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  1. 65 : 壁にも 空いた、うすぐらい  みつとみ ('16/10/26 21:18:41)  [Mail] [URL]

    壁にも 空いた、うすぐらい
    あることに気づかれず
    探せば見つけ出すことができる
    半ズボンが壁から抜け出してくる
    小学校のひび割れた校舎
    蹴られる背
    水の張った校庭
    町工場の錆びたトタン
    敷地のバラ線が絡まり
    ペンキ臭い鉄骨の体育館
    頭から落ちる床
    台風の後の空き地に朽ちたブロック
    住宅街近くの忘れられた防空壕のセメント
    工事現場の貯水槽のシルエット
    公園の古い壁に
    ひとりでボールを投げつづける
    身をすぼめてくぐり抜け
    たしかな光のほうへ抜けようと
    砂場でみなに囲まれて踏み続けられ
    胸にも 空いた
    見ることもできずに
    望んでもふさぐことが難しく
    さとるに語ることができない
    気づくよりも重くなった体をひきずって
    叫ぶこともできずに唇をかみ
    己のやせた胸へと戻っていく
    ただこもってしまう日々にまたひとつ空いていく
    いつもは隠れている
    ふとしたときにその向こう岸をみせてくれる
    草地の犬が背をまるめる
    壁にも 空いた、うすぐらい
    夕暮れに団地に帰っていく
    行き場のないランドセルの背

    天気雨がふりそそぐ、塀に囲まれて
    ジャケットの襟をたて、ゆっくりと天を仰ぐ

    *近日、Amazonで販売予定の「狼」29号から
     次号以降の参加者募集中につき、関心のある方はメールにて。

  2. 65 : [返信]  みつとみ ('16/10/27 16:42:42 *3)

    三浦さん
    コメントありがとうございます。同世代の方ですね。当時はサッカーよりも野球が盛んでした。わたし自身は野球よりサッカーのほうがプレーは好みましたが。
    夕暮れの原っぱは原風景ですね。団地とか校庭とかもね。
    作品に3千円とのこと、ありがたく思います。詩に値段をつけるとそのような感じなのですね。
    詩とか芸術とかは、お金に換えられない価値(芸術的価値)と、お金に換えられる価値(商業的価値)とかがあるのでしょう。
    きっちりこの2つを区分できるかどうかは難しいところですが。
    芸術もお金もそれを認める場やひとがいないと成立しないでしょうし、逆にいれば成立するのでしょうね。
    ただ詩を書いて、売ってこれだけで生活できるひとは日本では実際に谷川俊太郎さんぐらいで、ほか数名いるかどうかと言われています。
    けれども詩は売れない、あるいは詩人は貧乏だ、というイメージはなくす努力や工夫や試みはあってもよいかと思います。それが実現、実行できるかは別ですが。
    実際に、詩は売れることもありますし、貧乏でない詩人もいるでしょうけど。
    それと詩は数字ではない、その表わされたものだけが詩の価値ではないという考えもわたしは持っています。矛盾するかもしれませんが、どちらか一方のみという気がしません。
    ひとに届ける努力、これは詩人だけでなく、編集者やメディアや教育者や文化を育てるという意味では行政や役所もまた一緒に考えるということも必要かもしれません。
    わたしは画家さんたちが集まってイベントに援助を求めて、行政の役人の方を呼んで、議論したり提案したりする場に招待されたことがありました。
    その時「協働」という言葉を覚えていってくださいと聞きました。多くの役割や場の違うひとたちと、協力しあって、なにかをする。
    そういう現場のみでない大きな渦を作る、それは運動(ムーブメント)かもしれなしですし、思潮かもしれません。
    文極も「狼」もまだ開花はしていませんが、その可能性の一つかもしれませんね。
    そういう流れのなかで、源流は一人ひとりの詩に対する考えや思いであり、一つひとつの作品なのでしょう。
    自分が世界に投げかける作品、異文化・異文明への交流・伝達の紹介・手段、他ジャンルとのコラボ・あるいはセッション、大海原に流す通信の瓶、宇宙に放つメッセージ、地球に遺すオブジェなど、詩にはまだまだ可能性はあります。
    「人様へ捧げる言葉の花束」というのもいささか乙女チックでセンチメンタルな響きがありますが(出典はダーザインさんの言葉ですね)、それもまた大切なことでしょう。

  3. 65 : [返信]  みつとみ ('16/11/03 01:17:29)

    泥棒さん
    そうですね、ほかの方々にも声かけておきますよ。ありがとう。

  4. 65 : [返信]  みつとみ ('16/11/03 13:36:25 *2)

    玄こうさん。
    「わたし」「私」「わたくし」「僕」「ぼく」「俺」「自分」「おいら」ほか日本語には、
    自分を表わす言葉はいくつもあって、それぞれ自分のことなのに立場や印象そのほかが違ってみえます。
    「君」「お前」「貴方」「あんた」ほかこれもいくつもあります。
    「彼」「あいつ」なども。
    それと、主語を取っても、書かなくても日本語は成立する部分があります。
    その分あいまいですが、そういう文脈や文章の構造や風土・文化や精神構造そのほかの理由かと思います。
    そして日本語の小説や詩も主語を書いても書かなくても、書くこと読むことはでき、それにより効果もさまざまと思われます。
    わたし自身は主語は意識して「わたし」「僕」「男」「男性」「女」「女性」「彼」「彼女」を使い分けします。
    それでは外国ではどうか。主語を必ず必要とする国・言語・文化もああれば、省略・書かなくても通用する国・言語・文化もあるでしょう。
    そしてあえて、必要とされているのに・それが慣例なのに、それを取り去った場合の実験や効果や手法などもあるでしょう。国・言語・文化や文学作品の比較研究としても、雑学的にも面白いかもしれませんね。
    *の部分の掲示板はここしばらく別件取り込み中で見ていないので、コメントしませんが、今回の作品に主語をとくに入れていないのは、作品上の効果を狙った部分です。
    それでよいのかというより、それで何の効果が再現できるかでわたしはどの手法をとるか考えます。それによりその手法はこの効果を現わし、それは成功したか否かです。
    ほかにも実験的にいろいろ試みて、偶然性により効果が出てもそれを採用するでしょう。

  5. 64 :   みつとみ ('16/08/12 18:55:00 *3)

       はがれた爪のように 水面に言の葉を散らしていきます
                白い光の底として
             たゆたう水が満ちていきます
        明るい音がしないのは 洞窟に光がこもるから
               わたくしの 腕から
            ほら 目が 生えていきます
              わたくしの二の腕から

             目が いくつも いくつも 
           生まれては そう 増えていく
           うっすらと その目が 開かれ
           なにがほんとうでなにがうそで
          なにひとつ悪いことをしていないのに
      信じることができずに あなたの指を落としていきます
         音がして あかい血が水面をただよい
            きれいにうずをまくころ
        指が くらがりの底に 沈んでいきます
            あなたに 知ってほしくて
          わたくしの肌を うすく一枚そぎます
        そうして あなた の 指 が しずむ とき
          わたくしの腕に 目がひとつ生まれます
            わたくしの肌が そがれるとき
          わたくしの脚に 鱗が一枚うまれます
        わたくしが たくさんの目をもつ魚となったとき
                あなたは
          ひとつの洞窟につつまれた湖となって
             暗い底から光をたたえます

              しずかに憂いながら
         泪のかわりに真っ白な微笑みをうかべて
             横たわっているのです
       あなたは わたくしという洞窟にとじ込められた
            泪をたたえた 湖なのです
           あなた の 指 を おとしては
              はだを 一枚そいで
             いきものの水がたまって
         わたくしの腕に 生えた目が濡れてひかり
        わたくしの脚に エメラルドの鱗がうまれて
             その光を底として
          いのちの水が満ちていきます
          その紅くとうめいな水をのんで
     悲鳴を偲びながら 爪のような言の葉を漂わせていきます
          ほの暗い過去が髪の長さとなり
          裸の背に月の光を浴びながら
           わたくしの胸に抱えられて
    あなたの眠った蒼白の顔が微笑み 水底から浮かび上がります



    *本当は縦書き中央揃え

  6. 64 : [返信]  みつとみ ('16/08/12 22:12:07)

    玄こうさん。
    早速のご批評ありがとうございます。なぜか「酷評」とは受け取れなかったのですが、たしかに「男がイロケを出す」のは難しいですね。でもやってみたかった。笑い。

  7. 64 : [返信]  みつとみ ('16/08/23 20:09:51)

    kaz.さん、お読みくださりありがとうございます。
    いろいろ黒子的というか縁の下の力持ち的というかそういう役割のほうがいくつかの場で多いもので。性格も地味でして、はい。
    水とか光とかたゆたう感じのスタイルを狙ったというか、そのような感じです。

  8. 64 : [返信]  みつとみ ('16/09/15 13:29:03 *1)

    すこし時間が空いたので、ちょっとだけ。
    アラメルモさん、ご感想ありがとうございます。
    そうですね、水はわき出たり、滞ったり、流れたり、にじんだり、かわいたり、姿を変えていきますね。
    十代、二十歳のことは観念的で難解な言葉を使っているときもありましたが、
    それ以降はだんだん、平易な言葉で書くようになりました。

  9. 64 : [返信]  みつとみ ('16/10/23 11:28:23)

    朝顔さん
    ご感想ありがとうございます。内面はそうですね、残酷性とずるさもあるかもしれませんね。「明治大正的なニュアンス」、それはちょっと偏愛的というか、江戸川乱歩的な怪奇性と叙情性というか、そのような感じでしょうか。そのようなものも確かにあるようです。わたしは、しずかに憂いてしまうのかもしれませんね。

  10. 61 : [返信]  みつとみ ('16/08/30 19:59:19 *1)

    玄こうさん
    「うしろ背」という人物の像の立体的な絵画や動画を意識していたようです。
    「動的でありながらも描く言葉が絵的であり、しかも文面に描く様々なモチーフなどの距離間に眩惑させられる。」とはうれしい言葉です。ありがとう。

  11. 62 : 光の表にて  みつとみ ('16/07/08 23:49:28)

    こんにちは こんにちは
    いつのまにか
    そう いつのまにか
    わたくしは しろい光の表にて 目覚めるようになっていた
    なまえは 知らないけれども 顔みしりのひとたちと
    なにかしらの話をしている
    むきになって 正しさをぶつけ 自らの言葉の角で 痛みを覚えている

    自分のことなのに くわしいことも よくわからないけれど
    覚えのない ことがらの ことばを 交わしながら
    緑の布地を 一人ひとり みなで編んでいる

    裏は あるのか ないのか
    みなが微笑む うっすらとした 表にて 
    (まぶしい 熱いほどに まぶしい
    触れているのは
    昼間の 計りの糸か
    真夜中の 熱情の糸か

    (わたくしは いったい 何を知っていて 何を知らずにいるのだろう

    沈黙している 時の波が 打ち寄せて
    ぼんやりとしたわたくしを 浜辺まで はこびあげたのは
    青い糸で 編まれた 息絶えそうな《生の舟》なのか
    それとも 赤い糸で 編まれた 青白い熱き《死の舟》なのか

    (わたくしは 何処(いずこ)の世界に 在るのだろうか 無いのだろうか

    うつむきかけたその顔を
    そっとあげると
    やわらかな しろい光に 注がれて
    恍惚の 微笑みをうかべる

    青白い 時が たちどまって
    わたくしに 手をさしのべていた
    額がきしむので
    傷をなぞりながら 波間にただよう
    仰ぐのは その白さに縁取られた 真っ青な空
    光の表にて 
    何度でも死して 何度でも生まれて
    青蛙の腹に 爆薬で繰り返し遊ぶ 子どものわたくしたち 

    誠を信じて銃殺される 白シャツの青年たち
    緑色の糸で編み物をして いつかと待ち続けている女性たち

    光の表にて
    もう会えないはずの 恋人たちが 死して 再会をしている
    (こんにちは こんにちは

    こんにちは

    ほんとうに

    そう 光の表にて あれは光の表にて そして光の表にて
    抱き合いながらも すでに目覚めることのできない わたくしたち

    (こみあげてくるのは わたくしたちの尽きることのない息吹なのです

  12. 62 : [返信]  みつとみ ('16/07/13 00:03:23)

    泥棒様
    たしかに「わたくし」が多いかもしれませんが、あえてたたみかけるようにしているかと思います。
    内容については「特にない」というのは、あえてケチをつけるところが特にないのか、語るべき(批評に足る)内容がなにもないというのか、その両方か、などととれるようですが、あえて前者であると、好意的に解釈させていただこうと存じますですはい。

  13. 62 : [返信]  みつとみ ('16/07/13 00:06:26)

    kaz.様
    まさに光づくしですが、その分「裏」がないので、それが弱点といえば、それも否定できないかなともとれますが。文極の状況を風刺したというのは、深読みであり、狙いではないと思います。気概だけで生きてきました、と言ってみたくなったので、そのように書いておきます。ありがとうです。

  14. 62 : [返信]  みつとみ ('16/07/13 00:18:09)

    5or6様
    たしかに昔のネットではそのような感じがありましたね。懐かしく思い出されます。作品の舞台上では、登場人物は亡くなった方々なのですが、「星座のように繋がっていく交流」や「過去からやってきた人たち」や「仮想世界のマトリックス」というのも頷ける部分がありますね。「全体から漂う天界から話しかける菩薩のような語り」にチルアウトしてくださってもったいなくもありがとうです。

  15. 62 : [返信]  みつとみ ('16/07/13 22:31:03)

    アラメルモ様
    ご考察ありがとうございます。たしかに「死への扉を開けた挨拶」なのかもしれませんね。「光を分解させ、その隠れた波長から死生感へ導き出そうとする試み」というとろこまで意識していたかは、何とも言えませんが。
    「物語性」については、読み手には難しいのかなあ、とご意見を読み、思いました。「感化作用を果たしている」というお言葉には感謝です。

  16. 62 : [返信]  みつとみ ('16/07/14 00:50:04)

    田中様


    ですが、起こしのカッコは閉じていないですよね。完結していない符号でしょうかね。詳しくは述べません。意識的なものです。

    5or6さんの「チル・アウト」の意味合いや使い方ですが、ご当人に聞かれるのがよろしいかと。「落ち着く」とか「安らぐ」とかそのようなことかと。

    この詩の世界は、あの世なのですけどね、白い光に満ちた。そこで革命で命を落とした若者や、彼を待っている女性たちが、天界で再会するというものです。説明するとつまらなくなるので、今回だけでもうしないですけど。

  17. 62 : [返信]  みつとみ ('16/07/20 22:46:28)

    山田様

    この詩の世界はこの世ではないのでしょうね。
    子どもは残酷なものですよね。
    そして実直な青年は死に飛び込んでいったり、飛びこまされたり、そういうこともあります。
    この世は残酷さを下敷きに、花を咲かせるのでしょうか。
    ありがとうございました。

  18. 63 :   みつとみ ('16/07/16 20:28:10)

    ちぎった耳のような暦の頁があり
    「もう自分は大丈夫、と
    微笑むけれども
    通り過ぎる風の縁に
    ふれると
    沈黙してしまうのは
    「まだ 傷がなくなったわけではない
    水面(みなも)に和紙がすべり落ち 白い影を浮かべる

    (いえ、受けた傷は痕として残ってしまうのです

    正しさとは何なのか
    少なくても「自分は間違っていないと
    いくら訴えても だれも耳をかたむけて
    うなずいてはくれないのは
    夜中の電車が走り去る音と
    風の音が 胸に共鳴するからか

    あなたは そんなとき
    書斎の机に向かったまま
    聞こえないふりをしたり 怒ったり 理屈を言ったり
    でも わかるのは
    あなたも傷付いているということ
    目を合わせないのがその証

    だとしたら
    (だとしたら どこに この思いをぶつければよいのでしょうか

    あなたは過去というけれど
    わたくしにとっては 現在とおなじこと

    胸の皮を一枚 いえ 暦を一枚破り捨てる
    破り捨てた
    その一枚の肌に いえ 一枚の紙に
    水面にまた和紙がおちる

    あなたは そっと 拾い上げ 自分の胸の奥の
    わたくしには見えない 深い暗がりに 落としてしまった
    白い暦がちいさく舞いながらやみに消えていった
    「お別れはいわないのですか
    「苦しめ続けるのであれば もう お別れしてください
    「わたくしを染めないでください
    白い和紙が 幾枚も水面に浮かび 赤紫に染まっていく

    (そんなわたくしを あなたは おさえつけ
    おさえつけ
    (なにを熱く叫んでいるのですか
    どうして 
    (どうして 出会ってしまうのですか

    あなたの声は聞こえない

    あなたのこころがわからずに
    ちぎった暦があり ちぎった傷があり
    ちぎった写し絵があり ちぎった布があり
    ちぎった文があり

    そして あなたは叫び
    (つもる紙が海を覆い尽くしていきました

    いつまでも わたくしは あなたを見守りつづけ
    (つもる紙が海を覆い尽くしていきました

    「あなたはなにをみて どこにいるのですか

    わたくしのとなりにあなたがいることがわからない
    のに
    あなたはずるさ故に眠っている

  19. 63 : [返信]  みつとみ ('16/07/17 08:19:41)

    ね様

    お読みいただきありがとうございます。
    わたしのなかでは、わりとシンプルなテーマとスタイルかと思います。
    お気に召していただいたようで、よかったです。

  20. 63 : [返信]  みつとみ ('16/07/18 08:40:09 *1)

    アラメルモ様

    「うすく、消え入りそうな文字の、和紙を手に瞼をそっと閉じ、綴じれば白線を流す……和紙に浮かび上がる言葉たちが語り手に話しかけてくる。」
    アラメルモさんのこの部分のご感想もまた美しいですね。たしかに女性を話者・主人公にしています。良く受け取っていただいたようで感謝です。

  21. 63 : [返信]  みつとみ ('16/07/18 08:48:29)

    玄こう様

    「>ちぎった耳のような暦の頁があり/独白する調子で記述します、まずはこの一行について。みみ、こよみ、こう、という音の連鎖が耳に残る。“ちぎった耳”が千切った和紙を暗喩している。」等、丁寧に細かく読み解いていただき、書き手にも参考になる読解ですね。有り難うです。

  22. 63 : [返信]  みつとみ ('16/07/20 22:42:53)

    山田様

    こんにちは。「修辞のやわらかさ」とのご指摘ありがとうございます。
    わたしはやわらかな言葉も好きです。
    どちらかというと、若いころはむしろモテなかったですね。
    年を経てくると、生きていることの楽しさがわかってきました。

  23. 4 : [返信]  みつとみ ('06/01/22 14:44:18 *2)

    読み。
    タイトル「空無通信」。
    「「空無」とは全く何も存在しないこと。空を否定的に捉える表現。」と辞書にはある。
    「通信」とはひとや手段によって、音信、意思、情報などを伝えること。とすれば、「何も存在しないことを、伝える」という意味だろうか。
    ペンネーム「ダーザイン」。ハイデガーからの影響の「現存在」。一般的には、ものが現実に存在すること。ハイデガーでは、「他の存在物から区別された実存としての人間。その自己の存在を認めるあり方」というぐらいの意味合いだろうか。ちなみに実存は、現実に存在するという一般的な意味合いと、自己の存在に関心をもつ主体的な存在という哲学的な意味合い。正確に詳しく書くともっと言わなくてはいけないのだろうが、このくらいで読めると思う。

    1連。捨てられた埋立地を透明な者と連れ添い歩く、という意味合いの出だし。読む手を引き込む良い出だしではないかと、思われる。がれきな地、そこには捨てられた物がそのまま残骸として残っているのかもしれないし、あるいは何もないのかもしれない。ただそれは空白のような地。「一体の透き通った者」とは「一人の透き通った者」というより、より物体あるいは存在するものというような印象を受ける。普通の人間と並んで歩くという感じはすこししない。

    2連。その埋立地の描写。そこでアスファルトの場所で、雑草があり、陥没した穴がある。「立ち昇る無の陥没痕」「ほつれた放心の縫い跡」など、いかにも生硬といったら失礼か現代詩的あるいは哲学的な感じの印象を受ける。ごつごつしている。1連の「放棄された埋立地」がどんな感じなのかここでわかるはずだったが、やや抽象的なほうへ逸れたか。

    3連。1行だけの「死の語り部たる永久凍土」。永久凍土からは、たとえばマンモスのミイラが発見されるように、死んだものをそこに閉じこめている。そこから過去の生きていたもののことを知ることができる。それは「死の語り部」と言ってよいのかもしれない。この1行は評価したい。

    4連。「遺跡化した新造建築物」というのは、どういう意味だろう。遺跡、過去の建築物の跡。新造建築物、新しく作られた建築物。たとえば、卑近な例でいえば、役所(なんとか庁とか)かどこかが、国民の税金を流用・私物化して作ったレジャーランド施設が破産し、そのまま放置されているのに等しい状態のものとか。住み手のない新築マンションとか。そういうものが現実的な例としてある。とすれば、「放棄された埋立地」にある「新しいけれど住む者がいない建物・廃墟」のようなものだろうか。
    その合間から、「コーラ缶の放擲軌道」。つまりコーラが投げられた、その弓なりになる放物線と缶が地面(あるいはアスファルトやコンクリート)とぶつかったときの音がした、ということ。を、詩的に表現したものと受け止める。

    5連。埋立地かその付近の下りの坂道に中央基線があり、それは片道三車線もの広い道であると察する。「三位一体の/空無」というのが一読すると何のことやら、このひとは、という感じだが。三位一体、キリスト教では、神とキリストと聖霊の3つ(三柱)の神のことをいい、それに優劣はないという見方もある。と、3つの要素が互いに結びつき、あるいは協力しあい一体ということ。で、3つ何がそれにあたるか探さなくては、この連の意味はとれない。まさか三車線のことではないだろうから。話者と、「透き通った者」といわば廃墟のような埋立地・遺跡化した新造建築物か。あるいは次に訪れるだれか。

    6連。3つの草花。作者は「3」という数字にこだわっているようだ。5連、6連、あとにある8連に「3」は出てくる。ちなみに「3」という数字は物事が安定する数字である。たとえば三角形、三角関係はせんぜん違う(マイナスの方向に力が働くが)が、3人トリオなどひとが作るグループの最小単位としても、バランス・調和がとれるので、この数字は重要である、と解釈できたりする。
    この草花に何か重要な意味があるのかないのかはわからない。
    ちょっと寄り道をしてみると、いら草:刺草、イラクサ科の多年草、山野の陰地に自生。コスモス:秋桜、キク科の一年草。また草の名前ではないほうの、コスモス(cosmos):秩序・宇宙・世界もかけているかもしれない。二番草:田植えをしたあとに2回目に行う除草。で、ここでは何の草花かは知らない(雑草?)。刈り取られた草の茎というぐらいか。季節は知識がわたしになくてわからないが、夏ぐらいか。けれども、2連では「冷気が放たれる」とあるので、冬ぐらいか。(ちなみに5月ころが田植えをする時期らしいが、地域や気候により違うのだろう)夏でも、冷気を放つ「陥没痕」はあるかもしれない。また作品が書かれた世界、虚構であるとするならば、別段不審に思うほどでもない。狭い現実に無理矢理作品を当てはめる必要もないだろうから。放棄された埋立地に、二番草?
    (本題に戻る。)

    7連。「おまえが通りを行く」の、「おまえ」はだれか。これまで登場してきているのは、話者と、謎めいた「透き通った者」という2者である。3番目の登場者は「透き通った者」とは別の存在だろうか。「空無」:何も存在しないこと・ものが、通り過ぎると、風が吹くという場面。風という目には直接的には見えない存在が、「野を分けていくのだ」で、風もまた「透き通った者」のようでもある。風が吹くそのあり様は、孤独な感じや、空虚な感じを現すことができる。「おまえ」イコール「風」かどうかは不明。

    8連。「風は三度現われる」という出だしは良いと思う。「放擲と/放心と/今再びの放擲と」、これは、「コーラ缶の放擲軌道」もそれに当たる部分かと推測できるが、具体的にはどれに対応してのことかは不明。探してみるのも面白いかもしれないが、ここでは省く。そして「降り仰ぐと/身を捩る陽光」という展開は鮮やかと言ってよいかもしれない。

    9連。さて、ここまで、わたしの読みを読んでいるひとはいるのかどうか、うんざりしてスルーしているのではないかと、思いつつ。さらに読む。

    この連は重要な場面・転換・展開であると思われる。「とりわけ巨大な陥穿の底」、の、「陥穿」という言葉はわたしは知らない。穴のことだろうか。陥:おちいる、不足の意。穿:穴を掘る、あばくの意。イメージ的には、たとえば爆心地(たとえば核爆弾・核弾頭の爆心地とか、企画されたが後に放棄された経済的政策・建造物・工事物の穴とか)の中心、クレーターの底から見上げた空に積雲の輪郭があった、というぐらい。意味的には、もっと批評的な事柄が隠れていると思われるが。すこし計りかねる。何らかの事件・事故のためにできた「放棄された埋立地」の中心点に着いたのだろうか。

    10連。「一条の冷光がお前を射る」という詩句も鮮やか。3連の1行の詩句もそうだが、センスの高さはうかがえる。まさにこの1行は、「一条の冷光」となって、「読者」を射る、かもしれない。「お前」は、だれか。7連の「おまえ」とおなじく、だれか。

    11連。その「お前」だろう「光の剣に貫かれた者」が、「焦点位置へと/浮遊する」とある。たとえば実体のある人間は浮遊するだろうか。肉体をもった人間が、幽体のように、かすみのように、透明な者のように浮遊するだろうか。まるで肉体の重さを持たない者のよう。「立ち昇る」、蒸気のように、肉体が死に魂が抜けでるように。「脱自する」、造語なのか、哲学的な術語・用語か何かなのか、不明。自らを脱する、か。存在を抜け出るのか。肉体から魂が抜け出るのか。自我のようなものから、解放・開放されるのか。

    12連。「球面収差」:レンズなど球面を組み合わせ、光線が集束しないで、像が不鮮明となること。により、「歪む視界に/現われる」で、再び何かが現れる。それはなにか、それは「一本の線」であるという。10連の「一条の冷光」と重なるイメージ。陽光であろうか、希望であろうか、再生であろうか。なんらかの存在を示す一筋の光り。

    13連。最終行。「待機する場所/空無通信」。何を待機、何を待っているのか、次に来る登場者はだれか。次の時代・舞台の主役を待ちたいところ。ラストの落としかたは良いと思われる。

    通して見ると、哲学的・科学的な抽象的な言葉を使いながらも、詩の詩情である部分を表せていて、よくよく読むと、いい詩ではないかとは思う。が、どうもごつごつとした不器用・無骨にも思える部分もあり、初読は読みづらく、いい印象ではない。背景としては、哲学的な存在についての部分や、文明批評なようなものも、うかがえる、スケールの大きさが察せられる。わたしがいまざっと読めるのはこのぐらいで、作者の意図や世界観や哲学観・文学観・芸術観をうまくくみ取ってはいないかもしれないが。誤読を恐れず、読めたことを書いてみた。
    それから、1連の連れ添った「透き通った者」はどうしたのか。ずっとかたわらにいたのかな。それとも比喩か。
    タイトルの「空無通信」は、良いネーミングだと思う。「放棄された埋立地」・世界の何もない、いわば残骸・遺跡から、つぎに訪れる者を待っている、そこからの通信だ、とも受け取れて、秀でているのではないかと。

    この作品をわたしの世界観に引き寄せると、わたし自身の抱える、世界の空白感、とこの「空無通信」とは通底(べつものだが、底ではつながっている部分もあるということぐらい)している部分があるようにも思え、それはそれで個人的には読むという作業が楽しめた。ではながながと失礼しました。

  24. 59 : 夜の子  みつとみ ('15/12/23 23:43:02)

    はじめに くらやみがあって
    (ここまでくるのにながい夜をくぐってきた
    一枚いちまい重ねられていく
    生まれるまえは
    まったくの やみだったと
    うすぼんやりとした 
    陽だまりの まえにすわって
    鍵盤を たたいている
    ちいさな 私を 私はみた 

    とざされた 窓を
    やっとの 思いで あけても
    そこにはまた とじた窓があり
    その窓をあけても そのむこうに
    窓が いくつもつらなっている

    たゆたう くぐもった水に うかぶ 子
    なにもかも 信じられずに
    目を とじたまま
    身を ちぢめていた

    求めてみても みちたりることはなく
    それでも 求めることをやめられないのは
    この地に 私の 居場所がないから と

    いつのころか うすやみが あって
    私のなかの まったくのくらやみが
    光る海の 底になって
    やみが あおく 輝きを はなち
    子 が ただよっている

    うすやみにも
    まったくの くらやみにも
    とうめいな 光が さすことを
    ひとたちは 黙せずには いられない

    わすれさられてしまった ひとにも
    陽の光は ふりつもるのだから
    私は ついていくことにした

    (そのひとは ひとの 祈り だった

    陽の 光を みあげる
    祈りは しずかに みちていく
    そのひととの あいだに 生まれる
    しずまりが
    目と口を とじた子 となって
    背をまるめ 手足をちぢめて
    私のまえに 浮かんでいた

    その子が くらがりにきえたあと
    私は その祈りのひとを
    ひっそりと 抱きしめていた
    重ねられていくのは
    私が生きてきた みちすじ

    私の 傷あとと その祈り
    そのひとの よこ顔を 私はみつづける

    (そのひとは ひとの 祈り だった

  25. 59 : [返信]  みつとみ ('15/12/24 19:56:20)

    ねむのき様
    レスありがとうございます。
    バードシリーズとは違う作風にしたかったので、このようにしました。
    評価していただき、感謝です。
    これからも佳い作品書けるよう言葉に向き合いたいと思います。

  26. 59 : [返信]  みつとみ ('15/12/27 21:04:27)

    まじっすか?
    そういう作品になりますか。

    まあ、でもご感想書いていただけでも、
    ありがたいです。
    次回はもうすこし印象に残るものを出したいですね。

  27. 59 : [返信]  みつとみ ('15/12/29 18:05:34 *1)

    本田様

    こんにちは。
    この手の作品は言葉が平易で透明な分、
    印象が薄くなる傾向になりますね。
    平易な言葉はわたしがそういうものが好きだという部分もありますが。
    難解な言葉を使いたくないので。

    ありがとうございました。

  28. 56 : 潮騒(改稿)  みつとみ ('10/03/16 00:49:18 *9)

     傷のある胸のなかにも響く、潮騒があった。閉じた目を開くと、淡い光につつまれた海があった。数年前に、女と漂流した海辺に、わたしは立ち尽くしていた。

    (わたしは、油と原材料の臭いのする工場の、薄暗い現場にいた。大きなグリース製造釜を回す騒音。塗装された空きドラムに、レバーを開き、グリースを充填する。ドラム缶に金属バンドを取り付け、ボルトをラチェットレンチでしめる。フォークリフトが警戒音とともに、構内をひんぱんに出入りしていた。油と泥で汚れた作業着は、洗っても落ちない色があった)

    (数年働き、契約途中で工場を解雇された。仕方なく内陸工業団地から海辺へのアパートに、戻ってきていた。軍用ジャケットのポケットに手をいれて、佇む。きょうは晴天だが、潮風が冷たい。日があるうちは、海沿いの道や浜辺を歩いていた。潮騒に耳を傾ける。ぼんやりと、あの日の波間に漂う女の首筋が、思い浮かんでいた)

    (ハローワークの近くの通りで、小さな雑貨店にはいった。ガラス戸に、閉店セール半額のビラが貼り付けてある。狭い店内の、棚に並ぶアジアの天然石、アクセサリー、香を見て回る。若い女性店員に、ヘタマイトの黒いブレスレットを見せて、買い求めた。ヘタマイトは、いくらか重い感触がある)
     
     わたしは、広い海辺に立っていた。ジャケットの襟についている毛先が、風で頬にあたる。わたしの頭上を鳥が鳴いては、旋回している。仰ぐと、限りのない透明な青がしみるので、目を細めた。
     手をかざす。手首のヘタマイトが黒い光を反射している。砂浜を歩き、寄せてくる波の前に立つ。わたしは一歩まえに進む。足元にはまだ波は来ない。

     わたしは左足を、もう一歩前に進める。スウェードの茶色の靴先が、水で濡れて黒ずむ。ゆっくり、右足を進める。足元がすこしふらつくが、左足をもう一歩。砂地がわたしの重みで窪んでいく。

     大きな音とともに、白い波が盛り上がり、打ち寄せた。身をひこうとして、バランスを失う。砂地に、片膝をつきそうになる。ジーンズに波しぶきがかかる。白い泡が光る、その先に、女の足先が、一瞬見えた。浜辺のあらゆる音が消えていた。

     女の顔を確かめたくて、視線をあげた。瞳と唇を知りたかった。
    波で光が反射した。女の姿はもう見えなかった。あれはなんであったか、取り残されたわたしは、海を前に立ち尽くしている。広すぎる青い空に、ひとつだけの小さな陽は、わたしにはまぶしすぎて。



    *くどくなるので、修正はこれでお仕舞い。あとは活字用に微調整しますが、こちらではアップしないので。今年秋発行の日本詩人クラブのアンソロジーに載せるつもり。

  29. 56 : [返信]  みつとみ ('10/03/16 20:17:51 *1)

    ボルカさま

    コメントありがとうございます。文末の時勢(→時制)というか、過去形とか現在進行形とか、それはわざと散らすようにしています。たぶん、創作教室や、小説の文体スタイル本から、自分で選びとった方法です。この作品はまだ手をいれるべきものですが、まあ、ひさしぶりに数年前のスタイルとテーマに戻してみたという感じです。ありがとう。

  30. 56 : [返信]  みつとみ ('10/03/16 20:19:06)

    黒木さま

    律儀にコメントどうも。そうですね、もうすこし言い回しや、風光や細部等の描写などを考える余地はありますね。ありがとう。

  31. 56 : [返信]  みつとみ ('10/03/17 18:02:42)

    黒木さま

    おー、詳細な読みのレスありがとう。うれしいです。あとで、ご返事書きますね。なぜなら夕ご飯だから。一食、ごちそうしてあげたい気分ですよ。では、また。

  32. 56 : [返信]  みつとみ ('10/03/17 19:32:00)

    黒木さま

    描写もどこまでして、どこまではしないかというのは、永遠の課題のような気がします。ドラムやレンチの件は、ちょっと名称に寄りかかっていますよね。もうすこし考えてみましょう。「大きな音がした。」はいわば起承転結の「転」にあたるかもしれませんね。効果的なものがあるかどうか考えてみます。あとはおおよそ評価いただき、光栄です。とてもよく読んでくださり、感謝です。ちゃんと読めていますよ。作品の質をあげるのに役立ちます。ありがとう。

  33. 56 : [返信]  みつとみ ('10/03/19 21:45:46)

    TUNさま

    数分かもしれないし、十数分かもしれないし。それでよいかもしれないし。
    水晶のペンダントは、次の続編・続続篇で必要になるアイテムです。
    ヘタマイトのブレスはご指摘にあるよう考えてみたいですね。
    過去の傷を引きずりつつ、さまようという一連の男の話です。
    なぜか文極では光冨という作者においては、この作品の類しか納得しない場のようなので、そのようにしてみました。
    窮屈であり、退屈でもありますが。「退屈」というのは、わたし自身も、作品も。
    もうすこし遊びをいれたいですね。

    コメントありがとうございました。

  34. 56 : [返信]  みつとみ ('10/04/03 22:59:20)

    ダーザインさま

    工場内の描写の部分は、いる(あってよい)・いらない・不親切との3通りの考えが実際にあります。いちおう、わたしのパソコンのハードディスク内の原稿では描写を戻したうえで、加筆・修正しておきました。もうすこし、見直しておきます。描写に関しては、いる・いらない・直接的なことは避ける、という3通りの考えも詩に関して一般として実際にあるようですね。まあ、描写性の一連の作品を書いてしまった作者としては、徹底させないと周囲の何割かは納得しないということでしょうか。ありがとう。

  35. 56 : [返信]  みつとみ ('10/04/05 20:41:13 *1)

    ピクルスさま

    各種ご指摘ありがとうございます。検討しておきます。丸カッコは、工場内の描写を戻した時点で、取り除いています。まだ時系列の絡みで、検討中で、修正したものはわたしのパソコン内にだけあって、こちらにはアップしていませんが。(現在→数年前→現在→数日前→現在、という運びがわかりにくいかなとか)。謎を残しておくというのは、よいアイデアですね。

  36. 9 : [返信]  みつとみ ('06/01/22 21:56:38 *1)

    夜に、読む。
    タイトル:「わたしの終わりのわたしの」
    「わたしの」が「終わりの」の前後、2つ付けられている。この狙いは何か。たとえば頭のなかで、あるいはつぶやくヒトリゴトのよう。同じ言葉、事柄ばかりを繰り返しているよう。堂々巡りのようなもの。「私」は公的な感じがするのに対し「わたし」は内省的あるいはナイーブな感じがする。同じ事柄でも、平仮名は当然、やわらかい感じ。
    「終わり」は死のようなもの。たぶん、タイトルから察するに、「わたし」が2回繰り返されるので、「終わり」も繰り返される可能性がある。決定的な死というよりは、小さな毎日繰り返される死のようなもの。

    1連。「それでも朝は来るので/わたしはまた生まれてしまう」ということは、夜が来たと思ったら、嫌々でも朝は来てしまうという感じ。夜、話者は一度死に、また朝生まれるという感じ。この出だしは良いと思う。
    しかしながらそれは「約束されていないことなので/途方に暮れている」という。夜、眠ってそのまま目覚めない。そのまま死んでいるということは現実、あり得る。みつとみの母の母(祖母)もそうして朝亡くなっていたことを発見された。押入には心臓病の薬(救心)がたくさん見つかったという。事情があり、貧しい家だったが、買い込むほど、心細かったのだろう。痛いほど、わかる。
    けれども、この話者の「わたし」は「途方に暮れている」という。生は望んでいなかったのに、ということか。生きることに、疲れたり、苦しんだり、不安だったり、先行きがわからずにいて、どうしたらよいか困り果てるということは、人生において何度かあるだろう。みつとみにもわかる。(ここのみつとみの感慨を、笑えるひとは、笑ってもらってもかまわない)

    2連。「わたしは手を持たないので/仕方なく/眺めている」。ここでは「手を持たない」というのは2つの意味をとれる。ひとつは、障害者で文字通り手がない。もうひとつは、方法がない、なすすべがない、という意味合い。ふたつかけているかもしれないし、比喩的に言っているのかもしれない。
    「ふりをしている」とあるが、それは前の文の「眺めている・ふりをしている」のか、後の文の「鳥の不思議な動きを少し/まねてみたりする」の鳥をふりなのか、やや曖昧。ふたつかけているのか。

    3連。「小さい声が/ときおり通り過ぎる/けれども掴めないので/それはないに等しい」は、内なる声なのかもしれない。ここで新たな登場者が出てきたとは、捉えにくい。
    その声は風のようでもあり、自身を悔やむようでもあり、実体は掴みにくいが、何かなのだろう。その声は、「どこか見えない場所へ/消えていくようだ」、消えていくのだろう。空は曇り空。

    4連。夕暮れ時「硬質な空気」の「硬質」がそのまま硬い感じがして、すこしほかの詩句に比べ、違和感がある。「硬い空気」とかその程度の表現でもよいような。
    警戒するが、気づく。意味がない、という。何のことか。

    5連。「うつむいて/目を閉じると」と内省的な場面。また「途方に暮れながら/夜がやってくる」。一日いちにちが、この話者の「わたし」にとっては生き死にのようだ。「生きているよ/口ずさんでみるが/呪いしか/生まれない」と続く。生きていくことは、罪悪なのだろうか、生きていくことは呪うような、憎悪を繰り返すこと、恨みごとを毎日まいにち繰り返すことなのだろうか。
    そして「それもまた/意味のないこと」。ここでは何か諦めたような、悟ったような感じがしてくる。

    6連。「泣こうと思うが/泣き方を知らない」。赤ん坊でも誰に教わることもなく、人間に限り泣き、わめくが、この話者はその泣き方さえ知らない。どうしようもない、まるで手をもたないひとのように、生きるすべも、感情表現さえも、訴えることも相手もいない。そして、「夜なので/もう誰もいない」。ラスト、話者は夜の闇のなかで、ただ独り。

    一見、印象としては感傷的、内省的、ナイーブな感じが甘美でもあり、読んでみると話者の「わたし」という人間が生きる孤独と、虚無、絶望、諦観のようなものが平明な言葉で描かれた、良い作品だと思う。

    わたしたちはたとえ「手を持たなくても」、希望の言葉がなく呪いのような言葉しか口にできなくても、一日いちにちが生死の繰り返しだろうと、それでも生きていかなければならない、とみつとみはそう信じているが、そのわたしもまた、「夜なので/もう誰もいない」ベッドでひとりきりで眠る。明日「それでも朝は来るので」、わたし(みつとみ)もまた「生まれてしまう」のだろう。

  37. 60 : 幼虫  みつとみ ('15/12/27 22:22:32)

                                      胸のなかの
                                 炎の蛾がゆらいでいる
                            息をする胸骨と皮ふとを焦がして
                                 あおざめた顔がふくれ
                                  歪めた顔を凍らせて
                       あなたは途切れのない暗やみの つらなりに
                                 ひとを 責めつづける
     
                                あなたは別のひととなり
                           むかうひとの胸を激しく叩いている
                          一本一本 あなたの胸骨をはじけさせ
                             皮ふをやぶりそこから出てくる
                                 黒い幼虫をもてあそぶ

                                    目のない幼虫は
                                  土を喰いつくそうと
                            くすぶる地下をはいあがってくる
                                (ああ この黒い幼虫は
                    あなたの空洞のなかで同じ時をすごしてきたのだ)

    (わたしのひとよ
    (わたしの土を喰らうとよい
    (それであなたが新たにそだっていくのであれば

                         灼けた土を 喰いつくしてしまったとき
                               あなたは一個のひととなる
                                 輪かくさえ見えない
                           うすぼんやりとした空間のなかで
                          あなたは子どものように目をさます

    (さあ、暁のはじまりだ
    (満ちていく月と太陽と 風とにさらされて
    (はだかの地上に ふたり翅をひろげ 緑の種を蒔いていくのだ

  38. 60 : [返信]  みつとみ ('15/12/29 17:24:27)

    泥棒様

    ご感想ありがとうございます。
    左右の意味ですが、横書きになっているので、そうなりますね。
    実際には縦書きで上下となります。
    地中の幼虫が下そろえ。
    お起しの丸括弧の希望的な独自が上そろえ。
    となります。
    テーマは一連のもののひとつなので、同じような印象ですね。

  39. 10 : [返信]  みつとみ ('06/01/30 21:32:12)

    タイトルどおりdさんには「消滅」されてもこまるような、とくにこまらないような。では、ごじつ、感想でも書かさせていただきます。やっと、まともな作品を貼ったかなという感じ。ちなみに「蛍」は感想すら書く気になれなかった。

  40. 10 : [返信]  みつとみ ('06/01/31 18:04:58)

    おもしろいですね。いま仕事から帰ってきたので、食事して、あと歯医者なんで、「消滅」の感想はまだ書けないけど。

    詩は点数ではないと思うのだけれど。数字ではない。で、現代詩フォーラムの点数でもって、作品の価値を決めることは同意しない。それに「蛍」や「バード・シリーズ」どちらが優れているかなんて、興味ないですよ。そんなことは、どうでもいい。

    それから「蛍」はダメとは言っていない。どうしてもというのなら、「蛍」の感想も書きますよ。そんなヒステリックに子どもみたいなこといわれても、、、。ま、とりあえずご飯食べるんで、これから。

  41. 10 : [返信]  みつとみ ('06/01/31 20:29:12)

    で、歯医者から帰ってきました。で、お風呂に入ったので、昨日風邪ひいて会社休んでいたので、もう寝る。

    の前に。

    受けるものと受けないものと。どちらが価値があるか。商業的価値は受けるもの。でも、芸術的価値は、受けるとか受けないとかでは計れない。

    と、知らないもの=ダメということはない。嫌いなもの=ダメでもない。わからないもの=ダメでもない。受けないもの=ダメでもない。

    芸術は魂に触れる技術。受けるとか受けないとか気にしないで、ひとの反応もあまり気にしないで、作りたいものを作る。書きたいものを書く。
    書きたいものを書きたいように書いてはいけない、という作家や詩人もいるけど、基本的には、書きたいように書く。感じたように書く。自分が何を感じたかが大切。権威とか風評とか点数とか値段とか売上数とか、そんなこと、詩で気にする必要はぜんぜんない。

    わたしは「バード・シリーズ」は自分のために書いたんだから、受けがよかろうが悪かろうが、どうでもいいよ。自慰行為と言われようと、自己満足と言われようと。わたしの魂がそれを書くように求めたのだから、それでいい。
    アナクロニズムであろうが、なんだろうが。自分のために「バード・シリーズ」という1冊の本を用意して何が悪いのか。とわたしは思う。

    じゃ、お休みなさい。

  42. 10 : [返信]  みつとみ ('06/02/01 20:34:29 *1)

    では、感想をひとつ。

    この作品は佳作だと思う。シュール的(あるいはシュール風)な表現・比喩をつかい、日々(この作品においてはあるいはごく短い期間)繰り返される性行為を、砂漠や銀河などのイメージと重なりあわせ、拡大させたことにより、おもしろさの効果があると思う。なぜ、実日子は死んでいったのか、それは謎だが、理由をあえて語らなかったと解釈もできる。生命のはかなさと愛のとうとさを書きたかったのだろうとも。あるいは存在のあやうさについて。
    (いちおう書くと、シュールは1920年代に興った無意識下の、不合理・非現実の世界を探求する芸術活動・手法。既成の美学・道徳とは関係なく、内的な衝動を表現を目的とする、らしい)

    なお、「#」以後の作者のコメントの文章に関しては、ややこしくなると面倒なので、言及は避ける。

  43. 10 : [返信]  みつとみ ('06/02/06 21:54:30 *2)

    まあ、あのdさんは罵倒ゲイ、もとい、罵倒芸でひとを罵っているのだろうから、すこし差し引いてあげないと、、、。まあ、ネタでやっているうちに、マジになっちゃうこともあるだろうし、ネタのなかにホンネもいれているのだろうけど、、、。

    理来さんとDARKZONEさんのお二方の意見は正論なんですがー。まあ、dさんの言うところもくんでほしかったりする、なんていうと、馴れ合いとか甘やかしとかに映るのかしら、ね。
    ただ罵倒されたほうは、大人なひとだと、dさんって何だかナー(常識って知っている?)、って映るし、子どものひとだと、何だとーこのやろー(腹立つなー)、ってなるし。って、そのくらいはdさんもわかっているだろうけど、、、。

    >髪をなで、唇を求める。実日子は小さなため息をついて私の体液を受け入れた。
    (じつは最初に言うべきだったかもしれないけど、言わなかったことすこし。)ここの「私の体液」というところ、キモイ。リアル、気持ち悪い。あと全体的になんとなくシュールの真似をしているみたい、なところもすこし感じられた(でも手法をとりいれうまく処理しているみたいだし)。けど、大筋、この作品はいいのではないかなと。まあ、ちょっと補足的・蛇足的に。

  44. 5 : [返信]  みつとみ ('06/02/01 22:15:10)

    感想をひとつ。

    力強いポエム、あるいは気色悪い詩だ。これが「愛」の姿なら、わたしはべつに「愛」などほしくはない。

    もっと詩の全体を短くして、ひきしめ、甘ったるさを削ってほしい。これを書いた作者を「拝め」などと言われても、正直に言う。この程度の作品で天才を気取られても、ウザイ。あるいは、とっとと、アニメ界に戻るように。
    失敬、天才気取りだったのは「消滅」という作品においてだったかな。

    ダメとは言わないが、この作品をいいというひとはいるから、それはそれでいいけど。dさんは散文がいいよ。詩は臭さが鼻につく。それにお金にならないと、満足できないようなら、なおさら「本物の詩人」ではないと思う。芸術を志向しているわりには、俗物性がきつい。それをギャグにしているらしいけれど。幻想妄想小説家を狙って、ダメなら、アニメを通して文明批評とかするライターとかを目指せばいいと思う。とりあえず、小説の結果はいずれ出るのだろうから。朗報を待ちたいところではある。


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