●桃●って呼んだら●仔犬のように走ってきて●手を開いて受けとめたら●皮がジュルンッて剥けて●カパッて口をあけたら●桃の実が口いっぱいに入ってきて●めっちゃ●おいしかったわ●テーブルのうえの桃が●尻尾を振って●フリンフリンって歩いてるから●手でとめたら●イヤンッ●って言って振り返った●このかわいい桃め●と思って●手でつかんで●ジュルンッって皮をむいて食べてやった●めっちゃ●おいしかったわ●水槽のなかに●いっしょうけんめい●水の下にもぐろうとしてる桃がいた●人差し指で●ちょこっと触れたら●クルクルッって水面の上で回転した●もう●このかわいい桃め●と思って●水面からすくいだして●ジュルンッて皮を剥いて食べてやった●めっちゃ●おいしかったわ●顕微鏡を覗くと●繊毛をひゅるひゅる動かして桃がうごめいていた●めっちゃ●おいしそうやんって思って●プレパラートはずして●なめてみた●うううん●いまいち●望遠鏡を覗くと●桃の実の表面がキラキラ輝いていた●めっちゃ●おいしそうやんって思って●手を伸ばしたけど●桃の実には届かなくって●うううん●イライラ●桃の刑罰史●という本を読んだ●おおむかしから●人間は桃にひどいことをしてきたんやなって思った●生きたまま皮を剥いたり●刃物で切り刻んだり●火あぶりにしたり●シロップにつけて窒息させたり●ふううん●本を置いて●スーパーで買ってきた桃に手を伸ばした●ここには狂った桃がいるのです●医師がそう言って●机のうえのフルーツ籠のなかを指差した●腕を組んで●なにやらむつかしそうな顔をした●哲学を勉強してる大学院生の友だちが●ぼくに言った●桃だけが桃やあらへんで●ぼくも友だちの真似をして●腕を組んで言うたった●そやな●桃だけが桃やあらへんな●ぼくらは●長いこと●にらめっこしてた●アメリカでは●貧しい桃も●努力次第で金持ちの桃になる●アメリカンドリームちゅうのがあるそうや●まあ●貧しい桃より金持ちの桃のほうが●味がうまいと決まってるわけちゃうけどな●夏休みの宿題に●桃の解剖をした●桃のポエジーに勝るものなし●って●ひとりの詩人が言うたら●それを聞いとった●もうひとりの詩人が●桃のポエジーに勝るものは●なしなんやな●と言った●桃のポエジーか●あちゃ〜●気づかんかったわ●ポスターの写真と文字に見とれてた●桃のサーカスが来た●っちゅうのやけど●おいしそうな桃たちが綱渡りしたり●空中ブランコに乗ってたり●鉄棒して大回転したり●めっちゃ●おいしそうやわ●岸についたと思ったら●それは桃の実の表面だった●泳ぎ疲れたぼくが●いくら手を伸ばしても●ジュルンッジュルンッ皮が剥けるだけで●岸辺からぜんぜん上がれなかった●桃々●桃々●いくら桃電話しても●友だちは出なかった●なんかあったんかもしれへん●見に行ったろ●桃って言うたら、あかんで●恋人が●ぼくの耳元でささやいた●わかってるっちゅうねん●桃って言うたらあかんで●恋人の耳元で●ぼくはささやいた●わかってるっちゅうねん●桃って言うたら●あかんで●そう耳元でささやき合って興奮するふたりであった●あんた●あっちの桃●こっちの桃と●つぎつぎ手を出すのは勝手やけど●わたしら家族に迷惑だけはかけんといてな●そう言って妻は二階に上がって行った●なんでバレたんやろ●わいには●さっぱりわからんわ●お父さん●あなたの桃を●ぼくにください●ぼくはそう言って●畳に額をこすりつけんばかりに頭を下げた●いや●うちの桃は●あんたには上げられへん●加藤茶みたいなおもろい顔した親父がテーブルの上の桃を自分のほうに引き寄せた●わだば桃になる●っちゅうて●桃になった桃があった●さいしょに桃があった●桃は桃であった●桃の父は桃であった●桃の父の桃の父も桃であった●桃の父の桃の父の桃も桃であった●桃の父の桃の父の桃の父の桃も桃であった●すべての桃の父は桃であった●わたしのほかに桃はない●たしかに●テーブルのうえのフルーツ・バスケットのなかには●桃しかなかった●そして桃が残った●桃戦争●桃と偏見●この聖人は●桃の言葉がわかっていたのでした●桃と自由に会話し●議論を戦わせ●口角泡を飛ばしまくってしゃべり倒したという伝説があります●世にも不思議な桃の物語●ふたりの桃がパリで出会い●メキシコに駆け落ちしたあと●ひとりの桃が●じつは桃ではなく●果実転換手術によって桃になっていた林檎だとわかって●しかし●それでもふたりは最後まで桃してたという●桃物語●デスクトップの画像が●桃なんやけど●友だちが部屋に遊びにくるときには●林檎の画像に替えてる●天は桃の下に桃をつくらず●桃の上にも桃をつくらず●あんた●そんなアホなこと言うてんと●はやいこと●ぜんぶ摘みとってよ●ほいほ〜い●桃ホイホイ●夜泣き桃●もしも世界が100個の桃だったら●桃の実を切ったら金太郎が出てきたんやから●金太郎を切ったら桃が出るんちゃうか●あ●これ●桃太郎やったかな●桃●太郎●ほんまや●桃太郎を切ったら●桃●太郎になった●笑●平均時速30キロメートルで走る桃がスタートしてから20分後に●平均時速45キロメートルで走る桃が追いかけた●あとで同じところからスタートした桃は何分後に追いつくか●計算せよ●人間のすべての記憶が桃になることがわかった●世界中で起こるさまざまな発見や発明も●桃になることがわかった●めっちゃ●いやらしいこと考えた●恋人とふたりで●裸になって●桃の実を●お互いの身体に●べっちゃ〜●べっちゃ〜って●なすりつけ合うんじゃなくて●服を着たまま●じっと眺めるの●ただ●じっと眺めるの●なが〜い時間●じぃっと●じぃっと●もう桃がなく季節ですな●そう言われて耳を澄ますと●桃の鳴き声が聞こえた●違う桃●同じ桃●違う桃のなかにも同じ桃の部分があって●同じ桃のなかにも違う部分がある●違う桃●同じ桃●同じ桃の違う桃●違う桃の同じ桃●違う桃の同じ桃の違う桃●同じ桃の違う桃の同じ桃●違う桃の同じ桃の違う桃の同じ桃は●同じ桃の違う桃の同じ桃の違う桃と違うか●桃以外のものは流さないでください●トイレに入ったら●そんな貼り紙がしてあった●きょう●桃が●ぼくと別れたいと言ってきたのです●ぼくは桃だけのことを愛していました●桃だけが●ぼくの閉じこもった暗いこころに●あたたかい光を投げかけてくれたのです●ぼくは●桃なしには生きていけません●どうか●お父様●お母様●先ゆく不幸をおゆるしください●一個の桃とは●闘争である●二個の桃は●平和である●だって●ふたりやもん●桃とぼくのあいだには●桃の皮と●ぼくの皮膚がある●ぼくが桃を食べると●桃はぼくになる●桃の皮膚が●ぼくの皮をめくって●ぱくって食べちゃうのだ●もちろん●桃的視点は必要である●絶対的に必要であると言ってもよいだろう●一方で●非桃的視点も必要である●また●桃的であり●非桃的でもある桃非桃的視点も必要である●また●桃的でもなく非桃的でもない非桃非桃的視点も必要である●憑依桃●黒い桃●赤い桃●緑の桃●灰色の桃●紫の桃●点の桃●線状の桃●直線の桃●平行な桃●垂直な桃●球状の桃●正四面体の桃●円柱の桃●2次曲線の桃●円状の桃●双曲線の桃●りんごの匂いの桃●さくらんぼの匂いの桃●プラムの匂いの桃●スイカの匂いの桃●蝉の匂いの桃●ダンゴムシの臭いの桃●イカの臭いの桃●牛のお尻の臭いの桃●一つの穴の桃●無の桃●えっ●どこがいちばん感じるのかって●ああ●めっちゃ●恥ずかしいわ●桃がいちばん感じるの●まっ●桃ね●呼ばれても返事をしない●誘われても振り返らない●ぼくはそういう桃でありたい●ジュルンッ●桃が腹筋鍛えてたら●どうしよう●あ●皮はよけいに簡単に剥けるわな●いまだに●ぼくは桃が横にいないと眠れないのです●桃ダルマ●道に落ちてる桃をあつめて●大きな桃ダルマをつくるの●振動する桃●テーブルのうえの桃を見てたら●わずかに振動していることがわかった●桃の見える場所で●もし●突然●窓をあけて●桃が入ってきたら●昼の桃は●ぼくの桃●夜の桃も●ぼくの桃●突然●2倍●4倍●8倍●……●って増えてく桃●桃の味のきゅうり●きゅうりの味の桃●幸せな桃と●不幸せな桃があるんだとしたら●ぼくは幸せな桃になりたい●改名できるんなら●桃田桃輔がいい●たしかに●一個のリンゴは●皮を剥いて渡されても●手でとれるけど●一個の桃の実は●皮を剥かれて渡されても●手でとりたくないかもにょ〜●真実の桃●偽りの桃●いずれにしても●桃丸出し!
最新情報
2013年05月分
月間優良作品 (投稿日時順)
- ROUND ABOUT。 - 田中宏輔
- 口笛 - 夢野メチタ
- 女は街までの道すがら二度頬笑む - 鈴屋
- 土 - zero
- 日常 - 織田和彦
- 朝 - 前田ふむふむ
次点佳作 (投稿日時順)
* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。
ROUND ABOUT。
口笛
I
目が覚めたら夢の中で
バスタブに転がる私は口笛を吹いていた
"史上最大の作戦"だか"コンバット"だか
曲名が思い出せない
膝を抱えて腕についた露をぬぐっている
汗をかいたぶんだけ薄くなった 胸/肩
/指先
いつもどこかを洗いはじめる
背嚢からボディーソープを取りだし隣で
痩身の戦友は故郷の恋人に手紙を書いた
「俺この戦争が終わったら結婚するんだ」
かすれる口笛
トランペットの音が高くなり遠くで爆撃
が鳴った/吊したタオルから雫が/ポツ
リ/ポツリ/と背中に
/そして目が覚め
るとやっぱり夢の中で口笛を吹く私は膝
を抱えて曲名が思い出せない/// /
/お湯から突き出した膝小僧が赤い
// ///////喉が渇いている
先に行っていてください言葉は後から追
いつくので/そう言って送り出した人ひ
とりも戻らなかった/私は蛇口をひねっ
て行進を見守り続ける/氷づいたあしお
と静けさを帯びている/いつも通り注意
ぶかく洗うんだ歩くんだ/爪先を水弾が
かすめて泡が破裂して/空に浮かんだ半
月が昼間の蛍光灯に照らされ白く/蒸気
のなか目を開けても前が見えない/息が
あがり/既に満杯になった浴槽から温も
りが次々と溢れ出し/誰もが溢れ冷たく
なっても私は吹き続けた/今となっては
私自身を繋ぎとめる拙いメロディライン
II
かける言葉がない夕焼けを背にはしる私
影があとを追う/一瞬の夕立に洗われた
景色は水彩にとけて淡く私の眼には透き
とおっている
/いつか緑だった遠くの山
山/季節もろとも移ろい行くと思ってい
た/いつまでも緑
/狭い河川敷に下りて
球けりに興じる子どもの数/ひとつぶの
飴玉を落として幼児もはしる/手の平を
擦りむいて泣く//
/斜面に咲いたあの
素朴な名前の草花を匂い/音を聴き/風
はなく/風はなくても響いてくる吹奏楽
の音色は川裏から意気とのぼって天高く
せきを切ったように溢れだした
あの日も空は赤く/私の手は大きな手に
握られて/枯れて久しい庭の池のことを
埋め立てたら犬を飼おう/白い大きな犬
がいい/川下から向かってくるランナー
はしる/はしる/並んで少し大きめの運
動靴の底/擦り減った放課後の行進曲が
いつまでも同じところばかり繰り返して
行き場のない足取りを私達は見下ろした
そこに人はなく照り返しを受けた川面の
きらめきが私達の不透明感を際立たせた
かすれた口笛で心もとない旋律をなぞる
吹けない私も素振りだけを真似て大きく
/手を振って速度を上げた/変わらない
景色が続く/長く生きているとこういう
こともある/断たれた季節を追いかけて
振り払うようにして /はしる/はしる
III
斜交いからの一撃を食らって馬は死んだ
「この糞坊主」と普段は温厚な市制官が
敵を八つ裂きにする信じられない豹変ぶ
りに戦争のなんたるかを知った午後九時
対戦相手は席を立ち煙草を咥え膠着する
戦局をながめた/彼はインド人で私は日
本人であるから共通する言葉は"カリー"
しかなく/私が給仕を呼んで「カリー」
と本場の発音でなめらかに注文するとイ
ンド人は変な目で見てくるので「お前の
ためじゃない」と心の中でののしった
僅かな優位も決定的な勝利には足りない
半ば諦めながら無難にルークを動かし私
も席を立つ/店には他に三組の客がいて
それぞれがそれぞれの戦いをしている
一組目/別れ話を切り出した彼氏に彼女
が食い下がる「君とは合わない」「会っ
てるじゃん」「ちがう!もう会わない」
「それじゃあ文通始めちゃう〜??」
二組目/テーブルに並ぶ皿/皿/ジョッ
キ/コースターの束/男はハムエッグを
頬張り立て続けにビールを注ぎこむ/深
刻な顔で店内を見回し/不意に立ち上が
ると勘定を済ませて雨の街に消えた
三組目は正装をまとった団体で/口角泡
を飛ばして政治的議論をしている
私はひとつ伸びをすると席に戻った/イ
ンド人は予想通りルークを当ててきて人
差し指を交差して引分けのジェスチャー
をする/私も懐からスプーンを取り出し
て"カリー"を食べるジェスチャーをする
活動家たちのテーブルから急進的で文学
的なゆび笛が鳴る/晴れやかなカリー/
文通/食欲/スプーン/ゆび笛/頂きま
すとかぶりついた瞬間街に火が放たれた
女は街までの道すがら二度頬笑む
寺の墓地を抜けていくのは街への近道、といって女は急いでいるわけでもない。ひとり歩きの気楽さ、両の手を後ろで軽く繋ぎ、散歩がてらという風情で墓石の間の敷石道をゆっくり踏んでいく。ふいに枯芝色の犬に追い抜かれる。「おや?」と後ろ姿を目で追いながら舌を「チョッチョッ」と鳴らして呼んでみる。犬のほうは地面のあちこちを鼻から先に寄り道していくばかりで一顧だに返さない。いっそ気持ちの良い無関心。女はその犬がちょっと好きになった。
犬が曲がっていく先に付いていくと、大島桜の大樹がおりしも満開を迎えている。女は「これはこれは」と歩を止め「言葉を仕舞え」と誰かに命じられでもしたかのように、しばらくは呆けて花をふり仰いでいる。風が吹く。いっせいに空が乱れる。女は唐突に目を覚まされた気分になって、舞い散る花びらの下、桜の根方をしきりに嗅ぎまわる犬に気付いた。一面敷き詰められた花びらが鼻息でほころび、そこだけ黒い土が露わになる。
犬が尻を落として尾の付け根のあたりを激しく噛みはじめた。その姿勢がきついのか、転びそうになるのを前肢でこらえて、尾の痒みに口先を届かせようとくるくる地を擦り回る。歯を剥き出しグッグッと鼻を鳴らし噛みつく。三度四度擦り回ってようやく気が済んだらしく、犬は前肢をそろえ端正に座り直し、そこではじめて女のほうを見た。犬が演じた愉快な振る舞いに頬笑みを返しながら、女のほうも犬を見詰める。そこにあるのは黒い二つの眼だ。
女が山門に向かおうとすると先導するように犬が前を歩く。曲がり角で来し方を見やると、ひと筋の敷石道の先、林立する墓石の上に、さいぜんの大島桜が扇の形に白くぼうと浮かんでいる。そのあたり風もなく静まり返っている。少し寒い。胸の前で両腕を交差させカーディガンの上から二の腕を擦った。犬が離れていく。敷石の上を軽やかに爪音たてて、つんつん立ち揺れる尾がいきおい先に行きそうに胴が斜めになる。女が頬笑む。山門をくぐればそこから街がはじまる。
土
私は実家の南にある野菜畑で産まれた。私は幾重にも重なった肉の皮の中で、羊水に浸されながら、地下にへその緒を差し込んで、水分や養分を吸い上げて少しずつ成長した。その肉塊が十分熟したとき、肉の皮は一枚、また一枚と剥がれ落ちていき、遂には羊水が外へと流れ出し、私は産声を上げた。そのとき、畑には冷たい雨が降りしきっていたが、傘をさした父母がやって来て、私を取り上げ、顔のしわが固まってしまうくらい喜びで満面の笑みを浮かべた。父と母は交互に私を抱き、私の額に接吻し、かつて私を覆っていた肉の皮を拾って、堆肥を作るためのコンポストに投げ捨てた。
母は料理が得意だった。母の土料理には驚くほどヴァリエーションがあった。黒土がベースの料理が多かったが、母は栄養のバランスにこだわっていたし、一日にたくさんの種類の土を食べるのが望ましいと常々思っていた。赤玉土や鹿沼土によって軽みを出したり、逆に荒木田土によって重みを出したり。もちろん、堆肥や腐葉土は子供の成長のためには欠かせない食材だった。母は、土を溶かしたスープに野菜を煮込んだり、粘土をつなぎにして土団子を揚げたり、土を炒めてご飯にかけたり、様々な料理法を用いた。土は主食であり、野菜や穀物は薬味でしかなかった。
私は土を耕すのを生業としている。その土に、キャベツやニラ、白菜などの葉物、大根・人参などの根菜類など、多様な野菜を植えて市場に売り、そのお金で生活している。畑は私の身体の延長である。むしろ、私が畑の身体の延長なのである。畑にいたる道の土の上に立つと、すぐさま私は自らの感覚が広い平面に散らばっていくのを感じる。私は木々の根の張り方を感じるし、水の浸み込み具合を感じるし、光の強さ・色を感じる。畑に入って、鋤や鍬で土を耕すと、自分の体をまさぐっているかのようにくすぐったく感じる。私は畑のどこが肥えていてどこが痩せているか、それを、身体の各部位の具合のように知ることができる。土に肥料をまくと、何か温泉にでも浸かったかのような快さを感じる。そして、私は畑にどのような間隔で、どのような方角へ作物を植えていったらいいかどうかを、脳の論理法則でもって直に導くことができる。
私は生と死との区別がよく分からない。私はそもそも土から産まれているわけであるし、土を摂取して生きているわけであるし、この体が朽ちてもただ土に還るだけである。土はずっと生き続けると同時に死に続けている。だから、私もまた生きると同時に死ぬということを日々行っているのだ。生の充実、これは人間にしかない、とか、理性による自然の支配、これも人間にしかない、とか言われるかもしれないが、春を迎えて一斉に雑草を芽吹かせる畑の歓喜はまさに生の充実であるし、畑の構成や構造はまさに理性であり、それに人間はいつでも土によって支配されているのであってその逆ではない。
そんな私も、短い期間であったが、土と離れて暮らしたことがあった。冷害の年で、作物の実りがあまり良くなかったから出稼ぎに行ったのである。都会での建設現場の仕事は、私を著しく疎外した。食事もまた私を困らせた。土のない生活は、私にとっては身体を失った生活であり、それゆえすぐさま不調になって家に帰ってきた。私は帰宅一番、畑に行って、一番肥えているところの土を口いっぱい頬張り、腹が満たされるまで土を食べ続けた。私は飢餓状態だったのだ。
今日も土の粒子たちはきらめき、ひるがえり、無数の心地よい音楽を奏でている。そして、粒子たちのまなざしの集まる土の各層には絵画的な美が生まれるし、畑における各部位での土の組成や土の固まり具合、湿り具合は、何か彫刻的な美を生み出していると私は感じる。
日常
ぼくは相変わらず独りだった
「独り」という意味の
もっとも正確な意味においてだ
そして陰謀家のように
アイディアが盗まれやしないかと
いつもびくついている
ほんの5分も前のことだ
ぼくはスーパーで大根としめじを選んでいた
形や色を念入りに調べながら産地と値札を見る
その行為はもはや理想でも現実でもなく
奇術のごとき行為なのだ
例えば歯磨き粉や食料品を買い込む人たちの行列がレジにできる
エプロン姿の無表情のソリストたちが
音階のない鍵盤を叩く
客が手にするのは僅かなお釣りと数枚のレジ袋
アリガトウゴザイマシタ/マタオコシクダサイマセ
レジ袋を断り
エコバックに食料品を詰め込むと
ぼくは悲しみと狼狽の絶頂を否応なく味わうことになる
駐車場へ戻り
キーレスで車のドアを開けると
陽に灼けついた空気にどっとくるまれる
ぐったりとシートに体を沈める
車のサイドミラーに映った自販機
買い物袋を片手に
幼稚園児を連れた妊娠した女が横切っていく
30分前の時刻が印字された駐車券を見つめる
この絶対的な“権力”に従わされる人々は
あたかもそれが自然のことのように受け入れ
興奮も沈思もないままそれを受け入れているのだ
信じられるだろうか?
車はいつものルート
つまり一方通行の道を右折し
県道へ出て
ドラックストアへ向かう
まるで美術館で絵画を見て回るように
ショップを回るわけだが
ピカソもシャガールも写楽も工場で大量生産される
資本主義社会では
公平さと差別化が同時にスローガンとなり
人々を分裂的に引き裂いているのだ
信じられるだろうか?
ぼくはもっとも取り澄ました群衆の中の独りだが
同時にいま静かに進行しつつある
革命のデモ隊の先頭を歩くひとりでもあるのだ
朝
ふかくふかく沈んでいく
ひかりが ひとつひとつみえなくなり
一番遠くのほうで白い水仙がゆれている
たびたび あわがすこしずつのぼっていくと
呼吸していることがわかる
鐘のおとがきこえる
まるで葬祭のように
悲しい高さで 眼の中にしみてくる
焼けるような赤い空が
野一面をおおっていて
たぶん こころのやさしい人が
世界を手放したのだろう
おびただしいあわがみえなくなると
透けるような肌の少女が
ラセン階段を昇っている
そして降りている
流れるみずを境にして
脂ぎった手で窓をあけると
言葉の破片が流れていく
それは、やがて雪のように
誰も知らないところで
積もっていくのだろう
数世代前の
胸に真っ赤な花を咲かせた先達は
他者の声をきいたというが
わたしにはきこえない
青白い指先にあたたかな
質量がともる
この心地よい場所は
陽光の冷たさをすこしずつ
なじませていくのだろう
ふかくふかく沈んでいく
そのなかを
ひばりが旋回している
宝焼酎
こるが一番うまか
そう言って親父は
宝焼酎のお湯割りを飲んでいた
焼酎9 お湯1
ほとんど宝な その飲み物を
一日の終わりに
旨そうに、グビッ、と飲む親父の顔には
幸せが貼り付いていた
おれは それを眺めながら
こんなエチルアルコールそのものみたいな
どうしようもない物をよく飲めるよな
そう
心から軽蔑していた
洋一郎
ある日
親父が言った
洋一郎、こらぁ、お湯で割っと甘うなって旨かっぞ
おれは 親父の言うことを聞き流して
高い酒ばかりを飲んで
高いことは旨いこと、そう思っていた
そんなおれを親父は、不思議な生き物を見るように眺め
いつも 必ず
おれが飲んでいる酒を一口だけ飲んで いつも 必ず 言った
やっぱ 宝のお湯割りが一番旨か
親父の顔には 確信が貼り付いていた
2013年1月17日
親父は死んだ
87歳6ヶ月の大往生だった
親父はいつも
おれは、絶対、人工呼吸器なんかで生かされたくはない
洋一郎、余計な延命は絶対するな
よかか、判ったか
宝焼酎を飲みながらいつもそう言っていた
おれは、コロッと死にたい
焼酎飲んで眠るように死にたい
80で死ぬつもりだったて 長ごう生き過ぎたバイ
繰り返し そう言っていた
そのコロッと死にたい、との言葉どおり
今年の正月
歩けなくなって入院した病院で
入院した次の日
眠るように 死んだ
宝焼酎を飲んで
眠っているような死に顔だった
失踪人
どうしてだれもドアをあけないのだろうかとおもう
ひなびたアパートメントで寝てるのは?
あるとき
音があった
睡りから醒め
窓が薄緑になってるとき
おもてはいつも静かだ
愉しみでいっぱいというのにどうしておれは噤むのか
歩くひとびとは搾りたての乳のような腥さ
やぶれはててはたちどまり
唇ちのなかにあるのは
あらゆるものを見喪って
好機の見いだせないとき啜るジンジャーエールの味
ひとたびそれをおもってはあまり願いは抱けない
納屋を燃やせ
うちなる納屋を燃やせ
おまえ燃やしてしまうがいい
それならずっと草のように生きられる
はやい話し夢の尽きたあとを追い求めて
走っていくのがふさわしいのか
このまえどこかの裏庭を濡らした雨はかわいかったよ
いずれにせよ
いかなくてはならない
求めるものを決して数えないで
求めるときには時計はずして
自身をただ解きほぐすこと
多くのものやひとが散っていく
たったひとりと天界とをむすびつけようとしてだ
それでも留まってるのはいや
ながく滞在できないのを知ってる
眼のまえでひとりの女が手袋を投げ棄ててった
できるならかの女にとってふさわしいやつになりたい
列車は市外へとまっしぐら
隣にはオースターのインタビューを読みながら
ふるい帽子についておもう男
かれが降りていったのは北口で
だからこっちは南口
降りようとしたら
気づいたよ
これがもう終の行路だってこと
鉢植えがいらなくなったのを
かの女わかってる
きっと抛りだして
でも気にはとめない
だってしあわせなんだもの
知らない土地で身をよこたえるように
知らない土地で半分その身を埋めるみたいに
言いたかったことはぜんぶ、
駆けぬけていった少年は
潮の灼けた匂いを残した
かなしい匂いだ
陽炎にゆられる
焦れったい、夢精の残り香
海を見に行くきっかけなら
それで十分だった
そこで心中したり
煙草をくゆらしたり
そのくらいの自由が
欲しいと思えた
4tトラックが待っている
信号を右に曲がれば
狭い路地、長い下り坂
床屋を示す三色の渦巻きを過ぎれば
潮風の匂いは濃くなって
海が見えてくる
良く晴れている
沖合で産まれたての
入道雲はくっきりと白い
足元には、猫の死骸
素知らぬまま海へと誘った彼を
入道雲に見ようとしたけど
雲は雲で変わりようない
彼に言いそびれたことがあったのだけど
言葉は
猫が腐っていく時間の中に
溶けていってしまう
てくてくと坂を下るに連れて
次第に大きくなっていく海が
探し物はなんですかと訊いてくる
たしかに見つけにくい物なのですが
入道雲は、じっとしている
海は
途方もなく穏やかで
外国から来たらしい
プラスチックの漂流物でさえ
憎たらしくも風情を湛えていた
僕も負けじと
風景の一部になろうとして
煙草をくゆらせてみるが
渇ききった喉に
煙草の煙がへばりついて不味い
裸足になって砂を踏みしめる
あたたかくて柔らかい
あぁ、これは、
言えなかった言葉の感じに
そっくりだ
そう思うと
風(という名詞
匂い(という名詞
次から次へ
淀みなく消えていく
新しい初夏の感じが
皮膚を透かして
胃の腑を不快にあたためる
猫の腐臭も、彼の汗ばんだTシャツも
それらを感じた僕も
過去形に埋もれた、砂
碧い海に呑まれて
それらはいつか新世紀の
新しい呼吸に馴染んでいく、だろうか
青白い空に
置き去りの自分よ
ここから帰れば
きっと僕は
熱にうなされながら
自慰に耽る
戻らないため息を悔やみながら
キスを交わして
失われた果肉を
膣に求めて、なんて
そんな嘘で
息を荒くして
何度も繰り返し
身体中に
壊疽を拡げる
言いたかった
何も言えなかった
何しているの?
1番好きな人がいるの。その人は僕を1番好きな人とは思っていない。そう思うと裏切り者になりたくなった。僕は、7番目ぐらいに好きな人をのことを1番目に好きなり、夜の溶液の中に身体を浸した。僕の表面は少し溶け出していた。目を覚ますと、その人は7番目ぐらいにに好きな人に戻っていた。裏切り者なりたかった。1番に好きな人を0番に好きな人にして彼女を裏切ろうとした。精神的に疲れた。外に出て僕は歩いていた。ブツブツ独り言を言っていた登校途中の小学1年生ぐらいの男の子が「何しているの?」と聞いてきた。「歩いてるの」と僕は言った。前方に4歳ぐらいの女の子とその母親であろう人が歩いていた。僕は追い越した。女の子は走って僕を追い越して行き、振り返り、僕の顔を見て母親のところへ戻って行った。僕はいったい誰なんだ。僕の意識は時間を逆流しながら細部の景色を洗い流し「何しているの」という、さっきの子供の問いに戻っていた。僕はもっと正直で正しく明確に答えたかった。僕は何をしているのか。「問」が明確な空欄となるように取り囲みたかった。自分の問いであるべき部分が問いになるように的確に、自分を壊したかった。自分の心の中心的位置で正確に穴を開けて、まずは0番目に好きな人をパズルの試行錯誤として、そこにはめ込んでみたかった。その答えが正しいのか、間違っているのか、検証したかった。僕の色々なことが伝わらない、という考えがハイジャックしてくる。言葉で誘い彼女をその位置まで誘導していく自信が僕にはなかったし、実際その才能は僕にはないのだろう。しかし、どこかに進まなければならないのだとしたら、確実なところではなく、曖昧なところにむしろ心理的安心を見いだす必要がある。僕にはそうやって未来に進もうとするのが、彼女が家のドアを開けたときに笑顔でさっと足を差し込むときのように、合理的な戦略に思えた。僕は霧状になった曖昧さの位置を確認しようとした。硬い過去に取り囲まれた柔らかい現在があり、その現在に取り囲まれた未来がその曖昧さだった。「僕の未来」は時間的な意味では、常に僕の心の中心的位置に存在する「問」であるように思えた。その先にある「死」は、僕が意図的に自分を壊し、脱皮を繰り返すための定数「1」のひとつであるように思えた。僕が首を吊れば1回僕は死ねるという意味での定数1。僕はやがて定数1になる関数であるが、「やがて」に至るまでに、例えば、0,1回死ぬのを人生の中で20回繰り返して2回死んだことになるような関数であらなければならない、と思った。過去の足し算の結果を保存するような関数。僕はこれまで何度も「死にたい」と思った。僕は何度も自分を壊し、心に穴を開け、未来の曖昧さの中で「問」としての自分の心を再定義しなければならなかった。僕はもう少し歩きたい。少しは進んだような気がする。「問」としての未来の可能性は、木のように枝分かれし、曖昧な葉を茂らせている。とりとめもなく「問」が様々な次元に発散するから、新たに定義された僕の心の中心を見つけるのは難しいことだった。見つけたとしても、未来へと進む0,1的自殺の運動の中で重心に注意を向けそれを維持するのは難しいことだった。心はバランスを崩し何度も転び、定数1に収束しそうになった。僕は今日疲れていた。公園のベンチに座った。そこで僕は彼女をハメるための落とし穴を作ろうと考えた。「問」の木の枝として伸びた可能性からちょうどいい長さの枝を折って、僕がまず0番目に好きな人を落とすための空欄に橋をかけた。たくさん枝を折って材料を集め、穴に格子状の構造つくった。そこに「曖昧な葉」としての未来の可能性の落ち葉をかけて、穴がわからないようにカモフラージュした。落ち葉の下には未来はないように見えるけど、本当は未来が隠れている。なにも怖くない。あなたが落ちたら僕も同じ未来に飛び込む。これでいいと思った。僕はどこであなたを待っていようか? 僕はこの舞台上で木になって待とうと思った。曖昧な微笑もしくは演技の自信のないときはモナリザのお面を貼り付けて、落とし穴の前で木の演技をする。曖昧な葉を持ち、両手をあげて、これが木の枝。僕はこの舞台の木という登場人物。今度の学芸会で「木になれ」と命じられた子供だけにはこっそり教えてあげる。何しているの? 僕は木になっているの。植物人間。だから本当は喋っちゃいけないんだ。しかも擬態を完璧に近づけるためには凡庸な木になるための訓練をたくさんしなくちゃいけないんだ。
オフロスキー
リビングの真ん中に浴槽があって
フランス映画で見るようなヤツ
そうそう脚がついてるタイプの
だから家の中ではずっと裸でいるわけだけど
宅配ピザを頼んだ時にちょっと困る
別に悪いことをしているつもりはないのに
裸でマルゲリータを受け取ると
店員が僕の股間から目を反らし気まずそうな顔をするから
そうしてまたひとりになって浴槽の中で座り込み
マルゲリータを頬張りながらテレビを眺める
もし僕が色白の美少年だったとしたら
裸でも絵になるはずだと思うんだ
ジンジャーエールを飲みながら僕は思う
リビングの真ん中に浴槽があることが問題じゃない
浴槽をお湯以外のもので満たせない
僕の空虚さが問題なのだ
外はちとちと雨が降っている
空っぽの浴槽で
僕はひとりで口笛を吹く
(誰かに聴こえているのかな?)
黒猫の雨
夥しい微生物が
欄干の物干竿に
吊り下がっている
人の肌には
鱗があるので
水のない国では
暮らせないだろう
海から山から平地から
砂漠まで正体不明の
微生物が漂っている
生物からは有機物の
発散が起きて
人間の鼻に吸い込まれる
花と蜜蜂は婚約者達の
祝福の為の愛の筆跡である
転がり込む羅漢の粗雑さは
山猫お断りのBARに相当する
通り雨の暗い裏道に
黒猫が私の目から逃れようとする
覚束ない濡れた服は
やはり微生物の匂いがして
甚だ遺憾だ
憂鬱か哀愁か
定かではないけれど
独り身のアパートの
インテリアは心を慰めてくれる
もしも
この狭い部屋に暖炉が有れば
こんなに冷たく震えることも無いだろう
ふとテーブルの
花瓶に目をやると
ワインボトルを連想する
こんな暮らしでは
どうにもならないので
グラスにワインを流し込む
やはり私は暖炉を想像して
冷たい雨に打たれているかもしれない
黒猫を思い不安定な情緒で座っている
こんな風だから
独り身の夜を迎える前に
あの先ほどの黒猫を
抱きしめたいと涙を流す
ワインをそっとゆっくりひっそりと
のんでいる私は
ふと寂しさに気落ちしてしまう
偶然の出会いが
もたらした今日の夜は
何かの象徴だろう
雨の音の様に
波打つ情緒はさっきの
鋭い眩しく光る眼光のせいだろう
さすがに
嫌気がさして疲れた心身を
休ませるため眠りに就く
朝目が覚めて
たぶん今朝見ていた夢は
空からたくさん黒猫が
降ってくる場面に決まっている
ただはっきりと今思えるのは
寂しい存在なのは
微生物でも黒猫でもなく
倦怠な毎日を送っている私の方だろう
饒舌な散歩
雨はなぜ私をすり抜けていくのか
そんなことを考えながら歩いている
死者を飛び越える猫のように
あるいは歩きはじめた老人のように
それは古寺へと続く苔生した山道であり
田植えが終わったばかりの田園であり
ゴミ箱が転がる街の裏通りであり
兵士たちが塹壕に蹲る戦場でもある
呼び止める声が聞こえても振り返らない
どうせ歩き続けるしかないのだから
相変わらず雨は私の細胞を素通りして
水溜まりに次々と新たな宇宙を造る
見上げれば眩しい空白の向こうから
終わりなくそれらは降り続いている
しかし見開いている私の両の瞳には
何時まで経っても世界は生まれない
感覚を統べる王宮をトカゲが這う
君は永遠にオリジナルにはなれない
かわいそうなベテルギウスと
暗闇の中のミルク・クラウン
そして置き去りにされた卵たちとの
意図しない共同生活を夢見る
電話の向こうで啜り泣く夜明けを
上の空でなだめながら
先細りの希望を額に塗りつけ
瞑想の向こうにある孵化を待つ
こちらを見るな
煙草を吸うな
初めて見る世界は暗号のよう
濁った発音の不規則な反復
人は匂いだけで泣けるというのに
五感を駆使しても共食いは終わらない
もう諦めろと道端の空き缶が忠告する
舌打ちをして目をやるがそこには何もない
最初のため息はいつの事だったのか
誇らしいカンバスを切りつけたのは誰か
すべてを忘れ果てても疑問だけは残る
本当に雨はなぜ私をすり抜けていくのか
下らない問いだと吐き捨てた子どもが
遺伝子の螺旋を軽やかに滑り降りていく
港、ほか一篇
港
日はながくなりつつある
おれの足に生えた影のさきっちょ
知らない男らが倉庫のあたりで
ゲームをしてた
港がすぐそこまで近づき
聞きとれない声でなにごとかをいってて
やがて遊びつかれたかっこうの男らは作業着に抱かれて
そのなかへと飛びこんでった
たくさんの
小銭と
札が
まきちらされ
なにかしら病気か
風船みたいに膨らんだ鳥どもがまっすぐに赤いクレーンを過ぐ
おれもそこにむかって飛びだしてしまいたい
そのとき
外国船がだだをこねはじめた
──もうこっから動きだしたくないんだ
──ずっとここらで眠らせておくれよ
夜はかれを絵葉書に包みこみ
ながい路線のずっとさきのほうで
かぜにまきこまれてかれはもう
みえなくなってしまった
点描
M・Yさんへ
かつてあったらしいもろももろを求めてながら
点をたどったところで
なにもない
かれはあたらしい雨を待つ
やもめ暮らしの男だ
ひと昔か
それよりもっとまえのことにあたまのなかが充たされ
とてもじゃないがそいつは追いだせない
みじめったらしく
とっても醜いやつ
過ぎ去ってもはや掴まえることもできない過古と終わりなく話す
だれかがかれを憶えてるかも知れない
でもそれは気休め
たしかに十三年まえの四月
まだ十五歳
駅ビルでかれはかの女から声をかけられた
あかるい声と
とても素敵な笑みで
でもそのときかれはおもうままに応えられなかったみじめなやつだ
すごくうれしくて
すごくこわくなって
逃げだしてしまった
かつてあんなにも好きだったのにもかかわらず
それっきり
きょうもあたらしい雨はやってこなかった
かの女への手紙をいくら書きあげても
届けるあてはない
通りを警笛が鳴りやまず
五月の窓を閉じてかれは横たわる
かの女の二十歳すらも知らず
そんなことがとってもくやしい