二〇一八年十一月一日 「現実」
現実はきびしいね。だけど、がんばろう。がんばる仲間がいれば、だいじょうぶ。
二〇一八年十一月二日 「考察」
ぼくというものを媒体として、さまざまなものが結びついていく。
ぼく自身も結びつけるものであると同時に結び付けられるものである。
二〇一八年十一月三日 「詩論」
イメージが言葉をさがしていたのか、言葉がイメージをさがしていたのか。
二〇一八年十一月四日 「ルーシャス・シェパード」
ルーシャス・シェパードの短篇集『竜のグリオールに絵を描いた男』を読み終わった。これから、寝るまで、シェパードの処女長篇『緑の瞳』のつづきを読もう。それとも、マーガ・ラナガンの短篇集『ブラックジュース』のつづきを読むか。クスリをのんでから決めよう。おやすみ、グッジョブ!
詩人で翻訳家のジェフリー・アングルスさんに、『ゲイ・ポエムズ』の一部を英訳してアメリカの雑誌に掲載していただいたものがある。これね。
https://queenmobs.com/2016/11/22392/
二〇一八年十一月五日 「ブライアン・オールディス」
ブライアン・オールディスは、ぼくの大好きなSF作家である。数年前に買った『寄港地のない船』を、きょうから読む。ルーシャス・シェパードの『竜のグリオールに絵を描いた男』よりずっとまえに買った本だけれど、同じ竹書房文庫から出た本だけど、きょうから読むことにする。おやすみ、グッジョブ!
二〇一八年十一月六日 「長尾高弘さん」
本棚になかったので、チャールズ・シェフィールドの『ニムロデ狩り』を、Amazon で買い直した。
長尾高弘さんから『抒情詩試論?』を送っていただいた。著者とはネット上の付き合い以前からのお付き合いで、いろいろお世話になっている。詩のタイトルがページはじめの中ごろにかかれてあって、新鮮だった。作品は穏当なものが多く、落ち着いて読めた。「報い」など、こころにしみるものが多かった。
二〇一八年十一月七日 「フレドリック・ブラウン」
手近の本棚に、なにがあるのか(昨年、多数、ひとに譲ったので、なにが残っているのか正確には知らないのだ)見ていると、フレドリック・ブラウン編のSFアンソロジー、『SFカーニバル』があったので、なつかしくて、つい読み始めたのだった。まださいしょのものだが、読んだことだけは憶えていた。
いま読んでる短篇、38ページだ。あと7ページで読み終わる。結末は憶えていない。けれど、雰囲気はよさそうだ。というか、いまそのページを額の脂で汚してしまった。ときどきそういうことになる。不器用な自分を呪う。まあ、いいか。ずっと手元に置いておくつもりの本なのだから。クスリをのんだ。寝る。おやすみ。グッジョブ!
二〇一八年十一月八日 「晩年」
齢を取ったらやりたかったことが、いま57歳と9カ月でできている。というか、57歳は、齢を取ったことになるのかな。好きな本を読んで、じっくりとその作品を味わいたいという気持ちが満たされている。このうえない喜びだ。もっと齢を取ったら、すべての時間をそれに注げることができる。楽しみだ。
二〇一八年十一月九日 「チャールズ・シェフィールド」
神経科医院の待合室で数時間、ブライアン・オールディスの『寄港地のない船』を読んでいた。で、診療のあと、まだ読み終わらなかったので、待合室でさいごまで読んだ。大好きな作家の処女長篇である。よかった。帰ると、注文していた、チャールズ・シェフィールドの『ニムロデ狩り』が届いていていた。
『ニムロデ狩り』はまだ読まない。昨年、ひとに譲った小説だったので(自分の本棚を軽く見てなかった本なので)買っただけの本である。本って、いつ、どんな金額になるかわからないので、買っておいたのだ。むかし読んだとき、B級SFで、でも、おもしろかった記憶があるので、買っておいたのだった。
『ニムロデ狩り』を、なぜ手放したかというと、たぶん、カヴァーが気に入らなかったんだと思う。でも、きょう届いた本を見ると、手放さなくてもよかったのではないかというくらいの出来のカヴァーだったので、これが、ぼくのカヴァーの評価軸の基準線なんだな、と思った。きょう見たら、よかったのだ。
二〇一八年十一月十日 「考察」
好きな形になってくれる雲のように、もしも、ぼくたちの思い出を、ぼくが好きなようにつくりかえることができるものならば、ぼくは、きっと苦しまなかっただろう。けれど、きっと愛しもしなかっただろう。
二〇一八年十一月十一日 「考察」
星たちは、天体の法則など知らないけれど、従うべきものに従って動いているのである。ひとのこころや気持ちもまた、理由が何であるかを知らずに、従うべきものに従って動いているのである。と、こう考えてやることもできる。
二〇一八年十一月十二日 「アザー・エデン」
イギリスSF傑作選『アザー・エデン』をひさしぶりに手にしてみた。冒頭に収められている、タニス・リーの『雨にうたれて』を読み直した。放射能汚染が軸にあり、その影響下にある人々のあいだに、汚染度の違いによる階級差が生まれている国家の物語だ。現代日本のある都道府県のことが頭に浮かんだ。
二〇一八年十一月十三日 「海東セラさん」
海東セラさんから、同人詩誌『グッフォー』の69号と70号を送っていただいた。69号に収められた海東セラさんの「ドールハウス」も、70号に収められた「塊」も散文詩で、言葉が流れるようになめらかだった。よどみがないというのは、海東セラさんの文体のようなものを指して言うのだと思った。
パソコンのない時代に、自分の全作品を2冊の私家版の詩集にして50部ずつつくったことがあった。『陽の埋葬』と『ふわおちよおれしあ』である。A4サイズで電話帳のように分厚いものだが、ぼく自身がある意味、辞典として利用している。中原中也や村野四郎や会田綱雄の詩のパロディーを書いたものが、文学極道の詩投稿掲示板ではまだ発表していなかったので、それを電子データにしておこう。未発表といえば、未発表の「陽の埋葬」もたくさんあった。面倒だが、そのうちそれらも電子データにしておこう。
二〇一八年十一月十四日 「クリストファー・エヴァンズ」
きのう寝るまえに、イギリスSF傑作選『アザー・エデン』に収められている、クリストファー・エヴァンズの「人生の事実」を読んで眠った。作品は、女権が異様に貶められている惑星のなかで、ひとりの少年が取る言動を通じて、人間について考えさせるものだったのだが、差別というものの気持ち悪さに、ぞっとさせられた。ぞっとさせるのが目的に書かれたであろう、その着想に、作者のイノセントさがあるのだろうが、あらゆる差別について、気持ち悪い、ぞっとさせるようなものがあるのだなと思った。
二〇一八年十一月十五日 「内島菫さん」
内島菫さんが書いてくださった、ぼくの詩集『Still Falls The Rain。』評
https://bookmeter.com/books/12753547
内島菫さんが書いてくださった、ぼくの詩集『The Wasteless Land.』評
https://bookmeter.com/books/1088250
内島菫さんが書いてくださった、ぼくの詩集『The Wasteless Land.II』評
https://bookmeter.com/books/1599270
内島菫さんが書いてくださった、ぼくの詩集『The Wasteless Land.IV』評
https://bookmeter.com/reviews/71450425
内島菫さんが書いてくださった、ぼくの詩集『The Wasteless Land.V』評
https://bookmeter.com/reviews/76405448
内島菫さんが書いてくださった、ぼくの詩集『The Wasteless Land.VI』評
https://bookmeter.com/reviews/76379848
二〇一八年十一月十六日 「ものすごい忘却力」
きのうは、イギリスSF傑作選『アザー・エデン』に収録されている、2篇、M・ジョン・ハリスンの「ささやかな遺産」と、イアン・ワトスンの「アミールの時計」を読んで眠った。いま、両方とも、読んだ記憶が吹っ飛んでいる。内容がまったく思い出せない。ちょっと読み直そうかな。ものすごい忘却力。
二〇一八年十一月十七日 「天使の羽根に重さはあるのか?」
天使の羽根に重さはあるのか?
二〇一八年十一月十八日 「冷たい方程式」
きのうは、寝るまえに、イギリスSF傑作選『アザー・エデン』に収録されている、ブライアン・オールディスの「キャベツの代価」を読んで寝た。時間SFによくあるウラシマ効果を扱った作品で、近親相姦を採り上げたもの。わかりやすかった。イギリス人作家らしい、書き込みの濃い叙述のSF小説だった。
東寺のブックオフで、SFマガジン・ベスト1『冷たい方程式』を108円で買ってきた。持ってるものより、状態がいい可能性があったからである。帰ってきて、本棚から『冷たい方程式』を出すと、もともと持ってるもののほうがきれいだった。108円、損しちゃった。ほかの本でも買えばよかったのにね。
あたらしく編集し直されたSFマガジン・ベスト1『冷たい方程式』には、キャサリン・マクレインの「接触汚染」が入っていないのだが、これは冒頭におかれるほどの傑作だった。
日知庵からの帰り道、丸善で、ハヤカワSF文庫の『冷たい方程式』を買った。これは、昼に、ブックオフで買った『冷たい方程式』と異なる、新編集版のSFアンソロジーであり、かぶっているのは2作だけで、7作が新訳だそうである。きょうから、新編の『冷たい方程式』から読んでいこうと思う。
二〇一八年十一月十九日 「冷たい方程式」
イギリスSFのアンソロジー『アザー・エデン』の重苦しい描写からうってかわって、ロバート・シェクリイの「徘徊許可証」が冒頭に収められている新版のSFアンソロジー『冷たい方程式』を読むと、なんとのどかな雰囲気なのだと呟かずにはいられない。イギリス人作家の重苦しい描写も好きなんだけどね。
いま、アシモフの「信念」を読み終わったところだ。冒頭のシェクリイの「徘徊許可証」とアシモフのまえに置かれた、ウォルター・テヴィスの「ふるさと遠く」と、ジョン・クリストファーを除くとアメリカ人作家だったことに気がついた。読みやすかった。アシモフとテヴィスは再読か再々読の短篇だった。
『アザー・エデン』は、ひじょうによい短篇集だったが、叙述も内容も重苦しかった。イギリス人作家は大好きだけど、読むと、ときどき、へとへとになる。アメリカ人のSFは読みやすい。まあ、だいたいのところで、例外はあるけれど。
二〇一八年十一月二十日 「じっさいは、もうゼロなのに。」
じっさいは、もうゼロなのに。
二〇一八年十一月二十一日 「考察」
それはよくあることだった。外部の刺激、この場合は音だったのだが、それが原因で目が覚めるのだが、夢のなかで、その音が出てきて覚めるのだった。ホテルのなかで、「パイナップル」と連呼しながら太った男が二階から一顔に階段を下りてきたのだが、現実世界でうえの階のひとが「パイナップル」と連呼するCDをかけていたのであった。このことを記憶しておこうとして、ぼくはふたたび眠り、ホテルの4階の自分が泊まっている部屋に行くイメージを頭に描いて横になって、ふたたび夢のなかに没入し、部屋においてあるパソコンをあけて、スイッチを入れたのだった。とそこでふたたび目が覚めてしまったのだった。
二〇一八年十一月二十二日 「詩論」
言葉の断片を眺めていると、つぎつぎとイメージが想起され、そのイメージが、さらなる複合的なイメージを想起させていくのである。それは、さながら、言葉自ら、思考を形成し、順序を整えて並びはじめたかのように。
二〇一八年十一月二十三日 「詩論」
一つ一つの言葉は、だれもがふだん使う言葉なのだが、それらが詩人によって選び出され、並べられ、刈り込まれ、またふたたび手直しされて書き付けられると、それらの言葉が詩人個人の体験を超えたものになることがある。それまで考え出されたこともないようなものが考え出されたとき、その作品は、詩人にとって、真の作品になっているのである。
二〇一八年十一月二十四日 「ミンちゃん」
ミンちゃんが、SF小説にはまりだしたようだ。この間、ブックオフで買ってダブってしまった、SFマガジン・ベスト1の『冷たい方程式』をプレゼントしよう。
二〇一八年十一月二十五日 「箴言」」
真の暗闇はけっして見ることができない。
二〇一八年十一月二十六日 「実感」
パンを食べている映像を見て、おなかも空いていたので、セブイレに行って、パンを買ってきて食べた。ひとが食べていると、自分も食べたくなるのは、どうしてだろう?
二〇一八年十一月二十七日 「断片」
ぼくは、生まれつき、おそらくは生まれつき、他人がどう感じ、どう考えているのか、その他人が使う言葉と表情を前にしながら、その言葉の順番を入れ換えたり、そのときのその人の表情に、違った日のその人の表情を補ったりして、推測するような人間だった。だから、自分の気持ちよりもずっと容易に他人の気持ちを推測することができたのであった。これが、異星人の通訳に、ぼくが選ばれた理由だ。
二〇一八年十一月二十八日 「ウォルター・テヴィス」
新編のSF短篇アンソロジー『冷たい方程式』を読み終わった。わかりやすい作品ばかりだった。いちばん好きなのは、ウォルター・テヴィスの「ふるさと遠く」だった。アイデアもすばらしいし、叙述もすばらしい。「ふるさと遠く」は、そのタイトルのテヴィスの短篇集ももっていて、既読ではあったのだが。
二〇一八年十一月二十九日 「キャサリン・マクレイン」
旧版のアンソロジー『冷たい方程式』(ハヤカワSF文庫)を読みながら寝よう。冒頭に収められた、キャサリン・マクレインの「接触汚染」は、ほんとに傑作だと思う。新編には収められていないのだが、版権の関係だと思うんだけど、新版に収録されていないのは、ほんとに惜しい。おやすみ、グッジョブ!
二〇一八年十一月三十日 「詩論」
詩人は、自分の書いたメモをつぎつぎと取り出しては読んでいった。必ずしも取り出された順番ではないのだが、それらのメモにある言葉のうち、いくつものものが言葉同士、つぎつぎと結びついていった。まるで、そういった言葉自体が意識を持って、最初からその順番で結びつけられることを知っていて、詩人の目を通り、詩人の無意識層に働きかけ、詩人の関心をひき、詩人のこころにイメージを結びつかせたかのように思われたのであった。
二〇一八年十一月三十一日 「断片」
ぼくは、彼を憎んでいた。彼がけっして、ぼくのものにならないことを知っていたからである。もちろん、ぼくのものになるとしても、それは、ぼくがつくりだした彼のイメージというものであり、そこには、もしかしたら、彼自体がつくりだした彼のイメージの一部分が含まれているかもしれないのだけれど、しかし、彼のイメージというものは、その大部分は、おそらく、ぼくがつくりだしたものであり、そのイメージが、彼本来の真の姿とは似ても似つかぬものであるということをも、ぼくにはわかっていたのである。数多くの欲情の記憶があるが、どの欲情の記憶も数え上げるのがそれほど困難ではない数の記憶に収束される。それに加えられるのは、直近のものを除けば、ごくわずかなものだ。
最新情報
2020年09月分
月間優良作品 (投稿日時順)
- 詩の日めくり 二〇一八年十一月一日─三十一日 - 田中宏輔
- 殖民史碑 - 鷹枕可
- 10進法 - 小西
- (浅利の) - 田中恭平
- 詩の日めくり 二〇一八年十二月一日─三十一日 - 田中宏輔
- レギュラータイプ - 自由美学
- 『源氏物語』私語 〜夕顔 〜 - アンダンテ
- 水鳥の眠る場所 - 鷹枕可
- 瓶詰の子供 - 黒羽 黎斗
- 一杯の氷 - 屑張
- りぼん - 灰草露
次点佳作 (投稿日時順)
- 『源氏物語』私語 〜夕顔 〜 - アンダンテ
- 裏庭にて - 死体派
- 罪業に如くはなし - 北
- カーマイン - ネン
- 頬 - 月屋
- sex dream - 白犬
- カランコエ - 月屋
- Time is in my reality - 深尾貞一郎
- 水鳥がうまれる - kale
- 揚巻 - コテ
- 19歳 - 小西
- 草に寝転び - イロキセイゴ
- 横目でチェックインのギルマン・ハウス - 菊西夕座
- bird - 白犬
* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。
詩の日めくり 二〇一八年十一月一日─三十一日
殖民史碑
――見よ、奴婢が奴婢を支配している、
_1,消えたひとびと
アパートの壁に、燃えた八月の、地図を焚き焼べる、おれを、おれは、見ていた、
宛も精神病に遣られた懐中の巻尺を、
調律に拠って検める、様に、
死の絶対性への指標である、歴史 より剥落し已まない、
現代という風位計より、風防へ到る、
果敢な雲雀を見届けるかのような、街は、
拡声器の季節へ還る、
想像とは、意思としての、自らを象る事であり、
そして、復、
やがて火葬に附された亜麻色の、空に、憧憬を泛べ、
唯一揃えの靴を並べて、身体を翼として、孤独を俺自身の航空力学として、
断崖より、その運命を試みる事でもあるからだ、
路地裏の、旧い天使陶像に、煤けた降灰が躍っている、
雑踏は空を、雁の群は自由をもとめ、
入口無き内臓の夢を、逃れ廻る一縷の紡錘であり、
地に時計を立て、境界線を引くのだ、
世界像は普遍化をされ、
国歌は威厳を謗る花に凭れて、液化した銅鑼を撃ち、
繁栄の虚誕を嘆く、
自らを、貧窮を体現するのみであろう、
_2,消えた地勢図
青空を支えうるものは何者か、
母語を与え、奪うものとは何者か
逃場無しの地球図に、そう、問い掛ける、
誰が一本のトランペットを、群衆へ、一国家の秩序へと、吹けと命令したのか、
歴史を、凡ゆる地図を、座標を、喪い、
われわれは矮小な蚤の自由を求め、憬れ已まない、一群の腐黴、地衣類であった、
多数決議の正義、盲人へと指摘された約束の花束、
従順な被支配者たちの幼稚な遊び、
常態と為った傲慢への信仰告白、
襤褸切の祖国、総痴呆主義の挙句の果て、
仮想敵性国家は殖民地の、歴史の忘失に拠って定義化をされ、
確乎たる、抵抗の萌芽はそれでも鹹水の湖底に育った、
国境線に引き裂かれた、二重の名称を有する、個人、
それは紛う事なき、われわれ自身の問題でもある
自立主義的精神は自らを、自らの青空を支え、立ちあがる空洞の思想と為り、潰えて、終った
そこに自が存在を置くものは、彼の巨躯の地勢図を、異なる国家、思想を排除する、
多数独裁体制の煽動家のみで、あるだろう、
拘縮した花束が握り潰され、
祈念碑は形骸に、慣わしと為り、
見えざる掌握は戦禍、烽火を悦する、単純機械‐人物像の、憂愁を総轄し、死の標識へ追落す、
鉄の翼へとなるだろう
そこでは平等も、平和も惨たらしく蹂躙をされ、或る一国家、つまり粉飾された、
世界政府の標榜者 は命令としての対立を促がし、
有色人種絶滅収容所、を、嘱望し、自由としての加‐支配へと唆す、
血統優生論、その一握の塩の砂に、
零れるべくして零れる、われわれを嘲弄する、
優越の構図裡に、復、骨肉としての総体‐印象に、数多度、死の糧を齎しめるのか
侮蔑者達の狂奔よ、自が胸郭へと 帰れ
_3,消された歴史
与えられた言語は奴隷の為のものだった
与えられた衣服は奴隷の為のものだった
与えられた霊歌は奴隷の為のものだった
与えられた食物は奴隷の為のものだった
教えられた歴史は主人の為のものだった
教えられた国家は主人の為のものだった
教えられた信仰は主人の為のものだった
教えられた律法は主人の為のものだった
そして俺の、私達自身の意思には、襤褸切一枚程の余白すらも残されてはいなかったのだ
_4,
おれは、俺自身の世界地図だった
おれは、俺自身の歴史だった
おれは、俺自身の鳥瞰図に幾つの標識を与えられただろうか
おれを喪った地図の遺灰が
やがて、だれかの地図に
指を置くことを
願わくば醒め眺めていてくれ
秋霖を
已まず降れ
落葉よ、幾枚もの鱗翅目の睫に
10進法
僕たちはふたりとも10進法を生きていた
1→10→100 同じタイミングで桁が上がるのを楽しんだ
ただ彼女はときどき僕が知らない数字を使った
3ЖとかЦ7とか
ロシア語の文字と同じみたいだけど彼女がどういう数を表したいのかはわからなかった。彼女がそういう数字を使うと僕は何らかの印象を受けたけどそれが良い印象なのか悪い印象なのか自分でもわからなかった。 人に相談したら「プラスでもマイナスでもないんじゃない?」と言われるだろうか。
彼女が僕が知らない数字を使うことで僕は彼女のことをより好きになってるのかその逆なのかわからなかった。
小学生のときに1クラスに何人いたかみたいにどうでもいいことなのかもしれない。彼女が一人ぼっちで授業を受けようが1000人入るホールで授業を受けようが僕の彼女に対する愛は変わらない。
期末テストが返ってきて、彼女に「英語何点だった?」と聞かれたから僕は「8Ф」と言った
彼女は、私も同じだよと言って笑った
僕たちの桁が一つ上がった
(浅利の)
浅利の
貝殻を
ひらいてみると
手に負えない、にくい
そして致し方ない
ひきこもり性、
のような貝柱で
中身がしっかりとはりついている
夕
わたしはある男性から
村上春樹の「海辺のカフカ」上下巻を
借り受けていて
読んで返しにいくと
本のことなど一切、聞かれず、問われず
男性はそれを
ただ邪魔な物のように
面倒臭そうにとると
家のなかにひきあげてしまったが
わたしはその態度に
あたたかい父性を感じた
まるで本は
嗜好品に過ぎないように
嗜好品それにも劣るように
それから感じられ
そうだ
ひとときの感動で
本を愛することはできない
感動は
すぐに胡散してしまう
ものの類なのだから
わたしは
今宵も本を分解する、破壊する
それがいつか
組み立てられていった様を
そっと、想像、したりしながら
詩の日めくり 二〇一八年十二月一日─三十一日
二〇一八年十二月一日 「詩」
若いときに書いたものを、文学極道の詩投稿掲示板に投稿した。30代だったろうか。はてさて40代か。ぼくは、自分のすべての作品を一つのストーリーにまとめようとしていたのだった。愚かな試みだったと、いまでは思っている。わざわざそんなことをしなくても、もともと一つのストーリーだったのだ。
二〇一八年十二月二日 「考察」
ファミレスや喫茶店などで、あるいは、居酒屋などで友だちとしゃべっていると、近くの席で会話している客たちのあいだでたまたま交わされたことばが、自分の口から、ぽんと何気なく出てくることがある。無意識のうちに取り込んでいたのであろう。しかも、その取り込んだ言葉には不自然なところがなく、こちらが話していた内容にまったく違和感もなく、ぴったり合っていたりするのである。異なる文脈で使用された同じ言葉。このような経験は、一度や二度ではない。しょっちゅうあるのである。さらに驚くことには、もしもそのとき、その言葉を耳にしなかったら、その言葉を使うことなどなかったであろうし、そうなれば、自分たちの会話の流れも違ったものになっていたかもしれないのである。このことは、また、近くの席で交わされている会話についてだけではなく、たまたま偶然に、目にしたものや、耳にしたものなどが、思考というものに、いかに影響しているのか、ぼくに具体的に考えさせる出来事であったのだが、ほんとうに、思考というものは、身近にあるものを、すばやく貪欲に利用するものである。あるいは、いかに、身近にあるものが、すばやく貪欲に思考になろうとしているのか。
二〇一八年十二月三日 「考察」
蚕を思い出させる。蚕を飼っていたことがある。小学生のときのことだった。学校で渡された教材のひとつだったと思う。持ち帰った蚕に、買ってきた色紙を細かく切り刻んだものや、母親にもらったさまざまな色の毛糸を短く切り刻んだものを与えてやったら、蚕がそれを使って繭をこしらえたのである。色紙の端切れと糸くずで、見事にきれいな繭をこしらえたのである。それらの色紙の切れっ端や毛糸のくずを、言葉や状況や環境に、蚕の分泌した糊のような粘液とその作業工程を、自我とか無意識、あるいは、潜在意識とかいったものに見立てることができるのではないだろうか。もちろん、ここでは、蚕を飼っていた箱の大きさとか、その箱の置かれた状態、温度や湿度といった、蚕が繭をつくるのに適した状態があってこそのものでもあるが、これらは、自我がつねに外界の状況とインタラクティヴな状態にあることを思い起こさせるものである。
二〇一八年十二月四日 「エシャール」
一日は17時間 mo あるのだから
エシャール
a
a
a
api
a
a
a
api
a
a
a
api
api
a
api
そのうちの朝は15時間で、お昼は20時間で、夜は15時間あるから
ちょっぴり働けるし、たっぷり遊べるし、たっぷり眠れる。
病院の待ち時間の5時間なんて、へっちゃらさ。
たとえ、薬局でクスリをもらい忘れたって
一日17時間 mo あるのだから
50時間くらい起きちゃってても、へっちゃらさ。
バスが数時間 遅れてきたって、イライラしないし
お風呂につかったまま10時間くらい眠っちゃったって、へっちゃらさ。
湯あたりさえしなければね。
トマト頭 グチャ
かわいい双子ちゃんの頭 mo グチャ
do it, do it
イグザクトゥリー・ライフに、セクシー・マザー・ファッカー
恋人と ピーチク・パーチク
へらへらしちゃって
うひぃ〜
何日か前に
西院の阪急駅のところで
あ
阪急の西院駅のところで
ジュンちゃんに会ったよ
de
で
デッカイ
ハロウィーンのカボチャみたいな頭してさ
朝の新聞紙ぐらいに分厚いメガネしちゃってさ
デブでブサイクなかわいいジュンちゃんにさ
20年目もデブでブサイクだったけど
あ
20年前もデブでブサイクだったけど
いまもやっぱり
デブでブサイクで チョーかわいい
仕事帰りで
白いウェディング・ドレス着てさ
180センチキロメートル・100億トンの巨体なのにさ
i like it, i like it
一日は17時間 mo あるのだから。
reverse, reverse
it's all right
そのうちの朝は15時間で、お昼は20時間で、夜は15時間あるから
ちょっぴり働けるし、たっぷり遊べるし、たっぷり眠れる。
好きなだけ遊んで、好きなだけ眠ればいいさ。
すぇ絵t すぇ絵t もてぇr ふcけr
sweet sweet mother fucker
う
u
うんこ
んこ
んこ
っこ
sweet
sweet
fuck
fuck
そく
クソ
そく
クソ
i wanna be a かわいい クソ
i wanna be a かわいい クソ
amen
amen
二〇一八年十二月五日 「何年まえかわからない日付のないメモより、いまではとっくに、与謝野晶子訳の『源氏物語』を全巻読み終わってます。」
読むまでに死んでおきたい本 (Keffさんの日記のタイトルを拝借して)
『源氏物語』
いまだに、わたしは、これを読み通せていない。
何度も挫折した。
瀬戸内訳も、橋本訳も読んだことがないのでわからないけど
人柄が、どちらも好きではないので
やっぱ与謝野訳で読むのがいいでしょうね。
橋本治は、むかし大ファンだったのだけれど
あまりに変化がなさ過ぎるので
読むのをやめた作家のひとり。
桃尻娘シリーズは楽しかったのだけれど
教養主義的な発言が目立つようになって
とたんに面白くなくなった。
しかし、読むまでには死んでおきたいわ、笑。
『源氏物語』
仕事の数学が終わったので
これから、ジミーちゃんと飲み会を。
そろそろ来るはずなんだけど
どうしたんやろ。
メールしてみよう。
源氏読まずば歌人(うたびと)にあらず、と塚本邦雄が言っていたような記憶が。
挫折しますねえ、原文は、古典の素養のないぼくには無理っぽいです。
以前に与謝野訳を持ってたんだけど
京大生のエイジくんに、日本の文学作品を
ぜんぶあげちゃって。
恋人に本を上げるのが趣味だから。
また、ぼちぼち日本の古典も
買いなおそうかなって思っています。
韻文は読んでるんだけど
散文はまだ。
二〇一八年十二月六日 「ウィリアム・バロウズ」
山形さんの訳は、ノヴァ急報を読むかぎり
飯田さんより、質は劣りましたね。
山形さんは、飯田さんの誤訳に文句をつけているみたいですが
山形さんに詩を解する能力は皆無のようです。
章のタイトルを読んで、びっくりしました。
そのあまりに平板な訳に。
二〇一八年十二月七日 「フレデリック・ブラウン」
ブラウンの『まっ白な嘘』をいただきました。ニコニコ
ブラウンの本をいただきました。
ぼくが、たいへん喜んでいるのを知られて
また古いミステリーやSFをくださるとのこと。
いや〜、めちゃくちゃ、うれしいです。
その方の本の保存状態のいいこと。
本の保存の仕方で人柄がわかりますね。
あちゃ〜、風呂場で読んだりするぼくは、最低かな。
あ、それは捨て本だけだけど。
ときどき、読んでる途中で、いい本だと気づいて
買いなおすハメに。
ま、失敗も人生さ◎
ていうか、失敗の人生さ
ぼくの場合、笑。
二〇一八年十二月八日 「音・ことば・人間」
武満徹・川田順造の『音・ことば・人間』を買う。
ブックオフで、108円。
入試かなんかで見た記憶があって
なつかしくて
パラパラしてたら
武満さんが、ル・クレジオの文章について
引用して書いているところがあって
買っておこうと思って。
二〇一八年十二月九日 「夏野 雨さん」
夏野 雨さんから、詩集『明け方の狙撃手』を送っていただいた。まだまだ新しい言葉の組み合わせがあるのだなあと思った。作者の現実はうかがい知ることができなかった。作品の目的が別のところにあるからだと思った。言葉運びは、なめらかで、うつくしい。しかも的確だ。かわいらしい表紙が印象的。
二〇一八年十二月十日 「ちくま哲学の森 4」
ブックオフで、ちくま哲学の森 4 を。
ヴァレリー全集とカイエ全集を図書館で読んだのは、ずいぶん昔なので
『パンセ』の一句を主題とする変奏曲
を読んだかどうか、覚えていなかった。
リンゲルナッツの『地球儀』という詩には、笑った。
笑わせてくれる詩というものが、どんなものか思い出させてくれた。
ひとから自分がどう見られたいかという詩が多い現代詩の世界では
お目にかかることができないようなシロモノ。
ホラティウスの詩にも、大いに笑ったけれど
やっぱり、並の現代詩人のものより
古典の詩人のもののほうがずっと面白い。
この本、お風呂用に買ったものだけれど
ちともったいなく思った。
二〇一八年十二月十一日 「ミラン・クンデラ」
クンデラの『不滅』
あと4分の1くらい。
たいへん面白い。
異色作家短篇集19も、あと1篇。
質は18のほうが高かったような気がするけれど
それでも、十二分に高い質のアンソロジーだと思う。
最後の20が楽しみ。
これから、クンデラを読みにお風呂に。
ああ、そうだ。
銭湯って
もう何年も行ってないけど
銭湯で本を読んだら、叱られるのかしら。
叱られそうだにゃ。
あったかいから
いま時分だと、いいと思うんだけど。
あ
露天風呂のあるスーパー銭湯だったらいいかな。
ダメなのかな。
そういえば、20代は
高野のプールで
泳ぎもせずに
ずっと身体を焼きながら
本を読んでたなあ。
二〇一八年十二月十二日 「松田悦子さん」
松田悦子さんから、詩集『Ti amor━君 愛しています』を送っていただいた。詩句を読点ではなく、一行空白にてほぼ分節化してある、独特のフォルムだ。また、その個所で体言止めになっている個所が多く、そのことも独特の雰囲気を詩句にもたせることになっているのだと思われる。
二〇一八年十二月十三日 「108円」
ブックオフで、108円で
買いそびれて、あとで後悔すること、しばしばです、笑。
もう何度、貴重な本を買いそこねたことでしょう。
最近も、3冊
あとで考えたら、読みたい本だったのですね。
きのうも、ドレの挿絵のドン・キホーテ
買うの惜しみました。
いまから、オフに自転車で行ってみます。
もうないかなあ。
ドレの絵のドン・キホーテ、値段が変わってた。
きのう、レジで
あ、これやめますね、と言って渡した本が
108円から300円に値段が変わっていた。
えぐいなあ、と思ったけれど
店員にそういうと
「そういう値段になりました。」とのこと。
ふうん。
やっぱ、迷ったら、買うべきね。
で、
持ってる本のカヴァーが傷んでいたので
買いなおしと
エルトンのアルバムで持っていないものを買いました。
これから、読書のつづきを。
明日、あさって
太郎ちゃんのところの原稿の見直しを。
来週末には送れるように。
もちろん、買いませんでした。
また108円になったらね。
チュッ
二〇一八年十二月十四日 「妻を帽子とまちがえた男」
サックスの『妻を帽子とまちがえた男』、古本市場、108円。
タイトル・エッセーを読むと
視覚の失認症について書かれてあった。
抽象思考の集中のために、具体的な事物の視覚認識が不可能になった男の話。
そういえば
ぼくにも、聴覚異常があって
キライなひとの声が聞こえなくなったことがあって
パパりんの声が聞こえなくなって
京大病院に検査をしてもらった記憶がある。
聴覚能力には問題はなかった。
精神的なものだということだった。
東京駅で
何年も前のこと
30年以上も前かなあ
詩人で歌人の早坂 類さんと会ったとき
目の前から彼女の姿が消えたのだけれど
彼女にポンと肩をたたかれると
彼女の姿がパッと現われたことがあって
これもかな。
彼女のこと
天才だと思ってたんだけど
会った瞬間に
ぼくに瓜二つのパーソナリティーをしてると思って
気持ち悪くなって
そしたら
彼女の姿が見えなくなって声も聞こえなくなったの
駅の待ち合わせ場所で。
ドッペルゲンガーを見たり
UFOを見たり
幽霊を見たり
幽体離脱したり
幻覚や幻聴があるのも
おそらく脳の機能の一部に異常があるからなのだろうけれど
(それとも、欠損かな)
詩人としては
お得かも、笑。
ちょっとくらい、頭の機能がおかしいほうが
人生は豊かかも。
いろんなところで
ふつうのひとが感じないことを感じられるから。
その分、苦しみもより多く味わうけれど。
二〇一八年十二月十五日 「ぼくは泣きながら目が覚めた。」
ぼくは泣きながら目が覚めた。
ぼくは父親と継母が許せない。
父親は去年死んだから、もういい。
できれば、もっと早く死んで欲しかったけれど。
継母は悲惨な死に方をして死んで欲しい。
たとえ、そう願うことで、ぼくにいろんな病気がやってこようと。
継母はいま喘息で苦しんでいるけれど
叔母のようにアルツハイマーにでもなればいいのだ。
たとえ、そう願うことで、
アルツハイマーよりももっとひどい病気にぼくがなってもいい。
弟たちは、弟の友だちと船の上で暮らしていたのだ。
ぼくの夢のなかだけれど。
どんなに、かわいそうだったか。
ぼくの父親も継母も好きなことをして暮らした。
ぼくたちを十分にまともな人間にすることはしないで
ぼくたちを甘やかし
好き勝手放題に振る舞う傲慢な人間に仕立て上げ
とんでもない非常識な人間に育て上げたのだ。
ぜったいに許せない。
ぼくの人生をめちゃめちゃにし
弟たちの人生をめちゃめちゃにしたあの二人はぜったい許せない。
ぼくは泣きながら目が覚めた。
ふだんは弟たちのことをこころにかけることはないのだけれど
夢を見たのだ。
船の上で暮らしている、貧しい弟たちを。
その姿は、まだほんの子供だったのだ。
指がキーボードをたたきながら
ぼくはいまも泣いている。
ぜったい許せない。
ぼくは何もしてやれなかった、ぼくも呪わしい。
ぼくは泣きながら目が覚めた。
どうして、こんな夢を見るんだろう。
どうして、こんな苦しみ方をするんだろう。
キーボードの文字盤がにじんでいる。
悲惨な夢だ。
たぶん、19世紀のイギリスかアメリカって感じの
暗いトンネルのような感じの
大きな橋の下
テムズ川という名前が思い浮かんだのだけれど
テムズ川というのは、じっさいには知らないのだけれど
その暗い水の上に浮かんだ小さな船のなか。
洗濯物を干している弟たちに出会ったのだった。
ぼくは走り寄って
まだ幼い一番下の弟の頭をかき抱いて
泣いたのだ。
声を上げて、ぼくは泣いたのだ。
すぐ下の弟も子供だった。
すぐ下の弟は、洗濯物を干したあと、身体を拭いていた。
船には、風呂がなかったのだ。
ぼくは父親と継母が許せない。
まともな死に方はして欲しくない。
父親は盲目で、度重なる癌で苦しんで死んだから、もういい。
こんどは、継母の番だ。
たとえ、そう願うことで、どんな不幸が、ぼくを迎えてもいい。
ぼくは泣きながら、目が覚めた。
声を上げて泣いた。
その声に自分の目を覚まされたのだ。
ふだん気にもしていない弟たちのことを夢に見て。
二〇一八年十二月十六日 「トイレのなかで、ご飯を炊く人。」
壁のペンキのはげかかったビルの二階のトイレ。
そこでは、いろいろな人がいろいろなことをしている。
ご飯を炊いて、それをコンビニで買ったおかずで食べてたり
その横で、男女のカップルがセックスしてたり
ゲイのカップルがセックスしてたり
天使が大便をしている神父の目の前に顕現したり
オバサンが愛人の首を絞めて殺していたり
オジサンが、隣の便器で大便をしている男の姿を
のぞき見しながらオナニーしてたり
男が女になったり
女が男になったり
鳥が魚になったり
魚が獣になったり
床のタイルの間が割れて
熱帯植物のつるがするすると延びて
トイレのなかを覆っていって
トイレのなかを熱帯ジャングルにしていたり
かと思えば
トイレの個室の窓の外から凍った空気が
垂直に突き刺さって
バラバラと砕けて
トイレのなかを北極のような情景に一変させる。
男も
女も
男でもなく女でもない者も
男でもあり女でもある者も
何かであるものも
何でもないものも
何かであり何でもないものでもあるものも
ないものも
みんな直立した氷柱になって固まる。
でも、ジャーって音がすると
TOTOの便器の中にみんな吸い込まれて
だれもいなくなる。
なにもかも元のままに戻るのだ。
すると、また
トイレのなかで、ご飯を炊く人が現われる。
二〇一八年十二月十七日 「神曲 煉獄篇 1」
ぼくは、角の店のポリバケツのゴミ箱の横に倒れていた。
ぼくの右腕だろう。
離れたところに落ちていた。
指先は動いた。
ぼくが思うとおりに動いていた。
ぼくは自分の右腕のあったはずの場所を見た。
血まみれの肉の間から骨が見えていた。
痛みはなかった。
目の前に影が立ちふさがった。
見上げるとよく知っている顔があった。
彼は微笑んでいた。
直感で、微笑みにいっさいの嘘がないことがわかった。
トマス・M・ディッシュだった。
写真で見たとおりのマッチョなハゲだった。
両腕には派手な刺青が施されていた。
「わたしが来た。」
ぼくには、彼の言葉がわかった。
英語は、あまりできなかったはずだけれど。
すると、ディッシュは口を開けて笑った。
そうだ、さっき、ディッシュは口を閉じてしゃべっていたのだ。
「すまなかった。
おまえの魂に、じかに話しかけたのだ。
しかし、おまえはまだ、肉体を離れて間もないから、とまどうだろう。
口を開けてしゃべってやろう。
ところで、おまえのことを、おまえと呼んでいいね。」
ぼくは、尊敬している作家のディッシュに、おまえと呼ばれることは
とてもうれしいことだと思うと述べた。
「エドガー・ポオと話し合って
わたしが、おまえを迎えに行くことに決めたのだ。
おまえの死は微妙なところだった。
おまえの死は自殺だと認定されたのだ。
おまえは無意識に死を願っていたのだ。
ふだんから自殺を考えてもいただろう。
だから、そんに不注意にも歩いていられたのだろう。
車が、お前を撥ね飛ばすような危険な道を。」
「それで、なぜ、ぼくを迎えに来られたのですか?」
「天国に行くためだ。」
「自殺した者は、天国に行くことはできないと聞かされていましたが?」
「いや、違う。
自殺した者だけが天国に召されるのだ。
地上の生活で苦しみ
自ら命を絶った者だけが天国に行くのだ。
自然死をした連中はふたたび生を授けられるのだ。
来世で自殺するまで。」
ぼくは、なにがなんだかわからなかった。
わからなかったけれど、このことだけは確かめておきたかった。
「それでは、あなたは天使なのですか?」
「そういうものかな。
御使いの一人だ。
お前が生前に推測していたように
天国は神の一部であり
神もまた天国の一部なのだ。
わたしも神の一部であり
天国の一部であり
天国そのもの
神そのものなのだ。」
ディッシュは、ぼくの千切れた右腕を拾い上げて
ぼくの右腕のあった場所に、それをくっつけた。
すると、ぼくの腕は元通りになった。
膝の破けた服も元通りになった。
「さあ、行こうか。
ここ、煉獄を尽き抜けて、地獄を経めぐり
最後には、天国へといたるのだ。
真の詩人たる、おまえの目で
あらゆるすべての実相を眺めるがいい。
さあ、急ごう。
煉獄の道行きがもっとも長くかかるのだ。」
ぼくの足は、ディッシュの後にしたがって
狭いけれど、車が頻繁に通る道を歩いた。
二〇一八年十二月十八日 「Your Song。」
「波のように打ち寄せる。」という言葉を
「彼のように打ち寄せる。」と読んでしまった。
寄せては返し、返しては寄せる彼。
目を開けているからといって、見えているとは限らない。
むしろ、目を開けているからこそ、見えなくなっていたのだ。
彼はまだ、わたしのこころのなかに
喜びとして存在し、悲しみとして存在している。
いや、むしろ、わたしの喜びと悲しみが、彼として存在しているのだ。
しかし、だれが、わたしの自我などに云々するだろうか。
他人の自我などに。
ましてや、本人にさえ、あるのかどうかも、わからないものなどに。
あらゆる瞬間が永遠になろうとしている。
ある一つの夜が、わたしのすべての夜になろうとしている。
その夜の出来事を、わたしの自我の根が、たっぷり吸い込んでいたのだ。
わたしの自我自体が、その夜の出来事そのものになるほどに。
言葉ではないのだ。
言葉じゃないやろ。
好きやったら、抱けや。
その通り。
言葉ではなかったのだ。
ぼくは、何もせず
彼の横で眠ったふりをしていた。
彼もまた背中を向けて眠ったふりをしていた。
ああ、しかし、その出来事も
その喜びや悲しみも
ぼくのこころがつくりだしたものではなかったのか。
ぼくのこころがつくりだしたものなら
ぼくのこころがなかったことにすることもできるはずだ。
はずなのに。
起きたであろうことも
起きなかったことも
起きたことを知ることができた。
起きたことを否定することができるものは何一つない。
喜びと悲しみ。
それは、ぼくにとって、けっして、ほんとうには
感じ取ることができないものだった。
さまざまな才能があるのだ。
喜びもまた、悲しみもまた。
藪のなかに潜んでいるものではなく
藪そのものが、ぼくのこころのなかで動き出すのが感じられた。
わたしは、わたしの思い出を食べ
わたしの両親を食べ
わたしの住んでいる街の人を食べ
わたしと出会ったすべての人間を食べ
わたしが通った学校を食べ
わたしが家族と行った海を食べ
わたしが友人と行った湖を食べ
わたしが河川敷で坐ったベンチを食べ
ベンチに坐って眺めた川を食べ
川の上空を飛んでいた鳥を食べ
空に浮かんだ雲を食べ
わたしの見た
聞いた
感じた
あらゆるすべてのものを食べた。
すべてのものは、まったく同じ一つの光でできていた。
射精すると、チンポコをしまって、またふらふらと別の席に移って
ほかの男にしゃぶらせた。
ぼくたちの川のなかで、ぼくたちの夜に、ぼくたちの鳥が、
ぼくたちの水のなかに、ぼくたちのくちばしを突っ込んで
ぼくたちの餌になるぼくたちの魚を探していた。
だけど、もうぼくの目には見えない。
喜びと悲しみのほかには、なにも。
音には映像を膨らませる力がある。
映像もまた
喜びを膨らませる音楽を奏で
悲しみを膨らませる音楽を奏でていた。
ぼくは彼のことを愛していた。
ぼくは彼のことを愛していた。
悪いことに、ぼくはそのことに気がついていた。
よく知っていたのだ。
けっきょく、だれであってもよかった、ぼくたちであったのだけれど。
けっきょく、だれにもなれなかった、ぼくたちであったのだけれど。
二〇一八年十二月十九日 「ヤフオクでのお買い物」
きょうのヤフオクでのお買い物。本と画集。
これで、日本で出てるバロウズの個人的な本はすべて揃いました。
今後は原著を集めていきます。
SFは、オールディスの作品が入っていたから買ったアンソロジー。
これ、近所の古本マーケットで108円のときに買いそびれて
つぎの日に行ったらなくなってたもの。
300円で落札。
ああ、腹が立つ。
まあ、仕方ないけどね。
ジョン・クロウリーは、はじめて買ったのだけれど
エンジン・サマーの方が評判はよいみたいね。
まあ、どんなものか、読んでみましょう。
これは、短篇集みたい。
カヴァーがきれいなので、いい感じ。
カヴァーがいいので、ほかに欲しい本がいま数冊。
思案中です。
しかし、バロウズの絵は美しい。
あ、ショットガン・ペインティングの画集、持ってなかった。
上記の、日本で出たものぜんぶって、嘘だ。
それが残ってた。
このあいだ、5000円くらいで売ってたのだけれど
いま探してもないんだよねえ。
21000円で出してるところがあるけど
それはちと問題外。
二〇一八年十二月二十日 「ジミーちゃん」
これからジミーちゃん来室とのこと。
韓国人俳優のDVDを見ることに。
歌手らしい。
名前忘れちゃった。
自分が興味ないものは、ぜんぜん覚えられないんだよねえ。
きのう買ったDVDと、本と、到着した本。
カンフー・ハッスルは、以前に借りて、見まくったものだけれど
500円だったので、三条のブックオフで買った。
ふつう1000円くらいね。
で、いつもの居酒屋さんで
会社社長二人にはさまれて、飲んでいました。
どちらも理系の方で
話題は
有機化学や粉体工学や数学に。
なんちゅう、居酒屋さんなんやろか、とお二人もおっしゃってました。
そこに、ぼくがシェイクスピアにおける道化の役割ですとか
ラテン語の成句をまじえて哲学のお話などを入れるものですから
お一人の方は感激されて、「わたしもシェイクスピアを読みますわ。」
とのこと。
ところで
ニーチェもシェイクスピアも、持っていて読んだものなのだけれど
いま部屋の本棚にないので、だれかにあげたか、貸したままで戻ってこないもの。
もう人に本は貸さないようにしているけどね。
戻ってこないから。
ジョン・クロウリーのは、とってもカヴァーがきれいで
もう、それだけで、この本がすばらしいことがわかる。
本の状態もとてもよいし、いい感じ。
実物、きれいよ。
薄いし、それがまた魅力を増す原因ね。
部厚いものもいいけれど
薄い本って、独特の魅力がある。
岩波のチョー薄い本なんて
ほんと、美しいじゃん。
シェイクスピア
第二部がないけれど
これ、いま岩波から出てなくて
そのうち、ブックオフで。
ヤフオクでは、岩波、結構、高くって
入札する気がおこらん。
ゆっくり待てば、ブックオフで、108円だもんね。
読んだやつだし、あわてることないしね。
しかし、だれが持ってるんやろう。
ぼくのシェイクスピア。
追記
おひとりの社長は
化粧品開発メーカーの社長で、きょうは、京都の嵯峨野高校で
理系の生徒を前に講演なさってるはずで
その方とは
写真雑誌のデジャヴについて
また、写真家のキャシー・アッカーマンだったかしら
彼女の写真についても話が出て
ぼくは写真にも興味があって
デジャヴは創刊号から買っていた人なので
とかとか
いろんなところに話が飛んで
きのうは、とても面白かったです。
ああ、これで
恋人が、きょうでもメールくれたらなあ。
会いたい!
今晩6時に、京都の方と、本の交換を。
無料登録で、読書家の人間が
本の交換をできるシステムがありまして
その方と。
ぼくがいただくはずのものは、『ルイーズの肉体』と
『燃える家』の2冊。
ぼくが差し上げる予定のものは
『ベスト・オブ・バラード』と
『風の十二方位』と
『塔のなかの姫君』
京都の方なので
じかに交換できるのでいいですね。
でも、ナイフとか持ってて
異常者だったら、どうしよう。
直接、ぼくの部屋に訪れるということだけれど。
もしも、ぼくになんかあったら
これ、証拠にしてね。
いまから、部屋を片付けなきゃだわ。
コーヒー飲み飲み。
ルンル、ルンル、ル〜ン。
二〇一八年十二月二十一日 「苦痛こそ神である。」
バロウズの画集(京都書院)が届きました。
とってもきれい。
でも、みてたら、きゅうに、うんこがしたくなりました。
してこようっと。
ブリブリ。
書物交換しました。
『ルイーズの肉体』は、耳に記憶があったので
楽しみ。
田中倫郎さんの訳なので
日本語も美しいはず。
『燃える家』
タイトルがいいと思った。
読んでみたくなるタイトルね。
こちらは
リンダ・ナガタの『ボーア・メイカー』
ル・グインの『風の十二方位』
バラードの『ベスト・オブ・バラード』
そして
ぼくの詩集を3冊
タイプだったから、つい、笑。
ハグハグしてしまった。
彼がHPの作り方も
これから教えてくれるそうなので
ちかぢか
ぼくのHPを。
そこに「詩人の役目」や
過去の未発表の作品なんかを入れていきますね。
さてさて
これからお風呂に入って
ひざをあたためて
いたみをやわらげます。
ひざの痛み止めの種類を変えました。
しかし、「苦痛こそ神である。」という思想こそ
ぼくの経験と思索の結果、たどり着いたものなので
なんともいえない満足をも感じています。
マゾヒストかしら、笑。
わたしはあなたとともにいる、という神さまの声が聞こえてくるのですね。
あとどれぐらいの長さ、どれくらいの程度
神さまは、わたしを苦しめてくれるのか、ということですね。
二〇一八年十二月二十二日 「薩摩の語部」
新しい「数式の庭」のモチーフが浮かんで、
うれしくなって、近所のスーパー「お多福」に。
このあいだ飲んだおいしい芋焼酎「薩摩の語部」を、
いまロックで飲んでる。
うううん。
ひとりで飲むひとじゃなかったんだけど、
いい詩の構想ができたっていっても
いっしょに喜んでくれる恋人もいないし、笑。
あしたもヨッパだろうけどね。
あとで、もっとヨッパになって
入力します。
おぼえてたらね〜、笑。
二〇一八年十二月二十三日 「短詩」
ささいなことがささいなことでなくなる瞬間。みかんの数を数え直す。
二〇一八年十二月二十四日 「柴田 望さん」
柴田 望さんから、同人詩誌『フラジゃイル』第4号を送っていただいた。柴田さんの作品「粉」、吉増剛造さんの初期の詩を思い起こさせるような詩句の繰り出し方で、びっくりした。いま初期の吉増剛造だなんて、新鮮な感じがした。
二〇一八年十二月二十五日 「廿楽順治さん」
廿楽順治さんから、同人詩誌『Down Beat』第13号を送っていただいた。廿楽さんの作品「中華料理上海桜」に出てくる「ふるい耳」に、ぼくの耳が反応した。この短い詩句に、ぼくの耳が、自分の思い出を思い出させられていた。
二〇一八年十二月二十六日 「アザー・エデン」
ここ数週間、体調が悪くて、あまり読書もできずにいたが、きょうは、なんだか気分がいい。きのうまでに、イギリスSF短篇の傑作集『アザー・エデン』を半分ちょっと読んだ。今晩は、マイケル・ムアコックの「凍てついた枢機卿」を読んで寝よう。『この人を見よ』の作者である。おやすみ、グッジョブ!
二〇一八年十二月二十七日 「藤井晴美さん」
藤井晴美さんから、詩集『量子車両』を送っていただいた。一気に読ませていただいた。言葉を自由自在に駆使して、言葉のコラージュをつくっておられるような気がした。ぼくの詩集『The Wasteless Land.IV』を思い出したりもした。
二〇一八年十二月二十八日 「葉山美玖さん」
葉山美玖さんから、個人詩誌『composition』の第3号を送っていただいた。「父」と「天井大嵐」と題された詩篇にこころの目がとまる。詩を読みながら現実を求めている自分を強く意識した。
二〇一八年十二月二十九日 「ロバート・フロスト」
ググって見つけた、フロストの「行かなかった道」の三つの訳、コピペ。
『行かなかった道』
黄葉の森の中で 道は二つに分かれていた
残念だが二つの道を行くことはできなかった
身一つの旅人ゆえ,しばらく立ち止まり
一方の道を 目の届くかぎり遠く
下生えの茂みに曲がっていくところまで見渡した.
それからもう一方の道を眺めた,同じように美しい,
あるいはもっとよい道なのだろう,
それは草深く まだ踏みつけられていなかったから.
だがそのことについていえば,実際は
どちらも同じ程に踏みならされていた,
しかもその朝は いずれもおなじように
黒く踏みあらされない木の葉でおおわれていた.
おお,わたしは はじめの道を,またの日のためにとっておいた!
だが 一つの道が次々に続くことを思い,
再びもどってくることがあるだろうかと疑った.
わたしは 幾年かの後 溜息ながらに
どこかで これを語るだろう,
森の中で 道が二つに分かれていた,そして わたしは─
わたしは 人跡の少ない道を選んだ,
それが 全てを違ったものにしたのだと.
安藤千代子「ロバート・フロスト詩集─愛と問い─」(近代文芸社、1992年)
行かなかった道 ロバート・フロスト
黄ばんだ森の中で道がふたつに分かれていた。
口惜しいが、私はひとりの旅人、
両方の道を行くことはできない。長く立ち止って
目のとどく限り見渡すと、ひとつの道は
下生えの中に曲がりこんでいた。
そこで私はもう一方の道を選んだ。同じように美しく、
草が深くて、踏みごたえがあるので
ずっとましだと思われたのだ。
もっともその点は、そこにも通った跡があり
実際は同じ程度に踏みならされていたが。
そして、あの朝は、両方とも同じように
まだ踏みしだかれぬ落ち葉の中に埋まっていたのだ。
そうだ、最初眺めた道はまたの日のためにと取っておいたのだ!
だが、道が道にと通じることは分かってはいても、
再び戻ってくるかどうかは心許なかった。
今から何年も何年もあと、どこかで
ため息まじりに私はこう話すだろう。
森の中で道が二つに分かれていて、私は―
私は通る人の少ない道を選んだのだったが、
それがすべてを変えてしまったのだ、と。
駒村利夫訳
The Road Not Taken
Two roads diverged in a yellow wood,
And sorry I could not travel both
And be one traveler, long I stood
And looked down one as far as I could
To where it bent in the undergrowth;
Then took the other, as just as fair,
And having perhaps the better claim,
Because it was grassy and wanted wear;
Though as for that the passing there
Had worn them really about the same,
And both that morning equally lay
In leaves no step had trodden black.
Oh, I kept the first for another day!
Yet knowing how way leads on to way,
I doubted if I should ever come back.
I shall be telling this with a sigh
Somewhere ages and ages hence:
Two roads diverged in a wood, and I-
I took the one less traveled by,
And that has made all the difference.
(Robert Frost, 1916)
「選ばれざる道」(MM総合研究所 訳)
黄色い森の中で道が二つに分かれていた
残念だが両方の道を進むわけにはいかない
一人で旅する私は、長い間そこにたたずみ
一方の道の先を見透かそうとした
その先は折れ、草むらの中に消えている
それから、もう一方の道を歩み始めた
一見同じようだがこちらの方がよさそうだ
なぜならこちらは草ぼうぼうで
誰かが通るのを待っていたから
本当は二つとも同じようなものだったけれど
あの朝、二つの道は同じように見えた
枯葉の上には足跡一つ見えなかった
あっちの道はまたの機会にしよう!
でも、道が先へ先へとつながることを知る私は
再び同じ道に戻ってくることはないだろうと思っていた
いま深いためいきとともに私はこれを告げる
ずっとずっと昔
森の中で道が二つに分かれていた。そして私は・・・
そして私は人があまり通っていない道を選んだ
そのためにどんなに大きな違いができたことか
二〇一八年十二月三十日 「考察」
ひとと触れる
ひとに触れると
人間は、こころが晴れ晴れとするところがあるようです。
二〇一八年十二月三十一日 「ロバート・フロストの「火と氷」」
このあいだ、ぼくが感心した
Fire and Ice
は
詩集 New Hampshire
に入ってるからね。
Fire and Ice
Some say the world will end in fire,
Some say in ice.
From what I've tasted of desire
I hold with those who favour fire.
But if it had to perish twice,
I think I know enough of hate
To say that for destruction ice
Is also great
And would suffice.
火と氷
ある人々は世界の終りは火になるだろうと言う、
ある人々は氷になるだろうと言う。
自分が欲望を味わい知ったところから判断して
わたしは火になるという人々に同意する。
だが、もし世界の滅亡が二度あるものとすれば、
わたしは憎しみも十分に知っていると思うから
滅亡のためには
氷もまた偉大で
それもまたよいだろうと言いたい。
安藤一郎訳
この詩のアイロニーと滑稽さは秀逸である。
このような詩を書く高みに、自分も身を置いてみたいと思う。
けれど、ぼくのようなタイプの書き手は
高みにある偉大な詩人たちを見上げながら
彼ら彼女らが築いた人間考察の幅の広さとその深さに
ただただ感心するしかないのだろうとも思う。
レギュラータイプ
あのいい加減なルールを発見したら始まるんだ
俺に今必要なのは友達じゃない
テレビの世界平和じゃない
健康診断の結果じゃない
隣人は毎朝ウチの玄関扉を蹴っ飛ばして行くが
俺に今いちばん必要なのは
あれを諦めてしまうぐらいのメンタルだ
バイト先のピザ屋では万年トッピング係
雑居ビルの窓々からは粘っこい黒煙が立ちのぼり
放置自転車ひしめく路地裏で
焼けた脂の匂いに今日も打ちひしがれる
暗転したスマホ画面に映る俺の顔まで
パチンコ店に列を作る客らと同じ湿度でやりきれない
バイト帰りにいつもの立ち飲み屋で後輩がつぶやく
「落花生のさやがたまに空っぽなのは、
虫たちが寝床に困らないためですよね?」
落花生の殻をメリメリと剥く後輩の肌は幼虫みたいに青白い
「それないやろ」
メリメリメリ メリメリ
「ほら、またありましたよ! リアルカプセルホテル」
ー世界ってそんなに優しかったかよ
俺たちは少しずつ思い出している
窓の外に いつもの街に もぐり込んだ布団に
許し合うゲームをまた思い出そうとしている
確かにあるかもな
今度はそんな当たり前の奇跡を信じるよ
認めたいんだ当たり前に
『源氏物語』私語 〜夕顔 〜
・・〜若紫 〜
私語をひとつ。思うんだが『源氏物語』のような古典は、原文もしくは現代語訳を読んでみて興味が湧いてこなければ、その作品は駄作だ。解説で読みたくさせるような小手先の啓蒙ごとき行為は無駄な作業だ。そんなこと、作者は望んでいまい。受験勉強ではあるまいし、虎の巻は必要ない。一生かかっても読み通せない。それでいいではないか。人生ってそんなもんさ。読むことがライフワークになる作品。ざらにあるもんではない。
古風なやり口だが、本に名刺を挟んでひとめ惚れした娘のそばに忘れたふりして置いて行く。いつの世もそうらしい。北山へ持たせた祖母尼君への立て文の中に小さな結び文を入れる。
・おも影は身をもはなれす山櫻心やかきりとめてきしかと(源氏)
夜のまの風もうしろめたくなむ
≪夜のまの風もうしろめたくなむ≫朝まだき起きてぞ見つる梅の花夜の間の風のうしめたさに(拾遺・春上 元良親王)
あなたのシルエットがまぶたに焼きついて、あなたを想う余り浮かぶ身もありません。源氏はわずか十歳にも満たない若紫を見染て、なかば誘拐に近いかたちで身元に置きやがてレイプしてしまう。難波津(古今六帖)もおぼつかなく一字間をおいて書く手習いの字が見たいとせがむ源氏。レイプして男が三日通えば公認の仲になるシステムにあって、十歳にも満たない若紫を熟成していただく愛のかたちを描いた紫式部は何者だ。なぜ晩婚なのか、道長に迫られたイカレタをんななのか。清少納言は紫式部のことをどう思っていたのか。あれほど『紫日記』でこきおろされたのに、清少納言は紫式部のことを一度も言及していない。恐らく、二人は面識がない。
紫式部は清少納言と入れ違いに宮使いしている。『紫日記』」とは言ってもフィクションが入り混じっているのだから微妙なところだ。
小説を起こすように和歌を物語に織り込む。しかも、その数が尋常ではない。『紫式部集』パートIIが出来るほどだ。
和歌の訳は俵万智がいい味をだしているものの、十七文字の置き換えの感がいなめない。そもそも、和歌を現代語に訳すのにどれだけ和歌に利益があるのだろう。短歌を和歌になおすのはどうだろう。そんなことする人が現われるとは思えないが。千年のちの同胞を馬鹿にして嗤うことだろう。千年前の人が和歌を未来語になおして伝えるのは不可能なように、短歌を千年後の未来に残すのではなく、未来語になおすことは不可能だ。これは現代人の驕りで和歌・短歌たいする越権行為なのだ。あなたは自分の詩がそんな扱いを受けるのを黙っているのだろうか。
・をとこ君はとくおき給て女君はさらにおき給はぬあしたあり(「葵」)
新枕をかわした時のことを、たった一行足らずで表す。若紫十四歳。
ふと思うのだが、紫式部ならどんな俳句を思いついただろうか。
・・障子の穴から覗いて見ても留守である(放哉) どうだろう。
・あやなくもへたてけるかなよをかさねさすかになれしよるの衣を(「葵」)
気もそぞろしょうこりなくそばにいて抱くのは衣だけ命(こころ)がいたむのだと、辱めを受け前向きになれず伏せていた若紫の枕元に契りを交わした印しの文を置く。したごころ見え見えの流し文だ。
・……いとをかしきもてあそふなりむすめなとはたかはかりになれは心やすくうちふるまひへたてなきさまにふしおきなとはえしもすましきをこれはいとさまかはりたるかしつきくさなりとおもほいためり(若紫)
胸いっぱい無邪気な人形だ。すこしの疑いもなく寝食共にするとは、一風変わった私の秘蔵ッ娘よ。若紫は紫の上として以後の巻に語り継がれていく。
********註解
:底本には『校異源氏物語』池田亀鑑編著を用いた。
水鳥の眠る場所
深く病める者たちが 死の瞳を覗く、或は曇壜に、水葬の汽笛に、硬直する、造花の錫、瓶に
長らくを、壊れ果てていた、部屋部屋に、十字の影が差し、慄く者たちを、浮き彫りと為った洞窟へ、つれさって行く、
旧い骨壺、砕けた遺櫃を、運命の帰途を、振り返り、
土は砂礫に潤む、
偶像へ、頑なに鉄槌を恃む、囚人達は、意識に溺れ、現に微睡を取る、
魘された鑑が、静かにも熔けてゆき、排水溝へ、銀の跡を、蹄鉄の様に撒き散らしてゆく、
蒼褪めた翳が、窓を吹き撓める、死者の諸手は、幾重もの、乾板へ固執しては、物憂う人体を、吊るし、
呵責に傷み、手折られた翼の花は、沈んでゆく、黒い血の、汚泥へと、
歓喜をして、死の囚人は、殴り付けられたかの様に、哂う、
白昼は昏く、憎悪の華を培い乍ら、その種子を並べある棚の、燃やされた帆船の、穹窿を象り、
思想を凌ぐ、巨躯の薔薇として、戦禍を厭う、丘陵のその端々に裔として、屹る、
石の麦を刈入れながら、
荷車に鬩ぐ、造花もまた葬礼の、服喪に附され、
寡婦は降灰の昼を仰ぎ、歩み来て、そして、去る
自らを、死の果てへ、突き落とし、哂う、
自堕落を催した精神
伝染病に冒され、
或は始源の罰に打たれたる
胎児、
四肢無き樹幹
心臓無き山鳩を告げよ
もはや夕は血をしか示さず
海溝を乾く
猶予無き死刑の一室、
裂罅を纏う
狂婦、肉切庖丁、
生涯に確かな者が下り、死の命運を告げる、
黄昏の柱時計を滴り落ちながら、
真実が悪意にしか宿らないものならば
悪意に拠ってしか存在を糾明し得ないものが人間ならば、
直ちに理想像はこの咽喉を刎ね落すがいい、
包帯に膿、
報復としての天刑病、
崩れた貌、崩れた肉体を
憎悪の糧として
優美に
脳幹へ泛べる、
禍根の巌、
苦役を、嗄れた涙液は啜り
石化した、火砕流の死脈を確乎と
築き昇らしめ、柱塔に、斃れた遺骸の多くを
黙祷に附して猶、
旱魃の厩舎に
殺害され、
磔の水葬花、対としての麺麭酵母、
絶無は若草芽の灯に燈り、
紫衣は穢れ、
死刑執行の血に清められた、
鎗穂へ、
差し伸ばされた
水蒸気の幽霊達、
テーバイに燃え落ちた苦艾の、
豫め約束を期された
地球絶滅収容所、
その衆目の檻舎に有りうべからざる死斑蝶は留まり、
_
樹は彫刻の膚を晒す、痛々しく、掠れた颪の許に、
窓には、包帯を滲む、跳弾の痕、
静かに、吹き込む、絹の容をした、雨垂れは、
沈潜をした、泉の畔に、漂離し、夜の底はその陰を差す、
枯れた傷み、落葉は、吹き溜る、橋梁に、そして土地に、
礎に濡れ、一縷の罅を伝う、哀悼を、弔砲が、報せてゆく、
浚われた火夫の、青褪めた肌には、腐敗ひとつなく、
齢若くして、水葬に附された、
航空空母に、
青年群の逞しい指を、歴史より、押流しては、已まない、
咳に血が混じりゆく、
刻一刻と、樹は彫刻の膚に、乾いた血痰を、泛べ、柱の様に 立って、いる
瓶詰の子供
膨れ上がる真っ新な濃霧
満たされていく冷気
腹の底から少女が叫ぶ
こだまする
つまり、水の中
縦横無尽に見えるのならば
フィラメントが痩せている
死人からも抽出される水分も
テラリウムの中で燦燦と
月の真似事をして喜んでいる
「朝、起きた時に
知らない男が真後ろに立っていた
さて、どうしようか、と、
考えようとした矢先に、
男が女になって、そのまま
ふわっ と浮いて 帰っていった
初恋の香りがした。
私、愛しているの」
それは、昨日枯れた花
そして、昨日枯れた花
雨と冷汗が流れた後
揺りかごの中の血液は
その花のために
枯れていた
一杯の氷
洋館の屋上は
ふらつく魂で覆われる
錆びつく小楢の関節人形
突き立てた日本刀で
耳鳴りを吹かす
青ざめた
画鋲の自由研究
再提出した鮫色のカーディガンを羽織り
職員室の引き戸を閉める
淡々と
火花を鼻水のように垂らし、
煌々と、赤黒く炭に塗れた地面へ湧き上がる
歪んだ水ぶくれは
群れをなして沼の視線を空へ逃した
滑りのある、しぶきを巻き散らして
羽の折れた熱帯魚が
でろでろに膨れる
飛散した、校舎裏に伸びる夏の影が
氷山の一角に彷徨い始めて
りぼん
みえない光が
僕を束ねている
ほどかれるのが怖くて
僕は夜空の下に隠れている
みつけて、と
みつけないで、の
交差するシグナルが
まだ幼いたましいと同期して
ゆらゆらと揺れる
まばたき
またたき
指の先が輪郭に触れる時
微笑み色のきみは崩れてゆく
鬼につかまっちゃダメだよ
もうじき帰れなくなるよ
シャボンの匂いにまみれて
カイコが泡沫を繭に紡いで
亡きがらを抱いてねむるよ
きみはどこに行ったんだろうね
『源氏物語』私語 〜夕顔 〜
・・〜夕顔 〜
・六条わたりの御しのひありきのころ内よりまかて給なかやとりに大弐のめのとのいたくわつらひてあまになりにけるとふらはむとて五条なるいゑたつねておはしたり
・うき 夜半の悪夢と共になつかしきゆめ
・もあとなく消えにけるかな 晶子
源氏が六条に恋人を持っていたころ、御所からそこへ通う途中で、だいぶ重い病気をし尼になった 大弐(だいに) の 乳母 (めのと)を たずねようとして、五条辺のその家へ来た。(与謝野晶子)
六條あたりに人目を忍んでお通ひの頃、内裏(うち)からそちらへお出ましになる中宿(なかやどり)、大貮(だいに)の乳母(めのと)が重い病気で尼(イ)になつたのを見舞つてやらうとお思ひなされて、五條にあるその家をねて、お立ち寄りになりました。(谷崎潤一郎)
六条辺への源氏忍(しの)びのお通いの頃、宮中からおさがりになる時の中休みの場所として、大弐(だいに)の乳母(めのと)が重病にかかって、そのために尼さんになってしまっていたので、それをついでに見舞ってやろうと、五条にあるその乳母の家を探しながらやって来られた。(今泉忠義)
六条のあたりのさる女のところへお忍びで通っていた時分のことであった。
ちょうど内裏(だいり)からその六条へ通う途中の中休み所として、源氏は五条にある乳母(めのと)の大弐(だいに)の家を探して訪ねていった。(林望)
その夏も、終わりに近づいていた、
都を南へ六条あたり――その頃私は、そこにある邸へと、忍んで通わなければならなかった。
宮中を出て六条まではかなりの道程(みちのり)になるその中宿(やどり)にと、ちょうど私の乳母(めのと)がひどく患った挙句(あげく)に尼になったというのがあったから、それを見舞ってみようかと思い、五条にあるその尼の住み家を訪ねて行った。(橋本治)
六条のあたりに、源氏の君がお忍びでお通いになっている夏の頃のことであった。御所から退出なさるお中休みを兼ねて、大弐(だいに)の乳母(めのと)が重い病にかかって尼になったのを見舞おうと、前ぶれもなさらず五条にあるその家を訪ねて行かれた。(円地文子)
源氏の君が六条のあたりに住む恋人のところ、ひそかにお通いになられている頃のことでした。その日も、宮中から御退出になり、六条へいらっしゃる途中のお休み処として、大弐(だいに)の乳母(めのと)が重い病気にかかり、尼になっているのを見舞ってやろうと思いつかれて、五条にあるの家を尋ねていらっしゃいました。(瀬戸内寂聴)
アットランダムに現代語訳を並べてみた。勿論、形式的にはどんな形をとろうと著者の見識に委ねる。だが、訳というからには原作者が残した一字一句を無視しては失礼、『源氏物語』という日本語でなされた文を取り扱う時の基本姿勢だ。つまり、まず原文を読めなくてはいけないという当たり前の事。
この場面は、倖うすき夕顔と出会うきっかけになる重要な書き出し。源氏の浮気こころも空蝉との微妙な不倫で終わり夏も過ぎ、秋が訪れ十七歳の源氏は十九歳の夕顔に恋をする。
六条わたり(京極)に住む六条御息所との忍び逢いのをり、内裏をお出になる道すがら、大病をわずらい功徳として出家している大弐の乳母をねぎらいに五条の家を訪ねなさった。(アンダンテ)
・心あてにそれかとそみるしら露のひかりそへたるゆうかほの花(夕顔)
・心あてにをらはやをらむはつしものおきまとはせるしらゆきのはな(古今和歌集 秋下 躬恒)
凡河内躬恒による。余談。百人一首に収められているこの歌は、正岡子規によって≪初霜が降ったぐらいで白菊が見えなくなるわけではない。これは嘘の趣向である≫(『五たび歌よみに与ふる書』)と批判された。
夕顔はおおよそ光源氏だと思いはかり、今生の別れを暗示するかのように夕顔の蔓を白き香りついた扇にのせて渡す。
・よりてこそそれかともみめたそかれにほのほのみつる花のゆふかほ(源氏)
扇にちらし書きされた歌を見て、このまま見過ごせない浮気こころをのぞかせ畳紙に筆跡を変えてまでして御随人にもたせる。
後に、夕顔は「帚木」で雨夜の品定めの話で聴いた頭中将のゆくえ知らずの女だとわかる。お互い名を知らせることもせず、夫持ちで身分の違いからゆるされぬ恋の深みに嵌ってゆく。そして、六条御息所を慕う妖怪に呪われて夕顔は息絶える。名前を明かさなかった夕顔は、本当は三位中納言兼中将の娘だった。頭中将の愛人となって玉鬘を産むが頭中将の正妻に追い出され居所を転々とする。
雨夜の品定めの話にでてくるおんなが、後に源氏が関係するという図式は一度だけではない。期待を裏切られるようでつまらない、又かだ。
・……よひすくるほとすこしねいり給へるに御まくらかみにいとおかしけなる女いておのかいとめてたしとみたてまつるをはたつねおもほさてかくことなることなき人をいておはしてときめかし給こそいとめさましくつらけれとてこの御かたはらの人をかきをこさむとみ給……
・……なをもてこや所ににしたかひてこそとてめしよせてみ給へはたゝこのまくらかみにゆめにみへつるかたちしたる女おもかけにみへてふときえうせぬむかしの物かたりなとにこそかゝる事はきけといとめつらかにむくつけゝれとまつこの人いかになりぬるそとおもほす心さはきに身のうへもしられ給はすそひふしてやゝとおとろかし給へとたゝひえにひえ入りていきはとくたえはてにけりいはむかたなし
夢枕に立った物の怪。臨家に住む嫉妬する六条御息所の生霊か、夕顔と逢う荒廃した院に棲みつく六条御息所を慕う妖怪かは定かではない。いずれにしても、六条御息所と結びつく。
六条御息所にはモデルがない。まったく想像上の人物、紫式部が創造した人物だ。源氏との直接の接点がなく、絶世の美女申し分のない身分と知力の虚像がなまなましく行き交う。源氏との躱しか方は身の上も知られたまわず物の怪に取りつかれた夕顔の介抱。足げく通う六条わたりなのだが、その様子がなにも語られず状況報告に終始する。
・……君はゆめをたにみはやとおほしわたるにこの法事し給てまたのよほのかにかのありし院なからそひたりし女のさまもおなしやうにてみえけれはあれたりし所にすみけんものゝわれにみいれけんたよりにかくなりぬることゝおほしいつるにもゆゝしくなん
夕顔の四十九日の法事を終えたあくる夜、せめて夢にでも夕顔に逢いたいおもう。かのありし院で見た同じ物の怪がぼんやりと現われる。源氏は荒廃した院に棲みつく六条御息所を慕う妖怪に違いないと薄気味悪くおもう。
夕顔が息絶えたかのありし院は具平親王の千草殿を拠りどころにしている。夕顔の宿には道元の碑が建っている。
・秋にもなりぬ……六条わたりにもとけかたかりし御けしきをおもむけきこえ給てのちひき返しなのめならんはいとをしかしされとよそなりし御心まとひのやうにあなかちなる事はなきもいかなる事にかとみえたりをんなはいとものをあまりなるまておほししめたる御心さまにてよはひのほともにけなく人のもりきかむにいとゝかくつらき御よかれのねさめねさめおほししほるることいとさまさまなり
≪をんなはいとものをあまりなるまておほししめたる御心さまにてよはひのほともにけなく≫源氏十七歳、六条御息所二十四歳。をんな(女)の一文字で源氏と六条御息所の関係の情の深さをあらわす。それにしても源氏は助こましだ。『光源氏物語』というよりも『女源氏物語』がふさわしい。むずかしく考えずに一字一句あじわうことが肝要だ。
・いつれの御時にか女御更衣あまたさぶらひ給けるなかに
≪どの帝の御代であったか≫とおおむね訳される。何故だろう。時代設定はなされている。村上天皇の御代だ。どの帝の御代であったかと訳すことは、令和時代はどの時代だと言うのと同じだ。当時は帝が祭りごとをつかさどっている時は、帝を固有名詞で呼ばないならわしだった。紫式部はそれに倣ったのだ。≪昔々、その御代≫という意味だ。とはいっても、これは物語なので桐壷帝が必ずしも村上天皇である必要はない。モデルとしては醍醐天皇を想定していたらしい。
********註解
:底本には『校異源氏物語』池田亀鑑編著を用いた。
裏庭にて
かりそめの、
からたち
なりそめの、
土、
いまだ踏まず
だれも雨を知らない
きょう夏は去って、
うたう、
もてないおとこたちのうた
もはや忘れられた、馬、そして、
alarm
それでもやさしい動物たち
存在がなくなって猶、
生きてる、
ということ
子供靴がひとつ、
裏庭に落ち、
ぼくは眺める、――テキサス!
それはまるで生きてるみたいにうごくよ。
罪業に如くはなし
悲しみは夢に落ちてゆくようである。笑みに羽ばたく蜻蛉の空が、薄明りに集まっている。紅葉の幼木に一匹が、ぴたっと止まった。撓みながら、互いの命を揺らし合えば、風は古より興り、景色に色を与え、心の淵に宿る。意味が音を伝い、束の間を昇ってくると、波は海へと繰り返している。月は季節を慰め、無常の儚さを灯している。郷に帰るものの旅末に緑を擡げる道草の色も、遥かなるものである。
知らないうちに人々は、多くの言葉を人生に捧げている。私たちの読点は、より良い句点へ、今日も加速している。夕暮れの改行は、余白の後ろで未知に終わりを告げている。夜空は君を、星へ置き去りにして僕を、善意に導いている。間違いなく外国語の宗教で。言葉はガラクタだ。証拠もないのに信じている。言葉はガラクタだ。願いもしないのに生まれてくる。言葉はガラクタだ。祈ると願いは思いに戻ってしまう。言葉はガラクタだ。母音の前を子音が移り過ぎてゆく。
逢坂の関の近くの、毘沙門堂門跡の宸殿の玄関で、僧が脱いだ草履を見るのが好きだ。いつも、堅苦しくなく揃えてある。左右が、ほんの少し明後日の方向を向いて揃っているのが、これまた暖かみがあってとても良い。特に冬の寒い日には胸がジーンと熱くなる。
カーマイン
滅ぼせという声がするので
安定剤ばかり飲んでいる
神様の小さなお庭は夜
群れを成した子どもらに
翼の生えた蜥蜴の話をする
笑えない冗談の好きな質で
駄菓子をこよなく愛し
明日も昨日もないまま
僕らの永久に可哀想な主人は
死ぬ時を夢見ている
破壊するには優し過ぎるから
伏し目がちに祝詞を紡ぐ
その消えない焔の為に
愚かなだけの人の子が作る
幾つの暗闇が照らされるのか
生きようとする者に従い
過去を音もなく焼き尽くし
正しいのはいつも自分で
良心の呵責しかない今を認める
狂っているから分かるし
目を閉じれば見えるだけの
柔いキャンドルライトの様な
僕らの独りぼっちの神様
頬
窓ガラスが砕け散って、頬に痛みを感じながら、ひび割れた世界を見ている。夢。
嵐の前日らしいよく晴れた土曜日。脛骨と腓骨にぶら下がるふくらはぎと落ちそうな靴を空ごしに見ていた。皮膚が日に光って、肉が食べたいとか考える。
風は、まだ夏なのに。あなたは。
粉々に散っている蝉の羽の筋があまりにも綺麗な夕方に、手の小指の血まみれのささくれを引きちぎって、鏡が割れたらいいのになぁと、祈りながら爪を切る。
あなたは、そうね。一つだけ伝えるわ。
昔の記憶は全部、眼鏡の中だろうから、ひびが入ったら困るなぁ。なんてね。ぐつぐつうるさいお湯にそうめんをばらっと入れる。
あなたの顔が思い出せないけれど私、最後に言ったことは覚えているのよね。
秋まで待ってなんて、もう言わないから、あなたのいいところを伝えたいと思うわ。あとね、一つ、お願いがあるの。先にそれを言うわね。
お願いよ。どうか、頬に、
そうめんが茹で上がったから、出来合いのかき揚げを乗せる。嵐が去ったら秋が来るんだろうか。熱湯がはねる。頬に痛みを感じる。私の血液は美しいだろうか。鏡を見たって分からないんだよな。あれ、光しか映さないんだから。
ちょっとそうめん茹ですぎたな。私の家の食卓には、ほとんど会話がなくてテレビ頼り。特別崩壊しているわけでもなく、食事中は話をしないというのが暗黙のルールというか美しさとしているだけ。
窓ガラスが砕け散ってもいいようにカーテンを画鋲で留めておく。せめても。暖かい明かりは部屋の温度を上げるから、今日は早めに目を閉じる。眠れないけれど。
sex dream
痛い、から始まる
意識が重なって壊れてる
貴方を引き付けるのが怖い
どうか 夢を見せて
いつも私の中の幼さを刺激するから怖くなった
暗がりの中で目に当たる凡てが嫌だから
目隠しをして貰った
貴方が噛む場所から種が植えつけられていく 花達が芽吹く 伸びる
私はいつだって獣で無くてはならないのに
貴方が植え付けた花の種 がうら まりーごーるど そふとみゅーじっく すとろべりーあいす ぽーちゅらか 痛い
熱い
呼吸が
皮膚の上と下を這い回る夏の植物の魂
這い回る 貴方の指はいつも優しくて
心地が良い
それがどうしようも無く優しい行為だから
私は常に苦しくて飢える
もっと奥に刺して
ころして の準備はもうとうに済んでいるはずなのに
生かそうとする指は拷問だ
貴方を殺そうとしたはずの18歳の私が服従する時
小さな地獄が蜜に溺れてしまう
掻き回す その指が
私の35年間を貴方が犯す時
(ねぇ、これ以上私はどうやって生きれば良い?)
(懇願)
嫌いだ
やつらは私達の顔をして居ない(ほんと?)
やつらの性器は私達と同じ形をしている(ほんと?)
愛?
愛なんて無いよって
知ってるのに
知ってるから
私の舌をなぶる貴方の舌が嫌いだ
暗がりで何度
日の下で何度
服を着る暇が無い
丸裸にされた私にはもう私をまもるものがなにも無いのに
目を反らしたくなる
剥ぎ取られた目隠し
濡れた貴方の目が映る
豚と狼のように易々と食い破られていく
ずっと私は狼だと信じていた
狼に化けた貴方の牙が肉を穿つ感覚は甘い
豚肉なら
遺さず食べて欲しいだなんて
私の執着をこれ以上引きずりださないで欲しい
35年をかけて紡いだ私の羽根を貴方はへし折って食んでく
太腿が震えているのが恐怖か なにかの前兆か 私には判断がつかない
こんくり性のふぁんでで形作っておいた私の顔を剥がさない
この笑顔を殺さないで
ずっと全身の1番深い場所に閉じ込めておいた救いの無い液体を
貴方が舐めとる時に
私は死んでしまう
これ以上生きていけない
意識を取り戻す度に
否定し続けた私が女にされて/なってしまう時に
貴方は包帯であり貴方は獣であり貴方は花であり貴方は容器であり貴方は光であり貴方は夜であり貴方は(私の)過去であり貴方は(私の)未来であり
貴方は
ただ
酷く優しい魂だった
苦しい
(身の内に宿した弱さにおいて共犯の関係を結ぶ時に
私達のした絶望の婚約の夢を
受け入れる私は
確かに貴方を愛していた?)
裸のままでこーひーを淹れて飲んだ
べっどはもうべちょべちょだ
途切れ途切れの意識が失せたり戻ったりする合間に
貴方の声が優しくて
半分眠りながら
私は泣いてしまう
暴風雨のようなものを
体にたくさん受けた
貴方の腕は私の首に絡まったまま
目が覚めると午後の3時だ
体が軋んでいるけれど
気分は悪くはなかった
私は乱雑に服を纏って
扉を開いて外に出る
日常の光と音が私を包む
息を殺していた私は
そっと息を吐き出す
帰って夕飯作らなくちゃ
貴方が私の身の内に宿したものがまだ消えない
嬉しい
全部嘘だよ。
貴方へ
カランコエ
海を歩いていく映画の主人公。
波が左右に広がって、天使が翼を伸ばしてゆくようだ。美しすぎる映画のエンドソング。を、電車の中でループしている。あの主人公の横顔が美しくて、つい乗客の横顔をそっと見てしまう。ついでに景色を眺めながら、眠気を帯びていく睫毛。いま林檎が落ちて潰れたら、あっという間に眠ってしまうだろう。
白衣のボタンを一つかけ忘れてしまって、また睡眠不足に気付く時、灰色を感じる。翡翠が砕けたらここは美しくなるだろうか。そんなことになったら燃え尽きて無くなるんだろうけれど。
私の一咫くらいの長さで通り過ぎていく群青が眦を掠める時、きっと美しい声をしている君。セーラー服の襟は炎を纏いながら、私の首へと広がっていく。唇の端から血が流れてほしいと考えながら、君の優しい親友になる。
君は優しいから、私も優しくなるよ。指の爪から蝶が飛び立つような、そんな暖かさを持ちながら君は大人になっていくんだろう。私は、燃えるように大人になりたいと願っている。
どうか、幸せな人生でいてね。いつまでも君の親友です。
Time is in my reality
無数の定点カメラに映る映像のように、
赤く点滅する経験の数だけ現実はある。
地下鉄に乗る腕時計をした群衆がそうだ。
行きかう無数のイメージの数だけ現実がある。
総人口77億人の亡霊的な世界と、
平均年齢30.9年間の個人的な記憶のこと。
ひとつの学説にすぎないが、
アフリカ象の過ごした午睡の時間と、
二十日鼠の生きた時間との間に相対性があるという。
人もまた、心拍数に応じた時間のレールを持っている。
記憶がその中を行きかい、やがてその流れを土砂のように覆う。
川沿いの土手を走る子が手をのばす赤とんぼの、
赤い粒子になった空間を見ている私の記憶の群れのこと。
水鳥がうまれる
“Let’s hear it,” said Humpty Dumpty. “I can explain all the poems that ever were invented - and a good many that haven’t been invented just yet.”
Through the Looking-Glass, Chapter 6
「ほら聞いててみなよ」ハンプティダンプティはそう云った。「これまで吟まれたことのあるどんな詩だって説明できるし、これから吟まれるだろうどんな構造の詩についてだって説明できるのさ」
『鏡の国のアリス』第6章より
さあ帰ろう
訪ねたことの
まだ無い国へ
風の運動をみた
谷わたりの日
落ち葉の孤が
空を刳り貫き
枝間の木霊と
孤独を螺旋へ
電子の樹海は
てんぐ巣状に
胴枯れ傾斜し
ピサの斜塔は傾きすぎたから正しい傾斜へ時を戻そう
自らを複製するように
ほら、池の鯉が身を
翻しているよ
雀羅のすきまへ
転がりよじれる
そのぐうぜんを
ひとつの秩序と
引きかえにして
だれもしらない/内がわの
比例して/震える/声量と
くちびると/鼓膜と
ハロー/はろー
これは
愛とか夢とか
希望や勇気
光に溢れる
恐怖の話
20時35分が20時35分に到着した
rain が体の外に降ってきた
聖者たちは異邦を縦断していく
20時35分が20時36分を
秘匿の重なりに
繁茂された花骸
天柩は光の球を
受け止めている
誘惑されて身を委ねてみても
想像より強くこの手を引いてはくれない重力
無重力の感覚は浮遊より落下の直中に
雨粒の時間は案外ゆっくりと
ながれているのかもしれない
羽と翅を繋ぎあわせれば
さいづらう
から人間が燃えていた
花はいつまでも幼く
言い訳をかさねる
から
あやしていた
はぎすはむぐら
ひあもるき
継ぎはぎ
呼びあう
しう
あまら
アップルバーボンで
聴覚は色素を感受している
発熱する blue のゆらぎを
心臓へ中継する日和見器官
光の続きを ながめていた
そこに 構造はあるのだろうか
雨は 降っているのか
メルヒェンの 寿命が
ちいさくなって またひとつ
ちぎれ とぎれ
花湧く 泉に
頭を 浸して
灯は あかるみを
閉じこめた まま
夜道を 照らさず
時間は ちいさく
泥濘に うなだれ
降りつつ 離(か)れつつ
君は君の足もとに君の足あとをそっと置いていく足おと
本質を取り払った装飾に新たな本質が宿る瞬間
ふ
蕊。心。ぷ。ふ‡
ふ
。
わたしたちは謎をてにいれた
謎が謎を呼んで謎はわたしたちを増殖させていく
謎に侵食されてもう詩しか口走れない!
魂が contami を起こしている
音痴になったときだけ
言葉のしゃべれる
代償としての吃音で
趾痕になるはずだった
時間の rain に
別れを告げる
その場所に
波紋だけを
置いていく
花鶏の声から、ほつれた花糸を、透かして承ける、薄紙の天柩、人間、だったのかもしれない、水鳥の、青くうまれる、その場所を。
赤青黒白黄緑を混ぜたなら
光の続きへ
詩人たちが
我さきにと
飛び込んでいく
油を塗られ清潔なまま朽ちていく
シナモンの香りと
紅茶と枕と
レイン,レイン,
詩のはじまりが
俺とは無関係でありますように
世界の終わりが
別離とは無関係でありますように
夢のつづきがまた別な夢のつづきとつなが
スプライサーが故障している
splicer,splicer,splicer,pl
まだ出会うまえの俺たちに
別れの言葉をつなぎあわせても
すぐ剥がれてしまうからあきらめた
潔癖すぎる僕らは咽頭の潰れるまで叫んだ方がいい
一綴の物語から季節が一折ずつ失われ
醜さは隠すより個性と言い張る方が現代社会とよく似合う
最後にのこった Bitter end がどうか
真の狂人は他者を狂人と認識する
詩以外のものでありますように
Happy end なんかにさせねーよ
詩以上のものでありますように
光の続きに波紋がひろがる
揚巻
けさ、
詩を書いている時が活き活きしてるのだが、朝日課になってて、卑猥な詩が得意であったり、仮面を被った知り合いを見つけたら勢いよく話しかけてしまって、とうとうアク禁になった。見れるけどアカウントは削除され、途方に暮れたけど、一体仕方の無い事が宙を回して居るのでああやこうや言ってわがの辛抱をやめてはならない。
七月は過去か、精神科に入院し、色んな事がショックでしかも学生のある時から精神が亀裂していたので甲う頭から心臓が飛び出る、という哀しい状態を抱えて、病棟の年寄りはそれが分かるからあだ名が「傷み」だった。「毎日泣いてんねん。」「お前は脳なしだろう。」といわれて居た。何かしら仲良くなった。
退院した。同じ部屋の人に手紙を書くねと言って、あ、戻って来るかもと言って、別れた。まして精神科だし環境が良いわけではないが看護師さんが格好良かったし、色んな人が居て、そして何人か詩人が叫んでいる。私も病室から詩を叫んだ。それから又各々の新作が作られる。
心を見られるのはごっついストレスだ、慣れてしまえばラクだったんだろう。
バリバリンと平気で割ってくるから、布団の中にぎゅっと丸くなって、後は可笑しいことを考えて、一人で笑って居た。するとたとえば霊感が冴えて、
…暴挙に親しまないこと、暴挙に割れて居ることが精神の輪郭と夜とを生かせる、でも、だの、考えた。
看護師さんに熱を持ったのが、妄想と空想と現実とがわからない。変に好きになった、苦しい、逆さまに横になり、エブィリファイが要る。主を伝え、現実との区別をつけなければならない。ナースセンターは混み合って居るし、そんな愛の告白めいた、用事なので私はじりじりと治療用の算数プリントや色塗りの用紙の裏に書いたメモを握って、皆の視線の中で待たなければいけなかった。「何が書いてあるのだろう?」(その看護師はアイドルで有って、私も優しげなので患者に人気があった。ナメやすい、と言うことかもしれないが。)彼を私が好きなのは一目瞭然で、私はそれを余り気にしなかったが、私の顔がましなので、目立つ様子を思う。十分置きにナースセンターに行って彼と微笑み合い、いきいきと病室に帰るもので、何気なくコーヒーのお湯をそこへ汲みに行ったり、硝子の外から横顔に見惚れ、コロナ自粛で外出も出来なかったので、この日課を楽しく思った。
「すいません看護婦さん。詰所に置いてある私の電気シェーバーを、
私の掌まで持ってきて下さい。」
木村、と云う詩人の声がする。うるさい。
それだけで、病室でもホールでも私は漠漠と夢路に居る事だった。詩が「好き」とは不思議な、宇宙の端っこにおる、様な。云云、その看護師さんと詩をこのひ選べず困り抜いて居る。
ホールの壁に「共生」と書かれた額があり、ナースセンターの中には「佛心」と書かれた額がある。
トイレに逃げ込む。
トイレは、おぶつの箱に千切ったティッシュやおむつが中に入ってる、生理の為だ。若いのは大体私だったので息を詰めた。部屋に帰ると隣室のおばあさんが叫んで居る。多分痛くない、「いたい、いたいいたいいたい…、行って行って行って、引け引け引け、」同じ病室には神が居る。「真っ白な靖子の顔、ピカピカ光ってる、鼻は外人のいってんにばいの高い鼻、ピカピカ光ってる、靖子の白さは月の三万倍、お父ちゃんが用意しといてくれるから心配ないんですって。助けてや、お父ちゃんー」歌曲だ。“天才やった”んちゃうか。
消灯後も話を黙ってして来る。スプーンが線香で、ふりかけがお焼香でそれを部屋の玄関の床にコップを置き、自詩の紙を並べてここにわるい気が入って来ないよう祈ってくれた。私はその横で足元でせっせと絵を描いて居た。
廊下はグレーのデスクとその横の白いテーブルに水色の掛け布団が積まれてる、椅子が置いてあって。向こうの窓は木々の緑が深い、暗過ぎずに、美しく生えている。
精神科に入院して精神が砕けるのだった。人は人と自分があまり触れ合わないように、というかむしろ私が「とりま」で人がそれを想ってくれ佇んでるのか。窓際の人に話しかけた。年上で人相が良い、スピリチュアルな方だった。まじない師はひとの醜い願いを代行する。占い師はそれが見える。夜何となくそれを感じて傷付いた。笛の音がした。
「助六」とか
「三島由紀夫」の話をおばあさんとした。
私に「揚巻」という名前が付いた。
自殺というワードがどっからともなく、周りに知らされ、真ん中の廊下に立ちおばあさんがわざと咳をした。
知らないふりで明くる日自分の詩やノートを食事の前に見てもらう。
真面目に読む薄水(うすみず)の目の…、
綺麗な手だ、
ノートが床に落ちたが、気にする様子も無く、
拾った。
己(おのれ)の、目の弧(こ)を私たちは描いてその為に他に関心を無くす、とか、我々の立ち竦みが器用に心を黒く染めた、周りでも珍しい色、そう見えた。
字を読み終えて、テーブルにおばあさんが指で感想を書いた。間抜けで見えなかった。
恋で同性の諍いが有るのを「ヤツ橋」と云う。
ある日「イケダさんは症状も今ないなら、退院考えれるで。」と看護婦さんが仰って、私は自分の退院を決めた。それを先生に伝えたけど、「誰がそんな事を。」という感じだった。コロナが蔓延しているとニュースで、その頃に私は先生に言及をした。失敗であるが治っても居なかった。その先生は目が見えてないらしい、音で感じ、聞く様子が表れていらっしゃって、私も喋るのを気遣った。カルテに書かれる字も音符みたいだった。病棟から病棟に向かう先生を見かけ、早歩きで(普段、私は音を立てないようにのろのろと心細く歩いて居た、これが却って周りに気を遣わせ迷惑だとわかって、本当にどうしたら良いかわからなくなって、ナースセンター、あの看護師さんに会いに行くか、ボタンを押して「来てください、どなたか話しをしたいです。」(やす子の顔は真っ白))寄った。年寄りが繊細なので困る、とか病気になった訳とか治したい事などを、話し「転院」がその場、口で決まった。結局コロナが理由でよしになった。
退院が決まった。その時は外出こそ出来ないが友達が出来て、生活も良かったし外の好きなともだちはコロナ自粛と家の距離で余り会えず彼氏も亦、一人だし私は「私」のこれからの為にしっかりしなくてはいけないからもっと良くなるように退院するのをもう少し伸ばそうとした。しかし、他の患者に追われたらやはりと言い、看護師さんに相談すれば良かっただの、思うが恋は疑い深くなる為に。
すいません
私は盲目の木村です
依って
目の前はグレー一色で
トイレから部屋へ帰る道が
私の目では不可能です
従って看護婦さん
部屋まで帰る道を教えてください
お願いします
地獄の閻魔大王から通告を受けている
おう木村よ お前は地獄に行く事が100パーセント決定されておる
天国に行くことは 100パーセント有り得ない
フ…
わしはな 地獄から来た幽霊やぞ
地獄から送り返された 幽霊やぞ
放棄放蕩の技術
俺は精神学的にしんでも生物学的にしなんわ
ハハハ
精神医学的にしんでも生物学的には
しなんわ
いっけいねん以上ここで歩き回っとるわ
せえよ
わかっとるぞ
バーカ あほんだら クズ どアホ
下品
私は自殺したいのにする勇気がないから
理解(ころ)せ!
わかっとるぞ
過労死するなよ
ハァ
私は盲目の木村です
よって目の前はグレー一色で、
部屋まで行く道が私の目ではわかりません
従って看護婦さん
部屋まで行く道を教えてください
お願いします
高貴公用の技術
病死!
餓死!
歩けよ
一京の一京年以上
歩いとるぞ
フフ
看護婦さん
道を間違えました
道を教えてください
看護婦さん
道を間違えました
道を教えてください
木村茂男
風 せつなさに去りる。横で、苦衷の間、ナースセンター、「月とピストル頂けますか?」プロチゾラムで眠る天井、優が眼から零れ虹かいな。草合わせの又、捲って愛(あ)い。
自然体で居る時間が私を良くした。この病院が、人の心を信じるとすれば微笑みこそは知らんぷりで敢えて自由にさせてくれるだろう、病室にて心の不潔で、汚い思ひを考察し次に本当に働くこと以外何もすっきりしてしまう事だ。いいか、美(よ)く厳しい人など向こう側に居り愛えない、強くなるとは、光の此んな辛抱。月(父母)に面する唯一の道通り。
草に寝転び
口が緑を食べて居る
襟を食べられたような気がして
背が伸びて来たような気がしたので
セコンドをつけて
ボクシングをやってみた
リングは自然のままの草原で
トライに次ぐトライで疲弊する空だと
思った カーテンがひと揺れしただけで
飲めない光を体中に蔵して行く
草原に寝転んだ アンパイア(審判)兼トレーナーの持つ
ムチが若くなって行く
風の尾があるとしたらそれは寒いに違いなく
胃に未来があるかと思えば
稲穂が風に揺れて
雀のさえずりが聞こえて来た
横目でチェックインのギルマン・ハウス
読みすてるまえにあと三行だけまってくれてという肺炎のねずみ
正面のいきづまった世界にナイフでぬけ穴をこじ開けているときでさえ、
かたわらの楡の街路樹は灰色にふるえ、葉をこぼしつづけてやせほそる
青じろい月あかりは手元までとどかず、ばらまかれた落ち葉とかすれあう
三行だけ書いてまってみれば、足元にぬぎすてられたねずみの着ぐるみ
横目で見やれば、左手の暗がりのおくにはいつだって祭囃子がさんざめき、
右手の隘路のおくには、安ホテルのギルマン・ハウスが建っている
どんな地図からもこぼれおちて、横目でしかたずねられない宿泊所
きばんだ石造りの5階建てが湖上にうかぶ朝靄のようにゆらめき
くろい雨がおちた原爆ドームとおなじ円屋根に、幌の王冠をいただいている
扉のかわりに長身のドアマンがたって口をしっかりむすんでいるが
口蓋のうらとうえの歯のあいだに舌をおしあて、チンパンジー面をしている
なにか言いたげに口蓋をもりあげていてもニンゲンの言葉がでてこない
言えるものなら言ってみろと顎をつきだしてやれば目をひんむくばかり
小さな着ぐるみの皮を放り投げると、あとを追いかけて入口をあけてくれた
受けつけのカウンターには、青あざがのこる皮膚を瓶詰にしてならべている
生ける肉体からきりはなされてなおも、色あせないあざが悲哀を物語る
フロントマンから428号室の瓶詰を手わたされてきしむ階段をあがる
にぶい電灯のひかりに瓶をかざすと、あざからほこりのように気泡がうかぶ
まだなにか言いたそうなドアマンに瓶をかえし、しめった着ぐるみの部屋にはいる
ギルマン・ハウスが泊めている客たちは夜空にはみえない星々だった
部屋のなかでは小さくなって正体のつかめない色で発光している
窓から目をのぞかせると、正面のほうきでたたかれ隅へとおいやられる
ちっぽけなギルマン・マウスというレッテルを貼られて瓶にとじこめられても
横目ですぐに逃げだし、闇にかざ穴をあけて祭囃子の管楽にひげを供す
ギルマン・ハウスでひげをつま弾けば、階下から異形の雲がたちのぼり、
いびつなからだをもった肉の塊となって着ぐるみをもとめ殺到する
星々はあわてふためいてジッパーをおろし、あと七行もちこたえろとドアマンに言う
正面のいきづまった世界にぶちあたり青あざを抱えこんでいるときでさえ、
かたわらの夢の街路樹はうたいつづけ、一歩もうごくことなく悲哀をぬぎすてる
「ここではないどこか」を遠くへもとめずとも、横目でさぐれば穴をとおって隣にいける
シニヤしません、そういってフロントマンから瓶詰を手わたされてきしむ階段をあがる
にぶい電灯のひかりに瓶をかざすと、ぎっしり詰まった肉塊が鬱血している
口をつぐむドアマンに瓶をわたすと、蓋をあけて「そら」、いちめんに彗星をちりばめた
夜空にすぐ目をはしらせても、視界のはしにしか尾をとらえることはできなかった
bird
イメージの葬列に穴を開ける
葬列の中を流れていく
彼や彼女の
手足が私の頬を掠める時
すごく冷たい気分
膨らんだものを見て
触れたいと思わない
ただ見てる
萎んだものを見て
醜いと思わない
ただ見てる
私の傷口を貪る蛆達が
開花して
エメラルド・グリーンの翅とインディゴ・ブルーの複眼を輝かせて
うゎんうゎんうゎん
永遠の夏空
私の魂について
語れることは今は無い
照らされた心は無いから
肉を少しあげた
春のように巡る心に
付きまとう影達に
ビールを浴びせる
「酔ッパラッチャエヨ」
私もブラを外してビールを頭から被る
ぷるぷる…っ
子犬が頭を振って胴を揺する
影を飲む
額に垂れた優しい貴方の指
私は首を傾け
舌を伸ばして
懸命に貪ろうとする
影がお腹に溜まると少し、熱い
爛れた皮膚から羽軸が伸びて
イメージの葬列に空いた穴からにゅっ と しゅっ と
私を私は確かめてしまうから
水面に映った君を何度も乞い
羽軸から展開する細やかな1枚1枚が死者の風に撫でられて ざわ と
私の1対の黒い目が
悲しいアナタの文字を撫でて
鉤爪
変容する腕 腹 夜 朝
形式達を飲み下していく 影達を飲み干していく
(ずっとぴちゃぴちゃと寂しい音をたてる影達は
子犬の水を貪る音に似ていて)
私の瞳に貴方が映り込む時
(寂しい凍りを口に含んで)
小さな地球を飛び立つ
空はイタイイタイイタイケナ光でいっぱい
「ここに居るよ」
羽音