6月の首都は厚ぼったい水蒸気のなかにしずんでいた。インターコンチネンタルプラザの最上階からは、社会主義時代の古びたビルの向こうに湖がかすんで見えるのだが、そこまでどうやっていくのかはわからなかった。今朝、夜行バスでターミナル近くの安宿に着き、昼過ぎまでシーツをかぶって眠っていた。微熱が続いており、体は水分を求めつづけている。2時間ほど眠ってはふらふらと街を歩き、再び疲れては眠る。今日一日はその繰り返しだった。朦朧とした意識のなかで地図を開く。錆びた下水管と蔦のからまった鉄条網で区切られた路地がどこまでも続く貧民街を、旧いアメリカ製のボンネットバスが縦横無尽に結んでいる。フロントガラスに書かれた行き先はどこも聞きなれない地名ばかりで、僕はガイドブックを見るのをやめ、バスに乗るのをあきらめた。
夕方、それでも少しは無理をして湖の方向へ向かって植込みのある道路を歩いてみる。片側二車線のアスファルトはところどころに穴があき、緑地帯はガラスの破片や投げ捨てられた空き缶で埋まっている。空には水蒸気を含む灰色の雲が結集し、雨の時間が近いことを知らせていた。道路が湖の手前で途切れる地点が見えてきたあたりに、公園への入り口があった。そこには同じ色のシャツを着た人々が幾人もあつまり、その向こうの教会前広場にはマーチングバンドが入場していくところだった。フェンスにもたれると、ちょうどとなりにいた男に話しかけてみる。「これから何がはじまるんですか」「旧革命政権の集会ですよ。もうすぐ大統領が出てきて演説するんです」。巨大な広告塔に描かれた大統領の顔に、解放戦線を率いた30年前の面影はなく、髪の薄くなったただの50がらみの男にすぎない。
そこを通り過ぎてなおもいくと、ペンキのはげたガードレールの向こうに湖が見えてきた。道路が湖岸に出るところは大きなロータリーになっており、その円周に沿っていくつかのレストランが並んでいる。スピーカーから巨大な音量でサルサ音楽がながれているが、テーブルに客の姿はない。そのロータリーを斜めに横切って歩く。雑草がところどころ顔をだしたコンクリートの階段を下りると、排気ガスで葉が萎れた木陰で中年のカップルが肩をよせあっている。なおも歩く。防波堤までくると三角形の電波塔が空に向かってまっすぐ立ち、それと同じ形の塔が湖岸に沿っていくつも立っている。不意に街宣車のスピーカーからかつて革命戦士の名をたたえる呼び声が聞こえてきた。ビバ・サンディーノ!。ビバ・サンディーノ!。その声はひどく間延びしていて、耳の奥で金属的に鳴り響いた。
翌日、警備員にガードされた首都のターミナルで、国際バスに乗る。カウンターの若い女性に日本のパスポートを差し出す。チケットはできれば現地通貨で購入したかったが、足りないので仕方なく米ドル札をだす。この国の通貨は米ドルに対しつねに下落を続けている。急な変動はないが、それは切り傷から流れ出た血がとまらないかのように、絶え間なく続いている。申し訳なさそうに彼女は、きっと国境で両替できますよ。と言うと、言い訳のように、日本大使館で日本語を教えているのを知っていますか、と言った。もっと気の利いた答えを返せばよかったものを、数日の微熱のせいで、僕はただ中身のないことを口ごもっただけだった。「首都に来ていらい風邪を引いてしまって、どこも見ていないのです」。彼女は再び申し訳なさそうに僕をみると、ニカラグア・コルドバの札束を僕の手に差し戻した。
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20090715_635_3649p
- はなび :
こんにちは。強烈な「匂い」を感じました錯綜した。言葉というよりは「音」景色というよりは「色」というような。フィジカルな文脈というのでしょうか。鼻の中が砂埃でジャリジャリするような、鼻腔の奥までヒリヒリするような、そんな感覚。消臭されたモノに触れる事の方が多い気がするんです。このごろ。わかったような気になるのは傲慢で簡単なことですが…。また楽しみにしています。 ('09/07/15 11:02:57)
- ミドリ :
お疲れさまです、コントラさん。
ちょっと最初に一言いわせてもらうけど、投稿するのはいい。だけどお前、仮初めにも発起人なんだから、批評の場を形成するのがお前の役割だろ。
いま文芸批評は完全に死んでる。これは野心家の君にとっては十分なチャンスだ。そこんとこ、よくよく考えるようにな。
で、この作品だが、端的にいうと進歩がない。似たようなテーマな焼き直しだ。舞台は中南米。ちゃっちい日本の青年が、この土地の現代と過去を”彼なり”にその都市相貌の中に見る。それもほぼ固定された視点の移動のみで、上っ面を舐めるだけの何の面白みもない紀行文もどきだ。
しかも時代遅れの革命の残滓を、病弱な日本の青年に、ここには語るべきものはなにもないと締めくくらせるラスト。この最終連は、前段の描写に意味を与える代わりに、ただただこの青年(私)の疲労と無力感を浮き彫りするのみで、ニカラグアを舞台に設定した作品の意義さえ奪ってしまっている。つまり、テーマ性が著しく低い散文になってしまっている上に、「私」の露呈しか語られていない。自分でもそう思わないかね。思わなかったら君はすで終わっている。俺が断言してやるよ。 ('09/07/15 23:47:43)
- コントラ :
俺の役割を云々するのも良いだろうがその前に目の覚めるような作品一つでも書いて出直して来いよ。 ('09/07/16 02:15:06)
- Chiave :
この場はやっぱり「才能なきものは去れ」と厳しくいうべきサイトだろうな。
詩はやっぱり才能だよ。並みの詩に馴れ合うサイトにするのなら「文学極道」の看板降ろしてもらわな。
どうするんだよ? ここにいま出されている程度の並詩にじゃれあっている
サイトにするのか、月にニ、三編も出されないような芸術の場にするのか?
わしは気づいたよ。わしには詩の才能はない。これからも修錬して書けるようなものでもない。
よって潔く去る。わしだけじゃない。多くのゴミどもは去れ。
ここに残っていいのは、わし的には「りす」さんくらいなものだ。
あとは並程度の詩でじゃれあっている輩ばかり。
芸術家ごっこをしたいのなら、看板降ろせ。 ('09/07/16 08:17:14 *2)
- コントラ :
はなびさん。順不同になりましたが、読んでいただきありがとうございまいした。 ('09/07/16 12:13:38)
- 19 :
>コントラさん
初めまして。
表面的な読みでしかないのかもしれませんが、冒頭から続く微熱の視点が心地良いです。非常な軽やかさを覚えました。 ('09/07/17 04:49:15)
- コントラ :
Chiaveさん
去るなら黙って去ってください。決意表明はあなたのブログで。極道の批判ならフォーラムで。 ('09/07/18 10:28:15)
- コントラ :
19さん
読んでいただきありがとうございました。 ('09/07/18 10:38:17)
- Chiave :
>去るなら黙って去ってください。
そういう幼児のような甘ったれたこと言ってるからダメなんだ。
わしが去るといったのは、優秀な詩でここが埋まって欲しいから
ダメな詩の投稿をやめるということだ。
詩の鑑賞はおれの自由だろう。
世界がどうの革命がどうの差別がどのいうまえに、身近な問題で
特定個人の存在忌避をかんたんに表明するおまえの
ひん曲がった根性を一から見直せ。
以下のような頭でっかちの議論は、本さえ読めれば小学一年生にだってできる。
中国で中学一年生が大学院に入学するのと同じだ。
中学一年生でも難解な哲学を論評し、世界を語り批判できるが、それは
頭の中だけのつまり観念の物語にしかすぎなく家に帰ればママのおっぱいを
欲しがるそぶりをみせる低脳の甘ったれたガキだ。
《なぜわれわれは極端な見方や意見が出てきたときに、それを躍起になって排除しようとするのだろうか。なぜ、それを受け止め、内包しつつ拮抗するという、弁証法的思考に真摯な努力をささげようとしないのだろうか。おそらくそれは、論理的思考ができないというよりは、自らの立ち位置が根本的刷新を迫られることの潜在的な恐れであり、保身主義のせいにほかならない。 》
こういうことが言えるかどうかは重要ではない。こいいうことを身体として知っているか、身体から湧いてきた言葉であるかどうかだけが大事なんだよ。
でなければ人は容易にだれかれを排除できる。
それも土くれや虫けらのように。 ('09/07/18 11:43:17 *2)
- コントラ :
何度も言ってるようにここは作品の感想を書く場所であって、あんたの幼稚なたわ言や決意表明を書きこむ場所じゃないんだよ。
すべては「コイツと話してみたいな」と思わせるような作品を投稿することからだと思うよ。そうでないと発言者のアイデンティティを担保できないからね、ネットという匿名の場では。殴りあうなら「作品」で、ということです。
では。 ('09/07/18 14:18:38)
- Chiave :
なにを怖れてるんだよ、おまえさん?
しょせん、幼稚な「見て、見て、ほら、ぼくってこんなに凄いのよ。革命に関心あるのよ、ね、感心して、ねえねえ」
てなぼくちゃんが、一丁前のことをコラムに書いているけど、わしから見たら小学生の作文だよ。
>すべては「コイツと話してみたいな」と思わせるような作品を投稿することからだ
というのなら婚活ならぬ詩活にサイト名を改名しろ。あほう。
自分たちのアラをモロに指摘するような閲覧者に怯えるくらいなら、もう偉そうなことをいうのはやめにせい。 ('09/07/18 20:12:25 *2)
- ダーザイン :
久々に読みごたえのある詩を読みました。豚インフルに羅感して死地をさまよう放浪者・コントラさん。氏がたどり着いたところは、白々とした光にむせかえる空虚な地平だ。宇宙が熱死した後の風景のようだ。聖書の喩に青い馬のあとに黒い馬が来る話がありますね。この詩は、黒い馬の話なのだけれども、大昔の革命の話でも、20世紀前の話でもなく、いま現にここにある世界の話。革命政権のやつれた感じがよく出ていてとてもいい作品だと思いました。 ('09/07/18 22:44:15)
- 菊西夕座 :
>体は水分を求めつづけている
その割にはこの語り手、ぜんぜん水を飲みませんね。やたらと歩き続けているのに、まったく水を口にしない。それで、どこへ向かってあるいているかというと、「湖」なのですね。途中でレストランがあるのに、彼はそこで水分を補給することなく、まっすぐ「湖」に向かっていく。「湖」を執拗に追い求めているようですけれど、このマナグアの「湖」にはなにかエヴィアンに匹敵するような新しい鉱泉が期待できるのでしょうか?
エヴィアンといえば、レマン湖のほとりにある街が発祥の地だそうですけれど、やっぱり「湖」のほとりにはおいしい水が眠っているのでしょうか? たとえどんなに乾いていようとも、その水でなければダメっ! 口にしないっ! っといったような頑固さをこの語り手からは感じるのですが、まさに革命に燃える闘志の頑固さを引きずっているのでしょう。
さて、意識朦朧くんが倒れても倒れてもロッキーのように立ち上がり、ふんばって歩き続け、革命にやつれた(byダーザイン女史)街で新たな革命を起こそうと、すなわちエヴィアンに代わる新ブランドの創出にお熱を上げているわけですが、果たして彼がこのニカラグアの「湖」で望み通りの手応えを得たのかどうか、それは最後まで読者には明かされないままに終わっている。しかし、彼は最後の連で意味深なセリフを吐いている。
>どこも見ていないのです
お目当ての「湖」を見たくせに、なぜ彼はこんな嘘をつくのだろうか。嘘をつくということは、なにか隠したいことがあるにちがいない。おそらく彼は、なんらかの手応えを得たのだろう。これはイケる、ここの水はイケるぞ、おそらくレマン湖を超えるぞ、ざまみろビバ・サンディーノ、まってろ世界、いまにみてろエヴィアン、この南米の新ミネラルが、欧米支配のウォーター市場を覆してやるぞ、といった感じで「札束」を握りしめているわけですが、この「札束」からは成功の予感がぷんぷんただよっていますね。もちろん今はただの紙切れでしかないかもしれない・・・馬鹿げた淡い夢かもしれない・・・という感じが、いかにも思わせぶりで素敵だと思います。
それでなぜ「ビバ・サンディーノ」なのか。ここがポイントになってくるかと思うのですが、サンディーノという人はもともと鉱夫だったようですね。鉱夫というのは、穴堀りが仕事だと思うのですが、この語り手もミネラルウォーターの鉱泉を求めてさまよう男、いわば一攫千金ココ掘れワンワンの男ですから、同じ掘り氏として、共鳴するところがあるのでしょうね。このあたりをしっかりリンクさせているところが、さすが発起人、散文の名手コントラさんだなと思います。
ただし、もし万が一、これが幻の源水を求めての旅でないとするのならば、ちっとも読み応えなんかありゃしない、というのがわたしの感想です。感想です、というのがお嫌いならば、この語り手みたいに「無味乾燥です」、と置き換えてもいいかもしれません。 ('09/07/19 01:30:44)
- コントラ :
>わしは気づいたよ。わしには詩の才能はない。これからも修錬して書けるようなものでもない。
>よって潔く去る。
いちおう発起人としてケジメをつけるために言っておくと、おれはChiaveさんみたいに「俺もう極道から消えるから」ってわざわざ宣言するやつが大嫌いなんですよ。そういう連中は過去にもたくさんいたし、作品をけなされて「もうおれ出てく」つって数日後にはケロリとした顔でもどってくる奴もいたし。
どんな書き手であれ、極道からいついなくなり、いつ戻ってこようと、それは本人の自由・勝手だし、そんなのいちいち表明するのは、物書きの自意識過剰のあらわれで非常にみっともないと思うんですよ。そのうえで、そんな自意識をさらしつつあえて宣言したいんなら、しかも他人の作品へのレスでそれをやるんなら、「二度とここにアクセスしない」くらいの覚悟は持って欲しいということです。
Chiaveさんへのコメントの裏には、こういう行為全般への怒りがあるんですよ。 ('09/07/19 03:12:37)
- コントラ :
ダーザインさん。
黒い馬ですか?なんのことでしょうか(笑)豚インフルエンザにはかかってませんよ。中南米は左翼政権が増えてきていますね。ホンジュラスのクーデターはどうなるんでしょうか?目が離せません。ありがとうございました。 ('09/07/19 07:54:19)
- コントラ :
菊西さん、文学極道にコラムを書いてくれませんか。 ('09/07/19 08:06:51)
- 菊西夕座 :
>文学極道にコラムを書いてくれませんか。
光栄です。
書く気まんまんで、昨日から一睡もせずに構想を練っていたのですが、
プリザーブドフラワーをブリザーブドフラワーとまちがえていたようで、
不覚にも足をとられました。
最初はブリザードフラワーとまちがえていたんです。
それでネットで確認して、ブリザーブドまでは確認できたのですが、
まさか、「ブ」が「プ」だとは気がつきませんでした。
こんな調子じゃコラム革命なんか夢の夢ですよ。
ということでせっかくですが、ホンジュラスのクーデターとか
もう少し世の中のことを勉強してから
書かせていただきたいと思います。
以上、菊西の決意表明でした。
>決意表明はあなたのブログで
ブログがなくて、ごめんなさい。
ところで、パラグアイの名ゴールキーパー、チラベルトは
大統領になれるのでしょうか? ('09/07/19 08:49:43)
- Chiave :
>おれはChiaveさんみたいに「俺もう極道から消えるから」ってわざわざ宣言するやつが大嫌いなんですよ。
そりゃあ、悪かったな。(笑)
潔く去るといっても、前の投稿にコメントがあれば礼をいうものだろうし、べつに即日「去る」というわけでもないしなあ。(笑)
国会の解散だって予告ってものがあるんだし、なにをごちゃごちゃと女の腐ったみたいな些事に文句をいってるのだよ。
いずれにせよ、去るといったら去るんだから、がたがた怯えないでどーんと構えてろ。あほう。 ('09/07/19 09:11:16 *1)
- 蛾兆ボルカ :
捨て台詞一つ決められないのかよ(笑。 ('09/07/19 11:51:00)
- Chiave :
捨て台詞というわけではないが、さて、この投稿作文への批評だが、コントラさんよ、あーた、まず、散文ってものをなめてはいけない。
詩を書いている人は散文を書くとまるでダメだ。次元が違うという事をわきまえてないからなのか。
散文と詩の違いがわからないようだ。わしのように散文を書いている人間が詩を書くとまるでことばがダレてしまうのと同じ現象が起きる。それがコントラ氏にはわかっていない。
そもそも
>6月の首都は厚ぼったい水蒸気のなかに沈んでいた。
このことばの連なりは何だよ、これ。(笑)こんなもの読む気になるやつはここの常連のなかでも相当の低脳くらいなものだよ。(笑)「厚ぼったい」ってなー、おまえ。こんな表現があるかよ。(笑)小学生が道端で世間話している感性だよ。次に「首都」がその「厚ぼったい」(笑)水蒸気のなかに「沈んでいた」とくる。
なんだ、この「沈んでいた」っていう手垢のついた表現は。りすさんの初期のころの散文詩(「中田島砂丘」)をみてみろ。あの無駄のない美しい散文詩を。ことばの慄然とするほど吟味された選び方を!
こんなみっともない散文書いていて恥ずかしくないのか? そもそも詩というまえにコトバの連なりとして幼稚で感性が鈍すぎる。
こんなものを褒めていたらもうこんなサイトだれも相手にしえねぞ? ダーザインよ、おまえわかっているのか?
どれほどひどい散文であるか。おまえの散文もひどいが。
さて、冒頭の一行目からしてかくのごときだから、じつは小バカにしてちゃんと読まなかった。今読み返して、やっぱり読まなきゃよかったと思っている。
つまり、目を剥くほど好意的に読んでも「ミドリ」さんの批評以上にはならない。
ミドリさんはあまりにも甘すぎる。そういう感じだね。 ('09/07/19 18:26:58 *1)
- ためいき :
村上龍のエッセイや小説の一部だとしても読むに耐えない代物です。
誰に呼んでもらおうとして書いているのかすらわからない。
誉めてくれる読者を想定しているならその関係、そのレベルからして
見えすぎてしまう。それは野心ではない。低レベルでの過剰適応の症例
です。 ('09/07/19 20:39:38)
- 蛾兆ボルカ :
この作品には一つだけ欠点があると僕は思うのだが、それは、ここまでの多くのコメントの指摘と真逆に、紀行文としての<押さえ>の低さ、すなわち「観光案内としての情報不足」なのではないか、と思う。
紀行文でない以上、それは本来欠点ではないのだが、そう結論する前に少し説明したい。
WIKIによれば、マナグアとは以下のような場所。
↓
マナグア (Managua) はニカラグア西部にある都市で、マナグア湖のほとりにあるニカラグアの首都である。
もともとマナグア湖(約1,000平方km、琵琶湖より広い)の湖畔に近いところが町の中心(旧市街)だったが、1972年の大地震によって壊滅的な打撃を受け、その復旧がすすまないままそれをとりまくようにして新市街が発達した。現在、新市街には洒落たショッピングセンターやホテル、在外公館などが集中し、多くの人々で賑わう一方、旧市街は昼間でも人がまばらで、その一部がスラム化し治安もあまりよくないなど、両者の間に格差が生じている。
(涼しげな霧の立つ、曇った空の下の巨大な湖の写真が添付されている)
こういう情景が、この作品ではひっそりと語られてはいる。
だが、マナグアについてのイメージを全く持たない人は、そこを読み落としてしまうと思う。
僕も初読のときは、この街を乾燥した砂漠の町のように思い込んで読んだ。そうは書かれていないのに。
むしろところどころに雑草の描写があり、語り手は湖のほうへ歩いていきすらする。雨の近づく気配も、当然、冷たい湿度を持っている。
熱気を孕んでいるのは街ではない。街の政治状況と、続いている風邪の熱に浮かされた語り手の脳であり、街は湖ほとりの静かな都市だ。
だが、この詩の書き方では、マナグワについてのそうした描写は、読み落とされやすい。もっと端的に情報を差し出さないと、マナグワの観光情報そのものは、マナグワを知らない読者には手渡されない。
そんなわけで、もしこれが紀行文であれば、そういう「情報」を読者に「手渡す」ことへのこだわりが低い、と、この作品を酷評することも出来る、と僕は思う。
だが、ここが重要な転換点だが、ここで作者が読者に手渡そうとするのは、語り手の街への印象であり、それはあくまで語り手のマナグワだ。
朦朧とした目で見つめたマナグワが、ここでは確実に読者に手渡されており、その確実さにおいて、私はこの作品を良い作品だと思う。
例えば、この作品が連作の形式であるなら、もっと共感されやすいのかも知れない。そうであれば、上述の観光案内的なところを別のパーツで補って行くことも可能であり、語り手が次につくところで、ココを通過したことが逆に位置づけられたりもしうると思う。 ('09/07/19 22:13:16 *1)
- コントラ :
Chiaveさん、あんたほんとに馬鹿なんじゃないのか。もういいから動物園で笹の葉でも食ってろ。 ('09/07/20 08:02:08)
- コントラ :
ためいきさん、村上龍が好きなんですか。俺はあんまり読まないですね。
罵倒はきちんと想定していますよ。骨のある罵倒をですね。
どうもありがとう。 ('09/07/20 08:06:29)
- Chiave :
>ここが重要な転換点だが、ここで作者が読者に手渡そうとするのは、語り手の街への印象であり、それはあくまで語り手のマナグワだ。
詩においては、んなことはあたりまえの前提だろ。むしろどんなに観光ガイド的なマニアル本でさえ、語り手の印象から完全に逃れる事はできまい。
なにをバカな講釈を垂れているんだよ。
>朦朧とした目で見つめたマナグワが、ここでは確実に読者に手渡されており、
「厚ぼったい」(笑)て書けば「作者の(朦朧とした)マナグワ」が手渡されたことになるのかい?
あまりバカなことをいうなよ。(笑) ('09/07/20 10:36:18)
- Chiave :
コントラさん
あなたのどこがどう決定的にダメであるかは、わたしの詩へのコメントでやっとわかったわけだよ。
人が詩を書くのにはさまざまな理由がある。問題意識の必要のない豊かな生に満ち足りている存在に詩はあまり必要ないわけだ。
多くの人たちは絶望や欠乏や不安から出発してことばに触れ始める。貧困や孤独や伴侶の不在もそういった動機のひとつだろう。
問題はそのような動機から出発してどのような詩のことばが語られているかだ。
その詩から書き手の貧困や孤独や伴侶の不在を見つけ出して、その欠乏を揶揄するような目線の人間が
な〜〜にが「コントラ」だ。吉本のいう「コントラ」の意味も理解できぬくせに。
おまえは吉本が批判した小林多喜二の「党生活者」そのものだ。
おまえは「党生活者」のような存在を吉本と同じように批判しているつもりだろうが、ほかならぬおまえがミイラになっているんだよ。
てめえの目線の猥褻さにも気づかずに、なんだあの大時代的オナニー的なコラムは。おまえもダーザインも恥を知れ。
幼稚な子どもの「ごっこ」でしかないじゃないか。あれじゃ。 ('09/07/20 19:51:47 *1)
- いかいか :
コントラさんの作品はわかりやすいなぁ。いつも同じことを書き続けているね。まさに「それは切り傷から流れ出た血がとまらないかのように、絶え間なく続いている。」という文が説明してくれているように、アイデンティティ、国境、国籍、歴史、そしてなによりも、分断、断絶、というように、深い溝から絶え間なく流れでいるかのよう―結局、使命感だとかなんだとか、いろいろあなた自身の顔が見えたり、見えなかったり。
作品のはじめのほうで、「地図」を見るのを諦めたのは正解だと思うよ。もう、全体を見ることは不可能で、断絶、分断そのものでしょう。
批評理論とかを駆使して私には読むことができないし、そういうものとは違う形で感想を書けたらいいなといつも思うけど、こんなもので。 ('09/07/20 22:07:01)
- コントラ :
蛾兆ボルカさん。
あなたのコメントがすでに観光案内である。そんな感慨を持ちました。どうもありがとう。 ('09/07/22 12:49:51)
- コントラ :
Chiaveさん
俺とかダーザインのコラムに批判があるんなら、あんたがコラムを書けばいい。出来がよければ掲載する用意はあるから正面からぶつかってこいよ。 ('09/07/22 13:03:08)
- コントラ :
いかいかさん
同じことを書き続けているのはまったくそのとおりで、俺の場合は書きたいものがあるから書く。俺がいかいかさんを見ていて思うのは、あなたは「書く」ためにわざと題材を探しているんじゃないかな。その文脈だとスタイルの進化は必須ななのだろうけど、俺はあんまそういうのは考えていない。使命感はあるだろうね。でも俺の使命感からしたら、この作品はハードディスク使用率13パーセントくらいだね。まあ、何をいいたいかというと、「精進いたします」ということです。どうもありがとう。 ('09/07/22 13:08:36)
- んなこたーない :
ニカラグアについての情報が乏しく、せいぜい「ああ、クラッシュに『サンディニスタ』ってアルバムがあるよね」程度が精一杯のぼくのような人間には、詩の舞台背景がわからないから、その点に関する不満が出てきてしまう。だから、この国の気候、文化、政治、経済への理解度によって、読み方が変わってしまうと思う。
それでも、第一に気候に関しては、湿度が高いであろうことは推測できる。なんたって「水蒸気を含む灰色の雲(!)」ですからね。第二に、ここは首都とはいえ荒廃している。あるいはそういうところに視線が強制されている。「観光案内」のように名産品や名所などに眼を向ける気などはなからない。第三に、政治的運動の亡霊が漂っている。「ビバ・サンディーノ!」というのが、どんな意味を担っているのかぼくは知らないけれど、日本で右翼の街宣車に遭遇するのとは、おのずから違うニュアンスがあるのだろう。そのため、「警備員にガードされた首都のターミナル」というのも、日本のようにいたるところ不必要なまで警備員が跋扈しているのとは違って、もっと単純に社会的な不安定を暗示しているのだろうと思われる。
最終連は「経済」に対応していて、「米ドル札」を渡した後で「ニカラグア・コルドバの札束を僕の手に差し戻した」となる過程がよくわからないけど、「それは切り傷から流れ出た血がとまらないかのように」という比喩は、この詩の落としどころになるものであって、これもまた社会の不安定を印象づけている。
左派的な心性にたいして、共感するか、それとも積極的に関心を持つか、あるいはシラケているか、その辺によっても、読み方が変わる詩だと思う。 ('09/07/22 14:39:31)
- コントラ :
んなこたーないさん
前作にもコメントいただきつつ、ろくに返信できずすみませんでした。
中南米の大都市は標高1500メートル以上のところが結構あって、それはスペイン人が
赤道直下の暑さを嫌って、あえて涼しい高原に街をつくったからなんですが、
マナグアに関していうと、なんでこんな湿気がひどく一年中暑いところに
街ができたのかよくわからない。
それで、クラッシュの「サンディニスタ」はたしか昔持っていたのですが、
ともあれ、1979年のサンディニスタ革命というのは世界中の若者を熱狂させたちょっとした
「事件」であったそうですね。何せ中米の最貧国で20代の若者たちが中心に
なって米資本と結んだ独裁制を妥当したわけですからね。
何の話かわからなくなってきましたが、んなこたーないさんがそこまで汲み取って
いただけたなら、ボルガさんの観光案内は不要だったということになりますね。
コメント感謝します。 ('09/07/22 16:14:48)