#目次

最新情報


2014年06月分

次点佳作 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


WHOLE LOTTA LOVE。

  田中宏輔



『詩人の素顔』という本を買った。
シルヴィア・プラスのことは
ガスオーヴンに、頭を突っ込んで死んだ詩人
ってことぐらいしか、知らなかったけど
読んでみたいと思った。
死に方にも、いろいろあるんだろうけど
もっと、違ったやり方があるんじゃないの?
って、ずっと前から、思ってて。
特別価格100円だった。
上からセロテープで貼り付けた
100円の値札をはがすと、300円の値札が
その300円の値札をはがすと、900円の値札が付いていた。
もともと、1850円(本体価格1796円)だった本が
古本屋さんだと、100円になる。
でも、シルヴィアさん
自分が、100円で売られてたの知ったら
また、ガスオーヴンに
頭、突っ込んじゃうかもしんないね。
ぼくが中学生か、高校生だったころ
横溝正史が流行ってた。
いや、流行ってたってもんじゃなくって
大大大流行って感じ。
もちろん、金田一耕助シリーズね。
まわりの友だちなんか
みんな、ほとんど、読んでたと思う。
大学生のころは、赤川次郎だった。
赤川次郎の小説のひとつに
シュウ酸で自殺した男の話があった。
コーヒーに入れて飲んだと書いてあった。
すっごく、すっぱくて
そのままじゃ、とても飲めないからって。
ぼくのいた研究室にも
シュウ酸があった。
酸といっても
粒状のさらさらした結晶体で
薬さじにとって
ほんのすこし、なめてみた。
めちゃくちゃ、すっぱかった。
何度も、つばといっしょに、ぺっぺ、ぺっぺした。
ショ糖に混ぜて、1:100とか
1:200とかの比にして、なめてみたけど
すっぱさは、ほとんど変わらなかった。
どう考えても、赤川次郎の小説は、嘘だと思った。
で、薬局に行って、カプセルを買ってきて
そのなかに、シュウ酸を入れてのむことにした。
(これって、学生時代のことで
 致死量の何倍、計量したか、忘れちゃった。)
わりと大きめのカプセルだったけど
5個ぐらいのんだと思う。
コーヒー牛乳でのんだ。
(紙パック入りのね。あの四角いやつ。)
しばらくすると、胃のあたりが、すっごく痛くなって
ゲボゲボもどした。
忘れ物をとりに戻った先輩が
(もうとっくに帰ったと思ってたんだけど)
ゲボゲボもどしてるぼくを見て
タクシーで、救急病院に運んでくれた。
牛乳で胃洗浄。
鼻から透明の塩化ビニールチューブを入れられて。
診察台のうえで、ゲボゲボ吐きもどしてるぼくを見下ろして
看護婦さんが、「キタナイワネ。」って言ったこと、おぼえてる。
あのときは、ひどいこと言うなあ、って思った。
いじめ問題の解決方法を考えた。
日替わりで、いじめる人を決めて
クラスのみんなで、いじめるんだ。
毎日、いじめられる人が替わることになる。
そしたら、みんな、手加減するだろうし
(そのうち、自分の順番がくるんだもんね。)
それほどひどいことにはなんないと思う。
だって、いじめたい気持ちって
だれだって、ぜったい持ってんだもんね。
レイモンド・カーヴァーだったかな。
それとも、リチャード・ブローティガンだったかな。
たぶん、カーヴァーだったと思うけど
インタビューか、なんかで
自殺してはいけないよ、って言ってたのは。
世界にまだ美しいものがあるかぎり
って。
ん?
あ、
ブローティガンだったかな。
友だちのタクちゃんちは
ぼくんちと同じくらい複雑な家庭環境だけど
自殺するなんて、考えたこともない、って言ってた。
そのタクちゃんが、このあいだ、引っ越すことになって
ぼくも手伝ってあげた。
引っ越し先のマンションの壁に
「空(くう)あります。」って看板が掲げてあって
これ、何だろ、って訊くと
ぼくのこと、バカにしたような感じで
「空室ありますよ、ってことでしょ。」
って言って、教えてくれた。
ぼくは、ぼくの目のなかで
「空(くう)」と「あります」のあいだに読点を入れて
「空(そら)、あります。」って読んでみた。
「空(そら)、あります。」だったらいいな
って、思った。






*ぼくは、マジに、「空(あき)あります。」を「空(くう)あります。」って読んでいました。
この作品を同人誌に発表した後、女性の詩人の方に教えていただきました。
すんごい世間知らずですよね。っていうか、ほんとに、バカ。バカ、バカ、バカ。


君の問いに答えようと思った(この題名は君の書いた「星屑に願いを」から引用)

  明日花ちゃん

ケーキの横顔を崩そうとがしゃがしゃ音を立てながらすみずみに羽ばたいてどこでもさよならできるように。どんなときでもどんな時間でもどんな場所でもさよなら出来るように願った。もうすぐ七夕。去年の今頃はもっと何もしていない。君の問いに答えようと思った。

僕らはきっと、果たして、果たしてゆく事は出来るだろうか。僕らの後にずっと有能な人間が沢山出てくるのは、すでに当たり前だと思っている。信じる事は二つしかない小さないのちをどう使うかという話かもしれないな。君は何度でも蘇るから、何度でも殺せる様な気がして、殴り続けていたら「殺す気か」と腕を掴んでそこから今まで離そうとしない。スプーンに飯を乗っけて、零しながら貪った君が僅かに泣いても気に留める暇がないって、んならつるむなってしたたかな横顔を崩そうとした。フォークで床をプツプツ刺し、闇を広げていく。それでも感情を歪めない君の前をトラックが叫んだ。雑踏に佇んだ声が時空を動かし始めた。いつしか星が見えた。星の中にとてつもなくおっきい菱形の星があった。僕の所にも存在していた。どこから来たのかという問いに君も答えようとパクパクと口を動かしている、僕は「金星だ」と言った。金星でキノコを栽培してるンだアって。この滑舌の悪さはお国柄ですからご容赦願えましゅか。そいたら君も木星から出稼ぎに地球にやって来たらしく、同じように少し訛りがあった。(これは後に気がついた事だが、実は僕の「金星」は地球のベクトルで考えると「火星」にあたるらしく地球人の常識を連れ回し、勉強を続けていた僕にとって小さな衝撃をもたらし、また更に大きな衝撃として、君の木星と僕の金星は同い年の同じ星だったが、どういう訳か僕は表面で暮らし、君は地底でひたすら測定をしていたそうだ。)

僕は君に確か、地球レヴェルで考えた百年程前の月と火星との恋について聞き出したかったのだろうと思う。大きくて僅かな恋が失敗をする時、何かとてつもない事件が起こるらしかった。僕はもしかすると幼い頃からバカでかい恋に自分を重ねたがる気質があったのかもしれない。地球人で言うと、「夢見る夢子ちゃん」だとかそんな風にされて、長い間閉じ込められた。事件とは地球にとっても僕らの金星にとっても重要な戒めのように見えた。歴史を辿ると地球人が宇宙人を恐れた時、人間界カンペキな空想、現実味のない信仰は、足元にスッ転がり、泥靴に批難を浴び、抹消されたのだとある金星人は話していた。地球人は地球において、「地球らしくない事をした」と言っても過言ではなかった。僕は地球人が嫌いな訳ではない。いや。むしろ地球人に対して尊敬の念もあった。地球には美味いものが沢山ある事も、様々な文化が存在している事も、金星雑誌第一号「「放送禁止!無様な金星!最も有能な星とは。」」にデカデカと紹介されていたし、地球は僕の夢でもあった。地球に行って地球人と恋に落ちること。地球年齢22歳、まだ叶えきれていない外国出身の僕だけれども、そろそろ地球人から国籍を変えたとのお許しが欲しいと思っている。君も出稼ぎではるばる金星から地球に来て、まず困ったのは融通がまるで利かない寂れた土地が故に、職が決まるまで二週間程の路上生活を余儀なくされ、ホーム(家が)レス(〜ない)と呼ばれる人々に酒やパンを頂いていたらしい。申し訳ないと話しながら、服さえ着ていない日々から復活するのだから目覚ましいことだよ。と僕らは酒屋で讃え合った。僕はこの裸さえも一つの洋服だと感じているけれど、君もそうだろうか。裸の王様は知っているかな。そう。透明の服を着込んでいる土星人の話だよ。この服をいずれ脱ぐ事が出来れば屈伏せずとも良いのではないかと感じてしまうよね。僕と君の地球に来る意味合いは違っていたかもしれない。君は生きるために来ていた。僕も、もちろんそうだ。けれども本質的な目的は失っていなかった。僕はいつだって恋をしたい。月と火星が本当に恋をしていたらいいと思い続けていた。君に出会う前、僕にとって星達が目指す恋はきっと華やかに輝き、美しいものだと感じていた。地球人なんて特にロマンチックに出来ている事だろう。美しい言葉で文字を繋いだり、手を絡めるヴァリエーションも豊富に見えた。地球にやってきた15年後の夏、ぼうっと暗がりで遠い国を見て、あらゆる考えをさかのぼった。離ればなれに浮いた星達を、僕の隣で父親だと言い張る人間が寝そべって何かしていた。指先で星の線を描きながら折り曲げて、たった一つの輪っかになる。「ほら。よく見なさい。」「ここと、ここ。」「ここと、ここだ。」ってずっと。僕は君の問いに答えようとしていた。いつも。君と出会う前から。もしかすると一番星も二番星も変わらないんじゃないかっていっこの命としては。繋がった時に意味が出てくるんじゃない。答えを準備して待っていた身体から分厚い衣をもぎ取ったら、君よりも大きな凹凸が僕に存在して、また君のように、脚にある太いコード線が表面上からひとすべも見えない僕の入れ物を大声で笑いながら、「とても変だ」と言っていた。つられて僕も可笑しかったので、そうした。向いてないね。ちゃんとした服に着替えてコーヒーを淹れたら喜んで飲んでくれた。君が地球人の中で特に気になっていた「黒人」と呼ばれる幾つかの人々の名前を僕も知っていたからその事について話した。僕の好きなテニスプレイヤーにモンフィスっていう人がいるんだ。僕にとって彼はファンタジスタでね…黒人のアイデンティティは今どの段階に存在しているだろう。彼らの主張はまさに金星人の嘆きだよ。明るくて希望もあり、楽しそうに振る舞い、自分たちが素晴らしいことを本能的に知っていそうだ。未来にかけて話してみたいな、君はどう思うの。…不思議なことを言うね。さすが天才の星から来ているだけのことはあるよ。僕もその考えに全面的に賛成すると思う。秘密調査だ。まるで…うん。コーヒー、すごく美味しいね。

何かの脈絡に苦さを染み込ませながら、君がポトリと地球で過ごした月日を一通り話し終えた時、空気が金星にいる様な懐かしさを覚えた。僕らは本当に同じ星で地球人の知らない金星人で。僕はその時地球人の事なんてこれっぽっちも知りたくないと思った。悲しかった日に、涙が出ることしか。嬉しかった日にも、同じように水が溢れて落っこちるのだけれど、とてつもなくしょっぱくなることを知っていればそれで良かった。君が「星屑に願いを」を書いた夏、地球の人生にしょっぱさを感じていたことくらい。僕は何もしていない体たらくさ。っていつも言いたかったよ。金星人にとっての優しさをちゃんと理解しながら誰かと誰かは見えない恋をしていただろうか。僕も金星人として地球に住む事が出来たらいいのに。こんな風に笑えるなんて考えたこともなかった。金星にいた記憶は旅をしている時、殆ど他人にあげてしまったという君の眼を見ながら、月と火星の恋について話した。そうしたら君は「失敗したと思う」と答えた。その後君が放った言葉は「恋は成功が失敗だろう」だった。

僕らが願うのは故郷に帰ることなのか。それか、僕らの知っている場所にとてつもなく近くてとてつもなく遠い場所に行く事だろうか。時空でもいい。探し続けてもいい。いつだって僕らは瞬間を破壊したかった。時計をいくら壊しても終わりが来るかもしれない、僕の行く所は決められて、操作されながら流れていく。妥協を繰り返しながら、死んでいく。さよならしても、あれは僕が僕自身にしていたさよならに似ている。君の後ろに僕を残して。進んで、この前の事さえ忘れていく。僕らの知っている遠い昔の話を君は断片的に思い出して、冷たい肌に落っこちているのかも知れなかった。あの月と火星は、確かに恋をしていたはずで、抱き合おうとしたに違いない。抱き合おうとして近づいた。けれども、生きる方を選んだんだ。お互いが想い続ける、そっちの方がいいだろうと、我がままにしなかった。本当は誰よりも抱き合いたかったらしい。誰かが言っていたよ。あの人は私を愛していなかったのか、って。衝突する日は失敗する日。月が火星に、もしくは火星が月に、願った事は何だったの。きっと帰りたかったに違いないよ見えない何処かに。誰も知らない場所。夜や昼でもない、ふたつぼっちの。もうすぐ七夕だね。僕が死んだ時、または君がいなくなった日を、食い止めることって出来ないのかな。織り姫と彦星も、月と火星の恋を夢見ていた。僕らと同じように。かぐや姫が月に帰った時からずっと見届けた僕らが続いている。僕らは繋がっている。どこかで繋がっている。繋がっていたい僕らだって君と。昔から未来に向けて繋がろうとしたい。誰かが崩して切り分けても。僕の金星人、さいならだよ。愛しているよ。夢はとても小さかった。君と離ればなれになりたくない。せめて気持ちだけはこのままずっと一緒にいれますように。このまま愛する事が出来ますように。笑い合えて、僕らが小さくなってもずっと心抱きしめていれますように。僕らじゃなくてもいい。誰かがそうなれますように。何処かで愛と愛が繋がれていますように。愛で幸せになれますように。願い続けて折れた腕の中で僕は寝ていた。寝ながら呟いていた。僕が知っている何かと、君が知られている何かの話を誰も知らない所ですればいいよ。ねえ君。もしくは君に似た恋人。僕らは愛し合っているのだろうか。さようならをしないで欲しかった。嘘じゃないかって、君を見た。金星で会えるだろうか。地球人の君は何処かに連れて行かれそうで、腕にしがみつきながら行き先を聞いたよ。まだこの詩は生きているでしょう。よく見なさい。ここと、ここ。ここと、ここだ。お願いだから捨てないで。僕たちはどこに行くの。病院に行くのは可笑しいでしょう。聞いてよ、地球人。目を覚ませ。ばか、連れてくな。もしもし。もしもし。金星より。音声はそこで途切れた。


陽の埋葬

  田中宏輔



真夜中、夜に目が覚めた。
水の滴り落ちる音がしている。
入り口近くの洗面台からだ。
足をおろして、スリッパをひっかけた。
亜麻色の弱い光のなか、
わたしの目は
(鏡に映った)わたしの目に怯えた。
いくら力を入れて締めても(しめ、ても)
滴り落ちる水音はやまなかった。
ドア・ノブに手をかけて廻してみた。
扉が開いた。
いつもなら、ちゃんと鍵がかかっているのに……
廊下の方は、さらに暗かった。
きょうは、なんだか変だ。
患者たちの呻き声や叫び声が聞こえてこない。
すすり泣く声さえ聞こえてこなかった。
隣室の扉を開けてみた。
ここもまた、鍵がかかってなかった。
わたしの部屋と同じ、
ベッドのほかは、なにもなかった。
ひともいなかった。
ただ、ベッドのうえに
大判の本が置いてあるだけだった。
写真集のようだった。
表紙は、後ろ手に縛られた裸の少女。
少女の顔は、緊張した面持ちで青褪めていた。
ページをめくってみた。
一匹の大蛇が、
少女の頭を呑み込んでいるところだった。
さらにページをめくってみた。
めくるごとに、少女の身体は、
大蛇の顎(あぎと)に深く
深く呑み込まれていった。
最後のページは
少女を丸呑みした大蛇の腹を撮った写真だった。
わたしは、本を開いたまま自慰をした。
(かさかさ)
足下で、なにか小さなものが動いた。
それは、写真のなかの少女だった。
彼女は、わたしの腕ほどの大きさしかなかった。
逃げ去るようにして、少女は部屋から出ていった。
わたしは本を置いて、彼女の姿を追った。
隣室の扉が開いていた。
入ってみた。
やはり、ここも、わたしの部屋と同じだった。
ベッドしかなかった。
いや、そのうえに、あの裸の少女が寝ていた。
と、思ったら、
それは、波になったシーツの影だった。
(かさかさ)
振り返ると、
さきほどの少女が
半開きの扉の間を走り抜けていった。
廊下に出て、隣室の扉を開けると
あの写真で見た部屋だった。
部屋の真ん中に、木でできた椅子があって
そのうえに人形のように小さな少女が立っていた。
あの写真と同じように、裸のまま後ろ手に縛られて。

わたしは、少女を、頭からゆっくりと、呑み込んで、いった。


レミングの話

  uki


レミングたち、あさっての向こうに、やわらかな静脈が浮かびあがる。彼方に置きざりにしたカレーライスへの後悔は尽きず、肘をついて見あげる月の海は匂わないまま枯れ果てて。断崖絶壁まであと5キロの標識、私たちの車はどこを目指し、あるいは難破しようと目論んでいるのか。風がたよりの舟のように無実なはずがなく、運転手はふうわりと口笛を転がす。車輪は4つ。海は1つ。手術台のうえのミシンと蝙蝠傘の出会いが、私が残したカレーの半分と少しに巣くっている。ただ単純に舌においしかったのだ。残したのは逆流を怖れて。レミングたち、鼠がとろける。海でもどこででも。私は屍体を探す。匂わないのだった、花も雨も海も、場所を明け渡さないのだった、彼らと融解したいのに。どこまでも寒さだけがついてきて、裸足にもなれない。びっくりしても、ここから立入禁止だよ。飛びこんでしまったら浮かびあがらないよーに大きな重い胎児になりな。母さんのかさが増えてきっと夏まで死守できる。
腕を伸ばせば、指はたよりなく月を突く。目が2つ。あなたにも。ほほえむ口は1つ。星がいくつかまたたいている。もう日付も時間も必要ないのに宇宙は勤勉だ。泡がこいしい。いまさらだけど、車がさかさまになって海で燃えるとか派手なのは苦手だ。サーカスの裏地に、墜落は罪、と書いてある。"まとも"がどうしたっていうのさ? 腕に時計を巻きつけちゃって、人間時計やめなさい。華やかな波の音に秒針なんてさらわれるだけ。人魚になろう、いやレミングだったんじゃない、カナリアだ、いや私たちは警告にならない、誰も警告だと受けとらないよ。そうだね。自由だ。ここはかなり自由だと知るだけだ。未来はいつもあさってくらいがちょうどよかった、それなら遅くとも48時間後。ごはんを抜いてもやってきた。私はベルトコンベアーの鮭だ。霜だらけの体、冷たいてあし、お風呂は長風呂。抱きしめているお湯を抱きしめている。息を長く吐く。私は来ないはずの朝を何度も迎えた。

耳鳴りは飛行場を目指して3度墜落、未処理のノイズ。
青空だって砂漠だろう?
何もできない。
濡れている月光の航路がレミングの退路、星も光ってるしきっとどこかに行くんじゃねえか。どこかへ行くのもまた勤勉だ。
私は私でなくなるけれども、とうの昔からそうだったよね。あなたも、だよね。
あかるい、こいしい、ゆうがた、まじわり、せっぷんをゆるくほどこう。

この孤独さをいとしむ。ひとりぼっちで海を見ている気持ち、海にせっぷんしたい気持ち。レミングはそうして落ちていくんだけれども、そこにはたくさんの母さんが待ってくれていて、せっけんの香りがぶわっとたちのぼって、とてもあたたかなのでした。


偽オルフェウス的な試みの二つの詩

  前田ふむふむ

境界      

それは灯台のように 
ひかりを発してゆらいでいた
そこから一本のながい縄が垂らされていて
その先端には
なにかをむすんで吊るされていた
鳩が交差をくりかえして飛んでいる
背景はやや赤く 皮膜のような靄に
覆われているせいか 暗くぼんやりとしか
見ることができない
それはわたしが意識すると遠ざかり 
意識せずにいると
ひたひたと近づいてくる

わたしは ずいぶんと長いあいだ 
いまおもえば その陰鬱な
風景をみているようなのだ
一本の縄の先端のものが 
なんであるかわからないときは 
不安であって眠りにつけないで 
夜をあかしたものだ

しかし 多くはその先端の縄のなかには 
白くてやわらかい肌に
わずかな布をおおっただけの少女が 
ぼんやりとした
ひかりに 悲しい顔をうかべて 
わたしのほうをみているのだ
わたしはいつか かならず助けなければならないと 
そのすがたを眼にきざみこんで
一日を懸命にすごした
いやだからこそ 
裸足のような気持ちで 
街にでていくことができたのだし 
森のなかでみちにまよっても寂しくはなかった
どこまでもつづく空を
青くみることができたのだ

雨が窓をいつまでも
打ちつづける夜だった
それはひかりをぼんやりとゆらしてやってきた
うめつくすほどの鳩が飛ぶそのなかから
吊るされた一本の縄の先端で
少女はうすく笑みをたたえていた
胸はあつい高揚からなのか
ほそい血管がうきでていて 
恍惚とした顔からは
すべてがみたされたような眼で 
わたしを 射抜くようにみていた

なにか黒くつめたいものが湧きあがり 
わたしはもっていたガラスのコップを握りつぶして 
こなごなにして割った
右手から血が流れおちていった
いつまで見ていたか 
おぼえていない

ぼんやりとひかりを発している場所がある
わたしは 熱病にうなされているような 
ある確信をもった眼をして 
険しい坂道を登っている
全身が汗ばんできている
ずいぶんと長い間
苦労して
暗いなかを歩いたが
眼の前には やっとあかるいひかりが
わたしの安堵した足は
軽やかになり 速度を早めて
開放のひかりに
向かった

坂を登りきると
それは 靄に覆われていて
灯台のようにひかりを
発してゆらいでいた



蒼い夜の夢想             


はじまりは いつもみる景色だ
居間のテーブルには 白い皮膜のような
汗をおびている
ビニール手袋が置かれていた
手袋はしずかに脈打ち 呼吸をはじめる
おもむろに
前にひろがる暗闇の衣服を剥ぎとると
夜は 両手を濡らして
ケモノのような
艶めかしい声をあげている

どのくらい経っただろうか
どこからか読経が聴こえてくる

一面 どんよりとした空気が 
わたしの熱を帯びた息で震えると
眼をひからせた二匹の青い犬が 暗い踊り場から
わたしの耳のなかをかけていった

わたしは 電灯のスイッチを点けた
そして 
左足の踵から階段を降りた 

読経の
その低い声が 少しずつ大きくなってくる

足裏は 硬く 冷たい(こんなにも 段差があったのか)
手すりをもつ手先が ひとりでに震えた
下は 暗く 真冬に
マンホールを覗いている猫のように心細い 
冷たさの先は 空気を捲いていて ゴーゴーと鳴り響いている
心臓の温もりが 口から零れ出すと
眼のまえの仄白い装飾ライトが 脈を打ちだし
少しずつ 昇っていく

読経は絶えることなくつづいている

やがて 両足が慣れる頃
眩暈が全身をしばってくる
狭い 一人しか通れない階段を 暗い大勢の影が
少しずつ 昇っている
なぜか懐かしい顔ばかりだ
その最後に 灰色のスーツの影が 
わたしの横を すれ違った
鋭い矢のようだが 息が聞えなかった
あれは 父さんだろうか
もう どのくらい階段を降りたのだろう
段々と 氷のような冷たさが 全身を覆っていて
足は感触がなくなってくる
用心深く 足を降ろしていくが
いつになっても降りつづけている
わたしは いったい どこに行きたいのだ

雪が降っていた
あれは
父の葬儀のときだった
母が箸で骨壺に骨をうつしている
悲しみのあまり
父の遺影は
天井を刺す錐のような泣き声を
あげていた
その姿は
少しずつ昇っていった
姉が 十三歳の多感な腿を血に染めた日 
その戸惑いを 壁にカッターで刻んだ 
消えかけた書き込みが
わたしの荒れた呼吸に合わせて 
これも 昇っていった
同じ頃だったと思う
幼いわたしは やわらかい母の傍らで 
いっしょに汗をおびて
暗闇を剥ぎとりながら
はじめて
夜をつくったとき
打ち寄せる波のように
轟音をたてて
胸のなかに大きな空洞をつくった
その暖かな感覚には
階段の途中ではあったが
広い居間があり 
明るさを落とした蛍光灯が ぼんやりと点灯している
テーブルの中央にある大きな篭には 
産声をあげたばかりの
一匹の青い子犬が 小声でないている
わたしはその犬を抱きかかえようとしたが
不意に睡魔がおそったので
思わず 数回 まばたきをすると 
わたしは 眼を覚ましたのか
ひとり 居間のテーブルに座っていた

読経の声はいつの間にか消えている

目の前には 安物の木皿のうえに
水気のない林檎が 積まれている
それが四角い卓上鏡に
死んだように映っている

階段のほうに目をやると
踊り場では わたしの後姿を
少年のわたしが見ている
少年は ひかりに満ちた階下に降りていった


赤い夏・白い夏の歌

  前田ふむふむ

      1


仄暗い廃駅の柱にある
壊れた振子時計が 正午を差していて 
低い時刻音を鳴らしつづけている
それが 終わりのない暗闇を切る 
なにかの予兆ではないかと 想像できた
眼窩のおくに
白々と 鶏も鳴かない 冷たい朝が
生まれるようとしている
窓のカーテンを開ける
孤独の置き場所を想起される 岬の灯台のように
湿った風を受けて
わたしは なぜか
茫々としたひかりに顔を埋めている

     2

しばらくすると
起伏する像の断片が 眼のなかに集約されて
やや広い 草の匂う平地があらわれる
その軟らかいみどりいろの中央には
二本の線路らしいものに 車体が頑なに固定されている
「新しきもの 普通なるもの 及び古きもののために」と
表示した一両の列車らしいものが
ひっそりと 佇んでいる
よく見ると 列車は
絶えず 歪に輪郭を変えて動いているように見える

     3

車両は「新しきもの」を想像できる前方の部位から見ると
定員を著しく超えていて
(定員が果たして何人か知るものはいないようだが)
荷物棚の上にも人が乗り 豊満な車体をもてあましていて
飽食の時代のうわずみを
獏のように食べつづけているようだ
車両は前方より冷房 後方より暖房を絶やさなく流している
忙しく動く 白衣を着た医師もいる
十分な福祉が施された車両は 中央に置かれたスピーカーが
しきりに喋っている
「夢は 望めば叶います」
「快楽は 所得に応じて世界の果まで
試みることができます」
「なつかしい国家総動員法も買うことができます
それは
 むしろ 美食に 形を変えて 売り出されています
 ニュースを賑わしている介護保険法改正法案は
みずみずしい薫りをあげていて 今が もっとも旬です」
「さあ お早めに 昇り坂を 」
車両は益々 熱を帯びて 完熟した肌を赤らめた

      4

目線をずらして 「普通なるもの」らしき部位から 覗くと
車両は 誰も乗っていない
なかには イタリアの職人が作った
庶民では
なかなか買うことが出来ない 
高価でカラフルなバックや
スイスの職人が作った時計ばかりが 置かれている
唯 場末の三人掛けの座席に
父のよれよれになったカーキ色の復員服を着た
わたしが ひとり ユビキタスな携帯電話を見つめている

わたしは 亡霊のような自分をみていると
急に眠くなったので
気分をかえるために
身の丈にあったドア(多分あるように見えるドア)から入ると
わたしは 「古きもの」の部位あたりの席に座っていた

       5

車両は 遥かに懐かしい眺望をはべらせている
走馬灯の風景とともに 途切れない時間のように
みえないところまで
座席の列がつづいていた
時間を裂いて 過去を見つめながら
かつては
精悍だった陽炎のようなひかりを抱いて
おもわず くちびるから古めかしい感傷的な「歴史認識」が
ついて出てくる
「わたしは おぼろげな一筋のひかりをめざして 唯ひたすら ひ
とりで歩きつづけた いつ辿り着くだろうか 答えは誰も教えてく
れない 暗い闇のなかを過去の夢のような物語が 笑ったり 泣い
たり 時には怒りの形相をして通り過ぎた 最初に過去の誤りが
そのままでいっせいに 一度あらわれて 絶えず修正されて 過ぎ
ていった あまりにも たくさんの出来事が 次から次へと束ねら
れた一瞬を過ごしたので わたしの人生は間違いだらけであると思
えた そのあとに来る 過去の正しさは―――何処に
一度も巡り合わなく 暗い闇が唸りをあげてどよめいた
その瞬間 わたしは後ろを振り向くと ひとりで歩いていると思っ
たが 死んだ父がすぐ後ろにいた 父は手を合わせて ひたすら経
文を唱えている その眼は虚空をみている その後ろには 死んだ
祖父 祖母がいた その後ろには 累代の先祖が後につづいて歩い
ていた みんな経文を唱えて 虚空をみている その後ろには も
う分からない人たちがつづいている そしてみな経文を唱えて そ
れは巨大な大河をつくり 絶える事無く 大きな黒点になるまでつ
づいていた わたしは先頭を歩いていることに気がついた わたし
は自覚していなかったが 疲れてふらふらしているのに 後につづ
く人たちが支えているのだ いや どちらかというと担いでいるの
に近い
わたしは 読経が鳴り響くなかを 遠くに見える一筋のひかりをめ
ざして 先頭を歩いている」

世界は公転しているのか


       6

この車両のなかは いつも暑い
しきりに湧き出る汗に 首筋から溶けていく液状の夏が
わたしの薄紙のような肉体を浸している
古いスピーカーから流れるような
音楽が聴こえる
このときだけは 安らいでいるように感じる
 (自我が昏睡している夜に 沸点で抑えられている高揚
 (波状を映した野ざらしの砂に みずを突き刺すポリフォニー
 (焦燥と恍惚とを空に撒いて かすかな燐光に温まる
              仄白い着地

あんなに新しかった
ビートルズは
車両の半分を占めているシルバーシートを
独占しているが
若者が不満を言うと
ひとり またひとりと
立っていく
「ペニーレイン」が
意識の底辺を軽く蹴っているのか 
わたしの背中に隆起した山のむこうでは
四人が
わずかに跳躍を試みている

     7
        
父が 長く傍らで 育ってきた楡の木に
囲まれた家で わたしは、三つの顔をもつ 
新しい車両らしきものを作っている

季節の無節操なゆらぎのなかで
炭酸水を飲んでいると
 無数の泡のほころぶ夏のなかを通る 
軽快に侵食する夏の声
 ストローが わたしの顔から伸びて 真率に立っている
夏のなかの透明な夏
そのなかを
幽霊のように 次々と
カーキ色の服を着ている人々が通る

     8

車両のような
病棟の壁は 建物を蝕む蔦に覆われているからか
凛々しい八月の空が 眩しい
痛むのだろうか――

水路沿いにある病院を
服薬をもらって出た
六番目だった
先生は機械のように診察した
わたしは それにふさわしく
死人のように応えた
道路では 
駅からくる通行人がまぶしくて
つい下を向いてしまう
気にすることはない
この頭痛があるときは
こころは
死んでいるのだから
たぶん見えていないのだろう

いつもの
小さなガード下をくぐった
時間通りの快速電車が
奇声をあげて過ぎていった
鋭い金属音に
怖がって
子供が泣き出している
拘るまいと
振り向かなかった
わたしは自分が
こういう時に冷酷だと思う
でも言い訳を言えば
急がなければならないと思ったのだ
すこし歩幅をひろげて
ほそい路地をぬけると
鼓動が激しくなった
苦しくて呼吸を整えようと
この冷酷な顔で
空を見上げると
どこまでも広がる
雲一つない
青空がみえる

とても眩しい
その一面晴れわたる
混ざり気のない青空をみていると
わたしは
むしょうに嘔吐したくなることがある

砂漠の民を
不思議なほど
寂しいと感じることがある
あの完璧な空を
毎日みて生きているからか
あれほど過酷で残忍なほどの
青のなかにいる
彼らが
愚直にも
混じり気のない
一つの神を信じなければならない
歴史を
背負っているからだろうか

慌ただしく日陰に入ると
遠くに
車両のような
わたしの家がみえている


   9

いま
わたしが置いてきた来歴を 
満載に積んでいる 封印された車両が 接続される
そして 今日も
二つの車両は溶け合って一つになった
強い風で 揺れる 柳のような視線
見せようとしている車両
直視しない わたしの裂けた空
その空から
雨は わたしを濡らして 
今日も絶えることなく降っている

アオハズクが飛んでいるのか
羽の音がきこえる
止まっていた目覚まし時計が
十二時を告げている

茫々としたひかりは
とても心地よくて
随分と長い間 ここにこうして
わたしは 横たわっている 


(無題)

  ズー



多くの水が
忘れ去られたままに
打ち寄せる
波打ち際で

なぞり損なった
君たちが
みつめる先で
青草のにおいが凍えてしまう

名前は。名前は、
と繰り返していたちいさな子
帰っていった波のすべては
いつもそんなかたちだった

彼の家の前までで
沸騰した
多くの水が
七月生まれ


弱冷車にて

  かとり



循環する体臭に吹かれて
おもわず近しい人の
襟元を嗅ぐ
風を演繹している
静物たる役者達を
朝陽は刻々とスキャンして
震える窓の映像と
干渉し合う音声とが
熱の移動を証してくれる
ミニストップのコーヒーを
啜ろうとして離れゆく
8時47分
取り残されたカーブに
一際高い音は鳴り
お弁当箱の数々は
吹き飛び
青空に散りばめられた
たくあんも
ウインナーも
ひじきも
ほうれん草のおひたしも
たまご焼きも
ミートボールも
野菜炒めも
コロッケも
メロンパンも
麻婆茄子も
プチトマトも
からあげも
グリンピースも
そぼろご飯も
林檎の兎も
梅干しも
扉が開くと
私は弾かれたように歩きだす
まるで今まで
歩いたことがなかったかのように


脱皮

  織田和彦




HONDAのオデッセイの後部座席で
ブタは酷く退屈していた
短い足を組み
ボテ腹の上で
指を組む

彼は失望していたのだ
ガイドブックに載っていた○○○はすでに廃墟と化し
○○自殺した庭鳥の群れが
LANケーブルの中に半分以上剥き出しになったまま抱卵し
突っ込まれている

おまけにそこは
帰化申請した○鮮○人達の巣窟になっていたのだ
これではこの界隈で顔のきくブタとて
○○○○する術も気にもなれないのだ

ところでブタは藤代物産の山下と馬淵に会う約束をしていたのだが
山下の○○が○○したため
馬淵と○○になってしまったのだ
その上やっかいなことに
○○ときている
この調子ではいくらなんでもブタも(´・_・`)なのだが

文明の創世以来
人々はブタのことを
その物珍しさから修正主義だとか性的倒錯者だとか
諸技芸のあいだを架橋する
独創的な方法で呼んできたが
ブタにはある種の
魔力的な仮面に似せられた悪魔が入り込んでいたのだ

それが21世紀には
モラトリアムや引きこもりやアスペルガーなどと呼ばれたが
それは事実ではない
ブタは国道1号線沿いのガストに車を停めさせた
弾けた調子でブタはオデッセイから降りると
非の打ち所のない仕草でタバコに火を点け
すぐさま揉み消した

ちぇっ!

舌打ちしたブタは
運転席の庭鳥の鶏冠を引っ掴み
こう言った

「○○!」

ブタにとって○○は○○意味し
それはブタのような野卑な○○にとってさえ
必要最低限な

○○○であるのだ

人間の惨さ
苦しみ
死や孤独の内に存在する
哲学的な情熱の恍惚と興奮とでも呼べばよいだろうか?

ブタの体を人間のフォークで突き抜けば
それはただの肉だ
肉が歴史や哲学のように
インターネット回線の中を通り抜けられる筈もない
希望を敗北させた資本主義の擬態と民主主義の脱皮
歴史とは事故なのか事件なのか
あるいは何らかの申告漏れなのか・・・
ブタはオデッセイの助手席でバックミラー越しに脱皮していた
生春巻きの中に
右足を突っ込みながら


群青色の乙女

  竜野息吹

深い霧のように
飛沫をあげる
たくさんの雨粒は
花柄の傘が雨をはじく
音が聴こえるあいだに
仕事帰り乙女の
世界を群青色に
静かに揺らぎながら

遅めの夕食を終えて
紺碧の空がうつる
海色に染める
とても大きなひと粒の
涙をシーツにこぼす
哀しいだけの青はどこまでも深く
夜に群青色をした惑星では
乙女は人魚へと
衣装を着替え始める
金曜日の雨の夜は
ゆらゆらと深く永い

真珠の首輪をつけた
妖精のように
横たわる人魚は
冷えた六月の雨に
屋根がぬれて
部屋の空気も
ひんやりとしているので
貝のように
毛布にくるまっていて

きっと
夢の中では
すべてが海水で
もはや
満たされていて

海中で紫陽花の咲く
遠い珊瑚礁の
昨日には海岸線だった
浜辺で
孤独な熱帯魚と
一緒にたわむれながら
泳いでいる
だろうし
喫水線をこえて
教会のある
丘だった場所に
ぽつんと
打ち上げられそうな
まだ幼いクジラを見つけて
海に戻そうと
必死になっている
のかもしれない
もしくは
すでに水没した
メガロポリスで
恋心を探す
旅の支度をする最中
だったとしても
不思議ではない


フローラ

  はかいし

今Hector ZazouのButterfly Plaintifを聴いている。気分がいい。小説の一本でも書けそうな勢いだ。試しに何か書いてみている。悲鳴に近い叫びが音楽の中に挟まれている。それがいい。歌詞の意味はわからないが、その辺はどうでもいい。とにかく何かが書けそうなんだ。それがいい。音楽が次の曲に移る。Vespers of Saint Katrina。蛇が這うような音。電子音だろう。それがなんともいい。「泡沫の海は」という詩句を思いつく。それをどう使ったらいいか考えている。結局採用せず、捨てることにする。Loveless Skyに移る。「雨の海は」という詩句を思いつく。これも使い道がなさそうだ。二つつなげてみる。

泡沫の海は雨の海は

「愛のない空」だろうか。Loveless Skyの訳は。泡沫の海は雨の海は愛のない空に吸い込まれていく。なんとも心地がいい。これを書いている今、うん、いい感じだ。Agony of the Roseに移る。トランペットの音がよい。いやひょっとするとブリューゲルホルンかもしれない。「海の底に横たわるブリューゲルホルンの音色は」を思いつく。

泡沫の海は雨の海は
海の底に横たわるブリューゲルホルンの音色は

ひょっとするとブリューゲルホルンなどという楽器は存在しなかったかもしれない。それは僕がまだ若かった頃に好きだった発音を組み合わせただけの産物だったのかもしれない。そう思うとブリューゲルホルンという詩句は使えない。海の底に横たわる……何にしよう。今「…」を入力しようとして、「・フローラ」という言葉が出てきた。フローラ。フローラとは誰だろう。いったいいつそんな言葉を使ったろう。この詩のタイトルは決まりだ。フローラにしよう。Ice Flowerに移る。トランペットがまた良い。最初に流れていたApostropheにしてもそうだが、このアルバムはトランペットがとても良い音を出している。こういうとき、「とてもいい仕事をしている」と言いたくなる。

泡沫の海は雨の海は
海の底に横たわるブリューゲルホルンの音色は
とてもいい仕事をしている

氷の花。Ice Flowerの訳。それにしても、いかにもIce Flowerらしい曲だ。いい詩が書けそうな感じ。ここで僕はトイレに立つ。戻ってくると、アルバムの最後の曲「Symphony of Ghosts」がかかっている。海はいつだって同じ色をしていない。それは音楽と同じように姿形を変え、自在にうごめく。今「うごめく」と打とうとしたとき、一瞬ためらった。何か他にいい言葉がないか探してしまった。ねこぢるの作者が、遺書に葬式中の音楽を依頼していたといい、それが確かエイフィックス・ツィンだった。というわけでエイフィックス・ツィンをかけてみる。


(無題)

  ズー



こんばんは
こんばんはといえば夜ですが
夜になってもまぶたの裏が痛みます
きっと蛍光灯のせいでしょう
蛍光灯はしろっぽくってあおっぽくって
だからやつのせいでしょう
そういうことにしておくと
夜になってもまぶたの裏が痛みます
きっとスイッチのせいでしょう
スイッチといえばたかさかさんですが
たかさかさんは鏡の前です
鏡のなかにはだれもいません
スイッチといえばたかさかさんですが
だれでもないたかさかさんは
ギチギチ歯をみがいています
金属音のようですが
ブラッシングです
ひととおりギチギチすると
まっくろなクリーム色の天井をみあげ
うがいです
うがいは食道まで徹底的に窒息寸前が
だれでもないたかさかさん流でした
わたしはというと
こどものいなくなった公園の砂場に
ふとんを敷いてもらっていますが
わたしはわたしです
しにぞこなったたかさかさんは
だれでもないたかさかさんに
手をふったのち
その手をおろさなくていい場所にある
スイッチにむかって
スイッチオンスイッチオン
こういったでしょう
それから
わたしたちのへやは
一斉にともります


貫通

  にゃむ

天使が食券を買いソバを待つ世界の裏側で 煙り続ける日々の為に、見えるものがない。しかし問いだけは こちらの地平のどれへも繋がってゆけない、片っぽだけのスニーカーであったから 浅海のように照り止まなかった。港町で猫を飼う大工は小指を振って「これだよ」とにやけるが、彼女の白い翼は今タバコのやにを含んで疑問の感触に膨らんできたのである。「どこへ行くのか?鯨を裏がえした林道の果てへまで?」果てにある、破水した蘭の片靴へ額を寄せる ところまでもう 彼女だけで来てしまったことを奴は知らない。それから 跳ね上げられたきり帰ってこない空を見上げたまま 凝ってしまった小さな首に、乗せた水色の舟を 閉じて眠りにおちるとき 後ろ向きに倒れてゆき そのまま地面を軸に反転して 着席して股をひらく ざわざわした世界で、半券を握っているあなたは天使であろうか。ビルがろうそくのように溶け 鳩が花火のように消えてゆく。


  草野大悟

ノアール以外は何もない。風も吹かない。山は音という音を忘れている。
「マリンスノウみたいだね」
「そうだね、マリンスノウみたいだ」
「雪の匂いがするよ」
「そうだね、雪の匂いがするね」
「これからどこへ行くの」
「どこへ行こうか?」
「あなたが決めて」
「それでいいの?」
「ええ」
「そう、いいんだね」
 シュラフの中で裸で抱き合いながら二人は互いの影を見つめた。
「ブランはどこ?」
「ブラン?」
「そう、ブラン」
「さあ、僕にも分からない」
「探しに行こう」
「ブランを?」
「ええ」
「今から?」
「ええ」
 ノワールに沈んだ二人が、ブランを見つけ出すことなど限りなく不可能。そんなことは分かっているんだ。言われなくても、分かっている。
 もう夜も遅い。それに、私たちは裸だ。シュラフにくるまれたまま歩け、というのか。無理な相談だ。私たちはなにも好きこのんでここでこうしてシュラフに包まれているわけではない。目が覚めたら、いつのまにか裸で抱き合っていた。
「ねえ……」
「ん?」
「赤や青や緑もいるかな?」
「そりゃあいるだろうよ。黄や赤紫や空色だっているかもしれない」
「かもしれない、なんて、ずいぶんいい加減だね」
「そう、いい加減だね」
色のない世界は、音を包み込み、溶かしさる。溶かされた音は、行き場を失い、ただ曖昧な笑いを浮かべている。
 私たちのまわりの多くの影が、このようにして実態を失っていった。裸で抱き合う相手は、風しかいない、と私たちのまわりの多くの影は知っているのに、だ。
 それは、たぶん、夢という劇薬のせいだろう。多くの場合、夢は叶わない。努力という観念も成就することはないし、流された涙や汗が実を結ぶこともない。
 生きてゆくということはそういうことだ。
叶わない、結ばないことを前提として歩むことだ。
 人生に絶望しました。そう言って、あるいは言わなくても自死する人がいる。幸せだ、と思う。
「自殺する人が幸せ? なんでそう思うの?」「なんでだろうね」
「ね、行こうよ」
「どこに?」
「だから、さっき言ったとこ」
「だから、どこ?」
「いやぁね、もう忘れたの」
「ああ、多分、そうかもしれない」
 シュラフの外には、いろんな色や音が溢れてキラキラ輝いてる。そんなお伽噺を信じている人たちは、みんな鯨を愛している。
 鯨は、それ自体が一つの大きなシュラフで、銀河系を幾つも包み込む包容力を保持している。だから、そこでは、色彩や音や匂いといった自己を主張する現象は必要とされない。
おそらく。
 シュラフの中には、半月や土星の輪や木星の惑星や火星の悲鳴があったはずだ。それから、今は抹殺された冥王星も。……あった。
「ねえ」
「ん?」
「ねえ」
「ん?」
「あのね、……、これ誰にも言っちゃだめだよ。い〜い、分かった?」
「うん、誰にも言わない」
「約束する? 絶対?」
「約束する。絶対」
「あのね、私ね、私の頭ね、左後ろペッタンコなんだよ」
「は?」
「だから、ペッタンコ」
「胸?」
「ばか‼」
 ふたりの言葉だけが行き交う空間。空気の存在。酸素だけでは生息できない。必要悪という媚薬も多くの人や多くの影は、あっ、それに多くの骨たちも、必要としている。
 多分、マンガンノジュールが海底深く沈積し、メタンハイドレイトがさして注目もされずにくすぶっていた現実とはそういうことなのだろう。
「あのさぁ」
「な〜に」
「きみは、圧倒的にブランだよね」
「え? な〜に、それ」
「だから、きみはシロ」
「唐突過ぎて理解不能です」
「そう、唐突過ぎるよね」
「うん」
 何も聞こえないということは、全てが聞こえるということだ。何も見えないということは、全てが知覚できると言うことだ。そういうことだ。耳や目や鼻や舌の宇宙は、それらを喪失した所から始まる。
 淫雨。
 これだけは確かなようだ。
 そう言えばこの時期、紫陽花が咲いていた。
心を紫陽花に例えてうたった詩人もいた。腺病質のその詩人に、きみが魅せられたことは
当然のことだ。きみは淫雨を扱いかねて、いつも戸惑い顔をしていた。ぼくは、そんなきみをずっと見つめていた。ただ、見つめ続けていた。
「困るよね。なんにもないなんて」
「そう、困るね」
「ものっすごく困るよね」
「うん、ものっすごく困る」
「ねえ」
「ん?」
「緑のヤツ、もう起きだしたかな?」
「う〜ん、どうだろう。赤は起きてるかも」
 色に就寝時間があり、起床時間があることを二人が知ったのは、つい最近のことだ。森という名の世界にいるオゾンが教えてくれた。
 色は音に似ている。そう誰かが言っていた。
誰だったか思い出せない。私だったのかもしれない。音は色だ。色は音だ。ノワールとブランみたいに。
 朝や昼や夜が、それぞれの名で呼ばれる瞬間、夢という幻が実像となって見える。上弦の月がそう断言した。嘘つけ。見えるくらいならもうそれは、絵画となっていなければならない。有史以来、誰一人、夢の実像を描いた者はいない。描こうとした者は、その者自体が夢になっている。
「もうそろそろ行こうか?」
「うん、行こう」
「服を着なくちゃだめだよ」
「えー、着るの−」
「そうだよ。もちろん」
「なーんか、うざったい」
「それは分かるけど、とにかく着ようよ」
「私、このままがいいんだけどな」
「僕は、このままのきみがいいんだけど、だけどね、人の目っていうのがあるじゃない」
「人の目? 目? って?」
「だから目だよ。目。人の目」
「私も人だよ」
「うーん、そうだけど、そうだけど」
「だけど、なんなの」
「そうだけど、人という他人の目」
「あーあ、他人ね。他人の目ね」
「そう、他人の目」
 他人の目には棘が潜んでいる。それが刺さる。刺さった棘が、体中を廻っているうちに、赤色を産むこともある。涙さえ流せぬうちに。
 恋人を抱えて空を飛んでいたあの絵描きは、今も相変わらず下手くそのままか? 下手を極め続けているのか? そいつはとっくの昔に消滅している。消滅に無関心でいられることは、ある意味幸せであり、ある意味不幸だ。 私たちは、そいつと同じくらい、おそらく人並みに不幸だ。何が? 不幸色という色を知っている。無限に変化する淫雨だ。
「グリに映っている五人の少女にヒントがあるのよ、きっと」
「そうだ! それだ! 五人の少女だ!」
「ほら、こちらを向いているのは四つの目。他は、下や右や左を見ている!」
「四つの目だ。確かに。こっちを見ている目は四つだ。他の六つのことは考えなくていい」 四つの目が探しているものと、私たちが探すものが同じだということに、なんで気づかなかったんだろう。今頃になって。
確かに探すものは同じだ。一言で言うなら色彩。しかし、根本的に異なることがある。それは、探しているものが重なったときに始めて明らかになる。
 明らかになるものを怖れてはいけない。大多数の人が恐怖に襲われて、せっかく手の中に入ったそれを落としてしまう。
 怖れないことだ。怖れを友にすることだ。凍り付くような友を持つことだ。大切なことは、そのことに尽きる。それ以外のことは、おそらくは、枝葉末節だ。枝葉末節を好むならそうすればいい。しかし、掌に入ってものを投げつけることだけは、忘れないで。
 さあ、私たちはここを出よう。心地の良いシュラフの暖かさと裸の心地よさを捨てて。 葉風は、いつだって私たちみんなの、みんなの産まれた頃を包むように、思い出させる。
やはり、私たちは、緑の記憶から逃れることはできない。また、逃れる気もない。
 葉風は、私たちのコア。原点。マンガンノジュール。私たち自身。Weg Nach Innen。内面の自分。自分への道。
 よく、しばしば、合う度に、行ったよね。
抱き合った。墓地の桜の老木の下。裸になって。すぐ後ろには多くの骨たちが埋められていた、と今になって理解した。
 君の肉体はとても輝いていた。白く。
 あなたの体は美しかった。どの墓石よりも。 やっぱり、桜の木の下には屍が眠っているわ。
 きみの言の葉。
「そう、梶尾みたいにね。僕らは、それを感じる。それに触れる。基次郎みたいにね」
「基次郎って、だーれ?」
「梶尾だよ。梶尾基次郎」
「何屋さん、その人?」
「うーん……」
「ね、何屋さんなの?」
「うーん…檸檬かな、檸檬屋さんだ、きっと」「なーに、それ。それって全然分かんない」
「いいんだよ。いいんだ。僕と一緒になればすぐ分かるようになるよ」
「いやだ。一緒になんかならない。あなたなんかと」
「そのとおりだよ。君と僕とは、一緒にはなれない。というより一緒になることが許されない」
「ねえ、じゃどうしてこんなシュラフに裸でふたりで包まってるの? ね、どうして?」
「うーん、必然かな? 必然という幻」
「そうかぁ、そうかも。だって、私は、あなたのこととても嫌いだったわ。初めて会ったころから」
「そう、嫌いだった、俺のこと」
「そう、嫌いだった。あなたはノミみたいに縮こまってみえたもの」
「ノミ? ノミねぇ」
「そ、ノミ」  
赤が歩き始めた。
 青も。
 緑も歩いている。
 どこへ行くのかは、あえて問うまい。
 彼らは、彼らの中の声のままに、声に従って歩く。その声は、私たちには聞こえない。
 聞こうとも思わない。
 耳に馴染みすぎた声。
あっ。星が流れた。
 大きな黄と赤紫が抱き合ってる。空色が、ぽつん、という音たてて佇んでる。寂しそう、空色。
 空色は、いつだって、どんな時代だって寂しい。そう決まっている。それが、空色の空色たる所以だ。それは、ひとつの定理だ。君やあなたが納得しようがしまいが、それは、定理なのです。
 光がいない、ということは、予想以上に遙かに厳しく、影までいないということは、もう、ほとんど、絶望色一色に塗りたくられている現実。蛍が道を辿っている。
朧月は、ふたりの言葉。
 眞実は、ふたつある。
 ひとつは、君の眞実。
 ひとつは、私の眞実。
 ふたつの眞実がひとつになったときに、産まれる。
 産まれるものの何かを、今は知らない。知らないことが、時として最上の解決策だったり、する。
「ねぇ」
「ん?」
「ノワールだね」
「そうだね。まったくのノワールだ」
「それもいいよね」
「うん。いい」
「ねぇ」
「ん?」
「私たちが歩いている所は、地面? 床?
それとも今まで歩いたことのないナニカ?」「さぁ」
「分からないってこと?」
「そうじゃなくて…、表現する言葉を持たない」
「なに、それ? 言葉なんてそこいらへんにいっぱい転がってるじゃない」
「確かに転がってるね」
「それでもダメ?」
「残念だけど」
「そーお。じゃ、言葉なんか捨てちゃえば?それならどーお?」
「あ、いいかも」
 言葉は、言葉であるが故に限界を内包している。まずは、一つの国という概念で。次に肌の色の違いで。さらには、星という現実。
あまたの銀河系。その相似形。と全く異質な惑星群。
 言葉は、それぞれの、ごく限られたエリアでしか、その機能を発揮し得ない。残念ながら。いや、それが宿命。
 色や音は、エリアを越える。越えた先に何があるのか、などという疑問が涌き上がる前に、越える。越えて、越えて、越え尽くしたところに、言葉が待っている。そんなこと、百も承知だ。言葉だって。
「ねぇ、赤が来たよ」
「来たね」
「青も来た」
「歩いてるね」
「緑も」
「来た」
「黄と赤紫と空色は、まだみたい」
「彼らはおそらく別の道を行くよ」
「どうして?」
「だって……」
「だって、なーに?」
「だって、それが彼らだから」
「行こうか。一緒に。赤と青と緑と」
「黄と赤紫と空色はどうするの?」
「彼らは、僕らには馴染まない」
「って、どういうこと?」
「今に分かるさ。今に……」
遅くやって来た風が、海の語りかけるように。黄と赤紫と空色は、戸惑っている。どこに行けばいいのか、どう歩くべきかを彼らは誰からも教わらなかったし、教えを請うたこともなかった。今、この瞬間、彼らは、そのことを心の底から悔いている。
 そのとき、涙の匂いがした。黄の涙。あるいは赤紫や空色の涙? いいやそうではない。
それは、ただ、涙だ。彼らを超越した涙なのだ。色彩ゆえの悲しみを彼らは悲しみ、涙に託そうとする直前に流れた、涙。
 泣くがいい。心ゆくまで泣け。涙よ。
「ほら、ごらん、涙が泣いている」
「え? うそーお。泣くの? 涙」
「泣くんだよ。誰だって」
「あ、じゃ、ひゅるるんも泣く?」
「何よ、そのひゅるるん、って?」
「ひゅるるんは、ひゅるるんよ。見たことないの?」
「ない!」
「そう。ないんだぁ」
「僕たちには見えないし、聞こえないんだ。きっと」
「そうかもね」
「雷雲の涙だったら知ってる」
「私も、知ってるよ。派手だよね。ずいぶん」
「派手過ぎるほど派手だし、うるさいよね」
「うん。静かに涙しろって感じ」
「そうそう、静かに! って」
 さめざめと淫雨は。降る。雨の中を歩く赤や青や緑は、もう十分に発情している。ふたりだってそうだ。雨は、色たちを欲情させる。 あの日だってそうだ。雨が降っていた。色たちと二人は、墓地裏の桜の老木の下にいた。
 傘なんか役に立たないくらい。もう、どうとでもなれ。濡れてしまえ。交わってしまえ。 桜の花びらが、ふたりと色たちを包んで、雨が流れた。交わってしまえ。桜は、十二分に淫靡だった。
 薄雪の中でも交わる。寒い。特に風は応える。裸の心は何色なんだろう? 薄雪を握りしめながらふたりとも、色たちも、思った。 交わりは、おそらく、空の彼方の、さらに彼方から瞬きする間にやって来る。瞬く薄雪と帆風。春になり、また、夏になる。いつまで続く? 四季。
「ねぇ」
「ん」
「あのね。私ね。出て行きたい」
「出て行きたいって? どこへ?」
「あの扉、開けた世界」
「扉? 扉ってどこ?」
「えっ! あなたには見えないの?」
「見えないのって、君には見えるの?」
「誰だって見える。そう思ってたのに」
「僕には、扉なんか、ない」
「そーお、ないの?」
「うん」
 緋鯉と梅雨寒がわずかに溶け合った世界は、やはり不条理という名が似合う。そう、「恐ろしいくらい」ピッタリ。似合う。
 扉を開けたい。扉なんか、ない。相反する渦巻きだ。二人は。そうやって生きてきた。
生きて? 確かに生きてきた……はずだ。
 炎天が待っていた。向日葵は君だ。じゃあ、あなたは? 僕? 僕はノミかな、たぶん……。炎天は、心の底のその人自身を焼き尽くす。のだ。炎天は、ハンカチーフを持たない。
 ゴッホだって。炎天がハンカチーフを持たない、なんて知らなかった。だから、炎天の向日葵や糸杉を描いた。
 青空が、きらきらと、夜になる瞬間を、貴方たちは、知らない。もちろん、私たちも、知らない。犯された眞実という虚実を、桜たちは、知っているかもしれない。おそらくは、
未定型で。
 遺伝子は、冷酷だ。いつも、私たちの裏をかく。一生懸命に生存し、目一杯やっても。
 どこへ向かおうとしているのか。と、何百年も、私たちは問い続けてきた。けど、まさに、そこ。科学を発展させること。我々は、結局は、結局はね、生態系に生かされている。
だから、だから田舎の林業を遣ってるところで、モモンガのいる集落を守るために、ニホンモモンガを守る、というシチュエーシュンでやってゆく。
 まず、ポイントを捉える。林業と、どうマッチさせてゆくかが見えてくる。
 きれいごとに思えるかもしれないね。問題は、体験だね。きれいごとばかりでは、誰も動かない。
「連れていこう」
「だれを?」
「赤だよ」
「赤だけ?」
「違う。青や緑も」
「それだけ?」
「いいや違う。黄も赤紫も空色も連れていく」「みんな、連れていくの?」
「そう、みんな」 
「そうね。賑やかでいいかもしれないね」
「賑やかな色彩たちと無彩色とのコラボ」
「コラボ。うん。確かにいい」
「じゃ、進もう。扉までSALCO」
「SALCO、皆でSALCO」
 なぜ、素直に、ぶらぶら歩こう、と言わないのか。SALCOなど、特定区域内の地域でしか使われない言葉を、得意げに、横文字っぽく喋っているところが青臭い。
 そもそも、そうすんなりと扉までたどり着ける、と思っていること自体が緩い。そんなに甘くはない。色彩の真実と無彩色の虚無が口を開けて待っている荒野を歩いていくんだ。
 口に落ちる覚悟がなければ、歩ききることはできはしない。
 泥鰌鍋でも食って、ぽかぽかになって行け。
 悪いことは言わないから、そう、しろ。
 それ以外に、たどり着ける方法はない。
 蜜豆!
 蜜豆をこの緊迫した状況の中で、誰が食う? 食える? そんな奴がいればお目にかかりたいものだ。
「ねぇ、さっきからなんか聞こえない? 泥鰌鍋とか蜜豆とか……」
「ううん。なんにも聞こえない。空耳じゃ?
それとも、君の内面の声? かも」
「ねぇ、みんなは聞こえなかった?」
「さあ、聞こえたような、聞こえないような……」
「どっちなの! 貴方たち色彩は、いつだって中途半端なんだから。もう! やっぱり、頼りはノワールとブランだけかしら?」
「おいら、どっちかっていうと、泥鰌鍋かも」
「だれ。今言ったの。泥鰌鍋かも、って言ったの。誰よ!」
 …………。
「いいわ。みんなでそうやって知らんぷりしてれば。覚えてらっしゃい。あんたたちみんな透明にしてやるから!」
 …………。
 苔色の地面には、若竹色の空模様が似合う。
 シャボン玉の表面を飾る虹は、白日の夕べ。見渡す限りの口の連続。落ちないように、気を張った、とたんに吸い込まれる。疲れ果てた雨粒に、ふるふるとうたれ、安らぎは溶けてゆく。
 優しいひと。ちらちら。優しいひと。ふわふわ。百日草。哀しみのひと。小糠雨。
 もう半分くらいは来ただろうか。空(くう)のただ中では、すべてが無意味だ。これまでに常識と思っていたものが非常識に変わったり、天使が悪魔になったり、クリオネの食事の瞬間を見たか? そんな感じ。ぐわっと、牙。
 いつか二人で積んだケルンは、今も、登山者たちを守っている。のだろうか? それとも、とうの昔に口に吸い込まれてしまったのだろうか? 少なくとも、こうして、ぶらぶら歩くものたちの邪魔だけは、しないで欲しい。
 横走りする稲妻が、直近を走ったとき、イオンの匂いがした。そのあと、雷鳥を直撃して焼き鳥にしてしまったことを、君は、隠している。それを食ってしまったことを、隠している。
 都合の悪いことを隠すのは良いことだ。その代わり、一生を賭けて隠し抜くことだ。中途半端が、最も悪い。隠しきること、これがすべてだ。それ以上も以下もない。雷鳥は、焼き鳥になった、それを食った。それでいい。
旨かったか、不味かったかなどは二の次、枝葉末節の論議だ。
 あのとき、かっ! が照りつけていた。照りつけていたのに稲妻だ。どうしたことだ!
誰に怒りの矛先をむければいい? 知っているなら教えてくれ。ずっと考え続けているけど、残念ながら、解を得られずにいる。このままでは、永遠に、解は見つからない。強くそう感じる。でも、いい。解なし。という解もある。
「さっきからずっと気になってたんだけど、番人がいないね」
「え?」
「いつも、すっくと立って見張っている」
「あーあ。ヤツのこと?」
「そう、青鷺」
「もう、飽きたんじゃない。番人に」
「飽きる? 想定できませんが、私には」
「だって、ヤツは、時の中に立ち尽くしてきたんだぜ。雨の日も、風の日も、雪の日だって」
「だから飽きたって言うの?」
「そ」
「でもさあ、私、いっつも不思議に思ってたんだ。番人、なんの番してんだろう? って」
「そう言われればそうだな。僕は、そんなこと考えてもみなかった」
「ね、不思議でしょ?」
「ヤツは、時の番人かも」
「時の番人? なーにそれ?」
「時の流れの中に立って、流れてはいけないものを見つけ出して食っている。そして、食ったものは、そいつが生まれた時に戻す。どーだい?」
「うーん、ほんとっぽいね、それ」
 そのころ番人は、青を捨てよう、と考えていた。青を捨ててくれるものを探していた。
 何人かいる番人が全部、そう考えて、青をすててくれるものを探していた。
 大きな翼でどこまで飛んでも、青は消せない。その現実を突きつけられて、絶望しかけていたときに、自分たちの役目に気づかされた。二人の会話が、青鷺の番人魂に火をつけた。そうだ、青を捨てるなんて、なんということを考えていたんだ。青鷺は、一声そう鳴いて、大きな翼で空をたたいた。
 翼のひとたたきで、番人の本来あるべき位置にもどったとき、二人とみんなの姿は見えなくなっていた。
 茜色になった風が、吹いてきた。
 番人は、口を大きく開けて風を飲み込んだ。
 風は、番人の体の中を吹き、青をより鮮やかに染めた。
 二人とみんなは、口に呑み込まれそうになりながら、扉を目指していた。赤が風を見つめながらハミングをした。赤紫と空色と黄も続いてハミングした。それは、カノンだった。
 重層的に奏でられるメロディが茜色の風に乗って世界中に流れた。
 外の生き物たちが動きを止めた。人間も車の運転を辞め、耳を傾けた。静寂の中にカノンは流れつづけた。扉が近いことが予想された。
 扉は、有機体を遮断することはできる。しかし、音楽や言葉や色や光や風を遮ることはできない。扉が、どうあがいても、それは不可能だ。歯ぎしりが聞こえた。扉が軋んでいる。歩き続けた。もうすぐ終わる。もうすぐ私たちは。
 夢や希望なんか叶うわけはない。断言したものに見せつけてやりたい。みんなの生き生きとした顔。色。見せつけてやりたい。叶わないものを叶えることが、私たちの仕事だ。
 扉の軋む音が大きくなった。恐竜の声。のたうっている。扉が、開けられることを拒んでいる。拒まれるようなことをしてはいない。
これから先私たちが存在する限り、そんなことは、決してしない。断言する。
 もう、どれくらい長い間、歩いてきただろう。分からない。ここには、時間などという煩わしい概念はない。しかし、体が、ずいぶん歩いた。一生分歩いた。そう、悲鳴を上げているのが分かる。
 頑張れ、青が叫んだ。
 みんなの顔がぱっと輝いた。
 頑張れ、もう一度、青が叫んだ。
 叫び声の真ん前に扉があった。足が歩くことを辞めた。もう、歩かない。そう決めていた。雨? いいや、秋空は澄みわたっている。
 涙? まさか。
「みんな、扉を開けるよ」
「うん」
「いち、に、の、さんっ!」
 赤と青と緑が一緒になった。光があふれた。
ブランが飛び跳ねている。
 黄と赤紫と空色も一緒になった。光に包まれて満面の笑みを浮かべたノワールがいた。


三階の窓からの紙片

  中田満帆


鯨と羊の夢

   灰を喰らいつづける油虫とともに
   わたしは深夜の莨を吸い
   ひたすら過古にふりまわされる
   かつてかわいらしかった少女たちはどんな男とどんなところでどんな所帯
   をもってるだろうかって
   わたしは喪い過ぎた
   酒精が衰え
   形式が立ち現れる
   もうよしてくれよ
   わたしをひっぱりまわすのは
   猛スピードでかの女たちが幻想のうちに去っていく
   ああ、これでいいのさ
   鯨と羊の夢をもとめてやがて雨季は終わる


有情群類

   目的も地理も見喪って
   枯れた花が憐れみ
   澱んだ水が泣き
   冷蔵倉庫の夜勤どもが時計に締めあげられてるあいだ
   ぼくはできるかぎり粗野なふるまいをし、
   ひとり芝居に酔ってる
   こいつは病気にちがいない
   タイプミスに苛立ってあらんかぎりの声々をタイプする
   ぼくは新しい国をめざす一匹の老いた青年だ
   アーチ状の詩形が夜の窓にかかって
   注意ぶかくぼくはその手を伸ばす
   有情群類よ、
   かつてあんなにもきらってたおまえを
   いまになって好こうとしてることをどうか赦して欲しい
   方角は色彩の一種だ
   もうじきそれはぼくの顔を照らすだろう


休息
  
   夜の果てを待って休息にでかけよう
   頬を打つ葉の、
   葉脈をポケットに集めよう
   けれども陽光をおれは決して諒解しないだろう
   消してしまいたくなっちまう
   ひとりぼっちの窓にそれはあまりにむごたらしいからだ
   更正センターの黒い陰
   "nada" のひびきがどこまでも路を匍い、
   おもわずおれは眼をそらしてしまってた
   ああ、そうともほんとうは怖いんだ
   夜のあいまも午のあいまもおんなじくらいに
   そのとき老人みたいなものがおれとかさなった
   そいつの声がこういうんだ、
   おまえは愛を知らないって
   人生を知らないってな   
   夜の果てを待って休息にでかけよう
   おれは愛を知らなくちゃいけない
   おれは人生を知らなくちゃいけない
   たとえそれがみすぼらしく、ちっぽけなものであろうとも
   苦しさの押し売りにさよならを告げて
   


大洪水

  はかいし

一章 血

黒人の肌からは
真夏の匂いがする

この血はどこから来たのか
それを辿ることができるのは
魂の道筋があるから
来るべき主語の行方があるから

主語のない国へ僕は行こう
僕らが誰も見たことのない場所へ僕は行こう
そこで略奪と殺戮の血を浴びて
僕の行き先が僕らにわかるようにしよう
僕の居場所を誰も行くことのない場所にしてしまおう

たった一人で言語について問い詰めよう
たった一人で思慮のない問いを追い払おう
たった一人で行く宛のない手紙を書こう
たった一人で

それらがすべて終わってしまい
残された問いがぬぐい去られるとき


二章 空転

乾いた火で空を飛ばせ、

夕陽のオレンジの色の世界と
真っ青な空の世界とを反復し、
さらにそのまた向こうへと続いていく道を
望みなさい、まだあなたには母がいるから

永遠という名の永遠を待ちわびて
一人の少年が立ち上がる
その血はどこへ行くのか
それを辿ることができるのは
過去を忘れ去った血の行方を知る人のみだ

立ち上がった少年の頬は擦り切れて血だらけで
あるいは血を浴びていて
あるいは黒色をしていて
あるいは


三章 けものたち

けものたち、
動け、動け、働け、
明日の農業のために
過去は闇を照らす
ひとつの星の中で
僕らは無感動になる

葉は摘まれ、
月は沈み、
忘れないだろう、
太陽のあったことを

さあ、僕らの茶畑だ
顔を、洗え、
眼も、洗え、
そうして、みんな
なくしてしまえ、

葉で磨かれた顔のように、
僕らは吐息のために血を流さない、
はあ、はっふん、
ふん、

そうして、僕らはみな雨だ、
ざぶり、ざぶり、
やぶれ、かぶれ、


四章 イメジの飛躍

来るべきロートレアモン、
セブンスターをランチに、
石よ飛べ、渡る世間に
鬼は外
竜は内
一つ一つのイメジが分離して像を結ばない
そんな詩を書いてみようと思う

悪魔くん、教えておくれ
誰がミダス王の名を言ったのか
それとも
女優と一緒に処刑されてしまったのか
僕は考える
考える私がいる
考える僕がある
そんなことはどうでもいい
ただもう一度会いたいんだ
笑ってくれれば僕の世界は救われる

ミューズ

石ノ森章太郎の名前を聞いて
僕はずっと静かに座っていた

ミューズ

携帯目玉焼きが開発されたと聞いて
僕は東京に文学を投げ出した

ミューズ

そこから先が続かない

ミューズ

もういい加減にしてくれ
もううんざりだ

ミューズ

神様の名前で誤魔化そうとしたのはなんだったろう
生まれてきてこのかた何も考えたことがなかった
だからミューズ、お前はやめだ
もう二度と使えない

ミューズ

しつこいなあ
しつこさだけが超一流

ミューズ

ある雨の日に僕は窓の外に出ていた/僕は窓の向こうの花火をイメージした/僕は空に関して二つのイメージをもっていた/一つは青のイメージ/もう一つは黒のイメージ/黒に花火の煌めきが放たれていくイメージ/イェフダ・アミハイが言っていた/私たちが正しい場所に花は咲かない/だから黙って魂を空に解き放とう/そして空に火を、火を、火を、/正しさのない花火を、

君の名前を呼ぶだけで
体の奥から波打って
空に吸い込まれるように
僕は心から旅立てる
いつまで温もり求めてさ迷うのだろう

よりパロディアスに、もっとパロディアスに、

黄身の名前を呼ぶだけで
卵の奥から波打って
フライパンに吸い込まれるように
僕の心は焼け焦げる
いつまで温もり求めてさ迷うのだろう

私たちには花の名前がない、

デュラン・デュランを聞いた日の夜に、
空は雨で曇っていた
次々重ねられる語彙に、
僕は心から飛び立てる、
そうして、僕は花火となって散っていく

この辺りで、振り返って後ろを見渡したい欲が出てきた
そしてすべてを見渡した後で
もう一度書き始めた

花の名前には欲がない、


四章 土くれ

土くれをいじる、
今、右手から
神、と、髪、が
虐殺されて出てきた
ガスオーブンに頭を突っ込んで死んだシルビア・プラスのように、
僕らは神を埋葬する

埋葬された神は
もう何も語らない

心理学の先生が語る
おばちゃんがガスストーブに首を突っ込むみたいに
技能をちゃんとしていれば
もう誰も死なない訳です


五章 所有

全身をつらぬく嫌悪感から身を足掻いて逃げ出そうとしてはならない……。なぜなら語ることは一つの稀有な所有であるから……。語ることは、何にも増して犯されがたい所有であるのだ。そこには破壊があり、潰えた夢があるのだ。

では破壊とは何か? 潰えた夢とは何か? 耳鳴りを起こすような問いを掻き切って、僕らの東京に茶畑を開こうじゃないか。文学が置き去りにしてきた神話を開こうじゃないか。


六章 散弾

君たちはメロウを口に開け、乾いてしまうような、あるいは血を汚す、閉じてしまうような傷口で、忙しく、忙しく、動き回る、ヘイヘイおおきに毎度あり、商売繁盛焼き芋屋さんにゃ、ええもん安いもんが名物や、一切合切面倒見るやんけ、

可能性が飛び火している、命の綱を引き合う、ナタデココホワイト、鉈でここをワイと、切ったりしてみましょうか、いいや、やめておく。

青い渚を走り恋の季節がやってくる夢と希望の大空に君が待っている暑い放射にまみれ濡れた体にキッスして同じ波はもう来ない逃がしたくない

パロディアス、に、

暑い薙刀走り鯉の季節がやってくる胸と勃起の大空に君が待っている青い放射にまみれ濡れた体にキッスして同じ涙もう来ない拭き取れない


七章 浮世絵はもう来ない

大変な名誉であった。もう名前が載らないというのは……。雨を降らせたまえ、世界が大洪水に陥るように? あの富士山の山頂までもが海に浸かってしまうような大津波を引き起こしたまえ。それにしてもひどい雨だ。水滴の一粒一粒があまりに大きく膨らんで、黄金虫ほどの大きさになっている。これほどの雨に打たれたのは初めてである。やがてはその黄金虫が飛び交い、世界を埋め尽くすだろう。

ミューズ

雨の神の名は……。ポセイドンだろうか。それともナーガルージュナだろうか。ガーゴイルだろうか。いやはや神など存在したのかどうか……。

ミューズ

雨の髪はしなだれて
ゆっくり移ろいでいきます
ホラー映画のように
あるいはゴダールの映画のように
比喩は比喩から比喩へと移ろいで
その実態を覆い隠していきます

比喩が物事を隠すためのものだとすればつまり……

ミューズ

あるいはミューズのように、デカメロンの宝石のように

ミューズ

渡る世間に鬼はなし、だ。これでいこう。

ミューズ

浮世離れして、背伸びしてみて下さい、悪魔が目覚めるとき、僕らは悪魔の羽が欲しくなる。けれどもそんなものをつけたところで決して飛べるようにはならないのだと

私はどこまで行くのだろう……

立ち止まることなく悩み続けながらさ迷い……私はどこへ行くのだろう。あるいはまた、そんな問いさえもが届かないような場所へ行くのだろうか。

ミューズ

僕は遠くない。決して僕らは遠くない。

うんうん言って苦しみながら死んでいくのに人はなぜその仕事を選ぶのだろうか。そこに人がいる限り、永遠にその仕事はあり続ける。そこに人がいる限りは。人がいなくなれば仕事もろとも風にさらわれたように消えてさっぱりなくなってしまう。

即身成仏すると言って部屋に閉じ籠ったその男はいったい何を考えていたのだろう。龍樹のように死のうとしたのだろうか。様々な想念が身をよぎりゆく。人が交差点をよぎりゆくように。

ミューズ

まだまだ十分でない。書きたいことが沢山ある。それに比べたら言葉などあまりに不十分な代物で、役に立たない。
僕は矛盾している。矛盾とは常に思惑の代行者だ。


八章 うちはテレビがつかない

テレビジォン? テレビジョン。足りないならそう言って。与えるだけでは足りないならば。バクダンジュース? バクダンジュース。メルシー、メルシー。ありがとう。ありがとう。春の楓と秋の空と女心と……。イメージの連鎖を呼び起こせ、イメージの連鎖を。呼び起こされて出てきた、机と椅子。鍔の広い巨大な帽子が机を包み込んでいる。その上に椅子が乗っている。帽子の中には一枚の皿がある。そのイメージを破壊する。愛しい人よグッドナイト。

手をつないだら行ってみようまん丸い月の沈む丘に瞳の奥へと進んで行こうはじめての僕ら笑顔の向こう側を見たいよ。

例えばどうにかして君の中ああ入っていってその目から僕を覗いたら色んなことちょっとはわかるかも。

愛すれば愛するほど霧の中迷い込んで。

ずっと忘れないいつまでもあの恋なくさない胸を叩く痛みを汗かき息弾ませ走る日々はまだ今も続く。

今日はこのぐらいにしておこう。


九章 No Title

萌木色の空に夕陽が沈み
沈み込んだ思考を融解していく
タートルネックの僕の肩を
叩いてあなたは消えていく
構造的にはどんな詩も
同じ形式をもっていて
僕は詩を書きながら鬱になる
書くことはもはや何でもない
ただの愚かな行為にすぎない
それを僕はどうしたらいいのか
考えてもまた言葉にならず
すべては消え去っていく

麻木色の空は前より青く
沈み込んだ思念をふわりと浮かす
セーターを着た僕の肩を
叩いたあなたはどこにいる
構造的にはどんな詩も
同じように見えてしまうから
どうしようもなくどうしようもないから
We Our Us Ours
魔のレコードにすべてが残り
すべては消えて去っていく


十章 空気散文

散文が放つ空気をとらえてまとめてゴミ箱に捨てた。ゴミ箱の中でも異臭を放つそれは全国各地に設置された冷蔵庫の中の霞なのだと僕に教えてくれた人は今どこにいるのだろう。教えてくれ。くれないか。


十一章 18:15 2014/06/23

雨は夜更けすぎに雪へと変わるだろう。ああ、静かな夜だ。神聖な夜だ。堕落した街だ。夢は破れて溶けていった。空が白んでいる。白色矮星でも見えそうな夜だ。僕は煙草を吸う、煙が黙々と垂れている。この一本の煙草から物語が生まれては消える。その物語は煙によって綴られた物語なのだ。煙が生み出すまやかしが物語となり、生まれ、そして消える。僕は自分にとって切実に感じられたことしか記述しない。そしてそれは脆さでもある。僕は危険なことをしている。時として。いや特に理由はない。何も僕を脅かすものはない。ただ書くことは危険なことだ。それはしばしば自分の立場を脅かす。でも今は大丈夫だ。特に問題はない。危機は煙のように消えていく。

書くことは綱渡りのように危険である、

上の命題を消去せよ。消去せよ。僕は危険だ。ああ。死ぬ。僕は死ぬために書いているのかもしれない。何も美しいものはなかった。僕は彼女に魅力を感じられなくなっていた。美しいものは何もなかった。これは本当のことだ。僕はそう言いたかった。僕は街並みを見つめていた。彼女を見つめたら怒られたからだ。僕は彼女に魅力を感じなかった。僕は繰り返す。彼女に魅力を感じなかった、と。

彼女に魅力を感じなかった、

上の命題を消去せよ。消去せよ。僕は詩人だ。僕は詩を書きたい。僕は散文家じゃない。僕は哲学者じゃない。僕は詩人でありたい。伝わらないかもしれないけど。でも伝わらなくたって本当はどうだっていいのかもしれない。もうなんでもいいんだ。僕は翼が欲しい。煙草の煙でできた翼で僕は飛んだ。僕は飛んだんだ。本当に。僕は飛んだ。煙のまやかしで僕は空に浮かび上がった。雨の日に空を見つめてごらん、何もかもが下に落ちていって、自分が空中にいるかのような錯覚がするだろう。この錯覚の中でしか僕は生きられない。そういうことだ。

雨よ。
雨よ。
落ちてこい、
錯覚の中で、
う、あ、い、い、
屈折率を計算しながら、
落ちてこい、

何度も同じ歌ばかり歌って、
きっとつまらないだろう、
なあ、スピーカーさんよ、
もっと面白い歌を歌おうぜ、

そうやって、世界を白くしちまおうぜ、
すべてのカラスは白い、
この観察命題から、
波動関数とインクカートリッジの、
不機嫌な関係について語ってしまえ、

雪は、
もう、遠く、
ない、
精神を集中させて、
部屋を発火させよう、
それですべてがうまくいくから、

(B'z、SMAP、スガシカオ、山下達郎、サザンオールスターズの歌詞より部分引用)


日曜日の談話室

  ヌンチャク

日曜日の談話室は
見舞いに来た家族と
車椅子に乗せられた患者で賑わっていた

その前を通り過ぎ
真っ白い病室に入るなり妻は
寝ているお義母さんの耳元に話しかけた
ぼんやりした目でお義母さんは
差し歯の抜け落ちた上顎が気になるのだろうか
しきりにもごもごと口を動かしていた

しばらくして下の子が暇になり外へ出たいと言うので
私は手をひいて屋上へ連れていき
一緒に道路や家や車を眺めた
取って付けたような真新しい住宅地のすぐ裏に昔からの墓地があって
私が死者ならこんな造成気にいらないな
うるさくて眠れやしないなどと思ったりした

談話室へ戻り窓際に腰をおろす
傍らで息子はすぐに眠ってしまった
病室にも談話室にも
春と間違うような
暖かな陽射しが差し込んでいた
カーテンを閉めていても
うなじが熱く焼かれるのだった

私と同世代くらいの夫婦が
母親らしき人を車椅子に乗せてやってきた
写真やら映像やらを見せて
とめどなく話しかける
これ誰かわかるか
来年は一緒に行こな
今日はあたたかいな
外の景色見よか
ちょっと動かすで
見えるか
痛い?
痛ないな
大丈夫やな

脳外科病棟では
返事をできる人のほうが少ない
私はぼんやりと一方的な親子の会話を聞きながら
詩を書くことの無意味さを思った
壁に貼られた「禁煙」という赤い文字を見ていた

息子を長椅子に寝かせたまま病室へ戻る
どうやらお義母さんも眠ってしまったようだった
ほんま今日はいい天気やもんな
起こしたら悪いからそろそろ行こか
うん

寝ている息子を抱き上げると
欠伸をしながら目を覚ました
パパ抱っこしたろか?
ヒトリデアルクネン
じゃあ靴はき

病院を出るといつもほっとする
それが不謹慎なのかどうか私にはわからない
先の見えない道の途中で
まだ道が確かに伸びているという安堵感
もしかしたらこの調子でという淡い期待
そういうものに寄りすがりながら私たちは
少しずつ少しずつ造成していく
切り崩し平らにならし踏み固めていく
生ぬるい私たちの日々を

そのすぐ隣にある
死をいつか迎え入れる朝のために

今はただ
早く本当の春になって
もう一度皆でお花見がしたい
そんなことを思った


  山人

 一日の襞をなぞるように日は翳り、あわただしく光は綴じられていく。
万遍のないあからさまな炎天の午後、しらけきった息、それらが瞬時に夜の物音にくるまれる。光のない世界のなかで、何かを照らすあかりが次々と灯される。
夜に寄り添う生き物たちは鼻を濡らし、唾液を充填していく。

何も見えない世界を夜と呼び、それは黒と決められていた。たがいの眼差しさえもみえない世界で、あかりを求め確かめ合う。夜の孤独に耐え切れず、すがるものを求めてはやがて沈んでいく。多くの魂が浄化と沈殿を繰りかえし人が生まれ死んでいった。今日も夜はしんしんと黒くあたりにたち込めて新しい物語を埋め込んでいく。

それぞれの夜は静かに語られていく。
黒い沈黙の中、一匹の蛍が飛ぶ。やがて、少しづつその数は増え始め、蛍は乱舞する。
鼓膜のどこからかかすかに湧き出す水、チロチロとよどみなく、あらゆるものを通り抜け濾過された水。透きとおる、やわらかな羽根のこすれる音が、草つゆの根元から沁みだしてくる。赤銅色に焼けた棍棒のような腕で燐寸を擦れば、白蝋にともされた一縷のともし火。
ぼとりぼとりと吐き出されてゆく、燻っていた滓。次第に重量は軽く、その手の中に一匹の蛍が立ちどまり入念なやわらかな光をひとつふたつと輝かせている。ふと風が動きろうそくの炎を揺らした、そのとき、君の顔が少し揺れた。

文学極道

Copyright © BUNGAKU GOKUDOU. All rights reserved.