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シロ

選出作品 (投稿日時順 / 全66作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


一番星

  山人

汗ばんだシャツを背負い
夕暮れを歩く
橙色の入道雲が
薄闇に沈みかけた蒼い空に黄昏ている

少しむっとしたアスファルト
鬱血した時が、俄かに開放されようとしていた
沈静が流れはじめる
一日が裏返り
闇にもたれようとしていた

一つ星が
私をみつめている

遠い年月の井戸
忙殺された狭間で
奈落の肉が熱を帯び
毛細をつくる
氷の言葉が延髄を通り、
掻かれた。
その亡骸が
一番星となって
一人瞬いている
救えなかった命
殺した星


部屋の明かりが灯る頃
膨大な蝉の音を連れ
私は闇に狩られる

一番星は
冷たく闇を、私を、貫いた


影を貪る

  山人

澱んだまなこが粘りつく液体となってずるずると年月を舐め回している。あふあふと飯をさらい込み、げてものを隅から隅まで食いつくし、寄生昆虫のように板にへばりついている。自己憐憫の色艶がどす黒く光り、ねばい体液をブロック塀に擦りつけている。年月の階段を下ると闇夜が底に広がり得体の知れない腐臭がしている。その臭い水面に黒光る体壁を沈ませ、とどまることのない念仏を唱え始めるのだ。腐臭のする泡ぶくをひとつひとつを嘲笑いながらぶすりぶすりと割っていく。中からは断末摩の悪臭が湧き出て、それを手に取り嗚咽を漏らしながら打ち震えている。体壁は徐々に裏返りそこから無数の菌糸が這い回り、あたりは壮観な胞子が舞う。ぼこっぼこっと菌糸はキノコを立ち上げ、体壁の向こう側・内側・脇、あらゆる壁面からずらずらと粘質のキノコを発生させていく。やがてそのキノコを食い、朽ち果てるまで念仏は果てしなく続いていくのだ。血の重力にもたれるように、ただ引力にしたがって落ちてゆく、臭い血液だけが再び発酵しだす。


あしあと

  山人


とめどなく
とめどなく
降り続くあてどない白い冬
皮膚は体に張り付いて 血管は黒くちぢこまる
色あいや めまぐるしく動き回る生命の欠片もなく
いまはただ
うつむいた雪が
降り積もってゆく

脊髄が 錆びついてくるのを感じる
骨が膠着し 何も言わなくなると
ますます冬は
冷たくよそよそしくなる
寒さが喉で固まり
発する声をも強張らせてしまう

     *

重く夜は垂れ下がっていた。
男はまた、穿孔虫をつまみながら自らの年輪を愛撫している。
止む無く 青刈りされた言葉を発し続ける。
生あたたかい薄い刃が 水のように私に入り込む。

ぶるぶると心血は吹き上がり、激しくののしりあう。新月は欲情し、因縁を噴火させ、活動してしまったのだ。ボコリボコリと私と彼の口から生まれる血生臭い赤子は古い家の隅々にみるみる堆積され、目を剥き、口にはやじを蓄え、裂けるような泣き声を残して、直ぐさまぐったりと死亡する。それらの死骸は怪しく光ったかと思うと下面に吸い込まれていった。
煮えた脳液は冷めることがなく、怒りと狂気は果てしなく製造されてゆく。彼は生き物ではないのではないか、そう思った時、私の頭の中のピンが外されたかのような感覚に陥った。  

ぼうっとした まだ朝になりきれない三時。
渦巻いて悶々とした吐き気と、乾いた怪しい鼓動が深夜を越え、重い元旦を迎えていた。
血流もまだ馴染んでいない、とらえどころのない空間。胃腑から浮き出てくる悪寒を感じながら闇に嗤う。
凍った月の夜を歩く。
沈黙が重力に沈み まだ夥しい夜が陳列されている。
 轟音を蹴散らしながら通り過ぎる除雪車はたくましい。雪を征服し、翻弄している。その傍若無人な力が朝になりきれない夜の闇を打ち砕いている。鉄の意思が雪と組み合っている。運転台には黒く塗りつぶされた顔を持つオペレーターが乗車している。

     *
吐く息は、白い
纏わりつく、影、と濡れた光 
まぶた、の向こうにある、温かい骨
数えるほどの外灯、の白い道路に 
足跡はまだ無い


闇の獣(リメイク)

  山人



おぼろ月の夜
一日のためいきが霧となって森を覆っている
初夏の日差しにうたれた葉は
産毛をひらき 月のひかりを浴びている

森の奥
鼻を濡らした一頭の獣が立つ
におい立つ皮膚に 脂ぎった獣毛
土を押し込むように肉球を圧する

かすかな気配
ひそかに 闇の隅をこする生き物がいる
新たなる命の光源が点滅する
葉は風をよび 毛羽立ち 鋸歯はさざなみ しずくはふるえる 
一片の葉の舞い、
はじけたバネが月夜に放物線を描く、線はいざなう
葉を蹴散らし
絞り込んだ筋肉で柔らかい肉を羽交い絞めする
濁音が回転しつづけると骨を揺さぶる音源が土を震わせ
体液は闇に沸騰する
胸の反復がしだいに薄れ
吹き出しのような息がひとかたまり
土ぼこりの上に落ちた

まなこを一巡させ あたりをうかがう
喧騒の破片がふわふわと漂い知ると
闇の獣は新たなる踏み込みで肉球を地面に押しつける
闇は反転する
月はひかりをとりもどし 新しい闇を造成してゆく
体腔の内容物をすすりこむ音と
骨を噛み締める音
それらの音と 葉のささやきが
闇の純度を増してゆく

しだいに獣に埋めこまれた充足が 押し詰まった空気をゆるめ
やがて獣は木の葉に尾を滑らせるように
時折あたりを警戒し闇に消えた


燃える島

  山人


夜の海をゆらゆらと私は舟を漕いでいた
天球の羊水のような空間
おだやかな潮の香りがおびただしい生を封じ込めている
櫂の力をゆるめると島が見える
オレンジ色の光りを放ち、島がゆらめいている
火の粉がときおり闇にのびあがり
島は豊かに光っていた
波打ち際の静かな海岸
かぞえきれない蟹が砂地を徘徊している
いつのまにか蟹の上を私は歩き、運ばれるように島に入っていく
島は皆、若い人で溢れていた
椰子で組まれたやぐらの上で幾人かが叫んでいる
天空には星がまたたき、静かに光っていた
透明な瞳と透き通った頭蓋があり、脳が燃え出している
焼け焦げて死んでしまった人もいた
私は椰子に身を隠しながら近寄った
やぐらの人がしたためた唄が、島を包んでいる
一心不乱にそれを聞く人の脳が燃える
電球のように燃えあがる脳がやぐらを取り囲んでいる
やぐらの人が手をさしだし、光りを持つ人々を次々に引き上げる
やぐらに上がれなかった人は次々と黒く焼け、
焦げた脳がぶすりぶすりと黒煙を吐き出し、静かに死んでいった
地には億千の蟹の群落がうごめきだし
焼け焦げた人を海に押しやった
舟の綱をほどき、海岸の蟹の絨毯をあとにした
島はやがてめらめらと燃え出し、島全体が赤く浮きあがった


行方

  山人

白みはじめた朝
淡々と家事をこなす女たちのように夜は明ける
現実の襞をめくると、憂鬱に垂れ下がった雨が、霧状に落ちている
五月の喧騒は静かに失われている 

  *

晩秋、残照がまぶしく山林を覆っていた
透明な水みちを、ぼんやりと眺めていた
水ぎわの水をすくいとり
一口飲んだとき
喉をつたってゆく充足はまっすぐだった

脛までまくりあげて、沼の河口に立ち、水に入る
透明で、中の砂粒まで見ることができた水は薄く濁り、沼の中央にはぽっかりと霧が生まれている
その周辺には、実直な森がたたずみ、私の眼前に姿をさらしている
足の指と指の間に、濁った水が足元をぼかしてゆく
それは冷たく汗腺から温度が入り込んで、私の内なる骨に衝突する
水の冷たさは、毛細管現象のように、脛をつたい上部へとあがっていく
胸の中央にひとつ、硬く鐘を打ち、潰えた羽虫のように転がっている

小低木の枝から這い出した葉が湖面に触れている
だらしなく波は葉を濡らし、風でこなごなにされた木片の残片や、木の葉の残骸が、縁の暗黒につぶやくように沈んでいる


指を折り、数をそろえるのは造作もない
ふてくされた期日に折り合いをつけてページを綴じれば夜が来る
それから私はただ、漂白されて、白くもない、色の無い実態となる

沼岸からあがり、ひとつ、またひとつ、と、足を繰り出す
ふくよかなまだ若い単子葉類の植物の葉触りが、つめたい足の皮膚に触れている
何歩かあるきながら、沼を振り返ると、沼など無かった
    ---すでに失われている---
私には眼球が無く、半身失せているのだった

粒のような小石を足裏で感じ
土の感触をつかみながら
そう、少しづつ
そうして私は
得体の知れない匂いのする、生暖かい森の中へ足を踏み入れていく


  山人

木である私は風を感じている
昨日の曇天は特に蒸したが
今はどうだ
沢筋からの一縷の風が
梢をこすり私の腋の下を涼やかに通り抜けていく

かつて私にも過去があった
たとえば私の前で作業をしている男
これが私であった

男は年にしては大ぶりで
体躯の大きさからゆえか
どんよりとし大きな動きで活動している
時折腰を伸し
声にならぬ声を発し
しかし、他者の前なので
漏らす程度の小声だ
この大ぶりの男
私である、
私は木になりたかった

思考することに疲れていた
めんどうくさい脳など要らなかった
意思に反し、勝手に何かが描写する
それを見ていなければならなかった


先ほどまでキノコを植えていた私だった
かなり時間を費やしたようで
野鳥の声がひび割れている
新しい風のにおいがし
陽光もいくぶん煌いている

見ると私の腰掛けていた伐根から
新しく維管束が這い出し
私の臀部へと導かれている
さらに
じゅくりじゅくりと
大地からの血液が足指から入り込んでくる
骨盤の奥が疼き、脊椎に脈動を感じる
体内の臓器はすべて攪拌され、すべて材となり
一本の幹となっている
胴から思わず手を上げると
それは梢に変化して
毛髪は葉となり
鳥が群がり始め、ひとしずくの汗が樹皮を伝い
カタツムリが舐めていく

これが木と言うものだ
何かを思考することもなく
生き物をはべらせることのみに時間を費やし
めくるめく年月をやり過ごし
樹皮のまぶたを綴じたまま瞑想する
こうしていま
私は木になった


秋風

  山人

梅雨の季節に君に会い
雨の中の紫陽花に君をみた
大きくふくらんだ胸の中に
幾重にも重ねた肺胞の中に
君はすべてを吸い取って
僕は君の吐息の中に埋もれた

暑い夏が来て
君の髪から砂粒がさらさら流れ
僕の耳に入り
しずんでゆくしずんでゆく
僕の肉の中にはらわたに
君の息が僕の首から突き抜けて
落ちてゆく君の吐いたしるし

海岸の
かもめの音が空をえぐり、
単子葉植物の穂を揺らす
僕の体内の砂粒が
一粒一粒君を謎解いて
君を秋へと舞い上がらせる

一途なものを光らせた時の領域
吸い込んだ君の息
遠ざかる船の一抹の輝き
おもいは水平線に
秋風と共に吸い込まれていった


枯れた夢の子供

  山人

俺がまだ種だった頃、グァラングァランと樹がなぎ倒され、土が掘られ平坦な平坦な開墾が行われた。眠りを妨げられた赤土は臭うように腸を晒し均されていたのだった。釣られた次男坊共は馬鹿面でこぞって山に篭もった。一山いくらの、夢の種を、肥やしの無い赤土に捲き、月の尖った顎にぶら下がった蝋燭のような甘い夢を肴に泥酔した。夢には苔が生えアレチギクを増産しコンクリにはクロバナエンジュが蔓延った。夢の掃き溜めの中で閉ざされた真冬のうなだれた精液から俺達は生まれた。鶏の糞があたりを埋め尽くし足の踏み場も無い、白熱電球はぼうっと霞み夜は果てしなく長かった。コンクリの牢獄の中で言葉の慈しみを覚え、そこに微かな幸福を自分で演じた。わからないわからない解らない、なぜ生きてきたのかは解らない、極潰しのような生活を送り続けてきたのだ違いない。握り拳の中にはいつだって石が入っていた。殴るように絞めるように俺達は命を懸けて道草を食い遊び生きてきた、だからもう死んでいるのか、死んではいない、あの得体の知れない病で死んだ家畜の乾燥肉を食う日常は決して忘れることは出来ないのだ。俺達は枯れた夢の子供だ、慄きの中の泥濘の間に出来たカタワなのだ、だがまだ死んではいない、土を這いずる重い血を裁断するまで砂利道の泥水を吸い続け、鼓動を止めてはならないのだ。


蕎麦っ食い

  山人

暖簾をくぐり、席に着く。
「もり大盛り」
静かに言う。
店員が厚手の湯飲みをことりと置く。
その半分を飲んでいるうちに蕎麦が運ばれてくる。
どんな蕎麦がくるのだろうか、初めて会う人を待つような心地よい緊張がある。
「お待ちどうさまでした」
いやそれほど待ってはいない。
四角いせいろの竹すの上に、細く少し透明感のある蕎麦がぷるぷると震え、体を晒している。
厳かである。
汁徳利から猪口に黒っぽい琥珀色の液体を注ぐ。
カツオの強い風味と、その周辺をおだやかに昆布の香りが満ち引きし、心地よい。
割り箸で適度に蕎麦をすくい、猪口に半分ほど沈み込ませる。
勝負の時だ、ゴングが鳴らされる。
この時に勢い良く蕎麦は啜られていることが戦いのルールとなる。
啜られて口中に侵入した蕎麦と汁は互いに対面し、口中の唾液に挨拶する。
汁のコクと香りが鼻腔を埋め、脳が可か不可かの取りあえずの判断を下す。
総合格闘技で言うならば、組み合った時の相手の強さと言うかそんなものを感じる瞬間でもある。
「うむ、強い」
そう感じ、次に麺を噛むという行為に突入してゆく。
まだ口中には汁の風味が残り、しかもそこに今度は麺の香りが突入し、さらに食感が・・・。
歯を立てるとプツンと切れてはいけない、ある程度の弾力を歯が感じ、そして断腸の思いで麺の断面が千切られてゆく、コシである。
このがっぷり四つ感が、最後まで戦いを続けさせ、残った屑のような麺を箸で丁寧にこそぎ、口へ促すのである。
この壮絶なバトルが終わったあとの清々しさは、まさにスポーツマンシップであり、出された蕎麦と私との間に友情が生まれるのだ。
その戦いを振り返る如くの所作が、湯桶に入った蕎麦湯を飲むことである。
相手の力量を賛辞するべく汁の味をも確かめ、そして麺から溶け出したエキスの蕎麦湯を楽しむのである。
暖簾を出て腹を叩く。
あらためていい戦いだった・・・と、しみじみ蕎麦バトルを振り返るのである。


あれから

  山人

もう十年もタバコを吸っていない。
健康のためだったか、タバコを吸う自分との決別であったか、確かそんな理由だった。
今ではタバコも高価な代物となり、止めて良かったんだ、そう思うようにしている。
 エアーギターならぬ、エアータバコをしてみようと外に出る。
散歩は良くする。犬がいるからだが、でも犬は連れて行きたくない。
夕焼けはたしかに美しかった。
これから生まれ変わることができるなら、犬は連れて行かない、そう考えることにした。
 県道の脇には、本来初夏に花をつける雑草が花をつけている。もう、本格的な秋が来るというのに。
その草たちは、初夏の頃、一度刈られ、苦い汁をこぼし車道の横にしなだれた。そしてまた二度目の花をつけようとしている。洋々と秋の風を浴び、草はみずみずしい体に露をたくわえ揺れている。
 あるはずもない、胸ポケットに手をやる。懐かしいセブンスターズのパッケージを取り出し、銀色の帯を解き、香り立つ乾燥葉の甘い匂いと真新しい巻紙の匂いをかぐ。
ゆらゆら揺れる透明な百円ライターの液体燃料が秋の風景を灯す。
呼吸を止め、口の中に息を吸引しながらライターの火をつける。七割の煙をそのまま吐き出し、残りの三割を静かに慎重に肺に送る。
 たしか、タバコを止めたのは二〇〇二年五月二十三日・・・だった。
一度目の煙を吐き出すとその年の事柄を思い出していた。二度目の煙はその次の年のこと、三度目、四度目、久しく吸っていなかった薬物が体内に注入され、顔面が蒼白になるとともに、あらゆる内臓がすべて呼気とともに外に押し出され、ただの薄い皮と空間だけの体になってしまったようだ。
 オニヤンマはしきりに周りをホバリングし、ジジジジッと顔の前で一旦静止し、顔色をうかがうと、すぐさまびゅるりと向きを変え、茜の向こうへと立ち上がっていった。
 夕刻に散歩に出たのだが、日が翳り、闇が訪れるのはすごく早くなった。
フィルター近くまでタバコを吸うと、アスファルトの白線の外側に捨て、サンダルで擦りつけながら踏み潰した。昔は普通にタバコを捨てて踏み潰していた。今はゴミ一つ捨てたりはしない。
ありもしない残像を踏み潰したのだからゴミにはならない。
すると、川の音がし、そこにカワガラスの単発的な声が混ざり、いつしか、草も、草を取り巻く空間と静けさも、すべてが一緒くたに僕の体に再び内臓のように分け入ってくる。
ヤニのついた黄色いはずの指は白く、胸ポケットは失せ、口の中のタールの匂いはなくなっていた。
 もしかすると、あの時にタバコをやめていなかったらどうなっていたんだろう。健康を害し死んでいただろうか。でも、僕はあの時、タバコを吸う自分との決別をし、まるで勢いのなくなったこの秋の夕闇の風のようにもう一つの自分を失ってしまったのかもしれない。
ふと、ポケットから人差し指と中指を暗くなった闇にかかげてみた。


漂っている

  山人

漂っている
田の畦の
名もない雑草の根元に
捨てられた溜め池の
透き通る水の中に
細い目で鳴くアマガエルの喉に
咽び泣くような曇天の中の
炭焼き小屋の煙の中に
確かに漂っているのだと思いたい

石が石で終わるのは
あきらめた夕暮れに似ている
敷かれた道はひび割れ
雨水を染み込ませている

遠く重い呪縛から
糸が解けるように
開放させてください

雫る先の
かすかな四十雀の細かい動きは
澱んだ空気を彫り進む
暖気された空間が生まれる
少しだけ光は漂っている


石・草・虫など、その概念と考察

  山人

1.石
石には普通、感情はないと考える。しかしある。石はほぼ性別は♂である。しかし、生殖はしない。無機質なものには♂という性別があるものだ。石は考えることが好きである。ひたすら考える、それも延々と。むしろ考えると言うよりも瞑想である。ただ、瞑想はするが行動はしない。出来ないからである。しかし、母なる大地が活動を始めると、幾分ぼんやりと目を覚ますことがある。よって、感情はある。


2.草
草は、考えることすら出来ず、何かを感じるだけの皮膚を持つ。
おだやかな季節に虫をはべらせ、しなやかな体躯と、美しい花弁をもった横顔で風を感じ陽光を待ち望む。
 草はとにかく良く伸びる、そして自分がどれだけ伸びたのかは知らないようだ。


3.虫
喜びも悲しみも、その硬い羽根に埋め込んで、どんよりとした複眼で曇天の空を仰ぎ見る。微風に楚々と関節を動かせば、触角も俄かに揺れる。
人から嫌われ罵られても表情を変えることがない。害虫として生まれて害虫として叩かれ、殺されてもなお誠実な生き様がある。静かに殺されていくのだ。
秋、虫は少し触角を動かし、季節の変わり目を感じている。


4.鳥
自由な象徴として鳥は認められている。
人々が吐き出す、曇天の重いため息のかたまりを刻むようにトレースし、さえずりながら一掃する。鳥の羽毛の中に希望がある。強大な胸肉でその沈殿した重みを掴まえ、空へと立ち上がる。
鳥は知っていた、人々の希望は空にあるのだと。


5.蛇
神は究極の語彙を思い立った。その形に四肢はなく、念じたもののひとつの流れ、その思いの果てが一本の信念であり、蛇である。
人の肌のような角質はなく、ぬめりに覆われた、皮膚。突起物という突起物はすべて取り除かれ、一本の棒のみが存在する。
体全体が足であり手であり、すべてである。そして、体そのものが一本の生殖器であり、四肢そのものである。


6.ヒラメ
その昔、ヒラメはこのような形ではなかった。
 恋に破れたヒラメのかなしみが塩辛い海水となって、体を圧し、たいらになった。深海の砂粒に頬をこすり、見られたくないから、同じ方向に涙が流れていった。ため息があわぶくとなって海面にたどり着くとき、静かに砂になって獲物を狙うのだ。


7.土
語れば長くなる、そう言いたげに土は寝そべっている。
はるか昔、そもそも土などあろうはずもなく、世の中はすべて無で出来ていて、命の欠片さえもそこにはなかった。たまたま神がそこをとおり、いがらっぽいな、と痰を吐き、神の屁から弾き出された大腸菌が発芽して、命の根源が生まれ出た。
さて、無は、果てない年月を指折り数え、一匹のゾウリムシを生み出し、そこから性欲をひねり出し、多くの生き物を世に送り出した。カイワレのような貧弱な草が芽吹くと種は真似をして色んな草をつくった。
一枚の葉が地に落ち、奥万の菌が大口を開き、食われ、脱糞し、その蹂躙されつくした葉が再び目をあけると土になっていたのだった。



8.地蔵
かさかさと黄金色の枯葉が舞い、山道に差し掛かると石の地蔵がいる。傍らに虫を携え、坊主頭で秋の空気にさらされている。遠くの山々は夕焼けで赤く燃えている。地蔵は何も言わない。枯葉が一枚、通り過ぎただけの山道。
ピーヨウゥ、鳶は高く、空を蹂躙し、捌いた空間を秋に晒し砕けて沈む。モザイクな秋が地表にばら撒かれている。
そのとき地蔵は、「私は石である」、そう思っていた。


9.便所
その部屋で人は白い臀部を曝け出す。つまり、ここでは何かに襲われることがない環境でなければならない。
脱糞の最中、ナイフが胸に刺さる恐れがあるとすれば、そこは個室でなければならない。
その排泄物を受け止める容器がある。便器と呼ばれ、人はその容器の口めがけて脱糞するのである。
人が自分の底にたどり着く場所、それが便所だ。


10.壁
とかく人は壁をつくりたがる。むしろ壁があるからこそ、壁によってすべては支えられ、人が生きていると言ってもよい。
人類の誰一つ拝んだことがない宇宙の端にすら、壁があると言う。それは何もない壁なのかもしれないし、あるのかも解らないとも言われ、解らないことにすら壁の存在を主張する。皆が、壁を売り、壁を買い、壁を夢想する。
壁は人にとって大切であるが、見たままのところにしか壁はない。壁は取り払われるのを待っているだけなのに。


11.銃
命を奪おうとする器具があるとすればそれは銃だ。
生き物をこの世から葬り去る器具、死の温度は冷たいのか、死後は冷たいのか。その世界観をそのまま金属的に造形した、器具。
発砲の原理、それに沿い、銃器は爆発の力に拠る弾丸の発射、そして空気の摩擦を突破し目的物に着弾、生命を奪うべく破壊。命を維持するべく臓器の破砕、命を守るエネルギーを循環させる血液管の破砕、それらによる致命的な損壊。
血液臭はどこか金属臭と似ている。


12.ラーメン
人が何かを決めるとき、そして、何か変化を求めるとき、その臓腑を充足させる食べ物がラーメンである。
近代、中華そばと命名され、しなちくとかん水の芳香が界隈を漂い暖簾に染み付いている。笑顔のない、高圧的な店主の声は、互いのこれからの戦いの前の効果的な精神戦である。
 洋食がテーマパークなら、ラーメンは自分で作り上げるテーマパークである。スープの表面に適度が脂液が漂い、トッピングはその沼を彩る食欲の蓮である。
麺は小麦臭を残し、歯の圧力を俄かに跳ね返す弾力ではなく、ほどよく包み込む肉布団のような性格を保っている。
スープをすすり、麺を噛み締め、胃に落とし込んだとき、頭の切っ先に一つの光りのようなものが浮かび上がり、その瞬間、店主は教祖となり、あなたは信者となる。


13.手すり
彼らの一日は凡庸だ。たとえば都心の歩道橋の手すりはほとんど触られることがない。人々の関心は行き交う女や男であったり、耳に押し込まれた念仏と、スマホを操作しているフォームを装うことに終始している。
手すりは見られることもなく、錆び付き、強度が落ちるまで長い年月を持ち続けている。
彼らがあらゆる場所からすべて取り払われたとき、人は少し足を止め、それを画像に撮りこむだろう。そして、それを糾弾し、問題視し、訴えることだろう。


14.工場
その片隅に名もない薄い繊維のような体躯を持つ蜘蛛が生活している。工員たちの声と構内拡声器の音が氾濫し、その音から染み出した口臭のようなものを巣に詰め込み、時折工員たちを眺めに巣から出てくる。工員の吐息とその蜘蛛たちの徘徊する空間の暗さと寒さが工場である。


あとがき
物事に真実があるとすれば、それは自らの考えに他ならない。その人が思い込む事柄がその人にとっての真実であり、有益なのではないか。考えはひとしきりそこに停滞するが、いずれ変わり、飛翔してゆく。考えられない考え方も存在し、何も考えず前に進むことも多々あり、大切な何かを忘れてしまっている場合もあろう。
 現実は一つ、それが仮に致命的な物や事象であっても、何かを想像し思う心は多く存在する。


親戚のひと

  山人

親戚の家に行く時は蒸気機関車に乗り、二つ目の駅で下車した。ひたすら砂利道を歩き、途中で山道に分け入った。薄暗い山道を息を切らして登っていくと、大きな杉林のある地獄坂と呼ばれる場所があり、そこを登りきると親戚の藁葺き屋根の家が見えてくるのだった。
 親戚の家には老犬だが、大型犬がいつも吼えていた。私はその犬が苦手で、外で祖母が来るまで待っていたのだった。玄関で何度か飛びつかれて泣いてしまったが、祖母は笑っていた気がする。今から思うと私が来たので犬は喜んでいたのだろう。
 祖母はガラガラ声でいつもクンクンと鼻を鳴らしている人だった。昔から肉体労働はしない人で、ひたすら家の中のあらゆるところを雑巾掛けして過ごしていた。だから古い囲炉裏付きの家だったけれど、そこらじゅうは磨かれていてピカピカだった。
 親戚の家には離れの小屋があった。そこには曾祖母がいた。離れの小屋に一人で住んでいて秘密基地みたいな小屋だった。曾祖母はとても小さくて、目が凹んでいて魔法使いのような人だったし、あまり話をした覚えもない。
曾祖母の小屋の横にヤギが飼われていて、葛の葉を持っていくととても喜んでぺりぺり食べていた。
ヤギの乳を飲め、と祖母が乳を搾ってくれて、良くそれを飲ませてもらった。少し青臭い乳だったけれどとてもコクがあって好きだった、でも、良くおならが出た。

 親戚の家には祖母の他に叔父と叔母がいた。性格も顔もあまり似ていない兄妹だったが、昔は戦争などのため、よくあることだと後から聞いた。
 叔父は軽自動車で格好つけて車を運転し、時々頭が痛くなるほどアイスを買ってきてくれた。一度に十個以上買ってきた。最初は美味しいけれどだんだん厭になってきて。でも叔父は、全部食えや、と無理やり食わせた。叔父のもてなしを断ることはできず我慢して食べた。
 叔母は未だ若かった。嫁に行きそびれていたのは少しお転婆っぽかったんだろうか、よく解らない。でもやっぱり活発で、バイクに乗っていたし、風を切っていた。叔母がバイクで花見に連れて行ってくれると言うので、バイクに乗せてもらった。祖母は心配して、右に曲がる時は左に体を傾けれ、とアドバイスしてくれたものだった。石だらけの土埃の上がる道を下っていくと、小さな発電所があり、桜並木があった。

 親戚の家は山の中の一軒家だった。
隣の部落の村祭りがあると、叔母は私を連れて懐中電灯を灯し山道を歩いていった。どこをどう通っていったのか、さっぱり解らなかったけれど、田圃の真ん中に小さな小さな鎮守様があり、太鼓を叩くやぐらがあって、明るい提灯がたくさんぶら下がっているお祭り広場にいた。知らない人の中で私だけが明るいところにぽつんと立っていた。叔母はニコニコしてどこかのお兄さんと仲良く話していた。


 月日がめくられると、昔のあの藁葺き屋根は壊され、叔父は小さな家を下の部落の端っこに建てた。叔母は遠いところに嫁に行き、クンクン鼻を鳴らす祖母と、ぶつぶついつも小言を言う叔父の二人だけとなった。
 いい年になった叔父もお嫁さんを貰った。コブ付だったけれどなんだか結構嬉しそうで、お嫁さんを車に乗せたりしてドライブしていた。
お嫁さんには大きい男の子が居たが、直ぐ居なくなった。
何年かして、叔父とお嫁さんの間に初めての女の子が出来てとても幸せそうだった。でも、お嫁さんはとても活発な人で、家の中でじっとしているのは嫌いだったから、いつも二人は喧嘩していたようだった。
 十年ほど経ち、また家の中は祖母と叔父だけになってしまったようだった。
それでも、叔父はいつもいつも小言を言い、文句を言い、何かを呪い、起きている時は怒っていた。
 ある日、叔父は田圃の作業中に畦で亡くなったそうだ。叔父はきっと、田圃で作業しながらも厭な事を考え、怒っていたんだろう。世の不条理を恨み、そして神様は一本の管に鋏を入れてしまったんだろう。叔父はカメムシのようにカラカラと死んでいったんだ、そう思った。
 祖母も大分生きたようだが、施設で死んだそうだ。

 猟期の最終日、私は親戚の家の手前辺りからカンジキをつけて歩いていた。親戚の家の位置には雪が覆い、真っ白に均された雪原となっている。親戚の家のうしろに大きな杉が何本かあり、小さな尾根になっている。この尾根のうしろを通り、叔母と山道を歩いて村祭りに行ったのだ。
 大きな杉の木から、初春の陽射しにくたびれた雪の塊が落ち、雪面には私の影が長くなり、セッケイカワゲラがおびただしく雪上を徘徊していた。


スキーリゾート

  山人

遠方に見えるピステには
うごめく虫たちのように
人がはらはらと落ちながら滑走している


三月の風は
少しやわらかく吹いていた
午後の日差しが雪の粒に反射して
雪だるまは静かに寝そべっている

熟れた生活を楽しみ
もいだ果実を切り分けて
人は人として休日を貪り食う

轟音と共に天然林をすり抜けていくクワット
眺めるとそこに
やはりたくさんの人々が
スロープの中で
どこかに落ちていくように
滑走している



昼を過ぎたレストラン
肉の臭いをスキーウェアーの下に隠した客は
しきりに携帯を弄り、器官の機嫌を伺う
体液は人に棲み付き、何かに促されるよう形を変える
嬌声と笑顔で日中を演じ、ゆるやかに夜にむけて溶解してゆく

ひなびた目尻には、柔らかい陽光が差込み
うつむきかけた女を横に侍らせている
薄い斑点状のそばかすを具えた美しい女
綴じられた口元は何かを発するのだろうか
美しい女は尽きてしまったような男の傍に居る

なにひとつ解けないもの
それが私であり、いつまでも紐は解けない
結び目をしょったまま
私はひたすら猿人となって新雪を蹴散らし
年齢不詳を演じる



広大なリゾートエリア
多くの尾根を持つ小山脈を連ねる連絡リフト
踏み均された数々のコース
リフトの定期的な信号音と
決まった台詞を吐き続ける係員

丸い峰からどんよりと歩いていくニホンカモシカ
多くの人々がまるで何かを見るように指差していた


ショッピングモール

  山人


郊外の田は収穫のあと放置され、新しくイヌビエがすでに生い茂り、晩秋の季節特有の屈強なアメリカセンダングサが雨に打たれている。
ときおり雨脚は強くなるが、大雨になることはなかった。
 雨はすべての世界を狭窄してしまうほど憂鬱だ。この雨の中、透きとおるような横顔で通り過ぎる男女の車があり、幼いやわらかな面持ちの子供たちの横顔もみえる。
 バイパスの近くの高校ではなにかのイベントがあるらしく、多くの父兄やらが傘を差し校門に入るところであった。
低山だが、鬱蒼とした連山が峰をつくり出し、少しづつ色合いを増している。それぞれの色、数々の色合いの車たちが峠を越えて街並みに吸い込まれてゆく。

二人きりで出かけることなど今までどれだけあったであろうか、そう思いながら助手席にすわり、雨の街を眺めている。
行楽の季節なのに、台風の到来で遠出は無理とあきらめ、家族連れたちは近くのショッピングモールでやり過ごそうとしているようだ。
むかし、私たちもあんなふうに子供たちの手を引き、あるいは抱きかかえて、店の中に入ったものだった。たぶん君も同じように、遠い記憶をたよりに昔の記憶に寄り添っていたのだろう。
普段あまり会話しないのだが、すこしばかりの安堵と久々の休日で、少し饒舌すぎるのではないかと思うほどしゃべってしまっていた。

広い川に架かる大橋を渡ると、新興都市らしい病院や建物が見えてくる。
巨大なショッピングモールで車を止め、君は買い物があるのだと出た。傘を差して雨の中を小走りに向かっていく。
 いつもそうして何かに向かう君がいた。
夏の、まいあがる草いきれと土ぼこりの中、甲高い声がありきたりな日常をふるわせて生活の時を刻んだ。
未来は少しずつしなだれてゆくけれど、何かを数えるでもなく、君の声はふくらんだ突起物をけたたましく刈り取ってゆく。
そのひとつひとつが、私たちの日々だった。

壮大なイマジネーションがひとつの光源となり、しだいに明確になってゆく。こまかい事柄がさらに複雑な数値をたずさえて、ひとつふたつと入道雲のようにふくらんで熱量を帯びてくる。屈折のない光と直線と空間、とり憑かれたうねりの渦に次々と人々が巻かれてゆく。はじけてころがされた鬱屈が其処此処に黙って潜んでいる。
巨大な建物の中をあらゆる空気が風となって吹き渡る。織り成す生活の地肌がにおいを放っている。

君はいくつもの買い物袋をぶらさげて帰ってきた。ひとつの行動が終わり、次へと向かう時のふと漏らす息遣い、そのようにいくらかの不満を口にし再び運転席に座る。
 雨は少し小降りになる。
私たちの後部には、買い物袋のささやきが聞こえる。
かつて、後部座席には私たちの子供たちが乗り、行くあてのない旅のことも知らず、名もない歌をうたっていた。

すでにバイパス近くの高校のイベントは終わり、郊外に入る。雨はおだやみ、帰化植物のアメリカセンダングサは季節はずれの花を持ち、君の振る舞いのように揺れていた。


種屋

  山人

 その店はあった。
丘の上にポツリと立ち、遠く工場の白い煙がもくもくたなびいている。
小さな木製の看板に無造作に書かれた、種屋、の文字。周りはトタン板で覆われ、回りには見たこともない草が生えている。
奇妙な芋虫がずるずると這い回っており、そこにはおちょくったようなカラス達がのそのそと動き回り、夥しい数の芋虫を啄ばんでいる。
  怠惰を発散させるような午後の陽射しは重い。
そんな陽射しが訪れ始めると、客が動き始める。
客はごく普通の人に見えた。
客が店に入ると、中からひらひらした店主が出てきて、それぞれに応対を始めた。
 何の種なんだろう、店に入ると種などどこにも売られていなかった。
ガラスの瓶には臓物がグラム単位で売られており、骨や血液、眼球などが所狭しと置かれている。
別な場所には、干からびた木の葉や枯れ枝、瘡蓋などの比較的乾燥系の品が置かれている。
臓物を購入した人は臍の穴を千枚どうしでさらに広げてねじ込んでいるし、店主に手伝ってもらいながら頭蓋を外し、透明な脳味噌を入れてもらったりしている。
瘡蓋を買った者は、ぺしゃりと皮膚に擦り付けて揚々と引き上げていくのだった。
 乾いた風を一つ・・
という客に、店主は向こう側の戸を開け、巨大なビニール袋を掲げて客に渡した。
客はあまりの嬉しさに、顔の皮膚がぱらぱらと土間に落ちていくのだった。
 最後は私の番になった。
店の奥にある大きな麻袋が目についた。
アレは何ですか?
と訪ねると、店主はおどけたように首を傾げ、
アレは ちょっとした非売品だよ
そう言った。
どうしても欲しいという人には相談させていただいているが・・・
口を濁した店主であった。
およそ一〇キロほどの重さであろうか、どしりとテーブルに置くと、中から菓子の乾燥剤のような小袋がたくさん詰められていた。
ひらひらした顔の皮をめくり、店主は饒舌に話を始めた。
うちの客は見てのとおり変わった客だが 普通の人でもある むしろうちの店が変わっているのだ だが 最近はあまり売れなくなった 乾いた風・・・などは 以前は飛ぶように売れたが 今は半値でも売れない 次から次へと新しいものが生まれていっては死んでゆく 今は非売品だがこれを売るしか生き残る道はないのかもしれない
そう店主は言った。
 見るとその小袋には、ガムテープが張られていて、商品の名前が隠されているのだ。
ただ こいつはね あまり多く使うと本当にやばいことになるかも知れない つまり適量を用いるってこと 折角だからあんたに一袋あげるよ
ここいらで もうこんなものを売って行くしかないのかもしれない
そう言ってガムテープを剥がすと、○○○乾燥剤、と書かれてあった。


ジニア

  山人

初夏のような空気が立ちのぼる街並みを歩いていた
振り返ると古い大きな病院がある
病院の入り口付近には大きな桜並木があり
自転車置き場には夥しい花弁が散りばめられていた
小枝の先からはなれていった いくつかの一片
桜は 木であることも知らず立っている


医師の話を他人事のように聞いていた
治療するのだという
「治療」という言葉がずっと頭にこびりつき
廊下はひかり
ベンチシートの老人達は喫茶店の客のように寛いでいた

初夏ような風は心地よかった
風が顔にあたり 額に髪をなびかせる
真っ直ぐに遠くを見つめながら髪を耳にそっとかける
ふと足をとめ ジニアの種を買う
ダリアのような鮮烈な色合いが
戸惑う血液を溶かし 未来をひらかせる気がした
ジニアの花が見たい そう思った

小さな花壇にしゃがみこむ
しっとりとした土のにおいが なにかを育もうとする力を感じる
きっときっと 花を咲かせてみせる
あの鮮烈なジニアの花を見たいから
土のにおいを嗅ぎながら額の汗をぬぐった


夏の横断歩道

  山人


空気がゆがんで見える夏の日
その横断歩道には
日傘を差した若い母親と
無垢な笑顔で話す少年
ひまわりが重い首をゆらつかせ
真夏の中央で木質のような頑丈な茎をのばしている

山間の盆地町
遠くの山々に
乳白色の入道雲が
かなしいほどの青に浮かんでいる

指差すむこう
そこに何があるのだろうか
果実のような少年の笑顔のうえに
おだやかな母親の日傘があった

一部始終 あらゆるものがあらゆる目的で存在し
そうしてたたずんでいる
仕切られた建物も
道ばたの草も虫も
道路をへだてた小さな町工場も
交差点の端に構えられたコンビニも
まぶしい青空の下の少年と母親の存在も


横断歩道を静かに渡る
車いすの少年と母親
炎天の中
ふたたびおだやかに夏は浸透して
蝉時雨はふと現実に戻っていた


  山人

 一日の襞をなぞるように日は翳り、あわただしく光は綴じられていく。
万遍のないあからさまな炎天の午後、しらけきった息、それらが瞬時に夜の物音にくるまれる。光のない世界のなかで、何かを照らすあかりが次々と灯される。
夜に寄り添う生き物たちは鼻を濡らし、唾液を充填していく。

何も見えない世界を夜と呼び、それは黒と決められていた。たがいの眼差しさえもみえない世界で、あかりを求め確かめ合う。夜の孤独に耐え切れず、すがるものを求めてはやがて沈んでいく。多くの魂が浄化と沈殿を繰りかえし人が生まれ死んでいった。今日も夜はしんしんと黒くあたりにたち込めて新しい物語を埋め込んでいく。

それぞれの夜は静かに語られていく。
黒い沈黙の中、一匹の蛍が飛ぶ。やがて、少しづつその数は増え始め、蛍は乱舞する。
鼓膜のどこからかかすかに湧き出す水、チロチロとよどみなく、あらゆるものを通り抜け濾過された水。透きとおる、やわらかな羽根のこすれる音が、草つゆの根元から沁みだしてくる。赤銅色に焼けた棍棒のような腕で燐寸を擦れば、白蝋にともされた一縷のともし火。
ぼとりぼとりと吐き出されてゆく、燻っていた滓。次第に重量は軽く、その手の中に一匹の蛍が立ちどまり入念なやわらかな光をひとつふたつと輝かせている。ふと風が動きろうそくの炎を揺らした、そのとき、君の顔が少し揺れた。


乾いた少女達

  山人



少女達は駅の回りでたむろしていた
少女達は皆乾いていた 
全てのものが無機質な情景の中で
既に前からそこに居たように乾いていた

見えない虫の魂がボウと浮かび上がり
それはまるでカゲロウのように切ない

時代が怪物のようにゆっくりと動き出していた
全てが病み 
あらゆるものがあらゆる事柄に飽きていた

私も同じように乾いていた
まるで湿り気を帯びていない骨や肉を
軋ませながら動いているにすぎなかった
私が乾いているから少女達も乾いて見えたのだろう
そう思いたかった

少女達はモノクロームのチラシのように
あちらこちらに散乱し引き千切られている
時代の老廃物とともに外に弾き出され
皆乾き切ってしまっていた
回りの情景は少女達と同化し
皆それぞれただ時を止め
やはり乾いていた


  山人

崩落したコンクリート構造物には異型鉄筋が露出し錆びついている
鬱積されたすべてのものがついに限界を迎え、一瞬にして広大な大気圏の天辺に分厚い雲が浮かび、ゆがんだ紫色の空間から雨が降り出した
得体の知れない有害な気体と油脂が雨に混じり、いたるところに降り注ぐ
多くの無機物は熱を帯び、たたかれた雨により冷却され蒸気を上げている
雨が上がるとコンクリートの熱気があたりに充満し、空気がゆがみ陽炎が立ちのぼる
太陽はただ照り続け容赦がない
やがて空は次第に赤く染まり
夕暮れの時が来る
何かが不意に爆ぜる奇妙な音があちこちから聞こえてくる
星星は闇雲に光り輝き、宇宙は平和の坩堝を造形している
風が吹く
風によって薄い紙のようなものがひらつき、かすかな物音が不穏に音鳴る
星星は風によってかき消され、朝方また雨が降り出した
さび付いた異型鉄筋は腐食がすすみ、やがて強風により剥がれて風に飛ばされてゆく
頑なな強度を保持したもの
あらゆるものが劣化を辿り風化していた
とある日の昼下がり
腐食した異型鉄筋の先に一匹の蝿が留まって羽根を休めていた
何かを祈るように手をすり合わせ、ほんの数秒そこで向きを変えた後、不意に飛び去った
蝿の向かう先々にはおびただしい菌類が蔓延り、風にあおられた胞子が煙となって空へと立ち上がっていた


カエルちゃん

  山人


パパはお魚釣りに行ったよ!
君はカエルのような平べったい声で言うと
真っ直ぐ僕を見て、おしっこおしっこと喚いた
汲み取り式の便器が怖くて一人で行けないから
君のママが居るのに僕を便所に連れて行った
なにかぐちゃぐちゃおしゃべりしながらジャーっておしっこすると僕があそこを拭いてあげていた
君は本当にカエルのようで、山の中の一軒家でぴょんぴょん遊んでいたんだ

君はやっぱりカエル顔でメガネをかけていて
顎鬚を蓄えた若い男とパパとママ
今はなんだか書類上はそうでないらしいけど
一応将来の家族でってことでやって来てくれた
カエルはお腹が張ってるけど
君もやっぱりお腹がぷっくり膨らんでて
やっぱりカエルだったんだなぁって思った
なんだか、よその娘さんのようで、僕はあまり話しかけられなかったけれど
帰るときに、カエルちゃんだったっけ?って言うと
君はやっぱりカエル顔になってあの頃の笑顔を向けてくれた
不思議なのかな、自販機にくっ付いたオオミズアオを綺麗だなんて言ってデジカメに撮りこんでいた
パクリっとかしないでよ!
するするっと縦に伸びたカエルちゃん
まだまだあの頃のまんまの心なのかも知れないね
君の家族のことは解らないけど、カエル顔をいつまでもね


火と水

  山人


火が燃えている、火はささやかに舞い、わずかな黒煙を伴い燃えている。
すでに燃え尽きようとしているその男は、小さなともしびに油を注ぐ。
日が燦々と差す部屋の片隅の小さな戸棚を開けると、油の瓶が並んでいる。
乾いた土毛色の喉に、ためらうこともなく、思考もせず、ただただ油を注ぐ。
火の食指が動き、油に引き寄せられ、火は鼓動を強め、赤く血流を促し、血は滾りその命はとめどなく火と共に乱れながら狂乱の宴を開始する。はらわたから油が噴出し、乾いた口は言語で濡れ、ぬらぬらと言語は男を包み込みその濁音と怒声が新たなる炎を引き寄せ舞い狂う。


かつて静かに水は流れ、健やかに時を育んだ。やすらかな闇と風の仄かな舞いが億年の岸壁の側面をなで、星屑はその間隙を埋めるようにかがやきだし、世界を包んだ。
世界はいま閉塞し、広がりをなくし、薄味の日毎を繰り返し、ただ時間とともに発泡している。根拠の裏側すらもなく、炎のように走る光線のような人々だけのために世界は存在し、吐き捨てられた生き物の発話さえも置き去りにされている。
 遠い水のささやき、貝殻の遠方から奏でられる響き、いつか水は意志を持ちあなたの頬をなでるのだろうか。


男と冬

  山人


煙突の突き出た丸太で作られた小屋。
男は荒砥、中砥、仕上げ砥をそれぞれ一枚抜きの板におき、刃物を研ぎ始めた。
小屋の中には丸いストーブがごうごうと燃えている。
小屋の一角には一昨日捕らえた鹿が横たわる。
男は外の雪を目で追い、ほんの少し窓を開ける。
むせるように風雪が窓を打ち、男の喉に入った。
山は昨日から荒れ、本格的な冬が来たのだ。

男の愛用しているマグカップに、琥珀色のウイスキーが注がれ、乳白色のランプが灯された。
刃物を研ぎ始める男、入念に丹念に、荒砥から中砥と研ぎ、ランプに刃先を照らし見つめている。
刃を爪に押し当て、スッと刃先を動かすと爪の表皮が刃に食い込んでいく。
刃が着氷したのだ。
喜びを得たい、切りたいと疼いていた。
鹿をビニールシートの上に乗せ、ナイフをぶすりと入れる。
左右に切り開かれ、筋、関節、などを知り尽くした男のナイフは妖艶に赤く光り、肉にのめり込んでいく。

解体は一人では未だ終わらない。
乾燥や塩漬けであと数日は加工する必要がある。
背骨に沿った肉を切り取り、塩を塗る。
鉄板に鹿の油を塗りつけて、塩味だけのソテーだ。
血がまだ踊り、そこに在りし日の鹿が弾んでいる、命の味がする。
確かに鹿は躍動し、跳躍していたはずだ。

雪は本降りになり、また長い冬がやってくる。


初雪

  山人

朝方は雨に近いみぞれだったが、いつのまにか大粒の牡丹雪となり、真冬のような降りとなっている
誰にけしかけられるでもなく、雪は味気なく空の蓋を開けて降り出したのだ


すべての平面が白く埋め尽くされる前のいっときの解放
空間が大木の樹皮に触れるとき、水気を失った葉がさざめく
観る人の感傷を骨にしみこませるように、晩秋の風は限りなく透明だ

山が彩りを始めると、人々はこぞって目を細め、その色合いを楽しみに山域へと繰り出す
さまざまな出来事を、はるか彼方の空に浄化させ、廃田に生える枯草のように佇む老夫婦がいる
車は寂れた国道の脇に停車され、すでに水気を失ったススキはかすかな風になびく
ただ二言三言のありあわせの言葉を交わしあう
やがて散りゆく様を美しいと形容するのは、最後にきらめこうとする光と色である
年月の隙間に湧き出したオアシスのような思いがひとつずつ膨らんで、感情を刺激する
刻んできた時間を、他愛もない好日に、老夫婦は車を繰り出して秋深まる此処に来たのだ
それは、微かに自らの終焉の黒い縁取りを飾る行為のようでもあり
膨大な重い歴史に身を縮まらせるでもなく
ふわふわと綿あめのようにそれを背中に背負い、浮遊しているかのようであった
国道のカーブの突端に記念碑がある
その眼下には放射冷却の湖面から浮き出した霧が覆い、蒼い湖面と峰岸のモザイクな彩が静かに交接していた


気がつくと薬缶の水が沸き、蓋を押し上げる湯気の音が厨房に響いている
朝からこのように、厨房仕事をしているのはいつ以来だろうかと、記憶をたどる
見えるものが、一様にすべて白く塗りつぶされていく
そこに何かがあった痕跡は突起としてわずかに感じられる
それは三つの季節を流れた時のひらきなおりとあきらめであり
どこかの土の一片の微粒子として存在し続けているであろうあの老夫婦の所作を思い出していた
むしろ、雪は終わりの季節ではなく、はじまりの季節なのかもしれない


詩人四態

  山人

春になったら握り飯をもって山に行こう
ほつほつと出狂う山菜たちの
メロディーを聴きに
ポケットの中には手帳と鉛筆をねじ込んで
いただきに立てば、ほら
風が眠りから覚めて
息吹を開始する
虫たちもよろこんでいる
だから僕は鉛筆を舐めて
もくもくと詩を書くんだ
蝶々が飛び始めると
詩ができあがる
ほら、できたよ
詩ができた
だまって樹皮を舐めるカタツムリに
僕はそうっと詩を見せる
ほら、ぬめりのある皮膚が
よろこんでいる
僕の詩をよろこんでいるよ




寂れた地下室の中で、男たちは裸になり、互いの性器を見せ合っている
その大きさを競うわけでもなく、ただ柔らかな手やごつごつした手で互いの性器に触れたり撫でたりしているのだ
だが、同性愛ではなく、あくまでも無機質に観察しながら触れている
性器の触手観察会が終わると、次に脳を見せ合う儀式が始まる
エナメル質の頭蓋を取り外し、粗脳だよ、とか、少し弾力は薄れているね、とかの話し合いの場がもたれる
血液検査もよく行われるようだ
骨粗鬆症の話も出てくる
それらの観察会が終わると、つぎは思考の競争が行われる




詩人が街を歩いている
シャツはチェックで
手にはソロバンを持ち
麻のマフラーを首に捲き
ひょろ長いキセルを咥えているのだ
頭全体が薄い樹のウロで出来ていて
所々に苔を生やしている
目玉は無く
その部分から
靄がふわふわ漂い
ゴミ虫がするすると蠢いている
頭頂には宿木が実り
四十雀がジャージャー鳴いている
詩人の頭の中には
一本の線が針金のように曲がり
その先に枯葉がついている
枯葉の真ん中に
虫食いの痕が残っている
脳など無く
一枚の古い皿が置かれ
そこにちろりと蝋燭が灯され
皿の端には
魚の骨が置かれている
ちなみにキセルを咥える口は無い


男が詩を書いている
満遍なくちりばめられた言葉の群落、それは豊かな水辺をささやきあう野鳥の群れのようでみずみずしい
大きな言葉の背中に小さな野鳥がのる
遠くから隊列をなした、水鳥が水しぶきを上げながら着水する
水のように言葉は自由さを得ている
空は押し黙り、やがて来る悪天に身じろぐことなく、湖面は言葉を続ける
詩は拡張する、重さ、軽さを自由にあやつり、時の流れまで操作してしまう
男はうたう、そして発狂する、その発狂体が粒子となって湖面を浚い、詩は離陸した


流木

  山人

昨日から降り続いた雪は根雪となった
近くの川は冷たく骸のように流れている
どこかで枯れた木の枝が
石と石の間で水流にもまれ
とどまっている
流木の体の中までしみこんだ水気が
さらに流木を冷やし
もう、意識もなく
ただ、そこにとどまっているのだろうか

ひとつぶの意志が
たとえば団栗となって地上に落ち、とどまる
意識の隅をつつくように
促されるように何かが疼きはじめると
意識は上部へと押し上げられる
上へ上へと双子葉となって
日ざしを受容する

ふと気づくと風が吹いている
まだ芽吹いたばかりの若葉のからだを
いとしく愛撫する
体中の樹液がおびただしく水気にあふれ
勢いよく音を立てながらめぐってゆく

ねむりのとき
かさり
甲虫の羽音がするのを黙って聞いている
月の光の残片が甲虫に照らされ
抑揚のある刻み音が穿孔する
さまざまな毒や弊害から免れることはできない

立つ、という意義を忘れたことはない
それは使命にも似て
己はいつも上を見て立つことで
確かな命を定義づける

森の匂い
その空気に浮かれ
万遍の笑みを繰り広げた
笑みは他の生き物に和を与えた

天体の自転から繰り出される
様々な無機質な暴力が森を蹂躙した
その圧力に耐え
赤黒くその生きざまを刻む
年輪はただ生きてきたわけではない

ただ、立っている
その認識に老いを感じたころから
それを根城に病のコロニーが集る
病とともに謎解きが開始される
不変、とも言おうか
老いと病は新しい命へのジョイントかも知れない

嵐の前の静けさに酔い
満月は夜を装飾する
暴かれた真実は宇宙に凍り
ただ、その時を待つ

意識は直立し
まだ上昇している
しかし、ゆらりと揺らめいたかと思うと
空気は揺れ川面に炸裂
ぼんやりと木はかつて居た位置をながめ
その天空にはおびただしい星が
拍手するように笑った


紐をほどくように
流木は何かを思考した
根雪となった寒空を
カワガラスがびびっと鳴き
一片の流木を気散らし

流木のすでに壊れかかった体の中に
一粒の団栗がくい込んでいた


ツララ

  山人


ローカル線のまだ暗い無人駅
駅舎から少し離れた作業小屋
中ではストーブが赤々と燃えている
長靴についた雪はとけてゆく

庇には
外灯に照らされたツララが生っている
ほの明るいオレンジ色を
透明な胎内に蓄えている
視線を動かすと
オレンジ色の命は輝き
動いた


早朝の外はまだ暗い
早朝仕事のあとの
一服時の作業小屋

中では若い監督さんが無心にスマホを見ている
これからの人
これまでの人
が入り混じった
作業小屋の温度と
おもいが攪拌され
外に出され
凍る

ツララは
濡れひかる妖しさと
輝き切る頑なさを保ち
粉雪の舞う中
凛々とオレンジ色を輝かせていた


名もない朝

  山人



失意を助長させるように
朝は無造作に切りひらかれて
風とともに雪が舞っている
わたしの前で理想は裸に剥かれ
細く小さく哭いている
風の圧力があらゆる隙間に入り込む音
体の底から口までまっすぐ空いた管の中を
冷たい季節風が流れ込み
刃物のように音は鳴っている

差し迫る年末の気配に
急かされるように
日没は容赦がない
体内の、そのまた体内の、さらにその奥の
そこに潜り込むように夜を迎える
宇宙のひと粒の日常が黒く塗りつぶされる

記号のような日
背中を押される囚人のように
その扉を開ける


薬屋

  山人

 ふと誰かが呼ぶ声にはっとして玄関に出てみた。
いまどき珍しい、風呂敷で覆われた箱を背負った中年が立っていた。薬売りだという。
昔ながらの熊の謂だとか、小さなガラス瓶に入った救命丸など、まったく利きそうもない薬をずらりと並べた。
そんなもんいらねぇ、と言おうとするのだが、なんとなく巧妙に遮り、薬売りはするすると勝手に会話を続ける。
並べてふっと一息吐き、「いかがですか?」と言う。
意気込んで喋ろうとすると、「心の薬もあるんですよ」
真っ直ぐ物怖じせず一矢射るように言葉を発した。
 行商人だから重い大きな風呂敷に包まれた箱を背負って歩いてきたのだろう、しかし蒸し暑い季節なのに汗ひとつかいていない。胡散臭そうではあるが、一本どこか筋のとおったような頑なさがあり、ロマンスグレイに近くなった毛髪をびしっと横わけにしている。
一流のマジシャンが行う巧妙な話術と沈着な物腰と所作、それらが何の変哲もない一家の玄関先で繰り広がられている。
 「心の薬?そんなものあるわけないでしょう」
なるべく意地悪く吐き捨てるように言うのだが、薬屋は物怖じせず一点を射る様に見、「利きます」、と断定的に言う。
四洸丸のパッケージのような袋に入っていて、五角形である。
外側に草書で 心がよくなる薬 と書かれている。
橙色の少し固めの袋を振ると、からからと一〇粒くらい入っているのだろうか音がする。
 「とてもいい按配になりますよ、必ず変わってきます」
淡々と事務的に医師のように言い放つと、「一〇袋入って税込みで三一五〇円です」
返事も聞かぬうちに、「ハイこれ」と領収書を切ってしまっている。
たしか、買う、とは言っていなかった筈だったが、言ってしまったのだろうか、誰かに指図されたかのようにぼんやりとしながらお金を渡し、薬売りを見送った。
 心が良くなる薬 なんとまぁ、大雑把でアバウトでそのまんまなんだろう、しかし、この大胆なネーミングが人を食っているようで憎めなかった。
一億パーセント利くはずがないと口に出して言う。
一回一袋食後とある。未だ午後五時過ぎたばかりだったが、冷奴を半分胃に収め、水で薬を流し込んだ。
甘く酸味のある薄灰色の薬は胃に収まっていった。
 一〇袋入りのその薬は、三食後の服用だったので、ほぼ三日でなくなった。
やられたな・・・、あり得ないと思っていたのだが、上手いマジシャンのような手口にやられてしまったというわけだ。
舌打ちをしつつ、雑用をこなしていると、ふと聞き覚えのある声が玄関先で響いている。
「その節はどうも。ちょうど薬が切れている頃かと思いまして、伺いました」
文句を早速言おうとすると、「どうですか?毎日自分の心を見つめる事が出来るでしょう?それが大事なのですよ」
・・・とまた、薬屋は領収書を切り始めた。「今度は一〇日分です、二回目だからお安くして、五二五〇円です」
しゃがんだ姿勢でするすると板の間に領収書と共に手を這わせ、右手で薬を同じ場所に並べて置いた。
要らないと意思表示するのを手で遮ると、薬屋は一呼吸置き、射るような視線で薬屋は語り始めた。
 自分の心が今何処にあるか、どういう風になっているのか、風邪をひいているのか、熱があるのか、傷がないのか、体のそこらへんが痛かったりすると薬や医者に行きますが、心がそんな風になっていても、人は無頓着なものです。自分の心が今何か困っているのではないか、その原因はなんなのか、あまり考えてはいませんよね。この薬の成分は申し上げることは出来ませんが、心の中身を見つめてあげる薬なのです。心が一番大事なのです、生かすも殺すも、死ぬも生きるも。どうですか?この薬を飲んで、少しは自分の中の心を白い紙に広げてみたりしませんでしたか? たぶん、あなたはこの三日間と言うもの、自分の心を客観的に観察者として観察し、見つめてきたのではないですか?今度はあと一〇日です。この薬を飲んだ時、或いは飲む時にでも良いのです、心を眺めてみてください。それだけ。それだけで心が良くなってくるのです。そして心というものはすべての根本なのです。人は一つのありがたいことに対し、感謝することから始まるのです。それは可も不可もない平凡な日常のなかでさえ当たり前に体験できるものです。感謝の心は待ち受けていた豊穣の土に種を蒔き、やがて成長し、それがあらたなる豊かな実を実らせ幸福を引き寄せるのです。
あなたが私の為にこうして玄関のあかりをともしてくれたこの光、これは遠い昔はきちがいの発想だった。ありえない発想、つまり、心という無の物からあらゆるものは誕生したのです。あなたの周りにあるすべての事象、いえ、あなた自身の今、それらはすべて無からあなたの心が作り出した作品なのです。そのために、心が良くならなくてはどうしようもないのです。
 一気にまくし立てるように言い放つと、最後にとびきりの笑顔をまき散らかした。
いつのまにか、結局頷いたりするのみで、いいように言い包められてお金を払い、薬屋を見送っていた。
 薬が切れかけた頃、テレビで薬屋の逮捕が伝えられていた、薬事法違反である。
きびきびとした態度、眼光の鋭さ、定規で当てたような七、三の髪は煌々とひかりに照らされて輝いていた。背骨を軽く折りたたみ、一礼すると、何かをやり遂げたような安堵が漂っていた。
 「利く薬がまたひとつ消えたのか」
私は、そうつぶやき、最後のラムネ菓子を口に放り込んだ。


稜線のラクダ

  山人



一日中 しとしとと降り続いた雨ははたと止んでいる
ガラス越しに稜線が見える
夕焼けに染まった稜線
砂漠の上をラクダがとおる
ゆっくりゆっくりラクダは右に動く
あまりに美しく あまりにも悲しすぎる
私は 稜線のラクダを悲しそうに見つめている
明日は
晴れるだろうか 
私も
晴れるだろうか

稜線のラクダはゆっくりと山頂を目指して歩いている
この美しさを このはかなさを
私は誰に伝えたらいいのだろう
もうすでに 作業のダンプの影はなく
遠い稜線は私の前で 夕闇に包まれはじめている
こんなに 悲しく うつくしい稜線を そしてラクダ達を
今までずっと見たことはなかった


amaoto

  山人

ガードレールに捲きついた細い蔓植物が雨にたたかれ揺れている
雨はそれほど強く降っていた
たぶん汗なのだろう、額から頬にかけて液体が流れ落ちている
さらに背中は液体で飽和され、まるで別の濡れた皮膚を纏っているかのようだ
雨は降るべくして降っている
草は、乾ききった葉の産毛をゆらめかせ、雨を乞い、重い空はすでに欲情していた
二つ三つ水が落下し、やがてばらばらとちりばめられ、草は今、雨に弄られ、四肢を震わせている
 私は無機質に草を刈る
たった今まで草たちは悦びに満ち溢れていた、その草を刈る
草は断面を切断され、ひときわ臭い液体をこぼし雨にくったりとその残片をアスファルトにさらしている
私たちは雨の中、いや、土砂降りの中、まるで水中を漂う藻のようにふわふわと何かに押され、引かれ
脳内のどこか片隅から放たれる小声に従い、動いていた
 雨、その水滴に溶け込んだ念仏
水滴が引力に引かれ落下し、アスファルトという固形物に撃ち当たり、球体が破壊される炸裂音
その音が、ひとしきり私たちの外耳に吸い込まれていく
脳内の広大な農場に張出した棘の先端をおだやかに覆うように流れていく
私たちは皆、ひとりひとりが孤独な生き物となり、降りしきる雨の中を、新しい戦いのプロローグの中を、ゆったりと活動していた


春に埋もれて

  山人

時はまろみを増し、水は思い出したように透明になる
神経のひとつまみを
樹皮の隙間からそっと出して外をみつめる木々たち
億千のいとなみの瞼がゆっくりと開けられる
街は人を配り、人の吐息は其処彼処に一時乗り
やがてけたたましく
車が風をともない浚ってゆく

春になると別な世界がやってくるという。
座布団カバーを外して洗濯機へ放り込む
おそるおそるヘルスメーターに乗る
冬の重みや大きくせり出した脳の重さが如実だ
階段を昇り便所を掃除する
塵を分別する
布団をたたみなおして押入れに入れる
掃除機を取り出してまず二階の廊下から
玄関マットまで塵を吸い
目から零れ落ちた脳片まですいとる

終末のあとの残骸をリセットするように、細針の糸通しの孔を、鋭利な、音が、静かにゆきわたる。
鵺の正体とよばれる夏鳥が鳴いている。


20世紀少年のトモダチのように僕は
覆面の中で「まあね」と真似てみる
そして
「まだ、おわらないよね」と
トモダチの断末魔のときの台詞を真似てつぶやいてみる
僕たちは20世紀少年。
いまでもこれからも。

朝霧が立ち
窓を開けてみると だいぶ明るい
とても日が長くなった
トラツグミは未だ鳴いていた


農場

  山人


農場は今日も静かだった
土の畝が形どられ
わずかな小雨が土を濡らしている

休眠した種子たちを
刺激する気配すらも感じられない
すでに、どうだ
私が農民であったことさえも自覚できず
こうして一日の終わりを
狂いのひと時に浸ろうとしている

どんよりとした
ビニールハウスの湿度の中で
点々と茎を太らせた
菜たちのよどみが揺れる
吐いた息を
そのまま吸うような不潔な気体の中
脳さえも失われた
その菜たちの目はひたすら濁っている

虹をかんむりに
シャイな霧を瞼に乗せて
夕日に頬を赤らませ
星を瞼に閉じ込めて

少し寒い農場の脇に立つ
まだ待てばいい
ずっと待っている
動き出した土の一つの意思
きっと新しい言葉たちは芽吹いてくるはず


山林の詩五篇

  山人

「山林へ」
いつものように作業の準備をし山に入る
ふしだらに刈られた草が山道に寝そべり
そこをあわてて蟷螂がのそのそと逃げてゆく
鎌があるからすばしこくない蟷螂は
俺たちと同じだ
三K仕事に文句も言わず
ガタピシときしむ骨におもいの鉄線を補強して
なけなしの体をつれて山林へ入る
蟷螂のような巨大な刃の付いたカッターを背負い
俺たちは木を刈る草を刈る
山の肌は俺たちにはだけられ
少しだけ身じろいだが
久々の日光に少し心地よげだ
親方の合図で一服だ
煮えた腹に水をくれてやれ
体中の口が水を浴びている
どれおまいらにも
青く澄んだ混合油を口に流し込んでやる
打ちのめされた糞のような現実を叩き切る刃も研いでやろう
たまには涼風も体を脇を通ってゆく



「夏」
開かずの扉があるという。日照が熱い、暗いもがきと汗が内臓から湧き出し、無造作に衣服を濡らす。すでに自らが獣となって草を刈り分け、怒涛の進撃を続けている。名もない歌がふと流れる、何の歌だ?知る由もない、歌などどこからやってきたのだ。風は佇んでいて何も動いていない。見ず知らずの感情が脳内に浮遊し、まるで荒唐無稽の羽をつけながら舞っている。
古代から開けることのなかったかのような陰鬱としたその暗闇を少しづつ抉じ開ける。ふと照らされた光に暴露された青の暗闇は、現実にさらされ始めた。突然、暗闇はすでに暗闇などではなくなり、現実のものとして現れはじめた。いささかも微動だにせず渾身の夏の陽光に照らされている。「すべて、その暗闇に差し出せば良いのだよ」、と声がする。手のひらの臓物を掲げて静かに目を閉じて、自らをささげて、暗黒の中に魑魅魍魎としたその内奥へ、入り込んでしまおう。魔界からの伝達が来ないうちに。それにしても今年は暑いな。



「山林に残された風」
山林は、祭りの後のように、しなだれた風景をさらしている。
命をおどらせた、たくましい汗と鼓動が、かすかな風を生み、どこか静かにたたずんでいるようだ。
おもいの仔虫を黙らせて、思考を凝固させ、俺たちの汗と暑さが、体を引きずり、どこか知らないところまで連れて行ってくれた。
 俺たちのつけた風の名、それはまだそこにいた。
一匹の幼虫が静かに尺をとる。
すべての思考は、まだ閉ざされて、残された山林に、風とともに漂っていた。



「山林の昼休憩」
圧縮された飯粒の上に焼き魚がのり
それを掘削するように口中に放り込む
鯖の脂がいっとき舌をやわらかくするが
噛み締めるのは苦味だけだった
頭蓋の内壁には からからと空き缶がころがり
虫に食われた枯葉が ひらひらと舞っている
硬い金属臭のする胃壁に落ちてゆく飯粒
咀嚼しなければならない咀嚼しなければならないと
私の中の誰かが呟くのだ

いくつかの物語を静かに語るように鳴く蟋蟀の音
もの思いにふける枯れ草
かつて田であったであろう荒廃地
下草や小藪を生い茂らせ
大きく手を広げる鬼胡桃の樹

生きるとはこのようなものなのだよ
カラスはゆさゆさと羽音を揺らし
杉の天辺から天辺へとわたり行く

山は流血している
汚らしい内臓を曝け出し
そして。
いつ戦いは終わるのだろうか
私は大きな田へと続く農道を
意味もなく歩いていた



「枝打ち」
高台にある林道の脇に車を止める
さびれた初冬の枯れススキが山腹を覆い
はじき出された男たちのけだるい溜息がアスファルトに這う
自虐で身を衣にして新しい現場に向かう
男たちの嬌声に雑木は何も言わない

刈り倒された雑木の群れを泳ぐ
夢を肴に酒を飲んだ日もあった
はじき出された抑うつを抱え込んではまた
そうして男たちの今がある

油びかりするチェーンソーに給油する
打ちひしがれた心の貝の蓋を抉じ開けてエンジン音が鳴る
ひとつふたつ、男たちはジョークを散らし山林へと散ってゆく


夏休み

  山人


結露した鉄管を登ると
冷気の上がる自家発電の貯水層があり
ミンミンゼミは狂いながら鳴いていた
夏はけたたましく光りをふりそそぎ
僕たちはしばしの夏に溶けていた
洗濯石鹸のにおいの残るバスタオルの上に寝転がり
紫色になった唇で甲羅を干した
毒々しい竹煮草を蹴飛ばすと赤茶けた汁をほとばしらせ
嫌な臭いは赤土に吸い込まれていった

母は黙って軒先で草とりをしている
僕はそれを確かめると執拗に眠気がきて
かび臭いコンクリートブロックの冷やかさに安心して眠るのだった

暑さをほどくように
ヒグラシは小走りに夕刻を知らせ
ふと外を見ると
いつの間にかみんなが遊んでいる

何かから逃れるように僕らは
あちこちにある風を捕まえては遊んだ
いつも暮れる一日のようなあきらめを
瞳の奥にたくわえながら
もう、ひらかれることがなくなった開拓村の
僕らだけの夏休みを過ごした


雨の朝

  山人

久しぶりに雨が
そう日記に書きはじめてからふと外を眺める
激しく季節はずれの陽光に照らされ
疲弊した草たちは
むせぶように雨に濡れている
雨粒の音が、幾重にも重なった何処かに針のように入り込む
その奥で、カエルのつぶやきが聞こえている

季節は時をすべり
一つまみの夢を冬鳥がさらい
いくつかの諦めの氷片が砕けて冬となる
かすかに踏み跡をたどれば
そこにまた春があった
ずっと止まることなどなかった、あらゆる事柄は
終わることのない物語のように
幾冊ものノートに記帳されている

外の作業所の向こうは霧に包まれている
大気の中の微細な水粒が
すべての物物に湿気を与えている
あらかじめ知っていたかのように
大杉はそれを受け止めている

葉の裏で雨をやり過ごす蜘蛛が居るのだろう
少しばかりの湿気をとりこみ
頷くように外を眺める
生き物たちは、ただ黙って
雨とともにたたずんで居る

物語はまだおわらない
人は物語をつくるため生まれ
ずっと物語をつくり続ける

雨の日曜日はどことなく
生きる香りが漂い
乾いた何かを湿らせてくれる


小さな 五つの詩篇

  山人




罪深い朝よ
おまえはそんなにはりきってどこへ行くというのか
時空を超えて宇宙の滝まで行くというのか
俺を待ってはくれないだろうが
朝よ、おまえは嫌いじゃない

おまえが夜に吐き散らかした叫びが
結露してまばゆく光っている
おまえにも夜があり
泣き崩れた時があったのだろう
でも、朝よ
おまえは暗さを剥ぎとって透明な色を手に入れたのだな
朝よ、おまえが光ると人が喜ぶ
おまえが産んだ卵が孵る時だ
朝だ朝だよ
太陽をつかまえてこいよ






種よ
虫に食われた かんらからに乾いた親などの
真似をするんじゃないぞ
お前は一個の種として生きてゆけ
カラスに食われたのなら
黙って硬くなって糞から根を張れ
太陽の光が遠かったら、黙って眠っていろ
お前は種だ
やがてお前の時代が来る
でも種よ
万が一
腐れ掛かったら
俺の枯れた葉っぱの影で
ひとしきり皮膚を乾かせ
それまで俺は
からからに乾ききった体で
突っ立っているよ





座椅子に座り
スコッチのロックを飲る
僕は巨人になって
そこらへんの杉の木を二本折り
小枝を歯磨きして削ぎ落とし
流星をひとつつかまえて
グラスに入れる
星のカタチした流星
グラスの中で
かちりかちりと泳いでいる
満月のクレーターに顔を近づけると
酒臭いぞと雲に隠れた
宇宙の外側に顔を出すと
またそこは宇宙だった
果てしないんだなぁ
宇宙って
僕はそう言って
息を吐き出すと
きらきらと
流星雲となって
空へ伸びていった






午後の重みに しなだれた校舎から
飛び出したキャンディのようにチャイムが鳴る
太陽は後ろ向きになり
角ばった校舎は
ためいきとともに丸くなる

砂山が崩れると
ハンドスコップがことりと倒れ
ひかりは赤く染まり
川となって
町を流れてゆく





老人がベンチシートに並んでいるのだ
昔はたぶん女だった
男だった
今は老人だ
人生なんて そんなもの
皺皺に閉じ込めて
ホッチキスでとめている
そんなもんがあったんかい
それでも老人
剣を持ち
戦車を引き
戦いを挑んでいる
この世で一番相手にされないのに
それを苦にするでもなく
悟りきった戦士のように
今日も
乾いた脳で思考し
味の無い舌でまくし立てる
皺皺の老人
殺されても生きろ
燃やされる前に何か叫べ!
目の前の医者に噛みつけ!


青の眠り

  山人



目を閉じると浮かんでくる
夏の日 ゆるんだ瞳と影が音もなくさまよっていた
あの日私の時間が揺れた

蝉しぐれのカーテンを開ければ
幼子の手を引いた私が歩いている
名もない道を
あてのない夕暮れを

ふと頬に触れるものがある
とどまった重い温度はいなくなり
あきらめと安堵の間にうまれた
淡い風のようなもの

まだ行くべき道の雑踏は消えることがない
幾度も幾度も顔を凍らせ
胸を支配する恐怖の坩堝は消えることがないだろう

頑なに身を固まらせ
直線的なまなざしを向けるでもなく
ただ 淡々と
思考し 動かしてゆく

瞬きをする
その湿っ気を含んだ重い瞼で
脳裏に中に潜む
ブルー
その濃淡の闇と安らぎが
わたしを少し眠らせる


夜の山道(二バージョン)

  山人

一、
草は静かに闇の中、葉に露をまとい、一日の暑さを回想している。
ヘッドランプのあかりに照らされた、それぞれの葉のくつろぎが、私の心にも水気を与えてくれる。
闇は静かに呼吸していた。
その息が葉を動かし、それぞれの露がほころんでいる。
 
日中、病的に鳴き叫んでいた狂い蝉の声もなく、皆それぞれの複眼を綴じ、外皮は動かない。
ときおり、谷に近い場所でキョキョキョとヨタカの声がする。
闇を食い、大口を開けて虫をさらいこむ。

うっすらと下界には数々の明かりが見える。
厳かな団欒を過ごし、それぞれの家族がそこで暮らし、命の脈音が、不確かにぼんやりと発光している。

一途なおもいだけが、私をこうして山に繰り出させ、闇の中の登山道を歩いている。
頭をよぎる冷笑を、振りほどこうとするでもなく、私は私の意に任せ、山道をただ歩いている。

何も問題はない。
こうして私は山に入り、そしてこの夜の山を歩いている。
起伏のある静かな稜線はうっすらとその影を晒している。
そしてその上には星が散りばめられ、欠けはじめた月が頂きを照らし始めた。



二、
日が暮れ、夜になると言うのは、実は一瞬である
と言うことに気がついたのは最近だ。
空間は凝縮され、ついには何もなくなる。
色彩はすべて黒く塗りつぶされる。

凡庸な野鳥どもは何処かに失せ、
頑なで、入念な鳴き声が闇に放たれる。
なぜ誰も闇鳥という名で呼ばないのだろう。
ヨタカは孤独に浸り、闇を祝うように訥々と鳴き続けている。

山道の草の葉のそれぞれが、
その日一日を回想するように、
夜露を揺らしている。
その葉脈の体液は今、
静かに夜の音を聴きながら寛いでいるのだろう。

深山の一角の稜線を、山道を、深夜、
私は一人で歩いている。
遠くに見える夜景が美しい。
醜さと、欲望の塊がゆらゆらと発光し、
偽善者のような美しさを具えている。
その遠い明かりから私に注ぐ視線は皆無だ。

ときおり、風がとおる。
見えない風の道があるとする。
そして風は意図して吹いているのだと気づく。
その風が皮膚をこすると、
細菌が剥がれ落ち、再び私に生気が戻る。

この世に私のような者は、私だけだと知る。


雨 二篇

  山人



私たちは降りしきる雨の中、草むらに腰を下ろし、川の流れを見ていた。
彼はしゃべり、私もそれに応えるようにしゃべっていた。
ただそれは、衣服の内を流れる雨水や汗の流れる感触を誤魔化すためだけに会話していたのかもしれない。
それほど雨はひどい降りであった。
二匹か三匹のアブが私の周りを飛び回っている。まとわりつくアブである。それにしてもこの雨の中やたら飛び回り、秋へと向かう季節の急流の中でわずかな望みを託し、吸血しに来たのであろう。
 雨はとにかく酷い降りで落ちてきていた。
与えられたものに対して、その反動、あるいは、返し、と言うものがあるもので、先月から続いた日照りの反動は当然のごとく行われるのであろうか。
 かくて日照は、あらゆる水気を乾かして、空へとたくし上げ、多くの結露を蓄えてきたのであろう。
 私たちの雨具は、形状は「それ」であるが、すでに水気をさえぎる機能は失われ、むしろ水を吸収することに没頭している。つまり私たちは雨に飽和され、特にあらためて生体であると主張するまでもなく、二体の置物が雨に濡れそぼっているに過ぎなかった。さらに、アブについても言えるのだが、アブがまとわりついているのではなく、アブをまとわりつかせている、侍らせているとでも言おうか、私たちはとにかくそんな風体だった。
 受け入れ難い、現実の断片、それにもたれるように重力に逆らうこともなく、受け入れる。
アブの動きは止められない。アブを理解することで物事は動き始める。




うねるように雨は立体的に風とともにうち荒れている
緑と緑の間を荒んだ風が雨をともない蹂躙している
私は疲労した戦士のように澱んだ眼をして山道をあるいている
ただの一人もいないこの孤独な空間を打ちひしがれることもない
風が舐めるように広葉を揺らしていく
がしがしと太ることのみに命の灯を燃やし続ける草たち
廃れた林道には命をへばりつかせた脈動がある
人の臭さは無く、におい立つ草いきれだけが漂う
雨はすでに私の魂の中にまで入り込みあらゆる肉体が雨そのものになっている
私はひとりの雨となって山道を歩き
狭い沢に分け入りこむ
すでに私は雨と同類となり道を歩んでいる
水同士がむすびつき小動物のように山道に流れ
私の行く方向に皆流れ始めている
他愛もない休日
私はふと
雨の向こうを探していた。


S市

  山人

むかし住んでいた中都市を車でめぐる
広大な敷地にいくつもの工業団地が立ち並び
その周辺には刈り取られた田圃が季節を煽るように敷き詰められている
なつかしい鉄工所や、古いビルもまだあった

学校を出て初めて勤める地へ、狐色のコートを羽織り、ローカル線に乗った
初めてもらった給料の少なさに驚いた
それでラジカセを買ったり、鳥の巣のようなパーマをかけた
白衣の白さに気恥ずかしさを感じながら、菓子づくりもやらせてもらえた

文通をしていた
手紙を大家さんから受け取ると長大な文章を書いては投函していた
文字数の多さが募る思いの大きさだと思い込んでいた頃だった

あの街は、大人の出発点であり、もうひとつの故郷だった気がする
まったく奇妙な人の集まりで、個性に満ち溢れ
その人たちが皆、一つの構内でパンや菓子を作っていた
それぞれの細かい動きや、話しぶり、今でも鮮明に覚えている


なつかしい街の様子はかなり変わっていて、よく立ち寄った喫茶店やデパートは無かった
よく飯を食いに行った食堂は存在していた
しかし、もう営業はしていなく人の気配すらもない
タバコ屋の大家さんはもうこの世にはいないだろう
かつて工場があった場所を探すがほとんど解らない
時代はまるでどこかに急ぐように走り続けているのだと思った

  *

乾き物の肴で
覚えたてのタバコを吸っていた
みっチャンという酒場で
飲んでいたんだ

ショーケースの中には
ショートケーキやシュークリームが並んでいたし
売店の女の子は可愛かった
ミニを履かされていたからきゅんとした
女子寮で膝を立てて下着を見せる子が居た

街を歩いていると
金木犀のにおいがした
秋、鈴木と言う男とよく歩いた
スパゲティ屋でワラエル夢を語っていた

住んでいた周りに側溝があり
夏は強烈に痒い薮蚊が出た
熱帯夜
冷たい風呂に浸かっても眠れなかった

仕事中にアイドルの歌をうたっていた水野は
地方紙の訃報欄に載っていた

佐々木さん
小娘を弄び堕胎させた
フィアンセの眼球は取り除かれていた。



なんだか今
ひどく僕は疲れていて
紙芝居のような
思い出を辿っていると
なんだか
瞼がふくらんで
頭の中が痒くて仕方ない
丸い椅子に座り
パチパチと炎の前で
それらを眺めている
絵は一枚一枚炎にくべられ
きな臭いにおいとともに
火の粉が舞い上がった


  山人

私は森の中にいた
山ふくろうの鳴き声と、おぼろ月夜がおびただしい夜をつくっていた
さしあたり気候は悪くない季節とみえ、そして夜もふけつつある
記憶を辿るが、なぜだか脳が反応を示さない
記憶の構造が気体のようにふわふわと漂っている
この場を離れ、私の拠りどころへと帰る必要がある
さいわいその昔、私は山野を歩く趣味を持ち、さまざまな知識があった
窪地の風が通らないやわらかい腐葉土の上で、横になり少し目を瞑る
流れる霧のその先から明かりが徐々に差し込み、朝が来る
季節は初夏である
そばに渓流があるのか、ミソサザイの突き刺すような声が聞こえる
標高はさほど高くないだろう
まだありふれた雑木があり、一度は人の手が入ったところだ
藪を行くとチシマザサの群落があり、根から斜めに突き出た筍が生えている
小沢を通り、少し登るとコルリの陽気なさえずりが聞こえてくる
多くの野鳥は、森で棲み分けを行い、ひらけた光り溢れる地に居るのがコルリだ
コルリに導かれ、改良されたブナ林に出る
ふと見るとチゴユリの群落があたりを覆い尽くしている
きっと道筋は近い
やがて近くに鉈目を見ることになる
しかし、それは忽然と消えた
たしかに人の存在があり、人の呼吸があったはず
やがて、あたりは再び霧が覆われ
縦横無尽に立ちふさがる蔓群落と灌木が一層激しく立ちふさがり
森は深く難解さを増していった


ゆく

  山人

 小さなザックを背中に背負い、懐かしい山村のバス停で下車した。少年時代を過ごした村である。
すでに稲刈りも終わり、刈り取られた稲の株から新しい新芽が立ち上がり、晩秋の風に晒され微かになびいている。
落穂でも残っているのか、カラスが何羽も行ったり来たりしている。
未だ舗装されていない小道を歩いていくと、深い山容が正面にあった。魔谷山と言われる伝説の山である。名前に魅せられて標高こそ千メートルを少し超える程度だが、多くのハイカーが訪れる山である。
取り憑かれたように突然目を見開き、村人達が山に分け入り、そのまま消息を絶ったと伝えられる魔の山。そんな伝説が登山口の小さなプラスチックの看板に書かれていた。
一歩踏み出すと、別の世界へ踏み込んだような取り返しのつかない感覚に襲われた。私はここを最後の場所として登るのである。
今まで多くの山登りをしてきた私は、幾度も死への恐れを感じたことがあった。その都度生を味わい、安堵したものだった。
幾度となく小さな罪を繰り返し、そしてかけがえのないものを無くしてしまった。私が私自身の存在を受け止めることは許されるべきことではない。泥臭く生きることも可能であり、それが逆に美しいとする考えもあるだろう、しかし、十分すぎるほど泥臭く私は生きた。死んでいく時だけは美しく死んでいきたい。
死を暗示させるような文面も何も残していない。そういうものを残すことは死への恐怖を訴えがたいためのものなのではないか。確かに死は怖い、幾度も危険な目に合い、死の恐怖を感じあの世の使者の舌なめずりを見たこともあった。死は怖いが、私がどのように死に往くのか、そして私の魂はどこに行くのか、それを確かめたい気持ちがあった。それが完結である、そう思いたかった。生を享けた時の記憶がない、だから、生が終わる時は明らかにそれを自覚したい、そう思った。
 
晩秋の気配が漂う山道は、多くの彩られた葉が散乱していた。すでに午後の日差しが差しこみ、夫婦連れの登山者に会った。夫婦と言えども仲が良いとは限らない、だが、夫婦で登るからにはそこに愛があるのは当然だろう、そういう普通の考えを嫌った私だった。
「これからですか」とにこやかに妻君らしい女性が声をかけた。
「ええ・・」、確かにこれから山に登るのだ。だが、違うのは下山しないと言うことだけだが。 
カップル、単独行者、グループ、数組の登山者に会った。山頂に着くと三角点があり、そこにザックを立てかけた。すでに登山者は全て下山しており、登山者によって侵食された山頂には、いくつもの転がった石と生き物の空気が漂っていた。
三角点に腰掛け、五年間止めていたタバコに火を点けた。吸っていた頃の銘柄はすでに発売されていなく、軽めの人気銘柄を買ってきた。気管支や肺の細胞は、五年もの間この時を待っていたかのように煙と毒を堪能していた。毒が満たされ、そのけむっていた想いを晩秋の夕闇に吐き出した。
午後三時を過ぎると明らかに晩秋は駆け足のように夜を急ぐ。山頂を後にした頃にはすでに足元が少し暗くなっていた。
山頂直下の急登を下ると、緩やかな窪地となり、薮を分け入りやすらげる場所を決めた。
最後の晩餐だった。
ヘッドランプを取り出して、湯を沸かした。死ぬつもりが生きるための行為をしているようで滑稽だと思い嗤った。
レトルトカレーとインスタントラーメン、おかずは赤貝の缶詰だ。山でひとりでこんなに贅沢したのは初めてで、自分の存在の終焉に乾杯、と高級な缶ビールを木に優しくぶつけた。
これで眠くなればちょうど良い。
ほどよく眠くなり、しばらく寝たようだ。風の音で目が覚めた。強烈な寒さで星は凍っている、とたんに我慢できない尿意を感じた。死ぬ時もこんなに寒い目にあわなければならないのだろうか、この震えのあとには気持ちの良い眠気が襲ってくるはずだ、そうすれば凍死できる。それにしても我慢できないほどの寒気が体中を刺していた。少し小高いところに立ち、放尿した。尿が風に煽られ飛沫となって左右に揺れ、私の足元もゆらりと揺れた。尿意はまだ納まっていないのに体はバランスを崩し、宙を舞った。暗い闇の中、私は滑落しながらまだ放尿を続けていた。数十?メートル落ちながら尖った岩にバウンドし、私の眼球は頭部から離れ、暗い煌く星空を眺めていた。次のバウンドで頭蓋から飛散した脳漿が体から分離し、新しい闇の空間へ飛び出していった。脳漿の想い、険悪なスラブの岩を滑り落ちながら「あなたは、いつも○○なのよ、お父さんなんて・・・だもの、どうするんだいったい、わかってるよ、そんなこと&%#”!*+<?***」
 ザスッ、鈍い音がやっと平らになった岩棚に落ちた。もはや原型をとどめていない私だった。これで私は間違いなく死んだであろう。心残りは尿意がまだ残っていたことだった。
それと、ずいぶんきたない死に様だ。

                   


出稼ぎ人夫

  山人

飯場に着くと、俺たちは襤褸雑巾のようにへたり込んだ。ねばい汗が皮膚に不快に絡みつき、作業着は雑菌と機械油の混合された臭いを放っていた。風呂は順番待ちだし、俺たち人夫は泥のような湯船に浸かるしかない。なんとか汗を流せば飯の時間だ。寝泊りする作業小屋から少し歩くと飯炊き女が居てそこで飯を食う。塩ビで出来たどんぶりにまったく光沢のない飯粒を盛る。葱だけの味噌汁、たくわんと鯖の缶詰をおかずに食うのだ。それぞれが安い焼酎ビンをかかげて、生目で飲りながら飯をかっ込む。あとは、酔いつぶれて寝るだけだ。雑魚寝の飯場は花札をやる者、ひたすら不貞寝を決め込む者の二通りしかいない。夜中に酒が醒めるとうるさい薮蚊が徘徊し眠れない。
 隧道のなかで俺たちはひたすら一輪車を押したり、剣スコップで土をほじくったりする。十時と三時に短い一服があって、ずっきりを出して刻みタバコを吸うのだ。刻みタバコを一塊吹かして、火の塊を手の平にぽんと投げつけまた葉をねじ込む。皆が鬼畜の作業から開放される一時だった。それを二回やるともう作業のサイレンが鳴る。サイレンの後には澱んだ重い吐息と溜息が地の底を這う。
昼飯にはメンツ弁当にびっしり隙間なく飯粒がねじ込まれていて、隅っこにしょっぱいだけの昆布の佃煮と、真ん中には真っ赤な血のような梅干が置かれていた。
 俺たちは出稼ぎ人夫。かかぁの股を風に吹かせても、銭を稼ぎにやってきた道具だ。かかぁの股を掘ることもできず土をほじくっている。夜中には、板張りのからっ風の吹き通る糞山の便所で棒を擦る。腐った泪が糞に纏わりつき、そのまま死んでゆく。このまま俺たちは、かかぁの穴の寂しさを埋めることも出来ず、腹の突き出たじじぃの札束を増やすために死んでいくんだろう。


共通する無題詩

  山人


ひらひらした幸福が
街の中を舞っている
今日で地球が終わるので
みんなあわてて楽しもうとしている
それにしてもにこやかじゃないか
もしかしたら終わらないのかも、ね。
そのように僕は彼らを妬んでいると
空からめまぐるしく雪が降ってきた
白く底知れない雪が
降り積もる
まるで僕の穴ぼこを埋めていくように。
埋めてしまえば証拠は残らないよ
僕の妬みや消沈を埋めていっている
悶々・・しながら雪は
慌ただしく思いっきり
わりと気合入れて降っているから
僕はすこしあきれて
いやぁ、降るなぁ、などとしゃべってみる
すると雪はただ黙って
力(りき)入れてどんどん降り積もっていく
クリスマスももう終わって
明日からまた
あたらしいセカイがはじまるらしい。




今まで幾度となく訪れたラーメン店は、少し早い時間帯にもかかわらず「営業中」の看板を掲げていた。
細長い体躯の店主と中年の女が、静かに決まりきった作業を行い、開店準備をしていた。
いくぶん早い客の来訪にあわてるでもなく、自分の所用を足しつつ、頼んだ味噌ラーメンの準備をしている。
店主の中華鍋に無造作にモヤシが放たれ、絶妙な鍋さばきでモヤシは宙を舞う。
いたって淡々とまるで普通に息を吸うかのごとく、店主は当たり前に作業を進める。
女と店主は無言で互いの作業を見計らい、絶妙のタイミングで一杯の味噌ラーメンが仕上がった。
わずかにひき肉がスープの隙間に漂い、どんぶりの中央にはもっさりとモヤシが頂きを形成している。
「麺がおいしくなりました」、と宣伝ポスターが貼ってある。
割箸で麺を掬うと、その光沢に富んだ麺は緩やかにしなだれ、口中に解き放たれるのを心待ちしているかのようだ。
広い店内には、まだ忙しくならないうちにと、店主は別な用事を足している。
女は手持無沙汰のようで、することもない作業に手を動かしていた。

ぞぞっ。
美味い麺というよりも、主張をしない、つつましくもねっとりと絡みつく情感のある舌触り。
スープは、ほどよく麺体に絡みつき、それを静かに抱きしめるように歯は咀嚼していく。
麺は、果てては胃腑に眠るように落ちてゆく。
気がつくと、どんぶりの中の麺はいなくなり、脱ぎすてられた衣服のようにモヤシと挽肉が漂っている。
蓮華で一口ずつ口に運ぶ。
やがてピンが外れたかのように、大口を開けてどんぶりに唇を寄せ、無造作な所作でつくられた愛を胃腑に注ぎ込んだ。

その日、食欲は無かった。
美味いラーメン屋は多々あり、タレントのような笑顔で接する、かなしい接客から作り出された食い物の顔を見たくなかった。
何杯ものラーメンをつくるために淡々と作業を行う店主は、すでにモヤシ状に細まり、まるでそれらは店主の血管ですらあった。

店を出ると相変わらず忙しそうに年末の道路は混んでいた。
何かに怯え、目的のない方向へ向かって車は走っているかのようだった。
気がつくと、私の額には汗がにじんでいた。




三日続いた雪の切れ間にほっとし、作業の終了に安堵していた
片づけを終え、雪の壁に放尿する
溜め込まれた液体は、夜に開放されている
空を見上げると、折れそうな細い月が霞んだもやの中で上を向いている
冬の夜の冷気は鋼鉄のようで、星々は光を脈打ちながら瞬いている
夜は寒さに張り付き、あらゆる物を縛りつけ、凍らせていた

どろんとした光を放つ外灯の下では、数え切れない煌きがあった
雪の結晶がオブラート状に薄平らになり、そこに外灯の光が放射し
まばゆい輝きを放っている
それは雪の表皮がきらきらと乱舞しているかのようだった

尖った月は少し揺らいだかのように見えた
言葉にならない命を吐露し、夜をしまいこむ
階段を昇りながら、もう一度ふりかえり、今年最後の雪の結晶を見ていた


  山人

地球という惑星にあふれる水
その水は塩辛く、潮くさい風に揺れている
島が見えるのはまれだが、今日はぼんやりと見えている
島は左右対称ではなく、複雑な凹凸をそなえ、夜には短い光を発していた
黄昏るとき、ふくよかな夕凪があたりを包み
その穏やかな空気を楽しむように海鳥たちは不規則に飛び交う
誰にでも見えるわけではないこの島も、また夜をむかえた
闇が打って一丸となって波と融合してゆく
微動だにしないこの天体の隅々をめぐる体液だけが
執拗に活動を繰り返しているのだ
ちか、ちか、
波による微動なのか、光は点滅するように島に近づき
数々のひかりは島で打ち消えた



島には幾人かの人々がいて、私も居た
声を奪われ、思考さえも奪われている
そういう人々が働かされていた
島には田園があった
主食の穀物が平らな地にならされて、いっせいに刈取りの季節をむかえていた
眼鏡をかけた青年と錨肩の初老の男の息が田園を大きく支配した
ゆらゆらとした気持ち悪い風の中を、滲み出る濃い汗と脂を舐めとると
あきらかに囚人のような私がいた


島は晩秋をむかえていた
田園作業が終わると私たちは森へと作業の場を移された
島の森は豊かだった
木の梢を渡るリスの動きや、男根のような菌類が枯れた大木に所狭しと現れ
なかまたちは喜んで休憩時間を過ごした
すっかり葉が落ちた森は、私たちの声が木々を素通りし、良くとおった
あらためて見る樹冠の上の青空と
洋々と動く雲は今までの苦しみを押しのける気がした
なかまたちは嬉々として冬になる現実を受け止めている
冬になると解放されるのだ
柴木を切り捨て、さらに大木を切り倒すころ、やがて確実に島は白く覆われる

彼らが離島する前に、木の実でこしらえた果実酒を飲んだ
作業の合間、少しづつ溜めた木の実を発酵させ木の洞に仕舞い込んでいたのだ
私たちは、たがいにその時々の労働の辛さを語り合った
饒舌に笑い飛ばすことで苦しみは翅をもち、異国へと飛び立っていく


島には初雪が降り、やがて根雪となった
いま島には、島主とその補佐と私だけが残されている
島はあきらかに冬になっていた
波は狂い、いたるところに寒さが占領している
剥がれかけた私の頬の皮膚を容赦もなく横殴りの吹雪が打ちつける
飛沫は水際におびただしい泡を生み
何かを目論むように揺れている
海鳥は強い風を尾羽で制御している
少しだけ風は凪いだ気がした。


ときには花となって

  山人



私は梅雨空の
とある山の稜線に花となって咲いてみる
霧が、風にのって、私の鼻先について
それがおびただしく集まって、やがて
ポトリ、と土の上に落ちるのを見ていた
私はみずからの、芳香に目を綴じて
あたりに神経を研ぎ澄まし、聞いている
たなびく風が霧を押しよけていくと
うっすらと太陽が光りを注いでくる
豊満な体を、ビロードの毛でくるみ
風の隙間から羽音をひるがえし
花蜂たちがやってくる
 ひとひら舞い、するとその羽ばたきを忘れ、落下し
やがてまた思い出したように空気をつかむ
そのように、落下したりあがったり
きまぐれな空気の逢瀬を楽しむように飛ぶ
それは蝶々
 私は、そのように
花になったり、花蜂になったり、蝶々になったりしたが
またこうして
稜線の石になって黙ってそれらを眺めている


かにに食われたんだよ

  シロ

蚊が喜んで
私の上腕の血を飲んでいる
尿酸値も高く
触れたくないが血糖値も高いかも知れぬ
健康な血ではなく
ちょっとヤバイ
その蚊を見ていると
ふと思い出してしまうんだ
君の事を。

   *
蟹に食われたんだよ!
蟹じゃなくて、蚊だろう?
蟹に、だよ〜〜

君が
覚えたての言葉で
うまく喋れないから

蟹がとても
君は好きだったんだよね

一握りできる
君の上腕に
ぷっくりと赤く腫れた蚊の痕

蚊に食われたんだろう?
蚊にに、だよ〜〜
最後は半泣きしてしまったんだよ
君は。


コロニー

  シロ

白い平面に産み付けられた
色とりどりの有精卵が
液体の飛沫に刺激され
静かに食いやぶられる

ひかりながら溶液にまみれて息をする
数々のかたちの違う幼生虫が
白い平面を徘徊する
飛散した血や泪を食い
一齢虫から二齢虫へ
そして終齢虫へと成長する

しだいに食欲はおさまり緩慢になる
肥大した体躯をゆっくりと動かし
下面へと移動する
 


裏に据え付けられた蛹
夜 蛹はふるえる
時間を攪拌するたびに蛹はゆれる
思考が液体となり撹拌される
やがて蛹の中は固体化し
ねむる
 


音のない夜
下面を食い破り
完全なる有機体が生まれる
てらてらと金属臭をそなえるもの
軟毛でおおわれ
全身眼球だらけの有機体
あかつきの頃
白い平面に
えらばれし有機体のコロニーが誕生した


月と犬と

  シロ


満月の夜、月はやさしく犬を見ていた
犬は不思議そうに眼をあけ、すっくと立ち
濡れた鼻をしながらあたりを一瞥した
犬は初秋の虫の音を
一心不乱に聞いていたのだが
ふと月明かりに、自らの何かが微動するのを感じたのだ
そうしてわたしは
こうして犬のそばで夜を過ごしている
獣臭のする老犬はにじりともせず
夜を友として座り続けている
それはまるで奇妙な光景で
二人は特に別の生き物と言う風でもなく
仲の良い同士のように
コンクリの上で並んで池の音を聞きながら
夜を過ごしていた
特別なことではない
自然のなりゆきでしかない
あらゆることがそう思えてくる
月は異様に丸かった
その縁が少し滲んでいる


ノウサギとテン

  シロ


夜、雪が降り止んだ頃、夜行性のノウサギはいっせいに跳ねだす
カンガルーのように飛び跳ねる後ろ足の腿の筋肉は巨大で
前足と後ろ足は途中で交差し、雪原を跳躍する
むき出した前歯をそっと樹皮にあてがい、かりかりとかじる
あちらこちらで、かりかりこりこりと瞼をあけたまま
闇夜に放心したままの眼でかじり続ける
ときおり、レーダーのように耳を立てつつ、方角を変えて音を探索する
いたたまれない抑圧を
太い腿や鋭い前歯に詰め込んで、ノウサギは夜をはねる

やがて、雪面を愛撫するように、足跡を擦り付けてゆく
それは自らの存在を柔らかく消滅させるように、入念に雪面に修辞する
命を守るために、存在を形にするために
足跡を痕跡を、カムフラージュする

朝から猟人は、雪原へと踏み入り、ウサギの足跡を追う
パズルのようにカムフラージュされた痕跡を静かに追い
いくつかの狡猾なトレースを残し、残された隙間へとダッシュする


     *

尾根を登り切ると視界が広がる
無雪期には田であると思われる地形だ
その畦の近くの堆積した雪のひび割れから
黄色いテンが顔を出している

双眼鏡で覗き込むと
テンはこちらに関心があるらしく
じっとこちらを見ている
私が敵なのか獲物なのかを判断しているのだろうか
それとも、ただ無造作に立ち止まっているだけなのかは解らない

一帯の地域を転々と回り
ウサギを捕食しながら生活しているテンは
雪や雨風をしのぐ、田の畦の雪のひび割れの中で生活を営んでいるのだろう

ウサギが獲れない日は、空腹に耐え
土の中のミミズを吸いこみ
胃腑に収め、雪の隙間の苔を舐めているのだろうか
あるいはもう一歩のところでウサギを取り逃がしたとしても
テンは何食わぬ顔で巣穴に戻り、じっとうずくまって
温かい血肉を想像しながら眠りについたのだろう

あるときは大きなウサギを捕らえ
腹をふくらまらせたとしても
稜線に沈みかける夕日に涙することもない

厳しさと激しさと
子への愛だけにすべてをささげたテン
それは、はかなくも美しい黄色い色合いで
ほどよく白色が顔に混ざり
私をじっとしきりに見
少しだけ小首をかしげていたようだった


いくつかの秋の詩篇

  シロ

ふと 空を見上げると
蒼かったのだと気づく
鼓動も、息も、体温も
みなすべて、海鳥たちの舞う、上方へと回遊している

ふりかえると二つの痕がずっと続いている
一歩づつおもいを埋め込むように
砂のひとつぶひとつぶに
希望を植えつけるように

海は、あたらしい季節のために
つぶやきを開始した
海鳥の尾にしがみつく秋を黙ってみている
そう、海はいつも遠く広い

僕の口から
いくつかの濾過された言葉が生み出されてゆく
君の組織に伝染するように、と

いくらか感じられる
潮のにおい
君の髪のにおいとともに
新しい息をむねに充満させる



     *



あらゆる場所にとどまり続けた水気のようなもの
そのちいさなひとつぶひとつぶが
時間とともに蒸散されて
街はおだやかに乾いている

アスファルトからのびあがる高層ビルは
真っ直ぐ天にむかい
万遍のない残照をうけとり
豊かにきらめいている

静かな、
視界、
が私たちの前に広がっている

つかみとりたい感情
忘れてはいけないもの
体の奥の一部を探していたい
その、ふと空虚な
どこか足りない感情が
歩道の街路樹の木の葉を舞い上げる

体のなかを流れる
水の音に耳をすます
数々の小枝や砂粒を通り抜けてきた水が
やがて秋の風に吹かれて
飛び込んできた木の葉一枚
日めくりの上方へと流れてゆく


*

アスファルトの熱がまだ暖かい夜、あたりを散歩する
月は消え、闇が濃く、しかし空には数え切れない星がある
そっと寝転ぶと犬も近寄り、鼻梁を真っ直ぐに向けて夜を楽しんでいる
吐息を幾度と繰り返し、私と犬は少しづつ闇に溶けていく
この夜の、ここ、私と犬だけだ
仰向けに寝転ぶと背中が温かい
太陽と地球の関係
照らした太陽と受けとめた地球
その熱が闇に奪われようとしていた
少しづつ少しづつ闇の中に入っていけるようになる
例えば寝転ぶと夜空は前になる
この夥しい光のしずくが私と犬だけの為にあり、瞬きが繰り広げられている
時折吹く、秋風
その静寂と、闇と星の奏でが、風に乗って、鮮やかな夜を作り上げている
闇は無限に広がり、空間がとてつもなく広い
地球の上に寝そべって、無限の夥しい天体を眺めている
このときこの瞬間、私のあらゆる全てを許すことが出来たのだった

   *


何かに怯むでもなく
すべるように過ぎ去る時間の刻々を様々な車達が疾走していく
それぞれが無数の生活の一面を晒しながら、県庁へと向かう一号線を走っている
土手に築かれた車道から傍らをながめれば
すでに刈り取られた田が秋空にまばゆく
どこかに旅立つようにたたずんでいる

パワーウインドウを開ければ、どこからともなく稲藁の香ばしいにおいが入りこみ
午後の日差しは一年を急かすようにまぶしい
住宅の庭から、対向車の車の煽り風によって流れ込んでくるのは
なつかしい金木犀の香りだった
記憶の片隅にある、未熟な果実の酸味のように
とめどなく押しよせる、抑えきれない切なさが
あたり一面に記憶の片隅を押し広げていく

あきらかに、夢は儚く遠いものだと僕たちは知りながら
コーヒーカップに注ぎこまれた苦い味をすすりこみながら語った
夜は車の排気音とまじりあい、犬の理由のない遠吠えを耳に感じながら
僕たちはノアの方舟を論じた
秋もたけなわになるころ、小都市の縁側にたくさんの金木犀が実り
それは僕たちの夢の導火線にひとつづつ点火するように香っていた

思えば、僕は、あれから
あの香りから旅立ちを誓ったのかもしれない

僕はあれからずっと生きている
たぶんこれからも


shima

  シロ

とある島があった
波は泡とともに、幾何学的に浸食された岸に打ちつけている
海水特有の生臭い香りが岸に漂っていた

かつて子らの声や、はしゃぎまわる喧噪も見られたが
今では数十人残るのみである
朽ち果てた小さな公園には錆臭い遊具がわずかに残り、寂寥を演じている
夕暮れの残照の中をカラスが蚯蚓を捕りに降りてくる
島民の吐いた溜息が鬱陶しく土に張り付いている


荒れた天候が幾日か続き、島そのものが何かにおびえるように彷徨し
島民たちは乾いた皮膚を震わせながら、長い悪天をやり過ごした
嵐はやがて緩み始め、息をひそめていた多くの生き物たちは
少しづつ手探りをするかのように這い出してきていた
島はふたたび、生き物たちの活動が始まった

島に十年ぶりに新しい島民が来るらしい
そう島主が伝えた日は、薄曇りの続く、秋の日だった
わずかな世帯の寄り集まりのなかに、一人の大きな体躯をした青年があらわれた
少しだけひげを蓄え、大きな荷物を背中に背負いこみ
それをおろすでもなく、奇妙な挨拶をし始めた
何を言っているのか、島民は呆然と死んだような目でそれを眺めていた
島民の顔は皺で、本来どのような顔をしていたのかわからぬほど憔悴し、老化していた
すでに、表情を変える筋肉さえも退化し
ひたすら重力に身を任せ、弛んだ皮膚が皺のひとすじを微かに動かしていた

不思議な光景だった
論じ、説得するでもなく、青年はまるで独り言のように
ただ大きい声を出すでもなく、とつとつとわかりやすく話をしている
もちろん、身振り手振りを加えることなく、手を前に組み、少し腹部に持ち上げている

病に限らず、あらゆる負の状態
これらの現象は一つの負の生命体を形成し、それぞれが社会性を保つようになる
呪詛のような負の言葉を摂取し、さらにコロニーを拡大させてゆく
そしてこれら負の生命体は空間をつたい、あらゆる無機物をも侵し
やがてこの島全体がそれに侵されることになってしまう
今後、負の言葉を発してはならない
すでに各各に営巣し始めた負の生命体は栄養となる負の言葉を求めている
それに少なくとも栄養を与えてはならない
青年は手を前に組み、島民たちの前で語った

やがて集落のはずれの木立に煙が上がり始めた
湾曲した根曲がりの木を六本立て棟とし
その間に筋交いを加えただけの炭焼き小屋のような建物であった
中には薪ストーブが置かれ、突き出たブリキ製の煙突から白い煙が出ている
入口らしい場所に、手書きで書かれた「ご自由にお入りください」との文字

青年の所作はひたすら淡々としたものだった
早朝に起床し、岬に出ては遠い海を前に祈りをささげることから始まる
一心不乱というわけでもなく、むしろ事務的な呟きのようでもあった
一旦岸辺に下り、波の押し寄せる高い場所から排便を済ませ
その近くの海水に浸かり体や歯を磨く
排便に寄ってくる魚たちを釣り上げて小屋に持ち帰り火をおこす
大きな木を縦割にした粗末なまな板で魚を三枚に下ろし、網の上であぶる
となりには鍋が置かれ、生米と水を混ぜたものが沸騰しはじめている
起床から二時間、ようやく青年はあふあふと粥と炙った魚で朝飯を食うことができるのだ
青年は思考しなかった、思考よりも行動した、言葉を発した
ただただ時間のために生き、時間を消化するために行動し
そして疲れては眠る、その生活をひたすら継続した

島民たちは青年の所作を不思議なまなざしで見るようになり、次第に指を差すようになった
青年は起きると大地にキスをした
ありがとう大地よ
そういうと唇に付いた土を舌で舐め取り飲み込んだ
歩きながら足もとに伸びた雑草に言葉を投げかける
やぁ、おはよう、昨日はよく眠れたかい
大木に手のひらをあて、頬ずりをする

青年が昼休みをし、まどろんでいると島でたった一人の少年が訪ねてきた
おにいさんはとても不思議がられているよ
そういうと体育座りをしながらうつむいてしまった
青年は言った
ぼくは全然不思議なんかじゃないんだ
ただ、思ったことを口にし、思ったことをしているだけなんだよ
君もこんどそうしてごらん

少年は少年でありながらすでに老いていた
薄日が差すといっそう少年の髪は白く目立ち、頸の皮は重力に逆らうことなく垂れていた
瞳は濁り、ぼんやりと遠くを見つめるようであった
風はどこから吹いてくるの
しわがれてはいるが、まだ変声していない幼い声で尋ねる
青年は、少年の視点のそのまた向こうを見つめつぶやくように言った
風はすべてを一掃する、風の根源はあらゆる滞りが蓄積し、次第に熱を帯びてくる
でも、うつむきの中から風は生まれない
なにかをし、言葉にする
そこから気流が発生し、風が生まれる
それが風だ、風は吹くべくして吹いているし、風の命を感ずればいい
そのことばを聞いた時、少年の瞳の奥から一筋のひかりが煌めくのを青年は見た

少年はその後、青年の家を一日に一度は訪問し、一緒に食料を求めて海に行ったり
森に入り木の実や果実を採ったりした
喜々とした感情は次第に少年の老いた細胞を死滅させ、新しい細胞が体を満たし始めた
しわがれた少年の声は、野鳥のさえずりとハーモニーを奏で
朝露のようなみずみずしさを花々に与えた
青年の小屋からは紫色のたおやかな煙が上がり、香ばしい食事のにおいが漂った

青年は、島の人々を集め提案した
それぞれの墓を作ろうという
声にもならない、奇怪な罵声が飛び交う中、青年は穏やかに言った
人の死は、すべてが失われ、意思も失われ、やがて別世界へと旅立って行く
私たちは今生きている、がしかし、魂はしなだれ、生を豊かに感じることがない
すべて負という巨大な悪夢に支配されている
それを静かに、決別できるように埋葬しようではありませんか

夕刻、島のはずれの平地に泣きそうな曇り空があった
島民たちは、それぞれにシャベルを持ち、穴を掘り始めた
ぽっかりと開いたその穴に、様々の負を落とし込むよう、念じている
それは石塊となって、橙色に発光しはじめた
熱く、熱し始めたその石に土をかぶせ、ギシギシと踏みつけ、銘々が墓碑銘を打ち立てる
同時に空は雷鳴を轟かせ、激しい雨が降り始めた
しかし、土の中の石は熱く、さらに橙色を強め
やがて闇のような雨の中、激しくそれぞれの墓から炎が上がり始めた
島民は、立ちすくんでいた、重くくすんだものが今燃えている
激しく降る雨は、島民を濡らした
頭の頭皮を雨脚がなぞり、やがて指先や股をとおり、足の袂から落下していく
どれだけの雨にも石は光り、燃え続け、やがて雨はあがった
激しい雨によって、墓はかすかに隆起するのみで、平坦な土に戻っていた

雨が上がったと同時に、海鳥は回遊をはじめ
島民たちは互いの目を見ていた


冬虫

  シロ

裸の冬がくる
十二月の姿は、あられもない
わたしのからだは白くひらかれ
とめどなく上昇してゆく
まぶしい白さに混練され
細胞のように、奥千の分裂をなし
ひかりとともに微細な羽虫となる
白く羽をふるわせて
冬の光線を吸い、触角をちいさく動かす
適度な湿度と乾燥が私の翅を小さくなでる
こまかく、排泄物を分泌させ
いくつかの息を、天空に撒き
冷気とともに、地上に落下してゆく
わたしは雪となって
黙って目をつむり
しずかな夜に降雪する


発芽

  シロ

あの日、体のどこかで真夏が沸騰し、けたたましく蝉の声が狂っていたのだろう。
大きくせり出した緑の中で、無心に巣作りをする脳のない虫どもの動きが、この俺をその世界から削除しようと仕掛けていた。
鼓動が瞬間的に途切れたその隙を縫い、一途な回転がむき出しの感情を抱えたまま俺の足部に卒倒した。
おびただしい汗と残忍な傷痕を炎天に晒し、蝉の声はさらにけたたましく山野に鳴り響いていた。
如何なる時も、連続は途切れるためにあるものだとあらためて知る。
此処に居たという現実を呼吸とともに胸に仕舞い、山野をあとにした。

さて、現実とはこのことを言うのだろうか。
たかが俺のために神々が会議をするまでもないだろうが、俺は今、このような風体で不具合な体をのさばらせ、あんぐりと口を開けている。
すでに溜息などという日常の鬱積ですら蜘蛛の餌となり、鎌鼬に食われたような傷痕を平易な目で受け入れようとしている。
日常はひび割れ、その裂け目から滲み出た汁を舌でこそぐように舐め取る。
すでに日々を制御することもできず、不具合に支配されている。

狂っていることに気付かない、正常な活動がすでに狂っている、ということに気付かないまま、俺はすでに狂ってしまっていた。
狂気は限界を超えたときのみに存在するのではなく、日々の何気ない思考から徐々に逸脱を開始し、知らないうちに脳内に巣窟を形成し、正常な思考を食い殺してゆく。

アクシデント、と呼ばれる神々が施した現象。
瞬時に伐倒された大木のように、時間は削除され、切られる。
激しく陽光は地に乱射し、鳴りを潜めていた種子をつぶやかせる。
埋め込まれた闇の中から繰り出される、懐かしい音。
土の中の目の無い虫たちが寄り添ってくる。
その音を今、俺は、懐かしく感じている。


あな 二篇

  シロ

貴方の声が
虫のように耳もとにささやき
私の皮膚を穿孔して
血管の中に染み込むと
私の血流はさざめき
体の奥に蝋燭を灯すのです
貴方のだらしのない頬杖も
まとわりつく体臭も
すべてが私の奥に
石仏のように染み込んでいたのです

明るすぎる店内は光っていて
ひとりで持つ手が重たいのです
ふと買い物の手が
貴方の好きな惣菜を求めていて
ショーケースの冷気で顔を洗うのです

閉じられた束縛の中で
私は蛇のようにじっと
湿度の高い空間で
安寧を感じていたのかもしれません

道路脇のカラスがなにかを啄ばんでいます
私の汗腺を塞いでいた あなたの脂
それでもつついているのでしょうか

       *


夜のさなかというわけでもなく
朝のさなかというわけでもない
いつも中途半端な時間に覚醒するのだ

安い珈琲を胃に落とし込めば
やがて外界の黒はうすくなり
いくぶん白んでくる

陳腐な私という置物の胴体に
ぽっかりと誰かが開けた穴の中を
数えきれない叫びがこだまして
私の首をくるくる回す

この大きな空洞の中を
ときおり小鳥が囀り
名も無い花が咲くこともあった

今はこの空洞に何があるのだろう
暗黒は苔むして微細な菌類がはびこり
私のかすかな意思がこびりついているだけだ

また大きくせり出した極寒の風が
いそいそとやってくる
私とともにある 
この
巨大な穴

外をみる
いくぶんかすかに白んできたようだ
空洞の上に厚手の上着を着込み
私は私に話しかけるために
外に出ようと思った
老いた犬を連れて


峠の山道

  シロ

峰と峰とのつなぎ目に鞍部があり、南北の分水嶺となっている
古い大葉菩提樹の木がさわさわと風を漂わせる
峠には旅人が茶化して作った神木と、一合入れの酒の殻が置いてある
岩窟があり、苔や羊歯が入り口に生い茂っている
そこは湯飲み岩窟と呼ばれていた
旅人がそこでありあわせの石でかまどを作り、火をたき、近くの清水で湯を作った
嗜好品としての茶ではなく、白湯を飲む
しげしげと旅人がかまどを作り、一杯の白湯のために火をおこし、それを飲む
硬く純粋な清水のとげがこそげ落ち、におい立つ水の甘さがふくれあがる
湯飲みに注がれた、湯気の噴いた白湯をいただく
ふうふうと息を吹きかけ、口中でころがして喉を滑らせる
胃腑に穏やかな沈静がしみこんで、解毒するように息を吐き出す
嗚呼、涼やかな大葉菩提樹の風が初夏の光線を引き立たせ、ふるえている
大木は歴史を旅した旅人だ
そして私もまだ

   *

峠の山道に
一本の棒が立っている
木質の中に
すでに水気もなく
粉がふくような外皮をそなえ
その他愛もない空間に
ひっそりと立っている
徘徊途中のハエが
てっぺんで羽を休め
手をすり合わせる
しばし左右に向きを変え
行き先のない
向こう側へと飛翔した
棒には一片の脳すらなく
あるのは
ひとつのぼんやりとした意志である
それは一途とか
かたくなとかでもなく
不器用な詩人のようで
ただそこに
立っていたいとだけ
思っているのだった


無機質な詩、三篇

  シロ



君の温度がまだ残る部屋、その隅に、残された一つの残片
治癒途中のかさぶたの切れ端が、静かに残されている
物体がおおかた四角なのは、きりりと押し固めることができるようにと、誰かが考えたのか
それとも人の思考が四角く仕切られているのか
その形の中に有無をも言わせぬ、決別がある
部屋には饐えた匂いと、かすかな哀愁のある残照が目立った
君は、その古い真鍮のドアノブを静かにどちらか一方に回し、息を吐く
そして新たなる息を吸い込みながらそのドアを閉めていく
遠望は利く
そこに広がる景色は君が作った世界、そしてそこに何物にも変え難い君の言葉が飛翔していく
滑り止めのある錆びた鉄階段を下る
手すりには錆びの匂いと少しだけ緩和された靴音
階段から降り立つと、君は静かに部屋を一瞥し
舗装されて湯気の立ち上がる濡れたアスファルトを歩き出した


*

うす暗い工場の蛍光灯がぼんやりと灯される
地の底からのうめき声のような吸引機の音と
硬い木材を削る機械の音
荒削りをすると、木の塊から形が生まれ出る
ふしだらな毛羽をたてた
木材の荒々しいとげが怒っている
それを粗い砂紙でかけてやると、木の粉が飛び交う
削るとそこには再び私の思考がとげのように飛び出してくる
念入りにとげをなだめるように砂紙を掛け続ける


*

古びた家屋には朝からJKたちのハリのある声が響いている
夏は疎ましく立ちはだかり、暴力的な暑さを朝から晒しまくり
俺のあらゆる循環は、はたと立ち止まり、思いついたように体液が流れているのを自覚する
彼女たちの食事を早朝から作りはじめる俺は、彼女らの吐息から生まれた老人のようで
一声呻くようにつぶやき、がさついたため息を塵のように転がして作業にかかるのだ
まだ見ぬ未来のための朝食の一滴を彼女らに食べさす
ガチャガチャと食器が擦れ、畳を摩擦する靴下の音
便所のドアが開いたかと思うと、パンツの話をしたり
初老の俺の耳に、そういったあからさまなJKたちの営みが聞こえてくる
廊下にはどこはかとなく、つんとした彼女らの体臭が残り
代謝の活発な頭皮から離脱した、おびただしい毛髪がフローリングの上に無造作に落ちている
ばたりとドアが閉められて、奏でられたオルゴールの蓋も閉じられて
読みかけの本のページは、やり場のない暑さと虫の声と澱んだ風が吹き散らかしている
一粒の汗が彼女らの皮膚から発生し
いくつもの玉の汗が汗のコロニーをつくり、雑菌の温床になる
秘密に閉じられた物の怪から発芽した新種の異物
夏の断片、思い出したように真夏の田舎道を車が通る


5/2

  シロ

どこか
骨の
奥底に
黙って居座る
黒い眠りのような
小雨の朝

歯ぎしりする歯が
もうないのです
そう伝えたいけれど
そこには誰もいなく
部屋の中には
少年のまま
老いた私がひとり

狂った季節に
体節をもがれ
丸い目を見開いた生き物
だったら
蛞蝓のように這わせてください
湿気た空間を好み
枯れた木の液を舐めこそぎ
脳は
どこかに忘れました
とつぶやきたい


未来

  シロ

金木犀が香る午後
陽射しがきらきらと
金色の帯を散らしている
コーヒーにミルクを入れて
スプーンで陶器をこする音
きみの声が
褐色の液体にミルクとともに
くるくるとかき混ざられて
やがてぼくの
安堵の中心に下がってゆく
街並みからみえる秋の空
遠いけど
染み入るようですごく蒼い


作業日詩

  シロ

八月二十日
土を舐める、ミミズの肌に頬を寄せる
現実とは、そういうものだ、そう言いたげにその日はやってきた
希望は確かにある
廃道の、石ころの隙間にひっそりと生をはぐくむ草たちのそよぎ
ゴールの見えない迷宮の入り口で、これから作業をするのだと山に言う
カビ臭く、廃れた空間に現実のあかりが煌々と灯り始める
作業は発育を繰り返し、やがて鋼鉄となり、やがて皮膚をつたうものが流れる
雨。くぐもった気が結露し、水を降らす
赤く爛れた鉄は水によって冷やされ、やがてしぼんでいく
その日、わたしは踵を返した

八月二十一日
物語づくりは開始された
翌日、空は青く澄み
夏はまだ照りつける光を存分にさらしていた
吐く息と吸う息がわたしをつつみ、一個の不完全な生命体が生を主張する
作業のための準備に勤しんでいるわたしは、作業に従うただの下僕のようだった
作業は再び開始された
脳内には小人の群れが、走り回ったり忙しい
作業の合間の休息が、苔むすまで私は静かに呼吸を整える
午後二時、作業は頂きを最後に終わった
眼下に人造湖が横たわり、わずかだが風もある、静かな初秋だ
確かに頂きは私のためだけにあった

九月三日
作業を行うための用具は重い
さらに作業を行うべく、人体に注入すべく液体とその食物
何よりも作業はすべてわたしという生き物が行うのだ
人体の中を巨大な道が走り、大きく迫り出した建造物や、下水
その中をすべて体液が流れ
あらゆる場所に充填されている
わたしの中の体内都市は密かに、確実に動き出していたのだ
時折吹く風は確かに新しい季節のものである、そう岩はつぶやく
鼓動は狂い、息はあらゆる空気を吸い込もうとあえぐ
初秋の頂きには誰もいない
二つ目の頂きに着き、穏やかな鎮静がわたしを、仕事を包む

九月四日
三つめの頂きに向けて、まだ明けない朝を歩く
作業場は遠い
用具は執拗に重く、それを受け止めるべく私の人体は悲鳴を上げていた
わたしは穏やかに話しかけ、まるでカタツムリのように足を動かす
希望や夢、期待、あらゆる明るい要素は皆無だ
自らを暗黒に向けて歩を進めているかのように、ありあわせの生を貪る
おびただしい汗と、渇いた疲労の後、ようやく作業場に到達
湿気た森の空間を、機械のエンジン音が薄青い煙を吐く
ここは迷宮、昔から得体のしれないもののためにわたしは生きてきたのだろうか

九月一〇日
峠のトンネルは橙色の明かりをともし、広場は漆黒の闇だ
闇と霧が山道にあふれ、荒ぶる作業場へとわたしは向かう
入念に歩を進め、やがて闇は徐々に薄くなり
遠くに人造湖が霧の薄い膜とともに眼下に現れる
日が昇り始めるとともに、作業は開始された
果たしてこの作業に、終わりはあるのだろうか
頂きはまだ遠く見える
このまま終わることのない作業が続いたとしても、それがどうだというのだ
その日、わたしは作業そのものになっていた
作業が雇い主であり、わたしは一介の作業を行う生体にすぎなかった
激しい一日は終わりを迎え、夕暮れ近くなった鞍部の山道に腰を下ろす
作業用具を藪に仕舞い、やり遂げた作業の道筋を背負い、作業場を後にした

九月十一日
一夜を明かした機械類は朝露をかぶり、起動に備えていた
数万年前の爆裂口は霧を生み、山岳作業の最終日の狼煙を上げているかのようであった
頂きへの作業は終わりを迎え、やがて最後のエンジン音とともに見晴らしの良い峰に着く
作業機械の心臓を撫でてやる、その熱い魂は何を思ったのだろう
分岐道の山道にはイワショウブが揺れていた




九月十七日
関節の中に、血液の中に、重いものがいくつも蓄積されている。
荷を背負い、機械を背負い、別な古道への作業へと向かう
作業場まで延々二時間半歩くことに徹する
そういえばどのくらい歩いてきたのだろう
いつもいつも、昔からわたしはひたすら歩くことしかしていなかった
たとえば何百年も前の私も歩いていたのだろうと、思うしかなかった
幾千の小人たちが頭蓋の空間を遊び、動き回る
独りよがりな小人たちを止めることなどできやしない
わたしが来ることを期待していたかのように、作業するべく仕事量は膨大だった
機械を左右に振り分け、空間を選り分けながら作業を進める
そんな時、作業とわたしはいつしか交わっていることを感じてしまう
一つ目の沢を越えた頃、あたりはにわかに曇り始めて夕刻となった
作業機械を藪に仕舞い野を後にした


九月十八日
時間が流れるとき、いつも雨はその区切りをつけにやってくる
むしろ雨はやさしいのではないだろうか?
あらゆるものを濡らし、平易に事柄をなじませて
また新たなる渇きに向けて一滴を与えるのだ
雨の古道を作業する
作業は私の前に忽然と現れ、どんどんそれは成長し、わたしを引くように導いていく
大きく掘り割れた、峠の石標は苔をたくわえ、雨に濡れていた
脳内の小人たちは、もうすっかり眠りについていた
九日間の安堵を、蛞蝓の歩いた足跡をのみ込み、わたしは山を
山並みを一瞥した


三話

  シロ

 久々に友人宅を訪問することにしたが、手持ちは持たない
既に十一月の末で、もうすぐ今年の最終月、言ってみれば大嫌いな季節だ
冬なのか晩秋なのかさえはっきりせず、グダグダと薄ら寒い風が吹き
みぞれか雪なのかわからない、グズグズ俺のような天候が続くのだ
今ほど友人宅といったが、はたして友人なのかどうか、いつもながら俺には友人という定義すらわからない
ただ、いま、行くべきなのだろう
そして何も語らずとも、その友人のありさまをまざまざと目に焼き付けて、俺は冬を生き抜かなければならないという事だ
 車で友人宅の近くまで乗り付け、白い洋館のような建物に続く坂を上る
かなり古い中古物件だという事だが、最近立てつけをよくしたようだ
すんなり戸が開くと、冬のまどろみから一変、部屋の中では吹雪が舞っている
一言二言挨拶の言葉を言うと、彼はふわりと立ち上がり、台所へと向かい酒の肴でも作るつもりなのか消えていった
吹雪の部屋のカーテンはオーロラでできていて、部屋の片隅にはシロクマがぐーすか寝ている
部屋の電気は北斗七星だった
エスキモーから譲り受けたという青い酒を飲むと、俺の体内にもブリザードが吹き荒れ、たちまち器官が凍りついてくるのだった
そそくさと針葉樹に付いたエビのしっぽを平らげ、俺は震えながら今年のことを少し語った
彼も少し語ったが、やがて丸くなり、雪だるまに変態してしまった
既に俺を見送ることもできず、ただただバケツを被り、吹雪からブリザードに変わった部屋の中に座り込んでしまっている
友人ってなんだ?その定義は?
震えながら俺は声を絞り出すと、やっとの思いで長靴を履き真冬化した道路を走っていた
忌々しい、西高東低の貧しい風が吹き始める

久々に別な友人宅を訪問することにしたが、やはり手持ちは持たない
既に町とは言えないほどの人口になってしまったその小さな一角に友人は住んでいる
バイパスから右に折れると、密集した人家が小路脇に立ち並び、その脇の少し広いスペースに車をとめる
友人宅はその小路から百メートル行ったところにぽつねんと立っていた
その百メートルの間は歩くしかなく、名もない草が膝まで被るような小道だ
訪問を告げると、上がれと言う
座敷らしきところに立っていると、おもむろに押入れの戸がガタピシッと動き、ぎょっとすると中から友人が現われた
鼻の下と顎に貧相な薄い髭をたくわえ、目はかすかに笑っている
背筋は曲がり、肩や袖にオブジェのようにカメムシを張り付けている
台所に向かう前に、一滴の焼酎の水割だという液体を濁ったコップに注がれた
その絶妙に気持ち悪い温度と、水まがいの液体が喉を通ることを許した俺自身を呪ってはみたものの、液体は無碍に胃腑に収まってしまった
台所からでてきた彼は、皿の上にちぎったような雑草を並べて持ってきた
取り立てのサラダだよ
そういって醤油を水で薄めた液体をふらりと掛け、石の飯台に載せた
彼は極めて饒舌で、世界の不条理や、世の不条理をとつとつと目を輝かせて語った
まさに彼は「負」を栄養にして生きているかのようだった
「負」はマイナスなのだろうか?
いや、彼のように強大なパワーに変えることだって可能ではないのか
とにかく、饒舌に「負」について語る彼はとても幸福そうではあった
語り終えた彼は、痩せた体躯と透けた毛髪をそよ風になびかせて先に失礼するよ、と言って再び押入れに入ってしまった
 たしかにそれらの友人は俺の中でとつとつと生きていたのは確かだった
言えるのは、それらの友人と俺は生涯を共にしなければならないのかという諦めだった


                      ※
 

 久々の休みを利用し、故郷へ帰ることにした
角ばった、新幹線のアナウンスを聞きながらワンカップを一口喉に送り込む
まだ日中にもかかわらず、酒を飲む罪悪感は日々を生真面目に生きる勤務人にとっては破壊的な快楽ですらある
そのアルコール臭を巨大に聳え立つコンクリートの天辺目掛けて吐き出すと、車輌のドアが開いた

布という衣装を身にまとい、あるいは鞄の中に胡散臭い書類が納まり
それらが新幹線の車輌の座席を摩擦する音があちこちに聞こえてくる
それは勝ちと負けに区分けする種を運ぶ売人の様でもあり
皆が金属臭のする体躯を包んでいる異星人の様でもある
こみ上げてくる臓腑からの空隙を、ひそかにアルコール臭とともに外気に散布する

b駅を降り、二十分ほどタクシーで走れば、もうふるさとの山域が見え、すっかり田舎道となる
懐かしいふるさとの話を聞き、その訛りにも触れ
わずか数百円のつり銭を引っ込めて運転手に礼を言い外に出る
ここから家まで数キロあるが、歩くことにした
ガードロープの下には懐かしい小川が流れている

(小川の川上から桃が流れてきて)
などと
新幹線の中で二合の酒を飲み、いささか酔ってしまってはいた
脳内にある奇妙な秘め事をひとつひとつ川に向けて語り始めている私であった
川は歩幅とほぼ同等にゆったりと流れ、家まで続いているはずである

(向こうから赤ん坊が流れてきて)
見ると赤ん坊が私とともに流れている
ぽっかりと浮かび、パクパクとお乳でも飲んでいる夢でも見ているのか、眠っているのに少し笑っている
少し行くと赤ん坊は次第に大きくなり少年になっている
どんどん歩くと少年は青年に
いつの間にか年齢にあわせ、着衣を着けてある
やがて顔の輪郭がはっきりと現れた 
どうやら父の若い頃のようだった
父はやがて水から上がり、
「元気そうだな。それが何よりだ」
と、ひとこと言い、立ち去った

家に着くとたくさんの親戚の人がいて、短い挨拶を交わした
兄は私を見つけ、短く小言を言い放つと家に案内した
川から上がった父は、こんなところに静かに納まっている
寒かったろうに
もうすぐ熱くなるからな
そう、話しかけた



          ※


巨木に棲むのは武骨な大男だった
髪はゴワゴワとして肩まで伸びている
髭の真ん中に口があり、いつも少しだけ笑っている
深夜になると、男は洞を抜け出して森の中に分け入るのだった
たいていは、月の出た明るい夜だ
梟の声に招かれるように、男は大きな錫杖を持ち外に出る
丸い大きな月がいかにも白々と闇夜に立ち上がり
黒い空に浮かんでいる
下腹を突くように夜鷹が鳴けば、呼応するようにホホウと鳴くのは梟だった
草むらにはおびただしい虫が翅をすり合わせ、夜風を楽しんでいる
夜の粒が虫たちの翅に吸い付いて接吻しているのだ
木々の葉がさざなみ、風を生む
男の髪がふわりとし、汗臭い獣のようなにおいがした
なにかに急かされるでもなく、男は錫杖で蜘蛛の巣を払いながら峰を目指した
男の皮膚に葉が触れる
サリッ

峰筋の多くは岩稜で、腐葉土は少なくツツジ類が蔓延っている
藪は失われ、多くの獣たちの通り道となっており、歩きやすい
峰の一角は広くなり、そこに巨大なヒメコマツが立ち
各峰々から十人ほどの大男が集まり始めた
たがいに声を発するでもなく、視線すらも合わせることがない
かといって不自然さもなく、それぞれが他の存在を意識していないのだ
巨大な月のまわりをひしめく星たちは、その峰に向けて光を輝かせている
アーー
オーー
ムーー
と、一人の大男が唱え始めると、つられてそれぞれが声を発する
歌でもなく、呪文のようでもなく
静かな大地のうねりのように重低音が峰から生まれ出る
ちかちかと光る星々から閃光が走り出す
男たちの呻く重低音が峰を下り、四方八方に鋭くさがりはじめ
やがて山岳の裾野を伝い人家のある街々まで光とともに覆っていった


オレンジ色のスキー靴

  山人

「こうなって あういてう」 指差す君
「こうなって あういてうぅ」 何回も
「へんな ロボットぉ」 僕に訴える
こうなって・・・
25年前の君の声が
僕がうなずくまでずっと



小さなスキー場のパンフレット
チームの君は得意気にポーズを決めていた
三流の道具に身を包み
オレンジ色のスキー靴を履いて雪を切り刻み
旗門をくぐりぬけていた
君がまぶしく見えた

まわりは華やぎ
嫉妬と憎悪で雪は赤く燃えていた
曇ガラスを爪で引っ掻くような歯がゆさが
赤黒く粘った

君が負けた日
ガタピシと車を揺らし
幾度もタバコをもみ消した
君を踏み潰した風は
揚々と吹き去った
僕は自分に怒り
矛先はオレンジ色のスキー靴に向かっていた



あの時の
君は
もういない
パンフの君を指で触る
君は笑顔で撫でられている
でも何度撫でても同じ顔だ
君のカセットテープの中の声を聞く
君の声をいっぱい録ろうとしたのだけれど
テレビのアニメの声が大きくて
でも君の声が
必死にアピールする声が
指先と顔が僕を行ったり来たりして
君の瞳にはきらきらと確かにアニメが写り輝いていた


僕はただ
自分を差し出し
塊となって
汗や血を流しながら
君の温度を感じなければならなかった


今 君のどこかに
いくつかのおもいが
疼いているのだろうか

僕は君との交叉することにない未来に
ずっと歩くことを誓った


私はその家族を見ている

  山人


きれいに折りたたまれた生活をそれぞれが晒している
涼やかな風を目元にたくわえ、定めた先に澄んだまなざしを向けている
生あたたかさにはしっかり蓋をして、静かに四隅を整えて桐の引き出しに仕舞い込む
できないことは静かに首を振り、できることを楚々と繰り返し、その時々を静かに噛み締める
遠くの山から湧き出た一本の清水で丹念に水みちをつくり、日ごと適量の汗をかき
ふくよかに笑い、小首を少し傾けて悩み、夢食い虫にならず
体内を巡る数億の血の道を日々めぐらせるための質素な食事を摂り
麓に放牧された幾千の羊を数え眠りにつく
よろこびを一つづつ紙に書き、ひとつひとつの物事を細やかに語り
それぞれに、指の湿度を感じ念じながら種をまく
小葉を揺らす言葉が、高層湿原のように数千の夜を超え確かな現実となる
生まれた現実を皆で祝い、祝福の言葉を押し並べる
その言葉を発し続けることで、言葉はさらに現実を成長させてゆく
小さな現実を皆々が自愛の目で崇め拍手する、それは素直な心を広げることであり、自らの解放である
開放された現実は心を持ち、恩返しにくる
小冊子の中に静かに活字として埋め込まれ、不思議な薬効を発揮し始める
それらの人々は飾ることのない、些細で凡庸な事柄ですらも優しく捉え、美しく議論する
そしてそこから、小さくも形を持つ富が誕生し続けるのである
まとわりつく陰湿な襞を伸ばし、口を尖らせたり、なだめたりしながら動物の家族のように舐めあう
やがて富は彼らを覆うように存在し、あらゆるものを守り始める
天空の怒りや突然の粛清、そういうものですら屈しない富を手に入れる
それは一心不乱に農民が作物を作るときに唱える豊年の祈り歌のようでもある

文学極道

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