6 : あばら家 いとう '05/01/01 11:46:55 [Mail] [URL]
とかげの足音を拾っていくと
「かげろう」と呼ばれる庭で行き詰まった
兄さん
あれは生き別れの兄さん いいえ
姉さんだったかもしれない
が、
見えたりもする
通りすがりの犬に
犬ころと名前をつける 犬ころ
犬畜生でも良かったかもしれない
猫なんて名前はつけない
自由ではないから
あばら家は何かの手違いのように
窓のようなもので区切られていて
その揺らぐ影から
臭い立つものの名前を
聞いたことがあるような
気がしているような
自由と臭い消しはよく似ている
兄さんがそう言っている
姉さん
だったかもしれない
も、
揺らぎ始めていて
とかげは最初から
とかげの足音でしかなく
犬ころもやはり
揺らぎ始めていて
私の足には根が
生え始めていて
私の足音が
拾われるのを
待っている
そこにいる
根を生やしている
とかげのように
>> permanent URI: http://bungoku.jp/pbbs/20050101_034_6p
榊蔡 :
対象の扱い(不確定的)が夢のなかの認識に似ています。
これは夢を言葉に落とし込んだ詩であるか、
あるいは夢のような情景を狙った詩であると解釈しました。
読み手として感じたのは、
遠巻きで起こってる夢、といった印象。
なんだかサラリとしすぎていて、
それでいて寓話性みたいなものも感じられません(自由と匂いには少し感じるところがあるが)。
人の夢に入り込んでしまった、
というような感を強いる強さがほしいです。
最終連末の
とかげと私と犬ころと足音の倒錯も
意味で拾おうとしても、倒錯具合しか見えてこないです。 ('05/01/02 15:33:19)いとう :
>榊蔡さん
ま、もちろん、
作者がどういう意図で書いたか説明するなんて野暮なことはしません。
んで、
寓話性からの切り込みは、面白いなと思いました。
コメントありがとうです。 ('05/01/03 18:21:52)Canopus(かの寿星) :
「『あばら家』、ですか」
「『あばら家』、です」
「ええと、これはつまり、この場にふさわしい詩として投稿した、いとうさんの渾身の一作
即ち本物のオムレツとして考えていいわけですね?確かめておきますが」
「……(笑)」
「また笑ってごまかすう(笑)。ではいただきます」
「どうぞ、御遠慮なく」
「うーん、笙野頼子の『ニ百回忌』を彷佛とさせる舞台だなあ。2連めは何だかもったらし
てるぞ。夢の中の世界のようにぐーるぐる回って、揺らぐ自由の根っこが生えてて、やっ
ぱり留まってるのかな…」
「ヒジついて食うのはやめなよ、行儀わりいなあ(苦笑)」
「もういいや、ご馳走さま」
「どしたんだい、まだ半分も食べてないじゃないか」
「だって、これは読んでても楽しくないんですよ、世界の謎解きばかりで。いや、世界が謎
でも一向に構わないんだけど、その世界に読者がうまく乗っかれるような配慮もないし、
だいたい作者がどのような意図で『自由』ということばを遣ったのか、うかがえません」
「……」
「これが本物のオムレツだとしたら、こんなオムレツ、ぼくは食べたくありません」
「……」
「……」
「……」
「い、いとうさん、む、無言のままぼくの首しめるのはやめて下さいよウ…」
ああ、こわかった。 ('05/02/12 12:41:08 *1)いとう :
お。ありがとうございます。
「その世界に読者がうまく乗っかれるような配慮もない」ってのは、
読んでて、確かにそのとおりですね。うむー。
確かに配慮してないなぁと、反省しきり、というか、
ご指摘の部分、わりと俺の弱点だったりします。
読者が引っ掛かるギミックや、そういった語彙の選択、
ときどきおざなりにしてしまう。
そういう意味では、オムレツってより、
蝋でかたどった見本なのかもしれない(汗)。 ('05/02/13 12:42:10)千芳 :
やっと読める作品が… ('05/09/20 10:31:12)シロ :
この作品のように比喩ではあるが、そのまま読んでも味わえるものが私の好みの一つです。
最初から、「これまるっきりの比喩です」っていうのは、ちょっとついていけませんもので。
でも、現代詩というのは、それこそすべて新しいものが優先されるのでしたら、あれですが。 ('16/04/12 17:49:05)玄こう :
はじめまして、いとうさん
片便りの詩レスですが、感想批評をちょっと綴ります。>とかげの足音を拾っていくと/「かげろう」と呼ばれる/庭で行き詰まった/兄さん/あれは生き別れの兄さん いいえ/姉さんだったかもしれない/が、/見えたりもする
とかげって艶(ナマメ)かしい緑をしていたり、土の色に似た影四つ足が窓を縦走る様子を見たりもします。
とかげもカメレオンのように変幻自在に色を同化させていける能力があるのかしら。ここの初連では家族の兄や姉が出てきて同じ住まいのあばら家で同じような顔色していた兄弟なんかな?、と読んで感じました。
何回かこの作品を読みましたが、名辞の性格を、ご自身のセンスでバトンを繋げているように感じます。>とかげの足音
など私は聞いたことはないけれど想像してみたくなる。>拾っていく
この詩文を、植字や足跡のように喩えて、綴ろうとしていることを、この二文で暗に示しているように感じました。>通りすがりの犬に/犬ころと名前をつける 犬ころ/犬畜生でも良かったかもしれない/猫なんて名前はつけない/自由ではないから
とかげに続き次の二連では、犬と猫とが登場してきた。犬猫のような動物は名前なんかなくとも、自由気ままにそのあばら家をほっつき歩いているのだね。>あばら家は何かの手違いのように/窓のようなもので区切られていて/その揺らぐ影から/臭い立つものの名前を/聞いたことがあるような/気がしているような
↑とにかくいとうさんは、覚えのある懐かしい家の、あばら家にやってきて>自由と臭い消しはよく似ている/兄さんがそう言っている/姉さん/だったかもしれない/も、/揺らぎ始めていて/とかげは最初から/とかげの足音でしかなく/犬ころもやはり/揺らぎ始めていて/私の足には根が/生え始めていて/私の足音が/拾われるのを待っている/そこにいる/根を生やしている/とかげのように
↑“イヌやトカゲ”“伊藤家”の古家には未だ、住みついているイヌ とかげ。
当時の兄や姉が犬や蜥蜴となって未だ いとう家の古家に居た…という、
そんな妄想物語が詩に込められているのかしらね。
名前から連想させていく調子の言葉遊び。
その辺りがなかなか、面白いと思いました。 ('16/08/10 20:11:29 *5)
- ealis 3.0.10 + BUNGAKU GOKUDOU -