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2010年10月分

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* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


ベルゼバブ。

  田中宏輔



 コーヒーを飲み終えられたベルゼバブさまは、机の上に置かれたアルコールランプを手元に引き寄せられると、指を鳴らして、火花を発して火を灯されました。すると、ベルゼバブさまの前に坐らされておりました老人が、ビクンッと躯をふるわせて、そのゆらゆらと揺れ動くアルコールランプの炎に目をやりました。はじめてアルコールランプといったものを目にしたのでしょうか、ほんに、その眼差しは、狂った者の、恍惚とした眼差しでございました。ベルゼバブさまは、しばらくのあいだ、その老人の顔を眺めておられましたが、白衣のポケットから、折り畳まれたハンカチを取り出されると、それでスプーンの柄を持たれて、アルコールランプの炎の中に、スプーンの先を入れられました。スプーンの先は、たちまち炭がついて黒くなりました。ベルゼバブさまは、たびたび手を返されて、ふくらんだ方も、へこんだ方も、丹念にスプーンの先を熱せられました。そうして、ベルゼバブさまは、充分に熱せられたスプーンの先を、呆けた眼差しをアルコールランプの炎に投げつづける狂った老人の額の上に押し当てられたのでございます。すると、ギャッという叫び声とともに、老人の躯が椅子の上で跳ね上がり、寄り目がちの双つの眼がさらに寄って、瞬時に充血して、真っ赤になりました。狂った老人は、顔を伏せて、自分の額を両の手で覆うようにしてふるえておりました。ベルゼバブさまは、ふたたびスプーンの先を丹念に熱せられると、こんどは、それを老人のうなじに押し当てられたのでございます。老人は、グアーッという、獣じみた声を発して床の上に這いつくばりました。ベルゼバブさまは、その様子を飽かずに眺めておられましたが、わっしらもまた前脚をこすりながら、手術台の上に横たえられた女の死骸の上から、その這いつくばった老人の背中を見下ろしておりました。それは、毛をむしり取られ、傷だらけにされて群れから追い出された老いぼれ猿のように、まことに醜く無惨な姿でございました。ベルゼバブさまが、このような老いぼれ猿の姿をごらんになられて、いったい、どのようなお歌をおつくりになられるのか、ほんに、楽しみなことでございます。あれは、いつのことでありましたでしょうなあ。わっしらがむさぼり喰らうこの女が絶命し、ベルゼバブさまが、この女の胎の内から血まみれの赤ん坊の肢体を引きずり出されたのは。そうして、ベルゼバブさまは、その赤ん坊の首を、まるで果実を枝からもぎ取られるようにして引きちぎられると、ぐらぐらと煮え立つ鍋の中に放り投げられました。すると、その赤ん坊の首が、激しく沸騰する熱湯の中で微笑みを浮かべて、ゆらゆらと揺れておるのでございました。あのとき、ベルゼバブさまが、わっしらの前で詠まれたお歌は、ほんに、すばらしいものでございました。


   ひとり居て卵うでつつたぎる湯にうごく卵を見ればうれしも   (『赤光』)


 いえいえ、もちろん、このお歌ばかりではございません。斎藤茂吉のお名前でおつくりになられた、どのお歌も、まことにすばらしいものでございます。仮のお宿のひとつになさっておられる、この気狂い病院で、ベルゼバブさまは、ほんに、たんとの、すばらしいお歌をおつくりになられました。


   狂人に親しみてより幾年(いくとせ)か人見んは憂き夏さりにけり   (『あらたま』)

   みやこべにおきて来(きた)りし受持の狂者おもへば心いそぐも   (『あらたま』)

   きちがひの遊歩(いうほ)がへりのむらがりのひとり掌(て)を合す水に向きつつ   (『あらたま』)

   ダアリヤは黒し笑ひて去りゆける狂人は終(つひ)にかへり見ずけり   (『赤光』)

   けふもまた病室に来てうらわかき狂ひをみなにものをこそ言へ   (『あらたま』)

   暁にはや近からし目の下(もと)につくづくと狂者のいのち終る   (『あらたま』)

   ものぐるひの屍(かばね)解剖(かいぼう)の最中(もなか)にて溜(たま)りかねたる汗おつるなり   (『あらたま』)


有り難いことに、使い魔たる、わっしら、蠅どものことをも、ベルゼバブさまは、たんと、たんと、お歌に詠んでくださっておられます。


   留守居して一人し居れば青(あを)光(ひか)る蠅のあゆみをおもひ無(な)に見し   (『あらたま』)

   汗いでてなほ目ざめゐる夜は暗しうつつは深し蠅の飛ぶおと   (『あらたま』)

   ひたぶるに暗黒を飛ぶ蠅ひとつ障子(しやうじ)にあたる音ぞきこゆる   (『あらたま』)

   あづまねのみねの石はら真日(まひ)てれるけだもの糞(ぐそ)に蠅ひとつをり   (『あらたま』)


 ベルゼバブさまは、手を伸ばされると、気の狂った老人の頭をつまみ上げられて、壁に叩きつけられました。ゴンッという、大きな鈍い音とともに壁が揺れ、干からびた猿のような老人の死骸が床の上に落ちました。老人は声を上げる間もなく、絶命しておりました。治療室の白い壁の上に、血まみれの毛髪と肉片が貼りついておりました。ベルゼバブさまは、立ち上がられて壁のすぐそばまで寄って行かれると、その壁面の模様を、しばしのあいだ眺めておられましたが、突然、なにかを思いつかれたかのように、その壁面を指さして、机のある方に向かって歩き出されました。それで、わっしらは、その合図にしたがって、切り刻まれた女の死骸から離れて、血まみれの壁の方へと向かって、飛び立ったのでございます。





                       *引用された短歌作品は、すべて、斎藤茂吉のものである。


ふゆのうた

  ひろかわ文緒


瞼をひらいて
おれんじの灯りを
つけたまま眠ってしまった
ことに
きづいた朝
さみしかったあたしの
ぬけがらが
風のないベッドのうえ
揺れていました
まどのそと
煤けたそらが
ふてくされたように
横たわっています

ひだまりの階段をおりると
ぴあのの鍵盤が
床いちめんに散らかっていて
それはきっと
かみさまのしわざに
ちがいありませんでした
きのうの夜
ゆめのなかでかみさまが
こどものかたちで
わらいながら
ドビュッシーの音みたいに
星をはじいていたのを
みましたから

洗面台に水をはり
顔をあらおうとしたら
ちいさなたびびとが
水のほとりに
おぼつかないあしどりで
やってきました
ちいさな水筒に
わずかな水を汲み
きょろきょろと周りを
みわたしたあと
すぐに消えてしまいました
波紋はきしべを
うったのを確かめてから
しずかになります
(なりました)

まちかどで
かーでぃがんを羽織って
ぬくもっていると
毛糸のすきまから
「またいつか」や
「どこまでもずっと」が
アルファベットみたいに柔らかく
しみこんできて
こわいくらい
からだになじんで
だから
あたしのあしたやきょうは
あてのない約束で
できているのだと
おもいます
くりかえして
くりかえして
生活のふりをして

プラットフォームにて
だれかの落としたてぶくろが
まだだれかの
てのかたちを
おぼえて待っています
おぼえていると
わからなくても
記憶を
あらわすことは
できます
いきていなくても
いきているより
はるかに
じょうずに

家の鍵をあけるときの
無防備なせなかを
たくさんのおばけたちが
のっくもせずに
とおりぬけていきます
かちゃんと
ドアノブをまわしたら
部屋にはやみがあって
あたしはきちんと
ひとりでした


とうめいの夏

  イモコ

いかないで、なんて
あなたに言うための価値を私は持っていないのでした

思い出すだけで腹のなかが鉛筆のぐるぐるでいっぱいになる
あの、なつの、おまつり、あなたと、いった、なつの、おまつり、あのこも、いた、なつの、おまつり

さみしかったのです
あたまがふわふわして
あなたとうまくはなせなかった
ずっととなりで話し続ければよかった
あなたを離さなければよかった
どうしてだか、
あなたのとなりに、わたしがいなくなって、とても、さみしかったのです
つたないと、わかってはいます
いつもとなりにいたのに
手もつなげない
そのことにもどかしさを感じていた
それはわたしだけですか

まっくらい夜道のなか、ひとり、浴衣で
紺の浴衣と白い鎖骨が夜に染み込んでいきそうなのを
堪えていました
呼吸をとめて、あなたが振り返るのをじっと待っていました
時折みえる横顔は、優しく、あまり見ないもので、私は鉛筆のぐるぐるに巻き込まれて千々に、ちりぢりに
夜のなか、透明はどこまでも透明で、だれにも気付かれることなく、白い鎖骨をこぼれ、胸の間をゆるやかに渡って全身をまっさらに冷やしてゆきました

透明は体にうつります
私を透明にします
私は澄んだ夜に溶け
鉛筆のぐるぐるが
水にひたしたそうめんのように
ちりぢりにほどけて
いつのまにか
なにもない
透明だけ
夜と同じ、透明だけ

自販機の白い光で
私だけが残る
白いうなじと淡く光るうぶげ

いつのまに、

みんな蛾のように
自販機の前で止まっていました
うようよと前後し、前に行ってボタンを押しては右や左にずれ、まただれかが前に行って
だれがだれだか分かりません
鉛筆の、ぐるぐる
あなたは自分のためではないボタンを押して
ガコンと、空からタライが降ってきた音に打たれ
頭を地面にこすりつけて
無作法にも自販機の口に手をつっこんだ


手を引き抜いたとき手首から先がありませんようにと何度か願いました


またしばらく歩くと
夜がくっついてきて
私はうん、うん、とうなずきながら
透明に、
水に浸したそうめん
まっさらでさみしい
下駄はまだカンコンと音をたてて
規則正しく
しばらく聞き入っていると
あなたのとなりにいて
なんだかよけい、さみしかったのです
透明が夜になって私のまわりをかこっていく
あなたはそっと話しかけてくる
透明が色を持って私になっていく
鉛筆の、ぐるぐる、が
消しカスのようにぼろぼろとちぢれている

いかないで、そんなことも言えずに、鉛筆のぐるぐる
そばにいて、そんなことも言えずに、夜に呼吸する

小さな公園に着いて
手持ち花火を広げる
私は一人木馬に座る
おおきくゆれるたび
夜にまかせて透明が
溶けて夜になりたい
一人でいるといつも
あなたがそばにきて
他愛もない話をする
私はそれを待ってた
あなたが一番に来る
溶けきらないように

あなたがそっと寄ってきて花火、やれよ、やだ、せっかくだろ、いやだ、もってきたるから、いらない、ふつうのでいいよな、…、ほら、…
あなたから火をもらう
辺りがいっぺんに明るくなって私の頬に色がうつる
少しでも、美しくみえないでしょうか
いまさら、遅いのですが
あなたがくれた花火はしけっていたのか
すぐに、終わってしまいました
すぐに、終わってしまいました
すぐに、
透明が唇を濡らした

あなたとあのこが、花火の片付けに公園に残り
私は一番に横断歩道を渡りました
全部、嘘になるように祈りながら
みんなを待つふりをして
あなたを待ちました
あのこが溶けてなくなっているように祈りながら

下駄の緒が真ん中から外れていました
誰にも気付かれず駅まで裸足で歩きました
アスファルトも夜に染み込んでいて
私をそっと透明にひやしてくれました

本当に夜になれたらいいのにね、と、紺色の浴衣が私に向かってないていました


ぷちん、

ぷちん


Re:Re:

  村田麻衣子


聴こえてくる神様とのおしゃべり
で、眠りにつけないんだ って。
コンクリートに埋めても充填しな
い空腹感、それはちらつく淡い希
望に支配されゆくわたしたちで。
いつだって、窒息できるから ボ
ートにのっけてあげた。空を見る
と、向こう岸のホームレスの顔が
見えない。スピーカーの近くはざ
らざらした感触、胸に触れた手に
は垢

目をみひらいた まっくらな真夜
中にもういちど目を覚まそうとす
る、肌が透き通って、子たちは 
粒子を真昼の試験管から 取りだ
せないからっぽになる瞬間 手に
触れた液体に溶けてはっとする。
ベイビーが、ネイビーに馴染んで
ぶるーを あおく感じないことが
ある あなた制服は似合わないけ
れど 一昨日のミリタリージャケ
ットよく似合ってた わたしを好
きって言ったけれどそれは、何世
代目なのかしら わたし、骨折ぐ
らいじゃ死なないのよ

えいえんを築くものがあるんだっ
て、消耗品とそうでないものに分
けてから自転車を廃棄した。それ
に乗って遠くへ行きなさい やけ
に声がとおったことに気づいて 
言ってしまったことを悔やむから
。二度と代弁して欲しくなんてな
い ふたりめのわたしなんて ね
え 神様 ここに自転車をとめた
って覚えているのかしら


『斎藤茂吉=蠅の王(ベルゼブル)論』。 

  田中宏輔




 ボードレールの作品世界に通底している美意識は、詩集『悪の華』(堀口大學訳)に収められた詩の題名によって捉えることができる。たとえば、「不運」、「前生」、「異なにほひ」、「腐肉」、「死後の悔恨」、「幽霊」、「墓」、「陽氣な死人」、「憂鬱」、「虚無の味」、「恐怖の感應」、「われとわが身を罰する者」、「救ひがたいもの」、「破壊」、「血の泉」、「惡魔への連祷」などである。

 本稿では、前半で、これらの語群をキーワードとして用い、斎藤茂吉の作品世界に、ボードレール的な美意識が表出されていることを示し、後半で、「蠅」がモチーフとして用いられている茂吉の短歌作品を幾首か取り上げ、『斎藤茂吉=蠅の王(ベルゼブル)論』を導き出し、その作品世界を新たに解読する手がかりを与えた。


     夕さればむらがりて来る油むし汗あえにつつ殺すなりけり     (『赤光』)

     をさな妻こころに守り更けしづむ灯火(ともしび)の虫を殺しゐたり     (『赤光』)

     宵ごとに灯(ともし)ともして白き蛾(が)の飛びすがれるを殺しけるかな     (『あらたま』)

     ゆふぐれてわれに寄りくるかすかなる蟆子(ぶと)を殺しつ山の沼(ぬ)のべに     (『ともしび』)

     ちひさなる虻にもあるか時もおかず人をおそひに来るを殺しつ     (『石泉』)


 これらの歌は、きわめて特異な印象を与えるものであった。害虫退治という題材が特殊なためではない。害虫退治が題材であるのに、ここには、害虫に対する嫌悪や憎悪といった表現主体の悪感情がほとんど見られないためである。悪感情もなく、害虫を殺すといったことに、なにかしら、尋常ならざるものが感じられたのである。


     ゴオガンの自画像みればみちのくに山蚕(やまこ)殺ししその日おもほゆ     (『赤光』)

     河豚の子をにぎりつぶして潮もぐり悲しき息をこらす吾(われ)はや     (『あらたま』)

     さるすべりの木(こ)の下かげにをさなごの茂太を率(ゐ)つつ蟻(あり)を殺せり     (『あらたま』)


 子供ならば、面白がって害虫でもない小動物を殺すことがあるかもしれない。しかし、そのことによって、自分のこころが慰められているのだという認識はないであろう。あるいは、そう認識するまえの段階で、そのような行為とは決別するものであろう。しかし、茂吉は、そう認識しつつも殺さなければならないほどに、こころが蝕まれていたのであろう。


     むらぎものみだれし心澄みゆかむ豚の子を道にいぢめ居たれば     (『あらたま』)


このような歌を詠まずにはいられない茂吉の心象風景とは、いったい、いかなるものであったのだろう。


     唐辛子(たうがらし)いれたる鑵(くわん)に住みつきし虫をし見つつしばし悲しむ     (『白桃』)

     昆虫の世界ことごとくあはれにて夜な夜なわれの燈火(ともしび)に来る     (『白い山』)

     砂の中に虫ひそむごとこのひと夜山中(やまなか)に来てわれは眠りぬ     (『白桃』)

     たまきはる命をはりし後世(のちのよ)に砂に生れて我は居るべし     (『ともしび』)


 これだけ昆虫を殺しながらも、その昆虫、あるいは、その昆虫の世界を哀れに思い、自身が昆虫に転生するような歌をもつくるのである。茂吉は、かなり振幅のはげしい嗜虐性と被虐性を併せ持った性格であったのだろう。


     鼠等(ねずみら)を毒殺せむとけふ一夜(ひとよ)心楽しみわれは寝にけり     (『暁紅』)

     狼になりてねたましき喉笛(のどぶえ)を噛み切らむとき心和(なご)まむ     (『愛の書簡』)


 まことに陰惨な心象風景である。しかし、このようなこころの持ち主には、小胆な者が多い。そして、そういった人間は、しばしば神経症的な徴候を示し、病的ともいえる奇矯な振る舞いに及ぶことも少なくない。


     この心葬り果てんと秀(ほ)の光る錐(きり)を畳に刺しにけるかも     (『赤光』)

     ふゆの日の今日(けふ)も暮れたりゐろりべに胡桃(くるみ)をつぶす独語(ひとりごと)いひて     (『あらたま』)


このように病んだこころの持ち主が、異常なもの、グロテスクなものに、こころ惹かれるのも無理はない。


     一夜(ひとよ)あけばものぐるひらの疥癬(かいせん)にあぶらわれは塗るべし     (『ともしび』)

     うち黙(もだ)し狂者を解体する窓の外(と)の面(も)にひとりふたり麦刈る音す     (『あらたま』)

     狂者らは Paederasie をなせりけり夜しんしんと更(ふ)けがたきかも     (『赤光』)

     あたらしき馬糞(まぐそ)がありて朝けより日のくるるまで踏むものなし     (『ともしび』)

     狂人のにほひただよふ長廊下(ながらうか)まなこみひらき我はあゆめる     (『あらたま』)

     けふもまた向ひの岡に人あまた群れゐて人を葬(はふ)りたるかな     (『赤光』)

     墓はらを歩み来にけり蛇の子を見むと来つれど春あさみかも     (『赤光』)

     朝あけていろいろの蛾(が)の死(しに)がらのあるをし見れば卵産みけり     (『白桃』)


これらの作品には、どれにもみな、ボードレール的な美意識が表出されているように思われる。


     ものぐるひの声きくときはわづらはし尊(たふと)き業(なり)とおもひ来(こ)しかど     (『白桃』)

     十日なまけけふ来て見れば受持の狂人ひとり死に行きて居し     (『赤光』)

     死に近き狂人を守るはかなさに己(おの)が身すらを愛(は)しとなげけり     (『赤光』)

     うつせみのいのちを愛(を)しみ世に生くと狂人(きやうじん)守(も)りとなりてゆくかも     (『この日ごろ』)


 精神科医であった茂吉の、気狂いに対する ambivalent で fanatic な思いは、どこかしら、彼の昆虫に対する思いに通じるところがある。ボードレールもまた、つねに ambivalent で fanatic な思いをもって対象に迫り、それを作品のなかに書き込んでいくタイプの詩人であった。


     まもりゐる縁の入日(いりび)に飛びきたり蠅(はへ)が手を揉むに笑ひけるかも     (『赤光』)

     留守をもるわれの机にえ少女(をとめ)のえ少男(をとこ)の蠅がゑらぎ舞ふかも     (『赤光』)

     冬の山に近づく午後の日のひかり干栗(ほしぐり)の上に蠅(はへ)ならびけり     (『あらたま』)

     うすぐらきドオムの中に静まれる旅人われに附きし蠅ひとつ     (『遠遊』)

     蠅(はへ)多き食店にゐてどろどろに煮込みし野菜くへばうましも     (『遠遊』)


「蠅」が茂吉の使い魔であることは、一目瞭然である。「蠅の王」(ベルゼブル、ベルゼブブ、あるいは、ベルゼバブ)は、蠅を意のままに呼び寄せたり、追い払うことができるのである(ユリイカ1989年3月号収載の植松靖夫氏の「蠅のデモロジー」より)。「ベルゼブル」は、マタイによる福音書12・24や、ルカによる福音書11・15によると、「悪魔の首領」であるが、茂吉に冠される称号として、これ以上に相応しいものがあるであろうか。demonic な詩人の代表であるボードレールに与えられた「腐肉の王」という称号にさえ、ひけをとらないものであろう。

 つぎに、茂吉を、「蠅の王」と見立てることによって、彼の作品世界を新たに解釈することができることを示してみよう。本稿の目的は、ここに至って達成されたことになる。


     ひとり居て卵うでつつたぎる湯にうごく卵を見ればうれしも     (『赤光』)


 一見、何の変哲もないこの歌が、「卵」を「赤ん坊」の喩と解することによって、「ひとりでいるとき、赤ん坊を茹でていると、煮えたぎる湯のなかで、その赤ん坊の身体がゆらゆらと揺れ動いて、それを眺めていると、じつに楽しい気分になってくるものである」といったこころ持ちを表しているものであることがわかる。


     汝兄(なえ)よ汝兄たまごが鳴くといふゆゑに見に行きければ卵が鳴くも     (『赤光』)


「卵」を「赤ん坊」と解したのは、この歌による。

 拙論にそって、斉藤茂吉の作品を鑑賞すると、これまで一般に難解であるとされてきたものだけではなく、前掲の作品のように、日常詠を装ったものの本意をも容易に解釈することができるのである。




                                            *引用された短歌作品は、すべて、斎藤茂吉のものである。


Rainy seconds

  破片

背中では、ショパンが、
まだ生きていた、
ゆるやかな停滞を
微笑む、
一時も眠らない雨、
動かずにいた世界、
影のようなピアノに、
かの相貌が、
降りた
音を扱える友人、

時計が刻む一秒間、
埃まみれのアスファルト、
屋根から屋根へ走る背広、
梢の中で脈打つ若葉、
そして濡れていく
自分で淹れた
コーヒーの温度に、
息をついて、
数えきれない
その一秒、

やまない
スタッカートが、
垂らした、一筋、
偏在する始点、
つまり「わたし」
仄暗い、
世界の隅、
この部屋から
拡充して描かれる
地図を、
求めてた、

言葉の尽きた
歌を
うたおうとおもう、
そのブレスの度に、
わたしたちはうまれる、
向かう先のない、
読点が
存在するかぎり、
吐息に潰れた声で、
雨空を近づけて、

アコースティックベースのピックに、
暖色照明で浮かんでく部屋に、
マルボロの燃える香草に、
友人が組んだメジャーなコード達に、
宿る、素粒子の
わたしたちは、
雨粒となっていくから
世界が休む、
こんな日、
受け止めきれない
見たこともない、
星くずのカタチした
一秒が、
降ってくるんだ


正午

  リンネ

 そこには、証明写真の撮影機が立っていた。ボックス型のよく見かける何の変哲もないものだ。奇妙なのは、それが設置されている場所である。なぜ公園の真ん中に置いてあるのか。

 私は昼食にいつもここを利用している。だいぶ早めに来ているので、自分の他にはまだ誰もいない。公園には一面、白い砂が敷かれていて、そのせいで日の光が強烈に反射している。だからだろうか、ここにいると、妙な陶酔感を味わう。きっと、足元から照らされて、その浮力をなんとなく感じ取っているからだろう。ただ、理由などたいした問題ではない、ともかく、それは心地よいのだ。
 その撮影機は円形の公園の、ちょうど中央に設置されていた。明らかに周囲の景色から浮いていて、見ているとなんだか居心地が悪い。なるべく気にしないようにしながら、隅にあるベンチに座ってそそくさと昼食をとり始めた。

 いつからか、思い出せないが、私は夢を見ている。窓のない窮屈な廊下。その先は暗闇に消えている。歩き続けていると、向こうからろうそくの炎が近づく。危なげで、消えてしまいそうな明かり。人だ。宙吊りになっている。ろうそくはその人に握られている。私に気がつくと、わざとらしくほほえんだ。だから私も笑おうとする。が、顔が引きつって、できない、その人は左右に揺れはじめる、ろうそくの明かりが半円を描く、私もゆらゆらと、静かに動き始める。
 さかさまの人と踊るのは初めてだ。お互い上下があべこべで、思うようにいかない。強引に相手を引っ張りまわす。すると顔が擦れ合い、とたん、いきおいよく炎が爆ぜた。まるでマッチだ、燃えながら、左右に揺れあう、そしてさかさまの愛撫。
 いきなり、私は落下した。いや、そうではなくて、相手が浮き上がっていく、気づけば天井が消えている、みるみるうちに遠のきながら、その人が何かを叫ぶ、それはほとんど聞こえない、オモイダシテ、と言ったような気がした、だが、私にはどうしようもなかった。

 はっと目を開くと、視界に光が溢れる。突き刺さるような目まいがし、視神経が耐え切れずスパークした、次の瞬間、私は、一枚の証明写真の中にいた。

 向こうに、ベンチが見える。男が力なくうつむいているが、眠っているのかもしれない。私は写真取り出し口の中で、これからのことを考えた。まさか、このまま写真の中にいるわけにもいかないのだ。しかし、どうやら写真には出口もなさそうだし、現状なす術なしというところである。そしてなぜか、頼れるのはあの男ぐらいしかいない、ということが分かっていた。幸い、かれは私に気がついたようだ。弁当を持ちながら、じっとこちらのほうを見つめている。おかしな話だが、かれとここで待ち合わせをしていたような気もする。  
 だが、一方でやはり私は不安である。どうしてもオモイダセないのだ、夢の中で踊った相手は「他人」だったか、それとも「私」だったか、もしそれが他人ならば、私はこう結論する、ベンチにいるあの男こそが現実の私であり、ここにいる私は単なる証明写真に過ぎないと、しかし、もしも踊った相手が私自身だったならば―――さかさまだったのは、どちらの私だろうか?

 私は、その薄っぺらな証明写真を手に取り、覗き込んだ。やにわに写真はするりと手から滑り出し、地面に落ちる間際、吹き消されたように無くなってしまった、思わず落ちたはずの場所を触ってみたが、砂が眩しくて、よく見えない、公園には一面、白い砂が敷かれていて、そのせいで日の光が強烈に反射している、ここにいると、妙な陶酔感を味わう、きっと、足元から照らされて、その浮力をなんとなく感じ取っているからだろう、……まだ、夢は続いているのだろうか。
 正午を過ぎ、公園には、ぞくぞくと人が集まってくる。
 私は気づかれないようにそっと、カーテンをあけ、撮影機の中に入った。


秋の日

  田中智章



(異様な音)
触れることで繋がり、(すなわち離れ、)
空白になる背後、
ほと息を吐く。離れる。つづき。
軒先から身を離す水から
空までの道のりと。
振動の上に振動が置かれ、
しかし互いに距離は保ったままで、
落下する方が判らないまま静止している。
鍵を開けると羽ばたいて行ってしまった、
雲の縁のような暗さがたなびき、
人のかたちになって陽を浴びる、
雪のごとき融解。走り抜ける痛みで霧散する、
理のこわさをばらばらにして、
雲と混ざりゆっくり流れていった、
(私が流した)
 
 


木杭

  鈴屋


秋は正午、いましも
日が傾くとき

私は荒れ地の高みにつっ立つ古い木杭だった、しかも
荒れ地の高みにつっ立つ古い木杭は私だった

私は木杭として
地に穿たれ微動だにできない
それが悪い事態とは考えない
つまり、考えない

自分の身柄を見ることはない
ただ、砂地におちている棒状の影に私を見出す
先端に一羽の鳥の影を見ることもある

影の傍らには、一輪の白い花が咲く
影が移り花を暗くする
すぐ明るくなる

見晴るかす地平の一画
石の街区を曲がっていくあの私
一脈の川を渡っていくあの私
そんなふうに
幾多の私が私を剥がれ、去った

あの私らはもはや私を捨てた
私も捨てた

私は木杭として
楽しくも悲しくもない
たとえば、葉擦れの囁き、線虫が描く数字、砂の上の発条
身辺の
ありもしない謎に遊ぶことはある

私は木杭として
つねに、とても気持ちよく私を忘却する
荒れ地の高みにつっ立つ古い木杭は私を忘却する


新種果実

  村田麻衣子

外気に触れているそれぞれが陽
光を含んでいるからいちいちや
けどして 傷があるからやさし
くなれるの、ほっといたってな
んらかの形にはなるのよ 欠陥
じゃない たべられるものは、
みんな既製品だから。

とびきりの完全後みせびらかす、
陽光に慣れさえすれば そうや
って実現不可能な生き残りに 
かけて熟れたからだって、実質
あたまうち。わたしがあいつと
いちゃいちゃしてるとこ 見て
たじゃないどうして。わたしと
完成しようとしないで 痩せす
ぎたからだに気づいてから 目
を見て あんたに何が起こった
んだ? って、わたしは目を見
てなんにも言わないで できた
ら ゆびだけにしよう活性化し
た枝みたいなあなたの そうや
って

なまえをつける 好きなひとっ
て言い方で呼ばれたいだって名
詞みたいでしょう おっきな概
念から果実もぎとるみたいに 
おやゆびなんて、はいんないわ
ただ ちょうどよくなりたいだ
け暴かれた夏に浴びせかえる、
肌の色すら消耗する


(無題)

  イモコ

生ぬるい草に
ちらばった弁当箱から
ゆっくりと
母の持たせてくれた
小瓶をとりだし

ひとつまみ
かたつむりに
もうひとつまみ
かたつむりに

浸透圧が、拡散が、と
今日の授業でならったものですから
つい

のけぞり
背をまるめ
ころがり
そうして縮んでゆく姿が
なんとも愛らしく
かたつむりに
口付けを
いえ、ばっちいのでしませんが

口付けを
しなければいかれない
心持になったのです

のけぞり
ころがる
その姿を見ていたら
とてもかわいそうな気持ちになって

だれがこんなことを!

と、急いで水筒を手繰り寄せ
からまる指でくるくるとフタを開け
烏龍茶を狙いのさだまらない手で
どぼどぼと、とにかくどぼどぼと
注ぎました

やせ細ったカタツムリは
しだいに太りだし
助かった、

と思うと水に映った真っ青の空が
横目に映えました

太りだしたと思ったカタツムリは
表面にたくさんのゼリーの皮をかぶって
内側で硬く固まっていました
ウィンナーを刺していた串でつついても
ゼリーがほどけていくだけで

 蝸牛の角のしまっているときは
 空が晴れるのですって、君

 蝸牛の角をだしていたから
 雨と思って迎えにきたんだと
 君が言っていたからですよ、君
 うすべにの傘を持って 

カタツムリは難くとじている
即ち、晴れ

水溜りの青が
そうだ
とかぶせてくる
わかっていますとも、ええ

肌を烏龍茶がぬらす
足も、腕も、
うす桃色のワンピースなのに
烏龍茶色になってしまっては困るのです、君
今すぐ、私の、うすべにの傘を持って
迎えにきてください、君

歩けないのです、どうか
あぁかたつむり つのをだせ




私は、なんてことを!


インテリジェント・デザイン

  yuko

紅海が干上がって
分岐するわたしたちの
背骨をなぞる
あなたの細い指が
たとえば追われて
歩いていくひとたちの
足取りのたしかさに
罅割れていくのだとして
あなたは誰でもなく
緯度の勾配に沿って
流れていく
血潮を速くして

あなたは
誰のものでもなく
誰でもなく
おかあさん、
あなただけがしるしでした

そこは暖かな海で
わたしたち手をつないで
毒を飲み込んで生まれました
甘やかな隊列で
夜を越え朝を越え
氷河期のこどもたちは
石を打ちつけて頭を割った

たとえば追われて
歩いていくひとたちの
足取りのたしかさに
失われた色覚細胞が
瞬くことはなくても
わたしたちは誰でもなく
緯度の勾配に沿って
流れていく
血潮を速くして
骨盤の関節が
すこしずつほどけていく
夜明けに
罅割れた大陸を
舟で渡る


詩片1

  ヒダリテ

* 郵葬   

僕は生きたまま
棺桶の中
喪服姿の母が言う

「お手数ですが
 切手をお貼りください。」

たくさんの切手が
僕の顔に貼られる



* 儀式 その1

嫁入り前の娘が嫁入り前夜
シカゴカブスのヘルメットを目深にかぶり
鎖がまを体中に巻き付け、家々を回り
眠っている子供たちに
筆ペンを投げつける
という東北地方に古くから伝わる習わし



* 風景

冬の浜辺、曇天の空の下、
一組の若い男女が言い争っている。
と、突然、女は、傍らのテトラポッドをぎゅっと抱きしめ、
男に向かって叫ぶ。
「あたし、この人と一緒になるから!」



* 親切な昆虫図鑑

【キリギリス】
 バッタ目(直翅目)キリギリス科に分類される昆虫。
 広義にはキリギリス科の昆虫を総称して呼ぶこともある。
 リスではない。



* 儀式 その2

夕陽を浴びながら
下半身を露出した男が一人
ピラニア巣くう
アマゾン川の、その水面に
ゆっくりと
タマ袋を、浸す……



* デイ・トリッパー

君の去ってしまった
秋の夕暮れ
僕は ひとり
リビングで
君にもらった
苺のパンティー
頭にかぶって
ゆっくりと
タバコの煙を
くゆらしながら

デイ・トリッパー
ビートルズを聴いている



* 屋台にて

屋台の飲み屋に連れて行ってもらう。
屋台の親父が俺に言う。

「あんた息子に似てる。」
「俺が?」
「うん。」
「あんたの?」
「うん。あんた俺の息子に似てる。」
「息子って、あっちの意味の?」
「うん、あっちの意味の。あんた俺の息子に似てる。あっちの意味の。」
「俺が?」
「うん。俺の息子の亀頭の先端の割れ目あたりの、艶っぽい感じとか、色とか、雰囲気が、あんたの顔は何となく似ている。」
「光栄だよ、親父。熱燗をくれ。」
「はいよ。」



* 面倒くさいやりとり 「警官と主婦」編

「ご職業は?」
「主婦です。」
「ほう、主婦、ホントに?」
「はい。」
「あんた本当に主婦?」
「ええ。」
「はあ…。主婦ってのは、つまり、主に婦って事ですね。」
「いや、主に婦、っていうか、……まあ、そうです。」
「ん、つまり主に婦って事は、例外的に婦でないことをも意味してらっしゃる?」
「いや、そういうわけではなくて。」
「じゃあ、四六時中、寝ても覚めても、三百六十五日、年中無休で、例外なく、きわめて原理的に、婦、ってことですか?」
「……まあ、そうです。」
「じゃあ、婦って言いなさいよ。単に婦って。」
「え? 婦? どうして?」
「紛らわしいから。」
「そうですか?」
「そりゃ、ね、主婦、って言ったら、主に、婦です、って事でしょ。じゃあ、主に婦、であるあなたは、例外的には、何? なんて事を考えてしまって、紛らわしいでしょ。」
「はあ。」
「ペプシ飲む?」
「いえ、ペプシは。」
「おはぎ食べる?」
「いえ、おはぎも結構です。」
「あ、そう。」
「……あの、主人が待っているので。」
「主人?」
「はい、うちの旦那ですけど。」
「旦那が、主人?」
「はい。」
「主人ってのは、つまり主に人って事?」
「え、と。」
「おもにひとなの、あなたのだんな。」
「はい。っていうか、いつも人です。」
「ホントに? 例外的に犬であることなどなしに?」
「例外的に犬であることなどなしに。です。」
「いつもヒトなの。」
「はい。いつもヒトです。」
「じゃあ、人、って言いなさいよ。」
「いや、でも……。」
「ポッキー食べる?」
「……。」


ひかり

  yuko

水銀灯に群がる虫たちの祈りが、浅い眠りを引き延ばしていく。夜の有効速度をとらえた複眼の瞳と、加速していく世界とが擦れあって、白い花びらが舞い散る。萌黄色でふちどられた半透明の羽が、ざわざわとあたりをしならせていく。同心円状にひろがっていく光の波に世界が色を変えて、ゆらゆら揺れる。

***

世界をつつむ、やわらかな光。舞い降りていく、花びらと世界の狭間を、私は歩いている。夜の冷気が、喉元を優しくひっかいて、通り抜けていく。道端の水銀灯を曲がると、小さな公園があって。塗装のはげかかった黄色いアーチを、少しだけ屈んで通りぬける。息をとめたまま進んだ。公園の一番隅っこのブランコに、遠慮がちに腰掛ける。ここにはもう、水銀灯の明かりは届かなかった。小さく体を揺らすと、ゆらゆら、ゆらゆらと、白い吐息が夜の羽ばたきに紛れていく。ブランコの揺れにあわせて、夜の住宅街が揺れる。ぽつぽつと明かりのともる家々と、工事中のマンション。このまま、どこかへ突き抜けてしまいたいような。そんな気持ちで、ブランコをこぎ続けた。一番高いところで、手をかざす。白い花びらをひとつひとつ、受け止めていく。

***

「簡単な、ことだよ。」
あなたはそういって駆け抜けていった。簡単な、ことだった。あなたにとっては、簡単な、ことだった。幾度となく繰り返してみる。簡単なことなのだと。

***

心臓をすり抜けていく無数の視線に、闇が増幅されていく。ポケットのゴミを投げ捨てて、ライターに火をつける。少しだけ滲んだ夜に、ブランコからふわりと降り立ったあなたの顔が一瞬、膨らんだスカートがうつしだした風のかたちみたいにうかびあがって、消えた。小指の爪にだけ塗られた赤いマニキュアを弄りながら、あなたは千切れた色紙みたいに笑っていた。震える指先からなにかが飛び立って、取り残されたブランコだけが世界をくゆらせていたあの日に。あなたは、あのマンションに登って、どんな顔をしていたのだろう。律儀に靴をそろえて、指先さえもみえないほどの闇をいったいどんな気持ちで、突き抜けていったのだろう。あの日から、マンションの建設作業はストップした。ふいに鳴り響いた救急車のサイレンを、私はまだ覚えている。サイレンの光は、ライターの光なんかよりもずっと強く、夜を滲ませただろう。熱を孕んでとけて、こぼれおちた世界の輪郭はもう、元には戻らない。

***

まどろみの底で、
鳴り続ける、
音に、
耳を塞いで、
許しあった指先を、
虫が這う、
散り続ける、
花が、花が、
季節が、
巡り。
あなたを
忘れない
ことは、
出来ないかもしれない、

***

小さなころ好きだったメロディーを口ずさむたびにあなたは日常の色彩にまぎれていくから、そのたびに慌てて息継ぎをして、そのたびに私はどこまでも空に、投げ込まれていく。眠れる夜の淵から、もつれた足先がゆっくりと沈んでいくのを、点を重ねるたびに、ゆっくりと小さくなっていくのを、わたしはただ見つめ続けている。わたしたちの眠りの果ての果てで、あなたが振り返ったような気がした。かすかに、頭をさげたようにも見えた、胸元のファスナーをつかむ。左ポケットをまさぐる。自転車の鍵がジャラジャラと音を立てる。どこにも、どこにも。ひとりでは繋がれないんだよ。ブランコから飛び降りた瞬間に見えた、小さな隙間。振動する世界の裏側で、あなたは、

今。

一歩を踏み出した瞬間から、指先の熱が奪われていく、耳の奥で鳴り続けるサイレン。近づいたり、遠ざかったりしながら、少しずつ皮膚を傷つけていく、ブレーキの音。どこか遠くで、消失しゆく光と、ふたたび生まれゆく光とがかさなりあって、色をかえながらゆらゆらと流れていく。いつだって世界はおなじように生まれて、死んで、あなたの横でわたしは小さなこどものようだった。わたしたちのてのひらが、広げられることで、わたしたちははじめて、世界と、交わった。交わることが、できる。舞い散った花びらが、深海をおよぐ小さな魚の群れみたいな、ひかりが、
みえる。

花びらを噛む!

ゆっくりと今、ほどけはじめた夜にいくつもの光が縒りあわされて、空をささえるひとびとの呼吸のほつれへとあみこまれていく。無数の虫たちの祈りに螺旋をえがいてまきこまれはじめた花びら。そのきしみに、小指の爪が割れる。虫たちは一斉に水銀灯から飛び立ちはじめた。虫たちの羽音がはじまりのうたになる。きっと、誰もひとりなんかじゃなかったんだよ。わたしは、はじめて泣いた。簡単なことだ。あなたは、ここに、いる。わたしは、生き続ける。

***

白い花びらを手向ける。太陽のしずくに溶けはじめた世界を、踏みしめるごとにあたらしいひかりが生まれていく。ゆっくりとわたしは走り始めていた。ポケットのちっぽけなライターを握りしめて。


ラジアータ

  しりかげる

 
 
家の裏手には大きな田が広がっていて、毎年夏の終わりごろになるとたくさんの彼岸花が群生する。幼いころ、学校が終わるたびに急いで田へやってきては、その花を摘み取り母へ渡すのが私の日課だった。「おかあさんはやくよくなってね」そういって手に握ったものを差し出すと、彼女はいつも口元だけで笑んだ。ダイニングテーブルの中央に置かれた瓶のなか、日ごと、繊細な紅色の花が増殖していく。


日付が変わるころになるといつも、その複雑なかたちをした花をかこんで夕食をとった。私と、母と、名前も知らない男。男はいつも夜更けにやってきては、母の顔に皺をひとつ増やして明け方に帰っていく。「かぞくそろってごはんたべるっていいわね」それが母の口癖だった。家族という言葉を咀嚼するように唱える。幾度も、幾度も、


(手首に赤い筋をはしらせて泣き崩れるおんな。誰なのかよくわからなかった。皺だらけのただれた皮膚が蠢く。頭のなかに、水面に像が映るように、彼岸花が浮かんでは、乱れ消えて白く眩んだ。台所の床に点々と、花を絞ったような汁が垂れた。毒が揺れている。割れた瓶。またやったの? って、誰かが/私が、つぶやいた気がする。ねえ、また、、、)


それはとても複雑なかたちをしていたので、元には戻らないと知っている。だから新しいのを摘み取ればいい。そういう呼吸法しか習ってこなかったから。瓦解と分娩を繰り返して潮が満ちそして引くように、同じ工程を幾度となく消化するうちあちこちが麻痺してしまって。


麻痺してしま、って


触れたことのない男のために鍵をかけずにおいた玄関の扉。ほんとうに鍵が必要なのはこの小さな四畳半の自室だった。目覚めるといつもここにいた。ひとりで暮らすには広すぎる家のなか、黄ばんだ蔦柄のレースだけが音を立てはためいていた。割れた陶器が散乱して、触ると傷ついてしまいそうなくらい鋭利な断面。が、不揃いの呼吸を導く。刃先/蜘蛛の巣/生活/とうに砕けてしまっている。


斜陽。あわい暖色がごっこ遊びの残骸を濡らしていく。その滑らかな手触り。髄まであの男の声が染みこんだ家。黒点。母が飛び去ったこの窓辺からは、彼岸花の咲きほこる田がよく見えた。赤い滴が点々と、薄汚れたフローリングを濡らしている。皮と果肉のあいだに爪を立てて果汁が溢れだす。熟れた、


果実の。
香りがした。
その花。


細い花弁が水面に浮かんでいる。褐色に濁った湖畔。こちらには私、対岸には母/おんなが薄靄に埋もれていく。その裸体。香水の臭い。口紅。口紅。水面には細い花弁が浮かんでいる。おんな/母が唇を動かす。声にならない剥げたマニキュアの、色褪せた、湿った指先。目を背けることができない。「わたしのなかのいちばんおんなにちかいばしょからやってきたの。あなた」おんなが遠のいていく。宿り木として産まれてきた私。そう、あなたをこうしたのは私だ。おんなが遠のいていく。夢の続きから小指を積んでいく私を宿り木として産んだのは、あなただ。靄の先は白く、見えない。


(radiata,
拡散する血管
花ひらくように)


この屋根のしたに家族と呼ばれるものたちが暮らしているはずだった/おんなは裸体をさらしながら転がっている/深夜に音を立てて開かれる玄関の扉/息づかい/糸/目を覚ましたときにはもうすでに、私の手首に流れる血潮は誰のものでもなかった。台所の床には彼岸花が咲いている。陶器の欠片、そのうえにたくさんの花弁と、真新しい血痕を残して、はじめから続けていく。「はやくよくなってね」緻密な花。輪郭が濃くなっていく。蛍光灯。板目。テーブルクロス。黒点。鳴りやまないサイレン。幾度も声をかけたの、に。ねえ、またやったの?/またやったの?/っ、て。
 
 

文学極道

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