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2013年04月分

月間優良作品 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


野火

  飯沼ふるい

夜は暗い
地平の涯まで
音の無い破砕が続いている

彼は農場の納屋の中で眠ろうとしていた
それが懲罰の為か
彼自身の性癖の為かは
今となっては分からないし
彼の履歴を辿るのは
有りもしない言葉の意味を
解こうとするのに似ている


納屋の隅には
昨年から横たわっている萎びた蝿と
がらんどうの玩具箱とが転げている
くすんだ赤い塗料が剥がれ
捻じれた口を開け
記憶の放たれたブリキの残骸
つまらないその箱は
そのつまらなさの為に
彼を無性に悲しくさせた

起き上がり
彼は
牛酪ナイフで脹脛を削ぐ
肉の裏をナイフの腹が滑る
血が吹く代わり
農場の外れで夜と佇む
老いた一木の松から
黒ずんだ野火が溶け出して
農場の荒れた地の上を
静かに嘗めていく

彼は削いだ肉と足跡を玩具箱へ収め
蓋を閉じる
蓋も容器も
柔らかく湾曲して
もとの形を拒んでいるから
完全には
閉じることが出来ない

火は納屋へも注がれる
土壁が燃え落ちる
鋤や鍬や唐棹が穏やかに倒される
玩具箱も血脈のうねりの中に消えていった
その緩やかな侵食を眺めていた


 眺めていた
 彼は

 新しい朝を思ったかも知れない
 幾度も訪れた町の街灯を思った知れない
 すれ違う老人の皺だれた手頸を思ったかも知れない
 塗りつぶされた白墨の文字の行方を思ったかも知れない

 消えていくものごとと
 それに伴う引き潮のような情緒とを
 少ない思い出の中から呼び起こし
 消えていくものごと
 そのものになろうとしている自分の為に

 彼は
 裏返ろうとしたかも知れない


身体が火の中へ潜ろうとしたその間際
彼が見たのは
火の明かりを吸い
蛍火のような光を帯びて乱れる雪の群像
淡い輝きの一つ一つに映り込んだ
やがて朽ちていくこの世界の輪郭線
その背後に
ただあるだけの暗い夜


 暗い夜
 彼は

 消えていくものごと
 在り続けるものごと

 その差にあるものを
 彼は
 見つけられただろうか


それから少しして
軒先の小さく丸い氷柱が折れる音を聴いた
凛としたその音は
火に包まれていく彼の感じた
最後の優しさだった

納屋は燃え続け
燃える為の納屋になる
ありったけの怒濤は
誰に聞かれることもなく
 それは確かに無音とも言う
彼の身体をどこかに滅して
夜の深い秒針に紛れていく

そして雪の積もった朝がくる
ほの朱い日差しが
澄み切った雪原を照らして描くのは
少年の美しい鎖骨のような
微妙な陰影
この緩やかな傾斜と砕かれた写実の下で
焼け跡すら残さずに消えたものは
なんであったか
今となっては分からない


healthy

  にねこ

花の蜜はとても濃厚だ。痺れさせるほどの甘味は苦味とまがうばかりで、苦い生活ゆえに乾きまた喉を潤す蜜を探すのだと、そういった。いつか薔薇の中に潜る小さな虫のようにその甘みに耽溺して。苦き世のうつつを過ぎる尊さに。あなたが、甘い。



を、
食んでいました
咀嚼するその音に拘束された、瞳が
嚥下されるその前に
私は屠殺されてしまうのでしょう
柔らかな枕とハミングに挟まれて



の、
栄養成分を栄養士に聞かなければ



無視できない痛みを負う事はままあることだからと。蜂蜜を傷口にぬる古い風習のままいった。抗うべきことが多すぎるのだ、しかしその繰り返しで。あなたの愛くるしさは生きていけるのだと、その素振り、あくまで自然に。



は、
確かに消化は良さそうです。




嘘つきな
腕にすがる
私を遠ざけないでくださいと
不在が小指を噛みちぎる前に
どうか、と
冷たい枕と沈んだ寝室での晩餐
わたしとあなたの
不健康はきっと
偏ってしまったからなのだ

残酷に奪うのが奪い合うのが
甘い 甘い

夕暮れ時になるとどこからか聞こえてくる笛の音が私をハナムグリの憂愁にさそい。



の、
毒性については、


おりこうさんまつり

  

地道におつりをもらうので富豪になりそうだった男が逮捕された
俺はおつりは一度しか受け取らないし、万引きもしていない
というが、問題はそこではなく
彼は全裸だった

こうして富豪になりそうだった男の物語が終わった
まるでドストエフスキーの長編小説を読み終えたか
最初から読んですらいなかったかのような不思議な空気が街には漂っていた
僕は人差し指を立てて小刻みにふった
ノンノンノン
ビーチボーイズみたいに
ふった相手が悪かった
恵比寿クンだった

のんのんのん
と今度はひらがなで書くことによって
どこか中和される否定性
影ふみに夢中な女の子たちの一人がばたりと倒れた
かんぜんぼうぎょ!
一番小さい女の子が叫ぶと
女の子たちが一斉に集まってきて
ものすごい力をこめて彼女の頭を

俺、富豪になりそうだったんだ
缶コーヒーをシェイクしながら
男は言った
あたしなんか
影ふみでいちばんだったんだから
もうあんまり女の子には見えないけれど
女の子はそういって
スカートのおしりの部分をぱっぱっとはらった
僕はバンドを辞めたばかりだった

日が暮れてカラスが鳴いていた
金星が見えたけど
金玉も見えていた
かんぜんぼうぎょ!
そういって女の子は仰向けになって
富豪になりそうだった男は悲しそうにしていた
僕は指をふっていた
のんのんのん


木は旅が好き

  

 駅前に植わっていたニシキギの紅葉が終わった。錦鯉が鯉の代名詞であるように、錦木が木の代名詞であるか、といわれればそういうわけにもいかないけれど、秋の終わりによく色づき、その見事な様子は錦の名に恥じないものである。またその燃えるような葉が全て落ちてしまっても残された木々の枝には「翼」と呼ばれるものが具わっており、それは枝の中心から四方向に長方形の翼が広がり、見た目CGであるかのような視覚的効果を演出している。息子はよくニシキギを「マトリックスの木」と呼んでいたが、それも理由のないことではない、私もその名を知るまではそう呼ばせてもらっていたのだ。
 息子は、その年頃の男の子がそうであるように自動改札機の、現代において決してもう未来的とは呼べないその動作にやはり魅了されていた。子供が近未来に憧れるのとはまた違ったものが自動改札機にはあるのだろうか、幼い子供は外界が自分の思考によって支配されているかのような万能感を持っていると精神分析の本で読んだことがあるが、この古びた近未来は息子の差し入れる切符に端を発して魔法のようにその門を開く、息子の言語に翻訳すれば「ウイーン ガシャン」といったところだ、私はそんなふうに勝手なことを考えながら、「こども」というボタンを押す私の背後に注がれるはちきれんばかりの視線をくすぐったく受け取りながら私もまた早く振り返りたくて仕方ない思いを隠しきれなかった。何にせよ普段乗ることの無い路線に息子と連れ立って乗るのだから、そこには日常とは違った何かが存在するのだろうし、私もまた浮き足立っていないとは言い切れなかった。
 恋人、と言うと聞こえが悪いだろうが、夫は結婚して5年後に、大切にしていたトラックもろとも圧死してしまった。残されたものは息子だけ、なんてテレビドラマじゃあるまい、人並みにショックをうけ、人並みに落ち込んでしまって何も出来なくなった私と息子の生活を死亡保険は補償して余りあるものを残した。さて、男が子連れの女をその腫れ物ともどもひきうけてお茶に誘うのはよほど本気であるか、よほど怠惰な関係であるかのいずれかである。私の場合は後者であった。伸宏は私の幼馴染であり、一度奥さんに逃げられた経験が私と過ごした幼少時代を美しくみせたのであろうか、とにかく、子供は置いて出てこいよ、などとは決して口にしないところが救いであるような人物だった。もちろんタイなど締めては来ないが、それなりにちゃんとした格好をした伸宏を見て、幼い頃を知っているだけあって毎回何故だか少しふきだしそうな気分になった。それは電車の中の緊張が解ける瞬間でもあり、まるで恋の疑似体験をしているようでもあった。
 その伸宏に会うまでの少しの時間、電車が到着すると駅前のロータリーからカフェのある商店街へと続く散歩道にナンキンハゼが植わっている。ナンキンハゼは冬になると枝先にたくさんの白い実を実らせるので、それを見上げるとまるで雪がそのまま空中に固定されてしまったような印象を受ける。この時もいくつか雪が固定されていたが、息子に「雪みたいだね」などと言うと、息子はナンキンハゼを「雪の木」とでも呼びかねないと思い、私は少し躊躇ったが、ナンキンハゼを見上げている私を息子が発見してしまったので「雪みたいでしょ」と言ってしまった。以前、トウカエデという街路樹を見かけたときに枝の伸び方が猫の尻尾みたいだと言ったきり、息子はトウカエデを「猫の木」と呼び始め、挙句の果てには公園に植わったポプラを、柳の仲間だよ、と教えた途端に、不遜にも「柳の仲間」と呼び始めてしまった。 伸宏はなかなか現れない私たちを探しに来たところで出会ったのだ。息子が丁度「雪の木」の命名を終えたところであった。
「おーい明、何してんの」
 明とは息子の名である。恋の疑似体験はやっぱり疑似体験に過ぎず、そのことが私を安心させた。フランスの国民だって毎年フランス革命があっても困ることだろう、それと同じ原理で、恋なんていうものも一生のうちに一度あればいいものだ。伸宏もまたそのように感じているだろうことが私を安心させた。
「おじさん遅いよ」
 私たちが時間に遅れたせいで伸宏をここまで来させたにも関わらず、息子の言葉は確かに「おじさん」が悪いかのような気にさせるほど、子供らしい真実味を帯びて寒空に響いた。私たちは三人連れ立って、本来の待ち合わせ場所であるカフェに歩を進めた。三人とも天を仰ぎがちに歩いた。
 伸宏と過ごした幼年時代。とはいえ私の思い出が伸宏だけに占領されている訳ではない。伸宏はよく言えばマイペース、悪く言えばマヌケだった。要領の悪い伸宏は小学校の漢字テストですら勉強しても良い点が取れなかった。私も成績優秀というわけにはいかなかったが、良くも悪くも優等生であった。「家が近い」ただそれだけの理由で、私はよく伸宏を連れ出して昆虫捕りに出かけた。私はどちらかというと動くものよりもケヤキやスギなどの喬木に囲まれた空間にひっそりと息を潜めながら、水の中にでもいるかのようにゆっくりと体を動かすのが、なにやら秘密めいていて好きだった。伸宏はちゃんと本来の趣旨を忘れずに甲虫を探した。それでも見つけるのはいつもクワガタやカブトではなくカナブンだった。
 明は父親に似たのだろうか、伸宏のマイペースさとは違うが、勝手に自分の世界を作り出してそこに没頭する癖があった。
「明のお父さんも変な人だったなあ」
「お父さんってお前の旦那だろうが、もとは」
「そうだったそうだった」
 伸宏は私の発言を咎めるわけでもなく、ちょっとしたおかしさから私に物申したくなったのだろう。明は父親を知らない、明の父親が死んだのは明がまだ一歳の頃で、明に父親の記憶を話しても、なにやら知らない国の経済状況を聞かされている女子高生みたいに、キョトンとした表情を浮かべて、気付くと「こども辞典」を眺めていた。
 明と伸宏は30もの歳を隔てながらどこか友人めいたところがあった。「おじさん」が明の視線の先を読み取り、往来を走る車に対して、「あの車かっこいいな、明」と言うと、明は車には興味はないらしく、「おじさん、あの車の横にちょうちょみたいなのがついてるね」と言った。「おじさん」は一瞬サイドミラーのことかと思ったらしいが、どうやらそうではないらしい。私は明が車の側面まで迫り出したウインカーの点滅をさして、何故だかちょうちょのようだと感じたことを悟った。そんな二人のやりとりを見ていると、幼い頃の私と伸宏の関係を思い起こさせた。私はいつも変なことを言って伸宏を困らせていたし、伸宏は伸宏でそんなことお構いなしに次から次へとカナブンを捕まえた。
 そんな二人の関係を見ていると、明が「お父さん」に似ているのは気のせいで、結局、明が似ているのは私なのだということに気付かされ、根拠の無いかなしい気持ちが海の潮のように私の心をさらった。誰かを愛すると言うことは、その人に自らをさらわれることだと思っていた私は、「お父さん」の忘れ形見がどうしようもなく私であることに少しく悔しい思いをしたのだ。そんなことを思いながら窓から覗く街路樹を見つめていた。そこに植わっていたのはアメリカフウであったが、紅葉も過ぎ冬の装いをした寂しい木を見て、どこにもいけなかった私の感傷を重ね合わせていた。
 まだ高校生だった頃、私はよく詩を読んだ。ハイネやアイヒェンドルフなどの、優しい詩が好きだった。私はハイネの一篇の詩を思い出していた。

 北の果てには樅の木が
 不毛の丘に独り立ち。
 雪と氷の白い覆いで
 包まれながら眠ります。

 夢に見たのは椰子の夢、
 遠く向こうの朝の土地、
 独り黙って悲嘆に暮れる
 燃えだしそうな岩壁の上。

 何の変哲も無い詩だけれど、高校生だった私でも、この詩の意味を深く理解していたと思う。地中に深く根を下ろす木は風に転がされることも無く、鳥に運ばれることも無く、どこまでもその場所に根ざしている。私もまた、当時、そのどこへもいけない予感にうちひしがれて、けれど、いくらかの優しい諦めを伴って、この詩を読んでいた。木は、どこへも行けないけれど、夢を見るのだ。それは遠く朝の国の椰子の木の夢さえ。もちろん夢を託すのは人間の業であることはわかっている。自由に飛ぶ鳥が再び遠くへと飛び立つためにその羽を休める梢。風に舞って遥か遠くの地にまで運ばれる花粉。そのようなものが人間の想像力を培うのだろうか。小学校の国語の教科書には茨木のり子の「木は旅が好き」が載っているが、あの詩もまた、どこへもゆけない予感にうちひしがれ、それでも優しい諦めに根拠付けられた詩だ。私は「お父さん」と結婚して、明という大地に根を下ろした。「お父さん」はきっと生きていても私をどこにさらうでもなく、幸せなのか不幸せなのか分からない日々を平安と名づけて木のようにどこにもいかない毎日を続けるに違いなかった。それでも、私には私の突飛な世界を受け入れてくれる誰かが必要だ、なんてことを彼が死んでからはずいぶん思ったものだ。今では明が私を突飛な世界で驚かせてくれる。
 私は伸宏と明の会話を曖昧な意識で聞き流しながら、いつしかこの「おじさん」が「お父さん」に変わることを想像していた。移り変わる景色のなかでいつまでもひとりで立っていることしかできない樅の木という常緑広葉樹の甘やかな孤独をアイスコーヒーにつき立てられたストローでかき混ぜながら、二人のことをずっと見つめていた。名付けた先から零れ落ちてしまう、そんな二人を私は優しい諦めでもって見つめていたのだ。違う、二人ではなく三人を。
 伸宏があくびをする。子供のころから私の前でよくあくびをする人だったけれど、そこには退屈からのあてつけというよりも、もっと親しみのこもった何かがあるような気がしていた。事実、伸宏はあくびをするたびに笑った、子供のころははにかむように、大人になってからは微笑むように。すると、私は私の言葉が全部伸宏の口の中に吸い込まれていってしまったかのような印象を受け取るのだ。そうなると周りの世界は私の言葉を忘れて、まるで布団圧縮袋が開かれると同時に空気を吸い込むみたいに、私の口からもう一度名前を吸い込みはじめるのだ。あ、またあくびした。幼友達、腐れ縁、今度はどんな名前を与えてやろうか。恋? いやいや、それは違う。
 物を名付けてしまうことになんとなく寂しさを覚えるようになったのはいつ頃からだっただろうか。明が言葉を覚え始めてから私は今までなんと狭いところにうずくまっていたのかと驚愕する思いだった。「お父さん」にそのことを話すと、笑いながら「お前は大人になっても子供みたいだから」と笑われた。真冬の星空の下でなんとか流星群を待ちながら空のオリオンを見つめて、やっぱり砂時計みたいだな、と感じて、明や「お父さん」は一体何を思っているのだろうかと、ひそかに詮索する時、私はたとえ同じ場所に立っていても、何億通りもの物の見え方が存在すること、同じところに立っている木でさえ何億通りもの意味を生きていることの驚きを、どこへもゆけない不安と、優しい諦めに付け足した。
 その日、伸宏にプロポーズをされた日から数年の間、私は幸福でもあったし、同時に幸福であることが孤独でもあった。「お父さん」は相変わらずあくびをしたけれど、そのあくびは段々と私から飛び立つことの合図に思えてきたのだ。きっと、伸宏が「お父さん」になったからといって何かが変わったわけではない。けれどそう思うことによって、私は「お父さん」を伸宏として好きでいられるような気がしていた。明はちゃんと歳とともに花や木の名前を覚えていった。私は歳とともに色々なこと忘れていった。
 昔、大学生だった頃、詩の講義でゲーテの「植物の変態」という詩を読んだことがある。当時まだまだうぶだった私は、いったいどんな変態的な植物があるというのか、と戦いたけれども、その詩は、木の生育を描いた詩であった。仔細はもう到底覚えてはいないのだけれど、木に花が咲くとき、それがまるで天への捧げものであるかのような描写に強い印象を受けた。咲き零れた花冠が木でもなく空でもなくどこか幽玄な空間に漂うものとして空想されていることに私は驚きとともにどこか懐かしさを覚えたのだ。まだ花の名前を知らなかった頃の。
 ノヴァーリスというドイツの詩人が「木に咲く花は人間の思考のシンボルである」と記した書物を読んだのも大学生の頃だった。季節とともに移り変わりながら様々な色や容で先端から咲き零れる花を思いながら、私は「花す」という言葉を思いついた。まだ皮膚の一部が脳になるなんて世界の誰も知らなかった頃、フロイトは幼児の自我は皮膚にあるのだ、と言った。花、鼻、端、どれも先っぽにちょこんと座っている。私は歳とともに段々と花の名前を忘れていく。けれども言葉を話すことは、同時に言葉を放すことでもある。
 明がちゃんと大人になってゆく姿を見ていると、やっぱり「お父さん」に似たのだな、という思いがした。けれども、当然のように私という梢から飛び立っていく明を見ていても、決してつらいなどとは思わなかった。同じところに立っている木の、優しい諦めが私の胸を充たした。飛び立つ鳥もいれば、翼を休める鳥もいる。それは花のように、一番端の部分で取り交わされる木の儚い言葉、話したり、放したりする夢のようなもの。
 息子を預けられている間に伸宏のことをなんと呼べばいいのか戸惑ったが、その問題は自然と「おじいちゃん」と呼びはじめたことから呆気なく解決した。名前を与えることに関して子供ほどに戸惑いがない生き物はいないのだ。もし、あの日よりもう少し遅れていたら、思春期の難しさから伸宏が「お父さん」と呼ばれることも無かったのかも知れない、などと思いながら、「お散歩」の道すがら立ち寄った駅前の通りに植えられたニシキギを見ていた。秋の装いはすっかり北風に吹き飛ばされて、綺麗に刈り揃えられ、発送前の陳列済みダンボールみたいに整然と並んでいる。ニシキギという木の枝には「翼」と呼ばれるものが具わっているのだが、私はこの「翼を授かった木」を見ていると不思議なくらい親しみを覚えるのだ。ひとつひとつの翼がそれぞれに「遠く」を孕んでいて、それでもなお今ここにおとなしく植わっている。強く握られた右手はいつか訪れる別れを予感しながら、しぶしぶとそこに居続けることを肯うように小さな手を握り返していた。


オムライスの怪人ケチャップを捨てる

  しんたに

底の無い青の中で羽の無い鳥が浮かんでいる
不規則になびく木々に合わせて揺れている

 校庭は雨だった。雨音に混じってピアノの音。音楽室はいつも右上にあって、そこに全部あった。ノートに書かれた読点や濁点は、窓を飛び出し、雨粒に紛れて大脱走。「オムライスの怪人、ケチャップを捨てる」と書かれた文の読点が音楽室の扉を開け、咲き開こうとしている、その花の頬に触れる。春だったのだ。季節は。


◯『ピクルス、あるいはチーズバーガー戦争』という仮題をつけた中編小説の冒頭

 祖父は棺の中で、眠っているかのように目を閉じていて、その頬に触れると冷たかった。僕は祖父が、「戦争には行けなかった」と言っていた事を思い出していた。そんな風に祖父が言葉を発し始めると、僕は彼の側に座り、戦争についての話が始めるのを黙って待っていたけれど、「俺は頭は良かったんだが、目が悪かったんだよ」と言うだけで、祖父がそれ以上のことを語ることは、結局一度も無かった。(中略)「行けなかった」と祖父は残念そうに言っていたけれど、彼が戦争に行きたかったのかどうか、僕には分からない。僕は戦争のことをブラウン管や書物の中で加工処理された映像や言葉としてしか知らない。祖父の世代の人々が、何の為に戦い、死んでいったのか、僕には分からない。もちろん、想像することは出来る。いや、結局想像することしか出来ないのかもしれない。いくつもの戦闘機が地上を離れ、空を舞い、雲の端から雪が降って来るかのようにゆっくりと落ちていく。仲間達がそうやって居なくなっていくのを祖父は黙って見ている。僕は黒服の人達から離れ、ズボンのポケットからラッキー・ストライクを取り出し、水色の百円ライターで火をつける。右手の人差し指と中指でそれを挟み、口にくわえ、煙を吸い込み、ゆっくりと吐く。煙はゆらゆらと消えながら上空へ舞っていく。二口か三口、煙草を吸った後に煙突の先からも煙が出てきて、煙の先の空から雪が落ちてきて、僕は今が冬だということを思い出す。白い煙は雪に紛れて空に溶けていき、黒服の人達はそれぞれの場所へ帰っていく。

 そこまで書いたところで僕はノートを閉じる。素っ気なく一日が終わっていき、またいつもと変わらない一日が始まる。僕は駅前のマクドナルドでコーヒーを胃に、ラッキー・ストライクを呼吸に加えていた。店内では、エドワード・ホッパーの絵の中にでも出てきそうな人々が、それぞれに時間が過ぎていき、朝がやって来るのを待っている。本を読んだり、音楽を聴きいたり、携帯電話をいじったりしながら。窓の外に見える駅前の大通りでは、紫色のコートを着た女性が月の光を背に、孤独を背負った男達へ次から次へと誘惑を振りまいている。
 僕はノートを鞄にしまい、代わりに『愛はいつも美しい』(チャールズ・グリーン著)という小説を取り出す。僕はこの本をいつも鞄の中に入れて持ち歩いては、気が向いた時にペラペラとページをめくり適当な文章を読むことにしている。この本が発表されたのは著者が五十歳を超えた後で、これが彼の書き上げた唯一の本だったらしい。「この本を書いた十七歳の時から、この本を出版してくれる出版社を探し続けてきた」と彼は言っていた。「この本は出版を拒否された回数では世界記録の保持者でしょう。四百五十九回、断られ、今はわたしも年をとりましたよ」「わたし、お尻なんて使ったこと無いわ」と隣の席に座っている二十歳位の女の子二人組(あまり可愛くはない)の会話が聞こえてくる。「あんなの、止めといた方がいいわ。全然気持ち良くないの。ただ痛いだけ」と一人の女の子は言い、「やんないわよ。なんでしたの?」ともう一人の女の子は尋ねる。「昔、彼氏に頼まれたのよ。高校生の時。最初は断ったけど、しつこかったから。屋上で」「学校の?」「そうよ」
 僕は鞄の中からi Podを取り出し、イヤフォンをして音楽を聴く。二十七歳のクリスマスに死んだ男が作ったラブソングが聴こえてくる。落としてしまった愛の歌。君に会うことはもう無いだろうけど、それでもなにかを語りかけようと待っていた。こんな歌詞のダサいポップソング。僕はその歌を繰り返し聴いていた。コーヒーを飲み干した頃にもう一度外を見ると、紫色の女性の姿は消えていて、通りには誰も居なかった。それから、ラッキーストライク二本分の死を肺に吸い込んだ後に、黒い空から白い雪が申し訳なさそうにゆっくりと落ちてきて、街を包み込んでいく。


◯オムライスの怪人の作り方

「適当な言葉が見当たらないんだ」と僕が甘えて泣きつくと、「そんな時はね」とあなたは言った。「逃げちゃえば良いのよ」と。

 I
  
萎びた かがり火  貶す 銃口 1905-2004  入れる   虚構  出す  映像としての  記憶  ルクス 破れた 絵画  神話  暴雨の後 織る 人間  赤い 流れる 修道女  封建制度 白黒を 追踪 迷彩  辛らつな 赤ん坊  知の地獄  境界の上に立つ 並列 爆破される  免除者 ミナ エピローグ  追撃 鮮緑色 0と1  攻撃   モヘア 酒浸り  英雄 聖別   静寂  スライド 引きずる 死体の サンタクロース 腸切除 あざ笑い  無成熟 セゲド   首 カマーンチェ 一対の 書き添える 最盛期  祖先の霊 恍惚 傲慢 互いに  爆発する 監視者 接近  硬直した 無数の エーボン川 急ぐ ラーガ 地雷 スパゲッティ 掘り返す バンジョー 金属製の爆弾 自爆 倒下 落下 あら探し 卍 アーデンの森 ポーランド人 尖棒  笑う 大統領  売却 美的 オーバートーン 爆撃 リヒトグラフィック 写実的な  君と 島国と  小さな少年 相違  芸術  オレンジ 独立? 鳩の速度で  模倣  嘆願 許容 イスラム流の挨拶  運ばれる 倒円錐の どいつを罰する? ペソ  警察隊  照準は ユングの肛門 ひも 記念碑  鳴り響く 純粋な 平伏した 教会 吊るされ  生まれる? 骨 雪原 腐敗臭 おやまあ!? 赤? 黄色? 青 映画館? 遮断される 隠喩? 作り話? 寓意? いや 本当の話。
 
 II
 
音楽変えたの? いいえ、テンポを変えただけ。 タクシー、飛行機、ダンスミュージック、たわいもない会話。 芸術? 哲学? 国際問題? 特権階級? 逃走? 教育? 憧れ? 兵役? 仕事? いや、人生。 革命はどこへ行ったの? 学校。 ああ、墓地ね。 思想のため、希望のため、生活のための。 浄化? 平穏のための悪夢。 音楽変えた? いや、テンポを変えただけさ。 描くことなど無い。 あれは豪邸? いや、煉獄 待つのは貴族? えぇ、古典。 あなたはあなたの奏でたものを、知ってる? 行動は歌えず、空白の思考が歌う。 ブック? いや、ビールを。発泡酒でもいい。焼酎でも、 シャンパン? まるでブルジョアだね。 語れるものなど、 無い? 人間? 北? 南? 右? 左? 邂逅って? 出生の秘密はシャンパン。 会話、対話。 祈り? いや、許し。 ポエム? いや、話し合い。 死んでいく 魔法を唱えても それはもう、蘇りはしない 歌。 あなたの歌も、いつか、 すぐに 消えていく。 誰も奏でたことの無い歌を。 でも、歌は もう、歌では無いわ。 処刑されたんだ。 墓地に手紙でも? クラクション。 携帯電話の着信音。 瞑想する詩人の代用品を必死で探し求める、きた。 積み上がる金属音。 歌の領域に論理が侵入してきたのよ。 哀しみ? 嘆き? いや、ただの事後報告。 燃やされる書物。 森が曖昧な歌を 伝わらない言語を ロジック? 破壊。 想像力とは、イメージの実体化。 音、音、音、本を積み重ねるように。 真理など無い。 誰も居ない机に また一つ、読まれることの無い詩が置かれる。 あなたは駆けるように 雪の中を進む フォト、フォト 物語は真実の矮小化? いや、物語はいつだって二つある。 でも、いつだって一つしか読まれないのよ。 なぜ? いつだって、歌は一つしか無いから 勝者の歌 でも、喪失の中にしか 歌は存在しないわ。 そう だから歌なんて無い じゃあ、なにを 聴いてるの? 奏でてるの? 歌 と呼ばれなくなったもの 文字になる前の、音になる前の、言葉。 写真 あなたには分かる? 14と17とカボチャの違い? 聖なる者。 技巧も 動きも無い ただただ、聖なる者。 無から想像 歌が全てを2にする。 希望も 絶望も 虚無も 無い中で 0も 1も 3も 4,5、6、7も 歌の中で2になる。 映画を観れる? 閉じなくてはならない 目を 映画が観たいのなら。 なぜ? 目を閉じなくては、なにも見えないわ。 目を開いたフィクションと 目を閉じた真実 歌のようね。 歌が映像に犯されたの? 逆、 映像がやられたのよ。 歌は無い。 もう救えない? どれで救うの? 機械? 法律? 芸術? 教育? 社会? 人間? 愛?『「迷う花、崩れる建物、なぜ、歌う?、2のフィクション、1の真実、難しい話?、いや、石=0では無いってこと、人間は?、歌は?、0?、1?、2?、3?、79?、907?、3821?、88883?、シュメールよりも後ろの歌を、2が3で橋を渡る、フォト、1も3、目を閉じて、1に、1へ、歌を、0?。0と2は悪の言葉、良いのかい?、そんなこと言って?、理解できるはず無いわ、彼らに。哲学とは、自ら消える歌。次の歌は?、なに?、次の歌、3の歌よ。無こそ自由、虚無?、いえ、虚無すら無い、無よ。3の歌を、歌うには、1と、2を、捨てなきゃいけないわ。でも、捨てた者はいない。いや、いるよ、毎日、150000はいる。でも、3の歌は、まだ、無い。子供好き?、うん、1と2は?、好きよ、じゃあ、なぜ3へ、関係無いの、1と2と、3は、別の物語。最後の歌は?、電話するわ。現代の歌は、行動と思想が、乖離してるから、民主主義ではなく、全体主義のよう」黄と、赤の。2のフィルムを、1へ。朝、コール、最後の歌は?、赤と紫の。夜、雨、黄と、赤と、紫と、白と、緑の、花々。音楽変えたね?、いえ、もう何も奏でてないわ』

 III

森を並び歩いていき 目を閉じたあなたは隣にいて それは想像のようなもので 上にある水の音が混ざり込み 無を並べている水兵と 煙草を吸う囚人達に 軍楽隊の縦笛が聴こえてきて 歩兵が子供へ最後で最初の本を聴かせていて 時間は存在しないのに また子供が生まれ それは男の子であり女の子でもあり ひとつの波のようなもので 大道芸人の男と本を読む女と 草を齧る猫と 浜辺で遊ぶ若者達の前を通り あなたは流木に座り 林檎を齧り ゆっくりと目を開き よく晴れたどこまでも見えそうで でもやはり見えない水平線を見つめ あなたは あなたのものではない頬へ 手を伸ばし  そっと触れ それから また目を閉じる


◯葉桜

 男の右手人差し指の先に小さな傷ができたのは、取り壊しが決まっているアパートの自室で、彼が『葉桜』という古い詩集を読み始めた頃の事だった。彼は『葉桜』を読み続けながら、人差し指の傷を親指の爪で掻き続けた(掻けば掻く程、傷は大きくなっていく)。食事や睡眠を摂る事も、排泄活動も無くなり、読む事と掻く事だけが彼の生活の全てであり、存在意義であった。

 アパートを追い出された男は車を盗み、ファム・ファタールと呼ばれる女を引っかけ、誰も居ない海へと向かった。運転は女に任せ、男は読み掻きを続けた(傷はどんどん大きくっていき、穴のようになっていく)。女は大きな犬を飼っていた事を思い出しながら運転を続けた。女の父親は酔いどれ詩人で、夜遅く、酔っぱらって家に帰ってきては大きな犬を蹴り続けた。蹴られる度に大きな犬はbowwow、bowwowと鳴き続け、女はそれを見続けた。女は父親が詩を書いているところを見た事がなかった。父親は二十七歳の時に一冊の詩集を出して以来、なにも書けなくなった。大きな犬が死んでから、女はファム・ファタールと呼ばれるようになった。母は最初から居なかった。

 コンビニエンスストアの駐車場で男は煙草に火をつけた。女は店の中で、トイレを待ちながら、ファッション雑誌を読んでいた。男は『葉桜』を左手に持って読みながら、右手の中指と人差し指の間に煙草を挟み、親指の爪で傷を掻き続けた(傷の穴は黒ずみ、徐々に巨大化していく)。サイレンが赤色の空に鳴り響き、男は『葉桜』をコンクリートの上に落としてしまうが、気にする事もなく、傷を掻き続け、煙草を吸い続けた(読むという活動の消えた男の脳内に、消失についての考察が忍び込んでくる)。傷の黒い穴は巨大化が進み、男はその穴に呑み込まれた。コンクリートの上で煙草の火は消え、黒い穴も消え、右手の指先だけが宙に浮いていた。傷を掻く事が出来なくなった男は、消えた穴の中で記憶に残った『葉桜』を読み続けている。ファッション雑誌を買って店から出てきた女は、ヒールの踵で『葉桜』を踏みつけ、車に乗り込んで誰かが居る海へ行き、そこで出会ったサーファーと結婚して、ピンク屋根のおうちに住んで、いつまでもポップな音楽を聴いたり、映画を観たりしながら末永くしあわせに暮らしましたとさ。

 おしまい。


法則には逆らえず
鳥が地に墜ちる
散った花々をクッションにして、


地下アイドル

  お化け

確かに普通のレベルよりは可愛いと認めるけれど、すごく可愛いというわけでもなく、また、すごく綺麗というわけではない、ということを多くの男性が賛同するような見た目の女性がいた。彼女自身が自分自身のことをどう思ってること言えば「自分はすごく綺麗なわけじゃないけど、自分はすごく可愛い」というものだった。白いモヤがかかったプリントクラブ的な自己認識。彼女は自分のことを「媚を売ることは出来ない子で不器用だから本物のアイドルなれない地下アイドル」のような存在と位置づけていた。公用地ではなく私有地に。実際にアイドルとしての活動してるわけではない。それから、自分は天然、自分は変わっている、などという性格も、スパイスとして入ってるんですよ。なるほど。そうですか。それは美味しそうですね。違いますよ、私はスパイスをかけるとかそういう食べ物じゃないですよ、と現状把握する彼女、天然物の変わった果実として自分を見るその彼女が「食べられたい」と自分が思っている男性の見た目については、自分に自身にたいするのと同じように、プリントクラブ的認識で、1癖も2癖も3癖もある男的なようなものを求めているわけではない、ありきたりなビジュアル型が好み、顔立ちがよく、オシャレで、オシャレじゃないなら自分がオシャレにしてあげる、背はそこそこ高くて、でも高すぎてもだめで、茶色い髪の男が好きだった。茶色い方がなんだかかっこよく見える、だけど最近は黒くて長めの少しぼさぼさした感じのもいい、等、友達と3日前に会話した彼女は、この日もいつものように、猫の毛づくろい精神的の頻度で、心の手鏡を覗き込んで「自分はすごく可愛い」と見える錯覚の角度を再認識、世界を見るためにじっとしてられない精神的眼球は、メールをうちながら歩くときみたいに出現してくる「自分はすごく可愛い」自己世界内とその外側の世界の間を往復、肉体的な眼球は、いつもと同じような自分の生活環の周りでうろちょろしていた。しかし、この日は普段の日々と少し違っていた。いつものように彼女が手鏡覗き込んだ歩いていた間に、確率的にいつか事故ルと警告されていたような住所不定の何処かにつまずいて、彼女の日常を彼女の歩幅で分割する足音のリズムのタイミングが狂っていた。あるいは、彼女の「外側から? 内側から?」原因不明の偶然で彼女の日常を弾くためのピアノから音が出なくなったので、彼女の行動スペースが一時的に狭まり、彼女が選択し進んでいくことができるありきたりなメロディーの行動路が閉鎖されてしまった。そのとき、偶然、彼も同じ場所にいた。

僕は彼女の隣に座っていた。僕たちは偶然出来てやがて消滅していく排他的経済水域の中にいた。そこには北朝鮮の密航船はやってこなかった。工作船もやってこなかった。そこは、運命を統治するの国の官僚が犯した事務的間違いのトリックで、束の間、表記上は水域だけど実際は陸地であるような場所だった。その瑕疵は僕たちでない人にすぐに発見されて正されてしまうだろう。たぶん現実的な人に。現実を見よ。ここで僕が見つけたと思った現実は、隣にいるこの女の人は少し嫌なことがあったのかもしれない、その若い女は自分がちやほやされるための話がしたい、ということだ。彼女の曖昧な身体的なメッセージを多義的な的な意味で勘違いしていたかもしれない。しかしそのときは、それが明るいようなものとして僕には見えていた。彼女の表面の若さと僕の暗さとの対比が、その明るさを際立たせていたのかもしれない。僕がそのとき居た場所、公用地ではなく私有地という意味での、つまり、いま彼女と共有している公用地に囲まれて影響受けている僕の私有地、その場所は僕にとっては暗かった。そこは1人でいたなら孤独と感じなかった場所だけれど、2人で何もしゃべらないと「ひどく孤独」であるような場所。1人での孤独より2人での孤独のほうが孤独、というのは知ってる人は知ってる。その「知っている人は知っている孤独」よりさらに「ひどく孤独」という感じの場所。だけど3人ではそんなに孤独ではない場所。また、普段人見知りで無口な僕は、そのような僕をまだ知らない彼女にそのような僕を最初だけは知らないでいてもらうためにも、彼女に話しかけて少し話をするべきだった。最初が肝心。それに、彼女は僕の好みの顔をしていた。ひどく。僕は1人の男として1癖も2癖も3癖もある男になりたいと日々願っていた。僕だけの顔。僕は話しかけていた。僕は安全なルーズリーフですよ。君の親、友達にも、誰にも見つけられない安全な白い紙。彼女はあまり上手とは言えない可愛いふうのイラストをルーズリーフに描いた。その近くに僕は彼女が描いたのものよりは下手なイラストを描いた。「上手ですね」と言うために。彼女の心は僕を見ていなかったけれども、僕の声を聞いて、彼女は柔らかな雰囲気だった。言語的には特に大した事は話してなかった。非言語的には何かがとてもうまくいってる途中であるような感じがした。急速にブクブクふくらんだものが僕の頭の閉鎖的な会館で閉鎖的な記者に対して会見した。

(あの、こんにちは。あなたたちと話すときのように、相手が自分と似ていたら、自分自身と会話してるみたいになるのだと思う。僕たちがどんな人かと言えば、自分のことがそんなに好きじゃない人間だと思う。僕たちはそれに共感する。そんなとき僕たちは計算過程は無茶苦茶なのに答えだけは正しいような「ここにある好きだという気持ち」のことまでも、自分のことが嫌いなために、それを嫌いになる。ひねくれ者だ。何かを好きになっている自分が嫌い。恥ずかしいだけなのかもしれない。もちろん、そういう感情は時と場合によって変化する。自分のことを決めつけてしまうことには用心しなければならない。何かを好きな「時と場合」があり、同じ何かを嫌いな「時と場合」もある。つまり僕が言いたいことは、あらゆる時と場合という、ありえない時と場合を考えたとき、一般的な場合、僕たちは自分のことがどちらかと言えば嫌い、ということなんだと思う。だけど一般的が完全になくなってしまった場合、つまり「時と場合」というものを一切考えない場合、恥ずかしさを忘れたようなとき、そんな場合があったとしたら、僕たちは「ここにある気持ち好きだという気持ち」のことが大好きだと認めるかもしれない。いま僕はそれを認める。僕はいま一般的な意味ではなくて、あなたたちとは違う。わかる? あなたたちはもう帰ってくれ。会見終了。さあ、帰った帰った。あ、君は帰らなくていい。帰らないで。あの、君は、時と場合と金星人を考えない場所に行きたいですか? 例えばの話し、時と場合を考えないために自分たちの世界を壊したら、金星人のことなんか忘れて、バラバラになった世界の破片を集める作業を開始しましょう。壊れた破片を使って別々の世界だった世界を1つの世界に作り変える。そこが新しい住処で、常識的には壊す時にも作るときにも、一緒に身体を使うしかなくなる。僕は常識的に明らかな前提を認めることになってしまった。その事実認めるか認めないか。そこを跳躍するのが普通だと認めない、という、その自分と議論を始める際の点検を認めるか認めないか。もうどうでもよい。良いけれど最終的には、例えばの話し、食い違ってたらよくないね。食い違ってたら罰ゲームとして、注目されながら2人では食べにくい1つのモスバーガーを向かい合って2人で一緒に食べて「食い違い」を消していく両側から欠けていく三日月ような気持ちにしていかなければならないし、前提としてのお茶という名のコーヒーを飲み干した後に砂糖を再発見しながら同時に2人が共有している世界も再発見していかなければならない。言語的にも非言語的にも議論されている身体的事実に、恋は病気的推移法則を適用していき、気持ちの譲渡等、最終的に結論を導く。正直言うと、この糖質化していく過程が「常識的だ」と書いた手紙を運ぶために詭弁的高速道路を使うような僕がいます)

彼女は僕に興味持ち始めたようだった。彼女は自分の心の手鏡から目を離したから。彼女の心がやっと外に向いた。僕は笑っていた。僕は自分の太陽を直接見るのではなく、たぶん彼女の太陽を見るのでもなく、濃い緑色の葉っぱとなったルーズリーフが生い茂る森の木漏れ日の揺れ動きかたに同調して微笑んでいた。森の中の空気が澄んだ暖かさ。僕は2つの太陽が2人の1つの太陽だと思っていた。2つの太陽が重なったような錯覚。運命的な時間帯。太陽が太陽を隠す月食。どちらの太陽が月の役割を果たしているのだろう? いま彼女は、未来から見て今という過去を値踏みするかのように、僕の表面を確認していた。僕はそれを意識した。僕の眼は眩しくて1つの太陽もちゃんと直視できない。僕は自分自身では見たくないような笑みを表出させたかもしれない。僕は彼女の花壇に踏み込んだような態度、言動になっていたかもしれない。曇ってきたようだった。僕は直視できるようになった。彼女の顔は、いつもの自分の夢で長い時間遊んだ後みたいになって、暇そうになっていた。彼女は下を向いて自分の指をいじりったり服を触ってみたりタイミングを計りだした。1つ2つ3つ無数1つ2つ3つ無数1つ2つ3つ無数1つ2つ3つ無数1つ2つ3つ無数1つ2つ3つ無数1つ2つ3つ無数1つ2つ3つ無数1つ2つ3つ無数1つ2つ3つ無数1つ2つ3つ無数1つ2つ3つ無数1つ2つ3つ無数1つ2つ3つ無数1つ2つ3つ無数1つ2つ3つ無数1つ2つ3つ無数1つ2つ3つ無数、僕たちは、リズム感が悪いドラマーとしての彼女が僕を拒絶する非言語的動作のちぐはぐなリズムを共有しながら、そっけない会話と沈黙で暇をつぶし、僕たちがソロ活動するスペースが広がるタイミングを待ち、女性に拒絶された僕、はっきりと告白したわけではないのにはっきりフラれたように思っていた僕は、誰でもいいから僕の生活環の中で偶然すれ違っていく「すごく可愛く且つすごく綺麗な女性」に振られるためだけに次々と声をかけて、何故か暗くなるまでバナナ持っていた僕は、バナナの叩き売りを開始、いやむしろ、星空の下の無数の美女たちにはフィリピン産のバナナを次々と無料で配布して、その場で食べてもらいたいと、お月様に願っていた。


ザ・アプステアズ・ラウンジ, ニューオリンズ, 1973年6月24日 Joseph Ross 作 田中宏輔 訳  LGBTIQの詩人たちの英詩翻訳 その7

  田中宏輔



ジョセフ・ロス


ザ・アプステアズ・ラウンジ, ニューオリンズ, 1973年6月24日




シャルトル・ストリートと
イベルビル・ストリートの一角に

そこはシティーの
二度、焼け落ちた場所で

ザ・アプステアズ・ラウンジは
ゲイ・バーと教会の両方を兼ねたところで

ある人々にとっては、落ち着かない雑然とした場所で
他の人々にとっては、欲望と希望の聖なる混合とも言うべきところだった。

そこに入る許可を得るためには
ベルを鳴らさなければならなかった。

そこには、一人のフレンドリーなバーテンダーがいたし
白い小さなグランド・ピアノがあった。

日曜日の午後には、ビール・スペシャルのあと
欲望がいつものコースをたどって

希望がようやく訪れると
教会では、いっとき、二、三脚の椅子を動かして

ピアノに流行りの音楽を伴奏させて
彼らは、歌うにふさわしい気分で歌を歌ったものだった。

彼らは、まさに祈る気持ちをもって、こころから祈っていたのだった。

2

そのバーに面した通りから上り
階段の上に立って

ライターにオイルを注ぎ込んだ者がいた。
それから、それらのつるつるした階段にオイルを塗りたくって

マッチを擦ったのだった。それは聖霊降臨節をもたらしたかのように
火と風が

すごい勢いで階段を上ってゆき
階段の最上段で、ドアをなぎ倒し

祈りをささげていた者や、友だちたちや、恋人たちのいる
部屋のなかにまで入ってきて爆発を引き起こしたのだった。

二人の兄弟と、その兄弟たちの母親がいた。
聖霊は沈黙していた。

言葉を口にする者は一人もいなかった。



逃げることができた者もいたが、多くの者たちが死んだ
その口元を手で覆いながら。

ジョージという、一人の男が煙とサイレンで目が見えなくなり
喉に灰が詰まって

いったん外に出て、それから
彼のパートナーのルイスを探しに戻った。

彼らの姿は見つかった、互いに抱き合いながら
螺旋の形となった骨として。

白い
小さなグランド・ピアノの下で。

それは、彼らの命を救えなかったのだった。



あとになって、一つのジョークが口にされた。
ラジオ番組のホストがこんなことを言ったのだ。

おかまの灰を何に入れて
そいつらを埋葬するのか?

もちろん、フルーツ入れさ。
一人のタクシー・ドライバーが、こんなことを望んだ。

火が
あいつらのドレスを焼き尽くせばいいと

笑い声が聞こえてくると
そう思った者たちがいる

大聖堂から聞こえてくると。



三十一人の男性と
一人の女性が死んだのだ。

イネズは
ジミーとエディーの母親だった。

彼ら三人は、一つのテーブルを囲んで
坐っていたのだ。

上の部屋が爆発して
炎とパニックを引き起こしたのだ。

四人の他人もいて、彼らの身元は
警察が確認したのだが

彼らの身内は遺体を確認したいとも申し出なかった。
彼らの家族にとって、恥だったからである。

その家族たちは、もちろん、イネズや彼女の息子たちのことは知らなかった。
いま、その家族たちの息子たちはみな

煙の孤児となっている。



鞭打つ炎と
気管をふさぐ黒い煙のあとで

炎のひとなめによって絶叫がわき起こり、それが止むと
静寂となり、サイレンが鳴り響くと

放水がはじまり、消防車から屋根へと
切れ目なくつながった水が弧を描いていた。

水が
焼けて炭になった梁から滴り落ちて

一人の男の焼死体が
窓枠から覗き見られたあとで

三十一人の遺体が
いっしょくたにされて下ろされると

誰が誰か確認できるコンテナー車のなかに
さっさと運び入れられた。

どの教会も、彼らの遺体を埋葬しようとはしなかった。
どの神の家も、その扉に錠を下ろして

カーテンをぴしゃりと閉じていた。
一人の男が、一人の牧師が、救いの手を差し伸べた。

彼は、聖ジョージ監督派教会から派遣されてきたのだった。
彼はヘイト・メールを受け取った。

聖域を
灰となったこの信徒団のために開放したために。

いま、その灰は姿を変えて
薫香の雲となり

神を賛美して、空中に立ち上っている。







Joseph Ross


The Upstairs Lounge, New Orleans, June 24, 1973


1

At the corner of Chartres
and Iberville Streets,

in a city that burned
to the ground twice,

the Upstairs Lounge was
both gay bar and church.

An uneasy mingling for some,
a holy blend of desire and hope

for others. You had to ring
a bell to be admitted:

a friendly bartender, a white
baby grand piano. After the

Sunday afternoon beer special,
when desire had run its course,

the hope came round and church
began once a few chairs were moved,

new music found for the piano.
They sang like they deserved to.

They prayed like they meant it.

2

Someone poured lighter fluid
onto the stairs that rose

from the sidewalk to the bar,
then anointed those slick stairs

with a match, creating a Pentecost
of fire and wind

that ascended the stairs
and flattened the door

at the top, exploding into the room
of worshippers, friends, lovers,

two brothers, their mother.
The holy spirit was silent.

No one spoke a new language.

3

Some escaped. Many died with
their hands covering their mouths.

One man, George, blinded by smoke
and sirens, his throat gagged

with ash, got out and then
went back for Louis, his partner.

They were found, spiral
of bones holding each other

under the white
baby grand piano

that could not save them.

4

Then came the jokes.
A radio host asked:

What will they bury
the ashes of the queers in?

Fruit jars, of course.
One cab driver hoped

the fire burned their
dresses off.

Some thought
they heard laughter

from a cathedral.

5

Thirty-one men died
and one woman,

Inez, the mother of
Jimmy and Eddie.

The three of them sat
at a table, when this

upper room exploded
into flame and panic.

Four others, though their bodies
were identified by police,

went unclaimed by their relatives.
It is a shame those families

didn't know Inez and her sons.
Now all their sons are

orphans of smoke.

6

After the whipping flames
and the choke-black smoke,

after the screams were singed
into silence, after the sirens,

the hoses, the arcs of water
strung from truck to roof,

after the water dripped
from charred beams, after one

man's burned body was
pried from a window frame,

and thirty-one others
were gathered and lifted

or swept into identifiable
containers, no church

would bury them, every
house of God, a locked door,

curtains drawn tight.
Save one: a priest from

St. George's Episcopal Church,
who received hate mail

for opening his sanctuary
to this congregation of ash,

now transformed into
clouds of incense,

rising like praise into the air.








Joseph Ross : ジョセフ・ロスは、ワシントンDCの詩人で教師である。彼の詩は、多くの雑誌や、Poetic Voices Without Borders 1 and 2 (Gival Press, 2005 and 2009)やDrumvoices RevueやPoet LoreやTidal Basin ReviewやBeltway Poetry QuarterlyやFull Moon on K Streetを含む多くのアンソロジーに掲載されている。二〇〇七年に、彼は、Cut Loose the Body: An Anthology of Poems on Torture and Fernando Botero’s Abu Ghraibを共同編集した。(JosephRoss.net)


緑葉羊の少女

  深尾貞一郎

 洗面台に俯く。陶磁器の白い槽内に滴る血から、月夜のように、そよ風は吹き、その朧に開いた、見慣れた通用口を通り、寂しい沼地に出た。飛び跳ねは、光の槍となり、槽全体を彩る。鼻から口元を押さえる右手が、くらやみを裂き、もう、固まりかけた博愛の奢侈に、気だるく汚れている。

 沼地には、業務用の廃ダンボールを満載した、白い、古びた軽トラックがとまっていた。洗面台の蛍光灯をつけた。黒い瞳のような、陽気な眩しさに、顔を顰める。押さえていた手を広げると、落ちたばかりのあぶら汗が赤く、蜘蛛の触覚のように、ぬめぬめと光った。

 敗北に隣接したアパートがあり、ベランダで布団を干している若い主婦と視線が合う。いやらしい女だ。青草に群がる虫どもが、西風とささやく。薔薇の芳香に毛孔がうずく。主婦は何も見なかったように目を逸らした。

 金色の天使たちがガソリン缶を開け、手元のダンボールからリノリウム床に汁が垂れた。一瞥して、そのまま洗面所に佇む。鏡面に生える、便器に流産したジャスミン。勃起し、刻まれた海の精。和式便器上からトイレットペーパーを掴む時、不意にスローモーションで時間が進んだ。構築物が尾を引いて伸びる、残像が目から消えない。

 紙を小さく捩って耳の穴にも突っ込んだ。角笛の乾いた音が充満する。吐き気を催した。嘔吐した唾にかなりの量の林檎が混じっている。小さな屑籠を抱えるように座り、ぽつぽつと輝く明星を見つめている。飲み込んだ汁の味は完全で、三角コーナーに見ひらく小心な男の臭いにも似て、血を吸ったまな板で捌かれた鰯の頭が、切断された暗い口を開く。

 艶艶と盛られたステンレス合金の恐怖が、十五分も経過しただろうか。自らの頬を叩く。気をとりなおした私は、鼻に詰めた紙を抜いてみる事にした。

 月桂樹に変質したそれをそろりと抜くと、どす黒いナメクジのような、半分固まった羊が顔を見せた。指で摘まんで奥から引き抜く。外に出たものを見て、大きさに少し驚いた。

 居間に帰ると、まだ明かりがついていて、緑色の生ゴムでできた、美少女の私が、口を開けたまま、寝転んでいた。うつらうつらと寝ていたようだ。私の顔を見ると、また、鼻血か、とそれだけ云った。


ある邂逅

  んなこたーない

 梅雨のあけきらぬ、むし暑い、凪いだような午後である。

 植栽試験場にしのびこんだ私は、整然と植えられた草花の、咲きはじめた花弁に手を触れていた。
 「もうじき満開ですね」
 声がしたと思うと、老女は私のすぐそばまで来てかがみこんだ。
 まだ五分咲きといったところだが、しなだれた葉の色褪せた内側から、肉厚の花弁が濃淡をまじえながら漏斗状に折り重なり、見ていると、かすかな風にも反応するのか、たえず揺れ動いているようである。
 「なんだか生きているみたい」
 「身悶えているのよ。欲望に関しては動物よりも植物の方が露骨なものね」
 老女の言葉は私には耳新しく響いた。精緻な形態となった、欲望の塊。
 「なんていう名前の花なのかしら」
 老女はそれには答えず、にっこり笑うと手近なところから花を一輪むしりとり、素早い動作でそれを口へと運んだ。
 「あら」
 驚いた私の声にも老女は一向に頓着する様子はなく、平然と咀嚼をつづけている。それがあさましい行為に思えて、私はたまらず目をそらした。
 「ごめんなさいね、あさましくて。でも歳をとるといろいろ箍がはずれてきてね、まあ痴呆の一種でしょう」
 老女はうかがう姿勢になったが、その表情には華やかな艶があり、瞳をまぶしげにうるませて、身体にはなお不遜な線が折り畳まれている。
 「退行現象っていうんじゃないかしら。いずれにしたって、はしたないわ」
 「あなただっていまにそうなるわよ。それに言ったでしょう、花は身悶えているのよ、って。綺麗だと思ったなら遠慮なく食べてしまばいいのよ」
 私は苦笑した。
 「そう簡単にはいかないわ」
 「あなたはまだ物事を美化して考えているのね」
 老女は立ち上がると、私をうながすように歩きはじめた。しっかりとした足取りである。

 「べつに美化しているつもりはないわ。私だって五十を前にしてそれなりの苦労はしてきたつもりです」
 それはほんとうのことだった。大きな事件でなくともよい、ほんの些細なことであっても、それが日々積み重なってゆくうちに、いつしか、単純に泣いたり笑ったりしてすませるわけにはいかなくなっているーー、長く生きていれば、だれだってそうした事情をいやでも学ばざるをえなくなるものだ。拠りどころのない感情生活の只中で、それでも負担は新たに増えてゆくばかりである。これではわびしさの入り込む余地もない。
 「やっぱりあなたは弱虫なのね。それで彼のことが懐かしいの」
 「懐かしいというのとは違うわ」
 老女は疑わしげな目で私を見た。嘘をついたつもりはなかった。 

 それは私が学校を出て地方銀行に勤めだした頃のことだから、すでに三十年ちかく前になる。大学の演劇部で一緒だったKから、押しつけられるように紹介された男があって、それがなにを錯覚したのか、私に熱をあげたらしく、そこにKの計算が働いていたことを承知しながらも、一時は私も落ち着きを失ったものである。
 だが、前後をわきまえない男の行動が、当時、すでに浮わつくだけの色恋などからすっかり卒業したつもりになっていた私には、ひどく幼く不作法なものに見えた。いまとなってはそうした私自身の振る舞いにもたぶんに幼稚な衒いのあったことを認めないわけにはいかないが、そのためもあって、私は彼の要求に積極的に答える気持ちになれず、かといってはっきり突き放すだけの理由もなかったので、しばらく曖昧な状態がつづいた。その曖昧さが、あるいは心地よかっただけなのかもしれない。
 「それでどうしたの」
 「どうもしないわ。よくある話。向こうもいい加減あきらめたのか、だんだん連絡が途絶えて、それっきり」
 それがつい二週間ほど前、人伝てに彼がすでに亡くなっていることを、それも連絡が途絶えてから数年もしないうちに不慮の事故に遭っていたことを知らされて、あらためて当時のことが思い出されるようになったのである。いまになるまでその事実を知らなかったのは、なにも私の迂闊さのせいばかりではないが、数十年ぶりに対面する彼の面影は、色褪せたという形容を通り越して、昔を偲ぶといった気持ちよりも、思いがけない贈り物を届けられたような、なんとも応対しかねるものだった。考えてみると、彼との交際は、その後立ち入った関係になった男たち(そこには世間並みの不貞もあった)に比べても、ほんの淡いものすぎず、じじつ私は彼の存在すら長い間忘れていたのだ。
 「そのわりにあなたには色気がないわね」
 聞き終わると老女はせせら笑った。

 私たちは植栽試験場に隣接している県立公園に足を向けることにした。陽はすでに傾きかけて、煙幕のような雲が残照に輝き、冴えた明暗に区切られた広場にはわずかな人影が見えるばかりである。
 「少しは涼しくなるかしら」
 「そうね、そうすればあなたの頭もいくらか醒めるでしょうね」
 「べつに取り乱してなんかいないわ」 
 そこで老女が立ち止まった。つられて足を止めた私の耳元に、老女は顔を寄せると、
 「来たわよ」と囁き、そっと私の背中を押した。
 むこうから青年が歩いてくる。はっとして私は背筋をのばした。

 「やあ、いま帰りかい」
 「ええ。あなたは?」
 「僕はこれから内田さんのところに行って、明後日のオーディションの説明を聞いてこなくちゃならないんだ」
 「そうなの。こんどは受かるといいわね」
 「さあどうだか。とりあえずは頑張ってみるよ」
 それから私たちはふたりそろって歩きだした。しばらくはとりとめのない会話が続いたが、ふたりともためらうような足取りで、目が合うとどちらからともなく視線をそらした。それでも私は男の笑顔がときおり不自然に強張るのを見逃さなかった。
 公園の出口間近になると、男はそれまでの会話を打ち切り、態度をあらためると、
 「やっぱり気持ちは変わらない?」
 と言った。
 私はなにも答えなかった。
 男もそれをうながさなかった。
 「じゃあもう時間だから、行くね。結果がわかったらそのうち知らせるよ」
 そう言い残すと男は通りを渡っていった。その後ろ姿には、これが最後の別れになることなど夢にも思っていないらしい、不確かで、頼りない、未完成な翳があった。

 私は弱虫なのかしら? 
 ひとり残されて、急に心許なくなった私は、返事を求めるようにいま来た道を振り返った。
 いつの間にか辺りは夜闇に覆われ、おぼろげにかすんだ道のむこうに、人影らしきものは見当たらず、じっとり汗ばむ微熱にも似た六月の一日の終わりの余韻が、ひとしきり胸を騒がせていった。


赤ん坊の咲き乱れ

  深街ゆか

/紫陽花が咲き乱れている
そのなかでわたしは
喜田次という男とかさなって
白痴の赤ん坊を妊娠した
/月光にひたされ
みずみずしい夜だった


/十三分おくれている喜田次の時計
あいさつも情報も子守唄も
喜田次の耳にとどくのは十三分後、
十三分後のあたりでわたしは
あなたを待ち伏せしてる
/湾曲した喜田次の背中を
突き破ればあふれだす
淀みながらかがやく喜田次の内界
そこにはり巡らされた
とうめいな器官と器官に
ナイフをつき刺し
ばらばらにして
てきとうな大きさになった
あなたを毎夜、消費します


/分娩室で
裏か表か、助産師にとわれ
どちらでもない、と答えた
わたしと赤ん坊の関係はえいえんに
どちらでもないまま終焉をむかえる
誰のせいでもなく
赤ん坊が咲き乱れるみたいに


/揺れないゆりかご
赤ん坊が泣く
わたしのたましいは
喜田次の内界、を
彷徨していて、ね
すべて遠くのできごとのよう
だから、
/わたしの腕に絡みつく
ちいさな白い十本の指ゆび
それらが乳や唄を求めても
わたしのたましいは拒絶する
眠ってください
/いつかむかえるその日まで
 たなびく霞の
 やわらかな秩序に
 包まれていたくて
/赤ん坊の鼻と口をふさいで
  呼吸を止めた、
  赤くなったり
  青くなったり
  酸性、アルカリ性
  そして酸性度によって
  いろとりどりになった
  皮膚と皮膚と瞳が
  わたしを告発する


/真夜中に浮かぶ六角形
そいつが欲しくて
はだしのまま
紫陽花畑のなかを駆けぬける
つややかな大地だ
母親たちの産声が
紺青のかぜとなって
子守唄をうたう
/さようなら/はじめまして
/わたしを受容した宇宙よ


まだ生きている人に向けた四章

  hahen

Green tea.

 友人の父親が死んだ。脳腫瘍だった。はじめは、ドカタの、現場仕事をしていて足場から落下したのだと。そこで彼は鎖骨を折り、CTだか、MRIだかの診断画像からその腫瘍は発見されたのだと。ぼくはその友人と長く、親子ぐるみでの付き合いもあった。悪性か良性かと、誰にともなく問うと、三日後に悪性だと知らされた。ぼくは怨嗟を口にしたと思う。それは何に対して? わからない。
 彼は、ぼくが見舞いに訪れる度、人間でなくなっていくようだった。人間としての機能の内、まずは挨拶を失う。ぼくが誰だか思い出せなくなった。稀に思い出すのに成功した時だけ、彼はぼくらの知る人間性を再現した。一度快復の兆候を見せて退院したらしい。ぼくの母親が「家族だけでゆっくりさせてあげなきゃ」と言って、ぼくらは友人の父親が帰還している間、声も聞かなかった。次に再び入院暮らしを始めて、ぼくが顔を見せに行った時、つい数か月前まで同じ人間として接してきた彼が、最早別種の生物となっていた。何人かの患者が同居するその空間には、脳疾患特有の大きな、おおきな、鼾だけがあった。
 友人の父親が死んだ。父親を失った友人は、父親に倣ってラークを好んで吸うようになった。ぼくは彼の通夜で「ミチオ」と呟いた。誰もかれもが啜り泣く空間で準備されていた緑茶の味を、ぼくは忘れない。それは甘くて、しっかり人間の中で認識され消費されていったのだから。ぼくや、友人は煙草を吸える年齢になった。それを告げるために棺の中にマルボロの吸殻を放り込んでおくのを忘れたのが、心残りだ。脳腫瘍の人間に、意思や言葉は通じるだろうか、ぼくはそれでも伝えてやるべきだったと、後悔する。出された緑茶を飲み干せなかったのは、多分、ぼくが人間だったからだ。

Umbrella,umbrella.

 新宿でぼくは知らない人に声を掛けられた。煙草の煙が不自然なほど少ない街で、あらゆる人種がいる多民族国家で、人工と清潔と雑踏とが、鬱蒼と生い茂るジャングルで。「Excuse me」はじめの一言はこうだったと思う。二人組の日本人ではない誰かで、それでも男性だとわかる人たちが。彼らは目の前にある賃貸情報の張り出された掲示板のことについて質問してきた。ぼくは英語で会話をしたことなどなかったが、中学英語や高校英語は得意だったので、拙いながらも会話が成立した。「Excuse me」だなんて、本当に使われる言葉だったのだ、ということがぼくの関心事だった。二人組の内の一人の、鼻から毛が飛び出していたとかそういうことは意識しなかったと思う。
 時々、予め脳に障害を持って生まれてきた人や、後発的に能力を欠いた人、そういう人たちの中の、ぼくらが通常使う言語が全く通じない人に出会うことがある。ぼくがスーパーマーケットでアルバイトをしていた頃、染髪料の空き箱を持ってぼくに接触してきた老婆がいた。声を発するのは聞こえたが、凡そ、ぼくの知り得る言語には聞き取れなかった。手に持つ空き箱から、同じ商品を買い求めに来たのだとわかったが、それを手渡しても何かが満足しなかったらしく、必死に言葉を紡いだ。でもそれはおそらくどの国へ行っても、どの言語体系に則っても伝わらない幻の発語だ。無力だった。ぼくは人間としてその老婆に恐怖し、また自らの弱さ、至らなさに泣いてしまいそうだった。アルバイト中だったので心を殺していたのが幸いした。
 外出先で予想しない降雨に見舞われて、ぼくは安物のビニル傘を購入する。普通の人ならこうして、家に傘が一切ないという状況とは無縁となるのだろうが。降りしきる雨を避けるため、購入した傘を差して屋外に出る。そろそろ電車に乗らなければ。夜に友人宅で麻雀をする予定があった。友人の家に辿りつく。雨は上がっている。ぼくはいつも、その友人の家に、購入してから一日も経たない真新しい傘を置いて帰る。そろそろ、新しい傘の供給がないぼくの家から、一本の傘もなくなるかもしれない。しかしそれについて危機感らしきものはない、と感じる。昨日。今日は残り二本の、一本を持って外に出たら、スーツを着た日本のサラリーマンみたいな風体の外国人が、「ワォ!」とか言いながら駆けていって、彼の足が散らした水飛沫を、腰の曲がった老婆がものともせず、濡れ鼠になって歩いていたから、持っていた傘を思わずあげてしまった。「傘はどうされたんですか」と尋ねると「突然の雨で……あなたはいいの?」なんて言うものだから「ぼくんち、それなんですよ(真後ろを、親指で)。もう一本持って来ないとな、それじゃ、行ってらっしゃい」と言い捨てて踵を返した。多分老婆は笑っていたと思う。ぼくはこうやって傘を失っていく。最後の一本を如何にして失うのか、願わくば言葉の通じない渡し方を。あんぶれら、あんぶれら。発声さえない。

Dead flower.

 ぼくが仕事に疲れると、誘うようにして十歩先に現れる女の子がいるという話。女の子は花畑を探している。ぼくは先導するふりをして、実は彼女の行く先に追従する。花畑でなくても、路傍に咲くタンポポやイヌノフグリに笑みを零す素敵な女の子。フラウ、とぼくだけに呼ばれる女の子。自身が花のようなフラウ。幼い女の子。
 風を一つだけ捕まえてあげる、といって、たった一つの風を三分間もぼくと彼女自身にぶつける。彼女といる時だけぼくは人間として、表皮のさっぱり乾いた、健康で十全な心持ちを得る。十分おきに鳴るぼくの携帯電話をフラウは不思議そうに見る。ぼくはそれを無視する。彼女の声さえ聞いていればいいのだった。
 ぼくは、同僚の女性とセックスする。買い置きしたスキンが乾く暇はない。恋人を作る気もまた、ない。翌日の仕事が憂鬱になる。それでもぼくは女性を抱く。今日は上司に少しだけ厳しく叱られた。そしてぼくは軟らかい乳房を揉む。ぼくは根性があって、見込みがあるらしい。直属の上司からの評価。その後ぼくは縋りつくようにして女性の毛を口に含む。ぼくがしたいことだけを女性の身体に行う。多分ぼくはセックスが下手だ。くたくたに窶れながらぼくはその後仕事をする。そんな日に限ってフラウは現れない。そうして必ず次の日には細い肩を怒らせて、のしのしと、前方からやってくる。ぼくは仕事をほっぽり出す。フラウがぼくをしゃがませて、ぼくの口の端を抓る。ぼくは苦笑いで謝辞を連ねる。
 経血の薄汚さを知らない少女。女性として不完全な、異質の存在。ぼくはきっとフラウとセックスしたいとは思っていない。彼女もそれをまだ望まない。道端に咲く花へ直向きな喜びを向けている間、彼女に初潮はやってこない。それは死んでいる花。幼い少女はまだ生きていない。花のような可憐な少女、いつかぼくが性徴の少しだけ遅れた彼女に性愛を向ける時が来たら、死んでしまおうと思っている。しみや乾燥知らずの滑らかな頬も、軟らかくないだろう乳房も、細すぎて危うい腰も、一切の飾り気のないだろう性器も全てが愛おしい。まだ人間の女性として不十分であり、だからこそ人間ではない、フラウ、まだ神様になれない少女、誰にも見つからず咲こうとしている、これから生きる死んだ花。

Beautiful world.

 世界はとても美しい。ぼくの乗る電車が人身事故で、もう一時間、運行を停止している。ニコチンの欠乏した頭で、人が死んだということについて想う。一個の肉体とその内に詰め込まれた血液や生理液とが、バラバラに四散する。アナウンスされる救助活動、実際に行われる回収作業。世界はとても美しい。そんな日に雨を降らせてくれるのだから。そんな時に、人々が心を止める朝と、あらゆるものを隠す夜とを、用意してくれるのだから。
 一人の健全な男性が無知な童女に性愛を向ける。屋外のある場所に棲みついた猫のために餌を出してやる。自らの鬱憤を晴らすためだけに仕事上の部下に罵声を浴びせる。杖を片手にだだっ広い道路と対峙する老人の手を取り連れ立って横断する。歩き煙草を楽しみ道端に投げ捨てる。自らが出したゴミを完璧に分別する。世界はとても美しい。たった一人の人間にこれだけのことをさせるのだから。
 人が人を殺す時、その方法如何はあるにしろ、きちんと後悔する。世界はとても美しい。その後悔を失ってしまった、あるいは最初から持って生まれなかった人間には、相対した人が申し訳なくなるほど、社会生活、社交の場で礼儀正しく、また心配りと挨拶の能力を持たせるのだから。ぼくは職場での些細なミスを後悔したりしない。シリアルキラーやサイコパスが殺人を後悔しないからといって、人間として異常なことなどないのかもしれないと思う。人間が人間でなくなるときとは? 世界はとても美しい。
 最近頭痛が酷い。胃の調子が悪い。動悸もする。快晴の空の下を歩く。世界はこんなにも美しい。仕事を休んで良かったと思う。初夏の午前、世界は遍く照らし出され、清々しく、穏やかに、自らの身体を意識することを忘れさせて、空の向こうでは住宅の屋根が連なる、その向こうに柔らかく膨らんだ雲があって、さらに遥か彼方にまた青空があり、目の前をキアゲハが横切り、どこまでも飛んで行こうと身を投げ出し、ぼくは煙草に火をつける、表出しない死を、穏やかな気持ちで、あるいは知らないまま手繰り寄せている。世界はとても美しい。


ブリキの感情

  織田和彦



仲間を欲しがる人間の
不安と恐怖を責めてはいけないと
愚かな武装をした大人たちから
うっかりと聴いてしまったものだから

ぼくらはまた抜け目のない罠を
今日もまた一つ
職場のコピー用紙の裏側に
そっと書き置いてきたわけだ

誰かが背中を押してくれるなら
いつでも飛べる場所にいるのよと
うそぶいた女は
今日も職場に
家庭の粗大ゴミを持ち込んだ

ずる賢い人間たちの
嘘と虚栄を憎んではいけないと

愚かな武装をした大人から
うっかりと聴いてしまったものだから

抜け目のない優しさで
人の弱さに
手を差し伸べた

失ったものは
安っぽい感情とちっぽけな自尊心だけ

優しくしたせいで
ずるいと言われ
また憎まれた
その憎しみが深いほど
この痛みは確かだと感じられた
この先の

まだ見ぬずっと向こうの先に
人間がいる
途方もない
静かな痛みをかき抱く
人間だけを増やせ

人間だけを増やせ


晴れ時々御池

  北◆Ui8SfUmIUc

空の色は淡い青、雲は手で裂いた真綿のようです。昨日の雨に洗い流された大気は、遠く正面に見える西山山系の輪郭をくっきりと見せ、そして、風の清々しい日です。京都の春の彩りは、桜からツツジに入れ代ろうとしています。先日、山科区の毘沙門堂へ足を運びましたが、霧島ツツジのつぼみが膨らみはじめていました。それはまるで、陽気に呼応した妖精の類が、内側から優しく花びらを押し開いているようでした。手入れのされた花ではありますが、ここにも自然の力が、脈々と息吹いているのだと思いました。幸いにも、それを見守ることしかできない私は、少し安堵の念を覚えました。彼女の猫が失踪して、1週間が経とうとしています。私は、御池通りを西に向いて歩いていますが、この御池通りは、平安時代には三条坊門小路と呼ばれた、道幅の狭い通りであったそうです。しかし今では、京都の市内幹線道路として機能し、沿道には、業務系の高層建築などが建ち並んでいます。そして、この大通りを癒すように、街路樹は柔らかな日差しを浴び、風に揺れながら、細やかな木漏れ日を、歩道にいくつも落としています。人々が、この木漏れ日を潜ってゆくのを眺めていると、私自身もこの情景の一部分なのだと、気が付くまでに、幾許か恥ずかしい時間を費やしました。私は職を求めて、人材派遣会社の登録会へ向かうところです。この付近には二条城や御所など、緑の豊かな京都の要所がありますので、野鳥もやってくるのでしょう。姿こそ見えませんが、たくさんの鳥の鳴き声が、ビルに反響しています。 印象的なのはヤマガラのさえずりで、とても喜びに溢れているように聞こえます。また、シメのさえずりは鋭く、この街中では、少し耳を凝らさないと聞こえません。路肩には軽トラックを止めて、窓から片足を突き出して、お弁当を食べている人がいます。簡素な作りの石のベンチには、携帯電話を触っている人が座っています。私は、歩道の隅の石畳の目地の部分に目をやりました。イヌフグリが、小さな青色の花を咲かせています。私もこの花のように、誰かの側らで、朗らかに咲いてみたいものです。あの鳥たちのように、姿の見えないところで、鳴いてみたいものです。どこにでもある、あたりまえの、孤独を幸せの理由にして。 

文学極道

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