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芸術としての詩を発表する場、文学極道です。
初めての方は投稿前に必ず 投稿規程と掲示板の使い方 をお読みください。
作品の投稿は発起人のみ、一般の方は返信による感想・批評での参加となります。
《作品・合評レベル向上のために》
作品の投稿、批評活動を行う場です。作品本題に関する内容を含まない返信は禁止します。発見した場合削除の対象となりますので、予めご了解ください。
∧ ∨ 65 : 壁にも 空いた、うすぐらい みつとみ '16/10/26 21:18:41 [Mail] [URL]
壁にも 空いた、うすぐらい
あることに気づかれず
探せば見つけ出すことができる
半ズボンが壁から抜け出してくる
小学校のひび割れた校舎
蹴られる背
水の張った校庭
町工場の錆びたトタン
敷地のバラ線が絡まり
ペンキ臭い鉄骨の体育館
頭から落ちる床
台風の後の空き地に朽ちたブロック
住宅街近くの忘れられた防空壕のセメント
工事現場の貯水槽のシルエット
公園の古い壁に
ひとりでボールを投げつづける
身をすぼめてくぐり抜け
たしかな光のほうへ抜けようと
砂場でみなに囲まれて踏み続けられ
胸にも 空いた
見ることもできずに
望んでもふさぐことが難しく
さとるに語ることができない
気づくよりも重くなった体をひきずって
叫ぶこともできずに唇をかみ
己のやせた胸へと戻っていく
ただこもってしまう日々にまたひとつ空いていく
いつもは隠れている
ふとしたときにその向こう岸をみせてくれる
草地の犬が背をまるめる
壁にも 空いた、うすぐらい
夕暮れに団地に帰っていく
行き場のないランドセルの背
天気雨がふりそそぐ、塀に囲まれて
ジャケットの襟をたて、ゆっくりと天を仰ぐ
*近日、Amazonで販売予定の「狼」29号から
次号以降の参加者募集中につき、関心のある方はメールにて。
>> permanent URI: http://bungoku.jp/pbbs/20161026_726_65p
三浦果実 :
みつとみさん
こんにちは。三浦果実と申します。詩歴も何もない者ですが、
『壁にも 空いた、うすぐらい』についてコメントさせていただきます。
私は、昭和43年生まれですので、おそらく、みつとみさんとは同年代です。
昭和50年代の原風景を良きイメージとして抱いている私からしますと、今作は、その原風景を誘う作品です。当時はそこら中にいました。ひとりで壁に向かってボール投げしている少年。僕もその1人です。その浮かぶ原風景には、当然ながら「音がない」のです。音が記憶から消えていくこと、その喪失感は大きい。この作品、私は共鳴しました。何かが。この作品は僕の為に書いていただけたのでしょうか。
そうであれば、3,000円御支払して購入したい作品です。
しかし、5,000円の価格設定だと躊躇します。
でも、みつとみさんが僕の友人であれば、きっと10,000円でも購入します。
また、しょうもない、くだらないコメントをしていると、罵倒は覚悟しているというか、最近は、其の様な御指摘も眼中に無く。みつとみさんと話たいこと、書きたいことをコメントしております。
最近、よく考えることがあります。詩作品の価値・詩作品を投稿する本気度について。
例えば、僕が投稿しました4作品。これを3,000円で10万人へ売る決意で投稿したのか。そんな決意はありませんでした。所詮、自己満足がベースで、文学極道を閲覧される方々がみていただければという、その程度です。
しかし、4作品にはもう一つ作品に込めたものがありました。どちらかと言えば、そのことの方が大きかった。
投稿しました作品は、特定した個人へ「この詩を是非、読んでください」と気持ちを込めて創作し贈りました。受取ってもらえたのか?喜んでもらえたと思っております。社交辞令なこともあるかもしれませんが、私は嬉しかったです。
そのような作品を発表する場が文学極道ではないのかもしれません。
しかし、『人様へ捧げる言葉の花束』を身で学ぶということ、それは成したかなと自己満ですが感じております。
話が逸れてしまいまして、すみません。
みつとみさん。詩作品の価値とは、自分の詩作品を売ることとは、また、詩作品を創作する本気さとは、「この作品を多くの人に売って生活の糧とするんだ」ということに尽きると思うのですが、みつとみさんはいかが思われるでしょうか。
長々と、また、初会でありながら不躾なコメント、すみません。
− 表示切替 − ('16/10/27 12:13:53)みつとみ :
三浦さん
コメントありがとうございます。同世代の方ですね。当時はサッカーよりも野球が盛んでした。わたし自身は野球よりサッカーのほうがプレーは好みましたが。
夕暮れの原っぱは原風景ですね。団地とか校庭とかもね。
作品に3千円とのこと、ありがたく思います。詩に値段をつけるとそのような感じなのですね。
詩とか芸術とかは、お金に換えられない価値(芸術的価値)と、お金に換えられる価値(商業的価値)とかがあるのでしょう。
きっちりこの2つを区分できるかどうかは難しいところですが。
芸術もお金もそれを認める場やひとがいないと成立しないでしょうし、逆にいれば成立するのでしょうね。
ただ詩を書いて、売ってこれだけで生活できるひとは日本では実際に谷川俊太郎さんぐらいで、ほか数名いるかどうかと言われています。
けれども詩は売れない、あるいは詩人は貧乏だ、というイメージはなくす努力や工夫や試みはあってもよいかと思います。それが実現、実行できるかは別ですが。
実際に、詩は売れることもありますし、貧乏でない詩人もいるでしょうけど。
それと詩は数字ではない、その表わされたものだけが詩の価値ではないという考えもわたしは持っています。矛盾するかもしれませんが、どちらか一方のみという気がしません。
ひとに届ける努力、これは詩人だけでなく、編集者やメディアや教育者や文化を育てるという意味では行政や役所もまた一緒に考えるということも必要かもしれません。
わたしは画家さんたちが集まってイベントに援助を求めて、行政の役人の方を呼んで、議論したり提案したりする場に招待されたことがありました。
その時「協働」という言葉を覚えていってくださいと聞きました。多くの役割や場の違うひとたちと、協力しあって、なにかをする。
そういう現場のみでない大きな渦を作る、それは運動(ムーブメント)かもしれなしですし、思潮かもしれません。
文極も「狼」もまだ開花はしていませんが、その可能性の一つかもしれませんね。
そういう流れのなかで、源流は一人ひとりの詩に対する考えや思いであり、一つひとつの作品なのでしょう。
自分が世界に投げかける作品、異文化・異文明への交流・伝達の紹介・手段、他ジャンルとのコラボ・あるいはセッション、大海原に流す通信の瓶、宇宙に放つメッセージ、地球に遺すオブジェなど、詩にはまだまだ可能性はあります。
「人様へ捧げる言葉の花束」というのもいささか乙女チックでセンチメンタルな響きがありますが(出典はダーザインさんの言葉ですね)、それもまた大切なことでしょう。
− 表示切替 − ('16/10/27 16:42:42 *3)三浦果実 :
みつとみさん
早速のレス、有難う御座います。
「協働」という言葉。私自身にとってもキーとなる言葉として覚えておきたいと、そう思いました。僕もムーブメントを起こしたいのです。ムーブメントの紛い物的なものでもいいかもしれません。結果的に成功しなくても、やるとなったら大変なことで、傍観者でありたいという気持ちが大きいとしても、みつとみさんへの礼儀として、なんか、言い切りたくなりました。僕もムーブメントを起こすプレイヤーでありたい。破壊的な負のムーブメントではなく。有難う御座いました。 ('16/10/27 18:24:10)泥棒 :
ふむふむ。
センチメンタルな感じだけではなく
ま、やっぱり、うまいっすね。
この場合の「うまい」はもちろん褒め言葉ではないです。
描写もありふれている。
いや、まてよ、
ありふれた風景を描写してるんだから
ありふれていていいのか。
ん?
どうなんだろう笑
わからないな。
ま、
このような
あたりさわりのない作品は置いといて
それはさておき
どっか置いといて
みつとみさん
他の発起人の方々にも
ここに作品だすように
言ってくださいよ。
もうちっとは
おもしろい感想かきますから。
− 表示切替 − ('16/11/02 13:01:33)みつとみ :
泥棒さん
そうですね、ほかの方々にも声かけておきますよ。ありがとう。 ('16/11/03 01:17:29)玄こう :
主体を喪失した詩文
述語形式のみで書かれた物を読むとそうして、実体を失い現象論にばかり収斂されていく有り様、そんな詩の世界観をみる。……(*)
我々は、(詩も言葉も)=(絶対性や信や実…などが言葉として希薄なまま、多くの物事に接し生きて暮らしている → 相対的な配置ばかりを我々は感じ考え、それらを当然の世界観としそうしたなかから産まれる美意識。
一般投稿板のある作品にもたまたま、先日(*)と似た内容のレスをさせてもらいましたが
一度、発起人さんにもこの問いかけについて、どう感じ考えてられるのか。をお訊ねしたくレスさせてもらいました。
こちらの作品もですが、述語形式だけを書き連ねていく仕方について、そうした詩文に、私はかなり否定的までもいかないが、けっこう懐疑的な考えを持っています。
イメージを描写する、頭のなかで思い巡らす、錯綜、読者各々が自由に楽しんで読んでくだされば、という。そうした「イメージの娯楽装置として」今や、詩がある。
掴みどころのない、ウヤムヤで朦朧としたものが、塁塁と産出される。読む側もそんなものが好まれがちだ。そんな詩がたいへん多いし、たいへん好まれているようですが、
そうした作品にも、いや自分も、ある一面いい部分もあるだろうし、が正直。それだけではダメだろな。と感じ考え思い悩む。
長くそのへんに疑問を抱きながら、なんか『抜けている』、日本の詩や現代詩になんか足りないものがある。だが決定的な確信が持てないまま長く悶々としていますね。
そのへんを批判できている方。今の詩の批評人で、そうした論評をやっている方。できたら教えて欲しいぐらいです。(まぁ自分で探しますが。)
勿論、詩という分野に囚われず言語社会、言語思想と並んで、そこらでも考えていくべき根本課題だろうな。と私なんか考えていますが。
みつとみさんは、その辺(*)についてどんなふうに考えていらっしゃるのか、ご返答できたら………、と。(ご無理でしたら無理にはお願いできません、スルーしていただいても、かまいません。)
今回、この作品の中身に言及しませんで、どうもすみません。
不躾なレスで、失礼しました。
− 表示切替 − ('16/11/03 02:25:44 *1)みつとみ :
玄こうさん。
「わたし」「私」「わたくし」「僕」「ぼく」「俺」「自分」「おいら」ほか日本語には、
自分を表わす言葉はいくつもあって、それぞれ自分のことなのに立場や印象そのほかが違ってみえます。
「君」「お前」「貴方」「あんた」ほかこれもいくつもあります。
「彼」「あいつ」なども。
それと、主語を取っても、書かなくても日本語は成立する部分があります。
その分あいまいですが、そういう文脈や文章の構造や風土・文化や精神構造そのほかの理由かと思います。
そして日本語の小説や詩も主語を書いても書かなくても、書くこと読むことはでき、それにより効果もさまざまと思われます。
わたし自身は主語は意識して「わたし」「僕」「男」「男性」「女」「女性」「彼」「彼女」を使い分けします。
それでは外国ではどうか。主語を必ず必要とする国・言語・文化もああれば、省略・書かなくても通用する国・言語・文化もあるでしょう。
そしてあえて、必要とされているのに・それが慣例なのに、それを取り去った場合の実験や効果や手法などもあるでしょう。国・言語・文化や文学作品の比較研究としても、雑学的にも面白いかもしれませんね。
*の部分の掲示板はここしばらく別件取り込み中で見ていないので、コメントしませんが、今回の作品に主語をとくに入れていないのは、作品上の効果を狙った部分です。
それでよいのかというより、それで何の効果が再現できるかでわたしはどの手法をとるか考えます。それによりその手法はこの効果を現わし、それは成功したか否かです。
ほかにも実験的にいろいろ試みて、偶然性により効果が出てもそれを採用するでしょう。
− 表示切替 − ('16/11/03 13:36:25 *2)三浦果実 :
みつとみさん
コメントしなくてもよいことですが、29号をアマゾンで購入しました。届いたらワクワクしながら読ませていただきます。 ('16/11/11 11:57:50)
∧ ∨ 64 : 水 みつとみ '16/08/12 18:55:00 *3
はがれた爪のように 水面に言の葉を散らしていきます
白い光の底として
たゆたう水が満ちていきます
明るい音がしないのは 洞窟に光がこもるから
わたくしの 腕から
ほら 目が 生えていきます
わたくしの二の腕から
目が いくつも いくつも
生まれては そう 増えていく
うっすらと その目が 開かれ
なにがほんとうでなにがうそで
なにひとつ悪いことをしていないのに
信じることができずに あなたの指を落としていきます
音がして あかい血が水面をただよい
きれいにうずをまくころ
指が くらがりの底に 沈んでいきます
あなたに 知ってほしくて
わたくしの肌を うすく一枚そぎます
そうして あなた の 指 が しずむ とき
わたくしの腕に 目がひとつ生まれます
わたくしの肌が そがれるとき
わたくしの脚に 鱗が一枚うまれます
わたくしが たくさんの目をもつ魚となったとき
あなたは
ひとつの洞窟につつまれた湖となって
暗い底から光をたたえます
しずかに憂いながら
泪のかわりに真っ白な微笑みをうかべて
横たわっているのです
あなたは わたくしという洞窟にとじ込められた
泪をたたえた 湖なのです
あなた の 指 を おとしては
はだを 一枚そいで
いきものの水がたまって
わたくしの腕に 生えた目が濡れてひかり
わたくしの脚に エメラルドの鱗がうまれて
その光を底として
いのちの水が満ちていきます
その紅くとうめいな水をのんで
悲鳴を偲びながら 爪のような言の葉を漂わせていきます
ほの暗い過去が髪の長さとなり
裸の背に月の光を浴びながら
わたくしの胸に抱えられて
あなたの眠った蒼白の顔が微笑み 水底から浮かび上がります
*本当は縦書き中央揃え
>> permanent URI: http://bungoku.jp/pbbs/20160812_714_64p
玄こう :
二回頑張って読みました。率直に申しますと私読者は、この詩に感想を促したいほどの好さや、誰かに読ませたいために批評を付すことや、詩のなかから何か?、輝かしいものを掘り起こしたい、掘りあてたい、という解説も、出来ない、したくもない作品でした。
すみません酷評になると思う。
詩の流れが一環しているようで一環していない。
“詩の流れが一環していないようで実は一環している。”という後者の、良い意味での詩の文体の流れが非常に弱い気がします。
云いかえるなら、“詩の文体が貫徹し、きちんと流れている。”そうした流麗さがこと足りないと感じました。
センテンスを部分的に具体的に挙げて、それを示すほどのことでもないですが、その要因のひとつとして、一文一文を精確に記そうとする素振り、にあろうかと思います。>指が くらがりの底に 沈んでいきます/あなたに 知ってほしくて/わたくしの肌を うすく一枚そぎます/そうして あなた の 指 が しずむ とき/わたくしの腕に 目がひとつ生まれます/わたくしの肌が そがれるとき/わたくしの脚に 鱗が一枚うまれます/わたくしが たくさんの目をもつ魚となったとき/あなたは/ひとつの洞窟につつまれた湖となって/暗い底から光をたたえます
詩に出演するあなたとわたくしとが水面で言葉とともに戯れる様子。こうした文でも感じるのです。特に目に付いたのは、>ひとつ、一枚、たくさんの、ひとつの、まるで後からくっ付けたような数詞が散見される。たいへん煩いものに感じました。
誰しもよく知る形容詞をふんだんに詩に使い込むことはあまり、私は詩においても、いろいろな文書スタイルにおいても、あまりイタダケナイのでは?と考えています。
浮き沈みや憂いなど、水というものから、人の心象や水からくれる美しい現象を、詩に書きたくなるものですが、
まぁこの題は、水でないほうがいいかもしれません。『鍾乳洞にて』とか『地底湖』、具体的事物をタイトルに、私ならするだろうと思います。詩のそれ自体があまりにも朦朧としており観念的でもあるため、タイトルと詩内容とにメリハリをつける工夫があったほうが、読者に興味を抱かせることができるかもしれない、と気がします。
水という普遍性を詩にしたければ、こんな作品ではまだまだ、たどり着けないだろうと思う。
みつとみさんは男性と察するが、男性がイロケを出すと、詩でも歌詞でも小説でも、読むとどうしてもナヨナヨしたものが多い。
明治や大正の女性の詩や小説はそうしたイロケを書いてもそこには必ずといっていいが、貫徹するものがある。女性の持つ弱さのなかから、女性の持つ精神や意識の強さが、内面から書かれているものを読む。
ヘタなベタなイロケは、男性が小説や詩で書かないほうがよいのではないか?と思う。よほどの才能や気質がない限り、やらないほうがよいのでは?と思う。
酷評になってしまい失礼しました。
− 表示切替 − ('16/08/12 20:48:51 *3)みつとみ :
玄こうさん。
早速のご批評ありがとうございます。なぜか「酷評」とは受け取れなかったのですが、たしかに「男がイロケを出す」のは難しいですね。でもやってみたかった。笑い。 ('16/08/12 22:12:07)kaz. :
みつとみさんは、中々表に出てこない印象があったのにこうして書いているということは、すでにかなりもうストックがお有りなのかな。書く体力を維持しているんだと思います。
内容については、スタイルの必然性がよくわかりませんでした。なんで縦書きの中央揃えにする必要があったのか、またそこから生まれる何かがあったのか。
それが、私には読めませんでした。すみません。 ('16/08/22 17:59:15)みつとみ :
kaz.さん、お読みくださりありがとうございます。
いろいろ黒子的というか縁の下の力持ち的というかそういう役割のほうがいくつかの場で多いもので。性格も地味でして、はい。
水とか光とかたゆたう感じのスタイルを狙ったというか、そのような感じです。 ('16/08/23 20:09:51)アラメルモ :
これも拝見いたしました。
上の作品と同じように観念的な詩ですね。
タブレットなのでいちいち文章を取り上げて評はいたしませんが、まるで感情から涌き出るように、身体的な痛みとして水そのものが喩化され書き込まれている。このことから水とは泪のことを指すのでしょうが、よろしいと思われるのは、この涙が身体的な蘇生や痛みとしてあなたに還元され書かれていることだと思います。なので、玄さんが一環しているようで~というコメントは当然で、もちろん感情には起伏があるからです。
あなたとはまさに水であり涙でもあり、つまり生き物の感情そのものを指しているのです。みつとみさんの詩はわたしにとっては入りやすく理解しやすい。そんな気にもさせられる。。なぜかと申せば、あたまよりも直に胸のほうに響いてくる。言葉には操られていない美意識を感じることができる。それは胸に抱えたギターの音色。ダイヤモンドを散りばめた、きらびやかな輝きではないけれど。手のひらにある、オパールの小さなかけらのきらめきに魅せられるように。。これも経験と御努力の賜物だと思います。稚拙な感想ですね。笑。失礼しました。 ('16/09/11 18:25:38 *6)みつとみ :
すこし時間が空いたので、ちょっとだけ。
アラメルモさん、ご感想ありがとうございます。
そうですね、水はわき出たり、滞ったり、流れたり、にじんだり、かわいたり、姿を変えていきますね。
十代、二十歳のことは観念的で難解な言葉を使っているときもありましたが、
それ以降はだんだん、平易な言葉で書くようになりました。 ('16/09/15 13:29:03 *1)朝顔 :
お初です。規定がよくわからなかったので、取り敢えずここに来てしまいました。
宜しゅうございましたでしょうか?
この詩、結構怖い詩だなと思いましたね。(ちなみに、私は技術的な批評や観念的な講評はへたくそです。)
ロアルド・ダールの短編小説(確か。違ってたら申し訳ないですw)で、夫がやはり妻の指を一本一本落してゆく話があるんですよ。それは、愛の証というよりも、単純に夫が気が少々ふれていて、賭け事を妻とするたんびに、相手が負けると指を削ぎ落してゆく訳ですが。
話がそれました。
みつとみさんの詩の場合、「男がヘタなベタなイロケを書いている」というよりは、もうちょっと詩の内容性に硬質なものをわたしは感じますね。精神的密室における二者間の関係性がここにある。しかも、「わたし」は肌を削ぎ落しているだけなのに、「あなた」の指は落としちゃうんですね。かなりずるい(笑)。でも、その残酷さを筆者は理解していらっしゃる。
ただ、確かにここにある男女(?)の関係性は、平成的というよりは些か明治大正的なニュアンスがありますねぇ。昔の文士の感触。表現自体は平成のものなんですけれども。
捕捉。「しずかに憂いながら」と言うフレーズは、自分的にはちょっとイメージが重複しているかなと。でも、みつとみさんのいつものリアルの表情ではありますねぇ、これ。
− 表示切替 − ('16/10/22 04:37:58)みつとみ :
朝顔さん
ご感想ありがとうございます。内面はそうですね、残酷性とずるさもあるかもしれませんね。「明治大正的なニュアンス」、それはちょっと偏愛的というか、江戸川乱歩的な怪奇性と叙情性というか、そのような感じでしょうか。そのようなものも確かにあるようです。わたしは、しずかに憂いてしまうのかもしれませんね。 ('16/10/23 11:28:23)
∧ ∨ 61 : うしろ背 光冨 '16/02/24 23:14:17
そのうしろ背の壁に
白い顔が浮かびあがっている
まっすぐ見ている眸に
群れのひとたちの歩き出しに
くすむ羽をすぼめている
行き交うひとたちには気づかれない
そのあおざめた空には
遠くうすくのびる雲が逃れている
そのうしろ背が舞っている
小さい点の旋回に
羽根の白さが落ちていく
空のペットボトルのなかに
乾いた風の音がこもっている
胸のこげた臭いを
コートの襟に隠して
眉をひそめてさまよっている
街角で配りものをする肩に
触れてはわるいから
空が雲に覆われて
湿り気をふくんだ風に
ひとが通り過ぎても気づかれない
街の表示がはがれ落ちた死角で
影がひとついなくなった
靴のかかとを気にして
膝をまげて深い帽子を落とす
その曲げたただひとつの背に
街の空が引っ掻き傷をつくる
還っていくひとたちには気づかれない
建物の影に消えていく
うしろ背にまたたく光がまぶたを開く
>> permanent URI: http://bungoku.jp/pbbs/20160224_656_61p
泥棒 :
静かすぎて
なんて感想を書いていいのか
わかんない。
なので
過去作品を読んでみました。
白の誕生日とか
その他
いろいろと。
ああ、なるほど。
情景描写とか
めっさうまいんだなあと
そう思いました。
で、
その奥に
確かに
詩がありました。
ありましたとも。
なので
もう一度
ゆっくり丁寧に
この作品を読んでみました。
きれいな額縁に
作品が入っているだけ
そして
丁寧に置いてあるだけであった。
これを
立ち止まって
読んでいる場合ではないと
そう思いました。
私は
実力のある方の
安定した無難な作品を読む気には
なれないです。
− 表示切替 − ('16/02/28 20:26:46)光冨 :
泥棒さん、ありがとう。あとで、何か思いつけば、返答を加えさせていただきます。 ('16/02/29 12:17:06 *1)ねむのき :
みつとみさん、こんばんは
三連がいいですね>空のペットボトルのなかに
>乾いた風の音がこもっている
なかなかこういう描写は見たことがありませんが
とても素敵です
ですが、この連だけ(空のペットボトル、コートの襟)ぐっと対象に接写して、イメージがわりとくっきりしてるのに対して
他の連、特に1、2、6連は(たぶん意図的に
輪郭をぼかしているようなタッチです
この辺の非統一感はわざとやってるのか、
わざとやってるにしてもあまり効果的でないような気がします。
結局、主題である「うしろ背」(おそらく造語?なのでなおさら)のイメージが、
背景に隠れてしまってるような印象を受けました
せっかくなので批評らしきものを書いてみました
今後もみつとみさんの作品を読ませていただけるのを楽しみにしています
− 表示切替 − ('16/03/13 23:44:09)光冨 :
ねむのき様
こんにちは。ご指摘の部分、確かにそのようにも受け取れますね。
わたし自身、この言葉はこういう意味で狙いだとか、この作品に関しては、言えないです。
散文詩のシリーズやその前に書いていた改行詩の場合は、一つひとつの言葉の意味やイメージについて語れたのですが。
ぼんやりとした夕暮れから夜にかけての不可思議な情景でしょうかね。
− 表示切替 − ('16/03/18 18:16:11)中田満帆 :
やりなおし。なにもいってないに等しい。 ('16/04/02 23:53:53)光冨 :
と言われてやりなおすひともいないだろうが。中田さん、ありがとう。 ('16/04/04 20:43:47)園里 :
そもそも「うしろ背」というタイトルが気になります。「後ろ」の「背中」あるいは「背表紙」でいいのかな。「後ろ」にモノがある、という言い方で「背中」を問題にするのは、自分があるということを認識している、人の意識が作った言葉だと思う。
ねむのきさんの視点を足掛かりにして、1、2、6連の何が違うのかを単語を中心に考えてみると、これらの連だけ「うしろ背」と「ひとたち」が出てくる。つまり「うしろ背」はつねに「ひとたち」と関係してくる。
3、4、5連には「胸」があって「眉」があって「肩」があって「膝」があって「帽子」をかぶって「コート」を着て「靴」を履いてる人物が出てくる。「背中」だけないけれど「うしろ背」の意識はどこかにある。ここで思うのは、ほぼ全方位対応なんですよ。上下横前後全部ある。小さい点をあらゆる角度から旋回するように書かれている。「小さい点の旋回に/羽根の白さが落ちていく」それはつねに意識されてる。<平面/鋭角>とか<乾いてて熱いところ/湿ってて寒いところ>といった対句表現が多いのも特徴。
「羽の白さ」というのは何か。これが「うしろ背」じゃないかな。「うしろ背」は作品の中でかなり意味を上積みされて、具体的に何とは指しえない何かになってるけれど、あえて言語化してみると、意識としての「背中」の問題が、どこかで他者的にパッと舞った「うしろ背」(背表紙的な何かかもしれないし、「ひとたち」の背中かもしれないし)を見て交感したところにこれらの言葉はあるような気がする。
最後は「うしろ背にまたたく光がまぶたを開く」という、全身鎧のように構成された言葉の裂け目として「まぶた」が出てくる。意識と視線の共感作用を、外界への足掛かりみたいなものとして捉えているのかもしれない。
で、蛇足。天使の翼も悪魔の翼もだいたい背中から生えるのは意識を問題にしているからなのかも。生物学的にみたら腕部が変形しないとおかしい。
− 表示切替 − ('16/04/10 18:01:03)光冨 :
園里様
丁寧にお読み下さり、ありがとうございます。「全方位対応」という指摘はユニークですね。たしかにこの作品は「視線・視点」が描く折り重なる情景かもしれません。
また「翼」も本来は鳥のように腕の変形のはずですね。 ('16/04/11 20:31:30)玄こう :
人を壁の前に立たせ、ストロボを放つポートレート写真のようで、行きかう街の人らにみえる光背をみるようで、あるいは中世ヨーロッパの教会の天井壁画を思わせるようで……、モーリス・ユトリロが後ろ姿の小人ばかりを建物の隙間に描いた絵画を思い出させたり
様々な光景が(絵的に)よみがえってくる。
どんなショットからこの詩が出来たのかは私にはわからないが、車のなかからの感じもするし、街を歩きながらの感じもするし、様々な光景が『動的に』織り込まれている。
ただ動的でありながらも描く言葉が絵的であり、しかも文面に描く様々なモチーフの距離間に眩惑させられる。絵的でありつつも、常識的な遠近法を覆えしていくようなところもある。
以下追記、8/30/22:25>そのうしろ背の壁に/白い顔が浮かびあがっている/まっすぐ見ている眸に/群れのひとたちの歩き出しに/くすむ羽をすぼめている/
>行き交うひとたちには気づかれない/そのあおざめた空には/遠くうすくのびる雲が逃れている/そのうしろ背が舞っている/
この二連を読んでも景観も状況も掴みにくく読む者を眩惑させる。
冒頭の指示代名詞、“その”、目の前に居るのその者のの“その後ろ背”という対人の背中をやはり考える(感じる)。それは鏡の自分かもしれないし自分の目の前の誰かかもしれない。
次にこんな言葉が続く。>の壁には白い顔が浮かびあがっている”。
作者はタイトルや書き出しを読者の注意を欺くように(意表をつくように)持っていっていく。
その“壁”がゆくゆく>“空があり遠くうすくのびる雲が逃れている。”
という広がりかたでつづる。この“逃れている”という一語は、読者の心境やこの文面の感覚的広がりを暗喩しているように感じる。
絵的な専門用語でオールオーバーというのがあるが、人が絵画や写真をみるとき、額縁やフレームの“外縁”の広がりに想像力をかきたててていくように仕向ける手法というのがあるが、そんな技法を詩的に用いているように感じた。
次の連では、>小さい点の旋回に羽根の白さが落ちていく/空のペットボトルのなかに/乾いた風の音がこもっている//胸のこげた臭いを/コートの襟に隠して/眉をひそめてさまよっている/街角で配りものをする肩に/触れてはわるいから
>空が雲に覆われて/湿り気をふくんだ風に/ひとが通り過ぎても気づかれない/街の表示がはがれ落ちた死角で/影がひとついなくなった/
“後ろ背”というタイトルを以下でも読者にちらほら見せながら、ここから具体的な馴染みのあるモチーフが詩のなかにいくつも書き込まれていく。
“ペットボトル、コート、配りもの、靴、帽子、(看板や標識?‥)“
身近に接し触れるこうした物を、触覚し共感できるいくつもの名辞が目白押ししてくれている。>“胸のこげた匂いをコートに隠して”
(喫煙者の私なんかはよく体感する。)>“靴のかかとを気にして/膝をまげて深い帽子を落とす”
(まだそんな動作を一度もやったことはないが、マイケル・ジャクソンじゃないが、そんな振り付けで一度ポエトリリーディングでやってみなくなった。笑)
この連で私は作者のなんらかの性格をみる。外見をあまり目立たすことのないよう抑制し外着のファッションに気をつかいながら、街に出て散歩にほっつくのが専らみたいな作者の性格を感じたりもする。
イキです。笑)
続く終の連では>その曲げたただひとつの背に/街の空が引っ掻き傷をつくる/還っていくひとたちには気づかれない/建物の影に消えていく/うしろ背にまたたく光がまぶたを開く/
終わりの詩文で再び読者の視点をズームさせ、>街の空が背中に掻き傷をつくる。
に、初回の一連二連の景観に読者を戻していくセンテンスを感じる。
(特に私なんかは、写真機で風景なんかを撮影するときに、絞りの開閉で、モチーフや背景 (前景〜遠景の)“距離感”をなくしていくことをやるが、ミツトミさんが詩文面でそうした手法を幾重もちりばめているのを感じるのだ。)→(子どもの絵をみるとよくわかるが、子どもの絵って人の頭がでかかったりする。これってその子からしたら頭や顔のほうがその人の手や足なんかよりよくみているからだろう。みんな子どもの絵は頭がでかい。)→(人が外部から教えられる絵の遠近法を子どもはくつがえしていくというあれだ。)→(私ら大人には描くことができない絵を子どもは描くことができる。)
↑そういうものをこの詩で読んで、自分もそんな詩か書けたらと思っているのだがまだまだ書けない。笑。)
詩に戻す。
この終わりの連のなかの>“その曲げたただひとつの背に”
“その後ろ背の壁に”とある冒頭文に再び読者の意識を結ばせ、“その後ろ背”の頭に“ただひとつ”と付け加えられている。
ここではじめてその作者にとっての“後ろ背”というものがいかなるものか?が、を末文で閉じる。>“またたく光がまぶたを開く”
“閉じる”としないで“開く”と置く。その一語がミツトミさんの瞳なんだろう…か、と、(作者を想う。)
この詩、私はけっこう好きでした。発起人バトルのひとつの詩として捨てられず何度も読みこの機に一度アップさせていただきました。
何度もレスを書き替えてしまい、失礼しました。m(__)m。
発起人さんもどんどん詩を投稿してください。レス感想送ります。
− 表示切替 − ('16/08/29 00:53:52 *21)みつとみ :
玄こうさん
「うしろ背」という人物の像の立体的な絵画や動画を意識していたようです。
「動的でありながらも描く言葉が絵的であり、しかも文面に描く様々なモチーフなどの距離間に眩惑させられる。」とはうれしい言葉です。ありがとう。 ('16/08/30 19:59:19 *1)アラメルモ :
拝見いたしました。
わたしも園理さんと同じように天使の視点を意識させられましたね。
そして、この象徴的な「うしろ背」とは、つまり人々の内面まで透けて見える精神性のようなものじゃないかと。天使には当然それもみえてくるのでしょう。
観念的な茫漠とした意識で表されているのでしょうか。そういえば男は背中で語る、なんて言い方もされる。よくよく眺めていると、その人が背負う、生きてきた辛さや哀しみ。うしろ背の姿。なんとなく人生観まで現れてきて、性質までもわかるような気がしてくる。
簡単なコメントですが。
− 表示切替 − ('16/09/11 17:19:46 *1)
∧ ∨ 6 : あばら家 いとう '05/01/01 11:46:55 [Mail] [URL]
とかげの足音を拾っていくと
「かげろう」と呼ばれる庭で行き詰まった
兄さん
あれは生き別れの兄さん いいえ
姉さんだったかもしれない
が、
見えたりもする
通りすがりの犬に
犬ころと名前をつける 犬ころ
犬畜生でも良かったかもしれない
猫なんて名前はつけない
自由ではないから
あばら家は何かの手違いのように
窓のようなもので区切られていて
その揺らぐ影から
臭い立つものの名前を
聞いたことがあるような
気がしているような
自由と臭い消しはよく似ている
兄さんがそう言っている
姉さん
だったかもしれない
も、
揺らぎ始めていて
とかげは最初から
とかげの足音でしかなく
犬ころもやはり
揺らぎ始めていて
私の足には根が
生え始めていて
私の足音が
拾われるのを
待っている
そこにいる
根を生やしている
とかげのように
>> permanent URI: http://bungoku.jp/pbbs/20050101_034_6p
榊蔡 :
対象の扱い(不確定的)が夢のなかの認識に似ています。
これは夢を言葉に落とし込んだ詩であるか、
あるいは夢のような情景を狙った詩であると解釈しました。
読み手として感じたのは、
遠巻きで起こってる夢、といった印象。
なんだかサラリとしすぎていて、
それでいて寓話性みたいなものも感じられません(自由と匂いには少し感じるところがあるが)。
人の夢に入り込んでしまった、
というような感を強いる強さがほしいです。
最終連末の
とかげと私と犬ころと足音の倒錯も
意味で拾おうとしても、倒錯具合しか見えてこないです。
− 表示切替 − ('05/01/02 15:33:19)いとう :
>榊蔡さん
ま、もちろん、
作者がどういう意図で書いたか説明するなんて野暮なことはしません。
んで、
寓話性からの切り込みは、面白いなと思いました。
コメントありがとうです。
− 表示切替 − ('05/01/03 18:21:52)Canopus(かの寿星) :
「『あばら家』、ですか」
「『あばら家』、です」
「ええと、これはつまり、この場にふさわしい詩として投稿した、いとうさんの渾身の一作
即ち本物のオムレツとして考えていいわけですね?確かめておきますが」
「……(笑)」
「また笑ってごまかすう(笑)。ではいただきます」
「どうぞ、御遠慮なく」
「うーん、笙野頼子の『ニ百回忌』を彷佛とさせる舞台だなあ。2連めは何だかもったらし
てるぞ。夢の中の世界のようにぐーるぐる回って、揺らぐ自由の根っこが生えてて、やっ
ぱり留まってるのかな…」
「ヒジついて食うのはやめなよ、行儀わりいなあ(苦笑)」
「もういいや、ご馳走さま」
「どしたんだい、まだ半分も食べてないじゃないか」
「だって、これは読んでても楽しくないんですよ、世界の謎解きばかりで。いや、世界が謎
でも一向に構わないんだけど、その世界に読者がうまく乗っかれるような配慮もないし、
だいたい作者がどのような意図で『自由』ということばを遣ったのか、うかがえません」
「……」
「これが本物のオムレツだとしたら、こんなオムレツ、ぼくは食べたくありません」
「……」
「……」
「……」
「い、いとうさん、む、無言のままぼくの首しめるのはやめて下さいよウ…」
ああ、こわかった。
− 表示切替 − ('05/02/12 12:41:08 *1)いとう :
お。ありがとうございます。
「その世界に読者がうまく乗っかれるような配慮もない」ってのは、
読んでて、確かにそのとおりですね。うむー。
確かに配慮してないなぁと、反省しきり、というか、
ご指摘の部分、わりと俺の弱点だったりします。
読者が引っ掛かるギミックや、そういった語彙の選択、
ときどきおざなりにしてしまう。
そういう意味では、オムレツってより、
蝋でかたどった見本なのかもしれない(汗)。
− 表示切替 − ('05/02/13 12:42:10)千芳 :
やっと読める作品が… ('05/09/20 10:31:12)シロ :
この作品のように比喩ではあるが、そのまま読んでも味わえるものが私の好みの一つです。
最初から、「これまるっきりの比喩です」っていうのは、ちょっとついていけませんもので。
でも、現代詩というのは、それこそすべて新しいものが優先されるのでしたら、あれですが。 ('16/04/12 17:49:05)玄こう :
はじめまして、いとうさん
片便りの詩レスですが、感想批評をちょっと綴ります。>とかげの足音を拾っていくと/「かげろう」と呼ばれる/庭で行き詰まった/兄さん/あれは生き別れの兄さん いいえ/姉さんだったかもしれない/が、/見えたりもする
とかげって艶(ナマメ)かしい緑をしていたり、土の色に似た影四つ足が窓を縦走る様子を見たりもします。
とかげもカメレオンのように変幻自在に色を同化させていける能力があるのかしら。ここの初連では家族の兄や姉が出てきて同じ住まいのあばら家で同じような顔色していた兄弟なんかな?、と読んで感じました。
何回かこの作品を読みましたが、名辞の性格を、ご自身のセンスでバトンを繋げているように感じます。>とかげの足音
など私は聞いたことはないけれど想像してみたくなる。>拾っていく
この詩文を、植字や足跡のように喩えて、綴ろうとしていることを、この二文で暗に示しているように感じました。>通りすがりの犬に/犬ころと名前をつける 犬ころ/犬畜生でも良かったかもしれない/猫なんて名前はつけない/自由ではないから
とかげに続き次の二連では、犬と猫とが登場してきた。犬猫のような動物は名前なんかなくとも、自由気ままにそのあばら家をほっつき歩いているのだね。>あばら家は何かの手違いのように/窓のようなもので区切られていて/その揺らぐ影から/臭い立つものの名前を/聞いたことがあるような/気がしているような
↑とにかくいとうさんは、覚えのある懐かしい家の、あばら家にやってきて>自由と臭い消しはよく似ている/兄さんがそう言っている/姉さん/だったかもしれない/も、/揺らぎ始めていて/とかげは最初から/とかげの足音でしかなく/犬ころもやはり/揺らぎ始めていて/私の足には根が/生え始めていて/私の足音が/拾われるのを待っている/そこにいる/根を生やしている/とかげのように
↑“イヌやトカゲ”“伊藤家”の古家には未だ、住みついているイヌ とかげ。
当時の兄や姉が犬や蜥蜴となって未だ いとう家の古家に居た…という、
そんな妄想物語が詩に込められているのかしらね。
名前から連想させていく調子の言葉遊び。
その辺りがなかなか、面白いと思いました。
− 表示切替 − ('16/08/10 20:11:29 *5)
∧ ∨ 22 : 暖かい感触 平川綾真智 '07/03/15 15:32:13 *2 [Mail] [URL]
― 楽あれば苦あり 苦あれば楽あり
そう呟いて生活を、な
描き続けた。ずっと、ずっと。
まぁ、はっきりと解ったんだが
ありゃぁ 、 嘘だ。
描いた年数を観つめたら、
苦しかモチーフなんて無く
楽なんざ何処にもありゃしない。
うん。だけど、だな
描ききった苦の先に 見つかるんだ
言い難い色が。
塗り込めたい色を手にして
私は、筆を止められやぁしない
顔に叩き付けてみた湯は 脳裏に恩師の言葉を被せる。
露天温泉に浸かる今日 見上げた薄く延びる紺へと
上る乳白の雲を描けず、あえぐ私の脳裏には
恩師の言葉が流れ続けた。
土が寝呆け、欠伸し吐き出す 朝もやいに包まれて
霞んでいった私の中身。
昨日までの生活が熟む、こびりついた汚れは重く
あえぐ筆の動きを鈍らせ 紺に雲は上らない
身体を静かに湯で擦る。
もやいの中で、霞むことない恩師の言葉
そうだどうして 土の寝呆けた欠伸などに
恩師の言葉が霞むものか
立ち上る脳裏へ私はますます、静かな擦りを太らせる。
擦れば中身に霞みは消えて あえいだ筆は軽く動き
再び見上げた延びいく紺。私が描く乳白の雲は
見事なまでに上り行き、そうか
全ては擦れば落ちるのか なんだ
心の汚れは 、 水性か
薄い紺へと乳白は 色彩を変えて上り続ける。
私が描くこれからの日々は 言い難い色に全て、満たされ
決して筆が止まることはない。
まだまだ包むもやいの中 いつか空の先までも
必ず描きあげる私。
伸ばした筆へ湯を叩きつけ 私に私は、期待を上塗る。
描き出された未来へと、浸かる
恩師がくれた暖かい感触。
これから熟み来る苦が全て
楽しく 、 私は仕方ない
>> permanent URI: http://bungoku.jp/pbbs/20070315_225_22p
凪葉 :
読ませて頂きました。
題名の通り、暖かさが残る作品だなと感じました。
文はとても掴みやすく、素直に言葉が入ってゆきました。
下手な言葉で流れを崩さす、ラストまでゆったりと流れてゆきました。凄いな、と感じました。
衝撃は
心の汚れは 、 水性か
です。
この言葉はクリーンヒットしました。思わず、「そうか水性かっ!」と言いたくなるくらい。
そこからラストへ向かう辺りもとても好きです。
読んでいて、込み上げるものを感じました。
私が描くこれからの日々は 言い難い色に全て、満たされ
決して筆が止まることはない。
まだまだ包むもやいの中 いつか空の先までも
必ず描きあげる私。
この文の、真っ直ぐさに心打たれました。
決して揺るがないであろう、力強い意志を感じました。
違和感を感じた部分は、ラストです。
これから熟み来る苦が全て
楽しく 、 私は仕方ない
仕様だとは思うのですが、どうも違和感を感じてなりません。
これから熟み来る苦が全て
楽しく
までは良いのですが、やはりその後の
私は仕方ない
だけが浮いている気がしてなりません。
かといって、
これから熟み来る苦が全て
楽しくて
とするとありきたりにも感じますし。
そう考えるとこれはこれでいいのかなぁとも思ったり。
時限の低い感想ですみません。
では。
あ、あと、恩師の言葉が気になりました。
気になって、もう今夜は眠れないかもしれません。
− 表示切替 − ('07/03/17 23:26:36)池中茉莉花 :
わかりやすい言葉なのに、選び抜かれた言葉。
そして語られる場所の設定。
平川さんがいつもおっしゃっている「作品にする」ということの意味が
この詩の中にもあらわれていると思いました。
わたしの場合、苦しいから、生きるために書き続けています。
まだまだ作品にはならないわたしですが、そこの部分が平川さんと
もしかすると共通するのかと思い、少し嬉しくなりました。
(わたしと一緒にされるのは失礼なこととは存じつつ。)
「恩師の言葉」についても、わたしもいま、詩にしてみようと模索して
いたので、びっくりしました。
わたしも、凪葉さんとおなじで、「恩師の言葉」がとても気になります。
読ませて頂きありがとうございました。
− 表示切替 − ('07/03/21 17:42:46)匿名 :
僕がかんじたのは、ホワイトロリータです。
ブルボンの甘くさくさくしたおやつ
バターじゃなくマーガリンが代わりに主張する。
本当は青いんです。
心の汚れは水性
これじゃ、とびきれない。
心は磨くもの
ぐらいは、いってもらわなきゃ、
「汚れ」なんて言葉をぶっとばすほどの光と影を希望。
− 表示切替 − ('07/03/22 10:32:59)池中茉莉花 :
私が昨日書き込んだ、「苦しいから書く」というコメントは的はずれだと
わかりました。お詫びします。
なんとなく、「恩師の言葉」がほんの少し見えたような気がしています。 ('07/03/22 14:28:51)田崎 :
こんばんは。
自分で意識しているにせよしていないにせよ、書いたり話したりすることには何らかの意図や狙いが存在していると思うのですが。
この詩の内容だけに目を向けた場合、おそらくこの詩を気に入る人は、平川さんの「真っ直ぐさ」とか、「純朴さ」とか、「人間味」とか、「信念」とか、そういったものを作品から感じて、(恐らくは感情的に)感動するのではないかと、思うし、平川さんもそれは、意識しているにせよしていないにせよ、わかって書いているのだと思います(多分)。
表現というものに必ずと言っていいほど、付き纏ってくるこのような構造にも目を向けると、僕はこの作品の内容に感動するとかしないとかいう以前に、興醒めしてしまいます。あからさまに「感動してください」と言って出されたものに、まんまと感動する気になんて僕はならないですね。ただこういうのは、三人称を中心にして、フィクションとして出したら、恐らくそういうあざとさは幾らか、あるいは大分、消えるのかなーとも思うのですが。
あと、前にも指摘させて頂いたことですけれども、連末のリズムが余りにも目立ち過ぎて、これも興醒めしてしまいます。>紺に雲は上らない
>心の汚れは 、 水性か
>楽しく 、 私は仕方ない
平川さんは効果的だと思って書いているのかもしれませんが、6・5とか7・5とか8・5とかの韻律はあまり目立たせない方がいいのではないでしょうか。目立たせると途端に歌みたいになって、これもあざとくて僕は詰まらなくなります。古典的な印象になっちゃいますし。
古典的、と言えば、平川さんの詩にはよく感じるのですが、このような題材や「私」の感慨も、古典的というか、前時代的というか、「恩師」とか、>まだまだ包むもやいの中 いつか空の先までも
>必ず描きあげる私。
>描き出された未来へと、浸かる
とか、普通に書いている平川さんに、正直、実際の年齢差以上のジェネレーションギャップを感じてしまう僕です。
いつも生意気に酷評で済みません。それでは失礼しました。
− 表示切替 − ('07/03/31 02:35:40 *1)平川綾真智 :
取り敢えずご挨拶までに。
皆さんコメント有り難うございました。
田崎さんには 「新屋敷二丁目〜」の方を批評いただきたかったかな、と。
かなり書いたのは前なのですが、珍しく直球で好きな作品だったので投稿しました。
多く勉強になりました。
ありがとうございます。
失礼します。
− 表示切替 − ('07/03/31 22:52:31)田崎 :
なにか、ひっかかるところの指摘だけでも片手落ち、かも、と思いまして、
もちろん、比較的直情的ではない、2連目以降の、「私」の思いを導くまでの、求心力がありながらも躍るような描写は、見事だなというのは、前提として思ってます。平川さんはこういう文体をわりとナチュラルに書けてしまうのかもしれませんが(よくわかりませんが)、やはり良い意味で独自性のある文体だと僕は感じています。別にえらそうにわざわざ僕が言うことでもないのかもしれませんが・・・・・・。 ('07/04/01 03:35:32 *1)草野大悟 :
平川さん、こんにちは。
拝読
この作品は、素直に、すんなり心に染みてきました。
特に、三連の
全ては擦れば落ちるのか なんだ
心の汚れは 、 水性か
には、ニヤリとしました。
ただ
朝もやいに包まれて
あるいは
もやいの中で、霞むことない恩師の言葉
で使われている「もやい」との言葉
これ、「朝もや」「もや」のこと
それとも、「もやい」という方言を認識して
書いたのかな?
その点が、気になりましたが、
平川さんの重いがそのまま出ている感じで、
良い作品だと思います。
− 表示切替 − ('07/04/01 13:40:50)名前はいらない :
装飾過多で胸焼けがする。
自らのレトリックに対する批評がまったくない。
たとえばこの行> あえぐ筆の動きを鈍らせ
筆をあえがせ
ではいけないのか?
この行は最悪の部類。
名詞にかかっている形容詞が動詞と同語反復しているので、「筆」の状態は動詞がかかる以前とまったく変わっていない。
− 表示切替 − ('07/04/02 18:10:48)平川綾真智 :
コメントありがとうございました。
草野さん、好評で何よりです。引っかかった点を明確に書いてくださり勉強になりました。
名前はいらないさん、指摘ありがとうございます。もう一度距離を置いて読んでみます。推敲の際への勉強になりました。
ありがとうございました。
− 表示切替 − ('07/04/03 15:36:17)池中茉莉花 :
再レスです。
詩作に限らず、何かをやり続けるうちに自分の限界かと思うようなことに向き合うこともありますね。でも、恩師の言葉を
いつも思い起こし、文極にあつまる人々の成長を望むのと同様に、ご自分の成長を常に求める平川さんの
真摯な姿勢が伝わってきます。
生きることそのものも書くこととおなじですし、この姿勢を胸に深くきざみたいと思いました。
なんだか、力をいただいたような気がしています。ありがとうございます。
− 表示切替 − ('07/04/06 21:43:12)ICE :
平川綾真智様こちらでは初めましてです。失礼します。
当方の詩に批評を頂いたときにも書いておりますが、全く食わず嫌いの多い当方の意見ですので浅い意見とは思われますが‥。
一読しまして、共感出来ないのが個人的に致命傷です。。
引用でしたらとやかくいっても仕方ないのですが、>描いた年数を観つめたら、
苦しかモチーフなんて無く
楽なんざ何処にもありゃしない。
うん。だけど、だな
描ききった苦の先に 見つかるんだ
言い難い色が。
全く当方のようなひねくれ者ですと、『希望』でなく『日々乗り切る為のあきらめ』に感じてしまい、少し悲しくなりました。(自分の黒さとみにくさに 笑)
引用で全てを語ってしまう気もしたので、最後に持ってきてもよかったのでは、などとも感じました。
主人公は素直に恩師の言葉を受け入れる風ですが、裏は無いのかなぁと、>これから熟み来る苦が全て
>楽しく 、 私は仕方ない
の部分が極端に綺麗事か、もしくは開き直りに思えてしまい、平川さんの人間性を存じません当方は、皮肉の詩かと勘繰ってしまいました。(やな人間ですが)しかしそれは個人的な考え方の差ですね‥。
雰囲気については、古風でやさしい印象で、教科書に載せられそうな感じがします。>朝もやい
>薄い紺へと乳白は 色彩を変えて上り続ける。
ふわりと霞む情景がありあり思い浮かび心地良かったです。
素人感想で申し訳ないのですが、やはり描写がとても巧いと感じました。
共感できる方には、本当に心に沁みて「うんうん、」と唸る詩なのだと思います。
失礼致しました。
− 表示切替 − ('07/04/14 09:58:13)シロ :
文章のうねりを感じました。
韻を意識されているのでしょうか、文章全体がとぐろを巻くようで楽しめた。 ('16/04/12 17:38:57)山田太郎 :
こんにちわ いつもお世話になっております。
「熊本地震3ヶ月目・連続震度7と1900回」関心をもって読ませていただきました。
最後の、「私は今回、自分が被災して初めて阪神大震災や新潟中越沖地震のこと、
東日本大震災の時に胸を痛めながらも何もわかっていなかったことを知りました。
自分を恥ずかしいと思いました。今、いろんなことに感謝する日々です。」
という発言がいちばんうれしかったし、ありがたいとおもいました。
さすがだなともおもいました。
わたしはおそらく唯一だろうと思いますが、阪神淡路大震災直後の大阪から神戸まで
を徒歩で歩いた男です。
途中、カメラを抱えた外国報道クルーやプロ写真家とも出会いましたが、神戸に近づくほどに
たったひとりになりました。
テレビでは神戸の惨状をばかり伝えていましたが、ほんとうの地獄はそんなところになかったのです。
決してテレビでは伝えられない、顔をそむけるしかない地獄はむしろ甲子園口から神戸へと至る
国道上に延々と続いていたのです。それをいまここで語ることもはばかれるほどに。
さて、神戸淡路大震災ほどの地獄ではないにしても、熊本での大震災を経験された作者が
いま、この詩をどのようにみているのか。わたしとしては、
これから熟み来る苦が全て
楽しく 、 私は仕方ない
という前向きな気持ちでやっていかれればいいなと思いました。
− 表示切替 − ('16/07/23 09:31:54 *1)玄こう :
>― 楽あれば苦あり 苦あれば楽あり そう呟いて生活を、な 描き続けた。ずっと、ずっと。・・・・
はじめまして、批評ができるよう、こちらで訓練させてください。
冒頭の恩師の言葉と、湯船に浸かるご自身と、この詩を綴るもう一人のご自身とが、ひとつの短い詩のなかに居てて、読者は彼や彼女の語りや想いを聞き分け、読みわけることができ、渾然とした三つ巴のパート、ソプラノ(湯船の彼女)、テノール(詩を執筆する現場の彼女)、アルト(恩師の忘れられない言葉)。詩のなかで歌われている、そんな想像を巡らしながら読む。
『過去、今、未来』をも、ひとつの短い詩のなかに、読む人の心の内に『現在化させていく』こと。
けっこう気を使っています。私は詩においてかなり意識しながら書いたりしますのですが、なかなかできない。だから、そんなところを読んで感じとれて、そういうふうに詩が書ける人を尊敬し学びたいところです。>心の汚れは 、 水性か
という詩句が面白かった。
湯舟に浸かる腕を私は
筆のように叩きつけて
ながら師を思い出して
詩をこうして書いてい
るんだぞ。そんな内実
そんな情景が、
伝わってきました。
あと
2016-07-19 (火)
(平川綾真智)さんの記事
読ませてもらいました。
今は、たいへんかもしれないが、乗り越えてください。あなたのこれからの執筆活動もよろしくお願いいたします。
読ませていただきました。
− 表示切替 − ('16/07/24 19:06:23 *6)
∧ ∨ 58 : 悪魔の子ども ケムリ '12/02/10 23:26:55
悪魔の子どもが生まれたって、言わないで欲しいんだ。カシミールで毛皮を売っている彼の、その柔らかい頬に浮かんだ笑顔みたいな、そういうところで生きていこうよ。僕はスリーポイントシュートもあまり上手くないし、タップダンスも上手に踊れないけど、いつまでも林檎の皮を剥いているみたいな顔をして生きていたいよ。
ねぇ、そんなに人生に期待をしなくなったんだ。そういうことはおきてしまったんだろうし、おきてしまうだろうことだったんだ。それはそういうことだ、と思うことにした。そうじゃないと、自分も他人も許せなくなっちゃうからさ。いいかい、キー・ポイントはこういうところだ。君の身の上に起きたことはぼくの身の上にも起きるかもしれない。だから、君は独りじゃないよ。
向き合うべきだ、と思うこともある。例えば、リビアだかどっかその辺りで罪もない市民が撃ち殺されたとか、名前もそんなに有名じゃないアフリカ大陸のどこかで、今日も小さな女の子が飢えて死んだとか。そういうことを悲しむのは、歳を経るとずいぶん簡単になった。だから、僕はムガベさんを責めたとしても、君のことは責めないよ。ハロー・ハロー・聞こえますか。どこまで生きても寂しかったんです。だから、色んなことがそれでいいと思えるようになりました。
悪魔の子どもが生まれたって、風の噂で聞いてしまったんだ。それはきっと生まれたんだろうと思うし、君の空っぽの子宮の中を吹き抜けているその風には、ぼくだって覚えがある。誰も責められない、それどころかどこにおいていいかもわからないような荷物が、突然背中に乗りかかるんだ。ぼくだってそれくらいのことはわかる。だから、君のことを僕は責めない。出来ることなら、世界中の誰のことも責めたくない。そういうことは、サダムさんに任せておきたい。カダフィさんはきっと、煙草の値上がりを気にしたりはしてないだろうから。少なくとも、ぼくは煙草の値上がりを気にしたり、税金が上がって落ち込んだりするような人のことを責めたりしたくない。
空っぽの冷蔵庫しかない部屋で生きてるみたいだよね。ドアを開けて、溢れた光の中でさ、何かが何度か羽ばたいたんだ。そういう夜を、みんな越えていくんだ。空気の粒がぶつかりあう音が煩くて、眠れない夜だってある。でも、君は夜を越えたんだろ。悪魔のことは誰かがきっとどうにかしてくれる。大量破壊兵器だって見つからなかったけど、世界は結構なんとかなったじゃないか。君は新聞の一面をみて、ちょっと気の重い月曜日で生きていこう。ぼくもそうするよ。
君は独りじゃないよ。だから、ぼくも一人にしないで欲しいんだ。だって、ぼくはフリースローが入ったことがないくらいの男の子で、踵の潰れていない靴の一足も持ってない。きっと何かが間違ってたんだ、やるべきことをやらずに過ごしたんだ。寝過ごした日曜日の午前中に、ロケットは発射されてしまった。そんなことはわかってるんだ。悪魔の子どもは生まれてしまった、なにもかもがどうしようもなく掛け違ってしまった。そんな風になるべきじゃなかった、でもそんな風になってしまった。だから、君も独りじゃない。ぼくの好きなタイプの神様は、空気と同じ色をしているから誰にも見えやしない。彼の肌の色はよくわからなくて、でも彼は悲しくて、悲しくて、気がくるってしまったんだ。遊園地のメリーゴーランドで、いつまでも独りくるくる回っている。でも、これだけは大きな声で言わせてくれ。彼は、君のことが、大好きだった。
気持ちよく晴れた昼下がりのことを考えよう。悪魔の子どもが生まれたとき、君はもう独りじゃなくなったから。いいかい、ぼくは牡羊座のあいつは好きじゃないから、まるで正しい人間みたいな顔をして、石を投げるんだ。泣きながら、笑いながら、いつまでも君は白人ではなく、黒人ではなく、ぶぅん、と鳴る冷蔵庫のうなりの中で、君たち、いつまでも空っぽの子宮で、どこまで生きても寂しかったんです。彼はいつまでもくるくる回りながら、それでも君たちのことが好きです。ねぇ、君は夜を越えるんだろう。ロケットは行ってしまった、津波が何もかもさらっていった。でも、ハロー・ハロー・ハロー、聞こえますか、聞こえますね、ぼくも独りじゃない。ハロー。
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榊蔡 :
ありがとう。
ここにある言葉の全てはいま、外部に機能しない自分たちだけに落ち込んだカタルシスのなかにあると思うんですよ。
外部にはまるで栄養を与えない。
そんな言葉を突き詰めることって、
自己陶酔以外にありえない。
外部に栄養を与えましょう。
それは自らの存在価値に繋がります。
ありがとうといったのは、見捨てきれないでその労力を割いた言葉の美しさです。
ストレートで感じました。
− 表示切替 − ('12/02/17 00:21:43)lalita :
血と鉄がない。ペンは卑猥だ。ペンで書かないでくれ! ('15/04/02 15:29:16)たま :
この作者はネットの普通の方ですか?
何か作れてしまいそうな方ですが。 ('16/01/03 03:03:24)光冨 :
たまさま。
ケムリさんは前の文極の代表ですね。最近は顔出ししていないけれど。才能はあるのだから、書くことを続けるべき方でしょうね。 ('16/02/24 23:16:15)中田満帆 :
大したテーマもないのに長々と。苦しい醜男だな。 ('16/04/02 23:56:07)アルフ・O :
腐っても元代表だし筆力があるのはわかるけどさ。これに限らずこの人の作品はなーんか全然好きになれないんだよねー。うざったいと云うよりは「いけ好かない」って表現がいちばんしっくりくるかな。
そういえば前に評者って名乗ってた時のレスも拾い読みしたけど、筋通ってるなと思いつつ自分の中のどこかで猛烈に拒否反応が出てるの感じたことあったんだわ。なんだろ、ある意味良くも悪くもまっすぐな人なんだろうね。とりあえず今は「もう休んどけ」ってくらいしか云うことがない。 ('16/04/10 08:50:49 *1)山田太郎 :
どうしょうもないのひとこと。
すこし歳をとっておもいきり赤面するとおもう。
もしそうならないなら、いまもそうだが、
自己欺瞞のかたまりみたいな金儲け主義の
そろばんおやじになっているだろう。
文学に縁のない人間が文学極道の代表って、
あまりにも無残なギャグではなかろうか。
− 表示切替 − ('16/07/24 08:21:14 *1)
∧ ∨ 62 : 光の表にて みつとみ '16/07/08 23:49:28
こんにちは こんにちは
いつのまにか
そう いつのまにか
わたくしは しろい光の表にて 目覚めるようになっていた
なまえは 知らないけれども 顔みしりのひとたちと
なにかしらの話をしている
むきになって 正しさをぶつけ 自らの言葉の角で 痛みを覚えている
自分のことなのに くわしいことも よくわからないけれど
覚えのない ことがらの ことばを 交わしながら
緑の布地を 一人ひとり みなで編んでいる
裏は あるのか ないのか
みなが微笑む うっすらとした 表にて
(まぶしい 熱いほどに まぶしい
触れているのは
昼間の 計りの糸か
真夜中の 熱情の糸か
(わたくしは いったい 何を知っていて 何を知らずにいるのだろう
沈黙している 時の波が 打ち寄せて
ぼんやりとしたわたくしを 浜辺まで はこびあげたのは
青い糸で 編まれた 息絶えそうな《生の舟》なのか
それとも 赤い糸で 編まれた 青白い熱き《死の舟》なのか
(わたくしは 何処(いずこ)の世界に 在るのだろうか 無いのだろうか
うつむきかけたその顔を
そっとあげると
やわらかな しろい光に 注がれて
恍惚の 微笑みをうかべる
青白い 時が たちどまって
わたくしに 手をさしのべていた
額がきしむので
傷をなぞりながら 波間にただよう
仰ぐのは その白さに縁取られた 真っ青な空
光の表にて
何度でも死して 何度でも生まれて
青蛙の腹に 爆薬で繰り返し遊ぶ 子どものわたくしたち
誠を信じて銃殺される 白シャツの青年たち
緑色の糸で編み物をして いつかと待ち続けている女性たち
光の表にて
もう会えないはずの 恋人たちが 死して 再会をしている
(こんにちは こんにちは
こんにちは
ほんとうに
そう 光の表にて あれは光の表にて そして光の表にて
抱き合いながらも すでに目覚めることのできない わたくしたち
(こみあげてくるのは わたくしたちの尽きることのない息吹なのです
>> permanent URI: http://bungoku.jp/pbbs/20160708_683_62p
泥棒 :
わたくし
が、
多い。
以上です。
内容については
特にない。
− 表示切替 − ('16/07/12 13:42:45)kaz. :
文学極道を大いに盛り上げようという気概に溢れた作品を評価します。この作品の弱点は、永遠の生の象徴たる光の表が強調され、「裏」がないことでしょう。この作品には裏のあるものが、例えば緑の布地が出てきます。しかしそれらも「光の表」に晒されて、裏が見えなくなっている。まさに今の文学極道の状況を風刺した詩といったところでしょうか。 ('16/07/12 16:36:11)5or6 :
読みました。昔のネットでは今のようなマンションタイプのいつの間にかやって来ていつの間にか居なくなるのようなSNS交流ではなく、田舎の一軒家がお互いに、初めまして、こんにちは、〜から来ました。〜です。とか、始まりがあって、一対一のBBSの交流があって、リンクがあって、知人から知人へと、こんにちは、初めまして、と星座のように繋がっていく交流だったなぁ。と、何故か思えてくるのは、わたくしたちという、何処となく過去からやってきた人たちのような雰囲気だからでしょうか。全体から漂う天界から話しかける菩薩のような語りに思わずチルアウトしてしまいました。>青い糸で 編まれた 息絶えそうな《生の舟》なのか
それとも 赤い糸で 編まれた 青白い熱き《死の舟》なのか
印象的なところはこの部分ですが赤と青の対にあるのは仮想世界のマトリックスを思い出しました。
キャロルの方よりそっちかなと。
失礼しました。
− 表示切替 − ('16/07/12 18:01:52)みつとみ :
泥棒様
たしかに「わたくし」が多いかもしれませんが、あえてたたみかけるようにしているかと思います。
内容については「特にない」というのは、あえてケチをつけるところが特にないのか、語るべき(批評に足る)内容がなにもないというのか、その両方か、などととれるようですが、あえて前者であると、好意的に解釈させていただこうと存じますですはい。 ('16/07/13 00:03:23)みつとみ :
kaz.様
まさに光づくしですが、その分「裏」がないので、それが弱点といえば、それも否定できないかなともとれますが。文極の状況を風刺したというのは、深読みであり、狙いではないと思います。気概だけで生きてきました、と言ってみたくなったので、そのように書いておきます。ありがとうです。 ('16/07/13 00:06:26)みつとみ :
5or6様
たしかに昔のネットではそのような感じがありましたね。懐かしく思い出されます。作品の舞台上では、登場人物は亡くなった方々なのですが、「星座のように繋がっていく交流」や「過去からやってきた人たち」や「仮想世界のマトリックス」というのも頷ける部分がありますね。「全体から漂う天界から話しかける菩薩のような語り」にチルアウトしてくださってもったいなくもありがとうです。 ('16/07/13 00:18:09)アラメルモ :
青い糸赤い糸、縫いつけられた緑の布地、白いシャツ。
ここで表現された糸とは生命を繋ぐ絆の喩のことでしょう。
光の表。通常我々が眼にできる光は色の波長も混ぜ合わさり白い。これほど原色が強調されるのにはその可視光の裏側に込められた理由もあるのでしょう。
こんにちは、こんにちは。冒頭で始まるこの呼び掛けははじめて眼にする光に溢れた世界。いや、(青い糸で編まれた息絶えそうな、生の舟なのか、それとも赤い糸で編まれた青白き熱き死の舟なのか~)こんにちは、こんにちは、とは単純に最初に視た光だとは言い難い。それは青い糸が生を意味する糸に、そして赤い糸が熱き青白い糸と死を意味するように、つまり寒色の青から生き生きと目覚め、逆に熱き血を思わせる暖色の赤が死を指している。このことから、こんにちは、こんにちは、とは語り手による死への扉を開けた挨拶でもあるかのようにも取れてしまう。
光を分解させ、その隠れた波長から死生感へ導き出そうとする試みでしょうか。難しいことに挑戦されておられる様子に窺えます。
難を申せば、青蛙の腹に爆薬だとか銃殺だとか、もう会えないはずの恋人たちやらが、戦争や暴力に纏わる事象を意味または予見させ、抽象的に置かれた光の眩しさを、その物語性によって複雑に拡げさせてしまったことではないでしょうか。
総体的な解釈の掴み所に迷ってしまいますね。
しかし、視ることはできない光に包まれ細分化された世界。生と闇、陰と陽。その中で得体の知れない主体と浮遊する語り手の声、概ね作品としては感化作用を果たしているのではないか。その様な感想を持ちました。
− 表示切替 − ('16/07/13 01:21:39 *1)みつとみ :
アラメルモ様
ご考察ありがとうございます。たしかに「死への扉を開けた挨拶」なのかもしれませんね。「光を分解させ、その隠れた波長から死生感へ導き出そうとする試み」というとろこまで意識していたかは、何とも言えませんが。
「物語性」については、読み手には難しいのかなあ、とご意見を読み、思いました。「感化作用を果たしている」というお言葉には感謝です。 ('16/07/13 22:31:03)田中恭平 :
こんばんは。すいません、御教授願いたいのですが
括弧を閉じないで センテンスの接頭に→ 「( 」を置く
という書き方を色々な散見するのですが
これは何を意図しているのでしょうか。
それとレスポンス内で交わされたチル・アウトという語ですが
5or6さんが普段からアッパーなライフスタイルを送られているとしても
菩薩の語りと仰るならば、ターン・オンやチューン・イン
になると思うのですが・・・・。
「Chili Out」できました、だと
熱くなった身体のくつろぎを促すことができました、
で、それ、誰に?という塩梅です。
− 表示切替 − ('16/07/13 23:07:35)みつとみ :
田中様
(
ですが、起こしのカッコは閉じていないですよね。完結していない符号でしょうかね。詳しくは述べません。意識的なものです。
5or6さんの「チル・アウト」の意味合いや使い方ですが、ご当人に聞かれるのがよろしいかと。「落ち着く」とか「安らぐ」とかそのようなことかと。
この詩の世界は、あの世なのですけどね、白い光に満ちた。そこで革命で命を落とした若者や、彼を待っている女性たちが、天界で再会するというものです。説明するとつまらなくなるので、今回だけでもうしないですけど。
− 表示切替 − ('16/07/14 00:50:04)田中恭平 :
すみません、>「全体から漂う天界から話しかける菩薩のような語り」にチルアウトしてくださってもったいなくもありがとうです。
とレスされていらっしゃるので、お二人のつまり語の定義が
共有されているものだと勘違いをしていました。
意識的なものというのは、漠然とした意識なのでしょうか。
ともかく、この符号のおおもと、といいますか
一体どこの誰が、こういうことをしだして日本語としての文章、その船の底荷を
一体どうしたいのか、は個人で探ってみます。
流行というか、歴史の上っ面のさざなみていどならいいと感じますが。
− 表示切替 − ('16/07/14 02:21:49)山田太郎 :
こんにちわ いつもお世話になっております。
いつのまにか
知らない
なにかしら
くわしいことも
よくわからない
覚えのない
あるのか ないのか
うっすらとした
の糸か
いったい
のだろう
ぼんやりとしたわたくしを
なのか
前半はこういうことばがつづいて、時間も空間も意識も
あいまいな淡彩画のような世界を感じさせます。
これはなんなんでしょうね。彼岸と此岸のはざまのような
場所なんでしょうか。
恍惚の 微笑みをうかべる
青白い 時が たちどまって
わたくしに 手をさしのべていた
ここはすこし不気味というか、怖い感じがしますね。
恍惚の微笑みがかえって怖い。なんか死神? みたいな。
青蛙の腹に 爆薬で繰り返し遊ぶ 子どものわたくしたち
子どもの頃やった悪いいたずらを思い出しました。
わたしらの場合は爆薬じゃなく、バッタをとってきて蛙を釣り、
すぐに鉛筆削りで蛙の腹を縦に裂いて、バッタを取り出す。
それから針と糸で蛙の腹を縫合して池に放ってやると、
手術後とは思えないほど元気に泳いでいく。
ピンピンしているバッタでまた他の蛙を釣るという、とても
残酷なことをやってました。けっこう、はしゃいでいた。
無知な子どもってのは怖い。
誠を信じて銃殺される 白シャツの青年たち
ここんところですね、立ち止まるのは。
どういうことが起きたのだろう? 考えます。
でもよくあることです。実直な青年ほど騙される。
後半からラストにかけては焦点がしぼられたみたいに
くっきりとして、命のたいせつさが表明される。
− 表示切替 − ('16/07/20 05:36:28 *2)みつとみ :
山田様
この詩の世界はこの世ではないのでしょうね。
子どもは残酷なものですよね。
そして実直な青年は死に飛び込んでいったり、飛びこまされたり、そういうこともあります。
この世は残酷さを下敷きに、花を咲かせるのでしょうか。
ありがとうございました。
− 表示切替 − ('16/07/20 22:46:28)
∧ ∨ 63 : 暦 みつとみ '16/07/16 20:28:10
ちぎった耳のような暦の頁があり
「もう自分は大丈夫、と
微笑むけれども
通り過ぎる風の縁に
ふれると
沈黙してしまうのは
「まだ 傷がなくなったわけではない
水面(みなも)に和紙がすべり落ち 白い影を浮かべる
(いえ、受けた傷は痕として残ってしまうのです
正しさとは何なのか
少なくても「自分は間違っていないと
いくら訴えても だれも耳をかたむけて
うなずいてはくれないのは
夜中の電車が走り去る音と
風の音が 胸に共鳴するからか
あなたは そんなとき
書斎の机に向かったまま
聞こえないふりをしたり 怒ったり 理屈を言ったり
でも わかるのは
あなたも傷付いているということ
目を合わせないのがその証
だとしたら
(だとしたら どこに この思いをぶつければよいのでしょうか
あなたは過去というけれど
わたくしにとっては 現在とおなじこと
胸の皮を一枚 いえ 暦を一枚破り捨てる
破り捨てた
その一枚の肌に いえ 一枚の紙に
水面にまた和紙がおちる
あなたは そっと 拾い上げ 自分の胸の奥の
わたくしには見えない 深い暗がりに 落としてしまった
白い暦がちいさく舞いながらやみに消えていった
「お別れはいわないのですか
「苦しめ続けるのであれば もう お別れしてください
「わたくしを染めないでください
白い和紙が 幾枚も水面に浮かび 赤紫に染まっていく
(そんなわたくしを あなたは おさえつけ
おさえつけ
(なにを熱く叫んでいるのですか
どうして
(どうして 出会ってしまうのですか
あなたの声は聞こえない
あなたのこころがわからずに
ちぎった暦があり ちぎった傷があり
ちぎった写し絵があり ちぎった布があり
ちぎった文があり
そして あなたは叫び
(つもる紙が海を覆い尽くしていきました
いつまでも わたくしは あなたを見守りつづけ
(つもる紙が海を覆い尽くしていきました
「あなたはなにをみて どこにいるのですか
わたくしのとなりにあなたがいることがわからない
のに
あなたはずるさ故に眠っている
>> permanent URI: http://bungoku.jp/pbbs/20160716_696_63p
ね :
前作とテーマも展開もにてますね。双子のような作品。
前作では生と死の話が絡んでて、ややこしい感じがして入り込めなかったですが、
この作品は心地よいイメージの連鎖に酔うことができました。
情感をがっつり織り込むことで、難解な表現に頼らずに作品の強度を保っているように見えます。 ('16/07/17 03:48:49)みつとみ :
ね様
お読みいただきありがとうございます。
わたしのなかでは、わりとシンプルなテーマとスタイルかと思います。
お気に召していただいたようで、よかったです。 ('16/07/17 08:19:41)アラメルモ :
うすく、消え入りそうな文字の、和紙を手に瞼をそっと閉じ、綴じれば白線を流すわたしがたたずんで、のような情動から描かれていますね。
記憶の詰まった歴を川辺に流そうか、そこで歴が問いかけるわけです。
和紙に浮かび上がる言葉たちが語り手に話しかけてくる。
(もう~お別れですか、これまであなたが胸にしたためた思い、あなたの遺した傷、歴に挟んだまま、綴られた栞たちから~)
これはまさに追憶が語らせる詩への思いからですが、ずるいなあ、泣けてきますね。笑。
女性にもならないとこのようなスタイルで書こうなんて思わないな。
夏休みに入ればお盆も近くなり、いやあ清涼まさに清涼です。
− 表示切替 − ('16/07/17 12:20:09 *2)玄こう :
はじめまして、みつとみさん。どうぞ、よろしく。
諸感を付すことが、詩を書かれた方に直ぐ様伝えられるため、たいへん効率がよいですが、テクスト的に読み、たいへん躊躇もいたしますが。上から>ちぎった耳のような暦の頁があり
独白する調子で記述します、まずはこの一行について。みみ、こよみ、こう、という音の連鎖が耳に残る。“ちぎった耳”が千切った和紙を暗喩している。>自分は大丈夫、と/微笑むけれども/通り過ぎる風の縁に/ふれると/沈黙してしまうのは/「まだ 傷がなくなったわけではない
作中の主人公の内面を語らせていますが、『今・ここ』で何を言っているのか、自覚できない、心の迷いや不安が、詩の全体でそうした語りが執拗なまでに続く。思いやる相手を、疑心暗鬼になりながら自己本意に「……、(……、詩全体で執拗なまでに語らせていく。繊細に移り行く葛藤を、恋歌歌謡曲、和歌演歌、日本古典文学などにある、以下スルー。>水面(みなも)に和紙がすべり落ち 白い影を浮かべる
夜か薄闇時の情景を思い浮かべる。“水面”→気圏と水圏の境、“通りすぎる風の縁”→風という空気の流れさへ縁どること。
そうした境界面やエアポケットのような(エアポケット;そこだけが周囲と違ってあるべきものが無い、あるいは何かが欠落している、といった状況の比喩的表現。;)には何か未知なるものがそこに潜んでいて、新たな創造性がそこから生まれてくる、あるいは行為する機転を与えるものに思う。
通りすぎる風の縁に話者が沈黙する。水面に白い和紙が滑り落ちる。という情景から。>正しさとは何なのか/少なくても「自分は間違っていないと/いくら訴えても だれも耳をかたむけて/うなずいてはくれないのは/夜中の電車が走り去る音と/風の音が 胸に共鳴するからか
語調が堰をきった調子で少し早口になり始まる。私が正しいと思っても耳をかたむけてくれない、うなずいてくれない、ということへの苛立ちが主人公の心の内にあり、>正しさとは何なのか、その答えにならない応えは、時間や気流に乗り、耳の音に互い共鳴し合うなかで、正しさの消息を断つ、
中略>あなたは過去というけれど/わたくしにとっては 現在とおなじこと
>胸の皮を一枚 いえ 暦を一枚破り捨てる/破り捨てた/その一枚の肌に いえ 一枚の紙に/水面にまた和紙がおちる
主人公の独白がどんどん色濃く綴られ、同じ情景を幾度と綴る。まるで千切り絵をする智恵子のような執拗な愛情を語らせているようだ。ちょっと長い
後半部分>あなたのこころがわからずに/ちぎった暦があり ちぎった傷があり/ちぎった写し絵があり ちぎった布があり/ちぎった文があり
>そして あなたは叫び
>(つもる紙が海を覆い尽くしていきました
『ひきちぎった耳のような暦の紙片が(詩編)がある』→『一枚の和紙が水面にうかぶ』→『つもる紙が海を覆いつくす』
こうした物語を、こうしたスケールの拡がりかたについてを、しかしこの詩の語り手は>「あなたはなにをみて どこにいるのですか
反駁にも似た問いを投げる。海の眠りから寄り戻すかのように、>わたくしのとなりにあなたがいることがわからない/のに/あなたはずるさ故に眠っている
覚醒のわたしと眠るあなたの離反した二人の間、『ずるさ』とはいったいなんだろうか。『なんで?自分だけ』という嫉妬だろうか。
____________
ひととおり読ませてもらいそんな読解をしました。細かくみていくといろいろ勉強になります。後半の持っていきかたはさほど印象に残りずらく私には感じました。まだまだ叙情詩をいろいろ読み分けられないでいるためかと思います。
前回の『光の表にて』のほうが軽快なステップを踏んでいて心地よかった。まだまだお試し批評段階なのですが、また機会あれば送ります、では。
____________
− 表示切替 − ('16/07/17 15:27:41 *4)みつとみ :
アラメルモ様
「うすく、消え入りそうな文字の、和紙を手に瞼をそっと閉じ、綴じれば白線を流す……和紙に浮かび上がる言葉たちが語り手に話しかけてくる。」
アラメルモさんのこの部分のご感想もまた美しいですね。たしかに女性を話者・主人公にしています。良く受け取っていただいたようで感謝です。 ('16/07/18 08:40:09 *1)みつとみ :
玄こう様
「>ちぎった耳のような暦の頁があり/独白する調子で記述します、まずはこの一行について。みみ、こよみ、こう、という音の連鎖が耳に残る。“ちぎった耳”が千切った和紙を暗喩している。」等、丁寧に細かく読み解いていただき、書き手にも参考になる読解ですね。有り難うです。 ('16/07/18 08:48:29)山田太郎 :
こんにちわ いつもお世話になっております。
この詩についてはあまりいうことはないですね。
もてる男はつらいですね、というしかないのですが、
もてないわたしからみると作者がうらやましい。
ちぎった耳のような暦の頁
通り過ぎる風の縁
水面(みなも)に和紙がすべり落ち
こういった修辞のやわらかさが目にとまりました。
− 表示切替 − ('16/07/20 07:58:28 *2)みつとみ :
山田様
こんにちは。「修辞のやわらかさ」とのご指摘ありがとうございます。
わたしはやわらかな言葉も好きです。
どちらかというと、若いころはむしろモテなかったですね。
年を経てくると、生きていることの楽しさがわかってきました。
− 表示切替 − ('16/07/20 22:42:53)
∧ ∨ 4 : 空無通信 ダーザイン '04/12/25 00:04:37 [URL]
放棄された埋立地を
一体の透き通った者と
連れ添って歩く
雑草に覆われはじめた
アスファルト面のそこここに
立ち昇る無の陥没痕
ほつれた放心の縫い跡から
冷気が放たれる
死の語り部たる永久凍土
遺跡化した新造建築物の合間を
一瞬の襲撃が
鳴りとよめかす
コーラ缶の放擲軌道
瓦礫の中の坂道を下る中央基線
片道三車線の
三位一体の
空無
いら草
コスモス
採り入れられた二番草の茎
おまえが通りを行く すると
空無が通り過ぎていく
風が
ただ透き通った風だけが
野を分けていくのだ
風は三度現われる
放擲と
放心と
今再びの放擲と
振り仰ぐと
身を捩る陽光
とりわけ巨大な陥穿の底
放物線上の斜面から
見上げる斜面に逆光を担い
静止する積雲の輪郭
一筋の冷光がお前を射る
光の剣に貫かれた者が その
放物面の焦点位置へと
焦点位置へと
浮遊する
立ち昇る
脱自する
球面収差に歪む視界に
現われる
再度現われる一本の線
待機する場所
空無通信
# 漏れも嫌がらせのように小難しいのを貼ってみる(´ー`)ニヤニヤ
>> permanent URI: http://bungoku.jp/pbbs/20041225_015_4p
Canopus(かの寿星) :
うーむ…。これは悪いけど、失敗の部類に入るんじゃないかなあ…。
固定面たるゼロの大地、そこをよぎる有機無機のベクトル、風のベクトル
、光のベクトル。その乱舞がすっと消え失せ、立ち昇る新たな線。
これは多分、現実世界における、作者の文学的決意に基づくもので、その気概は買うんだけれども、いかんせん、そのイメージの集積がゴツゴツし
すぎています。この詩に関して言えば、センスが悪いんじゃないかな。
いや、ところどころ上手い描写はあるんだよ、例えば「風は三度現れる」
とか。しかしながら空無を表すのに「透き通った」は安易だし、「永久凍
土」は大仰にすぎる。「空無が通り過ぎていく」に至っては、あー言っち
ゃった、って感じ。「コーラ缶」が「襲撃」したり、光の描写だってもっ
たらしてるし、ツッコミどころ満載だよ。何か腹立ってきたぞ。
いや、滑らかな描写がけしていいわけじゃなくて、ゴツゴツしてたって、
詩の質感においては効果的であるんですよ。ただ、も少し練りなおしてく
んないかなあ…。
− 表示切替 − ('04/12/25 01:36:06)ダーザイン :
文学的決意、イデオローグとかを意図的に書いたものじゃないよ、
6年前に鬱病を発症して三日三晩寝ずに仕事をし、
発狂状態の異常心理を完全自動書記をしたもので「作品」ではないよ、マジレス。
この詩はパウル・ツエランやイヤン・カーチスのような奴にしか解らないと思う。 ('04/12/25 03:10:36 *1)Canopus(かの寿星) :
……。つまり、「解らないヤツはスッこんでろ」と、そういうわけ?
ぼくみたいな、無名のヘタレがいっちょ前に批評しちゃいかんと、そうい
うわけなんだね?よくわかった。 ('04/12/25 07:12:51)たもつ :
>かの寿星さん
「ぼくみたいな、無名のヘタレがいっちょ前に批評しちゃいかんと、そうい
うわけなんだね?」
そんなこと言う人はここにはいらない。構わない。ガシガシやってほしい。
言い訳するアホは放っておくくらいの気概で突っ走っちゃってくれ。 ('04/12/25 08:47:51)Canopus(かの寿星) :
たもつさん、すんません。大人げないことをしちまいました。
ほんとは放っておかなくちゃいけなかったね。
ガシガシ突っ走っていきますよー。 ('04/12/25 09:46:29)榊蔡 :
私のあてにならない読解力からいくと、
場面は開発の打ち切られたリゾート地、
刻は黎明から日の出まで、
お前というのは自身であって一体の透き通った者ではなく、
空無通信、ってのは通信とありながらも返信のないそれこそ放擲である、
って印象を受けた。
でどういう訳か、私にはこの詩の情景、けっこう伝わってくる。>ほつれた放心の縫い跡から
>冷気が放たれる
>死の語り部たる永久凍土
これなんかも、死に神のあの嫌らしい手管が上手く書かれてる。
かと思えばここ、>瓦礫の中の坂道を下る中央基線
>片道三車線の
>三位一体の
>空無
車線が三位一体なんていわれてもさっぱり解らない。>光の剣に貫かれた者が その
>放物面の焦点位置へと
>焦点位置へと
>浮遊する
>立ち昇る
>脱自する
>球面収差に歪む視界に
>現われる
>再度現われる一本の線
ここなんかももっと一読で場面が伝わる表現にした方が、強さがでそう。
あと、
放擲軌道とか放物線とか放物面ってのが、語感のなかで絡まっちゃって心地悪い。
やりかた次第では真に迫る虚無感を描けそうな骨格をもっているだけに、
もっと練り直してほしい、って思いあり。
− 表示切替 − ('04/12/25 16:11:47)僕姫 :
>脱自する
わはははは。
笑いました。
たのしかった、ありがとう。
(突然・飛び込んでしまい・失礼m(__)m) ('05/08/21 09:21:06)千芳 :
長い!飽きる!理屈っぽい!! ('05/09/20 10:02:41)鷲聖 :
この詩文に
この程度の評価しかでてないのか
虚しいな ('05/10/14 21:50:23)鷲聖 :
あ
いや
俺のにゃ足下にも及ばんけどな ('05/10/14 21:58:01)鷲聖 :
この詩は
構築ではないと思った
凡庸な不断的な生への衝動でもなければ
ただのやりきれなさの心情の甲殻化でもない
突然に読み手を
放棄された埋め立て地に放り出すことではじまり
淡々と
しかし実に精確な緻密さによって
取り巻く風景を暴いてゆく
そして>一瞬の襲撃が
>鳴りとよめかす
>コーラ缶の放てき(漢字出ん)軌道
>放てきと
>放心と
>今再びの放てきと
この人間の強烈なモーションさえも
どんな心情へも結ばれない
ひたすら広大なそして完全性の空間へとむなしく鳴り響くだけだ>一筋の冷光がお前を射る
この繰り返される躍動
その三度目には
ついに心情が溢れかえるが
すでにそれが外界から与えられた
すべての形象のシンクロニシティへと変容し
昇華されたものとして
人智を越えたものとして
届いたのだろうか
推察にすぎないがそれは
脱自が果たして
どのようなものだったかなどは
想像にはならない
詩文としては
はっきり云って
好みじゃない
派手好きの俺には
しかし
この心象の一連の
精確な描写と
魂に
絶賛を送りたいと思う
− 表示切替 − ('05/10/17 11:02:46)テュート :
あ、すいません
鼻血でそうなんですけどw
てか うますぎです。 ('05/10/29 00:30:05)コントラ :
新しく書き直します。なんていうか、テクノ音楽を思わせる作品ですね。テクノ、音楽全般には詳しくないんで、何が、と聞かれても困るのですが。表現の一点にいたるまでよく突き詰められた良作だと感じます。抽象的ではあるが、ごつごつしている感じはなく、一連ごとの展開にまさに目を見張らされます。とくに評価できるのは、
いら草
コスモス
採り入れられた二番草の茎
自然、色彩描写のさりげない挿入ですね。
この部分が作品に斬新なテイストを与えていると思います。
まあ、ダーザインさんがおっしゃっている作者の動機の部分は
脇においての話です。
− 表示切替 − ('05/11/17 22:22:28 *4)ダーザイン :
>コントラさん
この詩は大昔に書いたもので、阪神大震災の直後だったと思います。ちょうどその頃から私の精神も崩壊して鬱病発病当初の急性期で、今は密封・封印したこのような詩を、ほぼ自動筆記でたくさん書きました。意図したアブストラクトではないのです。数日も不安と焦燥に駆られて一睡もできないで仕事をしたあと、割ける様に、割れるように虚無にに彩られた言葉が湧いてきて止められなかった。この詩の中に希望の欠片があるのかどうか、今でも私には解りません。射し込む光はツエランのように冷たかったです。
御指摘の北海道の原野のイメージは、まったくその通りです。私を強く支配するもののひとつです。
− 表示切替 − ('06/01/18 00:34:01)ダーザイン :
>鷲聖さん
>ひたすら広大なそして完全性の空間へとむなしく鳴り響くだけだ
まったくその通りです。この詩を書いた当時は存在論的全体性への希求に人生がぶち壊れるほど支配されていました。
今の私も、こういう詩は趣味じゃないです。今は小説に専念していますが、存在論的欲求をネタにできる精神的なゆとりがあります。私も小説では超派手好きなものを描いているのですよ。芸術でありながら、同時に強烈なエンターテイメントでもなければ納得できません。 ('06/01/18 00:41:04 *1)鷲聖 :
人生がぶち壊れるほど
いいね
そういうものを世間は青臭いものに比類したりするが
俺はそうは思わないよ
実際そのくらいの過程がなけりゃ血肉にはならない
そういうものを鼻で笑う輩に限って上っ面の概念を舐め回したがる常だ
あ
いや
こんな話をするつもりじゃなかったんだがな
日本はどだい総合文藝が遅れてるなと感じるよ
藝術の骨幹が脆い
ディレッタント以上のものになかなかならない
この狭い島国から出れば無宗教が驚かれるように
藝術の底浅さに驚かれる
強烈なエンターティナーたる書き手の少なさ
世風に鋭く突き進む姿勢の無さ
これに尽きると俺は思う
さて
長々となった
他のレスの話題だが写実描写ができないものは認めない
それには一票投じたい
ストリートペインターが悪いとは云わないが
潮流的な追従から始めるな
額に入る絵をしっかり書けるようになってから書けと云いたくなる
愚痴が多いな
流してくれ給え
− 表示切替 − ('06/01/19 09:28:03)みつとみ :
読み。
タイトル「空無通信」。
「「空無」とは全く何も存在しないこと。空を否定的に捉える表現。」と辞書にはある。
「通信」とはひとや手段によって、音信、意思、情報などを伝えること。とすれば、「何も存在しないことを、伝える」という意味だろうか。
ペンネーム「ダーザイン」。ハイデガーからの影響の「現存在」。一般的には、ものが現実に存在すること。ハイデガーでは、「他の存在物から区別された実存としての人間。その自己の存在を認めるあり方」というぐらいの意味合いだろうか。ちなみに実存は、現実に存在するという一般的な意味合いと、自己の存在に関心をもつ主体的な存在という哲学的な意味合い。正確に詳しく書くともっと言わなくてはいけないのだろうが、このくらいで読めると思う。
1連。捨てられた埋立地を透明な者と連れ添い歩く、という意味合いの出だし。読む手を引き込む良い出だしではないかと、思われる。がれきな地、そこには捨てられた物がそのまま残骸として残っているのかもしれないし、あるいは何もないのかもしれない。ただそれは空白のような地。「一体の透き通った者」とは「一人の透き通った者」というより、より物体あるいは存在するものというような印象を受ける。普通の人間と並んで歩くという感じはすこししない。
2連。その埋立地の描写。そこでアスファルトの場所で、雑草があり、陥没した穴がある。「立ち昇る無の陥没痕」「ほつれた放心の縫い跡」など、いかにも生硬といったら失礼か現代詩的あるいは哲学的な感じの印象を受ける。ごつごつしている。1連の「放棄された埋立地」がどんな感じなのかここでわかるはずだったが、やや抽象的なほうへ逸れたか。
3連。1行だけの「死の語り部たる永久凍土」。永久凍土からは、たとえばマンモスのミイラが発見されるように、死んだものをそこに閉じこめている。そこから過去の生きていたもののことを知ることができる。それは「死の語り部」と言ってよいのかもしれない。この1行は評価したい。
4連。「遺跡化した新造建築物」というのは、どういう意味だろう。遺跡、過去の建築物の跡。新造建築物、新しく作られた建築物。たとえば、卑近な例でいえば、役所(なんとか庁とか)かどこかが、国民の税金を流用・私物化して作ったレジャーランド施設が破産し、そのまま放置されているのに等しい状態のものとか。住み手のない新築マンションとか。そういうものが現実的な例としてある。とすれば、「放棄された埋立地」にある「新しいけれど住む者がいない建物・廃墟」のようなものだろうか。
その合間から、「コーラ缶の放擲軌道」。つまりコーラが投げられた、その弓なりになる放物線と缶が地面(あるいはアスファルトやコンクリート)とぶつかったときの音がした、ということ。を、詩的に表現したものと受け止める。
5連。埋立地かその付近の下りの坂道に中央基線があり、それは片道三車線もの広い道であると察する。「三位一体の/空無」というのが一読すると何のことやら、このひとは、という感じだが。三位一体、キリスト教では、神とキリストと聖霊の3つ(三柱)の神のことをいい、それに優劣はないという見方もある。と、3つの要素が互いに結びつき、あるいは協力しあい一体ということ。で、3つ何がそれにあたるか探さなくては、この連の意味はとれない。まさか三車線のことではないだろうから。話者と、「透き通った者」といわば廃墟のような埋立地・遺跡化した新造建築物か。あるいは次に訪れるだれか。
6連。3つの草花。作者は「3」という数字にこだわっているようだ。5連、6連、あとにある8連に「3」は出てくる。ちなみに「3」という数字は物事が安定する数字である。たとえば三角形、三角関係はせんぜん違う(マイナスの方向に力が働くが)が、3人トリオなどひとが作るグループの最小単位としても、バランス・調和がとれるので、この数字は重要である、と解釈できたりする。
この草花に何か重要な意味があるのかないのかはわからない。
ちょっと寄り道をしてみると、いら草:刺草、イラクサ科の多年草、山野の陰地に自生。コスモス:秋桜、キク科の一年草。また草の名前ではないほうの、コスモス(cosmos):秩序・宇宙・世界もかけているかもしれない。二番草:田植えをしたあとに2回目に行う除草。で、ここでは何の草花かは知らない(雑草?)。刈り取られた草の茎というぐらいか。季節は知識がわたしになくてわからないが、夏ぐらいか。けれども、2連では「冷気が放たれる」とあるので、冬ぐらいか。(ちなみに5月ころが田植えをする時期らしいが、地域や気候により違うのだろう)夏でも、冷気を放つ「陥没痕」はあるかもしれない。また作品が書かれた世界、虚構であるとするならば、別段不審に思うほどでもない。狭い現実に無理矢理作品を当てはめる必要もないだろうから。放棄された埋立地に、二番草?
(本題に戻る。)
7連。「おまえが通りを行く」の、「おまえ」はだれか。これまで登場してきているのは、話者と、謎めいた「透き通った者」という2者である。3番目の登場者は「透き通った者」とは別の存在だろうか。「空無」:何も存在しないこと・ものが、通り過ぎると、風が吹くという場面。風という目には直接的には見えない存在が、「野を分けていくのだ」で、風もまた「透き通った者」のようでもある。風が吹くそのあり様は、孤独な感じや、空虚な感じを現すことができる。「おまえ」イコール「風」かどうかは不明。
8連。「風は三度現われる」という出だしは良いと思う。「放擲と/放心と/今再びの放擲と」、これは、「コーラ缶の放擲軌道」もそれに当たる部分かと推測できるが、具体的にはどれに対応してのことかは不明。探してみるのも面白いかもしれないが、ここでは省く。そして「降り仰ぐと/身を捩る陽光」という展開は鮮やかと言ってよいかもしれない。
9連。さて、ここまで、わたしの読みを読んでいるひとはいるのかどうか、うんざりしてスルーしているのではないかと、思いつつ。さらに読む。
この連は重要な場面・転換・展開であると思われる。「とりわけ巨大な陥穿の底」、の、「陥穿」という言葉はわたしは知らない。穴のことだろうか。陥:おちいる、不足の意。穿:穴を掘る、あばくの意。イメージ的には、たとえば爆心地(たとえば核爆弾・核弾頭の爆心地とか、企画されたが後に放棄された経済的政策・建造物・工事物の穴とか)の中心、クレーターの底から見上げた空に積雲の輪郭があった、というぐらい。意味的には、もっと批評的な事柄が隠れていると思われるが。すこし計りかねる。何らかの事件・事故のためにできた「放棄された埋立地」の中心点に着いたのだろうか。
10連。「一条の冷光がお前を射る」という詩句も鮮やか。3連の1行の詩句もそうだが、センスの高さはうかがえる。まさにこの1行は、「一条の冷光」となって、「読者」を射る、かもしれない。「お前」は、だれか。7連の「おまえ」とおなじく、だれか。
11連。その「お前」だろう「光の剣に貫かれた者」が、「焦点位置へと/浮遊する」とある。たとえば実体のある人間は浮遊するだろうか。肉体をもった人間が、幽体のように、かすみのように、透明な者のように浮遊するだろうか。まるで肉体の重さを持たない者のよう。「立ち昇る」、蒸気のように、肉体が死に魂が抜けでるように。「脱自する」、造語なのか、哲学的な術語・用語か何かなのか、不明。自らを脱する、か。存在を抜け出るのか。肉体から魂が抜け出るのか。自我のようなものから、解放・開放されるのか。
12連。「球面収差」:レンズなど球面を組み合わせ、光線が集束しないで、像が不鮮明となること。により、「歪む視界に/現われる」で、再び何かが現れる。それはなにか、それは「一本の線」であるという。10連の「一条の冷光」と重なるイメージ。陽光であろうか、希望であろうか、再生であろうか。なんらかの存在を示す一筋の光り。
13連。最終行。「待機する場所/空無通信」。何を待機、何を待っているのか、次に来る登場者はだれか。次の時代・舞台の主役を待ちたいところ。ラストの落としかたは良いと思われる。
通して見ると、哲学的・科学的な抽象的な言葉を使いながらも、詩の詩情である部分を表せていて、よくよく読むと、いい詩ではないかとは思う。が、どうもごつごつとした不器用・無骨にも思える部分もあり、初読は読みづらく、いい印象ではない。背景としては、哲学的な存在についての部分や、文明批評なようなものも、うかがえる、スケールの大きさが察せられる。わたしがいまざっと読めるのはこのぐらいで、作者の意図や世界観や哲学観・文学観・芸術観をうまくくみ取ってはいないかもしれないが。誤読を恐れず、読めたことを書いてみた。
それから、1連の連れ添った「透き通った者」はどうしたのか。ずっとかたわらにいたのかな。それとも比喩か。
タイトルの「空無通信」は、良いネーミングだと思う。「放棄された埋立地」・世界の何もない、いわば残骸・遺跡から、つぎに訪れる者を待っている、そこからの通信だ、とも受け取れて、秀でているのではないかと。
この作品をわたしの世界観に引き寄せると、わたし自身の抱える、世界の空白感、とこの「空無通信」とは通底(べつものだが、底ではつながっている部分もあるということぐらい)している部分があるようにも思え、それはそれで個人的には読むという作業が楽しめた。ではながながと失礼しました。
− 表示切替 − ('06/01/22 14:44:18 *2)DARKZONE :
こちらには初めてお邪魔します。
面白く拝読しました。
『風は三度現われる』は、文句なしの殺しラインだと思いました。
ただし、「とりわけ巨大な陥穿の底」
このあたりから急速に飽きます。もういいよ、って感じで。
早乙女さんの「はなっから読み手が想定されてなくて気持ちいい」という意見、部分的には賛成するんですけれど、その部分には、「(俺の世界を)わかってくれ」みたいな叫びを感じてしまって、少しひとりよがりというか、押し付けがましい印象を持ちました。
もっと簡潔に力強くできるような気がする。それから前半もやや生硬というか、部分部分、ありきたりな感じがするという点では、かの寿星さんに近い感想を持ちました。このあたりで『引く』人もいるのではないかと思います。
全体としては、やはり失敗作と思いました。
ただ、失敗作と言い切れるのは一面ですごく評価している部分もあるからで、「もっとうまくできたのに」という印象です。
ついでながら、>発狂状態の異常心理を完全自動書記をしたもので「作品」ではないよ、マジレス。
こんな甘っちょろいことを言うくらいなら、(特にこのような場に)最初から貼り付けなきゃいいのに、と思います。
− 表示切替 − ('06/01/24 09:25:55)ひょう :
風は三度現れる、は、殺しラインか、、、けど、決していい意味ではないね。他の感想とかもみたかぎり、ダークゾーンさんは、よい読み手だと思う。作り手としてよく考えている人のような気がします。ダーザインさんは、素直に耳を傾けておいたほうがよいのじゃないかな。
自動書記というわりに、意識が勝ちまくってるよね、これ。だから中途半端なんじゃん?
それともただ「推敲無し」なんてだけの意味で使ったのかな。 ('06/02/08 15:12:27)コントラ :
お疲れ様です。
この作品、読み返したけど、いいですね。こんな作品を極道の本のトップに
置いてマニフェストの代わりにしたらいいんじゃないかなと、思います。
もっと読まれるべきだと思うので上げときます。 ('08/09/30 12:55:34)マラルメ :
パウル=ツェランとイアン=カーチスですか。読んで見ます。 ('08/10/08 22:07:29)SSS :
読ませていただきました。
悪いですけれど、ツェランは自動筆記で書いていたわけではないでしょう。少なくとも、他の自動筆記の作品を当たれば(あなたもすでに読んでいると思われますが)分かるはずです。ツェランの作品には意図がある。講演「子午線」の中でも、現実的道理の排除は示していても理性を排除しようとは語っていませんし、作品を見れば明らかです。
あなたの作品は素敵なのもあるし、僕は批判的気持ちも持ちつつ応援しているけれど、これはいまいちだと思います。
ツェランの影響を受けているように見えるのは確かですが、これは詩作の動機はどうあれ、あくまで表面的模倣に過ぎないように思う。ツェランは虚無的なものを対話の相手としながら詩を書こうとしましたし、声や言葉のない段階から詩を書こうとしました。その側面ではこれも同様のようにも感じえますが、これには欠如だとか孤独ばかりで意図がない。詩を書くうえでも、そのほかのうえでも、その孤独さを書くということは悪くはないですけれど。
もっともいくら批判しても、確かに書いたのはあなたですし、その根底まで非難は出来ませんから何ともいいにくいのですが、もうちょっとあなたらしい作品を期待したいという気がします。
なんにしても、あなたはツェランではないのですから、もう少し彼と違った作品を見たかった。読者としていえるのはこれだけだと思います。
最近、ツェランの詩集とか講演文をたくさん読んでいるので、でもそういう風味への胸焼けかもしれません。感想が気に入らなかったら、どうとでも否定してください。
− 表示切替 − ('08/12/25 22:04:50)ダーザイン :
何年ものおそレス、申し訳ありません。
先ず、SSSさん
自動書記という言葉を、此処で私はミシンと笠のようなでたらめの意味では使っていません。ハイデガーが言うところの「到来」のニュアンスで使っています。パウル・ツェランは熱烈なハイデガー信者でありましたし(彼らの出会いも、対話も不幸なものでしたが)、存在からの到来、存在の無の顔である死からの到来ということです。
で、拙作ですが、この詩に存在論的な意味や意図がないとは私はまったく思っていません。また、ツェランの模倣は意図的にも無意識的にもまったくしていません。「光の剣に刺し貫かれる」という言葉を記したとき、ツェランのことを思い起こしはしましたが。多分、イアン・カーチスはツェランの詩を読んだことがないのではないかと思うのですが、同じような精神状態、同じような存在論的実存様態で書いたのであろうと思います。
私も、到来するものを受けながら、能動的に作品にしました。
いつもこのような詩ばかり書いているわけではありません。ある一時期の作風に過ぎません。この作品を書いた時季ほど到来したことは、後に一度しかありません。「消滅」という散文詩です。だが、「消滅」を書いたときは、まったく違う精神状態でした。死神ではなく、詩神が降りてきていました。
みつとみさん、
詳細で、精密なレス、ありがとうございます。一休みしてから返信します。
− 表示切替 − ('09/01/09 01:16:46)田中宏輔 :
以前に、お書きになってらっしゃた北海道の風景なのでしょうか。
空がものすごく大きく見えました。
そして、その空は、青空で
一方、空の底なる地面は硬く凍りつき
それでも、花や草は、その命を誇るかのように生えていて
でも、そのなかでも、強力なのは、逆説的に
太陽の光なのだと感じました。
地面が凍るほどの寒さですのに
空は明るい青い色がひろがっていて
太陽の光もきらきらと輝いている
花や草は、でもその生命力を誇っている。
そういう風景が見えました。
ダーザインさんが連れ添って歩いていらっしゃったのは
もちろん、空無たる風のことなのでしょうが
ダーザインさん自身が瞬時瞬時的に空無たる風になって
吹き渡っていらっしゃるような気がいたしました。
海外の詩を読ませていただいているような
硬質の、しかし、抒情的な作品だと思いました。
いろいろな作風のものをお書きになられるんですね。
これまで、読ませていただかなかったこと、不覚に思いました。
− 表示切替 − ('10/01/13 19:07:32)シロ :
なんだか読んでると、瞑想状態へと導かれるような感覚だった。
作者含め批評家さんたちの賛否両論はあるけれども、なにはともあれピュアなものを感じます。 ('16/04/12 06:05:29)アルフ・O :
小難しくはない。この人のはこの作風の方が好みかなー、書いた本人はあまり気に入ってないようだけど。タイトルからして「あ、ちくしょうやられた」ってなるし本文もなんかすごく“わかる”感覚だからね。まぁそもそも長期的に書き続けられる方法じゃないのかもしらんが。 ('16/05/05 09:48:10)天才詩人 :
ダーザイン君。君は間違いなく天才だ。歴代の評者がまったくこの作品を読み込めいないのが気になるな。極限まで選別された言葉でつくられた、かんぺきな作品だ。 ('16/07/13 23:58:08)玄こう :
聞き慣れないタイトル
空無通信
くうむつうしん
音色響きがいいじゃない、>放棄された埋立地を
>一体の透き通った者と
>連れ添って歩く
彼(詩の語り手)は歩き・
彼はケシキを綴り・
『一体の透き通った者と』・
通信を繰り広げる>雑草に覆われはじめた
>アスファルト面のそこここに
>立ち昇る無の陥没痕
>ほつれた放心の縫い跡から
>冷気が放たれる
>死の語り部たる永久凍土
冷たく霜の降りた地に
朝がた霧が路地を這う
白い冷気を肌に感じ
作品の彼は様々に
光景や情景を見つけ
思い歩き言葉に描く>遺跡化した新造建築物の合間を/一瞬の襲撃が/鳴りとよめかす/コーラ缶の放擲軌道
>瓦礫の中の坂道を下る中央基線/片道三車線の/三位一体の/空無
>いら草/コスモス/採り入れられた二番草の茎
>おまえが通りを行く すると/空無が通り過ぎていく/風が/ただ透き通った風だけが/野を分けていくのだ
この彼(語り手)は、お前=(一体の透き通った者)と伴に歩きながら、観るケシキに、路の脇の野草に、空無を見出だす。
『三位一体の/空無』『二番草の茎』とはこの詩の叙事全体を、思想的に支えているかのような秘められたイディオム。>風は三度現われる
>放擲と
>放心と
>今再びの放擲と
(詩の中の)彼は歩き、立ち止まり、また歩く。彼はそうしながら言葉を綴り続けていく。>振り仰ぐと
>身を捩る陽光
>とりわけ巨大な陥穿の底/放物線上の斜面から/見上げる斜面に逆光を担い/静止する積雲の輪郭
西の空だろうか?彼が観たものは、>一筋の冷光がお前を射る
>『光の剣に貫かれた者』がその/放物面の焦点位置へと/焦点位置へと/浮遊する/立ち昇る/脱自する
彼は『一体の透き通った者=お前』と連れ添って歩いていた、このとき、『光の剣に貫かれた者』として、お前は変化(変幻)し立ち現れる。>球面収差に歪む視界に
>現われる
>再度現われる一本の線
>待機する場所
>空無通信
最後の連に込められたメッセージは何を意味するだろうか?。自らの彼の手のうち(=宇宙)から、上文、全ての詩の言葉(=空無)が、解き放たれる場所がそこにあるかのような。>待機する場所
>空無通信
最後の二行も、なかなか歯切れがよい。音 色 響き 余韻 が空へと明け放たれていく、潔さクールさが感じられる。
読んで楽しいひとときでした。どうもありがとうよ。ダーザインさん
− 表示切替 − ('16/07/17 23:45:22 *6)山田太郎 :
ひとつひとつの言葉が大仰すぎる。 ('16/07/22 13:53:19)
∧ ∨ 45 : シルビア (改訂版) コントラ '09/01/10 18:55:40
シルビアは恋人の兄のマルコスに「デブだ」とからかわれても、黙って
顔をそむけるだけだった。雨上がりの日曜日。表通りのアスファルトか
ら湿った風が這い上がり、リビングの古びたテーブルクロスの上では、
錠剤の袋がかすかに音をたてている。門の向こうに車がとまり、礼服を
着たシルビアの家族が午前のミサから帰ってくる。彼らは部屋に入って
着替えを済ませると、すぐにまた車に乗ってでかけてゆく。シルビアの
家族は、小さな二人の弟もふくめ、みんな太っている。国境を越えて輸
送される黄色やオレンジ色の炭酸水は、この国の神話のプログラムを見
えないところで書き換えている。
パウンドケーキのような熱帯林の中央基線が交わるあたりには、巨大な
ショッピングコンプレックスが午後の陽を浴びて白く光っている。シル
ビアによれば、ここのフードコートで売られているピザやフライドチキ
ンは、母がつくったものとは違う味がする。しゅわしゅわと口のなかで
溶け、まるで宇宙食を食べているような感じなのだ。シャーベットのよ
うな冷気が充填されたフロアを出ると、シルビアの家族は地平線が見え
るハイウェイに車を入れる。後部座席では、シルビアが朝からの物憂げ
な表情で窓ガラスに額をあてている。いつからか、彼女の視界には光る
綿のようなものがちらつくようになり、体のだるさはいつまでたっても
直らない。
シルビアの父がいつも赤信号で急ブレーキを踏む、環状道路の交差点。
車の列が停止すると、安物のキャップをかぶった物売りたちが寄ってき
て、小さな押し花やボトル詰めの炭酸水を売り歩く。汗ばむ褐色の腕に
握られた炭酸水がきらきらと熱を放射するのを見まもるシルビア。排気
ガスで黒く汚れた壁と、炎天下に立ちつくす売り子たちの姿が無声映画
のカットのように映り、アクセルを踏み込むと視界から消える。ドライ
バーの目線をはばむ鋼鉄の防音壁の外に広がる原生林のむこうには、板
きれやダンボールで風をしのぐバラックの群がゆるやかな丘の中腹まで
続いている。
あれは小さなころ、縫いぐるみを抱いて祖母の家に遊びにいったときの
ことだ。眠たい目をこすりながら飛行機がこの街に着陸してゆくとき、
砂粒のようなの電灯の群が、この丘のうえまで這い上がっているのを見
て、シルビアはベッドカバーに落ちた宝石のように、それらを手にとる
ことができるような気がしていた。いま、そこから数百メートルも離れ
ていない、なめらかに舗装されたハイウェイを、日本製のセダンは滑っ
てゆく。道が緩やかにカーブしていくと、フライドチキンの広告塔が回
転しているのが視界の隅にはいり、そのむこうには広く青ざめた空が緑
の地平線をすりきりの地点で飲みこんでいる。
>> permanent URI: http://bungoku.jp/pbbs/20090110_507_45p
コントラ :
過去の文極投稿作の焼き直しですが、シークエンスを重視して手をいれ自分としては印象が変わったので投稿してみました。一作くらいならこういうのも許されるかと、いや、許してください、お願いします。 ('09/01/10 19:02:03)ダーザイン :
第3連から>ドラム缶で燃える丸焼きのチキンが黒い煙を空にたなびかせている、
>環状道路の交差点。
インパクトのある異化作用をもたらしていた上記が除かれ>シルビアの父がいつも赤信号で急ブレーキを踏む、環状道路の交差点。
上記に換えられていますが、どうも、もったいないような気がします。
あの異化作用は作品に立体感を醸していたので。ボードリヤールの「アメリカ」のようなメッキ塗りの世界(以前、この作品の初稿を読んだときに、熱帯雨林に囲まれた南米の町にもパンアメリカンが、というようなコメントのやり取りがあったと思いますが)に生肉がむき出しになったような。
何故差し替えたのか、御意見を伺いたいです。
それにしても、コントラさんの作品は、何度読み返しても斬新です。
コーラやマクドナルドで神話が塗り替えられた世界でも、最終連で、メッキの外部のメッキを、メッキの彼方のメッキを、彼方への憧憬を開示してみせる。とても美しいエンディングです。
家から車で田舎の方に30分ほどのところに馬追丘陵という丘があって、夜、その丘を越える道の上から眼下に伸びる道を見ると、一本の光の道筋が下り、そしてまた延び上がり、スターウエイトゥーヘブンだな、これは。という感慨を、あそこを夜通るたびに抱いていたのですが、人口が札幌に集中し、過疎化が進んでいるのでしょう、このところ、光の道筋がずいぶんと地味になってしまい、淋しく思っています。
− 表示切替 − ('09/01/18 05:23:50 *1)コントラ :
ダーザインさん。まずは前ヴァージョンとの対比の上でのコメント、感謝します。
従来のものだと、2連から3連への移行がよくないんですよ。
これはかなり確信しています。
ある程度の物語的な輪郭を掴んでもらわないと、読み手の中にイメージを着床させるのも難しいだろうと。少し前に読み返してそう思い、書き換えました。新ヴァージョンでは「シルビアとその家族の一日」という脚本をすこしクリアにすることができたような気がしています。
しかし北海道はもう10年以上行ってないので、どんなところか忘れましたが、
北米大陸みたいなとこなんでしょう。たぶん。
では、ありがとうございました。
コメントありがとうございました。
− 表示切替 − ('09/01/18 12:40:34)黒沢 :
コントラさん
疵がなく、とても美しい散文ですね。コントラさんの中でも、随一の良作ではないでしょうか。真向からのダメ出しは、ぼくには出来ないです。
あえて二点、論点のみ残しておきます。
糜爛しかけた文明のゆくえを、惜しむような眼差しが印象的です。が、ガルシア・マルケス、バルカス・リョサ、他にも好きな南米文学の書き手はいますが、彼らなら、決してこうは書かないし、このような視点は、持ち得ないのではないかと、そんな気がします。彼らであれば、このような糜爛を、さらにうわ塗りしていくような性急さ、貪欲さのようなもの、いってみれば「ガサツな手つき」で、彼らなりの価値を組み上げていくのでしょうね。そうした進化/更新を中断したまま、この作品の書き手の眼差し、立ち止まるような、いつくしむような視線の優しさは、ああ、日本人のそれだなあ(或いは、老いた先進国のそれだ)と、少しだけ、物足りなく思ったのも事実です。
それと、言葉の問題ですね。南米文学を、原書で読むほどの教養がぼくにはないので、以下のコメントはひどく恥ずかしくすらあるのですが、この詩の日本語は申し分なく美しいし、精確なのだけど、寄る辺のない感じが、やはりしてしまいます。「バウンドケーキ」、「日本車のセダン」、そして「シルビア」。歴史、地霊、そのようなものの地下水脈から、いのちを汲みあげることのできない言葉の佇まいに、ふっとうろたえてしまう、という奇妙な読後感がありました。この詩が、非常に優れた散文であるがゆえに、それを感じたのでしょう。これは、作者であるコントラさん個人の責任でないのは勿論ですが。雑談的にいうと、今の日本語では、ある程度の長文でもって、構造の力でねじ伏せてしまう、そういう書き方でしか、本当の強度が得られないのではないか、という疑念が、個人的に最近、つよくなってきていますので。
それと付け足しですが、推敲後のこれのほうが、ぼくはよいと思いました。
− 表示切替 − ('09/02/13 00:46:45 *3)Contra :
黒沢さんにとてもこみいったレスを書いたのですが、ネットの接続が切れて全部消えてしまいました。
これをいますぐに書き直す気力がないので、また4−5日中にレスします。
では、すみません。 ('09/02/18 00:11:03)コントラ :
黒澤さん、返信遅れてすみません。
この作品にはおそらく僕自身の脱出願望みたいなものが投影されていて、そのぶん
すごくパーソナルなものにとどまっているんだと思います。南米文学は、
「100年の孤独」を読破した以外はつまみ食いのみですが、もちろん南米育ちの
作家の自らの土地や歴史への対峙の仕方と比べれば、深みを欠いた作品になっているかもしれません。
この作品ではどちらといえば、パン第三世界的な視点に重きを置いています。
たとえば、カルカッタでもラゴスでもサンパウロでも、国際資本の展開とか
都市の急速な膨張とかいった現象は水平的に同時継起していて、
それはスライスチーズのセロファンのように奥行きのない薄っぺららい現実だとも言えます。
しかし現実に旅して街のなかを歩いていくとき脳裏に刻まれていくのは
こんなハイブリッドな面白さで、あんがい博物館にきちんと整頓されている
歴史や「文化」の問題とは接点がなかったりします。
南米という文脈で言えば、古典的な意味でのアメリカナイゼーションよりも
進化した新自由主義によるより容赦なき弱肉強食的な経済の吸い上げという
ものも最近感じます。なんだったか、購買者物価指標というんでしたっけ?
要は物価水準を現地住民の収入との関係でチャート化したものを見ると、
メキシコは世界一位らしいです。つまり、庶民の収入は昔のままなのに
物価が軒並みあがってしまって、表面的な風景のアメリカ化に比例して
庶民の豊かさの実感はどんどん下がっていると。
だんだん何の話か分からなくなりましたが、丁寧なレス、感謝いたします。
− 表示切替 − ('09/03/01 11:56:24)がれき :
この詩はすごくいいね。もっとたくさんレスがついていいと思う。かんぺきだと思った。 ('09/04/04 19:30:31)コントラ :
がれきさん、ありがとうございます。
本人としては、何十回となく読み返して「かんぺき」に近づくべき推敲はしているのですが、しかし、先日賞をとられた黒澤氏の「プラタナス」や、ほかにもある文極の秀作群のなかでは、この作品は霞んでしまうと思っております。
ともあれ、精進したいと思います。コメントありがとうございました。 ('09/04/07 09:55:42)凪葉 :
はじめに言っておきますが、役に立つコメントではないと思います。>この作品ではどちらといえば、パン第三世界的な視点に重きを置いています。
>たとえば、カルカッタでもラゴスでもサンパウロでも、国際資本の展開とか
>都市の急速な膨張とかいった現象は水平的に同時継起していて、
>それはスライスチーズのセロファンのように奥行きのない薄っぺららい現実だとも言えます。
しょっぱなから、恐縮なんですが、言われていることを全く認識していなくてもいいですか?って、思わず聞いてしまいたくなります。
もしそれらを理解してから読め、っていうのであれば、わたしにはコントラさんの作品は一生読めないことになる可能性がありますが。
みなさんが褒めているところに、本当に申し訳ないのですが、どうもコントラさんお作品の魅力に、いまいち気づくことができないのですね。
文章は綺麗だし、終わり方もすっと引くようでいて、さりげなく後に残るとこなんか、良いなって思ったのですが、
わたしからすると、全体的に、なんというか、読むのがだるくて仕方がないんですね。(ごめんなさい)
80パーセントわたしの気力の問題だと思うのですが。
正直魅力を感じたのは三連と、最終連だけでした。
終りに期待をしながらこの物語を読むことができるか、どうか、なのでしょうか。
このアプローチの仕方の作品は、どうしたって、そういうものが付きまとうのかな。なんかそんな風に思いました。
もしくは、この物語を楽しむ時間的余裕と、心のゆとり、でしょうか。
そんなこと言ったらもうなんでもかんでもそうですが、
うまく言葉にできないのが歯がゆいのですが、
シルビアに魅力を感じません。
もうすこし、読んでいて気の引けるものがあったらなと思いました。
全体をとおしてみると、当たり障りのない、とても丁寧できれいな描写で、それはそれで素晴らしいのかもしれませんが、
わたしみたいに、忍耐力のない人間も多数いると思うので、そちらの方にもさりげなーくアプローチかけてもらえると、嬉しいです。
という、個人的感想です。
スルーしても構いませんので。
− 表示切替 − ('09/09/07 22:11:57)コントラ :
せっかく凪葉さんにご感想をいただいたので、このさい書いてしまおうとおもうのですが、
私は、すでに詩を書いたり、表現それ自体が目的である種類の文章を書く気力は
かなりまえに失せてしまっています。端的にいえば、自分がこれまで書いてきた
作品に、もうあまり興味はないし、これから何かを書こうという気力もありません。
で、なぜ文学極道にまだいるかといえば、作品を批評することそれ自体が自分の感性にとって
プラスになるからで、自分は作り手書き手よりも、書かれたもの、作られたものを知的、
感性的に組み立てられた広がりに位置づけなおす、もしくはあらたな生命を与えるとか傲慢なことはいいませんが、それらの行為のなかに、厳密に価値判断する(できる)主体として、自分がどこかに存在するおぼろげな気配を確認していければいいかなと、そんなことだけ、考えています。
前置きが長くなりました。凪葉さん。この作品は、まったく面白みがないですね。それはわたしにとっても同じことです。こんな投げやりな返信にご不満を感じられるかもしれませんが、これは3年前の作品です。メインの板とちがってタイムラグがありますので、作者がこのように返信しうる、ということ自体も、許容していただければと思います。
すみませんでした。
− 表示切替 − ('09/09/08 02:06:09)凪葉 :
曖昧なコメントに、お早いレス、ありがとうございます。
不満なんて、とんでもないです。
コントラさんは旅をしているのでしたっけ?(違っていたらごめんなさーい。)>これから何かを書こうという気力もありません。
と、これはもちろん本心なのでしょうけれど、それではちょっと、さみしいです。
そこに至るまでの過程があるのでしょうから、何も言えませんが、次に向かうまでの、過程、の中で、気が変わればいいのに、と思うことにします。
返信ありがとうございました。
いつもコメントありがとうございます。
− 表示切替 − ('09/09/08 07:49:32)常悟郎 :
今晩は コントラさん
お初ですが たまたま目に致しましたので…
好きに感想言わせて貰えるなら…これは ただの小説の中の一文章ですね
確かに南米あたりの匂いは伺えてよく書けた描写だとは思いますが 詩的な膨らむイメージはどうしても浮かんで来ない
この詩を詠んでからあなたのコメントも見させ頂いたのですが シルビアとその父親がなんなのでしょう
第三者にはその係わりもあなたの思いもいっこうに伝わって来ませんが…
確かに解読する為には事前に作者の意図する思惑を予め知っておかないと……理解しにくい文芸は沢山あるにしても…優れた作品なら何かしらの訴えるモノは感じ取れる筈ですが……
勿論あなたの作品をあくまでも詩的に詠んでみた感想です もう一度再読して深く印象が変われば また …… 失礼しました
− 表示切替 − ('09/10/17 03:10:37)コントラ :
常悟郎さん、
感想ありがとうございます。詩や作文全般に関する僕の近況は、上の凪葉さんへの
レスのとおりです。>シルビアとその父親がなんなのでしょう
>第三者にはその係わりもあなたの思いもいっこうに伝わって来ませんが…
僕の思いは、ユニバーサルな「人間性」の表現としての、登場人物間のドラマよりもむしろ、それらひっくるめて、第三世界特有の文化や社会が、歴史の断層に深く抉れとられたコンテクスチュアルな断面に、一定のスピード感をで光をあてることにあります。これを書いていて、アルゼンチン出身のガルシア・カンクリー二という人類学者のことを、ちょっと思い出しました。問題意識としては案外近いかもしれません。
ついでにいうと、日本とラテンアメリカはもっと一般的なレベルで(学者らだけではなく)思想的な提携を深めていくべきだというのが、僕個人の考えです。
まあ、文章を書くことに関しては、上記のような姿勢ですので、この反論も迫力がないかもしれませんね。いや、きっとそうでしょう。
ありがとうございました。
− 表示切替 − ('09/11/02 12:15:42)コントラ :
それから、もし時間があれば、「マナグア」のほうを読んでいただければうれしいです。
まあ、どちらもたいしたことはないですが、シルビアより自信作です。
http://bungoku.jp/ebbs/log.cgi?file=177;uniqid=20090715_635_3649p#20090715_635_3649p ('09/11/02 12:20:59)常悟郎 :
今晩は
「マナグア 」拝見させていただきました
たいへん緻密な描写で ちゃんと出来上がった作品の抜粋ですね
読者の観点から欲を言いますと 空港の描写とカウンターの女性(笑)をもう少し描いて欲しいかなと……
ありがとうございました。
− 表示切替 − ('09/11/02 22:49:59)田中宏輔 :
短篇小説の連作のひとつのように思いました。
ぜひ、つづきを読んでみたいと思いました。
まったく最初の冒頭の描写から引き込まれました。
− 表示切替 − ('10/01/10 07:13:29)シロ :
地味ですが結構好きでした。
以上、発起人(過去に発起人になられた方も含め)バトル作品を、ざっと読ませていただきました。
最近、就任されられた方々の作品も読ませてください。 ('16/04/12 18:00:18)
∧ ∨ 11 : 夜警 ダーザイン '06/04/14 04:41:04 [Mail] [URL]
風の強い夜だ
下弦の月のまわりに
虹色の光の輪を作っていた薄雲が通り過ぎる
窓辺に焼きついた油色の日々が
ガラス板から流れ落ちる
星々がさわさわ震えている
明滅する交通誘導棒を持ち
人明かりの消えはじめた
薄ら寒い夜の街角に立てば
ビルの影が微かにゆがみ
闇がほのかに光り始める
夜の精たちの
永遠のあやとり遊び
人通りがなくなると
思いはどこか遠いところへ
寂しい海辺へ
或いは
懐かしい見知らぬ景色
草原の千の舌が
湿気った夜風にざわめき
存在しない女の形をした塔が
しずかに
しずかに
燃え上がる
夜もふけて
深夜便のトラック乗りが
時たま通るだけになる
永遠の合図を待つ歩哨のように
赤い光の警備棒を振りながら
テールランプの明かりを見送ると
頭上の電線が
かすかに
かすかに
ざわめきはじめる
あなたはどことどこを繋げているのですか
あなたは神様のいる場所に繋がっていますか
あなたは知っていますか
つながれることのない手のぬくもりを
風の強い夜だ
俺のサイフには
黄色く色あせた写真が一枚入っており
きっといつまでたっても
捨てることはできないんだろうと
そんなことを思う
#身体性について批評を受けたので、この詩を貼ってみるよ(;´Д`)
こんなに泥臭いのはあまり書いたことがないな(;´Д`)
「消滅」についての各氏のレスについてのレスは近日中。
やっと落ち着いたので。
>> permanent URI: http://bungoku.jp/pbbs/20060414_131_11p
葵 :
ことばと「身体性」は切っても切れない。
その先に詩があるということ、
それが批評の内容だと思います。
この「夜警」という作品は、たしかに詩で、
けれどもまだ詩のいりぐちで、
ターザインさんご自身がまだすべてのビジョンを
つかめておられないと思います。>存在しない女の形をした塔が
>あなたはどことどこを繋げているのですか
>あなたは神様のいる場所に繋がっていますか
>あなたは知っていますか
>つながれることのない手のぬくもりを
生かされているところからの脱出の途中。
この詩をよんで、わたしはそう思いました。
− 表示切替 − ('06/04/14 14:46:06)葵 :
申し訳ありません、いい忘れたことを。
この詩において、作者はとても希薄なように思えます。>黄色く色あせた写真が一枚入っており
いつかのだれかの風を、詩人は捨てることができない。
− 表示切替 − ('06/04/14 15:06:16)声 :
この詩を読んでいることが、そのまま旅の時間となりました。
この旅は「虹色の光の輪を作っていた薄雲が通り過ぎ」てから「窓辺に焼きついた日々が「油色」であるだけの重みがあるように思えます。
「風の強い夜」に頭上の電線がざわめくのは、確かに人の心のざわめきに違いない。その苦しみにもかかわらず、
<あなたは知っていますか
つながれることのない手のぬくもりを
と問い返せるだけの優しさを詩人は差し出せる。
そして、その優しさもまた、風の強い夜に自分自身を見つめるだけの自信がなければならない。
<風の強い夜だ
俺のサイフには
黄色く色あせた写真が一枚入っており
きっといつまでたっても
捨てることはできないんだろうと
そんなことを思う
この最終行に私は詩人としての矜恃を見、励まされずにはいられませんでした。
− 表示切替 − ('06/04/15 23:02:50)コントラ :
きれいな詩ですね。都市的風景の只中にあるのだけど、どこか懐かしいような詩人の温かいポケットに包まれている感じがする。そいえば電話線というモチーフはダーザイン氏の作品群を貫いてますね。泥臭いって、いいじゃないですか。アンドロイドじゃなくてやっぱ「人間」すよ。「身体」すよ。
現代詩フォーラムで前読んだ気もするけど、いま引越しの真っ最中で酔っ払ってるんで、また書きます。では。 ('06/04/17 01:30:55)ケムリ :
ダーザインさんの感覚では、これでも「泥臭い」の範疇に含まれるんですか。ぼくには「丁度いい加減」だと思うんですよね。普段のダーザインさんの作品は、ソリッド過ぎて触れられないことが多い。
草原の千の舌が
湿気った夜風にざわめき
これ、いいですね。凄く良い。
− 表示切替 − ('06/04/19 00:54:16)苺森 :
人物に植物に建造物に、今この自分という肉体の在る空間に限定した現実世界をとりまく万物(心象などは関係ないだろう)の在るままを忠実に描く業。その眼と指。己(魂)の自由に遊ばせる感性や可能性の無限大に広がる表現の“解放”にでなくただひたすら現実を直視し続ける己の“制御”のなかに生まれるのが写実描写だろうか。考えていたら「極道」の象徴のように思えてきた。
植物の一つ描くにしても光の浴び方に影の落とし方、葉の風になびく様、茎や枝のしなり、花びらの曲線、それらの色味や質感、その植物を形成するすべてを細部にいたるまで正確にそれも限られた枠内で描ききるという非凡な技術力の要る作業。
易しいようで写実とはある意味“遊び”の許されないごまかしの通用しない、それだけに実力の試されるシビアな世界だろうか。また本来はその『写実』も物事の表向き、光のあたる側面、美、それらだけを捉えた一部の要素に偏ったものでなく光の当たらない裏側、ダークサイド、一般的に伏せられるであろう類の暗部それらの要素をも均等に含まれていてこそ成立するものだと私は思う。
肖像画に描かれた人物とはどれもみんな強張った不自然なポーズに硬い表情、表すものは求めるものは写真のような描写のみで見る者にうったえかける余計なメッセージ性や圧倒するイマジネーション、喜怒哀楽など感情のこもった付加的要素はあえて削がれた画にも見える。“芸術=技術”もしくは“芸術<技術”の画。
ダーザインさんの詩はそんなイメージなんです。洗練されたスタイルを築き上げるため削げてしまった部分、それは臭みでしょうか。私などはフォーラムや投稿板で見せるダーザインさんの辛辣でたぎった文章のほうが詩的でより迫るものを感じたりするんですが。そちらで匂わせている芸術とはまるで違ったここで見る顔には、どうも観賞用ダーザインという感じがしてならないんです
この詩のラスト近くに表れる生っぽい部分も無理に引き出した感じに見え、それまでの流れの美しさに呑まれ力なく消沈していく。
背景と同化するようにくぐもる声、どこか不明瞭のまま漠然とした遺憾だけを引きずる形に終わってしまったような印象を受けました
戯言だ。さぞ意味ありげな鬼才匂わす奇天烈で神業のような既成概念ブッ飛ばすシュールレアリスティックな文章など、トランキライザーのオーバードーズでもすれば啄木も知らないようなチビっ子連中にだって書けそうだ。
写実、写実と唱えるのも最近では頷ける。モデルをつかわない人物画などは擬人化された人間のような得体の知れない何かを描いた、人物画(仮)と言うべきだ似非芸術でないならそう言うべきだ。厳しい世界であるなあ芸術とは。計り知れなく怖い
− 表示切替 − ('06/05/11 14:25:37)理来 :
こんばんわ、早速評を……
残します。
微妙なところで指摘をあげるとするなら、七連の四行>永遠の合図を待つ歩哨のように
この「永遠の〜」の部分、もう一歩踏み込めるのではないかなと思いました。これは僕の勝手な解釈なのですが、語り手の見ている「永遠」とは
つまり、語り手にとっての「果て」であり、「行き着いて停止するところ」であり、最も完成された理想的な状態、最も完璧な統制の状態なのでは?と思ったのです。そう考えると、ただ単に「永遠の」としたのでは、まだ足りない気がするのですよ。
……とは言ったものの、ここは自分の勘違いも含まれているだろうし、「永遠の」でも十分通用するので、頭の片隅にでも留めてもらえれば、というところですね。
それから、次に言うことは、この詩篇そのものに対する指摘ではないのですが、、、、>永遠のあやとり遊び
四連目二行、
この部分は初めて目にした時、本当に美しい言葉の発明だなと、素直に感じ入ったものです。だからこそ、言いたいことがあったりするのです。
この「永遠のあやとり遊び」は本当に良い句なのですが、一つだけ弱点があって、それは一度目にすると(耳にすると)、その鮮烈さが読み手の中で残りすぎる、というところですね。
ホームページで、詩集の中に同じ句が使われていましたよね。
この使いまわしがとても目に付いてしまう。
こういった、耳にいつまでも残る句は、ただ一篇だけの詩のために、しかもさり気なく自然に使われていたいものです。しかも、この句が考えを凝らして創造されたのではなく、突然発生し、綴られたのだというのなら、なおさら大切にしなければいけないと思いました。
今回の詩篇と、ホームページにおいてある詩集の流れとを比較すると、「永遠のあやとり遊び」は、どちらかというと、詩集の流れにそって一つ、すっと置かれている方がいい動きをしています。(確か、神様の章だったかな)
何はともあれ綺麗な詩ですね。
まだ他にも、この詩は作者にとってどんな段階にあるのか、とか、探ってもみたいのですが、今回は控えておきます。
− 表示切替 − ('06/05/19 23:46:34)相田 九龍 :
苺森さんが仰ってるが>「極道」の象徴
と思わせる素晴しさでした。しっかりと都会と繋がりながら、どこか別の場所とをしっかり繋げている。素晴しい作品です。
誰が読んでも、そういう印象を持つだろう(そんなこと僕には関係ないですが)。現代詩が持つドーム型の天井の一点にこの詩はあるな、と感じました。(僕からは天井なんて見えませんが。間に雲があります。)>草原の千の舌が
>湿気った夜風にざわめき
>存在しない女の形をした塔が
>しずかに
>しずかに
>燃え上がる
この連が一番詩的であると思う。詩的というのはとても意味が広くなってしまうが、僕の言葉で言うと、詩を僕がやってく上で感じる、詩にしかない楽しみ、だ。結局伝えらんないけど。まあ言葉を意味なく色んな角度から検証したり、意味無く映像化する快感なのだ。
詩を書く者として、この連が部分としては一番好きだ。そういうのを組み込んでるだけで好きだ。それはどうしようもないことだ。
しかしきっと詩の良さを知らない人が読んだら、きっとここは読み飛ばすだろう。そして、たとえ詩の良さを知らなくても、読む人が読めばこの詩はいい詩だ、と評するだろう。
そして、詩の良さを知ろうとする人であれば、そのある意味無意味な映像っぷりを噛み締めて欲しい。噛めば味がでると知ることは大事だ。個人の自由だが、それを言ったらするめの好き嫌いも個人の自由だ。
するめみたいでうまいよ、と言いたいわけだ。
するめを引き合いに出したことで若干この詩を貶めてしまった気がしなくはないが、素晴しい詩だ。
− 表示切替 − ('06/10/04 22:18:11 *1)ICE :
ダーザインさん初めまして、失礼します。
何といいますか、どこがというよりも全体が好きです。
綺麗です。人物はひとりの男性だけでも、周りの現象が生き生きと輝くようで、どこか宮沢賢治のようなファンタジイなやさしさもあるようで。>下弦の月のまわりに
>虹色の光の輪を作っていた薄雲が通り過ぎる
>窓辺に焼きついた油色の日々が
>ガラス板から流れ落ちる
この対比が特に印象的です。
失礼致しました。
− 表示切替 − ('07/04/14 10:30:09)ガリレイ :
僕の中でダーザインさんは怖いイメージだったのでこの詩を見てちょっと拍子抜けです。題名が好きです。>星々がさわさわ震えている
このさわさわって、笹の葉のようなイメージで音が聞こえてきそうで好きです。>あなたは知っていますか
つながれることのない手のぬくもりを
素敵な言葉ですね。
僕もこういう言葉書けるようになりたいです。
− 表示切替 − ('07/04/20 03:08:55)混沌 :
初めまして。私はこちらの作品のほうが好きになれます。全然泥臭くなんか
ないです。温もりと情緒に溢れる感じが・・・それでいて少し寂しげかも・・・。素人な感想でスイマセンっっ ('07/07/09 21:30:03)稲村つぐ :
>永遠のあやとり遊び
理来さんも指摘されていますが、この点について作者の返信が見てみたいものです。
私も、気になった部分でしたので。
雰囲気の手渡し方としては優れた詩行だと思いますが、繋ぎ目というよりは、ちょっとした「杭」に見えてしまう感じがあります。
そう見えてしまうと、それ以下の部分が、夜の精の掌中の出来事と捉えやすくなり、それはそれで、メルヒェンですが、
身体性という観点からいうと、「昇華」よりも「チープ」に傾きかねない。
この作品は秀逸で、あえてケチをつけるような読み方は無用に思われますが、「表現のアンカー化」そういった配慮について、考えさせられました。
− 表示切替 − ('07/07/15 15:02:34)常悟郎 :
おはようございますですね
お初にお目にかかります
萎えたあたまながら評など少しさせて頂きます
「夜警 」
その出だしの息を飲む緊張感にはぐいぐいと引っ張られてゆく迫力を感じます
少し映写に偏っている感はしますが 描写表現に僕の共感性を感じますね
ただ 僕も「… 永遠のあやとり 」の違和感はすごく感じました その辺りダーザィンさんは その「あやとり」で 軟弱(やわらかさ)に表現した意図は なんなのでしょうかね…
その後で出てくる 「あなたは…… 」この あなたも 僕には軟弱で 短めな文なのだからできれば 「きみ… きみたち… 」に して最後まで引っ張られる緊張感を持たせて欲しかった…
おわかりでしょうがコレはまったく僕の個人趣味的な見解なのですが…… 失礼しました
− 表示切替 − ('09/10/17 07:27:48)ダーザイン :
自己剽窃は常套的にしていますね。いかにももうちょっと自覚的であるべきでしょう。
「永遠のあやとり遊び」の連ついてはやっつけ仕事であったかもしれません。
もっと稲垣足歩ちっくな終末論的未来派の影絵芝居を描くべきだったかもしれません。 ('09/10/19 20:29:59)田中宏輔 :
「つながれることのない手のぬくもりを」という言葉に
こころが、とまりました。
とてもさびしい気持ちと、いや、そうではない
これは希望なのだという気持ちとが、交錯しました。
どっちつかずなのは、ぼくのこころが、混乱したものだからなのでしょう。
確信を持って生きていけない、弱い気持ちが、混乱させているのかなと思いました。
レトリック的に、また音調的なうつくしさで、つぎのスタンザに、こころ惹かれました。
草原の千の舌が
湿気った夜風にざわめき
存在しない女の形をした塔が
しずかに
しずかに
燃え上がる
ぼくには、このような比喩能力がありません。
参考にさせていただきます。
− 表示切替 − ('10/01/10 08:09:45 *1)ダーザイン :
田中宏輔さん
たくさんレス入れありがとうございます。
「つながれることのない手のぬくもりを」という言葉には万感の思いがあり、
寂しさも、希望も共にあります。
田中さんも同じ気持ちを抱いておられるのですね。
読み取っていただいてありがたく思っています。
また、冬の旅人を読んで優しいと思っていただいたのは、田中さんが優しい人だからだよ。これもとてもうれしかったです。ありがとう。
− 表示切替 − ('10/01/12 22:49:19)田中宏輔 :
呼吸法、お教えくださり、こころから感謝いたしております。
こころと、身体の状態が、まったく違います。
ダーザインさんの呼吸法のお言葉を目にした瞬間
教えてくださった呼吸法をまだ行なう前に
関節から痛みがすーっと抜けていきました。
そのうえ、呼吸法を行ないますと、おおかたの痛みが、たちまち、うすらぎました。
もう、けさですと、側頭部のしびれも、ほとんどなくなりました。
おこころのあるお言葉だということが、直感でわかって
胸にひびいたということが大きかったのだと思いました。
呼吸法も、実際的に、とても、こころがリラックスできるものでしたし
ほんとうにありがたかったです。
こころが、こころの目が、さらになったくらいに、思えました。
ありがとうござました。
− 表示切替 − ('10/01/13 06:54:51)シロ :
作者はご自身で、この作品を泥臭いと評しておられるみたいですね。
泥臭いのは鯉と同じで僕は好きですが。
全体として、しびれまくりでしたけれども、それが悪いのでしょうか?
昔、誘導棒を持ったことがので特に興味深い作品でした。
すごい好きです。 ('16/04/12 05:48:21)
∧ ∨ 59 : 夜の子 みつとみ '15/12/23 23:43:02
はじめに くらやみがあって
(ここまでくるのにながい夜をくぐってきた
一枚いちまい重ねられていく
生まれるまえは
まったくの やみだったと
うすぼんやりとした
陽だまりの まえにすわって
鍵盤を たたいている
ちいさな 私を 私はみた
とざされた 窓を
やっとの 思いで あけても
そこにはまた とじた窓があり
その窓をあけても そのむこうに
窓が いくつもつらなっている
たゆたう くぐもった水に うかぶ 子
なにもかも 信じられずに
目を とじたまま
身を ちぢめていた
求めてみても みちたりることはなく
それでも 求めることをやめられないのは
この地に 私の 居場所がないから と
いつのころか うすやみが あって
私のなかの まったくのくらやみが
光る海の 底になって
やみが あおく 輝きを はなち
子 が ただよっている
うすやみにも
まったくの くらやみにも
とうめいな 光が さすことを
ひとたちは 黙せずには いられない
わすれさられてしまった ひとにも
陽の光は ふりつもるのだから
私は ついていくことにした
(そのひとは ひとの 祈り だった
陽の 光を みあげる
祈りは しずかに みちていく
そのひととの あいだに 生まれる
しずまりが
目と口を とじた子 となって
背をまるめ 手足をちぢめて
私のまえに 浮かんでいた
その子が くらがりにきえたあと
私は その祈りのひとを
ひっそりと 抱きしめていた
重ねられていくのは
私が生きてきた みちすじ
私の 傷あとと その祈り
そのひとの よこ顔を 私はみつづける
(そのひとは ひとの 祈り だった
>> permanent URI: http://bungoku.jp/pbbs/20151223_644_59p
ねむのき :
みつとみさん、はじめまして
バードシリーズの頃とは正反対の詩風になられましたね
透明でうつくしい叙情詩だと思います
センチメンタリズムにもメンヘラニズムにも落っこちないギリギリのバランスを保つ技術が光っているように見えました ('15/12/24 10:26:01)みつとみ :
ねむのき様
レスありがとうございます。
バードシリーズとは違う作風にしたかったので、このようにしました。
評価していただき、感謝です。
これからも佳い作品書けるよう言葉に向き合いたいと思います。 ('15/12/24 19:56:20)泥棒 :
なんですか
この、印象に残らない作品は。
ま、
でも最近読んだ
なんとなく似たような感じの
静かな詩の中では
確かに、いいのかもしれない。
何より
発起人バトルに
作品を出さない方々より
はるかに
この作品には意味がある。
− 表示切替 − ('15/12/26 23:52:19)みつとみ :
まじっすか?
そういう作品になりますか。
まあ、でもご感想書いていただけでも、
ありがたいです。
次回はもうすこし印象に残るものを出したいですね。
− 表示切替 − ('15/12/27 21:04:27)本田憲嵩 :
こんにちわ。
さすが発起人の方だけあって、筆力、そして詩情が段違いですね。
現フォのほうで、おお!さすが凄い、と思いポイントを入れたのですが、
泥棒のさんの仰る通り、ちょっと印象が薄いかなとも思います。
「ひとの声」と比べてみても。
それはなぜだろうかと考えてみたのですが、使われている言葉があまりにも平易すぎるのかなぁ、と。
失礼しました。
− 表示切替 − ('15/12/29 17:47:32)みつとみ :
本田様
こんにちは。
この手の作品は言葉が平易で透明な分、
印象が薄くなる傾向になりますね。
平易な言葉はわたしがそういうものが好きだという部分もありますが。
難解な言葉を使いたくないので。
ありがとうございました。
− 表示切替 − ('15/12/29 18:05:34 *1)シロ :
今まで読んでいませんでしたが、先ほど読んでみました。
あまり深読みはしていませんが、私と妻の事を書かれているようで胸が痛みました。
仮に私の想像が正しければ、よい作品であるがゆえに哀しすぎてたまりません。
私の読み通りの作品なら、後半はかなり難しい部分だと思います。
批評にもならない、思いつき感想です。 ('16/04/11 18:02:21)光冨 :
シロ様
ご感想ありがとうございます。悲しいけれど、あたたかみも感じていただけたならば、幸いでしたが。 ('16/04/11 20:34:48)
- ealis 3.0.10 + BUNGAKU GOKUDOU -