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2020年08月分

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


詩の日めくり 二〇一八年九月一日─三十一日

  田中宏輔



二〇一八年九月一日 「葉山美玖さん」

葉山美玖さんから、小説『籠の鳥 JAILBIRD』を送っていただいた。クリニックに通う女の子の成長物語だ。会話部分が多くて、さいきん余白の少ない目詰まりの小説ばかりを読みつづけているぼくにとっては、読みやすい。ぼくなら、平仮名にするかなと思う個所が漢字であるほかは、ほんとうに読みやすい。

二〇一八年九月二日 「キーツ詩集」

デュ・モーリアの傑作集『いま見てはいけない』を早朝に読み終わった。デュ・モーリアの傑作集『人形』より長めの短篇が入っていたのだが、とくにさいごに収められた短篇などは、『人形』の作品と違って、あいまいな印象をうけた。だが、読んでるときは、どれもおもしろく感じられてよかった。佳作かな。

きょうは、いちにちじゅう、岩波文庫の『キーツ詩集』を読もうかなと思っている。たいくつな読書になると思うのだが、あしたから学校だ。退屈な読書を、できれば、きょうじゅうに終わりたい。どうしてキーツがイギリスでは大詩人なのか、ぼくにはまったくわからない。もしかしたら、きょうわかるかな。

岩波文庫の『キーツ詩集』 長篇詩の物語詩「レイミア」と「イザベラ、またはバジルの鉢」を読んだ。もとネタのある詩で、へえ、もとネタの伝承や小説をそのままを詩にしただけやんか、と思った。こういう詩もあるねんね。そういうと、ポープもそんな神話劇のような詩を書いてたなと思い出された。いつぞやとは違って、きょうは、岩波文庫の『キーツ詩集』すーっと読める。いまから西院のブレッズプラスで、サンドイッチとアイスダージリンティーを食べに行く。で、そのままブレッズプラスで、残りの部分を読み終えてしまおう。体調がいいのかな。詩句がするすると入ってくるのだ。

ちょっとまえに、西院のブレッズプラスから帰ってきた。岩波文庫の『キーツ詩集』を読み終わった。これから、ルーズリーフに書き写す作業に入る。夕方までに終えられたら、日知庵に飲みに行こうって思っている。あしたから学校なので、はやい時間に帰ると思うけれど。というか、帰らなくちゃいけない。

ルーズリーフ作業が終わった。ブレッズプラスで、ふと思い出したように思って、キーツの詩句と、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの作品のタイトルとの関係についてメモしたけど、部屋に戻って調べたら、関係がないことがわかり、ルーズリーフには記載せず。似ている個所が僅かだった。健忘症だね。

いや、やはり関係があった。いま、さっきとは違うティプトリーの短篇集を手にしてタイトルを見たら、「そして目覚めると、わたしはこの肌寒い丘にいた」(伊藤典夫訳、ハヤカワ文庫『故郷から10000光年』所収)とあって、キーツの詩には「そして目が覚め、気づくとここにいた。/寒い丘の中腹に。」(『非情の美女(ラ・ベル・ダーム・サン・メルシ)』11、中村健二訳)とあった。

いま、日知庵から帰ってきた。きょうから寝るまえの読書は、この下品な表紙の『ラブストーリー・アメリカン』(新潮文庫・柳瀬尚紀訳)である。ひじょうに楽しみ。きっと、人間がどこまで薄情で下品かってことが書いてあるような気がする。先入観だけどね、笑。この表紙を見ると、そう思えてくるのだ。

二〇一八年九月三日 「ラブストーリー、アメリカン」

短篇集『ラブストーリー、アメリカン』、やっぱり、へんな短篇集みたい。冒頭の作品から、いきなり、妹のバービー人形とセックスするお兄ちゃんのお話だ。キャシー・アッカーマンが入ってたので買ったのだが、これは期待していい短篇集のような気がする。大げさすぎるところが、アメリカンって感じだ。

二〇一八年九月四日 「断章」

一たびなされたことは永遠に消え去ることはない。
(エミリ・ブロンテ『ゴールダインの牢獄の洞窟にあってA・G・Aに寄せる』松村達雄訳)

過去はただ単にたちまち消えてゆくわけではないどころか、いつまでもその場に残っているものだ。
(プルースト『失われた時を求めて』ゲルマントの方・II・第二章、鈴木道彦訳)

いちど気がつくと、なぜ今まで見逃していたのか、ふしぎでならない。
(ドナルド・モフィット『第二創世記』第二部・7、小野田和子訳)

一度見つけた場所には、いつでも行けるのだった。
(ジェイムズ・ホワイト『クリスマスの反乱』吉田誠一訳)

瞬間は永遠に繰り返す。
(イアン・ワトスン『バビロンの記憶』佐藤高子訳)

二〇一八年九月五日 「ラブストーリー、アメリカン」

新潮文庫の『ラブストーリー、アメリカン』2番目の短篇は、レズビアンのお話で尻切れトンボみたいな終わり方をするものだった。3番目の短篇は男に執着する女で、男にできた新しい女に嫉妬して喧嘩して目をえぐられる話だった。

いま、短篇集『ラブストーリー、アメリカン』に収録されている4篇目のデイヴィッド・フォスター・ウォーレスの「『ユリシーズ』の日の前日の恋」という作品を一文字も抜かさず読んでいるのだが、さっぱりわからず。まあ、意味のわからないものも、ときには読んでみる必要があるとは思っているのだが。

いま、塾から帰ってきた。塾が移転して、ちょっと遠くなったのだ。塾の空き時間に、短篇集『ラブストーリー、アメリカン』のつづきを読んでたのだけれど、5篇目にして、ようやくふつうの恋愛小説になった。つぎに6篇目はめっちゃ差別的な作品で、そのつぎに、またふつうの恋愛小説になっているようだ。

二〇一八年九月六日 「詩を書くきっかけ」

既知の事柄と既知の事柄の引用によって、未知の事柄に到達することがあるということがあるのですが、このことは、まだ、だれも気がついてないようです。もともと未知なるものの記述も既知なる事柄の組み合わせによって成立するものなのだと思っています。あたりまえと言えば、あたりまえのことであるかもしれませんが。科学の発見でさえ、近いものを感じます。

わかっていることがわからないことと、わかっていないことがわかっていることとは、まったくちがうことである。わかっていることがわかっていることと、わかっていないことがわかっていないことも、まったくちがうことである。

内藤すみれさんが、いつも的確に表現なさるのに驚いています。詩は書けるのですが、ぼくにはまっとうな文章が書けません。20代はじめ、さいしょは小説家を目指していたのですが、小説は書くのだけでも一作に数年かかることがわかり、また、ぼくの書くものは詩だという友人の忠告に従い、やめました。もう少し正確に書きますなら、ぼくの原稿を見た友人が、ぼくの手を引っ張るようにして書店に連れて行き、ユリイカの投稿欄を開いて、「ここに投稿しろ。」と言ったのがきっかけで、詩を書くことにしたのでした。そのときには、ぼくはもう27、8歳になっていました。もう30年もむかしのことです。その友人自身は小説を書いていました。いま舞台関係の仕事をしています。彼が年上でした。憎たらしい言い方で、小説の書き方を指南されましたが、いまでは感謝しています。「見たものを書け。おまえが喫茶店と書いたなら室内の様子をすべて把握してなければならない。」などと、いろいろ言われました。「「すべて」という言葉を使うなら、即座に、百や千の例をあげられなければならない。」などとも言われました。ためになることを、いっぱい教えてもらいました。ごくごく一時的な恋人でした。東京に行き、文学座の研究所に入りました。そのあと舞台関係の仕事をしています。遠いむかしの思い出です。

二〇一八年九月七日 「ふつうのサラリーマン」

これから塾。水曜日の振り替え。連日の仕事はきついな。身体が慣れていない。ふつうのサラリーマンだったら、若いときに、即、やめていただろうな。

二〇一八年九月八日 「ラブストーリー、アメリカン」

大雨の警報のせいで、学校の授業がなくなったので、短篇集『ラブストーリー、アメリカン』のつづきを読んでいる。あと4篇くらいで、読み終わる。少年愛の中年女性の話や、ゲイの話や、性奴隷志願者の女性の話などがつづいて、まっとうな恋愛ものはほとんどない。でも、ルーズリーフ作業はできそうだ。

短篇集『ラブストーリー、アメリカン』を読み終わった。ふつうの恋愛小説は皆無だった。ふつうの、というのは、白人同士の同年代同士のストレートのカップルの健康的な恋愛話は、という意味。老人同士の狂った恋愛話がさいごの短篇。これから、これをルーズリーフ作業する。ルーズリーフのネタは多い。

短篇集『ラブストーリー、アメリカン』のルーズリーフ作業が終わった。1ページに収まった。きょうから読むのは、再読になるが、先日、Amazon で買った、恐怖とエロスのアンソロジー『レベッカ・ポールソンのお告げ』である。13篇の物語が入っているのだが、例によって、ひとつも記憶にない物語ばかりだ。

二〇一八年九月九日 「断章」

やれやれ、何ぢやいこの気違ひは!
(ヴィリエ・ド・リラダン『ハルリドンヒル博士の英雄的行為』齋藤磯雄訳)

やっぱり芸術は、それを作り出す芸術家に対してしか意味がないんだなあ
(ロバート・ネイサン『ジェニーの肖像』8、井上一夫訳)

でも、
(ポール・アンダースン『生贄(いけにえ)の王』吉田誠一訳)

詩のために身を滅ぼしてしまうなんて名誉だよ。
(ワイルド『ドリアン・グレイの画像』第四章、西村孝次訳)

そんなことは少しも新しいことじゃないよ
(スタニスワフ・レム『砂漠の惑星』6、飯田規和訳)

人生をむだにややこしくして
(ダグラス・アダムス『さようなら、いままで魚をありがとう』34、安原和見訳)

ばかばかしい。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』13、宇佐川晶子訳)

二〇一八年九月十日 「いときん」

きょうは、大雨警報が出てて、学校が休校だった。ぐったり疲れていて、いままで寝てた。体力がなくなってる。夏バテかな。

ちょっと寒くなってきた感じがする。窓を閉めようか思案中。頭がぼうっとして、きょうは読書もはかどらない。あくびばかりが出る。齢かな。あと3カ月で58歳になる。

いときん、亡くなってたんやね、残念。

二〇一八年九月十一日 「松川紀代さん」

松川紀代さんから、詩集『夢の端っこ』を送っていただいた。言葉の置き方がとても落ち着いた詩句が書かれてある。書き手の実生活感がある詩句が書かれてある。読み手に読みの困難さを要求する詩句はいっさいない。やわらかい、ここちよい詩句。読ませていただいて、こちらのこころも落ち着く気がした。表紙がまたおもしろい。というか、たいへんにていねいなつくりなのである。文字の部分が貼り絵になっているのである。びっくりした。こんなに手間暇をかけてある詩集に出くわしたのは、はじめてである。落ち着いた詩句にもぴったり合う。書き手のこだわり、性格なのであろう。誠実な方を思い浮かべる。

二〇一八年九月十二日 「レベッカ・ポールソンのお告げ」

アンソロジー『レベッカ・ポールソンのお告げ』を半分くらい読んだ。読んだ尻から、もうほとんど忘れている、笑。きょうは、夕方に塾があるので、それまでに、これから残りの半分を読み切りたい。がんばるぞ。翻訳は来週からする。これを含めて、あと3冊、アンソロジーを読んだら、翻訳にとりかかる。

アンソロジー『レベッカ・ポールソンのお告げ』を読み終わった。強く印象に残ったのは、冒頭のタイトル作品と、さいごに収録されていた作品くらいで、トマス・M・ディッシュは大好きな作家だが、収録作品は並だった。きょうは、これから、夕方に塾に行くまで、金子光晴の『どくろ杯』のつづきを読む。

ちなみに、トマス・M・ディッシュはコンプリートに集めた作家で、去年、書籍の半分を友人に譲ったときにも、一冊も手放さなかった作家である。『歌の翼に』『M・D』『ビジネスマン』『334』『人類皆殺し』『キャンプ・コンセントレーション』『プリズナー』は傑作である。なかでも『歌の翼に』は群を抜いて傑作である。『ビジネスマン』も群を抜いている。

二〇一八年九月十三日 「茂木和弘さん」

茂木和弘さんから、詩集『いわゆる像は縁側にはいない』を送っていただいた。一行一行の詩句が短く簡潔で、かなりレトリカルな展開をしていくのに読みやすくて、読んでて新鮮だった。簡潔でレトリカルというのは、新鮮な驚きを感じさせられた。詩を読んでいて、潔いといった言葉がふと浮かんだ。

二〇一八年九月十四日 「どくろ杯」

金子光晴の『どくろ杯』を読み終わった。徹夜した。読みにくかったけれど、字が詰まりきりで、会話部分がほんのわずかしかなく、ぜんぶといってよかったほどほとんど字詰まりだった。でも、金子光晴の記憶力はすごいね。びっくりした。76歳で、鮮明に2、30代のことをとことん憶えていた。

あさから病院にいくので、このまま、恐怖とエロスのアンソロジー第2弾『筋肉男のハロウィーン』を読もう。これは、一、二か月くらいまえに、堀川五条のブックオフで108円で買い直したもの。例によって、収録作品をひとつも記憶していない。新刊本を買ってるようなお得な気分だ。おもしろいかなあ。

二〇一八年九月十五日 「ハンカチ」

ハンカチからこぼれる海。
ハンカチがこぼす海。
ハンカチに結ばれた海。
ハンカチが結ぶ海。
海をまとうハンカチ。
ハンカチにまとわれた海。
ハンカチの海。
海のハンカチ。
ハンカチにほどける海。
海はハンカチ。ハンカチは海。
ハンカチに海。海にハンカチ。
ハンカチの海。海のハンカチ。
ハンカチでできた海。海でできたハンカチ。
ハンカチの大きさの海。海の大きさのハンカチ。
ハンカチに沈む海。海に沈むハンカチ。
ハンカチのかたちの海。海のかたちのハンカチ。
ハンカチと寝そべる海。海と寝そべるハンカチ。
35億年前のハンカチ。35億年後のハンカチ。
惑星の軌道をめぐるハンカチ。惑星の軌道をめぐる海。
惑星の軌道をめぐるハンカチ。ハンカチの軌道をめぐる惑星。
波打つハンカチ。折りたたんだ海。
ハンカチのうえに浮かぶ海。海のうえに浮かぶハンカチ。
ハンカチの底。海の裏。
ハンカチのたまご。海のたまご。
海の抜け殻。
細胞分裂するハンカチ。 海から這い出てくるハンカチ。
端っこから海になってくるハンカチ。
ハンカチの半分。海の半分。
海に似たハンカチ。ハンカチに似た海。
海そっくりのハンカチ。ハンカチそっくりの海。
海の役割をするハンカチ。ハンカチの役割をする海。
60℃のハンカチ。
直角の海。
正三角形の海。
球形のハンカチ。
ハンカチを吸いつづける。
海に聞く。
ハンカチに迷う。
ハンカチが集まる。
ハンカチが飛んでいく。
ハンカチがふくれる。
ハンカチがしぼむ。
ハンカチが立ち上がる。
ハンカチが腰かける。
ハンカチを食べつづける。
ハンカチを吐き出す。
ハンカチの秘密。秘密のハンカチ。

二〇一八年九月十六日 「短詩」

「台湾兵。」「ハイ!」「休憩したか?」「ハイ、休憩しました!」「では、撃て!」

二〇一八年九月十七日 「小松宏佳さん」

小松宏佳さんから、詩集『どこにいても日が暮れる』を送っていただいた。冒頭の作のさいごの三行「地峡へ向かうこの石の階段は/わたしたちの運命を/かぞえている。」にみられるようなレトリックがすばらしい。「逆の視点」だ。おわりのほうの詩「春荒れ」にも見られるが、非常に効果的なものと思う。

二〇一八年九月十八日 「筋肉男のハロウィーン」

短篇アンソロジー『筋肉男のハロウィーン』を読み終わった。きょうから、文春文庫のアンソロジー『厭な物語』を再読する。パトリシア・ハイスミスの「すっぽん」とかシャーリー・ジャクスンの「くじ」なんて、何度読み返したかわからない。いちばん再読したいのは、フラナリー・オコナーの「善人はそういない」である。

二〇一八年九月十九日 「草野理恵子さん」

草野理恵子さんから、同人詩誌『Rurikarakusa』の第9号を送っていただいた。草野さんの2作品「白い湖」と「靴下」を読ませていただいた。「白い湖」は、モチーフ自体が扱うのが難しいものだと思うのだが、草野さんの「書く気迫」のようなもの、「勇気」といったものを見させていただいた気がする。

「鼎談」ていだん、と読むこの漢字が、3人による座談会を表現する言葉だと、はじめて知った。二人の座談会が「対談」というのは知ってたけれども。高校時代の国語の成績が悪かったのもうなずけます。

短篇アンソロジー『筋肉男のハロウィーン』を徹夜で読み直した。憶えている物語が6、7割あった。それだけ名作が収録されていたのだろう。中断していた、というより、読み直しさえまだしてなかった、奇想コレクションの、シオドア・スタージョンの『[ウィジェットと]と[ワジェット]とボフ』を再読しよう。ただし、この記憶に残っていた6、7割のものも、読んでいるうちに思い出したので、正確には憶えていなかったものかもしれない。微妙。しかし、それにしても、記憶力の衰えはすごい。すさまじい忘却力。

見つけたぞ。何を? 

「きみの名前は?」(シオドア・スタージョン『必要』宮脇孝雄訳)

奇想コレクション、シオドア・スタージョンの『[ウィジェット]と[ワジェット]とボフ』の77ページの4行目にあった。これで、コレクションがまた増えた。(「HELLO IT'S ME。」の詩句がさらに長くなった)これ、再読なんだよね。なんで初読のときに見つけられなかったのか、不思議。それとも、初読のときにはまだ「HELLO IT'S ME。」のアイデアを思いついていなかったのかもしれない。

二〇一八年九月二十日 「ぼくの詩」

ぼくの詩が紹介されています。

http://www.longtail.co.jp/bt/a024_f.html

二〇一八年九月二十一日 「学校の授業のこと、中間テストのこと」

きょうは一日、学校の授業のこと、中間テストのことを考えたいと思う。そのまえに、スタージョンの短篇集のつづきを読んでほっこりしよう。

二〇一八年九月二十二日 「シオドア・スタージョン」

シオドア・スタージョンの『[ウィジェットと]と[ワジェット]とボフ』を徹夜で読み直し終わった。タイトル作品、記憶になかった。つぎの奇想コレクション再読は、ジョン・スラデックの『蒸気駆動の少年』まったく記憶にない。ひとつも憶えていない。このすばらしい忘却力。新刊本を買ってるようなもの。

二〇一八年九月二十三日 「ぼくたち二人が喫茶店にいたら」

ぼくたち二人が喫茶店にいたら
籠に入れた小鳥を持って女性が一人で入ってきた。
見てると、女性は小鳥に話しかけては
小鳥の返事をノートに書き留めていた。
「彼女、小鳥の言葉をノートに書き留めてるよ」
「ほんとう?」
ぼくたち二人はその女性がしばらく
小鳥に話しかけてはノートを取る姿を見た。
彼女が手洗いに立ったとき
興味のあったぼくは立ち上がって
彼女のテーブルのところに行った。
ノートが閉じられていた。
その女性が小鳥の言葉を書きつけていたのか
それともまったく違うことを書いていたのか
ぼくにはわからなかった。

これは、けさ見た夢を書き留めたものである。

二〇一八年九月二十四日 「ジョン・ウィンダム」

数学の仕事で、テスト問題をつくっているので、読書ができない。翻訳は10月中はいっさい手をつける時間がないようだ。57歳のいまが、人生でいちばん忙しい。若いときは、遊び倒してても、なおかつ読書する時間がたっぷりあったのに。体力が落ちて、横になる時間が増えたってことが大きな原因かな。

持ってたけど、本棚になかったので、ジョン・ウインダムの『海竜めざめる』を Amazon で買い直した。カヴァーが、じつにすてきな文庫本だった。内容は忘れたけれど。

ジョン・ウィンダムは大好きな作家で、むかし、『トリフィド時代』というSFを読んだ記憶もあるけど、いま手元にない。新しい訳で、創元SF文庫から出てるけれど、描写を憶えているから買わないつもりだ。まあ、気まぐれだから、わかんないけど。スラデックの短篇集『蒸気駆動の少年』を読んで寝る。

二〇一八年九月二十五日 「佐々木貴子さん」

佐々木貴子さんから詩集『嘘の天ぷら』を送っていただいた。モチーフが独特の散文詩集だ。物語詩にもなっている。読み込まれる。

二〇一八年九月二十六日 「加藤思何理さん」

加藤思何理さんから、詩集『真夏の夜の樹液の滴り』を送っていただいた。濃密な世界がたんたんと書かれている詩篇が多く、しかし、読むのには苦労しなかった。描写力がすぐれているからだろう。おもしろい詩を書くひとだ。

二〇一八年九月二十七日 「短詩」

空に浮かぶ青でさえ胸狭い バッグの中の面積を集める

二〇一八年九月二十八日 「荒木時彦くん」

荒木時彦くんから、詩集『NOTE 004』を送っていただいた。いまのぼくの精神状態では切実なモチーフだった。アルファベットの使い方が秀逸だった。さすが。

二〇一八年九月二十九日 「海竜めざめる」

Amazon で注文した、ジョン・ウィンダムの『海竜めざめる』が届いた。ビニールカヴァーがかけてあって、これ、ぼくがひとに譲ったやつだった。買い直し1400円ちょっと。なんだかなあ、笑。

二〇一八年九月三十日 「箴言」

表現において、個人の死は個性の死ではない。個性の死が個人の死である。

二〇一八年九月三十一日 「人生」

 ぼくは愚かだった。いまでも愚かで浅ましい人間だ。しかし、ときに
は、いや、まれには、それは一瞬に過ぎなかったかもしれないが、ぼく
は、やさしい気持ちでひとに接したことがあるのだ。ぼくのためにでは
なく。そんな一瞬でもないようなら、たとえどれほど物質的に恵まれて
いても、とことんみじめな人生なのではなかろうか?


詩の日めくり 二〇一八年十月一日─三十一日

  田中宏輔



二〇一八年十月一日 「楽しくくたばれ!」

楽しくくたばれ!

二〇一八年十月二日 「断片」

 ぼくは何も言わなかった。ひと言も口にすることができなかった。何
を、どういっても、その言葉が、彼に、自分がこびているような印象を
与える調子を含まないでいられるものになるとは思えなかったからだ。

二〇一八年十月三日 「体毛」

人間は髪の毛が伸び続けるけれど、なぜ、猿などは、体毛が伸び続けないのか。そういえば、人間だって、体毛は伸び続けないな。

二〇一八年十月四日 「ジョン・スラデック」

奇想コレクションの一冊、ジョン・スラデックの短篇集『蒸気駆動の少年』をちまちま読んでいるのだが、まったくおもしろくない。というか、おもしろさがまったくわからない。むかし読んだはずなのだが、いつものごとく、まったく記憶にない物語ばかりだ。一ページごとに、読んでは休憩をはさんでいる。

二〇一八年十月五日 「慣性」

思考や感覚にも慣性のようなものがあるだろう。無意識領域においてなら、なおさら。

二〇一八年十月六日 「箴言」

体験に勝る教えなし。

二〇一八年十月七日 「考察」

事物というものは、見たあとで、見えてくるものである。

二〇一八年十月八日 「空集合φ」

読点と句点を重ねると、空集合φになるのね。

おおむかしに書いた詩句で、書いた記憶がなかった。

二〇一八年十月九日 「断片」

洗濯物を取り込んで重ねていただけなのだけど、ひとに見えた。

二〇一八年十月十日 「タケイ・リエさん」

タケイ・リエさんから、詩集『ルーネベリと雪』を送っていただいた。繊細なレトリックというべきか、なんか、そんな感じのする筆運びで、肌理の細かいものに触れるような感触がした。

『妃』という同人詩誌を送っていただいた。最先端の詩人たちの饗宴という感じがする。たくさんの詩。たくさんの詩人。バラエティーが豊かだ。詩の豊穣といった感じがする。

二〇一八年十月十一日 「すさまじい忘却力」

詩も小説も、そんなに違いはないのねっていうのが、奇想コレクションの一冊、ジョン・スラデックの短篇集『蒸気駆動の少年』を半分まで読み直した感想。いつものことながら、一作も読んだ記憶がない。すさまじい忘却力。固有名詞が頻出で頭が痛くなる小説でもある。でも、詩には、そういうものがないね。

二〇一八年十月十二日 「LGBTIQの詩人たちの英詩の翻訳」

ここひと月ばかり、LGBTIQの詩人たちの英詩の翻訳を再開していたのだったのだが、きょう訳していたものが、いちばん難しかった。9つ目だ。あと20作ちょっとを翻訳しなければならない。きょうの訳はまだ手を入れなければならないだろう。翻訳では頭脳を総動員しなければならないので疲れる。

二〇一八年十月十三日 「ジョン・ウィンダム」

ジョン・スラデックの短篇集『蒸気駆動の少年』難解というわけではなく、読みづらいという感じ。でも、まあ、奇想コレクションの読み直しをしようという計画を立てたのだから、さいごまで読み直すけれど。いまのところ記憶にあるのは2作のみ。なんという烈しい忘却力。いまは57歳。もうじき58歳。

ジョン・ウィンダムの『トリフィド時代』を買ってきた。むかし、読んだ翻訳者とは違う翻訳者の新しい訳だそうだ。内容は、ぼくにはめずらしくも、しっかり覚えているのだが、手元にむかしの訳本がなくて、がまんできなくなって買ったのだった。すばらしい小説だった。スラデックを中断してさきに読む。

よい音楽と、すばらしい詩や小説と、おいしい食べ物や飲み物があるのだから、ほかにどんなことがあっても、この世は天国である。と、単純に思いたい。まあ、ぼくは単純なので、そう思っているほうだとは思うけれど。

いままでツイートを見てて、ハイボールを2杯飲んでた。なんだろう、この高揚感は。おいしそうな食べ物の画像を見たこともある。そのうえに、これからSF小説の傑作、ジョン・ウィンダムの『トリフィド時代』を読めるという期待の気持ちからもだろうか。すばらしい詩や小説は、ぼくの気分を高揚させる。

二〇一八年十月十四日 「ジョン・ウィンダム」

ジョン・ウィンダムの『トリフィド時代』を読み終わった。むかし読んだときには感じなかった感慨がある。さいごがうまくいき過ぎかなと思えるが、それを除くと、たいへんおもしろい作品だった。これから、ウィンダムの『海竜めざめる』を読む。

二〇一八年十月十五日 「死ぬまでに再読したいSF小説3作」

ジョン・ウィンダムの『海竜めざめる』の再読が終わった。きのう読み終わったウィンダムの『トリフィド時代』もそうだったけれど、希望で終わらせているのが、57歳のぼくにはいい。暗澹たる気持ちで終わらせてほしくない年齢になったのだろうと思う。これからスラデックの短篇集のつづきを読む。

死ぬまでに再読したいSF小説3作。ニコラス・グリフィスの『スロー・リバー』、マイクル・スワンウィックの『大潮の道』、T・J・バスの『神鯨』いますぐにでも再読したいのだが、まだ寿命がありそうなので、寿命が尽きそうに思えたときの楽しみにとっている。再読したいSFはほかにもあるしね。いま、Amazon で価格を調べたら、『大潮の道』と『スロー・リバー』が1円で、『神鯨』が91円で売られていた。傑作なのにね。

二〇一八年十月十六日 「マーゴ・ラナガン」

スラデックの短篇集『蒸気駆動の少年』を読み終わった。さいごらへんで、ようやくスラデックの文体に慣れたような気がする。つぎに読み直す奇想コレクションは、マーゴ・ラナガンの『ブラックジュース』である。かなりおもしろい短篇集だったような気がする。一つだけ物語を憶えている。魔女の話だ。

二〇一八年十月十七日 「短詩」

みっぺは宇宙人かもしれない。ママのペンとリップをつかって、顔面は非対称。うん。みっぺは宇宙人にちがいない。

二〇一八年十月十八日 「今鹿 仙さん」

今鹿 仙さんから、詩集『永遠にあかない缶詰として棚に並ぶ』を送っていただいた。ポイントが大きく、そこにまず驚かされたけど、読むと、詩句の流れのスムーズさと音調的なすべりのよさに驚かされた。それにしても、表紙がすばらしい。ことし目にした本の表紙のなかで、もっともすばらしいと思った。

二〇一八年十月十九日 「舟橋空兔さん」

舟橋空兔さんから、詩集『アナンジュバス』を送っていただいた。ふつうの日常的な詩句のあいだに、魔術的な詩句というのか、そういった詩句が散見する。不思議な作品たちだ。

二〇一八年十月二十日 「石川厚志さん」

石川厚志さんから、詩集『山の向こうに家はある』を送っていただいた。タイトルに「家」とあるように、詩のなかに家族が出てくるものが多い。ぼくには肉親に対する愛情がないので、読んでいて、うらやましいなと感じることがしばしばあった。まっとうに働いていらっしゃる方のようで、うらやましい。

二〇一八年十月二十一日 「阿賀 猥さん」

阿賀 猥さんから、『豚=0 博徒の論理』を送っていただいた。カラーページがとてもきれいで、描かれた絵がかわいらしかった。詩という枠を超えて、エンタメしてらっしゃると思った。というか、詩の本かどうかっていうのは、それほど大事なことじゃないのかもしれない。ペソアの断章を思い出した。

二〇一八年十月二十二日 「片岡直子さん」

片岡直子さんから、詩集『晩熟』を送っていただいた。よく見かけたお名前なので、ユリイカの投稿時代(30年まえ)が思い出された。片岡さんの詩句は、落ち着いた円熟したものに思われ、詩集のタイトルの『晩熟』と通じる、大人らしさが感じられた。

二〇一八年十月二十三日 「mnt1983さん」

mnt1983さんに書いていただいた、ぼくの詩集『The Wasteless Land.VI』評。たいへんうれしいお言葉でした。

https://bookmeter.com/reviews/51681294

二〇一八年十月二十四日 「ルーシャス・シェパード」

一時間くらいかけて本棚を探しても、ルーシャス・シェパードの『緑の瞳』が見つからなかったので、Amazon で買い直した。傑作だったので、手放すことなどなかったはずのものだったのだけど。何度も何度も同じ本棚を見直すという行為自体は、それほどいやじゃなかったけど。この作品、主人公は、死んだ詩人。まあ、医学実験でゾンビになった詩人、で、ゾンビは瞳が緑色なのであった。どういった物語かは忘れたけれど、この本はぜったいに手放さないぞと思っていた作品だったので、いま、自分の部屋のどの本棚にもなかったことにショックを受けている状態である。もう一度、本棚を探してみるか、と思って、探したら、ルーシャス・シェパードの『緑の瞳』が見つかった。なんという、なまくらな目をしているのだろうか、ぼくは、と思った。きょうから、この『緑の瞳』を読み直そう。奇想コレクション・シリーズの読み直しは中断して、こちらの方をさきに読み直そう。Amazonではキャンセルしておこう。この本の主人公は、自分が詩人だったことを憶えている、詩人ではなかった者だった。ぼくの記憶違い。ゾンビ―になると、生前と違った記憶を持つことになるのだった。きょうは、そこくらいまでしか読み直せなかった。つづきは、あした以降。

二〇一八年十月二十五日 「桑田 窓さん」

桑田 窓さんから、詩集『メランコリック』を送っていただいた。適切なレトリック。過剰でもない、不足してもいない、まさに的確なレトリックの使い方をされているなと思われた。とてもていねいにつづられていく詩句に、作者の目の確からしさを見たように感じられた。難解なところはまったくない。

二〇一八年十月二十六日 「小林 稔さん」

小林 稔さんから、詩集『一瞬と永遠』を送っていただいた。詩句の言い回しが知的だと思った。それに描写がこと細かく具体的だ。知的なのに抽象に赴かない詩は稀だと思う。ていねいに知的な言葉が重ねられていく様を目にした印象が強く残る詩集であった。それが風格というものだろうか。

二〇一八年十月二十七日 「ルーシャス・シェパード」

松屋で晩ご飯を食べるまえに、西院のブックファーストで、ルーシャス・シェパードの『竜のグリオールに絵を描いた男』を買ってきた。短篇集で、本のタイトル作品のシリーズが収録されている。タイトル作品だけは、短篇集『ジャガー・ハンター』に入っていたので既読だが、ほかのものは未読だったのだ。

二〇一八年十月二十八日 「いつもの3本」

砂ずり、レバー、つくね、いつもの3本。

二〇一八年十月二十九日 「安田 有さん」

安田 有さんから、詩文集『昭和ガキ伝』を送っていただいた。二十八年ぶりの詩集ということである。状況のよくわかる適切な描写であった。穏当な詩句がつづられている。長いあいだに書かれたものを目にしたためか、ぼく自身のここ30年というものに思いを馳せた。

二〇一八年十月三十日 「小川三郎さん」

小川三郎さんから、詩集『あかむらさき』を送っていただいた。収められている詩は、小説で言うならば、奇譚の部類に入るもので、詩句の運びは、ひっかかるところがまったくない流暢なものであった。

二〇一八年十月三十一日 「毛毛脩一さん」

毛毛脩一さんから、詩集『青のあわだつ』を送っていただいた。ブレスの長さが、ぼくと比べて、2倍くらい違っていて、息の長い詩句がつづく。息の長さは、なにかに比例しているような気がした。そのなにかというのを明確に書き表すことはできないけれど、情の深さ、念のようなものとかとかとか思った。

いま、ルーシャス・シェパードの短篇集『竜のグリオールに絵を描いた男』に収録されている第3篇目「始祖の石」を読んでいるのだけれど、ロバート・エイクマンやコッパードやダンセイニの短篇集とかで読んでいないものがあって、気になったので Amazon で検索してた。いや検索してたら、出てきたのか。

ちょっと浮気をして、宝物としている、ジェラルド・カーシュの短篇集『壜の中の手記』を読み直そうかな。カヴァーの裏に値札を剥がした剥がれ跡があるのだけれど、この本は、ブックオフの105円(だった)コーナーに置いてあった本で、手に入れたものベスト3のなかに入る3冊の本の中の一冊である。

ちなみに、ベスト1は、付き合ってた青年が、ぼくにプレゼントしてくれた、デューン・シリーズさいごの3冊『砂丘の大聖堂』1、2、3巻。各巻105円で買ってくれたらしい。当時は古書値として5000円くらいするものだった。ベスト2は、古本市場で105円で買った『エミリ・ディキンスン評伝』

たくさんの本を昨年手放したけれど、傑作をまだまだ本棚に残しているのだなあと思った。憶えているものもあるけれど、記憶していない作品もたくさんある。死ぬまでに何度も読み直すだろうけれど、忘却力が烈しくなってきたので、読むたびにまた新刊本を読んでる気分で読めるのだった。得な性分だなあ。

Amazon で、いま、『砂丘の大聖堂』シリーズ3巻を買おうとすると、いくらくらいするか調べたら、第1巻、第2巻は300円から600円で買えるみたいだけど、第3巻は4000円してた。いまだに入手困難なものなのだなあと思った。


『源氏物語』私語 〜桐壷〜

  アンダンテ

〜 桐壷 〜

紫式部、本名は藤式部。真名仮名まじりの文面を制する者。
『源氏物語』が紫式部によって、いつ起筆され完成したのかは不明。『紫日記』の寛弘5年(1008年)十一月一日の項に『源氏物語』に関する記述がある。


 ・左衛門督「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ。」と、うかがひたまふ。
源氏に似るべき人も見えたまはぬに、かの上はまいていかでものしたまはむと、聞き
ゐたり。「三位の亮、かはらけ取れ。」などあるに、侍従の宰相立ちて、内の大臣の
おはすれば、下より出でたるを見て、大臣酔ひ泣きしたまふ。権中納言、隅の間の柱
もとに寄りて、兵部のおもとひこしろひ、聞きにくきたはぶれ声も、殿のたまはず。(『紫日記』)


・入らせたまふべきことも近うなりぬれど、人びとはうちつぎつつ心のどかならぬ
に、御前には御冊子作いとなませたまふとて、明けたてば、まづ向かひさぶらひて、
色々の紙選りととのへて、物語の本ども添へつつ、所々に文書き配る。かつは綴じ集
めしたたむるを役にて明かし暮らす。なぞの子持ちか、冷たきにかかるわざはせさせ
たまふ。と、聞こえたまふものから、よき薄様ども、筆、墨など、持てまゐりたまひ
つつ、御硯をさへ持てまゐりたまへれば、取らせたまへるを、惜しみののしりて、も
ののくまにて向かひさぶらひて、かかるわざし出づとさいなむなれど、書くべき墨、
筆などたまはせたり。 局に物語の本ども取りにやりて隠しおきたるを、御前にある
ほどに、やをらおはしまいて、あさらせたまひて、みな内侍の督の殿にたてまつりた
まひてけり。よろしう書きかへたりしはみなひき失ひて、心もとなき名をぞとりはべ
りけむかし。(『紫日記』)


これは、あくまでも目安。紫式部が創作したものだとしたら彼女の生息期間内となる。所詮、創作物は虚構の世界。そう割り切れば こんなことはどうでもいいことに違いない。だがどうなんだろう。彼女は自作のことをどう思っていたのか。これほどの大作を物にしたのだから、日記は創作メモになりそうなもののそうではない、ダンテが生れる三百年前、この奇蹟としか言いようがない潔さ。そして、ダンテを上回る創作力。なんなんだ。

むかし、むかし。あるどこに、身分は低くけれどあまたの女御や更衣を差しおいて、帝をひとり占めにした更衣がありんす。
 御つぼねは桐壷なり。帝は、あまたの女御たちの部屋にも目にくれず桐壷の更衣の許へ。女御たちはこころ穏やかならず。更衣がお上がりになる折には様々な嫌がらせをして道をふさぐ始末。帝いとどあはれと御覧じ、西の御涼殿に元からおられた更衣の曹司を他に移させ、その部屋を上局として賜はる。

 光源氏はそんな桐壷の更衣と桐壷帝の間に産まれた子だ。


 ・さきの世にも御ちきりやふかかりけむ世になくきよらなるたまのをのこみこさへ
うまれ給ひぬいつしかと心もとながらせ給ていそきまいらせて御覧するにめつらかな
るちこの御かたちなりみこは右大臣の女御の御はらにてよせをもくうたかひなきまう
けの君と世にもてかしつきゝこゆれとこの御にほひにはならひ給へくもあらさりけれ
はおほかたのやむことなき御おもひにてこの君をはわたくし物におもほしかしつき給
事かきりなし
 

『源氏物語』は千年以上前に書かれた。そして、≪いつれの御時にか≫はそれよりも百年余り前を設定した物語。今でいえば、関東大震災以前を想定した物語、そこの登場人物は紫式部の存在を知りえないのはいうまでもない(無論、小説だから無茶振り勝手気儘かまわない)。作者の腕のみせどころ満載。単なる光源氏のをんな巡り五十四次ではない。そうでなければ、西鶴も三島由紀夫も恋焦がれて今源氏を起草するわけがない。


・かきりとてわかるゝ道のかなしきにいかまほしきはいのちなりけり


もののあはれは心のやまい。沙良毛と言いたくなる精神の悪戯に違いないので要注意だ。肉体的な人の痛みすら知ることはままならないのに、ましてや万物のもののあはれを知るなんて、そんな離れ業できっこない。源氏にもののあはれを読み取らなければならない、そんな脅迫観念は願い下げだ。死に行くさだめにしても生きたいと切に願うにしても、そこにはもののあはれが飛び火して心が揺れる。そう感じるのは、言葉を媒介しての理解があってのこと。だが、その感じ自体は言葉で表せない。もののあはれは知ることも知らせることも出来ないだろう。りんごは真っ二つに切られようとも沈黙するしかない。そもそも、もののあはれのあはれとは名状しがたい情感を名付けた言葉なのだ。


・世にたくひなしとみたてまつり給ひなたかうおはする宮の御かたちにも猶にほはし
さはたとへん方なくうつくしけなるを世の人ひかるきみときこゆふちつほならひ給て
御おほえもとりくなれはかゝやく日の宮ときこゆ 


源氏を名乗ることは、直宮が臣下になることを意味する。占いは凶。皇族のままでは帝位を目論むとあらぬ疑いがかかる。帝の器は勿論のこと類まれな光のオーラを纏った容姿。こうして光源氏が誕生した。皇族で誰に気兼ねすることなく帝が寵愛した藤壺。亡き桐壷の更衣とまがう立ち振舞いに光源氏が恋慕する。かゞやく日の宮藤壺の出現。新たな物語が始まる。


骨壺

  朝顔



ひっそりとした夜長に
母の骨壺を抱えて
一本一本白い骨を取り出し
この人に滅茶苦茶に折られた私の脚に
添え木をする。
母は本当に女であった。
母親である前に一人の女であった
この人の
白い白い骨で
私の傷ついた足を立て直す
白く
柔らかで
底のない
夜。


糸わかれ

  ナカノソ

かつての平行線から
いと電話が
「用紙に判を、
用紙に判を、」と
うるさくてねぐるしがった

まめ電つけて
うえ向いた乾燥機と
吐いたおだやかないき

階下の青い郵便うけの中に
いちど使っただけのぼ印
指ごとちょん切って、おいた

漸近線の引き方は
死ぬまで忘れたままでいい
それでぜっこうおしまいさようなら


予祝 / - ephemera

  kale

予祝
 
  
一一うちあぐまえから区別のつかない境目、湿りを軽くはらえば七日目だった。すぐに濡れた、上嘴の棘に味蕾の橙、夜凪ぎは濾摂され、詰込まれた、夜半にまみれるはだしの半蹼、羽根初列。はばたきは徴なのだから、風に反目する天使は「ろうあ」なんだよ。まだ浅い速度に祖母の眼球は、うごいていないのに、こごえるように、おそれている。墜落する、はやさは花に渡り損ねたおとといのこと。飛えいを、左右に、附随して、ーメーデ、メーデー、ニスイの青を、掻き毟り、ブルネットのウミネコの、へ沖、沖へ。消えない、銀の真皮に、陰火はおろされても、軽いものからいへむらと、かぎろいあそぶ、自殺者のもりのともがらが、刎ねていた、羽根無しの、口吻を、千に、縊る。かがり火の庭に咲く曼珠沙華の、なぜか赤く濡れていた、偽膚を襲る、濃色は白白、うら枯れ、乙夜に、わくらみはじめる。

 
一つずつ、千から、一を引いていく。
  
一つずつ、百から、一を引いていく。
 
一つずつ、十から、一を引いていく。
  
 
古さが、脱皮しながら、古いまま、二筋、割礼された、色彩に、光、煤けた首に、真横へ、垂れる、光、心柱の、厚い端切れ、舌の先、光、やわらかな部位と、隔絶する、また別な、痛まぬように、やわらかな、光、また、光。古い、から、一つずつ、大切なものを、引いていく。

 
一つずつ、舌から、千を引いていく。

一つずつ、百から、白を引いていく。
 
一つずつ、一から、一を引いていく。
  
 
「大事なものは『一の夜のワダツミに《一して{おくんだよ}》』」

記された あざは 栂に 緘口された 祖母の 早朝 喉に きのうを押込む 虚仮の N極 肉の削げた 線描の空 地平の半径 狂針する ウミネコの方角を あさっての海へ 差出していた 黒い 風切り羽根を 一つずつ だから 彼女に映込むもの すべて 端から 濡れていくのか
 
被幕のびらんに、一を隠して、誘う水、白いヴエルが。花のミンチを詰込まれ、百伝う。天使の時間は流刑なのだということを一一。
 
  
 
   
  
 

- ephemera


彼らは「ちいさな」嘘を隠すため、手のひらを真似ると「決めて」いた子らの静を準ってしまうから、水につつまれた手のひらは「慎ましく」音骨に身を窶す。

彼女は「言い」訳をかんがえるまでもなく産卵し、おびただしくうまれて「いた」。離散する運「動」で彼女の言い訳を邪魔していたのは誰だ「?」

水漿の卵「管」を縦横する気嚢の長濤は欠如として、昨日と今日が交わる今朝は、晨以外で「重」なっている。裏にかえる手のひらのひとつは手のひらからすり抜けた手のひらとまたおなじ手のひらに潰された「数」多の手のひらたちと直かくに「交」わり平こうする手のまたひらにまたうらかえり。

水「環」に癒着する、誰かのくちびるの硬度は、欠如の不「全」を準静する、ためだけに言い訳を、限りなく産卵する子らの「手」のひらのかたちで。


青空を曳くひとよ

  鷹枕可

__

《空襲警報発令、空襲警報発令、至急、該当地区市民各自、防空壕へ避難されたし》

「B‐29が一機、向って来ているそうよ。」
「単機で来る奴が怖いんだ、廣島も長崎も全部、それでやられてしまったからね。新型爆弾の積載機は、何方もB‐29一機、だったらしい。」
  
____ |



俺は、湿った八月の、玄関に立ち、象徴の不在について、考え、耐え忍ぶ、
隔絶は、もはや省令となり、国家秩序は、只、形骸の腐敗過程となってしまった、
俺は、鍵を
理想像の、決して冒してはならない 独立、の存在軸を、確かめる、
樂譜の許に、打たれた符は、人工の天蓋を撃ち落し得る、最後の反撥力でもあるだろう、
死は、その確率を、
後遺症を誇り、後悔者達を責めたてる、宛も天刑病の症候であるかのごとく
迫害者達に 思弁も、思惟も無き、排斥の理由を与えるのだ、
ペストの町に、押し込められた群衆、
逃場なしの、陽に曝され
爾後
電磁気的座標点に、群衆は掌握され、
もはや自由は、
個人への、民衆への、
支配と主権をしか、意図しないであろう、
しかし
あらゆる
尊厳は、分断をされて尚、個室の中でも育った、
結束は、検閲され続ける孤独へ、樹立を果されたひとつの想像、国家を創造し、
天高く、最も高く、光暈を、鬣燃える馬を、手綱をその権能に臨み、
そして至らしめた、
それは誰のものでもない、君達自身の国家である、
君達が勝ち取る、君達自身の蜂起である
やがて
君達は、
世界史 に真新しい血の瞋りを、注ぐだろう、
豫め、失墜を約束された、翻る 宗主 の国旗にも、
あらゆる正義、正統が矛盾の様に
われわれより八月を
略奪した様に
而して
凋落の国家に在って、猶 
為政は
絶える事は無く、
歴史への矯正教育としての学舎へ、独立運動 は後退をし、
平静へと、現実の外面を保障する、改竄機関として、機能を及ぼす、
内的葛藤は、その名前すら剥奪され、
存在の重量に、俺を、自らを捕縛し、
その想像力へと、限界を規定する、社会 より、暗黙裡において、懲罰は科され、
常識は、
言論の自由をその図式範疇より飛躍せしめる者を、隔離し、
公平制に拠って、緘口を促された、私的権限への、著しい、侵犯 である、
それはわれわれ自身の歴史であり
あらゆる社会的存在の、歴史である、
孤独は、重力であり
孤独は、斥力であった
俺は、俺自身の孤独を、楓の翼骨に、数知れぬ徒刑囚に準える、
思えば
遂に飛ぶ青空を、勝ち得ることのなかった、飛行機械、レタトリンも、第三国際記念搭も、声の為の声も、
且ては理想、平等国家を体現していたのではなかったか、
行き損ねた秋茜が、敗れた祖国の左胸に留っている、
そして、飛翔 は、心臓を、その存在の理由をあらかじめ、知ろうともなく、自ずから知っていたのだ



_

わたしの青空どこにある
   帰りたくても
     帰れない
包帯みたいな雲の色
 たぎった夕の秋空に
    一番星 みつけた

_

ぼく達の頭はからっぽだ
明日になれば、もう 思い出せない
ぼく達の心臓はからっぽだ
偏見のために、何も 見えない
ぼく達の国はからっぽだ
八月の光が、落ちて 校舎が、燃え上がったときから
ぼく達の胃はからっぽだ
コーラとフライドポテトの、からっぽだ
ぼく達の頭はからっぽだ
明日になれば ほら もう 何も思い出せない








※鬣燃える馬・ 希臘神話に於けるヘリオス、の車馬 の意。
        ヘリオスとパエトンの関係性は、何処かしら、アメンホテプ三世とイクナートンの、それ を髣髴とさせる。
        飛翔をする車馬は、ルドンの彩色画にも屡見受けられるモティーフでもある。而して、此方はアポロンの車馬、とされており、イメージの齟齬、断絶を払拭し得ない。
        ヘリオスもパエトンも、アポロンと習合‐合祀をされる事はなかった。そこに統一性を隔てる、何某かが有ったのかは、今は知る由もない。


ウェーブ

  鈴木歯車

本当の距離は距離の顔をしていないから
もう向かいの歩道へ渡らないだろう
手を振る あるいは示すだけで
隠し持っていた指先を開けば
すこやかな分岐が生まれるようだ

切り離したルートは今でも
乾いた土地の 無人の駅から走り出す
乾いたひとりひとりの人を待ってるのか
取りまく時間と距離は日に日に追いつけなくなる
だから今まで捕まえなかったものは
これからもそのままなんだと
打ち明けるのはとても難しくなってしまった

みんなが公園の砂場に沈むことについて
なんとなくぼくはばたついてみたけれど
抵抗はそれ自体が勝つことがないことによって
あくまで抵抗でしかない
数ある震えのひとつに過ぎないと
なんとなく多数決で決まってしまった

今でもぼくの抵抗は
水平線の向こうで膨らんでいるらしい


蝉と秋

  月屋





うるさい蝉が唐突に落ちていくことを夏の終わりだねと笑ってしまう君は夏を知らない。入道雲が膨らむと海水の塩分濃度が下がって、文鳥は眠りにつく。うるさい雨はただの通り雨だったけどそれを秋が来るねと喜ぶ君は冬を知らない。あ。そっか、君は何も知らなくて、だから巡っていく季節に春夏秋冬なんてつけない。ただ気温と空だけを気にしてたまに衣替えをする。
主婦湿疹で荒れた指が痺れる。蝉がコンクリートで騒いで飛び去っていく。皮膚がまた剥がれて、ぴりぴりと痛む。錆びたかんかんに雨水が溜まっているから蹴っ飛ばす。あ、ちょっと遠くに行っちゃった。エレキをうるさく鳴らしながら君が夏の終わりを嘆いている。そんな気がするよこのコード進行は。
夜はだいぶ秋だったりしますね。秋は好きです。私が生まれた季節なので特別です。と、純粋な子が微笑むのを同じく秋生まれの私は幸せでなによりと思っていた。夏が好きな私は夏に生まれるべきだったのだろうかと勝手に考えてしまう。夏が終わっていくことは別に悲しくなく、それはただ来年も生きているというだけの自信だった。まぁ、蝉は来年もうるさければいいと思う。いつまでも夏の虫として生きてほしい。


引き取り人、越ヶ谷

  屑張

  ―――こしがたに*1在住の越ヶ谷*2さんは青いキャップを付けて家を出る。

 越ヶ谷さんが玄関の戸を開くと、目の前にはステンレス製で一本足のポストが立っていました。
 朝日を浴びたポストの口の部分には白い紙があふれており、何枚か地面の上に落ちて朝露に濡れて皺くちゃになるまで縮んでおります。
 越ヶ谷さんはその中から地面に落ちた一枚を拾い上げ、丁寧に皺を伸ばしながら開き、うつろな目で紙に書いてある言葉を読んでいるようです。
 紙には「おはようございます」という一文が歪な油性ペンで、縦書きで綴られており、ポストに詰められたどの紙を開いても、同じ言葉が書いてありました。
 越ヶ谷さんは玄関から出た時と同じ表情のまま、素早く紙を丸めると小さな庭に向かって投げ捨てました。
 越ヶ谷さんは家の鍵を閉め、青色のバンに乗り込むと、エンジンを起動させて朝8時前に自宅を出ました。
 ポストには小さなカメラが設置してあり、その映像を確認すると、何日も洗濯していないよれた灰色のジャージ着込んだ新聞配達の学生が、入りきらなくなったポストの中へねじ込むように紙を投函している様子が写っておりました。*3
 ですが、仕掛けたカメラの映像を見ようとすると、何故かカメラの充電が切れているか、誰かに壊されていたり、SDカードが抜き去られているため、誰がこの紙をポストに投函しているのか越ヶ谷さんは知りませんでした。*4
 
 越ヶ谷さんが向かった先は、今日の仕事現場でした。


                  ***


 越ヶ谷さんは、何も考えずに仕事をする事が得意でした。
 
 今日の仕事は、自然保護区に猟銃を持ち込みシルバーバックのゴリラ*5を殺してしまった脇ノ谷*6の原人をこしがたにの留置所*7から脇ノ下にある鉄筋コンクリート造空きアパートに護送する事でした。*8
 越ヶ谷さんは、自前の青塗りのバンに、手錠を掛けられ、頭に白い布を被せられた原人を乗せました。
 原人たちは猿ぐつわを噛まされていましたが、警察署を出てバンに乗り込み、護送される間一切の抵抗を諦めているように、一言もしゃべらず、越ヶ谷さんの指示に淡々と従っています。
 
 越ヶ谷さんは、車を運転している時は必ず掌サイズのMD*9ボックスからランダムに取り出した音楽をかける事に決めていました。
 運転している時は何も考えたくないという理由で、湘南乃風*10やFLOW*11を流すことに決めていました。
 要するに、越ヶ谷さんのMDボックスの中身は5年以上変わっていませんでした。
 
 そんな越ヶ谷さんの車が崖の下から発見されたのは、密猟者達の護送が完了した電話の報告があってから数時間後の事です。

                  ***


 山の中を切り開いて小さな畑を耕していた50代の農民による報告から全ては始まりました。
 駆け付けた警察官の証言によれば、歪んだ車体の青い色を見ただけでこれは「越ケ谷さんのバンだ」と一目分かったそうです。
 見つけられた越ヶ谷さんのバンは頭から崖下へ落ちてしまったためか、ボンネットは蛇腹状になるまで潰れており、車体の側面は崖を転げ落ちた時に出来た擦り傷だらけでした。
 また、所々塗装がはがれ落ちて金属がむき出しになっており、熊が爪を立てたような等間隔の三本の傷跡があちこちにありました。
 
 後部座席には鍵が掛かっていなかったため、数人掛かりでこじ開けて中を見ると、社内全体が血しぶきの海と化していました。

 それは、崖から転げ落ちた車の運転席に乗車していた人間が圧死した事により生み出された惨劇であると、一瞬だれもが直感的に感じたと言います。
 ですが、それにしても後部座席まで飛び散った肉片の量がどうあがいても足りませんでした。
 
 運転席には越ヶ谷さんの愛用していた青いツナギがエアバックの間に挟まっておりましたが、そこに人一人が収まっているような空間はどこにもありませんでした。
 血しぶきは社内全体に広がっていましたが、内臓などの越ヶ谷さんを構成する内臓はどこにも見つからず、現場検証を行った検察官は、直ぐに他殺の可能性を脳裏に描いていたといいます。
  
 現場検証の手伝いに出向いていた警察官が、事故現場近くの森株の上に人間を皮が掛けれれているのを見つけました。
 検察官の手によって、その後越ヶ谷さん人皮*12であるとの特定がなされました。
 また、森から出入りする際に必ず通らなくてはならないトンネルの入り口に、越ヶ谷さんの内臓が詰められた透明なガラスの水槽が置かれているのが発見されました。*13

 越ヶ谷さんが誰かによって殺され、体を解体されたという事実は誰であろうと一目瞭然の物でありましたが、私を除いて越ヶ谷さんの死を報道する媒体はどこにもありませんでした。*14
(また、第一発見者の農民はこの事件から数か月後に、煙草が原因による脳梗塞に倒れ死去したといわれています。)
 
 青いバンのボンネットの奥まったところには、小さな鉄製の錆びた賽銭箱がおいてありました。
 賽銭箱には、越ヶ谷さんがここ1ヶ月で買った商品のレシートが詰め込まれており、溶断機で箱の中身をあけてみると、一番底に昭和六十四年の五円玉が貼り付けてありました。
 
 これこそが越ヶ谷さんの宗教観の全てであり、越ヶ谷さんの祈りそのものでした。


                  ***


 越ヶ谷さんの日常を探る為に私は、新宿駅から徒歩10分程にある公園*15の水飲み場を住所にしている女子高生で、越ヶ谷さんの唯一の友達の元を尋ねました。

 公園では、仮面をつけた小太りの大人と女子高生が仲良くブランコを立ち漕ぎしている様子が目撃されており、公園の巡回を担当している警察官達は越ヶ谷さんの身分が引き取り人でなければ放置しなかったと、証言しています。
 (女子高生は越ヶ谷さんと友達であることから、公園に住むことができ、補導の対象外となっていたのでした。)

 越ヶ谷さんは女子高生に物を語りかける時、必ず仮面をかぶっていました。
 仮面を外すと、歯が整っていない歪な瓶底メガネの中年男性で全ての印象が上書きされてしまうからです。
 また、念には念を入れて、毎月原人から剥ぎ取った人皮の仮面を顔の表面に貼り付けており、顔がばれてしまうことを避けていました。
 ズボンの右側ポヶットには自衛の為と称して常に刃渡り5センチ程の質の悪い十徳ナイフが入っていました。
 越ヶ谷さんは、いつ自分が殺さそうになったとしても返り討ちすることができる準備をしていたのです。

 女子高生の両親は、生まれてから間もない血みどろの状態で、近くの寺の前に彼女を置き去りにした原人でした。
 裸の状態で一夜を過ごした女子高生は、門前で丸くなっていた所を住職に見つかり、急いで病院に担ぎ込まれた所、一命を取り留めたのでした。

 女子高生は児童相談所を通じ、引き取り手が見つかるまでの間乳児院に引き取られる事になりました。

 しかし、2歳を過ぎても引き取り手が見つからなかった女子高生は、そのまま児童養護施設に預けられる事になりました。
 女子高生はすくすくと育っていき中学2年生まで成長しました。
 
 ですが、14歳を迎えようとした5月GWを過ぎた頃に、児童養護施設を飛び出し、毎晩口付ける事を習慣とした原人達が生息する自然保護区を住所として定め、一人サバイバル生活を始めました。
 そうです、彼女は高校生ではありませんでした。
 捨てられた制服を着飾る事で身分という仮面をかぶったただの原人でした。

 女子高生には名前がありませんでした。

 貧困女子を特集した報道番組のコーナーで、彼女はよく取り上げられましたが、彼女は、自分の名前を明かす事ができませんでした。
 代わりに「夢は野球部のマネージャーになって、野球部を甲子園に行くためのサポートをすること」だとインタビューで答え続けました。


                  ***


 こしがたにの越ヶ谷さんの家はもうどこにもありません。

 引き取られそこねた彼女は女子高生として生き、16歳の春を迎える前に餓死しました。

 コンクリート造の建物に押し込められた原人たちの正体は、実は原人ではありませんでした。


                  ***


 原人たちはよく原住民達に原人であると揶揄されました。
 石を投げられ、住んでいた家を追い出される事もありました。
 仕事も原住民に比べると重労働の職に就かざるを得ない場合が多く、その分断は事あるごとに原人たちの中に苛立ちや差別意識に対する拒絶感、あるいは暴力性を膨らませていくことになりました。


                  ***


 大学生の新聞配達員が、貧困男子のインタビューに答えることがありました。
 大学生でありながらバイトしかしていない彼の頭には、毎月の労働から得られる時給換算の収入と、スロットで作り上げた借金を効率よく返すための方法しか頭になかったため、取材内容は報道される事はありませんでした。*16


                  ***


 「額に押された原人のマークを引き取り、何も言わずに考え、引き取った原人を輸送する。その間にどのような殺され方をしたとしても文句を言われない事。もしくは、文句を言われ続けても良い存在である事」

 応募要項の中身を引き摺り出し、苔茶色の羽毛がむくむくと膨れ上がり、鈍色の嘴の生えた、濁った黄色い瞳で、四本足で、地べたを這いつくばっているような生き物が新宿の公園で交尾しています。
 生殖活動が日に日に深まっている様子を引き取る理由、みたいなものはありますでしょうか? こしがたにの越ヶ谷さん。


                  ***


<注釈>

*1こしがたに…1959年(昭和34年)9月1日に青森県の大湊町と田名部町が合体して大湊田名部市ができました。日本では比較的珍しい2つの地名をつないだ連名の市でした。この大湊田名部市が長い名前が嫌われたのかどうかわかりませんが、1年も経たない1960年(昭和35年)7月31日にむつ市と改称しました。このむつ市が記念すべき日本で最初のひらがなの市になったわけです。ひらがなの市はその後も数多く誕生しています。1995年(平成7年)(平成7年)9月1日に誕生したあきる野市は、ひらがなと漢字の混じった最初の市です。2001年(平成13年)(平成13年)5月1日には県庁所在地として初めてのひらがな市である、さいたま市が誕生しました。
(『都道府県・市区町村』、「ひらがな・カタカナの市町村」、2020/09/03閲覧)

1999年12月、政府は新しい「行政改革大綱」を決め、全国の市町村を2005年まで現在の3分の1である1000以下にしようと、合併を強引に進める方針を定めた。これは、明治21〜22年の町村大合併、また昭和37年の住居表示に匹敵する大改革である。この大改革によって、合併市町村の新しい名がぞくぞくと誕生することになったが、その中には、私どもが年来主張している由緒ある地名とはまったくかけ離れた、新市・新町の名がしばしば見られる。その安易な命名は、あるいはいたずらにひらがな書きにし、または安易に方位方向を冠し、あるいは合併市町村の頭文字をとって合成し、あるいは根拠のない瑞祥地名をとるなど、あまりにもほしいままな命名が横行している。これらは、その土地の実情を的確に反映しているものとは言えず、日本の地名の新しい受難時代の到来と言っても過言ではない。それは、地名の危機であるばかりでなく、日本人の風土感覚を狂わせる重大な問題を孕んでいる。この現状を座視するにしのびず、私ども日本地名研究所はここに警告し声明を発表するものである。2002年3月  日本地名研究所所長 谷 川 健 一
(ほっぴいこうせい「谷川健一さんが亡くなって」、2020/09/03閲覧)
尚、日本地名研究所所長の出した谷川健一「緊急声明」原文が提示されたURLは現在無効であり確認する事ができない。

*2 越ヶ谷…「越ヶ谷」は「越(腰)の谷」の意で、「こし」は「山地や丘陵地の麓付近」の意、「谷」は「低地」の意であると思われる。つまり、「大宮台地の麓にある低地」を指す地名であると推測される。「越谷」の地名は、1954年、合併により越谷町が成立した際に、合併前の越ヶ谷町と区別するために「ヶ」を取って「越谷町」としたことに由来する。したがって、旧越ヶ谷町にあたる越谷市の中央部の地名は、現在「越谷市越ヶ谷」であり、それ以外の「こしがや」が付く地名は、越谷町成立以降に出来た地名なので、「南越谷」「北越谷」「東越谷」などのように「ヶ」が入らない。同様の理由で「越ヶ谷高等学校」には「ヶ」が入り、「越谷北高等学校」「越谷南高等学校」などには「ヶ」が入らない。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、「越谷市」、2020/09/02閲覧)

*3 越ヶ谷さんは新聞の定期購読の契約を結んでいない。

*4 越ヶ谷さんは、犯人を特定する気が最初から無い。越ヶ谷さんに取材を申し込んだ週刊誌の記者によれば、越ヶ谷さんがある日このような話をおもむろに語りだしたという。「多分これは、いたずら好きな人間が嫌がらせを生き甲斐として生きている事から生まれた仕業なんですよ。そうでなければ、毎日こんな辺鄙な場所まで歩いてきて、せっせと挨拶文を書きなぐっただけの紙をポストに入れ続けるわけがないんですから。こんなくだらない事に人生を賭けられるって素敵な事だと思いませんでしょうか。そして、僕はその生き甲斐を向けられた対象として選ばれた訳です。つまり、彼に挑まれているんですよ。これは僕が今引き取り人という職業に従事している理由の一つかもしれませんね。こうして、僕が彼が生きるための生き甲斐として選ばれた事が本当にうれしいです。逆に僕にとってそれが生き甲斐になる。また、僕がこうして選ばれた事は天の思し召しだと思うんです。わかりやすくいうと神様が与えてくれた試練なのかもしれません。彼の感情を受け止め、引き取り、寛かいするまで付き合う事ができたら僕は本物になれると思うんですよ。最近、朝の目覚めがとてもいいんです。今まで無気力に生きてきた人生が嘘みたいに変わって、僕も彼に負けてられないと思うようになったら布団から出るのが楽になったんです」越ヶ谷さんは犯人を突き止める気はなく、自分で仕掛けたカメラを意図的に破壊する事により、毎朝ポストに投函される紙を、表面的には拒絶しつつ、心の中で望んでいた。

*5シルバーバックのゴリラ…アフリカ東部・ウガンダで特に有名だった雄のマウンテンゴリラ「ラフィキ」が殺害された。ラフィキは25歳だったとみられている。ブウィンディ原生国立公園で暮らしていた「ラフィキ」は、銀色に見える白い毛を背中に生やした「シルバーバック」と呼ばれる雄で、17頭の群れのボスだった。鋭利な物体で内臓を刺されて死亡しているのが見つかったという。男4人が逮捕されており、絶滅危惧種の殺害で有罪となれば終身刑、もしくは540万ドルの罰金刑を科せられる。世界中にマウンテンゴリラは1000頭余りしかいない。ウガンダ野生生物保護庁(UWA)は、ラフィキを失ったことは「大打撃だ」と話している。ラフィキが率いた群れは、人間との接触に慣れていた。「ラフィキが死亡したことで群れは不安定になる。バラバラに離散してしまう可能性もある」と、UWAのバシール・ハンギ氏はBBCに話した。「リーダーを失った状態で、野生のシルバーバックにのっとられるかもしれない」。そうなった場合、群れは人間との接触を避けるようになり、その場合は観光に影響するという。マウンテンゴリラは観光客に人気で、UWAは観光収益に依存している。(『BBC NEWS JAPAN』、「有名なシルバーバック・ゴリラ、密猟者に殺される ウガンダ」、2020/09/04閲覧)

*6 脇ノ谷…和歌山県・大阪府、奈良県。地形。脇の谷から。和歌山県では家の周囲に「わきん谷」の通称があったと伝える。推定では江戸時代。和歌山県橋本市隅田町山内に分布あり。(『日本姓氏語源辞典』、「脇ノ谷の由来、語源、分布」、2020/09/04閲覧)

ひらがな・カタカナ地名(ひらがな・カタカナちめい)は、地名を命名法・由来などをもとに分類した地名種類の一種である。仮名書き地名(かながきちめい)とも呼ばれる。日本の地名表記のなかで漢字で地名を全て表記していない場合に言われる。一部に漢字を用いる場合もこれに含まれるが、長野県下高井郡山ノ内町の「ノ」のように助詞を漢字で表記せずに用いるものは含まない。ひらがな・カタカナの市町村名は当て字でひらがなではない漢字表記が存在する。それを、イメージアップを狙って、あやかって、漢字よりも優しく感じる等の理由で意図的にひらがな表記にしたものである。市町村合併、特に新設合併によって誕生する事例が多く、「柔らかなイメージを持たせるため」という理由で付けられることが多い。一方で2019年1月現在、都道府県名・郡名・区名にはひらがな・カタカナのものはなく、新たに生まれる予定もない。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、「ひらがな・カタカナ地名」、2020/09/04閲覧)

*7 ひらがな地名の最大の欠点は、文章の中に地名が埋没してしまうということだろう。特に走り読みする場合、自分の興味のある都市のことが書かれていたとしても、ひらがな文字だと読み過ごしてしまう恐れがある。例えば、「明日たつので一度会いあい」という表現があったとする。この文章の中に地名が潜んでいるとは、地元の人でなければ発見できないだろう。その内容から、「明日旅立つので、その前に一度会って話がしたい」と解釈したとしてもおかしくはない。またか「明日、“たつの”という町で会いたい」という意味だとは、思いもよらぬことではないだろうか。(浅井 建爾『都道府県 アラカルト Vol6』、「なぜ、ひらがな文字の市町村名が増えるのか?」、2020/09/04閲覧)

*8 脇ノ下の動物殺しは森に帰ってくるな運動…自然保護区で厳重に管理されていたシルバーバックのゴリラを殺してしまった原人4人が釈放されることになり、住んでいた脇ノ下に帰ろうとした所、脇ノ下在住の原住民達による。「動物殺しを森に返すな」運動が活発化した。騒動は1000人規模のデモを発生させ、一時的に原人が留置されたこしがたに警察署前は空前絶後の混雑に見舞われ、交通事故が発生したり、無関係の市民がデモ中に投げられた瓶で怪我を負うなどの被害が発生した。こしがたに市長は原人たちを脇ノ谷に長らく放置された幽霊アパートに隔離する事で、騒動を抑える事にした。引き取り人の仕事の多くはこうした厄介ごとにまつわる後処理を任せられる事がほとんどである。

*9 MD…ミニディスク(英語: MiniDisc)とは、ソニーが1991年(平成3年)に発表し、翌年の1992年(平成4年)に製品化したデジタルオーディオの光学ディスク記録方式、および、その媒体である。略称はMD(エムディー)。アナログコンパクトカセットを代替するという目標が開発の背景にあった。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、「ミニディスク」、2020/09/04閲覧)

…(中略)…カセットに代わる次世代の録音メディアとして、ソニーが開発しました。当時は松下電器産業(現パナソニック)がオランダのフィリップスと共同開発したDCC(デジタル・コンパクト・カセット)というメディアも同時期に発表しており、どちらが覇権を握るか注目されていました。…(中略)…DCCはカセットテープとほぼ同じ形のメディアにデジタル音源を磁気録音するもの。カセットとの互換性が高く、DCCデッキはカセットテープが再生できました。一方、MDはご存じの通りランダムアクセスで、テープよりも頭出しや追加録音が容易。シャッフル再生や曲順の入れ替えもできました。結果的にはその使い勝手の良さが評価され、MDが普及していったんです。…(中略)…それだけ一世を風靡したMDですが、2000年代に入ると、MDの何十倍もの楽曲を記録できて、パソコンさえあれば扱いも簡単なiPodをはじめとするデジタルオーディオプレーヤーに取って代わられることになります。…(中略)…今、カセットテープは録音するためではなく、CDやアナログレコードと同じ音楽タイトルとして人気じゃないですか。実はMDも登場した当時は音楽タイトルも発売していたんです。…(中略)…ソニーがMDを売り出した時の広告には、確かマライア・キャリーが使われていて、彼女のアルバムが収録されたミュージックMDも発売されていたはずです。他にもいろいろ発売されていたんですよ。…(中略)…MDのマーヶットは日本が中心で、あとはヨーロッパの一部で使われていた程度でした。これがカセットテープのように世界的に流通していれば、事情はまた違っていたのかなとも思います。
(MONO TRENDY『AVフラッシュ』、「平成生まれのMD 再生機は生産終了間近、部品も…」、2020/09/04閲覧)

*10 湘南乃風『睡蓮花 MV』https://www.youtube.com/watch?v=PjGbnPYwt1g

*11 FLOW 『GO!!! 〜15th Anniversary ver.〜』https://www.youtube.com/watch?v=IYIOr_1G7y0

*12 皮剥ぎの刑(かわはぎのけい)とは、罪人の全身の皮膚を刃物などを使って剥ぎ取る処刑法。古代よりオリエント、地中海世界、中国など世界各地で行われていた。全身の皮膚を失った罪人は、長時間苦しんだ後に死に至る。執行から死に至る長時間の苦痛はもとより、皮をはがされた人体は正視に堪えるものではない。そのため、見せしめとしての意味合いも大きい。 拷問として、体の一部分の皮のみを剥ぐ場合もあった。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、「皮剥ぎの刑」、2020/09/04閲覧)

『最後の審判』(さいごのしんぱん、イタリア語 Giudizio Universale)は、ルネサンス期の芸術家ミヶランジェロの代表作で、バチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂の祭壇に描かれたフレスコ画である。1541年に完成した。…(中略)…また、キリストの右下には自身の生皮を持つバルトロマイが描かれているが、この生皮はミヶランジェロの自画像とされる。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、「最後の審判 (ミヶランジェロ)」、2020/09/04閲覧)

*13 世界を騒がす怪盗・殺人鬼。「怪盗X」の呼び名は邦訳であり、正しくは未知を表すXと、不可視 (Invisible) を表すIを合わせた“怪物強盗X.I(monster robber X・I)”。作中では「X(サイ)」と略されることが多い。美術品を盗むと同時に人を一人誘拐し、遺体を「赤い箱」に加工して返却するという、類を見ない手口で恐れられている。全く目撃されない上に証拠一つ残さない手際の良さや後述の特徴を、海外のメディアは「怪物強盗X.I」と名付けた。…(中略)…人間の突然変異とも言うべき存在で、細胞を操作し、子供から老婆、果ては犬にまで姿を変えることが可能。理屈は癌細胞であるらしい。便宜上、普段は幼い少年の姿をとっている。殺した人間に化けることで、一般人から著名人まで多くの人間に「なって」おり、普段は行方をくらませている。人間を一撃で叩き潰すほどの怪力と不死に近い体力を持ち、傷の治りも非常に速い。弱点はあるが、「関節を砕く」「電流で筋肉を麻痺させる」など、せいぜい数秒の時間が稼げる程度。だが最大の欠点は、脳細胞も常に変化するため記憶がその都度失われてしまうこと。故に年齢や性別などを含め、自身の正体が自分でも分からず、「作った奴の中身が全部詰まった」美術品を盗んだり、他人を解体(殺害)して中身を「箱」詰めして観察することで、自分が何であるかの答えを探し出そうとしている。性格は極めて無邪気で残酷だが、内面には「自分の中身がわからない」故の苦悩と不安を抱え込んでいる。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、「魔人探偵脳噛ネウロの犯罪者」、「怪盗“X”と協力者」、「怪盗X(かいとう サイ)」、2020/09/04閲覧)

*14 「引き取り人、越ヶ谷」を書いた報道記者の名前は不明である。また、報道記者がどの出版社に属しており、どの週刊誌に越ヶ谷さんの記事を載せようとしたのか不明である。

*15 (Odekake7『【新宿周辺】おすすめの公園10選!子連れに人気や遊具のある公園も!』)https://odekake7.net/shinjuku-park-1252/

*16 報道記者にとってもまた、男子大学生の貧困に興味がない。

*17 注釈の内容は全て報道記者が下水道の隅に落とした一冊のノートに殴り書きされた内容を補足するものであるが、私の関心は次に餓死した女子高生の正体や社会の闇について調べる事になるだろう。


厭離穢土、欣求浄土

  飯沼ふるい

午前0時過ぎに(表現の誤解にもとづ
いて、近所の土手を(地滑りしていく
永遠を這うように、散歩している。鉄
塔の灯りが点滅しているのを眺めなが
ら「あれは飛行機のためにあるという
のは建前で、ほんとうは宇宙人と交信
するためにある」と、小学生も騙せな
いような(記述の憂き目に遭う、しょ
うもないホラを呟く。昨日食べた焼き
そばのせいか、鉄工所が燃えているせ
いか。土手を下ってすぐの鉄塔の足元
らへん、人の背丈ほどの(生き死には
語られ続け、薄い塀に囲まれた、小さ
な(骸になるのを許されるのは、鉄工
所の開口部という開口部から炎が盛ん
に噴いている。

ウソとホラの違いってなんだろう。燃
えるという物理学的な仕事は(語るこ
とをやめた者だけ、視覚のみに働いて
いて、臭いや音といった知覚への作用
は感知できないでいる。(おい、叢に
まぎれた虫とカエルとが鳴いている。
川でなにかが弾ける。遠くの道を車が
(そつちのほうに、ときおり過ぎる。
心臓のそばで蛆が這う。そういう類い
の静けさの中心に、炎は視えるだけで、
それは少なくとも俺にとって正しい。

一瞬の(回想はまだ残つてゐるか、白
い閃光のすぐあと、1つの窓から炎が
巨大なマッシュルームの形にむせる。
そして内側から裂けるようにはじけて
萎むと、黒煙がのぼりはじめる。黒煙
は(使ひすぎるほど使つても、重々し
い量感を漲らせ、またたく間に空へ空
へと突き進み(まだ足らないまだ足ら
ない、鉄塔を覆い隠す。そういえば最
近見たニュースのなかで昔の友達がイ
ンタビューを受けていた。真面目にマ
イナンバーカードについて語ったあい
つは(あんまり足らないものだから、
いつか「セフレと事に及ぶときは朝5
時まで呑んで死にたくなるほどの二日
酔いを抱えたまま精神科でメンタルセ
ラピーに臨むような気持ちが大事」と
も言っていた。今もその言葉が頭から
離れないでいるから、インタビューで
も言っていたに違いない。(愛のため
の言葉なぞみじめに媚びりつかせやが
つて、猥褻のカドで捕まればいいのに。

黒煙の行方を追い続けていると、(と、
一点の光が七色にうつろいながら輝い
ている。(斜に構へてみたりする、鉄
塔の点滅ではない、ユーフォーだ。ホ
ラかもしれないしウソではないかもし
れない。30分ほど前(あつちには芍薬
の枯野がひろがつてゐて、土手に腰を
下ろしていた俺の背を通り過ぎた徘徊
性の痴呆らしい禿たジジイが、黒煙に
まみれて咽ながら光へ召し上げられて
いるからだ。

あぁ、(こつちには明王の眼が転がつ
てゐて、キャトルミューティレーショ
ン、御来光、メメント・モリ。焼きそ
ばだって食べたくもなるし、(いつた
いなにをひつようとしてゐるのか、セ
フレというウソみたいな関係にすがり
たくなる場合もあるんだろう。結局は
いつだって他人事だから(かんがへる
だけかんがへて、いつまでも童貞だ。

うねるような(子午線を幾度も跨ぎ、
灯りに照らされて、煤や灰やにまみれ
ていることに気付く。洗うダルさを思
いながら(いみじくも人を阿呆にさせ
続ける、身体のあちこちの黒い染みを
検分していると、それらは次第に俺の
身体を侵食して点々とした(裏切りの
数々、孔をあける。割礼、そういう言
葉が(繰り返し、よぎる。真っ黒な孔
があいたぶんだけ(繰り返し引きちぎ
られる、身体が軽くなる。午前0時過
ぎに在ったであろう俺の身体(回想、
は光へ向かって手を挙げていた。いつ
のまにか俺は上空からその姿を見下ろ
している。魂の救済、解脱、(ばかり
に目を回す、回向なんて求めるほど思
い悩む生き方をしていないが、あぁ、
キャトルミューティレーション、重力
がこれほど人間を縛っていたとは。

俺は(けれどもまだ死ねないから、土
手をくだり(それらを砂に還して鋳型
をつくる、鉄工所へ歩を進めた。空か
ら眺めている限り、俺と(歯ぎしりと、
ジジイとの差など無いに等しい。ジジ
イはいつの間にか全裸にされている。
子供のように手足をばたつかせてはし
ゃいでいる。俺もあんなふうにされる
のか。宙に放られている俺のすべてが
宇宙人の知覚にかかっているなら、ジ
ジイのすべてはだれだったんだろう。
俺は健気に塀を越えて、さよならも言
わず(真つ赤な動脈を流し込み、自ら
を荼毘に付していった。涼しい。親友
がひとり亡くなったら、こんな気持ち
になるのかもしれない。

煤や灰やが螺旋に舞い上がり俺を祝う。
尋常ならざる力によって上着も下着も
透けていく。空を泳ぐ空想はよくした
ものだが、裸になるのは及びもつかな
かった。覚えたての自慰を(時間をか
け、終えたときの気分だ。大気が揺れ
んばかりの重く激しい爆発が足元から
おこる。バゴォーンは全国で売られて
ないことをはじめて知ったときと同じ
くらいの衝撃で童貞は木っ端微塵にな
った。(此岸の融点で、音とも衝撃波
ともつかない振動が鼓膜や下腹に伝わ
ってくる。あらゆる物理的な仕事の作
用を知覚する俺というものは取り戻さ
れて、痒い。いきおい身体の裏返るほ
どの走馬灯とちんぽの痒みに襲われる。

はじめて(結晶させる、恋人の手を繋
いだとき、指紋に染みた汗を餌に蛆が
沸いた。土のなかの(みずみずしい未
熟児、湿った暗がりが口のなかいっぱ
いに広がった。ちんぽを掻いてしまう
のは場の空気にそぐわぬ気がする。じ
りじり我慢しながら、厄災よ祓われた
まえと念じながら炎の唸りを聴いてい
る。(人がひとり剥がれ落ち、走馬灯
に照らされた肺腑の蛆がのたうち回っ
ている。恋人との別れを決定付けた
(言語の都市に産まれいづる、メール
を撫でたのと同じ指紋で詩を打った。
打てば打つほど蛆は潰れて、(意味の
与へられてゐない存在、それを餌に新
しい蛆が沸いた。

(その悦びと、ちくしょうインテリジ
ェンス。こんな思い出ばかりしか浮か
ばないのは宇宙人の仕業か、あいつの
話のせいか。いつの間にかこの世から
見えなくなったジジイにはなにが見え
て、なにが見えなくなったのか。ウソ
をついたぶんの三倍は正しいことをし
ろと(己のものでない痛みの数々とを、
保護者ヅラした親から折檻をうけた。
蛆の染み付く前の話を空に見ている。
あれはなんのウソがバレたときだった
か。ちんぽをさらけ出して宙に浮いて
いることを除けば、俺はいま独り光へ
臨み、清く正しい人間に生まれ変わろ
うとしている(あらためておもい知ら
されれば、そんな気がする。

孔は拡がるのをやめず、そこからこぼ
れていくものがある。蛆だ。尋常なら
ざる力で(涙は空襲のやうに、溶かし
だされている。あぁ、キャトルミュー
ティレーション、ただ存在のためだけ
に溜まり続けた澱がこれほど重たかっ
たとは。寒い。冴え渡りすぎて寒い。

走馬灯も(あふれるものだから、すべ
て過ぎた。(やうやく死ぬのが近づい
たのかもしれない、とうとうこの身体
にも過去形が迫ってきた。はるか下方
の炎はとうに潰えて、目前の光は眩く、
(永遠はまたひとつ崩れ、記述される
俺としての俺の終わりか。しかし宇宙
人の正しいことってなんだろう。(お
前に用意されたあたらしい予言に満ち
る、人生に誤謬があるなら、それは俺
の眼にしかないはずなのだから、あい
つらが棄てていったものがなければ、
残された記述は光へ向かい、暗くなっ
ていく身体だけだ(それもいづれ都市
の言語中枢に食はれてしまう、俺はい
ったいだれというんだろう。あぁ、血
も涙も走馬灯もちんぽの痒みも枯れ果
て、劇的な意味もなく(だから最期と
も言わぬが、地球の自転と宇宙の膨張
との延長線上の出来事として(ひとつ
の記述をのこしておえるとする、連れ
去られていく視線から(空と一緒に翔
んでいかうとする、遺骨まで遠く、拡
がり続ける(あらゆるものの、孔で真
っ黒に裏返り(ひとつの可能性として
の、“ここ”から絶えようとしている、
だれかの(お前の、
ために、
(真名を、
聖歌を。

けれど彼はその一つも知らなかった。


肋骨を締める

  葉山美玖

肋骨を背中をまるめて
ぎゅっと締める
(あなたは頑張り過ぎていて
(肋骨が開ききっていますと
(ヨガの先生は言った
肋骨をぎゅっと締めて
赤ん坊のようなポーズをとると
神経が落ち着いて
涙がぽろぽろ零れてくる。
ママは私を抱っこしないで
お酒を飲んでいた
ママは私に授乳をしないで
TVを見て笑っていた
ママは怒りだすと
いつまでも私を言葉で折檻した
(声が出ない
(笑ったり泣いたりできない
ボイストレーニングを受けて
鼻から大きく息を吸って
(ママはよく赤ん坊の私の鼻を
(面白がってつまんでいた
腹から大きな声を出して
表情筋をちゃんと動かしても
いいのだと知って
私は随分と楽になった
(ママはアルコール依存症だったから
(パパもそれを私のせいだと言うから
私は歩けるようになるとすぐ
家族を守るために
胸を張って
頑張らないといけなかった
でもパパとママは
私が頑張り過ぎて病気になると
あっさりと私を
僻地の病院に平気で棄てた
今ようやく
病気から抜け出して
家族から距離をおいて
普通の人のような顔をしていると
何も知らないみんなが
「お母さんは一生懸命やってたと思う」
「お母さんはあなたの事愛してたと思う」
「あなたはお母さんを許して
受け入れないと幸せになれないです」
と脅してくる
ママを呑み込もうとすると
お腹からエイリアンが出てくるようで
私はすごくすごく苦しい
肋骨を締めると
涙がぽろぽろ零れてくる
赤ん坊に戻って
毒を全部吐き出せる
(パパはママを
(妖精みたいで可愛いって
(いつも言ってたけど
ママの皮を被ったけだものを
どうしても頑張って頑張って
許してあげないと
みんなとおんなじ
仲間に入れてもらえないのですか
(息ができないよ
肋骨を締めて
お腹に力を入れて
声を出すと
いやなものはいやだと
はっきりと言える。


芸術としての詩

  田中恭平

この作品を書く前に
あたたかいシャワーを浴び
洗面所で
再度
手を洗った
髭を剃った
それでも鏡に映ったのは
たぶん
ほんとうの
わたしではなかった

ビート・ジェネレーションの系譜は
拡大、拡張しつづけるばかりだ
もっと大きく
もっととおくへ
ジャズから電気音楽へ
ボルネオ アラスカ そしてジャポン
わたしはもう若くなく
いつか
四国遍路したいという夢は
読みすぎた文庫本のよう
ボロボロになってしまった
でも
飛びたちたかった
まるで、ヒッピーの間で愛読された
かもめのジョナサンのように
もう
数日も
まともに食べていない
反対
肌が
きれいになったのは凄いことだ
本能を感じる
ちょこちょこ、っと
食べている
バームクーヘンの四分の一や
向日葵の種をローストしたもの
アイスクリーム
あとはよくコーラを飲んでいる
お守り程度に青汁も飲んでいた
それでも自然としごと
肉体労働はできた
さっき
最期の煙草を喫った
血中のニコチンは
一晩ですべて抜けてしまう
だからスモーカーは朝
煙草が喫いたくなる
禁煙のピークは二日目で
三日で完全にニコチンは体内から抜け
脳波の遅れも解消され
しぜんなドーパミン反応をすることができる
そうだ
今から
明日の休日を使って
煙草から足を洗うのだ
いったいわたしは何を書いているんだろう?
じぶんの読みたいものを書いている
わたしは書庫の
膨大な本
漫画

対峙する前に
まず
今の自分が
読みたいものを書こうと考えた
考えた、だ
思った、
ではない
思いには力がない
すぐに胡散してしまう
それはどこかへ行ってしまう
まるで衛生か、自由のように
夜の階層が上昇してきたが
現在 午後七時半
とどまりつづける
とりのこされる
それが
今は相応しいと考えるから
わたしは平屋に
ひとりで暮らしている
コロナで大騒ぎだが
この平屋で
個性というウィルスを培養しているようなもの
それは社会参画に向かない
こわれやすさ
フラジャイル
とくれば
キーになるのは「障害」だ
床に落としたお菓子でも
三秒以内なら食べていい
それが原因で脳障害を起こすみたいに
わかりやすい障害ならまだいい
ただ
わたしの場合この障害は
原因不明だ
原因不明なのに薬を飲んでいる
四錠を
朝 昼 夕 
効果的な薬というものは
えてしてシリアスな研究によってではなく
半ばトラブルで開発に至る
ある都市のゴム工場で勤務していた労働者が
ほとんど酒に不快を感じて飲めなくなってしまった
それで嫌酒剤が開発されるに至った
とか
つまらない話かな
蝉のこえが聞こえる
まだ彼女からの電話には時間がありそうだ
ウィスキーを買ってくれば良かったが
コカ・コーラで我慢する
コカ・コーラは元々薬局で販売されていた
企業はひっしにその歴史を隠蔽しようとした
そしてそれは成功した
元々コカインが入った気つけだったんだね
そういえば
この前イオン・モールに行ったとき
未だブロンが陳列されているのを見て
「おっ」
と声が出てしまった
常人以上に
せきに悩まされているひとがいるのだろう
そういえば昔デイ・ケアで
リタリンを処方されていた方で
リタリンが処方禁止になったことで
たいへんな禁断症状を味わった方がいた
聡明そうな女性だった
下痢 手の震え 悪寒
ただ禁断症状が強いものはやめられる
とも言える
煙草は禁断症状がつよくない
ただ依存性は高い
だからやめられない
これらをごっちゃにしてはいけない

薬の話を書いているけれど
親鸞は
悪人正機を曲解した
つまり
悪人が浄土へいけるのならば
悪いことをしでかした方がいいのだ
という連中に
念仏というよいくすりがあるのに
すすんで毒を飲むとはなにごとか
と一喝したという
わたしの人生に影響を与えた
いろいろなキャラクターがいるが
彼ほど聡明な思想家はいない

少し部屋がぬるくなってきた
ここまで物を書いてきて
未だ彼女から電話がないことが
胃に火がついたように
腹立たしくなってきた
この感情に覚えがある
東京にいたときに遡る
夜勤を終えて

アパートのへやに帰ると
同棲していた女性はいなくて
部屋中の家具が
ひっくりかえしにされていた
わたしが夜帰ってこなかったことを
怒ってしたんだな
と今では理解できるが
そのときもう病気は発症していたのか
ただそのへやのなかで
正座して
ぽろぽろと泣いてしまった

高校のころ
暴力事件をおこして
親を泣かせても
泣いたことなんてないのに
というか
その日以来わたしは泣いていないんじゃないか?
さびしい?
さびしいとはどういう感情なのかわからない

ただ何かを恨んでいるのだが
今は世界よ、おわらないでくれと祈っている
核は廃絶されるべきだ
何百本核ミサイルをもっているか
自慢大会はやめるべきだ
寧ろ、どんどん核を捨てる競争をすべきだ
ただ
このレベルに至るまでに
まだ数十年、数百年がかかるだろう
日本は核被爆国だ
文句をいう資格はあるだろう
アメリカ様を例外化すれば
いいや
わたしはアメリカ様の文化に
感化されて育った
イメージの裏側
われわれはアメリカ様の植民地人でいつづける
そしてそれでいい
勝負は終わって
負けたのだから

勝手に負けやがって



ユリイカの中島らもの特集で
鈴木創士氏が
なぜビートの連中は物を書いたのだろう?
これっておかしなことだよね

と発言している
これは同感だ
そして
なぜ今わたしも物を書いているのかわからない
というか
ひとり語りに
ダベッているのかわからない
完備氏のコメントにも今賛成だ
物をかかなくて、悟りを開こうとしてもいい筈だ
ひとつあるのは
物を書くと
どこかへいけるからだと考える
物を読んでもそうだ
さいきん何読んだ?
「漢詩鑑賞辞典」は手に負えなかった
本棚をみればそのひとがわかる
これは嘘だ
本を読んでその人が何を考えているか
これはわからない
そういえば芥川龍之介の「或る阿呆の一生」を
風呂で読んだな
睡眠薬中毒で
いちにち一時間しか起きられなくなった男が
あんな明晰なテキストを書けたのは
ニコチンの少ない恩恵かな
足穂も
著者紹介の欄でニコチン中毒により
一時文壇を離れる、とは
こんな勲章はないだろう
ああ 馬鹿馬鹿しい
いや足穂はいいよ
いちばん好きなのは「弥勒」だね



夜の階層が上昇し
それでも
とどまりつづけていた魂が

羽化したい

背骨より
天へ還る
もろもろの感情たち

こころの荒野が
苔むすまで
ふっただろ?
雨よ
いい加減にしろ

仕方ない
蛍光色の
グリーンの服を着て
郊外の道を
とぼとぼ歩く
歩くのはいいと聞いたから
でも
なんで雨の夜に歩いているんだろう


祈る
祈るのもいいと聞いたから
なんでも受け容れてしまうんだ
そしてじしんの空っぽを知るんだ

わたしは空っぽだ

けして
空っぽであって
ダイナマイトではなくて幸いと
傷害罪で捕まったひとの
ニュースを想い出す


あなたが勝つというのなら
負けつづけるよ
努力するよ
すこし頑張ってみたいんだ
晴れた日に
ラーメン屋で
チャーシューを渡したときみたいに
あなたの笑顔がみたいんだ
それだけかな
月が「尊い」


摩耗してゆく
もの
こと
忘れないように
みんな写真でとる
写真をとるのは簡単だから
わたしもできるような気がして
でもできないんだ


外国人の方が礼儀正しいのなぜ?
困っているときにはTELしろと
メモをくれた
アメリカ人
わたしは
繁華街の裏に座って
花畑の幻想をみていた
にっこり笑って
サンキューといった
メモはない
メモは消えるためにあるようで不思議だ


倉庫内では走っちゃいけない
それでは規定時間が短すぎる
ストレスがなにものかわかったぞ
矛盾だ


とか


考えて辿り着いた
自動販売機
130円で、たかっ、と考えながら
アイス・コーヒーを買う
コカ・コーラはもう要らない

帰って
わたしは手を洗う
あたたかな湯で洗う
いつか背中をさすってくれた
あの手になるように

 


死ね

  完備

きらきら! 布団にくるまってOPきいてた。いきてた? にせんじゅうなんねん、へーせー、なんねん? なんでやねん! ガハハじゃねんじゃ、ひとりだった、ひとりだった、まぶしかった、「ひかりちゃん」。南向きの部屋、畳から、カビの臭いが立つ。タニシしかおらん水槽に正しい姿でわたしいた、たぶん、おったとおもう。「窓際に置くなよ」「死ね」「おまえが死ねカス」「ブス」「死ね」って言う? ゆう。言われる? ゆわれる。自分で? 自分で。自分に? 自分に!

途切れる。天下一品の床みたいな髪、撫でて、撫でて、撫でて 指のにおい嗅いで、嗅いでくれよ、「死ねブス」。
「お前が死ねばよかった」「生まれてきたくなかった」「なら死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」の声 声が ベランダのない部屋でランハンシャしながらあいまいになる、南向きのまばゆさに混じる。いちばんたいせつな本が水槽に沈められたとき しゅんかんみずしぶき ひとつぶひとつぶ の 隙間に交差するほこり 逆光とか ひとりでぜんぶやった。「ひかりがやった」。そういうことになった。


革命

  鷹枕可

あらゆる敗れた革命に附いて、僕は考える、
トロッキストの襤褸靴が、凍て附く冬に嬲られている
或る理想が、内燃機関として国家に楔を撃ち込む時
実現をされた理想国家が、
もはや管理と掌握をしか企図しない、意味を
僕は 考えている
肉体を、機関に喩え
機関に軋む蝶番の、寒い飛翔が
航空爆撃機が検死官の、
血に、機械油に塗れた指に摘出される時、
その思想の遺伝子が
実験社会に国旗の血を掲げる、理由について
民族と言う記念像、
奴隷制は共同体に拠って常態化され、
抑圧と懲罰
閉塞された、監視と命令
人を自ら生存する者へと足らしめるものが
その思弁にしか存在をしないのならば
僕も、君も、君たちも、
内面化された個の国家を、建築することも、一瞬たりとて存続に適う、
強度を、闘争下に留保する事さえ敵わなかったのだ
五月の学生達が、手錠に掛けられ
理想を剥ぎ取られた、
学舎は平板化の為の一装置となり、
夏を逸れた蝉も、水甕も、アスファルトも、
自転車修理屋の軒先も、社交ダンス練習場も、英会話教室看板も
皆数値化され、
貨幣と人体は同一となり、相違は、虚実に捲かれ、
具体と観念は見分けさえ付かなくなるだろう、

統計室に擲たれた爆弾が、歴史を、君達の目にも瞭然と明かし、
挫折をした、死体として生き、死体として死に行く
僕、そして君達自身の、骨 を撓わせ
苦渋を噛む、唯一箇の理想像の為に
堕落をする
堕落をする
階段より落ちた革命は氾濫し
咽には噎せ返る国家からの贖宥、
趨勢より孤立し、拒絶を享け、なおも、
群衆 に卑下されるべき
思想は、立ち尽くしながら、その蜜蝋の翼を拡げていたのだ


眼と惑星

  尾田和彦





洗面器の中に
俺の一部が落ちた
果てしない鼓動とともに
突き動かされた空は
俺たちの海だ

失ったりしないために
手を握り合うのではなく
見せあうために
裸になるわけでもなく
自由になるために
語り合うわけでもない

俺たちは今
存在の限界を超えたところで
言葉を交わし合っているのだ
人間が狂っていく?
そういう瞬間は
詩に託すしか救いはない

人間を愛おしいと思うのなら
詩を書け
詩は場所をつくり
未来を生んで地球を守る
人間のものだ

真夜中のバス
京都から新宿へむかう
遠距離恋愛
彼女に会うため
恋は互いの魂を救い合うために捧げられる
祈りだと思った
最初の女
ネクタイを外し
俺は思う
彼女のことを
ただそれだけのことを

生きる事は
甘く呪われている
吹き飛ばされた
惑星の残骸の中に
取り遺された時間がこの世の果てにあるとして


ほんのひと時
伝染しあったものが人間なのだ
この暗闇に
決して目をひらくことがなかったもの
其れが人間なのだ


よお、お前ら、貴様ら、皆様、諸君、 よく聞け、俺の妹はかわいい、可愛い、クソ可愛い、それが理由で死人がでるって、そういうレベル。

  泥棒




逆ディストピア。



賢者んなって歩いちょる
欲しがりどもが
自分の手首に
おまじない
それ、
ちょんぎりたい
星、
ガン見して、
閉館しよった美術館で
賢者の骨
飾るけんね
これ、
拡散希望
ちゃうねんな
凝縮希望
ぎゅっと!
バズって候、
無防備で
欲しがり
星、
狩りへ、
語呂合わせのためだけに
韻を踏み
はずし
世界遺産
はずれ
ひっちゃかめっちゃかの
胸。
シーンは
防弾ガラスの向こう
壊滅的被害を右脳に与える表現
どうも、
あほんだらども、
即死やん。
で、
お前ら、
貴様ら、
皆様、
諸君、
賢者タイムでも
射精、
どないなっとんねん。
フォロワー
射殺して
0人
やっぱ、秒で、全滅、
ここでクエスチョンクエスチョン
パラレルやん
これ、
あげる
空白をプレゼント企画
いらんの?
それ、
それな、
かわいちまった深読みに
妹が濡れへんように
よろ。
空が暗くなる
数分前、
俺の
死ぬほど可愛い
世界レベルで
クソ可愛い妹が濡れへんように、
右脳から左脳へ
地面から宇宙へ
Bluetooth
脳内で決め!
お前ら、
よく聞け、
妹を泣かす奴は
俺が殺す
マジ絶対殺す








逆メランコリック。




みなさんごめんなさい。私のお兄ちゃんは
馬鹿です。昼夜問わず中也を読み、仕事は
しているのかいないのか微妙な感じ。深夜
よく燃える花を探し、どこか遠く知らない
街へ知らない国へ歩いていきます。ちなみ
にお兄ちゃんは海を歩けます。沈まないの
です。理由はわかりません。すいません。
これはもしかしたらだけど、たまに思うん
ですけどお兄ちゃんは死んでしまって本当
はもういないんじゃないかって、、、、、
怖っ。お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんが
死なないように私は願う。紙製の世界で、
液晶を見つめながら、海にとかす、紙。
アキレス腱、きれたみたいに泣いた、神。
脱線して電線してさようならする水槽の中
の吹奏楽。流れ落ち。自律神経のアプリで
世界を眠らせる。いつかお兄ちゃんが死ん
でしまって、星にでもなったら私が最初に
見つけなければならない。そ、そんな気が
する。私はただの水槽になって、魚もいな
くて、水もなくて、奏でる。花よ、苦しい
かい。人よ、死にたいかい。あの星もこの
星もその星も、ゆがむ。時間が、のびる。
るあ、ある、右脳も左脳も爆発するって!
あ!わあああああああああああああああ、
私、伝えたいことがやっと見つかりました
お兄ちゃんを馬鹿にする奴は私が殺します
本当に絶対必ず殺しますのでよろしくお願
いします。


不安の記録

  おでん

ひとつの顔が落ちてある。 あなたはそれを見なかったことにするだろう。 その顔が自分の顔に瓜二つだったとしても。 あなたは階段をのぼる。 ひとつひとつの足音はあなたの足音だろうか? 階段の段差は、妙に大きくなったり、妙に小さくなったりする。 あなたはドアを開ける。 それはつまり何を意味するだろうか? ドアを開ける、という単純な動作が何を意味するのか、あなたは考えてみる、ふりをする。 今考えたことは、ドアを開ける、その行為それ自体が、希望に満ち満ちているものと、あなたはそういうことにする。 あなたは風呂に入る。 それなのにあなたはますます震える。 あなたは風呂が恐ろしくて堪らない。 あなたは風呂のことばかり考えている。 風呂、それは人生のスパイスなりや? 気がつくと、あなたは夜空を見上げている。 (勿論、服は着ていますよ。) 星の一つ一つが、妙に輝いて見えるのは、やっぱり夜空が怖いからなのだろう。 星の一つ一つがなければ、あなたは夜空を見上げることもできなかっただろう。 あなたはひとつの不安である。 あなたはあなたを喰い散らかしてしまう。 そうしてこの話は逆転する。 あなたは不安が好きだった。 不安のとても濃い色が、あなたを旅人にする。 不安はとても冷たそうだけれど、本当はとっても温かいものだと、あなたは生身で知るだろう。 不安とは人工的な感情の一種であるか、あなたはそれを確かめることができるだろう。 どこから光が漏れているかで、あなたはその不安の完璧さを知るだろう。 あなたの(あなたの?)不安はあなたを疲れさせるが、あなたの好きなところへと連れて行ってくれもするし、この世の地獄へと連れて行きもする。 あなたはやはり不安はとても恐ろしいものだと再認識する。 この世にあってはいけないものだと、臆病者のあなたは言うだろう。 あなたは不安を見つめている。 不安を? どこにもない、目に見えない不安を、あなたは見つめることができる。 その不安はあなたのものではないから。


牛になりたいだけ、ただそれだけ

  キリン堂

つむりつむりゆめを踏みしめている
午下り牛は果樹園へと裸足で歩んで

変わりばんこに口をつけ水をやり
過日をひとつ、ひとつつみ、耳を
澄まして草を食んでいる草枕食む

まことに良いお日柄で、と
空は猟師に撃たれて死んだ
果実酒に酔う我ら猿か牛か
牛は午下り消えていくゆめ

果樹園から果実を盗みかけていく
あの猿がいまのわたしであるのだ
つむりつむりあたまをふり裸足で

裸足である事ぐらいしか、牛であった
まったくみえないが猿は、牛であった
つむりつむりあたまふる、牛であった
そんな午下りの牛にあった午であった

酔いも出来ねぇ、猿たちが、礼儀ただしく
午の牛を食べもせずに殺して楽しんでいる

猿でもいい、俺は反芻してぶち撒けてやる

下呂だって朝陽に輝いて、見ろよ
雀たちが啄んでいる、生きるために
戯れに殺す猿たちよ、痩せて死ね


人を抜ける

  いかいか

映画から口を早く離して、先生、
人が凪いだ、後だから全部、
コーヒーに雨を混ぜないでね、

人を抜けたら、夕暮れだ、
また、口をつけて映画を見てる先生へ、
こころは小説だよ、だから、早く走れない、
涎を垂らさないで神様、
世界はまだ、戦争をしてるから、
Kへ、または、この、
教室の生徒へ、

罪に、花の名前をあげたい、
紫陽花と向日葵、
または、秋桜、

人を抜けて、瞼を、
開ける、沈丁花の、
香りがして、
くだらない人達にうんざりする


ぽっぺん

  自由美学

そのときの僕らときたら奔放で
メンコみたいに弾きあって
ぱちんと簡単にひっくり返されてしまったんだ
ろくに触れもしないまま

風鈴が短冊を振り切って揺らいでいた
一週間数え忘れるほど浮かれていた
僕ばかりしゃべっていた
ほおずきはケロッと舌を垂れているのに

ちぎれ雲走る夕暮れには飴を編む職人がいて
立ち現れては消えるあえかな声を
彼は幾重にも束ねていくのだった
割り箸をくるくると器用に操りながら

陽炎に君はさらわれる
ビー玉を覗く頬のうぶ毛に汗だけが光っていた
僕ばかりしゃべっていたね

竹すだれが面格子の音階を叩くと
夏は甘ったるく疼き
かき氷のスチレンカップがぱりんと割れる


鬼に金棒、雨男には雨傘を

  ゼッケン

その人がいると雨が降る、その人が男であれば雨男と呼ばれることになる
そういう他愛もないがよく知られたことがある。おれは雨男だ
雨男のおれがあるときに気づいたのはおれが傘を持って出ると雨は
降らない
傘を持っていないと雨が降り、おれは濡れながら歩いた
知恵のついたおれはいつも傘を持って歩くようになった
スマートな折り畳み傘では駄目なのだった
諸君、おれが無用の傘をいつも持って歩いているのは
心配性だからではないんだ
きみらが無用で邪魔なものとして、電車に乗っているととくに
そういう目で見られるが、おれが腕にぶら下げているこの傘は
つまり、たしかに無用だ、だが、無用であることが幸いなのだ

勘違いしないでほしいのだが、おれは悪徳の話をしているのではない

おれは無用のおれの詩の話をしようと思う。たしかにおれは
無用なものを書く 書いた 書いている
無用であることは幸いである
おれの詩の必要とされる世界にきみたちは棲みたいか?
おれが詩人として威張りくさる
そういう世の中に
なればいいのに
そうは思わない、おれはけっして
嘘ではない
おれのついた嘘は別の種類のものだ

雨男はおれだけではなく、雨女だって大勢いる
おれだけが無用の雨傘を持っている
かのようにふるまうのは卑しい人間だった
と思う、雨に降られている雨男におれはおれの雨傘をそっと差し出す
おれはそういう人間だ
なぜなら、相手がそれを断ることを知っているからだ
見知らぬ中年男が差し出す傘を受け取る人間はいない

ぼくは今のきみが立っているその場所で雨宿りがしたい
この傘を受け取ったら、さっさとどこかへ行ってくれ

傘を受け取らせる手練手管を含めてもしも、ありがとう、と
受け取れる男がいたとしたら、そいつは晴れ男だ
雨男はおれの傘を受け取らず、晴れ男にはおれから傘を受け取る機会が訪れない
だからいつか、おれはおれの雨傘をどこかに置き忘れることにする
死後、天気雨の降り続いた明るい路地裏を風が乾かせば、
雨男たちの置き忘れになった傘が切れた雲のすき間に吸い上げられてさっぱりと消えてしまうといい
難しくはないはずだ、そう祈るばかりだ


『源氏物語』私語 〜帚木〜 〜空蝉〜

  アンダンテ

・・・〜 帚木 〜
  
 ・はゝき木の心をしらてその原のみちにあやなくまとひぬるかなきこえんかたこそなけれとの給へり女もさすかにまとろまさりけれは
 ・かすならぬふせ屋におふる名のうさにあるにもあらすきゆるはゝ木〻ときこえたり


 帚木の巻名は源氏と空蝉の歌のやり取りから来ている。
 ・帚木のこゝろを知らで薗原のみちにあやなく惑ひぬるかな
 この源氏が空蝉に送った歌は古今六帖五雜思の歌
 ・そのはらやふせやにおふるははききのありとてゆけとあはぬきみかな
を本歌としている。

 「帚木」はいたずらに長く退屈でくだらない。光源氏はさほど複雑な人物ではないので、余計な伴奏はいらない。「空蝉」への導入部として、かろうじて終部に存在感を示しているにとどまる。


 ・……ことかなかになのめなるましき人のうしろみのかたはものゝあはれしりすくしはかなきついてのなさけありをかしきにすゝめるかたなくてもよかるへしとみえたるに……


 「もののあはれ」が初見される場面。夫をなおざりにして、ことさらもののあはれを吹聴し和歌に身を入れ込むのもどうかと思う。そう、左馬頭に言わせている。藝術至上主義云々ではない、よくもながなが女の品定めに與をついやすのか。読者を憤慨させるほど上手い言葉運び、感服するしかない。


 ・……こゑもはやりかにていふやう月ころふひやうおもきにたえかねてこくねちのさうやくをふくしていとくさきによりなんえたいめむたまはらぬまのあたりならすともさるへからんさうしらはうけ給はらむといとあはれにむへむへしくいひ侍いらへになにとかはたゝうけ給はりぬとてたちいて侍にさうさうしくやおほえけんこのかうせなん時にたちより給へとたかやかにいふをきゝすくさむもいとおししはしやすらふへきにはた侍らねはけにそのにほひさへはなやかにたちそへるもすへなくてにけめをつかひてさかにのふるまひしるきゆふくれにひるますくせといふかあやなさいかなる事つけそやといひもはてすはしりいて侍ぬるにおひてあふことの夜をしへたてぬ中ならはひるまもなにかまはゆからましさすかにくちとくなとは侍きとしつしつと申せは君達あさましとおもひてそら事とてわらひ給ふいつこのさる女かあるへきおひらかにおにとこそむかひぬたらめむくつけき事とつまはしきをしていはむかたなしと式部をあはめにくみてすこしよろしからむ事を申せとせめ給へとこれよりめつらしき事はさふらひなんやとてをり……

 蒜を使っての神経戦。にほいを口実に門前払い。臭い歌のやり取り。だまって聴いてればなん
だこれは、つくりばなしにも程がある。そう籐式部丞を責め立てる。「をり」式部は負け惜しみを
言いながら坐っていやがる。
 退屈だとは言いながら、ついついのめり込んで読まされてしまう。いまさらながら、紫式部は
凄い。

 紫式部は、九九六年父藤原為時が越前の国司になった時、京を離れている。民衆の逞しさに触れたものの、『紫式部集』に次の歌を残す。
 ・磯がくれおなじ心に鶴ぞ鳴く汝が思ひ出づる人や誰ぞも
 擬人法を用いて、京の都を恋しがっているのだ。宮中の女は、京の鳥籠のなかで外の空気を吸うこともかなわず一生過ごすことになる。紫式部は外の風にあたって自分の居場所を思い知った。


 ……けはひしつる所にいり給へれはたゝひとりいとさゝやかにてふしたりなまわつらはしけれ 
 とうへなるきぬをしやるまてもとめつる人とおもへり中将めしつけれはなんひとしれぬおもひのしるしある心地してとの給をともかくも思わかれすものにおそはる心ちしてやとおひゆれとかほにきぬのさはりてをとにもたてす……


 夜ばいするも、「や」と怯えさせ残念な結果に終わる。色男もかたなしだ。『源氏物語』は人に
読ませるために書かれた物語。かって芳賀矢一が≪乱雑な書物が日本の大古典であることは情けない≫と嘆いたが、古典的名作を読み解くような気構えは捨てよう。


 ・……まことに心やましくてあなかちなる御心はへをいふかたなしとおもひてなくさまいとあはれなりこころくるしくはあれとみさらましかはくちおしからましとおほすなくさめかたくうしと思へれはなとかくうとましきものにしもおほすへきおほえなきさまなるしもこそ契あるとはおもひ給はめむけに世をおもひしらぬやうにおほほれ給なんいとつらきとうらみられいとかくうきみのほとのさたまらぬありしなからのみにてかゝる御こころはへをみましかはあるましきわかたのみにてみなをし給ふのちせをもおもひ給へなくさめましをいとかうかりなるうきねのほとを思ひ侍にたくいなくおもふ給へまとはるゝ也よしいまはみきとなかけそとておもへるさまけにいとことはりなりおろかならす契なくさめ給ふ事おほかるへしとりもなきぬ……


 初めて拒絶された光源氏。強引にリベンジを果たす。そもそもエロスなきプラトニックな関係などなく、論より関係。むかしの人は直接的だ。関係した後でも論は遅くない。空蝉はなにを今更とおもうかもしれないが、源氏への感情のうらおもてをこれっきりとしはぶきし、他言はしないでと言い残す。<とりもなきぬ>鳥が鳴くにも、こぬ人に別れを告げるもない。空蝉は光源氏との関係を絶つ。


 ……人にゝぬ心さまのなをきえすたちのほれりけるとねたくかゝるにつけてこそ心もとまれとかつはおほしなからめさましくつらけれはさはれとおほせともさもおほしはつましく……いとおしとおもへりよしあこたになすてそとの給ひて御かたはらにふせたまへり……


 光源氏は空蝉の弟に取り入り、なんとか空蝉の心を引き入れようとするのだが、百パーセント純毛である空蝉にお手上げだ。宮中での男女の恋沙汰は、むろん現代の恋のゆくえでは測れない。だが、心の乱れはそう変わらないだろう。おもわせ振りは、今も昔も恋の谷間へと揺り落とす。

*****註解
:底本には『校異源氏物語』池田亀鑑編著を用いた。



・・・〜空蝉〜
 ・うつせみのみをかへてける木のもとになを人からのなつかしきかなとかきたまへるをふところにひき入れてもたりかの人もいかにおもふらんといとほしけれとかたかたおもほしかへして御ことつけもなしかのうす衣はこうちきのいとなつかしき人かにしめるをみちかくならしてみゐたまへり……あさましと思ひうるかたもなくてされたる心にものあれなるへしつれなき人もさこそしつむれいとあさはかにもあらぬ御けしきをありしなからのわか身ならはととり返すものならねとしのひかたけれはこの御たゝうかみのかたつかたにうつせみのはにをく露の木かくれてしのひしのひにぬるゝそてかな

 再度の夜ばいも空蝉に逃げられ、間違いと気づきながらも空蝉の夫伊予介の先妻の娘軒端萩を抱いてしまう。この窮地に及んでもちゃっかりしている光源氏。
            
 ・空蝉の身をかへてける木のもとになほ人からのなつかしきかな
空蝉が残して行った小袿をいつも手元に置いて見ている。空蝉は人殻で「空蝉」の巻名の由来となる。空蝉と光源氏の恋のみちゆきはもどかしい不倫。
・空蝉の羽におく露の木がくれてしのびしのびにぬるる袖かな
               
 源氏が和歌をいたずら書きした畳紙の片っ方に想いしたためる。この和歌は伊勢御の引歌と見られている。しかし、この歌が伊勢御のものかは不透明なので何とも言い難い。しかしながら「空蝉」はこの一首に語り尽くされている。

 ここまで読んできて『源氏物語』にはあからさまな都の四季の描写がみられない。
 

 ・春はあけぼの。やうやうしろくなり行く、山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。
 ・夏はよる。月の頃はさらなり、やみもなほ、ほたるの多く飛びちがひたる。……雨など降るもをかし。

 『枕草子』はいきなり季節めぐりからはじまる。


 ・秋のけはいの立つままに、土御門殿の有り様、いはむかたなくをかし。……やうやう涼しき風のけしきにも、例の絶えせぬ水の音なむ、夜もすがら聞きまがはさる。

 『紫日記』もあきらかに清少納言を意識して「秋のけはい」を醸し出している。

 
 ……月はいりかたのそらきようすみわたれるに風いとすゝしくなりてくさむらのむしのこゑ〜もよほしかほなるもいとたちはならにくき草のもと也(「桐壷」)

 季節は即物的に置かれる。吹く風にみだれ髪がさわぎ、顔を打つようだ。
 桐壷の更衣は夏に死に藤壺は春に死ぬ。


 ……野わきたちてにはかにはたさむきゆふくれのほとつねよりもおほしいつることおほくてゆけの命婦といふをちかはす(「桐壷」)

 夏も深まり、野分めいた風が吹く中、荒れた庭をさらした更衣の里に靫負の命婦が訪れる。
 夏の夜の悪夢のようなあはれさだ。


 ・すゝむしのこゑのかきりをつくしてもなかき夜あかすふるなみた哉えものりやらす(「桐壷」)

 鈴虫が鳴きつくしても、それにもまして涙が止まらないと命婦が歌う。


 ・いとゝしく虫のねしけきあさちふに露をきそふる雲のうえ人かこともきこえつくなんといはせ給ふ(「桐壷」)

 なき濡れている草深い侘び住まいにお見舞い下さりまして、尚も涙の露を置き添えて下さいました。そんな愚痴をこぼしそうに存じます。そう更衣の母君は車に乗れずにいる靫負の命婦の許へ伝える。

 このようにして、何気なく四季へ心配りがなされていく。


 清少納言も和泉式部も紫式部と同じ空気を吸っていた事実がある。記録はあっても、千年後も名を遺すことは尋常なことではない。


*****註解
:底本には『校異源氏物語』池田亀鑑編著を用いた。

文学極道

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