#目次

最新情報


2017年03月分

月間優良作品 (投稿日時順)

次点佳作 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


詩の日めくり 二〇一六年十三月一日─三十一日

  田中宏輔



二〇一六年十三月一日 「廃語霊。」


な〜んてね。


二〇一六年十三月二日 「こんな科目がある。」


幸福の幾何学
倫理代数学
匿名歴史学
抒情保健体育
愛憎化学
錯覚地理
電気国語
苦悩美術
翻訳家庭科
冥福物理
最善地学
誰に外国語
摩擦哲学
無為技術
戦死美術
被爆音楽
擬似工作
微塵哲学
足の指天文学


二〇一六年十三月三日 「後日談」


大失敗、かな、笑。
ネットで検索していて
『ブヴァールとペキュシェ』が品切れだったと思って
何日か前にヤフオクで全3巻1900円で買ったのだけれど
きょう、『紋切型辞典』を買いにジュンク堂によって
本棚を見たら、『ブヴァールとペキュシェ』が置いてあったのだった、笑。
ううううん。
560円、500円、460円だから
新品の方が安かったわけね。
日知庵によって、バカしたよ〜
と言いまくり。
ネット検索では、品切れだったのにぃ、涙。
ひさびさのフロベール体験。
どきどき。
きょうは、これからお風呂。
あがったら、『紋切型辞典』をパラパラしよう。


このあいだ、ヤフオクで買ったの
届いてた。
ヤケあるじゃん!
ショック。


いまネットの古書店で見たら
4200円とかになってるしな〜
思い違いするよな〜
もうな〜
足を使って調べるということも
必要なのかな。
ネット万能ではないのですね。
しみじみ。
古書は、しかし、むかしと違って
ほんとうに欲しければ、ほとんどすぐに手に入る時代になりました。
古書好きにとっては、よい時代です。
こんなスカタンなことも
ときには、いいクスリになるのかもしれません、笑。
キリッと
前向き。


二〇一六年十三月四日 「朝の忙しい時間にトイレをしていても」


横にあった
ボディー・ソープの容器の
後ろに書いてあった解説書を読んでいて
ふと、ううううん
これはなんやろ
なんちゅう欲求やろかと思った。
読書せずにはいられない。
いや
人間は
知っていることでも
一度読んだ解説でもいいから
読んでいたい
より親しくなりたいと思う動物なんやろか。
それとも、文字が読めるぞということの
自己鼓舞なのか。
自己主張なのか。
いや
無意識層のものの
欲求なのか。
そうだなあ。
無意識に手にとってしまったものね。


二〇一六年十三月五日 「エリオットの詩集」


2010年11月19日のメモ 

岩波文庫のエリオットの詩「風の夜の狂想曲」を読んでいて
42ページにある最後の一行「ナイフの最後のひとひねり。」(岩崎宗治訳)の解釈が
翻訳者が解説に書いてあるものと
ぼくのものとで、ぜんぜん違っていることに驚かされた。
ぼくの解釈は直解主義的なものだった。
訳者のものは、隠喩としてとったものだった。
まあ、そのほうが高尚なのだろうけれど
おもしろくない。
エリオットの詩は
直解的にとらえたほうが、ずっとおもしろいのに。
ぼくなんか、にたにた笑いながら読んでるのに。
むずかしく考えるのが好きなひともいるのはわかるけど
ぼくの性には合わない。
批評がやたらとりっぱなものを散見するけど
なんだかなあ。
バカみたい。


二〇一六年十三月六日 「ぼくたち人間ってさ。」


もう、生きてるってだけでも、荷物を背負っちゃってるよね。
知性とか感情っていうものね。
(知性は反省し、感情は自分を傷つけることが多いから)
それ以外にも生きていくうえで耐えなきゃならないものもあるし
だいたい、ひとと合わせて生きるってことが耐えなきゃいけないことをつくるしね。
お互いに荷物を背負ってるんだから
ちょっとでも、ひとの荷物を減らしてあげようとか思わなきゃダメよ。
減らなくても、ちょっとでも楽になる背負い方を教えてあげなきゃね。
自分でも、それは学ぶんだけど。
ひとの荷物、増やすひといるでしょ?
ひとの背負ってる荷物増やして、なに考えてるの?
って感じ。
そだ。
いま『源氏物語』中盤に入って
めっちゃおもしろいの。
「そうなんですか。」
そうなの。
もうね。
矛盾しまくりなの。
人物描写がね、性格描写か。
しかし、『源氏物語』
こんなにおもしろくなるとは思ってもいなかったわ。
物語って、型があるでしょ。
あの長い長い長さが、型を崩してるのね。
で、その型を崩させているところが
作者の制御できてないところでね。
その制御できてないところに、無意識の紡ぎ出すきらめきがあってね。
芸術って、無意識の紡ぎ出すきらめきって
いちばん大事じゃない?
いまのぼくの作風もそうで
もう、計画的につくられた詩や小説なんて
ぜんぜんおもしろくないもの。
よほどの名作はべつだけど。

『源氏物語』のあの長さが、登場人物の性格を
一面的に描きつづけることを不可能にさせてるのかもしれない。

それが、ぼくには、おもしろいの。
それに、多面的でしょ、じっさいの人間なんて。
ふつうは、一貫性がなければ、文学作品に矛盾があるって考えちゃうけど
じっさいの人間なんて、一貫性がないでしょ。
一貫性がもとめられるのは、政治家だけね。
政治の場面では、一貫性が信用をつくるから。
たとえば、政党のスローガンね。
でも、もともと、人間って、政治的でしょ?
職場なんて、もろそうだからね。
それは、どんな職場でも、そうだと思うの。
ほら、むかし、3週間ぐらい、警備員してたでしょ?
「ええ、そのときは、ほんとにげっそり痩せてられましたよね。」
でしょ?
まあ、どんなところでも、人間って政治的なのよ。
あ、話を戻すけど
芸術のお仕事って、ひとの背負ってる荷物をちょっとでも減らすか
減らせなけりゃ、すこしでも楽に思える担い方を教えてあげることだ思うんだけど
だから、ぼくは、お笑い芸人って、すごいと思うの。
ぼくがお笑いを、芸術のトップに置く理由なの。
(だいぶ、メモから逸脱してます、でもまた、ここからメモに)
芸人がしていることをくだらないっていうひとがいるけど
見せてくれてることね
そのくだらない芸で、こころが救われるひとがいるんだからね。
フロベールの『紋切型辞典』に
文学の項に、「閑人(ひまじん)のすること。」って書いてあったけど
その閑人がいなけりゃ
人生は、いまとは、ぜんぜん違ったものになってるだろうしね。
世界もね。
きのう、あらちゃんと
自費出版についてディープに話したけど
この日記の記述、だいぶ長くなったので、あとでね。
つぎには、きのうメモした長篇を。
エリオットに影響されたもの。
(ほんとかな。)


二〇一六年十三月七日 「あなたがここに見えないでほしい。」


とんでもない。
けさのうんこはパープルカラーの
やわらかいうんこだった。
やわらかいうんこ。
やわらかい
軟らかい
うんこ
便
軟らかい
うんこ
軟便(なんべん)
なすびにそっくりな形の
形が
なすびの
やわらかい
うんこ
軟便
なすびにそっくりのパープルカラーが
ぽちゃん

便器に
元気に
落ちたのであった。
わしがケツもふかずに
ひょいと腰を浮かして覗き込むと
水にひろがりつつある軟便も
わしを見上げよったのじゃ。
そいつは水にひろがり
形をくずして
便器がパープルカラーに染まったのじゃった。
ひゃ〜
いかなる病気にわしはあいなりおったのじゃろうかと
不安で不安で
いっぱいになりおったのじゃったが
しっかと
大量の水をもって
パープルカラーの軟便を流し去ってやったのじゃった。
これで不安のもとは立ち去り
「言わせてやれ!」
わしはていねいにケツをふいて
「いてっ、いててててて、いてっ。」
手も洗わず
顔も洗わず
歯も磨かず
目ヤニもとらず
耳アカもとらず
鼻クソもとらず
靴だけを履いて
ステテコのまま
出かける用意をしたのじゃった。
公園に。
「いましかないんじゃない?」
クック、クック
と幸せそうに笑いながら
陽気に地面を突っついておる。
なにがおかしいんじゃろう。
不思議なヤカラじゃ。
不快じゃ。
不愉快じゃ。
ワッ
ワッ
ワッ
あわてて飛び去る鳩ども
じゃが、頭が悪いのじゃろう。
すぐに舞い戻ってきよる。
ワッ
ワッ
ワッ
軟便
違う
なんべんやっても
またすぐに舞い戻ってきよる。
頭が悪いのじゃろう。
わしは疲れた。
ベンチにすわって休んでおったら
マジメそうな女子高校生たちが近寄ってきよったんじゃ。
なんじゃ、なんじゃと思とうったら
女の子たちが
わしを囲んでけりよったんじゃ。
ひゃ〜
「いてっ、いててててて、いてっ。」
「いましかないんじゃない?」
こりゃ、かなわん
と言って逃げようとしても
なかなかゆるしてもらえんかったのじゃが
わしの息子と娘がきて
わしをたすけてくれよったんじゃ。
「お父さん
 机のうえで
 卵たちがうるさく笑っているので
 帰って
 卵たちを黙らせてくれませんか。」
たしかに
机のうえでは
卵たちが
クツクツ笑っておった。
そこで、わしは
原稿用紙から飛び出た卵たちに
「文字にかえれ。
 文字にかえれ。
 文字にかえれ。」
と呪文をかけて
卵たちが笑うのをとめたんじゃ。
わしが書く言葉は
すぐに物質化しよるから
もう、クツクツ笑う卵についての話は書かないことにした。
しかし、クツクツ笑うのは
卵じゃなくって
靴じゃなかったっけ?
とんでもない。
「いましかないんじゃない?」
「問答無用!」
そんなこと言うんだったら
にゃ〜にゃ〜鳴くから
猫のことを
にゃ〜にゃ〜って呼ばなきゃならない。 電話は
リンリンじゃなくって

もうリンリンじゃないか
でんわ、でんわ
って
鳴きゃなきゃならない。
なきゃなきゃならない。
なきゃなきゃ鳴かない。
「くそー!」
原稿用紙に見つめられて
わしの独り言もやみ
「ぎゃあてい、ぎゃあてい、はらぎゃあてい。」
吉野の桜も見ごろじゃろうて。
「なんと酔狂な、お客さん」
あなたがここに見えないでほしい。
「いか。」
「いいかな?」


二〇一六年十三月八日 「このバケモノが!」


いまナウシカ、3回目。
「このバケモノが!」
「うふふふ。」
「不快がうまれたワケか。
 きみは不思議なことを考えるんだな。」
「あした、みんなに会えばわかるよ。」
引用もと、『風の谷のナウシカ』
「以上ありません。」


二〇一六年十三月九日 「切断された指の記憶。」


ずいぶんむかし、TVで
ルーマニアだったか、チェコだったか
ヨーロッパの国の話なんだけど
第二次世界大戦が終わって
でも、まだその国では
捕虜が指を切断されるっていう拷問を受けてる
映像が出てて
白黒の映像なんだけど
机の上が血まみれで
たくさんの切断された指が
机の上にボロンボロン
ってこと
思い出した。
十年以上前かな。
葵公園で出会った青年が
右手の親指を見せてくれたんだけど
第一関節から先がなくなっていたのね。
「気持ち悪いでしょ?」
って言うから
「べつに。」
って返事した。
工場勤務で、事故ったらしい。
これまた十年ほども、むかし、竹田駅で
両方とも足のない男の子がいて
松葉杖を両手に持っていて
風にズボンのすそがひらひらしていて
なんだかとてもかわいらしくて
セクシーだった。
後ろ姿なんだけどね。
顔は見ていないんだけどね。
ぎゅって、したいなって思った。
だからってわけじゃないけど
指がないのも
美しいと思った。
じっと傷口を眺めていると
彼は指を隠した。
自分から見せたくせにね。
胃や腸がない子っているのかな。
内臓がそっくりない子。
そんな子は内面から美しくて
きっと、全身が金色に光り輝いてるんだろね。
脳味噌がない子もすてきだけど
目や耳や口のない子もかわいらしい。
でも、やっぱり
手足のない子が、いちばんかわいらしいと思う。
江戸川乱歩の『芋虫』とか
ドルトン・トランボの『ジョニーは戦場に行った』とか
山上たつひこの『光る風』とか
手足のない青年が出てきて
とってもキッチュ・キッチュだった。
あ、日活ロマンポルノに、ジョニジョニ・ネタがあってね。
第二次世界大戦で負傷したダンナが帰ってくると
そのうち布団のなかで芋虫になっちゃうのね。
違ったかな、笑。
でも、映像のレベルは高かったと思うよ。


二〇一六年十三月十日 「切断された指の記憶。」


指。
指。
指。
指。

指。


二〇一六年十三月十一日 「切断された指の記憶。」


切断された指っていうと
ヒロくんの話。
ヒロくんのお父さんの
年平均5、6本という話を思い出した。
それと
ウィリアム・バロウズも。
バロウズは自分で指を切断しちゃったんだよね。
恋人への面当てに。
そういえば
弟の同級生が
度胸試しに、自分の指を切断したって言ってた。
なんて子かしらね。
そうだ、カフカのことも思い出される。
労働省だったか保健省だったか
労務省だったかな。
そんなとこに勤めていたカフカのことも思い出される。
労働災害ね。
きょう、これから見る予定の『薬指の標本』
労災の話ね。
嘘、笑。
でも、タイトルがいいね。
楽しみ。
あとの2枚のDVDは
ちと違う傾向かもしれないけれど
怖そうだから
チラ見のチェックをしてみようっと。

ニコラス・ケイジは好きな俳優。
スネーク・アイだったかな。
いい映画だった。
8ミリも。
だから、ニコちゃんの映画、ちゃんと見るかも。
あ、
晩ご飯、買ってこなきゃ。
ご飯食べながら
血みどろゲロゲロ。
って
あ、
だから、寝られないのかな、笑。
ブリブリ。

さっきブックオフに行ったら
サンプルで見た映画があって
2980円していたので
なぜか、気分がよかった。
あのキョンシーもののタイムスリップものね。
田中玲奈のめっちゃヘタクソな演技がすごい映画でした。
最後まで見ることができなかった映画でした、笑。


二〇一六年十三月十二日 「ノイローゼ占い。」


ノイローゼにかかっている人だけで
ノイローゼの原因になっていることがらを
お互いに言い当て合うゲームのこと。
気合いが入ったノイローゼの持ち主が言い当てることが多い。
なぜかしら?
で、言い当てた人から抜けていくというもの。
じっさい、最初に言い当てた人は
次の回から参加できないことが多い。
兵隊さんと団栗さん。


二〇一六年十三月十三日 「2010年11月12日のメモ」


読む人間が違えば、本の意味も異なったものになる。


二〇一六年十三月十四日 「これまた、2010年11月12日のメモ」


首尾一貫した意見を持つというのは、一見、りっぱなことのように見えるが
個々の状況に即して考えていないということの証左でもある。


二〇一六年十三月十五日 「これまたまた、2010年11月12日のメモ」


書くという行為は、ひじょうに女々しい。
いや、これは現代においては、雄々しいと書く方がいいかもしれない。
意味の逆転が起こっている。
男のほうが潔くないのだ。
美輪明宏の言葉が思い出される。
「わたしはいまだかつて
 強い男と弱い女に出会ったことがありません。」
しかり、しかり、しかり。
ぼくも、そう思う。

あ、フロベールの『紋切型辞典』って
おもしろいよ。
用語の下に
「よくわからない。」
って、たくさんあるの。
読者を楽しませてくれるよね。
ぼくも
100ページの長篇詩のなかで
「ここのところ、忘れちゃった〜、ごめんなさい。」
って、何度も書いたけど、笑。


二〇一六年十三月十六日 「愛は、あなたを必要としている」


愛は、あなたを必要としている
あなたがいなければ、愛は存続できない
あなたが目を向けるところに愛はあり
あなたが息をするところに愛はあり
あなたが耳を傾けるところに愛はある
あなたがいないと、愛は死ぬ
愛は、あなたに生き
あなたとともに生きているのだ
あなたがいないところに愛はない
愛は、あなたがいるところにある
あなたそのものが愛だからだ


二〇一六年十三月十七日 「愛は滅ぼす」


愛は滅ぼす
ぼくのなかの蔑みを
愛は滅ぼす
ぼくのなかの憎しみを
愛は滅ぼす
ぼくのなかの躊躇いを
そうして、最後に
愛は滅ぼす
きみとぼくとのあいだの隔たりを


二〇一六年十三月十八日 「きょうのブックオフでの買い物、「イマジン」と「ドクトル・ジバゴ II」」


きょうのブックオフでの買い物、「イマジン」と「ドクトル・ジバゴ II」

イマジン 1050円
ドクトル・ジバゴ II 105円

イマジンは、買いなおし。
リマスターやから、いいかな。
でも、これ、オマケの曲がないんやね。
ふううん。

パステルナークのほうは
I 持ってないんやけど
II のおわりのほうをめくったら
詩がのってて、その詩にひきつけられたから
ああ、これは縁があるって思って買った。
105円だし、笑。
さいきん、105円で、いい本がいっぱい見つかって
なんなんやろ、魂のチンピラこと
貧乏詩人あつすけとしては、よろこばしいかぎり。

その詩を引用しておきますね。
つぎの4行が目に、飛び込んできたんだわ。

ぼくといっしょなのは名のない人たち、
樹木たち、子供たち、家ごもりの人たち。
ぼくは彼らすべてに征服された。
ただそのことにのみ ぼくの勝利がある。
                 (「夜明け」最終連、江川卓訳)

本文では、誤植で「だた」になっていた。
たぶん、文庫だと直ってると思うけれど。
どこかで文庫で、Iを見たような記憶がある。
そのうち、Iも買おう。

しかし
なんで、イマジン
むかし売ったんやろ
そんなにお金に困ってたんかなあ
あんまり記憶にないなあ


二〇一六年十三月十九日 「こころ」


思えば、こころとは、なんと不思議なものであろうか
かつては、喜びの時であり、場所であり、出来事であった
いまは、悲しみの時であり、場所であり、出来事であった。
その逆のこともあろう。
さまざまな時であり、場所であり、出来事である
この、こころという不思議なもの。


二〇一六年十三月二十日 「ぼくはこころもとなかった」


ぼくはこころともなかった


二〇一六年十三月二十一日 「言葉」


ひとつの文章は
まるで一個の地球だ

言葉は
ひとつひとつ
読み手のこころを己れにひきよせる引力をもっている
しかし、それらがただひとつの重力となって
読み手のこころを引くことにもなるのだ


二〇一六年十三月二十二日 「句点。」


彼は O型
なにごとにも
さいごには句点を置かずにはいられなかった。


二〇一六年十三月二十三日 「やめる庭」


もう、や〜めたっ!
って言って
庭が
庭から駆け出しちゃった。


二〇一六年十三月二十四日 「木や石や概念は、孤独ではない。」


木や石や概念は、孤独ではない。
それ自らが、考えるということがないからである。
人間は、じつに孤独だ。
もちろん、しじゅう、考える生きものだからだ。
しかも、どんなに上手く考えるコツを習得していても孤独である。
むしろ、考えれば考えるほど
考えることに習熟すればするほど、孤独になるのである。
考えるとは、ひとりになること。
他人の足で、自分が歩くわけにはいくまい。
他人の足で、自らが歩いていると称する輩は多いけれども、笑。


二〇一六年十三月二十五日 「この人間という場所」


胸の奥でとうに死んだ虫たちの啼くこの人間という場所
傘をさしてもいつも濡れてしまうこの人間という場所
われとわれが争い勝ちも負けもみんな負けになってしまうこの人間という場所

高校生のときに、
高校は自転車で通っていたんだけど
雨の日にバスに乗ってたら、
視線を感じて振り向いたら
同じ町内にいた高校の先輩が、
ぼくの顔をじっと見てた
ぼくが見つめ返すと、
一瞬視線をそらして、
またすぐに
ぼくの顔を見た。
今度はぼくが視線を外した。
そのときの、そのひとの、せいいっぱい真剣な眼差しが
思い出となってよみがえる。

いくつかの目とかさなり。

「夏の思い出」という、
ぼくの詩に出てくる同級生は
高校2年で、
溺れて死んじゃったので、
ぼくのなかでは
永遠にうつくしい高校生。

あの日の触れ合った手の感触。

ぼくは、ぼくの思い出を、ぼくのために思い出す。


二〇一六年十三月二十六日 「2008年6月26日のメモより」


不眠症で、きのう寝てないんですよ、という話を授業中にした翌々日
一人の生徒に
「先生、きのう、寝れた?」
って、訊れて、その前夜は寝れたので(いつもの薬に、うつ病の薬を加えて)
「寝たよ。」というと
にっこり笑って
「よかった。」
って言ってくれた
とてもうれしかった
ごく自然にきづかってくれてるのが伝わった
ごく自然に伝わるやさしさの、なんと貴重なことか。
ぼく自身を振り返る
ぼくには、自然に振るまえるやさしさがない
ぼくには、自然にひとにやさしくする気持ちがない
ぼくにはできないことを、ごく自然にできる彼が
その子のようなひとたちのことを思い出す
いたね、たしかに、遠い記憶のなかにも
ごく最近の記憶のなかにも

この人間という時間のむごさとうつくしさ 
この人間という場所のむごさとうつくしさ
この人間という出来事のむごさとうつくしさ


二〇一六年十三月二十七日 「奇想コレクション」


それはたとえば、そうね、灰色の猫だと思っていたものが
そうではなくて、コンクリートで作られたゴミ箱だったことに気がついて
そのまわりの景色までが一変するような、そのようなことが起こるわけ
一つの現実から、もう一つ別の現実への変化なのだけれど
こんなことは日常茶飯事で
ただ、はっきりと認識していないだけでね
はっきりと認識する方法は、意識的であるようにつとめるしかないのだけれど
それって、生まれつき、そういう意識が発達しやすいようにできてる人は別だけれど
そうでない人は、そうとうに訓練しないとだめみたいね
ぼくなんかも、ボケボケだから、それを意識するっていうか
そうして、言葉にしないと意識できないっていうか

やっぱり認識なわけで
現実をつくっているのが
ということで
『舞姫』のテーマ、決まりね。

このあいだ読んだタニス・リーの短篇集には、何も得るものがなかったけれど
いまも読んでいるスタージョンの短篇集には、数ページごとに
こころに響く表現があって
これはなんだろうなって思った。
何だろう。
現実をより実感できるものにしてくれる表現。
これまでの現実を、ちょっと違った視点から眺めさせてくれることで
これまでの現実から、違った現実に、ぼくをいさせてくれる
そんな感じかな。
書かれていることは、とっぴょうしもないことではなくて
ごく日常的なことなのに
解釈なんだね
それを描写してくれているから
スタージョンの本はありがたい感じ。
タニス・リーのは、破り捨てたいくらいにクソの本だった。
奇想コレクション・シリーズの一巻で、カヴァーがかわいいので、捨てられないけれど、笑。


二〇一六年十三月二十八日 「意識と蒸し器」


意識と蒸し器

無意識とうつつもりで
蒸し器とうつ
でも、こうした偶然が
考えさせるきっかけになることもある。
常温から蒸し器をあっためていると
そのうち湯気が出てきて
沸点近くで沸騰しはじめると
やがて、真っ白い蒸気が細い穴からシューと出てくる。


二〇一六年十三月二十九日 「偶然」


うち間違い

という偶然が面白い。
これって、ワープロやワードが出現しなかったら
起こらなかった事柄かもしれない。

日常では
言い間違いというのがあるけれど
それってフロイト的な感じがあって
偶然から少し離れたところにあるものだけれど

このあいだ書いた
喫茶店なんかで
偶然耳にした
近くの席で交わされてる話し声のなかから単語をピックアップして
自分の会話に
自分の考えに取り入れるっていうほうが
近いかもしれない。

偶然

詩集にも引用したけれど
芥川が書いてたね

「偶然こそ神である」

って

ニーチェやヴァレリーも

「偶然がすべてである」

ってなこと書いてたような記憶があるけれど
偶然にも程度があって
フロイト的な言い間違いのものから
ぼくが冒頭に書いたキーボードのうち間違いなど
さまざまな段階があるって感じだね。

詩を書いていて
いや、大げさに言えば
生きていて
この偶然の力って、すごいと思う。

生きているかぎり
思索できるかぎり
偶然に振り回されつつ
その偶然の力を利用して
自分の能力の及ぶ限り
生きていきたいなって思う
恋もしたいし、
うふふ。、
ね。


二〇一六年十三月三十日 「あいまいに正しい」


「あいまいに正しい」などということはない
感覚的にはわかるが
「正確に間違う」ということはよくありそうで
よく目にもしてそうな
感じがする


二〇一六年十三月三十一日 「『象は世界最大の昆虫である』ガレッティ先生失言録(池内 紀訳)を買う。」


そこから面白いものを引用するね。

「もしこの世に馬として生まれたのなら、もはや、やむをえない。死ぬまで馬でいるしかない。」

「この個所はだれにも訳せない。では、いまから先生がお手本をおみせしましょう。」

「古代アテネの滅亡はつぎの命題と関係する。すなわち─「これ、静かにしなさい!」

「アレキサンダー大王軍には、四十歳から五十歳までの血気盛んな若者からなる一隊があった。」

「ペルシャ王ペルゼウスは語尾変化ができない。」

「女神は女であるとはいえないが、男であるともいえない。」

「いかに苦難な船旅をつづけてきたか、オデュッセウスは縷々として物語っている。むろん、羅針盤がなかったからである。」

「カンガルーはひとっ跳び三十二フィート跳ぶことができる。後脚が二本でなくて四本なら、さらに遠く跳べるであろう。」

「ここのこのSは使い古しである。」

「イギリスでは女王はいつも女である。」

「アラビア風の香りなどとよくいわれるが、近よっても何も見えない。」

「湿地帯は熱されると蒸発する。」

「雨と水は、たぶん、人間より多い。」

「以上述べたところは、ローマ史におなじみとはいえ、まったく珍しいことである。」

「高山に登るとめまいがする。当然であろう。目がまわるからだ。」

「今日、だれもが気軽にアフリカにいき、おもしろ半分に殺される。」

「ナイル川は海さえも水びたしにする。」

「以上述べたのが植物界の名士である。」

「水は沸騰すると気体になる。凍ると立体になる。」

「一日三百六十五時間、一時間は二十四分、そのうち学校で勉強しているのはたった六時間にすぎない。」

「牛による種痘法が発見されるまでは、多くの痘瘡が子供にかかって死んだものだ。」

「何であれ、全体はいつも十二個に分けられる。」

「古代ローマでは、一日は三十日あった。」

「ハチドリは植物界最小の鳥である。」

「ホッテントット族の視力は並はずれている。はるか三時間かなたの蹄の音さえ聞きつける。」

「先生はいま混乱しているのです。だから邪魔をして、かき乱さないでください。」

「君たちが世界最大の望遠鏡で火星を眺めるとすると、そのとき火星は、十メートルはなれたところから先生の頭を見たときと同じ大きさに見えます。しかし、むろん君たちは、十メートルはなれたところからでは、先生の頭に何が生じているかわかるまい。だから、同様に、火星に生物がうごめいていたとしても、とても見えやしないのです。」

「この点について、もっとくわしく知りたい人は、あの本を開いてみることです。題名は忘れましたが、第四十二章に書かれています。」

「もう何度も注意したでしょうが。ペンはいつも綺麗に髪で磨いておきなさい。」

「教師はつねに正しい。たとえまちがっているときも。」

「どうも席替えの必要があるようだ。前列の人は、先生が後列組をよく見張れるように席につきなさい。」

「そう、三列目が六列目になる、そして十列目まで、全員二列ずつ前に移りなさい!」

「きみたちは先生の話となると、右の耳から出ていって、左の耳から入るようだな。」

「紙を丸めて投げつけて、どこが芸だというのです。芸のためには、もっと練習に励まなくてはなりますまい。」

「いま君に訳してもらったところだが、一、教室のだれ一人として聞いていなかった。二、構文がまるきりまちがっている。」

「雨が降ると、意味はどうなりますか?」

「君たちは、いったい、椅子を足の上において靴でインキ壺を磨きたいのかね?」

「筆箱はペン軸に、カバンは筆箱に入れておくものです。」

「最上級生には、下等な生徒はいないはずです。」

「カント同様、私は思考能力に二つのカテゴリーしか認めない。
すなわち、鞍と馬である。いや、つまり、丸と菱形だ。」

「私にとって不快なことが、どうして私に出会いたがるのか、さっぱりわけがわからない。」

「私の本の売れゆきをうながす障害があまりに大きい。」

「私はあまりに疲れている。私の右足は左足を見ようとしない。」

「立体化するには音が必要だ。」

「なかでも、これがとりわけ重要なところです。─価値は全然ないにせよ。」

「夜、ベッドのなかで本を読むのはよくない習慣である。明かりを消し忘れたばかりに、朝、起きてみると焼け死んでいたという例はいくらもある。」

ああ
面白かった。
ブックオフで見つけて買ったのだけれど
詩のように感じられた。


詩の日めくり 二〇一七年一月一日─三十一日

  田中宏輔



二〇一七年一月一日 「なんちゅうことやろ。」


きょうはコンビニで買ったものしか食べていない。


二〇一七年一月二日 「恩情」


なにが世界を支配しているのだろう。お金だろうか。愛だろうか。ぼくは恩情だと思いたい。恩情こそがお金も愛も越えた唯一のものだと思うから。


二〇一七年一月三日 「大地くん」


時代劇の夢を見た。地下組織のとばくを見た。むかし好きだった男の子が出てきた。びっくりの夢だった。彼はとばくしていたヤクザ者で、ぼくは役所の密偵だった。


二〇一七年一月四日 「痛〜い!」


足の爪が長かった。そのためけつまずいたときに、右足の第二指の爪さきがひどいことになった。足の爪はこまめに切らなくてはと、はじめて思った。


二〇一七年一月五日 「曜日」


月曜日のつぎは木曜日で、そのつぎが火曜日でしょ、で、そのつぎが土曜日で、そのつぎのつぎが水曜日、で、つぎに金曜日で、そのつぎに日曜日、日曜日、日曜日、日曜日……が、ずっとつづくってのは、どう?

あつかましいわ。


二〇一七年一月六日 「一人でさす傘は一つしかない。」


一人でさす傘は一つしかない。

たくさんのことを語るために
たくさん言う言い方がある。

たくさんのことを語るために
少なく言う言い方がある。

たくさんのことを語ってはいるが
言いたいことを少なく言ってしまっている言い方がある。

また少なく語りすぎて
たくさんのことを言い過ぎている言い方がある。

一人でさす傘は一つである。

しかし、たくさんの人間で、一つの傘をさす場合もあれば
ただ一人の人間が、たくさんの傘をさす場合もあるかもしれない。

ただ一人の人間が無数の傘をさしている。

無数の人間が、ただ一つの傘をさしている。

うん?

もしかしたら、それが詩なんだろうか。

きょう、恋人に会ったら
ぼくはとてもさびしそうな顔をしていたようです。

たくさんのひとが、たくさんの傘をさしている。

たくさんの人が、たくさんの傘をさしている。
同時にただ一つの傘をさしている。
それぞれの手に一つずつ。
ただ一つの傘である。
たくさんの傘がただ一つの傘になっている。
ただ一つの傘がたくさんの傘になっている。
たくさんの人が、たくさんの傘をさしている。
同時にただ一つの傘をさしている。


二〇一七年一月七日 「56歳」


ぼくは、しあさって56歳になります。ぜんぜんしっかりしてへんジジイだわい。


二〇一七年一月八日 「地球に落ちて来た男」


ウォルター・テヴィスの『地球に落ちて来た男』が1月11日に本として出るんや。


二〇一七年一月九日 「いつか使うかもしれない記憶のための3つのメモ」


自分のために2人の男の子が自殺したことを自慢する中年男
                    (1980年代の記憶)

建築現場に居残った若い作業員二人がいちゃついている光景
一人の青年が、もう一人の青年の股間をこぶしで強くおす
「つぶれるやろう」
「つぶれたら、おれが嫁にもろたるやんけ」
                    (1980年代の記憶)

庭の雑草を刈り取ってもらいたいと近所にすむ学生に頼む
「どういうつながりなの?」
「近所の居酒屋さんで知り合ったんだけど
 電話番号を聞いてたから、電話して頼んだら
 時給1000円で刈り取ってくれるって
 自分で鎌を買いに行ったけど
 自分で行ったところは2軒ともつぶれていて
 その子たちの方がよく知っていて
 鎌を買ってきてくれたよ
 いまの子のほうが、世間のこと、よく知ってるかもしれないね。」
「そんなことないと思うけど。」
                    (つい、このあいだの記憶)


二〇一七年一月十日 「誕生日」


これから近くのショッピングモール・イーオンに。きょうは、ぼくの誕生日だから、自分にプレゼントするのだ。

服4着と毛布を1枚買った。20000円ほど。服を買ったのって2年ぶりくらいかな。


二〇一七年一月十一日 「ヴァンダー・グラフ」


ヴァンダー・グラフを聴いているのだが、やはりずば抜けてすばらしい。


二〇一七年一月十二日 「過去の書き方」


まえ付き合ってた子のことを書く。
いっしょにすごしていた時間。
いっしょにいた場所。
いっしょにしていたこと。
楽しいことがいっぱい。
しばしば
誤解し合って
つらいこともいっぱい。
ふたりだけが世界だと思えるほど。
さいごに
もう一度、冒頭から目を通す。
すべてを現在形にして。


二〇一七年一月十三日 「現在の書き方」


いま付き合ってる子のことを書く。
いっしょにすごしている時間。
いっしょにいる場所。
いっしょにしていること。
楽しいことがいっぱい。
しばしば
誤解し合って
つらいこともいっぱい。
ふたりだけが世界だと思えるほど。
さいごに
もう一度、冒頭から目を通す。
すべてを過去形にして。


二〇一七年一月十四日 「誕生日プレゼント」


いま日知庵から帰った。えいちゃんと、きよしくんから服をプレゼントしてもらって、しあわせ。あした、さっそく着てみよう。


二〇一七年一月十五日 「ユキ」


まえに付き合ってた子にそっくりな子がFBフレンドにいるんだけど、ほんとそっくり。もう会えなくなっちゃったけどね。そんなこともあってもいいかな。人生って、おもしいろい。くっちゃくちゃ。ぐっちゃぐちゃ。


二〇一七年一月十六日 「マイ・スィート・ロード」


FBで、ジョージ・ハリスンの「マイ・スィート・ロード」に「いいね」をしたら、10000人以上のひとが「いいね」をしていた。あたりまえのことだと、ふと思ったけれど、10000人以上のひとが「いいね」をしたくなる曲だって、ことだもんね。ぼくがカラオケで歌う曲の一つでもある。名曲だ。


二〇一七年一月十七日 「夢から醒めて」


夢のなかの登場人物のあまりに意外な言動を見て、これって、無意識領域の自我がつくり出したんじゃなくて、言葉とか事物の印象とかいったものが無意識領域の自我とは別個に存在していて、それが登場人物に言動させているんじゃないかなって思えるような夢を、けさ見た。


二〇一七年一月十八日 「カルメン・マキ&OZ」


日知庵では、カルメン・マキ&OZの「私は風」「空へ」「閉ざされた街」を、えいちゃんのアイフォンで聴いていた。あした、昼間は、カルメン・マキ&OZをひさしびりに、CDのアルバムで聴こうと思った。カルメン・マキ&OZは、ぼくにとっては、永遠のロック・スターだ。すばらしすぐる。


二〇一七年一月十九日 「ぼくの詩の原点」


ぼくの詩の原点は、ビートルズ、ストーンズ、イエス、ピンク・フロイド、ジェネシス、アレア、アトール、ホーク・ウィンド、ラッシュ、グランドファンク、バッジー、ケイト・ブッシュ、トッド・ラングレン、バークレイ・ジェイムズ・ハーベスト、そして、カルメン・マキ&OZ、四人囃子だったと思う。

T・REXを忘れてた。

ヴァンダー・グラフを忘れてた。


二〇一七年一月二十日 「自分には書けない言葉」


日知庵から帰って、郵便受けを見たら、平井達也さんという方から『積雪前夜』という詩集を送っていただいていた。「ダイエット」「47と35」「51と48」「飽きない」「グミの両義性について」といった作品を読んで笑ってしまった。数についての粘着度の高さにだ。ぼく自身が数にこだわるからだ。

先日、友人の荒木時彦くんに送っていただいた『アライグマ、その他』というすばらしい詩集とともに、ぼくの目を見開かさせてくれたものだと思った。こんなふうに、見知らぬひとから詩集を送っていただくと、ありがたいなという気持ちとともに、知らずにいればよかったなという気持ちがときに交錯する。

すばらしいものは知る方がよいに決まっているのだけれど、ぼくに書くことのできない方向で、すばらしいものを書かれているのを知ると、ぼくの元気さが減少するのだ。これは、ぼくがいかに小さな人間かを表している指標の一つだとも思えるのだけれど。まあ、ひじょうに矮小な人間であることは確かだが。

四人囃子の「おまつり」を聴きながら、平井達也さんからいただいた詩集を読んでいる。詩集の言葉がリズミカルなものだからか、ビンビン伝わる。ぼくは、自分のルーズリーフを開いて、自分のいる場所を確かめる。読まなければよかったなと思う詩句がいっぱい。自分には書けない言葉がいっぱいだからだ。


二〇一七年一月二十一日 「『恐怖の愉しみ』上巻」


ようやく、アンソロジー『恐怖の愉しみ』上巻を読み終わった。きょうから、これまたアンソロジーの『居心地の悪い部屋』を読もうと思う。


二〇一七年一月二十二日 「UFOも」


UFOも万歩計をつけて数十万歩も一挙に走っている。UFOもダイエット中なのだ。


二〇一七年一月二十三日 「稲垣足穂は」


稲垣足穂はUFOより速く一瞬で数万光年を駆け抜けていく。


二〇一七年一月二十四日 「七月のひと房」


帰ってきたら、井坂洋子さんから『七月のひと房』というタイトルの詩集を送っていただいてた。10年以上にわたって書かれたものを収めてらっしゃるようだ。タイトルポエムをさいしょに読んだ。つづけて、冒頭から読んでいる。言葉がほんとにコンパクト。良い意味で抒情詩のお手本みたいな感じがする。


二〇一七年一月二十五日 「あらっ。」


きょう、仕事帰りに、自分の住所の郵便番号が思い出せなくて、帰ってきて郵便物を見て、ああ、そうだったと確認して、なんか自分が痴呆症になりつつあるんかなと思った。住所はすらすらと思い出せたのだけれど。さいきん寝てばっかりだったからかな。もっと本を読んで、もっと勉強しなきゃいけないね。


二〇一七年一月二十六日 「『居心地の悪い部屋』」


アンソロジー『居心地の悪い部屋』半分くらい読んだ。いくつかの短篇は改行詩に近かったし、散文詩のようなものもあった。気持ちの悪い作品も多いが、読まされる。日本では、詩人が書いていそうな気がする。たとえば、草野理恵子さんとか。さて、つづきを読みながら布団に入ろうか。


二〇一七年一月二十七日 「ジミーちゃん。」


きのう、えいちゃんと話をしてて、ぼくの友だちのジミーちゃんが、ぼくから去っていったことが大きいねと言われて、ほんとにねと答えた。20年近い付き合いだったと思うのだけれど、ぼくの作品にもよく出てきてくれて、ぼくに大いに影響を与えてくれたのだけれど。もう、そういう友人がいなくなった。


二〇一七年一月二十八日 「ソープの香り。」


いま日知庵から帰った。えいちゃん経由で、佐竹さんから外国製のソープをプレゼントしていただいた。めっちゃ、うれしい。とってもよい香り。きょうは、このよい香りに包まれて、眠ろう。


二〇一七年一月二十九日 「レイ・ヴクサヴィッチ」


アンソロジー『居心地の悪い部屋』を読み終わった。よかった。ひとり、気になる作家がいて、彼の短篇集を買おうかどうか迷っている。レイ・ヴクサヴィッチというひと。奇想のひとみたい。読んだ「ささやき」が不気味でよかった。ホラー系の作品なのに、理詰めなのが、ぼくには読みやすかったのかな。


二〇一七年一月三十日 「Tyger Tyger, burning bright,」


いま日知庵から帰った。きょう、はじめて会ったんだけど、ブレイクの『虎』を知っている大学院生の男の子がいた。理系の子で、ぼくが詩を書いてるって言うと、とつぜん、「Tyger Tyger, burning bright,」ってくちずさんじゃうから、びっくりした。海外詩(読者)は滅んだと思っていたからだけど、滅んではいなかったのだった。


二〇一七年一月三十一日 「ゼンデギ」


きのうから、いまさらながら、イーガンの『ゼンデギ』を読んでいる。頭の悪いぼくにでもわかるように書いてある。きょうも、佐竹さんからいただいたソープの香りに包まれながら、『ゼンデギ』を読んで眠ろう。


愛こそはすべて

  

マリー
宇宙はね
魔法瓶

脳の上流
流行性
革命

勝利


忘却


語れ

モチーフの
透明性
その理由


倫理

  生活

母の、
様に醜く曲がり、
父の手をとる、
生きることが、
死ぬことに、正しく
曲がる、
私は、私に、
伸びていく、
また、
父の方へ曲がる、
咀嚼は、
母の様に、と、
伝えられ、
父が私の方へ、
伸びてくる、
きれいに、
まがること、
死んでいくことに、
曲がる、
姿を、
見る、私は、
また、私へ延び出す、

くらい、りんりの、
時間に、
死の予感から、
皆、眠ってしまった夜に、
曲がる、ものが、
見えるか、
私には、
恐ろしい、ほど、
よく見える、
窓の外に、
曲がる人が、
くらやみの中で、
きれいに、曲がろうとして、
やはり、延びていく姿が、
恐ろしい、問いの、
重さに、耐えるためには、
曲がらなければならない、
そのじかんは、
永劫だろう、
いかさなればならないものは
悉く、殺さなければならないものと、
実は均しい、と、しってしまった、
じかん
逆も、おなじだ、
ことごとく、いかさなければならないものは、
ころさなければならない、
徹底的にだ、
虐殺だろう、
跡形もなく、
誰も曲がらないように、


火の子

  ピンクパーカー

街と鳥と船と声
砂と雲と昼と星

四角形に切り取られた木の葉の端、
そこから銀色に塗られた海が静かに流れ出す
喉の振動が髪を結う
3メートルの直線距離

影の形をした虫の心臓
腕から伸びる一本の葦に牛の鼻輪は繋がれる
溶け出した蝋が再び固まるまでの猶予の間、
鳥色の傘は閉じられて開かれる

森の地下を這う根の繁みが
足音を見つめていく
屈折した太陽光を浴び
眠りは地上に逆さの雨を描く

執刀医の手にアルコールは滲む
穴の開いた風に運ばれて
永久凍土は動き出す
蜘蛛の巣を伝う一筋の光が
火の上に落ちる

引き裂かれた蛙を黒煙が包み、
湖は森の底に沈む
Hと発音された貨物船と概念的な塩胡椒
木製の杖が老人の手の下にぶら下がると、
花の茎は音もなく崩れ去る

草の息の根
2月生まれの健康診断表は
黒い蜜の上を巡る
呼吸は繁殖を繰り返す
臍の緒が路面を封鎖する

望遠鏡の凹に歌が溜まる
白鳥の講壇での演説
時速12kmが目を閉じる
吐き出す 瞼の上の車輪

揺り籠に入る
甘く染まった包帯が
赤い香草を噛み砕く
電気信号に喩えられた夕闇の色素に向かって

針金に吊るされる金管楽器のように
螺旋状の暗室を裸足の水槽は駆けていく
二酸化炭素混じりのスープ
雪景色 写真の中の

乗算と季節同士の会話
萎れた三つ葉が脂の上を泳ぐ
そして立ち止まる
赤外線に縫われた洋服屋の前で

時は瀕死だ
食卓に並ぶ記憶喪失が
いつの日か国際電話に代わるだろう
そして人は涙を数える

187
鋭く尖った鉛の国
胸ポケットの中身には景色がある
卵巣の飛散した無口なオレンジの恒星


#05(ダベリ)

  田中恭平

 残りのiqosのヒート・スティックは三本だ。
巧く構成した詩編をかけたらいいのだけれど、ともかくトライしてみようと思った、簡素で温度25℃の寝室で。
 何度も繰り返し書いてきたことだけれど、欲望を指すdesireは欠損語de を冠したstar 星のことであるということ。
星を失くした事象が欲望の根源であるということ。なんでこんな話をしているのだろう? と、なぜ私は私に問いかけているのだろう。
去勢された雄猫の睾丸部分はその精巣がないにしろ、ぷくっ、と二つ膨らんでいる。
私は猫と戯れているときそのぷくっ、とした膨らみを指で押してみることがしょっちゅうである。
猫はいつも通り寝ぼけまなこでこっちに顔をやるがすぐに背けてしまう。
何か文献で読んだのだけれど、猫は一日十九時間睡眠を行っているらしい。
これは生理現象を行っている最中でなければ大概はまどろみの中にいるということだ。
 まどろみといえば、私は白夜を想起する。グリーンランド、ロシア、ザ・ユナイデッドステイツのアラスカ州。
猫は我が家にいつつ同時グリーンランドで生きていると思っているのかも知れない。
二匹の雄猫は去勢されて大変穏やかになった。やはり苛烈な生の衝動は睾丸にその秘密があるということだろうか。
まあこんな睾丸の話はこれくらいにしておこう。それにしてもビリー・コーガンの歌はなかなか悪くないんじゃないか?

 睡眠薬にはその多くに依存性がある。このテキストを書いているとき、私は既に眠剤を服用している。
その上でコーヒーを飲み、パソコンのウィンドウの前で体を固定化させてこのテキストを書いているということだ。
それにしても、このテキストの一体どこが詩文なのだ?
しかし、書く、という行為に関しても依存性が生じるようでなければ詩人とはいえないだろう。
私は詩人ではなくて幽体だけれども、いつも議論の俎上にのぼる詩人の条件とはテキストと書くことに対する依存性を獲得しているかどうかに依るのではないか。
自ら依存性を獲得することが、賞賛されるべきものかどうかは別として1950年代ビート作家達がこぞって物を書いたこと
これに対してフランス文学の鈴木創士氏はとてもおかしなことではないか?と疑問を呈していたが、書くこと自体に依存性があるのであれば
自らマゾに自身の中に依存性を獲得しようとしたビート作家どもがこぞって物を書いたとすれば何ら不思議なことではない。

 私は昨日、四年半毎日コピー用紙に書きつづけてきた日記を書くことを辞めた。
色々な変化がこの一週間の内に起こったのだけれど、何より恋愛と勤労という二大テーマに挟まれて日記を書くことに対するウェイトがしんどくなってきて辞めてしまった。
それが今日の昼になったら、今日の昼食──はくまいごはんに納豆に豚汁と記述していたのであった。
記述に対する解毒剤はないのであろうか!
さて、話を睡眠におけるまどろみに戻せば私は酷い睡眠薬依存症に陥っていたことを告白する。
私は統合失調症を発症して、20のときに発症したので9年間この病気と奮闘を繰り返していたのであるが、
やはりこころがはりさけるように苦しい狂いに耐え消えなくなって、最初は、夜含む分の睡眠薬の錠剤を割って、口に含み、蒲団の中に入ってじっと天井を眺めていた。
今起きても、まず目に入ってくるのは、独特の模様の形をした天井柄である。
多くの小説を読んできたつもりだけれど、朝目覚めるといつもの天井だった、といった表現は読んだことがない。
まあ、フランスの写実に長けた文学者はこの手の表現をとっくに行っているのだろうけれど、もしもされていないとしたら
私が特許申請みたいなことをしておく。狂気によって奇行ははだはだしく、窓から夜裸足で家を抜け出ると、コンビニで食事をとった。コンビニの店員というものは裸足、コンビニで入店しても別段気づかないのか、気にしない、ということを私は知っている。庭で小便をして、朝四時に起床するようになり父に激怒され、自分はこのまま生きながらに死んでいる、つまりずっと眠っていた方がいいように思えてきたことは睡眠薬依存に拍車をかける結果となった。
 
今はすっかり回復している。それにしてもニコチンが止められない。
芥川龍之介だったか、煙草は悪魔が日本に持ち込んだ、と書いていたような気がする。芥川は一日に百本は煙草を喫っていたようだけれど
短編小説家という印象が強いせいか、百本煙草を喫っていたにしては生産性が少ないような気がするのは気のせいか。
音楽が流れている。ルー・リードのベルリンのライヴアルバムである。コーラスが天使のようだ。いつか過ごした白夜の夜の数々に感謝を。
私はやっと深層部位から清々しい水を掘り当てたような気がするよ。
感謝に睾丸二つでも捧げたいけれど、私には愛するパートナーがいて、あと三年くらいしたら子供を生んでほしいと考えている。
ラヴアンドシンパシー。
今日もあらゆる土地で去勢がなされた、コーヒーが飲まれたり残されたりした。
煙草が喫われた。
病者の口が渇いた。
睡眠薬が服された。
セックスがなされた。
みんな、おやすみ!おやすみ!
iqosのヒート・スティックがなくなった。


ら、むーん

  atsuchan69

微かに血の色を混ぜた
純白の火照り。
月光を浴びた濃淡の起伏が、
永くしずかに波打つ夜

幾重にも重なりあう
厳かな山脈を流離う爛漫、
滑り落ちる霞のごとく
裾野へ降りて散る花、死、花の吹雪
青褐に染まる森を見下ろし
おぼろげな雲に隠れた
ほろ酔いの影の淡さが声に滲む、

生娘の笑みを想わせて
彼処にうかぶ、
夢ごこちの華たち
光を浴びた木々の枝に、
芽吹き犇きあう葉たちの在るがまま
夜露に濡れた草葉の蔭、
湿った土を這う虫たちは蠢く

 あれは嵐の晩
稲妻に倒れ、今も横たわる朽ちた老木
そして寄添うように群生し、
俄(にわか)に育つ菌類の欲深な匂い
その膠質の粘液に映りかがやく
         ――ら、むーん
             (甘いささやき

仄かに発光し、花弁の絨毯の上を
揺れつづける声が中空を舞う )))
妖精の羽ばたきにも似た
哀しくも甘い息と息、その喘ぎ
夢うつつに交わす、つがいの音色は清く

疑う者たちへの沈黙と笑み、
「答え」は、
一瞬のうちに――
細く柔らかな咽喉を )
鋭利なことばで/切り裂く

 サクラ、
その薄紅のはなびらが夜も尚、
歓びに震えつづける刹那
人知れず山懐の擁く万象を見渡し、
散るさまはかなしみもなく

ただ雲の間に、いくぶん懼れを孕んで 」」


Dicotyledon

  アルフ・O


醒めた顔を隠す、でも抽出する花。
(肩をそっと掴まれ
 見えない弦が鳴る、)
 不協和音)
甘えてなどいない、よ、と
助手席に爪を立て(割れる(人じゃない、音
(聴こえる?
 今流れてる作りかけのこの曲も、いずれ袋小路だってさ。
 知らないけど。気休めの契約だし、
絶対なんて求めてない。求められない、って、
(みたいな、
 、みえない、箒星)
(血の透ける腕を、
 摘まれる)擦れる。(消される、
(切る、
 (切る、
  (切る、
無数の五線譜。
突き当たりで駐まる。
(アイビー、アイビー、
このまま、何処へでも手を引かれ続けても。
いずれ羽根が生えてくるまで
たがいにしばりつづけること、全部知ってる。
(いつかのゴミ置場のマネキンみたいね。
 体温あるけど。
 せめて、唾を吐く、抵抗、
 指を強く咬む、かむ(プラネタリウム、
(アンプリファー、花粉を震わせる、4時、
(裁きの如く物語の侵食を告げる警報を
 掻き消すように喋りつづける、
「汚されたい。
「汚されたいよ、ねぇ、
「半分の月が翳る、
「LEDが交錯して、
「バンビが空を駆ける。
「壁の星を剥がしながら。
「テンションコードなんて思い出せない、
「タトゥーシール失敗しちゃった。
「うまく溶かしてよね、この腕を、さ、
「持て余した鉄パイプが目印になるよ。
「黒いパーカーも、
「ビスクドールみたい、その仕草。
「破かれた絵本、鉄格子の中の。
「あふれる、あふれる、
「あたしたちいつまでニセモノなんだろう、
「少し大きなデタラメを言った罰。
「あと10秒あれば。
「期待させちゃったかしら。
「ねがいごとに嘘はない?
「雨も風も雷も去ってしまった、
「こんなに傷む術を持ってるのにね。
「血管が渇いていくの、
「天網恢々疎にして漏らさず、って。
「報いかしら。
「破るためだけに交わす約束、なのに、
「まるでサクリファイス。
「あるいは針をなくしたレコード、
「花火が上がる。
「穴だらけの夜ね。
「これ以上曖昧な関係でいられないの、
「その胸騒ぎが、本当になれば良い。
「そしたら蛍を放そうよ。
「閉じ込めてるありったけをさ。
「弾は二発、
「信号が点滅に変わる、
「口を噤むナトリウム灯。
「あなたは怖くないの、
「キスさせて、
「なら、顔を隠して。
「みなそこ、
「せめて笑って、よ、
「一緒に、死ぬんじゃなかったの、
「こんなので繋がりたくない。
「そう、
「それじゃ、お先に。
「うん、またあとで、ね、
「燃えるよ、サイレンの中、
 エンジンもシートもクラクションも、何もかも。
「その頬を撫ぜる掌、は、
「もう二度と開こうとしないの、
「ブラックサンダー買ってきて。
「痩せたいから。
「どうせ胸の鍵は開かないままだから、
乱暴に閉じられたドア。
1ミリの真空。
グライドする視界。
知覚する、
傷口に張り付いていた
棘の群れが
幾つも重なり
中に押し入ってくるのを。
とうに錆びきった
柔い壁はたやすく溶かされ。
これ以上身体が千切れないように
長く息を吐く。
黒い。
黒い。
黒い。
黒い。
黒い、
肺の中。
グライドする視界。
(アイビー、アイビー、離れないで、
意識はピン留めされたまま、
土に還ることもなく
羊水に踏み潰された蝙蝠が溶けてく、


phosphorescence

  紅月

[line]

彼女が不可思議な行動を見せるようになったのは僕たちが同棲をはじめてから数ヶ月ほど経ったころだった。ある朝、肌を逆撫でるような寒気に目を覚ますと、あけっぴろげにされた窓からあざやかに燃えひろがる暁がのぞいていた。窓は閉めて寝たはずだが、寝苦しくなった彼女が開けたのだろうか、などとそのときは特段気にすることもなく、隣で熟睡する彼女が起きてくるころには窓のことなどすっかり忘れていたのだけれど、次の朝もその次の朝も、ひらかれた窓辺には白いレースカーテンが踊っていた。彼女もまったく覚えがないというし、さすがにちょっと気味が悪くなって、四日目の夜、背合わせで彼女が眠りにおちたあとも、僕はサイドボードに置かれた青いLEDのデジタル時計の点滅を眺めつづけていた。彼女の呼吸と電子的な明滅のテンポは隔たりと交わりを繰りかえす。繰りかえす。

背越しの物音に半睡から覚醒する。彼女が身を起こしたようだ。衣擦れの音がきこえ、それからしばらくして彼女はベッドから降りる。気付かれぬように様子を窺うと、全裸の彼女がおぼつかない足取りで窓辺へと歩いていくのが見えた。彼女のあまりの異様さにしばし声をかけるかどうかの逡巡がうまれ、そのうちに窓をあけた彼女はするりと滑るようにベランダに出ていってしまう。ここからでは外の様子を確認することができない。しかしなぜか、見てはいけない、知ってはいけない、そう思って、どうすることもせずに僕はひとりのベッドのなかでつめたい石彫刻のようにかたまりつづけていた。すこしばかり経っただろうか、ふいに窓の外からぽつりぽつりとちいさな水音が聴こえてきたかと思うと、ささめきはすぐに陶器を叩きつけるようなかしがましい蝉騒へと変わる。驟雨が降りだしたらしい。全裸の彼女がはげしい雨に打たれる姿を想像する。彼女の腰ほどあるゆたかな黒髪は水のながれを宿し、みずみずしい曲線はおそらく、打ちつけられる強さをもってつぶてを押しかえすのだろう。

とてもながい時間が経って、ようやく部屋に戻ってきた彼女は不思議なことに少しも雨濡れしていない。窓の向こうの雨音は彼女が戻ってくると途端におさまり、すぐに未明はもとのしじまを取り戻した。何事もなかったかのように寝巻を着てそのまま眠りについた彼女はやはり夜のことをなにひとつ覚えてはいないだろう。朝のニュースはどの局も歴史的干魃による水不足の話題で持ちきりだった。

その日から毎晩、彼女はこの街に雨を降らせつづけた。そして、彼女に呼応するように世界は乾きつづけた。






[around]

飲み会が終わったあとの自宅への帰りのバスのなかでうっかり寝過ごしてしまって、目を覚ますとさっぱり見覚えのない薄暗い山道を走っていた。とりあえず聞いたこともないような名前の停留所で降り、iPhoneで地図を確認するのだけれど、そこにはいくつもの線が波紋のように広がっている不思議な図形だけが描かれている。手持ち金もわずかばかりしか残っておらず、仕方がないからバスが走り抜けていった方角と逆方向に歩きはじめる。はじめはどうしようもなく憂鬱な気分だったのだけれど、眼下に海が望める崖沿いの緩やかなカーブや、蔦に侵食され罅割れたアスファルトを踏みしめるうちにだんだん朗らかな気分になってきて、路傍の小さな草花を摘んでみたり、スキップしながら鼻歌をうたってみたりした。月はまとわりつくような群雲にしずみ、わずかばかり漏れだした光が植物のつややかな暗緑色を濡らしている。

とちゅう、人のかたちをした幽霊とすれ違った。軽く会釈を交わしてから自宅への道を尋ねると、幽霊は何も言わずにみずからが歩いてきた方角を指差す。彼の輪郭は絶えずほころびをくりかえし、眼孔にはひとみのかわりにいくつもの語彙が渦を巻いていた。生の幽霊なんて都市部ではなかなかお目にかかれないし、物珍しさから、写真を撮ってもいいですかと聞いてみるが反応はない。きっと沈黙は承諾のあらわれなのだと解釈し、iPhoneのカメラ機能を使いふらふらと風になびいている彼を撮影する。しかし撮れた写真のどれを確認してもそこに彼の姿は映り込んではいない。とても残念だったけれど、彼をこれ以上引き止めるのも失礼だと思い、ありがとう、と礼を言って別れてから、彼がやってきた方角へと歩きつづける。

それからしばらく歩いたのだけれど、いっこうに人里は見えてこないし、もはやどれくらい歩いたのかすらわからなくなってきて、もしかしたら歩いているのではなく止まっているのかもしれない。しだいに体が金属のように重くなってきて、仕方がないから、ふらつくたびに身につけていたものをひとつずつ捨てていった。廃棄をくりかえし、風とおなじくらいのかるさになったころ、ふたたび人のかたちをした幽霊とすれ違う。軽く会釈を交わしてから自宅への道を尋ねてくる彼に、僕は歩いてきた方角を指差す。これから撮影されるたくさんの写真。そして僕は映らない。映ってはいけない。それが決まりごとなんだ。






[bunch]

暗室のなかで現像液を吸いあげる花々は撹拌と停止の指揮にあわせて示されたかたちを繕ってみせる。点を隠すなら点のなかなんだよ、と花が言って、言ったそばから花は他の花に覆われすぐに見えなくなる。群生する花々はたがいの弾力をおびやかしながら触角を絡めあう。点描の線がするすると延びていく。線はしだいに屈曲し円をかたちどるだろう。地面に散乱する不揃いな極彩色の果実。どこからともなく鳥があらわれて、むすばれたばかりの果実のやわらかさへと嘴を埋める。いつしか暗室のなかをたくさんの鳥が飛び交い、机に無造作に積まれた写真の束が彼らの羽撃きに巻きあげられてぱらぱらと宙を舞っていた。果実へと群れる鳥たちの集団はまるで合一したひとつの球体のようにうねり、撹拌と停止を指揮する人影の手には猟銃が握られている。やがて銃声が響いて、血の流れない淘汰がおこなわれるとき、線と線の交錯でことづけられた記号のおおくは奥行きを取り戻しながらみずからの重みに沈んでいくだろう。風にあそばれるたくさんの写真は刈りとられたシーンたちをこま送りのように明滅させる。立ちつくす人影の耳から色とりどりの歓声が勢いよく噴きだし、投げ捨てられた猟銃の銃口からたちのぼる硝煙が、抜きだされた景色と景色のあいだの余白を埋めるようにたちこめる。そして、結びには表題への解答として、発作的な暗転に取り残された人影だけが、屠殺した鳥たちの骸を抱えて黄みがかった現像液のなかへ溶ける。


そうして、かたどりだけがのこされた、
かたられるはかたるのかたちからはぐれ、ここにはなきがらばかり、






[(ref)line]

延びあがった影はやがて斥力に耐えかねて湾曲する。かさなりを拒む乳房のみずみずしい弾性。彼女のしろい乳はどこまでもたかく噴きあがり、なぐりつけるようなはげしい驟雨となって街を濡らす。山々の稜線をしろくなまあたたかい川がよごし、まるで彼女の髪のようにしなやかなながれを汲みあげては、いにしえから雨乞いをつづけていた人々はめいめいのながい乾きを癒していく。そうして、街はいちめん白に染まり、うるおいにひとみを焼かれた人々の眼孔からは次々と煤けた詩句がこぼれおちる。軽い挨拶を交わすたびに、ひとみをうしなった彼らはひとりずつ白の溟い渦のなかへ飛びこんでいくだろう。干からびて使い物にならなくなった文法だけが、ただそこに遺されて、降りそそぐ線の集合のふたしかさを距離に喩えつづけていた。

 


カンパネルラ!

  芦野 夕狩

カンパネルラかもしれない
同僚はそう呟いて冬の街に消えたきり
もう会社には二度と現れなかった
僕はカンパネルラ症候群だと思った
けどもそれはまだカンパネルラ症候でしかなかった

同棲していた彼女が
カンパネルラかもしれない
そう呟いていなくなった時
それは確かにカンパネルラ症候群になった

ロヒプノールの錠剤が青くなったことと
関連しているのかもしれない
明るさと上手くやっていけず
活字を読みとるためだけの
デスクライトに照らされた部屋には
ペットボトルや靴下や
なんのために存在したかもはやわからない
紙がちらばっている
砕いたロヒプノールの錠剤が
絨毯の隙間に滑り込んでいる
このまま滑り込み続けて
この部屋が取り返しのつかない青に
染まればいいのに

僕は人間である前に
一塊の鉄である
果たして本当に必要なのかもわからない仕事を
毎日こなすためには
そうでなくてはならない、ということだ
たまに昔読んだ活字を手に取るが
それはカンパネルラではなかった
ロックミュージックをかけても
それはカンパネルラではない

ある人は人生は累乗されうるという
僕にもその意味がわかっていた頃があった
僕がまだ物語であった頃の話だ
ロヒプノールがまだ雪のように白かった頃の話だ

雪の降る日。まだ白い雪。僕は確かにキリマンジャロの山頂付近にいた! となりで豹が凍り、カンパネルラ、と叫んだはずだ。そして子供たちがそれぞれ独特のやり方でミルクをこぼし始め、世界怪獣がそれを見て笑っている。女の子たちは風の歌をうたい、男の子たちはそれに乗ってみんな海賊になってしまった。ミルクは一杯の地球では収まり切らずに、僕の部屋になだれ込んで来る! カンパネルラ! 叫ぶと青色職人が女の子たちを一人ずつ凍らせていき、風を失った男の子たちが陸に行き着き平凡な生活を始める! カンパネルラ! 今日から収入と支出の記録をつけて、将来老いてから病気をやっちまってもなんとかなるようにしようと思います! ミルクはブクブク泡を立ててホットミルクになってしまった。これでもう誰も凍りつかない! 僕のとなりでは決して凍りつかないような健全な女が寝ている。カンパネルラ! 叫んでも凍りつかない。なんて健康なんだ! もう誰も凍らない、凍らせない、凍れない! 男の子たちは絶望する! 女の子たちも絶望する! 世界怪獣は凍っちまえよ ベイビーを歌い始め、それと同時に凍らない ゆえに ビューリフォーを奏で始める! 僕は一塊の鉄だ! カンパネルラ! 僕は凍らなかった、僕のとなりで豹が凍った、僕は海賊だった、僕はカンパネルラじゃない、僕はミルクをこぼした、女の子が凍った、僕はホットミルクの中で凍った、みんな凍った! らい病研究者になった世界怪獣がそれを見て美しいと言った、美しくないよ、と言った


夢の岸辺

  きらるび




忘れたがりのぼくらは、
夢のさきの一滴、一滴を、
胸元に垂らしながら、
薔薇の骨を探すような所作で、
ぬめぬめと互いの肌の感触に、
萌ゆる息を尽くしつつ、
埋葬されてゆくしかないのです。


いくつもの、
あわい歯のカタチの、
靴あとが目立つ、
やさしさの岸辺に、
きみはいつでも立っていて、
ぼくを手招きしながら、
かなしみを帯びた瞳で、


「 泣きあがれないほどの、
  憂うつの時の雨に打たれつつ、
  いま、わずかにこころを震わそうよ 」


と、つぶやき、
海のなかへと、ふたり、
静かに、飛びこんでゆく。


足をバタつかせながら、
泳いだあとの、
くったりとした、
浅い眠気。


時をシーツで覆うほどのふたりの愛は、
いつだって、行方しれずだ。
泡と泡の結晶は、
ただのビーダマにしか、
なることができない。


ぼくたちの子どもは、
性別の透き間の奥の奥、
細長い井戸の、ずっと、底。
きょうも、
光りの射し込まないところで、
光ることなくきらきらと、
輝きわすれて、こころから、
こころだけの心地よさで、
煌めいていることでしょう。


きみは、ぼくを抱くのか。
ぼくが、きみを抱くのか。


ひとつの性別では、
絡まる想いに蓋をされ、
みえなくなる、ことばかり。


いいのです、
ぼくは彼を愛してしまったのだから。


「 みえなくなるほど、抱きしめて。
  抱きしめあえるほど、みえなくさせて 」


ふたつの胸から繋がった命の鼓動は、
絡まりながら、決してほどけぬ、
糸となり、無様な愛を言い訳として、
世間から埋葬されてゆくのでしょうね。


ぼくたちの薔薇は、
いつか、ちぎれる。
そして、骨だけ残して、
ひとりぼっちで、
夢の岸辺をあとにするのです。


夕暮れ時に

  本田憲嵩

この夕暮れ時に、ひとときの安堵と寂しさとのあいだで、わたしの瞳の中を泳ぐ、俎板のう
えのかなしい子魚たち、時のながれをさかのぼるように、わたしの水面を掻きみだす、台所
に立つ萎んだ母の背中、澄んだ水道水のかぼそいせせらぎ、揺らめいてガスコンロの火さえ
も寂しげに、小さな四角い窓からは、まだ葉をつけていない冬の裸の老木、木はたとえ倒れ
ても春になれば葉をまた茂らせることができるのだと、信じたい、あるいは、西の窓から滲
む紅のまぶしさと温かさのように、包みこむことができるのなら、このような夕暮れ時に。


Kite flying

  紅茶猫

暗い穴が
無数に開いている星の上に立って
宇宙に凧を上げていた

足下の穴に
誤って
小石を
落とした時は

ぽちゃん、と
音がするまでに
辺り一面真っ暗になってしまって
僕は道具を片付けて
家に帰るところだった

ぽちゃん、
雨水の音濁る、

漆黒の宇宙に
風を探して
凧が
星の一つに届くようにと
ありったけの糸を
闇へ繰り出した

けれど
右手に握った糸の端には
重さという重さが
全く存在しなかった

凧が上がっているのか
僕が
果てしなく
落ちているのか

伸び切った筈の糸は
するすると
手のひらを
滑り続けている

それもそのはず
糸は
いつのまにか
僕の手のひらから
繰り出されていた

まるで蚕が
糸を吐くように

糸が出尽くしたら
僕はこのまま
宇宙に投げ出されてしまうのだろうか

ハサミだ

左手で
道具箱を
必死に探った

あった

赤い柄のハサミ

僕は
熱を帯びて
出続けている糸を
ハサミで
ぱちんと切った




(落下)



今度は
穴の中に
落ちている

足を踏み外した覚えも無いのに
気の遠くなるような速さ

僕を宇宙へ
引き上げる筈だった糸が
右手の真ん中から
だらしなく垂れている

落ちながら
糸を引いてみた

すると
糸は際限なく出てきた

落ちながら
糸を体中に巻き付けた

少しは
落下の衝撃が
和らぐかもしれない

突然
眠気が襲ってきた

僕は糸をぐるぐるに
巻き付けて
繭玉のようになっていた

この穴は
一番深い穴に違いない

ぽちゃん、
雨水の音濁る、

そういえば
落ちながら
穴に底のある幸福を
少し思い出していた


どこにでもあるものをなきものとして

  鷹枕可

死までへの執行猶予でしか勿い、それらのために、

     ・

わたしの乏しき血の糧が
どこにでもある様な優しさを咎めるなら
それは普遍の窓に揺蕩うあなたのなきがらをうめてゆく
怖ろしき父親の書斎の椅子です

のどが乾き
罰せらるため生み落とされた
揺籠を花の様に笑う
口無しのみどりごへ綯われた
ありとあらゆる乳香を薬包紙がひらき、
解剖台のなかで喪われてゆくのが見えますか

それは あなたがたの尊厳です
それは あなたがたの誕生日です
それは あなたがたの戸籍です
それは あなたがたの火葬室です

余命を報せる趨勢の終わりを
母親が愛した葬歌を
踊りましょう
本当は花殻のなかに隠れてしまって
見えないものですか
贋作の偶像とも
肉体像を悪魔の白薔薇とも知れぬ
恙無い
端緒より救済されてゆく
死が終わりではないのならば
それなら

わたしはわたしを遂にみることすらかなわぬ鏡の映像のように、
つかむことも覚束ない死の癒えるまでを離れなければならないのでしょうか

その前後縦横に余りにも死は明るかったものですから
わたしはわたしを熔け爛れてゆく錫の涙漿液へ開く
閂のある中世建築物総覧を諍いの壌へと孵るまで眺めていたかったのです

果が必ずしも黎明を拇指にあてがう訳ではない様に、
曖昧なタービンの縁に錆びる蒲公英の様に
あなたたちを
冠毛と翼果で飾られた絹布に拠る
リリエンタールの花が墜ちる様に
音を立ててはならない瞑目の空間を廻りつづけているのです

物象が未だ象徴でも
抽象観念の隠喩でもなかったころに
わたしが精神を病むと電気線の拍手が聴こえると言っていました
あなたが時刻を数え、あなたが残虐のみにぬかるむ、アダムの頭蓋に吻合された両性具有の絶慟にも似て
石膏塑の偶像を毀す毎に生々しいあなたたちは処女雪に粉砕乾燥花の微塵を降らしめるでしょう

どこにでもあるものをなきものとして、

     /

腐敗をした精神の樹果はなまめかしい葡萄花を孕んでしまうから自由なのでしょうか
理路が在る様で無い哲学を少年は枕木を跨ぎながら最初の橄欖果を慈善修道院へ充ててひしめかせております 
小壜に酸漬にされた橄欖畑の風景は逆様の地球儀をつるした一本の鋼線の絃である様に絞られて
注射器のアセチレンは濃緑色の自動車婦人の容貌鏡にもさして相応しくはなかったので私製の椅子へ錆びた花束を撃っているのです
それはまるでアーチェリーの標的に沸騰液より凝縮されたうつくしく青白い病院であり、また赤十字輸血車の忙しない血のレトルトなのでしょう
膵臓を霰が徹底される毎に聖母像は裸婦像を影像として対偶でありながら永続を引き裂かれて傷む鶏頭花のさざめき已まなきベランダからの峻厳な機械元素の総てを
生きたまま死にても同じこととあなたが仰られるならばその様にも呼びましょう
或は永続の終りへ執念の帆立殻のひとつである巡礼者達を厭うのは死としての偶像ではなく世界像の不明瞭な弁明と魘夢の露見としての磔像が流す錫の微針の血脈樹にも始めから何所にも麗かな美少年達などはいはしないのに
青褪めた鳥たちを撃ち落したならば自由にもなれるのでしょうからきみたちは口にしてはいけないのです瞭然と瞠った者が瞠られる姿勢のあるがままを残虐な精神像の終始を


     ■


セパレータ

  紅月


いつも日没は反覆だった


ごみ箱に弁当の中身を捨てる
箱の中
散らばった白飯が造花のように咲き
今朝解凍された惣菜がぽろぽろと転がる
(それだけしかないから)
誰にも見つからないようにすっと
西日の差す教室を後にした
あかるい放課後


校庭でふざけあう子供たちのなかに
ひとつだけ人形が混じっていた
鐘が鳴っても帰る場所がわからないの
と 口を固く閉じたまま彼女は言う
あざやかな喧騒が足元を浸し
グラウンドはひどくぬかるんでいたけれど
傍聴席に座っている神様には
あまり影響はなかった


車窓から眺める風景
乱立するビル群
そのあいだからかすかにのぞく稜線
小刻みにうごめいている黒点たち
どれもが形式ばったあやうさを湛え
映るすべてがモノクロに見えた
色を告げるための比喩はとうに擦りきれ
会釈だけが車内にからからと反響しては
こみあげる嘔気に
からっぽの中身を吐き散らかした
ここではないどこか
どこかではないどこか
散らばった臓物が造花のように咲いては
一人分の隙間に丸まった私たちは
どこまでも水平に運ばれていく


緋色の空を切り分ける高架
血液の流れはたがいに平行をたもち
都市はいきものの真似事をつづける
あざやかな喧騒から次々と水は溢れ
やがていびつな流れとなって
指し示すばかりの都市の骨格を飲みこんでいく
逆光のふかくに滲む魚影
潜行 いまだあかるい落陽のさなか




   横たわってばかりいる母の
   枕元にたかく積まれた新聞紙はいつも
   遠くの国に住むだれかのことを語ります
   わかる言葉で書かれているから
   まるでほんとうみたいでした
   たとえば
   銃撃 という記号
   母のからだはひとりで抱えるにはあまりにもかるく
   こぎれいに小分けにされた惣菜を
   毎朝母は解凍し箱詰めします




澱みに沈んでいく部屋のなかで
巻きあげられた新聞紙が蝶のように水にあそび
血塗れのタオルが国旗みたいにはためいている
泳げない母の口からは小さなあぶくが漏れて
それは私の知らない言語だった
切り裂かれた肉片や野菜
たくさんの不揃いな訃報が投げこまれ
撹拌されていくつくりものの箱の中で
なにひとつ交差しないという暴力


そうして神様は
水没した世界をごみ箱に捨てた
かつていきものだったものが
箱の中に散乱してつめたくなっていくのは
とても叙情的でうつくしいこと
なのかもしれなかった
(それだけしかないから)
西日が差す教室
窓の外の景色はすべてモノクロで
なにかに喩えてやりすごすのはとてもむずかしい
ごみ箱の蓋をそっと閉めると
ちょうど下校時間を告げる鐘が鳴り
校庭では顔のない人形たちが
命がけの銃撃戦を繰りひろげているのが見えた

 


雪望

  宮永

 

 この冬は寒さが厳しく雪も例年より積もるだろうと、秋口から何度も繰り返された予想に反し、今年はまだ根雪にならない。
 無数の大きな雪片が空からホトホトと落ち続ければ、一面のやわらかな毛布を頭までひき被り夢見るような心地になって、あごに触れるマフラーの温み、足先のじんじんとする疼きが私に血をかよわせる。けれども今はただ、縮こまる体を乾いた風になぶられている。
 雪降り積めば、家々や通りの雑多な凹凸を白く均らす。晴れた昼にはキラキラと陽を粒にする。夜、灯が点るとオレンジから灰のグラデーションで、柔らかな窪みに静けさを溜めこぼす。
 私は遅れている路線バスを待つように、真冬の到来を待っている。庭の裸木も家々の脇に重ねられたプラスチック製の植え木鉢も、晒され乾き続けて、今にも粉々になってしまいそうだ。


01:04.68

  Drean

1.21秒
1.63秒
1.96秒
2.19秒
1.40秒
1.53秒
1.76秒
1.63秒
1.79秒
1.46秒
1.63秒
1.73秒
1.93秒
1.79秒
1.07秒
1.24秒
0.93秒
1.40秒
0.68秒
0.97秒
1.30秒
1.00秒
1.09秒
1.19秒
1.50秒
1.23秒
1.74秒
0.67秒
1.26秒
1.47秒
1.05秒
1.33秒
1.37秒
1.65秒
0.90秒
1.72秒
1.23秒
0.59秒
1.37秒
1.10秒
0.93秒
0.96秒
1.87秒
1.30秒
1.31秒
2.36秒
1.05秒


show room fantasy

  紅茶猫

傷つく才能が無いと言われて__

地上3メートルくらいを
ひらひらと
時々、大気圏の外に突入している
自分を思った

傷ならば無数にあると言っても
消えてしまったものには
何の説得力も無い

表層の下に眠る
忘れたものや
忘れた人たちは

あまりにも大人しくて
今でも真っ直ぐに棘を生やしている
そんな聞こえない筈の音が
時々している

もうだめだと
思った瞬間
世界を呪う私の肩に

私の肩に
花びらひらりをりてきて
夢をどっさり乗せたなら
あとはよろしくと

私には世界を呪うことすら
許されていないらしい

不幸は時に甘美だね
死滅するほどに鋭角な
その甘美さに
かろうじて耐えられる

不味い酒に酔った頃

暴れてみれば
私の表層の下のものたち、人たち

床下の小人くらい
ふくらんでさ

私にはいつも見えているし
聞こえている

話せないものと
話してしまったら

棘はますます体の奥へと潜り込み

離せないものを
離してしまったら

足元がいきなり、ふわり
浮き上がって

大気圏の外へ__

運べなかった
地上3メートルくらいの空だった

帽子の下
共感に飢えた顔をして
一体どこへ行くのだろう

最初は上手く操っていた筈の
自分の言葉に
殺されていく
そんな感触の
ショールームみたいな風景が続いている


午前七時十二分

  こっ吉

透きとおった朝の。
電車はオレンジ色で。
今日も彼らを、
カラッポへ連れて行くのでしょう。


裏側

  尾田和彦




透明な午後を開いていく
アコーディオンカーテンのような
週末の白昼夢を(イオンのショッピングモール)に
隙間なく分け入る人々の足を
横断歩道を
宮崎県道10号線を
ぼくは鹿児島方面へ車を走らせる


都会も田舎も変わらない孤独を抱えている
ニンゲンという
この甘く鋭い
大根のような
ふくらみの中で
呼吸をしていると
ぼくは
「都会」や「田舎」といった概念も
ニンゲンが作り出した
やっかいな括りの一つだと知る


世界の歪みに
心が摩擦音を立てる

これはきっと
動物の鳴き声が
ニンゲンの言葉に変わった瞬間に違いない
日常とは言葉の生まれる瞬間なのだ
ぼくらはいつもその立会人だ


言葉とは
憎しみの唄
摩擦音なのだ
優しさを踏みにじる
傷跡なのだ


ウィンカーの
チッカ チッカ チッカと鳴る音
ハンドルを切ると町並みは一転
山の景色に変わる
田んぼや畑や整備不足の農道を
車をボンボンを跳ね上げながら走る


絶え間なく生産される命
待てよ



ぼくらは
死後の世界にいるのかもしれない
ここはきっと
裏町の表側なのだ


車の中で
ぼくは存在に触れる

世界の仕組みの中に入り込む


直ちに秩序は意味を亡くす
夏の虫は力尽きて鳴き声を失う
車体を突き抜ける音は
表側の世界の人々の声だ
セミの抜け殻は始点の場所を示す

ここは意識の裏側


光と目の邂逅は
隙間だらけのフェルトの様だ
風も光の音も匂いも抜けていく
人間の命を抜けていくのだ
ハイウェイの様に
高速でビュンビュンと
魚のように背鰭を揺らしながら
前進をし続けるのだ

ニンゲンはビルディングの隙間で肩寄せあいながら
または畑の中のビニールハウスで
星図の中に示される宇宙のように
後景に遠ざかる

「この町ではね
変死体が多く出るって
有名でね」



助手席の同僚がぼくの耳元に囁いた
「田舎」へ行くほど
死の匂いが強くなる
都会ではそれが芳香剤と化学物質の放散によって消し去られ
死は悪となり
狂気は正気の世界に取り込まれる
狂った集団が朝陽の中ビルディングに飲み込まれていくのだ

畑仕事をしている農夫の指先は
土の裏側に表の世界の営みを感じているのだろうか?

通学路を
スカートの裾を翻しながら
自転車を漕ぎいだす女子学生
下着が丸見えになっているが
それは都会の配列とは違った意味の体系であり
ぼくらは新しい記号の乱立に
失った世界の
何分何十秒後に居るのかを知るのだ
君が今イオンの食品売り場で買い物カゴに野菜を放り込んでいる間にも
残された時間がニンゲンの血にしみこんでいくのだ


kissはチョコの味

  祝儀敷


模型のようなチョコレート工場が頭の上に浮いている
私の身体は検体の如く堅いベッドに固定されている
七色の熱電球が工場を派手にデコレーションして
轟々鳴る機械音は蛮人の儀式みたいに響き渡っている


外を通過するトラックのライトは部屋の壁を刺して去る


おもちゃサイズのチョコレート工場はまるで
亡霊
工場に眼球などあるはずもないのに
私が微細な動きさえもしないよう
無機質のそれは冷徹に見張ってくる
チョコレート工場だというのに陽気さはひとかけらもない
壁面の鉄板には呪詛が刻まれているかのように錯覚してくる
血液が消えていく 身体は動かない
かわいらしい大きさとは裏腹の暴力的な機械音は
生物を命あるまま砕いているかのようで
変わらず鮮やかに光っている電球は
工場から漏れ出た屍の怨念ではないだろうか
首を回して目を逸らすこともできない
私は生きていないかのよう
暗闇に薄く見える自室のカーテンや天井たちは
昼間と全く変わらない様相で静かに眠っているが
対して機械音は容赦なく増していくばかりだ
存在感は異空の穴のよう重く
その一点だけが歪んで見える
血のようなチョコの臭いはいたずらに鼻腔を刺激し
体躯を真っ直ぐに伸ばしている私は蝕まれるよう犯される心地だ
筋肉が収縮する 心臓だけが興奮している こわい
浮遊している工場は
化物のような金属音を急停止させたかと思うと
鉄門を開放し中から尾を引いて
白肌の魔女が出てきた
発光するブロンド髪と青い瞳が
動けない私の顔を捕食するように撫でる
魔女の口にはできたての小さなチョコがくわえられていて
そのまま私の上に飛び乗り 甘いキスをした


視界さえも消えた


  あいら

欲望が、まだ、欲望じゃなかった頃、食べることが、まだ、食べることじゃなかった。一筋の、奇妙な、食道のように、君は、ありついたご馳走を、飲み込んでいる。眠ることが、それが、眠ることと、気づき始めた頃、ひとひらの、温かな葉っぱのように、君は、膨大した、眠りの中に、吸い込まれていく。外側と、内側が、混じり合う、短いひと時、水色の水の中で、浮かび漂う、夢を見てから、眼を覚ました後、水色の夢が、双曲線に、背中を、湧き出ていく。


一枚の写真

  霜田明

「一枚の写真へ」

分厚いカーテンの隙間から
失われた温度の差し込む朝
(朝の空は人の両手のひら)
過去という夢を見た(雨ひとしきり)

  (朝は天使の落とし物)
  冷えた小さなその物質を
  僕はこれからこの腕の中に
  暖めていなければならない

    (港町に流れる風の霊性)
    人混みを透り抜けながら
    過ごしていくことへの虚しい固着
    から詩は起こる
  
      「私は異常である」ということは
      少しも存在していない
      「私は異常だ」と思うときのそれは
      ただ罪悪感そのものだった
  
      一枚の写真が無層の現実を写すとき
      被写体の切なさが過剰すぎず
      それでも少し過剰であるとき

      写真は強い欲求である
      撮りたいという欲求でなく
      そこにあるそのもの自体への欲求
      (どの人間の側からでなければ
       どの被写体の側からでもない
       世界の側からの精神的な反重力)
  
    世界のような人体と
    行為のような物体と

街は反時計回りに渦巻くぜんまい
夢のような心的現実を退けて
自動機械は全く同じだけの
言葉の量を積み上げていく


  黒髪

海の広さに一つだけ答える
わからないよって

帰るだけ
砂を袋に入れて
ああまだ生きているなぁ
いつまでも生きていたいなぁ
心を縛る縄をほどいてくれた海風とも
いつまでも一緒にいたいなぁ
でもそれはできない
だから僕は思い出す
新しい神の夕べに薪は倒れてカタリという

一人の旅に出た友よ
僕は君がまだ生きているかのように思っていたいんだ
問いの届かぬ海の向こうにも陸がある
美しい波と時よ
命の永遠よ
繰り返し連鎖するイメージは強いることもなく
海と空との青く広大な向うへとたどり着くだろう
愛の感情は寛大でありいくつもの苦しみを救ってきた
人が目指すところは全ての心の内側
助けるのととがめるのは同じ心
もう物言わぬものは決して消えない
閉じた幕の向こうでも続く劇がある
時折振り返るとふっと歌声が聞こえてくるような気がする
ふっと表情を思い出して君の心を考える


斑入り模様

  宮永



日射しの翳った庭
斑入り模様のアオキの葉っぱに
湿った土の団子をのせて
松葉を一組そえたなら
思い出して赤い実二つ
さあ、召し上がれ
とつぶやく前に
お昼だよと呼ぶ母の声
皿も団子もそのままに
台所へかけこむと
おむすびにしようと思ったけれど
ごめんね、ガス釜の調子悪くてね
ご飯うまく炊けないの
診てもらおうと思うけど
ふふ、いい加減、電気炊飯器に変えようか





一人炊き用に買った炊飯器は
講義に遅刻しそうな朝
コードに足、ひっかけて
棚の上からゴトンと落ちた
それっきり閉まらなくなった
蓋、グッと押さえてもパカン
重たいカバンのせてもパカン
まだ一年も使ってないと
すんなり往生できない私に
買ったほうが早いし安いと
冷やしサラダ中華が女子に人気の学食で
友人たちが口を揃えるから
わかったよ、で、何ゴミ?
燃えないゴミの日いつ?
電気屋さん引き取ってくれる?





お盆前、渋滞気味の高速道路をようやく降りて
人家もまばらな道を実家へと車を走らせる
後部座席では子供たちが眠っている

道路の脇には廃棄物の処理工場
金属類が集められて潰されて
それぞれのモノをとどめたままに
錆びている
ゆるく圧縮されたこの四角い集合体は
いつ、再生されるのだろう
雨ざらしの処理工場にはいつもヒトケがない

降りだした雨はフロントガラスににじみ
支流から本流へ流れ込んだり溢れたり
どこか知らないどこかを指して
ぶんめいは進歩をとげて発展し
近県の福島やチェルノブイリまでさ迷って
家に着く頃には
すっかり本降りになっていた
雨音に
耳をすませて

駐車する車の音に呼ばれた母が
傘をさして迎え出た、庭先の
アオキの葉はつやつやと濡れて
根元では小さな泥のお団子が
もうとっくにほどけて
かえっている


ハローグッバイ

  鞠ちゃん

日々は何気なく滅びて
連絡が途絶えた友は笑っているか
私を忘れたか
あなたが私を忘れたら
私は死んだみたい
忘れないでよ私を

無一物の明るい旅人よ
おまえは人生を愛して
記憶こそ命だろう

使いなじんだペンケースに幾本のペンと消しゴム
修正が必要なのは
失言を許すのは
皆いつかは孤独な赤ちゃんだったからさ
男気を磨いてメメントモリ愛を思えよ

飼っている猫が老いてきた
丸い背を見せてさ
その背にきっと安心が宿る
両手を広げて君への楽園を作った私の腕の中で
君の背には信頼が灯る

人も猫もベイビーだから
世界は踊る水玉だ
恋するように踊れよ

喪失を木霊させているとき
雨が君を癒そうと和音を束ねてその底力は愛だ
つつましやかに最高に洒脱にそんなだ

私はジャジーに落下しながら君に話しかけた
古い黒電話を持ち上げて
たまたまに混線した
あなたの心につながった
偶然を祝福するみたいに
見知らぬ人よ

ほら、あそこの新聞配達をする幸子さんは
白い息を妖精、吐いて
その名前通り存在が存在だけで誇らしい
そしてそれは君も僕もわたしもそうだね

わたしはあなたに即興で歌を歌い
めちゃくちゃにピアノの鍵盤を叩くおかしなやつさ
花製造工場みたいに手紙を出したいんだ

川上で君に笹舟を流したんだ
イメージの本流を気持ちよく泳ぐといいよ
金髪の少女が甘い飴に寄せて
嘘をついていいと笑ったよ

私たちの眺めるあの虹の陰に
憂いの亡霊がいるせいだよ

映画のエンドロールは砂漠が映っていた
でも耳を澄ましてごらんよ
笑い声がかぶさって低く高く木霊し続けているよ

欲しい言葉を乾いた空気に穿ち
入れ墨しなよ
見たいものを見るんだ
きみをたぶらかすよ


ふぁんしーあいらんど

  祝儀敷

巨獣は妖精だよ あそぶの大好き
巨獣はやさしい妖精だよ みんなとあそぶのが大好き
あそぼう震えて痙攣して細動で体が拡がる
金属打ちの音とあそぶぼくらの笑い声
巨獣とぼくらとぼくらとぼくらとぼくらと
ここでこのあそび森が斜めになるのがわかる
ぼくらの体はあそぶうちにどんどん伸び拡がって
細動だけの巨獣と細動しながら面積が増していくぼくら
だけど巨獣の細動はふしぎなちからで森を暗くしていく
森はもうだめだから巨獣はあそびはじめたんだ
巨獣はやさしい妖精だからぼくらもいっしょにあそぶんだ
森が傾きすぎて滑り落ちていく
ぼくらの体は拡がりすぎてもうぺらぺら
目が意味無いゆっくりと急いで震えて壊れた何かが

思惟はない思惟はない思惟はないしいの実
しいの実しいの実巨獣の前でちりばり跳ねて
巨獣の巨頭を巨頭オ


ザーザーザー 灰色
ザーザーザー 灰色


巨頭を  巨頭を   巨頭を   巨頭を 巨頭を
 巨頭を  巨頭を   巨頭を   巨頭を
   巨頭を    巨頭を   巨頭を
巨頭を   巨頭を   巨頭を  巨頭を  巨頭を


開かれた死骸

  鷹枕可

蜜と鉄の創造者を呪う知りもせぬ海嘯の城門より
数多の死と
花被殻で飾られた
翰墨の凱旋車が
海底建築に突進して行く

緑薔薇色の死者が
常繋ぎ留める肩章徽章の綺羅を
私達は
絶無抽象の青い乾板にも探し遂せない
誰が聞くのか
紡錘機の退屈な獄舎の普遍的寓話を
死の夢のただなかに在り
死の終着のなかには
今亡き今が絡め取られた

罌粟が鈍鉄の曇雲を裂開する時
綴られた繊維紙
或は蠅を綯う
紙篇を罫線を
確実な愉悦饗宴の
黒い後刻に電気機関車の死骸であるがごとく磔けよ
自働機構への逃亡を
彫版家としての
衰亡童話が隈無く支配する零落国家へ

無辜を最愛なる理想像であるか、
純血統種の捺花は
死は今きたる
きたるべき死者のこめかみの側へ

そして
弛緩をした自動麻酔が
各々の根幹たる
神経髄の樹を亙り已まぬ為には
何れ程の錆鍬が
壌の糧を孕み

胚種脱胎の嬰児を
包柩を間歇的に噴出せしめなければならないのか

貴賤を喚き止まぬ鳥籠の死骸が
真新しい精神病院の緑なす最終面会室に
腐蝕酸の蝶番を置く

それは瞬間の薔薇の符牒を穢しながら
地下階へのきだはしを揉まれ流れていった

エドワルド・バーンスタイン史の大理石の腿骨を齧る虱達よ、旧前衛工房は突破された
後衛美術の類――絵葉書、切絵、影絵、映画フィルムの雑踏と市街広告塔の燈火を仰げ
それらが蹂躙された匿名市民のためにパッケージの尊厳と自己愛を購ってくれるように

精々懇願するが好い


宇宙の休み

  20時2分

それは宇宙で凧を揚げること

宙ぶらりんで太陽との距離を測る

やがて呼吸の難しさに気付き

異星人を抱きしめる

透明な惑星が濁って見えた


金槌になった魚

  あ〜

夢さめておどろく夕暮れ
天の海肌をあふぐ魚
こゝろ波立ち
わづかな砂をまとふ


春とか、朝というもの

  深尾貞一郎

幾度も、
 お葉書をいただき、感謝しております。
 よき道をと、御言葉をいただきました。

「その時、あなたは労苦を忘れ
それを過ぎ去った水のように思うだろう。
人生は真昼より明るくなる。
暗かったが、朝のようになるだろう。」
            ヨブ記11:16〜17

 ひさしぶりに詩が書けました。
 僕は、この世に生かされています。
 拙作ですが、ご笑覧ください。


 「春とか、朝というもの」 深尾貞一郎

知ることはできない
そこに在る
朝はとつぜんに訪れ
それは圧倒的にひかりの量で示される
うまれかわったばかりの蝶がとび
目立たぬ草木にも花を恵む
循環の日々に立つ
奇蹟は確かにある
それなのに
春は人の認知現象にすぎないと
醒めた僕はうそぶき
朝の実体は言葉でしかないとけなした



先生、
 僕は47年あまり生きてきたのです。
 屈辱と苦労の多かった日々でした。
 徐々に、心は、平穏に過ぎて行くようになりました。
 経験というものは、まさに一身の財産です。
 自意識は薄くなりつつあります。何が恥であるか、多少なりとも心得ました。
 年齢を重ねるにつれ、世の中というか世界は、ますます不可思議なものに思えます。
 マスコミが提示するような価値観は、とうにぺらぺらの広告紙面だと気付いております。それでも、手のとどかぬステイタスにはいまだに羨望するような心持ちです。
 今はとにかく、まじめに取り組んでみようとしています。何にしてもです。
                        平成29年3月31日 深尾貞一郎


人知

  イロキセイゴ

人知を超えたところで
シャチが野良を突き刺す
死期は一瞬で
戸がウキウキして居た事だけが
記憶に残る
一億円の息子が「来た」かと
パラオの遺骨収集を真剣に
考え始めると
ミーハーとは何か
ミーハーとは何か
ルーキーとは何か
ルーキーとは何かが
残響して居るのに気付いた


軽蔑くん。微熱さん。世界ちゃん。

  泥棒



軽蔑くんは
誰も軽蔑していないのに
毎日みんなに軽蔑されている
ある雨の日
あえて洗濯物を外に干し
部屋で自分を殴り倒す
痛っ
倒れたら
天井には青い空
死んだら
虹が出る部屋
グッジョブ!
想像してごらんよ
世界中の人たちが
みんな個性的になったら
とりあえず
戦争が終わる
終わって
またいつかはじまる
平凡な戦争
明日から
みんなを軽蔑するために
濡れた洋服に着替え
今夜は眠る
軽蔑くん
グッナイ!


微熱さんは
いつも微熱で笑っている
高熱をだした夜こそ
微熱の笑顔を大切にしている
例えばこんな感じ
(^_^;)
微熱さんは走る
電車よりはやく
自転車よりおそく
夜の街をひたすら走る
街は
意味もなく輝いているので
街路樹が
たまに化け物に見える
幻聴だって
もはや
ひとつのジャンル
小鳥のさえずり
それも音楽として
熱っ
生きているものは
みんな
微熱
寒いのに
空は八月のようだね
もう帰ろう
微熱さんの後ろには
ロキソニンの雨
しかも
どしゃ降り


世界ちゃんには
未来がない
友達もいない
誰が誰を傷つけても
どんなに他人事でも
世界ちゃんは
胸が苦しくなる
綺麗事で終わる午後に
おそらく
世界ちゃんは悲しくて悲しくて
いつか自殺するだろう
どうか
死なないでほしい
世界ちゃんが死んだら
みんな
あれだから
なんか
こう
あれだから

文学極道

Copyright © BUNGAKU GOKUDOU. All rights reserved.