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4 : 空無通信  ダーザイン '04/12/25 00:04:37  [URL]

放棄された埋立地を
一体の透き通った者と
連れ添って歩く

雑草に覆われはじめた
アスファルト面のそこここに
立ち昇る無の陥没痕
ほつれた放心の縫い跡から
冷気が放たれる

死の語り部たる永久凍土

遺跡化した新造建築物の合間を
一瞬の襲撃が
鳴りとよめかす
コーラ缶の放擲軌道

瓦礫の中の坂道を下る中央基線
片道三車線の
三位一体の
空無

いら草
コスモス
採り入れられた二番草の茎

おまえが通りを行く すると
空無が通り過ぎていく
風が
ただ透き通った風だけが
野を分けていくのだ

風は三度現われる
放擲と
放心と
今再びの放擲と

振り仰ぐと
身を捩る陽光

とりわけ巨大な陥穿の底
放物線上の斜面から
見上げる斜面に逆光を担い
静止する積雲の輪郭

一筋の冷光がお前を射る

光の剣に貫かれた者が その
放物面の焦点位置へと
焦点位置へと
浮遊する
立ち昇る
脱自する

球面収差に歪む視界に
現われる
再度現われる一本の線

待機する場所
空無通信

# 漏れも嫌がらせのように小難しいのを貼ってみる(´ー`)ニヤニヤ

>> permanent URI: http://bungoku.jp/pbbs/20041225_015_4p

  • Canopus(かの寿星) :
    うーむ…。これは悪いけど、失敗の部類に入るんじゃないかなあ…。
    固定面たるゼロの大地、そこをよぎる有機無機のベクトル、風のベクトル
    、光のベクトル。その乱舞がすっと消え失せ、立ち昇る新たな線。

    これは多分、現実世界における、作者の文学的決意に基づくもので、その気概は買うんだけれども、いかんせん、そのイメージの集積がゴツゴツし
    すぎています。この詩に関して言えば、センスが悪いんじゃないかな。

    いや、ところどころ上手い描写はあるんだよ、例えば「風は三度現れる」
    とか。しかしながら空無を表すのに「透き通った」は安易だし、「永久凍
    土」は大仰にすぎる。「空無が通り過ぎていく」に至っては、あー言っち
    ゃった、って感じ。「コーラ缶」が「襲撃」したり、光の描写だってもっ
    たらしてるし、ツッコミどころ満載だよ。何か腹立ってきたぞ。

    いや、滑らかな描写がけしていいわけじゃなくて、ゴツゴツしてたって、
    詩の質感においては効果的であるんですよ。ただ、も少し練りなおしてく
    んないかなあ…。  ('04/12/25 01:36:06)

  • ダーザイン :
    文学的決意、イデオローグとかを意図的に書いたものじゃないよ、
    6年前に鬱病を発症して三日三晩寝ずに仕事をし、
    発狂状態の異常心理を完全自動書記をしたもので「作品」ではないよ、マジレス。
    この詩はパウル・ツエランやイヤン・カーチスのような奴にしか解らないと思う。  ('04/12/25 03:10:36 *1)

  • Canopus(かの寿星) :
    ……。つまり、「解らないヤツはスッこんでろ」と、そういうわけ?
    ぼくみたいな、無名のヘタレがいっちょ前に批評しちゃいかんと、そうい
    うわけなんだね?よくわかった。  ('04/12/25 07:12:51)

  • たもつ :
    >かの寿星さん
    「ぼくみたいな、無名のヘタレがいっちょ前に批評しちゃいかんと、そうい
    うわけなんだね?」
    そんなこと言う人はここにはいらない。構わない。ガシガシやってほしい。
    言い訳するアホは放っておくくらいの気概で突っ走っちゃってくれ。  ('04/12/25 08:47:51)

  • Canopus(かの寿星) :
    たもつさん、すんません。大人げないことをしちまいました。
    ほんとは放っておかなくちゃいけなかったね。
    ガシガシ突っ走っていきますよー。  ('04/12/25 09:46:29)

  • 榊蔡 :
    私のあてにならない読解力からいくと、
    場面は開発の打ち切られたリゾート地、
    刻は黎明から日の出まで、
    お前というのは自身であって一体の透き通った者ではなく、
    空無通信、ってのは通信とありながらも返信のないそれこそ放擲である、
    って印象を受けた。

    でどういう訳か、私にはこの詩の情景、けっこう伝わってくる。

    >ほつれた放心の縫い跡から
    >冷気が放たれる

    >死の語り部たる永久凍土

    これなんかも、死に神のあの嫌らしい手管が上手く書かれてる。

    かと思えばここ、

    >瓦礫の中の坂道を下る中央基線
    >片道三車線の
    >三位一体の
    >空無

    車線が三位一体なんていわれてもさっぱり解らない。

    >光の剣に貫かれた者が その
    >放物面の焦点位置へと
    >焦点位置へと
    >浮遊する
    >立ち昇る
    >脱自する

    >球面収差に歪む視界に
    >現われる
    >再度現われる一本の線

    ここなんかももっと一読で場面が伝わる表現にした方が、強さがでそう。

    あと、
    放擲軌道とか放物線とか放物面ってのが、語感のなかで絡まっちゃって心地悪い。

    やりかた次第では真に迫る虚無感を描けそうな骨格をもっているだけに、
    もっと練り直してほしい、って思いあり。  ('04/12/25 16:11:47)

  • 僕姫 :
    >脱自する
    わはははは。
    笑いました。
    たのしかった、ありがとう。
    (突然・飛び込んでしまい・失礼m(__)m)  ('05/08/21 09:21:06)

  • 千芳 :
    長い!飽きる!理屈っぽい!!  ('05/09/20 10:02:41)

  • 鷲聖 :

    この詩文に
    この程度の評価しかでてないのか

    虚しいな  ('05/10/14 21:50:23)

  • 鷲聖 :

    いや

    俺のにゃ足下にも及ばんけどな  ('05/10/14 21:58:01)

  • 鷲聖 :
    この詩は
    構築ではないと思った
    凡庸な不断的な生への衝動でもなければ
    ただのやりきれなさの心情の甲殻化でもない

    突然に読み手を
    放棄された埋め立て地に放り出すことではじまり
    淡々と
    しかし実に精確な緻密さによって
    取り巻く風景を暴いてゆく

    そして
    >一瞬の襲撃が
    >鳴りとよめかす
    >コーラ缶の放てき(漢字出ん)軌道

    >放てきと
    >放心と
    >今再びの放てきと

    この人間の強烈なモーションさえも
    どんな心情へも結ばれない
    ひたすら広大なそして完全性の空間へとむなしく鳴り響くだけだ

    >一筋の冷光がお前を射る

    この繰り返される躍動
    その三度目には
    ついに心情が溢れかえるが
    すでにそれが外界から与えられた
    すべての形象のシンクロニシティへと変容し
    昇華されたものとして
    人智を越えたものとして
    届いたのだろうか
    推察にすぎないがそれは

    脱自が果たして
    どのようなものだったかなどは
    想像にはならない

    詩文としては
    はっきり云って
    好みじゃない
    派手好きの俺には

    しかし
    この心象の一連の
    精確な描写と
    魂に
    絶賛を送りたいと思う  ('05/10/17 11:02:46)

  • テュート :
    あ、すいません
    鼻血でそうなんですけどw
    てか うますぎです。  ('05/10/29 00:30:05)

  • コントラ :
    新しく書き直します。なんていうか、テクノ音楽を思わせる作品ですね。テクノ、音楽全般には詳しくないんで、何が、と聞かれても困るのですが。表現の一点にいたるまでよく突き詰められた良作だと感じます。抽象的ではあるが、ごつごつしている感じはなく、一連ごとの展開にまさに目を見張らされます。とくに評価できるのは、

    いら草
    コスモス
    採り入れられた二番草の茎


    自然、色彩描写のさりげない挿入ですね。
    この部分が作品に斬新なテイストを与えていると思います。

    まあ、ダーザインさんがおっしゃっている作者の動機の部分は
    脇においての話です。  ('05/11/17 22:22:28 *4)

  • ダーザイン :
    >コントラさん
    この詩は大昔に書いたもので、阪神大震災の直後だったと思います。ちょうどその頃から私の精神も崩壊して鬱病発病当初の急性期で、今は密封・封印したこのような詩を、ほぼ自動筆記でたくさん書きました。意図したアブストラクトではないのです。数日も不安と焦燥に駆られて一睡もできないで仕事をしたあと、割ける様に、割れるように虚無にに彩られた言葉が湧いてきて止められなかった。この詩の中に希望の欠片があるのかどうか、今でも私には解りません。射し込む光はツエランのように冷たかったです。
    御指摘の北海道の原野のイメージは、まったくその通りです。私を強く支配するもののひとつです。  ('06/01/18 00:34:01)

  • ダーザイン :
    >鷲聖さん
    >ひたすら広大なそして完全性の空間へとむなしく鳴り響くだけだ
    まったくその通りです。この詩を書いた当時は存在論的全体性への希求に人生がぶち壊れるほど支配されていました。
    今の私も、こういう詩は趣味じゃないです。今は小説に専念していますが、存在論的欲求をネタにできる精神的なゆとりがあります。私も小説では超派手好きなものを描いているのですよ。芸術でありながら、同時に強烈なエンターテイメントでもなければ納得できません。  ('06/01/18 00:41:04 *1)

  • 鷲聖 :
    人生がぶち壊れるほど
    いいね
    そういうものを世間は青臭いものに比類したりするが
    俺はそうは思わないよ
    実際そのくらいの過程がなけりゃ血肉にはならない
    そういうものを鼻で笑う輩に限って上っ面の概念を舐め回したがる常だ

    いや
    こんな話をするつもりじゃなかったんだがな
    日本はどだい総合文藝が遅れてるなと感じるよ
    藝術の骨幹が脆い
    ディレッタント以上のものになかなかならない
    この狭い島国から出れば無宗教が驚かれるように
    藝術の底浅さに驚かれる
    強烈なエンターティナーたる書き手の少なさ
    世風に鋭く突き進む姿勢の無さ
    これに尽きると俺は思う
    さて
    長々となった
    他のレスの話題だが写実描写ができないものは認めない
    それには一票投じたい
    ストリートペインターが悪いとは云わないが
    潮流的な追従から始めるな
    額に入る絵をしっかり書けるようになってから書けと云いたくなる
    愚痴が多いな
    流してくれ給え  ('06/01/19 09:28:03)

  • みつとみ :
    読み。
    タイトル「空無通信」。
    「「空無」とは全く何も存在しないこと。空を否定的に捉える表現。」と辞書にはある。
    「通信」とはひとや手段によって、音信、意思、情報などを伝えること。とすれば、「何も存在しないことを、伝える」という意味だろうか。
    ペンネーム「ダーザイン」。ハイデガーからの影響の「現存在」。一般的には、ものが現実に存在すること。ハイデガーでは、「他の存在物から区別された実存としての人間。その自己の存在を認めるあり方」というぐらいの意味合いだろうか。ちなみに実存は、現実に存在するという一般的な意味合いと、自己の存在に関心をもつ主体的な存在という哲学的な意味合い。正確に詳しく書くともっと言わなくてはいけないのだろうが、このくらいで読めると思う。

    1連。捨てられた埋立地を透明な者と連れ添い歩く、という意味合いの出だし。読む手を引き込む良い出だしではないかと、思われる。がれきな地、そこには捨てられた物がそのまま残骸として残っているのかもしれないし、あるいは何もないのかもしれない。ただそれは空白のような地。「一体の透き通った者」とは「一人の透き通った者」というより、より物体あるいは存在するものというような印象を受ける。普通の人間と並んで歩くという感じはすこししない。

    2連。その埋立地の描写。そこでアスファルトの場所で、雑草があり、陥没した穴がある。「立ち昇る無の陥没痕」「ほつれた放心の縫い跡」など、いかにも生硬といったら失礼か現代詩的あるいは哲学的な感じの印象を受ける。ごつごつしている。1連の「放棄された埋立地」がどんな感じなのかここでわかるはずだったが、やや抽象的なほうへ逸れたか。

    3連。1行だけの「死の語り部たる永久凍土」。永久凍土からは、たとえばマンモスのミイラが発見されるように、死んだものをそこに閉じこめている。そこから過去の生きていたもののことを知ることができる。それは「死の語り部」と言ってよいのかもしれない。この1行は評価したい。

    4連。「遺跡化した新造建築物」というのは、どういう意味だろう。遺跡、過去の建築物の跡。新造建築物、新しく作られた建築物。たとえば、卑近な例でいえば、役所(なんとか庁とか)かどこかが、国民の税金を流用・私物化して作ったレジャーランド施設が破産し、そのまま放置されているのに等しい状態のものとか。住み手のない新築マンションとか。そういうものが現実的な例としてある。とすれば、「放棄された埋立地」にある「新しいけれど住む者がいない建物・廃墟」のようなものだろうか。
    その合間から、「コーラ缶の放擲軌道」。つまりコーラが投げられた、その弓なりになる放物線と缶が地面(あるいはアスファルトやコンクリート)とぶつかったときの音がした、ということ。を、詩的に表現したものと受け止める。

    5連。埋立地かその付近の下りの坂道に中央基線があり、それは片道三車線もの広い道であると察する。「三位一体の/空無」というのが一読すると何のことやら、このひとは、という感じだが。三位一体、キリスト教では、神とキリストと聖霊の3つ(三柱)の神のことをいい、それに優劣はないという見方もある。と、3つの要素が互いに結びつき、あるいは協力しあい一体ということ。で、3つ何がそれにあたるか探さなくては、この連の意味はとれない。まさか三車線のことではないだろうから。話者と、「透き通った者」といわば廃墟のような埋立地・遺跡化した新造建築物か。あるいは次に訪れるだれか。

    6連。3つの草花。作者は「3」という数字にこだわっているようだ。5連、6連、あとにある8連に「3」は出てくる。ちなみに「3」という数字は物事が安定する数字である。たとえば三角形、三角関係はせんぜん違う(マイナスの方向に力が働くが)が、3人トリオなどひとが作るグループの最小単位としても、バランス・調和がとれるので、この数字は重要である、と解釈できたりする。
    この草花に何か重要な意味があるのかないのかはわからない。
    ちょっと寄り道をしてみると、いら草:刺草、イラクサ科の多年草、山野の陰地に自生。コスモス:秋桜、キク科の一年草。また草の名前ではないほうの、コスモス(cosmos):秩序・宇宙・世界もかけているかもしれない。二番草:田植えをしたあとに2回目に行う除草。で、ここでは何の草花かは知らない(雑草?)。刈り取られた草の茎というぐらいか。季節は知識がわたしになくてわからないが、夏ぐらいか。けれども、2連では「冷気が放たれる」とあるので、冬ぐらいか。(ちなみに5月ころが田植えをする時期らしいが、地域や気候により違うのだろう)夏でも、冷気を放つ「陥没痕」はあるかもしれない。また作品が書かれた世界、虚構であるとするならば、別段不審に思うほどでもない。狭い現実に無理矢理作品を当てはめる必要もないだろうから。放棄された埋立地に、二番草?
    (本題に戻る。)

    7連。「おまえが通りを行く」の、「おまえ」はだれか。これまで登場してきているのは、話者と、謎めいた「透き通った者」という2者である。3番目の登場者は「透き通った者」とは別の存在だろうか。「空無」:何も存在しないこと・ものが、通り過ぎると、風が吹くという場面。風という目には直接的には見えない存在が、「野を分けていくのだ」で、風もまた「透き通った者」のようでもある。風が吹くそのあり様は、孤独な感じや、空虚な感じを現すことができる。「おまえ」イコール「風」かどうかは不明。

    8連。「風は三度現われる」という出だしは良いと思う。「放擲と/放心と/今再びの放擲と」、これは、「コーラ缶の放擲軌道」もそれに当たる部分かと推測できるが、具体的にはどれに対応してのことかは不明。探してみるのも面白いかもしれないが、ここでは省く。そして「降り仰ぐと/身を捩る陽光」という展開は鮮やかと言ってよいかもしれない。

    9連。さて、ここまで、わたしの読みを読んでいるひとはいるのかどうか、うんざりしてスルーしているのではないかと、思いつつ。さらに読む。

    この連は重要な場面・転換・展開であると思われる。「とりわけ巨大な陥穿の底」、の、「陥穿」という言葉はわたしは知らない。穴のことだろうか。陥:おちいる、不足の意。穿:穴を掘る、あばくの意。イメージ的には、たとえば爆心地(たとえば核爆弾・核弾頭の爆心地とか、企画されたが後に放棄された経済的政策・建造物・工事物の穴とか)の中心、クレーターの底から見上げた空に積雲の輪郭があった、というぐらい。意味的には、もっと批評的な事柄が隠れていると思われるが。すこし計りかねる。何らかの事件・事故のためにできた「放棄された埋立地」の中心点に着いたのだろうか。

    10連。「一条の冷光がお前を射る」という詩句も鮮やか。3連の1行の詩句もそうだが、センスの高さはうかがえる。まさにこの1行は、「一条の冷光」となって、「読者」を射る、かもしれない。「お前」は、だれか。7連の「おまえ」とおなじく、だれか。

    11連。その「お前」だろう「光の剣に貫かれた者」が、「焦点位置へと/浮遊する」とある。たとえば実体のある人間は浮遊するだろうか。肉体をもった人間が、幽体のように、かすみのように、透明な者のように浮遊するだろうか。まるで肉体の重さを持たない者のよう。「立ち昇る」、蒸気のように、肉体が死に魂が抜けでるように。「脱自する」、造語なのか、哲学的な術語・用語か何かなのか、不明。自らを脱する、か。存在を抜け出るのか。肉体から魂が抜け出るのか。自我のようなものから、解放・開放されるのか。

    12連。「球面収差」:レンズなど球面を組み合わせ、光線が集束しないで、像が不鮮明となること。により、「歪む視界に/現われる」で、再び何かが現れる。それはなにか、それは「一本の線」であるという。10連の「一条の冷光」と重なるイメージ。陽光であろうか、希望であろうか、再生であろうか。なんらかの存在を示す一筋の光り。

    13連。最終行。「待機する場所/空無通信」。何を待機、何を待っているのか、次に来る登場者はだれか。次の時代・舞台の主役を待ちたいところ。ラストの落としかたは良いと思われる。

    通して見ると、哲学的・科学的な抽象的な言葉を使いながらも、詩の詩情である部分を表せていて、よくよく読むと、いい詩ではないかとは思う。が、どうもごつごつとした不器用・無骨にも思える部分もあり、初読は読みづらく、いい印象ではない。背景としては、哲学的な存在についての部分や、文明批評なようなものも、うかがえる、スケールの大きさが察せられる。わたしがいまざっと読めるのはこのぐらいで、作者の意図や世界観や哲学観・文学観・芸術観をうまくくみ取ってはいないかもしれないが。誤読を恐れず、読めたことを書いてみた。
    それから、1連の連れ添った「透き通った者」はどうしたのか。ずっとかたわらにいたのかな。それとも比喩か。
    タイトルの「空無通信」は、良いネーミングだと思う。「放棄された埋立地」・世界の何もない、いわば残骸・遺跡から、つぎに訪れる者を待っている、そこからの通信だ、とも受け取れて、秀でているのではないかと。

    この作品をわたしの世界観に引き寄せると、わたし自身の抱える、世界の空白感、とこの「空無通信」とは通底(べつものだが、底ではつながっている部分もあるということぐらい)している部分があるようにも思え、それはそれで個人的には読むという作業が楽しめた。ではながながと失礼しました。  ('06/01/22 14:44:18 *2)

  • DARKZONE :
    こちらには初めてお邪魔します。
    面白く拝読しました。
    『風は三度現われる』は、文句なしの殺しラインだと思いました。
    ただし、「とりわけ巨大な陥穿の底」
    このあたりから急速に飽きます。もういいよ、って感じで。
    早乙女さんの「はなっから読み手が想定されてなくて気持ちいい」という意見、部分的には賛成するんですけれど、その部分には、「(俺の世界を)わかってくれ」みたいな叫びを感じてしまって、少しひとりよがりというか、押し付けがましい印象を持ちました。
    もっと簡潔に力強くできるような気がする。それから前半もやや生硬というか、部分部分、ありきたりな感じがするという点では、かの寿星さんに近い感想を持ちました。このあたりで『引く』人もいるのではないかと思います。

    全体としては、やはり失敗作と思いました。
    ただ、失敗作と言い切れるのは一面ですごく評価している部分もあるからで、「もっとうまくできたのに」という印象です。

    ついでながら、
    >発狂状態の異常心理を完全自動書記をしたもので「作品」ではないよ、マジレス。
    こんな甘っちょろいことを言うくらいなら、(特にこのような場に)最初から貼り付けなきゃいいのに、と思います。  ('06/01/24 09:25:55)

  • ひょう :
    風は三度現れる、は、殺しラインか、、、けど、決していい意味ではないね。他の感想とかもみたかぎり、ダークゾーンさんは、よい読み手だと思う。作り手としてよく考えている人のような気がします。ダーザインさんは、素直に耳を傾けておいたほうがよいのじゃないかな。
    自動書記というわりに、意識が勝ちまくってるよね、これ。だから中途半端なんじゃん?
    それともただ「推敲無し」なんてだけの意味で使ったのかな。  ('06/02/08 15:12:27)

  • コントラ :
    お疲れ様です。

    この作品、読み返したけど、いいですね。こんな作品を極道の本のトップに
    置いてマニフェストの代わりにしたらいいんじゃないかなと、思います。
    もっと読まれるべきだと思うので上げときます。  ('08/09/30 12:55:34)

  • マラルメ :
     パウル=ツェランとイアン=カーチスですか。読んで見ます。  ('08/10/08 22:07:29)

  • SSS :
    読ませていただきました。

    悪いですけれど、ツェランは自動筆記で書いていたわけではないでしょう。少なくとも、他の自動筆記の作品を当たれば(あなたもすでに読んでいると思われますが)分かるはずです。ツェランの作品には意図がある。講演「子午線」の中でも、現実的道理の排除は示していても理性を排除しようとは語っていませんし、作品を見れば明らかです。
    あなたの作品は素敵なのもあるし、僕は批判的気持ちも持ちつつ応援しているけれど、これはいまいちだと思います。
    ツェランの影響を受けているように見えるのは確かですが、これは詩作の動機はどうあれ、あくまで表面的模倣に過ぎないように思う。ツェランは虚無的なものを対話の相手としながら詩を書こうとしましたし、声や言葉のない段階から詩を書こうとしました。その側面ではこれも同様のようにも感じえますが、これには欠如だとか孤独ばかりで意図がない。詩を書くうえでも、そのほかのうえでも、その孤独さを書くということは悪くはないですけれど。

    もっともいくら批判しても、確かに書いたのはあなたですし、その根底まで非難は出来ませんから何ともいいにくいのですが、もうちょっとあなたらしい作品を期待したいという気がします。
    なんにしても、あなたはツェランではないのですから、もう少し彼と違った作品を見たかった。読者としていえるのはこれだけだと思います。

    最近、ツェランの詩集とか講演文をたくさん読んでいるので、でもそういう風味への胸焼けかもしれません。感想が気に入らなかったら、どうとでも否定してください。  ('08/12/25 22:04:50)

  • ダーザイン :
    何年ものおそレス、申し訳ありません。
    先ず、SSSさん
    自動書記という言葉を、此処で私はミシンと笠のようなでたらめの意味では使っていません。ハイデガーが言うところの「到来」のニュアンスで使っています。パウル・ツェランは熱烈なハイデガー信者でありましたし(彼らの出会いも、対話も不幸なものでしたが)、存在からの到来、存在の無の顔である死からの到来ということです。
    で、拙作ですが、この詩に存在論的な意味や意図がないとは私はまったく思っていません。また、ツェランの模倣は意図的にも無意識的にもまったくしていません。「光の剣に刺し貫かれる」という言葉を記したとき、ツェランのことを思い起こしはしましたが。多分、イアン・カーチスはツェランの詩を読んだことがないのではないかと思うのですが、同じような精神状態、同じような存在論的実存様態で書いたのであろうと思います。
    私も、到来するものを受けながら、能動的に作品にしました。

    いつもこのような詩ばかり書いているわけではありません。ある一時期の作風に過ぎません。この作品を書いた時季ほど到来したことは、後に一度しかありません。「消滅」という散文詩です。だが、「消滅」を書いたときは、まったく違う精神状態でした。死神ではなく、詩神が降りてきていました。

    みつとみさん、

    詳細で、精密なレス、ありがとうございます。一休みしてから返信します。  ('09/01/09 01:16:46)

  • 田中宏輔 :

    以前に、お書きになってらっしゃた北海道の風景なのでしょうか。

    空がものすごく大きく見えました。

    そして、その空は、青空で

    一方、空の底なる地面は硬く凍りつき

    それでも、花や草は、その命を誇るかのように生えていて

    でも、そのなかでも、強力なのは、逆説的に

    太陽の光なのだと感じました。

    地面が凍るほどの寒さですのに

    空は明るい青い色がひろがっていて

    太陽の光もきらきらと輝いている

    花や草は、でもその生命力を誇っている。

    そういう風景が見えました。

    ダーザインさんが連れ添って歩いていらっしゃったのは

    もちろん、空無たる風のことなのでしょうが

    ダーザインさん自身が瞬時瞬時的に空無たる風になって

    吹き渡っていらっしゃるような気がいたしました。

    海外の詩を読ませていただいているような

    硬質の、しかし、抒情的な作品だと思いました。

    いろいろな作風のものをお書きになられるんですね。

    これまで、読ませていただかなかったこと、不覚に思いました。  ('10/01/13 19:07:32)

  • シロ :
    なんだか読んでると、瞑想状態へと導かれるような感覚だった。
    作者含め批評家さんたちの賛否両論はあるけれども、なにはともあれピュアなものを感じます。  ('16/04/12 06:05:29)

  • アルフ・O :
    小難しくはない。この人のはこの作風の方が好みかなー、書いた本人はあまり気に入ってないようだけど。タイトルからして「あ、ちくしょうやられた」ってなるし本文もなんかすごく“わかる”感覚だからね。まぁそもそも長期的に書き続けられる方法じゃないのかもしらんが。  ('16/05/05 09:48:10)

  • 天才詩人 :
    ダーザイン君。君は間違いなく天才だ。歴代の評者がまったくこの作品を読み込めいないのが気になるな。極限まで選別された言葉でつくられた、かんぺきな作品だ。  ('16/07/13 23:58:08)

  • 玄こう :
    聞き慣れないタイトル
     空無通信
    くうむつうしん

    音色響きがいいじゃない、

    >放棄された埋立地を
    >一体の透き通った者と
    >連れ添って歩く

    彼(詩の語り手)は歩き・
    彼はケシキを綴り・
    『一体の透き通った者と』・

    通信を繰り広げる



    >雑草に覆われはじめた
    >アスファルト面のそこここに
    >立ち昇る無の陥没痕
    >ほつれた放心の縫い跡から
    >冷気が放たれる

    >死の語り部たる永久凍土

    冷たく霜の降りた地に
    朝がた霧が路地を這う
    白い冷気を肌に感じ
    作品の彼は様々に
    光景や情景を見つけ
    思い歩き言葉に描く


    >遺跡化した新造建築物の合間を/一瞬の襲撃が/鳴りとよめかす/コーラ缶の放擲軌道
    >瓦礫の中の坂道を下る中央基線/片道三車線の/三位一体の/空無
    >いら草/コスモス/採り入れられた二番草の茎
    >おまえが通りを行く すると/空無が通り過ぎていく/風が/ただ透き通った風だけが/野を分けていくのだ

    この彼(語り手)は、お前=(一体の透き通った者)と伴に歩きながら、観るケシキに、路の脇の野草に、空無を見出だす。
    『三位一体の/空無』『二番草の茎』とはこの詩の叙事全体を、思想的に支えているかのような秘められたイディオム。

    >風は三度現われる
    >放擲と
    >放心と
    >今再びの放擲と

    (詩の中の)彼は歩き、立ち止まり、また歩く。彼はそうしながら言葉を綴り続けていく。

    >振り仰ぐと
    >身を捩る陽光

    >とりわけ巨大な陥穿の底/放物線上の斜面から/見上げる斜面に逆光を担い/静止する積雲の輪郭

    西の空だろうか?彼が観たものは、

    >一筋の冷光がお前を射る
    >『光の剣に貫かれた者』がその/放物面の焦点位置へと/焦点位置へと/浮遊する/立ち昇る/脱自する

    彼は『一体の透き通った者=お前』と連れ添って歩いていた、このとき、『光の剣に貫かれた者』として、お前は変化(変幻)し立ち現れる。

    >球面収差に歪む視界に
    >現われる
    >再度現われる一本の線

    >待機する場所
    >空無通信


    最後の連に込められたメッセージは何を意味するだろうか?。自らの彼の手のうち(=宇宙)から、上文、全ての詩の言葉(=空無)が、解き放たれる場所がそこにあるかのような。


    >待機する場所
    >空無通信

    最後の二行も、なかなか歯切れがよい。音 色 響き 余韻 が空へと明け放たれていく、潔さクールさが感じられる。



    読んで楽しいひとときでした。どうもありがとうよ。ダーザインさん  ('16/07/17 23:45:22 *6)

  • 山田太郎 :
    ひとつひとつの言葉が大仰すぎる。  ('16/07/22 13:53:19)

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