文学極道 blog

文学極道の発起人・スタッフによるブログ

2016年4月分選考雑感(スタッフ)

2016-06-29 (水) 15:29 by 文学極道スタッフ

(スタッフ数名の地震被災、集中豪雨被災中のため作業が非常に遅れています。ご容赦ください。)

3.8784 : 手紙  Migikata ('16/04/30 23:36:40)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160430_318_8784p
(一)人が話すということは生を確認してしまうということであり綴る余裕があるということは知らず知らずに日常という平和に浸りきっていることを実証するということでもあります。分かりやすい比喩で構成された見事な技巧。
(一)どこかで言葉が交わされるのを避けるような、「お菓子の国」と「死者の国」の接触を望まないようにして投函される印象を与えるのは、おそらく「僕」が「君」へとかける言葉そのものを持っていないからだろう。

8774 : あの街この街その街  泥棒 ('16/04/23 21:54:01)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160423_132_8774p
(一)最後に、こう持っていくのか、と。途中のグダグダ感がまるで計算のようにも無理やり作られているので再読さえしてしまいます。

16.8776 : 教室  おでん ('16/04/27 16:20:39)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160427_228_8776p
(一) 缶コーラって表現、新鮮でした。

8755 : a mad broom  mitzho nakata ('16/04/13 22:29:57 *7)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160413_916_8755p
(一)誤字や怒りがリアルに詩情を挙げているので良い作品になっていると思います。
作者の中には多くの偏りがありますが、それが孤独さを決定的に詩に変えていると思います。

8767 : 混沌のクマ  尾田和彦 ('16/04/19 20:12:02 *2)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160419_014_8767p
(一)地震の後に読み起こされた記憶なのかもしれない。読み物としても目撃談、体験談としても人間ではないものへ変容してしまったことで混沌を見事、詩に変えている。

2.8783 :血盆経偽典白体和讃   澤あづさ ('16/04/30 18:28:58 *2)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160430_312_8783p
(一)本作のタイトルが良いのかどうか分かりかねますが「あたしが歌えば罪だから詩にした。」という本文と噛み合わせが悪かったタイトルよりは良いということは分かります。十分な力作ですし、やりたいことを出来ています。ただ作者は職人であるということと、そのことがこれからの作品に、どのように作用していくのかが気になりました。言ってしまうと文学極道での基準、優良を獲れるかどうかで書いていないか非常に気になりました。作者がやりたい芸術、そして模索し打ち立てていくであろう芸術に関しては、これからを見て判断していく他はないのかもしれません。もしも読者の視線や選者の視線を過度に意識しているのであれば、そういう狭い世界にいるのはもったいないと思います。自らが打ち立てていく芸術を見せつけて評価は、それに付随し結果として後年、与えられていけば良いのだと思います。賞的な側面を過度に意識しすぎて作品を作っていないか、気になりました。きっと、そうではないと思いますし、これから作者独自の面白い作品を作っていけたら素晴らしいことなので次回作も、とても期待しています。なんだかんだで良い作品だと思います。
(一)言葉の乱痴気騒ぎや痴話喧嘩を眺めつつ、このテクストがこうも「読めない」のは、「原文」がそもそもめちゃくちゃなのか、それとも「訳者」が下手クソなのか皆目わからん、というジレンマに捉えられる

8785 : 早漏とか爆弾とか距離とか友達とか時間とか  泥棒 ('16/04/30 23:58:04)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160430_321_8785p
(一)薄さを前面に押し出していて、それが今回の扱っている性風俗産業の女性で構成することが出来ているのかどうか。
三連目から技巧の面白さが見えてきましたが、最終行にかけて萎んでしまったことが気になります。
(一)最初はタイトルが勝っている感じでしたが、最後にうまくまとまっています。リアルかどうかは個人的には気にならないのですが、読者の「リアルだと思うこと」を引き出すという意味で、こういうテーマも面白いと思いました。
(一) 詩を書く描写がなかったので、おっと思いました。あいづちのとことか、すごく面白いです。

8739 : 風  玄こう ('16/04/05 22:48:43)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160405_741_8739p
(一)一連目などが特に良いです。作者は独自の世界を、きちんと独自に創造することが出来ています。最後のフォルムには疑問が残りました。

8757 : 雨の詩 三連  空間工房  玄こう ('16/04/15 02:10:37 *6)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160415_939_8757p
(一)新たな場所を目指し書かれていて成功もしていそうです。最後の方にいくにつれて、とても面白くなり詩情があふれていくので最初の方の捕まえ方に、もう少し工夫がいるのかもしれない、と思います。
(一)絵的な詩は好きな方ですが、それだけに三つ目が惜しいと感じます。どうしてもパワーダウンして感じられますし、一作ずつとして勝負してもよかったのではないでしょうか。

8744 : 【祝エンタメ賞受賞!NCM参加作品】君はポエム。  ヌンチャク ('16/04/07 05:27:49)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160407_761_8744p
(一)エンタメに特化していて上手に仕上げていると思います。
(一)楽しかったです。どうしてもくどくなってしまう書き方ですが、さらっと読ませる工夫がされていたと思います。

8749 : 九月の草  加賀 静 ('16/04/08 05:01:11)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160408_786_8749p
(一)これまでに語られ使い尽くされた言葉での比喩に敢えて取り組んでいる姿勢は、ここまで来ると心に訴えてくるものがありました。最後の行は、しかし流石に平易です。意味以上に平易に綴りが捉えられてしまうことは勿体ないので、ここだけでも独自の新たな比喩で綴っても良かったのかもしれません。

8740 : 供物  北 ('16/04/06 01:44:15)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160406_745_8740p
(一)いくつもの隙があるのだけれども、それが行間として機能している。
とても勉強になった。
(一)突き抜けて書ききっていると感じました。技法もちょうどよく散りばめられていて、好きです。

8754 : ノウサギとテン  シロ ('16/04/13 18:17:54 *1)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160413_908_8754p
(一)きっちりとまとめてあります。しかし最終連、説明のようです。
(一)ここまで丁寧な作品はなかなかないと思います。リズムや読後感もよいと思います。ただ、印象に残らない人も多いと思います。どこかに言葉の強度を感じさせると、さらによくなるのではないでしょうか。
(一)美しい作品ではある。一連目の
>それは自らの存在を柔らかく消滅させるように、入念に雪面に修辞する
>パズルのようにカムフラージュされた痕跡を静かに追い いくつかの狡猾なトレースを残し、残された隙間へとダッシュする
生態系へのオマージュを含んでいて、今月の投稿作品のなかで最も優れた描写の一つだと思う。
しかし、その視線は、作品が続くごとに、内在するテーマである「ランドエシック」の概念から逸脱する。土地倫理から抜粋すると、
>生態系を重視する土地倫理においては、人間の利益のみを重視した土地利用は批判される。倫理はその土地に生きる人間と動植物の関係全体に適用されるべきであり、土地倫理は、ヒトという種の役割を、土地という共同体の征服者から単なる一構成員へと変える
この征服者→一構成員 というランドエシックの流れからの逸脱。
それは、
>稜線に沈みかける夕日に涙することもない
>厳しさと激しさと子への愛だけにすべてをささげたテン
というように、捕食者であるテンの、捕食することのできない「弱さ」にたいして、自然の征服者としての「書き手」が過剰な感情移入を許してしまう文章に見え隠れする
その姿は
>「はかなく」も「美しい」
というように滅びるものとしてあり、テンを見つめるまなざしは、
狩人としてでなく、一歩間違えば、滅びる生物を「保護」しなければならない、と考え自然に介入するエゴイズムをむき出しにしかねないものである
一連目の秀逸さと、それ以後の自然へのまなざしの弱さがこの作品の特質だろう

8780 : 雨の日曜日  キッド ('16/04/29 18:14:41)  [Mail]
URI: bungoku.jp/ebbs/20160429_293_8780p
(一)充分、気になる作品です。

8779 : いくつかの秋の詩篇  シロ ('16/04/29 01:05:54)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160429_272_8779p
(一)力作です。最後やタイトルなど詰めの甘さも目立ちます。
(一)シロさんの作品は、ぼくの中では揺るぎのない価値を持ってます。
人間を取り巻く自然界を描出する的確なデッサンがメタファとして
の力を同時に備えていて、現代社会にとって必要な文学の可能性を
拓いていると思います。
同じようなモチーフが繰り返され、少し退屈だ、とみる向きもある
かもしれませんが、ジョルジュ・モランディという静物画描く画家
がかつていました。彼も繰り返し同じモチーフを描く作家でしたが、
ぼくは同じような魅力を感じています。
芸術家と職人が一つの人格に同居してしている、とでも申しましょ
うか。微妙な光のさし方、見る角度の数%のズレで世界を表現して
見せる。そういったスタイルや態度といったものがすでに詩的なも
のの属性のようにぼくには感じられます。

8743 : 午後の町で  湯煙 ('16/04/07 00:48:24 *10)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160407_756_8743p
(一)やりたいことは分かるし出来ているとも思います。だからこそ、あと一歩が必要だと思いました。 最後の連もうちょっと密度があっても単純に量的に増やしても良かったのかな、と思いました。 すごく残るんですけれども惜しいです。
(一) 口語で、話すように書いた方がおもしろいかもしれませんね。

8746 : 春から夏へ、聴こえくる、  鮎 ('16/04/07 22:36:44 *2)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160407_771_8746p
(一)悪くないです。ただ最後の「海」は必要でしょうか。

8772 : 火葬  ねむのき ('16/04/23 01:23:06)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160423_107_8772p
(一)比喩と素材と単語と作品内で起こった出来事すべてが独自性はないので、もう一歩読みたい欲求にかられます。独自性はなくても、ここまで読めるということは素敵なことだとは思います。
(一)迷いましたが、完成度の高さに優良としました。何か新しい試みをしているわけではないのですが、世界観もフレーズもよくまとまっていると思います。

46.8736 : 詩の日めくり 二〇一五年十三月一日─三十一日  田中宏輔 ('16/04/04 10:52:30 *5)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160404_722_8736p
(一)「洗濯機の夢。」などは単体として善い作品になると思います。ただ、説明になっている個所や、箸休めに見えてしまう日もあります。それも使いようなのでしょうが、これだけ長いとそこで読むのをやめてしまいたくなってしまうものです。果たして最後まで読んでほしいのか、読んでほしいのならば別のやりようがあるのではないか、と感じました。
(一)>連続する実数においては、「隣の数」というよりも、「隣」という概念自体が無効で  あるということに。しかしながら、隣り合うことなく、数が無数に連なり合うという風景は、もはや実景をもつ、現実性をもったものでもないことに。このことは、つぎのことを導く。すなわち、実数は、じつは連続などしていないのだと。実数には連続性など、はじめからなかったのだと。というか、そもそものところ、数自体も現実には存在などしていないからである。したがって、連続する実数の隣は空席なのである。すなわち、連続する実数においては、数と数のあいだには、空席が存在するのである。つまり、数と数のあいだには、数ではないものが存在するのである
>ぼくは言葉なんだけど、ほかの言葉といっしょに、ぎゅーぎゅー詰めにされることがある。たくさんの言葉の意味に拘束されて、ぼくの意味が狭くなる。まばらな場所にぽつんと置かれることもある。隣の言葉がなんて意味かわからないほど遠くに置かれることもある。ぼく自身の意味もぼくにわからないほど
ここで行われているのは、「ぼく」のフィクション性の剥奪である。
もちろん、このような「日記風」の作品は「ぼく」の思考の流れが文面通りしんじられるように求められている。でも、「詩」をテクストとして読むことをしている「読み手」にはそれが誤解であることは、あきらかである。
ハンドルネーム「田中」が書いた文章であり、そこで語り手としてふるまうのは田中ではなく「ぼく」であり、フィクションである
しかし、この作品では科学的・絶対的な「数」という連続性の概念が「空席」により無効化され、任意的に選ばれた50音の連なりである隙間だらけの「言葉」がその「空席」を埋めるように「ぼく」を「ぎゅーぎゅー詰め」にする。
ここでは、身体的な感覚に訴えかけるのに注目する必要がある
詳しくは書けないが、ここでの企図は虚構作品の存在化、だろう
虚構の人物の不確定性を、「数」などの「客観的な基準」も不確定であることをまず告げ、
そののちに不完全な言葉をあたかもその不確定性を埋めるように身体的感覚を「体感」するように「稠密」に書く
この作品を読むにはまず、「語り手」が「フィクションを語る」ようにしながら、いつのまにか「フィクションについて語る」「実存としての位置を占める作者」のふるまいへと知らず知らずに立場を変えているのをわき目でとらえること。
そして、キャラ化された「ぼく」の経験が、読み手の価値観の揺すぶりつつ、その揺さぶりをあえてキャラ化された「ぼく」の経験にとどめるようにテクストとして読み、テクストとしてのフィクションが、読書行為としてのノンフィクションである自身の経験に介入してきたことを許す「書き手」のテクニックを堪能すること。
そののち、「読書経験」と、その経験を踏まえてキャラ化された虚構作品の「読み方」にいかに差があるのかを「読み手」として語る事。
あやうく「テクスト」として読む、という行為そのものの無効化に騙されそうになりながらこの作品を読む、という贅沢はなかなかほかの作品では味わえそうにない

8773 : 今日のいまあたり  園里 ('16/04/23 16:46:06)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160423_121_8773p
(一)レッサーとして、とても優秀な作者の作品。作者は、こういう作品なのか、と高揚しながら読みました。
悪くないです。もっと面白くなりそう。
俯瞰の視点で他者の作品のように鑑賞し推敲できたら、もっと面白くなりそうです。
(一) 押し付けがましくない所に好感を持ちましたが、それがそのまま取っ付きづらさにもなっているような気がしました。

8753 : 骨董屋で  湯煙 ('16/04/11 01:52:43 *53)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160411_869_8753p
(一)タイトルに見合っただけの質量ある本文が魅力的です。しかし始まりの言葉はタイトルなどで言い尽くされていることの反復に思えます。
(一)思考の拡散具合が良いと思います。

8745 : ある男  李 明子 ('16/04/07 18:08:56 *1)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160407_768_8745p
(一)一連目の奥底から響いてくるような感情の渦に惹きつけられます。最初の方は描写もあって独特な視点が光っています。四連目から予想の範囲に留まるようになり五連目以降は説明的な蛇足の部分があったのではないか、と思ってしまいました。四連目までで煮詰めたら作者にしか書けない傑作が生まれるように思えました。

8730 : 逍遙  鮎 ('16/04/01 21:27:23)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160401_641_8730p
(一)一連目や全体の空気感は素敵なものがあると思います。言葉の運びや観念を全て説明してしまっているために詩としての奥行や読解の幅が狭くなっています。説明ではない言葉選びをしていったら抒情的な作品が現出するような気がします。今後が楽しみです。
(一)色々、試行錯誤しながら詩作に励
んでおられる様子が筆致から十分に伝わってきます。

36.8748 : 帰郷  zero ('16/04/08 03:47:46)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160408_779_8748p
(一)シンプルにまとまっていますが、どうしても説明のようになっている点は気になります。どこまで隠すのか、も問題になるでしょう。
(一)いつも戸惑います。論理
性が高すぎるという事が、欠点になっている場合が多いからです。
イメージの入りこむ隙間を、塞いでしまう。
その論理の緻密性が、よい方に働く場合と作品を台無しにしてしま
っている場合があると考えています。
この「帰郷」という作品は、どちらかと云えば良い作用を生んでい
ると思います。
(一)>山において人間と自然はまったく等しい
>人間も自然もともに循環する精神的原理
このような文章を書いてしまいたい気持ちは、誰にでもあるだろう
都会/自然。
しかし、このような単純な二項対立の図式のなかに自分をあてはめたくなる誘惑を断ち切る事こそが「現代詩」には大切なことではないか。
たとえば、環境の哲学についてかかれた水野邦彦の言葉を参照にしてみよう
公害もヒートアイランド現象もまぎれもない現代文明の産物であり,それに嫌気がさして原生的自然をもとめる現代人の指向性も,現代文明の産物ではないか 。
人間にとっての自然とは、じつは手つかずの自然、原生的自然ではなく,「人間化された自然」にほかならず,「人間は自然全体を再生産する」のだから「自然は人間の作品」というべきである 。したがって現代人が指向する「自然」 は ,現代人の欲求にこたえるべく加工された「自然」でしかない。 原生的自然は人間の統制をこえた「荒々しい自然 」であり,そのなかでは人間は生きられないであろう。人間は原生的自然ないし本源的自然と調和しうるものではないのである。私たちはどれほど抽象的には手つかずの自然 にたいする憧憬があるとしても,好むと好まざるとにかかわらず、じっさいには現代文明のなかでしか生きられない。現代人が欲する「自然 」とは、自分たちの生活に潤いをあたえてくれる箱庭的自然 ,飼いならされた自然 ,現代の社会的制約のなかで 「人間化 された自然」 にほかならない。人間にとって自然はもはや 「人間化された自然 として立ち現われる以外にない。人間が経験する自然も,脳裏に描く自然も, そして憧憬する 自然も、いずれも「人間化された自然 」なのである。
この作品では、「自然」は
>己を縛るものをすべて引きちぎった
というように、自分にとってだけ心地よい空間でしかない。
その自分の快適さ(機能性)を基準にして
>山において人間と自然はまったく等しい
>人間も自然もともに循環する精神的原理
とかく。自分にとっての機能性を、精神原理にまで拡張してその原理を
>まったく同一の世界の遺伝子を共有しながら
と世界性にまで押し広げてしまう心性は、「現代詩」の求めるものとは程遠い

8769 : ネズミと暴君  アルフ・O ('16/04/19 23:23:54)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160419_022_8769p
(一)わかりやすい比喩が広がりを持って展開をスムーズに運んでいきます。
展開に意外性があるわけではないので単語選び(「ネズミ」「暴君」など)を、もっと更に独自性を持たせると作品強度が上がり再読性を持たせていくのではないか、と思います。

8770 : 春  のかげ ('16/04/20 19:25:08 *2)  [Mail]
URI: bungoku.jp/ebbs/20160420_052_8770p
(一) 魚群よりも乱れてる足並み。でも魚群みたいにぶつからない群像。
この出だしは非常に興味深く読みました。逆説性との犇めきを言語で体現できており昇華することが出来ています。しかし、その後の体言止めの連続性や薄さが詩のまとまりとしてのバランスを崩していることが気になりました。三連目の魚から離れていったところも気になります。書きたいことが、しっかりと分かる作品なので推敲してみていって欲しいと思いました。

8781 : 春  熊谷 ('16/04/29 19:40:29)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160429_298_8781p
(一)この作品は「標本」が出てきてからは詩としての締りが出てくるのですが、それまでの心の揺れが、そのまま作品の揺れとして出ているように思えます。最後にかけて良い作品なので前半の方が散漫になっていないか、どうか推敲して欲しいな、と思いました。もっと良い作品になりそうです。
(一) 毎回ラストになんとなく希望的なものを持ってくるなあ、と思っていますが今回の作品では読んでいて強烈な違和感として残り、それが良いことか悪いことか判断が難しかったです。最終的には、深みが増して良いのかなぁ、と考えるに至りました。この作品は「標本」が出てきてからは詩としての締りが出てくるのですが、それまでの心の揺れが、そのまま作品の揺れとして出ているように思えます。最後にかけて良い作品なので前半の方が散漫になっていないか、どうか推敲して欲しいな、と思いました。もっと良い作品になりそうです。
(一)今まで作者の作品は一顧だにするに値しないという感じを持っていました。つまり彼女は詩人ではないと。
ですが、この作品に関しては「注目」していっても良いのかなぁ。
という印象を持たせてくれる要素は感じ取れました。
それはワードとワードの接続の仕方やそのセンスですね。
詩的なイメージを表現するコンテクストの構成方法というものや、
接続表現のちょっとしたニュアンスの使い方といったものは、教え
られて獲得できるものではない。

8735 : 傷官のほし  stay熊 ('16/04/04 03:04:14)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160404_720_8735p
(一)何かが生まれだしそうな作品の内側にある激情が伝わってくるようで迫力に飲まれそうでした。それがエンタメの角度も持っており、一作品内に全てが収まりきらなかったようにも感じられました。収まった時に傑作になるように思える作品でした。

8737 : サクラキライ  あまやま想 ('16/04/05 18:52:59)  [URL]
URI: bungoku.jp/ebbs/20160405_738_8737p
(一)桜は、どうしてもハードルが高くなってしまうので書きたいことは書けているのですが、ハードルを越えられているかどうか疑問が残りました。

8782 : 春花  月うさぎ ('16/04/30 03:19:52)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160430_307_8782p
(一)書き始めて間もないだろう作者の作品。花の名を特定せずに書くという挑戦をしている。最後の「大和のこころをわしづかみ」は、もっと別のものがあると思えた。
(一) ここまでベタにやるなら、韻律もベタに七五でそろえたら面白いのかもしれません。

5.8775 : 誕生日の詩  ねむのき ('16/04/26 14:03:59)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160426_163_8775p
(一)>確かに冷静にみるとキモいですね
と作者の言う通り。
ちっぽけな「僕」の死、あるいは僕の存在の抹消が決定的になった瞬間に
>7階から墜落しながら
>世界はこんなにも透明で
>きれいだったと
>ちぎれた星座のように
>さいごに叫ぶだろう
「世界」や「星座」への見方が一変し、
>僕たちが、祈りを捧げるべきひと
に承認され、僕の行為が肯定される、というような筋書きははやり気持ち悪い
(一) ハッピーバースデイ。青白い牛乳って、腐ってません?
>青白い牛乳に、星は
>まるで魚のように
>ふらふらと漂っていて
  ここ、意味が分かりませんでした。

8756 : 逃避  月うさぎ ('16/04/14 15:49:58)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160414_927_8756p
(一)ニ連目と最終連は、書かなくても他の連からあふれていることなので別の綴りをした方が膨らむのかな、と思いました。またタイトルを含めて一つひとつの比喩単語が独自性がないです。使い古された比喩を使われてきたイメージのまま使っているので、ハードルが上がってしまい、そのハードルを越えることが出来ていません。作者の作品には書き始めの方特有のものがあり、それには好感しか持てません。たくさん書いて、いつか傑作を書いて欲しいと思っています。

8.8778 : 風の電話  紅茶猫 ('16/04/29 00:49:31)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160429_271_8778p
(一) 一行目、素晴らしい発見。

24.8768 : 無をゆく舟  ハァモニィベル ('16/04/19 23:14:46)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160419_021_8768p
(一)これからどうなっていくのか、という作品だと思います。形を維持したまま、言葉を洗練させていけば、良い作品になるのではと思います。

8759 : radiance part 1  田中恭平 ('16/04/16 00:22:41 *2)
URI: bungoku.jp/ebbs/20160416_946_8759p
(一)タナトスの使用が非常に気になりますが、存在への恐れと不安が伝わってきます。新しくなくてもよくて、それを詩にし続けることには意味があると思います。
(一) 最後の方、面倒くさくなったのか、それともブロックごとに主体がかわっているのか? 判断できませんでした。

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2016年5月分月間優良作品・次点佳作発表

2016-06-25 (土) 00:43 by 文学極道スタッフ

2016年5月分月間優良作品・次点佳作発表になりました。

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「2015年・年間選考経過」

2016-06-09 (木) 17:50 by 文学極道スタッフ

「2015年・年間選考経過」

2015年 年間各賞

 文学極道「2015年間各賞」は2015年に「文学極道詩投稿掲示板」へと投稿された作品のうち月間優良作品に選出された162作品・次点佳作に選出された148作品、65名の作者を対象として、委員スタッフによって1月28 日から4月2日の期間に選考会を開催し審議の結果、上記ページの通り決定いたしました。本選考はスタッフである光冨郁埜、平川綾真智、石原綾、望月遊馬、清水らくは、麻田あつき、りす、チアーヌ(乃村寧音)、石畑由紀子に外部協力者であるオダカズヒコ、浅井康浩を加えた計11名で行いました。
 創造大賞には選考推薦として挙がった「該当者なし」「zero」「泥棒」「熊谷」「山人」「ペスト」「前田ふむふむ」各氏の内、最終選考対象となった「zero」「泥棒」「熊谷」各氏について議論が深められ「zero」「泥棒」各氏の受賞が決定いたしました。zero氏の作品へは、レベルが圧倒的であり此の作風で良質というのは真似できないことだという意見、クオリティは相対的に他投稿者と比べて抜きんでているという意見、作者の書く心的現実が投射された世界は虚構性も浮かぶからこそリアルであり感情の豊満と深化を持つ人間が必ず浮かんでいる戦後詩などを彷彿させる学びと詩に触れた時の感動が筆致に残っているため古風な詩の様相が新たなる創造性を得ている逆説性も実に興味深く胸を打つという意見、作品強度が十分つよい作風を得ているにも関わらず「雨の日」など新たな作風にも挑戦していて行く先を見届けたいという意見、作者から学ぶことは実に多くあったという意見、キャリアがあり書き続けていることは一つの大きな才能であり現代詩における大きな功績と考えてよい作風も確立されたものがあるというなどの称賛の意見が多数ある一方、不条理な日常性のなかの皮肉な現実が書かれているけれども「昇進」はラストに疑問を持ってしまうので唐突かあるいはもうすこし書き込むべきかした方が良いように思えた、考えすぎている傾向があると思う詩を書く時もっと自由になってもよいのではないか、などの厳しい意見もありました。最終的に、殺戮だろうと処罰であろうと自動的・システム的に遂行されるという権力の自動装置が描かれている「処刑」の評価や「起きたとき」の評価が高かったことから3年ぶり2回目の創造大賞受賞が決定いたしました。泥棒氏の作品へは、一年を通して推した推さなかったなど様々だったがタイトルを見た時に内容を思い返せる作品ばかりだということに驚嘆したという意見、必ず何か一言言いたくなってしまう作品群であり面白いという意見、エンタメに特化した方であると思い読み直していったが作品から新たに見えてくるものがありエンタメを超えた超人なのかもしれないと思ったし幾つかの作品はもっと評価しても良かったのかもしれないと思い直しさえしたという意見、「ギギギギギギギギギギギギギギギギギ」の擬音が作品に効果的に働いていることや「森が森に森は森と森の森を森で森」など作者は楽しめる作品づくりを為しているので推挙するという意見、アプロプリエーションからの拡充をユーモアに見事転化しているなどの称賛の意見が多数ある一方、端正で巧い仕上がりになっているが作品それぞれが推すにはどこか決め手に欠く印象を受けるという意見、作者には批評眼がなく疑問を持つという意見、作者はまだ発展途上だと思う作風もまだ固まってないし作者自身も色々と試されているような印象があるという厳しい意見などもありました。最終的に「中原中也になりたくて」に関し、やりすぎに思える部分が多々あることもあるが痛快に感じさせる作品であり作者のギリギリな針の揺れ振れかたは本当に酷い時もあるが僅かな初動の力加減で逆にプラスに振り切れることがあり僅かな差異を意識的に行っているように思えるなどの高い評価があったことや、「警察」に関し、言葉を大事にしていてメリハリをつけており読み終わった時に「この長さでよかった」と思えるような努力がしてあり最もよかったと思う作品だったなどの高い評価があったこと、作者を推すことは冒険ではあるが発掘という意義もあると思うという意見があったことなどから、創造大賞受賞が決定いたしました。
 最優秀抒情詩賞には選考推薦として挙がった「該当者なし」「前田ふむふむ」「あやめの花」「かとり」「丘 光平」「atsuchan69」各氏の内、最終選考対象となった「前田ふむふむ」「あやめの花」「かとり」「丘 光平」各氏について議論が深められ「前田ふむふむ」「あやめの花」各氏の受賞ならびに「かとり」氏の次点が決定いたしました。前田ふむふむ氏に関しては、やや古風で独特な世界観白いもやのような詩の空間が特徴的という意見、素晴らしい作品群であり中でも「あまのがわ」は秀逸だったという意見、キャリアがあり書き続けていることも一つの大きな才能であり現代詩における大きな功績であるという意見、言語化を経て再構成されていく世界は独自性に富んでおり悲しみに満ちていて詩の様相と作者の内面が近接しているのに作品として立脚するだけのものを数的にも質的にも書ききれていることは素晴らしいと言わざるを得ない作者の詩を読むたびに生命の根を考えさせられるという意見などがあったことから、あやめの花氏に関しては、言語の水が作品という器に注がれ表面張力の瞬きを通しておりこぼれてしまいそうな危うさもありだからこそ見える美があり読むたびに形を変えて感情の共鳴を鏡化していくという意見、風を感じる美しい作品でありこれからも読ませて欲しいという意見などがあったことから、それぞれ受賞決定となりました。両名とも賛否両論あり、あやめの花氏には作品自体の出来が物足りない感じがする作品数ももっと読みたいという意見、美へとこだわることが独創的なものとして表出されていない部分があり気になるという厳しい意見もありました。かとり氏には、作者と話者の間にある一定の距離が置かれている印象があり作品の中に現されている生は客観的に見つめられ話者の内部にある出来事というより外部にあって話者と対置して存在するような仕組みに作品の構成がなされているという意見などがあり、次点決定となりました。かとり氏には、むしろ実存的な趣を感じるという意見などもありました。
 実存大賞には選考推薦として挙がった「山人」「熊谷」「zero」「コーリャ」「かとり」各氏の内、最終選考対象となった「山人」「熊谷」「コーリャ」各氏について議論が深められ「山人」「熊谷」各氏の受賞ならびに「コーリャ」氏の次点が決定いたしました。山人氏に関しては、何の違和感もなくすっと入ってくるおそらく苦労されてきた人だと思う作風もそこに込められている詩想もとても素朴だがリアリスティックに響くという意見、生活感が滲み出すばかりではなく時に詩的な飛翔によって世界を豊かに見せてくれる表現力も持たれている素晴らしさがあるという意見、作品によって出来に差があるが写実性は達人の域達している勉強になる作者だという意見、去年よりも冒険していて再読性を増していたことが興味深いという意見、インターネットが社会のコアな部分を担うような情報社会が出現してリアルということが分かりにくい時代 に入り人と自然が切り離される傾向になる現代にあって作者の詩の視点は重要な要素を持っていると感じているという意見、「ツララ」「名もない朝」など自然と人間の照応が見事であるという意見などが寄せられ、「山林の詩五篇」や「小さな 五つの詩編」の評価が高かったことから、熊谷氏に関しては、改めて読むと非常に大きな存在感を示していたことに気づかさせられる投稿数が意外に少ない事実に驚くオリジナルがあってからの模倣という形を忠実に守っていた初期の作品から次第に自己作品へと拡張していく在り方・伸び方は学ばさせられる部分が多くあるという意見、模倣が創造へと変質した瞬間の発光は眩いという意見、やはりアプロプリエーションからの拡充というものを成しており女性性のキャラクター化が作品の詩情を面白い方向へと動かしているという意見、ストレス社会に晒された“会社員”の刻印を切り取りながら映像的かつ動的で面白いと思う意見などが寄せられ、「OVER THE SEA, UNDER THE MOON」の評価が高かったことから、それぞれ受賞決定となりました。両名とも賛否両論あり、山人氏には文学的な素養として少し弱い印象があるという意見、作者は後期に作品の幅を広げているが未完成であり少し失速している感もあったという厳しい意見、熊谷氏には散文がけっこう幼稚な作りものに見える場面が多々あるという意見、イメージをロジックで操る力がもっとついて来て人生経験がついてきたらもっと面白くなる可能性があるという意見、安易に女性性といった立場から書くのではなくて、屈折してから表出する表現がとても現代的だなと感じるしぎくしゃくしているところが良いがぎくしゃくしたまま何とか収拾をつけようとする手癖みたいなものもあり今後の変化がとても気になる段階であるという厳しい意見などもありました。コーリャ氏には、上手すぎる作者の現代性が存分に背理と変わり行く人間性の動態を気づかせていくという意見、ポップの先を見ていて評価されて然るべきという意見、すさまじい切れ味であり言語の切れと往還を流出させ提示しなおしたアプロリエーションの先端に触れたことは自己が吹き飛ぶような快感であるという意見などが寄せられ、「メイビ―グレイ」の評価が高かったことから、次点決定となりました。コーリャ氏に関しては、ここからどのように変化していくのかという段階に思うなどの厳しい意見もありました。
 新人賞には該当者9名の中から「ねむのき」「ペスト」「あやめの花」各氏について議論が深められ「ねむのき」「ペスト」各氏の受賞が決定いたしました。ねむのき氏に関しては、若い印象であり無名だが有望な詩人として背中を押したい詩人でありそれに値する作品を書いている作者だと考えているという意見、幼さも感じ取れる書き方あるいは作品設定だが新人という名にふさわしいという意見、どんどんと親和力を獲得して行った方という印象があるという意見などが寄せられ、「ひかりちゃんの卵かけご飯」「列車」の評価が高かったことから、ペスト氏に関しては、作品は領域探求に特化していて尊さすら覚える詩という歴史が変動した記録を現代へと蘇らせて続きを追い求めている視覚の輝きが見事という意見、作者の作品は技法がぶれない芯を持っていたという意見、作者の作品を改めて読み込んでみると意外と社会批判を含んだ意味の露出の高い詩になっていると思う隠喩の中にも多義性を排除した一元的な方向性が見られるという意見などが寄せられ、「」「夜と星」の評価が高かったことから、それぞれ受賞が決定いたしました。ペスト氏には、案外ステロタイプの社会批判を踏襲する古めかしいメッセージだったりするので違った角度から切り込んでもらいたい気もするが若いのだとしたら想像力の欠如がどうしてもあるため何かの模倣であらざるを得ないのかもしれないという厳しい意見もありました。
 エンターテイメント賞には選考推薦として挙がった「該当者なし」「ゼッケン」「泥棒」「葛原徹哉 (ヌンチャク / イヤレス芳一)」各氏の内、最終選考対象となった「ゼッケン」「泥棒」「葛原徹哉 (ヌンチャク / イヤレス芳一)」各氏について議論が深められ「葛原徹哉 (ヌンチャク / イヤレス芳一)」氏の受賞が決定いたしました。葛原徹哉 (ヌンチャク / イヤレス芳一)氏は、「ダメヤン」 への評価が非常に高く、ひょっとしたら年間最優秀作品なのかもしれないという意見、web媒体でのみ効果を放つ作品の威力が非常に大きく作用しているという意見などがあり、受賞が決定いたしました。
 レッサー賞には選考推薦として挙がった「該当者なし」「赤青黄」「泥棒」「GENKOU」「園里」各氏の内、最終選考対象となった「赤青黄」「泥棒」「GENKOU」「園里」各氏について議論が深められ「赤青黄」「GENKOU」「園里」各氏の受賞が決定いたしました。赤青黄氏には、そこまでレス数は多くはないかもしれないが自作でも他の方のレス欄でも丁寧にコミュニケーションしている印象という意見、一生懸命ていねいに読み込んでいて決して良い読解に結ばれているわけではないが他者の詩作品を自らの限界を提示しながら解釈していくことこれは素晴らしいことだと思うという意見、《僕はブンゴクのレスを全部最初から片っ端に読んで出会ったのが最初の「文学(あえて誇張していいますね)」でしたよ》と明記した上でのレスには注目すべきものがあったという意見などがあり、GENKOU氏には、やや脱線もあるものの刺激的で面白いレスが多く作品とは違う一面がレスで見られるような気がして興味深いという意見、詩以外のことにも関心が強くて社会問題やジャーナリスティックな視点を持ってきて語るタイプであり興味深いという意見、園里氏に関しては、2015年に詩の投稿はしていなかったが評としてのレスで場を活性化させており勉強になる評を書き続けている一人と言えるという意見、長く作品を発表せず評だけだったが逆に珍しくなるくらいにネタではない作品への深い読みを行っているという意見などが寄せられ、それぞれ受賞が決定いたしました。GENKOU氏に関しては、非常に懐疑的に捉えており詩作品が良いけれどもレスに関してはさまざまなことへの関心と断言の根拠が非常に表層的に思え理論は知っているけれども対立理論が存在しているなどの深い話が出来ない部分が気になるという意見、詩作品を投稿するまで荒らし的な方なのかな、と思っていました。ただしGENKOUさんの作品はレスと違って社会の中で孤独に弱弱しくも生きていく生々しさが出ていて良いと思います。レスは頭でっかちだったり情報への信じ方も少し疑問が残ります。作品だけ書いていたら素敵な方なのにな、と私は思ったりもしています。
 文学極道年間最優秀作品賞には選考推薦として挙がった数作品の中から特に「我らの蛾」(お化け)、「詩の日めくり 二〇一四年十三月一日─三十一日」(田中宏輔)、「メイビ―グレイ」(コーリャ)、「連祷:farewell」(どしゃぶり)、「  DIARY」(GENKOU)、「 OVER THE SEA, UNDER THE MOON 」(熊谷)、「死んだ子が悪い。」(田中宏輔) 、「警察」(泥棒)、「中原中也になりたくて」(泥棒) 、「君に触れるということ」  (ズー)について議論が深められ、「詩の日めくり 二〇一四年十三月一日─三十一日」(田中宏輔)の受賞ならびに「君に触れるということ」  (ズー)、「 OVER THE SEA, UNDER THE MOON 」(熊谷)各作品の次点が決定いたしました。「詩の日めくり 二〇一四年十三月一日─三十一日」(田中宏輔)に関しては、毎年新しい詩の形を提示していくということは並大抵のことではなく今年も新しい形式での詩作品を提示してきた作者の手腕と確かな詩情には見事としか言いようがないという意見、すべての月が三十一日で終わる仮想と現実の時間と空間をコラージュする作品群の中で十三月の作品は最も凝縮されている上に読解を刺激する創造的な作品だと言うほかないという意見、「詩の日めくり」は「二月」なども「三十一日」まで統一されているところが読解のカタルシスとなったり「十三月」があるところなどが非常に興味をひかれたという意見などが寄せられました。「君に触れるということ」  (ズー)には鮮烈な印象が忘れられず独特の世界観構築も見事という意見などが寄せられ、「 OVER THE SEA, UNDER THE MOON 」(熊谷)には作者の作品世界がオマージュから一歩先に出ている特筆すべき一作であるという意見などが寄せられました。
 そして最後に、本賞受賞には至らなかったけれども十二分な磁場を示した作品と作者を各選考委員それぞれが推薦し選考委員特別賞が決定いたしました。本賞受賞者などの選考を進めていく際、いずれの作者も自身の作風を持ち推し進め深めていて議論対象となるだけの強度を作品で示しており文学極道の選考がなくとも評価が伴わなくとも自作を究めていくだろうことや年々作品が明らかに上手くなっている作者の存在が輝いていることが印象的でした。「丘 光平」氏には、静かで心地の良い作品ばかりでありアクセントをつけずに長い詩を完結させるのには技術を確かに持っているという意見などが寄せられ、「atsuchan69」氏には、改めて作者の作品を読んでみるとJ・G・バラードやダーザインを思わせるような比喩表現が出てきたり表現に深みやギミックが備わってきた印象を持ったかなり研究してきてる気がする更に伸びしろもあるという意見などが寄せられ、「草野大悟」氏には、「火葬場」は死者の肉体を見送ったあとの意識レベルでのつながり融合を繰り返し言葉で模索しているさまが印象に残った最後を夢に頼らなければ更に良い作品という意見、わかることである場所に届く言葉とわからなくても突き抜ける・どこへも行ける言葉があるなかで作者が後者になりきっていないという実りきらない部分も感じられたが非常に作品が力を持ち始めておりこの先も読んでいきたいという意見などが寄せられ、「田中恭平」氏に関しては、 バランスのいい作品を書く作者であり展開にも無理がなくけれど独自の作品で非常に気になるという意見などが寄せられ、「町田町太」氏に関しては、なにか常連さんの別のハンドルネームなのだろうかと思ってしまうくらいに上手く書きなれていて興味深いという意見などが寄せられました。「 DIARY」(GENKOU)については非常に高い評価があったと共に、投稿した際のフォントの色などのことに関してハードルを上げすぎだったのではないかという意見なども寄せられ、「物語の物語の物語」(Migikata)に関して歩いている時にふっと思い出す良作という意見などが寄せられ、「反重力どんぶり」(増田)については非常に面白く不可思議な世界を作り出せていて更に作品が読みたくなったのでどんどん書いて欲しいという意見などが寄せられ、「我らの蛾」(お化け)については構成が見事であり描写としても文字としても視覚表現としても幅広い可能性を打ち出した作品であり見事という意見などが寄せられ、「連祷:farewell」(どしゃぶり)については言葉の捉え方を刷新していっている問題作という意見などが寄せられ、「別の詩」(三台目全自動洗濯機)については投稿作品には章分けされているものも多いが複数枚構成の絵画のような効果を得られていない作品が多くそれぞれにタイトルをつけた各作でもかまわないようなオムニバスに見受けられる物も少なくない中で作者はその逆をそれこそ「別の詩」というタイトルにおいて一枚絵の中に収めていて練られた巧さが際立っているという意見などが寄せられました。選考委員一同、大変勉強させていただきました。素晴らしい作品の投稿に感謝いたします。

スタッフ一同

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