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11 : 夜警  ダーザイン '06/04/14 04:41:04  [Mail] [URL]

風の強い夜だ
下弦の月のまわりに
虹色の光の輪を作っていた薄雲が通り過ぎる
窓辺に焼きついた油色の日々が
ガラス板から流れ落ちる

星々がさわさわ震えている

明滅する交通誘導棒を持ち
人明かりの消えはじめた
薄ら寒い夜の街角に立てば
ビルの影が微かにゆがみ
闇がほのかに光り始める

夜の精たちの
永遠のあやとり遊び

人通りがなくなると
思いはどこか遠いところへ
寂しい海辺へ
或いは
懐かしい見知らぬ景色

草原の千の舌が
湿気った夜風にざわめき
存在しない女の形をした塔が
しずかに
しずかに
燃え上がる

夜もふけて
深夜便のトラック乗りが
時たま通るだけになる
永遠の合図を待つ歩哨のように
赤い光の警備棒を振りながら
テールランプの明かりを見送ると
頭上の電線が
かすかに
かすかに
ざわめきはじめる

 あなたはどことどこを繋げているのですか
 あなたは神様のいる場所に繋がっていますか

 あなたは知っていますか
 つながれることのない手のぬくもりを

風の強い夜だ
俺のサイフには
黄色く色あせた写真が一枚入っており
きっといつまでたっても
捨てることはできないんだろうと
そんなことを思う


#身体性について批評を受けたので、この詩を貼ってみるよ(;´Д`)
こんなに泥臭いのはあまり書いたことがないな(;´Д`)
「消滅」についての各氏のレスについてのレスは近日中。
やっと落ち着いたので。

>> permanent URI: http://bungoku.jp/pbbs/20060414_131_11p

  • :
    ことばと「身体性」は切っても切れない。
    その先に詩があるということ、
    それが批評の内容だと思います。
    この「夜警」という作品は、たしかに詩で、
    けれどもまだ詩のいりぐちで、
    ターザインさんご自身がまだすべてのビジョンを
    つかめておられないと思います。

    >存在しない女の形をした塔が
    >あなたはどことどこを繋げているのですか
    >あなたは神様のいる場所に繋がっていますか
    >あなたは知っていますか
    >つながれることのない手のぬくもりを

    生かされているところからの脱出の途中。
    この詩をよんで、わたしはそう思いました。  ('06/04/14 14:46:06)

  • :
    申し訳ありません、いい忘れたことを。
    この詩において、作者はとても希薄なように思えます。

    >黄色く色あせた写真が一枚入っており

    いつかのだれかの風を、詩人は捨てることができない。  ('06/04/14 15:06:16)

  • :
    この詩を読んでいることが、そのまま旅の時間となりました。
    この旅は「虹色の光の輪を作っていた薄雲が通り過ぎ」てから「窓辺に焼きついた日々が「油色」であるだけの重みがあるように思えます。
    「風の強い夜」に頭上の電線がざわめくのは、確かに人の心のざわめきに違いない。その苦しみにもかかわらず、
    <あなたは知っていますか
     つながれることのない手のぬくもりを
    と問い返せるだけの優しさを詩人は差し出せる。
     そして、その優しさもまた、風の強い夜に自分自身を見つめるだけの自信がなければならない。
    <風の強い夜だ
     俺のサイフには
     黄色く色あせた写真が一枚入っており
     きっといつまでたっても
     捨てることはできないんだろうと
     そんなことを思う
    この最終行に私は詩人としての矜恃を見、励まされずにはいられませんでした。  ('06/04/15 23:02:50)

  • コントラ :
    きれいな詩ですね。都市的風景の只中にあるのだけど、どこか懐かしいような詩人の温かいポケットに包まれている感じがする。そいえば電話線というモチーフはダーザイン氏の作品群を貫いてますね。泥臭いって、いいじゃないですか。アンドロイドじゃなくてやっぱ「人間」すよ。「身体」すよ。

    現代詩フォーラムで前読んだ気もするけど、いま引越しの真っ最中で酔っ払ってるんで、また書きます。では。  ('06/04/17 01:30:55)

  • ケムリ :
    ダーザインさんの感覚では、これでも「泥臭い」の範疇に含まれるんですか。ぼくには「丁度いい加減」だと思うんですよね。普段のダーザインさんの作品は、ソリッド過ぎて触れられないことが多い。

    草原の千の舌が
    湿気った夜風にざわめき

    これ、いいですね。凄く良い。  ('06/04/19 00:54:16)

  • 苺森 :
    人物に植物に建造物に、今この自分という肉体の在る空間に限定した現実世界をとりまく万物(心象などは関係ないだろう)の在るままを忠実に描く業。その眼と指。己(魂)の自由に遊ばせる感性や可能性の無限大に広がる表現の“解放”にでなくただひたすら現実を直視し続ける己の“制御”のなかに生まれるのが写実描写だろうか。考えていたら「極道」の象徴のように思えてきた。
    植物の一つ描くにしても光の浴び方に影の落とし方、葉の風になびく様、茎や枝のしなり、花びらの曲線、それらの色味や質感、その植物を形成するすべてを細部にいたるまで正確にそれも限られた枠内で描ききるという非凡な技術力の要る作業。
    易しいようで写実とはある意味“遊び”の許されないごまかしの通用しない、それだけに実力の試されるシビアな世界だろうか。また本来はその『写実』も物事の表向き、光のあたる側面、美、それらだけを捉えた一部の要素に偏ったものでなく光の当たらない裏側、ダークサイド、一般的に伏せられるであろう類の暗部それらの要素をも均等に含まれていてこそ成立するものだと私は思う。
    肖像画に描かれた人物とはどれもみんな強張った不自然なポーズに硬い表情、表すものは求めるものは写真のような描写のみで見る者にうったえかける余計なメッセージ性や圧倒するイマジネーション、喜怒哀楽など感情のこもった付加的要素はあえて削がれた画にも見える。“芸術=技術”もしくは“芸術<技術”の画。
    ダーザインさんの詩はそんなイメージなんです。洗練されたスタイルを築き上げるため削げてしまった部分、それは臭みでしょうか。私などはフォーラムや投稿板で見せるダーザインさんの辛辣でたぎった文章のほうが詩的でより迫るものを感じたりするんですが。そちらで匂わせている芸術とはまるで違ったここで見る顔には、どうも観賞用ダーザインという感じがしてならないんです


    この詩のラスト近くに表れる生っぽい部分も無理に引き出した感じに見え、それまでの流れの美しさに呑まれ力なく消沈していく。
    背景と同化するようにくぐもる声、どこか不明瞭のまま漠然とした遺憾だけを引きずる形に終わってしまったような印象を受けました


    戯言だ。さぞ意味ありげな鬼才匂わす奇天烈で神業のような既成概念ブッ飛ばすシュールレアリスティックな文章など、トランキライザーのオーバードーズでもすれば啄木も知らないようなチビっ子連中にだって書けそうだ。
    写実、写実と唱えるのも最近では頷ける。モデルをつかわない人物画などは擬人化された人間のような得体の知れない何かを描いた、人物画(仮)と言うべきだ似非芸術でないならそう言うべきだ。厳しい世界であるなあ芸術とは。計り知れなく怖い  ('06/05/11 14:25:37)

  • 理来 :
    こんばんわ、早速評を……
    残します。

    微妙なところで指摘をあげるとするなら、七連の四行

    >永遠の合図を待つ歩哨のように

    この「永遠の〜」の部分、もう一歩踏み込めるのではないかなと思いました。これは僕の勝手な解釈なのですが、語り手の見ている「永遠」とは
    つまり、語り手にとっての「果て」であり、「行き着いて停止するところ」であり、最も完成された理想的な状態、最も完璧な統制の状態なのでは?と思ったのです。そう考えると、ただ単に「永遠の」としたのでは、まだ足りない気がするのですよ。

    ……とは言ったものの、ここは自分の勘違いも含まれているだろうし、「永遠の」でも十分通用するので、頭の片隅にでも留めてもらえれば、というところですね。

    それから、次に言うことは、この詩篇そのものに対する指摘ではないのですが、、、、

    >永遠のあやとり遊び

    四連目二行、

    この部分は初めて目にした時、本当に美しい言葉の発明だなと、素直に感じ入ったものです。だからこそ、言いたいことがあったりするのです。
    この「永遠のあやとり遊び」は本当に良い句なのですが、一つだけ弱点があって、それは一度目にすると(耳にすると)、その鮮烈さが読み手の中で残りすぎる、というところですね。
    ホームページで、詩集の中に同じ句が使われていましたよね。
    この使いまわしがとても目に付いてしまう。
    こういった、耳にいつまでも残る句は、ただ一篇だけの詩のために、しかもさり気なく自然に使われていたいものです。しかも、この句が考えを凝らして創造されたのではなく、突然発生し、綴られたのだというのなら、なおさら大切にしなければいけないと思いました。
    今回の詩篇と、ホームページにおいてある詩集の流れとを比較すると、「永遠のあやとり遊び」は、どちらかというと、詩集の流れにそって一つ、すっと置かれている方がいい動きをしています。(確か、神様の章だったかな)

    何はともあれ綺麗な詩ですね。
    まだ他にも、この詩は作者にとってどんな段階にあるのか、とか、探ってもみたいのですが、今回は控えておきます。  ('06/05/19 23:46:34)

  • 相田 九龍 :
    苺森さんが仰ってるが
    >「極道」の象徴
    と思わせる素晴しさでした。しっかりと都会と繋がりながら、どこか別の場所とをしっかり繋げている。素晴しい作品です。

    誰が読んでも、そういう印象を持つだろう(そんなこと僕には関係ないですが)。現代詩が持つドーム型の天井の一点にこの詩はあるな、と感じました。(僕からは天井なんて見えませんが。間に雲があります。)

    >草原の千の舌が
    >湿気った夜風にざわめき
    >存在しない女の形をした塔が
    >しずかに
    >しずかに
    >燃え上がる

    この連が一番詩的であると思う。詩的というのはとても意味が広くなってしまうが、僕の言葉で言うと、詩を僕がやってく上で感じる、詩にしかない楽しみ、だ。結局伝えらんないけど。まあ言葉を意味なく色んな角度から検証したり、意味無く映像化する快感なのだ。
    詩を書く者として、この連が部分としては一番好きだ。そういうのを組み込んでるだけで好きだ。それはどうしようもないことだ。
    しかしきっと詩の良さを知らない人が読んだら、きっとここは読み飛ばすだろう。そして、たとえ詩の良さを知らなくても、読む人が読めばこの詩はいい詩だ、と評するだろう。
    そして、詩の良さを知ろうとする人であれば、そのある意味無意味な映像っぷりを噛み締めて欲しい。噛めば味がでると知ることは大事だ。個人の自由だが、それを言ったらするめの好き嫌いも個人の自由だ。
    するめみたいでうまいよ、と言いたいわけだ。

    するめを引き合いに出したことで若干この詩を貶めてしまった気がしなくはないが、素晴しい詩だ。  ('06/10/04 22:18:11 *1)

  • ICE :
    ダーザインさん初めまして、失礼します。

    何といいますか、どこがというよりも全体が好きです。
    綺麗です。人物はひとりの男性だけでも、周りの現象が生き生きと輝くようで、どこか宮沢賢治のようなファンタジイなやさしさもあるようで。

    >下弦の月のまわりに
    >虹色の光の輪を作っていた薄雲が通り過ぎる
    >窓辺に焼きついた油色の日々が
    >ガラス板から流れ落ちる

    この対比が特に印象的です。


    失礼致しました。  ('07/04/14 10:30:09)

  • ガリレイ :
    僕の中でダーザインさんは怖いイメージだったのでこの詩を見てちょっと拍子抜けです。題名が好きです。
    >星々がさわさわ震えている
    このさわさわって、笹の葉のようなイメージで音が聞こえてきそうで好きです。
    >あなたは知っていますか
     つながれることのない手のぬくもりを
    素敵な言葉ですね。
    僕もこういう言葉書けるようになりたいです。  ('07/04/20 03:08:55)

  • 混沌 :
    初めまして。私はこちらの作品のほうが好きになれます。全然泥臭くなんか
    ないです。温もりと情緒に溢れる感じが・・・それでいて少し寂しげかも・・・。素人な感想でスイマセンっっ  ('07/07/09 21:30:03)

  • 稲村つぐ :

    >永遠のあやとり遊び

    理来さんも指摘されていますが、この点について作者の返信が見てみたいものです。
    私も、気になった部分でしたので。
    雰囲気の手渡し方としては優れた詩行だと思いますが、繋ぎ目というよりは、ちょっとした「杭」に見えてしまう感じがあります。
    そう見えてしまうと、それ以下の部分が、夜の精の掌中の出来事と捉えやすくなり、それはそれで、メルヒェンですが、
    身体性という観点からいうと、「昇華」よりも「チープ」に傾きかねない。

    この作品は秀逸で、あえてケチをつけるような読み方は無用に思われますが、「表現のアンカー化」そういった配慮について、考えさせられました。  ('07/07/15 15:02:34)

  • 常悟郎 :
    おはようございますですね
    お初にお目にかかります

    萎えたあたまながら評など少しさせて頂きます


    「夜警 」
    その出だしの息を飲む緊張感にはぐいぐいと引っ張られてゆく迫力を感じます
    少し映写に偏っている感はしますが 描写表現に僕の共感性を感じますね
    ただ 僕も「… 永遠のあやとり 」の違和感はすごく感じました その辺りダーザィンさんは その「あやとり」で 軟弱(やわらかさ)に表現した意図は なんなのでしょうかね…

    その後で出てくる 「あなたは…… 」この あなたも 僕には軟弱で 短めな文なのだからできれば 「きみ… きみたち… 」に して最後まで引っ張られる緊張感を持たせて欲しかった…
    おわかりでしょうがコレはまったく僕の個人趣味的な見解なのですが…… 失礼しました  ('09/10/17 07:27:48)

  • ダーザイン :
    自己剽窃は常套的にしていますね。いかにももうちょっと自覚的であるべきでしょう。
    「永遠のあやとり遊び」の連ついてはやっつけ仕事であったかもしれません。
    もっと稲垣足歩ちっくな終末論的未来派の影絵芝居を描くべきだったかもしれません。  ('09/10/19 20:29:59)

  • 田中宏輔 :

    「つながれることのない手のぬくもりを」という言葉に

    こころが、とまりました。

    とてもさびしい気持ちと、いや、そうではない

    これは希望なのだという気持ちとが、交錯しました。

    どっちつかずなのは、ぼくのこころが、混乱したものだからなのでしょう。

    確信を持って生きていけない、弱い気持ちが、混乱させているのかなと思いました。

    レトリック的に、また音調的なうつくしさで、つぎのスタンザに、こころ惹かれました。


    草原の千の舌が
    湿気った夜風にざわめき
    存在しない女の形をした塔が
    しずかに
    しずかに
    燃え上がる


    ぼくには、このような比喩能力がありません。

    参考にさせていただきます。  ('10/01/10 08:09:45 *1)

  • ダーザイン :
    田中宏輔さん
    たくさんレス入れありがとうございます。
    「つながれることのない手のぬくもりを」という言葉には万感の思いがあり、
    寂しさも、希望も共にあります。
    田中さんも同じ気持ちを抱いておられるのですね。
    読み取っていただいてありがたく思っています。
    また、冬の旅人を読んで優しいと思っていただいたのは、田中さんが優しい人だからだよ。これもとてもうれしかったです。ありがとう。  ('10/01/12 22:49:19)

  • 田中宏輔 :

    呼吸法、お教えくださり、こころから感謝いたしております。

    こころと、身体の状態が、まったく違います。

    ダーザインさんの呼吸法のお言葉を目にした瞬間

    教えてくださった呼吸法をまだ行なう前に

    関節から痛みがすーっと抜けていきました。

    そのうえ、呼吸法を行ないますと、おおかたの痛みが、たちまち、うすらぎました。

    もう、けさですと、側頭部のしびれも、ほとんどなくなりました。

    おこころのあるお言葉だということが、直感でわかって

    胸にひびいたということが大きかったのだと思いました。

    呼吸法も、実際的に、とても、こころがリラックスできるものでしたし

    ほんとうにありがたかったです。

    こころが、こころの目が、さらになったくらいに、思えました。

    ありがとうござました。  ('10/01/13 06:54:51)

  • シロ :
    作者はご自身で、この作品を泥臭いと評しておられるみたいですね。
    泥臭いのは鯉と同じで僕は好きですが。
    全体として、しびれまくりでしたけれども、それが悪いのでしょうか?
    昔、誘導棒を持ったことがので特に興味深い作品でした。
    すごい好きです。  ('16/04/12 05:48:21)

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