#目次

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2011年04月分

月間優良作品 (投稿日時順)

次点佳作 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


四月になると

  田中宏輔



順番がきて
名前を呼ばれて立ちあがったけれど
なんて言えばいいのか、なにを言えばいいのか
わからなくって、ぼくはだまったまま
(だまったまま)うつむいて立っていた。

しばらくすると
後ろから突っつかれた。
突っつかれたぼくの身体は傾いて
一瞬、倒れそうになったのだけれど
身体を石のように硬くして(かた、くして)
傾き(かたむき)ながらも立っていた。

(教室の隅にある清掃用具入れの
  ロッカー、そのなかのホーキも傾いているよ。)

先生が、すわりなさいとおっしゃった。

後ろの席の子が立ちあがった。

ぼくは机のなかに手を入れて
音がしないように用心しながら
きょう、配られたばかりの教科書を
一ページずつ繰っていった。
見えない教科書を
繰っていった。

……級友たちの声が遠ざかってゆく
遠ざかってゆく、遠くからの、遠い声がして、
ぼくは窓の外に目をやった。

だれもいない(しずかな)校庭の
端にある鉄棒に(きらきらと)輝く
一枚の白いタオルがぶら下がっていた。

ぼくのじゃなかったけれど
あとでとりに行こうと
(ひそかに)思いながら
見えない教科書を繰っていった。

だれかが
下敷きに光をあてて
天井にいたずらし出した。

ひとりがはじめると
何人かが、すぐに真似をした。

天井に
いくつもの光が
踊っていた。

ぼくは、教科書を逆さに繰っていった。

光が踊るのをやめた。

ぼくの列が最後だった。

先生が出席簿を持って
出て行かれた。

新学年、新学期
はじめてのホームルーム。

春の一日。

まひるに近い
近い時間だった。


シャットダウン(#idou doubutsuen.)

  村田麻衣子

パソコンのうえ あたまくっつけて冷たくなってたのにベ
ッドに連れてってくれるひとはいないの ごそごそ顔につ
いた跡にびっくりして 気にしながら起きる ひとりで暮
らしてるから ひとりで眠るのには、もう耐えらんないわ
 電気も朝までつけっぱなしだし デスクのうらがわには
なにがあるかわかんない 壁にあたまくっつけた わかん
ないから怖いの いらないなんにもいらない。 顔に、ひ
っかき傷みっけ

ひらがながカタカナ変換になってるのにいつまでも気づか
ないで書いてた 最近思うこと、みんなカタカナでいいや
ー きみといるときの快楽とか、ひとりでいくらことばに
してかんがえてても、それねむるとかねむらないとかそう
いうもんだいじゃない ねむたいってのと、きみといたい
ってのはおんなじ

受話器越しにきみが、眠がってるのがわかってしまって 
ごそごそ 騒がしい音してるから もう「いいよ」って言
って「イイワケナイジャナイ」って言った たいしたこと
が起こってる わかられてしまうなんて、わかんないなわ
かんないでも愛してるって言って、がちゃんって 受話器
きった。なんなのなんなのっっ

あたしのパンテイにもいろんな うらがえしがあって、衣
類がちらかってるこの部屋は汚くてきらいなの なんなの
なんなのでも だれのかわかんない毛布かぶってたらもう
わたしだれだかわかんなくなってパジャマのなかのふわふ
わを感じるあのいっしゅんをうわまわってくれないし わ
たしがこのかんかくに囚われてないとってあわてて部屋を
片付けて、鏡をみたら知らないひとみたいな顔してるから
、しらんぷり ピンポーンてあなたがきて わたし暗がり
が好きだから電気つけないし、そのまま玄関とびだして「
わたしいまマネキンみたいな顔してたの」 って言ったら
「そんな子、知らないよ」って 毛布ごと抱きしめてくれ
たから。


着床痛

  yuko

とても遠い丘で
横たわったわたしは
したばらに針を刺し
水を抜いていきます
草原の羊たちの
やわらかい角は
生まれたての
うつくしいままでしょう
まだ生まれていないあなたのために
月かげさやく

目をとじ
耳をすませると
羊飼いの笛が
辺りを
振るわせるのがわかります
そして星ぼしが
ささやく宙のしたで
生んだはしから忘れてしまう
ことばの
えいえんを抜き差しする
指先にかびが生えて

幼子は
いつだってかんたんに負けてしまうことを
そしてわたしたち、
ほとんどがみずで
それがなければ生きてはいけないのだと
知っていました
から
だれか
足を(角を)
折ってください

まなざすとぶよぶよと
揺れる天球は
粛粛とまぶたを落とし
熱を帯びた
わたしのからだは
溢れんばかりの
水を抱いた草原です
すべてのきざはしに
耳を空向けながら
よわい角が脱皮して
赤い伽藍を
破る

日が
昇るその前に
笛の音とともに去ってゆく
羊飼いはさようです
わたしはここで
手を振り
すべての海が
今ここに
集う
遠心される
呼び声を軸索にして
まだ生まれていないあなたと
わたしだけが残る
頬をみずが伝う


春と双子

  yuko

雪解け
の真みずを飲みほす母は
耳もとに咲いた
花をついばむ嘴で
ちいさな足に
生年月日を刻印する

とんとんと、
角灯を倒していく
降り立った
ベランダで冷たくなった
少女たち
網膜の欠損した
わたしたちの眸

閉ざされた境界に
集約された嘔吐の
王国
ごくごくとのどを鳴らして
雪がれていく
残照
わたしたちは、
花の名前を知らないまま

春が来ます
しあわせの羽を落として


(無題)

  クラブ

パンダのイッサに殺意が芽生えた
悪霊にとりつかれたパンダの除霊の為に
鳥の祈祷師を多数呼び寄せる
方々へ打電をする
精力剤のマカを飲ませる
ミッキーマウスの首を刎ねる
トラとリスを仲良くさせよとする
以上全ての試みは除霊の失敗を
物語るのみで終わった


朝にのぼせる

  葛西佑也

うまれてきてしまってから今までの間に
どれだけの嘘をついてきたのだろう
ひとつ ふたつ みっつ よつ……
「正」の字を書いて数える
広がる無数の「正」の字が私の前に広がり
思わず正義とは何だろうかという議論を
頭の中で繰り広げる
そういうタイプのやつが
一番嫌いだったはずなのに

(世間では簡単に
うざいと片付けられる
無数の言葉の残骸に埋もれてしまったものを
掘り起こす考古学者の
血の滲むような
努力
を讃えて。)

四画目を書こうとして急にペンを止める
周囲を見渡せば ほこり臭いヒーターが
こちらを見て不審音を響かせているだけで
他には何もなかった
(正確には、古びたヒーターと
鳴らない電話機と
見知らぬ女の足だけが
無機質に置いてあったのだが)
もちろんこの世界には「正義」などというものは
存在しておらず
いや、むしろ、生み出されておらず、
私の首筋を汗が流れていく
ゆっくり、と、ゆっくり、
と 指先で 水滴をなぞってから
口に含む
塩分が安心を生み出す

背中に文字を書き合って遊んだ
「ねぇ、なんて書いたかあててみて」
「え、わかんないよ、え、もう一回」
「だから、こう……」
「もっと、ゆっくり」
「じゃあ、これで、最後……はい」
正しさとは指先にあった
背中と指先との接点のあたたかさに
うれし泣きと言う時に
泣くと言うことからかなしみが
のぞかれてしまうように
皮膚と皮膚が触れあうとき
ぼくのからだからは
嘘という嘘が……

バスタブ一杯にためたお湯の中に
地中海土産のバスソルトをおとし入れる
気泡が浮き上がり
一瞬、白濁する
からだをしずめた、
ぼくのからだに接触する
お湯の中で自分の腕に、
「正」の字を書いてみる
泡がはじけて、水にかえった
ぼくたちにとっての安心とは
こういうことだったのか、と
安心する


レディオウェーヴ ブラザーズ

  大ちゃん

昨日テレビで
熊田Yが
俺を好きだと言った
口は動いてなかったけど
ダイレクトに伝わる
彼女の気持ち

朝早く街に出て
足早に歩いていると
自転車にのぼりを立てた
作業服のおっさんがいた

「小沢元代表に車で3回轢かれた。」
そう書いてあった

おっさんは
「お前、熊田Yのとこに行くのか?」
無表情に荷台を指差した

口は動いてなかったけど
電波的にわかり合えた
俺達
レディオウェーヴ ブラザーズ

そういう訳で今
高速道路を二人乗りで
テレビ局に向かっているところなんだ


祖母

  Q

夕餉、蜂飼いの、裾に下る。読経は、三陸を削り、降灰は、積雪を、頭にとどめる。六道、と、口にする、人の、側から離れる。衆生は一切の、有情の、君から下は、すでになく、君から上は、畜生の、そして、餓鬼の、いぬ間に、人知れず、くぐる、対岸の、魂、塊は、落下し、重たいものが、自然に浮かんだ、肩幅は、蟷螂を、膝から遠くへやる、腕は、岸を目指し、多くの人を見遣る、喪は、口に、口は喪に、白髪は今日に、明日に、黒くなり、パチパチと、骨と拍手が三度なる、貴方は、恐れをなさず、功徳の一切を、路肩に落とし、有為の花を、喉仏に宿す、遠方から人が着き、隣から、着流しが崩れる、骨は、鳳仙花の、ように、ふくらみ、紫陽花は、胸に、飛来する、口篭る、ままの、頬から、一本の、線が引かれ、寒さは一気に引く、目は浄土の、土の香りを嗅ぎ、足は、涅槃の、瞼につく、わたしたちは、見送るが、あなたはもう、みえないばかりか、体からは煙を吐き出し、煙突のない、家で、静かに篭る、白いのはあなたではなく、わたしたちが白くなったのだ、と、仏間に置かれた、果物がつげる、骨は塩をたれ、たれた塩は、舌の上で、酸味を広げようやく寝そべる、昨日、靴を捨てた、私の靴を、裏山で燃やした、煙が、目に入る、私は、「だから」、貴方達の言葉にいつもうんざりする

黒点から頭文字を奪って、貴方に名づける。名付け親になった、鰐の額に、カンザスの土地の名を与える。貴方は抑揚から、起床し、歯磨きを怠らない。瞼からは、伽藍建築が零れ落ち、それを無数の僧が拾う。蟻は、受胎し、マタイの福音からの引用が、雨を、耕す。降雨、と、口癖のように、頭文字は話し、私は、黙秘を貫く。天蓋と孤独を、風土に分け与える。一月の風は、声を酸化させる


 即興する、嘔吐物の、頂点から、石弓を引く、大和の呪いだ、と、神々は雨垂れ、に似た、うな垂れの中で、うるさく頭をたたくものだから、昨日からはなすことをやめた、例えば、ここからまじめに求められるような文章を書いたって、石を積み上げる小僧の首に届かないでしょう、と、貴方は言う、じゃ、例えばをはじめてみようかと思うが、すぐにいやになる。それは、こんなかんじで、「床下にたどりつくと、土の匂いが手足を伝って鼻まで這い上がってくるのがわかる。彼らは、鼻腔の奥にかすかにのこっている外の香りに異常に反応するのだ。その反応を僕はこめかみで処理しようとして、眉間にしわを寄せるが、その様子を見て、友人が尻をつつく。早く行けと、彼はいう。懐中電灯に照らされるいくつもの柱には蜘蛛が陣取って、僕らをやりすごそうとしている。友人の懐中電灯が、この空間の隅っこを照らした、そこには、」いやになる。「水星から落下した、クジラの寝息の上で、セーターを編む、時に、くしゃみした、やまちゃん、やまちゃん、と、思い出しながら声をかける、たけるくん、たけるくんの、メガネはいつも曇っている。曇っているのは、彼がやさしいからだ、彼は落下した、クジラの、骨に挨拶をする、古くなった鼻骨、そして背骨、背びれに尾びれ、と、脈拍は空気に混じって酸化して、その酸っぱさの中で、息を吸い込む。」いやになる。

仏の、唇に、たれた、雨垂れの向こうで、羅漢、達が、踊り、浄土、三部の、お経の、内から、たち現れる、人の、後姿に、前姿に、めをうばわれ、蛙はがはねると、同時に、遠くを見る、雨、と、口にする、甘さが、瞳に、耳に、手は自然と、うなだれ、爪が伸びる、草が分かれる、自然に、道を作る、砂浜は、苦い、近くで挨拶を拾う、言葉に、夜に、昼に、体を、投げ打つ、打ち捨てる、


砂丘

  久石ソナ

腕枕した腕が痺れ、
窓から零れる
白昼夢は
静かに蒸発する。
私の目を傷付ける、
雨の咲かない匂い。
石畳を白くさせながら、
引き裂きながら。

アジサイは
時間を知る半透明な羽を
なびかせて、
何色の叫びを
梅雨の暮れがあげていたか、
思いださせない。
熟れた結晶の
アスファルト、
片方の夜が
煮崩れる。

にがい眠気を
唆すとき、
粘膜に焦げ目をつけた
息吹さえ凍える。
手のひらで灰となり
街灯の下で消えゆく、
末枯れたアジサイを眺め。

やがて、
かたほうの夜は
未熟となる。
老いた雲間から、
腐敗を咀嚼した
花びらが
降り続けても。


鋼板の行方(最終稿)

  草野大悟

ホオジロザメが泳ぐ小さな町で あのとき
なだれおちた
 
 鋼板 鋼板 鋼板 鋼板 鋼板 鋼板
    鋼板 鋼板 鋼板 鋼板 鋼板 鋼板
       鋼板 鋼板 鋼板 鋼板 鋼板 鋼板

干からびたそれぞれの夢/月は秘密を脱ぎ捨て 干潟は干潟であることを捨てた
漁師は魚を捕れない/海は 海であった海のうえを 逆立ちしながら ぽろぽろ
流れ/血は プライドを纏ったまま//////////////息絶えている

ひらかれる

       鋼板 鋼板 鋼板 鋼板 鋼板 鋼板
    鋼板 鋼板 鋼板 鋼板 鋼板 鋼板
 鋼板 鋼板 鋼板 鋼板 鋼板 鋼板

漁師はイノシシなんか撃てない/透明なナイフだけが残されたおれたちには
切り裂かないで生きるか 刎死するかの どちらかの選択枝が残されている
///////////////////////////////だけだ

それでは おれたちの
 汗は 肉は 皮膚は 頭は 首は 胴は
    手は 足は 心臓は 脳は 肝臓は
       腎臓は 脾臓は すべての心は どうだ どうだ どうだ

どうだ どうだ どうだ どうだ どうだ どうだ どうだ どうだ
どうだ どうだ どうだ どうだ どうだ どうだ どうだ どうだ
どうだ どうだ どうだ どうだ どうだ どうだ どうだ どうだ

        よく晴れた蒼が どこまでも深く広がってゆくのはたぶん
      蒼が蒼を捨てたがっているから だろう
    そんなこと叶わないって とうに
  分かっているのに

朝は 朝であったことをわすれている
  昼は とっくに溶けさって
    夜は 朝をおもいだせない
     ぴきぴききしみつづける
    ちいさな家の二階に
  海は いつだって
潜んでいる

 あふれてくる涙は
   海の組成とおんなじなんだよ
    と、ほんとっぽく笑う風は もう
     西のそらへ
    沈もうとは しない
  
   朝というなまえをわすれた朝が
  きょうも おおごえで
 あ〜っ っと叫びながら
やってくる
  
         


いますこし、あなたの木陰に

  田中宏輔




いますこし
あなたのかたわらで
あなたのつくる木陰に
わたしをやすめさせてください

かつて
あなたから遠く
遠くはなれていったわたしを
あなたの幹にもたげさせてください

あの日は
春の陽の光が
とてもやさしくあたたかでした
わたしはひとり巣をはなれました

見知らぬところへ
風がみちびくままに
ふたつのつばさをひろげ
わたしは飛んでゆきました。

いごこちよければとどまって
あきたころになればまた飛んでゆきました
ずいぶん遠くに飛んでゆきました
ずいぶんあなたからはなれてしまいました

そうこうしているうちに
わたしのつばさは病におかされました
りょうのつばさはばたかせて
遠くにまで飛べないようになったのです

そんなある日、わたり鳥の群れが
わたしのうえをとおりすぎてゆきました
それがあなたのうえをとおることを願って
わたしは群れのなかに飛びこみました

群れのうしろにつけば
遠い道のりを飛ぶことができるのです
それは遠く、遠く
はるかに遠い道のりを飛んでゆきました

何日も何日も飛びました
そのあいだもはねがぬけてゆきました
どんどんどんどんぬけてゆきました
目もすこうし見えなくなってゆきました

そうして、とうとう
ちからつきて落ちてしまったのです
ところがそこはあなたの枝のうえ
あなたの腕に抱きとめられたのです

あやまちをくりかえしくりかえし
わたしは生きてきました
もう二度とあなたのもとをはなれません
はなれることなどできないでしょう

つばさやぶれるまえに
病にやぶれるまえに
わたしはもどってくるべきでした
あなたのもとにもどってくるべきでした

いますこし
あなたのかたわらで
あなたのつくる木陰に
わたしをやすめさせてください

いますこし
あなたのかたわらで
あなたのつくる木陰に
わたしをやすめさせてください


             ─父に─


小さな檻

  とうどうせいら


あなたは
きつく抱き締めたけど
わたしが
蝉の抜け殻のように
ぐしゃりと潰れる前に
そっと緩めた

わたしより
ひとまわり年を取った
その腕は
口をつぐんでしまうから

音色のない小さな声を
ひとつずつ
読むしかない


まだ朝は来ていない
チャコールグレイの夜が
姫君のペチコートのように
さらさらと
透明な波紋を立てて
揺れている


心臓を潰さない程度まで
ぎりぎり力を入れた
硬い腕

浅い呼吸



あなたが作る小さな檻に
手を伸ばしてそっと

鍵をかける


 


ドーナッツ

  右肩

 後ろから犬がしきりに吠えてくる。僕の歩いているこの通りは実は平板な白さの広がりで、目に映る何もかもが何処かからここに映写されているのではないか、と思える。だから道を歩いたり、立ち話をしたり、駐めた自転車に鍵をかけようとしている大勢の人たちは、見る角度がズレるとすぐに消える。見ている僕の体も映写されている。実体は僕の魂と、姿も見せずに真後ろで吠える犬だけだ。しかし、実体というものが、映写された周囲との間に核心的に重要な差異を持っているとは思えない。思えないでいる。「ミスタードーナッツ」とか「洋服の青山」とか「靴流通センター」とか、目に映る範囲には見慣れた看板もあって、それがどういうものかもわかっているのに、さてその建物に入っていったとして、僕が何をするべきかがさっぱりわからない。たとえば「ミスタードーナッツ」に入っていったとしたら、「いらっしゃいませ」と迎えられ、ドーナッツの盛られたトレーが並ぶ棚の前に立つことになる。ではドーナッツとは何かというと、食べ物であることははっきりしているのだが、どうやらそれは星雲の一部でもあるのだ。星雲の一部を財布から取り出した硬貨で購うとは一体どういうことなのか、がわからない。しかも僕の体は投射された映像なので、犬の声に脅かされてときどき揺れ、かすれ、虫の鳴くようなノイズを立てたりしている。「フレンチクルーラー」や「ポン・デ・リング」は、不定型な星々の集合体としてただ光り、見ているだけでも強烈な磁力線を僕の体へ流し込んでくる。そのはずだ。後ろからは犬の長い舌も伸びてくるだろう。どうすればいい?そう考えると僕は立ち止まってしまってまったく動けない。

 そんな夢から、午前六時に覚めた。ベッドから降りて潰瘍に苦しめられている胃に、いつもの重苦しさを感じながら、周囲の光景以上にその内臓感覚がリアルであることで、ようやく夢から覚めたのだと確信が持てた。そうしてみると夢の世界で実体をなくしていた自分はすがすがしい無重力状態にいたのだと気がつく。あの町並みの中で消えずに残っていた僕の芯、魂。それだって今こうしてポットから湯飲みに注いで飲む白湯の現実感に比べると、吹けば飛ぶような軽さだった。ああ、できるなら吹かれて飛ばされてしまいたい。窓は磨りガラスで何も見えない。けれどこの先には冬の曙光が海霧を輝かせる港があり、その奥から流れてくる、或いは奥へと流れていく漁船の影が、次々に浮かんできているはずだ。それは少し歩けば実際に見えてくる風景なのだ。何度か見たこともある風景、つまり現実の中で展開される幻想である。しかし、それは肉体と共にある僕の慰めにはならない。僕は夢の中の感情をもう一度なぞろうとする。夢の中の僕。世界と馴染むために自分が何をするべきなのかがちっともわからない、その僕。ともすればかすれて消えようとする僕を、僕はどうすればいい?今は記憶と予感の中にしか存在しない疑問と悩みがぐうっと捩れ、起点が終点と繋がって、もうそれは「フレンチクルーラー」なり、「ポン・デ・リング」なりの光るドーナッツに他ならない。とても甘い。

 では、「神」について語りたい。
  「神」はそれらしくまとまった存在ではなく現象です。もしくは現象として顕現するのです。
 と、かつてあなたは僕に言った。不思議だ。だから僕は毎日無意識に「神」を探していたようなのだ。あなたによれば、「神」は何処にでもいる。探せばどんな所にも必ずいる。だから僕を見ていない人、僕のことをまったく考えていない人の表情の中に、僕は「神」を見てとる。僕にとって「神」の依代は、特定の人ではなく、人が時間の中で獲得するフォルムであるようなのだ。たとえば、先日歯医者へ行って治療の始まりを待つ少しの間、仰向けに倒された治療用椅子の上で、歯科衛生士の藤村さんが窓へ向かいすっきりと背筋を伸ばして立つのを薄目を開いて見ていた。藤村さんはもちろん「神」ではない。この時の藤村さんと僕との関係に「神」が依り憑いたのだ。藤村さんは、僕のことや他の人のことをまったく見ていない。窓に貼り付いた虚空を見ていた。その濁りの只中に向け黒目がちな目をややつり上げて、罪あるものの総てを誅戮しようとしていた。はるか上空で水蒸気が凝結し始め、幾層にも重なり、終わりのない豪雨の準備が整っていく。あるいは最初のひと滴、それがすでに殺気を孕んだ弾となり、この地を狙ってひた走っているかも知れない。垂れていた藤村さんの右腕が浅く肘を曲げて持ち上がる。掌が脆い卵を包むようにすぼまり、その中から細い人差し指が伸びて足下の地表を指している。神話の身がよじれ、その蛇の頭を持ち上げた。
 この神話を生成しているのは診療用椅子の上の僕だったが、藤村さんからは遠く疎外されている僕でもある。僕は僕自身の想起する神話の体系自体からも完全に疎外されているが、にも関わらず神話の中心に位置する。今、この文章を記述する僕が診療用椅子の上を見ても、確かに僕自身の姿は見えない。大きな空白が診療機材に取り巻かれて椅子にかけている。その向こうにこの世の終わりを招来しようとしている藤村さんが立っており、「神」の依り坐す物語が、みっしりと鱗の詰まった大蛇となって、空白となっている椅子の上の僕の、小さな脳髄へ回帰しようとしている。瞼のない眼を持つ頭が顎を大きく開いて尾を噛むとき、僕はもう一度先日の夢の手触りを思い出す。新たなドーナッツが現れるのだ。結局僕は渇望する暗い穴だから、とてもお腹が空いている。ドーナッツが食べたい。砂糖でコーティングされた巨大な「フレンチクルーラー」の肌が、僕の周りをぐるっと巡っている。甘い匂いもする。
 物語の円環の中で、僕はこの文章の題名を『ドーナッツ』とすることに決めた。藤村さん、あなたに読んでもらいたい。


日暮れの鉄道

  鈴屋


鳴きすぎて 喉を裂き 血を吹き よぎる ひよどり 夕焼け
に 送電塔は身を焦がし  

森をめぐり 鉄橋をわたり 田畑の中を 一両きりゆく 電車
の 運転手は クレヨン描きの 紙の顔 
 
暮れて流れる車窓の山の端 いまだ まばゆさ 残るあたりに  
町から帰る 人妻が 昔の恋人の横顔かさね

薄闇よどむ山懐に 見つけた窓明かりの ふたつみつ ああ
あんなところにもある 人の暮らし

それから おもわず 口をついた さようならは はて だれに
告げたのか 当の人妻にさえ わからない

線路が見える庭の隅 貰われてきた子猫の 涙目に 映る信号
の 色変わり それはそう だれも 知らないこと


ベースボール

  んなこたーない

最初は平凡なライトフライだと思った。
しかし打球は八月の太陽に吸い込まれると、思いのほか、その滞空時間を伸ばした。
右翼手がスローモーションでそれを見送る。
やがて白球は静まり返った観客席の中段あたりに落下した。
時間がふたたび溶解するのは、それからしばらくしてである。
逆転サヨナラだった。
鷹揚にグランドを一周する背番号24に、ぼくらは惜しみのない喝采を送った。
ぼくは6歳。隣で弟を肩車しているのは、今は亡き若い父である。
もうぼくは彼の顔をうまく思い出すことができない。
ぼくは母の膝の上に座っている。まだ若く、髪が長い頃の母である。

父の人生は送りバント失敗のようなものだった、と、ぼくは考えている。
ぼくは16歳。毎朝、駅前へ抜ける道の角を曲がるたび、そこに面した家の飼犬に吠えられている。
父が大学紀要に載せた「戦前・戦後におけるヴァレリー受容とその変移」は無味乾燥としていて読むに耐えない。
葬儀の間中、弟はなんども欠伸を噛み殺している。
その様子を錯覚したのか、ひとびとは憐れみに胸を打たれているようだ。
数年ぶりに会った母は、すでに苗字が変わっていて、敬語でぼくに話しかけてくる。
A failure――、ぼくは呟いてみる、A failure――、と。

ぼくは26歳。代打要員である。
しかし新しく就任した監督は、ぼくの名前すら覚えていない。
ぼくは傍観者の目つきで、グランド上の選手たちの姿を眺めている。
ゲームは一進一退、白熱した緊張感と共に回を重ね、そして誰もぼくの名前を知らない。
ぼくは控え室の鏡の前で素振りをはじめる。
「誰にでも、生涯忘れられない一球がある」
それはかつて父がぼくに教えてくれた唯一の人生哲学である。
「誰にでも、生涯忘れられない一球がある」
内角高めに喰い込んでくる剛速球をイメージしながら、ぼくはもう一度バットを振った。
芯で捉えた打球は、緩やかな放物線を描くと、そのまま満員の観客席を越え、場外の彼方へ飛び去っていった。
ぼくは26歳。来月には妻の出産予定が控えている。
そうして、できるだけ高く
バットを放り投げたあとで、ぼくは、
ぼくの背後で沸き起こる、聞こえないはずの大喝采に、
しばらくのあいだ、耳を澄ましてみるのである。


月光

  飛黒

忘却と錯誤と混乱の深い霧の中
針先ほどの幽かな青白い月の光が
脳裏をよぎる
手には複雑にコードの絡まった目覚まし時計
誰の顔も
誰の名前も思い浮かばない
細い煙突から這い出てくる大男の影
時折たなびくロングコートの裾
大きな扉は徐々に閉じられてゆく
片足を失った老人は跛を引きながら杖を拾いに行き
その杖で子供を気の失うまで打ち続ける
この先の石段を数段昇った踊り場には
昨日失くしたビー玉が
月の光を吸い込んで徐々に膨れ上がっていく
やがて少年の泣き声が聞こえなくなり
大きくなったビー玉がゆっくりと石段を砕きながら転げ落ちた
老人の残った足を踏み潰しても止まることはなく
夜の街をゆっくりと縦断して見せた


遡行(マリーノ超特急)

  角田寿星

男は消えない光の柱を背に両腕を水平にひろげた。十字架のシルエットがまぶしく
俺たちは男を凝視できない。そのままゆっくりと倒れるように光の柱を堕ちていく
男。父さん!俺たちは駆け寄ろうとするがたちまち武装した住民たちに取り押さえ
られる。
父さん!父さん!

河の水面にまっすぐなレールが浮かんでいる。河を行き来する鉄道の軌道だ。
そこには小振りながら本格的な機関車が停車してあり手動のトロッコを覚悟してた
俺たちは思わず安堵の吐息を漏らす。こいつのエンジンはまさか…そのまさかさ
ね。ユニゾンドライブだよ。小型だが海洋特急と同じ仕様さ。いい技師が来てくれ
たんでね。

俺たちは森に生かしてもらってるような気がするんだ。男は云った。こんな防護マ
スクひとつで人喰いの真菌を防げるはずはないんだ。おかしいと思うだろ?

ぽんこつ同然のアクアバイクを引き取ってもらう。三人も乗せてよくまあこの距離
を稼げたもんだ。メンテナンスに骨が折れるな。宿番がバイクを裏に繋ぎながらひ
っそり毒づいた。これからはボートと鉄道と…歩きだ。まあ気にすんな。もとっか
らあのバイクは誰のものでもありゃしないんだ。ちょうどこの星みたいにさ。

「なあ あんちゃん俺さ
 時々ここが痛むんだよ 声がするんだ
 そうしてまでお前は生きていたいのか って
「で? お前の答えは
「イエスだよ もちろん」

客車代わりの屋根なし貨車にふたり脚を投げ出す。河幅の分だけ森が切れて青い空
がみえる。豆と小麦の袋を担いだ行商人に下流の村からやって来た男がいたか訊ね
るがそんな男は知らないと云う。
下流に村?そんなのあるもんか。男は吐き捨てる。管理局が残らず消しちまっただ
ろ。あれみたいによ。そう云うと男は上流にそびえる消えない光の柱を指差した。
空に溶けそうなくらいに消えない光の柱。

俺たちは河を遡る。ハクは親父さんの顔を知らないんだよな?うん。やれやれどう
すんだよあんちゃん冗談じゃねえぞ。まあ…河づたいの仮宿をしらみ潰しにあたっ
てみるさ。

「ちょっと待てよ俺たちはただ
 この子の親父を連れ戻しに来ただけで…
「あんちゃん駄目だ こいつら聞く耳持っちゃいねえ
「ピンチだな
「ああ 片腕片脚のハンパ野郎ふたり
「ぼくもいるよ
「それと棒っくいが二本
「ぼくもいるってば
「さあどうするよ キャプテン・エック
「なに いつもどおりだろ
 無駄な抵抗ってやつをしよう」

「俺はただ事故の真相を知りたかっただけだ…あいつ…あの娘は昔俺の妻だった…
 年格好がどんなに変わったって俺にはわかる…俺のユニゾンドライブがあいつの
 両脚も記憶も何もかも奪っちまった…俺たちの記憶の欠片をみつけるんだ…レジ
 スタンスなんて正直どうでもいいさ…息子?何のことだ。ハクは俺の名前だ。
 ぼくがハクなんだよあんちゃん」

仮宿番の案内で地下道跡をふかく潜る。ひび割れたコンクリートから少しづつ水が
漏れて俺たちは歩きながら団子状のパテを次々に埋め込んで補修していく。あんち
ゃんその…もしハクの親父が見つかんなかったら…どうすんだい…あの人のこと?
あんちゃんの杖の音が高くひびく。

ユニゾンドライブは兵器でもあった。違うか?
機器が散乱する小屋に技師はひとり腰かける。…帰って来たらこの有様だ。おかし
いことにどこのデータベースにも事故の記載がない。それどころか『内陸の宝石』
さえ存在しなかったことになっている…どうして俺だけ生き残っちまったのか…生
かしてもらってるんだよきっと。あんたも俺たちもおんなじさ。

冗談じゃねえよ!あんちゃんが珍しく怒気を孕んだ声で怒鳴る。俺たちがお前らの
位置をチクるだと?何のために義肢を置いてここに来たと思ってんだよ。俺たちを
見くびんじゃねえ。

俺とあんちゃんは技師とハクの顔を交互に振り返った。そっくりだろ…そっくりか
い?あいつの方が目つきが悪いだろ…いやいやそっくりだろ。口もとの皺とか…ハ
クも将来こんな顔になっちまうのかなあ…お前らいったいさっきから何なんだ。俺
たちは下流の村から来た。ここにあんたの息子もいる。もういいだろ還ろう。

俺たちは河を遡る。河畔の森が手を伸ばして空を隠そうとしている。あんちゃんが
上流を差して何か叫んでるが防護マスクと風の音で聴き取れない。俺は顎でかるい
合槌をうつ。


Ou est ma agneau

  雛鳥むく

日記帳、
欄外の余白を縮絨し
つくられた子羊に
錆びた針を飲ませる
わすれられた浜に
とり残された
もろい足跡のように
母の筆跡は、
幾度目かの春で途切れていた

郵便受けに手紙が
一通も入っていなかった朝、
どんなに柔軟な挨拶でさえも
遊泳魚のように
身を踊らせるねむりを
捕らえることができない
汚された不在届を
盾のように構えながら
ただ促されるままに
汽水で素足を濯ぐ
一方で、
Kimiと呼ばれた子羊たちは
桟橋から波間へと飛びこんで
跡形もなく蒸発し
まもなくみんな雲にかわった

そして、
それら名もなき雲が
しなやかに軋み
ねむったまま
目覚めることのない母の
痩せ細った躰を降らせる
背筋にはひとつ
縦にながい亀裂が入っており
ああ、これは
まるで蝉の抜け殻だ、

わたしは
乾ききった彼女の
たくさんの残骸を
戸籍謄本とともに焼却していく
そのころ、
空の上では
無人の成人式が
ひそやかに執り行われていた

居間で飼い慣らされた
鶺鴒と
交接をする
(とても孤独だったよ)
教則本の
硬質なにほんご
ゆるされた
ハーベスト、
子宮のなかで
子羊たちをKimiと呼び
呼ばれるために
蹄の墓場で夜を越す

あらゆる
指紋
そして
従属する
行方不明者
射精を
追う
メタファー

母の
無機質な猟銃が
子羊に向けられたとき
わたしは、
固有名詞を棄て
どす黒い血を吐くだろう
お母さん、これが
あなた自身の訃報です
郵便受けに手紙が
一通も入っていなかった朝、
柔軟な挨拶たちは
もう
母の名前を呼んではくれない
誰も
母の名前を知らない
 


主人がオオアリクイに殺されて1年が過ぎました。

  とうどうせいら

あれは忘れもしない
一年前の8月6日
仕事を終えて
家に帰ると
あなたは待っていた

フリルのお母さんエプロンを
ひらひらさせて

おかえりなさい
待ってたよ
ばんごはんの支度が
できてるよ

長い舌をちろちろ出して
オオアリクイが
キッチンから出てきたの

すぐに

ごめんなさい
シンガポールと
間違えてしまいました


きびすを返して
玄関に戻って
帰ろうとすると

玄関には
彼の靴と
わたしの靴が
ちゃんと並んでて
そこはわたしの家だった

いつもご苦労だから
ぼくが
ごはんを作りに来たんだ

オオアリクイは
わたしが持ってきた
スーパーの袋をとって
わたしのかわりに
手際よく
冷蔵庫に牛乳を
棚に明日のパンを
移し変えてくれて
椅子をひいて
蘭を飾った食卓へ
座らせてくれた

やさしくされるのって
久しぶりだわ

オオアリクイが煮込んだらしき
カレーは
きりりと辛いけど
なぜかまろやか

君が
一番好きなもので
作ったんだよ

こうばしいチャパティを
わたしのために
ちぎってくれながら言う

ベッドから
引き摺り下ろすのに
ちょっと骨が折れたけど
いいだしが取れたと
思う

……だし?

そういえば
彼は
どうしたんだろう

口にあったものを
思わず飲んでしまう

あわてて
寝室へ行くと

彼が朝着ていたはずの
黄色のワイシャツと
ピンクのネクタイと
青のパンツが
きちんと
折り目正しく畳んで
ベッドの上に乗っていた

彼が
カレーになっちゃった

わたしは叫んだ

泣くんじゃない!

オオアリクイは
わたしをぶった

食物連鎖 なんだ
みんな
何かを食わなきゃ
生きていけないんだ
悲しいけど
これが世の中の現実なんだ!

そう言って
ひょいとわたしを
かつぎ上げ
足をバタつかせるわたしを
どすんと椅子に座らせる

もうできてしまったものは
しょうがないじゃないか
命に感謝して
最後まで食べよう

わたしは
悲しかったけど
オオアリクイが

君はほんとうはいい子だ

って大きな手で
頭を
くりかえし
くりかえし
くりかえし
なでなで
すると

なんだかわからないけど
そんなもんかもしれない
気が
してきて

オオアリクイが
よそってくれた
二杯目を
受け取ってしまった

もしかしたら
昼間
書類を書いていた
て かもしれないし

ゆうべ
まどろみの中で見た
まるいせなか かもしれないし

一本一本
愛撫したゆびのついた
あのあし かもしれないし

なにを
食べているのか
知らないけど

旨みがじゅわっと
口に広がる
絶妙な味わい

こんな懐かしい味のものを
今までに
食べたことがあったかなあ

もう
喧嘩もしない
どこへも行かない
他の女の人達とお話もしない
仕事の時間がすれ違って
お互いの寝顔だけ
見るような日々も来ない

あなたがわたしに気づかず
振り返ってくれない時
すこしだけ遠い存在に
なってしまったような気が
してたけど

カレーになって
わたしのお腹に
きちんと入ってるから

もうそんなこと
なんにも考えなくていい

ひとつも心配しなくていい

大好きなあのひと

わたし
おいしいと思ってしまったよ

ごめんね

しゃくりあげながら
食べていると

君は悪くない

ってオオアリクイが
また
なでなでする

大きなカギ爪があるのに
なでる時は
爪が
わたしにあたらないのは

どうしてなんだろう


あれから
一年経ちました

ただいま

仕事を終えて
家に帰ると
オオアリクイが待っていて
わたしは
彼のばんごはんに
舌鼓を打つ毎日

スパイシーな
南国の味にも
ちょっと慣れてきた

でも時々
たまらなく淋しくて
なんにも手につかなくなる
オオアリクイは
だいじょうぶ? 
って言って
お水を持って来てくれる

水を飲むわたしを
いいこいいこって撫でる

彼は
とってもやさしい


ただ

ゆうべ
一周忌法要をすませて
眠っていたら
体がちくちくして
ぼんやり目をあけた

気がついたら
胸の上に
またがっていて
パジャマの
ボタンとボタンの
間から
長い舌をちろちろと
差し入れて

いろんな場所を
舐めようとした

くすぐったい
暑いよ

って
笑いながら
はらいのけて

わたしは寝てしまったけれど
















* * * * *



    ※「主人がオオアリクイに殺されて1年が過ぎました。」
   このタイトルで詩を書く企画に誘われたので。もともとは出会い系メールのタイトル。
    メール本文は下記参照
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BC%E7%BF%CD%A4%AC%A5%AA%A5%AA%A5%A2%A5%EA%A5%AF%A5%A4%A4%CB%BB%A6%A4%B5%A4%EC%A4%C61%C7%AF%A4%AC%B2%E1%A4%AE%A4%DE%A4%B7%A4%BF
 


憂鬱録より “火”

  南 悠一

身体を吊るし上げることから始めなければならない。女の足に縄をかけていくとき、彼女
は彼女なりの必死な表情をして、逃れようとする。形作られた表情自体、酷く歪んだもの
だ。嫌気がさして鞭打つ。注射した薬剤のために筋力が衰え、女は動くことができない。
植物のようにおとなしく、あたかも一つの生命体を成しているかのよう。だが、この女は
もはや生きてはいない。生かされているのだ。胸を覆う、細い指先の茂みを荒らすように、
私は手の甲を包み込み、愛撫する。女は自分の手で自分自身の乳をまさぐる格好になる。
やがて、それは私なしでも続いていく。

自涜とはこんなふうに、誰か他人から教えてもらうものなのだ。女の表情が快楽に変わっ
ていく。それが奇妙に歪んでいる、不自然に垂れた顔面の筋肉がそれを覆い隠していく。
あたかも女のもつ羞恥心の外皮がそれを覆うように。私は激しく鞭打って破壊することも、
棘で血だらけにすることもできた、せずにいたが。薬の効き目の悪さにがっかりして、そ
うした気力も起こらなかったのだ。筋弛緩剤の作用、先に注射したものが全身を巡ったこ
とによる、部分的な筋肉の解放に過ぎない。女の表情を止めることができないのは、薬に
よって解放されるのが理性のほんの一部でしかないという、よい一例だろう。アルコール
や覚醒剤が、薬、と概括されてしまうのは、それらが解放するのが、同様に部分でしかな
いからだ。そうしたものに思索を向けていなければならないほど、私は掻き乱されていた。
顔面筋肉の緊張と弛緩の領域、つまり表情を作った部分と作ろうとする部分が、モザイク
状に配列され、隣り合い、お互いに浸蝕しながら共存している。あたかも虚像が真実を覆
い隠すかの如く。それが恐ろしかった。

しくしく啜り泣く声。吊され、逆さまになった顎の輪郭に沿ってできた渓流が、髪から滴
り落ちていく。その肌は耳まで赤い。その源流は股間から波打つように震え、垂れていく。
オナニーの最中におしっこを漏らしてしまった、うぶな娘の様。苦い表情は尿に洗い流さ
れていく。私は動脈のある部分に針を刺す。血の噴水が顔に掛かり、女はまだ生きている、
視界は仄かに紅く遮られ、血塗られた窓の向こうの景色であるかのように錯覚する。遠近
感が失われていた。何か、途方もなく遠いものさえ、私の手元に、そう、この女の肉体に! 
この細い肉体が私にとっての真理ならば、どうしてその束縛に癒されるのだろう。“それ
は女が真理ではないからだ。女は、もはや形骸である。女というのは一つの形式である。”
という声。だが、私は否定しよう、これは真理だと。真理、それは血の美しさだ。血のも
つ、硬質な感じ、それはヘモグロビンの構造の中心から回帰する鉄の記憶、つまり歴史な
のだ。この血の中には悠久の時が流れている。溶鉱炉の中で燃えるとき。兵舎の冷たい夜
が更けていくとき。そうした印象の中でもとりわけ目立っているのが、戦地を飛び交う弾
丸として兵士の心臓の中に食い込み、血が噴き出すときだ。鉄が、鉄を散らしている。
もし私が錬金術師なら、女から金属を取り出すことを考えたかもしれない。地下から噴き
出したマグマのように、血は情熱、パトスを形容するメタファとして結晶した。それは真
理探究の精神と深く結び付いて、未だに「智」と「血」の発音の中に、その痕跡を残して
いる。

“消さねばならぬ。火を消さなければならぬ、女の内に眠る炎を消さない限り、私は……”
と、いくらかつぶやくのが聴こえた。狂気と錯乱が私を私から引き離していた。もはや、
つぶやきは私のものではない。私のつぶやきを後から繰り返し、何か耐えようのない痛み
に耐える仕草をする女のものだ。私は隅にあった消火器を持ち出して、力いっぱい殴り付
けた。鳩尾への衝撃、嘔吐、それらはすべて、予定されていた。私が殴る度、女は吐き出
す。反吐を生む機械。規律を遵守し、精神を喪失した機械としての肉体。外見上の美しさ
は衝撃の対価として失われていく。私は吊した縄は、部屋のフックに引っ掛かり、たった
一枚の戸で外界と隔てられているが、そこに決定的な形で破壊要素を導入すれば――戸を
叩く音が聴こえる、女の子たちが帰ってきたのだ――人目に曝され、芸術作品と化す。私
は物陰に身を潜めた。思えば、ここから侵入し、中で着替えていた女の子を襲撃したのが、
そもそもの発端なのだ。

女の子が二人、部屋に入ってくる。二人はその惨事に唖然とする、吊された女、吐瀉物、
消火器、傷痕、血、それらを目の当たりにして。直ちに物陰から飛び出して女の子たちを
いっぺんに縛り上げる。悲鳴。私には聞こえない。口を覆う掌にはその息だけが吹き掛か
る。“この二人には媚薬だ。”二人は背中合わせに縛られているのだが、そのうちの一人
を抱き寄せ、ワセリンを丁寧に塗って、愛撫し始める。メンソールを添加したワセリンは、
女の汗と混じり合い、膚が張り裂けるような強い爽快感を与える。女の喘ぎは、あまりに
も静かだ。けれども快楽の絶頂期において、やはり尿をちろちろと腿に這わせるのだった。
私はそれらをうまく紙コップに掬い上げて、媚薬を滴下し、程よく揺らして混ぜ、二人に
飲ませる。むせ返りながらも、なんとか飲み込む。最後に私もその残りを飲む。焼け付く
ような熱さが喉、食道、胃に浸透し、今にも破裂してしまいそうな激しさで血は踊った。
私は消火器を手に取り、弱々しい抵抗を続ける女たちの股間に向けて、発射した。悲鳴。
寂しすぎるほどに聞こえない。爆発の衝撃が陰部を貫いた。高濃度に圧縮された気体が、
一人、一人、と確実に消火していった。火は消えた。


日暮れの虹

  ただならぬおと

けぶる東京。ひとりなら
あるける。預言は果てた。
預言は果て
たひと
りならあ
るけあるけ、

わたしを氷釈させて
くゆる陽光の
角度が
読めない。朝で
突き離さないで
連想
しないで ね。わたしを
護ってあげるから
ね。掘り返された街路樹で
足もとがあぶれる。

放して。
少女で編んだ
スピカがほつれる。したたり消失点を
穿つ銀のしづく。シルエットに
還りたい。
これが
絵画に為れる

いう


嘘・解ってゐる?

太い棍棒の雨で
均された背、その
空洞を生き埋めにして

けないね。いけない子

透明な肩に
降りたいと思う小鳥を身体ぢゅうに集めて
あらん限りの輪郭をさしあげて
散散の自由。あを 抜ける 青
細い順に
指を透す・身の輪郭を通る
蹠・めくれる 内臓を
わたしに挿入

格子窓の外で白い影がさっとおちる。

食事を終えたテーブルで
わたしは生きてゐることにしようか
死んでゐることにしようか話しあってゐる。この席からはどんな夕焼けも格子状に見え、電線には鴉が絡まる。興味のない他人の笑いだけが谺してゐる。掃除婦の掃いて捨てた落ち葉が古井戸に
うようよと蛙として生まれ
変わって死んで
井の中を知らないわたしは
傍らで仕合わせと遇い復た遭いながらも
ずっと生きつづけ
る、

(((ねえ瞻る?)白い穴
虹に接触しそうに腫れた
飛行機ぐもの)白。放つ)白。
きづいた人から壁に囲まれて築かれた
白亜の城。覗き穴を
見られた馬鹿には興味なく 潰れる、
わたしは下衆の靴底でひねもす。

残酷な裸体は
捨てられてゐた荷物
の上で胸を開かれて
いく。氷の脊柱も
折れる音がしない・金属質
の遮断・冷たい頓
首・冷たい頓首


見ている。聞いている。

  右肩

 本郷の団子坂であなたがはたと立ち止まるのは、遂に滅びの到来を知ったから。胸ポケットに挿したシャープペンシルで、そのことをメモ帳に書こうとしたら、消しゴム部分のプラスチックキャップが外れて落ちた。跳ね落ちていって、側溝を塞ぐコンクリートの板の隙間から、暗いところへ消えていった。世の中が滅びるとなると日常も全部予兆になって動き始めるんだ、とあなたは多少いらついた。「シャープのキャップが消えていくように、わたしの命も消えていく」と誰にともなく歌の節を付けて呟き、あなたは何も書かないままメモ帳をポーチの外ポケットに戻した。それからキャップが無くなって白い消しゴムを剥き出しにしたシャープを、再び胸ポケットに挿す。あなたの頭の真上には、ファミリーマートのプラスチック看板と東京電力の電柱の変圧器が、距離を置いて縦に並んでいた。ジジジと微かな音を立てて、日本の良くできたシステムの一部が、今日も街で正確に作動している。あなたは歩き始めようとする。しかし歩き始めなかった。地球が凄まじく俊敏にぱかんと割れて、あなたと全人類がほぼ同時に死んでしまったからだ。滅びの予兆を綴ったメモ帳を涙ながらに読み返す、そんな情趣にすらも見放されてしまっていましたね、あなたは。あなたとあなたを含む全人類は。
 それであなたの魂は今、X星人の手元の捕虫瓶の中に、頼りない発光体となって捕らわれている。あなたは今でも多少いらついている。粉砕された地球から一人分だけ吸い上げられた魂として、広口のガラス壜に分厚いガラスの蓋をねじ込んだ、そんな空間でいいようにいたぶられるということ。それは、生前あなたが予想もしなかった末路だからだ。あなたの魂は直径三〜四センチの球状の浮遊する発光体だ。ガラス壜の湾曲した壁面に体をこすりつけるようにしてぐるぐると周回したり、上下の方向に行ったり来たりを繰り返している。それにしてもたかだか1リットルに欠ける程度の容量しかない壜だ。X星人は時々ライターの炎をガラス越しに近づけてみたり、あるいはマイナスドライバーの先をカチンカチンと打ちつけてきたりするが、逃げ場がない。そのたびに否応なくあなたは怯え、青から紫、赤、白、黄色など様々に変色していく。X星人はそんな有様を極真面目に楽しんでいる。また、X星人は剥き出しの魂に、剥き出しの言葉で話しかけてくる。魂の全体を振動させて伝達する言葉なので、耳を塞ぎようのないのが辛い。言葉の内容は、人はライオンの爪に裂かれるのと油をかけて燃やされるのと、通常はどちらを選びますか?とか、右手を真上に伸ばさせてその中指の先からとても細い針金を打ち込んでいったとしたら、それが心臓に届いて大変なことになるまでどんな具合の苦痛があるのでしょうか?とか、そんな益体もないことばかりだ。「英語のリーダーみたいに律儀な翻訳口調だ。恐いけれどつまらない。コワツマラナイってこと。」あなたが生きていたら、そんなふうにメモに書いておくところだ。だが、あなたは死んでいるから、人に関する何事にも直接関係を持てない。聞き流すしかない。
 時々X星人は自分の力を使って、生前のあなたの性的な記憶から夢に似た別次元を作り、そこであなたを遊ばせてくれる。最近あなたは自分からそれをねだるようにもなった。渋谷円山町。あなたはホテルのベッドで男に抱かれている。あなたが忘れてしまったので、このホテルに名前はない。あなたがよく覚えていないので、部屋のレイアウトもぼんやりとしている。鮮明なのは、よく乾いた白いシーツとベッドサイドにあるソファーの革張りの深紅だけだ。あなたを抱く男の顔もはっきりしない。あなたはその男を忘れたかったのかも知れないし、メディアのそれも含め、別の男たちのキャラクターが彼に溶融してしまっているのかも知れない。もやもやとしてよくわからない顔の男が裸体を重ねている。あなたの良いところは、そんなことをちっとも気にしないで、「ああん」とか「うふん」とか、楽しげによがり声を上げたりしているところだ。で、僕がその、あなたの妄想によって作られた、もやもやしてはっきりしない顔の男だ。僕は裸であなたと重なっている。誰だってそうかもしれないが、あなたは自分自身の身体に対してはっきりしたイメージを持っていなかったので、顔や手以外は割合大雑把である。きちんと造形されていない。僕は、それと見当をつけて背中らしきところに腕を回したり、乳房らしきところに顔を埋めてみたり、性器らしきところに性器らしきものを押し込んだりする。僕はあなたに「愛しているよ」と言ってみる。「もっと言いなさいよ」と言うので、僕は「もうやめよう」と答える。「結局僕はあなたの一部なんだからさ。際限もない自慰はみっともないよ」何処かで救急車のサイレンの音がする。数年前の円山町を、実際に救急車が走り抜けたのだろう。ドップラー効果による音の歪みが正確に再現されている。「あなたには、思い出すべきもっと大事なことが他にあるはずだよ」僕は射精らしきものを終えて、上から無遠慮にあなたへ体重を預けながら言った。あなたは重そうな顔を背けて僕から表情を隠そうとする。実際に配慮のない男からのしかかられてしまった惨めな経験があるのだ。「かわいそうに」と僕は言う。「一緒にここから逃げようよ」とあなたに言う。白く乾いたシーツの上で、顔を覆ってすすり泣くあなたの声がする。僕はあなたなので、これからあなたが言おうとすることはよくわかっている。
「やめて。X星人が見ている。聞いているわ」

文学極道

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