黒田三郎)
III
人生には
死にどきというものがある
ヒトラーを思い浮かべてもいいし
ディオゲネスを思い浮かべてもいい
もちろんゴッホを思い浮かべてもいい
ゴッホの死に方は異端だった
その異端さにこそ自殺というものがあった
夕方、ひとり丘から帰ってきたゴッホは
腹に銃創を負ったまま丸一日生き延びた
既に自殺を済ませて
ベッドの上でパイプをくゆらせながら
「このまま死ねたらいいのだが」
と、駆けつけた弟に語ったという
IV
とおい昔から思っていた
どうしてこれほど価値ある日常が
惜しみなく捨てられていくのだろうと
僕がベッドに寝転んでいれば
寝転んでいる姿には価値があった
誰かがベンチで休んでいれば
休んでいる姿には価値があった
この世はあまりに豊かに時間を捨てていた
V
死を受け入れるということが
小さな子供のように やってきて
寝転んでいる僕の顔を
覗き込んだとき
小さな子供に見られるように
僕はだれかに告げられた
死を受け入れるなら、いつか必ず
生を受け入れないとならないよ
ゴッホは
ベッドの上でパイプをくゆらせながら
そのとき僕は 脱力した
豊かな現在がいとも容易く
捨てられていくことの意味が
強く 解かれたから
VI
ぬくい 丘で
かへるがなくのを きいてる
いくらかんがへても
かなしいことがない
(『丘』八木重吉)
VII
悔恨のようなものが
僕の心を訪れたとき
僕は浴槽のなかで
水という存在の
不思議さについて考えていた
文学に包囲されている。
穴だらけの世界からはすぐに落ちて、今日の23時01分からそれを眺め「こんなもの」と衒う。気づけば文学が「何もしていないのはお前だ」という顔をして僕を見つめていて、穴が空いた、自身の中身に失望し、逃げ出そうとするが文学はどうしても目の前にあって、僕は小説を手荒く閉じた。小さく身震いのような息を吐き、コーヒーに手を伸ばすと、深い焦茶色の上に高い高いまき雲が、すぐそこに折り重なって揺蕩っていた。晴天から文学が獰猛に襲いかかってきて、僕は強く叩きつけられ打ちのめされた。息ができなくなってカフェから転がり落ち、苦しく震えながら必死に息を吸う。酔った人間の街の吐瀉物の空気を飲み吐いた。天を仰ぐと星は見えず、月も見えず、ただただのっぺりと明るくて、ふとまた何かから逃げていることを思い出す。こんな夜空をいつのまに知ったのだろう。ふと目の前に文学が表れた。無視をしたくて、震えながら、文学を横目に歩いていくと、大きな電光掲示板で”成功した”つまらないミュージシャンがじゃれあっていた。苛立ちに小さな石を蹴る、カツンと柱が音を立てる。もうたまらないのに、陳腐な詩が、歌が、垂れ流されてきて、ついセンチメンタルに走りだした。負けだ。そうしてまた衒いを捨て切れてないことに絶望する。文学の膨張速度がマッハを超えて加速して、僕は街の光を叩き落としたくなる。全て廃墟にして、僕に美しい夜空を取り戻したい。群青ときらめく恒星と衛星はいずこへ。こんなのっぺりした夜空は知らない。知らなかった。
文学は膨張を続けるが走り疲れてつい立ち止まると、そこにはまた文学が立っていた。汚い街の一角、これはなにの汚れかわからないが、文学、彼は茶色が背景か、もしくはそれが本体だ。見て見ぬ振りをして歩き始めると、僕は詩人か 小説家かそんな疑問が、何度目だろう、ふと頭をよぎり、しかし文学であることにはどうしようもなく間違いない、どうでもいい、僕には僕の望む詩を書く力はないのだ。はあぁ。深くため息をついて、またのっぺりした天を仰いだ。空回りに空回りを続ける思考に疲れて立ち止まると目の前にカラオケがあった。疲れた。文学は相変わらず僕を覆い尽くそうとしていた。それを焼き払い、退かせたいと、カラオケに入ることにした。僕は歌うのが大好きだ。無駄なことは知っていた。文学はすぐ背中にまで迫ってきていた。カラオケ店の自動ドアがしまった。しかし文学は背中にこびりついていた。「ライブダムで」「107号室です」いつもの部屋だ。
あの人の歌に酔いたかったけど、疲れていて、文学が防音ドアの外に立っているのを感じながらだったから、気づいたら苦しくて苦しくて仕方なくて苦しく叫んで、すぐ喉を枯らして、しかもあの人の成功を羨望して、ふと目の前のディスプレイに映るカラオケ映像、陳腐も度を越すともはや新鮮なそういうストーリーを見て、おもしろくない、なのにこんなものが使われて、大きくため息をついて、吐き気を覚えながらキャラメルマキアート、らしいものを飲んだ。甘ったるくてダメだった。だから人はお酒を飲み、紫煙を力なく吐き出すのだろう。文学が威力を増すのを感じて、だんだん歌い方がわからなくなってきて、喉はひりひり痛んで、ソファーに脱力して、もう歌えなかった。明後日のライブは歌えるだろうか? ダメな気がする。はあぁ。成功に囚われている。そう気づいた。文学が部屋に入ってきた。脇から逃げ出すように部屋を出た。まだたっぷり時間を残していた。また、お金を無駄にしていた。店を一歩出てから、また、深くため息をついた。やはり文学は目の前にいた。その場に座り込みそうになるのを、無理やり、胸の中を金属のスポンジで引っ掻くような、独り、歩き。僕はどこへ向かっているのか。誰もいなくなっていて吐きそうになった。なぜ吐き出すのかもわからないまま生きている。
空を飛ぶのも億劫で、だけど駅は遠くて無駄が多くて秒針が飛ぶ。同じところをぐるぐると回る。それでは人間ではない。AIよりも劣る、いや、それも人間か。しかしつまらない人間だ。文学がそこに立っていた。知らない道へ一歩踏み出す。知らない道をずんずん進む。これは逃げだ。知らない角を曲がっていく。どこかへ進んでいる。知らない街のようだ。暗くて、街からはどんどん離れていっている。ビビリだから勝手に何かの気配を創造している。空き家だろうボロ家もたくさんで、道路沿いには低木が黒々と茂っている。音は肩を震わせ、僕は丹田に力を込めて、何も気にしないふりをして文学の姿を探す。寒くて寒くてたまらない道、道は思ったより暗くて、空を見上げようとすると、低いところにか細い月があった。整体の看板が目に入って、ここは知っているところだったと気づく。前のときの逆方向から歩いてきている。道の角に文学の気配がする。一体どこまで歩いたのか。どれだけ地球は回ったのだろうか。月が低くて、低くて細いと、道は照らしてくれないのだな。まえは明るかった。気づくと、まっすぐの道の遠くに、遠くに、人工の光が、文学が見えた。
今は何時だろう。ただ、田舎道の信号は赤と黄色に点滅していて、歩行者信号は沈黙している。点滅に照らされる赤い横断歩道。写真を撮ってツイッターにあげた。僕にはそこにわかりやすい文学が見えて、いいねが欲しかった。「エモい」リプ。僕はこの何も伝わってこない言葉が嫌いだ。タスクキル。ついでにラインを見るとバイトリーダー「来ないの?」。既読はつけなかった。今日は授業も行っていない。今日僕は何をしたのだろう。今日死ぬとしたら悔いしか残らないのではないだろうか。でも、僕が何をしたって、でも
ハイビームが僕を眩しく照らしてきて、文学が近づいてくる。鉄の塊が近づいてきている。死にたい、と、死にたくない、が交錯して、結局僕は息を震わせながらそのまま歩く。車は横を通り過ぎていく。風で髪が乱れる。立ち止まって空を見上げた。低い月がそこにあって、星が細々と輝いていた。振り向くと町がそこにあって、暴力的な光が空をも支配していた。危うくその場に泣き崩れそうになって、歩けなくなった。お腹が痛い。足も痛い。涙は出ていた。天を仰いでいた。
「なにしてんの」やめどきがわからないのもこんなところにいるのも、
夜明けのようなグラデーションの空、北を、僕を睨んだ。憎くて、しかし愛する他ないのだという絶望のような悟りが僕を支配していた。学校が嫌だった通学のときのような痛みが胸を足を頭を刺した。足が動かなかった。また、同じことの繰り返しなのか。悔しくて死にたい。
とつじょ、必死に何かにぶち当たりたいと、奇を衒うだけの猶予は、どこにも残されていないと、そんなことをしている暇はないと、命はか細く短い、僕は陳腐に平凡に見える世界で、一所懸命ぶち当たるしかないのだと、そうやって僕になるしかないのだと、冷たい雨が降ってきた。
ああ、こんな時間に通行人がいる、と思ったら、それは文学だった。また、無視しようとしても、文学は足音を合わせて近づいてくる。鋭く僕を差す。逃げなければと思った。
いや、違う、と、ふと、ようやくようやく気づいた。僕は生きていながら彼らから逃げたから、彼らは襲いかかってくるのだ。そういう発見をした。発見だった。文学を発見したのに、無視をしたから襲ってくるのだ。陳腐でつまらないことだ。いや、ありふれている、クサい、だから書かなかった。しかし、文学が襲いかかってくるのだ。しかたなく、どうしようもなく、必死に書く、書き上げる。絶体絶命に書き上げるしか、お前に生きる道はないのだ」
そう語りかけてくる文学に、身を預ける。
この空も白いじゃないか。
恥ずかしい。
環礁
コンタクトがずれて
地面に吸い込まれていった
わかっていたのに、
わたしはそのまま
くらりくらりと
真夜中へ歩を進める
ドームの中
できてしまった美しい環礁
何も見えないふりをして
踏み潰してしまうのは
結局わたしだった
クマノミは
イソギンチャクの毒に
耐性があるらしく
日常を喜とした痛みに
いつでもあなたは
生かされている
記憶ソーシツ探偵/犯人はオレだ
待て! そうアナタだよ、タイトルだけチラ見して
読み飛ばそうとした、アナタ
はん、鼻で笑ったよね
じつは分かるんだ、アナタの気持ちも
またか、って思っただろう?
安上がりな設定とシナリオでしょう、お決まりの
おまえは人殺しだ 声が告げる
鼓膜を震わせているのではない、その証拠に
耳をいくらふさいでも声が止むことはない
おれの声だった おれの声が
おれは人を殺したんだよ
と言う、おれは病院のベッドで目覚めて
それ以前の記憶がない、自分の声だけを憶えていた
うん、もう読むのをやめたかい? もうすこし話をしたいんだが
アナタが聞いていなくても続けるけどいいかな? おれは憶えていない人殺しの記憶に怯えて
自分がいったい誰を殺したのか、どうやって、なんのために
病室を出ると、未解決の殺人事件の現場に出かけていく
女が首を絞められて殺された現場だ
記憶喪失のおれの監視のためについてきた刑事が教えてくれる
売春婦さ
おれはポン引きを捕まえて質問する、おれを知っていますか?
ポン引きはおれが犯罪帝国の大統領だと告白する
刑事は頷いて同意を示した後、おれにうやうやしく一礼した
記憶を失くした王が帰還したというわけだった
この話、まだ読まなきゃいけないのだろうか? やめるのはいつでもご自由に
もちろん、つよがりだよ、まかせるさ、なんておれが言うのはね
おれの声はおれが人を殺したのだと執拗に囁き続けるが
あいつらがおれを殺したのだ
刑事から渡された警察の捜査資料には誰がおれを裏切ったのかがはっきりと書かれていた
記憶のないおれが組織の裏切り者たちを粛正する
おれは立派に人殺しをやり遂げたが、おれの声は満足しない
おれが売春婦を殺したのだろうか?
アナタはどう思う? おれは現実には存在しない
現実じゃなければ興味が持てないのだろうか?
だが、おれもそのくちだ
端折ろう、売春婦殺しの犯人はおれではない、売春婦はおれの愛人で情報提供者、
殺したのは組織のボスでおれは復讐のためにボスを待ち伏せして暗殺した元刑事、
おれはそのとき撃たれて意識不明の重体となり、かけつけた警察はボスの遺体を
処理して隠した、おれは都合よく記憶喪失になり、あるいは記憶喪失にされて、
顔をボスそっくりに整形されて組織の残党を始末したい警察に利用されたってわけだ
ちがう、とおれの声が言う、違う、おれが殺したのはおれだ
元刑事はボスと壮絶な銃撃戦の果てに愛人の仇を討つんだけどね、めでたく、けれど、
ボスはVoodooの魔術師で死ぬ間際に元刑事に憑りついたってわけ。
だから、さっきからおれのことをおれって言っているのはけっきょく誰かと言うと
元刑事の身体を乗っ取ったボスの怨霊ダ。
ユーレイだって記憶喪失になるんだよ
ほらね、いつもどおりに
いつもどおりに、おれは記憶ソーシツになった
これからも
いまからも
もはや、アナタを呼び止めてすまない、そう詫びることはできない
幻を信じよう
たった一寸の闇の中
腕を切り裂いたのは風のせいで
たった一寸の闇の中
涙が雨として降ることはなく
たった一寸の闇の中
一人で会話する客観的主観
たった一寸の闇の中
逃げ場を失うのを自業自得と言われた
たった一筋の光の中
不死鳥は初めての死を経験する
たった一筋の光の中
背中を合わせた鏡写しの先を掴む
たった一筋の光の中
ひたすらまっすぐな尊敬を刺す
たった一筋の光の中
重なった自分を疑いはしない
苛立ちを初めて覚えた憎しみを
快楽を初めて覚えた焦燥を
もう一度流し込んだこの硝子細工には
太陽光の赤の光が
知覚できない存在でした
たった二文字の言葉から
五文字が浮かぶ悲哀の最中
たった二文字の言葉から
数えきれない叫びが産まれた
たった二文字の言葉を語る
少女の涙は川岸で腐る
星降る夜の瞳に映る明滅こそが
一つの種を孵すのでしょう
あぁいかにも悲しい話だったが
あぁつまらない喜劇でした
語らう言葉を失ってはいけない
地に足つかない言葉の中から