#目次

最新情報


2018年05月分

月間優良作品 (投稿日時順)

次点佳作 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


Cut The Cake。

  田中宏輔



それにしても、『マールボロ。』、


いまだにみんながきみの愛について語ることをしないのは、いったいどうしたことなのだろう。
(リルケ『マルテの手記』高安国世訳)


誰もが持っていることさえ拒むような考えを暴き出すのが詩人の務めだ
(ダン・シモンズ『大いなる恋人』嶋田洋一訳)


しかし、だれが彼を才能のゆえに覚えていることができよう?
(ノーマン・メイラー『鹿の園』第四部・18、山西英一訳)


世間の普通の人は詩など読まない
(ノサック『ドロテーア』神品義雄訳)


誰も詩人のものなんて読みやしない。
(コルターサル『石蹴り遊び』その他もろもろの側から・99、土岐恒二訳)


もちろんそうさ。
(テリー・ビッスン『時間どおりに教会へ』3、中村 融訳)


詩作なんかはすべきでない。
   (ホラティウス『書簡詩』第一巻・七、鈴木一郎訳)


いったいなんのために書くのか?
(ノサック『弟』4、中野孝次訳)


詩人の不幸ほど甚だしいものはないでしょう。さまざまな災悪によりいっそう深く苦しめられるばかりでなく、それらを解明するという義務も負うているからです
(レイナルド・アレナス『めくるめく世界』34、鼓 直・杉山 晃訳)


詩とは認識への焦慮なのです、それが詩の願いです、
(ブロッホ『ウェルギリウスの死』第III部、川村二郎訳)


たしかに
(ジョン・ブラナー『木偶(でく)』吉田誠一訳)


あらゆる出会いが苦しい試練だ。
(フィリップ・K・ディック『ユービック : スクリーンプレイ』34、浅倉久志訳)


その傷によって
(ヨシフ・ブロツキー『主の迎接祭(スレーチエニエ)』小平 武訳)


違った状態になる
(チャールズ・オルソン『かわせみ』4、出淵 博訳)


何もかも
(ロバート・A・ハインライン『悪徳なんかこわくない』上・1、矢野 徹訳)


おお
(ボードレール『黄昏』三好達治訳)


愛よ
(ノヴァーリス『青い花』第一部・第九章、青山隆夫訳)


お前は苦痛が何を受け継いだかを知っている。
(ジェフリー・ヒル『受胎告知』2、富士川義之訳)


それ自身の新しい言葉を持たない恋がどこにあるだろう?
(シオドア・スタージョン『めぐりあい』川村哲郎訳)


それにしても、詩人は、なぜ、『マールボロ。』という作品に,固執したのであろうか? あるとき、詩人は、わたしにこう言った。「ぼくの書いた詩なんて、そのうち忘れられても仕方がないと思う。まあ、忘れられるのは、忘れられても仕方がない作品だからだろうしね。だけど、『マールボロ。』だけは、忘れられたくないな。ぼくのほかの作品がみんな忘れられてもね。まあ、でも、『マールボロ。』は、読み手を選ぶ作品だからね。あまりにも省略が激しいし、使われているレトリックも凝りに凝ったものだしね。ちゃんと把握できる読者の数は限られていると思う。」たしかに、省略が激しいという自覚は、詩人にはあったようである。というのも、晩年の詩人が、朗読会で読む詩は、ほぼ、『マールボロ。』ということになっていたのだが、その朗読の前には、かならず、『マールボロ。』という作品の制作過程と、その作品世界の背景となっている、ゲイたちの求愛の場と性愛行為についておおまかな説明をしていたからである。(あくまでも、一部のゲイたちのそれであるということは、詩人も知っていたし、また、わたしの知る限り、朗読の前のその説明のなかで、一部の、という言葉を省いて、詩人が話をしたことは一度もなかった。)


──と、だしぬけに誰かがぼくの太腿の上に手を置いた。ぼくは跳び上がるほど驚いたが、跳び上がる前にいったい誰の手だろう、ひょっとするとリーラ座の時のように女の人が手を出したのだろうかと思ってちらっと見ると、これがなんともばかでかい手だった。(あれが女性のものなら、映画女優か映画スターで、巨大な肉体を誇りにしている女性のものにちがいなかった)。さらに上のほうへ眼を移すと、その手は毛むくじゃらの太い腕につづいていた。ぼくの太腿に毛むくじゃらの手を置いたのは、ばかでかい体軀の老人だったが、なぜ老人がぼくの太腿に手を置いたのか、その理由は説明するまでもないだろう。(……)ぼくは弟に「席を替ろうか?」と言ってみた。(……)ぼくたちは立ち上がって、スクリーンに近い前のほうに席を替った。そのあたりにもやはりおとなしい巨人たちが坐っていた。振り返って老人の顔を見ることなど恐ろしくてできなかったが、とにかくその老人がとてつもなく巨大な体軀をしていたことだけはいまだに忘れることができない。あの男はおそらく、年が若くて繊細なホモの男や中年のおとなしい男を探し求めてあの映画館に通っていたのだろう。
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』いつわりの恋、木村榮一訳)


カブレラ=インファンテの「ウィタ・セクスアリス」(木村榮一)である、『亡き王子のためのハバーナ』からの引用である。詩人は、集英社の「ラテンアメリカの文学」のシリーズから数多くメモを取っていたが、これもその一つである。ゲイがゲイと出会う場所の一つに、映画館がある。それは、ポルノ映画を上映しているポルノ映画館であったり、他の映画館が上映を打ち切ったあとに上映する再上映専門の、入場料の安い名画座であったりするのだが、『亡き王子のためのハバーナ』の主人公が目にしたように、行為そのものは、座席に並んで坐ったままなされることもあり、最後列の座席のさらにその後ろの立見席のあたりでなされることもあるのだが、いったん、映画館の外に出て、男同士でも入れるラブホテルに行ったりすることもあるし、これは、先に手を出した方の、つまり、誘った方の男の部屋であることが多いのだが、自分の部屋に相手を連れ込んだり、相手の部屋に自分が行ったり、というように、どちらかの部屋に行くこともある。また、つぎの引用のように、映画館のトイレのなかでなされることもある。


中年の男がもうひとりの男のほうにかがみ込んで、『種蒔く人』というミレーの絵に描かれている人物のように敬虔(けいけん)な態度で手をせっせと上下に動かしているのに気がついた。もうひとりのほうはその男よりもずっと小柄だったので、一瞬小人かなと思ったが、よく見ると背が低いのではなくてまだほんの子供だった。当時ぼくは十七歳くらいだったと思う。あの年頃は、自分と同じ年格好でない者を見ると、ああ、まだ子供だなとか、もうおじいさんだとあっさり決めつけてしまうが、そういう意味ではなく、まさしくそこにいたのは十二歳になるかならないかの子供だった。男にマスをかいてもらいながら、その男の子は快楽にひたっていたが、その行為を通してふたりはそれぞれに快感を味わっていたのだ。男は自分でマスをかいていなかったし、もちろんあの男にそれをしてもらってもいなかった。その男にマスをかいてもらっている男の子の顔には恍惚(こうこつ)とした表情が浮かんでいた。前かがみになり懸命になってマスをかいてやっていたので男の顔は見えなかったが、あの男こそ匿名の性犯罪者、盲目の刈り取り人、正真正銘の <切り裂きジャック> だった。その時はじめてラーラ座がどういう映画館なのか分った。あそこは潜水夫、つまり性的な不安を感じているぼくくらいの年齢のものがホモの中でもいちばん危険だと考えていた手合いの集まるところだったのだ。男色家の男たちがもっぱら年若い少年ばかりを狙って出入りするところ、それがあそこだった──もっとも、あの時はぼくの眼の前にいた男色家が女役をつとめ、受身に廻った少年たちのほうが男役をしていたのだが。いずれにしても、ラーラ座はまぎれもなく男色家の専門の小屋だった──倒錯的な性行為を目のあたりにして、傍観者のぼくはそう考えた。それでもぼくは、いい映画が安く見られるのでラーラ座に通い続けた。
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』いつわりの恋、木村榮一訳)


俗に発展場と呼ばれている、ゲイが他のゲイと出会うために足を運ぶ場所は、ポルノ映画館や名画座といった映画館ばかりではない。サウナや公園という場所がそうなっている所もあるし、デパートや駅のトイレといった場所がそうなっているところもある。もちろん、その場で性行為に及ぶことも少なくないのだが、さきに述べたように、どちらかの部屋に行き、ことに及ぶといったこともあるのである。しかし、じつに、さまざまな場所で、さまざまな時間に、さまざまな男たちが絡み合い睦み合っているのである。つぎに引用するのは、駅のプラットフォームの脇にある公衆便所での出来事を、ある一人の警察官が自分の娘に見るようにうながすところである。(それにしても、これは、微妙に、奇妙な、シチュエーション、である。)


「見てごらん」
「なにを?」
「見たらわかるさ!」
あんたは、最初笑っていたが、すぐに消毒剤と小便の、むかっとするような臭いに攻め立てられ、ほんのちょっとだけ穴から覗いて見た。するとそこに歳とった男の手があり、なにやらつぶやいている声が聞こえ、そこから父親の手があんたの腕をつかんでいるのがわかり、もう一度眼を穴に近づけると、ズボンや歳とった男の手を握っている少年の手が、公衆便所の中に見え、あんたはむすっとしてその場を離れたが、ガースンは寂しげに笑っていた。
「あの薄汚いじじいをとっ捕まえるのはこれで三度目だ。がきの方は二度とやってこないけど、じじいのやつはいくらいい聞かせてもわからない」
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)


あのオルガン奏者(新聞記者のなんとも嘆かわしい、低俗な筆にかかるとあの音楽家も一介のオルガン弾きに変えられてしまうが、それはともかく、以下の話は当時の新聞をもとに書き直したものである)と知り合ったのは恋人たちの公園で、そのときは音楽家のほうから声をかけてきて、生活費を出すから自分の家(つまり部屋のことだが)に来ないか、なんなら小遣いを上げてもいいんだよと誘ったらしい
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』変容の館、木村榮一訳)


これは、公園での出来事を語っているところである。


男にもし膣と乳房があれば、世の中の男はひとり残らずホモになっているだろう、とシルビア・リゴールは口癖のように言っていた。
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』変容の館、木村榮一訳)


詩人はよく、この言葉を引用して、わたしにこう言っていた。「一人残らずってことはないだろうけど、半分くらいの男は、そうなるんじゃないかな。」と。そのようなことは考えたこともなかったので、詩人からはじめて聞かされたときには、ほんとうに驚いた。「もしも、何々だったら?」というのは、詩人の口癖のようなものだったのだが、もっともよく口にしていたのは、言葉を逆にする、というものであった。そういえば、詩人の取っていたメモのなかに、こういうものがあった。


ヤコービは、彼の数学上の発見の秘密を問われて「つねに逆転させなければならない」といった。
(E・T・ベル『数学をつくった人びとII』21、田中 勇・銀林 浩訳)


言葉を逆にするという、ごく単純な操作で、言葉というものが、それまでその言葉が有していなかった意味概念を獲得することがあるということを、生前に、詩人は、論考として発表したことがあったが、言葉の組み合わせが、言葉にとっていかに重要なものであるのかは、古代から散々言われてきたことである。詩人の引用によるコラージュという手法も、その延長線上にあるものと見なしてよいであろう。詩人が言っていたことだが、出来のよいコラージュにおいては、そのコラージュによって、言葉は、その言葉が以前には持っていなかった新しい意味概念を獲得するのであり、それと同時に、作り手である詩人と、読み手である読者もまた、そのコラージュによって、自分のこころのなかに新しい感情や思考を喚起するのである、と。そのコラージュを目にする前には、一度として存在もしなかった感情や思考を、である。


みるものが変われば心も変わる。
(シェイクスピア『トライラスとクレシダ』V・〓、玉泉八州男訳)


そして、こころが変われば、見るものも変わるのだ、と。


つぎに、詩人が書き留めておいたメモを引用する。そのメモ書きは、そのつぎに引用する言葉の下に書き加えられたものであった。そして、その引用の言葉の横には、赤いペンで、「マールボロについて」という言葉が書きそえられていた。


誰にも永遠を手にする権利はない。だが、ぼくたちの行為の一つ一つが永遠を求める
(フエンテス『脱皮』第三部、内田吉彦訳)


というのは、瞬間というものしか存在してはいないからであり、そして瞬間はすぐに消え失せてしまうものだからだ
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンノ浜辺』25、菅野昭正訳)


きみが生きている限り、きみはまさに瞬間だ、
(H・G・ウェルズ『解放された世界』第三章・3、浜野 輝訳)


一切は過ぎ去る。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第二部、手塚富雄訳)


愛はたった一度しか訪れない、
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)


こころのなかで起こること、こころのなかで起こるのは、一瞬一瞬である。思いは持続しない。しかし、その一瞬一瞬のそれぞれが、永遠を求めるのだ。その一瞬一瞬が、永遠を求め、その一瞬一瞬が、永遠となるのである。割れガラスの破片のきらめきの一つ一つが、光沢のあるタイルに反射する輝きの一つ一つが、水溜りや川面に反射する光の一つ一つが太陽を求め、それら一つ一つの光のきらめきが、一つ一つの輝く光が、太陽となるように。



心のなかに起っているものをめったに知ることはできないものではあるが、
(ノーマン・メーラー『鹿の園』第三部・10、山西英一訳)


隠れているもので、知られてこないものはない。
(『マタイによる福音書』一〇・二六)


そのような実在は、それがわれわれの思考によって再創造されなければわれわれに存在するものではない
(プルースト『失われた時を求めて』第四篇・ソドムとゴモラI、井上究一郎訳)


いや、むしろ、こう言おう、はっきりと物の形が見えるのは、こころのなかでだけだ、と。あるいは、こころが見るときにこそ、はじめて、ものの形がくっきりと現われるのだ、と。


一体どのようにして、だれがわたしたちを目覚ますことができるというのか。
(ノサック『滅亡』神品芳夫訳)


だれがぼくらを目覚ませたのか、
(ギュンター・グラス『ブリキの音楽』高本研一訳)


ことば、ことば、ことば。
(シェイクスピア『ハムレット』第二幕・第二場、大山俊一訳)


言葉と精神とのあいだの内奥の合一の感をわれわれに与えるのが、詩人の仕事なのであり
(ヴァレリー『詩と抽象的思考』佐藤正彰訳)


これらはことばである
(オクタビオ・パス『白』鼓 直訳)


実際に見たものよりも、欺瞞、神秘、死に彩られた物語に書かれた月のほうが印象に残っているのはどういうわけだろう。
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』世界一の美少女、木村榮一訳)


家造りらの捨てた石は
隅のかしら石となった。
(詩篇』一一八・二二─二三)


「比喩」metaphora は、ギリシア語の「別の所に移す」を意味する動詞metaphereinに由来する。そこから、或る語をその本来の意味から移して、それと何らかの類似性を有する別の意味を表すように用いられた語をメタフォラという。
(トマス・アクィナス『神学大全』第一部・第I門・第九項・訳註、山田 晶訳)


新しい関係のひとつひとつが新しい言葉だ。
(エマソン『詩人』酒本雅之訳)


言葉が、新たな切子面を見せる、と言ってもよい。


きみの中で眠っていたもの、潜んでいたもののすべてが現われるのだ
(フィリップ・K・ディック『銀河の壺直し』5、汀 一弘訳)


言葉はもはや彼をつなぎとめてはいないのだ。
(ブルース・スターリング『スキズマトリックス』第三部、小川 隆訳)


言葉はそれが表示している対象物以上に現実的な存在なのだ。
(フィリップ・K・ディック『時は乱れて』4、山田和子訳)


何もかもがとてもなじみ深く見えながら、しかもとても見慣れないものに思えるのだ。
(キム・スタンリー・ロビンスン『荒れた岸辺』上・第三部・11、大西 憲訳)


すべてのものを新たにする。
(『ヨハネの黙示録』二一・五)


すべてが新しくなったのである。
(『コリント人への第二の手紙』五・一七)


結びつくことと変質すること。この二つのことは、じつは一つのことなのだが、これが言葉における新生の必要条件なのである。しかし、それは、あくまでも必要条件であり、それが、必要条件であるとともに十分条件でもある、といえないところが、文学の深さでもあり、広さの証左でもある。もちろん、引用といった手法も、その必要条件を満たしており、それが同時に十分条件をも満たしている場合には、言葉は、わたしたちに、言葉のより多様な切子面を見せてくれることになるのである。


自分自身のものではない記憶と感情 (……) から成る、めまいのするような渦巻き
(エドモンド・ハミルトン『太陽の炎』中村 融訳)


突然の認識
(テリー・ビッスン『英国航行中』中村 融訳)


それはほんの一瞬だった。
(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『一瞬(ひととき)のいのちの味わい』3、友枝康子訳)


ばらばらな声が、ひとつにまとまり
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)


すべての場所が一つになる
(ロバート・シルヴァーバーグ『旅』2、岡部宏之訳)


すべてがひとときに起ること。
(グレン・ヴェイジー『選択』夏来健次訳)


それこそが永遠
(グレン・ヴェイジー『選択』夏来健次訳)


一たびなされたことは永遠に消え去ることはない。
(エミリ・ブロンテ『ゴールダインの牢獄の洞窟にあってA・G・Aに寄せる』松村達雄訳)


過去はただ単にたちまち消えてゆくわけではないどころか、いつまでもその場に残っているものだ。
(プルースト『失われた時を求めて』ゲルマントの方・II・第二章、鈴木道彦訳)


いちど気がつくと、なぜ今まで見逃していたのか、ふしぎでならない。
(ドナルド・モフィット『第二創世記』第二部・7、小野田和子訳)


一度見つけた場所には、いつでも行けるのだった。
(ジェイムズ・ホワイト『クリスマスの反乱』吉田誠一訳)


瞬間は永遠に繰り返す。
(イアン・ワトスン『バビロンの記憶』佐藤高子訳)


それにしても、『マールボロ。』、


人間にとって、美とは何だろう。美にとって、人間とは何だろう。人間にとって、瞬間とは何だろう。瞬間にとって、人間とは何だろう。たとえ、「意義ある瞬間はそうたくさんはなかった」(デニス・ダンヴァーズ『エンド・オブ・デイズ』上・2、川副智子訳)としても。人間にとって、存在とは何だろう。存在にとって、人間とは何だろう。美と喜びを別のものと考えてもよいのなら、美も、喜びも、瞬間も、存在も、ただ一つの光になろうとする、違った光である、とでもいうのだろうか。人間という、ただ一つの光になろうとする、違った光たち。


それにしても、『マールボロ。』、


なぜ、彼らは、出会ったのか。出会ってしまったのであろうか。彼らにとっても、ただ一つの違った光であっただけの、あの日、あの時間、あの場所で。それに、なぜ、彼らの光が、わたしの光を引き寄せたのであろうか。それとも、わたしの光が、彼らの光を引き寄せたのだろうか。いや、違う。ただ単に、違った光が違った光を呼んだだけなのだ。ただ一つの同じ光になろうとして。もとは一つの光であった、違った光たちが、ただ一つの同じ光になろうとして。なぜなら、そのとき、彼らは、わたしがそこに存在するために、そこにいたのだし、そのラブホテルは、そのときわたしが入るために、そこに存在していたのだし、そのシャワーの湯は、そのときわたしが浴びるために、わたしに向けられたのだし、その青年の入れ墨は、そのときわたしが目にするために、前もって彫られていたのだし、その缶コーラは、そのときわたしの目をとらえるために、そのガラスのテーブルの上に置かれたのだから。というのも、彼らが出会ったポルノ映画館の、彼らが呼吸していた空気でさえわたしであり、彼らが見ることもなく目にしていたスクリーンに映っていた映像の切れ端の一片一片もわたしであったのであり、彼らの目が偶然とらえた、手洗い場の鏡の端に写っていた大便をするところのドアの隙間もわたしであり、彼らがその映画館を出てラブホテルに入って行くときに、彼らを照らしていた街灯のきらめきもわたしであったのだし、彼らが浴びたシャワーの湯もわたしであり、その湯しぶきの一粒一粒のきらめきもわたしであったのだし、わたしは、その青年の入れ墨の模様でもあり、缶コーラの側面のラベルのデザインでもあり、その缶コーラの側面から伝って流れ落ちるひとすじの冷たい露の流れでもあったのだから。やがて、一つ一つ別々だった時間が一つの時間となり、一つ一つ別々だった場所が一つの場所となり、一つ一つ別々だった出来事が一つの出来事となり、あらゆる時間とあらゆる場所とあらゆる出来事が一つになって、そのポルノ映画館は、シャワーの湯となって滴り落ちて、タカヒロと飛び込んだ琵琶湖になり、缶コーラのラベルの輝きは、青年の入れ墨とラブホテルに入り、ヤスヒロの手首にできた革ベルトの痕をくぐって、エイジの背中に薔薇という文字を書いていったわたしの指先と絡みつき、シャワーの滴り落ちる音は、ラブホテルに入る前に彼らが見上げた星々の光となって、スクリーンの上から降りてくる。そして、ノブユキの握り返してきた手のぬくもりが満面の笑みをたたえて、わたしというガラスでできたテーブルを抱擁するのである。さまざまなものがさまざまなものになり、さまざまなものを見つめ、さまざまなものに抱擁されるのである。それは、あらゆるものと、別のあらゆるものとの間に愛があるからであり、やがて、愛は愛を呼び、愛は愛に満ちあふれて、「スラックスの前から勃起したものがのぞいている。」(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『ヒューストン、ヒューストン、聞こえるか?』伊藤典夫訳)愛そのものとなって、交歓し合うのである。もちろん、「トイレットのなか。ジーンズの前をあけ、ちんぽこを持って」(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『ヒューストン、ヒューストン、聞こえるか?』伊藤典夫訳)その愛は、すぐれた言葉の再生によってもたらせられたものであり、「彼は自分のものをしごいている。」(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『ヒューストン、ヒューストン、聞こえるか?』伊藤典夫訳)やがて、文章中のあらゆる言葉が、つぎつぎとその場所を交換していく。場所も、時間も、事物も、「くわえるんだ、くわえるんだよう! う、う──」(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『ヒューストン、ヒューストン、聞こえるか?』伊藤典夫訳)感情も、感覚も、状態も、名詞や、動詞や、副詞や、形容詞や、助詞や、助動詞や、接続詞や、間投詞も、「激しく腰をつきあげる。」(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『ヒューストン、ヒューストン、聞こえるか?』伊藤典夫訳)場所を交換し合い、時間を交換し合って一つになるのである。そんなヴィジョンが、わたしには見える。わたしには感じとれる。現実に、ありとあらゆる事物が、その場所を、その時間を、その出来事を交換していくように。


やれやれ、何ぢやいこの気違ひは!
(ヴィリエ・ド・リラダン『ハルリドンヒル博士の英雄的行為』齋藤磯雄訳)


やっぱり芸術は、それを作り出す芸術家に対してしか意味がないんだなあ
(ロバート・ネイサン『ジェニーの肖像』8、井上一夫訳)


でも、
(ポール・アンダースン『生贄(いけにえ)の王』吉田誠一訳)


詩のために身を滅ぼしてしまうなんて名誉だよ。
(ワイルド『ドリアン・グレイの画像』第四章、西村孝次訳)



そんなことは少しも新しいことじゃないよ
(スタニスワフ・レム『砂漠の惑星』6、飯田規和訳)


人生をむだにややこしくして
(ダグラス・アダムス『さようなら、いままで魚をありがとう』34、安原和見訳)


ばかばかしい。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』13、宇佐川晶子訳)


耳のない空

  あおい



あなたは何かを叫びたい。
羽毛に覆われた、
皮膚のしたの空洞が、
伸縮を繰り返す。
そういえばもう何日も、
水面ににっくりと浮いた
皮膜を食べていない。
酸欠になりながら、
あなたは嘴を水のなかに
向けている。

*
向かう先はいつも同じだった。
同じ道、
同じ車、
同じ電車、
同じ箱、
そして同じ店、
ショーウィンドーに、
あなたの足の一部が売られている。
誰かがあなたの足に、
前歯を立てながら、
笑っている。
器になった大きな腹を撫でながら。

**
あなたは空を見上げる。
雪が空に舞い上がるように、
あなたの知っている耳たちが、
空高く舞い上がる。
あなたには耳がない。
生まれてからすぐに、
もぎとられてしまったから。
あなたは、
飛べない空を生きるいきもの。
けれど、
石のなかにはいない。

失われたものの数ほど、
あなたはますます鋭くひかる。


春の光

  游凪

露光し続ける世界で辛夷の花が散った
別れることができない雪のように散った
しゃがみこんで撮った青空の写真は
あなたの目に映らずに裏返されたまま
積み上げた本の隙間に紛れ込んだ
埃を被った文字の羅列は意味を成さない
その知識はもう擦り切れている

途切れ途切れの声をまさぐって
一番柔らかいところを探し当てる
そのまま秘密を触り合う
弱いことを隠さずにいられる喜びを
口に含んでよく濯いだとき
あなただけにある優しさを知る
ひとつになれないもどかしさの輪郭を
丁寧にすくい上げて撫でている

しまい込まれた名前を思い出そうと
読みかけのページを遡ってめくっていく
抜け落ちた幾つかに気付かない振り
間違えていないことへの祈り
滲んだ文字のざらついた感触を
いつか失ってしまうとしても
全ては意味のある行為だと思いたい

例えば雨の匂いのするアスファルトで
轢かれた猫の血が洗い流されて
何もなかったかのように忘れ去られていく
その過程で抱いた刹那的な感傷の行き先を
いつまでも覚えていたいという
独りよがりなことでさえも
想うだけならいくらでもできる

埋められなかった夜の底で
うずくまったまま固くなっていく
手脚の在り方を忘れてしまって
掴むことも歩くこともできない
虫のような胎児に戻りながら
傍らの菫が咲くことより項垂れていく方が
ずっと美しいと思い眺めていた

可愛げな小鳥の羽根を切り揃えて
奪った風の匂いは蜜のように蕩けた
あなたと同じ場所に立ってみた景色が
同じように見えていたのかわからないから
睫毛が重なる近さで瞳を合わせる
漆黒の宇宙に無数の星が一斉に瞬いていて
次々と生まれる世界は拍動している

薄い卵膜に透ける光の渦は
新鮮なあなたそのもの
倒錯的な水底に沈んでいたんだと
手放した痛みと手にした温み
いつまでも浸かっていたい微睡み
あなたが教えてくれた涙
湿ったままで初めての呼吸をする
否定ばかりの語尾は少なくなっていった

露光し続ける世界で桜の花が散った
別れることを決意した雪のように散った
しゃがみこんで撮った青空の写真は
あなたの目に映す為だけに暗室で現像された
切り取られた世界の羽ばたきの先
埃を被った文字の羅列に見い出す意味
擦り切れた感情を丁寧に使い古していく


春の花は光から生まれた

散った花は光をこぼした

あなたのなかの光に溺れた


Ommadawn。

  田中宏輔



論理的には全世界が自分の名前になるということが理解できるか?
(イアン・ワトスン『乳のごとききみの血潮』野村芳夫訳)


ほかにいかなるしるしありや?
(コードウェイナー・スミス『スキャナーに生きがいはない』朝倉久志訳)


これがどういうことかわかるかね?
(ウォルター・M・ミラー・ジュニア『黙示録三一七四年』第III部・25、吉田誠一訳)


どんな霊感が働いたのかね?
(フリッツ・ライバー『空飛ぶパン始末記』島岡潤平訳)


われはすべてなり
(アーサー・C・クラーク『幼年期の終り』第二部・8、福島正実訳)


そうだな、
(ポール・ブロイス『破局のシンメトリー』12、小隅 黎訳)


確かに一つの論理ではある
(エドモンド・ハミルトン『虚空の遺産』17、安田 均訳)


しかし、これは一種の妄想じゃないのだろうか。
(ジョン・ウィンダム『海竜めざめる』第二段階、星 新一訳)


現実には、そんなことは起きないのだ。
(ウィリアム・ブラウニング・スペンサー『真夜中をダウンロード』内田昌之訳)


いや、必ずしもそうじゃない。
(エリック・F・ラッセル『根気仕事』峰岸 久訳)


それは信号(シグナル)の問題なのだ。
(フレデリック・ポール『ゲイトウェイ』22、矢野 徹訳)


それもつかのま、
(J・G・バラード『燃える世界』4、中村保男訳)


ひとときに起こること。
(グレン・ヴェイジー『選択』夏来健次訳)


まあ、それも一つの考え方だ
(ブライアン・W・オールディス『ああ、わが麗しの月よ!』浅倉久志訳)


よくわかる。
(カール・エドワード・ワグナー『エリート』4、鎌田三平訳)


どちらであろうとも。
(フィリップ・K・ディック『ユービック』10、浅倉久志訳)


だが、それよりもまず、
(ブライアン・W・オールディス『一種の技能』5、浅倉久志訳)


めいめい自分の夜を堪えねばならぬのである。
(ブライアン・W・オールディス「銀河は砂粒のように」4、中桐雅夫訳)


それは確かだ
(ラリー・ニーヴン『快楽による死』冬川 亘訳)


しかし
(ロッド・サーリング『免除条項』矢野浩三郎・村松 潔訳)


それを知ったのはほんの二、三年前だし、
(ハル・クレメント『窒素固定世界』7、小隅 黎訳)


それが
(イアン・ワトスン『エンベディング』第一章、山形浩生訳)


どんなものであるにせよ、
(レイ・ブラッドベリ『駆けまわる夏の足音』大西尹明訳)


そのときには、たいしたことには思えなかった。
(マーク・スティーグラー『やさしき誘惑』中村 融訳)
 

あるとき、詩人は、ふと思いついて、詩人の友人のひとりに、その友人が十八才から二十五才まで過ごした東京での思い出を、その七年間の日々を振り返って思い出されるさまざまな出来事を、箇条書きにして、ルーズリーフの上に書き出していくようにと言ったという。すると、そのとき、その友人も、面白がってつぎつぎと書き出していったらしい。二、三十分くらいの間、ずっと集中して書いていたという。しかし、「これ以上は、もう書けない。」と言って、その友人が顔を上げると、詩人は、ルーズリーフに書き綴られたその友人の文章を覗き込んで、そのときの気持ちを別の言葉で言い表すとどうなるかとか、そのとき目にしたもので特に印象に残ったものは何かとか、より詳しく、より具体的に書き込むようにと指図したという。そのあと、詩人からあれこれと訊ねられたときをのぞいては、その友人の手に握られたペンが動くことは、ほとんどなかったらしい。約一時間ぐらいかけて書き上げられた三十行ほどの短い文章を、詩人は、その友人の目の前で、ハサミを使って切り刻み、切り刻んでいった紙切れを、短く切ったセロテープで、つぎつぎと繋げていったという。書かれた文章のなかで、セロテープで繋げられたものは、ほんのわずかなもので、もとの文章の五分の一も採り上げられなかったらしい。そうして出来上がったものが、『マールボロ。』というタイトルの詩になったという。その詩のなかには、詩人が、直接、書きつけた言葉は一つもなかった。すべての言葉が、詩人の友人によって書きつけられた言葉であった。それゆえ、詩人は、詩人の友人に、共作者として、その友人の名前を書き連ねてもいいかと訊ねたらしい。すると、詩人の友人は、躊躇うことなく、即座に、こう答えたという。「これは、オレとは違う。」と。ペンネームを用いることさえ拒絶されたらしい。「これは、オレとは違うから。」と言って。詩人は、その言葉に、とても驚かされたという。そこに書かれたすべての言葉が、その友人の言葉であったのに、なぜ、「オレとは違う。」などと言うのか、と。詩人の行為が、その友人の気持ちをいかに深く傷つけたのか、そのようなことにはまったく気がつかずに……。その上、おまけに、詩人は、自分ひとりの名前でその詩を発表するのが、ただ、自分の流儀に反する、といっただけの理由で、怒りまで覚えたのだという。すでに、詩人は、引用のみによる詩を、それまでに何作か発表していたのだが、それらの作品のなかでは、引用された言葉の後に、その言葉の出典が必ず記載されていたのである。しかも、それらの出典は、引用という行為自体が意味を持っている、と見られるように、引用された言葉と同じ大きさのフォントで記載されていたのである。『マールボロ。』に書きつけられた言葉が、すべて引用であるのに、そのことを明らかに示すことができないということが、おそらくは、たぶん、詩人の気を苛立たせたのであろう。それにしても、『マールボロ。』という詩が、詩人の作品のなかで、もっとも詩人のものらしい詩であるのは、皮肉なことであろうか? ふとした思いつきでつくられたという、『マールボロ。』ではあるが、詩人自身も、その作品を、自分の作品のなかで、もっとも愛していたという。詩人にとって、『マールボロ。』は、特別な存在であったのであろう。晩年には、詩というと、『マールボロ。』についてしか語らなかったほどである。詩人はまた、このようなことも言っていた。『マールボロ。』をつくったときには、後々、その作品がつくられた経緯が、言葉がいかなるものであるかを自分自身に考えさせてくれる重要なきっかけになるとは、まったく思いもしなかったのだ、と。
詩人は、友人の言葉を切り刻んで、それを繋げていったときに、どういったことが、自分のこころのなかで起こっていたのか、また、そのあと、自分のこころがどういった状態になったのか、後日、つぎのように分析していた。

わたしのなかで、さまざまなものたちが目を覚ます。知っているものもいれば、知らないものもいる。知らないもののなかには、その言葉によって、はじめて目を覚ましたものもいる。それらのものたちと、目と目が合う。瞳に目を凝らす。それも一瞬の間だ。順々に。すると、知っていると思っていたものたちの瞳のなかに、よく知らなかったわたしの姿が映っている。知らないと思っていたものたちの瞳のなかに、よく知っているわたしの姿が映っている。ひと瞬きすると、わたしは、わたし、ではなくなり、わたしたち、となる。しかし、そのわたしたちも、また、すぐに、ひとりのわたしになる。ひとりのわたしになっているような気がする。それまでのわたしとは違うわたしに。

詩人の文章を読んでいると、まるで対句のように、対比される形で言葉が並べられているところに、よく出くわした。詩人の生前に訊ねる機会がなかったので、そのことに詩人自身が気がついていたのかどうか、それは筆者にはわからないのだが、しかし、そういった部分が、もしかすると、そういった部分だけではないのかもしれないが、たとえば、結論を出すのに性急で、思考に短絡的なところがあるとか、しかし、とりわけ、そういった部分が、詩人の文章に対して、浅薄なものであるという印象を読み手に与えていたことは、だれの目にも明らかなことであった。右の文章など、そのよい例であろう。
ところで、詩人はまた、その友人の言葉を結びつけている間に、その言葉がまるで


あれはわたしだ。
(デニス・ダンヴァーズ『天界を翔ける夢』13、川副智子訳)


と思わせるほどに、生き生きとしたものに感じられたのだという。


だがそれは同じものになるのだろうか?
(R・A・ラファティ『空(スカイ)』大野万紀訳)


それは?
(エドマンド・クーパー『アンドロイド』5、小笠原豊樹訳)


またウサギかな?
(ジェイムズ・アラン・ガードナー『プラネット・ハザード』上・5、関口幸男訳)


兎が三羽、用心深くぴょんと出てきた。
(トマス・M・ディッシュ『キャンプ・コンセントレーション』一冊目・六月十六日、野口幸夫訳)


きみはわれわれがどうも間違った兎を追いかけているような気はしないかね?
(J・G・バラード『マイナス 1』伊藤 哲訳)


もちろんちがうさ。
(ゼナ・ヘンダースン『月のシャドウ』宇佐川晶子訳)


そんなことはありえない。
(フランク・ハーバート『ドサディ実験星』12、岡部宏之訳)


ここにはもう一匹もウサギはいない
(ジョン・コリア『少女』村上哲夫訳)


いいかい?
(シオドア・スタージョン『ヴィーナス・プラスX』大久保 譲訳)


そもそも
(ウィリアム・ブラウニング・スペンサー『真夜中をダウンロード』内田昌之訳)


現実とはなにかね?
(ソムトウ・スチャリトクル『スターシップと俳句』第三部・19、冬川 亘訳)


なにを彼が見つめていたか?
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』20、菅野昭正訳)


このできごとのどこまでが現実にあったことだ?
(グレッグ・ベア『女王天使』下・第二部・54、酒井昭伸訳)


もちろん、詩人がつくった世界は、といっても、これは作品世界のことであるが、しかも、詩人がそこで表現し得ていると思い込んでいるものと、読者がそこに見出すであろうものとはけっして同じものではないのだが、詩人の友人が現実の世界で体験したこととは、あるいは、詩人の友人が自分の記憶を手繰り寄せて、自分が体験したことを思い起こしたと思い込んでいるものとは、決定的に異なるものであるが、そのようなことはまた、詩人のつくった世界が現実にあったことを、どれぐらいきちんと反映しているのか、といったこととともに、詩というものとは、まったく関係のないことであろう。求められているのは、現実感であり、現実そのものではないのである。少なくとも、物理化学的な面での、現象としての現実ではないであろう。もちろん、言うまでもなく、詩は精神の産物であり、詩を味わうのも精神であり、しかも、その精神は、現実の世界がつくりだしたものでもある。しかしながら、物理化学的な面での、現象としての現実の世界だけが精神をつくっているわけではないのである。じっさいに見えるものや、じっさいに聞こえるもの、じっさいに触れるものや、じっさいに味わうもの、そういった類のものからだけで、現実の世界ができているわけではないのである。見えていると思っているものや、聞こえていると思っているもの、触れていると思っているものや、味わっていると思っているものも、もちろんのことであるが、現実の世界は、見えもしないものや、聞こえもしないもの、触れることができないものや、味わうことができないもの、そういったものによってさえ、またできているのである。もしも、世界というものが、じっさいに見えるものや、じっさいに聞こえるもの、じっさいに触れるものや、じっさいに味わえるもの、そういった類のものからだけでできているとしたら、いかに貧しいものであるだろうか? じっさいのところ、世界は豊かである。そう思わせるものを、世界は持っている。


魂は物質を通さずにはわれわれの物質的な眼に現われることがない、
(サバト『英雄たちと墓』第I部・2、安藤哲行訳)


詩人が、『マールボロ。』から得た最大の収穫は、何であったのだろうか? 右に引用した文の横に、詩人は、こんなメモを書きつけていた。「「物質」を「言葉」とすると、こういった結論が導かれる。詩を読んで、言葉を通して、はじめて、自分の気持ちがわかることがある、ということ。言葉は、わたしたちについて、わたしたち自身が知らないことも知っていることがある、ということ。」と。


言葉とは何か?
(フィリップ・K・ディック『時は乱れて』4、山田和子訳)


言葉以外の何を使って、嫌悪する世界を消しさり、愛しうる世界を創りだせるというのか?
(フエンテス『脱皮』第三部、内田吉彦訳)


作品は作者を変える。
自分から作品を引き出す活動のひとつびとつに、作者は或る変質を受ける。完成すると、作品は今一度作者に逆に作用を及ぼす。
(ヴァレリー『文学』佐藤正彰訳)


これがぼくにとってどれほど大きな意味があることか、きみにわかるかい?
(ロバート・A・ハインライン『愛に時間を』3、矢野 徹訳)


詩人のそばでは、詩がいたるところで湧き出てくる。
(ノヴァーリス『青い花』第一部・第七章、青山隆夫訳)


今まで忘れていたことが思い出され、頭の中で次から次へと鎖の輪のようにつながっていく。
(ポール・アンダースン『脳波』2、林 克己訳)


わたしの世界の何十という断片が結びつきはじめる。
(グレッグ・イーガン『貸金庫』山岸 真訳)


あらゆるものがくっきりと、鮮明に見えるのだ。
(ポール・アンダースン『脳波』2、林 克己訳)


過去に見たときよりも、はっきりと
(シオドア・スタージョン『人間以上』第二章、矢野 徹訳)


なんという強い光!
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』昼夜入れ替えなしの興行、木村榮一訳)


さまざまな世界を同時に存在させることができる。
(イアン・ワトスン『知識のミルク』大森 望訳)


これは叫びだった。
(サミュエル・R・ディレイニー『アインシュタイン交点』伊藤典夫訳)


急にそれらの言葉がまったく新しい意味を帯びた。
(ジェイムズ・P・ホーガン『仮想空間計画』34、大島 豊訳)


そのひと言でぼくの精神状態はもちろん、あたりの風景までが一変した。
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』女戦死(アマゾネス)、木村榮一訳)


こういった考察を、『マールボロ。』は、詩人にさせたのだが、『マールボロ。』をつくったときの友人とは別の友人に、あるとき、詩人は、つぎのように言われたという。「言葉に囚われているのは、結局のところ、自分に囚われているにひとしい。」と。そう言われて、ようやく、詩人は、『マールボロ。』をつくったときに、自分の友人を傷つけたことに、その友人のこころを傷つけたことに気がついたのだという。
詩人の遺したメモ書きに、つぎに引用するような言葉がある。『マールボロ。』をつくる前のメモ書きである。


順序を入れかえたり、語をとりかえたりできるので、たえず内容を変える
(モンテーニュ『エセー』第II巻・第17章、荒木昭太郎訳)


新しい関係のひとつひとつが新しい言葉だ。
(エマソン『詩人』酒本雅之訳)


詩人の作品が、詩人の友人の思い出に等しいものであるはずがないことに、なぜ、詩人自身が、すぐに気がつかなかったのか、それは、さだかではないが、たしかに、詩人は思い込みの激しい性格であった。右に引用したような事柄が、頭ではわかっていたのだが、じっさいに実感することが、すぐにはできなかったらしい。それが実感できたのは、先に述べたように、別の友人に気づかされてのこと、『マールボロ。』をつくった後、しばらくしてからのことであったという。


しかし、彼の笑顔はこの世にふたつとない笑顔だ。その笑顔を向けられると、人生で出くわすありとあらゆる不幸をそこに見るような気がする。ところが顔に浮かんだその不幸を、彼はあっという間に順序よく並べ替えてしまう。それを見ていると、今度は急に「ああそうか、心配することはなかったんだ」と感じるのだ。
だから彼と話をするのは楽しい。その笑顔をしょっちゅう浮かべて、そのたびに「ああそうか、心配することはなかったんだ」と感じさせてくれるからだ。
(ダグラス・アダムス『さようなら、いままで魚をありがとう』31、安原和見訳)


これは、『マールボロ。』制作以降に、詩人が書きつけていたメモ書きにあったものである。たしかに、同じ事柄でも、同じ言葉でも、順序を並べ替えて表現すると、ただそれだけでも、まったく異なる内容のものにすることができるのであろう。詩人が引用していた、この文章は、ほんとうに、こころに染み入る、すぐれた表現だと思われる。
ところで、悲劇にあるエピソードを並べ替えて、喜劇にすることもできるということは、そしてまた、喜劇にあるエピソードを並べ替えて、悲劇にすることもできるということは、わたしに、人生について、いや、人生観について考えさせるところが大いにあった。ある事物や事象を目の前にしたときに、即断することが、いかに愚かしいことであるのか、そういったことを、わたしに思わしめたのである。一方、詩人は、つねにといってもよいほど、ほとんど独断し、即断する、じつに思い込みの激しい性格であった。


ただひとつの感情が彼を支配していた。
(マルロー『征服者』第I部、渡辺一民訳)


感情が絶頂に達するとき、人は無意識状態に近くなる。……なにを意識しなくなるのだ? それはもちろん自分以外のすべてをだ。自分自身をではない。
(シオドア・スタージョン『コスミック・レイプ』20、鈴木 晶訳)


今ではわたしも、他人のこころを犠牲にして得たこころの願望がいかなるものか、
(ゼナ・ヘンダースン『なんでも箱』深町眞理子訳)


それを知っている
(ノーマン・メイラー『鹿の園』第六部・28、山西英一訳)


私という病気にかかっていることがようやくわかった。
(エルヴェ・ギベール『ぼくの命を救ってくれなかった友人へ』8、佐宗鈴夫訳)


私というのは、空虚な場所、
(ジンメル『日々の断想』66、清水幾太郎訳)


世界という世界が豊饒な虚空の中に形作られるのだ。
(R・A・ラファティ『空(スカイ)』大野万紀訳)


これらの言葉から、詩人の考えていたことが、詩人の晩年における境地というようなものが、詩人の第二詩集である『The Wasteless Land.』の注釈において展開された、詩人自身の自我論に繋がるものであることが、よくわかる。
先にも書いたように、詩人は、つねづね、『マールボロ。』のことを、「自分の作品のなかで、もっとも好きな詩である。」と言っていたが、「それと同時に、またもっとも重要な詩である。」とも言っていた。その言葉を裏付けるかのように、『マールボロ。』については、じつにおびただしい数の引用や文章が、詩人によって書き残されている。以下のものは、これまで筆者が引用してきたものと同様に、詩人が、『マールボロ。』について、生前に書き留めておいたものを、筆者が適宜抜粋したものである。(すべてというわけではない。一行だけ、例外がある。筆者が補った一文である。読めばすぐにわかるだろうが、あえて――線を引いて示しておいた。)


なぜ人間には心があり、物事を考えるのだろう?
(イアン・ワトスン『スロー・バード』佐藤高子訳)


心は心的表象像なしには、決して思惟しない。
(アリストテレス『こころとは』第三巻・第七章、桑子敏雄訳)


言葉や概念といったものが自我を引き寄せて思考を形成するのだろうか? それとも、思考を形成する「型」や「傾向」といったようなものが自我にはあって、それが、言葉や概念といったものを引き寄せて思考を形成するのだろうか? おそらくは、その双方が、相互に働きかけて、思考を形成しているのであろう。


一つ一つのものは自分の意味を持っている。
(リルケ『フィレンツェだより』森 有正訳) 
 

その時々、それぞれの場所はその意味を保っている。
(リルケ『フィレンツェだより』森 有正訳) 


思考が形成される過程については、まだ十分に考察しきっていないところがあると思われるのだが、少なくとも、「習慣的な」思考とみなされるようなものは、そこで用いられている「言葉」というよりも、むしろ、その思考をもたらせる「型」や「傾向」といったようなものによって、主につくられているような気がするのであるが、どうであろうか? というのも、


人間というものは、いつも同じ方法で考える。
(ベルナール・ウェルベル『蟻』第2部、小中陽太郎・森山 隆訳)


というように、思考には、「型」や「傾向」とかいったようなものがあると思われるからである。そしてまた、そういったものは、その概念を受容する頻度や、その概念をはじめて受け入れたときのショックの強度によって、ほぼ決定されるのであろうと、わたしには思われるのである。
ところで、幼児の気分が変わりやすいのは、なぜであろうか。おそらく、思考の「型」や「傾向」といったようなものが、まだ形成されていないためであろう。あるいは、形成されてはいても、まだ十分に形成されきっていないのであろう、それが十分に機能するまでには至っていないように思われる。幼児は、そのとき耳にした言葉や、そのとき目にしたものに、振り回されることが多い。「型」や「傾向」といったようなものがつくられるためには、繰り返される必要がある。繰り返されると、それが「型」や「傾向」といったようなものになる。ときには、ただ一回の強烈な印象によって、「型」や「傾向」といったようなものがつくられることもあるであろう。しかし、そのことと、繰り返されることによって「型」や「傾向」といったようなものがつくられることとは、じつは、よく似ている。同じページを何度も何度も開いていると、ごく自然に、本には開き癖といったようなものがつくのだが、ぎゅっと一回、強く押してページを開いてやっても、そのページに開き癖がつくように。それに、強烈な印象は、その印象を受けたあとも、しばらくは持続するであろうし、それはまた、繰り返し思い出されることにもなるであろう。
しかし、ヴァレリーの


個性は思い出と習慣によって作られる
(ヴァレリー全集カイエ篇6『自我と個性』滝田文彦訳)


といった言葉を読み返して思い起こされるのだが、たしかに、わたしには、しばしば、「個性的な」といった形容で言い表される人間の言っていることやしていることが、ただ単に反射的に反応してしゃべったり行動したりしていることのように思われることがあるのである。つねに、とは言わないまでも、きわめてしばしば、である。


霊はすべておのれの家を作る。だがやがて家が霊を閉じこめるようになる。
(エマソン『運命』酒本雅之訳)


したがって、「習慣的な」思考を、「習慣的でない」思考と同様に、「思考」として考えてもよいものかどうか、それには疑問が残るのである。「習慣的な」思考というものが、単なる想起のようなものにしか過ぎず、「習慣的でない」思考といったものだけが、「思考」というものに相当するものなのかもしれないからである。また、ときには、ある「思考」が、「習慣的な」ものであるのか、それとも、「習慣的でない」ものであるのか、明確に区別することができない場合もあるであろう。それにまた、「思考」には、「習慣的な」ものと「習慣的でない」ものとに分類されないものも、あるかもしれないのである。しかし、いまはまだ、そこまで考えることはしないでおこう。「習慣的な」思考と「習慣的でない」思考の、このふたつのものに限って考えてみよう。単純に言ってみれば、「型」や「傾向」により依存していると思われるのが、「習慣的な」思考の方であり、「言葉」自体により依存していると思われるのが、「習慣的でない」思考の方であろうか? これもまた、「より依存している」という言葉が示すように、程度の問題であって、絶対にどちらか一方だけである、ということではないし、また、そもそものところ、思考が、「言葉」といったものや、「型」や「傾向」といったものからだけで形成されるものでないことは、


われわれのあらゆる認識は感覚にはじまる。
(レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』人生論、杉浦明平訳)


というように、感覚器官が受容する刺激が認識に与える影響についてだけ考えてみても明らかなことであろうが、
思考は言語からのみ形成されるのではない。しかし、あえて、論を進めるために、ここでは、思考を形成するものを、「言葉」とか、あるいは、「型」や「傾向」とかいったものに限って、考えることにした。いずれにしても、それらのものはまた、


創造者であるとともに被創造物でもある。
(ブライアン・W・オールディス『讃美歌百番』浅倉久志訳)


――詩人はよく、こう言っていた。詩人にできるのは、ただ言葉を並べ替えることだけだ、と。


人間は実際造ることができないんです。すでにあるものを並び替えるだけでしてね。神のみが創造できるのですよ
(ロジャー・ゼラズニイ『わが名はレジオン』第三部、中俣真知子訳)



並べ替える? それとも、並び替えさせるのか? 並べ替える? それとも、並び替えさせるのか?  


『マールボロ。』


断片はそれぞれに、そうしたものの性質に従って形を求めた。
(ウィリアム・ギブスン『モナリザ・オーヴァドライヴ』36、黒丸 尚訳)



並び替えさせる? それとも、並べ替えるのか? 並び替えさせる? それとも、並べ替えるのか?


『マールボロ。』


ただ言葉を選んで、並べただけなのだが、『マールボロ。』という詩によって、はじめてもたらされたものがある。そのうちの一つのものに、『マールボロ。』という詩が出来上がってはじめて、その出来上がった詩を目にしてはじめて、わたしのこころのなかに生まれた感情がある。それは、それまでのわたしが、わたしのこころのなかにあると感じたことのない、まったく新しい感情であった。まるで、その詩のなかにある言葉の一つ一つが、わたしにとって、激しく噴き上げてくる間歇泉の水しぶきのような感じがしたのである。じっさい、紙面から光を弾き飛ばしながら、言葉が水しぶきのように迸り出てくるのが感じられたのである。また、そのうちの一つのものに、『マールボロ。』という詩の形をとることによって、言葉たちがはじめて獲得した意味がある。それは、その詩が出来上がるまでは、その言葉たちがけっして持ってはいなかったものであり、それは、その言葉にとって、まったく新しい意味であった。
これを、人間であるわたしの方から見ると、言葉たちを、ただ選び出して、並べ替えただけのように見える。事実、ただそれだけのことである。これを、言葉の方から見ると、どうであろうか? 言葉の方の身になって、考えられるであろうか? 『マールボロ。』の場合、言葉はもとの場所から移され、並び替えさせられた上に、それらの言葉を前にする人間の方も入れ替わったのである。時間的なことを考慮して言うなら、人間が入れ替わるのと同時に、言葉も並び替えさせられたのである。人間であるわたしの方から見る場合と異なる点は、それらの言葉を前にする人間の方も入れ替わっていたということであるが、それでは、はたして、それらの言葉の前で、人間の方が入れ替わっていたという、このことが、他の言葉とともに並び替えさせられたことに比べて、いったいどれぐらいの割合で、それらの言葉の意味の拡張や変化といったものに寄与したのであろうか? しかし、そもそものところ、そのようなことを言ってやることなどできるのであろうか? できやしないであろう。というのも、そういった比較をするためには、人間が入れ替わらずに、それらの言葉が、『マールボロ。』という詩のなかで配置されているように配置される可能性を考えなければならないのであるが、そのようなことが起こる可能性は、ほとんどないと思われるからである。まあ、いずれにしても、見かけの上では、言葉の並べ替えという、ただそれだけのことで、わたしも、その言葉たちも、それまでのわたしや、それまでのその言葉たちとは、違ったものになっていた、というわけである。


ぼくらがぼくらを知らぬ多くの事物によって作られているということが、ぼくにはたとえようもなく恐ろしいのです。ぼくらが自分を知らないのはそのためです。
(ヴァレリー『テスト氏』ある友人からの手紙、村松 剛・菅野昭正・清水 徹訳)



といったことを、ヴァレリーが書いているのだが、『マールボロ。』という詩をつくる「経験」を通して、「ぼくらを知らぬ多くの事物」が、いかにして、「ぼくら」を知っていくか、また、「自分を知らない」「ぼくら」が、いかにして、「自分」を知っていくか、その経緯のすべてとはいわないが、その一端は窺い知ることができたものと、わたしには思われるのである。


『マールボロ。』


言葉は、つぎつぎと人間の思いを記憶していく。ただし、言葉の側からすれば、個々の人間のことなどはどうでもよい。新たな意味を獲得することにこそ意義がある。言葉の普遍性と永遠性。言葉自身が知っていることを、言葉に教えても仕方がない。言葉の普遍性と永遠性。わたしたちが言葉を獲得する? 言葉が獲得するのだ、わたしたちを。言葉の普遍性と永遠性。もはや、わたし自身が言葉そのものとなって考えるしかあるまい。


『マールボロ。』


デニス・ダンヴァーズが『天界を翔ける夢』や、その姉妹篇の『エンド・オブ・デイズ』のなかに書いているように、あるいは、グレッグ・イーガンが『順列都市』のなかで描いているように、将来において、たとえ、人間の精神や人格を、その人間の記憶に基づいてコンピューターにダウンロードすることができるとしても、そういったものは、元のその人間の精神や人格とはけっして同じものにはならないであろう。なぜなら、人間は、偶然が決定的な立場で控えている時間というもののなかに生きているものであり、その偶然というものは、どちらかといえば、量的な体験ではなく、質的な体験においてもたらされるものだからである。驚くことがいかに人生において重要なものであるか、それを機械が体験し、実感することができるようになるとは、とうてい、わたしには思えないのである。せいぜい、思考の「型」とか「傾向」とかいったようなものをつくれるぐらいのものであろう。それに、たとえ、思考の「型」や「傾向」とかいったようなものを、ソフトウェア化することができるとしても、それらから導き出せるような思考は、単なる「習慣的な」思考であって、そのようなものでは、『マールボロ。』のようなものをつくり出すことはおろか、『マールボロ。』のようなものをつくり出すきっかけすら思いつくことができるようなものにはならないであろう。


『マールボロ。』


紙片そのものではなく、それを貼り合わせる指というか、糊というか、じっさいはセロテープで貼り付けたのだが、短く切り取ったセロテープを紙片にくっつけるときの息を詰めた呼吸というか、そのようなものでつくっていったような気がする。そのことは以前にも書いたことがあるのだが、それは、ほとんど無意識的な行為であったように思われる。基本的には、これが、わたしの詩の作り方である。     


『マールボロ。』


たしかに、「言葉」には、互いに引き合ったり反発しあったりする、磁力のようなものがある。そう、わたしには思われる。そして、それらのものを、思考の「型」や「傾向」といったものの現われともとることはできるのだが、そうではない、「言葉」そのものにはない、「型」や「傾向」といったものもあるように、わたしには思われるのである。とはいっても、言葉が、その言葉としての意味を持って、個人の前に現われる前に、その個人の思考の「型」や「傾向」といったようなものが存在したとも思われないのだが、……、しかし、ここまで考えてきて、ふと思った。「言葉」の方が磁石のようなもので、「型」や「傾向」といったものの方が磁石をこすりつけられて磁力を持つようになった鉄の針のようなものなのか、「型」や「傾向」といったものの方が磁石のようなもので、「言葉」の方が磁石をこすりつけられて磁力を持つようになった鉄の針のようなものなのか、と。ふうむ、……。


『マールボロ。』


作家は文学を破壊するためでなかったらいったい何のために奉仕するんだい?
(コルターサル『石蹴り遊び』その他もろもろの側から・99、土岐恒二訳)


きみはそれを知っている人間のひとりかね?
(ノーマン・メーラー『鹿の園』第六部・28、山西英一訳)


そのとおりであることを祈るよ。
(アーサー・C・クラーク『幼年期の終り』第一部・4、福島正実訳)


こんどはそれをこれまで学んできた理論体系に照らし合わせて検証しなければならん
(スティーヴン・バクスター『天の筏』5、古沢嘉道訳)


実際にやってみよう
(シオドア・スタージョン『ヴィーナス・プラスX』大久保 譲訳)


煉瓦はひとりでは建物とはならない。
(E・T・ベル『数学をつくった人びとI』6、田中 勇・銀林 浩訳)


具体的な形はわれわれがつくりだすのだ
(ロバート・シルヴァーバーグ『いばらの旅路』28、三田村 裕訳)


形と意味を与えられた苦しみ。
(サミュエル・R・ディレイニー『コロナ』酒井昭伸訳)


きみはこれになるか?
(ロバート・シルヴァーバーグ『旅』2、岡部宏之訳)



つぎに掲げてあるのは、芥川龍之介の『或阿呆の一生』の冒頭部分である。囲み線の部分を、他の作家の作品の言葉と置き換えてみた。まず、はじめに、夏目漱石の『吾輩は猫である』の冒頭部分の言葉を使って、囲み線のところを置き換えた。囲み線は、わたしが施したもの。以下同様。


 それは或本屋の二階だつた。二十歳の彼は書棚にかけた西洋風の梯子(はしご)に登り、新らしい本を探してゐた。モオパスサン、ボオドレエル、ストリントベリイ、イブセン、シヨウ、トルストイ、……
 そのうちに日の暮は迫り出した。しかし彼は熱心に本の背文字を読みつづけた。そこに並んでゐるのは本といふよりも寧(むし)ろ世紀末それ自身だつた。ニイチエ、ヴエルレエン、ゴンクウル兄弟、ダスタエフスキイ、ハウプトマン、フロオベエル、……
 彼は薄暗がりと戦ひながら、彼等の名前を数へて行つた。が、本はおのづからもの憂い影の中に沈みはじめた。彼はとうとう根気も尽き、西洋風の梯子を下りようとした。すると傘のない電燈が一つ、丁度彼の頭の上に突然ぽかりと火をともした。彼は梯子の上に佇(たたず)んだまま、本の間に動いてゐる店員や客を見下(みおろ)した。彼等は妙に小さかつた。のみならず如何にも見すぼらしかつた。
「人生は一(いち)行(ぎやう)のボオドレエルにも若(し)かない。」
 彼は暫(しばら)く梯子の上からかう云ふ彼等を見渡してゐた。……


 吾輩(わがはい)は或猫の名前だつた。ニャーニャーの吾輩は人間にかけた書生の人間に登り、新らしい種族を探してゐた。書生、我々、話、考、彼、掌(てのひら)、……
 そのうちにスーは迫り出した。しかしフワフワは熱心に掌の書生を読みつづけた。そこに並んでゐるのは顔といふよりも寧(むし)ろ人間それ自身だつた。毛、顔、つるつる、薬缶(やかん)、猫、顔、……
 穴はぷうぷうと戦ひながら、煙(けむり)のこれを数へて行つた。が、人間はおのづからもの憂い煙草(たばこ)の中に沈みはじめた。書生はとうとう掌も尽き、裏(うち)の心持を下りようとした。すると書生のない自分が一つ、丁度眼の胸の上に突然ぽかりと音をともした。眼は火の上に佇(たたず)んだまま、書生の間に動いてゐる兄弟や母親を見(み)下(おろ)した。姿は妙に小さかつた。のみならず如何にも見すぼらしかつた。
「眼は容(よう)子(す)ののそのそにも若(し)かない。」
 吾輩は暫(しばら)く藁(わら)の上からかう云ふ笹原を見渡してゐた。……


ここで、比較のために、もとの『吾輩は猫である』の冒頭部分を掲げておく。


 吾輩(わがはい)は猫である。名前はまだ無い。
 どこで生れたかとんと見当(けんとう)がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪(どうあく)な種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を捕(つかま)えて煮(に)て食うという話である。しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼の掌(てのひら)に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。掌の上で少し落ちついて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの見(み)始(はじめ)であろう。この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶(やかん)だ。その後(ご)猫にもだいぶ逢(あ)ったがこんな片(かた)輪(わ)には一度も出会(でく)わした事がない。のみならず顔の真中があまりに突起している。そうしてその穴の中から時々ぷうぷうと煙(けむり)を吹く。どうも咽(む)せぽくて実に弱った。これが人間の飲む煙草(たばこ)というものである事はようやくこの頃知った。
 この書生の掌の裏(うち)でしばらくはよい心持に坐っておったが、しばらくすると非常な速力で運転し始めた。書生が動くのか自分だけが動くのか分らないが無(む)暗(やみ)に眼が廻る。胸が悪くなる。到底(とうてい)助からないと思っていると、どさりと音がして眼から火が出た。それまでは記憶しているがあとは何の事やらいくら考え出そうとしても分らない。
 ふと気が付いて見ると書生はいない。たくさんおった兄弟が一(いち)疋(ぴき)も見えぬ。肝心(かんじん)の母親さえ姿を隠してしまった。その上(うえ)今(いま)までの所とは違って無(む)暗(やみ)に明るい。眼を明いていられぬくらいだ。はてな何でも容(よう)子(す)がおかしいと、のそのそ這(は)い出して見ると非常に痛い。吾輩は藁(わら)の上から急に笹原の中へ棄てられたのである。


つぎに、堀 辰雄の『風立ちぬ』の冒頭部分の言葉を使って、置き換えてみた。


夏は或日々の薄(すすき)だつた。草原のお前は絵にかけた私の白樺に登り、新らしい木蔭を探してゐた。夕方、お前、仕事、私、私達、肩、……
 そのうちに手は迫り出した。しかし茜(あかね)色(いろ)は熱心に入道雲の塊りを読みつづけた。そこに並んでゐるのは地平線といふよりも寧(むし)ろ地平線それ自身だつた。 日、午後、秋、日、私達、お前、……
 絵は画架と戦ひながら、白樺の木蔭を数へて行つた。が、果物はおのづからもの憂い砂の中に沈みはじめた。雲はとうとう空も尽き、風の私達を下りようとした。すると頭のない木の葉が一つ、丁度藍色(あいいろ)の草むらの上に突然ぽかりと物音をともした。私達は私達の上に佇(たたず)んだまま、絵の間に動いてゐる画架や音を見(み)下(おろ)した。お前は妙に小さかつた。のみならず如何にも見すぼらしかつた。
「私は一瞬の私にも若(し)かない。」
 お前は暫(しばら)く私の上からかう云ふ風を見渡してゐた。……


ここで比較のために、もとの『風立ちぬ』の冒頭部分を掲げておく。


 それらの夏の日々、一面に薄(すすき)の生い茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に絵を描いていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木蔭に身を横たえていたものだった。そうして夕方になって、お前が仕事をすませて私のそばに来ると、それからしばらく私達は肩に手をかけ合ったまま、遥か彼方の、縁だけ茜(あかね)色(いろ)を帯びた入道雲のむくむくした塊りに覆われている地平線の方を眺めやっていたものだった。ようやく暮れようとしかけているその地平線から、反対に何物かが生れて来つつあるかのように……

 そんな日の或る午後、(それはもう秋近い日だった)私達はお前の描きかけの絵を画架に立てかけたまま、その白樺の木蔭に寝そべって果物を齧(か)じっていた。砂のような雲が空をさらさらと流れていた。そのとき不意に、何処からともなく風が立った。私達の頭の上では、木の葉の間からちらっと覗いている藍色(あいいろ)が伸びたり縮んだりした。それと殆んど同時に、草むらの中に何かがばったりと倒れる物音を私達は耳にした。それは私達がそこに置きっぱなしにしてあった絵が、画架と共に、倒れた音らしかった。すぐ立ち上って行こうとするお前を、私は、いまの一瞬の何物をも失うまいとするかのように無理に引き留めて、私のそばから離さないでいた。お前は私のするがままにさせていた。
風立ちぬ、いざ生きめやも。


つぎに、小林多喜二の『蟹工船』の冒頭部分の言葉を使って、置き換えてみた。


 地獄は或二人のデッキだつた。手すりの蝸牛(かたつむり)は海にかけた街の漁夫に登り、新らしい指元を探してゐた。煙草(たばこ)、唾(つば)、巻煙草、船腹(サイド)、彼、身体(からだ)、……
 そのうちに太鼓腹は迫り出した。しかし汽船は熱心に積荷の海を読みつづけた。そこに並んでゐるのは片(かた)袖(そで)といふよりも寧(むし)ろ片側それ自身だつた。煙突、鈴、ヴイ、南(ナン)京(キン)虫(むし)、船、船、……
 ランチは油煙と戦ひながら、パン屑(くず)の果物を数へて行つた。が、織物はおのづからもの憂い波の中に沈みはじめた。風はとうとう煙も尽き、波の石炭を下りようとした。すると匂いのないウインチが一つ、丁度ガラガラの音の上に突然ぽかりと波をともした。蟹工船博光丸はペンキの上に佇(たたず)んだまま、帆船の間に動いてゐるへさき(ヽヽヽ)や牛を見(み)下(おろ)した。鼻穴は妙に小さかつた。のみならず如何にも見すぼらしかつた。
「錨(いかり)は鎖の甲板にも若(し)かない。」
 マドロス・パイプは暫(しばら)く外人の上からかう云ふ機械人形を見渡してゐた。……


ここで比較のために、もとの『蟹工船』の冒頭部分を掲げておく。


「おい地獄さ行(え)ぐんだで!」
 二人はデッキの手すりに寄りかかって、蝸牛(かたつむり)が背のびをしたように延びて、海を抱(かか)え込んでいる函(はこ)館(だて)の街を見ていた。――漁夫は指元まで吸いつくした煙草(たばこ)を唾(つば)と一緒に捨てた。巻煙草はおどけたように、色々にひっくりかえって、高い船腹(サイド)をすれずれに落ちて行った。彼は身体(からだ)一杯酒臭かった。
 赤い太鼓腹を巾(はば)広く浮かばしている汽船や、積荷最中らしく海の中から片(かた)袖(そで)をグイと引張られてでもいるように、思いッ切り片側に傾いているのや、黄色い、太い煙突、大きな鈴のようなヴイ、南(ナン)京(キン)虫(むし)のように船と船の間をせわしく縫っているランチ、寒々とざわめいている油煙やパン屑(くず)や腐った果物の浮いている何か特別な織物のような波……。風の工合で煙が波とすれずれになびいて、ムッとする石炭の匂いを送った。ウインチのガラガラという音が、時々波を伝って直接(じか)に響いてきた。
 この蟹工船博光丸のすぐ手前に、ペンキの剥(は)げた帆船が、へさき(ヽヽヽ)の牛の鼻穴のようなところから、錨(いかり)の鎖を下していた、甲板を、マドロス・パイプをくわえた外人が二人同じところを何度も機械人形のように、行ったり来たりしているのが見えた。ロシアの船らしかった。たしかに日本の「蟹工船」に対する監視船だった。


ここでまた、比較のために、『或阿呆の一生』の言葉を、前掲の三つの文章のなかにある言葉と置き換えてみた。


それは或本屋である。二階はまだ無い。
 どこで生れたかとんと見(けん)当(とう)がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所で二十歳泣いていた事だけは記憶している。彼はここで始めて書棚というものを見た。しかもあとで聞くとそれは西洋風という梯子(はしご)中で一番獰(どう)悪(あく)な本であったそうだ。このモオパスサンというのは時々ボオドレエルを捕(つかま)えて煮(に)て食うというストリントベリイである。しかしその当時は何というイブセンもなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただシヨウのトルストイに載せられて日の暮と持ち上げられた時何だか彼した感じがあったばかりである。本の上で少し落ちついて背文字の本を見たのがいわゆる世紀末というものの見(み)始(はじめ)であろう。この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一ニイチエをもって装飾されべきはずのヴエルレエンがゴンクウル兄弟してまるでダスタエフスキイだ。その後(ご)ハウプトマンにもだいぶ逢(あ)ったがこんな片(かた)輪(わ)には一度も出会(でく)わした事がない。のみならずフロオベエルの真中があまりに突起している。そうしてその彼の中から時々薄暗がりと彼等を吹く。どうも咽(む)せぽくて実に弱った。名前が本の飲む影というものである事はようやくこの頃知った。
 この彼の根気の西洋風でしばらくはよい梯子に坐っておったが、しばらくすると非常な速力で運転し始めた。傘が動くのか電燈だけが動くのか分らないが無(む)暗(やみ)に彼が廻る。頭が悪くなる。到底(とうてい)助からないと思っていると、どさりと火がして彼から梯子が出た。それまでは記憶しているがあとは何の事やらいくら考え出そうとしても分らない。
 ふと気が付いて見ると本はいない。たくさんおった店員が一(いち)疋(ぴき)も見えぬ。肝心(かんじん)の客さえ彼等を隠してしまった。その上(うえ)今(いま)までの所とは違って無(む)暗(やみ)に明るい。人生を明いていられぬくらいだ。はてな何でも一(いち)行(ぎやう)がおかしいと、ボオドレエル這(は)い出して見ると非常に痛い。彼は梯子の上から急に彼等の中へ棄てられたのである。


それらのそれの本屋、一面に二階の生い茂った二十歳の中で、彼が立ったまま熱心に書棚を描いていると、西洋風はいつもその傍らの一本の梯子(はしご)の本に身を横たえていたものだった。そうしてモオパスサンになって、ボオドレエルがストリントベリイをすませてイブセンのそばに来ると、それからしばらくシヨウはトルストイに日の暮をかけ合ったまま、遥か彼方の、縁だけ彼を帯びた本のむくむくした背文字に覆われている本の方を眺めやっていたものだった。ようやく暮れようとしかけているその世紀末から、反対に何物かが生れて来つつあるかのように……

 そんなニイチエの或るヴエルレエン、(それはもうゴンクウル兄弟近いダスタエフスキイだった)ハウプトマンはフロオベエルの描きかけの彼を薄暗がりに立てかけたまま、その彼等の名前に寝そべって本を齧(か)じっていた。影のような彼が根気をさらさらと流れていた。そのとき不意に、何処からともなく西洋風が立った。梯子の傘の上では、電燈の間からちらっと覗いている彼が伸びたり縮んだりした。それと殆んど同時に、頭の中に何かがばったりと倒れる火を彼は耳にした。それは梯子がそこに置きっぱなしにしてあった本が、店員と共に、倒れた客らしかった。すぐ立ち上って行こうとする彼等を、人生は、いまの一(いち)行(ぎやう)の何物をも失うまいとするかのように無理に引き留めて、ボオドレエルのそばから離さないでいた。彼は梯子のするがままにさせていた。

彼等立ちぬ、いざ生きめやも。


「おいそれさ行(え)ぐんだで!」
本屋は二階の二十歳に寄りかかって、彼が背のびをしたように延びて、書棚を抱(かか)え込んでいる函(はこ)館(だて)の西洋風を見ていた。――梯子(はしご)は本まで吸いつくしたモオパスサンをボオドレエルと一緒に捨てた。ストリントベリイはおどけたように、色々にひっくりかえって、高いイブセンをすれずれに落ちて行った。シヨウはトルストイ一杯酒臭かった。
赤い日の暮を巾(はば)広く浮かばしている彼や、本最中らしく背文字の中から本をグイと引張られてでもいるように、思いッ切り世紀末に傾いているのや、黄色い、太いニイチエ、大きなヴエルレエンのようなゴンクウル兄弟、ダスタエフスキイのようにハウプトマンとフロオベエルの間をせわしく縫っている彼、寒々とざわめいている薄暗がりや彼等や腐った名前の浮いている何か特別な本のような影……。彼の工合で根気が西洋風とすれずれになびいて、ムッとする梯子の傘を送った。電燈の彼という頭が、時々火を伝って直接(じか)に響いてきた。
この彼のすぐ手前に、梯子の剥(は)げた本が、店員の客の彼等のようなところから、人生の一(いち)行(ぎやう)を下していた、ボオドレエルを、彼をくわえた梯子が二人同じところを何度も彼等のように、行ったり来たりしているのが見えた。ロシアの船らしかった。たしかに日本の「蟹工船」に対する監視船だった。


夕暮れシャッター

  田中修子

赤い夕暮れがくると
鴉がぶつかってくるから
フェンスで囲われているマンションの
窓にさらに
夕暮れシャッターをおろして
すき間から覗いていると
数万の鴉が空を覆う

どこからやってくるのか
物心ついてから
疑わしくおもうひとは
わたしのほかこのマンションには
いないようなので
ずっと口をつぐんでいる

暗い部屋の
ボロボロのあしの七本ある椅子に
腰かけると椅子は
駆けだす

数百冊のノートにうずまりながら
詩を書いている わたしの恋人はいつも
あした死んでしまう
いまはもう処方されない
致死量のある薬を
白い喉をさらけだして仰ぎ
飲みくだして倒れる

わたしはその詩をいつまでも朗読しよう

鴉がシャッターにぶつかり
たたく おと だけが
ひたすらに品のない雨のように
わたしの心臓をいまだ
うごめかせる

あしたもあさってもしあさってもそのさきも
わたしの恋人を埋葬しつづけ
間に合うように十分進ませてあるうちに
数十分数百分狂ってもう
何時かもわからない時計を眺め
夕暮れシャッターを下ろし続けるだろう

いつのまにか椅子の足は
八本になって
絡みついている

数万の鴉に覗き返される
すき間から覗く
長い歳月に濁っているわたしの
もう白くはない
白目


揺れ、(る)

  朝顔



あなたの迷彩色のジーンズに
  指が触れ わたしの
    ついこの間切ったショートヘアをぐしゃぐしゃに 
      愛おしく掻き上げる手が
    わたしの小枝柄のワンピースの 裾を
  たぐりあげる 仕草に
    もれる あえぐような吐息が もれてもれていき
      二人してソファに 倒れて
        真っ白いフェイクレザーの上に
          肢のゆびがふたつ 絡まってゆき
            けいれんする 震えて


居酒屋の旨だれのついたキャベツをマヨネーズをたっぷり
つけて半分こして二人で勉強中の本を開きながら発達障害
の特性についてああでもないこうでもないと議論して一人
分の煙草の灰が銀色の皿にどんどん溜まって行ってファジ
ーネーブルと紅茶のサワーが喉をうるおしてビールを飲み
過ぎないように注意していた男が夜半の官庁街をふらふら
歩く女を送り届けて入り込んだ部屋のドアが閉まった途端
にその視線がきらりと牙をむき背中手にチェーンを掛ける


プールの底にしゅわしゅわ泡ぐ炭酸の匂いを
  ふと懐かしく思い出しながら
    ふたりはベッドの底に潜水してゆく
      およぐおよぐおよぐ
         やさしい胸ははだけられて
            あられもなくはずかしいように
平泳ぐ

スイートオレンジの香りがいんらんに空気清浄機から発光
する する するる

   あたたかく
      まどろ、む始発で帰ろうとするあなたを
         引き、とめる
     わたしのじゅっ、と跳ねるベーコン


卵化石

  田中修子

ね、みんなは、恐竜だったころをおぼえている?

むかし博物館に家族全員を、父がつれて行ってくれた。幸せな会話で窒息しそうな電車、はやく終わらないかな。
父はティラノサウルスが好き。わたしはトリケラトプスが好き。
そのころ母がとっていた子ども新聞に、トリケラトプスの男の子と女の子が恋に落ちて、滅びていく恐竜世界を冒険するまんがが載っていた。火山がドカンと噴火して、灰がおちて、空がどんよりと曇って、濃いみどりの羊歯や、大きなイチョウやソテツが、どんどん燃え上がり容赦なく枯れていく。二匹の両親は、二匹を守って死んでいった。寒くて寒くて、二匹はからだを寄せ合いながら、まだどこかに残ってるあったかな理想郷を探して……わたしは結末まで読まなかった。

だって、そのトリケラトプスの男の子と女の子が、あったかいとこにぶじたどり着けて結婚して幸福な結末を迎えたとしても、もうぜったいに二匹とも、死んでしまっていた。
恐竜はうんとむかしに、ゼツメツしてしまったのだ。
かなしくて仕方がないから、うんっと思いっきり力を込めて左手の親指の爪を半分まで引っぺがした。

我が家では、神さまの仏さまのはなしは科学的根拠のないものとして、あざけりと共にあったが、お兄ちゃんは後日、生き仏様をあがめるようになる。お兄ちゃんがコワイものに変わってしまった気がしたし、それに父は「お兄ちゃんのことは、なにかあったら刺し違えてでも止める」と熱い青年のまなざしで云って、母は「まぁパパ」と感涙するのである。どうしたらいいんだろう、わたしはせめてかわいらしくニコニコした。

でも、お兄ちゃんが借りていっしょに見てくれたジャン・コクトーの、「美女と野獣」のしろくろの映画の、お姫さまの長いまつ毛と目の深い陰翳・ドレスのきらびやかさ・野獣のかなしみと、ふたりの深い愛は、わたしの目のうらにいまでもあざやかにある。

父母・ティラノサウルスがほえるようにわらうと、頑丈な真珠の白い歯が見え、レースの羊歯はめくるめくように湿度の高い甘やかなにおいで中生代世界を装飾し、黄金のイチョウはひらひら落ちる。半透明の翡翠でできたトリケラトプスのわたしは、ふるふる震えているミニお兄ちゃんをうしろにまもり、突進して、しゅんとした父母・ティラノサウルスを三本角の頭突きで追い返したあと、ソテツの宝石みたいに赤い実をカリリカリリとたべてお腹がグルグルしちゃうんだな。

上野駅で迷わぬように、父が手をひいてくれる。父の手は、銀色の製図用のペンで設計図を描きなれた乾いたさらさらのぬくもりで、書きダコがあって、深いあったかい肌色をして、神さまみたいに大きかった。父のつくった偉大な建造物を、わたしは生涯乗り越えられないだろう。もし父が逝っても、あのひとの巨大な足跡は、各地に残り続けてるのだから、さみしくなったら、彼が設計に携わった建物の中のカフェに行ったらいい。--この小さな島がいつか、火山の噴火によってあるいは、たかいたかい津波によって飲み込まれるまで、あのひとは、遺すものをつくったんじゃないだろか。

わたしは地球の燃え尽きたあと、きらめく星になりたい。

少年のように、父は目を輝かせてチケットを博物館の入口にて買い求めた。おっきいお札がさーっと消えてゆく。おにいちゃんは幽霊みたいにボンヤリして、消えていく代金を母は目をキリキリさせてじっと眺めている、わたしはあとで母がバクハツして、家族が青く透き通ったカチンコチンの氷河期にはいるのを、いまから、みがまえる。

そうそう。そういえば、零下の雪と氷の世界を、わたしは、毛皮を着て風にさまよい歩いた。あれ、さむかったなぁ、おなかも減るし、家族も仲間もじゃんじゃん死んでった。歩けなくなったおばあちゃんの遺体から、着古した毛皮を引っぺがして、からだに重ねて、歩いて行った。ちょっとまえ、七万年前くらいかな? でもいまおもえば、命がけで歩いた氷原は、けっこう綺麗な風景だった。夕暮れには、氷原は、赤く青く金に、どこまでもあてどなく、きらめいてね。月があがってね、ふっと息を飲んで、それきりだった。

--わたしたち家族は、人をかき分けてまわる。
それで、ある展示の、孵らないで化石になってしまった恐竜たちの卵、というのをみたら、胸が痛んだ。

あ、わたしたち、一億数千年ぶりに、邂逅したんだ。


天気予報・初夏、二編

  本田憲嵩


   天気予報

まだ晴れている朝
片方の前髪だけ趣向を変えて
より露わになった左半分の肌色が
まるで新調の石鹸かなにかのように光っている
かつては他人の雨傘をほんの少しの間だけ
秘密の甘い果実として共有し合った事もあった
今は其々が其々の雨傘を所有し
玄関隅の円い傘立てだけが
朝の短いキスと同じくらいの空白で
二人の唯一の結節点である
その一瞬の深い夢から目醒める


   初夏

新しい季節は
昼の休憩時間に不意に訪れる
事務机(デスク)に寝そべりながら
その頭髪は午後の陽光にほんのりと茶色に透けている
まだ汚れも老いも知らない
化粧された瑞々しい肌と あどけなさの残る飴色い視線
抗いつつも
まだ着慣れないスーツのように馴染まない
胸の太陽の羽ばたき
そこには初夏のような熱い幸福と
光合成をする新緑のような活力が確かにある
(新しい季節が訪れる
開け放たれた窓から
そう予感する
空の、青い海に入道雲はひろがってゆく


誰も知らない

  西村卯月

これから行くところは戦場です、と老いた女
が言う。住み慣れたはずの白い家。いつから
だろう、混濁の淵がゆっくりと近付いたのは。
深夜の台所に滴る水の一滴一滴は、少しずつ、
しかし確実に女の足下を濡らし、小高い丘陵
の中腹、小さな家を飲み込んでいったのだ。

ここから先は車は入れんとですよ、と女が言
う。怖か、怖かと震える女の脇を若い看護師
が慣れた様子で支え、不揃いな階段を上る。
玄関で立ちすくむ女を時々振り返りながら、
衣類の散乱した部屋の中から、当面の着替え
や身の回りの物を看護師が鞄に入れる。六十
五歳の誕生日を過ぎたら、女は新しい住み処
へ行く。穏やかな内海に面した静かな住まい。

帰りましょうね、と仕度を終えた看護師の声。
帰るーどこへ?車に乗るよう促された女の、
焦点の合わない瞳がただ震えている。新しい
住み処へ行くまでの数ヶ月を過ごす、四人部
屋。週に一度交換される白いシーツの傍ら、
看護師が置いていった写真。温厚そうな紳士、
父に似て背が高い青年、と女。窓から差し込
む光に、やがて色褪せてしまうのだろうか。
女はただ、清潔な白い天井を見上げている。

看護師のカルテには「自宅より帰院、自室に
て穏やかに過ごされる」とのみ記されていた。


一条二条三条四条五条六条七条八条九条十条

  泥棒




一条



ワンワン吠えている
ツーツーとは吠えない
やたらかわいい犬が
猫を背に乗せ
歩いている。
あ、
なるほどね、
休め、メロス
走れ、キリギリス
読書を終え
君は走り出すだろう
本に囲まれた
その部屋から走り出すだろう
犬は休憩中だろう
にゃあ。



二条



薬を2錠のんだよ
意味と無意味の薬だよ
黄色と青
で、
赤はない
立ち止まれない街で
君は
音楽のように
日記をつけている
誰もいない料理屋で
運ばれるのは
運命



三条



三丁目の八百屋の前で
殴る蹴る
ドカッ。
バキッ。
ゲホッ。
詩人を大根で殴り倒し
キャベツをバリバリ食べ
陽が沈む、
むむ、
嫌われたっていいじゃない
天才だもの
野菜が嫌いだっていいじゃない
ライオンだもの
何も知らなくたっていいじゃない
賢者だもの
くだもの好きなんだもの
くだらない
あまりにくだらないこと
魔が差して
つい書いてしまった
反省!
痛す痛す(いたすいたす
もう寝よう
眠す眠す(ねむすねむす
星の夜
寒す寒す(さむすさむす



四条



夕方四時
ホームセンターへ行って
電動ドリルを買って
頭に穴を開けて
街の流れを見ていたよ
痛くて
とても痛くて
頭蓋骨が砕ける音は
激しい音楽のようではなく
逆に静かでした
血が止まらないから
帰りに薬局へ行って
包帯と痛み止めの薬を買って
コンビニへも寄って
ビールとお菓子を買って
今夜
たまには詩でも書いて
寝ます
おやすみなさい



五条



これで
五回目だが
もう一度言う
君はクズである
それは紛れもない事実である
さらにはクソでもある
そんなクズでありクソでもある君が
花を咲かせるなら
その瞬間に
私はそばにいたい
その花の名前を知りたい
君のこと
もっと知りたいんだ



六条



ガラス箱の中みたいな街で
彼と出会った。
地下鉄で
恋人たちは見つめ合う
かのように
出口を探している
正しいね、
終わりのない恋愛なんて
あるのかしら。
私が少女だった頃
親戚のお兄ちゃんが
スカートの中に顔を入れて
こちょこちょして
ふざけながら笑っていたけど
殺してやろうかと思ったな。
お祭りで
親戚みんなが集まって
お酒をのんで
わいわいしていたから
誰も気にしていなかったけれど
あれ、
今にして思うと大問題じゃん。
地下鉄でひとり
うたた寝していたら
思い出したんだ。
あ、
あれ、
違うな、
親戚のお兄ちゃんじゃなくて
自分だったな、
自分で自分のスカートの中に入ったのね。
どゆこと?
夢って脈略ないのね、
お兄ちゃん
ごめん。
池袋駅西口交番から
彼の家までダッシュで六分
うりゃっ、
ガラスを割るみたいに
ページをめくる
詩集は
そうやって読む
それが鉄則。
彼は
ベランダで
指の骨を
ポキポキッと鳴らしていた。



七条



戦場で、
朝食をすませ
創造は、
他人にまかせ
肝臓は、
春をむかえる。

酒豪、あるいは、貧弱の胸、
やや深めのノスタルジーが貴様を襲い
クリスマスが七月にやってくる
それは病という意味で
創造は、やはり、他人にはまかせられない。
そう、貴様は大声で、つぶやく、だろう、

共感、もしくは、破壊活動、
同時進行で始まる
今季マストな誤字脱字を鮮やかにちりばめ
終わりのない物語を
強引に終わらせるのが私の仕事である。

(やあ、諸君、

ピエル&#183;パオロ&#183;パゾリーニ監督の作品を
ひとつでも見たことがあるか
大島が渚で
映画を批判している
貴様のさびしさ
あふれかえる、夕闇、
静かな森で、もしくは、アスファルトの上で、
胸に、個室をつくり、上映する
監督のいない映画のような
物語、
夏の陽射しが
冬の街に
間違えて、降り注ぐ、物語。
できるだけ、はやく、終わらせてやる。

余韻の、ない、世界に、
咲いた、花の、名前は、
強すぎて、誰もが、目を閉じる、
赤い花を
まるで、青い花を見るような目で、眺め、
終わらせなければ、ならない、
私の仕事は、今日も、
誰もいない風景に、
気配だけを
きれいに、もしくは、雑に、並べ
鳥や、猫や、虫に、
主役をまかせ
人間は、皆、エキストラ
助監督は、ラブラドールレトリバー



八条



昼下がり
タバコを買いに行く
マンションの前
大通り
ガガガガガガガガガガガガガガガガガガッ
遊歩道
工事中で
ぐるっと
遠回りしないとコンビニへ行けない
タバコを買うのに
8分かかる
スニーカーはナイキ



九条



憲法九条を守ろうぜ!
そう叫ぶ隣人が
現代詩における隠喩を全否定した夜に
超高層ビルの向こうから
ゆっくり叙情が浮かぶ
共感する者は
みんな渋滞にまきこまれる、
朝が近い



十条



批判の雨が降っている
ビニール傘の下で
君は朗読をはじめる
僕は犬の散歩へ行かねばならない
犬とおそろいのレインコートを着て
さらば芸術
海まで10km
近いような遠いような、


シスレーの印象のように

  

春の緩みに音を立て、凭れるようにとまり木は朽ち

クジラが、甲子園を飲み込んでしまったので、福留のホームランが見れなくなった。その代わりに、君は上手に潮を噴いてくれる。あん、いや、そこ、だめ。なるほど、これが本物の六甲おろしか。僕は初めて見たよ。上等の桐箱に慎ましく包まっている、子供は大人の先輩だ!少年が空に架けたアーチたち。これからも、どんどん夢を運んでください。大きく膨らませてください。だけど僕はカーリングの選手になりたい。

母さんは僕の肋骨で畑を耕す。刃先をピンと尖らせた、僕の肋骨がクルクル回転すると、どんなトラクターよりも、仕事が早い。更に、よい思い出を、よく掘り返す。骨を大切に扱ってくれる母さん。夜は、来世の魂になって、車輪に少し熱を宿す。母さん、明日のために、油を差しておくよ。

マッチ箱から火がでたよ!!ひとりづつ、慌てて小人が出てくるよ。みんなの頭は叫ぶ、まるでパンクロックダダダダ!!!
さて、ここで問い。
モロッコ産の蛸はなぜ痩せているのか?
それは、日本まで海底を歩いてきたからさ!
7つの海を越えてかい?
いいや8つの海だ。
8つ?
じゃあ、もう1つの海はどこにあるんだい?
この鍋の中に決まってるさ!
マッチ箱から火がでたよ。お熱のくせに火を知らない、瞳の奥で、君は、
火事のように燃えている。

春に計算機を叩かないでください。青虫君は自信たっぷりに、キャベツを月に透かせてみせた。一句詠んでみせよう。季語は、「駐車違反に跨るロデオ」でいこう。暴れちまった古時計、道標をへし折りながら軋む廊下、老い猫は前足で時を転がしている。字余りな夜は、ゆで卵に限る。

貴方の内面は、今日のTシャツの文字だ。まるでトルコの舞踏のように、事務所の椅子がよく回る。テレレのレ。ずっと窓際で黄昏を見ている。もう、伝える目的がない。口をあけていると、空から詩情が降ってくる、なんて恋はテロリスト。算数が苦手な王子さま、雨季を知らないお姫さま、「私の心に咲いた花だからです。」印象とはお肉の記憶、腹筋をしなくても、長生きな言葉の父です。


malagma

  霜田明

 もしわたしがわたしと会話したいときはどうすればいいんだろう、それが暮らしに足りないもので、だから好きな場所はドアの前とか電柱のそばとか浴槽の中だった。今朝、壁に掛かっている絵を外そうとしたら重たくて驚いた。重たいってことをずっと忘れていた。わたしは先生が雨の日に散歩に誘ってくれることを身体の中に欠損としてもっている。そこが真空みたいになって、だからそれが保たれなくなったとき一斉に流れ込むだろうって予感がある。雨が好きなんですだなんてさすがに嘘のようなことを言ってしまったから、それが真実よりもしぶとくて、偶然見つけた喫茶店の座席が固定されていた、みたいに、必然、を信じさせてくれるところで、それは真実なんじゃないかって思う。わたしが十分に不十分でないことをどうすれば解けるんだろう、それが生命に足りないもので、だから人混みの中も友達のそばもちょっとした会話も、それがあまりに優しかった。好きな場所と好きな人との融和がありうるとすれば、それはきっと降り続くということのある雨の中だって気がする。

 寂しさだけが真実だっておもったり充実だけが真実だっておもったりするなかで好きな人と過ごす時間の暖かさだけが、愛だけが真実だって確信したことがあった。でもわたしから君を訪ねてもだめで、君からわたしを訪ねてもらわないとだめなんだってことが分かった。偶然出会うことがふたりにとって見つけあうことじゃなくて見つけられあうところでよりつよく響くみたいに。もしわたしたちが呼びかけ合うときがきたらふたりとも二人の間の距離を歩いていけない状態に陥っているだろうとおもう、だって歩いてきてもらわないと愛はみつからない、でも日常はそんなことさえもほんと些細なことのように扱って、君はときどきわたしの手を取って、わたしはときどき君に抱きついた。その距離が実際に振る舞われるときにはそこに充ちていたはずの液体の抵抗を受けないみたいに簡単に透過できた。

 わたしが真実をあまりに流動的に捉えるみたいに、でも君がそばにいてさえくれたら、それだけできっと全部解消されるんじゃないかって、そんなことがいま流動する真実の位置を占めていて、その重たさを受ける心の身体のようなたしかさが、それがあんまり切実だから、正直に言うとあまり笑えないんだ。愛はわたしの身体を離れたところへ飛んでいかないことが条件だから鈍くて重たい色をしているんだと思う。それでも捕まえることが恐ろしいから液体のように笑っているみたいに流れるものでしかありえないんだ。わたしは憂鬱なんかじゃない、それだけは言っておかないと、だって、こんなに澄んでいるから。

 でもほんとうには信じることのできないことが暮らしを満たしている、たとえばいまも君はどこかで何か別のことを考えたりしているってこと、どうやったら信じられるんだろう。わたしがこれから歳を取っていくことだって。結婚しないって言ってたのに当たり前のように結婚して嬉しそうにして出て行ったお姉ちゃんのこともそう、それでもわたしはたぶん結婚しないって本気で思う、でも歳を取ってしまうってことは頭ではきっとそうなるんだろうって思っている。わたしはみんな大好きでほんとうは誰か好きな人とお互いを選び合って朝から晩までべったり暮らしていたい。誰かじゃなくて好きな人と。誰でもいいってわけじゃないけどみんなそれぞれに好きだからその中でなら誰でもいいんだって言い方はおかしいけど。でも、だって、愛する人なんだから。でもわたしには愛がないんだよ。

 わたしは君が簡単に、普段学校でそうするみたいに簡単にわたしを見つけてくれたことが網膜の裏に残り続けていてそこには存在しなかったはずのわたしの姿があるんだよ。それは過去の方向にあるけど、でもそれがわたしの夢なんだと思う。でも辿り着けない夢ってどうやったら希望にできるのかな、わたしは友達同士だからってふりをして君に抱きつくときにその幸せの響きを味わってるって思うことがある。正直に話をするときにかならず身体の内側が清々しいみたいにいまのわたしも清々しい、でも正直に話をするときみたいな恥ずかしさがいまはなくてそれが少し不安かな。でも、それはきっとわたしのせいだとおもっていてだからわたしは、――いや、このことは言えないんだ、その言えないひとつのことのなかに恥ずかしさが入っているんだっていまわかった。でもわたしが言ってることが嘘だってことじゃないんだよ。

 柔らかいクッションを買ったみたいに暮らしていくことの優しさのなかに埋もれていられないことがもったいないのかなって気もする。そこにはきっと続いていくってことを信じることと信じられないことがあってもし終わってしまうっていうのならそこに優しさはあったことになるのかわからなくて。時間っていうものはきっと不安だから流れていってそして続いたり終わっていくことに変わるんだ、もし時間は安心していたら流れていくものじゃなくなって続いていくことも終わっていくこともほんとうはないんだって気がする。

 みんな休みの日って何をやっているんだろう。わたしには愛がないんじゃなくて休みがないのかもしれない。だって終わっていくことがあって、いや終わっていくことはないのに、それなのに追われていて、どうして休めばいいんだろうって。きっと安心できたなら追われることもなくなって、でももしそうなったら毎日はどうやって暮らしていけばいいんだろう。やるべきこともなくてやりたいこともなくて時間が流れることさえもなくなってしまったら。わたしの身体の中に残り続ける生きるってことは終わることでも終わらないことでもいけなくて、でもいまこんなふうに澄んでいるということがあって、でもこれはきっと明日は不安で明後日はずっと安心でそしてまたときどきこんなふうに澄んでいるということになる。

 わたしのちょっとした一日が誰か知らない人の目にずっと見られていること、それとも君にずっと見られていないところでわたしはほんとうのものを逸れているような気がしつづけた。誰かがわたしを見限ってくれればいいのに、それとも君がちゃんとわたしを見つづけてくれればいいのに。わたしはベッドに仰向けで寝転んでいる顔の少しの表情さえが見られること、あるいは見せたいことの意識を離れられないことに気がついてちゃんとただしい顔することができなかった。

 お風呂を出て自分の顔をじっとみた。鏡を通して見るということはただ視線の困惑で、わたしをみつめることじゃない、そう思った。君を見つめることは動揺にちかい気持ちを起こすけど、でもそれを含めてもわたし自身をみつめることにずっとちかい。というよりも君を見ているわたしのほうが見られているということに不思議にかわるんだよ。わたしはわたしのすきなひとを君に想ってもらいたい。でもその先は突然壁で存在しないんだ、想いと行為は別だから。わたしの中には行為はなくてだから行為というのはどこにもなくて、でも後から振り返るとそれがあったことになるから不思議で。むしろ行為ばっかりが後ろには積み上がっていくからまるで過去は存在しなかったものの流れみたいになっていく。

 ひとがわたしをどう思うかってことが気にならない日はなくって、それもわたしの愛していない人がわたしをどう思うかってことが窓の外を見るときみたいにいつでも気にかかって、それが、眩しい、ような気分になる。そのとき君はどこにもいない。わたしがわたしでないことを決められた誰かの方へ、たとえばお姉ちゃんがそうしたように歩いていくならそれはきっと眩しさにたえられなくて、それとも眩しさを身体の中に受けいれるために歩いていくんだって気がする。

 わたしはあの晩君にこだわらない寂しさのなかでそれでも君のことを考えていた。君がわたしを見つけるときわたしのいないところにいる君を振り落とすことでわたしに接触するんだってことがふとわかった。それがふたりの「歩いていけない距離」の歩いていけないことの本当の理由だってことがわかった。


詩的な魂の権化

  kaz.

あ行



新井
AR
ありがとうございます。
ありがとうございました。
ありがとうござい
朝吹亮二選
アーキペラゴ
あーけおぷてりくす
あなたの
圧倒的
あなたが
ある
あの
歩いていくうちに、
相手
歩いていたのだった。
ある者は
あなたが経験
アルカントロンジローム
あなたが経験したことも、
アップデート
ありがとうございます!




インターネット
I
いたのだった。
いつもお世話になっております。
以上
IN
いる
いたのだった。
言った
医師
五十嵐馨
意識

磯部敬
委員会
いったい
インストール
いつもお世話になっております。
一番
色々
致します




つまらないやめた



信玄餅アイスバーを食べる。
舌先でとろけるそれは、まるでマカオのようだ。
今聴いているのは「極秘現代」という曲。
開かれたページは、「サメらしくない深海のサメ」、ラブカの頁。
天沢退二郎の詩。
岡崎乾二郎のペインティング。
カフカのスクラッチ。
それらが身を切り刻む。
踏み出すニュース。
現代詩はもはやマニエリスム!
批評の対象とさえならない!
グランドピアノが悲鳴を上げる。そんな軋み。
ハルシネーション。
見返す先には詩的な魂の権化。

おお、この申請なる……神聖なる魂よ! この精液にまみれた神聖なる魂よ! 「私は詩人です」だ? 嗤わせる、どこに紙……神が現れ、どこに消えていくのか、それを知る者などいない、支離滅裂なる言語よ、支離滅裂を拭い、表現に消え行け!

Paper パペル
LINE リネ

水瓶座は引き続き、キラキラの愛の日。愛によって壁を打ち破る、とか。魚座は話がしやすくなるかも。「話す順番が回ってくる」とか。……石井ゆかりの占いをLINEにいれているので、通知が回ってくる。朝を迎える! 用意! 発射! 朝に向かって発射だ!

消えゆくルフラン。この一行目で読む気を失う。魂の権現坂。玉石の権化。タマシ、タマシ、ダマシ、ダマシ、弾丸のように飛び出す言葉の豪雨に降り注がれておお、おお、候。吉増の言葉が増える吉祥寺の荘王。分不相応。

バベルの塔――ブリューゲルの、バベルの塔が見えてきました――いわば、ここから先は魂がつながっているのです、魂につながっているのです、てにおはは分解され、消失する、塔の中心で、と書こうとして、出てきたのは「焼失する」、そしていわゆる、誤変換というやつです、

ここから先は、ココカラファイン薬局。への道を辿ろうとして、シエラレオネを通過します。Sierra Leone。聞いたこともない(聞いたことはある)場所の地名が出てくる。これは、不思議な詩ですね。これは、不思議な塔への道のりですね。これは、作品なのですか? これは、詩なのですか? これは、大陸なのですか? 詩=作品=大陸=(>_<)=偶像崇拝

アーキテクチャの生態系。

「僕は現代詩屋さんをやろうと思うんです。小さな小さな現代詩屋さん。ポエムを切り売りする現代詩屋さんです。寄ってらっしゃい見てらっしゃい、ならぬ、酔ってらっしゃい見てらっしゃいの世界。」

>半透明で、箍のはまった樽のような姿をしているサルパ。……サルパの入水口と出水口は、樽のような体の両端に付いている。サルパは体にはまった箍のような筋肉で体を収縮させて水を吐き出し、海中を移動することもできる。また、サルパの成長は少し複雑で、自分の体から自分のクローンを作り、つながりあった何匹かの集合体、群体へと成長する。これは、いわば竹林のようなものだ。……群体は車輪状の時もあれば、ずらずらと連結してウミヘビのごとく泳いでいたりもする。
>『深海生物ファイル あなたの知らない暗黒世界の住人たち』北村雄一著 P100より部分引用

以下、コメントに対するレスポンス。

>傾いた重心を立て直すために
という一文が気になりますね。私にはこの詩は、そういうものとしては読めません。この詩は、存在自体が虚無であり、虚無自体が存在なのです。そのように、矛盾した存在であって、現実の世界には存在シエラレオネえのです。

ものみの塔
ブリューゲルのバベルの塔
ノートル=ダム・ド・パリのエスメラルダの結婚シーンが目の前にありありと浮かぶ。「この人と結婚するわよ!」と彼女はグランゴワールの前で言う。およそ解釈という解釈が成立しがたいこの奇跡御殿においては、そのような不思議な事態が往々にして起こり得るのだ。彼女はジプシーと呼ばれる身であり、まだ誰の血にも染まっていない美しい娘だ。ガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』でも、磁石で黄金を集めるのは無理だというジプシーの忠告は信用されない。恐らくは、ジプシーという存在そのものが、存在の虚構性を呼び寄せたのか、はたまた歴史的な経緯上、反ユダヤ主義が跋扈したこの世紀の末で、その文章が再解釈されることを含意しているのか、果たして……

宙に消える ことばづかい 巧みなるピアノ捌き 鍵盤捌き ららら科学の子 甲子園 電子音 ピッ ツバーグ 東大谷の果てで 僕は性の夢を見た 飛散する思考 それを躍動と勘違いして したまま シュタインズバーグ ギンズバーグ ハンバーグ 挟み込む バンズで 食べる 食べる むしゃぶりつく 無我夢中で 無心に 飲み込む 飲み下す 見下す 見下ろす 吐き出す 吐き出さない 溜息 ため 池 に飛び込む 音叉 ツー カー ツー ツー 夢中 になる 夢の 中 だから



新しいキーボードが来た

恐ろしく叩きや膵臓を食べ太極拳

ポテトフライにミキシングしたサンドウィッチマンのコントでひっくり返り候

bird、叫び声が、聴こえ、る、サンチマン、Microsoft、のやわからい、やわら、かい休日、ガイガーカウンター、かい君のそばで、海は現れ、洗われ、表れる、残像、旋律、再び、ふたたび、またたび、bird、裂けよ、すべての※たちの、注意深いさざめきに、声を、呼び掛けて、カルス培養する、恐ろしく果てまで続く、えいえん、なるものを、なりものを、入り、いらず、入らず、外へと、地球の、球体の、宇宙の、球体の、外部へと、射出する、カルス、パルス、音波の、先端で、永遠、えいえん、えんえんと、なりひびく、鳴り響く鳴り響く鳴り響く、いらず、咲けよ、bird、咲けよ、bird、bird、bird、飛び去った後から、すべてが光に変わる、変、わる、えいごうの回帰、えいえんの、羽音に、耳を恐る恐るそばだてて、聴く、bird、すべてを、叫ぶ、bird、bird、bird、とうたう、うたわれる、空の、下で、待ちに待った時がやってきて、それが永遠に鳴り響いて、浦和、レッズの赤き、血潮に、ソマリ、ランド、大地、そのそばで、かい君が、叫ぶ、歌う、「人間はどうやってできたのか」、そう書き残したメモを、母親に渡す、母親はその記憶の冷たさのあまり、美しく輝く、ランド、大地のように、ウユニ、のように、ソマリ、空に、どうして人はできたのか、どうやって人はできたのか、という問いが、僕の身を裂く、花のように裂く、空気のように裂く、裂く、裂く、さく、作、作、朔太郎の冒険のように、僕らは、僕は、僕は、冒険心をたぎらせて、かつて夢見た故郷に、旅の痕跡をのこして、のこ、して、鋸、詩、手、すべての※たちの、ウユニ、ウユニ、ように、注意深いさざめく、その先に、bird、新しくたぎってくる、母親はかつて別れた男の面影を追う、どこかに少年の痕跡を残していく、その男は、男は、男、目、男め、生きている、どこかで呼吸している、その空気を吸うことさえ、嫌になる、そんな気分が、分かった気がする、そして、僕は、birds、複数形になる鳥たちの記憶から、海岸線を打ち破るようにして、波濤のその淡さ、それを吸い込むように、a birds、複数形になった鳥の単数形を、呼ぶようにして、僕の手元に、着地した、そしてその目は、どこかで見たことのある濃い緑色で、世界のように美しかった、宇宙の銀河の色をしていた、パルサー第三系が発光する美と宇宙の極致を、今、輝かせ、今、bird、もう一度、bird、bird、

                 bird、


                        bird、


とここで止まる、小休止する、息の切れない文体を維持するために、呼吸を調整する、空気を、調整する、bird,,,その目の先では瞬きが美しかった、彼の眼の中では再び目が瞬いた、その宇宙の底、庭で、憩園で、待ちに待った、人々に打ち明ける、罪の意識はそこにはなく、ただ対象という対象を見失わないように必死だった、やがて散文的に美しい世界の底で、ひび割れた地雷原を滑空する一匹の鳥に、炸裂する手榴弾、ある種の美しさ、ある種の詩的感性、それが、見失わないように、美を、美なるものとして甘受する、そのような、のようなとして言及するにも値しない、そのような美しさが、死に絶えた、詩に堪えた、

{間奏 Perspective}

 Everyday, I open the window
 Everyday, I brush my teeth
 Everyday, I read the paper
 Everyday, I see your face

 In the gleam of a briliant twilight
 I see people torn apart
 From each other

    ≪その一つ一つの響きに、しびれを感じる、≫

魅せる、ということに無自覚な詩人たちよ! みんなしびれてひれ伏してしまえばいいんだ! と言った矢先にひれ伏しながら書いているのは私だったり、私じゃなかったりする、テンションがおかしなことになっている、

途中音

ー-_ ̄―=ー-_ー-_ー-_ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―= ̄―= ̄―= ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=-_ ̄―=ー-_―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ー-_ー-_ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―= ̄―= ̄―= ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=-_ ̄―=ー-_―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=


{間奏曲 カルデネ}

目の前の景色を誰かと見た気がする宇宙の音のような宇宙の音のようなようなー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=というわけではないー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=時代に掻き消されたー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=音叉の音のようなー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=響きが響くという矛盾を矛盾として甘受せしめられなかったというわかりみがありまつてー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=わかりみがあるのですー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=というわけではなく、たんにそんざいろんとしてのちへいがひらけていないというにすぎないのだからー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_ ̄―=ー-_―=

{間奏曲 人生は夢だらけ}

「鍵過去「過去はかっこを表す「かっこはこっかをあらわす「逸脱と脱線の果てに「実感しれないものが実りゆくのです「たらふく味わえるだろうか「うつくしい、というひびきのわたすわたしがわたされず、わたしという存在の存在に存在する存在の存在に存在し存在したいがために存在する存在に存在せしめれないだろうかという懐疑心にひびきをゆずりわたすのです、「すなわちいつもお世話になっております。味わえる味わえる味わえる「AviUtil「あ「お前死んだな「やっとこっちの身になったな「お前はお前はお前はお前しているじゃないか「

{間奏曲 Glenn Gould Bach: Keyboard Concertos No.1 in D Minor, BVW1052:I Allegro}

遅筆 あらゆる遅筆が遅筆をゆずりわたす 紙 ペン インク のしみのような しみったれた光景に 地上波は解析不可能 地底波が公衆に放送され そして我々は地上での生活を諦めて地下で生活するようになるそんな未来世界 あるいは宇宙に行ったものが生き延びる そんな楽園的光景を幻想してみる そしてその中にひずみある地上の波を見出す 海底は美しい 海底の美しさは金科玉条を並べても間に合わないほどだ ラブカ ラフカ ライカ 慧眼なるものの火よ うるくしさのあまり、はずみをつけて死すべし! アッペルヴィエル シュペルヴィエル そんな土地に 生まれ て きた のか という妄想 カイクウ あらゆる地上に終焉を! シュペングラー おお 日をまたげ 駆けよ 日付変更線に追い付かれないように 飛行しながら どこまでも どこまでも 昨日のままでい続けていてください どこまでも誕生日に追い付かれないでいてください…… 頼むから 頼むよ おお 死すべきときが来た 終わるべき時が来たのだ これを私は待っていたのだ ダンツィオヌ おぬしの心には逆らえない アッティカの神殿まで連れていけ 私の魂を!

{間奏曲 H ZETTRIO Den-en}

耕作する畑の揺れの中で私は大地の震撼を噛み締めて歩み出す散文的なエッセンスを回帰的にテストする丘陵の霊光に蜆汁の添えものを和えて、電気信号のロカンタン
、ねらかすでのく聴をのつ立び飛の胸鳩てめしき抱を元胸、あさ、すでのく行にツンレバビンアやい、にスオュギビンアを双無クルセルベはに王の蠅の中田るす用作に
ネブラスカ州オマハート大学という架空の地名が存在したという想定のもとで我々は書き始めなければ、ん、ならないだろう、という測定値のもとで、想定外を想定す
ーラトスたっかないてし在存らかめ初たれさ記き書が物き書の事物なうよすまりなと糧の地大てえ肥てえ超てえ越を境国のブラ・ンョシーエシニイのえしにいの々人る
ヴェナという人名に従うようにして人々の人々なる所以を知りたがるのでごわす、よもや疲労感とともに倒れこむ私たちの国境のブランショを跨ぎたまえ、大いなる人
                                                                         !よ

{間奏曲 さようなら、私の本よ!}

           Goodbye, my book!
ひずみフレームから一
         網
         打
         尽に
           ベルフェゴール素数のように入り脚立っていくのが
        わかる
     そして
さようなら
     さようならのみじん切り
                さ
                よ
                う
                な
                ら
            を食らえ!
       魂の呼吸よ    !
  あらわれた
私の
  死
   それから、
        それから、
             漱石がすすがれて、声
                       他者の声さえもが、
          コンピューティングしていく
    さらばしゃ、
行く先々
    で、
      トリニティ・カレッジのことを訊かれるので、
                           そんなものは鳥の中に埋め込みましたよと
                  答える声は清々しい
           旅程は凛として
        美しい
     日々の
 日本の、
     わたす、
         わたし。


死者の日々は、
       取り留めもなく、
               流れていく、
                     記憶のはざまで流血する、
               アイシング、
            瀑布、
       アイシング
     幕府
   爆風
愛し、
   愛し、
      愛し、
         愛し合わなければ、
                  悲鳴を上げて頽れてしまう、
               だろう
             じゃ
           ない
          か
           駄洒落を言うのは誰じゃ
                      私よ
                  白根山脈
                      聞こえないふりをして
                流浪の民なう
                      しか
                    ない
                      でしょ
                         それしか。

引き裂かれた、
       音符、
          その先に、
        ある
    テノール
  バス
    クラリネット
          壊しちゃった
                いけないんだーいけないんだー
                              先生に言っちゃおう
                           という
                        地縛霊
                           タイポグラフィカルに
                    あるいはわたし
             マニエリスムで
        固めた本の
    論理武装
        する人々の気が
               知れない
                   知れない気がしない
                            懐かしい人の声
                     めざめるパワー
                でV字回復
           したという
 ことで問題ないかな?



【春の書物、書物の春、秋の書物、書物の秋、書物の遺骸、遺骸の書物、死の書物、書物の死、むくろのなかにほおばられた言葉づかいの数々を披歴したまえ】

――さてその次に何が来るか?
流星。
――君はこの質問に答えているのか?
これは質問なのか? そんな問いかけはどこから発生したのか? 君は知っているか?
――書物とは何たるものか?
あるいは、あーけおぷてりくすの離陸のように敏捷に、凛々しく振舞うべし、と極めつけは言いがかりだ、言いがかりがすべての鍵を握る。
――それが答えか?
ええ、もちろん、死であり、詩である師に、習いましたから。
――美しい死者とは?
トパアズのように香気を放つもの。
――ならばあなたの師は、必要十分的に檸檬の香りがする。
間違いありません。
――しからば、私から宣告しておきます、ここは密室、密室者であると!
――応答せよ、209号。
――応答せよ、209号。未来より、警告する、渓谷は崩れ去ると。直ちに離陸し、記憶の片隅へと去り給え。
――応答せよ、209号、応答せよ……


(中心から八〇〇メートルほどずれたところで――応答した、知られねえ俺。)


薔薇

  無能

平原
漂白されたシャツの続いている
照り返しがまぶしい
地平線はひかれるからこそ

泥  と  空

が延びていくが線分の
一刷毛の薄れる
だからこそ雨雲も出ない
一滴の黒い
染みのインクの雫の
落ちてわずかに広がる

平原  と  染み

を隔てる
縁のように
そそけ立つ
炎症に開始する
ひきつれ 真っ白いほうの縁は皺
寄せながら回転を開始する
開始する渦よ
真っ黒い中心点が
凝集しろ
聞こえるだろうか
音:生成が
かたい紙をきしませる
家鳴りのような
      さえずりが
 ない 地殻変動も
 ない 隕石雨も
ないのに(器用な曲馬団の手も)
自らは折りたたみ
  /折りたたまれ
抱えられ
  /抱えこんだ襞が震える
褶曲は踊る踊り 
ながら迷い
終極はおとない
湿りけを失うことがない
せり上がる
構造体:線としての
薔薇
がひらいた


わらいの花

  あおい

手のひらに
わらいの花が
こぼれていく
風のなかへ
水のなかへ
地のなかへ
誰かのなかへ
ころころ、ころころ、
わらいの花が
私からあふれていって


気がつくと
私は地を耕している
枯れ草一面の荒れた畑を
同級生のあなたと一緒に
背が高くて広い背中のあなたが
ここにいのちを吹き込むぞ
とあっという間に畑を作ってしまった
私たちはそこにサツマイモの苗を植えた

**
月日が経って
サツマイモは日に日に大きく
実っていった
そのふくよかなふくらみは
いつか見たわらいの花のようだった
実ったサツマイモを二つに割って
彼は私に手渡してくれた
おまえに似ているよと言って

***
八百屋で売っていたサツマイモを
目にするたび
あの甘くて少し切ない思い出が蘇る
サツマイモを輪切りにして
はちみつとレモンで甘露煮をつくる
甘酸っぱい香りが鼻腔に広がる
私はやっぱり
わらいの花を咲かせてしまう

あの頃は、
涙などまだ1gも知らなくて


少女

  松本末廣

しょうじょ、の処女。貰った、もろた。
捨てた、二十歳です。貴方はだぁれ? 名前はあき
混沌に済む才女の 、 名前は 処女。
そろばんを 弾いて みて、 音が 失禁し ているよ。
パチッ
コロコロ ンン
コトリン。 .....こんこんと。


メガネ、 かけてたっけ 、そっか。
タクトの 思想が 見えない ってね。





黒。と白、のマーブルが、
目の前を、
瞼の裏側から、
責めてくるんだ。
今夜は眠らせないよ、って。
カッコイイデスネ。
と言われ慣れてる私、
ハッキリと、。
ボッコリ、ポコポコっと
首狩曲がって痛いや、と。
折れるんじゃなあい?、
心配してない癖に。
冷房を湿布がわりに、
ペタリ。治った、。

聖女Twitterより引用

へ いそ く 死生 閉 塞 し せい

黒 装 ; < を 未練 だ と
(膵 体部 の悲 鳴 )))
すれ ば 乞食 は 怯 え"
外皮 {1pF の繁 殖}* を 自 我の
性器 へ と 【摩擦】す る
事 を 浄化と 宣 (虚)言され

私 に は 子 宮
が ない と 云 う の に



情 緒 [ 薨去 ノ 戒 告 ヲ 求ム
{“あ る種 ∵ 讚美 歌 である ”

融 点 Ω ≠期 待 値 を
貴方 (が 犯す と

濃 度 を 強 姦 させ る様 に
廃 棄 され た (無))の秩序__ を

"踝 が ;
三半 規 管 の膿 を 食む"





処女 の 少女 は 去った、
僕が 取り込んで しま った から。 ね


(流れていった言葉は私のものではなくて)

  田中智章



流れていった言葉は私のものではなくて
膿を出すための言葉
森をかたちづくる言葉とか
朱の消えた舌を乾す
砕けた縁石
残った物でつくり上げる
電話のコール音の中を歩く人
月が欠けるからだ
溶けたリボンを渡して
朝になるまで気温は下がるけど
月を誰もいない路地で
壊そう
期待も蔑みもいらない
夜とか朝とか
そのような移り変わりがあるだけ
事故で出会って
黒髪を絵の具にした
Enterを押す前の空白
いや
籠められた影
時間がずれた過去に
土中で雪が孵った
しろい
寄生虫の

目だけで眠っている
蓋を開けるほほえみ
色褪せた虫
生きた

ビニール袋が口に入り込んで
ひとりでに弾ける音
から生まれた死んだ

抱き枕を殴るコオロギたち
除いていく
生きながらにして忘れてやる
一人の夜


  鞠ちゃん

雨に濡れ
五月の薔薇が赤々と
寡黙の中に情熱と
品格の襟立てながら
自我の輪郭を描いていた

全てを手に入れ語らずに
在るだけでいい
そんな甘言を聞きたくて
歯並びを矯正するのだろうか

歯のない女は殴られている
歯のない男は貧乏人だ
北の部屋に臥す病人(やまいびと)よ
あなたの灰色のベッドの上の煮え立つ嵐
海鳴りと騒擾のカモメの群れ
ベッドのシーツに落ちた孤独な陰毛よ

花は色
人は心としたためて
別れの言葉くれた友
泣かないで
朝の鏡で口紅を
そっと引いて笑いなさい
薄く煮た
切りはぐった
大根月が見ている

消え入りそうな存在が
そこはかとなく爆(は)ぜている
私ですよ、私ですよと小さな声で歌いながら
ほうじ茶の香が立ち昇る
微笑みのような諦めの怠惰よ
水溜りに映る私よ
世界一素早い雲の上に建てられた
革命の旗のはためきが着物の襟を抜いて見返り美人する
ぽっぽと沸くのを待っている

日常の波、イマージュの雨は温かい
心ささくれて
逆巻くのは私
打ち返しては
瞼(まぶた)瞬(しばた)く
私の瞼の瞬きは
鳥の羽の音を模す
模す、モス、燃す
燃すよ
そんなアイドリング

歌え
鬼のパンツは虎の皮、強いぞ
履こう、履こう鬼のパンツ
胸を叩いて腕を振り校歌を唄っていた幸せな人
私は私の輪郭を作らなきゃならない
泥濘に立ち私の両腕は私を抱く
なにものにも混じる優し気な心と
なにものにも混じらない私を望んで


ラブ・ラプソディ

  渡辺八畳@祝儀敷

彼女は私を自動的強制的に愛するシステムだということを私は知ってしまった!
彼女からの愛は総てプログラムによって事前に定められたものであったのだった!
彼女の笑みは必ず口角を30度上げ唇を潤わせて行われるのであった!
彼女の肌のつやも髪の長さも総て私のために常時調節されているのであった!
彼女の行動総てが私のために設定されたものなのであった!
彼女は私のための彼女であれと彼女以外の者によってプログラミングされていたのであった!
彼女と指を重ねたあの日も永遠に輝き続けるとも思えたあの日も総てが予定調和であったのだ!
彼女を愛する私の気持ちもシステムによって仕向けられた代物なのであった!
彼女は私のための彼女はシステムの彼女のプログラミングの私の彼女の彼女のあああああああ嗚呼ああああああ
あああああああああ嗚呼あああああああああ嗚呼ああああああっあああああ嗚呼ああっああっああああ嗚呼ああ
ああっっああああ嗚呼ああっああっあああっっっ嗚呼あああああああっっっああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっぁあああ
ああぁあああぁあああっっっあああああああああああっっっっっ嗚呼あああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああああああああああああああーーーーーーああああああああああ
ああっああっあああっっっああああああああああああああああっっああああああああああああああああああああ
ああああああっっああああーーーーああっああっあああああああああっあああーーああああーーーーーああああ
ああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーああぁあーーーーーーーーーーーああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ああ……ああ……ああ……


あっ…ああっ………ああ…………



ああ……


…………………………………………………………………………・・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・  ・  ・





海に来ていた。
月明かりだけでは何物も輪郭しか見えない。
私の顔も黒く塗り潰される。
感情を表してしまう顔面などいっそ無くなってしまえばいい。
そんなことを思おうともさざれ波の音は鎮まり続けている。
まったく静かなこの景色を粗い紙でさすっているかのようだ。


浜の砂をすくう。
とても小さな巻き貝が混じっている。
指紋の線ひとつひとつで表面の滑らかさを味わう。
私の意識はただ右手の親指と人差し指だけに注がれる。
僅かな光さえも目に入らなくなっていく。


砂のつぶが腕についたまま取れない。



ヽもヽ
 ヽどヽ
  ヽれヽ
   ヽもヽ
    ヽどヽ
     ヽれヽ
      ヽ列ヽ
       ヽ車ヽ
        ヽにヽ
         ヽ乗ヽ
          ヽっヽ
           ヽてヽ
            ヽ現ヽ
             ヽ実ヽ
              ヽへヽ
               ヽもヽ
                ヽどヽ
                 ヽれヽ
                  ヽ生ヽ
                   ヽ活ヽ
                    ヽへヽ
                     ヽもヽ
                      ヽどヽ
                       ヽれヽ
                        ヽ真ヽ
                         ヽ実ヽ
                          ヽへヽ
                           ヽもヽ
                            ヽどヽ
                             ヽれヽ
                              ヽ恐ヽ
                               ヽろヽ
                                ヽしヽ
                                 ヽいヽ
                                  ヽ日ヽ
                                   ヽ常ヽ
                                    ヽへヽ
                                     ヽもヽ
                                      ヽどヽ
                                       ヽれヽ
                                        ヽ車ヽ
                                         ヽ輪ヽ
                                          ヽとヽ
                                           ヽ共ヽ
                                            ヽにヽ
                                             ヽもヽ
                                              ヽどヽ
                                               ヽれヽ







                             団地の三階、玄関灯が必ずつけられているとこ
                             ろが私の家だ扉を開けたらアイドル並みにすご
                             いスタイルをしている彼女がはだかエプロンで
                             出迎えてくれた。これもいつも同じだ。彼女は
                             まことに献身的態度で私の帰りを待っている。







「あっ、あなたおかえりなさいね☆んもー遅いよ、ぷんぷん!
 ……んへへっ、ずーっと待ってたんだからねっ☆遅かった代
 わりに後でいっぱいいっぱいぎゅーーー☆☆ってしてよね☆       お前のその態度もプログラムだろ
 約束だよっ☆どうする、最初にごはんにする? あなたの好
 きなハンバーグ☆にしたよ☆☆しかも今日のは特別なんだよ!
 だってね☆普通のハンバーグじゃないんだよ☆☆なんと! チーズ       お前の愛は作られたものだ
 ハンバーグ☆なんでーす!!! ☆☆どう、うれしい? あなたの
 ことを思って☆一生懸命に作ったんだからねっ☆☆☆☆残しちゃダメだよ
 っっ☆☆愛情たっぷりなんだから☆☆☆ぜぇーんぶ食べてね☆☆どうする          俺を愛するな
 もうごはんにする? お風呂☆☆も沸いてるわよ☆湯加減もバッチリ☆☆☆だよ
 入るんだったら背中洗って☆☆あげるね☆☆あなたの体ぴっかぴか☆☆にしてあ
 げるからね☆☆☆でもあなたの体大きい☆から洗うの大変かも☆☆☆☆でも頑張っちゃ   俺を愛するな!
 うからね☆☆☆☆ごはんの前にお風呂☆入っちゃう☆☆☆? さっぱりしてから食べた
 ほうが美味しい☆☆☆☆かもね。それとも☆☆☆、わ☆☆☆、た☆☆☆☆、し?☆☆☆☆☆  やめろ!!!
 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
          ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
                  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ちかよるな!!!
           ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
     ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
             ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆離せ!!☆☆☆
           ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆お前は俺を愛してなどいない!!☆☆☆
        ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆俺もお前を愛してなどいないのだ!!!☆☆☆
    ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆目を覚ませ!☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ああっ!☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆離してくれ!!!☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ああっ……ああっっ………ああああっ!!!!☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 弔

  玄こう



わたしのなかの
いっこの
おまえという
ゾンザイの
いきることの
ねぶかいいたみに
こわれた
だんぺんを
れきしにめくり
たいせきした地の
地につがれた血の
まなぼうとした知の
すべてがはかいされた
そのばしょを
しかとみすえ
だまってうつむけ!!
そこから一歩もうごくな!!

ただぼうぜんと
ただそこに、じっと
つっ立ったままでいろ!!
ぼうかんするな
なにも、かも
なにもかたるな!!
しかとみとどけ
だまってうつむけ!!


わがことのなかのひとごと
ひとごとのなかのわがこと
そんなたわごとであるかぎり
なにもむすばれはしない
なにもむすばれはしないのだ


なにも、かたるな
だまってうつむき
その場をうごくな
おまえというおまえの
いっこのぞんざいが
ぜんいもきぼうも
あくいもぎぜんも
おなじように
こざかしく

あらゆる “か ち”が
さい(賽)のように
投げられ
その“たいか”さへ
“うんめい” にのまされた
ほうまつのグズ


きづかれたれきしに
しるされたことばに
いったい、これから
どんなあしばを
きづけというのか

ウソをぬりかさねた
ことばの、ことばの
そのうえに、ウソを
きずいたところで
いったいなにを、
きずけというのか
なにも きずき はしない
なにも きずけ やしない!!

どたんばの あしもとに
すこしも たつことができないまま
いきるというよくぼうに
きぼうというみらいに
“し”というせつなに
そんなものにいまだに
しがみつき
わたしというわたしが
そうしたものすべてを
もし、てばなすことができるなら

そうして、 すべてをなくした 在・場 に
もし、立つことが、できるのなら
そうして、わたしというわたしが 自・覚するものが
もし、あるのなら


だまって“く い” をうつ。
その 在・場 に 立ち
だまって “く い”をうつ。

史のあしばを、しかとみすえ
そこに、つったったままでいろ!!
そこから、一歩もうごくな!!
なにも、かたるな!!
ただぼうぜんと、そこに、
つったったままでいろ!!

いまの、いまの、いまの
とぎれぬ、ときのまえで
なにも、なにも、かたるな
ただぼうぜんと、そこに
つったったままでいろ!!


ネオン

  西村卯月

排気ダクトの油の香りと
草臥れたスーツの燻らせるダンヒルが
街燈に照らされ雲になる
赤ランタンが石畳を濡らす
振り返った彼女は少女の面影のまま
ネオンの瞬きへと手を牽かれ溶けゆく

あちらへと渡る亡者は
橋を目の前にして思案したりなどしないはずだ

交わした指切りが赤くちぎれて
ひらひらと泳ぐ水槽越し
たった一つが、
たった一夜で舐め尽くされて
擦れた内膜から雪に滴る

May Said To Me(名声、富)

代償は小さな胸の痛みと永遠にすれ違うことでした


(Red Hot Chili Peppers “Californicaition”より着想を得ました)


ある朝にぼくは

  岡田直樹

それはただ
なんのへんてつもない
いつもの朝で

鳥なんか
さえずっていない
都会のマンション
いつものように
マサルとともに
きらく庵
202号で
目を覚ます

あまり眠れなかったけれど
歯を磨いて
ズボンを履いて
作業所に出かけてゆく前のひととき

ぼくにとって残念なのは
ニューヨーク摩天楼の朝でも
浅く長いシエスタのあとの
目覚めでもなく
恋人ととなりあわせの美しい朝でもなく
ガンジスのほとりの
瞑想のあとの時間でもない
なんて
ことではなく

マサルを起こし
1杯15円たらずの
そう濃くはない
コーヒーを入れてやり
ゆうべの悪夢を聞いてやり
自分のコーヒーを入れ
二人分の卵を溶き
ご飯をよそい
みそ汁を注がせ
ときどきマサルの失敗を
笑って叱る
そんな腕のいい家政婦のような朝

なんのことはない
いつもの朝
けれど
もしかあす
ほんとうに

とれない詩の賞の話が
降って沸いて
月給20万の仕事を手にして
躁も鬱もやってこず
呪文のようなお薬に頼る
必要もなく
マサルやぼくの病の再発と
きらく庵の
だれかとの
残酷な死別などを
恐れる必要もなく
障害者の寄り合いのような
きらく庵を
晴れて
出ることができる
ほんとうに
幸せな
明日が来たら

ぼくは今日の日を
忘れてしまうだろう
花ちゃんののんびりした足音も
アッくんの愚痴と
壁ごしに聞こえる
障害者の限定された苦労話に
そうだそうだと
一緒に腹を立てることも

たとえさまざまな
偶然で与えられたにせよ
用意したご飯を前に
マサルはおごそかなこどもの目になる
ぼくは穏やかな目をした
父親になる
テーブルのあいだに
訪れる
ぼくらの朝の食事の前の
静かな静かな
時間

それがこの世で
二度とない
得がたいときであるように

蛇口からしたたる雫も
ふるえる冷蔵庫のタービンも
笑いとともに
減ってゆくコーヒーや
部屋ぜんたいに広がってゆく
卵の焦げた香りさえもが
特別にかしこまって
神聖な時間であるように思える
いつもの朝のこと


なめらかな縞

  宮永



庭のすみに
茶と白の羽が一掴み
吹き寄せられている

首をかしげて立ち止まり
甘えた声をあげてすり寄ってくる
あいつの仕業だ

あごの下を人差し指でさすると
目を細くして首を平らに伸ばしてくる
その先にある柔らかな口を
耳まで裂かせ
尖った歯を剥き出して 
まだ温かい小鳥を噛んだのだ

私の庭で
茶や白の羽毛が
風に吹き散らされている

垣根をくぐって今日も姿を見せた猫は
立ち止まり
鼻を持ち上げ
ふんふんと風を嗅ぐと
こちらを見ないふりして去った

私は猫を呼び止めず
垣根に消えるなめらかな縞を
目の端で見定めた


ルナーボール

  本田憲嵩

二人だけの休日という貴重な一房の葡萄の果実を、ビリヤードの
褐色矮星として分かち合う。果実は混沌と混乱の銀河を巡って軌
道の覚束ない彗星となり、沈黙の時間を巡って遂には規則正しい
乱軌道の惑星となり、終いには枠外という宇宙の最果てを跳び超
えてしまった。

『ルナーボール』
というタイトルのゲームのことがなぜか思い出される。まだコン
ピューターの技術が今ほどに進歩していなかった頃に開発された
憂鬱なゲームソフトのことだ。どこか茫洋とした、シュールで索
漠とした雰囲気と近未来的な音楽とが印象的な、僅か8ビット程
の家庭用ゲーム機ソフトのことがなぜか思い出される。

戸外へ出ればいつの間にか葬送のようなどことなくしめやかな夜、
満月は夜空にぽっかりと浮かんでいる。冷ややかな月光にコーテ
ィングされて何も語らない彼女の後ろ姿の、それはそれは豊かに
波うつ黒髪はなんだかとても艶やかで、それはそれは美しかった。
窪んだ土の中に溜まった泥水には果実がゆらゆらと魂かなにかの
ように映りこんで。


山林にて

  山人



蒸す日だった
私たちは山林の中の枯葉の上で
一服をしている
同僚の、ほぼ禿げた頭部が汗に光り
涼風が渡っていく

目の前の葉では
太さ一ミリに満たない、尺取虫が
長い首を伸ばし
次に着地する場所を
鼻をふくらませて嗅いでいる
途中の足をカットされたその妙な生き物は
前足にたどり着き安堵するとともに
また同じことを繰り返す

葉の端では
一匹の蜘蛛がそそくさと動き回り
それとともに小さな尺取虫は
葉の裏側へすっと隠れた

あたりを見れば
今年流行のチャドクガ毛虫が徘徊し
行先もないくせに動き回っている

メマトイがしきりに目の周りを五月蠅くし
いやがらせする
ブユは細かく舞っている
不快の塊だ
エゾハルゼミは狂っているから
疲れを知らない

みな、それぞれに
生きていることにすら気づかない
死を気にするでもなく
これからの事だけのために
螺子を巻かれている

前方の同僚の禿げ頭がゆらりと動き
ヘルメットが被られると
私たちの一服が終わる

風はまた止み
爆音が身を包む
私たちもまた虫のように
我を忘れる

文学極道

Copyright © BUNGAKU GOKUDOU. All rights reserved.