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現行ログ検索結果 (投稿者)

  1. 11 : [返信]  理来 ('06/05/19 23:46:34)

    こんばんわ、早速評を……
    残します。

    微妙なところで指摘をあげるとするなら、七連の四行

    >永遠の合図を待つ歩哨のように

    この「永遠の〜」の部分、もう一歩踏み込めるのではないかなと思いました。これは僕の勝手な解釈なのですが、語り手の見ている「永遠」とは
    つまり、語り手にとっての「果て」であり、「行き着いて停止するところ」であり、最も完成された理想的な状態、最も完璧な統制の状態なのでは?と思ったのです。そう考えると、ただ単に「永遠の」としたのでは、まだ足りない気がするのですよ。

    ……とは言ったものの、ここは自分の勘違いも含まれているだろうし、「永遠の」でも十分通用するので、頭の片隅にでも留めてもらえれば、というところですね。

    それから、次に言うことは、この詩篇そのものに対する指摘ではないのですが、、、、

    >永遠のあやとり遊び

    四連目二行、

    この部分は初めて目にした時、本当に美しい言葉の発明だなと、素直に感じ入ったものです。だからこそ、言いたいことがあったりするのです。
    この「永遠のあやとり遊び」は本当に良い句なのですが、一つだけ弱点があって、それは一度目にすると(耳にすると)、その鮮烈さが読み手の中で残りすぎる、というところですね。
    ホームページで、詩集の中に同じ句が使われていましたよね。
    この使いまわしがとても目に付いてしまう。
    こういった、耳にいつまでも残る句は、ただ一篇だけの詩のために、しかもさり気なく自然に使われていたいものです。しかも、この句が考えを凝らして創造されたのではなく、突然発生し、綴られたのだというのなら、なおさら大切にしなければいけないと思いました。
    今回の詩篇と、ホームページにおいてある詩集の流れとを比較すると、「永遠のあやとり遊び」は、どちらかというと、詩集の流れにそって一つ、すっと置かれている方がいい動きをしています。(確か、神様の章だったかな)

    何はともあれ綺麗な詩ですね。
    まだ他にも、この詩は作者にとってどんな段階にあるのか、とか、探ってもみたいのですが、今回は控えておきます。

  2. 9 : [返信]  理来 ('05/12/16 20:33:42)

    初めまして、返信します。
    特に問題はないですが、、、、。
    最後の連の夜は、前連の夜よりもさらに深くした方がいいと思いました。
    深夜とか。
    あとは、どうして語り手は手を持っていないのか、指摘ではないのですが、疑問に思いました。

  3. 9 : [返信]  理来 ('05/12/17 22:12:52)

    手の部分は指摘ではないと言いましたね。
    そのわけはですね、この「何故手がないのか?」という疑問部分に好ましい印象を感じたからです。
    何故手がないのか、何故?何故?
    読者は考えてしまいます。
    そして、この不思議な部分がこの詩を見事に映えさせています。
    この部分はとてもいいところだと思うので、自信を持って下さいね。

  4. 10 : [返信]  理来 ('06/02/05 22:15:18 *1)

    最近の詩篇ということで、それでは今回も書かせていただきます。

    まず、読後感は良かったです。
    性描写ということですが、うっとおしいじめじめとしたものは感じませんでした。「遠い砂漠を旅していた」というところから、世界の広がりをイメージできます。広大なところに立ち、詩人は実日子の世界を泳いでいますね。
    そして、「実日子」という名前がこの詩によくあてはまっていて、詩の端々を映えさせています。

    その反面、実日子という人物の反動を感じられなかったのが少し残念、といったところでしょうか。大地を踏みしめれば、空に声を放てば、その反動として、足元に力が返ってくる、耳に声が返ってくる、のは当然の理です。何が言いたいのかというと、実日子の人間としての内面を窺えなかったのです(ただし、この詩篇だけで見るならばの話)。
    この詩は、語り手の想いばかりが突っ走っていて、実日子がまだうまく動いていないのですよ。ここは、たとえば、実日子の実日子らしい仕草(実日子にしか、なしえない仕草?)の一つでも入れてやればこの詩はもっと映えたことでしょう。

    それと、ダーザインさんへ。
    これはまた、ただの物言いですが、一詩人としてもう一言。
    阿保だとか、ハゲだとか、そんな無駄な言葉を吐き出すのはやめなさい。
    そんな、何の詩情も価値も生まない無駄な言葉は、気付かないうちに表現者のダーザイン自身を駄目にする。
    表現者であるならば、作品の評などに対する返信以外の気持ちは、そっと隠喩の音にのせなさい。ただし、ただわめき散らすのではなく、あくまでも完璧な、誰が読んでも納得する詩篇として読者に提示しなさい。
    自分は神でも天才でも能才でもないので、ダーザインさんが本当の天才かどうかなんてこと、分かりようもありませんが、ダーザインさんが自身を本当に天才だと思っているのなら、そうするべきです。

    追伸

    この前持ち帰った永遠短詩集、素晴らしかったです。
    詩人の若さというのかな、詩句のほとばしりに胸を打たれます。
    読めば読むほど、どんどん流れてくるし、最果ての島とか、本当に、少し泣きそうになってしまったのですよ。
    まさに、ずっと永遠に読んでいたい、と思わせるような詩篇でした。
    これはまた、どんどん続きを打ち立てていったらいいと思います。

  5. 5 : [返信]  理来 ('06/01/28 16:10:04 *2)

    えと、こちらでは初めまして。
    では、さっそく書かせていただくのです。

    ……で、僕も文そのものはあまり面白くないと思いました。
    こういった日常の風景は、好みではあるのですが。

    目で追ったものをそのまま写しているような描写に、この詩はまだ練習の段階(詩表現の練習を試みている)ような感じを受けます。そして、論理的に文章を追いすぎているので、詩情がわきにくいのです(でも、僕個人としてはこういったのも好きですけどね)。
    論理としてうまく調律されているから、詩としては面白くない。
    美しいけど面白くない。
    こういった描写だけでみてみるなら、投稿版に出没しているキメラ殿の方がよほど句が突っ走っていて、羽ばたいています。まあ、あちらは幻想的な類のものですから、立場が少し違うのかもしれませんが。

    静かな語りの中に、確かに感じるものはちらほらあるのです。
    しかし、先を行く者の書き物としては、あまりにも自分を甘やかしている、という感はあります。ま、これは去年の、いや、一昨年かな、の七月に書かれたそうなので、今はまた、人を魅せる詩篇を打ち立てているのかもしれませんね。それらの詩篇、機会があれば、是非拝見してみたいものですね。


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