65 : [返信] 三浦果実 ('16/11/11 11:57:50)
みつとみさん
コメントしなくてもよいことですが、29号をアマゾンで購入しました。届いたらワクワクしながら読ませていただきます。65 : [返信] みつとみ ('16/11/03 13:36:25 *2)
玄こうさん。
「わたし」「私」「わたくし」「僕」「ぼく」「俺」「自分」「おいら」ほか日本語には、
自分を表わす言葉はいくつもあって、それぞれ自分のことなのに立場や印象そのほかが違ってみえます。
「君」「お前」「貴方」「あんた」ほかこれもいくつもあります。
「彼」「あいつ」なども。
それと、主語を取っても、書かなくても日本語は成立する部分があります。
その分あいまいですが、そういう文脈や文章の構造や風土・文化や精神構造そのほかの理由かと思います。
そして日本語の小説や詩も主語を書いても書かなくても、書くこと読むことはでき、それにより効果もさまざまと思われます。
わたし自身は主語は意識して「わたし」「僕」「男」「男性」「女」「女性」「彼」「彼女」を使い分けします。
それでは外国ではどうか。主語を必ず必要とする国・言語・文化もああれば、省略・書かなくても通用する国・言語・文化もあるでしょう。
そしてあえて、必要とされているのに・それが慣例なのに、それを取り去った場合の実験や効果や手法などもあるでしょう。国・言語・文化や文学作品の比較研究としても、雑学的にも面白いかもしれませんね。
*の部分の掲示板はここしばらく別件取り込み中で見ていないので、コメントしませんが、今回の作品に主語をとくに入れていないのは、作品上の効果を狙った部分です。
それでよいのかというより、それで何の効果が再現できるかでわたしはどの手法をとるか考えます。それによりその手法はこの効果を現わし、それは成功したか否かです。
ほかにも実験的にいろいろ試みて、偶然性により効果が出てもそれを採用するでしょう。65 : [返信] 玄こう ('16/11/03 02:25:44 *1)
主体を喪失した詩文
述語形式のみで書かれた物を読むとそうして、実体を失い現象論にばかり収斂されていく有り様、そんな詩の世界観をみる。……(*)
我々は、(詩も言葉も)=(絶対性や信や実…などが言葉として希薄なまま、多くの物事に接し生きて暮らしている → 相対的な配置ばかりを我々は感じ考え、それらを当然の世界観としそうしたなかから産まれる美意識。
一般投稿板のある作品にもたまたま、先日(*)と似た内容のレスをさせてもらいましたが
一度、発起人さんにもこの問いかけについて、どう感じ考えてられるのか。をお訊ねしたくレスさせてもらいました。
こちらの作品もですが、述語形式だけを書き連ねていく仕方について、そうした詩文に、私はかなり否定的までもいかないが、けっこう懐疑的な考えを持っています。
イメージを描写する、頭のなかで思い巡らす、錯綜、読者各々が自由に楽しんで読んでくだされば、という。そうした「イメージの娯楽装置として」今や、詩がある。
掴みどころのない、ウヤムヤで朦朧としたものが、塁塁と産出される。読む側もそんなものが好まれがちだ。そんな詩がたいへん多いし、たいへん好まれているようですが、
そうした作品にも、いや自分も、ある一面いい部分もあるだろうし、が正直。それだけではダメだろな。と感じ考え思い悩む。
長くそのへんに疑問を抱きながら、なんか『抜けている』、日本の詩や現代詩になんか足りないものがある。だが決定的な確信が持てないまま長く悶々としていますね。
そのへんを批判できている方。今の詩の批評人で、そうした論評をやっている方。できたら教えて欲しいぐらいです。(まぁ自分で探しますが。)
勿論、詩という分野に囚われず言語社会、言語思想と並んで、そこらでも考えていくべき根本課題だろうな。と私なんか考えていますが。
みつとみさんは、その辺(*)についてどんなふうに考えていらっしゃるのか、ご返答できたら………、と。(ご無理でしたら無理にはお願いできません、スルーしていただいても、かまいません。)
今回、この作品の中身に言及しませんで、どうもすみません。
不躾なレスで、失礼しました。65 : [返信] みつとみ ('16/11/03 01:17:29)
泥棒さん
そうですね、ほかの方々にも声かけておきますよ。ありがとう。65 : [返信] 泥棒 ('16/11/02 13:01:33)
ふむふむ。
センチメンタルな感じだけではなく
ま、やっぱり、うまいっすね。
この場合の「うまい」はもちろん褒め言葉ではないです。
描写もありふれている。
いや、まてよ、
ありふれた風景を描写してるんだから
ありふれていていいのか。
ん?
どうなんだろう笑
わからないな。
ま、
このような
あたりさわりのない作品は置いといて
それはさておき
どっか置いといて
みつとみさん
他の発起人の方々にも
ここに作品だすように
言ってくださいよ。
もうちっとは
おもしろい感想かきますから。65 : [返信] 三浦果実 ('16/10/27 18:24:10)
みつとみさん
早速のレス、有難う御座います。
「協働」という言葉。私自身にとってもキーとなる言葉として覚えておきたいと、そう思いました。僕もムーブメントを起こしたいのです。ムーブメントの紛い物的なものでもいいかもしれません。結果的に成功しなくても、やるとなったら大変なことで、傍観者でありたいという気持ちが大きいとしても、みつとみさんへの礼儀として、なんか、言い切りたくなりました。僕もムーブメントを起こすプレイヤーでありたい。破壊的な負のムーブメントではなく。有難う御座いました。65 : [返信] みつとみ ('16/10/27 16:42:42 *3)
三浦さん
コメントありがとうございます。同世代の方ですね。当時はサッカーよりも野球が盛んでした。わたし自身は野球よりサッカーのほうがプレーは好みましたが。
夕暮れの原っぱは原風景ですね。団地とか校庭とかもね。
作品に3千円とのこと、ありがたく思います。詩に値段をつけるとそのような感じなのですね。
詩とか芸術とかは、お金に換えられない価値(芸術的価値)と、お金に換えられる価値(商業的価値)とかがあるのでしょう。
きっちりこの2つを区分できるかどうかは難しいところですが。
芸術もお金もそれを認める場やひとがいないと成立しないでしょうし、逆にいれば成立するのでしょうね。
ただ詩を書いて、売ってこれだけで生活できるひとは日本では実際に谷川俊太郎さんぐらいで、ほか数名いるかどうかと言われています。
けれども詩は売れない、あるいは詩人は貧乏だ、というイメージはなくす努力や工夫や試みはあってもよいかと思います。それが実現、実行できるかは別ですが。
実際に、詩は売れることもありますし、貧乏でない詩人もいるでしょうけど。
それと詩は数字ではない、その表わされたものだけが詩の価値ではないという考えもわたしは持っています。矛盾するかもしれませんが、どちらか一方のみという気がしません。
ひとに届ける努力、これは詩人だけでなく、編集者やメディアや教育者や文化を育てるという意味では行政や役所もまた一緒に考えるということも必要かもしれません。
わたしは画家さんたちが集まってイベントに援助を求めて、行政の役人の方を呼んで、議論したり提案したりする場に招待されたことがありました。
その時「協働」という言葉を覚えていってくださいと聞きました。多くの役割や場の違うひとたちと、協力しあって、なにかをする。
そういう現場のみでない大きな渦を作る、それは運動(ムーブメント)かもしれなしですし、思潮かもしれません。
文極も「狼」もまだ開花はしていませんが、その可能性の一つかもしれませんね。
そういう流れのなかで、源流は一人ひとりの詩に対する考えや思いであり、一つひとつの作品なのでしょう。
自分が世界に投げかける作品、異文化・異文明への交流・伝達の紹介・手段、他ジャンルとのコラボ・あるいはセッション、大海原に流す通信の瓶、宇宙に放つメッセージ、地球に遺すオブジェなど、詩にはまだまだ可能性はあります。
「人様へ捧げる言葉の花束」というのもいささか乙女チックでセンチメンタルな響きがありますが(出典はダーザインさんの言葉ですね)、それもまた大切なことでしょう。65 : [返信] 三浦果実 ('16/10/27 12:13:53)
みつとみさん
こんにちは。三浦果実と申します。詩歴も何もない者ですが、
『壁にも 空いた、うすぐらい』についてコメントさせていただきます。
私は、昭和43年生まれですので、おそらく、みつとみさんとは同年代です。
昭和50年代の原風景を良きイメージとして抱いている私からしますと、今作は、その原風景を誘う作品です。当時はそこら中にいました。ひとりで壁に向かってボール投げしている少年。僕もその1人です。その浮かぶ原風景には、当然ながら「音がない」のです。音が記憶から消えていくこと、その喪失感は大きい。この作品、私は共鳴しました。何かが。この作品は僕の為に書いていただけたのでしょうか。
そうであれば、3,000円御支払して購入したい作品です。
しかし、5,000円の価格設定だと躊躇します。
でも、みつとみさんが僕の友人であれば、きっと10,000円でも購入します。
また、しょうもない、くだらないコメントをしていると、罵倒は覚悟しているというか、最近は、其の様な御指摘も眼中に無く。みつとみさんと話たいこと、書きたいことをコメントしております。
最近、よく考えることがあります。詩作品の価値・詩作品を投稿する本気度について。
例えば、僕が投稿しました4作品。これを3,000円で10万人へ売る決意で投稿したのか。そんな決意はありませんでした。所詮、自己満足がベースで、文学極道を閲覧される方々がみていただければという、その程度です。
しかし、4作品にはもう一つ作品に込めたものがありました。どちらかと言えば、そのことの方が大きかった。
投稿しました作品は、特定した個人へ「この詩を是非、読んでください」と気持ちを込めて創作し贈りました。受取ってもらえたのか?喜んでもらえたと思っております。社交辞令なこともあるかもしれませんが、私は嬉しかったです。
そのような作品を発表する場が文学極道ではないのかもしれません。
しかし、『人様へ捧げる言葉の花束』を身で学ぶということ、それは成したかなと自己満ですが感じております。
話が逸れてしまいまして、すみません。
みつとみさん。詩作品の価値とは、自分の詩作品を売ることとは、また、詩作品を創作する本気さとは、「この作品を多くの人に売って生活の糧とするんだ」ということに尽きると思うのですが、みつとみさんはいかが思われるでしょうか。
長々と、また、初会でありながら不躾なコメント、すみません。65 : 壁にも 空いた、うすぐらい みつとみ ('16/10/26 21:18:41) [Mail] [URL]
壁にも 空いた、うすぐらい
あることに気づかれず
探せば見つけ出すことができる
半ズボンが壁から抜け出してくる
小学校のひび割れた校舎
蹴られる背
水の張った校庭
町工場の錆びたトタン
敷地のバラ線が絡まり
ペンキ臭い鉄骨の体育館
頭から落ちる床
台風の後の空き地に朽ちたブロック
住宅街近くの忘れられた防空壕のセメント
工事現場の貯水槽のシルエット
公園の古い壁に
ひとりでボールを投げつづける
身をすぼめてくぐり抜け
たしかな光のほうへ抜けようと
砂場でみなに囲まれて踏み続けられ
胸にも 空いた
見ることもできずに
望んでもふさぐことが難しく
さとるに語ることができない
気づくよりも重くなった体をひきずって
叫ぶこともできずに唇をかみ
己のやせた胸へと戻っていく
ただこもってしまう日々にまたひとつ空いていく
いつもは隠れている
ふとしたときにその向こう岸をみせてくれる
草地の犬が背をまるめる
壁にも 空いた、うすぐらい
夕暮れに団地に帰っていく
行き場のないランドセルの背
天気雨がふりそそぐ、塀に囲まれて
ジャケットの襟をたて、ゆっくりと天を仰ぐ
*近日、Amazonで販売予定の「狼」29号から
次号以降の参加者募集中につき、関心のある方はメールにて。64 : [返信] みつとみ ('16/10/23 11:28:23)
朝顔さん
ご感想ありがとうございます。内面はそうですね、残酷性とずるさもあるかもしれませんね。「明治大正的なニュアンス」、それはちょっと偏愛的というか、江戸川乱歩的な怪奇性と叙情性というか、そのような感じでしょうか。そのようなものも確かにあるようです。わたしは、しずかに憂いてしまうのかもしれませんね。64 : [返信] 朝顔 ('16/10/22 04:37:58)
お初です。規定がよくわからなかったので、取り敢えずここに来てしまいました。
宜しゅうございましたでしょうか?
この詩、結構怖い詩だなと思いましたね。(ちなみに、私は技術的な批評や観念的な講評はへたくそです。)
ロアルド・ダールの短編小説(確か。違ってたら申し訳ないですw)で、夫がやはり妻の指を一本一本落してゆく話があるんですよ。それは、愛の証というよりも、単純に夫が気が少々ふれていて、賭け事を妻とするたんびに、相手が負けると指を削ぎ落してゆく訳ですが。
話がそれました。
みつとみさんの詩の場合、「男がヘタなベタなイロケを書いている」というよりは、もうちょっと詩の内容性に硬質なものをわたしは感じますね。精神的密室における二者間の関係性がここにある。しかも、「わたし」は肌を削ぎ落しているだけなのに、「あなた」の指は落としちゃうんですね。かなりずるい(笑)。でも、その残酷さを筆者は理解していらっしゃる。
ただ、確かにここにある男女(?)の関係性は、平成的というよりは些か明治大正的なニュアンスがありますねぇ。昔の文士の感触。表現自体は平成のものなんですけれども。
捕捉。「しずかに憂いながら」と言うフレーズは、自分的にはちょっとイメージが重複しているかなと。でも、みつとみさんのいつものリアルの表情ではありますねぇ、これ。64 : [返信] みつとみ ('16/09/15 13:29:03 *1)
すこし時間が空いたので、ちょっとだけ。
アラメルモさん、ご感想ありがとうございます。
そうですね、水はわき出たり、滞ったり、流れたり、にじんだり、かわいたり、姿を変えていきますね。
十代、二十歳のことは観念的で難解な言葉を使っているときもありましたが、
それ以降はだんだん、平易な言葉で書くようになりました。
- ealis 3.0.10 + BUNGAKU GOKUDOU -