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2014年05月分

月間優良作品 (投稿日時順)

次点佳作 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


玉虫色のしおり

  お化け

「絵の中には図書館があったのよ」「絵の中に? 猫の瞳の中にじゃなくて? 」「じゃあ絵の中にいた猫の瞳の中にあったんだよ」「猫の瞳の中にある絵の中の図書館じゃなくて?」「私はどっちでもいいけど」「俺も同じ意見かもしれない」「かもしれない?」「 俺はね、実は何かが何かの中にあって欲しくない」「なに?」「何かの中に何かがあるとすると、もう狭くって狭くって仕方ないんだよ」「わからないよ」「俺もわからないけど、俺は何も信じていない」「何も?」「 何かが何かの中にあって、その何かが別の何かの中にあって、連鎖して最後には、最初の景色が何かを入れたものの中にある」。・・・作り話のように、僕はどこにいるのでもよかったのだと思う。どうでもよかった。あとそのときは目の前に喋る玉虫色がいることが普通だった。君が彼でも、彼が君でも、男でも女でも、わからないけど玉虫色。僕は長い間、そんなふうだった。やがて僕と話していた玉虫色はいなくなった。人間をこじらせて不治の病にかかってしまったのかもしれない。玉虫色、いまはどこかの図書館に挟まれている。本に挟まれた、玉虫色のしおり。可哀想なしおりへ。「いまとなって誤ります。間違いでした。何かの冗談だったんです。人生は冗談です。真剣な冗談です。たんなる真剣だとしてもいい。見方によってはどんな見方でもできるんだと、わかりました。あなたをもっと大切にするべきだったと、わかりました」。人生は玉虫に映った薄っぺらいもののことだったのだ。わからない。口癖だ。僕が知っているのは、嘘と、たくさんの信じられないこと、人生とは玉虫色になることであること、それから、僕は思いやりにかけた悪いやつだということ。僕は唯々、誠実に誠実に、玉虫色に会いたいわけで、君たちには見えない社会へ行き、土下座外交していた。干からびた「しおり」は僕の将来を心配しているはずだ。本当は玉虫色に会いたいだけなのに、「玉虫色になりたい。玉虫色になりたい」と口走っていた。僕が話したのはきっと「死」に会いたいだけなのに「死にたい」と言ってしまう誤謬と同じ、皮膚のない言葉だった。皮膚を持たずに心が外出することは精神医学的には公然猥褻罪だった。文学的にも罪だった。漠然とした何年間、ゆっくり、心は分割していった。一つ一つが孵化して散った。小さな心が玉虫たちに盗まれた。玉虫たちに僕の心が宿った。心が世界へ散らばった。僕は狂っていたかもしれないし、文学的にも重傷で、だから僕が喋ることにも書くことにも中身がないということだった。なんだ? 僕や誰かの中身がないことが確定することで何が解決しているのかわからない。裁判も行われず、未解決のまま物事が進んで行くことを僕は不思議に思った。それがこの社会と、その中の人間関係のの制度なのかもしれない。すべてを解決しないままでもどうにかやり過ごすルーティンの蓄積。問題だと思っているものが保留にされたままそこが詰まって時間の流れが止まってしまうことはなく、あるいは面倒なことはどこかに押し込んで過剰な量の薬の処方箋を書き、とにかく進んでしまっている。生きたものは、きりがない側に立っているように見える。何もかもが完成するということがない。きりがないところでどうにかやり過ごす術で生きている。きりがある側に立って何かをやり遂げるためにそこへ行き、もとの位置へ戻る。きりがない世界が僕たちの立ち位置だ。そこでは何の成果もない。僕は生きている。耐えられない。毎夜、昔しおりと話していたあの図書館へ通う。あれは絵の中の図書館だった。僕の仕事はそこでしおりを探すことに決まった。絵を描いている。絵の中の世界が僕が主張できる成果だ。少なくとも、僕の考え方では、絵は、区切りがあって切り取ることができて、それを持ち出して何をやり遂げたと主張するためのシンボルなのである。自分が何かを完成させた、それを所持する権利があるのは僕である、ときりがない世界で主張するための根拠だ。最近よく夢を見る。僕は、玉虫色のしおりがはさまっているページを図書館で探している。そこで僕は玉虫になって一瞬に死に会いに行く。別の夢、僕はボルヘスのより少しだけ小さい図書館に行く。日本作家、外国人作家、数学関係、生物、哲学・・・本がジャンル分けされている。僕は毎日その秩序をバラバラにする。すべての本を対象にしてランダムに選び部屋中に本を撒き散らす。図書館という機能を停止させる。その場所の使い道がわからないようにする。その場所の検索機能が完全に破綻するまでやる。その場所の目的がわからなくなったら、そこから新たな探求をはじめる。秩序を再構築する。最初、人々は本を探しにやってくる。やがて人々はただ何かを探しにやってくるようになる。自分が何を探しているかはわからない。何かを探すために僕が描いた絵の中の図書館を眺めるようになる。僕がつくった秩序には目的不明で重要なものを検索するための玉虫色の機能があるはずなんだって。


建設中のふたり、と海

  深街ゆか


夜、になると淡いひかりのつぶが引き寄せられる波打ち際、にんげんは貝殻を拾っては海へ投げ拾っては海へ投げ、 を繰り返して
ふにゃふにゃになったからだじゅうの関節を砂浜に埋め( 折り重なるように横たわり)眠りのなかの夢をずらりとならんだやましい感官の餌にする( そんな唄をうたっていた)そんな唄を流行らせた時代がひとつふたつみっつ朽ちて、あたらしい標語がこどもたちの替え歌から生まれる 、を繰り返せば
まだ死んでない貝のびらびらの赤いところが悲しくて( 美しく発光する貝の)貝柱を食べたにんげんのベロのさきっちょ
夜になるとエメラルドグリーンに輝き、害虫や猫をあつめてさみしさを紛らわす ふたりになるはずのひとりとひとり、
君、という代名詞に含まれた可能性の大きさと広さですっからかんになった世界にもたれて、ひとりはひとりの髪をしゃぶる
( 発育遅れの月がぽかんと浮かんでいて)



「  君がくれた残像のおみやげ感光のお知らせ 」



このごろてんでばらばらになっちゃったあたしのあたまんなかのみっちり黒点しめつけられていた身体はいつのまにかじゆうになってつぶれてしまった本体なんてもんはさいしょからなかったって君のことばがスコンとはまる不思議なものねあたしたちあいされたいものどうしすがたがみえずてさぐりのままゆるゆる感官ひっさげていっせいに海へかけていく海にちらばるひかりどもがさんざめいているさんざめいてはじけてきえる砂浜に埋められたかんせつをほじくりかえしながらあたしは君をあんたをさがしてるんだけど最初からてんでばらばらのあたしたち不確定要素がおおすぎてふたりふたりふたりと叫んでみても潮騒にすべてかっさらわれて



三半規管にしみこんでいく黎明そこから滑りおちていくあさましい背中そしてすぐそこにある結末、おせわになりました。


今日を、捧ぐ

  エルク

花糸に彩られ
色彩が季節を巡る
ほつれていく
糸を辿って
渡り鳥は
花から 花へ 渡る
あらゆる色素を失った
あらゆる解釈を失った
あらゆる意味を失った
あらゆる構造を失った
そして
春を引き連れ
巡るようにして
光がまわっていた



眩しい、と感じた次の瞬間には消えてしまう、それは夜明け前の夢。少女の幻影。ピルエットの奥行き。壁の半分以上を占める窓の、右端から左端へ根を張るように横切っていた枝の先端は生き続けていた。消し忘れたままのテレビの画面には色とりどりの花が映し出されていて、きっとその根もとには美しい人が眠っていると思っていた。光がまわっていた。目を閉じても、逸らしても、まとわりつくように飛びまわっている。 (ときに旧友、ときに恋人のように。) 骨が色づくのは金属に反応するからだという。骨の量は身長とは関係ないという。湿気で重みを増した葉が落ちてその寿命を終えたとき一滴の朝露が乾いた地面に落ちる。トゥシューズの叫びは無視されて脱ぎ捨てることさえ許されなかった。濡れることのないまま、少女はまわっていた。雨粒の落ちる先は気圧や気温、湿度の中ではじめから決まっているという。それは奇跡だよ、と誰かが言った。奇跡だ、と叫ばれたピルエットで少女はまわっている。世界は少女の遠心力で支えられていた。少女の夢を軸にした周期運動で世界は時間を正確に刻む。少女を歯車にしてまわる世界の構造はトゥシューズの叫びそのものだった。やがて静止してしまうその時まで、少女はまわり続けていた。奇跡が起こり続けている午後の真ん中で、濡れる世界を包むようにして、光がまわっていた。 (ときに美しく、ときに少女のように。)



ふっくらとした (おとといの) 落下 (休眠)
ぬれた     (きのうの) 反映 (感光)
めざめる    (けさの) 回転 (息吹)
霧吹きから
(けさときのうとおとといが)
勢いよく飛び出して
(ひとつになったきょうたちが)
葉先にあつまる
(あすをゆめみたきょうたちが)
次々に
水面へ飛び込んでいく



完璧な、と訳された月曜の午後。日付のない日記。破られた詩集のあとがきでは美しい修飾語で世界が語られていた。読まれることのなかった水辺が穏やかに果てる事象の意味。なんと表現すればいいのだろう。ランタンが灯りを吐き出す。あなたはいないはずなのに。ハミングを、許して。以前にもこんなことがあったような。さよならと、おやすみ、をつたえるわずかの間。光を絞る指。雲の陰影。見知らぬ土地が燃えています。



変色した葉が深く裂け
側面からみた断面
水滴を滲ませる
分厚い心皮
分岐する
多幸感



新葉の背に浮かぶ大小無数の水滴のなか、まどろむ朝陽がゆっくりと目を覚ます。つ、と葉脈に沿って流れるひと粒の水滴が、今朝、そして昨日や一昨日を、取り込みながら勢いを増して垂直に落ちていく。こぞって葉先を目指す朝陽たち。これらはきっと、迎えられることのなかった今日たちなんだ。根から吸い上げられた今日たちが効率よく全身へ送り出されるその途中、道管と師管をよどみなく通り抜けるためのアーキテクチャ、葉の全身へと送り出される出力シュミレート、夜明けが伝達していく、



葉の裏側で、(目覚めて、) ふたたび、(眠る、) 壁の半分以上を占めていた窓の、右端から左端へ、渡り鳥の群れが次々に映り込んでいく、彼らは水滴を避け続ける、事象の意味、燃えるようにして咲く花の下では美しい人が眠っていて、眠っているはずなのに、それをうまく訳せない、完璧な、と訳されていた月曜の午後、読まれることのなかったわずかの間に、いつまでも見知らぬ、見知らぬ水辺が、(燃えています、)


一枚岩でない

  リンネ

「群人の記憶」

ひとびとは群をなして一方向に走り出す
そしてわたしたちは前方に見える
愚鈍なカメを追い抜く
猥雑なウサギを追い抜く
分裂病質のアキレスを追い抜く
斜視のゼノンを追い抜く

わたしはひとびとの塊のなかで一枚岩でない
わたしはその塊のなかから
しゃもじのような腕をぬらりと生やして
こっそりと、しかし限りなくすばやく、その
カメの愚鈍をもぎ取る
ウサギの猥雑をもぎ取る
アキレスの分裂病質をもぎ取る
ゼノンの斜視をもぎ取る

すなわち
わたしはけっして一枚岩でないのだ
しかしわたしたちは
宵のころ、コンビニの明かりのむこうに
それでも見える北斗七星が
およそ単なる星星のきらめきでないのと同様に
なにはともあれ
何束もの愚鈍な札束である
何本もの猥雑な棒金である
何枚もの分裂病質のクレジットカードである
何刷もの斜視の領収書である

それにもかかわらずやはり
わたしは移動するひとびとの
肉列車の建築ふかくからそっと
なま温かい雲形定規ふうの
ひとまずの裂け目をひらいて
一本のわたしのまっきいろな手頸を
生やそうとしては
仕方なく立ち寄った蕎麦屋で
もう何年も同じしゃもじを捜している

しかしそれも今ではすでに残響である


【註解】



[愚鈍な亀]は、ある日突然に人に飼われ、ある日突然にやはり池に捨てられたところのかわいそうな亀である。その亀はまるで泳げない、愚鈍そのものの亀である。飼われているあいだに泳ぎ方をすっかり忘れてしまったのだと、亀は首を珍棒のように伸ばして弁明するが、ほんとうのところ、亀は猥雑なウサギを見るたびに全身が煮えたぎるように熱くなるのを感じた。しかしそれは全く性的なものではなく、むしろ鋭い嫌悪感によるものであった。何の訳もなく亀の珍棒は憤怒に満ちた。その漲る怒りの気分は身体の端々へと溢れて、亀は硬直した陰茎の如くぎらぎらになった。その日の天候はとても気持ちの良いポエムびよりであった。



[猥雑なウサギ]は、いわゆるところのネット詩人である。たとえば、かれは仕事(このウサギは登録制の派遣社員である)のない日などは自宅近くにあるログハウス風のカフェーに行き、読書などに耽る。そんなときカウンターに置かれた花瓶にささった、頼りなげな青白い薔薇が花弁をぽろりと落とすと、ウサギの胸にたまさかの詩情が湧く。そこでかれはすかさずポエムを練ろうとする。しかし相変わらず何も生み出せないのだ。薔薇はウサギを急かすようにもう一枚花弁を落とすのだが、全くウサギは益々焦るばかりなのだ。それでいて薔薇は花弁を落とす作業を尚もやめないのだ。それでもようやく無理やりのように書きあげた一篇の詩も、註解なしには成立しないような、まったくどうしようもない低劣な落書きであるのに、ウサギはほとんどそれに気づかず、パソコンの前で顔という顔をすべて真っ赤にしてマスをかいている。



[分裂病質のアキレス]は謎かけが好きな法学部の青年である。曰く、

「これは良識のいずれかの基準の下で禁止されているからですか? わたしは個人的にネット詩人を攻撃しません。実際に、わたしはさらに、これらの詩は麺のように吸うだけのこと、彼は良い詩人だと述べているのです。『ディベート』を目的としたコメントのセクションではないですか? それでは命題を出します。

命題1−1 どのようにあなたが詩を聞いていない場合は、あなたが詩を好きではないことを知っているだろう
命題1−2 詩はあなたが詩の夢の人であり、あなたの声が詩に来ていることも見ている
命題1−3 あなたは詩があなたを夢中にさせる詩を愛して、あなたはこの詩が大好きなゼノン

さあ、わたしは再びわたしを愛して歌うわたしのポエムをした、わたしは大量にしたいが、再びわたしを愛し、詩を

けしてチェックアウトしないでください」



[斜視のゼノン]はこの詩を評して、かくのごとく言い放った。

「どどん。ゆどのん。あぐおいんご。んどぽー!ひゅどぽー!ざぱぱぱぱあ! って不意に叫びたくなるくらいの衝動が我が胸に灯されたとしたら、果たしてそのとき僕は恍惚を味わえるのか!? ということとかをやっぱり時折考えてしまうよねこの年になるとね。まあ人間の王国に住む限り仕方のない話だよね。でもこの詩ってさ、結局ぼくらの想像力の範疇を超えないわけじゃない?凡庸凡庸。こうゆうメタ形式にしたって、結局だめなものはだめ。ぼくの前にはたしかにアキレスくんが歩いていたし、アキレスくんの前にはウサギが、ウサギの前には亀がいました。でもあなたはあのアキレスくんの何を知っているというの? ウサギだって亀だって、みんなこっちでは生身の存在なの。わかる?まずあなたはそこから反省しないとだめ。アキレスくん、男色よ。あたしだってそう。うっふん。そんなこと、あなた、なんにも知らないで書いていたんでしょ? やだやだ。だから詩人は嫌い。んもう。読者にしたって、同じことよ…


六月三十一日

  飯沼ふるい

そして歩けばいい
積み重ねた故意の失意が
足跡を深める砂丘
錆びついた音響が
骨を震わせ泣いている
そのような
最果ての
更に果てを
歩けばいい
彼もまた誰かを真似て
青く弾ける火花のような
孤児の鎮まらない痛みを
一人抱えて
静かに
静かに
声も忘れて

/

なにもない
爪もない男の
指差すほうには
正確さを求めるなら
なにもなくなる、だが
同心円に
なにもない
が拡がっていくから
差し出されることのなかった
手紙のような、なんてものも
なくなっていくことも
ないのだが

/

ファミレスで昼食をとっていた。
彼には秘密があって、それを一度だけ、高校の同級生だったMに明かしたことがある 。
大分前から食べる気を無くしていたパスタをフォークに絡ませていた。 足をもがれた節足動物の群れがのたうち回るような、なまめかしい渦が、自らをそう遠くない過去へ誘う。その渦の中心で、Mの哀れみの目尻がちらついている。
人に言わないことそれ自体に、何かを期待していた。薄い皮膜に包まれた、蛹の意思。それが彼だという担保、あるいは自信。しかしそれには共感も必要だった。孤独で自身の硬度を保てるほど強くはなかった。
Mは鼻で笑って仕舞いにした。自ら裂いた皮膜の中身は、重たい粘りの、精液に似た汁でしかなかった。
それ以来、秘密の意味と自身との両方に失望している。彼はわざとあの日のように静かに席を立った。
路上で空を仰いだ。飛行機が遠くを流れていた。しばらく日向を浴びていると、羽化せんとする原型のない蛹の意思を感じた。真っ直ぐな熱があった。
人を刺す、たったそれだけの冴えない背徳に何を期待していたのだろうか。しかし彼でないままに生きた彼は今や、他人、その差異、その意味を確かめなければならなかった。
人を刺さなければならなかった。私ではない物を抉る。抉られない私がここにある。その新しい熱。
金物屋はどこか探す必要が出てきた。彼はついに気付くことなかったが、それだけで久しぶりに生きている心地に満たされていた。

/

額縁に収められた親指にマニキュアを塗る
飢えた純粋はまた裏切られ
経血が流れる
その寂しさ
嘗めとる
熱砂の味がする
黄金の血
飲み干して
下血する

/

あなたはミニバンの後部座席で退屈していた。自分で車を運転しない長距離移動は久しぶりだった。東北道を下っていく。
あなたは暇潰しに2ちゃんねるを流し見していたが、那須辺りで電波が途切れがちになった。窓を見上げると、飛行機があなたの乗る車の進行方向とは真逆に飛んでいる。


【朗報】通り魔あらわる、死にたい奴はさっさとーー駅に行け!

さっきからサイレンがうるさい件

俺の凶器も人前で暴走しそうです><


たくさんの人生が一筋の白い軌跡に纏まって、空を淡く傷つける、時速数百kmの緩やかな経過、


ガチ家の近くなんだが、テレビうぜ
ー、報道ヘリの数増えすぎ、うるせ
ーよ、今北産業、第二の加藤、やべ
ーなこれ、何人逝った?、犯人捕ま
った?、ちょっと現場見物してくる
、電車とまってる、おいふざけんな
、マジかこれ、起きてテレビつけた
らこれ、加藤再来、駅で身動きとれ
ない、警察の数がヤバい、現場近く
おるけど変わらず仕事やで、都会っ
てこえーな、田舎もんおつ、奴は犠
牲になったのだ、田舎の方が陰湿や
ろ、ヘリうるせーぞ!、メシウマ、
テレビに友達うつった、こういう風
にわたしはなりたい、これはチョン
の仕業、ネトウヨ働けよ、えげつね
ぇな、なにこれ、被害者の無事を祈
ります、通り魔とかこわ、俺の右腕
が疼きやがるっ!、最低だな、運休
きた、もっとやれ、早く捕まえろよ
無能警察、人類間引きしてくれたん
だろ?感謝しないと、通り魔に刺さ
れて終わる人生って悲惨だな、犯人
の名前まだ?、がんばれー、もう驚
かない、親があの辺出掛けてるんだ
が、被害者の数がおそろしいことに
なってる、こういう事件増えたな、
盛り上がってまいりました、まだ捕
まってないの?、また都会かよ、思
想もない自己中ね、犯罪評論家乙、
犯人の身内がかわいそう、他人の不
幸で飯がうまい、今日人生初デート
、学校休みキター!、わりとどうで
もいい、


それを眺めながらあくびをかます、あなたとは?

/

隣室の三人家族は三十二時間後、練炭で心中を執り行おうとするが未遂に終わる。ざらついた異形の繋がりや、唇の端で腐敗した言葉の滓、糞尿、その他の排泄物に満たされた家族は死ぬ夢から覚めた後、離散する。反対の壁の向こうから子供の明るい声がする。どのテレビ局も連続通り魔の報道に熱をあげている。アナウンサーの深刻な顔。煉瓦ブロックの歩道にこびりつく血の痕をおさめたTwitterの写真。救急車のサイレン。テレビのボリュウムを下げる。子供はおとなしく、アニメでも見ているらしい。明日の朝、アパートの前をパトカーと救急車の列が塞ぐのを見て、子供は訳の分からない不安に怯える。そんなことはない。全て滅多に飲まない焼酎のせいだ。事実は通り魔と、家族の数だけセックスがあるということ。通り魔は僕の妄想ではない。通り魔はいる。通り魔とのセックス。ペニス。通り魔の数だけセックスがある。死ぬというセックス。血濡れたペニス。家族という神話体系。通り魔が僕を煽る。僕を犯す。僕には十時間後、旗振りの仕事が待っている。テレビを消す。通り魔が消える。ペニスが消える。

/

振り向いてほしくて
彼のエプロンを掴んだけれど
するすると紐がほどけていくばかりで
衣服も溶けて
皮膚も筋肉も骨も腸も大気中に分解されて
とろとろの半熟眼球ふたつ、ぽたりと落ちた
白色蛍光の光に濡れた
水晶体がわたしを映す
出かけなくちゃいけないのに
朝ごはんはまだできない
彼がわたしのことを可哀想な目で見ている
いや可哀想な目でって笑
あんた目しかないっつーのにね笑
あー朝ごはんあー朝ごはん

/

春と夏の真ん中で
日射しが君の形をくり貫いた
後に残った蜃気楼
ゆらゆらと
そこだけ秒針が頼りなく
君との時間も途切れがちになっていく
横断歩道を渡ると
風が器物を吹き飛ばす
振り返れば
めくれあがった舗装路のすぐ下に
生乾きの肉がひしめいている

ジューンブライド、その慰めのような響き
君が遠く
屈折した熱源の裏側へ蒸発してしまったら
町の名もすっかり消えてしまった

ジューンブライド、君の影だけがよちよちと歩きはじめ
傍観者の歌う民謡が
さみしい風を呼んできてしまったら
視線のない景観だけが取り残された

さよならしか言えない
祝日のない季節
いつまでも時間が進まない
非日常の季節
歩いても歩いても
日は沈まない
夜は明けない

/

「あ、ひこうきぐも」
そういって、はやしくんが、そらに、ゆびをさしました。
「ほんとだ」
「ひこうきぐもって、なに?」
「きれいだね」
といって、おともだちが、みんなで、そらにかおをあげました。せんせいが、ぼくたちのことをみて、わらいました。
ゆういちくんが
「ぼくたちのこと、みえているかな?」
と、いったので、みんなで、ひこうきに、てをふりました。
ぼくは
「おーい!」
と、おうきなこえで、ひこうきにあいさつしました。たくさんあいさつしたけど、ひこうきは、あというまに、みえなくなりました。
ひこうきぐもが、きれいでした。ぼくたちのこえが、聞こえていたらいいなと、おもいました。そして、あしたもいいてんきだったらいいなとおもいながら、ずっと、そらをみていました。


三つのユーモラスな詩   患者M.Tの症例

  前田ふむふむ

ムーンライト  症例 1      

懸命に 笑いをこらえたが もちろん 尋常なこらえかたではなくて そのた
めに 僕が この世の不幸をすべて背負ったような物語を リアルに想像して
いわば 笑わないという目的のために あらゆる想像力を動員して耐えたので
あるが やがて そうしていることが 僕だけでないように思われてきた 水
滴が聞えるような静けさが教室をおおっているし よく見ると 誰もが辛そう
な顔をしている いや 笑いじょうごの高橋君にいたっては 眼を瞑って 口
を震わせながらへの字にしている その格好は たしかに普通なことではない
し もっと奇怪なことは 清楚できれい好きな川村先生がこの異常事態に う
っすらと高揚した笑みを浮かべながら 算数の授業を なんの乱れも見せずに
完璧に進めていることである ただ そういう狭い教室のなかでの 一見 何
事もない状況において 先生を含めて僕たちは 暗黙のうちに共通の理解でと
ても強くむすばれていた PTA会長のひとり息子で 狡猾で陰湿ないじめを
先生にも生徒にも無分別におこない 猛犬番長といわれている デブの佐藤君
が 授業中に うんちを漏らしたこと そのために 教室中に 耐えられない
悪臭が充満しているという共通意識で でも 僕にとってもっと不幸なことは
腕を組んで憮然とした様子でいるように見えたのだが 実は恥ずかしさで真っ
赤な顔をして固まってしまっている佐藤君が 隣に座っていることだ 僕は
何事もないように、平静を取り繕わなければならないし 時とともに増してく
る臭いに 眼が痛くなってくるけれど 泣くこともできなかった だから 川
村先生に訴えるように 眼で助けを求めたのだが そしらぬ顔で 微かに笑み
返してくるだけだ 川村先生も 本当は 辛いのだと思うし 僕は僕で こん
な辛いのは いやだと席を立つこともできるかも知れないけれど 身体が硬直
して まったく動かない あの凶暴な佐藤君も動けないようだし 多分 ほか
の水島君や中村さんも 僕の好きなさっちゃんも 同じように動けないのかも
しれないと思うと 僕は とても悲しくなってしまうけれど これからも い
や もっと大人になっても 僕は こんな風に我慢する事が 生きていくこと
なのかも知れないと いつまでも いつまでも 思っていたのです


ドン・キホーテ  症例 2  

とにかく 俺の人生は 長い間 無口なカナリヤが鳥篭のなかで 呟いている
ようなものであったかもしれない だから 群衆の前で 話すことは無謀の他
はない 今までどおり 呟いていればよいのに どこで間違えたのか 俺は将
来性豊かなリーダーとして 祭り上げられているのだろうか いや 誰かの気
まぐれで 何を話すか試されているのかも知れない 俺の話を聞いた人はいな
いのだから 何とはなしに興味があるのだろう こうして待っていると 掌は
べったりと脂汗をかいてくる いまにも心臓が破裂しそうに脈打ち 眩暈をお
こして倒れそうだ それに俺は血圧が高い方だから 興奮のあまり ほんとう
に倒れるかもしれない そんなことを考えると 家族の悲しい顔が浮び 俺が
ひどい親不孝者であることを 改めて知り合いに 深く印象づけることになる
だろう そんなことより おやじやおふくろは 泣き崩れるだろうし 妹たち
は この時とばかり みんな自閉症になってしまうかもしれない それと こ
の口内が痛むほどの異様な喉の渇きは何だろう こういう経験は稀にはない 
あの大昔の特攻隊員帰還者が 体当たりする時に こんな渇きがおきると言っ
ているのを どこかで読んだことがある ここは 戦場かも知れないし 紛れ
もなく 俺にとつては これから起こる事は戦いだ 俺は きのう徹夜をして
下書きをつくり 丸暗記する勢いで 特訓したけれど これで大丈夫だと心の
どこかで 安心しているところがある でも これから何も見ずに話をするこ
とができるだろうか 俺は 人前にでると何を話してよいか あたふたしてし
まい かならず 頭のなかが真っ白になるのだけれど そう思いながら もう
真っ白になっている 動揺は隠せないくらい すでに手足は震えている ここ
で倒れたら どんなに楽だろう 命に関わる病気だと思って みんなが同情し
てくれるだろうか そう思いながら 俺は 心を落ち着かせようと二 三回 
そっと深呼吸をした ああ もうすぐだ だれかが 俺を指差している 群衆
がいっせいに俺を見ている もう引き返せない 俺は 瞑目してから 搾り出
した少ない唾液を 一回だけ飲み込んだ そして 鏡のまえのひとりの群衆に
むかって 間違いだらけの過去を 捨て去るために 立ち上がったのだ



二番地の内田さん  症例 3  

白いあごひげをはやして 美味しそうに キリマンジェロを飲む 二番地の内
田さんと呼ばれている この老人は 若い人と話をすることが 何よりも好き
だ よく 真面目な顔を丸くして 恋愛談義をする気さくな人だ でも 私に
対しては どういう訳か 眼をそらそうとする そして 必ず 空(くう)を
みるような遠い眼をする とても 嫌悪に充ちた 氷が浮んでいる寂しい眼だ
 私は、みんなと同じように 気に入られたいと 必死に眼を合わそうとする
と 怪訝に 顔をそらす でも いつとはなしに 決まって誰もいないとき 
ひどく暗い部屋の隅で 心臓を患い 禁煙のはずが 秘密の場所から こっそ
りピースを出してきて 美味しそうに タバコを吸い込むと 遠い眼をする 
そして 搾り出すように インパール戦線の飢えのなかで 人の肉を頬張った
こと 絶望的な仲間たちの無力な戦いの話を 始める やがて 復員してから
 恐ろしい空白を埋めることができず なんども死のうとしたこと だから 
手首には無数のリストカットの跡があると 内田さんは 重くなった口を放り
出しながら 私に近づいてきて 必ず 血の痛みをふたりで覆うのだ でも 
最後には、「昔のことだよ」と ため息にちかい言葉を吐いて 遠い眼は 何
度も海を渡る 私は その眼を しっかりと見つめて 決して離さなかった 
内田さんは お守り代わりに持っている ニトログリセリンをちらつかせては
 「もう わしの時代は とっくに死にたえている」と 不整脈の胸のなかか
ら 海の底のような遠い眼をする
二番地の内田さんの葬儀は 多くの知人や親族に囲まれた幸せな葬儀であつた
私は 棺のなかに 内田さんの命を奪ったかもしれない 秘密のピースを一箱
他の人に分らないように そっと入れた 内田さんの辿る旅が 寂しくないよ
うに 見上げれば空は 晴れているのに 青く見えなかった 私は 内田さん
が 隠していた傷が 思い出されて 長い間 耐えてきた 禁煙を破り ピー
スを取り出して いかにも美味しそうなふりをして 遠い眼をした でも な
んて狭いのだろう 身動きも儘ならない もうすぐ 灰になり いままでの苦
しみも飛んでしまうだろうが もう 一週間もこの儘だ 多分 忘れられてい
るのだろう そして これからも 気に留められることはなく ひとつの記録
として 書架に埋もれていくのだろう でも 総じて見れば 少しは幸せだっ
た気がする もう この ひどく暗い部屋のなかに 敵はいないのだ 私は
数少なくなったピースに火をつけて いつものように 遠い眼をした


you

  村田麻衣子

伝わらないと意味がないと
それしかない 噛んだストローが洗面台におっこちていた
コップとか、
病院の冷蔵庫が こんなところにあるなんて
配置が
おかしいし
噛みあとだらけ の
コップが投げ捨てられている。

「苦しい」とか「悲しい」とか
そういう言葉以前であった
投げつけられた
コップを床に みつけた
青い透明なコップはプラスティックだからか傷が
ついているいつも投げつけてしまうから
落っこちている

匙の上にのっている すりつぶされた
ご飯粒が
透けて 
差し込むわずかな
光をあつめ 掬いとられている観測であるその
すべてのきぼうが いいように
すりつぶされて おいしいかおいしくないか
その 生温かな希薄でもふくよかでもない ただおぼつかない
時折匙からこぼれては
冷たくなった 食器の置かれているトレーは。
滅菌されているが
口に入ったものがしばらくその低い沸点を
なだめるようにそう、その子の手はいつも温かだった

大人が子供にうけとらせた
ものがある 
わたしは、宿題がきらいだった
宿命を
あたえてしまう。だってさきに
いなくなってしまうから、
おとなたちは、
生きていてほしいという それで
まちがいなく
続いていく生命はうとましく いとおしく ただくたびれたようでいて
モニター上の心拍は100から120に
少し上がる
お風呂のあとだから
からだがやわらかくなって
すこしだけリハビリをする
時折
母とわたしは120の心拍に
ついて
笑いながら はなした
生温かだった粥がいつも
あふれた匙からこぼれおち それが
冷たくなる

ひねってから
しまった、と思った蛇口が洗面台で流れ続ける
送り出した心臓の血液は、投げつけたコップのようでいて
あのこの感情とは違っていたのかもしれない
憶測であるが
セメントはその流れ出た 違う流れの 力を感じていた

「そろそろ声出して
笑っていいい月齢なんだよ。」と、
母が、わらったかおをちかづける
「おもしろいこともそうそうないか。」と、
疲れた母の 頬の筋が くっきりと見えてきた

あらかじめ決められた
ただひとつの宿命
生きながらえると、
宿題をするにも早いかと、
ソウデハナイコノコハ一生コノママダ。
決別とあきらめをくりかえす
最初に覚えた言葉は
「ママ」だったり「マンマ」だったり
「アンパンマン」
だったり する
商標登録されないがその愛すべき
キャラクターとその家族たちと
はなしたことすべてが
わたしの
壊れた脳細胞のどこかに 蓄積されながら
つみあがっていく
わたしたちがつくりだすせかい
その子供たちがつくりだすせかい
わたしたちの作った つたないつたないせかいのほうに
流れてこんで給水塔の配管のようにつよく
つよく流れ込んでいくそのたぐりよせたらこわれてしまうような
淡い日常を あいしてやまないと、わたしはおもい
そのベルトコンベアーをつくったんだと、笑ったあなたを
たまらなくすきだった

かつてつくりだした世界
こちら側のせかい
駅には分別されたごみが
透けていて
あちら側がきれい、と思う。
捨てられた新聞には、
被害拡大なぜ防げず 
と何のことかわからないから
目を凝らすと 幼児虐待、と書かれていた
透かした向こう側に人々が通り過ぎるから
とらえた光が表面を
生温かに 潜んでいる
廃棄的発想。
向こう側で手をつないでいる 背の高いおんなのこと
背の低いおとこのこが短い髪で にたようなシャツを着ていた
優しいやさしい時間がながれている


つかんで そのこははあくする
離せなくなってしまう大人の指を
傍を離れられなくなってしまう大人と
ついて消えない感触はあの子のものか大人のものか

おなかがすいて くちを もぐもぐしている子を心配そうに見て
こちらのことばのよくわからない 中国人の母だったろうか
おしゃぶりをもって
「これを たべさせて いいですか? 」という
いっしゅんとまどって
いいですよとまよわずに いう

触っている血液が誰のものかわからないまま
流れている 夢をよく見る
いろんな子のところに行っては 出血をさがして
ああちがう ああちがったとわたしは走り
子供はびっくりしたような顔をする
母のものか子のものだったのか
誰のものかわかれないけれど
流れ出している それを探し当て手で押さえて
とめた
泣きながらとめた
なんじかんも もう流れていないのを
確認しようと汚れた ガーゼをはがしたら、また
大量にながれだしてしまった
そうやって目を覚ます


歯が生えた
萌出していたのを見て
痛んでいるようにも見えたから
いたいの?
返答はないけれど心拍数がすこし高かった
きっと誰にも聴こえていなかった
真夜中2時


廃船――夜明けのとき

  前田ふむふむ

       1

十二月の凍れる月が 遅れてきた訃報に
こわばった笑顔を見せて
倣った無垢な手で ぬれた黒髪を
乾いた空に かきあげる
見えるものが 切り分けられて
伏せられた透明な検閲のむれが 支流をよこぎり
静かに 沸きあがる
   失われた汽笛に高められた過去 静止した速度
たたみ掛ける重さが
         波の上にひろがる
             水没のとき 

わたしは 仄かな夕空をかたどる
もえる指先を あなたの記憶の鎖骨のむこうに
あてがう
脈を打つ草々のような海が 蒼い眼差しの奥で
夏を踏み分ける旅人のように
紅潮する頬を 弛める
赤い波が 海のはじまりと 終わりとを
引き合い 溶かし合い
あなたの空虚な胸の剃刀を やさしく絡める
       赤い波が――
             水没のとき
 
      2

夜がとばりに鍵を掛けて 佇んでいる
湿った空気が硬質な無音を垂らして 凍る夜が戯れる
海鳥も漆黒のベールで 液状に溶けて 眠りについている
微かな呼吸が囁く季節の枕元で
もはや 行くべき場所もなく 帰り来る場所もない
打ち捨てられた去り逝く栄光が
沈黙した黒い海で 巨大なからだを崩れながら倒れた

一つの塊は 冷たく骨になった頭を 横たえる
そこでは 死は大きな口を
顔の外に開けて 微動もせず
群れをなして 林立している
かなしみも 憂いも 劇薬に切断されて
煌々とした月のひかりに 照らされて
骨は重なり合い 絡み合い 傷つけあい 潰し合い
かたちを 冷たい海の溜息に 晒された
船の墓場が広がっている
侮辱された残骸の山々
廃船は 一つずつ衣を脱ぎ捨てて
剥き出しの骨をさらしている


脱ぎ捨てられたものは
夜が沸騰の中心点を選ぶころ
遥かな広い海原に向かって 過去の美しい姿で
音を立てずに入水する
マストが空の階段の上で はためく
甲板を 蒼い月が産んだひかりのきらめきで もてなす
船の舵が溶けて それを海に葬送された者たちが
たぐり寄せる
死するものための波頭は 海の馨しい記憶の
聴こえざる歌を唄い
船の輝かしい系譜をなぞりながら
眠れる空に高々と打ち上げる
夜ごと海が行う廃船のかなしみの水葬が
鎮まりゆく喝采の戸を 海の断崖で叩いている
誰にも知られることなく ひっそりと
ときだけが敬礼する

     3

八月という
真夏を彩った鋼鉄の欠片が 閃光を発して
冬の脅える空に 鈍い金属音を砕く
     果てしなく続けられる
          終りなき 復員のとき

いつまでも 始まらない海に
   故郷で聴いた音が――
         懐かしい音が帰る 海へ

帰りたいのか
わたしの肉体が 懐かしい音をはおる
わずかなひかりが 流れる夏の海原の水脈を映して

生きたいのか
愛惜の山河の眺望が
遠い母を偲ぶ 暑いみどりの葉脈のなかをくだる
  逝った人たちよ
  わたしは 今日も おなじ夢を追想している

うすまりゆく暗闇の密度
カウントされる枯れる氷山たち――
      立ち上がる白壁のつらなり

まもなく ふたたび訪れる 複眼の夜明けだ

わたしの細い手たち
化石のような曠野を行く柩の天蓋を
           固く握り締めていこう

真夏は この地図にない航海で
水底に肩を落としたまま佇む
    糸杉が寂しくひかっている
ああ
感傷的な島々の此岸を
悠揚とした眼差しを据え
       直立して 渡っていくのだ


夏の横断歩道

  山人


空気がゆがんで見える夏の日
その横断歩道には
日傘を差した若い母親と
無垢な笑顔で話す少年
ひまわりが重い首をゆらつかせ
真夏の中央で木質のような頑丈な茎をのばしている

山間の盆地町
遠くの山々に
乳白色の入道雲が
かなしいほどの青に浮かんでいる

指差すむこう
そこに何があるのだろうか
果実のような少年の笑顔のうえに
おだやかな母親の日傘があった

一部始終 あらゆるものがあらゆる目的で存在し
そうしてたたずんでいる
仕切られた建物も
道ばたの草も虫も
道路をへだてた小さな町工場も
交差点の端に構えられたコンビニも
まぶしい青空の下の少年と母親の存在も


横断歩道を静かに渡る
車いすの少年と母親
炎天の中
ふたたびおだやかに夏は浸透して
蝉時雨はふと現実に戻っていた


水精

  本田憲嵩


   1

やさしいきみはあまやかな声の中に居た
水のせせらぎの癒しにも似た音色
きみは水で形成されたうつくしい水精(ナンフ)だった
ぼくはひとつの水槽の中に入るように きみのなかに熔けてゆく
きみのからだはあるいはゼラチン質にも似て
ぷるぷるぷるぷる
ぼくの意識もゼリーみたいに きみに零れはじめる
やがて半透明に透けはじめてくる ぼくらのからだ
ぼくらの存在は まるでゆらめく蜃気楼のようになる
ながい抱擁
うしなわれてゆく平衡感覚
ついに上も下もなくなって
海に映えるさかさまになった高楼のような幻となる
そのまま水の中にいる
やがて
水の中に射しこむまばゆい光が視えはじめる――

   2

さわやかな朝
やさしいきみはあまやかな声の中に居た
水のせせらぎの癒しにも似た音色で
きみは水で形成されたうつくしい水精(ナンフ)だった


夜食

  uki

ここで深く刺さっていますね 追憶のように 不自由ですね あたらしいソネットを準備した小さな室内に なにやら怪しげな私信です 判読不能 午後から雨、雨、雨 ならポケットに きびしい採点を受けた自画像をまぜておくと ささやかな夜食にもなってくれるそうです

棘をちいさないかづちとおもってしまいました 裏返した指にも血が走る音
ピアノでも そうピアノでも弾こうとおもっておもいきり鍵盤蓋をあげてみたのですが すべてはすっかり鯨幕に覆われ もういっかい、もういっかいペダルを踏むこともかないませんでした

あしたは終わっていました/待っていました/終わっていました/待っていました
できれば今日中におねがいします/できれば即日/納品/奉納/鎮魂おねがいします

診察券が胸に刺さっていますね 棘がこんなに降っていますね 誰も逃れられませんね だめですね
雷鳴は救急病院の室内楽のように 黒く速く なんでも黒兎を大量に放ったとか
体温計をふりまわし カーテンをかみちぎり ベッドを乗りまわし
ぜんぶ 兎の耳の毛細血管のなかに 蘇生します
あしたもたぶん 蘇生します
でもそれは兎の耳だけのことなので

あしたは終わってしまいました あしたは終わってしまいました
とぐろを巻いて
ぜんぶを轢いて
なかなかおかしい 夜食を運べ


dodo

  はなび



まぶたをとじると
世界がきえる

絵本をとじて
つきのあかりの
しろじろを眺める

よるのくらさが
空中ブランコにのって
落下する

音もなく
落下する


カップヌードル式

  リンネ

 ぼくは部屋の中をぐるっと見まわした。そして思い掛けない激しさで、「カップヌードルがある!」ふと涙ぐんだのも思いがけないことだった。「カップヌードルがある」もう一度小声で繰り返すと、目の前の壁がもやもや霧のように胸いっぱいにひろがるのだった。
 カップヌードルというのは、目に見えるということが大事なのだ。そのカップヌードルが不可視の存在になってしまったら。そしたら、どうだろうか。目に見えないカップヌードル。これは矛盾そのものである。
 時計を見ると午前十時三十八分二十六秒だった。そのときのカップヌードル。二十七秒のカップヌードル。二十八秒のカップヌードル。カップヌードル、カップヌードル、カップヌードル。いろんなカップヌードルが僕の部屋に溢れて、僕はそのすべてをだきしめたいなあ、と思う。部屋に満ちるカップヌードル。
 ぼくはここにあるカップヌードルがカレー味であろうと、しょうゆ味であろうと構うまいと思った。ここにカップヌードルがあって、ある関係を結ぶだけだ。ぼくのペニスがコンドームと関係を結ぶのと同じように。頭と枕が関係を結ぶのと同じように。
 こんなふうなカップヌードルの一列を「口中オルガン」と称していた。並んだ抽斗にはそれぞれフリュート、ホルン、天使音栓などと貼札がしてあり、ぼくはこれを引き出して、あちらで一滴、こちらで一滴とカップヌードルを味わいつつ、内心の交響曲を奏するのである。
 ぼくは頭蓋骨ののっている机のはしからカップヌードルをとりだした。ぼくはほんのちょっとのあいだ、そのカップヌードルに自分の手をのせた。それは、冷たくてしめっぽい、カップヌードルだった。
 そのカップヌードルがころころと転がり落ちた。そうしたら、本当に不思議な話のようだが、そのぼくの、二十年前の兵隊さんの外套のポケットから、いつかカップヌードルがころころっと転がり出してきたことがあったのだ。それを、とつぜん思い出したのである。
 しゃがんだぼくは夢中でカップヌードルにしゃぶりつく。陥没した容器から蠅が飛び立つ。蠅はしばらくカップヌードルのまわりを飛んでいたが、シーツの上に降りるとまもなく消えた。
 それからぼくは、こぼれたカップヌードルのなかに寝転がり、平らな麺に自分の頭を載せて、乳を流したようなスープを見つめた。スープには、星の精子が点々と穿たれ、天の尿が流れて奇妙な模様を作り、それが、星座をちりばめた人間の頭蓋にそっくりの円天井に広がっていた。
 ぼくはここでもうじき死ぬる。でも大丈夫。ぼくはカップヌードルだ。ぼくは初めから、むかしもいまもこの世界に居るし、居続ける。適当な紙にカップヌードルの記憶を書き込んでみよう。カップヌードルはまた同じことを繰り返すのだ。
 いまでも責任をもって確信することの出来るのは、この世のなかには、唯一絶対の、だからほんとうのカップヌードルなんかありはしないということである。そしてぼくは、はなはだ無邪気で申訳がないが、そのことをこの世のやさしさとして喜ぶことが出来るのである。
 ぼくはいま幸福なのではないかしら、とふと思った。幸福感というものは、悲哀の川の底に沈んで、幽かに光っているカップヌードルのようなものではなかろうか。

 箸を、だれかが、ぼくの心臓に刺し込み、二度えぐった。眼がかすんで来たが、箸を構えた二人の男がぼくの顔のすぐそばで、最後を見極める有様が、まだわかった。「カップヌードルのようにくたばる!」ぼくは云った。屈辱が、生き残っていくような気がした。
 そうして房飾りのようになってしつこくつきまとう、燦然たるカップヌードルに囲まれて、ぼくのスープは、夜空に微動だにせずかかっている星座の下で、自らもまた銀色に輝く姿となって、ゆっくりカップヌードルの外へと流れ去った。

 いったい、いつから、そのカップヌードルがカップヌードルとなったかを、ひとびとが忘れはててしまうことによって、カップヌードルはまさにカップヌードルとなる。



  【註】

 パラグラフごとに次の順序で各々の作家の文章の引用である。しかし引用文のほとんどは作者により人工合成の添加物を幾ばくか混ぜ合わせてあることに注意が必要である。

阿部麺房、松浦麺輝、町田麺、麺田雅彦、J・K・ヌードルマンス、ジェイムス・ヌードルス、麺藤明生、麺取真俊、ヌードルジュ・バタイユ、町田麺、椎名麺三、太麺治、F・N・カフカ、ウィリアム・ヌードルディング、プラメン


みずのなかのおとうさんへ

  破片

あのね、
父性は遠い星座を象る
α星なんだよ、

幼い頃。
深さの判らないほどぶ厚い入道雲が恐ろしかった。
屋外での遊びを禁じられる台風をこの手でやっつけられないか考えていた。
飲み物はいつでも冷たくて真冬でも温かいものなんて飲みたくなかった。
終わってしまった短いたばこのフィルターに残る味を試していてゲンコツされた。
星が輝いていることをただ煌びやかできれいだと思えていた。
まあるく、やわらかな、じぶんのほっぺが、何よりも嫌いだった。

水位が上がって星を浸す
風が、止まない
あなたたちを追い越して吹く風は
とてつもない熱量で街を乾かした
蒸発した水の行き先は?
ここはきっと宇宙の最下層

見上げれば、
水底が大きな屋根だった

白銀と、濃紺のうねり、
沖から手紙が届く
触れることのできない
熱い筆跡を、いつまでも保存していたね

父よ

今から行く者のために、
天候は悲しげな相貌
まずは言葉を上書きする
言葉が上書きされて
上書きした言葉を水で上書きする

あなたたちはどこで呼吸してるの
液晶の海、可視化処理された素子となって
息吹を手放して、
温度を奪われて、
硬質で密度の高い疑似宇宙の
しがらみの中に瞬き
身じろぎさえ許されない、そんな処で

天候が変わる、また変わる
星々は霞む、
ぶ厚い天蓋に護られて
真空から逃げる
ひとびとの、嘔吐
その吐瀉物で、同胞をたくさん
救い出してきた

父よ

硝子細工の塔の天辺
碧く透き通る建造物から
あなたが飛び降りる
そこは空だよ。
自由落下には果てがあり、
空に殴られて人体は潰れるから
ひとは空に上がっちゃいけないんだよ。

とろ火でゆらゆら
星が煮立って
硝子の表面みたいな
光沢のある宵の下
燻されて美味しい
鮭のぶつ切りを肴にして
あなたはいつまでも、

さかな? 魚?
違う、さかな。肴だよ。
上書きされていく

ここは宇宙の底
なにもかもが乾いた電脳の界面
住んでいるひとはみな
星からの風にやがて斃れる
液晶を泳ぐ光子信号と、
質量を奪われた実体と、
それだけで水も炎も描き出せる場所

底。
ひとつずつ星座が崩れていくのにあわせて、
いくつものα星が落っこちていくのを見ていた
まあるくやわらかなじぶんのほっぺが、
ぼくは、お父さん、何よりも嫌いでした


17時発熱海行き

  はかいし

失われた時を求めて、どこまでも旅をする私がいた、私はカッパに出会ったばかりの少年、私は山へ消えゆく少年、私は川へ流れゆく少年、夜、ブログのところはもう少し削ったほうがいいと思った、(この詩は旅の物語なのに、カッパの話が出てくる)(もう終わらせてもいいかい? まだだよ)(このコメントは管理人だけが閲覧できます)(それというのも作者がカッパの出てくるアニメを見たからで。もうしばらく付き合って欲しい)(嫌だなあ)(旅の途中に見た夢の夢のまた夢夢)(覚書によれば十二月二十日)(燃える火の中を通り抜けても平気な化け物になって何度も通り抜けた)(はじめから終わりまで一本道だった)(プルーストのように長い回廊を通り抜けて)(今私はごろごろしている、布団の上で)(プルーストのように)(ごろごろしている)(終わることのない流行り病がまたやってくる)(戦士のポーズをとった人々が近づいてくる)(釘宮君が部屋を出ていく)(胡桃谷君が部屋に入っていく)(あやめが出ていく)(ありがとうございました間もなく東田子の浦 田子の浦です)(隣に座っていた人の本の中にある「そのことから、一つの疑惑が生まれた」という文)(ドアを閉めます ご注意下さい)(自由にもってこれない)(余白とかも両端3ミリずつ自分で決めたら使えますよ)(英語もよくわかんない)(すごいな)(一人で行って動ける?)(明るい)(やべえやべえ)(冷蔵庫入って)(めちゃくちゃ勉強したっつってたから)(違うんじゃない?)(日本へそ攻撃)(人工衛星)(何を話しているのかよくわからない)(ご飯美味しいところ行きたいなあ)(これが列車の中での会話だと誰がわかるだろう)(喫茶店)(オリジナル)(静岡行って帰ってくる)(キャラとかやっちゃったら)(それしか使えない)(次は沼津 沼津です)(誰かわかるよね)(アンケート)(一階に大きな……(……のところはよく聞き取れなかった))(三時間!)(お出口は右側です)(前方と左右から会話の声を感じる)(お疲れ様です)(右側の集団が消えた)(オレンジっつった)(列車の出入りがあった)(リクルートスーツを身にまとった人々の群れ)(が前方から左手にかけて見える)(不審な荷物などございましたら……車掌までお申し付け下さい)(間もなく三島 三島)(階段上らされてる)(階段)(階段使えてるんでしょうか)(リクルートスーツを身にまとった人々が降りていった)(電車が線路の上を過ぎていく音が心地よい)(間もなく函南 函南です)(バイバイ)(ドアを閉めます ご注意下さい)(僕はどうしてこんなことをしているんだろう)(次は終点 熱海 終点 熱海です)(前に座っていた学生がセーターを着こんだ)(携帯の電波表示が圏外になった(トンネルをくぐっているせいだろう))(僕はしたいからこういうことをしているんだ)(学生がセーターの腕を捲って時計を見た)(17:38)(こう表示されたことだろう)(あるいは少なくともそれに近い値が出たろう)(というのも僕の携帯がそうだからだ)(あの学生もじきに降りるだろう)(僕も降りて乗り継ぎの列車を探すだろう)(そして降りた学生と一緒に東京行きに乗った)(というよりは偶然一緒になってしまった)(坊主頭のその学生と目が合った)(威圧するような、そして意志のこもった目だった)(彼はスマートホンをいじくっていた。きっとラインでもやっているのだろう)(何を話しているのか)(いいや僕が気にすることじゃない)(さて列車は湯河原へ向かっている)(湯河原でその学生が降りた)(そのまましばらく眠りこけていた。気がつくと列車は二宮に向かっていた)(ふと山手線のことを考える。あの循環する線路はきっと退屈ではないか?)(窓の向こうを見る。人、人、人、目に写るのは人ばかり)(屋根、ビニールハウス、竹林、畑、家、家、列車、家、家、……)(次は平塚)()(いったい何を書いたらいいんだ!)(何を書いたら気がすむんだ)(気は休まることがない)(気、気、気、気は休まる気配がない)(ちょっとだけ気になる)(一日一行……くらい……)(喋らないと息が臭くなる)(喋らなければならない)(Green Card)(Gracias a la vida)(次は茅ヶ崎 茅ヶ崎)(笑い)(……笑うと思うけど……)(あれ……)(四月と……)(終電……)(で頭なんか……)(違う違う……)(……ろしく)(……でもまだ……)(……トレーニング……)(君は何を目指しているんだ)(重い言葉がきたね)(笑い)(顔が怖い)(話してみて)(総合的な)(ああでもちょっと似てるかも確かに)(いい人だよ)(……)(期待されても……)(それ大事だよ)(……スナックは……)(ここで途切れている。作者の体力が限界だったのだろう)(さて、カッパはどこへ行ったんだろうか?)(答えはどこからも返ってこない)


正対する空白のための分割和音(重奏からなる)

  破片

煙草を一服する。
視座は連なり、順序の法則の中で燃え尽きるあなたの骸。
もう一度、煙草を一服する。
薄く伸びる煙を吐き出すたびに削り取られていくのは、いつだって。

昔はカリン塔より高い位置に空間は存在しないと思ってた。そこは地球上の場所として認識されるべき成層圏内でも、宇宙でさえなく、その間にぽっかりと生まれ落ちた無だと、思ってた。誰の目にも触れない場所だったから。

紙面に記述された神話の頁を破いて、男性は解き放った精液を拭う。一面の荒野だ。ウルルを砕いて敷き詰めたみたいな色彩の中で、粘性の高い水分が荒れ果てた大地に捌けて引き千切られていく。そんな時無数の言葉が降ってきたとしたってどうしようもないだろう。たとえばそれが恋人を慰めるための水っぽい口づけに変わるとしても。男性はね、一行の文章があれば射精できるんだよ。
雨が降ればいい。できれば誰かの熱を飛ばしてやれるくらいに冷たい雨が。幼い女の子がレイプされないように。乾き切ったものを全て両手に抱いてくれるように。

自分の頭に突き付けたショットガンをぶっ放したKurt Cobainも、泥酔した状態でガードマンと乱闘してぶっ殺されたJaco Pastoriusも、同じ人間だとはどうしても思えない。生まれ変われないまま、巻き戻しも叶わないまま、彼らは死に終わるまで死んでいる。他の誰も立つことのできない視座は空っぽのままいつまでも残っているだろう。埃をかぶって重苦しく凝り固まっていく人間の行き先には鈍色の曇り空が広がる。あなたはいつだってその光景を見てきた。数多のミュージシャンが歩いて行く、撮影された写真のようなうつくしい正確さを持った、その場面を見てきた。
あなたたちを愛してるのに、どうして宛先が見つからないのだろう。海と空とが仲睦まじく色合いを揃えて、ぼやけたものをそのままに遍く抱きしめる。打ち寄せる波の飛沫から立ち上る、乾く間際の血のにおいだけがあって、あなたたちはそっと投げ渡される愛に応えることもできない。

煙草が短くなる。
宵闇を透す街並みは大きな棺としてあなたの身体を受け止める。
吹きすさぶ太陽風で、
削り取られていくのは、有機物だけが持つ絶え間ない循環だった。
一切の音が聴き取れなくなる、
その奔流を音楽と呼ぶのなら。

やがて太陽は世界へと接近してきて、連続性の途切れない街並みにも夏という新たな銘が追いつくだろう。
アコースティックギターの柔らかなエコーが掻き消されてしまうほどの熱気と喧騒があなたの元にもやってくるから、そんな処で一人、楽器を携えていても仕方がないよ。いいから財布と携帯電話だけ持って女の子とセックスしに行けよ! 余計な物は持っていかなくていい。あなたの人生を支えてくれるクソ真面目な読み物も、気が狂ったみたいに金を注ぎ込んだ楽器も、何もいらない。あなたの渇望を満たしてくれるのは、夏である今はたぶんセックスだけだ。あなたも女性が好きな男性であれば、難しい読み物の代わりにただ甘やかしてくれる声があって、爪弾く楽器の代わりに誰かの乳首があって、それだけで良いと思うんだ。あなたを呼ぶ声が聞こえる。小型のスピーカーとマイクが搭載された携帯電話から。
全ての人体が腐り落ちる前に、人間は地上に根を生やすべきなのかもしれない。その時どんな色の枝葉が伸び、どんな色の花が咲くのかまだ誰も知らない。もしかしたらそれは思わず自ら目を背けたくなるようなおぞましく醜い生き物かもしれない。でもどうやって人間だったそれが、人間だった時の過程と技術を踏まえてセックスするのかは、ひどく気になる。夏だから煙草は控えるよ。なんだかニヒルやクールを気取るのは許されないような気がして。
高鳴る心臓が不整脈にひどい雑音を差し挟む。あらゆる方向に伸びあらゆる方向から集まる交差点をおんなじ顔した人々が退屈そうに行き交う。星が滴り落ちる月無しの盆の夜に怒号が飛び交う。自分のためだけに歌を歌って、あなたのためだと言って別の誰かをぶん殴って、違法な薬物を服用して季節を聴いて、血行の良くない痺れがちな足を引きずって近場の浜辺まで出かけていく。そんなに苦しいなら一回死んでみてもいいんだよ。

いつもあなたが昇る、
stairway to heaven
すれ違いのない道のり
立ち止まる前にはいつも
toとheavenの間の
無限にも等しい
発音の断絶が襲いかかる
あなたはあなたじゃなかった

・You know you’re right
 火葬された骨があんな色になるなんて誰か知ってたか。俺のじいさんが粉微塵にされて出てきた時、僅かに残された骨の塊は翠やら蒼やら不思議な色をしてたよ。清潔な火葬場に存在しない死臭を嗅ぎとって、周りの人たちは静かに啜り泣いていた。
 遺影にはいつまでも若々しいあなたを、棺には駆け抜けて疲れ果てたあなたを用いて、そしてみんなは必ずそのどちらかに縋りつく。吐き気がした。顔の部分だけ窓みたいに開くことのできる棺に、閉じられる前の棺の中に並べられた滅びかけの花束に、爬虫類の鱗みたいな顔に。その頬に、吐瀉物をぶちまけてしまいそうだった。
 あなたはどうして自分が、未だに誰からも殺されずに生きているのか不思議でしょうがないと零した。年端もいかない小さな女の子の身体に性愛を注ごうとするあなた。隆起のない穏やかな肉感の乳房に狂おしいほど惹かれていると言った。人体の中で最も肌理の細かい幼い女性器ほど魅力を感じるものはないと言った。色目や下心から縁遠そうな純真で真っ直ぐな人格こそ愛すべき人物像そのものだと言った。まあ、垂れ下がりそうな皮の中に腐肉を詰め込んだような老いた人間をレイプするのと同じくらい正常だよ。そう言って俺は殴った。
 噴水のある広い公園では幼い子供たちが休むことなく走り回っている。パタリロの中で男の子の靴には羽が生えているという一節を読んだことを思い出す。羽が生えているから、どんなに飛んでも跳ねても立ち止まってしまうことはないという。あの子たちを焼き払えばさぞかしきちんと骨が残るのだろう。遺影には一切の脚色がなく、命を欠落してなおその頬は柔らかいままだろう。
 あなたはどこに行くつもりなんだ。
 誰かが俺を殺してくれると信じてるんだ。

 また再び取り換えられた銘が声を媒介に伝わり染み渡っていく。
 気候は、いつしか土着するようになって、

・November rain
 パイプオルガンは祝福と神聖をノートするための道具であり、用いられる論理は人間へと降り注がなければいけない。組み上げられ築かれたものは余すところなく音へと還元され、与えられた熱が冷めてしまった人々の心に、もう一度火を灯すために鳴り響く。旋律と呼ぶにふさわしい見えない流れの中に放り出されている人と人とが、流れていってしまわないように手を取り合うと、november rain、死に終わったミュージシャンが涙を流すおばあさんのためにその席に着く。
 少しだけくたびれた青空が、おだやかに、真っ白な棺を運び、送る。収穫されたさつま芋の温められた氷砂糖のような甘さを、忘れることができないのに、わたしは赤土の荒野に立ち尽くして独りで射精している。
 記述される前の神話があるために、人は生きている。神話に書かれたように人は人を愛して、身体が濡れる雨には恵みを読み取り、樹齢数百年の大木をも瞬く間に断ち割る落雷には断罪と怒りを解釈する。
 あなたには、もう風化してしまった物語のたった一行さえも壊すことができない。でも、そんな人間だからこそ生涯の伴侶を見つけ、婚姻を結ぶことができるのでしょう。誰かと結ばれずに朽ち果てた人々は、新しき、旧き、西の、東の、どの物語にも登場しない。真空へと放り出され、星になることも出来ず、呼吸が止まり身体の中から爆ぜて跡形もなく飛び散るのでしょう。

逆さまの、
街路樹が枯れ落ち、
今までの世界を
執拗なまでに見つめていた
ひとつの視座が
転覆すると、
あなたは音もなく死んでいく
残された唇には
火の点いた煙草をあげるよ
いずれ燃え尽きたら
その骸に火が移るように

暑くなり、寒くなる、を繰り返し、血の滲むようなざらついた声で誰かのために祈ることがあるなら、何度だって限りない熱を求めてほしい。

あなたは、あなた、
ではなくなって、
あなたは別のあなたになり
あなたは空っぽのまま
取り残されるから
そこにはまた、
あなたが生まれる
連なりが崩される
あなたではないあなたと
あなたであるあなたが、
焼かれて骨になった
わたしの、場所に、
空は巡り、星が落っこちて
落っこちた処では
穿たれた巨大な虚空に大反響した、音楽が、迸る。

文学極道

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