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2015年11月分

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* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


詩の日めくり 二〇一五年二月一日─三十一日

  田中宏輔



二〇一五年二月一日 「樵」


 30年ほどむかし、毎週土曜の深夜に、京大関係の勉強会かな、京大の寮をカフェにしていて、関西のゲイやレズビアンの文学者や芸術家が集まって、楽しく時間を過ごしていたことがあって、そこに樵(きこり)の青年が来ていて、ぼくもまだ20代だったのだけれど、彼もまだ二十歳くらいで、その青年のことを、きのうふと思い出していた。文学極道に投稿されていた作品に、「樵(きこり)」という言葉があったからだけど、その彼も生きていたら、50才くらいになってるんだな。いいおっちゃんである。この素晴らしく、くだらない、おもしろい世界に生きていたとして。この素晴らしく、くだらない、おもしろい世界で、20代、30代を過ごし、40代、50代を過ごすわけである。最高にくだらない人生を送ってやろうと思うわけである。最高にくだらない詩と、小説と、音楽と、映画といっしょに暮らすのである。大満足である。きょうもいっぱい、くだらない音楽を聴きまくって過ごした。音楽は、ぼくのくだらない人生におけるくだらない栄養源である。ぼくのどの作品にも音楽があふれているのは、ぼくのなかに音楽があふれているからである。音楽は耳からあふれるほどに聴きまくるのにかぎるのである。ビューティフル・ライフ。


二〇一五年二月二日 「模造記憶」


 塾の帰りにブックオフで、ディックの『模造記憶』を買った。持ってるのだけれど、持っているもののほうの背が傷んでいたので買った。さいきん、お風呂場で読むものがなかったので、傷んでるほうを、お風呂場で読む用にする。ディックも、もういらないかなって感じだけど、ぼくの原点のような気もする。そいえば、ぼくがユリイカの新人に選ばれたユリイカの1991年度1月号は、ディック特集号だった。ディックといえば、『ヴァリス』の表紙がいちばん好きだけど、物語的には、やはり『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』がいちばんいい。ジーターによる続篇もよい。


二〇一五年二月三日 「収容所行き」


 きょう、同僚の吉田先生が教職員のみんなに別れを告げた。明日、収容所に収容されるらしい。1週間前に行われた能力テストで不合格だったらしい。家族ともども収容所に行くように命じられたという。収容所では、医学の発展のために、生体解剖はじめさまざまな人体実験が行われているという。生きたまま献体する場所である。1年ごとに教職員みんながテストされて、ある能力に達していないと、家族ともども、国に献体させられるシステムなのである。いまのところ、ぼくには家族がいないので、家族の心配をする必要はない。自分のこともあまり心配はしていないけれども。


二〇一五年二月四日 「フンドシ・バーに行けば、いいんですよ。」


ひさびさに日知庵に行って
そのあと大黒に行ったのだけれど
大黒で飲んでいると
インテリっぽい初老の客が入ってきて
ぼくの隣に坐ったんだけど
キュラソ星人に似た顔の人だった

このひとが話しかけてきたので
答えていたのだけれど
このひと
旅行が趣味らしくって
このあいだアポリネールのお墓を見に行って
そのあとモジリアニのお墓を見て
イタリア語で書いてあるので
あらためてモジリアニがイタリア人だと思い至った話だとか
ヴェルレーヌの詩について話をしていたのだけれど
「きみも旅行すれば、内向的な性格が変わりますよ。」
とかとか言われて
「旅行は、嫌いです。」
と返答すると
「じゃあ、フンドシ・バーに行けば、いいんですよ。」
と言われた。
「フンドシ・バー?」
「堂山のなんとか通りを東に行って、そしたら
 なんとかビルの二階になんとかというフンドシ・バーがあってね。
 そこに行けば、第一土曜日と、なんとかは、9時まで
 店員も客も、全員、フンドシでなければならないんですよ。
 フンドシはいいですよ。」
「ええっ?」
「わたしも、ここぞっていうときには
 部屋で、パソコンの前で、フンドシを締めます。」
「はっ?」
「フンドシをすれば、気が引き締まるんですよ。」
「そうなんですか?」
すると、大黒のアルバイトの子が
「ふだんと違う姿をすると、気分が変わりますよ。
 真逆がいいんですよ。」
「ええっ?」
ぼくは苦笑いしながら
フンドシの効能について耳を傾けていたのだけれど
隣に坐った初老の客が
「きみも、フンドシが似合うと思いますよ。」
「そうですか?」
「きみは、身長、173ぐらいですか?」
「いえ、179センチあります。」
「そんなにあるの? 体重は?」
「80キロです。」
「40歳を少し出たところ?」
「いいえ、54歳です。」
「見えないなあ。」
「そうですか?」
「もてますよ。」
「はっ?」
「フンドシ締めるような子って
 まあ、30代、40代が多いですが
 きみ、もてますよ。
 選び放題ですよ。」
「そんなはずはないでしょう?」
「いえいえ、もてますよ。
 それに、フンドシ締めるひとって
 エッチがねちっこいのですよ。」
「ぼく、淡白なんですけれど。」
「わたしはねちっこいですよ。」
「ええっ? (そんなん言われても光線発射!)」
「まあ、一度、フンドシ・バーに行ってみればいいと思いますよ。」
なんともへんな顔をして、ぼくは笑っていたと思うのだけれど
「マニアなんですか?」
と訊くと
「ただのフンドシ好きです。」
それをマニアと言うんじゃ、ボケッ
と思ったのだけれど
きわめて紳士的な初老のおじさまには
そんな言葉を発することもできず
お店の子に
「お勘定して。」
と言うことしかできなかった。
ふがふがぁ。
マスターのみつはるくんの髪型が変わっていた。
なんだかなあ。
短髪のほうがよかったなあ。
10年以上も前の経験だけど
ゲイ・サウナで
真夜中
うとうとしてたら
きゅうに抱きつかれて
なんだか重たいって思ったら
ぼくより身体の大きな子が上からのってきて
抱きつかれて
顔を見たら、かわいかったので
ぼくも抱き返したら
お尻のところに硬いものがあって
なんだろ、これ
って思って、相手の顔を見たら
笑ってるから
ええっ
って思って、しっかり見たら
フンドシだった。
フンドシ締めながら
チンポコを横からハミチンさせていたのだった。
「仕事、なにしてるの?」
って、たずねたら
「大工。」
って。
まあ、そんな感じやったけど
たしかにイカニモ系だったような記憶が。
で、付き合ってもいいかなって思って
長い時間
イチャイチャしていたのだけれど
もう帰ろうかなって思った時間の少し前に
「付き合ってるひと、いるの?」
って訊いたら
「うん。」
って言うから
そこで、ぼくは言葉を失って
身体を離そうとしたら
その子も、腕の力をすっと抜いたので
大きなため息をひとつして、彼のそばから
簡単に離れることができた。
フンドシの出てくる詩集を
串田孫一さんにも送ったことがあって
串田さんからいただいた礼状のおハガキに
「あなたの詩の最後に
 フンドシという言葉を見て
 なつかしく思い出しました。
 わたしも戦争中と、戦後のしばらくのあいだ
 越中褌をしていましたから。」
とあって、そんな感想をいただいたことを、
うれしく思ったことを思い出した。
そうか。
フンドシ好きは、ねちっこいセックスするのか。

ねちっこいセックスって、どんなセックスか訊くの、忘れた。
ふつうのと、どう違うのかなあ。
ぼくは、ふつうのがいいかな。


二〇一五年二月五日 「時間金魚」


 きょう、時間金魚を買ってきた。時間金魚の餌は、人間の寿命である。きのう、時間金魚のための餌に、20才の青年を買った。青年の残りの寿命を餌にして、きょう、時間金魚に餌を与えた。時間金魚は、顔が人間で、与えられた餌の人間の顔になる。顔面が人間離れしてきたら、餌のやり時なのでわかる。


二〇一五年二月六日 「イエス・キリスト」


 四条河原町で処刑されたイエス・キリストはクローンだったという噂だ。教会に残された磔木についた血液からクローンがつくられたらしい。処刑されたあと、イエス・キリストの遺体は火葬されたので復活することはなかったのだが、信者によるイエス・キリストのクローニングはふたたびなされるだろう。あるいは、また、このようなうわさもある。四条河原町で処刑されたイエス・キリストは、じつはホムンクルスだったというのだ。では、あの槍に突き刺されて流れ出た真っ赤な血はなんだったのか。ホムンクルスならば、銀白色の霊液をしたたらせたはず。しかし、そこには術師である幻覚者がいて、見物人たちに幻の真っ赤な血潮を見させたというのだ。強力な術師ならば、それも可能であったろう。いずれにせよ、あのイエス・キリストはオリジナルではなく、レプリカだったというのだ。レプリカであっても、クローンならば遺伝情報はオリジナルと変わらないはずだし、たとえホムンクルスであっても、大方の遺伝情報を復元しているはずであった。それにしても、あの四条河原町でのイエス・キリストの処刑というパフォーマンスには意味があったのだろうか。火葬しなければならなかった理由はわかるが、処刑自体のパフォーマンスに、いったいどのような意味があったのだろうか。戦争はまだつづいている。呪術の訓練をされた若者たちが、戦場にぞくぞくと送られている。街の様子もすっかり様変わりした。戦争一色である。老詩人は、ただ戦勝祈願するほかないのだけれど。


二〇一五年二月七日 「高倉 健」


 そだ。きょう、烏丸御池の大垣書店に行って、びっくりしたことがあった。ユリイカの高倉 健の特集号が平積みだったのだけれど、明らかに売れているみたいで、もうあまり残っていなかった。ユリイカが売れることも稀だと思うが、いまさらに高倉健が? という思いがした。高倉健なんて、いまさらだよね。


二〇一五年二月八日 「好き嫌いの超越」


 さいきん、好きとか、好きじゃなくなるとか、そういうの超越してきているような気がする。付き合っている人間の数が少ないせいかもしれないけれど、なんか、付き合いって、好きとか、好きじゃないとかを超越している部分があって、それが大きくなると、人生がよりおもしろく見えると思えてきたのだ。


二〇一五年二月九日 「吸血怪獣 チュパカブラ」


 まえに付き合ってた子が、いきなりのご訪問。相変わらずかわいらしい顔してて、でも、より太って、よりかわいらしくなってた。100キロくらいまでなら、かわいいかも。その子といっしょに、ギャオで、『吸血怪獣 チュパカブラ』というB級ホラーを見たのだけれど、ほんと、B級だった。怪物もB級だったけど、シナリオもB級だった。俳優たちも、シロートちゃう? って感じの演技で、ほんとにゲンナリ。血まみれゲロゲロの、そして、汚らしい映画だった。


二〇一五年二月十日 「ながく、あたたかい喩につかりながら(バファリン嬢の思い出とともに)」


あたたかい喩につかりながら
きょう一日の自分の生涯を振り返った。
喩が電灯の光に反射してきらきら輝いている
いい喩だった。
じつは、プラトンの洞窟のなかは光で満ちみちていて
まっしろな光が壁面で乱反射する
まぶしくて目を開けていられない洞窟だったのではないか。
洞窟から出ると一転して真っ暗闇で
こんどは目を開けていても、何も見えないという
両手で喩をすくって顔にぶっちゃけた。
何度もぶっちゃけて
喩のあたたかさを味わった。
miel blanc ミエル・ブラン 見える ぶらん
白い蜂蜜。
茣蓙、道標、熾火。
ギリシア哲学。
色を重ねると白になるというのは充溢を表している。
喩からあがると
喩ざめしないように
すばやく身体をふいて
まだ喩のあたたかさのあるあいだに
布団に入った。
喩のぬくもりが全身に休息をもたらした。
身体じゅうが、ぽっかぽかだった。
ラボナ、ロヒプノール、ワイパックス、ピーゼットシー、ハルシオン。
これらの精神安定剤をバリバリと噛み砕いて
水で喉の奥に流し込んだ。
ハルシオンは紫色だが、他の錠剤はすべて真っ白だ。
バファリン嬢も真っ白だった。
中学生から高校生のあいだに
何度か、ぼくは、こころが壊れて
バファリン嬢をガリガリと噛み砕いては
大量の錠剤の欠片を、水なしで
口のなかで唾液で溶かして飲み込んだ。
それから自分の左手首を先のとがった包丁で切ったのだった。
真・善・美は一体のものである。
ギリシア思想からフランス思想へと受け継がれた
美しくないと真ではないという想い。
これが命題として真であるならば
対偶の、真であるものは美である、もまた真であるということになる。
バラードの雲の彫刻が思い出される。
ここで白旗をあげる。
喩あたりしたのだろうか。
それとも、クスリが効いてきたのか
指の動きがぎこちなく、かつ、緩慢になってきた。
安易な喩に引っかかってしまったのだろうか。
その喩は、わたしを待ち構えていたのだ。
罠を張って、そこに待ち構えていたのだ。
わたしは、その場所だけは避けるべきだったのだ。
たとえ、どんなに遠回りになったとしても
どんなに長く道に迷うことになったとしても
その安易な喩だけは避けなければならなかったのだ。
だからこそ
わたしは、どこにも行き着けず
どの場所もわたしを見つけることができなかったのだ。
白は王党派で
赤は革命派。
白紙答案。
赤紙。
白いワイシャツ。
赤シャツ。
スペインのアンダルシア地方に
プエブロ・ブロンコ(白い村)と呼ばれる
白い壁の家々が建ち並ぶ町がある。
屋根の色だけはいろいろだったかな。
白い壁の家々は地中海に面したところにもあったような。
テラコッタ。
横たわるぼくの顔の上で
そこらじゅうに
喩がふらふらと浮かび漂っていた。
横たわる喩の上で
そこらじゅうに
ぼくの自我がふらふらと浮かび漂っていた。
無数の喩と
無数のぼくの自我との邂逅である。
目を巡らして見ていると
一つの喩が
ひらひらと、ひとりのぼくの目の前にすべりおりてきた。
ぼくは、布団から手を出して、
その喩を待ち受けた。
すると、その喩は
ぼくの指の先に触れるやいなや
ぼくのそばから離れていったのだ。
夢のなかでは
別の喩がぼくに襲いかかろうとして待ち構えているのがわかっていた。
裏切り者め。
ぼくは、危険を察して
喩のそばから、はばたき飛び去っていった。


二〇一五年二月十一日 「犬のうんこ」


飼ってる犬がうんこしたの。それ踏んづけて、うんこのにおいがして目が覚めた。夢にもにおいがあるんだね。


二〇一五年二月十二日 「自己愛」


 FB フレンド の画像を見てたら、筋力トレーニングや顔パックしてらっしゃる画像が多い。自分自身に関心のつよいひとが多いのだな。それはすてきなことだと思っている。ぼく自身は、自分にあまり関心がなくて、と言うと、たいてい、びっくりされてしまう。ぼくの経験は詩の材料にしかすぎないのに。ぼくの経験以上に、ぼくが知っているものがないので、仕方なく自分の経験を詩の材料にしているだけなのである。もしも、ぼくが、自分自身の体験以上に知っていることがあれば、それを詩の材料にすると思う。自己愛が強いんですねと言われることがある。びっくりする。


二〇一五年二月十三日 「旧友」


 ひさしぶりにオーデンの詩集を図書館で借りた。詩論を読んで、まっとうなひとだと再認識した。オーデンもゲイだったけれど、そのオーデンが、これまたゲイのA・E・ハウスマンについて書いているのも、おもしろかった。むかし、はじめてふたりの詩を読んだときは、ゲイだって知らなかったのだけれど。
 あした、大谷良太くんちで、むかしの dionysos の同人たちとホーム・パーティー。いまの京都詩人会も、半分以上、dionysos のメンバーだし、長い付き合いなのだなって思う。偶然、啓文社で、ぼくが同人誌の dionysos の何号かを手にして、連絡をとったのが始まりだった。「Oracle」も「妃」も、1冊も手元にないのだけれど、「dionysos」と「分裂機械」と「薔薇窗」は、すべて手元にある。


二〇一五年二月十四日 「世界はうれしいのだ」


 いま日知庵から帰った。かわいい男の子も、女の子も、世のなかにはいっぱいいて。そだ。それだけで、世界はうれしいのだ。きょうのお昼は、アポリネール、アンリ・ミショー、フランシス・ポンジュ、イヴ・ボヌフォワ、エリュアールの詩を読んでいた。アポリネールは、あなどれない。ぼくがフランス語ができたら熱中していただろうと思われる。


二〇一五年二月十五日 「彼女」


ペッタンコの彼女。ピッタンコの彼女。ペッタンコでピッタンコの彼女。ペッタンコだがピッタンコでない彼女。ペッタンコでないがピッタンコの彼女。ペッタンコでピッタンコの彼女。ペッタンコでもなくピッタンコでもない彼女。

ペラペラの彼女。パラパラの彼女。ペラペラでパラパラの彼女。ペラペラだがパラパラでない彼女。ペラペラでないがパラパラの彼女。ペラペラでパラパラの彼女。ペラペラでもなくパラパラでもない彼女。

ブラブラの彼女。バラバラの彼女。ブラブラでバラバラの彼女。ブラブラだがバラバラでない彼女。ブラブラでないがバラバラの彼女。ブラブラでバラバラの彼女。ブラブラでもなくバラバラでもない彼女。

コロコロの彼女。ボロボロの彼女。コロコロでボロボロの彼女。コロコロだがボロボロでない彼女。コロコロでないがボロボロの彼女。コロコロでボロボロの彼女。コロコロでもなくボロボロでもない彼女。

キラキラの彼女。ドロドロの彼女。キラキラでドロドロの彼女。キラキラだがドロドロでない彼女。キラキラでないがドロドロの彼女。キラキラでドロドロの彼女。キラキラでもなくドロドロでもない彼女。

スラスラの彼女。ポロポロの彼女。スラスラでポロポロの彼女。スラスラだがポロポロでない彼女。スラスラでないがポロポロの彼女。スラスラでポロポロの彼女。スラスラでもなくポロポロでもない彼女。

チンピラの彼女。キンピラの彼女。チンピラでキンピラの彼女。チンピラだがキンピラでない彼女。チンピラでないがキンピラの彼女。チンピラでキンピラの彼女。チンピラでもなくキンピラでもない彼女。

プルプルの彼女。ブルブルの彼女。プルプルでブルブルの彼女。プルプルだがブルブルでない彼女。プルプルでないがブルブルの彼女。プルプルでブルブルの彼女。プルプルでもなくブルブルでもない彼女。

チンチンの彼女。キンキンの彼女。チンチンでキンキンの彼女。チンチンだがキンキンでない彼女。チンチンでないがキンキンの彼女。チンチンでキンキンの彼女。チンチンでもなくキンキンでもない彼女。

ムラムラの彼女。ケチケチの彼女。ムラムラでケチケチの彼女。ムラムラだがケチケチでない彼女。ムラムラでないがケチケチの彼女。ムラムラでケチケチの彼女。ムラムラでもなくケチケチでもない彼女。

カチカチの彼女。ピキピキの彼女。カチカチでピキピキの彼女。カチカチだがピキピキでない彼女。カチカチでないがピキピキの彼女。カチカチでピキピキの彼女。カチカチでもなくピキピキでもない彼女。


二〇一五年二月十六日 「頭が割れる」


見ず知らずのひとのミクシィの日記を読むのが趣味のあつすけですが
いま読んだものに
「頭が割れそうなぐらいに痛い。」
て書いてあるのを見て
ふと
あれ
頭が割れてるひと
見たことないなって思って

小学校の6年生のときに
思い切り
頭から血を流して
河原町でね
理由は忘れちゃったけど
弟とケンカして
頭突きしたら
弟がひょいとよけて
ぼくの頭が
映画館のポスターとか貼って
入れてある
スチールの大きなフレームにあたって
スパッ
と切れちゃって
弟は逃げちゃって
血まみれになったぼくを
見ず知らずの大学生のお兄ちゃんに
頭をタオルで押さえてもらって
祇園の家まで
連れて行ってもらったのだけれど

これって
頭割れるのと
ちと違うか
違わないか
そうあるか
そうないか
わたしわからないことあるよ
ええと
これとはちゃうかなあ。

頭割れてるって
どこまで〜?
ってことになりますわなあ。
どこまで〜?


頭が割れそうに痛いって
ぼくの場合
痛くなかったのね。
出血が激しくて
自分でびっくりして
気を失いかけてただけだから
ぜんぜん痛くなかったの。
あんまり頭って
ケガしても痛くないんだよねえ。

頭が割れそうに痛いって
これ
おかしくない?
まあ
割れ方によるのかな。
そいえば、関西弁には
「どたま、かち割ったるぞ!」という喧嘩言葉があったな。
めっちゃむずかしいと思うけどね。


二〇一五年二月十七日 「確定申告」


 確定申告してきた。けさ、夢を見た。家族で旅行していて、朝の食事中に、急に立ち上がって、食事の席を立って部屋を出て行き、コンビニでお菓子を買おうとしていた。父親が心配して、後ろから肩に触れた。ぼくは、ごめんねとあやまって泣いていた。そこで目が覚めた。日知庵に行くと、藤村さんからチョコいただいた。えいちゃんがあずかってくれてたのだけれど、おいしいチョコだった。お返しに、詩集をプレゼントしよう。そう言ったら、えいちゃんに、「ただですますんか!」と言われたけれど、貧乏詩人だから、ただですまそうと思ってる、笑。人生うにゃうにゃでごじゃりまする。


二〇一五年二月十八日 「大谷良太『Collected Poems 2000-2009』」


 大谷良太くんにいただいた『Collected Poems 2000-2009』を読んでる。もう15年以上の付き合いがあって、初期の詩から知っていたはずなのに、知らない感じのところが随所にあって、自分の感じ取る個所が違っていることに、自分で驚いている。大谷良太くんのもっている繊細さは、ぼくには欠落していて、でも、ぼくには欠落しているものだと、ぼくに教えてくれるくらいに、表現が強固なのだと思った。もちろん、表現は強固だが、詩句としては、詩語を排したわかりやすいものである。後半は散文詩が多い。大谷くんの現実の状況とだぶらせて読まざるを得ないのだけれど、そいえば、翻訳詩を読む場合も、詩人の情報をあらかじめ知って読む場合が多いことに気がついた。読み進めていくと、完全な創作なのだろうか、まるで外国文学を読んでるみたいだ。現実の大谷くんとだぶらない状況のものがあって、びっくりした。いや、びっくりすることはないのかもしれない。ぼくだって、現実の自分の状況ではない状況を作品に織り込むことがあるのだから。くくくく、と笑う男が主人公の散文詩の連作が、とりわけ印象的だった。自分より20年くらい若い詩人を、大人の書き手だなと思ったのは、たぶんはじめてだと思う。より広く読まれてほしいと思う数少ない書き手。


二〇一五年二月十九日 「ウンベルト・サバ詩集」


 いま日知庵から帰った。ジュンク堂では、キリル・ボンフィリオリの『チャーリー・モルデカイ』1〜4までと、ウンベルト・サバ詩集を買った。サバのこの詩集は買うのは2回目だけど、さいしょに買ったのは、荒木時彦くんにプレゼントしたので、手もとになかったもの。大谷良太くんの詩集を読んでて、ふつうに平易に使ってる言葉で書かれているものの詩のよさをあらためて知ったせいだろうかなって思う。サバの詩の翻訳も、日常に使う言葉で書かれてあって、大谷くんの詩との共通点があったためだと思う。やっぱり、詩は、詩語を使っちゃダメだと思う。いま書かれている詩のほとんどのものは、ぼくには、下品に思えちゃうんだよね。詩語を使えば、それなりに詩っぽくなるけど、あくまでも、それなりに詩っぽくなるだけで、ぼくには、詩には思えないものなんだよね。たぶん、ぼくの詩の定義は、めっちゃ広いものだけど、めっちゃ狭いものでもあって、たぶん、いま書かれているものの99%くらいのものは、ぼくには詩じゃなくって、詩のまねごとにしか思えなくって、でも、詩ってものを、ちゃんとわかってるひとは、1パーセントもいなくって、仕方ないのかもしれない。いい詩が書かれて、いい詩が残ればいいだけの話だけどね。


二〇一五年二月二十日 「詩論」


 夕方に「詩論」について考えた。「詩」についての「論」とは、なにかと考えた。「詩とは何か?」と考えると、なにかと難渋してしまう。AはBであると断定することに留保条件が際限なく出現するからである。そこで、「何が詩か?」と考えることにした。論理的に言えば、「詩とは何か?」と「何が詩か?」というのは、同じ意味の問いかけではない。しかし、おそらくは断定不可能な言説について云々するほどの無能者でもないものならば、「何が詩か?」という問いかけについて思いをめぐらすことであろう。たとえば、何が詩か。ぼくの経験からすると、堀口大學の『月下の一群』に含まれているいくつかの作品は詩だ。シェイクスピアのいくつもの戯曲、ゲーテの『ファウスト』、ホイットマンの『草の葉』の多くの部分、ディキンスンのいくつかの作品、ジェイムズ・メリルのサンドーヴァーの光・三部作。これらはみな翻訳を通じて、ぼくに、詩とはこれだと教えてくれた作品たちである。書物の形で、紙に書かれた言葉を通して、詩とはこれだと教えてくれた作品たちである。エイミー・ローエルの『ライラック』を忘れていた。ハート・クレインの『橋』を忘れていた。パウンドの『ピサ詩篇』を忘れていた。エリオットの『荒地』を忘れていた。たくさんの詩人たちの作品を忘れていた。しかし、どれが詩だったのかは、思い出すことができる。詩ではないものを思い出すことは難しいが、詩だと思ったものが、だれのどの作品かは思い出すことができる。詩人の書くものがすべて詩とは限らない。イエイツの初期の作品は、ぼくにとっては、詩とは呼べないシロモノである。イエイツはお気に入りの詩人であるが、後期の作品のなかにだけすぐれた作品があり、しかもその数は10もない。すなわち、ぼくにとって、イエイツの作品で、詩であるものは、10作しかないということである。このことは別に不思議なことではないと思う。お気に入りの作家の作品で好きな作品がいくつかしかないのと同様に、お気に入りの詩人の作品に、詩だと思えるものが数えるほどしかないということである。例外は、ジェイムズ・メリルのように全篇を通じて霊感の行きわたったものだけだ。さて、「何が詩か?」という問いかけに対して、およそ3分の1くらいは答えたような気がする。書物の形で目にしたものについての話はここで終わる。「何が詩か?」書物以外のものを詩だと思ったことがある。小学生のときに見た『バーバレラ』という映画は、詩だった。山上たつひこの『ガキデカ』も、シリーズ全作品、ぼくには詩だった。この2つの作品のほかにも、詩だと感じた映画やマンガがある。そして、仕事帰りに目にした青年があまりに美しすぎて、すれ違ったあと涙が流れてとまらなかったときも、この瞬間は詩だと思ったのだ。と、ここで、ぼくは気がついたのであった。「何が詩か?」と考えたときに、ぼくの頭が思い浮かべた詩というものは、言葉によって作品化されたものだけではなかったのである。そして、その判断をしたものは、ぼくのこころだったことに。ここで、残り3分の2のうちの2分の1が終わった。残り3分の1に突入する。すなわち、「何が詩か?」と考えるのは、こころであったのだ。つまり「何が詩か?」という問いかけには、ただ「こころが何が詩であるかを決定するのだ」という答えしかないのである。ということは、と、ここで飛躍する。「何が詩か?」という問題は、「何がこころか?」という問題に帰着するということである。「何がこころか?」は、「何が意識か?」に通じるものであろうが、「こころ」と「意識」とでは、違いがあるような気がするが、というのも、意識を失っている状態でも、こころがあるような気がするからである。しかし、「何が詩か?」という問題は、「何が意識か?」に通じるものであるということは理解されるだろう。以上の考察からわかったことは、詩の問題とは、こころの問題であり、意識の問題である、ということである。詩論は、心理学や生理学上の問題として扱われるべきである。これまでに、ぼくが目にした詩論の多くのものが、歴史的な経緯を述べたものや、特定の詩人や、詩人の作品を扱ったもので、とくに、心理学や生理学の分野から扱ったものではなかった。これからは、詩論とは、心理学や生理学の分野の研究者が考察すべきものであるような気がする。


二〇一五年二月二十一日 「言語の性質を調べる実験」


 2014年の7月に文学極道に投稿した実験詩『受粉。』では、言語の性質について調べました。ぼくの実験詩では(もちろん、全行引用詩も、●詩も、サンドイッチ詩も、実験詩だったのです。)言語の性質を調べています。だれも言ってくれませんが、そういう詩の日本でさいしょの制作者だと思っています。実験詩には、「順列 並べ替え詩。3×2×1」や「百行詩。」も入ると思いますが、これらが、将来、日本の詩のアンソロジーに入ることはないでしょうね。いまの日本の詩壇の状況では、ぼくの先鋭的な作品は、いまと同じように無視されたまま終わるような気がします。遅れています。これは、まだ、だれも書いてくれたことがないことなのだが、ぼくの「全行引用詩」や「順列 並べ替え詩。3×2×1」などは、作品の生成過程そのものを作品として提出していると思うのだけれど、そういう詩というのは、これまでになかったもののような気がするのだけれど、単なる思い過ごしだろうか。もちろん、たしかに、構造がまったく異なりますから、生成過程も異なりますね。「順列 並べ替え詩。3×2×1」は、組み換えの列挙を通じて、一行ごとの異なる相から作品のブロックが生成する新たな相を形成して見せたのに対して、「全行引用詩」のほうは凝集の偶然というものを通して、作品の構造を露わにして、その生成過程を作品そのものにしていました。どちらの偶然性も無意識領域の自我が大いに関与していると思います。ちなみに、言葉の並べ替えのヒントは、ラブレーのつぎのような言葉でした。ちょっと違っているかもしれませんが。「驢馬がいちじくを食べるのなら、いちじくが驢馬を食べちゃってもいいじゃないか。」これって、もしかすると、ロートレアモンだったかもしれません。そこに、数学者のヤコービの言葉が重なったのでしょう。あるとき、ヤコービがインタビューで、なぜあなたが数学で成功したのかと訊かれて、こう答えたというのです。「逆にすること。」


二〇一五年二月二十二日 「歌留多取り」


ぼくの詩論詩・集ですが、阿部裕一さんから
まるでトマス・ハリスのハンニバル・レクターが
書いたものみたいだと言われました。
ほめ言葉として受け取りました。笑

亡き父と二人つきりの歌留多取り われが取らねば父も取らず

いまつくった短歌です。
加藤治郎さんの「加藤治郎☆パラダイス短歌」に投稿しました。
以前にも一首、投稿したことがありますが
およそ半年ぶりの短歌づくりです。
ちなみに半年前に投稿した短歌は

月もひとり ぼくもひとり みんなひとり スーパーマンも スパイダーマンも 

でした。これは、10年ぶりの短歌でした。


二〇一五年二月二十三日 「人間市場」


SFマニアの方に、お尋ねしたいことがあります。
むかし読んだSFで、人間市場があって
その市場で売られている美男美女たちは
ただ殺されるためだけに売られているという
そんな設定のSFを読んだことがありました。
残念なことに中学生のときくらいのことで
タイトルを忘れてしまいましたが……
最初のシーンは
ある男が自分の生まれた島にもどるところで
船の中で、眠っている間に
心臓を魔術でぎゅっと握られるという
苦悶のシーンからはじまるものだったと思うのですが
父親の持っていたSFだったと思うのですが
死んだ父親の蔵書に、それがなくて
何度かSFマニアの方に尋ねたことがあるのですが
もし、ご存じの方がいらっしゃったら
ぜひぜひお教えくださいませ。
シリーズものの外伝といいますか
そういった作品であったと思います。


二〇一五年二月二十四日 「浮橋」


きょうは、京都駅のホテル・グランビアにある、
『浮橋』という日本料理屋で、ある方と食事をしていて、
従業員の失礼な態度にあきれました。
まあ、予約をせずに行ったこちらもよろしくないのかもしれないけれど
テーブル席についてコースを頼んだところ
一時間半しかいられませんが、というので、それで結構ですよと言ったのだが
それほど時間もしないうちに
従業員が執拗に何度もやってきて
料理の途中で
まだ皿に料理が残っているのに
下げてよろしいですかと嫌がらせのようなことをして
さんざんだった。
ただ料理はおいしかったことは認めるが
従業員をあんなふうに指導している店の接客態度には
いっしょにお食事をしていた方とも
「なんなんでしょうね、これは。」と話をした。
ぼくと違って
その方は、そういうところでよく食事をされると思うので
きのう
『浮橋』という店は
ぜったいに損をしたと思う。
まあ、いくら上等の料理を出しても
あんな接客態度では、よい噂は流れないと思う。
そういえば
グランビアには
吉兆もあった。


二〇一五年二月二十五日 「ジュンちゃん」


 いま日知庵から帰った。帰りに、阪急西院駅で、ジュンちゃんに出合う。何年振りだろう。「46才になりました。オッサンです。」と言うのだけれど、ぼくには、やっぱり、19才のときのジュンちゃんが目に残っていて、面影を重ねて見ていた。ずっと京都に住んでいると、付き合った子と出合うこともたまにあって、いろいろ話がしたいなあと思うのだけれど、思ったのだけれど、バスが来てしまって、「また会ったら話をしよう。」と、ぼくが言うと、笑ってうなずいてバスに乗っていった。声は19才のときから太くて(からだもガチデブだっけど)、いまだに魅力的だった。いまだにガチデブで、おいしそうだった、笑。ぼくが文学なんてものやってるからかな、めんどくさくなったのかな。ぼくも27才だったし、詩を書きはじめて間もなくだった。下鴨のマンションにいたとき、土曜日になると、かならず、ピンポンって鳴ってたのに、いつの間に鳴らなくなったんだろう。ああ、27年前の話だ。うん? 28才か。そだ。1年ずれてる。ぼくが詩を書きはじめたのは、28才のときか。ジュンちゃんは19才だった。身長がぼくよりちょこっと高くって、180センチはあったのかな。ぼくも178センチあるから、しかもデブとデブだったので、レストランに行っても、どこ行っても、目立ってたと思う。こんど出会ったら、「ちょっと一杯のまへんか?」と言って誘ってみよう。きょうは、ぼくがベロベロだったから、誘えなかった。残念。


二〇一五年二月二十六日 「配管工の夢」


どこにもつながらない
って書けば詩的だろうけどさ
つながってるかどうかなんて
そんなことはどうでもいいのさ
ただパイプをくねくねくねくね
いっぱい部屋のなかにつくって
くねくねくねくねパイプだらけの部屋をつくるのが
おれっち
配管工の夢なのさ

廊下も階段も地下室も屋上もくねくねくねくね
いっぱいパイプをくねらせて
パイプだけで充満させたビルをつくるのが
おれっち
配管工の夢なのさ

おいらのオツムもおんなじさ
からっぽが
ぎっしりつまってるのさ


二〇一五年二月二十七日 「とかとかとか」


お昼に西院の駅の前で、
額に血を縦一文字にべったりとつけたお兄さんがいて、
野菜を売っていた。
まだ30代やと思う。
小太りの背の低い浅黒い顔のお兄さん。
ちょっと、その血をどうかしてよ
と思うぐらいに
はっきりと
べっとりと
額に血がついてて
ちょっと怖くて
ちょっと心配しちゃった。
それに
だれがそんなひとから野菜を買うのかしら
とかとか思ったのだけれど
日曜日には
血はついてなくって
ほっとした。
あんなにどうどうと血を額につけたままいられると
自転車で前を通っただけのぼくだけれど
心配しちゃうんだね。
真夏のように暑かった
日差しの強い土曜日とか日曜日。
駅の喧騒。
人・人・人。
「とか」という言葉がすっごい好き。
駅とか
人とか
とかとかとか。


二〇一五年二月二十八日 「いっぱい」


あいている手紙いっぱい。
あいている手がいっぱい

ああ いてる 手紙 いっぱい
ああ いてる 手が いっぱい

ああしてる 手紙 いっぱい
ああしてる 手が いっぱい

愛してる 手紙 いっぱい
愛してる 手が いっぱい

あいている 手紙 いっぱい
あいている 手が いっぱい


二〇一五年二月二十九日 「かわいそう」


マイミクのいもくんが
以前くれた
ぼくの日記を読んでの感想
「なんで?」
「コメントほとんどないやん。」
まあね。
べつになくってもいいんだけどね、笑
ひとりごとのつもりだから
そういえば
ぼくは
自分の詩集に対する手紙や葉書もぜんぶ捨ててるし
卒業アルバムもぜんぶ捨ててる
いま
部屋にある本も
SFだけど
表紙に愛着のあるものを除いてだけど
勤め先の図書館に寄贈している
ほんとに必要な本って
そんなにないのかもしれない
いや
いま思ったのだけど
1冊もないかも
「えっ? 30才?」
「うん。」
「童顔なんやね。」
ときどきぼくの顔を見る
ぼくはずっと彼の顔を見てる
「まだ20才くらいにしか見えへん。」
苦笑いしてた
エイジくんに似ていた
「なにしてたの?」
「指、入れてた。」
「何本?」
「1本。」
「ふうん。」
少しして
ぼくはいなくて
こんどは本物
「あってもなくてもいいんだけど。」
パラメーターは
複雑なきりん
かな
テイク・アウト
i don't wannna go there
ごめんなさい
そして
記憶はサテンのモーニング
ふたりで
かな
とか
ふたりしかいないから
かな
とかとか
「理想的な感じだから
 なんだか恥ずかしくって。」
恋人がぼくを捨てた理由もわかんないし
ぼくが恋人を捨てた理由もわかんない
それほど深刻でもなかったと思う
笑けるね
笑っちゃえ
アハッ
って
かな
あさって
かな
こんどは本物
かな
って
でもね
「なにもかもが
 期待はずれ。」
って
ふほほ
だからね
教えてあげる
時間と場所と出来事がすべてだって
西院の王将でご飯を食べてたら
隣の隣に
高校時代のクラスメートが坐っていることに気がついた
高校時代にはカッコよかったのにね
時間って残酷
あこがれてたのになあ
どの指って
きくの忘れてた
ばかだなあ
細部の事実がうつくしいのに
細部が事実だとうつくしいのに
ちょっと待って
って
時間には言えないし
立ち戻ることもできない
できやしない
「格闘技やってそう。」
「やってたで。」
「なに?」
「柔道。」
エイジくんも柔道してた
ぼくは
自分が柔道してたことは言わなかった
どうして言わなかったのだろう
むかしのことだもの
こたえは
わかりきってる
おもっきりむちゃな
恋のフーリガン
いや
恋はフーリガン
きみのかけら
指のかけら
あちこちに撒き散らして
それだって
厭きのこない顔だから
what?
すぐにこわれるから
こわれもの
いつまでもこわれない
こわれものって、なに?
こんどは本物
かな
いきなり?
そうさ
そうじゃないことなんて
一度だってなかったじゃない
いつだって
そうさ


二〇一五年二月三十日 「さいしょから部屋に行けばよかった。」


彼は27才だった
彼の彼女は39才だった
ぼくは49才だった
ひどいねえ
ぼくがノブユキと付き合ってたのは
ぼくが28で
ノブチンが21
はじめ20だって言ってたんだけど
1つ少なめに言ってたんだって
3年浪人して
日本の大学には進学できなかったからって
シアトルの大学に入って
「バイバイ!」
って言うと
へんな顔した
「バイバイって言われて
 こわかった。」
どうして?

ノブチンじゃなくって
彼なんだけど
「彼女と会う気がなくなってきた。」
って言うから
「会わなきゃいけないよ。」
って、ぼくが言って
へんな感じだった
「さいしょから部屋に行けばよかった。」
「またいつでもこれるやん。」
「彼女と会う気がなくなってきた。」
「疑われるからって
 携帯にぼくの電話番号、書き込まなかったくせに。」
苦笑い
そういえば
なんで、みんな苦笑いするんやろう?
彼は27才
彼の彼女は39才
数字が大事
「もう好きって感じやない。
 いや
 好きなんやけど
 恋人って感じやない。
 うううん
 思い出かな。」
同じこと言われたぞ
エイジくんに
「エイちゃんて呼ぼうかな?」
って言うと
「おれのこと
 エイちゃんて呼んでええのは
 高校時代に付き合うとった彼女だけや。」
クソ生意気なやつ、笑。
それにしても彼女のいる子って多いなあ
バカみたい
だれが?
もちろん
ぼくが
いつだって
踏んだり
蹴ったり
さんざんな目にあって
それでも
最終的には
詩にして
自分を笑ってる
最低なやつなんだから
ぼくは
思い出は
いつだって
たくさん
もっとたくさん
もうたくさん
チュッチュルー
ルー


二〇一五年二月三十一日 「光と熱」


そうだ
言葉と出合って
そんな感情が自分のなかにあることに
そんな気持ちの感情が自分のこころのなかに存在することに気がつくことがある

映画を見て
そう思うこともある

通勤電車に乗っていて
向かいに坐った男のひとの様子を見ていて
このひとはわたしに似ていると思った
女性ではどうだろうかと思って
目をつむって眠っている女性を見つめた
このひとも
ぼくに似ていると思った
ここで
彼はわたしだ
あの女はわたしだ
って書けば
ジュネが書いてたことの盗作になるのだけれど

ジュネはそこでまた
書くと言う行為について疑問を持ったんじゃなかったっけ
持ったと思うんだけど
ぼくは別に
そんなことは思わなかったし
彼はわたしだ
とか
彼女はわたしだ
なんてことも思わなかったのだけれど
いや
ちらっと思ったかな
ジュネの文章を
むかし読んでたしぃ
でも
おそらく
そのときは
ただ単純に
みんながぼくに似ていることに気がついて
笑ってしまったのだった
声に出して笑ったのじゃなくて
またすぐにその笑顔は引っ込めたのだけれど
だって
ひとりで笑ってるオッサンって不気味じゃん
みんながぼくに似ている
ときどき
ぼくがだれに似ているのか
そんなことは考えたこともないのだけれど
まあ
ぼくもだれかに似ているのだろう
おそらくぼく以外のみんなが
どことなくぼくに似ているのだろうし
ぼくもぼく以外のみんなに似ているのだろう

ときどき ぼくは ぼくになる

と書けば嘘になるかな
リズムもいいし
かっこいいフレーズだけど


人間だけじゃなくて
たとえば
スプーンだとか
はさみだとか
胡椒の粉だとか
練り歯磨き粉だとか
そんなものも
ぼくに似ているような気がするんだけど
ぼくも
いろんなものに似ているんだろうな
橋や
あほうどりや
机や
カバンや
木工用ボンドとか
いろんなものに
もともとぼくらはみんな星の欠片だったんだし
チッ
光と熱だ
でも
そのまえは?


ダメヤン

  葛原徹哉


 戦後生まれ、
 戦後生まれと言われて久しい僕たちは、
 あと五十年もすればもしかしたら、
 戦前生まれとして後世の人に記憶されるのかもしれない。

 ある日、
 家に帰ると郵便受けに、
 赤紙が入っている。

 その瞬間に僕の額には、
 小さく深く、
 『歩兵』と刻印され、
 一歩一歩、
 前進あるのみだ。
 後退はない。

 天皇陛下万歳、
 でもない、
 大日本帝国万歳、
 でもない、

 百歩譲って(歩兵だけに)
 死ぬのはいい、
 けれど二十一世紀の僕たちは、
 いったい何に万歳をして、
 死んでいけばいいのだろう。

 万歳のポーズというのは、
 まさか、
 『もはやお手上げ』の意じゃあるまいか‥‥‥。



 そんな詩をいつものようにポエムサイトに投稿して数日後、ぼくは突然、自宅の部屋の中に押し入ってきた数人の男たちに無理矢理部屋から連れ出され、大きな黒いワゴン車の後部座席に押し込まれた。何が起きたのかわけがわからず、混乱する頭の中で思い浮かんだのは、数日前に書いた自分の詩だった。そうか、ついに日本も戦時下に入ったのだ、言論の自由はもはやないのだ、戦争に批判的なことをネットに書き込んだぼくはどこか秘密の場所へ連行され、とても言葉では言えないほど残忍な拷問を受けたり、恥辱の責め苦を浴びて改心と国家への忠誠を誓わされるのだと、恐ろしい想像がふくらみ内心ブルブルと震えていると、走り出した車内で、男たちは手荒なやり方を詫びた後に自己紹介を始めた。彼らは、中学の頃からひきこもりで重度のネットポエム依存症であるぼくを更正させるために、ぼくの両親から依頼を受けた、NPOの職員なのだと言う。そのまま2時間ほどだろうか、車は市街地を抜けて山道をクネクネと走り続け、山奥に突如現れた小さな建物の前で止まった。

 施設の中は病院のように清潔で、天井も壁も真っ白だった。ぼくは持っていたスマホを没収され、白いジャージへと着替えさせられた。これから、ネットポエムのない生活が始まるのだ。PCどころか携帯もスマホもない。外部との連絡は堅く禁じられていた。脱走しようにも、深い森の奥である。方向オンチで土地勘のないぼくにはここが何県なのかすらわからなかった。職員の車を奪ったところで、ぼくは車の免許も持っていない。冬の気配近付く見知らぬ山の中を、徒歩で逃げる勇気はなかった。両親を恨んではみたものの、今さらどうなるというものでもない。拷問を受けるよりはマシだと自分を納得させるより他はなかった。

 施設の生活は規則正しい。朝6時に起床し、寝具を片付け、清掃をする。床をみがき、庭の落ち葉を掃き、ひととおりの清掃を終え、朝食に移る。ごはん、豆腐とワカメの味噌汁、里芋とカボチャの煮物、茹で卵、焼き海苔。朝食が済むと、毎朝恒例のグループカウンセリングが始める。ひとりひとり今まで自分が書いてきた詩を発表し、それを皆で否定し合うのだ。ここの言い回しが気取りすぎていて気持ちが悪い、隠喩が難解でただの自己満足である、等々。他人にハッキリと否定してもらうことで、自分の詩を客観的に見る視線を養い、自惚れのくだらなさを自覚させるのだと言う。ぼくの詩は毎朝さんざんに罵倒されている。

 二週間ほどたち、ぼくも少し周囲の入所者と親しくなってきた。施設のルールでは入所者同士、ネットで使用していたHNで呼び合うことは禁じられていたが、職員のいない自由時間など、ぼくたちは隠れてHNで呼び合った。むしろHNこそが、ぼくたちの本当の名前のようにすら思えるのだった。

 談話室の、いつも窓際の日当たりのいい席に座っている、白いヒゲがご自慢のおじいちゃんのHNは、ヒカル現詩さん。もう六十過ぎだというのに、フランク・ミュラーの腕時計を愛用し、天気のいい日の自由時間には庭で颯爽とローラースケートを乗りこなす粋なおじいちゃんだ。昔はかなりの男前だったらしく、ジャニーズの面接も受けたことがあると自慢している。HNは、光GENJIというグループ名をもじったものだそうだ。続いて、紅一点のマドンナ、エデンの園子さん。三十才くらいだろうか、物静かで、長い黒髪の華奢な女性。いつも白いジャージの袖を指が隠れるほど伸ばしているので気付かなかったが、ほんとか嘘か彼女の左腕には、リストカットの傷がいくつもあるらしい。
「こいつな、若い頃男に捨てられよってん。四股かけられてな。」
 現詩さんが欠けた前歯を見せてゲラゲラ笑いながらぼくに言う。
「しかもそれが発覚したのが結婚式の当日や。見たこともない女が3人も式場に乗り込んできてな、フィーリングカップル1対4や、そらもう修羅場やで、わかるやろ? 家族親類、会社の上司同僚の前で赤っ恥かかされて、そっからちょっとおかしなってもうてな、その恨み辛みをポエムで晴らそうとしたっちゅうわけや。いわば復讐やな。辛気臭い詩書きよんねん。笑うやろ?」
「違います。勝手に話をつくらないでください。怒りますよ。」
「わはは。すまんすまん。新入りのにいちゃんも退屈やろ思てな、リップサービスや。」
「どんなリップサービスなんですか。よくもまあそんなありもしないデタラメをペラペラと、ほんと現詩さんは骨の髄までポエマーですよね。空想好きと言うか、ただの虚言癖じゃないですか。」
 横から口を挟んだのは、坊主頭でよく日に焼けた少しコワモテの中年、ヌンチャクさん。左耳にピアスを2つしている。
「何が虚言癖や。嘘から出たまこと言うやろ。ひょうたんから駒、棚からぼた餅や。ポエムっちゅうのはな、何書いてもほんまになんねん。そこにポエジーがあればの話やけどな。」
「ポエジーどころかポエじじいのくせに何格好つけてるんですか。前歯半分ありませんよ。」
 現詩さんとヌンチャクさんのやり取りは、いつもこんな調子だ。はじめはケンカしているのかと思ったが、犬猿の仲のようで案外、これはこれで気が合うということなのだろうか。
「これはおまえ、名誉の負傷っちゅうやつやないか。先の大戦中、竹槍で戦闘機撃ち落とす訓練中にやな、顔から派手にこけたんや。」
「現詩さん、思いっきり戦後生まれじゃないですか。誰が信じるんですかその話。どうせローラースケートでこけたんでしょう? 昔ジャニーズに入ってたっていうのも嘘だったじゃないですか。」
「災いなるかな、信仰心の薄い者よ。嘘って言うなポエジーと言え。信じるも信じないもあるかい。地球の歴史は人類の共有財産や。親から子へ、子から孫へ、人類みんなで受け継いでいくもんや。石垣りんが『空をかついで』で言うとったやろ。なあ、にいちゃん。」
 急に話を振られて、ぼくは口ごもった。
「‥‥‥そんな詩じゃなかったと思うんですけど‥‥‥。」
「ほんまに読んだことあるんかいな。にいちゃん、HNなんやったっけ?」
「‥‥‥sclapです‥‥‥。」
「せやせや、スクラップや、クズ鉄やな。乗り鉄、撮り鉄は知ってんねんけど、クズ鉄は聞いたことないわ。廃線マニアか。廃棄車両が好きなんか?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど‥‥‥」
「新人いびりはその辺にしたらどうですか?」
 左手の裾を伸ばしながら園子さんが、助け船を出してくれた。
「いびってへんわい失礼な。わしは詩の話をしとんねん。」
「もう詩の話はいいじゃないですか。」
 今まで黙って聞いていた吉永さんが口を開く。
「僕達は詩を辞めるために集まったのですから、施設を出た後の生活のこととか、もっと前向きな話しましょうよ。」
 若い十代や二十代の入所者は、たいていはぼくのように、自身の意思に反して家族に無理矢理入所させられてしまった人がほとんどだが、吉永さんはネットポエム依存から脱却するため、自らの意思でここへ来たという変わり種だ。国立大を出ているのに、ネットポエム依存が原因で就職を棒に振ってしまったことを今でも悔やんでいる。
「たまに口開いたと思たらまたそれか、極寒メガネ。」
「極寒メガネじゃありません、僕の名前は吉永隆太郎です。」
 吉永さんは一人だけ、HNで呼ばれることを頑なに拒否している。極寒メガネというのは、現詩さんが付けたあだ名だ。
「吉永隆太郎て名前だけはいかにも詩人ぽいけどな、きょうびネットポエムで実名なんか流行らんぞ。おもろいHN考えたほうがマシやで。」
「いいんです、僕は詩を辞めて早くまっとうな生活をしたいのですから。」
「まっとうな生活? なんや、結婚でもすんのか? やめとけやめとけ女なんか。騙されて捨てられるのがオチや。ポエムのほうがええぞ。」
「ポエムで飯が食えますか? 結婚よりもまず就職ですよ。」
「就職ぅ? ポエムキチガイに就職先なんてあるわけないやろ。いっそ自分で商売やったらええねや。バーなんてどうや? ポエムバー『北極』のマスター、極寒メガネこと吉永隆太郎です。どうぞ、今宵のオススメ、ドライジンにライム果汁と谷川俊太郎をミックスしたカクテル、『ネリリとキルル』です。いかがですか? 口中に広がる宇宙感覚が舌の上でハララするでしょう? ってそれただのジンライムやないかい! 言うてな、どやこれ? おもろいやろ?」
「店開けるのにどれだけ資金がいると思ってるんですか? あなたが無利子無担保で全額貸してくれると言うなら考えますけどね。」
「アホか。わしみたいな独居老人のわずかな貯えを狙うとはおまえ鬼か? わしこれから先どないして生活していったらええねん。」
「知りませんよ、自分が言い出したんじゃないですか。とにかく、僕はもうネットポエムを辞めたいんです。」
「辞めんのなんか簡単やないかい。一、詩を書かないこと、二、ネットを見ないこと、それだけや。」
「へっ、それが出来たらおれらみんな、今頃もっと幸せな人生送ってますよ。」
 そうだ、みんなわかっているんだ。それが出来ずに、こんな山奥に幽閉されている。ヌンチャクさんの皮肉に一同、苦笑するしかなかった。

 職員がやってきて言った。
「そろそろ消灯の時間です。皆さん各自の部屋へお戻りください。」



 ここ、ネットポエム依存症患者のためのリハビリ更正施設、『実りある生活』は、毎晩10時に消灯となる。

 入所者には一人ずつ部屋が与えられている。6畳ほどの部屋にベッドと、鏡台のついた小さな机、椅子、タンスがおいてあり、奥のほうにユニットバスと小さなベランダがある。洗濯物は共用の洗濯機を使い、各自でベランダに干すのだ。15インチのテレビはあるが、もちろんPCやタブレットはない。電話もない。ネットポエム依存から脱却するためには、やはりネットに接続しないということが重要なのだろう。部屋のドアには鍵も付いていて、プライベートは保障されている。部屋から出る時は必ず鍵をかけるように指導されている。過去には、入所者による窃盗の被害などもあったらしい。そして、この施設のいちばんの懸案事項は、入所者同士の恋愛のもつれによる対人トラブルなのだそうだ。詩を書く人間などというものは、もともと自分の感情に酔いしれるところがあるし、その分、大げさに他人に共感したり、恋愛感情も芽生えやすいのかもしれない。施設では恋愛はご法度とされていて、トラブルを未然に防ぐため、職員たちも人間関係には特に目を光らせている。こうして消灯時間が過ぎた後も、入所者同士の密会がないかどうか、当直の職員が1時間おきに廊下を見回っているのだ。自分の生活が他人の監視管理下にあるのかと思うと、鉄格子こそなけれど、ここは半分、刑務所のようなものなのか、と後ろ暗い気持ちになってくる。ネトポ廃人。ネットポエム依存なんて、世間の人たちから見ると、もはや人ではないのだろう。

 『実りある生活』では当然のごとく、詩を書くことは禁じられている。代わりに日記帳を与えられ、
毎日、日記を書くことが義務付けられているのだ。その日記を翌日職員が読み、事実のみを簡潔に述べるようにだとか、無意味な改行はやめましょうとか、文章に過度な装飾はしないように等と、丁寧に添削するのである。今までぼくは、ポエムサイトに作品を投稿しては、「こんなものは詩ではない」と馬鹿にされてきたものだけれど、ここでは反対に、「これでは詩ですね。日記を書いてください。」と言われるのだから不思議なものだ。詩と日記の境界線なんて、結局は読者それぞれの主観の中にしかないんじゃないか、そんな気もしてくる。

 ベランダに出て、夜風にあたる。深い森を渡ってくる風はひんやりと、心の中にまで染み込んでくるようだ。おっといけない、ここでは詩的な言い回しをしようとしてはいけないのだ。葉が揺すれる音、虫の声、なんだか鳥の鳴き声も聞こえるけれど、なんていう名前の鳥なのか、ぼくは知らない。植物の名前、昆虫の名前、鳥の名前、星の名前、世の中にはたくさんの名前があるけれど、ぼくはそのほとんどを知らない。世界を知らない、知識もないということは、やっぱりぼくには詩は向いてないのだろう。ぼくの名前はsclap。現詩さんの言うとおり、人生のクズ鉄なんだ。
 フィッ、クション!! 嘘みたいなくしゃみが出たところで、今夜は、もう寝よう。おやすみなさい。(誰に話かけてるんだ、ぼくは?)


 6時起床。シーツと枕カバーを外し、洗濯機置場のカゴへ入れ、職員からクリーニングされた新しいものを受け取る。衣類やタオルは自分で洗濯することになっているけれど、シーツと枕カバーだけは業者に任せているのだ。

 続いて部屋の掃除。掃除と言っても私物がほとんどないので、部屋の中が散らかることもないし、軽く掃除機をかける程度で、掃除らしい掃除といえば、トイレとバスタブくらいだ。ぼくは今まで実家では、部屋の掃除をほとんどしたことがなかった。中学の頃から引きこもりで、一日中部屋にこもり、母親も入れないようにしていたし、脱いだ衣類や雑誌、ゲーム機、食べ残しのカップ麺、缶ジュース、ゴミ屋敷と大差ないような部屋でずっと生活してきたのだ。深夜に部屋の明かりもつけずPCのモニターを見つめ、複数のポエムサイトを行き来しながら、今日はぼくの投稿作に何ポイント入っているだろうかとか、コメントは来ているだろうかとか、そんなことばかり気にしていたものだ。実生活で人との繋がりがなかったぼくには、ポエムサイトの中が現実そのものだったし、そこでの顔の見えない言葉のやり取りが、人間関係のすべてだった。この施設に来て、久し振りに他人と顔を合わせて直に話をして(それも詩についての話!)、ぼくはまだまだうまく喋ることができないけれど、確かな充実感があった。生身の人間とのふれあい、他人との交流、長い間怖れてきたもの、拒否し続けてきたものが、本当はぼくの欲してきたものだったんだろうか。

 今こうして、無駄なものがまるでないきれいな部屋で過ごしてみると、なんだか頭の中まですっきりと整理されたような気になる。いつか家に帰る日がきたら、まずは部屋の掃除から始めてみよう。燃えるものは燃やすゴミ、燃えないものは燃やさないゴミ、余計なものを全部捨てれば、だいぶさっぱりするに違いない。けれど、心の中のいらないものは、どこへ捨てたらいいんだろう。

  そして理屈はいつでもはつきりしてゐるのに
  気持の底ではゴミゴミゴミゴミ懐疑の小屑が一杯です。
  『憔悴/中原中也』

 大人になったらいつか、そんな気持ちも薄れるのだろうか。

 7時には食堂に集まり、皆で朝食。今朝は、ちょっとした事件が起こった。



 今日の朝食には、デザートにリンゴがひときれ付いていた。現詩さんがうれしそうにぼくに耳打ちする。
「見てみ、クズ鉄。エデンの園子が禁断の果実食いよるで。あかんあかん、それ食うたらここ追い出されるで、あ、でもアダムがおらんからな、四股して逃げて行ったんや、信じてた男に捨てられるって惨めなもんや、アダムっちゅうよりむしろ蛇やな、まあしゃあないわ、男なんてみんなそんなもんや、股間に鎌首一匹飼うとる。騙される女が悪いねん、ええかクズ鉄、ポエムこそが禁断の果実やで、わしらみんなもう楽園には戻られへんねん、なんでこんなもん食うてもうたんやろなぁ、あー、あかん園子食いよった、知恵付いて自分の姿が恥ずかしなんねん、イチジクの葉っぱでな、股間は隠せても左手の傷はよう隠さんてか‥‥‥。」
 バンッ!!
 黙って聞いていた園子さんが、テーブルを叩いて立ち上がり、無言のまま部屋へ帰ってしまった。
「なんやなんや、ヒステリーか。これやからメンヘラはかなんのう。」
「現詩さん、今のは言い過ぎじゃないですか。」
 ヌンチャクさんが咎める。
「何がや。わしはみんなを楽しませようと思ってやな、冗談や冗談、ポエジーやないか。本気にするほうがアホやねん。」
「ペンは剣よりも強し。冗談も過ぎれば人を殺します。」
「なんやツンドラメガネ! わしとやるっちゅうんかい!」
「吉永です。」
「前からおまえのその優等生ヅラ気にいらんかったんじゃ! 大学出がそんな偉いんか!? いつもいつもくだらん文学論振りかざしよって!」
「僕がいつ大卒を自慢しました? 文学論てなんですか、そんなものは知りませんよ、中卒だかなんだか知りませんが、学歴コンプレックスはそっちじゃないですか! つまらない言いがかりはやめてください!」
「言うやないか小僧! 表出ろやボケェ!」
 現詩さんが派手に椅子を蹴飛ばしながら立ち上がった。続いて吉永さんも静かに立ち上がり、無言のままにらみ合う。うつむいたぼくの視界に一瞬、吉永さんの握りこぶしが入った。青い血管が浮いていた。

 沈黙。

 ピリピリした空気を破るように、ヌンチャクさんが静かに口を開いた。
「現詩さん、もちろんそれも冗談なんでしょう?もし本当にここで一戦始めるっていうならおれも――。」
 口調は柔らかかったけれど、日に焼けたヌンチャクさんの顔は紅潮してさらに赤黒く、仁王像のような有無を言わさぬ迫力があった。
「わかったわかった、謝ったらええんやろ? みんなわしが悪いねん、いつの時代でもそうやおまえら若者はな、何でも年寄りを悪者扱いにして、自分らは関係ありません、責任ありません言うとったらええんじゃ!」
「どこへ行くんですか? 食事中ですよ。」
「飯はもうええ。頭冷やして来るわ。‥‥‥すまんかったな、吉永。」
 張りつめていた空気が一気に緩み、ぼくはふうっと息をついた。
「それでは僕もこれで失礼します。」
 吉永さんも席を立ち、後にはヌンチャクさんとぼくだけが残った。ぼくはどうしていいかわからず終始うつむき、子ウサギのように震えながら、リンゴをシャリシャリとかじっていた。これだから人付き合いは嫌なんだ。仲良くなったと思っても、些細なことでいがみ合い、いさかいが起こる。人は憎しみや怒りをぶつけ合わなければ、コミュニケーションが出来ない生き物なんだろうか、ぼくはそんなのは嫌だ、早く家に帰って、また一人だけの世界に閉じこもりたい、こんな世界はみんな嘘だ、ネットポエムの中にこそ、本当のぼくが生きる世界がある、そんなことを頭の中でグルグルと思い巡らせていると、
「詩を書く人間も色々いる。無闇に他人を排除するのもよくないが、他人の意見に振り回されず、自分をしっかりと見つめることだ。自分の詩は、自分で書くしかないのだから。」
 ひとりごとのように呟いたヌンチャクさんの言葉に、ぼくはなんだか胸の内を見透かされたような気がして恥ずかしくなり、慌てて話題をそらした。
「皆さん、大丈夫でしょうか?」
「うん、現詩さんは大丈夫だろう。口は悪いけどああ見えて、根はいい人なんだ。年を取ると、自分が悪いとわかっていても、なかなか引っ込みがつかなくなるものなんだよ。大声を出して威嚇しながら心の中では、誰かが止めてくれるのを待ってたのさ。吉永君はまだ若いから、その辺りの心の機微っていうのかな、わからなかったのか、それか、わかってても我慢できなかったんだろう、いやいや、彼も男気のある、いい青年だよ。」
「園子さんは?」
「‥‥‥どうだろう、吉永君もそうだけど園子さんも、生真面目過ぎるというか、思いつめるところがあるから‥‥‥、もしかしたら、もう一波乱あるかもしれない。」
「どういうことですか?」
「ごちそうさま。お先。」
 ぼくの質問には答えずに、ヌンチャクさんはそそくさと食器を片付け、意味ありげな笑みを残して部屋へと戻っていった。

 その後、グループカウンセリングのために集まったぼくたちは、気まずい空気のまま、けれど誰も朝の一件には触れることなく、表面上はいつもと変わらない一日が静かに過ぎていった。

 もう一波乱あるかもしれない、というヌンチャクさんの予言は、次の日の朝、現実となった。



 朝6時になると施設内には、起床の合図として音楽が流れる。カーペンターズの『Top Of The World』という曲だ。毎朝聞いているのですっかりメロディが頭に染み付いてしまい、口ずさみながら掃除を始める。なんだか今朝は職員たちが騒がしい。しばらくバタバタと走り回っていたかと思うと、じきに静かになった。ほとんどの職員がいなくなったようだ。何事だろうと思いながら食堂へ行くと、現詩さんとヌンチャクさんがもう座っていた。
「おはようございます。何かあったんですか?」
「まあ座れや。」
 3人が揃ったところで、職員の一人が声をかけてきた。
「すみませんが、今日一日、自由時間とさせていただきます。ただし、外出は控えてください。詳細はまた後日、お話いたします。」
 職員が事務所へ戻ったのを見て、現詩さんがヒソヒソと囁く。
「駆け落ちや。」
「えっ?」
「吉永君と園子さんさ。昨日の一件があるからもしかしたら、とは思っていたけど、まさか本当にやるとはね。」
「園子とメガネができとったとはのう。ヌンチャク、おまえ知っとったんか?」
「なんとなくですけどね、勘付いてはいましたよ。
現詩さん、何も気付かなかったんですか?」
「アホか! 気付いてたに決まってるやろ! わしぐらいになるとな、予感霊感千里眼、ポエジーさえあれば過去から現在未来まで、黙ってても何でもお見通しじゃ。」
「そのわりには結構動揺してるじゃないですか。」
「やかましわ。わしの心は明鏡止水、波風ひとつ立ってへんわい。クズ鉄、醤油とってくれ。」
 ぼくは醤油差しを手渡した。現詩さんは生卵を小皿に割る。カパッ。
「鳥は卵の中から抜け出ようと戦う。卵は世界や。」
「デミアンですか、ヘッセの。」
 ぼくも読んだことがある。おどおどとした気の弱い主人公が、デミアンという少年に出会い、導かれるようにして人生を切り開いていく話だ。主人公に感情移入しながら読んだことを思い出し、ふと、ヌンチャクさんはなんとなくデミアンに似ている、と思った。
「まあおまえらはデミアンいうより、ダメヤンいう感じやけどな。なあ、ヌンチャクよ。」
「大きなお世話ですよ。」
「ケッ。それにしてもあいつらうまいことやりよったな。卵から抜け出よった。わしらはあかん、翼どころか雛にもなれん無精卵や。ええかクズ鉄、これがわしらの世界や、グッチャグチャにかき混ぜて、これがカオスや、我がの腹の中に、世界を飲み混むねんぞ。」
 そう言いながら現詩さんは大げさな身振りで、醤油の色に黒く染まった卵かけごはんを口一杯にかきこんだ。
「現詩さん、園子さんに気があったでしょ?」
 突然のヌンチャクさんの言葉に、現詩さんは大きく咳き込み、派手にごはん粒を撒き散らした。
「な、何言うとんねんアホちゃうか! なんでわしがあんなヒステリー女好きにならなあかんねん! 適当抜かすのも大概にせえよ! 怒るでしかし! 」
「園子さんによくちょっかい出してましたよね。」
「あれはやな、おまえ、あれや、ひま潰しやひま潰し。わしああいう辛気くさい女嫌いやねん。年がら年中じとじとぴっちゃん梅雨前線みたいやろ。心の中にまでカビ生えそうやないか。わし、カラッと晴れた秋晴れの後の鱗雲みたいな女が好きやねん。」
「鱗雲の喩えがよくわかりませんけど、女心と秋の空って言いますからね。そうそういつも明るく晴れ渡っているわけにはいきませんよ。誰にだって、人には言えない秘密もあります。」
「左手か? 小さい頃の火傷の痕やろ?」
「なんだ、それは知ってたんですか。」
「知ってるわそれくらい。母親の不注意で火傷したっちゅうやつやろ。ほんで結局それが原因で両親が離婚してもうたとかなんとか。」
「じゃあなんでためらい傷だなんて?」
「ギャグやギャグ! ポエジーやないか! ええ年こいていつまでも両親の離婚は自分の責任やとか火傷の痕気にしてウジウジしてるさかい、笑いに変えたっただけや!」
「誰も笑ってませんでしたけどね。」
「アホウ、メチャメチャウケとったわ、なあ、クズ鉄?」
「えっ? あの、いえ、その‥‥‥、見つかりますかね、二人とも?」
 ぼくは慌てて言葉を濁し、ヌンチャクさんに話を振った。
「深夜は職員の見回りがあったし、逃げ出したのはたぶん4時か5時、明け方近くだろうから、まだそれほど遠くには行ってないと思う。じきに見つかるだろうね。ただ、問題は、道路から外れて山の中へ入って行ってたとしたら。」
「遭難ですか。」
「それもあるけど、ほら、園子さんは少し情緒不安定なところがあるから‥‥‥。」
「心中か。」
「そうですね‥‥‥、いやいや、吉永君がついているから大丈夫でしょう、彼は若いけれどしっかりしている。おれの思い過ごしですよ。」
「そうやとええけどな。」
「もし見つかったら、またここに戻ってくるんでしょうか?」
「それはないね。二人が恋愛関係にあるとわかった以上は、同じ施設内で共同生活させるわけにはいかない。発見次第、家に帰されるんじゃないか。」
「まあとりあえず、騒動のおかげでわしらは一日、自由の身になったっちゅうわけや。カゴの鳥やけどな。ちゃうちゃう、生卵か。飛び立つことも出来んつまらん世界や。今日も一日ひまやのう。朝ドラも見飽きたし。なんやねんパテシエて? 山口県を舞台にしてやな、ネットポエムから中也賞目指すヒロインの朝ドラとかええんちゃうか。わし、ド田舎の美少女が書いたポエム読みたいわ。青空と入道雲と山の稜線とセーラー服と赤い自転車と、小さな恋と喜びと試験と放課後と親友とのケンカと涙と仲直りがあってやな、なんやもうキラキラして眩しくて目ェ開けてられへんようなやつ。もうこの年になるとな、ババアのズロースみたいな生活臭漂うクソポエムなんか読みたないねん。ぽたぽた焼きちゃうねんからやぁ、おばあちゃんの知恵袋みたいな詩読まされてもどないせえ言うねん、のう、クズ鉄、なんかおもろいことないんかい。」
「え、そんな、急に言われても‥‥‥。」
 口ごもるぼくを横目にヌンチャクさんが、悪巧みを思い付いたいたずらっ子のような笑顔で口を挟む。
「実は、こんな時のためにと思って、取って置きのものがあるんですよ。一緒にやりませんか? 現詩さん、いけるクチでしょう?」
「これか?」
 現詩さんはキョロキョロと辺りを伺い職員がいないのを確認すると、テーブルの上にグッと身を乗り出し、うれしそうに口をすぼめてお猪口を傾ける仕草をしてみせた。



 朝食後、ぼくらはヌンチャクさんの部屋に集まった。現詩さんは椅子に座り、ぼくはドアの近くの床に腰を下ろした。
「ちょっと待ってくださいよ。」
 ヌンチャクさんがゴソゴソとボストンバックから、ラベルの張ってない茶色い一升瓶を取り出し、3つのグラスに酒を注ぐ。
「怪しげな瓶やな。闇市みたいや。どっから盗んで来たんや。」
「人聞きの悪いこと言わないでください、おれの私物ですよ。ここに入所する時、コッソリ持ち込んだんです。もちろんメチルじゃないですよ、中身は普通の焼酎ですから。安物ですけどね。」
「飲めたら何でもええねん。久しぶりやからな。おいクズ鉄、廊下見張っとけよ。」
「はい、なんか、修学旅行みたいですね。」
「枕投げたろか? こんなところに閉じ込められてたら、隠れて酒飲むだけでもなんや悪いことしてる気になるわ。いただきます。‥‥‥。くうぅぅー、うまい、まさに至福のひとときやな。あとは横に酒ついでくれるねえちゃんがおったら言うことないわ。吉瀬美智子みたいなん。おっさんとガキンチョ相手ではのう。」
「まだ園子さんに未練があるんじゃないですか?」
「アホ抜かせ。来る者拒まず、去る者は追わず、男の恋に未練は似合わん。男は黙ってネットポエムじゃ。」
「やっぱり好きだったんですね。」
「知らん知らん。ふりむくな、ふりむくな、うしろには夢がない。寺山修二やったっけ? そんなこと言うとったな。」
「僕の後ろに道はできる、じゃなかったでしたっけ?」
「 sclap君、それは高村光太郎。」
「隅っこでレモンでもかじっとけやおまえは。おまえの本当の空なんかどこにもないぞ。そうやクズ鉄、食堂からレモンパクって来い。焼酎にはレモンいるやろ。梅干しはあかんぞ。わし、年寄りくさい食い物嫌いやねん。」
「もう十分年寄りですよ現詩さん。」
「そんなことあるかい。わしこう見えて、生まれたての仔猫みたくピュアやねん。気持ちはガラスの十代やねん。壊れそうなものばかり集めてまうねんな。なんでて思春期に少年から大人に変わりそこねてるやろ‥‥‥って誰が壊れてもうたRadioや! まだまだ現役じゃ! わしにもほんまのしあわせ教えてほしいわ!」
「うわ、飲んだらさらに面倒くせえなあんた! とにかく、レモンは諦めてください、職員に見つかると厄介ですから。sclap君は、酒はいけるのか?」
「いえ、ほとんど飲んだことないんです。」
「そうか、これも大人のたしなみだ、社会勉強だと思って飲んでみるといい。」
「せやせや、わしの注いだ酒飲めん言うたら張り倒すぞクズ鉄。」
「はい。」
 ぼくは恐る恐るグラスに口を付けた。
「‥‥‥うえっ、ゲホッ、ゲホッ‥‥‥。」
 それを見ていた二人が声を上げて笑う。
「そらそうや、いきなり焼酎のストレートなんて、お子ちゃまのクズ鉄には100年早いわ!」
「どれ、カルピスソーダで割ってやろう。」
「すみません‥‥‥。」
「何、謝ることはないよ。おれも若い頃はそうやって親方に仕込まれたもんさ。」
「親方?」
「うん、大工の見習いみたいなことをしていてね。」
「なんやヌンチャク、おまえ大工やったんか?」
「いえいえ、若い頃の話ですよ。厳しい上下関係が肌に合わずにすぐにやめました。」
「わかるわかる、おまえクソ生意気やもんな!」
「酷いな、現詩さん。おれのことそんなふうに見てたんですか?」
「家族はいてるのか?」
「昔結婚してましてね、子供も男の子が一人、朔太郎って名前なんですけど、十年前に離婚してそれきり、今は独り身ですよ。」
「なんや独り身か、わしと一緒やないか。朔太郎、ええやないか。『人は一人一人では、いつも永久に、永久に、恐ろしい孤独である。』っちゅうやつやな。男は黙ってロンリーウルフや。孤独にもA級とB級があってやな、もちろん萩原朔太郎は文句なしのA級やけど、わしらみたいな、けして世に出ることない無名のネットポエマーでもやな、心持ちと覚悟だけはいつもA級でありたいわな。」
「たまにはいいことも言うんですね。」
「待て待てクズ鉄! たまにちゃうやろ! わし、人生もポエムも喋りも、いつでも全力投球真剣勝負、勇気100%やっちゅうねん! 常にええことしか言うてへんわい!」
「でも自己評価だけは恐ろしく高い。」
「当たり前やろ! わしの人生や他人の評価なんかあてにできるかい、わしの価値はわしが決める。そう言うおまえはどうやねんヌンチャク、ほんで、嫁はんに逃げられて、ネットポエムに慰めを見出だした、ってわけか。」
「まあ、そんなところですよ。」
「クズ鉄、おまえは女おるんかい?」
「いえ、あの、いないです‥‥‥。」
「せやろな。聞くまでもないわな。こないだのグループカウンセリングで見たおまえのポエム、モロゾフやったっけ? ほんまあれは酷かったわ。おまえ童貞やろ? 僕の前に女はいない、この遠い童貞のため、ってな。」
「‥‥‥。」
「まあまあ、気を落とすなよ、あれはあれで、思春期の煩悶が鮮やかに描かれていて、なかなか良かったよ。おれの子も君と同じくらいの年だから、あれから10年か、もう大きくなっているんだろうな。」
 ヌンチャクさんの優しい眼差し。ぼくに別れた息子さんの面影を重ねているのだろうか。なんだかくすぐったくなって、ぼくは目をそらした。
「せやせや、おまえよう見たら目ェクリッとして子グマみたいで、年増に可愛がられそうな顔しとるわ。将来マダムキラーになるんとちゃうか。世の中広いからな、どっかに年上の美女に囲まれてチヤホヤされる夢のような世界があるかもしらんぞ。」
「別にうれしくないですよ。」
「まあまあ、まだ若いんだから人生も詩もこれからさ。飲めよ。」
「孤独と、酒と、ネットポエム! それがわしらの人生や!」
「いよっ、自称天才詩人!!」
「自称は余計や! それが生意気やっちゅうねん!」
「酒の席とネットポエムは無礼講ですよ無礼講。そうそう、おれね、無礼派っていうHNも持ってるんです。」
「知らんがな! 誰得やねんその情報! ええかクズ鉄、ポエムはいつか現実を越えるぞ、ネットポエムが文学史を塗り変える日が来る! いつか来るその日のために、ネットの海で華々しく雄々しく散る、我等ポエジーに命捧げた幾千幾万の特攻兵や! ネットポエム万歳や! 死ぬ気で詩ィ書けよ! って言うてもほんまに死んだらあかんで、喩えや喩え、大人は見えないしゃかりきコロンブス、そういう気持ちやぞ、わかるか?」


  大いなる文学のために、
  死んで下さい。
  自分も死にます、
  この戦争のために。
  『散華/太宰治』


「しゃかりきコロンブスって何ですか?」
「なんや知らんのかいパラダイス銀河! まあええ、たとえ我等の詩が過去ログの藻屑と消えようとも、我等の高い志、崇高な魂は必ずや後世のネット詩人たちへと受け継がれて行くであろう、ええかクズ鉄、おまえのかついだ空、渡せよ次の世代に!」
「はい!」
「ネットポエムは永久に不滅やでな!」
「はい!」
「現詩さん、巨人ファンなんですか?」
「そんなわけあるかい、わし今でもバリバリの近鉄ファンや。おまえら知らんやろうけどな、藤井寺球場で野茂育てたん、あれ、わしや。」
「え、本当ですか?」
「sclap君、それ嘘だから! 簡単に人を信じない!」
「嘘ちゃうわい、ポエジーやっちゅうねん!」

 他人と笑いながら話をするなんて、何年振りだろう。酒の力も手伝って、ぼくは二人の話に大声で笑い、また自分もいつもより饒舌になった気がする。酒を飲んで詩の話をすることが、こんなに楽しかったなんて、ネットポエムとはまた違う興奮にぼくは包まれ、知らず知らずに飲めないはずの酒が進んでいたらしく、ひどく悪酔いして、いつの間にかその場で眠ってしまったようだった‥‥‥。


「おいっ! 起きろクズ鉄! いつまで寝とんねん!」
 どれくらいの時間がたったのだろうか、眠っていたぼくは、現詩さんに蹴り起こされた。
「‥‥‥おはようございます‥‥‥。」
「何寝ぼけとんねん。早よ起きて自分の部屋見てこい。」
 何が何やらわからないまま、ぼくは現詩さんに腕をつかまれ、無理矢理立たされた。
「すみません、ちょっと待ってください。」
 頭がガンガンする。目を閉じると頭を中心にして体と世界がグルグルと回っているような気がして、吐き気が込み上げてくる。これが二日酔いというやつなのだろうか。
「しっかりせえよ、おまえ、金目のもん取られてへんか?」
「はい?」
 ぐたりと座り込んだぼくを見下ろし、赤ら顔の現詩さんが言う。
「ヌンチャクや。あいつ、金持って逃げよったぞ。」
「何が?」
 突然叩き起こされ、まだ酔いの残っていたぼくは、正常な判断力を失い、現詩さんの言うことを理解できずにいた。
「何がやあるかい。ヌンチャクがわしらの金奪って逃げたんや。あいつ、始めからこれが狙いやったんや。騒ぎに便乗してわしらに酒飲ませて、酔うて寝てるあいだにまんまとやりよった!」
「窃盗、ですか? まさか――。」
 ぼくはなんとか話は理解したものの、酷い目眩と吐き気をどうすることもできなかった。
「ちょっと、吐いてもいいですか?」
「アホウ!こんな時に何言うてんねん!吐くのはクソポエムだけにしとけやクズ鉄!」
 ぼくは四つん這いのままトイレまで這って行き、そのまま洋式便器に顔を突っ込んで吐いた。酸っぱい透明な液体を噴水のように吐くだけ吐いて、悲しいのか悔しいのか涙と鼻水で顔中グシャグシャにしながら、しばらく身動きが取れずにいると、現詩さんが呼んだのだろう、二人の職員に両脇から体を抱え上げられ、ぼくの部屋へと連れていかれ、そのままベッドに寝かされた。その後、夜中も何度か目を覚ました記憶がある。ベッドの横で、職員が付き添っていたようだった。

 翌朝6時。いつものようにTop Of The World で目覚めたぼくは、昨夜の記憶を思い返していた。ヌンチャクさんが窃盗、本当のことなんだろうか。職員はもういない。事務所へ顔を出して、昨日はすみませんでした、と声をかけた。もうすぐご両親が来られますから、しばらく部屋でお待ちください、と職員に言われ、それ以上詳しい話は聞き出せなかった。

 食堂へ行くと、現詩さんが今か今かとぼくを待ちかまえていた。
「早よ座れや。二日酔いは覚めたか?」
「はい、昨日はすみませんでした。」
「そんなんええねん。おまえ何にも取られてへんか?」
「いや、ちょっとまだ、確認できてないんですけど、あの、本当なんですか、ヌンチャクさんがまさか、盗みなんて‥‥‥。」
「間違いない。わしも昨日の記憶が途切れてるんやけど、あいつ酒になんか入れたんちゃうか? わし酒は強いほうやねんけどな。油断したわ。現金とクレジットカード全部いかれてもうた。」
「‥‥‥‥。」
 ぼくは言葉を失っていた。もめ事が起こった際にはいつも仲裁役を買って出ていた、正義感の強いヌンチャクさんに、まさか窃盗癖があったなんて‥‥‥。信じたくなかった。嘘だと思いたかった。
「クズ鉄、目ェ剥いてよう見ろ、事実は小説よりもポエム、これが現実やぞ。」
「‥‥‥なんだか、昨日今日といろいろありすぎて、何を信じたらいいのか、よくわからなくなりました‥‥‥。」
「何言うとんねん。ネットポエムも現実の世界も一緒や。ようさん人間がおって、悪い奴もおればええ奴もおる。気の合う奴もおれば虫の好かん奴もおる。出会いがあって、それと同じ数だけの別れがある。おまえまだ、必死になってしゃかりきコロンブスで生きたことないやろ。早よ胸のリンゴ剥けや。人間ゆうのはな、おまえの知らんところで、笑ったり泣いたり傷付いたり怒ったり嘘ついたり裏切ったりしながら、それでも人間を諦めんと、ええ奴も悪い奴もみんな必死になって生きてんねんぞ。おまえそういうこと知らんやろ。せやから人の上っ面しか見ようとせえへんねん。ネットポエムも現実の世界も一緒や。ただひとつ違うのは、そこにポエジーがあるかないかや。」
「‥‥‥はい‥‥‥。」
「でも、まあ、良かったわ。」
「‥‥‥何がですか?」
「詩の次に大事なフランク三浦は盗まれへんかったわ。ほれ。」
 現詩さんが右腕をぐっと前に付き出して愛用の腕時計をぼくに見せた。よく見ると文字盤に、『フランク三浦』と書いてある。
「これ、フランク・ミュラーのニセモノじゃないですか。」
「アホウ、バッタもんちゃうわい、大阪は西成生まれのオリジナルブランドや。遊び心でリアルを越える、どや、これこそポエジーやろ?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥。」

 昼前、ぼくの両親が施設に到着し、事務所でしばらく話をした後、ぼくは現詩さんに別れの挨拶をする間もなく、実家へと連れ戻された。結局、ぼくの持ち物からも3万円ほど盗まれていたらしい。父親は施設への不信感を募らせ警察に被害届を出すと息巻いていたが、ぼくはなんとかやめてもらうように頼みこんだ。ヌンチャクさんの行方は、まだわかっていない。

「他人の意見に振り回されずに、自分をしっかり見つめることだ。」

 ヌンチャクさんの言葉が、今は虚しく響く。口先だけのきれい事を並べて本当はただのコソドロじゃないか、そういう気持ちはもちろんある。けれどなぜだか、ヌンチャクさんを恨む気にはなれなかった。ヌンチャクさんも、現詩さんも、駆け落ちした園子さんと吉永さんも、みんな本当は心の中にいらないものをたくさん抱えていて、やり場がどこにもなくて、それでも大人だから泣き言ひとつ言えずに、一生懸命虚勢を張って生きているのだ、そう思うと、今まで長いこと一人で抱え込んできた胸のつかえがすっと取れたような、ただ重苦しいだけだった人生が、儚く脆く、それでいて愛しいものに思えてきた。ぼくはまず、部屋の片付けから始めた。カーテンを開け、窓を開け、雨戸を開ける。何重にも覆ってきた心の殻を破り、世界を、光を受け入れる日が来たのだ。


 家に戻ってから2ヶ月後には、ぼくはコンビニでバイトをするようになっていた。1日4時間ほどの勤務で、パートタイマーの主婦たちに囲まれながら、慣れない仕事を教えてもらっている。人手が足りない時は、夕方から夜の時間帯に入ることもある。同年代の子と喋るのはまだ少し気後れするけれど、必要以上に劣等感を抱くことはない。
「誰にだって、人には言えない秘密もあります。」
 ヌンチャクさんの言葉だ。そりゃそうだ、と今では思う。けれども、引きこもっていた頃のぼくには、世間の人たちは皆、自信に溢れ、毎日を充実して送っているように見えて、いつも眩しかった。ぼくだけが暗い穴の中に落ちているように錯覚して、現実逃避からネットポエムに依存し、あがくことすら諦めてしまっていたのだ。

 実はまだ、ぼくはネットポエムを卒業できていない。『実りある生活』でリハビリを受けたけれど、結局、詩を辞めることはできなかった。今も毎日ポエムサイトを覗いている。ネットに投稿していると、たまに、酷い罵倒や批判を受けることもある。時にはそれが作品評を越えて、作者の人格を否定するような言葉になることもある。以前のぼくは、そういう厳しい言葉の表面的な意味ばかりにとらわれ、深く傷付いたり、落ち込んだりしていたものだけれど、最近は、酷いコメントを入れられても、その言葉の裏には何があるのだろう、相手はどういう表情をしているのだろう、と考えるようになった。
「クズ鉄、おまえの詩ほんまクズやのう。」
 毎朝そう言いながらうれしそうにぼくの詩を読んでくれた現詩さんの笑顔、名誉の負傷だと自慢していた半分欠けた前歯が思い浮かぶ。

 毎日のようにポエムサイトを覗いていると、人の動きがよくわかる。誰と誰が仲がいいとか悪いとか、やはりここも世間と変わらないのだ。なんだかみんな顔馴染みのような気さえしてくる。人の悪口ばかり言っている現詩さんに似た人もいれば、園子さんと吉永さんみたいなカップルもいる。他人のもめ事に横から余計な口を挟み便乗して騒いでいるあの人は、HNこそ違うけれど、本当にヌンチャクさんじゃないかとぼくは思う。もう二度と会うことはないだろうけど。

 いつの日か、ぼくがもっと年を取って、現詩さんやヌンチャクさんのようになって、ポエムバー『北極』で、若い子たちと、酒を飲める日が来ればいいなと思う。ぼくは言うだろう、ポエムもリアルも一緒なんだよって、そこに、ポエジーがありさえすれば、と笑いながら。

 ぼくの名前は葛原徹哉。初給料でフランク三浦買いました。最近、少し酒を覚えました。詩は、まだまだこれからです。あなたは、どなたですか?


或る気候の噂の為の十一節からなる唱歌

  鷹枕可


I
/
楡の瘤の節節のなかに破裂する暴風よ
それは膠の匂う革命家達の踵より剥された平目の容貌であり
機械装置の鋼の筋筋には卵黄が剃刀に拠って垂線を滴らす 
かの少年は放火魔であり又、敬虔な唯物論者たちを酷く落胆させるに充満した紫陽花を慣用した 
紫陽花の眼の中の眼 それは見開かれた固形の秘跡であり 従って叛概念的なエクリチュールの一把である

汝城牆の遙かな短足を揃え 眠らせよ 
子午線の半球には欠損されたユピテルの彫像を擱き 新鋭の国家主義が内実の虚誕を明かす様に
花々は受粉しない 器官は咽喉の鐙である故に舞踏をしない
何故ならば既に敷かれた屠殺室への波斯絨毯を跨ぐ亡命者を瞠っていたから
/


        *


II
/
雨がそぼふります 偽物の天文館に
 ほら あなたにも 聞こえるでしょう
/

III
/
脳梁は加湿の無慈愛をまるで
無花果の存在しない書言葉の如く運河に流した
水滴の部屋部屋は
浅はかな事象を
縁取りながら
乾燥した背骨が麗らかな憂愁を幾多、
白樺の様に聳え
建築せしめている

第五季節からなる
私物の落款印は
錯綜される不織布の吹雪を
見えることなき窒素瓶の翼果に抑留し
天球室の肉体は
人体標本指標でもありつつ
微動の緻密俯瞰図に一縷の散骨を執り行った

若しも赦された
夜の翳が繊細な樹々を揺らすのならば
耳鳴の確かな尊厳死を脈する
薔薇の透膜は
何と泛ばれないことか
 
死の端端に
物憂くも腐食された蝕既を修飾している凡ては
拠るも拠らずも等しく
空襲の災禍を鵜呑みにするよりは外勿く
/

IV
/
若し時刻表が終わり
    停車場が永続に留保し
   肖像写真のみの記録に偽証されるならば
      私は私は私は私は私は私は/


V
/
肉体像は逞しく
彫刻の均整律は
結膜を捺した人間の理想像の印象です

精神像は美しく
母語の麗かな痴呆病は
統一を透徹した翻訳者の薬莢です

そして
肉体精神の優美な呪わしさは
解かれた鋼版画にのみ着眼を赦された苦蓬の天体儀 
即ち
地球に存続を置く
瓦斯と煤煙の曇窓の花々
それらの間歇的な慈善に満ちた積乱雲をも攫もうとする指でしょうか

よもや、
継母の晴がましい鏡像は椿花の脇腹の縦横に倒れた楕円の卵膜であるかも知れなく
/

VI
/
私に影の確かな重量などがないなら
誰彼の影も観えないのでしょう   
 斜陽にとじこめられた部屋は
 何処、迄も
     影像の非在を明かせ、
/

VII
/
ああ ああ

窓枠を
闇の闇から呼ぶ声が在り
私達はそれを死と等しく呼び慣らした
/


        *


VIII
/
黎初の始祖鳥が/ブドー収穫期の気候の納棺室に/
比翼の光彩を尚且つ峻厳な鉄鉱石に搾り/純物質の過剰凝縮を/ 
第七週間程の福音書の虚実と秘蹟に/完膚勿き迄に拘縮した/
指された薔薇綱目の嗚咽は/後衛美術の画廊に斃れるカーネーションの疵附き易さにも近似し/
或る人物像は泥を啜り/或る彫像は影の断層に/
既製的な/口を極めて凡庸な/被空爆以前の市街地鳥瞰写真である均整美の鋳物を渉猟し已まない/

現像液の房事を/群像の心臓の錆釘は震顫せしめ/巧緻な修飾美はいとも容易に裂開される/
酪乳の結節に溶融したベルニーニの確証は/それ即ち石膏の蕨薇文様を擲ちつつ/
乾板写真と叛現実に裂かれた/確たる孤絶/それを斯く迄も境涯に徹底させずには/
微動する陶磁の生花/或は手鏡の死迄も/常に腐敗としては処置され得ないだろう/ 
鹹い季節労働者らの諜報は/市長室の花菱模様の壁紙に延々と/鉛の瓦斯管の終りを告解していた/


IX
/

ああ ああ ああ ああ ああ ああ ああ ああ ああ ああ ああ ああ

/
X
/
秘蹟であるべき両性具有の投身を指する尺度は鋭利な叛概念にさえもならない 
 半ば迄溶暗の部屋部屋に縁取られた
  巨躯のノアの逆様の昏がりへと
   幼時洗礼と葉の唇の眼
     それの復讐を、

        垂れ込めている血の卵/
              或る気候の十一節の唱歌までが疵

/
Ⅺ
/

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別の詩

  三台目全自動洗濯機

「もう始まった?」「いや、まだだよ」「ピエロ?」「いや、そんなに優れたものじゃない」
「あなたの肌って柔らかい」「だからそんなに良いものじゃないって」「娘って面白いの」
「ひとりひとりに理があり、だからこそ悲しい」「ジャンは美しくて悲しいって言ってたわ」
「知ってる」「じゃあ、そう言うべきよ」「だからこそ悲しい」「赤い果実」「なんだって?」
「赤い果実を想像するの」

一人の男が居る
名前はある
諦めたら、それでなんとかやっていける
それがぼくだ

一人の女が居る
名前がある
自分のことは話したくないのよ
それがわたしだ

一人の男が居た
名前があった
皆は相対的なものを求めるが、私は永遠を求めた
それが私だった

簡単な質問だった。不安な時や気持が落ち込んだ時に物を書きたくなりますか。酷い代物
を書いた時ほど、もっと書きたくなりますか。ぼくはそのほとんどのYesに丸を付けた。
積み上げられた茶碗を運ぶように丁寧に白い部屋へと連れて行かれた。鉛筆かペンが欲し
い、と伝えると、無理よ、と白い服を着た女性に断られた。彼女も部屋の一部だった。テ
レビ台と壁の間に置かれた、使われなくなった家具。代わりのものが欲しい。彼女は殺し
屋のように白い服へ手をかけた。違う、それじゃない/

                         理由を語るつもりは無いけれど、
わたしには会わなければいけない男がいた。彼の行方を様々な人に尋ねていった。彼は桜
の木の枝で遊んでいたよ。春まで待ちなさいって言ったんだけどね、とある人は教えてく
れた。彼は港の工場で働いていて、たしか林檎を磨く仕事だったと思うんだけど、とにか
く、その工場で一番エロそうな男を探してみたらいいさ。それが彼だよ、とある人。鯖に
なるって言って出て行ったきりで、もう会ってません。いくつかの情愛とどこにでもある
ような冒険を乗り越えた末、わたしは複数の彼を見つけたけれど、結局、彼を見つけられ
なかった。彼と彼は重なり合わず、そこに次々と新しい彼が現れる。それはうまく噛み合
わない立体模型のようで、本当は誰にも組み上げることは出来ないのかもしれない。でも
それは次の、別の話/

          私はある女の後ろを歩いていた。気付かれず、見失わないような適
当な距離を見つけ出すのに多少時間がかかったが、それ以外はすぐにその仕事に馴染んで
いった。元々、探偵小説が好きでよく読んでいたことが大きいのだろう。依頼書には彼女
は悪人で罪人だと書いてあった。実際にそうなのだろう。だからこそ、私は彼女の行動を
監視していたのだ。それでも、彼女には書かれている事実とは違う一面もあると付け加え
ておかなければならない。ただ彼女の一連の行動をどう形容し、感化させればいいのか分
からない。簡単な数式の証明は出来ても、その存在を証明することが私には難しく、そも
そもそれは私の仕事ではない。誰かが彼女の手に触れて、彼女はそれに応え、私は見てい
た。それだけだ/                         

             ひとつの流行に乗り遅れたようで
             何度も浅瀬を走り駆け出す雲鳥は
             不器用に腕を前へ後ろへと動かし
             空の風景がどんな色に変わっても
             雲鳥が宙に舞い上がることはなく
               (ジョナサンは嫌いだ)             
             祈り続けるように空へ走り続けて
             恋人に去られて友に忘れられても
             終わりの鐘の音が鳴り出す頃には
             雲鳥も風に乗り灰色とは離されて
              い影と黒色の内枠に混ざりこむ

        家族という無声映画のポスターを部屋に張ってもらった。角はピンで留
められており、そのひとつを抜いて、ポスターの裏の壁に傷を付けていった。二人の男と
一人の女の物語だった。煙草は吸えたから、ライターで火を点けた。赤色というよりは黄
色だった。ポスターから壁、寝具へと、その色は誰かの祈りのように伝わっていった/

                                       相
手は対峙していて、言葉が出てくるのを待っている。相手の口から、もしくは自分の中か
ら。求めたものの代償として、腹部には刃物が張り付いていて、大事な色が流れ出してい
た。口からは赤い果実が飛び出していた。それは苺ですか、それともサクランボ? とい
う言葉が残された。林檎だったのかもしれないとも思う。

「酷い代物だ」「忘れるために愛し合うのは嫌」「道化にお金は重要じゃないと言うけれど」
「そろそろ終わりにしましょう」「いや、まだだ」「これ以上は野暮だ」「それを言うなら、
初めからクズだ」「美味しい赤ワインがあるの」「ハンバーガーが食べたい」「ほら、鳥が飛
んでる」「日が沈んでいく」「目の前を滑るように流れていく」「日はまた昇る」「夜はやさ
し」「ああ、分かってる」「きみもあなたも皆やさしい」「待ってくれ」「もう終わりだって」


それにしてもリリカルやな、

  泥棒

ほう、
お前さん
そうゆう感じに切り取ったんやな
なるほどな
それにしてもリリカルやな、
お前さん
はじめてちゃうやろ?
とぼけんなや
何を狙っとんねん
答えろや
刺したろか?
これ、オモチャちゃうで
聞いとんのか?
ほう、
お前さん
何も答えへんつもりやな
もうええ
黙っとったらええ
ほな、さいなら

/
昨日の夜から
熱が下がらなくて
ほとんど眠れてないし
でも
変な夢は見るし
体も顔も
ボロボロだけど

病院へ行って
薬をもらって
それから
会社へ行ったけれど
熱が下がらなくて
使っていない
会議室みたいな倉庫で
いや、
倉庫みたいな会議室で
寝ていた。
(何しに会社来たの、お前
同期入社の三島くんが
笑いながら怒って
いや、
怒りながら笑って
ポカリ買って来てくれた。
(今日は帰れよ
三島くんがゆっくりしゃべる
俺が課長に言っとくから
つーか
今日さ
課長見てないんだけど
来てんのかな?
とにかくさ
今日は帰れよ

三島くんは優しい
私は三島くんが好きだ
超好き
彼女いるみたいだけど
私の予想だと
巨乳のかわいい彼女いるみたいだけど
関係なくね?
いや、逆に、関係なくね?
てか、ないって事にしないと
話し
進まないし。
やばいやばい
予想っつーか
こんな妄想してる場合じゃない

どうせ
告白なんかできないし
そんな勇気ないし
やばいよやばいよ
出川哲朗みたいな感じで
心の中で叫ぶ
やばいよやばいよリアルにやばいよ!
もうやだ
熱も下がらないし
化粧してないし
三島くんのこと
好きすぎて
苦しいな。

/
結局
倉庫みたいな会議室で
夕方まで寝てしまったのだ。

課長がいないから
三島くんに挨拶して
会社を出て
近くのコンビニへ入ろうとしたら
課長がいた。
(あ。課長、今日はすいませんでした
あれ?
聞こえなかったのか
課長は
そのまま隣りのビルとビルのすきまに
入って行く
夕陽のあたらない
暗い
ビルとビルのすきまの
裏階段に腰掛けて
課長が
ひとりで
闇に向かって
何かしゃべっている

/
ほう、
お前さん
そうゆう感じに切り取ったんやな
なるほどな
それにしてもリリカルやな、
お前さん
はじめてちゃうやろ?
とぼけんなや
何を狙っとんねん
答えろや
刺したろか?
これ、オモチャちゃうで
聞いとんのか?
ほう、
お前さん
何も答えへんつもりやな
もうええ
黙っとったらええ
ほな、さいなら

/
目が覚めると
まだ倉庫みたいな会議室に
私はいた


(夢か、


もしかしたら
課長は
私が仕事中に
会社のPCで
いつも
詩をかいているのを
知っているのかもな。
だとしたら
もうクビだな。
課長
仕事人間だし
それでいて
意外と芸術とかに
うるさいし
やばいよやばいよ
これはリアルの方だって!
私の中の出川哲朗が
大声で叫ぶ
夢じゃないって!
リアルにやばいって!

背後から課長の声が聞こえる

ほう、
それにしてもリリカルやな、


海の詩編

  ねむのき

[エイ]


水平線の上を
一台の自転車が走ってゆく
ぼくはエイをひっくり返している

エイをひっくり返すと
毒針のあるしっぽを
怒ってふりまわすけど
エイたちは笑っている

太陽が
空に吊るされた
白い鏡のように
くるくると光っている
なんの意味もない
焼けつくような光を注いでいる

ぼくもがんばって
何匹も何匹も
なんの意味もなく
エイをひっくり返す

真昼の砂浜に
どこまでもならんでいる
エイたちのぶよぶよしたほほ笑みが
ゆっくりと干からびている



[貝]


近所の砂浜を散歩していると
あしもとから
「今日はとても水が柔らかいですよ」と
山下さんの呼ぶ声が聞こえた

手ごろな大きさの貝殻を拾って
体を小さく折りたたんで中に潜り込むと
山下さんはくちびるを隙間から長く伸ばして
「今日みたいな暑い日は水中に限りますね」と
砂を吐きながら言った

そうしてぼくと山下さんは
八月の海の底に並んで
柔らかい波が行き来するのを
日が沈むまで見上げていた  



[ドライブ]


海岸線
退屈なカーブにさしかかると
真っ白な羊たちの群れ
おおげさな余白のある景色を
右にまがってゆく
季節はずれの花と
給水塔の
とがった影のさきに
死んだ十月と
死にかけた十一月を見つける

今日は
海にへたくそな詩を捨てにいく日だから
会社をずる休みした
小さな車に乗って
まっすぐに北へ進むと
ぼくのうしろに南が広がってゆく
白いカーブを右へ
折れまがるとぼくのうしろにある
南は左側によじれて
東を含んでゆき
ぼくはどこへ向かっているのか
わからなくなる
十一月の午後
ありふれた青い空気のなかで
わけのわからない花が
まっすぐに咲いている

かぜを引いているけれど
タバコに火をつける
ぼくの書いたへたくそな詩は
いつの間にか
よくわからない記号の羅列になっていて
咳をすると
一匹の死んだ魚が
波のあいだに浮かんでいる
そんな
意味のない言葉と
退屈なことばかりが
十月だった気がする

半透明に光る
夕暮れの街角へ
静かな壁のように
降りてゆく、
群青
砂のまじった風が
遠くから吹いてくる
詩なんか
いくら書いたって
なにもいいことなんてない

どんなに
どんなにあかるいものも
(それがなんになる?
という単純なことばを
吹きかけると
とたんに色褪せてゆくこと

そのことを
知ってしまったあとに
なにが望めるというのだろう
なにが許されるというのだろう

冬の模型を
ひとさし指でたしかめながら
考えている



  [クラゲ拾い]



凪いだ海の沖合に
クラゲ拾いの舟が
揺れているのが見える

砂浜では
女のひとたちが
魚を紐に吊るしている

古いアパートのような
懐かしい匂いがして

ぼくはかつて海鳥だったときの
空の飛び方を
思い出してみようとする

電話がずっと鳴っているのに
どこにも見つからない


詩の日めくり 二〇一五年三月一日─三十一日

  田中宏輔




二〇一五年三月一日 「へしこ」


 日知庵で、大谷良太くんと飲みながらくっちゃべりしてた。くっちゃべりながら飲んでたのかな。ケルアック、サルトル、カミュの話とかしてた。へしこ、初体験だった。大人の味だね。帰りに、西院で駅そばを食べた。毎日がジェットコースター。


二〇一五年三月二日 「ぼくより背が高いひとがいない」


 ぼくは身長がひじょうに高いので、いつも、ひとの顔を見下ろして話してることになるのだけれど、たまには見上げながら話す経験もしてみたいなとは思う。でも、ぼくより身長の高い人って、まわりに一人もいないし、道端で歩いてるひとたちも、ぼくの半分くらいの背しかないし、無理かもしれない。


二〇一五年三月三日 「ぶふう」


ぶふう
ぶふう
って、彼女の髪の毛のなかに息をこもらせる。
ベンチに坐っていると
向かい側のベンチで
高校生ぐらいの男の子が
おなじくらいの齢の女の子の後ろから
ぶふう
ぶふう
って、髪のなかに息をこもらせる。
そのたんびに
女の子の頭が
ぶほっ
ぶほっ
って、膨れる。
なんども
ぶふう
ぶふう
ってするから、そのうち
女の子の頭がパンパンに膨れて
顔も大きくおおきくなって
歯茎から歯がぽろぽろこぼれ落ちて
ひみつ
と呼びかける。
本棚を見つめながら
本の背に
ひみつ
と呼びかける。
本棚に並んだ本が聞き耳を立てる。
ひみつ
という言葉が中継して
ぼくと本棚の本を結びつける。
手のそばにある電話に
ひみつ
と呼びかける。
電話が聞き耳を立てる。
ひみつ
という言葉が中継して
ぼくと電話機を結びつける。
ひみつ
と呼びかけると
まるで、ひみつというものがあるような気がしてくる。
ええっ?
そんな画像送ってきてもらっても。
人間って、いろんなことするんやなあ
って
いや
人間って、いろんないらんことするんやなあ
って、思うた。
もうはじめてしまったものは仕方なく
だれがだれだかわからない
連鎖
順番に見ていこう
これは違う
これは、わたし
これは違う
あ、これも、わたし
これは?
ううん、どちらかと言えば、わたしかしら?
これは、わたしじゃなく、あたし
これは違う
これは?
かぎりなくわたしに近いわたし
これは、わたし
これまた、わたし
これは、さっきのと同じわたし
これまた、わたし
これも、わたし
これは、たわし
これは、違うたわし
これは、わたし
これも、わたし
これまた、わたし
これは、違うわたし
もうはじめてしまったものは仕方なく
だれがだれだかわからない
連鎖
目の前にある、いろいろなものを見て
わたしと、わたしでないものを分けていく独り遊び
とてもむなしいけれど
コーヒーカップやマウスを手にしながら
つぎつぎやっていくと
けっこう本気になる遊び

これって
友だちと言い合っても面白いかもね
あれは、きみ
これは、ぼく
そっちは、きみで
むこうのきみは、ぼく
きみの前にあるのは、ぼくで
そこのぼくは、きみだ
ってのは、どっ?
どっどっどっ?


二〇一五年三月四日 「Touch Down」


 Bob James の Touch Down を聞いてたら、20才ころに付き合った、1つ上の男の子のことを思い出してしまった。朝に、彼の親が経営してた大きな喫茶店で、二人でコーヒーを飲んでた。大坂だった。まえの夜に、出合ったばっかりだったけれど、ああ、これって青春だなって思った。どんなセックスしたのか覚えてないけれど、そのまえに付き合ってたフトシくんのことが思い出される。ラグビーで国体にも出てた青年で、ぼくより1つ下だった。SMの趣味があって、彼はSだった。ぼくにはSMの趣味がなかったから、セックスは合わなかったけれど、いまでも覚えてる。かれの声、「お尻、見せてくれる?」20才くらいのときのぼくは、「やだよ」とか「だめ」とか返事したことを憶えてる。それから何年もしてたら、「いいよ」って言えるだろうけれど、笑。ふたりで歩いてたり、飲み屋のあるエレベーターに乗ってたら、若い男女のカップルとかにジロジロ見られたけど、それももう30年くらいまえの話。なんか、一挙に、思い出しちゃった。


二〇一五年三月五日 「ちょびっと」


 きょうも、ひたすら屁をこいた。違う、せいいっぱい生きた。遊んだ。楽しんだ。日知庵で飲んでてかわいい男の子もいたし、いっしょにしゃべってたし、飲んでたし、笑。齢をとって、若いときには味わえなかった楽しみ方をしてる。恋はちょびっとになってしもたけど、ちょびっとがええのかもしれへん。


二〇一五年三月六日 「パンをくれ」


 へんな夢を見た。外国人青年の友情の物語だ。「パンをくれという率直さが彼にあったからだ。」という言葉を、ぼくの夢のなかで聞いた。ふたりの友情がつづいた理由だ。片方の青年の性格の話だ。ふたりはいっしょに暮らしていたようだ。その片方の青年が死ぬまで。長い夢だったと思うが、はしょるとこれ。


二〇一五年三月七日 「1行詩というのを考えた。」


1行詩というのを考えた。
また転校生が来た。
また転校生が来た。
また転校生が来た。
また転校生が来た。
また転校生が来た。
また転校生が来た。
また転校生が来た。
また転校生が来た。
また転校生が来た。
また転校生が来た。
また転校生が来た。
また転校生が来た。
‥‥‥‥‥‥‥

1行詩というのを考えた。
羊がいっぴき。
羊がいっぴき。
羊がいっぴき。
羊がいっぴき。
羊がいっぴき。
羊がいっぴき。
羊がいっぴき。
羊がいっぴき。
羊がいっぴき。
羊がいっぴき。
羊がいっぴき。
羊がいっぴき。
羊がいっぴき。
羊がいっぴき。
羊がいっぴき。
‥‥‥‥‥‥

1行詩というのを考えた。
この文には意味がない。
この文には意味がない。
この文には意味がない。
この文には意味がない。
この文には意味がない。
この文には意味がない。
この文には意味がない。
この文には意味がない。
この文には意味がない。
この文には意味がない。
‥‥‥‥‥‥‥


二〇一五年三月八日 「ひととひとを結ぶもの、あるいは、夢と夢を結びつけるもの」


 ひととひとを結ぶのは橋でもなく川でもなく流れる水でもない。水面に浮かぶきらめきだ。それは、ただひとつの夢だ。たくさんの輝きでできている、ただひとつの夢だ。ひととひとを結ぶのは橋でもなく川でもなく流れる水でもない。川底に横たわる岩と石だ。たくさんの岩と石でできている、ただひとつの夢だ。あるいは、夢と夢を結びつけているのが、ひとなのだとも言える。ひとが、夢と夢を結びつけているのだ。それは、橋でもなく川でもなく流れる水でもない。ひとなのだ。


二〇一五年三月九日 「パラドックス」


パラドックスは言葉であり、言葉があるからパラドックスが生じる。したがって、言葉がなければ、パラドックスは生じない。(2014年5月16日のメモ)


二〇一五年三月十日 「デブ1000」


 塾の帰りに日知庵に行った。眼鏡をかけたおデブちゃんがかわいいと言ったら、「デブ1000ですか?」と隣にいた、常連のひとに言われて、「いや、デブ1000とは言えないかも。デブだけじゃないし」とか返事してたのだけれど、一般ピープルも、デブ1000なんて言葉を知ってるんだね。いまどき。ぼくが20代前半のときに付き合ったおデブちゃんに似てた。足とか太ももとかお腹とか顔とか、ボンボンに太ってた。


二〇一五年三月十一日 「なにのさいちゅうに、いっしょうけんめい鼻の穴に指を入れようとする」


なにすんねん!?
そう言って
相手の手をはらったことがあるけど
そいつったら、繰り返し何度も
ぼくの鼻の穴に指を入れてきて
横に伸ばしたりして
鼻の穴をひろげようとするから
しまいには怒って
なにどころやなくなった
ひみつ
同じ言葉やのにねえ。
ひみつ
というだけで
すべてのものが聞き耳を立てる。
すべてのものが
ぼくとのあいだに、なにかを共有する。
なにか。
きのう、帰りに
地下鉄に乗ってるときに
アイコンタクトされてたのに
気がつかないふりをしてしまった。
あまりにも、むかしの恋人に似ていたのだ。
彼はぼくより2段上のエスカレーターに立って
ぼくを振り返っていたけれど
ぼくは横を向いていた。
先に改札を出て
わざとらしく案内地図を眺めていた。
ぼくには勇気がなかった。
すべての人類から肌の色を奪う。
すべての人類から言葉を奪う。
うんうん。
そうしてくださいな。
あと、耳とか少し感じますぅw
揚子江は、どこですか?
自分以外が
みんな自分って考えて
その上で
自分だけが自分じゃないって
考えることができるのかどうか
どだろ
むずかしいね
相手のメールを読まないで
はげしくレスし合う
な〜んてね
懐かしいでしょ?
ピコ
ひみつはコップを所有する。
ひみつは時計を所有する。
ひみつはスプーンを所有する。
ひみつは本を所有する。
と書くことはできる。
意味をなさないように思われるが
書くことはできる。
書くことで、なんらかの意味を形成する可能性はある。
上のままでは負荷が大きいので
言葉を替える。
ひみつは同一性を所有する。
ひみつは差異を所有する。
ひみつは矛盾を所有する。
この同一性や差異を矛盾を
わたしという言葉に置き換えてもよい。
これなら負荷はずっと少ない。
言葉の力の面白い性質のひとつに
その力が、万人に同じように働くわけではないという点がある。
負荷の大きさも、ぼくよりずっと大きいひともいるだろうし
まったく負荷とは感じないひともいるだろう。
意味をなさないようなものまで書くことができる。
と、塾からの帰り道に考えていた。
目にあまる
たんこぶ
思いつきと
思いやりが
同じ重さで痛い
同時にごめん
ふたりで並んで歩きませんか?


二〇一五年三月十二日 「ちょこっと詩論」


 ちょこっと痛いのが好き。言葉もそういうところあってね。詩人なんて、言葉責めを自分にしているようなものなんじゃないかなあ。言葉で解放されるのは、言葉自体であって、詩人は苦しめられるだけちゃうかなあ。それが、ほんものの詩人であって、ほんものの詩を書いてたらね。そんな気がする。詩や詩の才能は、ちっとも詩人を幸せにすることなんかないんじゃないかなあ。と思った。詩を書いて幸せな時期は過ぎました。


二〇一五年三月十三日 「道が道に迷う」


とてもまじめな樹があって
きちんと両親を生やす。
季節がめぐるごとに
礼儀正しい両親を生やす。
両親が生えてくる樹。
樹はときおり
自分が歩いてきた道を振り返る。
そこには光がきらきらと泳いでいて
その間を影が満たしている。
違った時間と場所と出来事の光と
違った時間と場所と出来事の影が
樹に見つめられている。
光は薄くなったり濃くなったり
影は薄くなったり濃くなったり
あった光と
なかった光が
あった影と
なかった影が
樹に見つめられている。
見るように見る。
見るように見える。
見えるように見る。
見えるように見える。
そんなことは
じつはどうでもいいことなのに
ひっかかる。
ただ、よくわからないという理由だけで
ひっかかっているような気がする。
ふつうだよ。
ふつうだったよ。
リプライズ
ふたたび現われた





違った時間に現われた
違った場所に現われた
違った出来事に現われた
無数の同じアルファベット
繰り返されることで、ようやく意味を持つ。
それが意味だから?
言葉だからといってもよい。
顔を歪める。
歪めるから顔なのだけれど
渡っているうちに長くなる橋
たどり着けないまま
道が道に迷う。
道が道と出合って迷っている。
ただ言葉が言葉に迷っているだけなのだろうけれど
意味が意味に迷っているだけなのだろうけれど
樹は自分の姿を振り返っていることに
まったく気がつかないまま
もくもくと歩いている。
「事実ばかりを見てても
 ほんとのことは、わからないよ。」
「わかるって前提で、話をされても・・・」
ここには意味しかない。
だったら、がっかり。
意味しか意味をもたない?
だったら、がっかり。
現実さえも
ただ語順を入れ換えるだけの操作で
目いっぱい。

いっぱい
なのだけれど
自分の書いているものが
よくわからないということを書くためだけに
こんなに言葉をついやすなんて
余裕でストライクゾーン
ほんとに?
サイゴン
彼女は階段ですれ違った幼い子どもの頭をなでた。
子どもは笑った。
子どもは笑わなかった。


二〇一五年三月十四日 「カメ人間」


庭にいるカメ人間に
ホースで水をかけていた。
カメ人間は
庭のそこらじゅうにいた。
つぎつぎと水をかけていった。
けさ見た夢だった。


二〇一五年三月十五日 「TCIKET TO RIDE。」


昼に、近くのイオン・モールで
いつも使っているボールペンを買おうと思って
売り場に行ったら、1本もなかった。
MITSUBISHI UM−151 黒のゲルインク
ぼくの大好きなボールペン
待ちなさい。
空白だ。
すべての人間が賢者になったとき
互いに教え合うといった行為はもうなされないのであろうか。
それとも、さらに賢者たちは、互いに教え合うのであろうか。
おそらく、そうであろう。
互いに、もっと教え合うのであろう。
賢くなることに限界はないのだ。
きみの考える天国には
きみのほかに、いったい、だれが入ることができると言うのかね?
すべてが変化する。
とどまるものは、なにひとつないという。
だから、むなしいと感じるひともいれば
だから、おもしろいと感じるひともいる。
詩を書いていると、しばしば思うのですけれど
象徴が、ぼくのことをもてあそんでいるのではないかと。
ひとが象徴をもてあそんでいるというよりは
象徴が、ひとをもてあそぶということですね。
ぼくのなかに訪れ、変化し、立ち去っていくものに
さよならを言おう。
ぼくのなかのものと恋をし、別れ、
また、別のものと恋をするものを祝福しよう。
ぼくのなかに訪れる顔はいつも新しい。
ぼくのなかで生まれ、ぼくのなかで滅んでいくもの。
言葉には喉がある。
喉にはあえぐことができる。
喉には悦ぶことができる。
喉には叫ぶことができる。
喉には苦しむことができる。
ただ、ささやくことは禁じられている。
つぶやくことは禁じられている。
沈黙することは禁じられている。
突然
小学校の教室の、ぼくの使っていた机の穴が
ぼくのことを思い出す。
ぼくの指が
その穴のなかに突っこまれ
ぼくの使っていた鉛筆が出し入れされる。
ポキッ
間違って
鉛筆を折ってしまったときのぼくの気持ちを
机の穴がなんとか思い出そうとしている。
折れた鉛筆も、自分が折られたときの
ぼくの気持ちを、ぼくに思い出させようと
ぼくの目と耳に思い出させる。
ポキッ
鉛筆が折れたときの光景と音がよみがえる。
鮮明によみがえる。
目が
耳が
顔が
折れた鉛筆に近づいていく。
ポキッ
再現された音ではなく
そのときの音そのものが
ぼくのことをはっきりと思い出した。
ここで転調する。
幻聴だ。
また玄関のチャイムが鳴った。
いちおう見に行く。
レンズ穴からのぞく。
ドアを開ける。
だれもいない。
だれもいない風景が、ぼくを見つめ返す。
だれもいない風景が、ぼくになり
ぼくは、その視線のなかに縮退し
消滅していった。
待ちなさい。
空白だ。
今年のカレンダーでは
6月が削除されている。
笑。
だれひとり入れない天国。
訪れる顔は
空白だ。
女給の鳥たちの 死んだ声が描く1本の直線、
そこで天国がはじまり、そこで天国が終わるのだ。
線上の天国。
笑。
あるいは
線状の天国


二〇一五年三月十六日 「家族烏龍茶」


器用なぐらいに不幸なひと。
真冬に熱中症にかかるようなものね。
もう鯉は市内わ。
もーっこりは市内わ。
通報!
南海キャンディーズの山里にそっくりな子だった。
竹田駅のホームで
突っ立って
いや
チンポコおっ立てて
あそこんとこ
ふくらませてて
痛っ。
かっぱえびせん2袋連続投下で
おなか痛っ。
赤い球になった少年の話を書こうとして
なんもアイデアが浮かばなかったので
マジ痛っ。


二〇一五年三月十七日 「趣味はハブラシ」


何気に
はやってんだって?
んなわけないじゃない。
ただ透明な柄のハブラシが好きで
集めてるっちゅうだけ。

べつに
ブラッシングが趣味じゃなく
むろん元気
さかさま
ときどき指先で
さら〜っと触れるんだけど
うひゃひゃひゃひゃ
こいつ
笑ってる。
わけわかんないまま
ところどころ、永遠な感じで
そこはかとなく
バディは
エッグイとです。
体育会系のハブラシとか
ちまちま
親子ハブラシとかねえ
ええ、ええ
グッチョイスざましょ? 
素朴でいいと思います。
それだけにねえ
残念だわ。
生石鹸みたいに
たいがい中身丸見えだもの。
そんなこと言って
むかしの身体で出ています。
仮性だっちゅうの!
ああ、宙吊りにしたい。
あがた
宙吊りにしたい。 濡れタオル
ビュンビュン振り回して
ミキサー
死ね!
とか言って
とりあえず寝るの。


二〇一五年三月十八日 「桃太郎ダイエット」


いまのままでいいのか?
サバを読むって
年齢だけじゃないのね。
解決しちゃいます。
静けさの真ん中で
新しい気がする。
動悸が動機。
ほら
エブリバディ
わたくしを、ごらんなさい。
パッ。
ひとつ、ひっどい作品を
パッ。
ふたつ、不確かな記憶を頼りにして〜
パッ。
みっつ、みんなにお披露目と
よくもまあ、遠慮なく
厚かましいわね。
はやく削除してください。
おねだりは
おねがいよりも難しい。
ぼくは
ハサミで空を
つぎつぎと割礼していく。
空は
ハフハフと
白い雲を
吸い込んでは吐く。
ハフハフと
吸い込んでは吐く。
光が知恵ならば
影もまた知恵でなければならない。
Palimpsest
くすくす
ぼくは、噂話に
膝枕。
すくすく
ぼくは、噂話に
膝枕。
機会があれば
また遊ぼね。
機械があれば
you know いつでもね。
「行かなくてもいいし。
 こうしてるだけでもいいねん。」
好き!
あつくんは?
へっ
なんで?
おねだりは
おねがいよりも難しい。
ほんまにねえ。
お友だちからでも。


二〇一五年三月十九日 「大根エネルギー」


日本語は下着ですけれど
薄着ね
笑顔に変わる
ラクダnoこぶ
堂々として
スキューバ・タイピング
パチパチ、パチパチ
トライ・ツライ・クライ
極端におしろい
旋回する田畑
最適化
ゆっくりなぐる
あきらかになぐる
みだらになぐる
うつくしい図体で
悪意はない
傷口が開く
傷口が閉じる
悪意はない
傷口が開く
傷口が閉じる
なめらかに倒れる
倒れた場所が
カーカー鳴く。
足のある帽子が
床の上に分泌物をなすりつける
はじける確信
肩の上の膝頭が恥じらい
挨拶の視線がしおれる様子
すべて録画
恍惚として
自分の首をしめる
有害な夜明け
波の上に波が
ずきずき痛むように
重なる
なじり合いながら


二〇一五年三月二十日 「全身鯛」


おれの口
こぶしがはいるんやで
言うから
右腕をそいつの口に突っこんだら
あれ
肘まで
えっ
肩まで
頭がはいって
胸まではいって
へそのところまではいって
そしたらあとは
ずる〜って
全身



二〇一五年三月二十一日 「つぎの長篇詩に入れる引用」


外へ外へと飛び立つ巨大なエンジンが視界から消え
大道(オープンロード)とあなたが名づけたあの意識の橋梁の上を飛んでゆく
この今だ──あなたの夢幻(ヴイジオン)がまた私たちの計器となるのだ!
(ハート・クレイン『橋』四 ハテラス岬、東 雄一郎訳)

もちろん、ホイットマンの引用のあとに

  〇

私をわれに返す
(ポール・ヴァレリー『海辺の墓地』安藤一郎訳)

「夢」が知となる。
(ポール・ヴァレリー『海辺の墓地』安藤一郎訳)

夢は、自らが自分に架け渡した橋である。

絶妙に <自らに橋懸けるあなた> よ、ああ、<愛> よ。
(ハート・クレイン『橋』八 アトランティス、東 雄一郎訳)

「自らに橋懸けるあなた」=「愛」
「愛」=「知」
こう解釈すると、ぼくの長篇詩のテーマそのものとなる。

想像が橋がける高み
(ハート・クレイン『フォースタスとヘレネの結婚のために』三、東 雄一郎訳)

しかし、その橋脚を支えるのは、「現実」であり、「現実の認識」である。

「きれいね、こんなにきれいなものがあるなんて」
(ハート・クレイン『航海』五、東 雄一郎訳)

プイグの「神さまは、なんてうつくしいものをおつくりになったのかしら」とともに引用。

歯の痛み?
(ハート・クレイン『目に見えるものは信じられない』東 雄一郎訳)

肘の関節の痛み、側頭部の電気的なしびれ、胸の苦しみ、胃の痛み、皮膚を刺す痛み

腎炎になり人工透析を受けたときのこと、腸炎での入院体験などとともに神経症と不眠症と実母の狂気についての怖れと不安について列記すること。

  〇

松の木々を起こせ──でも松はここに目醒める。
(ハート・クレイン『煉獄』東 雄一郎訳)

水鳥を眠らせるのは、何ものか?
水鳥を目ざめさせるのは、何ものか?
水鳥を巣に運び眠らせるのは、何ものか?
水鳥を目ざめさせ巣から飛び立たせるのは、何ものか?
それが、ぼくの愛なのか、それとも、ぼくの愛が、それなのか?

Dream, dream, for this is also sooth.
(W.B.Yeats. The Song of the Happy Shepherd)

夢を見ろ、夢を、これもまた真実なのだから。
(イェイツ『幸福な羊飼の歌』高松雄一訳)

アッシュベリーやシルヴァーバーグの Dream の詩句や言葉をつづけて引用。

  〇

一羽の老いた兎が足を引きずって小道を去った。
(イェイツ『かりそめのもの』高松雄一訳)

 百丈が一人の弟子と森の中を歩いていると一匹の兎が彼らの近寄ったのを知って疾走し去った。「なぜ兎はおまえから逃げ去ったのか。」と百丈が尋ねると、「私を怖れてでしょう。」と答えた。祖師は言った。「そうではない、おまえに残忍性があるからだ。」と。
(岡倉覚三『茶の本』第三章、村岡 博訳)

ヴァレリーの「ウサギが云々」とともに引用。

 すべてが出合いだとするぼくの考え方について、出合いを受け取るときの心構えについて言及するよい例だと思われる。忘れず引用すること。

  〇

苦労せずにすぐれたものを手にすることはできない。
(イェイツ『アダムの呪い』高松雄一訳)

努力を伴わない望みは愚かしい
(エズラ・パウンド『詩篇』第五十三篇、新倉俊一訳)

誤りはすべて なにもしないことにある
(エズラ・パウンド『詩篇』第八十一篇、新倉俊一訳)

 パウンドがイェイツと交友関係にあったこと。秘書になったことがあることを思い起こすと面白い符合である。ヴァレリーの「そもそも、ソクラテス云々」を入れるとより効果的な引用になるだろう。

  〇

不運にして未来に名を持てる者たち
(エズラ・パウンド『詩篇』第八十篇、新倉俊一訳)

必ず人間も死んで分かるんだ。
(ハート・クレイン『万物のひとつの名前』東 雄一郎訳)

 イーディーのこともあるけれど、多くの芸術家が、とりわけ、時代に先がけて才能を発現した芸術家に共通することである。生きている時代には評価されなくて当然である。その時代を超えて評価されるのであるから。だから、「すべての顧みられない芸術家」に、「いま現在においては認められていない芸術家」に、このことは、こころにとめておいてもらいたいと思っている。


二〇一五年三月二十二日 「ハート・クレインの『橋』の序詩『ブルックリン橋に寄せて』の冒頭の連の翻訳について」


How many dawns, chill from his rippling rest
The seagull's wings shall dip and pivot him,
Shedding white rings of tumult, building high
Over the chained bay waters Liberty─
(Hart Crane. To Brooklyn Bridge)

幾朝、小波の寝所に冷えとおる
鴎の翼は急降下、錐揉みさせて
白い波を投じつつ、鎖で囲われた
湾上高々と「自由」を築き接ぐや─
(ハート・クレイン『橋』序章 ブルックリン・ブリッジに寄せる歌、森田勝治訳)

これは、『ハート・クレイン『橋』研究』にある、森田さんの訳なんだけど
原文に忠実な訳は、この人のものだけだった。どこの箇所に関して言及しているのかといえば、2行目である。ほかの訳者の翻訳部分を書き並べると

かもめの翼は さっと身をひたしては旋回に移ってゆくことだろう
(楜澤厚生訳)

鴎は翼に乗って、つと水をかすめては旋回し、
(川本皓嗣訳)

鴎は翼で躯(からだ)を浸し舞いあがってゆくのだろう、
(東 雄一郎訳)

鴎は翼で躯を濡らし 回転する
(永坂田津子訳)

原文に忠実な訳であり、詩の大切なイマージュを翻訳しているのが、この箇所に限っていえば、森田さんの訳だけであることがわかる。ぼくが英語の詩や小説を読んでいて、もっとも自分の詩句のためになると思う書き方の一つに物主語・抽象的事物を主語にしたものがある。日本語で考えるときに、なかなか思いつかない発想なのだった。いまでは、もうだいぶ、操作できるようになったのだが、それでも、やはり、英文を読んで、まだまだ新鮮な印象を受ける。この2行目の箇所が、そのさいたるものであった。森田さんの注釈がまた行き届いたもので、たいへん読んでいて楽しい。この2行目のところの注釈を書き写すと

1. 1 “his”: は“him”(1.2)と共に鴎のこと。だが朝早くから寝呆け眼で出勤する人でもあり、次の行でカモメが空に舞い上がるが、そうは表現されておらず、翼がカモメを振り回す。寒い寝床で強ばった体が翼に引き回されれば解れるか。鳥に翼があるように、人には明日を夢見る向上心があるから、それに書き立てられて吹き晒詩の冬の橋も渡る。
1. 2 “The seagull's wings ”: これは、橋のケーブルが織り成す翼の形とも重なる。
1. 3 “white rings of tumult”: カモメが空に描く「心を掻きたてる幾重なす白い輪」、または「騒々しい白がねの響き」とでもするか。白い鳥の描く軌跡に音を聞く(共感覚、後述。“Atlantis,” 11. 3-4の項参照)。あるいは 〈ring〉を私利私欲のために徒党を組む政治ゴロの集団(例えば1858年から1871年にかけてニューヨーク市政を牛耳ったTweed Ring のような)と考えても面白い。実際この橋の建設には膨大な闇金のやりとりがあって、ローブリングを悩ませたという。(…)

 あまりにも面白過ぎるから、2行目以外のところもちょこっと引用したけれど、森田さんの注釈は、ものすごく興味深い記述に満ちていて、それでいて、詩句の勉強にもなるので、マイミクの方にも、強くおすすめします。買って損はしない本だと思います。病院の待ち時間の3時間で、5,60ページしか読めなかったけれど、原文と比較しながらなので、まあ、そんなスピードだったのだけれど、帰ってきてからも読みつづけています。ポカホンタス、出てくるよ、笑。ずっとあとでだけど。東 雄一郎さんので、全詩を翻訳で読んだけれど、ハート・クレインは、すばらしい詩を書いているなあって思った。
 ちなみに、この2行目から、つぎのような詩句を思いついた。

 たしかに、自分の知恵に振り回され、きりきり舞いさせられるというのが、人間の宿命かもしれない。どんなに機知に長けた知恵であっても、そこに信仰に似たものがなければ、すなわち、人間の生まれもった善というものを信じることができなければ、あるいは、人間がその人生において積み重ねた徳を信じることができなければ、知恵には、何ほどの値打ちもないものなのに。
 そう思う自分がいるのだけれど、しばしば、言葉に振り回されることがある。思慮深く対処すれば、その言葉の発せられた意図を汲み取ることが容易なはずなのに、浅慮のせいで、対処を誤ってしまうことが多いような気がする。
 しかしながら、あまりに深く思考することは、沈黙にしか&#32363;がらず、ふつう、人間は、浅慮と深慮のあいだで、こころを定めるものである。偉大な精神の持ち主だけが、そういった精神の持ち主の言葉だけが、深慮にも関わらず沈黙に至ることなく、万人のこころに響く、残りつづけるものとなり、後世の人間を導くものとなるのであろう。言葉と書いたが、これを魂と言い換えてもよい。


二〇一五年三月二十三日 「トライアングル・ガール」


トライアングル・ガールのことが知りたい?
じゃあ、そのペンでいいや。
それでもって、彼女の顔をたたいてごらん。
チーンって、きれいな音がするじゃない?
それだけでも、すてきだけれど
きみがリズムをきざんでごらんよ。
世界が音楽になるから。
トライアングル・ガールたち
彼女たちが顔を合わせれば
蝶にもなるし葉っぱにもなる
蝶になれば、追っかけることもできるさ
葉っぱになれば手に触れることもできるさ
トライアングル・ガールたち
彼女たちが顔を合わせれば
花にもなるし蜜蜂の巣ともなる
花になれば、香りもかげるさ
蜜蜂の巣ともなれば蜜が満ちるのを待つこともできるさ
トライアングル・ガールたち
彼女たちが並ぶと
波にもなるし
鎖にもなる
波になればキラキラ輝くさ
鎖になれば公園で遊んだ記憶を思い出させてくれるさ
トライアングル・ガールは
ぼくのかたわらのボーイフレンドの喉にもなるし
ぼくのボーイフレンドのくぼめた手にもなる
彼女はあらゆるものになるし
あらゆる音にもなる
トライアングル・ガール
彼女の三角の顔を見てると
幸せさ
公園のブランコで
ブランコをこいでる
トライアングル・ガール
顔のなかを風がするする抜けるよ
飛び降りた彼女の顔に
まっすぐ手を入れると
手が突き抜ける
あらゆる場所に突き抜ける


二〇一五年三月二十四日 「知恵」


なぜ、地獄には知恵が生まれて
天国では知恵が死ぬのか。

地獄からは逃れようとして知恵を絞るけれど
天国からは逃れようとして知恵を絞ることがないからである。


二〇一五年三月二十五日 「歌」


まったく忘れていたのに
さわりを聴いただけで
すべての部分を思い出せる曲のように
きみに似たところが
ちょっとでもある子を目にすると
きみのことを思い出す
きみは
ぼくにとっては
きっと歌なんだね
繰返し何度も聴いた
これからも
繰返し何度も思い出す



二〇一五年三月二十六日 「なによりもうまくしゃべることができるのは」


手は口よりも、もっと上手くしゃべることができる。
目は手よりも、もっと上手くしゃべることができる。
耳は目よりも、もっと上手くしゃべることができる。


二〇一五年三月二十七日 「ハート・クレイン」


聖書学を教えてらっしゃる女性の神学者の方が
ぼくを見て、「お坊さんみたいと思っていました。」
と、おっしゃられて、このあいだ、帰りに電車でごいっしょしたのですが
アメリカに留学なさっておられたらしく
そのときの神学校が左派の学校であったらしくて
ゲイとかレズビアンの先生がカムアウトしてらっしゃって
ぼくがゲイということも、「わたし、さいきん、まわりのひとが
ゲイだとかレズビアンだとかいうことを公言するひとがたくさんいて
ふつうって、なんなのだろうって、もう、わからなくなってきました。
でも、その告白で、彼や彼女の、なにかが、それまでわからなかったところが
腑に落ちたようにわかった気がしました。」
とのことでした。
それから、先生は映画が好きとおっしゃったので、ぼくと映画談義に。
きょうも、ハート・クレインの詩集を。
『『橋』研究』を、このあいだから読んでいて
とても詳しい解説に驚かされている。
ほんものの研究書という気がする。
原文の語意や文法解説もありがたいが
クレインの触れたアメリカの歴史的な記述や
クレイン自身の日記や、身近な人間のコメントも収録していて
こんなにすばらしい本が1050円だったことに、あらためて驚く。
本の価値と、金額が、ぜんぜん釣り合わないのだ。
すばらしい本である。
湊くんは、持っていそうだから
あらちゃんには、すすめたい本である。
はまるよ。
パウンド、ウィリアムズ、メリルに匹敵する詩人だと思う。


二〇一五年三月二十八日 「みんな、犬になろう。─サン・ジョン・ペルスに─」


みんな、犬になろう。
犬になって、飼い主を
外に連れ出して
運動させてあげよう。
ときどき、かけて
飼い主を、ちょこっと走らせてあげよう。
家を出たときと
ほら、空の色が違っているよって
わんわん吠えて教えてあげよう。
みんな、犬になって
飼い主に、元気をあげよう。
ひとを元気にしてあげるって
とっても楽しいんだよ。
みんな、犬になろう。
犬になって
くんくんかぎまわって 世界を違ったところから眺めよう。
犬のほうが
地面にずっと近いところで暮らしてるから
きっと人間だったときとは違ったものが見れるよ。
尾っぽ、ふりふり
鼻先くんくんさせて
みんな、犬になろう。
犬になって
その四本の足で
地面を支えてやるんだ。
空の色が変わりはじめたよ。
さあ
みんな、犬になろう。
犬になって
飼い主に、元気をあげよう。
飼い主は、だれだっていいさ。
ためらいは、なしだよ。
犬は、ちっともためらわないんだから。


二〇一五年三月二十九日 「金魚」


きみの笑い顔と、笑い声が
真っ赤な金魚となって
空中に、ぽかんと浮いて
ひょいひょいと目の前を泳いだ。

コーヒーカップに手をのばした。

もしも
その真っ赤な金魚が
きみの喉の奥の暗闇に
きみの表情の一瞬の無のなかに
飛び込み消え去るのを
ぼくの目が見ることがなかったら
ぼくは、きみのことを
ほんの一部分、知っただけで
ぼくたちは、はじまり、終わっていただろう。

コーヒーカップをテーブルに置こうとする
ぼくの手が
陶製のコーヒーカップのように
かたまって動かなかった。

真っ赤な金魚の尾びれが
腕に触れたら
魔法が解けたように
ぼくは腕を動かすことができた。

目のまえを泳いでいる
きみの笑顔と、笑い声が
ぼくの目をとらえた。


二〇一五年三月三十日 「きみのキッスで」


たったひとつのキッスで
世界が変わることなんてことがあるのだろうか。

たったひとつのまなざしで
世界が変わるなんてことがあるのだろうか。

たったひとさわりで
世界が変わるなんてことがあるのだろうか。

あるんだよ。
あったんだよ。
きみのキッスで、世界が一変したんだ。

あるんだよ。
あったんだよ。
きみのウィンクひとつで、世界が一変したんだ。

あるんだよ。
あったんだよ。
きみのひとふれで、世界が一変したんだ。


二〇一五年三月三十一日 「ぼくの道では」


泥まみれの
ひしゃげた紙箱が
一つの太陽を昇らせ
一つの太陽を沈ませる。


ヴァリアント


泥まみれの
ひしゃげた紙箱が
かわいた

泥まみれの
ひしゃげた紙箱が
一つの太陽を昇らせ
一つの太陽を沈ませたのだ。


ヴァリアント


泥まみれの
ひしゃげた紙箱が
いくつもの太陽を昇らせ
いくつもの太陽を沈ませる。


サクリファイス

  蛾兆ボルカ

人類の滅亡を
回避するために(だ(と(/思い込んで
/(幻聴に)指示されて)))
そのひとは
裸になり

駅前通りの池(噴水のある)に入って
小石を拾い
(そして)飲み込む
また飲み込む
飲み込む

ひとつ/またひとつ
拾っては/またひとつ拾っては
飲む

「わたしは死ななければならない!」
と、小さな(/とても小さな)声で
そのひとは叫んでいる

苦しくて
口がいっぱいになっても
まだぎゅうぎゅうと
(口に)詰め込んで
モゴモゴと
(とても)小さな声で
そのひとは
(その声はもう誰にも
聞こえない/聞かれない)のに)
叫んでいる

頬が(破れそうに)ふくれて
もう
ひとつの小石も入らないのに
そのひとは
まだ
(小石を)拾う
(((真冬の)駅前の)通りで)

ひとびとは/ひとびとが
それを見ている

誰かが呼んだ救急車が
そのひとを連れ去り
あとには/そのあとには/その日のあとには

ただ
(駅前の(公園の))噴水が
水を噴き上げている
その日から
毎日/毎昼と毎夜

彼女は(街を/駅前を/池を/ )
去ったから

もう
この街の誰も/誰一人
彼女の供犠を/供犠の彼女を
記憶しては
いない(の(だ/だけど))
事実として
人類は
今日も/今日の、昼と夜も
滅びなかった(のだ)

だから
夜の/駅前の/池の
噴水の前に立ち

滅びなかったよ

と、
僕は(今日も)
彼女に報告する




§A.タルコフスキー監督作品『サクリファイス』に寄せて


陳さん

  湯煙

大手工場での流れ作業がはねれば
陳さん
ぼくら毎日
タフ過ぎる真夏の西日を浴び
目を細めてアスファルトの上
途中公園まで自転車走らせて
(あなたが話しかける
(何度も何度も僕の名を呼ぶ
(すっかり黒くなった
(くしゃくしゃの丸顔
(片言でない日本語で


木陰のベンチに腰掛け
デカビタCの太い瓶を握りごくごく
二人して喉へ流し込んだ
そびえたつ大樹の緑が
てらてらと風に輝き
陳さん
誕生日が同じだと知った時の驚き
今でも忘れない
あなたと過ごす時が楽しかった。


技能研修に励んでいた
数人の若者たち
あなたと同郷だと知り
ここぞとばかりに話しかける
皆がニコニコと大きな声で
水を得た魚のようになって
姿の見えなくなった
あなたは気づけば中心にいて
一つ一つの小さかった波紋の輪が
つながり大きな輪となり
そんな光景を目の当たりにした
陳さん
あなたがうらやましかった。


通訳としての仕事を求め
この国へ移住し
日本人の女性と婚姻を果たし
子を儲け家族とともに暮らしている
けれども男性への求人は見つからず
職を得ることができないでいる
そう言っては
あなたは嘆いた
小さな目の瞼を閉じ
太陽のようなまん丸い顔を曇らせ
沈黙となり。
ある日の短い休憩の時間
一人座りこみうなだれたままでいる
石のようにじっと動かないあなたの
背が僅かに震えているように見えた
僕は呼び掛けることができなかった。
ただあなたを見つめるだけだった。


陳さん
あなたは言った
日本人は優しい、
優しい人が多い、
それはとてもよいこと、
けれども主張をしない、
それではダメ!
中国では病気と思われる、
変人扱いされる、
もっと自分を主張したほうがいい、
これからますます大変になる…と。


あなたと別れ
月日が経ちしばらくして
僕の国のあちらこちらで
雨後の筍のように
あなたの母国へ
あなたの同胞へ
毅然と声を上げる人々が現れました。
あなたは
いつか僕に語ってくれた
会社を興し事業をしたいという
その夢を叶うべく
とっくに余所へと去ったでしょうか
それともまだ
風が強く吹き荒れる
この国のどこかで
慣れない作業に従事しながら
通訳の仕事を探しているでしょうか。


あなたが一番優しかった


共通する無題詩

  山人


ひらひらした幸福が
街の中を舞っている
今日で地球が終わるので
みんなあわてて楽しもうとしている
それにしてもにこやかじゃないか
もしかしたら終わらないのかも、ね。
そのように僕は彼らを妬んでいると
空からめまぐるしく雪が降ってきた
白く底知れない雪が
降り積もる
まるで僕の穴ぼこを埋めていくように。
埋めてしまえば証拠は残らないよ
僕の妬みや消沈を埋めていっている
悶々・・しながら雪は
慌ただしく思いっきり
わりと気合入れて降っているから
僕はすこしあきれて
いやぁ、降るなぁ、などとしゃべってみる
すると雪はただ黙って
力(りき)入れてどんどん降り積もっていく
クリスマスももう終わって
明日からまた
あたらしいセカイがはじまるらしい。




今まで幾度となく訪れたラーメン店は、少し早い時間帯にもかかわらず「営業中」の看板を掲げていた。
細長い体躯の店主と中年の女が、静かに決まりきった作業を行い、開店準備をしていた。
いくぶん早い客の来訪にあわてるでもなく、自分の所用を足しつつ、頼んだ味噌ラーメンの準備をしている。
店主の中華鍋に無造作にモヤシが放たれ、絶妙な鍋さばきでモヤシは宙を舞う。
いたって淡々とまるで普通に息を吸うかのごとく、店主は当たり前に作業を進める。
女と店主は無言で互いの作業を見計らい、絶妙のタイミングで一杯の味噌ラーメンが仕上がった。
わずかにひき肉がスープの隙間に漂い、どんぶりの中央にはもっさりとモヤシが頂きを形成している。
「麺がおいしくなりました」、と宣伝ポスターが貼ってある。
割箸で麺を掬うと、その光沢に富んだ麺は緩やかにしなだれ、口中に解き放たれるのを心待ちしているかのようだ。
広い店内には、まだ忙しくならないうちにと、店主は別な用事を足している。
女は手持無沙汰のようで、することもない作業に手を動かしていた。

ぞぞっ。
美味い麺というよりも、主張をしない、つつましくもねっとりと絡みつく情感のある舌触り。
スープは、ほどよく麺体に絡みつき、それを静かに抱きしめるように歯は咀嚼していく。
麺は、果てては胃腑に眠るように落ちてゆく。
気がつくと、どんぶりの中の麺はいなくなり、脱ぎすてられた衣服のようにモヤシと挽肉が漂っている。
蓮華で一口ずつ口に運ぶ。
やがてピンが外れたかのように、大口を開けてどんぶりに唇を寄せ、無造作な所作でつくられた愛を胃腑に注ぎ込んだ。

その日、食欲は無かった。
美味いラーメン屋は多々あり、タレントのような笑顔で接する、かなしい接客から作り出された食い物の顔を見たくなかった。
何杯ものラーメンをつくるために淡々と作業を行う店主は、すでにモヤシ状に細まり、まるでそれらは店主の血管ですらあった。

店を出ると相変わらず忙しそうに年末の道路は混んでいた。
何かに怯え、目的のない方向へ向かって車は走っているかのようだった。
気がつくと、私の額には汗がにじんでいた。




三日続いた雪の切れ間にほっとし、作業の終了に安堵していた
片づけを終え、雪の壁に放尿する
溜め込まれた液体は、夜に開放されている
空を見上げると、折れそうな細い月が霞んだもやの中で上を向いている
冬の夜の冷気は鋼鉄のようで、星々は光を脈打ちながら瞬いている
夜は寒さに張り付き、あらゆる物を縛りつけ、凍らせていた

どろんとした光を放つ外灯の下では、数え切れない煌きがあった
雪の結晶がオブラート状に薄平らになり、そこに外灯の光が放射し
まばゆい輝きを放っている
それは雪の表皮がきらきらと乱舞しているかのようだった

尖った月は少し揺らいだかのように見えた
言葉にならない命を吐露し、夜をしまいこむ
階段を昇りながら、もう一度ふりかえり、今年最後の雪の結晶を見ていた


#05

  田中恭平


This is a pen.
そう
これは、This is a pen.
おれの握っている物は、ペンなんだよな


当たり前のこと
それが、間違っていないことに
慄いてしまうようになった


病院の敷地を、超境することは
毎晩、ギターフィードバック・ノイズと
ガナりと
餓鬼への挑発で
──超越していたから
さもないことだった


はじめて
ギグを見にいって、夜更けまでねばって
テキトーにジャムってるロッカー達を
眺めているときは
さいわいだった
火のように熱かった、──感興!


「おい、そこの餓鬼、観てるだけでいいのか?
 ギター貸してやるから、ジャムってみろよ」
「ああ、ぼくが弾くと、ジャムのレベルが下がりますから」
  謙遜して、そう答えると、今度は随所から
「そりゃ、そうだわなぁ」

死にてぇ、って
常々思っていたつもりだったけど
ほんとうに死にたいと、思ったのは
それが最初か

でも

当たり前に死にたい
と思うことが
──間違っていないこと、
それは怖くないな


林を抜けて森を抜けて
白い患者服を脱げば
グラッジな、レッド・ネックスタイルで
くそロック・スターだ
くそロック・スターであるということだけで
病棟の外、喫煙所に行かせてもらえたら
逃げだすことは、容易いだろ

病院は、少し考えた方がいいな
皮肉屋
ゴシップに書かれた通り、おれは皮肉屋なまま
林を抜けて森を抜けて


クリス、

クリスをおもっているけど
クリスが、クリスであることは当たり前で、って
考えてしまうことは、さいわいだよ
はじめておれがマリファナを喫ったと
きみへ告白したとき
きみは、どんな顔をしていたっけ
悲しみの果て
何があるかなんて
おれは知らない
見たこともない
ただ、あなたの顔が、浮かんで消えるだろう、と
 ハハッ、
浮かばないな

また降下していくのか
わからない
おれは、他者ではないから


深夜テレビで、仏教漬けになったっけ
いま、落ち着かない
印税で買った、家のテレビを点けても
もう、仏教講座はやってない
まあ、ヘロインキメて悟るのと
苦行して悟るのと
それは、同じ悟りかな
悟る、って何か
わからないだけ、体がふるえる
存在する、
当たり前のことが
間違ってない、ってことが
怖くなって
怖いのは、救われないからだ
だからまた
血管へ針を射す
ツメタサ、
カンコウ、


This is a pen.
そう
これは、This is a pen.
おれの握っている物はペン
当たり前のことが
間違っていないことへ
慄きつつ
筆を走らせる
走らせた筆はころぶ
丁寧、抱えてやって
立たせてやって
また、筆を走らせてやる
背中を押してやる
筆の走りの速度が
わからなくなってきてしまって
ああ
時間の概念がなくなった



仏陀へ

これは明らかに弱々しい、幼稚な馬鹿の言葉だ
だから、理解するのは簡単だろ
何年もの間
パンクロックのすべての警鐘は
独立心
コミュニティーを、受け入れることに関係していた
いま その論理へはじめて入門して以来、ほんとうであったと感じるよ

おれはずっと長いこと
音楽を聴くこと
曲を作ること
何かを書くことに
喜びを感じなくなってしまった

ステージ裏へ戻って
照明がすべて消え
熱狂的な聴衆の、絶叫をもってしても
聴衆の、愛と崇拝を喜び
楽しんでいたフレディ・マーキュリーが感じたように
喜び、楽しみを感じることはできなかった

フレディ・マーキュリーみたいにできるのは
本当に立派で、羨ましいと思う

おれは、みんなに嘘をつくの嫌だ
ひとりも騙したくない
おれが考える、最も重い罪とは
百パーセント、楽しい、と嘘をつき
ふりをして
ひとを騙すこと

ステージへ出ていく前
タイムカードを押しているような気分だった



愛してる



間違いなく
それが、銃口であることに慄きもせず
銃口を
口に咥えた

銃口は
鉄の味がして、冷たかった

それは
当たり前のことなのに
間違っているような気がして
すこしだけ、笑ってしまった








※ロックバンド、エレファントカシマシの楽曲「悲しみの果て」より歌詞引用あり。
 しかし句読点を配し、厳密な引用ではない。
※カート・コベインの遺書より引用あり。訳は筆者に寄る。

 


マチ子とブタと病室で

  尾田和彦



ジプトーンの天井を見つめながら
病院のベットに横たわったブタは云った
俺には心臓が無いんだよ


看護師のマチ子はブタの脈をとった
どういうわけかしらね?
ブタはもう一度云った
俺には心臓が無いんだ


ブタの白くて柔らかい肌には黒い斑点がいくつもあった
ついでに云っとくが
俺には血管もない
採血しようたって無駄だぜ
看護師はなにかというと血をとりたがる
俺には流れる血もない

マチ子はメディカルバックを窓際にやった
ブタ君
怒らないできいてくれる?
君はもう死んでるわ
残念だけど・・

ブタは錯視の眼でレモンに齧りついた
孤島の村の
病室の窓からは
白い浜辺が見える
バカ言うな
俺は生きてる

何なら今ここでお前を抱いてやったっていい
警察呼ぶわよ
死体を逮捕する警察なんているかよ
あなた
気分を害するかもしれないけど
人間の世界ではあなたのことを
「死」と呼ぶの

ブタはマチ子の唇をふさいだ
ブラのフロントホックを左手で弾くと
ブタはマチ子の上にのしかかった

雲が
動いていた
真っ青な
空の
8月の入道雲が
病院の窓から
見えた

心臓の無いブタの
ブヒブヒいう啼き声と
すすり泣くような女の声が
ミンミンゼミの鳴く声が
アブラゼミの声が
ブタの泣く声と
女の鳴く声

そして時々
女は
愛してると云った

死んでるワ あの人
マチ子は漆喰の板壁に背をつけ
驚いたような顔をしている
ブタはたった今
死んだよ

警察の人がきて
脈を診ていった

ブタから流れた血は
一滴もなかったって
警察のひとが
ちゃんと 云ってたよ
マチ子は漆喰の板壁に背をつけ
驚いたような顔をして

警察の人がきて
あの人が云ったように
あたしたち
最期まで
逮捕もされなかったわ


既読スルー

  泥棒

目に精子が入れば
充血して
水色に見える街
キタノブルー
映画を観て
徹夜自慢した朝に
人間失格
それでいて
国家試験合格したような
澄みわたる
冬の空
しかしながら
私は何の資格も持っていません。




(えりちゃん、
君が私を呼ぶ
ふぅ、
君はかわいい
去年まで童貞だった君はかわいい
私に会いに来ていたのか
私のまんこに会いに来ていたのか
今はもうどっちでもいい
ふう、
かわいい君は
春も夏も
何回も会いに来てくれたのに
秋には一回も来てくれなかった
休憩室で
目薬をさして
詩を書いていたら
店長が
(暖冬らしいよ
って
つまらない世間話しをはじめる
ふぅ、
つまらないな
私の書く詩も
つまらないものだろうか
夕方は悩んだ方の負け
絶対に負けだね
ふっ、
週二日
今まで私は
何人のちんこ
くわえたんだろ
かわいい君
本当の名前なんて知らない
かわいい君
それでも
君の趣味や性格は知っているよ
また
会いに来てほしいな
今年の冬で
このバイト
もうやめるし
ふう、
かわいい君
今年は暖冬らしいよ
って
そんな
つまらない世間話しなんてしない
君の好きな詩の話しや
私の好きな漫才を
ふたりで
ユーチューブで見たいな
裸で
お互い裸で
君のちんこ
さわりながら見たいな
いつも
コンビニのケーキふたつ
買ってきて
ふたつとも君が食べる
私は
イチゴだけ食べる
ふっ、
ペットボトルの水をのんで
(水の味がしない
って
かわいい君は
いつも言っていたね
ふー、
かわいい君
私のことなんて
もう忘れたのかな
忘れたんだな
ふぅ、
かわいい君
あの試験どうなったの
約束したよね
合格したらしてあげる
って
君のなら
精子ごっくんしてあげるよ
(君の味がする
って
ふざけながら言いたい
ふー、
もう夜だよ
負けたまま夜だよ
悩んだら
それが文学になるのか
(ばかっ
なるわけない
窓の向こう
それにしても
めっさでっかい月
夜の街に激突するかもよ
ほら
みんな死ぬんだ
かわいい君も死ぬんだ
暗い詩ばかり書いている人の感性を
今夜も私は
クズのようだと思っています
星座を見つけて
お前らの詩なんか
誰にも読まれなければいいと
いつも願っています
ふぅ、
いつか必ず死ぬ
みなさん
私の詩を読んでください
そして
軽蔑してください
ふー、
月に吠えたい
見てるかな
どっかで
何の資格も持っていない私から
かわいい君へ


最近、どんな詩をよんだ?


送信
っと。


キングコング岬

  atsuchan69

艶かしい光感受性受容器が視神経を通じて見てはいけないアレの端末を脳中枢へと運ぶ。見てはいけないアレの端末であるグロテスクな映像には言葉にしていけない文字である淫らなアナタ自身の当たり障りのない日常的な動作が含まれており、モダンな部屋の壁の色や置かれた家具の配置なども言葉にしていけない文字である淫らなアナタの感性とはまったく関係なく見てはいけないアレの端末は単なる【信号】として時間軸の曖昧な未来へと伝達された。ただそこに別の映像である記憶が無数に紛れているのを見てはいけないアレの端末をすでに脳中枢へと運びおえた言葉にしていけない文字である淫らなアナタは少しも関知していなかった。今しもベッドに横たわる不可視の「見るべきモノ」と文字のない「読むべきモノ」を、昨日の続きを演じるようにまるで理解など無用といった脳天気な顔で言葉にしていけない文字である淫らなアナタは事務的に片づけはじめる。しかし見てはいけないアレの端末は記憶の中では白い砂浜のつづく地球のどこか南の島の海岸でサマーベッドに寝そべっていた。そのとき見てはいけないアレの端末は、赤らんだ嫌らしい顔を少し大きめのサングラスで隠し「すなわち、はげわし、ひげはげわし、みさご、とび、はやぶさの類、もろもろのからすの類、だちょう、よたか、かもめ、たかの類、ふくろう、う、みみずく、むらさきばん、ペリカン、はげたか、 こうのとり、さぎの類、やつがしら、こうもり」と言った。つまり言葉にしていけない文字である淫らなアナタへの愛の告白で、さらに「人がもしその頭から毛が抜け落ちても、それがはげならば清い」とも言った。記憶のなかでは見てはいけないアレの端末は、詩人で魔法使いでもあった。彼が「時よ止まれ」というと時間は止まり、「時よ動け」と言うと時間はふたたび動き出した。たった今、束の間に、この部屋にいて、すべての許されない事柄は、けして言葉にも映像としてのイメージにさえもなりえないタブーの領域に封印されていた。それでも窓の外を覗くと、あの日の波の音ともに見てはけないアレの端末とふたり岬の先端から眺める夕映えの海の景色がよみがえった。彼は言った、「イメージするんだ、今こそ俺の真実を話そう」そしてサングラスを外すと、「いくぶん突飛な喩えだが、俺は優しいキングコングは嫌いだ。なぜなら映画に出てくる奴は偽善そのもので真実からは遠く離れているからだ」そう言うと、彼はしばらく押黙った。言葉にしていけない文字である淫らなアナタは彼がこれからとても重要なことを話そうかどうかいくぶん躊躇していることを悟った。「お願い。言って、どんなことでも。私、びっくりしないわ」すると彼はニヤリと笑った。「じゃあ、もう一度イメージするんだ。つまりその、映画の中では登場しない、隠された、キングコングのアレを」言葉にしていけない文字である淫らなアナタは少し困った顔で言った、「アレって、アレのことかしら? つまり、とんでもなく大きくて、ぶらぶらしている‥‥」見てはけないアレの端末である彼はかぶりを振った、「そんなんじゃない。もっと、もっと、よくじょうして、かたくなった、とてつもなくでかい、アレだよ、アレ‥‥」言葉にしていけない文字である淫らなアナタは、そのとき大波の飛沫のとぶ岬の突端で雄叫びをあげながら胸を叩くキングコングの姿を見た。「見える、見えるわ! つまり、あなたはTVではとても放送できない、天を向いて、そそり立つ、あの股間の‥‥モザイクだったのね」


神様のはなし

  熊谷


 神様にGPSをつけたら、わたしの家を指し示していたので、その日はいつもより丁寧に掃除をして、いつもより野菜が多めの食事を作るようにした。そうしたら、旦那はいつもより口数が多くなり、おまけに体脂肪率も減っていった。わたしたちはきっと今までよりもほんの少し、お互い寿命が伸びたように思う。神様は、わたしたちの未来の時間になった。

 神様にGPSをつけたら、近所の公園を指し示したので、行ってみたら蝉が死んでいた。まさか蝉が神様だったとは思いもしなかったので、大切に公園の隅に埋葬することにした。手を合わせて家に帰ると、玄関にも同じように蝉が死んでいた。GPSを見ると、相変わらず埋葬した場所を指していたので、玄関先で亡くなっている蝉は神様ではなく、ただの蝉に違いなかったのだけれど、神様の隣に埋葬してあげることにした。神様はときどき死んだふりをして、わたしを試そうとする。

 神様にGPSをつけたら、どこにも指し示めさなかった。どこにもいないのか、特定できないようにしているのかわからなかったが、旦那の体脂肪は相変わらず減ってきているので、いつもと変わらず丁寧に掃除をして、野菜多めの食事を作ることにした。食事をしながら、おいしいねと言った旦那の口元にえくぼが浮かんでいて、その瞬間GPSが家を指し示した。神様はえくぼでひと休みをする。

 神様にGPSなどつけられない。物を書くようになってからよく嘘をつくようになって、それをほんのちょっとだけ反省をしている。それでも、目に見えないことを信じようとすること、その行為そのものがとても愛しく感じられる。わたしたち夫婦がどんな形で結婚式を挙げようが、どんな形でお葬式をしようが、そして神様がどこにいようが、どこにもいなかろうが、そんなこと本当はどうでも良かった。冷蔵庫の中身を見ると、野菜が少なくなってきているから、スーパーに行って特売の野菜を買ってこなければならない。わたしにとって本当に大事なことは、そういうことなのだ。


かなしみ 

  前田ふむふむ

   

わたしは みずがない渇いた海原で
孤独な一匹の幻魚の姿をしていたときに見た
色とりどりの絵具を混ぜ合わせたような
漆黒の夕暮れのなかで
朦朧として浮き上がる白骨の黄昏と
共鳴していたかなしみを
無音の慟哭の声を上げて
抱きしめている

赤茶けた砂漠の
絶え間なく変わっていく文様のように
こころは激しくゆれているが
たちまち
凡庸に静まっていく湖面にすがたを変える
その慌ただしき曲折
みずうみには 誰にも知られずに
許されざる過去が沈んでいるだろうか
気がつけば 即興的に濃度が決められている
気紛れな塩水が溶けている
この乾涸びたこころを
剃刀で切り裂いているが
一滴の血も流れない
わたしは ほんとうは 保身の城のなかで
乾いた涙を流しているのだろうか
わたしは 絶望する母親のように
血まみれの胎児を抱いて
強風の吹きすさぶ岸壁の上に佇み茫然としている
だが その赤子こそが 自分であることを
雲に隠れたぼんやりと映る弦月のように
はっきりと認めようとはしない
わたしは 偽りの岩なのだろうか

けれど 冷たい深淵が瞬き 立ち上がる現実を
すべて口に含み 飲み込んでしまえば
こころの壁の 涼やかな水底に浸るわたしは
都会の片隅で
口笛を吹きながら 他人の鏡に映る
自分の青白い顔に
ふてぶてしい薄笑いを浮かべても
霞んでいく瞳のなかの 黒点にある広々とした荒野では
おのずと熱い溢れる涙が
止めどなく流れて落ちている
震える頬に 震える口元に 震える手の中に

今日もわたしは 暗い部屋の片隅で 寂しく
わたしという赤子のかなしみを抱きしめている


僕のノートに

  

「芋虫」

僕は草花が好きなので、成長したくない。
なぜかいうと、僕は僕の季節に従って、
変化するだけ。
芋虫は蛹の中で、うちの家の庭木を、
食べ尽くしたこと、ぜんぶ忘れて蝶になれっ。
子供の頃、虫かごの中でたくさん殺した。
お母さんが怒るので、先生に言われた通り、
標本にしたりした。



「キャー!」

小学校まで、一人で歩いて1時間、
それからみんなとバスに乗って、さらに1時間かかった。
僕のクラスは8人で、男子は菅君と僕の二人だけだった。
菅君は、毎週お母さんに花束を持たされていた。
それはとてもきれいな花で、いつも教室の花瓶に飾ってあった。
菅君は、いつも先生から、ありがとうと言われていた。
僕も先生に、ありがとうと言われたかったので、
雑草をいっぱい摘んで、先生に渡した。
先生のありがとうは、菅君のありがとうの時と少し違った。
次の日、僕は養殖池から飛び出して、
地面でピチピチ跳ねていたマスを捕まえて、
ランドセルに入れて先生にあげた。
先生はキャー!



「首吊り」

僕の作文が選ばれて、
南海放送のテレビで発表されることになった。
放送の日、お爺ちゃんは市内のうどん屋で
それを観て泣いていたらしい。
作文の内容は、
僕が大人になったら、
お医者さんになってお爺ちゃんの病気を
治してあげるというものだった。
その日の放課後、僕は校庭のスベリ台のてっぺんに、
なわとびの片方を括りつけ、
もう片方を自分の体に巻きつけてすべって遊んでいた。
けれど、体に巻きつけた方のなわがつるっとすべって
首にひっかかってしまい、首吊り状態になってしまった。
僕は意識不明で救急車で運ばれ、
ウンコもオシッコも垂れ流しだったらしい。
気がついたとき、新しいパンツをはいていた。
僕は診療所のベッドで横になりながら、
「1日に2回もテレビに出るところやったんよ。」
と、お爺ちゃんの顔をみて言った。





・地獄へ落ちないためには
天国を作らないことです





「おえっ!」

僕が中学生の頃、
小児がんを患ったとき、
新しいお母さんはきた。
僕は抗がん剤の副作用で、
口にするものぜんぶ吐いていた。
だけどもたくさん夢があって、
食べたいものはいっぱいあった。
ある日、鶏のカラアゲが食べたいと、
つい言ってしまって、
それから新しいお母さんは、
毎日、鶏のカラアゲを持ってきた。
毎日、鶏のカラアゲを運んでくる、
新しいお母さんのこと、
お父さんは感謝しろと言うので、
僕は毎日、カラアゲをトイレに流していた。




「風呂桶」

お父さんが家に帰ってこなくなって、
僕はせいせいしながら夜遊びをしていた。
ある日、めずらしくお父さんが家に居るので、
僕は二階に非難していた。
すると、一階から女性の大きな叫び声がするので、
そろそろと降りて覗いてみると、
玄関のガラスが割れていて、風呂桶に裸の女の人が入っていた。
それを別のもう一人の女の人が、仁王立ちして睨み付けている。
僕はチャンスと思って外に出て、さっさと自転車に乗って出かけた。
小児がんの再発で、「コバルト照射」という治療をうけることになった。
お医者さんは、副作用として脱毛と無精子になる恐れがあると言った。
毛は既に抜けているので、気にならなかったけど、
無精子というのは大人になったときの自分に、
どのような影響を及ぼすのか想像がつかなかった。
僕は16歳のときに、ひとりの女性を孕ましてしまったことがあるのだけど、
あれは本当だったのだろうか?僕は今日も自転車に跨ったままだ。



「ひっ算」

ひっ算するとき、
10とか9とかとなりに貸してあげるやん?
あれ返さんでええの?
気が付いたときはもう遅かってん、
そのまま今日まできてしもたわ。



「バブルの欠片」 

初めてのサラリーマンは、訪問販売のセールスマンだった。
法外な価格の商品を買ってもらいに一件一件を虱潰しに、
クロージングしてゆくのだけど、自慢ではないが、
全社員2000人の中で、15位の成績をあげていたことがある。
なぜ、そのような成績を、僕が売り上げ続けることが、
できたかというと、過去に押し売りをされて、もう訪販はこりごり、
という奥さんを見つけて、なだめてすかして、
また買って貰うのが、僕の得意技だったからだ。
それもクーリングオフ制度がはじまって通用しなくなった。






・飛び降り自殺の死因の多くは
落ちているとき
一度に処理しきれない数の
思いが一気に脳へ流れ込む
パンク死だそうです







「人売り」

1993年、僕が勤めていた不動産屋は、ラブホテルも経営していた。
僕はそのラブホテルに住み込みで働き、仕事は主に雑用をしていた。
当時はたくさん日系ブラジル人が日本に出稼ぎに来ていた。
会社のラブホテルにも住み込みのブラジル人がたくさん働いていた。
僕はブラジル人にポルトガル語を教えてもらったり、
ブラジル流の誕生パーティーをしてもらったり楽しい毎日だった。

ある日、社長がブラジル人たちを他社のラブホテルに派遣したいと言い出した。
そして、普段からブラジル人と仲がよかった僕がその部門の担当主任に抜擢された。
僕は異国の友人に日本で新しい職場で働くためのコツを教えたり、
派遣先に営業をかけたりと、忙しくなった。
会社から新しいスーツと金縁のメガネ、それから新車を買ってもらった。
仕事が軌道にのりだした頃、ブラジル人と僕の関係は、よそよそしいものになっていた。





問題の多いラブホテル

いくらブラジル人を派遣しても、逃げ出してしまう、
問題ばかり起きるラブホテルがあった。
業を煮やした社長は、SSランクを派遣しろと言う。
SSランクとは、子連れで出稼ぎにきている夫婦者のブラジル人のことで、
家財道具や荷物が多く、子供の学校の転校手続など諸々面倒なので、
逃げ出す確立が低いだろう、という意味でそう呼んでいた。

辛い休暇

今回こそは逃げられないように、いつもより念入りに計画を立てた。
まず、派遣当日の2週間前から、ブラジル人に自分達の荷物をすべてまとめさた。
それをすぐに派遣先のラブホテルに送ってしまう。と同時に2週間の休暇をあたえる。
祖国の裏側、ニッポンまでわざわざ働きにきている彼らにとって、
この2週間の休みは、精神的に辛かったと思う。
裸同然の生活をさせてから、派遣先のラブホテルへ連れていくことにした。

黒塗りの予感

派遣当日、社長はぜったいネジ込んでこい!と言ってベンツの600を貸してくれた。
ブラジル人の家族も、最初は社長のベンツに乗ることができて嬉しそうにしていたけれど、
だんだんと車内の空気は重苦しくなってきた。
子供がぐずりはじめたので、なんどもトイレ休憩をして、外の空気を吸わせた。
僕は運転をしながら、できるかぎり楽しい話をしようと努めたけれど、
それも尽きてきてしまい、子供は泣きつかれて眠ってしまった。
派遣先のホテルに着いたときに、子供が起きてまたぐずり出すと厄介だ。
ウィンカーをだす音が鳴るたびに、黒塗りのベンツのなかは、
右折ならコッチコッチ、左折ならアッチアッチ、僕たちの思いが揺れる。

ラブホテル到着

目的のホテル街に入っても、派遣先のホテルに直行できなかった。
わざと車をぐるぐるまわし、ここのホテル街は立地的に便利なことを説明しながら、
そんなウソ話を聴きながらでよいので、子供がやんわり目覚めてくれるようにと。
問題のラブホテルの支配人は、はじめてブラジル人を派遣した頃に比べると、
差別的な感情は、なくなってきているように感じた。
そして笑顔で迎えてくれたが、子供は親のうしろにすぐに隠れてしまった。
支配人自慢のペロペロキャンディーにも、この子はまったく屈しない。

人が逃げたあと

床に落ちている長い髪が、縺れた思い出を梳かすことができないでいる。
案内された部屋は、まるでスラムに迷い込んだような貧しい部屋だった。
こちら側としても、支配人に袖の下も潜らしてあるし、何度もウハウハ接待もした。
しかもSSランクのブラジル人を連れてきたのだ、これでもしも、
支配人の小言のひとつでも、会社に持ち帰れば、社長は間違いなくキレるだろう。
社長が座っている椅子の、後ろの壁に掛かっている散弾銃ときたら、時々本当に火を噴くので、
そのときは何匹の鴨が落ちる?

ブラジル人が施設の説明を受けている間、

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1993年、細川内閣の誕生、自民党は結党後はじめて野党に堕ちた
1994年、羽田内閣発足、羽田内閣は短命に終わる
1994年、同年、村山内閣発足
1995年、1月7日、■関西・淡路大震災
1995年、8月15日、村山談話で謝罪の意を前面にあらわした村山富市は、
マスコミのプロパタンガに煽られた国民から反日売国奴と叩かれた

1996年、村山内閣失脚
1996年、同年、自民党は与党に返り咲き、橋本内閣発足

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2009年、自民党歴史的大敗、民主党が大勝利、鳩山内閣発足
2009年、同年、小沢一郎は500人を連れて訪中「小沢訪中団」
2011年、1月31日、小沢一郎、東京地裁に強制起訴「陸山会事件」
2011年、3月11日、■東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)
2011年、同年、管直人総理大臣失脚
2012年、民主党大敗、野田内閣失脚、民主党野党に転落
2012年、同年、自民党、公明党、連立で与党に返り咲く、第2次安倍内閣発足
2015年、深夜、僕は○○屋にきた。お金を入れてボタンを押し食券を渡す、これでOK。
お肉は、心から産まれた瞬間から、フィクション生み続けている怪物だと思う。

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1993年、僕は別室で支配人と契約書を交わし、少し談笑してラブホテルを出た。
ブラジル人は最上階の窓から手をふり、僕の名前を呼びながら、大声で何か喚いている。

「ツギ、イツクルー??ツギ、イツキマスカー!!」

「早く来るよー、頑張ってやー!」

僕はそう言って、ベンツから手を振ったけれど、スモーク張りの窓を閉め切ったとき、
「まわりに声が響くやんけっ、もっと静かに話せやっ!」
とひとさし指を口の前に立てて「シーッ!」の仕草をした。


耳をすましてごらん?

うまくやらないと、

誰かがまた、

地震を起こすかもしれないから。







・笹舟を流して海まで追いかけた
海は大きな僕の溜め息でした







「どうしようもない」

広島に住んでいた頃、
スナックのおねえちゃんと、
いい感じになりかけた。
そのおねえちゃんは、
バレーボールの選手みたいで、
僕よりだいぶ背が高かった。
一緒に歩くだけで、
僕は優越感に満たされ、
自分の努力だけでは、
手に入れることのできない、
どうしようもないものを征服した、
気持ちでいっぱいになった。
かなり幸せだったのだけど、
そのとき勤めていた、
会社の社長に、寝取られた。




「タンス一揆」

僕のうちは天皇家に、
代々仕えてきた、
由緒正しい家系で、
勲章もたくさん残っている。
この桐の箪笥は、
明治天皇から直々に、
拝借したもので、
元禄時代に有名な職人が、
作ったものだそうだ。
お父さんも、お爺ちゃんも、
すごく自慢していたので、
ほんとうにすごい箪笥だと思う。
ならば銀行から貯金を全額おろして、
明日からタンス貯金に切り替えよう。




「寺の鐘」

詩って、なぜ、
言に寺と書いて、
詩と読むのだろう?
と、よく考えていた頃、
それが、自分にとって、
どうでもよいことだと、
気がつくまで、答えは、
必要ないということを、
詩は僕の中で毎日、朝夕、
教えて聞かせてくれる。
詩はあなたの心を映す鏡である。

「ゴーン」




「ミッキーの暑い夏」

彼女が友達と、ディズニーランドに行くと言いだして、
なぜか僕は、留守番することになった。
その日から、ミッキーがどうの、
ドナルドがどうの、パレードがどうの、東京がどうのこうのと、
その話ばっかりで、この女マジでうっとしいと思った。
だから僕は、ミッキーの中には、ハゲ散らかした汗臭いおっさんが入ってて、
楽屋にいるときは、シャブいきながら酒のんどるんや、
そやないと、あんなアホみたいなテンション、ありえへん、と、
彼女が出発する前日まで、さんざん愚痴り続けた。
すると彼女も、「詩とか書いてる奴ってキモイと思う、
だからあんたはキモイと思う。」
と言い返してきた。だから僕も、
「俺はミッキーの中のおっさんみたいなもんやさかいな。」
と言い返した次の日から、
クーラーのリモコンが見つからない。






・公衆便所の落書きテロリスト






「雑草」

オカタツナミソウ
ヤブタビラコ
オニタビラコ
ミズタビラコ(キュウリクサ)
カタバミ
イモカタバミ
ムラサキカタバミ
オッタチカタバミ
アカカタバミ
キランソウ
シハイスミレ
カキオドシ
ツボスミレ
トキワハゼ
シャガ
ヤブジラミ
ツルニチニチソウ
クサフジ
アカバナユウゲショウ

好きな雑草の名前を言いだすと、キリがない。
正直、マジで面倒くさい。
けど、もしも愛ならこのくらいの距離感でちょうどいい。




「おーるぱーふぇくと!」

はじめていった海外はスペインだった。
ポイっと一人で出かけてみた。
成田から羽田、そしてヒースロー空港で
JALからBAに乗り継いだ。
海外の飛行機は想像以上に外国していて、
僕はかなり焦っていた。
そのうえ、はじめての海外で、
はじめてのロストバゲージを、
経験する羽目になり、
僕は到着ロビーのカウンターで、
荷物が見つからないといくら説明しても、
係りの外人のおねえちゃんは、
白いのばかり優先して、
まったく相手にしてくれなかった。
それからも、あっちだこっちだと、
ロビーを2時間ぐらい、
ウロウロたらい回しにされた。
それでもまだ見つからないので、
「見ていません!」
と大きな声で言うと、
「見ていません?」
と大きな声で聞き返された。
よくわからないけれど、
それからやっと、僕の荷物を探してくれた。
僕の荷物はまだ、
ヒースロー空港にあるということだった。
それからさらに、1時間ぐらい、
手ぶり素ぶりのやりとりで、
明日の昼ぐらいには、
宿泊予定のホテルに荷物が届くよう、
手配をしてくれることになった。
これで一応ひと段落・・・、
まだ胸に不安を抱えたまま、
この場を立ち去ろうとしたとき、
係りの外人のおねえちゃんは、
嬉しそうに親指を立てながらこう言った。

おーるぱーふぇくと!






・地下鉄のホームで釣り糸を垂れていると
でっかい朝が釣れました


  zero

存在するということ
そこに立つということ
それは紛れもなく敵であるということ
私は隅々まで敵を探し出す
現象の狭間に隠れた見えない真理も
みんな敵なのだから
私は何も信じなくていい
どんなに高潔な倫理も
みな敵なのだから
私は何に従わなくともいい

私は恋人に癒しを求め
美しい自然に癒しを求め
芸術作品に癒しを求めた
だがすぐに気付いたことだが
私を癒すものは同時に私の敵でもあったのだ
私はすぐさま注意深く距離をとり
その距離の確かさだけを
その距離の堅さだけを
心のよりどころとした

敵とは戦う必要はない
表層では敵は全て味方であるし
深層においても敵とは決して戦わない
戦った瞬間
敵は敵ではなくなり
戦いのあとには
敵はもはや無意味な存在となる
世界を有意味なものとするため
敵は敵のままであり続けなければならない

全世界が敵であるため
もはやいかなる裏切りもあり得ない
いかなる権謀術数も不要であり
シンプルに対立だけすればいい
世界は金属の冷たさで私を冷やし続け
私はその硬さと冷たさに
人生の手触りを確かに感じ
人生はこのように単純に進んでいけばいい


落葉の中で

  

この夏 あの夏の 踵
去り続ける 足音たち 
水色の空高く吸い込まれて

消えてしまえばいいのに
何もなかったかのように
なのに

降ってくる 
見上げる頭上に 
はらはらと 肩をうち 
地に落ちて 湿ったまま 
重なって 赤や黄や緑 足元に 
降りつもり 降りつもり 
立ちつくす私の姿など

埋めてしまえばいいのに
誰一人いないかのように
なのに

閉ざされる予感の中に いつも
私だけが残される 

つま先で
蜂の死骸を 踏む


スケッチ

  GENKOU

   ウチ(降雪の隠に)

幻想のシドロモドロ
ゆかしく
ゆるく
懐かしく

私の左手
裏庭の声
枯れ桑
白く埋葬されたままに
シダ仲間 サワサワと
粘菌の自然学
ガクハ折衷、昼夜の中庸

居間から外へ
静かな真昼の冬風鈴
前庭仏一本松/マエニワボトケイッポンマツ                       
かぶく竹
埋まる池
つつじ、アジサイ
上下凸凹ふんわりと
空中散歩このままに

ウチとソト
雪道沿うて窓辺から
省みずに通行人
雪靴の足音

ソトの軒下 トイはなく つらら

夜が明けて
夢にまで落ちたトタン屋根

ふんばるトイレの天窓雪明り

掻き分けて
玄関の土間
冬靴四足、つっかけ四足
父、母、弟、私
てんでに揃わず


何時だったか
北海道へ旅したとき
船に乗って旅したとき
靴と船
言葉も文字も知らないで
靴と船が近い間柄に感ぜられた
あのときあれは何時だったろうか

いま
よい加減の降雪に
隠に変わらぬウチから

ゆかしく
ゆるく
懐かしく


水の箱舟

  裏階段に腰掛けて

歓楽街のガード下に 一艘の舟がおかれている
舷縁まで水が張られた舟の中では
痩せた男がひとり
身を屈めてエラ呼吸をしている

頭上を電車が通り
傍らを通行人が行き交い
車道を車が走る そのたびに
ゆらぐ水舟から 
透明な水がこぼれ出る

この水は
蒸発することはない
沈下することもない
この水の通り道は
この世にはない

いまにも破れそうなダンボールの水舟は
エラ呼吸する男をのせて
箱が決壊するまえにくる
洪水を
待っている


  れたすたれす


屋根のある球場も珍しく無くなった殻がない現実だけで殺戮され続ける軟体は
別にナトリウムをパラジウムと交換したところで 強いられた罪が軽量される
とは考えられもしない 腐った根茎野菜を貪った2時間後 人参色の糞を吻か
らソーセイジのように搾り出す頃 夢の球宴も終わってしまった それにして
もボリビア旅行から帰国したはずの 友人から貰った空の殻の化石の値段はな
ん垓だったのだろうか 自然の階梯は途方も無い地層を積み重ね登りつめなく
てはならない 地球上で生産されたウエハスの総数は植物細胞に内包されてい
る葉緑体の層状構造に起源を持っている 休日には緩んだ銀歯を惑星に落っこ
とす ロマンスグレーが若さと整合しない政治評論家はネットラジオで熱弁を
奮っていたががん細胞の無秩序な増殖にはなすすべも無く身体と言う己の魂が
唯一宇宙にて宿っていられる領地を 早朝明け渡さざるをえなくなった 父の
最期を看取った二人の娘は 広大なキャベツ畑から一房のキャベツを掘り出し
二人の両手で持ち一気に引きちぎった ちぎられたもぎたてのキャベツの半分
は二人のペットのカタツムリの朝食になり 半分は完全な棺の中の父に供えた


淡い水色の

  本田憲嵩

木製の昼の頭蓋の
硬さとおなじだけ
いつまでも揺蕩っていたい
すこしだけ曲げた
指さきと指さきとで
共有しあう
些細な、ひとひらの花弁をひとつの接点として
子供がつくった水色のゼリィーのような
たがいに繋がりあった
透明な旋律線
羽毛のような軽やかさに
いつも
釣り合わない握力で
その肩を掴もうとしました
うすいシャツを着た
顔のない、
あなたの後ろ姿は
なんにも書かれていない
淡い水色の、うすい便箋のようでした
とっくに賞味期限の切れた
あなたが綴った文字を消した
なにかを屠る行為にひとしい


甘露

  

 
 今日も終わろうとしている。冷たい小雨の降る夕方、女は駐車場へと向かいながらため息を吐く。
 吹きつけた風がビルの狭間で渦を巻き、少し前を歩いていた男が手にしていた紙束を舞い上げた。男が集め損ねた一枚を彼女は拾い、無言で手渡す。何かの伝票だった。
 雨に濡れた一枚の紙が暮れていくだけの彼女の一日を差し換える。

 乗り込んでドアを閉めると車はシェルターのように硬く外を阻んだ。女はシートに深く身を沈める。降り注ぐ雨の音を微かに聞きながら、なびく枝と飛び去る落葉に風を見る。そして思い出すのはこの夏のささやかな出来事だ。


・・・・・・
 
「ボールペンがない」
上司が自分の机を探している。
お気に入りのペンをなくしたらしい。
「それ、たぶんわかります。会議室じゃないでしょうか」
私と共に上司は隣接する会議室に戻る。
先程まで使われていた会議室は冷房の名残でひんやりしている。
「たぶんこの辺り」
私は繋ぎ合わされた机と机の隙間に上手くはまり込んだボールペンを見つけだし、取り出して渡す。
「あー、これ。これだよ……ありがとう」
上司は安堵したような、狐につままれたような顔をした。

 私は会議の間、発言している上司をぼんやりと眺めていた。視界の端の転がる動きに違和感を覚え、無意識に記憶していた。上司が探すボールペンがその記憶とリンクして映像となって再生された。 




「そろそろA社に返答を聞いてみようかしら。聞きにくいけどなぁ。」
と同僚。
「あー、あれね。そろそろ返事くると思うけれど。もう少し待ってみたら?」
次の日昼前にA社からの郵便が届いた。
「あんた宝くじ買いなよ。何それ、霊感?」
同僚は郵便物を手にしながら目を丸くした。

 A社に手紙を発送したのは私だったから、発送日から担当者の手元に届くまでに要する時間、検討と返答に要する時間をあらかじめ推測していたにすぎない。たまたまそれが当たっただけ。




 職員駐車場にハザードランプの点滅している車があって、駐車場の係員に連絡しに行ったりもしたっけ。これはよくある話。ハザードランプという単語が出て来なくて両手でグーパーしてピカピカ、のゼスチャーをしたら係員のおじさんが噴き出したんだった。
 
 これも私がちょっと輝いた出来事。以来駐車場のおじさんと顔見知りになった。

 


 夏の終わりの蜘蛛が増える時期を過ぎるとカツオブシ虫が目につき始める。ちょうど秋の衣替えの頃。
 カツオブシ虫は衣類を喰らう。私はクローゼットの防虫剤を総入れ換えし、蜘蛛と同様、見かけたらかならず殺る構えだ。
 カツオブシ虫は古い家の押入れからついてきた負の遺産だ。困ったことに新しい家の珪藻土の壁材も好物であるらしく、彼らにとって我が家はお菓子の家なのだ。なかなか撲滅には至らない。
 カツオブシ虫を潰したときには私はつぶさに観察する。彼らは全身が胃袋みたいな輩だから、直前に何を食したか一目瞭然だ。

 モスグリーンのカーディガンを箪笥から出してきた父に、「たぶんそのカーディガン、虫が喰いがあるはず」と教えることができた。


・・・・・・

 こんな些細な出来事が深まる秋の彼女を暖める。気分のよい折りに一人、反芻するように思い出す。この夕方のように。
 人より秀でている能力といえば、彼女には観察力と観察に基づく推論の柔軟さ、それくらいしかない。発揮できる機会もそうそうないが、誰かの何かの役に立ち、且つ、「不思議なひと」と印象づけることが何より嬉しいらしい。
 そんなささやかな能力も、もっと生かせる場や職があったのだろうと思う。けれども未来を堅実に見積もることをしなかったから、いや、現実的に見積もりすぎたからか、今、彼女は世の中の需要に即した労働力を提供し、僅かな対価をいただいて生活しているにすぎない。小さな甘露が行く先々の葉の上に輝くことを期待しながら。
 
 たぶん明日も書類や伝票の束が机に積まれるだろう。彼女は適切に処理するだけだ。車のエンジンをかけ、ワイパーでフロントガラスを拭う。今日は近くのコンビニに寄って甘いカフェオレを買って飲みながら帰ろう。こんな夕暮れもまた良いものだ。


Butterfly Effect

  紅茶猫

蝶飛来している
この庭の
青空と
かの空を
縫うように
をりて来て
音も無く
群れている

不吉だと思われる
片側の顔を隠す

死ぬことは
ただ星に
降り積もることだから

群れている蝶の下
浮いている
この星も


朝起きて
蝶塚に
一枚の蝶を拾う

悪い夢醒めやらぬ白蝶の
仰ぐ空
かの空と
行き来していた
手の平の
薄い翅


山手線と、終わらないダンスミュージックのはなし

  熊谷

品川駅で鼻が落ちていたので拾ったら、やたら潰れてしまっている鼻だった。覚えている、これはあなたがわたしの低い鼻をからかってつまんだときの鼻。
有楽町駅で左手が落ちていたので拾ったら、やたらと表面がスベスベしていた。覚えている、これはあなたがわたしの手の平の感触が好きで、何度も握り返したときの手の平。
東京駅で右足が落ちていたので拾ったら、なんだか痺れていた。覚えている、これはあなたがベッドの上で、ふざけてわたしの足を挟んで押さえつけたときの右足。
上野駅で両腕が落ちていたので拾ったら、やたらと冷えていた。覚えている、これは留学に行ってしまったあなたを、寂しく見送ったときに振っていた両腕。
巣鴨駅で右目が落ちていたので拾ったら、やたら涙で濡れていた。覚えている、これはいくら連絡をしても、あなたから連絡がなくて不安になりながら過ごしたときの瞳。
池袋駅で唇が落ちていたので拾ったら、すぼめた形で凍っていた。覚えている、これは別れようと思ったけれど、うまく話を切り出せなくて固まってしまったときの唇。
新宿駅で左胸が落ちていたので拾ったら、鼓動が激しく動いていた。覚えている、これはあなたとさよならしたときの胸の高鳴り。
渋谷駅で、いくつかのパーツを拾い集めたとき、間違えて誰かのメガネまで拾ってしまった。あなたのメガネでもないので、ひどく困惑しているところに、山手線はやってくる。
恵比寿駅に着いたところで、右耳以外の全てのパーツが揃っていた。改札を出ると、見知らぬ男が立っていて、それは僕のメガネだと言う。メガネをあげると、男は突然右耳をむしり取り、それをわたしの右耳としてくっつけた。耳を失った男は、今夜は終わらないダンスミュージックを聴こう、と言って、もうひとりのわたしの手を取りどこかへ消えてしまった。片耳しかないのに良いのだろうかと思いながらも、私は改札のなかに戻り、あなたを好きだった自分とさよならするために、鼻を取り、ぐしゃっとつぶして品川駅へと向かった。


無題

  湯煙

西から低く滑り込む熱が瞼を貫くと
引きずり下ろされた地平線の裏側に
処刑を待つ赤い観覧車が立ち上ぼり
夜警の鈍い脚が野原の一本道を裂く


城ごと襲われた時間の中枢が重なり
光の轟音を記憶する密かな指先から
末梢に至るまで伝令の雷が走り出し
触れる空の一点を導火線に軸は回る


幽閉の徒の機関銃の先の硝子の迸る
降り注ぐ星々を纏う丘陵への坂道を
王とともに登り詰めた海原を目掛け
放尿の果てに鮮やかな天弓を架ける


透過するレース

  れたすたれす


彼女は窓に架けてある、白いレースの影にいるのです。
それが私を、朦朧とさせる理由なのです。
彼女は黒ふちのめがねを、手にしています。
それを愛おしむように、いつも見つめています。
セラミック製の鳩だの、烏だの、
陰毛の抜けた老婆らがしゃがんでいろ端会議をしている、
路地などを見ています。
それが私の胸を、少し不安にさせている理由なのです。
彼女は夕食に、肉抜きロールキャベツを食べました。
窓際には透過なラップが張ってあって、
昔にも、将来の彼女にも、すりっとすりかわってしまって、
彼女が無表情なのは、いつでも身体を無化できるからです。
彼女は身体を知りません。
そのことが私を苛立たせる理由なのです。
日常的な暮らしぶりからすると、私は健全です。
なのに、なんで彼女はレースの影で喘いでいるのですか?
時折私を見つめて、赤い目になるのでしょうか?
うん、可能なことです。この階から落ちることぐらい、
彼女はおばさんに、『ばっさん』と言ったとき、
ここから落ちて喘ぎました、
自身が死んだ跡だというのに。
それが不明だと、なはずは無いと思われるならば、
ありきたりの方法ですけれども、
あなたの持っている万能器械の窓を開けて、
彼女、の内部に侵蝕し覗き見して診てください。

文学極道

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