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2013年11月分

月間優良作品 (投稿日時順)

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* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


WHAT’S GOING ON。

  田中宏輔



よく嵐山周辺をドライブする。渡月橋を渡って、桂川の両岸を二、三周。「嵐山のどこがいいのかな。」と、ぼく。「風
を挟んで山が二つ、それで嵐山なんだから、山の美しさと、川風の心地よさかな。」と、友だち。「真実なんて、どこ
にあるんだろう。」と、ぼく。「きみが求めている真実がないってことかな。」と、友だち。出かかった言葉が、ぼくを
詰まらせた。笑いながら枝分かれする、ふたこぶらくだ。一つの言葉は、それ自身、一つの深淵である。どれぐらい
の傾斜で川は滝になるのか。垂直の川でも、ゆっくりと流れ落ちれば滝ではない。滝がゆっくりと落ちれば川である。


愛は、不可欠なものであるばかりではなく、美しいものでもある。
(アリストテレス『ニコマコス倫理学』第八巻・第一章、加藤信朗訳)

美しい?
(J・G・バラード『希望の海、復讐の帆』浅倉久志訳)

恋をすることよりも美しいことがあるなんて言わないでね
(プイグ『赤い唇』第二部・第十三回、野谷文昭訳)


北山に住んでいた頃、近くに、たくさんの畑があった。どの畑にも、名札がぎっしりと並べて突き刺してあった。地
中に埋められた死体のように、丸まって眠っている夢を見た。数多くの死体たちが、ぼくの死体と平行に眠っていた。
ぼくは、頭のどこかで、それらの死体たちと同調しているような気がした。夢ではなかったのかもしれない。友だち
から電話があった。話をしている間、友だちもいっしょに、土のなかにずぶずぶと沈み込んでいった。横になったま
ま電話をしていたからかもしれない。友だちの部屋は五階だったから、ぼくよりたくさん沈まなければならなかった。


上の人また叩いたわ
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・28、土岐恒二訳)

二つ三つ。
(ジェイムズ・P・ホーガン『仮想空間計画』プロローグ、大島 豊訳)

このつぎで四度目になる
(デイヴィッド・ブリン『スタータイド・ライジング』下・第十部・125、酒井昭伸訳)


何十分の一か、それとも、何分の一かくらいの確率で、ぼくになる。そうつぶやきながら、ぼくは道を歩いている。
電信柱を見る。すると、電信柱が、ぼくになる。信号機を見る。すると、信号機が、ぼくになる。横断歩道の白線を
見る。すると、横断歩道の白線が、ぼくになる。本屋に行くと、何十分の一か、それとも、何分の一かくらいの確率
で、本棚に並んでいる本が、ぼくになる。比喩が、苦痛のように生き生きとしている。苦痛は、いつも生き生きとし
ている。それが苦痛の特性の一つだ。この間、発注リストという言葉を読み間違えて、発狂リストと読んでしまった。


恋している人間と狂人は熱っぽい頭をもち、何だかだと逞(たくま)しゅうする妄想をもっている。
(シェイクスピア『夏の夜の夢』第五幕・第一場、平井正穂訳)

愛には限度がない
(プルースト『失われた時を求めて』第六篇・逃げさる女、井上究一郎訳)

これがどういうことかわかるかね?
(ウォルター・M・ミラー・ジュニア『黙示録三一七四年』第III部・25、吉田誠一訳)


自分の感情のなかの、どれが本物で、本物でないのか、そんなことは、わかりはしない。記憶も同じだ。ぼくの記憶
はところどころ、ぽこんぽこんとおかしくて、小学生の頃、京都駅の近くに、丸物百貨店というのがあって、よく親
に連れられて行ったのだが、食堂でご飯を食べていると、必ず、ウェイトレスが真ん中の辺りでこけたのだ。顔面に
ガラスの破片が突き刺さって、血まみれになって泣き叫ぶ彼女の声が、食堂中に響き渡ったのだ。ぼくは、その光景
をしっかり記憶していた。誰も動かず、何もしなかった。この話を母にしたら、そんなことは一度もなかったという。


限度を知らないという点では、狂気も想像力もおなじである。
(ジャン・デ・カール『狂王ルートヴィヒ』鳩と鷲、三保 元訳)

愚かな頭のなかで、ありもしない人間の間の絆を実在するかのように考えてしまうらしい
(マルキ・ド・サド『新ジュスティーヌ』澁澤龍彦訳)

愛もある限度内にとどまっていなければならない
(プルースト『失われた時を求めて』第四篇・ソドムとゴモラI・II、鈴木道彦訳)


仕事場から帰るとすぐに、母から電話があった。「きょう、母さん、死んだのよ。」「えっ。」「きょう、母さん、車にぶ
つかって死んでしまったのよ。」お茶をゴクリ。「また、何度でも死にますよ。」「そうよね。」「きっとまた、車にぶつ
かって死にますよ。」「そうかしらね。」沈黙が十秒ほどつづいたので、受話器を置いた。郵便受けのなかには、手紙も
あって、文面に、「雨なので……」とあって、からっと晴れた、きょう一日のなかで、雨の日の、遠い記憶をいくつか、
頭のなかで並べていった。善は急げといい、急がば回れという。この二つの言葉を一つにしたら、善は回れになる。


なにがいけないっていうの?
(ジャネット・フォックス『従僕』山岸 真訳)

幸福でさえあれば、ちっとも構わないじゃない?
(ジョン・ウィンダム『地衣騒動』1、峯岸 久訳)

愛ってそういうものなんでしょ?
(フィリップ・K・ディック『凍った旅』浅倉久志訳)


終電に乗りそこなって、葵公園のベンチに坐っていると、二十代半ばぐらいの青年が隣に腰をおろした。彼の手が、
ぼくの股間を愛撫しだした。それを見ていると、彼がただ彼の手を楽しませるためだけに、そうしているように思わ
れた。興奮やときめきや好奇心が一瞬にして消えてしまった。立ち上がって、ベンチから離れた。その愛を拒めば、
他の誰かの愛を得られるというわけではなかったのだが。それまでぼくは、ぼくのことを、愛するのに激しく、憎む
のに激しい性格だと思っていた。しかし、それは間違っていた。ただ愛するのに性急で、憎むのに性急なだけだった。


もうぼくを愛していないの
(E・M・フォースター『モーリス』第二部・25、片岡しのぶ訳)

もちろんそうさ。
(テリー・ビッスン『時間どおりに教会へ』3、中村 融訳)

いやあああ!
(リチャード・レイモン『森のレストラン』夏来健次訳)


京極に八千代館というポルノ映画館があって、その前の小さな公園が発展場になっている。この間、下半身裸の青年
が背中を向けてベンチの上にしゃがんでいた。近寄ると、お尻を突き出して、「これ、抜いて。」と言って振り返った。
まだ幼さの残る野球少年のように可愛らしい好青年だった。二十歳ぐらいだったろうか。もっと近くに寄って見ると、
お尻の割れ目からボールペンの先がちょこっと出ていた。何もせずに黙って突っ立って見ていると、もう一度、振り
返って、「これ、抜いて。」と言ってきた。抜いてやると、「見ないで。」と言って、ブリブリ、うんこをひり出した。


ぼくを愛してると言ったじゃないか。
(ジョージ・R・R・マーティン『ファスト・フレンド』安田 均訳)

だったらいったいなんだ?
(スティーヴン・キング『クージョ』永井 淳訳)

ただ一つ、びっくりした
(サバト『英雄たちと墓』第I部・3、安藤哲行訳)


フリスクという、口に入れるとスーッとする、ペパーミント系のお菓子がある。アキちゃんは、夏になると、賀茂川
の河川敷で、フンドシ一丁で日焼けをする短髪・ヒゲのゲイなんだけど、彼氏は裸族だった。アナルセックスすると
きには、これを使えばいいよって教えてくれた。すぐにムズムズして、どんなに嫌がってるヤツでも、ゼッタイ入れ
て欲しいって言うからって。ぼくはまだ試してないけど、これをぼくは、「フリスク効果」って名づけた。文章を書く
ということは、自分自身を眺めることに等しい。表現とは認識である。あらゆる自己認識は、つねに過剰か、不足だ。


上の人また叩いたわ
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・28、土岐恒二訳)

四つになる。
(ロジャー・ゼラズニイ『フロストとベータ』浅倉久志訳)

こんどはなにをする?
(A・A・ミルン『プー横丁にたった家』8、石井桃子訳)


空っぽの階段を、ひとの大きさの白い紙が一枚、ゆっくりと降りてくるのが見えた。すれ違いざまに、手でそっとさ
わってみたが、ただの薄い紙だった。通勤電車の乗り換えホームの上で、ひとの大きさの白い紙が、たくさん並んで、
ゆらゆらとゆれていた。ふと、手のひらをあけてみた。きょう一日のぼくが、一枚の白い小さな紙になっていた。手
に口元をよせて、ふっと息を吹きかけた。白い小さな紙は、風に乗って舞い上がっていった。空一面に、たくさんの
白い紙がひらひらと飛んでいた。ホームの上で、ぼくたちはみんな、ゆらゆらとゆれていた。もうじき電車が来る。


叫ぶだろうか。
(ノサック『クロンツ』神品芳夫訳)

そんなところさ
(ジェラルド・カーシュ『不死身の伍長』小川 隆訳)

そのあとは?
(W・B・イェイツ『幻想録』月の諸相、島津彬郎訳)


℃。℃。℃。

  田中宏輔




●先斗町通りから木屋町通りに抜ける狭い路地の一つに●坂本龍馬が暗殺されかかったときの刀の傷跡があるって●だれかから聞いて●自分でもその傷跡を見た記憶があるんだけど●二十年以上も前の話だから●記憶違いかもしれない●でも●その路地の先斗町通り寄りのところに●RUGという名前のスナックが●むかしあって●いまでは代替わりをしていて●ふつうの店になっているらしいけれど●ぼくが学生の時代には●昼のあいだは●ゲイのために喫茶店をしていて●そのときにはいろいろなことがあったんだけど●それはまた別の機会に●きょうは●その喫茶店で交わされた一つの会話からはじめるね●店でバイトをしていた京大生の男の子が●客できていたぼくたちにこんなことをたずねた●もしも●世のなかに飲み物が一種類しかなかったとしたら●あなたたちは●何を選ぶのかしら●ただし●水はのぞいてね●最初に答えたのはぼくだった●ミルクかな●あら●あたしといっしょね●バイトの子がそう言った●客は●ぼくを入れて三人しかいなかった●あとの二人は日本茶と紅茶だった●紅茶は砂糖抜きミルク抜きレモン抜きのストレートのものね●ゲイだけど●笑●バファリン嬢の思い出とともに●あたたかい喩につかりながら●きょう一日の自分の生涯を振り返った●喩が電灯の光に反射してきらきら輝いている●いい喩だった●じつは●プラトンの洞窟のなかは光で満ちみちていて●まっしろな光が壁面で乱反射する●まぶしくて目を開けていられない洞窟だったのではないか●洞窟から出ると一転して真っ暗闇で●こんどは目を開けていても●何も見えないという●両手で喩をすくって顔にぶっちゃけた●何度もぶっちゃけて●喩のあたたかさを味わった●miel blanc●ミエル・ブラン●見える●ぶらん●白い蜂蜜●色を重ねると白になるというのは充溢を表している●喩からあがると●喩ざめしないように●すばやく身体をふいて●まだ喩のあたたかさのあるあいだに●布団のなかに入った●喩のぬくもりが全身に休息をもたらした●身体じゅうがぽっかぽかだった●ラボナ●ロヒプノール●ワイパックス●ピーゼットシー●ハルシオン●ロゼレム●これらの精神安定剤をバリバリと噛み砕いて●水で喉の奥に流し込んだ●ハルシオンは紫色だが●他の錠剤はすべて真っ白だ●バファリン嬢も真っ白だった●中学生から高校生のあいだに●何度か●ぼくは●こころが壊れて●バファリン嬢をガリガリと噛み砕いては●大量の錠剤の欠片を●水なしで●口のなかで唾液で溶かして飲み込んだ●それから自分の左手首を先のとがった包丁で切ったのだった●真・善・美は一体のものである●ギリシア思想からフランス思想へと受け継がれた●美しくないものは真ではない●これが命題として真であるならば●対偶の●真であるものは美である●もまた真であるということになる●バラードの雲の彫刻が思い出される●ここで白旗をあげる●喩あたりでもしたのだろうか●それとも●クスリが効いてきたのか●指の動きがぎこちなく●かつ●緩慢になってきた●白は王党派で●赤は革命派●白紙答案と●赤紙●白いワイシャツと●赤シャツ●スペインのアンダルシア地方に●プエブロ・ブロンコ●白い村●と呼ばれる●白い壁の家々が建ち並ぶ町がある●テラコッタ●布団の上に横たわるぼくの顔の上で●そこらじゅうに●喩がふらふらと浮かび漂っていた●紙面に横たわる喩の上で●そこらじゅうに●ぼくの自我がふらふらと浮かび漂っていた●無数の喩と●無数のぼくの自我との邂逅である●目を巡らして見ていると●一つの安易な喩が●ぼくに襲いかかろうとして待ち構えているのがわかった●ぼくは●危険を察して●布団から出て●はばたき飛び去っていった●Everything Keeps Us Together●きのうは●ジミーちゃんと●ジミーちゃんのお母さまと●1号線沿いの●かつ源●という●トンカツ屋さんに行きました●みんな●同じヒレ肉のトンカツを食べました●ぼくとジミーちゃんは150グラムで●お母さまは100グラムでしたけれど●ご飯と豚汁とサラダのキャベツは●お代わり自由だったので●うれしかったです●もちろん●ぼくとジミーちゃんは●ご飯と豚汁をお代わりしました●食後に芸大の周りを散歩して●帰り道に嵯峨野ののどかな田舎道をドライブして●広沢の池でタバコを吸って●鴨が寄ってくるのに●猫柳のような雑草の毛のついたたくさんの実のついた●先っぽを投げ与えたりして●しばらく●曇り空の下で休んでいました●鴨は●その雑草の先っぽを何度も口に入れていました●こんなん●食べるんや●ぼくも食べてみようかな●ぼくは雑草の先っぽを食べてみました●予想と違って●苦味はなかったのですけれど●青臭さが●長い時間●口のなかに残りました●鴨の子供かな●と思うぐらいに小さな水鳥が●池の表面に突然現われて●また水のなかに潜りました●あれ●鴨の子供ですか●と●ジミーちゃんのお母さまに訊くと●種類が違うわね●なんていう名前の鳥か●わたしも知らないわ●とのことでした●見ていると●水面にひょっこり姿を現わしては●すぐに水のなかに潜ります●そうとう長い時間潜っています●水のなかでは呼吸などできないはずなのに●顔と手に雨粒があたりました●雨が降りますよ●ぼくがそう二人に言うと●二人には雨粒があたらなかったらしく●お母さまは笑って●首を横に振っておられました●ジミーちゃんが●すぐには降らないはず●降っても三時半くらいじゃないかな●しかも●三十分くらいだと思う●それから嵐山に行き●帰りに衣笠のマクドナルドに寄って●ホットコーヒーを飲んでいました●窓ガラスに蝿が何度もぶつかってわずらわしかったので●右手の中指の爪先ではじいてやりました●蝿はしばらく動けなかったのですが●突然●生き返ったように元気よく隣の席のところに飛んでいきました●イタリア語のテキストをジミーちゃんが持ってきていました●ぼくも●むかしイタリア語を少し勉強していたので●イタリア語について話をしていました●お母さまは音大を出ていらっしゃるので●オペラの話などもしました●ぼくもドミンゴのオセロは迫力があって好きでした●ドミンゴって楽譜が読めないんですってね●とかとか●話をしていたら●急に●外が暗くなってきだして●雨が降ってきました●降ってきたでしょう●と●ぼくが言うと●ジミーちゃんが携帯をあけて時間を見ました●ほら●三時半●ぼくは洗濯物を出したままだったので●夜も降るのかな●って訊くと●三十分以内にやむよ●との返事でした●じっさい●十分かそこらでやみました●前にも言いましたけれど●ぼくって●雨粒が●だれよりも先にあたるんですよ●顔や手に●あたったら●それから五分から十分もすると●晴れてても●急に雨が降ったりするんですよ●すると●ジミーちゃんのお母さまが●言わないでおこうと思っていたのだけれど●最初の雨があたるひとは●親不孝者なんですって●そういう言い伝えがあるのよ●とのことでした●そんな言い伝えなど知らなかったぼくは●ジミーちゃんに●知ってるの●と訊くと●いいや●と言いながら首を振りました●ジミーちゃんのお母さまに●なぜ知ってらっしゃるのですか●と尋ねると●わたし自身がそうだったから●しょっちゅう●そう言われたのよ●でももう●わたしの親はいないでしょ●だから●最初の雨はもうあたらなくなったのね●そういうもんかなあ●と思いながら●ぼくは聞いていました●広沢の池で●鴨が嘴と足を使って毛繕いしていたときに●深い濃い青紫色の羽毛が●ちらりと見えました●きれいな色でした●背中の後ろのほうだったと思います●鴨が毛繕いしていると●水面に美しい波紋が描かれました●同心円が幾重にも拡がりました●でも●鴨がすばやく動くと●波紋が乱れ●美しい同心円は描かれなくなりました●ぼくは池を背にして●山の裾野に拡がる●畑や田にけぶる●幾条もの白い煙に目を移しました●壁のペンキがはげかかったビルの二階のトイレ●そこでは●いろいろな人がいろいろなことをしている●ご飯を炊いて●それをコンビニで買ったおかずで食べてたり●その横で●男女のカップルがセックスしてたり●ゲイのカップルがセックスしてたり●天使が大便をしている神父の目の前に顕現したり●オバサンが愛人の男の首を絞めて殺していたり●オジサンが隣の便器で大便をしている男の姿を●のぞき見しながらオナニーしてたり●男が女になったり●男が男になったり●女が男になったり●女が女になったり●鳥が魚になったり●魚が獣になったり●床に貼られたタイルとタイルの間が割れて●熱帯植物のつるがするすると延びて●トイレのなかを覆っていって●トイレのなかを熱帯ジャングルにしていったり●かと思えば●トイレの個室の窓の外から凍った空気が●垂直に突き刺さって●バラバラと砕けて●トイレのなかを北極のような情景に一変させる●男も●女も●男でもなく女でもない者も●男でもあり女でもある者も●何かであるものも●何でもないものも●何かであり何でもないものでもあるものも●ないものも●みんな直立した氷柱になって固まる●でも●ジャーって音がすると●TOTOの便器のなかにみんな吸い込まれて●だれもいなくなる●なにもかも元のままに戻るのだ●すると●また●トイレのなかに●ご飯を炊く人が現われる●カーペットの端が●ゆっくりとめくれていくように●唇がめくれ●まぶたがめくれ●爪がめくれて指が血まみれになっていく●すべてのものがめくれあがって●わたしは一枚のレシートになる●田んぼの刈り株の跡●カラスが土の上にこぼれた光をついばんでいる●地面がでこぼことゆれ●コンクリートの陸橋の支柱がゆっくりと地面からめくれあがる●この余白に触れよ●先生は余白を採集している●それで●こうして●一回性という意味を●わたしはあなたに何度も語っているのではないのだろうか●いいね●詩人は余白を採集している●めくれあがったコンクリートの支柱が静止する●わたしは雲の上から降りてくる●カラスが土の上にこぼれた光をついばんでいる●道徳は●わたしたちを経験する●わたしの心臓が夜を温める●夜は生々しい道徳となってわたしたちを経験する●その少年の名前はふたり●たぶん螺旋を描きながら空中を浮遊するケツの穴だ●あなたの目撃には信憑性がないと幕内力士がインタヴューに答える●めくれあがったコンクリートの陸橋がしずかに地面に足を下ろす●帰り道●わたしは脚を引きずりながら考えていた●机の上にあった●わたしの記憶にない一枚のレシート●めくれそうになるぐらいに●すり足で●賢いひとが●カーペットの端を踏みつけながら●ぼくのほうに近づいてくる●ジリジリジリと韻を踏みながら●ぼくのほうに近づいてくる●ぼくは一枚のレシートを手渡される●ぼくは手渡されたレシートの上に●ボールペンで数字を書いていく●思いつくつくままに●思いつくつくままに●数字が並べられる●幼いぼくの頬でできたレシートが●釘の先のようにとがったボールペンの先に引き裂かれる●血まみれの頬をした幼いぼくは●賢いひとの代わりのぼくといっしょに●レシートの隅から隅まで数字で埋めていく●レシートは血に染まってびちゃびちゃだ●カーペットの端がめくれる●ゆっくりとめくれてくる●スツール●金属探知機●だれかいる●耳をすますと聞こえる●だれの声だろう●いつも聞こえてくる声だ●カーペットの端がめくれる●ゆっくりとめくれてくる●幼いぼくは手で顔を覆って●目をつむる●雲の上から降りてきた賢いひとの代わりのぼくは●その手を顔から引き剥がそうとする●クスリを飲む時間だ●おにいちゃん●百円でいいから●ちょうだい●毎晩●寝るまえに●枕元に灰色のボクサーパンツを履いたオヤジが現われ●猫の鞄にまつわる話をする金魚アイスの●どうよ●灰色のパンツがイヤ●赤色や黄色や青色のがいいの●それより●間違ってぽくない●金魚アイスじゃなくって●アイス金魚じゃないの●たくさんの猫が微妙に振動する教会の薔薇窓に●独身の夫婦が意識を集中して牛の乳を絞っているの●どうよ●こんなもの咲いているオカマは●うちすてられて●なんぼのモンジャ焼き●まだやわらかい猫の仔らは蟇蛙●首を絞め合う安楽椅子ってか●それはそれで癒される●けど●やっぱり灰色はイヤ●赤色や黄色や青色のがいいの●地球のゆがみを治す人たち●バスケットボールをドリブルして●地面の凸凹をならす男の子が現われた●すると世界中の人たちが●われもわれもとバスケットボールを使って●地面の凹凸をならそうとして●ボンボン●ボンボン地面にドリブルしだした●それにつれて●地球は●洋梨のような形になったり●正四面体になったり●直方体になったりした●ウンコのカ●ウンコの●ちから●じゃなくってよ●ウンコの●か●なのよ●なんのことかわからへんでしょう●虫同一性障害にかかった蚊で●自分のことをハエだと思ってる蚊が●ウンコにたかっているのよ●うふ〜ん●20代の終わりくらいのときやったと思う●付き合っていた恋人のヒロくんのお父さんが弁護士で●労災関係の件で●それは印刷所の話で●年平均6本●とか言っていた●指が切断されるのが●紙を裁断するとき●あるいは●機械にはさまれて●指がつぶれる数のこと●ヒロくんは●クマのプーさんみたいに太っていて●まだ20才だったけど●年上のぼくのことを●名前を呼び捨てにしていて●歩いているときにも●ぼくのお尻をどついたり●ひねったりと●あと●北大路ビブレの下の地下鉄で別れるときにでも●人前でも平気で●キスするように言ってきたり●それでじっさいしてて●駅員に見られて目を丸くされたりして●かなり恥ずかしい思いをしたことがあって●そんなことが思い出された●ヒロくんは●大阪の梅田にある小さな映画館で●バイトしていて●一度●そのバイト代が入ったから●おごるよと言って●大阪の●彼の行きつけの焼肉屋さんで焼肉を食べたのだけれど●そうだ●指の話だった●ヒロくんと別れたあとだと思うのだけれど●4本か5本だったかな●ハーブ入りの●白いウィンナーをフライパンで焼いていて●そのなかにケチャップを入れて●フライパンを揺り動かしていると●切断された指が●フライパンのなかでゴロゴロゴロゴロ●とってもグロテスクで●食べるとおいしいんだけど●見た目●気持ち悪くて●ひぇ〜って●気持ち悪くって●で●ヒロくんとはじめて出会ったのが●大阪の梅田にある北欧館っていうゲイ・サウナだったんだけど●彼って●すっごくかわいいデブだったから●決心するまで時間がかかったけど●あ●決心するって●ぼくのほうからアタックするっていう意味ね●で●ぼくみたいなのでもいいのかなって思って●彼に比べると●ぼくなんかブサイクだと思ってたから●あ●これ●ちょっと謙遜ね●で●近寄っていったら●勇気あるなあ●って言われて●びっくりしたので●くるって振り向いて立ち去りかけたら●後ろから腕をつかまれて●おびえながら顔を見上げたら●あ●ぼく180センチ近くあるんやけど●ヒロくんもそれぐらいあって●肩幅とか●横がすごくって●ぼくよりずっと大きく見えたんだけど●彼も180センチ近くあって●で●そのいかついズウタイで●顔はクマのプーさんみたいで●かわいらしくって●にっこり笑っていたので●ああ●ぼくでもええんやって思って●ほっとして●それから●ふたりで●ふたりっきりになりたいねって話をして●じゃあ●ラブ・ホテルに行こうって話になって●もちろん●ぼくのほうから●ふたりっきりになりたいって言ったんだけど●で●そうそうに●北欧館から出て●北欧館の近くにあった●たしか●アップルって名前のラブホだと思うんだけど●男同士でも入れるラブ・ホテルに行って●エッチして●それからご飯をいっしょに食べに行って●あ●お好み焼きやった●まだ覚えてる●そのときのこと●あつすけさんて●どっちでもできるんや●どっちって●どのどっちやろか●って思った●ぼくは彼の腕を縛ったりして遊んだから●でも●なぜかしら●ヒロくんがデーンと大の字に寝て●ぼくが抱きつきながら●頭すりすりしてたりしてたからかな●あ●一週間で●あつすけさん●は●あつすけ●になりましたけど●ヒロくんは基本的にタチやったから●まあ●それでよかったんやけど●ぼくも若かったなあ●やさしい子やった●ヒロくんは基本Sやったけど●笑●そういえば●ヒロくん●ピンクのプラスティックのおもちゃで●ロータリングっちゅうのやろか●お尻に入れて動かすやつ持ってきたことがあって●ぼくのお尻に入れて●スイッチが入ったら●ものすごく痛かったから●すぐにやめてもらったんやけど●ヒロくんのチンポコやったら●そんなに痛くなかったから●それにいつもヒロくんは入れたがったから●ぼくが受身になってたけど●ヒロくんと付き合ってたときは●なんか●やられることになれちゃって●10才近く年下やのに●ええんやろかって思ったりしたことがあって●で●一度だけ●ぼくが入れたことあるんやけど●ヒロくんはものすごく痛がって●かわいそうだから●その一度だけで●あとはずっと●ぼくが攻められるほうで●ヒロくんが攻めるって感じやった●それと●ヒロくんはいつもぼくのを飲んでたけど●なんで飲むんって訊いたら●男の素や●男のエキスやから●より男らしくなるんや●って返事で●そうかなあって思ったけど●それって愛情のことかなって思った●一度●風呂場で●電気消して●真っ黒にして●ヒロくんのチンポコをくわえさせられたことがあって●ヒロくんが出したものをぼくがわからないように吐き出したら●いま吐き出したやろ●って言って●えらい怒られたことがあった●ヒロくんは●仏像の絵を描いたものをくれたことがあって●ぼくが仕事から帰ってくるのを●ぼくの部屋で待ってたときに●描いてたらしくって●上手やった●仏像の絵を描くのがヒロくんの趣味の一つやった●ヒロくんのことは●何度も書いてるけど●まだいっぱい思い出があって●ぼくの記憶の宝物になってる●笑い顔いっぱい覚えてるし●笑い声いっぱい覚えてる●いまどうしてるんやろか●あ●お好み焼き屋さんで●その腕の痕●なに●って訊いたら●さっき縛ったやんか●って返事●ヒロくんの性格って●いまぼくが付き合ってる恋人にそっくりで●いまの恋人の表情ひとつひとつが●ヒロくんを思い出させる●きのう●恋人とひさしぶりに半日いっしょにいて●しょっちゅう顔を見てたら●なんや●って何度も言われた●べつに●って言ってたけど●人間の不思議●思い出の不思議●いま付き合ってる彼のことが愛おしいんだけど●ヒロくんの思い出をまじえて愛おしいようなところがあって●ひとりの人間のなかに●複数の人間のことをまじえて考えることもあるんやなあって思った●ヒロくんと撮った写真●たまに出して見たりするけど●ぼくが死んで●ヒロくんが死んで●写真のふたりが笑ってるなんて●なんだかなあ●ぼくは恋をしたことがあった●また会ってくれるかな●いいですよ●はじめてあった日の言葉が●声が●いつでもぼくの耳に聞こえる●あつすけ●ちょっと怒ったように呼ぶヒロくんの声●そういえば●きのう●恋人が●あほやな●なんでそんなにマイペースなんや●きっしょいなあ●腹立つなあ●めいわくや●って●笑いながら言った●あほや●とか●きっしょいとか言われるのは恋人にだけやけど●悪い気がしなくて●って●ところが●きっしょいのかなあ●ぼくは恋をしたことがあった●ヒロくんには●ぼくの投稿していたころのユリイカをぜんぶプレゼントして●吉増さんの詩集もぜんぶあげたことがあって●詩を書きはしないけど●読むのは好きな子やった●あ●ヒロくんよりデブってた男の子で●ぼくが耳元でぼくの詩を朗読するのを●すごくよろこんでた子がいたなあ●ヒロくんは剣道してたけど●その子はアメフトで●なんでデブなのにスポーツしてやせへんのやろか●わからんわ●はやく死んでしまいたい●あ●電話でジミーちゃんにヒロくんのこと●書いてるんだけどって言ったら●あの大阪の映画館でバイトしてた●双子座のA型の子やろって●ひゃ〜●いまの恋人といっしょやんか●そやから似とったんやろか●そういうと●ジミーちゃんが●たぶんな●って●ふえ〜●あ●そういえば●タンタンは双子座のAB型やった●なんで●機械する●機械したい●機械させる●機械する●機械したい●機械させる●機械は機械を機械する●機械に機械は機械する●機械する機械を機械する●機械を機械する機械を機械させる●機械死体●蜜蜂たちが死んで機械となって落ちてくる●街路樹が錆びて枝葉がポキポキ折れていく●ゼンマイがとまって人間たちが静止する●雲と雲がぶつかり空に浮かんだ雲々が壊れて落ちてくる●金属でできたボルトやナットが落ちてくる●あらゆるものが機械する●機械する●機械したい●機械させる●機械する●機械したい●機械させる●機械は機械を機械する●機械に機械は機械する●機械する機械を機械する●機械を機械する機械を機械させる●葱まわし●天のましらの前戯かな●孔雀の骨も雨の形にすぎない●べがだでで●ががどだじ●びどズだが●ぎがどでだぐぐ●どざばドべが!


三つの具象的な語彙の詩

  前田ふむふむ


帽子

かなり熱があるので 気分は悪く やっとの思いで病院についた
そして待合室に深々と腰をおろすと
その中央にあるテーブルの上に
いかにも高価そうな帽子が置いてある
それはクリーム色をした 軽く透けている生地を使っており 
上品な透け感と程良い張り感を持ち合わせていて 
固い風合いと光沢を帯びている
そして 右側面に赤いバラがさりげなくついている
その気高さに わたしもそうであったが
待合室の患者は みんな好奇な眼でみているのだ

ところで この高貴な帽子は患者を癒すために 
たとえば生け花のように 観賞物として置いてあるのだろうか
そうであるならば それを示す説明書きが
帽子のそばに添えてあっても不思議ではない
とにかく安物ではなく高級な帽子であるのだから
当然だと思うのだが それがない 多分 違うのだろう
あるいは誰かの持ち物なのだろうか
でも わたしは随分と待っているが
誰も取ろうとしない 忘れ物なのだろうか
そうであるならば 誰かが受付に申し出ても良いと思うのだが
誰もしようとしない

さて この帽子が忘れ物ならば 持ち主はここにはいない
欲しいと思って 仮に誰かが持っていっても
分からないのだから 盗み得になってしまうだろう
もしかすると 皆欲しいのだけれど このなかに持ち主がいたら
その場で 泥棒として捕まってしまうので
それを警戒して 相互に監視しているのだろうか
ああ もう二時間近くもテーブルに置いてある
あるいは 持ち主がこのなかにいて
こっそり盗む者がいないか じっと見ており
わたしを含めてみんなを試しているのかもしれない
時々 みんなを見回すと 誰も彼もが尋常ではない
鋭い眼で見ているように思える

わたしは こうして長い間 なにかに憑りつかれたように帽子をみている
でも余計な打算をはぶいて 没頭していると 
徐々にではあるが この帽子はちょうど 
殺風景な待合室に溶け込むように息づいていて その配置といい 
色合いといい この部屋に無くてはならない 
最も重要なものであるように見えてくる
だから わたしは この帽子に対して 触れることは勿論
何かをしてはいけないように思うようになった
それが最善に思えるのだ

診察室から名前を呼ばれた

医師から治療を受けていると 医師の言葉はまるでうわの空で 
待合室を留守にしている間に あの帽子を誰かが持っていってしまわないかと
そのことばかり気になっている
短い治療が終わり 待合室に戻ると 帽子はまだ そこにあった
わたしは ほっとして なぜか とても充たされていた
それだけではなく 帽子をとても愛しく思えた
そして 願えば この帽子が いつまでも 
そこにあり続けるように思えた

後ろ髪を引かれながら 受付で診察の清算を終える

そして 五日後 医師の指示に従って 再診で病院に来たが 
高熱の病気はすでに治っていた
わたしは待合室に行き 嬉々として 高貴な帽子の方に眼をやると 
中央のテーブルの上には
薄汚れた古い帽子が無雑作に置いてあった



帰宅するひと
            

三月十一日
国道122号線を 北にむかって ひたすら歩いた
前方から後方まで ひとびとの列が途切れることなく
つづいている
幸い街路灯は 消えていない
たよりないそのひかりが映す
ひとびとの顔は不安を浮かべている
そして黙々と帰路を急ぐ

帰宅するひと
そこに道があれば 帰宅するひとという所属が生まれる
理由などいらない
家に帰るという意識の旗を 胸にかかげて
黙って唱えれば もうりっぱな 帰宅するひとだ
そこには意志がやどる
そのたよりない列が 素晴らしい仲間に見えてくる
わたしは前を歩く 疲れている女性に
ペットボトルのみずを与えた
女性は真っ直ぐな眼で お礼を返した
目的地にむかう同志のように

ひとびとの白い吐く息は 熱気を孕み
わずかずつ会話が始まる
ときに笑いも浮かべて それに 夜はいつまでも
寄り添っていた

だいぶ歩いただろうか
もうすぐ自宅だ 
やや東の空から明るみを 帯びてきている
わたしの道が白く 浮かびあがっている
気がつかなかったが 見渡せば
わたしだけ
ひとりで歩いている


中二階
              

仕事が終わり 職場を出る
暗い夜の空気をふかく吸いこんで 一日を反芻する
そして 満ち足りた高揚感を 夜の乾いた冷気で
浸していると職場のビルの中二階に灯りが点いていて
男がひとり 寂しそうに立っている

わたしはその男が気になったので
中二階を探したが どうしても辿り着けない
もっとも中二階があるということは
今まで聞いたことはなかったし 外から見れば そのビルは
中二階が造られていない構造だということは すぐ分かることなのだ
念のために管理人に聞いてみたが やはりないという

でもわたしには見える
仕事がおわった帰り際に 夜ごと その中二階があらわれて
右角の一室の窓辺に 男が立っている

かなり不気味なことなので
幻覚を見るほど 疲れているのではないかと
自分を慰めたが 原因は分からない

そう思いながら もう一度 注意深く意識して
職場のビルを見ると 中二階などは存在しないで
均等に五階に分けられている
その窓はブラインドで閉じられていて
冷たい様相で 立っている

わたしはほっとして やはり幻覚だったと納得する
そして その儀礼的な確認を終えると
心置きなく安心して 家族の待つ団欒に帰るのだ

こうした 懐疑的で夢のような出来事を
毎日を繰り返している わたしは長い間
この部屋を 出たことがない

ひまわりの贋作の絵画が 掛けられている この病室では
日が暮れて 窓から夕日が 射してくると クロッカスの球根に当たる
そして 一人きりの 寂しさを紛らわすために
まず球根にみずをやっている
窓辺では球根をグラスにいれて
もう何年も 育てているが 花が咲いたことがない

夜七時 決まったように部屋の灯りをつける
窓の外
きょうも 街路灯の下でひとりの男が 立ち止まり こちらを見ている
彼はいつになったら 階段を駈けあがり わたしに会いに
この部屋にくるのだろうか
窓辺に立って わたしはいつも
何かを待っている


最後の人々について

  鈴屋


わたしの頭のうしろで 雲はながれ 雲の下 浅黄に刷かれた
丘のふもとに 最後の人々は住む わたしの頭のうしろで 川
はながれ 蜥蜴の尾のように青くかがやき 野の果てまでくね
くねと細り むこう岸の木立のまにまに 最後の人々は住む


かれらは 明るい窓辺のベッドで死ぬ 神の理ではなく窓枠に
切り取られた青空の理によって死ぬ そよぐ枝葉 つっつっと
降りてくる蜘蛛 背伸びして覗きにくる子供と犬 矩形のなか
のそんなものらを 眸にうつして死ぬ


かれらは生きる 人としてありていに生きる 太陽の下で穀物
と家畜をそだて 工場で機械と電磁波をつくり 日々を生きる
しかもかれらは 生きてかなしむ たとえば野にあるとき 頭
上の青空のもっともふかい青 そのようにかなしみ やがてか
なしみは しずかなよろこびに反転する


この秋 わたしは赤松林をぬけ 古池を散策する 木立が水面
までのばす枝先の もみじ葉の翳りのなか 一尾の鯉がじっと
身をひそめている ときとしてそのあたり 失われた祖国の影
が病葉ようにただよい わたしはあまりの懐かしさに 身を震
わす よって わたしはかれらに属する者ではない
        

かれらは 欲しいものはなんでも手に入れることができる 死
さえも苦もなく手に入るので つまり 欲しいものはなんでも
あらかじめそこにある いえ そうではなく 欲しいものはつ
ねにそこに 新鮮に たちあらわれる


かれらはみな寡黙である かれらは長い年月をかけて 徐々に
に言葉を失いつつある すでに人称代名詞のうち わたし あ
なた が使われることはない 愛 苦 望み など 人の心に
まつわる言葉については 知らないと こともなげに言う


言葉が失われていく しかしかれらは 海や陸や天体にたいし
てと同様 隣人たちとふかく親和している それでいて あく
までも個の点在を尊ぶ わたしには未知の 沈黙の交感をつか
さどる気圏に 包摂されているとしかおもえない 見ることの
叶わぬ風景として 
 

わたしの最後の人々についての知見は このていどでしかなく
わたしがかれらとともに生きることは ついになかった わた
しは旅の途上にあり 国境線の消えた大地をさまよい 海は海
のままに 陸は陸のままにながめ どこまで歩いていっても 
わたしの頭のうしろで かれらの群像は遠のく


てのひらの秋

  夢野メチタ

(一)
秋、ゆらぎゆらいで定型にする、赤、一枚の花弁とひだる
息、野放しに、こおろぎと分け合いする左手をささげ
折り曲げた体躯から砂の、香ばしく明けそめる山の赤に
秋の道ゆらいで天高く空が落ちる、ゆれる、そよいでゆらぐ



声それて刈り入れられた、乾いて深くつごもる稲田、ほどけ
声をころし落ち穂のように伏せり、えにし、髪のにおいがなじむ
藁、あかりを食む間もなく、むしろを編む人のこより手を好む
肥える秋、左手に重ね、秋の虫のむしろ場にさしだす

秋ゆらいゆらぎって、たえに咲く花の昼にしに赤色をそそぐ
熟した木の実に洗い、むくろじの羽根をついて遊ぶ
息、野放しにあがり、さやいだ風に秋を感じる、手のひらに糸
道ゆらぎって持ちかえる夕、静けさ、さやいで弱弱しく握る

山田の、畦の、家路にむかう子供たちの足元、秋、ゆらぎゆらいで
暮れなずむすべての秋に
秋と言ってやりたい

(二)
おはよう、何度もあくびを噛みころす朝
こわばった心音が指先に伝わりすべり落ちた
道ばたで出会った猫と一夜をあかして、花をつむ
水色の、ひかりにとけて淡い

それからまた少しねむって

手向けた鶴が飛び立つのを待つあいだ
峠をわたる馬車がいくつもの秋をのせてやってきた
幌の中身をひとめ見ようと首をのばして立ちつくす、子供は見えない
馭者のくたびれた背中が遠くなる

「たおねずみが水路を駈けて逃げてくよ」
「捕まえようか」
「もう少し様子を見ていよう」
「なんだか空がくもってきたわ」
「躯は痛みますか」
「土がやわらかいから平気です」
「いま雨つぶが落ちてきた」
「車輪のあとを濡らしたね」
「いつまでも同じ姿勢で横たわっている」
「それにしても小さくみすぼらしい足あとだ」

雲が、雲を食む、空のすきま
いつしか周りには同じような猫が一匹、二匹、三匹と増えている
刈りたての稲の匂いにまぎれて、ごろごろと喉を鳴らしながら
何度も顔をぬぐう、ひなたの中で
幼い爪どうしが掻きあって衣ずれ、ほつれた糸が草むらにたゆんだ

三叉路のくぼみにのせた手のひらがなぞる
見えない足あとが延々と踏み固められた道につづく
農夫たちは寂しくなった土をおこして、おこして
深まっていくまぶたの裏に、歩いてどこまでも、振り返らない

それからまた少しねむって

花びらをつまみ、それを水にうかべて
ゆらゆらと梢がそよぐ透き通った点描の中で
沈むでもなく飛ばされるのでもなく、ただゆっくりと
流れにそって旋回していく様を見ていた

(三)
今日のわたしのお昼はてんぷら、てんぷら、てんぷらをたべるよ
「いなげや」でだいこん買っておろし金でおろす
お椀の中にかつおだし
しょう油を切らしたね かなしいねって

すりがらすの向こう側 日曜日がふっている
指で弾いてかき鳴らす 高いつめ切りの音も
緩しょう材が安いから 全部つつぬけなんだ
見えなくっておかしい お腹抱えて笑ったね

ふっとう

手のひら、かざしたらとても薄くて
大事に握ってたさいばし落としてしまった

手のひら、うれしそうに咲いていた折り紙の花 置いたまま
秋がきて もう、季節はずれになってしまった


森の心象

  前田ふむふむ



木がいさぎよく裂けてゆく
節目をまばらに散りばめている
湿り気を帯びた裂け目たち――みずの匂いを吐いて
晴れわたる空に茶色をばら撒いて
森は 仄かな冷気をひろげる 静寂の眩暈に佇む

森番の合図の声が
うすい陽光のなかから 立ち上がる
乾いた声は木霊して
わずかに残るみどりの葉紋に透過する
わたしは 新しい斧を振り上げて
父母の年輪のなかに 鋭い刃を沈める
ひらかれた木の裂け目が
みずみずしいいのちの曲線を描いて
夢のような長いときが鮮やかにもえだす
腕に積もる心地よい疲労で
爽やかな汗が ひたいに溢れ
あつい滴りが右眼を蔽い
わたしは 正確な季節の均衡を失う
軟らかく 萌えはじめる春の夜明けのなかで


春が息吹を吐き出す
眩い清流で充たされた春の右眼のなかを
クラクションを猛々しく鳴らす
ヘッドライトの閃光が 刺すように通り抜けた
右眼は流れを失い 世界の半分を白い暗闇のなかに隠す
崩れるように船は砕けて かたちを持たない破片が
わたしの右眼を蔽ってゆく

母に手を引かれて 坂をくだり
泣きながら辿った塩からい夏が
右眼のなかに浮ぶ
父が愛した 一輪のりんどうのような船を
悪戯っぽい豪雨が 壊してしまった朝が微かにめざめる
わたしは 血だらけの船を置き去りにして
うな垂れる父が
誰もいない凪いだ海の防波堤に蹲った
あの時から

次々と海鳥が 潮騒の立ち上がる床を蹴り
高い空をめざす
高さのない夏が 底辺から溶けだす
零れるみずだけは きよらかに季節を舐めている
少ないのだろうか
流れる血が足りないから
わたしは 父の風景を
いつまでも この右眼に抱えているのだろうか

痛々しい水平線を
右眼のなかにひろげれば
行き場のない瓦礫が 涙のなかに見える
わたしは 右眼のなかから零れた巻貝を拾い
耳に当てて
尚 忘れているなつかしい夏の声を聴く
激しくゆれる線を湛えて
潜在する空の心電図の波形のなかを
父の失意を奏でる夏の汗が
繰り返し 木霊していった
そのうしろから
母が幼い妹を背負って 泣いているわたしを窘めながら
昇りつづける坂が 緩やかに延びはじめて
父が辿れなかった ひろがる静寂をゆく
極寒に赤々と燃えていた 寂れたストーブのむこうへ


森番の作業停止の大きな声が 静寂を裂いて
水脈を削る音が いっせいに途切れる
わたしは 汗をしわだらけの手拭いで拭き
森の涼しい息に 眠るようにひたる
羽根を強く打ち鳴らしながら
鳥の声が みずの流れの傍らに降下して
おもむろに 降り出した夕暮れを 饒舌に編み上げている

わたしの視線は 忘れていた森を飲み込んで
いま 淡い春が 右眼になかにある
原色の夏を 真綿のように包んで


泡に関するノエマ

  かとり

まだ、

しゃぼん玉が浮かんでいた。「あ」と「ひ」の中間の声が漏れいで、号砲として轟いた。街とともに、私は止まっており、止まっている、ということを知るほどに、ぴりりと痺れる指先が、陽光の投射を、あちらこちらから、透過させてみせる素振りで、ひっそりと立ち上っていく、ひとりっきりの油膜、仮説としての界面を、ピンク、レッド、オレンジ、と、順番に滑り降りていきながら、明るさの、巨きくなった広場へ、金木犀の、匂いがいきおいよく流入し、吸気が、肺の奥で渦を巻く。あらゆる、先端のあいまを漂う、午後としての私は、クロックスをつっかけていて、いや、つっかけていたのは、クロックスのまがい物であって、足先を包む、型どられたゴムや、靴底はうすく、やわく、尖った、路面の感触を、私は感じることができる。

あるいは、

ドードーのけむくじゃらの翼。泡の残滓、その乾いた図柄が、腐った、石鹸水の匂いを振りまいて、そこいら中を闊歩しており、嘴で羽繕いをしたり、所構わずふんを漏らして、ひしめきあっていたかと思えば、羽毛を逆立てて争い、交尾をしては卵を産む。そして産まれたときにはすでに、絶滅していた、青春時代へ、不様で、かわいいね、と、臭いに鼻を、つまらせながら、西日を浴びて、生活している、私たちの、北半球の、図鑑の、中で、愛しい、侵略者たちの、美しい、マスケット銃が、火を吹いているから、尾羽を振って、元気よく、足にぶつかった鳥が、前方へ、駆け抜けていくことがあれば、後姿に向けて、何気もなく引金を引いては、膨らんだ翼に銃を仕舞う。そのときは、振るえなかった指。

そして、

分離していた、「わたし」たちや「あなた」たちが、かき集めた記憶が、手首の、なめらかなスナップで、泡立てられた、風景の、日持ちの悪い、乳成質、その白色が、階調に飲まれていくとき、ぽこぽこと沸き上がった、新しい小さな、感情が小さく弾けて、粉のように小さな、泡が、また小さく舞い、窓から風が入れば、粒を含んで、甘くなった、風は、口へ、舌は、視神経の端っこを引っ張って、次にぱっちりと眼を開けた時には、心細くて、まだ手を動かし続けることしかできない。そうやって甘みを味わった、若白髪が1本2本、ここに立って、かたわらに積もっていく、書物、ゲノム、明細書、様々に巨大な、大きさをとった、海楼の高さから、重力の失せた、地上を見下ろす、風は、更に、甘く、熱くなっている。ミルクセーキは飲み頃だ。カップを傾けた、君のその口元をなぞる、分子間力の世界線。

さあ、

稜線は青く、内側から、赤い。互いに、居場所を計りあった、地図を整頓し、息を継ぐと、球体は、地底に透けている。君の、声からは、あらゆる中間の音が、既に、遣い果たされていて、今この瞬間に、発語されようとしている、具体的で、神話的な、文字列は、新しい遺跡、そこで、新しい羊を飼い、新しいパンを食べ、新しい星空を眺める。嘘みたいに、嘘になった、嘘、夢みたいに、夢になった、夢のなか、いつまでも、君と、出会い続ける、闇へと、沈む。


揺りかご

  

夕暮れの中で長い坂道を
ゆっくりと下っていく僕は
幽霊のように曖昧な輪郭で
揺りかごの記憶だけが頼りだ

草臥れた靴が愚痴をこぼすのを
僕は適当に聞き流している
口を開け剥離した季節の断片を
舌先に受けると青白く火花が散る

歩き続ける自分の後ろ姿を
僕は無言で見下ろしている
右手はインドのあたりにある
左手はドイツの森に隠れている

いつだって手ぶらで歩いていた
自分だけでも持ちきれないから
どこからか蜂の羽音が聞こえる
あるいは何者かのヴァイオリンが

いつからそうしているのかと
かつて母と呼んだ女が問う
それを知ってどうするのかと
答える言葉も薄闇に溶けていく

靴はまだ不満を漏らしている
僕はついに舌打ちをした
これは僕の靴じゃない
これは僕の人生じゃない

冷たいシーツの上で泳ぐ、溺れる
そんな空想に逃げ込みながら
そしてそれを瞬時に忘れながら
僕は揺りかごの記憶を下っていく


飼育法

  織田和彦



水槽でメダカを飼い始めたのが今年の5月
10匹いたうちの7匹はすでに死んでしまった
ペットの飼育に詳しい同僚の早川君に
7匹のメダカの死因をたずねたら
きっと子供をたくさん産んで力尽きたのだろうと言った
会社では毒舌で通っている彼だが
本当のところは根が優しく他人思いだということは皆が知っている
ぼくはきっと水槽の水の換え方を間違ったのだ
ぼくの方が彼よりも2歳年上だが
今年の9月に早川君はぼくよりも先に次長に昇進したのだ
先に偉くなる人間と取り残されていく人間
目的意識が高く責任感の強い人間が先に社会的地位のある場所へ行く
そこに何も不公平はない
あるのは個性という名の不平等とめぐり合せの運不運なのだ

ところでその早川君が11月から会社に出てこない
蒸発してしまったのだ
社内では派遣の若い女の子との不倫が原因だと噂されているが
彼ほど家庭を大事にする男はいない

実はぼくが早川君を殺したのだ
だが殺したことはまだバレていないので社会的には早川君は蒸発したことになっているのだ
10月31日にぼくは早川君を殺した

その日二人は今出川から鴨川の土手沿いをほろ酔い気分で歩いていた
どちらからともなく飯に誘ったのだ
アルコールが入っていたことは間違いない
ぼくが早川君の出世を妬んでいたこともある
人を殺す動機としては軽すぎるのではないかと疑う向きもある
しかし伏見にあるぼくの単身者用賃貸マンションに着いた時
早川君はぼくの飼っているメダカの水槽を見たがったのだ
水槽は寝室の出窓に三本設置してある
水量60リットルが2本と45リットルのものが1本
早川君がそのうちの一本の水槽を覗き込んだときぼくは彼の頭を水槽の中に押し込んだ
ぼくは早川君の頭を押し込みながら
テメェーが8匹目だ!
と叫んでいた
ブクブクと泡が立った
白点病に犯されたメダカが苦しみに歪んだ早川君の口の中へ次々と入っていく


拝火抄

  あのん

京王線高幡不動駅は
日がな一日ポツポツ花やぐ
花はオオバコ科いぬのふぐり
他人と私はこの雑草風景でしか
繋がれていないようだ

エスカレーターの暇を利用し
電車のなかで読めそうな本を物する
カヴァーがあっても太宰は隠せぬ
と結局ぼんやり窓を見るだけになり
高齢席に上目遣いで睨まれ

“思い切り速く走ろうと
錆を風に拭わせるのは無理さ。
善が黒鉄ならば、の話”

複雑化した渋谷駅も
今日は常識的な晴れ方をしている
「秋が無くなったよね」と談笑した日が
あきっぽくなかっただけだろ。と

交番で
私の訊きたい道を訊くのは
おかどちがいというもので
デパ地下を素見かしながら
スマートフォンに頼るが早い

“値引きシールを1cm貼り重ねても
売れ残るものは売れ残る。善が生物ならば、の話”

論じられない論じられないと
事あるごとに断ったことで
私もそろそろ札付き論者だ

センター街は夕方頃から殊に煌びやかになる
心を論じる人々と繋がる背景すら
持ち合わせない私は
煌めきのハシクレに赤ちょうちんでも見付けて
六ヶしい店主の煙草を拝む他ない

“誰でもない誰かをモンタージュ写真で特定できれば
宛てのある喜びに心も生まれるんだろうか?”

「どうだい?日本は。
ほとんど日本人だろう?」
ハチ公が髪金美女に語りかけている
うちの犬がこんな風に話せても
警察の似顔絵は私を割り出せまい
三か月などとうに過ぎた
黒髪の証明写真を眺める


偏執した批評のような独白

  NORANEKO

躊躇ってる。空中に震える指の先で罅割れる硝子板のような硬い幻触と、幻聴が鼓膜を刺す。沈黙のなかでざわめく奴等がいる。否、沈黙たちがざわめいているんだ。(なぜ、複数形なのかは、直観したとしか言い難い。)顔の半分が痺れて、電気がはしるように時折、筋肉が跳ねる。青い、痙攣の痕跡が、幾筋も皮膚に貼り付いている。これは幻視と、厳密には言えない。触覚の名残が共感覚を介して視覚に残像したにすぎない。……ところで、頭痛よ。君が記憶を食べる一匹の虫でありはしないかと、俺は見積もってるんだが、その、取り引きをしないか。俺の記憶と、君の食欲とを持ち寄って。(その記憶について、俺は語るのを憚る。なぜなら俺は詩人だからだ。私秘性に封をされた言葉を読み手に押し付けるなど、そんな、破廉恥なものを、俺は書かない。)白濁した独白に埋められた声に耳を澄ませながら、俺は手元に連なる書きかけの詩文を読み返して、見た。
















が、ばっくりと、開いてる。(これじゃあまるで自由の刑だな。(うむ、この曖昧さがね、いいんだよ。その、開かれていて、うむ。))この口の前じゃ、さっきの括弧部分みたいに捻れている胸裏の声を詩的にパラフレーズして「見よ、太母の朱火と裂ける陰を!」としたところで、含意の嵐に掻き消えるばかりなのが、丸分かりだろう。(なんだこの、あばずれの、がばがばの、あなのなか!)そう、たとえば俺や、お前たちみたいに。沈黙たちの饒舌なふるまいに、気が狂れて平伏す詩人が今夜、私秘性の高い詩人を叩くのだろうが、それすらも呑み込んでゆく沈黙が、今日も、俺たちの耳の奥を等しく叩く。ほら、詩人、聴こえるだろう? 俺には聴こえるよ。歯軋りや、唸りや、怪鳥の叫びのような、そんな、沈黙たちが、荒び果てて。明けない夜の過客どもの、嵐のような静けさを、聴けよ。

(頭痛よ、俺と、取り引きをしよう。)

藻屑のように青暗い缶詰のなかで、白く、ほろほろと灰が、綻ぶ。浄火に明るく崩れてく、俺の詩行の群れの、一匹、一匹を、舞い上げる励起。灰は温もりの河を昇り、呪詛は月の光に入るのか。俺にすら赦されない彼岸で咲くか。誰の手からも離れて、読まれることも、書かれることも、もはやないのか。窓のなかで霞み、幽かにくゆる、月の繭。あの光が洩れているのは、やはり穴? 天地を反転された黄泉路のそれか? なあ月よ。黄金の、洩れだす穴よ。お前のがばがばのその口で、咥えてよ。俺の言葉を。お前のざらざらの歯で噛めよ。下弦の夜に裂け目と冴える歯列で咀嚼してくれよ。咀嚼する、幻聴がした。ように錯誤させる、木々のざわめきに産毛が逆立って、喉を鳴らす、鎌鼬。


紙飛行機(ステルスエアメール)

  イモコ

今日が、何の日だか知っていますか。今日はエアメールの日です。2月18日エアメールの日。何故か,あまりにもたくさんのエアメールが飛び交う2月18日火曜日。これだけたくさんのエアメールが飛び交う日ですから,事故もおこります。こうしてここへ来たエアメールたちは,だれかのもとへ届くことなく,ここでその生涯を終えます。

1911年,明治44年2月18日,日本に初めてのエアメールが届きました。6000通ものエアメールが,日本へ一直線に飛んできました。冥王星からです。「わたしです。ここにいます。」とその6000通のエアメールには書き記されていました。何故あの文字がそう読めたのかはわかりません。「ここ」がどこなのか,いつ送られたものなのか,わたしたちには皆目見当もつきません。冥王星から日本へ飛んできたエアメール。何かに見つからないように,そのエアメールは空を真似ていました。ステルスエアメールです。しかし残念なことに冥王星を発見したのは,彼らがエアメールを送った相手ではなく,アメリカ・ローウェル天文台のクライド・ボーンでした。1930年,昭和5年のことです。何の因果か,これも2月18日,あのエアメールが初めて届いたその日でした。エアメールが届いてから29年。15等星というその小ささから,こんなにも発見に時間がかかってしまいました。1月23と1月29日に撮影した写真の比較研究から発見されるに至った太陽系第9惑星。1911年の2月18日から,アメリカに発見される1930年の2月18日までの29年間,数を減らしながらも,毎年かかさず,そのエアメールは日本へ届けられていました。

「もういません。」

1930年2月18日に届いた213通のステルスエアメールにはそう記されていました。冥王星から日本に届いたエアメールはこれが最後です。
 ここには,毎年2月18日に,多くの傷ついたエアメールたちが迷い込んできます。飛行途中に撃ち落とされたエアメールたちです。最初の年はここにくるエアメールは0でした。こんなに丁寧に折られたエアメールが自ら道を失い,迷うことなどめったにないのです。

「わたしです。ここにいます。」

1930年以降毎年変わらずここにくるエアメールたちにもたった一つだけ変化がありました。2001年,国際天文学連合によって冥王星がDwarf Planet(矮惑星)とされる5年程前から,彼らの尾翼に小さな模様が描かれるようになりました。一つ一つ違う模様ですが,そこからは規則性がうかがえます。2001年から描かれるようになったこの模様は,おそらく通し番号のようなものであることが分かってきました。
今日も,撃ち落とされた19通の精巧なエアメールたちがここに迷い込んできました。しかし,この模様によれば,今年は20通のエアメールがあちらから飛ばされているはずであることが分かります。残りの1通は無事に着陸することができたということです。
 あなたは,そのエアメールを探すことができます。読むことができます。私にはできません。無事についたものを,私は読むことができません。無事についた喜びを私はかみしめることができません。無事たどり着けなかった無念と悔しさを憐みで見つめることしかできません。
 どうか無事についたその20通目のエアメールが優しい誰かに読まれることを祈っています。


おしどり十姉妹

  海月

嬬恋(つまこい)の深山旅路の割れ早瀬
妹里に流さり慟哭も枯る



おしどり十姉妹、妹(いも)だけ逃げた
兄(あに)さん棄てられ止まり木ひとり
啼かぬし喰わぬし目も開けぬ
あんまり蒼ざめ可哀想
緑の竹やぶ放しましょう
いえいえそれも可哀想
カラス来る来る鼬(いたち)も走る

おしどり十姉妹、おのこ鳥ひとり
屋根越え街越え川越えて
おなご鳥どこに行ったやら
黄色いカナリヤといるかしら
紅い雀といるだろか
いえいえそれは人の夢
渡るこの世は鬼猫ばかり

おしどり十姉妹、鳥籠ひとつ
夫婦(みょうと)のさえずり偲ばるる
ブランコ風が揺らすのみ
白い文鳥飼いましょか
それとも鶯買いましょか
いえいえそれはなりません
形見は雨に晒さにゃならん



たづねしは卒塔婆になきや妹の名(みょう)
われても末にわたつみのみづ


Je sais que je ne sais rien

  はなび


わかることをしっかり
つかまえていることがわかるとき
わからないことをわすれる

わからないことにつかまらないよう
わかることにしっかりつかまって
わからないことをわすれる

それは

しあわせな結婚に似ている

ひこうきにのってとんでいく

いろんな糸にくるまれた
きれいな繭みたいに
つるんとしたふたり

おめでとう


妻の近況♯髄膜腫術後

  草野大悟

入院診療計画書

ねた切り、 植物に近い状況
末梢循環がおちて、均縮がはじまりつつある

ねた切り、 植物に近い状況
ねた切り、 植物に近い状況
ねた切り、 植物に近い状況
ねた切り、 植物に近い状況
ねた切り、 植物に近い状況
ねた切り、 植物に近い状況
ねた切り、 植物に近い状況
ねた切り、 植物に近い状況

植物に近い状況
植物に近い状況
植物に近い状況
植物に近い状況
植物に近い状況
植物に近い状況
植物に近い状況


La Pensee sauvage

  WHM

野ざらし
軋んだ(骨を
皮膚を(かすれた
転がる(軋んだ
弦が(転げる
割れ(亀裂
六本の爪(マニキュアで
アザラシの(体温を
ヒゲに(野ざらし
剥製(宙へ
猫背で(行こうぜ
脱臼(骨ごと
皮膚の(洋服は
置き去り

文学極道

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