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2013年02月分

次点佳作 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


LED(或いは「雪の砂漠」)

  右肩

 一人で車に乗ってショッピングセンターにやってきた僕。その僕と、僕に直接の関係を持たないが、僕とよく似た環境を共有すると思われる人々。ここにいる個々人を一括する、浅いが広範な関係性。
浅き心を我が思はなくに、と。
時間に映り込んだ影。それを覗くために、僕はここに立っている。
 僕は騒がしさを抱えていた。
僕は一人で歩き、立ち止まり、何も言葉を発していなかった。
しかし、センターの流す音楽や呼び込みの声、家族連れや友人、恋人同士の会話に紛れて、マクロな視点から見れば、確かに騒がしい群衆の一部をかたち作っていた。僕は僕自身の意識に関わりなく、非常に騒がしい僕だった。
 僕は切れてしまったベッドサイドの読書灯の電球を探そうとして、
(電球はないか、電球はどこだ)
と頭の中で喚き続けているのだから、自らそう規定してみせることに抵抗はない。
電球はこの広大な売り場の何処かに特定の位置を持ち、流通の関係性の波に乗って時間の海を遊弋している。つまり、空間的には安定しているが、時間的には不安定であることになる。今はどうしようもなくそこにあるものが、いつかどうしようもなく移され、売られ、捨てられる。
美しい。
「何だ、俺のことか、それは」
と僕の傍らを通り過ぎながら、数人の若い男たちの中の一人が言う。僕は動揺しない。それが僕とは関係のない、彼らの仲間うちの会話の断片であるとわかっているからだ。男はフリースの上から赤黒いダウンジャケットを羽織っていた。スニーカーの足元にソックスが覗くほど、丈の短いパンツ。
どこか非常に近いところで、固いものを噛み砕く音がする。フードコーナーから油の臭いがしてくる。昨日の淵ぞ今日は瀬になる。
飛鳥川。
ここからもう少し遠いところに、川が流れている。
 南の突き当たりは、嵌め殺しのガラス壁。僕がその前に立つと、僕の傍らの床に、一本の長い影が伸びている。それが周到に用意され、この世に送り込まれた奇跡の一つであること、そのことが段々とわかってきていた。
そういうふうに作られているからだ。
携帯電話のキャリアチェンジや、海外旅行の申し込みに来た人々が、一瞬その影に貫かれ、もちろん表情に何の変化もないまま僕の傍らを歩き過ぎて行く。奇跡とはそういうものだ。みんなもとへは戻れない。
それは木の十字架の影ではない。
銀色に塗られた金属製のポールの影であった。センターの前庭に立てられ、剥き出しのスチールワイヤーが二本、上下して張り渡されている。雪はそのワイヤーとワイヤーの間で降っている。それはここでこの時に降る雪ではないので、目を凝らしても見えてこない。「ワイヤーとワイヤーの間」、そんなものはどこにもないと言った方がむしろ正しい。
 だが、僕は逃れようもなく「ワイヤーとワイヤーの間」にいて、息もつけないほどの激しい吹雪に巻かれている。吹雪で遮られた視界に唯一、LED電球が煌々と光を放ち僕を導くのだ。僕は取りあえずここを離れ、電球を買いに中央エスカレーターを昇ればいい。(これでいいのだ。)
暗きより暗き道にぞ入りぬべき。

 だから、遙かに照らせ。


シベリウス 交響曲第六番第四楽章

  zero

 階段が、坂が、川が、ゆっくりと幅を狭めて、水から炎へ、その蔓の雨から暴風に向かって、感覚を遠く、近く、また遠くへと、ねじれた船舶の直線をたわませて、神殿は太陽を覆した、階段が、また階段へと、大理石の二〇歩分を削った後の山猫、山猫が哄笑する、高く、低く、レンガのように、残る静けさのひびの川岸に宿る球体としての追悼

(上端と下端とが繊毛で縁どられて 中央部に歯のようなものが乱立する 短さの力さえ分からない反戦の夜は終わった 傷だらけの朝焼けの空の窪みから次の窪みまで 杉と岩と鳥と家とそれらの分母から染み込んでくるやかましい産褥 お前たちの机と机の意志と机の意志の引用に俺は手を結んで耐えている)

 弱くて縮れている、そして憂国の被害を楽しんでいる、さらに北へと移住し、落魄し、高騰する、欅の大腿部をなぞって、そのざらつきと健やかな痛みと反復を、鹿々の睥睨と比較し、平行に、垂直に、よこたわる、都市の第一層の一階の屋根まで立ち上り挫折し、今度は昇天し殲滅される、都市の塔が展開され組み立てられ再び空となった、旅人よ、旅人よ、大旅人よ

(尖端部で気流が拡散するのを小箱にまとめ込む 小箱を彩る未来の神々の毛髪の匂いに焚きつけられた四角と五角との苛め合い 始まった瞬間に始まりが終わりまた新たな始まりが始まった 脂肪が開闢し骨格が無化しそこから斜めに伸びた途中の五億光年が切り立つように話し合っている)

 大地が、大地とその下層にある無数の遺伝子たちが、遺伝子とその上層にある唯一の松の木が、いくつも巨大な十字を切り、二個の清潔な宗教を食した、空にまで行かないその途中の風のすみかに、鳥とその羽の捜索が、雲とその塵の改革が、製鉄工場で射出されたまま鋳造に至る憂鬱を凌いでいる、巨大なバクテリアからその無意識の高熱を噂にすると、鋭く固まった山猫の足音が叛乱し、撞着する

(ここから二歩進んで御覧なさい 右足でも左足でも頭でもかまわない その二歩に至る運動から落とされていく影の移ろいから変えられていく地面の温度から費やされていくお前の覚醒 青春の圧接された変電器具の配線の赤と青の色の隙間に束ねられた神殿の釘 死ぬのかな 死ぬのかな どこまでも伝染していけ戒厳令)

 踊る、脚を曲げ、手を曲げ、体を斜めに、体を回転させ、呼吸の流れを妖しい天気の名のもとに、腕の筋肉の開発と再開発から滴ってきた脳の休息、睡眠、悪夢、搾取、一つ一つの茎を折っていく仕草に絡み取られた後にしがみついた哀悼、再び躓き始めた冬の一時間

(融合する暇もないまま代わりに化合した 乗車券に記名されたことと母の日に離婚されたことと衰弱の果てに皆勤賞をもらったことと 横にされたカラーボックスに足をかけ すぐ近くにある山頂にさらに一足 そこから四個目の恒星に志願したが手続きは破棄された 小哲学を切り刻み刻まれた後に残った牛の香りにいつまでも漂っている)


終わりのあとに始まって

  深街ゆか



セーラー服を埋葬したあたしの体は計り売りがいい感じ



密生した花嫁のあいだ、そのあたり指を這わせて
お幸せにとつぶやく白無垢すがたの老婆は
白濁した瞳の向こうにむしゃぶりつきたくなるような
夜の印象を秘めているから
老婆が花嫁のうなじに値札をつける悪い習慣を誰も咎めない
花嫁がすすり泣く夜が美味しくてやみつきになるころに
子守唄が聴こえる
花嫁が母親を召喚した


計り売りのあたしは素早く消化される
どっちつかずの退屈の爪先は
永遠の花嫁よりも美味しいはずだから
迷わず買って食ってほしい
ねえ聞きたいの、夜っていくつあると思う?
他人の夜とあなたの夜と、そんなの数えるのアホだけだよ
そんくらいの、夜と夜の
あたし、そこのところに人差し指突き立てて
撃って撃って穴まみれにして、ほら
あぶくになって輪郭線失って
使い物にならない夜鋭くなって
鎖骨に突き刺さる
なんだか懐かしくて泣きたくなっちゃうんだ
あたしを買って


ここら辺は全滅してる
花嫁と花婿の亡骸が風に揺れて
こつんこつんと乾いた終末を奏でた


老婆はあたしを切り刻んで切り刻まれたところで
ろくな値がつかないんだけど、我慢しな
あたし売り切れる前に脳内にでっかい遊園地こしらえて
お父さんとお母さんを召喚する、ついでに妹も
ピエロが配る風船を夜空に放って
夜空に沈んでいくような、わっかの中の
赤とか黄色の電飾のなかのメリーゴーラウンド
あれに乗りたいって走り去る妹を追いかけて、抱きついて
世界が滲む、どうしようもない血縁
お父さんとお母さんより先に生まれていたらあたし
どんな形にでもなれたんだけど


ゆううつな中庭にセーラー服を埋葬して、はだかになった
あたしの一晩はどうしようもない値で売られてる


雷の内部

  

 だんだんか細くなってゆく未来も口で咥えてカスタネットの軽快なリズムで踊ってしまえば何もかも許されてしまうような夜に不意に訪れた不思議な瞬間は真っ昼間の草原に咲くたんぽぽみたいで私は永遠です、と言ってはみたものの狂ったように笑う女たちからしてみればそれはそれで狂っているってことになって、未来も電池切れのレーザーポインタが地球に寄り添いながら力尽きるみたいに、白けちゃったからソファーに横になってエレキギターと電子バイオリンが踊り狂う全ての人のどうしようもない心の隙間を埋め尽くそうとしているのを仙人みたいに見ていた。競馬で大勝ちした日ってのは夜の街を通り過ぎる女たちの頭上に値段がポコン、と浮かび上がってるのが見えて、そいつとオネンネするにはいくら払えばことたりるかってのが瞬間的に分かっちゃったりするわけで、ちなみに脚がきれいなお姉さんってのはやっぱ相場が高いわけだ。とはいえ、借金取りがガチで怖いからコンビニのATMでアコムやらアイフルやらのカードを財布から取り出して十万単位で入金する、したら途絶えていた未来がぽつぽつと降り始めて掌を差し出すと冷たいけど皮膚を優しく愛撫するようにいつのまにか馴染んでいく。私が蹴りだした足の行方がたとえ真っ暗闇の路地裏で袋小路にぶち当たってもそれはそれでハッピースカイ、全ての人に平等に与えられた死をその時は喜んでフェラチオしようじゃないか。

 私が世界で最も愛していた曾祖母が病院のベッドで死ぬ前の人間がみんなそうであるように顔をパンパンにさせながらチューブを体中に巻きつけられている時、天井から黒い鉄の棒がゆっくりと下りてきて彼女の口の中に突き刺さろうとしていたのを見てから、死ぬってのはあの棒がゆっくりと口の中に突き刺さっていくものなんだなって知った。彼女に意識はなかったけど懸命にその黒い鉄の棒を吐き出そうとしている姿がどうにも惨めったらしくてさっさと病室を後にしたその時に体に纏わりついた慣性の法則が安アパートの一室を缶ビールの空き缶とタバコの吸殻で埋め尽くしている。

 腐敗、ってのはオデュッセイアに出てくる求婚者に似ていて貞操たるペーネロペイアは私の脳みそのどこかの神殿で寝そべっていて、夫たるオデュッセウスを待ちながら一方ではそのどうしようもない腐敗に身を任せてしまってしまいたいという願望を抱き続けている。そんな一人三役を演じながら今日という日だってチューニングはフラットのまま、かなしい予感と幸せな瞬間を煮込んだ何となくマジカルなシチューを啜りながらオレンジのミニスカートに包まれたウェイトレスの奇跡的なお尻の揺れ方の法則について頬杖をつきながらいつまでも思いを巡らしているこの夜の始まりのウェットな時間。お尻ぺろぺろしたい。

 死の対義語が生であるという、いささか古めかしい見解に寄り添って言うならば、腐敗とは生活の対義語であり、生のスタイルにおいて私は腐敗のミニスカートを履いていることに他ならず、意味も無く差し出される諸価値にえげつないパンチラをプレゼントする、という方法論によって幾多の価値の抱擁を拒んできた。だんだん暗くなる空はひとときの間、人文学を忘れる、社会学を、抱擁を。生物学が街に溢れる、「生活」はベッドで眠り、物理学が夜に蔓延る。

 脳みその機能のうちで一番重大なのは五感に伝達される膨大な情報の中から何が現実なのかを選択することに尽きるわけで、その様子は溢れかえる情報の中から確かなものを積み上げて一つの頂点を形作る、という意味において、私たちはとんがりコーンの先端部分で不自由なダンスをいつまでも踊り続けてゆく、ということに他ならず、ケミカルな作用で脳みその機能を揺さぶっても私たちはどこまでも現実のありかを知ってしまっているし、そうでなければ狂人だということ。私は両足で地面を踏みしめる、歩き出す、こける、立ち上がる。多分頭に詰めこまれたものが少しだけ重過ぎる、そういうリアル。

 街のネオンに夜が馴染んできた頃、空は突如亀裂を生じてその内部が鮮やかに光った。遠雷はもったいぶった末にその音の轟きを差し出す。素敵なプレゼントをありがとう、その亀裂はピスタチオの殻のそれのように思わせ振りな様子で視線を吸い込んでゆく、雷の内部へ、何かしら神聖なものとして差し出されたものへと、それを娼婦のクリトリスと同等のものとして舐るものたちをノーマルと呼んで丸く収まっている世界で、ピスタチオの殻を丁寧に剥ぎ取って中身を上品に召し上がる流儀で破綻無く進行していくあの素晴らしい世界に降り続ける黒い鉄の棒はどこまでも優しく、雷の内部で、光になっていったものたちを光のまま摘み取ってゆくのだろうか。とんがりコーンの先端を並べて、ほら、あそこまでは自由に歩けるよ、というやり口で、手と手を携えながら感じる永遠。ディズニーランドの手口で全てを招き入れる真っ昼間のたんぽぽ野原は悲しいほどに不可侵。それは消え去ってゆくものたちに素敵なかたちでさよなら、と手を振れなかったものたちへの報いとしてどこまでも眩しく、差し出されたピスタチオに触れることすら出来ずに佇むものたちを外部としてあくまで外部のままその光で包み込んでしまう。

 ステータス欄にずらっと並んだ膨大な「私」と銘打たれた設定を延々とジョブチェンジし続けながら放浪する夜がかりそめの優しさを露呈してくれるのに任せて、私という設定は強い酒を呷り続ける。その傍に一人の女の子がいたっていい。パステルオレンジのワンピースに身を包んだ軽薄な女の子で、マクドナルドの流儀で顔に貼りついたスマイルが何か重大なことを隠していて、夜みたいに私という異物もからから笑いながら飲み干してくれる。そんな女の子が。

 そしてたくさんの夜を一緒に過ごす。もうほとんど見えなくなったか細い糸を互いに縫い合わすような会話を続けて、夜に縫い合わされた私はもう完全にほつれながら、そこで初めて許された言葉で数篇の詩を紡ぐことが許されるだろうか? 君はきっと優しく頷いてくれたり、言葉の意味を尋ねてくれたり、時には気紛れに涙を流してくれたりする。けど知っているだろうか、そのジョークみたいな涙でさえ驚くほど光に溢れていることを。そしてその涙を拭うには余りにも私の手は穢れていて。

 女の子を置き去りにして飛び出した右足が踏みしめるアスファルトを貫く朝の光が怪物的な言葉でもって私を問いただす、お前の名は? お前の意味は? お前の向かう先は? 私は「コケコッコー」と太陽にカモフラージュをかましながら、息も絶え絶えになって寝床に辿り着き、女の子の涙がその神聖さにおいて恐ろしいほど雷の内部と同じだということに驚愕し、もう一度それを思い描き、触れようとしては、それに触れることなど出来ないことに気付く。まるで指先と指先を合わせるとたちまちショートして焼け焦げになってしまう恐怖から神に祈ることが出来なくなってしまった最も信心深い修道女みたいに。私は穢れている。

 ある時分、とんがりコーンの先端から滑り落ちた私は、夢の世界の招待人ファンタジアーンと名乗る小太りの中年男と話をしていた。ファンタジアーンはよく汗をかく男だったのでいっそのことバスタオルを渡すと、「これは、これは、あなたは本当に心の綺麗なお方だ」と誰に言うでもなく呟き、私はあの夜彼女の涙を拭えなかった手を見つめていた。ファンタジアーンは実に合理的かつ嘲笑的な男であったので、私が例えば天国のことについて話すと、彼はすぐさま天国というのはいわば混浴の露天風呂みたいなものですな、と言った。その後、やつらはおまけに潔癖症でしかも羞恥心が無いときてる、あなたのほうがよっぽど人間的だし、こういったらなんですが「天国」というものに一番近いのも……と継ぎ足そうとしたが、混浴という言葉に興奮した私は、すぐさまかの男を玄関口から突き飛ばした、ファンタジアーンはあーんと言いながら玄関の扉にその体を抉り取られながら視界の内から消えてなくなった。

 その夜再び遠雷を見た、私はもう知っていた、私があの裂け目から生まれてきたことを、黒い鉄の棒はもう私の喉もとまで刺さっていた。部屋に戻って狂ったように泣き叫び、X-videosで大量のエロ動画を鑑賞し、もう幾分と黄ばんだ曾祖母の写真をある本の中から見つけた、栞にしていたのだった。それを幼い少年が憧れの女性の自転車のサドルを盗むときの慎ましさで取り出し、懐にしまった。そのままパチンコ店に行った、爆ヅキした。曾祖母の顔を指先で撫でた、精液を拭き忘れた手はカピカピになったあと、度重なった大当たりの熱量によって染み出た汗と混じりながらぬめっていた。すると、彼女の表情はその白い液体でほんのりぼやけながら何かを許すように微笑んで見せた、なんていうことはもちろんなくて、けれど私はそれでよかった。

 「さよなら」って呟いて、いつまでも見つめていた。


しかもな、梶原がおらんねん

  リンネ

 しかもな、梶原がおらんねん。近くのドトールで待ち合わせて、一緒に行こうぜwっちゅうことで、おれは先に着いて待っとったんやけど、時間になっても全然き―へんから、もし梶原くんはいつ来ますか?ってメールしたったら、わーーーー、風邪ひいちゃったよーーーw なんてかましよって、しかたなく一人で来てんねん。ま、行ったらだれかしら知っている人がおるでしょう、なんて思っとったけど、来てみたら、ははは、誰もおらん。見事に知らない人だらけや。ま、ちょっと到着が早かったし、まだこれから来るでしょ、いや来るにきまっとるでしょ、いやだれか来てうんうんと、ちょうど持ってた数珠絡まして両手合わして念力かましたってたら、はあ、クワバラくんは千ちゃんとむかし仲良くしていましたからね、さぞ悲しいんでしょうね。ご愁傷様です。オーデコロンでぬらぬらした正体不明のおじんが話しかけてきました。オールバックでした。ぬのお、おのれ、なぜわしの名を! と肝冷やしましたけれど、クワバラくん、千ちゃんに最後会ったのいつですか? 千ちゃんの好きなところは? 千ちゃんの武勇伝と言えば? マラソン大会100人抜き? それとも校内大食い選手権三年連続優勝? さあどっち!? などとまるで俺がほんとうに参列者としての権利を所持しているのかどうか、何やら試してるかのようにまくし立てるので、できる限りに神妙な顔つきで、やや肩を落とし俯き加減に、へぇ、ほんま100人ほにょにょう、ご愁傷様ごにょごにょーーーと尻すぼみに言っているうちに、葬儀屋の兄ちゃんが、お寺さんがもうすぐ来ますので、目をつむって静粛にして御着席くださいと始めたので、助かった、襤褸でえへんかった。南無法蓮華経ーーー。なむ。

 ここは千ちゃんの葬儀場です。むろん故人を偲ぶ場所ですから、厳粛に、厳かに、つつがなく執り行われる儀式に対しあらがうことをせず、参列者は日常のざらざらした雑念を取り払い、虚無的に万事流されるまま転じるままに在らねばなりません。南無法蓮華経。せやけどなんや、ほんま千ちゃんって誰やねん、明日千ちゃんの葬儀があるから一緒に行こうw なんて梶原が急にメールよこしよって、おれ、千ちゃん言われても思いつく知り合いなんて一人もおらんかったけど、そやかて千ちゃんってだれやねん、なんてかましたったら、どないなる思うてんねん。まあそれできっと千ちゃんが誰かっちゅうことは分かりましょうが、なんですか、きっとあだ名も忘れてしまうくらい疎遠な人ですから、そりゃちょっと葬儀に行くことはできへんのです。そんな中途半端な感じで故人を送ることは、おれの人間性つーか、信仰心つーか、そういう熱くてコアな部分が断じて許さないし。でも、千ちゃん誰やなんてゆうて、お前千ちゃんのこと忘れちゃったのかよ、まじ人間性疑うはw なんてことになったら、ちょっとやっぱりなんとなくさげさげで後ろめたい気分になるし、いや、普通に何とも言わずに用事があるんやなんや言って、するっと断ればええんやけど、そしたらまあ、了解w なんてふうに話が済むんでしょうけども、あいつまじ人間性疑うはw などとあとで友人のあいだで要らない風評流されるのも嫌でしたので、こうして誰かも知らない人間の葬儀に参加しているというわけです。たたられるでほんま。ややわ。怖いわあ。南無法蓮華経なむ。なむなむ。

 あかん、だめや、やっぱりだめや、ぬるぬるやおれは。見ず知らずの人間の葬儀に半端な気持ちで、なんや、ごめんなあ千ちゃん。誰か知らんけど、まじごめんよお。南無法蓮華ーーー経。南無法蓮華ーーー経。それにしても、南無法蓮華ーーー経、みんななんで揃いも揃ってそんなにぬるぬるしていらっしゃるのですか? すみません参列者のみなさん、ねえおいこら。あい、そこの兄ちゃん、葬儀中にくるくる髪の毛いじり過ぎですわ、女かあほ、ほんとに送る気ありますかあほ、南無法蓮華ーーー経、それとそこの端っこ一帯のおばはん淑女の方々、今更化粧直しても土台知れてるっつーか、いまあなたたちは葬祭の儀式に参加しているのですよ? 真っ最中っすよ? そこ自覚してます? なんですかその体たらくは、え? お寺さんに見えないから大丈夫だって? ふざけるんじゃありませんよ。ふざけるな。千ちゃんは見てるよー。千ちゃんはあんたたちの行いを何もかもお見通しだよー。やばいよー。このままじゃ、千ちゃんの魂うまく昇天できないかもなあ。うんそれってやばくない? なんかあれでしょ、そういった場合のプロセスとして、おれ全然詳しくないけど、地縛霊的なあれになっちゃうわけでしょ、けっきょく。あ、おいガキども、DSは今やってはいけませんよ。今は静かに千ちゃんの御魂を送ってあげましょうね。ほらほら南無法蓮華ーーー経! あにい? もう少しでラスボス倒せそうだから暫し待たれよ? いけませんねー、最近のお子さんはしつけがぜんぜん足りませんねえ、おらおら南無法蓮華ーーー経! 南無法蓮華ーーー経! 

 ぜはぜは、もうあかん、声もようでえへんわ。それにしても悲しいなあ、千ちゃん誰か知らんけど、いやこの葬儀はあかんて、まるで実の入ってないなよなよのインゲン豆のごとく形式的じゃないですか。もうあんまり千ちゃんが不憫なんで、おれ涙ちょちょ切れてきましたわ。おいんおいん。おいんおいん。おいんおいん。ん、なんですか? 泣いたらいけないですって? うっさい、故人をしのんで泣いて何が悪いんですか。わたしゃ存分に気の向くまま泣かせてもらいますよ。おいんおいん。おいんおいん。おいんおいん。え? クワバラくん、クワバラくんて、みんななんでおれの名前知ってんすか? どうして、そんなみんなおれを慰めてくれるんスか? それでよけい悲しくなってまうだけですやん。おいんおいん。おいんおいん。おいんおいん。おい、おまえら、やめてほほほ、くすぐったいちゅうに、いや胴上げはだめでしょう。あ、うわなに胴上げちゃってるんすかみんなまじで。お寺さん怒りますよて、ええお寺さんまで何しとんの、そんなお経もあげんで、万歳万歳、クワバラクワバラって。ああ千ちゃん。ああ千ちゃん。悲しいなあ。えらい悲しいなあ。達者でなあ。南無法蓮華経。こんなぬるぬるのおれを許したってやあ。でもでも千ちゃんのことほんまなんか他人とは思えんのです。ここにきて心底そう思うのです。生きてるときに会いたかったなあ。千ちゃん。ほんま誰やねんおいん。南無。南無。南無。


閉眼

  漆華

貴方は知っている、わたしと同じくらいに
それを数えるのは貴方に教えたいからだ
子どもたちが夜空を見上げるために戸口から出てきて
何時からか星の代わりに街灯を数えるように

彼女はいつも伴寝をしている
ヨオロッパの聖歌とマレフィキウムを口遊む、その閉じた唇を額に押し付けて
大切な指先に抱きしめて眠っている
わたしたちを生かすための沢山の仕事をした日の終わりにも
わたしたちがそこに抱かれるとき
それもまた寄り添って寝ているのに、貴方は涙に騙されて
見当はずれな慰めを囁いただろう

それでよかった
最早貴方には失われた術であるけれども
それは彼女を歓ばせた
閉じた瞳の裏に穏やかな面を浮かばせるほど、彼女は飛び切りチャーミングなのだ
貴方は勿論それを知っていて
残像を未だその眼に持っている
宿ってそして立ち退くときすら音もないのを
水滴の落ちる個所や、タイヤとアスファルトの間で削れる熱や、
机の角や、石の中や、時には蟷螂の臓腑に見つけ出そうとして苦しむ
そうして繰り言に問うのだ
なぜ去らねばならないかを

貴方は知っているのに、わたしと同じくらいに
わたしは数えるまでもないことを数えて
先生に出来のいいテストや作文を見せる子どもたちが
もっと小さなあかりを見て
「わかった!」というのを待っている
箱のない場所で分かち合う瞳は多い方がいい

彼女を天使とは呼ばないのがいい
応じて彼女は自ら名乗るだろう、いつも妙な音階で、どこか快く
そして瞬く間に去ってしまう
わたしたちは躍起になって紙の上にその亡骸を拓す
なにをもっても現れた時ほどの美しさを保てないというのに
懲りもせずそうせねばならないのだ
命じられたわけでもなく
そうしないと呼吸できないように作られてしまった生物みたいに

締め切られた家の鍵は取り上げられ
幼少の頃のように開かれて、出入りが自由になるときはまだ来ない
わたしは再び戸を離れて目を閉じ、星を数えることに甘んじよう
何時か我々を招く形を想いながら
その重い足取りさえ、恐らく、彼女を歓ばせる、全くの無邪気さで



__________

3/9 改訂いたしました。
第二連 二行目 「スカイブルー」→「マレフィキウム」

ご指摘いただいた箇所のみの変更を行いましたので、再投稿という措置ではなく、原文の修正にとどめました。不都合がございましたら、ご指摘くださいますと幸いに思います。


  本田憲嵩




赤トンボたちが
飛行機のルーツのように飛行している
一日ごとに冷たくなる風が
透明に流れている青空の清れつさと
黄いろい木々の退廃を同時に包含している
秋の午後
パズルのピースのようにばらばらにちぎれた
みじかい溜め息と秘めた言葉の切れはしが
そのままに流されてゆく
うろこ雲がほそく連なっている
ぽろぽろと剥がれ落ちそうに
なりながら
やがて尾花のように垂れ落ちてきて
あからさまな諦めとなって
そうして、また、
ふたたびに円環する



この街の橋から見える海は
とても青く澄んでいて
この街の橋から見えるあかい夕映えはどうやら
世界でも三番目ぐらいのうつくしさ(らしくて)
橋をわたれば
かつて半年間だけ働いていた
あのホテルがリニューアルした装いで見えくる
さらに歩いて駅が見えてくると
いつも駅とオレは混交する

(古ぼけた駅は オレそのものだ
目の前にひろがる大通りの店さきどもは
生ぐさい潮風で錆びついたシャッターを常に降ろしてしまっている
この街の炭鉱からかつて採れた石炭は
もはやとっくの昔に時代おくれのものとなり
それさえももはや底を尽きてしまった
オレは半ばゴーストタウンとなった街の駅そのものだ
そしてそれ以下の存在だ
なぜならばオレの許なんかには
もはやだれ一人として訪れもしなければ
降り立ちもしないのだから
きょうも人々の詰め込まれた電車が
オレのホームの前をただただ通り過ぎてゆくばかり
視えもしないものを描きたがった結果が
ついにこれなのだ
オレはかつての昭和の栄光をとどめたまま
朽ちて風化した残骸だ
オレはもはや――)



部屋に戻って
机の上で履歴書を書いた
履歴書はいつも嫌いだ
本当に書きたいことは
なにひとつとして書けはしない
たった一文字だって
間違えることなんて許されてはいない

胸のなかで
ひそかに降り積もっている
許されていないことそのものへの
(どうして「?」)、という素朴な疑問符、
くしゃくしゃになった
何まいもの苛立ちが
クズカゴのなかにうち捨てられて
押し込められている
机の上には
小さな四角い写真の中で
写真うつりの悪い
写真の中の自分
ありありと見せつけてくる
見たくもない現実

レールを踏み外してしまった
あのとき
罅の入ってしまったものが
拳以外にもあったのかもしれない
なぐられた顔よりも
むしろなぐった拳のほうが痛くて そうして
ひび割れてしまったままの

屋根には霧雨が頻繁に降りしきる
読みあさる詩句さえも錆びてその色彩をうしなう


森を読む人

  sample

草を踏む
表紙をひらく
頁をめくる

一行目に木洩れ日
天使が羽を
休めている

睫毛が落ちる
ふっ、と息を
ふきかける

濡れたたてがみ
あたたかい
蹄の音
まだ、息は白い


スキーリゾート

  山人

遠方に見えるピステには
うごめく虫たちのように
人がはらはらと落ちながら滑走している


三月の風は
少しやわらかく吹いていた
午後の日差しが雪の粒に反射して
雪だるまは静かに寝そべっている

熟れた生活を楽しみ
もいだ果実を切り分けて
人は人として休日を貪り食う

轟音と共に天然林をすり抜けていくクワット
眺めるとそこに
やはりたくさんの人々が
スロープの中で
どこかに落ちていくように
滑走している



昼を過ぎたレストラン
肉の臭いをスキーウェアーの下に隠した客は
しきりに携帯を弄り、器官の機嫌を伺う
体液は人に棲み付き、何かに促されるよう形を変える
嬌声と笑顔で日中を演じ、ゆるやかに夜にむけて溶解してゆく

ひなびた目尻には、柔らかい陽光が差込み
うつむきかけた女を横に侍らせている
薄い斑点状のそばかすを具えた美しい女
綴じられた口元は何かを発するのだろうか
美しい女は尽きてしまったような男の傍に居る

なにひとつ解けないもの
それが私であり、いつまでも紐は解けない
結び目をしょったまま
私はひたすら猿人となって新雪を蹴散らし
年齢不詳を演じる



広大なリゾートエリア
多くの尾根を持つ小山脈を連ねる連絡リフト
踏み均された数々のコース
リフトの定期的な信号音と
決まった台詞を吐き続ける係員

丸い峰からどんよりと歩いていくニホンカモシカ
多くの人々がまるで何かを見るように指差していた


わたしはヘルメスの鳥。わたしは自らの羽を喰らい、飼い慣らされる。

  

風を振り出しに戻す始原の虹でもってわたしの羽を何度でも漂白してください
気詰めた風景に寄り添うかたちで光線的なフォルムを暴き続ける
振り乱したメランコリアがどうしてもついてこれない速度をください

わたしの声帯を奪う光にきらやぎながらあなたは土気色の体躯でもって
ありとある風に愛されなかった生命の一つとして、その
しなやかでない稜線で死せるべき生を精一杯の輝きで装飾してください

神々と死すべきものの一つの境界として生きるものを装飾する
その「飛ぶ」と言う文字のfとlがいつまでもわたしをわたしというわたしから
置き去りにする(flie floh flie floh)

(自らの体躯を喰っても蛸は死なぬ  (蛸の自殺 小林秀雄
 死は死への抗体だよ         (転落  カミュ
 )))

死を孕む羽がどうしようもなくわたしを殺すことでもってながらえる
非-詩としての大文字の「I」がいつしかfとlで震える舌先をとらえて
わたしはわたしというわたしから飛び去る術を無限に忘れてしまう


神秘なる妖怪

  菊西夕座

河童は河から生まれた
だから母さんのことを河さんと呼ぶ
人間がかあさんを呼ぶときと
河童がかわさんを呼ぶときに
本質的なちがいはないけれど
そこには「あ」と「わ」のちがいがある
河にも泡が浮かぶだろうに
そこには「あ」と「わ」が合致しない
どこまでいっても「合わない」現象がある
河童に会ったことがありますか?
たいていの人間はあったことがありません
どこまでいっても「会わない」現実がある
「合わない」ことと「会わない」ことは
語呂がぴったり「あっている」以外に
やはりどこかでつながっているのだろう
だから「語呂」という言葉だって
「ねんごろ」とは語呂以上にねんごろな関係にある
それは単に上辺だけの問題ではない
たとえば河の上に「語呂」が浮いていて
それを「フロ」と称して飛び込む奴がいても
浮浪者だからしかたがないと笑うなかれ
上辺だけを見る人にはただの「浮呂」かもしれないが
底まで浸ろうとするやつには立派な「風呂」なんだ

河童は「河」から生まれた
だからといって頭の皿が「乾」いているわけではない
たとえ「河」と「乾」が発音以上にねんごろだとしても
頭の上に「乾」をのせるわけにはいかない
それは何故か?
もし仮に頭の上に「乾」をのせたらどうなるか
河童は三途の川を渡ることになるだろう
ところで「三途」とはいったいなんなのか?
ひょっとして「SUN頭」のことではあるまいか?
頭に照りつけるSUNが「乾」を導くとき
河童は三途の川を渡ることになるだろう
だからといって頭の皿が「乾」いていいわけではない
少なくとも人間にとっては「乾」いていいわけがない
もし仮に皿の乾いた河童と出くわしたならばどうなるか
それこそ自分も三途の川を認めざるをえなくなる
そんな世界はごめんだからこそ「乾」いていてはいけない
たとえ「河」と「乾」が発音以上にねんごろだとしても

河童は河から生まれた
頭が禿げている理由がもうおわかりだろう
もしやあの丸い皿が日輪を意味しているとはいうまい
ふたたびSUN頭の川を導くなんてのはもうまっぴらだろう
どうせ同じ英語を持ち出すならばもっと気のきいたやつがある
SKIN頭(ヘッド)といういかした言葉があるじゃないか
「河」から生まれた河童が落ち着くところは「皮」しかない
「河」に生まれ「河」に育ち「皮」に帰るのがそのさだめ
頭のてっぺんで「皮」がむき出しになっている理由がそこにある
それは言葉の溶解を無限にまでおしひろげる神秘の頭皮であって
語呂合わせに流されて苦し紛れにさらしだす逃避では決してない
上辺だけを見る人には日本詩に「英語」が紛れることさえ興ざめだろうが
底まで泳ごうとするやつには立派な「泳語」なんだ


数の病

  はかいし

 例の男が置いていった一億円のトランクを
開けっ放しにしたまま、ぼくは連絡橋にじっ
と立っていた。足のすぐ下を車が過ぎていく。
男のおかげで、ぼくは確かに一億円を手に入
れはした。だがその日を境に、ぼくは奇妙な
病を発症した。ぼくは自分のうちにとある不
自由を抱えるようになった。それは数に関す
るもので、一介の数学者としては全く恥ずか
しいので、誰にも知られないように、ここで
その病ごと、さっさと始末するつもりでいた。
だが、その場所に連絡橋を選んだのは、明ら
かに間違いだった。車がいくつも通り過ぎて
いくのを見ると、それを数えずにはいられな
くなってしまったのだ。
 一つ目を数えるのは上手くいく。でも、も
う一つ目の、その次の数を思い出すことがで
きない。その次の次の数は分かる。十一を超
えたら、またあの十の次の数がやってくると
思うと、もうそれだけで頭がいっぱいになっ
てしまう。それで、結局いくつなのか分から
ないまま一に戻り、またもう一度数え直して
は一に戻る、その繰り返し。一の次にある、
あの一と一を組み合わせた、あの数、一の隣
にある、一の次にあるやつ、ああなんて言え
ばいいんだ、とにかくあれだ、あの数! そ
れが出てこないのだ。
 気がつくと、もう何時間も経ってしまって
いた。だが時計を見た訳ではない。時計はも
う何も教えてはくれない。日が暮れ掛けてい
るので、そのことが分かるというだけだ。も
う、ぼくの頭には何もない。このトランクみ
たいに、数に関する知識はぎっしり詰まって
いるが、いざ何かを数えようとしてしまうと、
全く言いようのない違和感が起こってくるの
だ。じゃあ、この話はここで終わりだ。ぼく
はここから飛び降りて、この絶望感を解決し
てやらねば。ぼくは欄干を乗り越える。ぼく
は世界を乗り越える。ぼくの足が、一瞬、宙
に浮いた、と思う間もなく、真っ逆さまにな
る。加速する。その途端、身体の感覚がなく
なる。重さが、すっと消えて、かわりにぼく
のいた場所には、何かの手品みたいに、紙幣
がひらひらと舞っている。ぼくはこの世界か
ら、消え去った。
 今、ぼくは紙幣の一つ一つに描かれた、夏
目漱石の瞳の奥にいる。不思議なことに、こ
うした論理的に不可能な表現のほうが、この
状況を言い表すのに適している。というのも、
それは、閉ざされたまま、もうどこにも行け
ないということを意味しているからだ。漱石
の瞳が放つ鄙びた光の中に、自分がいる。こ
の世界から出せ、出せ! と叫ぶが、それを
見ているのもまた、自分のようだ。ぼくが紙
幣になったのか、あるいは漱石の瞳の中に住
んでいるのか。ぼくは瞳の中にいる自分を見、
その自分の瞳の中にいる自分、さらにその自
分の瞳の中に、……と永遠に続いているから、
何時まで経っても、「ぼく」を辿ることしか
できない。全くうんざりする。……ああ、ま
ただ。また「ぼく」がここに何人いるのかを、
数えたくなってしまった。

 ふと、誰かがぼくの身体に触れて、我に返
った。ぼくは自分の背丈ほどの高さしかない
小さな直方体の中にいた。四方の壁が、全く
紙幣そのものの絵をしている。そして夏目漱
石の顔が描かれるべき場所に、ぼくの顔があ
る。壁のその部分が鏡になっているのだ。い
わばぼくは無限に続く紙幣の狭い部屋の中に
いた。ぼくの姿が映った後ろにもぼくの姿を
映す鏡がある。夏目漱石の顔が、ぼくの向こ
うにずっと続いているように、見えなくもな
い。そういえば、ぼくは夏目漱石そっくりの
顔をしていると、友人たちによく言われたも
のだった。いったいここには何人の夏目漱石
がいるのだろう。ぼくはたまらず数え始める
が、またあれだ。あれが出てこない。数の悪
魔に取り憑かれているとしか言いようがない。
一の次の数が出てこないのに、その次の数を
思い出そうと脳が勝手に働き出して、もう頭
が割れそうだ。そこで意識が途切れる。
 今、ぼくの意識は、もとの世界にぼんやり
と漂っている。ぼくの身体は紙幣になり、世
界に散らばった。散らばった身体の部分が、
それぞれの紙幣が、誰かに拾われている。麗
しい指先の女性の手、ニスの匂いのするゴム
手袋、古めかしい革手袋もあれば、あるいは
浮浪者らしい湿った掌もある。拾った人々は
みな一様に、透かしの向こう側に黄金がある
と信じているらしい。ぼくには奴らの考えて
いることが、受け取られたものの手を通して
伝わってくるのだ。黄金を得るための暗号は、
この旧い千円札の漱石の瞳の部分に穴を開け、
穴を通してその向こうにある夕焼けを望むこ
と。
 ついに、紙幣を手にした人たちのあらゆる
手によって、それが執行される。コンパスや
画鋲で穴を開けるものもいれば、あるいは単
なる指先、爪の先で引っ掻くようなものも、
みなすべて、紙幣の漱石の瞳を貫く。そのと
きぼくは、眼球に焼けつくような痛みを感じ
る。ぼくは叫ぶが、声にならない。叫びを上
げるための喉がないのだ。目を押さえようと
するが、眼球も目蓋もない。押さえるための
手もない。ぼくは透明でどこにも姿をもって
いない。痛みだけが空中を漂っている。ぼく
は血を流す。だが血しずくは見えない。その
血は透明で、陽の目に混ざり合い金色に輝く。
晩照に染まる西の海が、ぼくの全ての血潮だ。
そしてぼくの瞳は太陽なのだ。
 人々に光を分け与えよう。肉体のすべてと
引換に、差し上げよう、ぼくを犠牲にした黄
金の錬金術。ぼくの身体から数字が溢れ出し、
世界の経済を破壊するのだ。彼らは黄金を手
に入れる。彼らは地上のありとあらゆる富を
享受する。自分を大富豪と信じている人々の
嬉々とした顔。翌日、ハイパーインフレーシ
ョンの号外と共に、その顔は土気色に変わる
ことだろう。あの夕潮はぼくの流した血の大
河、その流れは水平線の彼方で途切れている。
そのぎらぎらした照射の下、穴の開いた無数
の紙幣が水面に浮かんでいる。

文学極道

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