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人物に植物に建造物に、今この自分という肉体の在る空間に限定した現実世界をとりまく万物(心象などは関係ないだろう)の在るままを忠実に描く業。その眼と指。己(魂)の自由に遊ばせる感性や可能性の無限大に広がる表現の“解放”にでなくただひたすら現実を直視し続ける己の“制御”のなかに生まれるのが写実描写だろうか。考えていたら「極道」の象徴のように思えてきた。植物の一つ描くにしても光の浴び方に影の落とし方、葉の風になびく様、茎や枝のしなり、花びらの曲線、それらの色味や質感、その植物を形成するすべてを細部にいたるまで正確にそれも限られた枠内で描ききるという非凡な技術力の要る作業。易しいようで写実とはある意味“遊び”の許されないごまかしの通用しない、それだけに実力の試されるシビアな世界だろうか。また本来はその『写実』も物事の表向き、光のあたる側面、美、それらだけを捉えた一部の要素に偏ったものでなく光の当たらない裏側、ダークサイド、一般的に伏せられるであろう類の暗部それらの要素をも均等に含まれていてこそ成立するものだと私は思う。肖像画に描かれた人物とはどれもみんな強張った不自然なポーズに硬い表情、表すものは求めるものは写真のような描写のみで見る者にうったえかける余計なメッセージ性や圧倒するイマジネーション、喜怒哀楽など感情のこもった付加的要素はあえて削がれた画にも見える。“芸術=技術”もしくは“芸術<技術”の画。ダーザインさんの詩はそんなイメージなんです。洗練されたスタイルを築き上げるため削げてしまった部分、それは臭みでしょうか。私などはフォーラムや投稿板で見せるダーザインさんの辛辣でたぎった文章のほうが詩的でより迫るものを感じたりするんですが。そちらで匂わせている芸術とはまるで違ったここで見る顔には、どうも観賞用ダーザインという感じがしてならないんですこの詩のラスト近くに表れる生っぽい部分も無理に引き出した感じに見え、それまでの流れの美しさに呑まれ力なく消沈していく。背景と同化するようにくぐもる声、どこか不明瞭のまま漠然とした遺憾だけを引きずる形に終わってしまったような印象を受けました戯言だ。さぞ意味ありげな鬼才匂わす奇天烈で神業のような既成概念ブッ飛ばすシュールレアリスティックな文章など、トランキライザーのオーバードーズでもすれば啄木も知らないようなチビっ子連中にだって書けそうだ。写実、写実と唱えるのも最近では頷ける。モデルをつかわない人物画などは擬人化された人間のような得体の知れない何かを描いた、人物画(仮)と言うべきだ似非芸術でないならそう言うべきだ。厳しい世界であるなあ芸術とは。計り知れなく怖い
壁にも 空いた、うすぐらい あることに気づかれず 探せば見つけ出すことができる 半ズボンが壁から抜け出してくる 小学校のひび割 ...
はがれた爪のように 水面に言の葉を散らしていきます 白い光の底として たゆたう ...
そのうしろ背の壁に 白い顔が浮かびあがっている まっすぐ見ている眸に 群れのひとたちの歩き出しに くすむ羽をすぼめている 行 ...
とかげの足音を拾っていくと 「かげろう」と呼ばれる庭で行き詰まった 兄さん あれは生き別れの兄さん いいえ 姉さんだった ...
― 楽あれば苦あり 苦あれば楽あり そう呟いて生活を、な 描き続けた。ずっと、ずっと。 まぁ、はっきりと解ったんだ ...
悪魔の子どもが生まれたって、言わないで欲しいんだ。カシミールで毛皮を売っている彼の、その柔らかい頬に浮かんだ笑顔みたいな、そ ...
こんにちは こんにちは いつのまにか そう いつのまにか わたくしは しろい光の表にて 目覚めるようになっていた なまえは 知 ...
ちぎった耳のような暦の頁があり 「もう自分は大丈夫、と 微笑むけれども 通り過ぎる風の縁に ふれると 沈黙してしまうのは 「ま ...
放棄された埋立地を 一体の透き通った者と 連れ添って歩く 雑草に覆われはじめた アスファルト面のそこここに 立ち昇る無の陥没 ...
シルビアは恋人の兄のマルコスに「デブだ」とからかわれても、黙って 顔をそむけるだけだった。雨上がりの日曜日。表通りのアスフ ...
風の強い夜だ 下弦の月のまわりに 虹色の光の輪を作っていた薄雲が通り過ぎる 窓辺に焼きついた油色の日々が ガラス板から流れ落ち ...
はじめに くらやみがあって (ここまでくるのにながい夜をくぐってきた 一枚いちまい重ねられていく 生まれるまえは まったくの ...