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2011年05月分

月間優良作品 (投稿日時順)

次点佳作 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


カラカラ帝。

  田中宏輔




●K、のようにOを●にしてみる。

B●●K
D●G
G●D
B●Y
C●●K
L●●K
T●UCH
G●●D
J●Y
C●●L
●UT
S●UL
Z●●
T●Y

1●●+1●●=2●●●●
3●●●●−1●●=2●●

なんていうのも、きれいかも。

まだまだできそうだね、かわいいのが。

L●VE
L●NG
H●T
N●
S●METHING
W●RST
B●X

文章でも、きれいかも。
R●BERT SILVERBERG の S●N ●F MAN から
ただし、全部、大文字にするね、そのほうがきれいだから、笑。(作者名とタイトルも、笑)
1●8ページから

CLAY G●ES IN. ●N HIS SIXTH STEP HE
SWINGS R●UND. THE D●●R IS STILL ●PEN.
HIS R●B●T WAITS BESIDE IT,’G●●D,’ CLAY SAYS.
’REMEMBER,I’M B●SS.IT SAYS ●PEN.’

すると、マイミクの剛くんから

これは、語頭が●なのがよいと思います。
語尾も、かな。

とコメントがあり、ぼくはつぎのようにお返事しました。

●UT
Z●●
いまのところ、思いつくのが、これくらいですかね。
きょうは、カリガリ博士をDVDで見ていましたが
途中で電話が入り
見るのをやめました。
きょうは買い物に近くのスーパーに出ただけで
不活発な一日でした。
ぬくりんこ
靴下を履いた足の裏につけて
きょうも眠ります。
やめられませんね。
ぬくさから抜け出すのは。

そしたら、マイミクのKeffさんからも、つぎのようなコメントが。

わっ。 Oが●になっただけでなにか見てはイケナイものを見ているような気分に…。
●RACLE
●RTH●D●XY
権威のありそうなものもいかがわしく見える●(笑)

そういう点では
F●UR LETTERS W●RD
や罵り言葉のなかでは 
Oを●にすると映えるのは
●H MY G●SH (●H MY G●D)
ですねえ…神入ってますから(笑)

S●N ●F A BITCH
●BSCENE
●BS●LETE
WH●RE
とかはどうなんでしょう。もとのOのほうがショッキングかも。

ところで、●詩の●を■にしたらずいぶん印象変わりますよね!?

きゃ〜
Keffさん
すてき!

■詩は、まだつくっていないのですが
さっそくつくってみましょう。

ためしに前の日記のものを。

■先斗町通りから木屋町通りに抜ける狭い路地の一つに■坂本龍馬が暗殺されかかったときの刀の傷跡があるって■だれかから聞いて■自分でもその傷跡を見た記憶があるんだけど■二十年以上も前の話だから■記憶違いかもしれない■でも■その路地の先斗町通り寄りのところに■RUGという名前のスナックが■むかしあって■いまでは代替わりをしていて■ふつうの店になっているらしいけれど■ぼくが学生の時代には■昼のあいだは■ゲイのために喫茶店をしていて■そのときにはいろいろなことがあったんだけど■それはまた別の機会に■きょうは■その喫茶店で交わされた一つの会話からはじめるね■店でバイトをしていた京大生の男の子が■客できていたぼくたちにこんなことをたずねた■もしも■世の中に飲み物が一種類しかなかったとしたら■あなたたちは■何を選ぶのかしら■ただし■水はのぞいてね■最初に答えたのはぼくだった■ミルクかな■あら■あたしといっしょね■バイトの子がそういった■客は■ぼくを入れて三人しかいなかった■あとの二人は日本茶と紅茶だった■紅茶は砂糖抜きミルク抜きレモン抜きのストレートのものね■ゲイだけど■笑■

これも、きれいね。
しばらく●詩をつくっていて
ほかのものでは、どうなのかなって、考えるだけでしたが
■は、●についで、候補の一番でした。
あと

とか

とか

とか
なかが黒くて、つまっている記号を候補にしていますが
やはり


がいいでしょう。
でも
▲や
▼も
面白そう。

●は
リズムをつくりやすいのですね。
いかにも
紙面の下で跳ね上がったような
紙面の上で、かな。
浮遊感があって
動きがあるのですね。
■は
その動きがにぶくなりますね。
というより、動かない。
動かさない。
だから
■にすると
浮遊感よりも
固定感がつよくなり
言葉のほうが
今度は逆に
浮遊しているように見えるかもしれませんね。
■が
柱の一部として突き出していて
空中で言葉をささえている
という感じでしょうか。
縦書きだとね。

すると、マイミクのKeffさんからまたコメントをいただいて。

▲をぼんやりといいひとそうな▲かきもののあいだに▲はさむと▲おもった
よりも▲攻撃性が▲むきだしに▲なって▲こわくて▲いい▲あじが▲出る▲か
▲も▲とおもいました▲こんど▲わたしも▲つかってみようと▲おもいます▲

で、ぼくのお返事は

より幾何学な感じになりますね。
散文詩の新しい形態の時代にしましょう、笑。

すると、マイミクのウラタロウさんからもコメントが。

■は方眼紙とか平安京のような感じがしました。
そういえば荻原裕幸さんは▼を爆弾に見立てた短歌を詠んでいましたね。

つぎは、ウラタロウさんのコメントに対するぼくのお返事。

萩原さんね。
むかし玲瓏にいらっしゃったころのものは
見たことがあるんだけど
いま活躍されてる方ですね。
そうね。
短歌は音の世界なのに
記号や図形を無音の文字記号として使ってらっしゃる方が
何人かいらっしゃるみたいですね。
萩原さんなら孤立なさらないでしょうけれど
風あたりはきつそうですね。
ぼくみたいに
ほとんど無視されるより
そのほうが気持ちいいでしょうけれど、笑。

そしたら、またまたKeffさんから、コメントをいただきまして。

荻原さんに先例がありましたか(10へえ)



































でますね。
火炎瓶にも見えます。

詩歌でマインスイーパだ

いわゆるニューウェーブ三羽がらすから誰か一人選べ
って言われたら
荻原さんかなあ。
作歌のエロスが伝わります。
(もっともこれって、若手の「短歌の中の人」にとっては 結構シビアな質問だと思いますよ…)
塚本邦雄はそういえば*使いでしたね。

で、ぼくもまたまたお返事して。





これはいいですね。
動きがあって
いまにも地面に激突して爆発しそう。
萩原さんだったかどうか記憶がありませんが
記号だけで短歌をつくったひとがいたように思います。
まあ、●ひとつで詩だとしていたひとも詩人にいましたしね。
なんでもありでしょう。
それを詩とか短歌として認める感受性のひとがいれば●Kなんでしょう。
その時代ではダメでも、後世に認められることもありますからね。
芸術家の作業はとにかくつくることと
それを見てもらえる場所におくことでしょうね。

そういう意味でいえば
現代は、芸術家にとって
とてもいい時代だと思います。
容易に作品発表できますし
読み手はごまんといるわけですから。
前にも書きましたが
ぼくはミクシィで
面白い書き物をするひとを何人も発見しました。
いまもときどき
いろいろな人の日記を拝見しています。
最近は
マイミクにならずに
お気に入りのなかに入れて
拝見させてもらっています。
全体に公開しているひとが多いので。
なにしろ
しゃべり言葉で
面白い日記を書くひとが多いので
ミクシィを堪能しています。

逆に俳句や短歌はなかなか楽しめませんね。
空間的なものですか
余白の印象が低くなりますから
余白の美しさを味わうことが困難ですからね。
散文の分かち書きという感じで
日記を読むと
個性豊かなひとがそうとういる感じです。
たぶん、ぼくもその影響を受けているでしょう。
むかしのぼくは
笑。
なんて書かなかったですから、笑。
メールやミクシィを通じて培われた感性でしょうね。
話が飛びました。
そういえば
2ちゃんねるで
文字で
絵を書く人が多くて
見て面白いと思っています。
あれは絵ですよね。
面白い。

するとまたまた、ウラタロウさんからコメントが。

ネットをあちこち見ていると、昔の文学畑だったらありえなかった、というような表現も多いです。「乱れ」っぷりに眉をひそめる人も多いけれど、たしかに支離滅裂だったり破壊的だったりするけれど、そこには可能性も潜んでいるんじゃないかなって思います。どうみても壊れている文なのに面白いのもありました。

で、つづけて、またまたKeffさんからもコメントが。

宏輔さん、

いま蟹工船ブームだそうですが
詩歌であの路線ならだんぜん萩原恭次郎ですよ。
記号の使い方がロシア・アヴァンギャルドそこのけに暴力的で、すかっとします。
人間の声だけで朗読するのは結構知恵がいるかも。

こないだ見かけた日本人アナーキストの人のブログの自己紹介に
萩原恭次郎の「ラスコーリニコフ」が引用されていて
おー!ぴったりだ!
と思いました。
ぜんぜん古びてなかった。笑

で、で、ぼくのおふたりへのお返事です。

ウラタロウさんへ

ぼくも壊れた文体好きです。
小学生の
そしてそして文体も大好きです。
面白ければ、よいのだと思っています。
主語がどれかわからないなんて文体
外国語の初学者になった気分で読んで
ゲラゲラ笑ってしまいます。

Keffさんへ

萩原恭次郎は、おしゃれですね。 きのうカリガリ博士を見損ないましたが
ドイツ表現主義もいいですね。
ロシア・アバンギャルドといえば
先日、日記にとりあげたロシアSFが、そうでしたね。
蟹工船の文体は、ぼくも引用しましたが
とても美しいですし、凝縮度がすごいですね。
それがブームって
ぼくにはよくわからないのですが
まあ、弛緩した文体の多い現代でも
凝縮した文体を求める向きがあるということなのでしょうね。
ぼく自体は
凝縮した文体を目指したことは一度もなく
むしろ
だらだらとした
えんえんと、ぐだぐだ書いてるような文体を
目指してはいませんが
書いているような気がします。
飯島耕一が「おじやのような詩」と書いていた詩を
ぼくはぜんぜん悪いと思ったことがないので
まあ、おじやのような詩でもいいかなあって感じで書いてます。
気持ちよければ
長くてもいいんじゃなあい?
って感じです。

凝縮した文体も好きですけれど
ぼく自体は書けないなあって思っています。

今朝、本棚の角で、瞼を切りました。
血が出ました。
痛い。
あほや〜。



●K B●●K  D●G  G●D  B●Y  C●●K
L●●K  T●UCH  S●METHING
W●RST  B●X  G●●D  J●Y
C●●L  ●UT  S●UL  Z●●
T●Y  L●VE  L●NG  H●T
N●

1●●+1●●=2●●●●
3●●●● - ●●=2●●



心音が途絶え
父の身体が浮き上がっていった。
いや、もう身体とは言えない。
遺体なのだ。
人間は死ぬと
魂と肉体が分離して
死んだ肉体が重さを失い
宙に浮かんで天国に行くのである。
病室の窓が開けられた。
父の死体は静かにゆっくりと漂いながら上昇していった。
魂の縛めを解かれて、父の肉体が昇っていく。
だんだんちいさくなっていく父の姿を見上げながら
ぼくは後ろから母の肩をぎゅっと抱いた。
点のようにまでなり、もう何も見えなくなると
ベッドのほうを見下ろした。
布団の上に汚らしいしみをつくって
ぬらぬらとしている父の魂を
看護婦が手袋をした手でつまみあげると
それをビニール袋のなかに入れ
袋の口をきつくしばって、病室の隅に置いてある屑入れの中に入れた。
ぼくと母は、父の魂が入った屑入れを一瞥した。
肉体から離れた魂は、すぐに腐臭を放って崩れていくのだった。
天国に昇っていくきれいになった父の肉体を頭に思い描きながら
看護婦の後ろからついていくようにして、
ぼくは、母といっしょに病室を出た。



あさ、仕事に行くために駅に向かう途中、
目の隅で、何か動くものがあった。
歩く速さを落として目をやると、
結ばれていたはずの結び目が、
廃棄された専用ゴミ袋の結び目が
ほどけていくところだった。
ぼくは、足をとめた。
手が現われ、頭が現われ、肩が現われ、
偶然が姿をすっかり現わしたのだった。
偶然も齢をとったのだろう。
ぼくが疲れた中年男になったように、
偶然のほうでも疲れた偶然になったのだろう。
若いころに出合った偶然は、
ぼくのほうから気がつくやいなや、
たちまち姿を消すことがあったのだから。
いまでは、偶然のほうが、
ぼくが気がつかないうちに、ぼくに目をとめていて、
ぼくのことをじっくりと眺めていることさえあるのだった。
齢をとっていいことのひとつに、
ぼくが偶然をじっと見ることができるように、
偶然のほうでも、じっくりとぼくの目にとまるように、
足をとめてしばらく動かずにいてくれるようになったことがあげられる。



源氏の気持ちのなかには、奇妙なところがあって、
衛門督(えもんのかみ)の子を産んだ二条の宮にも、また衛門督にも、
憎しみよりも愛情をより多くもっていたようである。
いや、奇妙なところはないのかもしれない。
人間のこころは、このように一様なものではなく、
同じ光のもとでも、さまざまな色とよりを見せるものであろうし、
ましてや、違った状況、違った光のもとでなら、
まったく違った色やよりを見せるのも当たり前なのであろう。
源氏物語の「柏木」において描出された光源氏の多様なこころざまが、
ぼくにそんなことを、ふと思い起こさせた。
まるで万華鏡のようだ。



ひまわりの花がいたよ。
ブンブン、ブンブン
飛び回っていたよ。
黄色い、黄色い
ひまわりの花がいたよ。
お部屋のなかで
ブンブン、ブンブン
飛び回っていたよ。
たくさん、たくさん
飛び回っていたよ。
あははは。
あははは。
ブンブン、ブンブン
飛び回っていたよ。
たくさん、たくさん
飛び回っていたよ。
あははは。
あははは。



仕事から帰る途中、坂道を歩いて下りていると、
後ろから男女の学生カップルの笑いをまじえた楽しそうな話し声が聞こえてきた。
彼らの若い声が近づいてきた。
彼らの影が、ぼくの足もとにきた。
彼らの影は、はねるようにして、いかにも楽しそうだった。
ぼくは、彼らの影が、つねに自分の目の前にくるように歩調を合わせて歩いた。
彼らは影まで若かった。
ぼくの影は、いかにも疲れた中年男の影だった。
二人は、これから楽しい時間を持つのだろう。
しかし、ぼくは? ぼくは、ひとり、部屋で読書の時間を持つのだろう。
もはや、驚きも少し、喜びも少しになった読書の時間を。
それも悪くはない。けっして悪くはない。
けれど、ひとりというのは、なぜか堪えた。
そうだ、帰りに、いつもの居酒屋に行こう。
日知庵にいるエイちゃんの顔と声が思い出された。
ただ、とりとめのない会話を交わすだけだけど。
ぼくは横にのいて、二人の影から離れた。



ジェフリーが、ツイッターで、ゲイの詩人で、宗教的なテーマで、
ゲイ・ポエトリーを書いてるひと、いませんかって呼びかけていたので
「ぼく書いてるよ。」と言って、いくつか選んで、メールで送った。
アメリカで、ゲイの詩のアンソロジーの出版が計画されているらしくて
そこに日本のゲイの詩人の作品を入れたいという編集者がいるって話だった。

ぼくは、ぼくのゲイ・ポエトリーを、ぼくの膨大なファイルのなかから選んだ。
つぎのものは、もとのファイルから取って、ゲイ・ポエトリーのファイルを
新しくつくって、そこに放り込んだもの。

『グァバの木の下で』というのが、そのホテルの名前だった。
かきくけ、かきくけ。
マールボロ。
みんな、きみのことが好きだった。
むちゃくちゃ抒情的でごじゃりますがな。
王國の秤。
夏の思い出。
泣いたっていいだろ。
高野川
死んだ子が悪い。
水面に浮かぶ果実のように
頭を叩くと、泣き出した。
木にのぼるわたし/街路樹の。

このなかから、宗教的な事項を含んでいるものを選んだ。
つぎのものがそれで、それをジェフリーに送り、ぼくの Facebook にも載せて、自分で英訳した。

水面に浮かぶ果実のように
マールボロ。
頭を叩くと、泣き出した。
みんな、きみのことが好きだった。
夏の思い出。

でも、ぼくの英訳が不完全だったのか、このうち、3つのものを、ジェフリーが英語に訳し直してくれた。
以下のものが、それ。



poems by TANAKA Atsusuke 田中宏輔・詩
Translations by Jeffrey ANGLES ジェフリー・アングルス・訳



水面に浮かぶ果実のように

いくら きみをひきよせようとしても
きみは 水面に浮かぶ果実のように
ぼくのほうには ちっとも戻ってこなかった
むしろ かたをすかして 遠く
さらに遠くへと きみは はなれていった

もいだのは ぼく
水面になげつけたのも ぼくだけれど



Like A Fruit Floating on Water

No matter how I try to draw you close
You, like a fruit floating on water
Do not return at all
If anything, you float farther
Farther from me

Even though it was I who picked you
It was I who threw you on the water



マールボロ

彼には、入れ墨があった。
革ジャンの下に無地の白いTシャツ。
ぼくを見るな。
ぼくじゃだめだと思った。
若いコなら、ほかにもいる。
ぼくはブサイクだから。
でも、彼は、ぼくを選んだ。
コーヒーでも飲みに行こうか?
彼は、ミルクを入れなかった。
じゃ、オレと同い年なんだ。
彼のタバコを喫う。
たった一週間の禁煙。
ラブホテルの名前は
『グァバの木の下で』だった。
靴下に雨がしみてる。
はやく靴を買い替えればよかった。
いっしょにシャワーを浴びた。
白くて、きれいな、ちんちんだった。
何で、こんなことを詩に書きつけてるんだろう?
一回でおしまい。
一回だけだからいいんだと、だれかが言ってた。
すぐには帰ろうとしなかった。
ふたりとも。
いつまでもぐずぐずしてた。
東京には、七年いた。
ちんちんが降ってきた。
たくさん降ってきた。
人間にも天敵がいればいいね。
東京には、何もなかった。
何もなかったような顔をして
ここにいる。
きれいだったな。
背中を向けて、テーブルの上に置いた
飲みさしの
缶コーラ。



Malboro

He had a tattoo.
Under his leather jacket, a solid, white T-shirt.
Don’t look at me.
I thought I didn’t live up.
There are lots of other young ones.
I am nothing to look at.
But he chose me.
Want to grab a cup of coffee?
He didn’t put in any cream?
So, you’re the same age as me.
He smoked a cigarette.
Only a single week of no smoking.
The name of the love hotel was
Under the Guava Tree.
Rain had soaked his socks.
Should’ve bought some new shoes sooner.
I took a shower with him.
His dick was white and beautiful.
Why am I writing this down in a poem?
Once and that’ll be all.
Just once and that’s okay, someone once said.
I didn’t go home right away.
That was true for both of us.
We both lingered on and on.
I was in Tokyo for seven years.
Our dicks had fallen.
They had fallen a long way.
It’s good if there are natural enemies for people.
There was nothing in Tokyo.
He looked as if there was nothing
And so he was here.
He was beautiful.
His back turned, he placed
On the table his can of cola
Half consumed.



夏の思い出


白い夏
思い出の夏
反射光
コンクリート
クラブ
ボックス
きみはバレーボール部だった
きみは輝いて
目にまぶしかった
並んで
腰かけた ぼく
ぼくは 柔道部だった
ぼくらは まだ高校一年生だった

白い夏
夏の思い出
反射光
重なりあった
手と

汗と

白い光
光反射する
コンクリート
濃い影
だれもいなかった
あの日
あの夏
あの夏休み
あの時間は ぼくと きみと
ぼくと きみの
ふたりきりの
時間だった
(ふたりきりだったね)
輝いていた
夏の
白い夏の

あの日
ぼくははじめてだった
ぼくは知らなかった
あんなにこそばったいところだったなんて
唇が
まばらなひげにあたって
(どんなにのばしても、どじょうひげだったね)
唇と
汗と
まぶしかった
一瞬

ことだった

白い夏の
思い出
はじめてのキスだった
(ほんと、汗の味がしたね)
でも
それだけだった
それだけで
あの日
あのとき
あのときのきみの姿が 最後だった
合宿をひかえて
早目に終わったクラブ
きみは
なぜ
泳ぎに出かけたの
きみはなぜ
彼女と
海に
いったの

夏の

白い夏の思い出
永遠に輝く
ぼくの
きみの
夏の

あの夏の日の思い出は
夏がめぐり
めぐり
やってくるたびに
ぼくのこころを
引き裂いて
ぼくの
こころを
引き千切って
風に
飛ばすんだ

白い夏
思い出の夏
反射光
コンクリート
クラブ
ボックス
重ねた
手と
目と
唇と
汗と
光と
影と
夏と



Summer Memory

Summer
White summer
Summer memory
Reflections of light
Concrete
Clubs
Locker rooms
You were on the volleyball team
You shone
Dazzling to the eyes
Me lined up
Sitting down
I was on the judo team
We were still freshmen
Summer
White summer
Summer memory
Reflections of light
Overlapping
Hands and
Hands and
Sweat and
Light
White light
Reflecting
Concrete
Dark shadows
No one was there
That day
That summer
That summer vacation
That time
Was just our time
Just you and me
You and me
(Just you and me, right?)
You shone
Summer
White summer
Sun
That day
Was my first time
I didn’t know
That it was such a ticklish place
The lips
Touching scanty whiskers
(Just a few, no matter how you let them grow, right?)
Lips and
Sweat and
Dazzling
It lasted
Only
A moment
Summer
A memory
Of white summer
A first kiss
(You really tasted of sweat, right?)
But
That was all
That was all
That day
That time
That time anyone ever saw you
We did not stay at the camp
The teams ended early
Why
Did you go
Out for a swim
With her
In the sea?
Summer
A summer
Day
White summer memory
Forever shining
My
Your
Summer
Day
The memory of that summer day
Flipping through the summers
Flipping through
Each time I come to it
It tears my heart
Apart
Tears my heart
Into shreds
Then scatters it
To the wind
Summer
White summer
Summer memory
Reflected light
Concrete
Clubs
Locker rooms
Overlapping
Hands and
Eyes and
Lips and
Sweat and
Light and
Shadow and
Summer



つぎのものは、ジェフリーが英訳してくれなかったものだけど
ぼくの英訳は、しのびないので、原文の日本語のものだけ掲げるね、笑。
あ、それと、ぼくが自分のファイルから選び出しておいたゲイ・ポエトリーをいくつか。



頭を叩くと、泣き出した。

カバ、ひたひたと、たそがれて、
電車、痴漢を乗せて走る。
ヴィオラの稽古の帰り、
落ち葉が、自分の落ちる音に、目を覚ました。
見逃せないオチンチンをしてる、と耳元でささやく
その人は、ポケットに岩塩をしのばせた
横顔のうつくしい神さまだった。
にやにやと笑いながら
ぼくの関節をはずしていった。
さようなら。こんにちは。
音楽のように終わってしまう。
月のきれいな夜だった。
お尻から、鳥が出てきて、歌い出したよ。
ハムレットだって、お尻から生まれたっていうし。
まるでカタイうんこをするときのように痛かったって。
みんな死ねばいいのに、ぐずぐずしてる。
きょうも、ママンは死ななかった。
慈善事業の募金をしに出かけて行った。
むかし、ママンがつくってくれたドーナッツは
大きさの違うコップでつくられていた。
ちゃんとした型抜きがなかったから。
実力テストで一番だった友だちが
大学には行かないよ、って言ってた。
ぼくにつながるすべての人が、ぼくを辱める。
ぼくが、ぼくの道で、道草をしたっていいじゃないか。
ぼくは、歌が好きなんだ。
たくさんの仮面を持っている。
素顔の数と同じ数だけ持っている。
似ているところがいっしょ。
思いつめたふりをして
パパは、聖書に目を落としてた。
雷のひとつでも、落としてやろうかしら。
マッターホルンの山の頂から
ひとすじの絶叫となって落ちてゆく牛。
落ち葉は、自分の落ちる音に耳を澄ましていた。
ぼくもまた、ぼくの歌のひとつなのだ。
今度、神戸で演奏会があるってさ。
どうして、ぼくじゃダメなの?
しっかり手を握っているのに、きみはいない。
ぼくは、きみのことが好きなのにぃ。
くやしいけど、ぼくたちは、ただの友だちだった。
明日は、ピアノの稽古だし。
落ち葉だって、踏まれたくないって思うだろ。
石の声を聞くと、耳がつぶれる。
ぼくの耳は、つぶれてるのさ。
今度の日曜日には、
世界中の日曜日をあつめてあげる。
パパは、ぼくに嘘をついた。
樹は、振り落とした葉っぱのことなんか
かまいやしない。
どうなったって、いいんだ。
まわるよ、まわる。
ジャイロ・スコープ。
また、神さまに会えるかな。
黄金の花束を抱えて降りてゆく。
Nobuyuki。ハミガキ。紙飛行機。
中也が、中原を駈けて行った。



高野川

底浅の透き通った水の流れが
昨日の雨で嵩を増して随分と濁っていた
川端に立ってバスを待ちながら
ぼくは水面に映った岸辺の草を見ていた
それはゆらゆらと揺れながら
黄土色の画布に黒く染みていた
流れる水は瀬岩にあたって畝となり
棚曇る空がそっくり動いていった
朽ちた木切れは波間を走り
枯れ草は舵を失い沈んでいった

こうしてバスを待っていると
それほど遠くもないきみの下宿が
とても遠く離れたところのように思われて
いろいろ考えてしまう
きみを思えば思うほど
自分に自信が持てなくなって
いつかはすべてが裏目に出る日がやってくると

堰堤の澱みに逆巻く渦が
ぼくの煙草の喫い止しを捕らえた
しばらく円を描いて舞っていたそれは
徐々にほぐれて身を落とし
ただ吸い口のフィルターだけがまわりまわりながら
いつまでも浮標のように浮き沈みしていた



『グァバの木の下で』というのが、そのホテルの名前だった。

こんなこと、考えたことない?
朝、病院に忍び込んでさ、
まだ眠ってる患者さんたちの、おでこんとこに
ガン、ガン、ガンって、書いてくんだ。
消えないマジック、使ってさ。
ヘンなオマケ。
でも、
やっぱり、かわいそうかもしんないね。
アハッ、おじさんの髪の毛って、
渦、巻いてるう!
ウズッ、ウズッ。
ううんと、忘れ物はない?
ああ、でも、ぼく、
いきなりHOTELだっつうから、
びっくりしちゃったよ。
うん。
あっ、ぼくさ、
つい、こないだまで、ずっと、
「清々しい」って言葉、本の中で、
「きよきよしい」って、読んでたんだ。
こないだ、友だちに、そう言ったら、
何だよ、それって、言われて、
バカにされてさ、
それで、わかったんだ。
あっ、ねっ、お腹、すいてない?
ケンタッキーでも、行こう。
連れてってよ。
ぼく、好きなんだ。
アハッ、そんなに見つめないで。
顔の真ん中に、穴でもあいたら、どうすんの?
あっ、ねっ、ねっ。
胸と、太腿とじゃ、どっちの方が好き?
ぼくは、太腿の方が好き。
食べやすいから。
おじさんには、胸の方、あげるね。
この鳥の幸せって、
ぼくに食べられることだったんだよね。
うん。
あっ、おじさんも、へたなんだ。
胸んとこの肉って、食べにくいでしょ。
こまかい骨がいっぱいで。
ああ、手が、ギトギトになっちゃった。
ねえ、ねえ、ぼくって、
ほんっとに、おじさんのタイプなの?
こんなに太ってんのに?
あっ、やめて、こんなとこで。
人に見えちゃうよ。
乳首って、すごく感じるんだ。
とくに左の方の乳首が感じるんだ。
大きさが違うんだよ。
いじられ過ぎかもしんない。
えっ、
これって、電話番号?
結婚してないの?
ぼくって、頭わるいけど、
顔はカワイイって言われる。
童顔だからさ。
ぼくみたいなタイプを好きな人のこと、
デブ専って言うんだよ。
カワイイ?
アハッ。
子供んときから、ずっと、ブタ、ブタって言われつづけてさ、
すっごくヤだったけど、
おじさんみたいに、
ぼくのこと、カワイイって言ってくれる人がいて
ほんっとによかった。
ぼくも、太ってる人が好きなんだ。
だって、やさしそうじゃない?
おじさんみたいにぃ。
アハッ。
好き。
好きだよ。
ほんっとだよ。



みんな、きみのことが好きだった。

ちょっといいですか。
あなたは神を信じますか。
牛の声で返事をした。
たしかに、神はいらっしゃいます。
立派に役割を果たしておられます。
ふざけてるんじゃない。
ぼくは大真面目だ。
友だちが死んだんだもの。
ぼくの大切な友だちが死んだんだもの。
without grief/悲しみをこらえて
弔問を済まして
帰ってきたんだもの。
Repeat after me!/復唱しろ!
absinthe/ニガヨモギ
悲しみをこらえて
ぼくは帰ってきたんだもの。
Repeat after me!/復唱しろ!
誕生日に買ってもらった
ヴィジュアル・ディクショナリー、
どのページも、ほんとにきれい。
パピルス、羊皮紙、粘土板。
食用ガエルの精巣について調べてみた。
アルバムを出して、
写真の順番を入れ換えてゆく。
海という海から
木霊が帰ってくる。
声の主など
とうに、いなくなったのに。
Repeat after me!/復唱しろ!
いじめてあげる。
吉田くんは
痛いのに、深爪だった。
電話を先に切ることができなかった。
誰にも、さからわなかった。
みんな、吉田くんのことが好きだった。
Repeat after me!/復唱しろ!
ぼく、忘れないからね。
ぜったい、忘れないからね。
おぼえておいてあげる。
吉田くんは、仮性包茎だった。
勃起したら、ちゃんとむけたから。
ぼくも、こすってあげた。
absinthe/ニガヨモギ
Repeat after me!/復唱しろ!
泣いているのは、牛なのよ。
幼い男の子が
ぼくの頭を叩いて
「ゆるしてあげる」
って言った。
話しかけてはいけないところで
話しかけてはいけない。
Repeat after me!/復唱しろ!
ごめんね、ごめんね。
ぼくだって、包茎だった。
without grief/悲しみをこらえて
absinthe/ニガヨモギ
もっとたくさん。
もうたくさん。



泣いたっていいだろ。

あべこべにくっついてる
本のカバー、そのままにして読んでた、ズボラなぼく。
ぼくの手には蹼(みずかき)があった。
でも、読んだら、ちゃんと、なおしとくよ。
だから、テレフォン・セックスはやめてね。
だって、めんどくさいんだもん。
うつくしい音楽をありがとう。
ヤだったら、途中で降りたっていいんだろ。
なんだったら、頭でも殴ってやろうか。
こないだもらったゴムの木から
羽虫が一匹、飛び下りた。
ブチュって、本に挾んでやった。
開いて見つめる、その眼差しに
葉むらの影が、虎(とら)斑(ふ)に落ちて揺れている。
ねえ、まだ?
ぼくんちのカメはかしこいよ。
そいで、そいつが教えてくれたんだけど。
一をほどくと、二になる。
二を結ぶと、〇になるって。
だから、一と〇は同じなんだね。
(二って、=(イコール)と、うりふたつ、そっくりだもんね)
ねっ、ねっ、催眠術の掛け合いっこしない?
こないだ、テレビでやってたよ。
ぼくも、さわろかな。
そうだ、いつか、言ってたよね。
ふたつにひとつ。ふたつはひとつ。
みんな大人になるって。
中国の人口って14億なんだってね。
世界中に散らばった人たちも入れると
三人に一人が中国人ってことになる。
でも、よかった。
きみとぼくとで、二人だもんね。
ねえ、おぼえてる? 言葉じゃないだろ! って、
好きだったら、抱けよ! って、
ぼくに背中を見せて、
きみが、ぼくに言った言葉。
付き合いはじめの頃だったよね。
ひと眼差しごとに、キッスしてたのは。
ぼくのこと、天使みたいだって言ってたよね。
昔は、やさしかったのにぃ。
ぼくが帰るとき、
いつも停留所ひとつ抜かして送ってくれた。
バスがくるまでベンチに腰掛けて。
ぼくの手を握る、きみの手のぬくもりを
いまでも、ぼくは、思い出すことができる。
付き合いはじめの頃だったけど。
ぼくたち、よく、近くの神社に行ったよね。
そいで、星が雲に隠れるよりはやく
ぼくたちは星から隠れたよね。
葉っぱという葉っぱ、
人差し指でつついてく。
手あたりしだい。
見境なし。
楽しい。
って、
あっ、いまイッタ?
違う?
じゃ、何て言ったの?
雨?
ほんとだ。
さっきまで、晴れてたのに。
そこにあった空が嘘ついてた。
兎に角、兎も角、

志賀直哉はよく書きつけた。
降れば土砂降り。
雨と降る雨。



木にのぼるわたし/街路樹の。

ぼく、うしどし。
おれは、いのししで
おれの方が"し"が多いよ。
あらら、ほんとね。
ほかの"えと"では、どうかしら?
たしか、国語辞典の後ろにのってたよね。
調べてみましょ。
ううんと、
ほかの"えと"には、"し"がないわ。
志賀直哉?
偶然かな。
生まれたときのことだけど
はじめて吸い込んだ空気って
一生の間、肺の中にあるんですって。
ごくわずかの量らしいけどね。
もしも、道端に
お父さんやお母さんの顔が落ちてたら
拾って帰る?
パス。
アスパラガス。
「どの猿も 胸に手をあて 夏木マリ」
「抜け髪の 頭叩きて 誰か知れ」
「フラダンス きれいなわたし 春いづこ」
「ゐらぬ世話 ダム崩壊の オロナイン」
「顔おさへ 買ひ物カゴに 笠地蔵」
「上着脱ぐ 男の乳は みんな叔母」
「南下する ホームルームは 錦鯉」
これが俳句だと
だれが言ってくれるかしら?
〈KANASHIIWA〉と打つと
〈悲しい和〉と変換される。
トホホ。
それでも、毎朝、奴隷が起こしてくれる。
まだ、お父様なのに。
間違えちゃったかな。
ダンボール箱。
裸の母は、棚の上にいっしょに並んだ植木鉢である。
魔除けである。
通説である。
で、きみは
4月4日生まれってのが、ヤなの?
オカマの日だからって?
だれも気にしないんじゃない?
きみの誕生日なんて。
それより、まだ濡れてるよ。
この靴下。
だけど、はかなくちゃ。
はいてかなくちゃ。
これしかないんだも〜ん。
トホホ。
いったい、いつ
ぼくは滅びたらいいんだろう。
バーガーショップ主催の交霊術の会は盛況だった。



かきくけ、かきくけ。

ちっともさびしくないって
きみは言うけれど
きみの表情が、きみを裏切っている。
壁にそむいた窓があるように
きみの気持ちにそむいた
きみの言葉がある。
きみの目には、いつも
きみの鼻の先が見えてるはずだけど
見えてる感じなんか、しないだろ。
そんな難しそうな顔をしちゃいけない。
まるで床一面いっぱいに敷き詰められた踏み絵みたいに。
突然、道に穴ぼこができて
人や車や犬が、すっと消えていくように
きみの顔にも穴ぼこができて
目や鼻や唇が
つぎつぎと消えていけばいいのに。
もしも、アブラハムの息子が、イサクひとりじゃなくて
百も、千もいたら、しかも、まったく同じ姿のイサクがいっぱいいたら、
ゼンゼンためらわずに犠牲にしてたかもしれない。
ノブユキは、生のままシメジを食べる。
ぼくが、台所でスキヤキの準備してたら
パクッ、だって。
アハッ。
かわいいよね。
すておじいちゃん。
拾ってきてはいけません。
捨ててきなさい。
ママは残酷なのだ。
バスに乗って
ぼくは、よくウロウロしてた。
もちろん、バスの中じゃなくて、繁華街ね。
キッズのころだけど。
そういえば、河原町に
茂吉ジジイってあだ名のコジキがいた。
林(はや)っちゃんがつけたあだ名だけど
ほんとに、斎藤茂吉にそっくりだった。
あっ、いま、コジキって言ったらダメなのかしら。
オコジキって丁寧語にしてもダメかしら。
貧しい男と貧しい女が恋をするように
醜い男と醜い女が恋をする。
ぼくはうれしい。
バスの中では、
どの人の座席の後ろにも
ユダが隠れてる。
ここにもひとり、そこにもひとり。
そうして、ユダに気をとられている間に
とうとう祈りの声は散じてしまった。
それは、むかし、ぼくが捨てた祈りの声だった。
蟻は、一度でも通った道のことは忘れない。
一瞬で生まれたものなのに、
どうして、すぐに死なないのだろう。
おひさ/ひさひさ/おひさ/ひさ。
で、はじまる、わたくしたちのけんたい。
ひとりでにみんなになる。
ああん、そんなにゆらさないでよ。
お水がこぼれちゃうよ。

カッパの子どもが
(子どものカッパでしょ?)
頭をささえて、ぼくを睨み返す。
ゆれもどしかしら。
もらった子犬を死なせてしまった。
ぼくが、おもちゃにしたからだ。
きのう転生したばかりだったけれど、
でも、また、すぐに何かに生まれ変わるだろう。
さあ、ビデオに撮るから
そこに跪いて、ぼくにあやまれ。
そしたら、ぼくの気がすむかもしれない。
たぶん、一日に十回か、二十回、ビデオを見れば
ぼくの気がすむはずだ。
それでもだめなら、一日中見てやる。
そしたら、きみに、ぼくの悲劇をあげよう。
ぼくは、膝んところを痛めたことがない。
いつも股のところを痛める。
おしりが大きくて、太腿が太いから
股がすれて、ボロボロになってしまう。
これが、ぼくがズボンを買い替える理由だ。
やせてはいない。
標準体型でもない。
嘘つきでもなかったけれど、
母乳でもなかった。
母乳がなかったからではない。
マスミに言われて、3月に京大病院の精神科に行った。
精神に異常はないと言われた。
性格に問題があると言われた。
しぇんしぇい、精神と性格とじゃ、
そんなにちごとりまへんやんか。
どうでっか。そうでっか。さいですか。
二枚の嫌な手紙と一枚のうれしい葉書。
光は、百葉箱の中を訪れることができない。
留守番電話のぼくの声が、ぼくを不快にさせる。
そんなにいじめないでください。
サウナの階段に
入れ歯が落ちてたんだって。
それ、ほんとう?
ほんとうだよ。
百の入れ歯が並んでた
なんて言えば、嘘だけどね。
嘘だってついちゃうけどね。
だって、いくら嘘ついたって
ぼくの鼻、のびないんだも〜ん。
そのかわり、
オチンチンが大きくなるの。
こわいわ。
こわくなんかないわ。
こわいのはママよ。
小ごとを言うのに便利だからって
あたしの耳の中にすみだしたのよ。
家具や電化製品なんか、どんどん運び込んでくるのよ。
香典返しに、
たわしとロウソクをもらう方がこわいわ。
ヒヒと笑う
団地の子。
手術したい。
ヒヒと笑う
団地の子。
手術したい。
手術してあげたい。
いやんっ、ぼくって、ノイローゼかしら。
ぼくぼくぼく。
たくさんのぼく。
玄関を出ると
目の前の道を、きのうのぼくが
とぼとぼと歩いているのを見たが
それもまた、読むうちに忘れられていく言葉なのか。
百ひきの亀が、砂浜で日向ぼっこしてた。
おいらが、おおいと叫ぶと
百ひきの亀がいっせいに振り返った。
おいらは
百の亀の頭をつぎつぎと、つぎつぎと
ふんっ、ふんっ、ふんっと、踏んづけていった。



むちゃくちゃ抒情的でごじゃりますがな。

枯れ葉が、自分のいた場所を見上げていた。
木馬は、ぼくか、ぼくは、頭でないところで考えた。
切なくって、さびしくって、
わたしたちは、傷つくことでしか
深くなれないのかもしれない。
あれは、いつの日だったかしら、
岡崎の動物園で、片(かた)角(づの)の鹿を見たのは。
蹄(ひづめ)の間を、小川が流れていた、
ずいぶんと、むかしのことなんですね。
ぼくが、まだ手を引かれて歩いていた頃に
あなたが、建仁寺の境内で
祖母に連れられた、ぼくを待っていたのは。
その日、祖母のしわんだ細い指から
やわらかく、小さかったぼくの手のひらを
あなたは、どんな思いで手にしたのでしょう。
いつの日だったかしら、
樹が、葉っぱを振り落としたのは。
ぼくは、幼稚園には行かなかった。
保育園だったから。
ひとつづきの敷石は、ところどころ縁が欠け、
そばには、白い花を落とした垣根が立ち並び、
板石の端を踏んではつまずく、ぼくの姿は
腰折れた祖母より頭ふたつ小さかったと。
落ち葉が、枯れ葉に変わるとき、
樹が、振り落とした葉っぱの行方をさがしていた。
ひとに見つめられれば、笑顔を向けたあの頃に
ぼくは笑って、あなたの顔を見上げたでしょうか。
そのとき、あなたは、どんな顔をしてみせてくれたのでしょうか。
顔が笑っているときは、顔の骨も笑っているのかしら。
言いたいこと、いっぱい。痛いこと、いっぱい。
ああ、神さま、ぼくは悪い子でした。
メエルシュトレエム。
天国には、お祖母(ばあ)ちゃんがいる。
いつの日か、わたしたち、ふたたび、出会うでしょう。
溜め息ひとつ分、ぼくたちは遠くなってしまった。
近い将来、宇宙を言葉で説明できるかもしれない。
でも、宇宙は言葉でできているわけじゃない。
ぼくに似た本を探しているのですか。
どうして、ここで待っているのですか。
ホヘンブエヘリア・ペタロイデスくんというのが、ぼくのあだ名だった。
母方の先祖は、寺守(てらもり)だと言ってたけど、よく知らない。
樹が、葉っぱの落ちる音に耳を澄ましていた。
いつの日だったかしら、
わたしがここで死んだのは。
わたしのこころは、まだ、どこかにつながれたままだ。
こわいぐらい、静かな家だった。
中庭の池には、毀れた噴水があった。
落ち葉は、自分がいつ落とされたのか忘れてしまった。
缶詰の中でなら、ぼくは思いっ切り泣ける。
樹の洞(ほら)は、むかし、ぼくが捨てた祈りの声を唱えていた。
いつの日だったかしら、
少女が、栞(しおり)の代わりに枯れ葉を挾んでおいたのは。
枯れ葉もまた、自分が挾まれる音に耳を澄ましていた。
わたしを読むのをやめよ!
一頭の牛に似た娘がしゃべりつづける。
山羊座のぼくは、どこまでも倫理的だった。
つくしを摘んで帰ったことがある。
ハンカチに包んで、
四日間、眠り込んでしまった。



王國の秤。

きみの王國と、ぼくの王國を秤に載せてみようよ。
新しい王國のために、頭の上に亀をのっけて
哲学者たちが車座になって議論している。
百の議論よりも、百の戦の方が正しいと
将軍たちは、哲学者たちに訴える。
亀を頭の上にのっけてると憂鬱である。
ソクラテスに似た顔の哲学者が
頭の上の亀を降ろして立ち上がった。
この人の欠点は
この人が歩くと
うんこが歩いているようにしか見えないこと。
『おいしいお店』って
本にのってる中華料理屋さんの前で
子供が叱られてた。
ちゃんとあやまりなさいって言われて。
口をとがらせて言い訳する子供のほっぺた目がけて
ズゴッと一発、
お母さんは、げんこつをくらわせた。
情け容赦のない一撃だった。
喫茶店で隣に腰かけてた高校生ぐらいの男の子が
女性週刊誌に見入っていた。
生理用ナプキンの広告だった。
映画館で映写技師のバイトをしてるヒロくんは
気に入った映画のフィルムをコレクトしてる。
ほんとは、してはいけないことだけど
ちょっとぐらいは、みんなしてるって言ってた。
その小さなフィルムのうつくしいこと。
それで
いろんなところで上映されるたびに
映画が短くなってくってわけね。
銀行で、女性週刊誌を読んだ。
サンフランシスコの病院の話だけど
集中治療室に新しい患者が運ばれてきて
その患者がその日のうちに死ぬかどうか
看護婦たちが賭をしていたという。
「死ぬのはいつも他人」って、だれかの言葉にあったけど
ほんとに、そうなのね。
授業中に質問されて答えられなかった先生が
教室の真ん中で首をくくられて殺された。
腕や足にもロープを巻かれて。
生徒たちが思い思いにロープを引っ張ると
手や足がヒクヒク動く。
ボルヘスの詩に
複数の〈わたし〉という言葉があるけど
それって、わたしたちってことかしら。
それとも、ボルヘスだから、ボルヘスズかしら。
林っちゃんは、
毎年、年賀状を300枚以上も書くって言ってた。
ぼくは、せいぜい50枚しか書かないけど
それでもたいへんで
最後の一枚は、いつも大晦日になってしまう。
いらない平和がやってきて
どぼどぼ涙がこぼれる。
実物大の偽善である。
前に付き合ってたシンジくんが
何か詩を読ませてって言うから
『月下の一群』を渡して、いっしょに読んだ。
ギー・シャルル・クロスの「さびしさ」を読んで
これがいちばん好き
ぼくも、こんな気持ちで人と付き合ってきたの
って言うと
シンジくんが、ぼくに言った。
自分を他人としてしか生きられないんだねって。
うまいこと言うのねって思わず口にしたけど
ほんとのところ、
意味はよくわかんなかった。
扇風機の真ん中のところに鉛筆の先をあてると
たちまち黒くなる。
だれに教えてもらったってわけじゃないけど
友だちの何人かも、したことあるって言ってた。
みんな、すごく叱られたらしい。
子どものときの話を、ノブユキがしてくれた。
団地に住んでた友だちがよくしてた遊びだけど
ほら、あのエア・ダストを送るパイプかなんか
ベランダにある、あのふっといパイプね。
あれをつたって5階や6階から
つるつるつるーって、すべり下りるの。
怖いから、ぼくはしないで見てただけだけど。
団地の子は違うなって、そう思って見てた。
ノブユキの言葉は、ときどき痛かった。
ぼくはノブユキになりたいと思った。
鳥を食らわば鳥籠まで。
住めば鳥籠。
耳に鳥ができる。
人の鳥籠で相撲を取る。
気違いに鳥籠。
鳥を牛と言う。
叩けば鳥が出る。
鳥多くして、鳥籠山に登る。
高校二年のときに、家出したことがあるんだけど
電車の窓から眺めた景色が忘れられない。
真緑の
なだらかな丘の上で
男の子が、とんぼ返りをしてみせてた。
たぶん、お母さんやお姉さんだと思うけど
彼女たちの前で、何度も、とんぼ返りをしてみせてた。
遠かったから、はっきり顔は見えなかったけれど
ほこらしげな感じだけは伝わってきた。
思い出したくなかったけれど
思い出したくなかったのだけれど
ぼくは、むかし
あんな子どもになりたかった。



死んだ子が悪い。

こんなタイトルで書こうと思うんだけど、って、ぼくが言ったら、
恋人が、ぼくの目を見つめながら、ぼそっと、
反感買うね。
先駆形は、だいたい、いつも
タイトルを先に決めてから書き出すんだけど、
あとで変えることもある。
マタイによる福音書・第27章。
死んだ妹が、ぼくのことを思い出すと、
砂場の砂が、つぎつぎと、ぼくの手足を吐き出していく。
(胴体はない)
ずっと。
(胴体はない)
思い出されるたびに、ぼくは引き戻される。
もとの姿に戻る。
(胴体はない)
ほら、見てごらん。
人であったときの記憶が
ぼくの手と足を、ジャングルジムに登らせていく。
(胴体はない)
それも、また、一つの物語ではなかったか。
やがて、日が暮れて、
帰ろうと言っても帰らない。
ぼくと、ぼくの
手と足の数が増えていく。
(胴体はない)
校庭の隅にある鉄棒の、その下陰の、蟻と、蟻の、蟻の群れ。
それも、また、ひとすじの、生きてかよう道なのか。
(胴体はない)
電話が入った。
歌人で、親友の林 和清からだ。
ぼくの一番大切な友だちだ。
いつも、ぼくの詩を面白いと言って、励ましてくれる。
きっと悪意よ、そうに違いないわ。
新年のあいさつだという。
ことしもよろしく、と言うので
よろしくするのよ、と言った。
あとで、
留守録に一分間の沈黙。
いない時間をみはからって、かけてあげる。
うん。
あっ、
でも、
もちろん、ぼくだって、普通の電話をすることもある。
面白いことを思いついたら、まっさきに教えてあげる。
牛は牛づら、馬は馬づらってのはどう?
何だ、それ?
これ?
ラルースの『世界ことわざ名言辞典』ってので、読んだのよ。
「牛は牛づれ、馬は馬づれ」っての。
でね、
それで、アタシ、思いついたのよ。
ダメ?
ダメかしら?
そうよ。
牛は牛の顔してるし、馬は馬の顔してるわ。
あたりまえのことよ。
でもね、
あたりまえのことでも、面白いのよ。
アタシには。
う〜ん。
いつのまにか、ぼくから、アタシになってるワ。
ワ!
(胴体はない)
「オレ、アツスケのことが心配や。
アツスケだますの、簡単やもんな。
ほんま、アツスケって、数字に弱いしな。
数字見たら、すぐに信じよるもんな。
何パーセントが、これこれです。
ちゅうたら、
母集団の数も知らんのに
すぐに信じよるもんな。
高校じゃ、数学教えとるくせに。」
「それに、こないなとこで
中途半端な二段落としにする、っちゅうのは
まだ、形を信じとる、っちゅうわけや。
しょうもない。
ろくでもあらへんやっちゃ。
それに、こないに、ぎょうさん、
ぱっぱり、つめ込み過ぎっちゅうんちゃうん?」
ぱっぱり、そうかしら。
「ぱっぱり、そうなのじゃあ!」
現状認識できてませ〜ん。
潮溜まりに、ひたぬくもる、ヨカナーンの首。
(胴体はない)
棒をのんだヒキガエルが死んでいる。
(胴体はない)
醒めたまま死ね!
(胴体はない)
醒めたまま死ね!



そしたら、このあいだ、4月の半ばかな、ジェフリーから返事がきて
そのゲイの詩のアンソロジーをつくっている編集者の KEVIN SIMMONDS さんから
つぎのようなメールがきたって連絡してくれた。
ぼくの「水面に浮かぶ果実のように」に対してのもので
メールをコピペするね。

I'd like to include this poem and perhaps something else. Do you have any other Tanaka translations done other than those you sent? Also, I'll have my partner look at the guy who writes the shorter pieces and get back to you. Will you be leaving the country anytime soon? I'd rather risk having to wait to include other of your translations in the second printing than have to lose them altogether for the first. That said, please get this signed release back to me and have Tanaka send an email (in Japanese is OK) endorsing the translation and including his permission. Don't forget to tell me where this has appeared (if it has, include publisher/journal and date) and who owns it (if it's not you and Tanaka). I'll just generate new releases if other poems fit the anthology.

The inclusion of this Tanaka poem is very important to me and the anthology! Can't stress that enough!

Thanks,
k~

上の一行にある

The inclusion of this Tanaka poem is very important to me and the anthology!

って言葉を目にして、めっちゃうれしかった。
ちかぢか、ぼくの「水面に浮かぶ果実のように」が、
アメリカで出されるゲイの詩のアンソロジーに収められるってわけね。
めっちゃうれしかった。



日付のないメモ。

さきほど、入口からだれかが入ってきたような気がしたのだけれど
身体が動かず、顔のうえに腕をおいて居眠りしていたので
布団のなかで固まっていると
顔に触れる手があって、叫び声をあげると
気配が消えた。
ぼくの身体も硬直がとけて
目をあけるとだれもいなかった。
たぶん、幻覚だろうとは思っていたのだけれど。
昨夜、本を読んでいるときに
ふと、内容がわからなくなって
ページをめくり直すと数ページ読んだ記憶がなかった。
時間がぽこりそこだけなくなったかのように。
テーブルのしたの積み重なったCDのしたから
日付のないメモが見つかった。
ここに引用しておく。

「ことし50才になったよ。
 なったばかり。
 1月生まれやからね。」
「ぼくも1月生まれなんですよ。」
「山羊座?」
「ええ。」
「何才になったの?
 たしか、30すぎたくらいだったよね。」
「32才になりました。」
(…)
「つくづく、いろんな人がいるなあと思います。」
靴フェチの青年の話をした。
ぼくの靴をさわりながらオナニーをする青年。
日にやけた体格のいい好青年だった。
見せるだけの男の子の話もした。
大学生か院生くらいだった。
自分がオナニーするのを見てほしいというのだった。
ぼくが身体に触れようとすると
「だめ! 見るだけ!」
と言って、ぼくの手をはらうのだった。
彼もまた、体格のいい好青年だった。
いろいろな性癖があるねと言った。
「初体験はいつ?」
「中学のときでした。
 友だちから、気持ちのいいことしてやろかと言われて
 さわられたのが初体験です。」
「ふつうの友だち?」
「ええ。」
「でも、そのとき、きみが断ってたら
 友だちのままでいられたやろか?」
「わかりませんね。
 どうだったでしょう。」
「まあ、断らなかったんだからね。
 じっさいは。
 でも、気まずくなったかもしれないね。」
「たぶん。」
「その友だちとはずっと付き合ってたの?」
「高校が別々だったので
 中学のときだけでした。
 高校では女の子と付き合ってました。」
「じゃあ、どっちでもええんや。」
「ええ。
 いまでも、どっちでもいいんですよ。」
「そんな子、多いね。」
(…)
「人間って汚いと思います。」
「どうして?
 まあ、汚いなって思えるときもあるけど
 そうじゃないときもあるよ。
 むかし、Shall We Dance? って映画を恋人と見に行ったとき
 映画館の前で待ち合わせしてて
 自分の部屋を出るときにあわててて
 小銭入れを忘れたのね。
 で
 バスに乗ってから
 1万円札しかないことに気がついて
 で
 バスの車掌に言ったら
 両替もできないし
 いま回数券もない
 って言うのね。
 で
 困ってたら
 前と後ろから同時に声がかかったんだよね。
 前からは、おじさんが、これ使って、と言って、小銭を
 後ろからは、髪の長いきれいな女性が、これを使ってください、と言って回数券を
 ぼくにくださろうとしたのね。
 おじさんのほうがすこしはやかったから
 女性の方にはていねいにお断りして
 おじさんに小銭をいただいたのだけれど
 お返ししますからご住所を教えてくださいと言ったら
 そんなんええよ。
 あげるよ。
 と言ってくださってね。
 もうね。
 映画どころじゃなくって
 ぼくは、そのことで感激してた。
 映画もおもしろかったけどね。」
「そら、映画より感動しますね。」
「でしょ?
 だから、ぼくも似たことを梅田駅でしてあげてね。
 高校生ぐらいのカップルが、初デートだったんだうね。
 切符売り場で、何度も100円硬貨を入れては下から吐きだされてる男の子がいてね。
 顔を真っ赤にして。
 100円玉がゆがんでることに気がつかなかったんだろうね。
 おんなじ100円玉を入れててね。
 で、ぼくがポケットから100円玉をだして
 ぽいって入れてあげたの。
 男の子が、あ、って口にして
 ぼくは、ええよ、という感じで片手をあげて笑って立ち去ったんだけど
 そうそう、このあいだ地下鉄で
 目の見えないひとが乗ってきたらね。
 女子高校生の子が、そのひとのひじをとって
 ごく自然にそうふるまったって感じでね。
 いつもそうしてるってかんじやったなあ。
 人間は汚くないよ。」
「そういうところもありますね。」
「九州に旅行に行ったときね。
 20年ほどもむかしの話だけど
 ゲイ・スナックの場所がわからなくて
 公衆電話から店に電話で場所を聞いてたんだけど
 なかなかわからなくて困ってたら
 となりで彼女に電話をかけてた青年が
 「おれ、その場所、知ってますよ。案内しますよ。」と言い
 自分の電話口に向かって「ちょっとまっとれ、あとで掛け直すわ。」
 って言って、その場所まで案内してくれてね。
 場所柄かなあ。
 九州人だからかなあ。
 京都人にはいなさそうだけどね。
 そんなことがあった。
 九州といえば、20代のころに
 学会で博多に行ったときに
 ぼくだけ院生たちと別行動で
 夜にゲイ・スナックに行ってたんだけど
 タイプだった青年にタイプだって言うと
 ぼくはタイプじゃないって言われたんだけど
 「どちらに泊ってらっしゃるんですか? 車できてるので送りますよ。」
 と言ってくれてね。
 純朴そうな好青年だったな。
 そんなことがあってね。」
(…)
「人間が汚いって、
 それ、もしかしたら、自分のこと思って言った?」
「そうです。」
「ああ、そうなんだよね。
 人間って、ときどき、自分のこと、汚いって思っちゃうんだよね。
 また、そう思わないといけないところがあるんだよね。
 そう思えない人間って、なにか欠陥があるんだよね。
 自分の欠陥を指摘できないという決定的な欠陥がね。」
「そうなんですか。
 自分が汚いから
 ひとも汚いって思えるんじゃないかと思いました。」
「逆もまた真でね。
 ひとのことも、自分のこともね。
 つながってるから。
 みんなね。
 で
 たとえば
 きみには、どんな汚い面があるの?」
「ひと通りのない道で
 カーセックスしたあと
 彼女に別れ話をしたんですよ。
 はじめから別れ話をするつもりだったんですけど
 セックスは、やりおさめで、やりときたかったので。」
「セックスして、どれくらいあとに?」
「30分くらいです。」
「そりゃ、彼女もびっくりだったろうね。
 別れるときには
 別れようと思ったときには
 つぎの子ができてて
 それで新しい子と付き合うために
 付き合ってた子と別れるっていうひとがいるけど
 そういうひとなんだね。」
「はい。」
「残酷やなあ。
 まあ、男同士やから、その気持ちわかるけどね。
 ぼくにも経験あるからね。」
「なにげないことをケンカの種にして
 文句言って別れました。
 汚いですよね。」
「いや、ただ単に、自己本位なんやろ。
 人間って余裕がないとね、
 気持ちに余裕がないと、ひとにやさしくなれないしね。
 やさしく、じゃないな
 相手の気持ちを考えて言ったりしたりすることができないんじゃないかな。
 Shall We Dance? のときのこと
 映画より、バスの運賃なかったときの体験のこと思い出すとね、
 前の座席に坐ってたおじさんも
 ぼくの後ろに
 ぼくと同じように吊革につかまって立ってた女性も
 こころに余裕があったんだよね。
 そう思うわ。
 そのときは感動しただけやったけど
 いま思い出すと
 人間のこと、もう一段深く掘り下げて知れたんやね。
 余裕があったから
 ひとにやさしくできたんやね。
 でも、その余裕って
 べつに金持ちやからとかっていうことじゃなくて
 人間的な余裕かな。
 そういった余裕があれば
 汚くなることもないやろうね。」
「そうでしょうね。
 人間って汚いって思うのは
 やっぱり、おれが汚いからでしょうか?」
「いや、それは、さっきも言ったように
 きみだけやないで。
 ただ、そうじゃないひとも、いつもそうとは限らないだろうし
 きみも、ぼくも、いつも汚いわけじゃないし
 いつもきれいなわけでもないし
 ただ単に、自己本位なだけなんだよ。
 だれもがそうであるときと
 そうでないときとがあるんじゃないかな。
 そうじゃないときのほうが多いひともいるやろうし
 そうじゃないときがほとんどないひともいるやろうしね。
 そうじゃないときのほうが多いひとって
 やっぱり余裕があるんやろうね。
 土地柄もあるやろうね。
 さっき言った九州の男の子の話ね。
 電話の話と、スナックでの話ね。
 ふたつとも九州やったしね。
 まわりのひとが、ひとに気遣う習慣がある土地柄なんじゃないかな、
 九州って。
 そういう土地柄だったら、九州のあの男の子たちのような子がいても
 ふつうのことだろうね。
 習慣。
 それと、学習ね。
 むかし、国際でいっしょだった英語の先生で
 中西先生って方がいらっしゃって
 その方の話だけど
 教養のあることのいいところは
 まずしくても
 まずしさを恥じなくてもいいことだとおっしゃっててね。
 知り合いの女性が
 ハーバードを出てらっしゃるのだけれど
 アルバイトでスーパーのレジ係をしてらっしゃってて
 でも、そんなこと、そのひとにとってはなんでもないことで
 たとえ時給が低くても、仕事としてちゃんとこなしていて
 給金をもらって生きていることは、ごくあたりまえのことだって。
 そうだね。
 土地柄と、教養かなあ。
 教育、育ち、育てられ方っていうか、そんなものに影響されるね。」
「そうでしょうね。」
「でも、きみって、素朴そうなのに
 女にはけっこうすごいんだね。」
「友だちに、顔に似合わず
 えげつないって言われます。」
「まあね、顔は、ほんとやさしそうだもの。
 人間って、こわいなあ、笑。」
にこにこしてる彼。
なんで、笑いがとまらへんのやろか。
ふたりとも、まじめに話しながらも笑ってた。
笑いをとめて話をするのが、よけいにこわいからか。
たぶん、そうだったのだろう。
(…)
「京都人は、あまりひとにかまわないね。
 政治的に、むかしから難しい土地柄ってことがあるって
 そんな話聞いたことあるよ。
 明治維新のときとか。」
手がぷにぷにしていて、かわいい。
乳首が感じるらしい。
それほど大きくないペニス。
というか、小さいほう。
「ふだん見えないところが見えると
 興奮しますね。」
「たしかに、他人のたってるチンポコ見ること
 ふつうはないもんね。」
「むかし、一度だけ、東梅田ローズというところに行きましたけど
 もう、みんなすごいことでしたよ。」
「あっちでも、こっちでも
 チンポコおったてて、ってことでしょ、笑。
 そいえば、女の子同士の発展場ってないんやろか?
 ないんやろうなあ。
 聞いたことないもんね。
 小説でも読んだことないし。」
「聞きませんね。
 でも、個人の家で
 女の子同士会ってたりするかもしれませんんえ。」
「あったら、小説に出てくるはずなんやけど。
 読んだことないなあ。
 レズビアンが出てくる小説はあるけど
 出会いはふつうのところやった。」
ここで、京大のエイジくんのことについてしゃべった。
めっちゃかっこよかったけど、彼にはそれが負担やったみたいな。
「万人に好かれる顔やったらええなって思います。」
「好かれる顔してるんじゃない?」
「マニア受けする顔やと思ってました。」
「だいじょうぶ。
 10人ゲイがいてたら
 8人はいけるって言うと思う、笑。」
「あとのふたりはなんなんですか?」
「ガリ専とフケ専かな、笑。
 でもね。
 万人受けする顔って
 幸せやないよ。
 性格も傲慢になるしね。」
「なるでしょうね。」
「人間って、弱いしね。
 つぎにすぐできると思ったら
 すぐに手放すからね
 いま持ってる幸せ。
 つぎのもののほうがいいって思いこんでね。」
ここで、ケイちゃんの話をする。
「まあ、きみは、65点ちょい上くらいかな。
 中よりすこし上
 ちょっとモテルって感じかな。
 そのちょっとモテルって感じが万人受けでしょ、笑。」
「65点ですか。」
「ちょい上ね。
 高得点だと
 あとは落ちるだけやからね、笑。」
「なるほど。」
(…)
「仕事場で、同性からモーションかけられたことってあるの?」
「ないですよ。」
「ほんとう?」
「いや、ありますかね。
 もしかしたら、このひと、おれのこと好きなのかなって
 感じたことありますけど。」
「あると思うよ。
 ぼくも、先生で好きな先生いらっしゃるもの、笑。」
「そうなんですか。」
「相手も気づいてんじゃない?
 好きだとか
 嫌いだとかって感情は、隠せないもんね。」
「そうですね。」
「きみは、そのひとのこと好きなの?」
「いえ、べつに。」
「そっか、好きなほうが人生おもしろそうだけど、笑。」



P・D・ジェイムズの『殺人展示室』、読み終わりました。

人物描写と情景描写は
いつものように、とてもいい感じやった。
でも、さいごのところで、ちょっとなあ、と思った。
情景描写も人物描写も、これでもか! という感じやっただけに
さいごが、ちょっと、ええ? 
って思った。
ジェイムズ、コンプリートにコレクションしたけど
きょうから、『灯台』を読むのだけれど、どうやろうか。
もう数カ月も、ジェイムズづけやから
文体には慣れてしもたから、読むのは苦痛やないけど
それでも、じゅうぶん、読むのが遅い。
まあ、フロベールの『プヴァールとペキュシェ』ほど、遅くはないけど。
そいえば、このあいだまで読んでたSFは、はやかった。
かといって、すかすか読めるエッセイとかには、まったく興味がないし。



恋愛拒否症。

きょうも、日知庵でヨッパ。
横須賀から来てた男の子がそばに坐りに来て
話しかけてくれたけど
帰ってきた。
そいえば
何年か前も
日系のオーストラリア人のすっごいかわいい男の子が
ひざをくっつけてきたけど
気がつかないふりをしてた。
そだ。
これも何年か前
部屋に遊びにきた元教え子が(予備校のね)
さそってきたときも
ぼくは気がつかないふりをしてた。
つくづく
恋愛拒否症なのだと思う。
なのに
恋愛したいって思ってるってのは
頭でも、おかしいのかな?



『ガレッティ先生失言録』創土社版、到着。

あと、ブックオフでのお買い物、1冊。
五条堀川のブックオフでは
ブコウスキーの『町でいちばんの美女』単行本 105円。
これ、じつは、買うの二度目。
一度目は、お風呂場で読んだので
読み捨てた本だったのだが
きょう、なつかしくて手にとると
「精肉工場のキッド・スターダスト」
というタイトルの短篇が二番目に収録されていて
このタイトルから
むかし付き合ったノブユキのことが鮮やかに思いだされたので
衝動買いしたのであった。
二十数年前の話だ。
付き合いはじめて
まだ、そんなに経っていなくて
ノブユキはシアトルに留学していたから
長期の休みのときに会っていたのだけれど
さいしょの冬休みのときに
おみやげと言って渡されたのが
「精肉工場」というタイトルのポルノビデオだった。
英語のタイトルは忘れたけれど
meat なんとかだったと思う。
「ノブユキ」に似た日本人っぽい青年が
ガタイのいい白人の男に犯されるという設定のものだった。
似てない?
と訊くと
似てると思って買ってきたというのだ。
そういえば
ケンちゃんは自分が出演していたゲイ・ポルノのビデオを
ぼくにプレゼントしてくれたけれど
別れるときに返したら
「持っていてほしい。」
と言われて、びっくりしたことがある。
ノブユキのいたシアトルの大学でのレイプ事件
放課後に、日本人留学生の男の子が黒人の4人組に犯された話。
きのう、タカヒロくんに話してて
アメリカ人のガタイがいい人って、人間離れしてるもんね。
きゃしゃな日本人だったら抵抗できないかも、とかとか言ってて
ディルド8本、ロスの税関での没収(ディルド一個とビデオ7本の聞き間違い)の話もした。
これは、笑った。
ノブユキにもらったビデオ、捨てたのだけれど
いつか、どこかで目にすることができればいいなって思ってる。
ノブユキと出会った日の別れ際に
「バイバイ」
と、ぼくが言うと
ノブユキの微笑みがちょこっとのあいだ、歪んでとまったのだけれど
ぼくが笑うと、安心した笑顔になった。
その表情が鮮やかに思いだされて
それで、ブコウスキーを買い直したってわけ。
「精肉工場」ね。
ノブユキにもらったビデオのほうだけど
凍りついた牛の肉とか
ぜんぜん出てこなかった。

ブコウスキー
読んでおもしろいと思うのだけれど、
ブコウスキーをおもしろいと思うのは、
どこかで、だめだ、という気がしていた。
それで、ブコウスキーの本は、
お風呂場で読んで、読んだあとは捨てていたのだけれど、
パラ読みしてたら、やっぱりおもしろい。
目次ながめてるだけでも笑けてしまうぐらい。
でもでも、さきに、ガレッティ先生のほう、読もう。



反時計まわり。

もう何十年も、黒板に向かって、数式を書いたり消したりしておりますが
おとつい、あるおひとりの数学の先生に
「田中先生、図形は、どうして反時計まわりにアルファベットをふるのでしょうか。
 ご存じでしたら、教えていただけませんか?」
とたずねられて、その理由は知らなかったのですが
「たしかに、数学では習慣的にそうしていますが
 時計まわりでもよいはずですが
 しかし、たしかに
 座標平面を4分割したとき
 象限の名称が反時計まわりに
 第I、第II、第III、第IV象限って名付けられていますね。
 デカルトの時代には正の象限しかなかったので
 デカルト以後でしょうけれど。」
とかとか話しておりましたが、判然とせずにおりましたところ
古代文字の書き方の話になり
右から左に、それとも、左から右に書くのはどうしてでしょうね。
みたいな話にまで飛びましたら
その数学の先生が、近くにおられた宗教学の先生に
「アラビア語は右から左に書くのですか?」
と訊かれて
その宗教学の先生が
「そうですよ。」
とおっしゃって
「インクのない時代だからだったのでしょうね。」
と、ぼくが口をはさむと
「右利きの場合は、ですね。
 しかし、もともと文字を石に掘っていたので
 右から左なのですよ。」
とおっしゃって、身ぶりをまじえて
「こう、左手に鑿を持ち、右手で槌を打つのですね。」
「楔形文字の場合もですか?」
とぼくが言うと
「それは型を圧す方法ですから
 左から右です。
 右からでしたら、つけた型を損なうかもしれないでしょう。」
と言われて、ああ、なるほどと思ったのですが
すると、さいしょにぼくにたずねられた数学の先生との話に戻って
その数学の先生が、ぼくとの会話のいきさつを話されたので
すると、その宗教学の先生が
「巡礼が廻廊をまわるのも反時計まわりですよ。」
ぼくも、もうひとりの数学の先生も知らないことでした。
思わず、ふたりは目を合わせましたが
「どうして反時計まわりなんですか?」
と、その数学の先生が宗教学の先生に訊かれたのです。
そしたら、意外なところに
いや、よく考えたら意外ではなかったのですが
「北極星を中心に星が反時計まわりに動いているでしょう。
 そこからじゃないですか。」
ぼくと、もうひとりの数学の先生の目がもう一度合いました。
「解決しましたわね。
 おもしろいですわね。
 きょう、わたくし、脳が覚醒して眠れないかもしれません。」
「ぼくもです。
 習慣といっても、起源があるものでしょうから
 理由があるのですね。」
そしたら、その数学の先生が目をきらきら輝かせて
ひとこと、こうおっしゃいました。
「そうでしょうか。
 わかりませんよ。」
と、笑。
おもしろいですね。
人間というものも、知識というものも。
ぼくにたずねられた数学の先生
ぼくにP・D・ジェイムズを教えてくださった方で
P・D・ジェイムズばりに知的な方で
たまにたずねられることがあるのですが
そのたびに緊張いたします。
楽しい緊張ですが、笑。
そういえば、デカルトもニュートンも
むかしの学者って、数学や科学が専門でも
神学と哲学以外に、占星術も学問として修めていましたね。



この数学の先生、岸田先生というお名前なのだけれど
ぼくに、P・D・ジェイムズをすすめてくださった先生ね。
で、『原罪』のテーマって、日本では無理ですよね、ナチスなかったし
と、ぼくが言うと
「そうですか?
 日本にはありませんか?
 在日問題とか、あるんじゃありませんか?」
とおっしゃって。
そういえば、ぼくの実母だって、被差別部落出身者だし
それが理由の一つでぼくの父親とも離婚したんだし
とか思ったけれど、いま職員室で言うことじゃないと思って、そのことは黙ってた。
「そうですね。
 ぼくは当事者じゃないので、想像もできませんでしたけど
 それほど自分から遠い話ではありません。
 韓国籍の友人もいましたし。
 でも、それで苦しんでるなんて聞いたこともなかったので
 思い至りませんでした。」
そうか。
在日問題か。
気がつかなかった。
うかつやったな。



ピオ神父、10260円。

きのう
日知庵に行く前に
カソリック教会である三条教会の隣のクリスチャンズ・グッズのお店で
いろいろなものの値段を眺めていた。
安物っぽいピエタ像が10000円以上してたり
どう考えても、そんな値段はおかしいと思うものがいっぱいあった。
ピオ神父の20センチくらいの陶器製の置物が
10260円だった。
税込みで。
ちょっと欲しくなるくらいのよい出来のものだったが
ほかのものもそうだが
値札がひも付きのもので
首にぶら下げてあるのであった。
キリストもマリアも神父さんもみな
首に値札がぶら下がっていたのであった。
店の入り口にホームレスが寝ていた。
店のひとは追い払わないでいた。
太ったホームレスだった。
そういえば
だれだったか忘れたけど
また、いつのことだったか忘れたけど
四条河原町で明け方に狭い路地のところに
ガタイのいい男が裸で酒に酔って寝ていたらしく
連れて帰ったらホームレスだったって
だれか言ってたなあ。
タクちゃんかな。
タクちゃんは、汚れが好きだからなあ。
たぶん。



そうそう
きょう買った世界詩集の月報にあった
アポリネールの話は面白かった。
アポリネールが恋人と友だちと食事をしているときに
彼が恋人と口げんかをして
彼が部屋のなかに入って出てこなくなったことがあって
それで、友だちが食事をしていたら
彼が部屋から出てきて
テーブルの上を眺め渡してひとこと
「ぼくの豚のソーセージを食べたな!」
ですって。



人間の基準は100までなのね。
むかし
ユニクロでズボンを買おうと思って
買いに行ったら
「ヒップが100センチまでのものしかないです。」
と言われて
人間の基準って
ヒップ 100センチ
なのね
って思った。
って
ジミーちゃんに電話で
いま言ったら
「ユニクロの基準でしょ。」
って言われた。
たしかにぃ。
しかし
ズボンって言い方も
ジジイだわ。
アメリカでは
パンツ
でも
パンツって言ったら
アンダーウェアのパンツを思い浮かべちゃうんだけど
若い子が聞いたら
軽蔑されそう。
まっ
軽蔑されてもいいんだけどねえ、笑。



部屋にあった時計がなくなっている。
枕元にあったのだけれど、なくなる理由がわからない。
部屋の外で、このビルの非常ベルも鳴らされているし、よくわからない。
もうちょっと、時計をさがす。
あ、非常ベルが鳴りやんだ。
相変わらず、目覚まし時計はない。
もうちょっと、さがそうっと。

見つかった。
なにが。
目覚まし時計が。
マカロニサラダをつくるときに、キッチンに持っていっていたのであった。



ごめんなさい、午前2時さん。

へんな時間(ごめんなさい、午前2時さん)に目がさめた。
得したのか(読書できるから)なあ。
しかし、はやすぎる。
もう一度寝床に(クスリ、飲んでるんだけど、飲み過ぎのせいかなあ)。
ああ、でもすっかり目がさめてる。
コーヒーを飲むべきかどうか。
ハムレット状態でR。



つぎの長篇詩のタイトル、『カラカラ帝。』に。
「カラカラって?」
「からかって?」
「ご変身くださいまして、ありがとうございました。」
「いいえ、ご勝手に。」
「そりゃ、そうでしょ。」
「噛むって言ってたじゃん!」
「ぜったい、ぜえったい買うって言ってたじゃん。」
「わーすれましたぞな、もっし。」



安田太くんのこと、思い出した。2歳下で、ラグビーで国体に出た、かっこいいヤツだったけど、どSやった。けど、二人で河原町のビルの上階にあるレストランに行ったとき、男女のカップルの女の子のほうが、ぼくらをじろじろ見てた。そんなにゲイ丸出しやったんやろか。二人とも体格よかったんだけど。

男の子は顔を伏せてた。ぼくらを見ないように。おもしろいね。女の子はじろじろ見てて、男の子は恥ずかしそうにうつむいてた。女の子の好奇心って、つよいね。男の子がシャイなだけなのかな。まあ、しかし、ぼくらがゲイのカップルだってことは見破られてたんだ。どこでやろか。べつに手もつないでないし。

やっぱ、視線かな。ぼくと太くんの、お互いに見つめ合う。

太くんが21歳で、ぼくが23歳のときの話ね。ディープな話は、作品でまた書こうと思ってる。ヒロくんと同じように絵を描くのが趣味やった。ゲイって、けっこう芸術やってる子が多くて、ぼくの付き合った子のうち、二人は作曲家やった。一人は複数の歌手のゴーストライターしてた。もう一人はCM曲。

あ、CMの子とは付き合ってないか。できてただけかな、笑。しかし、二人とも、ぼくよりずっと年下なくせに、えらそうだった。二人とも同じこと、ぼくに言ってたなあ。「芸術やってたら、それで食べられるぐらいにならんと、あかんのちゃう?」って。こんな言葉は、芸術で食べてるから言えるんだよね。

さてさて、これから、西院のパン屋さんまでモーニングを食べに行こう。帰りにダイソーで、詩集の賞に応募するための封筒を買ってこよう。きょうは、3つ、4つの賞に応募しようっと。んじゃ、行ってきま〜す。



鼻輪。

注文していたパンが2個たりなかったので、アップルパイみたいなのね、カウンターに行って、あと2個たりないからねって言って頼んで、自分が坐っていたテーブルに戻ると、さっきまで唐だった隣のテーブルに家族連れ3人の女性がやってくるところだった。姉なのかな、30代くらいの女性が
posted at 10:23:56

「トイレどこかしら?」と妹らしき女性にたずねた。(顔がお母さんンと3人ん似ていたので)ぼくが「ここにはトイレがありませんよ。出て、隣のビルの地下にトイレがあります。」と言うと、妹さんのほうが(彼女は20代だろうね)「ありがとうございます。」と言って、姉の顔を
posted at 10:27:51

見上げた。妹はすでに腰かけていて、姉は立っていたから。姉が母親といっしょに出て行くと、妹さんは、少しぼくに近いところに坐りなおして「ありがとうございました。」とにこっと笑いかけてきたので、ぼくは、いつも自分のリュックにしのばせている自分の詩集を出して、「これ、よかったら、
posted at 10:30:02

読んでみてください。詩集です。もしも気に入られれば、ジュンク堂や紀伊国屋や大垣書店に、ほかの詩集も置いてありますから、買ってやってください。その詩集、シリーズものなんですよ。」と言って彼女の手に渡した。彼女は「ありがとうごじあます。」と言って手のなかの詩集のページを
posted at 10:32:31

めくった。しばらく目を落としていたが、母親たちが戻って来たので、ぼくが詩集をプレゼントしたことを二人に説明した。二人は別に怪訝そうな顔をすることなく、ぼくに礼を言い、店員に運ばれてきたパンやサラダに目をやった。ぼくのほうにも、あの2個のアップルパイがきた。
posted at 10:35:07

ぜんぶたいらげて、レックバリの『氷姫』を読んでいた。奥のテーブルにパン屋サラダを運び終わった店員が、ぼくの目の前を通り過ぎようとしたので、「もう10時になっていますかね。」と尋ねた。少しふっくらとした若い女性の店員は、「ええ、過ぎていますよ。」と返事してくれた。いつも
posted at 10:37:14

にこにこ笑顔をしている、かわいらしい店員さんだった。ぼくが、いつもたくさんパンを食べるので、きっと、ぼくにききたいことがあるような気がしてる。いったい、一日にどれだけ食べるんですかって、笑。自分のテーブルの上にあったレシートを見ると、9時51分になっていた。そりゃあ、
posted at 10:39:16

10時は過ぎてるなと思った。隣のテーブルの女性陣たちに、「いや、これからダイソーに行くので、訊いたんですよ。」と言った。携帯を持ってないことは言わなかった。ぼくは、時計も持たない主義なのだ。で、ダイソーで、詩の賞に応募するための封筒を4枚買い、アルカリ単3電池も
posted at 10:41:10

6個入りのもの2セット買って、雨のなか、透明のビニール傘をさして帰ったのだが、帰り道で、黒人の青年に出合った。というか、すれ違った。おもしろかった。だって、彼は、スーツ姿で、スーツケースを手にして、傘を持って歩いてたんだけど、鼻輪もしてたの。それも小さいヤツじゃなくて、
posted at 10:43:11

唇の3分の2くらいの大きさの銀色のもの。完全な金属製の輪っか。びっくりした。でも、おもろかった。笑わなかったけど、こころのなかで、思いっきり笑った。こんな鼻輪をした黒人青年の話を、日本の会社のどんな立場のひとが相手にするんだろうかって。ビジネスの話のあいだ、気になって
posted at 10:44:54

仕方がないんじゃないかなって。ぼくだったら見るわ〜、その鼻輪。きらきらと輝く、めっちゃ肌の色とコントラストしてる、その銀色の輪っかを。男前の若い黒人さんだったから、ドキッともしたけどね。輪っかは、印象に残るわ。まあ、ぼくが会社のひとだったら、そく抱きついちゃうかもね、笑。ブヒッ。
posted at 10:47:37



吉田くん。

電車に乗ると、席があいてたので、吉田くんの膝のうえに腰かけた。吉田くんの膝は、いつものように、やわらかくてあたたかかった。電車がとまった。親子連れが乗り込んできた。小さな男の子が吉田くんの手をにぎった。

このあたりの地層では、吉田くんが、いちばんよい状態で発見されます。あ、そこ、褶曲しているところ、そこです、ちょうど、吉田くんが腕を曲げて、いい状態ですね。では、もうすこし移動してみましょう。そこにも吉田くんがいっぱい発見できると思いますよ。

玄関で靴を履きかけていたわたしに、妻が声をかけた。「あなた、忘れ物よ。」妻の手には、きれいに折りたたまれた吉田くんがいた。わたしは、吉田くんを鞄のなかにいれて家を出た。歩き出すと、吉田くんが鞄から頭を出そうとしたので、ぎゅっと奥に押し込んだ。

「きみ、どこの吉田くん?」また、いやなこと、訊かれちまった〜。「ぼく、吉田くん持ってないんだ。」「えっ? いまどき、携帯吉田くん持ってないヤツなんているの?」あーあ、ぼくにも携帯吉田くんがいたらなあ。いつでも吉田くんできるのに。

はじめの吉田くんが頬に落ちると、つぎつぎと吉田くんが空から落ちてきた。手で吉田くんをはらうと、ビルの入口に走り込んだ。地面のうえに落ちるまえに車にはねられたり、屋根のうえで身体をバウンドさせたりする吉田くんもいる。はやく落ちるのやめてほしいなあ。

ゲーゲー、吉田くんが吐き出した。「食べ過ぎだよ。」吉田くんが吐き出した消化途中の佐藤くんや山田さんの身体が、床のうえにべちゃっとへばりついた。

吉田くんを加熱すると膨張します。強く加熱すると炭になり、はげしく加熱すると灰になります。蒸発皿のうえで1週間くらい置いておくと、蒸発していなくなります。

吉田くんは細胞分裂で増えます。うえのほうの吉田くんほど新しいので、すこし触れるだけで、ぺらぺらはがれます。粘り気はありません。

「あちちっ!」吉田くんを中心に太陽が回っています。「あちちっ!」太陽が近づくときと遠ざかるときの時間が短いのです。「あちちっ!」吉田くんは、真っ黒焦げです。

さいしょの吉田くんが到着してしばらくすると、つぎの吉田くんが到着した。そうして、つぎつぎと大勢の吉田くんが到着した。いまから相が不安定になる。時間だ。たくさんの吉田くんがぐにゃんぐにゃんになって流れはじめた。

この竹輪は、無数の吉田くんのひとりである。空気・温度・水のうち、ひとつでも条件が合わなければ、この竹輪は吉田くんに戻れない。まあ、戻れなくてもいいんだけどね。食べちゃうからね。

二酸化吉田くん。

「水につけて戻した吉田くんを、こちらに連れてきてください。」ずるずると、吉田くんが引きずられてきた。「ぼくは、どこにもできない。」本調子ではない吉田くんの手がふるえている。「ぼくは、どこにもできない。」絵画的な偶然だ。絵画的な偶然が打ち寄せてきた。

きょうのように寒い夜は、吉田くんが結露する。

「はい。」と言うと、吉田くんが、吉田くん1と吉田くん2に分かれる。

吉田くんは、ふつうは、水に溶けない。はげしく撹拌すると、一部が水に溶ける。

吉田くんを直列つなぎにするときと、並列つなぎにするときでは、抵抗が異なる。

理想吉田くん。

吉田くんの瞳がキラキラ輝いていた。貼りつけられた選挙ポスターは、やましさにあふれていた。

精子状態の吉田くん。

吉田くんを、そっとしずかに世界のうえに置く。吉田くんのうえに、どしんと世界を置く。

タイムサービス! いまから30分間だけ、3割引きの吉田くん。

丸くなった吉田くんを、ガリガリガリガリッ。

「ほら、出して。」注意された生徒が、手渡された紙っきれのうえに、吉田くんを吐き出した。「もう、何度も、授業中に、吉田くんを噛んじゃいけないって言ってるでしょ!」端っこの席の生徒が、手のなかの吉田くんを机のなかに隠した。

「重くなる。」吉田くんの足が床にめりこんだ。「もっと重くなる。」吉田くんがひざまずいた。「もっと、もっと重くなる。」吉田くんの身体が床のうえにへばりついた。「もっと、もっと、もっと重くなる。」吉田くんの身体が床のうえにべちゃっとつぶれた。

あしたから緑の吉田くん。右、左、斜め、横、縦、横、横。きのうまでオレンジ色の吉田くん。右、左、斜め、横、縦、横、横。

吉田くんの秘密。秘密の吉田くん。

ソバージュ状態の吉田くん。

焼きソバ状態の吉田くん。

「さいしょに吉田くんが送られてきたときに、変だなとは思わなかったのですか?」「ええ、べつに変だとは思いませんでした。」机のうえに重ねられた吉田くんを見て、刑事がため息をついた。

さまざまなことを思い出す吉田くんのこと。さまざまな吉田くんのことが思い出すさまざまなこと。さまざまなことが思い出す吉田くんのこと。

「いててっ。」足の裏に突き刺さった吉田くん。

春になると、吉田くんがとれる。

吉田くんをチンして温め直す。

散らかした吉田くんを片づける。

窓枠のさんにくっついた吉田くんを拭き取る。



吉田くん。 しょの2

恋人も、友だちも、さまざまな理由で、ぼくから離れていったし、さざまな事情で、ぼくも彼らから離れていった。憎まれたり憎んだりもしただろう。いまも愛されているかもしれないし、愛している。しかし、文学は、一度として、ぼくから離れることはなかったし、ぼくが文学から離れることもなかった。
posted at 12:33:04

きのう思いついた短い作品をこれから書き込む。連作である。いつか、これも長大な作品になることと思う。さまざまな方向転換と作り直しを繰り返して。
posted at 12:34:42

テレビを見ながら、晩ご飯を食べていた吉田くんは、突然、お箸を置いて、テーブルの縁をつかむと、ぶるぶるとふた震えしたあと、動かなくなった。見ていると、身体の表面全体が透明なプラスチックに包まれたような感じになった。しばらくすると、吉田くんは脱皮しはじめた。#yoshidakunn
posted at 12:40:33

ことしも吉田くんは、ぼくの家にきて、卵を産みつけて帰って行った。吉田くんは、ぼくの部屋で、テーブルの上にのってズボンとパンツをおろすと、しゃがんで、卵を1個1個、ゆっくりと産み落としていった。テーブルの上に落ちた卵は、例年どおり、ことごとくつぶれていった。#yoshidakunn
posted at 12:44:26

背の高い吉田くんと、背の高い吉田くんを交配させて、よりいっそう背の高い吉田くんをつくりだしていった。#yoshidakunn
posted at 12:45:23

体重の軽い吉田くんと体重の軽い吉田くんを交配させていったら、しまいに体重がゼロの吉田くんができちゃった。#yoshidakunn
posted at 12:47:15

今日、学校から帰ると、吉田くんが玄関のところで倒れてぐったりしていた。玄関を出たところにあった吉田くんの巣を見上げた。きっと、巣からあやまって落ちたんだな。そう思って、吉田くんを抱え上げて、巣に戻してあげた。#yoshidakunn
posted at 12:49:44

きょう、学校からの帰り道、坂の途中の竹藪のほうから悲鳴が聞こえたので、足をとめて、竹藪のほうに近づいて見てみたら、吉田くんが足をバタバタさせて、一匹の蛇に飲み込まれていくところだった。#yoshidakunn
posted at 12:51:24

吉田くんの調理方法。吉田くんは筋肉質なので、といっても、適度に脂肪はついてて、おいしくいただけるのですけれども、肉を軟らかくするために、調理の前に、肉がやわらかくなるまで十分、木づちで叩いておきましょう。#yoshidakunn
posted at 12:54:17



なぜ、眠る直前の記憶がないのだろうか。目が覚めているときの自我というものが消失してしまうからだろうか。自我が固定した一個のものとして見るのならば消失はあり得ない。瞬間瞬間に凝集されたものとして考えるとよいだろう。なにを凝集するのか。概念のもとになるものだろう。 #otetugaku
posted at 15:13:05

自我は概念になるもとになるものと、それらが凝集される、そのされ方によって形成されるものではあるが、概念のもとになるもの自体に概念形成力があるために、自我はつねにさまざまな感覚器官の影響を受けているのである。形成される場の環境に依存し、状況に大いに依存する。 #otetugaku
posted at 15:16:35

眠る直前に、概念のもとになるものを凝集するだけの力を自我が持てず、つまり、凝集するだけの概念形成力を自我が失っているために、眠る直前の自分の状況を自覚することができないのである。 #otetugaku
posted at 15:21:07

ところで、眠っているときに見る夢は、いったいだれがつくているのだろうか。夢を見ているのは、いったいだれであろうか。夢の材料とは、いったいなにからつくられているのであろうか。 #otetugaku
posted at 15:22:29

眠っているときに見るのは、わたしである。わたしの自我である。しかし、それは眠る前に存在していた(たとえ、瞬間瞬間にではあっても)自我とは異なるものである。感覚器官が働かず、環境もまったく異なるために、持ち出される概念になるもとのものがまったく異なるからである。 #otetugaku
posted at 15:25:05

では、夢をつくっているのはだれか。それも、わたしである。しかし、それは夢を見ているわたしとは異なるわたしである。なぜなら、夢を見ているわたしが知らないことをわたしに教えることがしばしばあり、驚かされるような知識をもたらせるものだからである。まるで赤の他人だ。 #otetugaku
posted at 15:27:50

それでは、夢の材料は、いったいなにからつくられているというのか。それもまた、わたしだ。それこそ、まったきわたしであり、全的にわたしであるものなのだ。目がさめているときにわたしを形成している自我を包含する、無意識領域をも含めてのわたし。すべてのわたしであろう。 #otetugaku
posted at 15:29:29

つまり、夢を見ているときに現象的に発生している自我は、少なくとも二つあり、その二つの自我に、自我を形成する素材を提供しているものが一つあるということである。その二つの自我に自我を形成させる素材を提供している全的なわたしを、いかに豊かなものにするか。 #otetugaku
posted at 15:33:16

知識だけではなく、経験に照らし合わせた知見も大いに利用されているであろう。感覚器官が、無意識的に導入しているもろもろの事柄も大事なものである。したがって、つねに、アンテナを張っていなければならない。もろもろのことどもに。つねに慎重に、そして、ときには大胆に。 #otetugaku
posted at 15:36:24

いまから、パスタの材料買いに行ってくるわ。雨が少し弱くなってるようやから。雨は眺めていると美しいのだけれど、買い物に出かけるときには美しいとはあんまり感じひんなあ。でも、どこか美しいところ見つけてこよう。美しいところ探して歩こう。たぶん、いっぱいあるやろな。 #otetugaku
posted at 15:39:27

雨、ぜんぜんゆるないわ。もうちょっと待って買いに行こう。それまで、D・H・ロレンス。いま、BGMは、バークレイ・ジェイムズ・ハーベストの『TIME HONOURED GHOSTS』。 #otetugaku
posted at 15:43:51



けさ、お風呂場で考えた数学の問題。

いま、お風呂に入って身体を洗っているときに、突然思いついた。このあいだ、何人かの数学の先生たちで検討していた分数式の恒等式の定数について、変形後の定数が同じものである保証がされているかどうかだけど、ぼくは十分条件って思ってそう言ったけど、必要条件だね。とてもおもしろい比喩を考えた。

日本じゅうのホテルのすべての部屋に合うマスターキーを持っていたら、京都のホテルのどこの部屋にでも入れる。必要条件から引き出された、新しい恒等式から導き出された定数には、その日本じゅうのホテルのすべての部屋に合うマスターキーの意味がある。これ、ワードにコピペして学校に持って行こう。



図書館の掟。II  しょの1

『死者とうまく付き合う方法』という本が
書店のベストセラー・コーナーに平置きで並べてあった。
デザインもセンスがよくて、表紙に使われていた写真の人物も
だれかはわからなかったが、威厳を持った死者特有の表情をしていた。
表紙をめくると、その人物が大都市マグの先々代の市長であることが明記されていた。
いったい、この市長の子孫が、どれだけのロイヤリティーを懐に入れたのか
知ることなどできないが、この売れ行きを見ると相当なものであることが推測される。
わたしが手にとって見ていたこの短いあいだにも
少し年配の一人の女性が、平置きの1冊を手に持ってレジに向かう姿が見られたのだから。
ベストセラーは買わない主義のわたしであったが
ページを開くと、文字の大きさと余白のバランスもよく
文体も、気に障るようなものではなさそうだったので買うことにした。
わたしの仕事に関するものではなかったので
レジでは、領収証は要求しなかった。



悲しみ。

1/2 + 1/4 + 1/8 + 1/16 + 1/32 + 1/64 + …… = 1

1 = 1/2 + 1/4 + 1/8 + 1/16 + 1/32 + 1/64 + ……

1/2 + 1/4 + 1/8 + 1/16 + 1/32 + 1/64 + …… = 1

1 = 1/2 + 1/4 + 1/8 + 1/16 + 1/32 + 1/64 + ……

半分+半分の半分+半分の半分の半分+半分の半分の半分の半分+…… = 1

1=半分+半分の半分+半分の半分の半分+半分の半分の半分の半分+……

半分+半分の半分+半分の半分の半分+半分の半分の半分の半分+…… = 1

1=半分+半分の半分+半分の半分の半分+半分の半分の半分の半分+……

だから、悲しみの半分を悲しみではないものにする。

残った半分の悲しみの半分をほかのものにする。

さらに残った半分の半分の悲しみの半分をほかのものにする。

これを繰り返して、悲しみを限りなくほかのものにする。

それなのに、残ったものは、最初にあったものと同じもの、

同じひとつの悲しみであった。



以下は、文学極道の詩投稿掲示板に書いたコメントです。
おもしろいものだと思ったので、ここにその写しをコピペしておきます。
るるりらさんの詩句に対するコメントでした。
(のちに訂正をしたものを含む)


一になれない 僕のおもいは 

この「一」は「1」のほうがいいかなって思いました。

0.999……=1

数学的にはこうなのですが、この方向に

分は0.1
厘は0.01
毛は0.001
糸(し)は0.0001 
忽(こつ) 0.00001 
微(び)0.000001 
繊(せん)0.0000001 
沙(しゃ)0.00000001 
塵(じん)0.000000001
埃(あい)0.0000000001
渺(びょう)0.00000000001
漠(ばく)0.000000000001
模糊(もこ)0.0000000000001
逡巡(しゅんじゅん)0.00000000000001
須臾(しゅゆ)10-15(1000兆分の1)
瞬息(しゅんそく)10-16 
弾指(だんし)10-17
刹那(せつな) 10-18
六徳(りっとく)10-19 
虚空(こくう) 10-20  
清浄(せいじょう)10-21   
阿頼邪(あらや)10-22
阿摩羅(あまら)10-23 
涅槃寂静0.000000000000000000000001

これらが利用されてあればなあ、と、ふと思いました。
そうすれば、「一になれない」というところと符合すると思うのですが
しかし、それでは、るるりらさんの意図から外れますね。
「一になれない」というところと符牒するようにつくるのは難しそうですね。
あ、ぼくは、へんなところにこだわっているのかも、と思いました。
すいません。
作者の意図の上で、まず検討しなければならないのに。
うえの小さな数たちは、つぎの言葉の扉にあたるものだったのですから。

一に遠い遠い その数に寄り添う
強い花があるという


追記

バカなことを書きました。
すいません。

0.999……=1

だめですね。
1になっちゃだめなんですもの。

分は0.1
厘は0.01
毛は0.001
糸(し)は0.0001 
忽(こつ) 0.00001 
微(び)0.000001 
繊(せん)0.0000001 
沙(しゃ)0.00000001 
塵(じん)0.000000001
埃(あい)0.0000000001
渺(びょう)0.00000000001
漠(ばく)0.000000000001
模糊(もこ)0.0000000000001
逡巡(しゅんじゅん)0.00000000000001
須臾(しゅゆ)10-15(1000兆分の1)
瞬息(しゅんそく)10-16 
弾指(だんし)10-17
刹那(せつな) 10-18
六徳(りっとく)10-19 
虚空(こくう) 10-20  
清浄(せいじょう)10-21   
阿頼邪(あらや)10-22
阿摩羅(あまら)10-23 
涅槃寂静0.000000000000000000000001



一になれない 僕のおもいは 

を、より整合性あるように結びつける叙述って、いま思いつきませんが
思いつきましたら、また追記させていただきます。
おもしろそうですから。
純粋な好奇心からのものです。


追記2 

五条大宮の公園の日のあたったベンチに坐りながら
P・D・ジェイムズの『罪なき血』を読んでいましたら

1−0.1=0.9
1−0.01=0.99
1−0.001=0.999
 ……

であることに気がつきました。
これを逆用すれば、いかがでしょうか。
叙述で実現するには、どうすればよいのかは、
ぼくにもまだわかりませんが。
ちなみに、上の式を思いついたのは、P・D・ジェイムズの『罪なき血』のつぎの記述のところでした。

(…)スケイスの生活はすっかり彼女の生活に直結し、毎日の日課は彼女の日々の外出に
よって決まったから、彼女の姿がないと、まるで話相手を失ったように手持ち無沙汰になる。
(第二部・13、青木久恵訳、ハヤカワ文庫 282ページ)

また、逆用ということでは、つぎのような等比数列の和も1になりますので
もしかしたら、利用できるかもしれませんね。

1/2 + 1/4 + 1/8 + 1/16 + 1/32 + 1/64 + …… = 1

両辺を入れ換えた式も逆用できるかもしれません。

1 = 1/2 + 1/4 + 1/8 + 1/16 + 1/32 + 1/64 + ……

ですね。

1/2 + 1/4 + 1/8 + 1/16 + 1/32 + 1/64 + …… = 1

半分+半分の半分+半分の半分の半分+半分の半分の半分の半分+…… = 1

書いてて、自分が楽しくなってきました。
どこかで、ぼく自身の詩に使おうかなって思いました。
また、なにか気がつきましたら、追記させていただきますね。


追記3

ふたたび公園に行きました。

1=0.1+0.9
1=0.01+0.09
1=0.001+0.009
 ……

といった式を公園の入り口で思いつきました。
自転車がスムーズに通れないようにしてある車輪通過止めのための金具の間を
ペダルを右・左に斜めにして工夫して侵入しようとしたときでした。
途中でフレスコというスーパーに寄り、ベンチに坐りながら食べようと思って買った
「鶏南蛮弁当399円」を先ほど坐っていたベンチの上であけたのですが
鳩がたくさん寄ってきたので、ひとの多い、鳩の寄らない公園の中央に移動して
桜の花の下で食べながら、入り口で思いついた式のつづきを考えていました。

1=0.1+0.9
1=0.01+0.09
1=0.001+0.009
 ……

これらの式を辺々足し合わせたものを想起させますと

左辺=1+1+1+……= ∞

右辺を見かけ上、2つの数列の和として(ここのところで数学的に誤りがありますが)
それぞれ取りだしてみますと

0.1+0.01+0.001+……
0.9+0.09+0.009+……

で、これは、どちらも、無限大になります。
式にしますと

0.1+0.01+0.001+……= ∞
0.9+0.09+0.009+……= ∞

これらを、もとの式に代入すると

∞ = ∞ + ∞

となりますが、この式は、数学的に正しくない場合がありますね。
(そもそも、途中の操作で違反をしているのですが)
しかし、右辺と左辺を入れ替えた

∞ + ∞ = ∞

この式は正しいのです。
おもしろいですね。
しかし、この正しい式から、∞ を引いてやることはできません。
これは、∞ が数ではなくて、状態をあらわす記号であるためですが
仮にできるとしてやってみますと

 ∞ =0

という式が出てきます。
おもしろい。
そういえば、

0.1+0.01+0.001+……= ∞
0.9+0.09+0.009+……= ∞

についてなのですが、

0.9+0.09+0.009+……=9×(0.1+0.01+0.001+……)

ですから、

 ∞ = 9×∞

という式も導かれます。
これ自体は数学的に正しい式なのですが
両辺を入れ換えた式も数学的に正しく、そのほうが心理的にも妥当なものに思えるでしょうから
それを書きますと

9×∞ = ∞

となります。
9を、どのような大きな数にしても成り立ちます。
そこで、その数の代わりに ∞ の記号を入れてみますと

 ∞×∞ = ∞

が得られます。
この式もまた数学的に正しいものなのですが
この式において、∞ を数のようにして扱い、両辺を ∞ で割ることはできません。
仮にできたとすると

 ∞ = 1

となってしまいます。
おもしろいですね。
0という数もおもしろいものですが
∞ という記号も魅力的ですね。

るるりらさんの詩作の意向に添った式というのは
おそらく、つぎの式、一つだけだったでしょう。
長い記述を書きつづってしまって、ごめんなさい。
ついつい、楽しくて。

0.1+0.01+0.001+……= ∞


追記4

うわ〜、るるりらさん、ごめんなさい。
きのうの考察、間違ってました。

0.1+0.01+0.001+……=1/9

であって、∞ にはならなかったです。

0.9+0.09+0.009+……=1

であって、∞ にはならなかったです。
しかし、1+1+1+……= ∞ は正しいのですが
どこで間違ったのでしょう。
これからいそいで調べます。
(しばし、調べてみました。)
こんどの式の値は、間違ってなかったみたいです。
しかし、矛盾しますね。
きょうは、公園で、このことについて考えます。
夕方からは塾なので、それまでに解決すればいいのですが。


追記5

わかりました。

1=0.1+0.9
1=0.01+0.09
1=0.01+0.009
 ……

これが間違っていました。
恥ずかしい。

1=0.1+0.9
0.1=0.01+0.09
0.01=0.001+0.009
 ……

ですね。
しかし、これだと
左辺は 1+0.1+0.01+0.001+……=10/9
右辺は (0.1+0.01+0.001+……)+(0.9+0.09+0.009+……)=1/9+1=10/9
ということになり、あまりおもしろいものではなくなりました。
すいません。
ただ、つぎのことだけは、わかりました。
塵が積もっても山にならないことが。
なぜなら

0.1+0.01+0.001+……=1/9

だったからです。


追記6

0.9+0.09+0.009+……=1

のほうが

0.1+0.01+0.001+……=1/9

より断然、おもしろいですけど
そもそも

0.9+0.09+0.009+……=0.999……



0.9+0.09+0.009+……=0.999……=1

ですものね。
こちらのほうを利用して
っていうのは、どうでしょうか。
うううん。
ぼくもすぐに思いつきそうにありませんが。



三村京子さんの大阪・京都ライブ情報。

3/25(金)中崎町(大阪)Common cafe
http://www.talkin-about.com/cafe/
open19:00/start19:30
前2000yen/当2500yen(1d別)
共演:良元優作(歌、ギター)
船戸博史(コントラバス)

3/26(土)京都 拾得(じっとく)
http://www2.odn.ne.jp/jittoku/
open17:30/start19:00
前2000yen/当2500yen(1d別)
共演:長谷川健一(歌、ギター)
船戸博史(コントラバス)

ぼくは、あした、拾得に行きます。



2011年3月26日のメモ しょの1 図書館の掟。II  しょの2

「これは何だ?」
両手首をつなぐ鉄ぐさりを持ちあげて、
死んだ父は言った。
そして、ふいに思い出したかのように
「そうだった。
 名誉ある死者は
 こうして鋼鉄製の手枷を嵌められて
 過去の知識を現代に確実に伝える語り部として
 図書館に収蔵されるのだった。
 わたしもそのひとりだった。」
死んだ父の目が、わたしの目を見据えた。
「それで、おまえは、わたしに
 いったい、何を訊ねにきたのかね。」
「母についてです。
 母が死んだのです。」
「あれが死んだ……
 なぜじゃ?」
「わかりません。
 自ら首を吊って亡くなりました。」
死んだ父が天井を見上げた。
「それで、なぜ、わしのところに来たのかね?」
ふたたび死んだ父の視線を受けて
わたしは、すこしひるんでしまった。
死者にも感情があったことを思い出したからであった。
表情にあらわれることはなかったが
虹彩に散らばった銀色のきらめきがわずかに、だが確実に増したのだった。
「母が亡くなったのが
 ここにきて、あなたに会われてから
 すぐにだったからですよ。」
「死者には生前の記憶しかないのだよ。」
「いいえ、それは事実ではありません。
 数日のあいだは、記憶を保持できるはずです。
 わたしたち生者の赤い血と違ってはいても
 その銀白色の血液にも霊力があり
 あなたたち死者の体をかりそめにでも動かし
 あなたたち死者の脳にかりそめにでも思いをめぐらすことができるはず。
 いったい、母はあなたから何を聞きだしたのですか?」
「あれは、わしの話を耳にして帰ったのではない。」
「どういうことですか?」
「あれは、おまえのことを、わしに話に来たのじゃ。」
「わたしのことをですか?」
「そうじゃ。」
「わたしの何についての話だったのですか?」
「おまえが、もはや人間ではなくなっておると話しておった。」
「どういうことですか?」
「リゲル星人と精神融合を繰り返しておるあいだに
 おまえが、人間としての基幹部分を喪失してしまったと言っておった。」
わたしは自分の手先に目をやった。
わたしの指のあいだをリゲルの海の水を覆っていた。
リゲルの渚でよく見かけた小魚が手の甲のうえを泳ぎ去っていった。
ダブル・ヴィジョンだった。


* これは、『舞姫。』と『図書館の掟。』をつなぐ作品のひとつになる。



2011年3月26日のメモ しょの2

 シンちゃんの部屋に4時30分ごろに着いた。電話で言っておいた時間通り。シンちゃんは、時間どおりでないと、そのことだけで10分は嫌味を言うひとだから、時間は速めでも遅めでもなく、ほとんどぴったりでないと、非常に不愉快な目に遭うので、時計も形態も持たないぼくは、シンちゃんちの近くにあるコンビニの時計で時間を調整したのだった。180円の(税抜きだったか税込みだったか忘れた。値札が180円だったことだけ憶えてる。)ナッツ(アーモンドとカシューナッツのもの)を一袋、おみやげに買って言ったのだった。チョコチップの入ったクッキー(よくスーパーで100円で売ってるやつ)とカプチーノ(おいしかったので、いくらするのって言ったら、パッケージを出して、150円で8袋って言うから、じゃあ、一袋30円しないんだね、おいしいね、ぼくがいつも飲んでるインスタントのネスレのなんか、まずいわ〜、これに比べたら、と言った。溶けるから、と言ってシンちゃんが、ぼくのカプチーノからプラスティックのバー・スプーンのちいさいやつ、あの耳かきみたいなやつを出した。ぼくが溶けるの、と再度きくと、曲がるからというので、曲がると溶けるは違うんじゃない、とか言ったけどスルーだった。)をごちそうになった。カプチーノの顆粒状粉末が入った銀色のチューインガムくらいの袋をあけて熱湯を注いでくれたんだけど、泡立ちがすごかった。くるくるバー・スプーンでかき混ぜてくれた。二敗目をすぐにリクエストしたら、それは、自分で混ぜろというつもりでか、ぼくの手にバー・スプーンをのせた。CDかDVDをかけて、というと、『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』のDVDをかけてくれた。英語の教材用にもなってるやつで、へえ、英語を勉強しながら見てるんだって言った。ブラビがジジイで生まれてくるやつね。ふつうの映画だったら、くさいんじゃないってセリフが随所に盛り込まれていた。けれど、時間に関する思考実験的な趣のある映画だったから、ふつうだったら、吹き出すくらいにくさいセリフも意味深長なものになっていた。作者はきっと、この設定を思いついたときに、やったなって思ったんじゃないかなってシンちゃんに言った。シンちゃんは返事もせず、何度か見てるはずの画面から視線を外さなかった。こういうところにも、シンちゃんのゆがんだ精神の反映が見て取れる。ふつうの映画だったら吹き出して笑ってしまうようなセリフでも、赤ん坊が死にかけの老人の顔と姿かたちで生まれてくるっていう状況のなかに放り込まれると、意味が深くなるっていうのは、ぼくにはすごく勉強になった。作者は有名な作家だったと思うけど、と何度か言ったのだけれど、もちろん、この言葉もぜんぜん聞いていないふりをするシンちゃんであった。「臆病になってはいけない。」だったかな。「臆病だわ。」だったかな。「なんとか be a chicken」だったかな、そんなセリフが出てきて、シンちゃんに、チキン野郎って、日本語でも言うね、って言うと、言葉づかいが粗野な連中のあいだでやろ、とのお返事。で、ぼくはこう言った。あるいは、自分は粗野だってひとに思わせたい連中のあいだではねって。女優の話が出た。さいしょのソーンで死にかけの老婆に扮装していたきれいな女優について、ぼくが、このひと、陶器のようにきれいやねって言ったら、シンちゃんが、おれは、あとで出てくる、女優が好きや、とのこと。どの女優やろうかと思っていたら、シンちゃんは映画の題名も忘れていたようだったので、ぼくが直感で、コンスタンティンにでてきたあのガブリエルのひとって訊いたら、うなずいてみせた。その女優は、ずいぶんあとになって出てきたのだけれど、ぼくがこのひとなのと言うと、そうやという返事。ちょっと違って見えるねというと、いっしょやという。まあ、そう言われてみれば、そうかなと思って見ていたら、ぼくの目にもはっきり思い出されて、そうや、このひとやったと見えるようになった。カーテンに触れて(シンちゃんの部屋は7回にあって、すぐそばに小学校か中学校課知らないけれど校庭のようなものがあって見下ろせるのである。以前、窓の外に目をやったら、シンちゃんから、飛び降りたくなるか、と言われたことがある。はじめて、部屋に訪れたときのことである。)「遅くなっても明るい季節になったね。」と言って、ふと気がついた。「もう、5時30分くらいじゃない? そろそろ、ライブに行かなくちゃ。ああ、いいところで見れなくなっちゃけど、しょうがないよね。」と言って部屋を出た。部屋にたずねたときにも、へんな剃り方してるなあ、剃りすぎじゃないって思った眉毛が、やっぱり帰りしなにも気になって見たのだけれど、はっきり口に出して言うと、またメンドくさいやりとりになるから、部屋に入ったときにだけ、めっちゃ早口で「眉毛、すごくない?」と言って、すぐに部屋に上がり込んだのだけれど、帰りしなには一瞥するだけで、眉毛のことには触れずに、さっさと靴を履いて部屋を出た。シンちゃんのマンションは西院の阪急の駅から歩いて数分のところにあった。バス停には、土曜日だったからか、それとも時間が時間だったからか、うっとうしいくらいの数のひとがバスを待っていた。ぼくは、ぼくが乗るはずの202番のバスがくるのを待っていた。しばらくすると、ひだりの視界の隅に、ジャージ姿(青いジャージだったと思う。)の青年の姿が入ってきた。そのほうに顔を向けると、青年は時刻表のほうを向いたので、ぼくには背を向ける格好になって、顔がはっきり見えなかった。少し時間が経って長くなったかなあと、そろそろ刈ったほうがいいんじゃないかなと思えるほどの長さの短髪で、若そうな感じはした。くの字に身体を曲げて(斜め横に、篇んあ方向だなと思った。)時刻表を見ていたと思うのだけれど、彼が突然、奇声を発したので、バス停にいたひとの何人かの視線を彼は集めた。しかし、時刻表をみつめながらだったので、みなにも後ろ姿しか見えなかったので、なにかの間違い、いまの奇声は聞き違いだったのじゃないかと思ったひともいたのではないかと思われた。まわりの気配を察するとじっと見つめつづけるひとはいなさそうだった。ぼくだけだったかもしれない。すると、その青年はふたたび奇声を発して、こちらを振り返った。ひょこひょこと視線をさ迷わせ奇声をあげえながら時刻表から青年の顔が剥がれていった。顔が剥がれていく、といった感じで身体が時刻表から遠ざかり、こちらにむかって動き出したのだった。肉付きのよい、かわいらしい顔をした青年だった。ふぞろいの、といった形容がぴったりのふぞろいの口ひげやあごひげ(その区別は、じつはつかない。つかないのも境界がなかったように思えるからだ。口とあごの? そうかもしれない。口ひげとあごひげではなくて。)その口ひげとあごひげを、もしもゲイ・スナックで見かけたものならば、ああ、ワイルドな感じがするなと思えたかもしれない。いや、このときも少しはそう思ったのだった。違った場所で、違った時間に、違ったひとたちがまわりにいたら、いやいなかったら、ぼくは、青年に声をかけたかもしれない。かけていたと思う。それぐらいかわいらしかった。視線がひょこひょことするところが気になるのだけれど、素朴な青年って感じで、顔つきはタイプだった。202号のバスがきたので乗った。青年の後ろ姿をバスの窓から追った。その姿はすぐにちいさくなって見えなくなった。バスはそこそこあいていて、ぼくはラッキーなことにさいしょに乗り込んだので、ラッキーな(のかな)いちばん前の、出口のところの席があいていたので、そこに腰かけた。丸太町堀川で下りて、ローソンに入った。拾得(じっとく)というライブハウスの場所を訊くためにだ。店員が二人がかりで地図を拡げてさがしてくれた。すると、地図のその場所には鉛筆で二重に丸がしてあった。その縁の大きさが少し違っているためにはっきりと二重に、とわかる二重の丸が書かれていたのであった。赤いポストが目印だという。赤いポストと聞いて、ふと赤いという言葉は必要ないんじゃないかと思った。しかし、赤いという言葉があると、そりゃ、はっきりポストのことを示しているし、目にするときにも赤い色そのものをさがすし、わかりやすいかな、そろそろ暗くなっているけれど、まだ色の見分けはつく時間だからな、とも思った。赤いポストのところを右に曲がると信号を一つ越えてしばらくするとお目当ての場所が見つかった。あたりまえだけど、場所のほうがぼくのところにきてくれるわけではないので、お店がぼくを見つけたとは言えないな。ライブハウスに入ると、扉をあけてすぐの入口で予約した田中宏輔ですけれど、と言って、2000円を払って店のなかに入った。ステージにいちばん近い場所があいていたので、そこに坐った。シンちゃんにもらった聖書と仏教関係の本がバンバンにつまった紙袋を右において、左にリュックを置いた。リュックには財布とCDプレーヤーしか入ってなかったのだけれど、本を入れることはできなかった。肩が凝っていたからだ。数日前から肩が凝っていたのだ、いつになく。演奏がはじまるまで、シンちゃんにもらった本を読むことにした。バスのなかですでにすべてパラ読みしていたのだけれど、いちばん分厚い聖書をひろげた。これには外典も入っていて、知恵の書のページをめくって、これは引用しておこうと思っていた箇所にしおりをはさんで、メモをした。そうこうしているうちに、おそらく2、30分足らずのあいだだったと思うのだけれど、というのは、入口に置いてあった時計を見たときに時間を確認していて、6時34分だったし、メールで、そして、パソコンで見たHPでの予定では開演は7時からだったので、2、30分くらいだと思ったのだけれど、もしも、入口で時計を見ていなかったら(大きな針時計だった。)もう少し長い時間に感じていたかもしれない。演奏がはじまった。長谷川健一という名前の歌手がギターを抱えてステージにあがった。30過ぎに見える小柄でやせた男性だった。(女性だったって書くと間違いだし、おもしろいと思ったけれど、すぐに、おもしろくないなと思ったので書くのをやめた。)めりはりのない曲だなという印象を持った。そういった曲が何曲かつづいたあと、3曲目か4曲目で、途中で声が裏返しになる曲があって(フォルセットって言うのだったかな。)あれ、これって、あの知恵遅れの男の子の声といっしょじゃん、って思った。その声のところがよかったかな。キュルキュル鳴らすへたくそなバイオリンの音のようで。へたな弾き手がへたに弾いた弾き方で聞かせてくれる、なにが引っかかっているのかしら、その弓には、と思える、弦のうえを滑らかに滑ることを忘れさせられた弓を弾くへたくそな弾き手の弾きかたのように思えたのであった。最悪だけど、どこか人間っぽいなとも思えるものなのだけれど、その音ではなくて、そういった音が出るということころが。しばらくして、三村京子さんと入れ替わった。いただいたCDで聴いたことのある曲がつづいた。
 あと4曲やらせてもらいます。という三村京子さんの声が聞こえた。三村さんの演奏は、ずいぶんと男前だった。



2011年3月26日のメモ しょの3

退屈だし
テレビを見ながら
自分の気分をコロコロ変えていたのだけれど
それも退屈したので
本棚から
カレッジクラウン英和辞典を取り出して
適当なページをあけて気分を変えてみることにした。

longsuffering 長くしんぼうする。がまん強い。
estrange 離れさす。引き離す。
camomile カミツレ(キク科の薬用植物)
mute (鳥が)ふんをする。
complete 完全な。全部そろっている。
fearsome 恐ろしい。
apostrophe アポストロフィ。省略符。
vogue (ある時期の)一般的風習。流行。人気。
rancho (スペイン系の人の多い中南米地方で放牧場(ranch)で働く人々の住む)小屋(hut)。(そういう小屋の集まった)部落。
stop bath 現像停止液。
deducible 演繹[推論]できる。
mercurate 水銀と化合させる。水銀(化合物)で処理する。
reputation 評判。世評。好評。名声。名著。
U,u 英語アルファベットの第21字(18世紀ごろまでは u は v の異形として用いられ u と v の区別がなかった)。(連続するものの)第二十一番目(のもの)。
arise 起こる。生じる
overwrite 書きすぎる。乱作する。(…のことを)誇張して書く。

適当にページを繰って指をはさんで目につく単語を抜き書きして
自分の気分を変えてみたけれど
また退屈したので
辞書を本棚に戻してテレビに戻った。



2011年3月26日のメモ しょの4

花粉より確かなものがあるのだろうか。
ぼくの目をこんなに傷め
ぼくの頭をこんなに傷めつけるものが。

ギャフンより確かなものがあるのだろうか。
ぼくの顔をこんなにもギャフンとさせ
ぼくの気持ちをこんなにもギャフンギャフンとさせるものが。



2011年3月26日のメモ しょの5

「へ」と「し」と「く」とつ」が似てる。
そのなかでも、「へ」と「く」
「し」と「つ」がよく似てる。
回転させたり
線対称に移動させると
そっくり同じものになる。
あ、
「い」と「こ」もよく似てる。
「り」は、ちょっとおしいかな。
「も」と「や」も似てるかな。
ひらがなとカタカナの違いがあるけど
「せ」と「サ」も似てる。
線対称だ。
「けけけ…」と笑うと
「1+1+1+…(いちたすいちたすいちたす…)」だ。



図書館の掟。II  しょの3


「では、わたしは罰せられるのかしら?」
「いいえ。
 死者は罰せられません。
 わたしたち生者に死者を罰することはできません。
 生前の言葉が、たとえ故意にせよ、誤っていたとしても
 死んでから、真実を語っていただけるのですから。」
「そうでしたわね。
 もちろん、わたしは、わたしが書いたときには
 それが真実だと思っておりましたのよ。
 いいえ、こう口にするほうがいいですわね。
 ああ書くことが真実を伝えることだと思って
 そして、じっさい、そう書くことで
 わたしの記憶も、あの記述通りのものになっていたのね。
 死んでから、どうして、じっさいのことが記憶によみがえったのか
 わたしにはわかりませんが。」
「死者としてお持ちの記憶が真実かどうかはまだわかっておりません。
 生者のときの記憶と違っているところがあることと
 死者が嘘をつけないということはわかっておりますが
 現実の把握に関しては主観が大きいので
 また心理的な抑圧が記憶を捏造することもありますので
 客観的な真実かどうかは、けっしてわからないのですよ。
 しかし、いまもなお詳しく研究されている分野ではありますね。
 それは長年、図書館で調べられていることの一つなのです。」
「まあ、わたしも死んでからはじめて知ったことがありますもの。
 それが真実であるとは思われないことも、ずいぶんたくさんありましたわ。」
「図書館運営は、ほんとうに有益な事業だと思いますよ。
 わたしたち人間にとって、もっとも大事な事業の一つでしょう。」
図書館に新しく収められることになった死者との面接が終わり
司書は死者の手をとって立たせた。



きのうは、三村京子さんのライブで
音楽を聞きながら、いくつかの詩句が思い浮かんだ。
部屋で読書してるだけのときより
外に出て、しかも、芸術に触れることは
やはり、ぼくの詩のためにも、とてもいいことなのだと思った。
歌と演奏がおわり、アンコールもおわって
三村さんにあいさつしようと立ちあがって近づいていくと
即座に、「あつすけさんですね。」と言ってくださって
「ええ。はじめまして。こんにちは。
 すばらしい演奏でしたよ。」と口にするのがせいいっぱいで
恥ずかしくて(人見知りなのだ、この50才のジジイは、笑)
逃げるようにして出入り口の扉に向かったのであった。
出入り口に向かう直前に「それは本ですか。」
とたずねられ、めちゃくちゃ恥ずかしかった。
紙袋いっぱいにパンパンにふくれていたからである。
分厚い本ばかり入っていたからだった。
シンちゃんの部屋に寄って、聖書と仏教関連の本をもらって
持ってきていたからである。
ふだんから、こんなふうに重たい本をたくさん持って外にでてると思われたら
ぜったいいやだなと思って
「いえ、友だちにもらった本なんですよ。」
と、答えにならない返事をして、出入り口の扉に向かって
急ぎ足で歩き去ったのであった。
「もうお帰りになるのですか。」
という三村さんの声に「ええ。」とだけ返事をする時間を確保して。
それでせいいっぱいだった。
外に出ると、冷たい風が気持ちよかった。
バス停でバスを待っているとき
ぼくは時計も携帯電話も持っていないので時間がわからず
背広姿の左右の手の長さが違う身体障害者の男性が
バスの時刻表をのぞき込んでいたので
時間をきくと左腕にはめた腕時計を見せてくれて
(長いほうの腕か短いほうの腕か忘れた)
「一分ほど早いんです、ですからいま、9時39分ですね。」
と言って教えてくれた。
時計は10時20分前を示していた。
すぐに彼が乗るバスがやってきた。
彼が乗り込んでから彼が乗ったバス(93系統だったかな)の
時刻表を見たら、彼が乗ったバスの時間は9時47分か49分だった。
この2つの時間だった。
偶数の時間ではなかった。
記憶が不確かなのはなぜだろう。
「ほぼ時間通りやな。」
「時間ぴったしやな。」
の2つのうちのどちらかの言葉を頭に思い浮かべたという記憶はあるのだけれど
この2つの記憶がまるで量子的な状態で存在しているので
つい、きのうのことなのに、不思議な感じがする。
やはり、こころに残ったことはつねにメモするべきなのか。
いや、どうだろ。
量子状態の記憶があるということから
おもしろい事柄を考察できるかもしれないのでいいことだったことにしよう。
きのう取ったメモは、大量にあるけれど
一度に入力するのは、しんどいので、ぼちぼちと。
シンちゃんの部屋で見たDVDの感想が大方を占めるのだが。


追記 

量子状態の記憶が、これからどのような状態に移行していくのか
いつの日かたしかめることができるかもしれない
できないかもしれない。
すっかり忘れているかもしれないし
ひょんなことから思い出すかもしれない。
ただし、思い出したものが、ほんとうの事実を反映した記憶かどうかは
わからない。



うんこ。

きょう買った、ブックオフでのお買い物。
単行本1冊。
パトリシア・コーンウェルの『切り裂きジャック』105円
まえにも、違うブックオフで、105円コーナーで見ていたのだけれど
載ってる写真がえげつなくて買えなかった。
でも、きのう、塾の帰りに寄った五条堀川で見たそれは
まえに見たほどグロテスクではなくなっていた。
そういえば、古本市場で
バタイユの全集の第何巻か忘れたけれど
その高い本が1冊、105円のコーナーに置いてあったので
買おうかなと思って中身を見ると
中国人の公開処刑の写真が載っていて
バタイユはそれを見て性的な興奮に近いものを覚えたって書いてたから
ひぇ〜って、こわくなって
その本をただちにもとのところに戻したけれど
いまだったら、買えるかもしれないな。
もう、それほど過敏じゃなくなったのかな。
コーンウェルのものも
きのうは、まだちょっとグロテスクだなと思って
買わなかったのだけれど
きのうの夜に、チラ読みした記述を思い出していると
ああ、あの時代の背景が如実にわかる書き方がしてあって
庶民の生活や上流階級の人間の生活や警察の誕生や刑法の仕組みなど
さまざまなことがより深く広く知れるから
それは、文学の、ひいては、人間の理解にもつながるなと思って
きょう、歩いて買いに行ったのだった。
あってよかった。
だれも興味ないのかしら?
そうそう、きょうは、マクドナルドなんかじゃなくて
西院のパン屋さんでモーニングセット食べた。
パンは、チーズケーキ味のもの3個、
アーモンド味のケーキっぽいもの3個、
ライ麦パン3個。
飲み物は、アイスラテカフェ。
ごま味のドレッシングで
刻み角ベーコンとコーンを添えたポテトサラダと
たっぷりのレタスで
390円なのだった。
パンは食べ放題だから、あとで追加注文もできるという、すぐれどころなのだ。
おなかいっぱいだったので
それで、歩いて五条大宮のブックオフまで行ったってわけだけど
西大路五条の私立病院のまえあたりで、
わきや背に汗が出てきているのに気がついた。
雨粒も、ぽつぽつ、顔や手にあたりはじめたのだった。
で、ああ、ビニール傘を持ってきていてよかったと思ったのだけど、
歩いていると、きゅうにうんこがしたくなって
五条大宮の公園のトイレでうんこした。
なぜかしら、ゲリピーのうんこだった。
なにか、悪いもの、食べたかな。
食べてないと思うけど。
あ、きのう食べた弁当だけど
コロッケがちょっと傷んでるって感じだったわ。
あれか。

とかってことを、ツイッターに書いてたら、
見る間に、フォローワーの数が減っていって、
さっき見たら、学校の生徒のフォローワーが一人もいなくなっていた。
「排便日記」みたいなタイトルで毎日書いたりしたら、
だれもフォローしてくれなくなったりして、笑。
あ、書かないけど
そういうのって凝りだすと、
ほかのことができなくなってしまうような気がする。
一日じゅう、トイレのなかにいて。
それはないか、



THE GATES OF DELIRIUM。

 詩人のメモのなかには、ぼくやほかの人間が詩人に語った話や、それについての考察や感想だけではなくて、語った人間自体について感じたことや考えたことが書かれたものもあった。つぎのメモは、ぼくのことについて書かれたものであった。

 この青年の自己愛の絶えざる持続ほど滑稽な見物はない。恋愛相手に対する印象が語るたびに変化していることに、本人はまったく気がついていないようである。彼が話してくれたことを、わたしが詩に書き、言葉にしていくと、彼は、その言葉によってつくられたイメージのなかに、かつての恋愛相手のイメージを些かも頓着せずに重ねてしまうのである。たしかに、わたしが詩に使った表現のなかには、彼が口にしなかった言葉はいっさいなかったはずである。わたしは、彼が使った言葉のなかから、ただ言葉を選択し、並べてみせただけだった。たとえ、わたしの作品が、彼の記憶のなかの現実の時間や場所や出来事に、彼がじっさいには体験しなかった文学作品からの引用や歴史的な事柄をまじえてつくった場合であっても、いっさい無頓着であったのだ。その頓着のなさは、この青年の感受性の幅の狭さを示している。感じとれるものの幅が狭いために、詩に使われた言葉がつくりだしたイメージだけに限定して、自分がかつて付き合っていた人間を拵えなおしていることに気がつかないのである。それは、ひとえに、この青年の自己愛の延長線上にしか、この青年の愛したと称している恋愛相手が存在していないからである。人間の存在は、その有り様は、いかなる言葉とも等価ではない。いかに巧みな言葉でも、人間をつくりだしえないのだ。言葉がつくりだせるものというものは、ただのイメージにしかすぎない。この青年は、そのイメージに振り回されていたのだった。もちろん、人間であるならば、だれひとり、自己愛からは逃れようがないものである。しかるに、人間にとって必要なのは、一刻もはやく、自分の自己愛の強さに気がついて、自分がそれに対してどれだけの代償を支払わされているのか、いたのかに気がつくことである。この青年の自己愛の絶えざる持続ほど滑稽な見物はない、と書いたが、もちろん、このことは、人間のひとりであるわたしについても言えることである。人間であるということ。言葉であること。イメージであること。確かなものにしては不確かなものにすること。不確かなものにして確かなものにすること。変化すること。変化させること。変化させ変化するもの。変化し変化させるもの。記憶の選択もまた、イメージによって呼び起こされたものであり、言葉を伴わない思考がないのと同様に、イメージの伴わない記憶の再生もありえず、イメージはつねに主観によって汚染されているからである。

 ぼくは、ぼくの記憶のなかにある恋人の声が、言葉が、恋人とのやりとりが、詩の言葉となって、ぼくに恋人のことを思い出させてくれているように思っていた。詩人が書いていたように、そうではなかった可能性があるということか。詩人が選び取った言葉によって、詩人に並べられた言葉によって、ぼくが、ぼくの恋人のことを、恋人と過ごした時間や場所や出来事をイメージして、ぼくの記憶であると思っているだけで、現実にはそのイメージとは異なるものがあるということか。そうか。たしかに、そうだろう。そうに違いない。しかし、だとしたら、現実を再現することなど、はじめからできないということではないだろうか。そうか。そうなのだ。詩人は、そのことを別の言葉で語っていたのであろう。恋人のイメージが自己愛の延長線上にあるというのは、よく聞くことであったが、詩人のメモによって、あらためて、そうなのだろうなと思われた。彼の声が、言葉が、彼とのことが、詩のなかで、風になり、木になり、流れる川の水となっていたと、そう考えればよいのであろうか。いや、詩のなかの風も木も流れる川の水も、彼の声ではなかった、彼の言葉ではなかった、彼とのことではなかった。なにひとつ? そうだ、そのままでは、なにひとつ、なにひとつも、そうではなかったのだ。では、現実はどこにあるのか。記憶のなかにも、作品のなかのイメージのなかにもないとしたら。いったいどこにあったのか。



ケンコバの夢を見た。2

ふざけ合った。
「ほらほら、おれの乳首さわってみ。」
ケンコバが、ぼくに脇のしたをさわらせた。
「これ、イボやん。」
「オレ、乳首3つあるねん。」
おもいっきり笑けるケンコバの脇のしたをさわりまくる。
「こそばったら、あかんて。」
宴会場の隅っこでふざけ合ってた。
ああ、楽し、と思ったら目が覚めた。
もっと長い時間、楽しめてたらよかったのになあ。



nothing to lose。

きょうも、日知庵でヨッパ、
帰りに、
道で、
かわいらしい男の子や女の子が
いっぱい、
ぼくも思い出がいっぱい、
よぎって、
さよならね、
って思った。
the love we made,
the dream we made



不思議な感覚。

10分くらい、半覚醒状態で夢を見た。
目をつむって、行ったこともない学校の校舎を歩いてた。
生徒たちが廊下を歩いてる。
ぶつかりながら。
階段を上がって、廊下を渡る。
繰り返していると、ふと、足に違和感があった。
目をあけると茶室だった。
重力の方向がおかしいと思ったら、寝床で目がさめた。
おもしろい体験だった。



uni-ball signo ぼくの大好きなゲル・インク・ボールペン

ぼくが好きなボールペンの替え芯を
近所のイーオンに買いに行ったら
なかった。

三菱
ぼくの好きなボールペンは
直径0.38mm
のゲル・インクのボールペン

ネットで探したら
ノック式のものになっていて
ぼくの使っている型のボールペン自体
製造されてなかったのね。
替え芯を5本くらい買っていたから
気がつかなかったのだけど
ノック式
ぼくは、それ、ダメなんだよね。

まあ、しかし、もう製造していないんだったら
それでがまんするしかない。

どうして
いいものが製造されなくなってしまうんやろか。
不思議やわ。

ときどき
こういうことってある。

なんでやろか。
不思議。

三菱
ゲル・インク・ボールペン
直径0.38mm



「もう、おれとできひんやろ?」と言われて
できるよ、と答えた。
嫌がってるから、という理由を口にはしなかったけど、笑。
ひゃははは。



フィリップ・ラーキンとパーラメント通り。

P・D・ジェイムズの『死の味』に、
フィリップ・ラーキンの詩論が出てきて思いだした。
むかしみたポール・マッカートニーのつくった映画に、
イギリス現代詩人として、じっさいに出てきたのを。
黄金の毛並みの小猿といっしょに。
現代詩人がイギリスではまだ尊敬されているのだと思った。

『死の味』には、ロンドンの通りの名前で、
パーラメント通りというのもあった。
マールボロウ通りというのを、以前に読んだ小説で見た記憶がある。
ロンドンじゅう、タバコの銘柄の通り名だらけなのかな。
それで霧のロンドンって、
あ、ちょっとすべったな、笑。



アンリ・ミショオと小峰慎也

いま、アンリ・ミショオの『詩論断章』(小海永二訳)のページを開くと
いきなり
「私は自分の健康のために書く」
とあって
小峰慎也さんを思い出した。
そいえば
ミショオの「悪魔払いの詩論」からも
小峰さんの詩のお顔がちらりとうかがえそうだ。
「なすべきことの一つは、悪魔払いだ。」
ミショオのこの言葉は
小峰さんのいくつもの詩を思い起こさせる。
ブルブルッ。



詩人の個性

個性と性格について、
ハーバート・リードの「詩人の個性」を読んでいて考えた。
この2分法には乱暴な印象はあるが、
ぼくなりに捉えなおすと、
こういうことかな。
性格は自然に培われていくもので、ほぼ無意識的に形成されたものであり、
あるところから一定不変的であるのに対して、
個性は獲得されていくもので、半ば意志的に獲得されたもので、
つねに可変的なものであり、いくらでも更新できるものだということ。



からっぽが、いっぱい。

ウォレス・スティーヴンズの『理論』(福田陸太郎訳)という詩に
「私は私をかこむものと同じものだ。」とあった。
としら、ぼくは空気か。
まあ、吸ったり吐いたり
しょっちゅうしてるけれど。

ブリア・サヴァラン的に言えば
ぼくは、ぼくが食べた物や飲んだ物からできているのだろうけれど
ヴァレリー的に言えば、ぼくは、ぼくが理解したものと
ぼくが理解しなかったものとからできているのだろう。
それとも、ワイルド的に、こう言うかな。
わたしは、わたし以外のすべての人間からできている、と。
まあ、いずれにしても、なにかからできていると考えたいわけだ。
わけだな。



チェスタトンの言葉。

電車のなかで読んでいたP・D・ジェイムズの
『原罪』下巻に、チェスタトンの言葉が引用されていて
こころに残ったのだけど
つぎのものは、エイズに患っていて、友だちの家にやっかいになりながら
闘病生活をしていた作家が
救急車で運ばれるときのセリフで

「ああ、ぼくは大丈夫だよ。ようやく大丈夫になるさ。
 心配しないでくれ。それから見舞いには来ないで。
 G・K・チェスタートンの言葉にこういうのがあっただろう。
 "人生を決して信用せず、かつ人生を愛することを学ばねばならない"。
 ぼくはとうとう学べなかった」(157ページ下段、青木久恵訳)

隣に坐った30代くらいの小太りのスーツ姿の男性が
そのひとの娘だろうね
携帯の画像をつぎつぎと変えていくのを眺めながら
ああ、このひともチャーミングだし
画像に映ったさまざまな表情の幼い女の子の笑顔もかわいらしいし
世界はまだまだすてきだなあと
ぼくも、こころおだやかになっていった。
世界は、そんなにおぞましいものでもなく
汚らしいものでもないということを、あらためて思った。
昼には、東寺にある「時代蔵(じだいや)」というところで天丼を食べた。
おいしかった。
人間であることの喜びのひとつね。
おいしかったと言えることは。
ところで、うえのチェスタトンの言葉、
ぼくには、ひっかかるところがあって
それで孫引きしたのだけれど
人生も信用していいものだし
人間に関することは
人間そのものも含めて
すべて愛する対象として
もっとも価値あるものだとも思ってるんだけど
学ぶことで
愛することができるわけではないのではないかなって
いや
学んだかな。
深く理解するということで
さまざまな状況を
さまざまな状況にいるひとに対して理解を持つということで
いとしく思うことにいたったわけだから
学んだのかもしれない。
しかし、「人生を信用せず」は、ないと思う。
「たとえ裏切られることがあろうとも、人生に信を置き」
なんじゃないかな。
そう思った。


ぼくたちの幼いセックス。

いつまでも
幼いぼくたちのセックス。
愛ではなく
快楽に引き起こされた
ぼくたちの幼いセックス。
愛のない
快楽だけのセックス。
でも、それでいいのだとも思う。
愛にはセックスはいらないのだから。
ぼくたちの幼いセックス。
愛ではなく
愛だという思い込みによる
ぼくたちの幼いセックス。
美しかったし
楽しかったし
のちには甘美な思い出となった
なにものにも代えがたい
体験だった。
「詩よりもずっと大切なこと」と、「ぼくたちの幼いセックス」について書いた。
この2つのことは、これまでのぼくの作品の主要なテーマだったし、
これからもそうだと思う。
夜の風が冷たかった。
ぼくの頬に触れる彼の指はもっと冷たかった。
彼はけっして愛しているとは言わなかった。
ぼくもまた。
ぼくが彼を思い出すように、
彼もまた、ぼくのことを思い出してくれているのだろうか。
10日後に、まったく抒情的ではない作品を書く予定。
ぼくはなんて矛盾してるんだろう。
愛から、ぼくほど遠い人間はいないかもしれない。
愛したいのに、愛する愛し方を知らないのだ。
ぼくもまた、彼を愛してるとは言わなかった。
いつも、「好きだよ。」としか言わなかった。
彼もまた。
彼といっしょにすわった駅の入り口の石畳。
手を触れて街を歩くひとを見つめてた若かったぼくたち。
口づけするのに夢中で、何時間も口づけし合ったぼくたち。
30年近く前の瞬間という時間。
美しい彼は、たくましい彼は、
ぼくを守るようにして横抱きにして、エレベーターに乗って。
二人が見下ろした繁華街を行き交う人々の頭。



詩よりも、ずっと大事なもの。

ぼくは大学院を出て
作家になろうと思って
家を出て、親と縁を切り
がむしゃらに本を読みまくった。
本に書いてあることは、とてもよく勉強になった。
それまで探偵小説やSFしか読んだことがなかったぼくには
外国の詩や、翻訳で読むゲーテやシェイクスピアがおもしろかった。
ぼくが感じたこともない感情を持たせてくれたと思ったし
ぼくが考えたこともないことを考えさせてくれたと思っていた。
でも、30代になり
40代になり、それまでのひととの付き合いで
ひとを信じたり信じられたり
裏切ったり裏切られたりして
それらの詩や本に書いてあったことは
ぼくがすでに感じていたことを言葉にしてあっただけのもので
ぼくがすでに考えたことのあることが言葉にされているものあることに
それをぼくが言葉にできなかったものであることに気がついた。
いまのぼくには、詩や小説に書いてあることよりも
ずっとずっと多くのことを過去の自分の体験から学んでいる。
とりわけ、付き合っていたえいちゃんから学んでいる。
付き合っていたときに彼がぼくのことを大事にしてくれたことから学んでいる。
付き合っていた恋人たちの言葉や表情やしぐさを
いまのぼくは
ぼくの記憶にある、そのときのことを解釈することから学んでいる。
ぼくを誘惑した友だちや先輩や高校の先生や中学の先生から
そのひとたちの表情、微笑み
おずおずとした態度や雰囲気から学んでいる。
一瞬の目配せ、微笑み
ぼくの詩作品は、多くのものが
それらの目配せや微笑みや
とまどい、苦痛、よろこびから
その瞬間瞬間からできているように思っている。
もちろん、たくさん読んだ詩や小説があってこそなんだろうけどね。
才能のあるひとは
たぶん、たくさん読まなくても
人生から、日常から学ぶ能力が十分あるんだろうけれど
ぼくは、どんくさいから。

まだ作品にしていないものを
これから、どのようにして作品にしていくか
ぼくは、ことし50歳になって
あとせいぜい数十年のあいだに、その思い出を
どれだけ書いていくことができるか
っていうと
こころもとない。

詩は
ぼくにとっての詩は
また、そういったものではないものもある。
言語の結びつきをさきぶれに
経験をこえていくもの、こえたもの
それでも経験の後ろ盾によって
その経験があるからこそ
経験をこえることのできるなにものか
目にしたことのない光景
光といったもの
そういった新しいヴィジョンを想起させるものもつくっていると思う。
なぜ、こんなことをこの時間に書いたのだろうか。
自分の作品が理解されることがあまりにないゆえに?
たぶん。
だれもが理解されているわけではないのだろうけれど。
ぼくが愛したひとに。
そして、ぼくを愛したひとに
幸せになってほしい。
駅のターミナルで
ぼくの目をちらっと見たひとにさえ
ぼくは愛に近いものを感じることができるような人間になることができた。
ぼくに嫌悪感をもって意地悪をしてきたひとにも
ぼくを裏切ったり
ぼくをバカにしたりしたひとにも
愛情に近い思いをもつことができるようになった。
ぼくは弱くなったのだろうか。
もしもそうなら
ぼくはもっともっと弱くなりたい。



未成熟。

一瞬の判断で、
そのあと、よくない方向に転ぶことがよくある。
ぼくは、学ぶことがへたくそなのだった。
で、
そのへたくそさが、作品に未成熟さを持たせているのであった。
もちろん、未成熟であるということは、
ぼくという書き手にとっては、ありがたいことである。
きょうも1つ、ミスった。



きょうは、『図書館の掟。』の続篇を考えていた。

他のシリーズでも共有するモチーフで
魂の抽出。
エクトプラズム。
ホオムンクルス。
まず、霊魂分離機の前で、
囚人たちからエクトプラズムを抽出するシーンを考えてた。
魂からエクトプラズムを抽出するシーン。
ガラス瓶に現れる白いエクトプラズム。
囚人たちの苦悶の表情。
魂から、ほとんどエクトプラズムを分離されたあと
しばらくのあいだ気を失っている囚人たち。
完全回復することはできないが
魂の形相が類似の形相を無数の多相世界から再吸収して
魂がエクトプラズムを再生する。
エクトプラズムの抽出を繰り返すと
ゴーレム化する。
ゴーレム化した死刑囚でも呪術に用いられないわけではない。
実験体以外は、人柱に用いる。
どうしてもゴーレム化しない死刑囚は呪術性が高いので
重要な公共施設の人柱に用いられることが多い。
無脳化したクローンは、現実的には、人柱としては、見せかけのうえで供されるだけで
エクトプラズムのない魂には呪術的な力はない。
公共施設は異なる呪術で結界が施されている。
その術も術者の存在も秘密にされている。
准公共施設の人柱にまったく呪術性のない人体が使われているが
准公共施設とは、政治的に重要な場所ではない。
おもに、公務員たちの研修・休養施設である。
摘出された脳は異なる目的に使われる。
人脳計算機に用いられるのだ。
抽出されたエクトプラズムからホムンクルスを複数つくりだすシーン。
小人のホムンクルスたち。



『リチャード二世』を読んで。

おおむかし、一度読んでるんだけど。
この戯曲には、再三、「悲しみ」という言葉が現われる。
おおむかし、一度読んでるんだけど。
重い主題なのだけれど
「悲しみ」という言葉が、これほど頻出すると
なぜかしら、笑けてしまう。
トマス・ライマーが、戯曲『ハムレット』を
「ハンカチの笑劇」と読んだが
『リチャード二世』をそれにちなんで
『「悲しみ」という言葉の笑劇』と読んでみたい。
しかし、つぎのセリフは、考えさせられる。
シェイクスピアがいかに心理学に通じていたのか。
心理学が発見される300年ほども前に。

プッシー それは思いすごしの空想というものです、お妃様。
王妃 そんなものではない、思いすごしの空想は必ず
 なにか悲しみがあって生まれるもの、私のはそうではない。
 私の胸にある悲しみを生んだものは空なるものにすぎない、
 あるいはあるものが私の悲しむ空なるものを生んだのです。
 その悲しみはやがて本物となって私のものとなるだろう。
 それがなにか、なんと呼べばいいか、私にもわからない、
 わかっているのは、名前のない悲しみというにすぎない。
(シェイクスピア『リチャード二世』第二幕・第二場、小田島雄志訳)


つぎの言葉には、笑った。

恥にまみれて生きるがいい、死んでも恥は残るだろう!
  (シェイクスピア『リチャード二世』第二幕・第一場、小田島雄志訳)



ブレイクと、西寺郷太くん

「一瞬のなかにしか、永遠はないのさ。」

と、ノーナ・リーブズの西寺郷太くんは書いてたけれど
ブレイクの有名な詩句が先行してたことを忘れてた。
めっちゃ有名な詩なのにね。
斎藤 勇さんの『英詩概論』に出てて、ああ、そういえば
むかし読んだ詩にあったわ、と思って、本棚を見るも
ブレイクの訳詩は、アンソロジーに収録されていたものしかなく
とてもみじめな気持ちになってしまった。
近いうちに買いに行きます。
あ、ネットで買おうかな。
斎藤さんの本から抜粋。

To see a World in a grain of sand,
And a Heaven in a wild flower,
Hold Infinity in the palm of your hand,
And Eternity in an hour.
(Auguries of Innocence,I-4)

ひと粒の砂に世界を、
野の花に展開を見とめ、
掌(たなごころ)のうちに無限を、
ひと時のうちに永遠をにぎる、

いまから、ネットで検索しようっと。
いっぱいサイトがあって
訳文が載ってた。
こことか



http://www1.odn.ne.jp/~cci32280/PoetBlake.htm

ひとつぶの砂にも世界を
いちりんの野の花にも天国を見
きみのたなごころに無限を
そしてひとときのうちに永遠をとらえる
                  (寿岳文章訳)


きのう、寝る前に感心したもの
Tennyson のもので

'Tis better to have loved and lost
Than never to have loved at all.
(In Memoriam,xxvii)

愛せしことかつてなきよりは、
愛して失えることこそまだしもなれ。(斎藤 勇訳)



ひさびさの出眠時幻覚。物語だった。音声つき。

さいしょのシーンは、夜のレストランを外から見ていた。
ヘリコプターくらいの位置から。
光に満ちた窓の向こう側。
盛装した男女が席についていた。
動いているのはこれから席につこうとしているカップルと
ウェイターだけだった。
嵐だろうか。
突風で夜の街が
引き剥がされでもしたかのように
さまざまなものが持ちあがっていく。

ここで
ぼくの意識がひとりの青年から
もうひとりの青年に移った。

ブルーの海。
太陽がまぶしかった。
ふたりの子どもがいた。
男の子たちは裸で泳いでいた。
とつぜん波が持ちあがり
筒状になった。
父親らしき人物の名前はザックだった。
ザックはふたりの男の子を抱いた。
海が渦巻状になり、その中心に3人がいた。
ザックがひとりの子どもに向かって
「ハーンのようになれ。」
と言って
ひとりずつ
渦の中心から放り投げた。
ザックは渦のなかに飲み込まれた。
ふたりの男の子は
ブルーの海のなかにもぐりながら
一度も浮かぶことなしに
ずんずん岸に向かって泳いでいた。
子どもたちは
ひとりひとり別に泳いでいた。
やがて、子どもたちの身体は少年のそれになり
青年のそれになっていった。
髪も伸びていた。
全裸であることには変わりがない。
ふたりは、白い砂、ブルーの海から上がった。
すると、そこは、山だった。
ヒマラヤだった。
サーベルタイガーがいた。
ふたりの青年が全裸で
サーベルタイガーをあいだに挟んで雪の上を歩いている。
ここで目が覚めた。

はじめ、自分はハーンと呼ばれた青年の目から
上空からレストランのなかを眺めていた。
つぎに、嵐になって、瞬間的に意識が移動して
レストランのなかで食事をしていた青年になって回想していた。
それが海のシーンだったが
レストランのなかにいた青年の名前はわからない。
そして、その青年は、「ザックの教え」という言葉をもって
回想をはじめたのだった。

さいごの海のシーン
山のシーンで
ふたりを眺めていた視点は
だれの視点だったのか、わからない。

ブルーの海のなかで
白い砂地を下に泳ぎつづけていた子どもが
青年になっていくシーンは長かった。
その成長ぶりに気がつくまで
しばらく時間がかかった。
しかし、場面は美しかった。

目が覚めた瞬間に
これは長い物語の一部であると予感した。
それで、記憶が新しいうちにと思って
ここに書いた。

きのう、飲みすぎで
クスリが効かず
半覚醒状態で寝床に入っていたのだった。
何度か時計を見た。
記憶があるのは
5時過ぎ
8時過ぎ
10時半ばころか終わりに
そして、ついさっき。
23という数字。
23分だったのだろう。
「ザックの教え」、「ザックの教え」
と反芻しながら、シーンを忘れないように
頭のなかにもう一度、反復させて
パソコンのスイッチを入れたのだった。



溺れた詩集。

湯船につかりながら詩集を読んでいたのだが
おもしろくなかったので湯船のうえで手を離した。
詩集はもちろん湯のなかに沈んでいったのだが
詩集は沈むまえから溺れ死んでいたのだった。
詩人が言葉のなかで溺れ死んでいたのか
言葉が詩人のなかで溺れ死んでいたのかはわからないけれど。



 夏の蓮(はちす)の花の盛りに、できあがった入道(にゆうどう)の姫宮の
ご持仏の供養(くよう)が催されることになった。
              (紫式部『源氏物語』鈴虫、与謝野晶子訳)

「こんな儀式を、あなたのためにさせる日があろうなどとは予想もしなかっ
たことですよ。これはこれとして来世の蓮(はちす)の花の上では、むつま
じく暮そうと期してください」
  蓮(はちす)葉を同じうてなと契(ちぎ)りおきて
          露の分るる今日ぞ悲しき
 硯(すずり)に筆をぬらして、香染めの宮の扇(おうぎ)へお書きになっ
た。宮が横へ、
  隔(へだ)てなく蓮(はちす)の宿をちぎりても
         君が心やすまじとすらん
 こうお書きになると、
「そんなに私が信用していただけないのだろうか」
 笑いながら院は言っておいでになるのであるが、身にしむものがあるごよ
うすであった。
              (紫式部『源氏物語』鈴虫、与謝野晶子訳)

 数式においては、数と数を記号が結びつけているように見えるが、記号に
よって結びつけられたのは、数と数だけではない。数と人間も結びつけられ
ているのであって、より詳細にみると、数と数を、記号と人間の精神が結び
つけているのであるが、これをまた、べつの見方をすると、数と数が、記号
と人間を結びつけているとも言える。複数の人間が、同じ数式を眺める場合
には、数式がその複数の人間を結びつけるとも考えられる。複数の人間の精
神を、であるが、これは、数式にかぎらず、言葉だって、そうである。言葉
によって、複数の人間の精神が結びつけられる。言葉によって、複数の人間
の体験が結びつけられる。音楽や絵画や映画やスポーツ観戦もそうである。
ひとが、他人の経験を見ることによって、知ることによって、感じることに
よって、自分の人生を生き生きとさせることができるのも、この「結びつけ
る作用」が、言葉や映像にあるからであろう。
 ここのところ、『数式の庭。』に転用しよう。


(…)宮が
  大かたの秋をば憂(う)しと知りにしを
     振り捨てがたき鈴虫の声
と低い声でお言いになった。ひじょうに艶(えん)で若々しくお品がよい。
「なんですって、あなたに恨ませるようなことはなかったはずだ」
と院はお言いになり、
  心もて草の宿りを厭(いと)へども
     なほ鈴虫の声ぞふりせぬ
ともおささやきになった。
              (紫式部『源氏物語』鈴虫、与謝野晶子訳)

「月をながめる夜というものにいつでもさびしくないことはないものだが、
この仲秋(ちゆうしゆう)の月に向かっていると、この世以外の世界のこと
までもいろいろと思われる。亡くなった衛門督(えもんのかみ)はどんな場
合にも思い出される人だが、ことになんの芸術にも造詣(ぞうけい)が深か
ったから、こうした会合にあの人を欠くのは、ものの匂いがこの世になくな
った気がしますね」
とお言いになった院は、ご自身の楽音からも憂(うれ)いが催されるふう
で、涙をこぼしておいでになるのである。
              (紫式部『源氏物語』鈴虫、与謝野晶子訳)

「ものの匂いがこの世になくなった気がします」という比喩、嗅覚障害にな
って、においが感じられなくなったぼくには、身にしむ表現でした。

「今夜は鈴虫の宴で明かそう」
こう六条院は言っておいでになった。
              (紫式部『源氏物語』鈴虫、与謝野晶子訳)

このあとしばらくして、源氏は冷泉院に移動して、つぎの歌を詠んだ。

  月影は同じ雲井に見えながら
     わが宿からの秋ぞ変れる
 このお歌は文学的の価値はともかくも、冷泉院のご在位当時と今日とをお
思いくらべになって、さびしくお思いになる六条院のご実感と見えた。
              (紫式部『源氏物語』鈴虫、与謝野晶子訳)

 同じように見えるものを前にして、自分のなかのなにかが変わっている
ように感じられる、というふうにもとれる。同じもののように見えるものを
目のあたりにすることで、ことさらに、自分のこころのどこかが、以前のも
のとは違ったもののように思える、ということであろうか。あるいは、もっ
とぶっ飛ばしてとらえて考えてもよいのかもしれない。同じものを見ている
ように思っているのだが、じつは、それがまったく異なるものであることに
ふと気がついた、とでも。というのも、それを眺めている自分が変っている
はずなので、同じに見えるということは、それが違ったものであるからであ
る、というふうに。
 この巻の感想の終わりに、源氏の言葉を引用しよう。

「(…)年のいくのとさかさまにますます濃くなる昔の思い出に(…)」
              (紫式部『源氏物語』鈴虫、与謝野晶子訳)

ウラタロウさんのコメント

宏輔さんの言葉が、触媒のような、カレイドスコープの覗き穴のような感じ。

ぼくのお返事

コメントくださり、ありがとうございました。
そうおっしゃっていただけて、とてもうれしい。
ぼくも楽しんで『源氏物語』を読んでいます。
さいしょはバカにして読んでましたけれど
いまは感心することしきりです。
原文も買っていますので
晶子訳を読み終わったら原文対照で
読み直そうかなって思っています。
英訳も持っているので
英語訳も使いながらも楽しそうですね。
いろいろやってみたいです。

ふたたび、ウラタロウさんのコメント

各種訳もくわわるとさらに、捉えられないほどめくるめくことになりそうですね。

ふたたび、ぼくのお返事

さ来年には、とりかかろうかなと思っています。
生きていればですが、笑。



緑がたまらん。

えっ、なに?
と言って、えいちゃんの顔を見ると
ぼくの坐ってるすぐ後ろのテーブル席に目をやった。
ぼくもつい振り返って見てしまった。
柴田さんという68歳になられた方が
若い女性とおしゃべりなさっていたのだけれど
その柴田さんがあざやかな緑のシャツを着てらっしゃってて
その緑のことだとすぐに了解して
えいちゃんの顔を見ると
「あの緑がたまらんわ〜。」
と。
笑ってしまった。
えいちゃんは、ぜんぜん内緒話ができない人で
たとえば、ぼくのすぐ横にいる客のことなんかも
「あ〜、もう、うっとしい。
 はよ帰れ。」
とか平気で言う人で
だから、ぼくは、えいちゃんのことが大好きなのだけれど
きのうも、ぜったい柴田さんにも聞こえていたと思う、笑。
ぼくはカウンター席の奥の端に坐っていたのだけれど
しばらくして、八雲さんという雑誌記者の人が入ってきて
入口近くのカウンター席に坐った。
何度か話をしたことがあって
腕とか日に焼けてたので
「焼けてますね。」
と言うと
「四国に行ってました。
 ずっとバイクで動いてましたからね。」
「なんの取材ですか?」
「包丁です。
 高松で、包丁をといでらっしゃる横で
 ずっとインタビューしてました。
 あ
 うつぼを食べましたよ。
 おいしかったですよ。」
「うつぼって
 あの蛇みたいな魚ですよね。」
「そうです。
 たたきでいただきました。
 おいしかったですよ。」
「ふつうは食べませんよね。」
「数が獲れませんから。」
「見た目が怖い魚ですね。
 じっさいはどうなんでしょう?
 くねくね、蛇みたいに動くんでしょうか?」
「うつぼは
 底に沈んでじっとしている魚で
 獰猛な魚ですよ。
 毒も持ってますしね。
 近くに寄ったら、がっと動きます。
 ふだんはじっとしてます。」
「じっとしているのに、獰猛なんですか?」
「ひらめも、そうですよ。
 ふだんは、底にじっとしてます。」
「どんな味でしたか?」
「白身のあっさりした味でした。」
「ああ、動かないから白身なんですね。」
「そうですよ。」
話の途中で、柴田さんがぼくの肩に触れられて
「一杯、いかがです?」
「はい?」
と言ってお顔を見上げると
陽気な感じの笑顔でニコニコなさっていて
「この人、なんべんか見てて
 おとなしい人やと思っってたんやけど
 この人に一杯、あげて。」
と、マスターとバイトの女の子に。
マスターと女の子の表情を見てすかさず
「よろしんですか?」
とぼくが言うと
「もちろん、飲んでやって。
 きみ、男前やなあ。」
と言ってから、連れの女性に
「この人、なんべんか合うてんねんけど
 わしが来てるときには、いっつも来てるんや。
 で、いっつも、おとなしく飲んでて
 ええ感じや思ってたんや。」
と説明、笑。
「田中といいます、よろしくお願いします。」
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
みたいなやりとりをして、焼酎を一杯ごちになった。
えいちゃんと、八雲さんと、バイトの女の子に
「朝さあ。
 西院のパン屋さんで
 モーニング・セット食べてたら
 目の前をバカボン・パパみたいな顔をしたサラリーマンの人が
 まあ、40歳くらいかな
 その人がセルフサービスの水をグラスに入れるために
 ぼくの目の前を通ったのだけれど
 その人が、ぼくの隣の隣のテーブルで
 本を読みだしたのだけれど
 その表紙にあったタイトルを見て
 へえ?
 って思った。
 『完全犯罪』ってタイトルの小説で
 小林泰三って作者のものだったかな。
 写真の表紙なんだけど
 単行本だろうね。
 タイトルが、わりと大きめに書かれてあって
 『完全犯罪』
 で、ぼくの読んでたのが
 P・D・ジェイムズの『ある殺意』だったから
 なんだかなあって。
 隣に坐ってたおばさんの文庫本には
 書店でかけた紙のカバーがかかっていて
 タイトルがわからなかったけれど
 ふと、こんなこと思っちゃった。
 朝から、おだやかな顔をして
 みんなの読んでるものが物騒って
 なんだか、おもしろいって。」
「隣のおばさんの読んでらっしゃった本のタイトルがわかれば
 もっとおもしろかったでしょうね。」
と、バイトの女の子。
「そうね。
 恋愛ものでもね。」
と言って笑った。
緑がたまらん柴田さんが
「横にきいひんか?」
とおっしゃったので、柴田さんの坐ってらっしゃったテーブル席に移動すると
マスターが
「田中さんて、きれいなこころしてはってね。
 詩を書いておられるんですよ。
 このあいだ、この詩集をいただきました。」
と言って、柴田さんに、ぼくの詩集を手渡されて
すると
柴田さん、一万円札を出されて
「これ、買うわ。
 ええやろ。」
と、おっしゃったので
「こちらにサラのものがありますし。」
と言って、ぼくは、自分のリュックのなかから
詩集を出して見せると
マスターが受け取った一万円を崩してくださってて
「これで、お買いになられるでしょう。」
と言ってくださり
ぼくは、柴田さんに2500円、いただきました、笑。
「つぎに、この子の店に行くんやけど
 いっしょに行かへんか?」
「いえ、もう、だいぶ、酔ってますので。」
「そうか。
 ほなら、またな。」
すごくあっさりした方なので、こころに、なにも残らなくて。
で、しばらくすると
柴田さんが帰られて
ふたたび、カウンター席に戻って
八雲さんとかとしゃべったのだけれど
その前に、フランス人の観光客が2人入ってきて
若い男性二人だったのだけれど
柴田さん、その二人に英語で話しかけられて
バイトの女の子もイスラエルに半年留学してたような子で
突然、国際的な感じになったのだけれど
えいちゃんが、柴田さんの積極的な雰囲気見て
「すごい好奇心やね。」
って。
ぼくもそう思ってたから、こくん、とうなずいた。
女性にも関心が強くって
人生の一瞬一瞬をすべて楽しんでらっしゃる感じだった。
柴田さん、有名人でだれか似てるひとがいたなあって思ってたら
これを書いてるときに思いだした。
増田キートンだった。
八雲さんが
「犬を集めるのに
 みみずをつぶしてかわかしたものを使うんですよ。
 ものすごく臭くって
 それに酔うんです。
 もうたまらんって感じでね。」
「犬もたまらんのや。」
と、えいちゃん。
「うつぼって、どうして普及しないのですか?」
と言うと
「獲れないからですよ。
 偶然、網にかかったものを
 地元で食べるだけです。」
めずらしい食べ物の話が連続して出てきて
その動物を獲る方法について話してて
うなぎを獲る「もんどり」という仕掛けに
サンショウウオの話で
「鮎のくさったものを使うんですよ。」
という話が出たとき
また、えいちゃんが
「サンショウウオもたまらんねんなあ。」
と言うので
「きょう、えいちゃん、たまらんって、3回、口にしたで。」
ぼくが指摘すると
「気がつかんかった。」
「たまらんって、語源はなんやろ?」
と言うと
八雲さんが
「たまらない、
 こたえられない。
 十分であるということかな。」
ぼくには、その説明、わからなくって
「たまらない。
 もっと、もっと。
 って気持ち。
 いや、十分なんだけど
 もっと、もっとね。」
ここで、ぼくは自分の詩に使った
もっとたくさん。
もうたくさん。
のフレーズを思い出した。
八雲さんの話だと
サンショウウオは蛙のような味だとか。
知らん。
どっちとも食べたことないから。
「あの緑がたまらん。」
ぼくには、えいちゃんの笑顔がたまらんのやけど、笑。
そうそう。
おばさんっていうと

モーニング・セットを食べてるパン屋さんで
かならず見かけるおばさんがいてね。
ある朝
ああ、きょうも来てはるんや
思って
学校に行って
仕事して
帰ってきて
西院の王将に入って定食注文したの
そしたら
横に坐って
晩ごはん食べてはったのね。
びっくりしたわ〜。
人間の視界って
180度じゃないでしょ。
それよりちょっと狭いかな。
だけど
横が見えるでしょ。
目の端に。
意識は前方中心だけど。
意識の端にひっかかるっていうのかな。
かすかにね。
で、横を向いたら
そのおばさん。
ほんと、びっくりした。
でも、そのおばさん
ぜったい、ぼくと目を合わせないの。
いままで一回も
目が合ったことないの。
この話を、えいちゃんや、八雲さんや、バイトの女の子にしてたんだけど
バイトの子が
「いや、ぜったい気づいてはりますよ。
 気づいてはって、逆に、気づいてないふりしてはるんですよ。」
って言うのだけど
人間って、そんなに複雑かなあ。

このバイトの子
静岡の子でね。
ぬえ
って化け物の話が出たときに
ぬえって鳥みたいって言うから
「ぬえって、四つ足の獣みたいな感じじゃなかったかな?」
って、ぼくが言うと
八雲さんが
「二つの説があるんですよ。
 鳥の化け物と
 四足の獣の身体にヒヒの顔がついてるのと。
 で、そのヒヒの顔が
 大阪府のマークになってるんですよ。」
「へえ。」
って、ぼくと、えいちゃんと、バイトの子が声をそろえて言った。
なんでも知ってる八雲さんだと思った。
ぬえね。
京都と静岡では違うのか。
それじゃあ
いろんなことが
いろんな場所で違ってるんやろうなって思った。
あたりまえか。
あたりまえなのかな?
わからん。
でも、じっさい、そうなんやろね。



音。

その音は
テーブルの上からころげ落ちると
部屋の隅にはしって
いったん立ちどまって
ブンとふくれると
大きな音になって
部屋の隅から隅へところがりはじめ
どんどん大きくなって
頭ぐらいの大きさになって
ぼくの顔にむかって
飛びかかってきた



音。

左手から右手へ
右手から左手に音をうつす
それを繰り返すと
やがて
音のほうから移動する
右手のうえにあった音が
左手の手のひらをのばすと
右手の手のひらのうえから
左手の手のひらのうえに移動する
ふたつの手を離したり
近づけたりして
音が移動するさまを楽しむ
友だちに
ほらと言って音をわたすと
友だちの手のひらのうえで
音が移動する
ぼくと友だちの手のひらのうえで
音が移動する
ぼくたちが手をいろいろ動かして
音と遊んでいると
ほかのひとたちも
ぼくたちといっしょに
手のひらをひろげて
音と戯れる
音も
たくさんのひとたちの手のひらのうえを移動する
みんな夢中になって
音と戯れる
音もおもしろがって
たくさんのひとたちの手のひらのうえを移動する
驚きと笑いに満ちた顔たち
音と同じようにはずむ息と息
たったひとつの音と
ただぼくたちの手のひらがあるだけなのに。



それぞれの世界。

ぼくたちは
前足をそろえて
テーブルの上に置いて
口をモグモグさせながら
店のなかの牧草を見ていた。
ふと、彼女は
すりばち状のきゅう歯を動かすのをやめ
たっぷりとよだれをテーブルのうえに落としながら
モーと鳴いた。
「もう?」
「もう。」
「もう?」
「もう!」
となりのテーブルでは
別のカップルが
コケー、コココココココ
コケーっと鳴き合っていた。
ぼくたちは
前足をおろして
牧草地から
街のなかへと
となりのカップルも
おとなしくなって
えさ場から
街のなかへと
それぞれの街のなかに戻って行った。



敵だと思っている
前の職場のやつらと仲直りして
部屋飲みしていた。
膝が痛いので
きょうは雨だなと言うと
やつらのひとりに
もう降っているよと言われて
窓を開けたら
雨が降っていたしみがアスファルトに。
でも雨は降っていなかった。
膝の痛みをやわらげるために
膝をさすっていると
目が覚めた。
窓を開けると
いまにも降りそうだった。
この日記を書いている途中で
ゆるく雨の降る音がしてきた。



文法。

わたしは文法である。
言葉は、わたしの規則に従って配列しなければならない。
言葉はわたしの規則どおりに並んでいなければならない。
文法も法である。
したがって抜け道もたくさんあるし
そもそも法に従わない言葉もある。

また、時代と場所が変われば、法も違ったものになる。
また、その法に従うもの自体が異なるものであったりするのである。
すべてが変化する。
文法も法である。
したがって、時代や状況に合わなくなってくることもある。
そういう場合は改正されることになる。

しかし、法のなかの法である憲法にあたる
文法のなかの文法は、言葉を発する者の生のままの声である。
生のままの声のまえでは、いかなる文法も沈黙せねばならない。
超法規的な事例があるように
文法から逸脱した言葉の配列がゆるされることもあるが
それがゆるされるのはごくまれで
ことのほか、それがうつくしいものであるか
緊急事態に発せられるもの
あるいは無意識に発せられたと見做されたものに限る。
たとえば、詩、小説、戯曲、夢、死のまえのうわごとなどがそれにあたる。



フローベールの『紋切型辞典』(小倉孝誠訳)を読んでいて、いろいろ思ったことをメモしまくった。そのうち、きょう振り返っても、書いてみたいと思ったものを以下に書きつけておく。

印刷された の項に

「自分の名前が印刷物に載るのを目にする喜び!」

とあった。

1989年の8月号から1990年の12月号まで、自分の投稿した詩がユリイカの投稿欄に載ったのだが、自分の名前が載るのを目にする喜びはたしかにあった。いまでも印刷物に載っている自分の名前を見ると、うれしい気持ちだ。しかし、よりうれしいのは、自分の作品が印刷されていることで、それを目にする喜びは、自分の名前を目にする喜びよりも大きい。ユリイカに載った自分の投稿した詩を、その号が出た日にユリイカを買ったときなどは、自分の詩を20回くらい繰り返し読んだものだった。このことを、ユリイカの新人に選ばれた1991年に、東京に行ったときに、ユリイカの編集部に訪れたのだが、より詳細に書けば、編集部のあるビルの1階の喫茶店で、そのときの編集長である歌田明弘さんに話したら、「ええ? 変わってらっしゃいますね。」と言われた。気に入った曲を繰り返し何回も聴くぼくには、ぜんぜん不思議なことではなかったのだが。ネットで、自分の名前をしじゅう検索している。自分のことが書かれているのを見るのは楽しいことが多いけれど、ときどき、ムカっとするようなことが書かれていたりして、不愉快になることがある。しかし、自分と同姓同名のひとも何人かいるようで、そういうひとのことを考えると、そういうひとに迷惑になっていないかなと思うことがある。しかし、自分と同姓同名のひとの情報を見るのは、べつに楽しいことではない。だから、たぶん、自分と同姓同名の別人の名前を見ても、たとえ、自分の名前と同じでも、あまりうれしくないのではないだろうか。自分の名前が印刷物に載っているのを見ることが、つねに喜びを与えてくれるものであるとは限らないのではないだろうか。


譲歩[concession] 絶対にしてはならない。譲歩したせいでルイ十六世は破滅した。

と書いてあった。

 芸術でも、もちろん、文学でも、そうだと思う。ユリイカに投稿していた
とき、ぼくは、自分が書いたものをすべて送っていた。月に、20〜30作。
選者がどんなものを選ぶのかなんてことは知ったことではなかった。
そもそも、ぼくは、詩などほとんど読んだこともなかったのだった。
新潮文庫から出てるよく名前の知られた詩人のものか
堀口大學の『月下の一群』くらいしか読んでなかったのだ。
それでも、自分の書くものが、まだだれも書いたことのないものであると
当時は思い込んでいたのだった。
譲歩してはならない。
芸術家は、だれの言葉にも耳を貸してはならない。
自分の内心の声だけにしたがってつくらなければならない。
いまでも、ぼくは、そう思っている。
それで、無視されてもかまわない。
それで破滅してもかまわない。
むしろ、無視され、破滅することが
ぼくにとっては、芸術家そのもののイメージなのである。


男色 の項に

「すべての男性がある程度の年齢になるとかかる病気。」

とあった。

 老人になると、異性愛者でも、同性に性的な関心を寄せると、心理学の本で読んだことがある。
 こだわりがなくなっただけじゃないの、と、ぼくなどは思うのだけれど。でも、もしも、老人になると、というところだけを特徴的にとらえたら、生粋の同性愛者って、子どものときから老人ってことになるね。どだろ。


問い[question] 問いを発することは、すなわちそれを解決するに等しい。

とあった。古くから言われてたんだね。


都市の役人 の項に

「道の舗装をめぐって、彼らを激しく非難すべし。──役人はいったい何を考えているのだ?」

とあった。

これまた、古くからあったのね。国が違い、時代が違っても、役人のすることは変わらないってわけか。
 でも、ほかの分野の人間も、国が違っても、時代が違っても、似たようなことしてるかもね。治世者、警官、農民、物書き、大人、子ども、男、女。


比喩[images] 詩にはいつでも多すぎる。

とあった。

 さいきん、比喩らしい比喩を使ってないなあと思った。でも、そのあとで、ふと、はたして、そうだったかしらと思った。
 ペルシャの詩人、ルーミーの言葉を思い出したからである。ルーミーの講演が終わったあと、聴衆のひとりが、ルーミーに、「あなたの話は比喩だらけだ。」と言ったところ、ルーミーが、こう言い返したのだというのだ。
「おまえそのものが比喩なのだ。」と。
そういえば、イエス・キリストも、こんなことを言ってたと書いてあった。
「わたしはすべてを比喩で語る。」と。
言葉そのものが比喩であると言った詩人もいたかな。どだろ。


分[minute] 「一分がどんなに長いものか、ひとは気づいていない。」

とあった。

 そんなことはないね。齢をとれば、瞬間瞬間がどれだけ大事かわかるものね。その瞬間が二度とふたたび自分のまえに立ち現われることがないということが、痛いほどわかっているのだもの。それでも、人間は、その瞬間というものを、自分の思ったように、思いどおりに過ごすことが難しいものなのだろうけれど。悔いのないように生きようと思うのだけれど、悔いばかりが残ってしまう。ああ、よくやったなあ、という気持ちを持つことはまれだ。まあ、それが人生なのだろうけれど。
 ノブユキとのこと。エイジくんとのこと。タカヒロとのこと。中国人青年とのこと。名前を忘れた子とのこと。名前を聞きもしなかった子とのことが、何度も何度も思い出される。楽しかったこと、こころに残ったさまざまな思い出。



2010年11月18日のメモ

人生においては
快適に眠ることより重要なことはなにもない。
わたしにとっては、だが。



2010年11月19日のメモ 

無意識層の記憶たちが
肉体のそこここのすきまに姿を消していくと
空っぽの肉体に
外界の時間と場所が接触し
肉体の目をさまさせる。
目があいた瞬間に
世界が肉体のなかに流れ込んでくる。
肉体は世界でいっぱいになってから
ようやく、わたしや、あなたになる。
けさ、わたしの肉体に流れ込んできた世界は
少々、混乱していたようだった。
病院に予約の電話を入れたのだが
曜日が違っていたのだった。
きょうは金曜日ではなくて
休診日の木曜日だったのだ。
金曜日だと思い込んでいたのだった。
それとも、わたしのなかに流れ込んできた世界は
あなたに流れ込むはずだったものであったのだろうか。
それとも、理屈から言えば、地球の裏側にいるひと、
曜日の異なる国にいるひとのところに流れ込むはずだった世界だったのだろうか。



2010年11月19日のメモ 

考えたこともないことが
ふと思い浮かぶことがある。
自分のこころにあるものをすべて知っているわけではないことがわる。
いったい、どれだけたくさんのことを知らずにいるのだろうか。
自分が知らないうちに知っていることを。



カラオケでは、だれが、いちばん誇らしいのか?

あたしが歌おうと思ってたら
つぎの順番だった同僚がマイクをもって歌い出したの。
なぜかしら?
あたしの手元にマイクはあったし
あたしがリクエストした曲だったし
なんと言っても
順番は、あたしだったのに。
なぜかしら?
機嫌よさげに歌ってる同僚の足もとを見ると
ヒールを脱いでたから
こっそりビールを流し入れてやったわ。
「これで、きょうのカラオケは終わりね。」
なぜかしら?
アララットの頂では
縄で縛りあげられた箱舟が
その長い首を糸杉の枝にぶら下げて
「会計は?」
あたしじゃないわよ。
海景はすばらしく
同僚のヒールも死海に溺れて
不愉快そうな顔を、あたしに向けて
「あたしじゃないわよ。」
みんなの視線が痛かった。
「なぜかしら?」
ゆっくり話し合うべきだったのかしら?
「だれかが、あたしを読んでいる。」



かつて人間だったウーピー・ウーパー

マイミクのえいちゃんの日記に

帰ってまた

ってタイトルで

食べてしまったサラダとご飯と豚汁と ヨモギ団子1本あかんな〜 ついつい食べてまうわ でも 幸せやで皆もたまにはガッツリ食べようね
帰りに考えてた ウーパールーパーに似てるって昔いわれた 可愛いさわ認めるけど 見た目は認めないもんね でも こないだテレビでウーパーを食べてたなんか複雑やったなやっぱり認めるかな 俺似てないよねどう思いますか? 素直によろしくお願いします

って、あったから

似てないよ。
目元がくっきりしてるだけやん。

って書いたんだけど、あとで気がついて

ウーピー・ゴールドマンと間違えてた。
動物のほうか。
かわいらしさが共通してるかな。
共通してると似てるは違うよ。

って書き足したんだけど、そしたら、えいちゃんから返事があって

間違えないで。 ウーピー食べれないでしょ 。間違うのあっちゃんらしいね。
目はウーピー・ゴールドマンに似てるんや。 これまた、 複雑やわ。 ありがとう。

って。なんか、めっちゃおもしろかったから、ここにコピペした。
えいちゃん、ごめりんこ。

ちなみに、えいちゃんの日記やコメントにある絵文字は、コピペできんかった。
どういうわけで?
わからん。
なぜだ?
なぜかしらねえ。

「みんなの病気が治したくて」 by ナウシカ



捨てなさい。

というタイトルで、寝るまえに
なにか書こうと思った。
これから横になりながら
ルーズリーフ作業を。
なにをしとったんじゃ、おまえは!
って感じ。
だらしないなあ、ぼくは。
だって、おもしろいこと、蟻すぎなんだもの。

追記 2010年11月20日11時02〜14分
   なにも思いつかなかったので、俳句もどきのもの、即席で書いた。

捨ててもまた買っちゃったりする古本かな
なにもかもありすぎる捨てるものなしの国
あのひとはトイレで音だけ捨てる癖がある
目がかゆい目がかゆいこれは人を捨てた罰
捨て台詞誰も拾う者なし拾う者なし者なし
右の手が悪いことをすれば右の手を捨てよ



おじいちゃんの秘密。

たいてい、ゾウを着る。
ときどき、サルを着る。
ときには、キリンを着る。
おじいちゃんの仕事は
動物園だ。
だれにも言っちゃダメだよって言ってた。
たま〜に、空を着て鳥を飛んだり

鳥を着て空を飛んだりすることもある
って言ってた。
動物園の仕事って
たいへんだけど
楽しいよ
って言ってた。
でも、だれにも言っちゃダメだよって言ってた。
言ったらダメだよって言われたら
よけいに言いたくなるのにね。
きのう、ぶよぶよした白いものが
おじいちゃんを着るところを見てしまった。
博物館にいるミイラみたいだったおじいちゃんが
とつぜん、いつものおじいちゃんになってた。
おじいちゃんと目が合った。
どれぐらいのあいだ見つめ合ってたのか
わからないけれど
おじいちゃんは
杖を着たぼくを手に握ると
部屋を出た。



蝶を見なくなった。

それは季節ではない。
季節ならば
あらゆる季節が
ぼくのなかにあるのだから。

それは道ではない。
道ならば
あらゆる道が
ぼくのなかにあるのだから。

それは出合いではない。
出合いならば
あらゆる出合いが
ぼくのなかにあるのだから。



蝶。

それは偶然ではない。
偶然ならば
あらゆる偶然が
ぼくのなかにあるのだから。



「わたしの蝶。」と、きみは言う。

ぼくは言わない。



蝶。

花に蝶をとめたものが蜜ならば
ぼくをきみにとめたものはなんだったのか。

蝶が花から花へとうつろうのは蜜のため。
ぼくをうつろわせたものはなんだったのだろう。

花は知っていた、蝶が蜜をもとめることを。
きみは知っていたのか、ぼくがなにをもとめていたのか。

蝶は蜜に飽きることを知らない。
きみのいっさいが、ぼくをよろこばせた。

蝶は蜜がなくなっても、花のもとにとどまっただろうか。
ときが去ったのか、ぼくたちが去ったのか。

蜜に香りがなければ、蝶は花を見つけられなかっただろう。
もしも、あのとき、きみが微笑まなかったら。



蝶。

おぼえているかい。
かつて、きみをよろこばせるために
野に花を咲かせ
蝶をとまらせたことを。

わすれてしまったかい。
かつて、きみをよろこばせるために
海をつくり
渚で波に手を振らせていたことを。

ぼくには、どんなことだってできた。
きみをよろこばせるためだったら。
ぼくにできなかったのは、ただひとつ
きみをぼくのそばにいさせつづけることだけだった。



蝶。

きみは手をあげて
蝶を空中でとめてみせた。

それとも、蝶が
きみの手をとめたのか。

静止した時間と空間のなかでは
どちらにも見える。

その時間と空間をほどくのは
この言葉を目にした読み手のこころ次第である。



蝶。

蝶の翅ばたきが、あらゆる時間をつくり、空間をつくり、出来事をつくる。
それが間違っていると証明することは、だれにもできないだろう。



蝶。

ぼくが、ぼくのことを「蝶である。」と書いたとき
ぼくのことを「蝶である。」と思わせるのは
ぼくの「ぼくは蝶である。」という言葉だけではない。
ぼく「ぼくが蝶である。」という言葉を目にした読み手のこころもある。
ぼくが読み手に向かって、「あなたは蝶である。」と書いたとき
読み手が自分のことを「わたしは蝶である。」という気持ちになるのも
やはり、ぼくの言葉と読み手のこころ自体がそう思わせるからである。
ぼくが、作品の登場人物に、「彼女は蝶である。」と述べさせると
読みのこころのなかに、「彼女は蝶である。」という気持ちが起こるとき
ぼくの言葉と読み手のこころが、そう思わせているのだろうけれど
ぼくの作品の登場人物である「彼女は蝶である。」と述べた架空の人物も
「蝶である。」と言わしめた、これまた架空の人物である「彼女」も
「彼女は蝶である。」と思わせる起因をこしらえていないだろうか。
そういった人物だけでなく、ぼくが書いた情景や事物・事象も
「彼女は蝶である。」と思わせることに寄与していないだろうか。
ぼくは、自分の書いた作品で、ということで、いままで語ってきた。
「自分の書いた作品で」という言葉をはずして
人間が人間に語るとき、と言い換えてもよい。
人間が自分ひとりで考えるとき、と言い換えてもいい。
いったい、「あるもの」が「あるもの」である、と思わせるのは
弁別される個別の事物・事象だけであるということがあるであろうか。
考えられるすべてのことが、「あらゆるもの」をあらしめているように思われる。
考つくことのできないものまでもが寄与しているとも考えているのだが
それを証明することは不可能である。
考えつくことのできないものも含めて「すべての」と言いたいし
言うべきだと思っているのだが
この「すべての」という言葉が不可能にさせているのである。
この限界を突破することはできるだろうか。
わからない。
表現を鍛錬してその限界のそばまで行き、その限界の幅を拡げることしかできないだろう。
しかも、それさえも困難な道で、その道に至ることに一生をささげても
よほどの才能の持ち主でも、報われることはほとんどないだろう。
しかし、挑戦することには、大いに魅力を感じる。
それが「文学の根幹に属すること」だと思われるからだ。
怠れない。
こころして生きよ。



蝶。

蝶を見なくなった。
「それは蝶ではない。」
あっ、ちょう。



友だちの役に立てるって、ええやん。友だちの役に立ったら、うれしいやん。

むかし付き合った男の子で
友だちから相談をうけてねって
ちょっとうっとうしいニュアンスで話したときに
「友だちの役に立てるって、ええやん。」
「友だちの役に立ったら、うれしいやん。」
と言ってたことを思い出した。
ああ
この子は
打算だとか見返りを求めない子なのね
自分が損するばかりでイヤだなあ
とかといった思いをしないタイプの人間なんだなって思った。
ちょっとヤンキーぽくって
バカっぽかったのだけれど、笑。
ぼくは見かけが、賢そうな子がダメで
バカっぽくなければ魅力を感じないんやけど
ほんとのバカはだめで
その子もけっしてバカじゃなかった。
顔はおバカって感じだったけど。

本当の親切とは
親切にするなどとは
考えもせずに
行われるものだ。
           (老子)



つぎの詩集に収録する詩を読み直してたら、西寺郷太ちゃんの名前を間違えてた。

『The Things We Do For Love。』を読み直してたら
郷太ちゃんの「ゴー」を「豪」にしてた。
気がついてよかった。
ツイッターでフォローしてくれてるんだけど
ノーナ・リーブズのリーダーで
いまの日本で、ぼくの知るかぎりでは、唯一の天才作曲家で
声もすばらしい。
ところで数ヶ月前
某所である青年に出会い
「もしかして、きみ、西寺郷太くん?」
ってたずねたことがあって
メイクラブしたあと
そのあとお好み焼き屋でお酒も飲んだのだけれど
ああ
これは、ヒロくんパターンね
彼も作曲家だった。
西寺郷太そっくりで
彼と出会ってすぐに
郷太ちゃんのほうから
ツイッターをフォローしてくれたので
いまだに、それを疑ってるんだけど
「違います。」
って、言われて、でも
そっくりだった。
違うんだろうけれどね。
話を聞くと
福岡に行ってたらしいから。
ちょっと前まで。
福岡の話は面白かった。
フンドシ・バーで
「フンドシになって。」
って店のマスターに言われて
なったら、まわりじゅうからお酒がふるまわれて
それで、ベロンベロンになって酔ったら
さわりまくられて、裸にされたって。
手足を振り回して暴れまくったって。
たしかにはげしい気性をしてそうだった。
ぼくに
「芸術家だったら、売れなきゃいけません。」
「田中さんをけなす人がいたら、
 そのひとは田中さんを宣伝してくれてるんですよ。
 そうでしょ? そう考えられませんか?」
ぼくよりずっと若いのに、賢いことを言うなあって思った。
ひとつ目の言葉には納得できないけど。
26歳か。
CMの曲を書いたり
バンド活動もしてるって言ってたなあ。
CMはコンペだって。
コンペって聞くと、うへ〜って思っちゃう。
芸術のわからないクズのような連中が
うるさく言う感じ。
そうそう
作曲家っていえば
むかし付き合ってたタンタンも有名なアーティストの曲を書いていた。
聞いてびっくりした。
シンガーソングライターってことになってる連中の
多くがゴーストライターを持ってるなんてね。
ひどい話だ。
ぼくの耳には、タンタンの曲は、どれも同じように聞こえたけど。
そういえば
CMで流れていた
伊藤ハムかな
あの太い声は印象的だった。
そのR&Bを歌っていた歌手とも付き合ってたけれど
後輩から言い寄られて困ったって言ってたけど
カミングアウトしたらいいのに。
「きみはタイプじゃないよ。」って。
もっとラフに生きればいのに。
タンタンどうしてるだろ。



アメリカ。

ノブユキ
「しょうもない人生してる。」
何年ぶりやろか。
「すぐにわかった?」
「わかった。」
「そしたら、なんで避けたん?」
「相方といっしょにきてるから。」
アメリカ。
ぼくが28歳で
ノブユキは20歳やったやろうか。
はじめて会ったとき
ぼくが手をにぎったら
その手を振り払って
もう一度、手をにぎったら、にぎり返してきた。
「5年ぶり?」
「それぐらいかな。」
シアトルの大学にいたノブユキと
付き合ってた3年くらいのことが
きょう、日知庵から帰る途中
西大路松原から見た
月の光が思い出させてくれた。
アメリカ。
「ごめんね。」
「いいよ。ノブユキが幸せやったらええんよ。」
「ごめんね。」
「いいよ、ノブユキが幸せやったらええんよ。」
アメリカ。
ノブちん。
「しょうもない人生してる。」
「どこがしょうもないねん?」
西大路松原から見た
月の光が思い出させてくれた。
アメリカ。
「どこの窓から見ても
 すっごいきれいな夕焼けやねんけど
 毎日見てたら、感動せえへんようになるよ。」
ノブユキ。
歯磨き。
紙飛行機。
「しょうもない人生してる。」
「どこがしょうもないねん?」
「ごめんね。」
「いいよ、ノブユキが幸せやったらええんよ。」
アメリカ。
シアトル。
「ごめんね。」
「ごめんね。」



偶然。

職員室で
あれは、夏休みまえだったから
たぶん、ことしの6月あたりだと思うのだけれど
斜め前に坐ってらっしゃった岸田先生が
「先生は、P・D・ジェイムズをお読みになったことがございますか?」
とおっしゃったので、いいえ、とお返事差し上げると
机越しにさっと身を乗り出されて、ぼくに、1冊の文庫本を手渡されたのだった。
「ぜひ、お読みになってください。」
いつもの輝く知性にあふれた笑顔で、そうおっしゃたのだった。
ぼくが受け取った文庫本には、
『ナイチンゲールの屍衣』というタイトルがついていた。
帰りの電車のなかで読みはじめたのだが
情景描写がとにかく細かくて
またそれが的確で鮮明な印象を与えるものだったのだが
J・G・バラードの最良の作品に匹敵するくらいに精密に映像を喚起させる
そのすぐれた描写の連続に、たちまち魅了されていったのであった。
あれから半年近くになるが
きょうも、もう7、8冊めだと思うが
ジェイムズの『皮膚の下の頭蓋骨』を読んでいて
読みすすめるのがもったいないぐらいにすばらしい
情景描写と人物造形の力に圧倒されていたのであった。
彼女の小説は、手に入れるのが、それほど困難ではなく
しかも安く手に入るものが多く、
ぼくもあと1冊でコンプリートである。
いちばん古書値の高いものをまだ入手していないのだが
『神学校の死』というタイトルのもので
それでも、2000円ほどである。
彼女の小説の多くを、100円から200円で手に入れた。
平均しても、せいぜい、300円から400円といったところだろう。
送料のほうが高いことが、しばしばだった。
いちばんうれしかったのは
105円でブックオフで
『策謀と欲望』を手に入れたときだろうか。
それを手に入れる前日か前々日に
居眠りしていて
ヤフオクで落札し忘れていたものだったからである。
そのときの金額が、100円だっただろうか。
いまでは、その金額でヤフオクに出てはいないが
きっと、ぼくが眠っているあいだに、だれかが落札したのだろうけれど
送料なしで、ぼくは、まっさらに近いよい状態の『策謀と欲望』を
105円で手に入れることができて
その日は、上機嫌で、自転車に乗りまわっていたのであった。
6時間近く、通ったことのない道を自転車を走らせながら
何軒かの大型古書店をまわっていたのであった。
きょうは、昼間、長時間にわたって居眠りしていたので
これから読書をしようと思っている。
もちろん、『皮膚の下の頭蓋骨』のつづきを。
岸田先生が、なぜ、ぼくに、ジェイムズの本を紹介してくださったのか
お聞きしたことがあった。
そのとき、こうお返事くださったことを記憶している。
「きっと、お好きになられると思ったのですよ。」
もうじき、50歳にぼくはなるのだけれど
この齢でジェイムズの本に出合ってよかったと思う。
ジェイムズの描写力を味わえるのは
ある年齢を超えないと無理なような気がするのだ。
偶然。
さまざまな偶然が、ぼくを魅了してきた。
これからも、さまざまな偶然が、ぼくを魅了するだろう。
偶然。
さまざまな偶然が、ぼくをつくってきた。
これからも、さまざまな偶然が、ぼくをつくるだろう。
若いときには、齢をとるということは
才能を減少させることだと思い込んでいた。
記憶力が減少して、みじめな思いをすると思っていた。
見かけが悪くなり、もてなくなると思っていた。
どれも間違っていた。
頭はより冴えて
さまざまな記憶を結びつけ
見かけは、もう性欲をものともしないものとなり
やってくる多くの偶然に対して
それを受け止めるだけの能力を身につけることができたのだった。
長く生きること。
むかしは、そのことに意義を見いだせなかった。
いまは
長く生きていくことで
どれだけ多くの偶然を引き寄せ
自分のものにしていくかと
興味しんしんである。
読書を再開しよう。
読書のなかにある偶然もまた
ぼくを変える力があるのだ。


骨。

  田中宏輔






どの、骨で
鳥をつくらうか。

どの、骨で
鳥をつくらうか。

手棒(てんぼう)の、骨で
鳥をつくらう。

その、指は
翼となる。

その、甲は
胸となる。

鳥の、姿に似せて
骨を繋ぐ。

白い、骨で
鳥をこしらへる。

白い、骨の
鳥ができあがる。

その、骨は
飛ばない。

石の、やうに
じつとしてゐる。

石の、やうに
じつとしてゐる。

首の、ない
鳥だ。


II

どの、骨で
蛇をつくらうか。

どの、骨で
蛇をつくらうか。

傴僂(せむし)の、骨で
蛇をつくらう。

その、椎骨は
背骨となる。

どの、椎骨も
背骨となる。

蛇の、姿に似せて
骨を繋ぐ。

白い、骨で
蛇をこしらへる。

白い、骨の
蛇ができあがる。

その、骨は
這はない。

石の、やうに
じつとしてゐる。

石の、やうに
じつとしてゐる。

首の、ない
蛇だ。


III

どの、骨で
魚をつくらうか。

どの、骨で
魚をつくらうか。

蝦足(えびあし)の、骨で
魚をつくらう。

その、踝は
背鰭となる。

その、足指は
尾鰭となる。

魚の、姿に似せて
骨を繋ぐ。

白い、骨で
魚をこしらへる。

白い、骨の
魚ができあがる。

その、骨は
泳がない。

石の、やうに
じつとしてゐる。

石の、やうに
じつとしてゐる。

首の、ない
魚だ。


IV

どの、骨で
神殿をつくらうか。

どの、骨で
神殿をつくらうか。

骨無(ほねなし)の、骨で
神殿をつくらう。

その、肋骨(あばらぼね)は
屋根となる。

その、椎骨は
柱となる。

神殿の、形に似せて
骨を繋ぐ。

白い、骨で
神殿をこしらへる。

白い、骨の
神殿ができあがる。

この、神殿は
不具のもの。

この、神殿は
不具の者たちのもの。

来(こ)よ、来たれ
不具の骨たちよ。

纏つた、肉を
引き剥がし。

縺れた、血管(ちくだ)を
引きちぎり。

ここに、来て
objetとなるがよい。

ここに、来て
objetとなるがよい。




それらは、分骨された
片端の骨鎖(ほねぐさり)。

その、生誕は
呪ひ。

その、死は
祝福。

その、屍骨(しかばね)は
埋葬されず。

糞の、門の外に
棄てられる。

或は、生きたまま
火にくべられる。

片端の骨鎖(ほねぐさり)、
骨格畸形のobjet。

骨を、割き
骨を砕く。

骨を、接ぎ
骨を繋ぐ。

白い、骨で
objetをこしらへる。

白い、骨の
objetができあがる。

その、骨は
動かない。

なにを、する
こともない。

なにを、する
こともない。

神に、祈る
こともない。

神に、祈る
こともない。

石の、やうに
じつとしてゐる。

石の、やうに
じつとしてゐる。

首の、ない
objetだ。


コードネームはカモメ

  草野大悟

おかあさんも
おとうさんも
おばあちゃんも
おじいちゃんも
あたしのことを そうよぶ

どこかの国のエージャントみたいで
ちょっと気にいっているんだ

そういえば
おかあさんも
おばあちゃんも
カモメを 飼っているみたい
なんとなく わかる


あたしのしごとは
パキラをやっつけたり
   うしろに立たれるのは大嫌い
おかあさんの髪ひっぱったり
男の子をけとばしたり
広告の紙をぐちゃぐちゃにしたり
いろいろあるんだけれど
いちばん気にいっていのは
やっぱ
男の子をけとばして
ピーピーいわせること
   男の子 強ぶってるくせに よわっちい
   あたしの かかとおとち(し)は すごいのだ
ごん、と けってやると
すぐにピーピー泣くので
この任務を
   Jobごんピー
と名付けているわ

でも 最近
男の子のおかあぁさんたちがバリヤーはるので
Jobごんピーの成功率が下がってきた
けど、めげない
それが あたしだって いっつも あたしのなかのカモメが言うもの

今日だって
男の子のおかあさんのバリヤー突破して
ピーピー泣かせてやった
男の子のおかあさんは
ものすごい顔して あたしをにらんだけど だいじょうぶ
むじゃきをよそおって
なんなくのりこえた
    けっこう得意なんだ
    むじゃきをよそうおうの


いま、つぎの任務にそなえて
ほふくぜんしんの訓練をしている
    これって けっこう体力つかうし
    あたし的には あんまり 訓練の必要性も
    かんじてないんだけどね ほら、あれよ
    上からの指令っていうの? あれ
だから やる気あるようにみせて 手抜きしている
    手抜きも得意だよ


まいにち 超いそがしいあたしの ただひとつの息抜きは
おふろと湯上がりの一杯ね やっぱ

あたし けっこういけるくちで
ぐびぐび飲んでやるの
そうしてるうちに
一日のつかれが すーっとぬけて すやすや眠れるの
だって いつ 例の、「上からの指令」がきて 任務につくかわからないじゃない
寝れるときにネル
これよ。


このまえは午前三時まで目をぱっちりみひらいて任務を完遂したわ
おかあさんも なんか つきあってくれてたみたいだけど よくわからない


わたしはテルマ
コードネーム カモメ
青空の はるかかなたからやってきた眉毛


うふっ  

  


火の始末

  Q

皿の上に蜘蛛が上る。蜘蛛は無数に口を開き、小蝿を吐き出し、一匹が女の陰毛に止まって宿をとる。
蜘蛛が上った皿は、女の頭めがけて投げつけられ、割れる。こんなことはあたりまえだ、と一人の男が蝿に語りかける。
男の奥歯の影で、ヘルペスが花開く、彼の口はもう毎晩、ほかの男達の歓喜の中で、水泡がはじける。
水泡の中に、多くの子供達。お前らの子供だ、みてみろ、こんなにも醜い!
体も頭もあったもんじゃない、どろどろの中に、腐った魂がへばりついてようやく、生きているだけだ!
排水溝で、せいぜいもがきくるしんで死ぬだろうよ、女や男の髪の毛を衣にして、ながされるだろうよ。

貴方からの終わりのない、
暴力の、あたたかさ、
と、女が言うので、
思いっきり頭をなでててやった、
お前の尻はいつでも、青ざめて、
天使どもがまともに堕落でもできずに、
酒場で酔っ払っているように、
「私は神に給仕した」と、叫ぶ天使の、
肌の黒いこと、あいつは、クロンボ、
アフリカの大地で、真っ黒焦げにこげちまって、
もう、白にはなれないだってよ、
そんな与太話は聞きたくないってか、
くだらない、くだらない、あまりにもくだらないって、
蝶々が言うから、羽をむしって、女の頭に髪飾りとして
くれてやって、奴は妊娠しやがったんだよ!
妊娠したが最後、女の腹を祝福でみたせってもんで、
酒場中の酔っ払った天使どもが、女のあそこにキスさせてくれって
大騒ぎだ、
あいつらは、絶頂をしらないのさ、
いつも、祝福に満たされて、インポなんだよ、
神は、あいつらに絶頂をあたえなかった、
だけど、俺たちには与えた、
そして、最後にはそれも全部奪い去りやがる、
まとめて全部だ、よぼよぼになったじじいどもが、
女の肌に触るだけで満足するように、
天使どもは、いつだってじじいなんだ、
やつらは、乞食、俺達の、絶頂を見つめては、記憶の中で、
拾い集めて喜んでやがる、

「ねぇ、君の、三丁目は、
 夕日の中で、夕日の中で!」
「君らの日本語はあまりにも、
 潔癖症だから、私のこの、
 肉体はいつだって、存在しない、
 ことを前提に、便器の上で、上で!unnko!」
「山ちゃんは、三陸海岸の、ヒットラー!」
「鬼ごっこさせて、ベネチアを、下る」
「日本語について、まじめに答えよう」
「日本語には、体が無い、肉体が無い」
「夜は、曙、昼は水鳥」
「引用される、私の身体」
「へーどれがどうしたの」
「ここからは工場の映画」
「煙はずっと、くだをまいて、世界中のヤクザどもの、
 千の涙を集めて、君は」
「ずっと風になる」
「風になったまま、私達は」
「いつだって、ここからは、工場の映画」
「煙はずっと私達の肺を満たして、」

ぼくはですね、(そう、朴訥に!とってもお上手なお前!百点だ!)
はっきりいますが、日本語が大嫌いなんですよ、
この不器用な言葉が、いつだって、
草葉の陰で、泣いているのを、
「うえーんうえーん」
と、「はは」
「はははははは」

「まーたん、まーたん」
「夕日の中で、あんな糞みたいな
 三丁目は、燃やしちゃおうよ」
「にくまんの額に、キンニクマンが、降りてきて、
 そして、星の王子は、三回もおねしょをしたんだって、
 だから、彼の髪の毛は金髪で」
「うるさい、黙れ」
「孤独は依然として、瓶にそそがれたまま」
そして何度も「私は」「私は」を繰り返す、
「さやちゃん!」

もくもく、煙、どこまでも、
煙のない、土地、
砂漠は、夜の貴方のためにある、
「えー、はやこちゃん」

「明るいね」
「冷蔵庫も、扇風機も、すべてが明るいね」
「ここにある言葉は全部がらくただけど、」
「それが明るいね」
「優しい言葉を」
「うるせぇ!世界中のろくでなしが、
 まとめてかかってきても、
 逃げちゃうから!」

そして、きぶんが落ち込むんです、(唐突にですよ、唐突にですよ!)

チュルクン、
苦し紛れに、
パータ、と、倒れる、
事への、「傍観」
が、百回、

水平線で、捻じ曲がる、
牛乳、

クマルリ、
瞬きの、パチャへの、
冒頭からの引用が、
千度、

教室を開こう、
塗りつぶされたばかりの、
床に、広がる、
光の中で、
果実が実る、
都市が実る、

「わーい、わーい」

「ょ、ってつけたらかわいくなるって思ってる
 糞みたいな書き手を全部ぶっ殺したい
こんな俗っぽい本音を正当化するために、
長々と書くんですよ!
分かりますか、諸君、世界は、くだらない
描写で埋め尽くされて、
まさに、ウンコカスですよ、諸君!」

ここから拾い始める、
あらゆる都市の、
中で、歌われる惨禍の、
始まりを、

あなた、おまえ、
わたし、の、
口に、

ここには、灰がない、

「ねぇねぇ。とりあえず、ょ、ってつかってみよっか」
「わたしぃ、あなたのことがだいすきだょ!」
「汚物は消毒だコラ!」

土の中に、
埋められた、震災の犠牲者のその瞳が、
いっせいに、この、東京の、
道路やビルの壁に花開いたら、
きっと多くの人が、気持ち悪いって言って、
逃げ出すだろうけど、
正直、そんな風景を望んでいる

ぼーいみーつがーるに、
らぶあんどぴーすの、
壮絶なる全生命体への復讐劇を待ち望んでいるんですよ、

はらきりさんまの、
金閣寺!

めのなかに、
あるゆきの、
ふしぎなあたたかさの、
おわりから、
はじまって、
ずっとはじまりのない、
このりょうど、

―ユートピア

「ここは、星座の始まり」
「貴方の終わりの無い暴力からはじまる」
「紙はもうとっくに、真っ黒でいつも真っ白」
「貴方は、過去形に彩られた、星座」
「流れ星は、少しばかりの母」
「恒星の、物語」
「ずっと飛来する、ばかりで、
「飛ばないことだけを、
「括弧を決して、閉じない
「教室は、いつのまにか、
「教師達ばかりで満たされ


プゲラ、ウンチョ!
モスキート!フルスコバッコ!


この放送は江戸川の腐った香りのする、
松戸の安アパートから!


駅構内に点在する、空白地帯、
浮浪者たちが、我が物顔で、
座り込む、連絡口の、
壁面に飾られた、市民の、
優しい絵、

おい、お前らとりあえず、
手芸でもやろうぜ!
みたいな、そういう、口笛の間に、

奈々子
「生まれて26年、ぶっちぎりの処女」
つとむ
「生まれて30年、ぶっちぎりの童貞」
山崎
「世界が球体としての意味を失った時、
 僕の包茎は、初めてやさしく開かれる」
まさと
「俺が、ろくでもない暴力を、振るう時、
 世界はこっそり泣いてくれる」
ゆうじ
「ギャルをナンパして、シカトされときに、
 浴びせる罵声の心地よさ」
りな
「公園の砂が、決して海の砂でないのは、そこに、
 子供達の汗と一緒に、犬のウンコが入っていて、
 それを掛け合いながらも笑い合っている子供達の
 笑顔があるから」
まな
「私が双子でなかった、きっと世界の均衡は、
 とっくの昔に失われていて・・・」
ベンヤミン
「同時にまた、もしかするとその付加語は、その
 要求に応じられているであろうもうひとつの領域
 、神の記憶という領域への、指示を内包しているかもしれない。」
ワンピース第612話の人魚達
(何が入っているのかしら・・・)
(宝物なら宝箱でしょ?大切な樽なら高級酒でしょ?)
総合英語Forest P354
―この日本語を否定文にしなさいと言われたら、一番最後に否定表現を加えて
「ぼくはおなかがすい"ていない"」


ぼくはおなかがすいていない
ぼくは、けっしておなかがすいてはいない、

大岡昇平―差別・その根源を問う(上)―
「人間性を失っても、やはり現実には人間ですよ。
 ただその場合にも、強いていえば、差別がある。
 篭城でも、飢饉の場合も、まず、女子どもが食われる。
 フィリピンでも、日本兵はまず敵であり、また弱いフィリピン
 人を、しかも女をと考える。」

たのしいおりがみ135 日本折紙協会 P274
おにの折り方のページから
「人が想像してつくりだしたおには、きばやつのがあって、
 おそろしいかいぶつとされているんだよ。」


ここまで読んでくれてご苦労様


金曜日

  ゼッケン

おれに運転されるタクシーはブレーキペダルを踏まれることなく前方の路肩に停止したバンの後部に追突した
つまりおれはわざとぶつかった、わざととは明確な目的があったという意味だ、ふたりの男がひとりの子供をクルマに連れ込もうとしているのを見たら、
タクシードライバーならそうする、うしろの客がわめいたのでおれは振り返ってパンチして黙らせる
客にパンチしたのはこのときすでにおれが並みのタクシードライバーではなくなっていたからだ
運転席から降りたとき、男のひとりが腰の裏側に手をまわしたのが見えた、刃物だろうか
銃かもしれない
おれは跳躍し、タクシーの車体を飛び越えて男の背後に降り立つと男が振り向く前にその首に腕をまわし、頚椎を脱臼させる
倒れた男が握っていたのは手錠だった、子供に手錠をかけるつもりだったのかと思うと吐き気がしたので痙攣する男の後頭部を思い切り踏みつける
あっけにとられていたもうひとりの男がようやく動いたことを背後の気配で感知し、間合いに入ったところでおれの後ろ回し蹴りの餌食にする
子供の手をとり、タクシーの助手席に乗せるとおれたちは出発した
背後に遠ざかるバンの運転席に座った男たちの仲間が無線機に向かってなにか喋っているのをバックミラーで確認したおれは
タクシーに備え付けた暗号解読無線を使って男たちの会話を傍受する
男たちはヤクザでもケーサツでもなく自衛隊だった
おまえ、何者だ?
けっきょくおれは子供にきいた
もと金融破壊兵器。ある種の直感に優れた子供たちに相場を張らせていた、これがよく当たるという評判がひそかに広がり、
大手の顧客が続々ついたところで予想を外す、評判も意図的に流したものであり、計画的にある層を破滅させたわけだった
子供は、用済みになったので始末されるところを逃げ出したのだという
こうなることは分かっていたの、だってぼくのは本物の予知能力だったんだもの
おれが現れることも分かっていたのか?
あなたの名前はジョーンズ、でも、あなた、が何者なのかは知らない、ぼくの予知はここで終わっちゃった、あなたに会って終わり。ぼくは死ぬの?
ジョーンズ調査官、
うしろの客が白目を剥いたまま、声帯だけを震わせる
いつになったら本部に向かうのかね? 
おれは催促され仕方なくギアをトップに入れる
タクシーは大気圏から脱出する、おれは助手席の子供に言った
おれたちは光速を越えてるからな、予知なんかできないさ、わくわくするだろ?
子供はえへへと笑った
やったね、生まれたときからずっとこうなる気がしてたんだ、これは予知なんかじゃないんだけど、子供はおれにウインクを返してよこした


祈り

  葛西佑也

信頼するということを知らずに
疑うと言うことを知らずに
私は大人になってしまった
スプーンで砂糖を山もりに掬って
さらさら、さらさらと
ティーカップの中に落とし込んでいく
広がる香りの豊かさは
人格の貧弱さを補うものではなく、
私とあなたの距離感を忘れさせてくれる
世間一般の癒しのようであって、
覚めてはいない夢の続きのようなものであった

お父さん、お母さん、ごめんなさい
私のような不孝な息子は
いっそ死んだ方がよいのです
今度満月を目撃したなら
私は私の命を絶ちかねないのです
ごめんなさい
お父さん、お母さん、
私は心の中で、地面に額をついて
謝罪しているのです
このトレンチコートは、
おじい様とおばあ様のお仏壇に捧げたいと
本心から考えております
今度、銀座でお線香を買ってまいります
すべては今さらですが
雨の日に濡れて歩いてから
傘をさし始めるのが私と言う人間なのです
人は私を馬鹿だと言うこともあります
雪道を革靴で歩いて
中まで染みる、靴はダメになる
凍え死にそうになると
自業自得の災難に遭遇することなど日常茶飯事なのでした

異国のパリと言う街に暮らす友人に
今度パリに行くから案内を頼むと伝えたら
君にはパリは危険だから
やめておいたほうがよいでしょう
代わりにドライフラワーを差し上げますと
水分を思い切り奪われた
死んだ花を贈られた
誠実に贈られた、その死物は
私の部屋に飾られて
一緒に寝ていたあの人が
きれいなお花だね
とつぶやいてくれたことが原因で
もう二度とその人と会うことはなかったのでした

一緒に暮らそうよ
玄関にはいつも新鮮な花を飾るんだ
気持ちがよいからね
それと、お気に入りのアロマをたこうよ
家具も選びに行かないと
IKEAがいいよねきっと
一瞬、それらすべての台詞が
古びたラジオから聞こえてくるような気がして
私はラジオの音量調節のためのつまみを
親指を人差指とで挟み込み
少しずつ少しずつひねっていくのでした
それと同時にこの数カ月の出来事を思い出していくのです
私の罪深い人生のうちの数カ月はラジオの音と同じように
小さくなっていくのです
結局、無責任な人間なのでした
知らない人からの手紙をシュレッダーにかけました
それは何かへの別れだったのです
あるいは、別れたつもりだったのです
しかし、このことは私だけの秘密です
決して口外してはなりません

トレンチコートの裏地は宇宙の柄でした。
それは紛れもなく、星々でありました
手を伸ばせば届くものでした
気がつかないほどに薄いシミが
美しい裏地を汚しています。


屋上からの景色

  美裏

わたしたちの学校の屋上はあらかじめ封鎖されていた
高さがあり
そこから落下すると危険だからという正当な理由がある
しかしそれに伴う閉塞感をどう考えてるのかね、あんたたちは
「落ちるなら、ここではない別の場所からやってくれ」
結局、おとなってのはそんな生き物なんだね
わたしたちが落ちるか落ちないかは関係ない
わたしたちのピュアを斜め横からズタズタに切り刻むな

屋上へと続く鉄の扉
そこには魔術師による結界が敷かれているわけではない
ただ100均、辺りに置いてあるちゃっちい南京錠がぶら下がっているだけだ
だから結局、問題はわたしたち自身なんだとも言える
その気になればいいだけなのかもしれない
やってみる?
やってみようよ
じゃあ来週にね
そして、その来週に
わたしたちは焼きそばパンをお口に突っ込んで自殺したい気分のままだった
「起きろって、屋上の南京錠、突破するんだろ?」
何いってんだこいつ………
と顔をしかめた後
思い出した
あそうだったね
わたしはなんだか自分が英米小説のような世界へ足を突っ込んでしまった気がしていた
「サリンジャーって知ってる?」
わたしは机にうりゃーって背伸びして言った
友人は
「名前だけね」
と言った
「初めてサリンを作った人なんだよ」
わたしは嘘情報を友人に仕込む
「へー………それ嘘じゃん」
すぐバレた
そしてその後なんのフォローもしないままわたしは立ち上がった
廊下を歩いた
友人はてくてく付いてきた
階段をせっせと上がる
辺りに、だあれもいなくなる
扉は簡単に空いたよ
なぜなら鍵があるからね
4時間目の体育が始まる前にわたしたちは体育倉庫の鍵をもらいに職員室に行った
そこで体育のヒゲちゃんは自分のクラスの日誌に何かを書き込みながら言った
「あー、そこに掛かってるから取ってけ」
観音開きって言うの?
その中には我が校のキーがずらり
この学校の安全に対する認識の高さに乾杯
「乾杯!」
そうしてカルピスなんとかをぐびぐび飲んだのがさっきの昼食ってわけ

ギギイと錆び付いた音を立て扉が開いた
その先に広がる屋上の景色
「おおうっ」
わたしは強風にスカートをはためかせその中を歩いた
(髪形が多分すごいことになってるな………)
だがどうでもいい
「いーっすね」
端まで来てそこに腕をつき、見慣れた校庭を不思議な角度から眺めていた
友人のポケットから出ているストラップは桃色の見たこともないキャラで
それがあっちこっちに勢いまかせで揺れていた

たった一度のことだったんだけど
わたしはこの日のことをよく覚えている
そしてあの日、屋上から見下ろした校庭で
ちっちゃくバレーボールをしていた人たちは
今はどこで何をしてるのかな?
とかよく思うよ


唇に夕日

  鈴屋


真昼
漆黒の青空 海と陸あり                          
日傘をかたむけ
唇が わらう

一度 世界を かき消し
窓は ガラスでつくる
ドアは 背後を切りぬき 地平線は ひっ掻く 
心は 草を編んだ籠のごときもの  
椅子とテーブルは 置かない

非常に悲しい 午後の 
唇は

管弦楽を聴き
白湯をすすり 温まり 
祈ってはならない 実務をなせ 
受話器をとり 箱を運び 伝票を集計し ファックスを送り  
タバコを吸い ルージュをひきなおし 
白紙に歳月を刻み 昨日今日 健全に生きている者は 死者を統計する
うしろ手にドアを閉め 
唇は 空を吸う

夕日
ニセアカシアが匂う河原で 
小石を拾い
まるみ ざらつき 重さを 指に覚え 捨てる
捨てた石は石にまぎれ 澄ましていて 
わからなくなる
夕日
死者は 汀によこたわり 
瞳の砂を 水が洗う 
紫色の空 黄金の船団 
眼差しは せめて ひとときを さかしまの海に遊ぶ
死ぬこととは腐敗すること

腐敗する 春 
唇に夕日
橋上にテールランプがならび
工場とオフィスが おびただしい人影を排出する 
駅前では バスがどこかへ去り 臓物が焼け 煙は夕日にほのぼの染まり 
とある 神秘的な静けさ 
まさか 明日を 信仰するとは まさか しないとは

五月こそ 
とくべつの青空
唇は
タバコを吸い付け
となりの粗野な堅い唇に そっと差し込む 
ルージュの甘い残り香 
新緑の山裾 消えのこる雪の山岳 
街道を内陸へひた走る 大型トラックの 
運転席でのこと


静物とは言い切れない一連の様態

  右肩

 今日、焼かれた鰤の死骸を箸でちぎり口へ。米粒と一緒に切断し、擂り潰す。さらに擂り潰して、嚥下。消化と言われる活動が始まる。消化、という言葉で理解される一連の活動全体に、不安が兆している。言葉は総て不安なのだから、と納得して立ち上がろうとしたら、すでにもう一人の僕が立ち上がっていた。それが肉体である。

 明治時代に爆殺された兵隊の、指のかけらが頭の中に転がる。

 おとといは挽きつぶされた牛の肉が、刻まれたたまねぎと一緒に自分の手でこねられるのをじっと見た。その後、強い熱を加えた。それがその時の僕だった。加熱される肉とたまねぎを見ていると、顔が火照り、刺激臭を感ずる。夢幻の大地が割れて崩れた。死んだ牛も僕自身も既に幾つかに割られているが、そのことは牛はもちろん、僕にも他の何かにも全く影響を与えない。

 ピュッと短く指笛が鳴った。此岸と彼岸。二枚の世界を貫通すべく飛来する、矢羽根の音。

 TVではピアニストの指が直線的運動を反復する。だが、今この瞬間のどこにも音楽はない、と考えている僕。「ピアノは0.3光年ほど先、銀河系内を震えながら漂流している。」と書いても、その中途半端な現実性が僕を苦しめるだろう。だが、書く。真空。加熱と冷却、宇宙線、重力の作用などにより、ピとアになってノを生まぬまま、つまりピアノだったものが、ピアノになれないまま空間を彷徨している。そう書いて「確かにそうだ」と確信してしまったとき、僕は静止していた。ほんの一瞬だが、幸せなことに僕は一切動いていなかった。

 平坦な雲の大陸。太陽が裏側に回ると、その疎密や濃淡が過度に明晰に浮き上がる。

 花は視覚を持たない。自分の色を色としては知覚していない。視覚以外のすべての感覚においても、人間とは異なった自己認識で世界を構成している。
  藤波の宙を飛びかふ眼や無数
植物に限らず、他の生物と人間は決定的にずれた世界を共有している。三日前この句を作ったとき、僕は藤の花になって世界を知覚した。「飛びかふ眼」とは、藤の花の意識が捉えた外部世界を人間の意識に翻訳し、そこへ仮定的に言葉を割り当てたものだ。

 月面には石と記憶が転がっている。見分けがつきにくいが、記憶には総て血が付着している。

 やがて死ぬ指が、やがて死ぬ胸へ動いて、やがて死ぬ乳首へ隆起をたどった。やがて死ぬ者がやがて死ぬ者へ、やがて死ぬ声を上げた。やがて死ぬ感情。感情とも言えぬ感情から、やがて死ぬ者を産み落とすために僕は生きる。この日、シーツに転がる重量は、やがて別の重量に換算されて死にます。
 やがて乾いてしまう汗。やがて拭われてしまう愛液、脳内分泌物。よかった、と津田さんは言いました。気持ちいいと。
 総て嘘だった。カラッとした濁りなき空気が空間をかたちづくる、例のあそこへと、やがて僕ら、みな走る。ステンレスのシンクの排水溝へ、引き寄せられて滴が一滴また二滴と走る。
 パイプの向こう側のあそこについて、「きっちりした場所です。あなたはわかっているはずです」と津田さんは言い、ほら、と足の間の尿道口や膣口や肛門を開いて見せる。やがて死ぬものたちの、やがて死ぬための直截な営み。僕は僕の総ての骨格の現在形を意識しながら、股間へ屈み込んだ。それはやがて死ぬ者がやがて死ぬ者として産み落とされてしまったことを、やがて死ぬ者に対し謝罪する姿勢であった。やがて許されるでしょう、と津田さんは言った。

 二十六度の室温、七十一%の湿度、知覚されるものとされないものとその中間との、数十種類の匂いが微かに部屋を満たしている。


#

  天才詩人



#
En aquellos tiempos, las condiciones de sobrevivencia de las comunidades ind〓genas eran terribles: hab〓a una gran distancia cultural entre las poblaciones, eran monoling〓es e incomunicadas. Sin embargo, hab〓a personajes excepcionales de la gran cultura civilizada que no solo ve〓an a los ind〓genas como personas, sino que dedicaron sus esfuerzos para sacarlos del atrazo en que estaban sumergidos ― Sna Jolobil.

##
万博跡地を見下ろすニュータウンの夕暮れ、西日の射すアパートメントの固い床にうずくまる。煙草に火をつけ、ススキ野を隔てた、新御堂筋の高速を、微塵を散らしながら北に向かう自動車の音が、空気中に乾いたストライプを描く、その音が耳の奥で響き続ける。何時ごろ眠りにおちたのか記憶にない。太陽が高くのぼるころ、ジャージ姿で、坂の下のカーブした道にある、酒屋の自販機でショートホープを2パック買って、ポケットにしまう。机の上に足をのばし、散らばった書類の一つを手にとるが、すぐに投げ出してしまう。11月の冷気がハンガーに架かるジャケットの繊維に滞る。午後7時をすぎると、うずくまる場所をもとめて、ひとつ南にある地上駅のインターネットカフェに転がり、一夜を明かした。1999年、夏。当時は目新しかったフラッシュ映像のリンクを、エアコンのノイズのなかで、見る。メールボックスに新着のサインがある。何年も会っていないサークルのともだちのことを考えながら、ふと涙をこぼす。北大阪急行線の、ガラス張りのステーションホールが、淡いひかりで満たされるのを待った、すぐそばの。数時間まえ、日曜大工用の鋭利なかなづちを、東急ハンズで探していた。レジの、エプロンをした、長髪の、無関心な若者の目。僕は。

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商社に勤める友達が、焼肉をおごってくれた、記憶をそっと手のひらに囲いながら、午前4時、北大阪急行の高架ぞいを、90ccのホンダで、雨上がりの路面を、ダッシュした。連立するコンビニのネオンが後背地の暗闇にとびさる。真昼の、無表情な店員の目が頭からはなれない。緑地公園の信号を、右にターンして、寝静まった、白い、密閉型アパートの間の道をのぼる。明日もきっと、昼過ぎに目がさめたら、坂道をおりて、酒屋の自販機の前にたつのだろうか。学校には長いこと行っていない。入学して数日の4月なかば、満開の桜の下で災害が起き、迂回路が閉鎖され、バイクの通行ができなくなった。アパートの部屋で、日が暮れるころ、鮮やかな民族衣装や、お祭りのカラー写真が印刷されたブックレットを、眺めていた。サッシの外のススキ野のむこうでは、2架式の高速道路が、箕面のインターチェンジに向かって、終わることなく伸びている。「お祭りの行列は7月の第三土曜日にはじまり、先住民が最多を占める、その州の中心都市で、催される」、と書いてある。ルーズリーフの余白に、ボールペンで、その部分を小さく書き写す。

####
お祭りや民族に関する、詳しい解説が欲しくなり、クリスマスイヴの日、彼女が尋ねてくる数日前に、90ccのホンダで日暮れどきの新御堂筋を南にくだった。大阪梅田の、半架式の大手書店がならぶエリアで、蛍光灯の明かりの下で、厚めのカタログを数冊、書棚から抜き取った。淀川のライトアップされた橋を、たくさんの高級外車が北に向かって動いていくのを、細長い5階の窓から見る。そのカタログは、これまで僕が持っていた本よりもはるかな上質な画像を、豊富に載せていて、解説文もより詳細だった。僕は、その民族の祭りに、20年以来かかわり続けているというアメリカ人専門家のコラムを、食い入りるように読む。あいにく、読書用のテーブルはすべてふさがっていて、僕は、雨露でぬれたヘルメットをフロアに置くと、ジャンパーを折りたたんで右手にかけ、バランスをとる。時間は午後7時をすぎている。僕は、2冊のうち、青い背表紙の一冊を手にとり、レジにむかった。エスカレーターの銀色のシルエットが、ビルの側面にぼんやり浮かび上がるのを見る。

#####
いったい僕はどこを目指しているのだろう。自分自身に問いかけるが、確固たる答えは返ってこない。たちどまり、ビルの通風口から吹き出るスモークが、地表すりきりにひろがり、みたしていく、その動きを目で追う。南港のイベント会場で、青いビンの、南アフリカ産のワインを、買い、紙袋を抱きかかえて、彼女と店をでる。8両編成の地下鉄には、誰も乗っていない。レストランや、ドラッグストアのブースが並ぶ薄暗い通路を抜けて、別の8両編成に乗り込み、毎日夜を明かすネットカフェのある駅に近づく。電車がゆっくりと黒い水をたたえる淀川の橋をわたる。彼女とは、昨夏いらい会っていなかかったけど、その間少しやつれたように見える。黒い厚手のジャケットのせいかもしれない。僕が毎晩、ネットカフェのブースにこもり、何をするすべもなく、フラッシュ映像を眺めていること。学校の講義にはもう半年以上顔をだしておらず、合格に喜んでくれた両親の顔を見ることは、たぶんもう二度とできないこと。そのことを、A子に、話すわけにはいかない。つり革の向こうには、去年の冬に通っていた、新興住宅地にある、歯科医院の広告。これから、電車を降りて、アパートにたどり着き、ビールを数缶飲んだあと、彼女を冷え切った固い床に押し倒して、キスしたあと、服を脱がせるのだろうか。ポケットに手を突っ込むと、昼間買ったショートホープのパケットが、未開封のまま入っている。

#
Hola, c〓mo has estado? Espero que todo te siga muy bien.
Como te habl〓 la ultima vez, planeo viajar a tu tierra cuanto antes posible.Solo que no puedo decir cuando. Hay vairas cosas que terminar. Y necesito un poco m〓s tiempo para pensar en mis planes de estudio.Pero, cuando todo se haya decidido, te aviso en primero. Sale?


雪解け

  

風が吹けば寒村で白鳥に抱きすくめられた心地がした
雪の気配が眼窩から染み透って次第に声と意味は乖離していった
小鳥のあれは親鳥を求める声なのか
私にはわからないただ私は一羽の白鳥になって
子を持つ親鳥のようにそちらを見やっていた
このごろの古川は雪が降っているか
さもなければ風が強いかだった
雲によって太陽は久しく無力化され
オレンジ色の象徴となって空に浮かんでいた
水面に映った子ども達が
オレンジがどんなものかを身振り手振りでこちらに伝えようとしている
オレンジ色に染め抜かれた木々は
我々とはおそらくちがう雨の予感に揺れている
春風が絶えず肥え太った河の腹を舐めている河原で
雪の塊から毛玉みたいに吐き出された自転車の車輪が
いまだ車輪の形をなして空を向いていた
自転車よ自分はまだ走り続けられると思い込んでいるのか
車輪だけのその姿で
絶えることのない水のほとりで
流行というものをペットボトルのラベルのように剥ぎ取ってしまった透明な人が
もの思いに耽っていたら
後ろから抱きしめてもきっと消えてしまう
水面に映る姿の方がきっと本物だろう


Y.S.L

  葛西佑也

ねぇ、宇宙ってどんなところ?
まあるいの?
ねぇ、宇宙ってどんなところ?
まあるいの?

否。

手におさまってしまうんだよ。
けれども、ものすごく大きくて、
とてもとても手にはおさまらない。
それでも、手におさまってしまうんだよ。

神楽坂で甘味を食べた
あんずあんみつだった
甘味と酸味。
―ねぇ、キスしない?
―それで、そのあとは?
―いいから、ねぇ、ねぇ。

浮き出ている青筋を指でなぞる
小さな山脈の起伏を確認して
あのひとを受け入れる準備を終えた
口の中の渇きが
一瞬で緩和された。
(不釣り合いな宇宙だ!









*ジョン・ガリアーノ(John Galliano)

パリのビッグメゾンのトップデザイナーが
反ユダヤ的発言で警察に連行され
解雇されてしまった
彼を愛してやまない世界中のファンたちが
嘆き悲しみ
世界からまたひとつファンタジーが
奪われてしまったことを
恨んでいるに違いない
むき出しの肉体に花をそえ
ひたすらに賛美する
夢の国からやってきた幾人もの
騎士たちが
たずさえた剣で
観衆を切り刻む
ぼくたちは彼らを美しき海賊と呼ぶことにしよう
そして、
朝にシャワーを浴びて
イニシャルが刻まれた下着を身に付ける
脱衣所にはシダーの香りが充満し
お髭の手入れに余念はない
このファンタジーが
いつまでもさめてくれなければ
さめてくれなければ
誰か骨をひろってやってくれ
お願いですから



*エディ・スリマン(HEDI SLIMANE)

カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)は
彼の作るものを愛してやまず
その愛の証明のために
自らの肉を削った
ぼくたちはエディ、きみに熱狂した
街には枝みたいにほそっこい足して歩く
黒ずくめの若々しい美少年たちが溢れ
彼らは路地裏でキスをしあったのかもしれない
あるいは
お互いに酔い合って人ごみで
溺れて居たのかも知れない
エディ、街はきみのキャンバスだったはずだ
だから写真を撮るのかい?
ちょっとぐらいウェストがきつくたって
我慢できたんだから
帰ってきておくれよ
反骨精神を
美学を与えるだけ与えて
放置だなんて
普通の人がするプレイじゃないよ
恵比寿のバーできみの噂を毎晩のようにした
シャンディガフがおいしかったと思う
それでもぼくは
きみの後継者をきみ以上に
愛しているよ
だから、あるいみ感謝しているんだ
ああ、
たそがれている
知らない海で



*クリス・ヴァン・アッシュ(KRIS VAN ASSCHE)

クラシカルでエレガント
狂おしいほどに美しく、クール
灰色の町から一人おとこが
田舎道を歩いてやって来る
雨は今にも降りそうで決して降ることはなく
そしてぼくとの距離が縮まり
やがて抱擁する
それは日が暮れるまで続き
聞いたこともない異国の言葉を
お互いに耳元でささやき合う
それからお別れの記しに
きみは着ていたフォーマルジャケットを脱いで
ぼくの肩にかけてくれる
背中を押してくれる
もと来た道を引き返す
雨が降り始める、灰色の雨
しかし、世界はこれまでになく明るく
希望に満ちている
ぼくたちはしなやかにしたたかに
生きていける



*ジル・サンダー(JIL SANDER)

女史、あなたが去ってから
ぼくは悲しみ暮れております
女史、あなたがある日本人と握手をかわすと聞き
ぼくは半分嬉しく、半分悲しくなりました
あなたのミニマリズムも受け継いで
ラフ・シモンズ(RAF SIMONS)は素晴らしい仕事をしておりますが
やはり、あの時代が懐かしい
シャツの光沢は
栄光と謙遜の象徴であり
美しくも永遠に未亡人である
かの有名な美女の
憂鬱と自らに対する自信の表れでしょうか
何の変哲もないスーツには
哲学があり
それを纏うことの重圧に
押しつぶされる人がおりました
魂は解放され自由になるのでしょうか?
自分自身を見てほしいのか
この美しき纏いものをみてほしいのか
すべてを錯覚するほどに
絶対的な美しさの前に
ひたすらため息ばかりついたあの日に
戻れますでしょうか
女史



*イヴ・サン・ローラン(Yves saint Laurent)

ああ、あなたは間違いなくひとつの歴史を作った
あなたの遺伝子を受け継いで
さまざまな小宇宙が作られた
愛するトム・フォード(TOM FORD)のリブゴーシュに
トムフォードのあのイタリアのビッグメゾンも
あなたがいなければお目にかかれなかったでしょう
やはりあなたは紛れなくモードの帝王なのです
ぼくがインターネットで最も夢中になったのが
あなたのパリコレクションであり
ぼくに息吹を吹き込み目を輝かせたのも
あなたのパリコレクションでありました
さびれた町のとある一軒家の一室で
この世を去って行ったものの骨をひろう
人生で最も大切な出会いは、自分自身との出会い。
と語り、
映画になって、人生になっても
あなたは風化することがない
永遠に、狂気の中で一緒に踊ってはくださいませんか
ワイングラスにうっすらと
唇の跡が残り
口の中に広がる酸味は
何かを分解した
気がつけばなみだがほほをつたって
ぼくの顔の細胞らしきものが
破壊された
もういちど生まれたい
裸のままで生まれたい
くるおしい。






ジョンガリアーノ
http://www.johngalliano.com/

エディ・スリマン
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カール・ラガーフェルド
http://www.karllagerfeld.com/

クリス・ヴァン・アッシュ
http://www.krisvanassche.com/

ジル・サンダー
http://www.jilsander.com/

ラフ・シモンズ
http://www.rafsimons.com/

イヴ・サン・ローラン
http://www.ysl.com/

トム・フォード
http://www.tomford.com/


テンオアラの嫁

  リンネ



いったいこれは何の会議だろう。何となくではあるが、つい最近もこういった会議に参加した覚えがあるので、きっと自分に無関係ではないはずなのだが、なぜか全く知らない言語で討論が行われていたので、わたしには何も理解できない。それでも、みんなとても粛々と話し合っている雰囲気から察すれば、実に重要な議論が続いていることは感じられる。が、そういった会話も、その意味が分からないわたしにとっては、どうしても動物が囁き合っているくらいにしか思えず、それがあまり滑稽なので、ついうっかり笑ってしまいそうになるのである。もちろん不謹慎であるので、わたしは必死で笑いをおさえている。胃が痙攣して思わず身震いしてしまう。すると、ちょうど向かいの席の女性がわたしのこの状況にいち早く気づいたらしい。さっきからじろじろとこちらを見て、諌めるような顔をしているのがわかる。そうやって目を細めて、口元をきゅっと歪めた彼女を見ていると、なんだか不思議に心が落ち着いてきて、とてもうまく笑いの発作を鎮めることができた。会議はなおも続いているが、わたしの心はすっかり落ちついてしまい、今度はうとうとと眠気に襲われている。向こうに見える女は、その顔をますます歪めて、執拗にわたしを睨み続けている。



今は学校の教室である。何かの授業の最中で、静かにみんな着席している。先生が学生たちに紙を配っている。一枚は白紙で、もう一枚には白黒で花の写真が載っている。「ここに花を描きなさい」と先生がおっしゃった。蓮の花に似た大柄な花ではあったが、見たことのないものだ。早速描き始めるのであるが、どうも写真の印刷が悪く、花の細部を捉えることができない。前の席の方に本物の花を用意しているとのことだったので、席を立って見に行くが、すでに先生と近くにいた学生たちがその花を食べてしまったのだろう、蓮の花托に似た芯の部分が、まるで食べ終わったとうもろこしのようにごろりと転がっていた。先生の口の周りは透明な汁でびしょりと濡れている。先生は教壇の向こうに座って、教室全体を厳粛に監督なさっている。



そしてわたしはどこかの研究所の中、部屋から部屋へと移動を続けている。自分が奥へ進むのをやめるまで部屋は連なっていくのだろうという予感がなんとなく感じられる。ふいに、何の根拠もなく、そろそろ解剖室に行き着くのではないかという気がした。わたしは怖くなって震えながら来た道を引き返していく。背後から自転車に乗った女性が現われて、ぐんぐんと近づいてくる。そのままわたしを追い抜いた。後部の補助席にはなんとも可愛らしい幼児が座っているが、死後しばらくたっているため、石のように固くなって動かない。自転車があまり揺れるので、子供は上下に震動して、補助席から少しずつずり落ちている。母親はますます速度を上げて走っていく。



いま気づいたのだが、自宅の前の通りで映画の撮影をしている。子役の女の子と男性俳優が手を繋いで歩いていく。その後ろから八百万の神さまたちがついて来ている。神々はげっぷのようなうめき声を吐いていて、それにより女の子と俳優の会話が聞こえないが、撮影は中断されることなく続けられている。「これで絶対に平和だ」と誰か言う。



さて、わたしはこの巨大な美術館に立てこもっているはずだが、自分でも居場所が確認できない。外には何万人規模の集団で警察関係者たちが取り囲んでいる。「大変な戦いになる」とその集団を指揮する一人が言う。隊員の一人が、美術館の扉を左右に押し開ける。しかし、押し開けても押し開けても、じゃばらのように新しい扉が繋がり、一向に中へは入れない。むしろそうやってますます美術館に飲み込まれていく。とつぜん、耳鳴りがしたかと思えば、ちょうど手をかけた扉の隙間から白い髭を生やした聖職者の顔が浮かび上がる。それが何かをつぶやいたとたん、隊員は暗闇に吸い込まれるようにして消えてしまった。開かれた扉が今度は次から次へと閉じられていく。最後に聖職者が言う。「ここにいる、死……すると美術館の周りから誰一人残らず消える。わたしは夢が終わるまでひとり静かにどこかでたたずんでいるが、やはりその姿は見えない。」



ところで、わたしはようやく自分の住んでいる集合住宅に到着したのである。五階建ての最上階が自分の住み家だったので、さっそく階段を昇りはじめた。ところが、昇って行くうちにいつのまにかどこかの図書館にいる。私の家はどこへいってしまったのだろうか。とにかく責任者を呼ぼうと名前を叫ぶ。(その名前はもう覚えていない)図書館の住人たちがざわめき始める。館長はすでに何者かによって殺されていたからである。



結局わたしたちは監禁されている。ビー玉のように目のつやつやした女が、鍋の中の沸騰した液体にタオルを浸している。そのタオルが仲間の首元へ押し付けられる。呻く。体が黄色く変色していく。「おまえは自分がなぜ人を殺すのか、考えたことがあるのか」とわたしは女に聞く。「心地よいから」と女。「欲望は決して満たされない」とわたしは言い返す。「本当は四月ごろがよかったんだ。蜂が殺気立ってるからね」悔しがる女。床に日本刀が落ちている。それを取り上げ、女を思いきり切り捨てる。(そのとたん、一緒に捕まっていた子どもたちはどこかへ消えてしまった。)奥の部屋から見知らぬ男が現われる。わたしはもう一度日本刀を握りなおし、その男に立ち向かおうとするが、振り下ろす間際に、自分が持っているものが日本刀ではなく、ただのパン切り包丁だということに気がつく。殺気立つわたしの目の前で、男が静かに怪談話を始める。消えたはずの子どもたちが全員ベランダに立って、こちらを見ている。



気がつけば自宅のリビングである。10cmはあろう巨大な白蟻を追いかけている。幼い妹が危うくそれを踏みつけそうになる。ぼくは妹を叱った。そうこうしているうちに、すでに白蟻は腹を破かれ死んでいる。



見えるだろうか。エスカレーターの途中にバービー人形がいる。エスカレーターのステップは上へ上へと流れていくが、一方の彼女はそれと同じ速さで下りてくるので、常に一定の場所にとどまっている。



見えるだろうか。雨が降ってぬかるんだ道を、一匹の鳩が歩いてくる。片足が折れ、羽があらぬ方向に変形しており、なかなか前に進まない。ついに泥の中に倒れてしまう。そばに直径一メートルくらいの穴があって、鳩は口から細い管を伸ばし、それを使って穴の中を探り始める。すると中から、見たこともないほど巨大なミミズが顔を出した。ほぼ穴を埋めようかというほどの大きさである。鳩は口から伸びた管をミミズの体に差込み、食らいついた。そばにいる人たちに、このことを伝えようと、ぼくは声を出そうとしたが、その間際、ミミズは穴からなめらかに飛び出し、体に鳩を刺したまま、近くにあったスーパーマーケットの中に滑り込んでしまった。



さて、商品陳列棚は壁に沿って置かれている。その隙間から、たくさんの黒人が見える。みんなリンゴのスライスを持っていて、それをこちらへ放り投げてくる。わたしはうまくそれをキャッチして食べる。



そろそろ反対ホームに移ろうと、地下通路をくぐった。階段を上ってホームに出ると、なぜか急な丘の斜面が広がっている。木々が転々と植えられてるが、その合間を、まるで川が流れるようにして上から下へ、線路が引かれていた。どうやら、電車が停車するのはさらに上のほうらしい。通勤するスーツの男女が駆け足で登って、わたしを次々と追い抜いていく。どうしてかみんな後ろ向きで走っていた。もういいだろう、というところでわたしはそれ以上登るのをやめ、電車が来るのを待った。丘の上のほうでは、さきほどの通勤者たちがさらに上を目指しているようだった。電車がこちらへ走ってくるのが見える。しかし、スピードを緩める気配がまるでない。停車場所はここではなかったのだろうか。電車はますます勢いを強めてこちらへ向かってくる。



ここは締め切った部屋にもかかわらず、風がいやな音を立てていた。どこから吹いてくるのだろうか。女の長い髪があれだけ巻き上げられているところからみれば、単なるすきま風ともいえないだろう。「ああ、すいません。うっかり閉め忘れていましたわ」と、女は申し訳なさそうに言い、髪をたなびかせながら部屋の奥へ向かうと、開きっぱなしだった電子レンジの扉を閉めた。その瞬間、風はぴたりとやんだ。



するとプラットホームに一人。乗車して、扉が閉まる。電車は動かない。運転手はいるが、操縦室で向こうを向いたまま微動だにしない。あるいは運転手がいない。自分で発車させる。駅がない、線路だけが延々と続く。



しかたなしに近寄ると、その人だかりの中心に何かが落ちていることが分かった。嘔吐物である。それを見てみんな笑っているが、ぼくはわけも分からず、ただ悪臭だけが気になった。いつのまにか集団が移動し、自分を中心にして人だかりができているのであるが、やはり、ぼくはそれに気づかない。



結局アカムシユスリカをスライドガラス上に乗せ、ピンセットとピンで頭部を引き抜く。するとそれに繋がって引き出る諸器官たち。唾腺のみを残しほかはすべて除去する。1%酢酸オルセイン溶液にて染色後、カバーガラスを乗せ、顕微鏡観察。巨大染色体を見つけ、わたしは笑う。それをもう一度、繰り返す。唾腺のみを残しほかはすべて除去する。1%酢酸オルセイン溶液にて染色後、カバーガラスを乗せ、顕微鏡観察。巨大染色体を見つけ、わたしは嬉々として目を細めている。さて、これをもう一度、繰り返すのである。



見えるだろうか。橋の上から見下ろす町並みが、まるで遠近感を失っている。その色合いも、べた塗りの浮世絵のごとくである。ところがわたしは、この町はおそらく北斎が描いたのだろうと、変に納得してその場を去って行く。



今はぶよぶよとした丸い女と暮らしている。テーブルの上には一升瓶ほどの大きさをした自分の妹が走り回っており、からになったわたしのコップにビールを注いでくれる。



見えるだろうか。空から何か黒くて、たわしほどの大きさの生き物が、五六匹の集団で落ちてくる。体の何倍もありそうな大きな羽を広げ、羽ばたきながら、速度を緩めて生垣の中へ消えた。わたしは集合住宅の前に立っている。建物に入り、一階の二号室に入ると、男が食事をとっていた。男はわたしの友人である。自分の後ろから、近所のおばさんらしき人物が勝手についてきていて、友人に対して何かいろいろと文句を述べ始めた。友人は不機嫌そうにしてそれを追い返す。ここで「今、家の前にいたら、空から人間みたいのがたくさん落ちてきた」とわたしは言うが、当然、さっき落ちてきたのは人間などではないはずだ。


  南 悠一

魚は、青かった、
とめどなく、
どこかに消えていった、矛先が
盾に重なって、
鱗ができた、
私はその衣で、
とめどなく、
青かった、

歯止めのかからない、青さに、
私、私、
もう、しにたい、さけたい、
死に、咲け、
鯛、鯛、
止まらない連句、
もう、しにたいなんていわないで、
さけておくれ、転じて、
遅れ咲け、

桜の真っ直中、
青かった、私は青かった、
青いということが、
裂けて、内臓が飛び出した、
続けて、死にかけた、魚が、
跳ね回る、祝宴の鯛、
おまえは、やりたい放題、

桜吹雪に虚ろな瞳、
青かった私は死んだ、
肋骨を食い破って、
鯛が肺にかじりつく、
呼吸が、止まらんよ、
止まらんから、
苦しいのさ、
尽きるまで、その衣で、
私の顔を覆え、


垂直落下

  

お兄ちゃんは私が困っているとすぐに助けに来てくれる
悪い犬に追いかけられている時や、理由もなく怖い思いをしている時にも
辛い苦しい思いをしている時にも、いつもかみさまみたいに現れて
なにもかも嫌になった私が世界を粉々に砕いてしまう前に
私の居場所はここにあるんだって思えるようなほっこりした笑顔で
「ドジだなぁ」とか「バカだなぁ」とか針でちくちく刺すような嫌味を言って
そうやって世界に対する恨みなんかどうでもいい気持ちにさせてしまって
そうやってお兄ちゃんはいつも私を助けてくれる
それはきっとお兄ちゃんが私の事を好きだからだと思う
つまりお兄ちゃんはロリコンなんだと思う
そうでしょ? お兄ちゃん

バカだなお前きょうだいだからに決まってるだろ?
本当にバカだなお前……

学生服が太陽の光一枚ぶん薄くなる頃
彼女は子犬のワルツを覚えた
まだ幼い頃から弓を握って
大きさはこの場合問題にならんとチェロを持たされた写真が飾ってある
手足の短い生き物という点では同類であるはずなのに
なぜ子犬とはこうも周囲の扱いが違うのかしらと悩んでいた
いみじくも音楽が人を動かす力をもつには
その音楽は背後に天才の迫力を備えていなければならない
けれども彼女が作っている音楽は二十一世紀だった
紛れもない二十一世紀だった
駄作であれ、傑作であれ
踏襲であれ、独創であれ
私たちは二十一世紀を作っているのだ
私たちが作っているものが二十一世紀なのだと
そう笑いあったときの写真だけを残して
他の写真はみんな燃やしてしまった
その灰は秋雨でかさの増えた河に流されていった
等間隔に並んだトンボが黄金色にきらきらと光っていた

着信 From:A
申し訳ございませんが、落選しました
私から言わせてもらえばあなたには全く才能がありません
あなたにはこの分野で創作を行う能力が欠如しています
古雑巾を絞って出したような汚臭さえします
未完の作品を送りつけられても弊社は対応いたしかねます
正直困惑しております
いっそあなたを殺してしまいたい気さえします
これ以上お話を続けてもお互い時間と労力の無駄です
以降は思い上がりを改め一愛好家としてのみの関係を以って私と接してください
繰り返しもうしあげますが、あなたには全く才能がありません
可哀想なので具体的に申し上げますとあなたは読み手に対する配慮を軽んじるきらいがあるくせにその理解にすら乏しいと思われる節がございます
くだらない自己欺瞞に満ちているせいであなたの作品からはあなたの顔がまったく見えてきません
むしろ社会不適格者的な人格のみがしのばれてきっと私が何度才能が無いと言おうがなんと酷評を与えようが気にもしないのでしょうね、きぃ〜っくやしい、死ね!
陳腐なること剽窃の如し
眠くなること古典の如し
萌えざること落語の如し
難解なること厨二の如し
鳴かぬならエロくしてみよう新人賞
ぐらいの勢いのある新人だったらまだ見込みがあったかもしれません
あなたはどれもこれも中途半端
こんなにも早く消え行く臭いがしている新人は私いまだかつて見たことがありません
何度もいいますがあなたには才能がありません
それはあなたの顔と同じく二度と修正のきかない致命的なものです
あなたの書くものなどどれほど努力しようと駄文以上には成りえません
二度と私に駄文を送ってこないようにお願いいたします本気でお願いいたします
ではでは

私はしばらくケータイの脈拍をはかっていた
向こうにとんでもなくやばい犬がいる予感がする
鼻面から鉤爪の先まで獰悪だ
信じがたいという気持ちよりもむしろ羨ましさで強い疲労を覚えた私は
結局みずからケータイの電源を切ってしまった
それ以降彼女から私のもとに連絡が来ることはなかった
だがそれで終わったような気はまるでしなかった

途中で傘をたたんだのは
諦めたわけではない
成長したかったからだ
昔の私が背伸びをして歩いたのと同じ坂の上で
私は相変わらず背伸びをしていた
空気を構成する水の粒子の向こうに
赤と赤と赤が交互に入り乱れている
カラスは言葉を失ったように鳴き喚いている
静寂を突き破るのに電車そのものはいらない
すぐそこで警報が鳴っていたのに気づかなかった
すぐ手の届く距離にあった死がやがて目の前を通過していった
車内は目もくらむばかりにぎらついていた
さすが死だけあってすさまじい質量だった
遮断機はバレリーナのように両手を光芒に差し伸べる
黒い車が水をはねていった
黄色い傘が跳ねあがって
赤い傘が頷いていた
警報はとっくに鳴り止んでいたが
私はこれから何が起こるのか
一瞬なにも解らずにいた


万華鏡の風景

  田中智章



遥かの山の上空に
広漠な思念のような霞雲
体が浮いていると錯覚させられる
点在する緑の隙間に風の蛇腹が見える
季節という定位が不似合いだと言う
小さく分離した雲の無言
私は今はむしろ
曇った万華鏡のようなものであって
覗く者などもちろんいないが
ただむらのある反射に身を明け渡しているばかりで
同時にそのすぐ脇で
訳のわからない必要に駆られて言葉を並走させている
しばらくの間 大きな音が訪れないことを期待して
目に見える世界が 常に微細に振動しているのだと気づいた
気づいたように思えた
それは自分が振動しているからだろうと
自身の血液の震えを想像した
ぼんやりとした決して広くもない筒を覗くと
白色灯のように 遠くの雲だけが清冽に眩い
 
 


エレベーター

  ロボット

廊下に敷かれた朱色の絨毯は
闇に向かってのびていた
背中のエレベーターは
開閉を繰り返している
扉に合わせて
廊下は朱色を明滅させ
エレベーターは
誰も運ぼうとせず
誰も迎えにいこうともしなかった

廊下の奥の闇の遠くで
部屋の扉が軋む音がした
男の話し声が洩れてきた
その声は囁くようにかすかでありながら
耳元で話されているように
嫌にはっきりと聞こえた

 「ケッキョク、タスケラレナカッタジャナイカ」

責めるような
嘲笑うかのような声だった

男の薄ら笑いが
視界の隅を掠めた

不意に恥ずかしいという感情が
分けもなく湧き上がった

それは知っているような
それでいて初めて見るような
どこか茫漠とした顔立ちだった

 「この顔は…」

思った瞬間
腹の底でそれまでとは全く別の
激しい感情が
怒りが
逆流した排水溝のように
音もなく胸の底にとぐろを巻いたかと思うと
一瞬のうちに羞恥も疑問も駆逐し
身体のすべてを支配した

突き動かされるように
廊下の奥の
闇の向こうにいるはずの
男に向かって歩き出した

エレベーターの開閉音が次第に遠ざかった
部屋の明かりがわずかに漏れた扉が見え始めた
あそこだと思った
足を速めた

目の前が暗くなった
思わず立ち止まった
扉が閉じられたのだ

見計らっていたに違いない
忌々しい
片っ端からドアを開けて
どうにか見つけ出して何か言ってやろうと思った
しかし、自分の中にはその男に言うべき何物をも持っていなかった
振り返った
開閉を繰り返していたはずのエレベーターは
もうそこにはなく
廊下が急に奥まで伸びたように見えた
闇が皮膚に吸い付いた
こめかみが脈打った
脈にあわせて鋭い痛みと言葉が脳髄を貫いた

 「もっとうまくやれたのではないか?」
 「もう少し慎重であれば助けられたのではないか?」

どこからか際限なく言葉が雪崩れ込んだ
だが、何を助けるべきだったのか
何を慎重にすればよかったのか
その肝心なところが
どうしても思い出せなかった

 「いったい何の罪がある?」

男がせせら笑う

 「デハ、エンザイダトデモ?」
 「オマエハ、シッテイル。ケッキョク、タスケラレナカッタ ト」


エレベーターの扉が開く音がした
ふたたび闇に朱色の穴が開いた
中から浴衣を着た小さな男の子とその母親らしい若い女が現れた
男の子は手に吊り棒の付いた提灯を下げ
エレベーターの扉が閉まると
提灯の灯りだけが取り残されて
男の子の顔と母親の浴衣の裾がぼんやりと浮かび上がった

二人はしきりに何かを話しているようだった
その会話をどうにかして聞きたいと思った
そうすれば何かが思い出せるような気がしたからだ
しかし、届いてくるのは断片的な言葉ばかりで
なかなかうまく文章にできなかった
そんな中

 「金魚は焼きましょう」

母親のやさしい声でその箇所だけがはっきりと聞きとれた
この母親は金魚を焼いて食べる気でいるのだった
口の中で焼いた金魚の味がした
それは覚えのある味だった
蝋燭の燃えるにおいがした
提灯はすぐそばまで近づいてきていた
子供のもう片方の手には
金魚が入っているらしい透明の袋の水が
提灯の鈍い光を反射させていた
母親の顎の線が闇の中でわずかに見えた
笑っているようだった
男の子も笑って何かを答えていた
だが、その声はまったく聞こえず
通り過ぎた二人の背中はすぐに色を失い輪郭だけになり
母親が消え
やがて男の子も闇に消えた

金魚の味と蝋燭の匂いは鼻腔に漂い続け
それは記憶を引き寄せつつ同時に霞ませていた


「五年前、イギリスのハイドパークの芝生に座って私が申し上げたこと、あなたはもうお忘れになったのでしょう」

女が部屋に入りながらシャツを脱ぎ
落ち着いた、それでいて少し剣のある声で言った
黒い彦帯を締めた大柄な男はそれに対して何も答えず
ただ黙って畳に正座をして文机に面していた

海外になど一度も行ったことのないこの男に
そんな記憶があろうはずがなかった
あろうはずのない記憶を忘れようもなく
忘れようもない記憶を忘れたとなじられる覚えもなかった
けれど、男は反論一つしなかった

女は下着も外すと半裸で窓辺に立って
レースのカーテンと両開きの窓を開け放った
塞き止められていた風が一気になだれ込み
カーテンと一緒に女の髪をなびかせた
女の背中で男は立ちあがると隣室に出て
ソファの背もたれに軽く腰をかけ
懐に入れていたガムを取り出し
口に入れた

 「夕食、ミネストローネでいいなら僕が作るよ」

窓辺の女は男の言葉には応えず、自分の話を続けた。

 「大きなリスがいたでしょう。楠の根っこのところに。生まれてはじめてよ、さすが外国ね、あんなに大きなリスを見たのは。イタチほどもあったかしら。私そこであなたにこういったのよ。『もすごたりすとしたら、あなたはひたみしていかいとしてね』」

男は肝心なところだけがうまく聞き取れず、
それでも何かしなければならないことを言われたのだということはわかって
薄暗い玄関のほうを睨みつけながら聞いた言葉を意味のある文章に直そうとした
エレベーターが到着した高いベルの音がした
暗く伸びた廊下が蛍光灯の光に遮られた

彼女はいったい何を言いたかったのだろうか?
思い出す声をどんなにパズルのように組み合わせてみても
何の意味も見い出せなかった

確かに何かを忘れている
それはもう
間違いのないことだった

 だが何を?

問いかけてみたが
その疑問は答えではなく
空白と不安を呼び
ざらつく胃に吐き気を覚えた

 大事なもの?

脇から攻めた
いや
きっと
取るに足りないもの
忘れても物語に何の影響もない
つまらないもの

そんな気がした

だが
背景色のない
肖像画のように
思考も記憶もみんな浮ついて

どこにも行けないでいる
誰も運ぼうとせず
誰も迎えにいこうともしない
エレベーターのように


円を成す

  破片

丘陵の頂上に建つ家屋が
ぶっ壊れたりしないなら、
星風はその湾曲した屋根群に沿って
今日ものぼっていくんだろう
帰って来なくていい、のぼり続けるんだ
y=xの2乗、
吹き出すくらい単純だろ
屋根のその整った放物線を ずっと奇妙だと思っていた

雲が晴れない 空には蓋がされた
どこで途絶えるかわからないまま
少女は「世界」を口にする、
コントラストの潰れた部屋
雨に晒され続けたサンダル 黄砂を塗した窓ガラス
おきにいりのぬいぐるみ 背を押されて呟いた、世界
風はやんだ

惑星や恒星間の距離を手に取れる
指先で弄んだ宇宙はとても小さい、
入り込む隙間のない風が吹き下りてくる
そんな日はとても晴れていて 流れが出来る
丘の上にたくさん たくさん
空はどんどん乾いていく 人々は濡れていく
星から来る風、
ひとの目に舞い込む埃は
何色なんだろうね

次々と風が追い出されて わたしたちの
頭上に空きができると、風は、
そうやって屋根を伝って上を向くんだ
地上に染みた水分を連れていく
少女は風にあおられる 顔をあげる
涙を流さない ことばを殺されて、
わたしたちは次々にミニチュアの
宇宙を取り上げられながら

帰って来なくていい、
わたしたちの奇妙な放物線に
少女のつぶやいていない世界が
吹き下りてきたなら
ねえ それは星風 ひとりひとりの
間隔を目いっぱい拡げて、
おだやかな色彩の揺りかごにとても、
とてもわらいながら、
少女の長く細い睫毛を
揺らす
放物線を描いた


とりろーぐ

  雛鳥むく

i
水を撒く、
あなたの地球儀を
絞殺したのは
わたしではなく
わたくし、
であって
緻密に、
ただ緻密に、
あなたは欺かれ
白紙になった
太平洋で
立ち止まった海水は
沈没するのでしょう。


絹糸の
不確かさを
ひた隠しにするために
虫食いを
さしむけた銃口が
火を吹くとき
乾いた滴が
地図のうえに
流されたのだった
火葬する消火器
避難
できなかった避難経路
ひとつとして
痛みをともなわない
干からびた、
陥没がおとずれるばかりで


対話との対話を
繰り返す赤子の
指はたいてい傾いていて
そこから
とろとろ、と
三人称が零れている
わたしや、
あなたや、
それら。
公平に殺めることは
どうしようもなく
不可能だったから
いつも
地球儀を
天恵と呼び
白地図のうえで
浮上するのです。


はうる、
書き記すことが
答えという言葉の
答えだというならば
はうる、
風が渦を
巻いていますその中央で
横たわっているわたしは
今まさにこうして
わたしはゆるやかに死にました

書き記すことができる
わたしたちは
たくさん死にました
わたしも
わたしもわたしも
わたしたちみな
地球上にいるわたしは
絶滅しました と
 
(余白に、)
 
はうる、
あなたは
憶測の記憶であり
繁茂する水の
渇きでもあるから
はうる、
自らの名を
いずれすっかり
わすれてしまうのでしょう。


i
虚偽を
降らせる
flow
fluorite

たとえば
蛍石の主成分は
フッ化カルシウムだが
しかし、
わたしにとってそれが
ときに事実ではなかったり
あなたにとってそれが
ときに無意味な事実
だったりする
ひとつだけ言えるのは
蛍石の
やわらかなかなしみを
かつて、あなたはあいしていたこと
かつて、あなたがあいしていると言っていたこと
かつて、あなたがあいしていたとわたしは認識していること
そう記憶しているということ
flow
降ろう
虚偽を降らせる
そして
いつだってわたしは
わたしや、
あなたや、
それら。

虚偽として絞殺し、
trilogue
渇いた井戸や
単純な経度は、
白地図のうえで
なだらかに科学されるのでしょう。
 
 

文学極道

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