2015年5月分月間優良作品・次点佳作発表
2015年5月分月間優良作品・次点佳作発表になりました。
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文学極道の発起人・スタッフによるブログ
2015年5月分月間優良作品・次点佳作発表になりました。
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7988 : 白線 田中宏輔 ('15/04/01 00:25:23 *4)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150401_058_7988p
(1)選考の際、名前をかくしているのですが素直な情景と比喩が染み入りました。
新人さんだと思い名前を表示してビックリしました。
7990 : 起きたとき zero ('15/04/01 03:35:15)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150401_061_7990p
(1)うう、なぜか切なくなってしまいました。
喪失とそれを取り戻す物語のあわいのような。
7987 : 我らの蛾 お化け ('15/04/01 00:13:37)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150401_056_7987p
(1)年間にくいこむ作品だ、と思いました。
(2)一連、二連目はスピード感があって面白かったです。
三連目、雪は音を吸い込むもので、雪山にやまびこは響かないのになって思いました。
8027 : 「まあちゃん」のことではない Migikata ('15/04/18 17:05:19)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150418_622_8027p
(1)いや、もうびっくりしました。「物語」が好きな作者だとばかり思っていたので。フェーズ移行の段階なのでしょうか。
(2)詩の内実ではなく構造を徹底的に突き詰めていく姿が健在であり構造と表面の噛み合いが上手くいった作品の一つに思えます。
8039 : 農場 山人 ('15/04/27 07:46:21)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150427_736_8039p
(1)作者の作品は素直でひたむきで作品内課題は毎回、達成していると思います。
ただ傑作を書けるはずの筆力を有していることを伝えてしまいながら、
ときどき説明が入り想像力に任せない部位があるため、
小さくまとまり作者の手の中にある作品に留まってしまうことがあるように思っています。
きっと新しい言葉たちは芽吹いてくるはず
この一文は、もっとやりようがあったのではないでしょうか。
描写の達人とも言える美が薫っているので、
もっともっと期待してしまいました。
けれども良い作品です。
(2)四連目がいいですね。希望が見える気がしてとてもすてき。
7996 : ひかりちゃんの卵かけご飯 ねむのき ('15/04/04 17:07:04 *1)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150404_192_7996p
(1)卵かけご飯食べたいです、ひかりちゃんの作ってくれたやつ。
時制の不一致、ご飯炊いている間の時間、等もう少し捻れるのかな? とは思いますが面白かったです。
8024 : 朝 zero ('15/04/17 05:27:57)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150417_596_8024p
(1)存在論と本質論が絡み合い興味深い内容でした。
7998 : ポエム、私を殴れ。 ヌンチャク ('15/04/06 00:03:14 *1)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150406_222_7998p
(1)太宰や民謡と同列にヌンチャク氏が扱われている恥辱の素晴らしさ。
(2)疾走感がすごいですね。
8045 : 引用ロードSHOW 泥棒 ('15/04/29 22:21:04)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150429_762_8045p
(1)レディ・メイドからの変装がエンタメの皮を着て風刺の痛切を殴るように渡しています。
(2)破壊というのはこの技法とは反撥しあう主題ではないでしょうか。
創作の過程を詩作するのは少し下品かな、とカマトトぶっておきます。
8022 : 森が森に森は森と森の森を森で森 泥棒 ('15/04/15 13:40:53)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150415_563_8022p
(1)面白かったです。
(2)作者はゼロか百かの認識でいます。読み手にとってはゼロでしかない作品だとも思います。エンタメとして読めますが新しい詩の技法や、うっかり書いてしまった抒情詩なども読んでみたくなる作者の魅力が漂っています。
8036 : 空の底 草野大悟 ('15/04/24 22:00:06)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150424_721_8036p
(1)好みかと聞かれるとけして肯定はできないのですが、立ち位置の表明が力強く行われていると思います。
8001 : 夕沈みき月を待つれば星薄れ陽を待つのみ 北 ('15/04/06 03:06:51)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150406_230_8001p
(1)惜しい部位へ偏っているように思えます。リズムに乗り進む詩篇と断章化していく構成は、それだけで麗しくなっているのですが、
そこの淡さを単語の独自性で、もっと向上させられたように思えます。
(2)すべてを読み下せていないんですけれど、雰囲気がいいですね。
ポケットの中、いつでも握りつぶせるような思い出。
あいつとこれから幸せになるだろう君とぼくの、過去の話。それからこれから生きて行くぼくの話。
「夕」部分は作中主体にとって現在なのかな? ここだけ煙の巻き方が激しいですね。
>やなおや
はじめて見ました。やにわに? やおら? 方言でしょうか。
「月」「星」「陽」 ラスト部分がそれぞれ素敵なので煙に巻かれがいがあったというものでした。
8047 : しんなりと れたすたれす ('15/04/30 21:17:39)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150430_779_8047p
(1)かなり成功した作品なのではないでしょうか。
ひらがなによる言葉遊びと文学創作への苦慮と歴史観への刷新が、
漢字にしてしまっては平易でありきたりな表現を曲げながら震わせています。
ただし後半の面白さにたどりつくまでの流れには疑問を抱きました。
もっと早い展開の方が作品としての面白さが際立ったのではないでしょうか。
(2)しんなりーやわらかなさま
それから神、信、心、真、親あたりが読みとれます。掛詞もここまで行くと美しいですね。雨の独り言みたい。
「しょ」が部分はすこし強引でユーモア方向に振れ過ぎているのかな? というのと、はじめ1行の「しにした しめる」これは「しに したしめる」にしなかった理由が分からず残念でした。
8028 : 木刀 中島恭二 ('15/04/18 21:45:54)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150418_625_8028p
(1)青春の追憶・追悼。
最終連のはじめの「きみ」のみひらいているのは甘い印象です。
もっと甘いと思ったのは「君の墓」が建てられた時期が分からないことです。
同じ青春を過ごした仲間がその青春を背負ってお墓になったのか、それとも青春の後を生き抜いたのちに逝ったのか。
ラストの読みに関わってくるのでこの作品においてはそこをはっきりさせないといけないと思いました。
8020 : 初夏 uki ('15/04/14 07:53:28 *2)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150414_549_8020p
(1)とても素敵で丁寧な作品です。もっと上昇しそうに思えます。
(2)子守唄をうたうのは疑いようもなく母であるはずですが、あえて「あなた」とぼかしたことでそちらに気をとられてしまい夏の陽射し、静寂を楽しみきることがなかったです
8043 : カラス 中島恭二 ('15/04/29 01:59:31) [Mail]
URI: bungoku.jp/ebbs/20150429_747_8043p
(1)夢とはっきり書くか書かないかはまた違う話になりますが「父の弟の死」を「父」と「子」が同時に見つめるシチュエーションは「夢」でしかあり得ませんよね。骨を食べる、となると勝新がでてきますが、こちらの作品は「うじむし」です。生と死の生々しさ。
最終連に向けて筆が薄くなるのはもう少し考えどころかとは思いますが、力のある作品だと思いました。
8021 : 夢見草 蛍狐 ('15/04/14 13:28:35)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150414_560_8021p
(1)音の配列がリズムのみを残しています。乱れないリズムは文章を掻き消す危うさを持ちます。
リズムに全てが掻き消されているのではないでしょうか。
(2)人間が夢見る草のよう。美しいですね。リズムが良くて癒されます。
一連目に桃色とありますが、桜をうたうのに桃とはこれいかに。ひょっとしたらうすべに、でも良かったかもしれませんね。
7999 : 春めく色たち atsuchan69 ('15/04/06 01:16:12) [URL]
URI: bungoku.jp/ebbs/20150406_225_7999p
(1)戯曲系の作品に仕上げると、どうしても甘い部分などが目立つことがあります。
もっと高められる作品なのではないでしょうか。
(2)悪くはないです。第二幕がすこし独りよがりでしょうか。
8048 : 私と言う悪夢 イロキセイゴ ('15/04/30 23:50:29)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150430_782_8048p
(1)毎回ザッピングしていく言葉が効果を、きちんともたらしており新たな詩情を生み出していく余白を保てています。
余白だけではなく、生み出していく確固とした支柱もあると、
ザッピングした言葉の凝集性は、より増していくのではないでしょうか。
(2)鑑賞の前段の「何を言っているか」というところにたどり着けず。
ふがいない読者で申し訳ないです。
8013 : (無題) イロキセイゴ ('15/04/11 14:58:20)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150411_491_8013p
(1)面白かったです。
8007 : 春に埋もれて 山人 ('15/04/08 05:19:23 *3)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150408_382_8007p
(1)キッズリターンではなくて20世紀少年なのですね、21世紀って感じです。
一連目の神経と二連目の脳が三連目以降なかったことになっていてしょんぼりしてしまいました。
8042 : 白夜 鵜戸口利明 ('15/04/29 00:29:11) [Mail]
URI: bungoku.jp/ebbs/20150429_745_8042p
(1)作品の主幹である内実を露わにすることは成功しています。書いていることと作中作者の中へと共感も生まれ体験してきたことに触れてさせていきます。
そこからのもう一歩を達成すると作品強度が増すように思えます。一つひとつの言葉と比喩に独自性を持たせ新たな作品言語を生み 出しながら作品の主幹を露わにしていくことが出来れば直ぐに傑作となる気がします。
すべての言葉やコンセプトが擦り切れるほど使用されてきたものなので、そこに一縷の自己性があると良い作品として立脚するのではないか、と思わさせられました。
(2)20歳目前にこれを書けるっていうことは、少なくとも日本は平和なのでしょう。
白夜、見たことありますか?
闘い続ける魂をなにに見ましたか?
反抗心があった時、何にあらがいましたか? それは喜びでしたか、怒りでしたか。そういう問答の末に「自分を克服」できるのではないのでしょうか。
8046 : 百合 #7 アルフ・O ('15/04/30 00:48:07)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150430_764_8046p
(1)こういった作品、嫌いではないです。
賞とは関係なく書き続けていって欲しい作風だと思いました。
(2)宮澤賢治の「いちょうの実」を思い出し、習作の域をでていない印象を受けました。
8044 : 純粋ラーメン 蛾兆ボルカ ('15/04/29 10:11:12)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150429_752_8044p
(1)最初の方の良さを後半、全部、説明してしまっていることで詩情を削ってしまっています。
(2)? よく分からなかったです。考えるじゃなくて幻覚が見えてるってことではないのかなって思ってしまいました。
8040 : 月夜にダツゴク So_air69 ('15/04/27 12:30:47)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150427_737_8040p
(1)比喩に溺れています。
8038 : 船 黒髪 ('15/04/27 00:25:19)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150427_735_8038p
(1)以前、良い独特の作品を書いていた作者ですが最近は、独特さが凡庸さにいっている気がします。
もっとメチャクチャに書いても良いのではないでしょうか。
自分の言葉でメチャクチャに書いてみて以前の独特さを取り戻して欲しいと思います。
(2)明日は待ち人来たらいいですね。
75調が中途半端なのは改作中だからでしょうか。
最終を57にするのは言い差しで終わるようなもので、効果に疑問を感じました。
8041 : ETERNAL VERSE 羽喰友人 ('15/04/27 17:48:06)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150427_739_8041p
(1)この作品でうたわれているものに心を揺さぶられたり救われたり信じたりしている人がここにいるのだと思いますよ。
8035 : 臆面 蛾兆ボルカ ('15/04/22 22:47:07)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150422_700_8035p
(1)面白かったです。
8037 : 重い身 はかいし ('15/04/24 23:03:58)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150424_723_8037p
(1)最後の見せ方が安易すぎるのではないだろうか。
(2)いろいろと無理矢理すぎるし軽い印象です。
8032 : 男を欲するのは何故 にしふ ('15/04/20 05:42:30)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150420_652_8032p
(1)真に個人的なことが世界に通じるのではないでしょうか。
そういう意味で今月いちばん作者に触れた気になる作品でした。
最終連にたぶん作者の一番言いたいことに近いことが書かれているのだと思います。そうしますとタイトルがサービス精神に溢れすぎており、内容との乖離を指摘しておきたいところです。
8034 : 破壊 黒髪 ('15/04/22 18:44:40)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150422_693_8034p
(1)とても雰囲気のある作品ですが、ぱっと目につくのは比喩の多さと指示語(とくに「そ」)の多用。読みを困難にしています。
8025 : 存在 マグロ ('15/04/17 11:16:50) [Mail] [URL]
URI: bungoku.jp/ebbs/20150417_604_8025p
(1)思わせぶりが過ぎます。
8006 : パーティーはつづく 駄目人間 ('15/04/07 01:51:09)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150407_254_8006p
(1)作者は作品に『人様に捧げる言葉の花束』という意識は持っていらっしゃるでしょうか。
ここは日記帳ではないのですよ。
8017 : 国家 やかもち ('15/04/13 14:51:38)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150413_528_8017p
(1)国家に対してクリティカルな立場から書かれた詩だと思いました。
人間は群れて暮らす動物なので、社会批評として的が外れています。
「優しさを教育される」=「暴力を知らない」というのは少し雑ですよね。
ドローンが無くなればテロがなくなるのでしょうか、銃がなくなれば戦争が無くなる? そうは思いません。
8014 : 風景は にしふ ('15/04/13 00:26:35) [Mail]
URI: bungoku.jp/ebbs/20150413_511_8014p
(1)「分からないもの」を美しいと思うということは詩的発露だなぁと思います。
本来は恐怖に繋がるところが美しさに繋がっている。ある種の発見です。
この作品は発見を生かさず、それに酔ったままに終わってしまっている印象でした。
8033 : 産声 鵜戸口利明 ('15/04/20 14:13:40) [Mail]
URI: bungoku.jp/ebbs/20150420_657_8033p
(1)書きたいことを、きちんと形にしています。選択していく言葉が全て凡庸なことが気になりますが独創的な言葉選びを出来るようになったら非常に面白い作品を書きこなすかもしれない、と思いました。
(2)
おめでとう、おめでとう。
フロアまで桃のかおりが浸しゆく世界は小さな病室だろう 加藤治朗
この歌を含む歌集が刊行されたのが1991年。
純粋はこの世でひとつの病気です 『あなたの愛』吉原幸子より
この一節をもつ詩を含む詩集の刊行は1972年。
少しずつ自らを病名で語る人が増えました。(もちろん語らない人もいます。)
ゆるやかなソーシャルキラーというか、世界の歯車、病的な細胞のひとつとしての自己認知。インターネットと相性が良さそうですね。
8029 : 鴉の明日 草野大悟 ('15/04/18 23:17:21)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150418_627_8029p
(1)三連までが理に傾きすぎているというか、ありきたりの比喩で説明に終始してしまった印象を受けました。その分最終連のインパクトが薄まってしまいました。
8031 : 闇の天使 羽喰友人 ('15/04/20 00:16:04)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150420_648_8031p
(1)韻律が詠唱的でアジテーションとして良い作用を産んでいます。
作中主体の自己完結を見せる内容なので、人間の上澄みに触れたような気になりますね。
8026 : 桜拾い ヌンチャク ('15/04/18 05:40:14 *1)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150418_614_8026p
(1)エンターテイメントが多角的で作者の考えの深さには頷くばかりです。
(2)引用でもパロディでもないような……。
8015 : 過去の断片 陽向 ('15/04/13 10:18:03)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150413_513_8015p
(1)とても好きな詩篇です。もったいないのではないでしょうか。最初の方を、もっと高めて欲しく感じました。
エピソードを語るだけで詩になるのは羨ましいと思います。
オノマトペは要らないのかもしれません。それ以上のものを掘り当てられそうな可能性があるように思えます。
(2)時制の混乱が技術的なものではないので作中主体の分裂がすっと入ってきません。
そう書きたかった、書かざるをえなかった、というより、天然の産物という気がしています。そういう方法が赦されるのはSNSであり、文学極道ではありません。この作品には芸術への指向というものが見当たらず、しかし、人間は強く感じるというなんとも悩ましい状況です。しょうもない日記を書いているという認識が作者にあれば、ここからもう少し進める気もしています。オーバー。
8005 : 海 今井桃子 ('15/04/07 00:06:08)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150407_252_8005p
(1)ハードルの高い世界観を見事つかいこなせています。ただ、それ故に凡庸なつかいこなし方になっていないか気になります。
(2)象徴としての海、夕焼け、少年少女。
いろいろな狭間を一幅の絵画の中に閉じ込めて書こうとしていらっしゃるのかなとは思うのですが象徴的がすぎる印象でした。少年がどこに立っているのか、海との距離感、少女との距離感、そういったものがもう少し分かるとぐっとしまるのかな、と。
8016 : 言葉とわたしは ぽぽろん ('15/04/13 11:21:35)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150413_517_8016p
(1)「在ることがが匂うから」はそのまま取っていいのでしょうか。
同一人物だろうか、という謎の答えが分からないから分からないまま書いた、みたいな素直な作品です。お風呂上がりに言葉ちゃんがひとりで跳ねて飛んで行って誰かを殺し、作中主体は呆然、というところまで書けそうな気がしています。
8010 : 凸凹 あ ('15/04/11 01:09:21)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150411_461_8010p
(1)この作品を、どういった扱いにするのか非常に悩みます。
7994 : 沈潜する断章 森朱鞠 ('15/04/02 20:04:23)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150402_108_7994p
(1)オノマトペがすてきでした。
夕暮れが神隠しされている
ビルに反射したり向こうの夕陽がビルを透かしていたりの圧倒的夕暮れ。ここも素敵。
すぐに暮れてしまうのが惜しいくらい。
二連目の最後も美しいです。
三連目は蛇足めいて見えました。タイトルも大げさかしら。
8000 : メフィストフェレス ねむのき ('15/04/06 01:31:14)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150406_227_8000p
(1)メフィストフェレスを詳しく知らないまま書いているのではないでしょうか。
(2)いいと思いましたのは、と書き始めようとしたのですが、ふむ。
煙草の煙しか外に出て行っていないので困ってしまいますね。
作中主体がこさえた見えない場所でメフィストフェレスに懇願している場面を見せられても、読者は微笑むことしかできないです。
待たずに会いに行けば良いし、捧げれば良い。叫べば良いんではないでしょうか。
8002 : 心の貧困 野良人 ('15/04/06 06:12:21)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150406_234_8002p
(1)作品が詩の貧困を極めています。
(2)首肯できず。
理論の積み重ねが雑すぎてアジテーションにもならない主張の断片なので、詩として評価ができません。
灰谷健次郎の小説「兎の眼」「太陽の子」をおすすめします。
8004 : 体力 陽向 ('15/04/06 23:28:54)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150406_251_8004p
(1)こういうの書くのってたいてい夜で、だから、お日様にあててあげたくなるような作品でした。
7992 : marga lalita ('15/04/01 08:58:10)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150401_071_7992p
(1)不快な思いをしたら成功な作品だと思います。もう少し作品自体を電波に徹した方が魅力は増すと思いました。
7993 : 坂の中途中の坂 つばめ ('15/04/02 17:46:14 *1)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150402_097_7993p
(1)家(しろ)とか”それ”翻訳風の文体で世界観を出しているのでしょうか。
ダブルクォーテーション(引用符)の使い方が気になりますね。
もう少し読みたいです。
7989 : 小規模な旅 駄目人間 ('15/04/01 02:15:58)
URI: bungoku.jp/ebbs/20150401_059_7989p
(1)麗しい描写が心地よいです。だからこそ、もう一歩が足りないことが大きく見えてきてしまいます。
(2)いってらっしゃい。
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○新人賞 島中充
自慰、ペニス、死体、島中の作品に頻出するモチーフをあげればこのようなものだろうか。
そしてそのいずれも、存在の目的がずらされていることだろう。
自慰は
>手淫を教えられた猿は、狂ったように手淫に耽り、死んでいく
というように、明治期における「オナニー有害論」を下敷きにしながらも、それが有害/無害という軸で展開してゆくわけでもなく、また本来持っている「性欲の解消装置」としての役割をもはたしていない。
>少年は皮の被った性器を剥いた。そして、一匹の蛍を捕まえ、濡れた亀頭に点した。 「蛍」
>性に目覚める頃 解剖皿で蛙の腹を開き/手淫を覚える年齢になった
>お前が殺したのかと/そうだ 僕が殺したのだ 「沼」
また、ペニスにおいても、
>少年の性器はまだ未熟であった。 「蛍」
>私の性器はこの蓑虫のように萎えているよ。 「みのむし」
というように、自慰と並べられながらも、ファロセントリズムへとは到底向かわない。
最終的な目的が「挿入」へと向かわない、「みられるペニス」像に、詩をたしなむわたしたちがもっとも接近するのは、吉岡実だろう。
そこでは 少年が四つんばいになって/サフランを摘んでいる(略)
割れた少年の尻が夕暮れの岬で/突き出されるとき/われわれは 一茎のサフランの花の香液のしたたりを認める/波が来る 白い三角波/次に斬首された/美しい猿の首が飾られるであろう(略)
ぬれた少年の肩が支えるものは/乳母の太股であるのか/猿のかくされた陰茎であるのか(略)
サフランの花の淡い紫/招く者があるとしたら/少年は岩棚をかけおりて/数ある仮死のなかから溺死の姿を藉りる
吉岡実「サフラン摘み」
だがしかし、モチーフにおいて重なり合うことがあるとしても、島中の作品は、吉岡のようにイメージの豊饒さを伴わず、ただただ、寒く、暗い。
これをどのようにいうべきか。視姦されるに足るペニスを有しない「私」の物語であることによって、言語のファンタスマゴリーに依存する「詩」という機能を剥ぎ取ることで、作品をある種のぎこちない現実へといざなうこと、とでも?
そのような言説は必要ないだろう。
島中の作品において、イメージの豊饒さを伴わないのは、おそらくファロスとしてのペニスを有さないからではなく、外傷性の記憶を根源に有しているからではないだろうか。
作品において頻出する過去への言及。
>少年に手淫を教えたのは中学の体育教師だった
>僕たちの過ちは 中学三年生の時だった
>一九五一年、(略)その下から肉の付着している骨があらわれた。少年は姉を殺し、床下に葬っていた。
そこで語られるのは、一種の「過ち」、とりかえしのつかなさであり、その内実が「私」のなかで「解決」されていないために、いくつもの物語に変奏され「私」をおびやかしているのではないか。
>外傷性記憶は通常の成人型の記憶のように言語によって一次元的な線形の物語にコード化されない。もしされればその人が生きつつある人生物語の一部分に化してしまえるだろうに (ハーマン「心的外傷と回復」)
そして島中の作品は、その「過ち」として過去の記憶を、同じような単語や、同じような設定のなかで繰り返し語っているだけなのではないか?
「過去の過ち」を繰り返し語っている?たしかに。
だが、そこには過ちを犯してしまったという「悔恨」と、表裏一体の感情が抜け落ちてしまっている。
過ちを繰り返し語る、という行為は、悔恨を反復することで癒されるのではなく、
過ちを犯してなるものか、という「黙殺」されてしまった過去の「私」の悲鳴にも似た感情を見つけ出す行為でもあるはずではないのか。
「過ちを犯した/過ちを犯してなるものか」。この「私」が何度も遡及する過去のどこかで、拮抗していた過去の私の心の状態に、作品がたどりつけていないために島中の作品は、イメージの豊饒さを伴わないままであるのではないか。
「作品」を書くことに対して自己をみつめようとする姿勢の誠実さと、しかし、深く掘り下げることの能わない弱さ。
これが島中の特徴ではないだろうか。
○抒情詩賞 はなび
はなび氏が初投稿されたときからの作品が持つ美しい抒情と、昨年度の作品に表出されている不安感、その両者のアンバランスさは、断絶がもたらすものなのか、それともマージナルなものなのだろうか。
>砂時計がさらさらさらさら流れているゆるやかな曲面を呈する硝子の容器の中に立ち
「水色のお弁当箱」
というように、外界から隔離された空間に「自分」を設定し、その周囲の変化を直接事故が感受できないけれども、しかし感覚的な違和感がとめどなく押し寄せてくる〈あの感じ〉をはなびはこのように表現する。
>とにかくまったくしゅるいを異にしていることに鈍感になるということがゆるされる日常のなかで ひとりとは言わず なんにんものおとこのこのやおんなのこ あかんぼうたちが爆発して今日もあちこちに転がっているのだとすれば 「水色のお弁当箱」
>飛行機がおちて 恋人たちが死んで たくさんの供花が今日もあちこちに転がっているのだとすれば 「水色のお弁当箱」
瞬時に気づくのは「だとすれば」という仮定をわざわざつけなくても、現に「なんにんものおとこのこのやおんなのこ あかんぼうたちが爆発して今日もあちこちに転がっている」し、あまりにその数が多すぎて、もはやなんのために「爆発」があるのかすらわからなくなってきている、ということである。
「たくさんの供花が今日もあちこちに転がっている」ことは、「外界と接している」2015年の日本において普通である。
わたしたちはそのような風景を見慣れているのであり、その風景にたいして「だとすれば」という仮定をつけるひとがいるならば、それは一種の「あがき」としてである。
わたしたちは、自分が住んでいる世界は「あかんぼうたちが爆発して今日もあちこちに転が」ることがない平和な世界であるかもしれない、というような。
そう考えるまでに、わたしたちは自らの世界を「擁護」したくなってしまう気持ちにさせられている。
なぜなら、ただでさえ毎日
>ことばの通じないしつこい宿屋の勧誘やら物売りやらにつきまとわれ歩き疲れてそのうえ空腹で爆発しそうな怒り 「水色のお弁当箱」
を押し付けられてしまっているのだから。「だとしたら」という仮定ではなく、事実として。
だからこそ、わたしたちは擁護しなくてはならない。
「あかんぼうたちが爆発して今日もあちこちに転が」ることがない平和な世界であるかもしれないということを。
あまりに平和と現実は乖離しすぎていて、「平和なんかない」という事実から目を背けてウソを突き通すことができるまでに、「空腹で爆発しそうな怒り」を押し付けられてしまっているのだから。
「硝子の容器の中に立」つ、ということは恐ろしい。外界/内界と設定することで、現実の世界を一時的に無効化し、「だとしたら」という仮定を挿入することで、リアルで惨めな世界のなかに「ウソ」を生じさせる。それが結果として、世界が惨めである時に、それを見ないことで自発的に「世界の惨めさ」を強化してしまうことにしかならない。
ここでは、作品のなかに抒情を導きいれる工夫をやめはしない姿勢はあるのだが、それは以前からのはなび氏の獲得してきた抒情を問い直す程度に相対化されず、断絶しているようにもおもえる。
だが、はなび氏の抒情はこのような「単純」なものに変容してしまったのだろうか。
>モールをあるいていると
>いつまでもモールが続いていて
>でられない 「モール」
この作品では、「消費」がその振る舞いをみせる舞台=「モール」が織りなす空間と
その空間に身を滑り込ませることの意味をもう一度私たちに問いかける作品になっている
この習作的な作品は、
>クリスマスセールに行ったまま/くびにぶらさがった/名札がきゅうに/さかさになって 「モール」
というように、やはり「不安」が前面に押し出されているのだが、
そこでは、「広告が啓示する消費」という舞台=モールと、その舞台に身をとおじる私、その二者のせめぎあいという図式でない。
(かぎりなくファスト化してゆく郊外のモールにおいては、たしかに「消費」をあおるため、私たちの不安解消のために単純にマーケティング設計されている。(痩せなければ愛されない、買い替えなければ時代遅れになる、だからその不安を解消するために買いなさい)そのことはたしかに不気味で「不安」であるのだが)
ここでは、逆に「消費」にさらされる不安を前提としながら、「消費」を自己の中にとりこむことで、「不気味だ」と「消費」を二元論化し批判してしまう心性を抑え、「不安ですが、それが何か?」という位置を先どりしようとする
>映画館ではおそろしいくらい古い映画が上映されていて
>女たちはしろく 男たちはくろかった
>しずかに湿って響くのを/官能的と感じて 「モール」
ここでは、
現実の世界を一時的に無効化することなく、世界が惨めであることと並列できるなにかを書こうとする場所が確保できるのかもしれない、とおもわせる何かがある。
>それは/ある種の/結界かもしれない 「モール」
と、「結界」という名指せることのない場所ではあるのだが、抒情がそぎ落とされてしまうような「不安さ」のただなかにあって、「官能」を感受させるなにかを名指すことができることがあるのならば、それはやはり、以前のはなび氏の持っていた抒情に近接しているのではないか、と期待させるものではないだろうか。
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「2014年・年間選考経過」
文学極道「2014年間各賞」は2014年に「文学極道詩投稿掲示板」へと投稿された作品のうち月間優良作品に選出された117作品・次点佳作に選出された136作品、71名の作者を対象として、委員スタッフによって1月26日から3月31日の期間に選考会を開催し審議の結果、上記ページの通り決定いたしました。
創造大賞には選考推薦として挙がった「該当者なし」「田中宏輔」「zero」「阿ト理恵」各氏の内、最終選考対象となった「田中宏輔」「zero」「阿ト理恵」各氏について議論が深められ「田中宏輔」氏の受賞ならびに「zero」「阿ト理恵」各氏の次点が決定いたしました。田中宏輔氏の作品へは、文学史おおげさに言うと人類の歴史に触れさせられると同時に作者の人生を併走する読書と言葉に触れさせられ読者への問いかけも見事であり圧倒的という意見、昨年と比較し新しい「何か」を創造したとは言い難いという厳しい意見、本質的に抱える「作品」を描く操作性の展開が批評性を自ら纏い新たな境地へとなど達しているなど賛否両論が寄せられました。田中氏は作品「IN THE DEAD OF NIGHT。──闇の詩学/余白論─序章─」 への文学とは言葉とは何かという究極の問いに可視化された共有財産とディノテ―ションの再生出を通し詩論作品へ顔貌を見出していく拡張性に感嘆以上の感動が駆動しているという意見や、作品「ATOM HEART MOTHER。──韻律と、それを破壊するもの/詩歌の技法と、私詩史を通して」への自作と過去から形づくられた先人の綴りや自己の人生を極めて冷徹に眼差していくと共に枠組みを示し纏ってしまう批評を解読し新たなる詩情へ昇華していくことが発見として立ち上がり傑作として姿を現しているという意見、作品「陽の埋葬」(1月投稿分)への三島と飛行船のラストで少し弱まっていった感が否めないが前半から中盤にかけての気持ち悪いほどの凄味は驚愕させられたとの意見、作品「HELLO IT’S ME。」への作者それぞれ個々の生が逆説的に迫ってくる作品であり2014年に投稿された私詩史の英語タイトルと日本語タイトルの技法を合体をさせた一連の作品群が思考を辿っていったときに引用部分の作者たちが咀嚼され消化され吸収されていることと対応関係にある傑出が往還している/読解とは何かということに関して自己へと問いかけられた気がしたという意見などから最終的に5年連続5回目の創造大賞受賞が決定いたしました。また「5年連続5回目の創造大賞受賞」ということについて議論が深められ、氏の「殿堂入り」が決定いたしました。今後、田中宏輔氏が投稿した作品は月間選考を経た上で「一条」氏と共に「殿堂入り」として年間大賞に掲載されることになります。また今後の年間選考では「殿堂入り」の作者二人に関しては創造大賞など各賞の選考対象とはなりませんが、各投稿作品は「年間最優秀作品賞」の選考対象にはなり得ることが決定いたしました。zero氏、阿ト理恵氏に関しても強く創造大賞へと推す声が寄せられたこと、次点というのは苦渋の決断であったこと、また来年度以降の創造大賞を獲得するに違いない声があったこと、それらを含め選考内で賛否が入り乱れたことを付記しておきます。
最優秀抒情詩賞には選考推薦として挙がった「zero」「前田ふむふむ」「はなび」「紅月」「村田麻衣子」「sample」「Migikata」各氏の内、最終選考対象となった「zero」「はなび」「村田麻衣子」各氏について議論が深められ「zero」「はなび」各氏の受賞が決定いたしました。zero氏には、古風だからこそ作者の現代が描かれていく構造になっており歴史を繋げ先端で展開されていく生活上を詩という営為に実践する見事さと美があるという意見などが寄せられ、作品「草」「葉」の評価が高かったことから、はなび氏は作品「水色のお弁当箱」などの評価が高かったことから、それぞれ受賞決定となりました。
実存大賞には選考推薦として挙がった「田中宏輔」「村田麻衣子」「前田ふむふむ」「島中 充」「zero」「new order」「山人」各氏の内、最終選考対象となった「村田麻衣子」「前田ふむふむ」「島中 充」各氏について議論が深められ「村田麻衣子」「前田ふむふむ」各氏の受賞が決定いたしました。村田麻衣子氏には、節を産みだしていくポートレート化と精神のボーダーレス化が昇華を見せており天才なのかもしれないと思ったという意見などが寄せられ、作品「street#tube」の乾き方や作品「籠のない日」の評価が高かったことから、前田ふむふむ氏には、自分独自の作風を切磋琢磨して追究し成功している数少ない作者の一人であり一作一作が現代詩のレベルを引き上げているという意見や、完成された世界観で重厚な綴りが展開されていく中で四という構成の発展を用いるなど冒険もしており内部世界を外界に転じる創世が見習いたくなるほどの筆力で行われているという意見、本来ならば「創造大賞」に推すべきなのかもしれないが前年の圧倒に比べると質的に少し弱いと思ってしまったという厳しい意見などが寄せられ、作品「静かな氾濫をこえて―四つの断章」や「廃船――夜明けのとき」の評価が非常に高かったことから、それぞれ受賞決定となりました。
新人賞には該当者6名の中から「阿ト理恵」「島中 充」「MANITOU」「エルク」各氏について議論が深められ「阿ト理恵」「島中 充」各氏の受賞ならびに「MANITOU」「エルク」各氏の次点が決定いたしました。阿ト理恵氏には、日本語とは何か言語とはいったいなんなのか音韻とは単語とは詩とはなんなのかという問いに日本語の枠組みを捉え直し解体し再生していく在り方で答えており非常に解りやすい言葉で書かれているからこそ認知された言語と意味が攪拌されていく素晴らしさがあるという意見、童謡や言葉あそびの新たな歴史となる重要な作者だという意見などが寄せられ、作品「ちょっとちがうとだいぶちがう」「はじまらないと」の評価が高かったことから、島中 充氏には、古風な作法の作品が提示していく直喩と対称性のあり方などが現代においても未だ作用可能性を抱いていることに多くを教えられたという意見が寄せられ、作品「ピーコ」「白鱗」の評価が高かったことから、それぞれ受賞決定となりました。MANITOU氏には、カメレオン文学とでも言えるような徹底的に自己ではない同化を取り入れていくことで作品に表層的深度を纏わせておりポップとも違う独特の第三次展開を引き起こしているという意見などが寄せられ、作品「 グラウンド・ゼロ」の評価が高かったことから、エルク氏には、作品完成度が非常に高く作品をもっともっと読みたいと思わさせられる勉強になる作者である、という意見が寄せられ、作品「今日を、捧ぐ」の評価が高かったことから、それぞれ次点決定となりました。
エンターテイメント賞には選考推薦として挙がった「該当者なし」「はかいし」「ヌンチャク」「お化け」「MANITOU」「アラガイ」各氏の内、最終選考対象となった「該当者なし」「はかいし」「ヌンチャク」「お化け」各氏について議論が深められ「はかいし」氏の受賞ならびに「ヌンチャク」氏の次点が決定いたしました。はかいし氏には、作品への情熱が確かに存在しているが未だ自作の確固たる作風を確立することに対し模索中である姿勢を逆手に取り作風の往還を提示することで現時点での自己と作品との共生と共鳴を可能にしているという意見が寄せられ、作品「ハンドジャンプ」「大洪水」「祝祭」の評価が高かったことから受賞決定となり、ヌンチャク氏は投稿者に迷惑をかけてトラブルを起こし続けていたりアルコールに飲まれ酔っぱらって書き込みを続ける愚行が大変多く見受けられるもののエンターテイメントに関し自覚ある作者として作品と書き込みの方向性が一貫されていたことの評価がそれなりに高かったことから次点決定となりました。
レッサー賞には選考推薦として挙がった「zero」「前田ふむふむ」「case」「水野英一」各氏の内、最終選考対象となった「case」「水野 英一」各氏について議論が深められ「case」「水野 英一」各氏の受賞が決定いたしました。case氏には、ジャンルによって読み解く得意・不得意が顕著であり作品自体にある良さではない部分に焦点を当て作品個体の良さを見えにくくさせる傾向が時折見られるものの様々な作品へと多く向き合い一定以上の構造を読み説いていることは大きな意味があるという意見、作者には作品も投稿して欲しいという意見などがあり、水野 英一氏には、レッサーとして飛びぬけた存在であり真摯に読み物として学術的にも向き合えるだけの評論を心掛けている点が非常に素晴らしい一作いっさくへのレスが間に合わなかったりレス数も極端に少なくなってしまっているが少なさに見合った質のレスを入れているという意見、フォーラムなどを活用してログに流れてしまった作品への評も是非書いていって欲しい存在であるという意見などがあり、それぞれ受賞が決定いたしました。
文学極道年間最優秀作品賞には選考推薦として挙がった数作品の中から特に「no title」(紅月)、「HELLO IT'S ME」(田中宏輔)、「シャルロットの庭*」(fiorina)、「あなたの春の一日」(鈴屋)、「陽の埋葬」(田中宏輔)、「ATOM HEART MOTHER。──韻律と、それを破壊するもの/詩歌の技法と、私詩史を通して」(田中宏輔)、「IN THE DEAD OF NIGHT。──闇の詩学/余白論─序章─」(田中宏輔) 、「お化けになりたい女の子のはなし」(熊谷)、「籠のない日」(村田麻衣子) 、「花は甚だしい」 (明日花ちゃん)について議論が深められ、「no title」(紅月)「HELLO IT'S ME」(田中宏輔)「シャルロットの庭*」(fiorina)各作品の受賞ならびに「あなたの春の一日」(鈴屋)「ATOM HEART MOTHER。──韻律と、それを破壊するもの/詩歌の技法と、私詩史を通して」(田中宏輔)各作品の次点が決定いたしました。受賞した三作品に関しては「美」について数多くの意見が交わされ各種のアプローチ方法に関しても多くの讃美の意見が寄せられました。また「no title」(紅月)には構造を見ていくシミュラークル作品として高い位置にあるという意見などが寄せられました。
最後に本賞受賞には至らなかったけれども十二分な磁場を示した作品と作者を各選考委員それぞれが推薦し選考委員特別賞が決定いたしました。本賞受賞者などの選考を進めていく際、いずれの作者も自身の作風を持ち推し進め深めていて議論対象となるだけの強度を作品で示しており文学極道の選考がなくとも評価が伴わなくとも自作を究めていくだろうと思わせられたことが印象的でした。「sample」氏には、 文字のコラージュのように体温なく遂行していき相反する感情が裂け目のように浮き上がっていく構造への意見などが寄せられ、 「熊谷」氏には、流用の詩学を体現していると清々しさへの意見が寄せられ、「山人」氏には、 作品ごとの出来にムラがあるが方向性をきちんと見出している数少ない作者という意見が寄せられ、「破片」氏には、一作いっさくが力作であり多彩な作風を使いこなしていて器用さを見せつけられる一方スタイルや作者自身の独自性が見えにくいがそこを提示した時には誰をも寄せ付けない抜きんでた存在となるように思うという意見などが寄せられ、「やなりり」氏には、使いふるされているはずの比喩素材と古風な作風が今現在においても有用であることを証明している作品に驚かされた作者の作風は決して新しいと言えず埋もれてしまいがちかもしれないがだからこそ力量が見え確かな力に支えられ現代を包み込ものではないか、という意見などが寄せられました。選考委員一同、大変勉強させていただきました。素晴らしい作品の投稿に感謝いたします。
スタッフ一同
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