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2012年03月分

月間優良作品 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


頭を叩くと、泣き出した。

  田中宏輔



カバ、ひたひたと、たそがれて、
電車、痴漢を乗せて走る。
ヴィオラの稽古の帰り、
落ち葉が、自分の落ちる音に、目を覚ました。
見逃せないオチンチンをしてる、と耳元でささやく
その人は、ポケットに岩塩をしのばせた
横顔のうつくしい神さまだった。
にやにやと笑いながら
ぼくの関節をはずしていった。
さようなら。こんにちは。
音楽のように終わってしまう。
月のきれいな夜だった。
お尻から、鳥が出てきて、歌い出したよ。
ハムレットだって、お尻から生まれたっていうし。
まるでカタイうんこをするときのように痛かったって。
みんな死ねばいいのに、ぐずぐずしてる。
きょうも、ママンは死ななかった。
慈善事業の募金をしに出かけて行った。
むかし、ママンがつくってくれたドーナッツは
大きさの違うコップでつくられていた。
ちゃんとした型抜きがなかったから。
実力テストで一番だった友だちが
大学には行かないよ、って言ってた。
ぼくにつながるすべての人が、ぼくを辱める。
ぼくが、ぼくの道で、道草をしたっていいじゃないか。
ぼくは、歌が好きなんだ。
たくさんの仮面を持っている。
素顔の数と同じ数だけ持っている。
似ているところがいっしょ。
思いつめたふりをして
パパは、聖書に目を落としてた。
雷のひとつでも、落としてやろうかしら。
マッターホルンの山の頂から
ひとすじの絶叫となって落ちてゆく牛。
落ち葉は、自分の落ちる音に耳を澄ましていた。
ぼくもまた、ぼくの歌のひとつなのだ。
今度、神戸で演奏会があるってさ。
どうして、ぼくじゃダメなの?
しっかり手を握っているのに、きみはいない。
ぼくは、きみのことが好きなのにぃ。
くやしいけど、ぼくたちは、ただの友だちだった。
明日は、ピアノの稽古だし。
落ち葉だって、踏まれたくないって思うだろ。
石の声を聞くと、耳がつぶれる。
ぼくの耳は、つぶれてるのさ。
今度の日曜日には、
世界中の日曜日をあつめてあげる。
パパは、ぼくに嘘をついた。
樹は、振り落とした葉っぱのことなんか
かまいやしない。
どうなったって、いいんだ。
まわるよ、まわる。
ジャイロ・スコープ。
また、神さまに会えるかな。
黄金の花束を抱えて降りてゆく。
Nobuyuki。ハミガキ。紙飛行機。
中也が、中原を駈けて行った。


akuro

  New order

春、花が咲くようにして、
幽霊達を埋葬する、

踏み固められた土の上で、
また踵を鳴らす、
姉が、土間に並べられた、
靴の中から、長靴を選んで、
妹の咳が、台所に中で、
食事に降る、
母のエプロンにとまった、
甲虫に、西瓜を与える、
父の、足は裸足だった、

テレビの中の生活が、
時間通りに始まって、
席に着くはずだった、

野球をしに出かけたままの、
弟は、帰ってこない、
仏間にいけられた紫陽花の、
裏で、語られなかった記憶が、
飴玉のようにころがって、
蛙の口に触れる、

テレビの中で、あの家族は、
手を合わせない、
彼らには宗教がない、
だから、悲しい、

後ろを振り向けば、
貴方が歌う歌がある、
帰りはこわい、といって、
さらわれないように、
手を絡めた、

引かれたままの、
髪が、少しだけ抜けて、
祖母が笑った

ゆっくりと引き抜かれるように、
私は、口をぱくぱくさせて、
走り去った足が、
もうついてこない

貴方の乳房が
優しく発狂するように、
私は少しだけ、子供になる、
その手から飴玉が転がるようにして、


パノラマ

  右肩

 西武デパートの地下でおにぎりを二つ、紙パックのオレンジジュースを一つ買った。あなたはそれからエスカレーターへは乗らず、脇の長い階段を上り地上へ出た。早春。高層ビルの輪郭に雪催いの空が連続して視界が埋めたてられてしまう。ここは大気の層の最下層だ。もうすぐ十一時半になり春の雪が舞い、それから十二時になると雪がやむ。二時。三時。たちまち一日は終わり、次の日もまた次の日も終わる。そのうちに世界もすんなりと終わる。そういうことを予感しているのか、街を歩く人々は冷え冷えと濡れており、雑踏の街路も冷たく湿る。

 大通りから裏路地へ入った。エステサロンとバーが入る雑居ビルの一階に、時々利用するコンビニエンスストアがある。あなたは、先日通販で浄水器の交換用カートリッジを取り寄せた。それを思い出して、セカンドバッグから振り込み用紙の入った封筒を取り出し、ストアに入るとそのままカウンターへ行き代金の振り込みを済ませる。

「いらっしゃいませ。」
「三八〇〇円になります。」
「四〇〇〇円お預かりします。」
「二〇〇円のお返しと、こちら控えになります。」
「ありがとうございました。」

 昼食はもう買ってあるから、それだけで店を出て劇場へ向かう。シェイクスピアの史劇が一時からの開場を待っている。今あなたがいるところとは少し隔たった場所で、役者たちはもう鬘を被り化粧を終えてしまった。物語という大きな岩が山の頂でゆっくりと傾ぎ始めているようだ。やがて激しい崩落が、あなたの真横の席に座る人を押し潰し、人間の潰れた感情の飛沫があなたの頬や上着に点々と付着するはずだ。そういう我慢ならない事態になる前に、あなたはロビーの片隅で、ひっそりと昼食を済ませるべきなのだ。

 西武デパートの地下で、あなたのおにぎりとジュースを会計した三十代の女性は今、バックヤードで同僚の二十代の男性社員と黙って見つめ合っている。恋が始まった。やがて破綻する、未来のない恋だ。

 あなたは劇場正面の入り口へ向け、広い階段を上る。風が強い。円柱に巻き付いたクロムメッキの装飾用金属バンドに、色の薄い曇天が映る。階段を昇る十数人が風の音に合わせて肩をそびやかす。まだ寒いからだ。

 その階段の脇に立って、詩集を売ろうとしているのが僕だ。足元に小さなバッグを置き、中に十数冊の本を入れている。詩集の題名と「二千七百円」と値段を書いた、A4サイズのホワイトボードを首から下げ手に一冊を掴んで、階段を上り下りする人の前に突きだしている。愛想良く笑っているが、駄目だ。八分後に関係者に通報され、排除されることになる。公共の場を無許可で商業活動に使ってはいけない。あなたは僕に気づかない。大部離れたところを登っていく。

 「ブルータス、お前もか」という台詞が既に用意されている。カエサルがポンペイウス劇場の柱の下に倒れ伏すとき見た景色、失われた死者の視界の断片は今飄々と空を漂い、わずかな雲の隙間にきらめいている。東京市場の株価は大きく上下動している。架空の価値がやがて形を結ばなくなる。経済の柱が折れ、世界を支えるものもまた失われてしまう、死者の見た映像のように失われてしまう。

 あなたはそういうことを少しも思わないで立ち止まり、セカンドバッグの奥に押し込まれているチケットを探してみる。薄桃色の封筒に入ったまま二つ折りにされているはずのチケットだ。気候は循環し「そういえば池袋には桃の花の匂いが充満している」と雑踏の中の誰かが言っている。ただし、どんなに気になっても発話の主を特定することはできない。桃の花の匂い?もちろん少しもない。

 ロビーの自動販売機コーナーの横。長椅子に腰を下ろし、目立たないように紙袋からおにぎりを取り出していると、イタリアにいるはずの兄からあなたの携帯電話に着信がある。観劇のシートについたら開演前に電源を切るべき携帯電話。それが、ジャケットの内ポケットでマナーモードの振動を伝えようとしている。あなたの姿勢がちょうど携帯電話と身体の間に隙間を作り、なおかつ、凪いだ海のさざ波に似た人のざわめきが、あなたに着信を気づかせなかった。

 イタリアから兄が帰還していることを、この時あなたは知らない。兄に恋人がおり、彼女が生まれてほどない男の子を抱いていることも、男の子の頭頂、まだ薄い和毛の間に小さく鋭いピンクの突起があることも。何もかも知らないということの甘さ、それはオレンジジュースの甘さと少しも異なることがない。

 何処の誰とも永遠に知られることのない人が呟いていた桃の花の匂い。それも恐らく甘いのであろうが、存在しないものの存在しない匂いの内実について誰もあえて言及することはないだろう。


欠損

  泉ムジ

まったくの
不注意で、
飯碗が
割れた。
アッ、
砕片に、
遅ればせながら
おどろいた。
薄手の
うぐいす色の
碗の
かけら。
ひとり住まいゆえ、
愛用の
などと聞かせる
人がない。
流しから
拾いあげつつ、
うわの空に
困った。
人がいない。
すべて、
そろわない。
漏れる
息、
あるいは、
蒸気の
音ばかりが
しばらく
漂った。
しゃもじで、
未だ
訪うことのない
客のための
碗に、
炊き込みご飯を
よそう。
喉に
かき込んでは、
口にぶ厚い
碗のふちに、
カチリ、
歯が
鳴った。


空白

  sample

筆先を紙上に置く
まだ、なにも見たことのない
目のことを思う。
インクがにじみ
黒点が生まれる。

筆先を右に移動させる
まだ、なにも聞いたことのない
耳のことを思う。
ふたつの黒点を繋ぐ
線が引かれている。

筆先を下方へ移動する
まだ、痛みを知らない
腹のことを思う。
垂直に線が引かれ
三つめの黒点が生まれている。

筆先を左に移動させる
まだ、冷たさを知らない
手のことを思う。
線と線が対置し
四つめの点が生まれている。

筆先を基点へ重ねる
まだ、うそぶいたことのない
口のことを思う。
四つの点が結ばれ
形が生まれている。

四角、である
口と呼んでも良い
カタカナの「ろ」でもあり
人は窓だと言うだろう。

筆先を四角へ閉じ込め
空白をでたらめに走らせる
まだ、逃走を知らない
足のことを思う。
黒い固まりが描かれている。
光の角度によって紫色に見える。
暗い洞穴のようでもある。

筆先に思い切り力を込め
右斜め上方へ払う
まだ、飛ぶことを知らない
鳥のことを思う。
濃く鋭い筆跡と
ひき裂かれた紙に
空隙が生まれている。

筆を置く
まだ、何も書かれていない
白紙のことを思う。
わたしがいる。
机と、万年筆と。


みんな、きみのことが好きだった。

  田中宏輔



ちょっといいですか。
あなたは神を信じますか。
牛の声で返事をした。
たしかに、神さまはいらっしゃいます。
立派に役割を果たしておられます。
ふざけてるんじゃない。
ぼくは大真面目だ。
友だちが死んだんだもの。
ぼくの大切な友だちが死んだんだもの。
without grief/悲しみをこらえて
弔問を済まして
帰ってきたんだもの。
Repeat after me!/復唱しろ!
absinthe/ニガヨモギ
悲しみをこらえて
ぼくは帰ってきたんだもの。
Repeat after me!/復唱しろ!
誕生日に買ってもらった
ヴィジュアル・ディクショナリー、
どのページも、ほんとにきれい。
パピルス、羊皮紙、粘土板。
食用ガエルの精巣について調べてみた。
アルバムを出して、
写真の順番を入れ換えてゆく。
海という海から
木霊が帰ってくる。
声の主など
とうに、いなくなったのに。
Repeat after me!/復唱しろ!
いじめてあげる。
吉田くんは
痛いのに、深爪だった。
電話を先に切ることができなかった。
誰にも、さからわなかった。
みんな、吉田くんのことが好きだった。
Repeat after me!/復唱しろ!
ぼく、忘れないからね。
ぜったい、忘れないからね。
おぼえておいてあげる。
吉田くんは、仮性包茎だった。
勃起したら、ちゃんとむけたから。
ぼくも、こすってあげた。
absinthe/ニガヨモギ
Repeat after me!/復唱しろ!
泣いているのは、牛なのよ。
幼い男の子が
ぼくの頭を叩いて
「ゆるしてあげる」
って言った。
話しかけてはいけないところで
話しかけてはいけない。
Repeat after me!/復唱しろ!
ごめんね、ごめんね。
ぼくだって、包茎だった。
without grief/悲しみをこらえて
absinthe/ニガヨモギ
もっとたくさん。
もうたくさん。


弟の里帰りに際して思うこと

  笹川

弟が来る
疲れた顔をした地方公務員にとって
この家は何なのだろう
子供の世話を焼く、たぶん堂々とした嫁
長女は、アンパンマンをはしゃぎながらに唄う
俺も好きないい曲だから
こわしそうなコイツを膝の上に抱きかかえた
弟にとって、大切なこのぬくもり

共にストイックなヒーローに憧れた日
つい、この前じゃなかったか
酒飲むな、たばこ吸うな、だったな
もう、ライブハウスとか行ってないだろ
きっともう、必要がなくなったんだよ
弟宛ての国際郵便は、いつの頃からか来なくなった

坊主頭だった日の、夜の勉強時間
そっと襖を開けたら石を肩に乗せて黙とうしていた
見たのは気づいていないだろう、多分
あとで、誰もいない時に引き出しを開けて雑誌を借りた
あぁ、何冊もあったな、刺激的な石が写っていた
俺まで丸石好きになった

広いおでこにタンコブをつくる
よく転ぶ子供だな
指を舐める癖がある
俺と手をつないで写真を撮った
大好きな弟だ
補助輪付きの自転車に乗った俺は、弟を連れている
その時の、弟の笑顔が忘れられない
彼のさんりんしゃは坂道で暴走した
小さな薄い後頭部が前を通り過ぎ、側溝に落ちるまでを俺は見ていた

次女はたえず指をしゃぶる
毛の薄いこの赤ん坊を俺は好きだ
携帯で撮って待ち受け画面にしている
寂しそうに泣くけど、俺には何もしてやれない
毛がピンと立っているのは弟と同じだ
正月は二日に来ると電話があった
俺の母親には、ひと仕事だ 喜ぶくせに後で必ずぼやく
父親はそれを聞くといつも、腹を立てたようなそぶりを見せる

この前、新築した都会の家に手伝いに行った
俺と父親はやる気充分なのに、弟はボケーっとしてる
飯、おごってくれるって言うんでついて行ったのに財布忘れてやんの
命令とか指図するのが得意分野か、あぁ、役人だな、うざい
缶コーヒーを、業者から貰って飲んでるのが仕事か
お前が働けよって言ったら、納得していた


こうなって喜んでいるのだろうか
しんどいのは俺にも分かる

お前の車で、あてもなくドライブしよう
ポカリスエットは俺がおごるから
大音量でラモーンズを鳴らしてさ
また、俺の冗談を聞いてくれ


散歩道 〜green days〜

  熊尾英治

朝、道を自転車で走りながら何事かを考える。曇天の空と鼠色の在り来りな取り合せをいつものことだと、何度も何度も塗り潰すようにするうちにいつか黒い夜になるだろう。夜はいつも湿っていた。道のことをそれ以外に形容する人が誰もいなかったからかもしれない。それでも皆夜を知っていた。テレビで外のことは語られていたから、夜とは覚束無い電灯の点滅であり車の黒い唸りであり、そして何よりも朝、自転車で走ったはずの道のことだった。夜、道は湿っていたから夜とは湿る物だと誰もが言っていた。それでも湿っているのはなぜか自分一人のように思えるのは、食事の後皆で寝たとしても眠りはそれぞれの人に別々に訪れるからだろうか。湿った顔目唇、朝起きてパジャマのように丸一日かけ乾かす。何を乾かすのだ一体道に訪れる湿りを乾かすのか?体を乾かすに決まっている。だが夜に体がべっとり湿っているのはなぜだろう。夜、きっと道に出て眠りの外を彷徨っている私がいる。


水ぶくれ

  リンネ

目を覚ますと、とある住宅街の狭い路地、これを抜けた先の、猫の通るような路地に出ました。ここはまるで知らない場所でしたので、道ゆく人々を目配せして捕まえ、わたしはこう尋ねています。滑り台のない公園はありますか? あるいはこの町の公園は滑り台のないものですか、と。でも誰も知らないみたい。誰も知らないからわたしはいつまでも探せます。

後藤という表札のある家の裏、するっと飛び出した人間が、水ぶくれのコンニャクのような顔。畑に水をやっている。ナスやキュウリ、ニンジンにジャガイモと。収穫を待っているのでしょうか、張りのある体つきでおいしそうに。そういえば以前、後藤という名前の人間にカレーをご馳走になりました。この人間、ジャガイモに似た顔をしているせいか、決してカレーにジャガイモを入れません。口を開きかけます。カレーは具合良く舌にまとわりついて、わたしが声を出そうとするたび、いやらしく噛みついてきて。後藤の目がこちちを向いてくるのが恥ずかしい。

あまりここに長くいれば、きいろい蛭の断面が右ひじにひっついて離れません。路地裏の道はべったりと湿り、まして太陽の光などまったく届かず。医者は、まず間違いなくこの右ひじのきいろいものはきみの血を吸わないだろうし、吸っても気にしない方がいいでしょうという。死ななければまあいいか、それはやはり思います。この町にはりついている人間のうち、その半分がきいろいものに噛まれて動かなくなりました。高熱ののち、樹脂のように固まってしまう。ですからこれは階段をつくるのや、壁をつくる建材として使われます。例えばこの後藤さんの表札はわたしの父親の一部であるのですが、それはだれにも知らされていない。もちろん後藤さんにも。

脳神経の乱れで寝ている間、父は幻覚を見ずにすみました。水ぶくれのコンニャクのような顔、これは母が死に際の父にかけた科白です。壊れた舵で、父は夢の中を浮遊します。天井に引っかかった父の一部。これは頭部です。あつあつのご飯を口にしながら、わたしは何の感慨もなくそれを見ています。浅蜊の味噌汁からあがる湯気が、そのままいい案配に天井を、父の部分を湿らせて、すでに部屋中を覆っています。私の横で転がり、幼い妹が折り紙を折っています。母はサンマの骨を丁寧に取り除いているところです。わたしは熱気とともに味噌汁をすすりながら、放心したような表情をして。あ、お椀の底、浅蜊が音を立てて放屁した。

父さん、あなたは今、滑り台です。この公営団地の、ごく人通りの薄いこの公園で、子供たちの尻を滑らせます。ときどき念仏のような音がする以外、おおむねおとなしく眠っていますね。あなたは他人と助力し合おうという気持ちが薄い。それでも夜がくれば、遠くから旧友のように滑り込む月たちと、一種の快感をむさぼる。誰かの舌が、ゆっくりなぞるよう、銀色の滑り台をさすりはじめています。それがわたしです。ざらっとした砂を口で絡ませ、空からはいい調子に霧雨が降り。後藤の目がこちらを向いています。大きな、人間よりも大きなジャガイモの気配が、わたしの頭に重たくおぶさってきます。

紙飛行機が飛んでいます。
雨の中、どうして飛んでいられるのか。
どうしてこの世界を生きていられるのか。


りんく

  便所虫

ルームメイトが暮らしを物理的に把握するため/分割された区画ごとにめじるしのパーテーションを立てている/
パーテーションを折り畳む力を/有する者と有しない者との間に/やがて主従関係が生まれた/

 コスモは日夜、お気に入りのパッケージにブラシ掛けをしながら、サポートセンタに問い合わせている。人家にイエネコという小宇宙を実現するため、コスモは日夜、サポートセンタの小菅と連携を取り合っていた。
 小菅による『2/3の純情な快眠計画』は着々と進んでいた。それは、一日の三分の二を、真っさらな心で寝るための計画である。ちなみに“人家にイエネコ”は、“レンジでチン”と同じ処理であり、小菅はすべての案件をチンと呼んでいた。
「もしもし」
 コスモのルームメイトのヌシには、パーテーションを頻繁に開閉する癖があった。そのため、マーキングという暗号技術が採用された201号室には、あるコスモら側の取り決めがあった。印の付いたパーテーションが無断で開かれるたび、コスモが専用線を介して小菅に中継依頼を送信するというものだ。
「はい、どうぞ」
 パーテーションの向こうには、直近数時間ノーマークのかたまりがランダムに散らばっているので、コスモはそこから拾い上げたものを一つ一つ、はてなボックスに格納していかねばならない。それぞれ、[壁],[ベッド],[冷蔵庫]と名を割り当てていく。昼寝プログラムが組まれるのは瞬時だ。ウォークインクローゼットをパトロールしながら、コスモは小菅の応答を待つ。

 パッケージに覆われたMPUは、『マイマイ』の製品である。マイマイ製品は一様に、スプリング機能を内蔵している。メーカ円柱ビル内部は、フロア中央のエレベータを各部屋がぐるりと取り巻く渦巻き構造になっており、社名『マイマイ』は、このビル断面図がちょうど巻き貝そっくりであったことにちなんで命名された。
「実行します」
 のびやかな尻尾が正午を跳ねるとき、コスモは一本の円柱となる。まあるい寝息が、ぽちりぽちりと、シャボンのソファーを浮き沈みしている。長い尻尾の先にはわずかに胴があり、その様子は、垂直上方から見下ろすと“はてなマーク”のようにも見える。
 製品は巻き貝の記憶をたどり、しずかに計算している。しあわせの匂い、孤独のぬるみ、ヌシの弾力、皿の水より庭の水たまりの水がおいしいこと。手のひらをむすんでひらいて、小菅のチンを[愛]に格納する。そして、今日もマイマイ方式で回る。ヌシののりしろのような、もっとも安定した曲線に近づくため。

「おかえり」


白紙

  

あなたは、箪笥の奥に丁寧に重ねられて、歳月に洗われて黄ばんだ原稿用紙を束に持ち、ポケットに忍ばせたジャックナイフで切り刻んで。「死にゆく驢馬の最後の吐息みたいね」って切り刻まれて「泣いている紙だよそれは」、とわたしはあなたに告げるのですが、今度は流星群が飛来したかのように、斜めに幾筋も切られてあなたの腕の運動とともにびらびらと揺れる「火星人みたいなやつだね」は思いのほか赤い血で端々が滲んでいるんだよ。

わたしは刻む、幾年もがふり。あなたの小さな渦巻き管の中にそっとレモンを囁くように、わたしは刻む。尖った鉛筆の芯で、急カーブを描いたと同時に停止して、またゆっくりと始まりが訪れる、レコードの針が落ちる時、白い紙に海が生まれて、そこには見上げる空があるのです。わたしは刻む、あなたのからだに、わたしの愛を、さめざめ泣いたあの時のこと。

あなたは切る、グラファイトの散らばる星座の隙間を、それともそれすら断ち切るように、あなたは切る、「まだ誰も見たことのない星雲から見える星座みたいね」とわたしのからだを裁断しながら、「君に伝わらなかったいくつものことだよ」を、あなたは愛するのです、わたしを愛するように。空を見上げる。「これが私に伝わった形」が赤い血に滲んでゆらゆらとゆれる、あなたに見上げる空があることがわたしに出来る唯一のこと。

わたしは刻む、あなたは切る、二人に取り交わされた神経細胞の刺激を。白い紙があり、海が生まれて、そこには見上げる空があり、二人の星座が入り乱れながら。「悲しみの色合いはこんな形かしら」をわたしは両手で受け取って、「君はもう許されるべきだよ」をあらたにあなたのジャックナイフの頂に乗せるのです。「降り出した雨のように」罪は消えない、「心に刺さったまま」ふたり、夜空の星と街燈とネオンを数えて、何度でも繰り返される白紙に、海が生まれて、見上げれば、また


北極

  黒髪

思い通りにならないことはたくさんあった
近所に住んでいた女の子に嫌われて、一人で遊ぶしかなかった
お弁当箱におにぎりを詰めて、小さな遠足をしたり
一人で石を壊して遊んでいた幼少期
「ねえ、ぼく、いつまでこうしているのかな」
年齢相応に甘えた僕はそんな疑問を口にした
お母さんがいなかったから北極のペンギンに聞いたけど、わからない
ペンギンはよちよちと歩いた
寝起きにぐずぐずしていたある日曜日の教会の鐘の音が美しく思われた
靴を履いて礼拝に出かけよう
聖書朗読の間に着いて、結んで、開いて、神様一緒に踊ろう
と問いかけても
天使は絵の中で微笑んでいるだけです
これらの日々の幸福の仕掛けを……わからないまま、僕は大きくなった
次々と崩れていく橋桁、心の支え
崩壊していく心、ひとりぼっちの
ああ、静かなこころよ、天使様
ある女の子に絶望的に恋した
その子の夢を見ていた
僕は手術室の助手
カンシ、開腹
成功だった、よかった
子供の頃の思い出の中のように、やはり何かがある
一度きりの全身麻酔のおかげで、炎に包まれてしまった僕のカラダはそれほど苦痛を生まなかった
プスプスと黒焦げになった僕は、ひどい臭いに包まれて
煙は廊下に充満した
やってきた親は泣いた
普通の暮らしを望んでいたということが頭をめぐる、僕はもう喋れない
思い出されることばかり、昨日の星屑に、なりたいと思ったのは、星々の輝きが綺麗で憧れたから
大人になって初めて星を美しいと思った、それは童心の思い出を呼び寄せた
青い空に最後の涙を流した
オーロラも今七色に輝いて
ペンギンの親子が静かに見やっている
確かに僕は聞いたのだ遠くで足音がシャリシャリいうのを
この世は夢なんかじゃないのさ
遠い、遠い夢さ


電話BOXイリュージョン

  大ちゃん

この街に唯一残った
道端の電話BOXから
大音量を上げて
呼び出し音が
鳴り響いていた

俺は中に入って
とりあえず
受話器を取った
とたんに音は止み
男の声がした

「もしもし。電信電話公社です。」
ずいぶん古風な男だ
「ただいま電話BOXの点検中です。」
そんなのがあるのか
知らなかった

「お客様、速やかなご対応、感謝します。」
「お礼に何か、望を叶えさせて下さい。」

LUCKEY!
記念品でもくれるのかな?
「じゃぁ、堀北真紀のポスターが欲しい。」
俺がそう言うと

「お客様、欲がない。
もっとむき出しの
男を見せてください。」
奴は言った

「じゃ、俺、女が欲しい。」
遠慮無しに言ってみた

「そうそう、そうこなくっちゃ。
金の斧、銀の斧、迷わず金の斧を
選ぶ精神性。尊い思想です。」
なんか理屈っぽいね

「これから起こる事は
ちょっと意外かもしれませんが、
全てはあなた様へのおもてなし、
ドッキリみたいなものです。」
男は甘い声で囁いた

なんかもう

猛烈に期待して来た

「さあ、サプラーイズ。
私ども電信電話公社が、
自信を持ってお届けする離れ業。
イッツアショウタイム!」

急に受話器に付いている
ボタンが点滅しだした
ポチッと押してみると
「110番警察です、どうしました。」
元気そうな女が出てきた

おおそうか
テレフォンセックス
ダイアルQ2
懐かしいな
お前は
ミニスカポリスか

俺は気分を出して
「ハァハァ。」
息を荒くした

「どうしました。」
どないもこないもない
ムード出していこうや
ネェチャン
「ハァハァ。」

「何かあったんですか。」
だめだこいつ
台詞がいけてない
要再教育だ

俺はマグロ女を恫喝した
「ドッキリはもう良い、分っているんだ。」
「・・・・・・。」
「ちゃんと感じている演技をしろ。」
「・・・・・・。」
「こんなものがSEXって言えるか、ぼけぇ。」
「あのぉ・・・・。」
「早く、くわえ始めろよ、エアで。」
「・・・・・・。」

それにしてもこの女
内容も無いのに
えらく引っ張りやがる
時間だけ過ぎたら
銭のもらえるような
甘いシステムなのかな?

これが公社マンの言う
欲望という名の
男の金の斧なら
ちょっと寂しすぎるぜ

ネチネチと
大根女優に対して
罵詈雑言を浴びせ続け
かれこれ
2〜30分が経過していた

そろそろ
他の女への
チェンジを
要求しようかと
思っていた矢先

突然辺りが
全台フィーバーの
パチンコ屋みたいに
真っ赤になって
騒がしくなった

白と黒を基調にした
パトカーのような
デコラティヴな車が
数台
俺の入っている
電話BOXの周りを
取り囲んでいた

ドアが開き
警察の制服を着た
コスプレイヤーたちが
男女入れ混じり
雪崩を打って
飛び出して来たのだ

「大砲、大砲。」
こいつら
俺の自慢の逸物を
褒めちぎっている

なんだそうか
ソープランドか
送迎車か
お前らポンビキか
吉原か
それとも
赤羽か?
エラク派手だね

よしよし
良くなっている
サービスが良くなってきている
これが本当のドッキリ
サプライズなんだな
公社の人
今度こそ礼を言うよ

俺はもう心の高ぶりを
抑えきれない

「わかった、わかった、俺は一人、
一人しかいないんだから。」

電話BOXから
引きずり出された俺
苛烈な客引きで
もみくちゃになった
だけど
悪い気はしなかった

「最低三発は抜かしてもらうよ。」

今夜はシックな
黒いブレスレットを
カチッと手首に
プレゼントしてくれた
お前の店に決めたぜ

ウィンク


胡椒と魔法と化学

  片山純一

 バスの停車釦の光るのが外から見えるということ。
 多分、位相だとか、そもそものところから違うのだろう。つ、と右にそれる脇道の先を眺めたわたしの目には、大きな車の走り去る残影がくっきりと刻まれた。星々の燐光を一瞬だけ覆い隠す街灯の下、わたしは薄められた夜を歩く。客が乗っているかどうかもわからなかったあのバスの、車内は、別の世界だった。

 上っていかない煙が煙草にはある。
 苦い、辛い、そして仄かな痛み。白い煙は正午に人目につくのを嫌う。雨が降っていれば細かく分かれて雨粒の影に隠れるし、晴れていたら昼日中の大きな陽の手に庇護して貰おうとする。気になって、逃げていく煙の後れ毛を摘んでみたことがあったが、そんな時決まってわたしの首がひどく痛む。後ろの首筋のもう少し上、わかりやすく言えば小脳のある高さが。日中はそんな風にしていると、非常な速度で、足早にわたしとすれ違う。三時間前に吸った煙草の、塵芥よりもさらに小さい粒子が、上着に付着していたとしても。

 「明るい」と「暗い」とが交錯する印象。
 急に、津波を押しとどめる術がないのと同じ具合で、抗いようもなく曇り空が見たくなる。今しがた、着地音を途切れさせないように神経質に降り注ぐ雨粒と、それを作り出す溶け始めの雨雲を見上げているが、わたしはこれを別物だと思った。別物。偽物。不要な物。わたしは、わたしの中の不要な物を削ぎ落とすために始終、幼子のような煙を吐く。

 別の世界だと感じたあのバスの車内は、二度と現れない。
夜は突然生まれる。車通りの少ない閑静な道路の真ん中を歩いていると、いきなり青い闇が向こうからやってくるのを見たことがある。
 短くなった煙草を落っことす。気付いていながら、踏み躙りもしない。
あと何回雨模様の天気の下を過ごすことが出来るのか、わたしの好きなぼんやりとした曇り空は何度見られるのか、少し冷たい直射日光が裏返るのはいつなのか。
 午前二時を回る。わたしは家族を起こさないように、アンプラグでギターを引っ掻く。
永遠に鳴り響くAm、毒でしかない煙が沁みる、さっき頭髪に絡まった水滴が、ゆっくりと吸収されていった。


カイダン

  リンネ

特に書くこともないが、何もやることもほかにないので書き始めている。書くことのないのは幸せだ。書くことは、書くことがあるのは幸せなわけがない。恨みつらみを持った人は書くことがあるということだ。書くことは何かそうやって書いたものをだれかに訴えるということだ。だから幸せな人は書く必要には迫られない。しかしこの世に幸せな人がいるというのも信じがたい話だ。わたしこそは幸せ者だと信じ込んでいるやつは、実は不幸であるということに気づいていない居た堪れない連中だ。生きるのは、言ってみれば苦痛でしかない。けれど生きることと苦痛であることが同じ意味なら、生きていることも悪くない。Kは階段をのぼっている。これはKの物語だ。物語というのだから、それはもちろん恨みつらみの話になるはずだ。他人の幸せ話など語る必要があるか? Kはまだ階段をのぼっている。かれこれ数時間だろうか、数日間だろうか、はんぺんのようなしろい頬に青いひげが成長している。目筋には涙の跡が。この男に何があったのか。スーツはこぎれいだ。しかしだまされないようによく見てみれば、背中に汗のシミが黒く広がっている。呼吸は異常といってよい程度に遅い。息をしてないとも言える。K以外、階段をのぼるものも、おりるものも見当たらない。ここは公営団地のアパートの階段だ。折り返し折り返し、上へと続いている。さみしい、つめたいような弱い風が上階から吹き下ろしてくる。Kの長い汚いけれども弾力のある黒い髪の毛がふわふわとなびいている。滲んだ汗のにおいがKの後ろに残されていく。これが物語なら書くものがあるはずだが、今のところをみれば、このKという男は階段をのぼっているだけだ。他にはだれも見当たらない。あるのは階段と階段だけだ。高さだけが威圧するように積み重なっていくが、書くべきものはどこにも表れない。ようするにわたしはだまされたのか。Kは幻のようなものを見た。階段の上には見たことのあるらしい、しかし大きすぎる雛人形が座って笑っている。と、こんなことが書ければしめたものだと思っていたが、Kは幻のひとつも見ない様子でただ階段をのぼっているだけ。何とも書きようがない。まじめな男め。何か書かせたまえ。Kの右の手には爪がある。しかしこれは当たり前の話だ。訴えるべきことはない。爪など生やしていなければよかったのに。爪のない手は秘密の前ぶれだ。しかしこのKには爪がある。普通の右手がついた男だ。何の変哲もなく、つまり書くべきこともない、ただ階段をのぼるだけ、おりることすらしない、笑っていなければ、女を探すこともしない。女がいれば恨みつらみも生まれる、書きがいのある物語に女はつきものだ。階段をのぼるだけの男の物語なんて誰も読むはずがないし、そもそも書かれるべきではない。有限とされる時間のうちのどこにそんな無駄をしていい時があるだろうか。描写可能なことはなにもない。後ろ向きに階段をのぼるなら、それは何かの寓話にもなろうが、まったく普通、まったく当たり前に両の足を交互に一段ずつのぼっているこの男になんの物語があろうか。目筋にだらしなく伸びた涙の跡だけが前ぶれであったが、その跡でさえもうすっかり消えて乾いてしまった。Kは階段をのぼっている。Kは階段をのぼっている。Kは階段をのぼっている。Kは階段をのぼっている。Kは階段をのぼっている。Kは階段をのぼっている。のべつ幕なしにのぼりつづける。こんな男に階段はいらないだろう。すなわち、Kはのぼっている。Kはのぼっている。名前だってなんでもいい。Mはのぼっている。佐藤はのぼっている。本多はのぼっている。無いのもいい。のぼっている。のぼっている。のぼっている。こんなのもありだ。私はのぼっている。私はのぼっている。私はのぼっている。私はのぼっている。私はのべつ幕なしにのぼっている。


闇の獣(リメイク)

  山人



おぼろ月の夜
一日のためいきが霧となって森を覆っている
初夏の日差しにうたれた葉は
産毛をひらき 月のひかりを浴びている

森の奥
鼻を濡らした一頭の獣が立つ
におい立つ皮膚に 脂ぎった獣毛
土を押し込むように肉球を圧する

かすかな気配
ひそかに 闇の隅をこする生き物がいる
新たなる命の光源が点滅する
葉は風をよび 毛羽立ち 鋸歯はさざなみ しずくはふるえる 
一片の葉の舞い、
はじけたバネが月夜に放物線を描く、線はいざなう
葉を蹴散らし
絞り込んだ筋肉で柔らかい肉を羽交い絞めする
濁音が回転しつづけると骨を揺さぶる音源が土を震わせ
体液は闇に沸騰する
胸の反復がしだいに薄れ
吹き出しのような息がひとかたまり
土ぼこりの上に落ちた

まなこを一巡させ あたりをうかがう
喧騒の破片がふわふわと漂い知ると
闇の獣は新たなる踏み込みで肉球を地面に押しつける
闇は反転する
月はひかりをとりもどし 新しい闇を造成してゆく
体腔の内容物をすすりこむ音と
骨を噛み締める音
それらの音と 葉のささやきが
闇の純度を増してゆく

しだいに獣に埋めこまれた充足が 押し詰まった空気をゆるめ
やがて獣は木の葉に尾を滑らせるように
時折あたりを警戒し闇に消えた


みずのこまかな粉粒が・・・

  水野 温


みずのこまかな粉粒がじかんとなり
まいおちることが綺羅によってもてあまされている


だれもいないばしょをつくることが
あのコンビナートのひろがる工場地帯のしずまりかえった午後につながってゆくんだねって とうめいな粉塵をもてあましたあしたをてのひらのなかでくみたてていたら ガラスの鳥がとんでゆくまばゆさが壊れかけたアパートの埃だらけのちいさな窓のむこうに、飴色に夭折されたつらさをともなってながれるのがみえている ここにはどんな近似値も意味をなしていないので いなくなってゆくひとのコトダマだけがいみをつくっているんだ
みずを空に書きかえてゆくことがコトダマにつながっているんだ なだれてゆく綺羅のなかで雲がじかんにきずつけられていって なにもかもがわすれられてゆくのだとしてもそれはそれでゆるされているのかもしれなくて ガラスの鳥のこわれた骨の破片が韜晦をとかしてみずぬるむアジュールブルーにぬれつづけてゆく


みずのこまかな粉粒がじかんとなり
まいおちることが綺羅によってもてあまされている


どうなんだろう、コンビナートから
おりてくる金属質のなまぬるさが陽のあかるみのなかでこまかくちりつづけながら工場地帯をつつみこんでいって ここにすべての欠損のいみがあるとおしえてくれるのだけど だれもいない何万日もの日々がうすくうすく空のうえにひろがっていくので かぎりなくとおざかるものの名まえさえもわからなくなってしまう ガラスの鳥の夢みるばしょにつながっているかもしれない(困惑のかたちをしたうすい陽がながれる)アパートのちいさな窓をすかしてみると うそをささやくアジュールブルーのなかで ふわふわとうかぶしろい小船がはるか高みの溶鉱炉に座礁してつらそうなしぶきをあげているのは 今日という日のための記念碑かもしれなくて とうめいな気流がみずのいろをじかんのうちがわにおりこんでいた


みずのこまかな粉粒がじかんとなり
まいおちることが綺羅によってもてあまされている


「無人の工場地帯のまんなかにある、いまはなにもおかれていないためにがらんとしずまりかえりひろがっている資材置き場のまんなかのほこりっぽい地面のうえに、午後の陽ざしのながい帯域につつみこまれるようにして少女がぽつんとひとりでたたずんでいる写真が、解体をまつばかりの古いアパートの壁に貼られていたのを思い出していた」



みずのこまかな粉粒がじかんとなり
あなたをつつみこんでいるのをうそのように感じていて とおくにみえるコンビナートに蒼空とともに舞いおりてゆくのもなにかのあざむきのように濡れているのは「彼方」ということばへの遺跡なんだよと、すぎさってゆくものへは飛沫させてみる (そこからはじまることがすべてだと)写されたあなたの写真をしまいわすれて飛ぶガラスの鳥の夢をみるためにアパートの窓をあけはなせば ふわふわとうかぶしろい小船がはるか高みの溶鉱炉に座礁するしぶきが夢をいつまでも濡らしつづけていった

文学極道

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