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45 : [返信] 黒沢 ('09/02/13 00:46:45 *3)
コントラさん
疵がなく、とても美しい散文ですね。コントラさんの中でも、随一の良作ではないでしょうか。真向からのダメ出しは、ぼくには出来ないです。
あえて二点、論点のみ残しておきます。
糜爛しかけた文明のゆくえを、惜しむような眼差しが印象的です。が、ガルシア・マルケス、バルカス・リョサ、他にも好きな南米文学の書き手はいますが、彼らなら、決してこうは書かないし、このような視点は、持ち得ないのではないかと、そんな気がします。彼らであれば、このような糜爛を、さらにうわ塗りしていくような性急さ、貪欲さのようなもの、いってみれば「ガサツな手つき」で、彼らなりの価値を組み上げていくのでしょうね。そうした進化/更新を中断したまま、この作品の書き手の眼差し、立ち止まるような、いつくしむような視線の優しさは、ああ、日本人のそれだなあ(或いは、老いた先進国のそれだ)と、少しだけ、物足りなく思ったのも事実です。
それと、言葉の問題ですね。南米文学を、原書で読むほどの教養がぼくにはないので、以下のコメントはひどく恥ずかしくすらあるのですが、この詩の日本語は申し分なく美しいし、精確なのだけど、寄る辺のない感じが、やはりしてしまいます。「バウンドケーキ」、「日本車のセダン」、そして「シルビア」。歴史、地霊、そのようなものの地下水脈から、いのちを汲みあげることのできない言葉の佇まいに、ふっとうろたえてしまう、という奇妙な読後感がありました。この詩が、非常に優れた散文であるがゆえに、それを感じたのでしょう。これは、作者であるコントラさん個人の責任でないのは勿論ですが。雑談的にいうと、今の日本語では、ある程度の長文でもって、構造の力でねじ伏せてしまう、そういう書き方でしか、本当の強度が得られないのではないか、という疑念が、個人的に最近、つよくなってきていますので。
それと付け足しですが、推敲後のこれのほうが、ぼくはよいと思いました。44 : [返信] 黒沢 ('08/09/19 22:55:13 *7)
コントラさん
生真面目で、べた足で何者かに詰め寄っていく、周到な(?)書き手の意識。叙述として申し分なく強く、しっかり肉感も運ばれてくる。
私にとってコントラさんの詩が興味深いのは、書かれた言葉と現実との、もしかしたら不毛かも知れない格闘のさまですね。
一歩ずつ、岩壁にハーケンを打ち込むように、現実との接続点を求め、食い入る鉄の感覚を確かめ、なおも叙述は確かな手触りを求めて、登攀をつづける。登山者の脳裏には、世界や時代性、いま格闘している山岳の全体の威容が、確かに映されているのだが、叙述のスピードは力強いけど遅く、どれだけの標高を稼ぎ得ているのか、知りうる術があろうはずもない。
やわらかな手品、詐欺師めいた跳躍。
本来、詩には許されているはずのこれら手練手管を、基本的に廃している辺り、やはり「らしいなあ」と感じました。ペテン師めいた目くらましを、思い切って導入してみたら、コントラさんの作品はさらに強くなる可能性があるかも知れないなあ、なんてちょっと思ってます(この詩においては、けれど新しい試みがなされているのが、面白かったです。それは、付け加えておきます。)
以下は、蛇足です。
・詩が多くの人に読まれなくなっている現状
・詩表現が、言語の働きとして衰弱し続けている現状
この二つは、区別して考えるべきです。
コントラさんのような書き手の努力は、本来、前者には目もくれず、後者の向きへと研ぎ澄まされていく傾向があります。
ひるがえって、多くの人に読まれることを企図している詩において、後者の問題から逃げおおせている、つまり表現の強靭さを獲得しているものを、私はほぼ目にしたことがありません。
蛇足ついでに、コントラさんも同じことをお感じだと思いますが(つまり、挙げ足を取るつもりは微塵もありませんが)。
<ちゃんと読んでくれる「力」のある読者>=インテリ、ではないと思います。ろくに書物を紐解いたことがなく、所謂形而上学にも、サイエンスにも、一般常識にすら疎いある種の人たちが、不気味なくらい作品の要点を、一瞬でいいあてる。そういう例を、私はわりと日常的に見ているんですよね。
まとまりがありませんが、これにて。
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